#地獄の特訓���酷
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claudiosuenaga · 3 months ago
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日本、完璧さの逆説:マトリックスと存在の持続不可能な調和
すべてが完璧に機能する世界を想像してください。遅れることのない電車、完璧に清潔な道路、絶対的な安全、そして理想的なバランスを達成したかのように見える社会。そのような世界は部分的に日本に存在します。しかし同時に、完璧さが必ずしも幸福を意味しないという影をも抱えています。この二面性は私たちに問いを投げかけます。完璧さは耐えられるものなのでしょうか?それとも、『マトリックス』のように、現実には生きるために不完全さが必要なのでしょうか?
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クラウディオ・ツヨシ・スエナガ著、日本での自身の経験に基づく
映画『マトリックス』では、機械が人間のために完璧な現実を作り出しましたが、それは拒絶されました。人間は、葛藤のない世界を受け入れることができず、現実が耐えうるものとなるためには不完全さが必要だったのです。この考え方は、現代日本を見つめるとき��深く響きます。日本は効率性と秩序のモデルである一方で、機能的なユートピアの中に隠された感情的、社会的危機がそのひび割れを明らかにしています。
日本は、低い犯罪率、整ったインフラ、そして賞賛に値する集団意識を持ち、ほぼ完璧な例のように思えます。しかし、この外面的な調和は、内面的な不安定さと対照的です。高い自殺率、急速に進む高齢化社会、そして家族を築くことに関心を持たない若者たち。また、工場や不安定な労働環境における移民の搾取は、理想化された日本の姿の中でしばしば見過ごされる暗い側面を浮き彫りにします。
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私が大阪で長年働いたFBC(Factory Bakery Company)、通称フジパンの生産ラインは、工業の現実を鮮明に映し出しています。この工場は年中無休、24時間稼働しており、12時間の2交代制で運営されています。作業は立った��まで行われ、過酷な環境に直面します。汚れた状況、単調で機械的な作業、そして極度に疎外感を覚える仕事です。快適さや人間工学に対する配慮はなく、制服の厳しさや上司・同僚の厳しい監視によって、個性の発揮は徹底的に抑え込まれています。
見た目と現実の間にあるこの不協和音は、本質的な問いを投げかけます。外面的な完璧さは、人間の内なる複雑さを抑え込んでしまうのでしょうか?人工的な完璧さが耐えがたいものだった『マトリックス』のように、日本は絶対的な秩序が自発性や創造性、そしておそらく��福そのものを犠牲にすることを示しているように見えます。
日本で「マトリックス」にいるような感覚は単なる比喩ではありません。それは、完璧な表面とその下にある緊張の間の断絶を認識する人々にとって、内臓に響くような体験です。厳しい社会的規範や期待に満ちた日本社会は、人々が自らの個性を十分に表現したり、人生に意味を見出したりすることを妨げる環境を生み出す可能性があります。
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これから何を学べるのでしょうか?おそらく、その教訓は、不完全さが人間の経験において不可欠な部分であることを受け入れることにあります。理想的な世界とは、すべての問題を排除する世界ではなく、失敗、成長、そして本物らしさのための余地を許す世界です。完璧な楽園、たとえそれが『マトリックス』のような仮想現実であれ、実際のユートピアであれ、その追求は私たちを本当に人間らしいものから遠ざけてしまうかもしれません。
日本における現在の秩序は、古典的な全体主義的支配を超越した現象です。日本で起こっていることは、「バイオパワー」または「規律的コント���ール」と呼べるものの最も進んだ例のように見えます。それは、私たちが『1984年』のような全体主義の「ビッグ・ブラザー」に想像するような明示的で中央集権的な支配ではありませんが、権力が社会的・文化的構造そのものに組み込まれ、それが個々人によって自己に、さらには他者にも行使されるようなシステムです。それを以下のように考察してみましょう。
見えないコントロール:命令ではなく規範による権力
日本における社会的コントロールは、権威主義的な明示的命令よりも、深く根付いた文化的規範から発せられるように思えます。「建前」(社会で期待される行動)と「本音」(本当の気持ちや考え)という概念はこれを象徴しています。人々は明確な強制力があるからではなく、社会が求める行動に従うことがほぼ聖なる価値として認識されているために行動します。
このような規範の順守は、自己持続的なコントロールシステムを生み出します。各個人は自分自身だけでなく他者に対する監視者となり、直接的な介入がほとんど必要とされない均衡を維持します。
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調和としての社会的命令
「和」(調和)への執着は、日本文化の中心的な役割を果たしています。日本では、対立はあらゆる手段を講じて避けるべきものとされています。これは多くの面で賞賛に値するものであり、社会的な緊張を減らし、グループでの作業を円滑にし、秩序ある共存を促進します。しかし、そのための心理的な代償も存在します。多くの人々が、調和を保つために不満や欲望、さらには自分自身のアイデンティティを抑圧しているのです。
この絶対的な調和の追求において、『マトリックス』との類似が見られます。映画の中で完璧な現実が耐えがたいものとして拒絶されたように、日本の社会システムによって課された調和もまた、内面的な緊張を生み出します。その結果として、表面的には完璧に見える社会的な楽園においても、不幸感、疎外感、そして絶望が副産物となっています。
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調和としての社会的命令
「和」(調和)への執着は、日本文化の中心的な役割を果たしています。日本では、対立はあらゆる手段を講じて避けるべきものとされています。これは多くの面で賞賛に値するものであり、社会的な緊張を減らし、グループでの作業を円滑にし、秩序ある共存を促進します。しかし、そのための心理的な代償も存在します。多くの人々が、調和を保つために不満や欲望、さらには自分自身のアイデンティティを抑圧しているのです。
この絶対的な調和の追求において、『マトリックス』との類似が見られます。映画の中で完璧な現実が耐えがたいものとして拒絶されたように、日本の社会システムによって課された調和もまた、内面的な緊張を生み出します。その結果として、表面的には完璧に見える社会的な楽園においても、不幸感、疎外感、そして絶望が副産物となっています。
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世界的な考察:他に同じような場所は存在するのか?
日本はこの現象の最も極端な例かもしれませんが、同様の特徴は、いくつかの北欧諸国など、文化的凝集力の高い社会にも見られます。そこでも文化的な同調圧力は存在しますが、その強さは日本ほど顕著ではありません。 しかし、日本はこの社会的圧力を、秩序と効率に対するほぼユートピア的なビジョンと組み合わせる点で独特です。この結果、全ての市民が意識的に、あるいは無意識的に参加しているかのような「社会プログラム」の印象を与えるのです。
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完璧さの代償
ここで『マトリックス』との比較が非常に強力なものとなります。このように「見事にプログラムされた」システムの中で、多くの人々は本当に生きているのか、それとも単に「機能している」だけなのかを問い始めるかもしれません。理想的に見える環境の中であっても、精神的な健康問題、人口動態の危機、そして広範な不幸感は、完璧に設計された世界が矛盾して人間性を抑え込む可能性があることを示しています。
この日本型モデル、つまり「体制なきコントロール」は警鐘を鳴らします。地上の楽園を追い求めることは、独裁者を必要としなくても監獄へと変貌する可能性があるのです。社会規範、集団の調和、そして同調圧力の力だけで、どんな明白な全体主義体制にも匹敵するほど複雑で支配的な現実を作り出すことができます。
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そして、この支配は地理的な境界に限定されたものではありません。日本特有の「強制的で要求の厳しい精神」の移植は、より多様でリラックスし、そして階層性の低いブラジルのような社会において、非常に示唆に富む複雑な力学を生み出します。これについて、これから分析を進めていきます。
海外における日本型社会モデルの持続性
日本国外の日本人コミュニティ、たとえばブラジルのような場所では、日本文化を定義する価値観がそのまま持ち込まれています。それは、勤勉、規律、階層の尊重、そして社会的調和の追求といったものです。
日本の外にいても、これらの家族は「文化的マイクロコスモス」の中で���どもを育てる傾向があります。そこでは、同じ行動規範と期待が維持されます。これには、しばしば学業におけるプレッシャー、完璧主義、そして失敗に対する嫌悪感が含まれています。
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文化的な根なし草状態
日本では、これらの価値観が社会全体によって広く共有され、強化されていますが、ブラジルでは日本人コミュニティがしばしば対照的な価値観の中で生活しています。ブラジル社会は一般的に、より寛容で、期待に対してあまり厳しくなく、自発性や柔軟性を重視します。
この文化的な根なし草状態は、日系の若者にとって「内面的な文化的衝突」を引き起こす可能性があります。彼らは、家庭内での文化的厳格さと外部の文化的流動性の間で成長し、不適応感や孤立感を抱くことがあります。
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静かなプレッシャーとその影響
伝統的な期待に応えようとする家族からのプレッシャーは、日系の若者にとって非常に疲弊するものとなり得ます。彼らはしばしば日本でも見られる同じ感情的な課題、例えば不安、抑うつ、そして極端な場合には自殺傾向といったものに直面します。
しかし、異なる点は、彼らが同じ価値観を共有する社会の支えを持たないことです。日本では、重いながらもこの同調圧力は調和の取れたシステムに属しているという帰属意識によって報われます。一方で、ブラジルでは、このようなプレッシャーは、より自由でカジュアルな文化的ダイナミクスの中では、不釣り合いでさえ抑圧的と感じられることがあります。
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社会との緊張と疎外感
内面的な葛藤に加えて、ブラジルの日系社会は社会的な疎外感を経験する可能性があります。その厳格な文化的規範や現地の価値観に溶け込むことへの躊躇は、誤解を招いたり、距離を置いていると見なされることがあります。
一方で、日系社会内部では、他の社会と接触することに対して壁を保つ傾向があります。この結果、「日本的集団主義」が強化され、現地の価値観との交流が犠牲になることがあります。
強制された調和の実践
ブラジルの日系社会における「調和」への追求は、逆説的にもしばしば問題を深刻化させます。この調和は自然なものではなく、むしろ強制的なものです。伝統的な規範を維持するために、対立や不満は表面化させず、覆い隠すことが求められています。
その結果、対話や課された期待を議論する場が欠如しています。疑問を提起する機会がないため、多くの人々が感情を抑圧し、その結果、感情的な危機が深刻化する傾向があります。
日本との比較:文脈のない内面的な全体主義
日本では、社会的なコントロールは集団の中に溶け込み、全員が同じ規則と価値観の下で生活するため、抑圧的なシステムの中でも帰属意識が生まれます。
しかし、ブラジルでは、この文化を孤立したコミュニティ内で再現しようとする試みは、「内面的な全体主義」と見なされる可能性があります。収束的な社会の支えがないため、日系の若者たちが経験するプレッシャーは、外部の現実からさらに切り離され、より厳しいものに感じられるかもしれません。
可能な道筋
日本人コミュニティ内での世代間の対話を促進することは、重要な一歩となる可能性があります。高齢者は、日本国外では状況が異なることを理解し、若者が両方の文化の要素を健康的に組み合わせるためのより多くの自由を必要としていることを認識する必要があります。
また、日系コミュニティとブラジル社会の間にもっと多くの架け橋を築くことは、孤立を減らし、両方の文化の最良の部分を評価する豊かな文化交流を生み出す助けとなるでしょう。
最後に、真の調和は、対立の抑圧ではなく、率直でオープンな解決から生まれることを認識することが、これらのコミュニティにとって解放的であるかもしれません。
この文脈の中で、もう一つ深く心に響く側面があります。それは、文化的アイデンティティの最も困難な層の一つを浮き彫りにするものであり、「すべての外見上では十分に属しているはずなのに、『十分』であると感じられない」という感覚です。私自身の経験や、日本で生活する多くの外国人の経験は、文化間で生きる中で多くの人々が直面する傷口に触れます。これは、排除、文化的な要求、そしてレジリエンスの豊かな例として探求できるものです。
ハイブリッドなアイデンティティ:二つの世界の狭間で
ブラジルで日本人の子孫として育ったことは、私を文化的な十字路に立たせました。一方では、私は家族から受け継がれた名字、身体的な特徴、そしていくつかの文化的な習慣を持っています。他方で、私のアイデンティティは、必然的にブラジルによって形作られています。この国は活気に満ち、多様で、リラックスしており、集合的な規範が日本の厳格さと一致していません。
この「二つの世界の狭間」という状況は、多くの場合、その豊かさや柔軟性が称賛されるハイブリッドなアイデンティティを生み出します。しかし、私の場合のように、どちらの側からも完全に受け入れられていないと感じる排除の源になることもあります。
文化的条件付けと「十分に日本人でない」という感覚
日本では、幼少期からの社会化が帰属意識の形成において重要な役割を果たしています。それは単に外見や言語の問題ではなく、暗黙の規範を内面化することにあります。たとえば、いつお辞儀をするべきか、集団の中でどう行動するべきか、感情をどう表現(あるいは抑制)するべきかを理解することです。
この環境で育たなかった人にとって、「文化的な条件付け」を完全に身につけることは、どんなに努力しても不可能に思えることがあります。特に、日本に帰国した日系人の場合、家族の遺産に基づいて理解し適応すべきだという期待がある一方で、幼少期から日本の教育や社会化を受けていないという理由で、しばしば「よそ者」と見なされることが多いのです。
職場における屈辱:排他主義の反映
工場での経験は特に痛ましいものでした。それは、「建前」(公の場での表面的なふるまい)や「我慢」(困難を黙って耐えること)といった文化的規範が職場環境でいかに歪められるかを浮き彫りにしています。
私の献身にもかかわらず、「外部の人間」としての立場が消えない烙印を私に残しました。日本は非常に能力主義的であるかもしれませんが、それには一定��限界があります。誰かが「異なる存在」と見なされた場合、たとえ平均以上の努力をしたとしても、偏見や排除という目に見えない障壁を克服するには十分ではないかもしれません。
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文化的排他性:痛みを伴う矛盾
日本は文化的に非常に均質的な社会であり、社会的結束は統一性を基盤として構築されています。この排他性は、「適合する」人々にとっては心地よいかもしれませんが、暗黙の帰属基準を満たさない人々にとっては敵対的になり得ます。
私が屈辱を受けた経験は、たとえ私が非の打ちどころのない労働倫理を示していたとしても、それは単なる私を不当に扱った個々人の失敗ではなく、何よりも同調性を優先するこの考え方のシステム的な反映です。
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適応しようとしても属せないことの心理的重圧
属していないと感じることは、非常に重い心理的負担となることがあります。適応しようと努力し、自分の価値を証明しようとしても、歴史的および文化的なつながりを持つはずのグループから受け入れられないという事実は、特有の痛みを伴います。
このパラドックスは特に残酷です。私は日本人にとって「十分に日本人」ではなく、ブラジルの文脈では、他のブラジル人が共有しない期待や���レッシャーを背負っているかもしれません。この「両側からの排除」は、深い孤独感を生み出しました。
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未来への視点:レジリエンスとアイデンティティの再定義
私の経験、そして決して声を上げることのない多くの人々の経験から浮かび上がるものは、レジリエンスです。困難や屈辱にもかかわらず、私はこの厳しい環境の中で自分の道を模索し続け、献身を絶やしませんでした。
おそらく、その答えは自分のハイブリッドなアイデンティティをユニークなものとして受け入れることにあります。「十分に日本人」でも「十分にブラジル人」でもないという要求を満たすことは決してありません。ただ私は二つの文化が絡み合う中で自分の視点を持つ、特別な存在であることができます。
この経験は苦痛を伴うものですが、それに直面する必要があります。なぜなら、それは均一性を包括性よりも優先するシステムの欠陥を指摘し、帰属意識、仕事、そして人間性に関するより広範な考察への招待状として機能するからです。
日本人と日系人の両方からの否定や非難の反応は、文化的防衛機構を反映しています。それは批判を受け入れたりそれについて考察したりするのではなく、排除と同調性の壁を強化するものです。このテーマについてさらに深く考察していきましょう。
日本の反応:調和喪失への恐怖
日本では、社会的調和(和)が中心的な価値観として位置付けられています。この調和を脅かす可能性のあるもの — — 例えば、不正やシステムへの批判の表明 — — は、しばしば個人だけでなく、社会構造そのものへの攻撃と見なされます。
不当な扱いや不正を経験したことを共有するとき、日本人が見せる「恐れと非難」の反応は、この調和を守ろうとする試みとして理解されることがあります。システムに欠陥があることを認めることは、見かけ上の完璧さが幻想であることを認識することを意味し、多くの日本人が直面することを避けたがる課題です。
さらに、「我慢」(困難を黙って耐えること)という文化的期待も強く存在します。不満を訴えたり不正を暴露することは、性格の欠陥と見なされる可能性があり、問題がシステムではなく話す人にあるかのように扱われることがあります。
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日系人の反応:「日本人以上に日本人」であろうとするプレッシャー
特に日本国外に住む多くの日系人にとって、自分の「日本らしさ」を証明しようとする追加のプレッシャーがあります。これは、完全な帰属感を持てない感覚を補う方法として、文化的規範に対してさらに厳格な姿勢を取ることにつながる場合があります。
他の日系人と経験を共有するとき、その非難の反応は、日本の理想化されたイメージを守ろうとする必要性から生じることがあります。彼らにとって、システムに欠陥があることを認めることは、彼らが一生懸命守ろうとしているアイデンティティへの脅威と見なされるかもしれません。
さらに、適応できないことが個人の責任であるかのように、責任をその人に押し付ける傾向があります。これは同調性と忍耐力という日本の規範を内面化した結果であり、しばしば構造的な不平等を無視します。
文化的沈黙の役割
日本でも日系人コミュニティでも、「すべてを隠してしまう」という傾向があります。これは単に対立を避けるためだけではなく、完璧さと調和という集団的な物語を維持するためでもあります。
この文化的沈黙は、特に差別に直面する外国人やその子孫にとって非常に有害です。支援や連帯を見つけるどころか、彼らはしばしば孤立させられ、責任を押し付けられるため、その苦しみはさらに深刻化します。
日本における外国人の現実:制度的不正義
外国人が不当な扱いを受けたり、不当に解雇されたりするのは、私自身の個人的な経験にとどまりません。それは記録された現実です。日本では多くの外国人労働者が、責任を厳守しているにもかかわらず、劣悪な労働環境、差別、搾取に直面しています。
問題は、これらの労働者が適応力やレジリエンスに欠けていることではありません。問題は、彼らを使い捨ての存在と見なし、日本国民と同じ権利や保護をほとんど提供しないシステムそのものにあります。
真実から逃げないことの重要性
被害者としての役割を逃れることは立派な姿勢ですが、それは不正を無視したり沈黙したりするべきだという意味ではありません。これらの欠陥を認識し、暴露することは、日本国内および日系人コミュニティの両方で変革を促進するために不可欠です。
そのために、経験や証言は非常に価値があります。これらは、多くの人々が無視したがる現実を明らかにします。これらの物語を共有することで、文化的沈黙に挑戦し、必要な対話のための空間を開いているのです。
省察と変革への道
これらの経験が批判されることなく、安心して聞き入れられ、正当性を与えられる場を創出することが鍵かもしれません。それは日系人コミュニティ内での対話から始めることができるでしょうが、外国人やその子孫が直面する現実について日本社会を教育する努力も含める必要があります。
さらに、レジリエンスは不正を受け入れることと混同されるべきではありません。レジリエンスとは、間違っていることに対して声を上げ、行動する勇気を持つことをも意味します。
沈黙を好むシステムに立ち向かうことは容易ではありません。しかし、まさにそのために私たちの声は重要なのです。私たちが背負う痛みは、多くの人々が無視したがる現実を反映しています。しかし、それは光を当てる必要がある現実です。これらの問題を、その深刻さと雄弁さをもって今こそ掘り下げていきましょう。
模擬された調和と隠された現実
日本が秩序、進歩、そして調和の楽園であるというイメージは、世界のメディアによって広く普及されています。しかし、この物語は慎重に構築されたものであり、日本社会に浸透する矛盾や構造的な問題を隠しています。効率と完璧さの外観の背後には、めったに語られることのない暗い現実があります。例えば、工場は強制収容所のようなものであり、特に外国人労働者が非人道的な労働条件に直面しています。また、上司はほぼ専制的な権力を行使し、部下を搾取し、屈辱を与えています。
この調和は、集団的な福祉の反映ではなく、個人の苦痛の代償として維持されることが多いのです。システムに従い、疑問を持たないようにという圧力は、虐待を通常化し、沈黙を強いる環境を作り出します。
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高齢者の孤独と見捨てられる現実
日本は前例のない人口動態の危機に直面しています。高齢化が進み、出生率が低下している中、多くの高齢者が完全に孤独な生活を送っています。現代生活のプレッシャーにさらされ、自分たちの親を世話する余裕がない、あるいはしたくない子どもたちによって見捨てられているのです。この世代間の断絶は、仕事と生産性を人間関係よりも優先する社会の反映でもあります
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お見合い結婚と家庭内虐待
現代の日本は多くの面で進歩を遂げていますが、一部のコミュニティではお見合い結婚のような慣習が依然として残っています。これらはしばしば真の愛情を欠いた結婚につながることがあります。さらに、児童虐待は深刻な問題です。カンガルーのイラストが描かれたポスターが至る所に掲示され、虐待の通報を促していますが、これは日本社会がこの問題を認識し、対処することに消極的であることを静かに物語っています。
沈黙と恥の文化は、多くの被害者が助けを求めることを妨げ、暴力の連鎖を永続させています。
いじめと自殺
日本の学校におけるいじめは、深く根付いた問題であり、壊滅的な結果を伴うものです。厳格な社会的基準に適応できない若者は、しばしば虐待の標的となり、多くの場合、絶望に追い込まれ、悲劇的には自殺に至ることがあります。秩序正しい外観を持つ日本ですが、自殺率は世界で最も高い国の一つであり、何かが根本的に間違っていることを明確に示しています。
ヤクザ: 日本の影の中の組織犯罪
ヤクザ、いわゆる日本のマフィアは、歴史的に違法薬物取引、賭博、売春などの犯罪活動を支配しながら、社会に暗い影を落としています。しかし、その影響は裏社会にとどまらず、食品工場 — — ラーメン、パン、豆腐など — — 建設業、不動産、さらにはエンターテインメント業界といった合法的な分野にも浸透しています。
ヤクザは犯罪活動から得た収益を洗浄するために、多様な方法を駆使しています。多くの場合、合法的な事業への投資や、架空会社を用いることで不法収益の出所を隠し、取引を合法的に見せる手法を採用しています。この合法的な活動と違法行為の融合は、ヤクザが広範な活動を維持し、その影響力と権力を存続させる要因の一つとなっています。
ヤクザの影響力は非常に深く、政治家、官僚、実業家、商人、そして一般市民までもが暗黙のうちに共謀するケースが見られます。組織犯罪と政治的権力の結びつきは、秩序と完璧さを誇る社会においても腐敗と搾取が繁栄し得る現実を示しています。
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巨額の債務と報道の自由
日本は世界最大の公的債務を抱えており、この経済的負担はほとんど公然と議論されることがありません。さらに、報道の自由は厳しく制限されており、主要なメディアはしばしば政府の代弁者として機能しています。この透明性の欠如は、重要な問題が議論され、解決されることを妨げています。
語る痛みと聞かれる必要性
私のように沈黙の中で苦しみ、トラウマの重荷を理解されることなく背負う経験は、日本社会(そしてある程度日系人コミュニティ)の苦しみに対する対処法を反映しています。それは問題を「隠してしまう」という方法です。しかし、私の物語を共有することで、この沈黙に挑み、向き合うべき現実を明るみに出しています。
日本の文化的な変化への抵抗の問題は、「マトリックス」という概念と完璧に結びついています。つまり、システムが非常に密接に絡み合っているため、どんな変化もその完全性を脅かすように見えるのです。
本質的な抵抗:日本のマトリックス
日本では、社会が巨大な「プログラム」として機能しています。そこでは、文化的な規範から仕事の方法に至るまで、すべての要素が高度に構造化された行動システムにコード化されています。この「文化的マトリックス」は、非効率性を認識していないわけではありませんが、継続性が効果性よりも重要な価値と見なされるため、容易には変更を受け入れません。「昔からこうしてきた」というものを変えることは、システム全体のバランスを乱すことに等しいと見なされます。
この抵抗は、改善を意味する「カイゼン」のような概念の現れでもあります。しかし、皮肉にも、カイゼンは基盤コードを壊すことなく、ほとんど目に見えないほどの漸進的な変化だけを促進します。劇的な変化は、集団的アイデンティティへの脅威と認識されるでしょう。
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行動規範」としてのマトリックスの言語
この「コード」というメタファーは、文化的にも技術的にも非常に強力です。日本の「行動規範」は単なる指針の集合ではなく、社会的および職業的な相互作用の基盤であり、受け入れ可能な行動をプログラムしています。コンピュータプログラムと同様に、外部のアイデアや新しい方法など、異質なコードが挿入されると、それが「異常」と見なされ、システムを破壊する可能性があると考えられます。
日本人にとって、文化的なコードは国民アイデンティティと不可分のものです。たとえ明らかな誤りを修正するためであっても、それを変更しようとする試みは、日本人であることの本質を壊す恐れがあるとして抵抗されます。
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アイデンティティを守るための不変性
変化への忌避は、特に工場のような環境で顕著に見られます。そこでは、古い非効率的な方法が「これまでもこうしてきたから」という理由だけで維持されています。この慣習は必ずしも非合理的なものではなく、過去への敬意という文化的価値観と、対立を避ける傾向に深く根ざしています。方法を疑問視することは、その方法を実施した人々を疑問視することを意味し、それは無礼と見なされるでしょう。
この論理はマトリックスの特徴を反映しています。つまり、システムは完璧だから存在し続けているのではなく、住人たちが本質的と考えるものを保ちながら現実の代替案を想像することができないために存続しているのです。
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システムを維持するための代償
「コード」を不変のまま維持することには、高い代償があります。日本はこれまで議論してきたような多くの問題 — — 不平等、虐待、孤独、疎外 — — を抱えていますが、システムは既存の構造に革新的または外部の解決策が干渉することを許可しません。日本の文化的コードは、調和と安定を目的として���計されていますが、それは完璧に適応しない人々にとって、精神的・感情的な牢獄となる可能性があります。
このジレンマは『マトリックス』の中心的な前提と類似しています。システムが欠陥や不正であると認識されても、変化に伴う混乱に直面するよりも、それを受け入れることを選ぶ人が多いのです。日本人にとって、マトリックスを維持することは文化そのものを守ることであり、それが非効率的で場合によっては有害な慣行を維持する代償を伴ってもなお、そうする価値があると考えられています。
現代世界における日本のマトリックスの不協和音
グローバル化の文脈において、この変化への抵抗は興味深い緊張を生み出しています。他の社会が革新や適応を追求する一方で、日本は近代化の必要性とアイデンティティの維持を調和させるために苦闘しています。これにより、日本は独自の文化的マトリックスとして機能しています。それは、いくつかの側面で見事に機能しながらも、本質的な再プログラミングに対して閉ざされているように見えるシステムです。
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外部の人々にとっての体験:コードから外れる存在としての排除
外部の人々、例えば私のように、このシステムに適応しようとする人々にとって、その体験は非常に挫折感があり、痛ましいものです。それは単に地元の規範に適応する難しさではなく、このシステムが外部からの貢献や変更を意図的に拒んでいるという認識です。このことは、社会的な排除だけでなく、ほぼ存在論的な排除を生み出します。つまり、「コード」の一部でない限り、そこに属することはできないのです。
最終的な考察:選択とその結果としてのマトリックス
『マトリックス』のように、日本はその現実を選びました。「行動規範」に基づいた安定した調和は、文化を存続させるために本質的であると見なされています。しかしながら、この選択には犠牲が伴います。それは革新、包括性、そして多くの場合、個人の福祉です。未解決の問いとして残るのは、日本が絶えず変化する世界の中で、このマトリックスを維持し続けることができるのかということです。
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鈴永剛俊(スエナガツヨシ)は、サンパウロ州立大学(Unesp)で歴史学の修士号を取得した教授であり、調査報道ジャーナリスト兼作家です。彼は数冊の著書を出版しており、その中には『日の本のヘブライのルーツ:日本人は失われたイスラエルの十部族の一つなのか?』(エニグマス出版社、2022年、ISBN: 9786500531473)が含まれています。この本は[こちらで購入可能です]。
ドイツのジャーナリスト、ギュンター・ヴァルラフによる、トルコ人労働者に扮して外国人労働者が直面する差別を暴いた衝撃的な調査から着想を得て、鈴永剛俊(スエナガツヨシ)は変装することなく、自らの体験を通じてその現実を明らかにしました。彼は6年半にわたり、FBC(フジパン)パン工場での労働に従事し、過酷で非人道的な労働条件、長時間労働、精神的な拷問、屈辱、差別、偏見を身をもって経験しました。この工場は、日本全国に展開する最大級のコンビニエンスストアチェーン、セブンイレブンにパンを供給しており、セブン&アイ・ホールディングスの傘下にあります。
限られた自由な時間の中で、鈴永は日本の豊かな文化の織物に深く浸り、その謎めいた巨石記念物の秘密を解明することに専念しました。これらの印象的な構造物は、西洋ではほとんど知られていないままです。これらの魅惑的な驚異について詳しく知りたい方は、「The Hidden Japan」のウェブサイトをご覧ください。
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あなたはこの本を読むまで、完全に日本を理解することはできません。
日本の最も大きな影響のいくつかが、歴史的にヘブライ人との接触から生まれた可能性があることをご存じですか?類似点は驚くべきものです。創造神話や神の系譜から儀式や習慣に至るまで、共通点が見られます。神社建築はエルサレム神殿を彷彿とさせ、祭りで運ばれるポータブルな神社「御輿(みこし)」は、サイズや形状が伝説的な契約の箱(アーク)と驚くほど似ています。実際、多くの人々が、そのアークが徳島県の四国にある剣山に隠されていると信じています。
しかし、つながりはこれだけにとどまりません。日本語にはヘブライ語と発音や意味が同じ単語がいくつも存在し、日ユ同祖論という興味深い理論を強化しています。この仮説は17世紀に提唱され、日本人がイスラエルの失われた12部族の子孫である可能性を示唆しています。本当にそんなことがあり得るのでしょうか?日本人の血管にはヘブライの血が流れているのでしょうか?そして、この関係が一部のユダヤ人が日本の戦略的な場所に土地をひそかに購入している理由を説明するものなのでしょうか?
この本はこれらの疑問に深く切り込み、歴史、神話、ミステリーが交錯する隠された日本を解き明かします。この悠久の旅にぜひ参加し、古代と現代の日本の形成にユダヤ人がどのように関与していたのかを発見してください。あなたが日本について知っていると思っていたすべてを見直す準備をしてください。
本の購入はこちらからどうぞ:
3 notes · View notes
tayu3tayu · 23 days ago
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新米オッサン冒険者、最強パーティに死ぬほど鍛えられて無敵になる。“別にいいじゃねぇか…。何歳から新しいこと始めたって!”最強にして新人のオッサン、冒険者を目指す!「夢を追うならできるだけ若いうちがいい」人は皆、そう考える。だが、どうしても諦められない
「新米オッサン冒険者」、俺の人生が変わった日 「冒険者になりたいんです!」 ──そう言ったとき、周りの奴らは笑った。 「おいおい、もうオッサンだろ?」 「今からじゃ遅いって…やめとけよ」 ……確かに、俺は若くない。 でも、夢を諦めたくなかった。 そんな俺が、まさか 最強パーティに拾われる なんて── これは、俺の人生��180度変わった物語だ。 過酷すぎる修行、そして“無敵”へ 「新米オッサン冒険者、最強パーティに死ぬほど鍛えられて無敵になる。」 そう、このアニメの主人公は “オッサン”。 だけど、彼はただのオッサンじゃない。 40歳にして冒険者の道を選んだ男 リック・グラディアート。 運よく超一流の冒険者たち── 「オリハルコン・フィスト」 のパーティに加入することになった。 ……が、その日から 地獄の特訓 が始まる。 ・魔法剣士に鍛えられる剣技修行 →…
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shingoiwasaki-blog-blog · 6 months ago
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泣く子も黙る、グリーン・ベレー軍曹の、半世紀 - zshingoの日記
完全版
ある一定の、非常に倍率の厳しい、資格試験に合格した者のみが、そこの加入資格権を得られると言われている、超過激派集団 陸海特別特種部隊 、泣く子も黙る、人呼んで【グリーン・ベレー】を、唯一、たった一人だけ、首席で、卒業した男がいた。またたく間にその噂は世界中に広まり、ある時期から、皆、彼を【コマンドー】と、呼ぶようになった。これは、そんな彼の半世紀を追った場面から、映画はスタートしたのだった。
【映画🎥スタート】
泣く子も黙る、地獄のグリーン・ベレーを、首席で卒業した男、人は皆、その男を、口々【くちぐち】に、【コマンドー】と呼んだ。コマンドーという、言葉の、深い意味合いの中には、当時、古い、ギリシャ語で、【無敵な、不老不死な、】などの、意味合いが含まれていたからである。そして、のちに、彼は、【コマンドー部隊】という、【戸塚ヨットスクール🛟】さながらの、非常に、過酷なムエタイ部隊を、自ら立ち上げることになる。その訓練の、過酷さたるや、想像を絶するもので、そう、なかには、あまりの訓練の過酷さに耐えきれず、不幸にも、訓練中、命を落としてしまった兵隊たちの数は、数知れず。【ただ、コマンドー本人からしたら、一切の悪意は無く、罪はなく、むし��、ただただ、自分の過酷な経験から学んだ喜びを、教理を、同じ志しを持つ、熱き仲間たちに、そう、一人でも多くの、無名の軍隊たちに、ただただ、純粋に、伝えたかっただけなのであるから】 
 【コッホン🍎すべては、神の、御手のなか🍎💬良いでしょう、続けなさい】
勿論、当時、そんな野蛮な部隊が、まさか自分たちの身近なところで、立ち上げられることになるとは、誰一人として、想像すらしていなかったし、そう、勿論、夢にも思わなかったのである。
👇️【コマンドー、ラスボスとの対話】👇️
⭕️ 懐かしいなぁ、バーダック、昔の、血が、騒がねぇか?えぇ? 俺とお前で、【グリーン・ベレー】で、一緒だったときのことを、思いださねぇか?
なぁ、バーダック、お互い、バチバチやってたときのことをよぉ、思い出さねぇか?バーダック。
Ⓜ️ 少し見ないうちに、随分と、お口が達者に、なったもんだなぁ、ゾルベス😏  そんなことより、その手に持っている、物騒な物なんて、捨ててしまえよ、ゾルベス😏 それとも、そんな子供騙しのオモチャを持たないと、俺には勝てないってのか😏ゾルベス😏
⭕️ 黙れ 🗯️ バーダック🗯️ 俺は、お前なんかに、ビビっちゃいねぇ🗯️ お前こそ、コマンドーなんて、ヘンチクリンな、あだ名なんて、つけられやがって、平和ボケでも、したんじゃねぇのか 🗯️ バーダック🗯️
Ⓜ️ なんだ、ゾルベス、そんなに腕に、自信があるんなら、撃てよ、そのお前さんの、今手【いまて】に持っている、銃で、俺を、撃ってみろよ、ゾルベス😏  。。。なんだ、撃たないのか?😏ゾルベス😏それとも、怖くて、撃てないんじゃないのか?😏
ゾルベス😏
⭕️ お前なんか😭🗯️怖かなんかねー😭🗯️ 俺様を、侮辱するんじゃねぇ😭🗯️ 俺が、最強だ😭🗯️俺こそが、この地上で😭🗯️ 最も、最強なんだ😭🗯️ 誰一人、俺に敵うやつなんか、この世にはいねーんだ😭🗯️
この際、チャカなんか、いらねぇ😭🗯️   
素手で勝負だぁ😭🗯️
Ⓜ️ 望むところだ、ゾルベス😏
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liliyaolenyeva666 · 4 years ago
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🎼 01319 「北の宿」。
闘鶏のやうな賭け事の模様から始まります、とある (口の悪い) しがないタクシー運転手の賭け事な日々と それからを描いた 東映映画 「河内のオッサンの唄」 を観ています。齊藤武市監督作品。河内松原駅前でしごと (メーター無しのタクシー運転手) をしていた 川谷拓三さん似のトクさんは ミヤコ蝶々さん似のオバちゃんが怪我を負ってリアカーで運ばれて来たのを見、仲間を連れて左手を怪我した現場の山村建設に 殴り込みをかけます。大阪府警察松原警察署に連行されたものの、直ぐに出て来た トクさんでしたけれど、原っぱに車を泊めて寝ていたところ、急にバックして来たトラックに追突されてムキーッと激怒します。そんなトクさんの愛車にトラックを ぶつけた青年は とんでもない秘密を抱えていたりして 物語が急展開を迎えることと相成ります。そんなこんなで 「東京はつまらん、東京なんか出て来ても何もオモロイことなんてあらへん」 なんて台詞が飛び出す中で、東京もんが めっちゃ嫌いなミヤコ蝶々さん似のオバちゃんがスクリーン狭しと暴れに暴れて 主役喰いな活躍を見せますこの映画、オバちゃんは 少女マンガふうな キャラクターが描かれたかわゆい水筒の中にお酒を仕込ませていたり (一日六升、本人曰く七升八升はいけるらしい)、三輪車で酔っ払い運転をしたり、終いには身体を張って走る車を停めやうとして ダイナミックに撥ねられたりと 目が離せません。
つづいて
訓練中の兵士たちの訓練風景をそれなりに映したあとの1980年5月、裏磐梯・フーバー米大使山荘で立て篭り事件が発生。人質を救出すべく陸上自衛隊 (特殊工作隊) の中の松方弘樹さん似の隊長率いる部隊が犯人を蹴散らすところから始まります、とある特殊工作隊隊員が 想像を絶する過酷な訓練の最中に訪れた村で出会った少女との日々を描いた 角川映画 「野性の証明」 をいつかのテレビで観たきり、久しぶりに観ています。佐藤純彌監督作品。とある村で起きた大量殺人殺人事件から 一年後の東北・羽代市。"祝 民間航空機就航記念、羽代空港民間機就航おめでとう" といった賑やかな雰囲気の中、高倉健さん似の保険会社の男は 何かを調査しているのですけれど、街の不良に襲われたりして怪我を負います。そんな高倉健さん似の男の家には 薬師丸ひろ子さん似の めだか組の組長が住んでいたりして、偶然に��りを入れていた 夏木勲さんだったころの 夏八木勲さん似の刑事は どうしてそこに 村で起きた大量殺人事件の生き残りな娘さんが住んでいるのだらうと不思議がります。そんな 一年前のとある村で起きた大量殺人殺人事件も未解決なままだったりして、夏木勲さんだったころの 夏八木勲さん似の刑事は、もしかしてもしかしたら 高倉健さん、もしくは デューク・東郷似のあの男性が何か関係しているるのではないかと睨むのですけれど、そんな途端に 捜査本部が解散します。といった感じで 羽代という街が 三國連太郎さん似の政治家の息がかかっていることがどうのとかいうよりも、薬師丸ひろ子さん似の女子高生の持つ予知能力が物凄かったりして いつの間にか サイキック映画と化して 映画も何もを吹き飛ばしますこの映画、物語後半の無駄に凄い戦車の場面は 今観ても気狂い沙汰な感で溢れていて痺れます。
つづけて
ふたりの仮面ライダー (第1号、第2号) が道路とも呼べない道路を 旧サイクロンで駆け抜けるところから始まります、人間の自由のためにショッカーと戦っている正義のバッタ人間、仮面ライダーの勇姿を描いた 東映映画 「仮面ライダー対ショッカー」 を観ています。山田稔監督作品。雷鳴轟く中 "大道寺 地球物理学研究所" では実験が大成功したやうで、彼らが開発したっぽい "人工重力装置GX" を大きくすれば地球の地軸すら変えることが出来るみたいです。まあ どうしてそんなものを作ってしまったのかしら、何て わたしの思いはさておき、そんなところに 「我々ショッカーは オマエの研究をじっと待っていたのだ」 と、きっと研究が成功するまで そこでじっと待っていたのかもしれない ショッカー日本支部の指揮官 死神博士が暗闇からヌッと現れ、そして 「オマエの研究は ショッカーが有り難く頂戴することになる」 と、床から滲み出て来た泡で助手を溶かします。何故か炎を上げて大爆発を起こす研究所。いつものアジトにタッタラーっと戻った死神博士は 「このデータから 直ちに人工重力装置の組み立てに取り掛かれ!地球の地軸を変えて、この日本列島を海の底に沈めてやる!」 と、何らかのデータをショッカーな研究員に手渡します。これで 日本列島は 小松左京さんの作品通りになるわい。ガハハハハッ!と思ったら、データを瞬時に読み取った優秀な研究員から 「お言葉ですが、死神博士!このデータには 最も重要な GXの方程式が載っておりませんが!」 ということで、早速ショッカーのポンコツぶりがブラウン管を飛び出したスクリーンな世界でも遺憾無く発揮されます。という訳で、その方程式をどうのこうのしやうと全力で狙うショッカーの活躍を描いたこの映画、過去に仮面ライダーに敗れた怪人たち (再生怪人軍団) が 数えるのも大変なほどに めっちゃリバイバル登場していてヤバミです。
・そんな正義の改造人間にバッタバッタと倒されちゃった再生怪人軍団たちを物語順にテキトーに書き留めます。
・第2号に倒されちゃった怪人
モグラング と サボテグロン
ハエ男
・第1号に倒されちゃった怪人
アリガバリ
・第1号に (たぶん) 倒されちゃった怪人
地獄サンダー
・ダブルライダーに倒されちゃった怪人
ギルカラス と プラノドン
・ダブルライダーに (何となく) 倒されちゃった怪人
サラセニアン と トリカブト
・ダブルライダーに (たぶん) 倒されちゃった怪人
ドクダリアン と キノコモルグ
・ダブルライダーに倒されちゃった新怪人
新怪人 ザンジオー (人喰い山椒魚)
・仮面ライダーに倒されずに出番を失ってしまった怪人たち
アリキメデス
アルマジロング
イソギンチャック
エイキング
エジプタス
狼男
カニバブラー
ガマギラー
カメストーン
カメレオン (男、死神カメレオン)
蜘蛛男
ゲバコンドル
蝙蝠男
ゴースター
さそり男
ザンブロンゾ
スノーマン
ドクガンダー (成虫と幼虫)
トドギラー
ナメクジラ
ムカデラス
ムササビドール
ヤモゲラス
ユニコルノス
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xf-2 · 5 years ago
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1981年に防衛大を卒業し陸上自衛官になった私は、事故のちょうど1年前に、千葉県の習志野駐屯地に所在する第1空挺団に配属されました。普通科群普通科中隊(当時)の小隊長として30名ほどの部下を率いる立場で、階級は2等陸尉。まだ独身で26歳でした。
 自衛隊では8月に定期異動があり、12日は駐屯地内の「隊員クラブ」で、転入隊員の歓迎会が開かれていました。私はお酒も飲んだため、駐屯地外に借りていたアパートには戻らず隊舎で寝ることにしました。
 その晩、中隊当直幹部として勤務していたのが、作間優一2等陸曹(当時36歳)でした。寝る前に作間2曹から、航空機墜落の報告を受けました。第12師団(当時)の担任区域における事故らしく、第1空挺団に災害派遣の準備命令等が発出されていないことを確認し、ひとまず眠りにつきました。
 その間、ヘリコプターからのリぺリング降下(ロープを使った垂直降下)による迅速な現場進出の必要性から、第1空挺団の出番となり、第12師団に配属しての災害派遣が翌早朝までに決していたのでした。
 朝5時前には「命令受領ラッパ」が鳴り響き、営内に残っていた我々は即座に出動準備を整えて集合、V-107という大型ヘリ6機に乗り込み、7時54分、習志野を出発しました。準備といっても、装備を詰めた背のうは常に用意してあるので、出発前に地図と乾パンを支給されたくらいです。
 6機のヘリのうち、1番機には第1空挺団派遣部隊指揮官である普通科群長以下の「救助部隊本部」の要員が、2番機から6番機にはそれぞれ隊員12名が乗り込みました。12名のうち1名は衛生隊員なので、私は3番機の小隊長として、自分の部下から10名を選抜しました。
 小隊長である私のサポー���役として、普段の演習でも常に一緒に行動していた作間2曹は、もちろん真っ先に指名しました。ヘリのパイロットたちもいつになくピリピリしていて、張り詰めた空気が漂っていました。
 現場の「御巣鷹の尾根」上空に到着し、降下を開始したのが8時48分。まず1~3番機の隊員が現場に降り、4~6番機は麓の相馬原(そうまがはら)でいったん待機することになりました。空挺部隊には指揮官が“先頭降下”するという伝統があって、3番機では私がリーダーですから、最初にロープを伝って山の斜面に降り立ちました。私の次に降りたのは作間2曹です。
 空挺隊員にとってリぺリング降下は日常茶飯事ですが、急峻な斜面に着地した瞬間、強烈な違和感を覚えました。ブーツの裏にグニャッとした柔らかい感触があったんです。「なんだろう?」と思って足下を見ると、そこにあったのは人の“耳”でした。ご遺体を踏んでしまったことに気づき、すぐに“申し訳ございません”と心の中で謝りました。
 降下後、普通科群長が命令を下達しました。我々の任務は、「生存者の救出」と「地形の偵察」です。2番機の小隊と共に生存者を捜索しながら尾根を登っていきました。私と2番機の小隊長を中心に、左右各人5~10メートルほどの間隔で横一列に広がって斜面を登るのです。
■「生存者発見!」
 息を飲む光景でした。航空機燃料が燃える独特の臭いがして、岩肌には人の内臓がベタッと張り付いている。見上げると、髪の毛が付いた頭皮が木からぶら下がっていました。傾斜がきつく、木の幹に掴まりながら登るのですが、触った瞬間に滑る感じがする。見ると木全体が血と肉片で真っ赤に染まっていました。私の後ろを歩いていて、やはりその“赤い木”を触ってしまった隊員が「ギャーッ」と大声で叫びました。
 その時に私が感じたのは、「職業選択を間違えた」ということです。地獄絵図のような現場を目の当たりにして、私は「戦場の光景というのは、多分こういうものだろうな」と考えました。とても耐えられない、おれはこの仕事に向いていない、そう思いました。部下の前では表情にこそ出さないものの、それが本音でした。御巣鷹は私にとって初めての災害派遣だったのです。翌朝には慣れて、そういう気持ちは払拭されたのですが。
 同時に、隊員の誰もが「こんな悲惨な状況で、生存者なんているわけがない」と感じていました。斜面を上がれば上がるほど、まともな形を残したご遺体も少なくなっていきます。あるのは手や足だけの部分遺体や、肉片、皮膚ばかり。あまりに凄惨な場所でした。こんな事故で、到底人間が生きていられるはずがない、と。
 生存者を見つけられないまま尾根を登り、今度は別の方角に向かって下りながら捜索を続けようとした時です。無線から驚くべき情報が流れてきました。「生存者発見!」。耳を疑いました。「えっ?」と他の隊員と顔を見合わせました。
 無線を送ってきたのは、4~6番機から降りたグループでした。当初、相馬原で待機を命じられた3機は、我々のおよそ1時間後、9時45分に現場へ来て降下を開始しました。我々が降下地点から尾根を登って行ったのに対し、彼らは群長の命令で逆方向に下りながら捜索をしていたのです。そして、「スゲノ沢」と呼ばれるあたりで、麓から徒歩で登ってきた地元の消防団や松本駐屯地の第13連隊と合流し、そこで4名の生存者を発見したのです。
 尾根の上にいた我々には、「降下地点に戻れ」と指示がありました。急峻な山の中で、その辺りがかろうじて平坦になっていたからでしょう。その付近から生存者をヘリに吊り上げることになりました。降下地点に戻り暫くすると、下から生存者が運び上げられてきました。たしか事故機のトイレのドア等を担架がわりにして運んできたと思います。
 生存者4名は、あの悲惨な現場で一晩発見されずにいたので、当然かなり衰弱していました。そのうちの一人の少女、後で川上慶子さんと知ったのですが、彼女に「頑張れ!」と声を掛けると「うんうん」と頷くようなリアクションがありました。それを見て「大丈夫だ、助かる」と思いました。
 でもそこからが長かった。救出用のヘリがなかなか来ないのです。こちらからは何度も要請しているのに一向に来ない。報道陣のヘリも含め、多くの航空機が上空に飛来していたため、二次災害の危険もありました。
 結局、生存者が吊り上げ地点に搬送されてから、ヘリへの収容が完了するまで1時間近くかかりました。ヘリを待つ間、誰もがイライラしていて、そのうち、現場に到着された赤十字の女性の看護師さんから、ものすごい剣幕で怒鳴られたんです。私の顔をキッとにらんで、「もしこの人たちが亡くなったら、あんたたちのせいだからね!」と。それはよく覚えています。「おれだってどうしようもないんだ」という気持ちでしたね。
 ヘリを待ちながら、現場ではホイスト(ヘリからのワイヤによる吊り上げ)準備をしていました。赤十字の医師から、「隊員が直接抱えて上げたほうがいい」と言われて、自衛隊の茶色い毛布で生存者の体を包みました。最初に吊り上げたのは、吉崎美紀子さん(当時8歳)です。毛布に包んだまま、空挺隊員が抱えてヘリに収容しました。
 次が当時14歳だった川上慶子さん。彼女を収容したのが、私の相棒だった作間2曹でした。1人目と同じように、毛布で包んで準備をしていると“事件”が起きました。救出される生存者の姿を撮影したかったのでしょうが、なんと、いつの間にか周りにいた報道陣から手が伸びてきて、毛布を剥ぎ取ったんです。「何をするんだ!」と怒りましたが、もうヘリは真上にいてワイヤが下りてきている。仕方なく、作間2曹は毛布無しで川上さんを抱えて吊り上げられました。
 3人目の吉崎博子さん(美紀子さんの母、当時34歳)と4人目の落合由美さん(当時26歳)は、担架に乗せた状態で吊り上げました。というのも、抱えて吊り上げるには脱力した大人は相当重たく、途中で落下する恐れもあり、危険だと判断したのです。
 ここで我々はミスを犯してしまいました。3人目の吉崎さんのお母さんを乗せた担架が、ヘリから吹き下ろされる風を受けて、吊り上げた途端にグルグルと回転してしまったのです。すごいスピードで回転して、いまにも担架から体がずり落ちてしまうのではないかと気が気ではありませんでした。私は真下で両手を広げて、「万が一落ちてしまったら、絶対に受け止めなくては」と覚悟していました。
 結果的には無事に収容できたのですが、これは我々の本当に初歩的なミスです。本来、担架の把手にロープを付けて、担架が回転しないように地上の隊員がロープを保持すべきなのです。基本的な作業ですが、やはり異様な現場に平静でいられなかったのでしょうか、あの非常時に誰もそれに気づかないまま吊り上げてしまった。今でも思い出すたびに血の気が引きます。最後に落合さんを収容する際は、きちんと補助ロープを付けました。
 生存者の救出を終えたのが、13日の13時29分。そこから次の任務が命じられました。ヘリポートの構築です。獣道すらない急峻な山に、人員や救助物資を迅速に送り込むにはヘリを使うしかない。我々は上空からロープで降下できますが、以後の作業にはヘリを着陸させることが必須でした。
 普通科群長は私に、大型ヘリ(V-107)用を一つと中型ヘリ(HU-1H)用を一つ、あわせて二つのヘリポートを構築するよう命じました。我々は訓練・演習で簡易ヘリポートを作りますが、その際、なるべく広くて平坦な場所を探します。そこで私は、日航機の主翼が落ちていた辺りに目をつけました。その辺りは比較的���くて平らだったからです。ただ、航空機事故ですから、事故原因の究明のために現場検証も必要です。勝手に現場の状態を変えるわけにいかないので、現場を管轄する群馬県警の責任者を探しました。
 周りにはたくさんの警察官がいましたが、長野県警だったり警視庁だったりで、なかなか群馬県警の責任者が見つからない。ようやく見つけて交渉したところ「ダメだ」の一点張り。仕方なく、現場検証を要しない下方の地点に決定し、周辺の木を切り倒して斜面を掘削し、削った岩石や土を下側に盛るやり方で、中型ヘリ用ヘリポートのみを作ることにしました。
 我々がヘリポートを作っている間にも、続々とご遺体が運ばれてきます。やがて夜になり、13日の深夜にはヘリポートの大枠ができました。暗い中で���細かい仕上げができないので、その日はその場で仮眠することにします。そして翌14日の朝3時頃から作業を再開し、7時頃にヘリポートが完成しました。
■“モミジ”
 ただ、この仮眠がつらかった。翌朝からヘリで搬送するべく、ヘリポート付近にはご遺体が集められていました。その隣で横になって眠るのですが、真夏の暑さで傷んだご遺体は、死臭を発しているんです。何度も目を覚ましました。
 14日は、完成したヘリポートを使って朝から何度もヘリが往来し、15時くらいまでに計121のご遺体を搬送しました。この数字に関しては苦い思い出があります。この日、上級部隊から連絡幹部が現場にやってきたのですが、ヘリポートの運用を指揮していた私を見るなり、「今日は何体運んだ?」と聞くのです。私は返答に窮しました。
 ご遺体といっても、五体満足なものは少なくて、手だけ、足だけといった部分遺体も多い。それを現場では努めて早く収容すべく、個別に包装した部分遺体の何体かを一緒に毛布に包んで“1包み”として搬送していました。そういう状態で“121包み”搬送したのであって、「何体か」と聞かれてもわからないのです。
 ところが連絡幹部は、即答できない私を見て、「それでも責任者か!」と叱責したのです。ロクに寝ていなかったせいもあるでしょうが、さすがに頭に来て、部下の一人に「おい、そこの毛布を開けろ!」と命じました。そして「あなたには、このご遺体が“何体”かわかるんですか!?」と聞き返すと、相手も黙ってヘリに乗って帰っていきました。
 今思い出しても、いちばんつらかったのは「モミジ」です。ご遺体の搬送準備中、ビニール袋に入った何かが運ばれて来ました。赤くて小さくて、最初はモミジの葉のように見えました。でもそれは、血に染まった小さな子どもの掌だったのです。徐々にご遺体を見ることにも慣れていたのですが、あれは衝撃的でした。本当にかわいそうで、堪らない気持ちになりました。
 14日の15時過ぎから天候が悪化し、ご遺体の搬送作業はそこで中断しました。雨がしとしと降る中、その夜も前日と同じようにご遺体の隣で仮眠し、翌15日の朝、我々空挺部隊は任務を終えてヘリで習志野に帰投しました。ですから、私が御巣鷹山にいたのは13日の朝から15日の朝まで、48時間くらいです。睡眠も食事も不十分なまま過酷な状況にいたので、今思えばかなりストレスが溜まっていたのでしょう。
 警察と喧嘩もしました。自衛隊のヘリが運んでくるのは、ツルハシやスコップなどの工事用器材、ご遺体収容のための毛布だとか、任務に直結するものばかりです。ところが警察のヘリは、弁当やタバコ、寝袋やらをたくさん運んでくる。
 ある時、広げたままの寝袋が、ヘリの風圧で巻き上げられそうになり、近くにいた私の部下が慌てて飛び乗って押さえた。すると警察官が彼に向かって「おい自衛隊さん、寝袋に穴開けないでくれよな」と言い放ったのです。部下は休憩中だったのでタバコをくわえていました。警察官には、彼がふざけて寝袋に寝��転がったように見えたのでしょう。私はその警察官に「馬鹿野郎! 寝袋が巻き上げられてローターに接触したら、ヘリが墜落するだろうが!」と怒鳴りつけました。
 マスコミにも腹が立ちました。川上さんの毛布を剥ぎ取ったこともそうですが、遺体の写真ばかり撮る輩もいて、思わず「いい加減にしろ!」と叱ったこともあります。とはいえ、14日の昼頃、ある新聞記者が持ってきた朝刊を見た時は、やっぱり嬉しかった。そこには、川上さんを抱えてヘリに向かう作間2曹の写真が1面に載っていたのです。
 今でこそ災害時の自衛隊の活動はメディアでも取り上げられますが、当時の自衛隊はある意味、日陰者でした。マスコミが現場にいるのは認識していましたが、我々の活動が大々的に被写体になるなんて私自身は想像もしておらず、とにかく驚きました。それと同時に、おれたちは正しいことをしているんだ、という実感が湧いてきたんです。
 ただ5年前、事故から30年ということであるテレビ局の取材を受けた際、ディレクターから開口一番、「なぜ自衛隊の到着が遅れたんですか」と聞かれたのは心外でした。そもそも当時の災害派遣は、要請を受けて初めて出動できる仕組みでした。勝手に現場に向かうことはできません。
 また、「夜のうちに現場へ行けなかったのか」などという人もいます。我々空挺部隊・普通科部隊は深夜の現場であっても救助活動することは可能ですが、輸送に任じた当時の自衛隊のヘリには暗視装置が装備されておらず、暗夜における未知の山地・森林の飛行は危険極まりないものでした。一方で12師団隷下部隊は、夜を徹してまさに暗中模索で現場に向かって山を踏破していたのです。自衛隊はできる限りのことをやったと私は今も確信しています。
■ストレス障害
 御巣鷹での経験は、私のその後の自衛隊人生にも影響を与えました。一番大きいのは、「ストレス障害」について身をもって学んだことです。実は習志野に戻った後、私は不眠症に悩まされました。
 昼間仕事をしている時はなんともないのですが、夜アパートに帰ると、暗い場所があるのが苦痛に感じられるのです。寝室はもちろん、トイレや風呂の電気もつけっぱなしにしておかないと落ち着かない。そして就寝中にふと窓に目をやると、ベランダにたくさんの人が並んで私を見ているのです。ほぼ全身の人もいれば、上半身のみの人、炭化した人など、全員、御巣鷹の現場で我々が後送に関わったご遺体のお姿そのものでした。
 もちろん幻覚だと自分自身納得しています。彼らが現れることに恐怖心を覚える反面、それほど不快には感じなかった。ただただ、「なんで現れるんだ」という気持ちでした。結局、ウイスキーをガブ飲みしないと眠れない状態が1カ月ほど続きました。
 この間は肉類も全く食べられませんでした。でも、当時の私はそれを仲間の誰にも言えなかった。あの頃の自衛隊には、まだストレス障害という概念もなかった。空挺団は、男の中の男が集まった猛者ぞろいの精鋭部隊です。年上の部下を統率する若手幹部として、弱みは見せたくなかった。上司に相談しても「頭がおかしくなったのか? 病院に行ってこい」と言われるだけだと思うと、誰にも相談できなかった。
 ただ、御巣鷹に出動した者の中で、外泊を申請して出掛けたはずの営内居住隊員が、“不気味に感じる”と言って駐屯地に帰ってきて皆と一緒に寝ているという話を聞いた時は、妙に安心しました。私はその隊員に向かって「情けない奴だ」と笑ってやったのですが、内心、「おれだけじゃない、みんな同じなんだ」とホッとしたことを覚えています。
 それからずっと後の、私が1等陸佐として連隊長を拝命した2003年、自衛隊がイラクに派遣されました。私も派遣に備えて、部隊指揮官としてストレス障害に関する教育を受け(結局私自身はイラクには行かなかったのですが)、更にその後の勤務でも、指揮官・幕僚にとって必須の知識として学びました。
 そこで、当時26歳の私が御巣鷹山から帰って体験したことが、まさに「急性ストレス障害(ASD)」の典型例だったと気付いた。それ以来、ようやく自分の経験を他人に話せるようになりました。ちなみに、ASDの状態が1カ月を超えて続く場合は「心的外傷後ストレス障害(PTSD)」とされます。
 戦場や大規模災害の被災地などの過酷な状況下では、どんなに強い人間でもストレス障害になり得る。それを私は、知らないうちに自ら経験していたのです。たった48時間の任務で、私の心は壊れかけてしまった。そしてそれをひたすら隠し、一人で悶々と悩んでいた。
 現在の自衛隊では、海外派遣や災害派遣のたびにメンタルヘルスに関するケアを体系的に行っています。任務終了後の隊員を一人でストレス障害に立ち向かわせるような状態に放置することはありませんし、仮にあったとすればその指揮官は失格です。そういった意味で、この貴重な体験は私自身にとって、指揮官として大勢の部下を率いて任務を完遂する上で大きな糧となりました。
 あの悲しい事故から35年を迎える今、改めて犠牲者のご冥福と、生存者やご遺族の方々の人生に幸多からんことを、心からお祈り申し上げます。
岡部俊哉(おかべとしや) 元陸上幕僚長 昭和34年、福岡県生まれ。元陸上自衛官(防大25期)。第6師団長、北部方面総監などを経て、2016年、第35代陸上幕僚長に就任。2017年8月に退官。
「週刊新潮」2020年8月13・20日号 掲載
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nejiresoukakusuigun · 5 years ago
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『心射方位図の赤道で待ってる』読書会レジュメ
この記事について
この記事は、文芸同人・ねじれ双角錐群が、2019年の第二十九回文学フリマ東京にて発表した第四小説誌『心射方位図の赤道で待ってる』について、文学フリマでの発表を前に同人メンバーにて実施した読書会のレジュメを公開するものである。メンバーは、事前に共有編集状態のレジュメに自由に感想や意見を書き込み合った上で読書会を実施した。読書会当日の熱気は残念ながらお伝えできないものの、レジュメには各作品を楽しむための観点がちりばめられているように思われる。『心射方位図の赤道で待ってる』読者の方に少しでもお楽しみいただけたならば幸いである。
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『心射方位図の赤道で待ってる』についてはこちら
神の裁きと訣別するため
一言感想
実質まちカドまぞく
岸部露伴とジャンケン小僧的な
サウダージを感じる
むらしっと文体はミクロとマクロをシームレスに語るのに向いている、というか何を書いても神話っぽい感じがする。神待ちという地獄に誘う詩人ウェルギリウス的なポジとして冒頭に置かれているのがとてもいい。読者は思わず一切の望みを捨ててしまうだろう
いつもよりむずかしくなくて(?)そのぶんむらしっと文体の魅力に意識を割いて読めた
一読した印象として、古川日出男っぽいなというのがあった
完全なグー まったき真球〜チョキまでのくだり、かっこよさの最大瞬間風速
細部
箇条書きって進むポイントというか切れ目が明確? みたいな感じはあって、ノベルゲー(いや別にノベルゲーでなくても良い。ゲームで)で次のテキストに進むために決定ボタンを押すじゃないですか。なんかそういう感覚がある。箇条書きが一つ一つ切れていることが。
連打していく感じになる
それが後半で長いのがでてきたときに効いてくる
あとなんか連打のだるさみたいなのがあるじゃないですか? 別に箇条書きじゃなくてつながってるのと負荷変わってないはずなのに。ゲームもつながった文章を読むのと変わらんはずだが決定ボタンを押すリズムがこう負荷を作ってるよな。
上記は箇条書きがあげている効果について書いたんだけれども、そもそもどうしてこの作品は箇条書きなんだろうか? その意図というか、狙ったことがあるんだろうか? そこまでないにしてもなぜ箇条書きにしようと思ったんだろうか?
●のシーン。ナツキ(本田圭佑)が導入されてじゃんけんの話をしてこの時点でギミックと言うか、じゃんけん強いというのが、すでに引き込む力がある。じゃんけんからの視点の飛躍、特に蝉が木から落ちる下りで「次の年」っていきなりなるのは良いなと思った。
池袋西口、昔のおとぎ話、宇宙、キムチチャーハン、みたいな、遠近が入り乱れている世界観に特色がある気がする
★の家族のところが印象強くて、いたりいなかったりする兄とか、石を食べて予言をする姉っていうのが、マジックリアリズムな感じもありつつ、グラース家的なイメージも感じたりした。
▲のところで、つまり地の文のまなざしは父性だったということになるんだけど(実質)、それが変質していくというか、悪夢が変形する感じがちょっとあって。おとぎ話はグイグイ来て良い。
じゃんけんに関する要素が入れ子みたいになっている
完全なグー、外界を寄せ付けない孤独の象徴
P16「完全なグーについて」「ナツキの孤独について」で、ナツキがじゃんけんに絶対に勝ってしまい疎まれることが語られる。孤独。
●の部分がグーということなんだろうけど、ここでナンパの男にじゃんけんで勝ち続けて気味悪がられるナツキの孤独が語られている
完全なパー、記録すなわち過去の象徴
P18「完全なパーについて」「ナツキの記憶について」で、ナツキ(というより、「ぼく」)のナツキのはじめてのじゃんけんの記憶が語られる。
★の部分が(この完全なグーチョキパーを語っているところを含めて)ナツキの過去を語っており全体が記録、過去になっている
完全なチョキ、繋がりを切断する、他者との関係の象徴
P21「完全なチョキについて」ここはグーとパーと異なり「ナツキの●●について」という言葉は続かないんだけど、他者との関係、そしてそのつながりの切断についてということになるんだろう。家族のことが語られる
▲の部分が、逆に★の部分で語られなかった相手である「ぼく」、父親との関係とその断絶になっている
P21ではじめてのじゃんけんでナツキに無意識に出された手が、完全なチョキであったことの意味を噛みしめてる感
我が子に関係を「切断」されたということを否定したくて(その完全性を壊したくて)、躍起になったのかな
ところどころナツキが負けたがっていることを知っている描写があり、自分がナツキの完全性を否定することが彼女の救いになることもわかっているはずだ
でもなんか挑発的だし、やっぱり負けたのがすごく悔しかったのかもしれない
官吏(仮)も天体望遠鏡の順番決めでじゃんけんをしていた。むしろじゃんけんのほうをたのしみにしているようにも読める(P14)。
父もナツキに負けたことで、宇宙をいくつかまわって再び勝負をしかけるくらい入れ込んでいた。
父も実はじゃんけん自信ニキだった?
本田圭佑vs本田圭佑
全然関係ないが、じゃんけんする人の国民的ポジションを一瞬で本田圭佑がサザエさんから奪い去ったのすごいな
自信ニキにしてはパー(過去)を出すのにも「失敗したキムチチャーハン」で負けるあたり、舐めていたのか、地力が低かったのか、ナツキが強すぎたのか。
父は抱きしめてやるべきだったんだよこれ。
おとぎ話、これなんなんだ?
最強の手「グーチョキパー」と、官吏が囚人とのじゃんけんで出した手が官吏にしか分からない(グーとチョキとパーいずれかを事後報告できる)ということは、似ている
並行宇宙の話をしてたから、つまり重ね合わせの状態の手を出しているということか(???)
どの宇宙でも勝つように収束する
やけに星がよく見える池袋でナツキたちのちょうど反対側にいた男の故郷(この国でいっとう星がよく見える土地)と、官吏の故郷(星がいっとうよく見える土地というのがこの世界にはある。おれの故郷はそんな場所の一つだ)の類似
わからん。もう少し考えたい
それはちょっと意識してるのかなーとおもったけど、おもったけど、その先がわからなかったな
よく側を通り過ぎている女二人は官吏の妻と、彼女と密会していた女っぽい(P33)?
あの二人はなんか意味はありそうなんだけど、そうなんですかね? なんか手がかりある?
そもそも官吏の妻が密会していた女っていうのがよくわからん。p33「隣の独り身の女と、三日にいっぺんは会っていた」も最初は読み方がわからないというか、男の誤記か、会っていたの主語は官吏の方かとか考えてしまったから、でもここでその目立つ書き方をしているってことは、通り過ぎている女二人なのかもしれないな、必然性があるはずだと考えるならば。
「~しあわせな結末が待っている/そのまえにすこしだけの試練~(P12)」「おれの女房が、じつはおれのことを好いていない~(P33)」
同性愛で、片方には少なくとも家庭があり云々っていう話で素朴に読んでました。おとぎ話と「現実」が地続きなことを示唆する描写っぽいけど、地続きだとしてどういうことになるのかはまだよくわかりません。
反対側に官吏(仮)がいるので、当然彼女たちのことも見かけているはずだけど、そういうところには踏み込んでいない。
「塔のまわりをぐるぐる回るわたしにまとわりついて、しゃべりはじめた(P30, L9)」
ナツキの父の一人称は「わたし」じゃなくて「ぼく」
ここの「わたし」が「ぼく」の誤りだったら、「実は父の回想でした」筋が通る気がするんだけど
だとしたら反対側にいる男がおとぎ話の官吏で、囚人がナツキの父親なら、ふたりともここにいる/そこにいないのはどういうことかってなるし
おとぎ話パートに一人称が出てきてもなんらおかしくないという当たり前の結論に達した
これがただのおとぎ話だとしたらやっぱり、上記の類似はなに?ってなるな
「官吏のいかさま/それを覆す方法」のどちらかが、ナツキに「勝てる方法(P30, L2)」と対応する?
「つまらない方法」でも「教訓がない」と強調されている
P16で完全なグーチョキパーと「昨日見た夢」が並列に扱われている
おとぎ話との関係ありそうか?
最後のじゃんけんのところ
「親指をひろげて」「人差し指をひろげて」「中指をひろげて」「薬指をとじて」「小指をとじて」なんかじゃんけんの最強の裏の手みたいなやつか?
『ラッキーマン』で勝利マンがじゃんけんで出す最強の手「グーチョキパー」の印象���強かったので読みながらウフフとなった
指を家族にたとえる歌「おはなしゆびさん」
「中指をひろげて おにいさんゆび」って言ってるけどこの宇宙には、もうおにいさんは「すでにいない(P22)」はず
ナツキはおにいさんが「すでにいない」ことを知らないのか
「だからおおむね、いるのだといっていいのだろう(P22)」で解決か
小指=あかちゃんゆび=ナツキ自身
「わたしはもういなくなるから」の意味とは?
めっちゃかっこいいんだが、なんで勝つと神の不在を証明できるんだ?
自分を負かす存在を待っている→やってきた男に勝つ、という構図で、テーマが神待ちだから?
(1)完全性の自覚を打ち砕いてくれるくらい完全なもの(神)に出会いたい→満を持して史上最も期待できそうなやつ(父)が現れるが、勝ってしまう→神の不在に感じ入る
(2)「勝てる方法」を使用してくる父に勝つには「最強の手」を使うしかない→勝つために「最強の手」を使った自分は完全ではなくなった→「じゃんけんの神」であるナツキはいなくなった。(※「最強の手」には完全性が宿らないという前提)
後者だと「わたしはもういなくなるから」に若干繋がりそうな気配があるが……。
「気に入らない男だけれど、負けるのはほんとうらしい(P30)」
実は勝ってないけど負けることによって勝利しているとかそういう話の可能性は、ないか。
なにもわからなくなってきた。
最後のビュレットがないことの意図
ここまでの文が全部、ナツキが最後に出した「最強の手」の動線ってことなのか。
山の神さん
一言感想
広瀬の(声 - 小野大輔)感
笹さんは本当にエッチな男だなあ
広瀬の絶妙なすけべ感がすごいいいんだよな
舞台が大正時代なのもあって、なんとなく森見登美彦風味も感じた
実質ヤマノススメ
過去と未来、機械と人が「重なって」ゆき止揚される様がいい。
私は毎回打倒笹さんを目指してカワイイ女の子を描こうと四苦八苦しているのだが、そんな私の苦闘を尻目に笹さんは毎回さらりと可憐な少女を書いてしまう。私がシャミ子なら笹さんはさながらちよももといえるのではないか? この観点からね群とまちカドまぞくの類似点について指摘したい。
ね群とまちカドまぞくの類似点について指摘するのはやめろ
おもしろい小説を書くのってむずかしい(今回なぜかとくに思った)んだけど(隙自語)笹さんはすごいよ
時代は姉SF
対比的な文体芸が楽しい
ちゃんとそれぞれの文体の思考法でおのおのの結論に至るという意味での必然性もあり
短文が素打ちされていき、隙間にとぼけた感じが挟まれるこの手の文章が自分は好きなんだよなと思った。というか、思えるくらいに自然でうまいというのがある
p58で一瞬ネタにして明示してくれるの親切というか、やっぱりそうなんだ!っていううれしさがあり、かといってそれ以上しつこくネタにしない慎み深さがある
「機械の身体」にたいする各々の対照的な考えが、登山という身体性をともなう行為によって止揚される云々!テーマの消化のしかたがきれい
おれは登山をしたことはほとんどないが……
とまれ、こういう短いキャッチフレーズにまとめられるくらいの主題があるのは大事だよなあといつも思うんですよね……
会話が四コマ漫画を連想させてまんがタイムきららだろ、これ。
意識して読んだらマジでまんがタイムきららが脳内展開された。
ドキドキビジュアルコミックス
SF的な設定について
ものすごく複雑なことをしてるわけでもないと思うんだけど、人間と機械のきょうだいってのはちょっといろいろ考えがいがありそうなんだよな
血縁がないにもかかわらず姉妹を擬制するというのはひとつの伝統なので……
義姉妹の約を結んだのか……
単純にスペア的な存在のような気が(名前が神籬だし)
医王山登りたいな
プロットで動機や結末などを「重すぎず、軽すぎず」っていう思案してたっぽいけど、それがちゃんと活かされててよいな。
細部
大正15年、大正デモクラシーの流れで前年に男子普通選挙法、昭和が目前、世界恐慌前だしそんな世情はギスギスしてない感じだろうか。張作霖爆殺が昭和3年とかなので徐々に種が撒かれてた感もあるか
舞台は金沢らしい。旧制高校のエリートである
転移時の文章のくずれのかっこよさ、これなにか書くコツとかあるのかな……
実質パプリカ(映画)なんだよな
今敏監督で映画化だ
p52で先を歩かせてるときにスカートがちらちらするのぜったい気にしとるやろがそれを明らかにせず別の理由をつけるあたりのむっつり感
「まったく許しがたいことだ」じゃあないんだよ
p.72「広瀬は次に登る山のことを考え始めた」の爽快感がすごくよかった。
でもじつは神籬のことをめっちゃ考えてたんだけど、私小説的な照れ隠しでこの書きっぷりだった可能性もあるな
エピローグ(p.72の※以降)で広瀬たちと神籬の後日談があることが最高の読後感を提供してくるんだよな
囚獄啓き
一言感想
夜ごと街を走って体力を高めるの草
え、なんで妻は罪を犯したの?
愛だ。小林さんは愛の輪郭線をたどることで愛を浮かびあがらせるのが巧い。直江兼続の兜を想起させる。そして銀河犬が気になる。
いつもよりギュッとしてる
ぼくも同じ印象を持って、最初は漢字のとじひらきがかなり過剰に閉じ寄りになってるからかなと思ったんだけど、むしろいつもより地の文が多く、強めの短文を連打してるからなのかな
どこかに魚が出てくるかなと思ったけど、なかった
ところどころに小林さんの昏い性癖が出てる気がします
冒頭にある「地獄とは心の在り方ではないか」がポイントなんすかね
平等な地獄を作ったはずの主人公が、また別の、その人固有でしかありえない、妻の不在という地獄に……という、やっぱ愛か……
刑罰ってのがそもそも歴史がありその意義などいろいろな話があり現代に照らし返せるものの多い、したがって近未来の世界の「当たり前」がどうなっているかを描くまっとうなSFに向くテーマで、そのへんを上記の愛の話のもう片手として簡潔にまとめてるので、SF!って感じがするのだよな
理屈づけのおもしろさで魅せてく鴻上さんのとか、未来ならではの思索で魅せてく笹さんやばななさんのとあわせて、SFらしさのバリエーションがでてると思う
初読時には時系列というかエピソード間の間隔のことあんま意識して読んでなかったんだけど、妻が事件を起こしてから刑を執行されるまでにけっこう時間が経ってるのがわかって、なかなか大変やなというきもちになった
と言いつつ実はちょっとわかってないんですが、二人称で語られる断章は(多少その前な箇所もあるとして、おおむね)妻が捕まって以降の話ということでいいのかな?p85の妻への言及とかも相まって自信がないんですが
そもそもそのへんの語り全体が妻の見ている地獄という解釈もあるんだろうけど……(でないとなんで語り手がこんな詳らかに知ってるのかが説明できないというのもあり)
「牛乳を含んだ雑巾」みたいな独特の比喩から小林節を感じる。
SFってガジェット自体の新規性や利便性から話の筋を作るというのもあるんだけど、そういう未来を描くことで(かえってその迂回が)現在に通用する倫理とか問題意識を切実にさせる側面もあるんじゃないか、みたいなこと考えることがあり、これはすごくそれよりな感じがします(感の想)。時代によらず共感しうるものだったり、いま揺れている倫理に地続きの問いだったりが中心に据えられている。んじゃなかろうか。
「あなた」の作る地獄(への道)を「無関心」で舗装していたのは、むしろ妻のほうか(P79の後ろからL5、あるいは全体に漂うフラットな語り口から)? 舗装、とは言い得て妙かもしれない。その下に押しつぶされているもののほうをこそ俺はなんとなく想像してしまう。
妻の犯した過ちには子供の死と、ひょっとしたら、球獄とそれを取り巻く感情が関係している。いる?
平等であるというのは、ある意味残酷なことだ。だからこそふさわしいのだろう。意思が介入せず、全くぶれない罰を与える球獄だからこそ、罪の清算(救済)が可能である。それがどんなに償い難い罪だろうと、いやむしろ償い難いものであるほどそう感じられるのかもしれない。「あなた」による偏執的な研究の日々の傍で失われていったものがあるならば、それらの重さは球獄という完全性への期待に加担する。その信仰は、妻の中にも「あなた」の中にも、いつからかあるはずだ���
「神待ち」に関して
これから堕ちる地獄(世界)の創造主(=神)に「そこで待っている」という発言をしたことが、テーマに沿っている気がしたんだけど、どうなんだろう。
こういう発言にも妻の「あなた」への共犯意識が垣間見れるし、なんかやっぱり妻の罪の動機と球獄の製作って関わってるよね。そこをあえてすっぽり省いてる気がして。
脳波の逆位相を……という発想がよく考えたみたらどういうことだってところではあるんだけど、とくに瑕疵にらなないのはいいなというのがある
性的快感の逆位相=性的快感以外のすべてがある
妻がいない世界に生きる「あなた」=妻以外のすべてがある世界に生きる「あなた」
ということで、妻の地獄と、それ以降の「あなた」の生活は相似しており、このことがp.90「僕たちは二人並んで閻魔様に裁かれて、それから長い長い地獄に落ちるんだ」に繋がるところがうまいと思った。
細部
終盤で語り手が妻だとわかるみたいな仕掛けはやっぱりグッときちゃうんだよな
p80 パパ活やってて喫茶店のスティックシュガーパクる?と思って笑ってしまった
p81 京文線、なぜか印象に残る。急に架空の(だよな?)固有名詞が差し込まれるのが異質っぽいのかな?(ワイン、とか、省、とか、固有名詞が割と排除されている空気の中で)
「顔が見えていても私はいいんだけどね」「また来ても良い?」普通は、三倍払うと言われてそれに釣られてやってきた女は、こんな好意的な反応を返さないだろうから、そこに都合の良さというか、あるいは記録者による逆のバイアスがあるのかなとか思ったりする
p82「再び端末のキーを押下」エンジニアしぐさ
p84「君の身勝手な自棄で何人の未来を奪ったんだ」なにやらかしたの?
p.86「銀河犬」「(おばあちゃん)その辺で見ませんでしたか?」の台詞がすごく好き。小林さんは一作目からこの手のシュールさを志向している印象がある
記録の語り手が妻っていうのはなるほどねと思った
p.85「それから数年にわたって女はあなたの研究室に通い続けた」以降は、妻が罪を犯した後?
p.88「語りが過ぎた。ここで記録は結ばれ、以降は記録ではなく〜」記録3の後の最後の断章は、妻が地獄執行される場面であり、妻はその場面の記録を執筆できないということを意味している
p.89「私の心は現在どのレイヤーにあるのだろうか。」レイヤー?わからなかった
杞憂
一言感想
中盤からの加速感
これ絶対あれだろと思って読んでたのにやられた
デジタルタトゥーとかそういう意味じゃないけどわかる単語がずるいよな
インディアンのネーミングについて調べてしまった(おもしろい)
この手の一般名詞(?)をそのまま訳して名前として表すやつがなんか知らんが妙に好きなんだよな
ナツメもライチも中国原産っぽい?
原産というか縁がありそう
両方とも滋養強壮できるらしい
ちゃんと資料にあたり、ネイティブアメリカンの習俗とかJKリフレの店内の様子とかそういう細かいところをしっかりさせてて、小説の足腰ができている、見習いたいんだ……おれは……神は細部に……
SF的な理屈をいかに飽きさせずに読ませるかってところで、JKリフレとの強引な対応関係をつくる手つきがすげえ上手いんだよな
馴染みのある語彙に変な言葉を紛れさせて地の文で展開する、みたいな
オーバーロードが中年男性に……(さらにはそれがエルクに……)っていう絵面的なおもしろさと設定的な必然性を両立してるのとか、漫才っぽいプレイの流れのなかでちゃんと話進めるところとか
文化盗用とかアーミッシュへの皮肉っぽい視線みたいなのは前回の感動ポルノに通じるところあるよな
バトルシーンの手の込みようとおっぱいで窒息するくだらなさの融合だけで“勝ち”なんだよな……
もしかしてこれをやりたいがためにここまでの全部を作り込んできてないか!?!?!?
古事成語オチをつけてなんかやっぱネイティブアメリカンの伝承の話だった?みたいにするふざけかたも好き
あ、ここから怒涛のあれが来るんだって予感でわくわくしてやはり来て、凄かった。
SF的な設定、未来の世界での娯楽・趣味的的な観点がけっこうよくて
意図されたであろう魅力が初読で存分に伝わるつくりで、かつ細部に注目する部分がたくさん残されているのがめちゃくちゃつよい。
人物やガジェットのネーミング、その他取り扱われている文化へのリスペクトなど。
細部
p97「俺たちの世界の理にして〜」、読み返してみると、焼き脛は序盤からちゃんとわかって言ってんだな……
侍ミーて
「ひょっとするとお忍びで欲望を満たしにきた元老院議員の可能性さえある。」ここクソ笑うんだよな。千と千尋のあれかよ。
「あれこれ無駄な心配をする痴れ者をさして杞憂と呼ぶ習慣」これ文脈的に杞憂じゃなくてマウンティングベアって呼ばれるんじゃないの??
なんか笑った
略されて使用されていくうちに逸れていく、みたいな、なんかそういう言葉いくつかある気がする。いまは思いつかないけど
用語について調べて/考えてみる
赫の終端(レッドコーダ):ハンドラ族の長
赫は赤いこと、勢いが盛んであること。コーダは音楽で終わるあれ。なので日本語とルビは直訳的に対応しているっぽい。レッドコーダーだと、競技プログラミングのあれになる。プログラミング力が高いから長なのか?
ポアソンの分霊獣
ポアソン:名前。有名どころだと数学者? ポアソン分布の。
分霊獣:分霊は分け御霊。獣?
分霊という言葉のもともとの意味は、分け御霊ということで、コピーして増えるという意味の分けるなんだけど、作中でこの獣の動きとしては、流れを分ける、分配するという意味の様子。
っていうかロードバランサだよな? だからポアソン分布なのか! 待ち行列だから神待ちなんだ!(今更気づいたの俺だけか?)
待ち行列SFらしいということは垣間みえていたんですけど、まさかこんなん出てくると思わんやろ
杞憂(キユー)
杞憂は空が落ちてくることを心配した故事成語。カタカナでキユウではなくキユーなのはなにか意味あるのかな。待ち行列のキュー?
あー!なんで杞憂なのかと思ってたら、そうか、queueか!気づかなかった……
キューとかレッドコーダーみたいな二重の意味、他のやつにもそういうのあるんじゃないかと思ったけどわからんな
キノコジュース
一言感想
光――
初手「ふざけるなよ」と感想を書こうとしていたんですが、本人がふざけているつもりないとしたらめちゃくちゃ失礼になってしまうな、と口をつぐんでいました。やはりふざけるなよでよさそうです。
そういう意味では、我々としてはかなり楽しく読めるんですが、どこまで本気でやってるのか測れない距離の読者からすれば、読んでいて不安になる可能性もあるのかもですね
購入者の感想がたのしみです(なんなら自分の作品よりも)
ふざけどころの緩急がすき
ナンセンス漫画ってやっぱ絵があるからこそギリギリ成り立つもんなのかなあと思っていたところ、それを小説で成り立たせてる腕力がすごい
理路のつながらなさをゲーム的な世界観と苦しむ顔がかわいい女を好きな思い込みの激しい男とでギリギリもたせている感じというか、一般のナンセンス文学の退屈さを補う怒涛のクリシェというか
ほかの人のはそれぞれに「自分もこういうのできるようになりたい」という部分があり、その一方で「だけど本当にそれが書けるようになることを自分は求めてるのか?」という立ち止まりもあるなかで、国戸さんのは心情的に共感みがすごいんだよな。「これをやりたいし、これをやればおれのやりたいことができるのか!」みたいな
好き。酒呑みながらブコウスキー読んだときとおんなじ仕合わせな気持ちになる作品。
実際完敗した感じはあるんだよな。旋風こよりを前にした上矢あがりみたいな。
国戸さんの料理好きな部分が出てるのか。登場する食べ物飲み物が気になる。苔とか。
笑えすぎて本当にずるい
細部
すべてが細部なので読みながら挙げていきます(正直一文一文挙げてきたいところはあるんだが……)
そもそも冒頭の大剣のくだりからしていきなりバカにしてて、そこから「エロい体」の「悪魔系の魔物」が出てきて(系ってなんだよ)、ハートがパチン、そして光——の畳み掛けで完全に引き込まれちゃうんだよな
本当に最初の3行ですごいじわじわきたところに「セクシーで人間と同じ形状をしたエロい体の悪魔系の魔物」でトドメ刺されるんだよな。笑えすぎる。
くっそお、俺はこいつが好きだ
「大型魔物」、「の」を入れないのが良い
最強の二人のもう片方、だれだっけて
双剣を捨てる言い訳から店主を攻撃して半殺しってところまで一文一文笑いどころしかない
全体的にそう��という気もするんだけど、とくに「ルシエは用心棒で〜」からのくだり、なんか妙にサガフロ2を思い出したんだよな
キノコジュースのくだり正直まったく不要で、リアリティを増すための習俗の描写を馬鹿にしまくってる感がある
そういう意味ではその前の鴻上さんの緻密さと対比的でおもしろいな
「戦闘で、全力でしゃべってるんだと感じた」突然詩的になるな+ペンダントのくだりの思い込みの激しさ
いきなり世界が壊れだしてから第三世界の長井みがこれまでにも増して、ちゃんとゲームの世界なんですよという無用の目配せに笑ってしまうんだよな
素直に強く反省する主人公
p136の唐突な暴力描写の投げやりっぷり
「まさか点滅して消えるだなんて」ほんと好き
「その勢いは凄まじく、まるで矢のような勢いで飛び込んで来たのだ。」ここも好き
ひかりごけをいきなり食って、しかも飢えた人間へと連想をつなげるのをやめろ
もうこのあたり完全にゾーン入ってるんだよな、一文一文が常に笑える
「強い恐怖は、それまで持っていた弱い恐怖を克服する」の決め台詞感に至るまでの思考回路がくだらなすぎる
玉ねぎの連想から無理やり涙につなげて、象徴にもなってない象徴を引っ張り出したうえで「確かに」と結論づけさせるのすごすぎる
「過去の出来事が現在の状況を暗示している」みたいなありがちなアレをばかにしてる
いきなり寝ている、いきなり寝るな
「すると〜」からの段落の描写の雑さが主人公の現実認識の雑さを象徴しててめちゃくちゃいいんだよな
ダグラスの登場あたりからやにわに話が盛り上がるのだが(そもそもこれで盛り上がってる感がちゃんと出てるのがまずすごい)、インベントリがいっぱいなことを心配したり速い虫の話をしたりさらには親の回想がはじまったりしてこいつ集中力がなさすぎないか?
とても速いなにかしらの虫ってなんなんだよ、ほんとに。何回読んでも笑ってしまう
でもなんかちょっとかっこいいんだよな
p140からのなんかいいこと言ってる感の空虚さがすごいし、そもそもなんでダグラス現出してんだよだし、それらすべてが学校の机でガタンの恥ずかしさとなんかしらんが妙にリンクしてる感じがして凄みがすごい
「あれ、これだいぶ前にもやらなかったか?」で突然我に返って、読んでる方も一瞬我に返り、ページをめくると最終ページの登場である
「苦しそうな顔が〜」で最後までふざけて、ロケットが開くのもなんか勢いで、それから光——ではないんだよ
まさしく腕力
リュシー (Lucie)は、フランス語の女性名。 ラテン語の男性名ルキウス(Lucius)に対応した女性名ルキア(Lucia)に由来し、『光』を意味する。
蟹と待ち合わせ
一言感想
マァンドリン
わりと文章が硬質なんだけど擬音語擬態語とか、こういう音声的な話を印象的に使ってくる印象がばななさんにあったけど今回それが強まっている気がする
いつもより書いてて楽しそうな印象をうけた
どこかでも書いたがばななさんの導入いつもよいと思う(導入以外が、という話ではなく)
今作はわりとエキゾチックなんだよな。キャノンビーチの鳥居を蟹がくぐる光景がエモい。
全体的にアルカイックなのは意識の誕生以前の世界への回帰だからか。
おなじ文献に着想を得てるのに杞憂との落差よ。
御神体フェチ
毎回SFギミックがハードコアではあるのだけど今回もそうで、そのうえ↓の書き手の感想にあるとおり、実際書き方がより挑戦的になってる
んだけど、それなのに!夏の島のバカンスの雰囲気に包まれててめちゃくちゃさわやかなんだよな、なんなんだよ
そう、すごくさわやかなんだよな……本当に
ずっと空と海を描いていて、そのうつくしさは質感としては憧憬に近いんだけど、ラストで急にその突き抜ける青さが手元に戻ってきて調和するのがすきなんだ
人類補完でなにが起こるかのところにこの回答持ってきたのは(↓で書いた情報の出し方のおかげもきっとあるんだけど、個人的な考えとしても)個人的にはめちゃくちゃ納得感がある
収録作のなかでもアジテーション的で、わりと全体通してゆっくりアジってくるので「たしかにそうだよな……」みたいな納得感がある。あるよな?
「鯨」で強めの主張をしてからの「石球」での転調、そこからラストの「蟹」で落とす流れがきれい
というか、全体的に情報の出し方のコントロールという基本ががうまいんだよな。我慢できなくて設定語りしちゃわない?おれは我慢汁出ちゃう!
細部
ちょっと入り組んでいるので整理を試みます(みなさん適宜修正してくれ):
人類
全体と言語野を共有している
読む限り電脳である以外、形としては「普通の人間」でよさそう?
現代から100年後が舞台であること(そう遠くなく、まだ最後の電脳化が終わって間もない)、人間の肉体として考えて不自然な描写が出てこないこと
もし「異形」であるなら、相応の描写があっていいはず
自然な人間の形であるからこそ「四本足」や「七つの目」という描写が活きているんじゃないかと思って
しかし、なんでもいいというのも、この話の主題のひとつだ
「アラスカやシベリアの軍事拠点と並び、地球上で全住民の接続を完了した最後の地のうちの一つだった(P152)」
語り手たちはまだ完全に統合しておらず「人間らしい」雑念に溢れている(ように語っている、が)
笠木
御神体「ヘイスタック・ロック」
「キャノンビーチ」
笠木グループ:腕が各2本、脚が各2本の3体か
彼らの姿を想像することにあまり意味はなさそうだがいちおう
肉体(?)の数と一人称複数形のバリエーションの数は一致しない
p146で「三つの肉体」とあるから上記の解釈をしたんだと思うけど、最初読んだときそう読み取っていなかったのでなるほどと思った。何故かはよくわからないが、6本腕(兼ねる、脚)がある物理的には1つの塊を最初イメージした。p145で「七つの瞳」(3では割り切れない)とか、「三つの声、四つの声」とか書いてあるのを読んで、あまり整合的にわかりやすい体の形をしたものが何体かいるみたいな状況じゃないんだろうなと思ってしまったので。
でも油圧ショベルを操縦してるから、人間みたいな形をしているのだろうか(人間向けの油圧ショベルなのかどうかは定かではないが)
瞳のひとつは「対流圏から熱圏にいたる範囲を巡航する種々の飛行撮影機と衛星によって構成された視線(P163)」とのこと
なるほど!!
どうも彼らは記録をしているらしいことがわかる
マンドリングループ(たぶん)とは異なる一人称複数的な主体を維持しており、(一方的であれ)独立性を保てるらしいことがわかる
性交は非対称的な行為であること
「私たちは背中が三つある獣(P147)」すごいな
マンドリン
御神体「鯨→海自体へのイメージ」(仮)
マンドリングループ:腕が計6本、脚は計4本
……とあるけれど、海岸を歩んでいない2本があったりするかもしれないか
人類全体の意識(というべきではないかもしれないが)が共有されており、各々の肉体は物理的な入出力器官として位置付けられている、入れ替わることもあるていど自由っぽいことがわかる
「四本の足(P150)」という表現、ひとりはかならず共用スペースで開発をこなしているという描写(ここすき)
「肉体と精神の求めに応じて」とあるので海岸を散策する肉体も実際に交代してそうな雰囲気がある
「巨大な一つの意思たる海、それを身に纏う美しい惑星(P154)」(『ソラリス』だ)に自分たちの集合知としての存在を重ねる
パレイドリアがそれなり大事そうな概念として導入される
大戦があったこと、舞台が太平洋の群島であることなど、若干の歴史や場所の情報
環礁・核実験・地形などの情報からビキニ環礁だと思われる
鯨グループ:7つの眼
あとの「蟹」を読むかぎりでは笠木グループと同一であると思われるが……
パレイドリアの話の続きとして:自他の境界がない(このへんが神々の沈黙っぽい)→パターンを形作ることができず、生の感覚(?)としてしか受容できないみたいな話になってくる(現代的に見れば統合の失調ではある)
人間の意識(?)が完全に同一化するまでの過渡期らしいことがわかる
石球
御神体「石球」
「2121年9月のアラスカ」と明確に述べられている
時系列的にはちょっと前のように見えるが、正直よくわかってない
夢:イリアスっぽい描写
このへんも神々の沈黙で、ゆうたら「自他の境界がない、昔バージョン」の話
「開いた」球
視覚的な描写ができない、よね?
笠木グループっぽい
7つのうちのひとつの瞳が別の夢を見たらしい
俯瞰することの話ふただび
ここまでときどき出てくる語りのアップロードなどなどの話��ら徐々に彼らの生態の全体像が見えてくる形になってる
小さなボートのなかに女
「人類すべての言語野がつながったのが、いまからちょうど半年前(P152)」で七つ目の瞳は「一年以上にわたって(P160)」漂流していた女を見ていた(という夢を見ていた?)
P158で大地が揺れたことと関係がありそうなんだけど
鳥居をくぐる。今まで、あえて鳥居をくぐることはしなかった(P161)
純粋な観測者であるはずの7つ目の瞳が女をとらえて震える
「間近で見た御神体の岩肌は、海鳥の糞にまみれて白く汚れていた(P164)」は単純に美醜の描写を行ったり来たりすることで対象の存在感が強まるという効果もあるんだけど、もしかしたら「岩→女」への神性の移行ともとれる
女は一人称単数でしゃべる
濃い日焼け、脇毛ぼうぼう、乳に蟹
その前の段落の「あたしはようやく目を覚ます」の主体がちょっとあいまいで、おそらくこの女なのだけど、どうもここまでの一人称複数であった人間たちのうちの一個体のようにも読める……読めない?
むずかしい……最後の台詞の読解にかかっている気がする
ここで個としての人間が復活しているらしく、たしかにしているっぽいのだが
システムの「手足」に回収されつつある在りかたを、独立した「動物」のほうに引き戻してくれたらということなんだろうけど、この言いかただとそういう流れは止まらないと展望している
しかし七つ目の瞳のほうは、純粋な観測者としてあるまじき挙動をしていて……
もはや個を剥奪された端末になりつつある人間から全体への、人間性の逆流? といえばいいのか?
鳥居(文脈から切り離された木一般の意味が異邦で再構築される)というのが、いや鳥居に限らず漂着物の再構築などが(マンドリンもそうだ)、女の登場と構造的に対応しているように思う
単純な近似ではなく、その異質さを強調するための
イリアスパートの「怒り」は、システムに回収されつつある生の叫び(全体的な語りから読み取れる)に沿っている気がする(捕らわれたクリューセーイスの奪還と、漂着した「女」の物語的な関係やいかに。未読なので詳しくはわかりません)
鯨も同様、またソラリスの話も寓意に富む
女、オフラインなのかな(最後の台詞からははっきりと推測できない)
書こうか迷ったが、もしかしたら「正体」があるんじゃないか
P150の環礁・核実験・軍艦というワード(七つ目の瞳では観測できない海底)
ビキニ環礁のクロスロード作戦
鳥居への祈りから、日本の軍艦を連想
クロスロード作戦で沈没した日本艦は長門・酒匂
軍艦の擬人化と言えば艦これ・アズレン
双方のキャラクターの特性に照らす
「あたし」という一人称と「ささやかな乳房」という情報
「酒匂」ちゃん??
艦これの話か?
なんかこうもっとロジカルに導きたいんだけど、まだひらめきに近い
でもこう読むとすっと入ってくる描写とかある気がするんだよ
海への柔らかい執着とか、肉体の話とか
深海棲艦説としか思えなくなってきた
あー、なんかそっちっぽい!
最後の台詞がわかった気がする
元の肉体(艦)が(七つ目の瞳以外に)憧憬?をもって観測されつづけたことによって顕現できた、みたいなことか?
どうなんや
元あたし(傍点)じゃん?
いくつもあった「すれ違う」描写、しかし最後に「越境」して交わり、岐路に立つ!
つまり女の漂着は人類にとっての“クロスロード”だったんだよ!!!(キバヤシ)
ブロックバスター
一言感想
コインを振る。裏。←かっこいい
まったくわからないんだけど、いつもよりわかるよな
Cの盛り上がりがBとDのクライマックスと呼応していく感じが好き
読後感すごくいいからやっぱりこれ最後配置で正解なんだよな
津浦さんの作品一番難解なんだけど、なんか童話的な柔らかさがあるんだよな
ポリフォニック(ね群メンバーの作品は全体的にそうかもだけど)
こーしーもう一杯
王の祈る姿が比例して増えた←感謝の正拳突きしそう
細かな表現のかっこよさはもはや言うに及ばずなんだよな
Aの語りに出てくるモチーフの並置の伸縮自在さとか
あと「その大きさはもはや比喩の範疇を超えて唯一だった」がめっちゃ好き
挙げてくとキリがないのでやめます
細部
こっちもまずは整理してみる(修正求む)構成:4幕。
(1) p.168「「世界」という言葉がきらいだった」
(2) p.171「「世界」という言葉は、ずっと昔のあいまいな約束だった」
(3) p.174「「世界」という言葉は、その実なにも説明できていない」
(4) p.177「「世界」という言葉が薄い殻から芽吹くとき、その平熱の期待を逃してはならない」
語りの種類:5種類。
A:ほかと同じ明朝体のやつ
各挿話の最初に置かれ、「「世界」という言葉」からはじまる
p.168は病院に行く(お見舞い?)シーン?
p173「恋人の手」と「犬のクソ」は素晴らしいものと価値のないものを表しておりそれらを混同しないとみんな言いはるんだけど実際には紙一重だ、みたいなことを言っているように読み取れる、一方でp174では「生きている私たち」の強調によって、両者はいずれも生命を示しているというふうにも止揚されてくる
p.177「意味のある対象が〜
B:丸ゴシックのやつ
母を知らず、物語を作るハルと、魚から這い出したところを見つかった、八つ目の毛玉のキャット
八つ目!魚から!Cの「ものども」あるいは王だ!
母を知らないっていう宣言的な言い方がDとの関係というか、そういうものを感じる
p171「私は無垢を演じているのではないかと~」からも、直截的にはそういう読み方が誘発されると思った。Dの母との問題を無視した空想の世界。p171の描写は作り物感を補強している。p172「自身のスペアを要請」
世界の果てでコインを投げる
世界の果てが出てきて殻を破るって実質ウテナじゃん
p.180「あるいは誰かのその前駆が私と私の世界を作ったのだとしたら〜」エフェメラルな雰囲気がする
最後に揺れて、そのあと魚、でもって「彼」は(世界の)棘を持つ、(Cの)大亀だわな…
C:教科書体(?)のやつ←例のクレー
彷徨し、「世界の棘」を持つ大亀、王とものども
p.183より、ものども(たぶん王も)八つ目である
最後、魚がめっちゃとんできて世界の殻が壊れる
p.183Bによれば、Bにおける「物語」が世界と同一視できそうではある
D:薄めの丸ゴシックのやつ
現代劇っぽさのあるわたし(空想が好き、大学は文学部、就職に困る)と母。二人は折り合いが悪い
p178「世界に目を向けて」という母親の言葉とそれに従わずに目を閉じる私。「世界」という言葉への反発はAにつながっているように思う。
目を閉じて以降、空に魚が出現し母が消えるので、ここで世界に背を向けたように感じられる。というかp182のBにシーン的には合流しているように読める。丸ゴシック繋がりもあり。
ふと思ったがここの「わたし」が神待ち行為を行なっていた可能性があるぞ!!!!(ないです)
最後、やっぱ空に魚(バラクーダ!)が出現する。母はいなくな
E:薄めの明朝体のやつ
わたしと「彼女」(母性を感じはする)、あやとり
p.174「わたしは彼女の暇潰しの相手に過ぎない」が、その前のp.173B「気晴らし」につながらなくはなくて、そうなると物語自体ってことになるのか?
p.183「名づけたのは他でもない、わたしだ」。「世界」を?「世界の棘」を?
「ふだん浮遊している〜彼の棘はもたらす」らしいぞ!(だいじそう)
ストーリー性は希薄で、間投される語り
p.183、やっぱ魚は大亀の斥候なんだよな
あ、ここに寝室(Dの末尾の舞台)出てくんじゃん
あえて階層構造を仮定するなら、基底から順にD→B(Dのわたしの空想あるいは物語)→C(Bのハルの物語)で、大亀による崩壊がC→B→Dと還流してるように読めなくはない気はするんだけども……(BとDは……つーか、いうたら全部上下がなく並列でもいけるか)。で、それで世界がつながるのはわかる。じゃあ「その外に残された」の外って?(火じたいは王の演説にも出てくる)
レイヤーを想定しちゃうのは悪い癖だな。読み返してたらあんま上下関係ない説の方が強まってきた
自分だったらレイヤーを想定して書くのだろうが、多分作風的にはレイヤーとかじゃないんだと思う。しかし相互の関係性とかが変奏していく感じがあって良いんだよな
テーマについて
神待ち
神の裁きと訣別するため:自分を負かす誰かを待っている→勝って神の不在を証明
山の神さん:神待ちアプリ
囚獄啓き: 「地獄とは神の不在なり」なので、不在なんじゃないかな 
杞憂:中年男性(世界を維持するための計算資源→神?)待ち、待ち行列理論
キノコジュース:ルシエが宮殿で完全性を持つであろう存在を待っていたこと
蟹と待ち合わせ:蟹待ち
ブロックバスター:亀待ち
むりやりまとめると、神待ちの「神」を、原義側に寄せた、圧倒的なものとか完全なものとかでとって書いたのが多数派、という感じだろうか
とどのつまりは祈りだ。
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2ttf · 13 years ago
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mobsprooftheweb · 2 years ago
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『カリテ・ファンタスティック!シネマ・コレクション®2023』開催決定
ひと夏の心揺さぶる体験は、新宿シネマカリテで! 真夏の映画祭 『カリコレ®2023』 今年も熱く開催決定!!
映画の都”新宿”が誇るミニシアター・新宿シネマカリテが贈る魅惑の映画祭『カリテ・ファンタスティック!シネマ・コレクション®2023』(略して『カリコレ®2023』)が、今年も真夏の7月14日(金)〜8月10日(木)の4週間に渡り開催が決定!
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今年で第9回目を迎える『カリコレ2023®』は例年以上に目から鱗が落ちる程の斬新かつ強烈な作品群が目白押し。多彩なジャンルと国境を越えた選りすぐりの新作、旧作、未公開作がラインナップだ!
毎年恒例である映画祭のメインビジュアルは、9回目に因んで9匹のカリコレうさぎが活気に満ち溢れた新宿シネマカリテの劇場エントランスで映画祭を盛り上げる中、アリスが鑑賞作品を思案中というポップアート。
“是非!シネマカリテで映画を体感して欲しい!”という劇場スタッフの熱い願いを込めたこのメインビジュアルは、本映画祭のビジュアルを描き続けてくれているイラストレーターの田中梓氏による描き下ろし!
今年のオープニング作品は東映ビデオが仕掛けるクリエイター発掘プロジェクト【TOEI VIDEO NEW CINEMA FACTORY】で総数309本もの企画と脚本から記念すべき第1回作品に選ばれた『神回』。
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脚本・監督を務めるのは、プロジェクションマッピングやドローン撮影など先端技術を駆使した映像表現に定評があり、『GUNKANJIMA-Traveler in Time- 』が国内外の映画祭で大きく評価された新鋭 中村貴一朗。主人公にはNHKの連続テレビ小説『カムカムエブリバディ』<ひなた編>でヒロインの弟・桃太郎役を好演した青木柚。ヒロインには『BACK STREET GIRLS -ゴクドルズ-』『ぬけろ、メビウス!!』などで好演した坂ノ上茜。 舞台は17歳の夏休み。人影少ない校舎で13時から文化祭の打合せをする樹と恵那。しかし打合せ開始からしばらくすると、13時に戻ってしまうことに樹だけが気が付く。繰り返す時間のループから抜け出そうと奮闘するも脱出出来ない樹は同じ時間を繰り返すうちに精神の混乱を極め、物語は思わぬ方向へ加速していく。無事に“時の監獄”から抜け出せるのか…。
7月21日(金)からシネマカリテでの一般公開に先駆けて、カリコレ®2023のオープニング作品として上映が決定!
さらに日本公開に先駆けいち早くご覧頂きたい新作4作品もご紹介!
1本目は、世界が直面するエネルギー危機を題材にした中国発の超ド級のアクション作!『狼群/ウルフパック』。
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幼少期から父親にサバイバル技術、特殊戦術と戦場医療の訓練を受けてきたキートンは、謎の死を遂げた父の真相に迫ろうと医療支援を行う人道団体の指示で国境に待ち受けていた傭兵から父の死と関係する情報を得る。時を同じくして、テロ組織が中国の天然ガス田の破壊工作を企てている情報を入手したキートンは傭兵が所属する部隊ウルフパックと共にエネルギー危機を阻止に向かう。しかし、そこでキートンが見たものとは…。軍事コンサルタントの協力の元、プロフェッショナルな戦術をリアルに描いたミリタリー・タクティカル・アクション!
2本目は『デスペラード』『マスク・オブ・ゾロ』そして6月に公開を控える『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』にも出演のアントニオ・バンデラス主演で贈るアクション・スリラー『クーダ 殺し屋の流儀』。
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共演はサーフィン映画『ブルークラッシュ』や『スーパーマン リターンズ』でヒロインを演じたケイト・ボスワース。仕事は完璧で冷酷だが自らの掟に外れた事を嫌う気難しいベテランの殺し屋クーダ(バンデラス)。ある日、家出少女のビリーを助けた事をきっかけに自身の娘と同じ歳のビリーに父親のような感情を抱く。犯罪組織に巻き込まれないか気を揉んでいた矢先ビリーが誘拐されてしまう。彼女を救うため犯人を追い詰めるとその黒幕は自分を雇う犯罪組織だと知ったクーダは、自らの命も顧みず組織に反旗を翻し愛車で敵を追い詰める!
3本目は全米大ヒットで続編も決定した狂気のAI人形を描いた『M3GAN/ミーガン』でメガホンを取ったジェラルド・ジョンストン監督が手掛ける恐怖映画『HOUSE BOUND』。
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ATM強盗の罪で保護観察処分となった不良娘カイリーは母親の実家で監禁に。案の定、逃げ出そうとするカイリーだったが、この家で度々起こる怪奇現象に見舞われ逃亡もままならなくなる。犯罪を犯したカイリーが戻ってきた事をきっかけにエスカレートする怪奇現象。実は母親が前夫と購入したこの家は、その昔少女の陰惨な事件が起こった曰く付きの家だった。。個性豊かなキャラクターたちや脇役達も際立つ緊張感MAXの必見スリラー!
そして4本目は、ついに43年の時を経て日本劇場初公開となる4Kリマスター版『ヘル・オブ・ザ・リビングデッド』。
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ニューギニア奥地の化学プラントで起こった事故で漏洩したガスにより人々が生ける屍と化す。特殊部隊とTVレポーター達は事件の真相に迫ろうとジャングルの奥地へと進むが、その行く手には食人族やゾンビの大群が待ち受けていた!ゴブリン・サウンドが轟く中、繰り広げられる残酷の黙示録。“史上最●のゾンビ映画“、新たな期待と優しさを以て体感すべし!
その他、今年も新作旧作含め話題作&注目作が目白押しだ。
『カリテ・ファンタスティック!シネマコレクション®2023』 7月14日(金)~8月10日(木) 新宿シネマカリテ (〒160-0022 東京都新宿区新宿3丁目37-12 新宿NOWAビルB1F) 入場料金:新作 1,600円均一(リピート割で1,300円)、旧作 1,100円均一 [映画祭HP]http://qualite.musashino-k.jp/quali-colle2023 [シネマカリテtwitter]@cinema_qualite ©2014-2023  Musashino Kogyo Co.,Ltd  Tm.Musashino Kogyo Co.,Ltd.
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tobiphoto · 3 years ago
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SIMS4シナリオ『エイリアンに誘拐された?』と追加パック『High School Years』
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↑新パック『High School Years』の雰囲気。ティーンのシムを追いかけて、学校がどうなっているのか覗くことができる。
 SIMS4は最近アップデートで「シナリオ」というのが遊べるようになりました。これは特定の条件を持つシムで遊ぶという縛りでもあり、今からシムを始めたいけど何をしたらいいのかわかんない…と言う人のための「やってみて!」リストでもあります。SIMS4本体(通称バ���ラ、DLCを入れていない状態)はフリープレイ化されたので、遊んでみたことが無いという人も是非どうぞ。 ■シナリオ『エイリアンに誘拐された?』  ティーンと子供(ローティーン)のシムが居る家庭。保護者にあたる大人がエイリアンに誘拐された?らしく、二人だけの生活が始まる。所持金は500シムオリオンのみ!  というSIMS4の縛りプレイを行った記録になります。面白いシナリオでした。老齢のシムと住まわせるなどして、ティーンのシムを残すことはやったことがあるのですが、ここまで現金が無くなった状態は初めて。
 先ず、私は比較的”パック”(SIMS4はかなり多くのDLCがあるので、それが幾つか入った状態)を導入しており、それが功を奏した側面もあります。多分、”バニラ”だと過酷な状態が続くかも。  このシナリオにおススメのパックは気軽に食事をとることができるクーラーボックスと、簡易ベッドが追加される『Outdoor Retreat』です。
 さて、このシナリオを初めて先ず驚いたのが、保護者が500シムオリオンしか残さない状態で行方不明になるため、郵便箱しかないまっさらな土地で「最初から」とゲームを始めると、二人が500シムオリオンだけで放り出されてしまう。超縛りプレイが始まったこと。
 ※以下はどうその状況から打開していったかのネタバレ攻略情報プレイ日記になります。
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 SIMS4のティーンらの仕事はとにかく「勉強」。宿題集中できない、食住皆無の状態だと厳しいので、とにかくどこかの公共施設に住まわせる勢いで定住しましょう。簡易ベッドが役に立ちますが、最初は先ず何も手に入らないので、ミュージアムに向かい、ハイティーンのシムに<絵画スキル>を、子供のシムにカエルと植物と収集物を集めたり、釣りスキルを身につけさせたり、とにかく序盤は「現金化」できる何かと長めの椅子での<居眠り>が必要です。  一番はとにかく「カエルの交配」を行うこと。ハイティーンのシムがスキルレベルを上げて、購入できる特質から「商売上手」を獲得するまで、我慢ができると活路が見えてきます…!
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↑この四角いコンクリートの塊が「お家」。500シムオリオンをなんとかやりくりして、絵画スキルをあげて、ようやく売ったお金で建てることができる「家」なんてこのくらいなのである…。
 SIMS4はここ最近のアップデートで、個人の好き嫌いと言う項目ができたのですが、絵画スキルが「嫌い」なシムだと地獄を見るかもしれない…!  その場合は園芸スキルを上げて、「金の生る木」を上手に育てるのが早いのではないかな。と思います。
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↑カエルを探しているところ。カエルの交配で高級品種を作れるようになると、一日の食費に、ちょっとしたランプくらい購入できる。
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↑子供シムは釣りスキルを上げたり、周囲のアイテムを収集することでお金を稼げる。生きるのも大事だけど、たまにおもちゃも買ってあげて。
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↑ティーンの学校に子供を呼んで一緒に勉強しているところ。自動販売機があってホットスナックが買えたり、シャワーを浴びたり、パソコンもできるし、身体も鍛えられる。……あ、あと、勉強もできます💦
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↑これは学校に職業説明会に来てくれた広報のシムの人なんですけど、ティーンのシムはあまりこの仕事が気に入らなかったらしく「将来が見えない」という超ネガティブなムードレットが付く。夢を与えてくれ~。  あくまでもこれは一例で、親が帰ってくるのが遅くなろうと、シムは案外呑気にしぶとく生きているので、ティーンのシムたちをじっくり観察する機会のシナリオと言ってよいと思います。  ベッドの下の怪物…にだけは注意してください。
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 ところで、このシナリオ。「もしかして家が買えない間はヴァンパイアのシムに厳しいのでは…?」と思ってヴァンパイアティーンのシムで試してみたのですが、ヴァンパイアの課題報酬で購入特質を得るのが楽な上に、能力が続く限り様々な金銭活動を行い続けることができるので、とても楽でした。  ただし、『High School Years』では、避難訓練が行われ、校舎の外に避難しなくてはならないため、ハイティーンのヴァンパイアシムの方が燃えるという学校側の無理解に死にかけました。上の写真は避難訓練の様子。  人間のシムであってもふてぶてしくテントで寝ている(眠かったんだもん)。
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delodelobar · 3 years ago
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generalwonderlandpeace · 1 year ago
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oivgbqiqfz358 · 4 years ago
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※うちの子厨とマイナージャンル民について・転載
※…以下、Twitter(@AZ_LAY358&@AZxel358)より転載。
[[MORE]]
…とあるマイナージャンル民達は、拙作を徹底的に無視する上に、相も変わらず、狭い界隈内でマウンティング合戦してるので心底あきれてる(本当に陰険な人達の集まり!!)。
…『女しか居ない界隈(※女性向け以外も含む)』は『男しか居ない界隈(※…矢張りと言うか、美少女系作品が多い)』より、圧倒的に、虐めが起こり易いし、マウント合戦もしょっちゅうだし、喧嘩も多いし、盗作も頻発するし、荒廃し易いし、衰退、廃れ易い(※…矢張り、バランスの良い界隈は強い)。
…。
マイナージャンル民についての故人的な所感
・『マイナージャンル者は大抵性格が陰湿』
・『マイナージャンルは往々にしてbnal村民な所がある(何処も大抵自浄作用無い)』。
…『マイナージャンルでは、目にも当てられ無い多くの露骨な虐めがある(メジャージャンルだと大抵誰かが反応してくれると言う事もあるけど)』
・『マイナージャンル民はすぐに徒党を組もうとする』
…『古参同士のベタベタした馴れ合い』ばっかりだと、新規者が逃げて行く。其の界隈の事を気持ち悪いと一瞬で思った新規さんから去って行く。
・『一部のマイナージャンル民は、其の作品其の物より、其の作品を出汁にやるマウンティング行為の方を愛して居る。平気で他人のネタをパクる』…特に後者、昔何度か被害にあった(※未だに許して無い)。
…私は、此れ等を幾度も色々な所で見て来ました。
…ジャンルを更に貧しいモノにして居るのは、(確実に)彼等だ。
…各界隈の爪弾き共が、(※…はっきり言えば、零細不人気)マイナージャンルやら絡み交流特化一次創作(※…又の名を、うちの子厨コミュニティ)でデカい面して、お山の猿大将してんの、流石に見飽きました(※遠い目)。
…酷い所は、本当に酷いですからね(※…特に、マウンティングおじさん・おばさんが威張りくさって、若輩者にウザ絡みして来る現象が矢鱈多い界隈、うちの子厨関係は)。
…『うちの子厨(※…うちの子を利用して、何とか、他人と交流を持とうと絡もうとする)』と『マイナージャンルで御山の猿大将してる人達(※…推しと推し作品を利用してマウント取る事しか考えられない)』は、よく気質が似てる(※まぁ、何方も、人間としてつまらんって事でしょうな 爆笑)。
…うちの子厨が矢鱈面白いのは、やる事為す事如何見ても毒親がやる其れだからですね(※…基本的に、毒親は、何かにつけ、自分の子供を使役し、利用する事と自分の事しか考えて居ない為)。
…マイナージャンル民は、推しと其の作品自体を利用してマウント取る事しか考えて無い人が、滅茶苦茶、多いんですよ(※…其の上、公式に、難癖付けてでも、金を落とさないなんてザラ)。
…逃げません。其奴等の大事な縄張りなので(縄張りから追い出されたら他所に逃げる)。
>「クソゲー」「このゲーム辞めるわ」
が口癖の奴9割やめない ※ド偏見botさん(@Dihenkenbot)より引用
…うちの子厨で、兎に角、よその子とよその家への絡みが好きな奴、よその子をうちの子の為に貶めても平気(※…だから余計に交流厨になる)。
…マイナージャンルで、其の推しと推しジャンルを愛でるより、『自分の居場所と言う名の陣取り合戦+マウンティング合戦(しかも其の為にナチュラルに嫁推しと推しジャンルを利用する)』に精出しとる奴居るよな(※…貴様等の縄張り争いにはもう付き合い切れない)。
…つか、マイナージャンル民が、『其のマイナージャンルを縄張りにしてる(※…むしろ、縄張りと書く)』理由が、勉強せず努力せず労せずイキリ散らせるからとか、『御山の猿大将になる為』の奴も居るしな(※…実際、…其う言うおじさん・おばさん滅茶苦茶多い)。
…しかも、其の各マイナージャンルの中ですら、居場所とナワバリが無くなると、(※自称)一次創作勢の『うちの子厨』になったりするんだよな(※…逆に、定番・メジャージャンルで一旗上げて成功する場合もある)。…其れなら、オタク人生自体から足を洗えよって思うけど(莫迦は其れが出来無い)。
…筆者は『世の為、人の為(神の為)』を達成し続けなければ、なので(※意外に利他的)。
…『うちの子』を、夢小説・夢漫画に出す奴、昔から居るだろ(…そして、何処からも、いたく嫌われる)。
…初めから、『何処のジャンル(歴史創作等含む)を通って来て無い・触れて来て無いうちの子厨(※所謂箱入りアレ)』は、生粋の自己中だと思ってる(※…或いは、コミュ障の中のコミュ障)。
…二次創作勢は爪弾き、まぁ当然だよなww(※格ゲー対戦勢は、格ゲー対戦するだけで幸せなんで)。
…同じ土俵に立たない、立てない、立とうとしない人間は、軽蔑されて、当然。…だから、気に病むな(※対人戦と言う土俵に立たない奴の身分は低い)。…公式に『ショバ代(最低限のみかじめ料)』払うだけでは認められないと考えるべき(※…但し、ショバ代すら払わない視聴勢は論外)。
…ゲーメストとアルカディアと一部公式は、『ゲーム本編やり込み&格ゲー対戦(ガチ)勢』と『二次創作・同人勢』を(商売上)同列扱いでしたけど、本来なら、前者の立場を一層重んじるべきでしたよね。何せ、筆者達みたいな二次創作勢は、たださえ、アレ方向に走り出すロクデナシが多いからな()
…ゲームやり込み、対戦ガチ勢が、同人・二次創作勢を強く敵視する事が多いのは、後者は、界隈での陣取り合戦において、滅茶苦茶有利な立場に居るって分かってるから(※…後は、つい先刻書いた様に、ただ単純にロクデナシの集まりだから笑)。
…某漫画の界隈、完全にカルト化してて、もう近付きたくない。「…聖典(原作)を崇めよ!(聖典こそがバイブル!)」、「…今の世間では見向きもされない(昔は覇権だったが)が、我々は選ばれし者なので見出した!(…実際、あんまり人気無いし、グッズ出ない)」…もう此んな奴しか居ない()、
…『漫画原作を聖典と崇めぬ者は読者では無い!(※スピンオフ作、アニメ等は出来は良いが、所詮は亜種よ…)』がデフォな界隈とか、普通避ける(※…と言うか、正直言わせて貰うと、昔の漫画界隈と言うかマイナージャンル自体がカルト化し易いですね…… …其うだよね、…某五部界隈も……)。
…『某五部界隈は、他部(混部含む)界隈と比べてカルト宗教度が矢鱈高い(同じ漫画の読者同士である筈なのに滅茶苦茶近付き難い)』とか言われてたよね?(※…他部界隈は、割と、気さくだから、尚更……)。
…某マイナージャンル漫画民達には、本当に申し訳無い。…もう(※生理的にも)無理。…完全に熱が冷めた所か、意図的に、あの漫画的な物をバンバン本能的に避け始めてる(※…余りにも、カルト儲染みてる界隈の者を思い出すので)。其の上、アレルギー反応が出る迄に……自分でも怖い……(震え声)。
…「…ooって?(ooには作品名が入る)」、と訊かれて、「…ああ!其れって、界隈自体がカルト宗教化してて、其処の界隈住人達が過激派狂信者化してる所?(※遠い目)。」…だなんて答えられたら、YGOとか規模が大きくて世界的に支持されてる所でも無いと、もう、閉じコンでオワコンだぞ()
…『自分で自分の首を絞めるのが好き(しかし其の当事者達には自覚が無い)』だとか、何時かあの界隈、(※開発者の社員を含めた)集団自殺オフ会でも開くんじゃないの?(※…でも、其処迄の度胸なんて無い、腰抜け共の集まりだから矢張り無いか)。
…某あのジャンプ黄金期に連載されて居たマイナー時代錯誤の私塾バトル漫画界隈も漫画界隈屈指のムラ社会だったな(※…四六時中、マウンティング取るしか能の無いおじさん、おばさんで溢れてた。 ※…新規さんと若輩は、其んな御年配の方々を優しい振りして要介護老人感覚で見てるだけと言う……)。
…そりゃ、マイナージャンルの閉鎖的ムラ社会に耐え切れない人は、兎に角、メジャージャンル行くよな(※…其うして、マイナージャンル全体で自分の首を自らで絞めて行く……と言う)。
…マイナージャンル民は、きめつとかじゅじゅつとかミリ系とかのデカくて広くて人が居て人気��ジャンルに其処迄深い興味が無いから、「…自分の縄張りだけ、守り切れれば良い(迫真)。」だなんて言う『縄張り争い(※マウント行為)』…に終始出来るんだと思う(※…其うだね、公式ごと潰れて?)。
…何故、マイナージャンルに、卑屈で陰鬱な人、自己中心的な屑とか精神的に全然健康じゃない人が多いかと言うと、メジャージャンルでは彼等のしたい事(自分だけが良い気になりたい)が出来ないから(※…或いは、メジャージャンルでの付き合いやら小競り合いやら界隈の目、重圧に耐えられない)。
…個人的な経験を踏まえても、『マイナージャンル民=夜郎自大(※身の程を弁えられない身の程知らず)』…と考えて宜しいです(…其の上、最悪の場合、公式の時点で其う)。
…実は、古参のマイナージャンル民が一番嫌うのは、『マナーのなって居ない新規さん・(所謂)にわか・ミーハー・冷やかし勢(※此れ等の人種はメジャージャンルでも嫌われるが)』では無く、『実力者、及び、縄張り争い、占領の天才(縄張り争い方面で脅威となる存在)』です(※本当です)。
…特に、好きな嫁推し、作品・コンテンツ・ジャンルが無い、居ない人は、歴史(創作)か軍事趣味(ミリタリー)方面に行けば良いと思います(※…現に、ある程度私が其うですから)。
…単に界隈の者に対して、マウンティングしかせず、イキリ散らすだけの莫迦は、最終的に界隈から逃亡する(※…其う言う、おじさん、おばさんは、非常に多い)。
…マイナー格ゲー名物:『初狩りおじさん(又の名を害悪)』。
…つか、常に自分は公式より上の存在だと思いたいオタクは二次創作と商業作品に向いてない。同人厨かうちの子厨になった方が幸せになれる(※…結局が、自分は公式より偉いし有能だ!等とイキりたいだけ ※所謂『汚客様』)。
…『マイナージャンルから人が去っただけで御通夜(※住民あるあるww)』……だなんて、其れは、自分達に友好的で都合の良い人に対しての場合だけで、其うじゃない場合は完全無視です、完全無視(※…何方と言うと、田舎・女社会特有の陰湿ないじめの構図)。
…此れだから、結果、マイナージャンル民は、最終的にも、自分達で自分達の首を絞めて行く事しか出来て居ないのです(…しかし、当人達的には、自分達にとって居心地の良い居場所を守る為に『仕方無く』して居る)。…皆様騙され無いで(※…基本的にマイナージャンルは、何処も陰湿なムラ社会です)。
…本当に、あの人達は、今ドキ・定番・メジャージャンルに馴染めない爪弾き者の集まりなんやなって思う(※ >マイナージャンル民)。
…と言うより、マイナージャンル民の陰湿さと卑屈さに耐えられなくて、結局、メジャーな人気ジャンルに鞍替えして、其処で、沢山の仲間と幸福を得て楽しくやってる人なんて幾らでも知ってます筆者(※マイナージャンル民が嫌がる事実)。
…ドマイナ��な 推しを私物化 縄張り化 此れやられると冷めるんだよね(其うやって、熱が冷めた所か嫌いになったジャンル沢山ある)。 #第一回メンヘラ川柳大賞
…筆者がメジャージャンルとか人がいるジャンルとの関わりを予め持って置くのは、マイナージャンルの民が、ネタを漁りにストーカー(乞食とも言う)して来るのが気持ち悪くて其れから逃げる為でもある(正直本当に気持ち悪いです>< 此方来んな)。
…『マイナージャンル民=陰湿』みたいに言われるのは、筆者みたいな、其のジャンルに関わってくれる(上に、生産的な)人が(奇跡的にも)現れたら(其の人が、其のジャンルから離れようとも)地獄の果て迄も追い駆け続けるストーカー気質にあると思うよ(キモいから二度と来ないで下さい)。
…普通じゃない(各方面に配慮しまくった言い方)おばさん(とおじさん)が居過ぎて嫌いになった(北斗漢塾)。
…其のジャンルには帰りません……成仏してください……(某方々へ)。
…各マイナージャンル民から、筆者は、『炊き出しおばさん(或いは御菓子散蒔き進駐軍)』だとしか思われて無い。如何せ(…結局、全部無駄骨だ)。
…其の理屈で行くと、確実に、マイナージャンルは、肉体を持った底辺レベル霊の巣窟なんだけど……(※身に覚えがあり過ぎた)。
…マイナージャンル民に同情すると、付き纏われます(※人生訓)。
…昔から思ってたけど、マイナージャンルの民は、御仕事募集中絵師(文字書き)を札束で叩いて描かせる(書かせる)なんて、基本、しないよね?…推しに掛ける金も無い程貧乏なのかな?…或いは、推しへの愛と熱意も自ら進んで金を出す程では無いんだろうか(…兎に角、札束で叩けばいいのに)?
…ブレア御嬢様旧コス実装希望運動の人達もそうだけど、金欠だから頼まないのか、プロに頼む程の愛も熱意も無いからなのか、嫁推し(此の場合ブレア御嬢様)に金掛けないよね(ゲームすら買って無いし)?…だけど、その他方で、軽率に嫁推しへホイホイ大金投げまくる人達が居る訳で……(遠い目)。
…当の本人達には、如何でも良い事かもしれないけれど、『マイナージャンル界隈=ジャンルと嫁推しに金掛けたく無い人達の集まり(…其の代わり、経済が回らないから停滞してる)』だって思われてるよ(…普段から、嫁推しに金掛けまくる、人気ジャンルの人達から)。
…世の『うちの子厨(…版権作品の擬人化をうちの子扱いしてる莫迦共は論外とする)』が増長し易い理由は、矢張り、『うちの子は無料(タダ)、金が掛からない(寄って、暴れ放題)』…と言う側面も強いと思う(…先ず、オタクに付き物の自ジャンル、嫁推しへの経済概念が通用しない)。
…マイナージャンル民は全然自覚してないけど、界隈が仲良い理由は殆ど『利害の一致(打算)』でしか無くて、其れ以上の絆なんて実はまやかしだったりするんだよね(…だから、マイナージャンル民は、いざと言う時程、軋轢激化するし、揉めるし、仲間割れする。本当に、其れ以上の絆があるなら逆)。
…兎に角、全然人が居ないマイナージャンルにハマってる(※自称)同人女の「…兎に角自ジャンルの作品増えろ!!何でこんなに無いの?!少ないの?!(※今日もタグ検索してみたけど作品数ずっと一桁!!)。」とか言い出すの、個人的に、『乞食しぐさ(※まんま)』…って呼んでるから(※遠目)。
…と言うか、マイナージャンル同人民がよくする『乞食しぐさ(※例:…自ジャンル作品、少しでも、良いから、増えろ〜!!)』は、「…自ジャンルが如何にマイナーで人が居なくて過疎ってるかを、自ジャンルを全然知らない皆様に御紹介!!(※自虐ネタ)」的な所があるので仕方無い(※暗黒微笑)。
…。
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cinema-note · 4 years ago
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2020年12月27日、日本歴代興行収入1位を獲得した『劇場版「鬼滅の刃」 無限列車編』。 この記念すべき瞬間に立ち合っているのは不思議な気持ちですね。『千と千尋』も映画館へ観に行きましたが、子どもの頃だったので、とんでもない作品が生まれた瞬間に立ち会ったという実感があまりなく・・・
はい、なぜ鬼滅の話をしているかといいますとね・・・ 私もようやく、鬼滅ブームに乗り込みました!!(笑)
実は、『鬼滅の刃』は、完全に乗り遅れていたので、映画を観る気はまったくありませんでした。 そもそも爆発的ブームになっているコンテンツは、いつもブームの数年後、下火になったタイミングで触れることが多いのです。 というのも、微妙にあとから追いかけて、もしどハマりしてしまったらと考えると怖くて・・・
くだらないのですが、自分がハマっていなかった時間を酷く後悔してしまうんです。 あのコラボも、あのイベントも、あの限定グッズも欲しかった・・・!半年前にはあったのに・・・!といった感じで(笑) 数年経った後だと、どハマりしても、まあ何年も前だったし仕方ないな、と諦められるのですが。よくわからないですね(笑)
鬼滅ももう少し落ち着いてから、なんなら映画の上映が終わったくらいで入門しようと思っていたのですが、Netflixの宣伝に負けました・・・!
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リサ
友人に勧められて『呪術廻戦』を毎週観ているのですが、毎週観終わるごとに鬼滅の宣伝が入って・・・!(他責)
まあ1話くらい観てみるか、とボタンを押したのが運の尽き。 あれよあれよという間に、1期全26話を完走してしまいました(笑)
全話完走したところ、世間ほどハマりはしませんでしたが、世間が盛り上がるくらいにはおもしろかったので、そのまま自然な流れで映画館へ劇場版を観にいく運びとなりました。
劇場版「鬼滅の刃」 無限列車編
監督 外崎 春雄 脚本 ufotable 出演者 花江 夏樹 鬼頭 明里 下野 紘 松岡 禎丞 日野 聡 平川 大輔 石田 彰 公開 2020年 製作国 日本
あらすじ
蝶屋敷での修業を終えた炭治郎たちは、次なる任務の地、≪無限列車≫に到着する。そこでは、短期間のうちに四十人以上もの人が行方不明になっているという。 禰豆子を連れた炭治郎と善逸、伊之助の一行は、鬼殺隊最強の剣士である≪柱≫のひとり、炎柱の煉獄杏寿郎と合流し、闇を往く≪無限列車≫の中で、鬼と立ち向かうのだった。(公式サイトより)
急展開&スケールの大きな物語は、映画にぴったり!
はっ・・・話の展開早いね??テレビアニメに比べて、物語が展開スピードが早くて、びっくりしました。 テレビアニメの炭治郎立志編は、一つひとつの話を丁寧にじっくり描いているなと感じていたので、映画はかなりサクサク進んでいるように感じました。 原作を読んだことがないので、終わりまでの展開がどうなるのかがよくわらかないのですが、映画での話が作品としてもキーポイントなのかな?
そして、映像への力の入れようは、劇場版でも発揮されています! アニメシリーズの頃から、戦闘シーンの映像はものすごく作り込んでいるなあと思いながら観ていましたが、映画でも気合の入った、というか、入りすぎて燃え上がっている戦闘シーンを多々観ることができました!
最近は���ンダムだとかルパンだとか、昔のアニメを観てばかりで、ここ10年くらいのアニメ作品はほとんど観ていなかったのですが、もうあのくらいのクオリティが普通なのでしょうか・・・
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リサ
昔のアニメの、作画(もしくはストーリー)崩壊回と神回のギャップが結構好きなのですが(笑)、今のアニメはどこを切り取っても安定しておもしろくて、そこに加えて神回があるからすごいですね。
あくまでテレビアニメの続編として作られた作品
ストーリーはテレビアニメの続きになっており、特になにか説明が入るというわけでもなく、テレビアニメの最終話からの続きとして始まります。
最近はテレビアニメ→続編を映画、という形式も当たり前になりましたね。 昔は、劇場版の制作が決定されると、大盛り上がりしていた気がしますが(笑) いまは続編や番外編なんかもバンバン劇場版として制作されますもんね。 ここまでの盛り上がりは見越していなかったと思われますが、おそらく劇場版の制作はアニメ制作が決定した段階で決まっていたんでしょう。
炭治郎たちは、蝶屋敷で治療・特訓を終え、再び鬼殺隊として新たな任務に就くことに。 任務は、無限列車の調査。無限列車に乗った人が鬼の所業により突如姿を消してしまう事件が多発。 その真相を突き止めに、炭治郎たちは無限列車に乗り込みます。
鬼と対峙し闘う、という形式はテレビシリーズと変わりないのですが、鬼の戦い方がかなり複雑になっていましたね。 さらに、巻き込まれる人間の数も増え、戦い自体がスケールアップしていました。
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リサ
確かに、バトルの展開や内容を考えると、映画向きかもしれませんね。
夢を見せ、操る力を持つ鬼・魘夢が、炭治郎たちの行手を阻みます。 術をかけた相手にとって良い夢を見せて、夢の中に迷い込ませたまま殺す、というなかなか手強い敵なのですが、炭治郎は持ち前の強靭な精神力(主人公パワー)で魘夢の幻術を破り、本体へと迫っていきます。
炭治郎が目覚めるために夢の中の自分を殺すシーンがあるのですが、迷いなく首を切っているのがたくましくもあり、辛くもあり・・・ いずれ夢か現実かわらかなくなるんじゃないかと思っていたら、案の定そんなシーンがあり、にんまりしました(笑)
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リサ
似たような話を、どこかでもみたような気がするのですが、なんだったかな・・・ 昔の怪談とかってそういうのありますよね。夢だと思ったら現実だった、的な。
炭治郎たちの夢が全く方向性が違うのもおもしろかったです。 炭治郎や煉獄さんはめちゃくちゃシリアスなのに、善逸と伊之助の夢はすごい楽しそう(笑)
鬼滅に登場するキャラクターって何かしら辛い過去を抱えている子が多いので、その辺りを深掘りしてくるのかと思いましたが、今後のお楽しみってことですかね。
必死の思いで敵を倒して、ほっとしたのも束の間、突如やってきたラストの展開は衝撃的でしたね。 いや〜、煉獄さんは今回はサポーターなのかと思ってたから・・・ 映像の演出も相まって、心を燃やせじゃないですが、胸が燃えるように熱くなりました。
これだけ観ている人がいたら、ネタバレも何もない気がするけど、原作未読の身としてはフラストレーションがいい感じに溜まる終わり方で、辛いですね〜 あのラストを回収する展開が後半にあると思うのですが、どんなふうになるのか気になって仕方ないです。
バトルシーンの迫力は映画館で観るのが正解!
キャラクターに対して、キャーキャーするような歳でもないので、こんな小さな子が必死になって戦って・・・と、完全に親のような目線で見守っていました(笑)
炭治郎って長男だから頑張ってきたのか、年齢の割には悟っていますよね。だからこそ、どんな強敵も倒していけるのだと思いますが・・・ 時には、とてもその年齢の男の子が言うようなセリフじゃないセリフを聞くこともできるので、ハッとさせられる瞬間があります。
今回の映画では、家族��別れるシーンや、敵が悪夢を見せてきたときに、ブチ切れるシーンのセリフが最高でした。 「俺の家族がそんなこと言うわけないだろう!」ってマジギレするシーンがグッときました。良い子だな〜
あとは、クライマックスの炭治郎と伊之助のやりとりがよかったな〜 壁を越えようとしたらまた壁があって、自分はそれを乗り越えられるかって炭治郎が不安になるんですが、それをみて、伊之助が檄を飛ばすんですよ。 そのセリフがよかったな〜 ネタバレになるから(これだけ世の中で観られていたら、ネタバレもクソもない気がしますが)細かいセリフは書きませんが、もうその通りだよ伊之助!!と(笑)
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リサ
独りでやりたい放題やっていた伊之助が成長していて、お母さんは嬉しいです・・・(笑)
300億の男・煉獄さんは、クライマックスで株が爆上がりしましたね。最高にかっこいい。 中盤、最初のクライマックスではほとんど出番がなかったので、今回はサポート役なのかな?と思っていたら・・・ というか、今回入場特典でもらった描き下ろしのポスターがいろいろ語っていて、ちょっとね、軽くネタバレくらっていました(笑) まさかこんなに早くとは思っていなかったので。
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リサ
漫画を読んでいた友人曰く、煉獄さんのくだりは意外とあっさりだった印象だったようで、アニメの方がよかったわ〜と言っていました。
煉獄さ・・・煉獄さん〜〜!!!
友人が言っていたように、やっぱりアニメで動きが生まれると、漫画とは違った良さが生まれますよね。 アニメシリーズから引き続き、生き生きとしたバトルシーンが印象的でした。
炭治郎(後半伊之助)と魘夢のバトルもよかったですね。炭治郎が何回も眠っては自分を殺し、眠っては自分を殺しを繰り返しながら本体に攻撃をするシーンはテンション上がりました。 もちろん、首を取ったあとも一筋縄ではいかない展開が鬼滅らしくて良いですね。 テレビシリーズでは、鬼が倒されるときは人間だった頃の記憶の回想シーンがついていましたが、今回はありませんでしたね。
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リサ
魘夢は声優さんの演技も相まって、最高にイカれててよかったです・・・
と、主人公たちの活躍もテンションあがったのですが、ラストの煉獄さんと猗窩座のバトルが異常なくらい気合入っていて、いろいろ持っていかれちゃいましたね〜! ラスト20分くらいは、心の中で煉獄さんコールの嵐でした(笑) 炎ってのがまたバトル映えするといいますかね。煉獄さんが型を披露するたびに派手な演出になっていくのがテンション上がりましたね。 バトルがクライマックスになった瞬間の、煉獄さんと猗窩座の声優さんの演技も、ボルテージが最高潮で、グイグイ引き込まれました。
戦い終わったあとの煉獄さんと炭治郎とのやりとりもね・・・ うるっとはきていたのですが、伊之助が泣いているのをみて、お前も泣くんか、と思ったらダメでした(笑)
総評
評価
ストーリー
(3.0)
キャラクター
(3.0)
キャスト
(4.0)
演出
(3.0)
映像・音響
(4.0)
総合評価
(3.5)
良かった点
映像クオリティが高すぎ
声優さんの熱演が最高
完全にファン向けの脚本で勝負
ストーリーがアニメシリーズの途中から始まるパターンは、初見殺しといえば初見殺しなんだけれど、そ解説や回想シーンが入るとかえってテンポが悪くなってしまう可能性もあるので、振り切って続編として作ったのは良い判断だったように思います。 結果的に映画とカテゴライズしていいのか疑問に思う部分も生まれてしまいますが、単発作品でない限り、初見向けの要素も入れるか、ファン向けに作るかというのは悩ましいポイントですね。
悪かった点
特になし
まとめ
おもしろいかおもしろくないかで聞かれれば、おもしろいのですが、何回も観にいくかというと・・・? ストーリー展開のテンポの良さや映像のクオリティは大満足ですが、なんだろう。 自分の中では映画というよりは、一つのアニメ作品の続編という位置付けから抜け出すことはありませんでした。
こそっと素直に思ったことを書くと、鬼滅が爆発的ヒットを生んだのは、世情の影響は大いにありそうですね。 ストーリーや構成は王道的かつシンプルでわかりやすい、キャラクターも個性が立ってて印象的、アニメのクオリティも非常に高い。 アニメ化されれば普通にヒットしたと思います。しかしここまで爆発的なヒットを迎えたかというと、どうかな?
映画に関しても、ひとつの映画作品というよりは、テレビアニメシリーズの延長としての作品、という印象がありますね。 つまり、その・・・あれですね、興行収入1位をとるような「何か」があったはずなのですが、私はその「何か」をキャッチすることができませんでした。
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リサ
でもこんなご時世で、こうやって映画が盛り上がっているのは素直に嬉しいですね。 盛り上がったついでに、みなさん、『千と千尋』も『アナと雪の女王』も『タイタニック』も観たら良いと思うよ!
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xf-2 · 5 years ago
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<SARSの記憶がよみがえる新型肺炎の流行――見えない正体と少な過ぎる情報がアジアを翻弄する>
今に始まったことではない。
中国で謎の病気が流行して、香港やシンガポール、台湾にパニックが広がり、中国政府の正確な発表を世界中が待っている。1990年代に致死的なインフルエンザが猛威を振るったときも、2003年にSARS(重症急性呼吸器症候群)が大流行したときも、昨秋にペスト患者が確認されたときもそうだった。
昨年12月12日、湖北省の武漢で相次いで原因不明の肺炎患者が出た。少なくとも59人が病院で隔離され、現在7人が重篤な状態とされている。
中国政府は例によって口を閉ざしている。中国人以外の研究者を含む専門チームが病原体の特定を進めており、人から人に感染した明らかな証拠は見つかっていない、と述べた程度だった。
最初の患者が出てから2週間近くたった12月末に、武漢市当局はようやくウイルス性肺炎の集団感染を発表した。1月10日の時点で、武漢で確認された感染者は41人。さらに医療関係者を除く320人が患者と接触したとみられ、経過観察中だ。(編集部注:1月11日に当局がこのウイルスによるとみられる初の死者が出たと発表)
感染拡大の一因は、情報の遅れだ。香港でも少なくとも16人の感染が確認され、シンガポールでは疑いが1人。そして中国政府は、今回の肺炎の詳しい情報をソーシャルメディアに流した人々に、懲役刑をちらつかせている。
疾病の大流行に対する中国政府の冷酷さと秘密主義は、習近平(シー・チンピン)政権にとって好ましいものでは決してない。正式な科学的調査の最中だとしても、説明責任の欠如や、噂の流布(と彼らが呼ぶもの)に対する厳格な取り締まりは、国際社会の不信感を増大させている。事実を隠蔽しているのではないか、実はもっと大規模な流行ではないのか、と。
迫る春節の帰省ラッシュ
世界のメディアの大半は、「武漢肺炎」を2003年のSARSに重ねている。SARSは中国本土から約30カ国に広まり、8000人以上が感染し774人が死亡。世界中をパニックに陥れた。
当時アジア全域の怒りを買った中国指導部は、あの屈辱の教訓を胸に、今回は情報を日々更新するのが賢明だろう。特に、1月25日の春節が迫っている。春節の帰省では、数千万人の高速鉄道利用客が武漢を経由するのだ。
今のところ、感染は武漢市内の大規模な屋内の海鮮市場か、その周辺から始まったとみられている。人口1100万人を超える武漢は中国中部に位置する湖北省の省都で、市内を揚子江(長江)と漢江が流れ、中国で最も歴史のある商業中心地の1つだ。毎日数百万人が利用する中国の高速鉄道網のハブでもある。
つまり、今回の肺炎の流行は、2018年夏からエボラ出血熱の流行が続く、コンゴ民主共和国の遠く離れた村での話ではない。一国の主要都市であり、国際的な貿易と移動の中心地で起きているのだ。
武漢市の保健委員会が初めて警鐘を鳴らしたのは12月30日で、公式サイトに「原因不明の肺炎の治療に関する緊急通達」を掲載した。地元メディアが委員会に問い合わせたが、患者は27人で、その大半が華南海鮮市場と何らかの関係がある、という情報しか得られなかった。患者は呼吸困難を起こし、白血球数が減少して高熱を伴い、抗生物質が効かなかった。ウイルス感染が疑われた。
翌31日、湖北省当局は「27人にウイルス性肺炎の症状が見られ、ウイルス性の肺炎もしくは肺疾患に感染していると診断された。うち2人は快方に向かっており、すぐに退院できそうだ」と発表した。
その夜、香港では、武漢を訪れた3人が呼吸困難を訴えて入院していることが分かり、香港当局は警戒を強化した。そのうち女性1人は、SARS患者を数多く受け入れた病院で治療を受けた。
シンガポールと台湾も、空港や駅で乗客の体温検知を強化。謎の感染症を早めに食い止めようと動いた。
1月1日、武漢の肺炎はSARSと同種のコロナウイルスによる感染症であることを示す医療記録とされる文書が、中国のソーシャルメディアとツイッターに出回った。
中国当局は、SARSを含む複数の肺炎の可能性は排除されたと説明した。謎の病原体は従来のコロナウイルスと同じ種類ではなく、SARSウイルスとは遺伝子が4%未満しか一致しないという。
一方で、武漢で8人が逮捕された。「根拠のない間違った情報をネットで広めた」罪で厳罰を受けることになるとも、中国当局は発表。上海のニュースサイト、シックスス・トーンのデービッド・ポーク編集長は、中国では噂の流布は7年の懲役刑もあり得ると投稿した(現在は削除されている)。
昨年、海南島の海口で鳥インフルエンザA(H7N9)が流行しているという「噂」を微信(ウィーチャット)で流した男性が10日間、身柄を拘束された。2018年にも、汚染されたスイカを食べて数千人が入院したという虚偽の話をした男性が投獄された。
このような噂が簡単に広まる理由はポークが翻訳した微信の投稿(既に削除)を見れば明らかだ。「噂が広まるのは、当局が適宜対応しないからなのに、どうして私たちが責められるのか」
人から人の感染は確実?
香港の英字紙サウスチャイナ・モーニングポストによると、武漢警察の微信アカウントにはこんな投稿もあった。「流行は実際に起きている。丸一日、正式な発表が何もないから、人々が情報を共有しているだけだ」。同紙によれば、武漢の肺炎患者の家族は情報が入らず、入院している病院さえ分からない人もいる。
香港でも新型肺炎に対する警戒感が高まっている。1月5日に香港中文大学の学生の感染が確認されたときは、この学生が寮から運び出される写真や動画がソーシャルメディアで幅広く拡散された。
香港特別行政区政府は検疫法を発動させて、全ての病院や保健施設で厳戒態勢を敷いた。ただ、昨年から続く民主化デモで、住民の間で政府当局に対する不信感が募っている。そんななかでの検疫と感染対策(つまり当局による監視強化)に、政府の「本当の狙い」をめぐる噂が飛び交っているのも事実だ。
一方、シンガポールでは、年末年始に家族で武漢を訪れた3歳の女児が、帰国後に重い肺炎にかかったことが判明。症状自体は幼児に多く見られる肺炎だが、既知のウイルスや細菌が原因ではないことが確認され、女児を隔離したことが発表された。
だが、これらの感染者と、武漢の海鮮市場とのつながりが確認され、ここから病原体が広がったことが判明したとしても、謎は深まる一方だ。そもそも現時点では、人間に肺炎を引き起こす魚のウイルスは知られていない(細菌や寄生虫では存在する)。
ただ、この海鮮市場は巨大で、生きたヘビやウサギ、鳥などの野生動物も売られているらしい。2003年のSARS流行は、ウイルスに感染したジャコウネコが屠殺された広州の市場から広がった。
中国当局とWHO(世界保健機関)は「人から人への感染は確認されていない」と言うが、もし武漢肺炎の病原体がコロナウイルスの一種だとすれば、SARSやMERS(中東呼吸器症候群)のように、唾液や鼻水を介して人から人に感染するのはほぼ確実だ。実際、武漢市は1月1日に海鮮市場を予防的に閉鎖したにもかかわらず、翌週には新たな感染例が見つかった。
しかしこの騒動で真に懸念されるのは、中国の秘密主義的な態度だ。昨秋、北京で肺ペスト感染者4人が入院したときも、中国がWHOに報告したのは2週間以上も後だった。現地のメディアで一とおり報じられた後は、ニュースもぱったり途絶えている。
このため近隣地区でネズミが蔓延している事実とのつながりや、内モンゴルで確認されたペスト感染者との関係、そして感染がどのくらい広がり、どのように終息したかといった重要情報は、いまだ明らかにされていない。
武漢肺炎もいつの間にか終息すればいいのだが、現時点では最悪のシナリオをたどる恐れがある。SARSのときのような世界的感染拡大だ。
SARSが大流行したのは2003年だが、中国政府は2002年12月の時点で、見たことのない呼吸器疾患が広州で相次いでいることを把握していた。だが、WHOにも近隣諸国にもその情報を伝えなかった。
だから2003年2月に、SARSに罹患した男性が香港を訪れたとき、香港の保健当局はこのウイルスについて何も知らなかった。
男性は九龍にあるメトロポール・ホテル(現メトロパーク・ホテル)の9階に滞在し、同階の宿泊客に感染が拡大。彼らが北京、ベトナム、シンガポール、カナダにウイルスを持ち帰り世界的な感染拡大につながった。
中国政府はこの悲劇を回避できたはずだが、秘密主義を維持し、事実を否定することを選んだ。彼らが中国国内のSARS流行を認めたのは、2003年4月のこと。パニックに陥った出稼ぎ労働者や学生が故郷に逃げ帰ったため、かえって中国全土に感染を広げてしまった。
ようやく感染拡大に歯止めがかかったのは、全人口がSARSに感染している恐れがあると見なして、無数の検温所を設置し、あらゆる人の体温を一日に何度も調べ、高熱の症状が見られる人を例外なく隔離してからだった。WHOは2003年7月5日に中国のSARSの終息宣言を出した。
その教訓は明白。すなわち「感染を隠すな」だ。
中国政府は情報公開を WHO総会が2005年に採択した「国際保健規則」は、加盟国が国際的な緊急事態を引き起こす恐れのある感染例を把握した場合は、速やかにWHOに通知すること、さらにその科学的検証のために協力することを義務付けている。
中国はこの規則に同意しただけでなく、SARS流行時に香港で対策の陣頭指揮に当たった陳馮富珍(マーガレット・チャン)のWHO事務局長就任を支持した。
だが、今回の新型肺炎に関して、武漢市と中国政府がWHOに提供している情報はごくわずかだ。中国政府は国際保健規則���遵守するどころか、事実を公表した人物を逮捕して、情報を厳しく管理したがっているように見える。その戦略は、地元住民と中国当局の関係が極めて悪化している香港では、とりわけ危険な結果をもたらしかねない。
武漢を中心に広がる謎の病気は、ひょっとすると比較的良性で、感染者は全員無事に回復して、日常生活に戻れるかもしれない。ただ、現時点ではその可能性は低そうだ。
感染者の発見される地域が広がり、潜在的な病原体ウイルスに関する情報が増えるに従い、「武漢の海鮮市場で魚か野生動物に接触した人しか感染しない」という当局の説明は、ますます受け入れ難くなっている。そして感染拡大の懸念は高まっている。
莫大な数の人が中国内外を移動する春節を前に、その懸念は一段と現実味を増している。SARSも2003年のメイデーのときに大きく広がった。
感染症の流行を抑えるためには、専門家と市民両方の信頼が必要だ。そして信頼を得るためには、オープンな姿勢が必要だ。中国政府が肺炎の流行について信頼できる情報を提供して、世界の公衆衛生のために積極的な役割を果たす意思があることを示し、大衆の信頼を取り戻すことは、中国政府自身の利益になる。
「まだ何の病気なのかは分からない。現在調査中だから、待ってくれ」と言ってもいい。あるいは、「このウイルスがどのように広がったのかは、現在専門家のチームに調べさせている」と言ってもいい。
重要なのは、正直な情報交換を定期的に実践すること。そしてそれを春節が来る前に始めることだ。
From Foreign Policy Magazine
<本誌2020年1月21日号掲載>
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friendship-korea-japan-jp · 5 years ago
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3.日本が朝鮮に及ぼした形の無いもの
問い9:日本の朝鮮から撤退後について>3.日本が朝鮮に及ぼした形の無いもの
目次は こちら
3.日本が朝鮮に及ぼした形の無いもの
 日本は、1876年に朝鮮と交流を始めて、1945年に朝鮮から撤退した69年間に、形がなく目に見えないものも朝鮮に残してきています。以下に思いつくままにそれらを列記します。
①    李氏朝鮮時代は労働をすることを恥と思っていた両班が、1892年に科挙の廃止と、1894年の金弘集政権による身分制度の廃止と、総督府の身分差別を認めない政策とによって、労働をしても恥ずかしくない意識となり、新しい労働文化が生まれました。そして現在の韓国では、優秀な人々の労働の成果が生まれました。
②    李氏朝鮮時代は怠けて貧しさを装うことが自衛手段だった農民と漁民が、豊かになっても両班や官僚によって収奪されなくなったので、積極的に働く社会意識と労働文化が生まれ、朝鮮の新しい発展の原動力になりました。
③    物として売買され、人権も「姓」もなかった奴婢が、その身分から解放されたので、好きな姓名を持つことができ、日本統治時代には朝鮮人は原則的に全員が平等な社会の一員になりました。
④    李氏朝鮮時代は、地方の行政官が行政・警察・司法・徴税・軍事とすべての権限を持っており、その地方では絶対的な権力を持っていたので、思う通りに農民と漁民と奴婢から収奪し賄賂を受け取り、横領を重ねていたが、日本統治時代には行政と警察と裁判と徴税が分離されたので、諸悪と腐敗の根源がなくなりました。
⑤    李氏朝鮮時代は、国王と大臣が多額の賄賂を受け取って地方の行政官を任命し、各種職位を売っていましたが、日本の統治により国王も大臣も売官売爵ができなくなり、地方官は多額の賄賂の必要がなくなり、地方へ派遣された官僚は多額の賄賂のお金を取り返す必要がなく、その結果庶民からの収奪がなくなりました。
⑥    大韓帝国時代に韓国政府から日本へ財務顧問の派遣を要請するまでは、大韓帝国政府の財政は逼迫しており、その上皇室は国家財政から奪って贅沢な暮らしに耽っていましたが、財政顧問の指示で皇室財政と国家財政を分離して管理されるようになり、国王による勝手気ままな無限の享楽による国費の浪費ができなくなりました。
⑦    昔からおよそ500万人前後と言われていた朝鮮半島の人口が、1910年時点の人口調査では1312万人でしたので、それまでは徴税額の62%が地方官僚による横領が行われていたことが判明しました。総督府の正確な人口把握により地方官僚は横領ができなくなり、全額中央政府の収入になり、国家財政の不足は改善されました。
⑧    李氏朝鮮時代の法廷は、罪人とされた人に自白するまで拷問を加える場でした。その拷問はここに書きたくないほど残酷極まりないものであり、拷問と訊問が同時に交互に行われるのが当時の朝鮮の法廷であったことが、西洋人によって報告されています。日本の関与により直ちに近代的な司法制度に改定され、公正な裁判が行われるようになりました。そして笞打ち刑は朝鮮笞刑令廃止制令(1920年4月1日)で廃止されました。
⑨    李氏朝鮮時代の監獄は、狭い所に多くの囚人を男女区別なく押し込み、一人当たりの面積が0.47平方メートルであったと記述されています。日本統治時には日本やアメリカ並みの広さと処遇にして、少年と女性の受刑者を一般の受刑者と分け、出獄後の厚生を出来るように少年たちには学校の授業を行い、一般の受刑者にも職業訓練などの教育をして、出獄後の再犯の発生を防ぐことを主にしました。李氏朝鮮時代の刑罰主義一辺倒から再犯防止主義へと監獄行政が転換されました。
⑩    李氏朝鮮時代には、経国大典がありましたが無視され、実際には国王や官僚によって統治が恣意的に行われていた面が多かった行政が、法体系を日本から移入して整備されました。『朝鮮総督府施政年報 昭和14年度』の「第1章 総説」の「第2節 法規の制定及整理」には、郵便・電信・工業所有権・著作権・会計などは日本と法制の統一を要するので、勅令をもって施行し、民法・民事訴訟法・刑法・商法・裁判・監獄・教育・地方制度・土地収用・永代借地・河川・港湾・水利組合・森林林野・漁業・鉱業・会社・銀行・金融組合・商業会議所・市場・鉄道・道路・寺刹・墓地・諸税・国税徴収・関税・医業・薬品・危険物・伝染病予防・行政執行・海事及水難救助・諸営業取締などの諸法規や法令は、朝鮮の実情に合わせて導入され、順次改正を加えながらこれらに基づいて行政を行ったことが記されています。人治から法治へと変化したのです。これにより、朝鮮の近代国家への脱皮が推進されました。これらの法体系は、日本が朝鮮から撤退した後もその多くが影響を残したものと思われます。
⑪    李氏朝鮮時代には、初等教育は書堂だけであり、書堂が女性を受け入れなかったのに対し、日本統治により小学校が普及して女性も学校へ行けるようになり、高等女子学校が57校もできて高等教育も受けられるようになりました。これにより、国民の半分を占める女性が学べるようになり、女性が男性と対等に学べる環境がつくられました。これは、最近女性大統領や大臣・長官が出るまでに女性の地位の向上するきっかけとなりました。また、家の中に閉じこもって昼間に屋外で姿を見せることがなかった女性が、日本統治時代には昼間から外に出るようになり、女性解放が進みました。
⑫    日本の統治時代に多くの朝鮮人の人材を育ちました。その一つは工場や会社を経営した人達です。『大韓民国の物語』の「第二部文明史の大転換」の「9 日本がこの地に残した遺産」の「人的な資本」の188ページには次のように記されています。
[何よりも貴重な人的資源は、店舗や工場、1920年代以降、前近代社会の褓負商(行商人)に代わって、固定した店舗をもつ商人の数がどんどん増加し、1938年段階では店舗の数が39万6000にも達しました。1939年の段階で、5名以上の従業員を雇用する工場や会社を経営する朝鮮人は4000名にも達します。その中に今日の韓国を代表する企業グループを創業した三星の李秉喆、LGの具仁会、現代の鄭周永らが含まれています。]
また、二つ目の人材グループは、学校卒業後に総督府や学校に就職した人達です。彼らは官吏として、教師として活躍しました。その数は約17万人に達していたと、『大韓民国の物語』に記されています。第三のグループは、銀行員・医師・法律家などです。第四のグループは日本へ行って会社や軍隊に入って日本の考え方や仕事の仕方を身に着けた人たちです。このような多くの多種の人材を育てて朝鮮に残してきました。彼らの多くは李氏朝鮮時代には存在しなかった職種の人達です。日本統治時代の教育をベースにして、日本人と一緒に仕事をする過程で、或いは日本へ留学をして、あるいは独自に道を切り開く過程で、これ等の朝鮮の人材が自らを育てたのです。或いは日本の軍隊に入って厳しい規律と強い意志で自らを鍛えた人も居たと思います。このような人材の存在が、日本が撤退した後の韓国の発展を牽引したと言えます。これも目に見えない日本が残した人的財産といえると思います。
⑬    1904年8月22日に締結した日韓協約より派遣された日本人顧問は、財政の整理や予算編成に関して租税法規を制定し、歳入の確実な増収を図ると共に、旧来の徴税機関による誅求の弊害を正し、宮内府の管理していた租税や専売事業などを政府に移したが、1905年の予算で207万円(現在価値で約414億円)が不足したので、1905年から1909年までの5年間で約2070億円を日本の国家予算(日本人の税金)で補いました。
⑭    また、日本統治時代になって総督府が設立されて、朝鮮の政府として活動を始めましたが各種の費用が不足して、日本から総督府予算の不足分を1910年から1943年まで毎年多額の資金を「補充金」および「公債」として日本から投入し、朝鮮の改革に使われました。『朝鮮総督府統計年報』によれば、「補充金」の合計額は4億6610万7052円で、「公債」の合計額は15億9363万8633円で、総計20億5974万5635円が日本から朝鮮へ支援金として投入されていました。当時の20億円は現在価値に直すと約2万倍となり、約40兆円です。
植民地からは何でも吸い上げるものと一般に思われていますが、朝鮮の場合には逆に日本本土の政府から、日本国民の税金と日本人から集めた資金で、朝鮮の酷い状態を改善する諸施策を実施するために、現在価値にして約40兆円もの莫大な金額が注ぎ込まれていました。これも目に見えない日本が残してきたものであるといえます。
⑮    李氏朝鮮時代には儒学の中の性理学だけが学問と看做され、その反動で仏教は弾圧され、寺は山奥に移り、仏像などは破壊されるかあるいは地下に埋められました。日本の統治時代に日本の考古学者などが総督府と共にそれを発掘し、博物館を創ってここに展示しました。朝鮮に博物館を造ったのは朝鮮人に暗殺された伊藤博文統監でした。この時点でこの博物館の展示品は、朝鮮古来の制度・風俗・宗教・美術・工芸・その他歴史的に参考になるもので、陳列の総点数は1万3375点に達していました。
さらに、総督府は1933年8月8日に「朝鮮宝物古蹟名勝天然記念物保存令」を制定して、朝鮮の文化財や天然記念物が海外に売り飛ばされることを厳禁して、保護しました。捨てられあるいは埋められていた遺物を発掘し、文化財として大切にして保存する考え方は、当時の朝鮮には無く、そして考古学も無く、考古学の専門家も居ませんでした。李氏朝鮮時代と大韓帝国時代には誰も顧みなかった文化財を発掘保存した行為は、日本が残した目に見えないものです。当時の朝鮮人はこの分野に関心が持たれていませんでした。陳列の総点数が1万3375点に達していたことは、朝鮮の発掘された文化財が大切に保存されていたことを物語っています。
⑯    李氏朝鮮時代から大韓帝国時代の初めまでは、学問は儒学が全てでしたが、朝鮮が日本へ門戸を開いて使節団を日本へ送ってから日本並みの学校制度への取り組みが始まりました。しかし、本格的に学校制度が日本並みに整ったのは総督府の教育への熱意と現在価値で14兆円を超える大型投資とを待たねばなりませんでした。日本が朝鮮から撤退した時点では、女性を含めて誰でも学校へ行けるようになり、李氏朝鮮時代のように身分と性別による学習の制限はなくなりました。総督府により朝鮮の僻地にまで教育の手が差し伸べられて文盲をなくす努力がなされ、教育の重要性が朝鮮人に認識され、朝鮮人の学問と知的水準が高まりました。そして、この学校教育は朝鮮人の人的資源の苗床になりました。
⑰    李氏朝鮮時代はまともな貨幣制度がなく、商業や経済の発展の阻害要因になっ��いました。大韓帝国から顧問として招聘された日本人が指導して貨幣制度と金融体制を整え、朝鮮が発展する基礎ができました。朝鮮は日本統治時代になって貨幣と金融制度が整った近代国家と成りました。この金融制度が整うことで、市場経済のシステムが機能するようになりました。この市場経済システムは朝鮮が日本統治時代になって初めて経験したものであり、日本が撤退した後の現在の韓国の体制の中にも引き継がれたものであるといえます。
⑱    日本が朝鮮と交流を始めた1976年の日朝修好条規が結ばれた頃から日本による併合までの朝鮮は、衛正斥邪運動が盛んであり、朝鮮が世界で一番文明度の高い国との思い上がりがあり、洋夷と倭夷を排斥して朝鮮の対外開放と近代化を阻止しようとする両班と義兵が盛んに活躍した時代でした。日本の統治を経た後は目立った対外排斥運動はなくなり朝鮮は外に向かって目を向けた状態となりました。これは韓国が発展する基礎となりました。
⑲    日本統治時代の初め頃まで、朝鮮の各地に匪賊・草賊が猖獗を極めており、住民は彼らに襲われる恐怖におののいていました。そこで総督府は、朝鮮全土の499カ所に隈なく日本人と朝鮮人からなる憲兵分遣駐屯地を設けると共に、匪賊討伐を行い、朝鮮から匪賊や草賊は消えました。これにより朝鮮の人々は安心して生活できるようになりました。
⑳    ⑳ 日本を見て開化派となった朝鮮の人たちと福澤諭吉の高弟井上角五郎の協力により、朝鮮初の近代新聞(官報)である『漢城旬報』が1883年に刊行されました。これは井上角五郎らが新聞の必要性を訴えて、朝鮮政府の外衛門の顧問となり、外衛門に博文局を設置してもらい、井上の指導と努力のもと発刊にこぎつけたものです。初めは朴泳孝と兪吉濬が居ましたが朴は左遷され、兪は米国に留学してしまったのです。この時に使われた漢字活字は三輪広蔵らが日本から持ち込みました。
 しかし、金玉均の政変の時、博文局は放火され印刷機械が焼かれて、『漢城旬報』は39号を以て、1884年12月に廃刊になりました。
 当時、朝鮮では全ての文書や書籍は漢文でした。それは当時の朝鮮の知識人は、ハングルは真の文字ではないとして馬鹿にしていたからです。そして相変わらず知識人の特権意識としての公式書には漢字(漢文)だけが使われていました。
 実は、ハングル文字の使用は燕山君によって禁止されていました。燕山10年(1504年)7月20日、「今後ハングルを教えるなかれ、学ぶなかれ、また既に学んだ者は用いてはならない。ハングルを知る者をすべて摘告するように漢城市内に発令せよ。それを知りながら報告しなかった者はその隣人と併せて罰する。」とのハングル禁止令が出されました。
 続いて7月22日には「所蔵されているハングル書はすべても焚書せよ」との指令が出されていました。
 1506年には中宗によってハングルを研究する唯一の公的機関である「革諺文庁」を廃止されていました。このことは『朝鮮王朝実録』に明記されている事実です。
 一方、福沢諭吉は朝鮮を文明国にするためには世界で起こっていることを知り、文明開化の意味を知る必要があると考え、ハングル文字の活字を世界最初に発案し、私費でハングル活字を作らせ、漢字・ハングル混じりの新聞の発行と普及に勤めたのです。
 1885年6月、博文局総裁と成った金允植は新聞再刊のために新たな印刷機とハングル活字の購入を井上に依頼し、福沢の門人の井上角五郎は帰国して福沢が造ったハングル活字と印刷機械を買い取って朝鮮に戻りました。朝鮮史上初の、漢字・ハングル混合文を用いた『漢城周報』の創刊号は、このようにして金充植と井上角五郎とによって1886年1月に発行されました。
 ハングル禁止令以来、公的な文書においてハングルが用いられることはありませんでした。しかし、この朝鮮において、政府の関与した新聞にハングル文の記事が採用されたのです。約382年間も顧みられなかったハングルが福沢諭吉と井上角五郎によって蘇ったのです。しかし残念なことに、赤字財政のため博文局が1888年7月7日閉鎖され、2年と6カ月で『漢城周報』は廃刊となりました。
 その8年後の1896年になってようやく、「独立協会」によってハングル文字の『独立新聞』が発行されました。この新聞は福沢諭吉が提唱したのと同じ主旨で、民衆の意識を呼び覚ますために、ハングル文字で発行されました。
 また、日本統治時代の学校の教科書は漢字・ハングル混合文で編成され、これが使われました。それまでは漢字だけの教育が書堂でなされていたのですが、日本の統治時代になって初めて190万人の小学生に対する6年間のハングル文の必須科目としての学校教育によって朝鮮人の識字率が大幅に向上し、文化や産業の発展の基礎になりました。
 現在の韓国の文字ハングルは、約382年間も公式には顧みられませんでしたが、福沢諭吉と井上角五郎によって再び日の目を見るようになったものであるといえます。しかしなぜか、現在の韓国の教科書は、上記の幾つかの大切な事実を完全に隠蔽して、若者に教えていません。
㉑    李氏朝鮮時代の末期まで、病気になると、医師といえる人と病院がなく、病気に対する知識もなかったので、巫女や祈祷師に依存して居たようです。日本統治時代になって医療制度が整いました。『歴史を偽造する韓国』によれば、京城帝国大学の医学部において最先端の知識と技術を持った朝鮮人が1929年から1943年の15年間で237名が卒業したことが記されています。その結果と総督府の努力により、身近に医者や病院ができて医療環境が整い、そこで診てもらうと病気が治るようになると、巫女や祈祷師に依存しなくなりました。
㉒    李王朝時代までの朝鮮は儒教の国でした。儒教は序列が基本です。その序列は儒教の生まれた中国は大中華で朝鮮はそれに次いで「小中華」で、儒教を知らない日本は「蛮夷」であるとして蔑視していました。
 日本の統治時代を通じて朝鮮の小中華思想は完全に消えたと思われましたが、まだ基本的な部分で残っています。例えば韓国では日本の「天皇」を「日王」と表記しています。蔑視していた日本が「皇」と称することは許せないので、皇より下の王の表現にして日本を蔑む侮日の気持ちが、現在でも「日王」の表現を用いさせていると思われます。
 これは日本に対して失礼極まりないことですが、そのことに韓国の人は気付いていなのか、あるいは気付いているからこそ、このような日本を貶める表現を使っているのかもしれません。
㉓    朝鮮では儒教の教えで「親からもらった体を傷つけてはいけないとの思想から、髪の毛は生涯一度も切らない習慣がありました。高宗が断髪令を出したところ、日本人とそのときの金弘集政権へ非難が集中し、国王はそれを撤回して、民衆に近代化の改革を進めていた金弘集総理を殺させました。このような激しい反発があった断髪令ですが、その後自然に髪の毛を切る人が増えて、日本の統治が終わる頃には殆どの人が断髪していました。これは日本が残したものと言えないかもしれませんが、その影響はあったと思います。
㉔    純宗は皇帝就任の3年後に勅諭を発して、日本との併合に踏み切りました。併合条約公布に際し大韓帝国皇帝が公布した勅諭を、朝鮮語の『朝鮮王朝実録/純宗実録3年』の邦訳を、『フリー百科事典Wikipedia』から引用して次に記します。
[皇帝、若(ここ)に曰く、朕否徳にして艱大なる業を承け、臨御以後今日に至るまで、維新政令に関し承図し備試し、未だ曽て至らずと雖も、由来積弱痼を成し、疲弊極処に至り、時日間に挽回の施措望み無し、中夜憂慮善後の策茫然たり。
 此に任し支離益甚だしければ、終局に収拾し能わざるに底(いた)らん、寧ろ大任を人に託し完全なる方法と革新なる功効を奏せしむるに如かず。故に朕是に於いて瞿然として内に省み廊然として、自ら断じ、茲に韓国の統治権を従前より親信依り仰したる、隣国大日本皇帝陛下に譲与し、外東洋の平和を強固ならしめ、内八域の民生を保全ならしめんとす。
 惟爾大小臣民は、国勢と時宜を深察し、煩擾するなく各其業に安じ、日本帝国の文明の新政に服従し、幸福を共受せよ
 朕が今日の此の挙は、爾有衆を忘れたるにあらず、専ら爾有衆を救い活かせんとする至意に出づ、爾臣民は朕の此の意を克く体せよ。
隆煕四年(1910年)八月二十九日 御璽]
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 上の大韓帝国皇帝が公布した勅諭は、新羅の最後の国王が、王子たちや大臣たちの反対を退けて、高麗に降ったときと同じ思いが記されています。純宗の勅諭のアンダーラインを付した部分の記述は、純宗の思いが、新羅の国王が高麗に降ったときと全く同じです。新羅の敬順王にとって隣に高麗があったように、純宗にとって、隣に日本があったのです。これも、日本が朝鮮に残した目に見えない影響だと思われます。
 「韓国併合ニ関スル条約」の協議調印に関する内閣総理大臣李完用への純宗皇帝の全権委員任命状を示します。御璽御名が印されています。
㉕    日本人は朝鮮から引き揚げる時、1000円だけ身に着けることが許されました。その結果、個人と企業などの銀行預金などの金融資産は全部朝鮮の誰かのものになったのです。日本が朝鮮から撤退しても、その時まで朝鮮では日本のお金が通用しており、朝鮮人も朝鮮の企業も、資産はすべて円です。ですから、円の価値を直ちに零にすることは不可能です。日本人が引き上げた後も、何らかの対策が取られるまでは、円の価値は朝鮮では保持されたはずです。その対策が執られても、それは円を変換(交換)する必要があるだけです。日本人が残して来た莫大な現金資産を、朝鮮人の誰かが自分の物にしたのです。
㉖    日本は朝鮮の地に,誰でも自由に活動できる資本主義経済システムを残してきました。1939年時点で、朝鮮に於ける職業別戸数がこのことを示しています。『総督府年報 1941』の「第1章 総説」の「第3節 戸口」によれば、
全戸数   :朝鮮人412万3646戸、 日本人 16万1400戸
農業    :朝鮮人292万5988戸、 日本人    7047戸
水産業   :朝鮮人    6万4355戸、 日本人    2233戸
鉱業    :朝鮮人    7万1532戸、 日本人    5966戸
工業    :朝鮮人  12万2341戸、 日本人    2万6478戸
商業    :朝鮮人  30万2704戸、 日本人    3万0725戸
交通業   :朝鮮人    4万6696戸、 日本人    9146戸
公務及自由業:朝鮮人  14万1572戸、日本人    6万6007戸
その他有業者:朝鮮人  34万6148戸、日本人    6731戸
無職    :朝鮮人  10万2249戸、日本人    7068戸]
 その他の外国人が1万1478戸ありましたが省略しました。農業と水産業と商業の一部の行商人以外の職業は、日本統治時代に生まれた新しい職業であるといえます。農民が冬季に副業としてやっていた���内の仕事は、独立した職業といえる状態ではなかったと思います。1910年の日韓併合を経て、1939年には朝鮮に新しい経済システムができていたのです。このことは、1939年の朝鮮経済が次のように成っていることから明らかです。倍率は1910年比です。
払込資本金:60.9倍12億1187万円(現在価値24兆円)
貿易総額 :40.1倍23億9524万円(現在価値48兆円)
銀行貸出金:36.8倍15億0644万円(現在価値30兆円)
 朝鮮人の誰も特定の職業に就くことを強制されていませんでしたから、これは誰でも自己の能力に応じて自由に参加できる資本主義経済システムであるといえます。この資本主義経済システムへは、朝鮮人が日本人の何倍も多く参加していましたので、日本が朝鮮から撤退しても急に消滅することはないと思われます。
 以上が、日本が1876年に朝鮮と交流を持ってから1945年に撤退するまでの69年間に朝鮮に影響を及ぼして残した無形の事柄です。
 なお、余談ですが、韓国に博物館を作り、韓国人に暗殺された伊藤博文公爵について、この暗殺をした人物を韓国は英雄として称えていますが、殺された伊藤博文公爵の朝鮮に関する考えを紹介したいと思います。
 その一つは、新渡戸稲造の『偉人群像』に、伊藤公爵が語った言葉として、「君、朝鮮人はえらいよ。この国の歴史を見ても、その進歩したことは、日本より遥か以上であった時代もある。この民族にしてこれしきの国を自ら経営できない理由はない。才能においては決してお互いに劣ることはないのだ」いっていたと記されています。このように、伊藤公爵は朝鮮人を高く評価し、併合には反対だと主張していました。そして、日清韓の連帯を唱えていました。日韓併合に反対していた伊藤が暗殺されてしまったために、その後、山県有朋の主導により日韓は併合への道を突き進むことになったのです。
 二つ目は、近年発見された伊藤公爵の明治38年(1905年)11月の日付のメモには「韓国の富強の実を認むるに至る迄」という記述があり、これについて京都大学教授の伊藤之雄は、「伊藤博文は、韓国を保護国とするのは韓国の国力がつくまでであり、日韓併合には否定的な考えを持っていたことを裏付けるものだ」としています。しかし、伊藤公爵は暗殺されてしまいました。残念ながら、これが現実です。
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ysformen · 5 years ago
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「日本人が世界に誇るもの」
先の戦争の真実は、白人帝国主義(人種差別と植民地政策)国の勝利により歪曲されています。
祖父達は、戦争には負けましたが、欧米国の人種差別とアジア植民地化政策を粉砕するという戦争目的では勝利したのです。
アジア諸国は皆、日本の戦争により、白人帝国主義(欧米諸国)の植民地からの独立を果たしたのです。
 敗戦国なるがゆえ、戦勝国に諂った政治政策により歪曲された歴史教科書などに惑わされてはならない。
「南京大虐殺」は、戦勝国の明らかな「でっちあげ」であり、アメリカが行った大虐殺であった長崎広島への原爆投下の罪、と西洋諸国のアジア諸国を植民地としていた罪のイメージを隠すべくカモフラージュとして作られた幻の事件なのです。
 また、「従軍慰安婦」は、いわゆる売春宿を任意で従軍させたもので現代の戦争における常識的存在であり、必要不可欠のもので、強制連行により一般の婦女子を「従軍慰安婦」することはありませんでした。
これを世界で最初に用いたのが、礼節の国、日本です。
「従軍慰安婦」は、占領国の婦女子の安全を守るための制度であり、この制度も世界にほこるべきものといえます。
<< タイ国元首相「ククリックド・プラモード氏.」の言葉 >>
「日本のおかげでアジアの諸国は全て独立した。日本というお母さんは難産して母体をそこなったが、生まれた子供はすくすくと育っている。
今日、東南アジアの諸国民が米英と対等に話ができるのは、いったい誰のおかげであるのか。
 それは、身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。
 十二月八日は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが身を賭して重大決意をされた日である。我々は、この日を忘れてはならない。」
 (十二月八日、現地新聞「サイアム・ラット紙」)
  << インド元大統領「ラグ・クリシュナン氏」の言葉 >>
 「インドは当時、イギリスの浮沈戦艦を沈めるなどということは 想像もできなかった。
 それを、我々と同じ日本が見事に撃沈した。驚きもしたが、この快挙によって東洋人でもやれるという気持ちが起きた。
 (昭和四十四年「日本経済新聞」)
  << インドネシア元情報宣伝相「ブン・トモ氏」の言葉 >>
 「我々アジア・アフリカの有色民族は、ヨーロッパ人に対して何度となく独立戦争を試みたが全部失敗した。
 インドネシアの場合は三百五十年間も失敗が続いた。
 それなのに、日本軍が米・英・蘭・仏を我々の目の前で、徹底的に打ちのめしてくれた。我々は白人の弱体と醜態ぶりを見て、アジア人全部が自信を持ち、独立は近いと知った。
 一度もった自信は決して崩壊しない。
 日本が敗北したとき、
 「これからの独立は自力で遂行しなければならない。独力でやれば五十年はかかる。」と思っていたが、独立は意外にも早く勝ち取ることができた。」
 << インド極東国際軍事裁判判事「ラダ・ピノート・パール氏」 >>
「要するに彼等(欧米諸国)は、日本が侵略戦争を行ったということを歴史にとどめることによって、自分らのアジア侵略の正当性を誇示すると同時に、日本の十七年間(昭和三年~二十年、東京裁判の審理期間)の一切を、罪悪と烙印することが目的であったに違いない。私は1928年から1945年までの十七年間の歴史を二年七ヶ月かかって調べた。
 この中には、おそらく日本人の知らなかった問題もある。
 それを、私は判決文のなかにつづった。
 その私の歴史を読めば、欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人であることがわかるはずだ。
 それなのに、あなたがたは自分等の子弟に、
 「日本は犯罪を犯したのだ。」
 「日本は侵略の暴挙を敢えてしたのだ。」と教えている。
 満州事変から大東亜戦争にいたる真実の歴史を、どうか私の判決文を通して十分研究していただきたい。
 日本の子弟がゆがめられた罪悪感を背負って卑屈、荒廃に流され て行くのを、私は平然として、見過ごすわけにはゆかない。あやまられた彼らの宣伝を払拭せよ。
 あやまられた歴史は、書き換えなければならない。
    (昭和二十七年十一月五日、広島高等裁判所での講演)
 << 韓国 韓日文化研究所「朴 鉄柱氏」のことば >>���
 「大東亜戦争で日本は敗れたというが、敗れたのはむしろイギリス をはじめとする植民地を持った欧米諸国であった。彼等はこの戦争で植民地を全て失ったではないか。
戦争に勝った、敗けたかは、戦争目的を達成したかどうかによって決まる。 というのは、クラウゼビッツの戦争論である。
 日本は戦闘に敗れて戦争目的を達成した。日本こそ勝ったのであり日本の戦争こそ「聖なる戦争」であった。
 二百数十万人の戦死者は確かに帰ってはこないが、しかし彼等は英霊として靖国神社や護国神社に永遠に生きて、国民尊崇対象となるのである。
昭和四十二年十月)
  << イギリス歴史学者「ウエールズ氏」の言葉 >>
 この大戦は植民地主義に終止符を打ち、白人と有色人種との平等をもたらし、世界連邦の礎石をおいた。
<< 米国ハワイ日本経済事務局長・政治学博士「ジョージ・S・カナヘレ氏」の言葉 >>
 日本占領軍がインドネシア民族主義のために行った、種々の仕事の中で、最も重要なものの一つは、正規軍及び准軍事組織を創設して、それに訓練を与えたことである。
(中略)
インドネシア人が軍事訓練を受けたことの意義は極めて重要なものであった。
 これが後のインドネシア革命軍の大部分の将校と何千の兵士となり復帰してきたオランダ勢力と独立戦争を戦う際の基盤となった。
日本によって与えられた、このような機会がなかったならば、戦後のインドネシア民族革命の経過は違ったものになっていたであろう。
<< ビルマ元首相「バ・モウ氏」の言葉 >>
 約五十年前、ビルマは三回にわたる対英戦争の結果、その独立を失いえり、英国側はアジアに対する掠奪的野望をもって、これらの戦争を遂行した。
 愛国者は挺身的精神をもって鎮圧、入獄、流?、拷問およびしばしば死を甘受して突進して行った、これらの英雄はビルマの生存のため、苦難を受け遂には屍たり。
 ビルマ人はアジアを結合させ、アジアを救う指導者を待望していたが遂に、これを大日本帝国に発見した。
 ビルマ人はこのビルマに対する最大の貢献に対し、日本への感謝を永久に記録せんことを希望するものである。
 (ビルマ独立宣言より)
 << インドネシア共和国元首相「モハマッド・ナチール氏」の言葉>>
 大東亜戦争というものは、本来なら私達インドネシア人が独立のために戦うべき戦争だったと思います。
もしあのとき私達に軍事力があったなら、私達が植民地主義者と戦ったでしょう。
 大東亜戦争とは、そうゆう戦いだったんです。
 << イギリス歴史学者「アーノルド・J・トインビー氏」の言葉 >>
 英国最新良の戦艦2隻が日本空軍によって撃沈されたことは特別にセンセーションをおこす出来事であった。
それはまた、永続的な重要性をもつ出来事でもあった。
なぜなら、1840年のアヘン戦争以来、東アジアにおける英国の力はこの地域における西洋全体の支配を象徴していたからである。
1941年、日本は全ての非西洋国民に対し西洋は無敵でないことを決定的に示した。
この啓示がアジア人の志気の及ぼした恒久的な影響は1667年のベトナム戦争に明らかである。
(昭和四十三年三月二十二日「毎日新聞」)
 << マッカーサー元帥の米国議会での談話記録 >>
 (日本には)石油がない、錫がない、綿がない、ゴムもない。その供給を全て絶たれたなら、どんな小国であっても戦争を決断する。
 << GHQ参謀部長「C・ウイロビー」 >>
東京裁判は史上最悪の偽善だ。もし米国が同じ立場であったら日本と同じように戦っただろう。
 << イギリス歴史学者「トインビー」 >>
第二次世界大戦において、日本人は日本のためよりも、むしろ戦争によって利益を得た国々のために偉大な歴史を残した。
 それらの国々とは、日本の掲げた大東亜共栄圏に含まれた国々である。
 日本人が歴史上のこした最大の業績は、世界を支配していた西洋人が「不敗の神」ではないことを示した点である。
<< 中華民国顧問「O・ラティモア」 >>
 日本が立派にやり遂げたことは、欧米の植民地帝国を完全に破壊したことである。 << 社会学者 H・アミーズ女史 著書「アメリカの鏡・日本」 >>  東京裁判は正義ではなく、明らかにリンチだ。私達アメリカがどうして日本を罰することができるのか?私には理解できない。 << ネイール元インド首相 >>  彼等(日本)は、謝罪を必要とすることなど我々にはしていない。 それ故にインドはサンフランシスコ講和会議には参加しない。 講和条約にも調印しない。(52年日印平和条約締結) << G・デザイ(印弁護士会会長) >>  インドの独立は日本のおかげで30年早まった。この恩を忘れてはならない。 << G・シャフエー(マレーシア外相) >>  なぜ、日本が謝るのでしょうか?あの大戦でマレーシア人と同じ小さな体の日本人が大きな体のイギリス人を追っ払ってくれたではないですか? 日本なくして東南アジアの独立はありませんでした。 この日本の尊い犠牲を否定することは、バックミラーばかり見ているようなものです。 << 仏ドゴール首相 >> シンガポール陥落は、白人植民地主義の歴史に終焉をもたらした。 << ラジャ・ダド・ノンチック(上院議員) >>  我々は日本軍を歓迎で迎えた。日本は将来の我々のために多くのものをもたらしてくれた。  我々は日本から学んだことは「国を守る術」だった。 << 歴史家 「Z・アビディーン」 >> 日本軍政はマレー人の独立の種を撒き成長させた。 << ゴー・チョクトン首相(シンガポール) >> 日本の統治は過酷なものだった。しかし、日本軍により欧米の植民地支配は粉砕された。  これはアジアに自信をもたせた。大戦後15年以内にアジアの植民地は全て開放された。 << オン・サン(ビルマ独立の父) >>  日本の軍事訓練は厳しすぎた。何度か自殺を考えるほどだった。  しかし、ラン・グーンが落ちたとき、我々は間違っていないことを確信した。  1948年8月1日 独立を宣言  しかし、日本軍の劣勢は彼等の決断をせまる。  独立維持の密約をイギリスから取り付けたオン・サンは、日本からの離反を決意。同士の説得を開始する。 << ミン・オン(ビルマ義勇軍設立メンバー) >>  その判断は正しい。ビルマは生き残る術は他にない。  しかし・・・・・。私は日本を裏切ることはできない。  ミン・オンは離反を拒否し自決の道を選んだ。・・・・  終戦後、イギリスは密約を無視。再植民地化に乗り出すが  イギリスはそれが不可能であることを悟った。  日本とオン・サンらが育てた、ビルマ義勇軍10万が英に立ちはだかった。   1948年1月4日ビルマ完全独立、式典にオン・サンの姿はなかった。
 (47年7月暗殺 32歳) << 初代ビルマ首相 バ・モウ >>  「真の独立記念日は1948年1月4日ではない。  1943年8月3日だ。独立の真の理解者は東條大将と大日本帝国だった。 << M・ハッタ(インドネシア独立の父) >>  日本の戦いは8月15日に終わった。我々の戦いは8月17日に始まった。  オランダは独立の腹いせに、多額の債務インドネシアに要求した。
 これを、戦時賠償の形でかたがわりしたのが日本であった。 << サン・パス復員軍人相 >>  戦争が終わったあと多くの日本人が帰らずに我々と戦ってくれた。  国軍墓地に葬り、勲章を贈った。  しかし、それだけではたりないものを、彼等は我々に与えてくれた。 << アラ・ムジャ陸軍大将 >>
 日本にはあと五年がんばってほしかった。そうすれば中東とアフリカはもっと早く独立できたはずだ。中東もアフリカもこんなに苦しまずにすんだはずだ。
<< ナーセル 第二代エジプト大統領 >>  アジアには日本がいた。アラブには日本がいない。 << ブン・トモ インドネシア首相 >>  あの戦争は我々の戦争であり、我々がやらなければならなかった。  それなのに全て日本に背負わせ、日本を壊滅寸前まで追い込んでしまった。  申し訳ない。
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