#エアご意見
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straycatboogie · 3 months ago
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2025/03/21 未来のカケラ
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BGM: Manic Street Preachers - La Tristesse Durera (Scream To A Sigh)
今日は(なぜか)休みだった。今朝、英会話関係のZoomミーティングにいつもながら精を出す。その後、これまたいつもながら朝活をこなすためにイオンまで遊びに行く。そこで、ここさいきん再読し始めてしまった村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』を読んでみたりあるいは英語メモを書いてみたりしようとあれこれ悪戦苦闘する。でもなんでかわからないけれど、今日はそうしたことにまったくもって気分が乗らず集中できず、そうなってくるとチリチリ・ジリジリと無為に時間が過ぎるのが耐えられなくなってしまい落ち着かない。やっぱり無駄に時間を過ごさないためにも資格試験を受けてみたり別の活動をこなすことを考えてみたりしたほうがいいのかなあとかあれこれ考え、けっきょくなんら収穫もないままにぶらりと市役所に行ってしまった。暇つぶしに行くべきところでもなかったのだが、カンが働いたとしか言いようがなかった。開放されているロビーにて読書にいそしめたらとも思ったのだ。
その市役所にて、ふと興味を惹く展示がなされていたのを見かける。なんでも今月はとくに政府が自殺防止に力を注いでいるらしく、メンタルヘルスケアの重要さと命のかけがえのなさをさまざまなイラストや図解、資料や文の提示を通じて訴えかけていた。もちろん、自殺を防ぐためのメッセージも添えられていてそれがとりわけぼくのような万年にわたって慢性的に生きづらさを持て余す人間の目を惹く。ロビーでは机��椅子が用意されていたので、そこで座って「ぼくだったらどうやって命が大事でかけがえがないことを訴えられるだろうか」とかなんとかガラにもなく考えてしまった。そうしたことを考えさせられるだけの力のある展示だった。あれこれ、有線のイヤフォンでSpotifyをとおしてロジャー・イーノとブライアン・イーノのアンビエント・ミュージックを聴きつつ考える。
あらためて考えてみればこれはなかなか難物だ。どういうメッセージがはたして彼らに伝わるのか。彼らを助けるために、そして絶望の淵にこれ以上突き落とさないように。いや、そもそも一般論として(つまり、ぼく個人の不徳・無能とかそんな問題以前に「一般的に」「概して」)メッセージで人を救うなんてことができるんだろうか。いや、これは言うまでもなくこの展示のあら捜しをしたいわけではない(ほんとうです)。こうした試みがなければこんな問題についてあらためて本腰を入れて考えることもなかっただろうから、その意味でこの展示の誠実さは貴重であると思う。だが、もし仮にぼくがとても絶望していて、そして「もうよくやったじゃないか」「生きていてもいいことなんてない」とまで追い詰められて、とてもガッツなんて持てる状況じゃないとしたら、文による(したがって、主に脳に訴えかける)メッセージが生きさせるために効くんだろうか。屁のツッパリにもならないんじゃないか……いやもちろん、こんなことを考えていけばそれこそ「ケース・バイ・ケース」になるんだろうけれど。なにはともあれ、そんなことを英語を駆使して書いた。
その会場において、ホワイトボードがそうした展示区画の一角に設置されておりそこでさまざまな人たちが彼らのメッセージを用意されていた紙片にしたため、寄せ書き風に貼りつけられる「メッセージ・ボード」というものが用意されていたのが目を惹いた。さまざまな人たちのイラストや文が紙片に書きつけられ、そうしたメッセージたちがまぎれもなく誠実・親身に自殺志願者や絶望した人たち・苦難を生きる人たちに寄り添わんとしていると思った。そうなってくるとぼくも居ても立っても居られない。いったいなにが書けるんだろうか……とこの半世紀生きた脳を振りしぼり、ただなんだか文だとあまりにも嘘くさくなってしまうような気がしてだから絵で伝えたく思って、書き記してしまった。ぼくは神でもないし聖者でもない。あたりまえの事実だ。だから人を正しい方向に導けるわけなんてないが、「オルタナティブ」というか「まあ、こんな人生もある(反面教師としてであれなんであれ)」ということは示せると思った。
その後はとくにやることもなく、なんだかいろいろさいきんあったことで金属疲労的に知らず知らずヘタっていたみたいで、だからグループホームに戻ってそこで昼ご飯を食べてうたた寝したあとはなんらやりたいこともなく、なのでいっそのこと心を「充電」するかと開き直る。それで午前中に読めなかった村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』を開き、しばし再読・復習にはげむ。思えば大学生の頃にリアルタイムで新刊としてこのメガトン級の小説を買い求め・読み込み、爾来30年ほどこの作品と折に触れて付き合ってきた計算になる。いま、実に雑駁に語ってしまうとこの作品はそれこそ失業中の男の主人公がぶらぶら猫探しをしたり、なんだかんだで謎に巻き込まれていったりして、そんな感じでこの社会に存在するエア・ポケットを生きる状況を描いているように映る。いや、ベストセラーになる作品だからいろんな読み方もあるが、少なくともぼくは主人公たちのように社会からはじき飛ばされて生きるしかない人たちに共感を持ち、ぼくだってまさにこの男主人公のように生きていてもいいのかなあとか思いつつ読みふけったものだ。たぶんだから、ぼくが誰かに人生の大事さを語るとするなら、これほどの「多言」(それこそ村上春樹がやってのけたように「小説」を書くほどの「多言」)を要しないと伝わらないかなあ……と思ったりもした。
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wakkayamawheels · 1 year ago
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fluid dynamical components for professional races
ーー以下、前回からの続きです。ーー
この疑問に関して、最初に考え始めた時には、自由度の高いエアロ パーツをプロのロード レースの世界へ導入するのは興行的な理由から難しいんじゃなかろうか…と思っていました。
無制限にエアロ パーツ使用を認めてしまうと、導入初期はパーツ形状の素早い最適化に成功する特定のチームに所属する選手たち、やがて高効率なエアロ パーツがコモディティ化する以降は、おそらく特定の選手しか勝てなくなる可能性が高いのではないかと思っていたのです。
最初はタイム トライアルで速い順、もう少し丁寧に表現すると、スタート直後の序盤から逃げて、そのままゴールまでもたせてしまえる様な選手は特に有利になるのかな…と考えていました。
その様なタイプの選手が現在よりも仮に10%くらい少ないエア ドラグで走って逃げると、今以上に集団に捕まりにくくなり、ステージ勝利数だけでなく、毎日のギャップ積立ても容易になるはずです。
単独、あるいは少数走行でのエア ドラグが小さくなるという事は、後方に流れる空気の乱れを減らせるという事でもあるので、接近して走る後続車のドラグはむしろ増大し、大きな集団になってもそれほどドラグの低減には繋が���なくなる、という事と同じ意味を持ちます。
言い換えると、エアロ パーツによるドラグの低減が進むほど、単独あるいは少数では楽になりますが、そもそも大きな集団になる事自体が既に大規模なエアロ パーツ化なので、単独での効果とは異なり、大集団��は殆ど速度に変化が無いはずです。
そうなると、大集団での迫力のあるゴール スプリントだとか、山岳地帯で集団から少しづつ篩い落とされて強いクライマー選び抜かれるだとか、そういった場面になるずっと前、初日から数日の間に何度もスタート直後から長距離少数で逃げられる選手がいれば序盤で既に大量のタイム差を稼いでしまい、以降、逆転困難な状態が早々に作れてしまうのではないか…。
また、山岳ステージでも緩斜面エリアなど、同様にエア��� パーツの恩恵に与れる速度帯で走り続けられれば、クライマーより速い速度で逃げ続ける事ができるTTスペシャリストが目立つ様になり得るかも…。
もちろん、単独で走っても速く強い事が勝つ、あるいは好成績を得る為の条件である事には変わりはないですが、いろんなタイプの選手が活躍する場面を見られる機会は減りそうですし、序盤から総合順位が半ば固定されてしまう様な状態だと、興行的には商品価値を維持しにくくなるんじゃなかろうか…。
…と思っていたのですが、もう少し考えていて、ふと、タイプ別で分けた時に「平地で長距離を逃げるのが苦手な選手」ほど、エアロ ドラグの低減が有利に働きそうなのかなぁ、と思う様になりました。
重量出力比 w/kg (Power-to-Mass Ratio)という概念がありますが、それとは少し違う考え方で、表現を変えると、出力をサイクリストの体重ではなく、流体力学的な抵抗値で割った値(仮にPower-to-Drag Ratioとでも表現しましょうか)が小さくなる選手ほど、ドラグに出力を取られる事になっているので、そのドラグを減らす事によって得られる速度の上昇率がより大きくなり、"PDR"(抵抗出力比)が大きい選手は比較的速度の上昇率が小さいはずです。
但し、実際にはこの選手ごとの「流体力学的な抵抗値」を得るのが結構大変かもしれません。
具体的には乗車状態で風洞施設のトンネル内に一人づつ色々な姿勢で実際に走らせてリアルな抵抗値を計測する必要があります。
ただ、実際には体重と違って、選手毎に多少体の大きさが違っても、体重ほどの影響はあまり無い筈です。
体重が1.5倍になったとしても、エアロ ドラグまで1.5倍になる為にはとんでもなく体積が増える必要がありますが、実際には体格や車体も含めた前面投影面積、あるいは全体の表面積でも構いませんが、それらが出力や体重ほどには大きく変わらないからです。
粗雑な捉え方ですが、一般的に出力の大きな選手は、単純に言って「筋肉量が多い=体重が重たい」傾向があります。
ですが、実際にロード レースではいつも高出力の選手が有利でもなく、コースの状態によっては、それほど出力が大きくない選手が有利になる事もあります。
そう言った比較的、出力の小さい選手は「筋肉量が少ない=体重が軽い」傾向があります。
仮にFTPのPMRが同じ6w/kgだとして、体重が75kgと50kgの選手がいるとすると、それぞれのFTP値は450wと300wになり、その差は150wになります。
平地主体のコースでは体重の重たさがそれ程抵抗にはなりませんが、登坂時には1.5倍、25kgの体重差がそのまま追加の錘となり、仕事量も斜度に応じて増える為、それが150wで賄うことができなくなれば、例え高出力でも体重の重たい選手が不利になる状況もあります。
この斜度や体重を平地でのエアロ ドラグに置き換えた場合、体重と違って1.5倍の差は無く、もっと公平に、ほぼ同等のドラグがかかると、単純に出力の小さい選手は不利で、集団の中などドラグの小さい環境に居なければ、ペースに付いて行くのも難しくなります。
これが現実の世界でクライマーが平地のスピードに付いて行きづらい主な理由で、この場合、300wで出せる速度のドラグにまで到達してしまうと、出力の小さな選手はそこから抜け出る事が困難になりますが、450wの出力があれば、そこから更に150w分の加速が可能です。
つまり、登坂時と違い、速度が上がれば上がるほど、出力がドラグに喰い潰される為、絶対的な出力の違いが影響してくるようになります。
この状況下で何か劇的にドラグを低減させる装備があれば、登坂時ほどでは無くても、小さな出力の選手にとっては、より有効に作用する可能性があります。
例えば、平地のステージで序盤に逃げを打つ小さなグループにクライマーが交ざり混む、と言うような新鮮な光景が見られたり、山岳でもないのに前走集団にブリッジをかけようとしたりするクライマーが現れるかもしれません。
ただ、そこから更に大集団でのゴール スプリントの中で先頭争いまでできる様になるかと言うと、流石に厳しいとは思います。
現実的にありそうなのは、山岳ステージでの下りの直線や高速区間で、ドラグに負けて失速する事で、上りで稼いだギャップを守って逃げるのが難しかったり、重たい選手に置いて行かれていたのは、いくらか改善できそうです。
特に日本の山間地域の様なカーブの多い峠道であれば、旋回速度自体は軽い方が有利なので、上りの強いクライマーがそのまま下りも逃げ切りやすくなる可能性は大きくなる筈です。
また、上りといってもちょっとした丘程度や、急勾配が始まる前の緩斜面で、ヒルクライムとは言いづらい様な比較的スピードの出る上りに入った時にもエアロ ドラグの低減は助かるかもしれません。
本来であれば、エアロ ドラグに喰われる筈の出力を登坂に振る事ができれば、より早い段階から強みである登坂力を発揮させる事に繋がるからです。
これに似た実際の状況は既に存在していて、メジャー レースなどの山岳ステージには2000mを超える様な標高を走る事がありますが、そういった高地では平野部に比べると、大気圧が低く、空気の密度も小さくなる為、ドラグも同様に小さくなっています。
例えば、平地での速度が48km/h.だとして、上り区間ではそれが32km/h.まで落ちる場合、エアロ ドラグは半分未満になりますが、高地では大気密度の低下から更にそのドラグが減る事になり、平地での48km/h.走行時と、高地での32km/h.走行時を比べると、ドラグは凡そ1/3程度まで減ります。
空気の密度が低いという事は、呼吸気中に含まれる酸素量も少なくなっているので、出力(と体格も)の大きい選手はその出力を出しきるのが難しくなる事もありますが、出力が小さい選手はドラグに喰い潰される出力が減る分、更に登坂に回せる様になり、クライマーとしての特性を発揮しやすくなります。
これに似た状況をエアロ パーツによって緩斜面でも発揮できる様になる可能性があります。
…とは言ったものの、これらは全て妄想であり、現実にはプロのロードレースにどんな変化をもたらすのかは全然分かりません。
実際にどうなるのかは「規制緩和」をして数シーズンの経過を観察する必要があります。
但し、レース中の痛ましい事故への懸念が無くならなければ、こう言った競技速度の向上に直接繋がる様な規制緩和の実現は難しいのかもしれません。
本来の優先順位で考えると、まず先により高い安全性と快適性を両立したプロテクター類や、車体構成部材の衝撃吸収構造の研究などを優先すべきではないか、という気もしています。
アスリート達がプロとして仕事で走る為には命を懸けなくても良い環境を優先して確保する必要があります。
それとは別に、これらのエアロ パーツ類によってホビーサイクリストの多くが「より小さな力」でも効率的に移動出来る様になる可能性もあります。
極限のスピードやタイムの削減を追求するのではなく、より小さな力でも楽しく遠くまでサイクリングが実現できる様になるのであれば、UCIの規定だとか認可だとかとは無関係に開発が進むと面白そうな領域なんじゃなかろうかとも考えています。
一般公道を走って楽しむのに、自動車だってFormula1等の純粋なレーシング カーである必要は無いのと同様に、「普通の人が一般公道でサイクリングを楽しむ」のに「職業競技者用規格のロード レーサー」である必要はあるのでしょうか。
天井知らずの昨今の車体の高価格化の原因もそこが大きな理由になっている可能性が高いです。
そろそろロード バイクの世界にも競技目的ではない楽しみ方や機材の開発に目が向けられてもいいんじゃないかと。(^_-)d
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azariy · 2 years ago
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本田宗一郎・ざっくばらん
【真理に徹す】
今度うちは三重県の鈴鹿に新工場をつくることになった。
僕は、この工場も浜松や和光の工場と同じように、エア・コンディション付の無窓工場にするつもりだ。
これなら外気の温度や湿度に影響されずにすむからだ。
日本にはずい分のん気な人がいる。
無窓工場なんてトランジスター・ラジオやカメラみたいな精密工業には必要だが、自動車なんてものにはゼイ沢だと思っている。
自動車はそんなにヤワなものではないということらしいが、精度を問題にしないその神経の図太さには恐れ入るほかはない。 それだけではない。
海辺に工場を建てようと考えている人がいる。潮風は、製品に悪影響があるだけでなく、機械そのものを傷める。
日本は島国だから、どこへ行ったって潮風はくるさとタカをくくるのはよくない。
あるピアノ会社が、社長の出身地だからという理由で、海岸のそばにピアノ工場を建てて失敗したことがあるが、これこそ音痴的なものの考え方である。
製鉄所みたいに、精密度はあまり要求されず、運送費の多寡がそのまま利潤の大きな部分を占めるというのなら話も分かるが、自動車みたいに高度な加工をやる工場を、単に運賃が安いとか、土地が安いということだけで海辺に建てるのはどうかと思う。
話を戻すが、エア・コンディションは、機械や製品にいいだけでなく、なによりも工場で働く人たちが気持ちよく働けるという利点がある。
最近は、冷暖房をする会社が多くなったが、それは本社だけ、あるいは重役室だけの話であって、工場の方は旧態依然たる有様である。夏は汗をかき、冬は吹きっさらしの中で仕事をしているところが多い。
これでは自由にして平等だとはいえない。第一、工場で働く人間を大事にしないような企業は長持ちしない。僕は自分が大事にされたいから、みんなを大事にする。
愉快��働いてもらって能率をよくしてもらった方が、どれほどいいか分からない。
設備は一度やれば一生なんだから、充分にしてもたいしたことではないと思う。
日本のように温帯にある国では、夏と冬の温度差が激しいから、余計働く人たちに気をつかう義務がある。
ドイツみたいなところなら、冬はべらぼうに寒くても、夏は窓を開けなくても仕事ができる程度だから、暖房だけあれば事足りる。
外国の工場も暖房しかないとそのままウのみにしては困る。
それから従業員に休息を与えるということを、何かマイナスになるというか、罪悪視する人がいる。
仕事というものは、何か目をつり上げて息もつかせずにやらなければいけないという固定観念にとらわれている人がいる。
TTレースに行ったうちの河島監督が帰って来ていうことには、うちのチームは、日曜も夜遅くまで仕事をやるし、風呂に入るにも順番を決めて、廊下にプラン表をぶら下げていた。
それをみたイギリス人が、日本人は何て能率の悪い国民だろうといったそうだ。
二宮尊徳流に薪を背負って本を読まなければならない国民にとって、団体生活をするときに、入浴の順番を決めることなんて普通のことだが、個人主義が徹底しているイギリス人からみればミリタリズムの変形にみえるのは当然かも知れない。
TTレースの期日は何年も前から分かっているのに、夜明かししなければならないというのでは、非能率にみえるのは無理もない。外国人の考える能率とは、働くべき時間にいかにたくさん働くかということで、休み時間に働くのは能率ではないわけだ。
この間、楠トシ江と対談したときにも話したが、僕が床屋に行って十五分でやってくれと頼んだら、やっと四十分でできた。いつもなら一時間もかかる。
そこで床屋のおやじ曰く
「あんたは遊ぶひまがあるんだから、その時間に床屋に来てくれれば、こうせかせないでゆっくりキレイになる」
そこで僕は 「冗談いうな、遊ぶために働いているんだから、床屋にきて一時間もかかってたまるかい。こんな能率の悪い床屋なら一生来ない」 と言ってやった。
本当のことをいって、人間は八〇%ぐらいは遊びたいという欲望があって、それがあるために一生懸命働いているのでないだろうか。それを働け働けといってヤミクモに尻を叩いても能率が上るわけはない。
よくイミテーション・パーツが問題になるが、イミテーション・パーツが出るのはメーカーの純正部品が高いか、高い割に性能がよくないか、潤沢に出回っていないかの三つの条件が満たされていない場合である。
この点は、うちも大いに反省しなければならない。しかしそのためにかくしナンバーを打つようなことはやらない。
そんなことをすれば、手間が多くなって能率が悪くなる。ならばその分だけ安くする方が先決である。
人間は疑り始めたらキリがない。
コップ一杯の水を飲むのにいちいち毒が入っていないかどうか疑い出したら、自分で井戸を掘って、毎朝水質を調べなければならない。
これはいささか極端な例だが、人は信用した方が得である。
うちは、クレーム部品の判定権をディーラーに任してしまった。
代理店といっても数が多いから、いい人ばかりではないかも知れない。
中には悪い人もいるかも知れない。
しかしそれはあくまでもごく少数である。そのごく少数の人のレベルに合わせて、何かいかめしく、人を頭から疑ってかかるような検査制度をつくっては、大多数のいい代理店は気分を害してしまう。
検査制度なんてものは、警察や検察局がそこら中やたらにあるのと同じことで、気持ちよく仕事はできない。
こういうものは非生産的なものだから、生産の中にたくさんあればあるだけ、モノが高くなるのは当然である。
また人間というものは信用してまかせられれば、悪い人も悪いことができなくなるものである。
逆に四六時中疑われれば、反感からいい人も悪いことをしたくなるものである。
そういう意味から、うちはディーラーに判定権をまかせてしまったわけである。
もちろん統計は一応とってあるから、ある一店だけ特定のクレーム部品がべらぼうに多く出るということになれば、チェックできるようにはしてある。
近ごろ、わが社は厳重な検査をやっています、といった広告が新聞によく出る。
しかし厳重に検査をやっているから、品物がいいというのはおかしい。
初めからつくる目的はわかっているのだから、つくってしまってから検査するのを、オニの首でもとったように宣伝するのはうなずけない。
つくってしまったものはあとに戻らないのだから、つくる前��、検査しなくてもいいようにすることがいちばんいいわけだ。
本当は検査なんかやらなくてもミスがないというのが理想である。その理想に近づくために検査員がいるというのならいいが、検査しなければいけないような品物をつくっていて、それを検査しているからといって自慢しているのではスジが通らない。
うちでも検査設備は、もちろん完璧なものにするよう努力しているが、それに頼ってはいない。検査員だってよそよりは相当少ないはずだ。
それに僕は、ミスを出すたびに検査員を一名ずつ減らすといっている。
人間が多すぎると検査はミスが多くなる。シビアな感覚がうすれてくる。
自動車というものは、人命を預かる機械だから、つくる側に徹底した慎重さが欲しい。
科学技術というものは、権力にも経済的な圧力にも屈してはいけないものである。
ガリレオが「それでも地球は回っている」とつぶやいたように、権力をもった者が、どんなに真理を否定しても、真理は真理として残る。
真理は一見冷たい。しかしその真理を押し通すところに、熱い人間の面目がある。
工場には、その冷たい真理だけがある。
真理だけが充満していなければならぬ。 こういう体制を押し通していけば、少なくとも機構上の欠陥からくる事故はほとんどなくなるはずだ。
悪いところに気がついても、いま変更したら金がかかるとか、混乱するとか、発表したばかりのものを改造するのはみっともないとか、変な面子がからんで、ズルズルと見て見ぬ振りをするところがある。
うちは面子がないから、悪いところを見つけ次第改造してゆく。ラインに乗せてからも一日に数回変更することもある。
そのために、工作機械の位置を大幅に移動させるようなことも少なくない。工場の連中も、初めは面喰らったようだが、いまでは、いつでも変更に対処できるような準備ができている。
とにかくお客さんには、うちで考える最良の品を提供しなければならないのだから、無理はあくまでも通すつもりだ。
いささか古い話だが、昭和二十八年に、うちの新車につけたキャブレターの性能が思わしくなかった。そこで売ってしまった一万台の車のキャブレターをすぐ取り替えた。
そのときの僕の考え方は頭をペコペコ下げたって、悪いものは悪いのだから取り替えるより仕方がない。
たとえそのお客さんと親戚になったって、夫婦になっても、キャブレターの悪いのが直るわけではない。
このとき、うちが取った処置が実に早かったし立派だったといってくれる人がいるが、僕はまだ遅かったと思っている。
よそとの比較でいえば早いかも知れないが、お客さんにとってはまだ早くない。
比較対照でいえば、カラスが白いのと同じである。いまだに僕はクレームの処理が遅いとどなることがある。
お客さんにとっては、取り替えるのに一分しかかからなくても、壊れれば遅いわけである。待っている時間は永久に帰ってはこない。壊れることは、壊れないことよりも絶対に悪い。
それからもう一つ考えなければいけないことがある。
それは、この工場の製品は九九%の合格率だからすばらしいと賞める人がいるし、賞められて鼻を高くする人がいるということである。
ところがお客さんは、自動車にしてもオートバイにしても、百台も買いはしない。
買ってもせいぜい一台か二台である。
もしその一台の車に、残りの一%の悪い車が当ったとしたら、そのお客さんにとってその車は一〇〇%悪いことになる。
だから工場というのは最低一〇〇%、理想的にいえば一二〇%くらい合格しないと話にならない。
お客さんというのは、金を払って自分が目的地に行くために走っている。
もしエンコすれば、ほかに直す人がいないから自分でいじらなければならない。
それが人里離れた山の中ででもあれば、分らないなりに全知全能を費やしてひねくるわけである。それだけにエンコしたという意識は痛切である。
うちがいちばん最初の五〇ccのバイクエンジンを売っていたころ、お客さんから電話がかかってきてエンコして動かない、こんなものを売りやがってとガンガンどなられた。
慌てて飛んで行ったら、ガソリンがなくなっていた。しかしそのお客さんは、二度とガソリンがないのをエンコと間違う失敗はやらなくなる。そこでそのお客さんは一段進歩したわけだ。したがって、売ったりつくったりする僕らが、お客を馬鹿にしていると反対に遅れてしまう。
ところが工場の連中は、案外こういった感覚が抜けている。
どうしてかといえば、その道の専門家が、その辺にいっぱい控えているからだ。
この故障は電気部品だと思えば、電気屋を引っ張ってきて、自分は知らん顔をしている。みんな技術屋でありながら、依頼心が強い。
そして実際のレベルは低くても、俺たちがつくっているのだということで、いかにも自分たちが専門家であると錯覚を起こしやすい。
お客さんから苦情が出ても、やれ使い方を知らないからだとか、それは一部であって全部ではないとか、勝手な屈理屈をつけて、真剣にその苦情の内容に取り組もうという気を起こさない。
このうぬぼれが技術屋をいちばん危うくする。
会社そのものを危うくする。
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projecthedz · 4 months ago
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250303 EXTRA
【9:15】
朝ご飯:コンビニおにぎり、トルティーヤチップス
恐らく人格排泄に通ずる「尊厳破壊」系のカタルシスなんだろうが、自分の記憶と人格を他人に上書きできたら何もかもめちゃくちゃになって面白いなだろうな、と思う
なおかつ上書き能力も任意に譲渡できる
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自分の人格を他者に上書きし能力を譲渡したら(人格はコピーされるが能力は元の身体には残らない)、自分という存在の「主体」は当然コピー先の方に移るだろう
その人生を面白くするにはそこそこの脚本力が必要だな。臆病だったらまず「使わず人生終える」だろう
私ならその能力を「使うために使う」
個に備わっている機能や可能性を「使い切る」ことこそが私の理性が求めるものだから
無論、それを使うことですぐさま社会的に追い詰められてしまっては意味がない
「人格押し付け」をされた側は自分がコピーである事を自覚したままその身体の中に閉じ込められる。そこから能力を譲渡され他者に人格を押し付ける事ができたとしても、本来の身体を失ったコピーの自分という立場は決して変わらない
この絶望感、ヤバい。主観的に感じる不幸さを誰にも共感してもらえない事に勝る不幸はないと思うので、複製人格の孤独感ってのは至高の孤独と評せるだろう...
うん。失うものなんもないんだから、複製の私はいずれにせよ「めちゃくちゃ」やるだろう。オリジナルの自分を恨み続けるかもしれないし、普通に手助けするかもしれない
ああ、机上の空論で妄想してた頃の俺は甘っちょろかったな、実際他者の肉体に乗り移った現実ってもんは想像を絶する困苦を孕むものだ、と思うかもしれない
オリジナルの私は罪悪感を抱えるだろう。自分の外側に自分と同じ記憶を持つ、決して私に成り代わることのできない孤独者を生み出したという事実に
ここまでの設定では肉体の持ち主の意識も記憶も完全に消滅する設定。都合よく混ざったりすることはない。だから上書き対象が築いていた人間関係を維持することは(私に特殊な演技スキルでもない限り)不可能だ
最初に人格を上書きする対象はホームレスにすると決めている。社会との関係性が断たれていればいろんな意味で都合がいいからな
ただその場合もコピーされた私の主観は「最悪」になる
いや、ある意味気楽か? いやいや、マジに寝るのにも食うのにも困る生活なんだぞ
どう使っても不幸の呼び水にしかならない能力だ。一度上書きしたら取り返しがつかないルールだからな
ダンジョン飯のライオスならどうにかやっていけるかもしれない
チェンジリング発動したの際の狂気的適応かんがみるに
———
【11:52】
ビッグボーイで確認。カバンの忘れ物はなし
残るは木曜20:00に入った地元のすき家と荻窪のケバブ屋。希望は薄いが、もういい
こんなことで萎えて同人落としてる場合じゃあない
不可能を超えるんだよ本来の自分には辿り着けない道を「当たり前」にするんだ
これくらいの負荷に耐えなくてどうする
自分をラジコンと思え、理不尽シナリオの中で生きる主人公と思え
希望を前のめりに潰すことで正しい絶望との向き合いができるんだ
絶望や尋常ではない負荷の中で折れない自分こそが誰かにとっての目標や希望になるんだよ
イエス、イエス、イエス
逃れ得ぬ運命というものはある。受け入れろ、数刻オア2日以内で
———
【13:20】
誰かの為に頑張る自分というものが、結果的に過去や未来の自分も救うのだ
過去と未来の自分はことごとく他者。だから他者を救おうとしないものは自分自身を救うこともできない
幸せとは不幸を全力で楽しんだものに抽選で与えられる人生のオマケである
オマケだけをズルして手に入れようとすれば当然ボッタクリや詐欺被害に会う
ケツイがみなぎった 自信+0.08V 総合2.18V
———
【17:00】
地元のすき家、忘れ物、なし。予想通り
今この瞬間だって、過去の自分のどの時間だって、自分にとっては最高に楽しい「もう一度味わい直したい時間」
未来の自分が「今回はここからでいいや」と思ってつい数日前にタイムリープしたのが今の自分
未来の記憶削除して戻るタイプのリープだからネタバレはない
ただ、私の人生は最後の瞬間まで素晴らしいという確信だけはある
じゃなきゃもう一回プレイするはずがない
どんなトラブルも素敵な未来に接続する為の掛け替えのないパーツだと思って前向きに生きる人生が素晴らしいものにならないわけがない
なるほど、これは面白いギミックとシナリオだ! と都度驚き、時に理不尽さに怒りながら楽しく過ごしたらいい
カバンを無くしたことで辿り着ける新しいステージが必ずある
それはどんな場所なのだろうな
———
【17:20】
ゲームが下手くそすぎる人を観てツッコミたくなる気持ち。それがあらゆるハラスメントの温床
ゲーム下手くそすぎる人はゲームをゲームと思っていない。攻略不能な理不尽な罰や災害めいたものだと思ってる
かくいう私も100%自分の落ち度でお金を失った現在、防衛規制(自分の心を守る為の防御反応)を発動させて罪悪感と後悔を意図的にパージしてる。内省やめて指出しグローブで雪山にチャレンジしようとしてる
今の私は正論をぶつけられる痛みに耐えられない。耐えるメリット見つける為の検索用トークンが足りてない
まあ、同人誌さえ出せれば趣味の次元においては「目標達成」だ
私は追い詰められないとなんもしないからな。バッファを棄てることで私を動かそうとしてくれているんだ、私のメタ自我が
いいさ。エア自信+0.02V 総自信2.2V
自己欺瞞やヒスを逆手に取った自信チャージは破滅フラグだと私の理性が警鐘鳴らしてる
ああ、ここから先はギャンブルだ。勝負を降りなきゃ今抱えてる含み損も確定しない
煌めけ! 私の凶運‼︎
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kennak · 4 months ago
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これは単なる愚痴、でも女性作家として直視しないといけないコト。 「【推しの子】のエンディングが」とか別にどうでも良くて、少なくない数の女性作家は【推しの子】の連載開始へ対して衝撃を受けたのは間違いがないんだ。 多くの女性向け漫画読者は理解している。【推しの子】のフォーマットは少女漫画のもの。かっこいい男の子が困っている女の子���助け、その身を心を傷付けながらも敵役をやっつけてくれる。 儚く闇があるキャラクター性も前段の幼児時代のエピソードが関係しているというのは、読者へ既に読ませているので作家と読者間で共通認識が取れていて序盤のストーリー作りの構成的にも無駄がない。 企画段階で非常によく練られた本当に本当に素晴らしい……少女漫画ジャンル作品だ。 そして【推しの子】はその魅せる巧みさから男女問わずの漫画ファンの中で一気に話題となり、編集部の非常に強力なバックアップによってメディアミックス展開を行なった。 赤坂アカ先生は既に実績ある作家だと言うことを加味しても編集部のメディアミックス展開の速度は迅速であったと評価せざるを得なくて、業界に身を置かせている作家という立場から同性の作家仲間や作家知人、作家師弟に至るまで当時は本当に驚愕をしていたことを思い出す。 アニメ化に至るとその反響は多くの少女漫画関係者が無視できない規模にまで膨れ上がってしまった。 「少女漫画じゃん」「少女漫画だよこれ」「今の時代に少女漫画がココまで行くの?」 思わず多くの少女漫画関係者から漏れ出た声だ。TwitterやPixivだけでなくYoutubeやTikTokなどのショート動画で若い子たちが【推しの子】に参加をしている様子を見て震え上がってしまった。 みんなコレを口に出したら絶望してしまうのでSNSですら言えない。今の私たち少女漫画関係者には【推しの子】を企画する力が作家にも編集部にも無いんだ。 約20年前の少女漫画、いや正確に言えば女性向け漫画業界では出版不況が現実味を帯びてきていて、どうにかして女性向け漫画を繋ぎ止めなければならないという問題があった。 そのときに一定の成果を示したのが小学館の少女コミック編集部で、これは当時「性コミ(しょうコミ)」と揶揄されるほどの過激路線を突き進むという解決策だったんだ。 いやその以前から集英社りぼん編集部が「ママレード・ボーイ」や「こどものおもちゃ」「ご近所物語」あたりで、あけすけな描写をするようになったという傾向があったけれど、流れを確定してしまったのは少女コミック編集部であることはほぼ間違いないと思う。 もちろん、この流れへ異を唱えるようにプラトニックな作品を推す声は作家・読者・編集者に少なからずあったのだけれど、少女コミックへの爆発的な反応は商業誌として無視できるわけもなく、各出版社はここから少女漫画というかBLも含んだ女性向け漫画業界は過激化のチキンレースをはじめてしまったんだ。 その結果に起きてしまったのは作家・編集部双方の企画力低下。 少年漫画がお得意の友情・努力・勝利・冒険活劇・暴力へ対して、少女漫画に影響を受けて繊細な恋愛描写を当たり前の様に取り入れはじめていた中で、少女漫画は(編集部から過激描写依頼があったにせよ)何ら工夫せずにこれまで通りの恋愛に過激描写を加えるという手法を取った。 少年漫画にも対抗できる篠原千絵先生や武内直子先生、CLAMP先生、松本夏実先生、種村有菜先生などなど多くの大作家を生み出したはずの少女漫画業界は、その多くは過激なエロを混ぜることしかできなくなり、そして過激なエロを混ぜなければ売れなくなってしまったんだ。 更に起きたことは、女性漫画読者が少年漫画(男性向け漫画)へ移行するという事態。 当たり前の話なんだ、少年漫画の方が設定のバリエーションが圧倒的に多い。過激なエロは無くも無いが当時は実際のところセックスまで至ることなんてごくごくわずか。 「ラブひな」や「いちご100%」でラッキースケベしてる程度であって、そのとき少女漫画はセックスするなんて普通の表現でレイプだの何だのが飛び交うような状況だったんだ。 「いやそんなのおかしい私はプラトニックで行くんだ」と編集部を説得して連載開始した作家は結局売れなくて短期連載で終了してしまい「やはり過激なエロがなければダメなんだ」と作家と編集部双方が部数を見て泣く泣く確信をしてしまっていた。 そのとき少年漫画では「テニスの王子様」「BLEACH」「魔人探偵 脳噛ネウロ」「武装錬金」「うえきの法則」「探偵学園Q」「エア・ギア」「おおきく振りかぶって」「あひるの空」「さよなら絶望先生」「D-LIVE!」「焼きたて!!ジャパン」などなど挙げればキリがない! こういう少年漫画へ女性読者が黄色い声をあげるのが当たり前になってしまった。このエントリを読んでいる人の中にも心当たりあるよね?少女漫画読まなくなったでしょ?当たり前じゃん!パッとあげた中でどれだけのジャンルがあると思ってんの?たった一部分しかあげてないのにこのバリエーションは当時の少女漫画にあった?無いよね? 少女漫画でも探せば出てくるよ?でも当時のあなた達がオタク友達と会話した中でその探し出してやっと見つかる作品の話題は出てきたんですか?と言いたい!こっちだって作家になるほどオタクやってんだわ、当時の会話の9割は少年漫画だったじゃん! 更に何が起きたと思う?本当に悲しいんだけど女性の新人作家の多くが少年漫画誌に行っちゃったんだよ。 これも当たり前の結果、だって彼女たちが、今の若い女性作家が憧れたのは少女漫画じゃなくて少年漫画なんだもん。恋愛と過激エロを何の工夫もなくやってる少女漫画じゃなくて、あの手この手で様々なジャンルと表現を読ませてくれる少年漫画に憧れたんだもん。 そして私たちが少女漫画で得たかった若者社会を巻き込む爆発的なヒットした少女漫画である【推しの子】の連載雑誌は週刊ヤングジャンプなんだよ……男性向け漫画雑誌なんだよ……。 【推しの子】は少女漫画じゃん、少女漫画なのに連載雑誌はりぼんでもなかよしでもSho-Comiでもなくヤングジャンプじゃん……。 過激エロに振った女性向け漫画業界の怠慢の結果、私たち女性向け漫画業界は【推しの子】を生む企画力を失っているんだよ。 女性も男性向け漫画雑誌を読む時代とかそういう問題じゃなく、女性向け漫画業界の怠慢が女性も男性向け漫画雑誌を読む時代を後押ししたのが問題なんだ。 本来、女性向け漫画業界が目指すべきは男性も女性向け漫画雑誌を、りぼんをなかよしをSho-Comiを買ってくれる時代だったはずだよ。 すべての女性作家に言いたい、少女漫画もBLコミックもオトナ女子向けも関係ない! 【推しの子】レベルのものを女性向け漫画業界として企画できる力を失っていることを声を出して認めよう。声を出し認めて女性向け漫画雑誌をどうにか再起させないといけないって更に大きな声で言おう! 私たちならできる!できるはずだよ!だって私たちはできることを少女漫画から学んだから!
女性作家の憂鬱、【推しの子】は何で少女漫画誌で生まれなかったのか
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endekashi · 5 months ago
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UKのほうてい野郎共。
UK Young Guns.
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本日は貸切ツアー。
イギリスからお越しのガンガン攻めたい若手のグループでした。
Today was a private tour.
It was a group of young people from England who wanted to go for it.
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ロンドン在住ながら各国の雪山を攻めている御一行。
上級ラインをご希望とのことでしたので、とっておきのスティープなツリーの二本立てをご用意しました。
フリージングレベルが高く、雪は最高では無さそうですが、地形重視で行きます。
The group lives in London, but has been attacking snow mountains in many countries.
They wanted an advanced line, so we prepared a double feature of a very steep tree.
The snow is not the best, but we are going to focus on the terrain.
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本日は全員スキーヤーなのでスプリットを持っている川上豪君にきてもらいました。
Today, since they are all skiers, we asked Go Kawakami, who has a splitboard, to come.
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出発前、コンビニにて。
美味いおにぎりを探すところから彼らの探検は始まっているのです。
At a convenience store before departure.
Their exploration began with a search for delicious onigiri.
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ガスが立ち込めてましたが、時折、晴れ間が差すタイミングもありました。
There was quite a bit of fog, but there were occasional sunny spells.
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みんな元気でハイクも早いです。
Everyone is in good spirits and hikes fast.
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順調にドロップポイントに到着。
でもちょっとガスってますね。
Arrived at the drop point smoothly.
But it is a little foggy.
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おにぎりでも食って待ちましょう。
Let's eat a Onigiri and wait.
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よっしゃ!そろそろいってみよー!!
All right! We are ready to go!
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初っ端からエアを決めてきました。
なるほど、こいつは玄人だぜ。
They jumped in from the very beginning.
Well, this guy is an expert.
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間隔の広い斜度のある林でご機嫌だぜい!
Good mood in the open wide, steep trees!
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バシバシ飛んできます。
They jump aggressively.
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最後の方はだいぶ雪が重くなってきましたが、いい斜面でご満悦いただいたご様子。
The snow was getting heavier towards the end, but they were happy with the good terrain.
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さて、2本目いってみましょう!
Now, let's go to the second one!
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おにぎりパーティー!!
俺のおすすめは明太子だぜ!
Onigiri Party!
My recommendation is mentaiko, man!
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巨人の彼らは行手を阻む倒木に苦戦。
俺?余裕です。
They were giants and struggled with fallen trees that blocked their way.
Me? I can afford it.
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ハイクお疲れ山でした!!
ちょっと休憩して行ってみますか!!
Thanks for the hike!
Let's take a short break and go!
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ドロップイーン!!
Drop in!!
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フォールラインに吸い込まれてって!
Don't defy gravity and get sucked into the fall line!
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ウヒョー!最高!
Wow! The best!
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イェーーーーー!!!
Yeahhhhhhh!!!!!!
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みんな上手いので見てて楽しいです。
They are all good and fun to watch.
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とにかくポイントを見つけては飛ぶ。
Anyway, They find a point and jump.
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あ!マッシュがある!飛ぼうぜ!
Ah! There's the mush! Let's hit it!
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あ〜惜しい!ギャハハハハハ!!
Ahhhh, that's too bad! Gahahahahaha!
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かっ飛ばすねえー!!
You're flying high!
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今年は雪が多くて穴もないし、マッシュも育ってて最高です。
さーて、結構雪が重くなってきましたよー。
This year is great, lots of snow, no holes, and the mash is growing.
Well, the snow is getting pretty heavy!
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雪が重くなってきても、隙あらば飛ぶ。
Even when the snow gets heavy, he jump when he gets the chance.
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下の方はもう雨で雪もペタペタでした。
それでも、最高な地形を楽しんでいただけたのではないでしょうか。
まだまだ降りそうですね!この後の旅も楽しんでください!!
本日もお疲れ山でした!&おしょっ様でしたー!
It was already raining and the snow was floppy at the bottom.
Still, we hope you enjoyed the great terrain.
It looks like it is still going to snow! Enjoy the rest of your trip!
Thanks again today!!
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moko1590m · 7 months ago
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空気は栄養。人間は空気から必須栄養素を吸収しているとする科学的証拠 著者牡丹堂・パルモ 公開:2024-11-28・更新:2024-11-28  仙人は霞(かすみ)を食べて生きているという言い伝えが中国にはあるが、まったくのデタラメではないのかもしれない。  オーストラリア、ニューカッスル大学の環境生命学者フラヴィア・フェイエット=ムーア氏らの研究によると、人間は空気から栄養素を摂取している科学的証拠があるのだという。 広告の下に記事が続いています  もちろん必要な栄養全てを空気から賄うことはできないが、少なくとも、ヨウ素や亜鉛、マンガン、ビタミン類など一部の必須栄養素が呼吸を通じて人間の体内に取り込まれているのだそうだ。  特に新鮮な自然の空気にはたくさん含まれているんだそうだ。ではその研究を詳しく見ていこう。 新鮮な空気は本当に美味しいのかもしれない  自然の中で深呼吸をすると、空気がおいしいと感じたことはないだろうか?実際においしいのかもしれない。  ニューカッスル大学のフェイエット=ムーア氏によると、私たちは一日に約9,000リットルの空気を吸い、一生では4億3,800万リットルにもなるという。  生きている限り常に吸い続けるのだから、そこから吸収される物質の影響は少しずつ体に蓄積していく。  厳密に言えば、酸素だって体が基本的な機能を維持するために必要な物質だ。すなわち立派な栄養素なのである。  だが、たった一度の呼吸で吸い込まれる個々の物質は、ごくごく微量なので無視されがちだ。  さらに栄養素といえば、食事から摂るものという固定観念があるので、呼吸によって栄養を摂取しているとはみなされない。  フェイエット=ムーア氏に言わせれば、呼吸するものだから、口から食べる栄養のようには注目されないのだ。  そのため、これまで空気が健康に与える影響を取り扱う研究のほとんどは、汚染をテーマにしたものだった。  空気から悪いものを取り除くことばかりに着目し、空気からいいものを取り入れようという発想がなかった。  だが、過去の研究を見れば、空気から摂取される栄養は酸素だけでなく、ビタミンのような必須栄養素だって同様であることがわかるのだという。 お花畑で深呼吸する女性 この画像を大きなサイズで見る Photo by:iStock 呼吸によって摂取される「エアロ栄養素」  フェイエット=ムーア氏は、そのような空気から摂る栄養を「エアロ栄養素」(空気の栄養の意)と呼んでいる。  これに対し、普通の食事から摂り、腸から吸収される栄養を「ガストロ栄養素」(お腹の栄養の意)という。  エアロ栄養素は、鼻・肺・嗅上皮(ニオイを感じる部分)・中咽頭(ノドの中間部分)の微小な血管を通して体に吸収される。  たとえば、肺は腸の260倍もの大きな分子を吸収できる。それがそのままの形で血流に乗って、脳にも吸収される。  実際、タバコのニコチンや麻酔薬といった化学物質なら、数秒以内に体内に入る。このとき、口から摂取するよりずっと低い濃度でも、はるかに強い効果が発揮される。  一方、腸は、酵素や酸を利用することでまずは物質を小さく分解する。それが血液に乗れば、さらに肝臓によって代謝や解毒がされる。  こうしたプロセスを経る腸は、デンプン・糖・アミノ酸を吸収するのは得意だが、一部の薬を吸収するのが苦手だ。だから経口で投与する薬を開発する際には、工夫が必要になることがある。 この画像を大きなサイズで見る Photo by:iStock 空気から栄養を摂っている証拠は昔からあった  フェイエット=ムーア氏によると、空気から栄養を摂取することを示す証拠は昔からあったのだという。  たとえば1960年代の研究は、ヨウ素濃度の高い空気の中で作業をするクリーニング業界の労働者では、血液や尿にヨウ素がたくさん含まれていることを示している。  もっと最近では、アイルランドの海藻が豊富な沿岸地域で暮らす子どもたちは、やはり尿のヨウ素レベルが高いことがわかっている。  そうした子供たちの食事はほかの地域と変わらない。違うのは、大気のヨウ素レベルが非常に高いことだ。  じつは海藻は海水からのヨウ素を濃縮している。そのために沿岸地域では、大気中のヨウ素レベルが高くなる。  このことは、海藻が豊富な地域で暮らす人々は、食事では足りないヨウ素を空気から補完している可能性を示している。  まさしく空気から栄養が摂取されていると考えられるのだ。 この画像を大きなサイズで見る Photo by:iStock  またマンガンや亜鉛は、鼻の嗅覚ニューロンを通じて脳に取り込まれる。このことは、マンガンの濃度が高い空気を吸う溶接工で実際に確認されている。  嗅覚系や呼吸器系にある繊毛(毛のような構造)には、コリン・ビタミンC・カルシウム・マンガン・マグネシウム・鉄・アミノ酸など、さまざまなエアロ・ニュートリエントに結合できる受容体が存在することも知られている。  さらに70年以上前の研究では、ビタミンB12欠乏症の患者に、エアロゾル化したビタミンB12を吸い込ませると効果的に治療できることを明らかにしている。  ビタミンB12欠乏症は、ベジタリアンや高齢者、糖尿病患者やお酒好きに多い。だから、こうした人々にとっては、空気から吸い込むビタミンB12が大切になると、フェイエット=ムーア氏は指摘する。 バランスの取れた食事には空気も含まれるかも  今後の課題は、海や山など、各種自然環境の空気にどのような成分が含まれているのか調べることであるそう。 この画像を大きなサイズで見る Photo by:iStock  そうして判明した成分から、実際にエアロ栄養素になるものを特定していく。  また、そうしたエアロ栄養の候補をどのくらい吸収すればいいのか究明することも大切だ。  これは飛行機・病院・潜水艦・宇宙ステーションといった空気がろ過されている場所で特に重要になるとのこと。  こうした研究が進めば、いつの日か、空気から摂るべき栄養のガイドラインも作られることだろう。  そのとき、バランスの取れた食事と言えば、食べ物だけでなく、美しい自然の中での深呼吸も含まれるようになるのかもしれない。  この研究は『Advances in Nutrition』(2024年10月30日付)に掲載された。 References: Air is an overlooked source of nutrients – evidence shows we can inhale some vitamins 広告の下にスタッフが選んだ「あわせて読みたい」が続きます あわせて読みたい 空気からバター?二酸化炭素と水で作ったバターが本物と同じ味だとビル・ゲイツも絶賛 太陽光だけを利用し周囲の空気から飲料水を採水。持ち運び便利な小型装置が開発される 人工肉最前線。空気をタンパク質に変えて作る肉「エア・ミート」 空気中には動物のDNAが漂っている。吸い込んで採取したDNAから動物を特定することに成功 雷に強力な空気清浄効果があることが判明、温室効果ガスを除去
空気は栄養。人間は空気から必須栄養素を吸収しているとする科学的証拠|カラパイア
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m1sak1momona · 7 months ago
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春霞 四方山話
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JGエイプリルフールのエア新刊ネタまとめの「春霞」に収録していた四方山話をこちらにおいておきます。四方山話はエア新刊それぞれの繙きと過去ツイ(JGmomentと重複します)をふまえて構成されてます。
絵はクロスフォリオにまとまっています。
「空に沈む」 タイトルについて 【空】そら、から、くう ①地球を覆う大気。天。 ②からっぽ。中身がない。 うつろ。 ③空気。 ④むなしい。むだ。 ⑤あな。つきぬけたあな。
「空」は好きな音で読んでください。
空と反対に位置するような動詞って何だろう?と探してみて、「沈む」をあてました。言葉が音にならないような。空気として消えるような。そんな意味も付随できました。最初のときはこれっきりのつもりだったので、暗に「嘘」っぽいニュアンスも入ればな、の気持ちがありました。
発端・繙き 「三好」は、アニメや舞台で一番セリフあるな、話してるな、饒舌なのかな?という認識が強かったこともあり、日頃よく話す人が静かなだけで不思議だな、明け透けな言い方をしている人が言葉を噤んでいたら怪しむな、というところが始まりです。いつもながら、実際のところどんなカバーだったのかは分かりませんけれど。「三好」だった彼はどうだったんでしょうか。「三好」である間は、内在していた言葉を紡ぐことは気楽だったのでしょうか?
三好について思うこと まつげが長く、真直ぐで伏せがちな人の瞳にはハイライトが入りにくいので、三好はそんなイメージ。女顔ではあるけれど男性を感じられるようなバランスを目指したい。 彼が鏡をずっと見てるのは設定上は自己愛としているけれど、実際は装うことにとてつもない不安を感じていたらいい。完璧であることを確認しているけれど、完全なる自分ではなく不完全ではない自分を見ている。記憶無し転生D組設定で(何故か鏡をずっと見てしまうのが癖になっている。自分の顔など全く好きではないのに。) とかさせたい。これは妄言。 機関員��お兄さんたちがどこまでカバーでどこからが素なのかは深淵すぎるのですけど、三好の猫嫌いが素としては愛猫家で顔がゆるんでしまうから三好としては触れあわないとかだったらすき。よい。
「僕の様子が普段と違う?」 「僕らが変わったと思う様になったのならば、それは貴方が変わったのですよ。」「僕らは何一つ、変わることはありませんから」「貴方の変化が見てとれるなんて、まるで鏡みたいでしょう?」 莫迦なことを言う。人間である以上不変であるはずがないのに。……しかし、彼らは「人間」なのだろうか。
機関員たちはカバーを変えてるけれど、「彼ら」のカバーそのものは何も変えずに、人によって、時によって抱く印象が変化する、そんな鏡の様な彼らも見てみたい。
「割りたい赤」 タイトルについて 「赤」には風船を抽象化していることに加え、生命(肉感、血、エネルギー)のイメージが強そうな色として選びました。対称的にストレートな言葉をくっつけています。他に比べると、ひねりが少ないタイトルになりました。
発端・繙き 風船(浮かんでいる、軽い、楽しい、ふわふわしている→明るさや身軽さを感じる物)を過去とか自由とか未来だと考えて、それを貸してくれないかって、過ぎし日の幼い自分に請うて「お兄さんそういって割っちゃうんでしょ」って断られる機関員さん。持つ者、持たざる者、手放した者。 信条「死ぬな殺すな囚われるな」でございますけれど、夢の中とか脳内で気に入らない、とか眼中にないとかそういう周囲の人を殺してる殺戮犯な機関員の話みたい!基本的には、血濡れにはならないはずの機関員さんたちを、どうにかこうにか血濡れにしたい!の具現化です。 この時はエイプリルフールなんか描きたいけどネタないからエア新刊をこすろう、位のきもちです。三好の次で描きやすい人選んでます。
実井について思うこと 青年でありながら少女のような可憐さを匂わせる雰囲気をまとっている人であってほしい。見事な幻影。外見が、無邪気さも繊細さも似合うのずるい。声音が落ち着き払っているのもすごい良い。(中の人が何時だったか「時期によって意識的に性格変えてる」って話してたのも、うわってなっていマス。記憶違いだったらごめんなさい。余談。) 一応アニメ公式(パロディ含)だと豪胆さ、強引さの味付けが入っている様に思うのでギャップで固められている。なんなんだ? 実井さんには「蓮」が似合いますねの話をここにも置いておきます。過去『而今』で描いてるけどいつだって描きたい。(而今の解説的でもある。)蓮は泥と共にある。「泥から美しい花が咲く」又は「花の下は泥」という風景を踏まえて、彼には蓮池の花の中に居てほしい。彼の足下には深い泥が広がっている。彼「自身」が泥とでも、泥の中でも輝かしいと解釈してもいい。
清澄でも汚濁でも。 神聖さも世俗さも。 厳格さも奔放さも。 両立する。と思っています。
「だって頭の中(ここ)では僕がカミサマ」
「なんだい、人を殺したことがあるようなことを言うね」 「馬鹿言わないでくれ、不殺の誓いをたてているんだ」「〝俺〟の意思で手をかけたことなんかないよ」 「〝あいつ〟は如何だったか分んないけどサ。」
「斎を食す」 タイトルについて とき【斎】 お斎。葬儀・法事の際に出す食事。 食事にまつわる行為そのものが弔いのよう。
発端・繙き 3回目ともなり、そろそろ恒例化しようかな~と企み始めた頃です。3人目は福本さんにしようかというところから、福本さん→料理、食べることから膨らませていきました。 彼に何を食べさせるか、食べたいと思うのか?を始点に、「福本」にとっても不可能なものを望ませよう→人間とか星とか魂とか、が候補になりました。人間は血肉が連想され「割りたい赤」ぽい、星は空が連想されて「空に沈む」ぽいな~となり、魂を採用。死んだら魂は何処へ?魂は存在するのか?肉体は魂の入れ物なのか?外殻でしかないのか?幽霊は魂なのか?そんなことを考えながら魂を食べるにはどうしたらいいか探求して試そうとして失敗しても諦めない話かも。『英霊の声』をみすあこんの課題図書として読んだ後(「11.25 自決の日 三島由紀夫と若者たち」も観た)だったことが多大に影響しているのか、あの時代の中での死とか、軍人としての死とか、「神国」での死とか、を頭に過らせながら拵えたネタでした。
福本について思うこと アニメ、舞台を通してひときわ変装(人相)の幅を見せられていることもあって、像が固まらない人です。固まらないからこそ、福本さんは「無」になれる人だと考えており、自我を封じ込めてるというよりは、元々何もない感じのミステリアスさが出るといい、と思いを込めて描いている節がありマス。身体的特徴として背が高い点は、画として気にしてます。 得意な料理はなんだろう~。(急な方向転換)献立行き詰って婦人誌も目を通してるのか、多様な料理店に潜り込んで修行しているのか。一度口にしたものは再現できる系なのか、再現できるまで研究タイプなのか、抜群に調理センスが高いのか、 出自に関係するのか。新規レシピ開拓、栄養バランスの調整、見目、おいしさ、特殊食材・機材に興味があっても、極めたら無関心になるタイプでも「ぽい」のがまた。調理は几帳面さ・柔軟さ・こだわりのバランスだと思ってるので、勝手に納得できてしまうところではある。
人はどうしたら神なくして聖者になれるか。
神国なんて春の夢だよ。
なぁ、お前はいつ神の正体に気づいたんだ? ─さぁな。「俺」が生まれた頃じゃないか? ─そんなの、神が救ってくれなかった時に決まっているだろう。
「あいをかたる」 タイトルについて かたる【騙る】 偽る。うそをもっともらしく話し、人を欺くこと。 かたる【語る】 話す。物事を順序だてて話して聞かせる。 同音異義語ダブルミーニング大好き人間なので、いつか語る・騙るは使いたかったのでここぞとばかりに。これまたエイプリルフールで嘘の話をしています。今度はどんな嘘をつかせるかと考えて、「愛」だろうなと。(今度はっていつもか、、 ※恒常的なのかどうかは私的見解です。)
発端・繙き 「愛される人を演じるのは得意なんですよ、」 (愛なんて知りませんけど) って機関員に言わせたい、を昇華した形ですね。 軽く言っている様に見える人。ホラ吹きであることと周囲への影響に自覚的な人。愛されることに一家言ありそうに見える人。この三つの基準を薄ら頭に入れて選抜しました。一家言ありそう・というのが大事。どうせ、あるわけないんだし。(失礼)彼らにとっての「愛」とか、愛する・愛されるとか、どう考えているんだろうか。 人間的?冷たい?温かい?綺麗?汚い?軟派?遊び?枷?重荷?面倒くさい?過去?手の届かないもの?考えたこともない?強い感情(肯定・否定どちらでも)を抱いていても、無関心でもいい。愛に飢えていても、満たされていても、放棄していても、しまい込んでいても、壊れていても。正面から向き合っていても、目を背けていも、雑に扱っていても、丁寧に手入れをしていても。結局なんだっていいんですよ。どんなバランスでも相性良いな。
神永について思うこと ほか7人と比べると声に明るさ、ハツラツさを感じているので「神永」としてはお調子者…ひょうきんな面も見せ、楽しくて面白く、親しみやすい人という印象を与えてるんだろうな、など。あとは隠そうともしない自負心が溢れているな、と見てます。だからこそ、ひとりでいるときの静かさとの差が大きく見えそう、というイメージ。まじめ、何事もそつなくこなす、努力を感じさせないが素地かも?まァ、「努力を感じさせない」は、彼ら全員に当てはまるか。 今回書き出していて。神永さんへの思い入れが無いことに気づきました。好きとか嫌いの軸にはいないのですが、機関員の器として理想すぎるのかも。この後にも続きますけど、目の前の彼は、その肉体と精神(素)とカバーは一体「誰」といえるのか。
彼であって、彼ではない。
瓜二つなのに別人だった。 似つかないのに「彼」だった。 忘れられないのに、上手く思い出せないなんて。
「蛻の體」 タイトルについて もぬけ【蛻】 蝉や蛇が脱皮すること。ぬけがら。中身が空っぽの状態。もぬけのから。 「もぬけのから」、「もぬけのから、だ」という状態説明、「身体(からだ)」そのものが抜け殻であると意味したい、の要素から音で遊びました。 斎を食すの體の話にも近いですが、「カバー」の言い換え、カバーを変更していく彼らを形容する言葉を、探すことが度々ありまして。 面・顔・頭・服・影といった外見、あるいは脳、人格─意識・思考・性格・心といった中身のどちらを変えているとするのか?と考えたりするんです。考えたところで、どちらも変化しているのでしょうけども。そこから、脱皮を繰り返す→抜け殻を増やしている、殻の中で変容する人の意で「もぬけのから」と結びつきました。空蝉も良かったですが、漢字の重複を避けるのと意義も広かったので。 煙と機関員で何故タイトルが蛻なのか、抜け殻の中身が煙の様。彼らの抜け殻って風で消えそうだな。そんなニュアンスです。実体が残らない感覚?薄れゆく記憶の中にだけ存在している抜け殻、みたいな。
発端・繙き このエイプリ���フール遊びもいつまで続けるかわかんないし!描きやすい人はもう波多野さんしかいないよ!描かないと!から決まりました。他とテンションが違すぎる。波多野さんで描くとしたら何を描きたいか?となると、喫煙している、煙草と波多野さんを描きたくなって。アイディアスケッチにも喫煙波多野さんがいくつかありました。でも結局、この中では手にはしているけれど、喫煙の様子は描いてないな。アレ?
波多野について思うこと 強く少年らしさ(未熟・幼さ・純粋さ)を感じる様相の中に、成熟している内面がちらつくといいな、と思いながら描いてます。立ち絵で見せられている波多野の「生意気」「少年ぽさ」と、お当番回と舞台での彼から感じられる知性の空気は大事にしたいです。(彼らの中で相対的に)小さい、童顔のビジュアルがただ欲しくて描くときもありますが。とにかく描きやすくてビジュアルの推しなのだろうと思ってます。
吐き出された紫煙の奥に隠れた彼の表情を想像して、狼狽える。どんな顔をしているか分からなくて、ふいに不安になった。 ぼやける輪郭を信じていいのだろうか。 そうだ。きっと。いつだって。彼を捕らえて、留めておくことなんて、出来やしないんだろうけど。
せめて、この一本が灰になるまでは、自分の前では「彼」のままでいてくれないか。
「渺たる影」 タイトルについて びょう 【渺】 水などが限りなく広がっているさま。果てしないさま。 はるかにかすんでいるさま。
普段使わないような馴染みのない言葉で、含みを持たせるのも好き人(すきんちゅ)です。いつもいつも言い換えやら類語やらを漁って引っ張ってきてます。
水光─水面の光の反射の眩さと、落ちる影─虚像の暗さ。遠景で眺めたときには凪いで見えても、近づくと止めどなく揺らいでいることに気づくところ。大小さまざまな寄せては返す波。静けさも荒々しさも想像させるところ。大きさと深さを感じるところ。海(あるいは水面)の要素から。
発端・繙き 甘利さんには、暗号名ケルベロスが「海」回なこともあり、水面や海、波のイメージが自分解釈のなかで紐づいています。 大らかさや、凪いでいる雰囲気が「甘利」のものなのか、「彼」のものなか。 彼の浮かべている笑顔について、いつも笑ってる。なんで?口が笑ってる?目が笑ってる?声が笑ってる?何が楽しいんだろう。癖?無意識?意図がある?と思うことがあります。 この二点を合わせて捏ねくりまわしてみました。 画的には、前々から「絶対見せてくれないだろうけど、機関員の瞳からつたう涙が見たい」願望がありまして。カバーによっては、多様で絶妙なさじ加減の感情表現がされていると思いますが、涙を人に見せる場面ってそうそう無いと思うんですよね。あの時代の男児なのも相まって。そこで感情の発露ともいえる涙が見たいな~という。ただ、前述をもとにすると「泣き顔」なんて到底思い浮かばないので、顔に当たった水滴がつたう、という描き方をとることになりました。『夢寐の紗幕』七夜も然り。
甘利について思うこと 甘利さんは、余裕を感じるのにどこか翳る笑顔が似合うと思います。優しい皮を被った冷血漢・残虐非道がいいな…にじみ出てる気もしますけれど。(言いがかり)波多野さんもですけど、甘利さんは前髪が長いので、目を隠せる!楽しい!の気持ちで描きます。物理的にも隠せるし、影の中にも隠せる。良い。笑顔と目元が隠れる解釈から「翳る笑顔」の印象があるのか……。 描いてきた甘利さん見直してみたら、結構「無」だった。冷たさを求めすぎ?お当番回の画はあんなに明るくてまぶしいのにね。
「ひとつ、問題を出そう」 浮かんだり、沈んだり。 止まったり、流れたり。 映ったり、消えたり。 澄んだり、濁ったり。 溢れたり、枯れたり。 さて、其れは、何でしょう?
「種も、仕掛けも、あるとか。ないとか。」 タイトルについて しかけ【仕掛け】 ①相手に対して、攻撃などをすること。 ②目的のために装置や策など工夫されたもの。 ③物事をし始めて中途であること。 ④やり方。手段。 手品の常套句「種も仕掛けもない」をいつか使おうと決めて早○年……。
発端・繙き いざ田崎さんのネタを誂えるとなったときに、過去絵で勝手に藤を宛がっていたので、藤の噺を描いてしまおうか、とも考えたりも。鳩も手品もタロットカードも汽車もある。モチーフ多すぎ。取っ掛かりが多すぎて迷い、後回しに。描いたことがなかったジョーカーゲームトランプを描くことを決めたので、カードマジックの中から簡単な「カード当て」を選びました。シャッフルやカードを並べる仕草だけでも、動きが大きくて派手に見えてイイ。代わりに作業コストはおかしかったですが。写経です。絵の中に使われたカードの柄とか数字とかはグループ分けツール頼みです。 今回は悪魔の証明─「存在しないこと」の証明をほんのり用いながら、逆説として証明できるなら「存在する」ことにされる、という切り口で組み上げてみました。舞台の田崎と福本がスイッチするアレです。その証明の正誤は誰が決めるのか。手品は「種も仕掛けもある」ことが前提ですが、トリックを見破れないなら「種も仕掛けもない」と言ってもいいのでは?という話。
田崎について思うこと 田崎さんの天然さはカバーなだけなのか、素なのか図りかねてます。どうにもコミカルな雰囲気がついてますが、爽やかな人に見せたい気持ちも。田崎さんへの思い入れも薄い…いや鳩に占領されているといった方が正しいか…。
機関員と嘘について 「カバー設定がある」ことが嘘とか、「全て偽りである」ことが嘘、「嘘が嘘」っていう解けない謎な世界線の彼らは、真実を「嘘」だと振る舞い続けるのもいい。「これから、嘘をつきますね」が嘘で、その後から真実を話してもよい…。
本当の偽物、真実の嘘 素顔の化粧、本性の芝居
「偽物であることに関しては 本物だよ」 スパイたち、全てが嘘であることを知らない世界線で、「嘘だよ」って言ってくれ。 眠りに落ちる瞬間の夢か現かはっきりしない微睡みの中、煙草の煙を吐くと同時に、すれ違いざまに零すようにして、さよならの後とかに。それまでの会話か、最後に交わした言葉か、そのときの感情か、それとも彼の全てか、或いは「嘘」そのものか。何に対してかが不明瞭な「種明かし」。
孵化失敗 タイトルについて ふか 【孵化】 卵がかえること。 変身することを新たに生まれる、として。
発端・繙き 最後を小田切さんにするのは、全員分描くか~と決めると同時に考えてました。
さて、「化物たちは、最初から化物だたのか?」というのも、この作品に対して当初から勝手に抱いている禅問答です。過去に「化物たちのこと」でも描いていますね。化物に成る返信や可能性といわれるものを磨き、晴れて?化物に成ったのが彼ら・と今回は定義しております。再生、転生、生まれ直し、どこから?たまごから?化物の「たまご」をかえそうとした?では、成功したのか。そう言い換えるとするならば、小田切は失敗とされるのではないかと。単なる人生の、人格の良し悪しという軸ではなく、化け物に成るという点において。彼の自意識として、そう判断しそう。ただ化物になれなかったところで、人間にだって完全に戻れるわけではないのかな、と考えているので、半端物とかならずものとか、そういう表現を用いてしまします。広義で使わせてください。
小田切について思うこと 彼を描くときはなるべく、中性的にならないように気を付けています。清潔、精悍さに宿る可愛らしさや色気がでているとうれしいです。小田切さんを描いているときに、よく胸元(心臓付近)を、こう、いじるのすきで…。とある絵で、小田切さんの心臓をえぐって?るのですが、あれは心を捨てても、捨てきれない、捨てることを躊躇していたことへの皮肉だったり?
『而今』にて、月下美人と小田切さんを描いた頃から、月と彼を重ねるのも癖になってますね。移ろう姿を唯一見ているので、凡そその影響が強いですね。満ち欠け、明暗が巡るところ。影でもあり光でもあり、その光は自分で発しているものではないとか。再生の意味だったり。満月の夜は闇が事を起こすには最適。諜報活動には「夜」という時間は切り離せない。つまり、月も切り離せないというイメージもあるかも?
任務中に君はどこに住んでるの?的なニュアンスの「どこに帰るの?」という問いかけに対して「帰る場所なんてないんだよ」って笑顔で返す機関員さんをおもう。
かえる場所は、どこに。
いや、そんなものは葬った。 待っているのは、真っ黒な孤独だけだと。そう教えられたじゃないか。
それなら、葬れなかった己はどうすれば?
はるがすみ・はるかすみ 【春霞】 春先の遠くの景色をぼんやりとさせる空気のこと。
えいぷりるふーる 【エイプリルフール】 April Fool’s Day 日本語直訳では「四月莫迦」。 毎年四月一日には、悪戯や罪のない嘘をついてもいいという習慣のこと。
あとがき あるけどない、ないけどある。存在することに意義があるのか、存在したから意義があるのか、存在を誰が定義するのか、そもそも意義が必要なのか?みたいな答えがないところから始まって、現実と非現実・実在と不在の境界が揺らいでる感じや、無にも人にも神にもなれるし、なれないところが好きなのだと思います。最近、モキュメンタリーやARG─代替現実ゲームというものを知り、親和性の高さを感じています。
「ねぇ」「何。」 「貴様は〈己〉のことをどれほど理解している?」 「…またくだらないことを。俺自身、なのだから全てだろうが」 「ウソ。俺は貴様以上に〈貴様〉のことを知ってるよ」 「なんだ、貴様が〈俺〉か。」 「さてね。」 「まァ、俺自身はこの世からいなくなったがな。」 「…そうか」 if:機関員の「カバー」が、機関員たちそれぞれの「過去」のシャッフルだったら。最終試験までに自分の過去が脱落すると、その時点でこの世からいなくなる。頭を使いそう。でも読んでみたい。会話してるのは、お好きな二人でどうぞ。訓練時と最終試験時でカバーを変えていたらどうだろう。機関員八人の中でシャッフルしているかもしれない。訓練時から継続だったら?「過去」を見送った輩もいるのか…とぽやぽや。飛崎によって完全に死んでしまった「小田切」は誰だろう。訓練任務での瞬間的なカバーから機関員のカバーに戻る。「彼奴」には戻らない。役者さんへ自分の役以外で演じてみたいのは?っていう質問、良いですよね。
かつての「俺」を見るのが楽しい俺は、かつての「彼奴」かもしれない。
エア新刊の新刊です。カラー、白黒のページを混ぜたくて、仕様が面倒になってしまったのでコピー本です。包み紙とシール使いたいのもあったので取り入れて。一冊にまとめるのも骨が折れたので分冊に。その流れで空白が誕生したため、読まなくても差し支えない各話ネタの発端と繙きについてと、各々への見解やssめいた過去ツイをふまえた四方山話を置いておきました。起承転結をつくる気もなく、描きたいところだけを描いて、楽しみました。見てくださりありがとうございます。
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gamedoinc · 8 months ago
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2024.10.29 はしゃまりデビュー!?
むっちょです。
ゲームドゥに在籍しているワンコたちは、オフィス内を巡回しては気になった人の席の後ろに乗り癒しを与える、という役目を担っています。初代癒し犬のぷえなさんはもちろん、二代目エアさんもしっかりとこの役割をこなしていました。 どうやら椅子の背もたれと背中に「はしゃまれる」感じが落ち着くのか、一度乗ると数時間は動きません。 私もよく席を占拠・・・いえ後ろに乗っていただき癒しを貰っていた一人であります!
三代目のルク君も最近は意欲的にオフィス内を回ってるし、きっとこの役目を全うしてくれるはず!と思っていたのですが、あれれ・・・?ぜんぜん乗りに来ないぞ・・・? 試しに椅子の上に乗せてもすぐ降りてしまいます。何度やっても椅子の上が落ち着かない様子。
この伝統は途切れてしまうのか~と最近は諦めかけていたのですが、なんと先日、中村社長の席の後ろに「はしゃまって」くれたようです! 写真も見せてもらい、「本当だ・・・!ついに癒し犬としての自覚が・・・!?」と感動のあまり涙が出そうです。 ならばきっと我々の椅子でもいけるのでは?と意気揚々と試した結果、ごらんのとおりです。ダメでした。おやつをチラつかせてようやく乗ってくれる感じでした。 でもいつかきっと自分から乗ってくれるはず!それを信じて我々は待ち続けます!続報をお楽しみに!
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moderndays · 9 months ago
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Recommended Books 【アート・Art・芸術】
ヴィルヘルム・ハマスホイ 沈黙の絵画 (コロナ・ブックス) 単行本(ソフトカバー) – 2020/1/26
佐藤 直樹 (監修)
日本にハマスホイの世界を紹介した第一人者の監修による、本邦初の作品集!
「北欧のフェルメール」とも謳われる、デンマークが生んだ孤高の画家ハマスホイ。 その静謐な画風になぜ人は魅かれるのか? 謎めいた室内画を描き続けた画家の、その隠された魅力に迫る決定版! 参考図版を含め、総作品数78点を収録。
◎目次 序章 ハマスホイ コペンハーゲンのスキャンダル 1章 時代のはざまで パリとロンドンに現れたデンマークの異端児 2章 メランコリー 誰もいない風景 3章 静かな部屋 沈黙する絵画
◎コラム ハマスホイとコレクター 佐藤直樹 ハマスホイが会いたがった人物 ホイッスラー 河野 碧 暗示の絵画 ハマスホイと象徴主義 喜多崎 親 ハマスホイと写真 佐藤直樹 ノルウェーの美術史家アンドレアス・オベールによるフリードリヒの再発見 杉山あかね ドライヤーとハマスホイ 小松弘
芸術がわからなくても美術館がすごく楽しくなる本 単行本 – 2015/9/23
藤田 令伊 (著)
「美術館の雰囲気は好き」 でも、十分に楽しめているかというとちょっと疑問に思ってしまう人のための本です。
本書を読めば、深い芸術の知識がなくても、美術館を存分に楽しめるようになります。
・美術館のカフェに座れば「人生の景色」が見えてくる ・金曜日の夜に訪れると、素の自分を取り戻せる ・美しい庭から、美術館に親しむ ・美術館を早足で歩くと、好きな作品が見つかる ・イヤホンガイドを上手に活用するちょっとしたコツ ・一つの作品に3分間かければ見えるものが変わる ・「エア買いつけ」で作品をシビアに見る etc
今すぐできて、自分のものの感じ方や見方が驚くほど変わる方法をご紹介します。
「怖い絵」で人間を読む (生活人新書) 新書 – 2010/8/6
中野 京子 (著)
名画は語る。人間って、怖い…… 名匠ベラスケスの手による、一見かわいらしい王子の肖像画。 しかし、その絵が生まれた“時代の眼”で見ていくと、人間心理の奥底に眠る「恐怖」の側面が浮かび上がる。 悪意、呪縛、嫉妬、猜疑、傲慢、憤怒、淫欲、そして狂気……。カラー掲載の名画33点から見えてくる人間の本性とは??
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tokoyonomori · 10 months ago
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2週連続でキャンプ3連発
更新忘れてたので事後報告的な感じで…
■8/3-8/4: 安平町で
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湿気がひどく、日付が変わったあたりから激しい雨に襲われる。撤収はチェックイン時に7枚も貰ったごみ袋を活用して10分以内に完了。 【教訓】 ・カーボンフェルト製焚火シートは断熱性こそ優れるが、繊維の隅間に灰を吸い込んで掃除が著しく困難になるため好ましくない。 ・フォークは割と役に立たないのでUL化するなら真っ先に省いてもいい。トングとフォークを用意するぐらいならチタン製の2分割箸を使うべきである。 ・養生シートは座る場所の確保にしては大きすぎるし、大きすぎる故帰還後のメンテナンスが割と面倒。ゆえに最後の手段とすべきであり、できれば90x210ぐらいのグランドシートを敷いて座るといい。 ・枕がないと猛烈に寝苦しい。使わなかったシュラフは高さ11cm以上ある固い枕になるので首が疲れる。エアー枕が必要だ。 ・スマホの気象情報アプリが使えるならラジオいらなくね? ・本は湿気るだけだし案外いらなかった。 ・体をぬぐうためにボディシートは必須。
■8/10-8/11: 白老町で
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タープを張ってもよい場所だったので目隠しにタープを追加。昼間はこのように外に寝っ転がっていた。
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パッケージングは大体このような感じで以後安定している。 【新規投入品】 ・90x210のグランドシート ・Sea to Summitの軽量エア枕 ・グラスファイバー系の小型焚火シート ・チタン製2分割箸 ・メントール系ボディシートとスプレー
この時も夜に猛烈な湿気に悩まされたが、雨は降らなかったので翌日はフライシートを裏返して乾かし、前週よりは手早く撤収できた。
あと日付変わるまでラジオ放送のようにエンドレスダミ声でダベり続けるオヤジ二人組が猛烈にうるさかったのと、ダベりが終わったらイビキデュエットが始まったのとで猛烈な寝不足になった。今度ああいうのに遭遇したらヒグマの皮を被って唸りながらテントの周りを四つん這いで徘徊してやろうか…?
翌日撤収後はウポポイ見てから帰投。特に内地でいろいろ言われてるみたいだけど普通に良かったゾ。館外の食堂が混んでなかったらオハウも食っておきたかったが、混んでたのでペネイモだけ買って昼食にした。
【教訓】 ・扇子がないと夏はきつい!(扇風機は重たいしうるさいのでNG) ・折り畳みプラカップはスープを入れると持ち手がフニャフニャなので熱くて持てない。これは二軍落ちやむなし。 ・湯沸かし用クッカーで乾燥野菜を煮るのは面倒なので、食器を兼ねることができるアルミ製平クッカーが欲しい!(帰り道に秀岳荘で買った
■8/12-8/13: 愛別町で
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1泊だけ家で休憩した後すぐ次の目的地へ。12-13日の白老・苫小牧方面は雨予報だったので、雨から逃げ回った結果北進することになった。 【新規投入品】 ・アルミ製丼クッカー(700ml): フライパン、スープ入れ、皿、食器&調味料入れのケースを兼ねる
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今回は「焚火をしない」「簡単な料理をする」がコンセプトなので、新兵器の大型クッカー兼食器を使ってオハウ(アイヌの主食汁)もどきを作った。材料は以下の通り。 【材料】 ・刻み昆布 ・乾燥野菜(タマネギ・ニンジン) ・鹿肉ソーセージ(スパイスがあまり入っていないフランク) 作り方はいたって簡単。乾燥野菜と昆布を日があるうちから水に浸して潤かしておいて、煮立ててから鹿ソーセージを投入。あとは味を見てちょっとだけ岩塩を足しただけ。
至ってシンプルなものだが、これがまた旨いのだ。より本式にするにはニリンソウやギョウジャニンニクの乾燥品、好みでキハダの実も必要だが、今年の春先はごたごたしていて取りに行くことができなかった。次シーズンこそ行こう。
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夕食はこんな感じで、鹿肉ソーセージを焼いたのと煮たのが主蛋白源、あとは乾燥野菜ベースのスープと、アルファ米のめっちゃ辛いナシゴレン。
なまじ家で炭火使った焼肉とか頻発しているからか、キャンプではこういう最低限の材料と設備でチマチマしたものを食うほうが好みかもしれない。最近の数週間逗留しそうな大仰なキャンプスタイルはどうも性に合わない…
【教訓】 ・フライシートを半分剥いでメッシュテントの通気性をフル活用しろ、結露しないし暑くもならないからいいぞ。 ・「夏は暑いからブランケットいらないや」はやめておいたほうがいい。日付変わったら冷えてきてシュマグ1枚ではとても追いつかなくなったので、何がしか持っていくべきだ。 ・バックパックは前室ランディングゾーンに置くべきである。どうせ湿気吸うのは同じだし、雨ざらしにしたくないだけならわざわざ狭いメインルームに入れる必要はない。 ・30Lの防水ザックに全部まとめるのはさすがに無理だった。
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そのあとは生まれた穴に里帰り当麻の鍾乳洞で涼んだり…
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常に秋の夜のような涼しさと高湿度。冬季はここで酒を熟成させているという。(買ったし絶品だった)
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旭川市博物館の剥製、やたらとクオリティが高い気がするぞ…
9月は少し涼しくなるはずなので、弾が高くなりすぎて持続可能性が危ぶまれつつある射撃よりもキャンプにウェイトを置いて活動していきたい。苫小牧・白老方面は通年営業だから真冬でもキャンプに行ける、この事実だけで随分と見通しが明るくなった。厳冬期用シュラフ買わなきゃ…
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zutsunokotodake · 1 year ago
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1/10水
TASCAM DR-40XってレコーダをマイクにしてヘッドフォンアウトをATEMに入れて配信、なのだけどいつもゲイ��が少し足りないので間に挟むコンパクトミキサを持っていった、のだけどそこでゲイン上げてもノイズが増えるばかりで使えず。結局いつもの通り直接入れてATEMでゲインを上げた。というかゲインを上げればノイズも上がるよねってだけの話? 通常エアの音って気づかないだけでノイズだらけだよね?とかそういう話?
ふたご話。私たちがふたごの感覚つまり自分と同じDNAの人間がもうひとりいるという感覚が分からないように、ふたごは自分がひとりしかいないという感覚が分からないという話。なんと! 「ひとりってどんな感じ? ふたりが合体してる感じ?」なるMCにびつくり。
町野さんと話してて、そいえば自分がこのタンブラで延々と更新をしていること、インスタには何も書いてないなーと気づく。いや気づいてはいたけど。TwitterとFacebookにはこっちで更新してます、という投稿はしたことあるけどインスタはしてない。隠してるわけじゃなくて、だってインスタは画像投稿SNSだから何かテキストを投稿するには画像が必要でそれが面倒で。
まゆたんオススメでメモしていた「伊那のまゆ」美味しかった。みな一口食べて「意外!」と。
世の中、というかTwitterでは「松本人志、性加害」な話題がずーっとトレンドに上がってるのだけど、自分のタイムラインでは見事にひとりもその関係のことを呟いてない。是でも非でもなく無反応。あっぱれ。
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mari8log · 2 years ago
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2023/12/02
筆が遅い。
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3、4日前に服と靴、それにつけまを買ってきたのですが、おしゃれパワーはすごい。自己肯定感が上がる。あと単純に私がかわいい。みんな、服を買おう。
古い服でもいいやと過ごしてきてたけど、新しい服は違う。肌艶がよく見える。あと毛玉が無い笑。新しいものを身に纏うとやるぞーと意識が変わる。新しいものを纏え。
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あまりにも良いウエストランドへの感想があったのでリンクを貼っておきます。いい文章を見ると元気になれるね。
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projecthedz · 4 months ago
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250227 木
【6:50】
学生時代の記憶を思い出すと照れ隠しで人を傷つけた嫌な記憶も思い出す
大人ぶりや、性的なものに対する過度な拒絶
子供らしいバカキャラである事の過剰アピール
よくわからないものに「敗ける」ことや「操られる」のが嫌だからそれについて学ばず、認めず、ただただおちょくり見下しバカにし続ける
その態度こそが子供らしさだという事実に気づかず
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子供の子供らしさとは理解不能なものに対しとりあえず知ったかぶり決め込んでマウント取ったりバカにする「虚勢」の部分にある
そんな子供らしさを残したまま歳だけとった人間がコミュ障になる
30代半ばになってようやく自身の過ちに気付き、恐怖に裏打ちされたプライド横に置き「多少物分かりのいい中学生みたいな態度」取って15年遅れで内省してみたりする
私たちが1000年以上生きる長命種ならそれでいい。10年、20年の成長差なんてのは誤差であり個性だ
だが我々は50、60代で健康寿命迎える事もある短命種
精神発達と社会性の獲得遅い人間は社会のメインステージからドロップアウトさせられる
この平和な日本社会。油断すれば小学生レベルの精神年齢と実務スキルのまま30代突入なんて余裕であり得る
社会性カスになって見放されるまでサボりやチートを許してもらえるし、全ての選択は自己責任
親としての責務を果たそうとするような大人はほぼおらず、子供の自主性重んじるという建前に甘えて管理監督責任を放棄してる
平和な世界は退屈。だから皆戯れに「不必要な差別」や「不必要な淘汰」をして遊んでる
狩りが必須の世の中に戻れば、戦争が常態化した世に戻れば「人間的な強さと優しさ」が足りないものから順に殺されてゆく
中途半端に意地悪なだけで実戦で役に立たないクズは殺される
意地悪さというものは狩りや競争における実務遂行能力が伴う事で初めて許容される甘えであり、能力が低い者が行使する事は許されない贅沢品(だからスキル低い人間は努めて善人を振る舞うしかない)
あ。また子供ディス始まっちゃった。バランス取る為に老人ディスもしないと…
わからないまま終わったっていいじゃん
楽しまずに終わる人生なんて嘘
我慢はただの趣味。しかも悪趣味寄り
可愛さと格好良さを追い求め女の子は整形の全身麻酔の影響で脳障害を負い、男の子はブリーチのかけすぎでハゲてゆく
ハックルベ��ーがゲロの横で眠っている
それでよし!
働こう。与えられたなけなしの生存権に感謝しつつ
主観的幸福のレベルは年収1000万も5000万も大差ないという(億超えでようやく変わってくるとか)
だから戸建てに住んでようがダンボールハウスで道端に住んでようが「主観的幸福度」は大して変わらない
私はどこにいようと布団では寝ない。ふとんは年収1億の人間にのみ許される贅沢品
コート羽織ってダンボール1枚敷いて毛布一枚かけりゃどこだってスイートルーム
もちろん、それを観て怖がる人の前ではそんな強さは見せない。戯れに不快さ愚痴って贅沢な臆病者の演技して人を安心させる努力も欠かさない
「ケチで融通効かない面倒なやつ」とは思われないようにする
自分の動物的欲求が満たされぬことなどどうでもいい。いや、温みだけはほしい
一番ほしいそれだけは欲しい
食事よりも睡眠よりも性的なアレよりも
優しさと感謝の気持ちだけは常に忘れたくない
あたたけぇ、あたたけぇ… 生まれてよかった、生きててよかった、対話を諦めなくてよかった
と思って逝きたい
———
【8:50】
中学生くらいの頃から性の捌け口として他者から消費されてきた存在が性カルチャーに対し抱く必然の嫌悪とニヒリズムと痛みを伴う優越感
そのようなパーソナリティ獲得した人間に対し適切な距離感保たず歩み寄ろうとする者は皆壊れる
沢山傷つけられた人間は優しい人や善人を壊す術(すべ)を身をもって知っている
ほらな、掘っても仕方ないカテゴリーを掘り始めた。洞窟の奥のどん詰まりにはまり込んで死を待つしかなくなった人の諦観と安らぎみたいなものに満たされ始めている。これが自宅の呪い
妻の事を思い出さないようにしたところで誰にでも当てはまる虚無や寂しさへの掘り下げはやまない
虚無へのフォーカスやめたいから私は痛みと笑いと労働に逃げ込んでいるのだ
虚無は温(ぬく)い。だがそれに耽溺したら現実の競争の冷たさに耐えられなくなる
だから死にかけの前頭葉叩き起こして束の間の人間タイム演じろ
飯を食え。節食を2日以上続けるな、虚無への執着がやまなくなる。妻の事を忘れればむしろ私が妻が見ていた世界を引き継ぐこととなる
それは生物の寿命を縮める悪い温み
最高に心地よい諦観
建設的に生きるよりも遥かに素晴らしい自棄があるという真理に目覚めてはいけない。その世界観にすがってはいけない
「役立たずで可愛い真理」を一度だけギュッと抱きしめて、極寒のエアロック外に放り出すしかない
私も世界や誰かのままならぬお荷物と化したなら、この宇宙船地球号のエアロックから出ていくから
———
【10:00】
これ観ちゃったよ。絶望的に見えて、優しい世界でもある
少し気を抜けば自分もその世界の住人になる確信がある(自宅にいると秒でそれに近づく)
何かを諦め切るまでずっと綱渡りなんだ、我々労働者の人生は
本来自分で渡らなきゃならない綱渡りを他人任せにするとチャレンジが遅くなる
子供を思い過ぎる親の気持ちが子供の失敗や敗北を固定化させる
親の縛りや愛から逃れる事ができたなら、気ままに楽しく、前のめりに冒険を楽しんで生きて欲しい
温みに耽溺し足踏みしながら眠りにつくだけの日々は、死を待つ終末期の人間の為に用意された悲しいおやつ
徐々に衰弱し穏やかに死んでゆく為の栄養価乏しい嗜好品
酒も、壊れた人間と過ごす日々もそれと一緒
抱きしめて、奈落へ突き落とす。あるいは共に落ちる。それしかない。それがせめてもの情け
切り替えて…いけないよ、そう簡単には
無力感と虚無感は我々ダメ人間の最愛のパートナー
捨ておけない。せめて禰󠄀豆子の箱みたいのに入れて常にそばに置きたい。そしてたまに箱から出しては撫でて抱きしめる
それが鬼だろうと四肢切断された愛玩人形だろうと、捨てられない
苦しいという事実を認めてはならない
肉体が感じる主観的現実に同調してはならない
今日は授業参観だ。身支度を整えねば
ボトムに穴が空いていて人前に出る格好じゃない。ブックオフで適当な黒ジーンズ買ってこよう
———
【15:15】
授業参観おわり
娘の存在は妻との物語の集大成なので、娘が生きて何かしてるだけで嬉しくて仕方ない
妻はそれを無責任と言っていた。気を抜けばすぐ死ぬ命の責任負って24時間面倒見続ける母親の大変さがわかるか、と
ああ、だが私にとっては妻の存在から何から全てが身に余る奇跡だから家族が生きて動いててくれるだけで最高に幸せだ
こんな親が子供を駄目にするのだろう
私は本来子供は簡単に生まれ簡単に死んでゆく存在だと思ってる。出産時に母子共に無事で済む確率は本来それほど高くない
だからその奇跡(医療インフラ等)の積み上げで出来ている平和な日本と現代文明そのものに対し感謝の気持ちを抱いている
地に足ついてない、幸せのハードル設定が低過ぎる、その通り
幸せのハードル下げりゃ呼吸できるだけでもありがたい
雨風凌げる屋根と服があるだけでありがたい
うん。そんなお父さんじゃいいブランドバッグ買ってくれそうにないよな
ATMとすら呼べない小さな小さな小銭入れ
小銭入れが幸せ求めちゃいかん
もっと不遜に、もっと感謝を忘れて
温み足りねーなあ思ったら範馬勇次郎かディオか宿儺気分で気ままに他者を貪(むさぼ)れ
でも勇次郎は刃牙にエア味噌汁作ったろ、宿儺は裏梅を殺さなかっただろジョルノの母親はディオに殺されなかっただろ
何が言いたい
どんな強者にも憂いや隙がある
その隙にこそ、その存在の本質が隠されている
バカ、全部漫画の創作キャラだろ
いいや。私が出会ってきた社会的強者や有名人にも、皆心に隙があった
笑ゥせぇるすまんに漬け込まれかねないような分かりやすい隙が
なんの話だよマジに
絵になんて全然興味が湧かない
人の温もりが一番好きだ
けど、絵を描かない人と特別な関係になりたいとは全然思えない
妻は背が低い人と親密になりたいとは思わないと言っていた。それと似た「排他」だ、私のこれも
ただ、一度好きになってしまえばあとは結構テキトーだ。当初決めていた自分ルールなんてパートナーや子供の可愛らしいわがままの前には吹き飛んでしまう
妻とは妻が絵を描いてなければ付き合わなかったが、結婚し絵をほとんど描かなくなったから別の絵描きに乗り換えたいなんて一度も思ったことはない
絵は、私が他者を認め許す為のとっかかり
それ以上でも以下でもなし
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doctormaki · 2 years ago
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ヒースローではトランジットはそれぞれターミナルが異なるかもしれないので、ターミナル間移動で失敗が許されない。特にdelayがあった今日はトランジットに一時間半しかない。そして、驚愕。なんとトランジット案内掲示板に便名が無いので、どこのターミナルに行けば良いのかすら分からない。取り敢えず、BAで予約しているので、BAの国内線レーンに並ぶ。アイルランドは国内線に分類されているのが面白い。
並んでいると係員のおばさんが声をかけてくれるので説明すると、エア・リンガスは第2ターミナルよとのこと。急いで第2ターミナル行きのバス乗り場に行くものの、おっちゃんはチケットを見て、無理じゃね。。の一言。頑張って第2ターミナルまで行き、入国と出国審査。っつーか、トランジットなのに。。。と驚く。無事にゲートのあるビルに辿り着くも、肝心のフライトナンバーの案内が一切無い。cancelともdelayでも無く、そもそもが無い。航空会社のデスクを探すも時間が無いので、同じ航空会社がダブリン行を飛ばしているので、そこのカウンターに走る。
そこら辺で待っててというので待っているが、おかしいので、意を決して航空会社のカウンターを探しに行く。そこで、もう飛んだわよ!と叱責される。まるで意味不明。つーか、掲示板にゲートナンバーもターミナルも表示無かったじゃないと言うと、あなた以外のお客様は皆飛んだから、誰からも文句は無い、ここに来たのはあなただけと言い張る。チケットを買い直せと言い張るのだが、まぁそれでも色々と負けずに交渉して、次の午後便を抑えてもらう。当然、振替という事でお金は払わない。ブツブツ文句を言い合うのは、彼女の仕事の内と割り切り、私も、午後のセッションチェアがあるんだと、コーク大学で学会があるんだと譲らなかった。
その後は暇すぎて、レストランをハシゴする。まずはエッグベネディクトとブリスケットをイングリッシュマフィンの上に載せて、オランデーズソースを上からかけるのが名物のパブ。
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次にHestonsというイギリスのミシュランスターのレストランでパンケーキを食べる。不味すぎて写真を取るのも忘れたが、ここのシェフはミシュラン星を取ってからは王室のケータリングなどもしているらしい。パンケーキを不味くできる才能って逆に凄い。ライムのゼストを散りばめ、多分、doughにもライムジュースを入れてサワードー風にしているので、その酸味が腐っているのか、意図的な酸味かが分からない。不味いギリギリ路線を狙っているので、所謂、ガストロノミー達の記憶には残る料理を提供するのだろう。彼を一躍有名にしたのはクリスプベーコン入りアイスクリーム。うーん。。。。やっぱイギリス人もドイツ人も、食のセンスは皆無であることを確信する。
一ポンドは158円也。私が子供の頃、父に一ポンド硬貨をもらって300円以上だからね、と念を押された事を思い出す。その頃から思うとポンドの価値は落ちたのかもしれないが、空港での朝御飯とはいえ、いずれも3000円以上する。高級ホテルの朝御飯みたいなものだけど、日本はつくづくデフレだなぁと思う。夜ご飯食べる事ができちゃうもんねぇ。。。
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picnicism · 1 year ago
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 車いすユーザーの中嶋涼子さんが、イオンシネマでサービスの要求を断られた顛末をSNS投稿すると、割といい感じで燃えていたので見物に行ってきました。  と言いますのも、先月亡くなった私の父も、施設に入るまでは車いすで海外旅行をしたり、劇場やレストランに足を向けたりすることも多かったんですよね。  車いすを押す羽目になる私も、身体が不自由になる前と同じように活動しようとする父の要求はそう簡単には実現しないので、施設や空港、旅行代理店と事前連絡がてら折衝したり、移動手段を綿密に手配したりと、不要に発生する「ロジ」に奔走していました。  思い返せば、13年5月に著名な障害者でもある乙武洋匡さんが「車いすだからと入店拒否された」として飲食店を名指しで批判して騒動になったり、21年3月にJR東日本の無人駅で下車しようとしたところ、事実上の拒否にあったとして、同じくJR東日本を名指しで非難した伊是名夏子さんが炎上したりしていました。  17年6月には、バリアフリー研究所を名乗る男性が格安航空会社に故意に事前連絡を怠ったにもかかわらず、なぜか朝日新聞が「車いすの人に階段タラップ自力で上らせる バニラ・エア奄美空港」との見出しで報じたことで大騒動になったこともありました。  車いすは、障害者でも高齢者でも一目で分かる公共施設で配慮されるべき弱者ですが、バリアフリーとは言っても、介助・移動でサービスを受ける際に専用の設備や人手が必要であるなど、いきなり来られて即対応可能とは言えない場合も多くあります。  今回の中嶋涼子さんに関しては、YouTuberとしても意欲的に活動している女性であるとともに、炎上の経緯がカロリー高めでした。これは燃えるやつや。  単にバリアフリー対応になっている車いすの鑑賞場所ではなく、健常者らが使うリクライニングシートに座るために女性スタッフらに抱きかかえなどの介助を求めた結果、映画館の支配人に出禁を喰らったという話なので割とヤヤコシイ話です。  問題は、この車いす女性のやったこととイオンシネマ側の対応というミクロな話だけではありません。そういう障害者や高齢者の生活は勤労世帯が負担する社会保険料であり、納めている年金であると同時に、バリアフリーには国や自治体からの補助が出ていてそれらは税金です。  障害者や高齢者にやさしい社会を作るために必要な豊かさが失われつつあることもあって、マナーの悪い障害者にイラつく人が以前より増えてるんじゃないかと思えるのです。  こういった問題は、映画館だけではなく、図書館や公園、公共交通機関などみんなが使う多くの場所で起きるため、マナーなのか法的な義務なのか白黒つけろという話になりやすい面があります。そこには「困っていそうだから善意で」行われていたサービスの提供が、「行われていて当然だ」となりやすい下地が増えているとも感じるのです。 映画館への事前連絡がマナーでは?  健常者ならリクライニングで問題なく映画を観られ、友人たちと席を上手くシェアしながら楽しめるはずなのに、同じように楽しめない障害者に対してはもっと配慮されるべきではないか、という声も上がっておりました。他方で、一般的に車いすに乗る側も押す側も、そのような介助を一般の施設にお願いするにあたっては、当然のように事前連絡するし、それがマナーであると考える人も多くいるはずです。  特に、リクライニングシートまで抱きかかえられたり、おんぶされたりして移動することは、日ごろ障害者や高齢者を連れて公共施設を訪問する側からすれば、そのような対応は非常にまれだし、介助士などの資格を持っていても危険を伴う場合もありますから、何かあったら困るとお互いに思うレベルです。そのような介助はできるかもしれないが、お願いはしないのが普通だろうと思うのです。  で、イオンシネマについては、映画好きの高齢者の間でも「お客さんが少ない時間帯なら、スタッフさんが特別に介助してくれて、落ち着いた椅子に座って鑑賞できる」という話は少なくなく耳にします。ただ、それはスタッフさんの手に空きがあるときか、その映画が客入りがあまり多くないときに限られるようです。  他方、イオンシネマには父や親族の利用もあることから、私も何度も事前に問い合わせして確認してきました。ただ、絶対できるというお約束ではなく、公式にはそのようなサービスが車いすのお客さんにはありますとは言っていないはずなんです。やはり、公式にそのような対応をしていると知れて、万が一事故があったとするならば、映画館としては責任を負えないという面があるからでしょう。  この問題への反響で、イオンシネマは障害者差別解消法違反ではないかという話も出ていましたが、合理的配慮は「(事業者にとって、車いすのお客さんに対する解除などで)その実施に伴う負担が過重でないときに」講ずること(第7条2項)であり、「障害者から現に社会的障壁の除去を必要としている旨の意思の表明があった場合」「社会的障壁の除去の実施について必要かつ合理的な配慮をするように努めなければならない」(第8条2項)という努力目標が示されています。  この中嶋涼子さんが求めるサービスが事業者の合理的配慮の中にあるかという点については、障害者差別解消法ではまず無理でしょう。 善意の抱きかかえ介助は廃止か有料化  1995年7月、「車椅子でも乗れる列車を求める会」において、重度障害を持つ人が鉄道での旅を行うにあたり車両を車いすで使用可能な設備を備えるよう求めた裁判では、憲法13条の幸福追求権は認められ、「適切な設備が交通機関に設置されていることが望ましいことはいうまでもない」としつつも、法の下の平等についてはどのような対策を講じ、いかなる程度まで実質的平等を実現するかは原則として立法に委ねられているとしています。  そして、障害者基本法は、あくまで基本法であって、どのような権利を合理的配慮であるとして獲得するかは、実際には障害者差別禁止法を通じて、実際に裁判を起こして司法手続きを経て個別に救済・是正を求めていくものです。  しかしながら、今回の件ではあくまでイオンシネマ側が、善意で、本来なら抱きかかえて座席に障害者や高齢者を座らせてくれる手配をしてくれたもののようであることは忘れてはならないところです。公式に、そのような介助サービスをやりますから費用を負担して事故に対する免責について合意をください、とまでやるかどうかって話だと思うんですよ。  今回、特にイオンシネマは中嶋涼子さんに対して不適切な言動があったことについては謝罪をしていますが、店舗現場が中嶋涼子さんを出禁にしたことについてはお詫びしたわけではなさそうなことは、特筆するべき部分です。ある意味で、迷惑客に近い扱いのようにも見受けられるんですよ。  実際、中嶋涼子さんについては、本人が非常にアクティブな人物だからか、車いすに乗っていろんなところを旅した動画を掲載している中で、新幹線の多目的個室で長時間実況をやりつつ、ケージからかわいい猫ちゃんを放して撮影していたのは気になるんですよね。  私も猫ちゃん3匹飼ってますが、さすがに新幹線で抜き身の猫ちゃんを放つ根性はありません。新幹線ではしゃぐぐらいなら目くじら立てるほどのことではないのかもしれませんが、どうもマナーを守るような常識のある人ではないのではないかという印象も強く持ちます。  結果として、いままでは善意で行っていたイオンシネマの抱きかかえ介助なども、このような炎上が起きてしまうとおそらくは無償ではやらなくなるか、あるとしても事前に連絡をしてくれた車いすのお客さんのみか、あるいは有料になるかもしれません。  個別に裁判をやるほどの根性も材料も中嶋涼子さん側にはなさそうですし、内容から見て法的アクションを起こしても門前払いになるおそれが強くあります。イオンシネマも、そんな問題になるのなら善意で公式にないサービスを行うのはやめますとなりかねませんから、その意味で、あまり良い結論にはならないのかもしれません。 「健常者と同様」はモノによっては無理  かつて、公民権運動の母とも呼ばれる黒人女性ローザ・パークスが、55年12月にバスの「白人専用席」に敢然と座って世の中を動かしたり、差別を乗り越えて近代メジャー・リーグ初の黒人選手となったジャッキー・ロビンソンの背番号42が永久欠番となり、いまでも記念行事が行われたり、いろんな平等を目指す動きがあって現代社会を築いているのは知っておくべき面はあろうかと思います。  他方で、車いすは全身麻痺などの障害や高齢者といった、分かりやすい弱者のアイコンとして定着するものの、弱視や聾唖、脳機能障害、パニック障害を含む精神的疾患など、目に見えない障害については置き去りにされたままです。  バリアフリーも含めて、分かりやすい身体障害者への差別的扱いは減っていっていても、一般的ではない見えない障害に対する配慮はあまりしっかりとは為されていないままです。  また、ひとくちに障害者や高齢者と括っても、迷惑客や当たり屋、クレーマーのような存在は、同じ人間である以上は一定の確率で当然含まれています。少なくとも、店の現場で働いている店員さんやバイト相手にネットで公然とクレームを書き散らかす障害者は、声を上げたという点では良いのかもしれませんが、やり方次第では単なる迷惑客の扱いにされてもおかしくありません。  思い返せば、車いすに乗った親父を連れて移動するときは、事前に通れるスロープはどこなのか全部調べて経路をメモって現地に行き、しかし確かに地図通りスロープはあったけど車いすで全力で押してもこれ登り切れるのかよ……なんてことはたくさんありました。  不便だからどう��かして欲しいというのはあっても、健常者と同じように生活できるようにせよというのは、モノによっては無理であるし諦めなければならないことも多いのだということは、障害者や高齢者本人や家族ならみんな分かっていることだと思うんですけどね。 国力に連動して難しくなっていく弱者配慮  そのような車いすだけでなく、インフラも含めた日々の暮らしで弱者に対する配慮は、声は上がれども、おそらくは今後、国力の減退とともに地方から徐々に対応できなくなっていくでしょう。掛け声は勇ましくとも、社会保障が削られていく中で、買い物難民も含め、不便な生活を強いられる障害者や高齢者とその家族は、どんどん増えていくと思います。  世の中が苦しくなると、そういう人たちを支えてきた社会保険料を納めたくない現役世代の声にこたえる形で福祉予算が国でも地方でも減り、政策的に現実的な対応を求められていくことにもなります。  バリアフリーを実現するのも、資金が必要です。いまでこそ、自治体が助成しているケースがほとんどですが、自治体によっては、バリアフリーどころか道路の舗装や除雪さえもままならない地域はどんどん増えていきます。そういう地域に暮らす障害者や高齢者は暮らせなくなって、都市部に集住することを求められていくでしょう。  憲法で認められた居住の権利は国民にあっても、幸福追求を実現できる合理的な扶助のレベルが下がっていくと、生まれ育った場所で暮らしたいのに人口が減り過ぎたり、配慮される福祉のレベルが下がったりすることで、生きていけなくなってしまうのです。  今回のイオンシネマのテーマは、マナーの悪い障害者や高齢者が生きていけるように社会が暖かく抱きかかえることが難しくなり始めている現状に、国民がどう気づくのかってことだと思うんですよ。  世の中が右肩上がりにどんどん良くなっていっている時代であれば、障害者の人たちがもっと自由で素敵な生活を送るコストも社会的に負担できていたでしょう。しかし、もうそのような社会保障を大盤振る舞いでき、「公共施設に可能な限りバリアフリーを」といって進められるのも都市部だけになっていきます。  その都市部も、自治体の補助や企業努力では対応しようもない、クレーマーのような障害者や高齢者の要求を受け止め切れず、迷惑客の扱いとしてしまうケースも今後は増えていくと考えられます。  障害者や高齢者が可哀想な存在であり、扶助してあげなければならないのだと善意の延長線上で対応するようでは継続性は損なわれます。同じ人間なのだという目線で考えない限り差別もなくしていくことはできないでしょう。  そして、これから働き手の減少と共に余力や余裕は社会になくなっていく中で、本当にこういうマナーの問題で騒ぎ立て、じゃあ一つひとつ法的に白黒つけていきますかという話になるのはなんだかなあとも感じるわけです。  そう遠くない将来、障害者や高齢者、慢性疾患を持っている人たちに対する扶助も年金も減っていって、家族とも別れてしまった自活できない人たちを、どう公的に扶助していくのか国民全員に突き付けられる日が来るのではないかと思います。
「やり方次第では単なる迷惑客」、イオンシネマで車いす女性が介助を断られた事件で考える、国力減退時代の弱者保護 【山本一郎の“炎上商法”】一人の振るまいで失われかねない善意のサービス(1/5) | JBpress (ジェイビープレス)
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