#アイヌ文様
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El clan Nanbu tenía un fuerte. ¿Qué es un daimyō? La gama que los samuráis ganaron más poder son los señores feudales, el sitio histórico de shojujitate fue la residencia del clan Nanbu, construido en la orilla norte del río mabuchi en la prefectura de Aomori. Estaban ubicados en el punto estratégico de comunicación. - Sin embargo, el castillo estaba cerca de los caminos oshu kaido y kazunokaido, el lugar estaba limitado por montañas al este-oeste y norte-sur, los 300 a 250 m la dimensión del fuerte era de aproximadamente 90.000 metros cuadrados. Como resultado de la excavación que el arqueólogo llevó a cabo hasta el edificio de pilares del escape más grande de la región de tohoku, se extiende 18 tramos de 36 m de norte a sur de 42 m, la estructura ha sido de dos pisos de altura y los pilares de la puerta de 45 cm la fecha del castillo de 1539 en la era de Teherán. - Cerámica de alta calidad y artefactos culturales honshu Ainu, se han recuperado más de 4000 tipos de cerámica vidriada medieval dentro del sitio, de los cuales siete décimos son guerras vidriadas chinas. - En resumen, la forma en que se puede discernir a partir de los elementos recuperados en los restos de shojujitate datan de la cultura del período Murumachi y Sengoku en Japón. - - En resumen, la forma en que se puede discernir a partir de los elementos recuperados en los restos de shojujitate datan de la cultura del período Murumachi y Sengoku en Japón. - 南部氏には砦がありました。大名とは?武士が勢力を拡大した範囲は領主領であり、青森県の馬渕川北岸に建てられた南部藩の居城であった正寿寺立史跡は交通の要所に位置していました。 しかし、城は奥州街道や鹿角街道に近く、東西南北は山に囲まれた場所でした。 300 から 250 m の砦の寸法は約 90,000 平方メートルでした。 18スパン36m南北42mに及ぶ東北地方最大級の脱獄の柱建造物を考古学者が発掘調査した結果、2階建てで門柱45cmの城郭時代の1539年テヘラン時代。 高品質の陶磁器と本州アイヌの文化的遺物、4000 種類以上の中世の釉薬を使った陶磁器が遺跡内から回収されており、そのうち 10 分の 7 が中国の釉薬を使った陶器です。 手短に言えば、正寿寺立遺跡の出土品から、室町時代と戦国時代の文化が日本に伝わる様子がわかる。 - The Nanbu clan had a fort. What is a daimyo? The range that the samurais won more power are the sir feudal, the shojujitate historic site was the residence of the Nanbu clan, built in the north bank of the mabuchi river in the Aomori prefecture were located in the strategic point of communication. However the castle was near the oshu kaido and Kazunokaido roads, the place was limited by mountains to the east-west and north - south; the 300 to 250 m the dimension of the fort was approximately 90.000 square meters. As a result of excavation the archaeologist conducted to the pillar building of the largest escape of the tohoku region extending 18 spans 36 m north-south spans 42 m, the structure has been two stories tall and gate pillars 45 cm the castle date of 1539 in the Tehran era. High quality ceramics and honshu Ainu cultural artifacts, more than 4000 types of medieval glazed ceramics have been recovered from within the site of which seven tenth are Chinese glazed warres. In short the manner it can be discerned from the items recovered at the shojujitate remains date Murumachi and Sengoku period culture to Japan. ソース写真/source photo: https://www.town.aomori-nanbu.lg.jp/page/1543.html
#正十次立史跡#南部町#青森県#アイヌ文化#アイヌ#日本#日本の歴史#日本の考古学#考古学的遺跡#世界遺産#向かい合う鶴のモチーフ#戦国時代#大名#馬淵川#鹿角街道#ShojujiritsuHistoricSite#NanbuTown#AomoriPrefecture#AinuCulture#Ainu#Japan#JapaneseHistory#JapaneseArcheology#ArchaeologicalRuins#WorldHeritage#FacingCraneMotif#SengokuPeriod#Daimyo#Mabechigawa#Kazunohighway
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イラン・パッペ - Wikipedia
イラン・パッペ(英語: Ilan Pappé、ヘブライ語: אילן פפה 、1954年 - )は、イスラエルの歴史家、政治活動家。エクセター大学教授。 自身の著書でイスラエル建国によって、パレスチナ人に対する民族浄化が行われたと主張。これらの主張からイスラエル国内ではほぼ完全に「国賊」扱いされている状況であり、殺害予告も受けたことがある[5]。
アート界の「先住民族ブーム」の陰で進む、歴史の忘却に警鐘を鳴らす。2024年3月11日に国立西洋美術館で起きたこと、2023年10月7日から——あるいは、もっと以前より、そして、この瞬間も——ガザで起きていること #3(文:山本浩貴)|Tokyo Art Beat
国立西洋美術館で開催中の「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか? —— 国立西洋美術館65年目の自問|現代美術家たちへの問いかけ」。3月11日に行われた内覧会で、イスラエルのパレスチナ侵攻に対するアーティストや市民による抗議活動が行われた。 1954年にイスラエルで生まれたユダヤ系イスラエル人歴史家のイラン・パぺは、2006年に『パレスチナの民族浄化——イスラエル建国の暴力』を著した。2017年に邦訳が出た同書は、パレスチナ人がアラビア語で「ナクバ(大災厄)」と呼ぶ1948年前後の出来事を詳細に描く。その年にイスラエルが建国されたとき、そこに先住していたパレスチナ住民は計画的に追放され、さらには組織的な虐殺さえ被った。「シオニスト」はパレスチナにユダヤ人の民族的拠点を創設することを悲願とする人々を指すが(「シオニズム」は、そのイデオロギー)、戦後、こうした人々はそこにあった元々のパレスチナ社会を不可逆的に破壊した。パぺの本は、このナクバを一貫して「民族浄化(エスニック・クレンジング)」として解析している。 そこでパぺは読者に、こう問いかける。 「こういうことを想像してほしい。あなたのよく知る国で、少し前に全人口の半分が1年もしないうちに強制的に追放され、その国の村や町の半分が壊滅させられ、あとには瓦礫と石ころだけが残された、と。あるいは次のような可能性も想像してほしい。こうした犯罪行為がどういうわけか歴史書でまったく説明されず、その国で勃発した紛争を解決するためのあらゆる外交努力は、この大災厄を、無視はしないまでも、完全に脇に追いやっている、と」(イラン・パぺ『パレスチナの民族浄化——イスラエル建国の暴力』田浪亜央江・早尾貴紀訳、法政大学出版局、2017年、24頁)。
前回、ぼくはアイヌの過去と現在に関する日本人のあいだの「忘却と否認は深い部分で、ガザで起こ��ていることへの無関心と地続きの関係にある」と書いた。ここまで論じてきたように、昨今のアート界における「先住民族ブーム」を真に意義のある現象にするため、その文化や思想だけではなく、各地の先住民族が背負わされてきた負の歴史を知ることが不可欠だ。同時に、それぞれの先住民族の状況が地域により異なること、その歴史的・文化的背景が多様であることを認識しながら。加えて、イスラエルと同じくセトラー・コロニアリズム(入植植民地主義)を通して創設された近代国家のひとつである日本に生きる人々は、パレスチナ人が被る現在進行中の苦難に際して自らの足元を見つめ直す必要性に迫られている。私たちに求められるのは、過去と現在の様々な出来事を結び付けて思考しながら、それらの個別性にも注意を怠らない立体的な視座だ。
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ゴキゲン♪ と第1回中間審査
Saturday 27 June 2015
バスが東京駅に着き、真観は水道橋の事務所に向かった。ほんの30分程度の立ち寄りだった。Uさんも真観が事務所を出る少し前に事務所に現れた。真観は、事務所があるビルに保管してある折り畳み自転車をチェックしてみた。ワイヤー製のロックの鍵を開けようとしてみたが、用意されていた鍵が合わなかった。
真観は、学校に向かった。今日は、第1回中間審査の日だ。真観が批評するのは8人の学生の各2作品。お父さんを撮る学生、三浦半島を撮る学生、ファッションブック風に撮る学生、夜景を撮る学生、アイヌを撮る学生、、、と様々だ。興味深��真観なりに批評をして行く。この中間審査は卒業制作提出まで後2回実施される。真観がとりわけ興味を持ったのがアイヌ。アイヌを撮っている学生は中国からの留学生だ。その学生に真観は、高倉健主演の映画「森と湖のまつり」を教えた。かなりレアな映画なので日本人で知らない人は多いと思う。その中国からの留学生は、中国の少数民族も撮っていたという。彼は大男で、もしかしたら先祖はアイヌと繋がっていたかもしれない。そう思うくらい意外だった。
学校を出たのは6時を回っていた。真観は、事務所に向かった。事務所に着くとUさんの他にKさんとその友人がいた。Kさんの写真展にUさんは関わり、今日は、Kさんの写真展の搬出の日だった。真観は、Kさんの写真展のことは知っていたが見には行かなかった。
4人で「なんでも300円中華」に行く。写真展の在り方や日本の写真界のシステム等を話し合った。真観は、2009年以来本格的な写真展はしていない。どうもする気になれないのだ。
店内は東京ドームでアイドルのイベントがあった様で若いお客がどーっと流れて来た。注文したチャーハンは中々テーブルにやって来なかった。真観は静岡に帰る時間となり、お店を出ようとするとチャーハンがやっと来たので急いで食べて店を後にした。
真観は、東京駅に向かった。今日��行き帰りのバスは予約してあった。いつもだと予約の必要はないが週末は予約しておかないと乗れない可能性がある。バスは、やはり満員であった。行きのバスで乗り合わせた男性もいた。
バスが静岡に着くとアトリエに帰る前にセブンイレブンに立ち寄る。カウンターで売られているドーナツを買う。最近のお気に入り。ドーナツなんて昔から売られていてもおかしくないのに。淹れたてコーヒー同様新しい着眼点の勝利か。
アトリエに帰ると何故か足が痛い。今日は、古いスニーカーを履いて行ったが靴づれしたのだろうか?
AND SO THE DANCE GOES ON ・・・ ダンスは続く。
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Y染色体ハプログループを中心に、日本人、朝鮮人、漢民族、チベット人、ブータン人、ネパール人、ブリヤート人、キルギス人の遺伝的特徴と異同を詳しく解説します。以下では、各民族のY染色体ハプログループの分布とその起源、特徴について説明し、可能な限り簡潔にまとめます。なお、Y染色体は男性のみに伝わるため、主に男性の遺伝的系統に焦点を当てますが、ミトコンドリアDNA(mtDNA)や常染色体についても必要に応じて触れます。
1. 日本人
主要なY染色体ハプログループ:
D1a2a-M55(約35-40%):縄文人に特徴的で、特にアイヌ(約85%)、沖縄県民(約40%)に高頻度。本土日本人にも多く見られるが、漢民族や朝鮮民族にはほぼ存在しない。中央アジア起源で、約3-5万年前に日本列島に到達したとされる。
O1b2(約30-35%):弥生時代に朝鮮半島経由で流入したとされる東アジア系統。稲作文化の伝播に関連。
C2-M217(約5-10%):北方アジア(シベリア、ブリヤート人など)に多い系統で、弥生時代以降の大陸からの影響を示唆。
C-M8(約5%):日本列島最古層の可能性があり、4万年以上前に到達したと推定。韓国や中国でも散発的に見られる。
遺伝的特徴:
日本人の遺伝子プールは、縄文祖先(D系統)、北東アジア祖先(C系統)、東アジア祖先(O系統)の「三重構造」が特徴。
縄文人の遺伝的影響はアイヌや沖縄県民に強く残り、本土日本人では弥生人との混血が進んだ。
ネアンデルタール人やデニソワ人の遺伝子混入も確認されており、病気や形質に影響を与える可能性がある。
他民族との異同:
チベット人やブータン人とD系統で繋がりがあるが、サブグループが異なる(日本:D1a2a、チ-ベット:D1a1)。
漢民族や朝鮮民族とはO系統で共通点があるが、D系統の頻度が低い点で大きく異なる。
2. 朝鮮人
主要なY染色体ハプログループ:
O1b2(約30-40%):東アジア、特に朝鮮半島で高頻度。弥生時代の日本への稲作伝播に関連。
O2-M122(約40%):漢民族にも多く、東アジアの農耕文化と関連。朝鮮人ではO2aが特に多い。
C2-M217(約10-15%):北方アジア(モンゴル、ブリヤート人)に多く、朝鮮半島への北方からの影響を示唆。
D1a2a(約2%):日本人に多いD系統だが、朝鮮人では低頻度。
遺伝的特徴:
朝鮮人の遺伝子プールは東アジア系統(O系統)が支配的で、漢民族と近いが、北方のC系統の影響も強い。
縄文人由来のD系統はごくわずかで、日本人との大きな違い。
他民族との異同:
漢民族とO系統で強く結びつくが、朝鮮人特有のO1b2の高頻度が特徴。
日本人とはO1b2で共通点があるが、D系統の少なさが明確な差。
3. 漢民族
主要なY染色体ハプログループ:
O2-M122(約50-60%):東アジアの農耕文化と強く関連。現代漢民族の主要な系統。
O1b1(約10-15%):南方系で、東南アジアとの繋がり。
C2-M217(約5-10%):北方モンゴロイドの影響。
Q-M120(約5%):古代周代の漢民族に高頻度だったが、現代では少数。
D1-D2(約0.02%):チベット人や日本人に見られるD系統はほぼ皆無。
遺伝的特徴:
漢民族は東アジアのO系統が圧倒的に多く、農耕文化の拡大に伴う遺伝的均質化が進んだ。
北方や南方からの遺伝的影響は限定的で、チベット人や日本人とのD系統の繋がりは薄い。
他民族との異同:
朝鮮人とO系統で近いが、Q系統やC系統の頻度が異なる。
日本人やチベット人とはD系統の不在が大きな違い。
4. チベット人
主要なY染色体ハプログループ:
D1a1-Z27276(約50%):チベット高原に特化。中央アジア起源で、約3-5万年前に到達。
O2-M122(約20-30%):漢民族からの影響。
C2-M217(約10%):北方モンゴロイドとの繋がり。
遺伝的特徴:
チベット人はD系統が非常に高頻度で、日本人と共通の祖先を持つ可能性が高い。
高地適応遺伝子(EPAS1など)が特徴的で、デニソワ人由来の遺伝子が確認される。
他民族との異同:
日本人とD系統で繋がるが、サブグループが異なる(チベット:D1a1、日本:D1a2a)。
ブータン人と遺伝的に近く、顔立ちの類似性が指摘される。
漢民族とはO系統で���部共通するが、D系統の高頻度が明確な差。
5. ブータン人
主要なY染色体ハプログループ:
D1a1(高頻度):チベット人と共通。
O2-M122:漢民族やネパール人からの影響。
R1a(少数):ネパール系ブータン人に多いインド・ヨーロッパ系。
遺伝的特徴:
ブータン人はチベット系(約80%)とネパール系(約20%)で構成され、チベット系はD系統が支配的。
日本人やチベット人と顔立ちが似ているとされ、D系統の共通性が背景にある。
他民族との異同:
チベット人とD系統で非常に近く、日本人とも部分的に繋がる。
ネパール系ブータン人はR1aなどインド系遺伝子を持ち、日本人やチベット人との差異を生む。
6. ネパール人
主要なY染色体ハプログループ:
R1a(約30-40%):インド・ヨーロッパ系で、南アジア起源。
O2-M122(約20-30%):東アジアからの影響。
H(約15-20%):南アジア固有。
D1a1(少数):チベット系民族に多く、ヒマラヤ地域で観察。
遺伝的特徴:
ネパール人はインド・ヨーロッパ系(R1a、H)とチベット系(D1a1)の混血が特徴。
チベット人やブータン人とD系統で繋がるが、頻度は低い。
他民族との異同:
チベット人やブータン人とはD系統で一部共通するが、R1aやHの高頻度が大きく異なる。
日本人との遺伝的繋がりはD系統のごくわずかな共有に限られる。
7. ブリヤート人
主要なY染色体ハプログループ:
C2-M217(約60-70%):モンゴル系民族に特徴的で、北方アジア起源。
N-M231(約20%):シベリアや北東アジアに多い。
R1a(少数):ロシア人との混血による影響。
遺伝的特徴:
ブリヤート人はモンゴル系民族で、バイカル湖周辺に居住。C2系統が支配的で、日本人のC2(約5%)と繋がる。
ロシア人との混血が進み、固有の文化や遺伝子が薄れつつある。
他民族との異同:
日本人とはC2系統で繋がるが、D系統やO系統の少なさが明確な差。
キルギス人とはC2やN系統で共通点があるが、ブリヤート人のC2頻度が特に高い。
8. キルギス人
主要なY染色体ハプログループ:
R1a(約40-50%):中央アジアの遊牧民に多く、インド・ヨーロッパ系。
C2-M217(約20-30%):モンゴル系やシベリア系との繋がり。
N-M231(約10-20%):シベリア起源。
遺伝的特徴:
キルギス人は中央アジアの遊牧民��、R1aとC2の混血が特徴。
日本人の神話や昔話との類似性が指摘され、文化的繋がりの可能性も。
他民族との異同:
ブリヤート人とはC2やN系統で共通するが、R1aの高頻度が異なる。
日本人とはC2系統でわずかに繋がるが、D系統やO系統の不在が大きな差。
比較とまとめ
共通点:
日本人、チベット人、ブータン人はD系統(D1a1またはD1a2a)で遺伝的繋がりがあり、中央アジア起源の祖先を共有する可能性が高い。
ブリヤート人、キルギス人、日本人はC2系統で部分的に繋がり、北方アジアの影響を示す。
漢民族、朝鮮人、日本人はO系統(特にO1b2やO2)で東アジアの農耕文化の共通性を反映。
相違点:
日本人とチベット人はD系統で近いが、サブグループ(D1a2a vs D1a1)の違いが明確。
漢民族と朝鮮人はO系統が支配的で、D系統がほぼ皆無。
ネパール人はインド・ヨーロッパ系のR1aやHが強く、チベット系以外の影響が大きい。
ブリヤート人とキルギス人はC2やN系統が主で、日本人のD系統とは大きく異なる。
顔立ちの類似性:
チベット人、ブータン人、日本人はD系統の影響で顔立ちが似ているとされる(例:蒙古ひだの存在)。
ブリヤート人やキルギス人も一部で日本人に似た特徴(蒙古ひだなど)が観察されるが、混血の影響で多様。
文化的・歴史的背景:
日本人とチベット人、ブータン人は地理的隔絶(島国や高地)により、遺伝的特徴が保持された可能性。
ブリヤート人やキルギス人は遊牧文化の影響で、遺伝的多様性がやや高い。
注意点
遺伝子研究は進行中であり、特にブータン人やネパール人のデータは限定的。詳細な比較にはさらなる研究が必要。
Y染色体は男性の系統のみを反映するため、全体の遺伝的構成を把握するにはmtDNAや常染色体解析も重要。
顔立ちや文化の類似性は遺伝子だけでなく、環境や生活習慣の影響も受ける。
結論
日本人、チベット人、ブータン人はD系統で強い遺伝的繋がりを持ち、顔立ちや文化的類似性が観察されます。漢民族と朝鮮人はO系統で近く、東アジアの農耕文化を共有。ブリヤート人とキルギス人はC2やN系統で北方アジアの影響が強く、ネパール人はR1aやHで南アジアの特徴が顕著です。日本人の「三重構造」(縄文、北東アジア、東アジア)は、これらの民族との複雑な遺伝的関係を反映しています。
もし特定の民族やハプログループについてさらに深掘りしたい場合、またはmtDNAや常染色体の詳細が必要な場合は、教えてください!

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「ハプロ」とは
ギリシャ語のhaplo-は単純な,簡単なの意味.
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最近の第六感事情…(自分の)。
スピ系SNS全部出てて、信頼出来る人とは個別に繋がってるので…。
んー、
相変わらず日常的に見たり、何か感じたり、視覚変換型なんで、まあ、見たり、脳裏に浮かんでるんだけど、
同類系の人と、その事を話したりしないと、
あんまり意識しないで普通に日常生活(爆)。
ただ、私の「見え方(感受性)」が、基本的に陽気でお笑い体質なので、
見えるもんがあまりに笑える時は、何か言える人に言ってしまう(爆)。
同類系の人と密に交流するとね、
「エコーチェンバー現象」
と言う心理作用が起こりやすいんだ。
wikiあり〼。
簡単に言うと、思想の極端な増幅。
第六感は基本的に感受性や感覚なので、自分の感覚が、そのコミュニティ内で認められると増強するのは然り、なので。
自分は「他者からの承認」と言うエコーを全て取っ払ってみたかった。
元々スイッチオンした時、第六感体質の人が周囲に居なかったし、一応(爆)。
居たけど他人事と思ってた(爆)、
私分からんから、まあ良いけどみたいな(爆)。
昔の友達がひでーくて、陰陽師展で自分の体が重たくなったと言い、私に後���からタッチ、
何か移しよった(爆)。
だが当時の私は医療ミスの薬を知らずに飲んでいて鈍感(爆)、
友「あんたに移した、分からんから(爆)」
私「…ん?何か肩重い気がするけど、言われたからかもしれんし、普段から凝るから、よく分からんから良いや(爆)」
まあ、この友人の家では、出たのを見たわ(爆)。
とりま、スピ系SNSに居ると、強くなり易い、
…時々、見たらあかんもんも見えるんで、
普通に疲れる(爆)。
そして「エコーチェンバー現象」を知って、
その「エコー」を取って、改めて自分に勘が残るか、確認したかった。
…まあ、大半、普通に疲れた方が多いよ。
雑談するのは普通に楽しいし。
7年前ぐらいから、強くなって、神社で見える様になって、
SNS入ってなくても、神社の神様に構って頂いてキャッキャし続けてたので(爆)、
そんなナチュラルな状態に自分をデトックスしたかったし。
SNSは、
「こんな事があり困った!やばい、詳しい方に参考意見お聞きしたい(爆汗)」
と、困った事があって、必死で探したので…。
まあ、全ていろいろ、お陰様で、有難う御座います。
最近。
最近、うーん、
夢で普通に、多分、祖父母宅のお稲荷さんに祖父母宅に連れて行かれたのが面白かったな…(爆)。
夢以外だと、退院してから、空けていた家の、神棚ある以外の部屋で、
お不動さん居らっしゃって、綺麗にしてくださってたり。
いろいろ、読みかじり、聞き齧りで、
「このアクセサリー、お守りになるなー、
ここの位置に掛けたら。
ここ前から気になってたんだ���な…。」
と言う位置に掛けたり…。
それにも、我が家のお稲荷さんはアドバイスして下さる…。
「ここの壁に、チベット仏画の目が有ると良いんやけど(ネパール系北インドカレー屋さんの内装で見る目(爆)」
私「怪し過ぎるです…」
ガサガサ探していたら、アイヌ木彫りの梟のペンダント、シク(菱形、目、棘)のペンダントを見つける。
後、ヴェネチアンレースの猫の額縁、猫の目も良さげだったので。
アイヌ木彫り、滅茶苦茶強い…(爆)。
職人さんの綺麗な彫刻だから、凄い強い…。
と、家の中の「気流れ」を分かる範囲と出来る範囲で調整してた…。
専門の風水とかはあまり知らないし、ガチでやるとしたら土地選びからだから壮大過ぎて無理です…、あれ地質学と呼ぶと納得し易いと思う。
ガチ占星術は天文学なので。
本場(インド)の占星術は出生時刻も合わせないと正解に出ないらしいので。
とりあえず自宅の流れは、私の体感的に良ければ良し。
なので、普通に模様替えする事とあまり変わらないと言えば変わらない。
自分が住みやすく物を配置したりするだけだから。
個人的に心地良くなったから良いー。
(私は人様の家には何も口出さないので)
(便利な収納方とかは知りたい(爆)
一度、この辺で(アプリ書きにくくなった)。
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【歴史研究】函館(ウスケシ)と谷地頭・寒川集落:悠久の時を超えた縄文・アイヌ文化のつながり
※わいとんがAIと壁打ちして吐かせた文章となります。 ※仮説に基づく私的研究によるものであり、正確な情報とは言えません。
函館、特にその南部に位置する谷地頭や寒川集落周辺は、縄文時代からアイヌ文化に至るまで、数千年にわたる人々の営みと精神性が深く刻まれた、まさに「生きた歴史の証人」とも言える地域です。
1. 縄文時代:豊穣の地と大規模集落の誕生
函館周辺、特に南茅部地域(現在の函館市臼尻町周辺)は、縄文時代中期(約4,500~4,000年前)に大船遺跡や垣ノ島遺跡といった日本を代表する大規模集落が栄えました。
豊かな恵み: この地域は、津軽海峡に面し、サケ・マスをはじめとする豊富な海洋資源、そしてクリやドングリなどの堅果類をもたらす森林資源に恵まれていました。安定した食料供給が可能であったため、狩猟・採集・漁労を基盤としながらも、人々は定住生活を送ることができました。
アニミズムと性器崇拝: 縄文人は、自然のあらゆるものに精霊が宿るとするアニミズム的な世界観を持ち、生命の誕生、豊穣、子孫繁栄への願いを込めた性器崇拝が盛んでした。土偶や石棒にその痕跡が見られます。
2. 続縄文文化・擦文文化:連続性の継承
縄文文化��終焉を迎えた後も、北海道と北東北の一部では、弥生文化の稲作社会への大規模な移行は起こりませんでした。
続縄文文化: 縄文文化の伝統を受け継ぎつつ、北からの影響も見られる文化です。
擦文文化: その後、東北地方の和人文化の影響や北方民族との交流を経て成立した文化で、アイヌ文化の直接的な前身とされています。
「弥生化」しない選択: 函館を含むこの地域が稲作に大きく依存せず、狩猟・採集・漁労を主とする生活を継続したことは、縄文以来の自然観や生活様式、そしてアニミズム的な精神性が途切れることなく、次の時代へと継承されていく上で決定的な要因となりました。
3. アイヌ文化:縄文の精神を現代に伝える生活
擦文文化を経て誕生したアイヌ文化は、縄文以来の精神性と生活様式を色濃く受け継ぎました。
ウスケシ(函館):
地理的・経済的要衝: 函館(アイヌ語で「ウスケシ」とも)は、津軽海峡に面した地の利から、本州との交易の玄関口であり、北方との交流点でもありました。豊富な自然資源の集積地でもあり、アイヌの人々にとって経済的、地理的に極めて重要な中心地でした。
精神的中心地: 縄文以来の歴史が刻まれたこの地は、アイヌの人々にとって、単なる生活の場を超えた**精神的な「本拠地」**としての意味合いも持っていた可能性があります。
谷地頭温泉と性器信仰・アラハバキ信仰:
谷地頭温泉は、縄文時代から人々が利用してきた可能性が高い名湯です。大地から湧き出す温かい水は、生命力や治癒の力を象徴し、人々にとって神聖な場所でした。
温泉地近くにある「御珍宝神社」の性器を思わせる石神は、縄文時代からの性器崇拝が谷地頭の地で継承されてきたことを強く示唆します。
この性器信仰は、謎多きアラハバキ信仰(東北地方の土着の神)とも繋がりが指摘されており、その語源にはアイヌ語の「アラパキ(女性器)」や「クナト(男性器)」を指す言葉との関連性が示唆されています。これは、アイヌの生命の根源に対する畏敬の念が、本州の土着信仰とも深く繋がっていた可能性を示します。
アイヌの命名習俗において、あえて「汚い」「恐ろしい」名前や、生命の根源を意味する言葉を子供に付ける習慣があったことも、この生命力崇拝の一端として理解できます。
寒川集落:アイヌの居住地と温泉の結びつき:
谷地頭温泉の最も浅い源泉地が寒川集落のすぐそばにあったという情報は、この集落がアイヌの人々の生活と深く結びついていたことを示唆します。湧き水の豊富な地点であることも、写真に見られる酸化鉄の付着から泉質��谷地頭温泉と類似している可能性も指摘されます。
「寒川」という地名自体も、アイヌ語で「湧き出る水」などを意味する言葉に由来する可能性があり、この地がアイヌの人々にとって、温泉という神聖な恵みが湧き出る特別な場所であったことを物語っているかもしれません。
まとめ:時代を超えた「聖なる地」函館
函館(ウスケシ)、特に谷地頭や寒川集落周辺は、縄文時代の大規模集落に始まり、続縄文、擦文、そしてアイヌ文化へと、数千年にわたる生活様式と精神文化の連続性が息づく場所です。
この地域が弥生文化に本格的に移行しなかったことが、縄文以来の**「自然との共生」「足るを知る」「万物への畏敬」「生命の循環」**といった思想を、アイヌ文化が色濃く継承する要因となりました。
そして、谷地頭温泉とその周辺の「御珍宝神社」、そして寒川集落の湧き水は、この地が単なる生活の場に留まらず、縄文人、そしてアイヌの人々にとって、時代を超えて「生命の根源」と繋がり、敬われ、愛された「神聖な場所」であったことを力強く示唆していると言えるでしょう。
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zzz。肌が“濃い”とされる人種の表現は、現状あまりにも少ない(そしてこれは日本の大多数のフィクションも酷い状態というのも強調したい)。シリオンや機械人に“託されている”人種の多様性/そこにある意味“逃げ”ている部分が大きい(ここは表裏一体)ということなのだろうけど。製作陣のインタビューでは、アメコミの話、ゲームならストリートファイターなどの、多様な人々を描く作品をリスペクトしてると語られてもいる。(ボンプ会話にDCのフラッシュの引用が出てきたのかわいかったな)
・ライカンとヒューゴの過去回想の挿絵上で出た、じっちゃん(ふたりの保護者で師匠)が、あきらかに黒人男性キャラクターだったこと。今後を期待したいところだった。ワールドが拡がることで、“肌が濃い”とされる人種やルーツを思わせる……“シリオンや機械人ではない”エージェントがきたりしないかな。
ストリートファイターも、様々な国や人種、多様なルーツを持つカッコいいキャラクター達がどんどん出てきて(かつ過去のステレオタイプ寄りだったキャラ表現はアップデートされていたりで)盛り上がっている訳だし。
・以前にもビリー絡みの感想に書いたが、機械人にマイノリティ文脈/ボンプとは別に”労働者階級”とされるコミュニティへの暗喩があるだろう面。シナリオの描写や、店を経営/スタッフな人達に機械人が多い、その反面……街の通行人モブには機械人らしき人は現状いない(シリオンはいる)……などから察せられる作りになっているのかな、とも。
ビリーの信頼会話で、待ち合わせに立っているだけで不審がられる/彼の出立含めて偏見の目を向けられる描写があること。その社会で人種的マイノリティとされる人達に向けられる差別と偏見(特に、黒人男性への差別)を思わせる描写になっているし。エイファさんのデザインは、あきらかに黒人女性表象寄り。
・郊外の人達は、西部開拓時代映画やマッドマックスなどがモチーフなんだろうけど。ネイティブアメリカン・先住民族の人々がモチーフだろうキャラデザやアイテムが、脇役に出てくる。この“混ぜ方”や、“脇役だけ”という点は。“開拓”という言葉に隠されてしまう歴史、戦争や虐殺の酷い歴史を考えると、グロテスクにも見えてくるわけで。
郊外という、その格差社会/そこにある寄り添いの描かれ方はとても好きなのだけど。↑は、終末世界の描かれ方として、注意して触れたい/考えたい箇所でもある(そこで、古代の皇帝“暴君”“侵略”を思わせる名称を用いることは、“自覚的”な仕掛けであるのか否か、とも思いつつ)
・以前↓に書いた、柳と蒼角の話にも、少数民族弾圧/同化政策の話題とも繋がる。
・思い出されるものとして。ポケモンがレジェンドアルセウスで、「アイヌっぽさ」を売りにした上で。アイヌ差別や歴史修正主義がいま深刻化するなかで、当時の同化政策/プロパガンダや差別言説を思わせるセリフや設定を出してきたという話。(“文字”の捉え方や扱い、開拓時代とヴィランの描かれ方、ギリシャモチーフな他民族や神話を雑混ぜなど)かなりグロテスクなことで。
恐らくあれと地続きな危うさであるんだろうなと、zzz郊外のモチーフの扱いは。この先も、また更なる掘り下げやアップデートがくるかもだが。
(blueskyにポツポツ書いた感想などを、tumblrにも記録)
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アルフレッド (4)
永井の邸宅で食事をいただき、奥さんと話した。普通の人よりきれいな女だった。白米に味噌汁とそれから、様々な野菜をふんだんに使ったお浸しと、冷奴という豪勢な料理を振る舞ってくれた。30分ほどの間、我々は、無言で日本酒を飲み続けていた。永井と奥さんしか口を開かない。今日の午後に待ち合わせた新潟女子師範学校からそれほど遠くない市内の田ん��道にある邸宅で酔いつぶれる運びとなった。かなり穏やかな夜だ。せかせかとした態度がなく心地よい。今は春なので、虫は鳴いていなかった。
囲炉裏を囲む我々と、囲炉裏を、天井から吊るされた2つ絡まった緑色の豆電球が照らす。赤と緑それから囲炉裏の炭の灰色の組み合わせは、まるで本の中で見たクロード・モネの絵画のような芸術性と色彩の妙をなしていた。日常の中に芸術の種が転がっているのかもしれない……。芸術のことは詳しくないし、興味もなかった。
「この帝都マーノットという機械は本当に便利です」
アルフレッドが話を遮り、口を開いた。みずからの指を部屋の片隅に指している。
どうやら彼が言っているのは炉端の隅においてあった、帝都マーノットと呼ばれる産業機械のことで、明治8年に銀座で生まれた企業、帝都電気株式会社が10年ほど前に作った電動の蚊取り器で、電気を使い少し臭気のある透明な殺虫成分ないしは忌避成分を上方に散布し蚊を撃退するというしろもので、このようなものが4円ほどで売られているのだった。これを所有する邸宅は少ないだろうが、この炉端には置いてあって高さは40センチといった感じの楕円形の金属。全体が真っ黒に塗られており、その分汚れは目立ちにくそうだった。乾電池で動く。それが気になるのだそうだ。
「うん、そうですね」と永井はなんの気なしにうなずく。呆気にとられても、しかたがないだろう。
「私の故郷で自分は、そして、今の日本の生活の中でも蚊に悩まされ続けてきました。しかし科学の力でこのような恩恵を授けてくれる帝都マーノット。昔の人には考えられなかったでしょう」
「うむ、たしかに。重宝しております」
「まるで私たちはプラトンのいう洞窟の中にいるようではありませんか。古代のギリシャにプラトンという賢人がいました。彼は自分たちが見ているこの世界は本物のそれではなくて、洞窟の中に差し込む光に似たものだと言ったのです。それだけ疑い深かったのでしょう。このような賢人である彼の一風変わったとしか思えない教えのようなものを、西洋の人は概念と呼びます。この言葉は最近作られたものでドイツ語を翻訳した結果だそうですよ」
「概念ですか」と永井が繰り返す。
私も「概念……」と口にしてみた。
「帝都マーノットがドイツ語を我々の言葉に翻訳したものなら、今の世の中は外国語だらけでいずれすべて外国語に置き換わってしまうわけですね」
「蚊を研究するための場所、インスティチューション・オブ・モスキート(Institution Of Mosquito)が必要になることは間違いないでしょう」
「今なんと……。また新しい概念が生まれましたね。ひとつの概念だ」
「私もまったく聞こえなかった」と永井に続き、私も英語の発音に興味を示す。
「残念なことに英語と日本語では音もまったく違うし、文法や言葉を置く順番も違うのです。要は蚊を調べるための場所に大量の学者を集めなくてはならないですね」
「ふむ。なるほど」永井が居直った。
翌朝まだ日も昇らないうちから、アルフレッドが永井の邸宅の縁側に腰を下ろし、パイプを咥えているのをみかけた。
「早いですね」
と言うと、
「えぇ」
と返す。
隣に腰を下ろして、しばらく黙っていた。西洋人と二人きりになることはそれまでなかったので、かなり緊張していた。口を開いた方がいいだろうか。しかし徐々に赤らむ東の空を眺めていたら、我々には言葉はいらないような気がしてきた。ここにある風景だけで心を通わせることができる、と。思い上がりだろうか……。この国の覇権主義は誰にも抑制制御できない水準に達していた。戦争が起きるなら、それは崖の端に来た人間が突き落とされる、いや、大きな粘土でできた崖の端に立ちそこで悪漢に囲まれるようなものだった。そうなれば突き落とされるか否かの問題ではなく、粘土でできた崖があるからいけないわけだ。今のこの国の軍事情勢はまさしく粘土そのものだった。粘土の手触り、いや、足触りを感じられるだけまだましだろうか。輪廻の果て、武力や国体を放棄した、アイヌのような共同体で彼とまためぐり逢いたかった。そのアイヌのような共同体にどのような光が差すのか……、あるいは光など差さず闇があるだけなのだろうか……。
いよいよ空が明るくなり、越後の空は黄金色に輝き出した。凄まじい威厳と無情さだ。ただ仏教の教えだけがあった。ここには武家もアメリカもなかった。親鸞は本当に武家もアメリカもない次元を強く望み、夢見た鎌倉時代の僧だったのだ。ここには彼の教えがある。親鸞は私たち2人を破壊することになるであろう。死後の救済を目論んで……。
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『Wonder Culture Trip-FACT-』。1/28(火)22:00~22:30
安田章大(SUPER EIGHT)が様々なカルチャーを探り、次世代に繋ぐべく思索、探索する番組『Wonder Culture Trip-FACT-』。 第一回は北海道を舞台に、アイヌ文化を探求する旅を北海道文化放送にて12/31に放送、そして第二回は宮古島を舞台に開催される『Utasa Myahk(ウタサミャーク)』に舞台を移し、スペースシャワーTVにてオンエア。 第三回は宮古島を舞台に開催された『Utasa Myahk(ウタサミャーク)』のライブの模様を中心にオンエアします。
https://youtu.be/kVrzwlnmNKU?feature=shared
第一回の番組情報はコチラ https://www.uhb.jp/program/wct_fact/
出演・ゲスト
安田章大(SUPER EIGHT)、中村佳穂 -Myahk Artist- 與那城美和、川満七重、池村真理野、池村綾野、砂川たかゆき、荻野"88"鉄矢、トンチ、棚原民謡研究会 -Ainu Artist from 阿寒湖アイヌコタン- 日川キク子、床みどり、下倉絵美、郷右近富貴子、渡辺かよ、床州生 ��諸事情で変更になる場合があります)
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「虚無への供物」中井英夫 1151
第一章
15五つの棺(亜利夫の推理) 01
この節は、タイトル通りに亜利夫の推理が披露されます。 かなりがっかりする内容ですが、 多少の興味はあります。
さて、話は、明けてからの世相からです。 昭和三十年、1955年の話です。 国会解散ですから衆議院議員の話です。 第27回衆議院議員総選��をみてみると、 ここに書かれているとおり、 日本民主党、自由党、日本社会党(左派)、日本社会党(右派)などが争ったみたいです。 社会党に左派と右派があったというか、同じ政党名では大変だったでしょうね。
火事は一日で四十件、交通事故が八十件と書かれていますが、 調べた資料が違うのか、そこまで多くはないようです。 新記録のはしりもでたくらいという表現なので、多い日でということでしょうか?
この頃から東京には熱病が流行の兆候を表し始めたとありますが、 昭和三十二年、1957年にアジアインフルエンザ(H2N2亜型)が流行していますから、 このことでしょう。
六日の集まりのために亜利夫は、聞き込みのようなことをします。 正月明け二日に氷沼家を訪ねると、 九段から麻布谷町(あざぶたにまち)に越した八田皓吉がいます。 しかし、詳しい内容はここでは書かれません。 意味のないことだからでしょうか?
それよりも、蒼司の様子が書かれますが、憔悴しているようです。
たとえとして、 木々高太郎(きぎたかたろう)「青色鞏膜(せいしょくきょうまく)」の主人公さながらといいますが、 残念ながらこの「青色鞏膜」を読むことはできませんでした。 紹介文を読むと、主人公は遺伝による悲劇に見舞われるみたいです。 とすると、蒼司もなにかの遺伝による悲劇に見舞われると言うことなのでしょうか?
そんな蒼司に四人が集まって推理比べをすることはいえないと、 亜利夫は考えています。
さて、話は、約束の一月六日です。
寒の入りのこの日、晴れで、新春恒例の防火・防災行事として東京消防出初式が行われましたが、 夕方からは雪がちらついたとなっっていますです。 記録には雪の記録は残っていませんが、積もるほどではないということなのでしょう。
“アラビク”に集まった四人。
亜利夫のファッションは、 一つ釦(ぼたん)で胴を緊めたフラノの変わりジャケットにスラックスはぐっと濃い目の灰色のギャバというまるで、 一九五四年十一月に帝国ホテルで開かれたじゃがいも会新作ショウのようなスタイルとあります。
1954年に帝国ホテルでクリスチャン・ディオールのショーが開催されているみたいですから、 それの関連なんでしょうが“じゃがいも会”ってなんなんでしょうね。
ちなみに フラノは、フランネルの一種で紡毛地を代表する織物のことです。 起毛仕上げを施しているため、生地表にケバをもつ、やわらかく、暖かいタッチが特徴となっていて秋冬のカジュアル定番素材です。
ギャバの正式名称はギャバジンと呼ばれるものです。 ただのコットン生地ではなく、防水処理が加工された生地で、光沢や、しなやかな風合いが特徴的で、防水のため密度が高いものです。 現在でも人気のあるトレンチコートの前身とされており、撥水や耐久性に優れた素材です。
次に、 久生の様子です。 今日が初釜だったようで、和装のようです。
雪の精みたいに純白なシールのコートを脱ぐとどっしりした鶸(ひわ)色の一越(ひとこし)に洗い朱(あらいしゅ)と銀で遠山霞を織り出した綴(つづれ)の帯という格好です。
純白なシールは、ショールのことでしょう。着物のアウターとして使うこともできますしね。 純白ならなおのこと似合いそうです。
鶸色は、鶸の羽の色を連想して名づけられた黄緑色に近い色で、その色の緯糸の強撚糸を左右1本ずつ交互に一越ごとに打ち込んだ、一越ちりめんの着物に、黄みを帯びた、丹色にいろに近い朱と銀で遠くの山がぼんやり霞んでいる様子を織り出した帯という出で立ちというところでしょうか?
四人は、“アラビク”の二階に陣取ると、ここから各々の推理比べになります。
ところで、夜に集まったはずなのに、蘭鋳ことママは買い物、おキミちゃんは多分、映画に行ってるみたいです。 で、対応にでたお花婆あと名乗っている三味線弾きの爺いが案内してくれます。
当時のゲイバーには三味線弾きがいたということでしょうか? その当時でも、レコードはあったろうし、流しの弾き語りもあったでしょうから、 その三味線弾きの爺いがいたのは、この店の常連だということもあるのでしょうが、 新年ですから、何かの催しがあって、その帰りなんでしょうね。
さて、二階のその部屋には、初春らしい花やかな羽音ぶとんのかかったこたつがあり、 藤木田老人が腰を据えています。 藍ちゃんのことが書かれていませんが、もうすでにこたつに入ってるのでしょう。 そこへ亜利夫と久生がやってきて、こたつに当たりながら、話し始めます。
このところで、藤木田老人が、黒々と染め分けた髪と付け髭ですっかり若返っている幼稚な変装をしていることが書かれていますが、 これ、何の意味があるんでしょう?
で、 やっと亜利夫の推理披露です。
風呂場は白で統一されていて氷沼家には見当たらなかった“白の部屋”だといいます。 ポウの小説「赤き死の仮面」(『赤死病の仮面』"The Masque of the Red Death")にはある白の部屋はあそこだったのだといいます。
そして紅い十字架の鞭痕を背中につけた紅司君が自分自身“赤き死”としてあの部屋に出現した。 そう考えていいんじゃないでしょうか。
どうして、ポウの小説「赤き死の仮面」が引���合いに出されたのかこれでわかりましたね。 というか、ポウに傾倒し過ぎなんではないでしょうか?
よくわか��ない藍ちゃんは、“赤き死”について尋ねますが、 歌舞伎仕立てにした方の「花亦妖輪廻凶鳥(はなもようりんねのまがどり)」での第一幕一番目狂言にあたる殺人だという意味を表していることでしょう。 と、説明しますが、さっぱりわかりません。 調べても、深みにハマるだけみたいです。
もう一つの“黒い部屋”がどこにあるのかを考えていて真相が判ったと言います。
それは、目黒なんだと言います。 氷沼家は目白にあって、 目黒という地名は目黒不動があるからだけど、 目白にも目白不動が千歳橋の向こうだかにあることが、爺やに聞いてわかります。
しかも、目青、目赤、目黄という全部で五つの五色不動が、 千年以上も前から武蔵の国には配置されていてそれこそ氷沼家の守り本尊なんだと爺やがこたえます。
黒目で蒼司が、目青、目赤、目黄、で、藍ちゃん、橙二郎、緑司の三人が、 一つ一つ銘々のお墓に昔から予定されているんじゃないか。 だから、はやく五色不動と氷沼家との間の因縁を探らなければと言います。
かなり無理がありますね。
というか、これで行くと五人殺されますけど、 凶鳥の黒影の四人殺さるるのと辻褄が合わないことになりますね。
急に話に出てきた藍ちゃんが「お不動様なんかと心中するなんていやだ」と言いますけど、 それが、自分の運命を言い当てたと書かれています。
藍ちゃん、どうなるんでしょう?
藤木田に促されて亜利夫は、自分調べてきた目黒なんかの由来をすらべていたといますが、 結局、五色不動縁起はわからなかったみたいです。
これが、伏線になるなら、もう少し説明があってもいいいでしょうから、 あんまり関係ないのでしょうか?
そこで、亜利夫は今度は爺やに聞いた話を披露します。
アイヌの蛇神が紅司君を殺そうとした。 それを氷沼家の守り本尊である不動明王がとっさにコンガラとセイタカという二童子を遣わして助けられた。
藤木田がそれに対して、 「橙二郎は鬱病、爺やが分裂症初期症状を見せ始めたとなると・・・」 といいますが、 爺やの分裂症初期症状はなんとなくわかりますが、 橙二郎の鬱病は何を指すのでしょう?
また、文覚上人(もんがくしょうにん)の荒行(あらぎょう)以来の珍事だとも言いますね。
これは、平家物語6、文覚上人の荒行のことだと思います。 かなり興味がありますが、珍事だというくらいで深く触れていないのは、 ただの例えなんでしょう。
で、亜利夫は乱歩の「続・幻影城」を取り出します。
『(2)犯行時、犯人が室内にいたもの』の、 犯罪発見者たちがドアを押し開いて闖入(ちんにゅう)した際犯人はドアの後ろに身を隠して、 人々が被害者のほうに駆け寄るすきに��げ出した。
これの変形しかないといいます。
隠れるところなんてあったかな?
と思ったら、とんでもない場所を示します。 これは、びっくりでした。
みんな呆れてますが、私も呆れました。 これはないでしょう。
当時の噴流式洗濯機を検索してみてみましたが、 流石にここに隠れるのは難しいでしょう。
藤木田は、呆れたように宗教性譫妄症(せんもうしょう)の気味があるといいますね。
人間が持っている宗教に関係する感情や性質により、時間や場所をうまく認識できなくなってしまう見当識障害や、注意力、思考力の低下などということでしょうか? どうして、宗教の関係があるのかもよくわかりませんね。
それから、紅い毬の意味もわからないし、誰もいなくなって風呂場から逃げ出す。 このタイミングをどう計ったのでしょう? それに、どうやって紅司君を殺したのでしょう? 五色不動は面白かったですけど、これは全くいただけませんね。
まあ、もともと、久生にワトスン役を指名されていたのですから、 こういう役回りなのかもしれません。
で、久生はそれを引き取って、自分の推理の一端を披露します。 亜利夫と同じで、やはり誰かが風呂場に隠れていたと考えているみたいで、 この次の項で披露するみたいですね。
つづく
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愛知県 名倉 座談会の写真






二択ではないのだという事

緩やかな、何とか
何者でもない時間空間のことを考えているよ。伝えられるようになりたいこともやっぱりあるし、言葉にならなくてもいいものが残せる様なものになれたらいいのにみたいな気持��にも気づくよ。
昭和31〜2年頃のフィールドワーク。当時の歴史観においては 民衆は虐げられてきたという視点が覆っていたらしい。しかし... その大文字の主語をほどいてみようとした。 エピソードについては...優しさみたいなものってこういう一面をピックアップすると強まる事実もあるよなそだよな、と噛み砕いた。。 名倉での話はいずれも、少し遠くからのようなものを感じて、しかしどれだけ知り合いだったろうどれだけ、と。 分析じゃなくとも..意味というものの問い方を外からくっつける危うさ然りだ
今回はいい話だなーで終われないモヤモヤを自分は思っているけれど、何になりたいのでもないのかもだけれど。なにそれをしてあげるよで終われないから。もしこれらが上から目線で義憤というものを(少なくとも状況またはその管理外にある秩序より)個々に向けていたとしたら、その動かない目線は黙らせるやり方だっただろう。 君の目を通して見た世界が、という感覚を。なんてことないことなんかじゃないようにしたくなって。なってしまってという面もあるわけか。
アイヌも、消えゆく文化を残しませんかという波のぶつかり合いがあった。明治、標準語という言葉に対しての地方が現れていく、柳宗悦も沖縄の人々に呼びかけてた。何にならば負けなかったと、戦慄せしめよとなお、言えるだろうか。自分達を自分達のために誇るには何がかけがけのないものだったのか。私も固執するしかやりようのないこともあるし、何か新しい形になることよりも前に起きている意識の話にもやはり容易でないものがある。からこそ、弾いて捨ててしまうような、、つまらないほうになんか行きたくないからな。却って狭いトンネルに出るしかなくなる悲しみも気づかないようにするだけなのかなとも思うけど。そもそもみたいな話が溝を無視して対岸から言い切って効率と報告だけで動きを止めてしまったら、またはそれに気が付かないことで文化のほう自体を理解しないとしたら、どこまで文化の息や個々人の共同作業を奪っていくのか前より分かるよ。。近道を行きたいことをよしとするなと誰が言うんだろう
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2024年2月19日

人権を「怖い」と敬遠する若者 ジャーナリスト安田浩一さんの危惧(朝日新聞)2024年2月19日
人間が持つ基本的な権利であり、何人も侵害されることがあってはならない――。「人権」について誰もが尊重し、とくに若い世代は、格差やジェンダ��などの身近な問題も含めて関心が強いとされる。その一方で、ジャーナリストの安田浩一さんは最近、取材の現場で「人権」という言葉が敬遠されたり、怖がられたり、時にはからかいの対象にされている、と感じることが増えたという。(聞き手・中島鉄郎)
――在日コリアンやアイヌ民族などへの差別やヘイトの現場を取材されています。現状をどのように思われますか。
「差別で苦しむ人たちの実態をジャーナリストが報道するのは当たり前だし、思想信条に関係なく政治家は差別を許してはいけません。人権を守るというのは、基本中の基本なはずです。ところが最近、そうした記者や政治家を、何やら偏った考え方をする、一部の特殊な人たちであると、敬遠するような態度を感じることが増えました」
人が怒る姿は怖い
――「特殊な人たち」というのは?
「差別を受ける側の立場に立つ人たちは怖い、という感覚に出合うことが増えたのです。以前、ある大学で講演したあと、雑談で大学生にこう言われました。『安田さんって人権方面の方ですよね?』。『方面』という言葉遣いの妙に一瞬感心したあと、その言葉遣いの背後に、人権に対する日本社会の寒々とした空気を感じました」
――「方面」とか「界隈」は一種のネット用語なんでしょうか。
「そうした部分もあるかもしれません。『方面』という言葉遣いには、彼ら大学生の『怒ることは怖いこと』という感覚があるように思います。例えば、辺野古基地建設反対運動の現場で反対派が機動隊員に抵抗しながら排除されたり、ヘイトデモの行進現場でデモ隊と反発するカウンターが激しくののしり合ったりする映像を見せると、まず『怖い』と言うんです」
――「暴力的で怖い」ということ?
「差別用語を怒鳴り散らす人々の姿が怖いとか、機動隊が見せる国家権力の暴力が怖い、というのとは明らかに違う。人々が争っている姿自体が怖い、怖いから関わりたくない、いやですと、そっちに力点がある」
「だから、彼らは見たくないわけです。デモ隊が霞が関の省庁前に座り込んで抗議したり、労働組合が集会でシュプレヒコールを上げたりする姿にも同じように感じる。意見が異なる人々が対立してもめること自体を異様に恐れる感覚です。そうならば当然、人権侵害と闘うジャーナリストは、特定の方面に集まる怖い人たちになるでしょう」
――ただ10代、20代の若い世代ほど、ジェンダーやLGBTQなども含む人権問題には敏感なはずですね。
寒々とした空気の正体
「確かにそう思います。例えば、入管法や外国人労働者の問題を取材したときには、一生懸命勉強して頑張っている多くの若者と出会う機会がありました。ぼくら大人とは全く違う感覚で、人種差別に反対している。国際性も豊かです。一方で、政治的無関心さも蔓延(まんえん)しているから、偏ったネット言論がまるごと受け入れられてしまうこともある」
「例えば、在日コリアンは差別の被害者ではない、という言説があります。日本では、社会的弱者や少数者が特権や利益を得ており、本当の被害者は国であり日本国民だ、と。その理屈だと、たとえばマイノリティーの側に立って差別反対を訴える人はかなり極端で偏っている人になる。中には、差別反対を訴える人はカネ目当てだという人も。これが薄ら寒い空気の正体だと思っています。人権が疎ましがられ、敬遠されている」
「自民党の杉田水脈衆院議員は、著書『なぜ私は左翼と戦うのか』の中で、こう言っています。『世の中には「あしき人権主義」というべきものが広くはびこっています。それは魔物のようにいつの間にか我々の近くにしのびより、耳に心地よくその主張が『正論』として響いてきます』。まさに、これです」
――その根っこには何がありますか。
差別黙認につながる姿勢
「国や政治家が、政治的中立を隠れみのにして、明確に『差別反対』という態度を示さないことが大きな原因です。先日、群馬県の県立公園内にある朝鮮人追悼碑を県が撤去しました。最高裁の判決に従った形で、県は『公益性に反する』と言います。ただ、追悼碑を反日的だと批判されたことがきっかけになっているのです」
「東京都の小池百合子知事は関東大震災における朝鮮人犠牲者に対して7年連続で、追悼文を送りませんでした。2023年の100年の節目でも『歴史家がひもとく問題』と片付けた。歴史家はもう徹底的にひもといていて、虐殺が歴史的事実であることには疑いようがない。にもかかわらず、小池知事はあいまいな態度を続け、震災の被害者と虐殺の被害者を一緒くたに論じようとするのです」
「こうした差別や人権に対する政治家の消極的な姿勢は、差別を黙認し、時には扇動にさえ加担していると思います。『差別せよ』と直接的に言語で扇動しなくても、歴史的事実をうやむやにすることで、差別者たちを勢いづかせ、人権侵害にあう人たちに恐怖感を与えることにつながっています」
「政治家が差別へ加担するとは、思想や立ち位置の問題ではなく、政治家のたたずまいとして決定的に間違っていると思います」
「恥を知れ」と明確に非難
――「たたずまい」というのは、どういう意味でしょうか。
「どのような思想信条を持っていようと、政治家は差別を許さないという態度を公に明確にしないといけません。私がすぐ思い出す例があります。2017年、アメリカのバージニア州シャーロッツビルで、人種差別に抗議するデモへ白人至上主義者が車で突入し、死傷者が出た事件がありました。当時のトランプ大統領が『両者に責任がある』的な発言だったのに対し、州知事は白人至上主義者たちを『恥を知れ』と激しく批判しました。ぼくは差別に対して公的立場の人が言うべき言葉はこれだと思います」
――なぜ差別はなくならないのですか。
「いろいろ理由はあるでしょうが、ヘイトや差別扇動にはマーケットがあることも一因でしょう。大出版社が、世間から非難されるリスクはあってもヘイト本を出す。これは一定の市場があって、お客さんが買ってくれ、利益が見通せるからです。政治でも全く同じ構図があります。差別や人権侵害に対する厳しさのない空気の中で育って、SNSやネットの情報の中で自己形成をしてきた層を掘り起こし、票という利益を得ることが出来るのです」
「人権」を嘲笑で見下す
「近年の特徴は、例えば在日コリアン、沖縄の人々の主張や言動に、抗議したり、怒ったりするのではなく、見下して嘲笑することが増えました。笑いです。沖縄の辺野古の基地反対闘争の現場に観光名所気分で来て、ピースサインをして、馬鹿にしたように笑う。こうした空気の中で、『人権は絶対侵害してはならない』という言説自体が何か嘲笑の対象になりやすくなっていると思います」
――あきらめずに議論や対話をし続けないといけないということでしょうか。
「議論や対話は必要でしょうが、議論後に、バリバリの差別者が改心したという成功例をぼくは聞いたことがありません。議論するのであれば、むしろその中身を第三者に見せることが大事なのではないでしょうか。自分の目で直接見て、聞いて、『やはり差別はダメだ』と感じる人が一人でも増えるかもしれませんから。もちろん、差別扇動��社会を壊すものだという考え方をしっかり確立させることこそ、もっとも必要ではないかと思っています」(聞き手・中島鉄郎)
安田浩一さん 1964年生まれ。雑誌記者などを経てフリー。著書に「ネットと愛国」「『右翼』の戦後史」「沖縄の新聞は本当に『偏向』しているのか」など。
コメントプラス
マライ・メントライン(よろず物書き業・翻訳家)【視点】 最近の若年層の「消極的な保守従属」傾向から見ると、『安田さんって人権方面の方ですよね?』という言葉が出てくる背景にあるのは、「怒ることは怖い」という感覚よりも、「いま我々の上にある権力は、安田さんが奉じるタイプの人権のことをキライなんですよね…」という認識であるように感じられる。
そのあたりの心理的な感覚を研ぎ澄ませないと、旧来的な人権感覚の維持擁護は、ひたすらずるずると後退を続けざるを得ないように思えてならない。
富永京子(立命館大学准教授=社会運動論)【視点】 安田さんの議論と言うよりは見出しの問題ですが、ラディカルな抗議を忌避するのも反差別のために立ち上がる人を嘲笑するのも「若者」だけじゃないでしょう。”沖縄の辺野古の基地反対闘争の現場に観光名所気分で来て、ピースサインをして、馬鹿にしたように笑う”仕草で話題となったインフルエンサーもすでに40代ですし。嘲笑や忌避という現象そのものはを世代を問わず見られるし、もしかすると別の変数の方がよほど要因として強いかもしれない。それにもかかわらず、とりあえず政治的無関心ときたら半ば「手癖」のように若者のせいにする態度もよほど問題だと思います。
本田由紀(東京大学大学院教育学研究科教授)【視点】 差別研究の進展により、差別には、その対象を「劣っている」とみなす「古典的」な差別と、「すでに差別などなくなっているのにその対象が被差別者という”特権”をふりかざし不当に利益を得ようとしている」とみなす「現代的」な差別とに分類される。これらの差別意識、特に「現代的」なそれを誰が強くもつのかを、若者への調査によって分析した安久澤麻理子(『差別する人の研究』旬報社)によれば、「現代的」な差別意識が強い者とは、自己責任志向が強く、旧来の家族規範が強く(選択的夫婦別姓や同性婚を不支持)、愛国心教育を支持し、ネット上の差別言説に寛容であるという特徴がある(前掲書、第8章)。ただし、相対的には「古典的」な差別の方が「現代的」な差別よりも根強いとも指摘されている。そして「被差別者はこわい」という意識は、「古典的」差別と「現代的」差別の両方にまたがる要素となっている。「こわい」という感覚自体が差別の底にあることを物語っている。
同書では、日本の学校教育における人権教育が、弱者への「おもいやり」といった心がけの問題に矮小化されており、「自分は差別などしていない」「自分には責任がない」という考え方につながってしまっているとも指摘されている(終章)。いまだ社会システムそのものに差別が埋め込まれており、それを明るみに出して社会そのものを変えていくという志向につながりにくいのだ。
このような研究の進展は、差別という事象を考える上できわめて重要な示唆をもつ。ただ、この記事で安田氏が端的に指摘しているように、杉田水脈など裏金自民党の議員たちや、小池百合子のように、権力を手にしている保守的な政治家が明に暗に差別を煽動していることが、何よりも許しがたい。
「人権」を薄ら笑う人たちに対しては、邪悪で無能な政治家の口車に乗ってうれしいですか、恥ずかしくないですか、有害なのでやめてください、とまず言いたい。加えて、「人権」という言葉の基底にある考え方や社会認識を、「人権」という言葉だけに頼らず噛み砕いて伝えてゆくような、メディア・教育・学術の活動がもっともっと必要とされている。
市原麻衣子(一橋大学大学院法学研究科教授)【視点】 富永さんも指摘していらっしゃるように、人権問題から距離を置く傾向は若者だけに見られるわけではないと思います。むしろ、人権感覚は地域、語りの場、イシュー領域など、様々な場面でより細かな差が出るように感じます。都市部と地方での議論、SNS上と対面での議論、国内人権問題と国際人権問題に関する議論などに見られる差異以上に、若者と年配という括りで人権を巡る態度に差異が生じるかには少々疑問を感じます。
自分が子どもだった頃に比べれば日本人の人権感覚は大分ましになったように思います。男尊女卑に対する問題意識も拡大し、ワークライフバランスの重要性が意識されています。そして改善された人権感覚が最も明確に表れているのは、若年層ではないかと思います。職場の飲み会に若者が参加しなくなったとか、若者の離職率が高いなどというのは、彼らの人権感覚の一端を表しているように思います。
人権問題を敬遠する若者という指摘の本質は、人権問題への態度というよりも、コミュニケーションス��イルにあるのではないかという印象を受けました。目立つことを嫌う傾向がZ世代にあることは、これまでも指摘されてきました。
ただし、それすらも若者全体に関する表現としては適切でないように思います。ミャンマーで国軍によるクーデターが起こった後、ミャンマーの人々を助けようと募金活動を始め、今も訴え続けているのは若者たちが中心です。若者の政治参加を促す若者によるキャンペーンも行われています。
若者全体に人権に関する議論を忌避する傾向があるというよりは、自らを当事者・関係者として捉えるオーナーシップ感覚が以前より二極化したという方が適切な表現かという気がします。

破産の東京ミネルヴァ法律事務所を除名処分 25億円の不正流用認定(朝日新聞)
2020年に破産手続きを開始した弁護士法人「東京ミネルヴァ法律事務所」(東京都港区)について、第一東京弁護士会(一弁)は19日、ミネルヴァを17日付で除名の懲戒処分にしたと公表した。
一弁は、金融機関から回収した過払い金約30億2千万円のうち、ミネルヴァが約25億4千万円を依頼者に返さず不正に流用したと認定した。
除名は、弁護士・弁護士法人の身分を失わせる最も重い処分だが、ミネルヴァは既に活動実態がなく、事実上の影響はない。
ミネルヴァは、過払い金の返還請求や、B型肝炎の給付金請求などを全国規模で手がけていた。だが、依頼者から、連絡がつかないなどの苦情が相次ぎ、一弁がミネルヴァの破産を申し立て、東京地裁が20年6月に破産手続きの開始を決めた。
一弁によると、ミネルヴァの運営では、事務所のネット広告を担っていた広告業者らが事務所に事務員を派遣。ミネルヴァの名義を使い、電話相談や契約書案の作成などの法律業務まで担っていたという。
ミネルヴァの代表弁護士を務めていた男性は、一弁の調査に「事務所は業者に実質的に支配されていた。預かり金は業者に広告宣伝費などの名目で支払われ、依頼者に返金できなかった」などと説明。一弁も、業者による支配を認定した。
一弁の永塚弘毅副会長は「非違行為があったことを重く見て弁護士会として懲戒処分をした」とした上で、「事案を厳粛に受け止めて再発防止に努める」と話した。(遠藤隆史)

石川県、予算案に1000万円「大阪万博」関連事業費計上「私は維新の顧問」馳浩知事の開き直りに県民の怒り爆発(FLASH 2月19日)
2月2日の『BSフジLIVEプライムニュース』にリモート出演した、石川県の馳浩知事による「大阪万博、ぜひやっていただきたいと思っております。それも、身の丈に合った形でやっていただきたいと思いますし、万博というのは世界に我が国の技術力をオープンにする大事な場でもあります。我が国の経済成長にも必要です」という発言に、SNSが《ひどいなぁ、腹が立って涙がでるよ》《こんな時によく言えるなぁ》と、大炎上したことは記憶に新しい。
今度は、石川県が2月15日に発表した「令和6年度予算案」に、「大阪・関西万博を見据えた国際文化交流の推進」の予算として、1000万円が計上されたことがわかった。
「予算案全体では、地震対応もあり、一般会計が前年度比80%増の1兆1101億円になりました。初の1兆円超えです。復旧が急がれる地震被害の対応は、補正予算案も含め7718億円を計上していますので、災害の復旧復興に重点が置かれています。
とはいえ、『大阪・関西万博を見据えた国際文化交流の推進』という名目で、韓国・全北特別自治道(旧・全羅北道)への石川県の文化団体を派遣するため、1000万円をあてることには、県民の間でも違和感があるようです」(政治担当記者)
予算案発表を受けた知事の記者会見でも、このことに質問が投げかけられた。
「記者から、大阪万博開催についてあらためて考えを聞かれた知事は『過大な財政負担は自分で自分の首を絞めてしまう可能性があるので、身の丈に合った形で』としながらも『関西万博はやるべきだと、終始、一貫して思っている』と明言しました。さらに、知事が大阪維新の会の顧問をしていることで『(開催を推進する維新の会に)かなり気を使っているのでは』と質問されると、『私は大阪維新の顧問。馬場(伸幸)代表、松井(一郎)さん、吉村(洋文・大阪府)知事、また橋下(徹)さんとも古い友人です』と答えました。その流れで、顧問という立場なので維新の会の政策的な意思決定には参加していないとも言明しましたが、県民としては『どうして県の予算が大阪の万博に使われるの?』と疑問に思うはずです」(政治ジャーナリスト)
実際、SNSには《石川県の予算ですが万博に1000万計上? 被災地に使わないのか? 県民より万博なんですね》《県の金を使うな それは県民の物だ》《その1000万を、寒いこの時期に被災者へ温かい食べ物飲み物提供とかストーブ等への燃料費とかに使われるなら納得されるとは思うけど、大阪万博へはないよね》など、批判的な意見が圧倒的だった。
能登地震の被災者は、いまなお、苦しい生活を強いられているというのに……。
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氷山
池澤夏樹の小説「氷山」は、2022年に刊行された冒険小説である。主人公のジン・カイザワは、アイヌの血を引く18歳の青年。ニュージーランドの高校を卒業した後、生きる意味を模索する中で、南極海の氷山を曳航してオーストラリアに運ぶ計画に参加することになる。
本作は、壮大なス���ールの冒険譚であると同時に、主人公ジンの成長物語でもある。ジンは、密航で船に乗り込むという大胆な行動を起こし、船上で様々な人々と交流しながら、自らのアイデンティティや生き方について考えを深めていく。
物語の冒頭、ジンは、ニュージーランドの街中で、アボリジニの青年画家ジム・ウォーターズと出会う。ジムは、氷山を曳航する計画についてジンに語り、彼の心を強く動かす。ジンは、アイヌの血を引く自分にとって、この計画は、アイヌの歴史や文化を再認識する機会になると考え、密航を決意する。
船に乗り込むと、ジンは、船長のハムザ、アイリーンという生物学者、そして様々な国籍の船員たちと出会う。ハムザは、アイヌの血を引く船長で、ジンの過去に理解を示してくれる。アイリーンは、氷山の環境への影響を懸念する学者であり、ジンの考えを揺さぶる。船員たちは、それぞれの国や文化の背景を持ち、ジンに新たな世界を教えてくれる。
ジンは、船上で様々な経験を積みながら、成長していく。コックとして働き、船内新聞の記者として活動するうちに、彼は、自分の仕事にやりがいを感じるようになる。また、ジムと再会し、彼の生き方に触発されることで、アイヌの伝統文化を大切にしていきたいと強く思うようになる。
しかし、氷山曳航計画は、様々な困難に直面する。氷山は、予想以上に巨大で重く、曳航は思うように進まない。また、アイシストと呼ばれる、氷山を自然のままに残すべきだと主張する団体からの抗議も強まる。
最終的に、氷山曳航計画は、失敗に終わる。しかし、ジンは、この経験を通して、多くのことを学ぶ。彼は、アイヌの歴史や文化に対する理解を深め、自然との共生について考えを深める。また、自分の生き方やアイデンティティを見つめ直し、新たな一歩を踏み出す。
本作は、冒険小説としても、青春小説としても、読み応えのある作品である。壮大なスケールの冒険譚でありながら、主人公の成長物語としても楽しめる。また、環境問題や民族問題など、現代社会が抱える問題についても考えさせられる作品である。
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特別展「和食」
国立科学博物館で「和食 日本の自然、人々の知恵」展を見る。2020年に予定されていたのがコロナで延期になり、満を持して開催された。展示には科博らしい良さはあったものの、食文化の維持発展には環境や生態系や生物多様性などの保全が欠かせないことへの言及は足りないように感じた。「このままではこれまで培ってきた食文化を守れなくなる!」と来館者に危機感を抱いて帰ってもらえるような強い主張があってもよかったのではないか。
さて、展示の最初のほうで、まず食文化の世界地図が提示される。石毛直道氏の著作がベースになっており、信頼性も高いのではないかと思われる。

そして和食に使われるさまざまな食材を紹介するコーナー。自然科学的なアプローチが科博の強み。
山菜。


地ダイコン。こんなにたくさんの種類があるとは。

野菜の渡来時期。なんとなく長く食されてきた伝統野菜だと思われているものも案外そうでもなかったりする。

海産物コーナーにはかなり力が入っている。




ナガコンブが長いまま宙に浮いていた。


素材の次は調味料。
しょうゆの分類や色見本。


有用なカビの皆さん。

キコウジカビの拡大模型。葱坊主ぽい。

うまみのもと、グルタミン酸の登場。

日本の各時代における食事内容を紹介するコーナー。食品サンプル大活躍。
卑弥呼の食事。

古代の庶民の食事。青菜汁と塩で飯を食うのか……

ほかには長屋王の食卓、精進料理の例、織田信長の饗応膳なども食品サンプルで再現されている。身分の高い人の特別な席ではけっこう豪華なものが食べられていた模様。
江戸時代になると現代人にもそれなりに馴染みのある食べ物が登場する。
蕎麦。

寿司。


天ぷら。


琉球料理やアイヌ民族の料理も。


近代になると洋食や中華料理が登場。「和食」と見なすかどうかは別として、現代の日本の食生活には欠かせないものであることは確かである。


宇宙食や非常食になった和食。


いちばん最後に「和食のこれから」という章があり、ウナギの稚魚が生体展示されていた。

ウナギの完全養殖が可能になったら(採算が取れ、環境に悪影響を及ぼさず、持続可能になったら)それはそれで素晴らしいことだろうが、日本人の悪しき食行動——絶滅に追い込むまで食い尽くすような勢いの——を変えない限り、ウナギだけでなく別の生き物も絶滅危惧種にしてしまうと思う。個人的に強い危機感を持っているせいかもしれないが、ウナギの未来を考えるコーナーで養殖をクローズアップするのは悪手ではないだろうか。
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杉田水脈(みお)自民党衆議院議員、総務政務官がメディアと野党に叩かれている。いじめとも言える気の毒な面がある。彼女の発言は問題だが、なぜ言ったのかも注目しなければならない。彼女は、国連での異常な日本批判と戦う中で、この発言をした。それを考慮すべきだ。
目次
なぜか叩かれる杉田議員
杉田議員の発言の背景−国連人権委員会の異様さ
ジュネーブでの日本攻撃に100人が結集できる謎
本質をずらした攻撃をする左派勢力
なぜか叩かれる杉田議員
11月30日の参議院予算委員会では塩村文香参議院議員(東京)が、予算委員会で40分も杉田議員の発言を取り上げた。「予算」とは関係ない。重要な問題が山積する中で取り上げる話だろうか。そしてメディアも追随した。
ちなみに塩村議員は、自分がタレントの時にバラエティ番組で「男性に慰謝料名目で金を1500万円もらった」という発言をした。これを批判され続けている。この質問の後で過去の発言を蒸し返され、再び「炎上」してしまった。
彼らが言っているのは2点。過去の話だ。
杉田議員は「LGBT・性的マイノリティーは生産性がない」と2018年4月に、雑誌寄稿で記述した。「チマ・チョゴリやアイヌの民族衣装のコスプレおばさん」と2016年2月に、衆議院議員落選中にブログで書いた。
2日の参議院予算委員会で杉田議員はこうした過去の発言・記事について謝罪した。
杉田議員の発言の背景−国連人権委員会の異様さ
確かに、杉田議員の上記の発言は品がないし問題だ。ただし、その背景を知ると、別の見方もできる。
上記の「生産性がない」は、同性愛のカップルは出産が増えず、その意味での生産性がなく、それにLGBT枠まで作って予算を使うのは適切かという問いかけだ。そうした立場の人が不快に思うかもしれない稚拙な表現で、批判されるべき発言だ。だが、その意味なら、それは事実であろう。立憲民主党の菅直人衆議院議員、元首相は「東京と愛知は、子どもを産むという『生産性』が最も低い」というこの意味での発言を過去にしている。杉田氏を批判する人々とメディアはこれを批判しない。(Zakzak 夕刊フジの記事)
そして私が特に取り上げたいのは、「コスプレおばさん」の文章だ。(削除したようだが見ることができた。以下、ブログアーカイブ)
これは、2016年2月16日に、ジュネーブで行われた国連女子差別撤廃委員会に杉田議員(当時は民間人)が出席した時のブログ記事だ。そこでの対日審査で、日本政府は慰安婦問題について反論。この委員会では過去に、慰安婦問題について、日本に批判的な報告を出していた。
対日審査に合わせて、日本の左派NGOなどがセッション(国連の公式行事ではない集会、陳情)を企画し、日本への批判をしていた。対抗して、日本の人々が参加していた。杉田氏は、その傍聴、関連��ベントに出席するために現地に行ったという。
杉田氏のブログでは以下の記述をしていた。
▶︎同委員会の審査前に「大量の左翼軍団、100人」がジュネーブをうろうろし、デモをしている。
▶︎その集団の中に、朝鮮の民族衣装とアイヌ民族衣装を着ている人がいる。目立とうとしている。
▶︎その人たちは杉田氏を見ると、罵声を浴びせ、にらみつける。
▶︎「チマチョゴリやアイヌの民族衣装のコスプレおばさんまで登場。完全に品格に問題があります」「日本の恥です」と杉田氏は表現していた。
ジュネーブでの日本攻撃に100人が結集できる謎
杉田氏と同行した市民団体の当時のSNSやブログによると、沖縄選出の糸数慶子参議院議員(当時、沖縄での野党統一候補で沖縄社会大衆党代表)やアイヌの某人権団体が、この会議に出席し、アイヌ、沖縄が差別されたと、取り上げようとしていた。彼女らは、中国人である同委員会の委員長との記念撮影をしていた。2月は国会会期中で議員は自由に外遊できないはずだが、糸数氏はどうしたのだろうか。またチョゴリの人は在日北朝鮮系らしく、朝鮮学校への日本での支援縮小を批判するために運動していたらしい。また韓国からも慰安婦関係団体、メディアが来ていたようだ。
国連では、本会議や主要会議では個別の国を批判することは滅多にない。2016年の委員会の日本勧告も、激しい批判は避けられた。ところが委員会、また国際機関では、日本批判の異常な文章が採択され、日本メディアがこれを増幅することがある。そしてその背景に、外国での日本人、外国人を含めた日本を攻撃する人たちの運動がある。一連の慰安婦騒動は、こうした構図で広がった。ようやく日本政府は最近反論を始めており、2016年の会合はその始まりの一つだった。
この会議では、100人前後の人がジュネーブに日本批判のために同時に来た。その資金、人はどこから来るのか。なんのために。なぜ活動家たちは連携できるのか。これは右、左の政治的立場を問わず、普通の感性を持った日本人なら、当然疑問に思い、不気味さ、不快感を抱くだろう。
しかも、わざわざ民族衣装を着るなどして、民族性を使って、政治運動をしている。こうした行動は、その民族性を自分勝手に政治的争いの目立つ道具として使うことであり、その民族の尊厳を自ら傷つけているとしか私には思えない。
確かに杉田氏は激昂し、ブログで品がない表現をしている。その点は批判されるべきだ。しかし、この光景には怒るのも当然だ。現地で攻撃され嫌がらせを受けたなら、さらにその怒りは増すだろう。発言の汚い言葉には同意しないが、日本を貶める行為と戦った点については、私は一日本人として杉田氏の行動に感謝を申し上げたい。彼女の問題意識に共感する。
本質をずらした攻撃をする左派勢力
私は沖縄基地問題をめぐり政治活動家にスラップ訴訟(嫌がらせ訴訟)をされたことがある。私はその人が、沖縄独立や沖縄での暴力による基地反対運動を煽った発言をしたことを批判した。また沖縄の反基地運動の資金源を調査していた。ところが、その人物は「ヘイトされた」と騒ぎ、本筋以外の表現で訴訟を起こし、私の信用を落とそうとした。そして私だけではなく、あちこちの人を訴えていた。仕事をほとんどしていなさそうなのに、最高裁まで行くと1件100万円前後になる訴訟費用はどうしたのか。こうした人らには、謎の資金源と謎の支援がある。
ただし、そんなことをやっても問題は解決しない。その活動家は、沖縄での過激な言行、日本批判への批判を一般の人々から受け続け、今はほとんど発言力をなくした。なぜ無駄な行動をし、争いを続けるのか不思議だ。
日本の左派政治勢力は、批判されると、批判の本筋から離れたところで騒ぎ、相手を攻撃する傾向がある。裁判やメディアを使う。差別された、弱者に対する不当攻撃だなどと自分を被害者のように主張する。それによって批判者の社会的信用を落とし、萎縮させ、本筋から目をそらさせる戦術をする。なぜか多くのメディアも味方する。杉田氏もそのような嫌がらせに巻き込まれているようだ。
しかし日本国民は賢明だ。そうしたカラクリを多くの場合に、大半の人が見破っている。おかしな政治活動、そして活動家は、数年経過するとほぼ確実に消える。あれだけ騒がれた、そして私が戦った原子力や放射能をめぐるデマも、原発事故から11年(長かったが)の今、ほぼ消えた。おかしな政治潮流に乗る一部野党はほとんど選挙に勝てない。なぜ左派勢力は、同じ失敗や無駄なことを繰り返すのか不思議だ。杉田氏への過剰な攻撃も、反日勢力を増長させ、結局は日本にいる自分が傷つくだけだ。騒ぐ人は自省し、警戒したほうがよい。
杉田氏の問題の本筋は、反日活動が一部政治勢力によって、外国で行われていることへの批判だ。発言はそれに関連した問題にすぎない。私たちは、そうした構図を忘れてはならない。
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