#ウォーターサーバー��度計活用法
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emilyswater · 2 months ago
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湿気の多い場所でウォーターサーバーを使う際の注意点と対策
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gunosy-news · 5 years ago
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惜しいけどさよなら!料金が理由で解約した月額サービス
集計期間:2020年6月8日~6月10日 回答数:15667
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新聞にテレビ、習いごと、映像や音楽などの定額配信…我々の生活には、毎月一定の料金を支払うことによって受けられる、さまざまなサービスが存在します。
しかし、あれもこれもと入会しているうちに、気づけば毎月の支払いがエラいことに…なんて経験はありませんか?
今回はそんな「月額料金が高すぎて利��をやめたサービス」についての調査を行いました。
月額料金が高すぎて利用をやめたサービスはありますか?
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回答者15667名のうち、月額料金が高すぎて利用をやめたサービスが「ある」と答えた方は全体の51%、「ない」と答えた方は49%とほぼ拮抗しました。
ここからは、具体的なサービス名をみていきましょう。理由が明記されてるものを中心にピックアップしています。
辞めたサービスとその理由
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<テレビ・映像配信>
・NHK。受信料が高すぎる割に面白いコンテンツもなく、インターネットの方が情報が早いから自宅のテレビをネットTV(AbemaやNetflix)用にしてNHKを解約した。
・ケーブルテレビ。放送予定がびっしり書かれた冊子が届くが そこから見たい番組を探すにも時間がかかりすぎるし同じ番組の再放送ばかり。 結局全くと言っていいほど見なかった。比較的新しい番組は別料金のチャンネルばかりだし チューナーも邪魔だった。
・有料動画アプリ。コロナでバイト先が休業になりそして緊急事態宣言も発令させて外出も出来なくなり1日自宅で1人で過ごさなく行けなくなった先に、ドラマを一気見する為に、会員になったが月価格が高くて辞めた。
↑ケーブルテレビと動画配信サービスは最も多い回答でした。「高いわりに見る時間がない」といった意見が多く見られました。
<音楽>
・音楽配信サービス。月々新曲をダウンロードするならすごくお得なんですが、そんなに何曲も月々ダウンロードしないので半年ほどでやめました。
・好きだったアーティストのサブスク。全く更新しないで料金315円だった。
↑回答数は少なめでしたが、解約の理由はケーブルテレビなどと概ね同じ。
<携帯電話・スマートフォン>
・携帯を安いのに換えた、携帯代なんか一律3千円くらいでいいと思う。
・携帯を契約する時に契約させられたオプション。高すぎるしほぼ使わなかった。
・スマホ。大手会社から格安会社に変えた
・スマホの〇〇放題。500円もしないけど、それほど使わないし、年額にしたらもったいないなと思った。
・スマホ買った時に自動的につけられた月額サービス。動画と漫画と音楽。(5つくらいあったような)一部重複してるのもあって、決められた期間だけなんとかポイント使いきって辞めた。
↑法改正で“2年縛り”などはなくなったものの、プランやオプションは分かりづらさは相変わらず?
<アプリ・有料サイト>
・ガラケー時代に加入してたゲームアプリを途中でばかばかしくなってやめたことがあります
・ 地図アプリ 。最近は無料で検索出来るので有料で登録している必要がないと思ってやめた
・撮った写真を月一でアルバムにして送ってくれるアプリ。600円でした。でも、よくわからないまま、一度もアルバムが届かなかったので、やめました。
・「手相」のアプリです。月額数万円と聞いてアップルに電話しました。非常に怖かったです。
・歩数をカウントしてくれる、サービス。突然、カウントしなくなって翌日退会したと思っていたのに、退会出来てなくて1年位、月額料金を払い続けていた。
・昔、着メロとか有料サイトに登録してた。今はYouTubeがあるから辞めた。
・占いのサイト。結局どんどん課金しないと結果がみれない
・出会い系サイト。馬鹿高いAppleID見てひっくり返りかえった。
↑ゲームへの課金は今や社会問題にもなっています。「登録したまま放置していたのを忘れていた」という意見も多く見られました。
<雑誌・書籍>
・新聞の購読。退職を機にやめた。
・雑誌類の月額サービスに入ったこともあったが、さほど必要ないなとおもった。スマホで閲覧するのは見づらかったので
・紙の漫画より便利かなと思ってネットの漫画にしたら思ってたよりも見なくてただポイントだけが増えてくのでやめました。
・ディ◯ゴスティーニの本。高い上に2週間に1回の発行…終わりが見えず止めた
↑紙媒体の衰退を感じる回答が多め。特に新聞は、毎年100万単位で部数を減らしているようです(日本新聞協会調べ)。
<美容・健康>
・毎月お試しコスメが届くもの。コスメは好きだけどメイクが得意じゃないことに気づいたやめた
・化粧品が毎月配達されるが、つかいきれずにたまるので辞めました。
・美容品の定期購入で初回は無料だったのに2回目以降、月々6000円払った
・ダイエットサプリ、高いし痩せなかった、、、
・サプリメント。初回は半額だったのに、以後、定期購入したら3割り引きにはなるものの、意外と高くて。効果があったかもしれないので、3年ほど続けましたが、やはり、高いと思ってやめました。やめても効果は変わらないということは、効き目が無かったのだと思いました。
↑「使いきれない」「効果がない」という意見が多め。ダイエットに関しては、サプリのせいだけに出来ないかも…?
<生活>
・ウォーターサーバーと水のサービスをやめました。サーバーは、レンタルですが水はかなり高額料金。それでいて1カ月水の量がもたないのも理由でやめました。
・水道の浄水カートリッジが高くてやめました
・コンタクトレンズ。最初はとても便利で安いと感じてたけど、毎日使う訳ではないので、もったいない気がしてきた。
↑水に関する回答が多め。浄水器の効果がはっきりとわかる人っているんでしょうか…
<趣味・習いごと>
・子供の英会話スクール!学童の役割もしてるから月10万程。
・1000円の体験乗馬、月額会費はスタッフの人もストレートに言えない金額だった。『いくらだったら続けられますか?』って。
・ジム。仕事が終わってから行くと、いつも混んでる時間となり、結局行く回数が減ってしまい辞めた。
・カーブス、行ける回数も少なくなり、同じカーブスでも系列が違うと登録店以外は利用できない。1年後違約金なしの月にやめた。
↑習いごとといえば昔から「高い月謝」というイメージがありがち。特にスポーツジムはコロナ禍の影響もあってか退会する人が多かったもよう。
<その他>
・家を建てるための土地を購入した時、土地購入の条件に大阪ガスのセキュリティサービスを取り付けることが組み込まれていた。何十万円も払って取り付けたが、その上月々の料金を払うのが勿体なかったので、1年でやめた。
・30代の若い頃から毎月2万円×夫婦2人で、養老保険に入っていましたが、しんどくて中止。解約金400万円は当時の経営赤字の補てんに消えましたが、あの時から無理してでも続けていたら、今頃楽だったのに、と思っています。
↑保険は単価も高い上、人によっては生命保険や車両保険など、複数の種類に加入しなければならず、かなり家計を圧迫している様子が伝わってきました。
アンケートにご協力いただきありがとうございました。
グノシーの「アンケート」タブにて、毎日新しいアンケートを更新しています。ポイントが手に入るものもあるので奮ってご参加ください。
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こちらの記事に関するお問い合わせは [email protected] までお願いします。
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shibaracu · 5 years ago
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◆雨垂れ石を穿(うが)つ
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◆雨垂れ石を穿(うが)つ 友達のページでこんな言葉を見つけた。 小さな努力でも積み重なると大きな岩でも砕ける。 目標に向かって努力することは大切。 こんな意味になる言葉である。
前にも書いたけれども純水を思い出した。 工場などでは不純物の入った水は使えない所が多い。 機械などで濾過したりして使う。 もう 五十年前になるけれども私は工場勤めで長��間 純水を作っていた。 水は何でも溶かし易い性質を持っている。 其処の敷地は余り土壌が良くなくて昔から通常の米を作れなくて 酒米を作る田んぼが多い。 各家庭でも ろ過器を使っている。 純水は無味無臭。 私は昔から水がないと生活できない体質。 だから今でもそうだけど一日2リットルは飲む。 純水は お腹に良くはない。 判っているけれども水飲み場まで遠いのでつい飲んでしまう。 無味無臭の純水でもこの時は殊の外 美味しく感じたもの。 お腹を壊すことはシバシバだった。
もう一つ ロシアの学者が書いた「水」に関する本を所持していた。 その中に「水」はこの世に百種類以上存在する。 研究室などでも作られている種類は二十種類有ると。 この地球に存在する水の8%だったかな生活用水に使える水は。 自衛隊は海水なども濾過して生活用水にする。 この技術は世界一だという。 地球上に存在するこの少ない水が日本には多い。 日本人はその水を大切にして扱ってきた。 山紫水明 こんな言葉もこういう心から生まれたのではなかろうか。 今の若い人達の中には小川のセセラギが鬱陶しくて騒音に成るという人が 多いと聞く。 パソコン世代だから携帯や電子音を聞くと落ち着く人が凄く多いらしい。 電気が無くなったらドウするかな。 自然の音に慣れ親しむ習慣を今のうちに付けておかないと。 自然は良いと思う。   ◆雨垂れ石を穿(うが)つ  三省堂 大辞林 〔漢書(枚乗伝)〕わずかなことでもそれがたび重なると大事になる。 こつこつと努力を重ねれば成功につながる。点滴(てんてき)石を穿つ。   ◆雨垂れ石を穿つ【アマダレイシヲウガツ】 《「漢書」枚乗伝から》小さな努力でも根気よく続けてやれば、最後には成功する。 点滴石を穿つ。   ◆雨垂れ石を穿つ:ことわざ辞典 どんな小さな力でも根気よく努力すればいつかは成果を得られることのたとえ。 軒下などから落ちるわずかな雨垂れでも、長時間同じところに落ちていると、 いつかは石に穴を空けてしまう意から。   ◆【雨垂れ石を穿つの解説】- 故事ことわざ辞典 【意味】雨垂れ石を穿つとは、どんなに小さな力でも、根気よく続けていればいつか成果が得られるということのたとえ。 【用例】「雨垂れ石を穿つで、三十年かけてようやくこの事業を成し遂げることができた」 【注釈】軒下から落ちるわずかな雨垂れでも、長い間同じ所に落ち続ければ、ついには硬い石に穴をあける意味から。    『漢書・枚乗伝』には「泰山の霤は石を穿ち、単極の航は幹を断つ」とある。    「穿つ」とは、穴をあける、掘るという意味。    「雨垂れ石窪む」と���。 【出典】 『漢書』   ◆雨垂れ石を穿つという現象は現実にあるか? また起こるならどんな仕組みによってか? - goo http://bit.ly/zbIXYR コレは難しいけれども面白かった。   ◆ミクロ世界の物理学: 生命・常温核融合・原子転換 著者: 高橋良二, Ryo-ji Takahashi 出版社: 株式会社 朱鳥社, 2002 Googieブックス 【雨垂れ石を穿つの解説】http://bit.ly/wxn4vs
◆タイトル : 雨垂れ石を穿つ http://pya.cc/pyaimg/pimg.php?imgid=134442 コレは高い自然現象
◆時間に依存しない摂動論 —雨垂れ石を穿つ—(Adobe PDF) - htmlで見る http://bit.ly/zoPFb1 時間に依存しない摂動論 —雨垂れ石を穿つ—. 量子力学の計算で厳密に実行できる ものは数少ない.自由粒子の場合,調和振動子の場合,箱形ポ. テンシャルの場合, クーロン型ポテンシャル (水素原子) の場合など,数える程である.
◆知れば知るほど不思議な「水」--ことわざから見る水の特異性-- http://bit.ly/z6WqBa
◆水 - Wikipedia http://bit.ly/y9Amd3 水(みず)とは、 ・化学式 H2O で表される、水素と酸素の化合物である。 ・湯と対比して用いられている語。冷水。 ・液状のもの全般。 ・元素としての水(18世紀までの文献に現れる用法) 英語やフランス語などでは、(液体であれば)温度にかかわらず、「water」、「eau」など名称は一定である。 だが、日本語では、同じ液体でも温度によって名称を変えて呼び分ける。 日本語では、温度が低温や常温のものは「水」と呼ぶが、温度が高くなると湯(ゆ)と言う。 「水」の概念を自然科学的に拡張して、化学式で「H2O」と表現できるものを すべて広義の「水」とすれば、水の中でも固体のそれが氷、 液体は(いわゆる日本語の)水、気体は水蒸気、ということになる。 用途、性質、存在する場所などで呼び分けることも行われている。 例えば、水の中でも、特に飲用に供するものを飲料水という。 海に存在する水は海水、地下に存在する水は地下水と呼び、 地下水を汲みボトルにつめたものをミネラルウォーターと呼ぶ。 不純物をほとんど含まないものは純水と呼ぶ。 また農業用水、工業用水などの呼称もある。 上水、下水という呼称もある。
◆水の種類「水の種類」 水大事典 水と生きるSUNTORY サントリー https://www.suntory.co.jp/eco/teigen/jiten/science/04/ 水は、無色無臭で、なにも混ざっていない純粋なものの��うに考えられがちですが、純粋に水分子だけで構成された本当の「純水」というものは、存在しません。 水はものを溶かす能力が大きいために、常に何かが溶けこんでいます。 そのため同じ日本の水でも地域によって水質が異なるのです。   ◆ウォーターサーバーのお水の種類について | ウォーターサーバー ... https://lab.waterserver.news-postseven.com/knowledge/kind-water-waterserver/ 2019/07/08 - 冷水・温水のどちらもボタン1つで利用できるのがウォーターサーバーですが、使われるお水はウォーターサーバー各社の様々なこだわりによって選ばれています ... ウォーターサーバーのお水は大きく分けて2種類. ... 人気の宅配水を徹底比較! いろんな水がありますが・・・? 名前だけ掲載しておきます。 宙石水、医王石、オバタイト水、麦飯石水、森修焼水、ミネラル添加水、 蘇生水(ハーモニー水)、波動水、共鳴波動水など   ◆水の種類 http://bit.ly/xzCLZF 飲料水の種類 水の種類 「水」というのは総称であり、そこからさまざまな種類に分類されます。 今回は水の中でも飲料水について、その種類を紹介します。 飲料水の場合は、基本的に、ナチュラルウォーター、ナチュラルミネラルウォーター、ミネラルウォーター、ボトルドウォーター、RO水、ピュアウォーターの6種類に分けることができます。   ◆水の種類について(1/2) | OKWave  http://bit.ly/AwrFRW 水の種類について. 水には色々な種類がありますが、蒸留水、イオン交換水、市水など はどのようなものでしょうか?また、これら以外に水にはどのような種類が存在するの でしょうか?   ◆水 - Wikipedia  https://ja.wikipedia.org/wiki/水水 水(みず、英: water、他言語呼称は下記参照)とは、化学式 H 2 O {\displaystyle {\ce {H2O}}} {\displaystyle {\ce {H2O}}} で表される、水素と酸素の化合物である。特に湯と対比して用いられ、温度が低く、かつ凝固して氷にはなっていないものをいう。 また、液状のもの全般を指す。   ◆天然水とミネラルウォーターはどう違う?意外と知らない“水”の基本 https://tenki.jp/suppl/r_miwa/2019/08/06/29300.html 2019/08/06 最近はスーパーやコンビニで多種多様の飲料水がペットボトルで販売されています。特に夏場は「熱中症対策 = こまめな水分補給」が推奨され、各社メーカーが競い合うように銘柄の違う「水」を販売しています。みなさんご存じの���り、美容・健康のために「水分補給」は大事なポイントですね。 さらに、浄水器やウォーターサーバーが一般家庭にも広がり、水へのこだわりは高まる一方。空前の水ブームともいえる昨今ですが「ただなんとなく」「体によさそうだから」……という思いで水を飲んでいる人も多いのではないでしょうか。 いよいよ8月! 元気に夏を乗りきるために「水」について簡単に学んでいきましょう。 ポイント解説へ    体内での水の役割    天然水とミネラルウォーターの違いは?    水道水が飲める国は、世界でわずか15国ほど!    ミネラルウォーターより、水道水の水質検査のほうが厳しい?    水道水を、よりおいしく飲む方法   ◆水は1日どれくらい飲めば良いか | 健康長寿ネット https://www.tyojyu.or.jp/net/kenkou-tyoju/shokuhin-seibun/water.html 2019/07/30 水の必要性  水は私たちの体にもっとも多く含まれる物質で、生命活動をサポートしています。成人の体の55~60%を水分が占めています。主に脳、腸、腎臓、筋肉、肝臓などの臓器・組織中の水分含有量は80%と比較的多いです。しかし、脂肪組織(皮下組織)は中性脂肪が多いので、水分含有率は約33%と低いです。  女性は男性に比べると脂肪量が多いため、水分含有率は約55%と少ないです。また、肥満者は痩せの方よりも体水分量が少ないです。さらに高齢者は加齢とともに実質細胞数が減るため、成人よりも水分含有量が減り約50%です。 水の働き  水の主な働きは物質の溶解、物質の運搬、体温調節です。   ◆水について 水の基礎知識|水・焼酎の財宝オンラインショップ https://www.zaiho.jp/water/ 人の体にはたっぷりの「水」が含まれています。成人男性でおよそ60%、あかちゃんにおいては実に75%を占めています。 体内の水分は、血液として酸素を体中に送ったり、リンパ液として老廃物の代謝に関わったり、その他非常に重要な働きをしています。 そのうち私たちは、普段の生活で1日に2ℓ以上、汗や尿で失っています。そのようにして失われる分を、ふだんは飲み物から1ℓほど、食事からも1ℓほど補給しています。 しかし、体内の不足を避けるためには、意識してミネラルウォーターなどを飲み、補給することが必要です。 そのため、毎日2ℓほどを目安にして水を飲むことが大切になります。
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socialmoviesblog · 8 years ago
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■「仮面ライダーアマゾンズ season2」のメモ
■「仮面ライダーアマゾンズ season2」を観た。前作でなんとか生み出しかけた「正義の種」すらも粉みじんにし、見る者を「正義の奈落」へと引きずり込んでいく壮絶な物語に圧倒された。「もう、行くところまで行ってやる」という制作陣の狂気に震撼させられた。 
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■だが、その感想をまとめる前に、「season1」のおさらいもかねて、ちょっとばかり長めの「寄り道」をする。
■人間=ホモサピエンスは、大きな脳を持ってしまったせいで、他の動物よりも早く生まれてくる。他の動物のように自分で自分のことができるようになるまで母体で育ってしまうと、産道に頭がひっかかりお産が困難になるからだ。
■そんな未熟な存在の子育ては当然大変だ。だから母親は1人で子育てをして生きていくことができず家族・親族・仲間を作って共同生活を送らねばならなくなる。
■だが、ミツバチなど他の生き物とは違い、人間は集団での協力が遺伝子にプログラムされていない。
■そのため、仲間との共同生活の必要性から巨大な脳を生かした「共感力」が発達した。仲間の痛みをまるで自分のこととして共感できることで、仲間を守ろうと思えるし、逆に仲間からも守ってもらえるからだ。
■だが、この「共感力」は「どこからどこまで」通用するのか、あらかじめ決まっているわけではない。だから同じホモ・サピエンスでも共感力が通じないことがある。実際に狩猟採集時代には群れの足手まといとなる老人や障碍者は躊躇なく置き去りにされたし、女性は生贄にされることも多かった。
■また、逆に犬や家畜、場合によっては植物であっても共感できることもある。そのことが、この世にあるものには皆「霊魂」が宿っているので、人間だけが特別なのではないとするアニミズムの基礎ともなったのだろう。
■そして、その「共感力」が突然変異的に拡張することで起きたのがユヴァル・ノア・ハラリ「サピエンス全史」で言うところの「認知革命」だ。
■「認知革命」とは言語を編み出すことで、目に見える事柄に関するコミュニケーションだけでなく、目にみえないもの=「虚構」をホモ・サピエンス同士で共有することができるようになったことを指す。なお、それは7万年ほど前に起きたとされる。
■神、国家、法人…などは抽象的で目には見えないし「あるかないか」でいえば、そんなものは「ない」。にもかかわらず、文字を編み出したことで目に見えない抽象的なことも考えられるようになった人間は、「そういうものがある」と互いに想像し合えるようになった。
■そしてこの革命により、見ず知らずの人間同士が「我々は神Aに選ばれた民なのだ」「我々は国家Aの国民という仲間なのだ」と、協力関係を結べるようになったという。
■これこそが人間=ホモ・サピエンスが、ネアンデルタール人など他にも6種類ほどいた「ホモ族」を押しのけ繁栄することができた最も大きな理由だという。人間は「単体」では攻撃力も、防御力も弱いにもかかわらず「虚構」の力で大規模な協力関係を築き、その「団結力」で他を駆逐したのだ、と。
■とはいえその過程で、たとえばオーストラリア大陸では大型哺乳類24種のうち23種が、アメリカ大陸では107属のうち84属が人間のせいで絶滅したのだが。。
(※いや、実際にはハラリ自身は共感→虚構を直結させていない。が、共感がなければ協力しようと思わないし、協力しようと思うから虚構が生み出されるのではないか。よって、以降、乱暴ではあるが「共感」「虚構」を陸続きのものとする)
 ■ともあれ、「虚構」の力で繁栄した人類は、その能力で協力できる「仲間」たちの数を飛躍的に増加させた。特に大きな役割を果たしたのが、「帝国」「宗教」「貨幣」だという。これらの「虚構」により、人類は世界規模で見知らぬ者たちとの間に協力関係を築くことができるようになった。
■そして、グローバルな規模での人類の協力関係を後押しする「虚構(思想)」として「あらゆる人間にあらゆる権利が等しく認められるべきであり、あらゆる人間のあらゆる尊厳が尊重されるべきだ(「ゲンロン0」p154)」とするリベラリズムが生み出された。
■しかし、今、現実に起きていることは「意気揚々とグローバル化から撤退するトランプ主義」であり、「ブレグジット」であり、欧州の移民制限であった。つまりは、「リベラリズムの崩���」であった。
■これがなぜ起きているのか?「人類みんな」が信じることのできる「虚構」は原理的に作り出せないのか?それとも一時的にできていないだけなのか?自分には答える能力はない。
■ただ、「共感」「虚構」はホモ・サピエンスが「仲間との協力関係」を作るために生み出されたものなので、必然的に「仲間」と「そうでないもの」を分けてしまう。そのため「全員が仲間」ということになったら「そうでないもの」もなくなってしまい、結局は「仲間」自体もなくなってしまう。そのため、グローバル化が進み「全員が仲間」になろうとすればするほど、「そうでないもの」を作ることで「仲間」を維持するようになってしまうのかもしれない。
■いずれにせよ「リベラリズムの崩壊」により人は「全員が仲間」だとは思えなくなった(なっている)。そして「虚構A」を信じられる範囲=仲間A、「虚構B」を信じられる範囲=仲間B…となり、仲間Aと仲間Bが協力関係を取り結ぶことが困難になった。仲間Aはどうしても仲間Bに「共感」を抱くことができなくなっている。
 ■一方…大きな脳がもたらす「共感力」と、その拡張形態である「虚構」の力により繁栄した人類だが、その原動力となった「共感力」は「どこからどこまで通用するのか、あらかじめ決まっているわけではない」と先述した。
■だから、共感力は人間以外の生物に対しても引き出されてしまうことがある。
■人間は生きるためには他の生物を殺して食わねばならないにもかかわらず、そのことに「罪悪感」や「イヤな感じ」を覚えることがある。それはここに震源地があるからだろう。
■つまりは、食われる存在に「恐怖」「痛み」「苦痛」などを「共感してしまう」から。食われる存在の痛みを「我がことのように」感じてしまうから。
■それだから、人間は「生きるために殺す」ことから逃げ回ってしまう。それしか生きていく方法がないのだから、そこに「罪悪感」など覚えなくてもよいかもしれないにもかかわらず。
■そして「生きるために殺す」ことから逃げ回るべく、権力を使ったり、他人の弱みに付け込んだりして「生きるために殺す」ことを別の人間にアウトソースする。
■最初は強制的かもしれないが、次第にその作業は「洗練」されていき、貨幣経済や分業などが生み出される。「他人に殺すことを強制的にやらせている」のではなく「彼はお金がほしいからやっているのであって強制はしていない」、「生きるために殺しているのではなく、肉を売りたいという業者がいるから彼のために肉を解体しているだけだ」…という具合に。
■こうして、「生きるために殺して食う」という「苦痛(むごたらしさ)」からの回避が「分業」「資本主義経済」など高度に発達した文明を生み出すに至る
■また、「共感力」が引き起こす「苦痛からの回避」は、自分にも跳ね返ってくる。生きるために殺して食う時に「食われる側」がみせる「苦痛」が我がことのように跳ね返ってくる。
■だから、死ぬことが怖くて苦痛になる。そして「死にたくない」と思うようになる。この「死にたくない」「死の苦痛からの回避」もまた高度な文明を生み出す原動力となる。
■その帰結が「死の苦痛」から人を解放する「不死の技術」=バイオテクノロジーの発達だった。そして、そのバイオテクノロジーは、クローンなど「新たな人類」を生み出すことができるようになった。
■また、先述のユヴァル・ノア・ハラリによれば、こうした「新たな人類」は、遺伝子移植など「生物工学」、バイオニック・ハンド(義手)や脳とコンピューターを直接結ぶような「サイボーグ工学」、コンピュータープログラムのような「非有機的生命工学」などの力によって、今後も急速に進化を遂げていくという。
■その結果「(彼ら新たな人類は)私たちがネアンデルタール人を見るのと同じぐらい見下した目で私たちのことを見る」ようになるかもしれないとも言う。
■そんな「新しい人類」たちと、ホモ・サピエンスは協力関係をとり結ぶことができるのか?彼らとの間に新たな「虚構」を立ち上げることができるのか?
 ■こうして人類は、人間内でも同じ虚構を共有することが困難になり、「新たな人類」とも虚構を共有できるか不安な状態となった。人類の繁栄を後押しした「共感力」「虚構」は、その「内側」からも「外側」からも掘り崩されそうになっている。
■「仮面ライダーアマゾンズ」シリーズは、そんな現代の状況を鋭く反映する作品となっている。
 ■「season1」では、先述した「死の苦痛から人間を解放するバイオテクノロジー」が暴走。逆に人々は死の恐怖へと引きずり込まれた。
■巨大製薬会社「野座間製薬」は、生物研究の一環として「ある細胞」の培養を行っていた。その細胞とは、人の肉を食う細胞。通称「アマゾン細胞」だ。
■アマゾン細胞は、培養されると途中までは人間の姿で成長するが、その後「覚醒」。怪人のような姿になってしまう。その性質を利用し、同社はこの細胞を「生物兵器」として他国に輸出しようと計画していた。他国に「人間」としてアマゾンを紛れ込ませ、途中で覚醒させれば、その国をパニックに陥れることができる…ということだろう。
■しかし、研究中に大事故が起こり、細胞約6000体が空中に飛散。東京の?街に紛れこんでしまうのだった。
■人間を食う「化け物」などまとめて始末するべき?だったら人間も他の生き物を食うが…。しかも、彼らは途中までは人間と変わらぬ姿で、感じ、考え、生きている。中には「自分は人を食いたいわけではない。それでも…」と悩んでいる「アマゾン人間」すら存在する。そんな存在をみれば人間ならではの「共感力」が引き出されてしまう。彼らの苦しみを自分の苦しみとして感じとってしまう。
■それでも、「共感」したまま放置しておけば、今度は、人間たちが食われてしまう。ならばどうすれば…
■「人は生きるためには他の生き物を殺し食わねばならない。そういう仕組みなのだから」…ならば、自分が「食われる側」になってもそれが言えるか?「そういう仕組みなんだからしょうがないね」と素直に食われるか?自分が嫌な事を「しょうがないでしょ」と押し通して生きている人間に正義など語れるか?
 ■こうして、飛散したアマゾン細胞をどうするべきかを巡りドラマでは、いくつもの正義がぶつかりあうこととなる。
■「アマゾン細胞は人を食う。こんな存在とは協力関係を築いてはいけない。こんな存在を生み出してしまったことが間違い。それゆえ、アマゾンは1匹残らず処理をする!」と主張するのが「赤いアマゾン」・鷹山仁。
■彼は、もともと野座間製薬でアマゾン研究にたずさわっていた科学者だったが、自らの研究が生んだ結果に責任をとるべく、自分の体内にアマゾン細胞を注入。「赤い仮面ライダーアマゾン」に変身し、「アマゾンの全駆除」へと突き進む。そして、飛散した6000体を処理したのち「この世から1匹残らずアマゾン細胞を消す」ため、自らの命を絶つ…これが彼の考える「正義」だ。
■それに対して「人間が自分の都合で人を食う細胞を生み出しておいて、都合が悪くなったら全駆除とは身勝手すぎる。狩るべき者は狩るが、守るべき者は守るべき」と主張するのが「緑のアマゾン」・悠。
■彼は、仁と同じく野座間製薬でアマゾン研究をしていた水澤冷華の「息子」。彼女が培養したアマゾン細胞に彼女自身の細胞を注入することで生み出された「アマゾン人間」だ。
■彼は物語が進む中で、アマゾンに共感することもできるし、同じ虚構を共有することもできるかもしれないと気づいていく。もちろん、共感が通じ、協力関係が結べるのは「ずっと」ではない。彼らが覚醒すれば、人間たちを襲ってしまう。
■しかし、それまでは…「共感が通じ」「虚構が共有できる」間は、できる限り共存の道を探るべきではないか…これが「緑のアマゾン」の正義だ。
■そして、そのはざまで、「この状況で誰もが納得できる“正解”などない。だから自分たちは“正義”を目指さない。俺たちが動くのは金になるか?ならないか?だ」と主張するのが、志藤真をリーダーとする「駆除班」。
■彼���は野座間製薬の命を受け、「セキュリティ会社」の名目で飛散したアマゾン細胞の全駆除に動いている。彼らが危険な仕事を引き受けたのは「金がいるから」。娘の移植手術の費用、母の介護費用、人をだましたツケで必要になった金…皆、背に腹は変えられぬ事情で金が必要となり「駆除班」に参加した。
■だが、物語が進むにつれ「単なる金目当て」ではない彼らなりの正義のあり方が浮かび上がってくる。
■この状況は、人間の「死の苦痛からの回避」がもたらした。「生きるために殺すことの苦痛」から逃れ回るための洗練された高度文明が引き起こした。ならば、俺たちは、その逃げ回りから「逃げ回らない」。「生きるために殺す」ことを自らの手で引き受ける。その「罪悪感」を自ら背負って生きる…これが彼らなりの「スジの通し方」=正義のようなものだと分かってくる。
■こうして3つの正義が火花を散らしながら、ストーリーは展開。その後、三者は、野座間製薬による「アマゾン細胞駆除のための薬剤散布作戦」、通称「トラロック作戦」の実行後、それでも生き残ったアマゾンたちを殺すため/守るため、彼らが集まる浜辺へと乗り込んでいく。
■そして…赤と緑のアマゾンは壮絶な殺し合いを演じた後、同士討ち!あまりの陰惨さに何もできず呆然と立ち尽くすしかない駆除班の面々をよそに、かろうじて生き残った赤いアマゾンはその場を去り、そして、同じくなんとか生き延びた緑のアマゾンも、他のアマゾンたちを引き連れ浜辺を去っていく…
■「人間」と「新しい人類」との共存は可能か?「人間」と「新しい人類」との共存は可能だという人間と、「人間」と「新しい人類」の共存は不可能だという人間同士の共存は可能か?
■そんな問いに対し、ドラマはこう答えていたように思う。
■偶然出会ったにもかかわらず、同じ任務に命をかけるうち「仲間」となった駆除班の面々のように「人間」と「新しい人類」―志藤・望・福田・三崎 / 悠・マモル—の共感は可能だ。ドラマの名シーンに例えれば、見も知らぬ「売り手」と「買い手」を偶然結びつけける貨幣(5円玉)を、かけがえのない「仲間の証」に変えることは可能だ。
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■だから、そんな共感可能性を軸にした「食わせ合い」により両者は共存できないか?具体的には、覚醒し腕に食らいついてしまったマモル隊員に対し「マモルを撃つな!俺なら大丈夫だ!」とそれを受け入れた三崎のように、「自分の一部を食わせ合う」ことで両者の共存がはかれないか?人間は「新しい人類」に「肉の一部」を提供し「新しい人類」は「生体データの一部」を人間に提供することで両者を生かしあうような。
■それでも、共感は「どこからどこまで可能なのか」があらかじめ決まっていない。ならば共感が可能となるまでは両者距離をとることで「時間をかせぐ」ことができないか?生き残ったアマゾン達を引き連れ浜辺を去った悠のように。
 ■「人類」と「新しい人類」の「共感」は可能だ(リチャード���ローティのいう「感情教育」「偶然による連帯」は可能だ)。その共感可能性を担保に両者の「距離の設定」「時間稼ぎ」「食わせ合い」で共存をはかること。
■のたうち回るような展開��繰り返した末、ドラマは、こうして「正義の種」のようなものをかろうじて撒いた。
 ■だが、先述したように「seazon2」はそうやってなんとか生み出した「正義の種」ですらも粉々にし「正義の奈落」へと観るものを引きずり込んでいく。
■「seazon2」では「season1」で共存の核となっていた「共感力」「同じ虚構を信じる力」こそが「人間」と「新しい人類」を苦しめ、追い詰める元凶となっていく様を描き出す。
■というわけで、ようやく長い寄り道から戻る。今作のあらましはこうだ。
■物語の舞台は「トラロック作戦」から5年後の世界。作戦によりアマゾンの大部分は死滅したが、それでもなお一部は生存。そのため政府と野座間製薬は今後起きうるアマゾン被害の対策と研究のための施設「特定有害生物対策センター」、通称4Cを設立していた。
■そして某日その4Cに1人の少年が運び込まれてくる。彼の名は千尋(前嶋曜)。彼はある事件の現場に1人残されていたところを捕獲されたが「アマゾン怪人に育てられていたのではないか?」として、この施設に送られてきた。
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 ■そこで4C所長・橘らは、彼の身体を調査。すると、千尋の体内にアマゾン遺伝子が確認された。これを知った橘は、彼を仮面ライダーとして育てることでアマゾン残党たちの駆除に役立てようと考えるのだった。
■だが、ある日の調査中、「俺はアマゾンとして扱われたくない!」と千尋は施設を脱走。そして、街で人に紛れて暮らすアマゾンに暴行を加える「オヤジ狩り」ならぬ「アマゾン狩り」に明け暮れていた長瀬裕樹率いる不良集団「チームX」に拾われ、彼らの一員となる。その後、彼らのアジトである常連のクラブに住まわせてもらうことになった千尋。そのクラブのマスターの名は志藤真。「season1」で活躍した旧駆除班のリーダー。今は駆除班をクビになりここでマスターをしていたのだった。
■一方、4Cでは逃げた千尋の足取りを追うとともに「新たな事件」の対策に乗り出していた。なんと人に感染する「新種のアマゾン細胞」(溶源性細胞と呼ばれている)が確認されたのだった。これまで怪人となって人を食うのはアマゾン細胞の持ち主だけ。だが、今度は普通の人間がアマゾンと化し人を食うようになる。速めに対策を打たねばとんでもないことになる。
■こうして4Cはお抱えの特殊部隊を使って調査を開始。そして後日「感染源」が特定される。あるメーカーのウォーターサーバーの水だった。そこで4Cは、特殊部隊の1つ黒崎武率いる「黒崎隊」に、逃げた千尋の回収→彼の隊への編入、ならびにサーバー水の水源調査にあたらせる。
■なお、この「黒崎隊」には元駆除班メンバーの福田隊員も所属。さらに回が進むうちアマゾン研究者で野座間製薬本部長・水澤令華の娘、水月も参戦。彼女は母・令華が生み出した「緑のアマゾン=悠」の「妹」だったが、「この状況では闘う選択肢もアリだと思う」という「兄」の言葉に心を動かされ入隊を決意した。もし「兄」がアマゾン怪人となり「人間の敵」となった時は、自らの手で愛する家族を楽にしてあげたい。それが彼女なりの「正義」なのだろう。
■ちなみに、この黒崎隊長役の三浦孝太さんは、初めて見た役者さんだがなかなかカッコイイ。物憂げな中に殺気が漂う演技に惹かれる。系譜でいえば、染谷将太、池松亮らの「死んだ目」系なのだろうが、年代が少し上なのでより凄みがあっていい。 
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■さておき、命を受けた黒崎隊は、すぐさま千尋の居場所を特定。そして現場に直行し、千尋と対峙することとなる。相対する千尋は、いきなり目の前に黒崎隊が現れ意表を突かれる中、ある存在に目がとまる。それは黒崎隊の女性隊員・イユ(白本彩奈)。見た目は女子高生のようだが片目は黄色の義眼で、終始「心ここにあらず」なたたずまい。そして「アマゾン」の声とともに怪人のような姿に変身してしまう。「自分と同じ種族なのか…」と驚く千尋。だが、同時に彼女に心惹かれてしまう。 
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■そんな彼は、その後、黒崎隊に回収され部隊の一員として働くことになるのだが、そこで不思議な少女「イユの真実」を知ることとなる。
■彼女は「死体にアマゾン細胞を埋め込むことで誕生した新しい生命体」だった
■イユは、アマゾン化した実の父親に殺されてしまい食われそうになっていた(彼女が義眼なのは父に目玉を食われたため。「やがて~星が降る~」と鼻歌を歌いながら実の娘の目玉に食らいつく父の姿は、どうしようもなくグロテスクだ、、)。だが、駆けつけた黒崎と、なぜかそこに現れた悠により、父親は駆除。肉体はかろうじて残っていたため、そこにアマゾン細胞が注入され「新たな生命体」として「生き返る」こととなった。
■なお、隊長・黒崎は、ドラマ内では終始アマゾンに冷淡な態度を示すがその原点はここにある。「わが娘を食う父」という人間にとって最もおぞましい事態を引き起こした「アマゾン」になど絶対に共感できない。そんな「新しい生命との共感不可能性」が彼の態度の核にある。
■だが。「生き返った」とはいうものの、イユは痛みも感じなければ、感情もない。ただただ命令を「了解」と受け入れるだけ。それでも、彼女に心ひかれた千尋は、なんとかして「生前の姿」、つまり「意志や感情を持った一人の少女・イユ」を取り戻したいと考えるようになる。とはいえ、彼女を遊園地に連れ出すなど千尋は試行錯誤を重ねるがイユは一向に「死体」のまま。さらには、黒崎に「あいつはアマゾンだが駆除しちゃいけないやつなんだ」と教えられ、「千尋、駆除しちゃいけないやつ」の「名ゼリフ」が飛び出す状態。自分が心惹かれた少女から「駆除しちゃいけないやつ」というあんまりな覚え方をされる男子の心中を察するや胸が痛む(笑)
■一方…「アマゾン-人感染」の感染源を特定した黒崎隊だったが、時を同じくして、山中の水源に向かおうとしている者たちが。志藤、望、三崎…旧駆除班の面々だった。彼らもまた「新種のアマゾン細胞」の存在を知り、再び「アマゾン狩り」に立ち上がる。「自分でもなぜ立ち上がるのか分からない。でも放ってもおけない。俺達はそれくらいアマゾンに関わりすぎてしまった」と漏らす志藤。
■だが、水源にたどり着いた彼らの前に現れたのはマモル隊員。アマゾン細胞の持ち主でありながら、かつて駆除班で志藤たちと共に「アマゾン駆除」を行ってきた「仲間」だった。水源に「新種のアマゾン細胞」を混入した悪魔の正体は彼。ある場所で「新細胞を持つ生物の肉片」を見つけた彼は、これを使い、自分たちの仲間を大量虐殺した人間への復讐を企てたのだった。
■前作では、体は青年でも小学生程度の知能しかなかった彼が「邪魔しないでもらえないかな、志藤くん!」とすごむ姿はかなりの超展開だ。
■こうしてかつての「仲間たち」、旧駆除班とマモル率いるアマゾン軍は5年の時を経て、今度は互いに互いの命を狙い合う「敵同士」になってしまう…。それでも…命を奪おうと旧駆除班に食らいつくも、嘔吐してしまうマモル。かつて培った「共感可能性」が邪魔をする。「敵」なのにどうしても「殺せない」。
■それに加えて、この両者の間に、突然現れた悠が介入し始め、事態は複雑化の一途をたどっていく…
■さらに…複雑化する事態をさらに複雑にする存在が。突如、千尋の目の前に現れた「赤いアマゾン」鷹山仁だった。彼こそ、千尋の実の父。「season1」での悠との壮絶な戦いの後、生死の境をさまよい錯乱状態となった彼は、狂いゆく意識の中で、同行していた七羽との間に子供を作ってしまう。
■その後、錯乱状態を脱した彼だが事態を知ると絶望の淵に叩き落される。「アマゾンを1匹残らず消去して自分も消えようと思っていたのに…そんな自分が新たなアマゾンを生み出してしまうなんて…」
■そんな仁が何をするか察した七羽は、無言でおなかの子供とともに彼の前から姿を消す。そして、数か月後、彼女から生まれたのが千尋だった(なお、仁の大学時代の恩師がイユの父親。そして仁を追っていた悠は、その過程でイユの父と出会う。アマゾン化した父によるイユ殺しの現場に悠が居合わせたのはそのためだった)。
■千尋は人間とアマゾンが融合した特殊な細胞を持つ少年。おどろくべき速度で成長し、わずか5年で高校生のような姿にまでなった。
■そして後に明らかになるが、彼の特殊な細胞こそ「溶源性細胞」。マモルがみつけた「新細胞でできた生物の肉片」は、千尋のものだったようなのだ。
■「千尋、お前を殺す!」、突然現れた仁は狂ったように「我が子」に襲い掛かる。前作では、一貫した論理に基づき自らの罪の清算を行う彼の方が、その時々で感情に流され「狩るべきもの/守るべきもの」の姿���見失う悠に比べ、とても倫理的にみえた。だが、今作ではかつて倫理的にみえていた仁が、もはや「論理にからめとられた狂人」のようにしかみえない。逆に「合意できる正義」など容易に見出しようのない状況の中、その場、その場で、悲しみを最小限に食い止めようとアドホックに動く悠の方に頼もしさを覚えてしまう。非常によく考えられた描き方だと思う。
■「仁さん、もう罪は十分償いましたよ。自分が壊れてるのが気づかないんですか?自分の家族でしょ」と諭す悠に「家族?そんな上等なもんが俺に持てるかよ!」と耳を貸さない仁。「俺は罪深い存在なんだ。だから最愛の家族を殺すほど罪深いことをするのだ」と自分に言い聞かせるように、自分を罰して、罰して、その果てに息子を殺めようとする仁…「論理にからめとられた狂人」の背後に透かし見られる深い悲しみに胸が締め付けられる。
■こうして、前作以上に分岐するいくつもの「正義」が時に交わり、時にぶつかり合いながら物語は展開。もはや「合意点」をそこに見出すことなど不可能な状態に。「熟議」などおもちゃでしかないような状態に。そして、死んだと思われていた千尋の母、七羽が「新種のアマゾン怪人」として皆の目の前に現れるという「超超展開」を挟みつつ、ドラマは、悲しみ、切なさ、希望?…いくつもの感情を喚起する「得も言われぬ」結末へとなだれ込んでいく…
 ■人間をどうするか?アマゾンをどうするか?新種のアマゾンをどうするか?…登場人物が増えるにつれ、立場は次々と分岐していく。しかも、時間が経つにつれ思いも変転していく…だから、ざっと図示しただけでも分かるとおり、誰ひとりとして立場が重ならない。 
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 ◆図の説明◆
➀「緑のアマゾン」悠
→アマゾン族は、攻撃してこないなら守る。攻撃してくるなら殺す。人間も攻撃してこないなら守る。攻撃してくるなら殺す。新アマゾン族も、攻撃してこないなら守る。だが、ラストに態度変更…?
 ②「赤のアマゾン」仁
→人間は守る。だが、アマゾン族、新アマゾン族ともに、無条件で全部殺す。息子だろうと七羽だろうと殺す。そして自殺。手続き的正義の自動機械=リベラルの狂気。
 ③「青のアマゾン」・千尋。
→自分が新種アマゾンだとしても生きたい。イユを守りたい。そして、自分とイユを攻撃してくるならアマゾン族も人間も殺す。
 ④「黒いアマゾン」・イユ。
→意思はない。どんなものでも命令に従うのみ。だが途中で自我が回復?命令があれば人間、アマゾン、新アマゾンともに殺す。だが、千尋は殺さない。
 ⑤「モグラアマゾン」・マモル。
→アマゾン族を絶滅に追いやる人間は全員殺す。全員か条件つきかで悠と敵対だが、共同生活した旧駆除班は殺せない。
 ⑥黒崎(派)
→人間は守る。人間を攻撃する恐れのあるアマゾン族は、攻撃してこようが来まいが全て殺す。新アマゾンは「上の命令」なので殺さない。「死にたくない」が原理だったが…
 ⑦旧駆除班(志藤、望、三崎)
→人間は守る。人間を攻撃するアマゾン族、新アマゾン族は「金になるなら」殺す。 だが、共同生活をしていたマモルは金でも殺せない。「正義になるな」が正義。
⑧福田隊員(旧駆除班→黒崎派)
→人間は守る。人間を攻撃するアマゾン族は殺す。新アマゾンは命令で殺さない。 だが、母が新アマゾン化し、我が手で殺めてからは、アマゾン族は、攻撃してこようが来まいが全て殺すに変わる。「人/アマゾンの分離共存は、自分の手で殺めることから逃げる責任逃れだった。」
 ⑨水月(悠→新駆除班)
→人間を攻撃する恐れのあるアマゾン族、新アマゾン族は、攻撃してこようが来まいが全て殺すが原則。よって悠も殺しのターゲットとなるが、結論がでない自分が生き残るためには自分の手で自分の生き残りの敵を殺めることが正義
 ⑩水澤令華(悠の「母」)
→人間は守る。アマゾン族はできのいい「悠」のみ守り、残りは殲滅。新アマゾンも殲滅。
 ⑪ノザマ製薬会長
→生物は生き残ろうと思えば、その阻害要因になる敵を殲滅するのは「自然の理」。強い生物が勝って生き残れば、どれが滅び、どれが生き残ろうがよい。たとえ自分が食われる側になっても「自然の理」を推し進めるのなら本望。
 ■さらに。「season1」では、こうした正義の分岐を“とりあえず”食い止める鍵を握るものとして「共感」「虚構」が描かれていた。だが本作ではその「共感」「虚構」こそが登場人物たちを苦悩へと追いやっていく。
■自分たちを絶滅に追いやる人間が憎くて仕方ないのに、「共感」ゆえに殺せず苦悩するマモル(逆も真なり。旧駆除班も同様だ)。
■最も「共感」を寄せていた悠を殺すことになり苦悩する水月(逆も真なり。悠も苦悩する)。
■マモルに「共感」を寄せていたせいで「殺すべき時に殺せなかった」。それゆえ彼の復讐のせいで最愛の母がアマゾン化し、自らの手で親を殺さねばならなくなった福田。その苦悩たるや計り知れない。
■そして「共感不能な敵」を生み出したことが罪なのではない。むしろ「敵なのに共感可能」なものを生み出したことが大罪なのだとして狂気に追いやられていく仁…
 ■では、��うすればよいのか?極論すれば「生きるために虚構を捨てる」か「虚構のために生きることを捨てる」か、ではないか?
■そのことは本作のラストで描かれた「生きたいか?死にたくないか?」を巡る印象的なシーンでも示唆されていないか?
■最終話で野座間製薬会長から「生物は生き残ろうと思えば、その阻害要因になる敵を殲滅するのは自然の理。強い生物が勝って生き残れば、どれが滅び、どれが生き残ろうがよい。たとえ自分が食われる側になっても“自然の理”を推し進めるのならそれは本望。」という言葉を聞いた黒崎は、部下の植盛とこんな会話を交わす。
■「お前、死にたくないって思ったことがあるか?」「今がそうですけど」
■「じゃあお前、生きたいと思ったことがあるか?」「同じじゃないですか?」
■首をかしげる植盛を前に、黒崎は銃を置きどこかに行ってしまう。
■「生きたい」と「死にたくない」…どう違うのか?自分にもよく分からない。ただ、「死にたくない」には「苦痛の回避」のニュアンスがある。それに対し「生きたい」には「苦痛の回避」をも厭わない衝動を感じる。それは本作でも何度も描かれる「食べたい」にも似ている。「食べたい」ときは「これを食べないと餓死するし、それは不利だ」などと論理的に考えてはいない。とにかく食べたい。
■この違いによるならば、「生きたい」は「生きるために虚構を捨てる」に対応し「死にたくない」は「虚構のために生きることを捨てる」に対応しないか。
■「共感」「虚構」を守れば、「生きるために殺す」ことが「苦痛」や「罪」だと感じられるようになり、ポジティブに「生きる」ことができない。だから「生きたい」を徹底するなら「虚構」を捨てなくてはいけない。
■一方、人間は単体では生きられない。だから「共感」「虚構」が必要とされた。だがその「共感」が「他者を殺して生きることの苦痛」を引き起こしてしまう。だからその苦痛を回避するべく、先述したようなやり方で苦痛をアウトソースする。そして「苦痛の回避」=「死にたくない」の原理で生きるようになる。つまりは、ポジティブに「生きる」ことを捨てなくてはならなくなる。
■もちろん、「生きるために虚構を捨てる」も「虚構のために生きることを捨てる」先述したように極論であって、本当に実行すれば、いずれにしても死んでしまう。もしくは、「共感」は守りつつも、それが引き起こす「他者を殺して生きることの苦痛」を他者に押し付けて回避し「不正義」に生きるしかなくなる(今の我々だ)。
■だから程度問題になるしかないが、逆に「どの程度、誰がどっち側なのか?」で各登場人物の立場を整理できると思う。
 A:人間との共感(虚構)を捨てて生きる(生きたい) 
B:人間との共感(虚構)を持って「生きる」を捨てる(死にたくない)
…として、登場人物を図示すると… 
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 ■ここから、何を読み取るべきか?やはり際立った立場に注目するべきだろう。とすれば、会長、千尋、仁…ということになる。
■やはり、ここはドラマの主人公、千尋に注目したい。
■「生きたい」はドラマの中で、彼が何度も叫び続けた言葉でもある。人を見ると食いたくなってしまう自分、自分の意志でなく覚醒してしまい4C内を地獄絵図にしてしまう自分、そして人類に有害な存在だとして追い立てられる自分…新種のアマゾンという自らの境遇を嫌悪し、呪いながらもその言葉を叫び続けた。
■���して、ラストで仁と悠に追い詰められ「自分は人類と共存不可能な存在だ」と自ら悟った時でさえ「それでも俺は生きたい。だから闘う!」と叫び、2人に襲い掛かり、散って行った…。
■その姿は、「生物は生き残ろうと思えば、その阻害要因になる敵を殲滅するのは自然の理」と言い放つクレイジーな会長の言葉に限りなくにじり寄っていく
■たしかに、生きよう、生きようとして目の前の相手に挑みかかる姿には「他者を殺して生きることの苦痛」を乗り越える強い衝動を感じる。
■だが彼は生きようとすればするほど目の前の相手を殺すしかなくなり、人との共存可能性(虚構の共有可能性)を失っていく。
 ■やはり「生きるために虚構を捨て」ても絶望…「死にたくないために虚構を守って」も「他者を殺して生きることの苦痛」にさいなまれ「この世に生まれたことが消えない罪」となり絶望…しかないのか?
■だが、教会でのシーンをみると少し印象が変わる。
■そこは七羽が千尋を産み落とした場所だが、祭壇の上には散っていった千尋のベルトと同じく彼との逃亡中に命を落としたイユの腕輪が。
 ■ドラマの中で何度も「意志や感情を持った一人の少女・イユ」を取り戻そうとして失敗し続けた千尋。だが、最後の最期でイユは意志を取り戻したかにみえ、千尋との間に「共感可能性」が生まれたかにみえた。
■その後、あえなく死んでしまったが(といっても元から死んでいたのだが)、��ルトと腕輪のシーンをみると「その続き」が別の世界(来世?)で始まっているようにもみえる。
■「一体、おまえは何が言いたいのか?」と思うかもしれない。何が言いたいかといえばこうだ。つまり、現世+来世という今とは別の時間感覚を導入することで、千尋は「生きたい」を貫徹しながらも「(イユとの)共感可能性」を確保したようにみえる、と言いたい。
■今とは別の時間感覚(たとえば輪廻転生)を導入すれば「生きるために虚構を捨て」ても絶望…「死にたくないために虚構を守って」も「この世に生まれたことが消えない罪」となり絶望…を乗り越えられるのではないか、と。
 ■いや、すごいところまで来てしまった…と我ながら思う。しかし、たとえば近年、人工知能研究が発達したことで、AIに機械学習をさせればレンブラントの"新作"を出力させることができるようになった。生前の彼の作品からいくつものデータを取り込むことで、「今彼が生きていたら、たとえばリンゴをこういう風に描くだろう」という作風の再現が可能になったというのだ。そうだとするなら、彼は人工知能という形で「今も生きている」と言えなくもない。そして、こうしたことがやがて常態化していけば、人間の死生観や、生と死の時間感覚も変化するかもしれない。
■だとするなら、これからどんな世界がやってくるか分からない以上「宗教だから」「○○だから」といって「思考のカード」は捨てるべきではない、と思う。どうやらドラマは「season3」に続くことが決まったようだ。だから、今後も、あらゆる「思考のカード」を用意して、次作の配信を待ちたい。
◆エンディングテーマ「DIE SET DOWN」
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