#いとしきモノ展
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hisoca-kyoto · 2 years ago
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「秋のしつらえ」展3日目。本日もたくさんの方にお越しいただきありがとうございました。日中は半袖で十分な暑さでしたが、皆さんの気持ちは秋を求めてらっしゃるようでウールのストールやマフラーやブラウン系の器を選んでくださる方が多い1日でした。
順番に作品を紹介していきます。hisocaではお馴染みの荒木桜子さんには秋の草花を生けるための花器を多めに作って頂きました。
ひさご型の一輪挿しは色々なサイズやモールが入っているもの、壁掛け出来るタイプまで揃っていて選ぶのが悩ましいです。素朴な草花をさらりといけるのが似合います。
スモークグレーのシンプルな花入は、筒形2サイズと丸型の3種類ご覧いただけます。季節のお花をたくさん束ねて入れたり、枝��をシンプルに生けたり、おおらかに受け止めてくれる花器は一つお持ちだと心強いですね。
モールのコンポートは大きなデザートカップのようなタイプが2サイズと放射線上のモールの模様が美しいフラットなタイプがあります。深さがあるタイプは水を張って花器にしたり、フルーツを盛ったり、ブロックキャンドルのスタンドにしても良いデザインです。フラットタイプは24cm有るのでホールケーキだと7号まで楽しんでいただけます。こちらもフルーツや季節のしつらえにお楽しみ頂きたいです。
久しぶりに手つきモールのピッチャーも作って下さいました。私も自宅で使っていますが水差しや花生けに活躍してくれます。その他にもモールのシリーズは楕円の豆鉢や菓子鉢にしたいようなモールの鉢も2型ありましたが初日に旅立ちました。写真で紹介できていないものもまだまだありますのでぜひ店頭にてご覧いただけると嬉しいです。
9月30日(土)は桜子さんが午後より在廊くださいますのでぜひ吹きガラスのお話お伺いにお立ち寄りくださいませ。そして同じく30日(土)の 夜、23:50〜 NHK G(全国)「京都極上モノ紀行」の番組内にて荒木桜子さんが取り上げられるご様子です!(当店もお取り扱い店として少し取材を受けました・・・)ぜひ京都のガラス特集の様なのでぜひこちらもご覧になってみて下さい。
それでは明日も「秋のしつらえ」展にてお待ちしております。
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kou-f · 4 months ago
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昨日は映画「孤独なふりした世界で」を観た。
所謂終末モノ。
このジャンルってもうネタが出尽くして、
新しい展開って無いね。もうだいたい先が読める。
でも結構好きなんだよね。荒廃した世界の映像がかな。
ちなみに原題は「I Think We're Alone Now」
まーた日本の配給会社がやりやがったな!
原題でググったら同名の楽曲が出てくる。
Aloneって独りぼっちって意味かと思ったけど
Weでも使っていいんだね。ふたりぼっち?
なんにんぼっちまであるのかな。
みんなは終末なにをする?
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lumi-kissa · 4 months ago
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やっと読み終わった。
ものすごく有名で、ものすごく評価が高い作品。
あれ、もしかしてここが繋がるの…?っていうゾクゾク感からの終盤の展開に、
「えっ!!!…待ってなに???」
って声が出た。ビック���だし、なんでしょう…
玉手箱を開けた気分。
ᝰ✍🏻
展開の衝撃度は素晴らしかったけど、個人的に内容そのものはあまり刺さらなかった。
表紙に、「最後の1行まであなたの心を離さない」 とあるんだけど、私は最初の1行で一瞬心が離れそうになってしまった。
ハマれなかった理由を考えてみた。
ミステリーなら、この作品のように終盤に突き放されるような衝撃を味わえるのが一番好きです。
一方、恋愛モノでは共感と感情移入ができるかどうかと、登場人物の魅力が決め手になる。
この作品は、ミステリーの要素より恋愛の要素の方が強く印象に残ってしまったので、主人公とヒロインを好きになれなかった私には刺さらなかったんだと思います。
あと、今の私の人生において、恋愛がそんなに重要ではないってことも影響してるかも。
そして私は桜について知りすぎている。
別の機会に一気読みしたら違う受け取り方ができるかもしれないので、手元に残しておいていつか再読したいと思います☺️
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catonoire · 7 months ago
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はにわ展
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東京国立博物館ではにわ展を見る。「挂甲の武人」(上のチラシ画像のメインビジュアル)の国宝指定50周年を記念した特別展である。埴輪以外の出土品も展示されている。
つかみは修復後初お目見えの「踊る人々」。最近では、踊っているのではなく馬の手綱を持って馬を引いているのでは、という説が有力になってきているらしい。
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修理の模様を収めた動画がとてもおもしろかったのでリンクしておく。(この動画は会場では流れていなかった)
踊る人々の次は、国宝ばかりを集めた展示、および2メートル超の高さを誇る円筒埴輪を含む展示。撮影禁止だったり見学者多数でうまく撮れなかったりしたのでここに載せられる写真はないが、埴輪だけでなく大刀(金の象嵌)、沓(金銅製)、耳飾り(金製)、甲冑など状態の良い出土品も並んでいて、ヤマト王権の威勢を見せつけるかのような展示室だった。
以降の展示室では、埴輪を造形で分類して紹介する流れがわかりやすかった。まず基本の円筒埴輪とそのバリエーション。壺のように見えるものも埴輪で、そのまま壺形埴輪と呼ばれている。
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船形埴輪。
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武具の形をした埴輪。
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そのほか見学者の写り込み多数でここには写真をアップできないが、盾形埴輪、靫形埴輪、椅子形埴輪などがあった。靫(ゆぎ)は矢を入れる道具。
土ではない素材で作られた埴輪様のものが古墳に置かれることもあったのだそうで、例として武装石人(下の写真)、大刀の形をした木製品、靫の形の木製品が紹介されていた。
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このあと群馬県太田市の窯で焼かれた「挂甲の武人」埴輪5体が揃い踏みする室へと向かう。展示のしかたがやたら凝っていて、戦隊モノのヒーローをキャラづけして紹介するようなノリだった。たとえば下の写真は国立歴史民俗博物館所蔵のもので、台が黄色、そして展示ケースの背面に埴輪の上半身がぼうっと浮かび上がるように見えている。埴輪ごとに台の色が異なり(キャラごとに色が違うのは戦隊モノのお約束)、ケース背面もそれぞれ同様にデザインされている。
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おもしろかったが、埴輪そのものをつぶさに見るというより展示方法に注意が向いてしまったので、個人的にはもっと淡々と見たかった。出来の良いよく似た埴輪が5体揃ったというだけでじゅうぶん派手なのだから、見せ方まで派手にしなくとも……と思ったり、しかし埴輪を作った人がこうし��華やかに展示されたのを見たら喜ぶかもしれないな……と思ったり。
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埴輪は赤、白、灰色、黒の顔料で彩色されることもあったのだそう。上のチラシ画像のメインビジュアルの挂甲の武人���当時彩色されていたらこんな感じかも?という復元が下の画像。
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次の3枚は、挂甲の武人が着ているのと同じタイプの冑、挂甲、籠手。こういうものも現物がちゃんと出土してるのか!と驚いた。
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造形別埴輪紹介に戻る。人の形の埴輪がたくさんあったが見学者の写り込みも多数でやはり写真は載せられない。モチーフとしては、盾や杯や何かを持った男子や女子、座った男子や女子、力士などが挙げられる。
家形埴輪はとても神聖なものなのだそうで、これも多数展示されていた。下の写真は作りかけのままの家形埴輪。埴輪工房が焼失した状態で発見されたとのことで、気の毒ながらたいへん興味深い。
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導水施設形埴輪。導水施設。意外すぎてキャプションを二度見三度見してしまった。聖水の儀礼または遺骸を洗浄した施設と考えられている由。
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これは埴輪棺。このように古墳を飾るためではない埴輪もあったとのこと。
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みんなの人気者、動物埴輪の皆さん。
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少なくとも四つ足の動物のお尻にはたいてい穴が空いているように見えた。鳥のお尻にも空いていることがある。
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下の写真の中央は鵜形埴輪。ここで鵜が出てくるとは想像できなかった。
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魚形埴輪。鵜がいるなら魚もいて不思議ではない。
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最後は近現代における埴輪の受容のされかたに関する展示。内容的にはごくあっさりしているので、この分野については東京国立近代美術館の「ハニワと土偶の近代」を見るべきだろう。
東京タワー近くの芝公園から出土した男女の埴輪。これが出土したときの調査が郷土研究のきっかけになったとのこと。
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三船敏郎が所持していたらしい、ひよこ形埴輪。
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版画家の斎藤清が下の写真の埴輪をモチーフにした作品を作っている。
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次の埴輪は、映画『男はつらいよ』主演の渥美清に似ていると話題になったそうだが、別に似てないよね……?と思ったら、葛飾柴又の古墳から出土したものだそうで、まあ納得。
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群馬県が開催したHANI-1グランプリで優勝した埴輪。満面の笑みが勝因か。
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下の3体は明治天皇の陵に奉献された埴輪と同じ形で作った模型。吉田白嶺の作。このあたりのヤマト民族らしいきな臭さなどは上述の「ハニワと土偶の近代」の守備範囲。
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おまけ。展示室の壁の装飾。
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ou-dan · 4 days ago
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みんぱくへ行った
しばらく前に。
 もう終わってしまった展示なのですが「点と線の美学 アラビア書道の軌跡」を見に。
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 アラビア書道、カリグラフィー、タイポグラフィーの企画展示です。アラビア書道の基礎的な説明や道具展示、作家の作品から印刷物や生活用品や建築の一部など色々と紹介されていて面白かったです。個人的には新聞組版と記事の題字が興味深かったです。文字系の筆耕的なお仕事とかがあるんだな。
 あとアラビア書道で使われる紙。さわれる実物展示だった。
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 この企画展目的で行ったので、常設の膨大な展示のほうはざっくり見ただけなんですがざっくりって言ったってめっちゃ量あるね……企画展の展示場所が常設の展示場の中にあるので……
 みんぱくは世界の色々な地域の色々なものが並んでいますがもちろん日本のものもあり、これだけ物量あるとやっぱりインパクトあるね。
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 鷺舞の衣装展示もありました。  京都��生の芸能ですが京都では踊りが途絶えたけど島根で継承されていて、二十世紀入ってから島根で継承されているものを京都で再現復活し祇園祭で舞われていたものの、また途絶えていたのが最近二十年ぶりぐらいに再び復活した、という紆余曲折ありながらも続いている芸能です。島根のほうのは重要無形文化財、ユネスコ無形文化遺産に登録されている風流踊のなかのひとつですね。
 これは去年の祇園祭の鷺舞のインスタライブ。京都の方は現在は祇園会鷺舞講という団体がやっています。
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 「風流踊」というのは風流踊というなにか特定の決まったジャンル形式の踊りがあるというわけではなくて(いや一応「こういう踊りのことを言います」という説明はあるといえばあるんだが現代の言葉で語る時の機能とちょっと違う枠組みなんじゃというかめんどうなのでこの話はやめるね)、日本の各地のいろんな民俗芸能の類の一括概念すぎるので言いたいことが色々あるが、そのぐらいざっくりガッとまとめた言葉でくくって記録しておかないといけないからこうなっているんだろうなあ……と思っています。
 あとこれは韓国の農楽の衣装とか。
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 プンムルノリとかサムルノリとかは何度か見たことあるのですが、帽子の上についているくるくるまわるやつめちゃ印象的だよね。
 この動画の46:32からのやつです。
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 あとは南~東南アジア各国の人形劇・影絵芝居~仮面舞踊劇あたりの展示ががっつりあって物量~って思いながら見ました。
 昔、アジア各国の演劇や伝統芸能がたくさんかかる舞台芸術祭が東京であって、その時色々観ることができてめっちゃよかったんですよね。ベトナムの水上人形劇とかも見たな。時々そういう芸能フェスティバル的なものがあるけど、なかなか行く機会がつかめなくて最近は全然見れてなくて残念です。まあ今なら万博行けってことなのかもしれないですが。
 みんぱくの来歴というか、1970年の大阪万博で太陽の塔の中で展示されてた各国の仮面とか神像とか民具とかがみんぱくに収蔵されているんですよ。国立民族学博物館が大阪にある理由は「万博があったから」ってのめっちゃでかい要因なので。
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 万博についてもちょっと語りたいことあるな。万博についての学術的な研究会があったり研究者の方も結構いらっしゃってですね、そういう方面の��演とか展示とか行ければちょいちょい行ってるんですが、大航海時代以降20世紀までの植民地主義をどう脱して今、現代の万博をするのか、みたいなあたり、一般のメディアでももうちょっと語られてもいいような気はするんだけど「お祭り」として見ようとするとフォーカスはしない話題だよなあとか結局植民地主義を脱しきれてはいないだろうよとかこう、むずかしいね。
 昔の万博、博覧会の類は世界各国のいろんな民族の人を開催地に連れてきて生活再現をさせたりする「人間の展示」をやっていたんだけど、これはかなり批判される文脈にあるんですが、現代のいわゆる「芸能のショー」と切り離せることだと思ってんの? というのが自分の中の結構重めのテーマなんですよね。「展示する」「見る」という行為はめっちゃ力関係のことなんですよ。何の了解があれば他者を鑑賞していいことになるのかというか。舞台芸術、あるいは芸能全般の、見る/見られる、展示としての見る/見られる、ちょっとでもバランス崩れると暴力になる危ういものであるよなと思っているので。なんというかな、見る/見られるの相互に了解があったとしても、「それダメじゃない?」はなんらかの文脈上では発生しうる。文化摩擦的なことなんだけども。私の興味が舞台芸術なのでこの枠組みで見��るけど、現代のSNS事情を思うと膨大な人たちが生活の様をインターネットでダダ漏れさせている中での「見る/見られる」概念は結構ザルになってると思うので、「何が悪いの?」ってなることの方が多そうな気もするのだよな。いやまじで「見る」って力の行使なんだよ。何が具体的に悪いとか決めたいのではなくて、見ることは力の行使なのでなんかの拍子に暴力になることがまあまああるっていう現象のことを気にしています。
 話題は逸れるしとりとめなくなってきたけど、いろんな文化やモノを見る箱として、ヨーロッパとかのでかい博物館の収蔵品は侵略した国から収奪したもので成り立っている部分が結構あって、返還するしないは現代でもちょくちょく揉めているし、19-20世紀ごろのことを思うと日本もまあ、まあ、あるよねそういうの、というこう。
 モノが今ここに存在することの意味というか。人と人のつながりとしてうまくまわっていればいいんだけど。
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yonomichi-createlog · 9 days ago
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Lightning Talk用_進捗まとめ
就活で頭がいっぱいで具体的な成果や著しい進展はありません。しっかり両立すべきだったと反省。(今月いっぱいで就活を終わらせる予定なのでラストスパート頑張ります。)
●プレゼンからの進捗まとめ ・軸が「混ざる・変化する」→「“境界線”の魅力」のほうが自分の表現したいものに近いのではないか。(混ざりあう、結合する違う物質同士が起こす影響や形状など) ・最終形態(作品)の方向性はオブジェ(+映像)かインスタレーションを予定。
●まずやるべきこと ・今出ている物の中で興味をあまり持てないものに対して、なぜそれは面白くないと思うのか、“好きじゃない理由”は何か。 ・混ざる、メタモルフォーゼする中で自分が魅力に感じるポイント、好きと思う理由。 ・化学変化(液体メイン)/メタモルフォーゼを中心にリサーチや事象を調べる。
要は“自分がときめく事象・要素をより具体化する”
(作品として表現・伝えたいしたいモノ)
●化学反応リサーチの現状(↓)
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picnicism · 5 months ago
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(【#2】野鳥を「見ている」のではなく……。/執筆:レイザーラモンRG | POPEYE Web | ポパイウェブから)
日本野鳥の会 会員のRGが昨年2024年に成し遂げた最大の仕事は、2025年2月24日まで国立科学博物館にて開催している『特別展「鳥 ~ゲノム解析が解き明かす新しい鳥類の系統~』の音声ガイドを任されたことでしょう。 この偉業、例えるなら地上波でサッカーワールドカップの日本戦の解説…いやそれは言い過ぎ…副音声を任された、みたいな? RGは野鳥でそこまで登り詰めました。 よく頑張った。感動した。 (小泉純一郎) 自分で自分を誉めてやりたい。 (有森裕子) さて、その音声ガイドで「鳥は恐竜から進化した」部分を読ませてもらった時、「あれ?今人間中心の地球だと思ったけど、結局今地球を支配してるのは鳥なんじゃね?ていうことは地球ずっと恐竜に支配されてんじゃね?」と思うようになりまして。 大飯食らいで体が大きくなりすぎた恐竜は隕石衝突とか氷河期突入した際に「これは今後地球で生きるにはコスパ悪すぎるで」と体を小さく軽くしエサも最小限でいける体にしていきました。そして「寒いとこから暑いとこ、暑いとこから寒いとこ行くのに歩いて行ってたらタイパ悪いで」と気付き寒すぎず暑すぎない、エサも豊富な場所に「自力」で「飛んで」行けるように進化していきました。人間は車や船や飛行機がないと遠くに行けないというのに自らの体一つでサラッと国境を越える鳥たち。 それがさらに各地で多様化して天敵が登ってこれない断崖絶壁の岩場に巣を作ったり森の奥はエサがなくなったから都会の生ゴミを漁り出したりと環境への順応性も人間とは比べものにならない鳥たち。着飾ったりカラコン入れたりタトゥー入れたりして自己顕示欲の固まりの人間って生き物を嘲笑うかのような美しい配色や美しい造形の野鳥たち。恐竜も実は鮮やかな毛が生えていたとの研究結果もあり、おしゃれの面ですら人間は恐竜〜野鳥のラインに勝ててないのです。 野鳥を見ていると車やマンションや時計や服…全て要らないものなんだと気づかされます。甘い物や揚げ物や炭水化物も要らない、野鳥のように旬のモノを一番美味しい時期に少しだけ食べることができればそれでいい。地球に最も適した地球の支配者、���識高い人間も憧れる究極の生活をしている生物…。それが鳥たちなのです。 だからRGはバードウォッチングで「野鳥を見ている」わけではなく「美しい御姿、抜群の運動能力、地球を制覇した究極の生物」という憧れの目で見てます。世界最高峰の気高いスポーツ選手を見てる感じに近いかな? そういえば世界最高峰のサッカー選手の集合体ブラジル代表は「カナリア軍団」と呼ばれてますね。鳥ですね。 そんな鳥たちの剥製が大集合!猛禽類勢揃いのコーナーなんて銀河系最強軍団かよ!ってなっちゃう特別展「鳥 ~ゲノム解析が解き明かす新しい鳥類の系統~」2025年2月24日(月・休)まで国立科学博物館にて開催してますのでぜひ。
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monotime · 1 month ago
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2025年6月のおしらせ
・6/9(月)まで 個展「頭蓋骨を散歩する」本屋・生活綴方にて イベント開催「モノ・ホーミー 2464 ORACLE CARDで占う すなばの部屋」 ・6/1(日)「高円寺あづま通り商店街 ほんの通り道」出店 ・6/14(日)本田亮×モノ・ホーミートークイベント「そうぞうをそうぞうする」
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個展「頭蓋骨を散歩する」 イベント「モノ・ホーミー 2464 ORACLE CARDで占う、すなばの部屋」
6月9日(月)まで、横浜市の本屋・生活綴方さんにて詩画集『頭蓋骨を散歩する』の原画展を開催中です。 詩画集『頭蓋骨を散歩する』は、2024年の夏頃から日課として制作している四行詩に絵を添えた作品集です。本展は1月に西荻窪のFALLさんで開催した展示の巡回展となり、本に収録されている詩と鉛筆画の原画を展示します。詩と絵のあいだを行ったり来たり、散歩をするようにのんびりと楽しんでいただけたら、と思っています。
個展「頭蓋骨を散歩する」 会期 2025年5月16日(金)から6月9日(月) 時間 金土日月 12時から19時 (火水木やすみ) 本屋・生活綴方 神奈川県横浜市港北区菊名1丁目7−8 東急東横線妙蓮寺駅より徒歩2分
★在廊予定 6/7(土)終日 最終日6/9(月)
また、会期中にイベントを行います。
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「モノ・ホーミー・2464ORACLE CARDで占う、すなばの部屋」 日時:5/31(土)、6/7(土)    どちらも13:00~17:00 料金:10分500円(現金のみ) 【すなばさんプロフィール】 会社員として働く傍ら文筆家として活動。 著書にエッセイ集『さよならシティボーイ』、小説『SWIPE』(共にトーキョーブンミャクなど。 海とシティが好き。
4月の「本や街」で大人気だったすなばさんによるタロット占いを、個展「頭蓋骨を散歩する」会期中に再び開催していただけることになりました。
ご予約は必要ありません。お好きなときにお立ち寄り下さい。混雑時はお待ちいただくこともあるかと思いますが、いらしてくださった方から順番にご案内いたします。展示や店内をご覧になってお待ちいただいても、妙蓮寺の街をお散歩してお待ちいただいても大丈夫です。もちろん、当日はすなばさんのご著書の販売もあります!
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2464 ORACLE CARDはマルセイユ板タロットカードを参照した、モノ・ホーミーのオリジナルオラクルカードです。詳細はこちらを御覧ください。
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6/1(日)「高円寺あづま通り ほんの通り道」出店
高円寺あづま通り商店街にて開催される「ほんの通り道」に初出店します。本やZINEの販売会で、25組ほどの出店が予定されているそうでうす。お気軽にお立ち寄り下さい!
高円寺あづま通り商店街 ほんの通り道 日時 6/1(日)12時から17時 主催 高円寺 本の街商店会、高円寺あづま通り商店会 ※雨天中止
6/14(日)本田亮×モノ・ホーミートークイベント「そうぞうをそうぞうする」
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6/5(土)から、本田亮さんの個展「そうぞうしてほしい」が祖師ヶ谷大蔵のBOOKSHOP TRAVELLARさんにてはじまります。 本展会期中の6/14(土)、個展開催記念イベントとして本田亮さんとのトークイベント「そうぞうをそうぞうする」を行うことになりました。お申し込み受付中です。ぜひご参加下さい。イベントのご予約はこちらからお願いいたします。
・本田亮さん 個展「そうぞうしてほしい」 会期 2025年6月5日(木)から年6月16(月) 時間 12時から19時 火水やすみ ・トークイベント「そうぞうをそうぞうする」 日程 2025年6月14日(土) 14時から15時半頃(13時半開場) 参加費 1500円  BOOKSHOP TRAVELLER 東京都世田谷区祖師谷1-9-14
以上、どうぞよろしくお願いいたします。
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flamingo-rex · 1 month ago
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2025/05/18
サルバドール・ダリ展へ行って来ました。
来月まで開催されてるけど、時間取れるのは
今日しか無い!と、前々から予定入れてましたが
昨夜がまさかの朝6時だったので、予定より
2時間遅れで出発。
国立新美術館で行われた
シュルレアリスム展を観に行ったのは2011年。
その時はルネ・マグリットがメインだったけど
やはりダリの扱いは特別で、その時に展示されてた
好きな絵画『不可視のライオン 馬 眠る女』を
観れたのは凄く印象に残ってる。
今回のダリ展は、生誕120周年という事もあり
早熟ダリの10代の頃の作品やスケッチや絵画、
油絵や彫刻、版画まで展示されてたのは凄かった
流石に、前に見たシュルレアリスム展や
大塚美術館でも、ここ迄のダリコレクションは無い!
今回、『不可視のライオン 馬 眠る女』は
展示されて無かったが、彫刻や彫金作品を観れたのは
特別だったし、何より今回のスペシャルは
1939年のニューヨーク万国博覧会で
ダリが手掛けたパビリオン『ヴィーナスの夢』の内壁に
描かれ��絵画の展示。そして、これのみ写真撮影OK!
当時の、パビリオンの内壁に描かれた作品だけあって
かなりの大きさ!
それに有名である彼の作品の特徴的であるアイコン
柔らかい時計や、ロブスター、燃えるキリンなと、
『記憶の固執』の構図そのままに壁一面に描かれてるのは
圧巻だった。
そもそもシュルレアリスムとは何ぞや?と言われるが
当時のパリのシュルレアリスム宣言が基であり
20世紀最大の芸術運動の総称とワイは捉えてる
なので、作風を表すものでは無いし
有るとすれば、現実と非現実。意識と無意識。
という様な、日常的な現実を超えた
新しい美と真実の発見であるし、
そう言った変革期にリアルを追求、
実現を試みた思想だと思う。
現にフロイトの心理学や夢占いからも
影響受けてるし、写実の分野で試行錯誤しながら
実験的表現は、個人的に昔から興味かあるんだよね
94年頃、ワイがSECOND BRIDGEってバンドで
活動してた時、ライブの告知やポスターなどは
ダリの作風をかなり用いてたしね(笑)
ダリの作風からは、自身への強烈なコンプレックスを
作品昇華させてるのがビンビン伝わるし
ほぼみんなのイメージである彼の作風には
必ず、地平線があり主として遠近法を用いた絵画が
多く残されてる。
柔らかい時計にも象徴されてる融解は
有機的、固形からの変化を表現したいのだと思う。
つまり、地平線や遠近法を使った
点と線、奥行きといった、手法で
絵画という平面の2次元で、この3次元を表現し
さらに融解などの変化を表現してるこは
時間軸をプラスした4次元の世界なのだと
ワイは思ってる。
絵画は視覚的芸術であり、音楽は聴覚上の芸術。
今!って言う現実を時間軸で基準にするなら
過去や未来の概念が生まれる
ココには永遠って言う人類が憧れるモノは
無いのだけど、4次元の世界では立体的3次元界に
時間軸が加わる事によって、過去も未来も
行き来することが可能なのだ。
人間の心理や、心の中は、無限であり
リアルとアンリアル。現実と非現実。
意識と無意識…
双方に生きる事が自由でリアルでは無いか?って
事なのだと思う。
ま、これを21.歳のKaz.くんが、バンド組んで
あ〜だ、こ〜だ!と力説しても周りからは理解されず
笑われてたけどね(苦笑)
サルバドール・ダリさんの生誕120年を機に
訪れたダリ展。
彼の21歳の作品やスケッチを見て
あ…コイツ、同じ事考えてる!と思った(笑)
恐れ多いとは、全然思わないよ。
後の彼の作品観れば、絵画で時間を有する
音楽的表現をしたかったのが解るから。
あの頃、ワイが感じてた事や、模索してた表現を
彼の作品からちゃんと汲み取れる
そんな視覚的刺激を受け、当時の気持ちに戻れるのは
正にタイムマシン。
やっぱりダリは4次元に居るんだよ(^^)
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666blackpanther · 2 months ago
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開催2日目です
Tei Kobashiが描く 花音Tシャツの世界
「拈華微笑-Nengemishou-」展
2025.5.11-5.17
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手描きに1点モノご購入ありまして
ありがとうございますの塩梅です
本日も花音さま
魂の終日在廊をこなされます
いろいろお話を聞きつつ
気に入った手描き&中村屋プリントTシャツが
あればよいですね
簡単ですが展示動画公開中
youtube
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kennak · 2 months ago
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こんにちは。日本在住の台湾人です。日本で暮らしていると、こうした意見はよく耳にするものです。今回、自分の考えを整理する意味も込めて、私見を書きまとめました。決してあなたのモノの見方を否定しようというものではありません。ただ、こうした意見を持つ日本の方々に知っていただきたいことを整理しましたので、少し長くなりますが、最後まで読んでいただけたらと思います。   まず、台湾は独自に制定した憲法を持ち、台湾の人々が選んだ政府が政治を行っています。この体制は長い年月をかけて築かれ、台湾で暮らす人々は、自分たちの社会の中で日々生活しています。法律を作り、経済を運営し、国際社会と関わりながら、独立した統治が行われているのが現実です。   次に、「台湾は歴史的に中国に属していた」という話ですが、これは少し誤解があります。(文脈から判断するに、あなたのいう「中国」は中華人民共和国のことですよね。以下、私が使う「中国」も中華人民共和国の意味です。) 台湾の歴史を振り返ると、17世紀にはオランダが統治し、その後、明の遺臣・鄭成功が台湾を拠点にしました。その後清朝の統治を経て、1895年の日清戦争で日本の領土となりました。1945年に日本の統治が終わった後は、中華民国政府が台湾を統治するようになり、その後1949年に中華人民共和国が成立しましたが��台湾がその支配下に入ることはありませんでした。つまり、「台湾が中華人民共和国に属していたことはない」というのが歴史的な事実です。   現在の状況を見ても、台湾の人々は中国の法律で統治されていませんし、台湾の住民が中国に行く際にはパスポートが必要です。中国政府が台湾の住民の戸籍を管理しているわけでもなく、税金を徴収しているわけでもありません。このような現実を踏まえれば、「台湾が今、中国の一部として統治されている」というのは事実とは異なります。   また、「台湾には独自の文化や民族の違いがない」という意見も、実際にはそうではありません。台湾にはさまざまなルーツを持つ人々が暮らしています。 ・台湾先住民族:もともと台湾に住んでいた人々で、独自の言語や文化を持っています。かくいう私も先住民族の子孫で、国会議員を選ぶ選挙の時には先住民族だけが投票・出馬できる議席枠があり、私はその権利を持っています。 ・内省人(本省人):17世紀以降、中国大陸から移住してきた人々の子孫で、台湾語(閩南語)や客家語を話す人が多いです。 ・外省人:1949年の国共内戦後に台湾に渡ってきた人々とその子孫です。 このように、台湾には多様な文化があり、それらは時に衝突し、時に認め合い、また妥協しながら混ざり合ってきました。今の現役世代は、両親や祖父母の世代の様々な思いを知りつつも、ひとまず自分たちは台湾人であるという意識を共有するようになっています。このことからも、中国とは異なる独自のアイデンティティが形成されていると言えるでしょう。食文化、音楽、生活習慣も異なり、台湾には台湾ならではの歴史と文化があります。   よく香港と台湾が並べて語られますが、決定的に違うのは、台湾が独自の憲法を持ち、自らの政治を運営していることです。香港は「一国二制度」のもとで中国の一部とされてきましたが、台湾は中華人民共和国の支配下に入ったことはなく、長年にわたって独自の政治体制を維持しています。(もちろん「今日の香港は明日の台湾」的な危機にあるという意味では、同列に語るべき存在でもあります。)   「台湾はアメリカの支援で生き残ってきた」という見方もありますが、それだけでは説明がつきません。台湾の民主主義は台湾の人々が努力して築いてきたものです。たしかに国際政治の影響はありますが、台湾が発展し続けているのは、台湾の人々が自分たちの手でその未来を作ってきたからです。   国であるかどうかは、どの立場からどのように定義するかによって変わります。台湾には明らかに独立した統治があり、人々がそこで生活を営んでいるという現実があったとしても、他の国やあなたが台湾を国家として認めるかどうかという議論は成り立ちます。 ですから「自分は国の定義をこう考えるから、台湾はその定義には当てはまらない」と考えることは、一つの意見として尊重されるべきものです。ただ、そうした意見を述べる際も、台湾で暮らす人々にこのような実態があることを踏まえた上で、その尊厳を大切にする気持ちを持っていてほしいと思います。民主主義において、議論は自由に行われるべきですが、その前提・プロセス・結果において相手の存在を否定しない(立場を尊重し合う)ということが何より大切だからです。
こんにちは。日本在住の台湾人です。日本で暮らしていると、こうした意見..
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andma-style · 2 months ago
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代官山ギャラリー子の星での個展は、昨日無事終了いたしました。
最終日は、2時間のみのOPENと短い時間ではありましたが、
足をお運び頂き、とても有り難かったです。
個展にご来場くださいました皆様、どうも有難うございました!
個展会期半ばで、実は風邪を引きまして、
コロナやインフルであっては大変!と思い、早々にクリニックにて
受診・検査をして、『陰性』を確認して個展の在場を続けておりました。
また、今年に入ってから私の転機?になるのか、
今後の仕事についていろいろ考えるところがあり、
迷いが生じてもいました。
このHPをご覧下さっている皆様だからこそ、お伝えしますと、
そろそろ陶芸という仕事を卒業する時期なのかも?ということ。
私のこれまでの人生の大部分を占めていたと言っても過言ではない
『磁器制作』を引退?というか、
モノづくりの路線変更?というか....
そんなことを考え始めているこの頃なのです。
失敗の多い制作なので、加齢と共に体力的・精神的なモチベーションの維持が
辛くなっている現実、
リピーターのお客様には、私の作品を何年にも渡り
たくさん作品をご購入頂いており、飽和状態にあるのかも?と思ったり、
そんなお客様に、それでも「欲しい!」と思ってもらえる、新作を
今後も作り続けることができるのだろうか?とか...
そんなことを考えている昨今なのです。
そんな中での今回の個展で、会期中に風邪を引くという初めての失態とも言えるこの経験は、
とても大きなメッセージのように感じてしまうのです。
心も身体も限界なんじゃないの?と。
まぁ、早々に結果を出すことは現時点では難しい現実もあります。
まだ粘土などの材料がたくさんありますし、
窯を処分するのにも相当の資金がかかりますし、
最近ファンになってくださったお客様からしたら、
もっと観てみたい!と思ってくださるのかもしれないし...
磁器粘土の在庫を使い切ったタイミングで、決心・覚悟をするのかもしれません。
そんな状態の中、個展に来て下さった今回のお客様からのお言葉は、
上記の私の『迷い』などは全くご存知ないはずなのに、
的を得た、とても励みになったり、応援のようなお言葉だったり、
元気やパワーを頂き、同時に癒しも頂けたりと...
今回ご来場くださったお客様からの『無償の愛』のような
優しいエネルギーを受け取り、
本当に心温かく、有り難い気持ちで一杯でおります。
どういう判断をいつするかは、まだ未知数ではあるのですが、
人が作るものには限界もあることを私自身も肝に銘じ、
このHPをご覧下さっている皆様には、
今後も末長いお付き合いを賜りたく存じます。
個展にご来場くださいました皆様、
本当に有難うございました!
心より感謝を申し上げます♪
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spindrift64 · 5 months ago
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「なぜAI業界は何でもオープンソースにするの?狂ってるの?」という疑問。会計史の観点からいえば「資本主義の仕組みが変わったから」と言えるかもしれない。 株主は配当金ではなく、売却益を目的に株を持つようになった。起業家は売上と利益ではなく、出資を募ることを目標にするようになった。 複式簿記は、中世後半の北イタリアで生まれた。が、それが現代的な会計制度として整理されたのは19世紀、産業革命期の英米だ。とくに鉄道の発展が、複式簿記と会計制度の発達に大きく関わっている。というのも、鉄道はかつてないほど莫大な資本を要する産業だったからだ。 線路を敷設するための土地取得だけでも、膨大なカネがかかる。車両の購入にも、特許の使用料にも、技術開発にも、当然、カネがかかる。燃料費や人件費だって、信じられないほど大規模だ。鉄道の誕生以前の世界では、こんな産業は存在しなかった。 (ちなみに、世界初の株式会社はもっと古い。1602年に設立されたオランダ東インド会社だ。①継続企業(ゴーイング・コンサーン)の前提、②株式を自由に譲渡できる、③有限責任制など、現在の株式会社と同じ仕組みをすでに有していた) 鉄道の時代には、会計の目的は「利益と配当金を正しく計算すること」だった。要するに、当時の株主にとっては「正しい金額の配当を受け取れること」が最大の関心事だったのだ。 ところで、20世紀後半までこの世界のお金は基本的には「金本位制」だった。「1円札に1円の価値があるのは、銀行に持っていけば1円分の金塊と交換してもらえる」という世界だ。戦争で中断することもあったけれど、基本的には、お金とは「貴金属の代わりを果たすもの」だった。 金に限らず、本位制通貨には弱点がある。不況に陥りやすいのだ。産業が発展すると、みんながカネを必要とするようになる。需要と供給に従って、モノに対して、相対的にカネの価値が高まる。1000円を得るのにラーメン1杯を売れば良かった世界から、2杯売る必要がある世界になる。つまり、デフレだ。 デフレが起きると、みんなモノを買わなくなる。投資もやめてしまう。今日は1000円でラーメンが1杯しか買えなかったのに、明日は同じ金額で2杯買えるかもしれない――。そんな世界になったら、「今1000円を使うよりも明日まで待つほうがいい」とみんな考えるようになる。こうして経済は不況に陥る。 経済は、経済は、人類の発明や野心や人口増加によって指数関数的(に見えるほど急速)に発展することがある。一方、金や銀の採掘量は、そんな簡単には増えない。本位制通貨は供給不足に陥りやすく、デフレに陥りやすいのだ。 第二次大戦の終戦直前、アメリカのブレトンウッズ・ホテルに連合国側の代表者が集まり、戦後の通貨制度を決めた。各国通貨と米ドルとの交換比率を固定し、金と交換できるのは米ドルのみにするという、変則的な金本位制だった。この通貨制度を「ブレトンウッズ体制」と呼ぶ。 戦後の復興と爆発的な経済発展で、大量の米ドルが必要になった。一方、金の採掘量はそう簡単には増えない。米ドルと金との交換は次第に困難になっていった。1971年8月15日、リチャード・ニクソン大統領は米ドルと金との交換を停止すると宣言。この「ニクソン・ショック」により、金本位制は終わった。 金本位制の世界では、通貨の供給不足が問題だった。一方、現代の世界では通貨の供給過剰(※過剰流動性)が課題になる。貴金属の保有量など気にせず、刷れば刷るだけお金を増やせるからだ。ヒトやモノを買う「実体経済」で使いきれなかったお金は、「金融経済」に流れ込むことになる。 現在の世界では、金融経済の規模は実体経済をはるかに上回っている。定義や計算方法にもよるが、金融経済を流通する通貨の総額は、実体経済を流通するそれの数倍から十数倍、あるいは数十倍にも上ると見積もられている。 要するに実体経済でチマチマとモノを売ってカネを稼ぐよりも、金融市場で一発ガツンとカネを集めるほうが、容易に稼げるようになってしまったのだ。 現在の世界では、株式の配当金や株主優待の価値は相対的に低くなった。(運よく)株価が上がったときに売り払えば、配当金や優待をはるかに上回る売却益を得られる可能性があるからだ。その結果、会計制度の目的も少しずつ変わりつつある。 かつては、会計制度は配当金を正しく算定することが目的だった。一方、現在の会計制度は「会社の現在の〝価値〟を正しく見積もること」に軸足が置かれるようになりつつある。IFRSが公正価値や包括利益を重視するのも、このような会計のニーズの変化によるものだと言っていい。 ここで冒頭の結論に戻る。現在の世界では、資本主義の仕組みが変わった。たとえビジネスモデルがなく、売上も利益も出ていない状態の企業でも、「ヤバい技術」を開発して公開するだけで、莫大な金額の投資が集まったり、大企業に売却したりして、億万長者になれる可能性がある。 これは株主の側にも同じことが言える。たとえビジネスモデルがなく、売上も利益も出ていない状態の企業でも、みんながその企業の株を買っているうちは値崩れしない。値崩れ前に売りぬくことができれば、ちゃんと売却益を稼げる。 ここに「ヤバい技術をすぐにオープンにする」というインセンティブがある。特許を取って、ビジネスモデルを考案して、実体経済でチマチマと稼いで――。そんなことをしているうちに、ライバル企業が「もっとヤバい技術」を無料公開するかもしれない。投資を掠め取られるかもしれない。 ……というのが、「なぜAI業界は何でもオープンソースにするの?狂ってるの?」という疑問に対する、俺の理解です。
XユーザーのRootport🔥さん
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vicisono · 9 months ago
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羂索 Vs. 髙羽 戦まとめ
第一ラウンド
羂索:呪霊で先制攻撃 髙羽:事象書き換えにより攻撃結果をリセット 羂索:事象創造系の術式と判断 髙羽:羂索のコスチュームにアイテム追加 羂索:術者自身のイメージを具現化し他者にも強制する術式と分析
羂索:ギャグへのダメ出しによる精神攻撃で出力抑制を図る 髙羽:オーディション会場を創出し羂索のコスチュームもTVディレクターに変更(羂索のイメージを取り込んだ?髙羽自身のイメージ?) 羂索:通常攻撃が通るようになったのを確認し、術師のメンタルが術式発動に影響すると推論
羂索:髙羽のギャグを独りよがりとダメ出しをした上で、より面白いギャグを披露 髙羽:羂索からの評価を否定して対抗しようとするも黄櫨の死体を見て動揺
※お笑い芸人としての原点を確認した髙羽が自己開示とコミュニケーションを諦めない意思表示
第二ラウンド
羂索:特級叛霊で先制攻撃 髙羽:トラックを具現化し呪霊を一撃破壊、羂索にもダメージ(おそらく通常は特級クラスにトラックが衝突してもノーダメージだが、「もったい付けて登場したバケモノが出オチ一発退場したら面白い」という髙羽の発想により世界観が押し付けられた)
羂索:警官コントから病院コントに誘導し、その流れで髙羽に電撃 髙羽:次のコントに移行しダメージリセット
羂索:看護婦コントで自身の肉体変容を確認 自分が仕掛けたコントのイメージもフィードバックにより具現化されるのを確認(クイズ番組への移行は髙羽が素で知らない「ハドロン」が出題されたので羂索の意志か?)
羂索:猫に変化し髙羽をタクシーに撥ねさせる 髙羽:そのままロケーションを海に変更したコントを続行しダメージリセット(水平線が見えるような広大な背景を現出、対戦相手を質量ともに変幻自在な生得領域に閉じ込めるという領域展開に等しいことをやっている)
※全てがコントの一���として如何なるダメージも「なかったこと」にされる髙羽に対し、ダメージの蓄積により疲弊していく羂索(死者を出さない術式なので、おそらく羂索は呪力も体力も尽きた状態でも表面的には無傷に修復されて延々コントに付き合わされるはず)
第三ラウンド
羂索:髙羽を満足させることで術式を終了させる目論見でM-1の舞台をイメージし相方を務める(自分がボケ役を引き受けて舞台を主導) 髙羽:夢の舞台で相方と漫才を演じきって満足、術式終了
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感想戦
私は『呪術廻戦』という作品の良い読者ではなかったけれど、この羂索 Vs. 髙羽 戦というカードは能力バトルもの漫画の歴史に刻まれる傑作だったと思う。
ギャグ世界の住人が能力バトルに参加したらどうなる?という試みは作中でも引用されたフリーザVs.両津や『遊戯王』のトゥーン系カードとかでもやってるし、明確な下敷きであるボーボボのハジケバトルの構���がそういうものだ。 個人的には領域という自分の世界観を押しつける呪術バトルの中でギャグ世界の法則に巻き込むというのはTRPG『TORG』のカートゥーン・レルムを思い出した。カートゥーン・レルムは流石に実装したらGMの負担が大きすぎて扱いきれないのでエイプリルフール企画で終わったが、あれを真面目に実現したらどうなっていたかを突き詰めると「超人」術式になるわけだ。
初手から一切舐めプせずに必殺攻撃を放ち、コントに巻き込まれてダメージを負いながら試行錯誤して術式を分析し、遂に攻略法を発見する羂索の姿は、完全に「理不尽な強敵に蹂躙されながらも粘り強く戦って勝機を見出すチャレンジャー」であり、全力でぶつかり合った結果として強敵との間に友情が生まれちゃってるのも込みで、本作中では非常に珍しい「さわやかで熱い少年漫画バトル」の一戦になっている……いやまあ、そもそも羂索は準ラスボスで物語の黒幕なんですけど。
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「宿儺に全力を出させてやれなくて申し訳ない」&「孤独だが寂しくはない、生物として隔絶しているので他者に理解を求めない」という五条、「挑んできたものを返り討ちにするという形でしか他者との関りがもてなかった」カシモ、長生きし過ぎて友達がいなくなったせいで独り語りが増えた羂索という描写が重ねられた後に見ると、寂しさを認めて自己開示し、羂索を笑わせることを諦めないと宣言する髙羽はみっともなくも美しい(この戦いの裏では宿儺の「孤独を恐れぬゆえの強さ」を称える裏梅のバトルが繰り広げられていたりする)。
今際の際のヨロズが宿儺に対して「私のことを知っていてくれた」と喜んでいたように、相手の術式を真剣に解析して攻略するというのは相手の世界観を理解することなので、「俺のことを知ってほしい」がお笑いの原点である髙羽の本願は倒されてこそ成就するのだろう。
でも、羂索は全身全霊で髙羽に挑んで理解しようとしてくれたけど、髙羽の方は羂索のことを理解してないから、やっぱり「ひとりよがりな三流芸人」ではあるのだよな。
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すべてが終わり日常に帰った後、髙羽は「夢の舞台」を心にしまい込み、あえて「最高の相方・羂索」の幻を追わず、本来はツッコミ適正でありながら羂索を手本にして相方を幸せにできるボケを目指す……というあたりが健全な落としどころかなと思うけど、この漫画はあくまで「呪い」の物語ですからね……
アレはリカちゃん2号と同じ呪力によって再構築された仮想の羂索だと思うんだけど、だとすると適性のある観客にしか目視できないしTVにも映らないから漫才は成立しないはず。髙羽がピンで舞台に出ても、ノリによっては客前で収拾のつかない事態になるので芸人として詰んでいる。呪術師に転職して、自分の術式について自覚することで大幅に出力を落として制御するしかないか。いろんな意味で強烈な呪いを残していったな、羂索。
髙羽の末路は物悲しくも恐ろしいけど、『破壊神マグちゃん』の単行本加筆版最終回の相似といえないこともない……か? あちらはひとりの人間の一生をかたわらでしっかりと見守り続けたからこそ、その記憶と権能によって非物質的な永遠の存在として再構築できたけど、髙羽は羂索のこと全然知らないからなぁ。少ない情報を元に作り上げた人形だと、「他者」ではなく作り手の可能性の域を出ない成果物になっちゃう。やっぱり羂索らしいエグい呪いですよ。
でもまあ、千年を生きたバケモノがその命の最期に「運命の人」と巡り合い、ほんの一瞬、心を通い合わせて死ぬという羂索の末路はやっぱりロマンティックで大好きなんだ。髙羽は気の毒だけど、古来から化生のモノに魅入られた人間は破滅すると相場が決まってるから、しょうがないね~~。
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yonomichi-createlog · 16 days ago
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275.6/12の分
作業。
今日はいろいろやりました。前々からタスクになっていた手続きを進めたり、2社ES提出しました。また、前回の能力検査に続き実技試験もやったのですが、がっつりエンジニア向けで、なんにもわからなかったです。コードの出だし部分はわかっても本格的な中身部分がもう知らないコードで思考停止状態でした。
面談に向けて
265.6/2のブログに情報まとめがあります。そこから追加する情報としては先日の「染物」と混ざり合う“液体”に着目したいという点くらいです。あとは、混ざるの少し発展として“別の物質により侵食されていく様子”(メタモルフォーゼ的な)もすきだなという思い。→“混ざる”、“侵食される”モノとモノの境界に萌えを感じる。
以下のマインドマップも少し更新しました。
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ou-dan · 6 months ago
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2024年まとめ
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 今年は水彩作品の制作をがんばりました。昨年「来年展示やりたいな」と思ったので実行したというのもありますが、いまだにスタイルの確立ができとらんな~と思っており、試行錯誤があります。
 というか静物画と植物画のスタイルは自分の中で確実に手応えがあるのでそれはいいんですが(私のイラストレーションの得意分野はモノ・植物です)、もうちょっとなんとかならんかなと思っているのは漫画絵に寄った人間を描くときのスタイルです。昨年第五人格のファンアートを描いて「キャラクターのスタイルこういう感じならいけるかも」という方向性がうっすらつかめた感じがするのですが、第五人格は根本的にキャラデザが死ぬほどうまいので自分の力じゃないんですよね。というわけで、今年は「月に1作は自主制作水彩絵を描く」を実行しました。イラストはこちらのポートフォリオにまとめています。
 11月はキャンドルのシリーズを描いていましたがそれ以外は人間・キャラクター絵を描くという方向でやっていました。振り返ってみて思うのは、やっぱり物語が明確にあるものは一枚絵だとしても作品になりやすいという感触で、アリス展合わせで描いたものは「漫画絵寄りで且つまとまりがうまくいったのでは」と思っています。正方形だったのでバランスのとりやすさもあった。習作で描いた他の正方形の絵も人物にフォーカスする時はかなりいい形式だなと感じました。
 構図は、迷ったらメイン人物をセンター正面+背景を物尽くしにするor世界観の表象を入れる、と決めているのでまあまあの割合でそういう絵になっています。これは数年前からやっているので「この構図前にも見たな」ってなると思いますが、ワンパターンだとしても全く問題ないなと感じています。
 7月の水彩月間では毎日風景スケッチを描くのを一ヶ月完走したのもいい思い出です。風景うまくなりたいね。
 水彩画の展示は大阪・京都・東京の企画展に参加しましたので、おおざっぱすぎる区分ですが西日本と東日本とで展示ができてよかったです。これは有言実行できてよかった。水彩紙や額装マットのメーカーであるオリオンさん主催の展覧会(メインはオンライン)に参加して、原画ではなくプリント展示でしたが銀座の月光荘で自分の絵を展示してもらえたのはめちゃめちゃ嬉しかったです(水彩の制作を再開する時、道具をそろえたのが月光荘だったので)。
 今年描いた絵で言えば、制作してはいるけどまだ発表はしていない水彩画のシリーズもあるので、来年はこのあたりをまとめて出したいなと思います。
 自主制作以外だと、skebのほか、今年も装画をご依頼いただけたり、毎年恒例の定期案件があるのですがそれで絵を描いたり色々できて楽しかったです。
 アリス展に参加したことで、イギリス文芸題材の絵を描くテーマに��手できたのでよかったなと思っています。というか長年ぶつぶつと唱えている、ビクトリアン・パークというレトロゲームの元ネタになっているイギリス文芸作品の絵を描く、というテーマ、思い入れがありすぎると逆になにも手につかない的な感じなので展覧会に参加してほんとによかった。覚悟が決まる。残るはブラム・ストーカー「ドラキュラ」、スティーブンスン「宝島」、あとビクトリアン・パークの内容本体ではないけどキャラデザでかすっているのでメアリー・シェリー「フランケンシュタイン」です。小説自体は何度も読んでいるのだけど、ほんと絵にするとき「どうやって……!?」というのと「自分の絵で自分の中の小説のイメージが固定するの結構嫌だな……!」という気持ちがめちゃある。でもなんらかの形にはしていきたいですね。自分の趣味趣向のかなり強めの影響もとなので。
 来年のイラストレーション制作の目標も人物系のスタイルの確立、文芸題材のイラストレーション制作、というここ数年変わらない内容ですが引き続きこれでやっていこうと思います。
 漫画に関しては、『せんせいとぼくと世界の涯』がマグカンの漫画賞でノミネートに入ったので編集の方がついてただくことになり、成り行きで演劇の話で盛り上がってシェイクスピア戯曲題材で漫画のネームが出来上がったが100ページ超えたので「これはこれとしてとりあえずいったん別の短いの描くか」ということで留保になったという愉快な出来事があります。別途描いてるネームは私が仕事&生活優先にしているため忙しくてあまり進めておらず、今からがんばりますという感じなのでどうなるかわからないですが来年なんらかの読み切り漫画は出来上がると思うのでそのうち発表すると思います。
 今年発表した漫画は『ギャスケル夫人の庭』のみでした。同人誌も発行しました。この作品は自分の創作の棚卸案件だと思っているのですが、これもほぼ2023年に描いていたものを今年仕上げて発表した形です。私の制作スパンが長めというか描かない(漫画描いてる暇がない)時期をはさむので変に間があくんだよな。
 ともあれ9年ぶりに同人誌のイベントに直接参加したので、「ああーそうだこんな感じだったなー」となりました。
 なんだかんだで忙しかったため、逢断は進められなかったのが心残りです。収入にならんものごとの優先順位が下がってしまうの、仕方ないけどほんと悔しいな。春までに数話分ネーム作ってあともう淡々と描くだけを一年やるとかにしたらいけるのかも。
 今年は意識的に作品制作に時間を割いたので、例年と比べて舞台や展覧会を見る量が明らかに減りました。そう、土日を制作にあてると鑑賞機会がかなり減る。平日も動ける身なのだから平日にねじ込めばいいんですがあんまりうまくいかんのよね。とはいっても色々見に行きまして、今年は特に節分会の芸能行脚をしたこと(コロナ禍前に始めたのですがコロナ禍で中断したので久々の再開でした)が収穫でした。あまりピンとこないひとのほうが多いかと思うので説明すると、正月より節分のほうが季節行事としては強めの節目という文化形態に日本の芸能はなっていて、節分の日に社寺で行われる各種の芸能を見て回る趣味というのが民俗芸能というか郷土芸能というかそういう方面の趣味者にはあるのですね。追儺式と呼ばれたりします。ただし節分の日の行事なので節分の日にまわるしかなく、一人の人間が一日で回り切れる量ではないため「今年はあそこへこれを見に行くか……でもそうするとこっちは行けないな……」となったりするので年単位で行脚したりするのです。私は大念仏踊り、念仏踊りの類をできるだけ見たいと思っておりまして、これは節分に限ったものではないんですが、まー全然見れてないけど可能な範囲でがんばりたいんですよね。見るのを。  他には、建築と写真関係の企画や展覧会を巡ったりベケット映画祭で耐久戦のように上映を見たり、スペインへ行ったので建築がっつり見れたのよかったしプラド美術館も行って「時間が無限に足りない」になったりしました。
 作品制作は毎日ちょっとずつやり続ける以外の正解は存在しないのですが、それにしたって時間が有限すぎるなあと感じます。「何をやらないか」を判断するというの、歳を食ったことでやりやすくなった部分はあるかなという気もするので鑑賞も制作も生活も、うまいことやっていきたいところです。
 来年は世界が今よりよりよくなりますように。
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