#しぐれうい改名した��募集(さわったら通報!!私も通報!!)
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451024 · 10 months ago
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趣味MV 嫌われても 【テーマは拳骨と青春】
夜中に思いつきでつくったやつ笑
元ネタ:誹謗中傷されて悔しかったこと(売れない時代は作家活動やオリジナルMVをみて欲しくてやったけどショート案件でゴミ箱にいれられヤンキーになったはぐれ者)
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kennak · 6 months ago
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宮城県警は20日、仙台市青葉区に住む中国籍の大学院生の男性を私電磁的記録不正作出・供用の疑いで書類送検した。令和3年6月頃、4年1月頃に日本ウイグル協会のサイトから協会主催の講演会に虚偽の日本人名で申し込むなどした疑い。協会の講演会を巡っては、中国語を話す人物が撮影して回るケースが相次いで確認されており、協会は「現地の中国当局の指示」とみて人権活動に関わる在日ウイグル人の情報が中国当局に渡ることに危機感を強めていた。 ウイグル決議が影響か 県警によれば、大学院生は当時市内の大学の学生で、講演に出席した理由は「ゼミのため」、日本人名をかたった理由は「中国名は警戒されるから」と供述しているという。県警は大学院生の背後関係について慎重に捜査する構え。 協会によると大学院生は令和3年6月に茨城県日立市で開いた講演会に、4年1月には東京都港区の笹川記念館でジャーナリストの櫻井よしこ氏を招いた講演会にそれぞれ参加したといい、偽名での出席には気付かなかったという。当時、国会では超党派議連などが中国当局による新疆ウイグル自治区での人権侵害状況を非難する国会決議の採択を目指しており、協会は「人権決議をやめさせるための情報収集の一環ではないか」と指摘する。 メールで「バイト」募る 協会に関するウイグル人会合は5年12月頃まで不審な人物による撮影が半ば常態化していた。 例えば、5年7月に神奈川県逗子市で開かれたウイグル人証言集会。会合に先立って報酬付きで集会の撮影者を募集するメールが在日中国人に出回った。①参加人数②配布資料の部数③講演者数④自治区出身者数─などの情報を求める内容。送り主の男性が中国から出席する予定だったが、悪天候のため飛行機が飛ばなかったため代理を募ったという。 日本ウイグル協会の会合を撮影した中国人女性にお金を渡して撮影を依頼したと証言する男性と携帯電話でやりとりする協会幹部=令和5年12月21日、東京都北区(奥原慎平撮影) 実際、集会には日本人名を名乗る男女が会場内を撮影して回り、外に出ると中国語を話し出し、警察が警戒を強めたという。 その後、同県大和市で街頭活動を行った際、ウイグル人を撮影している不審な人物に協会関係者が尋ねると、「メールを受け取ったアルバイトだ」と認めたという。 「日本でやりたい放題だった」 なぜ、こうした情報を集めるのか─。主催した丸山治章・逗子市議は「中国当局に送られていることは想像に難くない。中国国内と同じく、在日ウイグル人の活動を監視しようとしているのだろう。放置するのは危険だ」と指摘する。 自治区のウイグル人「強制収容所」などの実態を国際世論の後押しを通じて改善を目指す協会。名前や顔を公表して活動するのは少数に過ぎず、多くは名前や顔を隠して活動をサポートする。自治区で暮らす親族や自身が戻った際に当局による圧力を懸念するためだ。 こうした撮影行為は在日ウイグル人の「萎縮」につながっている。顔や名前を隠していた協会関係者は、活動内容が自治区の当局者になぜか把握され、家族が脅され、協会から遠ざかったという。 協会のレテプ・アフメット会長は、「中国当局はやりたい放題で活動の情報を取っていた。人権活動に対する『スパイ』を書類送検したことは非常に意味がある。在日中国人が軽い気持ちで加担することが抑止される」と宮城県警の対応に謝意を示し、「平穏な日本社会で外国のスパイ行為が暗躍している実態を知って、問題意識を持ってほしい」と語っている。(奥原慎平)
偽名でウイグル講演侵入の中国人院生、宮城県警が送検 相次ぐ不審な撮影、当局関与指摘も - 産経ニュース
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engekijin-concours · 3 months ago
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「演劇人コンクール2024」最終上演審査 総評・事務局レポート
11月に行われた「演劇人コンクール2024」最終上演審査について、演劇人コンクール 代表・平田オリザによる総評と、事務局によるレポートを公開いたします。 その他の審査員・公簿審査員による総評は「演劇人コンクール2024 記録誌」に掲載いたします。
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新しい演劇人コンクールを目指して
平田オリザ
 昨年は演劇人コンクールの在り方そのものを見直そうと考え、いったん開催をとりやめて、過去の参加者にヒアリングを行うなど検討を重ねてきました。結果として、それほど変わっていないのではないかと感じるかもしれませんが、私たちは今年度の開催を暫定的な方式と考え、今後も改善を繰り返していきたいと願っています。まず今年度は公募審査員制度を制定する、意見交換、講評の手順など工夫を凝らすといった審査面の改善を考えました。またコンクールの全体レポートなども公表します。来年度以降、上演方式についてもさらに模索を続けていきたいと思います。  さ��今年は4人の演出家に参加していただきました。参加者を絞った分、濃密なコンクールになったと感じています。各審査員の講評にもあるように各人が戯曲と真摯に向き合い、その成果がよく現れる舞台となっていました。また演出家、出演者と各審査員の意見交換にも時間をかけ、深みのある議論ができたかと思います。  例年通り、審査の経緯について、簡単に報告します。  まず、各審査員が持ち点10点で投票を行いました。一人に10点を入れてもいいし、完全に分散させてもいいという方式です。結果として西田さんとはぎわらさんが、全審査員から得票を得ました。得票の順も西田さん、はぎわらさんの順で点差も開いておりましたので、若干の議論はありましたが西田さんを受賞とすることが決まりました。  なお、新垣さん、松﨑さんに最多の点を入れた審査員もいたことも付け加えておきます。  その後、これも例年通り、最優秀賞とするか、他に賞を設けるかなどを議論しました。その中で各作品の評価もあらためて行いました。  結論として全会一致で今年度は最優秀賞を出そうということになりました。最優秀賞は2008年以来16年ぶり、演出家の受賞に限ると18年ぶりとなります。利賀村での開催以来、引き継がれてきた最優秀賞に関する不文律は「単にコンクールでの演出がすぐれているだけではなく、将来の日本の演劇界を背負っていける可能性の高い人物」というものでした。西田氏の今回の演出作品は、その基準に充分に値するものであったと思います。特に演出家としての作品全体への目配り、バランスなどが各審査員からも高い評価を得ました。  劇作家、演出家は、あとから振り返ると必ず、何度かの高揚期、成長期があります。西田さんはいま、その最初の時期に来ているのではないかと感じます。そのような時期に、他者や業界から消費されず、きちんといい仕事が残せるかが次のステップに進めるかの分かれ道となるでしょう。この賞が、多少なりとも今後の西田さんの仕事にいい影響を与えることを期待します。  次に次点のはぎわらさんについて、私個人としては個々のアイデアは素晴らしかったのですが、その意想が先行し、逆に戯曲の魅力をそぐ形になってしまった部分があったように感じました。しかしながら、その将来性は疑うべくもなく、劇団の上演も観てみたいと思いました。  次に点数が多かったのは松﨑さんでした。松﨑さんの『マッチ売りの少女』はもっとも大胆にテキストレジが行われていましたが、これも、どちらかというと理念や解釈が先に立ち、どうも頭で行った台詞の選択のように感じました。おそらく、もう少し俳優の身体と相談しながら台詞を精査した方がよかったのかもしれません。舞台美術や衣装のセンスは目を見張るものがあり、今後に大いに期待が持てる舞台でした。  新垣さんについては、一人だけ『楽屋―流れ去るものはやがてなつかしき―』に挑戦し見事に自身の世界観を投影した舞台を創りました。その創作態度、強い意志は、全審査員が好感を持ち「奨励賞」を贈ることとなりました。新垣さんには、もっともっとその世界観を大事にして、何かのアンチや抵抗ではなく、素直に新垣さんの世界を構築していっていただければと思います。  毎年のことですが、やはりコンクールは面白い。審査員だけではなく、観客も含めたすべての参加者に演劇とは、演出と何かを考えさせられる機会となります。この豊岡の地で演劇人コンクールが続けられることの意味をかみしめ、さらに楽しく、奥深いコンクールを目指したいと思います。
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演劇人コンクール2024 事務局レポート
演劇人コンクール事務局 綾門優季
 同じ名前で進められているコンクールであったとしても、コンクールそのものの中身は、毎年度違っていることを知っている者は少ない。基本的には、その年の参加者はその年のことしか知らず、過去で起きたことも未来で起きたことも、比較出来ず、知りようがない。もどかしいように思う。毎年度、素晴らしいことを断ったうえで、今年度、素晴らしかったことをひとつひとつ紐解いていきたい。
 団体のあいだの交流の温度は、とても質感のいいものだった。ライバル意識むきだし、みたいな年もあったし、そもそもコンクールなんだからそれでいいのではないか、という向きもあるかもしれない。しかし運営側の経験的に言えば、それは排他性と自閉性に繋がる面があり、注意が必要である。特にコロナ禍が始まったばかりの時期は、上演の機会を守るという目的は達成されたものの、無観客での開催で、更に対面で意見交換を行う場が設定できなかったこともあり、せっかくこれだけの人数が集まったのに有益な情報のわたしあいがあまりなく、人との交流が失われた演劇のコンクールになんの意味があるのか、途方もない気持ちになって江原河畔劇場の前にある川を、劇場の窓からひとりでぼんやり見つめた日もある。誰ともなるべく出会わないことを人生の幸福のために選ぶとき、演劇というジャンルそのものの意義は、完全におしまいになってしまう。別のコンクールの話をしてしまって申し訳ないけれども、例えば2019年に、キュイがせんがわ劇場演劇コンクールに出場した際に出会ったひとたちは今でもかけがえがなく、濃淡あるけれど、交流が続いている関係者も複数いるし、数年が経過してから、キュイの現場に実際に関わっていただいた方もいた。コンクールは各地域で演劇の文脈が閉じてしまう傾向を破壊する意味合いがある。特に今年度は、どれ��らいの期間稽古して、どのように本番に向かったか、各地域でかなり異なる特性の垣間見える話が出て、純粋な驚嘆の声が場内に漏れていた。SNSがここまで発達しても、有益な個別具体的な話になると、なかなか入ってこないのが世の常だ。バズらなくても有益な話はあるし、というよりだいたいの有益な話はバズるように創造されていない。目の前の誰かのためにそもそも人は話し、演じるのだから。
 今年度は4団体に絞られ、2日間のあいだにすべての決着がついたことも、良いバランスであった。休止前の2021年は6団体、2020年は8団体*が出場していたことを思うと、いったいどうやってコンクールを運営することが出来ていたのか、想像を絶する。4団体出場はコンクールの歴史の中でもっとも少なく、だからこそ、それぞれの団体がどのように動いているのかを、しっかり意識できる人数だった。高校でいうなら、学年の1クラスぐらいがぎゅっと集まった程度である。人はある一定の人数を超えたとき、把握しきれなくなって、誰かへの興味がどうしてもだんだんと希薄になってしまう。戯曲賞によって最終候補が4~10作品前後まで幅があり、その作品数の違いを受け止めるのとはまるで違う、良いコンクールのための、良いコミュニティのために適切な人数を考えるためのかけがえのない時間だった。
 最後に、劇団不労社主宰の西田悠哉氏から、関東とは違い、関西では演劇だけでは食べていけないという話がコンクールの受賞スピーチのなかであったことをここに記しておきたい。というのも、いまだに東京に出れば演劇で食っていける的な幻想が根強く残っているが、少なくともコロナ禍を経て、こまばアゴラ劇場をはじめとした小劇場が続々と潰れているいま、まさに「食っていける」領域にいたキャスト・スタッフの一定数も、これからどの山を登ればいいのかわからず、遭難している実情に直面している世界が広がっているからだ。ある世代には、今は冬の時代にみえるかもしれない。だが比較的若い世代では、その事実を後ろ暗いこととしてとらえず、オープンにしたうえで演劇をどう続けていくかのワークショップやシンポジウム、その事実そのものをありのままひとり芝居等で上演してしまうことさえ起きているのは、おそらく歴史的に重大な転換点に他ならない。私はこの変化を、来るべき春の兆しとして捉えて、穏やかに春を待つ。
*コロナ禍以前、利賀芸術公園で実施されていた「利賀演劇人コンクール」では、会場数に合わせて2〜3団体ずつが日程をずらし、順に滞在する形で上演審査を行っており、多い時には全体で11団体が参加していた。屋外も含む利賀の上演空間・特性に合わせた形式だったが、全参加団体が一度に集まる場はもてていなかった。
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kozuemori · 3 months ago
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今年も桜が咲きはじめましたね。いつもは近場で花見を済ませるのですが、先日初めてライトアップされた千鳥ヶ淵の夜桜を見に行きました。せっかくだからとボートにも乗って、水面に反射した花の姿も愛でながら楽しんできました。明後日からしばらく花冷えとなる予報が出ています。寒暖差に気をつけて、桜を堪能しましょう🌸
明後日、3月31日はスピリチュアル記念日ですね。今から177年前の1848年3月31日の金曜日、スピリットと人間が歴史上初めて知的な交流を行ったとされる近代スピリチュアリズムとスピリチュアリストにとって大切な日です。
近代スピリチュアリズムの哲学とスピリチュアリスト達の活動が受け入れられ、認められるにはまだ時間がかかりそうです。スピリチュアリズムへの偏見や無理解をなくしてゆくには、スピリチュアリストである私たち一人ひとりの言動や責任が関わっていますし、スピリチュアリスト同士の更なる結束や友愛も必要です。とは言っても、スピリチュアリストもまた霊性開花を学んでいる途中であり、間違いや失敗もしてしまいます。それでも信念を失わず、前に進み続ける事が大切だと思います。この日はいつもより少し時間を作って近代スピリチュアリズムを興し、育み、次代に受け継いでくださったスピリチュアリズムの先駆者達に思いを馳せ、スピリチュアリストとしての自覚を改めて確認して高め、鼓舞したいと思います。
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3月16日に開催したサンデーサービスでのサーモンの様子をお伝えします。読みやすいように編集しています。
今、目の前に窓が見えてきました。 窓は開いています。 その先に景色が見えています。 この窓は、心の窓です。 自分自身の心象風景が、窓の外に広がっています。 どんな景色が広がっていますか?
太陽が明るく輝き、澄み切った青空が広がっているとしたら あなた自身もまた、それと同じ状態にあるでしょう。 愛、そして平和とともにあるでしょう。 また、ポジティブな視点を持っているでしょう。 希望に溢れ、自分自身を信頼できているでしょう。
窓の外に荒々しい光景や不安的な天気や 曇り空が広がっているとしたら、 あなたもそれと同じ状態だといえるかもしれません。 自信をなくし、希望を失い、 自分自身を信頼できていない状態です。
いくら窓のそばに近づいて よく見ようとしてみても、 別の角度から窓の外を見ようとしても、 その景色は変わりません。
窓の外の景色を変えるためには、 自分自身の視点を変える必要があります。 なぜならば、窓の外に広がっている景色は あなた自身が作り出したものだからです。
また、窓の大きさもその時々で違うでしょう。 あなたがエゴから解放されて離れている状態でいるとき、 あなたの意識は拡張しています。 ですから、それと同時に窓も大きくなります。 そして、今まで見なかったものが見え始めます。
もし、あなたがエゴに囚われている時、 自分自身を失い、信頼できないでいる時、 あなたの意識は収縮しています。 そして、それと共に窓も小さくなっているので、 景色が全部見えません。
もし、あなたの側に誰か他の人がいて 同じ窓を見つめているとしましょう。 でも、その人はあなたと同じ景色を見ているとは限りません。 その人は、その人自身の心象風景を見ているからです。
あなたとその人が同じ風景を見るためには、 お互いに相手の視点を持つことが大事です。 相手の立場に立つことが必要です。 そして、目線を合わせてみる努力も必要です。
何人もの人がその窓の側に立っています。 そして皆、窓の外を見ています。 窓の外を見ていると同時に、 あぁ、隣の人はどんな景色を見ているのだろう、 などと考えています。
そんなふうにして何度も試行錯誤しながら 窓の外には本当は何が広がっているのかを見ようとするのが 霊性開花の大事なカリキュラムの一つです。
そんなふうにして、私たちはやがて窓の外には 同じものが広がっているということを知るでしょう。 その景色が何であるかを知るでしょう。
その共通の景色というのは、真理という風景です。 真理は一つです。
その時が現れるまで、 私たちはさまざまな景色を窓の外に見るでしょう。 その時々によって、窓の大きさも変化し続けるでしょう。 四季が訪れるかのように、 バラエティ豊かな景色が見えるでしょう。 時に朝日が昇ったり、闇夜が広がることもあるでしょう。
そんなふうにしながら私たちは共に、共通の風景、 真理という景色を見るまで、 霊性開花への歩みをこの地球上で続けているのです。
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エビデンシャル・ミディアムシップ  〜指導霊と繋がる〜  
4月6日(日)10:00~17:00(1時間のお昼休憩あり)
4月7日(月)10:00~17:00(1時間のお昼休憩あり)
料金:1回 8,000円(アイイス会員・税込)・10,000円(非会員・税込) 両日共に同じ内容です
中級〜上級向けですが、どなたでもご参加いただけます
最少催行人数:3名
この6時間ワークショップは『イマジネーション・サイキック・ミディアミスティック』の3種類のエネルギーの違いについて学びながら、自分だけのミディアムシップを完成させていく『自分自身を信頼する旅』です。 微細なエネルギーに触れ、理解し、それと繋がることは、自分自身を知ることでもあります。 
自分の霊性を信頼し、霊界を信頼し、いつもあなたの傍で見守っている指導霊との繋がりを信頼することです。 霊性開花の学びを始めるきっかけや動機は皆、違います。他の人と比べたり、真似をする必要はありません。 あなたにはあなただけのために用意されたドアがあります。そして、そのドアの鍵はあなたしか持っていません。 
スピリット・コミュニケーションを行うためには、心配や不安、恐れから自分を解放して自分自身の本当の姿に出会う必要があります。 
そして、あなたの人生の中にある物質的な側面を捨て去り、 あなたの精神的な側面を明らかにする必要があります。 
すべての真実、すべての知識、すべての愛、すべての癒しの根源を、まず自分自身の中に見つけましょう。 人生経験を通した霊的な成長が、ミディアムシップの質と比例する中核的な要素です。 あなたが自分自身を信頼すれば、全てが花開いてゆきます。 それには、あなたが霊界と一体となって生きることが大切です。 
春は、種まきの季節です。あなたという唯一無二の光の種を撒きましょう。でも、その前に土を耕し、水を引かなければなりません。種を少し発芽させてからまいたほうがいいかもしれません。 急ぐ必要はありませんが、順番を間違えないようにしながら確実にあなたという光を育ててゆきましょう。 
アイイスでの講師歴10年、ミディアム歴9年、イギリスのアーサー・フィンドレイ・カレッジにて数回に渡って講師・プロの為のミディアムシップ、サイキックアート、トランス、シャーマニズム等のワークショップに参加し、海外のミディアムとも交流を持つ講師によるレクチャーと実習を通じて『自分自身を信頼する旅』に出てみませんか。 
主なレクチャー内容 
 ・自分自身を信頼する旅の準備  ・霊的成長の段階  ・さまざまな個性を持つミディアム   ・3つのエネルギー:イマジネーション・サイキック・ミディアミスティック   ・エビデンシャルなミディアムシップとは  ・指導霊との信頼関係を結ぶ 
主な実習 
 ・シッティング・イン・ザ・パワー   ・直感により深く繋がるための各実習   ・指導霊により深く繋がるための各実習    ・サイキック、ミディアムシップ、トランス各実習   ・エビデンシャルミディアムシップに挑戦 
このワークショップは以下のような方に向いています 
 ・直感に繋がりたい  ・イギリス式ミディアムシップについて知りたい  ・具体的なエビデンスが含まれたミディアムシップを目指したい    ・指導霊と繋がりたい    ・自分を信頼したい    ・人生を豊かにしたい  ・人生の目的を探りたい  ・自分自身の可能性や能力を探りたい     ・霊性開花を通して人の役に立ちたい、社会に貢献したい
ワークショップへのお申し込みはこちらからどうぞ。
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アイイス・スプリングフェスティバル
アイイスのフランチャイジーと一緒に、春の訪れを祝いませんか?たくさんの人が集まってお互いの光を持ち寄り、共に祈り、笑顔で楽しむと、霊界からも大きな光と愛と癒しがもたらされます。生命が息づき、輝き、成長し始める春を一緒に賛美しましょう!
開催日:4月13日(日) 13:00〜16:15    出演ミディアム:  森 梢・本村 香耀・澤輪 燕・亜笠 未來・蒼井 ふみ・恵子    タイムテーブル:    13:00 開会の祈り(蒼井)  13:03 遠隔ヒーリング(阿笠)  13:11 サーモン(森)  13:21 ヒーリング希望者募集  13:25〜霊界通信のデモンストレーション    13:25〜13:35 蒼井ミディアム(先祖・身内・知人霊)    13:35〜13:45 澤輪ミディアム(指導霊)    13:45〜13:55 亜笠ミディアム(先祖・身内・知人霊)    13:55〜14:05 恵子ミディアム(過去世)    14:05〜14:15 本村ミディアム(先祖・身内・知人霊)    14:15〜14:25 森ミディアム(指導霊)  14:25〜ヒーラー有志によるヒーリングタイム<別室>   <同時進行>  14:25〜14:35 レクチャー『スピリチュアリズムの発展』(本村)  14:35〜14:50 瞑想(恵子)  14:50〜14:55 休憩  14:55〜霊界通信のデモンストレーション    14:55〜15:05 蒼井ミディアム(指導霊)    15:05〜15:15 澤輪ミディアム(先祖・身内・知人霊)    15:15〜15:25 亜笠ミディアム(過去世)    15:25〜15:35 恵子ミディアム(先祖・身内・知人霊)    15:35〜15:45 本村ミディアム(指導霊)    15:45〜15:55 森 (サイキックアート)  15:55〜ワンポイントメッセージ(ミディアム全員)  16:10 閉会の祈り(恵子) ご参加は以下のリンクまたはミーティングIDからどうぞ!
ミーティング ID: 875 7391 5547
参加費は無料ですが、一口500円からの寄付金をお願いしています
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クラスの詳細及びお申し込みはこちらのページからどうぞ。
継続受講の方は直接ショップからお申し込みください。
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アウェアネス・ベーシック後期 Zoomクラス   
このクラスは、2025年春学期以前のベーシック前期クラスを受講された方のみ、ご受講いただけます。
土曜日:19:00~21:00 日程:5/24、6/7、6/21、7/5、7/19
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アウェアネス・ベーシック通信クラス
開催日程:全6回 お申し込み締め切り:5/14
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アウェアネス・オールレベルZoomクラス
火曜日:19:00~21:00 日程:5/27、6/10、6/24、7/8、7/22
木曜日:10:00〜12:00 日程:5/22、6/5、6/19、7/3、7/17
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アウェアネス・マスターZoom クラス
月曜日:19:00〜21:00 日程:5/19、6/2、6/16、6/30、7/14
火曜日:19:00〜21:00 日程:5/20、6/3、6/17、7/1、7/15
金曜日:19:00〜21:00 日程:5/23、6/6、6/20、7/4、7/18
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サイキックアートZoomクラス
日曜日:17:00~19:00 日程:5/25、6/8、6/22、7/6、7/20
水曜日:16:00~18:00 日程:5/21、6/4、6/18、7/2、7/16
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インナージャーニー 〜瞑想と内観〜 Zoomクラス  
木曜日:19:00~20:00 日程:5/22、6/5、6/19、7/3、7/17
土曜日:13:00~14:00 日程:5/24、6/7、6/21、7/5、7/19
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マントラ入門 Zoomクラス  
金曜日:10:00~12:00 日程:5/30、6/13、6/27、7/11、7/25
土曜日:13:00~15:00 日程:5/31、6/14、6/28、7/12、7/26
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トランスZoomクラス
木曜日:10:00~12:00 日程:5/29、6/12、6/26、7/10、7/24
土曜日:19:00~21:00 日程:5/31、6/14、6/28、7/12、7/26
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サンスクリット・般若心経 Zoomクラス 
水曜日:19:00~21:00 日程:5/21、6/4、6/18、7/2、7/16
金曜日:10:00~12:00 日程:5/24、6/7、6/21、7/5、7/19
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ドロップイン・ナイト 
5月29日(木)19:00〜20:00 会員限定・参加費2,500円
7月24日(木)19:00〜20:00 会員限定・参加費2,500円
内容:指導霊(スピリット・ガイド)のサイキックアート
詳細とお申し込みはこちらからどうぞ。
過去の開催の様子はこちらからご覧ください。
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サンデー・サービス(日曜 12:30〜14:00)詳細はこちらから。
5月25日(日)12:30〜14:00 担当ミディアム:森+ゲスト
6月15日(日)12:30〜14:00 担当ミディアム:森+ゲスト
7月13日(日)12:30〜14:00 担当ミディアム:森+ゲスト
ご参加は無料ですが、一口500円からの寄付金をお願いしています。
5月〜7月へのご参加は全て以下のリンクよりどうぞ。
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eternitycomenevermore · 1 year ago
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コメント
〈信じられない…多分全漫画家は芦原先生の言い分はわかってた。わかってたよ。悲しい…〉(漫画家・稚野鳥子さんのXより)
 日本テレビ系列でドラマ化された「セクシー田中さん」などの作品で知られる漫画家の芦原妃名子(本名・松本律子)さん(50)の突然の死が報じられたのは1月29日夕方のこと。渦中の人気漫画家の訃報は衝撃を与え、SNSでは同業者やファンによる悲しみの言葉が広がっている。
公式HPより
全ての画像を見る(11枚)
1994年にデビュー、ヒット作多数の人気漫画家
 社会部記者が話す。
「芦原さんは栃木県日光市の川治ダムで遺体で発見されました。1月28日午後4時頃、関係者が警視庁大崎署に芦原さんの行方不明届を提出。栃木県に行っているとの情報があり、栃木県警と連携して捜索していたところ、29日に遺体を発見した。身分証が見つかり、親族に確認してもらったところ本人と確認。自宅からは遺書が見つかっており、自殺を図ったと見られています。遺書は数行で行方をくらませた理由などが書かれていたそうです」
 芦原さんは兵庫県出身。1994年、「別冊少女コミック」(小学館)に掲載された「その話おことわりします」でデビューした。「砂時計」(小学館)は第50回小学館漫画賞少女向け部門を受賞。累計発行部数700万部を超える大ヒット作となり、ドラマ化、映画化もされた。
芦原さんの「砂時計」(DMMブックスより)
 2017年から「姉系プチコミック」(小学館)で連載を開始したのが「セクシー田中さん」だ。
「容姿端麗でモテるOLの倉橋朱里は本来の自分を隠して婚活に励み、ジレンマが燻りながらも世間一般の“幸せ”を願っていた。そんなところに地味で引っ込み思案な経理部の独身OL・田中京子と出会う。夜はベリーダンサーという秘密の顔を持つ田中との出会いで互いに新たな一面を見出していく——こうした大人の生き方を描いた物語です」(出版関係者)
主演の木南晴夏(公式HPより)
 2023年10月には日本テレビ系列でドラマ化。田中を木南晴夏、倉橋を生見愛瑠が演じた。口コミで「面白い」と広がり、12月10日に放送された第8話のコア視聴率(13歳~49歳)は3.4%を記録し、同日に放映されたTBS日曜劇場「下剋上球児」第9話の3.2%を超えた。
 ところが、12月24日に迎えた最終回の放映後に“異変”が発覚する。
「エンドロールで『脚本・相沢友子(第1話~第8話)、芦原妃名子(第9話、最終話)』と記されていたのです。さらに放送当日、脚本家の相沢氏が自身のインスタグラムに〈過去に経験したことのない事態で困惑しましたが、残念ながら急きょ協力という形で携わることとなりました〉と投稿。一部で『何があったんだ?』と囁かれていました」(ドラマライター)
波紋を読んだ「脚本」のクレジット(公式HPより)
 そして今年1月26日、芦原さんは自身のXで脚本をめぐるトラブルを打ち明けた。
〈色々悩んだのですが、今回のドラマ化で、私が9話・10話の脚本を書かざるを得ないと判断するに至った経緯や事情を、小学館とご相談した上で、お伝えする事になりました〉
 こう書き出した芦原さんは、3本にわたる長文のポストで、経緯を説明した。
〈改めて時系列にそって事実関係を再確認し、文章の内容も小学館と確認して書いています〉
〈私達は、ドラマの放送が終了するまで、脚本家さんと一度もお会いすることはありませんでしたし、監督さんや演出の方などドラマの制作スタッフの皆様とも、ドラマの内容について直接、お話させていただく機会はありませんでした。ですから、この文章の内容は私達の側で起こった事実ということになります〉
原作の「セクシー田中さん」1巻(DMMブックスより)
 芦原さんの一連の投稿によれば、原作漫画は未完で結末も決まっていないことから、ドラマ化にあたっては「必ず漫画に忠実に」、作品の今後に影響を及ぼさないよう「原作者があらすじからセリフまで」を用意すること、「原作者が用意したものは原則変更しないでいただきたい」こと、「ドラマオリジナル部分については、原作者が用意したものを、そのまま脚本化していただける方を想定していただく必要」があること、「場合によっては、原作者が脚本を執筆する可能性もある」ことなどを条件として版元の小学館を通じて日本テレビに求めていたという。
 だが、この条件は守られなかったとして、芦原さんはこう綴っていた。
〈毎回、漫画を大きく改編したプロットや脚本が提出されていた〉〈よくある王道の展開に変えられてしまう〉〈個性の強い各キャラクターは原作から大きくかけ離れた別人のようなキャラクターに変更される〉〈粘りに粘って加筆修正し、やっとの思いでほぼ原作通りの1~7話の脚本の完成にこぎつけましたが…〉
 第8話から第10話まではドラマオリジナル脚本だったが、当初の条件は守られず、〈大幅に改変した脚本がまとめて提出され〉たという。特に第9話、第10話の脚本はベリーダンスの表現も間違いが多く、小学館を通じ日本テレビには芦原さんからの申し入れが繰り返された。
公式HPより
 そして、最終的に第9話と第10話はドラマのプロデューサーの要望を取り入れながら芦原さんが脚本を執筆し、日本テレビと専門家で内容を整えるという解決策となった。
 だが、出来上がりに満足がいかなかったとも打ち明けている。
〈素人の私が見よう見まねで書かせて頂いたので、私の力不足が露呈する形となり反省しきりです。漫画『セクシー田中さん』の原稿の〆切とも重なり、相当短い時間で脚本を執筆しなければならない状況となり、推敲を重ねられなかったことも悔いてます〉
〈9話、10話の脚本にご不満をもたれた方もいらっしゃるかと思います。どのような判断がベストだったのか、今も正直正解が分からずにいますが、改めて、心よりお詫び申し上げます〉
 行方がわからなくなった28日、芦原さんはXにこう投稿した。
〈攻撃したかったわけじゃなくて。ごめんなさい〉
 そして、一連の経緯を明かした投稿は削除されたのだった。
芦原さんの最後のポスト
 ドラマを制作した日本テレビは29日夕方のニュースで芦原さんの訃報を伝えた。それと合わせて、以下のコメントを発表した。
〈芦原妃名子さんの訃報に接し、哀悼の意を表するとともに、謹んでお悔やみ申し上げます。2023年10月期の日曜ドラマ『セクシー田中さん』につきまして日本テレビは映像化の提案に際し、原作代理人である小学館を通じて原作者である芦原さんのご意見をいただきながら脚本制作作業の話し合いを重ね、最終的に許諾をいただけた脚本を決定原稿とし、放送しております。本作品の制作にご尽力いただいた芦原さんには感謝しております〉
 実はこのコメントに日テレ内部からも疑問の声があがっている。
 日テレ関係者が話す。
「亡くなったタイミングで『我々は悪くない』と言わんばかりのコメントを出すのは下劣すぎる。ドラマ制作部の連中が報道フロアに乗り込んできてコソコソと打ち合わせをしていた。幹部がこっそり公式コメントまで用意しており、訃報はプロデューサーやデスクもオンエアまで知らされていなかったのです。フロアでは『えー!』と悲鳴があがっていました」
◆◆◆
 都内の閑静な住宅街に佇む集合住宅。外観はコンクリート打ちっぱなしでスタイリッシュなデザインになっており、夜になると共有部の木々がライトアップされる。
芦原さんの仕事場
 芦原さんがここに居を構えたのは約12年前のことだ。近隣住民が語る。
「パッチリ二重で実年齢よりも若く見えて綺麗な人でした。気さくで家の中にも一度お邪魔したことがあります。当時、家具はあまり置いてなかったけれど、室内の階段のデザインに凝っていた。芦原さん自身もオシャレでセンスが良いなーって。職業は隠していなくて私が仕事はなにをしているんですか?と聞いたら『漫画家をしているんですよ』と。2012年に芦原さんの『Piece』がドラマ化されたときは有名な漫画家さんなんだと住民みんなで驚きました」
芦原さんの「Piece」(小学館HPより)
 しかし、ある異変が起こる。
「数年前、住宅の敷地内で痴漢の被害に遭ったと芦原さんから聞きました。防犯カメラを玄関前に付けたんだけど、『やっぱり怖い』とここを出ていき、別のところに住み始めた。それからはアシスタントさんが出入りする仕事場になりました。芦原さんが来るのは5ヶ月に1回くらいのペースでした」(同前)
 この仕事場から約140キロ離れたダムで芦原さんは自ら命を絶ったのだった。
 遺された芦原さんのXアカウントには、今この瞬間も追悼のコメントが寄せられている。
◆◆◆
 本件について情報を募集しています。文春リークスまで情報をお寄せください。
 文春リークス:https://bunshun.jp/list/leaks
◆◆◆
【厚生労働省のサイトで紹介している主な悩み相談窓口】
▼いのちの電話 0570-783-556(午前10時~午後10時)、0120-783-556(午後4時~同9時、毎月10日は午前8時~翌日午前8時)
▼こころの健康相談統一ダイヤル 0570-064-556(対応の曜日・時間は都道府県により異なる)
▼よりそいホットライン 0120-279-338(24時間対応) 岩手、宮城、福島各県からは0120-279-226(24時間対応)
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nui-and-me · 1 year ago
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230105 2023→2024
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あけましておめでとうございます2024
ということで年が明けました!
こんな日くらい家族写真を載せようかと思ったのだが、年末年始の家族四人が写った写真がおそらく1枚もなかった...なんてこった。というわけでなんとなく大晦日に撮った息子二人を貼りました。今年も私にとって世界一かわいい2人でいておくれ。
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今年は1/1から大きな地震があり、正直生きた心地がしないスタートだった。
私たちはその時、実家の車を借りて家から1時間くらいのところにあるスキー場を訪れており、ゲレンデでもめちゃくちゃに揺れた。そしてとにかく海沿いの地域にあたる実家��心配でならなかった。
万が一津波が来る!ってなったとき、車がなかったら避難できないのでは?と不安が募る。幸いにして避難することはなかったので良かったのだけども。(お隣さんも高齢のおばあちゃんがいる我が家のことを心配して見に来てくれたそうで、いざとなったら車で乗せていってくれると話していたそうな。田舎のご近所づきあい、有難い。)
山から海の方に向かう形になる帰路につくと、普段車とすれ違うことなどほぼ無い山道で、対向車にガンガン出会う。みんな山のほうに避難している車たちということ。そんな中、海に向かうのは正直怖かった。改めて海沿いに住んでいるんだということを考えさせられる。
何度も鳴る地震警報の音は心臓に悪いし、とてもじゃないけれどご馳走を食べながらお酒を飲む雰囲気ではない。そんなお正月。
今年もスケートにソリすべりに(31日も1日もスキー場へ行った。庭に雪がほとんどなくて!)息子たち二人はたくさん楽しんでいたけれど、なんだかそんな思い出が霞んでしまうのも寂しいので写真だけでも楽しい思い出を。
31日は二人とも生まれて初めての年越し蕎麦を食べ、なんと0時まで起きていた!
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その後1/2群馬に移動。つむぐの手荷物が大荷物すぎ、ウケる。
親戚との集まりはいつも通りで、子どもたちが仲良さそうにしている姿は見ていて幸せ。しかしその夜に事件が勃発した。パパのリュックが見当たらないのである。なんと実家に来る時の在来線に忘れてきたみたいで、問い合わせたところとんでもなく遠い駅に届いていた。苦笑 本人も私も夜まで誰も気づかなかった。とんだポンコツ一家である。
翌日は栃木の駅までリュック(中には財布や会社スマホやiPad入り!!!)を取りに行き、帰りに有名な佐野厄除け大師に寄ってきた���
新年早々何やってるんだか、なので、全ての厄を落としてきたと思いたい。おみくじ、ぬいは大吉。あとみんな吉。私は「まだ動く時期じゃない」みたいなことが書かれていた。神様、転職のことを書いてますか!?苦笑
最後の2枚は義実家地元の小さな遊園地。乗り物券1枚70円というローカルな値段感が良い。じいしばあばと一緒に。
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どうも年末からついマイナスな出来事ばかりが目についてしまうのだけど、ここから辰のようにのぼるしかない!って思いたい!
去年の大晦日の日記を見返したら、穏やかで心地良いペースを見つけたいと書いていた。今年はそこから一歩踏み出して、自分がより充実していると感じる毎日を目指したい。自分がここから先どんな私として生活していきたいのか。しっかり考えて、できることなら満足した着地点を見つけたい。
最後は東京へ戻るところ。
体調も崩さず行って来れてよかったね
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takahashicleaning · 2 years ago
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TEDにて
デイビッド・ラング:私の水中探査ロボット
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
デイビッド・ラングは、独学でアマチュア海洋生物学者になりました。というより、彼の代わりにロボットを海洋生物学者にしました。
素敵なトークで、TEDフェローのラングは、どうやって海洋愛好家たちがチカラを合わせて、オープンソースで低コストの遠隔操作型の水中探査機を作り上げたか語ります。Kickstarterでも出資を募って成功しています。
同じようなロボットはこれ以外にも数十年くらい前から様々なところで使用されています。映画のタイタニック号の映像撮影で使われていたロボットの千分の一くらいのコストで製作できるそうです。
高額のロボットよりも機能は限定されているかもしれませんが、水中を調査するためのものとしての機能は満たしています。
Arduino(アルデゥイーノ)や「MAKE」の発行者でありますデール・ドーファティ氏のいうとおり、自分自身は、本来はメーカーMakerであることからスタートします。
「Make」は、アメリカ発のテクノロジー系DIY工作専門雑誌として2005年に誕生しました。
自宅の庭や地下室やガレージで、びっくりするようなものを作っている才能あふれる人たちのコミュニティ同士を結びつけ刺激と情報と娯楽を与えることを目的としているそうです。
雑誌の読者という枠を超え、全世界的なムーブメントとなっていきました。
2005年春の「Make」英語版から遅れること約1年、「Make」日本語版 Vol.01が発売になっています。
英語版のなかでも特に面白い記事、日本の事情に合った記事を再編集したバージョン。
インチやフィートで記述された寸法をセンチメートルなどに置き換えて、日本でも実際に製作できるようにローカライズを行ってる。2012年秋に刊行されたVol.12以降、お休みしています。
ROVは、遠隔操作探査機のことで、今回使った小さなロボットはライブビデオをあの極細のテザー・ケーブルを通じて海上のコンピュータに送信します。
これはオープンソース化しており、全ての設計ファイルやプログラムをオンラインで公開していますので、誰もがその設計を修正、改良・変更することができます。
今も私たちは、全ての設計図をオンラインで公開し、誰もが自分で組み立てられるようにしています。こうすることが唯一の方法だったのです。
オープンソースとすることで、この研究開発ネットワークを広げ、どんなベンチャー企業よりも早く開発を進めています。とはいえ、ロボット製作自体はまだ始まりにすぎません。
なお、ビックデータは教育や医療に限定してなら、多少は有効かもしれません。それ以外は、日本の場合、プライバシーの侵害です。
通信の秘匿性とプライバシーの侵害対策として、匿名化処理の��化と強力な暗号化は絶対必要です!
さらに、オープンデータは、特定のデータが、一切の著作権、特許などの制御メカニズムの制限なしで、全ての人が
望むように再利用・再配布できるような形で、商用・非商用問わず、二次利用の形で入手できるべきであるというもの。
主な種類では、地図、遺伝子、さまざまな化合物、数学の数式や自然科学の数式、医療のデータやバイオテクノロジー
サイエンスや生物などのテキスト以外の素材が考えられます。
情報技術の発展とインターネットで大企業の何十万、何百万単位から、facebook、Apple、Amazom、Google、Microsoftなどで数億単位で共同作業ができるようになりました。
現在、プラットフォーマー企業と呼ばれる法人は先進国の国家単位レベルに近づき欧米、日本、アジア、インドが協調すれば、中国の人口をも超越するかもしれません。
法人は潰れることを前提にした有限責任! 慈愛や基本的人権を根本とした社会システムの中の保護されなければならない小企業や個人レベルでは、違いますが・・・
最後に、マクロ経済学の大目標には、「長期的に生活水準を高め、今日のこども達がおじいさん達よりも良い暮らしを送れるようにする!!」という目標があります。
経済成長を「パーセント」という指数関数的な指標で数値化します。経験則的に毎年、経済成長2%くらいで巡航速度にて上昇すれば良いことがわかっています。
たった、経済成長2%のように見えますが、毎年、積み重ねるとムーアの法則みたいに膨大な量になって行きます。
また、経済学は、大前提としてある個人、法人モデルを扱う。それは、身勝手で自己中心的な欲望を満たしていく人間の部類としては最低クズというハードルの高い個人、法人。
たとえば、生産性、利益という欲だけを追求する人間。地球を救うという欲だけを追求する人間。利益と真逆なぐうたらしたい時間を最大化したいという欲を追求する人間。などの最低生活を保護、向上しつつお金の循環を通じて個人同士の相互作用も考えていく(また、憎しみの連鎖も解消する)
多様性はあるが、欲という側面では皆平等。つまり、利益以外からも解決策を見出しお金儲けだけの話だけではないのが経済学(カントの「永遠平和のために」思想も含めて個人のプライバシーも考慮)
<おすすめサイト>
ヴィネイ・ヴェンカトラマン:デジタル過疎地での「ハイテク・クラフト」
OpenROV Trident - An Underwater Drone for Everyone
デール・ドーファティ:私たちはメーカーMakerである!
ビル・ストーン:世界で最も深い洞窟を探検する!
<提供>
東京都北区神谷の高橋クリーニングプレゼント
独自サービス展開中!服の高橋クリーニング店は職人による手仕上げ。お手頃50ですよ。往復送料、曲Song購入可。詳細は、今すぐ電話。東京都内限定。北部、東部、渋谷区周囲。地元周辺区もOKです
東京都北区神谷のハイブリッドな直送ウェブサービス(Hybrid Synergy Service)高橋クリーニングFacebook版
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picnicism · 1 year ago
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 賃上げの猛威が日本社会を覆っております。  いや、私もいいと思うんですよ、賃上げ。従業員2名、業務委託たくさんの弊社でも寸志を出したりほんのり昇給したりで対応しています。頑張れ俺。取引先さまや顧問先さまからの「どうやって賃上げするか」というお悩み相談などを頻繁に頂戴するようになりました。売り上げが先に上がらないと、なかなか先に賃上げなんてできませんからね。 人間としての考え方が色濃く反映される人事  本稿でも何度か書いておりますが、会社組織と人事、採用の関係というのは分けて考えることはむつかしく、かなりの意味で、創業者・経営者の人間としての考え方が色濃く反映される分野です。「社員は家族も同様に暖かく包み込むべき」と考える経営者もいれば「会社は所詮はただの器。社員の成長を考えるよりは、いまの能力を使い倒して利益を出そう」と思っている経営者もいます。それはまあ、各々の経営者が己の信じるところを頼りに好きに経営したらよろしい。  日本でもスコアリング社会が到来しそうだ、と書いていたんですけど、さらに環境が激変してきました。どうやら、年末年始を挟んでもっとすごい変化が起き始めてるようなんですよね。最高に困ったものです。 「��畜」と「タイミー興隆」に見る、“スコアリング社会”最大の問題点について《中国に続き日本にも…》 「置き換えが効く」仕事ほど、点数で決まる経済が来ている https://bunshun.jp/articles/-/67139  また、バブル崩壊後、失われた10年を経て日本経済は産業空洞化やデフレ経済に直面して、固定費そのものである社員を投げ捨ててでも会社を守るために、日本型経営との決別を良しとし、成果主義的な組織運営方針に回る会社も増えました。特に、世界的なブランドで活躍する輸出企業は、製造業を中心に海外の先進的な組織論を自社に取り入れ、選択と集中を考えながら「人が辞めても組織が回るジョブフロー」を作ることが至上命題となり、そのマニュアルにハマる社員は、人の形をしたパーツと扱われることも増えたわけです。 「人はコスト」と考える経営で合理化を進めるのが平成の経営論の王道だったわけですね。 空前の労働力不足である時代の到来  ときは下って平成が終わり令和の時代になると、我が国も少子高齢化と共に働き方改革、そしてコロナやウクライナ・ガザ地区情勢を理由とする資源高と円安によるコストアップインフレの時代となりました。そうすると、俄然「仕事はあるけど雇える人がいない」という空前の労働力不足の時代が到来したわけであります。  さらに、人工知能が生成AIというとてつもないパワーのある仕組みを作り出し、これによっていままで「文系大卒」で「特に根拠はないけど背広を着てネクタイをつけた管理職の皆さん」というホワイトカラーの仕事をおおいに奪うようになってきました。どうしてこうなった。  言い方は悪いですが、生成AIはそこまで人間の仕事は奪わないかもしれませんが、この手の組織において管理職の名のもとにあまり生産的な仕事をしてこなかったホワイトカラーや、パワポや議事録を作るだけで膨大な時給を得ていたコンサルタントや、いつもどこかで見たことのあるようなデザインやイラストを制作する仕事に従事していた人たちや、弁護士資格ももってないのに業界の過去の判例をたくさん知っていて契約書のレビューをやっていただけの法務の皆さんの仕事は確実に無くなるだろうと見られています。 AIに仕事を奪われるということ  実際、事業協力先ではデザイナーさんやイラストレーターさん、プログラマーさんを含む世界で約6,000人ぐらいいた制作の仕事は生成AIの登場によって要らなくなり、4割ぐらい解雇する方向で経営判断されてしまいました。しかもかなりの黒字を出していた会社なのに、です。そればかりか、以前はサンノゼやハリウッドで活躍していたこれらの人たちが大手企業やベンチャーほかから一斉に解雇さ��始め、某社では突然部門まるごと2,000キロぐらい離れたテキサス州オースティンやカナダのモントリオールにスタジオを移すので異動するか解雇か選べみたいな話になっていて泣けます。それまで「俺は大手で働いている」がプライドやモチベーションだった奴ほどハートブレイクでズタズタになっております。  かくいう私も、取引先が突然カリフォルニア州オークランドからネバダ州ラスベガスに移るので顔を出せ的に言われ、 やってる仕事の半分以上を生成AIに置き換えるからよろしくなと言われたりもします。これはうっかりすると来年仕事が無くなりますかな、はっはっは。  それってノウハウ吐き出して人工知能で相応の仕事ができるようになったら翌年から契約を切られるよなとうすうす分かっていても「仕方ないな」と飲まざるを得ないというのが現実ではないかと思うのです。 高い利益率を謳歌してきた事業者の、崩れゆくファンタジー  そしてこれは、いままでビッグテック業界、日本ではGAFAMとか言われていた厳しくも楽しく美しい桃源郷のような世界がひとつの時代を終えようとしている端境期なんじゃないのかとも感じます。それまでは、急成長プラットフォーム事業者やクリエイティブな仕事で高い利益率を謳歌してきた事業者は、みな社員に対して安定した仕事や、豪華なランチや行き届いた託児施設を提供するなどして「会社はおんどれらを大事に思っています」というメッセージを感じさせることで心理的安定性を持たせることが大事であって、そういう安心感を持って働いている社員のクリエイティビティが利益率の高い仕事の実現に貢献しているのだ、というある種の学術的根拠に基づいたファンタジーが嘘のように消え失せていく世界の中に私たちはいるんですよ。 「使える人」の重要性  他方で、先にも述べました通り我が国では円安で海外からの技能実習生はなかなか来なくなる、最低時給では当然新しい人も求人に応募してくれなくなるという中で、仕事はあるけどこなせる社員がいないので黒字倒産しそうだから事業継承的M&Aに追い込まれる会社さえも出ています。さらには、業界内である程度物事が分かっている中堅から若手社員に対しては、文字通り現俸の2倍以上の給料で引き抜くなんてことも日常茶飯事となり、外資系のリストラで放り投げられた日本人が回り回って大手通信会社子会社の技術職に収まる、なんて事例も増えてきました。  何より、生成AIも含めて人手不足になると、実際に二本の腕、二本の足、ふたつの手で仕事をする大工さんや期間工さんなどのブルーカラーの重要性が増してきましたし、実際に人手不足なので賃金も国内では高騰し始めています。昔はドブ職の扱いで可哀想だったドライバーさんや土木作業員さんなども、欠員を埋められないので高い給料を保証しないと駄目になっているのです。  うっかり青春を無駄にして受験戦争に身を投じるよりは、技術を身に付けるために高校からさっさと就職してしまったほうが、人生における「稼ぐ」という意味でのコストパフォーマンスが高いなんていう逆転現象が起き始めているのもまた現実なのです。  そうなれば、大学や、大学院のようなところに入ってもホワイトカラーとして稼げる役職が減るのだとなってしまうと、巷では危機感を持って議論されている「大学に進学することが、その人の人生で本当に経済的価値を持つのか」という本質的なテーマにまた戻っていってしまうことでしょう。 一周回ってメリットを感じる社内行事や飲み会  また、会社組織の側も、いままでは要らない人はどんどん吐き出す方向で組織運営をしてきました。やりたいやつは沢山いるから、どんどん安い給料で雇って選抜していいやつだけを残す、っていうのが許された時代もありました。  ところが、人手不足で事業を完結させられる人や、担保するスキルがないぞということになると、スキルを持った社員に辞められてしまうことが最大のリスクになってきます。賃上げの文脈も踏まえ昇給を保障することで社員を逃がさない日本型経営へと先祖返りしていくことも増えてきているのです。  ここ数年は、タイパを気にする若い社員が社内でのコミュニケーションを嫌って部門の飲み会や会社の行事を忌避するので取りやめる、という方向が出ていましたが、コロナを挟んでHR(人事技術)の間では適切な頻度で社内行事や飲み会のある会社のほうが定着率も生産性も改善することが分かってきています。  実は大部分の社員はもっと同僚や上司部下の人となりを知りたいし、仕事や組織の話も聞いてみたいものなのです。一周回って、飲み会でも何でもやって組織のみんながその社員のパーソナリティが分からなければ生産性の上げ方も組織での扱い方も分からないので、そういう人には組織の側も知識やスキルの伝授をしないという方向にいくことになるのでしょう。  日本人が投げ捨てようとしてきたことは思い返す必要があるかもしれません。そして、実はそれは時代は下っても「長く勤めてもらうための報酬体系は、日本人の文化に馴染む組織論だった」ということなのでしょう。  これらの考え方は、じわじわと中途採用にも話が広がっていって、ある特定の分野の能力を持つ人を市場評価よりも高値でヘッドハントするのは無駄、という話は事例が集まりつつあります。確実なのは、会社や組織は必ずしもオワコンではなく、フリーランスや小規模事業主として請負や業務委託で生きていくことのできるタイプの人材は限られているということです。その人が何をできる人で、どのような実績と評価を得ながらキャリアを重ねてきたのかという「中身」と���その中身への組織の中での適切な「価格」を俸給としてどう設定するかが、これからの働き方改革の中では強く問われていくことでしょう。 日本型経営の利点を思い返すべきとき  あくまでクリエイティブをやっている会社(一部テック系を含む)は、存続する限り、離職率が適度に低い、ちゃんと社員が定着している会社が、仕事に対するクオリティを維持でき、利益率を確保できている、という当たり前のことが数万社と取引する大手ビッグテックの取引履歴から分かってきています。  日本人からすると「そんなの当然じゃないか」と思うところも多々あるんですが、そういう日本型経営の利点や良かった部分をこそ、日本人が投げ捨てようとしてきたことは思い返す必要があるんじゃないかと思いますし、日本からGAFAMのようなビッグテックが生まれないと嘆く人たちはビッグテック各社がいまもの凄い悩みと共に組織改革をしようとしていることをもう少し理解してほしいなあと感じる次第です。
一周回って「年功序列」と「中途採用控えめ」が結局最強という話「プロパーをちゃんと育てる」組織が、社員やお客さまとともに成長する? | 文春オンライン
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yonghwaholicapan · 2 years ago
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♡2023ヨンファさん&CNBLUE応援日韓イベント♡
みなさま、こんにちは!
ジョン・ヨンファさんを日本から応援する私設のファンチームヨンファホリックジャパン、ヨンホリです♡
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昨年から日本でのCNBLUEとジョン・ヨンファのライブ活動、THE IDOL BAND、そして新年から始まった主演ドラマ「頭脳共助」と幸せで忙しい日々が続きましたね(*^^*)
数年のブランクを経て本格的な活動という感じですが、30代も新たな夢と高みを求めるヨンファさんの変わらない姿を見て
『あ、やっぱりこの情熱だ!!私たちも応えなくては!!』
と思っているヨンホリスタッフたちです。
ーーーーー
さて、先日よりTwitterで何度か告知を兼ねた事前投票を行っておりましたので、すでにご存知の方も多いかと思いますが、ヨンホリとしまして2023年のイベント準備を始めております♡
⋆⸜ ①CNBLUE Zeppツアーに合わせて日本での広告 ⸝⋆
⋆⸜ ②韓国でジョン・ヨンファさんのお誕生時お祝い広告 ⸝⋆
この2点に関してでした!
投票を通じて、ご参加者さまの中にも様々なご意見があることがはっきりとわかりました。結果をご覧ください。
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このような結果になりました。①②どちらの投票でも、真逆の項目がそれぞれ高い得票数を得ていますので、スタッフとしても結果の読解に迷いましたが、今回も公平に得票数の多いものに従いたいと思います!それでこそ投票を行った意義があると思うからです。
とは言え、ご参加くださっている方の中にも様々なご意見や思いがあり、これまでも我々の提案するイベントにご参加いただきつつも 「もっとこうだったらいいのに...」 という思いを抱えておられた方も多かったんだなと気付かされました。たくさんの方にご参加いただいているファンチームという性質上、参加される方すべての希望に100%お応えすることは、これからも難しいかもしれませんが、できる限り今回のように事前投票を行うなどして、参加者さま主体のイベントにしていかなくてはいけないと改めて思ったところです。
みなさまの率直なご意見と賢明なご判断に、いつも感謝します(*^^*)
ーーーーー
従いまして、今回は
⋆⸜ ①CNBLUE ツアー最終会場付近での広告 ⸝⋆
⋆⸜ ②街灯バナーやバス停広告など、ラッピングバス以外のお誕生日お祝い広告 ⸝⋆
以上2つを正式な方向性とします。
これまでみなさまにご参加いただいて実績を積んできたこともあり、鉄道会社の広告主審査も無事通過しました!!
そこで、さっそくご参加者さまの募集をし、イベント実現が可能な予算が集まりそうな場合のみ、イベントを実施いたします♡
集まらない見込みの場合は、見合わせいたしますので、何卒ご了承ください。
❝  2つのイベントが同時募集なので... ❞
今回は2つのイベントの実施期間が近いことから、振込のお手間などを軽減するため、同時に募集をいたします。ですが、事前調査にて、どちらかのみのご参加希望という方も一定数おられるようですので、選択することも可能にしたいと思います!
どちらかのイベントのみのご参加を希望された場合、ご案内はそ��イベントに関してのみお送りいたしますとともに、その参加者さまのご参加金は全てご希望のイベントのみに使用されますので、ご安心ください(*^^*)
なお両方にご希望される場合、ご参加金の配分はヨンホリにお任せいただきますよう、よろしくお願いいたしますm(._. *)m
◆◇◆◇◆《イベント内容》◆◇◆◇◆
①CNBLUE ツアー最終会場付近での広告
5月3.4日にパシフィコ横浜で行われるツアー最終公演に合わせて広告を行います!日本での広告は初めてになりますので、スタッフも手探りですが、一緒に新しい応援をして、CNBLUEに気持ちを届けませんか?!
--->「一緒に東京ドームへ行こう」というメッセージ
--->  最寄駅付近の広告枠4個の中から、投票にて決定いたします!詳細イメージはお申し込み画面のリンクにてご確認ください♡
(投票で人気がある広告枠でも、予算の都合で実施できない場合や、申込時点で空枠がなくなっている可能性もありますので、何卒ご了承ください。実際、スタッフがいいなと思っていたデジタルサイネージは既に広告主が決まっていました。。)
②街灯バナーやバス停広告など、ラッピングバス以外のお誕生日お祝い広告(寄付なしの予定)
毎年恒例のジョン・ヨンファさんのお誕生日お祝いですが、今年は投票にて街灯バナーやバス停広告などのみと決まっておりますので、それに従い、いくつかの候補の中から選んでいただこうと思っています!候補のイメージなどはお申し込み画面のリンクよりご確認ください♡
--->  同時に募集いたしますが、日付的に日本の広告を先に準備いたしますので、実際に動き始めるのは4月の下旬以降になりますことをご了承ください(:_;)
--->  ちなみに、新しいFNCの社屋(聖水洞)は、ビルの目の前の道にバナーを設置できる街灯があるそうです。街灯バナーに決定した場合、今回もご希望者さまを対象に、抽選でお渡しできそうです。(当選者さまには配送料は実費ご負担いただきます。天候によりバナーの汚損が激しい場合は、抽選を実施できない可能性もあります)
◆◇◆◇◆《事務所からの許可について》◆◇◆◇◆
上記内容を全て伝達した上で、韓国のFNCには『公式の写真やロゴを非営利目的で使用する限り、関係ない』との返信をいただいております(*^^*)
また日本のFNCにも「問題があれば返信をください」という内容で連絡し、返信がないので、問題ないと認識しております
◆◇◆◇◆《代理店について》◆◇◆◇◆
今回のイベントは日本と韓国の広告代理店の協力を得て進行予定です
◆◇◆◇◆《ご参加方法》◆◇◆◇◆
①今回はみなさまのご参加金額の合計が、イベント実施可能な予算に達した場合のみ、イベントが実施されます!!
ひとつのイベントにつき 622円〜上限なし
(2つのイベントに参加希望の場合622円✖️2=1244円〜上限なし)
でご希望の金額を入力してください! ・
金額によるご参加内容の違いはございませんので、お気持ちとお財布のご事情で、無理のない範囲でイベントの実現を応援していただければ幸いです(*^^*)
▶︎�� https://ws.formzu.net/dist/S29188721/ ◁◀︎
第一次申込期限: 3月12日(日)23:59フォーム送信分まで
これ以降もご参加希望の方がいらっしゃれば合流可能ですが、第一次申込期限がイベントの実施・見送りを見極めるタイミングとなります。ぜひこの期限までの意思表示をお願いいたします(:_;)
期間が短くて申し訳ありませんが、1日も早く広告枠を申し込みするために、ご協力をお願いいたします!
②すぐにお申込内容確認自動メールが届きますので、内容をご確認の上、振込はせずに、そのままお待ちください(*^^*)
メールが届かない場合は、再度フォームを送信されるのではなく、迷惑メールやプロモーションフォルダもご確認の上で、ヨンホリまでご参加者さまの氏名を明記の上ご連絡ください。
Twitter(@YONGHWAHOLIC.jp)の場合はDMにて
③ご参加者さまからのご参加金額でイベントが実行できる見通しが立った場合、ご参加者さまにお振込をお願いする内容のメールをお送りしますので、メールに書かれた振込先(ゆうちょ銀行)に期限内のお振込をお願いいたします♡
見合わせの場合も、その旨のご連絡をいたします。
振込期間はご案内をお送りしてから2週間を予定しています!
昔ながらの口座振替の方法を取らせていただき、ご不便をおかけして申し訳ありませんが、ゆうちょ銀行への振込は、 LINEpay(振込手数料176円)や、送金アプリ「pring」(振込手数料なし)からもできます!
④お振込くださってから、5営業日以内にヨンホリより入金確認のメールが届きますので、どうぞお待ちください!
振込完了のご連絡は不要です!5営業日を過ぎてもメールがない場合は、ヨンホリまでご連絡ください m(._. *)m
⑤イベント内容を決めるための投票をご案内しますので、どうぞお見逃しなくご参加ください♡
ご参加者さまにはヨンホリのメーリングリストより、それぞれのイベントの投票や報告などの案内を随時お送りしますので、どうぞお見逃しなく(*^^*)
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精力的に活動を続けておられるCNBLUEとヨンファさんに、日本からの応援を届けて、一緒に夢への道を進みましょう。・゚+
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xf-2 · 4 years ago
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新型コロナウイルスの重症患者が急増している。特に40代・50代の重症化が目立つのが第5波の特徴で、東京都では重症患者の6割を占める。だが、この年代へのワクチン接種の進み具合は、自治体によってばらつきが大きく、かなり遅れている所も多い。そんな中、東京都墨田区では、今月7日時点で1回の接種を終えた40代は区民の6割を超え、50代は7割近くに達している。
今月13日付日経新聞電子版によると、同紙が緊急事態宣言下にある6都道府県の主要都市の1回目接種率を調べたところ、墨田区は50歳代で71.9%、40歳代で60.6%とダントツに高かった。40代については、さいたま市(6.7%)、那覇市(16.4%)、大阪市(17.7%)、世田谷区や品川区(17.8%)などと接種率が伸び悩む自治体が少なくない中、墨田区の進捗状況は際立っている。その効果か、陽性者数の推移を示すグラフからは、陽性者が下降の兆しも見てとれる。
 なぜそれができたのか。同区のコロナ対策の陣頭指揮をとる西塚至・同区保健所長に話を聞いた。
困難なスタートからの巻き返し
なぜ墨田区は、こんなに速いんでしょう?
「いえ、決して順調に行ったわけではありません。出足が遅れ、想定外のこともいろいろ起きました。大学病院があるわけでも、集団接種に向いた広い施設があるわけでもなく、大きい施設は五輪で抑えられて、条件は決して恵まれていません。それでもなんとか巻き返し、いろんなことを積み重ねて、結果的に今がある、というのが実情です」(西塚さん、以下囲み内は同様)
 どのようなことを積み重ねてきたのか。西塚さんへのインタビューや資料から、主要な事柄を確認していきたい。
高齢者枠を使ってでも、まずは医療従事者に接種、という判断
 同区では昨年7月頃から、地元医師会とコロナ対策について協議を行う中で、ワクチンについても話し合いを重ねてきた。12月に区役所内に予防接種調整担当課を立ち上げ、ワクチン接種の準備を進めた。
 しかし国のワクチン調達は遅れ、当初は輸入量が少なかった。高齢者への接種が開始される4月12日時点で、東京都に割り当てられたワクチンは4箱(3900回分)のみ。高齢者人口の多い地域から配分が始まり、初回は世田谷区と八王子市が2箱ずつ配分を受けた。墨田区としてはいささか出鼻をくじかれるスタートとなった。
 墨田区は接種初日の4月17日、集団接種の予行演習をかねて、区内の医療従事者に接種を行った。国の計画では、医療従事者の接種は都道府県が行い、市区町村は住民接種を担当する、ことになっていた。それをあえて、医療従事者からスタートさせたのだ。
「区は住民のことだけ考えていればよいはずでした。しかし、予約システムがダウンするなど、都の医療従事者接種は遅れ、(高齢者への接種を行う)医師がワクチンを打てずにいました。それで、うちは住民接種の枠を使ってでも、まずは医療従事者の集団接種を先に行おう、と」 
 これは、その後のワクチン接種について、医療従事者の士気を高める効果も生んだ、という。その後、全国各地で、自身は未接種のまま高齢者施設で接種を行う医師たちから不安の声があがったが、墨田区ではそうした事態はなかった。ちなみに、同区では救急車で患者を搬送する消防署員にも、5月には接種を行った、という。
”災害時の頭”で考える
接種券を早い時期に配ったわけ
 墨田区の特徴の1つは、ワクチン接種券の配布が早かったことだ。高齢者施設の接種に目処がつき、一般の高齢者の接種が始まったのは5月10日だった。だが65歳以上の区民の接種券は、2か月近く早い4月1日には発送していた。そして6月1日には、都内で最も早く、16~64歳の全ての区民に発送を行った。
「定期接種など”平常モード”では、事業開始の直前に接種券をお送りするのが普通です。しかし、今は”危機”。”災害時の頭”で考えると、大事なのは1人でも多くの人が、ワクチンを打つことです。一足早く接種が始まった世田谷区の高齢者施設に、墨田区民が暮らしているかもし��ない。他区の施設で働いている区民もいるでしょう。そういう方々が、接種券がないために打ちそびれる、という事態が起きないよう、とにかく接種券だけは早くお配りしよう、と。1人でも2人でも、今居る場所で打って下さい、という思いでした」
 この”危機モード”対応は、後に想定外の恩恵を区民にもたらすことになった。
対象者の5%が自衛隊のセンターへ
 65歳以上に限定して行われていた自衛隊の大規模接種センターが突然、6月16日からの年齢制限撤廃を発表。遠方の東京・大手町の会場まで出向くよりも地元で打ちたい、という高齢者が多かったようで、希望者が想定を大きく下回ったためだ。
 若い年齢層の接種が可能となったが、予約には接種券が必要。しかし、この時点で多くの自治体は64歳以下には配布していなかった。そんな中、墨田区の人々はすでに接種券を手にしており、区民は次々に自衛隊のセンターに赴いて接種を受けた。
「これは大きかったです。1万2000人、対象者の5%が自衛隊に行って打って下さった」
災害時の助け合い
 住民の協力もあった。
 自衛隊のセンターでは、モデルナ社製のワクチンを使用。当初、厚労省はモデルナを接種可能な年齢を18歳以上としていた(その後12歳以上に変更)。また、モデルナは副反応が出やすいという話が出回り、1回目と2回目をファイザーより長く4週間空けなければならないこともあって、敬遠する人も少なくなかった。
「ところが、区内の大人たちから、『自分たちは自衛隊に行って、モデルナを打とう』という声があがったんです。ファイザーが足りなくなる、という時期でもあり、『ファイザーは子どもたちに回そう』という草の根の運動になって、自衛隊での接種が増えました。災害時は、地域の助け合いがあってこそ、です」
区直営の集団接種をメインに
危機には「割り切り」も必要
 墨田区の”危機モード”対応は、ほかにもある。
「”平常モード”であれば、日頃診てもらっている身近なかかりつけ医に打ってもらうのが一番です。ただ、今は災害時。危機にあっては、割り切るところは割り切って、最大限効率化を図り、数を多く打つのが大事。それに、このワクチンは1瓶から6人分とらなきゃいけないので、個別の診療所でやっていると余ってしまうことも。冷凍庫で保存する必要があるなどの使いにくさもあります。
 やはり、こういうものは集団接種がいい。これは2009年の新型インフルエンザの時の経験でもあります。国がいくら練馬方式(診療所での個別接種をメインに、集団接種で残りをカバーする)を推奨しても、うちはブレずに”危機モード”で対応し、集団接種メインで行くことにしました」
”小分け隊”の活用でムダなく数を稼ぐ
 当初は4つの区施設を使い、そのほか7病院でも個別接種を実施した。このうち墨田中央病院の接種では、千葉大学墨田サテライトキャンパスが会場を提供した。運営は民間に業務委託せず、区が直営し、ワクチンの在庫管理や配送は、職員による”小分け隊”が行った。
 キャンセルが出た場合は、区の危機管理Twitterやメールで区民に告知して希望者を区役所に集め、”小分け隊”が余ったワクチンを回収、西塚さんら保健所の医師が接種した。こうして、ムダを出さずに接種回数を稼いだ。地元医師会も”危機モード”を共有。集団接種の打ち手は、すべて区内の医師たちでまかなった。
「大きい施設はオリンピックに抑えられて使えないなど、条件は厳しく、地域にある資源を最適化して使うしかなかった。でも、それをやってみたら、いろんないいことがあった。特に地元医師会は自分たちが責任をもってやろうと士気が高く、おかげで事故なく、質が高く、長続きしている」
等身大の形作り
 接種券の発送や会場の設営は、選挙の際の入場整理券や会場作りと同じ、ということで、選挙管理委員会の職員が担当した。ワクチンに関する情報を掲載した区の広報紙は全戸配布すること��し、これにも選挙公報配布のスキルが生きた。
「形を作って丸投げするのではなく、自分たちにできる等身大の形を作り、そこにちゃんと血が流れるように、職員が町内を回って苦情聞きなどもやって、形をさらに整えていきました」
 住民の声を聞く中で、若い世代の接種を進めるには、夜間、駅の近くで行う必要があると分かった。そこで、6月末から東京スカイツリーに隣接するビル、JR錦糸町駅と両国駅近くのホテルにも接種会場を設置。平日は午後8時まで、さらに土日祝日にも接種を行えるようにした。スカイツリー会場には託児所も設けた。
二転三転する国の方針にも柔軟に対応
当初から複数のワクチン使用を計画
 国のワクチン供給が不安定な中、墨田区は接種が始まる前の段階から、モデルナ社製ワクチンの使用を計画に組み込んでいたことが奏功した。
 接種が始まった時点で、厚労省が承認していたのはファイザー社製ワクチンのみだった。モデルナ社とアストラゼネカ社のワクチンが特例承認されたのは5月21日。しかし墨田区では、3月に公表した「実施計画」で、7月にはアストラゼネカとモデルナのワクチンを導入して、接種を加速させる計画を明らかにしていた。両社のワクチンは、ファイザー社製とは接種の間隔が違い、在庫管理も異なるので、複雑なオペレーションが必要になる。しかし、同区では接種の加速には、ファイザー以外のワクチンも必要になると考え、事前準備をしていた。それが、以下のように役立つことになる。
事前準備でモデルナ確保
 6月11日、ワクチン担当の河野太郎規制改革担当相が、市町村の集団接種でもモデルナの使用を認める方向を示した。あらかじめ計画済みの墨田区は、すぐに手を挙げた。この素早い反応で、同区はモデルナの配送を受けることができた。
 国が自治体でのモデルナ使用を認めたのは、7月からはファイザーの輸入量が減る分を補うためだった。ところが国は、同月22日には再度の方針変更をした。モデルナを使用する職域接種の申し込みが多く、「1日の可能配送量はもう上限に達している。このままいくと、供給できる総量を超えてしまう」として、自治体のモデルナを使った集団接種と職域接種の申請を中止したのだ。準備が間に合わず、配分を受けられなかった自治体もある。
在庫を出し惜しまない
 ワクチン供給不足への対策として、河野行革担当相が一時、在庫が多い自治体には配分を減らす、という新方針を示し、全国の自治体が混乱したことがあった。この時も、墨田区は影響を最小限に済ませた。扱いが面倒なワクチン接種記録システム(VRS)は、区職員が残業してこまめに入力。2回分を確保しないと1回目の予約をとれない、という自治体が予約を停止している中、墨田区では西塚保健所長が「在庫は出し惜しみせず、ペースを落とさずに予約や接種を進めて下さい」と、現場に檄を飛ばした。
「平常であれば2回確保してから予約をとる、となりますが、これも”危機モード”で対応しました。モデルナがありますし、国の輸入予定量は公表されていましたから、そういう情報を常にチェックしながら、大丈夫だろう、と。カラ元気でもありましたが、在庫ゼロのおかげで、”ボーナス(追加)”も来ました。この時期に加速するはずが、それはできなかったけれど、(ファイザー供給減の)前と同じ水準は保てた」
 このように、ワクチンを巡ってしばしば二転三転する国の対応にも、早い時期からの準備と、”危機モード”による柔軟で大胆な反応で、切り抜けてきたのが墨田区だった。
通年議会が補正予算に迅速対応
 加えて、区議会も”危機モード”を共有。ワクチン接種会場の増設など、様々な変化に伴う予算の確保に素早く対応した。
「昨年の11月から通年議会となっていたこともあり、毎月のように補正予算を通してくれるので、次々に変化する状況に迅速に対応できたんです」
 毎月の議会で、議員が住民の要望を披露したのも、情報として役立った、という。
”危機モード”共有の背景
 このように区、地元医師会、住民、議会などが”危機モード”を共有できた背景には、墨田区特有の事情もありそうだ。
 隅田川沿いにある同区は、水害の危機と常に向き合っている。最悪の事態では、ほぼ全域が水没することもありうる、と予測されているからだ。大雨の予報が出るたびに、同区は水害の発生を警戒する。常に最悪の事態を想定して考える”危機モード”の思考が鍛えられ、コロナ対応でも生きたのではないか。
 同区では昨年1月末の段階から、新型コロナウイルスを新たな「災害」、それも警戒レベル5の最大級の災害ととらえて対応してきた、という。国や東京都では、第5波で重症患者数が過去最高を日々更新する事態になって、ようやく「災害級」という言葉が出てきたのに比べると、危機への向き合い方が異なるように見える。
 この”危機モード”を区、医師会、住民、議会が共有し、連携することで、次々に生じるいろんな問題をうまく飲み込み、ペースを落とさずに接種を続けることができた、と言えるだろう。
ワクチン以外でも素早い対応
 墨田区が速いのはワクチン接種だけではない。医療提供体制についても、際だった対応が見られた。2つの例を挙げる。1つは、地域完結型の医療体制「墨田区モデル」の構築。もう1つは、抗体カクテル療法のすみやかな導入だ。
回復期の患者を中小病院が引き受ける
 コロナ禍の日本で、医療が逼迫する原因の1つに、回復した重症者の転院が困難、という問題がある。患者は人工呼吸器から離脱できても、すぐに日常生活には戻れるわけではない。その後の治療やリハビリが必要だが、そのための転院先がなかなかみつからないのだ。
 これに対応するため、墨田区は今年1月25日、地域の病院が連携して、転院を進める仕組みを作った。同区では第一種感染症指定医療機関である都立墨東病院が重症患者を、同病院と重点医療機関の病院が中等症患者を引き受けている。そして回復期に入った患者は、他の中小私立病院が次々に受け入れ、重症者や中等症患者のためのベッドを空けるようにした。
 この体制を導入して3日後には、入院待機者が0になった。今も、医療崩壊を食い止めている。
 速やかな体制作りが可能になったのも、災害時を想定した、常日頃からの地元医師会と保健所の関係があったからだ。
「危機を想定し、墨東病院には『断らない医療』をやってもらい、そこがいっぱいになったら地域の医療機関が後方支援で引き受ける、という意識が、地元の病院経営者には以前からある。今回は、墨東をパンクさせないために、自分たちが支えていかなければならないという危機感が、地元医師会の中でより一層強い」
抗体カクテル療法にもいち早く対応
 抗体カクテル療法は、2種類の抗体を点滴投与する治療法で、軽症者の重症化を防ぐ効果がある。アメリカのトランプ前大統領が感染した際、この治療を受け、早期に回復したことで知られる。日本では、7月19日に重症化リスクの高い軽症・中等症患者の治療薬として特例承認された。墨田区では、同愛記念病院に区民優先の病床を20床確保していたが、ここで同月27日から必要な患者にこの療法を行うことにした。8月13日までに20人の患者に実施し、いずれも経過は良好、という。
 東京都がこの療法のための病床20床を確保したことを発表したのは同月12日だったことを考えると、墨田区の手際の良さが光る。これも、”危機モード”による早い準備が生んだ。
「4月に、近いうちに特例承認されるという情報があったので、区内の病院で実施しようと、5月頃から病院と勉強をしてきました。当初は4つの病院で実施しようと考えていたのですが、入院が必要とのことなので、区民のための病床を確保していた同愛記念病院で行うことにしました」
 準備を急いだのは、第4波の大阪の状況を見て、危機感を募らせたからだ。地元医師会と共に、神戸市民病院の医師を招いたweb上の研修会を行い、関西でどのようなことが起きたのか、詳細を学び、対策を検討した。
「酸素が足りない、中等症のベッドは一杯になり、感染者が減らない。このような大阪の第4波が東京でも起きる、という前提で準備をしたのが、今生きている」
十分な検査態勢を整える
 このほか、コロナ対応としては、検査態勢を区独自で充実させてきたことも大きい。それは、昨年4月に墨東病院でクラスターが発生し、新たな入院や救命救急センターでの患者受け入れを停止した時の教訓からだという。
「国立感染症研究所が入って、症状のない人も含めて全員の検査をやった。そのやり方から学ぶことが多かった。ウイルスは目に見えない敵なので、徹底した検査しかない」
 しかし当時、東京都としてできる検査は1日に200-300件ほど。そのため、医師が必要と判断しても、検査を受けられない発熱患者がいた。墨田区は、独自にPCRセンターを設置。6月に検査会社を区内に誘致し、通常の3割程度の金額で1日240件の検査を行えるようにした。
 さらに、保健所自身が唾液によるPCR検査を開始した。検体を唾液にしたのは、医師がいちいち咽頭を綿棒でぬぐう作業をしなくてすむので、大量の検査に適していると考えたからだ。
 最初に大規模な検査を行ったのは昨年6月下旬。地元のオーケストラ、新日本フィルハーモニー交響楽団の楽団員ら74人のPCR検査で、全員の陰性を確認した。それまで演奏活動を自粛していたオーケストラは、7月初めに演奏会を再開した。
「自前の検査なので午前中に検体を���せば、2時間後には結果が分かります。費用も1人1000円くらいで済みます。どこかの施設で1人陽性者が出れば、すぐに全員の検査をやる」
 陽性者の第一報を知ると、西塚所長自身も防護服を着込み、検査のために現場に向かった。高校受験の時期は受験生の検査を行い、小学校の移動教室など人数が多い時にはプール方式で検査した。夜の街が危ないという話が広がった時期には、向島の花街の芸者たちの検査を実施。「向島は安全だと示したいので、ぜひやってください」という芸者衆の要望に応えた。
「人は大事」
 こうした対応が可能になったのは、1人の保健所職員がいたからだ。ベテラン検査技師の大橋菜穂子さん。西塚所長が独自の検査実施の方法について頭を悩ませていたところ、大橋さんが「私はPCR検査ができます」と申し出た。
 2014年に代々木公園でデング熱が発生して以来、大橋さんは毎月のように、区内の公園で蚊を採取してはすりつぶし、PCR検査でウイルス感染の有無を調査し続けていた。結果はいつも陰性だが、それを確かめるために、大橋さんは黙々と検査を重ねた。PCR検査の技術を磨き、機械もメンテナンスを欠かさなかった。
 それが、このコロナ禍で生きた。大橋さんは、感染症研でコロナウイルスの検査の手法を学び、今では変異株の検査も担っている。
「昔は、検便も結核の検査も、水道の検査も、すべて保健所でやっていた。それが次々に民間委託となり、保健所から検査機能が失われ、保健所そのものも減らされてきた。そんな中、商売にはならない蚊の検査を続けてきた検査技師が1人いたおかげで、コロナにも対応できた。本当に、人は大事です。金にならないことをやって、危機に備える。これこそ公衆衛生です」
適切な情報の公開
 住民への適切な情報発信も心がけた。象徴的な事例が、早期にコロナ対応をする医療機関名の公表に踏み切ったことだ。
 新型コロナの感染が疑われる患者に対応する医療機関は、都道府県が「診療・検査医療機関」を指定した。ただ、多くの自治体は「風評被害」を恐れて機関名を公表しなかった。東京都も同様。そのため、患者が受診するには、かかりつけ医か都の発熱相談センターに相談し、紹介を受けなければならない。同センターに電話がつながらないことも多く、煩雑さから、症状があっても軽症の場合、医療機関にかからずに済ませる人も少なくなかった。
 そうした人が感染を広げる懸念から、墨田区は昨年11月、区内の「診療・検査医療機関」の名称公表に踏み切った。それによって受診がしやすくなる利便性と、感染拡大の抑制が狙いだった。区の広報紙では、年末年始の発熱外来を行っている医療機関名と診療日や連絡先などを詳しく伝えた。
 さらに、西塚所長がTwitterなどのSNSを使って、区の対応を丁寧に説明。西塚所長のアカウントには、「家族が熱を出した。どうしたらいい?」「熱がある。日曜日だけど、どうしたらいい?」といった相談も頻繁に飛び込む。そのたび、「○○なら、予約なしで受診できます」などといった情報を伝えている。
「自分が必要な時に必要な情報が得られずに困っている人がいる。そういう人をとりこぼさないようにしたい。災害時は、区としては大きく構えて対策をしなければならないが、こういう細かい情報を補強するにはSNSは有益です」
 このような対応をするため、自宅にいても、スマートフォンは手放さない。
 ちなみに、施設で患者が確認された時、噂や風評被害を防ぐため、同区では施設名も公表している。
保健所の役割とは
 保健所の仕事について、西塚所長はこう語る。
「いろんな資料を分析しながら、地域の弱みを常にウォッチして、必要な資源を作って供給していく。インテリジェンスとロジスティクスです。墨田区は一貫して、これが公衆衛生を担う保健所の役割と認識してやってきました。私たちは、尾身先生たち専門家が言うことを忠実にやってきただけです。その(提言を実現する)ために必要な資源は用意する。現場の医師たちが『検査をしたい』『患者を入院させたい』と言う時に、ちゃんとできるようにする。これが保健所の仕事です。
 資源が足りなければ、作る。たとえば、東京都の検査能力が限られているからと、検査数を絞るのではなく、検査がより多くできるようにしてきました。国や都の対応を言い訳にせず、資源にニーズを合わせるのではなく、ニーズに資源を合わせるんです」
 そのための工夫をし、早めに準備を整えて、あらゆる立場の人たちを結びつけていくのが、西塚流の真骨頂と言えるだろう。
 平成元(1989)年度には、全国に848あった保健所は、合理化の波に洗われて、現在は470まで減らされた。その保健所が今、新型コロナウイルスとの闘いで要の役割を担っている。
「だいぶ減らされたとはいえ、うちに検査技師がいたように、今もまだ保健所には様々なスキルが残っています。その力を、今発揮しないで、いつ発揮するのだ。そんな思いでやっています」
 各地でも今、それぞれの地域の事情を踏まえた保健所の奮闘がある。その保健所の機能を存分に生かすためにも、また、各地でワクチン接種を加速化するためにも、国や各自治体が西塚所長の話から学ぶところは多いのではないか。
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shinjihi · 5 years ago
Text
伊藤詩織氏に告発され刑事事件及び検察審査会でも不起訴となった山口敬之氏の独占手記
続き
「レイプ犯」に送った「お疲れ様です」メールの謎
そしてもう1つ。「薬物を盛られてレイプの被害に遭った」と思っている人ならば、絶対にしたはずの行動をあなたはしなかった。それは病院での検査内容にかかわることです。
あなたは、ホテルを出て数時間後に婦人科に行ったと証言しているが、そこでどんな検査を受けましたか? 
妊娠していないかどうかだけを検査し、ピルをもらったと言っている。ホテルの部屋での、英語の独り言の内容と符合します。
 
病院やその後、連絡したNGOの対応に不満を述べてはいるが、どう言い訳しても、あなたは結果として血液検査を受けなかった。
あの段階では、「デートレイプドラッグを飲まされてレイプされた」とは思っていなかったからではありませんか?
 
もしあなたが、実は血液検査を受け、その結果を持っているなら、ぜひそれを提出してほしい。「デートレイプドラッグ」の成分は出ていましたか? 
出るはずがない。そんなものは誰も使っていないからです。検査結果さえあれば、「薬を盛られて抗拒不能な状態にされた」というあなたの主張は根底から崩れることになります。
 
結局のところ、あなたがいま「薬を盛られてレイプされた」と思い込んでいるのであれば、それはあの朝からそう思っていたのではなく、あとから時間をかけて自ら思い込んでしまったということになります。違いますか?
 
それを示すもう1つの物証がある。それは、私のTシャツを着て部屋を出ていった詩織氏を見送ったあと、ワシントン到着後の4月6日夜に受け取ったあなたからのメールです。
「山口さん、お疲れ様です。無事ワシントンへ戻られましたでしょうか? VISAのことについてどのような対応を検討していただいているのか案を教えていただけると幸いです。 伊藤」
これが、被害者がレイプ犯に送る文面でしょうか? 私をレイプ犯と思い込んでいるのであれば、最初のメールで一切そのことに言及しなかったのはなぜですか? 
事案から2年以上過ぎてから記者会見まで開いて、「薬を盛られてレイプされた」と訴えたあなたとは、当時は認識が違っていたからではありませんか?
 
そして、このメールに関してもう1つ、あなたの悪意を指摘しなければならない。あなたはこれまでに、週刊誌などに対して、私とのメールのやり取りを部分的に公表していますが、このメールはあえて伏せている。
それはなぜですか? 都合が悪いと思っているからですか? 
それならば、私を犯罪者に仕立てるという目的において「都合のいいメール」と「都合の悪いメール」があるということになる。
全てのメールが時系列で明らかになれば、私が何を言いたいかわかってもらえるでしょう。私の主張に矛盾があるというなら、ぜひ指摘してほしい。
 
なぜ「犯罪が行われなかった可能性」を否定できないのに、あなたの心中では長い時間をかけて断定的な被害者感情と私への憎悪が醸成されたのか。そして、都合のいい事実だけを提示するという操作まで行って、私を犯罪者に仕立て上げようとしたのか。
本当のところは、あなたにしかわからないことだ。
今後の民事訴訟のなかで明らかにされていくことを期待します。しかし、ここまでわかっている事実関係から、1つの可能性を類推することはできます。
⑤ワシントンでの仕事への強い執着
私があなたに初めて会った時、あなたはキャバクラ嬢でしたね。
2013年9月、国連総会の取材でニューヨークに滞在していた時に、知人の記者に連れられて行った日本人相手のキャバクラで、キャバクラ嬢として私の隣に座ったのがあなたでした。
私がTBSのワシントン支局長であることを知ると、あなたは途端に、「ジャーナリズムの仕事がしたい」と非常に熱心に訴えました。そして、ニューヨークの日本のテレビ局を紹介してほしいと何度も繰り返しました。その執拗な要求は、少したじろぐほどだったのをよく覚えています。
その後も、あなたは自分の願望を実現するため、私に繰り返しメールを送り付けています。そのうちの一部を抜粋します。
「(前略)ぜひTBSのニューヨーク支局にてインターンをさせていただきたく連絡差し上げました。ご検討、お力添えしていただけないでしょうか? よろしくお願いします」
「たびたびのメールすみません。もしインターン採用の可能性があるのであれば、できたら今週中に面接していただけたら幸いです」
 
インターン希望者が面接日時を指定してくる異常性にたじろぎ、当時TBSニューヨーク支局ではインターンを募集していないという事実を伝えました。その後も、TBS以外の日本のテレビ局を紹介してほしいという、あなたの要請は続きました。
 
結局、あなたは私の紹介で日本テレビのニューヨーク支局でインターンをすることが決まりましたね。採用が決まった時、あなたは下記のメールを送ってきました。
「今日本テレビの〇〇さんからお電話いただいて採用との報告をいただきました!! 本当に本当にありがとうございます! 全力でインターン頑張ります。(中略)このご恩は一生忘れません!! ありがとうございます!」
一連のメールは常にあなたから来て、私はそれに返信する形でしたね。そしてキャバクラで出会ったあと、あなたに会ったのは、昼間に某支局長を紹介した1回だけです。
それ以外、私はあなたを1度も食事に誘ったり、誘惑したりしたことがないことは認めますね?
「本気です!」あなたから届いたエモーショナルメール
その後も私からあなたに連絡を取ることはありませんでしたが、14年9月になって、またあなたから連絡がきました。
「(前略)現在絶賛就活中なのですが、もしも現在(TBSワシントン支局で)空いているポジションなどがあったら教えていただきたいです。宜しくお願いします! 東京にお戻りの際はぜひお会い出来たらうれしいです」
「早速のご返信ありがとうございます! 本気です! プロデューサーのポジションに応募させていただきたいです。ぜひとも検討していただけませんでしょうか? よろしくお願いします!」
「どんな形であれ、ジャーナリズムのお仕事に携われるなら雇用形態は問いません。どうぞよろしくお願いします!」
 
また、!マークのたくさんついたメールが何度も送られてきました。あなたの強い要望がきっかけとなって、問題となった恵比寿での会食がセットされました。
あなたが元来、エモーショナルなメールを打つタイプだとしても、一連のメールを見ればワシントンで仕事をしたいという熱情は並大抵ではなかったことは明らかですね。
 
一方、ワシントン支局長を務めていた私があの時、一時帰国したのは、前の月に『週刊文春』に寄稿した「韓国軍にベトナム人慰安婦がいた!」について、会社の賞罰委員会から呼び出されたからでした。
 
この寄稿は、私がアメリカの国立公文書館で発見した公文書に関するものでした。
ベトナム戦争当時、韓国軍兵士用の慰安施設が当時のサイゴン市内にあったことを示す公文書を見つけたので、私は事実関係の検証や関係者へのインタビューを重ね、TBSのニュース番組で放送するために、数カ月かけて取材をまとめ上げました。
「性暴力の被害を受けた」――解任されると態度が一変!
しかし、TBS報道局幹部はいろいろな理由をつけてなかなか放送しない。数カ月にわたる交渉の末、2015年2月、TBSは納得できる理由も示さないまま、「放送しない」との最終決定を伝えてきました。
私としては、伝えるべきニュースを明確な理由も示さずに封印しようとする会社の決定に承服できず、やむなく『週刊文春』に寄稿という形で取材成果を発表しました。
 
これがTBSの内規に触れるということで、会社の査問を受けるために一時帰国を命じられていたのです。この経緯と、私が何らかの処分を受ける可能性があるということは、あなたにも伝えていましたね。
 
私がワシントンに戻ってあなたからビザに関する問い合わせを受けたあと、4月中旬頃から私に厳しい処分が出そうだという噂が広まり始め、その噂どおり、結局、私はTBSワシントン支局長を解任され、日本への帰国を命じられた。
そして、TBSワシントン支局でインターンをしたいあなたの希望を叶えることができなくなりました。
 
あなたが「私から性暴力の被害を受けた」と言い出したのも、なぜかその時期です。
「意識のない私をホテルに連れ込み云々」といったメールを初めて受信したのが、4月18日のことです。それ以降、あなたからは大量の敵対的な攻撃、罵倒、返信が遅いという非難など、メールのニュアンスが一変しました。
最初の穏便なメールを送ってから2週間の間に、あなたに何があったのでしょうか?
 
その後、私がTBSを辞め、本を出版し、テレビに出演するようになったことについて、あなたは記者会見での配布資料にこう書いています。
「山口氏が権力側で大きな声を発信し続けている姿を見たときには、胸が締め付けられました」
「権力側で大きな声を発信し続けている」との断定は、あなたがジャーナリストを名乗るのであれば、内容を説明する義務を負うでしょう。
 
不起訴処分が出てから10カ月も放置した末に、私がメディアに露出するようになってから改めて記者会見を行い、検察審査会に不服申請をしたのはなぜか。
私には、あなたの強い自意識が、自分が被害者であるという思い込みを生み育て、その後に起きた落胆や怒りが私への憎悪を極大化し、いまでは自分の記憶まで歪めてしまっているのではないか。
そう思えてならないのです。
野党政治家たちがなぜ、あなたの味方になったのか?
最後に、どうしても指摘しなければならないことがあります。あなたは記者会見で、
「上からの大きなパワーを感じました」
という抽象的な表現で、政治の介入について匂わせました。
しかし、実際に政治家を味方につけて利用していたのはあなたではありませんか?
 
昨年7月に検察の不起訴処分が決まったあとも、あなたとあなたの協力者が「私に性的暴行を受けた」と吹聴し、週刊誌やテレビ局にネタとして売り歩いているという情報は、私の耳にも入っていました。
しかし、あなたの主張がもともと事実ではないので、私は気にしていませんでした。
 
しかし、5月中旬に『週刊新潮』が記事を載せた頃から、なぜか複数の野党政治家があなたの側に立った発信を始めるようになりました。
まず、民進党の参議院議員、有田芳生氏が、あなたの会見の3日前の5月26日、
「来週、この事件をめぐって新たな動きがあるようです」
と会見を予告するようなツイートをし、それに対してあなたは「いいね」を押しています。
��ぜ、野党政治家があなたの会見の予定を事前に知っていたのか。あなたが伝えたのですか? 
政治とは縁のなかったあなたは、いつからこうした政治家と交友を持つようになったのでしょうか?
 
有田氏はその後何度も、あなたの主張を検証もしないまますべて���実とし、私を犯罪者扱いするツイートやリツイートを繰り返しました。
 
同じ民進党の衆議院議員だった井出庸生氏や柚木道義氏も、国会の委員会質疑であなたの記者会見について触れました。そして柚木氏は私の著書を掲げ、私を犯罪者と断定したうえで質問を繰り返しました。
 
そして不思議なことに、あなたの記者会見と呼応した野党政治家の動きと全く同じタイミングで、私の所に大量の誹謗中傷のメッセージが寄せられるようになりました。
「首つって死ね」
「家族もまとめて心中しろ」
Eメール、ツイッター、フェイスブックなど、ありとあらゆる電子通信手段を使ったこうしたメールは、多い時は1日に100通を超えました。私のみならず、私の家族や知人にまで、凄惨なメッセージが送り続けられました。
 
そして送り主のプロフィールを見ると、「共謀罪反対」 「反原発」 「九条の会」 「外国人参政権を推進する会」といった組織のメンバーか、その主張に賛同する人がほとんどでした。
あなたは5月の記者会見で、「共謀罪よりも強姦罪改正を優先して審議してほしい」と主張しました。私に大量の陰惨な誹謗中傷を送り付ける方々の多くも、「テロ等準備罪」を「共謀罪」と呼び、廃案を強く求めています。
これはまったくの偶然なのでしょうか?
権力によって「もみ消された」と主張するおかしな面々
結局、今回の出来事は、突き詰めれば「飲みすぎたあなたが、自分のしたことを忘れてしまった」というだけの極めてシンプルな、よくある些事でした。
もちろん、権力の不正や政治的主張とは全く無関係でした。
 
しかし「犯罪事実がなかった」という事実を認められないあなたが、「薬を盛られた」という妄想を起点として、犯罪をあったとするストーリーを創作し、自ら作り上げた虚構を信じ込んだために、「逮捕され起訴され有罪判決を受けるべき事案が権力にもみ消された」と主張するに至った。
そして、どういう思惑と連携があったかは知りませんが、複数の野党の国会議員や支援者があなたを支援し、私を罵倒し続けた。そして私に対する攻撃は、未だに続いています。
 
万が一、あなたの主張どおり、裁かれるべき犯罪が不透明な政治力によってもみ消されたり不問に付されたのであれば、それは大変な問題です。
 
しかも今回あなたは、まったく別個に機能した「警察」 「検察」 「検察審査会」のすべてが、それぞれに政治的に歪められたという、とんでもないことを主張しているのです。
非常に重要なことを主張するのですから、「上からの力を感じた」 「事件が消えてしまう」 「ブラックボックス」というような抽象的な、あるいは情緒的な表現でなく、具体的��問題点を指摘して下さい。
 
私を犯罪者に仕立て上げて刑事罰に処すというあなたの企てが最終的に失敗に終わってなお、不正があったと言うのであれば、「警察」 「検察」「検察審査会」それぞれについて、何が起きたのか。
それを具体的に示すのはあなたの責任です。
「勇気ある女性」ではなく、「偽りの女王」
あなたが「ブラックボックス」だと思っていることの多くは、あなたの脳内で起きた「ブラックアウト」というありふれた現象に過ぎない。そしてあなたの勘違いと思い込みが、行政と司法によって粛々と退けられただけのことです。
あなたの主張を背負って裁判を戦える検事などいないから不起訴となり、一般国民からなる検察審査会も、当然それを支持した。
 
一方、あなたは自分が間違っている可能性を知りながら、記者会見を開いた。この会見であなたは多くのものを得た。あなたの名前は世に知られるところとなり、「勇気ある女性」と称賛され、野党政治家や一定勢力からの支援も獲得した。
 
会見で得たものがもう1つ。あなたは大手出版社から単行本を出されたそうですね。
その本の宣伝文句に、
「この本を読んで、あなたも想像してほしい。いつ、どこで、私に起こったことが、あなたに、あるいはあなたの大切な人に降りかかってくるか、誰にも予測はできないのだ」とある。
 
私は、今後あなたと飲食するすべての男性に同じメッセージを送る。
全く事実と異なる主張でメディアとネットでリンチに遭い、社会的に深刻なダメージを負った私は、あなたが民事訴訟に打って出た以上、徹底的に闘う。
痴漢の冤罪被害のように、「性犯罪被害に遭いました」と偽りの記者会見をすれば大きな利得を得る社会は間違っていると考えるからです。
 
そして何より、性暴力の被害者ではないあなたが、自分でもそうではないと密かに知りながら、表向き性犯罪被害者を標榜して生きることは、本当の性犯罪被害者のみならず、他ならぬあなた自身を貶めることになる。
大変残念なことです。
著者略歴
山口敬之
https://hanada-plus.jp/articles/259
1966年、東京生まれ。フリージャーナリスト・アメリカシンクタンク客員研究員。90年、慶應義塾大学経済学部卒、TBS入社。以来、25年間、報道局に所属する。報道カメラマン、臨時プノンペン支局、ロンドン支局、社会部を経て2000年から政治部。13年からワシントン支局長を務める。16年5月、TBSを退社。著書に『総理』(幻冬舎)など。
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kennak · 2 years ago
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今回の雇止めによって、会計年度任用制度には、もうひとつ、とんでもないデメリットが潜んでいることも判明した。  それが会計年度任用職員を退職した後、雇用保険が1円ももらえなくなるリスクである。  2020年4月からフルタイム勤務となった会計年度任用職員は、一般の公務員と同じ「退職手当」の支給対象となった(適用は半年後の10月1日から)。公務員は、雇用保険に加入しない代わりに、退職した際の退職手当が支給されるようになっている。  よって、フルタイム勤務者は、会計年度任用された時点で雇用保険を脱退することになるのだが、そのことに関する理解が決定的に不足していた。その結果、雇用保険がもらえると思って退職したら、もらえないことに気づくことになりかねない���  今回のケースでは、雇止め時点では、雇用保険を脱退してすでに3年経過しているため、退職後に失業手当の受給資格はない。失業手当が支給されるのは離職後1年間のみだからだ。  Yさんのように22年間も勤務してきた人なら、会社都合退職として240日分失業手当が支給されるはずだが、その権利がいつのまにか消えてなくなっていたのだ。  一方、公務員の退職手当については、一定の身分保障のもとで理論的には、雇用保険に加入していたらもらえる失業手当以上の条件が適用されるはずであるが、Yさんが加入している埼玉県の共済の場合、会計年度任用として採用されて以降の3年間のみを対象に算定されるため、雇用保険よりも極端に手取り額が少なくなってしまうのだ。  Yさんがもらえる退職手当は、雇用保険にそのまま加入していれば受給できる総額としてハローワークが試算してくれた金額の半額以下になるという。  そのような不都合が生じることは誰も想定しておらず、Yさんがハローワークに相談して初めてわかった。筆者も東京労働局に問い合わせてみたところ、「これまでにそのような事例は、一件も把握していない」とのことだった。  ちなみに、パートタイトムの会計年度任用ならば、雇用保険にそのまま加入し続けることになるため、このような不都合が生じることはないとされている。 自治労連・埼玉本部作成 ベテランスタッフを雇止めしたことで生じたデメリット  3時間の予備交渉を2回経て行われた団体交渉では、Yさんたちの雇止めを撤回させることはできなかった。都合9時間の交渉でも、市教委は頑なな姿勢を崩さなかったのだ。  退職後に雇用保険すらロクにもらえないことを知ったYさんは、仕方なく、4月からは他の仕事に就いたが、その結果、司書という仕事を奪われただけでなく、収入は3分の1に激減した。  雇止めを通告された後、精神的ショックで体調を崩したYさんは、2月に産業医からドクターストップがかかったにもかかわらず、狭山市の会計年度任用職員は病休も無給になるため、生活への不安から、医師からの報告は経過観察にとどめてもらったという。任期まで残りの期間、外部と約束していていた出前授業や講師の仕事を放りだすわけにはいかず、最後までこなしたという。  一方で、Yさんたちベテラン職員がいなくなった図書館は、公募の結果、市外からも多数応募があり、司書も含めて必要な人員は確保されたという。それは、全国的にも珍しいフルタイム勤務できる職だったからだ。  司書の募集は、専業主婦が家計補助的に従事することが想定されているためなのか、週3~4日、短時間勤務する募集が圧倒的に多い。時給もほぼ最低賃金なのが世間の通り相場だ。そうしたなか狭山市の募集は、フルタイムの週5日勤務で月給22万円という、図書館の募集では珍しく好条件だったため、市内外からの応募が殺到したのだという。  だが、その好条件は、何もせずに与えられたものではなかった。 「月給22万円は、3年前に私たちが市当局と交渉してようやく勝ち取ったものなんです。それまで17年間は最低賃金上昇時に少しづつ上がりながらも、週5日勤務で手取り14~15万円で、任用の最初のころは交通費すら出なかったんです。その頃は半休も忌引もない。もちろん退職金もない。なのに60歳定年。それをひとつずつ交渉で改善してもらって、ようやく勝ちとったものだったんです」  このように語るYさんの言葉には、自然と悔しさが滲み出る。  図書館は人手さえ集まればつつがなく運営できるわけではない。実際に、ベテランの司書がいなくなったことで、現場は大混乱した。おまけに今回の公募にかかわった館長をはじめたとした正規職員4名もゴッソリ入れ替えされたため、新任の職員は、図書館の経験不足。通常業務にも支障をきたしかねない状況だったのは想像にかたくない。  今回の雇止めによる、市民にとっての大きな損失は、それまでベテランの司書がコツコツと積み上げてきた、子どもたちへの読書支援サービスが大きく棄損されたことだろう。 「児童奉仕は、10年くらい続けないと見通しが立たない、完全な専門職なんです。数年で入れ替わる正規職員だけでは担えない部分を、われわれが引き受けてきたんです」(Yさん)  地元の小中学校や保護者と連携した各種イベントだけでなく、図書館ボランティアの研修、学童指導員の研修、家庭教育学級の講師なども引き受けてきたという。 「ここ数年、子どもたちが本を読めなくなっていることを、現場の皮膚感覚で感じていました。多くの児童が、物語の本を読めなくなっています。これは深刻な事態だと思い、コロナ禍に入る直前、家庭教育学級で保護者の方へ、司書の立場から直接お話しさせてもらう機会を増やしたいと図書館長に訴えました。そして今年2月にようやく実現し、手ごたえを感じました。また、地域で子どもと本をつなぐ担い手になる人材の育成に、長年取り組んできたんです。それが3月末でできなくなりました。読み聞かせの講師も16年間続けてきましたが、それも今年で終わりました」  こうしたベテラン司書による地元に密着した図書館のサービスの成果は、目に見えないだけに、市長や行政サイドが教育や文化の育成に著しく無理解だと、いとも簡単に切られてしまう。狭山市教委のようにベテランの雇止めが行われると、図書館の児童サービスの質が落ちてしまっていることすら市民は気づかない。  その意味で、会計年度任用制度による理不尽な雇止めによる最大の被害者は、せっかく長年積み上げてきた図書館の児童サービスの体制が大きく後退した市民ではないのか。 公共施設で非正規公務員が増えた背景  自治労連・埼玉本部の書記長は、非正規公務員が増えた背景について、こう解説する。 「本来、正規職員が市民サービスの基幹業務を担い、季節的・臨時的・補助的に助っ人が必要な部分のみ、非正規スタッフが担うものとされてきました。たとえば、確定申告シーズンのみ混雑する窓口対応や煩雑な事務作業をサポートするのが、本来の非正規スタッフです。  それがいつのまにか、基幹業務をも非正規の職員が担うようになりました。恒常的な業務のために、業務そのものが期間限定とはいかないのに、無理やり短期雇用を反復的に繰り返す脱法的な運用が当たり前のように行われることになったんです」。  その結果、69万人まで膨れ上がった非正規公務員に関する法規制は、いびつな状態に据え置かれ、ときには直営の公共施設スタッフのほうが民間よりもブラックではないかと指摘されるほど、深刻な事態に見舞われている。  かつて「役所の仕事なら、非正規でも、待遇は悪くなく、民間みたいに違法行為を平気で犯すことがないので安心」と思われてきたが、会計年度任用制度が導入されて以来、その常識は通用しなくなっている。  Yさんのように、もし民間企業で有期雇用を何度も繰り返した場合、労働者側に、今年も契約が更新されるものと期待する権利(期待権)が生じるとされて、契約更新にあたっては、正社員と同じく正当な理由がなければ解雇は無効とされる(労働契約法19条)。  また、5年勤務すれば、無期雇用への転換を申し込むことができる(労働契約法第18条)。いずれも強力な法規制のため、もし民間ならば、訴訟を提起すれば、かなり高い確率で労働者サイドが勝つだろう。  しかし、「任用」とされる公務員は、そうした労働法が適用されないのだ(ただし損害賠償を自治体に請求する訴訟は可能で、それが認められた判決もある)。  会計年度任用は、最初から1年ごとの契約であることを承知のうえで応募しているはずなのに、切られたからといって文句を言うほうがおかしいという意見がSNSで流れているが、おかしいどころか、もし民間企業でYさんのように22年も反復継続されていたなら、労働契約法違反として、裁判所は雇止めを無効とする判決を下すような事案である。  公務員は、もともと民間よりも手厚い待遇が得られるという前提のもとに、「任用」は労働法が適用されないとされてきた。その前提条件が大きく崩れてしまった以上、非正規公務員の待遇が見直されない限り、住民サービスの劣化は止まらないだろう。  ベテラン司書を切った狭山市の視野にあるのは、老朽化した図書館の建て替えではないかと囁かれている。将来的に、おしゃれなカフェと子供向けの絵本が大量に取り揃えられた素晴らしいハコモノができるかもしれないが、その運営も民間に丸投げすれば、Yさんたちベテラン司書が時間をかけて培ってきた、児童サービスのソフト面での中身が問われることはまずなく、空虚な賑わい創出だけをありがたがる風潮がますます蔓延するだろう。  2022年に東京・杉並区長に当選した岸本聡子氏は、「区立施設と区の職員はコストではなく、財産です」と述べて、多くの市民から喝采を浴びた。  コスト削減と運営の効率化が急務とされ、公務を担うスタッフの非正規化が急速に進められてきたなかで、目に見えない市民サービスがどれだけ劣化したのかを、われわれは知るすべを持たなかったが、会計年度任用制度というおかしな制度が、改めてそのことを、われわれに知らしめてくれているといえるのではないだろうか。 (文=日向咲嗣/ジャーナリスト)
狭山市、図書館職員を大量解雇…22年勤務のベテラン司書を雇止め、雇用保険も不支給の恐れ | ビジネスジャーナル
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trinityt2j · 5 years ago
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ダ-ティ・松本 不健全マンガ家歴30年[-α]史 ●はじめに  この文章は同人誌「FUCK OFF!7」において書かれたものをベースにして逐次増補改定を加えていき、いずれ歴史の証言として、[というほど大袈裟なものでは無いが…]一冊の本にまとめたいという意図のもと、近年どんどん脳が劣化していくダ-松の覚え書きとしても使用の予定。事実関係は間違いに気付き次第 訂正。同人誌発表時のものも今回自粛配慮して、実名、エピソード等を削除した箇所有り。有り難い事に某出版社よりすでに出版打診があったがまだまだその時期ではない、マンガを描く事が苦痛になったら活字の方も気分転換にいいかも…。 /*マークは今後書き加える予定のメモと心得たし。 ●前史/修行時代・1970 さいとうプロの短くて濃い日々……  1968年に上京。数カ月後東京は戦場に。熱い季節の始まりだった。 2年後親元を飛び出し友人のアパートに転がり込む。場所は渋谷から井の頭線で駒場東大駅下車、徒歩5分。地図で見ると現在の駒場公園あたり。昼間でも裸電球を付けなければ真っ暗という馬小屋のような部屋。数メートル先には当時の建設大臣の豪邸が…。前を通りかかるだびに警備のおまわりがじろり。  いつまでも友人に迷惑もかけられないのでとりあえずアシスタントでも…と手元にあったマンガ誌をひっくり返し募集を探す。幸いさいとうプロと横山まさみち氏のところでアシ募集があり両方応募。どっちか一つ通れば…と思っていたら何と両方受かってしまい、双方に条件を聞く。当時高円寺 のアパート、風呂無し4畳半の部屋で相場12000円の時代。前者一ケ月の給料10000円、後者20000円との事。給料の方がボロアパートの家賃より安いとは…!どう考えても前者は食う方法がないと判断し、後者さいとうプロへ入社。  ここに居たのはたったの半年に過ぎないけれど今思えばこれだけで本が一冊描ける位の濃い半年だった。しかしこのあと2X年分も書かねばならないことを思えば今回はいくつかのエピソードを書くだけに留めよう。  ダー松が入った時は小池一夫氏[クビ?]、神田たけ志氏や神江里見氏、きしもとのり氏[現・松文館社長]等と入れ替わりの時で、きし氏の女遊びの凄さと神江氏の絵のうまさは伝説になっていた。現在「亀有」「ゴルゴ」が歴代単行本の巻数の多いベスト1、2位だが[ともに100巻を越えた]、3位は神江氏の「弐十手物語」[70巻以上]だという事は知ってる人は少ないだろう。  当時の制作部は、さいとうたかを[以下ゴリ]をトップに石川班[ゴルゴ13、影狩り]、甲良班[バロム1]、竹本班[シュガー、どぶ等]の3つに分かれ、それぞれのキャップにサブ・チーフが一人づついて、ヒラが2~6人いるというシステムで総16名。独立し現在も活躍中の叶精作、小山ゆう、やまさき拓味の3名がそれぞれの班のサブ・チーフ。ダー松は石川班で左右1メートル以内に叶氏とゴリにはさまれ、のんびり出来ない状態で、はなはだ窮屈。叶氏はほとんどマンガ家になりたいとも思った事のなかった人で、設計事務所みたいなところで図面を引いていた人がなぜマンガプロダクションに来たのか不思議だった。格別マンガ好きというわけでもなかったせいか現在まで全ての作品が原作もので、オリジナルは一本もないのはそのせい?祭りなどの人がうじゃうじゃ出てくる群集場面が得意。 やまさき氏は大の競馬好き、現在競馬マンガを多く描くのは当時からの趣味が生きたというべきか。もう一つの趣味である風俗についてはここでは書くのは差し控えよう。小山氏は後日ここの事務の女性と結婚するが、当時はつき合っているとは誰も知らず、スタッフの一人がやめる時その女性に交際を申し込んだら、茶店に呼び出されて小山氏からと凄まれたと聞いたが嘘か本当かは不明。  ここでの生活は新入り[ダー松を含めて3名]は朝の9時前に会社に行き、タイムカードを押し、前日のごみをひとまとめして外に出し、トイレ掃除をして、16人分のお茶を2Fで入れて制作部のある3Fへの狭い階段をふらふら昇り、机ごとに置いて歩き、終れば、一息ついて買っておいたパンと牛乳を3分で食べて、やっとそれから仕事。しかし新入りの3名の内1人折茂は常に遅刻なのでいつも佐藤と2人でやっていた。佐藤も遅れる時はダー松1人で。辞めてから10年位、16人分のお茶を持って階段をふらふら歩きお盆をひっくり返す夢をよく見たものだが、実際ひっくり返したのは折茂と佐藤の2人で、よく茶碗を割っていた。 たまには夕方6時には帰れるが、普通は夜10時までで、アパートに帰って銭湯に行けばもう明日にそなえて寝る時刻、このくり返しの日々。週1日は徹夜で明け方に帰り、その時は当日の昼12時出勤。休日は日曜日のみで忙しい時はそれも取り消し。つまり休みは月3日。[これで給料2万円!]そんな日々の繰り返し。  夕方までは皆和気あいあいと仕事していたが、ゴリが夕方6時頃に「おはようさん」と現れると、全員無駄口がたたけなくなり、仕事場はシーンと静まり返り、以下その日が終わるまでは疲れる時間がただひたすら流れるのみ。 当時石川班は「ゴルゴ13」と「影狩り」を描いていたがゴリは主人公の顔と擬音のみ。マジックで最後に入れる擬音はさすがに入れる位置がうまいと感心。ゴルゴの顔はアルバムに大小取り混ぜてコピーがとってあり、忙しい時は叶氏がピンセットで身体に合わせて「これが合うか���~」といった感じで貼り付けていた。  その頃すでに「ゴルゴ」は近々終わると噂されていたが、現在もまだ続いているとは感嘆ものだ。 ゴリと石川氏が「ゴルゴ」の最終回の終わり方を話しているのを聞いたら、何ともつまらない終わり方。しかしあれから20年以上も経つ事だし、きっともっといい終わり方を考えてあるだろうなと思っていたら、先日TVで本人が最初から考えてある終わり方だと言うのを聞き、がっくり。企業秘密だろうから書かないが、作品の最初の方に伏線が数度出ているのでわかる人にはすぐわかる筈。  辞めた小池一夫氏とさいとうプロに何があったかは知らないが、漏れ聞く話では結構もめ事があったみたいだ。 「子連れ狼」で「ゴルゴ13」と同じ設定の回があった時、「小池のガキャー訴えたるー!」とゴリが吠えていたものだが、結局たち消え。さいとうプロ作品で脚本を書いた本人が辞めた後、他の作品で同趣向の作品を書いても著作権は脚本を書いた原作者のものだと思うがどんなものだろう。その回のタイトルは忘れたが、ある場所に居合わせた人々が武器を持った集団の人質となり、その中に素人だと思われていた主人公、実は殺しのプロフェッショナルがいて、次々とその集団を殺していく、といったプロットで、ミッキー・スピレーンの短編に同じような作品があり、本当に訴えていたら恥をかいたと思うが・・・。  そういえば事務の方には山本又一郎という男がいたが、後年映画プロデューサーとして 「ベル薔薇」や「太陽を盗んだ男」等を創る事になるが、この野郎が生意気な男で当時皆に対して10歳は年上、といった感じの振る舞いだったが後日俺と一つしか年が離れてなかった事を知り、そんな若造だったとは、と皆怒ったものだ。以来奴の事を「マタさん」から「クソマタ」と呼ぶようになる。  さて半年後に先輩たちが積もり積もった不満を爆発させる反乱事件が勃発し、2年は居るつもりでいたここでの生活も、辞めるか残るかの選択を迫られる。残ればさいとうプロの現体制を認める事となるので、ダー松も退社。 しかし反乱グループとは別行動をとって一人だけの肉体労働のアルバイター生活へ突入。超ヘビーな労働の製氷工場、人使いの荒い印刷所、命綱もない高所の足場で働く建設現場等々。トラックの助手をしていた時は運ちゃんが「本宮ひろしって知ってるか?うちの息子の友達でさぁ、昔、おっちゃんメシ食わしてくれーなんて言ってきたもんだが、今は偉くなっちゃってさー、自分のビル建てたらしいよ。赤木圭一郎みたいにいい男なんだ。」とうれしそうに話してくれたが、運ちゃんには悪いがそいつは今も昔も一番嫌いなマンガ家なんだ。あの権力志向はどうにかならんか。天下を取る話ばかりだもんなぁ。  ところで後日、単行本の解説で高取英が「さいとうたかをのヤローぶっ殺してやる!」とダー松が言ったなどと書いているが、小生はそんな危ない事言った覚えはないのでここできっちり訂正しておきます。 「会社に火ィつけてやる!」位は言ったかも・・・[嘘] 。 悪口は言っても別に怨みなど無い。ところでアシスタントとしてのダー松は無遅刻、無欠勤以外は無能なアシだったと反省しきり。理想的なアシスタントとはどんなものか、それはまた別の機会に。 *入社試験はどんな事を? *さいとうプロには当時ほとんどろくな資料は無かった? *ハイジャックの回の飛行機内部の絵は、映画「大空港」を社内カメラマンが映画館で写してきたものをもとに描く。 *当時のトーンは印刷が裏面にしてあり上からカッターでけずったり出来ない。 *トーンの種類は網トーンが数種、それ以外はほんの3、4種類位しかなかった。 *仕事中のB.G.M.はアシの一人が加山雄三ばかりかけるので大ひんしゅく。好評だったのは広沢虎造の浪曲「次郎長三国志」、初代桂春団次の落語。眠気もふっとぶ位笑えた。 ダ-松が岡林信康の「見る前に跳べ」をかけてるとゴリは「何じゃー!この歌は!」と怒る。名曲「私たちの望むものは」はこの男には理解不能。 ●1 9 7 1 ~ 1 9 7 4  持 ち 込 み & 実 話 雑 誌 時 代    当時は青年劇画誌全盛時代で、もともと望月三起也氏や園田光慶氏のファンで活劇志向が強く、 主にアクションもののマンガを描いて持ち込みに行っていた。今のようにマンガ雑誌が溢れかえって、山のようにマンガ出版社がある時代ではなく、数社廻るともう行くところがない、という状態で大手では「ビッグコミック」があっただけで 「モーニング」も「スピリッツ」も「ヤン・ジャン」も当然まだない。テーマを盛り込んだ作品を持って行くと編集から「君ィ、うちは商売でやっているんだからねぇ」と言われ、アクションに徹した作品を持って行くと「君ぃ、ただおもしろいだけじゃあねぇ」と言われ 「おい、おっさん!どっちなんだ?」とむかつく事多し。この辺の事は山のように書く事があるが、有りすぎるのでパス。 *そのうち書く事にする。  ただ金属バットで頭をカチ割って脳みそをぶちまけてやりたいような奴が何人もいたのは事実。今年[’97]「モーニング」に持ち込みに行って、断られた奴が何万回もいやがらせの電話をかけて逮捕された事件があったが、そのうちトカレフを持って殴り込みに行く奴が出てくるとおもしろい。出版社も武装して大銃撃戦だぁ!などと馬鹿な事書いてどうする!とにかく持ち込みにはいい思い出が何もない。そんな中、数本だけ載った作品は渡哲也の映画「無頼」シリーズの人斬り五郎みたいな主人公がドスで斬り合う現代やくざもの[この頃の渡哲也は最高!]、ドン・シーゲルの「殺人者たち」みたいな二人組の殺し屋を主人公にした『汚れたジャングル』、陽水の「傘がない」が好きだという編集さんの出したテーマで車泥棒とブラックパンサーの闘士とのロード・ムービー風『グッバイ・ブラザー』、拳銃セールスマンを主人公にした『ザ・セールスマン』、等々10本ちょい位。  さてその頃並行してまだエロマンガ専門誌といえるようなものがなかったような時代で、実話雑誌という写真と記事ページからなる雑誌に4~10ページ位を雑誌の味付けとして描かせてもらう。当時、お手本になるようなエロマンガなど皆無で、エロ写真雑誌を古本屋で買ってきてからみのポーズを模写。マンガで裸を描く事はほとんど初めてで、これがなかなか難しいのだがエロシーンを描くのは結構楽しい。当時出版社に原稿持って行き帰りにグラフ誌をどっともらって帰るのが楽しみだった。SM雑誌の写真ページも参考になる。なお当時のペンネームは編集部が適当につけた池田達彦、上高地源太[この名前はいけてます。また使いたい]等。その数年後、逆にマンガが主で記事が味付けというエロマンガ誌が続々と創刊される。 *さいとうプロをやめたあと編集や知人に頼まれて数人のマンガ家の所へ手伝いに行く。秋田書店「漫画ホット」で『ジェノサイド』を連載中の峰岸とおる氏の所へ行き、仕事が終わったあとまだ売れてない頃の榊まさる氏も交え酒を飲む/川崎のぼる大先生のところへ数日だけ/3000円たこ部屋/小山ゆうオリオンププロ *当時のアルバイトは記憶によると時給150~200円位/大日本印刷市ヶ谷駐屯地/坂/ *一食100円/どんなに貧しい漫画家もみかん箱の上で書くやつはいない/TV萩原サムデイ *ろくでなし編集者 ●1 9 7 5 ~ エ ロ マ ン  ガ 誌 時 代 に 突 入   実話誌は意外とエロは抑え目で描くように口すっぱく言われていたのだが、以前活劇っぽい作品を描かせてもらってたが潰れてしまった出版社にいた児島さんが編集する「漫画ダイナマイト」で打合せも何にもなしに好きに描かせてもらい、ここでエロマンガ家としての才能[?]が開花する。描いてて実に楽しく眠る時間がもったいない位で、人に睡眠時間が必要な事を恨んだ程。出来る事なら一日中休まず描いていたい気分で完全にはまってしまう。  初の連載作品「屠殺人シリーズ」はこの頃から/『漫画ポポ』。中島史雄氏は大学時代にこの作品を見ていたとの事で、トレンチコートにドクター・ペッパー模様のサイレンサーつきマグナム銃で遊戯人・竜崎一也が犯しまくり殺しまくり、サディスト、マゾヒスト、殺人狂、まともな奴が一人も出てこない性と暴力の祭典。ちなみにタイトルページは描か��いでいい、との事でどうするのかと思っていたら編集部が中のワンカットを拡大してタイトルページを創り、1ページぶんの原稿料をけちるというせこいやり方だった。けちるといえば、原稿の1/3にCMを入れる際、原稿料を1/3削った会社もあり。 ●1 9 7 6 ~   後に発禁仲間となる高取英と出逢い、『長編コミック劇場』で「ウルフガイ」みたいのをやろうと、怒りに震えると黒豹に変身してしまう異常体質の主人公を設定し、獣姦のイメージで「性猟鬼」なるエロマンガをスタート!しかしその号で雑誌が潰れる。この路線は今でもいけそうな気がするがどんなものだろう。  この頃の珍品に「快楽痴態公園」がある。タイガースに11-0とワンサイドで打ちまくられ、怒ったジャイアンツファンのおっさんが公園でデート中の女をずこずこに犯りまくり、その間にジャイアンツは9回裏に12-11とゲームをひっくり返してしまうのである!その時のジャイアンツの監督はもちろんミスター長嶋、先発堀内、打者は柴田、土井、高田、王、張本等々がいる。タイガース監督は吉田、ピッチャー江本、キャッチャーフライを落球する田淵、そしてあの川藤もいる。解説は牧野…… ●1 9 7 7 ~   上記2作品を含む初の単行本「肉の奴隷人形」が久保書店より発行。後にリングスの会場で逢った佐竹雅昭氏はこの本が一番好きとの事だった。  「闇の淫虐師」もこの年スタート。一話完結でバレリーナ、バトンガール等々、毎回いろんな女たちをダッチワイフのごとくいたぶりまくるフェチマンガとして1979年まで続け、単行本は「堕天使女王」「裂かれた花嫁」「エロスの狂宴」「陶酔への誘い」「終りなき闇の宴」の全5巻。ちなみに今年「闇の淫虐師’97」を『コミック・ピクシィ』にて発表。いつか『闇の淫虐師・ベスト選集』でも出したいところ。 [’98に実現、’99には続刊が出る] ●1 9 7 8 ~   久保書店より第2弾の単行本「狂った微惑人形」。収録作品の「犯された白鳥」は持ち込み時代に描いた初のバレリーナもの。結構気に入っていた作品なのに、後年再録の際、印刷所の掃除のおばさんが捨ててしまい、この世にもはや存在しない不幸な子となる。[’99に宝島スピード・ブックに本より直接スキャンして収録]  エロ、グロ、ナンセンスの会心作「恍惚下着専科」を発表。サン出版より同名の単行本発行。また同出版より「コミック・ペット/堕天使画集」として今までの作品を続々単行本化。全10巻位。これは今でも古本屋で流通しているとの事で、まだまだ世間様のお役にたっているらしい。  この年、「堕天使たちの狂宴」を描いていた『漫画エロジェニカ』が発禁処分、来年でもう20年目となる事だし、当時の人たちと集まってその大放談を収録し「発禁20周年特集号」でも創ってみようかと計画中。さて当時の秘話としてもう時効だろうから書いてみるけど、前述の『堕天使画集』に「堕天使たちの狂宴」は収録される事となり、当然修正をガンガン入れて出版されるものと覚悟していたら、米国から帰国後出来上がった本を見ると発禁になった状態のまま再録されている!以下桜木編集長との会話 ダ/いや~、いい度胸してますね。 編/だって修正してあるじゃない。 ダ/その修正状態で発禁になったんですよ 編/・・・・・ ダ/・・・・ 以下どんな会話が続いたのか失念…… それにしてもサドの「悪徳の栄え」の翻訳本は発禁後20年以上して復刻されたけれど、「堕天使たちの狂宴」は半年もしない内に単行本になっていたとはエロ本業界とは何といいかげんな世界!しかし作品そのものは、今見るとリメイクする気にもならないどうという事もない可愛い作品で、結局あれもあの時代の姑息な政治のひとかけらに過ぎなかったのだろう。いい点があるとしたら一つだけ、それまでのエロマンガになかった瞳パッチリの少女マンガ的ヒロインを登場させた事位か。今の美少女エロマンガは本家の少女マンガもかくや!という位眼が大きいが当時としては画期的だったかも。 ●1 9 7 9 ~   この年の「淫花蝶の舞踏」は「堕天使たちの狂宴」よりずっといい/『漫画ソフト』。今年出た「別冊宝島/日本一のマンガを探せ!」でベスト2000のマンガがセレクトされているが、ダー松の作品の中ではこの作品が選ばれている。教師と生徒、二人の女たちが様々な男たちの手によってに次々ともてあそばれ、闇の世界を転々として再び巡り会う時、女たちは蝶と化し水平線の彼方に飛び去り、男たちは殺し合い血の海の中で屍と化す。ダー松作品にはこのように男根が女陰の海に飲み込まれてに負けるパターンが多い。[性狩人、遊戯の森の妖精、美少女たちの宴、人魚のたわむれ・・等々]  この年からスタートの「性狩人たち」シリーズ[劇画悦楽号]はバレエ、バイオレンス、SEXの三要素がうまくからみあい、それぞれが頂点まで達する幸福な神話的作品だ。ここから派生した路線も多く、美少年路線は’83の「聖少女黙示録」へ。身体障害者路線は’80の「遊戯の森の妖精」、’84からの「美姉妹肉煉獄」へと繋がる。’81の最終話「ハルマゲドンの戦い」ではせりふなしで24ページ全てが大殺戮シーンという回もあり、中でも一度やりたかった見開きで銃撃戦の擬音のみという事も実現。こんな事がエロマンガ誌で許される時代だった。ちなみにこの回は[OKコラルの決闘・100周年記念]だが、何の意味もない。単行本は最初サン出版より、その後久保書店より「白鳥の飛翔」「少女飼育篇」「ヘラクレスを撃て!」「眼球愛」「海の女神」の全5刊。現在入手出来るのは後の3刊のみ。[「海の女神」も最近在庫切れ]  この年出た「人魚のたわむれ」の表題作は性器に{たこ}を挿入するカットを見た編集長が「・・・[沈黙]・・・頭おかしいんじゃ・・ブツブツ・・気違い・・・ブツブツ・・・」と呆れてつぶやいていたのを記憶している。たこソーニューは今年出た「夜顔武闘伝」で久しぶりに再現。なおこの作品は’83にマンガと実写を噛み合せたビデオの珍品となる。水中スローモーションファックがなかなかよい。 ●1 9 8 0 ~   なぜか「JUNE」の増刊として作品集「美少女たちの宴」がサン出版より出版され、その短編集をもとに脚本化し日活で映画が創られる事となる。[「花の応援団」を当てたこの映画の企画者・成田氏は日活退社後「桜の園」等を創る。]その際、初めて映画撮影所を見学し、せこいセットがスクリーン上ではきちんとした絵になってるのを見て映画のマジックに感心。タイトルはなぜか「性狩人」で、’96にビデオ化された。監督・池田敏春のデビュー第2作となり現在までコンスタントに作品を発表しているが、出来のいい作品も多いのになぜか代表作がない。初期の「人魚伝説」が一番いいか。  この映画に合わせて「美少女たちの宴」を2~3回のつもりで「漫画ラブラブ」で描き出すがどんどん話がふくらみ、おまけに描いてる出版社が潰れたり、雑誌が潰れたりで雑誌を転々とし条例による警告の嵐がきた「漫画大飯店」を経て、「漫画ハンター」誌上で完結したのは’83になる。この作品でクリトリスを手術してペニスのように巨大化させるという人体改造ものを初めて描く。  この年の「遊戯の森の妖精」は身体障害者いじめ鬼畜路線の第2弾!森の中の別荘に乱入したろくでなしの二人組が精薄の少女の両親達を虐殺し、暴行の限りをつくすむちゃ��ちゃな作品で、雷鳴の中、少女の性器に男達のペニスが2本同時に挿入されるシーンは圧巻!しかしこのとんでもない男達も少女の性のエネルギーに飲み込まれ、朽ち果てていく・・・。 ●1 9 8 1 ~   美少女マンガ誌のはしり「レモン・ピープル」誌創刊。そこで描いたのが「白鳥の湖」。虚構の世界のヒロインを犯すというコンセプトは、アニメやゲームのヒロインをずこずこにするという今の同人誌のコンセプトと同じかも。バレエ「白鳥の湖」において悪魔に捕われたオデット姫が白鳥の姿に変えられる前に何にもされてない筈がないというモチーフにより生まれたこの作品は、悪魔に男根を植えつけられたヒロインが命じられるままに次々と妖精を犯して歩き悪魔の娘となるまでを描くが、あまり成功したとは言えない。ただ人形サイズの妖精をしゃぶりまくり淫核で犯すアイデアは他に「少女破壊幻想」で一回やっただけなのでそろそろもう一度やってみたいところ。「ダーティ松本の白雪姫」はその逆をいき、犯す方を小さくした作品で7人の小人が白雪姫の性器の中にはいり、しゃぶったり、処女膜を食べたり、と乱暴狼藉![ちなみに両者をでかくしたのが同人誌「FUCK YOU!3」の「ゴジラVSジュピター」]この童話シリーズは意外と好評で続いて「ダーティ松本の赤い靴」を上記の単行本に描き下ろして収録。童話は結構残酷なものが多く、この作品も切られた足だけが荒野を踊りながら去って行くラストは原作通り。 *近年童話ブームだがこの頃もっと描いておけば「こんなに危ない童話」として刊行出来たのにとくやまれる。 「2001年快楽の旅」もこの本に収録。快楽マシーンを逆にレイプしてしまう、珍しく映画「2001年宇宙の旅」風のSF作品。  掲載誌を決めずに出来る限り多くのマンガ誌で描こうというコンセプトで始めたのがこの年スタートした「怪人サドラン博士」シリーズ。「不死蝶」シリーズや「美少女たちの宴」シリーズの中にも乱入し、「漫画ハンター」最終号では地球をぶっ壊して[その際地球は絶頂の喘ぎ声をあげ昇天する!]他の惑星へ行ってしまう。今のところ10誌位に登場。いつかこのサドラン・シリーズだけ集めて単行本化したいところ。ちなみに「サド」と「乱歩」を足して「サドラン博士」と命名。作者の分身と言っていい。 [後年、「魔界の怪人」として全作品を収録して刊行、04年現在品切れ中]  この年描いて’82の単行本『妖精たちの宴』に収録の「とけていく・・」はレズの女たちが愛戯の果てに、肉体が溶けて一匹の軟体動物と化す、タイトルも内容も奇妙な作品。作者の頭もとけていた? ●1 9 8 2 ~ 1 9 8 3   ’83年に「美少女たちの宴」が完結。全てが無に帰すラストのページは真っ白のままで、このページの原稿料はいりません、と言ったにもかかわらず払ってくれた久保書店、偉い![明文社やCM頁の稿料を削った出版社=某少年画報社なら払わなかっただろうな……と思われる……]この作品以外は短編が多く、加速度をつけてのっていく描き方が得意のダー松としてはのりの悪い時期に突入。また10年近く走ってきてだれてきた頃でもあり第一次落ち込み期と言っていい。マンガがスタンプを押すように描けないものか、などとふとどきな考えまで湧いてくる。思えば一本の作品には、いったい何本の線を引いて出来上がっているものなのか。数えた馬鹿はいないだろうが数千本は引いている筈。一ヵ月に何万本とペンで線を引く日々・・うんざりする筈です。  この頃のめぼしい短編をいくつか書くと、少女マンガ家の家に税務調査にきた税務署員が過小申告をネタにねちねちいたぶるが、アシスタントに発見された署員は撲殺される。そして板橋税務署は焼き討ちにあう、といった作品「[タイトル失念]xx税務調査」。[後日読者よりこのタイトルを「色欲ダニ野郎」と教えていただく。ひどいタイトル *編集者のつけるタイトルはその人のセンスが実によくわかる。しかしサイテ-の題だなこりゃ…。 果てるまで「おまんこして!」と言わせながら処女をやりまくる「美処女/犯す!」はラスト、狂った少女が歩行者天国の通行人を撃ちまくり血の海にする。「嬲る!」はパンチドランカーとなった矢吹ジョーが白木葉子をサンドバッグに縛りつけ、殴って、殴って、殴りまくる。段平おっちゃんの最後のセリフ「・・ブスブスくすぶっちゃいるが・・・」「打てッ!打つんだ!ジョー!」「お前はまだ燃えつきちゃいねえ!」とはエロ・ドランカーの自分自身に向けて発した言葉だったのかも。トビー・フーパーばりの「淫魔のはらわた」は電気ドリルでアナルを広げてのファック!とどめにチェーンソーで尻を切断!いまだに単行本に収録出来ず。[’98の「絶頂伝説」にやっと収録]「からみあい」は夫の愛人の性器を噛みちぎる。「危険な関係」はアルコール浣腸をして火をつけ尻から火を吹かせる。この手は『FUCK YOU!2』の「セーラー・ハルマゲドン」で復元。そういえばこの作品の序章と終章だけ描いて、間の100章位をとばすやりかたはこの頃の「禁断の性獣」より。女性器にとりつき、男性器に変身するエイリアンの侵略により地球は女性器を失い滅亡する、といったストーリーで当時聞いた話では谷山浩子のD.J.でこの作品がリスナーの投書でとりあげられ、ダー松の名はダーティ・杉本と読まれたそうな。ヒロインの少女がひろ子という名前なのでこのハガキが選ばれたのかもしれないが、作者は薬師丸ひろ子からとったつもりだったのだが・・。[別にファンではない。] 「女教師狩り」は映画館で観客に犯される女教師とスクリーン上の同名のエロ映画の二本が同時進行し、一本で二本分楽しめるお得な作品。 ’83は’80に「漫画エロス」にて描いた「エロスの乱反射」の最終回の原稿が紛失したため単行本が出せないでいたのを、またまた「仏の久保さん」に頼んでラスト近くをふくらませて「漫画ハンター」に3回程描かせてもらい、やっと’85に出版。見られる事に快感を覚えるファッション・モデルが調教される内に、次第に露出狂となっていき、街中で突然裸になって交通事故を起こさせたり、最後はビルの屋上でストリップショー。そしてカメラのフラッシュの中に飛び降りていき、ラスト1ページはその性器のアップでエンド!  本格美少年・ゲイ・マンガ「聖少女黙示録」も’83。レズの姉たちの手によって女装に目覚めた少年がホモのダンサーたちに縛られなぶられ初のポコチンこすり合いの射精シーン。そして性転換して女となった主いるが、その中の’84の「白い肌の湖」はタイトルで解る通りのバレリーナものだがポコチンを焼かれた男が、一緒に暮ら人公が手術で男になった少女と暮らすハッピーエンド。この作品は単行本「美少女ハンター」に収録されてす二人の女と一人の男に復讐するエンディングがすごい!まず男の性器を切り取り、片方の女の性器にねじ込んだあと、その女の性器ごとえぐり取る。そしてその二つの性器をつかんだまま、もう一人の女の性器にフィストファック!のあげく、その二つの性器を入れたままの女性器をナイフでまた切って、ほとんどビックマック状態でまだヒクヒクうごめく血まみれの三つの性器を握りしめるとんでもない終り方!全くダー松はこんな事ばかりやっていたのかとあきれかえる。もう鬼畜としか言い様がない!しかし「ウィンナー」を二枚の「ハム」で包むなんて・・GOODなアイデアだ、又やってみよう。 ●1 9 8 4 ~   「漫画ハンター」で「闇の宴」前後篇を描き、後日これをビデオ化。雪に包まれた六本木のスタジオで痔に苦しみながらの撮影。特別出演として中島史雄氏が絶妙の指使い、東デの学生時代の萩原一至が二役、取材に来たJITAN氏もスタジオに入ってきた瞬間、即出演で生玉子1000個の海で大乱交。カメラマンが凝り性で照明が気に入るまでカメラを廻さず、たった二日の撮影はやりたい事の半分も出来ず。撮影が終ると痔はすぐに完治。どうもプレッシャーからくる神経性だったみたいでこれに懲りてビデオは一本のみ。 この年の「肉の漂流」は親子丼もので、近所の書店のオヤジからこの本はよく売れたと聞いたが、一時よく描いたこのパターンは最近では「FUCK YOU!3」の「母娘シャワー」のみ。熟女と少女の両方が描けるところが利点。「血の舞踏」は久しぶりの吸血鬼もの。股間を針で刺し、噛んで血を吸うシーン等々いい場面はあるが、うまくストーリーが転がらず3回で止める。短編「果てるまで・・」は核戦争後のシェルターの中で、父が娘とタイトル通り果てるまでやりまくる話。被爆していた父が死んだ後、娘はSEXの相手を捜して黒い雨の中をさまよう。  またリサ・ライオンの写真集を見て筋肉美に目覚め、マッチョ女ものをこの頃から描き出す。しかしなかなか筋肉をエロティックに描くのは難しい。 ●1 9 8 5 ~   くたびれ果ててすっかりダレてきたこの頃、8年間働いてくれたアシスタント女史に代わってパワーのかたまり萩原一至、鶴田洋久等が東京デザイナー学院卒業後加わってダーティ・マーケットも第2期に突入!新旧取り混ぜておもしろいマンガをいろいろ教えて貰って読みまくる。「バリバリ伝説」「ビーバップハイスクール」「ペリカンロード」「めぞん一刻」「わたしは真悟」「Be Free!」「緑山高校」「日出処の天子」「吉祥天女」「純情クレイジー・フルーツ」「アクター」「北斗の拳」「炎の転校生」「アイドルをさがせ」「綿の国星」「いつもポケットにショパン」「バツ&テリー」「六三四の剣」永井豪の絶頂期の作品「バイオレンス・ジャック」「凄之王」「デビルマン」等々100冊以上とても書ききれない位で、う~ん・・マンガってこんなにおもしろかったのか、と感動! そこで眠狂四郎を学園にほうり込んで、今まで���まり描かなかった学園マンガをエロマンガに、というコンセプトで始めたのが「斬姦狂死郎」。「六三四の剣」ばりに単行本20巻を目指すものの、少年マンガのノリは今では当たり前だが、当時はまだエロマンガとして評価されず、ほんの少し時代が早すぎたかも。’86に中断、今年’97に「ホリディ・コミック」にて復活!果たしていつまで続けられるか? →後に「斬姦狂死郎・制服狩り」、「斬姦狂死郎・美教師狩り」として刊行完結  前年末から始めた「美姉妹肉煉獄」は身障者いじめの鬼畜路線。盲目の姉とその妹を調教して性風俗店等で働かせ、娼婦に堕していく不健全・不道徳な作品で、肉の快楽にひたっていく盲目の姉に対し妹も「春琴抄」の如く己の眼を突き、自らも暗黒の快楽の世界にはいり、快楽の光に目覚めるラスト。 また、これからは女王様物だ!となぜか突然ひらめき「筋肉女」シリーズの延長としてフィットネス・スタジオを舞台に「メタル・クイーン」シリーズも開始。これは単行本2冊分描いたが、連載途中でヒロインの髪型を歌手ステファニーのヘア・スタイルにチェンジしたり、レオタードもたっぷり描けてわりと気に入っている。  10年近く描いた「美蝶」先生シリーズもこの年スタート!こうしてみるとマンガを描く喜びに満ちた大充実の年だったかも。 ●1 9 8 6 ~   この年は前年からの連載ものがほとんどだが、「エレクト・ボーイ」は空中でファックするシーンが描いてみたくて始めた初の超能力エロマンガ。コメディ的要素がうまくいかず2回で止める。この路線は翌年の「堕天使輪舞」で開花。  「夜の彷徨人」は自分の育てた新体操選手が怪我で選手生命を失ったため、その女を馬肉のごとく娼婦として夜の世界に売り渡した主人公という設定。しかし腕を折られ、女にも逆に捨てられ、そして事故によってその女を失ったあげく不能となってしまう。失った快楽を取り戻すため無くした片腕にバイブレーターを取りつけ、夜の街をさすらい次々と女たちをレイプしていくというストーリー。がっちり設定したキャラだったのにまったく話がはずまず、男のポコチンは勃起しないままに作品も不発のまま終る。  「斬姦狂死郎」が不本意のまま終わったため学園エロス・シリーズは「放課後の媚娼女」へと引き継がれる。当時見ていた南野陽子のTV「スケバン刑事・」とS・レオーネの「ウエスタン」風に料理。ラストの「男といっしょじゃ歩けないんだ」のセリフは一番好きな映画、鈴木清順の「東京流れ者」からのもじり。単行本は最初司書房から出て、数年後ミリオン出版から再販、そして’97久保書店より再々販ながら結構売れて今年また再版。この作品は親を助けてくれる有難い孝行息子といったところ。 ●1 9 8 7 ~   さいとうプロOBで那珂川尚という名のマンガ家だった友人の津田が「漫画ダイナマイト」の編集者になっていて、実に久しぶりに同誌で「堕天使輪舞」を描く。超能力エロマンガの第2弾。今回はエロと超能力合戦とがうまくミックスされ一応成功といっていい。この路線は「エレクト・ボーイ」とこの作品、そして’96の「夜顔武闘伝」も含めてもいいかも。一時、この手の作品は数多くあったが最近はめったに見かけない。しかし、まだまだこの路線には鉱脈が眠っているとにらんでいるがどんなものだろう。 ●1 9 8 8 ~   「放課後の媚��女」に続いて抜かずの凶一無頼控え「放課後の熱い祭り」を2年がかりで描く。’89に完結し司書房より単行本化。そして今年’97に改定してめでたく完全版として復刊!この頃が一番劇画っぽい絵で、たった2~3人のスタッフでよくこれだけ描き込めたなと改めて感心!エロシーンがちょっと少なめながら中島史雄氏がダー松作品でこの作品が一番好き、とお褒めの言葉を頂戴する。  TVで三流アマゾネス映画を見ている内、むくむくとイメージがふくらみ、昔から描きたかった西部劇と時代劇がこれで描けると、この年スタートさせたのが「不死蝶伝説」なるアマゾネス路線。昔々青年誌の創世期にあのケン月影氏がマカロニ・ウエスタンを描いていたことを知る人は少ないだろう。俺もあの頃デビューしていたらウエスタンが描けたのに、と思う事もあったが、このシリーズでほんの少しだけその願望がかなう。  この頃、アシスタントやってくれてた格闘技マニアの鶴田洋久に誘われ、近所の空手道場通いの日々。若い頃修行のため新宿でやくざに喧嘩を売って歩いたという寺内師範は、もう鬼のような人で、行けば地獄が待っていると判っててなぜ行く?と不思議な位休まず通う。体育会系はマゾの世界と知る。組手は寸止めではなく顔面以外は当てて可だったので身体中打撲のあざだらけ、ビデオで研究したという鶴田の体重をかけたムエタイ式の蹴りをくらい、右手が饅頭のように腫れ上がる。先輩たちの組手の試合も蹴りがもろにはいってあばら骨が折れたりで、なぜこんなヘビーな事をする?と思うが、闘う事によって身体の奥から何か沸き上がってくるものがある。スリランカの元コマンドと組手をやった時、格闘家の気持ちが少しだけ判るようになった。 ●1 9 8 9 ~   ’94まで続く「美蝶」シリーズでこの年は『ノスフェラトウ篇』を描き、シリーズ中これが一番のお気に入り。同人誌の「王夢」はこれが原点。  短編では「悪夢の中へ」はスプラッタ・エロマンガで久しぶりにチェーンソゥでお尻のぶった切り!はらわた引きずり出し、人肉食いちぎり!顔面叩き割り等々でラストに「ホラービデオの規制をするバカは俺が許さん!」などと書いているので、この年が宮崎事件の年か?世間は彼が日野日出志・作のホラービデオ「ギニーピッグ」を見てあの犯罪をおかした、としてさんざんホラービデオの規制をやっといて、結局見てもいなかったとわかったあとは誰一人日野日出志氏にもホラービデオさんにも謝らす゛知らんぷり。残ったのは規制だけで、馬鹿のやる事には全く困ったもんである。先日の「酒鬼薔薇・14才」の時も犯罪おたくの心理学者が、「これはマンガやビデオの影響です。」などと相も変わらずたわけた寝言をぬかしていたが、馬鹿はいつまでたっても馬鹿のまま。少しは進歩しろよ!お前だよ、お前!短絡的で幼稚な坊や、小田晋!よぅく首を洗っとけ!コラ!  「獣人たちの儀式」は退学者や少年院送りになつた生徒、暴走族、ヤクザ達が集まって酒盛りしながら女教師たちをずこずこにしてOB会をひらく不健全作品。編集長が「また危ない作品を・・・」とこぼしたものだが、岡野さん、田舎で元気にお過しでしょうか。この頃の「漫画エロス」には「ケンペーくん」だとか「アリスのお茶会」だとかおもしろい作品が載っていたものです。「爆走遊戯」は伝説のストーカー・ろくでなしマンガ家の早見純が一番好きな作品と言ってくれたが、なぜだかわからない。人の好みはいろいろです。以上3本は単行本「熱き唇の女神」に収録。 「ふしだらな女獣たち」はフェミニストの女二人が美少年をいじめる話。これは「氷の部屋の女」に収録。 ●1 9 9 0 ~   この年の「美蝶」シリーズは『ダンシング・クイーン篇』。マネキン工場跡でJ・ブラウンの「セックス・マシーン」にのせて5人プレイをするシーンや文化祭でのダンスシーン等々結構好きな場面多し。暗くて硬い作品が多いので、この「美蝶」シリーズは肩肘張らずに、かなり軽いノリでキャラクターの動きに任せて、ストーリーも、そして次のコマさえも先の事は何にも考えず、ほとんどアドリブで描いた時もある。  「不死蝶伝説」に続いてシリーズ第2弾「不死蝶」は2誌にまたがって2年位続ける。これも結構お気に入りの一遍。 ●1 9 9 1 ~ 1 9 9 3   「性狩人たち」の近未来版、といった感じの「夜戦士」は学園物が多くなったので、マグナム銃で脳天をぶっとばすようなものが又描きたくなって始めたミニシリーズ。全5話位。松文館より単行本「黒い夜と夢魔の闇」に収録。  この年から知り合いの編集者がレディス・コミックを始める人が多く、依頼されてどうしたものかと思ったが、エロなら何でもやってみよう精神と何か新しい世界が開けるかも、という事から’94位までやってみたものの結果的に不毛の時代に終わる。与えられた素材が体験告白物という事で、非現実的なものは描けないという事は得意技を封印して戦うようなもので苦戦を強いられ、これって内山亜紀氏がやまさき十三原作の人情話を描いたようなミス・マッチングで不発だったかな。今後、もしやることがあれば美少年SMのレディス・コミックのみ。そんな雑誌が出来れば、の話だが。  いくつかやったレディコミの編集の一人「アイリス」の鈴木さんは同じさいとうプロOBで、マンガ・アシスタント、マンガ家、マンガ誌の編集、そして今はマンガ学校の講師、とこれだけ多くのマンガに関わる仕事をしてきた人はあまりいないだろう。これでマンガ評論でもやれば全て制覇だが・・・。  この頃はいつもと同じ位の30~40本の作品を毎年描いていたが、レディコミは一本30~40枚とページが多く結構身体にガタがきた頃で、右手のひじが腱傷炎になり1年以上苦痛が続く。医者通いではさっぱり痛みがひかず、電気針で針灸治療を半年位続けてやっと完治。その後、住んでいたマンションの理事長を押しつけられ、マンション戦争の渦中に巻き込まれひどい目にあう。攻撃するのは楽だが、話をまとめるなどというのは社会生活不適格のダー松には大の苦手で「お前等!わがままばかり言うのはいいかげんにしろー!」と頭をカチ割りたくなるような事ばかりで、ひたすら我慢の日々で血圧がガンガン上がり、病院通いの日々。確実に寿命が5年は縮まる。あの時はマジで人に殺意を抱いたものだが、今でも金属バット持って押しかけて奴等の脳みそをクラッシュしたい気分になる時もある。いつかこの時の事をマンガにしようと思っていて、まだ誰も描いてない「マンション・マンガ」というジャンル、タイトルは「我が闘争」。え?誰も読みたくない?  この間に出た単行本は「血を吸う夜」、「赤い月の化身」「熱き唇の女神」[以上・久保書店] /「牝猫の花園」「真夜中の人魚たち」[以上久保書店]、「美蝶/放課後篇」「美蝶/ダンシング・クイーン篇」「不死蝶/鋼鉄の女王篇・上巻」[以上ミリオン出版]。 ●1 9 9 4 ~ 1 9 9 5   ろくでもない事が続くのは厄払いをしなかったせいか、このままここにいたら頭がおかしくなる、と15年以上いたマンションから引っ越し。板橋から巣鴨へ移動し気分一新!以前からうちもやりましょうよ、と言われていた同人誌創りをそのうち、そのうちと伸ばしてきたものの遂に申し込んでしまい、創らざるをえなくなる。しかもそれが引っ越しの時期と重なってしまい大いに後悔する。しかしいろんな人にお願いして何とか一冊でっちあげ、ムシ風呂のような夏コミに初参加。これが運命の分岐点。レディコミもこの年で切り上げ、以下同人街道をまっしぐら。現在まで「FUCK OFF!」が9まで、「FUCK YOU!」が4まで計10+&冊創る。  ’95からダーティ松本の名前にも飽きてきたしJr,Sam名でも描き始める。 レディコミ時代は松本美蝶。あと2つ位違うペンネームも考案中。  この間の単行本「氷の部屋の女」「双子座の戯れ」[久保書店]、「黒い夜と夢魔の闇」[松文館]、「危険な女教師/美蝶」[ミリオン] ●1 9 9 6 ~   美少女路線の絵柄もこの年の「夜顔武闘伝」あたりでほぼ完成、今後また少し変化させる予定。しかしこの作品は超能力、アマゾネス、忍法エロマンガとでも呼ぶべきか。「グラップラー刃牙」みたいに闘技場での勝ち抜き性武道合戦までいきたかったけれど、残念ながらたどり着けず。  「冬の堕天使」は久しぶりの吸血鬼もの。都営住宅で生活保護をうけている吸血鬼母子のイメージが浮かび、そこから漫画家協会・加藤芳郎を撃つ有害図書騒動のマンガへ。吸血鬼少年が光の世界との戦いに旅立つまでを描き、「闇に潜みし者」は時空を越えて近未来での戦い。その間を描く作品を今後創らなければ。  「FUCK CITY 2006」はクソ溜めと化した近未来のTOKYOを舞台に久しぶりにダーティ・バイオレンスが炸裂!ハード・エロ劇画と同人誌風・美少女路線の合体は果たしてうまくいったかどうか?30ページほど描き足して、’97、9月にフランス書院のコミック文庫にて発売。[「少女水中花」]  「放課後の媚娼女」と「人形愛」刊行。[いずれも久保書店刊]前者は以前、上下巻だったのを一冊にまとめて。後者は近作を集めた同人時代を経ての初単行本で、同人誌を知らなかった読者はショックを受ける。メタルフアンから以下のようなお手紙を受け取る。「これはジューダス・プリーストの『ターボ』だ。ラストの『眠れる森の少女』は『レックレス』にあたる。しかしジューダスもその後『ラム・イット・ダウン』や『ペイン・キラー』という傑作を世に出した事だし、今後を期待したい」という意のダー松のようなメタルファン以外は意味不明の激励をうける。 ●1 9 9 7   同人誌「エロス大百科シリーズ」スタート!いろんな項目別に年2刊づつ計100ページ位を別刊シリーズとして出し続ければ10年で1000ページになり、以前「谷岡ヤスジ1000ページ」という枕に最適の本があったが、これも一冊にまとめて枕にして寝れば、目覚める頃は3回夢精しているなんて事に・・・などとまだたった40ページの段階で言っても何の説得力もないか。飽きたら2~3号でSTOPするだろうし・・。[推測通り「毛剃り」「美少年SM」「女装」3号でストップ中]冬にはやおい系にも進出の予定。  今年出した単行本は厚くて濃いエロマンガを集めた久保書店MAXシリーズ第2弾!「放課後の熱い祭り/完全版」と「夜顔武闘伝」オークラ出版。ともに大幅描き足して25周年記念出版として刊行。ティーツー出版よりJr,Sam名で「昼下がりの少女」、9月にはフランス書院より「少女水中花」の文庫本が出る予定で現在、この同人誌と並行して描き足し中。「斬姦狂死郎」第2部も「ホリディ・COMIC」誌にて6月よりスタート!年内創刊予定の『腐肉クラブ』なる死体姦専門のマンガ誌にも執筆予定。  さてさて25年間、旅行の時を除いて、現在まで2日続けてマンガを描かなかった事はほとんどない。これはその昔、伊東元気氏というマンガ家とお会いしたとき「今月何ページ描いた?」との問いに、「今月仕事ないんでぜんぜん描いてません」と答えたら、「そんな事じゃ駄目だ。仕事があろうがなかろうが、毎月100頁は描かなきゃ。」と言われ、以後その教えを守り[描けるページ数は減ったが]、マンガは仕事ではなくなり、朝起きたら顔を洗うのと同じで生活そのものとなり現在に至る。  今は何でも描けそうなハイな状態で、以前はたまには外出しないと煮詰まってしまうので週いち位ガス抜きをしていたものだが、最近はせいぜい月いち休めば十分の「純エロマンガ体」。[純粋にエロマンガを描くためだけの肉体、の意。ダー松の造語]  こうしてふり返ると、この路線はまだえぐり足りない、これはあと数回描くべし、なぜこれを一度しか描かない!等々、残り時間にやるべき事、やりたい事の何と多い事! 爆裂昇天のその日まで・・・      燃 え よ ペ ン !  なお続きは 1997年後期 1998年 INDEX
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kidouraku-mnri · 5 years ago
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短歌の場でたのしく安全に過ごすために
※2019年11月28日にnoteに投稿したものです
私が学生短歌会にいたときから歌会や懇親会などの短歌の場におけるハラスメント行為や迷惑行為については耳にすることがあり、会員にはメーリングリストを使って注意喚起のメールを毎年流すなどしていたのですが、学生短歌会など限られた範囲だけでやっていても効果は限定的だなと思ったので、当時私が流したメールの文面をさらに詳しく補完しながらこの記事にまとめたいと思います。 章立ては以下の通り。
1.誰かを加害しないために
2.被害に遭わせないために
3.被害に遭わないために
4.被害に遭ったら
5.被害/加害の場に居合わせたら
6.被害に遭った人から相談を受けたら
1.誰かを加害しないために
加害を減らしなくしていかなければ根本的解決にはならないし、いちばん改めるべきはここなのでまずはこの話をします。
第一歩としては加害についてよく知ることです。性別や年齢などを問わず、すべての人が加害者になりえます。個々人が当事者意識を持ってどのようなものが加害となりうるかよく勉強し日頃からつねに意識することで、加害を減らすことができます。短歌の集まりはたのしい趣味の集まりかもしれませんが、その集まりも一般社会のなかで行っている以上、パワハラ・セクハラや迷惑行為が許されないのは当然のことです。「世間ではダメだけど短歌の場ではオッケー」ということはまったくないので、つねに加害行為をしないよう意識することが必要です。
主な加害行為としてはジェンダーやセクシュアリティ、年齢、職業、外見などなどを理由に差別的言動をしたり(たとえ貶めていなくても言及すること自体がハラスメントになる場合もあります)、師弟関係や先輩後輩関係などの力関係を背景に相手をその意思に反して思い通りに扱うまたは不利益に取り扱ったり(合意を得たと思っていても相手は権力関係や上下関係に気圧されて断れないだけかもしれません)、しつこく連絡をしたり(上の立場の人からの連絡が来ているときその流れを自分から切ることはしづらいです)……などなどが挙げられます。また、歌会や歌会後の集まりでよくありますが、歌についてのコメントと見せかけて作者のプライベートな部分に入り込もうとするのも、親しい相手ならば許される場合もあるかもしれませんが原則やめるべきだと思います。
相手との関係性やシチュエーションによって許容ラインについて多少変動する部分はあるかもしれませんが「自分ならいいだろう」「これぐらいならいいだろう」というよりも「これはもしかして不適切なのでは」「相手を侮って甘えていないか」などと慎重に考えた方がよいですし、立場関係なく対等な人間として相手に敬意を持ち、相手の意思を尊重するというのがなによりも優先されるべきことだと思います。価値観が人それぞれ違う以上、たとえ悪気がなかったとしても人を加害してしまうことはありえます。つねに自分の行動を客観視して省みるとともに、どのような行為が加害となりうるか勉強することが必要です。 また、"幸運にも"誰かから自分の言動が不適切だと指摘を受けたのなら、よくその指摘をきいて理解するよう努め、自分でもどこが問題だったのか考えて実際に改めていくことが重要です。
2.被害に遭わせないために
主催者や運営者の負担が増える上に個人の善意だけに寄りかかった話なので最善策ではないのですが、学生短歌会や歌会・結社・同人などを組織運営している場合、その組織内や組織外で参加者や所属会員が被害に遭わないためになんらかの手段を講じた方がよい場合があります。例としては「学生短歌会の歌会に外部の人間が無制限に入ってこられないように参加基準を作る」「参加者募集時、歌会の具体的な開催場所(駅名や建物名など)は非公開とする」「歌会開始前にハラスメント行為や迷惑行為への注意喚起をし、ルールを共有する」「歌会や懇親会時の席順に配慮する」「相談しやすい空気を作る」などが挙げられます。
また、主催者運営者だけでなく、その場に居合わせている参加者や会員も、よく周囲に目を配り、なにか不適切な言動があればすぐに指摘するなど、被害が発生しない環境づくりに協力することが必要です。
3.被害に遭わないために
「被害に遭う人が悪いのではなく加害する方が悪いのに、被害に遭う側が頑張っていろいろと対策を講じなければならない」という構造は嫌いなのであまりこういう話はしたくないのですが、現状安全のためにはせざるをえない話なのでします。
歌会をはじめとする短歌の場では知らない人と直接会うということが多々あり、また、Twitterをやっているなどネット上で短歌をやっている人同士が繋がっている場合も少なくないため、思わぬ危険やトラブルに巻き込まれてしまうこともあります。 そうならないためには「自分は大丈夫」「〇〇さん相手なら大丈夫」などと油断せず、当事者意識を持って慎重に行動することが大事です。すべての人が加害者になりえるのと同様に、性別や年齢などを問わず、すべての人が被害者にもなりえます。以下に主な対策を挙げますが、他にもとれる対策がないか自分なりに考えておくとよいと思います。ただ、なんら対策をとっていなかったからといって被害に遭っても仕方ないなどということはありません。いつでもどんなときでも加害してくる方が悪いです。
①出向く場所を選ぶ
信頼できる人が主催している歌会に行く、日頃からよく知っている人と一緒に参加する、他の人にどのような集まりかきいてみてから参加するか決める、事前に参加者を教えてもらえないか主催にきいてみてから決める…… などなどの方法があります。特に短歌を始めて間もない知り合いが少ない時期はいろいろな人と交流したくなりがちですが、よく知らない人たちのなかで危険を察知して適切に対処するのは難しいため、慎重に交流を深めていくのがよいでしょう。また、よく知らない相手(これは著名であるかどうかに関わらず、自分と親しくない相手という意味です)と二人きりになるようなことも避けましょう。
②プライベートな質問には答えない
連絡先や住所、その他のプライベートな質問を訊かれてもむやみに答えるのはやめましょう。相手の立場に関わらず(答えたくないな……)と思ったら答えなくてよいです。「そういう質問には答えたくないです」「そういう質問には答えないことにしています」「教えられません」などと言っているにも関わらずしつこく訊いてきたり、断ったことで不利益に取り扱ってきたりする相手はそもそも人格的に問題があるので関わらなくてよいです。普通なら「訊いちゃってごめんなさい」などと返すべきところです。
あとで情報を開示したくなったらいつでもそうできますが、あとになって(やっぱり教えなければよかった……)などと思っても取り返しがつかないので、自分についての情報は慎重に開示すべきか・開示するとして誰にどこまで開示してもよいかを検討しましょう。
③相談できる人を見つける
短歌会の先輩や同期、同じ結社や同人の仲間、何度も歌会などでお会いして親しくなった人などなどから信頼できる人を見つけ、なにかあれば相談できるようにしておきましょう。「ここの歌会行きたいんだけどどう思う?」「今度この人と会うんだけどどんな人?」などを気軽に相談できる相手を見つけておくと安心できます。「これくらいのことで……」と思っても傍から見たらぜんぜん"これくらいのこと"ではない場合もあるので、自分が相談したいと思ったならためらわずに相談できる環境を作っておくとよいです。相談したいことがあるけどどうしてもそのような信頼できる人が見つけられない場合は、Twitterで質問を投げるなどしてもよいですが、その場合複数人の意見をしっかり検討し吟味しましょう。
4.被害に遭ったら
とても悲しく残念なことに、どんなに対策を講じていても被害に遭うことはあります。落ち込み、自分を責めてしまう気持ちが湧いてくるかもしれませんが、まずは「被害に遭ったのは自分の落ち度ではない、加害してきた方が悪い」という根本に立ち戻り、自分がすこしでも楽に過ごせるようにしてください。対処するのはそのあとです。相談したいなと思えば誰か信頼できる人(短歌の先輩・同期、歌会主催者、カウンセラーなどなど)に相談すればよいし、誰にも言いたくなければ言わなくてよいです。なによりも自分が大事なので自分がしたいようにしてください。深刻度によっては警察や弁護士に相談することも必要かもしれません。なるべく周囲の助けを得ながらできる範囲で無理せず対処しましょう。
5.被害/加害の場に居合わせたら
歌会や懇親会の場で被害や加害の場に居合わせてしまうこともあるかもしれません。ひとりひとりの善意に寄りかかり負担を増やすことにはなってしまうかもしれませんが、その場合は「加害は許さない」と示しそれを場で共有すること、「被害者の味方でありその人を守る」という空気を作ることが大事です。例えば不適切な言動があればそれを指摘したり、被害者を気遣いなるべく一緒にいるようにして加害者を近づけないようにしたりといったことが挙げられます。そうすることで加害者に自らの行動を省みさせることができ、またルールを共有することができるので加害を減らせますし、被害者を安心させることができます。難しかったり勇気が必要だったりするかもしれませんが、個々人がそのような意識を持てば協力して対処することが可能になり、より有効な手立てをより容易に講じることができます。
6.被害に遭った人から相談を受けたら
まずは「その人が自分を信頼して打ち明けてくれた」ということを自覚���ましょう。その人は「あなただから」話したのです。親しい人相手でも他の人に相談内容を漏らすことのないようにしましょう。相談内容を漏らすことで、被害者が二次被害を受けることも考えられます。また「被害に遭ったのはあなたにも原因があるのでは」「あの人がそんなことする訳ない」などと、相手をさらに傷つけるようなことは絶対に言わないようにしましょう。ただ、自分ひとりで対処するのは負担が大きかったり手に余ったりすることもあるかもしれません。その場合はカウンセラーや医師、弁護士など専門家の力も借りるよう本人に助言したり、本人の同意を得てから他の人(先輩や結社や同人の主宰など)とも情報を共有して協力して対処したりして、無理しすぎないようにしてください。
短歌に関わるすべての人が安心してたのしく活動できる場となるよう祈りつつ、私も行動していくつもりですのでよろしくお願いします。
以下2019/11/28 17:58追加
☆全体としてやっていくべきこと
短歌の世界は狭い身内のコミュニティという面が強いからなのか、性善説で動いている部分が多いなとは前から感じていて、なにか起こってしまったときには脆いかもなと思っています。なにかあったときのためのしくみがちゃんと整備されているということがあまりなくて、ほとんど個人の善意に頼っている状況です。そうすると悪意を持った人間は容易くそのコミュニティの内部に入って崩壊させることができてしまうし、よい対処ができるかどうかが個々人の倫理観とか手腕にかかっているので半分運頼みのようになるし、対処する人たちの負担が重いから動きにくくなってしまいます。性善説で個人の善意に頼るのではなく、しっかりしたしくみ作りをした方がよいのではないかと思っています。
あと短歌の世界が性善説で動いてるなと思うのは、AさんがBさんに話したパーソナルなこと(学歴とか勤務先とか家族のこととか)を、Bさんが他の人もいる場で話題に出すみたいな場面に出くわすときです。私もされたことあるのですが、「えっそれAさんはBさんだから話したのでは?他の人にも言っていいという意味合いで話したのではないんじゃ?」と思うし、あずかり知らぬところで勝手にいろいろ話されると自分についての情報のコントロールが難しくなるだろうから、他の人にはあまり話すべきではないと思います。私個人としては「Twitterの公開アカウントなどで本人が出している情報以外は話に出すべきでない」というのがまあ妥当かなと思ってそうしています。
いろいろなことが起こりうる以上、それぞれが一度性善説で動いている現状を考え直してみる必要があると思います。
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nuthmique · 11 years ago
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構成・演出
額田大志 Masashi Nukata 作曲家、演出家。1992年東京都出身。 幼少期より、母親の影響でリトミックを始める。中学二年生の頃、友人の影響でロックバンド『UNICORN』にのめり込みバンド活動を開始。20歳までは主にドラムを演奏。高校時代に作曲、編曲の面白さに気付き、朝まで打ち込みをしては授業中に寝るという生活を送ったため、成績が学年で下から二番目になる。一般大学への道のりは絶望的だったが、音大なら進学できるかもしれないと思い立ち、運良く東京藝術大学音楽学部音楽環境創造科に入学。 その後、複数のロックバンドでドラムを叩き、ライブハウス『下北沢屋根裏』などに定期的に出演するも中々上手くいかず、大学二年生の冬に8人組バンド『東京塩麹』を結成。同バンドは活動を継続していく中で様々な機会に恵まれ、ツアーやフジロックの出演などで注目を集める。現在は主にシンセサイザーを演奏。 また、大学時代に友人の演出する舞台に衝撃を受け、自らもダンス公演を主催するなど舞台芸術の活動を開始。とはいえ厳しい道のりであり、プロのアーティストの道を諦めて大学留年の後に音楽企業へ就職。しかし、誘われたライブ活動で有給(厳密には特別休暇)を即座に使い切ってしまい、なし崩し的に休職。そして、休職中にのんきに金沢観光していたことがSNS経由で上司にバレて、勤続7ヶ月でスピード退職。活動を本格化。 就職と同時に演劇カンパニー『ヌトミック』を結成(こちらは継続)。カンパニーは現在5人のメンバーで活動。舞台音楽や広告音楽も手がけるが、その便利屋的な立ち回りに、そろそろ自分の軸を持たなければと焦りながら創作を続ける。
演奏
※出演を予定していたCharさんは、ご家庭の事情により不参加となりました。何卒ご了承くださいませ。 波岡康之 Yasuyuki Namioka パフォーマー。 まず私の人生で最初に影響をあたえたのはブルース・リーです。 そして空手をはじめました。私の通っていた道場には、少年部はなかったので、大人と一緒にトレーニングしていました。そのせいかみるみる体力がつきました。以前は学校でほとんど選ばれることのなかったリレーの選手に選ばれるようになりました。そしていろいろなことに積極的に取り組めるようになりました。 役者にも挑戦しました。アルゼンチンタンゴもやりました。 そしてよく行くようになったJAZZ喫茶のとなりの座っていた方が有名なサックスプレイヤーで、その人に習い、サックスも吹けるようになりました。 ブルース・リーの有名な言葉に“Don’t think feel”というのがあります。 そしてジークンドーに、型はないというのがあります。私も既成概念にとらわれず格闘技にARTにTRYし続けていきます。 遠山ひかり Hikari Tohyama 1997年生まれ。東京都出身。幼少期から一日中絵を描き続けたり、5歳からピアノを習うなど芸術全般に多く興味を示す子供であったが、小学校3年生の学芸会で主人公『負けうさぎ』を演じたことが深い興奮として記憶に残る。芝居の世界への憧れから、中学時代は邦画を観漁るようになる。そうして高校では念願の演劇部に入部。この頃から、小劇場の公演に足を運ぶようになる。晴れた日は高校の屋上で寝て過ごしていたのでクラスで浮いていたが、文化祭のクラス演劇で主演女優賞を獲得したことから急に人に話しかけられるようになった。すっかり演劇以外にやりたいことがなくなっていたので、桜美林大学芸術文化学科演劇専攻に進学。学生団体に出演したり、作・演出・出演の一人芝居に挑戦したりして過ごすが、様々な出会いを通して学外の活動が盛んになり大学から足が退く。何か続けられる仕事を始めたくて、憧れていたバーテンダーの求人に応募。アルバイト生活をしながら2019年に同世代の劇団に俳優として加入するも、現在は活動休止している。演劇や生活に挫折する日々ではあるが、救急車で運ばれた際に生死を彷徨いながら「女優です!」と叫んだ自分を信じ、舞台活動を続けたいと思っている。 小又旭 Asahi Omata 学生。1997年生。自己紹介に苦手意識がある。小学校時代には図書室によく通い、アルセーヌ・ルパンなどの冒険譚や、ハリーポッターなどの長編ファンタジーが好きな少年だった。 図書室に折り紙が常設されていたことをきっかけに、小3から中学校くらいまでは折り紙に傾倒していた。そのころは学校で配布されたプリントを折ってしまい、ぐちゃぐちゃになっていた。高校に入り演劇を始めるとともにほとんど折り紙を折らなくなったが、自己紹介の際に「折り紙好き」という情報が使いやすいので頼りがちである。 その後、演劇系の大学に入学。他学科との関わりや実習など、校内施設を使った授業の多さに惹かれて入学したものの、体調を崩したためほとんど参加できない日々が続く。 今年に入り、二年間の休学から復学した。しかしコロナの関係であまり実習もないので、家で折り紙を折ってSNSにアップすると割と反響があるのでたまにやる。現在はサボテンを育てはじめた。 カワイサンホ Sanho Kawai 会社員。1992年生まれ。長野県出身。 実家はスキー場近くの山の中。両親が脱サラ後に自分で建てた丸太小屋で育つ。自然と動物に囲まれ、近所に子供がいなかったので一人遊びをして過ごすことが多かった。西日の当たる部屋で絵を描きながら眠るのが幸せだった。 運動はてんでダメで、その代わり音楽はずっと好きだった。中学生では吹奏楽部でバリトンサックスを吹いていたが、その傍らロックやバンドという概念に強く惹かれ、自分もバンドを組んでみたいという思いが日に日に強くなる。 高校生の時にエレキベースを購入。念願の軽音楽部に入る。大学時代はコピーバンドサークルに入り、ソウル、ファンク、R&Bなど様々なジャンルの音楽に触れる。 社会人になっても音楽活動をゆるく続けている。去年は「Cutty Scooner」というユニットで音源をリリースし、ベースで参加している。 今回、粘土という素材で参加した理由は、会社員で調子を崩してしまった時に、たまたま家にあった粘土で造形を始めてみたら気持ちが楽になったことがきっかけ。現在も気が向いた時にオリジナルの作品を作っている。Instagram:@__pumo 八木佑平 Yuhei Yagi 1996年3月28日生まれ、香川県出身。現在は都内にある建築デザイン事務所に勤務。普段全くと言っていいほど音楽を聞かなかったのだけれど、3年前くらいから音楽というより音に興味を持ち始めた。 それは大学4年の冬、友人の研究の手伝いで音楽を制作したことがきっかけで。 ある音とその音がもつイメージとの関係についての研究だったように思う。 1人用の特殊なドームの中で、ヘッドホンとVRゴーグルをつけてその制作は始まった。まずセミの鳴き声・海の音・風の音を同時に聞いて、夏が見えるでしょうと友人はサンプルの音源聞かせてきた。 うん、確かに。VRはウユニ塩湖みたいな映像になっていたけれど、いわゆる夏感を音によってイメージさせられた。音も、ある体験の重要な要素なのだ。 音によって感情が引き出される。日常でもよくある事だ、音楽を聞く目的のほとんどと言ってもいい。 その音に対する自分の認識。解像度が様々なイメージまでくっついている。黄色を見て「黄色」と言う。その共通認識ゲームは音にも言えるのだと改めて知覚したことは大きな衝撃だった。 次は100種以上あるサンプリングされた音源を自由に組み合わせ、あるイメージを実現させる音楽を作ってみる。雨音なら「小雨」から「豪雨」まで、鳥のさえずりは複数種の鳥の鳴き声があり、車や人混みなどの騒音も用意されていた。 何をイメージしてどの音源を組み合わせたかは忘れてしまったのだけれど(悲しい…)、それは生きてきて聞いたなかで一番不快な音楽になってしまったのだ。 自分が聞きたい音を6種くらい、ある程度風景のイメージ(=絵とそこになる音の成立)も持って組み合わせたその音楽は、とにかく聴き心地が良くない。不快。 雑多な音が同時に存在する日常はなぜここまで不快にならず成立しているのだろうか。耳が慣れているのだろうか。ある音が許容値��越えると異常事態化し(うるさいなど)不快になる。 ましてや音楽を作るなんて、なんて難しい制作なんだ。とここ数年悶々としていたところ今回のWSを知って参加してみた。 ひろすえゆうた Yuta Hirosue 介護福祉士。先天性の心室中核欠損症で運動が出来なかったのですが、音楽の授業で自分を表現する楽しさを知り、中学、高校と吹奏楽部でパーカッションを担当しました。 高校卒業後は福祉の専門学校へ進み、保育士、幼稚園教諭、介護福祉士の資格を取得し、福祉施設で働いています。現在は福祉施設で働きながら、児童館で小学生から高校生を対象としたドラム講師のアルバイトをしています。 お笑いが好きで、ライブを観に行くことやラジオにハガキを送ることが好きです。昨年からは自分も何かやってみたい、という気持ちが強くなり、自分自身もエピソードトークやフリップネタでお笑いライブに出演するようになりました。 コロナ禍で自分にとっての幸せは人と出会うことだと思い知り、「一度きりの人生、出来ることは何でもやってみよう」と前向きになることができました。 共演者との出会い、私が鳴らす「物体」との出会い、観てくださるお客様との出会い、全ての出会いへの感謝と幸せを噛みしめて演じます。  長沼航 Wataru Naganuma 俳優。ヌトミック所属。幼稚園くらいまではそこそこ内気なシャイボーイ、保健室のれいこ先生と仲良しこよしでお届けしておりましたが、家では風呂から出てくるやいなやソファに飛び込み「おもしろ劇場」を開催する陽気な一面もある男の子でした。小学3年生からはマーチングバンドに所属してユーフォニアムとチューバを担当、朝練はよくサボっていた。中学校では一旦科学部に鞍替えするも、母親の友人経由で週末にゴスペルを歌い始める。高校ではオリエンテーションでかっこいい演奏をしていた吹奏楽部に入ろうと決意し仮入部に行く。すると、「久しぶり、ビリー!」と会ったこともない先輩にいきなり抱擁され、そこからあだ名は基本的にビリーで統一している。また、その人とは別の打楽器の先輩につかまり実はずっとやりたかったパーカッションに転向する(ちなみに人生のどこかでベースもやってみたい)。高校は笑いにシビアなところだったので、文化祭や合唱祭のたびに漫才やコントのコピーをやっていた。高2の定期演奏会で寸劇をやり、ウィンクキラー役を務めたのが演劇に目覚めたきっかけ、ではないのだが台本係の後輩と帰り道にフィクションのことばかり話している時間は楽しかった。大学に入って下北沢・本多劇場で観たヨーロッパ企画『来てけつかるべき新世界』が衝撃的に面白くそこから演劇にハマり、いつの間にか舞台の上に俳優として立っている。今年度からは横浜国立大学大学院の修士課程に在籍し、作品制作という形で研究を行っている。ちなみに、順調ではない。 深澤しほ Shiho Fukasawa 俳優。ヌトミック所属。山梨県出身。母親がドラマを見るのが好きで、小さい頃、一緒に寝るまで横で見ていたことをきっかけに「テレビの中の人になったらお母さんが喜んでくれる!」と思い「テレビの中の人」になることを目指す。 田舎の小さな中学校・高校には演劇部が無く、地元には映画館も無く、俳優になることを本格的に意識し始めたのは高校2年の進路提出のとき。 社会人としてなりたいものが本当に浮かばず、どうしたら俳優になれるのかもわからず、とりあえず学校帰りに「月刊 デ☆ビュー」を買って、当時人気だった小池徹平が「君も応募しよう!」と微笑みかけてきたのでこっそり応募。俳優養成所に合格するも、よくあるぼったくりの養成所だと気づくのは5年後。 心理学を学べる大学に通いながら、俳優養成所に通い、大学ではなぜか図書館司書の資格を取得するというブレブレの時代を通過する。「タマビ」「ムサビ」「オウビリン」という美術系の大学もあることを教えてくれなかった高校3年の時の担任・本多の顔は忘れない。そしてそういう大学があることを調べもしなかった当時の自分の怠慢を今でも根に持っている。 ようやく人生の軌道修正するのは大学を卒業して3年後、養成所で奇跡的に知り合うことができた〝師匠〟から「これを読め」と『東京ノート』(平田オリザ著)を渡され、以降は青年団関連の舞台を片っ端から見に行く。 アーツ千代田3331でやっていた、わっしょいハウス『木星の運行』を見に行ったとき、出演していた浅井浩介さんの佇まいに度肝を抜かれ、今まで私が養成所で教わっていた〝それら〟が一気に崩れ去る音を聞く。ぼんやりしていた心の目がついに開眼し、青年団の俳優が講師をしてくれるという「映画美学校アクターズコース」を受講。その後のスピード感は自分でもよくわからないが、生粋の下克上精神は維持しつつ、人生遠回りしてもまあいいじゃないか、と楽観的な思想も持っている。 << 公演トップページ << 無料楽譜公開
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xf-2 · 5 years ago
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★ 武村元官房長官は北のスパイ?  
11月9日公開のチャンネル桜討論番組に出演し、アメリカ政府が「武村正義元官房長官は北朝鮮のスパイ」と指摘した事実を冒頭で紹介したところ、「知らなかった!」「ガックリくる思いだった」と知人数人から言われました。国家の存立にかかわる極めて重大な事件であるにも関わらず、意外と知られていません。YouTubeで動画をご覧いただけます。 https://youtu.be/UtMdRp-FsWw?t=54m22s
1994年2月12日夜(日本時間)のことです。日米包括協議のためワシントンを訪問中の当時の細川護煕首相から、高輪の衆議院議員宿舎にいた小池百合子議員に電話が入りました。細川氏は困り果てた声でいいます。
「武村さんは問題だっていうんです」
アメリカ政府高官は細川氏に、
武村官房長官から北朝鮮に情報が洩れる危険性
を指摘しました。つまり
武村氏はスパイ
だということです。細かいやり取りは明かされていませんが、当然のことながら更迭しない限り今後情報は出せないという意味です。同盟国の首相に対して「あなたの女房役は敵のスパイだ。アメリカなら終身刑になる極悪犯罪者だ。切らないなら同盟国として付き合えない」と実質的に宣告したのですから、アメリカが
確たる証拠
を持っていたことは間違いありません。
細川氏は内閣改造で武村氏を切ろうとするものの失敗し、94年4月に退陣を表明しました。小池氏によれば細川氏は「北朝鮮が暴発すれば、今の体制では何もできない。ここは私が身を捨てることで、社会党を斬らなければダメなんです。それで地殻変動を起こすしかないんです」と述べています。
これはすべて小池氏が『正論』2002年7月号に掲載された「細川首相退陣の引き金は『北朝鮮有事』だった」と題した論文で明らかにしたことです。当時内閣情報調査室室長だった大森義夫氏も著書『日本のインテリジェンス機関』(文春文庫)でアメリカ政府の指摘に触れています。それに対して武村氏からは有効な反論は出ていません。事実確定です。 あの当時日本は国家の体をなしていなかったといっていいと思います。官房長官はナンバー2で、ありとあらゆる情報が集まるポジションです。その官房長官が敵のスパイだと同盟国にいわれたのです。秘密も何もあったもんじゃありません。
日本ほどの大国がこのレベルまで浸透されたのは世界史上例がないと思います。諸外国で超大型スパイ事件として大騒動になり、本に書かれ映画になるのは情報機関幹部クラスが敵国に通じていた話です。有名なキム・フィルビーにしてもオルドリッチ・エイムズにしても官僚です。イスラエル情報機関員エリ・コーヘンはシリア国防副大臣になる手前までいきましたが、なったわけではありません。それらと比べると、官房長官が北朝鮮スパイというのがどれほど凄い事態かお分かりいただけると思います。
このような日本の甘さ・不作為は、私たちがテロで殺される危険性を高めています。諸外国は「日本は信用できない」と判断します。自国情報機関が命懸けで収集したテロリスト情報を提供することに躊躇してしまうのです。その結果IS等の情報が日本に入ってこなくなれば、東京オリンピックで大規模テロが発生する確率が高まります。なんの罪もない日本の一般国民が代償を払わされるのです。
残念ながらスパイ防止法はできそうにありません。自分が捕まることを恐れる国会議員が決死の覚悟で抵抗するからです。まずは出来ることから実現していかないといけません。
★ 安倍総理に強制送還を直訴しよう!
前回記事で書いたように、政府は特別永住者の朝鮮総連幹部であっても国連制裁に基づく強制送還をすぐに実現できると答弁しました。安保理決議第2270号パラグラフ13の規定により、在日北朝鮮当局者で国連制裁破りに関わったと政府が認定した者は強制送還されることが明らかになりました。報告を受けた朝鮮総連幹部は震え上がったことでしょう。 本ブログ2019年11月2日付記事
答弁書リンク���衆議院HP) しかしパラグラフ13の規定には制約があります。「政府の代表又は北朝鮮政府の立場で行動するその他の北朝鮮国民」が対象なのです。当然のことながら制裁破りを指摘された朝鮮総連構成員は「自分は当局者じゃない」「韓国籍になったから『北朝鮮国民』じゃない」と必死で抗弁します。いま朝鮮総連のかなりの部分が韓国籍になっていて対象外となります。
それでは強制送還は夢で終わってしま��のか? ご安心ください。国連決議はそんな甘くありません。続くパラグラフ14が「自国の国民でない個人」について定めています。すべての外国人ということです。政府が国連制裁破りを認定すれば「国籍国への送還を目的としてその個人を自国から追放することを決定した」となります。必ず強制送還しないといけないということです。 政府公式訳リンク(pdf)
これには国連制裁破りに関わる韓国籍の者のほかに、中国人密輸屋も入ります。チャンネル桜討論番組で少し触れましたが、北朝鮮密輸に関わる中国人が東京・神田に事務所を構え、中央区の高級マンションに住んでいることを私のほうで確認しています。本当にトンでもない男で、日本の国際的信用を悪用するため日本風の社名を複数使っています。中には日本の大手企業子会社と同じ社名もあります。いずれ強制送還の憂き目に遭わせてやりたいものです。
在日本朝鮮青年同盟機関紙『セセデ』2017年9月号
ここで皆様にお願いがあります。ほんの少しだけお時間をください。首相官邸ホームページ「ご意見募集」から「対北朝鮮国連制裁破りに関わる者を強制送還してください。安保理決議を履行してください」と安倍総理宛にメールをお送りいただきたいのです。
http://www.kantei.go.jp/jp/iken.html
同様の意見を内閣官房、国家公安委員会・警察庁、法務省、外務省にもお送りください。各省庁に一斉送信できるページがあります。
https://www.e-gov.go.jp/policy/servlet/Propose
スパイ防止法制定が難しくても、現在の国際法・国内法でできることがあります。国民から多数の要望が届けば、米朝関係の推移をみて安倍総理・菅官房長官は強制送還を指示するでしょう。そもそも安保理決議は必ず履行しないといけないことです。あなた様のメールが北朝鮮・朝鮮総連に甚大な打撃を与えます。メール送付をよろしくお願いします。
「不法入国者、密輸入者、共産党の手先になっている者など好ましからざる朝鮮人は強制送還をぜひとも断行する」
(吉田茂首相・1952年8月4日の全国知事会議で)
「不良朝鮮人を強制送還せよというのは国を挙げての世論といってよい」
「現在生活保護法による扶助を受けている朝鮮人は6万人におよぶ。その一部が破壊活動資金に流れているとの噂もある」
(木村篤太郎法務大臣・1952年8月12日の記者会見で)
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