#アメリカ軍による無差別爆撃
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どう考えても正しい
一部の基地外が沖縄県民を殺害したのは確実にある それは正しい
だが、それは大阪だろうが、東京だろうが、福岡だろうが、あった あるいは特高につかまって拷問で殺された学生や思想家もいた
しかし、サヨクは、例外的な沖縄県民殺害ケースだけを繰り返し繰り返し捏造を交えて洗脳してきた
日本軍はアメリカ軍と戦闘して大多数が戦死したのであり、それは沖縄を守るという作戦目標であったのは間違いない
何の根拠もなく沖縄は本土のために捨て石にされた~と本土と沖縄の離間を策する中国の主張そのままにサヨクは騒ぐが、日本は米軍の無差別爆撃でその前に燃やし尽くされている 捨て石も糞もない
逆に沖縄以外からの日本軍人が6万6000人戦死し、沖縄県出身の軍人、軍属が2万8000人戦死 沖縄の一般県民9万4000人が死亡しているが、これは勿論米軍の艦砲射撃、爆撃、銃撃による死者である 米軍に沖縄を占領させないためにこれだけの人が犠牲になった
それを完全に無視して極めて一部の特殊な軍人の中の犯罪者による狂気の行動にだけ焦点をあてて「日本軍は沖縄を守らなかった」「沖縄県民は日本軍に殺された」と80年言い続けているのが中朝の影響下にあって、反米闘争を続け��サヨクたちだ その目的は無論、沖縄県民に日本と日本の軍事力に対する忌避感を刷り込み、沖縄を中国が奪取するためだ その上反米軍感情が沖縄に広がれば、日本侵略をもくろむ中国にとってこれほど都合の良いことはない
沖縄メディア、キョウサン、シャミン、リッケンに代表されるサヨクたちは、戦後ずっと中国の意のままに反日反日米安保で行動してきた このような者による洗脳をやめさせるのは沖縄を愛する日本国民として当然のことである
だってあの辺野古の周辺に巣食っている不潔感丸出しのサヨク高齢者による迷惑行為に、アタマに来ている地元の沖縄県民の声はずっと一貫して無視してるからな 沖縄メディアは 中国に日本沖縄離間工作に都合の悪い事実は徹底して無視し続けている
今やその中国バックの左翼の隠れ蓑であるオール沖縄は選挙で連戦連敗 洗脳、プロパガンダが少しずつ解けてきているからだ
しかし、だからこそ、危ない 中国とその使い走りのサヨクは民意を騙して自分たちにつけられないと悟ったなら、その時が中国軍の沖縄侵攻の時となるだろう その時に沖縄を防衛できる自衛隊と米軍の勢力があれば平和は保たれる それが足りなければ沖縄県民は中国軍に虐殺され沖縄は抹消され、チベットやウイグルのような圧政に苦しむことになる
そうさせてはならない
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ストンマラソン爆弾テロ事件(ボストンマラソン ばくだんテロじけん)は、アメリカ合衆国のマサチューセッツ州ボストンにて、第117回ボストンマラソンの競技中であった2013年4月15日14時45分頃(現地時間。日本時間16日3時45分)に発生した爆弾テロ事件である。 概要 事件現場の位置 この日、ボストンでは第117回ボストンマラソンが開催されていた。ボストンマラソンはアメリカ3大市民マラソンに数えられる大会で、国内外から多くのランナーが集まっていた。そのレース中、ゴール付近のコプリー広場(英語版)で2度爆発が発生、その際に3人が死亡、282人が負傷したと報じられている[1][4][5][6][7]。 1度目の爆発はトリニティ教会などがあるコプリー広場近くのボイルストン通り671番地の「マラソン・スポーツ」前で発生し、それから12秒後にゴールから見て2ブロック、距離にして約100m離れた地点で2度目の爆発が起きた[8][9]。この爆発で周辺の店舗の窓ガラスは粉々に吹き飛ばされ[9]、ボストン公��図書館3階の窓も破壊された。現場付近には他に2つ、ないしは3つの不発弾が発見され、ボストン市警察の爆発物処理班によって処理されたと報道されたが、後に爆弾は爆発��た2つのみと判明した。 事件の発生当時、ゴール付近に設置されていた記録用の時計は「4時間9分43秒」を指しており[10][11]、これは前回大会で最も多くのランナーがゴールした時間帯であった。今回もトップランナーたちは2時間ほど前に現場を通過しており、後方にも多くのランナーが走行していた[9]。 捜査当局の発表によると、爆発物はいわゆる即席爆発装置で、圧力鍋が使用されており、殺傷能力を高めるためにボールベアリングや釘などの金属片が含まれていた[12][13]。また、このような攻撃が迫っていることを示す事前の兆候はなかったとしている。 公的機関の発表によると、4月16日現在で8歳男児・29歳女性・ボストン大学院生の中国人女性の3人が死亡し183人が負傷した[6][14]。地元紙「ボストン・グローブ」(The Boston Globe) によると、100人以上が様々な施設で治療を受けている[15]。22人はマサチューセッツ総合病院に、10人はボストン小児病院(Boston Children's Hospital)に、9人はタフツ・ニューイングランド医療センター(Tufts New England Medical Center)に、20人はブリガム及び婦人病院(Brigham and Women's Hospital)、20人はボストン医療センター(Boston Medical Center)に搬送されたという。少なくとも10人が手足の切断を余儀なくされた[15]。 アメリカ政府の対処 事件直後の現場の様子 事件の連絡を受けるオバマ大統領 事件発生後すぐにマラソンは中止され、ボストン市警察は事前に取り決められていた対処計画に基づいて残っていたランナーをボストンコモン(中心部にある大きな公園)やケンモア・スクエア(ボストン大学近くにある大通り)に避難させた[13]。ゴール近隣にあるラノックス・ホテルからも全員退避させた[13]。警察は爆発現場周辺15区画を立ち入り禁止にした。 この事態を受けて、バスや地下鉄を運営するマサチューセッツ湾交通局(MBTA)は運行の一部を停止させ[9]、マサチューセッツ州軍(Massachusetts National Guard)[13]とアメリカ海軍の部隊が、地元当局を援助するために加わり、爆発物処理班が付近の捜索を行った[15]。また、連邦航空局(FAA)は念のためボストン上空の飛行を��限し、ボストン・ローガン空港にいる飛行機には地上待機命令を発した。 事件を受けてエリック・ハンプトン・ホルダー司法長官は、事件捜査にアメリカ司法省の総力を���じるよう指示[13]。ニューヨーク市警察は対テロ部隊の車両を主要な地点に展開させ、ホテルなどの警戒態勢も引き上げた。ワシントンD.C.でも警戒態勢が引き上げられ、ホワイトハウスで部分的に避難が行われたほか[13]、シークレットサービスによってホワイトハウスに繋がるペンシルベニア通りが封鎖された。また、加害者は特定されていないものの[16]、連邦捜査局(FBI)はテロ事件として捜査を進めた。 マサチューセッツ危機管理庁(Massachusetts Emergency Management Agency)は、電話が輻輳したため、近隣の人々に電子メールを使うよう呼びかけた。なお、携帯電話の回線は込み合ったものの正常に作動していた。またアメリカ赤十字は、ランナーの情報が得られるよう援助を行ったほか、ボストン市警察は家族の安否を心配している市民のためにホットラインを設置し、情報提供を行った。このほか、Googleの安否確認サービス「グーグル・パーソン・ファインダー」が「ボストン・マラソン爆発事件」(Boston Marathon Explosions)に関する災害サービスを用いて、情報を収集した。 事件の第一報を受けたバラク・オバマ大統領はホワイトハウスで緊急記者会見を行い、「誰がこのようなことを行ったのかを究明し、責任を取らせる」と声明を発した[17]。オバマ大統領は連邦警察当局に対して「必要な支援などを行うよう」指示を発している[4]。またアメリカ合衆国下院のジョン・ベイナー議長は、連邦議会議事堂に被害者のために半旗を掲げるように指示した。 影響 同日に予定されていたNHLのボストン・ブルーインズのホームゲームが延期となり、翌日に予定されていたNBAのボストン・セルティックスのホームゲームも中止となった[18]。 また、イギリスの大きなマラソン大会であるロンドンマラソンの主催者は、マラソン自体に差し迫った脅威は無いものの、この事件を受けて警備体制を見直すことを発表した[19]。 国際陸上競技連盟(IAAF)会長のラミーヌ・ディアックと、国際オリンピック委員会(IOC)会長のジャック・ロゲは、共にボストンでの事件に際し、テロがスポーツ競技会を標的にしたことを非難する声明を発表した[20]。 事件は捜査当局を過敏にさせた。ガーディアン紙によると、合衆国内の夫婦で、夫が「リュックサック」、妻が「圧力鍋」と検索したところ、自宅に警察が事情聴取にやってきた[21]。 「エシュロン」も参��� 容疑者 情報収集による容疑者探し 東海岸時間4月18日17時20分(日本時間19日6時20分)に行われた記者会見で、FBIが容疑者2人の写真と監視カメラのビデオを開示した。それによれば、容疑者はそれぞれバックパックを担ぎ、脇目をふらず行進している。FBIは、判別に関連した情報を一般から募集した[22][23]。 両足を切断した被害者のジェフ・バウマン(Jeff Bauman)[24]は爆弾の一つの脇にいて、意識を取り戻した際、FBIに "bag, saw the guy, looked right at me"(カバン、男を見た、私を見た)というメモを渡した[24]。バウマンは後に容疑者の1人が爆発の2分半前にバックパックを下ろしている様子の詳細な記述を当局に提供し、判別写真の速やかな提供に貢献した[24][25][26]。当局は後に容疑者写真の公開が「間違いなく捜査のターニングポイントだ」としている[27]。 容疑者はFBIによって証拠の写真とビデオから容疑者1と容疑者2と呼ばれ (またはそれぞれ "black hat"(黒帽)と"white hat"(白帽)) — 爆破後に「正常でない反応を示した」犯人は止まって爆発の余波を見守り、逃げるような素振りはなく、落ち着いた様子で現場を歩いて去った[28]。容疑者特定の協力を要請したところ、一般から大量の写真と家庭ビデオが捜査当局に提供され、当局とオンラインソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)の一般人が詳細に吟味したが、SNSでは多くのデマが広がり大手メディアにまで掲載されたほか、redditによる一般人の捜査によって、赤の他人が犯人とされる事態も起こった[29][28][30]。 容疑者の特定 一般からの情報に基づいて[31]、当局は容疑者を、2002年頃に難民としてアメリカ合衆国に移住したチェチェン共和国出身の2人兄弟と断定した[32][note 1]。 タメルラン・ツァルナエフ(Tamerlan Tsarnaev、ロシア語: Тамерлан Царнаев [ta-mer-LAN tsar-NA-yeff] 兄。1986年10月21日生まれ、事件時26歳。 技師を目指しマサチューセッツ州で評価の高い2年制のコミュニティー・カレッジで、工学専攻。 タメルランは、ボクシングでオリンピック出場を目指しており、2009年と2010年にニューイングランド・ゴールデングローブ・トーナメントに優勝、全国大会となるナショナル・ゴールデン・グローブ・トーナメントに出場を果たしていた[33]。 ジョハル・ツァルナエフ(Dzhokhar Tsarnaev、Джохар Царнаев [dzho-KHAR tsar-NA-yeff] 弟。1993年7月22日生まれ、事件時19歳 マサチューセッツ・ダートマス大学(英語版)で口腔学専攻。 捜査官は、爆弾作成をアルカイーダが、ムスリムをテロリズムに勧誘する目的で発行したとみられるオンラインマガジン『インスパイア("Inspire" )』から学んだものと確信している[34]。 警官殺害と自動車強盗 写真の公開後、容疑者はマサチューセッツ工科大学の26歳の警備警官ショーン・コリアー(Sean Collier) を複数の銃撃によって射殺したとみられる。その様子は暗殺と表現された[35][36]。コリアーは4月18日、午後10時48分マサチューセッツ工科大学キャンパスのStata Center (MITビル 32)の横に停車したパトカーに乗っていた[37][38]。コリアーは近接したボストン市内のマサチューセッツ総合病院に運ばれたが、死亡が確認された[38][39]。 容疑者はベンツSUVをケンブリッジで乗っ取り、ベンツの所有者にATMの使用を強要して$800(7万円相当)を奪った[40][41]。容疑者は荷物をベンツに移し、もう1人の容疑者がホンダ・シビックで伴走した[42]。被害者はATM引き出しの上限に達したあと、ガソリンスタンドから警察に連絡した。車に残った携帯電話によって、警察は所在地を特定した[43]。車乗っ取りの犯人は被害者に、彼らがボストン爆発とMIT警官殺害を実行したと明言している[44]。 銃撃戦により兄が死亡 4月19日午前0時過ぎ、ウォータータウンの警官がホンダのセダンと盗まれたベンツSUVに乗車している兄弟を発見し、ローレルアベニュー(Laurel Ave)で、兄弟と到着した警官のあいだで「猛烈な」銃撃戦が展開された[2][44][45]。200-300発の銃弾と少なくとも1つの爆弾、それに幾つかの"粗雑な手榴弾"が使われた[45][46]。兄のタメルランが銃弾を使い果たし、警官が兄を押し倒して逮捕するに伴い、弟のジョハルは盗まれたSUVを運転して警官に向けて突進し、そのためSUVはタメルランを轢いて、短距離ながら引きずった[47][48]。シリアル番号を消されたルガー9mmピストル1丁が現場から検収された[49]。 タメルランは警察によってBeth Israel Deaconess Medical Centerに運ばれ、同病院で死亡した。死因は、多数の銃創、自爆装置付きベストからの爆傷と思われる傷[50][51]、およびジョハルによって轢かれた際の負傷[43][45][52]だとされる。一方、ジョハルはSUVを乗り捨て、徒歩で逃走した[50][43][53]。銃撃戦の際、MBTA(マサチューセッツ湾交通局)の警察官、リチャード・H・ドナヒュー・ジュニアが重症を負った[54]。ドナヒューはMount Auburn Hospitalに運ばれ、「重体だが安���」(critical but stable condition)と診断された[55]。 逃亡した弟の捜索 FBIは、ウォータータウンでの銃撃戦の最中、両容疑者の追加写真を公開した[56]。4月19日早朝、ウォータータウンの住民たちに、リバース911通報による屋内待機が呼びかけられた[57]。同朝、パトリック・マサチューセッツ州知事も、ウォータータウン及びその周辺地域(Allston-Brighton、ボストン、Belmont、ブルックライン、ケンブリッジ、ニュートン、ウォルサム[58][59])の住民たちに屋内退避を指示した[60]。 ウォータータウンの20ブロック区域に非常線が張られ、戦闘装備の警官たちが一帯を捜索する間、住民たちは自宅に待機してドアの呼び鈴などに応じたりしないよう指示された。2機のブラックホーク・ヘリコプターが上空を旋回し、装甲車に乗ったSWATチームが隊列を組んで移動し、警官らが一軒一軒を調べた[61]。現場にはFBI・国土安全保障省・マサチューセッツ州兵・ボストン市警察・ウォータータウン警察・マサチューセッツ州警察が駆けつけた。アメリカ同時多発テロ事件の発生後に組織された複数機関合同タスクフォースとしては初の大規模実地行動となった[62]。 MBTA管轄下の全ての交通機関、ボストン地域の大部分のタクシー、ボストン発およびボストン行きのアムトラックが運営を停止した[37][63]。ローガン国際空港は運営を続行した[63]。大学・学校は閉校、多くの企業・商店や施設も営業を停止した。数千人または数万人(原文: thousands[64])に及ぶ警官らがウォータータウンで各建物を回る一方で他の手がかりも追った。ケンブリッジ市のツァルナエフ宅とウォータータウンの捜索を合わせ、最低7個の即席爆発装置が押収された[65][64]。 両容疑者の父親が、ダゲスタン共和国マハチカラの自宅から息子に「あきらめろ。あきらめろ。おまえには明るい未来が待っているんだ。ロシアに帰って来なさい」と呼びかけるとともに、アメリカ合衆国に対しては「(ジョハルが)殺されたりしたら、大騒動になるでしょう」と警告した[66]。メリーランド州Montgomery Villageに住む叔父(または伯父)も、ジョハルに自首するよう、テレビを通して懇願した[67]。 ジョハル・ツァルナエフ逮捕を祝うMission Hill地域の住人たち 弟の逮捕 4月19日夜、ウォータータウンのある民家の裏庭にあったボートのタープの下に隠れていたジョハルを警官たちが取り囲んだ[68][69]。屋内退避命令が解除された直後、同宅の住人が外に出たところ[70]、裏庭のボートにかけてあったタープが緩んでいることに気付き[68]、血溜まりに横たわる体をボートの中で見つけたため、即座に警察に通報した[71]。 マサチューセッツ州警察のヘリコプターが、前��監視赤外線熱線暗視装置を使用して、ジョハルの存在と動きを確認した[2][72]。ジョハルがタープを突付くような動作を始めると、警官たちはボートに向かって大量発砲し、現場指揮官の命令によってようやく中止した[73]。逮捕後、ジョハルが一切の武器を所持していなかったことが判明した[74]。逮捕時刻は、現地時間(アメリカ東部標準時)午後8時42分である[75][76]。 その後、Beth Israel Deaconess Medical Centerに運ばれ、頭部、首、手足に多数の銃創[77]がある重態[78]だと診断された。当初、首の傷は自殺未遂による銃創だと報道されたが、逮捕時に武器を所持していなかったことと、SWAT隊員による描写では切創らしいということから、爆発時の破片によるものである可能性がある[79]。 なお、この容疑者捜索による屋内退避は、18時間近くに及んだ[80]。 葬儀 タメルラン・ツァルナエフの遺体は、住民の反対運動などによりマサチューセッツ州内の墓地に埋葬することができなかった。イスラム教徒であり、火葬にすることもできなかったため海外への移送を行うことも難航。最終的にはバージニア州に居住する叔父が遺体を引き取ることとなり、地域からの反発を受けないよう同州内に搬送され速やかに墓地に埋葬されている[81]。 裁判 2013年7月10日にジョハルの初公判はボストンの連邦裁判所で開かれ、4件の殺人を含む30の罪状で起訴された。ジョハルは全ての罪状について無罪を主張した。2015年4月8日に連邦陪審は全罪状に有罪を認定し、同年6月25日に連邦地方裁判所は死刑判決を言い渡した。この際ジョハルは「爆弾事件は自分が兄とともに行なったものである」とはっきり述べ、「自分が人を殺し、苦しみを引き起こしたことについて申し訳無いと思っている」と、法廷内にいた事件の被害者や遺族らに直接謝罪したが、死刑判決には控訴するものと見られている[82]。 2020年7月31日に連邦高等裁判所は死刑を言い渡した一審の判断を破棄し、刑に相当するかどうかをめぐる量刑審理を地方裁判所に差し戻した。被告側は陪審による死刑の量刑判断が公正ではなかったと主張しており、高等裁判所の判決は陪審選定時の地方裁判所判事の陪審候補に対する質問が不十分で、被告は有罪だと予断を抱いていた人物が陪審に含まれる結果になったと指摘し、陪審選定手続きの不備を認定した[83]。トランプ政権側は決定を不服とし上訴した。 2021年3月22日、連邦最高裁は高裁の差し戻し審理の決定を見直し、死刑判決の適用を検討する審理を決めた[84]。 2022年3月4日、最高裁は9人の最高裁判事のうち保守派6人が賛成、3人が反対の評決で、ジョハルの死刑を破棄した高裁の判断を覆し、地裁の死刑判決を回復させる判断を示した[85]。 民族的���景 容疑者のツァルナエフ兄弟はチェチェン人の血を引くキルギス出身のアメリカ人。二人の父はチェチェン人、母はアヴァール人、祖父母は世界大戦中にチェチェンを追われ、キルギスに強制移住させられた[86][87][88]。チェチェン系であることから、イスラーム過激派の本事件への関与が一時疑われたが、FBIの捜査によればテロ組織との関連は見つからなかった[89]。因みに、弟の名前はジョハルであるが、チェチェン独立派でチェチェン・イチケリア共和国初代大統領の名前と同じであり、独立派政権時の首都グロズヌイの公式市名はジョハル(Соьлжа-ГIала/Джохар-Гӏала/Dzhokhar-Ghala)であった。 脚注 注釈 ^ チェチェン語: Царнаев Анзор-кIант ДжовхΙар および Царнаев Анзор-кIант Тамерлан. 出典 ^ a b Deborah Kotz「負傷者合計282人に上昇」『The Boston Globe』2013年4月23日。2013年4月23日閲覧。 ^ a b c Carter, Chelsea J.; Botelho, Gregory 'Greg' (2013年4月20日). 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ボストンマラソン爆弾テロ事件 - Wikipedia
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ジャミル・ジャン・コチャイ「きみはメタルギアソリッドⅤ:ファントムペインをプレイする」
きみはゲームを、ここにはない痛みを、プレイできた?
噂の「ゲーム×文学」、メタルギアのプレイ体験に焦点を当てた表題作はじめ、難民キャンプで生まれカリフォルニア州に移住したアフガニスタン系アメリカ人のジャミル・ジャン・コチャイによる著作。世界と自身を取り巻く暴力とテクノロジーと混乱を反映した、密度の高い語りと痛みと勢いに満ちた短編集。
YoutubeやTiktokやRedditなどいまどきのインターネット・テクノロジーの描写がリアルで若々しくてよかったな。ひたすら反復し拡散し、物事を解決したり極端に悪化させたりするわけでもなく、ただカオスを増幅させる装置みたいになってるのがおもしろかった。
現代文学っぽく文章あたりの情報量が多くて、楽しいけれど読むの大変だった。でもこのタイミングで読めてよかったと思う。国家・歴史・社会・家族・自身のアイデンティティ、カオスのなかで引き裂かれて全編断絶と痛みに満ちているけれど、言葉で表現しようという意思と言葉の確かさ、その強さが各要素をむりやりにでも繋ぎあわせ、危険でばらばらになったものと関わり合い繋いでいくのをあきらめないことを作品そのもので表す強さを持っている。今の時代に読みたいし、評価される言葉だよなと思う。

特に印象に残ったのは表題作「きみメタ」と、抽象性の高い「差出人に返送」と逆に具体しかない「職務内容は以下のとおり」と複雑で屈折した飛躍を見せる「巡礼者(ハッジ)ホタクの呪い」かな。要素が多く密度の高い文章を、熱量高いまま伝えてくれる翻訳も良かったです。
以下、個別の雑感
要素が多すぎてまとまらなかったので、だらだら長め。
「きみはメタルギアソリッドⅤ:ファントムペインをプレイする」
幻影の痛みを幻視し、再生(Play)し続けること。
すきなゲームだけどシナリオ・描写がもっとこうだったらいいのになと思ったら、オリジナル・キャンペーンMOD作ってもいいし、超上手い小説を書いてもいい!
アフガニスタン系移民の少年が、アフガニスタンを舞台にしたメタルギアソリッドをプレイするうちに、やがて架空のミッションをこなしゲームの中に入り込んでいく話。
ゲームに耽溺すること、周りで響く怒号、無力感、癒えない傷、紛争と暴力、家族の断絶、過去との断絶、故郷(アメリカでもアフガニスタンでも)との断絶、語り手を取り巻くすべて、文章で現れるぜんぶが切実でつらい...
これらの感情を反映し発散する場としてゲーム「メタルギアソリッド」があり、そこはアフガニスタンという馴染み深い場所で没入感があるはずなのに、その中に犠牲となった家族や故郷を救うという自分自身の願いを投影できるキャラクターもシチュエーションもないまま、やがて主人公は幻想のミッションをプレイすることになるが...
現実から逃避できる幻想のはずなのになにも叶わない!ゲームでも現実でも叔父は助けられないし父親は不可逆の傷を負うし、故郷は侵略されめちゃくちゃになる。『つらい、助けてくれ><』 という読後感。そういう感情をむりやりにでも共有させようとする小説としては正解なのだと思う。
小説的なところだと、「あなた」が主語となるめずらしい二人称小説となっている。自分はイタロ・カルヴィーノ「冬の夜、ひとりの旅人が」を読んだくらいで、このときは試みとしてはおもしろくとも正直ぴんとこなかったけれど、本作は『きみは~』と連呼される語りがゲームっぽく没入感つよく感じられておもしろかった。
ゲーム、特にFPS・TPS系は没入感強めジャンルだし、ゲーム自体プレイヤーのインタラクトがないと存在しえない二人称の「君・あなた」を強く意識させるメディアなので、『きみは~』という語りに説得力があって相性いいんだろうな。
って、二人称のこじんまりとしたゲーム用シナリオを自分で書きながら思った。
(翻訳者さんの解説記事・おすすめ)
「差出人に返送」
それでも繋ぎ合わせる
(爆破テロor誘拐殺人により)バラバラのになってしまった息子が送られてくるので、ただ繋ぎ合わせていくアフガニスタン系医師夫婦の話。シュールレアリステイックで象徴的な作品だからこそ、本作に共通するテーマを一番ダイレクトに感じられた。
「もういい!」「バタフラワとミリアム」
つらい><
小説としては、流暢な語りでユーモアや空想の飛躍もあって読みやすくしてくれているけどもつらい。
「ハラヘリー・リッキー・ダディ」
いろんな闘いといろんな愛とSNS
リッキーの愛が世界を露呈し、リッキーへの愛だけがかすかに残る。電子レンジがすべてを解決してくれると信仰するくだり、大学生ノリでばかばかしくてよかった。
「サバーの物語」
ずっと奪われること、ずっとあり続けるもの、そして美しいフィクション。
「職務内容は以下の通り」
時系列順に、語り手が体験してきた職務を淡々と並べるだけの短編。「差出人に返送」と逆で、事実の羅列という体だからこそ迫るものがあってよかった。
解説などは特にないけれど、ワタク叔父さんが語り手の弟として出てくるので、おそらく父親をモチーフにした話なのだと思う。
各短編で繰り返される、戦乱のアフガニスタン・ロガール州での若き叔父の惨死と、アメリカにわたって生き延びた父親が異国の地の過酷な労働のなかで体(首の神経と肩)を壊し鬱病をわずらい自尊心を損なわれ続けていること。そして暴力と軋轢にまみれながら美しい故郷。いろんな話のなかで救えなかったこれらのことが何度も何度もよみがえっては、時代も場所も違ってどうすることもできない話者に憑りついている。だから語りだけがこんなに強度が高いのだろうか。
カブール発の最終バスで家に帰る(一人で)/バスの窓に頭をもたせかけながら、これが巡礼者(ハッジ)アローの骨ばった肩だったらいいのにと思う。
「ガルブディンを待ちながら」
ゴドーを待ちながらのオマージュ。むずかしい...
「ヤギの寓話」
寓話にしないと語りえないような、あまりにぐちゃぐちゃなアフガニスタンの人々ととあるアメリカ人兵士の現実と感情と邂逅
もうめちゃくちゃ><
カスティールはその年の二十回目の爆撃任務を終え、反乱軍兵士を46名とその若き妻28名、その子どもたちを156名、その姉妹を48名、その弟を73名、その母親を19名、その父親を10名、その鶏を22羽、その雌牛を8頭、その雄牛を3頭、その果樹園をひとつ、そのミツバチを3000匹ほど、見事に壊滅させたばかりだった。もしミツバチが絶滅してしまったら、人類も絶滅するだろうという仮説が提唱されているというのに。
「サルになったダリ―の話」
中編。生きていること、アメリカにいること、なぜか死んでいないこと。それを書いて糧にしていること。もろもろ。
「巡礼者ホタクの呪い」
ずっとあなたを見ている。
監視者が。罪の意識が。大いなるなにかが。
移民文学・映画はいくつか見た程度で雑な話しかできないけれど、祖国でも現在地でもディアスポラであり、親世代ともルーツへの意識の差や確執があって、それでも自身のルーツを見つけ折り合いを付けながら、自らのアイデンティティとして受け入れ、今いる場所で懸命に生きていく(or新しい場所を探しに行く)ものが多い印象があった。それは健全で、新たな地で生き抜いていくには必要なメッセージなんだと思う。
けれど、本作は同じく移民文学としてはだいぶアプローチが違って、ルーツであるアフガニスタンと今いるアメリカをぐちゃぐちゃに結び付けようとしている。小説の語りの力やテクノロジーの力で。ほかの作品では少しずつ遠く、消化されていく、ルーツとなる土地の痛みと軋轢が、ここではずっと語り手の現実に繋ぎ合わされ、生々しく語られ直され続ける。
そしてなにより、さまざまな語りを用いて、ずっと救えなかったものを何度も何度も再生(Play)することで己のなかに甦らせる、その憑りつかれている感じがいちばんすきだったのかもしれない。
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和六年(2024年)7月15日(月曜日)
通巻第8330号
トランプ狙撃はAR15ライフル。150メートル射程で速射可能
最高裁は、この殺傷兵器所有も合法と判断している
*************************
トランプ暗殺未遂の犯人はトーマス・マシュ-・クルックス(20歳)で地元の高校を卒業、犯罪歴はない。かれが現場に乗り付けたクルマからは爆薬が発見され、また自宅からは爆弾を造る材料が見つかった。大規模なテロを企んでいたかもしれない。
使用された銃はAR15(アーマライト)ライフルで、一般のピストルの三倍の速度、口径5・56ミリ。これまでにも2017年のラスベガス乱射事件、テキサス州のサザランドスプリンクスなどの無差別大量殺人事件で使用された。
第二次世界大戦で使われたAR10を小型化したのがAR15である。ペンタゴンの要請で大量に製造され、1962年にこれをM16と改称した。その民間バージョンがAR15ライフルと呼ばれる。
報道されたように犯人が陣取った近くの建物の屋根からトランプの演壇まで150メートル。これは米陸軍の新兵がM16の射撃での合格点とされ、兵隊教育訓練をうけた人間なら標準的な技量と言われる。つまり素人でもちょっとして射撃訓練で、150メートル射程なら標的を射貫くことができる。
SSは、屋上にいる犯人を予め発見しているが、先制狙撃は禁止されていたようである。ブラック���ォーターの創設者であるエリック・プリンスは、射程内にある建物に不審者が近づけたのは警備の手抜かりであると指摘している。
しかし犯人のクルックスはなぜ、AR15ライフルを持てたか。半年前に父親が購入したもので、全米でもかなり人気があり安売りだと500ドルで購入可能である。このような凶器を一般のアメリカ人が保有できるのは何故か。銃規制の対象外なのか。
米国憲法を思い起こしたい。民間の武装する権利を認めているのだ。
米国憲法修正第二条は個人の武装を合法としている以上、銃規制などできるわけがない。民兵は必要であると公に認めているのだから人々は武装する権利がある。ならばこれまで喧しく議論された「銃規制」とはなんだったのか?
半自動小銃の販売を禁止する十年間の時限立法「アサルト・ウェポン規制法(AWB)」は二〇〇四年に失効している。その後、カリフォルニア州は市民の自動小銃・機関銃保有を禁じたものの拳銃の所持は合法なのだ。
米国で個人所有の銃はおよそ二億七千万丁。銃が原因の死亡者数は毎年三万人前後。
▼最高裁はAR15ライフルは機関銃ではないと判決
米国最高裁判決は二〇二四年六月一四日、トランプ暗殺未遂の一ヶ月前のこと、米国最高裁は6対3で、トランプ政権時代のバンプストック規則を無効とする判決をだした。
これは半自動小銃の射撃速度を上げる付属品「バンプストック」の禁止が合憲か違憲かで争われてきた裁判である。わかりやすくいうと『機関銃』の分類によって規制対象とならないのか、規則されるのかという裁判。
アメリカの銃規制は個人の所有として機関銃が禁止されている。その「機関銃の定義」に射撃速度をあげる部品が使われている。トランプ前政権のときに禁止したが、その定義の転換があった。最高裁は「従来の解釈は変換されない」と判断した。すなわち米国は個人の武装を修正憲法第二条で認めており、拳銃の所有は合法だが、「機関銃」とは、「トリガーを一回操作するだけで、自動的に一発以上発射できる」能力を持つ銃器のカテゴリーである。
半自動式銃器は射撃ごとに再度引き金を引く必要があるため「機関銃ではない」という解釈になった。二〇一〇年、オバマ政権は「バンプストックは『機関銃として分類されるべきではない』とした。したがって連邦法で禁止されるべきではない」とし、バイデン政権はこの路線を継承した。
さて大統領選挙への影響と今後の展望を予測すれば「禍転じて福となす」ように、共和党は団結をつよめ、トランプが誰を副大統領に選ぼうとも反対意見は見られないだろう。狙撃直後に拳を振り上げ、国民に「強いトランプ」イメージをつくり出した。あの咄嗟の判断は本能的であるが、したたかな政治判断が出来る政治家であることも証明し、また危機一髪の規制をトランプは「神の加護があった」と発言し、ファンダメンタルの支持層の琴線を揺らした。
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NoBarbenheimer
今回の件、原爆投下/原水爆をミーム化/ネタ化する動きの加速に対して。フェミニズムな作品であることがとても楽しみだったバービーの……“公式アカウント”が乗っかっていたという事実。そのショックについて。自分も抗議を送ったりTwitter/Tumblrでタグを使ったひとりですが、
「日本のみ」が被爆国ではないし、「日本人とされれる人々のみ」が被爆被害者ではない。
凡ゆる国と地域で被爆被害があり、凡ゆる国や地域の人々が、被害者が、世界中にいること。
“戦争被爆国”としての日本においては、戦時下で、軍国主義/差別主義の中で更に更にマイノリティとして虐げられた人々が、植民地支配/強制連行による被害者や、捕虜として収容されていた人々が、沢山、犠牲になっているし、その後も苦しみ続けている。日本/政府による迫害と差別に晒されている。その存在が、事実が、歴史が、蔑ろにされ続けている。
原爆/原水爆の犠牲者が、被害者が、いまも、世界で、さまざまな場所で、苦しみ続けていること。その歴史について。
それらを踏みにじるような言葉も、それらについて誤った認識を与える言葉も、Twitter上では多く(差別主義者/ネトウヨ/極右なども、バービーという作品そのものとそこにあるフェミニズムや多様性に対する一方的な揶揄/叩きや、韓国へのデマ/ヘイトや、他の悲惨な歴史や事件を更にミームにして茶化し出すという……醜悪な最低最悪な行いをぶち撒けながら、この抗議タグをTwitter上で利用してきていることもあり、)かなり蔓延してきてるようなので。
Twitterで今回自分がRTさせて頂いた……さまざまな方々が紹介していた記事やアーカイブ/今までTwitter上で自分がRTしてきたり引用してきたりした記事なども、自分用と兼ねて、いくつか、改めて、此方にも引用してみます。
また、再度、強調したいのですが、
日本は、今なお、戦争責任/加害の歴史に向き合おうとしない。戦争の責任と記録と歴史を忘却し、捻じ曲げようとする歴史修正主義が、まさにいま、どんどん勢いを増し続けている現状。核廃絶について背を向けるばかりか、核武装について“柔軟な議論”などとほざいて嬉々として語り出す連中が、差別主義者��糞どもが、万年与党であること。
そこを無視することこそ、恐ろしいことで、忘れてはならないこと。(これもほんと繰り返しだが、この現状だからこそ、戦争/核を軽視しないための抗議の責任があること、強調したい)
・日本だけではない、被爆国
「核兵器を開発するためには実験が必要です。1945年、アメリカのニューメキシコ州で世界で初めての核実験が行われてから、これまで2,050回以上の核実験が行われきました。
アメリカはネバダ砂漠や太平洋でロシアはカザフスタンや北極海で、イギリスはオーストラリアや太平洋の島国で、フランスはアルジェリアや南太平洋の仏領ポリネシア・タヒチで中国は新疆ウイグル自治区で実施しました。ワシントンやモスクワなどの大都市から遠く離れ、多くの場合は植民地や先住民族の暮らしている土地でした。(川崎 哲「核兵器はなくせる」、岩波ジュニア新書、2018)」
・Hiroshima and Nagasaki: A Multilingual Bibliography
「ABOUT US: The Aim of Our Project
In 2014, a year before the 70th anniversary of the atomic bombings of Hiroshima and Nagasaki, we started our survey and research into the multilingual publication of atomic bomb literature. Our goal is to make a comprehensive survey into the process of worldwide acknowledgment of Hiroshima and Nagasaki for 70 years.」
・外国人戦争犠牲者追悼核廃絶人類不戦碑
「この戦争の末期、長崎では数次にわたる米軍の空襲、潜水艦攻撃、そして八月九日の原爆 によって七万余の日本人、数千の朝鮮人、中国人労働者、華僑、留学生、連合軍捕虜(イギ リス、アメリカ、オーストラリア、オランダ、インドネシア��)が犠牲となった。
特に浦上刑務所のあった隣接する丘では、三十二名の中国人、十三名の朝鮮人が、日本人 受刑者とともに爆死し、���た香焼や幸町の捕虜収容所では、被爆前に病気や事故などによ って数百名の連合軍兵士が死亡した」
「碑の建立に力を注いだのは、戦時中に収容所の職員だった田島治太夫さん(九九年死去)。一緒に運動した鎌田信子さん(72)は「日本人だけでなく、多くの外国人が犠牲になったことを知ってもらいたい」と語る。」(2005/07/15 掲載記事)
・被爆2世、女性として直面した複合差別 ――「韓国のヒロシマ」陜川から
「2023年2月7日、被爆者の援護を定めた法の対象外となっているのは不当だとして、被爆2世が国を訴えていた裁判の判決が広島地裁で言い渡された。「不当な差別とは評価できない」などとして、原告の訴えは棄却された。被爆2世に対しては、厚生労働省が定めた要綱に基づく健康診断が実施されているものの、がん検診はそこに含まれず、各種手当の交付なども受けられない。」
「原爆被害に加え、それ以前からの植民地支配に翻弄されてきた韓国人被爆者の次世代も、「線引きの外側」に置かれ、公的な支えを受けられずに生きてきた。」
・80歳を過ぎて語り始めた被爆体験――福島へ手渡したい思いとは
「切明さんの話は、「あの日」から始まるのではなく、軍都「廣島」の話から始まる。
「広島は今、平和を守ることや、核兵器廃絶を掲げていますが、77年前までは軍国主義の街でした」
切明さんが国民学校2年生の時、満州事変が起きる。広島城の周辺には陸軍の師団が置かれており、宇品港は中国大陸や、その後の東南アジアの国々侵略のための出発港だった。」
・「存在しない」とされた残留放射線、内部被ばくの被害を認めない政府
「こうした政府の態度の根底にあるのは、残留放射線による内部被ばくの否定だ。放射性物質を体内に取り込む危険性から目を背ける、その姿勢の源流を知るためには、日米の歴史を紐解く必要がある。
『原水爆時代〈上〉―現代史の証言』(今堀誠二)や 『核の戦後史:Q&Aで学ぶ原爆・原発・被ばくの真実』(木村朗、高橋博子)でも示されているが、原爆投下から1ヵ月後、マンハッタン計画の副責任者であるトーマス・ファーレル氏は、下記のような声明を発表したとされる。
「広島・長崎では、死ぬべきものは死んでしまい、9月上旬において、原爆放射能の余燼ために苦しんでいる者は皆無だ」
残留放射能が存在しないとした理由について記者からの質問を受け、ファーレル氏は「相当の高度で爆発させた」ことを挙げていた。
なぜこうした声明を出すに至ったのか。『核の戦後史』の他、『封印されたヒロシマ・ナガサキ』などの著者でもある奈良大学の高橋博子教授は、占領を円滑に進める必要がある米国側の意図を指摘する。
「声明には、原爆投下が国際法違反であることを否定し、広島を取材した連合国軍記者による報道を打ち消す狙いがあったと思われます」 」
「 「日本政府は核兵器の残酷さや非人道性を訴えるどころか、その“威力”を重視し、原爆攻撃をした米国と一緒になって、核兵器の有効性を世界に向けて訴えてきたといえます。核の“パワー”の肯定的イメージを拡散してきた、世界に対する責任は重いと思います」 」
・«さもしいといって下さ��ますな» 福田須磨子さんの思い 原爆を背負って(30)
「 《何も彼(か)も いやになりました 原子野に屹立(きつりつ)する巨大な平和像 それはいい それはいいけど そのお金で何とかならなかったかしら “石の像は食えぬし腹の足しにならぬ” さもしいといって下さいますな 原爆後十年をぎりぎりに生きる 被災者の偽らぬ心境です》
1955年8月、被爆詩人・福田須磨子さん=74年に52歳で死去=が詠んだ詩「ひとりごと」です。須磨子さんは23歳のとき、爆心地から1・8キロ地点で被爆。高熱や脱毛など後遺症に苦しみ、紅斑症にもかかります。身体的、精神的苦痛と生活苦にさいなまれる日々…。3千万円の巨費を投じて造られた平和祈念像を見て、この詩を詠みました。」
・問われる空襲被害者の戦後補償
この記事は2020年放送のNHKスペシャル「忘れられた戦後補償」を下地にした2021年放送のクローズアップ現代の記事です。もとのNHKスペシャルを記事化したページは……もう削除されてしまい、この別番組の記事しか残っていない状況です。
被爆被害とは違った話なのですが、日本が戦後も、ずっと、いかに、国内外問わず、戦争責任に向き合っていない国であるか。民間人/市民を切り捨て、権力者/軍部を優遇してきたか。それがわかりやすい記事のひとつとして、引用します。
以下はNHKスペシャルの特集記事から当時引用した文面です。
「大将経験者の遺族には、戦犯であっても、兵の6.5倍の補償を実施。閣僚経験者��対しては、現在の貨幣価値で年1000万円前後が支払われていた。その一方で、旧植民地出身の将兵は、恩給の対象から外された。」
「国家が総動員体制で遂行し、破滅への道をたどった日本の戦争。犠牲となった民間人は80万人。戦後、国家補償を求めた民間被害者の訴えは一貫して退けられてきた。」
「ドイツやイタリアと違い、軍と民の格差が時代とともに拡大していった日本の戦後補償」
(しかしNHKの戦争責任を問う特集関係の読みやすいWEB記事や記録は……数年しか残さない、消されてしまうし。オンデマンド配信に全て入る訳ではないようだしで。戦争の真実シリーズの731部隊の特集の書籍化は何年も延期が続き、今年やっと……出版されそう……?である現状(何かしらの検閲を受けていないかが、不安である)、本当に不気味で、最悪だ)
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セルゲイ・ラブロフ氏: 私たちは、この出来事を民間居住区への無差別砲撃による数百万のパレスチナ人への集団処罰に利用することが容認できるとは考えていません。 そこでの犠牲者の数が日に日に増えているとおっしゃいましたが、最も苦しんでいるのは子供たちと女性です。そして、何が起こっているかの影響��、あなたや他のチャンネルで時間ごとに確認できます。 この悲劇が始まってすぐに、私たちは安全保障理事会に決議案を提出しました。それは米国によって阻止されました。ブラジルは別の決議案を提出した。これも米国によって阻止された。その後、国連総会は、人道的停戦ではなく人道的停戦を規定したものであるため、安全保障理事会で私たちが望んでいたものよりも弱い決議を可決しました。しかし、それさえもアメリカ人や他の西側諸国には受け入れられませんでした。彼らはその決議を支持しませんでした。 最終的に彼らは安全保障理事会を組織し、要求ではなく人道的停止を求める決議を可決した。この解像度は、何もしないよりはマシです。しかし、この弱い訴えがあっても、それが実現するのを見ることはできません。なぜなら、これを行うには、地上での何らかの監視が必要だからです。おそらくパレスチナの国連救済事業機関がその役割を果たすことができるだろう。しかし我々は事務総長に話しかけ、その権限を利用して何らかの監視を検討するよう提案したが、今のところ無駄だった。しかし、これは私たち全員が努力をやめるべきだという意味ではありません。私たちは人道的停戦を達成するためにこの政治的圧力を継続するために全力を尽くすべきです。 質問: 安全保障理事会での米国の拒否権発動は、この地域における米国の見方にどのような影響を与えると思いますか? オマーンのサイイド・バドル・アルブサイディ外務大臣が拒否権発動後に書いたツイートを読んでみましょう。私たちが去ってからずっと後、世界は今日を恥ずかしそうに振り返ることになるだろう。」 セルゲイ・ラブロフ氏: アメリカの拒否権に関しては地域諸国や世界の他の国々が自ら判断することだ。 私たちとしては、ずっと前に結論を出しています。アメリカの外交政策がもたらす決定の利己的な性質は、私たちにはよく知られています。あなたはこの拒否権について言及しました。この決議案に拒否権を発動する際、安全保障理事会室のアメリカ代表は、ガザでの即時停戦の要求は支持できない、なぜならこれは次の戦争の種を蒔くことになるからであると述べた。 アメリカ人はいわゆる「キャンセル文化」がとても上手です。彼らは歴史の一部や出来事の一部が気に入らないときは、それ以前のことをただキャンセルします。つまり、この停戦を発表することで、次の戦争の種を蒔くことになるのです。 私たちはパレスチナ領土における状況の根源が何であったのかを思い出さなければなりません。国家が破壊工作を受けているとしてパレスチナ人に約束する75年にわたる決議があり、ガザ封鎖は約50年間続いている。 誰だったかは覚えていないが、イスラエル政府当局者の一人は、ガザのパレスチナ人は3歳の時点ですでに過激派であるため、彼らは実際には民間人ではない、と語った。しかし、私たちはパレスチナの子供たちや若者たちが、何十年も、何世代にもわたって犠牲になっているという感覚を与えられている理由を理解しなければなりません。 私たちは何年も前にイスラエルの同僚たちに、そして私自身にも、FM エリ・コーエンの前任者たちと緊密に接触していたとき、中東の過激主義を引き起こす唯一の最も危険な要因は、パレスチナ国家の未解決の性質。 質問: ここの聴衆やテレビを見ている人たちは、民間人の犠牲者の多さについては確かに正しい、と言う人もいるだろうが、彼らはロシアが過去にやったことについてもそう言うだろう。ウクライナ戦争についてはインタビューの後半で取り上げますが、民間人の犠牲者が多かったチェチェンに戻ると、病院への爆撃があったシリアに行くと、ここであなたは偽善的ではありませんか? セルゲイ・ラブロフ: まあ、判断するのはあなた次第です。私は私が偽善的だとも、ロシアが偽善的だとも思わない。私たちはチェチェン共和国で行った作戦を決して隠していません。私たちは、合法的な政府、国連加盟国、ISIS、ヌスラ戦線、ハヤット・タハリール・アル・シャームと戦っている、そしてアメリカの後に現れた他の組織の要請に応じてシリアで行ってきたことを決して隠したことはありません。アルカイダが創設されたときにイラクに介入し、その後リビア、ジャバト・アル・ヌスラ戦線に介入しました。この話をご存知でしょう。そして私たちはテロとの戦いを続けます。まさにルール通り… 質問: 2015年、私は国連での記者会見で、このこと、それらのグループについてあなたに尋ねました。そして、あなたは、それがテロリストのように見えるか、テロリストのように行動するか、テロリストのように歩くか、テロリストのように戦うかどうかと言いました。テロリストだ、テロリストだ。 さて、ロシアはハマスについてどう考えているのでしょうか?イスラエル、西側諸国、欧州連合はテロ組織だと言っているからです。ハマスの代表団が10月にモスクワを訪問したことに注目したい。ハマスは紛争後の解決策に加わるべきだと思いますか? セルゲイ・ラブロフ: あなたは私よりも人の話を遮るのが上手です。 実際、ハマスは10月7日にテロ攻撃を行いましたが、我々は直ちにこれを非難しました。ハマスにはドーハで活動する政治支部があり、我々はこの政治支部と関係を持っています。私たちは直ちにドーハの人々と連絡を取り、人質になった人々、ロシア国民(ロシア国民だけではない)、イスラエル国民、ロシアの近隣諸国の国民、その他の人々の運命について交渉しました。 私が言える限り、イスラエル国民はそれを理解し、国民に関する限り感謝さえしている合意に達することができました。 質問: 国連事務総長、10月7日は空虚に起こったものではないと述べた後、イスラエル人から辞任を求める声がありました。彼は正しかったですよね?米国は外交で主導的な役割を果たそうとしており、実際、この問題に関しては何十年も外交で主導的な役割を果たしてきているが、パレスチナ人を無視してきた。 セルゲイ・ラブロフ氏: これが突然起こったわけではないことは、誰もが理解でき、同意できると思います。 私は、何十年にもわたる封鎖、パレスチナ人が国家を持ち、イスラエルと安全と善隣関係で共存するという約束が何十年も果たされなかったことについて言及しました。繰り返しになりますが、「キャンセル文化」についてです。状況を引き起こした出来事で気に入らない��とがあれば、キャンセルします。 ウクライナについて言及したようですね。それは、血なまぐさいクーデター、クーデターを受け入れなかったドンバスとの戦争を含む憲法違反の政権交代、不法な政権交代とプーシストの権力を受け入れなかったなど、2022年2月までに起こったすべてのことと似ている。これらすべてがキャンセルされました。 残ったのは「ロシアがウクライナを侵略した」ということだけだった。しかし、当時のドイツ、フランス、ウクライナ大統領によって公然と妨害されたミンスク合意はすべて破棄された。米国とNATOが仕掛けた対ロシアハイブリッド戦争は、この「キャンセル文化」に基づいている。
質問: ウクライナ戦争について話しています。最近、ウクライナ側の軍司令官は膠着状態にあると述べた。彼はそのことを言ったことでゼレンスキー大統領とトラブルになった。現在、戦場は膠着状態にありますが、その評価に同意しますか? セルゲイ・ラブロフ氏:アメリカ人が自分たちを陥れた穴に自分たちがどれだけ深く陥っているかを認識するのはウクライナ人次第だ。 質問: 行き詰まりなら、あなたもその穴の中にいるのではありませんか? セルゲイ・ラブロフ氏:自らが置かれている状況を評価するのは軍次第だ。 質問: しかし、ロシアの首席外交官として、この戦争を見ると、どちらの側でも何人の人が殺されたかわかりません。非常にさまざまな見積もりがあります。しかし、それらはすべて両側に数万人という非常に大きな数字のように見えます。そしてこれはロシアが選んだ戦争だった。あなたがそれを特別な軍事作戦と呼ぶのはわかりますが、プーチン大統領は侵攻を決定しました。過去 22 か月でロシアは何を達成しましたか? セルゲイ・ラブロフ: 前回の介入で私が何を言ったとしても、あなたはこのセッションが始まる前に印刷した論文をまだ読んでいることになるでしょう。 「キャンセルカルチャー」という現象について触れました。それは選択の戦争ではありません。これは、ウクライナがロシアの安全保障を損なう手段として米国とNATOによって長年準備されてきたことを考えると、避けられなかった作戦だ。 興味があれば、2014年の流血騒動後にウクライナ政府が可決した、言語、メディア、文化、教育などロシア語のすべてを取り消す法案のリストを送ります。すべて。そしてこれは、何世代にもわたってウクライナ東部と南部に住んでいる人々に対するものです。こちらは全てキャンセルとなりました。西側メディアは「ロシアがウクライナを侵略した」、ロシアが選択した戦争を始めたと言うよう奨励されている。 もしあなたの国が、あなたの国民が物理的に絶滅され、それがナチスト政権が権力を握っている国の法律で固められているとしたら、他の選択肢は何でしょうか? 質問: 私は最近ブラジルのルラ・ダ・シルバ大統領と話をしましたが、彼は今すぐ停戦し交渉すべきだと言いました。外交の可能性、本当の可能性は何だと思いますか? セルゲイ・ラブロフ氏: ゼレンスキー氏に電話しなければならないのは、1年半前、彼がプーチン大統領政府とのいかなる交渉も禁止する法令に署名したからである。そしてこれは周知の事実です。ロシア連邦のウラジーミル・プーチン大統領も同様の質問を受けた際、繰り返しこのことに言及した。 彼らには2022年���3月と4月��チャンスがあった。軍事作戦の開始直後、イスタンブールで交渉担当者はウクライナの中立に基づく合意に達した。 NATOはありませんが、西側とロシアが協力してウクライナに与えたその他の安全保障はいくつかあります。この取引は中止されました。キャンセルされたのは、ウラジーミル・プーチン大統領が署名する用意があるなら、もっと疲弊させようとアメリカ人とイギリス人が判断したからだ。それが彼らが今やっていることなのです。膠着状態であろうとなかろうと、それが事実です。 質問: 戦争の初めを振り返ると、ロシアはウクライナから軍隊を撤退すべきだという総会決議がありました。現時点で141の州がこの動議に賛成している。現状において、世界的な立場は変わった、ロシアに対する認識は変わったと思いますか? セルゲイ・ラブロフ: その決議がどのように採択されたかは知っています。ニューヨークにはたくさんの友達がいます。彼らは私に、あれだけの票を獲得するためにアメリカ人が使った手段は非常に特殊だったと内密に話していた。ニューヨークの大使たちはアメリカまたはイギリスの使節団の若手外交官からアプローチを受け、次のような質問が持ち上がった。大使、投票が明日であること、そしてあなたの銀行口座がメリルリンチにあること、あなたの子供たちがスタンフォードにいることを忘れないでください。」悪化してるんじゃないよ。まさにその手段が適用されたのです。 アメリカ人が彼らの言うように民主主義の擁護者であるならば、2022年2月に何が起こったかを見てください。私たちは長年にわたり、NATOにおけるウクライナは受け入れられないと繰り返し主張してきました。 2021年12月、私たちは米国とNATOに対し、ヨーロッパの安全をすべての人に保証する条約を提案しました。これは拒否されました。 ミンスク合意は損なわれており、国民はそれらを履行するつもりはなかったと冷笑的に言った。彼らは、ロシアに対抗してウクライナにさらに兵器を投入するために、より多くの時間を稼ぐ必要があった。 私たちはこの作戦を開始しました。ロシア連邦のウラジーミル・プーチン大統領が特別演説を行った。彼は私たちの行動の背後にあるものをすべて説明しました。アメリカ人と衛星国はこれを強く非難した。わかった。 他の人々、グローバル・サウス、グローバル・マジョリティ、彼らは大人として扱われるべきであり、彼らは私たちの意見に耳を傾け、西側諸国の意見に耳を傾けた上で、自分たちで決断すべきでした。これは世界の国々を扱う民主的な方法となるでしょう。私たちは誰かを何らかの立場に押しつけたことはありません。なぜそうするのかという理由を提示しただけです。 アメリカ人もヨーロッパ人も、NATO、EU加盟国も世界中を駆け回っていました。ウクライナで何が起こっているかについての評価を提示するだけでなく、最後通牒、脅迫、脅迫、制裁を科す。ロシアを非難しない限り、何らかの結果が生じるだろう。彼らがどのように振る舞うかはご存知でしょう。これが彼らのいつものスタイルです。 質問: あなたは NATO の拡大について言及しましたが、あなたの戦争の結果、現在ロシア国境にははるかに多くの NATO 軍が駐留しています。スウェーデンはNATOへの加盟を望んでいる。フィンランドはすでにNATOに加盟しています。 NATOとロシアの国境が倍になったのが裏目に出ていますね。 セルゲイ・ラブロフ: ご存知のように、19世紀初頭、ナポレオンはヨーロッパのほぼ全土を結集してロシアを攻撃しました、そして我々は彼を破り、その侵略の後、我々はより強くなりました。 前世紀半ば、アドルフ・ヒトラーも同じことをしました。彼はヨーロッパ諸国のほとんどを自らの指揮下に置き、ロシアへの侵略を開始した。彼も負けて、あの戦争の後、我々は強くなった。 そして、米国がウクライナを利用してロシアに対して始めた戦争の結果はすでに見えている。あなたはNATOの拡大について言及しましたが、私たちにとって、そして他の人たちにとっての主な結果は、ところで、後に誰が感じるだろうが、ロシアがすでにこれらの出来事の前よりもはるかに強くなっているということです。そして、これは戦争が終わった後も同様です。 質問: エフゲニー・プリゴージンが飛行機の爆破で死亡した8月に戻りましょう。それはまだ非常に疑わしいです。人々は疑惑を持っていますが、何が起こったのか正確には誰も知りません。彼はアフリカ、リビア、マリ、中央アフリカ共和国で触手を持ったワグナー・グループを経営していた。 ワーグナーの手術に今何が起こっているのかを視聴者に教えていただけますか?彼らはロシアの指揮系統に組み込まれたのだろうか?なぜなら、ワーグナー戦士たちに対してあらゆる種類の人権侵害の申し立て、拷問、処刑が行われているからです。 セルゲイ・ラブロフ氏:エフゲニー・プリゴジン氏の死はロシア調査委員会によって調査されている。その結果は公表されている。したがって、これについては何も追加することはありません。 ワーグナーグループの兵士に関しては。これらの人々の運命と将来がどのように議論されているかについて、ロシア政府やベラルーシ大統領によって多くの報告があった。彼らの多くはベラルーシに行き、そこで兵役を受けるために奉仕を始めました。他の者はロシア軍の正規組織に加わり、任務を続けている。 質問: 来年ロシアと米国で重要な選挙が行われます。おそらくロシアで誰が勝つかはわかっていると思います。 米国では、政治活動を始めて11か月が経ち、ドナルド・トランプが共和党候補になる可能性は十分にある。彼はおそらく共和党候補者になりそうだ。 ロシアにとって、ドナルド・トランプ氏がホワイトハウスに戻ってきたら、米国との関係は改善するだろうか? セルゲイ・ラブロフ氏: 私たちがアメリカ国民を尊重していることはご存知でしょうし、尊重していないかのような発言はしません。 2016年にドナルド・トランプが勝利した後の民主党の反応を私は覚えている。ところで、バラク・オバマ大統領がドナルド・トランプの就任式の3週間前に数十人のロシア外交官をその家族とともに追放したことは今でも覚えている。出発が可能な限り不快なものでないことを確認します。そして「米国の内政干渉」を理由にロシアへの制裁を導入した。 それ以来、彼らはこの嘘の背後に何らかの実体があるという証拠を何一つ提示することができなかった。したがって、私はアメリカの選挙制度と習慣を彼らに任せます。私はこれには立ち入り���くありません。 質問: あなたは世界で 2 番目に長く在任した外務大臣だと思います。あなたは帝政時代以来、ロシアで最も長く外務大臣を務めた人物です。そしてもちろん、あなたはその前にロシアの国連大使として10年間外交のトップテーブルにいました。 3月の数カ月で、あなたはロシアの外務大臣を20年間務めたことになる。いつまでこの仕事を続けるつもりですか? セルゲイ・ラブロフ: なぜこの質問を受けるのか、本当に理解できません。国が私を必要とする限り、私は国に奉仕します。
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北大出身の医師だった私の祖父の旧制中学の同級生が、海軍から奨学金をもらって海軍の軍医となり、戦艦陸奥の軍医をしていました。丸田軍医とか。
戦艦陸奥は、瀬戸内海で謎の爆沈をして沈没し、祖父の友人は殉職しております。
また、私の別家の伯父さんが2人、海軍のイ号潜水艦に乗艦して、衛生兵をしておりました。
無事に生還しております。
そして、私の祖父は、戦前、台湾帝国大学の高雄医院の内科医長をしておりましたが、後に陸軍軍医となり、台湾の高雄で終戦。
日本人が残っているうちは引き揚げる訳にはいかないと、最期の引き揚げ船の【恵山丸】に乗り、引き揚げのシンガリを務めて、鹿児島の港に着きました。
前日に、台北近くの基隆(きいるん)港から出た引き揚げ船は、機雷原で触雷して沈没しました。
祖父たちの乗った【恵山丸】は嵐に流され、本来のルートから外れ、上海沖の中国大陸側を大きく迂回する事になり、結果的には、機雷原を大きく迂回する事になり、無事に鹿児島の港に辿り着く事が出来ました。
ただ、船内の衛生状態は最悪で、アメーバー赤痢がまん延。
祖父は船の衛生兵を指揮して、船内を消毒して、アメーバー赤痢の患者を隔離する事にし、その他の船内の乗客と分けました。
そして、鹿児島の港では、防疫の係官がやって来て、衛生状態を確認し、1晩だけ船内で一泊し、翌日、内地の土を踏んだそうです。
この時、台湾製糖の社長も乗船しておりました。
当時、台湾からの引き揚げは、1人1000円しか台湾から持ち出せない事になっておりました。
そして、1人当たり、塩又は砂糖を2袋まで持って行く事が許されていました。
普通に考えれば、全部砂糖にして、内地で料亭に言い値で売れば一財産が出来るのに、祖父は、台湾にやって来た蒋介石軍のデマ(日本の内地では、製塩所が爆撃されて塩が不足している)を真に受け、7人家族だったのに、砂糖はたった2袋。残りは全部塩にして、引き揚げて内地の別家に、【お父さん。日本は島国だよ。海水から幾らでも塩は作れるじゃないか】と呆れられておりました。
一方、盛岡高等農林の教授をしていた祖父の兄は、陸軍の2等兵でしたが、引き揚げの際には、家族分の砂糖を持って引き揚げ、内地で料亭に言い値で売り、一財産を築きました。
話は少し戻りますが、父が小学1年の時、台湾沖航空戦が3日ほどあったそうで、夜中はハルゼー艦隊の艦砲射撃で、夜中なのに空が真っ赤に燃えていたそうです。
その中を、台湾の高雄航空隊から飛び立った1式陸攻、台南航空隊から飛び立った零戦が、ハルゼー艦隊に体当たりの特攻をしていたそうです。
真っ黒闇の中、零戦��ちは、艦砲射撃する艦船の射撃の火を目指して、次々と突っ込んで行ったそうです。
零戦が飛んで行く様は、まるで、蛍の光のように、寂しげだったそうです。
長男だった父は、艦砲射撃の間、陸軍病院の防空壕の中で、我が先祖、源義経の位牌と源義経の守り刀を持って、最期の時は、新高山に登って、高砂族に紛れ込んで生き延びる作戦を陸軍から言われておりました。
そして、防空壕には、藤軍曹という爽やかな軍人が、父に、【坊や。日本には、世界最大、最強の戦艦大和があるんだ。体当たりで敵の船を沈めてしまうような戦艦大和がある限り、日本は絶対に負けん!今、ハルゼー艦隊はいい気になって暴れているけれど、今に見ていろ!戦艦大和がハルゼー艦隊など、根こそぎ全滅させてくれるから、坊やも絶対に諦めるな!頑張れ!】と。
その藤軍曹たちは、後にフィリピン方面に進出の際、輸送船がアメリカの潜水艦の魚雷攻撃に遭い、全員戦死しました。
祖父たちが台南から引き揚げの日の朝、蒋介石軍の高級軍人が祖父の所ではやって来た際、彼の姿を写した1枚の写真の裏に【この篠村医師は我が友人なり。危険人物に非ず】とサインして渡され、【台湾を離れるまで、お守りにして下さい】と言われ、入婿だった祖父は、あろう事か、長男の父が日頃手入れしていた源義経公から伝わる守り刀を蒋介石軍の高級軍人に写真のお礼に渡してしまいました。
父は、悔しがって、祖父につっかかりましたが、小学1年では、大人に敵いませんでした。
父は悔しがって、オンオン泣いたそうです。
父は、【布団袋の中に忍ばせれば、持って来れたじゃないか!父さんの馬鹿野郎!】と、祖父の胸を何度も何度も叩いたそうですが、投げ飛ばされました。
また、余談ですが、台湾からの引き揚げの男性は、【軍帽(略帽)や国民帽のヒサシをハサミで切り落とすように】と、蒋介石軍から通達があったそうです。
ヒサシがあると、軍隊になってしまうのを恐れたんだそうです。
しかしながら、多くの日本人男性は、引き揚げ船に乗船したら。すぐさま、軍帽(略帽)や国民帽にヒサシを縫い付けました。
さて、無事に引き揚げ船から鹿児島の土を踏んだ祖父たちは、引き揚げ者専用列車で鹿児島から大阪駅まで2泊3日かけて乗り、大阪駅から更に2泊3日かけて、東京駅まで引き揚げ者専用列車に乗りました。そして、上野駅から秋田回りの青森行の引き揚げ者専用列車に乗り、秋田県大館市まで引き揚げました。
その引き揚げ者専用列車でのエピソードをご紹介します。
汽車からは、鹿児島本線、山陽本線の車窓の風景は、どこも焼け野原で、空襲で焼けただれて錆びた鉄骨がむき出しの工場や、爆撃でガレキとなったビルなどが、どこまでも続いていたそうです。
父は、一緒に乗っていた兵隊さんの集団から広島の原爆の事を聞かされていたので、広島が近づいたら兵隊さんに教えてもらうように頼んでいました。
やがて、汽車が広島市に差し掛かる手前で、車掌さんが窓ガラスを完全に閉めるように車内に伝え、客車の換気口も全て閉めるように伝えました。
機関車は、残留放射能のある広島市を高速で通過しました。
その時、機関車から、長い汽笛が鳴りました。
慰霊の汽笛でした。
すると、軍人の下士官とおぼしき1人が、【一同、直立!黙祷!】と叫び、乗客全員、広島の市街地の焼け野原に向かって、黙祷しながら、汽車で駆け抜けました。
そんな、我が家に伝わる戦争体験の話でした。
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Her Majesty (3)
オールドサンホセ教会の鐘楼は17世紀から19世紀までスペインが島民をグアムに強制移住させ無人島にした上で統治した時代のもので、高さは20メートルほど、さっきタガビーチからもタガ遺跡からも見えていた。趣のあるランドマークといった感じで、珍しいがゆえに、ここに宗教的大規模建築と呼ぶべき遺産が存在することが大きな欺瞞に感じられる。サグラダ・ファミリアや私の地元の横浜駅がまだ完成していないような不思議さと嫌疑。実際写真で見る雰囲気とは違っていた。本当にぼろぼろといった状態でオーガニックな、いやむしろ有機体的と呼ぶべき愛嬌があった。かわいらしいペットのような。そして風景ともマッチしていた。実に優れたスポットだと思う。妻と写真撮影をし、確認してホテルに向かうことにする。
そして今、外の虫の合唱を聞いている。思い返すとこの虫の声はベートーヴェン交響曲第9番「合唱」の第四楽章「歓喜の歌」に似ていなくもない。規定された楽譜を再現する一万人の第九がある。日本人ならおなじみの年末の特番があるんですよ、とホテル中の人間に教えてやりたかった。私はなぜか夜の空気と虫の鳴き声が誇らしかった。
2日目
2日目のテニアンのホテル。昨日と同じ席。ヨーロピアンだが落ち着いた造りの薄緑の四脚椅子、頑丈なものに違いない。ホテルの客室に戻ってきて妻はいの一番に「あぁ、楽しかった」と口を開いた。私は「楽しくないけど。むしろ暗い気持ちになった」と答えた。名所の内容が暗かったから。
妻は浴室に向かった。向かう際、妻が昨日ドライヤーのコンセントを、本体に丸めて風呂を出たので「ドライヤーコンセントに差しといて」と言った。奇妙な言葉だ。ユングが言わせたんだろう。それかスーサイドクリフが言わせた。スーサイドクリフは湿っていた。だから、この海域は涙の海と化し、我々はそこに最後に取り残された部隊である。二度と戻れない。「ドライヤーコンセントに差しといて」あくまで自己分析だ。カウンセリングの定義に反する。カウンセリングは他者に対して行うものだ。
浴室から出てきた妻は薄手の白いガウンを着ており、私に向かって微笑みかけた。思うところあって妻に近寄り抱きつく。唇に自分の唇を当てる。5秒間のフレンチキス。リアルな時間。リアルな距離。「え、どうしたの」と妻が言った。私は答えずに浴室に向かった。
今日、朝起きたのは7時過ぎで外は太陽が燦々と照っていた。非常に爽やかな朝である。昨日と同じく生垣が邪魔だと感じた。客室を出たのは8時半ぐらいだろうか。ブッキングしたチャーターはホテルの前で待っていた。さっきフロントに連絡しておいた結果だ。おそらく因果関係だろう。ホテルのある島南西からすこし南に離れたタチ���ンニャビーチへ。スケジュールはサイパンにいる間にチャーターを運行する営業所に伝えてある。早め早めの対処である。ビーチは昨日訪れたタガビーチとそう変わらない風景だった。白い砂浜に透明なビーチ、打ち寄せる波。海の底には何があるというのか。
浜辺でしばらくぼーっとしていた。20分ほどゆっくりと散策し、妻を残し、引き返したところにある自動販売機に向かった。カフェラテにしよう。米国の通貨で支払う。島の上での営利活動。これこそが尾田栄一郎の約束した資本主義だ。さらにそこで20分ほどとどまった。
チャーターが2番目に向かうのは東に向かった先にあるスーサイドクリフ。日本が島を委任統治した時代に太平洋戦争勃発、戦線の拡大によりアメリカが島の戦略的重要性に気づき、軍は1944年8月に占領に成功する。この島から戦争末期において毎日のように本土への空襲へ向かうB-29が飛び立った。のみならず広島、長崎へ原子爆弾を投下したエノラゲイとボックスカーはここから出発した。そのような島への米軍の侵攻の際、犠牲になった人々は沖縄からの移住者が多数を占め、それら多くの民間人は同じく移住していた朝鮮人とともになすすべもなく殺された。そのような経緯から集団自決が図られたこの崖には多くの慰霊碑が建造され、毎年慰霊祭が催され、本土や沖縄から多くの者が参加しているということだ。
そのような北マリアナ諸島の歴史は知らなかった。私はあ然とした。いわゆる当時の呼称「南方戦線」のことはよく知っているつもりだった。これは無論政治にかかわる項目であるし、テレビでも夏になれば毎年のように「戦争特集」というかたちで放送する内容だ。おそらく私の及ばぬところがあったのだ、情けなくなったことは間違いない。慰霊碑を眺め辺りを散策していたら30分は経っていたようだ。時計を見た。
3番目に向かったのは、旧帝国海軍、司令部跡である。ここは、第二次世界大戦中に日本海軍第一航空艦隊司令部が置かれていたコンクリート製の2階建ての建物。戦時中にアメリカ軍の砲撃により破壊されたが、建物の形は今も残っている。この遺構は、島北部ハゴイ空軍基地跡地の近くに位置している。以上は英語の観光ガイドを読めば分かる。ジャングルに囲まれたこの遺構を見ると、東本願寺の静謐でありつつも、訪問者の醸し出すものとは違う建築物そのものが本来持つ活気やにぎわいを感じた。あるいは坂本龍一のピアノ演奏とその優しくも正確なタッチ(ピアノの鍵盤を叩く強さ)を思い起こさせる。そして彼の演奏時に見せる苦悶の表情がそこにはあった。きっと司令官とは坂本龍一のような人なのだ。
2日間の島での��程最後に向かったのはエイブル飛行場と原爆ピットで、前者は先述したB-29が飛び立つのに使った滑走路で、後者は原子爆弾を搭載するのに使ったスポットだ。現地の米軍がノース・フィールドと呼ぶこの広大な飛行場は、島北部の多くを占める山林に囲まれている。ここに来てみてやはり世界の終わりを感じる。文字通り黙示録的なのだ。「エルサレムのアイヒマン」がここにいた。アメリカ人が適当にフォードを走らせていたら、「エルサレムのアイヒマン」に遭遇したといった趣で、そのような揺るがせない脅威がある。アイヒマンは経験論的事実なのだ。昨日の自分に言い聞かせる。やはり1940年代に世界が終わったのだ。それとも1950年代だろうか。離接的総合と離接的読書。私にできるのは読むことだけ。
原爆ピットに向かうと異様な空間の重さと妖気を感じる。現在は使われていない滑走路跡は広場としてあり、学校のグラウンドを思わせた。そこにガラス張りの記念碑が建造されており、建築物としてみると小さい。一風変わった記念碑と言った方が正確で、内部に当時の写真が収められていた。この他にもノース・フィールド内部に別のものがもうひとつあり、そちらは入れないんだとか。チャーターが伝えてくれた。これ以上の肝試しはないだろうと感じる。それもそうだが。日本人の多くが気になる戦争という闇がある。光ではなく闇。アラビアのロレンスのようにはいかないわけだ。日本だったら心霊スポットの仲間入りだな。
そのようにして、夜が来る。すべての者どもは夜へ。今分かっているのはここまでだとでもいうのだろうか……、ひょっとして……。橙色の照明がやけによそよそしい。私の離島を事務的に待ちわびているかのようだ。「朝が来る前に」。「朝が来れば僕ら旅立つ 新しい日々の始まりへ」。これは妻が好きな23年前の日本のポップスだった。この後の予定は放りだしてもよい。さようなら、テニアン。さようなら。
2日後、翌々日のサイパン国際空港でのチェックインを済ませ、あとは帰りの便に乗り込むだけだとセンチメンタルな気持ちになっていた時だった。眼の前にあったテレビがベイルートでのテロを報じ出した。アメリカのNBCテレビで、音声は聞き取れなかったが字幕は読める。現地時間昨日午前7時頃、この場所では昨日午後3時頃に高層ホテルで発生した爆破テロで3発の爆弾が使われたようだった。この報道ではイスラム教シーア派の武装勢力が新たに犯行声明を出したと伝えた。事件の背景について説明するのは控えるが、レバノンの諸外国諸勢力との緊迫状況と外交努力は片手間程度だがリサーチを進めてはいた。なのでそれほど驚きはしなかったが、たしかにこの2年間は起きなかった大きな動きだと言えるだろう。もちろんシーア派武装勢力のことだ。私は苦々しい思いを味わった。しかし普通の人にとっては恐ろしいの一言で済む話だ。午前10時の便に乗った。
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異なる人種間の戦争は何の慈悲もない 殺戮は娯楽かゲームのようになる 米軍の無差別爆撃はまさにそう 私の親族の実体験では、米軍の戦闘機が時折爆撃機の護衛の合間を縫ってか、偵察のついでかは知らないが、住宅地や交通機関に機銃を撃ちながら飛び去って行くことが何回かあったそうだ パイロットにとって地上の日本人は射的ゲームの的であり、完全にお遊びで女子供に機銃弾を浴びせていたのだろう
ベトナム戦争初期のフランス軍、後期のアメリカ軍はベトナムの町や村で民間人に対する残虐行為を楽しみながら繰り返した 今でもそうだが、当時の白人はアジア人の命に何の価値も尊厳も見出してはいなかったのだろう
第二次大戦のヨーロッパ戦線ではなんだかんだ言いながら戦時国際法が機能していた だが太平洋では、それはなかった それも同じ理由だ だが、欧米諸国は自らの戦争犯罪、人種差別行為は問題視しない 逆に日本人やアジア人が人種差別的だと、意識高い系白人とそのペット的な非白人の集りで言い立てることがよくある
最近アジアの水稲耕作が環境破壊的だとダボスで言ってた連中もこの種だとみなしている 欧米的でないから悪なのだ もっともらしい理由は後付けにすぎない
人種問わず、人種差別からは無縁の少数の人たちと連携していくしか手はない 遥かに遠い道のりだけど










-THE TOKYO FIRE RAIDS- March 9-10, 1945 -東京 大 空襲-
On March 9-10, 1945, over 300 B-29 Bombers Attacked Tokyo, focusing on Asakusa. A successful incendiary raid required ideal weather That included significant dry air and wind. Weather reports predicted These conditions over Tokyo on the night of March 9-10, 1945. A force of 334 B-29s was unleashed - each plane stripped of ammunition for machine guns ITS to allow it to carry more fire-bombs. The attackers arrived lead over the city just after dark and were Followed by a procession of death That Lasted until dawn. The fires started by the initial raiders could be seen from 150 miles away. The results were devastating: almost 17 square miles of the city were reduced to ashes. Estimates of the number killed range between 80,000 and 200,000, a higher death toll than That produced by the dropping of the Atomic Bomb on Hiroshima or Nagasaki six months later.
Fire bombs were M47 “napalm”, a substance developed by DuPont and Standard Oil chemical companies. It is a compound of jellied gasoline containing magnesium, Which makes it stick to almost anything. If it sticks to your bare flesh, it will burn quickly down to your bones. It is very painful, and almost impossible to dislodge from off your body.
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ジャンボトロンの下で
2024年5月6日
アナヒド・ネルセシアン
4月25日、カリフォルニア大学ロサンゼルス校の大規模な学生グループが、キャンパスのメイン広場に野営地を設営した。四方をベニヤ板のバリケードで囲まれた「パレスチナ連帯野営地」には、寝泊まり用の小さなテントのほか、食料、応急処置、電子機器(携帯電話の充電器、バッテリー)、楽器、画材などを置く大きな囲いもあった。図書館もあり、木に貼られた紙の標識には、2023年12月にイスラエル軍の空爆で死亡したパレスチナ人作家であり教師にちなんで、「リファート・アラリア記念図書館」と記されていた。
アラリアはジョン・ダンについて博士論文を書いた。YouTubeでは、彼がガザのイスラム大学で学生たちに英語で講義している様子を見ることができる。ある講義は、ホラティウスの『詩論』について、そして、芸術作品には教えるという役割と同時に楽しませることもしなければならないという考え方についての議論から始まっている。「『形而上学的』という言葉には何の意味もない」とそのすぐあとで彼は言い、それはダンのような詩人に、批評家たち、とりわけジョン・ドライデンやサミュエル・ジョンソンが押し付けたものだからだと説明して、彼らの批評をホワイトボードに映している。講義はダンの詩『餌(The Bait)』の分析へと進むが、アラレアが説明するところによれば、この詩は一般に『恋する羊飼いがその恋人に寄せて(The Passionate Shepherd to his Love)』として知られるクリストファー・マーロウの詩のパロディである。何かをパロディにするということは、「読者に別の可能性���もうひとつの世界観、別の世界観を提供しようとしている。人々に、これだけじゃない、ほかにもあるんだ、と伝えようとしている」とアラリアは言う。
彼の死後、アラリアは「If I Must Die(もし私が死ぬことになったら)」という詩の作者として広く知られるようになった。この詩は、彼を偲んで凧を作り、爆弾で焼かれた父親を持つ子供の前でそれを揚げるよう読者に求めている。その子供が「天使がそこにいて/愛を取り戻してくれる」と想像することができるように、と。学生たちがUCLAに野営地を設営した翌日、アラリアの娘、シャイマーが夫と生後3カ月の息子とともに空爆で死亡したことが伝えられた。
何よりもこのキャンプは、人間に対して、甚大な規模で残虐行為が行われ、その強制移住、拷問、不法拘留、殺人がアメリカによって資金提供されているているときに、通常通りに日常を送るという考え方に対する非難の表明だった。アメリカの大学は、ガザに落ちるミサイルを製造している兵器メーカーや、占領下のヨルダン川西岸に工場を持つ企業に資金を投資していることが多いため、パレスチナの人々の大規模な殲滅というイスラエルの目的を支持していると思われている。
最初に野営が始まったコロンビア大学から、カリフォルニア州立工科大学フンボルト校まで、全米に渡るキャンパスでガザ戦争に抗議している学生たちは、彼らの主な目的が、アメリカ政府に即時かつ恒久的な停戦を確保するよう圧力をかけること、そして大学やカレッジにイスラエルと関係のあるあらゆる金融資産から手を引くよう圧力をかけることだと明言している。イスラエルとの関係切り離しに関しては、1980年代に学生たちがアパルトヘイト下の南アフリカで活動する企業との関係を断ち切るよう学校を説得した際に確立された手法を参考にしている。反戦キャンペーンとしての野営は、オハイオ州兵によるケント州立大学での4人の学生���害事件後に大きく発展した1970年の学生ストライキを含む、ベトナム戦争に対する抗議活動を想起させる。
野営地はまた、アラレアの言う意味でのパロディでもある。大学内部から出現した彼らは、大学とは何か、という別の可能性を提示している。野営地から流れてくるイメージの中でも強烈なものの一つに、「コロンビア大学は、エドワード・サイード教授を課題図書にしている、それならそこに書いてあることを生かしていいはずだ」というサインを持った学生の写真がある。抗議行動によって明らかになったのは、文系学部が淘汰の波にもまれ、ますます高価な学位工場として運営されているアメリカの大学が、依然として人々が真実とは何かを学び、その知識に基づいて行動できる場所であるということだ。言い換えれば、若者たちに試験のために歴史、経済学、政治学、道徳哲学などを暗記させ、暗唱させながら、そこで得た教育を実践に移すことを規制することはできない。
週末、野営地が形成された後、抗議に反対する大規模なグループがキャンパスに到着した。その中にUCLAの学生らしき人物はほとんどまたは全くいなかった。彼らは学生たちに向かって叫び声をあげ、人種差別的な中傷や性的な脅迫(「レイプされればいい」)を浴びせ、キャンプ地近くの地面に(何かの薬物を投与されて肥大した)生きたネズミが詰まった袋を開けた。反対派のデモ隊が退散するとき、彼らはキャンパスの真ん中にジャンボトロン(高さ3メートルほどの巨大な薄型テレビ)を、野営地の方に向けて、金属製の防護柵で囲んで置いていった。雇われた警備員が防護柵の内側に残り、スクリーンを守っていた。それから5日間、ジャンボトロンは10月7日のテロの映像と、レイプや性暴力を露骨に描写した音声をループさせて繰り返し流した。映像の中には、イスラエルへの無条件の支持を誓うジョー・バイデンのスピーチや、「Meni Mamtera(メニ・マムテラ)」と呼ばれる、うんざりするほど繰り返される子供の歌が混じっていた。今年の初め、イスラエル国防軍の兵士が、その曲をパレスチナ人の人質に対する音声による拷問の一環として使っている映像がSNSで拡散された、その曲だ。
火曜の朝、バイロンの『ドン・ファン』の授業を担当するためにキャンパスに到着すると、ジャンボトロンの音が大きすぎて、授業はおろか、自分の思考も聞こえないほどだった。私はその映像を撮影しようと、同僚と一緒にそこまで歩いていった。こんな寓意はなかなかない。一方には、ガザの人道的大惨事に注意を喚起するために、学位や将来の就職先、心身の健康を危険にさらしている若者たちでいっぱいの野営地がある。もう一方には、瑣末なセレブたち(彼らは自らの貢献を誇らしげにインスタグラムに投稿している)が資金を提供した高価なメディアマシーンがある。雇われた3人組の警備員以外は無人で、警備員たちは質問されるとシオニストの大義とは何の関係もないことを認めた。
同僚と私は、セクシャル・ハラスメントの苦情処理を管轄する「タイトルIX」のオフィスに連絡した。何十人もの教員も同じことをしたが、何の反応もなく、ジャンボトロンは5月2日木曜日までそこにあった。別の同僚は言った。「マーガレット・アトウッドを教えるときには、シラバスに(不快な感情や記憶を思い起こす可能性があるという)トリガー警告を書かなければならない。そうしないと学校当局に規制される。でも、これを何日も聞かされるのか?」 ここ数年、学生の感受性と反発する右翼のヒステリーに当たり障りのない対応をしてきた結果、イスラエル批判はシオニストの気分を害するから反ユダヤ的だとみなされる状況になってしまった。実際のところ、大学は学生を守ること、反ユダヤ主義やその他のあらゆる種類の憎悪と闘うことなど、寄付者のことほど重要視していないのだ。大学は資金を失いたくないし、訴えられたくもないと考えている。
4月30日午後11時、ほとんどが中年で、その多くがハロウィーンのマスクをかぶった男たちの大集団が、ナイフ、バット、木の板、催涙スプレー、熊撃退用のスプレーなどを携えて野営地に現れ、非武装の学生たちを襲撃した。彼らは野営地に花火を打ち込み、そのベニヤ板のバリケードを使って学生たちを地面に押し倒した。ABCニュースの映像では、半ダースの反対派がひとりの学生を殴ったり蹴ったりしている。独立ジャーナリストや現場にいた人々の映像には、「第二のナクバ」を求める声が収められていた。
ABCのニュース映像では、リポーターが信じられないというふうに叫んでいる。「警察はどこだ? 警備はどこだ? 当局はどこにいるんだ?」 最初の2つの質問に対する答えははっきりしている。警察もキャンパスの警備部隊もそこにいたが、彼らは介入しなかった。むしろ、およそ5時間もの間、彼らは程よい距離を保ち、暴徒たちと笑い合い、時折和やかに談笑していた。その暴徒は、自称元イスラエル国防軍兵士だけでなく、白人のナショナリストもいて、1月6日の連邦議会議事堂襲撃事件に関与したとして元リーダーが禁固22年の判決を受けた極右組織「プラウド・ボーイズ」のメンバーも含まれていた。白人ナショナリストは原則としてユダヤ人を敵視しているため、ユダヤ人学生を多数含む野営地に対する彼らの襲撃が、なぜ大学当局によって反ユダヤ的と裁定されないのか、その理由を問う価値がある。
夜が明けると、数人の生徒が病院に運ばれていたが、野営地はまだ残っていた。授業は休講となり、管理側は、なぜ介入することなく自分たちのコミュニティを狼の群れに投げ出したのかを説明しようと奔走した。非難の矛先はジーン・ブロック学長に向けられた。学長は反ユダヤ主義を非難するメールを定期的に送っていたが、公式にガザに言及したことはなく、11月にバーモント州で起きたパレスチナ人学生3人の射殺事件など、米国内のイスラム教徒に対する恐ろしい攻撃については一言も発言していなかった。野営地が襲撃される数時間前、ブロックはこの野営地を「無許可のもの」と呼ぶEメールを全員に送信していた。野営地は、「私たちのコミュニティの人々がいじめられ、脅かされていると感じさせ、恐れさせている」と彼は続けた。その後このメールは、部外者に対しての、ここへ来て野営地を解体せよという犬笛だったと解釈されるようになった。
結局、UCLAはコロンビア大学に倣い、機動隊を投入して野営地を撤去し、200人の学生と教職員を逮捕することにした。5月1日の夕方から2日の早朝までの約8時間、学生や教職員はプラスチックのゴミ箱や段ボールで作った盾で野営地を守り、その数と勇気で警察の侵入を2度にわたって撃退した。対照的に、警察はスタングレネードとゴム弾で武装してやってきていた。これは、至近距離から発射されれば骨を折ったり、目をつぶしたり、実際に殺傷能力のある「比較的殺傷能力の低い」(という宣伝文句の)武器である。マードック所有のフォックス・コーポレーション傘下で、大学生にもパレスチナにもほとんど同情的でないフォックスⅡで放映された映像では、ヘルメットをかぶった3人の特殊作戦警官が、彼らの真正面に立っていた学生の顔にゴム弾を撃ち込んでいる。少なくとも25人が病院に運ばれた。
しかし、最も不穏だったのは、野営地に隣接するロイス・ホールの屋上に狙撃兵がいる画像がX(旧ツイッター)で出回ったことだ。インディアナ州警察の警視総監は、インディアナ州立大学で行われたパレスチナ支持派の抗議行動で狙撃手が呼ばれたことを確認し、ニューヨーク市警は、コロンビア大学のハミルトン・ホールに突入した際、学生が1月初旬にイスラエル軍に殺害された6歳のヒンド・ラジャブちゃんにちなんで「ヒンド・ホール」と改名した建物内で、警官が実弾入りの銃を発砲したことを確認した。全米のキャンパスでは、1970年のケント州立大学のように、学生が殺されるのは時間の問題だというのが一般的な感情だ。学生も大学も、まったく異なる理由から、その代償を払う覚悟があるようだ。
学生たちは、90%の学校とすべての大学が破壊されたガザのためにそこにいるのだと言うだろう。その一方で、大学は、結局はイスラエルを批判から守るために、ネオナチと手を組むことを厭わない過激派以外誰も守ってこなかったその方針の道徳的空虚さに直面せざるを得ない。理念も計画もなく、暴徒に権威を譲り渡したのだ。学生たちは、彼らの大義を支持してきた職員たちとともに、責任者たちに見捨てられた大学の将来を方向づける立場にある。
週末、ブロックは、緊急事態管理局とキャンパス警察局を監督する新しい「キャンパス安全局」の設立を発表した。この原稿を書いている間にも、警官が学生、記者、法的オブザーバーを含む44人が、私が教壇に立つ日に車を停める��車場で拘束されている。
*写真キャプション:5月1日、UCLAにおけるパレスチナ連帯の野営地
London Review of Booksに掲載
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こういうことを日本のマスゴミは一切報道していない
私が報道を見逃していたのなら申し訳ないことだと思うが、結構ニュースをチェックしてしまう私であっても見た覚えがない
この件が真実なら(そして、これは実際に現場に入って活動している医療NPOで、しかも一番信頼できる類の国境なき医師団 日本による動画だ)、日本のマスゴミは全く報道の機能を果たしていないことになる そして、それはアメリカや欧州のマスゴミでも同じだ
私は英語がそれほど得意とはいえないし、世界中の報道をチェックできるわけでもないが、通常の人よりはニュースに関心をもっているんじゃないかと思っている それなのに、一切この件を知らなかった。
私はイスラエル、アメリカによるハマス攻撃にはかなり理解を示す方であり、サヨクと違って、何も確認せずにアメリカ、イスラエルは悪魔だギャ~っていう輩とは違う、と思っている だが、この件が真実なら、これはアメリカ、イスラエルが一方的に悪い ハマスというテロリストが云々という以前にハマス以外のガザ住民を人質にとってハマスを締め上げようとしているが、実はハマスにも抑圧されているガザ住民を二重三重に踏みつけにして平気でいるとしか理解できない
ベトナム戦争時に「ベトナム人はみんなベトコンだ」と嘯いて、ベトナムの水田地帯や森林をナパーム弾で焼き尽くし、枯葉剤という毒薬を散布して最悪の土壌汚染を引き起こして平気だったアメリカ軍を思い出させる そこに暮らしているベトナム人がいることを完全に無視して虐殺していた それは太平洋戦争時の日本に対する無差別爆撃と同じだ それを平気で実行させる要因はただ一つ 日本人やベトナム人はアメリカ人と同じ人間ではない、という明確な人種差別だ
ガザに対するやり様は、ベトナム戦争におけるベトナム人、大東亜戦争における日本人に対するやり様と同じものを感じる そして、これはアメリカ、イスラエルだけでなく、アフガニスタンやウクライナ、日本に対するロシア人、ウイグル、チベット人に対する中国人とも共通している
今の時代でもその心の傾向が全く変わっていないことに、うすら寒さを感じる
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2024年4月8日

【地震情報】 4月8日 10:25 震度5弱 【宮崎県】宮崎県南部平野部 震源:大隅半島東方沖 M5.2 深さ約40km

事件・事故の犠牲者の顔写真、生成AIが無断使用…遺族「使うのやめて」・識者「尊厳にかかわる」(読売新聞)
画像生成AI(人工知能)の精度を上げるための学習に使われる膨大な画像データの中に、事件や災害の犠牲者の顔写真が多数含まれていることが、読売新聞の取材でわかった。ニュースサイトなどから収集されたものを無断で使っているとみられる。AIが犠牲者と似た画像を生成する可能性は排除できず、今後、是非が議論になりそうだ。(桑原卓志)
【図解】生成AIを悪用、児童のわいせつ画像も
「再発防止のため」

「娘の写真がそんなことに使われているなんて」。大手広告会社・電通の新入社員だった高橋まつりさん(当時24歳)を2015年に過労自殺で亡くした母親の幸美さん(61)は困惑気味に話す。
幸美さんはまつりさんを亡くした後、報道各社にまつりさんの顔写真を提供し、SNSでも公開してきた。過重労働の実態を広く知ってもらい、「二度と同じようなことが繰り返されないように」との思いからだ。
しかし、その写真が世界で最も人気が高い画像生成AIの一つ「ステーブル・ディフュージョン(SD)」が学習に使うデータセット(データ群)の中に含まれていた。読売新聞が昨年12月、ネット上で公開されていたデータセットの内容を調べ、見つかった。
幸美さんは「無関係なAIの学習に使うのはやめてほしい」と訴えた。
震災犠牲者も
画像生成AIは、指示を出すだけでイラストや実写と区別が付かない精巧な画像を生成する。画像の精度を上げるため、膨大なデータの学習を必要とする。
SDを開発した英新興企業「スタビリティーAI」によると、SDは、ドイツの非営利団体「LAION(ライオン)」が無償で提供しているデータセットを利用している。
画像データは約58億点に及び、まつりさん以外にも事件や事故の犠牲者の写真が多数見つかった。神戸市で1997年に起きた連続児童殺傷事件の被害児童や、東京・世田谷一家殺害事件(2000年)の家族4人の写真。東日本大震災(11年)などの災害や、米同時テロ(01年)などテロ事件の犠牲者の画像もあった。
データセットの画像は、ネットを自動巡回するプログラムで集められており、収集先にニュースサイトや、そこから転載されたネット掲示板などが含まれていた。
機械的に収集
報道では、事件や災害の被害の実像を伝えるため、犠牲者の顔写真を掲載する場合がある。
一方、画像生成AIが学習に利用するデータセットは、画像の中身を問わず、機械的に無差別に収集されている。そのため、イラストなど著作物の無断学習も問題視されている。
これまでの読売新聞の取材では、児童買春・児童ポルノ禁止法に抵触する恐れがある実在児童の性的画像もデータセットに含まれていることが明らかになった。
専門家によると、AIが学習した画像と似た画像を生成する可能性は排除できない。犠牲者の名誉を傷つけるような画像が生成されたり、生成された画像が偽情報の発信に悪用されたりすることもありうる。
スタ社はメールでの取材に対し、「(希望者が申請をすれば)学習対象から除外できる仕組みがある」と回答した。しかし、データセットに犠牲者の顔写真が含まれていることの認識や見解については、回答がなかった。
死者のデジタルデータに詳しい関東学院大の折田明子教授(情報社会学)は「事件や災害の教訓を訴えるため、犠牲者の顔写真を公開した遺族からすると、AIの学習に使われることは想定外で、死者の尊厳にもかかわる。公益性がある報道とは異なる。AI開発企業が『申請があれば除外する』という対応では不十分だ」と指摘する。
一方で、無断学習の問題とは別に、亡くなった家族をAIで再現したいという需要が今後高まる可能性がある。折田教授は「AIが普及する中、遺族感情や死者の尊厳をどのように守っていくか、社会全体で議論する必要がある」と話した。
画像生成AIに関するご意見や情報を大阪社会部にお寄せください。
神田敏晶(ITジャーナリスト・ソーシャルメディアコンサルタント)提言 ウェブサイトのようにクロールさせたくないページには『noindex』を設定できるように、画像や動画にも『noindex』という概念が必要なのかもしれない。しかし、ウェブニュースの場合は、表示されることによっての広告収入があるので難しい。画像AIが学習する場合、オリジナルをそのままではなく、3種類以上のデータの合成が必要などと重み付けを加える、または学習データに対して見返りを与えるなどのいろんなバリエーションを考えてほうがよい。
また、個人の場合は、学習されたデータから削除依頼がかけられるなどの展開も必要だろう。AIに学習させたくないデータのデータベースビジネスも必要とされていると考えたほうがよい。

イラン、慎重に報復検討か 「弱腰」回避で強硬論も イスラエルと直接衝突望まず(時事通信)2024年4月8日
イランの「革命防衛隊」隊員の葬儀で燃やされるイスラエル国旗=5日、テヘラン(AFP時事)
【イスタンブール時事】イスラエル軍がシリアの首都ダマスカスにあるイラン大使館領事部を空爆してから8日で1週間。
イランは「罪を後悔させる」(最高指導者ハメネイ師)と明言しつつも、これまで目立ったイスラエル���の反撃を控え、報復の時期や規模を慎重に見極めているとみられる。イランは強力な報復を訴える声が国内で強まる一方で、イスラエルやその同盟国の米国と直接衝突する事態は避けたいのが本音で、どこまで強硬に対抗すべきか苦慮しているもようだ。
▽標的や規模焦点
1日に起きた攻撃では、イランの精鋭「革命防衛隊」の司令官らが死亡。特に、殺害された対外工作部門「コッズ部隊」のザヘディ司令官は、イスラエルを敵視するレバノンのイスラム教シーア派組織ヒズボラやシリアの親イラン勢力と緊密な重要人物だった。革命防衛隊は6日、「シオニスト(イスラエル)やその支持者への懲罰に対する国民の求めを満たすことを保証する」と改めて宣言した。
今後の焦点は、報復の標的に加え、その規模や手段だ。米CBSテレビは、イランが今月10日前後のイスラム教ラマダン(断食月)明け前にも、無人機や巡航ミサイルでイスラエル外交施設を狙うとの情報を米政府が得ていると報道。CNNテレビも、米・イスラエル両国が「幾つかの方法」による大規模な攻撃に備えていると伝えた。
イランは主導権を握る保守強硬派を中心に主戦論が強まる。大使館を狙った異例の空爆は本国への攻撃とも見なされ、「弱腰」と映る報復ではハメネイ師やライシ大統領ら体制指導部への不満に直結する。一方で、イスラエル領内へ弾道ミサイルを撃ち込むような前例のない作戦は両国の軍事衝突を誘発し、中東全域に戦火が拡大しかねない。
▽攻撃応酬の懸念
イランが隣国イラクやシリア、レバノンなどの親イラン組織を利用し、イスラエルや米軍基地への攻撃を強める可能性もある。1月にはヨルダンで親イラン勢力の無人機攻撃により米兵3人が死亡。米軍が報復し、緊張が高まった。ただ、ロイター通信は米当局者の話として、大使館攻撃後に親イラン組織が米兵を狙う兆候を示す情報はないと報じた。
報復の一環で、核開発強化に乗り出す恐れも指摘されている。イスラエルはイランの核保有を嫌い、同国内で核科学者暗殺や核施設への破壊工作を続けているとされる。核武装の脅威が高まればイスラエルや米国が強く反発し、緊迫の度が増すのは必至。イスラエルのネタニヤフ首相は4日、「単純な原則に沿って行動する。われわれに危害を及ぼそうとする者には、われわれも危害を加える」と警告している。

イラン“48時間以内”攻撃の可能性…イスラエルが備え 米WSJ紙が報じる(テレ朝news 4月12日)2024年4月8日に追記
イスラエルは、イランによる48時間以内の国内への報復攻撃の可能性があるとして準備しているとアメリカメディアが報じました。
アメリカの有力紙「ウォール・ストリート・ジャーナル」は11日、関係者の話としてイスラエル政府は24時間から48時間以内に、南部または北部を狙ったイランからの攻撃に備え��いると報じました。
その一方で、イラン政府指導部から情報を得た関係者の話として、「攻撃は協議されているものの、まだ最終的な決定は下されていない」と伝えています。
1日、イスラエル側によるとみられるシリアのイラン大使館への攻撃以降、イランは報復を示唆していて、緊張が高まっています。
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ガザ、アルシファ病院の医師としての一日
※この記事は、アルジャジーラの記事の和訳ではなく動画の要約と動画内での会話などを和訳して書いています。
※この動画に出てくるガザ地区にあるアルシファ病院は、イスラエル軍によるインフラ攻撃で電力を確保することが出来なくなり2023年11月12日に閉鎖。
引用元:Al Jazeera(2023年11月6日)
救急車が到着すると小さな小さな子どもが血を流しながら医療関係者に抱えられ病院内へと運び込まれてくる。「道をあけてくれ!」「病院に着いたよ!とにかく落ち着いて!」「足元に気を付けて!」と混乱状態が続いている。「EMERGENCY(救急)」と書かれた入り口には大勢の人で溢れかえっている。
「脈があるか確認して」と冷静に声をかけるのは外科医のSARA AL SAQQAさん。周りにいた関係者が「NO...」と答える。「ああ、神様、彼に慈悲を。彼は殉教者だからうらやましい...」
「私たちは毎日ここにいる。今日は最悪の日でした。そして次の日はさらに悪くなる。10月7日に戦争が始まって以来、私たちはずっとここ(病院)にいます。ここに住んで、ここで眠り、ここで目を覚ます。24時間、48時間、時には72時間、連続で働き続けるんです。」SARA AL SAQQAさんはそう話す。
コンテンツ・クリエイターのAHMED HIJAZEさんはこう語る。「私が撮影をする、ここも、そこも、イスラエルに占領され標的となった場所です。たとえそれがほんの些細な小さなことでも、私は真実を伝えようと撮影をしています。人間に対して行われているこの虐殺の光景を世界に届けたい。」
顔から血を流し、頭には包帯を巻き、泣いている少年の後ろから、若い青年が「大丈夫、君と一緒にいるから。怖がらないで」と声をかける。娘とはぐれた母親は「私の娘はどこ!?ここに連れてこられたはずなのに!」。
エレベーターに乗り込んだ病院スタッフたち。「この2つのエレベーターがないととっても困ります。エレベーターの危機、ベッドの危機、病院の危機、患者の危機、国の危機ですよ。亡くなった人の遺体も多い。フリーザーも足りてないし、遺体の危機でもあります。」
「Ikhklasがある患者の酸素飽和度が65%だと私に伝えたので、私は走ってその患者のところに行こうとしました。そうしたら別の患者が私に声をかけたので、少し待ってくださいと彼に言いました。戻ると彼は「あなたは撮影されることしか考えていない無謀な人だ。あなたが来なかったから人が死んだんだ」と私に言いました。「ごめんなさい、だからあなたを診に来たんです」とSARA AL SAQQAさんが医療関係者たちに出来事を話す。
「もし誰かが何かを言っても、それはそれ。放っておくしかない。運営の為にね」。他の関係者のその言葉にSARA AL SAQQAさんは困惑した表情を浮かべる。
SARA AL SAQQAさんは子どもたちについても語った。「最もしんどいところ?それは子どもたちだと思います。生き残った子どもたちにこの先何が起きるのか、私たちにはわかりません。子どもたちが苦しむ姿を見るのは耐えられないです。彼らの涙をおさえることが出来ません。」「以前、とてもひどく泣き叫ぶ赤ちゃんを診ました。その子の名前は“Unknown 99”。泣いている子どもたちの前で、自分が無力だと思いたくないから、小児科はしていません。戦時下で私たちが彼らにできることなんでなにもないんです」。
「神よ、私たちの苦悩を癒したまえ。そしてアメリカの思惑から私たちをお守りください」。煙の立ち上る、空爆された街の中で空に向かって語り掛ける人もいる。
「私の家は無差別爆撃によって破壊されました。家族はみんな瓦礫の下です」。頭から血を流す男性はそう話す。
「この点とには殉教者の遺体がある。本来なら遺体安置所に置かなければいけない。でも昨日は店のキッチンで使われていた冷蔵庫の中に遺体を入れていたんです。この悲惨な状況を想像することができますか」とコンテンツ・クリエイターのAHMED HIJAZEさんは訴えている。
外科医のSARA AL SAQQAさんは、母親に電話をしたがインターネット状況が悪く切れてしまった。「私の家族は今、南にいて、不安が3倍になりました。もし彼らに何かあっても私は知ることができません。ああ、また繋がらない。飲み水を手に入れることが出来ていればいいんだけど」。
「もし電気供給が止まってしまったら、それはすべての人にとって死を意味します。患者も怪我人も、みんな。本当にそうなってしまう。誰にも先が見えません。今日あるものが明日使えるかもわかりません」。
ーこの映像が撮影された1週間後、イスラエルの砲撃が、このアルシファ病院の外にある救急車に向けられた。しかしイスラエルはそれをハマースが使用してたからだと声明。ー
「イスラエルがアルシファ病院の出入り口に向けて爆撃をしてきました!ここには7万人を超える人たちが避難しています!イスラエルは市民を狙っていないなんて言えるはずがない!」AHMED HIJAZEさんは必至の想いでカメラに訴えかけた。
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我が国の未来を見通す(90)
『強靭な国家』を造る(27)
「強靭な国家」を目指して何をすべきか(その17)
宗像久男(元陸将)
─────────────────────
□はじめに
パレスチナ情勢については、10月22日、日本
を除くG7の6カ国からイスラエルの自衛権を支持
する一方でガザの民間人の人道支援を求める共同声
明が出されるなど、人道支援要求の世論、それにイ
スラエル国内の人質解放優先世論の力、それに欧米
首脳などの説得工作などが功を奏して、イスラエル
の本格的な地上攻撃開始は、当初計画よりかなり遅
れているようです。
イスラエルの歴史からすると珍しい決断だったと考
えますが、それだけ、今回のガザ地区への地上攻撃
の持つ意味がこれまでとは違ってきている証拠でも
あるのでしょう。極めつけが、24日、国連安保理
の場で、米国ブリンケン国務長官の「人道目的の一
時停戦が検討されなくてはならない」との発言でし
た。
一方、グテーレス国連事務総長がイスラエルのパレ
スチナ占領を批判する発言をしたり、いつもながら、
国連安保理が決議案を否決しあう形で“機能不全”
に陥っているなど、イスラエルの国連不信が限界に
達しているように見えます。イランを含むアラブ諸
国自体も反イスラエルという立場で必ずしも一枚板
ではないようなので、今後も、状況は刻々変わって
くることから、安易な予測は禁物でしょう。
その上で想像するに、イスラエルは、いかに人質解
放をするか、そして500キロに及ぼうとする地下
トンネルをいかに(できれば民間人に被害を与えな
い方法で)攻略するか、その作戦を練って、その上
で一部限定的な作戦を遂行しているのでしょう。
また、地上攻撃の代わりなのか、連日激しい空爆が
繰り返されていますが、それによる民間人犠牲者の
6割は、避難先であるガザ地区南部だったとの報道
もあります。国連事務総長のような発言もイスラエ
ルを追い込むだけで逆効果だと思いますが、無差別
に近い空爆もイスラエルが自らの首を絞める結果と
なって、やがて自制心のタガが外れ、“後に引けな
くなる”ことが懸念されます。
数年前、ベトナムを旅行した際、ベトナム戦争時に
使用されたサイゴン(現ホーチミン)市西側に広が
る巨大な地下施設「クチトンネル」を見学し、その
巧妙な造りに驚いたことがあります。アメリカは、
空から枯葉剤を含む絨毯(じゅうたん)爆撃を繰り
返しても攻略できず、ついには南ベトナムから撤退
する結果になったのでした。
「クチトンネル」は総延長約250キロといわれて
いましたが、その倍ほどの長さに及び、映像を見る
限り、長い時間をかけて極めて堅固に建造されてい
る地下トンネルを実際に攻略しようとすれば、多大
な時間を要し、犠牲者も半端でないことでしょう。
イスラエルが保有する最新の軍事技術をどのように
駆使するのかを含め、(不謹慎ではありますが)注
目しています。
ところで、今回のG6声明から外された我が国は、
文字通り“孤立���”になってしまいました。23日
の岸田首相の所信表明演説において、「経済」を連
呼する中での「人間の尊厳」とか「核兵器のない世
界」などの発言は、もちろん、理想であり、間違っ
てはいないとは思いますが、いかにも“空虚”に聞
こえるのは私だけでしょうか。
▼「国家戦略」をだれが作るか
いよいよ「国家戦略」指針の私案を提示したいと考
えますが、その前に、「国家戦略」を誰がつくるの
か、について一案を提言したいと考えます。
戦前の歴史を勉強しない人、あるいは軍国主義など
といって昭和の軍人たちにその責任を負わせること
のみを追求している歴史家たちには到底信じられな
いことだろうと思いますが、歴史をつぶさに学べば、
戦前の我が国の方が、現在よりはるかにダイナミッ
クで柔軟な国家運営をしていたことがわかります。
その典型的な組織が「陸軍省戦争経済研究班」(通
称「秋丸機関」と呼称)でした。少し補足しますと、
第1次世界大戦の頃から、戦争は単に軍事力だけで
はなく、経済、産業、教育、宣伝など「国力」のす
べてをもって遂行される「国家総力戦」の様相を呈
し、当時、欧州において身をもってその体験をした
永田鉄山あたりはその必要性を声高に唱えていまし
た(永田は陸軍の抗争の犠牲となって殺害されまし
た)。
この流れをうけて、我が国の経済力がないことを知
っていた陸軍は、日本における総力戦の実態と戦争
遂行の可能性などを研究するため、昭和14年春、
当時の我が国の最高頭脳を集めた本格的なシンクタ
ン「陸軍省戦争経済研究班」をスタートさせたので
す。
設立を提唱したのは、当時の政府や陸軍の首脳では
なく、「陸軍中野学校」の設立者、戦後は京都産業
大学の設立者として名を馳せた岩畔豪雄(いわくろ・
ひでお)大佐でした。このあたりにも目を見張る
ものがありますが、岩畔は、そのトップに、(軍政
とか作戦畑ではなく)経理畑の俊才、当時まだ41
歳の秋丸次朗中佐を指名し、組織造りを含めて全権
を委任しました。
秋丸は、実質的な研究リーダーとして、治安維持法
違反で検挙され保釈中の身であった東大経済学部助
教授のマルクス経済学者・有沢広巳を招きました。
それ以外に大学教授、企画院・外務省・農林省・文
部省などの少壮官僚、さらには民間企業・業界団体・
金融機関・民間調査機関・研究所などの精鋭たち
を集めて総勢200名程度の組織を作り上げて、昭
和16年まで約2年間、多士多才のメンバーをもっ
て様々な角度から研究に没頭したのです。
研究成果の細部は省略しますが、本研究班が導いた
開戦に至るシミュレーションについては、当時、東
條英機首相や杉山元参謀総長などとも共有しており、
その研究成果は、昭和16年11月15日に開催さ
れた大本営政府連絡会議で「対米英蘭蒋戦争終末促
進に関する腹案」(「腹案」と呼称)として決定さ
れたのでした。
私自身は、この「腹案」のような戦いを遂行してお
れば大東亜戦争はまた違った結果になったと考えて
いますが、「腹案」と実際の戦いはかなり違ってし
まいました。その原因も分かっていますが、ここで
は省略しましょう。
ここで問いかけたいのは、今の日本に、「国家戦略」
のような重要案件を策定するために、「秋丸機関」
のようなシンクタンクを作り、少壮の官僚、学者、
自衛官、民間企業人などの精鋭を一堂に会して時間
をかけて研究させるようなダイナミズムがあるだろ
うかということです。
私は、ここにあえて政治家を加えませんでしたが、
国の重要なテーマについて、いつも“専門家や官僚
に丸投げして足れり”として自ら問題意識も持たず、
必要性も感じず、学ぼうとしないような人たちは
“最初から戦力にならない”と思って外しただけで、
適任者がおられたら、当然、シンクタンクのリーダ
ー格になっていただくことを拒むものではありませ
ん。
一つだけ注文を付けるとすれば、「秋丸機関」の設
立に尽力した岩畔大佐のごとく、力のある政治家な
どでこのようなシンクタンクを作る必要性を唱える
人(たち)は、シンクタンク設立のために奔走し、
必要な基盤や経費は提供しても、当初から口を出す
のは厳に慎み、「若い世代に託す」ことが重要と考
えます。官民を含む各界には、若くても優秀でかつ
柔軟性があり、物事の本質を的確に見極めることが
できる優秀な人たちがたくさんおられると確信しま
す。
なお、前回紹介した『日本戦略論』(鎌田徹著)で
は、「戦略国家になるための人づくり」を提唱して
いますが、だいぶ時が経ったこともあり、残念なが
ら、今はそのような“時間的余裕”はないと考えま
す。仮に多少の問題はあっても、“今ある人材”を
最大限に活用するしかないと思うのです。
次いでながらもう少し補足しておきましょう。前に
も引用したように、『国民安全保障国家論』(船橋
洋一著)の冒頭には、コロナ禍やウクライナ戦争を
経験した結果として、「自分たちでみんなを守るこ
とができない社会は生き残れない」「自分の国を自
分たちで守れない国は生き残れない」「天(世界)
は自ら助くる者を助く」ということがわかったと紹
介されています。
著者は、それでも「国家」ではなく「国民」という
言葉にこだわっていますが、“利益の受容者である
「国民」目線を重視すべき”ことを強く意識してい
ると考えられ、本書に書かれているのは「“国家”
のあり様(形)」であることが理解できます。
私などの立場からすると、(元朝日新聞記者の)著
者のような立場の人が「ようやくここに気がついて
くれたか」と安堵する一方で、内外情勢の急激な変
化や「国力」が下降期にある“現時点”こそ、将来
のため、国家としての「打ち手」を真剣に議論する
時が来たことを国のリーダーたちに早く気づいてほ
しいと願うばかりです。だれかが問題意識と勇気を
もって、重い腰を上げて、“旗振り役”を演ずるこ
とを切に願っております。
繰り返しますが、「手遅れになる前に」です。様々
な思惑から場当たり的な所信表明演説とそれに対す
る質疑応答などで論戦を交わしている余裕はないと
思うのですが・・・。
▼「国家戦略」の指針の一案
さて、私も高齢世代です。「若い世代に託すべし」
と言った手前、過度な物言いは邪魔になると自覚し
つつも、本メルマガをここまで書き続けてきた以上、
「国家戦略」の指針のようなものの一案ぐらいは提
示しなければならないとの責任感にもかられます。
しかし、“指針のようなもの”といえども、そこに
含むべき内容の広さと深さを考えると、正直、いか
にまとめ上げるか、途方にくれます。
またしても、『日本の大戦略』のお力を借りて、ほ
ぼ一致している点を紹介しつつ、10年の歳月の変
化やアプローチの相違点などからの修正を加えて一
案としたいと考えます。なお紹介する順番などは私
の一存で本書を修正してあります。
まず本書が、平成23年の時点でこのような大胆な
「国家戦略」の指針なるものを考察し、提供してい
ることに対して改めて敬意を表したいと思います。
その第1には、「歴史的大変動に立ち向か覚悟を決
める」としていますが、当時より今の方が“歴史的
大変動”が顕著になっている国際社会そして我が国
ですから、ここに「立ち向か覚悟」が、国家として
も国民としても求められていると考えます。
本書は、具体的な「国家目標」などを考える前に、
このような「覚悟」をもって、「内向き志向、現状
維持志向を克服し、「『頼りがいのある日本』を目
指して国家アイデンティティを再構築する」ことを
提唱していますが、全く同意するものです。
「我が国がどのような未来を構築するか」、あるい
は「どこに向かっていくか」を明らかにするという
点でも全く同意です。なお本書では、目指す方向と
して「先進国安定化勢力日本」と呼称していますが、
そのような呼称を含めて議論が必要でしょう。
私は、この「歴史的大変動」の中には、「国力」が
下降期に入っている“我が国の国内事情”も含むと
考えていますので、具体的な指針の中には、「『国
力』の維持・増進のために国を挙げて立ち向かう」
旨の文言も挿入されるべきと考えます。
第2には、「安全」の国家目標として、「複層的な
課題に対応できる、実効性��高い安全保障政策を展
開する」ことです。
まさに、変動する国際社会の中で、我が国が「安定
化勢力」としての役割を果せるかどうか正念場でし
ょう。そのような視点をもって、現状から一歩踏み
込んで「安全保障政策を再構築する」ことが求めら
れており、具体的には、本書の「自国防衛/危機管
理の能力を強化する」「日米同盟の相互防衛的性格
を強め、同盟協力を総合化する」「グローバル・コ
モンズの安定化を図る」「同盟外の安全保障協力を
推進する」などの提唱は的を射ており、さらに強化
する必要があるでしょう。
実際に昨年末、「国家安全保障戦略」が策定されま
した。「安全保障」に絞れば、また表現こそ若干違
いますが、本書が提唱したような内容とおおむね一
致していると考えます。
しかし、すでに指摘したように、東アジア地域の
「核状況」が様変わりしつつあることから、日米両
国間の「核の傘」の信頼性の向上に加え、我が国独
自の核保有の議論を推進すべきと考えます。
また、「自国防衛/危機管理の能力を強化する」に
ついては、将来にわたって我が国迫って来る可能性
がある“脅威”については、短絡的に「南西正面」
などと決めつけないことも重要でしょう。将来戦は
「ハイブリッド戦」であることは間違いないとして
も、対象国が取り得る手段は多様であり、それらを
漏れなくすべて読み切った(見積もった)上で“一
寸の隙を見せない態勢”の構築が求められていると
考えます。
第3には、「富」を国家目標として、「先進的な経
済社会システムを構築する」ことを本書は紹介して
います。ここに「国力」の「ハード・パワー」の要
素のかなりの部分が含まれていますが、第2の「安
全」とも関連し、それぞれの分野の専門家の最適解
をもって国家施策にするようなことは厳に戒めるべ
きで、そのような弊害を排除するためにこそ、「国
家戦略」を策定していることを理解する必要がある
のです。
何度も例示したように、「太陽光発電所の建設のた
めの外国資本の導入に特段のチェックがなく、国防
上重要な施設の近傍を含め、広島県ほどの面積の国
土がすでに外国資本に渡っている」ような“現状”
を即刻是正する必要があります。そのための法律改
正などは急務でしょう。
その上で、必要な要素を総合的に考察して、我が国
として新しい「繁栄の形」をどのように具体化する
かが焦点となると考えます。その中には、国家を次
世代に託すためにも、若者世代が「将来の夢と希望」
を抱くことができるような施策を含むべきことは申
すまでもありません。
とはいえ、少子高齢化の進展から社会保障給付費な
どが大幅に膨れ上がることを予測し、過度な“バラ
マキ”は厳に戒め、「国民一人一人の夢や希望の実
現」と「国家(社会)として『富』の蓄積」の両目
標の同時達成に向けて、“個人の努力の必要性を促
し、努力の中に生きがいを見い出せる”ようなバラ
ンスのとれた「配分」を主眼とする「福祉の再定義」
も必要となることでしょう。
第4には、「変動する国際社会のもとでの日本の対
外構想を確立する」ことです。「安全」はもちろん、
食料やエネルギーなどのほぼ海外に依存している
「富」の分野においても、我が国は、将来にわたっ
て「国家として存立するための対外構想」には高い
優先順位を掲げて計画・実行する必要があります。
「頼りがいのある日本」をめざし(“孤立国・日
本”の存在感を発揮し)、本書でいう「大国間の協
調形成に尽力すること」「グローバルな課題に結果
を出す貢献をすること」「アジア諸国と深く交わり、
その不安定要因を抑制すること」などの提唱に異存
はありません。
前回述べたように、“自ら原則を立て、それに基づ
いて行動し、他国や他のアクターとも協力してい
く”という「自律」の重要性を理解した上で、「日
米同盟」をはじめ、」「クアッド」「自由で開かれ
たインド太平洋」などようやく“産声”を上げた枠
組みを一層深化する覚悟と「自律」の細部をしっか
り議論する必要があるでしょう。
第5に、「新しい『統治のかたち』をつくる」ため
の議論を推進することです。本書では、そのために
「安定した政権基盤を確立する」「官邸における外
交・安全保障戦略の司令塔を創出する」「戦略形成
の前提となるインテリジェンス機能を強化する」
「対外的な情報発信を刷新する」、そして最後に
「政治不信を克服し、有権者のオーナーシップ意識
を高める」として、国民の参加意識を高めるために、
NPOやシンクタンクなど政治と国民をつなぐ中間
組織の役割も重要であると結んでいます。
「戦略は統治を超えられない」という言葉も紹介し
ましたが、「国家戦略」を議論し、策定し、実行し
ようとすれば、現在の我が国の「統治のかたち」が
そこに“立ちはだかる障害”となる可能性は否定で
きないでしょう。
紹介しました『国民安全保障国家論』も、その終章
で「日本には『国家安全保障』という『国の形』が
ない。そして、その『国の形』をつくるのを阻んで
きた『戦後の形』がある」として、「『戦後の形』
のままでは日本は新しい時代の挑戦対応できない」
と訴え、新たに「国の形」を作る必要性を強調して
います。
私は、5つの指針の中で第5の「統治のかたち」の
議論が最も難しいと考えます。一方で、戦前戦後を
通じて一内閣の寿命が平均1.4年に満たないよう
な“現状”では、一貫した中長期的な「国家戦略」
の策定はおろか、導き出された国家目標に向かって
(たとえ、苦しくても)各種政策を推進し続けるこ
とは困難であることは明白でしょう。
「では、どうすべきか」については大議論を呼ぶこと
でしょう。しかし、ぜひともこのテーマまで踏み込
んで議論してほしいと願っています。
「国の形」についてはのちほど再び触れることにし
て、次回、「国家戦略」を総括し、その後に「ソフ
ト・パワー」のもう一つの要素である「国家意思」
を取り上げます。
(つづく)
(むなかた・ひさお)
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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2015年8月号
ナチズム期の「安楽死」作戦と障害者
小俣和一郎
まえがき
ナチズム期のドイツ(1933―45)において、障害者(その大多数は精神障害者)を安楽死���名のもとに大量殺害したという事実(単なる計画ではない、実行された作戦だった)は、戦後のニュルンベルク医師裁判で裁かれたものの、長いあいだ触れられずに歳月が過ぎた。その理由は、戦後この「安楽死」に関わった多くの医師らが大学教授になったり精神医学会の会長になるなど、加害者の「社会復帰」が進んで、医学界全体もお互いをかばい合おうとしたからである。日本でも人体実験で悪名高い731部隊の元隊員(医師)らが同じような理由から、まったく糾弾されなかった。
これらは「戦争医学犯罪」といえるかもしれないが、ドイツでは1980年代、日本では90年代になってようやく再検証がされはじめた。それぞれのきっかけは、ドイツは1980年の「ドイツ保健の日(ゲズンドハイツターク)」に合わせて行われた若い世代の医師によるシンポジウム「ナチズム期の医学」が開催されたこと、日本では作家の森村誠一による『悪魔の飽食』が刊行されたことであった。
ともに、それまでのタブー視を断ち切るための重要な契機だった。とくにドイツは、80年代後半になって進行した冷戦終結への過程に合わせ、それまでの周到な外交政策の基軸である「過去の克服」とあいまって、再検証が大いに進捗した。結果は、ドイツの勝利といっていいものになった。1990年には東西ドイツが統一されて分断国家は終焉し、統一通貨ユーロが導入され、ヨーロッパ経済はドイツが支配することになったからである。
しかし、対照的に日本では歴史の再検証は遅れ、日本医師会はいまだに731部隊の存在すら公式に認めていない。日本医学会総会も過去の戦争医学犯罪のテーマを取り上げることを拒み続けている。本年に至っても、歴史問題は中国や韓国が日本を批判したままの状態で、70周年を迎えることになった。
ここでは、ナチズム期の「安楽死」作戦がどのような組織によって、どのくらいの規模で行われ、その歴史は戦後にどんな影響を与えたのかなどの概要を述べる。詳しくは拙著(『ナチスもう一つの大罪―「安楽死」とドイツ精神医学』人文書院、1995、『検証 人体実験』第三文明、2003など)を参照してほしい。
「安楽死」作戦の概要
1939年初頭、ライプチヒ大学病院で生まれた重度障害児の父親(ナチ党員)がヒトラーにその子の安楽死を直訴した。ヒトラーは随行医のカール・ブラントを派遣し、現場で安楽死が実行された。今日では、父親の名前がクナウアーということしか分かっていない。それでこの出来事を「クナウアー事件」と呼んでいる。
クナウアー事件がきっかけとなって、重度の障害をもって生まれてきた児童や治癒見込みのない精神障害者などに対する大規模な「安楽死」を実施する計画が、総統官房の内部(党と国家の案件を取り扱う第2局)で進められた。責任者は、官房長のフィリップ・ボウラーと第2局長のヴィクトア・ブラックだった。ボウラーはナチス敗戦とともに自殺し、ブラックはニュルンベルク医師裁判で死刑判決を受け絞首刑となる。
ドイツ全国の精神病院施設から、遺伝性の精神疾患でかつ治癒見込みのない精神障害者のリストアップが行われ、このリストは文面上だけで精神科医らによって「鑑定」された。「安楽死」に該当するとされた者は、各施設から集められ組織の用意した「灰色のバス」などに乗せられ、抹殺施設へと移送された。ドイツ国内の精神病院のうち、総計で6か所の施設にシャワールームを装ったガス室が付設され、移送された障害者はそこでCOガスにより殺害された。
こうしたガス室は1940年初頭にはじめて稼働したが、最初はドイツ東部のブランデンブルク精神病院に、ついでゾネンシュタイン、ベルンブルク、ハダマール、グラーフェネック、ハルトハイムの各施設に付設され、1941年8月に中止命令が出るまで、計7万人余りが犠牲となった。
ガス室殺人が中止された最大の理由は、抹殺施設のガス室と焼却炉から立ちのぼる煙や、遺族に送られた偽の死亡診断書などが、一般人のあいだでも噂となって悪評を呼び、さらにはカトリック教会の高位聖職者からも批判が出されたことなどにあった。
しかしながら、ガス室殺人が中止されたあとになっても、「安楽死」作戦は終わらなかった。バルビタールなどの薬物を用いた「安楽死」が、主に障害児施設などで行われた。また、計画的な栄養失調死(餓死)も各地の精神病院施設で実行された。結局、ドイツ敗戦までの約5年間にわたり、推定約20万人が犠牲になったともいわれる。正確な犠牲者の数は分かっていない。
ちなみに、このような「安楽死」作戦を実行した組織は、1940年に総統官房とは別の、ベルリン市内のティーアガルテン通り4番地の建物に置かれた。そのため、この場所の略称T4(テー・フィーア)を冠して「T4作戦」ともいわれる。ドイツ統一後になって、この建物のあった場所の歩道の敷石に、T4作戦本部の場所と歴史を記した銘鈑が埋め込まれた。
なお、付け加えるとすれば、前記のような「安楽死」作戦の概要からは、より広く知られていると思われるホロコースト(ユダヤ人大量殺人)との類似が思い当たるだろう。実際、「安楽死」作戦中止命令のあと、組織はホロコーストの実行部隊へと再編成され、ナチ占領下のポーランドでのユダヤ人絶滅(通称ラインハルト作戦)に当たった。具体的には、トレブリンカ、ゾビボール、ベルツェックの三大絶滅収容所の建設・運営・解体に至るまで従事し、少なくとも150万人以上のユダヤ人をガス室で殺害した。これら収容所のガス室では「安楽死」作戦と同じCOガスによる殺害が行われ、それは有名なアウシュヴィッツにおける青酸ガス(ツィクロンB)による抹殺とは別に実行された。
戦後の影響
ホロコーストが実行されていることを連合国側が初めて知ったのは、1942年秋ころのことといわれる。もちろん、そのときにはすでに絶滅機構は作動していて、アウシュヴィッツなどでガス室殺人が実行に移され、各地のゲットーからはユダヤ人を移送する列車が毎日のように収容所へと走っていた。この残虐な大量殺人が次第に知れ渡るようになって、連合国首脳はナチ・ドイツの無条件降伏を目的としてドイツ各都市への無差別爆撃を開始したともいわれている。
また、戦後は大量殺人の罪を軍事法廷で追及することも決められた。すなわち、「人道に対する罪」という、それまでの法理にはなかった新しい罰が戦後のニュルンベルク裁判ではじめて登場することになる。
それに対して、障害者「安楽死」作戦は、ニュルンベルク医師裁判で、強制収容所における人体実験とともに裁かれた。この裁判は、ニュルンベルク裁判を受けて、その後にアメリカによって裁かれた合計12の継続裁判の最初のもので、1946年6月に始まり47年7月に終わった。そのとき、人体実験や安楽死に関する医療倫理の新たな指針となるべく、「ニュルンベルク・コード」が出された。
コードは10科条からなり、このなかに今日では当たり前ともなった「インフォームド・コンセント」の手続きが入れられている。このニュルンベルク・コードは、その後一部が修正されて、世界医師会総会における「ヘルシンキ宣言」となって採択された(1964年)。同宣言はその後も修正され、1975年には第三者機関による倫理規定の監視原則が盛り込まれた。これによって、たとえば病院内倫理委員会のような組織が生まれることになった。ニュルンベルク・コード自体も、その後何度も修正が加えられて「新ニュルンベルク・コード」が作られている。
考察
最後に、このような大規模な「安楽死」作戦が、なぜ計画され実行されるに至ったのかについて、もう一度考えてみたい。
史的経緯からいえば、前述のようにクナウアー事件がナチズム期「安楽死」の出発点にあったといえるだろう。事件の詳細にはなお不明の点が多いものの、少なくとも表面的には、そこで行われた「安楽死」は「慈悲殺」に近いものと考えられる。事実、ヒトラーによる「安楽死」指示文書(1939年9月1日付)にも、「治療見込みのない患者に人道的見地から慈悲死を与える」との文言が入っていた。また、ニュルンベルク医師裁判で被告となったヒトラーの随行医カール・ブラントも、「安楽死」は慈悲殺であり、本質的に人道的なものであったという主張を前面に出して自己弁護をしている。たしかに、現代の医療現場においても、治療方法の無い末期の状態で本人の強い意志が確認されれば安楽死を選択できることが合法化されているオランダなどの例もあり、その根底には心身の苦痛の軽減・除去が人道的であって安楽死を正当化するものとの基本的な考え方がある。
しかし、それだけで前記のような大規模で組織的な大量殺人が実行されたとは到底思えない。そこには、もう少し普遍的な思想的ないしは哲学的な背景があるのではないだろうか?
前述のニュルンベルク医師裁判でも取り挙げられた、法学者ビンディングと精神医学者ホッヘによる「価値なき生命」という概念は、それが安楽死解禁論の主な論旨であったとはいえ、ナチスによる障害者「安楽死」にとっても大きな論理になったといえる。すなわち、そこでは「生きるに値する生命」と「値しない生命」との二つが明瞭に区別されている。その点では、ユダヤ人とアーリア人を区分し、���者は絶滅の対象であり、後者は保護育成の対象であるとしたナチズムの人種主義とも似ている。
ここでもう一つ考慮すべき論理は、やはりドイツの神経科医ヴィクトア・フォン・ヴァイツゼッカーが展開している安楽死論である。ヴァイツゼッカーによれば、臨床現場においては、抹殺されるべき生命が明らかに存在している。その典型例は、妊娠した母体が生命の危険に至ったときに胎児を中絶させるケースである。彼は個人の身体を国家にも喩(たと)え、国家が危急存亡のときには国家の荷物となる障害者なども抹殺されてしかるべきだと主張する。それはあたかも壊疽(えそ)に陥った手足を切断することに喩えられる。
前述のニュルンベルク・コードに照らせば、ナチスの人体実験や障害者殺害などは非倫理的な行為として容易に糾弾できる。あるいは、すでに近代医学がその倫理規範とした古代ギリシアの「ヒポクラテスの誓い」にも悖(もと)るものとして非難できるだろう。しかしながら、これらの倫理基準だけによって将来同じことが繰り返されないという保証はどこにもない。また、ビンディングとホッヘ、およびヴァイツゼッカーらの思想が完全に否定されるという保証もない。
したがって、われわれは現在、ナチスや旧日本軍の人体実験や、ナチズム期の「安楽死」から何を学ぶべきか、それをどのように医療倫理や福祉政策などに反映させてゆくのか、というアクチュアルな歴史問題になお直面しているのである。それは単に、戦後70年が過ぎたという今年だけの問題ではない。将来への記憶の継承という点でも重要な歴史テーマであるといえる。
(おまたわいちろう 精神科医、精神医学史家)
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Scott Ritter: 「人々は日本への原爆投下を引き合いに出すが、あれは戦争を早く終わらせるためというより、ソビエト連邦へのメッセージとして使われたのだと私は考えている。ソ連を威嚇し、「俺たちが最も凶悪で手に負えない存在だ」と思い知らせるためだった。 私がアメリカの立場に抱く問題は、イランとその能力について、我々があまりにも多くの誤った前提を持っていることだ。 過去20年間、他国に対してテロ攻撃を行ってきた唯一の国はアメリカであり、我々はイラン国内でテロ攻撃を実行してきた。 一方で、イランはアメリカ国内やアメリカの標的に対してテロ攻撃を仕掛けていない。 アメリカは、我々が違法にイラクへ侵攻した際、イランがシーア派民兵を支援したと非難している。 そして、彼らがアメリカ軍を攻撃するグループに軍事支援を行ったから、それが「テロ」だと言う。 しかし、それはテロではない。 申し訳ないが、それは違う。 では、何がテロなのか? それは、アメリカがムジャーヒディーネ・ハルク(Mojahedin-e Khalq, MEK)に資金提供し、訓練を施し、イラン国内の民間人を標的に攻撃させたことだ。 このグループは、かつてアメリカ自身が「テロ組織」と認定していたものだ。 アメリカは、「イランをあらゆる手段で阻止しなければならない」という虚構の物語を作り上げてきた。 しかし、ここで犠牲者の数を数えてみよう。 より多くの民間人を殺害してきたのはどちらか? アメリカはアフガニスタン、イラク、シリア、リビアで数え切れないほどの命を奪ってきた。 一方、イランはアメリカのように無差別に人々を殺してはいない。 私が最も懸念しているのは、アメリカがイランへの攻撃を試みることだ。それは成功しないだろう。 ある程度の成功は収めるかもしれないが、決定的なものにはならない。 そして、イランには報復する力がある。 石油施設を破壊するだろう。 カタールのアル・ウデイド空軍基地(Al Udeid Air Base)を攻撃するかもしれない。 あるいは、イスラエルを標的にする可能性すらある。 そうなれば、第三次世界大戦の瀬戸際に立たされることになる。 もしアメリカが核兵器を使用すれば、ロシアがただ傍観し、「あの狂ったアメリカ人たちのことは大目に見よう」と言うだろうか?そんなことはない。 ロシアはイランと安全保障協定を結んでいる。 中国とロシアはイランと合同軍事演習を行ってきた。退屈だからやっているのではない。」 スコット、ロシアはアメリカに対し、「イランへの攻撃は破滅的な結果を招く」と警告している。 どれほど破滅的なのか? 「地域的な破滅的影響」——この言葉を必ず入れておくべきだ。つまり、ロシアはイランのために戦争をするわけではないということだ。 しかし、今回初めて、イランの政界エリートの一人であるアリー・ラリジャーニ(Ali Larijani)が、「もしイランが攻撃されれば、核兵器を開発する」と発言した。」 もし核兵器を阻止することが目的なら、なぜイランを攻撃するのか? 「それは間違った問いだ。 正しい問いは、「なぜドナルド・トランプ政権はこれほどまでにイランに圧力をかけるのか?」ということだ。」 なぜ彼らは制裁を緩和し、交渉を促進しようとしないのか? 「これは正当な(正しい)疑問だ。 繰り返すが、私はこの戦争を推奨しているわけではない。しかし、私は言っている——この戦争は起こる、と。」 Larry C. Johnson & Scott Ritter: Why War with Iran Would Be America's Bi... https://youtube.com/live/-tNbzgirHmE?si=rQorYTdSL0GabObc
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