#四万十川の日
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今回の報告書で「消滅可能性自治体」とされた自治体は、以下の通り。 【北海道】 函館市、小樽市、釧���市、夕張市、岩見沢市、網走市、留萌市、稚内市、美唄市、芦別市、赤平市、紋別市、士別市、三笠市、根室市、砂川市、歌志内市、深川市、富良野市、登別市、伊達市、北斗市、当別町、新篠津村、松前町、福島町、知内町、木古内町、鹿部町、森町、八雲町、長万部町、江差町、上ノ国町、厚沢部町、乙部町、奥尻町、今金町、せたな町、島牧村、寿都町、黒松内町、京極町、共和町、岩内町、泊村、神恵内村、、積丹町、古平町、余市町、赤井川村、南幌町、奈井江町、上砂川町、由仁町、長沼町、栗山町、月形町、妹背牛町、雨竜町、北竜町、沼田町、当麻町、比布町、愛別町、上川町、上富良野町、和寒町、剣淵町、美深町、音威子府村、幌加内町、増毛町、小平町、苫前町、羽幌町、遠別町、浜頓別町、中頓別町、枝幸町、豊富町、利尻町、美幌町、津別町、清里町、小清水町、訓子府町、佐呂間町、遠軽町、湧別町、滝上町、西興部村、雄武町、大空町、豊浦町、白老町、洞爺湖町、むかわ町、日高町、平取町、浦河町、様似町、えりも町、新ひだか町、士幌町、広尾町、池田町、豊頃町、本別町、浦幌町、釧路町、厚岸町、浜中町、標茶町、弟子屈町、白糠町、羅臼町 【青森県】 青森市、弘前市、八戸市、黒石市、五所川原市、十和田市、むつ市、つがる市、平川市、平内町、今別町、蓬田村、外ヶ浜町、鰺ヶ沢町、深浦町、藤崎町、大鰐町、板柳町、鶴田町、中泊町、野辺地町、七戸町、横浜町、東北町、六ヶ所村、大間町、東通村、風間浦村、佐井村、三戸町、五戸町、田子町、南部町、階上町、新郷村 【岩手県】 宮古市、大船渡市、久慈市、遠野市、一関市、陸前高田市、釜石市、二戸市、八幡平市、奥州市、雫石町、葛巻町、岩手町、西和賀町、平泉町、住田町、大槌町、山田町、岩泉町、田野畑村、普代村、軽米町、野田村、九戸村、洋野町、一戸町 【宮城県】 石巻市、気仙沼市、白石市、角田市、登米市、栗原市、蔵王町、七ヶ宿町、村田町、川崎町、丸森町、松島町、七ヶ浜町、大郷町、色麻町、加美町、涌谷町、女川町、南三陸町 【秋田県】 能代市、横手市、大館市、男鹿市、湯沢市、鹿角市、由利本荘市、潟上市、大仙市、北秋田市、にかほ市、仙北市、小坂町、上小阿仁村、藤里町、三種町、八峰町、五城目町、八郎潟町、井川町、大潟村、美郷町、羽後町、東成瀬村 【山形県】 鶴岡市、酒田市、新庄市、上山市、村山市、長井市、尾花沢市、山辺町、中山町、河北町、西川町、朝日町、大江町、大石田町、金山町、最上町、舟形町、真室川町、大蔵村、鮭川村、戸沢村、高畠町、川西町、小国町、白鷹町、飯豊町、庄内町、遊佐町 【福島県】 会津若松市、白河市、喜多方市、二本松市、田村市、伊達市、桑折町、国見町、川俣町、天栄村、下郷町、檜枝岐村、只見町、南会津町、北塩原村、西会津町、猪苗代町、会津坂下町、三島町、金山町、会津美里町、泉崎村、棚倉町、矢祭町、塙町、鮫川村、石川町、玉川村、平田村、浅川町、古殿町、三春町、小野町 【茨城県】 日立市、常陸太田市、高萩市、北茨城市、潮来市、常陸大宮市、稲敷市、桜川市、行方市、鉾田市、城里町、大子町、美浦村、河内町、八千代町、五霞町、利根町 【栃木県】 日光市、矢板市、那須烏山市、益子町、茂木町、市貝町、塩谷町、那珂川町、 【群馬県】 桐生市、沼田市、渋川市、藤岡市、富岡市、安中市、上野村、神流町、下仁田町、南牧村、甘楽町、中之条町、長野原町、嬬恋村、草津町、東吾妻町、片品村、みなかみ町、玉村町、板倉町 【埼玉県】 行田市、秩父市、越生町、小川町、川島町、吉見町、鳩山町、ときがわ町、横瀬町、皆野町、長瀞町、小鹿野町、東秩父村、神川町、寄居町、松伏町 【千葉県】 銚子市、勝浦市、富津市、八街市、南房総市、匝瑳市、香取市、山武市、いすみ市、栄町、神崎町、多古町、東庄町、九十九里町、芝山町、横芝光町、白子町、長柄町、長南町、大多喜町、御宿町、鋸南町 【東京都】 檜原村、奥多摩町 【神奈川県】 三浦市、中井町、山北町、箱根町、真鶴町、湯河原町 【新潟県】 小千谷市、加茂市、十日町市、村上市、糸魚川市、妙高市、五泉市、阿賀野市、佐渡市、魚沼市、胎内市、田上町、阿賀町、出雲崎町、湯沢町、津南町、関川村、粟島浦村 【富山県】 氷見市、南砺市、上市町、入善町、朝日町 【石川県】 七尾市、輪島市、珠洲市、加賀市、羽咋市、志賀町、宝達志水町、穴水町、能登町、 【福井県】 大野市、勝山市、あわら市、池田町、南越前町、越前町、高浜町、若狭町 【山梨県】 都留市、大月市、韮崎市、上野原市、甲州市、早川町、身延町、南部町、富士川町、道志村、西桂町 【長野県】 大町市、飯山市、小海町、佐久穂町、立科町、長和町、阿南町、阿智村、平谷村、天龍村、上松町、南木曽町、王滝村、大桑村、木曽町、生坂村、筑北村、小谷村、坂城町、高山村、山ノ内町、木島平村、信濃町、小川村、飯綱町、栄村 【岐阜県】 美濃市、瑞浪市、恵那市、山県市、飛騨市、郡上市、下呂市、海津市、養老町、関ケ原町、揖斐川町、池田町、七宗町、八百津町、白川町、東白川村 【静岡県】 熱海市、下田市、伊豆市、御前崎市、牧之原市、東伊豆町、松崎町、西伊豆町、川根本町 【愛知県】 津島市、新城市、南知多町、美浜町、設楽町、東栄町、豊根村 【三重県】 尾鷲市、鳥羽市、熊野市、志摩市、木曽岬町、大台町、度会町、大紀町、南伊勢町、紀北町、御浜町、紀宝町 【滋賀県】 高島市、甲良町 【京都府】 宮津市、京丹後市、井手町、宇治田原町、笠置町、和束町、南山城村、京丹波町、与謝野町 【大阪府】 富田林市、河内長野市、柏原市、門真市、泉南市、阪南市、豊能町、能勢町、岬町、太子町、河南町、千早赤阪村 【兵庫県】 洲本市、西脇市、加西市、養父市、朝来市、宍粟市、多可町、市川町、神河町、上郡町、佐用町、香美町、新温泉町 【奈良県】 大和高田市、五條市、御所市、宇陀市、山添村、安堵町、三宅町、曽爾村、御杖村、高取町、上牧町、河合町、吉野町、大淀町、下市町、黒滝村、野迫川村、十津川村、下北山村、上北山村、川上村、東吉野村 【和歌山県】 海南市、橋本市、有田市、御坊市、田辺市、新宮市、紀の川市、紀美野町、かつらぎ町、九度山町、高野町、湯浅町、広川町、美浜町、由良町、みなべ町、日高川町、白浜町、すさみ町、那智勝浦町、太地町、古座川町、串本町 【鳥取県】 岩美町、若桜町、智頭町、八頭町、大山町、日南町、日野町、江府町 【島根県】 雲南市、奥出雲町、津和野町、隠岐の島町 【岡山県】 玉野市、笠岡市、井原市、高梁市、新見市、備前市、真庭市、美作市、久米南町、吉備中央町 【広島県】 竹原市、府中市、安芸高田市、江田島市、安芸太田町、神石高原町 【山口県】 萩市、長門市、美祢市、周防大島町、上関町、田布施町、平生町、阿武町 【徳島県】 鳴門市、小松島市、吉野川市、阿波市、美馬市、三好市、勝浦町、佐那河内村、神山町、那賀町、牟岐町、美波町、海陽町、上板町、つるぎ町、東みよし町 【香川県】 さぬき市、東かがわ市、土庄町、琴平町 【愛媛県】 宇和島市、八幡浜市、大洲市、四国中央市、西予市、上島町、久万高原町、内子町、伊方町、松野町、鬼北町、愛南町 【高知県】 室戸市、安芸市、須崎市、宿毛市、土佐清水市、四万十市、東洋町、奈半利町、田野町、安田町、北川村、本山町、大豊町、いの町、仁淀川町、中土佐町、佐川町、越知町、檮原町、日高村、津野町、四万十町、大月町、三原村、黒潮町 【福岡県】 嘉麻市、小竹町、鞍手町、東峰村、添田町、川崎町、みやこ町、築上町 【佐賀県】 多久市、玄海町、大町町、白石町、太良町 【長���県】 平戸市、松浦市、対馬市、壱岐市、五島市、西海市、雲仙市、南島原市、東彼杵町、小値賀町、新上五島町 【熊本県】 水俣市、上天草市、天草市、美里町、和水町、小国町、産山村、高森町、山都町、氷川町、芦北町、津奈木町、多良木町、湯前町、相良村、山江村、球磨村、苓北町 【大分県】 佐伯市、臼杵市、津久見市、竹田市、杵築市、豊後大野市、国東市、姫島村、九重町、玖珠町 【宮崎県】 串間市、えびの市、高原町、国富町、諸塚村、椎葉村、美郷町、高千穂町、日之影町 【鹿児島県】 枕崎市、阿久根市、西之表市、垂水市、曽於市、南九州市、三島村、さつま町、湧水町、錦江町、南大隅町、肝付町、大和村、喜界町、天城町
【全744自治体リスト】「消滅可能性自治体」を一挙公開…北海道から鹿児島まで 出産年代の女性人口が半数以下に 日光市や草津町も |FNNプライムオンライン
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日本SFの歴史/第14回日本SF大会のテーマ「SFの浸透と拡散」
筒井康隆はこうした状況を敏感にとらえ、1975年、神戸で開催した第14回日本SF大会のテーマを「SFの浸透と拡散」とした。「浸透と拡散」はこれから後の日本SFをとらえるキイワードとなる。 ちょうどこの時期、出版界も変貌しつつあった。映画、テレビ、出版といういくつものメディアを使って大量動員、大量消費を促す、いわゆる「角川商法」が登場したのだ。日本人向けに変質したSFは、出版社の期待するマス・セールスにこたえう��ジャンルと目されるようになってゆく。
HISTORY OF JAPANESE SF01
80年代に入って、世の中は一時、不況にあえぐようになったが、SFのブームはさらに続いた。映画でいえば、81年『レイダーズ/失われたアーク』、82年『��.T.』、83年『スター・ウォーズ/ジェダイの復讐』、84年『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』、85年『バック・トゥ・ザ・フューチャー』といったヒット作が連続したし、ゲームセンターの登場、パソコンの普及、科学雑誌の創刊ラッシュ、85年のつくば科学万博開催などで、人々の目が科学に向いたことも、ブームを持続させる背景となった。 SF作家たちにとっては、書きたいものを書ける恵まれた状況だった。この時期の日本SFは、あらゆる方向に向けてその可能性を追求したといえそうだ。 だが、逆にいえば、これは「日本SF」とひとことでまとめてしまえるような実体が消失してゆくことにもつながった。読者対象を広げ、軽いエンターテイメントから噛みごたえのあるハードSF、あるいは前衛文学的な実験小説まで、さまざまな様相を見せる作品群を、SFという言葉で一括りするのは不可能になった。「浸透と拡散」が進み、行き着いた果ては、日本SFの雲散霧消という事態が待ち受けていたのだ。 その結果、当然のことながら、SFブームなどというものも、どこかへ消えてゆくことになる。1980年代は、そんなふうな時代だった。そして、1990年代は日本SFというジャンルが見えなくなった状態で経過していきつつある けれども、念のためにいっておかなければならないのだが、「日本SF」とひとことで呼べるようなジャンルはなくなったとしても、SF作品そのものがなくなったりすることはない。SF作品は、これまでの分類や体系を越え、あらゆるところで書かれているのだ。 たとえば伝統的な「純文学」の流れの中に出現したSFがある。 もともと安部公房の『第四間氷期』や三島由紀夫の『美しい星』など、純文学作家の書くSFがなかったわけではない。しかし、日本の伝統的文学はSFの存在をまるで無視していた。文学の扱う素材は過去から、せいぜい現代までで、未来のものであるSFは意味がないと考えていたのかもしれない。 硬直した文学観打破のきっかけとなったのは、ラテン・アメリカ文学の紹介だった。世界文学の中でもっとも先進的であるとされたそれは、凝り固まったリアリズムとは無縁のものだった。さらに同時期に紹介されたイギリスのウィリアム・ゴールディングやアメリカのカート・ヴォネガットの国際的評価の高さもあったのだろう。前者はノーベル文学賞を受賞し、後者も候補として名があげられたが、どちらも主要な作品は純然たるSFといってさしつかえない。 こうした情勢と呼応するかたちで、日本文化の現状に強い違和感を抱く村上龍が80年、『コインロッカー・ベイビーズ』を発表。同年には、アメリカ現代文学の洗礼を受けた村上春樹がデビュー、SFと文学の垣根を無視した活躍を始める。ベテラン作家の大江健三郎、井上ひさし、日野啓三らも古い日本文学の枠にとらわれない創作活動でSFに接近した。逆に、SFの方からは筒井康隆が「純文学」と銘打たれた作品群を発表する。そしてこの時代以降、新しい文学の書き手たちは、そのほとんどがSF的手法を取り入れることに何の躊躇も覚えなくなった。高橋源一郎、島田雅彦、いとうせいこう、小林恭二、大岡玲、久間十義、奥泉光、笙野頼子、別唐晶司、大石圭、川上弘美など、そうした作家の名を挙げればきりがない。
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【かいわいの時】享保十四年(1729)四月二十日:将軍吉宗御用の象、尼崎から大坂に到着。南組惣会所に逗留。
享保13年(1728)にベトナムから牡と牝の象が日本に渡り、長崎に上陸した。この出来事が注目される一の理由は、2頭の象が献上されたものではなく、将軍徳川吉宗(1684-1751)の要請によりもたらされたからであろう。実はその要請が以前から商人のなかで伝えられたようだ。嘉永6年(1853)に林復斎等が編集した『通航一覧』に載せられた第38番東京船主の呉子明の手紙に次のような記述がある《史料9略》結局、2年後象が運搬されて来たが、その船主は呉子明ではなく、享保13年第15番唐船の船主の鄭大威である《略》このことから、当時幕府は多くの商人達に象の要請を伝えたことが考えられる。
黎貴惇は、ベトナムとラオスの国境にあるカムロ(甘露)地方の市場で行った象の売買について次のように述べている。
【史料11】『撫辺雑録』 「一象可載米三十擡、毎擡二十鉢、亦有一市番、駆牛至、三百隻来売、一牛不過十貫、一象價銀二笏」
黎貴惇の記述した「笏」は約10両に相当している《略》つまり、ベトナム国内で売買される象の価格は「二笏」で20 両に相当する。それでは象が日本まで運搬された時、どのくらいの金額がかかったのであろうか。実は、『通航一覧』に載せられた呉子明の手紙には下記のことが書いてある。
【史料12】『通航一覧』 「一象其帯来、小船不堪装載、徒新定造大船二艘、毎艘只装得一隻、但欲定造大船二艘、要用銀一萬餘兩、又唐山發船到暹羅、往来雑費、該用銀二萬餘兩」
史料に書いた造船費用1万両余と雑費2万両余は2頭の象を暹羅から日本まで運搬する見積もりである。つまり、1頭の象につき1万5百両がかかる。実際、鄭大威が広南産の象を日本に運んだ時、幕府にいくら支給されたかについての資料がまだ見当たらない。暹羅からと同じような造船費用と雑費とすれば、ベトナ国内で売買する象の価格の20両より700倍以上も上回るのである。そのため、東南アジアから日本までの象貿易は大変だったが、利益が高いことが窺えるのである(ファン・ハイ・リン)。「前近代ベトナムにおける象の国家的管理と象貿易」『専修大学古代東ユーラシア研究センター年報 第4号』2018より抜粋して編集。表記はママ、脚注略。ママ。1万5千両の誤記と思われます。
【見積明細】 ・象(2頭) 銀10両×2=銀20両 ・大船造船費(2艘) 銀1万両 ・運送費 銀2万両 総計 銀3万40両(享保年間)≒銀130貫≒25億円(現在)※銀1両=銀4.3匁=0.07石=2万円で換算。
(写真)尾形探香『象之絵巻物』1848-55(関西大学図書館蔵)部分 享保十四(1729)四月、中御門天皇が京都御所で象を見物する図。ただし、御簾のうしろの天皇の姿は描かれていない。『江戸名所図会』1829によると、天皇と上皇への拝謁のため、象は「広南従四位白象」に叙せられたという。時しあれは 人の国なるけたものも けふ九重にみるがうれしさ 中御門天皇。
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2024年8月8日

南海トラフ地震の想定震源域と今回の震源
南海トラフ地震臨時情報の対象の1都2府26県707市町村はこちら(朝日新聞)
気象庁は8日、初となる「南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)」を発表した。対象となった1都2府26県707市町村は次の通り。同庁は今後1週間程度、地震や津波への注意を呼び掛けている。(内閣府の資料から)
茨城県 水戸市、日立市、ひたちなか市、鹿嶋市、神栖市、鉾田市、東茨城郡大洗町、那珂郡東海村
千葉県 銚子市、館山市、旭市、勝浦市、鴨川市、富津市、南房総市、匝瑳市、山武市、いすみ市、大網白里市、山武郡九十九里町、同郡横芝光町、長生郡一宮町、同郡長生村、同郡白子町、夷隅郡御宿町、安房郡鋸南町
東京都 大島町、利島村、新島村、神津島村、三宅村、御蔵島村、八丈町、青ケ島村、小笠原村
神奈川県 横浜市、横須賀市、平塚市、鎌倉市、藤沢市、小田原市、茅ケ崎市、逗子市、三浦市、秦野市、厚木市、伊勢原市、海老名市、座間市、南足柄市、三浦郡葉山町、高座郡寒川町、中郡大磯町、同郡二宮町、足柄上郡中井町、同郡大井町、同郡松田町、同郡山北町、同郡開成町、足柄下郡箱根町、同郡真鶴町、同郡湯河原町
山梨県 甲府市、富士吉田市、都留市、山梨市、大月市、韮崎市、南アルプス市、北杜市、甲斐市、笛吹市、上野原市、甲州市、中央市、西八代郡市川三郷町、南巨摩郡早川町、同郡身延町、同郡南部町、同郡富士���町、中巨摩郡昭和町、南都留郡道志村、同郡西桂町、同郡忍野村、同郡山中湖村、同郡鳴沢村、同郡富士河口湖町
長野県 岡谷市、飯田市、諏訪市、伊那市、駒ケ根市、茅野市、南佐久郡川上村、同郡南牧村、諏訪郡下諏訪町、同郡富士見町、同郡原村、上伊那郡辰野町、同郡箕輪町、同郡飯島町、同郡南箕輪村、同郡中川村、同郡宮田村、下伊那郡松川町、同郡高森町、同郡阿南町、同郡阿智村、同郡平谷村、同郡根羽村、同郡下條村、同郡売木村、同郡天龍村、同郡泰阜村、同郡喬木村、同郡豊丘村、同郡大鹿村、木曽郡上松町、同郡南木曽町、同郡大桑村、同郡木曽町
岐阜県 岐阜市、大垣市、多治見市、関市、中津川市、美濃市、瑞浪市、羽島市、恵那市、美濃加茂市、土岐市、各務原市、可児市、山県市、瑞穂市、本巣市、郡上市、下呂市、海津市、羽島郡岐南町、同郡笠松町、養老郡養老町、不破郡垂井町、同郡関ケ原町、安八郡神戸町、同郡輪之内町、同郡安八町、揖斐郡揖斐川町、同郡大野町、同郡池田町、本巣郡北方町、加茂郡坂祝町、同郡富加町、同郡川辺町、同郡七宗町、同郡八百津町、同郡白川町、同郡東白川村、可児郡御嵩町
静岡県(全域)静岡市、浜松市、沼津市、熱海市、三島市、富士宮市、伊東市、島田市、富士市、磐田市、焼津市、掛川市、藤枝市、御殿場市、袋井市、下田市、裾野市、湖西市、伊豆市、御前崎市、菊川市、伊豆の国市、牧之原市、賀茂郡東伊豆町、同郡河津町、同郡南伊豆町、同郡松崎町、同郡西伊豆町、田方郡函南町、駿東郡清水町、同郡長泉町、同郡小山町、榛原郡吉田町、同郡川根本町、周智郡森町
愛知県(全域)名古屋市、豊橋市、岡崎市、一宮市、瀬戸市、半田市、春日井市、豊川市、津島市、碧南市、刈谷市、豊田市、安城市、西尾市、蒲郡市、犬山市、常滑市、江南市、小牧市、稲沢市、新城市、東海市、大府市、知多市、知立市、尾張旭市、高浜市、岩倉市、豊明市、日進市、田原市、愛西市、清須市、北名古屋市、弥富市、みよし市、あま市、長久手市、愛知郡東郷町、西春日井郡豊山町、丹羽郡大口町、同郡扶桑町、海部郡大治町、同郡蟹江町、同郡飛島村、知多郡阿久比町、同郡東浦町、同郡南知多町、同郡美浜町、同郡武豊町、額田郡幸田町、北設楽郡設楽町、同郡東栄町、同郡豊根村
三重県(全域)津市、四日市市、伊勢市、松阪市、桑名市、鈴鹿市、名張市、尾��市、亀山市、鳥羽市、熊野市、いなべ市、志摩市、伊賀市、桑名郡木曽岬町、員弁郡東員町、三重郡菰野町、同郡朝日町、同郡川越町、多気郡多気町、同郡明和町、同郡大台町、度会郡玉城町、同郡度会町、同郡大紀町、同郡南伊勢町、北牟婁郡紀北町、南牟婁郡御浜町、同郡紀宝町
滋賀県(全域)大津市、彦根市、長浜市、近江八幡市、草津市、守山市、栗東市、甲賀市、野洲市、湖南市、高島市、東近江市、米原市、蒲生郡日野町、同郡竜王町、愛知郡愛荘町、犬上郡豊郷町、同郡甲良町、同郡多賀町
京都府 京都市、宇治市、亀岡市、城陽市、向日市、長岡京市、八幡市、京田辺市、南丹市、木津川市、乙訓郡大山崎町、久世郡久御山町、���喜郡井手町、同郡宇治田原町、相楽郡笠置町、同郡和束町、同郡精華町、同郡南山城村
大阪府 大阪市、堺市、岸和田市、豊中市、池田市、吹田市、泉大津市、高槻市、貝塚市、守口市、枚方市、茨木市、八尾市、泉佐野市、富田林市、寝屋川市、河内長野市、松原市、大東市、和泉市、箕面市、柏原市、羽曳野市、門真市、摂津市、高石市、藤井寺市、東大阪市、泉南市、四條畷市、交野市、大阪狭山市、阪南市、三島郡島本町、豊能郡豊能町、泉北郡忠岡町、泉南郡熊取町、同郡田尻町、同郡岬町、南河内郡太子町、同郡河南町、同郡千早赤阪村
兵庫県 神戸市、姫路市、尼崎市、明石市、西宮市、洲本市、芦屋市、伊丹市、相生市、加古川市、赤穂市、宝塚市、三木市、高砂市、川西市、小野市、加西市、南あわじ市、淡路市、加東市、たつの市、加古郡稲美町、同郡播磨町、揖保郡太子町
奈良県(全域)奈良市、大和高田市、大和郡山市、天理市、橿原市、桜井市、五條市、御所市、生駒市、香芝市、葛城市、宇陀市、山辺郡山添村、生駒郡平群町、同郡三郷町、同郡斑鳩町、同郡安堵町、磯城郡川西町、同郡三宅町、同郡田原本町、宇陀郡曽爾村、同郡御杖村、高市郡高取町、同郡明日香村、北葛城郡上牧町、同郡王寺町、同郡広陵町、同郡河合町、吉野郡吉野町、同郡大淀町、同郡下市町、同郡黒滝村、同郡天川村、同郡野迫川村、同郡十津川村、同郡下北山村、同郡上北山村、同郡川上村、同郡東吉野村
和歌山県(全域)和歌山市、海南市、橋本市、有田市、御坊市、田辺市、新宮市、紀の川市、岩出市、海草郡紀美野町、伊都郡かつらぎ町、同郡九度山町、同郡高野町、有田郡湯浅町、同郡広川町、同郡有田川町、日高郡美浜町、同郡日高町、同郡由良町、同郡印南町、同郡みなべ町、同郡日高川町、西牟婁郡白浜町、同郡上富田町、同郡すさみ町、東牟婁郡那智勝浦町、同郡太地町、同郡古座川町、同郡北山村、同郡串本町
岡山県 岡山市、倉敷市、玉野市、笠岡市、井原市、総社市、備前市、瀬戸内市、赤磐市、浅口市、和気郡和気町、都窪郡早島町、浅口郡里庄町、小田郡矢掛町
広島県 広島市、呉市、竹原市、三原市、尾道市、福山市、府中市、大竹市、東広島市、廿日市市、安芸高田市、江田島市、安芸郡府中町、同郡海田町、同郡熊野町、同郡坂町、豊田郡大崎上島町
山口県 下関市、宇部市、山口市、防府市、下松市、岩国市、光市、柳井市、周南市、山陽小野田市、大島郡周防大島町、玖珂郡和木町、熊毛郡上関町、同郡田布施町、同郡平生町
徳島県(全域)徳島市、鳴門市、小松島市、阿南市、吉野川市、阿波市、美馬市、三好市、勝浦郡勝浦町、同郡上勝町、名東郡佐那河内村、名西郡石井町、同郡神山町、那賀郡那賀町、海部郡牟岐町、同郡美波町、同郡海陽町、板野郡松茂町、同郡北島町、同郡藍住町、同郡板野町、同郡上板町、美馬郡つるぎ町、三好郡東みよし町
香川県(全域)高松市、丸亀市、坂出市、善通寺市、観音寺市、さぬき市、東かがわ市、三豊市、小豆郡土庄町、同郡小豆島町、木田郡三木町、香川郡直島町、綾歌郡宇多津町、同郡綾川町、仲多度郡琴平町、同郡多度津町、同郡まんのう町
愛媛県(全域)松山市、今治市、宇和島市、八幡浜市、新居浜市、西条市、大洲市、伊予市、四国中央市、西予市、東温市、越智郡上島町、上浮穴郡久万高原町、伊予郡松前町、同郡砥部町、喜多郡内子町、西宇和郡���方町、北宇和郡松野町、同郡鬼北町、南宇和郡愛南町
高知県(全域)高知市、室戸市、安芸市、南国市、土佐市、須崎市、宿毛市、土佐清水市、四万十市、香南市、香美市、安芸郡東洋町、同郡奈半利町、同郡田野町、同郡安田町、同郡北川村、同郡馬路村、同郡芸西村、長岡郡本山町、同郡大豊町、土佐郡土佐町、同郡大川村、吾川郡いの町、同郡仁淀川町、高岡郡中土佐町、同郡佐川町、同郡越知町、同郡梼原町、同郡日高村、同郡津野町、同郡四万十町、幡多郡大月町、同郡三原村、同郡黒潮町
福岡県 北九州市、行橋市、豊前市、京都郡苅田町、築上郡吉富町、同郡築上町
熊本県 宇城市、阿蘇市、天草市、阿蘇郡高森町、上益城郡山都町、球磨郡多良木町、同郡湯前町、同郡水上村、同郡あさぎり町、天草郡苓北町
大分県 大分市、別府市、中津市、佐伯市、臼杵市、津久見市、竹田市、豊後高田市、杵築市、宇佐市、豊後大野市、由布市、国東市、東国東郡姫島村、速見郡日出町、玖珠郡九重町
宮崎県(全域)宮崎市、都城市、延岡市、日南市、小林市、日向市、串間市、西都市、えびの市、北諸県郡三股町、西諸県郡高原町、東諸県郡国富町、同郡綾町、児湯郡高鍋町、同郡新富町、同郡西米良村、同郡木城町、同郡川南町、同郡都農町、東臼杵郡門川町、同郡諸塚村、同郡椎葉村、同郡美郷町、西臼杵郡高千穂町、同郡日之影町、同郡五ケ瀬町
鹿児島県 鹿児島市、鹿屋市、枕崎市、阿久根市、指宿市、西之表市、垂水市、薩摩川内市、日置市、曽於市、霧島市、いちき串木野市、南さつま市、志布志市、奄美市、南九州市、伊佐市、姶良市、鹿児島郡三島村、同郡十島村、薩摩郡さつま町、出水郡長島町、姶良郡湧水町、曽於郡大崎町、肝属郡東串良町、同郡錦江町、同郡南大隅町、同郡肝付町、熊毛郡中種子町、同郡南種子町、同郡屋久島町、大島郡大和村、同郡宇検村、同郡瀬戸内町、同郡龍郷町、同郡喜界町、同郡徳之島町、同郡天城町、同郡伊仙町、同郡和泊町、同郡知名町、同郡与論町
沖縄県 名護市、糸満市、豊見城市、うるま市、宮古島市、南城市、国頭郡国頭村、同郡東村、島尻郡与那原町、同郡渡嘉敷村、同郡座間味村、同郡南大東村、同郡北大東村、同郡伊平屋村、同郡八重瀬町、宮古郡多良間村

猛暑のせい?広島の夏の交通事故、死者数が倍に 警察が注意呼びかけ(朝日新聞)
7月以降に広島県内で起きた交通死亡事故数が、昨年の同時期を大幅に上回っている。県警によると、連日の猛暑による集中力や注意力の欠如が原因の一つと考えられるといい、注意を呼びかけている。
県警交通企画課によると、7月1日~8月4日の交通事故死者数は12人で、昨年同時期の5人から倍以上に増えている。
このうち、バイクや自転車、歩行者の死者数は計9人。日中の事故で亡くなった人は9人で、夜間は3人だった。
同課は、気温が高くなり、運転などに集中できないことが事故につながっている可能性があると分析。運転する場合はこまめに水分補給したり休憩をとったりし、体調に異変を感じる時は運転を控えるなどの対策が必要としている。
担当者は「交通事故を防ぐためにも、熱中症警戒アラートが発せられるような暑い日は不要な外出を控えて」と呼びかけている。
気象庁によると、広島市内では35度以上の猛暑日が8日まで10日間続いている。(遠藤花)

「1990年に天皇の戦争責任を論じ始めたとき不安はなかったか、ですか? なかったと言えばウソになります」=吉本美奈子撮影
(インタビュー)昭和天皇の戦争関与 歴史学者・山田朗さん(朝日新聞)
「昭和天皇は戦争への主体的な関与をしなかった」「最後まで対米英戦を回避しようとした」。こうした昭和天皇像に、実証的な研究を通じて見直しを迫ってきた歴史学者がいる。明治大学教授の山田朗さんだ。「天皇の戦争指導」の実態はどうだったのか。その歴史を直視してこなかった戦後日本社会とは。
――昭和天皇(1901~89)が戦争中にどう行動し、そのことを戦後にどう考えていたのか。実証的に調べる研究を30年以上も続けていますね。
「きっかけは、昭和天皇の健康が悪化した88年から日本社会を覆った『自粛』現象でした」
「天皇が戦争にどうかかわったかについての先行研究はすでにありましたが、私には『昭和天皇には戦争責任がある』という結論ありきの研究に見えました。他方には『戦争責任などない』との意見もあったけれど、どちらも戦争中の実態を踏まえた議論とは思えなかった。史料を踏まえた実証的な研究が必要だと思いました」
――日本が米英に対する戦争を始めたのは41年12月でしたね。「昭和天皇は最後まで日米開戦を避けようとしていた」という話が広く信じられていますが、事実でしょうか。
「違います。41年9月6日に開かれた御前会議の時点までは、確かに天皇は開戦を躊躇していました。しかし側近の日記や軍の記録などから見えてきたのは、そのあと天皇が戦争への覚悟を決めていく姿でした」
「10月には宣戦布告の詔書の作り方を側近に相談しており、11月には軍の説く主戦論に説得されています。最終的には天皇は開戦を決断したのです」
――昭和天皇は戦争に主体的に関与することがなかった、という理解も広がっていますね。
「事実ではありません。大日本帝国憲法では天皇は大元帥、つまり日本軍の総司令官でした。形式的発言をするだけだったというイメージが広がっていますが、記録によれば、大元帥として出席した大本営御前会議では活発に発言しています。軍幹部への質問や注意を通じて作戦に影響を与えていた実態も、史料から見えてきました」
――昭和天皇が具体的に変えた事例を挙げてください。
「42年のガダルカナル島(南太平洋ソロモン諸島)攻防戦で、航空部隊を現地へ送るよう天皇は3回にわたって、出撃をしぶる陸軍に督促していました。3度目の督促の翌日、陸軍は派遣を決めています」
「45年の沖縄戦では『現地軍は何故攻勢に出ぬか』と言って、積極的な攻撃に出るよう要求しました。現地軍は持久戦でいくと決めていたのですが、天皇の意思が現地まで伝わったため中途半端な攻勢が行われ、無用な出血につながりました」
「天皇の言葉が作戦を左右する影響を与えた事例は、満州事変から敗戦までの間に少なくとも17件確認できます。国家意思に影響を与えていた形です」
――作戦指導だけにとどまらず「戦争指導」も行っていたと著書で主張していますね。
「ええ。戦争指導は単なる軍事作戦指導とは異なり、外交などの政治戦略と軍事作戦を束ねた、より高次の指導です」
「昭和天皇は43年のソロモン諸島などの攻防で、戦い方が消極的だと侍従武官長を厳しく叱責し、こんなことでは敵国の士気が上がって第三国にも動揺が広がってしまうと言って積極攻勢を求めました。国際情勢をにらんだ上で国家としてどう作戦を立てるかという戦争指導の領域にこのとき昭和天皇は立ち入っていたと、私は思います」
――昭和天皇はなぜ作戦指導や戦争指導をしたのでしょう。
「大日本帝国という国家の抱えていた構造的な問題が背景にあってのことだったと思います。天皇を好戦的な指導者だったとみなすのは間違いです」
――構造的な問題とは?
「ガダルカナル戦で天皇が指導に踏み込んだのは、どちらが航空機を出すかでもめていた陸軍と海軍の対立を解くためでした。大日本帝国では陸軍も海軍も天皇に直属していて、両者を統合して指揮する統合幕僚長のような指導役が不在でした。陸・海軍の対立を調整できるのは当時、天皇だけだったのです」
「軍事戦略と外交戦略の双方を統括しえたのも天皇だけでした。軍の最高指揮権にあたる『統帥権』は天皇にあり、統帥権は行政から独立していました。首相ですら軍事行動の詳細を知ることはできない構造です。外交や予算をつかさどる行政が軍部と分立していた中で、両者を架橋しえたのは実質的に天皇だけだったのです」
――「昭和天皇は戦争指導をしたのか否か」と問う以前に、「そもそも戦争指導をできる指導者は当時いたのだろうか」と考えさせられる話です。
「ええ。戦況の悪化に直面したことで昭和天皇は大日本帝国が抱えた構造的欠陥の深刻さに気づき、自らが動くしかないと考えた可能性があります。陸軍と海軍が持つそれぞれの経験値では解決できない事態があり、政治が軍事を制御できる仕組みも見当たらない。そんな状況下での戦争指導だったのです」
――昭和天皇に戦争責任はあった、と主張していますね。
「実態を踏まえれば、昭和天皇には戦争責任があったと考えるべきだと思います。あれだけの悲惨な結果を招いた戦争において、大日本帝国の軍事と政治の双方を統括できる国家指導者だったのであり、すべての重要な政策決定の場にいたのですから、およそ責任がなかったと言えるものではありません」
――連合国が戦後に日本の戦争指導者を裁いた東京裁判(極東国際軍事裁判)で、昭和天皇は訴追されませんでした。米国が占領統治のコストを下げるために見送ったとされます。
「裁判が始まる前から日本国内では、昭和天皇は平和主義者であって戦争責任を問われるべき人物ではないとのイメージづくりが、政府などによって進められました。天皇を守るためだったと語られがちですが、それだけではなかったと思います」
「戦争は陸軍の強硬派が進めたものであって天皇には止める権限がなかったというストーリーをつくることで、海軍主流派や外務省・内務省の官僚らは自らを『天皇の側にいた者』とし、責任追及を回避できました。その人たちが戦後日本の権力を担っていったのです。このシナリオを最終的に追認したのが米国主導の東京裁判でした」
――その歴史は現在に何か影響を与えているでしょうか。
「責任をとるべき人がとっていないという巨大な前例が今も生き続けています。宮内庁が編纂して今から10年前に公開された『昭和天皇実録』も、天皇は平和主義者だったというイメージを強化する内容でした」
――ウクライナ侵攻などが起きた影響もあって、今、日本政府はかつてない規模での防衛力増強に乗り出しています。
「戦争期の近代日本史が教えるのは、軍を政治的にコントロールすることの難しさです。軍事は軍事の専門家だけが理解できるものだという論理のもと、閉じられたサークルの中で『自己展開』していってしまう傾向が、軍事にはあるからです」
「昭和戦前期と違って今は一応、行政府が外交も安全保障もあわせて統括できる体制には変わっています。しかし、国民の代表である国会のチェックが安全保障政策に反映されているかといえば、答えはノーです」
――5年前に公開された新史料「拝謁記」に注目するよう訴えていますね。なぜですか。
「昭和天皇があの戦争のことを『戦後に』どう考えていたのかを、今までにない生々しさで伝えている史料だからです。拝謁記とは、初代宮内庁長官だった田島道治が昭和天皇の戦後の肉声を記録したものです」
――何が分かったのですか。
「昭和天皇の中で戦後、『誰がどうやっても戦争の流れを止められなかった』という考えが次第に強まっていった事実です。田島の耳に最後には言い訳だと聞こえてきたほどでした」
「陸軍が戦争の牽引者だったのは事実です。しかし昭和天皇はブレーキの壊れたジェットコースターの単なる乗客だったのではなく、操縦する側でした。ブレーキが壊れていたわけでもなく、実際、天皇の聖断という形で戦争は終わっています」
――その歴史からどんな教訓をくみとるべきでしょう。
「戦前は天皇が国家の主権者でした。その主権者が戦後、『自分にはどうしようもなかった』という考えに至っていた。現在の日本では国民が主権者です。再び戦禍に見舞われたあとで『自分にはどうしようもなかった』という総括をまた繰り返すのか。主権者としての選択が問われていると思います」(聞き手 編集委員・塩倉裕)
やまだあきら 1956年生まれ。専門は日本近現代史。軍事史や天皇制論に詳しい。著書に「大元帥 昭和天皇」(94年)、「昭和天皇の戦争認識」(2023年)など。
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和六年(2024年)10月8日(火曜日)
通巻第8449号
嘘と偽善と贋物は中国四千年の文化である
血縁と地縁いがいは何も信じない硬直さ、他人は裏切りの対象
*************************
野村総研(NRI)香港に『次の大国 中国』(1994年、サイマル出版会)の著者でもあるウィリアム・オーバーホルトが在籍していた時代。彼とはハーマンカーンの愛弟子時代からの知り合いだったので、香港へ行く毎に議論に出かけた。97年香港返還前にも現地取材へ『諸君!』の特派で赴いた。
筆者は中国の躍進という表面的な事象より、本当に中国の庶民、とくに奥地の農民の暮らしから判断しても沿岸部はのびる可能性は高いが、アンバランス解消は不可能であり、全体として中国が先進国入りすることはないとした。
反対にオーバーホルトは、楽観論だった。
当時の野村證券グループは中国に積極的に関与し、中国企業の株式に強気な予測をたてていた。
しかし楽観論者が立脚する中国の公式データはまったく信用出来ないシロモノである。
中国の若者の失業率が、2024年9月に18・8%と公表され、それほどの不景気かと驚いた人が多いが、これは真実を反映してはいない。低すぎる数字だからだ。
中国の失業率の定義は「過去3カ月間、求職活動をしており、適切な仕事があれば 2 週間以内に働き始めることができる人」である。 調査対象は、12万戸で、訪問調査をもとに算出されている」
つまりサンプリングが少ない、地域の選び方は恣意的であり、問題は「求職活動をしている人」を如何にとらえているのか、ぶらぶらしている人間は算定されず、農家に戻った大量の建設労働者は農民人口に置き換えて失業の範疇に加えていない。
日本はハローワーク速報でも雇用情勢がつかめるし、失業保険需��状況からも正確な数字がでてくる。
中国の「国家統計局」なる機関は1952年に国務院直轄の行政機関として発足した。だから国務院総理(首相)が適宜適当に数字を改竄したり、地方政府幹部が北京に陳情に来て、統計局長に「良い数字にしてくれ」と賄賂を運ぶと、数字は上方に訂正される。国家統計局長が愛人とフランスへ高飛び寸前に北京空港で逮捕される事件も起きた。賄賂は桁外れに大きかったからだ
「あんなもの(中国の経済統計の公式データ)を信用しているのですか」と駐北京米国大使に発言したのが、李克強首相その人だったことを私たちは鮮明に思い出す。
2024年度の中国GDP成長率が5・2%で名目4・6%と発表されたが、こんな作り話を報道する日本のメディアはどうかしている。「三割水増しが常識」というのが筆者の持論だが、「水増し」(中国語は「灌水」)ではなく「捏造」だと石平がいう。
中国人社会は嘘で成り立つ国であり、誰もが産まれてから死ぬまで嘘をつく。朝から晩まで、いや夢のなかでも嘘をついている。そうしないと生きていけないからである。
嘘と偽善と贋物は中国四千年の文化であり、血縁と地縁いがいは何も信じない精神性の硬直姿勢はかれらの宿痾と言って良い。
となると役所も役所なら企業経営者にあっては三重帳簿が常識で、税務署提出用、銀行と株主総会提出用、そして自分用である。
官僚は収賄、企業側は賄賂、これらが社会の潤滑油である。だから毒入り餃子、石灰入りのペットフードや薬品、グッチ、ルイビュトンの贋物なんぞ朝飯前。公共工事は政治家の利権だから手抜き工事は当たり前。橋梁がおちたらなかに鉄筋ではなく生ゴミがはいっていたっけ。そしてばれても決して謝罪しない。つぎはもっとうまくやると誓う。デジタル人民元最大の目的は、じつは偽札対策なのだ。
警察とヤクザはグルである。これを「十警九黒」、あるいは「警匪一家」という。贋物商人らの認識では「無奸不成商」(阿漕に稼がなければ成功しない)となる。筆者が講演でよく喩えるのは「中国では石川五右衛門と長谷川平蔵は同一人物なのです」
日本人が美徳とする「知行合一」の発想は中国人にはない。「陽明学」は中国で生まれ、日本で純粋培養された。中国で陽明学とは「殺人の哲学」として忌み嫌われている。
したがって���文武両道」は理解不能、中国では「尚文卑武」である。だから利にさとい権力と結んだ商人が出世し、軍人は「最低の職業」となる。軍のモラルは信じられないほどに低い。このような社会構造の中国が、今後も経済成長を持続させるにはたいそう困難をともなうだろう。
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幸雄は二日間、佐伯家でお世話になった。その間、浩二は時間を見て茨城県内をドライヴして回った。一日目は大子の袋田の滝や常陸太田の西山荘など県北、二日目はつくばの学園都市や土浦の霞ケ浦などの県南の名所を回り、常陸秋そばや常陸牛も堪能した。美津雄は小百合とずっと家にいたが、浩二の幸雄に対するおもてなしが異常だと思った。しかし、まァ、恐らくこれが冥土の土産になるンだろうと小百合は美津雄に話し、様子を見ることにした。
東京に一足早く戻ったみいは、夕方になると電話をした。彼女は、
「浩二さん、御免なさいね〜。幸雄さんも齢なンだからそちらでお陀仏されちゃ困るンだけど…。一応、橋場の息子さん達には事情を説明して了解を得てるので、何かあったらお電話してくださいね」
と話した。浩二は、
「いえいえ、とんでもないです。筑波山へロープウェイを使って筑波山神社にもお詣りをしましたが、その際に息子さんを連れて万博にも連れて行ったらしくて、記念公園に来た時はとても喜んでらっしゃいました。今のところお元気ですよ」
と伝えた。
いよいよ翌日、美津雄と小百合と一緒に東京に戻ることになった前夜、幸雄は荷物をまとめていた。浩二は様子を見に部屋を訪れ、忘れ物はないか聞いた。彼はないと言ったが、
「申し訳ないが、こんな年寄りの最後の我儘だと思って聞いて欲しいンだが…」
と話した。浩二は何ですかと聞くと、
「後でもイイから、浩志と一緒に撮った写真を送ってくれないかのぅ…。もしオレが死んだ時に、息子らに棺の中に入れて欲しいと遺書に残そうと思って…」
と言った。もはや浩志のいないこの世には未練はなく、明日にでも死んで構わないとの事。だが、幸雄さんは長生きしますよと、一昨日の夜、浩志と絡む夢を見て夢精してしまったことを思い出し、苦笑しながら浩二は話した。
そして、朝になって幸雄は美津雄と小百合と一緒に水戸駅へ向かい、浩二と改札口で別れた。彼は、
「色々よくしてくれて、本当にありがとう」
と、両手で浩二の右手を握りながら会釈をした。やはり九十代とは思えない、背筋が伸びた様子に浩二は改めて驚いた。年齢詐称でもしているのではと疑うほどだった。
幸雄たちを見送り、家に戻った浩二は再び独りになった。色々あり過ぎて疲れたなと思いながら応接間のソファに横になった。彼はそのまま昼過ぎまで寝入ってしまった。窓を全開にし、風がカーテンを翻しながら室内を行き交う。心地よさの故になかなか起きれずにいると、インターホンが鳴った。誰だろう…? 浩二はソファから身体を起こし、声をかけた。その声は江利子だった。珍しいなと彼は思った。
「こんにちわ。お休みでしたか? 御免なさ〜い」
「いえいえ、先日はありがとうございました」
江利子の片手には、広樹の職場でもあるK百貨店のショッパーがあった。今、営業終了したI百貨店の跡地に移転するらしく、新店舗が建築中だった。江利子に差し出されると、
「そんな、お気遣いいただかなくても…」
と浩二は断ったが、彼女は満面の笑みを浮かべながら言った。
「実は、わたしたち、佐伯先生のお宅の隣に引っ越すことにしました!」
佐伯家の隣には、祖父母の代からずっと一組の夫婦が住んでいたが、最近子どもが水戸の郊外に二世帯住宅を建てたとのことで売却し、最近取り壊されて更地になっていた。浩二は、
「かえってよろしくお願いします。でも、何故?」
と聞いた。江利子は話した。
「佐伯先生から、『大樹君、共働きで面倒を見るのが大変ならオレが代わりに見てやるよ。浩二もいるし』と、生前言われてたンです。まさか亡くなるとは思わなかったから…。でも昨夜、先生が夢に出て来たンです! 『わりぃな、オレが約束しておきながら果たせずにくたばっちまって…。でも、浩二がいるから大丈夫だっぺ』って」
オイオイ、オレは何も聞いちゃいねぇよと内心思いながらも、
「…父さんが、夢に?」
と、ついに他人の夢にまで出始めたか!?と呆れてしまった。
利江子は仏前に線香をあげ、先生の好きなお酒買って来たわよ〜と備え、満代先生となかよくねと言い、帰って言った。突然の知らせに浩二は考え込んでしまったが、まァ、これも父さんの遺言だと受け止め、引き受けるかと決心した。
一年後に、広樹と江利子が小学五年生に進級した大樹を連れて来て、浩二は二人が仕事でいない時には面倒をみることになるのだが、最初は結婚も子育ての経験もなく戸惑うばかりだったものの、大樹も次第に浩二がいるのが当たり前だと思う様になっていった。そして、中学校に入学して間もなく大樹は精通し、第二成長期を迎えるのだが、浩二を最初の情人(アマン)として受け入れることになった。浩二も彼を愛し、一緒に寝ない時はないほどに布団の中で絡んだ。嗚呼、父さんの悪いところを譲り受けてしまったと、後に彼は後悔するのだった。
東京に戻った幸雄と美津雄・小百���は、上野駅の中央改札でみいと幸雄の甥が待��ているのを認めた。別れ際に美津雄は、
「じいさん、元気でな」
と言った。幸雄は深々と頭を下げながら、
「…本当にお世話になりました。これ以上、思い起こすことはないよ。明日にでも逝っちゃってもイイ」
と話した。それを聞いたみいは、
「ほらほら、縁起でもない! ダメよ、浩志君だってびっくりするわ」
と強い口調で言った。
甥・俊介は幸雄が持っていた荷物を持ちながら、
「お義父さん、疲れたでしょ? ウチに帰ろう」
と声をかけた。俊介より幸雄の方が身長が高いことに美津雄と小百合は驚いた。
こうして幸雄はみいと俊介と一緒に地下鉄の乗り場の方へ向かって行った。美津雄と小百合も、御徒町駅前のスーパー「Y」で正夫と岳次が飲もうと誘われているので、このまま上野広小路を目指した。
この夜、俊介と家路に着いた幸雄は夢を見た。幸雄は、何故か浅草の「Kバー」で独りデンキブランを飲んでいたが、後から浩志が来て向かい側の席に座った。客はおらず、店員だけが二人の為に注文を受けていた。互いに齢を重ね、串カツやもつ煮を肴に二人はグラスを傾けた。完全に貸切りだった。夜なのか外は静かだ。ほろ酔い気分で二人はKバーを出て、車も人もいない歩道を言問橋の方へ歩いて行った。東武鉄道すら通らない、静かな花川戸の界隈を二人は歩いて行った。幸雄にとっては異様に感じたが、浩志がこの場を用意してくれたのだろうと思うことにした。
言問橋のちょうど真ん中に立った時、幸雄の脳裏にオスバルドプグリエーゼの「思い出」が流れた。両腕を広げ、浩志の片手を握り、もう片方の手を彼の腰に回した。二人は円を描く様に踊り始めた。夜空を仰げば満月が見え、その光が二人を照らしていた。浩志は幸雄の胸元に顔を寄せ、涙を流した。腰に回していた方の手指で幸雄は、浩志の頬を伝う涙を拭った。
「…泣くのはおよし」
そう言いながら、幸雄は浩志に接吻した。いつしか、未だ学生服を着ていた浩志に同じことをしたなと幸雄は振り返った。これを機に、浩志はアルゼンチンタンゴのレコードを集め始めたのだ。最初に買ったのは藤澤嵐子だったっけ? 「夜のプラットホーム」が大のお気に入りで、楽器で効果音をも表現するタンゴの魅力に惹かれ、すぐにアルマンドポンティエルのレコードを買い求めていた。「花火」と言う曲が脳裏に流れる中、隅田川花火大会の時には浅草の人気ないところで激情のままに浩志を愛したっけ? 次から次へと思い出が蘇り、幸雄も涙を流した。嗚呼、���遠に踊り続けたい…。しかし、まるで映画の様にブラックアウトし、夢は終わってしまった。
朝になり、幸雄は目を覚ました。上半身を起こしながら、
「…夢か」
と言葉を洩らした。彼は、近いうちにあの世へ逝くかもしれないと思った。
数日後、幸雄のところに郵便物が届いた。開封すると、恐らく彼が定年で新聞社を退職した時だろう、互いに笑顔を見せる浩志とのポートレートが入っていた。幸雄は俊介にその写真を見せ、大いに喜んだ。
そして、浩志の四十九日が終わったとみいを通じて話を聞いた夜、眠る様にして幸雄は九十余年の生涯に幕を下ろした。告別式には浩二も参列し、みいも駆け付けた。俊介は、
「まさか浩志さんの四十九日が終わった後に亡くなるなんて…。何か運命の様ですね」
と話した。みいはハンカチで目頭を押さえながら、
「…何だかんだ言って、これで良かったのかもね」
と言った。浩二も、
「きっとあの世でタンゴを踊ってますよ」
と、幸雄の遺影を見ながら涙を浮かべた。
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2025年4月28日 月曜日
「今夜は小戸らNIGHT」
場所 カフェ アリワ (福岡市西区小戸3-40-8)
出演
四万十川友美
藤井邦博 (魚座)
村上淳也 (classicus / まめのもんや)
開場19:00 開演19:30
料金 2,000円 (+別途1drinkオーダー)
※ご予約は各出演者までご連絡ください
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畔の蕎麦屋
家から約四十分くらい車を走らせた所に、山の中に小さな池がいくつも点在する観光スポットがある。有名なのはその中の一つ、鮮やかな青緑のインクで出来ているような青い池。先日たまたま見たクイズ番組でも出題されていた。
そこから少し離れた所にある、著名な訳でもない池の畔に蕎麦屋が出来たと知ったのは、去年の晩秋だっただろうか。その場所は冬になると立ち入れない所だから、行ってみようと思った頃にはもう時期を外れていた。
なんてことの無い初夏の晴れた土曜日の午後にそこへ行ってみる事にした。
蕎麦屋と言ってもメニューには珈琲やら甘味があるとの事で、敢えて昼を避けて十五時を目安にそこへ向かった。
海沿いの道を走り水面の乱反射する日差しに目を細めながら車を走らせる。海から少し離れて山中のくねくねとしたカーブを七つ越えた所にその店がある。
建物の前にメニューや案内が書かれてある。古い旅館か店をリノベーションしたのだろう。新しい店という雰囲気ではなく、元々の店を少し改装したのかというくらいの、懐かしさを感じる外観だった。
中へ入ると右手側に池が見える。その窓辺に机と椅子が置かれて客席になっている。
奥へ進むと下駄箱がある。そこまで進むと小上がりの向こうから店主と見られる女性が現れた。
「お食事ですか、お飲み物ですか」
「飲み物です」
「そちらの席か大広間にどうぞ」
窓際の椅子席も日向でよかったが、せっかくなので大広間を選ぶことにした。
靴を脱いでスリッパに履き替える。旅館の名前が印字されていた。やはりここは元々旅館だったらしい。何度も来ている所だったが、ここが旅館だったということを初めて知った。
女性の後を付いて大広間へ行く。
スリッパを脱ぎ大広間へ入ると、目の前には広い広い畳の部屋と大きな窓があり、その向こうには池と緑豊かな森が広がっていた。

ピークを過ぎた頃なのだろう。他に客はいなく、好きな場所を選ぶことが出来た。
入って正面と右側に池が見えたので、一番奥の角に座った。
珈琲と蕎麦茶のプリンをオーダーする。テーブルの上にガラスの器があって、ここにお金を置いて会計をするそうだ。
蕎麦茶を啜りながら窓の外をぼんやり眺める。
揺れる湖面に青々とした木々。それをフレームのように切り取る、大きな窓のサッシが実に芸術的だ。
網戸越しの風が涼しい。ぽちゃりぽちゃりと魚が跳ねる音が聞こえる。スマートフォンを開くと電波は微かに入る程度で、じっくりのこの時を堪能出来る環境だった。
本棚を見つけたので覗いて見た。川上未映子やよしもとばなな、江國香織など女性作家の本が多く、きっと店主の好みなのだろう。その中にあった寺山修司が集めた名言集を借りた。
席に戻ってパラパラとめくっていると一つ気になる言葉があった。
「死んだ女より、もっとかわいそうなのは、忘れられた女」マリー・ローランサン 鎮静剤
別にこれは女性に限った事ではない。
さて自分は出会った人たちの何人の記憶に残っているだろう。
そんな事を考えていると珈琲と蕎麦茶プリンが運ばれてきた。
夏でも個人経営の喫茶店では温かい珈琲を飲むことにしている。冷たい珈琲は業務用の注ぐだけのものがあるが、温かい珈琲は確実に店の人が淹れてくれるからだ。
プリンのカラメルソースが別の入れ物で来たのが嬉しかった。

まずは一口珈琲を飲む。苦みは少なく仄かな酸味がある。万人受けする味でプリンにも合いそうだ。
プリンをカラメルソースをかけずに一口食べる。そば茶の素材の味が生かされていて甘みはそれほど強くない。優しい味だった。
少しずつカラメルソースをかけて食べ進める。美味しくてすぐに食べ終わってしまった。
閉店時間まで四十分余り。ぼんやり外を眺めたり、この文をまとめたりしていると、あっという間に時が流れてしまった。
次は蕎麦を食べよう。そう決めて帰宅の途に着く。
そして秋の紅葉が今から楽しみになった。
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柴犬りー🐶まー🐶るー🐶 on Twitter: "四万十川camp🏕 1日目 BBQ now🍖 パパ ご飯まだ⁉️🍚🐔🍖 人間が食べる前に お犬様の鶏肉を焼いてます🍀*゜ いい匂いにみんな我慢 #柴犬 #しばいぬ #柴犬好きさんと繋がりたい https://t.co/lEFjuuadMJ" / Twitter
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先日のやり取りで、どうやら「まだまだ石油はたくさんあるから大丈夫」「石油以外のエネルギーもたくさんあるから大丈夫」という人が少なくない様子。これらについてちょっと考えてみたいと思う。 石油の埋蔵量自体はたくさんある。2020年の石油消費量の実に50倍以上の石油があると言われている。私が子どもの頃、「あと30年で石油はなくなる」と言われてから40年たっていて、まだ50年分あるんだったら大丈夫な気がしても不思議ではない。ただし、埋蔵量という指標に実は問題がある。 原材料を100円で仕入れてきて、タコ焼きに加工して90円で売る人がいたら、大損するだろう。それと同じで、石油を掘るには、掘るために必要なエネルギー(採掘エネルギー)よりもたくさんの石油が採れないと意味がない。採掘時のエネルギー消費の何倍の石油が採れたかを示す指標をEROIという。 石油の利用が始まったばかりの頃は、地面に穴をあけるだけで石油が噴水のように噴き上げた。このとき、採掘時のエネルギー消費の200倍の石油が採れたから、EROIは200だった。しかし近年は10倍を切り、どうやら7倍前後の油田もあるらしい。急速に数値が悪化している。 近年注目されたシェールオイルは、実はEROIの数値が10を切り、7程度のところもあるという。これは、水を高圧で地下に注入することにより、石油を搾りだすという手法をとっているためで、採掘に多大なエネルギー消耗がある。このため、石油がたいして採れない。 EROIが3を切ると、石油はもはやエネルギーとして価値を失うという。石油をガソリンや軽油に加工するエネルギーも賄う必要があるからだ。世界の油田は、この「3」という数値にどんどん近づいていっている。なるほど、埋蔵量はたくさんあるようだが、掘っても赤字になる石油が多い。 「新技術が開発されればまだまだ石油は採れる」と信じたくなるが、その新技術であるシェールオイルでさえ、水を高圧で送り込んで石油を搾りだすという技術だから、石油を搾るのにエネルギー浪費が大きくなり、EROIの数値が悪化するばかり。いずれ、石油はエネルギーとして利用できなくなる。 また、石油は投資家たちから「座礁資産」とみなされ始めている。投資しても儲からない資源になりつつあるためだ。投資して新しい設備にしても、投入したエネルギーの7倍程度しか石油が採れないのでは、利幅も小さい。投資が集まらず、設備を更新できず、廃止する油田も出てきているという 石油よりも太陽光発電のような新エネルギーの方が投資先として魅力を増しているという。すでに述べたように、石油は採掘で消費したエネルギーの7倍程度しか取れなくなってきたが、太陽電池なら20倍のエネルギーが得られる。こちらの利幅の方が大きいとして、投資が集まりやすくなっている。 では、新エネルギーさえあれば石油がなくなっても大丈夫か?というと、話は単純ではない。一部の電気自動車を除き、自動車、船、飛行機などの輸送機械はいまだに石油で動いている。その率、なんと98%。石炭でも天然ガスでも自然エネルギーでもない。石油でしかそれらは動かせない。なぜか。 石油ほど優れたエネルギーが今のところ、他にないためだ。現時点で最も優れている電池は、リチウム電池。しかし、同じ1Lサイズでも、リチウム電池は石油の約5%程度しかエネルギーを貯められない。電池はかさばるし重い。このため、乗用車程度しか動かせない。 大型トラックや、農業用のトラクターなどの電化を進める研究が行われているし、メーカーも華々しく宣伝していたりするけれど、まだ実用的なものは開発できていない。電池が重すぎて、重量物を運んだり、パワーの必要なものを動かすには、貯められるエネルギーが小さすぎるためであるらしい。 あいにく、ほとんどの自然エネルギーが電気を作るタイプ。太陽電池、風力発電、地熱発電。また、自然エネルギーではないが、原子力や核融合も。これらはエネルギーを電気としてしか生めないが、電気は貯めることが非常に難しい。リチウム電池の次の世代、全固体電池でもまだパワー不足。 電気を貯める技術としては、揚水発電がある。まあ、ダムのこと。電気が余っているときに下流の水をダムの中に貯め込み、電気が足りないときに放水して発電する。しかしダムの新規建設は難しく、揚水発電でもっと大量に電気を貯めるということは、困難。 新たな蓄電技術として、重力発電が注目されている。電気が余っているときにコンクリートブロックを持ち上げ、足りなくなった時にブロックを落とす力で発電するという仕組み。かなり巨大な施設になるけれど、日本のエネルギーを賄おうとすると、250万基設置する必要がある。ちょっと非現実的。 電気を貯めることができない以上、太陽電池や風力発電のようにお天気任せの発電方法では、夜間や風のない日にエネルギーを供給できなくなる。電気を貯める技術開発が求められるが、まだ決定打となるほどの技術は実用化されていないのが現状。 では、安定的に電気を作れる原子力はどうかというと、これも実は資源枯渇が心配。現時点での原発の数で済むなら、170年分のウランがある。しかし各国が原発を増やそうとしており、もし計画通りに原発が増えると、30年分しか資源がない。実はウランも限りあるエネルギー�� プルトニウムを使えば半永久的に発電することができる。ただし、それを実現するには高速増殖炉という特殊な原子炉を実用化する必要がある。残念ながら、原子力先進国である日本、フランス、アメリカなどのどこも実用化できていない。夢の技術は夢で終わる可能性が結構高い。 プルトニウムを普通の原子炉で燃やすプルサーマル発電という技術がある。ただし普通の原子炉でプルトニウムを燃やすと、アメリ��ウムという厄介なゴミができて、燃料が本当のゴミになってしまい、資源として再生できなくなってしまう。結局、原子力も限りあるエネルギーというのが実態。 核融合なら無限にエネルギーを取り出せる、実用化も目前だというじゃないか、という人も多いかもしれない。私も興味を持って、「投入したエネルギーよりも大きいエネルギーを核融合で発生させた」というニュースを読んでみたら、要するに小さな水爆を爆発させただけだった。 核融合の燃料を小さなプラスチックビーズに詰め込み、これに強力なレーザー光線を四方八方からぶつけて水爆を爆発させた、というもの。その爆発のエネルギーが、投入したレーザービームよりも大きかった、というのだけど、それでどうやって発電するねん、という話。 もし持続的に発電しようと思うなら、燃料を詰め込んだビーズを、餅つきの合いの手のように、リズムよく投入する仕組みが必要。でも水爆が爆発したせいで炉内がぶっ壊れてしまう。一発勝負で爆発させても、エネルギーを得ることは困難。 また、レーザービームもかなり強力なものが必要で、一発発射するともう使い物にならなくなるのだという。交換に時間がかかってしまう。核融合でエネルギーを得るには、レーザービームを連続で長期間打てなきゃいけないのに、それもメドが立っていない。 また、核融合で発生する温度は1億℃。他方、鉄がとろける温度(融点)は1500℃程度、融点が比較的高いタングステンで3500℃程度。1億℃という温度にたえられる炉心を作るメドが立っていない。人類は、巨大すぎるエネルギーから電気を作る技術をまだ持ち合わせていない。 こう考えると、核融合は、研究が続けられるべきだと私は考えているが、すぐにでも実用化できるというものではない、全然メドが立っていない、という認識が必要だろう。 さて、自然エネルギーには地熱発電も期待されている。日本は火山が多く、特に地熱に期待が集まっているが、実は減っている。 日本の地熱発電は1997年にピークを迎えた後、実は減少の一途。なぜか。日本の火山は硫黄が多く、これが硫酸に変化し、配管に穴をあけてしまうので採算をとりにくいらしい。また、めぼしい場所は温泉地にすでになっていて、優良な場所が少ない。 アイスランドは地熱発電が盛んだけれど、これは私の考えでは、硫黄が恐らく少ないのと、溶岩の粘性が低い、というのも大きいような気がする。アイスランドは溶岩の流れる川を見るツアーがあるくらい、溶岩の粘り気が少なく、火山も爆発的な噴火がしにくいみたい。でも日本の場合。 溶岩の粘り気がひどく強く、そのために溶岩で噴火口がふさがり、高圧になってから爆発するという、非常に危険な噴火の仕方をする。このため、火口に近い場所で知力発電を行うのは危険すぎる。安全性も考えてとなると、地力発電の適地というのはごくごく限られたものとなり、採算があいにくい。 さて、電池で電気を貯めるのも、揚水発電や重力発電で電気を貯めるのもイマイチであるなら、いっそ電気で水素を作り、水素エネルギーとして活用しては?と思われる方も多いと思う。確かにこの方面の研究も盛んにおこなわれていて、私も注目しているが、実用化にはいくつもの課題が残されている。 水素を安全に貯める技術が不十分。水素分子はあまりに小さくて、金属に染み込んでしまい、金属を脆くする「水素脆化」という現象が知られている。このため、水素を何とか液化して金属タンクで貯蔵しようとしても、いつ劣化して破裂するか分からない。水素を高密度で貯めることが困難。 そもそも、水素ガスを液体化するのも困難。どれだけ冷やしても水素は液化せず、さらに高圧をかけないと液化しない。液化するだけで結構なエネルギーの消耗がある。液化できても水素脆化のためにためることが難しい。水素は、非常に貯めにくいエネルギー。 そこで、アンモニアが注目されている。アンモニアは水素をくっつけたりはがしたりして、水素の運び屋として使えることが知られている。そこで、アンモニアの形で水素を運び、必要に応じて水素を取り出す技術の開発が進められている。アンモニアは液化も簡単だし、保管も比較的楽だし。 ところが、アンモニアも課題がある。アンモニアは肥料としても重要な成分で、アンモニア製造だけで世界のエネルギー消費の1~2%を消耗していると言われている。実は、アンモニアを製造するにはものすごくエネルギーが必要。これは、ハーバー・ボッシュ法という昔の製造法しか事実上ないため。 この製造方法では、空気中の窒素ガスに高温と高圧をかけてアンモニアを製造する。このとき、大量のエネルギーを消耗する。だから、アンモニアを製造すること自体がエネルギー消耗を巨大にしてしまう要因でもある。また、アンモニアを製造するには、天然ガスか石炭を原料にしている。二酸化炭素増加。 天然ガスや石炭を燃やさずにアンモニアを製造する研究もおこなわれている。サウジアラビアで、太陽電池のエネルギーでアンモニアを製造するプラントを試作しようという動きもあるらしい。しかしアンモニア製造という化学反応は、24時間同じ調子で動かすから効率がよいけれど、太陽電池は昼間だけ。 夜間、アンモニア製造に必要なエネルギーをどうやって賄う?という課題が出るだろう。恐らく、天然ガスなどの化石燃料を燃やすしかあるまい。まだ人類は、電気のエネルギーだけでアンモニアを安定的に製造する技術体系を確立できているとは言えない状況。 水素もアンモニアもまだ実用化に時間がかかるとすれば、バイオエタノールやバイオディーゼルなどのバイオ燃料はどうだろう。実は、バイオ燃料でエネルギー的に黒字なのは、ブラジルのサトウキビ由来バイオエタノールだけ。他は軒並み製造時に消耗するエネルギーの方が大きい。エネルギー的に赤字。 ブラジルのバイオエタノールは、「砂糖を大量製造するついで」という好条件と、サトウキビの搾りかす(バガス)を燃料にして、バイオエタノールを水と分離する蒸留を可能にしているので、製造時の7倍以上のバイオエタノールがつくられる。これ、バイオ燃料の中で例外中の例外。 たとえばアメリカでは、トウモロコシを原料にしてバイオエタノールを生産しているが、製造に要したエネルギーより小さなバイオエタノールしか得られない。エネルギー的に赤字。作れば作るほどエネルギーが減る構造。いったい何のためなのやら、といった感じがする。 菜種油などの油を原料にしたバイオディーゼルでも、製造時に消耗したエネルギーより小さな量のバイオディーゼルしか製造できない。バイオ燃料は、ブラジルのバイオエタノールを唯一の例外として、「作れば作るほどエネルギーが減る」という実態がある。 「だけど航空機はSAFといって、バイオ燃料で一定程度飛ばすことが義務付けられているじゃないか」と思われる方もいるかもしれない。実は、理由は「二酸化炭素を減らしたい」から。バイオ燃料は作れば作るほどエネルギーが減ってしまうのだけど、二酸化炭素の排出は石油より少なくて済む。理由はそれ。 飛行機は恐らく、石油系の液体燃料か、バイオ燃料でないと今後も飛ばすことはできない。電気で乗客を乗せて飛ばすのは困難。飛行機はエネルギー的に大赤字の交通手段だが、これを飛ばし続けるには、まだしも二酸化炭素排出が少ないバイオ燃料に置き換えるしかないのかもしれない。 日本には大量の森林資源があるし、バイオ燃料もこれらを原料にすればいいじゃないか、発電にも利用すれば、と思われるかもしれない。しかし、日本の森林を全部伐採して発電に回したとすると、0.9年分は発電できるが、あと50年は電気無しで暮らしてもらわないといけない。その間、木は切れない。 森林は年に1億㎥成長するので、この分だけ発電に回すと、6日分の電力を作れる。あとの359日は電気無しの生活。このように、森林資源は大量にあるようだけれど、エネルギーとしてみると微々たるもの。石油エネルギーの巨大さ、安価さがこの点からもよくわかる。 石油がエネルギーして利用できなくなる時代がどうやら近づいている。2020年になって急にアメリカや中国の態度が変わり、脱炭素へと一気に舵を切ったのは、サウジアラビアなどの産油国から「EROIの数値が3を切る時代が見えてきた、石油がエネルギーとして利用できなくなる」と知らされたからでは。 上述したように、自動車、船、飛行機などの輸送機械のなんと98%が石油で動いている。電気でも、天然ガスでも石炭でもなく。だから、石油がエネルギーとして利用できなくなると、日本のように食料を海外から輸入し、田舎から都会へ食料を運んでいる国は、果たして成り立つのだろうか? 「石油がエネルギーとして役に立たなくなっても、天然ガスや石炭は資源としてまだまだあるじゃないか」という意見があるかもしれない。私もそう思う。「二酸化炭素で温暖化するなんてインチキだ、欧米が主導する世論操作だ」という意見もある。私もこの意見に一定の留保をつけていた。しかし。 ロシアによるウクライナ侵攻で、ヨーロッパはロシアから石油や天然ガスを入手できなくなり、エネルギー危機が起きた。もちろんこの時、石炭で急場をしのぐ一時しのぎの策は採られたようだが、石炭に逆戻りするのではなく、自然エネルギーへの転換を加速させているらしい。ということは。 どうやらヨーロッパ首脳は、二酸化炭素による地球温暖化説を真剣に受け止めているらしい。石油がなくなるなら天然ガスや石炭を燃やせばいいや、とは考えていないらしい。彼らがそう考えている以上、天然ガスや石炭の資源量が十分あると言っても、それを燃やしてよいとは言えない様子。 ならば今後は、石油、石炭、天然ガスといった化石燃料になるべく頼らず、自然エネルギーや原子力(これは資源に限りがある)でエネルギーを賄う社会にシフトしなければならないらしい。しかし、これは容易なことではない。石油はあまりに優秀なエネルギーだったが、他はそうでもないものばかりだから。 石油は1Lあたり(あるいは1kgあたり)で大量のエネルギーを蓄えている(エネルギー密度が高い)。常温で液体。パイプで簡単に送れて、タンクに入れておけば安全に運べて、保管も可能。燃やせば火炎という、発電するにもエンジン動かすにも都合のよいマイルドな反応。実に扱いやすい。 石油に近い性質を持つのはバイオ燃料だけれど、上述したように作れば作るほどエネルギーを減らしてしまう問題がある。天然ガスや石炭を原料に液体燃料���製造できるが、これだと二酸化炭素が増える。エンジンという素晴らしいパワー機関を、今後は利用することが憚(はばか)られる時代が来そう。 自然エネルギーで電気を作り、電池でそれを貯めてモーターを動かす電気自動車のような利用法が、持続可能性が高く、可能性があるが、電池の能力不足が深刻で、せいぜい乗用車どまり。物資の大量輸送を電気で実現できるメドはまだ立っていない。何より、農業をどうやって実現するのか? 今のおコメは「石油でできている」といって過言ではない。1kcalのおコメを作るのに2.6kcalの石油を燃やしている計算。コメを作るのに、化学農薬、化学肥料、トラクターの燃料などを用いる。これらはすべて石油などの化石燃料を利用する。石油がエネルギーとして利用できなくなったら、どうしたらいい? 江戸時代には、国民の約8割が百姓だった。戦後まもなくでも半分が農家だった。しかし今や農業従事者は152万人。国民の2%を切った。それだけの少人数で農業を営めるようになったのは、トラクターやコンバインなどの農業機械を石油で動かせるから。化学肥料を化石燃料を燃やして製造できるから。 しかし、トラクターのようなパワー農業機械を電気で動かすメドが立たない。北海道で農業機械メーカーが太陽電池で発電し、その電気でトラクターを動かせないか試算したことがあるらしいのだけど、トラクター1台動かすのに数億円かかるという非現実的な数字。そもそも電池でトラクター動かせない。 また、石油などの化石燃料を使えないとなったとき、化学肥料を製造できるのか、疑問がある。すでに述べたように、化学肥料の重要な原料であるアンモニアは、世界のエネルギー消費の1~2%をそれだけで占める。化学肥料は非常にエネルギー食いの商品。しかし、世界の食料を支えてもいる。 カナダの研究者、バーツラフ・スミルは、著書「世界を養う」において、化学肥料を一切使わない場合、地球は人類を何人養えるのか試算している。およそ30~40億人。現在の世界人口が80億人越えだから、半分以下。化学肥料がないと、人類は飢えることになってしまう。 石油や天然ガスなどの化石燃料に頼らずに化学肥料を製造する技術を開発せねばならない。しかし、太陽電��のように昼しか発電できないような気まぐれなエネルギーでは、化学反応のように一定調子が求められる、化学肥料製造に利用することは困難。 ハーバー・ボッシュ法に変わる、高温・高圧でなくてもアンモニアを製造できる技術の開発も進められているが、希少金属を触媒として利用せねばならず、まだ現実的ではない。研究はいろいろなされているが、各方面で「実用化はまだ」だらけ。 以上、「石油はまだまだある」という意見に対しては、採掘時に要するエネルギーよりもたくさんの石油を採ることが難しい時代に間もなく突入する(EROIが3を切る)という点を指摘する必要がある。また、「石油以外にもエネルギーがある」という意見に対しては、 自然エネルギーにしろ原子力にしろ、電気を作る技術ばかりで、その電気を貯める蓄電技術が十分ではなく、社会を安全に回すことができる保証がまだ立っていない。石油に代わる液体燃料を製造するのも困難。二酸化炭素はやはりあまり出さない方がいいらしい。などなど、問題山積。 何より、「大量の石油を燃やして食料を作る」という今の農業体系を改めることができるのか、心もとない。石油がなければトラクターは動かせない。電気や他のエネルギーで動かすことは容易ではない。強大な動力で少人数の農業、という農業体系は今後も維持できるのか、わからない。 「石油がエネルギーとして利用できなくなる」時代は、2020年を節目としてアメリカや中国などの指導者たちが宗旨替えをしたことからも、どうやらそう遠くないように思われる。不思議なことに、日本でも2020年から突然「みどりの食料システム戦略」というのがうたわれ始めている。 農業での化学肥料の使用を減らそう、という話なのだけれど、これ、研究機関にいたのに寝耳に水の話だった。それまで、化学肥料を減らしましょうなんて、農水省で議論されている雰囲気はなかったのに、突然。しかもアメリカや中国みたいな温暖化を否定気味の国の方針転換と同時。これは。 世界の首脳に、「石油がエネルギーとして利用できなくなる時代」が遠くないことが、伝えられたのではないかと私は推測している。石油がまだしも採れるうちに、太陽電池などの自然エネルギーの設備を整え、電気を貯める蓄電池の技術を開発しなければ!と、必死になっているのだろう。 まだ、太陽電池のエネルギーで太陽電池を製造できるめどが立っていない。もし石油がエネルギーとして利用できなくなったら、太陽電池を製造することもできなくなってしまう。世界の首脳は、「まだ石油が利用できるうちに」自然エネルギーを製造できる社会へとシフトさせようとしているのだろう。 それでも、まだまだ困難が予想される。安易に考えることはできない。ここまで上述してきたように、石油以外のエネルギーを実用化するにはいろんな課題があり、石油に置き換えることが困難。石油はそれだけ、超絶優秀なエネルギーだったということなのだろう。 食糧を作ることだって、石油が失われるとどうなるか分からない。今から急ピッチでシステムを構築できるのか、予断は許さない。その危機感を持って、技術開発を進めるばかりでなく、社会のありようも大きく変革する必要が出てくるだろう。これは私たち一人一人の課題でもある。
「石油はまだある」「石油以外にもエネルギーが」考|shinshinohara
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今日は川越百万灯提灯祭りだったので、熊野神社の銭洗い弁天で「音ゲーがうまくなりますように」と100円玉を洗う

あと、蓮馨寺のおびんづる様に「四十肩が治りましたありがとう」とお礼に。おびんづる様の自分の体の悪い部分と同じところをなでると治るという謎伝説があるのです
百万灯提灯祭りが始まるといよいよ川越の夏本番です
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(3/26追記) たくさん見ていただいてありがとうございます。事前準備は大変でしたが、それでも現地で苦労したこともありました。しかし、それを上回る食事の良さと観光地の壮大さが味わえました。中国は怖い、と思ってる人も多くいると思いますが、現地で言葉がわからず苦労している我々に一生懸命手を差し伸べようとしてくる親切な人も数多くいたことをお伝えしておきます。 ・3世代の続柄がよくわからない →増田を起点に母、増田、子の3世代です。修正しました。 ・ホテルの値段を知りたい →追記しました。日本のHilton系よりも安いと思う。 ・中国プリペイドSIMはLINE使える? →使えます。Google/Facebook/Xも問題なしでした。 ・スマホないと無理レベル? →旅行者は無理だと思う。ただ同行者全員がこの準備をする必要はない。今回は大人数でタクシー2台移動もあるため、増田夫婦2人がWeChat PayとAlipayを準備しておいた。(DiDiで2台同時に呼べない) ・Trip.com、タクシーに関する情報を追記 以下本文 -------------------- 2025年3月に増田母/義母(後期高齢者)、増田夫婦(アラフィフ)、増田子(未成年)の3世代で中国北京に5泊6日で旅行してきた。事前にネットで情報収集したが、ガイドブック含めて日本語でアクセスできる最新情報が少なく苦労したので、誰かの役に立つことを願って備忘録として記載しておく。 目次 ・事前準備 ・ホテルの予約 ・交通状況 ・観光地(次回) ・食事(次回) 事前準備 ・中国電話番号付きSIMカード(プリペイド)の契約 WeChat Pay、AliPayは日本の携帯電話番号でも登録して、支払いのアクティベーションまで完了することはできるが、DiDiの利用や故宮の予約などを考えると中国電話番号が欲しいと思い契約した。私が契約したのはamazonでも売っているChina UnicomのeSIM「中国電話番号付きシーズンSIM」。中国本土だけでなく日本でも中国電話番号宛てのSMSが受信できるところがミソで、このおかげでBaiduのアカウントも作成できたし、故宮の予約も日本で取得できた。 90日間有効でデータ容量は6GBだが、1週間程度の旅行であれば十分かと思う。足りなければチャージ&期間延長できる。GoogleのサービスやLINEも使えた。今回宿泊したHilton系ホテルのWiFiでもLINEなどは制限されていて利用できなかったのでこれがあってよかった。 私のスマホ(Google Pixel 8 Pro)は物理SIM利用なので、このeSIMを追加して2本差し状態にしておけば現地で特に何もすることなくすぐに使える。 ・WeChat(微信)とAlipay(支付宝) 支払いはこの2つのアプリをそれぞれインストールしておき、アカウント登録(要パスポート)とクレジットカード紐づけまでを日本で完了させておく。ほとんどの店でどちらも使うことができるが、バックアップ用として両方ともが望ましい。紐づけるクレジットカードは別会社にしておくと更に良い。私は旅行中にAMEXに不正利用確認として2度止められてWeChat Payが利用できなくなり、JCBを紐づけたAlipayで支払って難を逃れたことがあった。 支払いだけでなく、それぞれのアプリからミニプログラムを起動して故宮などの観光地の予約やDiDiでのタクシー配車をするので、これがないと何も始まらない。逆に現金はまったく不要だった。今回の旅行では中国元への両替を行わずにすべての観光ができたし、なんなら硬貨、紙幣含めて使われているのを見てもいない。 ・百度地図 Google Mapは中国だとまったく役に立たない(地図の内容と位置情報が合っていない)ので、百度地図か高徳地図のいずれかを使わないといけない。私は百度地図しか使わなかったので高徳地図のことはわからない。百度地図が使いやすいか?と言うとそんなことはなく、中国語以外の言語は選択できないのでGoogleレンズの翻訳とにらめっこしながら後は慣れで乗り切るしかない。また、Baiduアカウントがないと地点の「お気に入り登録」ができず、Baiduアカウントは中国の電話番号がないと作成できないという問題もある。今回は日本でもSMS受信可能な中国電話番号付きSIMを購入したのでBaiduアカウントの作成に成功し、Google Mapに近い感じで利用することができた。 なお、Google Mapでホテルの場所を確認するとまったく別の場所を表示されるので自力で行こうとするとホテルにたどり着けない可能性もある。ホテルの場所は百度地図で確認しておくとよい。 ・Trip.com 中国国内の高速鉄道が予約できる。Web版もあるがアプリを入れた。今回は雲崗石窟(大同南)と万里の長城(八達嶺長城)の往復2回、高速鉄道に乗ったが、GUIもわかりやすく日本語表示可能なのであまり苦労しないで列車予約できると思う。思ったより発券手数料がかかるが他に選択肢がないのでどうしようもない。 (追記)利用登録にはパスポートが必要。また同行者のチケットを購入するときも同乗者のパスポート情報が必要なので、何度も購入するのであれば事前に同行者情報を登録しておくと便利。あと、1回の発券では5人分までしか購入できない。今回の旅は大人数のため2回に分けて購入が必要だった。 ホテルの予約 私はHilton Honors会員なので、今回はHilton系しか調べていない宿泊していないので参考にならないと思う。HiltonのWebサイトから北京(Beijing)で調べていくと、ラグジュアリー系のウォルドルフ・アストリア、コンラッドから、ヒルトン、ダブルツリーのアッパー系、アッパーミドルのHilton Garden Inn、Hamptonなど10個以上が見つかる。後述するように地下鉄が安く、タクシーが便利で安いので、ものすごく辺鄙な場所でなければ、あとは予算や志向に合わせて決めれば良いと思う。 今回の旅は、Hilton Garden Inn Beijing Guomaoに3泊、Conrad Beijingに2泊した。北京市内でホテルをはしごするのは面倒ではあったが、アッパーミドル→ラグジュアリーとグレードアップすることで終わりの印象がよい旅になったと思う。 Hilton Garden Inn Beijing Guomao(北京国貿希尓頓花園酒店) 2025年3月上旬に開業(おそらくHiltonブランドへの変更リニューアルと思う)したばかりだったので、設備も新しくキレイだった。トイレもウォシュレット完備だが、バスタブはなくシャワーのみ。朝食ビュッフェ(60元/人)、無料ランドリー、トレーニングマシン室もあるので、長期滞在でもリーズナブルかつ便利に過ごせると思う。スタッフはごく一部しか英語を話せないが、一生懸命理解しよう���してくれるし、日本人ならではとして漢字で筆談できるのでなんとかなる。最寄り駅は国貿(Guomao)ではなく永安里から徒歩5分ちょっと。永安里は1路線(地鉄1号線)のみだが天安門や王府井から3〜4駅と近く拠点としても優秀な部類だと思う。レストランの併設はないが近くに四川料理店があるのと、DiDi呼んで食べに行けばよいので困らない。 (追記)3部屋3泊で約7,700元(朝食付き)だったので、1部屋(2人ないし3人まで宿泊可)の1泊分は約18,000円。 Conrad Beijing(北京康莱德酒店) Hilton系列のラグジュアリークラスだが、繁華街の王府井にあるHilton Hotel やウォルドルフ・アストリアに比べたら安価。ラグジュアリーではあるが2013年開業なので設備はあまり新しくない。トイレもウォシュレットはなかった。シャワー室のほかバスタブが窓際にセパレートであるのでゆったりと過ごせる。地下にプールがあるらしいが今回は行かなかったので不明。朝食はさすがの高級ホテルのビュッフェという感じ。上記のHilton Garden Innも悪くなかったが、比べてみると種類、質とも圧倒的。あと市街観光していても西洋系、アラブ系の外国人をほとんど見ることはなかったが、Conradにはいっぱいいた。みなさん、ここにいたのね。 (追記)3部屋3泊で1部屋はエクストラベッド追加で約11,000元(朝食付き)だったので、こちらは1部屋1泊分は約38,500円。 交通状況 ・Beijing PASS いわゆるSuica/PASMOと同じような非接触型のチャージ式切符であり、ガイドブック等を読んだ限りでは便利そうだと思い空港で購入したが、買う必要はなかったなと思う。人数も多かったのでいちいち1枚ずつチャージするより、切符を券売機でまとめて購入するほうが楽だったので、チャージが切れたあとは使っていない。少人数で地下鉄中心で移動する場合は購入してもよいかもだが、WeChat PayやAlipayで直接改札で支払い可能なので、個人旅行だとやっぱり不要。 ・地下鉄(地鉄) ものすごく地下鉄網が発達していて南北東西に走る線路のほか、環状線が大小あり至る所で乗換駅がある感じ。そして安い。初乗りは3元からで乗換含めて40〜50分地下鉄で移動しても6元とか。お金はあまり使いたくないが体力がある人には地下鉄がおすすめ。ただ、古い路線(1号線とか2号線)はエレベータどころかエスカレータもなく、年寄や足が悪い人には向かない。タクシーも日本に比べてずっと安いので、体力に自信のない人はタクシーを活用したほうが良い。私たちは朝は地下鉄で目的地まで行って、その後は無理をせずタクシーを使って移動していた。あと、だいたいどんな駅でも入口でセキュリティチェックを受ける。 ・タクシー 日本だとタクシー配車アプリを使ったことはほとんどないが、中国ではDiDiというアプリ一択の状況。WeChat、AlipayのそれぞれのアプリからミニプログラムとしてDiDiが起動できるので、DiDiアプリをダウンロードしておく必要もない。使い方は英語画面だが直感でなんとかなる。自分の位置情報が表示されるので”Where to go”から行きたいところを検索して指定して、どのクラスの車を呼ぶか(複数選択可)を選べば、あとは数秒で自動でマッチングして自分の居場所まで来てくれる。アプリには車のナンバーだけでなく、メーカーや車種なども表示される(されない場合もある)し、どこから向かってるかなどの位置情報もわかるので、あ、あれかも?とナンバーが見えなくてもなんとなくわかる。車が来ているのにこちらが見つけられないと、SMSや電話がかかってくる場合もあるが、中国語が話せないとわかると向こうからキャンセルされる。その場合は、落ち着いてもう一度配車申し込みすればよい。 値段は20kmぐらい移動しても50元(1,000円)いかないぐらい。中心部にある観光地から周縁部のホテルに戻るぐらいの距離なら20〜30元でいける。3人旅であれば地下鉄よりもちょっと高いぐらいで楽々移動できる。 (追記)空港や主要駅などでは、タクシー(白タクではない正規のもの)も客待ちしている。DiDi配車の待ち合わせスペースに行こうとすると必ずタクシーの運ちゃんの客引きに合う。彼らは私が”I can't speak Chinese”と言ってもお構いなしにずっと声がけしてきてつきまとってくるので、かなりうざい。 声がけには白タクの人も混じってくるので無視するに限るが、正規のタクシーで目的地が有名どころではっきりしていれば特に問題ないと思う。 DiDiは目的の車が来たら自分で助手席を開けて、自分の携帯電話番号の下4桁を運転手に伝えることで確認完了となる。WeChat PayやAlipayに登録した番号がそのままDiDiに連携される仕組み。増田は中国SIMの電話番号に登録変更していたのでそっちを伝える。英語だと通じないことがあるので、そこだけは中国語の数字を覚えるか、紙に書いて見せるのでもよい。数字は麻雀知ってる人はそんなに苦にならないと思う。リン、イー、アル、サン、スー、ウー、リュウ、チー、バー、ジュウなので、0834なら「リン・バー・サン・スー」とはっきり言えば伝わらないことはなかった。 ・高速鉄道(高鉄) 長距離移動の場合は、高速鉄道(新幹線)を使う。北京にはいくつかの高速鉄道駅があるが、今回は北京北駅と清河駅の2つしか使っていないので、それ以外はよくわからない。パリやロンドンと同じく行き先別で駅を使い分ける感じなんだと思う。(東京は東京駅に行けばどこにでも行けるのと対照的だ) そして高速鉄道駅はものすごくでかい。庇のついた巨大な駅舎で内部も余裕があり、こんなに大きくする必要もないだろうと思うが、中国の人口を考えると繁忙期には激混みするのかもしれない。 チケットの購入はTrip.comで行った。他に方法があるのかは不明だが、日本語表示可能で直感的に使えるGUIなので発券手数料高くても不満はない。チケットの予約は2週間前から可能だが、それ以前から購入予約をすることができる。春節などの繁忙期は列車が満員になることもあるらしい。 座席は1等席、2等席のほか、ビジネス席やファミリー席などがある列車もある。1等席以上は座席数も少ないので希望する場合は早めに予約を。あと1等席は飲み物(今回の旅では”お湯”だった)とスナックがついた。 (追記)セキュリティチェックも厳重で駅の建物に入るとき、出発待ちの待合室に入るときの2回のチェックがある。
2025年3月北京旅行備忘録
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Recommended Books 【京都・Kyoto】
&Premium特別編集 まだまだ知らない京都、街歩きガイド。 (MAGAZINE HOUSE MOOK) 雑誌 – 2024/8/6
マガジンハウス (編集)
雑誌「&Premium」発、人気の京都ガイド第5弾! 混雑する観光地から離れて、暮らす人だからこそ薦めたい15のエリアと8つのテーマ、全316軒を紹介します。 ■大和まこの京都さんぽ部 暮らすように歩く、京の街
【紹介エリア・テーマ】 静かに過ごす時間/七条通/四条南/御所南再訪/自分みやげ/叡電/現地系中華/老舗の味/賀茂川/河原町松原/栗の菓子/鹿ヶ谷通/アペロの時間/二条城南/東大路通/冷泉通/吉田&聖護院/壬生/整える/北野天満宮界隈/栗の菓子2/御所西再訪/京丹後
女人京都 ペーパーバック – 2022/9/28
酒井 順子 (著)
京都に通い続けるエッセイスト・酒井順子による、全く新しい視点から切り取った京都エッセイ&ガイド。 女性の生き方、古典、旅、文学など幅広く執筆活動を行う著者が、小野小町、紫式部、清少納言、日野富子、淀君、大田垣蓮月、上村松園など歴史上の女性たち43人の足跡をたどる旅に出た。
「京都の中でも、京都らしさを最も濃厚に抱いている存在は、名所旧跡でも食べ物でもなく、京都の『人』なのではないかと私は思います。(中略)京都の都会人の中には、今も、平安以来続く都会人らしさのしずくが、滴り続けているのです。」(「はじめに」より)
京都に暮らした女性たちの生き様を知ることは、現代の京都の人々、そして京都の街を知ること。 この本を片手に歩いてみると、平安時代の遺構がそのまま残っているところもあれば、貴族の屋敷が今は児童公園になっていたりすることにも気づく。京都の通りを上ル下ルし、西へ東へと歩き回り、時代を行ったり来たりして、新たな旅の提案を教えてくれる。 この本を読むと京都の歴史や文学がぐっと身近になること間違いなし。
京都散策に便利な地図付きです。
お茶の味 京都寺町 一保堂茶舖 (新潮文庫) 文庫 – 2020/5/28
渡辺 都 (著)
ゆったりと流れる時間、その時々で変化する風味、茶葉が持つ本来の美味しさ──お湯を沸かし、急須で淹れてこそ感じられるお茶の味わいがあります。江戸時代半ばから京都に店を構える老舗茶舗「一保堂」に嫁いで知った、代々が受け継ぎ伝えてきた知恵と経験、家族のこと、お店のいまと未来、出会いと発見に満ちた京都生活。お茶とともにある豊かな暮らしを綴った、心あたたまるエッセイ。
京都、パリ ―この美しくもイケズな街 単行本 – 2018/9/27
鹿島 茂 (著), 井上 章一 (著)
◎26万部『京都ぎらい』の井上章一氏、フランス文学界の重鎮である鹿島茂氏が、知られざる京都とパリの「表と裏の顔」を語り尽くす。たとえば、 ・日本には「怨霊」がいるが、フランスにはいない ・日本のお茶屋とパリの娼館は、管理システムが似ている ・パリの娼館は、スパイの温床だった ・日仏では、女性のどこに魅力を感じるか ・洛中の人にとっての「京都」はどこ? ・パリの人にとっての「パリ」はどこ? ・パリと京都の「汚れ」に対する意識の違い など、知っているようで知らなかった「京都とパリ」の秘密がわかる。
京都のおねだん (講談社現代新書 2419) 新書 – 2017/3/15
大野 裕之 (著)
お地蔵さんの貸出料は3000円、発売第一号の抹茶パフェは1080円、では舞妓さんとのお茶屋遊びは? 京都では値段が前もって知らされないことも多く、往々にして不思議な「おねだん」設定に出くわす。京都を京都たらしめているゆえんともいえる、京都の 「おねだん」。それを知ることは、京都人の思考や人生観を知ることに���ながるはず。京都歴二十余年、サントリー学芸賞受賞の気鋭の研究者が解読する、京都の秘密。
なぜこれがこんな高いのか、あんな安いのか、なんで無料なのか、そもそもあんなものになんでおねだんがつくのか―― 大学進学以来、京都住まい二十余年。往々にしてそんな局面に出くわした著者が、そんな「京都のおねだん」の秘密に迫る。 そもそも「おねだん」の表示がされていない料理屋さん、おねだん「上限なし」という貸しビデオ屋、お地蔵さんに生ずる「借用料」。 そして究極の謎、花街遊びにはいくらかかる?
京都人が何にどれだけ支払うのかという価値基準は、もしかしたら京都を京都たらしめているゆえんかもしれない。 京都の「おねだん」を知ることは、京都人の思考や人生観を知ることにつながるはず。 2015年サントリー学芸賞芸術・文学部門を受賞、気鋭のチャップリン研究者にして「京都人見習い」を自称する著者による、初エッセイ。
京都 ものがたりの道 単行本 – 2016/10/28
彬子女王 (著)
「京都という街は、タイムカプセルのようだ」と著者は言う。オフィス街の真ん中に聖徳太子創建と伝えられるお寺があったり、京都きっての繁華街に、坂本龍馬と中岡慎太郎が暗殺された地の石碑がひっそりと立っていたり。そこには人々の日常があり、みなが変わりない暮らしを続けている。そんな石碑になど目を留めない人もたくさんいるはずだ。 それでも著者は、そんな場所に出会う度に、タイムカプセルを開けたような気持ちになるのだという。幕末の争乱期の京都へ、平安遷都する以前の京都へ、近代化が急速に進んだ明治・大正時代の京都へ……。さまざまな時代の“時"のカケラが、街のそこかしこに埋まっている。この場所で徳川慶喜は何を思ったのだろう。平家全盛のころの六波羅は、どんな景色だったのだろう。安倍晴明はここで何を見たのだろう。その“時"のカケラは、一瞬の時間旅行へと誘ってくれる。 日本美術研究者として活動する著者が、京都の通り界隈にまつわる逸話から、神社仏閣の歴史、地元の人々の季節折々の暮らし、街歩きでの目のつけどころや楽しみどころ、京都人の気質までを生活者の視点から紹介する。さらに、自身のご家族のこと、京都府警と側衛の方たちとのやり取りなどの日常生活の一端を、親しみやすい文体でつづる。6年以上、著者が京都に暮らす中で感じ、経験した京都の魅力が存分に語られており、「京都」という街の奥深さと、「京都」の楽しみ方を知る手がかりとなる。 新聞連載の24作品に、書き下ろし3作品を加えて刊行。京都の街歩きに役立つ「ちょっと寄り道」情報や地図も掲載。
京都はんなり暮し〈新装版〉 (徳間文庫) 文庫 – 2015/9/4
澤田瞳子 (著)
京都の和菓子と一口で言っても、お餅屋・お菓子屋の違い、ご存知ですか? 京都生まれ京都育ち、気鋭の歴史時代作家がこっそり教える京都の姿。『枕草子』『平家物語』などの著名な書や、『鈴鹿家記』『古今名物御前菓子秘伝抄』などの貴重な資料を繙き、過去から現代における京都の奥深さを教えます。誰もが知る名所や祭事の他、地元に馴染む商店に根付く歴史は読んで愉しく、ためになる!
京の花街「輪違屋」物語 (PHP新書 477) 新書 – 2007/8/11
高橋 利樹 (著)
京都・島原といえば、かつて興隆をきわめた、日本でいちばん古い廓(ルビ:くるわ)。幕末の時代、新選組が闊歩したことでも有名である。その地でたった一軒、現在でも営業を続けるお茶屋が、輪違屋(ルビ:わちがいや)である。芸・教養・容姿のすべてにおいて極上の妓女(ルビ:ぎじよ)、太夫(ルビ:たゆう)を抱え、室町の公家文化に始まる三百年の伝統を脈々と受け継いできた。 古色なたたずまいを残す輪違屋の暖簾をくぐれば、古(ルビ:いにしえ)の美しい女たちの息づかいが聞こえてくる。太夫のくりひろげる絢爛な宴は、多くの客人たちを魅了し続けている。 本書では、輪違屋十代目当主が、幼き日々の思い出、太夫の歴史と文化、お座敷の話、跡継ぎとしての日常と想いを、京ことばを交えてつづる。あでやかでみやびな粋と艶の世界----これまでは語られることのなかった古都の姿が、ここにある。
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2023反五輪重大ニュース!
毎年、年末に段ボールで制作しているその年の反五輪重大ニュース。今年は年明けから1か月以上も過ぎてしまいましたが、ブログで発表したいと思います。
1 札幌30年34年不招致決定!
札幌の人たちの大勝利!札幌市長のしつこい招致活動に対して、とことん冷水を浴びせつづけました。
札幌市とJOCは10月11日、2030年招致を断念し2034年招致に照準を合わせると会見。しかし、その2日後の13日、IOCは2030年と2034年の開催都市を同時決定する方針を発表。11月29日のIOC理事会で、2030年大会の候補地を仏・アルプス地方に、2034年大会の候補地を米・ソルトレークシティに一本化することを決定した。また、2038年大会についてはスイスと「優先的対話」を進めるという。
札幌不招致が確定したことは喜ばしいが、他の立候補都市でも五輪による破壊が起こることは目に見えている。既にフレンチ・アルプスでは「Non aux J.O dans les Alpes(アルプスでのオリンピックに反対)」というグループが立ち上がり、反対活動を活発化させている。彼らのスローガンは「Ni ici, ni ailleurs !(ここでもNO!どこでもNO!)」で、私たちが掲げてきたNOlympicsAnywhere(オリンピックはどこにも要らない)と共通する。
2 東京オリンピック、嘘とワイロの記録更新中!
2022年に発覚した東京五輪汚職事件では、元組織委員会理事・高橋治之はじめAOKI、KADOKAWA、ADK、サンアロー、大広の社長や重役ら15人が受託収賄や贈賄の罪で逮捕・起訴。2023年には15人中11人が執行猶予付きの有罪判決を受けた。しかし、高橋治之は2024年1月31日の公判で「賄賂ではなくビジネス」と主張。まだまだ記録は伸びそうな気配である。
一方、2023年2月には組織委員会が発注した各競技のテスト大会や本大会における総額437億円の事業を対象に談合が行われていたことが発覚。電通グループ、博報堂、東急エージェンシー、セレスポ、フジクリエイティブコーポレーション、セイムトゥーの6社と、組織委員会大会運営局元次長森泰夫ら7人が起訴された。12月12日には森泰夫に懲役2年、執行猶予4年の有罪判決が出されている。
3 2013年招致時、官房機密費でIOCに高額贈答品疑惑。石川県知事・馳浩。
2013年当時、自民党の「招致推進本部」本部長であり、現・石川県知事の馳浩が、東京大会招致活動の中で「官房機密費使って、IOC委員全員105名に、選手時代の写真をまとめたアルバム、一冊20万円を送った」と11月17日の講演会で語った。のちに説明なく撤回(事実だから、黙らされた)。
本人のブログ(2013年4月1日) https://ameblo.jp/hase-hiroshi/entry-11503851369.html
4 明治公園国賠一審不当判決、控訴審へ
2016年、新国立競技場建設のために明治公園の野宿者を強制執行により暴力的に排除した不当性を問う明治公園オリンピック追い出しを許さない国家賠償請求訴訟。2月28日、ついに第一審判決が下された。しかし「原告野宿当事者2名の訴えを棄却・4団体の訴えは却下」の不当判決!許せない!闘いは東京高裁・控訴審へ!高裁では、不当な強制執行の様子を終始記録していた白いヘルメットの集団が誰なのか、その動画を誰が所持しているのか、明らかにするよう指示が出た。闘いはこれからだ。
5 10月31日、新・明治公園開園
2016年1月27日、新国立競技場建設のために廃園になった明治公園が、2023年10月31日、かつて都営霞ヶ丘アパートのあった場所にリニューアルオープンした。公園内にはカフェやレストラン、アウトドアショップなどの商業施設が立ち並び、およそ公共の公園とは呼び難い様相。公園や木々を破壊し、野宿者を排除し、都営住宅住民を立ち退かせた歴史を覆い隠すように、公園の各所に「希望の広場」「インクルーシブ広場」「誇りの杜」などと名付けられていた。
さらに、日本テレビ「鉄腕DASH」という番組で、元社長による性暴力問題が取りざたされてきたジャニーズ事務所のタレントたちによって明治公園の「100年続く森づくりのお手伝い」なる企画が進行。都営霞ヶ丘アパートがあった場所を「50年間コンクリートだった」と蔑む発言などに非難が湧きおこった。
6 東京の公教育、オリパラ教育が「学校2020レガシー」として継続中。
ある都立学校では、2020大会前と比べて、外部講師招聘など外部のオリパラ関係者等との交流は少なくなり、校内の教員向け研修も大会前はオリパラ教育が主要テーマだったが、大会終了後は学習指導や進路指導など通常の内容に戻った。しかし、「総合的な探求の時間」では「パラスポーツ」のボッチャなど「障害者」スポーツが依然として主要な取組内容であり、校内ボッチャ大会や区主催など外部との試合参加など、かなりの比重を占めている。
また、冬季オリパラ招致を進めてきた札幌市は、2016年に2020大会を主な目標としてオリパラ教育を推進、冬季大会招致と歩を一にするように実施校は増え続け、昨年度の実施校は100校近くにのぼっている。札幌市は一旦はオリパラ招致撤退を表明したが、今後、学校でのオリパラ教育がどのようになっていくのか、注目していく必要がある。
招致レース参加が現実味を帯びる可能性のある2042年には、現在小学校高学年の子どもはアラサーとなる。
都教委サイト(都立/市町村区別で各校の2020レガシーの内容の一覧ファイルも) https://www.kyoiku.metro.tokyo.lg.jp/school/content/2020legacy.html
札幌市のオリパラ教育
7 パリでも汚職、立ち退き、過剰警備、自然破壊
パリでも2024年夏季五輪開催が迫っており、東京大会と同様の問題が次々と起こっている。
パリでも組織委本部やスポーツ代理店が汚職の疑いで捜索。このスポーツ代理店が、2016~21年の間、電通子会社だったこともわかった。電通汚職はパリにまで!
3月にはパリ五輪に向け人工知能(AI)を搭載した監視カメラの街頭での設置を認める法案が議会を通過。AIによる大規模監視カメラの導入が法的に認められることに。また、フランス軍15,000人、数万人の警察官と民間警備員を投入した大規模警備体制が敷かれることが明らかになった。
ホームレスの人々に対する立ち退き、セーヌ川沿いの古書店に対する立ち退き、学生たちに対する立ち退きも起こっている。
また、パリ五輪のサーフィン会場はなんとパリから1万5000キロも離れたタヒチ。地元住民の反対にも関わらず競技判定用タワーが建設され、サンゴが破壊されているという。
汚職、立ち退き、過剰警備、自然破壊、オリンピックは世界中で同じ災厄をもたらし続けている!廃止だ廃止!
8 パリ、フレンチアルプスで活発化する抗議行動
2024年夏季五輪が迫るパリ、2030年冬季五輪の最優先候補都市とされてしまったフレンチ・アルプスでは、2023年、活発な抗議行動が取り組まれてきた。
12月2日にはフランス全土で2024年夏季五輪と2030年冬季五輪の両方に反対する抗議が行われた。
9 2026年冬季五輪開催都市ミラノ、コルティナ・ダンペッツォでも反対運動。ボブスレートラック建設阻止?
2026年冬季五輪開催予定都市、ミラノ、コルティナ・ダンペッツォでも五輪反対運動が活発化している。8月には、ボブスレートラック建設のために自然破壊が行われることに対して抗議行動が取り組まれた。樹齢数十年のカラマツ、モミ、マツの木300本以上が伐採されるという。
しかし、コルティナでのボブスレートラック建設にはIOCが建設費の問題などで難色を示しており、国外での競技実施の可能性があるとのこと。
10 続くガザ虐殺。「平和の祭典」の欺瞞。
イスラエルのガザ攻撃を止められない中、国連総会で、パリ大会中の「休戦の呼びかけ」が決議された。「平和に貢献するオリパラ」を演出するだけの茶番は、真の解決への努力をバカにしているかのようだ。
<番外編>
・オリンピックは終っても、まだまだ続くメガイベント
2030年・34年札幌五輪招致は阻止されたが、日本国内だけでも今後数多くのメガイベントが予定されている。メガイベントの際は、五輪のとき同様、公費の無駄遣い、汚職や談合、立ち退き、監視強化、自然破壊、ナショナリズムの称揚など様々な問題が起こる。
・2025年4~10日 大阪・関西万博(大阪)
→署名活動など反対の声が湧きおこっている。https://www.tokyo-np.co.jp/article/289081
・2025年8~9月 世界陸上(東京)
・2025年11月 デフリンピック(東京)
・2026年9~10月 アジア競技大会(名古屋)
・2027年3月~9日 横浜国際園芸博覧会(神奈川)
→計画の見直しを求める署名が呼びかけられている。https://chng.it/gBgrBwzLGX
※このほかにIOCが2026年オリンピックeスポーツ競技大会の開発を発表し、日本に開催を打診しているとの報あり。https://t.co/zRMtA6INWw
・世界中で続くオリンピック災害 2036年夏季五輪
現在、夏季五輪は2024年パリ(仏)、2028年LA(米)、2032年ブリズベン(豪)が開催予定都市として決定しており、反対運動���取り組まれている(ブリズベンは未確認)。そして、東京の惨状を目の当たりにした私たちにはとても信じがたいことだが、2036年夏季五輪招致を目指す国々も既に多々ある。一日も早い五輪廃絶を実現するためにも、各都市の人々と連帯しともに反対の声を挙げていきたい。
招致活動を表明した国
・エジプト
・ポーランド
・トルコ
・インドネシア
・インド
関心を寄せている国
・ドイツ
・カタール
・中国
・韓国
・イギリス(ロンドン)
※メキシコは招致を目指していたが断念。 https://www.tokyo-np.co.jp/article/303267
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チャットGPTにヨハネの黙示録21章11~27節 22章1~5節を引用して天のエルサレムはどんなところか聞いてみたらこうなった😆✨
"都には神の栄光があった。その輝きは高価な宝石に似ており、透き通った碧玉のようであった。
都には大きな高い城壁と十二の門があって、それらの門には十二人の御使いがおり、イスラエルの子らの十二部族の名が書いてあった。
東に三つの門、北に三つの門、南に三つの門、西に三つの門があった。
また、都の城壁には十二の土台石があり、それには、小羊の十二使徒の十二の名が書いてあった。
また、私と話していた者は都とその門とその城壁とを測る金の測りざおを持っていた。
都は四角で、その長さと幅は同じである。彼がそのさおで都を測ると、一万二千スタディオンあった。長さも幅も高さも同じである。
また、彼がその城壁を測ると、人間の尺度で百四十四ペーキュスあった。これが御使いの尺度でもあった。
その城壁は碧玉で造られ、都は混じりけのないガラスに似た純金でできていた。
都の城壁の土台石はあらゆる宝石で飾られていた。第一の土台石は碧玉、第二はサファイヤ、第三は玉髄、第四は緑玉、
第五は赤縞めのう、第六は赤めのう、第七は貴かんらん石、第八は緑柱石、第九は黄玉、第十は緑玉髄、第十一は青玉、第十二は紫水晶であった。
また、十二の門は十二の真珠であった。どの門もそれぞれ一つの真珠からできていた。都の大通りは、透き通ったガラスのような純金であった。
私は、この都の中に神殿を見なかった。それは、万物の支配者である、神であられる主と、小羊とが都の神殿だからである。
都には、これを照らす太陽も月もいらない。というのは、神の栄光が都を照らし、小羊が都のあかりだからである。
諸国の民が、都の光によって歩み、地の王たちはその栄光を携えて都に来る。
都の門は一日中決して閉じることがない。そこには夜がないからである。
こうして、人々は諸国の民の栄光と誉れとを、そこに携えて来る。
しかし、すべて汚れた者や、憎むべきことと偽りとを行う者は、決して都に入れない。小羊のいのちの書に名が書いてある者だけが、入ることができる。"
"御使いはまた、私に水晶のように光るいのちの水の川を見せた。それは神と小羊との御座から出て、
都の大通りの中央を流れていた。川の両岸には、いのちの木があって、十二種の実がなり、毎月、実ができた。また、その木の葉は諸国の民をいやした。
もはや、のろわれるものは何もない。神と小羊との御座が都の中にあって、そのしもべたちは神に仕え、
神の御顔を仰ぎ見る。また、彼らの額には神の名がついている。
もはや夜がない。神である主が彼らを照らされるので、彼らにはともしびの光も太陽の光もいらない。彼らは永遠に王である。"
ヨハネの黙示録21章11~27節 22章1~5節
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和六年(2024)1月8日(月曜日)
通巻第8084号
書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評 BOOKREVIEW
中国の資本、土地買収、爆買いを歓迎した浅はかな日本
移民を促進する日本政府は頭がおかしくないのか
佐々木類『移民侵略 死に急ぐ日本』(ハート出版)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
中国の「静かなる日本侵略」の現場に飛んで、積極的な取材を重ねる『突撃隊長』の佐々木類(前産経新聞論説副委員長)がシリーズの第六弾に挑んだ。
日本支配を狙う中国共産党の尖兵が在日中国人、あるいは既に帰化した中国人工作員。その数、帰化人をのぞき76万人!
すでに日本列島のあちこちに「中国人居住区」がある。もちろん、全員がスパイではなく、ごく少数だが日本に溶け込もうと汗を流す中国人も、佐々木氏はちゃんとインタビューして公平を期している。
偏見をもって中国人を見ているのではなく客観的に彼らを観察し、その背後にある中国の対日戦略を読み取ろうとする。
沖縄の離島を購入した中国人女性がいた。
国家の研究機関に巣くう学術スパイがいる。日本国内に中国公安の闇警察がある。栃木県小山市には「中国農場」があって、横浜中華街には中国人経営の激安八百屋、埼玉県川口にチャイナ団地、列挙すればキリがないが、いまどうなっているか。スパイ中国人らはいま、いかなる陰謀を展開しているのか。
また日本政府が推進してきた移民政策の間違い、外国人土地所有法改正、改正入管法の問題点などホットな問題のすべてを簡潔に要領よく解説される。
それにしても、中国の資本、土地買収、爆買いを歓迎した日本人、中国からの移民を促進する日本政府は頭がおかしくないのか?
いま日本が相手にしているのは「共産党の意向がすべてに優先する国家レベルの反社会勢力」なのである。
そうだ、かれらは「反社」である。
賃金が安いからと行って深く考えることもなく中国と合弁を組んだら、当てが外れ、撤退しようにも税金だとか、労働条件とかの難癖をつけられ、「官僚主義的な小役人に窓口レベルで小突き回され、賄賂を要求された挙げ句に『身ぐるみ脱いで全部置いていけ』となる」のが落ち。
無国籍におちいり、国家利益は顧みないメディアがグローバリズムを煽り、それを真に受けた軽佻浮薄の政治家は、なんと中国企業系列にパーティ券を買って貰っていた。チャイナの買弁政治家が目立つのは、こうしたカラクリがあった。
外国人の土地所有規制は、大正時代に制定された「外国人土地法」の活用で切り抜けられる筈だったのだ。
しかし結果は「仏作って魂入れず」。
実効性を高める政令を制定せずに戦後のドサクサで廃止された。
「ところがどっこい。これを補うかのような法律が戦後日本に存在している。昭和二十四年に制定された「外国人の財産取得に関す���政令51号」では「外国人や外国資本による財産取得に関して制限をかけることが出来たのである」(65p)
当該財産とは「土地、建物、工場、事業所、財産の賃借権、使用貸借の基づく借り主の権利、地上権、著作権」だった。
ところが、これも国会で審議されないまま昭和五十四年に廃止されていた。
移民については欧米の悲鳴を聞いた方が良い。
人道的見地から無制限に受け入れた結果、ドイツではゲルマン精神は破却され、婦女子が強姦されてもメディアは報道しない。フランスはフランス語の国ではなくなろうとしており、米国は犯罪が急増し、治安が極度に悪化した。移民反対が多数派の聲となった。
移民促進派がリベラル、人道主義であり、移民に反対もしくは規制強化けを唱えると、排外主義、レイシストと批判されてきた。脳幹が左翼ウィルスの侵された結果である
「客人を自宅に招くとする。土足で家に上がるのを許すのか。冷蔵庫を勝手に開けて中の食べ物を食べるのを許すのか。家のルールを守って貰うのは当たり前のことだ」(222p)
しかし「中国系移民は、移住先で出身地や宗族単位で強い絆で結ばれた共同体をつくる。自分たちが住んだ場所が「中国である」とばかりに受けいれ国の慣習に関心を持たず、聞く耳を持とうとしない例もある」
このまま日本は自死するのか、目覚めるのか、日本はその瀬戸際にあると佐々木氏は訴えるのである。
そろそろトランプのように、あるいはオルバンのように、「移民を追い返せ」と主張する政治家がでてきてもよいのではないか。
日本の深刻な状況を��ぐったルポである。

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