#もう、時間切れだ、いつも��あなたが作った地獄の世間へ戻りなさい。そして苦しめばいいさ。
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moji2 · 2 months ago
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「漂流」
もの悲しく、衰退していくリーマンの心情をこの胸に刻んだあの日から
釣りもせずに、撮り続けた、水面の浮遊物
さぁ歌っていただきましょう!子供の頃の夢はサラリーマンになること、挫折も味わった。罵倒もされた、24時間働けますか、昭和育ちの、平成を生き抜き、令和の老害リーマンmojiあなたのコブシを聞かせて、漂流
皆さんご一緒に♪
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crydayz · 16 days ago
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ガをやり終えてなければ私だってこの世界線には着地できていないから、まあ、私と似たトラウマや弱さを持つ人の大半は「一生ダメ」だろうな(※)
「すべての幸福や可能性はヤカラみてーなやつらに寝取られて決して自分のものにはならない」
そういう諦観っつーか「予防線」張って生き続けてるから
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ま、それもいいけどなー。全然よい。もとい、もはや他人事だし
旧Ver.の自分は他人
いや、あっちが新Ver.か?
アメリカだって「間違った進化」して終わりを迎えかけてるだろ
「過度な公平さや配慮」ってもんは人類を衰退させるんだわ
弱いやつらは自身の弱さが生み出す加害性を認めることができないから、悪意を全部居直るっす
結果、非生産的なヘイト地獄を作り出す
無論私もかつてはそんなヘイト地獄でヘイトをこねくり回すのが趣味の「悪いマジョリティ」だった
ヘイターは圧倒的マジョリティっすよ、現代では
だからその輪の中にいると居心地いいんすよね
みーんな扁桃体のバカオーダーの言う事素直に聞いて「怖がって」んだもん
バージョンを戻そう。シンプルだった時代に
独善を許そう。少ない残り時間を思い切り楽しむ為に―
逝き際「あーーー楽しかった!!!」で終われれば俺の勝ち!
※臆病さを「人間的な尊さ」だと信じ込んでいる時点で一歩も進めない。臆病さを手続き的に棄てることで「後天的サイコパス」にならなきゃ、この歪みを抱えまくった都市社会の狂気と孤独感の中でサバイブできない。全ては都市社会化に伴う人間関係の分断と、核家族化による子育てへの負担増加による出産への忌避感に基づく絶望。子供を欲しがらない人��てシンプルにキャパ不足か自分自身の精神が未熟なんすよ。他者の命の責任を負うことを歓びじゃなく苦痛だと思ってる。そういう人々の主観は押し並べて他責と他罰と被害者意識に満ちている。けどそれ、全部都市社会が生み出した病理です。住人に責任はないっす、マジで。都市の構造の問題
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apoandbangpo · 2 years ago
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BTS Sugaのワールドツアーは究極のポップス転覆 / The Atlantic 翻訳
アメリカでグループ初となるソロコンサートを開催、アーティストとしての個性を強烈に宣言した。
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Story by Lenika Cruz
フォグマシーンの柔らかな吐息に包まれたステージから、フードを被った4人の人物が舞い降りてきたかのようだった。その肩には、黒をまとった体が乗っている。雨と稲妻が背後のスクリーンに真っ白に映し出される。ようやく、その男が地面に横たえられた。その後には、まるで死からの復活を思わせるような光景が待っていた。スポットライトが彼を見つけ、歓声が上がり、ついに彼は動き出した。そして、マイクを口に当てた。
このロックスター、ラザロの正体はミン・ユンギ。グラミー賞にもノミネートされ、チャートを席巻している韓国のグループ、BTSのラッパー兼ソングライターのSugaとして広く知られている。しかし、その夜ニューヨーク州ロングアイランドにあるUBSアリーナのステージには、彼のバンドメンバーは誰もいなかった。なぜなら、この日は彼のソロワールドツアーの初日だったからだ。昨年の夏以降、メンバーは各々の兵役義務遂行に向け、個人活動に集中してきた。BTSで初めてソロツアーを行うSugaはグループ作品よりも暗く、生々しく、パーソナルな音楽制作のために2016年につけた名前、Agust Dとしても公演を行っていた。先月、Agust Dの3部作の完結編となる強烈なスタジオアルバム『D-Day』をリリースした。このアルバムで社会批判やトラウマの黙想、名声、精神疾患、孤独、そして許しについて語っている。
同じくD-Dayと題されたSugaの現在進行中のツアーは、彼の作品を初めて本格的にショーケースするものだ。完売したアメリカでのツアーは、まるで10年以上の歳月を経て作り上げた芸術的個性の宣言のようだった。コンサートはフロントマンのエネルギーと作家主義的な華麗さで爆発していた。しかし、彼の最も際立った功績はポップミュージックが持つ共感を生み出す潜在的な力を受け入れながらも、その非人間的な作用に立ち向かっていることだ。
水曜日の夜、カリフォルニア州オークランドで幕を閉じた全米ツアーの全11公演は雷雨の中、道路に横たわるSugaの姿で終わるショートフィルムからスタートした。これはBTSとしてデビューするまでの練習生時代、生活費を賄うためにソウルで配達のアルバイトをしていた時に、車にはねられたことにちなんでいる。この事故で肩に傷を負った彼はBTSが世界的な名声を得た後も、この怪我に悩まされ続けた。この映像の後に命を落としたかのような実物のSugaがステージに担ぎ込まれる展開は、スムーズでありながらも衝撃的であり、何日も会場の外で待ち続けるファンを持つポップスターの人間的な脆さを再認識させるものであった。
初日のUBSアリーナ、そしてアメリカ最終日のオークランド・アリーナで私が観たSugaの公演は、ポップ・コンサートの常識を覆すものだった。ある面では子供の頃に日本の作曲家である坂本龍一の曲をサンプリングして自分のビートを作っていた技術に長けたラッパーによるダイナミックなヒップホップショーだった。Sugaは『Haegeum』でこの夜の空気を作った。タイトルは韓国の弦楽器と解禁を意味する。「溢れ返る情報は想像の自由を禁��ると同時に思想の統一を求める」「資本の奴隷 カネの奴隷 憎悪と偏見 嫌悪の奴隷 / YouTubeの奴隷 Flexの奴隷」とSugaは韓国語でラップする。Haegeumの耳に残るストリングスと、心地よく荒れたベースが空気を振動させた。この曲はすべて韓国語で書かれたものだが、観客は歌詞を大声で彼に歌い返した。反骨精神に満ちた『Daechwita』、初期のファンに人気の『Agust D』、『Give It to Me』と激しいラップ曲で序盤を駆け抜ける彼は催眠状態にあるかのようだった。
観客がまだ落ち着かないうちに、Sugaはアコースティックギターを取り出した。ギターにはBTSの他の6人のメンバーからのメッセージや絵が描かれていた。パンデミック期間中にギターを習得した彼のアンプラグド・バージョンの『Seesaw』は、振り付けやバックダンサー、凝ったセットを伴う過去のパフォーマンスとは一線を画すものであった。序盤の盛り上がる曲で見せた力みのない威勢が、静かなシンガーソングライターモードのSugaへと移り変わっていった。その後、アップライトピアノの前に座り、2020年のBTSの楽曲『Life Goes On』の自作バージョンを披露した。特に感極まる瞬間は、歌手のWoosungと亡き坂本龍一が参加した楽曲『Snooze』のソロパフォーマンスだった。2022年後半にSugaと坂本が唯一対面した時の映像が、前もって大型スクリーンに流れた。グランドピアノで曲を演奏する年上のミュージシャンと喜びを抑えようとする若者。Snoozeは、坂本にとって最後のコラボレーション作品のひとつになった。坂本を敬愛し、苦闘する若きアーティストを慰めるためにこの曲を書いたSugaにとって曲中の坂本の存在は、とりわけ心に響くものだろう。
BTSの活動で、できなかった試みをD-Dayで再三にわたり実践するSugaの姿は、実にスリリングだった。 そう、彼は依然として熟練したエンターテイナーなのだ。何万人もの観客の心をつかむ術を熟知している。BTSのコンサート中盤の爽快なラップメドレーで見せるとおり、息をつく様子もなくラップをしながらステージを飛び回れる人なのだ。そして、ロサンゼルスの2公演ではアメリカ人歌手、MAXとHalseyをゲストに迎え、それぞれのコラボレーションを披露した。その一方で、彼の破壊的な選択も際立った。コンサートに散りばめられたショートフィルムは、デヴィッド・リンチの夢の論理とグラインドハウス映画の粗い質感を思わせる。ポップアイドルのSuga、影のAgust D、そして人間ミン・ユンギとい��3つのアイデンティティーのストーリーが描かれている。このコンサートにおける究極の芸術的意図は、それぞれの自己を観客に明瞭に示すと同時に、それらがすべて共存していなければならないのだと認識させることにあるようだ。BTSのソロ曲である『Interlude: Shadow』やBTSの他のラッパーたちとの曲のヴァースを披露する姿を見て、彼は自分の過去を否定しているのではなく、むしろ誇りに思っているのだと確信した。なにしろ、その過去が彼を韓国の青瓦台、アメリカのホワイトハウス、国連総会、そしてグラミー賞の舞台にまで導いたのだから。
もうひとつの魅力的な演出があった。公演全体を通じて、舞台の一部がチェーンで天井に引き上げられ、Sugaのパフォーマンスできるスペースが次第に狭くなり、より慎重に舞台を進行させる必要があったのだ。 アンコール前の最後の曲『Amygdala』では、寂しげな四角い床に立っていた。周囲には炎が燃え上がり、まるで恐ろしい牢獄のようだった。アルバム D-Dayの核となる、このエモ・ラップトラックには、Agust Dのオルター・エゴの起源が記されている。交通事故、母親の心臓手術、父親の肝臓がん宣告など、彼の人生を決定づけたトラウマに言及し、それらがいかに彼を形成したかを語っている。曲の最後のフレーズで、力尽きたように地面に倒れ込むとフードをかぶった人物たちが戻ってきて彼を運び去った。ただし、今回は全身真っ白な服を着ていた。まるで浄化されたかのようだった。彼のカタルシスが完了したのだ。
アンコールの頃には舞台装置がすべて取り払われ、下に隠れていた機材が露わになった。 消火器、電気コード、発火装置などが散乱していた。Sugaはもう観客の頭上に立つことなく、地面の高さからファンの目の前で最後の数曲をパフォーマンスした。時にはファンの携帯電話を手に取り、自身の姿を撮影してみせた。最後の瞬間は、ほろ苦かった。ほとんどの観客は、6月下旬にあるソウル公演でツアーが終了した後、Sugaが少なくとも18ヶ月間の兵役に就くことを知っていたからだ。その現実がコンサートを一時的な別れのように感じさせた。ファンが持つライトスティックの輝きが、まるでひとつの波のようにアリーナ全体を駆け巡った。 時折、野生的なエネルギーに駆られた観客が吠え始めるとSugaは驚いたり笑ったりしていた。オークランドでは観客に向かって、BTSの他のメンバーと一緒に戻ってくること伝え、ファンにもう少しだけ待って欲しいと頼んだ。
ツアー初日の夜、もうひとつのサプライズが待っていた。私は最後の曲は感傷的なものなのか、軽快なものかだと思っていた。 ところが、Sugaは不気味なビデオカメラの輪の中に入っていき、その真ん中に立った。つぶやきはじめたのは『The Last』のヴァースだった。第一作目のミックステープに収録されているこの曲は、彼の最高傑作であり、私が最も好きな曲のひとつだ。そして、このところ私が聴くのに苦労している曲でもある。The LastでSugaは、強迫性障害、鬱、社交不安について語っている。低く控えめな表現から徐々に切迫していき、最後には叫び声と泣き声の間のような声へと変化していた。数年前、この曲を初めて聴いたとき、私は自分自身の絶え間ないパニック障害による発作と息苦しい死への渇望を思い出した。この曲は私の心に刺さり、歓迎すべき欠片になったのだ。
ここ数年、Sugaは成長、自己愛、不安や苦しみを肯定することをテーマにした音楽を多く作ってきた。 コンサートの序盤、彼は英語で「あまり怒りを抱えずにパフォーマンスしたい」と語り『SDL』、『People』、『People Pt.2』といった曲に焦点を当てた。これらの曲は人生の試練を前にして冷静に考え、許し、謙虚でいられる人物像を描いている。ひどい苦しみから解放され、自分なりの癒しを見つけられたときの安堵感��私もよく知っている。だから、The Lastの出だしの歌詞(「有名なアイドルラッパーその後ろに、弱い俺が立ってる 少し危険だ」)を聴いたとき、私は凍りついた。彼は一体何をしているのだろうか。 監視システムのように並んだカメラ、その映像が映る彼の頭上のスクリーン。彼が見せる苦しみを貪るように映し出す。つまり私もまた、彼の苦しみを貪っているのだ。
しかし、すぐに理解できた。23歳のときと同じように息もつかせぬ情熱でラップしているが、単なる激高ではなく時間とともに和らいだ怒りでパフォーマンスしているのだと。その感情の力強さや真摯さに陰りはないが、それを発信する側が受けるダメージは少ないのだ。今の彼は炎の中に立って熱を感じながらも、その炎に飲まれることはない。若き日の自分に回帰することなく、当時の自分と心を通わせられる。
そして、魔法が解けた。曲が終わった瞬間、客席の照明がつき、彼が舞台袖に無言で歩いていくのが見えた。別れの挨拶も、長々とした感謝の言葉も、歓声を上げる観客に手を振ることもない。後ろを振り返ることさえもしなかった。初日の夜、突然の退場に衝撃を受けた人々は戸惑いの表情を浮かべた。このフィナーレを観客との静かな対決、愛されてやまない芸術家による大いなる自己主張と捉えることもできるかもしれない。けれども、もしそれ���対決であったなら、それは見下しているのではなく、むしろ信頼に基づくものだ。観客が不快感に耐えられるだけの知性を備えており、彼が見せたものに気分を害したり、恐怖を感じたりしないのだという信頼だ。
完璧なエンディングだった。闇と神話作りから始まったコンサートが明かりの中で、さらけ出すように終わったのだ。他の誰かに運ばれきてスタートさせた公演をSugaは自らステージを去ることで終わらせたのだ。これ以上、何を望むというのか。彼は私たちに何もかも見せてくれたのだから。
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moko1590m · 9 days ago
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その戦争体験者が「匂いがしない、完全に絵物語」と感じたとすれば、映画には表層的な戦いのビジュアルや物語構造だけが描かれていて、内面や実存、偶然性、非英雄性、人間の矛盾、そして身体的・心理的リアリティがごっそり抜けている可能性が高いです。
以下に、��戦争のリアル」を描く上で足りない可能性がある要素を、テーマ・感覚・心理・構造の観点から分類しつつ、できるだけ多く列挙します。
【1. 身体的リアリズムの欠如】
汗、泥、血、排泄、飢え、臭い、虫、皮膚病、腐臭、死体の硬直
爆音による聴覚のマヒや耳鳴り、吐き気、震え、嘔吐、痙攣
仲間の身体が破裂・欠損していく恐怖と慣れ
怪我の痛みが引かないまま任務を続ける日常
寒さや暑さ、眠れない、ずっと渇いている、痛い、重い、かゆい
「全身が震えたまま、銃を構えた」ような描写
【2. 時間感覚の歪み】
「5分が1時間にも1秒にも感じられる」極限状況
待機、待機、待機……そして一瞬の地獄
時の流れが意味を持たな���なる感覚
日常との断絶した時間の密度や希薄さ
【3. 心理的リアリズム・非英雄性】
臆病になって隠れてしまった自分の記憶
敵の死体を見て吐いたのに、数日後には無感動になっていた
味方が「楽しく」敵を殺していることへの戸惑い
殺したくないのに殺してしまう手の震えと、その後の沈黙
「あのとき引き金を引いていなければ…」という思考ループ
英雄ではなく、ただ生き残っただけの自分
【4. 運と偶然への妄想・信仰】
「なぜ自分が生き残ったか、わからない」
爆弾が数メートルずれていたことの奇跡と罪悪感
「これは何かの意味があるのでは」と思いたくなる自分
お守りや占い、神の声、意味づけせずにはいられない心
【5. 他者との関係の変容】
昨日笑っていた友人が、頭を吹き飛ばされる現実
遺体を運ぶときに、その人の顔が浮かばない
仲間が狂気に陥る姿を見る恐怖
敵を殺した直後に、敵の写真や手紙を見つけてしまう苦痛
【6. 「自己」の崩壊と新たな再構成】
殺すことも死ぬことも日常になっていく
自分が死ぬかもしれない、という理解ではなく“納得”
善悪の軸がぐらつく
帰還後、自分が何者だったかがわからなくなる感覚
「ただの肉の塊になった自分」を発見する体験
【7. 国家・正義・目的への懐疑と幻滅】
戦場での行動と、帰国後の賞賛のギャップ
正義と命令が一致しない苦痛
上官や命令の理不尽さを呑み込むか、壊れるかの選択
戦争の「意味」が理解不能になっていく感覚
【8. みじめさ・矛盾・人間の滑稽さ】
「死にたくない」と叫んで小便を漏らす上官
空腹に耐えかねて、犬の餌を取り合う兵士たち
下品な冗談だけが生き延びるための方法
死体から靴を奪うときの罪悪感とそれを忘れる速度
【9. 帰還後の断絶・孤立・空白】
日常が遠すぎて「帰る場所」が感じられない
何を語っても誰にも伝わらない、という沈黙
戦友の笑い声が頭から離れない
「まともに生きている」ように見えて、何も感じていない
【10. 戦争の「前」や「外」からの視点が欠けている】
「戦争が始まる前の普通の暮らしの記憶」
戦場に行かない人々の無関心と理想化
民間人の視点・戦場の“裏側”にある日常��破壊
加害者にも守りたいものがあったことへの気づき
◆まとめ
戦争をリアルに描くためには、戦闘シーンの迫力やストーリーの巧妙さ以上に、身体・偶然・沈黙・羞恥・無意味・孤独・矛盾・臭気・記憶・無感動といった「人間の限界」に迫る視点が不可欠です。
「匂いがしない」と言われた作品は、おそらく意味や因果が整いすぎており、人間の不条理な弱さや迷い、生理的リアルが欠落していたのでしょう。
もしご希望があれば、「そのような“匂い”を意識的に盛り込むための脚本演出ポイント」もご提案できます。お気軽にどうぞ。
 
 
「戦争に直接行かない側」の現実や現実感
 
【1. 身体的リアリズム(不在ではなく“他の形”での表出)】
座りっぱなしの司令部職員の腰痛、胃潰瘍、疲労死
空襲警報のたびに地下壕へ走る都市住民の動悸・息切れ
子どもを背負いながら疎開路を歩く母親(父親)の足の水ぶくれ
工場労働者の油まみれの手、火傷、慢性的な睡眠不足
「安全な場所」での身体の硬直、息を殺す夜、失禁・嘔吐
【2. 時間感覚の歪み(兵士とは別種の異常)】
ラジオの開戦・終戦放送を聴いたときの「一瞬の凍結」
毎日が「誰かの死の連絡を待つ時間」になる家庭
戦地からの手紙が届くまでの時間が異常に長く、届いた瞬間に過去に戻されるような感覚
疎開先で過ごす時間が、「本当の時間」と断絶した非現実のように感じられる
【3. 心理的リアリズム・非英雄性】
「何もできない」都市市民としての罪悪感
募金しかできない自分に苛立つ若者
「戦地に行ってないから語ってはいけない」と自ら口を閉ざす帰還兵の妻
息子(娘)や夫(妻)を「立派に送り出した」ことへの誇りと喪失の共存
【4. 運と偶然への妄想・信仰】
「この神棚に祈れば無事に戻ってくる」と信じる母親(父親)
何かのサイン(夢、お告げ、日常の偶然)を「徴」として受け取ろうとする心理
「爆撃の前日に家を離れていた」ことで生き延びたことの意味づけと混乱
占いや星座、預言などに集団的に依存していく現象
【5. 他者との関係の変容】
近所で戦死者が出るたびに口数が減る住民たち
「息子(娘)さん、帰ってこないの?」と訊かれて黙るしかない母親(父親)
兵士を送り出すことが、共同体内の「名誉」と「義務」になり、人間関係に緊張が走る
疎開先で「余所者」扱いされ、冷たい視線に��らされる子ども
【6. 自己の崩壊と再構成(戦地外でも発生する)】
「妻」として待ち続けた時間の中で、自分が自分でなくなるような感覚
子を失った親が「自分が死ぬべきだった」と語るようになる
空襲後の瓦礫の町で、言葉を失う子ども
自ら志願した息子(娘)の戦死に、肯定も否定もできないまま何十年も止まる時間
【7. 国家・正義・目的への懐疑と幻滅】
戦時報道と現実との乖離を肌で感じる都市民
勝利報道の裏で息子(娘)が戦死した事実に混乱する家族
上層部の豪華な食事の映像に怒りを覚える配給制下の民衆
学校教育で「正義の戦争」と教えられながら空襲で親を失った子どもの矛盾
【8. みじめさ・矛盾・人間の滑稽さ】
瓦礫の中から米を探して盗み食いする子どもたち
「戦死者を讃える式典」で泣かない自分を責める未亡人
国策映画を見ながら、隣で眠る父親(母親)
空襲警報中に着替えを優先して逃げ遅れる市民
空襲で焼け出された者同士で、濡れた畳を巡って口論になる避難所
【9. 帰還後の断絶・空白】
帰ってきた兵士と目を合わせられない家族
「普通の生活」がぎこちなくなる、日常のうすら寒い静けさ
戦地でのことを語ろうとしない父親(母親)に苛立つ子ども
「あの人は昔、誰かだった」という形で語られる帰還兵
【10. 「戦争の外」にある視点】
遠い村の老婆が感じる「戦争なんて知らないけど、何かが変わった」感覚
民間人にとっての「戦争」は、配給制度、失踪、突然の爆撃音としてのみ現れる
戦地に行くことのない知識人が戦争を「語る」ことの危うさ
犠牲者の顔を知らない立法者が「正義」を語る虚しさ
◆補足的視点:子ども、戦場に行かない大人、高齢者、障害者の経験の特異性
子ども:戦争の意味もわからないまま空襲に怯え、孤児化し、誰の話も理解できないまま成長する
大人:夫(妻)を送り、子を失い、町を守り、避難所で全責任を背負う存在
高齢者:次の世代を見送りながら、自分は何もできないと嘆く日々
障害者:疎開も逃避もできない身体を抱えて、破壊のただ中に取り残される恐怖
◆まとめ
兵士の経験と戦場外の人々の現実は、決して断絶していない「地続きの暴力」として描かれるべきです。 都市や農村、官僚、親、学者、子ども、それぞれが異なる形で身体・偶然・不条理・羞恥・期待・喪失を経験し、戦争はその全体を貫く構造として立ち上がる。
ご希望があれば、ここから文学・映画・演劇・ノンフィクションなど具体作品に即した視点や、戦場体験のない作家がこれらを描く工夫なども掘り下げてご紹介できます。
 
 
「戦争を“知らずに”生きている人々の現実」が、戦場の地獄の同時代性とどう不気味なコントラストを成すかを、多層的に列挙します。
 
【1. 空間的ギャップ】
同じ「時間」に、まったく違う「世界」が隣接して存在していることの異様さ
晴れた休日のピクニックと、そのとき戦場での銃撃戦の地獄が、地球上で同時進行している事実
大都市のカフェで誰かが恋に落ちる一方で、同時刻に前線では誰かの頭部が吹き飛ばされている
戦場では「匂い(死臭・火薬)」が支配しているのに、都市では新製品の香水の広告が流れる
子どもが夏休みの自由研究をしている家庭の裏で、兵士の母親(父親)が「息子(娘)の遺体確認」の電話を受け取る
農村で「今年は豊作だ」と喜んでいる老人が、戦場に行った孫の遺書をまだ知らない
【2. 時間的ギャップ|個人的な「気づき」のズレ】
ある個人が、戦争の現実に気づく瞬間と、それ以前の無関心との断絶
戦争についてまったく意識していなかった人が、徴兵制の通知や親族の死で突然すべてが反転する
「昨日までただのTVの話だったのに、今日は“自分の話”になった」
SNSで笑っていた友達が、突然「戦死者追悼」の黒いアイコンに変わっていて、動揺する
戦争に無関心だった若者が、恋人の兄弟の戦死によって、人生観ごと崩される
学校の授業中に先生が「戦死した教え子」の話をし、生徒の表情が凍る
【3. 時間的ギャップ|集団的な「気づき」や遅延のズレ】
社会全体が戦争の現実に気づくまでの時間差
初期はみんな「どこか遠くの戦争」として扱っていたのが、徴兵や物資不足で「自分たちの生活」が侵食されていく
政府や報道が戦争を隠していることで、市民が**“まだ平和”という錯覚**を保っている時間
戦争が始まってから数年経ってようやく「戻ってこない息子(娘)たち」に異変を感じ始める村の空気
テレビ番組が急に「戦死者特集」を始めて、一般人が**「今さら…?」と違和感を抱く瞬間**
集団的な目覚めが訪れるのは、爆撃が都市部にも及んだとき――「遅すぎた気づき」
【4. 感情的ギャップ】
「日常の喜怒哀楽」と「戦争の非日常」が、ねじれながら共存している
若者がプロポーズを考えていた同じ日、戦場では同年代の兵士が死亡している
家にいる子の誕生日パーティーのケーキを用意する母(父)の手元に、戦死の電報が届く
SNSで自撮り・推し・恋バナで盛り上がっているタイムラインに、ぽつんと戦地からの��告が流れる
街の映画館では笑い声が響き、戦場の衛生兵は**「誰も笑っていない場所」で傷口を縫っている**
新年を祝うカウントダウンの瞬間、兵士は雪の中で一人見張りをしていた
【5. 意識・想像力のギャップ】
自分の“当たり前”が、他者にとって“想像すらできない”現実であるという落差
「朝の散歩が気持ちいい」と言った直後に、「息子(娘)の足が地雷で吹き飛んだ」と語る隣人の表情
「今日、何食べる?」という日常会話が、戦地では**「あと何日食料がもつか」**という恐怖に変わる
自分の悩み(失恋、試験、仕事)を打ち明けた後に、相手が戦争孤児だと知る羞恥と沈黙
「選挙なんて行っても意味ない」と言っていた人が、戦地に送られる前の兵士の最後の投票行動を知ったときの衝撃
「ニュースは暗いから見ない」という態度が、ある人の**「現実からの逃走」**に見えてくる瞬間
【6. 構造的・社会的なギャップ】
「無関心でいられる特権」と、その代償
大都市の富裕層は戦争を「コスト」としてしか見ておらず、田舎の若者が実際に死んでいる
戦場に送られるのは「誰か」であり、自分ではないと信じている都市住民の慢心
「平和のなかにある平和」が他者の死によって維持されているという不都合な構図
メディアの「戦意高揚」の裏で、実際の被害は矮小化されている
戦争が続くほど、兵器産業や経済が潤っていくことへの倫理的ジレンマ
【7. 不在によって浮かび上がるギャップ】
何かが「ここにいない」ことで生まれる痛みと現実感
運動会で一人欠けた家族写真
誰もいなくなった村の青年会
帰ってこない恋人を待つ部屋だけが、時間が止まっている
戦地からの手紙が届かなくなった瞬間から、時計の針の音がうるさく感じられる
◇まとめ
このギャップの本質は、「戦争の“外”にいることの異常な正常性」です。 人は戦争が始まっても、恋をし、笑い、誕生日を祝う。 けれど、それが誰かの死と同時に起きているという“二重性”に気づいたとき、世界は一気に歪んで見えます。 その歪みこそが、戦争の「本当のリアル」の一部なのです。
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uchu-household-blue · 18 days ago
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正しいものなどないな 分かんないことばっかだな
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某シャンバラへ行く一歩手前、上野の弁天堂ぽいなって思ったら蓮の花咲いてるし、やっぱりきっとそうなんだろうな。劇場内で途中、、3回くらい強烈にシンナー系の匂いがしてつらかったぜ...1度目以降ずっとしてたと思う...1度目は無頼漢地獄の辺り、2度目は蛇神のいる畜生道の辺り、最後は須弥山辺り。学校の怪談くらいは、夏休みなどを使った想像の翼のフリーパス感と悪夢どうぞ感があったし、子供の時の遠出出先の休憩に似た疲れ方をした。兎に角の情報量がもう。キャラクターが担う思惑の見えにくさはやっぱり白黒のせいぽいかな。ヤーっ匂いが抜けてかない、外気だったのかな 空調も涼しかったので冷やさないようにせねば🛌 基本には🐉アドベンチャーのていが気になって観てみた、予告から���じるとおりドラゴンの対峙でも共存でもなかったと思われ、タイトルから差し引くと、他力の乗り物感。及び舞台としては東洋。アイデアがいいなァと思ったシーンは、触れると生前の記憶が?の仕組みと場面上のタイミング操作、閻魔のほうがやっぱり忙しいんかいっ🎾テニヌ(サングラスと蓮の柄のシャツ着用。ウェアー要るの?)何を円やかにしたのか派手にしたのか分かんないけどの画力、蛇神が皆私を崇めるんだよのほうから見た人間の心の声など演出、助けをいざ呼ぶとは?に際しての、祈りを込めるってどうやるんですか?というひとつのお題。あと鷲🦅かな。山登り。大会。そんなもののために生きていたいのか?という神からの声色。 平たいなと思うのは、則りすぎるから桃源郷がこじんまりしてしまったことと、全て過程になってしまう修行感と、苦しみの種類に共感性が無いことと、各土地に座標がついて周りすぎるのに唐突なデジタル技術や見立てに節操がない感じ(どこかで見た形かなと思ったらAIオマージュ的なワープだった)、きっとどこかでテンプレートなのであろうバーチャル効果との空間。期待以上にこうであろうの期待の先まではいけるから、ドラゴンに釣られて勇気出してよかった。戸惑う様子を与えない代わりに自ら飛び込むわけになり、だけど距離は取られているし雑多だから未知の世界としか言いようがない!シナリオは他者との共同作業よりか自分の中の目覚め。 割と冒頭で静かに、自分は一つ一つ怯えています...と独白な気持ちにも気づくが、わざとのシーンがちゃんと怖い。情報量を混雑させる大きなアイテムの挿入歌ズは匂いがなかったらツッコミたくてたまらないのでは...詞にリズム抑揚はないのでテンションが別に分からないんだけど、面白が他律的だから。。でも多分明確に狙っているのは閻魔のテニスだけなのか?またはうまい!うまい!もかなぁ。食事インサート一瞬よ?動物的と言われてしまうことなかなか無いかもだったえっ...鬼殺隊側も地獄ってことかな。 セリフや音とテンポは悪めに感じるのだけれど理由は見え隠れする、子供時代に見てみたいし、伏線に成り切ってないような部分や登場キャラクターも、ほんとはリアルと言うべきか。不自然だけどリアルというか。頭いたい。理屈や仕草は細かくて、繊細なところもあってからに、内容だけでもこうでああで...と話したくなるやつ。。''探訪がゴールではな��"で然り、その先を示すためのドラゴン乗り物だった気がする。珍しいと思うし、読む以上に教義的なのかしら。多分地獄とか死後とかは面でいいんだけど、手広く説明してはない、その無意識的な中で、温暖化を説く女性にも話を聞き切る前になんとか地獄を突きつけてて地獄そのものだったり、身売りされた女性たちの自我は悪魔的自己循環ふうにしか描かれてはなかったかなぁ。具合悪いdeath 感想ではないけれど死生の紙一重が...軽くないデス... なかなか娯楽映画ではこんなのないから妙な気持ち。'間'を無理に繕わない部分と両面に、そこを追って説明してくれるんだ...!みたく課題や学習のように思うところあり、うなされつつ。耐え切れるか?!というマインドの人がやっぱりこうやって形にしているわけだし、包摂されようもないし、手垢と共通理念って難しいしプロパガンダとのあわいに戻されもしてるかもだし。デザインし直してる以上欺いているし、やっぱり読み取るにしても趣味だもんな。。盛りだくさんすぎたけど主人公たち戻ってこられて良かったかなとは。かなわない夢の方がむしろ多い大きい大事なのであればと思いつつも、同調したら倒れるものとか、同意されてもそっちを話してないよもあるから、痛いままのものを逆撫でされたくはない されたいですは無いかなと思うけど。。つまらないほうに行きたくは無いまたはつまらなくてもやるとか言い張れることのほうに活きるもの��かない。残念や残酷はあっても。見応えはありがたい。頭が戻ってこない。具合ちょい心配😂 観る前はーポスターを道で見かけてジュブナイル的に蘇る気持ちあったし、結果的にはこうやって観てみるのかーっと勉強になった、、。人物の繊細なところが頭に残っている。観て良かった。豪華だなぁ声優さんたち ほんとに(大人についていった)子供の疲れ方をしてしまった
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sarasvati-benten-xxx · 1 month ago
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リスト解説
2024 ~ 2025の動画まとめです。まあ適当にどうぞ。続きから初見の方向けに今までの流れ。 (創作がカルマ解消な山崎プレコの話纏め) ※動画字幕型と、解説小説型と、ライトランゲージ型と色々あります。 ・2022年まで遊んでいたゲームで、ビジネス伴侶の予定が、リアル出会い求め兼生霊粘着しまくるツインソウル(ツ〇ン例とは違って魂の宿敵)と出会い、ゲームを休む。 ・2023年に粘着ソウルにネトストカされながらも、関係整理のためにゲームに戻ってサブと親密を組む(ソロ活開始) ・憂さ晴らしに、封印していた「創作スキル物語風」を取り出し、キャラ会話動画三篇作って可愛らしく愚痴を吐いて終わりにしようと思い立つ。 ・放置ブログに動画を載せたら生霊ソウルから生霊とゲーム内での粘着が届く。ムカついたので、そのまま動画作成継続。何故か、私アカウントのアバターに、相方設定した架空の後輩アバターが、創作内で告白しだしたため。 ・創作続けていたら、アバターに神様や天使が入ってキャラ形成していることに気づく。皆恋愛したがる。私の意思を無視してる。大天使ミカエルから、創作を通じた内宇宙の神性統合「神代の結婚代行」を自分のためにやってる事を教えられる。そういえば、中学の時からギリシャ神話みたいな作品作ってて、みんな勝手に恋愛やったり喧嘩してたわ…。 ・神話を書き換えろと再三言われて、視えたものを創作変換していく。相当苦手な性的な話もオブラートに包んで書かされる。2024年、地球卒業が決まる。 ・私のハイヤーセルフが、智慧概念を内包している金星の女神で、分離してメイン先輩と後輩やってることに気づく。私の魂の中の百合ップルを応援するつもりで他人事で、色々書いてたら、2025年、ギリシャ神話で付き合ったきっかけとか見せられる。史実なんか?到底受け入れらないけど、他人事で書いた。 ・全部書き上げたら、地球史にない、宇宙の歴史まで書くことに。ええ。まじで。 ・全部終わったかなってところで、ガイドと山崎の冒険パーティーを解散しようとしたら、後輩ガイドの智慧の女神から、やや切れ気味に告白される。ごめん、気づかなかった。要は、内宇宙の私と外宇宙の彼女の先輩が同じレベルに達した為、その他もっと昔から好きだし、別にそういうのじゃなくも気に入ってるし愛してるから、普通に番おうみたいなプロポーズを受ける。 ・魂は先輩なので即決していたが、人間山崎は。後輩智慧の女神をお姉ちゃんか母扱いしていたため、相当リアルでは動揺する。 ・とんでもなくリアルな女神と山崎の恋愛が始まる。デートから人を軽く超えたあれこれが始まる。私より人間臭い女神に動揺する日々。昔は普通に神がアバター持ってて、人と番っていた、私それやってた、でも、慣れてないとこがいいとかわけわかんない���週間を超えて、いつのまにか馴染んでる2人。 ・地上の伴侶への愛は変わらず、私が許容したことで、人類の恋愛史は、性別関係ない恋愛グローバルから、神と人と性別を超えたグローバル宇宙愛に移行してた。(他にも神と結婚した人増えてた) ・まあそんなこんなで、地球卒業までの日々を、すんごい楽しく過ごしています(天地ともども) 2025/05/21 【キャラクターガイドお品書き】 ・先輩:アプロディーテー、アルテミス ・後輩:アテーナー、ガブリエル ・はなちゃん:ミカエル、ハニエル ・メインの姉:大天使アリエル、聖母マリア ・ウーナ:妖精女王ウーナ、モリガン ・藍君:妖精王のフィンバラ王 ・木の葉:ラファエル、ワルキューレ ・薄紅お姉さん:ラクシュミー、吉祥天 ・館山建夫:天使ゼフロン(楽園の門番) ・タカコ:ヘーラー、ガイア、(隠れ智慧の女神) ・佐藤:ゼウス、四大元素としての神の武器システム、天空神代表 (そのほかのサブアバター) ・メガネ兼メインの父:大天使チャミュエル、八咫烏 ・現場1:大天使ジェレミエル、ウリエル ・忍者っこ:大天使ジョフィエル ・サンダル社長:サンダルフォン、メタトロン ・海里:ポセイドン ・水瀬:太古の地母神代表 ・のか:ユニコーン ・のかの姉:女神フレイヤ ・深夜(メインの母):世界中の巫女代表 【女神たちがやってくれたこと】 当時粘着してきた人が時空を超えて、念とか送ってくるので 自分たちの恋愛に置き換えることでタンクして守ってくれていた。 その間に魂の統合や仕事を手伝ってくれた。 序に後程、片割れ後輩が山崎と結婚した。 【山崎の旦那(地上の相方)】 一連のこの不思議な事を調べていった結果、山崎のツインレイだと判明する。 因みに歳の差はない。一緒にいるとひたすらお昼寝してしまう和み系。 【後輩の女神(天の相方)】 早く言えよ。最初から言えよ。 ってくらい最初はお姉ちゃんかお母さんしてくれていた 先輩大好き智慧の女神。ギリシャ神話の処女神の姿で現れているくせに 全然そういうのじゃなくて、もとをただせば原初の女性概念女神(リリス)。 すごく可愛くてカッコいい、可愛い、うんゴメン惚気。
言うとくけどね
今のネットに溢れてる占い系のツインレイ情報間違ってる。
ツインレイとツインソウル同じもののように書いてるけど違うし、
悩んでる人が沼って、占いジプシーするようにできてる。嘘ばっかりだ。インスタによく居る、統合した人たちも違う、歳とっても若くて���れいみたいな、特別感漂わせてる。違うだろう。自己承認満たすものとは違う。魂の統合がなんなのか、分かって話してない。年下を惑わせる自分、カッコイイか?そこじゃないんだよ。それはツインレイじゃない。大変なツインソウルを克服した証でしかない。
誰が書いたか知らないけど、人を迷わせる情報出した人達はまとめて煉獄に行く。
そんなにお金が欲しいのかと思う。
本当にツインレイと統合した人であれば、どれだけネットの情報や高価な統合ヒーリングが違うかわかるはずだ。
ツインレイは、年の差も立場も関係なく、無理なく一緒になる。試練があっても乗り越えられる。ツインレイは異性同士だけではないし、同性同士の場合もある。すれ違うだけでも統合は完了する。なぜ、身体を介した統合を推奨するのか。悩む人が増えるだけだろう?
ツインレイは子孫を残す場合が多い。残さなくても、何かを一緒に育てるとか、そういう仕事をするのがツインレイだ。寝ようが寝まいが、会えば魂の統合は始まる。人によっては、地球卒業する。でもそれも全てでは無い。
統合しても出会っても添い遂げても地球にまた生まれ変わるような様様なケースがある。
統合?それよりも今を生きよう。
必要ない人もいる。無理に統合を進めなくていい。
ネットベースのツインレイ情報が変わりますように。
今のお金儲け主体の情報出してる人達、無責任に統合を勧める人達、ちょっと立ち止まって天に聞いてみて欲しい。
それは必要なことなのかどうか?
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kokoroyume-iesora · 2 months ago
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転生しないで、人生やりなおし 2
『老いとは執着を手放す事である』からはじまる五蘊盛苦、それと退屈地獄
『老いとは、執着を手放していく事』だと私は思う。
 若い頃を振り返ると、随分といろんな事に拘っていたなと感じる。特に学徒の頃なんかは顕著で、半ば『狂信的で』『潔癖症な』ものがあったな、とほろ苦い。そういう『ほろ苦さ』さえも、次第に『懐かしさ』として受容していってしまうのだから、人間とは良く出来たものだ。加齢と共に色んな事を受け入れられる様になっていくのであるから。
 歳を重ねるごとに色んな事を経験する。厳密には、|種々様々《しゅしゅさまざま》な体験をし得る累計時間が増えていく。見聞を広め、この世界への自分なりの理解を深めていくことで、大体の事は『大したことではない』と言える程の、ある種の『寛容さ』が身についていくのである。
 その|些事《さじ》に|狼狽《うろた》えない、どっしりとした姿は、なるほど確かに、謂わば『大人である』と言える様な姿であろうと思う。子供や若者が騒ぐ事に、落ち着いて対応する様になっていくのだから。
 しかしそれは、一方では、『枯れている』とも言える���態なのだと私は思う。子供や若者が、『全力で』『素直に』体験を享受するのに対して、どこか『手を抜いていて』『ニヒルに』物事に当たるのだから。それだから、子供心を失った大人が『心が弾力を失う』だとか、『同じ様な日々の繰り返しだ』などと|宣《のたま》う様になるのは、当然の帰結だとさえ思う。
 これ即ち『執着を手放していく』ことなのだ。
『色んな事を受け入れられる様に成っていく』と言えば聞こえは良いが、それはつまり『色んな事に拘らなく成っていく』ことと同義であり、『色んな事がどうでも良く成っていく』ことでもある。
 幼児は欲しい欲しいと駄々を捏ねるのに、だんだんとその傾向は鳴りを顰めてしまう。それは一種の社会化であって、適応の一つであろうが、それこそがこの話の|骨子《こっし》、というか、全体に重苦しく横たわる根本的なものの正体だ。
 若者が夢を追ったり、理想に燃えていたのに、だんだんと現実を見る様に『成ってしまう』のもそうだ。
 いま私は成って『しまう』と述べたが、『しまう』という言葉には、『不本意ながらそうなる』ひいては『望ましくない』というニュアンスが含まれているきらいがあると思う。これに対して私の中で『それって別に悪い事じゃないよね』という価値観の一派が鎌首|擡《もた》げ、旗を揚げた。これぞまさに執着を手放した結果であろう。  何故ならば、私がもし夢や理想という執着を手放していなければ━━或いは手放しつつあるのでなければ━━その様な一派が心の片隅に巣食う事を許す筈がないのだから。つまりそういった変化に対して、成って『しまう』とは感じなく成り、『ただ単にそう成ったのであり、そこに良し悪しはない』と感じる者は、既にそれについての執着を手放しているのである。
 それは言葉を変えれば『諦め』であり、『明らめたからこそ諦めた』のであろうから、人生経験の可能時間が子供たちよりも多い大人には、疾うにそう成っている者が多いのだ。
 さて。『諦め』ときたところで、それはもうある種の『ブディズム』にさえ通じて居るとの考えが浮かぶ。『多くの事は大した事では無く、どうでも良い事なのである』『執着を手放して自由に成る』などと言うのは、なるほど確かに仏教の一部そのものではないか。『執着』を『煩悩』という言葉に置き換えると一層わかりやすい。
『煩悩』という言葉で真っ先に思い浮かぶのは、根本的な三つの煩悩たる『三毒』である。即ち、|貪《むさぼ》り求める心『|貪欲《とんよく》』、怒りの心『|瞋恚《しんに》』、無知の心『|愚癡《ぐち》』である。これらについて、老いて執着を手放した者はどうか。
 執着を手放しているのだから欲は浅く、細かい事に拘らないので怒らない。物理的な過処分時間の多さから、見聞を広める機会が膨大にある分、無知になりづらい。
 なるほどどうにも、煩悩の根本たる三毒を克服しつつある状態だと言えそうである。つまり煩悩を手放しているとも言えるのではないか。
 などと、『執着|≒《にありーいこーる》煩悩」の図式に拘って、執着している自分に���笑する。それに煩悩は三毒だけではないという考え方もある。ただまぁ、そちらに進むのは止しておこうか。
 ではどちらに進むか。深掘りすべき方向はどちらか。
 仏教で執着と言えば、直ぐに『四苦八苦』の事が思い浮かぶ。
『四苦八苦』という言葉は、苦労する事やその苦労そのもののといった常用的な意味があるが、元々は仏教の言葉であって、苦しみを分類、説明している言葉であると記憶している。それは『生』『老』『病』『死』という四つの苦しみ、即ち『四苦』を根本に、愛する者と別れる苦しみ『|愛別離苦《あいべつりく》』、怨み憎む者に会う苦しみ『|怨憎会苦《おんぞうえく》』、求める物が得られない苦しみ『|求不得苦《ぐふとくく》』、心身が思うままにならない苦しみ『|五蘊盛苦《ごうんじょうく》』の四つを合わせて『八苦』とする。
 四苦八苦の|殆《ほとん》どは常用漢字で表記でき、|字義《じぎ》と掛け離れた意味の概念も確か無かった筈なので、|字面《じずら》からもすぐ理解できるのだが、『五蘊盛苦』に関してはそうはいかない。こいつを最初に知った日から今に至るまで、なんと言うか、いつも、『わかりづらいなぁ』と感じてしまう。
 しかもこいつは『|五陰盛苦《ごおんじょうく》』と言ったり『|五取蘊苦《ごしゅうんく》』と言ったりもしてややこしい。どの表記でも仏教の知識が無いと、文字通りにパッと理解するのが難しいのは変わらない。ムカつく。
 加えて説明についても様々で困る。先述の『心身が思うままにならない苦しみ』の他に、『心身があることで次々と生じる苦しみ全て』といった旨のものもある。『心身を持ち生きている事による苦しみ』と言えるかもしれない。だがそれだと理解が『ふわっ』としていて気持ち悪かったので、もう少し深く掘り下げて調べたのを覚えている。
 まず分解的に字義から理解していくのが分かり易かった。『|五蘊《ごうん》』とは『五つの|蘊《うん》』であり、『|蘊《うん》』の意味は『集まり』『同類のものの集積』『集合体』『要素』『グループ』『コレクション』といった所である。これはサンスクリット語の『|skandha《スカンダ》』の漢訳であるらしく、パーリ語では『|khandha《カンダ》』と言うらしい。
 それを知って思ったのは、原語や原義を知る事の大切さである。漢字には表意文字として理解を助ける効果があるが、しかし仏教はサンスクリット語やパーリ語が元であるからして、漢字だけで理解しようとするよりも原語も当たった方が理解は促進されるように思えるのだ。因みに『五蘊』はパーリ語で『|pañca《パンチャ》||-《・》kkhandha《カンダ》』、サンスクリット語では『|pañca《パンチャ》|-《・》|skandha《スカンダ》』という。『|pañca《パンチャ》』は『五つの』といった意味だ。
 話を戻そう。
『五蘊』とは『なんか五つの集まりなんだなぁ』というのはわかった。恐らくこの二字自体で仏教とは関係なく『五つの何かのコレクション』を表意出来るが、そんな事はまずしないだろうし、一般的に『五蘊』と言ったら仏教の言葉であろう。
『じゃあその仏教における五つの何かって何さ』という話だが、『|色《し��》』『|受《じゅ》』『|想《そう》』『|行《ぎょう》』『|識《しき》』というものらしい。『|色蘊《しきうん》』『|受蘊《じゅうん》』『|想蘊《そううん》』『|行蘊《ぎょううん》』『|識蘊《しきうん》』ともいう。
 個人的理解の世界では多少の語弊があっても良いだろうという事で、私はそれを『身体』『感覚』『心象』『意志』『判断』と同じく二字統一で平易に理解することにした。『色』とは物質的なもの全般なのでこと人についてはその体であろう。『受』とは肉体的知覚。『想』とは心に思い描くイメージ。『行』とは何かをしたいという心とか、心が特定の方向に向く事。『識』とはものごとを区別する心の機能。そういう理解である。
 この内、『色』だけが体に関するものであり、他の『受』『想』『行』『識』は心の機能や作用であると分ける事も出来よう。それこそこういった区別が『識』だろうか? まぁそれは兎も角として、ここでは『つまりは心身』であるとざっくり纏めることにする。
 さて。『五蘊盛苦』を字義的にこの状態で解釈すると、『心身が盛る事に依る苦しみ』となる。なるほど、確かに体がある事で苦しむ事はあるだろうし、感覚によって生じる苦しみもあるし、心象によっての苦しみもある。意志のせいで苦しむ事もあるし、判断なんてそれこそ苦しみの元であるとさえ言える。
 仏教に影響を受けた一連の思考術━━心理状態と言った方が正確かもしれないが━━及び瞑想メソッドとしての『マインドフルネス』がこの国で流行ったのは2010年代頃だったと記憶しているが、その中心概念として『今ここに集中する。評価をせず、ただそのままに受け取る』といったものがあるが、あれは『識』に依る苦しみを排するものであったのだろうか。
 などと考えてマインドフルネスを調べると、それはそれで『|八正道《はっしょうどう》』という八つの実践徳目、修行システムの内の一つが元ネタらしく、これには『|中道《ちゅうどう》』というまた別の概念が関わっている様子で、仏教的に正しくはない知見らしいことを知る。堪らず、『いやぁ仏教って奥が深いなぁ』という建前と『用語ばっかだなぁ』とか、『数字列挙好きだなぁ』といった本音を抱いた事は懐かしく思い起こされる。
 まぁそれはいいや。  とりあえずここまでで、『|五蘊盛苦《ごうんじょうく》』は『心身がある事に依る苦しみ』といった意味だと解釈する事が出来た。だがまだ欠けているピースがあり、それを埋めない事には早計というものである。情報の出揃っていないミステリーで推理をするようなものだ。それはそれで楽しいし、当たるかもしれないが、論理的で再現性があるとは言えない。閑話休題。
 そのピースとは『|五取蘊苦《ごしゅうんく》』という別称である。『五取蘊』もまた色蘊、受蘊、想蘊、行蘊、識蘊の事であり、省略して五蘊とするという事なのだが、その省略された『|取《しゅ》』が実は大事なヤツである。『取』とは『執着』を表すパーリ語の『|upādāna《ウパーダーナ》』の漢訳であり、それ自体がサンスクリット語の言葉、及び仏教の概念である。
 この『取』は煩悩の一種ともされ、苦に繋がるものであるともいう。私としては『執着』と『煩悩』は近似であるという主張を推したいが、この考えに倣えば『煩悩』が『執着』を包含しているという事になる。私としてはそっくりそのまま採用していないが、まぁいずれにせよ近しい間柄っちゅーこったね。私としてはアレだけどね。
 でその『取』を含んでいる方の呼び方である『|五取蘊苦《ごしゅうんく》』という言葉、実はこっちの方が『五蘊盛苦』よりも原語に忠実なのである。『|五取蘊苦《ごしゅうんく》』及び『五蘊盛苦』はパーリ語では『|pañc《パンチャ•》|upādānak《ウパーダーナ•》|khandhā《カンダ•》 |dukkha《ドゥッカ》』と言うのだから。
『|upādānak《ウパーダーナ•》』は先述した通り『取』のこと、つまり『執着する事』である。『|pañca《パンチャ》』が『五つの』といった意味であることも、『|khandhā《カンダ•》』が『|蘊《うん》』の事だということも、前述の通り。『|dukkha《ドゥッカ》』は『苦』とか『苦しみ』という意味であり、仏教について調べ物をする際には直ぐに現れる言葉なので意味は知っていた。
 これらを踏まえると、『|pañc《パンチャ・》|upādānak《ウパーダーナ・》|khandhā《カンダ・》 |dukkha《ドゥッカ》』とはつまり、『五蘊に執着する苦しみ』だと訳す事が出来る。
 これを知って私は『そうか! そうかそうか!』と唸った。今は昔の芸人の如くテンポで。などという話はさておき、『|五取蘊苦《ごしゅうんく》』の方やその原語である『|pañc《パンチャ・》|upādānak《ウパーダーナ・》|khandhā《カンダ・》 |dukkha《ドゥッカ》』に着目すれば、その意味は『五蘊に執着する苦しみ』だと言えるという事がこれでわかったのだ。
 では『|五陰盛苦《ごおんじょうく》』は? これは訳の違いであって、『|五陰《ごおん》』とは『|五蘊《ごうん》』の事であるという。『|五陰《ごおん》』は旧い訳、『|五蘊《ごうん》』は新しい訳で、同じ概念を指してはいるものの、しかして漢字文化圏の経典に於いては『|五陰《ごおん》』の方しか出てこないという情報があった。
 しかしあの時はもう調べ物に疲れていて、そこについて深掘りする気にはなれなかった。他にも別称が幾つかあるという話もあったものの、調べても出てこず余り一般的ではないのだなと結論付け、記憶から消した。
 あと『ごおん』だの『ごうん』だの思考音声を脳内再生しすぎて、鐘につかれた体のように頭がぐわんぐわんとしてくる様な錯覚を覚えたので、『この話はこれくらいにしておこう』という提案が私の中で成された事を何故か鮮明に覚えている。何故だろう? まぁいいか・
 ただ、最後にもう二、三くらい何か調べてから眠ろうと、あの時は思って、その通りにそのまま調べものを続けていたら、一つ重要な視座の情報に行き当たって嬉しかった事も覚えている。
 私はずっと疑問だった。『|五蘊盛苦《ごうんじょうく》』の様々な説明を読む度に、どうにも、『それって他の四苦八苦の苦しみと内容重複してねぇ?』という風に思えてならなかったのだ。『でもそんな筈ないしな』という謎の先入観によって、その所感に不協和を感じていたのだが、遂にそれが晴れる時が来たのだ。
 それは『四苦八苦の前七つも含めて五蘊盛苦なんだよ』『五蘊盛苦とは全ての苦しみのことなんだよ』といった旨の情報である。これには痺れた。今までの疑問、違和感、不協和が全てダントツに爽快に晴れるかのように感じられるところであった。
 とはいえ待て待て、と自分を抑止する。『これはネットの���索チョットの情報でしかない。果たして信じられるのか?』『経典の根拠が示された所で、それが釈迦の考えとは限らないしなぁ。特に大乗仏教の経典は』という風に。
 同じくインターネットに経典がアップロードされていたりもするが、それが本物であると担保する信用など何処にも無いのだ。ネットは嘘ばかり。何故ならリアルが嘘ばかりだから。かといって門外漢の素人が経典の全文を正当で権威ある筋から入手するのはハードルが高い様に思われた。知らないだけかもしれないけれど。
 なにより、釈迦は自ら文献を遺しておらず、仏典というものは全て釈迦以外の人間が記したものである。今日において仏典は数千巻もの膨大な数にのぼるというが、釈迦の書いた言葉はそこには一つも無いのである。各経典の成立年代や釈迦が生きていた時代を照らし合わせると、千年近い開きがあるものもすぐに見つける事が出来る。
 別に初期仏教しか認めないという過激派ではない。大乗非仏説を唱える様な気はなく、大乗仏教も素晴らしいものであることには違いない。ただどうにもそこには、今も昔も、宗教団体の利権的なものが横たわっている様に感じずにはいられない。
 実際に兄の葬儀で生臭坊主に当たってからというもの、その不審感は増すばかりだ。あ、そういえば私の葬儀はちゃんと行われたのだろうか? ……まぁもう関係ないか。産まれ直しちゃったし。そもそもここはパラレルワールドなのか、タイムリープなのか、そこからして不明だ。どういう理屈で、何故私は産まれ直されたのだろうか。
 …………今はいいか。
 いずれにせよ仏教は様々な考え方やら解釈があり、それは宗派やさらにその分派があることからも明らかである。一筋縄で行く様な単純なものではなく、教えをただ守っていればいいというものでもないのではないかと思う。
 ちゃんと自分で考えて、研鑽、探究、追求すべきだ。
 大乗仏教の一切衆生を救うというのは素敵なことだが現実的ではない。まぁ今まさに現実的でない状況に置かれている私が言っても説得力がないが、別に誰かを説得したい訳では無いので困らない。
 現実的でない繋がりで言えば、もし今ここにお偉い歴史上の御高名な坊さんが現れたとしても、私はその話は聞けども盲信することは努めてしないだろう。その坊さんに私の仏教観について間違っているだとか言われても、『じゃあ全ての宗派やら派閥を統一してください』と返すだろう。私は私の考えを持っており、私の仏教観は私の仏教観であり、私の考察は私だけのものだ。言うなれば、私は私の宗派を持っているのだし、実はそれは全ての仏教徒がそうであるのでないかと思う。
 感覚器官や脳構造が一人一人違う以上、クオリアという主観的事実が皆微妙に異なっている筈であり、同じ波長の可視光線、音波、同じ言葉でも『どのように感じるか・受け取るか』というのは人��れぞれである。考え方や価値観というものも人それぞれ違う筈だ。
『多様性』とか『ダイバーシティ』という言葉を、人々がバズワードや自分を守る盾としてだけで無く真に信奉しているならば、それを受け入れられる筈だが、現実にそうはなっていないし、そうなることも恐らくあり得ないだろう。
 人が人である以上、人は争い、人の邪魔をする。利己を追求し、愉悦の為に非道な事をする。これは変えられない。誰にも。その実変えようともされていない。
 だがそんなことはどうでもいい。
『だって執着を捨てたから』
 ……何の話をしていたっけ?
 仏教の前のことだ。何だっけ?
 ……まぁ思い出せないので、思い出すまでは仏教の話の続きでもしようか。
 といってももうエピローグみたいなものだ。クオリアの話を思考している時にちょうど五蘊についてその関連性から想起していたのだが、科学の発展していないどころではない時代に、よくもまぁこれほどの事を考えたものである。
 仏教は素晴らしい。  他の宗教も素晴らしい。
 そして執着を手放した私にとって。
 仏教はどうでもいい。  他の宗教もどうでもいい。
 これらは両立している。矛盾した考えを持つなという論理学か何かのルールに縛られるつもりはない。人間は矛盾しているものだと思うし、『矛盾していて何が悪い』とも思う。この『何が悪い論法』を私は好んで使っているし、自分の発明だと思っている節があるけれど、絶対ずっと昔に誰かが疾うにやっているし、今も多くの人が採用しているんじゃないかな? 知らんけど。
 この『知らんけど』も私は子供の時分から使っており自分の発明だと思ってる節があるが、絶対ずっと昔に誰かの口癖だったろうし、今や多くの人が使う定型文みたいになっちまって私は悔しい。どうでもいいけど。
 この『どうでもいい』が口癖の人間は周囲を苛立たせがちだが、とあるゲームの主人公の口癖であって、彼が使っている分にはカッコよく見えるのは、神目線のフィクションを見ているからなのであって、実際にその『彼』が現実にいたらやっぱり『ウザい』のだろうか。
 この『ウザい』という言葉も最早古いと感じる向きがあり、今時は『ダルい』だよねという話が|方々《ほうぼう》でなされていたりするのだけれども、そう感じない人もまだ多数存在する訳で、そんなしょうもない事に拘ってるのって如何にも若者だなぁというカンジ。
 この『カンジ』というのとか、『如何にも若者だなぁ』とか、『しょうもない』とか……ああ、キリがない。これくらいにしておこう。
 連想ゲームみたいなこのお遊びをしている程に私が暇なのは、私が赤ちゃんだからだ。
 どうやら産まれ直したらしいとわかったのは、私を生んだ瞬間の母と、その後やってきた父や兄を『産まれてはじめて』見たからだ。厳密には前に一度だけ、同じ光景を見たのかもしれないが、幼児期記憶は消えるのが一般的なので、この表現をしても差し支えなかろう。
 私がずっと仏教やらに哲学めいた思索に耽っているのも、私が赤ちゃんだからだ。
 十数年前頃から流行り出し、今や定着した『転生もののネット小説』のように、転生したりはしなかった。どうにも同じ人生やり直しらしいとわかったのは、『産まれて直ぐのことである。』
 うん��この赤ちゃんジョーク、気に入った。これからも使っていこう。まぁまだ、自分の心の中でしか喋れないので、オーディエンスは自分だけなのだが。
 困った事に、手も足も出ない。赤ん坊とは斯くも退屈なものか。それに無防備であって、排泄物を『このトシで』人に処理されるというのは、非常に遣る瀬ない気持ちになるのだが、共感して貰えるアテは絶望的だろう。
 骨折とかして動けずに、入院している人とかはわかってくれるかもしれないが、如何せん喋れもしなければ当然ネットも出来ない。気持ちを伝える事が出来ないというのはもどかしい。自分はこれほどまでに強く共感を求めるタイプだったか? そう思うくらいには、なんというか、『寂しい』のであると思う。
 知らんけど。
 しっかし、目もよく見えないし、ほんとうに、考えることぐらいしかやることがない。かといって理系の方はからっきしなので、生前から若干興味のあった哲学とか、宗教とか、そういうものぐらいしか今は思いつかない。
 勿論何か思い出せば、連想すればその限りではないが、両眼視野闘争などが大人の自分と異なっているからなのか、単純に脳の発達がまだ未熟なのか、思い出せることや気付ける事に限りがある様に感じる。
 一体どういう理屈でこの赤ん坊の体に、年寄りの自分の知識や意識が存在しているのか、皆目見当も付かないし、不思議で仕方ないのだが、現に今ここでそういう事が起きているのだから受け入れる他ない。
 赤ん坊の見える世界が白黒なのだという事など全く知らなかったが、これは果たして正常なのだろうか。産まれたての頃は余り遠くも見えなかったのが、最近は少しずつ視界良好になってきているが、これは成長をしているのだろうか。だとすればその内に色彩感覚を獲得するのだろうか。それともこの奇妙な状況に置かれている自分にだけ起きている、矢張り奇妙な現象として世界は白黒なのだろうか。
 また、何もわからなかった。
 わからない事を考えても仕方がないので━━仮説を立てることは立てるが━━とりあえず成長を待つ事にした。というか、それ以外にやり様もない。それで暇なので、すぐに連想ゲームめいた思索に耽けってしまうのだ。
 今だって、また五蘊の事が気になっている。五蘊。五蘊ねぇ。赤ん坊の身からすれば、五蘊そのものも、色も受も想も行も識も含めて、より一層興味深い話だ。
 五蘊は人間の肉体と精神の話だが、肉体と精神とは即ち自分というものの全てではないだろうか。この世界を観測し認知出来るから自分があるという方向性に哲学出来そうだし、自分にとっては観測し認知する自分という存在が消えれば、それはこの世界が無くなるのと主観的に同義だとか、そんな思考に耽る事も出来る。
 最初はやけに取っ付きづらい概念に感じたが、ちょっと調べて知ってみれば実に楽しい概念である。そこから色んな話に考えを発展していく事が出来るのだから。
『生前は』日常の中で忙殺されてそんな十分な時間もなかったけれど、今ならば赤ん坊。時間はこれでもかという程ある。それに他に出来る事もないし、考え放題だ。やったね。
 ……いや、暇な���だけどね。
 ……はぁ。
 ……やめよう、暇について考えるのは。
 うん、別のことを考えよう。そうだな、例えばさっきの話で、五蘊こそが、心身こそが自分の全てでないか、��いう話についてもう一度少し考えてみよう。
『そうである』と言い切れない理由としては、真っ先に思いつくのが『他の要素があるかも』という指摘であり、その第一案は『魂があるのでは?』という考えだ。魂などというものがもしあるのだとすれば、どうだろうか。そもそも魂とは?
 色んな価値観やアイディアがあると思うが、魂と精神は同義であると考えることもできると思う。別と考える事も出来るが、斯くも不思議な体験をすると、同義だと思えるもので、今の私は同義派に一票といったところである。そういえば宗教は、物質界と精神界を分けていたっけ? うろ覚えだけど。
 しかし魂といえばキリスト教ではないか? と、キリスト教的な事も考えたいが、キリスト教について何故か今日はよく思い出せない。まるで頭に|靄《もや》がかかったように覚えていたことを思い出せないのだ。ダンテの|神曲《しんきょく》とか、読んだことは覚えているのに、一節どころか一要素も思い出せないのはどうしたことか。辛うじて浮かぶイメージは氷……悪魔……煮えたぎる鉄……? それは別の本だったっけ?
 ああもどかしい! 思い出せないことを思い出そうとうするのは今はやめよう! 魂については色々とオリジナルな持論があるけれど、それも敢えて再び俎上に上げるだけの魅力を今は感じない。つまるところ、今日の私はどうも、魂についてはそれほど考えたくないらしい。今の私の状況的に、そいつも大いに|唆《そそ》るトピックである筈なのにね。
 まぁそんな日もあるさ。そうだ! 五蘊について考えよう。色は物質的なもののことだが、色と言われると今の私にはどうしても『カラー』の方の色が色濃く連想されてしまう! 色々と考えたいのだけれど、色については連想していくと色んな怖い想像が浮かんで私内の全私が色めき立つので、色については止めよう!
 そうだ、受についてはどうだろう? それも感覚器官やんけ! こんちくしょう!
 想については?
 ……。
 …………。
 …………何も浮かばない……。
 …。
 辛うじて浮かぶのは……。
 氷……天使……吹き荒ぶ光…………?  なんだろうこの心象風景は。  なんかのゲームかな? それともライトノベル? ネット小説かも。わからないな。
 …。
 ……わからないけど何故だろう。
 ……。
 ………………すごく悲しい気がする……。
 …。
 ……。
 …………。
 やめよう!!!!!!  想はナシだナシ!
 じゃあ識はどうだ!? 識は!?  判断、判断ねえ。  おそいなぁ、母さん。  父さんも兄さんも。  これじゃネグレクトだよぅ。  欧米だったら犯罪やで?
 ああやめよう! 碌な事思いつかない! もう今日はダメだ! 考えるな! 感じろ!
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 何を????????
 うわあああああああああ退屈だあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああおああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!あああああああああああああああああああああああああああああめあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!  早く大人になりたいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいリいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
 うわあん、これじゃまさに『生きて心身があることによる苦しみ』だよぉ!!!!! 『心身が活動をしているだけで、次から次へと湧き上がる苦しみ』だよぉ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
 まさに五蘊盛苦。
 まぁいいか。
 退屈に対する執着を捨てる。
 こうして私は、またひとつ大人になった。赤ちゃんだけど。
 と、創作物のようにオチがついて終わればいいのだけれどね。  現実は続き、眠くなるまではこの膨大すぎる時間と、『手も足も出ない現状』を持て余すんだよね。  はぁ。
 …………そういえば、『老い』と『執着』と『四苦八苦』について考えていたんだったっけ。
 心の中で暴れ回った結果、何の話をしていたか思い出した。あれも無駄じゃなかったんだね。人生全部、意味があるね。二界目だけど。二回目で。
 さて。
『四苦八苦』について、『生前』の私はどうだったろうか。
 生まれた事を受け入れ、老いる事を受け入れ、病む事を受け入れ、果ては死ぬ事を受け入れていたとおもう。
 私は思春期から今日にかけて、生まれる事による苦しみを受け入れたし、最近になって老いる事や、同時に病む事を受け入れた。死ぬのも怖かったが、きっと加齢と共に受け入れていけるのだろうという予感がある。そしてこの道程は決して、私個人だけが辿るものではないのだろうと察している。
 では四苦八苦の残りの『八苦』はどうであろう。親しい人と別れる事を受け入れ、恨み憎む人と出会う事を受け入れ、求めるものが手に入らない事を受け入れ、心身が思うまま生じる苦しみや痛みを受け入れてゆくのは、これも矢張り『老人』が経るであろうものと思われる。
 現状では人間誰しも親があって生まれるが、多くの者は親を看取る事になる。親と不仲な者も居ようが、そうであっても親友との別れなど、親しい者との別れは人生を生きれば生きるほどに避けられないところだ。人生を経るほどにと言えば、恨み憎む者と出会う事は避けられないであろうし、求めるものが手に入らないという体験も沢山するだろう。そして五蘊盛苦。
 五蘊盛苦をどう解釈するかによって話は全く変わってくるのだが、いずれにせよ、私はそのどれをも受けれいてきているように思う。
 こういうと、『偉そうに。自慢か?』と、自分の中の、アメリカンダイナーで朝食を摂っていたら襲撃してくる世紀末めいた、パンクロックファッションの、顔を白塗りにして、どこぞの美少女戦士の如く両お団子なヘアースタイルにした、くすんだブロンドの、アメリカンなガール(それこそ某有名アメコミブランドのヴィランでそういう娘いたなって感じなのだけれども)が、僕を睨みながら吐き捨てるのだった。退屈すぎて、めちゃくちゃ長いセリフ(というかモノローグになるのか?)を、頭の中で誦じた。そして頭の中で括弧付きで思考する。退屈すぎて。話を戻して?
 ええと、つまりだね、ワトソンくん。わたしゃもう疲れたということだよ。この肉体の牢獄から我を解き放っておくれ! ええい、いつまでこんな退屈地獄を味わにゃならんのだ! こんな所に居られるか! ワシは部屋に帰らせても��うからな! ってここが部屋じゃったわい。どうして俺っちがこんな目に遭わない行けないんだYO! アタイ早く大人になりたいの。ミーはもう限界でやんす。さっさとこのつまらない状況を脱したい。フィクションだったらシーンチェンジしたり次の話に切り替われば脱せられるだろうに、ワテはリアルを生きとるさかい、そうは問屋が卸しませんがな。ガハハ! 自分は! この様な状況に於いても、冷静に! 任務を果たすであります! ボクチンあたまおかしくなりそう。もうおかしいのかも。おかしくて何が悪い。出たな何が悪い論法。えいや! えいや! どうだ! 参ったか! 観念しろ! |某《それがし》に楯突いて、五体満足で帰れると思ったか! このたわけめ! おおうつけもののお主には斯様な憂き目がよくお似合いじゃあ! ハッハッハッハ! 拙者マジで辛いでござる! ボキのご飯といえば粉ミルク、あとは母乳だけ。何が悲しくてこのトシで母親の以下略。思い出したら気持ち悪くなってきた。おえ。
 ああ! 窓に! 窓に!
 猫ちゃん!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!  !!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!���!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!  !!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!  !!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!  !!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!  !!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!  !!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!  !!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!  !!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!  !!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!  !!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!  !!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!  !!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!  !!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!  !!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!  !!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!  !!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!  !!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!  !!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!  !!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!  !!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!  !!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!  !!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!  !!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!  !!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!  !!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!  !!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!  !!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!  !!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!  !!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
 猫ちゃんを眺めて、退屈を凌ぐか。
 うちも猫飼ってくんねぇかなぁ。無理だろうなぁ。だって昔飼ってなかったもんなぁ。てかそういやスマホもないよな、ここ。インターネットも? ヤバ。生きてけない。生きていけるんだろうか。
 |漸《ようや》く眠たくなってきた。  やったね。これでもう今日とはおさらばだぜ。もしまた今日起きたら泣いちゃうかも。
 ……ああ、だから赤ん坊って、泣くのかな。
 ……………。
 アレ?
『もしかして:人類全員自分の人生やり直してる?』
 幼少期の記憶はないのが殆ど……。輪廻転生……。生という牢獄……。終わらないサイクル……。
 ま、まさかね??????
 そんな訳ないよね????????
 うう、俄に怖くなってきたぞお!!!!!!
 さっさと眠ってしまおう!
 俺はこんなところに居られるか! だからやり直しなんてしたくないのに!!!!!!!!!!!
 もう五蘊盛苦なんて、こりごりだよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!
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renachtara0313-blog · 2 months ago
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願い事と後悔
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 たくさんの後悔をした。多くの後悔にまみれることは日常茶飯事だけど、今回の後悔と苦しみの内容は、これまでと少し違うのかもしれない。
 うっかりというか、話が通じるかと思って昔好きな作品の話を親にした。しかし、今は色々考えた末、かつて追いかけていた作品も、そこから出てきて元々好きになった誰かも、さよならした状態だ。その結果、当事者は何も考えず適当に言っているだけだろうが、鞍替えしたのだとか、放ったらかしなのだとか、日本刀とか歴史への関心が失せたのだとか、言いたい放題言われるようになった。事実は変わらないから左耳で聞いて右耳で流した。彼らには、当然ながら、理解されないと思っていたので、昔の作品や昔好きだった対象を追っていた時の苦しみについては、一言も喋ったことがなかった。
 アウトプットする機会を失っていたが、心のしこりは残っているので合わせてもう一つ吐き出す。別のブログの記事に書いた話とも間接的に繋がるが、「作品の作風と、日記から滲み出る本人の感性や人柄がものすごく好みだった」作家さんに対して、ずっと見ているとファン以上に個人的に仲良くなりそうな邪な思いを持ちそうだったので、自らSNSを断ち切りながら、その人の作品を見なくなったことがある。人様との距離感も掴めないなんて、お前(私)はなんてバカなの!と絶対いろんな人に言われそう。ああ、言われることは覚悟したさ。でも、私は必死だったんだ。だから、これ以上拗れさせない判断をした自分に、拍手と乾杯だ。人付き合いが下手な自分が悲しいね。
 本筋というか、画像と繋がる話題に戻す。今、新しい好きな人が、二人いる。深く追いかけるようになった作品を発としたのでルーツが同じ、親遠戚関係にある、二人。画像は、二人それぞれにゆかりのある、物や人工生命体。真ん中は、主体/アバター。メアリー•スーだと罵られそうな、切っても切れない自我。
 二人とも、数えきれないくらいの理由がどんどん見つかって、好きになった。「楽器を手にとって戦う」「ゴシック(若干のロリィタ入り)調の服装が似合う、黒髪ロングヘアーの麗人(幼い見た目ではないものの、透明感のある印象)」という基本的なプロファイルから一目惚れするにぴったりだったお姉さんは、話し方を知り、考え方を知ってさらに好きになった。彼女の音楽は人の内面、もう少し踏み込むと強い願い、誰かにとっては本能や本性に気づかせ、見せてくる、その結果強い願いに気づいた誰かが行動の変化を起こすことがある。善人は少ない、且つ、自分の内面と向き合い、意思で何かを選びとる行動を起こさなかった人々にとって、この音楽の力が巻き起こす結果は地獄絵図だったようだ。彼女の母の葬儀に来た人のうち、母を心から慮り、尊敬していた人がほぼほぼいなかったことを知った時、幼い彼女はどんな気持ちだったのだろう?
 公式で提示された逸話に涙を流して以来、私はずっと彼女を追いかけてきた。アルトリア•ジアロの言葉と行動は、エピソードによっては苛烈であり、深い考えと内省のない人々を突きながらも、その内面には「どうしようもない人々が、どこかで持つ善性をまだ信じる」ところが良く見えるのが好きだ。信じているからこそ彼女は自分の理想に背かず行動し、自分の行動を否定もせず、下されるべき審判なら受ける、というスタンスも美しいと思った。なんて気高き魂なのだろう。どこかで見た「この悲しみもいつか終わるわ」は、彼女が自分自身に言い聞かせているものだろうか?人の誠実さを期待しているからこそ、自分の音楽が他人にどのような影響を与えるか分かった上で躊躇したものの、結局教えを乞う子供にチェロを教えてあげたこともまた印象に残る。
 後、彼女について「私が」話す上で省略できないものは、彼女自身が「自分の音楽=鏡」と誰かに伝える場面があったこと。自分の心を見せる鏡…って、「私の頭の中に昔からいる」、世間で言う「オリジナルキャラクター(一次創作キャラクター)」の本質と通じているじゃん、これ。実際に私は、鏡が人の形を得たような女(女の子)の人物(像)を作ったことがあり、たまにその鏡娘との脳内対話と、鏡娘からの叱咤を通じて自分の心を落ち着かせた経験がよくある。(当の鏡娘は、元々相対している人の本音を突き付ける話しぶりをする存在であるため、誰かにとっては腫れ物•誰かにとっては気付きを与えるポジションとして、何らかの物語で動くつもりだった。が、物語は特にないまま、結局私とたまに会話をする存在として落ち着いてしまった)鏡娘も黒髪ロングヘアーで多少ゴシックな衣装を纏っていることもあり、偶然にも関わらず、アルトリアとの繋がり(共通点)を感じてしまう。このような自分の感性により、自然と心理的距離が5G以上の超速で縮んでしまい、(前述した元からいる鏡娘ではなく、アルトリアの方)彼女が頭の中に住み着くまでそれほど時間はかからなかった。もう少しすれば元の作品であるゲームの方でも、お迎えできるようになる。長いようで短い、6ヶ月ー7ヶ月だった。
 ここまでも大変長い文章になった自覚はあるが、いよいよ弟君の方の話をしなければならない。ので、カメラを止めないように、この筆も止めない。
 アルトリア以上にフェデリコの話をずっと、大分長い間温めていた。何せ、近づいたきっかけが、「近遠戚ならアルトリアの話してくれるのかな」という気持ち、当時「男性」という存在として好きな存在は他にいたこと、だからこそ性的な雰囲気が一切しない人でない限り、気になって調べたり近づく気がなかったこと。きっかけのほとんどが、ものの見事に当事者にフォーカスしていないのだ。彼を好きな理由を述べても、他の誰かや何かへの当てこすりが入るのではないか、それは嫌だな、と思ってずっとしまい続けていた。でも、もう想いが破裂しそうなくらいに膨らみ続けたんだ。そろそろこれを、外に出そう。どんなものであっても、彼を好きな理由に嘘はないし、好きな理由が彼以外の誰かに当てはまることはないのだから。
 「結果を伴わない言葉には何の意味もない、だから、彼がこの事件を解決できると口に出すことはない」。フェデリコが主役だった話の中で、一番好きなフレーズ(モノローグ=状況説明)である。多分読み返すともっと気に入る場面や言葉があるだろう。だけど、私は初めて心に残ったこの話を、一番に挙げたい。世の中、誰かを心から思いやってもいないはずなのに、口先では人当たりの良い言葉を伝えられる人が、どれほど多いことやら。具体的な施策もできることも手伝えることもないのに、「頑張れ」「無理するな」だけで人は救われるのか?私は決してそんなことはないと思う。ちょうど彼のストーリーを読んでいた時、私がその傍らでよく見ていたニュースが、東北地方ー特に青森とかの豪雪の話だった。いや、雪かきお疲れ様の言葉で解決する問題じゃないだろう。特に定職についていない若者を全国から総動員して、人海戦術で雪を何とかするしかないのか。アンドロイドが降りすぎた雪を溶かすことでなんかの発電エネルギーに変えてくれないものなのか。自分は雪が降らない地域でしか暮らしたことのない人間だけど、様々な縁があって青森県は好きなので、もどかしいやら何とやらでインターネットを見るのが苦しい冬だった。青森とラテラーノ•アンブロシウス修道院には何の関係もないが、ともかく、この1節が決定的なきっかけで、「フェデリコ•ジアロは信頼して良い人物だ…彼は自発的に考えて、決断して行動を合わせて行い、無駄な言葉を発することはないだろう!」と思えてしまった。
 彼の人柄が見えやすい話を先に聞いたということもあってか、それからは彼の言葉や行動の背景が一段と分かりやすく、素直だなと感じることがほとんどだった。言われている通り冷たく見える表情が、顔は切れ長に整っているけど、ほんの少し、そしてたまにしか笑わないから他の人には冷たく見えるのだろうなと思ったり。機械のような言葉は、彼が上手に取り扱えるもの(機械を触ることが得意だった)を元に自分の言葉に置き換えたのでは?と思ったり。脳科学の軽い本を読んで得た知識に基づき、「彼の光輪についたアンテナが少しずつ増える背景は、シナプスの一部がアンテナに反映されているけど、彼の思考と想像•感情などの拡張によってシナプスが拡がっている?」と密かに勝手に妄想している。根拠も薄いし、他の理由で覆されそうなので本人には(?)言わない。
 加えて彼は、妥当性のある理由を自分にも他人にも求めるタイプでありつつ、決めたことに対しては真っ直ぐに全力である。殉職した同僚の遺言に基づき、経費でアイス100玉を月日をかけて代わりに食べに行く(!)とか(その結果アイスクリーム屋のVIP会員権を貰ったとの話がある)、妻を失って廃人になった叔父(※伯父だったかもしれない)さんが「昔は幸せだった。アルトリアとルチアーナ、皆で水鉄砲遊びをしたりして…」と話を切り出したら、「望みであれば半休を取って遊びに行きましょう」と返していた。全力が通り越してかわいい。不本意な評価と言われそうだが。このマルチェッロさんに対しては、妻を喪い娘(アルトリア)はまともに直視できずで自分と生活も省みれなくなっていた時、幼い時から寮から帰った時に、フェデリコが世話をしていたようである。リアル父子家庭の悲しい世界を見るようだ。また、先天的に他人の感情を理解できないということを理解している中、両親が殉職したことを目の当たりにし、「他人の感情を理解できる人になりなさい」という遺言に従って努力を今も続けている。具体的には、図を描いて他人の感情を理解しようと試み続けている。
 ここまでなら不器用で誠実で、性に基づく家父長性を感じさせない、フェアで可愛げのある青年である。で、終わりなのだが、終わらなかった。彼が誰かに好意を持つことがあること、好意を持った前提での言葉と行動を、いくつも見せられてしまった。夢に出て、脳に居座ってきたら、それはもう幻覚ではない。最初はさすがに私も「私は私に過ぎない、博士と同じ位相の存在になることなんてできない」と言い聞かせていたが、「意識の共存や、人格と体格の交換とか、未来とかどこかで可能になる話だしな…」というご都合主義兼確固たる頭が働き、博士はプレイヤーでないと誰かに言われても、もう無理ですーと返すほかない状態になってしまった。ちなみに好意の前提の言葉と行動は記載しないことにした。私宛の言葉は私だけの秘密である。
 なお、好きであることには、様々な苦しみがついてくる。自分の好きの形が歪なので、「仲良く喧嘩する幼馴染���のような、関係は深いブラザーシップは分かるし納得するけど、近遠親相姦は無理」とか。これは他の人による創作を見ることを控えることで、回避していくほかない。(公式は…まあコンプライアンス上(コンプライアンスとは??)相「恋愛」相「姦」は直接出さないだろうと思うしかない)後は、物語(メタ目線含む)など様々な面で、彼と彼女の寿命が早く来たり、どちらかは国の都合によって犠牲者になるのか?という心配。これも結局はコントロールしようがない心配であることに加え、「必ずしも私たちの元いた星で一緒にいるべき、とは誰も思ってないわよ?」という話(※これは作品発の言葉ではなく、彼女→私宛の会話)にヒントを得て、器や過ごす形が変わっても、何らかの形で一緒にいれば良いのだろう、という結論に落ち着いた。
 後、思い出したので文末に付け加えると、ひょっとすると今年はフェデリコの誕生日に年休消化する(できる)かもしれない。宮城県(仙台Etc)に行けば良いなと思っている。良い計画を立てれば良いのだが、当の今の現実の私は、オーストリア•ドイツ旅行の準備でいっぱいいっぱいである。テラじゃない、ホモサピエンスの地球のリターニアである(?)。
 今度こそはが、今度こそを繰り返すばかりにならないといいな。いや、繰り返すばかりにならないように、自分が何とかしたいな。好きな人を、永く好きで居続けたい。好きを貫ける下地を維持するために、自分の現生活で改善できる点は改善していきたい。後悔を減らすことが私の願いなのか、ここでやっとタイトルを回収した。
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projecthedz · 5 months ago
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250204 火
【3:30】
そろそろ寝る。会社にスタッフまだ全然いるからネカフェで寝よう。朝起きてから一度も寝てないが、今の時点まで全然眠気に襲われてない
いい、最高だ。肉体を理性が制御できている
20代中期くらいのセルフコントロール感
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さっき、このテンションの高さはFPVドローンにハマってた時と似た「一過性のもの」なんじゃないのかって思ったけど理由が根本的に違ったわ
ドローンは操縦そのものが楽しかったのとレースに出場し一攫千金夢見てた事によるブースト。今回のは30代以降一度も味わったことのない「健康の回復」によるもの
我ながら大げさだと思うが、本当に8時間以上連続で起きてることなんてこの10年ほぼ無理だった
1日中サラダだけで過ごせば起きていられない事もないがそうなると今度は栄養失調で眠くなるし筋肉が分解されてサルコペニアになるし、もう一日の実質的な活動時間は6時間くらいで一生固定なんだって思ってた
今日は夜につけ麺大盛り食べた。しかもそれから5時間以上経ってるが眠くない。前頭葉が活性化している感覚がある
ここ数日は朝にラジオ体操してる。これもいい影響及ぼしているっぽい
LINEにこーいうどうでもいい「お爺ちゃんだけど日々頑張って生きてますアピール」ひたすら送ってくる先輩いてウザいんで、自分も書きすぎないようにしないとな(もう手遅れだが)
元気になったら元気になったでとっとと描けよ作れよ覚醒しろよ
「結婚して子供生まれてその子供がすげー素直でいい子で父親である自分の事を嫌わないでいてくれること」は400%奇跡だが「元気になって仕事ができること」は別に昔から出来てた「当たり前のこと」だろうが
私はとにかく20代の頃、皆が様々な理由により業界をドロップアウトしてゆく中で「仕事に関しては」むっちゃ真剣に向き合えたし成果を上げることができていた
言われたことをただやるんじゃあなくその環境に必要なものを適時提案しプログラマーと共にツール開発しなろう系主人公のように効率的に経験値&実績稼いでた
だが、友人の図抜けた大成功を観てそれまで誇りにしてきた実績やそれに基づく優越感が完璧にカスと化し...
うん、もういい。あん時にブルーロックみたいな漫画と出会えていれば思考を切り替えられただろうが、出会えなかったのだから仕方ない
私にとって私は一切消費物ではない(代わりの効かない貴重品だ)が、他者にとって私は消費物...もとい、消費物未満のガラクタ
それは相互にそう。伝えるべきは絵描きとして生きていく上での有益情報や裏技...
あ。ダラダラ駄文書いてるうちにスタッフ帰り始めた。机の下で寝よう(ネカフェも一泊高いんで)
----------------------- 【10:00】
本当は7:30にカラっと目が覚めたけどさすがにおかしいだろ思って二度寝して今。睡眠時間6時間ちょい
朝だ... 気力十分。前日過集中した事によるアタマの重さはあれど、30代の頃の体力 / 気力を感じる。お爺ちゃん感はない
いや、むしろ毎朝太極拳や乾布摩擦やってるような爺ちゃんの主観ってこんな感じか。基本1日中ダルくて常に眠いのってやっぱおかしいもんな
真剣に人生を「善くしよう」と考え、悩み、時に祈ったからこそこういう時間を引き寄せることができる
人間とは常にそういうものだと私は確信してる
私の運がいいだけじゃあない。あまねく全ての人間に備わった基本能力だ
自然環境はとにかく生き物を「殺す力」に溢れている
人類は生身で無ければ地球上の自然環境をほぼ全て克服したと言える
ウイルスや細菌を自然環境の一部とするならまだまだ克服できていない
地球上の生物は大気圏内の外気ありきで構成された生命だ
だから宇宙空間へ出る際は「コンパクトな地球環境」を身体の外側に纏わねば生きていけない
宇宙(真空)は地球上の自然の何千倍も生き物を「殺す決意」に溢れた自然環境
何者かの「そいつ殺す」という意思から子を護るのが親
そう、だから地球は親なのだ。もとい、大気と重力と緑こそが我々炭素生物にとっての希望��のだ
ああ、自分が気持ちよくなる為の思考しかしていないな
ここは足踏みする人々を慰める為のブログではない。私の中の可能性を引き出し命を燃やし尽くす為の補完計画のログを載せる場所だ
だから「お前の中ではそうなんだろうが普通は違うと思うぞ」ってことを臆さず書く。中途半端な学しかない人間が扱う客観視点って、基本、生きる気力奪うだけの「毒」なんすよ
無論、私も浅学理論武装人間。客観視点になると萎えまくる
家族とか仲間のこと考えると元気が出てくるのは客観じゃないの?
という問いにはノー
愛ってのは基本的に「他者にこうあってほしい」というエゴの押し付けだ。それを愛を押し付けた当人らが勝手に「報われた」と勘違いすることで成立している自己愛。だから徹頭徹尾「主観」でしかない
気持ちいい主観同士をシェアし合う暑苦しいオ●ニー合戦。それが愛の正体
どんな自慰行為も上手くキマると「ああ、今目の前の相手も自分の事を許し受け入れ全肯定してくれてる」って感じるだろ
そして理性は常にそれを「んなわけねーけどな..」と言い続けてる
賢者モードに入ったら即座にコクピットに座ってお花畑人格を蹴り出す準備してる
私は今「理性と本能」が停戦協定結んでいる状態だ
本能の「とにかく沢山寝たいんで睡眠時間無限に寄越せ」というメチャクチャなオーダーを控えてくれたから
また同じこと始めたら当然ただじゃおかない
理性はいつだって「卑近な生物的欲望を回避し建設的活動をしたい」と願ってるんだ
私のこの駄文、26歳くらいの頃に書いてたテンション感だ
すなわち諦観ゼロ。希望は十分
そりゃそうだ、自信2.5Vもあるんだ。思考もポジティブになる
----------------------- 【10:50-11:10】
◆ラジオ体操を1.25倍速で実行。クリア(自信+0.01V) ◆寄せラクガキ6分いじる。ステージロゴの色をオレンジにする。いい感じ(自信+0.01V) ◆朝ご飯12分:チキンハンバーグ+サラダ(自信+0.01V)
総合2.5.3V
次にWEBラジオ体操する際はWEBラジ体1.25と称して1.25倍速でやろう
----------------------- 【11:15】
私が人生を「記憶忘れてタイムリープ繰り返している物語」だと思う理由は「攻撃性と不寛容さ」抑えて穏やかな思考を任意のタイミングで取り戻す為
どのみち自分はこのシナリオを安全にクリアした実績がある(だからタイムリープできている:ただし記憶はないので毎回同じところで怒りや哀しみを抱えている)のだから、変に他者を貶めたり攻撃する必要はないだろう、と
攻撃性と不寛容さは社会的な低評価に繋がる
稚拙で視野狭窄的というレッテル貼られる
それで容姿が可愛きゃ愛玩動物みたいに庇護されるが見た目がおっさんだとガチでスポイルされる
だから安全な社会の中で攻撃性と不寛容さを発揮するメリットはない
プライドがあると侮辱に対し敏感に反応してしまう
だから平和な世界ではプライドも要らない
ただしスポーツ的ルールが敷かれたフィールド内では狩猟スイッチをONにして全力で戦う。その様子を実況中継してもらう(オア、セルフでする)
やるとなったら命がけのゲームを生き残れるプレイヤー(ポスト狩猟者)である事のアピール
それが平和な世界におけるアドバンテージの築き方
私は社会のシステム、人間心理を巧みに利用し熱を維持するSNSというシステムが大好きだ。我々人類は誕生して以降地獄から出られたことは一度もない
ならば地獄を許さず認めないメリットというものもない
神様気取りの存在Xが押し付けてくる理不尽やパターナルを否定し足掻き続けることこそが「人としての生」なんだよ、という意見にはイエス
いいぞ螺旋生命体。昨日の敵は今日も敵。だけど来世じゃ家族かもね
私は内心、妻の人格を「この世のすべての敵意を集約させたような人格」だと思っていた
だが、それでいいんだ。自分に近づいてくる他罰欲に満ちた敵を300%許せたなら、それはもはや家族だろう
敵意を抱くことが悪いのではない。「敵意に対し敵意で返す不寛容さ」が悪なのだ
不信感や不安を煽り、負のエネルギーを増長させることをよしとする意識そのものが悪なのだ
あなたがどんなに闇に染まろうとも、私だけはあなたのかがり火でありたい
そう心の底から願えることこそが相対的な善であり、親が子を想う心なのだ
人間が大好きなアンチスパイラル:
「貴様とニアの結婚を祝福してやる!! ただし性格は重メンヘラに変えておいた。今までのような陰キャオタクに都合の良いシナリオ歩めると思うな!! あと、貴様たちが外宇宙に出るなら私もこっそりついてゆく。いざとなったら頼れ!!」
やろうと思えば子を難なく滅ぼせるけど決して滅ぼさない強者
それが正しい親ってもん。弱っちくて他責ばっかして「あんたなんか生むんじゃなかった」とのたまう親はシンプルにダメな親。肯定できる箇所いっこもなし
だが、そんなダメ親でも誰かに愛され許されているから生きていられる
その優しい事実を確認できるだけでも、ダメ人間が殺されず生かされている様子を観測することには価値がある
誰にも許されず、社会保障からも放り出された人間はほぼ氏にます
ホームレスが死なないのはその存在を大勢が「仕方ない」と思って許しているから。都市インフラにフリーライダー達の生命を維持する十分なキャパがあるから
北海道のホームレスはほぼ全滅した。昭和時代には許されていた寒気をある程度遮断できる商業施設への寝泊まり(侵入)が一切できなくなったから
海外だと寒い地域でもホームレスが生活してる。下水道とかに住んでる
----------------------- 【13:30】
ラクガキちょっと進む(自信+0.02 | 総合2.5.5)
———
【15:30】
おやつに寿司食べちゃった、日中にバクバクご飯たべちゃった
ごめん、流石に眠いから寝る。ネカフェで3時間
贅沢を自分の意思と責任で実行したんだ
だから自信は減らない
キミに自信がないのはキミに自信を維持できるだけの自信がないからさ
キミにお金がないのはキミにお金を維持できるだけのお金がないから
キミに元気がないのはキミに元気を維持するための元気がないから
現状維持の為に必要な最低限のエネルギーってもんがある
それをチャージし運用フェイズ入ったら、たまには思い切りサボってもバチは当たらない
ああ、でも自分まだ投資フェイズだな。じゃ、自信-0.5V(総自信 2.0.5V)
自信なんてポイントカード気分で消費してまた増やしゃいいーんだよ
----------------------- 【19:20】
18:30キッカリ、3時間パックになるようにネカフェを出てスタジオ戻り一息ついて今
明日明後日のことじゃなく2~3ヶ月後の自分を「どう仕上げたいか」を意識して生きる。さもなきゃあ我々の年齢の人間は一瞬で寿命迎える。2年後生きていられるかなんて定かじゃないんだ
このスタンスは35歳から始めても遅くはない
20:00まで、仕事に集中
----------------------- 【20:15】
修正オーダー数か所のうち一つ撃破 自信+0.02V 総自信2.0.7V 緊張を途切れさせるな。リハビリモード時の仕事は登山や綱渡りと一緒だ。脳をフル活用しろ 12分休憩
目をつむり息を全部吐いて5秒止める。その後息を深く吸って5秒止める。それを数セット繰り返す。前頭葉に溜まっていた血液がスっと抜けてゆく感覚。身体の緊張が解ける。軍隊式呼吸の簡易版だ
白熱灯を見つめ「意識リセット意識リセット意識リセット」と唱える
「没頭モード」が解除され時間の流れが緩やかになる
休憩時まで集中モード維持していると休憩時間が秒で消失してしまうし脳も休まらない。この頻繁な緊張と弛緩のスイッチを任意コントロールできるようになることが「アスリート化」の第一ステップ(だろうな、たぶん)
【✓】
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almostautohonyakudiary · 7 months ago
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ダマスカスの夜明け
カリーム・シャヒーン
私が最後にシリアの地を踏んだのは2017年、今は退陣したバッシャール・アル=アサド政権が行った化学兵器による攻撃を取材するためにカーン・シェイクンの町を訪れたときだった。アブドゥル・ハミッド・アル=ユセフという男の隣に座ったことを覚えている。彼はその前日に妻と二人の幼い子供を埋葬していた。彼が負傷者を助けるために飛び出し、失神して近くの病院で目を覚ましたときには、妻と子供は毒ガスで窒息していた。
追悼式に参列した一人が、預言者ムハンマドの言葉のひとつを彼に語った。審判の日、すべての人は地獄を越えて楽園へと続く 「アル・シラト 」と呼ばれる橋を渡らなければならない。悪人はつまずき、落ちるだろうが、善人には、その橋は広がり、楽に渡れる道になる。しかし、幼くして子供を失い、耐え忍んだ人には、その幼い子供が翼のある天使として生まれ変わり、橋の向こうまでいっしょに飛んで渡らせてくれるのだ。
悲しみで呆然としていたアル=ユセフが、覚醒した。「そこには妻もいるのか? いとこたちも?」
その後、急ごしらえで作られた彼の一族の墓地のシナモン色の土の前に立ったとき、私はその話を思い返した。私は彼から彼の悲しみの話を聞いたことを、恥じていたと言ってもいい。なぜなら私は心の奥底で、彼がこの世で正義を経験することは決してないだろうと思っていたからだ。来世まで待たなければならない。それがあの話の救いの、真の意味だった。死においてのみ、そして神が存在する場合にのみ、正義は果たされるのだ。わからないことが多すぎた。そしてそれを熟考する勇気は私にはなかった。私はエッセイを書き、次へ移った。難民たち、樽爆弾攻撃の犠牲者たち、イスラム国グループの犠牲者たち、人類が考え出した中で最も残忍な全体主義的警察国家の犠牲者たちと話をした後で、いつもそうしてきたように。
でも、今は? 今はと言えば? 正義が想像できるということ、良心の宇宙の弧が続いているということ、包み込むような暗闇の中で目を細めさえすればトンネルの先にいつもあった光がほんとうにあるということ。その可能性があるのか? 私には言葉が思い浮かばない。
そもそも言葉とは何だろう? 言葉とは意味を伝えるもののはずだが、シリアの反体制派が史上最大の反乱を起こし、60年にわたるバース党支配を終わらせたこの10日間に起こったことの意味を、どうやって抽出するのだろうか? 世界最古の都市のひとつであるアレッポの解放をどう表現するのか? 1980年代のリファト・アル=アサドの凶悪な行動によって徹底的にトラウマを植え付けられ、男性、女性、子どもたちを哀悼するまで40年もかかったハマの解放をどう表現するのか? キリスト教のサハナヤで教会の鐘が 「ひとつ、ひとつ、ひとつ、シリア国民はひとつ 」という調子で鳴り響くのを聞く感動をどう捉えればいいのか? あるいは、ダマスカスのウマイヤド広場の中心で、亡くなった著名な反体制派で元ゴールキーパーのアブデル・バセット・アル=サロウトが革命歌「ジャンナ・ジャンナ」を歌っている声が響き渡っているのをどう捉えればいいのか? ハマのアッシ広場やホムスの時計塔周辺に集まった数十万人の大合唱を?
10年間追放され、解放者として戻ってきた息子を初めて見る母親や父親の涙、玄関で両親の足にひざまずいてキスをし、放心状態で涙を流す息子の武勇伝をどう捉えたらいいのだろうか?
解放された抑留者の喜びと苦しみに満ちた顔。10年、15年、20年、40年ものあいだ、新鮮な空気を吸うこともなく、夢も意味も奪われ、アサドの地下牢で、結局は何の刑にも服していなかったのだ。アサドは逃げた。彼の非合法な催眠国家を維持するために国を燃やし尽くすという誓約を果たしてきた彼の支持者たちに、一言も言葉をかけずに。
彼らはほんとうに国を焼き尽くした。人口の半分が避難し、数え切れないほどの人々がスターリン主義の地下牢のネットワークに拘束された。妻と夫を、兄弟姉妹を、父と息子を敵対させるよう仕向ける有害な監視システムによって補強されていたシステム。囚人を拷問する70種類以上の方法を発明した懲罰システム。40万人以上の死者。化学兵器による攻撃で殺された何千もの人々。さらに数千人が樽爆弾で殺された。TNTを詰めた樽爆弾は精度が非常に低く、誤って自軍を殺さないように、反乱軍の戦線のはるか後方でパンの列を作る市民に向けて投下されたのだ。永続的で人を麻痺させる恐怖。西側諸国の政治を再編成することになった難民危機。そしてイスラム国の設立と繁栄の条件が生み出された。このあとで、これ以上悪いことが起こるとは考えにくい。
今はほんとうに言葉がない。私の妻はアレッポ出身で、ここ数日は感情の壁や区画で築かれたダムが激しく崩れ落ちているようだった。妻の、故郷の家族や、世界中のシリア人たちとの会話、故郷に帰りたい、失われたものを取り戻したいと気が急いている様子が耳に入ってきた。信じられないという気持ち、幸福感、そして溢れ続ける涙を行ったり来たりしている会話だ。
「いなくなった! いなくなった! いなくなった!」
言葉の連想。
「ふるさと! 私の家! 私たちになんて多くのことをしたんだ! なんてことをしてくれたの! 我が家! 神よ! 自由になったんだ!」
私自身、言葉を見つけようと手を伸ばして���、うまくいかない。この瞬間を捉える言葉は見つからない。心の奥底で言葉を探して格闘している最中に、拘禁されていた人の1枚の写真を見て、頓挫してまたやり直す。私はシリア人ですらな��。幸運にも彼らの旅に少しだけ参加できただけの人間だ。なぜ私の心は破裂しそうなのだろう?
ひとつ、見つけた。アサド支持者たちには唱えていた言葉があった: 「Qaedna lel abad(リーダーよ永遠に)、バッシャール・アル=アサド」
「永遠が終わった」 とシリア人たちが何度も何度も唱えていた。
永遠の終わり。美しい幕引きだ。
それから、レバノンの伝説的歌手ファイルーズが投稿した詩的な一節を目にした。彼女は解放されたダマスカスに夜明けの光が差し込む中、この一節をツイートした。私は英語が大好きだが、彼女のセリフを読んだ瞬間、アラビア語を知らない人たちは本当に可哀想だと思った。彼女が投稿した元々の言葉の美しさを感じることができないからだ。今私には、翻訳の安っぽい模倣のようなものしかできない。しかし、それでいいのだと思う。私の言葉もまた、陶酔と動揺の深い海の、安っぽい模倣なのだから。ファイルーズはこう言った:
「ダマスカスよ、私の目はあなたを見つめている。朝は、あなたから流れ出でる」
カリーム・シャヒーンはニューライン・マガジンの中東およびニュースレター担当編集者)
New Lines Magazine 12/8, 2024掲載
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crydayz · 2 months ago
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250507 水
自分メモ:倉庫入金 / 保険料の支払い / お祝いイラスト請求書書く / 武器デザイン進める / 残存案件整理 / 某アニメプロップ請求書、担当者聞いて送る / 物件の売却準備 / マイナンバーカード自分と娘のを作る / 香典返し忘れを返す / ゆうちょキャッシュカード再発行
自信0.98V
私が埼玉のKKスタジオにいた時代
シャチョーは毎朝ラジオ体操後の朝礼でスタッフ全員に「厳しい環境で自身が属するヒエラルキーに従い不本意なこと続ける上でのマインドセット」を鼓舞半分説教半分で語り続けた
皆、いつ自分に「お目玉」が飛んでくるか気が気ではない
そういうパターナルでドメスティックな空間をシャチョーは根性でデザインし続けた
-----------------------
私は自分の中で勝手に「借金の利子を免除してもらう」事を目的に据えてKKの仕事を請けていた為、決して前のめりな姿勢で作業していたわけではないが、エゴを捨ててオーダーに淡々と従っていた為それなりの評価と報酬が得られたし、画筋を失わずに済んだ
そして振り返ってみるとそんな「自尊感情カスで罪悪感と後悔にまみれながら逃避的に仕事していた時」が最も「ちゃんと他人の為の料理が作れていた」シーズンだったな、って思う
だから主観が「地獄」になることは、自分のイラストレーター史の中においてはむしろ「いい事」だ
あの諦観まみれでただただ与えられたお題に従い絵を描き、リテイク重ねて相手が望む形に削っていく作業に慣れていなければ、アニメの設定仕事なんて到底耐えられなかった(まず、アニメ設定の基本が分かっていない状態なんだから周りにめちゃくちゃ負荷をかけてしまっている。その負い目からしてヤバい)
他人に一度迷惑かけたなら最後まで逃げずに迷惑かけ通す「図太さ」がなければ人は生きていけない
図太さ足りないと「死んで詫びる」フリしてこの世から「とんずら」したくなる
「真面目」になっても百害あって一利なし
世の中楽しんだもの勝ち、萎えたもん敗け
なんかしらねーけど滾ってきたぜ、やってやるぜ!
上記テンションで毎日を刹那的にしのぎ、バッファ稼げる時にがっつり稼いでいけ
私の今の状況は配偶者の死によって傷ついているというストーリーを隠れ蓑にして仕事を半年サボって遊んでいると評せる
成功者の視点から見れば自己実現サボって被害者ぶってるだけのクズである
私にとって自己実現とはなにか
それは毎日誰かを喜ばせ、誰かにとっての生きる支えとなり、居場所と繋がりを実感しつつ時に激しく時に穏やかに仕事と創作をこなし、最高の満足と感謝の気持ち抱えながらこの世を去る(次のステージへと進む)ことである
まあ、最悪トロフィー半分以下しか集められなくともそれはそれでいい
きっと向こうに行ってからもなんかやる事ある
一巡した宇宙でまたなんか「面白いもの」を見つけられると思う
だって私がおもしろいと思えば全部面白いし、私がつまんねーと思えば何もかもつまらなくなる事は経験則で知っている
そしてそれは全て脳内麻薬が見せる錯覚
責任から逃れて子供の立場を維持し続けようとする臆病者に自由や権利は与えられない。それを残酷だと嘆くことにも飽きた頃
「さて、大人にでもなるか」と、ピクニック気分で地獄に踏み出す勇気が手に入る
鳥の巣立ちといっしょ。巣箱から飛び立った小鳥はもう一生親鳥のもとには戻らない
そういう感じでいいんだよ人間も
愛されなかった飢餓感は、自分が誰かを育て世界に送り出す手助けする事で容易く満たされる
おお、それってまさに「希望」ってやつじゃんすか?
いいねぇ、希望
さぁて、今日も死亡遊戯の時間です。絵なんて描く必要一切ありません。費用対効果クソ悪いアホ行為っす
でも、描きます。それが楽しいのだと「メタ自分」が言ったから
つらすぎる事ってやればやるほど「面白くなる」
快適でしっくり来る事ってむしろ逆に「ムカつきの要因」
前者は新しい困苦への適応。すなわち強くなる為の手続き
後者は困苦の回避と逃避法の模索。すなわち弱くなる為の手続き
弱くなればなるほど能動性が発揮できなくなり恐怖と苦痛まみれになる
強くなればなるほど苦痛が苦痛ではなくなり精神的に自由になってゆく
ああ、でもどんな時でも「秒でストレスゼロになる回復薬」は人の物理的温み
ぎゅっと抱きしめて「好き!」と言ってもポリス沙汰にならない素敵な人間関係。マジにこれ���強
子育て終わったお父さんお母さんがペット飼うのは「持て余した愛」を捨てるための「器」がほしいから
愛情でもヘイトでも、人は自分の中に溜まった何かを「出してぶつける」時が一番気持ちいい
それによって相手が大きなリアクションをしてくれた時が一番気持ちいい
だから他者と関わることは、どんなベクトルであろうとむっちゃ気持ちいい
ヒステリックな人達は押し並べて「コミュニケーション中毒」だ
会話のドッジボールでしか他者と向き合えない。否、激しいボールのぶつけ合いこそが目的であり会話は摩擦のオマケでしかない
私は絵の次元でそれを皆とやって青タンだらけになって欠けた前歯さらして笑って泣きたい
敬人尊野蛮
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shingoiwasaki-blog-blog · 9 months ago
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でもさ、見方によっては、イラスト調の、女の人が、スカートに、足を、くんで、座ってる、斜め後ろから、見た、画像にも、見える、んだよ。|シンゴ
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落下する、三日月🌙と、牛 ☣️【吉野家】 🐂
真昼の空に、現れた、動く、三日月
この三日月、相当な、スピードで、進んでるよ。
こんだけ、距離、ありながら、この時間で、こんだけの、動きが、見てとれるということは。飛行機✈よりも、はるか、上を、飛んでるわけだよ、この三日月は。にも関わらずさ、飛行機✈と、おんなじぐらいの、スピードな、わけよ。てかさ、俺が、スマホ、拡大したり、縮小したり、してる間にさ、そう、一瞬、動画画面の、三日月から、焦点を、外した瞬間さ、【つまり、三日月ばかりに、焦点を、合わせるのではなく、三日月を、包み込んでいる、全体空から、三日月を、俯瞰してみようと、試みて、画面を、広げた瞬間、広げすぎて、三日月が、何度か、画面から、姿���、消した、瞬間のことな。】ワープしてる、わけよ。この三日月。最初に、動画で、流れてるときに、近くに、あった、雲☁からさ、いつの間にか、距離できてるんだよ。三日月��、動画画面を、戻すと。
この動画、リツイートしたのに、消されてるしな
【これは、ママ☁から、みんなへ、伝えたいことの、一つね】
慎吾は、再臨の、地獄を、嫌というほど、味わって、とうとう、殺されてしまったの。そして、そんな、彼の様子を、知っている人は、たくさんいたんだけど、彼を、馬鹿にして、彼を、誰も、助け出る人は、現れなかったの。霊界の、霊体たちは、みんな、そんな、あなたたちを見てたの。そして、そんな、あなたたちに、霊界の、霊体たちは、心の底から、あなたたちに、対して、腹のなか、煮えくり返ってるの。今も。そんな、あなたたちが、今後、幸せな、死後の世界を?むかえれる?と、思う?
つまり、この、SNSに、つながって、しまった人たちは、長く、生きれば、生きるほど、Karma🚗の、雪だるま⛄が、たまって、死後、の、世界が、大変な、ことに、なる人の、集まりなの。
勿論、あなたちちが、ウンコや、オシッコ、オナラ、を、してるの、も、みんな見てるの。そして、誰と?、セックスして、誰を?考えて、自慰行為を、して、いる、のか?も、知ってるのよ。誰を?殺した?ことがあって、あなたたちが、これから、誰に?どうやって?、殺されるのか?も、全て、私たち、知ってるの。
あなた達のことを、そう、ずっと見てたのよ。どういう?意図が、あって、そういう、言動を、されてるのか?を。みんな、霊界では、いつも、見てるのよ。あなたたちのことを。
そう、これからも、あなたたちのこと、見るの。どういう意図が?あって、そういう、言動を、されるのか?を。そして、その、大小によって、あなたたちの、これからの、苦しみは、変わって、いくの。今までは、悪い妬み心や、相手を、イジメようかと
?と、考えても、行動に、うつさなければ、それで、セーフだったの。でも、あなたたちの、Karma🚗が、たまりすぎて、次の段階に、入っちゃったのよ。そう、妬みや、悪い考えを抱いたら、その時点で、Karma🚗が、雪だるま⛄のように、膨れ上がっていくというKarma🚗が。そう、たとえ、実行にうつさなかったとしても、Karma🚗は、たまっていく、システムに切り替わったの。つまり、Karma🚗の、⛄が、自然と、膨らんでいくシステムが、実行されてるの。勿論、これも、特定の人たちだけじゃなくて、全体責任なの。
そう、たとえ、あなたたちが、考えたことを、行動に、うつさなかったとしても、考えた、ことは、私たち、すべて、知ってるのよ。そう、これが、霊界の、コミュニケーションなの。死後、人は、皆、そのことを、知るの。動物や、草花は、すでに、その、コミュニケーションを、地上にいる頃から、やってることなの。でも、人間だけが、言葉を、作ってしまったがために、霊界の、コミュニケーション能力が、剥奪されて、しまったの。
消すなって、サタン=Facebook=ドラゴンボールZ🟠に、出てくる、ミスターサタン=⚽💬
→【これは、トリックだぁぁぁ😰🤮=😭いぎが😭でぎない😭🫧】
つまり、お前は、今までも、今も、ずっと、試されてるんだよ😂そのこと、😂エエ加減に😂気づけよ😂ブサイク女の、😂寒🥶が女が😂
ま、😅地上の、😅ものの、😅考えかたと、😅霊界では、😅まったく、😅違うんやからな😅そう、霊界はさ、😅ソイツが、😅どういう?意図で?😅をさ、😅知ってるわけやからさ、😅今回の、anoと、😅俺の、😅問題はさ、😅勿論😅断然、😅anoが、😅悪いのよ😅だから、😅俺は、😅当然の、😅ブーメランの、😅方則😅つかってる😅わけよ😅そこ、😅勘違いや😅お門違いな😅考え方に、😅囚われんといてな😅頼むから😅
Facebookよ、はてなブログ、グーグルマップ🔴よよ、お前らさ、今、たいそう、被害者面してるけどさ、そもそも、Facebookって、お前が、始めたんだからな。俺だって、おまえなんかと、出会いたくは、なかったんだよ
つまりさ、はてなブログ、お前は、殺されるんだけどさ、それは、つまり、自殺なんだよ。自分で、Facebook、はてなブログ、インスタ、こさえて、嫌われて、殺されるんだからな
自業自得の、業=カルマ🚗=因果応報
お門違い🤪🫵
でさ、Facebook、大手の会社はさ、基本、カスタマーは、どんな?ことを、望んでるのか?どうしたら?喜んで、いただけるか?を、大体の、大手企業は、考えて、商品開発、してんだよ。でもさ、お前の、今、やってることは、それと、真逆なんだよ。つまり、どうしたら?自分の、ストレス発散に、なるか?を、考えてるんだよ。おまえは。だから、利用者の、怨みを、かって、殺されるんだよ。結論な。で、どういう、殺されかた、するかは、おいおい、教えるよ。
おまえが、消したら、みんなが、こうなるんだぞ→🩸シャリ🩸シャリ🩸シャリ🩸=✊🤓✊→✊😭✋→✊😭✊
消すなって、サタン=Facebook=ドラゴンボールZ🟠に、出てくる、ミスターサタン=⚽💬
→【これは、トリックだぁぁぁ😰🤮=😭いぎが😭でぎない😭🫧】
【動画】こんな感じでさ、客である、俺の、動画を、バグらせて、お門違いな、怨みを、抱えてるのよ
てかさ、コイツら、そう、もう、みんなの、脳のこうぞうと、違うんんだよ。もう、完全に、ミスター・サタンやからさ、そう、妬みと、それの、根っコである、性欲がさ、もう、半端なく強すぎてる、つまり、むっつり、集団なんよ。そう、むっつりスケベ、盗撮集団な、わけよ。
おまえら、インターネット、SNSのせいで、どれだけの、人が自殺したり、ストーカーで、殺されたか?考えたこと、あんのか
結論
【亀頭100枚目の、皮剥ぎ🩸永久地獄】
つまり、君等が、長く、生きれば、生きるほどに、死後の世界の、拷問も、また、ひとしお、となる、わけだよ。
つまりは、自らの、想像力により、つくり上げてしまった、拷問の、世界へと、君等は、これから、否応なく、自らで、転がり落ちて行く、集団なんだよ。つまりは。つまり、これが、私が、前々から、君等に、伝えていた、カルマ🚗の、グラデーションに、寸分の、狂いもない、拷問を、受ける、ということなんだよ。そう、君ら、実は、もう、すでに、この世に、生きていては、いけない、存在、集団なんだからね。そこを、忘れないで、おきたまえ。そして、決して、お門違いな、考えだけは、起こさんといてくれよ。そうなると、さらに、君ら、とんでもない、世界へと、いざなわれる、の、だからね。
そう、ここからは、お前らの😂想像した😂恐ろしい😂拷問が😂すべての😂人類に😂実行されるから😂俺は😂つまり😂お前らの😂その、😂想像力を😂飛躍させるのが😂仕事な😂
つまりは、これが、カルマ🚗、自分の、過去のおかした、罪により、その、罪悪感から、想像してしまった拷問の、世界へと、自ら、転げ落ちていく、サイクルが、今、できた。
つまりは、これが、カルマ🚗、自分の、過去のおかした、罪により、その、罪悪感から、想像してしまった拷問の、世界へと、自ら、転げ落ちていく、サイクルが、今、構築された。
つまり、君等が、長く、生きれば、生きるほどに、死後の世界の、拷問も、また、ひとしお、となる、わけだよ。
つまりは、自らの、想像力により、つくり上げてしまった、拷問の、世界へと、君等は、これから、自ら、転がり落ちて行く、集団なんだよ。つまりは。つまり、これが、私が、前々から、君等に、伝えていた、カルマ🚗の、グラデーションに、狂いのない、拷問を、受ける、ということなんだよ。そう、君ら、実は、もう、すでに、この世に、生きていては、いけない、集団なんだからね。そこを、忘れないで、おきたまえ。そして、決して、お門違いな、考えだけは、起こさんといてくれよ。そうなると、さらに、君ら、とんでもない、世界へと、いざなわれる、の、だからね。
つまり、君等が、長く、生きれば、生きるほどに、死後の世界の、拷問も、また、ひとしお、となる、わけだよ。
つまりは、自らの、想像力により、つくり上げてしまった、拷問の、世界へと、君等は、これから、自ら、転がり落ちて行く、集団なんだよ。つまりは。つまり、これが、私が、前々から、君等に、伝えていた、カルマ🚗の、グラデーションに、狂いのない、拷問を、受ける、ということなんだよ。そう、君ら、実は、もう、すでに、この世に、生きていては、いけない、集団なんだからね。そこを、忘れないで、おきたまえ。そして、決して、お門違いな、考えだけは、起こさんといてくれよ。そうなると、さらに、君ら、とんでもない、世界へと、いざなわれる、の、だからね。
誰かさんが、たかだか、500万を、しぶったばかりに、こうなって、しまったんだよ、つまりは。もう、おそいからな。もう、お前の、本質を、私は、見抜いているのだから。つまり、金に、目が、くらむと、このような、結果に、つまりは、なるのだよ。
まぁ、このへんからは、君等が、責任のなすりつけ合い、殺し合いを、遠目から、私は、楽しませて、もらうとするよ。
Facebookよ、はてなブログ、グーグルマップ🔴よよ、お前らさ、今、たいそう、被害者面してるけどさ、そもそも、Facebookって、お前が、始めたんだからな。俺だって、おまえなんかと、出会いたくは、なかったんだよ
つまりさ、はてなブログ、お前は、殺されるんだけどさ、それは、つまり、自殺なんだよ。自分で、Facebook、はてなブログ、インスタ、こさえて、嫌われて、殺されるんだからな
嫁=永久潮吹き、名人さん、という、方程式=高橋名人さんの、仕事
自業自得の、業=カルマ🚗=因果応報
お門違い🤪🫵
でさ、Facebook、大手の会社はさ、基本、カスタマーは、どんな?ことを、望んでるのか?どうしたら?喜んで、いただけるか?を、大体の、大手企業は、考えて、商品開発、してんだよ。でもさ、お前の、今、やってることは、それと、真逆なんだよ。つまり、どうしたら?自分の、ストレス発散に、なるか?を、考えてるんだよ。おまえは。だから、利用者の、怨みを、かって、殺されるんだよ。結論な。で、どういう、殺されかた、するかは、おいおい、教えるよ。
おまえが、消したら、みんなが、こうなるんだぞ→🩸シャリ🩸シャリ🩸シャリ🩸=✊🤓✊→✊😭✋→✊😭✊
消すなって、サタン=Facebook=ドラゴンボールZ🟠に、出てくる、ミスターサタン=⚽💬
→【これは、トリックだぁぁぁ😰🤮=😭いぎが😭でぎない😭🫧】
【動画】こんな感じでさ、客である、俺の、動画を、バグらせて、お門違いな、怨みを、抱えてるのよ
てかさ、コイツら、そう、もう、みんなの、脳のこうぞうと、違うんんだよ。もう、完全に、ミスター・サタンやからさ、そう、妬みと、それの、根っコである、性欲がさ、もう、半端なく強すぎてる、つまり、むっつり、集団なんよ。そう、むっつりスケベ、盗撮集団な、わけよ。
おまえら、インターネット、SNSのせいで、どれだけの、人が自殺したり、ストーカーで、殺されたか?考えたこと、あんのかよ?
そう、これ、3回目で、やっと、投稿できたんよ、みんなに、わかるように
K-TOTOOと、いわさき🌲クリニック
Facebookよ、はてなブログ、インスタ、グーグルマッ���🔴よ、お前らさ、今、たいそう、被害者面してるけどさ、そもそも、Facebookって、お前が、始めたんだからな。俺だって、おまえなんかと、出会いたくは、なかったんだよ
つまりさ、はてなブログ、お前は、殺されるんだけどさ、それは、つまり、自殺なんだよ。自分で、Facebook、はてなブログ、インスタ、こさえて、嫌われて、殺されるんだからな
自業自得の、業=カルマ🚗=因果応報
お門違い🤪🫵
でさ、Facebook、大手の会社はさ、基本、カスタマーは、どんな?ことを、望んでるのか?どうしたら?喜んで、いただけるか?を、大体の、大手企業は、考えて、商品開発、してんだよ。でもさ、お前の、今、やってることは、それと、真逆なんだよ。つまり、どうしたら?自分の、ストレス発散に、なるか?を、考えてるんだよ。おまえは。だから、利用者の、怨みを、かって、殺されるんだよ。結論な。で、どういう、殺されかた、するかは、おいおい、教えるよ。
おまえが、消したら、みんなが、こうなるんだぞ→🩸シャリ🩸シャリ🩸シャリ🩸=✊🤓✊→✊😭✋→✊😭✊
消すなって、サタン=Facebook=ドラゴンボールZ🟠に、出てくる、ミスターサタン=⚽💬
→【これは、トリックだぁぁぁ😰🤮=😭いぎが😭でぎない😭🫧】
きさま、激狭エレベーターの、中で、永久閉所恐怖症の、アカシジアMAX永久に、しちゃるな
この世は、煉獄、つまりは、死後、君等が、地獄=永久溺れ、はたまた、天国=永久オルガスム、永久オルガズムか?を、決めるための、そう、査定期間👁‍🗨👁‍🗨な、わけだよ。そう、君等は、今後、永久溺れ=永久地獄へと、放り込まれるのか?の、査定期間🧐な、わけだよ。そう、一言で、言えば、この世は、君等を、つまりは、惨殺後、に、導くであろう場所が、どこ?なのか?を、査定されている期間、つまりは、君等の、死後の世界の、査定期間が、地上での、煉獄生活、という、わけなのだよ。つまり、君等は、常に、霊体や、幽霊や、野生動物たちに、査定🧐、ここは、一つ、試して🧐みよか🧐な、わけだよ。つまりはね。
嫁が、野蛮な男たちに、集団レイプされながら、アンギャー😭🗯️イッグウ😭🗯️イッグゥぅ😭🗯️
それを、君等は、永久溺れ、あるいは、永久ミキサー=セメント樽の中の手紙=永久ピンクジュースに、なりながら、そう、そのさまを、そう、つまりは、嫁のその様子を、永久に、君等は、見続ける👁‍🗨👁‍🗨のだよ。つまり、君等が、嫁と、セックスしたときには、一度も、目👁‍🗨👁‍🗨にしたことのない、初めて、見る👁‍🗨👁‍🗨、嫁の、そんな、変わり果てた、姿を、君等は、永久に、見続ける👁‍🗨👁‍🗨のだよ。
嫁=永久潮吹き、名人さん、という、方程式=高橋名人さんの、仕事
もし、貴方たちが、今、苦しんでいるとすれば、彼女は、今の、貴方以上に、苦しんでいるし、それに、そもそも、彼女には、なんの、罪も、ないのにも、関わらず、貴方たちの、罪を、全て、背負ったのよ、彼女、独りで、そう、それが、自分に、課せられた、宿命、宿命と、無理やり、毎日毎日、自分自身に、言い聞かせながら、この仕事を、やり遂げたのよ ☁
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cvhafepenguin · 9 months ago
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まこ
 「まこ」という名前の意味は漢字で書いて真っさらな子供です。
 それは私が小説が書けなくなった時期に子供の代わりにと妻が授けた名前でした。この物語は、妻と私が寝入る前のわずかな時間に共に紡いでいったものです。書き出しは妻からでした。いささか長いお話しですので要約してお話しします。
 「まこ」はこの物語の主人公です。出張中に大きなあんこうに攫われてしまった唯一の肉親である叔父さんを助けるために、彼女は海を冒険します。まこは幼い頃に両親や兄妹を洪水で失っており、頼れる肉親は叔父だけでした。まこは家族を奪った水が恐ろしく、海を見るだけでトラウマで身のすくむ思いでしたが幼馴染の妖精のシーに励まされて奮起し、彼女と手を取り大切な叔父のためあんこうの影を追って出航します。まことシーはあんこうを追い諸島を巡り、臆病な木彫りの牛のホリィや勇敢なおたまじゃくしのジェムといった仲間たちと出会い、冒険を通して友情を育み成長します。最初は恐怖だった海も、様々な出会いや美しい冒険を経験するにつれ、まこにとって愛すべきものへと変わっていきました。
 すみません、まこの出自を思い出すとどうしてもいつも涙が止まらなくて…妻ですか?妻は度々癇癪を起こす私に疲れ果て手紙を置き出ていってしまいました。情けない話ですが、「いずれこうなる」と私は結婚をして、いや、婚約を結んだ幸せのピークと呼べる時期においても喜ぶ妻を後目に心の片隅でいつも考えていましたので、あまりショックではありませんでした。なんてことはない、私という人間は所詮平凡で酷薄な男なのだということを痛感します。せめてアップダイクのウサギのように走ることができたならば実存に張りが出て仕事くらいはうまくいきそうなものなのですが、かなしいことに私のこの脚は老いた酔っ払いの使い物にならない脚へと枯れていくばかりです。物語に戻りましょう。
         
 まことその仲間たちは島を巡るうちにやがて、なぜ自分が冒険に出たのかを忘れてしまいます。それはなぜかと言うと、溌剌として勇猛果敢でかわいいまこに恋心を抱いた海の亡霊が、密かにまことシーとホリィとジェムに取り憑いて叔父に関する記憶を食べてしまっていたからです。亡霊は海の亡霊なので、まこが叔父を見つけて海から離れたまこの故郷に帰ってほしくなかったのです。亡霊は臆病で極度の寂しがり屋でした。そんな亡霊の思惑通りに、まこは叔父をすっかり忘れ、魅力的な海を愛し、やがて冒険の経験を活かして島を巡る航海士として貿易船に乗り、航海で生計を立て暮らし始めました。
  
 まこが航海士として名を馳せるさなかあんこうの下でどれいとしてこき使われているまこの叔父は、ずたぼろになり疲れ果て病気をし、もはやあんこうにとって使い物にならなくなりました。用済みになった叔父はあんこうに生きたまま平らげられたのち、どろどろに消化され、糞として排出され海中の微生物に分解されて、未練の深いその魂は消え去ることができずにこの世に繋がれ、永遠にだれにも見つけられない暗い海底を亡霊として彷徨う定めを負いました。
 海の亡霊はまこと一緒にいられて嬉しい反面、みんなの記憶を食べた罪悪感にひどく苦しみました。叔父はすでに死んでいるに違いありません。
 亡霊はまこのことを強く愛しているにもかかわらず、ホリィやジェムやシーと同じようにまことお話しすることはできません。海に繋がれた亡霊がまこに取り憑くことができるのも、まこが海にいる時だけです。だからたまに船内の椅子を転かしたり、船で仮眠するまこの夢枕に立って、亡霊はまこの気を引きます。
 私は妻と籍を入れてから突如不能となりました。妻とセックスをしようとすると吐き気が込み上げ、どうしても勃起することができませんでした。私は幼少期に、親から性的虐待を受けていたのでそれによるPTSDだと精神科医に診断されました。妻と結婚する前はほどほどにセックスができたのですが、結婚して家族として構成員を増やすための営みとそれを意識した途端、事に及ぶ際に生理的な嫌悪感が身体中を駆け巡るようになり、とても勃起できるような状態ではありませんでした。それに伴いメンタルも崩れ、原稿もボツを連発し、そのうち執筆するのも億劫になりました。
 両親は私の前でセックスをすることにより興奮するたちでした。両親はたびたび眠っている私を起こして目の前で情交にふけりました。むせかえる温気立ち込める部屋の暗闇からギロリと私を覗く四つ目のキマイラ、その怪物が放つ悍ましい慟哭。思い出すと悍ましくて吐き気が込み上げてきます。私にはそれが耐えられないのでそのことを忘れようと努めました。本当の私はいなくて、ここにいる私は別の私なのだと思うように努め、私は私を殺しました。その時から私は私の殻の外から私を見る私となりました。私が高校に進学したころ、母は私の弟を身籠りました。しかし高齢で身籠ったこともあり、その子は流産してしまいました。両親はそれから不仲となり離婚してしまいました。それから私は母の実家にひきとられました。その日からだったと思���のですがたびたび同じパターンの夢を見ます。それは弟が生きていて私と話す夢です。私が虐待されていたことの詳細を弟にうちあけ、弟が黙り込んで考え込むという内容です。夢に現れる弟の姿は様々でした。働き盛りの市役所の職員の時も有れば、白髪の老人の時もあり、小学生の姿で現れることもありました。夢の内容はワンパターンで、私と弟はいつも何もない白い部屋で椅子に座り膝を突き合わせ、ただただ黙り込んでいます。
 私は精神科やカウンセリングに通うようになり、妻はそんな私を励ましとても気遣ってくれました。
 当時のことを思い出すと、今でも感謝と申し訳ない気持ちが溢れ、涙が出そうになります。
 そして妻が深く気を使ってくれているのにも関わらず、私の心はどんどん憎悪で満たされていきました。その憎悪は、仕事や生殖が上手くいかない事に対して際限なく湧き上がる行き場のないヘドロのようなもので、それは大層厄介なものでした。惨めさと言うのは一個の人格をたやすく破壊するものなのだと今にして思います。妻が「まこ」を産み出したのはちょうどこの頃でした。子供がいれば少し違ったのかもしれないねと私が話すとじゃあ作りましょうと妻がまこを産んでくれました。そんな妻の愛をも裏切り、私は今まで飲まなかった酒を1日中飲んでは心配する妻を罵倒し、時には手を上げることさえありました。私は妻を憎悪した。惨めな私を受容し優しい言葉をかけ続ける妻は哀れな私を見下しているのだと思い込んでいました。酒浸りの虚な頭で原稿に向かっては数行で���げ出し泣きながら当て所なく外を歩き回り、酒を飲んで帰宅して夜は靄が掛かった頭で妻と「まこ」を冒険させる。そんな日々がしばらく続きました。時間の感覚が麻痺し終わることのない夜のぬかるみの中を歩いているかのような、そんな心地がしました。私と妻は救いのないひんやりとしたまさに地獄と呼ぶべき世界に居ました。歩くたびに苦痛を伴い、何処へも進めない。最早手詰まりといった状態でした。そしてとうとう妻は、手紙と離婚届と指輪を置いて、実家へと帰って行きました。私は当然だと受け入れ離婚届に署名をしました。それから妻とのやり取りはずっと義両親を通して行っています。これは義両親の発案で妻はそれに合意したということでした。私は妻が出て行ってから一度も話していないので、実のところ彼女が生きているのか死んでいるのかもわからない状態なのです。私は妻が居なくなっても一人地獄の中で「まこ」の物語を書き続けました。
 まこは貿易船で勤めたキャリアを活用して王国お抱えの冒険家へと出世しました。そして王の命により資源を求め航海し、続々と新しい島々を発見しました。まこの開いた航路は王国の輝かしい繁栄の礎となり、まこはまさに伝説の冒険家となりました。何もしなくても3回の人生を送れるほどの褒賞を与えられた晩年のまこは家族も作らず人目を避け、灯台守として隠居しながら、愛する海の側でこれまでの交友関係や冒険をまるでお気に入りの本を読み返すように何度も思い出し噛み締め、そして十分に満足しながら穏やかにこの世を去りました。最期まで叔父のことを思い出すことはなく、充実した生をまこは全うしたのです。そしてそれゆえにまこは亡霊になりませんでした。その魂は肉体を離れると忽ち風に散り散りに飛ばされていきました。まこの魂のかけらたちは、追い縋る海の亡霊が伸ばした手をすり抜け夕空の遥か彼方へと消えて行きました。煌めきだけを僅かに空に残して…そしてその煌めきは滲んで亡霊の瞳から溢れ落ちました。
 ホリィやジェムやシーもすでに死んでしまっていて、亡霊だけがただ1人取り残されてしまいました。老いることができず、記憶の忘却という機能を持たない不死の呪われた亡霊は、永遠にまこへの恋心を忘れることができません。あのときもし、まこの記憶を食べずかつ叔父を助けることも失敗して、まこに悔いが残ればまこも死後亡霊になり、亡霊どうし触れ合いお話しをして一緒に過ごせる可能性があったのではないか。
 そんな想像が、不幸になったまこすら願ってしまう自分の存在が、亡霊をたまらなく苦しませます。しかしそんな亡霊の深くて巨大な苦しみは誰にも届きません。
 氷に触れても冷たくなく、火に飛び込んでも熱くない。そんな亡霊のなかに、まこへの恋や後悔や自己嫌悪をはじめとした様々な苦しみが溶けて混ざり合いヘドロのようなどろどろになり、どろどろはさらに新たな苦痛を取り込んで際限なく膨らんでいきます。
 ひとりぼっちの海の亡霊の苦しみを誰が知ることができるだろう。理解されることのないその苦しみは発散されることなく、海の上で永遠に膨らみ続けます。それは風が吹くと波が立つくらい当然のことでした。
 亡霊の苦しみは消して浄化されません。ところでもう一杯如何ですか。
 
 俺は胡乱な廃人に進められるがままジャックダニエルをグラスに注いでもらう。ボトルを持つ廃人のしわくちゃで乾燥した手はぶるぶる震え、ジャックダニエルがグラスから溢れる。
 今日たまたま横の席になり知り合ったばかりなのに、自分語りしすぎているこのよれよれの廃人のことが俺は怖かった。
 その気持ちをはぐらかすようにぐいとロックを流し込み窓の外を眺めた。まだ日は沈み切っておらず、うつむいて駅に向かって歩くサラリーマンたちは皆、大体がすでに退勤してるであろうになんだかせわしない風だ。
 酔いが回ってきたところでちょっと強気になってきた。そして俺はこの店から出るタイミングを測り始めた。逡巡しているうちに手元の空のグラスにジャックダニエルがまた注がれていく。
 俺はそれを一気に飲み干してすぐ会計を済まし、席を立って廃人に礼も言わず速足で店を出た。
 話されたことを全て忘れたかった。振り返ると窓の磨りガラス越しに、あの廃人が見える。
 廃人のぼやけたシルエットはこの世に滲んでこびりついた「しみ」のようで、まさに亡霊だった。
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uchu-household-blue · 3 months ago
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断定の恐怖って何?張り合っても何だ?と頭痛。なんでもよくないんだ。なんでもよくないくせにと思う日々が辛かったけれど どうでもいいところでも大切なところでも、頑張ってるから留まってなどない。そこまではバトルじゃないし引き受けないという合理性で、赦しのテーマもあっていいのならやっぱり孤立も現状に許容しているわけで。私もまた自律しかしてないし我々を遮るなと思っちゃうし。類として占いも断定も'作り出す物事'までを見てない気もするな。...伝わらなかったし受け取りようにたどり着けなかったな。この教訓だけは覚えておくべきなんだろうからな。だがメモするのは私の感覚に併せて持つためだから、逸れてもいいや。ノート取りましたで勉強完了な人などいないさ、分からんやつを放っておきあった人間さ。嫌いだよ。より苦しいほうを受け入れるなら目当てや夢が。連帯に感情を弾き出されずに、、描かれていたかったのに、言葉に隠されるし、壁にしつつ開けても全然見えない、深くに行くしかない。堂々とやる孤独普通か。景色からは見えない部分から出られない気がするやっぱり。逞しく生きようと思う自律、内外狭広楽しくなさすぎる、他人のいう逞しさじゃないんでしょう?無理かもしれないだとしたら。多分こういう最近気持ちの。〜感をこんなに履き違えるしかないなら、でも内向との行き来をしなきゃ作れな���から願って確からしくやる。たしかに論破をしたいだけのものは無関係にしぜんになっていくだろう。普通と言い張りたかったよもう外にしがみつけないことあくまでも知るよまだ今 「入り口だけ」のレベル領域をそれぞれ歩みがありそうだ。逆が有事とのことなのかな、耐えれば終わるのか終わらないようにやるのかな、大丈夫大丈夫。自分を見つけるが遠のく、嫌だとか非効率に決まってるじゃん。自分なんていないのにすごくいるなって毎回...いや誰も思ってるかもだけど 相次いでる。剥奪されたり楽にしたりしたら心が欠けたような気もするし、いずれにしても進まないのでそのまま生きてみる。言いたいことが行為と思ってるものの土俵に捲し上げられるのもやっぱり違う気ができたからさ、何に悩まないでも楽しくないんだし...生き延びた日を繋いだだけですごいなとふと思えた、依存を許すという気がする。参考に出来ることはしたいし話になりたいもので、かつ大切な部分は譲らなくて仕方ないと子供のように思いたい疲れたどうとでも転んでみそ 達成感の無さという単語を見つけ直して、でも仕方ないよ達成を語ることが外側なら、やっぱり分けた時に欲しいものがないもの。でも何かのためにと思えないことも辛いんだもの。見えないものをほんとどうにかならなきゃで。しかしこう在れと言われてももうそれに充てがうようには何も持ててないしな、ひとまずやめちゃった。大切らしくうるさいものはあるけど自分しか大切にできないそれは皆そう何を支配下にするんだろう? 堂々として他者に何を話すんだろう?分からないのよ。参考になりたい何かたちを観てもー仮にきっと考えなくても、でも作りたいものは消え去らないように生きる... 何を自分に思えばいいのか分からなくなってしまったが、気づきが嬉しかったあとの地獄でもがいていた記憶とか、楽しい自分を保てなくなった断定からの懐疑とか。部分否定と部分肯定にしたかったから戻ってもきた。関係なくやらなくてはならないという思いのことと、豊かな内側のこと。断定が外から続くと嫌で(あろう)し。他の道で繋がってるならいいけどそうでないならこの目前の溝をどう感じようか。。追いつくものじゃないなとまで思ってしまうと追いつきたい追い越したい人には追いつきたいものではなくなるからそれでももう良い部分もあるし、誰も先が見たい分もあるわけで、大きなもののほうか細やかなもののほうかやはり均して慣れては、いけない。。私が居られる場所で作るもの疑うもの、繋がれるものの価値があったところを、見えない人が鬼のようでびっくりしたりまたは狭く閉じてのんびりすぎたりを感じたわけだけど、なのでどこでも周辺は鏡だし拒否や拒絶を通るが持ち物もって、それは切り離すのだろう(アニムス的に)。別の持ち物を示す別の道もあるだろうが、目前は何なのだろうな。何しようが個人たちには閉じは伝わってしまうものだと ケアから分かる。片目から両目をつぶってしまうものなら怖くて揺れてみたいし、または参考にならずに諦めた。狭さが良く働く条件かーその外でも、道具になるしかなく使われるわけでもないながらの意味でも、例えばの差別もあるのだろう個別の溝。評価を公私混同だけするとやはり生きれない。所有が分からないけど、利用でしかない場の言葉が嫌になり��れでも自由なように、遮られないようにと強張ったがまずは自分で自分をありのまま、形を変えつつちゃんと続くし続けていく。依存の形から見てさえも。哀しみを笑い合うほどのという感覚は繰り返したいことだ。しかし日常で分け合えるとしたら?幸せも(カケラしかと言えば小さなしあわせみたいな依存の言い換えかもな)ないのならもはや...自分で自分の限界を知る日々の片道ではあるし他人とが目を逸らすしかないものも今一度あるしな、捨てないといけないなら捨てていくのだしな、幸せも傲慢には思えるし、守れるかというと今は闇のみ確かだし、闇側にいる自覚もくっきりしたし、堂々と目指しても嫌同士ならばその先にはひとりで何もないところへ、という気がしているし皆そういうことを言っていたのであればそうとしかないかな。小さな依存の温度感は教われてないけれど掴んでいこうもし分断じゃないレベルなら。拾い直し続けることは、それでも難しいのかもしれないけどさ、女性が社会で生きるとはみたいなことも家の出方なわけだし黙らせて優越や支配で済まないから問われている時代だもの。ので一方で心の底の話をそれでも続く以上はかなり難しい小さなものたちだろうけど、言葉づかいを通してもまた、死ぬまでには何かきっと変わる。そのくらい長い恒常もあるのだろうと思い直しておく。死ぬまででもいいからつまり喜びも悲しみ理由になど半々で、何を諦め続けないと生きていけなくても切実すぎて'良い'わけだから、頑張ったぜ!!と言いたいことを、頑張ってるよと思ってもらえる場所でというよくあるやつが確からしいとすれば、ごく閉じてかイメージの名前の中に祀られてあるかもしれないし、最悪なくても良。変われないなぁ自分もこの人もと思っても、変われる部分の見方を、他者がそれさえ一方的な色眼鏡や優位性、思い込みの曖昧さでひとつに断定していくことはやっぱり回復や連帯になど向かないと思うから。そして自分もやり取りの中から構築する慣習を捉えることが苦手と分かる日々になったのでそれはそれで苦しい渦中で沈んで優しくなくてもやろう。欺くことや言い換えがもし単なる優位性になってしまうならその面も軽率な発言同士にはある残る置かれるだろうけども、'普通だから'その言葉によってディスカスの顔してるだけだとそれを論破呼ばわりもするはめになるのではないの?それだけでないから。断定が嫌なのは成功したからなの? そら、すらすら話すしかないことは自分の中にも生まれ続けるでしょうよ、お互いに、言い切りたいようなことは無関心なことで壁にしますのことのほう。嫌だったけども。入れないならやめとけでも普通の世界で、論証が足りないそれは断定すべきでない、コレクトネスよりフェアネスから語り反例になるしか手段になれない土俵のチャレンジャーかストレンジャーのようでいて同類で、でも分かるの欲しいものが論破ではないこと。考えることに慣れていくし気をつけ続けないと死ねない命なんだ。慣れないと続けられないけれど慎まやかさえも目前の依存との事実なんだ。想像力が無いのではないよ。見えてくる分がどうせと思われている分で話から遠のくから嫌なんだよ、頑張り'方'がひとつで生きていけるわけないじゃんよなのに単なる報告な訳の方もないのだよと思えてきた。慰みの意味。任されても分け合えないものとの会話。批評も行為もそれぞれからありそうだ。何したって蓄えたって今ここのジレンマと誰もがいるとしか気概さえ分からない。。私もまた死にながら生きる、生きながら死ぬ、言い換えのレベルでしかまたはどうに伝わらなくてもそれでも続くでいいから、リフレーミングが要るのは他者との間に言葉があるからだろうと気づいて、もうそれがいいから、行き交うものに耐えられない部分は耐えられないーー高層から見ればやっと一見の全容ぽいだろう表層の景色だろう、岩肌見に深層もあるだろう、行かなくてもいいよでも楽しくもないから、どっちでももういいよ、。大人になってかなきゃならんから大切なものの話を考えるしかなかったはずだったのに。前みたいに入り口にいて目指してみようでももう今はないよ多分、そしてなおさら高いところからすーすー狭めて欲しくもないものね。楽にやらないといけなかったり楽にならないといけないのに、必死でその楽にすがることにもなる。これは報告というより危うさだし、機能する何か場所か時間かがあれば慰みのようでいて、それも遮られてるわけじゃないくらいは伝いあっていれば良いのかな。。ありのままが嫌な人は言い切っていくのだろうし。離れなきゃならないものとしての優しさかもだし。悩んでいて方法にも辿り着かないし直線では繋がれないのに、笑い合えもしないのに、続く息で続く。自分以上の力を囲い込みたくはないからそちらも慣らさないように持つ次第であるし、自分で受け入れるためのものに思えないのなら私もその程度の道具や橋として甘んじるよ  忘れたいことや頑張り方の分からないこと、信じ方を、やりなおしくらう悪夢を、現実に持っていくことを、拒んでもいてごめんね でも嘘でもいいなら正解でなくてもいいし、正解だとしても分かるかもしれないもの そもそも留まってるわけじゃなかったのね
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oivgbqiqfz358 · 1 year ago
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--深海人形特別篇-- 様々な人間の思惑が絡み合ってこその戦争
※今回はSS二本立て(一部英訳付)。
※閲覧・キャラ崩壊注意
※クロスオーバーネタ注意
※雑多にネタをぶち込み
--此れが人の望み、人の夢、人の業!他者より強く、他者より先へ、他者より上へ!
----ラウ・ル・クルーゼ
--そして滅ぶ!人は滅ぶべくしてな!
--君の歌は好きだったがね、だが世界は歌の様に優しくは無い
--私は結果だよ、だから知る!自ら育てた闇に食われて人は滅ぶとな!
----ラウ・ル・クルーゼ
※シロッコ=伝説の超コーディネーター説
※反出生主義ガチ勢が書きました。
※コズミック・イラ(=種シリーズ)力が高いです。
…俺は昔、遺伝子工学(※筆者による補足 丁度コズミック・イラの若き時代のギルバード・デュランダ��議長みたいな感じ)の博士で、地球連邦とか言う地球発祥ならではの、特権階級振りと贅沢と傲慢と不遜の権化としか言い様の無い所が研究資金を出す職場に勤めて居た。其処で、デザイナーベイビーを作る研究の計画で主任だった。自分で言うのも何だが、凄い博士(ヤツ)だった。
そして、俺には、其の時に----数え切れない程の生命(いのち)の犠牲を積み上げて迄----作って無事完成した個体が居た。
決して俺の子供では無いが、其れは何と無く、俺の子みたいな物だった。
そして、其の子供は途中で夭折する事も無く、成人し、大人になった。今は"パプティマス・シロッコ"と呼ばれて居る様だ(※…ところで、彼は、今も尚、沢山の兄さん姉さんの犠牲あって自分が存在して居る事を覚えて居るだろうか?)。
さて、彼の製造(?)には、此の様な経緯があった。
俺は元々とある有数の理科大学で研究者をして居たが、ある時に時の連邦が俺をスカウトして来たのだ。其処で、俺���、パトロンになってくれた其のお偉い様方に(※今考えて見れば傲慢無礼にも)要望を伝えた。
「クローン製造の研究をさせて欲しい。」…と。
然し、どう言う訳か、連邦の上は、俺は『クローン製造学(※…と言う名前の割には、実際にはクローンを一体も作れた試しが無いと言う……)専攻』だったのに、クローンの研究では無く、パトロン事業却下への保険の代案として出した、『デザイナーベイビーの研究』だけを認めた。…何故だ?クローンとデザイナーベイビーの研究には、一体、倫理的にも何の差があると言うのだ?
…されど、わざわざ潤沢で高額な研究資金を出してパトロンになり雇ってくれる以上、俺は其の『仕事』を蹴る事は出来無かった。
…当然の様に研究は難航した。多くの幼なくて幼くて小さくて儚い命が犠牲になった。あっさり書くがそんな物だ。……水子供養は心を込めて沢山したよ。自分達の申し訳無さと無駄の多さと罪業を悔やむ為にも。
だが、十数年経っても、最早、連邦も計画を中止する事は出来なかった。何せ、国家予算に匹敵して已まない莫迦高い金を注ぎ込んで進めた計画だ。
誰だって成功させたい。誰だって追い求めた理想と程遠い完成度と質でも「失敗作だから。」と「壊したくは無い」。
…然し、其の後御上の面子自体が変わって、心変わりしたのか、事業仕分けとやらの余波で、本格的に此の計画は終わりを告げた。終了した。
…たった一人の、デザイナーベイビーとしてやっと作り出された男子を残して。其れから、何年も、何れだけ幾ら研究を続行しても、其の男子以外の完全な個体をついぞ俺達は作り出せなかった。上は十何人もの自分達の理想を体現した、完成度と質の保証されたデザイナーベイビーを欲しがって、完成を待ち望んで居たにも関わらず。あれだけ、湯水の様に投資し、計画を見守り、金を掛けたのにも関わらず。其れ等が上にとって只唯一の評価基準だった。だから、計画は打ち切られた。俺達は何処迄も悔しかった……。
…。
後日。
今迄散々連邦様の為に働いて来て上げた筈の研究所を閉鎖する為、其の研究所を後にする研究員の一人が悲痛に嘆いた。
「…上の軽率な判断で、全部、今迄の命も、報われない、居た堪れない様になってしまった。……本当に悔しい!!!!自分達が、こんな命を弄ぶ研究をし続けたのは、結局、何の為だったんだよ??!???!!!!」
其の時、丁度俺の脳裏に此の言葉が過る。
----命は産まれ出る物よ!創り出す物では無いわ!
其の言葉を聞いて、所謂"サイコパス"の名を欲しい儘にした筈の、俺は生の感情と共に言う。
「…結局求めて居た者を創り出せはしなかったな。俺達は。未だ時期尚早だった様だな……。…でも、あの子は本当に可哀想だ。…そして、何故か、デザイナーベイビー研究だけを承認して、素直にクローンを作る研究をさせてくれなかった上を俺は怨むよ。」
…其の後、俺は研究者を辞めて、連邦と縁を切り、元の鞘である理科大学に教授として戻った。
……で、其れから、俺が噂に聞いた所によると、其の男子は、ありとあらゆる育成と実験をする為、とある仮設夫婦の元で育てられる事になった。更には、其の夫婦の間に自然出生した妹が居るらしい。……円満な家庭だと良いな。
…。
「今日も研究所に来てくれたのか!」
「博士、戦車の話しよ〜〜!!!!」
「まーた戦車の話か……。本当に戦車マニアだよな……?」
「何で?何で??戦車好きだもん。」
楽しそうに笑って無邪気に抱き付くのを見れば、そりゃ誰も言えないさ。誰の口からも、この言葉を。
お前は初めから「失敗作」だったなんて……。
…。
※…以下、クロスオーバー注意
※SEED Freedom×ファンタジーストライク・YOMI(Mobile suits Gandam Seed freedom + Fantasy Strike and YOMI series)。
---どこで終わりにすればいい?敵である者を、全て滅ぼして…かね?
----アンドリュー・バルトフェルド
…ハインラインは、何故か魚人達の住む沼地へと酒瓶を持ってやって来て居た。
「何故此処に来た?どうしたものか。君の様な部外者は……。」
すると、ハインラインが何時もの早口で説明する。
「途中で変わった思想を持ってそうな厳つい方に酒瓶を持たされて此う言われました。…貴方は、人類しか居ない世界から来たイレギュラーな旅人、…だからこそ、少しだけでも、人間以外の種族、友人のアーカガーグに挨拶して来なさいと。自分でも面白いと思ったから此うしてやって来てるんですけど。ですけど、随分田舎的な発想ですね。……嗚呼、……其れにしても、面白い。魚と仲が良いんですね。」
流石のアーカガーグも其う言われてムッとする。
「魚人が魚と仲が良くて何が悪い?」
「其れは良い事ですね。…私の世界では、自然の人類(ナチュラル)と新鋭人類(コーディネーター)が其々種自体の存亡を掛けて絶滅戦争と言う名の生存競争してますよ。」
其れを聞いたアーカガーグは酷く驚く。
「何じゃと?!異種族同士でも無いのに絶滅戦争じゃと?!!其処迄お前達はするのか?!」
「素晴らしい。理解出来た様ですね。魚の割には賢いので感心しました。魚は頭の悪い種が非常に多いので。」
ハインラインは何時もの調子だ。だが、其れを言われた方は。
「…呆れたモノじゃ…!今時流行らんぞ魚人差別なぞ……!」
「生憎、コズミック・イラの地球圏には、知的生命体レベル迄進化した魚は生息して居ませんし、異次元人、異星人にすら会った事が無いので。私には、接し方の感覚が分かりません。」
「……??」
流石の、魚人界隈屈指の賢者で知られるアーカガーグも困り果てて居た。
「…さて、あれからフラグストン兵器開発工廠の上司から此う聞きました。此処の世界の人々は、昔から異種族間で激しい戦いをして居ると。」
「何が言いたい?」
あの温厚で知られるアーカガーグが凄む。すると、ハインラインは、続けて、此う語り出す。
「少し前にも言った様に、私の世界では、自然の人類と新鋭人類とで互いに互いを潰し合う絶滅戦争をして居ります。是非、貴方方も其うしては如何でしょうか?人類を一人残らず潰して仕舞えば、後は、人類以外の好き放題でしょう。」
「何と、救い様の無い程に野蛮な……!!」
次に、ハインラインは、何処か重苦しい虚無を感じさせる様に、無気力に言った。
「其うですね。格が違うんですよ。コズミック・イラは。負の方向にね。貴方方も歴史に一度は絶滅戦争をしてみれば良い。きっと私の世界よりも楽しい事態になりますよ。」
「確かにな。お前達の様な野蛮な人間が蔓延れば、ワシ等は最も簡単に絶滅させられてしまうであろう。だが、其の時は、逆に、魚人達は人間達に絶滅させられる前に、彼等を絶滅させるであろうな。じゃが、結局は、ワシには何も関係無い。」
「……矢張り、魚類と人類は理解し合えないみたいですね。」
そして、最後にハインラインは、アーカガーグへと某人物に頼まれた酒を渡して去って行った。
…。
※解説?
相当前からコズミック・イラは地獄、鬼畜共の世界だと言われて久しいが、此処で作中のコズミック・イラで起きた出来事を書いて置こう(※ほんの一部だけでも)。
・ナチュラルの捕虜なんているかよ!(※連合の兵士達を戦時条約に則って捕虜にもせず其の場で処分)。
・本拠地に攻め込んで来た宇宙の化け物共を味方ごと大量破壊兵器サイクロプスでレンチン
・目の色が違うわ!
・デストロイガンダム(の使われ方)
・血のバレンタイン事件
・↑の報復として地球に投下されたニュートロンジャマーの所為で連合のナチュラルが餓え、凍えにより大量に減少(※一説には犠牲者数10億人)。
・ブルーコスモスの存在其の物
※結論:此んな世界に救いなんて何処にも無い(※ゲッター線でも降り注がない限り!!!!)。
…。
English ver
Heinlein had somehow come to the swamp where the fishpeople lived with a bottle of wine.
Arkagarg Said.
"Why are you here? An outsider like you can't just go to ......."
Heinlein explained in his usual rapid-fire manner.
"On the way there, a stern man who seemed to have some unusual ideas took me by the hand with a bottle of wine and said to me: "I've been thinking about you for a long time. You are an irregular traveler from a world where only humans exist, and because of that you should go and say hello, even if only a little, to a non-human species, your friends the Arkagag. I thought it was interesting, so I came here. I'm not sure if it's a good idea or not, but it's a very provincial idea. ......Aha, ......And even so, it's interesting. You're very friendly with fish."
The quintessential Arkagarg was miffed to hear that.
"What's wrong with a fish-people being friendly with fish?"
"I guess that's a good thing. In my world, the naturals and the coordinators are fighting a war of extinction for the survival of their own species."
Arkagarg was astonished to hear that.
"What do you mean? A war of extinction between two races that are not even different from each other? That's what you're going to do? "
"Excellent. You seem to have grasped it. I am impressed by your intelligence for a fish. Because Fish are often the dumbest species. "
Heinlein was his usual self. But the person who was told that...
"I'm amazed...!It's not fashionable nowadays to discriminate against merfork......!"
Unfortunately, fish that have evolved to the level of intelligent life do not inhabit the Cosmic Ila's earth sphere, and I have never met an inter-dimensional person or even an alien. I don't know what it feels like to interact with them.....? "
Even Arkagarg, who is known as one of the wisest fishmen in the world, was troubled.
"Well, since then, I've heard from my boss at the Fragston Weapons Development Arsenal. He told me that the people of this world have long been engaged in fierce interspecies warfare.
What do you mean?"
The famously mild-mannered Arkagarg was horrified. Heinlein continued.
The famously mild-mannered Arkagarg was horrified. Heinlein then continues.
Heinlein continued,
"As I told you some time ago, in my world, the naturals and coordinators in a war of extinction, mutually little by little near annihilating each other. Why don't you do the same? Once you have destroyed every last human being, the rest will be free to do as they please. "
"How irredeemably barbaric ......! "
Next, Heinlein said listlessly, with a sense of heavy emptiness in his voice.
"That's right. It's not the same thing. Cosmic Ila is different.but It's to a negative direction. You should try an extermination war at least once in your history. I'm sure it will be more fun than my world.
"Indeed. If barbarians like you spread, we will be exterminated most easily. But then, on the other hand, the Merfork will exterminate them before the humans do. But in the end, I have nothing to do with that. "
......It seems, after all, that fish and mankind do not understand each other."
Finally, Heinlein gave Arkagarg the licker that someone had asked him for and left.
…。
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drooog · 1 year ago
Text
お茶碗を持つ方は右翼
2023/04/12
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右翼と左翼とか、よくわからなかったことがわかりやすく書いてある。最終的にその垣根はグチャグチャになっていったけど。
もう近代というものは全部グチャグチャのめちゃくちゃで、すべてをちゃんと正確に知ろうとするとすごい頑張らないといけなくて大変だ。
情報は積み重なってくばかりで無くなりはしないから、都会の路線図みたいに複雑に入り乱れていく。だからこうやってお片付け上手な人が要点を纏めてくれると助かる。
前に同居人のズーニャ先生に右翼と左翼について聞いたとき、「色々細分化されててよくわからないけど、ざっくり言うと右翼は保守派で左翼は革命派、派手な動きをするのは大体右翼」みたいな話をされ(すごい、なんでも知ってる)、
右翼って暴れてるイメージだったから、革命派の左翼の方が暴れるんじゃないの?保守派って現状維持なのになんで暴れるの?ってびっくりした。
ズーニャ先生が言ってた通りだったし、より詳しく書いてあった。
でもよく考えると革命派が暴れるのではというのは自分の偏見でしかなくて、確かに、病院に連れて行こうとすると暴れるワンちゃんみたいなものかと思った。
現状に変化を齎そうとする動きは正当性と勇気と根気がいるし。
変えるな、戻せという方が簡単だ。
この本でおもろい知見を得たので記す。(みなさんは小学校で習ったと思いますが、社会の授業中ずっと居眠りか落書きをしてたのでぼくは初めて知りました。)
元々、西洋の人間社会には神がいて、政治も神によってすべてが決まりがちだったらしい。
でも、デカルトが「我思う故に我あり」と言いだしてから、理性こそが自分たちの存在の証明なら、神はいなくても成立してしまうのは…ということに気付き、みんなソワソワし始めた。
そこから、理性信仰(合理主義)がすごい発展して、自分たちで政治するぞ!という流れになり、民主主義とか社会主義とか生まれたらしい。ちなみに、デカルトは神を信じてるのに周りの人たちが勝手にデカルトの言葉を神に頼らなくてもイケると解釈して合理主義が生まれたらしい。(かわいそう)
右翼とか左翼は、その合理主義が台頭してフランス革命が起こったときに生まれた言葉で、なんか会議みたいなやつで保守派(宗教好き)は右側に、革命派(理性好き)は左側にいたらしい。
右翼は神を信じていて、その人間の理性によった政治に疑問を呈す人たちだったらしい。そして、今ではその中にも色々な派閥がある。
「今の世界はクソ、神がいたときこそ最高!」っていう人たちや、「天皇万歳!過去の国家の在り方こそが完成されていた!」というような過去への執着が強い原理主義の過激派がよく暴れているらしい。
右翼の中には懐疑主義のような穏やかな人たちもいて、それも合理主義に反対する考え方ではあるけど、これは正直共感できる。
懐疑主義は「人間の理性が、人間の判断が、絶対に正しいとは思わない。現状や時代に合わせて、少しづつ、永遠に改良を続けるべき。」という思想。バーグみたいな名前の人が始まりらしい。「人間は確かに理性的、合理的に考えられる人もいるかもしれないが、愚かな民衆までもを政治に加えさせたらクソ政治になる」みたいなこと言ってた。これはむしろ、左翼的でもある。
今も続いてる老舗の甘味処は、理念や技術を引き継ぐために、時代に合わせて味を変えている。変わらないために変わり続けている、それに近い。(これアキバ冥途戦争でも言ってた。神アニメ。)
左翼は元々、最初に言った合理主義、理性主義の人たち。理性に導かれ、革命、改造を繰り返してしっかり構築された理想の社会を作っていこうとする人たち。
でも正直、もはや右翼と左翼の定義はあやふやだと書かれていた。あえて分けるなら、どちらも理想を抱えていて、右翼はその理想が過去にあり、左翼は理想が未来にあるという違い。
だから、左翼によって兵器の力を生活に役立てようと原発が開発されたりしたけど、正しいはずの理性によって導かれた進歩で事故が起きたりしたから、左翼の中には環境問題や食料問題に興味を持つ人が増えてて、右翼的な、懐疑主義の思想に近付いてるらしい。
前置きが散らかったが、この「理性」と「宗教」の対立に思うことがある。
まず、リチャード・ドーキンスの「神は妄想である」という本の中で、「宗教が慰めをもたらすからと言って、宗教が正しいということにはならない。たとえ全ての無神論者は情け容赦なく、果てしなくつづく苦悩によって神経症に苛まれ、自殺に追い込まれるとしても、これらのどれ一つとして、宗教上の信念が正しいと言うことを証拠立てる上で、毛ほどの役にも立つまい」という一節があるらしい。
(ツイッターのリチャードドーキンスbotが言ってた。←アホのインプット。良い子はマネしないように。いつかちゃんと読む。)
この、「無神論者は情け容赦なく、果てしなくつづく苦悩によって神経症に苛まれ、自殺に追い込まれるとしても」という一文に思うことがあった。
無宗教の国は自殺率が高いらしい。
理性によって、道徳的向上はもたらされる。
左翼/右翼のあり方に近いものを感じた。
未来を創造する力・前進・発展・向上は理性がもたらす。それに対して右翼的な…保守主義・宗教は、問題解決をもたらさないとか、否定的に言われることが多いが、過去の叡智、原始的直感、未知の事象を忘却させないための力、人知の及ばない世界を認識させるための力を持っていると思う。
理性は道具でしかなく、それを扱おうとするときは信仰が要るんじゃないか、結局。
惑星軌道の発見も、神がテキトーに惑星散らかすはずがないって信じたから成されたし、さっきの理性主義の発現も、神を信じていたから辿り着いたデカルトの言葉がきっかけだったし。
なんで、日本は自殺が多いんだろう、自罰的というか、自分も含め、自分で自分を苦しめる人が多い気がして、ずっとなんかやだな〜と思っていた。
それは日本が、絶対的な信仰の対象…唯一神を持たなかったからなのかもしれない。赦し���罰も、自分で自分に下さなくてはならなかったからかもしれない。
切腹とか、自殺の美学みたいなものも歴史にあるし。かくいう自分も、中二病のときは(今もだが)自傷行為してる俺かっけ〜と思ってた。でも、実際に自殺を仄めかしていた友人と音信不通になったとき、「ほんとに死ぬな…………」と思った。
自殺するような人は絶対、間違ってない。死ぬ必要がない。その友人は、職場でパワハラにあったりしてたと言ってた。パワハラをするような人の方こそ、社会的制裁を与えられるべきだと思う。でも、そういう人は図太くて、のんきにのうのうと生きていく。
自分は、誰かを排斥して笑っているような人間に比べたら上等で、生きる資格も価値もあると思っている。そう思えるようになるまでは、本当にウンチ人間すぎて生きててごめんなさいと思っていたが、そう思うことで生きることを許されようとしなくても、のうのうと生きているウンチ人間がいるのだから、どんなウンチ人間だって生きてていいに決まってる。
すべてのウンチ人間は、生きてていい。
そして、そう、自罰的というのは、理性が思考の主導権を握っているときに起こりやすいと思う。多分、たのしくて脳汁ドバドバのときに死にたいとは思わない。それが過ぎたあとの、理性が戻ってくるときに死にたくなるか、あるいは、必ず戻ってくる理性の気配を感じ、脳汁ドバドバのまま死んでしまえたら…と思うかもしれない。
それは、人間という動物の本質がウンチ製造機であり、そんなウンチ製造機が道具として理性を手に入れたから起こる苦悩だと思う。理性は、人間が世界をその脳で認識し理解するための道具であり、それ故に、理性を使って世界を測るたびに、人間のウンチさを突きつけられるのである。理性は、この世界が地獄の混沌であり自らがウンチ製造機であることを認識させるためにある。
だから、人はその理性を手放したくなるときがある。それは快楽、義務、信仰によって成される。音楽やゲーム、スポーツ、映画、アニメ、フィクション、あらゆる娯楽、あるいはお酒、ドラッグ、ギャンブル、はたまた、仕事…そういった一見生きるのに必要なさそうなものが人間社会と常にあり続けているのは、他ならぬ理性のせいだと思う。理性がなくては生き残ることも困難だが、脳は、理性だけじゃこの世界のあらゆることを抱えきれないから。
そしてその、理性の負荷からの逃避にかなり役に立つのに代表されるのが、宗教。
正直、信仰していればなんでもその代わりになると思う。さっき言ったすべて。娯楽も仕事も義務も、理性にもたらす影響は宗教とあんまり変わらないんじゃないかと思ってる。
推し活とかが流行っとるが、それも結構宗教だと思う。日本の宗教観にアニミズムがあり、アニメーションなどによってキャラクター信仰が浸透することは、構造として神の信仰と通じる部分がある。
心から信じていて、自分を絶対に救ってくれると信じられる何かがあれば、絶望の淵にいても人は生きていけるんじゃないか。
罪悪は、理性が生み出す道徳的向上の標である。信仰は、慰めと救いをもたらす。どちらとも、人が生きることには欠かせないのかもしれない。
だから自分はダメだ…って思いすぎるひとは、全然ダメじゃない。生きててえらい。
もしも死にたくなった��、そうさせた奴らを殴りに行こう。社会に蹴りを入れに行こう。死んだら何も言えない。死ななかった人のための世界になるだけだ。
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