#京都御朱印
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A prayer in ink Otagi Nenbutsu-ji Temple [愛宕念仏寺] Kyoto (京都), Japan
Aleksandra Alba IG:tanzdreamer
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天羽 希純は、日本のアイドル、タレント、アーティスト、モデル、女優、グラビアアイドル。東京都江戸川区出身。ゼロイチファミリア所属。 本名、小松 希純。愛称は「きすみん」「きっちゅー」。ファンの総称は「ちゅー魔」。 ウィキペディア
生まれ: 1996年8月12日 (年齢 28歳), 東京都
本名: 小松希純
身長: 164 cm
テレビ番組: アイドルゾーン20時
カップサイズ: G
スリーサイズ: 84 - 58 - 84 cm
家族構成は両親、弟2人(3歳下と8歳下)の5人家族。
2020年4月の時点で「バブ」「ぷり」「ポン」という3匹の猫を飼っている。
好きな食べ物は栗きんとん。苦手な食べ物は野菜。健康管理、体調管理、体型管理にはとても気を遣っているとのこと。
趣味はクラシック鑑賞、温泉・銭湯巡り、御朱印集め。神社も好き。特技はピアノ、トロンボーン、水泳。
将来の夢は女優になること、武道館ライブをすることを挙げている。数々のアイドルグループを経験しており、「普通に生きてちゃ目立てない」を座右の銘としている。
「希純���きすみ)」という名前は、氷室京介ファンの父によって、氷室の曲「KISS ME」から名付けられた。
母親の影響を受けてか看護学生時代あり。
八百屋、居酒屋、東京ドームシティでアルバイトをした経験がある。
アーマーガールズとしてデビューする前に、乃木坂46の2期生オーディションを受けて落ちた経歴がある。その乃木坂46のブログはブックマークに入れてしょっちゅう見ているほどで、いつか共演して必ず追い抜いてみせるという野望を抱いている。
『週刊プレイボーイ』(集英社)開催「適乳(てきちち)」番付には選ばれていないものの、自分こそがという思いで「適乳」をグラビアアイドルとしての売りにしている。2022年まではスリーサイズを前述のように公表していたが、2023年現在では身長以外を非公表にしている代わりにバストはGカップと公表している。
実年齢よりも幼く見え、『cream』の常連モデルを務める。自身では「高校3年生の受験シーズンの感じ」と例えている。
所属する#2i2の最年長メンバー。チームへの思い入れや責任感が強く、#2i2をより有名にしたいとの思いがモチベーションになっている。
本人は自分が不在の間#2i2のメンバーに支えてもらった事をとても感謝しており、そのメンバーの気持ちに応えるため頑張り続けたいとのこと。チーム愛も人一倍強い。
家族想い、メンバー想い、動物想いである。動物愛好家であり、2023年6月時点で3匹の猫と4匹の犬を飼っている。
人柄は明るく、謙虚さを兼ね備えている。TIF2023PR大使決定戦総合ポイントランキング1位になった際も、本人の実力ではなくファンのお陰だからとのコメントを添えている。イベントでは周囲から「神対応」と称されており、ファンとの触れ合いを大事にしている。これは学生時代交流が下手くそで、煙たがれた経験から、好きって言ってくれる人にはできるだけ感謝を伝え、1回でもドキッとして帰ってもらいたい、思い出の爪痕を残したい考えからの行���である。
2023年9月2日、国指定の難病である潰瘍性大腸炎に罹患していることを、自身のSNS投稿で公表した。
2024年10月10日夜にバイクとの接触事故に遭い、頭部を縫う怪我を負ったことをグループ公式サイトが発表した。
2024年10月28日、ヒカルチャンネルのお泊まりシリーズに初出演。
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Hanazura Inari Shrine: A Stunning Shrine on the Cliffside 鼻顔稲荷神社:断崖に立つ絶景の稲荷神社
Hanazura Inari Shrine in Saku City, Nagano Prefecture, is famous for its brilliant red shrine building perched on the cliffs of the Yukawa River. The shrine’s unique architectural style, known as “kengai-zukuri,” is reminiscent of Kyoto’s famous Kiyomizu-dera, offering visitors a breathtaking view.

Founded during the Eiroku era (16th century), the shrine enshrines a spirit from Fushimi Inari Taisha in Kyoto. Its main deity, Ukanomitama-no-Mikoto, is believed to bless people with prosperity in business, family safety, and academic success.

The grounds also feature charming sights such as a “hugging fox” statue, symbolizing child-rearing, and the “paired trees,” known for bringing good luck in love. In February, the shrine hosts the lively “Hatsu-uma Festival,” where visitors enjoy a traditional Daruma fair and sacred fire rituals.

It’s about a 20-minute walk from Iwamurada Station. Don’t miss the beautiful cherry blossoms in spring or autumn foliage.
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You can find more photos on my Pinterest too!

長野県佐久市にある鼻顔(はなづら)稲荷神社は、湯川の断崖に建つ朱塗りの社殿で知られています。まるで京都の清水寺を彷彿とさせる「懸崖造り(けんがいづくり)」の美しい神社で、��れる人々に強い印象を残します。

この神社は永禄年間(16世紀)に創建され、京都・伏見稲荷大社の分霊を祀っています。主祭神は宇迦之御魂命(うかのみたまのみこと)で、商売繁盛、��内安全、学業成就などのご利益があるとされています。
境内には子育ての象徴とされる抱き狐像や、縁結びのご利益がある「相生の樹」など、見どころも豊富です。2月には「初午祭(はつうまさい)」が行われ、だるま市や奉焼祭が多くの人でにぎわいます。

アクセスはJR岩村田駅から徒歩20分ほど。紅葉や桜の季節もおすすめです。
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF QIN SHI HUANG
的是不我一有大在人了中到资要可以这个你会好为上来就学交也用能���文时没说他看提那问生过下请天们所多麽小想得之还电出工对都机自後子而讯站去心只家知国台很信成章何同道地发法无然但吗当於本现年前真最和新因果定意情点题其事方清科样些吧叁此位理行作经者什谢名日正华话开实再城爱与二动比高面又车力或种像应女教分手打已次长太明己路起相主关凤间呢觉该十外凰友才民系进使她着各少全两回加将感第性球式把被老公龙程论及别给听水重体做校里常东风您湾啦见解等部原月美先管区错音否啊找网乐让通入期选较四场由书它快从欢数表怎至立内合目望认几社告更版度考喜头难光买今身许弟若算记代统处完号接言政玩师字并男计谁山张党每且结改非星连哈建放直转报活设变指气研陈试西五希取神化物王战近世受义反单死任跟便空林士台却北队功必声写平影业金档片讨色容央妳向市则员兴利强白价安呵特思叫总办保花议传元求份件持万未究决投哪喔笑猫组独级走支曾标流竹兄阿室卡马共需海口门般线语命观视朋联参格黄钱修失儿住八脑板吃另换即象料录拿专远速基帮形确候装孩备歌界除南器画诉差讲类英案带久乎掉迷量引整似耶奇制边型超识虽怪飞始品运赛费梦故班权破验眼满念造军精务留服六图收舍半读愿李底约雄课答令深票达演早卖棒够黑院假曲火准百谈胜碟术推存治离易往况晚示证段导伤调团七永刚哥甚德杀怕包列概照夜排客绝软商根九切条集千落竟越待忘尽据双供称座值消产红跑嘛园附硬云游展执闻唱育斯某技唉息苦质油救效须介首助职例热毕节害击乱态嗯宝倒注停古输规福亲查复步举鱼断终轻环练印随依趣限响省局续司角简极干篇罗佛克阳武疑送拉习源免志鸟烦足馆���低广土呀楼坏兵显率圣码众争初误楚责境野预具智压系青贵顺负魔适哇测慢怀懂史配呜味亦医迎舞恋细灌甲帝句属灵评骑宜败左追狂敢春狗际遇族群痛右康佳杨木病戏项抓徵善官护博补石尔营历只按妹里编岁择温守血领寻田养谓居异雨止跳君烂优封拜恶啥浪核聊急状陆激模攻忙良剧牛垒增维静阵抱势严词亚夫签悲密幕毒厂爽缘店吴兰睡致江宿翻香蛮警控赵冷威微坐周宗普登母络午恐套巴杂创旧辑幸剑亮述堂酒丽牌仔脚突搞父俊暴防吉礼素招草周房餐虑充府背典仁漫景绍诸琴忆援尤缺扁骂纯惜授皮松委湖诚麻置靠继判益波姐既射欲刻堆释含承退莫刘昨旁纪赶制尚艺肉律铁奏树毛罪笔彩注归弹虎卫刀皆键售块险荣播施铭罗汉赏欣升叶萤载嘿弄钟付寄鬼哦灯呆洋嘻布磁荐检派构妈蓝贴猪策纸暗巧努雷架享宣逢均担启济罢呼划伟岛歉郭训穿详沙督梅顾敌协轮略慧幻脸短鹰冲朝忍游河批混窗乡蛋季散册弃熟奖唯藏婚镜紧猜喝尊乾县伯偏偷秋层颗食淡申冠衣仅帐赞购犯敬勇洲束斗徒嘉柔绩笨拥漂狮诗围乖孤姓吸私避范抗盖祝序晓富译巨秀馀辉插察庆积愈端移宫挥爆港雪硕借帅丢括挂盘偶末厅朱凡惊货灭醒虚瑞拍遗忠志透烈银顶雅诺圆熊替休材挑侠鸡累互掌念米伴辅降豪篮洗健饭怜疯宏困址兮操临骗咧药绿尼蔡玉辛辈敏减彼街聚郎泡恨苏缩枢碰采默婆股童符抽获宇废赢肯砍钢欧届禁苍脱渐仙泪触途财箱厌籍冰涛订哭稳析杰坚桥懒贤丝露森危占茶惯尘布爸阶夏谊瓶哩惨械隐丰旅椰亡汽贝娘寒遭吹暑珍零刊邮村乃予赖摇纳烟伦尾狼浮骨杯隔洪织询振忽索惠峰席喵胡租款扰企刺芳鼠折频冒痴阴哲针伊寂嘴倚霸扬沉悔虫菜距复鼓摩郑庄副��烧弱暂剩豆探耐祖遍萧握愁龟哀发延库隆盟傻眉固秘卷搭昭宁托辩覆吵耳閒拨沈升胖丁妙残违稍媒忧销恩颜船奈映井拼屋乘京藉洞川宪拟寝塞倍户摆桌域劳赚皇逃鸿横牙拖齐农滚障搬奶乌了松戴谱酷棋吓摸额瓜役怨染迫醉锁震床闹佩牠徐尺干潮帽盛孙屁净凯撞迴损伙牵厉惑羊冬桃舰眠伍溪飘泰宋圈竞闪纵崇滑乙俗浅莲紫沟旋摄聪毁庭麦描妨勒仪陪榜板慕耀献审蟹巷谅姊逐踏岸葛卧洽寞邦藤拳阻蝎面殊凭拒池邪航驱裁翔填奥函镇丌宽颇枪遥穹啪阅锋砂恭塔贺魂睛逸旗萨丸厚斋芬革庸舒饮闭励顿仰阁孟昌访绪裕勿州阐抢扫糊宙尝菩赐赤喊盗擎劝奋慈尽污狐罚幽准兼尖彰灰番衡鲜扩毫夸炮拆监栏迟证倾郁汪纷托漏渡姑秒吾窝辆龄跌浩肥兽煞抹酸税陷谷冲杜胸甘胞诞岂辞墙凉碎晶邱逻脆喷玫娃培咱潜祥筑孔柏叭邀犹妻估荒袋径垃傲淑圾旦亿截币羽妇泥欺弦筹舍忌串伸喇耻繁廖逛劲臭鲁壮捕穷拔于丑莉糟炸坡蒙腿坦怒甜韩缓悉扯割艾胎恒玲朵泉汤猛驾幼坪巫弯胆昏鞋怡吐唐悠盾跃侵丹鑑泽薪逝彦后召吕碧晨辨植痴瑰钓轩勤珠浓悟磨剪逼玄暖躲洛症挡敝碍亨逊蜜盼姆赋彬壁缴捷乏戒憾滴桑菲嫌愉爬恼删叹抵棚摘蒋箭夕翁牲迹勉莱洁贪恰曰侨沧咖唷扣采奔泳迹涯夺抄疗署誓盃骚翼屠咪雾涉锺踢谋牺焦涵础绕俱霹坜唬氏彻吝曼寿粉廉炎祸耗炮啡肚贡鼻挖貌捐融筋云稣捡饱铃雳鸣奉燃饰绘黎卷恢瞧茫幅迪柳瑜矛吊侯玛撑薄敦挤墨琪凌侧枫嗨梯梁廷儒咬岚览兔怖稿齿狱爷迈闷乔姿踪宾家弘韵岭咦裤壳孝仇誉妮惧促驶疼凶粗耍糕仲裂吟陀赌爵哉亏锅刷旭晴蝶阔洩顽牧契轰羞拾锦逆堕夹枝瓦舟悦惹疏锐翘哎综纲扇驻屏堪弥贯愚抬喂靖狠���凝邻擦滋坤蛙灾莎毅卒汝征赠斗抛秦辱涂披允侦欲夥朗笛劫魅钦慰荷挺矣迅禅迁鹿秤彭肩赞丙鹅痕液涨巡烤贱丈趋沿滥措么扭捉碗炉脏叔秘腰漠翅余胶妥谣缸芒陵雯轨虾寸呦洒贞蜂钻厕鹤摔盒虫氛悄霖愧斜尸循俩堡旺恶叉燕津臣丧茂椅缠刑脉杉泊撒递疲杆趁欠盈晃蛇牡慎粒系倦溜遵腐疾鸭璃牢劣患祂呈浑剂妖玻塑飙伏弊扮侬渴歪苗汗陶栋琳蓉埋叡澎并泣腾柯催畅勾樱阮斥搜踩返坛垂唤储贩匆添坑柴邓糖昆暮柜娟腹煮泛稀兹抑携芭框彷罐虹拷萍臂袭叙吻仿贼羯浴体翠灿敲胁侣蚁秩佑谨寡岳赔掩匙曹纽签晋喻绵咏摊馨珊孕杰拘哟羡肤肝袍罩叛御谜嫁庙肠谎潘埔卜占拦煌俄札骤陌澄仓匪宵钮岗荡卸旨粽贸舌历叮咒钥苹祭屈陋雀睹媚娜诱衷菁殿撕蠢惟嚣踊跨膀筒纹乳仗轴撤潭佛桂愤捧袖埃壹赫谦汇魏粹傅寮猴衰辜恳桶吋衫瞬冻猎琼卿戚卓殖泼譬翰刮斌枉梁庞闽宅麟宰梭纠丛雕澳毙颖腔伫躺划寺炼胃昂勋骄卑蚂墓冥妄董淋卢偿姻砸践殷润铜盲扎驳湿凑炒尿穴蟑拓诡谬淫荡鼎斩尧伪饿驰蚊瘟肢挫槽扶兆僧昧螂匹芝奸聘眷熙猩癢帖贫贿扑笼丘颠讶玮尹詗柱袁漆毋辣棍矩佐澡渊痞矮戈勃吞肆抖咳亭淘穗黏冈歧屑拢潇谐遣诊祈霜熬饶闯婉致雁觅讽膜挣斤帆铺凄瑟艇壶苑悬詹诠滤掰稚辰募懿慨哼汁佬纤肃遨渔恕蝴垫昱竿缝蹈鞭仆豫岩辐歹甄斑淹崎骏薰婷宠棵弓犬涂刹郁坎煎螺遮枯台昔瘾蒂坠唔瞎筝唇表吁冤祷甩伞酱范焉娇驼沦碳沾抚溶叠几蜡涌氧弦娱皓奴颓嘎趟揭噹剥垦狭魁坊盐屎郝佩摧栗菊瘦钧匿砖嘘缚嘟盆债霞挽逍畔蕴颈获畏喂脾姬赴囊噪熄锡诀肇璋晕浊伐峡窃枕倘慌垮帕莹琦厢渺脏削锣虐豔薇霉衍腊喧娶遂睁裙韦矢伺钉��蓄奸廿堵葬蓬鸦尝挨蕾璿挚券厨醇呻霍剃浆葡暨滨履捞咕耕棉烁尉艰妓棺鹏蒸癌纬菌撇惩绑甫崩魄拂汰氓歇萝呒萄蕃曝疋向胏烛腻襄妆髓朴薯颂薛滩橘贰嘲叹枚侮豹巢酬碑翩蚕辽矿屡谴卵撰攀肌冯宴盏阪浦迦颁炼尬胀辟艘株只湘饲爹梨喽侍疫雕黯并铝弗爪鄙钗栽狸谘柄悸喉擅劈秉芷裸锵贾逗寓咚璞烫铅啸炳屿竖惶仕挪栅迄顷窄鸥鲢郊倩兜茧磊抒夷绰溯拙僚芙杖溃凶鸽妒沌祺呐卦聆栖蝇佮唾汇楣匠蛛悼舜耿瞄芋瞒竭茵吼苛浸拯克豆沛掠廊凸搅俺酌倡朦蕉暱焕掏蝉焰狄绳惰芽裹宛御赎燥滔贬悍袂坟颉啤押尴颤钝腥缔粮哑槟簿斧肿纶僵齣辖蹲敷喘扎酿佑肖愈隧嗜檬迳碌襟凋圭寇污哨倪筠桦诈姜旬秃脂噢撼衅庚炫谭惭涩崔贷胡晒琉捏绮膝拭暗醋膨杠鑫瀑喃剖袜逾涅扳惘凳呃掘捍榔窍蜗旷梵暇稻柠抉辗蔚钩卜莺匡蜘祯哔窟亟谛溢黛晦伶逮傍葱刁堤恍匣谍禧轿耸瀚斐忿泓拐驴罕沫绽刃窈渝仄瑛葵噜绣奕窥浏隶蔽仟敛丞诘鳖疤膏锥窕皱晰晖舅孰煽姚钞袱绊焚芦咸沮呕瞪淳丐茹盘菱篠涕衬蚀溉瑄翟怠钰躯肺掷丑奢荫靶纱芸佰峻阱哄肾庄囡阑戳腕菸凹蟾蒐呱巾雏螃盯馈垄毓犀逞姨穆樵阀弥跷搁隙疵憧忏琨阙萱怅辄搏榕饥捣渣眺虞俯绅谤珑咫俏淆蜀楠乞诅匀貂寰迋敞跪囚溺骆憬苇脊瑶疆乍杆眸窜孽卅夭簧徘馒趴鎚啼冗缉絮啄沸萃嘶鸳禽惫徨屐舆邂掀嫖苟檯矫铎棱哗徊拱蕙徬滞吠妞氾芹叩朽侪赦汐丰虔茅棠仑膳魉儡鸯懦渗邵筱畜崖瑕蕊揣擒挂屯莽矽侏弧澈饺奎裘塌饵偎泻蔓彗樽衔茍磋萎廓悯铸茎歼壤浇蚤恃瞻拚汀椒嚼粥磅佫勘脖吨澜锻笙厄嚷伽徽隅寥缤簾烘茜驯噎厦闰煤链锈诫颊俐曳蓓��郤淌喀昆蔑峙躁菇逅雇殴泌酥缮莓辕骇巍糗扛杏茁琵礁秽岔僻焊嗡诵瞌捌遁赃涡琮卯锯扔苏邹莅隘蹋湛昼岫蛰桩藐汲禄皂濑绒耽粪粤卤曜懋咎痘聂垢瞳闵睿跤鉴躬斟淇莒毯幸骋岱庐殃橄恤叽鳞蒙芥榄楷硫苔麒椎禹喙厘袅亥倌吭诃裔梓蓦岩帜瓣狡惕蒙怯嫩龚嚎豚埠暸唆妃瓢蹄厮讥啃琶愿噱狷搪氢橙咆靡砌筷兑溼呸镀踹冢祟懈术搓攸橡膛俞祉冀炊瓷遐揽鹭茄蜢塘郡韬挟牟糙阎旻赘霆呎炭霄媳瘤猿颺煚铠蝠钜苓傀烬墅璇困愣恬嫉琐嫂淼梳憎搂藻酵屉陡摺箫飨桐蚱曦璧偈蹦昶咙铮嗤戌屌耘裳啾嵘胺笃烹巩厝疚鸶汹蔷沐咽烙畸讳揍曙铐朔涓睬矶岐凄鲫楞鲤荆偕徜饥肮蔼辙恁霈诛鞠茉煜傭嗓酹昙铨艳绷峨揉珈鹃诲臆焰隽熔堇韧扒憨舵肛戊坝抠骷碘鞍冕榨肘羔哺霓巳铲蚵惆驹撷稽羹纺蜕趾吊豁褪癸眨臻慷蝙胧沼舱柚抨葭枷靥硝绚绞缆讪褚砗嫣蒲丫鹦蒹憩懊聋盎婊盔峦矜凛铺鹉蜴惚畴羁媛堑泛疮韶憋祁诟搔蜥袒奄忱玖拌悴祠扼髅筑蛤茱骐捶须亢葔艸筛岳岳慵戮跎砰仑炜篱笈瘫吏痊庶厥棘娑沁窘鲸缕硷俨栈蔬鸠闲迢恣昀泠涟眩噫娥荼鳄镖侃虏俾樟榴咛炬窦笠翱莘躇翡姜枭匕藩徉觞拣吱皈墉傌梢巅踌萌幌杭侥栾奠痲夸瘖芯蟀驿耨禾瑾
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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小浜旅行
4月に福井県の小浜へ旅行へ行った。福井へは以前から東尋坊や恐竜博物館へ行きたいと思っていたが、タイミングが合わず行けずにいた。今回は、小浜が舞台の一つでもある『海のある奈良に死す』(有栖川有栖)を読んだのがきっかけで、旅行へ行くことにした。
1日目。大阪から敦賀まで特急サンダーバードに乗り1時間半、敦賀でJR小浜線に乗り換え1時間、お昼ごろに小浜駅へ到着する。
電動自転車を借りて、市内を観光する。暑くも寒くもなく気持ちのいい春の天気だったが、とにかく風が強く、自転車をこいでいると帽子が飛ばされる。 駅から北上するとすぐ海が見えてくる。写真は前述の小説にも出てきた、人魚像のあるベンチ。

南西、明治から昭和頃までの木造建築が並ぶ地域へ。平日だからか、観光客は勿論、人ともほぼすれ違わない。
空印寺という寺の中に、人魚の肉を食べて八百年生きた八百比丘尼が、最期に入定したと言われる洞穴がある。椿の花弁が至る所に落ちていて綺麗だった。
その後再び海沿いを自転車で移動して、若狭公房へ。小浜は瑪瑙細工が有名らしい。めのう磨き体験をする。40分以上、紙やすりを使って無心にめのうを磨いていると、以前高野山で写経をした時のことを思い出した。
2日目。起床すると足の筋肉痛に加えて、疲労やストレスからか胃腸を壊しており、とても気分が悪い。昼頃までホテルで休んでから出かけることにする。
この日は、今回の旅行で一番楽しみにしていたと言っても過言ではない、遊覧船「そともめぐり」に申し込む。この遊覧船は、天気が悪いと小浜湾(内海)をめぐるコースに変更になるが、この日は風が強かったものの、さいわい蘇洞門までのクルーズができた。(実際私が旅行した三日のうち、他二日は内海めぐりに変更になっていたので、運が良かったらしい)
「御船印」という船の御朱印をもらう。
日本海の荒波や風で削られた岩は、巨大な彫刻のようで迫力があり、見ていて楽しかった。
夕方、暇なので東小浜駅に移動して、若狭歴史博物館へ。諸事情が重なりゆっくりと見られなかったが、仏像の展示が特に良かった。
折角小浜に来ているのに、名産品を食べていない…ということで、定食屋に入り焼き鯖定食を食べる。脂ののった身、パリパリに焼かれた皮、魚のだしのきいた味噌汁、温かい湯豆腐と白米。
その後はホテルで読書したりYoutubeで配信を観たり、のんびりと過ごす。
最終日。起きると体力が回復しているどころか、既に体力の限界を越えている感じがする。しかし今日も行きたい場所があるので、このまま帰るというわけにはいかない。
東小浜駅で降車し、徒歩で若狭姫神社と若狭彦神社へ向かう。この日は雨が降っており、さらに折り畳み傘も壊れ、40分ほど雨と汗でぐちゃぐちゃになりながら歩く。正直この日のことは疲労のあまり記憶が曖昧なのだが、この二つの神社は自然と一体となった、静かでとても雰囲気のある場所だった。御朱印とお守りを頂く。
そして再びJR小浜線に乗り、敦賀駅へ。疲れている上に、入った飲食店があまりおいしくなくて、悲しい気持ちになる。敦賀駅近くでは、夕方以降は屋台ラーメンが並ぶらしい。残念ながら今回の旅行では行けなかったが…。
最後に氣比神宮へ。大きな鳥居が印象的。お参りをして、御朱印を頂く。
そして敦賀駅へ戻り、再びサンダーバードに乗る…。行きは隣の人が車窓のカーテンを閉めていたので、景色を見ることはなかったのだが、帰りは横に誰もいないので外の景色がよく見える。滋賀から京都まで、琵琶湖がずっと見えていた。どこかの端から琵琶湖を見たことはあっても、琵琶湖沿いをずっと走ることは初めてだったので、あまりの大きさに驚く。
これで旅行は終わり。
◇持って行って良かったもの ・モンベルの折り畳みジャケット ・文庫本
◇持って行くべきだったもの ・レインコート ・良い折り畳み傘 ・日数分の薬(痛み止め・胃腸薬など)
2025.6.20
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東京2日目、靖国神社に行ってきました。
方向音痴が電車に乗って大丈夫か……と思いつつ、案外すんなり九段下まで到着出来ました。良かった……
朝から霧雨が降っていて、蒸し蒸しとした地下鉄以外はヒンヤリ。



『靖国の鳥居の下に集合』とは、この辺りか……としんみりしつつ鳥居を見上げてみたり。
9時頃行ったんですが、この時間そこまで人は多くなく。御朱印にちょっと並んだくらい。
奮発したお賽銭のお札を握りしめて本殿の参拝に並んでいたら、すぐ隣にいた警備員さんに
「横からでもお参り出来ますから。どうぞー」って言われたんですけどね、
私ゃ札を握りしめてますもんで、せっかくなら真ん中行きたい訳ですよぉ遠くから来たしぃ(だけど仕方ないから横に行ったョ……)
お参りして御朱印頂いてお守りとか買って、すぐに遊就館へ。
注意書きに“館内で解説をしないでください”みたいなものがあって、へぇ……きっと思想強めの熱く語る方がいるのだなぁ……と思いました。
時間無くなるかな〜と後半少し駆け足で回ったので、細かいところまではあまり見られず(最終的に予想以上に時間が余ってしまって、もっとここでゆっくりすれば良かったと後悔)
館内スタンプラリーは制覇しました。
当日は日曜日ということもあり、だんだん人が増えてきてお土産売り場がだいぶ混んでいました。
商品棚の前でずっとスマホいじってる人がいて全然どいてくれず諦めたんですが、そこで零戦ピンバッジ買うの忘れていたことに後で気付いて後悔。。
まあネットでも買えるし、、、
11時過ぎたあたりで外に出たら、某🪽団体の方々が行進してらして、これが噂の!?とちょっとテンション上がった田舎者です。
思ってたよりキレはなかった←
鳥肌実さんのイメージだったからサ……

おみくじ引いたら末吉
🌸が可愛いからまぁいいや……

トメさんの玉子丼
甘めの味付けでめちゃ美味でした。
当時食べたら泣くなぁ……(若干泣いた)
あ、鶏肉入ってないのね
そりゃ“玉子丼”だもんね
店頭の唐揚げも買えば良かった(食欲)
帰る時、靖国の入口で🪽のおじさん達が談笑していて、傍には例の強めな御車があって
なんやかんやこれが生きがいになってるんだろうなー、とぼんやり考えました。
私は🪽の事よくわからんけど!
※あくまでも鳥肌イメージ
敷地のベンチに座ってる方はほぼ外国の方だったな……
あとは無事に大手町の首塚寄ったり皇居の噴水公園で黄昏てました。時間持て余した……
噴水公園に警備のおじいちゃんみたいな方がいらっしゃって、めちゃくちゃ厳しく取り締まってました。子供だろうと容赦なく叫んでた。
場所が場所だけに……って感じなんだろうけど、ほんと都会って殺伐としとる……って感じ。おじいちゃんも仕事なんだろうけど。大変な仕事やね。
靖国神社の感想ですが、
亡くなられた方々は英霊として祀られていて、
特攻で亡くなられた方々をかなり讃美しているというかなんというか、、
『今日の日本があるのは、お国の為に戦ってくださった英霊のおかげです!!!!素晴らしい!!ブラボー!!!』みたいな、なんていうのかな……
お国の為に良くぞ戦って散りました!!みたいな……
私がそう受け取ってしまっただけかもしれないけど、ちょっと頭痛がしました。
祖国の為に戦ったのは国や家族の為だけど、皇国万歳とか極端な思想に洗脳教育したのも戦場にかりだしたのも国家な訳で、、
うーーーーん、なんというかいい言葉が見当たらないんですが、ちょっとモヤモヤする、、
祀られてる方々が、今穏やかにいられるならそれでいいんですけどね
残された我々が“ありがとうございましたー!!”だけで終わったらダメだよな、ここから学んで二度とこういう事が起こらないようにするのが本当の慰霊だよな、って思いました。
血文字で書かれたものとか女性達が送った髪の毛の綱とかあって、当時は
“これをあげたら喜んでくださるかしら!?”とか
“こりゃーありがたい!!”とか、ガチで思ってたんですもんね、、、ひぃ〜〜〜〜
遺書のコーナーでは、みんなすすり泣いてましたね。あそこら辺もっと見たかったけど、
でもこういう遺書を拝見する時って
遺書は自分の大切な人に向けての手紙だからそれを関係ない私なんかが読んでしまっていいんだろうか……という変な遠慮をしてしまう。。
検閲なかったら、もっと自由に言いたいこと書けてたんだろうな……
最後までまとまらないけど、靖国神社レポはそんな感じす。
とりあえず一人でじっくり観られて良かった。次はこういうのに興味がある人と語りながら行ってみたいなとも思ったり。
全部は観きれなかったので今度来る時は東京初日の予定にして、夕方までゆっくり観るぞー。
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『よだつ』読書会レジュメ
この記事について
この記事は、文芸同人・ねじれ双角錐群が2023年 文学フリマ東京37にて発表したホラー短編アンソロジー『よだつ』について、文学フリマでの発表前に同人メンバーで実施した読書会のレジュメを公開するものです。 このレジュメには、各作品を楽しむためのヒントがちりばめられているかもしれません。適宜ご活用ください。
表紙・裏表紙
題字の「よだつ」がめっちゃ好きだ
好きすぎる
より集まった髪のような、植物のようなビジュアルが不気味さとかっこよさを両立してる
傷んだ髪の毛を顕微��で見た時のようなぞわりとくる感じがある。
虫の足のような枝毛のような触手のような曲線が恐怖を想起させてくれます。
下の方は傷んだ髪のキューティクルっぽいですよね。でも上の方の枝分かれというか、広がってるのが異形な感じがして、抽象的だけど毛ホラーだ、「よだつ」だ、というのがすごくわかるんだよな。
生命を感じる。おれはこの表紙がなければ今回の執筆は諦めていた。
表紙見てから原稿がめちゃくちゃ進んだんだよな。
緒言/エピグラフ
緒言、最後の一文がかっこいい。
最後の一文に定評のある敷島悟桐。
急に親戚のグローバルさが出てきた敷島。
チュニジア共和国の首都なのか。
「えいべさん オーディオコメンタリ版」cydonianbanana
一言
ジャパニーズホラーのじめじめ感。
普通に怖いんだよ。真面目にホラーに挑んだ主宰にリスペクトしかない。
プロレスラーにえべっさんっていたような(関西では七福神の一人である「えびす様」を「えびすさん」→「えべっさん」と呼ぶようになったとか)
映像系感染呪術の系譜なのかな
作中に出てくる『ヘアー』って映画も毛絡みか
いわゆる映像系のホラーだけれど、いわくつきの映像とそれを視聴する側の視点とが同調して異常性をエスカレーションさせている。温度差の管理が素晴らしいと思いました。
うまく言えないけどばななさんの文体でやるくだけた会話好きなんですよね。
ちゃんとしたホラーの狂い方だ……。全部は理屈がつかなそうな曖昧なところがいかにもホラーな怖さに思える。会話がカタカナだらけになるところ、シンプルに「おおっ」となった。
普通に映画関連の知識がすごくて、コメンタリがそれっぽい。
詳細
冒頭の「かえらなきゃ」という不気味な掴みと、ラストの「かえさなきゃ」という一言が狂気の伝染を象徴してるようで上手い。
未明の街をバスで走るという楽しそうなロケの裏話から、そこが視聴者的にも恐怖の現場となっていく過程の変遷。とても自然で恐ろしかったです。
実際ホラー映画にオーディオコメンタリとかいう風習があるのかどうか知らんけれど、内輪語りっぽさがいかにもなのが面白い。
親密さのある会話→ギャップで怖さへ
ホラー映画の作中作という素で怖いパートと、オーディオコメンタリの会話という安全なゾーンが交互に出てきて、そのギャップが出る、そして最後にオーディオコメンタリ側が安全ではなくなるという定番だけど効果的な構成
オープニ��グ~でたらめな経路で走るバス車内
映像を文章で説明するパートの描写力が良い。「閲覧者」から連なる描写しまくり系の技がこなれている感じがする
徘徊対策のバス停は実在するらしい。バス停名に条里制の名残を感じる
老人「かえらなきゃ」
蓼志野の回想:渡良瀬との会話
過去のフィールドワーク(厩神に関する調査)を振り返る。
「ヒアリングしている間、畑の向こう側にずっと立っていた女」
怖い。
過去(渡良瀬が生きてるという意味では、大過去)回想だけど冒頭に挿入される行方不明者アナウンスは現在(七十二歳の蓼志野の捜索)
スピード感の言及もされてるけど、「言葉で説明しない短編映画」らしい圧縮が効いているのをうまく表現しててすごい。(アナウンスは言葉っちゃ言葉だが……)
渡良瀬の死~『えいべさん』ノート
渡良瀬の遺品整理に訪れた蓼志野。
『えいべさん』という題が書かれた黒いノート
えいべさんは厩猿のこと。捕縛した猿の手を御神体とする信仰。
山海経の朱厭が由来なんだろうか? オンコットと関係ある?
「畑の向こう側に、田舎には似つかわしくない赤いコートを着た女」
怖い。
<コメンタリ>女が立っているカット、アングルがどうなっているのか監督にもよくわからない。
引き続きノート
封印されていた御神体を手に入れる渡良瀬と蓼志野。
しかし蓼志野が「これ、本当にニホンザルの骨ですか?」
モノローグ終わり。蓼志野がノートをめくると紙面が髪の毛で塗りつぶされている。
<コメンタリ>『呪い』は観測問題。
バス車内
バスの中を歩く老人。
「蕷ヶ原まで行きますか?」
蕷ヶ原、は向こう側の地名っぽいよな
「蕷」は、ヤマノイモ科のつる性多年草「薯蕷(ショヨ)(やまのいも)」に用いられる漢字です。読み方は「いも」で、音読みは「ヨ」、訓読みは「いも」です。
黒く細長い曲線が画面に映りこむ。
老人がえいべさんの御神体を取り出す。
「かえらなきゃ」
<コメンタリ>映りこんだ曲線が意図していないものであることがわかる。
ノートに挟まっている(ように最初は見えたが実際には書かれている?)髪の毛を見て呪いに気づく→観測問題としてそれが現実化する、のと重ね合わせるように、映画の画面内に髪の毛らしき線が入っているのに気づいたので……
神社でノートを読む蓼志野(ノート=渡良瀬の独白)
フィールドワーク以来、体調がすぐれず、赤い女が夢に出る。
蓼志野にはそう��った事象は起きていないとのことだったが、半年後に蓼志野の訃報が届いた。
ではノートを読んでいる蓼志野は? 老人は?
蓼志野の研究室を片付けていると、えいべさんの御神体を見つけた。
<コメンタリ>撮影に使用した御神体が本物(鵺の手)であることが明かされる。
本物のえいべさんの御神体、というのではなくて、鵺、というのに若干の唐突感があるんだけど、どういうことなんだろう。
蓼志野の調査結果
えいべさんの御神体はヒトであり、その名前は恵比寿様(異邦人)が由来。
解説されてたそれ自体既にちょっと残虐な作り方が、人間相手に行われていたんだ、となってこわ~となる仕掛け。良いね。
<コメンタリ>ここから監督の発言がおかしくなる。マイタリマイタリ。
バス車内~蕷ヶ原着、終幕
蕷ヶ原に着いたが老人は降りず、バスも出発しない。
車内通路に人影、赤いコートの裾。
「かえしにきました」「マイタリマイタリ」
とじるほうの括弧( 》)がないので、ここの発話が、映像から半分現実(コメンタリ側)に派生というか、混じり込んでる感じ?
<コメンタリ>監督「かえさなきゃ」
御神体を?
鵺のほうってこと?
最後に「わたし」が登場している
これまで二重括弧のなかは映像を文章で説明していて、そとはコメンタリーで会話文だけだったところ、その境界が外れている。監督が立ち上がってるところとかが映像で説明されていてカメラが外に出ている?感じ。
真言
オコオシンデ:御庚申
マイタリ:弥勒菩薩の梵名「マイトレーヤ」すなわちいつくしみ、らしいが?
ソワカ:成就
調べてもいまいちわからないけどまあ文言よりもお唱えする行為自体に意味があるのかな。
意味がわからないので怖さが高まるみたいなのがある気がしますね。たとえば御神体の製作過程で真言を唱えるとかの設定が書かれているとそういうのと繋がって解釈しやすくなるんだけど、そういうのがない。
赤いコートの女
アクサラのイメージで読んでました。
これも謎で全然意味がわからない(えいべさんの話にそれらしい女が登場したりしない)ので解釈できないのが不気味さですよね。
「かえらなきゃ」「かえさなきゃ」
オープニングの「かえらなきゃ」も「かえさなきゃ」だった?
蓼志野と渡良瀬の死がせめぎ合うように、映画とコメンタリが侵し合うように、御神体と老人の意志が重なっているんじゃなかろうか(どちらにも聞こえるし、どちらでもある)
「カルマ・アーマ」小林貫
一言
絶対に映像化してほしい(絶対にしてほしくない)
個人的にはいちばん怖かった。にきびに悩んだ高校~大学生の頃の記憶が…
非常に短くまとめられていて、しかも不気味さと気味悪さが余すことなく描かれた傑作。
ヤバい女を書くのが上手すぎる。
自分は角栓系の動画わりと見ちゃう人間なんだけど、あの手の動画の快楽が余すところなく言語で表現されていて、正直かなりゾクゾクした。
キモくて笑っちゃった
伊藤潤二の『グリセリド』思い出した
ねじれ双角錐群の新海誠
毛=要石
詳細
ひらがな多めに女性を描写するとえっちさが増す発見をしました。
この気持ち悪さ、これ、これが書きたかった……。俺の書きたかった小説だこれは……。
毛巣洞で画像検索しないで下さい。
ピークでそのまま終わる感じがすげえ。
それでいてラストの文章はちょっと切ない感じがする。
ポテサラをあてに日本酒をあおる女。只者ではない。
マヨギさんの容姿はブルアカの古関ウイみたいな風貌を想像したが、どうなのか。
■p28「はじめにその視線に気づいたのは」
小林貫作品の嘔吐率の高さ。
この作品、嘔吐に始まり嘔吐に終わる構造になってるんだよな。
「たしか、三回生のマヨギさん。どんな字で書くのかは知らない」
実際どんな字というかどういう意味の名前なんだ??
間世姫
なんか末魔とかと合わせてサンスクリット語とかなんかあるのと思って検索したら出てきた
「最近あごにできてしまったニキビをすりすりとなでて」
芥川の羅生門の下人のニキビの描写を中学の国語の授業でやるじゃないですか。あれを思い出した。主人公の青少年らしい悩み。
でそう思わせておいて伏線というか、ニキビが後半の展開でメインになってくるの面白いよね。
■p29「結局バーベキューエリアとトイレを往復するばかりで」
「ドアの窓に顔をべったり貼り付けてこちらを見つめているうすら笑いのマヨギさん」
こわすぎ
■p30「それからぼくは大学のレポートやバイトに明け暮れ」
p31「その短い言葉にふくまれた意味がぼくの全身の毛穴をきゅっと締めつけ、鳥肌立ったそのひと粒ひと粒に手を触れたら剥がれ落ちてしまうように思えた。」好き。
p31「気づいていたと認めるのが怖くて質問で返した?」小林貫作品でこういうのが出てくると嬉しい。(何目線なんだ)
異常な女の異常レベルがかなり上がってきて、ニキビを潰すのが好きという設定が出てきて(でもこれあとのことを考えるとそう簡単に嗜好の問題ではないんだよね、きっと)、からの「あふれる涙をぼくは必死にこらえている」に至って主人公も相当もうおかしい。展開にスピード感がある。
■p34「「施術は次の日曜、私の家で。」
アルコール抜いとくのなんか、修行的なやつ?
お酒がニキビの原因になる理由は、主に以下の4つです。
糖分の過剰摂取になる
毒素の排出を妨げる
ビタミンB群が消費されやすい
睡眠の質が低下
お酒に含まれている成分や特徴が、ニキビの原因を作ってしまいます。
このケースだとむしろ呑んだ方がいいのでは?
「時計を進めてみたり」普通それで時間は消費されないだろ
■p35「「さっそくだけど、ここに横になって」」
p37「末魔」これここまでの流れが相当ヤバくて気持ち悪く怖いので盛り上げてきて、それでこの後どうするんだと思ったところからのターンにぶち込んできてめちゃくちゃ笑ってしまった。「もうそういう段階じゃない」。
断末魔の末魔ですよね。「末摩」はサンスクリットの「मर्मन् (marman)」の音写。「関節、致命的な部分、傷つきやすい場所」の意[1]。「死節」「死穴」と訳される[2]。体内に存在すると考えられた極小の急所であり、これを断つと激痛を生じ死に至るとされた。
おギュッ!じゃあないんだよ
■p39「やがて膿は床を埋め尽くし」
いや何が行われているんだよ!
マヨギさんの目的は自身の末魔を開き、生と死を繋げること。そのための儀式?として膿(アーマ)が必要で、伊津見を誘った。目論見通り伊津見から取り出した膿を摂取することでその背の粉瘤の埋没毛が抜けるようになり、末魔を開くことに成功。生と死がつながり、二人は「ひとつに混じり合った次の世界」に進む。
エルデンリングってこと?
大学は人生のモラトリアムだし、狭間の地ではあるな…
好きなとこ
「気にしないで。もうそういう段階じゃない」
「マヨギさんと出会えて本当に幸せです」あふれる涙をぼくは必死にこらえている。
「こっちの左頬のやつは自分でつぶしたでしょう。ね、跡になってる。だめ……自分でつぶすのはだめ。皮膚がでこぼこになっちゃう。ああ、すごい。どれもこれも膿アーマでパンパン。ここも、ここも、ここも、ここも、ここも、ここも、ここも、ここも。でもつぶしちゃだめ。触るのもだめ……わかった?」
途端、埋没毛という栓が抜けた粉瘤からマグマのごとく膿が噴き出し、マヨギさんは「おギュ、おギュ、おギュッ!」と人間のものとは思えないうなり声をあげた。
「マヨギさんと出会えて本当に幸せです」あふれる涙をぼくは必死にこらえている。
「取材と収穫」笹幡みなみ
一言
実話怪談というジャンルにフィーチャーしつつ、それが物語のメタ構造を導いているところがクール。
ていうか語り手が笹さんすぎてウケる(いや、語り手は笹さんっていう設定なんだけどそれにしても笹さんすぎるでしょ)。
ツイッターもといXの雑談からぬるりと始まる。実話怪談のセオリーというか、カボチャをかぶった稲川淳二が目に浮かぶようですね
三大盛ってはならないものとして、毒・胸・話がある。
読み終わったあといやあな感じが残るのでよい。
違和感がある現実の短い映像を並べて一つの恐ろしさに仕立てる、という映像作品の手法をうまく小説で出来ている印象。怪談収集家という切り口にはいいアイデアだなと思いました。
普通に構成おもろい。入れ子構造っぽいところは、ちょっとえいべさんとも重なるかねえ。
「三つの怪談がどうつながってくるんだろう?」ってわくわくしながら読んでた。シンプルに物語的に読ませる感じの展開っすよね。
詳細
世にも奇妙な笹物語
消費されていく怪談というコンテンツの側面を冷静に分析していながら、恐ろしさはきっちり担保している手腕が素晴らしいです。
上を見上げたらいる女、真面目に怖かったです。ホラーゲーで出てきそう。
これはマジで怖くて「笹ァ!」って声出た
タメが効いてるのもあり、ここ怖かったですね。
体験者の名前、いち、に、さん、なの、全然気づいてなかった。
マジか
p68からp69に入った瞬間に「読み手(ないしは聞き手)としての自分が消える感じ」がしてかなり不思議な読みごたえだった。
舞台となる事務所は横浜駅から平沼方面へ10分ほど歩いた雑居ビルの二階(高島町と平沼橋のあいだくらいか?)
前置き(あまりにも笹さんすぎるパート)
主人公:笹
怪談収集家:桐谷さん
毛に纏わる怪談#1(バーベキュー場のトイレ)
体験者:市倉
つかみっぽいやつ。
《引き算ならば認められている》この物語の大枠自体もレティサンスがある
毛に纏わる怪談#2(上を見上げたらいる女)
体験者:仁科
でかい女性系は怖い。
ちえりの恋は8メートルや八尺様などをみるに、巨大な女ブームというのは定期的に訪れている。
《死は禁じ手》死者の体験談だと大川隆法の霊言になっちゃうからな 毛に纏わる怪談#3(肉を欲しがる男と豚肉の毛)
体験者:三反田
千反田は存在しない苗字らしいが、三反田は全国に540人くらいいるらしい
「一切れも分けてもらえないですか」やな言い方だなー。
《実話怪談ならではの未決感》オチると怖くなくなる。オチがないと空中分解するお笑いとは真逆の性質がある
4(#1~3の取材相手の消失)
体験者:桐谷
どこからどこまで?
白くて硬い動物の毛
このあたりちゃんと読めてないかもしれない。
P45「横浜駅から~」とその後いくつかの部分、怪談を批評したり、次の怪談を要求したりしている章が、最後に消えた男視点になってるっぽい
最後に消えた男=毛に纏わる怪談収集をする怪異?
笹さん(便宜上の呼称です)が取材した/させられたことで桐谷さんの語りがまるごと「毛に纏わる実話怪談」になってしまったので、次は笹さんのところにも取りにくるかもしれないというオチですよね、ですか?
「消えていったということは、怪談に一応満足してくれたのだろうか」(p.69)
満足しなかったら……
「恢覆」国戸醤油市民
一言
グランドキャニオンでチキンレースの話を聞かせてくれ!!!
語り手に割と感情移入して読んだので、後半の展開は「これどうなっちゃうんだ」というハラハラ感がある。自分がおぞましい存在になってしまう系ホラーとして面白かった。
映像化しづらそうというか、小説ならではという感じがしていい。
いつだって国戸さんは僕の前を走っている。追いつけるのか、その背中に?
寝たきり状態の主人公は乙一の『失はれる物語』を想わせる
それはさておき警備員がいちばん旨かったのは、たぶん肝臓の太ったおっさんだったんだろう
紹介文がすごい。
「全部うまく行くよ。僕を信じて!」
これめちゃ好き
アメコミとか特撮とかのクリーチャーが出現する場面をうまく演出したような作品で、怖さの中にも迫力がありました。理性を半端に残した人間こそが一番なホラーだと考えているので、とても設定や筋立てが好きです。
毛ライジング
起こってることはモンスターパニックっぽい感じだけど、その当事者目線の語りなのがおもろいよな。ちょっと『寄生獣』とか思い出したな。あと、スピード感がすごい。
詳細
手術詳細を読んだ時に「育毛を重ね合わせてるのかな」と思いました。
イヤホンから喘ぎ声聞かされるシーンのディテールなんなんだよ。
不妊治療での精液採取みたいだ(DLsiteの音声作品的なのを聴かされた?)
最後は意識ごと食われて乗っ取られてる感じ、で解釈。すると物語のエンドと語り手の意識のエンドが完全一致する鮮やかな終幕だ。
p78真ん中「身の危険を感じたからか、僕を包んだ繭は〜」
ここから"僕"が入りはじめている。
あーなるほど。初読時気づいてなかった。
と思ったけどあんまり自信なくなった。
“私”は”僕”にとっての繭ってことか
私が主人公で、僕(p78真ん中と、p79最後に出てくる)が受精卵の方?
「僕を信じて!」
「なんだ?」と体を起こすと――体が? 動く!
リズム。
p79末尾は、「これで治すところは最後だ」のほうが「僕」=受精卵のセリフで、僕の方が「千切り捨てた」と言ってるけど、受精卵が毛(p78でほどけたあとどういう状態になっているのか描写がない)を使って千切った��いうこと?
「僕」サイドが「私」を無用なものとして切り捨てて殺した的な展開かと一瞬思うんだけど「これで治すところは最後だ」と言ってるから治してるという意識?
「僕」が役目を終えて自己犠牲というか、自分自身が「私」にとって不要な存在であるとして切り離して死んで終わる的なエンドなのか?
石井さんが書いているように、「私」の意識が「僕」に乗っ取られて、もともと「私」の身体だったほうに意識が移った上でもともと「僕」だった受精卵の容器を破棄しているというエンド。これだと、それまで腹が減っていたのは「私」の側だったのが「満腹になり」というのも整合する。一番怖いな。でもハッピーエンドだな(?)。これが正しい解釈だろうか。
恢覆の「覆」が「くつがえる」なので乗っ取られたんでしょうね、ちなみに「おおう」でもある
そういうことか!
「毛想症」Garanhead
一言
静かに暮らしたい殺人者というと吉良吉影っぽさがある(ので森川智之ボイスで脳内再生された)
全体的に痛そうな感じがしてひええってなった
拙者抑圧された闇の人格的なやつ出てくる話好き侍
スプラッタ系でちゃんと怖いんだよな。痛え!となる。
身体改造してるのびっくりした。あと一旦VRに行くという展開にもびっくりした。
詳細
主人公の顔が、素人整形の繰り返しでぐずぐずになっていることが終盤で明らかになるが、それにより石川さんが本当に神社仏閣が好きで純粋に同好の士として接することができる人なのだなとの感慨が生じる。
石川さん、いい子っぽいよな。ただ赤口の発話が常に描かれるのに対して、石川さんの発話は一切ないことからもわかるように、主人公からしたらどんだけがんばってもやっぱり欲望の対象としての石川さんなんだよな……。ああ……。
(これは将来読書会レジュメ公開するときには非公開で)草稿を読ませていただいたときからの感覚でいうと、改稿によって主人公の咎たる赤口がその咎性を増しているというか、裏人格みたいな存在であるからこそ本人の欲望を知り尽くしている感じが強まったのがいいなぁと思います
p82「俺と赤口桐枝との出会いは、」
赤口桐枝の赤口は苗字としては「あかぐち」読みでいいのか?(一応実在苗字っぽい) 由来は「しゃっこう」のほうとして……。
(著者コメ)執筆中はずっと「せきぐち」で考えていたような気がしますが、そんな苗字は存在しないっぽいので「あかぐち」ということにしておきましょう。赤口(六曜において仏滅の次に演技の悪い日とされている。血や刃物を想起させる)のイメージが伝わったのならば何よりです。
p84「グロさだけがホラーではないのよ。人の咎も時にはね、ホラーの柱になるの」咎をホラーの柱にしてるからこれ暗示というか伏線なんだけど���グロもやっとるやないかい!と思ってじわじわきた
p86「やってしまった。」
p87「枕には女性の頭が乗っている」俺は頭を抱えたのコピペみたいでニヤニヤしてしまった
p91「家に戻ると素早く荷物をまとめ、」 (著者コメ)ここのすぐに住処を引き払う展開、結構無理があると思っていて、いきなりこんなこと出来るか? たとえ備えていても……と悩んでました。結局、「月一で蒸発訓練をしている」という設定でお茶を濁しました。
p97 肉体改造を明かすパート。痛い。
p99「赤口が俺に紹介したのは」 p103「翌日、また仏閣のエリアに向かっていた。」 p105「半年後、石川さんとVR上ではなくて」 p107「あるいはここも一つのセーフハウスだった。」
p107「あるいはここも一つのセーフハウスだった」段落の書き出しとしては、かなり含みのある言い方で好きです。これあもう物語最終版だな、語り手が腹くくっちゃってノスタルジーモードに入ってるぞ、って感じがめっちゃする。
ここの書き出し好き。
「 」
気配。
p113「意識が鮮明になってきた。」
p113「意識が鮮明になってきた」以降で「ちゃんと物語を終わらせるぞ」という感じがあって、小説の書き手として尊敬……。
顔がぼろぼろになってるのまさにホラー映画の殺人鬼っぽい。
(著者コメ)コンシーラーで傷を隠しているのだとしたら、それが汗か雨かでどろりと剥がれ落ちるシーンはあっても良かった気がします。素人整形を繰り返した結果をイメージとして持続させ続けられなかったので、美味しいところを逃しました。よくない。
読者が男性であったり髪が短かったりした場合でも赤口によりメジャーアップデートされて対応するようになったからお前の所にも来る、というカバーの手厚さが良い。
(著者コメ)笹リスペクトです。事前に笹さんの読ませてもらった際、「やがて災厄がやって来るかもしれない恐怖」をオチで感じたのでパクらせていただきました……。
「きざし」 鴻上怜
一言
メチャクチャいい小説だ。小説をやっている感じがする。
不安感の中に身を置きながら日々の暮らしを送る話も、ジャンル小説としてのホラーの怖さからは外れるけれど、十分に恐ろしさを感じさせる話になると感じました。日常系ホラー。流行るはず……!
これは21世紀の写実主義文学だ!
最初から最後まで重苦しいな。
読み終わったあとに、もう一回見つめる「きざし」というタイトル、めっちゃ渋くてめっちゃ良い。
こわくはない。いや、こわいのかもしれない。いい小説。
詳細
「まるで若ハゲ博士だね」と、妻が検索欄に「ハゲ、なおし方」好き。
夫婦の枕とベッド事情が切実。まずは枕から別々のものになり、それからきっと次はベッドが別々になるだろうと予測する所から、冷え切った関係のう��い暗喩になっている。
仕事辞めて無職だった時期のことを思い出して懐かしくなりました。
会話のやり取りのそっけない感じが好きです。
ラスト3行が、さらっと書かれているけれども、ばっちりと決まっていてすげえ。髪の毛と自分の関係性、妻と自分の関係性を、重ね合わせて出されるリアルな結論が沁みる。巧みな締めくくり。
これバッチリ決まっていて巧みですごいことを言っているようにも、ちょっと酔ってるだけのようにも読める雰囲気になってるのすごいよなと思いました。
仕事を辞めて半年。応募先の面接が終わって二週間経つが連絡はない。
妻から病院でみてもらうのを提案される。
「心療内科だの精神科だの」
抜け毛の量を指摘され、ハゲ治療をすすめられる。
p127「翌日」
排水溝の掃除、抜け毛との対話。
「えっ、おまえ信長公なの?」よすぎる。
帰宅した妻とワイン。
採用通知「今日は来なかったね」、連絡しなかったの「今日のところはね」
悲しくなってくる。
「髪、少し増えてきたね」
抜け毛の指摘をした翌日に、治療が既にはじまっている体で妻が話している。
カレンダーの方に目を向けている。
排水溝掃除のあと(もしくは前)で日付がとんでいる! けど地続きのように書かれている。こわい。
はじめ「妻が狂ったのか? そういうホラー?」とちょっと思ったが、そういうことではなさそう。
キーマカレーで繋げてる?
「新田くんのこと」石井僚一
一言
またハゲの話か!? と思ったら違った……。
新田はちょっと変なやつなのかな? からすこしずつ、こいつマジのやつじゃん となっていく感覚がいい。
高橋さんの髪の毛を抜いて並べる場面で、漱石が鼻毛を抜いて書きかけの原稿に植え付ける癖があったのを思いだしました。
頭頂葉は、外界の認識、触覚、空間認知、視覚認知、運動機能などに関わっている
信頼できない語り手的な要素(この語り手は何者なんだ?)と、映画的な要素(構成と、フラッシュバックする過去の場面が頭の中で映像的に再生されること)を感じた。
そう、この作品が語り手が一番怖いと思う。収録順最後にあることでさらに効いてくる。
何度も脱線しながら自分で「戻ろう」って言ってるのがじわじわ怖い。
「髪の毛の話に戻る」ところの使い方が絶妙で、リズムよくイメージが並べられる演出になっている。新田くんの印象が、最初はちょっと神経質なやつだなというところから、徐々にそれをもう越えているなと思わせて、異常さがやがて物質的な外界にまで影響を及ぼすほど滲んでいるのが、好みの展開でした。
脳のくだりは「痛い痛い痛い!」とな��、かなりのホラーだった。
こういうパターンのホラーもあるんだ、という感想。自分がホラーを狭く考えすぎだったのかもしれないが、このアンソロジー一冊で随分ホラーって広いなと思わされた。
たのしく書いた。(作者談)
詳細
語り手によると新田くんは初めての出社の日の朝に息絶えていることになるが、職場の飲み会での証言があるので、どれかが嘘ということになる。
髪の毛を全部抜いたら死ぬというのは、実際検証した人がいそうでいなさそうでいそうなフィクションギリギリのラインを攻めていてホラー(都市伝説的な?)でした。
髪の毛の話をするという主題を、「」の用語解説のような叙述で肉付けしながら持続させていて、面白い構成だなと感じました。
p141「ぶにゅぅぃ」
これしかない音だ。
このへんの頭蓋をほじくる表現かなり気持ち悪くてぞくぞくする。
高橋さんに恋人がいるのを知ったときは実際には膝からくずれ落ちてないけど自分の最後の髪を抜いて息絶えるときひざからくずれ落ちたのは紛れもない事実なの、なんかおしゃれ(?)だ。
初出社の日に息絶えた新田
後年に職場の飲み会に出ている新田
後年に刑務所で語る新田
単純に時系列の矛盾っぽい情報にまずは気を取られるんだけど、改めて振り返ると最初の方だと新田くんはなんだか神経質で小心者のイメージだったのが、後半出てくる情報がそれとは噛み合わないというか別人っぽいのも面白い。
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清朝文學
H:清朝文學有那些,查查。20250429W2
維基百科:
清朝文學
增加條目描述
清朝文學多元發展,兼容並包歷代之文學特色[參1]。明朝以前的文學發展多表現在聲韻、格律、句法、結構的因襲或創變;清朝承接各代文學成果,先後形成許多學派,將各種在明朝以前已式微的文體重新復興,並繼明末進一步發展各類小說、戲曲;另外,因不同地區、民族互動而呈現出語言風格多樣化之文學面貌,於古體詩、近體詩、駢體文、散文、賦、詞、曲、小說、戲曲皆然。由於語言轉變較微妙,往往被人忽視,造成清朝文學缺乏明顯特徵與創造力的一般印象。整體而言,清代文學面向相當複雜多樣,但品質上也良莠不齊[參2]。
清光緒刊本的《紅樓夢》插圖,圖上人物為襲人。(改琦繪)
散文
清朝前期出現風格率真、浪漫的小品文,以張岱、李漁與袁枚為主;又有侯方域、魏禧、汪琬合稱「清初散文三大家」[參3]。但是他們的文風不受道學學者支持,這些學者發起復興唐宋文風的古文運動,此即桐城派。創始人方苞與劉大櫆、姚鼐有「桐城三祖」之稱。姚鼐是桐城派的集大成者,他的古文主張,在提倡「義理(內容合理)、考據(材料確切)、詞章(文辭精美),三者不可偏廢。」講究義法,提倡義理,要求語言雅潔,反對俚俗。後來曾國藩發展成湘鄉派,惲敬、張惠言發展成陽湖派[參4]。
詩
清朝的詩風甚盛[參4],以帝王、宗室為首,官方大力提倡詩學,自清聖祖以後諸帝主導官修《御定全唐詩》、《御選唐詩》、《御選宋金元明四朝詩》、《御定全金詩》、《御定佩文齋詠物詩選》、《御定歷代題畫詩類》、《御選唐宋詩醇》、《欽定熙朝雅頌集》、《御定千叟宴詩》、《欽定千叟宴詩》、《欽定重舉千叟宴詩》、《上書房消寒詩錄》、《三元詩附三元喜宴詩》、《御定歷代賦彙》以及各代皇帝之《御製詩集》,如清高宗酷愛作詩,一生作《御製詩》五集,共計十餘萬首,每作一首詩便令詞臣注釋,若詞臣不得內容原委則准許其回家查閱典籍[參5],多羅安郡王瑪爾渾選宗室王公詩為《宸萼集》。皇帝也將詩詠作為聯繫、攏絡官員的方式[參6]。
清初詩家首推錢謙益、吳偉業與王士禎;康熙中後期,江南地區出現了王式丹、吳廷楨、宮鴻曆、徐昂發、錢名世、張大受、管棆、吳士玉、顧嗣立、李必恆、蔣廷錫、繆沅、王圖炳、徐永宣、郭元𨥤合稱「江左十五子」。乾隆時期袁枚、蔣士銓與趙翼並稱江右三大家,同時黃景仁與鄭板橋也以詩聞名。嘉慶、道光年間文人廣結詩社,京師與揚州風氣最盛,以消寒詩社最知名,代表人物有顧蓴、夏修恕、程恩澤、陶澍、朱珔、吳椿、梁章鉅、潘曾沂、胡承珙、李彥章、劉嗣綰、周之琦、林則徐、徐寶善、卓秉恬。被稱為「詩界革命」的詩歌改良運動產生於維新運動,其代表有黃遵憲的以寫作反映時代的社會詩,其餘如譚嗣同、唐才常、康有為、蔣智由、丘逢甲、夏曾佑均有作品存世。於清末又發展出同光體,代表作家陳三立、陳衍、沈曾植等,且延續到辛亥革命後。清朝詩論學說分成沈德潛的格調說、王士禎的神韻說、袁枚的性靈說與翁方剛的肌理說[參4]。
詞
詞興起於隋唐的「燕樂」,兩宋發展達高峰,至元朝衰微,延續至明朝則趨近消亡[參7][參8];清初詞學振興繁盛,康熙年間納蘭性德與朱彝尊、陳維崧並稱「清詞三大家」,隨後產生由陳維崧為代表的陽羨詞派、朱彝尊為代表的浙西詞派,詞學蔚為風潮。萬樹整理詞調輯成《詞律》,於清詞頗有影響力;康熙末,清聖祖敕命王奕清等編成《御定詞譜》,為詞調格律的集大成鉅作,影響層面最廣[參9]。乾隆、嘉慶朝,常州詞派起而代之,反對浙西詞派的「清空之弊」,代表人物有張惠言、張琦、惲敬、黃景仁、李兆洛、丁履恆、錢季重、陸繼輅、左輔、董士錫、周濟、劉嗣綰、��逢祿、譚獻、莊棫、宋翔鳳、謝章鋌、馮煦、陳廷焯、王鵬運、鄭文焯、況周頤、朱祖謀、納蘭真等人,著名詞人輩出,持續到清末民初[參10]。清朝因此被稱為詞的「極盛時期」,「號稱詞學中興」,「作家之盛,直比兩宋」,門戶派別各具風采,婉約、豪放都各自重現、盛行[參11]。
小說
清朝小說傑出者眾,曹雪芹等著《紅樓夢》不僅為四大名著之一,由於其對社會百態和眾多人物全面精確的寫實描繪和豐富的藝術魅力而被普遍認為是中國古典小說的巔峰之作。蒲松齡以志怪內容反映社會面貌的短篇小說集《聊齋誌異》。吳敬梓所著的雖結構鬆散但足稱偉大諷刺小說的《儒林外史》;以及在《儒林外史》的影響下,《老殘遊記》等為代表的揭發官場醜態的晚清譴責小說均對近現代有很大影響[參4]。
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再說一件和「#舞伎家的料理人」有關的分享(哈哈...說不完)。
剛剛在箱子裡找出被密封袋封好、當年採訪喫茶店「切通し進々堂」店主藤谷先生送我的扇子和手拭布。因為這次追劇引起了好奇,在日本網站爬文找到更多有關這種圓扇的典故,寫在這裡和京都迷分享。
在日本這種圓扇稱為「團扇」,根據外型大致可以分為三類:中國系、朝鮮系和南方系三類。 自古在京都製造的團扇都統稱「京團扇」(京うちわ),京團扇是日本14世紀南北朝時期自朝鮮傳入的後裔。特色為扇面由一根一根細竹骨呈放射狀排列組成,下方夾上一支把手。原為宮廷使用,又名「御所團扇」(御所うちわ)。
1570年左右,原本為貴族的住井家收到天皇的指派,前往京都當時擁有大片日本真竹的伏見、深草地區管理竹扇的製作。很快地當地住民製作的扇子就被稱為「京團扇」或「深草團扇」。1624年左右,住井家族開始涉入扇子的生產事業,正式創立「小丸屋」。今日由住井家第十代所經營。
真竹又稱為巨型木竹(giant timber bamboo)或日本木竹(Japanese timber bamboo),是日本特有的一種竹子。除了製扇,也用在竹刀或尺八的製作。製作扇子使用的是三、四歲的真竹,一根竹子可以製作約七把扇子,支撐扇面的40根細竹骨被均勻劈開,再用紙和竹骨相互貼合。
劇中小菫拿著的扇子,今日在京都許多茶屋、食堂或喫茶店掛在牆上裝飾。這種印有白底深朱紅色字體寫著藝、舞妓名字的團扇。便是由這間擁有約 400 年歷史的老字號「小丸屋住井」所製作,因為是由「京」都的小「丸」屋住井所製作,這種團扇也稱為「京丸團扇」(京丸うちわ)。目前該企業擁有「京丸うちわ」「深草うちわ」「新深草うちわ」這些名稱註冊。
這種寫有藝、舞妓花名的京丸團扇,通常於2月左右開始生產,統一於每年6月10日一次性發放。一名藝、舞妓通常會訂做100支左右,多的到200支也有。店家會支持掛上這些團扇,有對外昭告自己的店為藝、舞妓所喜愛的出入場所之意。像是劇中小堇舞妓出道當日,拜訪100間平日受照顧的茶屋和店家,應該就是這些會掛上寫有她花名「百花」的團扇對象。
以上
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漢のひとり旅2025春③
DAY3
この日は優雅にパンを食べたところからスタート。


朝から昔ながらの趣のあるパン屋さんで買ってきました。看板商品のカレーパン、揚げたてでめちゃ美味しかったです。カツが入ってたけど胃ザコのボクでも驚くほどペロリと食べられました。
本日は京都の神社巡りをしていきます。最初の目的地は三宅八幡宮。バスと叡山電車で向かうつもりがバスを間違え1時間ほどロスしてしまった…。
なんとか目的地にたどり着くことができました。電停から出た瞬間突風が吹きビニ傘が折れました。折れた傘で雨の中がんばって歩きます。

着きました!鳩の神社、三宅八幡宮です。


境内の至る所に鳩がいます。鳥居の横にいるのは狛犬ならぬ狛鳩です。鳩のお守りも売っていたのでお土産に購入しました。

御朱印も無事ゲット!手描きのイラストが大変可愛らしいです。社務所にいたおじいちゃん宮司さんが描いたかと思うととても癒されます。
次なる目的地、下鴨神社へ向かいます。叡山電車で来た道を戻りそこから徒歩で向かいました。ビニール傘を買い直したのですが折れた傘を捨てる場所がなく、傘を2本持って歩きました。これが地味にキツかったです。
10分ほど歩くと辿り着きました。下鴨神社は敷地にいくつかの神社があるのですが、まず初めに立ち寄ったのは美麗祈願の河合神社。美しくなれるように祈ってきました。

休憩所で頂いたかりん水 ほんのり甘くて温まりました
敷地内を進んでいきます。この時かなり天気が悪く気温 1桁台に加えて雨と強風で体感めちゃくちゃ寒かったです。しかしそのおかげか、人も少なくいい“画”が撮れたんじゃないかと思います。


神社のしっとりした湿度とか…パワースポット感(?)伝わってたらいいな

次に、縁結びで有名な相生神社へ立ち寄りました。縁結びおみくじを引いて神様に必死でお祈りしました。
最後に下鴨神社で御朱印をいただき、お参りして帰りました。カメラが濡れないよう必死で、写真がないことに帰ってから気づきました…。干支毎にお参りする社が決まっているのが面白かったです。

写真では分かりにくいですが、梅の部分が箔押しだ!✨
この後は植物園へ向かいました。

はじめに外のガーデンを見て回ったのですがどうやら今の季節はそんなに花が咲いていないようですね。
暖を求めて温室へ向かいました。ここも平日の昼間でそこまでお客さんも多くなく、写真をたくさん撮ることができました。

パパイヤ





温室の雰囲気だいすき
たくさんの植物が展示されておりかなりじっくり鑑賞できました。温室といえど、少し寒くて気づいた時にはだいぶ体が冷えていました。ちょっと風邪ひきそうな気がしてきました。

植物園内のカフェで遅めのお昼をいただきます。お得なランチセット(きのこハンバーグとピラフ 紅茶付き)です。温まったしおいしかった!ガーデンを見ながらゆっくりお食事できました。
その後市街地の方へ行き、新風館でショッピングしました。購入したものはまた別記事で紹介しようと思います。

新風館内のおしゃれ空間でいただくカフェラテ
まだ行きたいところはあったのですが、体調面が不安で早めに切り上げて帰りました。
一旦帰宅した後出直して、夜はお蕎麦!


鴨寿司や鴨南蛮そばなどいただきました。生?のカモは初めて食べたのですが馬刺しみたいな味でおいしい!鴨南蛮のお肉もビックリするくらい柔らかくて美味しかったです。そば湯まで飲み干しました。

そばの実が大量にかかったブリュレ。これほんとに香ばしくておいしかった!!!
風邪ひくかな?と思ったけどどうやら無事だったようで一安心です。
④に続く
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2025/3/19 18:00:19現在のニュース
「スラムダンク」超えたい 作者・井上雄彦さんの長男がB2鹿児島加入(毎日新聞, 2025/3/19 17:59:18) 「スラムダンク」超えたい 作者・井上雄彦さんの長男がB2鹿児島加入(毎日新聞, 2025/3/19 17:55:55) アメリカとロシア、攻撃停止対象「エネルギー施設」の表現に違い 火種のおそれ - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2025/3/19 17:55:14) 米価やはり高すぎ? 2年でコスト5.5%増、店頭価格は2倍超 農水省調査から朝日新聞社が独自試算:朝日新聞([B!]朝日新聞, 2025/3/19 17:51:46) 結婚したままの性別変更認めず 京都家裁、「離婚強制」の訴え退ける(朝日新聞, 2025/3/19 17:51:03) 元検事正の性的暴行、弁護士らに情報漏らした副検事を懲戒処分 刑事告訴・告発は不起訴([B!]産経新聞, 2025/3/19 17:48:17) 山形・酒田光陵高のシステムに不正アクセス 全校生徒の氏名など流出(朝日新聞, 2025/3/19 17:43:39) 日本アカデミー賞最優秀作品を後押し 「聖地」の神社が御朱印帳:朝日新聞([B!]朝日新聞, 2025/3/19 17:33:20)
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興福寺
【3,868字・7分】

泉谷康夫『興福寺』(吉川弘文館)
大和の大寺・興福寺の創建から明治時代までを扱った通史である。ありていに言って「貴賤の信仰を集めた」とは言い難い興福寺が歴史(少なくとも大和国の)の中で注目を集めるのは中世である。中世の興福寺は僧兵を擁し大和一円に検断権を行使する大勢力だった。なぜそうなったのか、その後どうなったのか、といったことが興福寺の歴史のハイライトだろう。
興福寺の歴史を左右したもっとも大きな要因は「藤原氏の氏寺」だったことである。
摂関政治の最盛期において、興福寺は摂関家に依存しながら勢力の伸長をはかったが、摂関家の側から興福寺に依存するところはあまりなかったようである。それが院政期に入ると一変し、摂関家は子弟を別当に就任させ、興福寺のことを「御寺」と称し、興福寺への支配力を強化しようと試みるのである。
(「第二 興福寺の創建と発展」より「一 興福寺と藤原氏」)
貴族の子弟が僧侶として興福寺に入ることは10世紀からあったが、11世紀後半(つまり院政期)になると貴種・良家の子弟が興福寺に入ることが常態化してくる。そこで生まれたのが「院家」である。
興福寺の住僧達は最初ここ(引用注:東西と北の三面僧房)に居住していたと思われるが、十二世紀に入ると、堂舎を寺域内に建立しそこに居住する僧侶が現れ、やがてそのような居住形態が一般化してゆく。すなわち諸院家の成立である。
財力があり都での華やかな生活を見聞していた彼等(引用注:貴族出身の僧侶)にとって、三面僧房の狭い部屋での質素な生活はおそらく不自由に思えたに違いない。
(「第三 興福寺の変質」より「一 院家の成立」)
こうして藤原摂関家と興福寺との間に院家というパイプが成立すると、それを頼って在地土豪が興福寺に集まってくる。その目的は、今風に言えば、律令制下における「脱税」である。大和の大寺というだけなら東大寺も薬師寺も大寺だったが、院家という藤原摂関家とのパイプが興福寺を特別な存在にしていく。
一般的にいって在地土豪層が保護を求めて結集するのは中央貴族と赴任してきた受領であるが、大和国の場合、中央貴族や受領だけでなく、大寺の中心的学侶が加わっており、この学侶の比重が大きかったのが、他の国々と非常に異なる点であったといえるようである。
このような大寺の僧侶が在地土豪結集の中心となりえたのは、その有する宗教的権威によるものであったことはいうまでもないが、寺内には国司の検断権が及ばなかったこともその一因だったと思われる。すなわち、寺院は国司による追求からのがれる絶好の場所だったのである。一方、律令制の崩壊に伴なう国家的保護の減少は、寺院に住む人達の生活を圧迫してくる。そこで寺僧達は経済的基盤を確立する必要があった。そこに、寺僧の側からも在地土豪層との結びつきを求めてゆく必要があったのである。
やがて興福寺が、藤原氏の氏寺として、特に摂関家との深いかかわりから、受領や他の諸大寺に優越する力をもつようになると、在地領主の結集の中心は次第に興福寺僧に集中し、寺僧領が多く成立して寺僧達の経済的基盤を形成していった。このように寺僧と在地土豪は、相互依存の関係を保ちながら大和国で勢力を伸ばしていったのである。
(「第四 興福寺の大和国支配」より「一 在地の動向」)
こうした在地土豪ははじめ興福寺の中で学侶の下働きを務めていたが、興福寺全体が豊かになるにつれて自ら学侶として修行に加わる余裕が出てくる。のちの時代に大和国の戦国大名となる筒井順慶などもこうした興福寺の衆徒だった(だから僧形なのである)。
このように経済力と軍事力を貯えた興福寺は、同様に藤原家とゆかりのある多武峰寺(鎌足の墓所といわれる、現在の談山神社)と大和国の支配権をかけて抗争を繰り広げ(当時の多武峰寺は延暦寺の末寺で抗争には延暦寺の援助があった)、最終的に勝利することで大和国一円の支配権を確立する。
平清盛は寺僧領からも官物を徴収する方針を取り、興福寺をはじめとする寺社がこれに反発すると平重衡に南都を焼き討ちさせる。これを恨みに思った南都諸寺は源氏方につくが、源頼朝と義経との間に対立が生じると南都諸寺は義経をかくまい、義経を討った頼朝は、係争地に地頭を配する形で、大和国にも少しずつ圧力をかけていく。
室町時代になると興福寺の中にも下剋上の機運が生まれる。
室町時代になると、興福寺は歴史の主役から退き、代って衆徒・国民(引用注:「衆徒」は興福寺に拠った、「国民」は春日社に拠った、それぞれ在地土豪)が登場してくる。彼等は武士であり、興福寺の武力として活躍してきたが、次第に独自の公道をとるようになり、興福寺の命令にそのまま従わないようになってくるのである。すなわち、下剋上である。しかし、彼等は興福寺を倒すことはできなかった。
興福寺は、摂関家を通して、京都の朝廷とも不可分に結びついていた。周知のとおり、朝廷と室町幕府は一体の関係にあった。このような中で興福寺を倒すことは、京都の朝廷、ひいては幕府を敵に廻して戦うことであった。衆徒・国民は、自身の成長のため、積極的に幕府の要人と結びついていった。その限りにおいて、中世的な興福寺の呪縛から彼等は逃れることができなかったのである。
(「第六 下剋上と興福寺」より「一 衆徒と国民」)
足利義満が衆徒・国民に直接支配を及ぼすようになって以降、衆徒・国民は興福寺の支配を離れて独自の道を歩み内紛と和合を繰り返すようになる。この流れを決定的にしたのが松永久秀の登場である。彼は大和国に侵入すると多門城を築いて大和国を支配したが、その際知行割を行い、大規模な給人の入れ替えを行った。
久秀は寺社成を保障する態度を保持してきたが、この大規模な給人の入れ替えは、従来の興福寺の諸荘園における在地支配を事実上断ち切る役割を果したようである。すなわち、寺社成が否定され、新しい給人達は、他国におけるのと同様、荘園領主に年貢を渡さなくなったのである。
(「第六 下剋上と興福寺」より「二 室町・戦国期の大和国」)
信長は久秀を駆逐し筒井順慶に大和国の支配を任せる。信長の代官としてだったが、興福寺はこれを「衆徒筒井の復活」と考えた。この信長が光秀に倒されたあと、順慶は秀吉によって大和の「守護」と認められ20万石の大名になる。だが順慶が死ぬと子孫は国替を命じられ、興福寺と衆徒・国民との関係は断ち切られる。
こうして興福寺は、新しい知行体系の中に組み込まれてゆき、中世的な収取の在り方は、豊臣政権により完全に払拭されてしま���たのである。秀吉の寺社に対する政策はそれだけではなかった。興福寺はもちろんのこと、奈良の諸大寺は武器の提出を命じられた。寺社の活動は宗教面に限定されたのであり、宗教活動に専念する限りにおいて、朱印地が与えられ、保護されるようになったのである。
(「第六 下剋上と興福寺」より「二 室町・戦国期の大和国」)
江戸時代には奈良奉行所が置かれ興福寺以下南都諸大寺はその検断権に服した。中世に誇った興福寺の権威は払拭されたのである。
南円堂は観音に現世利益を求める信仰によって庶民と深く結びついていたが、興福寺自体は、庶民と直接かかわりのないところに聳え立つ大寺院であり、農民にとっては年貢を納める「お殿様」であった。
(「第七 近世から明治維新へ」より「一 近世の興福寺」)
さて明治時代になると興福寺は一山復飾(還俗)願を提出し自ら廃寺とする。摂関家を通して明治政府と近過ぎたことによる勇み足に見える。
維新政府と興福寺との情報の伝達は早かったようで、すでに慶応四年三月には、新政府によって神仏分離政策の実施されることが興福寺に伝えられている。これに応じて、一乗院・大乗院両門跡は一寺一体の復飾願を提出することを決め、衆徒一同にも意見を徴した。三月二十一日、衆徒達は、自分達も従来より春日社に奉仕してきたのであるから、一緒に復飾し、勤王のために尽力したいと申出ている。こうして四月十三日、興福寺は一山復飾願を提出し、この願いはただちに許容された。興福寺僧達は新宮司と称して春日社に奉仕し、社頭の仏具等はことごとく取除かれることになった。
(「第七 近世から明治維新へ」より「明治維新と興福寺」)
この一山復飾は神仏分離・廃仏毀釈政策に対する興福寺僧侶たちの生き残り策だったのだが、明治5年に春日社が官幣大社春日神社となると同社の神職は官吏扱いとなり定員の枠も作られて、復飾により神職となった元僧侶たちは結局失職する。このような中で明治10年代に入ると興福寺再興を唱える声が盛り上がり、明治14年に再興の正式認可が内務省から下される。
神仏分離令とこれから派生した廃仏毀釈の嵐によって興福寺は大きな打撃を受けたが、政府の宗教政策も漸次変り、明治十三年には古社寺保存金の給付がはじまり、同三十年には「古社寺保存法」が制定され、興福寺では、北円堂・三重塔・五重塔が保護建造物の指定をうけ、弥勒菩薩坐像など一一点が国宝に指定された。境内地も徐々に公園指定を解除、返還され、現在はほぼ二万五〇〇〇坪が興福寺の所有になっているという。こうして、現在の興福寺は成立した。
(「第七 近世から明治維新へ」より「明治維新と興福寺」)
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【浅草 時代屋】浅草名所七福神を人力車で巡る開運ツアー販売開始 新たな年の良運を招こう!〜特別仕様の人力車(開運七福神号)に乗って七福神巡り~9寺社が揃った御朱印色紙プレゼント付き
浅草で観光⼈⼒⾞を運営する株式会社時代屋(本社:東京都台東区雷⾨、代表取締役:藤原英則)は、浅草名所七福神の9寺社全てを人力車で150分にてご参拝いただくことのできる『浅草名所七福神を人力車で巡る開運ツアー』の販売を2024年12⽉21⽇(土)より開始いたします。 「七福神巡りの全部を自力で歩くのは大変だけど、自動車で移動するのは味気ない」。そんな限られた時間の中、心地よい速さで駆け抜ける風情ある人力車に乗って浅草の七福神を全てご参拝いただき、新たな年の良運をお祈りいただきたいという思いで企画いたしました。 事前ご予約いただいた上で、本ツアーにて浅草名所七福神の9寺社全てをご参拝いただければ、1台につき1枚の浅草名所七福神全ての御朱印が揃った色紙をプレゼントいたします。 【ツアー概要】 七福神巡りスペシャル人力車「開運七福神号」に乗車していただき、9寺社(※注1)を元気な車夫のご案内で…
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【東京】高円寺「気象神社」
【ドキュメント72時間】天気をつかさどるとされる神様がまつられている『気象神社』2024/11/1放送 〒166-0003 東京都杉並区高円寺南4丁目44−19 氷川神社 #ドキュメント72時間 詳しく見る↓
気象神社 高円寺氷川神社内に鎮座する「気象神社」は、その名の通り、気象を司る神様を祀る日本唯一の神社。 気象予報士の受験生や、晴天を願う人々など、多くの人々が訪れる神秘的な場所。 気象神社は、昭和19年(1944年)に大日本帝国陸軍の陸軍気象部の構内に創建された。 御祭神は、八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)。 岩戸隠れで世界が暗闇に包まれた際、天照大御神を再び世に出す知恵を授けた神様であり、「気象の神様」として信仰を集めている。 戦後、一度は撤去の危機に見舞われましたが、地元住民の熱意によって高円寺氷川神社に移され、現在に至る。 魅力の一つが、その日の天気によってデザインが変わる御朱印。 晴天なら太陽、雨天なら雨粒など、訪れた日の天気を記念できる素敵なアイテムとして人気になっている。 住所 〒166-0003 東京都杉並区高円寺南4丁目44−19…
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昨日は東京大神宮に行ってきた。東京大神宮はおととしの下旬に初めて行ってから何度も参拝していて、行くと気持ちが整う感じがしてとても好きだ。前は御朱印集めとか可愛いお守りが欲しくて色々な神社仏閣に行っていた時期もあったけど、そういうことはあまりよろしくないと聞いてから(やたらに行くと相性が合わない神様がいたり、他の参拝者の邪念?を貰ってしまったりするらしい。あと神様も八方美人な人よりいつも参拝に来る人のほうが良い印象を持って下さるらしい。言われてみれば納得する。)訪れるのはなるべくここだけにしている。
もともと今回の台風の予報が出る前から、重陽の節句の御朱印を頂きたくて計画していたので、訪れることができてとても嬉しかった。花手水も去年とはまた違った彩りで美しく、癒された。
毎回ここでおみくじを引くと「えっ、どこかから見てるんですか?」と思うくらいぴったりの内容が書いてあって驚く。今回も恋みくじは末吉で「失恋はつらいけど忘れよう。そのうちいいことがある。」的なことが書いてあってドキッとしたし、普通のおみくじはまた大吉だった。今年に入ってからここで3回普通のおみくじも引いているけど、毎回大吉が出ている。たしかに恋愛以外はおかげさまで上手くいっているので当たってるのかもしれない。
参拝した後はだいたい神楽坂のロイヤルホストで食事をしたり、お菓子屋さんで母にお土産を買ったりして楽しんでから帰る。神楽坂のお菓子屋さんのお菓子はさすがに上品で美味しい。私は一人行動が得意で、去年も2回も一人で鎌倉に行ったり、京都に行ったりもしたけど、それもさみしくないのは家に家族がいて、おみやげを喜んでくれたりしているからなのかな、とふと思った。今はあまりそこまで恋愛に乗り気になれないけど、とても気が合う人とかがいたらまた惹かれたりするんだろうか。前回書いたような境遇なので、無理にパートナーをつくる必要はないなと思っているけど、そのぐらいの適度な軽さでいたほうが案外素敵なご縁があるのかもしれない。昨日参拝してから少し気が向いたので、またマッチングアプリを入れてみたけど1週間くらいやってあまり成果がないようだったらまた休もうかな、ぐらいに考えている。
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