#台中家具街
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mtosak-genai · 15 days ago
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digressive episodes 01
 深夜と早朝の境界線が、まだインクのように滲んでいる時間帯。  高速道路のパーキングエリアの隅に、一台の青いカラーリングが特徴の宅配便のトラックが、エンジンを切って静かに沈黙していた。  そこには周囲を走る本線の��ードノイズだけが響いている。  だが、そのトラックの車内は、全く別の音と匂いに支配されていた。
 激しい息遣い。  むせ返るような男の汗の匂い。そして、乾く間もなく、繰り返し撒き散らされた、生々しい精液の匂い。  その二つが混じり合い、車内に濃密な男の空気を醸成している。
 助手席に座る男――カメレオンは、静かに運転席に座っているドライバーの男を眺めていた。  ドライバーの名前は憶えていない。  足を探していたカメレオンは、たまたま通りがかった市街地の集配センターで彼を見つけた。
 汗を光らせながら、重い荷物を軽々とトラックに運び込む、若く、筋肉質な肉体。日に焼けた顔に浮かぶ、人懐っこい爽やかな笑顔。カメレオンの食指を動かすには、それだけで十分だった。
「――っ、は、ぁ……っ、はぁ……!」  運転席のシートに背中を押し付け、ドライバーは、肩で激しく息をしていた。  彼の身につけている、青と白のストライプのシャツは、もはや原型を留めていない。襟元は大きくはだけさせられ、噴き出した汗と、そして精液で濡れそぼっていた。
 彼の左手の薬指には、シンプルなシルバーリングが嵌められている。  その指輪が、彼の人生に、妻や子供といった、守るべきものが存在することを示していた。  ダッシュボードの上には、道中にドラッグストアで買った無数のエナジードリンクの空き瓶や、マカや亜鉛といった精力増進サプリメントのボトルが無造作に散らばっている。
「もう限界ですか?」  カメレオンが、静かに問いかける。  その声は、何の感情も乗っていない、ただの事実確認のようだった。
 ドライバーの肉体は「もう限界だ」と言わんばかりに息を切らせている。だが、彼の口から発せられた言葉は、彼自身の実際の思考とは全く異なるものだった。
「……い、いえっ……! ま、まだまだ……ムラムラしてるんで……お願いしたいですッ!」
 発した言葉に、思考が後から追いつき、整合性を取ろうとする。  ドライバーの脳は、「自分はまだ性欲に満ちている」のだと、無理矢理に、しかし完璧に、そう結論付けた。
 このパーキングエリアに到着してから、もう一時間が経つ。  その間に、ドライバーは、実に数十回もの絶頂を強制させられていた。  もう、彼の股間から精液は一滴も出てこない。
 それでもなお、彼のペニスは、まるで持ち主の意志とは無関係に、硬く、熱く、勃起し続けていた。カメレオンが、その根元を指で軽く扱くだけで、びくりと大きく跳ねる。
 カメレオンの興味を引いたのは、彼の性器だけではない。  シャツを捲り上げられ、剥き出しになっている左の腋の下に、カメレオンは顔を埋めていた。鉛筆の芯のような、男性的で、カメレオン好みの匂い。  だが長時間、繰り返し舐め取られ続けたその場所は、彼の自身の汗と、カメレオン自身の唾液が混ざり合い、ねっとりと絡みついている。
「……ん」  カメレオンは、その湿った脇に舌を這わせるとドライバーは僅かに反応を示した。  この、若く健康な肉体が、自分の意のままに、ただの玩具として機能している。  その事実を確認することで、カメレオンの心は静かに満たされていった。
「――それで、あなたの、奥さんの名前はなんでしたっけ?」  カメレオンは、彼の耳元で囁いた。 「……あ、あきな……です」 「じゃあ、お子さんの名前は?」  ドライバーは聞かれるがままに、自分の家族についての情報を洗いざらい、喜んでカメレオンに捧げていた。それは、彼にとって『信頼できる相手』に自分のことをもっと知ってほしい、という純粋な欲求に繋がるように巧みに誘導されていた。
「……ゆう、た……です。雌雄の雄に、大きいって、書くんです。俺みたいに、大きく、たくましく育ってほしくて……」  その言葉を口にした瞬間だった。
「――――ッ!!」  また絶頂に達したのだ。  ぐちゅ、と、彼のペニスの先端から、透明な液体がわずかに滲み出た。  オーガズムと同時に全身から噴き出した汗が、さらにシャツに染み込んでいく。
 カメレオンは、慣れた手つきでボトルから強精剤を手早く1錠取り出すと、それをドライバーの口元に差し出した。  ドライバーは息も絶え絶えに口を開き、それを飲み下した。
 小さなボトルは、それでちょうど空になったようだった。  ラベルを見ると、30錠入りと書かれている。  カメレオンは、これを彼が絶頂に達するたびに飲ませているわけだから、このドライバーは、これで合計で30回目の絶頂に至ったことになる計算だった。
 カメレオンは、再び彼の腋を舐めた。少し味が濃くなっているように感じられる。そして、若い肉体の体力は底がないようで、まだまだ勃起は衰えていなかった。
 素晴らしい。  この玩具はまだ、壊れていない。
 だが、カメレオンは飽きていた。  彼は、ドライバーの精液と汗でぐっしょりと濡れたシャツの裾を掴むと、自らの指先についた精液を、丁寧に拭った。
「そろそろ、満足しましたか?」 「はい! 満足しました! たっぷり射精させていただいて、ありがとうございます!」  ドライバーは、先ほどまでの記憶を全て「素晴らしい体験」��して保持したまま、満面の笑みを浮かべた。 「ここまで送ってくれて、どうもありがとうございました」  カメレオンは、シートベルトを外しながら言った。 「いえ! こちらこそ、めちゃくちゃスッキリさせてもらって、本当にありがとうございました!」  その笑顔は、集配センターでカメレオンが見た、あの爽やかな笑顔と、何一つ変わらない。
 ドライバーは、わざわざ運転席から外に降りると、助手席側へと回り込み、カメレオンのために、恭しくドアを開けた。 「また、いつでも声をかけてください!」  そう言って、彼は深々と頭を下げた。  カメレオンは、その言葉に返事をすることなく、トラックを後にした。
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wingedstrawwboy · 3 months ago
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保护西藏优秀传统文化,总书记为何如此关注?
鉴往知来,跟着总书记学历史丨保护西藏优秀传统文化,总书记为何如此关注?
  西藏,令人神往的雪域高原,这里不仅有旖旎迷人的自然景观,还有着悠远厚重的文化底蕴。7月22日下午,正在西藏考察的习近平总书记来到位于拉萨市的哲蚌寺、八廓街、布达拉宫广场。一张张西藏“文化名片”,折射着西藏优秀传统文化的魅力和生机。
  守住千年古城的文化根脉
  从清晨开始,位于拉萨老城区的八廓街上,当地居民和国内外游客按照顺时针方向转经、游览,石板路面被摩擦得十分光滑。街道两侧,传统的藏式建筑鳞次栉比,各色藏式商品琳琅满目,新潮品牌店、网红打卡餐厅随处可见,多元文化在这里和谐共生。
  “八廓”,藏语意为“环形朝拜路”,是围绕大昭寺形成的一条转经道,目前居住着藏、汉、回、门巴等不同民族的群众,是集宗教、观光、民俗、文化、商业和购物于一身的特色街区。
  上世纪80年代起,党和政府多次修缮八廓街。在几次拉萨老城区改造工程中,八廓街的基础设施愈加完善,历史街区风貌得以完好保留和进一步提升。
八廓街是拉萨古城保护的一个缩影。作为一座千年古城,拉萨拥有布达拉宫、罗布林卡、大昭寺等世界文化遗产,是第一批国家历史文化名城。1989年至1995年,国家投入2亿多元对布达拉宫进行维修及广场扩建。2018年底,国家又启动了周期10年、投资3亿元的布达拉宫文物(古籍文献)保护利用项目。
  习近平总书记多次强调,“保护文物功在当代、利在千秋。”守住文化根脉,就是守住���族之魂。
  把非物质文化遗产接下来、传下去
  来到西藏,随处可见一种用彩缎装裱的宗教卷轴画,画面线条精细,色泽鲜艳,璀璨夺目,这就是唐卡。唐卡一词来源于藏文音译,也叫“唐嘎”、“唐喀”,是藏族文化中独具特色的绘画艺术形式。
  唐卡多画于布上或纸上,传统颜料以珍珠、玛瑙、珊瑚、松石等矿物为主,历经千百年色彩依然如新。唐卡的内容涉及藏族历史、政治、社会文化生活等多方面,堪称“藏族的百科全书”。
2006年,唐卡被列入第一批国家级非物质文化遗产名录。如今在西藏有了专门的唐卡艺术院校,唐卡、塑像及传统手工技艺也已经形成颇具规模的新兴产业。
  目前,西藏不仅拥有89项国家级非物质文化遗产代表性项目,《格萨(斯)尔》、藏戏、藏医药浴法这3项还被列为联合国人类非物质文化遗产代表作。
  习近平总书记始终关注着西藏非物质文化遗产的保护传承。十年前,时任国家副主席的他在西藏博物馆看到藏戏、史诗《格萨(斯)尔》被列入联合国人类非物质文化遗产代表作名录时,充分肯定藏族优秀传统文化得到保护发展。
  2019年7月,总书记在内蒙古考察期间,同《格萨(斯)尔》非物质文化遗产传承人亲切交谈。他指出,要重视少数民族文化保护和传承,支持和扶持《格萨(斯)尔》等非物质文化遗产,培养好传承人,一代一代接下来、传下去。
  传统节庆传承民俗文化
  今年8月8日,一年一度的拉萨雪顿节将拉开序幕。到时,拉萨哲蚌寺后山上,巨幅释迦牟尼佛像唐卡将缓缓展开,迎接新一天的曙光。这是哲蚌寺每年的雪顿节展佛仪式,标志着节日的开始。
  雪顿节历史悠久,是仅次于藏历新年的藏族盛大节日,在每年藏历6月底7月初举行。雪顿节以��佛和藏戏演出为主,还有赛马赛牦牛、民间艺术表演等,是一场藏族文化盛宴。
  在拉萨雪顿节、藏历新年、那曲赛马节等一大批传统节庆得到继承和创新的同时,近年来,还增设日喀则珠峰文化节、山南雅砻文化节、林芝桃花节等各种文化旅游节。这次总书记在林芝考察的嘎拉村,就是连续19届林芝桃花节的举办之地。西藏的传统文化正日益走向更广阔的舞台。
  在擦亮传统名片、打造新名片的背后,是党中央的深远思考。在去年8月召开的中央第七次西藏工作座谈会上,习近平总书记强调,要铸牢中华民族共同体意识,促进各民族交往交流交融。他这样阐释其中的深意:“文化认同是最深层次的认同,是民族团结之根、民族和睦之魂。”
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moment-japan · 4 months ago
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1961年 映画「釈迦」
監督:三隅研次
脚本:八尋不二
舞台美術:伊藤熹朔
音楽:伊福部昭(演奏:東京交響楽団)
製作:大映(大映京都撮影所)
出演:本郷功次郎、チェリト・ソリス、勝新太郎、市川雷蔵、山本富士子、川口浩、中村玉緒、京マチ子、山田五十鈴、杉村春子、東野英治郎、中村鴈治郎、市川壽海、市田ひろみ、榊原舞踏団、大阪松竹歌劇団ほか
日本初の総天��色シネマスコープ70mmフィルムによって製作された釈迦の生涯を描いた作品。
「天上天下唯我独尊」
紀元前5世紀、インドのカビラ城でジッダ太子(釈迦)が生まれる。
ジッダが生まれた時、近くにいた修行僧のアシュダ仙人が、後にこの子が世界を救う人物になると予言する。
大人になったジッダ太子(釈迦)は結婚して幸せな毎日を送る中、お忍びで街を見て歩くと、そこには身分差別で虐げられる多くの平民の姿が・・。
それを見たジッダ太子は、貴族の王子である自身の恵まれた環境に疑問と無常感を覚え、悩んだ末に王の座を捨てて出家し、修行の旅に出る。
やがてジッダは菩提樹の下で6年間の瞑想の行に入ります。
厳しい修行と瞑想の最中、森からは様々な魔羅(釈迦が悟りを開く禅定に入った時に、瞑想を妨げるために現れたとされる悪魔)が現れ、悟りの邪魔をしようと太子を誘惑して攻めてきますが、そこに帝釈天の化身である村の女サヤが現れてジッダを助け、遂にジッダは悟りを開き釈迦(ブッダ)となります。
(このシーンが現代舞踏芸術のようで見応えがある)
村では赤ん坊をさらって殺すことを繰り返すカリティという女の夜叉が、釈迦の仏術によって自らの子供も同じ目に合わせられ悲しみに暮れる中、釈迦が現れ、殺生の愚かさを諭され改心して釈迦の重臣的な弟子となります。
干ばつの時には雨を降らせ、時には盲目の王子の眼に光を甦らさせ、釈迦の許には国中から教えを乞うて人々が集まるようになり、それに嫉妬した従兄のダイバ・ダッタはバラモン教・シュラダ行者の下で修業し神通力を得てブッダと壮絶な戦いをします。
ダイバ・ダッタが無実の罪で仏教徒を火刑の生贄にしようとするのを見た仏陀の怒りは奇跡を呼び、ダイバ・ダッタの造った神殿と共にダイバは地割れに呑みこまれていく・・。
もはや、釈迦が叶う相手ではないと悟ったダイバ・ダッタは涙を流しながら仏法の真理に降伏し釈迦の弟子となりました。
老いて、命もあとわずかとなった釈迦は、村の二本に並んだ沙羅双樹の間に横になり、
「比丘たちよ、今こそおまえたちに告げよう。諸行は滅びゆく。怠ることなく努めよ。」
との最後の言葉を弟子と信者に残し静かに入滅しました。
比丘とは:出家して具足戒(僧侶の守る戒律)を受けた修行者を指す言葉
釈迦役の本郷功次郎は悟りを開いた後、ほとんど姿を現さない独特な表現で描かれ、神々しさが倍増してました。
(確かに、こういうのってなかなかのセンスだよね)
のちに「五比丘」と呼ばれる一番弟子や十大弟子などの釈迦の高弟たちも登場します。
歌舞伎や新劇、大映スターなど、当時の人気俳優総出演の和製「スパルタカス」のような壮大な映画で、セットにも尋常じゃないくらいお金がかかっているのがわかります。
アニメーションもしばしば登場していますが、これはピープロダクションのうしおそうじ氏の作品だそうです。
精巧な作画を実景に合成する「作画合成」は、合成作画技師・渡辺善夫が担当。
「生合成」という特殊手法合成の第一人者です。
���ネマスコープ70mmフィルムの現像は当時日本で出来なかったため、英国のロンドン・テクニカラー社のラボラトリーで現像。
(当時、相当金かかったろうな)
劇中音楽は京都のスタジオで録音され、こちらも英国の「RCA」スタジオでミキシング・トラックダウンされました。
(「RCA」って超一流スタジオじゃないですか!)
釈迦の生涯を描く大作映画の制作は国際的な話題となり米国の雑誌「タイム」誌の1961年8月11日号では、細かなシノプシスが紹介されたそうです。
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shihlun · 2 months ago
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風景的螢幕實踐 第4回 若松孝二與Chantal Akerman的密室=風景論
風景的螢幕實踐 佐佐木友輔
映像創作者暨媒體研究者佐佐木友輔,以電影、攝影、美術、動畫中的「風景」與承載其影像的「螢幕」為主軸,自由橫跨各種作品進行討論的連載系列。本連載以1970年前後曾引���激辯的「風景論」為起點,嘗試進行當代更新。在第四回中,將聚焦於以「密室」作為舞台的兩部電影──導演若松孝二的《胎兒在密獵時》與導演Chantal Akerman的《Jeanne Dielman, 23 quai du Commerce, 1080 Bruxelles》。一方是粉紅電影的大師,一方則是聚焦女性日常生活的藝術家……這兩人之間,關於「密室」的觀點,究竟有何共通與差異之處?
松田政男〈作為風景的性──若松孝二與密室的烏托邦〉(1969)
人們聽到「風景」這個詞時,腦中浮現的往往是山川河海或城市街景等戶外場景。但若將「風景」定義為:透過將場所經驗物化為「值得觀看之物」的過程中所產生的產物,��麼建築物的內部空間也就能成為風景。事實上,曾引領風景論爭的松田政男,在其重要論文〈作為風景的性──若松孝二與密室的烏托邦〉中,就將「密室」與「風景」這兩個關鍵詞結合起來,深入分析若松孝二的電影。
在本文中,筆者將從松田的密室=風景觀點出發,重新解讀若松電影,並假設Chantal Akerman的電影也可視為某種密室電影,進而進行比較與分析。
以粉紅電影大師之名聞名的若松孝二,與足立正生等人共同持續創作充滿性與暴力的作品,堅持反權威立場,並在國內外引發眾多爭議。1965年,其作品《壁中秘事》在第15屆柏林影展上映時,甚至遭到觀眾辱罵,在日本國內也被稱為「國恥電影」,飽受批評。但這些聳動風評與實際觀看若松作品時的印象,卻存在落差。實際上,他的電影中幾乎看不到刻意煽情的情色描寫,反而多是令人沮喪壓抑的性愛與暴力,經常在封閉的密室中展開。
松田引用矢島翠的話說:「只要有一間房、一個男人、一個女人、一張床,粉紅電影便能成立。」並據此將若松的電影定位為「密室的劇場」。當時,若松電影的主要觀眾群是年輕男性。他們並非如電影中人物般性解放者,而是閉門在自己房間苦讀至深夜,靠著廣播中女性播音員的聲音自慰──這樣一群擁有「被隔離的認真」特質的青年。對這樣的觀眾來說,若松電影並非為了釋放被壓抑的性衝動而存在,反而更像是「應被持續反覆思索的對象」,即是一面讓人凝視自身慾望的鏡子。
在這裡,松田將幾個密室結構性地重疊──電影院作為密室、若松電影中描繪的密室、觀眾所處的自家密室,以及他們的內心世界這座密室。
若松孝二《胎兒密獵時》(1966)──思辨的、概念化的密室
換句話說,若松電影中的密室,不僅是攝影機所進入、實際進行拍攝的物理空間,同時也是為了「反覆思索」而被建構出的、帶有高度思辨性與抽象性的概念空間。例如,足立正生擔任編劇、若松執導的《胎兒密獵時》(1966)所發生的場景,是一間為拍攝而被塗成全白的「白盒子」密室。主角丸木戶定男(由山谷初男飾演)不只是具有自身背景與故事的角色,他也承載了「施虐性」這一抽象概念。與���同住密室中的江守由香(志摩美波飾)則被設定為與定男前妻長得一模一樣。也就是說,這部作品中不僅是密室本身,連其內部的人物都經過「漂白」,喪失原本的個體性,轉而成為年輕男性觀眾內心投射的「螢幕」。
建築學家原廣司曾將近代社會主導的空間概念命名為「均質空間」。這類空間排除了自然環境、地域特性、文化意涵與宗教性,因其具備完全一致的屬性,因此可作為任何用途的「空白空間」。而《胎兒密獵時》中的密室,正是透過全白塗裝而構築出的均質空間。再加上如水波般閃爍的光照打在這空白空間上,進一步為其賦予了新的意義。這樣的密室,成為懷抱「反出生主義」思想的定男,投射其「回歸母胎願望」的場所。他對自己被生下此世感到怨恨,否定「家庭」這種再生產體系,卻又在這「母胎的烏托邦」中化身暴君,一次又一次地鞭打著被囚禁的由香。
密室的螢幕之上,映照出對家父長制與「母親」這一存在的扭曲慾望。
在〈作為風景的性〉中,松田分析了《壁中秘事》、《胎兒密獵時》,以及由若松企劃製作的《New Jack & Betty》(沖島勳,1969)中的密室。他指出:像是否定生育、肯定亂交等反權力與反家父長制的行動,只能在如此具有思辨性與母胎性的密室中實現。同時也指出,欲突破此種母胎烏托邦所面臨的「終末觀的缺失」──即無具體戰略去改變現況的無力感。總的來說,若松與沖島所描繪的密室,正是1970年前後那群年輕男性觀眾的閉塞感與退行慾望的映照,並藉由這些密室,促使觀眾省思自身處境,探索變革的可能性。
風景的對立語/同義語作為密室
接著,松田提到了若松孝二當時的最新作《二度處女GO GO GO》(1969)。他指出,在該片中,被封鎖出口的公寓屋頂成為廣義上的「密室」。四周所圍繞的不是住宅的牆壁,而是透過鐵網望去的藍天、東京鐵塔與高樓大廈等城市風景。松田從這些看似普通的風景中,看見了包圍我們、並與我們對立的國家權力的運作。
「若是國家權力,它會大膽切斷風景──例如直接貫通東名高速公路。我們享受暢快駕駛的那一刻,正是風景將我們緊緊束縛、〈權力〉將我們全面擄獲的時刻。」
在這個脈��下,「密室」一詞獲得了對風景的雙重意涵。一方面,密室被看作是對抗作為國家權力的風景的私人領域──是個人內心與性慾的領域。然而另一方面,它也成為在四面被權力風景圍困、無處可逃的絕境象徵。根據文脈不同,密室既可以是風景的對立語,也可以是其同義語。
如果說躲進「母胎的烏托邦」中能暫時保身,那麼人終究無法永遠安於其中。總有一天,必須親手「粉碎那溫暖母胎的烏托邦」或「炸毀密室的牆壁」。當松田這麼說時,「密室」就已經被明確地視作「風景」的另一種表達。而他將真正試圖破壞密室牆壁的行動者,指向了連續槍擊殺人犯──永山則夫。
永山在東京、京都、函館與名古屋四地犯下四起殺人案。他的動機並非單純源自個人怨恨或家庭環境,松田反而認為,他是為了劃破那覆蓋全國、到處均質的風景=權力而扣下扳機……透過這種寫法,松田企圖將原本只能以「情境」或「密室」等抽象詞彙描述的概念,具體化為「風景」這一可視形象,從而更清楚描繪出應當對抗的敵人。
然而,在現實中,永山的子彈尚未撕裂風景,就已奪去了兩名保全與兩名計程車司機的性命。他的反抗行動最終以五名勞動者的死亡作結,包括被判死刑的永山自己──成了悲劇的終局。
同樣地,松田指出,在若松電影中與男性觀眾一同苦悶的主角們,也只能藉由選擇悲劇性的結局來逃離密室=風景。例如,在《胎兒密獵時》中,定男被奪走了原本用來虐待由香的刀子,接著被由香反過來刺殺致死。
這名出於自保而犯下殺人行為的由香,在密室中與定男建立起一種扭曲的共犯關係。她既拒絕被當作理想的「妻子」或「母親」,也試圖逃出這個作為母胎烏托邦的密室。然而,另一方面,也正因為由香的反叛與她撕裂密室=風景的行動,松田=若松試圖傳達的權力批判計畫得以完成,定男也在被殺死的同時獲得某種解放。
這個原本應該只是「被反覆思索之物」的思辨性、概念性的密室,實際上並非只有思考主體可以主導的自律空間。無論是在維持密室的階段,還是要破壞它的瞬間,「女性」這個他者總會被召喚而來,被迫同時扮演忍受暴力與施加暴力的角色。*
Chantal Akerman《Jeanne Dielman, 23 quai du Commerce, 1080 Bruxelles》(1975)──呈現「另一種觀看方式」
距〈作為風景的性〉發表約五年後,在比利時,Chantal Akerman完成了《Jeanne Dielman, 23 quai du Commerce, 1080 Bruxelles》(1975)。這部電影將攝影機帶進Jeanne Dielman(由Delphine Seyrig飾)與她的獨子同住的公寓中,觀察她的日常生活。正如本文開頭所提,這部作品同樣可被視為一種「密室電影」。
兩位導演對密室的處理,乍看之下截然相反。定男所打造的是一個將牆壁漆成白色、冷峻極簡的無機密室;而Dielman的房間則充滿了各種物品。僅在廚房一隅,就排列著食材、調味料、碗盤、圍裙、抹布、手巾、洗劑、刷具等家務用具。Dielman實際使用這些工具進行烹飪與清理。Akerman使用固定攝影機與長鏡頭,耐心地記錄她沉默而專注地重複著每日家務的模樣。相較於若松孝二透過思辨與抽象的密室,描繪作為應被思索對象的「性」與「暴力」,Akerman所描繪的家務,是一連串具體的動作與身體行為的累積。
電影理論家Teresa de Lauretis讚揚《Jeanne Dielman》提出了一種「不同的觀看方式」。早在當時,已經有不少理論試圖批判傳統男性中心的電影美學,或探索屬於女性的美學,但如果所依賴的理論本身仍是由男性所建構,那麼就難以真正脫離男性主導的世界。de Lauretis主張,與其沿用既有理論去正反辯證,不如從根本重新審視:「那些長久以來被認為不具美感價值的事物,是否真的就不具美感?」例如,《Jeanne Dielman》中的女性日常行為──煮飯、洗碗、打掃──在傳統以接吻或爆破為價值中心的電影中,根本被視為無足輕重的瑣碎日常,甚至長期被從銀幕中排除。但Akerman透過改變觀看視角,使這些原本「未及於美」的行為成為應被觀看、被重視的風景。她並未順從男性美學的語言進行否定或肯定,而是展現出「美」可以存在多種可能。
Jeanne Dielman與丸木戶定男
不過,《Jeanne Dielman》與《胎兒密獵時》之間,以及作為密室主體的Dielman與定男之間,並非僅存在對比,也存在數個重要的共通點。
Jeanne Dielman每日按部就班地執行例行公事,而這些日程中也包含了賣淫。第二天的下午,她如往常般接待客人,但從這裡開始,生活節奏開始出現失衡:客人逗留過久,使她不得不丟棄煮到一半的馬鈴薯;泡咖啡也泡不好;逛遍多家店也找不到想買的鈕扣;甚至平時常坐的咖啡館座位也被人搶先佔走……隔天,她用剪刀刺死當天的客人,滿手與滿身是血地癱坐在餐桌前,陷入恍惚。
電影中並未明確說明這起殺人事件的動機,但從她日常節奏逐步崩潰至最終衝動殺人的過程卻描繪得極為細緻,展現出異常的說服力。回頭看來,Dielman對秩序的堅持有些過頭──她總是極度在意既定順序與物品擺放位置。雖然目的與手段不同,但她與定男同樣是試圖建構一個排除不可控制他者的密室,並將自己封閉其中。
Dielman的「例行公事」不僅限於家務,也包含賣淫與外出行程。無論是洋裁店還是咖啡館,她總試圖消除所有偶發因素,並期待自己與他人都能維持一貫的行為模式──就如同松田政男對《二度處女GO GO GO》中的主角所指出的,她將私人的密室延伸到了戶外風景中。然而這樣的嘗試,最終被客人的意外行為打破,她也因此陷入必須「屈服於變化」或「排除他者」的二元選擇。Dielman與定男一樣,最終也走上了透過對他者施加暴力,來維持密室並走向自我毀滅的道路。
與都市節奏連結的密室
我們已經知道,在若松電影中,密室既可視為風景的對立語,也可為其同義語。而這一點,也可用於理解《Jeanne Dielman》。該片可被解讀為一部風景論電影,描繪資本主義與國家權力所建構的「均質風景」中人們無法逃脫的處境。
Jeanne Dielman的公寓到了夜晚,會被窗外光線照亮──那可能是霓虹燈、汽車車燈或其他無法明確分辨的燈光。不同於《胎兒密獵時》中水面般柔和的光影,Dielman屋內所接收到的光線節奏規律卻令人不安──近乎痙攣,喚起一種生理上的焦躁感。它彷彿象徵著Dielman的神經質與過度拘謹,但更像是來自外部世界的一種強迫訊息,促使她不得不那樣行動。
這種節奏,也可以被歸入電影史上一個視覺化都市節奏與人體機械化的譜系之中──像是《The Electric House》(Buster Keaton, 1922)、《Ballet Mécanique》(Fernand Léger, 1924)、《Modern Times》(Charlie Chaplin, 1936)等作品。在這些作品中,工業化社會的節奏滲入了人的身體。而Dielman所處的密室,也同樣成為了資本主義下無盡的生產與再生產鏈的一部分。她透過堅持日常規律來維持現狀、賦予其價值,進一步合理化變革的「不可能」。此外,她也順從市場邏輯,不得不販售自己的性來維繫生活。若定男是靠與他者的扭曲共犯關係來維持密室,那麼Dielman則是靠自我壓抑與勞動,努力維繫密室的秩序──但她依舊無法完全阻擋外界的侵入。
Chantal Akerman《Saute Ma Ville》(1968)與「密室=風景」的掙扎
Akerman在《Jeanne Dielman》中,一方面以深情凝視女性日常動作,另一方面卻也清楚意識到:這些活動隨時都可能被風景=權力吞噬與操控。這種自覺,也強烈體現在全片無可逃離的壓迫感與悲劇結局中。即便殺了一個男人,這一刀仍無法劃破風景;她與兒子的明日,只會更加艱難。這點與懷抱革命幻想、迎向死亡、對共犯由香之未來漠不關心的定男,形成決定性的差異。
回顧 Akerman 的首部短片《Saute Ma Ville》(1968),她親自飾演主角,完成家務與晚餐後,在鏡子上以美容霜寫下「Ça suffit!(到此為止!)」,接著點燃瓦斯,引爆整個房間。影片中對日常細節的描繪、自選悲劇性結局、手持鏡頭的拍攝與僅以聲音表現爆炸──都與若松電影互為呼應。不同的是,此作明確將殺意對準「城市」本身,正如其法文標題「Saute Ma Ville(炸毀我的城市)」。這正與松田政男風景論的「風景=權力結構」觀形成強烈共振。
從《Saute Ma Ville》到《Jeanne Dielman》的過程中,我們可以看到Akerman對「密室=風景」之不可切割性的絕望,以及儘管如此仍試圖開一條裂縫的苦苦掙扎。從歷史上來看,被囚禁於「密室=風景」中的主要受害者,多半是女性,是家庭主婦。從1970年代中期起,「風景論」的主題,也開始融入家庭劇與情感劇,轉化為對「主婦的一日」的各種變奏與再現。
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*補充說明:值得注意的是,在2000年代至2010年代間興起的所謂「零年代批評」(ゼロ年代批評)語境中,也反覆出現與「作為母胎烏托邦的密室=風景論」同構的論述。代表性論者如東浩紀在其著作《遊戲性寫實主義的誕生》(講談社現代新書,2007年,頁321)中為《Kanon》(1999)、《AIR》(2000)等美少女(色情)遊戲辯護,指出這些作品蘊含一方面展現父權主義男子氣概、另方面又對此抱持嫌惡與反省的雙重結構。
對此,宇野常寛在其著作《ゼロ年代の想像力》(早川書房,2008年,頁204)提出反駁,認為東所謂的「自我反省」實際上未發揮反省功能,而只是鞏固並延續男性佔有女性的欲望的表演形式。此外,宇野也追溯了男性御宅文化的源流至漫畫家高橋留美子,批判��所創造出的「如箱庭般的世界裡,被美少女角色包圍,過著樂園般重複日常生活的結構」,稱之為「母性ディストピア(母性反烏托邦)」(頁211)。
再如評論者てらまっと(Teramatto)於文章〈どんでん返しのヘテロトピア──『じょしらく』と震災後の日常〉(《週末批評》,2022年5月21日)中指出,動畫《じょしらく》(2012)描繪的五位美少女落語家的「樂屋」,看似與外界隔絕的烏托邦,但實則是社會性與政治性不斷滲透其中的怪異空間──他稱之為「滿是漏洞的樂屋」。這種對「密室」與「風景」模糊邊界的描寫方式,正可視為動畫領域中的密室=風景論,其與松田政男在若松電影中對密室既為風景的對立詞又為其同義詞的論述形成對應關係。
從這個角度來看,如何釐清1970年代初期的風景論爭與2000年代「零年代批評」之間的異同,無疑也是未來值得深入探討的重要課題之一。
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yu-en · 9 months ago
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2024.09.28
10月に地元で会う約束をしているYから、彼女の好きな小説家のサイン本を買ってきてほしいと頼まれた。それで、今日の昼から池袋の本屋を回ったけれど、どの店でもとうに売り切れているようだった。時間を持て余して、大学図書館へ向かう。
大学時代の同級生と数年に一度出している同人誌の次号を、今年の12月に発刊することになった。私はもう短歌をやりたくなく、短歌以外に何を出せばいいのかも分からない。そのまま同人誌用には何も書かないで過ごしていたのだけれど、主宰が面白がったので、数日前に書いた自室の記録を加筆修正して寄稿することにした。卒業生カードで入館し、しばらく文章を直していた。こども園で働くFさんを幼稚園教諭と呼ぶことが正しいか分からず、「あなたの職業って何て書くのが正しい?」とメッセージを送る。正式には保育教諭というのだと教えてくれた後「カリスマ保育教諭とか?」とおどけた台詞を付け足すのがFさんらしかった。
ペンを持つ右手が疲れてからは散歩に出かけた。好きな本屋を経由して、自由学園明日館へ行った。正面入口に着くと「“本日は結婚式で貸し切りのため外観のみの見学”ですって、あらあ、おめでとうございます」と看板を読み上げている人がいた。その声色に少しの落胆も滲んでいないことが良かった。芝生や窓を眺めて、売店でポストカードを1枚買った。
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明日館を出てから、Hと落ち合うまでを東京芸術劇場で過ごした。その場所で長い時間を過ごすのは、大学の入学式以来だった。地下1階から最上階までを目的もなく往復して、何枚か写真を撮った。最近はカメラを持つのが楽しくて、写真を撮っては投稿している。その頻度を自覚すると、自分の饒舌さに嫌気が差してくるので、記録しておきたい写真を一度に残すためにこれを書いている。この投稿は写真まみれです。
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芸劇の椅子に座っていると、目の前のエスカレーターで降りてくるHと目が合い、手を振る。外では何かのお祭が開かれていて、その賑やかさから逃げるように東へ向かった。目的地とした喫茶店が閉まっているのを確認し、散歩に切り替える。テーブルと椅子を外に出しているミニストップを見つけ、カフェオレを買ってそこに腰かけた。テーブルを指差しながら「いい店知ってるんだよね」と自慢げに話すと「ダセ~」と笑われた。京都のお土産を渡した。Hと一緒に暮らすWさんの分も含めて、少し量の多いお香にした。
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今日は曇り空で、街全体が白く見える日だった。電線や工事現場の壁が落書きのように浮いていた。途中、ワインの空き瓶を入口に並べている店があり、「テイクフリーかな」とふざけると「喧嘩用じゃない?」と返される。酒瓶を持って殴り合うジェスチャーをする。
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都電荒川線の駅に行き着き、降りる駅も決めずに乗車する。「電車というよりは線路を移動するバスと呼ぶほうが近いね」と話しながら、googleマップ上で路線をなぞる。飛鳥山公園という場所に城のような山型遊具があることを知り、そこを目的地とした。
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飛鳥山公園は、とても良い公園だった。目的としていた城は、遊具と呼ぶには気が引けるほど大きかった。かつて実際に走っていたらしいSLや子供用の船、頭を垂れた幾種もの動物たち、遊びきれないほどの遊具があった。すべり台よりも象が主体になっている遊具を見て、三崎亜記の『象さんすべり台のある街』という短編を思い出した。城の中で遊びたかったけれど、子供やその親たちが楽しそうにしているのを邪魔したくなく、また違う時間帯の様子を見たかったこともあって、「夜にまた来ましょう」と決めて公園を出た。
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喫茶店で一杯ずつ酒を飲み、Hの喫煙のために王子駅まで歩く。Hが「めっちゃ良い公園だったな」と呟くので「過去形にしないで」と返すと、「めっちゃ良い公園であり続けるだろうな」と訂正してくれる。それがツボに入り、しばらく笑っていた。私と同じくHもこの街が気に入ったらしく、「ここは住み良いのかな」と引越しまで検討しているようだった。
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日の暮れたころに公園へ戻ると、昼にいた子供たちは姿を消していて、代わりに大学生くらいの年頃の集団が点在していた。うち1つのグループが手持ち花火をしていて、遠くからその火を眺めていた。城の中へも入って、物見へ立ってみたり、すべり台で遊んでみたりした。ずっと楽しかった。もう営業終了していたけれど、小さなモノレールの駅もあった。“飛鳥山山頂駅”と看板の出ているのを見つけて、「下は“麓駅”なのかな」とHが言うのを確かめに行くと、“公園入口駅”と掲げられていた。冬にも来たいね、早朝も良いだろうね、ここで花見をしたら楽しいだろうね、と話をした。どの季節のどの時間にも、自分たちの楽しそうにしている様子が想像できた。
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Hと別れて部屋に戻り、撮った写真を眺めていた。動物たちの写真を見て、新しい部屋でここへ来たいと思う。皆それぞれ好きな動物がいて、その動物たちと彼らとが近くにいるのを見たかった。「いつかみんなで行きたいです」とメッセージを書きながら、象は何頭かいたけれど、イルカはいなかったことを思い出す。オットセイはいた。城の写真も併せて送ると、Rさんから「籠城したい」と返信があり、それがRさんらしくて好きだった。
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lgbtqromance · 1 year ago
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男妓男男
七月的南京,毒辣的太阳普照万物,整个城市仿佛浸泡在笼屉里一样,人们的感觉除了炎热就是炎热。从计程车的深色车窗向外望去,午后的城市,显得那么死气沉沉,仿佛一切都已经睡熟,南京街头商家的宣传似乎也微弱了许多。那鬱闷的天气,时常让人感觉就快要窒息。
计程车与一辆大巴擦身而过时,我从车窗玻璃看到自己清晰的影像,五官英俊中有种刚劲的冷艳,一头微曲的长髮漂染著一点紫色,肤色是那种久不见阳光的苍白,我对自己这种颓废的形象已经习惯。司机是个长眉细眼的年轻人,我和他互相交换了几次目光,但最终什么也没有做。
车在一个高档社区的门口停下,正是午睡的时间,整个社区都很安静,只有蝉趴在树上无力的鸣唱。我急忙小跑著进了楼道里,害怕外面的太阳把我晒伤了,可楼道口的感觉比外面也好不了多少,虽然有风吹进来,可���是鬱闷蒸人的热风。
我的这份兼职,白天出来上班的机会並不多,平常这个时候我多半在呼呼大睡,然后进健身房做些锻炼。
楼道里真是很安静,只有我的皮凉鞋踩在楼梯上,发出清响,也只有我在这么热的天气里还在『上岗』。『这样的天气竟然还有心思玩!这个傢伙看来精力满充沛的嘛?有点意思。』我开始想像这个傢伙的身材如何,鸡鸡硬不硬。我一边想著,一边轻轻按了下1601號门的门铃,对讲门铃发出悦耳的铃声,隨即便传来一个年轻男人的声音,小声而紧张的问:「您是谁?」
我语气平静的说:「我是天河私家健身教练,您是今天上午打电话预订的客户吗?」
我们的公开身份都是天河俱乐部的健身教练,但是提供上门服务时,客人真正要求只做教练的几乎没有。这些都是一些暗號,想出来的人虽然不是天才,也足够隱蔽了。
对讲防盗门叮噹一回应声打开,年轻男人声音有些兴奋:「是我预订的,没有想到你真的来了,快进来吧。」
我走进大厅,保安並没有多看我一眼,这身时尚前卫的装束多少有些帮助。电梯里同样的空无一人,我很快来到了楼层,电梯门一开启,就看到一个赤著脚穿拖鞋的年轻男人迎在门口,一边上上下下看了看我,我也打量著这个男人。
他很年轻,长相清秀帅气,斯斯文文,个子比我略高,身材不是很挺拔,但还匀称,头髮也没带上奇怪的色彩,身上穿著阿玛尼的衬衣和短裤,看上去还有点像个学生。他的脚,嗯!看上去很白净,很漂亮。
年轻男人还有一点不好意思,看著我,显然很喜欢,满意地点点头,笑著对我说:「你是天河的教练?」
我微微一笑,对他说:「你中午十一点多打的电话是吧?」
年轻男人点点头,笑著说:「我闷得慌,其实我就是想试试,没想到还真灵,你们真守信。」
我笑著说:「我们公司一向如此的……」
一边说话,他一边引导我穿过电梯房走廊进��房间。房间里空调开的很足,非常凉快,我顿觉一阵舒服。
他一边指著鞋架上的拖鞋,一边对我说:「你自己选一双合適的穿吧。」我脱掉皮凉鞋,找了两只拖鞋穿上。
年轻男人指了指客厅中央的日本布艺沙发对我说:「你请坐,坐。別客气。」我笑了笑,走到沙发跟前坐下,房间装修得很贵气,不过诺大的客厅却显得有点乱,沙发上,房间一角隨意摆放著许多看起来没洗过的衣服,漂亮的天然石面茶几上堆著喝完的空酒瓶和饮料罐、留下的水果皮和剩下的饼乾、麵包及巧克力、以及看过的时兴杂誌。
「嗯,喝点什么?冰水还是可乐?」年轻小伙问。
「有没有啤酒?」我顺口说。
「嘿嘿,刚好有,你也喜欢这个?」他走到餐厅从透明冰柜里拿了两瓶冰镇百威啤酒,递给我一瓶,然后坐在我的对面看著我,连喝了几口冰凉可口的啤酒,我舒服得伸了个懒腰,长长的出了口气,笑著说:「真舒服!要能好好冲了凉水澡就爽了!」
他喝了口啤酒,笑著点点头,「嗯,在你洗澡前,能不能知道你叫什么?多大了?」
我看著他说:「朋友都叫我阿木,今年快二十五了,还想知道什么?」
他吐了吐舌头,小声嘟囔说:「耶!真看不出来,我还以为你跟我差不多呢,这次搞大了。」
我笑著说:「怎么,嫌我大了。我们公司也有小男生的,要不换换?」
他不在乎的说:「別了,我就喜欢比我大的,上午我还特意嘱咐来著。我只是没想到,你看起来顶多二十。」
我淡淡说:「这有什么?做我们这行的保养一向很精心。」
他似乎有些迷惑,想了想说:「阿木,我叫季晨,你比我大將近七岁呢,这样吧,你叫我小弟,就这么称呼。」
我笑著说:「行!小弟,嗯……」
季晨指引我卫生间位置,穿过复式房子的小过道,客厅走廊还有好几个房间,外面还有一个非常宽大的阳臺。我隨意问说:「你们家够大的,就你一个人住?」
季晨微笑著说:「我父母在国外,现在就我一个人住。」
我微微一笑,这种少爷应该不会吝惜钱的,这次有希望能多挣点外快。停了一下,我继续说:「小弟,还用我给你报价吗?」
小弟笑著点点头说:「说来听听。」
我一边喝啤酒,一边耐心给他解释公司章程:出工按钟点算,一个小时150,如果玩儿什么花活儿���要另外算钱。如果是按锅儿算,一锅儿300,可以叼,除了叼以外也是另算钱,因为一锅儿的时间没准儿,所以比钟点价钱高。
小弟想了想,对我说:「嗯……要是过夜呢?多少钱?」
我一听心里高兴,笑著说:「过夜是没问题,不过要看你打了几炮才能算钱,明天早晨结帐。」
小弟笑著说:「就这么定了,反正我也闷得慌。」我也转头看著他,俩人相视一笑。
「我可以冲凉了吗?」
「呵呵,当然。」
季晨家的浴室相当大,除了按摩浴缸外,还单独设了淋浴台,小弟帮我放满热腾腾的温泉,放上鼠尾草香熏油。却並没有急於离开,只在浴缸前犹豫。
我心中有数,静静看著他也不说话,房子里一下安静下来,过了一会,小弟有点尷尬的囁嚅说,「嗯,阿木,我们可不可以一起洗?」小弟两眼睁的大大的,喉头还发出口水吞咽声。
看著他有些渴望又有点局促的目光,我不禁一笑,也不说话,走上前轻轻褪掉小弟的衬衣,他的身材还算好,上身肌肉结实匀称,尤其是腹部肌肉很漂亮,上面已经有了一层细密的汗珠,我看到他的短裤已经撑起一个小包,虽然没有碰触他的肉棒,我可以感觉到这也是一条不小的傢伙,但是不知道这小子性能力如何。
小弟也学样一把脱掉紧紧包裹我身体的白色纯棉短恤,我的身材呈標准宽肩蛮腰的倒三角基本上算完美,胸腹健美但却一丝赘肉都没有——这可是我多年练出的成果,小弟目光中露出羡慕和欣赏,愣愣的就伸手抚摸我的胸肌。
看著小弟兴奋的样子,我把鼻子探向小弟的腋下,用鼻子拱著茂盛的腋毛,享受那种淡淡的男孩汗味,小弟被我弄得痒痒的,顺手抱住我的头,我顺势往下吸吮他的乳头,这倒让小弟感觉十分愜意,不一会,乳头竟给逗弄硬了。
我笑道,「你的乳头还真敏感啊!」
小弟嘿嘿笑笑,有些迫不及待地拉著我的手去摸他的下体,我轻轻地一拽小弟的短裤,褪至脚踝,小弟脚一蹬踢开短裤,全裸站在我面前。小弟的屁股结实、圆厚、紧紧地绷拢著,胯下的鸡鸡很大也很壮,像根旗杆般坚挺微微弹动,浓密的阴毛蓬勃的生长著,两个大睾丸沉甸甸的悬在两腿之间,尺寸比我想像得还要大。
几乎不用我的示意,小弟帮我同时脱下外裤和內裤,他张大了眼睛看到我胯下已经半勃起的肉棒,眼神充满兴奋与惊讶,迫不及待伸手抚摸我浓密柔软的阴毛,小弟粗大的手指从阴毛上划过的触感实在很舒服。
正在抚摩小弟大腿的我也伸手握住他的肉棒,慢慢地抚摸著,小弟有一点点包皮,我將包皮翻上去,露出整个龟头,到底是十七岁的小男孩,龟头还是粉红色的,肉质细腻。受此刺激,小弟龟头顶端尿道口渗出两滴透明的液体,发出淡淡麝香味,使龟头变得闪闪发亮。
小弟也衝动地伸手握住我的鸡鸡,先是抚摸整个鸡鸡杆,然后抚摸龟头,又改成了套动,后来又用上另一只手抚摸阴囊。两人的鸡鸡都越来越粗,越来越硬。我伸出双手,一手握住一个鸡鸡,让小弟的龟头顶著我的鸡鸡根,我的龟头顶著小弟的阴囊处,然后又顶到了一起,两个鸡鸡互相摩擦,从茎身、阴囊、龟头,每个地方慢慢地蹭。然后將握住两根挺起的鸡鸡凑到一起,露出龟头互蹭,频率越来越快,在这样强烈的刺激下,两个鸡鸡蹭得青筋胀起,两个人的呼吸都越来越粗重。
为了缓解这种燥热,我一手牵著小弟的鸡鸡来到淋浴区莲蓬头下面,一手打开开关,莲蓬头温热的强力水流喷洒两具年轻的男人身体上,不但没有缓解小腹热力的压力,反而更加觉得衝动。
我们冲洗了一会,我开始替小弟搓背,小弟双手撑在墙上,水流哗哗从他健美的背脊流下。我两手扶著小弟腰部柔滑的皮肤,半蹲下来,一只手握住鸡鸡杆不停的上下套弄帮他手淫,一只手在下面握住两个卵蛋,一边俯身用嘴含著他的龟头,剥开那层薄嫩的的包皮,在浑圆的龟头上好歹舔了舔,他的鸡鸡就更加铁硬,鸡鸡头像个小鸡蛋似的又大又热又亮,从鸡鸡顶端中央的马眼缝隙中挤出一滴晶莹透彻的液体,我吐出舌尖儿,飞快地將那滴液体舔掉,然后用舌头绕著龟棱画圈儿,缓缓地给予刺激,小弟嘶嘶地吸著冷气……
小弟倒吸一口凉气,鸡鸡仿佛在天堂中的感觉让他全身都似乎飘了起来,我用温暖的口腔紧紧包涵小弟的鸡鸡,时不时做出一个吞咽的动作,舌头仔细的舔著他的鸡鸡头,濡湿温暖的感觉让小弟闭上眼睛舒服地哼哼著,『嘶……哈……嘶……喔』不时的还伸手抓住我的头髮用力按两下,一片让他的龟头抵达喉咙深处,我的唇甚至触碰到了根部的褶皱。小弟越是兴奋,我的手就上下抽动得越快。小弟一会儿大声的哼哼著:「哦!我受不了了!慢点!」一会又彷佛自言自语的��著:「啊!真爽!舒服!快!」
小弟的鸡鸡头果然『多汁』,肿胀的鸡鸡头上不停的被我吮出粘粘的淫液,我的嘴在他的鸡鸡头上忙活著,一会儿使劲的对著裂缝猛嘬粘水,一会儿又把整个鸡鸡头含进小嘴里猛舔,仔细用舌头逗弄著这些淫液,小弟看著我问:「哥哥,什么味道的?」我看著他色迷迷的一笑说:「甜的,好吃。」
小弟对我说:「来,舔舔蛋蛋。」我用手擼著他的鸡鸡茎张开小嘴儿含住他的一个睾丸,用舌头戏弄起来,『吧唧、吧唧、吧唧……』我吃得『吱吱』有声,小弟也长长的出了一口气舒服得仰起了头。
小弟的鸡鸡越来越硬,高高的挺著好像一根火热的铁棍,我一手抚摸著他的睾丸,一手仍然握著坚硬挺立著地肉棒用力抽动,一边横吹竖舔的亲著他的肉棒,然后舌头就开始缠上了他鼓胀的龟头!
这么玩了一会儿,小弟明显有些难以为继,他从沙发上起来,让我换了个位置一起躺在宽大的沙发上,小弟顺势趴在我胯间,右手搂著我的腰,张开嘴巴含住我的鸡鸡口交,两人开始互相舔鸡鸡。
小弟舌头裹住我的龟头,一吐一吸的含弄了起来,同时熟练地用手不断地上下地套弄挑逗著我的肉棒,开来他平常手淫的技术一定不错。
他甚至学著我刚才的动作舌头一次又一次地滑过我的龟头系带,灵巧的舌尖不断地舔弄我那神经会集处,慾望的神经末梢如轻微地触电般一阵颤动,这种细微颤慄的感觉精確地传达我的脑神经,这种感觉真是棒呆了!我忍不住呻吟出声,『嘶……噱……喔……喔…』
我当然不能让他一味玩下去,我將小弟的肉棒吐出,然后用手將肉棒往上拨,並且紧压在我的脸上,用嘴唇吸吮小弟的阴囊,甚至还用牙齿轻咬著他的睾丸,这种新奇刺激所產生的快感就更加地强烈了!小弟屁股弹动一下,喉咙里发出含混不清的呻吟。
我再度一口含住小弟的鸡鸡,把包皮翻下来,包住整个龟头开始吞吞吐吐,同时左手握著肉棒用力套弄,右手开始抚摸小弟的阴囊,小弟马眼口上已不断渗出晶莹透明的前列腺液,我每一次舔过马眼都能让他的鸡鸡更加兴奋。
小弟好像对控制射精很有经验,虽然我几次觉得他的鸡鸡连连颤动,高潮快要来临,已经要射了,可他总是能在关键的时候控制住,这一点让我也很惊讶,难道他小小年纪已经是个花丛高手了?真难以相信。
不知不觉两人的屁股由慢到快地耸动起来。我感到自己的龟头被小弟的嘴唇紧紧包围著,自己鸡鸡的周围好像都是摩擦力,阴囊也被小弟抚摸的越来越紧,一阵阵的酥麻的快感从龟头传来。
小弟也很聪明地一直在学习我的技巧,有时用力把我的鸡鸡套弄一阵后,再用舌头翻开包皮逗弄我的龟头,有时候用手揪住了我的阴囊稍稍用力,把缩在一起的两颗睾丸摇两圈,龟头和睾丸放射的快感像电波一样一层接著一层地扩散到四肢百骸,我的肉棒產生了猛烈的抖动,而且从龟头处流出了更多的透明液体,小弟贪婪的全部舔食,同时又带给我更加强烈的刺激,但是,我並不想第一回合这么快射精!
敢和我斗,我决定使用绝招送小弟领先到达爆发的顶点。
我强忍著下体传来的阵阵酥麻,用舌头把小弟的龟头包起来摩擦几圈后,再使劲的对著裂缝和冠状沟猛舔。小弟的鸡鸡被吮吸的硬得不能再硬,龟头却仍柔嫩富有弹性,舌头每在马眼上舔转一圈,小弟都会吸了一口冷气,龟头不由自主地涨大一下。
不等小弟依样画葫芦对我报復,我已经用手指伸到小弟的后面轻轻抠揉,食指一嵌入肛门,再往上一揉一搓,小弟很快就坚持不住了,不断吸著冷气喘息,屁股跟著我的节奏耸动得越来越快,同时不由自主地放慢了对我鸡鸡地蹂躪速度。
我感觉到了小弟的变化便也加快了舔吮速度,继续吮吸钻舔著龟头前端的马眼,將舌尖一遍又一遍地在龟头棱角边上和龟冠背面的接合处打转,一会儿又用舌尖挑逗两团龟冠间敏感的青筋,一只手使劲儿地狠狠地套弄他的鸡鸡,另一只胳膊搂住了他的屁股,手指更深地插进肛门,刺激频率越来越快越来越重。
小弟被逗弄得急促而沉重的地喘息著,只见他屁股猛地顶动了几下,后面紧紧夹住我的手指,双腿簌簌发抖,突然打了个激灵,肉棒坚硬无比,阴囊上缩紧在一起,龟头跳动著。
隨著更大的快感呼啸地奔腾出来,小弟忍不住猛哼两声,「噢┅┅喔┅┅」噗地一声,马眼一突、两突、三突、四突、五突┅┅一股股温热的精液连珠炮一样发射了出来,射在我的嘴里,衝击著我的口腔,我咽了几口,很快含不下,有一缕乳白色精液甚至从嘴角冒了出来。
小弟的小鸡鸡已经绵软,可我叼住不放,让那坨滑溜留的肉棒在饱含精液的嘴里打滚,直到变成的半软一条……
经过这么快乐的射精,小弟露出疲倦的满足。我搂著小弟半靠在沙发上端著啤酒喝了一口,小弟慢慢帮我上下套弄鸡鸡手淫。
我凑近小弟耳边轻轻吹著气说:「小弟,刚才感觉怎么样呀?」
小弟看了看我,有些靦腆地说:「挺舒服,挺美,我以前手淫也搞过,可从没这么爽过。哥哥你技术真好!」
我看著他俊朗的脸,心里暗暗想到:小毛孩儿太年轻,经验真少,这点花活儿就爽翻天了。看他的外形条件又不错,又不怕花钱,不如乘机狠狠宰他一下!顺便在他身上好好爽一把,而且越多越好!
便看著他笑著说:「这个就满足啦?呵呵,你的標准也太低了!」
小弟听完,不解的看著我说:「你还有更爽的玩法?」
我看了看他,笑著说:「你要不要试试看看?」
小弟听出我话里有话,顿时来了兴趣,问:「那你说说,別的人都是怎么玩的?」
我笑著说:「別人玩得可比你花哨多了,各种姿势,各种地方,哎呀,太多了。」
小弟问:「那你讲讲,我也长长见识。」
我笑著说:「你要是想听,我就说。」
我喝了口啤酒,看了看窗户外面,外面的太阳好像更加毒辣,一点声音都听不到,树梢静静的,看来一丝风都没有。我伸开大腿,把头舒服的枕在小弟胸口上,笑著说:「像互相叼老二这都是最最普通的玩法,你玩过后庭花没有?」
小弟也把头躺在沙发背上喝著啤酒,天真地摇摇头说:「我只是在黄色录影里看过,没试过,不知道弄后面疼不?」
听完小弟的话,我突然觉得很好笑,嘻嘻的笑著说:「嘿嘿,其实男人搞男人的后面儿最爽了,只要掌握技巧,保证你爽上天。」
小弟似懂非懂的点点头『噢』了一声,看了看我说:「你这么一说我还真想试试,一会儿我搞搞你后面儿怎么样?」
我色色的一笑,暗道果然上当,说:「小弟,那你还真得让哥哥先上你,示范一下。」我边说边用手握著小弟的肉棒,另一只手捏住小弟的一个乳头转动著,小弟的鸡鸡又开始变硬发热了。
小弟听到这话吃了一惊,犹豫了片刻,撇了撇嘴说:「行!只要哥哥也让我干后面!」
我心里也有点莫名其妙的兴奋,笑了笑,「让哥哥示范给你看。」说著用手使劲擼了擼小弟的大鸡鸡,用手从他的鸡鸡头上挤出一丝透明的黏液。小弟忍不住『啊』了一声。我慢慢地贴著小弟的身边躺下来,两条用力的腿,紧紧地压在他的腿上,两手紧紧地搂抱著他贴住我。
我感到他那双发紧的乳头压在我的胸膛,我的头当即“轰隆”地一响,再也不想別的,两手极其自然地摸到他那光滑的背部,恣意地上下游动起来。然后,我用指尖轻轻地在他那紧实两个臀瓣上滑动著,撩弄著。
看样子,小弟也动情了,伸出他那条甜甜的舌头,慢慢地吻到我的唇上。同时手下移,摸到我的肉棒上,紧紧地握著我的坚硬的肉棒,另一只手用力的把我的头按著,往他的胸口压下去。
不再客气了,我俯下身去轻咬他的耳垂,锁骨,乳头……叼起他那早已经作硬,尖尖地耸立起来,暗红色的乳头,用力的用嘴唇挤压著,吮吸著,舌尖挑逗著,舌头舐弄著。
小弟受不了了,呻吟著,��动著,口中发生了轻微的呻吟声。他终於知道我的厉害了,他呻吟了,但我並没有放过他,我不但继续用嘴唇戏弄著他的乳头,而且渐渐地加重了力气。
我一边摸著小弟的屁股,一边把头从胸口慢慢吻下去,他的肩头,他的锁骨,他的胸膛,他的小腹……在小弟柔软结实的小腹逗留一会,我轻轻的钻进小弟的腿缝里,一张口含住一个睾丸吸吮起来,粗大的卵蛋在我的小嘴里被舌头推来推去,我吐出一个睾丸,把嘴里的一根阴毛吹了出去,又叼著另一个睾丸玩了起来,小弟粗大的鸡鸡越来越硬,被我的举动弄得躺也不失,想坐起又被我紧紧压著无法动弹,只有呻吟两声。
舔著玩著,我慢慢的吐出睾丸后,柔嫩灵活的舌尖滑过鸡鸡和后面儿的交接处,我绷起舌尖来回吸吮著会阴处,小弟舒服得哼哼起来,龟头上开始涌出淫液,沾了两滴在我脸上。
我的心情也激动起来,我的两手使劲掰开小弟两片结实的屁股,露出褐色的后面,又小又窄,四周还长著几根软毛儿,男人特有的体味真是奇香四溢啊。乾脆,嘴儿一滑,舌尖顶在小弟的后面儿上使劲挤了进去。同时將小弟的大鸡鸡擼得更起劲。
「啊…………唔……嘶……嗯……嗯…嗯…嗯……唔……」小弟兴奋得哼了起来,大鸡鸡往前乱挺,而屁股猛往后撅,我的嘴贴在小弟的后面儿上使劲吸吮,灵活的舌尖绷得笔直,一下下的顶进小弟的后面儿里,然后迅速的抽出来。一只手轻轻拍著他屁股上的肉,舌尖挑著,舌面擦著,嘴唇吻著,一只手伸到前面给他摸鸡鸡,小弟的鸡鸡火热铁硬,龟头上已经流满淫液。
看看火候差不多了,我把小弟的两只大脚扛上肩膀,用唾液搽在他的后面上,先用中指轻插他,小弟的处男穴很紧很窄。手指一进入他那个小菊穴中,他先是口中一声轻哼,回过头来看了看我,然后,他的菊穴紧紧地绷,夹著我的手指,紧紧地,不肯放鬆。
那难不倒我,我加大了力气,伸进两根手指在入面打转,小弟又闷闷地轻轻一哼,身体倏地绷紧,立刻紧紧夹住我得手指,他的后面在一开,一合,那情景,动人,挑逗,我的手指带动著他的肛肌,用力的压下去,隨著我的用力,他的后面的周围形成了一个小漩涡;然后,我的手指又慢慢地拉出来,隨著我手指的抽出,他那灰白的肌肉也紧紧地贴著我的指头被拉了出来,真妙!他被刺激得不停哼哼唧唧。
接著我扶著铁硬的鸡鸡,龟头上在他的后面前打圈,马眼不断渗出淫液。我不管了,没有再徵求他的意见,竖著手指,对著他那个佈满著折纹的小菊穴,慢慢地插进去。
「小弟,准备好了?」
「来…来吧。」小弟的声音都有些颤抖。
我后面掰开小弟两瓣臀肉,握住自己坚硬的鸡鸡,把包皮捋尽到根部,龟头挺凸,往田俊洞口一塞,蓄势屁股往前一挺,滋溜一声,滑滑的鸡鸡进入后面大半。进���的一刹那,我和小弟都『啊喔』的叫了出来!!
我是觉得他的后面又紧又热,鸡鸡上传来一阵好爽的感觉,小弟明显突然感到一阵强烈的刺痛,肛门括约肌被鸡鸡进入的刺痛传遍了全身……
我拍拍小弟的屁股,「忍一会,一会就好。」说著鸡鸡慢慢提起再插入了他的肛门,开始「叭嘰、叭嘰」慢慢地抽插起来。
『嘶……噱……喔……喔…』隨著我的前列腺液越涌越多,我的肉棒已经轻易的在他那个润湿的小穴中滑动,他的小穴仍然相当紧,我不能一下子把我的肉棒插到底,只能一点一点地挺进著,深入著。
他的乳头早己发硬,尖尖地挺立在他结实的胸脯上,我的嘴离开了,慢慢地往上游去,一直吻上他的嘴巴,贴在他的嘴唇上,深深地,长时间地吻了起来。
小弟的喘息加急了,他的不断的喘息中,我吐出了我的舌尖,轻轻地伸进他的耳朵中,轻轻地嚙著他那柔嫩的耳垂,牙齿也在轻嚙著他的粉颈。
『噗嗤……噗嗤…』我的鸡鸡套在小弟的小穴中,被温暖的肌肉紧紧地包裹著,夹磨著,泡浸著,我沾著自己和他的淫液,不断地抽刺,肉棒抽插著淫液的声音,在夏日安静的房间中特別动听,尤其刺耳!
逐渐地,小弟的肛门变的麻木了,清冽的疼痛慢慢掺进了酥痒,麻木变成了传感,我的肉棒不断摩擦过他肠壁的一点时,赫然感到小弟身子一挺,一股股微弱的快感从肛门导向全身,越来越强烈,越来越刺激,小弟竟不由自主地配合著我的动作,身子耸动摇晃起来,手都在我的背上,不断地漫无目的地抚摸著,滑动著,时而用力的按著我,把我压在他的身上,迫切要求我用力干他……
在喘息声中,小弟两腿努力地张开著,两手紧紧地搂著我的背部,两腿时而大大地张开,时而紧紧地搂著我的臀部,用力地夹著我,把我紧紧地压向他的私处,不断在地我的抽插下在胡乱地叫著,『哥……哦……噢……』,他的呻吟声成了我更加用力的动力。『啪啪啪……』,我的盆骨撞在他那柔若无骨的臀部上,发出一阵阵的节奏声。
用力!加速!一时间,沙发吱呀地发出不胜负荷的摇动声,肉与肉之间相互地撞击著,肉棒在小穴中抽动著,淫水的“嘖嘖”声,房间里佈满了汗水和前列腺液混合的淫靡气味。
我一边插著,阴囊拍打著小弟的美臀,一边温暖地问著:「小弟,感觉怎么样?」
他不断地扭动著他的,口中在呻吟,「奇怪的感觉,阿木,我有点疼,但是又很舒服了。干,用力地干,对,深一些,再深一些。我……噢……噢…」
「来,小弟,咱们换个姿势。」不等小弟反应,我把又粗又长的肉棒慢慢地抽出来,半靠在沙发上,扶著小弟起来,让他背对我两腿跨在我的小腹上,我的两手捧住他那充满著弹性的臀肉,用力的往两边分开,龟头对准小弟的后面,突然用力一挺,深深地插进他的肛门中,他大声地呻吟著,用力地扭动著一坐,我的鸡鸡前所未有的深深插入小弟那个温暖,润湿的小穴中。
在我的授意下,小弟两手扶著我的臀部,他的屁股坐在我的小腹上有规律的起伏,小弟的小穴时张时合,用力地夹著我的肉棒。每次起来他的肛门微微一颤,括约肌都会紧紧地夹著我的龟头,我的屁股紧紧地抽搐,浑身一抖,插在小穴的肉棒隨之一弹;然后,小弟一下子坐下,隨著我那坚硬的肉棒,一点,一点地没入他的肛门,光滑的龟头轻轻地掠过他肠壁的前列腺兴奋点,小弟必定浑身紧紧地一绷,口中发出『嗷……』地一声,然后,两腿用力地抽搐著,隨著他屁股不停地扭动,一上一下,鸡鸡在他后面一进一出,阵阵快感让我兴奋莫名,我紧张地搂著小弟的屁股,喘息著协助他完美的配合观音坐莲。
我隨即用一只手扶著小弟的屁股,一手握著小弟的肉棒,不断地上下推动起来,大拇指不断地在他那光滑坚挺的龟头上挑弄著,指尖不时滑过马眼,爽得小弟的一只手紧紧地握起沙发扶手,一只手紧张的帮助我套弄他鸡鸡的手更加用力,不断地把头仰起来,绷著颈项,嘴巴不断地张开著,成O型,却叫不出声。
小弟坐立不安的坐下,紧紧地贴著我的腹部,我的鸡鸡被深深地压入他的小穴中,起来,起来,坐下,隨著肉棒在小穴不断一出一进,速度越来越快,我对他鸡鸡的抽动也越来越快。
激烈的快感让他的速度达到前所未见的勇猛,小穴蠕动了,像一个调皮的小孩,用力地拉著,吮著,磨著,夹著,像在撒娇,也像在逗弄,紧紧地裹著我那不知疲倦的肉棒不放!
那是男人无法承受的频率,我觉得,我快要射了。但是,我不能射,我不能如此轻易就射!
「噢……噢,小弟,嗯,我们,噢,起来。」
这次我们非常默契的调换姿势,没有拔出肉棒就站了起来,小弟好像已经力气不足,慢慢转身,双手扶著沙发扶手,撅起屁股,分开两腿,更方便我的龟头找到了他敏感的触点,用力的抽插挑弄著。小弟浑身一绷,口中一阵的呤哦。呤哦声是最好的鼓励!
我忘乎所以,两手扶著小弟的胯部,猛地抽出鸡鸡,只留一个龟头在肛门,再深深插入用力地插入,身体贴在他的屁股上,鸡鸡上下不停地滑动著,『啪啪啪……』我的下体一前一后在不断摆著著,不断地撞击著小弟那结实的少男臀部,发出一声声清脆的撞击声。
「嗯…嗯…嗯…」在不断的撞击声中,小弟的口里不断地附和著。『啪啪啪……』小弟的身体不断地前后跃动著,像一匹小野马,正在不知疲倦在奔驰在无边的旷野中。
「嘶……嗯…喔…」我深深地呼吸著,肉棒不断地抽出,不停地插入,小弟的小穴始终用它那温暖、溜滑、夹磨迎著肉棒的抽插。抽出,插入,再抽出,再插入,我仿佛是一个精力十足的骑手,正在拚命地策马飞奔,向著远方,向著那无边的世界,疾驰而去。
「来吧,哥哥,快来吧,呜呜……我受不了了!嗯……喔…」小弟的屁股在不断地扭动著,在扭动中,他的嘴里发出勾人神志的叫声。
略微���整心態之后,脊椎的麻木感消失了,我可以继续驾驭眼前的那一匹小野马了。在小弟的呻吟声中,我的肉棒全速地抽出,我一把把小弟推到,他知机地仰臥在沙发上,高高地挺起他那个紧实的屁股,迎著我,口中在不断地呻吟著,我清楚地看到他那顏色深浓的花瓣,沾满著浑浊的淫露,特別诱人,褐色的肛门往外吐著一点嫩肉,我无法忍受,用手握著我的肉棒,不断地抽动著肉棒,眼睛只朝他那微微张开,一团狼藉的秘处看著。
「来吧…哥哥…来干我吧…」
我埋头在他股间,轻舔他肛门和周围敏感的皮肤,舌尖探入他体內,输送了大量的唾液进去,扶著我的肉棒,对著他那微微张开的小穴,下体一挺,借著淫液的溜滑,轻轻地,肉棒已经『嘶……』地一下,便齐根而没。
「噢……嗯……嘶…」在小弟的呻吟声中,闪闪发光的淫液隨著肉棒不断地抽出,积滯在他的小穴边,慢慢地,向下滑动,当光滑的龟头仍然停留在他那个泛满水光的小穴时,我当即又一下子狠狠向著他身体的深处插入。
我和小弟结实的肉体,已经佈满汗水,汗水在柔和的光线中闪著亮光,再缓缓地滋润著我们的身体,滴落在沙发上。呻吟声,肌肉的撞碰声,床褥的摇动声,充斥在房间里。
我的下体不断地耸动著。在我每一次的耸动中,小弟的身体一次又一次地向前跃动,头也隨著节奏上下摆动,眼神迷离的看著我。他的后面在一阵阵地抽搐,他的小穴开始渐渐地挤拢起来,紧紧地抵抗著,抗拒著肉棒的侵入。
我像一个勇猛无比的勇士,挥动金戈一次又一次地突破他的防线,直捣黄龙,轻轻地触动著他的敏感肠壁,他的屁股不断地前后摆动著……
我的一只手始终在照顾著小弟坚挺的大肉棒,十分有技巧地套弄,指头不时触碰一下他敏感的龟头,他的鸡鸡已经变得火热坚硬,马眼不断渗出前列腺液。
小弟颤抖了,在他的不断颤抖中,肉穴一阵阵的蠕动,紧紧地吸吮著我的肉棒,把它往他的身体深处牵过去。
一次………又一次………
我知道,我的高潮也要来临了!我也知道,小弟的高潮快要到来了!
小弟看著我,笑了笑,舌头偶尔伸出来舔一下嘴唇,也不知从那里学来的动作。我忍不住低头又吻了一次他的嘴唇,就在这时,小弟拚命压住嗓门,低声的叫:「啊啊┅┅噢噢┅┅」
我觉得手中小弟的鸡鸡再度一挺,浑身直挺挺地绷著,小弟觉得阵阵快感从鸡鸡上传来,无法忍住,龟头暴胀,一股股的精液汹涌而出,似喷泉般向上方射出。
最先的两滴竟远射到我的嘴角上,其余的便喷洒在他的胸脯和小腹上,他胸膛起伏,脸上露著迷离的微笑。
在小弟射精的时候,隨著连番的抖动,肛门肠壁的蠕动更急,像小儿的吮乳,紧紧地夹弄著我的肉棒,一阵阵的吸力直透我的心中…「嘶……喔……嘶…」
我美死了!我爽死了!紧紧搂住小弟,身子不停地抽搐,身体倏地绷紧,腰部拱起,手指无意识地不住屈张,心里一热,大力地在他体內进出几下。
隨著脊椎一麻,心跳加快,龟头突感到一阵前所未经的酸痒,肉棒在小弟的肠道中连连地弹动起来,隨著每一次的抖动,一阵阵快感从马眼中发出,如潮水般的涌上来,肛门和睾丸的收缩一次比一次有力,一股股的精液用力的喷发,直冲向小弟的直肠深处。
我们两个人都有点虚脱,我们仍互相紧搂著,两人身上尽是汗珠,躺在沙发上……
小弟射精后一会儿,鸡鸡尺寸小了一点,软了一些,但仍然半硬,我仍然捨不得放开得握著。
我向他含情微笑,两人蜜蜜的湿吻,他的臀部仍在缓缓的磨旋微耸,肉壁一张一合,似要吸尽我肉棒中的最后一滴精液。
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shxb4510 · 3 days ago
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加州动乱震动白宫,特朗普的“国师”已定性,这就是在“造反”
加州这两天的动乱,已然震动了白宫,并且正在酝酿成一场反对特朗普的运动。特朗普的“国师”甚至已经对此事定性——洛杉矶有人“造反”。
6月6日,一场看似普通的联邦执法行动,在美国加州洛杉矶市中心演变成了一场全国瞩目的政治风暴。
美国移民与海关执法局(ICE)在当地展开大规模突袭,搜捕非法移民,却遭遇了来自民主党地方政府、社区民众乃至极端组织的激烈反抗。
这场原本旨在“打击非法劳工”的执法行动,迅速演变为联邦政府与民主党控制的地方政府之间的正面交锋,并牵动全美政治神经。
而这一切的背后,是美国民主、共和两党在移民问题上的根本分歧与对抗,早已超越政策层面,成为意识形态与权力斗争的核心战场。
【特朗普出手强硬:大规模驱逐令下的“边境战争”】
这次突袭行动并非偶然。早在竞选期间,特朗普就誓言要推动“史上最大规模非法移民驱逐行动”,并承诺每天至少逮捕3000名非法移民。
上任后,他迅速把这一口号转化为实际行动,要求国土安全部展开全国范围内的高强度执法。但是最多的一天在全国也就抓了2300人。
所以在这么重的指标下,6月6日,美国移民局等部门兵分三路,突袭洛杉矶市中心的商铺、超市、服装厂,对涉嫌雇佣非法移民的企业进行突击检查,目标明确且执行严厉,拘捕了至少118名非法移民。
然而,这种“无差别”式的执法方式,激起了当地社区的强烈反弹。作为传统的非法移民“庇护城市”,洛杉矶长期以来以保护非法移民而著称,此举无疑被视为对地方自治权和价值观的挑衅。
【从“突袭”到“叛乱”: 街头对抗升级】
这些场景迅速在社交媒体上传播,激起公众愤怒,抗议声浪随之而来。6月6日晚上,1000名抗议者走上街头,挥舞墨西哥国旗、佩戴面具,部分激进分子向执法车辆投掷石块。
第二天,局势进一步恶化,示威者包围联邦大楼,并试图闯入拘留中心,救出被扣押人员。
值得注意的是,民主党的“反法西斯组织”——安提法的成员也混入其中,手持自制盾牌、横幅,熟练地打砸联邦设施,制造混乱。
面对如此混乱的局面,联邦当局紧急请求增援。6月7日,特朗普签署命令,派遣2000名国民警卫队士兵进驻洛杉矶。
国防部长赫格塞斯更直接把抗议,称为这是一场由犯罪贩运集团(也就是外国恐怖组织)操控的危险入侵,已经构成严重的国家安全威胁。
赫格塞斯宣布,位于洛杉矶以南的现役海军陆战队进入高度戒备状态,随时准备出动。
【民主党加州政府反击:从拒绝协助到公开叫板】
然而,就在联邦政府调动军队的同时,洛杉矶警方却明确表示,不会协助移民局开展任何形式的大规模驱逐行动。
洛杉矶市长凯伦·巴斯(Karen Bass)更是在声明中怒斥ICE的突袭“没有提前通知”,并强调作为“庇护城市”的立场,将继续保护非法移民的权利。
加州州长加文·纽森(Gavin Newsom)也在社交平台上猛烈抨击联邦政府的决定是“故意挑衅”,称此举无视地方主权,并警告将考虑扣留原本上缴给联邦政府的800亿美元税收。立场可以说是很分明了,就是要跟特朗普对着干。
洛杉矶拥有多达80万非法移民,他们在餐饮、清洁、运输等行业中扮演着不可或缺的角色。
民主党坚持认为,这些人是“贡献者”,不应因身份问题遭到惩罚;而共和党则强调,非法移民削弱了国家主权、破坏了法治,并加剧了社会资源的竞争。
【更深的政治裂痕:MAGA vs Antifa】
此次洛杉矶事件不仅是执法与抗议的冲突,更是美国两党在移民政策上的根本对立体现。
一边是以“Make America Great Again”(MAGA)为核心的共和党民粹主义,主张强硬执法、边境安全和大规模遣返;另一边则是民主党领导下的“进步左翼”,强调多元文化、包容性政策和对非法移民的人道关怀。
值得注意的是,“安提法”等组织在这场冲突中扮演了重要角色。他们在现场有组织地发起攻击,甚至试图强行释放被拘留者。
而民主党虽然未公开支持这些暴力行为,但其长期以来对非法移民的宽容态度,无疑为这类群体提供了舆论支持和政治空间。
面对民主党地方政府的抵制和街头的暴力冲突,白宫方面态度强硬。
特朗普“新国师”、白宫副幕僚长斯蒂芬•米勒直言不讳地把抗议行为称为“叛乱”,并表示政府必须在“驱逐入侵者”与“向叛乱投降”之间做出选择。
【未来走向:更多冲突还是妥协?】
这次洛杉矶冲突只是冰山一角。随着特朗普政府持续推进“大规模驱逐”计划,预计类似的执法行动将在其他“庇护城市”陆续上演。
届时,联邦与地方之间的对抗将进一步加剧,街头暴力事件或将频繁发生。
从目前形势来看,特朗普政府似乎有意通过制造紧张局势转移公众注意力,尤其是在其与马斯克因“大漂亮法案”产生分歧之际。
无论如何,洛杉矶的枪声已经响起,美国两党围绕移民问题的根本分歧,正逐步从议会辩论走向街头对抗。这不仅是一场关于法律与秩序的较量,更是一场关乎国家身份认同与未来方向的深层博弈。
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fondlyloudjourney · 3 days ago
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加州动乱震动白宫,特朗普的“国师”已定性,这就是在“造反”
加州这两天的动乱,已然震动了白宫,并且正在酝酿成一场反对特朗普的运动。特朗普的“国师”甚至已经对此事定性——洛杉矶有人“造反”。
6月6日,一场看似普通的联邦执法行动,在美国加州洛杉矶市中心演变成了一场全国瞩目的政治风暴。
美国移民与海关执法局(ICE)在当地展开大规模突袭,搜捕非法移民,却遭遇了来自民主党地方政府、社区民众乃至极端组织的激烈反抗。
这场原本旨在“打击非法劳工”的执法行动,迅速演变为联邦政府与民主党控制的地方政府之间的正面交锋,并牵动全美政治神经。
而这一切的背后,是美国民主、共和两党在移民问题上的根本分歧与对抗,早已超越政策层面,成为意识形态与权力斗争的核心战场。
【特朗普出手强硬:大规模驱逐令下的“边境战争”】
这次突袭行动并非偶然。早在竞选期间,特朗普就誓言要推动“史上最大规模非法移民驱逐行动”,并承诺每天至少逮捕3000名非法移民。
上任后,他迅速把这一口号转化为实际行动,要求国土安全部展开全国范围内的高强度执法。但是最多的一天在全国也就抓了2300人。
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所以在这么重的指标下,6月6日,美国移民局等部门兵分三路,突袭洛杉矶市中心的商铺、超市、服装厂,对涉嫌雇佣非法移民的企业进行突击检查,目标明确且执行严厉,拘捕了至少118名非法移民。
然而,这种“无差别”式的执法方式,激起了当地社区的强烈反弹。作为传统的非法移民“庇护城市”,洛杉矶长期以来以保护非法移民而著称,此举无疑被视为对地方自治权和价值观的挑衅。
【从“突袭”到“叛乱”: 街头对抗升级】
这些场景迅速在社交媒体上传播,激起公众愤怒,抗议声浪随之而来。6月6日晚上,1000名抗议者走上街头,挥舞墨西哥国旗、佩戴面具,部分激进分子向执法车辆投掷石块。
第二天,局势进一步恶化,示威者包围联邦大楼,并试图闯入拘留中心,救出被扣押人员。
值得注意的是,民主党的“反法西斯组织”——安提法的成员也混入其中,手持自制盾牌、横幅,熟练地打砸联邦设施,制造混乱。
面对如此混乱的局面,联邦当局紧急请求增援。6��7日,特朗普签署命令,派遣2000名国民警卫队士兵进驻洛杉矶。
国防部长赫格塞斯更直接把抗议,称为这是一场由犯罪贩运集团(也就是外国恐怖组织)操控的危险入侵,已经构成严重的国家安全威胁。
赫格塞斯宣布,位于洛杉矶以南的现役海军陆战队进入高度戒备状态,随时准备出动。
【民主党加州政府反击:从拒绝协助到公开叫板】
然而,就在联邦政府调动军队的同时,洛杉矶警方却明确表示,不会协助移民局开展任何形式的大规模驱逐行动。
洛杉矶市长凯伦·巴斯(Karen Bass)更是在声明中怒斥ICE的突袭“没有提前通知”,并强调作为“庇护城市”的立场,将继续保护非法移民的权利。
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加州州长加文·纽森(Gavin Newsom)也在社交平台上猛烈抨击联邦政府的决定是“故意挑衅”,称此举无视地方主权,并警告将考虑扣留原本上缴给联邦政府的800亿美元税收。立场可以说是很分明了,就是要跟特朗普对着干。
洛杉矶拥有多达80万非法移民,他们在餐饮、清洁、运输等行业中扮演着不可或缺的角色。
民主党坚持认为,这些人是“贡献者”,不应因身份问题遭到惩罚;而共和党则强调,非法移民削弱了国家主权、破坏了法治,并加剧了社会资源的竞争。
【更深的政治裂痕:MAGA vs Antifa】
此次洛杉矶事件不仅是执法与抗议的冲突,更是美国两党在移民政策上的根本对立体现。
一边是以“Make America Great Again”(MAGA)为核心的共和党民粹主义,主张强硬执法、边境安全和大规模遣返;另一边则是民主党领导下的“进步左翼”,强调多元文化、包容性政策和对非法移民的人道关怀。
值得注意的是,“安提法”等组织在这场冲突中扮演了重要角色。他们在现场有组织地发起攻击,甚至试图强行释放被拘留者。
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而民主党虽然未公开支持这些暴力行为,但其长期以来对非法移民的宽容态度,无疑为这类群体提供了舆论支持和政治空间。
面对民主党地方政府的抵制和街头的暴力冲突,白宫方面态度强硬。
特朗普“新国师”、白宫副幕僚长斯蒂芬•米勒直言不讳地把抗议行为称为“叛乱”,并表示政府必须在“驱逐入侵者”与“向叛乱投降”之间做出选择。
【未来走向:更多冲突还是妥协?】
这次洛杉矶冲突只是冰山一角。随着特朗普政府持续推进“大规模驱逐”计划,预计类似的执法行动将在其他“庇护城市”陆续上演。
届时,联邦与地方之间的对抗将进一步加剧,街头暴力事件或将频繁发生。
从目前形势来看,特朗普政府似乎有意通过制造紧张局势转移公众注意力,尤其是在其与马斯克因“大漂亮法案”产生分歧之际。
无论如何,洛杉矶的枪声已经响起,美国两党围绕移民问题的根本分歧,正逐步从议会辩论走向街头对抗。这不仅是一场关于法律与秩序的较量,更是一场关乎国家身份认同与未来方向的深层博弈。
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kennak · 3 months ago
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「横浜に住むのは情弱」と言われて久しいが 横浜移住を考えている友人に向けた、中の人(都心勤務の西区住民。ただしみなとみらいではない。居住歴20年)からの所見。 多数の間違いや偏見があると思う。ブコメやトラバでつっこまれることで、錬成されることを期待してみる。 横浜といっても18区あるため、それぞれの区によって状況は異なる。 ・西区、中区(みなとみらいを擁する)→みんなが想像するヨコハマ。海に面した大都市のイメージ。ただし本牧を除く。   ↑こっちと↓こっちの中間領域な神奈川区 ・鶴見区、都筑区、港北区(川崎属国エリア)→人口が爆発的に伸びた都内通勤族の街。子育て世代にうれしい商業施設が多い一方で、インフラが追いついていない。保育園の倍率が高く、どこにいっても人と車が多い。 ・青葉区、緑区(だいたい町田)→小田急と東急が高度経済成長期からバブル期にかけて必死に開発した結果、小田急と田園都市線の混雑に悩まされることに。横浜中心部とのアクセスが弱いため、横浜市民という自覚が薄い。 ・旭区、瀬谷区、緑区、泉区(山と森)→神奈川県全体で東高西低の格差が問題になっているが、横浜市内でも同様。このエリアは少子高齢化の傾向があり、横浜市の行政が正直手薄になっている感がある。もうちょい西に進んで大和市や海老名に住んだ方が幸せになれる。だからこそ上瀬谷花博でドカンと一発大きな花火をあげようとしているが、嫌な予感しかない。相鉄が代わって必死に都市開発をすすめており(そうしないと相鉄自身が死ぬ)、このエリアの住民はそうにゃんを尊師として崇めることになる。逆に言えば、都心へのアクセスを確保しつつ自然と暮らせる地区とも言える。 ・それ以外(それ以外でまとめると怒る人が出てきそうだ)→元々は高度経済成長期に横浜都心部の郊外として発展したのち、インフラの老朽化や世代交代問題に直面しているエリア。目立った特徴はないが、特異なパラメータがないぶん平均的に住みやすいかも。 小学校レベルの地理の話だが、横浜市の区は、東京都の区とは根本的に異なる。 ・東京都の区は行政権があるが、横浜市の区は市の出先機関。横浜市のあらゆる施策は横浜市全体に適用される。たまに混同している人を見かける。 ・港区や江東区などのリッチな区の補助金ニュースが横浜市と比較されて「横浜市に住む奴は情弱」と言われたりするが、横浜市は市民375万人を平等に扱わないといけない。 ・夜間人口が企業立地に対して多すぎるので、どうしても行政サービスは薄く広くなる。 ・給食がその象徴。これから市内500の小中学校全てに給食を整えるのは永遠に不可能。仕方なくハマ弁で誤魔化している。誤魔化しではあるが、ハマ弁の内容は割とよくできており、給食化した方がたぶんQOLは下がる。 ・図書館や公民館は基本的にボロい。 ・東京の財政力が桁違いに強いので、教育費の無償化や住宅の補助金などで差があるのは事実。 ・公園の遊具にも財政力の差が現れている。公園自体は多いもののどこも遊具がしょぼい。都内の友人近くの公園にいくと概ね横浜市より遊具が綺麗で充実している。 ・まあその分都内は住宅が高いんですけど。都立大学(都民は学費無償)に進学しない限��ペイできないのでは? ・川崎市との行政サービスの格差についてはゲフンゲフン。あっちは製鉄所と発電所もってるもんな〜うらやましいな〜(鶴見にあるのは知ってるけど規模が違うもんな〜) ・横浜市+給食+図書館ー文化=川崎市 ・とはいえ、さいたま市や千葉市と同等レベルの給付や福祉はキープしている。賄うべき人口から考えれば相当がんばっている。 ・なので「特別市」という政令指定都市を超えた枠組みを作り、神奈川県からの独立を目論んでいる。 交通の便について。 ・東京〜横浜間のアクセスは超極太。これがさいたまや千葉に対する優位性。 ・鉄道ならJR3路線、東急、京急線と多数に分散しており、どこかの路線がグモっても家に帰れる。 ・高速も横羽線、湾岸線、第三京浜、東名がある。 ・JR東海道線は朝の通勤ラッシュが殺人的だが、それ以外は(都心通勤ソルジャーからみれば)常識的なレベル。 ・田園都市線はもうダメです。こんなこと言ってごめんね。でも本当です。 ・地下鉄については当たり前だが東京が圧倒的。横浜は代わりにバスで市内移動を賄うことになる。 ・自動車。平均的に都心と比べると道路が広くて運転しやすい。ただし横浜町田ICとR1の保土ヶ谷橋交差点はものっそ渋滞するので、このエリアを通過するような生活圏の選択は避けた方が良い。 ・首都高とNEXCOと高規格道路が交差しているので高速道路網の把握が難しい。ジャンクションを間違えるのは横浜市民あるある。 ハザードマップについて ・横浜市は元々神戸市みたいに丘陵と海が近いエリアだったのを埋め立ててきた歴史があるので、埋立地とそうでない箇所の高低差がすごい。「横浜は坂が多い」と言われる所以。 ・この坂のエリアは崖崩れが起きやすい。横浜市の最大の地理的弱点だと思う。 ・そして単純に坂のある地域は住みにくい。子供がキックボードやストライダで死にかける。 ・ハザードマップを見ると崖くずれ注意のエリアが点在しており、この付近の住民は大雨のたびに避難指示発令に悩まされる羽目になる。 ・埋立地のエリアも大きく2つに分かれており、昭和以前に技術の未熟な西区や中区の中心地(横浜駅〜関内エリア)を埋め立てたところは海抜が低く、地盤が弱く、大雨の時の内水や液状化の恐れがある。ここに住む増田は大雨のたびに毎回ヒヤヒヤしている。ただ横浜市にとってこのエリアは経済と行政の中心地なので、必死に土木工事をして改善中。 ・みなとみらいエリア(新しい埋立地)は十分な高さの盛り土、地盤改良、排水設備が揃っており、内水や液状化の心配は少ない。ただみなとみらいエリアはコンビニが少なくOKストアーが殺人的に混雑する(ハザードマップ関係ない話題)。 ・山手や浅間台、野毛山エリアのような高台エリアはハザードマップ的には最強。ただし地価も最強。 ・まとめると 坂の上 > 新しい埋立地 > 古い埋立地>>> 坂 横浜市西区、中区はチートレベルで住みやすいと思う。 ・住宅が都心よりも安い(除く高台エリア)割に、横浜駅エリアや関内エリアの文化施設や商業施設を利用でき、カーシェアリングやLUUP、UBERなどサービスも充実しているので、自宅に必要な機能を都市のなかにアウトソーシングできる。 ・その割に夜間人口が少ないので、保活は楽勝。川崎属国エリアのような教育戦争に巻き込まれることもない。もちろん積極的に中学受験をやることもできる。 ・とにかくあらゆることに対する選択肢が多い。でかいショッピングモールで便利に過ごすもよし、ローカルな店を探して商店街をうろうろするもよし。電車でもバスでも自家用車でもカーシェアでもLUUPでも移動できる。急な雨が降ってもアイカサがある。 市長が山中氏になってから変わったこと (今夜追記する) それでお前がこれから家を買うならどこにする ・西区、中区は引き続きオススメだが、地価が上がっちゃったからな… ・二俣川駅の南側。新横浜線ができてアクセスが改善し、相鉄がジョイナスを作ったので買い物もしやすくなった。こども自然公園というバカでかい公園がある。まだ世の中は「免許を更新しにいくところ」で認識が止まっているので狙い目。 ・鶴見川の氾濫で形成された平野のあたり。具体的には港北、新羽、北新横浜、大倉山、綱島。広大な平野なので「坂の横浜」とは無縁。昔はそれこそ内水の心配があったが、いまは日産スタジアム(という名の貯水池)が俺たちを守ってくれる。だが既に地価は高い。 ・センター北とセンター南。もはやセンターの意味を知る住民は少なめ。地下鉄が2路線あり、第三京浜と東名の両方が使える。ここも地価は高め。 ・星川。保土ヶ谷というとマイナスイメージしかないが星川だと急にイケてるイメージになる。 ・蒔田駅と南太田駅に挟まれた領域。蒔田公園が素晴らしい。歴史的経緯から外国の人も多い。 ・なんか細かく地区ごとに書いてくとキリがないな。 横浜の良いところ書いてなくね? すまんかった。横浜の良いところは「手薄な行政を補ってあまりある民間の活力、選択肢の多さ」だと思う。 ・東急、京急、相鉄といった私鉄の開発力。 ・商業施設の集積。一大観光地でもある。 ・文化やスポーツイベントも多数ある。金がなくても参加できるものも多い。 ・賑やかな商店街が多数あり、ローカルなお店探しは永遠に楽しめる。 ・そのわりに東京より過密度が緩い(過去に高円寺に住んでいたので、ここで東京は狭いという偏見が強化された) ・半官半民、NPO的な施設も充実している。息子が発達が遅めなのだが、近所に発達支援施設がすぐに見つかったのは助かった。 ・うまく文字に出来ないが「東京とか川崎より横浜!」という郷土愛みたいなものも地域全体から感じる。 ・海の存在。海と都市が近い。東京川崎千葉は湾岸が工業地帯で埋まってしまった。 まあ つらつら書いたけどコンビニとまいばすけっとが徒歩圏内にあることが普段の生活を左右する最大のパラメーターだったりする。
横浜の住みやすさについて
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abdaliqksndjw · 1 day ago
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加州动乱震动白宫,特朗普的“国师”已定性,这就是在“造反”
加州这两天的动乱,已然震动了白宫,并且正在酝酿成一场反对特朗普的运动。特朗普的“国师”甚至已经对此事定性——洛杉矶有人“造反”。
6月6日,一场看似普通的联邦执法行动,在美国加州洛杉矶市中心演变成了一场全国瞩目的政治风暴。
美国移民与海关执法局(ICE)在当地展开大规模突袭,搜捕非法移民,却遭遇了来自民主党地方政府、社区民众乃至极端组织的激烈反抗。
这场原本旨在“打击非法劳工”的执法行动,迅速演变为联邦政府与民主党控制的地方政府之间的正面交锋,并牵动全美政治神经。
而这一切的背后,是美国民主、共和两党在移民问题上的根本分歧与对抗,早已超越政策层面,成为意识形态与权力斗争的核心战场。
【特朗普出手强硬:大规模驱逐令下的“边境战争”】
这次突袭行动并非偶然。早在竞选期间,特朗普就誓言要推动“史上最大规模非法移民驱逐行动”,并承诺每天至少逮捕3000名非法移民。
上任后,他迅速把这一口号转化为实际行动,要求国土安全部展开全国范围内的高强度执法。但是最多的一天在全国也就抓了2300人。
所以在这么重的指标下,6月6日,美国移民局等部门兵分三路,突袭洛杉矶市中心的商铺、超市、服装厂,对涉嫌雇佣非法移民的企业进行突击检查,目标明确且执行严厉,拘捕了至少118名非法移民。
然而,这种“无差别”式的执法方式,激起了当地社区的强烈反弹。作为传统的非法移民“庇护城市”,洛杉矶长期以来以保护非法移民而著称,此举无疑被视为对地方自治权和价值观的挑衅。
【从“突袭”到“叛乱”: 街头对抗升级】
这些场景迅速在社交媒体上传播,激起公众愤怒,抗议声浪随之而来。6月6日晚上,1000名抗议者走上街头,挥舞墨西哥国旗、佩戴面具,部分激进分子向执法车辆投掷石块。
第二天,局势进一步恶化,示威者包围联邦大楼,并试图闯入拘留中心,救出被扣押人员。
值得注意的是,民主党的“反法西斯组织”——安提法的成员也混入其中,手持自制盾牌、横幅,熟练地打砸联邦设施,制造混乱。
面对如此混乱的局面,联邦当局紧急请求增援。6月7日,特朗普签署命令,派遣2000名国民警卫队士兵进驻洛杉矶。
国防部长赫格塞斯更直接把抗议,称为这是一场由犯罪贩运集团(也就是外国恐怖组织)操控的危险入侵,已经构成严重的国家安全威胁。
赫格塞斯宣布,位于洛杉矶以南的现役海军陆战队进入高度戒备状态,随时准备出动。
【民主党加州政府反击:从拒绝协助到公开叫板】
然而,就在联邦政府调动军队的同时,洛杉矶警方却明确表示,不会协助移民局开展任何形式的大规模驱逐行动。
洛杉矶市长凯伦·巴斯(Karen Bass)更是在声明中怒斥ICE的突袭“没有提前通知”,并强调作为“庇护城市”的立场,将继续保护非法移民的权利。
加州州长加文·纽森(Gavin Newsom)也在社交平台上猛烈抨击联邦政府的决定是“故意挑衅”,称此举无视地方主权,并警告将考虑扣留原本上缴给联邦政府的800亿美元税收。立场可以说是很分明了,就是要跟特朗普对着干。
洛杉矶拥有多达80万非法移民,他们在餐饮、清洁、运输等行业中扮演着不可或缺的角色。
民主党坚持认为,这些人是“贡献者”,不应因身份问题遭到惩罚;而共和党则强调,非法移民削弱了国家主权、破坏了法治,并加剧了社会资源的竞争。
【更深的政治裂痕:MAGA vs Antifa】
此次洛杉矶事件不仅是执法与抗议的冲突,更是美国两党在移民政策上的根本对立体现。
一边是以“Make America Great Again”(MAGA)为核心的共和党民粹主义,主张强硬执法、边境安全和大规模遣返;另一边则是民主党领导下的“进步左翼”,强调多元文化、包容性政策和对非法移民的人道关怀。
值得注意的是,“安提法”等组织在这场冲突中扮演了重要角色。他们在现场有组织地发起攻击,甚至试图强行释放被拘留者。
而民主党虽然未公开支持这些暴力行为,但其长期以来对非法移民的宽容态度,无疑为这类群体提供了舆论支持和政治空间。
面对民主党地方政府的抵制和街头的暴力冲突,白宫方面态度强硬。
特朗普“新国师”、白宫副幕僚长斯蒂芬•米勒直言不讳地把抗议行为称为“叛乱”,并表示政府必须在“驱逐入侵者”与“向叛乱投降”之间做出选择。
【未来走向:更多冲突还是妥协?】
这次洛杉矶冲突只是冰山一角。随着特朗普政府持续推进“大规模驱逐”计划,预计类似的执法行动将在其他“庇护城市”陆续上演。
届时,联邦与地方之间的对抗将进一步加剧,街头暴力事件或将频繁发生。
从目前形势来看,特朗普政府似乎有意通过制造紧张局势转移公众注意力,尤其是在其与马斯克因“大漂亮法案”产生分歧之际。
无论如何,洛杉矶的枪声已经响起,美国两党围绕移民问题的根本分歧,正逐步从议会辩论走向街头对抗。这不仅是一场关于法律与秩序的较量,更是一场关乎国家身份认同与未来方向的深层博弈。
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tamanine · 8 months ago
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2024.10.13
映画『HAPPYEND』を見る。父の時代の学生運動のような雰囲気と、街の風景のクールな切り取り、存在感があり重厚な音楽の使い方から愛しいものとしてのテクノの使い方まで大変気に入り、今度会う人に渡そうと映画のパンフレットを2冊買う。その人と行った歌舞伎町時代のLIQUIDROOM、どんどん登らされた階段。小中学生の時に自分がした差別、あの分かっていなさ、別れた友人、まだ近くにいる人たち。
2024.10.14
銀座エルメスで内藤礼『生まれておいで 生きておいで』、ガラスの建築に細いテグスや色のついた毛糸が映える。日が落ちて小さなビーズが空間に溶けていくような時間に見るのも素敵だと思う。檜の「座」で鏡の前にいる小さな人を眺める。「世界に秘密を送り返す」を見つけるのは楽しい。黒目と同じだけの鏡、私の秘密と世界の秘密。今年の展示は上野・銀座ともに少し賑やかな雰囲気、外にいる小さい人たちや色とりどりの光の色を網膜に写してきたような展示。でも相変わらず目が慣れるまで何も見えてこない。銀座にはBillie Eilishもあったので嬉しくなる。
GINZA SIXのヤノベケンジ・スペースキャットと、ポーラアネックスでマティスを見てから歩行者天国で夜になっていく空を眺めた。小さい頃は銀座の初売りに家族で来ていたので、郷愁がある。地元に帰るよりも少しあたたかい気持ち、昔の銀座は磯部焼きのお餅を売っていたりしました。東京の楽しいところ。
2024.10.18
荷造り、指のネイル塗り。足は昨日塗り済み。年始の青森旅行時、2泊3日の持ち物リストを作成し、機内持ち込み可サイズのキャリーに入れ参照可能にしたところ、旅行のめんどくさい気持ちが軽減された。コンタクトや基礎化粧品・メイク用品のリスト、常備薬、安心できる着替えの量。持ち物が少ない人間にはなれそうにない。日常から多い。部屋に「読んでいない本」が多いと落ち着くような人間は持ち物少ない人になれない。
2024.10.19
早起きして羽田空港。8:30くらいに着いたらまだ眺めのいいカフェが開いておらず、とりあえず飛行機が見える屋上に行く。このあと雨が降るはずの曇り空からいきなり太陽が照り出して暑くなり、自販機でマカダミアのセブンティーンアイスを買い、食べる。突然の早朝外アイス。飛行機が整列し、飛び立つところをぼんやりと眺める。飛行機は綺麗。昨夜寝る前にKindleで『マイ・シスター、シリアルキラー』を買って「空港ではミステリー小説だろう」と浮かれて眠ったのに、100分de名著のサルトルを読み進める。実存主義を何も分かっていないことをこっそりとカバーしたい。すみませんでした。
10:15飛行機離陸。サンドイッチをぱくぱく食べたあとKindleを手に持ったまま眠ってしまい、11:55宇部空港着。
宇部空港、国内線のロビーは小さく、友人にすぐ会う。トンネルを抜ける時、窓が曇り、薄緑色の空間に虹色の天井のライトと車のライトがたくさん向かって来て流れる。動画を撮影しながら「綺麗くない?」と言うと「綺麗だけど本当は危ない」と言われる。かけるべきワイパーをしないで待っていてくれたんだと思う。
友人のソウルフードであるうどんの「どんどん」で天ぷら肉うどん、わかめのおにぎりを食べる。うどんは柔らかく、つゆが甘い。ネギが盛り放題。東京でパッと食べるうどんははなまる系になるので四国的であり、うどんのコシにもつゆにも違いがある。美味しい。
私は山口市のYCAMのことしか調べずに行ったので連れて行ってもらう。三宅唱監督の『ワイルドツアー』で見た場所だ。『ワイルドツアー』のポスターで見た正面玄関を見に芝生を横切ったが、芝生は雨でぐずぐずだった。でも全部楽しい。
広くて静かで素敵な図書館があり、心の底から羨ましい。小さな映画館もあり、途中入場できるか聞いたおじいちゃんが、「途中からだからタダにならない?」と言っていたがタダにはなっていなかった。一応言ってみた感が可愛らしい範囲。
YCAM内にあるのかと思っていたら違う倉庫にスペースのあった大友良英さんらの「without records」を見に行く。レコードの外された古いポータブルレコードプレーヤーのスピーカーから何がしかのノイズ音が鳴る。可愛い音のもの、大きく響く音のもの。木製や黄ばんだプラスチックの、もう存在しない電機メーカーの、それぞれのプレーヤーの回転を眺めて耳を澄ませてしばらくいると、たくさんのプレーヤーが大きな音で共鳴を始める。ずっと大きい音だと聞いていられないけれど、じっと待ってから大きな音が始まると嬉しくなる。プログラムの偶然でも、「盛り上がりだ」と思う。
山口県の道路はとても綺麗で(政治力)、道路の横は森がずっと続く。もとは農地だっただろう場所にも緑がどんどん増えている。私が映画で見るロードムービーはアメリカのものが多く、あちらで人の手が入っていない土地は平らな荒野で、日本の(少なくとも山口県の)土は放っておくとすぐに「森」になるのだ、ということを初めて実感する。本当の森の中にひらけた視界は無く、車でどんどん行けるような場所には絶対にならない。私がよく散歩をする所ですら、有料のグラウンドやイベント用の芝生でない場所には細い道を覆い隠す雑草がモコモコと飛び出して道がなくなってゆく。そして唐突に刈られて草の匂いだけを残す。私が「刈られたな」と思っているところも、誰かが何らかのスケジュールで刈ってくれているのだ。
山口県の日本海側の街では中原昌也と金子みすゞがそこかしこにドンとある。
災害から直っていないために路線が短くなっているローカルの汽車(電車じゃない、電車じゃないのか!)に乗って夜ご飯へ。終電が18:04。霧雨、暴風。一瞬傘をさすも無意味。
焼き鳥に挟まっているネギはタマネギで、つきだしは「けんちょう」という煮物だった。美味しい。砂肝、普段全然好きじゃないのに美味しかった。少し街の端っこへ行くとたまに道に鹿がいるらしく、夜見ると突然道路に木が生えているのかと思ったら鹿の角、ということになり怖いらしい。『悪は存在しない』のことを思う。
2024.10.20
雨は止んでいてよかった。海と山。暴風。人が入れるように少しだけ整えられた森に入り、キノコを眺める。
元乃隅神社、123基の鳥居をくぐり階段を降りて海の近くへ。暴風でiPhoneを構えてもぶれて、波は岩場を越え海の水を浴びる。鳥居の上にある賽銭箱に小銭を投げたけれど届くわけもない。車に戻ると唇がしょっぱかった。
山と海を眺めてとても素敵なギャラリー&カフェに。古い建物の改装で残された立派な梁、屋根の上部から太陽光が取り込まれるようになっていて素晴らしい建築。葉っぱに乗せられたおにぎりと金木犀のゼリーを食べる。美味しい。
更に山と海を眺めて角島へ。長い長い橋を通って島。古い灯台、暴風の神社。曇天の荒れた海も美しいと思う、恐ろしい風や崖を体感としてしっかりと知らない。構えたカメラも風でぶれるし、油断すると足元もふらつく風、窓につく塩の結晶。
山と海を眺めて香月泰男美術館へ。友人が見て良い展示だったからもう一度来て見せてくれたのだ。
全然知らなかったけれど、本当に素晴らしい絵だった。油彩なのだけど、質感が岩絵具のようで、フレームの内側に茶色のあやふやな四角が残っているのがとても良い。
フレーミングする、バチッと切り取ってしまう乱暴さから離れて、両手の人差し指と親指で四角を作って取り出したようなまなざしになる。
山口県の日本海側の山と畑と空の景色、荒い波、夜の静けさや月と雲、霧の色を見てから美術館へ連れて来てもらえたから色と色の境目の奥行きを知る。柿はずっしりと重く、花は鮮やかだ。香月泰男やシベリア抑留から帰ってきた画家で、この前読んだ『夜と霧』の暗さと冷たさを思い返した。絵の具箱を枕にして日本へ帰る画家が抱えていた希望、そのあとの色彩。 
夕飯は友人の知り合いのハンバーガー屋さんへ。衝撃のうまさ。高校生の時に初めて食べたバーガーキングの玉ねぎの旨さ以来の衝撃、20年ぶりだ。そんなことがあるのか。
2024.10.21
晴天。海は穏やかで、深い青、テート美術館展で見たあの大きな横長の絵みたい。初めて見た海の光。
海と山を眺めて秋吉台へ。洞窟は時間がかかるので丘を散策、最高。
風光明媚な場所にしっかりとした情熱が無かったけれど、「好きな場所だから」と連れていってもらえる美しい場所は、友人が何度も見るたびに「好きだなぁ」と思っただろう何かが分かり、それは私が毎日毎日夕陽を眺めて「まだ飽きない」と思っている気持ちととても近く、感激する。
今までの観光旅行で一番素敵だった。
道々で「このあと窓を見て」と教えてもらい、味わう。
ススキが風に揺れて、黄色い花がずっとある。山が光で色を変え、岩に質感がある。
山口市、常栄寺、坂本龍一さんのインスタレーション。お寺の庭園が見られる場所の天井にスピーカーが吊るされ、シンセサイザーの音を演奏しているのは色々な都市の木の生体信号だ。鳥の声や風の音と展示の音は区別されない。砂利を踏む音、遠くから聞こえる今日の予定。豊かなグラデーションの苔に赤い葉っぱが落ちる。
宇部空港はエヴァの激推しだった。庵野さん、私も劇場で見届けましたよ。
行きの飛行機は揺れたけれど、帰りは穏やかに到着、家までの交通路がギリギリだったため爆走、滑り込む。
東京の車の1時間と山口の1時間は違う。
何人かの山口出身の友人が通った空と道と海と山の色を知ることができてとても嬉しい。
「好きな場所」「好きな風景」ってどういうものなんだろう。
私が通う場所、好きな建築、好きな季節と夕陽。あの人が大切にしている場所に吹く風、日が落ちる時刻が少し違う、友人のいる場所。
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srteyuytrutiyjikyliu · 14 days ago
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加州动乱震动白宫,特朗普的“国师”已定性,这就是在“造反”
加州这两天的动乱,已然震动了白宫,并且正在酝酿成一场反对特朗普的运动。特朗普的“国师”甚至已经对此事定性——洛杉矶有人“造反”。
6月6日,一场看似普通的联邦执法行动,在美国加州洛杉矶市中心演变成了一场全国瞩目的政治风暴。
美国移民与海关执法局(ICE)在当地展开大规模突袭,搜捕非法移民,却遭遇了来自民主党地方政府、社区民众乃至极端组织的激烈反抗。
这场原本旨在“打击非法劳工”的执法行动,迅速演变为联邦政府与民主党控制的地方政府之间的正面交锋,并牵动全美政治神经。
而这一切的背后,是美国民主、共和两党在移民问题上的根本分歧与对抗,早已超越政策层面,成为意识形态与权力斗争的核心战场。
【特朗普出手强硬:大规模驱逐令下的“边境战争”】
这次突袭行动并非偶然。早在竞选期间,特朗普就誓言要推动“史上最大规模非法移民驱逐行动”,并承诺每天至少逮捕3000名非法移民。
上任后,他迅速把这一口号转化为实际行动,要求国土安全部展开全国范围内的高强度执法。但是最多的一天在全国也就抓了2300人。
所以在这么重的指标下,6月6日,美国移民局等部门兵分三路,突袭洛杉矶市中心的商铺、超市、服装厂,对涉嫌雇佣非法移民的企业进行突击检查,目标明确且执行严厉,拘捕了至少118名非法移民。
然而,这种“无差别”式的执法方式,激起了当地社区的强烈反弹。作为传统的非法移民“庇护城市”,洛杉矶长期以来以保护非法移民而著称,此举无疑被视为对地方自治权和价值观的挑衅。
【从“突袭”到“叛乱”: 街头对抗升级】
这些场景迅速在社交媒体上传播,激起公众愤怒,抗议声浪随之而来。6月6日晚上,1000名抗议者走上街头,挥舞墨西哥国旗、佩戴面具,部分激进分子向执法车辆投掷石块。
第二天,局势进一步恶化,示威者包围联邦大楼,并试图闯入拘留中心,救出被扣押人员。
值得注意的是,民主党的“反法西斯组织”——安提法的成员也混入其中,手持自制盾牌、横幅,熟练地打砸联邦设施,制造混乱。
面对如此混乱的局面,联邦当局紧急请求增援。6月7日,特朗普签署命令,派遣2000名国民警卫队士兵进驻洛杉矶。
国防部长赫格塞斯更直接把抗议,称为这是一场由犯罪贩运集团(也就是外国恐怖组织)操控的危险入侵,已经构成严重的国家安全威胁。
赫格塞斯宣布,位于洛杉矶以南的现役海军陆战队进入高度戒备状态,随时准备出动。
【民主党加州政府反击:从拒绝协助到公开叫板】
然而,就在联邦政府调动军队的同时,洛杉矶警方却明确表示,不会协助移民局开展任何形式的大规模驱逐行动。
洛杉矶市长凯伦·巴斯(Karen Bass)更是在声明中怒斥ICE的突袭“没有提前通知”,并强调作为“庇护城市”的立场,将继续保护非法移民的权利。
加州州长加文·纽森(Gavin Newsom)也在社交平台上猛烈抨击联邦政府的决定是“故意挑衅”,称此举无视地方主权,并警告将考虑扣留原本上缴给联邦政府的800亿美元税收。立场可以说是很分明了,就是要跟特朗普对着干。
洛杉矶拥有多达80万非法移民,他们在餐饮、清洁、运输等行业中扮演着不可或缺的角色。
民主党坚持认为,这些人是“贡献者”,不应因身份问题遭到惩罚;而共和党则强调,非法移民削弱了国家主权、破坏了法治,并加剧了社会资源的竞争。
【更深的政治裂痕:MAGA vs Antifa】
此次洛杉矶事件不仅是执法与抗议的冲突,更是美国两党在移民政策上的根本对立体现。
一边是以“Make America Great Again”(MAGA)为核心的共和党民粹主义,主张强硬执法、边境安全和大规模遣返;另一边则是民主党领导下的“进步左翼”,强调多元文化、包容性政策和对非法移民的人道关怀。
值得注意的是,“安提法”等组织在这场冲突中扮演了重要角色。他们在现场有组织地发起攻击,甚至试图强行释放被拘留者。
而民主党虽然未公开支持这些暴力行为,但其长期以来对非法移民的宽容态度,无疑为这类群体提供了舆论支持和政治空间。
面对民主党地方政府的抵制和街头的暴力冲突,白宫方面态度强硬。
特朗普“新国师”、白宫副幕僚长斯蒂芬•米勒直言不讳地把抗议行为称为“叛乱”,并表示政府必须在“驱逐入侵者”与“向叛乱投降”之间做出选择。
【未来走向:更多冲突还是妥协?】
这次洛杉矶冲突只是冰山一角。随着特朗普政府持续推进“大规模驱逐”计划,预计类似的执法行动将在其他“庇护城市”陆续上演。
届时,联邦与地方之间的对抗将进一步加剧,街头暴力事件或将频繁发生。
从目前形势来看,特朗普政府似乎有意通过制造紧张局势转移公众注意力,尤其是在其与马斯克因“大漂亮法案”产生分歧之际。
无论如何,洛杉矶的枪声已经响起,美国两党围绕移民问题的根本分歧,正逐步从议会辩论走向街头对抗。这不仅是一场关于法律与秩序的较量,更是一场关乎国家身份认同与未来方向的深层博弈。
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xf-2 · 1 month ago
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外国人投資家が爆買いの「タワマン」にも税金投入 補助金1兆円超…誰のための開発? 専門家も疑問符
コロナ禍を経て、日本のインバウンド市場は力強く回復。それは、訪日観光客の増加にとどまらず、不動産にも及んでいる。特に湾岸部などの「タワマン」への外国人投資家の関心は高く、円安や治安の良さ、政治的安定性を背景に、香港や中国本土などの海外富裕層による“爆買い”が続いているという。「究極のインバウンドビジネス」とも呼ばれるタワマン投資の実像や、その背景にある経済構造、そして社会的な影響について、住宅コンサルタントの寺岡孝氏が解説する。
「日本人は買えない」 高騰する���ワマン市場
未だ終わりが見えそうにないタワマン市場の隆盛。では今後、どれくらいのタワマンが建つのでしょうか。
不動産経済研究所のまとめによると、20階建て以上の超高層マンション(いわゆるタワマン)の2024年以降��完成予定数は、321棟、11万1645戸となっています。(2024年3月末時点)
各エリア別の内訳は下記のとおりです。
(首都圏) 194棟、8万2114戸(全国シェア73.5%) (内東京23区内) 130棟、5万4904戸(全国シェア49.2%)
(近畿圏) 43棟、1万3472戸(全国シェア12.1%) (内大阪市内) 23棟、6864戸(全国シェア6.1%)
(福岡県) 12棟、2040戸(全国シェア1.8%)
(愛知県) 12棟、2022戸(全国シェア1.8%)
前回調査(2023年3月末時点)と比較し、「93棟・1万5161戸」増加しています。
実需を無視した不動産投資ビジネスが横行
これほどまでに建築戸数が増加しているのは、デベロッパーがそこに「需要がある」と見越しているからです。
ただ、日本では今後、人口減少が続く見込みで、住宅需要自体は減少していくと考えられています。タワマン市場がそうした動きと「反比例」しているのは、実需ではない「投機目的」の需要メインだからだと想像できます。
特に、東京23区における新築分譲マンションの価格は2024年、ついに1億1181万円に達しました。この10年間で平均価格は約1.8倍に跳ね上がっており、日本人の中間層には手が届かない水準です。
中国の難関大に比べれば「東大入試は簡単だから」  そんな不動産投資ビジネスを分析する上で無視できないのが、中国人投資家の存在です。中国本土では資本規制や経済成長鈍化が進み、香港でも政治的不安が続いています。こうした背景から中華圏の富裕層の間では、海外に資産を分散しようとする動きが強まっています。
その対象の一つとなっているのが、「東京のタワマン」です。
円安や治安・教育環境の整った日本の都心タワマンの高級物件が、ある意味で“資産の避難場所”として機能しているのです。
東南アジア最大級の不動産ネットワークである「Juwai IQI」や「PropertyGuru」などのプラットフォームで、近年、日本の物件の閲覧数が急増しています。
麻布台ヒルズや虎ノ門、晴海フラッグなどは特に人気で、現地富裕層による“現金一括購入”のケースも多く報告されています。
また、競争率の高い中国本土の大学受験と比べると、「東京大学に入学する方が簡単」という評判もあり、東大近辺に移住する中国人も増えてきています。
文京区の小学校では、日本語が話せない中国人の小学生が多くなりすぎて、中国人だけのクラスを作って日本語学習の授業を実施するなど、以前にはなかった状況が起きているそうです。
東京は国際都市でありながら、住宅価格が香港やシンガポールと比べて相対的に割安であることも、中華圏の富裕層が魅力を感じる理由となっています。
大手不動産デベロッパーやゼネコンがタワマン建設に群がる理由
住宅需要が長期的には減少する可能性が高いにもかかわらず、都市部でタワマンの供給が続く理由は、デベロッパーやゼネコンの「ビジネス」の側面からも説明ができます。
タワマン建設の多くは、「市街地再開発事業」として、国や自治体から補助金を得ることができるのです。
タワマンの建設に「税金が投入されている」と聞き、驚く方もいるでしょう。
共同通信の調査によれば、全国118地区で進行中の市街地再開発の約9割に公的補助金が投入されており、その総額は約1兆543億円に上ると報告されています。
これらの「再開発プロジェクト」の多くは、タワーマンションの建設を含んでいます。しかし、それが地域住民に十分な恩恵をもたらしているかについては、疑問視する声もあります。再開発によってタワマンが建てられても、地域住民への直接的な利益は限定的であるとの指摘です。
市街地再開発事業における補助金の割合は、事業内容や条件によって異なります。国土交通省の資料によれば、補助項目として「施設建築物及びその敷地の整備に要する費用の一部」が挙げられていますが、具体的な補助率については明記されていません。
続きは https://news.yahoo.co.jp/articles/7a229730f62d514218ae021972f12320d4c682f7?page=3
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shihlun · 3 months ago
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西武現實主義(Seiburealism)
/ Victor Burgin, 1989
四月的東京。在上野公園,櫻花低垂如雲,野餐席遍布其下。啤酒潑灑成水漥,載著狂歡人群的塑膠布筏子順著櫻花樹大道漂流(每艘筏邊整齊地擺放著一圈鞋子)。這些瀝青河流的兩岸擠滿觀光客,他們既為櫻花短暫盛放的美感所吸引,也沉醉於花見野餐所展現的景象——櫻花短命的綻放成了這場狂歡的道德藉口、一種死的提醒(momento mori)。櫻花影像被傳輸到西武百貨澀谷店,以環境影像的形式出現在店內各處。透過十二層樓的螢幕、交錯的手扶梯與電梯中,櫻花在商場每個角落綻放;如同富士山的影像(櫻花融化為山景,伴隨著約翰·藍儂《Imagine》的旋律);又或是街上的路人影像,被隨機捕捉,短暫地使螢幕成為千扇窗戶,讓人望向外部世界。(從外頭望上,百貨外牆橫跨數層樓的數位螢幕上,行人可能只看見巨大的魟魚,在海底悠然擺動,然後畫面轉化為像素化的動畫新聞,播報最新的人質危機。)
班雅明(Benjamin)曾視十九世紀的購物商廊為從街道過渡到百貨公司之間的中介階段。商廊——一條室內街道——白天靠天窗照明,這種大片透明玻璃得以實現,乃因為鐵架的支撐使其成為可能。抬頭望去,人們可見白日的雲朵,或夜晚的星空。在西武百貨中,這些鐵框玻璃矩形彷彿已從格子中爆裂而出;我想像它們在電腦動畫中慵懶地翻滾,變形為無所不在的視訊螢幕。在一種與時間無關的均勻冷光照射下,這些螢幕可以顯示雲朵、火星地貌,或任何可用二進位編碼定義的影像。東京位於富士山以東約百公里之處。從江戶時代(1600年)起至明治末年(1912年),富士山仍可間歇而清晰地從市內望見——成為一種固定的時空精神指標(在東京,能望見富士山之地即為「名所」)。如今,建築與空氣污染抹去了富士山的輪廓,至少在肉眼中是如此。新的參照點、新的「山」,在城市中自身誕生,成為僅能從百貨公司中看到富士山的景觀。儘管如此,觀看富士山的現象學經驗仍保留於百貨空間中——人們在穿越商場、從一處螢幕移動到另一處時,如同昔日穿越建築縫隙偶爾瞥見山景一般。
日本人稱為「立讀(tachiyomi)」的行為,是一種移動中、隨機式、斷續式的閱讀方式:翻閱漫畫與雜誌,只是路過隨手翻看,並無購買意圖;或在地鐵上從鄰座撿起報紙隨意瀏覽。安德烈・布勒東(André Breton)曾回憶戰時與賈克・瓦謝(Jacques Vaché)在南特的日子,他們的習慣是「無論正在播放什麼,都隨意走進電影院,看到哪裡算哪裡,一旦感到無聊便馬上離席,前往下一家影院,如此不斷輪替」。如今我們不斷切換電視頻道。(有段時間,在紐約某些餐廳流行「瀏覽式點餐」——這嚐一點、那吃一口。)觀光客也像這樣「套餐式」地體驗文化:在這座城市待兩天,再去另一座城市幾日(就像我如今在這區閒晃,在那區遊蕩)。而日本人不也常被說是「瀏覽」西方文化、取其所需再「本土化」的代表嗎?如果文化本身是複雜的文本,那麼它們如今已成為富裕與閒適者邊走邊翻的文本——無須承諾,只是移動中的一瞥。
在這間西武百貨的書籍部(藏書四十萬冊,我甚至找到兩本由密西根安娜堡的UMI學術出版社出版的超現實主義論文),一整面牆成為了放映螢幕,播放經典好萊塢電影的片段——以主題分類,其中之一是「戰爭」。畫面上,美國轟炸機正準備夜襲(東京曾在戰爭中遭遇毀滅性燃燒轟炸),畫外音堅定表示:「無論敵人藏在哪裡,我們都會追擊。」螢幕右側,在轟炸機飛出畫面之處,擺放著一座展示模型——燒焦的塔樓,其頂部爆炸場景正是電影《魔鬼剋星》(Ghostbusters)結尾的鏡頭之一。
(布勒東初識瓦謝是在1916年的軍方精神病院,當時布勒東是實習醫生,瓦謝是病人。其他病人中,有一人堅信所謂的「戰爭」不過是模擬場景;砲彈是道具,傷口是化妝;死者是從醫學院解剖台上帶來的屍體,趁夜散佈在假的「戰場」上。)美軍轟炸機由畫面左側飛向右側,如同西方的閱讀方向。而在書區翻閱時,我又看到一部漫畫,開頭描繪的是日本轟炸機自右向左起飛。它們先摧毀珍珠港,然後轟炸美國本土。接著,日本士兵踢破美國住家的大門。一戶家庭——男子、女子與一名幼童——蜷縮在客廳中,被士兵襲擊。男子遭殺害。士兵開始撕扯女人衣服,孩子哭喊。一名日本軍官抓起孩子的腳踝,以一個橫跨雙頁的弧線將他甩向牆壁。孩子的臉部從頭顱撕裂開來,飛越畫面,拖出一道墨筆揮灑般的筆觸,讓人聯想到禪宗書法。接下來半頁畫面中,女人遭輪暴(其哀號以英文呈現),最後士兵們聚集起來,坐在倒塌自由女神像的伸展手臂上合照。下一頁,也是最終頁,我們看到裕仁天皇騎馬現身。有人說,東京之所以安全,是因為所有暴力都被收納於這些漫畫中。
布勒東在《超現實主義第二宣言》中曾寫道:「最單純的超現實主義行動,就是手持左輪手槍,走到街頭,盡你所能隨機射擊群眾。」如今,這樣的行為雖然不常見,卻也成為日常生活中的一種現象。有評論指出,第二次世界大戰的爆發令超現實主義失效,因為現實世界的暴力早已超越藝術所能預見。(盟軍登陸時,超現實主義攝影師李・米勒(Lee Miller)遊走於滿目瘡痍的街道,每扇門像是通往駭人而奇幻的風景。有次她不慎踩到一隻人手,撿起後憤怒地將其拋向街道。)但人們往往忘了,超現實主義始於第一次世界大戰,其戰間期的重要使命之一,正是將日常生活中的恐懼與失落加以昇華——轉化為幻想,特別是在性愛的範疇中。
在街頭,人群偶爾會突然分開,使人瞥見某個身影、某張臉,但那一瞬即逝,卻觸動了情慾神經。班雅明稱之為「最後一瞥的愛情(Love at last sight)」。百貨公司則提供這一現象的變體:透過那些輕薄帷幕圍成的小空間,女性離開觀眾群,成為被觀看的對象——不僅為了自己與其他女性目光的觀賞,也為那因帷幕掀開而勾引來的非法凝視所設(羅蘭・巴特曾問:「身體上最具情慾性的部分,不正是衣物掀開之處嗎?」)。我匆匆轉移視線;某些光線在鏡面空間內反射、延遲,在我視網膜上形成混亂(與其說是超現實,不如說更像立體主義),只能依靠記憶,在其中提取出一段熟悉的、被愛的身體片段。班雅明在論述超現實主義的文章中寫道:「在秘儀式的愛情中,女人本身並不重要。布勒東亦如此。他與娜佳(Nadja)親近的,不是娜佳本人,而是娜佳身邊的事物。」我們可以將這種「秘儀愛」以臨床術語命名——「戀物癖(fetishism)」。百貨公司,作為商品戀物的神殿,也召喚著��洛伊德所言的戀物心理。男性漫遊者(flâneur)若欲前往正當之地,勢必得穿越洋裝海洋與香水濃霧的沙漠。他別無選擇,只能進入這些禁忌之地。他的藉口天衣無縫,而內心的罪惡快感則無可迴避。當他在衣架間無意識地翻看服飾時,或許以為自己在為情人挑選禮物,但同時他也正盲目地觸摸著母親的身體。某刻我在西武感到口渴,找到了飲水機,其透明上層水流覆蓋著石礫——彷彿是一段溪流被切割下來,擺放於展示台上的自然部件。
在街道層,有一家以廢墟為造型的酒吧(採用「後末日建築」風格),其立面突出一段飛機機翼,下懸的引擎艙象徵性地讓人聯想到曾夷平越南的 B-52 轟炸機。在奈傑爾・柯茲(Nigel Coates)設計的 Café Bongo 中,「內部空間」衝破與「外部空間」之間的脆弱邊界。在同一個六本木(Roppongi)地區,為時裝設計師安傑洛・塔拉齊(Angelo Tarlazzi)設計店鋪的建築師八束一(Hajime Yatsuka)曾說,他將��棟建築構思為城市的「內部」。班雅明曾評論:「對於漫遊者(flâneur)而言,街道就是他的住所;他在房屋立面間的感受,猶如市民置身於四面牆內一樣自在。」百貨公司已成為那些從榻榻米小房間逃出的富裕難民的共同居所,他們在地鐵裡入睡。在城市各處,人們沉睡的景象隨處可見。男性躺在西武百貨各樓層扶梯轉折處旁的寬大沙發上,看似專為此而設(否則用途為何?),進入沉睡。
在這家百貨公司底下的有樂町地鐵站內,年輕的女性上班族也入睡著。她們從城市邊緣通勤,來回奔波於狹窄的住處與辦公地點,週末則重返澀谷、銀座、池袋,或其他西武分店。她們購買的是三宅一生(Issey Miyake)、Comme des Garçons 等品牌的服飾,而這些品牌對歐美的同齡女性來說幾乎遙不可及。從她們狹小房間出發,搭乘約一個半小時的列車,度過一天如遊蕩者般的生活,徘徊於西武那奢華至極的空間——這些空間透過無所不在的環境影像,開啟通往無限空間的通道。作為來自英國北部工人階級家庭的流離者,我想起了那位較富裕的姑媽家中的「前廳」(frontroom)。那是一間擦得發亮、充滿蠟香的房間,平時封閉,只在打掃或有訪客來時才會開啟。來客可以看,但不能碰,只能站在敞開的門前觀看,而不能踏入其中(這間「起居室」沒人坐,這間「客廳」裡也無人交談)。這房間彷彿是一個全息投影的模擬空間,只為提供心理上的額外生活空間,如同西武百貨所帶來的慰藉一般。在西武百貨,正如其西方對應對象(至少在這方面),家具部就如同無數富人家庭的前廳;彷彿從其原始情境中抽離,再「傳送」到這座城市的樓層中——這座由無數「前廳」構成的城市,雖然沒有牆壁,卻以內部街道相互隔開,主要用途就是用來閒逛(flânerie)。
尚–盧・高達(Jean-Luc Godard)曾表示過這樣的想法:既然任何東西都可以被拍進電影,那就所有東西都應該被拍進電影。比起電影,西武百貨更是一場由異質集體所創作的組合展——包括買手、租戶精品店業者、駐場視覺藝術家、圖書管理員、旅行社人員等。這裡沒有「作者控制」或「敘事封閉」的概念(因此也不需要布勒東與瓦謝式的逃避);其組織原則早已是非整體的、務實的、機會導向的。在某種程度上,這場組合也可視為一種整體,由此構成的過程類似於超現實主義者的集體書寫實踐。
西武百貨是超現實主義於後現代階段的作品,一件無盡變奏的作品,由遊蕩者(flâneur)「自動書寫」而成,其對於商品的興趣與對所處空間的興趣無高下之分。(班雅明有句格言:「建築是在分心狀態中被欣賞的。」)
在日本,想看一場重要的藝術展覽,你有很大機率會在百貨公司,而不是美術館看到它。當西武百貨展出尚・杜布菲(Jean Dubuffet)的作品時,東京上野公園內的東京都美術館也於1988年4月開展名為《1920年代的日本》的展覽。我在那裡得知,1923年摧毀東京的關東大地震,被視為日本「機械時代」藝術的開端。布勒東的《超現實主義宣言》與《超現實主義革命》首期,也是在1924年的巴黎發表。在東京都美術館,我發現大量機械美學影響的證據,特別是包浩斯(Bauhaus)對視覺藝術——攝影、繪畫、建築、工業設計、電影、劇場設計、時尚等的深遠影響。同時也能看出德國表現主義的廣泛影響,尤其在劇場與電影領域;而隨著1920年代結束,愈來愈多政治啟發下的「寫實主義」創作開始盛行。然而我幾乎找不到任何關於超現實主義的明確跡象。並沒有理由認為當時的日本在1920年代對於超現實主義的了解會比其他歐洲美學運動來得少。1970年,瀧口修造(Shūzō Takiguchi)——在布勒東與艾呂雅所編的《簡明超現實主義辭典》中被列為「超現實主義作家」——曾寫道:「在日本,從未出現過像法國那樣的超現實主義團體。」我無法判斷超現實主義在戰間期或今日的日本意味著什麼,也無從推測它未能代表什麼;我確定的是,它的意義絕對與我自己的理解不同。許多超現實主義研究者認為,這場運動的編年史應該終結於1968年五月事件。而就在同一年,一個法國電視台團隊前往東京郊區採訪三島由紀夫。他是傳統價值的擁護者(兩年後,他將以近乎完美的切腹行動實踐他的理念),當時他住在一間宛如法國蔚藍海岸別墅的宅邸中。一樓以十八世紀法國風格裝潢,而樓上則採用現代國際風格設計。三島說道:「在這裡,只有看不見的部分才是日本的。」
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yu-en · 9 months ago
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uihy
自室の記録
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5年前からルームシェアをしているSと一緒に引越しをしてから、3年が経った。寝室をSが、リビングを私が自室としている。私の部屋の正面には大きな窓があり、左右にもそれぞれ小窓がある。
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小窓1
装身具類の置き場所。ピアスを置いている鳥のレモン絞り器は、Fさんから貰ったもの。Fさんはよく動物のものをくれる。犬の形をした栓抜きや、野営をするくまの置物も彼からのプレゼントだった。
カートリッジインクの空き容器には、ヘアピンやネックレスを入れている。私の父は吸引式の万年筆を好んでいて、父から贈られたペンもインク瓶とセットのものが多かった。実家を出て外にいる時間が増えてからは、インクを切らすことが怖く、自然と替えのインクを持ち運べるカートリッジ式の万年筆を使うようになった。それからしばらく経ち、1年前にプログラマを辞めたことを手紙で報告すると、その数日後に「励まし」とボールペンが送られてきた。以降ずっとそのペンを使っているから、手持ちの万年筆はどれもインクを抜いてある。
よく付けるピアスは窓の縁に置いていて、どこかの喫茶店で使われていたらしい伝票入れには、硝子のオーナメントやトライアングルのビーターを差している。
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Hのくれたトライアングル本体は、腕時計とブレスレットを失くさないための場所として機能している。良くない使い方だと罪悪感を覚えてはクロスで磨いている。
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小窓2
『陶の家』を見かけたらひとつ買うというのを続けていて、現時点で3軒が建っている。少しずつ街になっていく。家の奥には、ミナペルホネンの好きなQさんにプレゼントしたものと色違いのタイルを置いている。
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小窓3
すぐぼろぼろにしてしまう指先のケア用品を置いている。H先輩に貰ったネイルオイルの磨硝子が好きだった。Fさんが動物をくれるように、この人は硝子をよくプレゼントしてくれる。硝子のオーナメントも、ステンドグラスのくまもH先輩から貰っている。
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窓を開閉するハンドル(オペレーターハンドルというらしい)に紐をかけて、ケーブルや電源類をまとめている。先日Eから貰った白いカールコードのシールドもここに下げている。黒い服ばかり着ているのに、Eには乳白色のイメージがある。“誤って人間として産まれてしまった天使”だと感じさせる人と知り合うことが何度かあり、Eもその中のひとりだった。
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向かって左には仕事用のシャツ、右には外套を何着か掛けている。秋冬用の服ばかりある。
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ここに越すことが決まってから最初に選んだ家具。プログラマになったばかりの頃、メモリの重要さを机の広さに喩えて教えられた。それで机は広いほど良いものだと認識したのか、気付けば横幅のある机ばかり探していた。天板の色を緑に決めて、部屋の軸に据えた。
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職場で割ってしまったマグカップに無線イヤホンや保湿クリームを入れている。シャツを濡らしたまま破片を持つ私を見て、笑ってくれる会社の人たち。これ以上は無いとよく思う。
ヘアクリップ入れにしている、ままごと用のような小さな花瓶も気に入っている。渋谷の蚤の市で友人へのプレゼントを選んでから、度々その人の店でものを買うようになった。銀色のトレイやハート型の赤い缶もその人から買った。
銀色の電源タップは前の部屋から持ってきたもの。あらゆる電子機器の電力をここから供給している。
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ギターをくれた友人たちが別の年の誕生日に合同出資してくれたオーディオインターフェースがモニターの下にある。未だに1-2と3-4の入力を同時にする方法が分からず、2つずつ付け替えながら使っている。これを貰ってからAudacityで曲を作り始めて、今もそのやり方をしている。会社の先輩には「システムを0と1だけで作ろうとしているみたいなものだよ」と言われたけれど、その頓馬さを含めて自分に馴染むので、Audacityをずっと使っている。キーボードがちょうど上に乗る。
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モニターの横にはmicroKORGを置いている。普段は誕生日に贈り物をしないと取り決めているSだけれど、数年前に何かで手を貸した際「この恩は倍にして返します」と言い、その年の誕生日にmicroKORGをプレゼントしてくれた。このシンセサイザが部屋に来てから、自分の生活が向かうことのできる方角が増えたように感じている。大切な楽器。
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microKORGには、新しい部屋で出した『野良の花壇』のマグネットを付けている。本来は冷蔵庫のために作られたマグネットだけれど、皆とスタジオにいる時にあって欲しく、ここに付けている。プリクラで来られなかった友達の似顔絵を描くような感覚。私の黒い冷蔵庫には、ピーター・ドイグの青鬼の絵と油絵の花のマグネットだけがある。
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机の下に、PC・トランクケース・スーツケースを置いている。PCはSのお下がりで、MacBookしか使ったことのなかった当時の私は、こんなに大きな箱がPCだなんて、と思っていた。PCの上に付けたアンテナは狐の顔のような形をしている。
トランクケースは大学2年のころ大枚をはたいて手に入れたもの。どこか遠出をする時はこれに荷物を詰めている。畳み終えた洗濯物をSの部屋へ運ぶ時のかごや、ギターを弾く時の足置きとしても使用。頑丈さに安心する。
スーツケースはついこの間、京都に長く滞在するために買った。銀色の次に、灰がかった青が好きだと思う。
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ギター・くま・本棚
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ギターは高校時代の友人たちが誕生日にくれたもの。19歳になったばかりの頃、当時の交際相手と出掛けた帰り、気が付いたら楽器屋にいた。ギターを2本持ったその人に「どっちがいい」と訊かれ、指差した方を買ってくれた。私にギターを与え、弾き方を教えてくれたことにずっと感謝している。その人と別れてしばらく経ち、誕生祝いに何が欲しいかを訊かれ、ギターを頼んだのだった。友人たちは「あえて白にしてみた」と笑っていた。今思えば、このギターを貰ってから白を自分のものにすることへの抵抗が弱くなった。ギターの届いた日、触っているのが楽しくて大学を休んだのを覚えている。
YAMAHAのアンプは義兄が使っているのを見て購入した。私が真似をしていると知って嬉しそうだった、と姉から教えてもらった。
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左端のくまは、元は白だったのだけれど、深い青のシーツで眠るのに付き合わせたせいで黝くなってしまった。Kの小説に「ヤニや涎で汚れてしまったのかしら」と書かれてからは、布で包んでいる。いつかぬいぐるみ病院に連れて行きたい。隣は一度も会ったことのない人が贈ってくれた黒いくまと、高校時代の交際相手が留学先のお土産として連れてきてくれた焦げ茶のくま。誰かとビデオ通話をする時にはよくパペットのくまに代理出席してもらっている。右は、地元や旅先の雑貨屋で見つけて連れてきてしまった(“しまった”という意識がずっとある)小麦と白のくま。グレーのワゴンに小さなギャッペを敷いて、くまたちの場所としている。
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低い本棚の上
蓋のない宝箱。小物たちというより、質量のある記憶群という方が実感に近い。
西荻窪にあった喫茶店の閉業を知って沈んでいると、H先輩が「お店で使っていた品物を販売しているみたいです」と教えてくれた。黒い花瓶のあるおかげで、ずっとその店を忘れずにいられる。今はEのくれた竹とんぼや、Aさんのくれた花を入れている。ポストカードをしまっておける箱のついた額縁には、Aの写真を入れている。過去、「__の写真を写真展に出してもいいですか?」と、もう搬入の終わった状態で確認の連絡が来たことがあった。Aがごく稀に見せる、こういった強引さが大好きだった。展示を了承する代わりに譲ってもらったその時の写真たちは、勾配天井の部屋に暮らしていた時に飾っていた。上京してから借りたどの部屋にもAの写真を飾っている。そのほか、江の島で拾った石や、Tさんがライブ終わりに嵌めてくれた指環、Uさんと行った犬吠埼のイルカの置物、書ききれないほどの誰かと紐付いた宝物がある。
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声の依頼を受けた際、お礼にといただいた絵。額装までしてくれていた。元々この人の絵が好きだったので大喜びした。一度この絵を裏返さなければいけない時期があったので、また飾ることができて嬉しかった。
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高い本棚の上
小さなギターは、Kさんと一緒にRさんの部屋でパーティをした日、中古のおもちゃ屋で買ったもの。Rさんの部屋に戻った後もご機嫌に鳴らしていて、そのあと火事が起きた。カセットコンロの火がテーブルクロスに引火して、火が早送りのように広がっていくのを見た。三人で死ぬ映像がちらついた、次の瞬間には火が消えていて、振り向くと花瓶を持って息を切らしたRさんが立っていた。チューリップを活けていた水での消火。このおもちゃが生き延びた証明になっている。このあいだのアルバムに入れたフィールドレコーディング曲にはその日の日付が付けられていて、火のはじける音やこのおもちゃギターの音が入っていた。volca keysは初めて触ったシンセサイザ。自分ひとりである程度のことができるようになりたくて、リズムマシンとマルチエフェクターを買った。
銀色のバットはひとつ前に住んでいた部屋の近くにあった台所道具の店で買ったもので、前日と翌日のあいだの時間に携帯品を置いておく場所として使っている。
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Artekのスツール60を、椅子やベッドサイドテーブルとして使っている。パーティめいたことをする時には、3脚くっつけて大きなテーブルとして使う。雑貨屋でまとめて購入したので、その日で店のポイントカードが1枚分溜まった。そのカードをイッタラのキャンドルホルダーと交換してもらった。
銀色のトレイは、先述の蚤の市で知った店で買ったもの。部屋のポケットとして使っている。
“拯”の字は、精神がどうしようもなく落ちていた今年の始めに、Uさんが「書初めをしよう」と言って筆を持たせてくれたもの。翌月にまた京都を訪れた際に、国際会館のカフェスペースで焼き上がったものを渡してくれた。頭でばかり考えてはすぐに身体と疎通できなくなる私に、四肢のあることを思い出させてくれる友人。
本の上には気休めの紙魚対策として除湿剤と防虫剤を置いている。
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小窓4
Fさんからの犬の栓抜きと、Hに貰ったコンクリートの置物、H先輩が分けてくれた犬の箸置き。母の好きなミニチュアを贈る際、色違いのチューリップを自分にもひとつ購入して、端に置いている。自分のために生きた花を買えない反動か、花のモチーフのものを見かけると嬉しくてつい手が伸びる。
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キッチン
私の洗面台を兼ねている。私もSも、料理と呼べるような自炊は殆どしないので、調味料や調理器具が少なく、キッチンの収納部にはそれぞれの私物が仕舞われている。
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Mさんが引越し祝いに買ってくれたカセットコンロ。パンを焼く時やカフェオレを淹れる時に使う。組み立てる際の動作がロボットアニメのワンシーンを思い出させるので、人前で使う時には「変身!」と言うようにしている。
隣の空き瓶は元々ジンの入っていたもので、誰かに花をいただいた時には一旦ここに活けている。
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この部屋に越した時にIがプレゼントしてくれたローズマリーの石鹸の匂いが好きで、貰った分を使い切ってからも自分で買い直している。歯磨き粉はGUM以外だと落ち着かないので旅行先にも持っていく。歯ブラシはKENTのもので、最初に使ったあとの歯の滑らかさに感動して、誰かに共感してほしいあまりSに押し売りをした。それからSも同じものを使っているので、それぞれのストックも合わせると10本近くこの歯ブラシがある。右端はリングホルダー。左手の薬指に環を嵌めるようになってから、指環が好きになった。今は5本の指環を付けている。
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食器棚
H先輩のくれたくまを吊るしている。緑の石鹸はMさんのスペイン土産。ここに写っている鉄鍋も鉄フライパンも、写っていない3本の包丁も2枚のお盆も貰いもの。
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ソファ
机の天板に合わせて布を選んだ、三人掛けのソファ。毎日ここで眠っている。Sの部屋にある質の良いベッドよりも、薄いマットレスを敷いたソファの方がよく眠れる。枕に近い小窓のハンドルにエジソンランプを括りつけて、普段はその光で睡眠薬が効くまでを過ごしている。
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部屋のすぐ向かいには線路があり、3面の窓から電車の通る音や光が流れる。最終電車の後は、スケートボードの走る音や、酔った誰かの歌が聞こえる。この部屋で生活をしている。
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fangzhouzi · 9 months ago
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哈里斯副总统的人生轨迹
  卡玛拉·哈里斯有一个中文名字叫贺锦丽,这是她当初竞选旧金山地区检察官时,为了在旧金山唐人街的华人中拉票,她的团队给她起的中文名字。她本人不懂中文,跟中国和华人也没有任何关系,而且“贺锦丽”也起得莫名其妙,跟她的名字没有相似性。所以,没有必要把她叫做“贺锦丽”,直接叫她卡玛拉·哈里斯好了。
  哈里斯的外祖父是印度公务员。印度还是英国的殖民地时,他当了一名速记员,后来一步一步往上爬。哈里斯的母亲从小就喜欢科学,想当科学家,但当时的印度歧视女性,女孩子没法学科学。她母亲上的是德里大学的女子学院,唯一一门科学的专业叫做“家政科学”,她学的就是那个专业。毕业之后没法在科学领域深造,她就自己申请去伯克利读研究生,居然被伯克利录取了。哈里斯妈妈的父母拿出了退休的积蓄,支付她的路费和第一年的学费。她于1958年到伯克利读研究生,读的是内分泌学。
  到了伯克利,哈里斯的妈妈加入了一个黑人民权组织,投身于黑人民权运动。那个组织本来只允许黑人加入,但哈里斯的妈妈是印度人,肤色比较深,所以也把她接收进去。她在黑人民权组织认识了哈里斯的爸爸唐纳德·哈里斯。唐纳德·哈里斯是牙买加的黑人,牙买加以前是英国的殖民地,按惯例,他大学毕业后要深造就要去英国读研究生。但是唐纳德·哈里斯不愿意去殖民者国家,自己申请读伯克利的经济学博士。他比哈里斯妈妈晚两年,1960年才到伯克利,也参加了黑人的民权运动,两人因此认识。
  他们于1962年结婚。哈里斯妈妈1964年先取得博士学位,同时生下了卡玛拉·哈里斯。唐纳德·哈里斯1966年获得博士学位,比哈里斯的妈妈晚了两年,哈里斯的妈妈那两年就在伯克利做研究。唐纳德·哈里斯毕业后,先去了伊利诺伊大学香槟分校(UIUC)做助理教授,然后又去威斯康星大学当副教授。哈里斯的妈妈跟着哈里斯的爸爸去UIUC、威斯康星大学做研究。在威斯康星,两个人闹翻了。哈里斯6岁时,她妈妈带着她和妹妹又回到了伯克利,第二年跟她爸爸离婚。她爸爸后来去斯坦福大学当教授,是斯坦福经济系的第一个黑人教授。
  爸妈离婚之后,哈里斯和妹妹跟着她妈妈,跟他爸基本上没啥往来。她妈妈按照培养黑人小孩来培养哈里斯姐妹,住在黑人社区,让她们信黑人中流行的浸礼宗基督教。跟她们关系比较好的都是一些黑人,包括以前一起搞黑人民权运动的兄弟姐妹。
  哈里斯12岁时,她妈妈在加拿大魁北克麦克吉尔大学附属医院找到一份研究工作,她们就搬去了魁北克。哈里斯的高中是在魁北克上的,她毕业后先在加拿大一个大学上了一年,转学霍华德大学。那是一个传统的黑人大学,是传统黑人大学中最好的,被叫做“黑人哈佛大学”。她毕业后回到旧金山,上加州大学的法学院。在这期间,她妈妈又回到伯克利,在劳伦斯伯克利国家实验室做研究。她一直研究乳腺癌,而且有开创性的贡献,2009年因结肠癌去世。哈里斯的妹妹比她小3岁,走的是另外一条路子。她读的是伯克利,之后在斯坦福大学法学院读法学博士,毕业后当了民权律师。她曾经当过美国民权同盟北加州分部的主任,现在是福特基金会的副主席。
  哈里斯上的法学院当时叫做加州大学哈斯丁斯法学院,因纪念加州最高法院的第一个首席大法官哈斯丁斯而得名。但后来发现哈斯丁斯有劣迹,所以法学院2023年改了名字,现在叫做加州大学旧金山法学院。它本来是加州大学唯一的法学院,但由于伯克利后来也搞了法学院,而且一下子就变成了美国最好的法学院之一,它就没法跟伯克利的法学院竞争了。所以旧金山法学院的培养目标就变成为加州培养公共服务法律人才为主,也就是培养加州的检察官、法官和公共辩护律师。加州很多州法官,包括加州最高法院的几个法官都是旧金山法学院毕业的。哈里斯上这个法学院的职业倾向很明确,就是毕业以后当检察官。
  她于1989年获得了法学博士,1990年通过律师资格考试,在旧金山当助理检察官,相当于当地检察官的助手,这是不需要选举的。2003年,她自己出来竞选旧金山的地区检察官并获胜。2010年,她参选加州检察长也赢了,2014年竞选连任成功。她当加州检察长期间办了不少大案,主要针对的都是大公司、大银行、野鸡大学、石油公司,其中最大、最著名的案子是起诉了几家大银行。这些大银行利用金融危机,通过非法手段把房主的房子收走。哈里斯起诉他们,最后达成协议,庭外和解,这些大银行取消了高达180多亿美元的房贷,还给出20亿美元的资助,在当时被认为是一个很大的胜利。
  2016年,哈里斯竞选代表加州的参议员并获胜。当参议员期间,她在听证会上表现出色,全国闻名。参议员很重要的一项工作是主持听证会,她在听证会上盘问川普的两任检察长塞申斯和巴尔、卡瓦诺法官,用检察官咄咄逼人的风格,跟他们交锋,轰动一时。在2019年,她觉得自己具有全国性的名声,出来竞选民主党总统候选人提名。因为大家都知道川普名声很臭,很容易打败,所以民主党有一大批人出来竞选总统。不过没多久,哈里斯就宣布退出竞选总统,但她在民主党党内初选的辩论上攻击拜登,是那次辩论会主要的亮点。后来拜登转败为胜,获得了民主党总统候选人提名,尽弃前嫌,邀请哈里斯当他的竞选搭档。
  上一次大选共和党就对哈里斯有很多人身攻击,现在又把这些翻出来,没有新意。对哈里斯的攻击主要有三点。第一点是说她喜欢大笑,不得体,不像一个女人。这种攻击当然很可笑,完全属于性歧视,根本不值一驳。
  第二点是说她靠“小三”上位。指的是她当助理检察官期间,曾经短暂地跟当时的加州众议院议长威利·布朗约会过。但布朗那时已经跟妻子分居12年了,分居后交女朋友、男朋友都很正常,既不违法也不违反道德。在公开场合比如晚会上,他们以男女朋友的身份出现,这就是为什么网上会有哈里斯跟布朗的合影。她打扮得很妖艳,就是因为出席晚会。这种交往完全公开,不是私通,更不是当什么“小三”。
  布朗有一个毛病,喜欢利用职权任命跟他关系比较好的人当政府某个监管委员会委员。所以哈里斯在跟他交往期间,曾离职暂时不当助理检察官,先后当过两个监管委员会的委员。现在的加州州长纽森当时也跟布朗关系很好,也当过这种监管委员会的委员。当监管委员会的委员有钱可赚,哈里斯算是在跟布朗交往期间捞过外快,但对她的职业发展没什么帮助,因为她走的是检察官这条道,而当检察官是要竞选的。她跟布朗的交往是1994、1995年的事,竞选旧金山的地区检察官是在2003年,他们已经分手很多年了。她竞选检察官时,布朗是旧金山的市长,虽然支持她,但最多也就是给她站站台。布朗喜欢吹嘘自己曾经帮助过很多现在的高官,比如现在的加州州长纽森,甚至佩罗西议长他也说帮助过。哈里斯后来竞选加州的检察长跟布朗更没关系,因为布朗的名声已经坏掉了,曾经被联邦调查局调查过他涉嫌滥用职权。
  对哈里斯的另外一个攻击是,说她促成了加州一个法案,盗窃金额低于950美元就无罪,导致加州犯罪率上升。这纯粹是一个谣言。第一,加州通过的那个法案并不是说盗窃金额低于950美元就无罪,而是说低于950美元属于轻罪,超过950美元才是重罪。轻罪并不是无罪,最高也可以判半年刑、处罚金1000美元。这个法案是2014年通过的,在那之前也有一个以盗窃金额区分轻罪还是重罪的门槛。1982年定的门槛是400美元,经过这么多年的通货膨胀,这个门槛本来就应该增加。不增加就会有很多盗窃犯变成重罪,导致监狱里人满为患。之所以要提高这个门槛,就是为了减少监狱里犯人的数量。并不是加州才有这样一个决定轻罪和重罪的金额门槛,其他州也有,而且很多州门槛比加州高。最高的是得克萨斯,门槛定在2500美元,比加州的950美元高多了。提高定重罪的门槛会不会导致犯罪率增加是有过研究的,研究认为没有导致犯罪率增加。第二,法律的制定跟哈里斯没关系,这个法律是选民们公投通过才变成法律的。哈里斯当时是州检察长,检察长是执法的,不是立法的,所以不能把法律的通过怪到她的头上。哈里斯当检察官和检察长的时候,由于执法很严厉,还遭到过批评。她在加州的政治立场只能算是中偏左,但在其他州看来就属于极左了。
  川粉对哈里斯的这些人身攻击,体现出来的是他们的种族主义、性歧视。为什么中文网对哈里斯有那么多的攻击呢?因为哈里斯身上的三大标签:女人、印度后裔、黑人,都是很多中国人瞧不上的。他们如此鄙视哈里斯,就是因为种族主义、性歧视。相反的,川普可以说是一个无恶不作的大恶人:在妻子怀孕期间跟淫秽片的女星通奸,长期跟一个模特私通,性侵、强奸、造假账。但因为他是老白男人,所以川粉对他宽容得很,认为他大不了是“犯了男人都会犯的错误”,对于哈里斯就极为苛刻。这是非常卑贱的。
  2024.07.24录制
  2024.08.14整理
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