#大根おろしアート
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横浜アメリカ山公園のあじさい
ピンクのアメリカ紫陽花です。横浜のアメリカ山公園に咲いてました。
ドライフラワーにしても、綺麗かもしれませんね。





横浜アメリカ山公園は��山手町にあります。JR線の石川町駅エリアになりますが、最寄りは、みなとみらい線の元町中華街駅です。
↓の記事にも書きましたが、
横浜の中でも観光客が多く、賑やかなのは、JR線では横浜駅、桜木町駅、関内駅、石川町駅付近になります。
横浜駅は、他府県からのアクセスにも便利な横浜中心の駅です。
桜木町は、みなとみらいがあるので新しい横浜、石川町は西洋館などがあるので古い横浜を楽しめます。
真ん中にはさまってる関内は、ディープな街でありながらも、横浜スタジアムがあるのでベイスターズの活気が感じられる街でもあります。
四つの駅はそんなに離れていないのに、各駅付近の雰囲気がガラッと変わるのが横浜の面白いところでもあります。
日本には、横浜の他にも神戸や長崎、函館などの港町がありますが、横浜はやっぱりちょっと独特な空気があり、私はそれが好きです。
あと、芸術や芸事が根付いている街でもありますから、街の空気や人も好きで、ノリが合います。
アートや音楽、ダンスだけではなく、大道芸や落語、能楽なども盛んです。
では、おやすみなさい🌙
昨日は作曲の勉強に集中しすぎて疲れました😅
2023/07/02
1:13
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25年5月3週目
台湾に行ってた週末。待ちに待った2回目の台北一人旅。行きの飛行機でちょっぴり気持ちが落ちていて、なんでだろ、どうしよう、いつか海外に行くことに飽きてしまったら?気持ちが高揚しなくなってしまったら?と不安になってたが、到着して気づいたらいつも通り気持ちが上がっていた。でもこの恐怖感はいつも消えない。
今回は初めて街に近い松山空港。空港からのアクセスはとてと良い。それでも家を出てからホテルに着くまで8時間半くらい。距離的には遠くないのに飛行機は時間がかかる。あとやっぱり仕事終わりに移動した方が効率は良く感じる。
とにかく今回はよく食べた。初日から飛ばして食べなかった後悔をしないようにしようとしたら、最後の方、軽いはずの葱餅が食べきれず3回くらいに分けて無理して食べることになるなり反省。空腹は最高のスパイスを改めて実感。しかし1人だと食べられる種類が厳しい。そしてあま���新規チャレンジがなかったのはこれまた反省点。今までの集大成みたいになってしまった。一応、線麺を現地で食べたのは初めて。パパイヤミルク、スイカミルク���初めて。暑かったのでドリンクを試しやすかった。
あとは美術館を2つほど。台北市立美術館と台北流行音楽センター。前者は現代アート。150円で2時間いても全然見切れないほどの展示量。近くに気になる他の展示物の施設があった気がするので、出入り自由だしカフェ的なものもあるし暑い日、寒い日、天気の悪い日はずっとここにいても良い。後者は台湾ポップスの歴史約100年。デート中のカップルが多かった気がする。ビビアン・スーらがナレーションしている日本語ガイドもあり良かった。
人生で初めての占いをしてもらった。医療と占いって紙一重じゃない?と思った。どちらも確率論というか経験値積み上げたものを根拠に判断をしてくれるというか。これからの人生を見通すというより、どうしたらより良く生きられるかのアドバイスだった。概ね言われたのは、・表向きと内心がバラバラ。仕事でも大丈夫といい、恋愛でも相手に本心が見せられない。もっと自分の気持ちを言った方が良い、助けを求めた方が良い。・肉体労働じゃないのに毎日くたくた、それを声に出して自分を労ってあげること。それを半年は続けてみて。・仕事は辞めたい辞めたいと思っても辞められないのは実はその仕事が好きだから。天職です。(!?)辞めても同じような仕事に戻る。・大金持ちにはならないけど、お金の心配はない。(これ言われたとき心底安心した)・結婚したくないからと言って、良くない男を選んではダメ。相手が向上していくと一緒に向上するタイプなので、そこを結婚軸で間違った選択をしないこと。好きなものを共有できるコミュニティをいくつか作って、友達を作ること。それは人脈にもなる。その中で恋人が見つかるのが望ましい。とのこと。
台北何度行っても物足りない。






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プレゼン振り返り①(他者のぶん)
Kさん①
ときめきについて
ときめき→(ドーパミン分泌)→やる気快感→行動創造
ときめき→一般に、いいなと思うものに対し胸が高鳴ること。
自分で撮った大量の写真から「ときめく」ものを選定/GW中一日10km歩く×三日
衝動から出かけることが多いが、穏やかなものが好き
先行事例→脳波で音を奏でる
ビジュアルにこだわらなくてもいいのかも?と感じた
不安→抽象的、独りよがり
お出かけはなんのためにいく?心を落ち着けるため?(自分だったら引きこもって創作しているほうが落ち着く、出かけて落ち着く「ときめき」には出会いにくい)
Kさんは非日常的な癒しにときめくのかなと思った
Mさんから→逆にひかれないもの、ときめかないものを探るのはどうか?
Kさんから→「ときめき」は受動的な体験で、ときめこうと思ってときめけることの方が少ないと思う。能動的にときめけるものがあったら面白そう
Yさんから→ときめきの中のビジュアル的な法則性を見つけてみるのは?思い出はビジュアル以外の環境的要素を含む気がするのだがどうか?
先生から→「ときめき」の一般的な文脈を知るといい。また、必ずしも表面的には同じテイストにしなくてもその人らしさが出る=「個性」
先行事例はビジュアル重視ではあると思う
Kさん②
自伝的記憶の可視化による人物像の構築
自伝的記憶…生涯を振り返って想起する記憶。アイデンティティを形作る核となる→これをイラストレーションで可視化
架空の人物の記憶を表現。女の子のイラストが描きたいが根底にある。
UV印刷を用いる
UV印刷の利点…様々な素材に対し立体感ある表現が可能、このうち様々な素材に印刷できる点を利用。アクリル板を用いるので透明度も調節可能
美しいものを作���たい
思い出=美しいものだと考えている(これ自分にはない考えで本当にびっくり。思い出って結構苦くない?)
課題…画力の向上、具体的に案詰める
アクリル板で消えゆく記憶を表現したいとのこと、逆に自分の中で脚色されていった記憶も表現できるのでは?
他者の記憶は不確かだからこそ会話の中でちょっとずつ解像度が上がるところに価値が生まれるような気もするけど、キャラクター性を見せるうえでは関係ないのかな?
キャラクター性はシチェーションに対する反応で描かれることが多いが、環境を描き出すことでキャラクター性はちゃんと浮かび上がるのか?あと失礼かもだけど走馬灯っぽくなりそう、生きているキャラの記憶・キャラ性を浮かび上がらせるものなのに
回答…記憶は一人称視点で思い出すこともあれば三人称視点で思い出すこともある(!?感情抜きにした状況把握ということ?自分はできない。記憶は基本その時感じたことに絡みついて思い出されるから)
Mさんから…性格とビジュアルどちらが先?一般のキャラはこの相関関係がはっきりしている→外観が先。人格形成というより記憶を形成していくほうが近いかも
Kさんから…鑑賞者はキャラの性格を把握する際、キャラデザに引っ張られやすい。この展示はキャラの外観を先に見せるものなのか?→外観は後に見せる。キャラデザは個性を限りなく排すものにする。モザイクアートにするかも考えたが現実的に?難しいと感じたためレーザー加工で凹凸つける手法を今のところ検討している。
思い出=美しい についてだが、どうやらポジティブな思考をする人にとってはこの傾向があるらしい。人格形成においてトラウマや逆境も必要不可欠な要素だが、これをも肯定的に捉え��明るい人物を描くらしい。別の考え方すぎて共感できないのが申し訳ないが人間って面白い、、、
Kさん③
3Dキャラを用いたブランド広告映像の制作
Opium core×キャラ
アニメーションマーケティング→視覚的に印象に残る
構想→1ストーリー性なし、文字映像
2ストーリー性あり、キャラにフォーカス
Iさん…マーケティングはやりたいことと違うのでは?
Aさん…ロゴや記号を使う、クロムタイプを全面に出す、コンセプトを押し出す方向性もあるのでは?
Kさん…これまでの作品から要素を分解して拾うのがいいのでは?
先生から…ストーリーテリングについては理論がある。これを避けるなら技術で魅せる必要がある。これまでの映像見た感じストーリーいらない気がする。また、ブランドに関する研究はビジネスの方向に傾いている。Kさんには合わないと思うし講評も難しい。
ブログ見ている感じ、新しいクロムタイプのあり方の研究とかではダメなのかなと思った。それこそ三年次とは違ったアートとか(具体的な案はないが…)。ブランドには直接は生かされない?のかもしれないが、気が向くなら大学という場を利用して更なる技術向上を図れるのでは?表現の深みはあればあるほどいいし、Kさんの方向性的に関係ない分野ではないと思う。でもこれも気が進まないのかなあ、、、なんとなくだけど、アートの方向性の場合、変に難しいことと結びつけないほうがいいのかもしれないと感じている。これは自分に対しても思っていること。表現したいこと、伝えたいことの真核が見つかったら一気に進むのかも。
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240.5/9の分
今日の分とゼミプレゼン記録
今日はプレゼンdayでした。結構後悔というか、もう少しうまく伝えられたんじゃないかという反省があります。伝えるというよりかは自分の中での要素を具体的に決めることに問題があったと思います。
作業は特にありません。
ヴィルヴィオラと土佐尚子さんについては明日書きます。
ゼミプレゼンについて
研究内容はそのままに、「独自の表現」という文言を消してテーマ変えます。(改めて考えて後日ブログに書くと思います。)
以下、読む気の失せる無駄な長文ですが、記録としてニュアンスや軽くでも思ったことを未来の自分のために残しています。
質問や意見/アイディア(☆が教授からの意見) ・プロシージャルが表現に適してそうだから入れてみたら? ↑表現したい事象や発見に混ざり合う表現の規則性などがあった場合、がんばってプロシージャル要素を作品に組み込みプロシージャル+アート表現という形も良いなと思います。
・「独自の表現を築きたい」という根本が生まれた理由として私自身の作風に個性長いと認識していた。←そんなことないのではないか。配色や線画などで私の作品と認識出来る。 ↑私の思い込みから生まれた感じですね。思ったよりも私の個性が作品に出ているようでうれしくも「新しく独自の表現を築く意味はあるの?」と問われ苦しくもなりました。いろいろ考えてる際に「独自の表現として確立したい」という思いが出てきましたが、教授に言われた「面白いと思った現象を広めたい」という動機がとてもしっくりきました。私自身が現在持つ色彩などの個性と今回の新たな表現を組み合わせて「面白いと思った現象を広める」というわがままな路線が私の思考に沿っているような気がします。なので独自の表現というのは二の次だなと考えを改めて現象を軸にしたテーマに変えたいと思います。
☆大陸の移動など変化の時間の尺度を大きく変えて捉えてみたら。 ↑変化の過程というのに着目した際、スローモーション的にどう変化していくか(小さいものや変化が一瞬で起こるものなど)を考えがちでした。しかし大陸の移動や菌類の浸食のようにゆっくり、または大きなものの移動などの変化も調べてみたいと思いました。(足元から枝のように伸びるために広く調べたいため)
☆メディアアートよりなのでインタラクションとかより���インスタレーションのほうが向いてるのでは。 ↑人が作品に関わることでより「変化」の表現に興味を持って観察してくれるのではないかという気持ちでインタラクションというアイディアがありました。しかし、インタラクション作品となると体験や行動のほうに着目しがちで表現自体への印象や観察といった点が逆に弱くなってしまうと改めて考えました。なので、空間などを使って表現する場合はこの意見のようにインスタレーションのほうが向いているなと思いました。改めて考えさせてくれたありがたい意見でした。
☆作って何が言えるのか(メッセージ性)は今考えないほうが良い。 ↑やはり研究の中で見つけた発見や面白い事を作品にしたいのでメッセージまで今考えたら軸がぐらついて本来やりたい本質からずれてしまうと思うのでこの通りだと思います。今回スライド資料制作からの焦りがでて決めなきゃ、、となっていたことなので無理せず進めていこうと思います。
総括 スライドの構成をミスったなと反省しております。 プレゼンのスライド制作を通して自分のやりたいことと具体的に向き合えたのと同時にわけがわからなくなってしまいそうになったりもしました。ゴール(成果物)が決まっていない状態で研究に取り組むという今回の挑戦ですが、周囲からの質問のほとんどが成果物や作品構想に対する質問で混乱を極めました。作品はこういうカタチになるの?ここが変化するような感じ?こういった作品を想像してるけど違うの?方向性的には映像なの?造形なの?、現段階ではゴールをあまり考えないようにしていたのでこのような質問に頭をかかえてあれもやりたいこれもやりたいといった具体性が見えない返答になっていたと思います。私的には現段階では研究内容の面白み(化学反応とか先行事例とか)の要素をもっと前面に出したかったのですが、そういった物よりかは、テーマと作品形態に対する質問が多く出ました。これは私のスライドの構成ミスだったと思います。成果物構想はあえて考えないようにして研究をメインに進めていこうとしているのにとりあえず現段階であるイメージを図にし、みんなに把握しておいてもらおうという気持ちがあまりよくなかったのかもしれません。ゴールがないならゴールが無いので構想���ありません!ときっぱり言ってそれでおわり。が最適解な気がしました。また、最終的な作品形態を決めている人などが多いためそういった方からは最終的にどういった形になるのかイメージができないと私のやりたいことへの理解が難しいかも?という問題だとも思いました。しかし、今回は私の説明の仕方がよくなかったという原因ももちろんあります。 今回のプレゼンで私が得られたものとしては、「面白いと思った事象を広めたい」という純粋な動機。補間のプロセスの大切さ(今の補間プロセスに対する疑問を考えよう)。化学変化だと変化はしているけど、それは新しいものが生み出されているのであって補間のプロセスとしては少し違うんじゃないか。「植田信隆」さんの流体力学アート作品です。植田さんの流体力学アートをプレゼンの前に知れていたらもっといいプレゼンができたと断言できるほどありがたい情報をいただけました。私がやりたいの構造としてはこの流体力学アートのようなものです。植田さんにとって取り上げた面白い事象が流体力学だった、私はその事象をこの研究で見つけ、それを軸に制作するという作品の構造的に想像していたものはこれです。 今後は私の動機の根本/今ある補間プロセスへの不満、疑問/「植田信隆」さんの流体力学アート、を深堀していきたいと思います。 普段プレゼンや発表系は楽しくできるのですが今回は自信のなさがすごく出てしまい、後悔と反省です。あまり自分の中で決められている要素がすくない、ふわふわとした状態だったのももちろんありますし、準備段階で躓きそのまま沼に突っ込んでしまったようにも思います。しかし、今回のプレゼンを経て明確にできたこともあるので、それらの情報をまとめて軸を築きテーマを育てていこうと思います。
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村上隆氏と左派論客の斎藤幸平氏がReHacQ(高橋弘樹氏が運営するチャンネル)で対談している動画が4連続で上がっていてすべて見た。 ※以下敬称略 結論から言うとこの動画で村上隆が何をやろうとしているのかよくわかったので彼への嫌悪感はすべて消えた。 1動画40分近くあるので見るのは大変だと思うが興味深く見れたので余裕がある人は見てほしい。 一応言っておくとこれはあくまで私の個人的見解なのでその点には注意してほしい。 ざっくり動画の流れを説明すると斎藤幸平が布施英利と対談した際に村上隆が嫌いと悪口を言ったので、村上隆がYoutube?にコメントを書きそれを見てチャンネル運営者の高橋弘樹が対談に誘ったという流れのようだ。 ※斎藤幸平氏はマルキストなので拝金的に見える村上氏の行為があまり好きではない 現在京都で開催中のもののけ展の展示内容を村上隆が斎藤・高橋、両氏に説明しつつ最後に対談という流れになっている。 そこで現代美術とは何か、芸術とはなにか、現代美術のマーケットがどのようになっているのかという基礎的な内容を質疑応答形式で確認していく中で村上隆がどのようなことをやってきたのか、目指しているのかという事も語られていく。 村上隆の顧客はforbes上位に入るような超大金持ちであるだとか、日本人の想像もできないような西洋のお金持ちの間でアートはある種のコミュニケーションツールとして機能しているだとか。斎藤氏や高橋氏のアート素人の目線からの質問として、アートは大衆に開かれるべきなのでそれほどの高額でアートがやり取りされるのがどうなのかという質問などもあった。 ただ、結局動画の内容を見た上で私が理解した村上隆がやっている事というのは以下のようだ。 「西洋を中心とした世界の信じられないようなハイソサエティの間で流通している概念上のアートの文脈に日本のアニメや漫画といったオタクカルチャーのスタイルもアートであると認知させるため芸術活動をしている」ということだ。 それゆえに、彼のアートは"芸術の枠を拡張する"という典型的な現代美術ということになる。 これは別の動画(漫画家の山田玲司のチャンネル)で言及されていたが、村上隆はもともとは典型的な第一世代のオタクで宇宙戦艦ヤマトのファンであった。そこでアニメ業界に憧れはあったが庵野秀明の作品が続けざまに放映されるのを見て業界を諦めたらしい。その結果彼はアニメ以外に興味のある分野として日本画を専攻することになる。 つまり根本的な動機としてアニメは素晴らしいものなので世間に認められるべきだというものがあり、それがスーパーフラットという概念「アニメも漫画も日本画も同じような手法を使っており、同じようなシステム体系であり、アートである」という主張に繋がることになる。 だから、オタクカルチャーを世界に認めてもらう手段として、西洋のハイソサエティのコミュニティを顧客とし、自分の作品をその人たちに売るという行為につながる。 彼はしばしば「高額で売ることが重要なのではない」と言うがこのロジックを理解すると容易に彼のアートや発言の意図がわかるようになる。つまり西洋のアート文脈を支配しているハイソサエティにオタク系の作品をアートであると認知してもらうには彼らのマーケットに入り込みそれらの作品を売り込む以外に方法がないのだ。だから値段は顧客が勝手に決めることになるし、高く売ることが重要ではないという事になる。目的を達成するための単なる手段に過ぎないわけだ。 またそれが彼の作品がオタクカルチャーの作品をパクったかのような作品群が混じる理由でもある。動画のなかでドラえもんとソニックを混ぜて作った作品がある(ルックとしてはミッキーマウスに似ていたためにディズニーに買われたらしいが) これはつまりドラえもんとソニックを混ぜて作った作品が美術マーケットで売れたということは大本であるドラえもんとソニックもアートである。という論拠になる。むしろ元ネタがある作品をあえて作ることで"漫画やゲーム作品もアートである"という事になる。 "世界のアートとはいったい何なのかという概念を決めているのは西洋を中心とした大金持ちの上位層である"という彼の視座から見ると、日本人は資本主義に組み込まれてすらいないとか、敗戦国の悲哀等という発言の意図も理解できる。 アートとはいったい何なのかというルールを決める場に日本人は存在しない。 だからその世界に入り込みその概念そのものを拡大して自分の好きなオタクカルチャーをアートであると概念を変容させる。 アニメやゲームの制作者や漫画家がエンタメとして世界に売り込むことで楽しんでもらい大衆という社会階層の下からオタクを世界に拡散している。一方で村上隆がやっていることは世界の上位層に対してオタクカルチャーを広めオタクを拡散することだ。 つまるところ上から攻めるか下から攻めるかの違いに過ぎない。 1990年代以降実際にオタクカルチャーは全世界に拡散し人気を得てきた。私もアニメや漫画を楽しむ人が世界中に増えることは純粋にうれしい。直近でもご当地初音ミクに感動した人もいたはずだ。 だから私は村上隆がやろうとしている事に反対しないし、もう嫌いではなくなった。
村上隆が何をやろうとしているのか理解して嫌いではなくなった
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さいきんのできごと
「大使館の美術展Ⅲ―文化交流随想―ブルガリア」展 記者発表会&カクテルレセプション
にうかがってきました。『令和ブルガリアヨーグルト』でお世話になったとき大使館スタッフの方に名刺をお渡しした関係で、自動的に招待状が届いたみたいです。普通に生活してたら大使公邸に入れるチャンスなんて二度とないなと思い、野次馬根性フルオープンで編集者と一緒に行ってきました。
大使館の美術展という、その名のとおり大使館が所有する絵画や工芸品が展示される催しが定期的に東京富士美術館@八王子で行われているそうで、今回それがブルガリア大使館です。 記者向けのプレゼン映像でいくつか紹介されていた絵画、主に20世紀以降の風景画を見て、ちょっとびっくりしました。というのも、私の中のブルガリア像って、小説書いてたときに読んだ資料や文学作品の印象の限り、もうちょっと寒くて曇ってる感じでした。残ってる史実がどこもかしこも悲惨すぎて、小説内でも同じ事書いた気がしますが、しかし実際にはどの絵も晴れ晴れと暖かで、光がキラキラしてた。もしかしたら資料映像以外の絵画は曇ってるかもしれないけど、なんか勝手に、よかったね!!! あったかいね!!! という気持ちになったよね。でも昔のイコンもわりとすっきりした顔だった。以外と昔からあったかかったのかもしれない。 併設のレストランではブルガリアンなメニューのアフタヌーンティーもいただけるそうです。このレストラン、めっちゃ凄腕のプロデューサーさんがプロデュースしてるらしいので食べに行ってみてね。私は会場で一部をいただいたよ。美味しかったよ。 会期:10月12日~12月22日 休館日:毎週月曜 開館時間:10時~17時 https://www.fujibi.or.jp/ ちなみに同時開催のメイン展示が「サムライ・アート展-刀剣、印籠、武具甲冑、武者絵、合戦絵-」という、一部界隈が好きそうな感じので、これ『ガラシャ』書いてるときに観たかったです。書いてるだけでどんどん痩せていくという過酷な連載でした。当時……もっと物質的な資料があれば……
近況
北米大陸の北のほうへひとり旅に行ってきました。無事戻ってまいりました。 レンタカー屋で 「海外で車運転するの初めてだから付けれる保険ぜんぶ付けて」 「それはラッキーだね! この町での運転はパリに比べればチョロいぜ! それでも保険いる?」 「イエス!」 「でもタイヤのパンクと窓ガラスの破損は保険の適用外だよ? それでもいる?」 「イエス!!」 「まあ君に貸す車もともと窓ガラス割れてるからちょっとくらい欠けても問題ないけどね!」 というやりとりをし、マジで「これをよく商品として貸せるな……」と思うレベルで窓ガラスが逝ってる車を渡され、肩慣らしのためにグーグルマップでお勧めされた絶景スポットのある近くの山に入っていったらぜんぜんチョロくなかったです。全面的に砂利道で(そりゃ飛び石で窓ガラス割れるわ)深さ30㎝くらいの穴ぼこがいっぱい空いてて、雪も積もってて、それを避けつつ崖から落ちないように山側に張り付いて走ってたら横転しそうになって入国二時間で死ぬところだったわ。しかも途中で心折れてグーグルマップのおすすめスポットまでたどり着けなかったうえに道幅狭くてUターンできなくてしばらくバックで下山する羽目になったわ。生きててよかったです。 一生のうちにやりたいことリストの中に「アラスカハイウェイを車で走る」「でかい橋を歩いて渡る」があり、今回そのふたつが叶いました。アラスカハイウェイについては検索すると画像いっぱい出てくるので興味のある方はぜひ。
もしかしてこれから初めて北米の北のほうでレンタカー旅をするかもしれない読者へ、主に私が大変だったことを書いておくね。 ・レンタカー屋では自分で駐車場へ行き、鍵オープンのボタンを押して応えてくれる車を探します。 ・行き先を設定すると「170キロ先を左折」とか普通に出てきて笑っちゃう。 ・ガソリンスタンドを見つけたらこまめに満タンにしておくといい。気づいたら目盛りが三つになってて、最寄りのスタンドが100キロ以上先とかだと冷や汗出ます。 ・スタンド併設の売店でトイレも借りておいたほうがいい。道端の休憩エリアのトイレは便器のような台がついた穴だしだいたいドアも閉まらない。 ・田舎に行けば行くほどガソリン代が高くなる。メーター見てると絶望的な気持ちになる。 ・ナビがついてても人の住む場所を大きく外れるとナビごと迷子になるからオフラインマップ必須。 ・「常に運転席が中央線の近く」を意識して走れば右��線走行も怖くないです。
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#おでかけ #瀬戸
ところで瀬戸の街中のあたりというのが、刺さる人には刺さるであろう、渋い商店街の宝庫なのです。この、渋さと退廃一歩手前のこの雰囲気。蛇のようにゆるくカーブするアーケード。恐らく昭和の時代は栄えていたのであろう、全国各地にある「銀座」ネーミング。どれもこれも私の大好きなやつです。

歩道橋を渡った時にアーケードの屋根が見渡せたのですが、ずらりと続く年季の入ったトタン。色褪せたパチンコ看板。良い。

もちろんこのようなアーケード街なので、例に漏れずシャッター店舗も多いわけ��んですが、シャッターには多種多様なアート(?)が描かれていました。まずは恐らく地元の子が描いたのであろう招き猫の絵。色使いが明るくて良いですな。

そしてアートらしいアートまで。

フォントのレトロ感も含めてすてき。2階の外壁が青いタイルになっているところも良いポイントです。

なるほどシャッターを活用してこんなものまで。

そして瀬戸市のマンホール。
中央にデザインされているのが「せともの」で、周囲は市の木であるクロガネモチと、市の花のツバキだそうです。ツバキは昔は焼き物の釉薬の原料として使われていたんだそうな。
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Famitsu 1820 Persona 3 Reload part scan and transcription.




続報
リマスターではなく、全ビジュアルを一から描き起こしている本作。3Dモデルも頭身が上がりより魅力的に。
人々との絆が“影”を切り裂く力となる
岳羽ゆかり
声:豊口めぐみ
専用ペルソナ
イオ
↑←弓を武器とするゆかり。テウルギア“サイクロンアロー”は、敵1体に相性を無視して疾風属性の特大ダメージを与える効果を持つ。
月光館学園高等部2年生で、主人公のクラスメイト。専用ペルソナの“イオ”は、ギリシャ神話で女神ヘラに仕え、主神ゼウスの寵愛を受けたという巫女がモデル。
リマスターではなくフルリメイク作品として18年ぶりに帰ってきた、JRPGの傑作『ペルソナ3』。グラフィックを一新し、システムや操作系に多くの新要素を加えるなど、現在のP-STUDIOの手で生まれ変わっている。今回は、新戦闘服や日常生活について紹介しよう。
現行機種で蘇る少年少女たちの死闘
特別課外活動部(S.E.E.S.)が新戦闘服に身を包んでタルタロスヘ
本作では、特別課外活動部のメンバーがタルタロスに挑む際の戦闘服が新たなものに。オリジナル版をやり込んだ人も、新鮮な気分でバトルに臨めるはずだ。今回は、すでに公開中の主人公に続いて、ゆかり、順平の新戦闘服アートが披露された。合わせて、新要素で戦闘中に条件を満たすと発動できる超強力なスキル“テウルギア”のスキル内容も紹介しよう。
主人公
声:石田 彰
伊織順平
声:鳥海浩輔
↑火炎、斬撃属性を得意とし、両手剣での豪快な攻撃が持ち味の順平。テウルギア“バーストスイング”も、敵1体へ相性を無視した斬撃属性の特大ダメージを与えるという、彼らしいスキルだ。
専用ペルソナ
ヘルメス
主人公とゆかりのクラスメイト。専用ペ��ソナ“へルメス”は、ギリシャ神話でゼウスの使いとして従事する伝令の神で、旅人や商人から崇められていた。
共用の設備を使って仲間たちとともに過ごす寮生活
主人公たちが暮らす学生寮では、寮内にある共用の設備を使って、仲間といっしょの時間を過ごすこともできる。ときに仲間の意外な一面も垣間見られる共同生活では、主人公の人間性が磨かれるだけではなく、仲間たちがバトルで役立つパッシブスキル“特性”を獲得することも。
コロマルとの散歩
テスト勉強
屋上菜園
読書
料理
DVD鑑賞
共用パソコン
寮のラウンジには寮生共用のパソコンが置いてある。プレイ中に手に入る、サイトのURLが書かれたメモを使うなどしてこれを利用すると、ソフトを使った学習や、情報収集を行うことができる。それらを通じて、主人公の人間性を表し、さまざまな行動に影響する“人間パラメータ”を上げられるほか、戦闘や探索に役立つ技能を習得できることもある。
ネット環境完備の巌戸台分寮
特性の習得
学生寮で、共用の設備を使って主人公とともに寮生活イベントを過ごした仲間たちは、“特性”と呼ばれる特別なスキルを習得することがある。特性は、任意で発動させるものではなく、つねに効果が発生している、いわゆる“パッシブスキル”と呼ばれるもの。その内容は、“クリティカル攻撃の発生率アップ”、“回復スキルの発動に必要なコストが減る”など、戦闘に役立つものばかり。時間があれば積極的に仲間と過ごそう。
放課後に学園内外で
学園で出会う“コミュ”のメンバー
→月光館学園の生徒たちは、部活動や下校時の寄り道など、おもに放課後の時間帯に交流しやすい。
“コミュニティ”、略して“コミュ”とは、主人公が多くの人々と出会い、交流していく中で生まれる辞のこと。交流を重ねてコミュ���ランクを上げ、特別なイベントを発生させると、主人公のペルソナ能力の強化にもつながるため、非常に重要な要素だ。本作ではコミュ対象キャラクターのイラストが新規に描き下ろされ、イベントも新キャストによるフルボイスで展開する。今回はコミュ対象の月光館学園の生徒たちを紹介しよう。
気のいい男子生徒。クラスメイトとなった主人公に、なかば強引に友だち宣言をした。年上好きで、主人公に恋愛相談を持ち掛ける。
友近健二
クラスメイト
声:羽多野 渉
3年生。港区中の飲食店を渡り歩き、あらゆるメニューを食べ尽くした。トラブルから助けてくれた主人公を、自身のSPに任命する。
末光望美
グルメキング
声:落合福嗣
主人公のクラスメイトで、陸上部の部活仲間。 努力と気合と根性で結果を残してきたエースだが、主人公をライバルと認めている。
宮本一志
運動部
声:宮下英治
2年生。陸上部のマネージャーで、宮本とは幼なじみ。面倒見がよく、入部したての主人公のことも気に掛けてくれている。
西脇結子
女子マネージャー
声:加藤英美里
生徒会の副会長。厳格な性格で一般生徒からの受けはおおむねよくない。美鶴の推薦で生徒会に加入した主人公に一目置いている。
小田桐秀利
平賀慶介
声:松風雅也
1年生で、生徒会の会計を務める。押しに弱く厄介ごとを押しつけられがち。男性に苦手意識があり何とか克服したいと思っている。
伏見千尋
生徒会会計
声:遠藤 綾
美術部部長の3年生。医者の息子だが、医学部進学か芸術方面での留学か迷っている。部活動見学から主人公と交流することになる。
平賀慶介
文化部
声:井口祐一
フランスからの留学生で、着物と時代劇と日本庭園をこよなく愛する大の親日家。“ふぁっしょん同好会”に主人公を勧誘する。
ベベ
同好会の留学生
声:市来光弘
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【日記】
決まった居場所もつるむ仲間も要らないし、華やかなスポットライトも受賞も求めていない。まして画像しか見ない人の暇つぶしのいいね数なんかどうだっていい。取扱先がただ増えればいいわけではないし、ぽんぽん売れさえすりゃいいわけでもない。 ただ、これだけは求めているのは、できてくる作品を真剣に見て対話してくれる人。属性でも経歴でも情報でもなく、とにかく作品を (展覧会に足を運び続けてくださる数少ない方は、結局みなそういう方だ)。そして当然ながら、作品が決して損ねられないこと。 あとは制作を持続できる環境。これは自分の努力で維持していくしかない。
・
Facebookにたまたま流れてきた、或るベテラン美術家の方の投稿に、作品を売って生きていくことの難しさ(受ける誤解のことも)が吐露されていて、色々うなずいたり考えたりしてしまった。 私の場合、とても生業にはなっていないけど、それでも、継続的に作品を制作し、ギャラリーで発表し売っているので、そこには作り手の責任も発生するし、手を抜くことなどなく、れっきとした仕事だと思っている。どんな生活をしていても、プライドを持って作品を作り続け売り続けている人はみなプロの作家だ。制作も継続も楽じゃない。でもつくることはいろんな意味で大事な、価値あることだと私は思っているので、どうにかして周囲の理解や協力も得ながら続けている。コラージュからは20年、木口木版からは15年かな。生活の変化でペースダウンしたり、思うように発表の場を得られなかったり、身を粉にして作った作品が損ねられたり、つらい思いをしたことも度々あるけど、幸いつくることが途切れたことはない。
以前、ギャラリーの個展で作品を買ってくれた友人が、自分の出した代金の半分(場合によってはそれ以上)が、ギャラリーに入ると知って、そんなに取られるのか?と驚いていた。友人の反応にかんしては、私がまだ初期の頃、スペースを借りて自主企画展をしていたのを知っているという経緯もある。友人から見れば、どこでやっていようが個展は個展なのだ。 でも、ギャラリーが、アート作品は大切なものとして価値をつけ、対話の場を設け、かつ販売するお店であることを知らない人は意外と多いのかもしれない。価値を受け止め買ってくださる方がいるから、ギャラリーも持続していけるし、作家は多かれ少なかれ、また次作に向けた活動ができるのだけど、ギャラリーって美術館なの?レンタルスペースなの?なんなの?と���かれることは今もあるし、ただで見せてもらうのは申し訳ないからと言って、わざわざ高価なお菓子やお花を持ってきてくれる方もたまにいる(お気持ちはもちろん嬉しいけども、作品をしかと見てくださることが肝要で、そういうお気遣いは無用なのです。もし気に入ったものがあればそちらにお金は使って頂きたいし。) 私は自身が作る人になったのでたまたま知ったけど、作る人になっていなかったら、ギャラリーのことを知れる機会ってなかったかもしれない。
個展で何度もお世話になっている某ギャラリーの方は、"売り上げは半々。でも作家さんは作るだけ。展示やPRや販売はこちらに任せてください" とキッパリだった。自主企画から始まった私としては、急に価格を上げることもできず、正直当初は、5割しか入らないのはきついと思った。でも、自主活動では限界があることも重々感じていたので、こんなまだ売れていない安い作家をリスク承知で企画くださるのだから、それだけでもありがたいと思わなきゃ、という気持ちでもいた。けど今は、安心してお任せできるギャラリーならば、この配分は納得できる。 作家はつくるという領分に、ギャラリーは伝え届ける(かつ作品と作家を守る)という領分に、それぞれプライドと責任を持って全力で取り組むのだから。
でも、作家が作品を作るだけでは済まないようなギャラリーや(たとえば、DM制作費など開催費用が要ったり、作家さんの好きなようにしていいからと、撮影、宣伝、展示、接客など大方の仕事を作家にまかせ、それをネットでシェアするだけ、あとは販売事務くらいしかしないようなところ)、安心して委ねられないようなギャラリー(扱いや展示や発信が雑で、作品が損ねられるなど。はさすがに論外か;)の場合は、売れて5割はギャラリーの領分としては取りすぎだと思う。 作家に3割以下しか入らない所もあると聞く。それ相応の理由があるのだろうけど、よほど高額で売れなくては作家はとても活動を持続できないだろうし、これだけ聞くと、もはや信頼関係ではなく、上下関係や搾取だと感じてしまう。数字云々よりも、要は個別の信頼関係なのかな。
そのスピードについてゆけていないけど、今や、SNSなどで作家が自己発信し、よかれあしかれ、直にファンもつき得る時代。ギャラリーを介した仕事の仕方も変化を求められ、改めて手探り期に入っているのかもしれない。作家たちはとにかく作り続けているけれど、作品に真剣に対面してくれる方と出会い続けていくにはどうしたら良いのか、少なくとも私はいつも暗中模索で、はっきりしたアテはなく、また、色んなリスクに怯えて身動きが取れないことも多々ある。ただ、私は、幸か不幸か、こちらからガツガツ動いてうまく行った試しがなく、むしろ予期せぬところからやってきた出会いによって動かされて来た部分が大きい気がする。でも何もしなければそれもない。だから焦ったり、時には無理をしたりする。なんと無駄の多いことか。 "貧乏になるかもしれないけど、これは良いものだから、続けて" と、背中を押してくださった方もいた。本当に、着々と貧乏になり続けている苦笑。色々簡単じゃないけど、25歳頃ようやく、作品をつくることに開眼?して以来、これはきっと良いものに違いない、やめてはいけないと、根拠なき自信だけは失うことなく(一時的になくすことはありますが;)、好捕手がどこかにいてくれると信じて、どうにか投げ続けている。そんな実情だ。
と、無知を承知で長々偉そうに書いたけど、概ねは、日常の諸々にまみれ、流されそうになりながら、笑ったり怒ったりして凡庸に暮らしている人間です。本当に。でも不思議と、そんな隙間から作品が生まれてくる。
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九月はあっという間に過ぎていった。彼岸花の最盛期を見逃す。夏の間は休止していた近くのトマト農園の直売がまた始まった。台風がウヨウヨしていてまだ湿気はあるけど、夕方はずいぶん涼しくなり、空気が少しずつ落ち着いてきている。街灯が寂しげに灯り始める頃、近所を歩けば、みんな家にいて、ご飯やお風呂の匂い、テレビの音が漏れてくる。そういうのがどこかもの哀しくもあり、愛おしくも思える。
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Mini project "直感 Chokkan" started. Chokkan is intuition in Japanese. This project's theme is creation by intuition. Some short videos will release in that. Hope you will enjoy Takashi's feeling.
(Japanese 日本語) ミニプロジェクト"直感 Chokkan"が始まりました。直感は英語でintuition。感覚的に作品を作るということをテーマにしたプロジェクトです。短い映像を中心にリリースされていきます。松山昂史の感覚を感じていただければ幸いです。
Statement by Takashi Matsuyama Concept and process are important things in contemporary art. I, too, value these things when I creat my work. But we have each habit and background in thier roots, and ideas of works are based that. Movement habit when I dance, melody which is easy to me when I sing, colour which I tend to choose. Lots of my works are started by my private things. In spite of that, my simple works which are created by my intuition, I always kept that away. One cause is a miracle which art changes my nagative feelings and broadens my world. The miracle is important meaning to live for me still now. It may be same for also this world. By the way, in this mini project, I want to relax a little, I want to do not make strong concept. By my intuition, crated music and video without meaning, dance without meaning, paint witout meaning. Gathered works without meaning, I want to find my roots from that. For nobody, without meaning.
松山昂史によるステートメント 現代アートにおいて、コンセプトやプロセスは大事なものです。私も作品を作るとき、それらを大事にしてきました。しかし、その人の癖やバックグラウンドというものが根底にはあり、それらをベースにして作品のアイディアは出来上がってきます。踊るときに出る動きの癖、自分にとって歌いやすいメロディー、選びがちな色。私の作品は、私個人のことを出発点とすることが多いです。にも関わらず、感覚的にシンプルに作ったものを遠ざけてきました。それは、自分が抱くネガティブな何かを、アートが変換して押し広げてくれた奇跡があるからかもしれません。その奇跡は今も私にとって、とても重要な生きる意味です。おそらくこの世界にとっても。ところで、この小さなプロジェクトでは、少しリラックスして、コンセプトなどは決めすぎないようにします。感覚的に何となく作った音楽や映像、何となく踊ってみて、何となく描いてみる。何となく集まったものに、自分の根源を見出せたらと思います。誰の為ともなく、何となく。
直感 Chokkan special site
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るんぺんパリ 【RunPenParis】
【自己紹介 2024年8月3日追記 4335文字】 三重県伊賀市(旧名:上野市)出身 伊賀市(旧名:上野市)に 1976年(3歳)から 1996年(23歳)6月まで住んでいた 1976年以前の記憶と出生は不明 津市にある施設にいたと聞いた覚えがある お兄さんいるらしいがあった事は一度もない 30代の頃に一度だけ電話で話をした
伊賀市でそこそこ有名なのが 伊賀流忍者で忍者屋敷は今も昔も変わらない内容で 営業している 伊賀牛は金谷のすき焼きが有名で 森辻が新しい様相なってから焼肉を食べた 個人的には伊藤の牛丼が好きだ 上野天神祭の鬼行列も有名かな ひょろつき鬼が子供の頃は本気で怖かった 銀座通りが歩行者天国になり 的屋がならぶ 高校生の頃はリング焼きが100円ぐらいで 何個も買って食べた 松尾芭蕉は俳句で有名で伊賀出身で 小学生の頃はがっつりと俳句を作らされる 俳句はいやいや作らされたので 俳句番組は見ない 俳聖殿の中には過去の優秀な俳句が収められていたかな 上野城のお堀の高さ日本2位? 中学生の頃は上野城で体育の授業があったり クロスカントリーレースで走らされたり 高校生のデートも上野城が定番だったのか それらしき男女がイチャついていた 夜のライトアップは不気味なお城に見えた 一応、桜の名所なのかな 伊賀の街には銀座通りとか丸の内とか 東京で聞くような名称が多く使われている 地元のうわさでは東京が伊賀の真似をして 街を作ったとの話がよく出てくるから 誰か本気でテレビとかで調べてほしい気もする 2004年(平成16年)11月1日に 伊賀市に変わってから 上野市駅が忍者市駅になり 近鉄の電車だったのが伊賀鉄道になり 電車がコスプレになった 駅前には銀河鉄道999のメーテルと哲郎の銅像があり 産業会館がハイトピア伊賀になった 産業会館だった時にマルキンのパン屋が近くにあった そこのシナモンパンが子供の頃から大好きで 今はもう手に入らない もう一度、あのシナモンパンが食べてみたい 新天地もなんかおしゃれなサビれかたで 「新天地Otonari」となった 街は高校生の頃の面影は薄くなったけど 何となく残っている上野市街は今でも魅力的だ 最近は実家で一人暮らしのおかんの様子を見に よく帰省するようになったけど 若い頃は年一回も帰省しなかった 最近の伊賀でよく立ち寄るのが 「菓匠 桔梗屋織居」と 「HANAMORI COFFEE STAND」と 「岡森書店白鳳店」で 岡森書店は、Kマーホの名で出版した 「トイレの閃き」が背表紙の色が抜けた状態で 25年以上も本棚に置いてくれている これを見ると初心に戻れて まだまた創作していこうとがんばれる
市部という地区だったと思う 依那古第一保育所に5歳から6歳の2年間通った おかんは自分の送り向かいのために 自転車を乗る練習して そのおかんが運転する自転車の後ろに乗って 途中の田んぼに二人で落ちて 泥だらけになった 小学校までは上野市依那具にある 市営の城ケ丘住宅で過ごした この市営住宅はもう40年以上も その雰囲気を変えずに今でも残っている ここは伊賀市の文化遺産にしていいほどの時間が止まった場所だ いまだに汲み取り式の便所の換気の煙突が立ち並んでいる このカオスな感じは小学生の頃の不便な生活を思い出させる あの生活で暮らしたから今があるのは確かだ 小学校の通学路にある 垂園森でよく遊んだ 現在も存在しているが オバケが出そうな森 この森は当時通っていた依那古小学校の校歌の歌詞にも出て来る イメージ的には幽霊が出そうな森だけど 何か不思議な生き物が住んで居そうな森に見えた きつねも出そうだし おばけも幽霊も心霊も もしかするとタイムスリップして 小学生の頃に戻れそうな気もする森だと変な懐かしさを感じる 近くには無人駅の市部駅とにらめっこしている森 中学校から市街の上野城の 城下町で過ごした 当時はカオスな市営城ケ丘住宅から出れる事が本当にうれしかった 小学校までの友達とも飽きてしまっていたので寂しくはなかった 当時から色々な物にすぐに飽きては新しい物が好きだったので そっちのワクワク感で本当にうれしかった そして築20年以上の中古の一軒家で2階建て 自分の部屋がありトイレは汲み取り式だけど洋式で あこがれの上野の街で住める事もあって本当にうれしかった
そして近くの崇廣中学校に通う事に 中学校の3年間は 転校生という立場と 中一で足の骨折 中二で腕の骨折 どちらも遊んでいての骨折2回 中三の高校受験で いい想い出は無い
高校2年生で 小学校の時にサッカーで出会った 旧友とバンドを組んだ RCサクセションのコピーで 「雨上がりの夜空に」「トランジスタラジオ」 「ベイベー逃げるんだ」「サマーツアー」 「サントワマミー」「いけないルージュマジック」 「いいことばかりはありゃしない」 旧友が作ったオリジナル曲「ガレージの上のR&Rバンド」 一番のモテ期だった気がする ただバンドをやっている自分を見て 好意を寄せられても違うなと思った バンドをしていない時はただのバイトに明け暮れた 高校生だったから だからそういう人には興味がなかったから 冷たい感じだったかも 本当にこの時期がこれまでで一番楽しかった。
1993年 一人暮らしを始める やっと自由になった気がした 2年間ぐらいは金が無くて 通帳の残高は毎月マイナス50万 カツカツ生活 1996年7月から 2003年7月の 7年間は茨城県と千葉県の県境 利根川の近くに住んでいた この界隈を走るタクシー運転手の 態度は本当にムカつくから こっちも態度悪く乗ると 気分の悪さはお互いさまになる 関東平野は景色が無く ここでの生活は落ち着かなかった 食文化も人も気候も水も 肌に合わなかった 特にうどんの汁が濃いだけのシンプルな味は げんなりさせてもらった ただ寺原駅近くの「ふる川」はよく通った とくにカレーめちゃくちゃ美味かった
1997年から パソコンをミドリ電化で38万で購入して 作詞やネットに興味を持つ まどみちお詩集を読みだす 作詞に近い詩を書き始める 「Kマーホ」という名で 詩を書き始める 目標を300篇と決めて 詩を思いついたら メモをつけるようになる 週末は家に引きこもり 一日中、音楽を聴きながら パソコンがあるのに まだワープロで詩を清書していた
1998年から2002年まで 「Kマーホ」の名で 詩に団体に参加したり 詩の賞に応募したり 詩集を自費出版したり この当時参加していた詩の団体には もうドロドロとした 詩を書く人や あまりにも読み解けない詩や 暴力的な人や いい人もいたけど 自分とは全然目指している方向が 違うので2年目ぐらいで辞めた それからは詩の団体に興味は無くなった それから 自費出版した詩集を 全国の小中学校や 全国の図書館へ寄贈して 活動を休止 理由は2000年に結婚してから 集中して詩を書く時間が無くなってきたから 2002年に2つの詩集を出版して 詩の事は全部段ボール箱へ入れた
2003年から2019年まで 育児に重点を置いて生活をする この時期は友達とも連絡を 切っていたので のちに死亡説や宗教説が出ていたらしい 2003年7月から 現在は静岡県在住 もう20年以上住んでいる
2019年 るんぺんパリ【RunPenParis】の名で 詩を書き始める SNSでの詩の発信を始める るんぺんパリ【RunPenParis】とは フランスはパリの街を ぺんを持って 走るという意味から 【RunPenParis】ができた 1973年8月1日生まれ(もう51歳) しし座 O型 右利き 詩・詩集・ことばをデザイン アート・写真・小説・ペン画 松尾芭蕉の生家がある伊賀市で 十代までを過ごし 俳句が幼少期から 身近に存在していた 二十代から詩を書き始めて 「Kマーホ」名で活動(1999-2002) 詩集6冊を出版して活動休止
その後 松尾芭蕉の俳句のような シンプルな言葉遊びを 詩で出来ないかと考えていた中で 令和元年(2019)に 「るんぺんパリ【RunPenParis】」の名で 活動を再開 SNSに140文字に 言葉をデザインした詩 「140文字詩」を 毎日投稿する活動を始める 2023年9月に140文字詩が 1200作品に到達した事で 「140文字詩」を全国へ さらに世界へと 俳句のように広く知られる 存在になって欲しい ◆るんぺんパリ【RunPenParis】作品一覧 【2023年】Amazonで販売 2023/12/27第2フォト集「ほちきす それでは あかんで」 2023/12/2 第1フォト集「とめても ええか ほちきすで」 2023/11/23 第16詩集「もあいの ねごとを よみとる」 2023/9/16 第15詩集「さんもじ もしくは よんもじ」 2023/9/9 第14詩集「のこりの あぶらは わるもの」 2023/9/2 第13詩集「あそびも しごとも たいふう」 2023/8/26 第12詩集「かいてきな しつどに おぼれる」 【2022年】Amazonで販売 2022/12/6 第11詩集「やくそくは よなかの おひるに」 2022/11/3 第10詩集「みさんがの ともだちの たまんご」 2022/10/7 第9詩集「くうきと さんその かつさんど」 2022/9/3 第8詩集「さついを こめた いもけんぴ」 2022/8/7 アート作品集「やさいに つめる にくえらび」 2022/2/14 アート作品集「よなかに ひかる かみぶくろ」 2022/1/1 第7詩集「みかんの むくちな きもち」 【2021年】Amazonで販売 2021/9/8 第6詩集「そんな ことばは さよなら」 2021/8/3 第5詩集「あさに おくれた なんて」 2021/6/5 第4詩集「すいかの たねの ちょうこく」 2021/5/31 第3詩集「たんぽぽの たまご ひとつで」 【2020年】Amazonで販売 2020/7/27 第2詩集「こよい こよりの そらから」 2020/3/2 詩小説「すきから あいへ おやすみ」 【2019年】Amazonで販売 2019/7/21 第1 詩集「ところで あした あいてる」 ◆Kマーホ 作品一覧(1999-2002) 【2002年】 2002/4/30 第6詩集「眠立体(ねむりったい)」 2002/4/4 第5詩集「コールサック」 【2000年】 2000/7/31 第4詩集「マガサス星人」 2000/1/31 第3詩集「おしりとサドルが あいますか」 【1999年】 1999/8/1 第2詩集「テレビジョン」 1999/5/1 第1詩集「トイレの閃き(ひらめき)」 【受賞】 2001年 詩「眠立体(ねむりったい)」第6回トワイライト文学賞 2000年 詩「永遠の親友」信越郵政局長賞 1999年 詩「トイレの閃き(ひらめき)」第1回万有賞 1998年 作詞「地球のウラハラ」第31回日本作詞大賞新人賞候補ノミネート
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ゼミの日 プレゼン初週お疲れ様です
他者の発表は参考になる点が非常に多かった。本当はもっと質問したかったけどTさんはこれまで散々口出してしまったせいもありいうことがなく、Aさんは最初の先生のコメントに自分が言いたいこと全部詰まっていて、いえず、、、。一応メモをそのままはっつけておきます。
💖Tさん…テーマの主軸:フィギュア
これまでのテーマ遷移…動きだけで感情伝える→流れの一瞬→塗装に着目
オタク文化ではなく、造形物としての価値の付与→塗り方に絵画技法を入れる
360度どこからでも鑑賞できる展示に
懸念…塗装と造形のバランス、造形力、形状保持
先生からのアドバイス:アート→作品を制作して方向性を決めていく、でいい。むしろ自分がやる意義のほうが大事、自分だからこそ成し遂げられるのは何か?
↑これ、自分もアート作品を作る予定でテーマ設定で悩む部分、早急に答えを出そうと焦っていた部分があったので非常に参考になるアドバイスだった。
発表聞いて感じたこと(自分用メモ):自分の「デコラ」は自分にとってどんな存在?→きらきら、かわいいをギュッと詰め込むことによって強い気持ちを持てる?(まだふんわりワード)
💖Aさん
テーマ、やりたいこと:ファンタジー、空想世界、映像表現、5分くらいのCGアニメーション
ファンタジー…事実でないものを事実らしく作り上げること
ローファンタジー→現実に非現実を持ち込んだもの⇔ハイファンタジー→完全に非現実の世界
ファンタジーに枠組みがある、先入観がある→これを取っ払いたい。
発表聞いて考えたこと:Aさんの作風→エルフ、錬金、魔法、鉱物、スチームパンク?これと関連するかはわからないが、ご自身の表現の軸を知りたいかも。上記のジャンルの取り合わせ?ストーリー展開?塗り?描写力?
家に帰ってから明確に言語化できたのは、Aさんの表現には鉱物(骨も広義にその分類で捉えている。調査不足なのであっているかわからないが)が含まれることが多いと思っており、また本日のプレゼンでは、ファンタジー世界の構築にあたり土地や地形の調査を重視しているように見えたことから、土地の設定や時代背景との絡みなどを考える→そこの条件に沿うような鉱物を考える→鉱物をもとにストーリー、キャラデザなどを考える という手順がいいのかな?というところである。ただこれより前に、もしくは同時並行的に?、メッセージ性について考え織り交ぜる必要があるとは思う。
先生からの言葉→ファンタジー作品は現実世界において伝えたいことを暗に含むものが多い。これこそが本質になるのでは?
ヌーボレアリズムの作風に近い=非現実感少ない
イブイブ→無機物になった世界
心に残った言葉→装飾美と機能美は違う
💖論文(ミニレクチャー)→敬称略の常体、論文の根拠は客観的なものを(関連のない会社の調査など)、マスメディアの意見は脚色されている可能性あり、データを用いること、体言止めは使わない、図のキャプションは下、表(一覧表など)は上、下図などは使わずインデックス番号で記載、L字型には配置せず縦に配置(プロドキュはこれでいい)
研究のまとめ→servey paper
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<Hemingway’s Fly Bottle (*1)/Another Heart (*2)>
7/21/2024 (The 125th Anniversary of Hemingway’s Birth)
by Masahide Kobayashi 6.6 (φ) × 35.5 (H.) cm 364 g Mixed Media
Slightly Iridescent Clear Bottle with Octagonal Lower Half and Round Upper Half (Glass)
Folded/Woven-blade Silver-grass-hopper (Plant Fiber)
Pine Stick (Plant Fiber)
Chocolate-colored Thong (Leather)
(*1) [https://www.mutualart.com/Artwork/Flies-in-a-Bottle/1A3B028FC320BED32F4E681CC2D0615F]
(*2) [https://reslater.blogspot.com/2011/07/big-two-hearted-river.html]
<ヘミングウェイのフライ・ボトル (*1)/もう一つの心臓 (*2)>
7/21/2024 (ヘミングウェイ生誕125周年記念日)
小林正秀 作 6.6 (φ) × 35.5 (H.) cm 364 g 混合材
下半分が八角面取りされ、上半分が丸い、僅かに銀化した透明瓶 (ガラス)
バッタの形に折った/編んだススキの “折り葉”/草編み玩具 (*3) (植物繊維)
松の木の小枝 (植物繊維)
チョコレート色の紐 (革)
(*1) この言葉は、デヴィッド・ハモンズの (何本かある “ボトル・アート” の中の) 少なくとも6本は数えられる “フライ・ボトル” の連作の一つ、<ボトルの中のフライ (瓶の中の蝿)>の題名に負っている ([https://www.mutualart.com/Artwork/Flies-in-a-Bottle/1A3B028FC320BED32F4E681CC2D0615F])。

この連作では、透明な瓶の内側に接着剤で貼り付けたジッパーの引手を、止まった「蝿=“fly”」に見立てているわけだが、“fly” は「ズボンのボタンやジッパーを隠す覆い布」の意味もあって、恐らくこの縁語から、この見立てが思い付かれたのではないだろうか。
この作品のボトルは連作中唯一「ペット=“PET”」だが、上述の「6本」の中には拙作同様ガラスのボトルもあり––––

([https://newyorkarttours.com/blog/art,artist,contemporary,critic,exhibition,gallery,newyork,photography,sculpture,tour,visualart/bottles/]-右から四本目のワインの瓶)––––また、上述「6本」の内の残る4本は、ガラスはガラスだが、「ボトル (細首/細口瓶)」ではなくて「ジャー (“jar”=広口瓶)」である

([https://www.mutualart.com/Artwork/Fly-Jar/624F86C99BE1B1E9]/

[https://www.mutualart.com/Artwork/Fly-Jar/01A3D05CA4FFA6D7]/

[https://lesoeuvres.pinaultcollection.com/en/artwork/one-stone-head]-1994/

[https://greg.org/archive/2024/03/02/shoo-fly-shoo.html]-1994-蝿が黒人で瓶がニューヨーク市ハーレムの「ゲットー (“ghetto”)」を表しているとのことだが、今は瓶がガザで蝿はパレスチナの子どもたちに見えてならない)。
拙作の「フライ (“fly”)」 は、蝿ではなくて「釣りの擬似餌=ルアー (“lure”) の一種である毛鉤 (“fly”)」––––飛ぶ (“fly”) 虫であるバッタ (「飛蝗」) の形に折った (折り紙ならぬ) “折り葉”/バッタの形に編んだ「草編み玩具」(*3) ––––である。
(*2) この言葉は、ヘミングウェイの最初の本格的な短編集である《我らの時代に = In Our Time》(1925 刊) に収められた〈大きな、二つの心臓のある川 = Big Two-Hearted River〉(1924-5 執筆) の題名に負っている。
この小説の第二部に、革紐で首から下げたバッタを入れたガラス瓶––––拙作の題名で言えば “フライ・ボトル”/原文では “グラスホッパー・ボトル” ––––が胸にぶつかって揺れたとあり、そこから、この瓶を、胸中の心臓の近くで揺れる胸外の “もう一つの/(二つある内の) 二つ目の心臓” に喩えた。
「かれは空の瓶を手にすると…草地に行った。……餌にするバッタを捕まえたかった。おあつらえむきのバッタが一杯…草の…根もとにいた。……中ぐらいのサイズの茶色いバッタを五〇匹くらい瓶に入れ…/…栓がわりに松の枝を押し込んだ。それで、バッタたちが逃げ出せないくらい瓶の口はふさがったし、通気にも問題なかった。/////// かれは…バッタの入った瓶の口を革紐で片結びにして、首から下げて、流れの方へと降り…た。…/… バッタの入った瓶が胸にぶつかり揺れた」––––アーネスト・ヘミングウェイ著, ニック・ライアンズ編, 倉本護訳『ヘミングウェイ釣り文学傑作集』木本書店, 2003, pp.46-8。
“he took an empty bottle and went…to the meadow. …Nick wanted to catch grasshoppers for bait…. He found plenty of good grasshoppers…at the base of the grass…. ……Nick put about fifty of the medium browns into the bottle. …/……Nick put in a pine stick as a cork. It plugged the mouth of the bottle…, so the hoppers could not get out and left plenty of air passage. /////// He started down to the stream, …the bottle of grasshoppers hung from his neck by a thong tied in half hitches around the neck of the bottle. …/…The grasshopper bottle swung against his chest.” –––– “Hemingway on Fishing” : Ernest Hemingway; edited by Nick Lyons, Lyons Press, 2000 ([https://www.amazon.com/Hemingway-Fishing-Ernest/dp/1585741442/ref=sr_1_1?crid=3ILB53P3QFMOI&dib=eyJ2IjoiMSJ9.JjbqJHremWZ5h_HnJQ9i8Q.bYOfxz8ItEOecHZymhUdroQz23LL5duJsEuP2ywH-Bw&dib_tag=se&keywords=hemingway+on+fishing%2C+lyons+press&qid=1718868802&s=books&sprefix=hemingway+on+fishing%2C+lyons+press%2Cstripbooks-intl-ship%2C251&sr=1-1]), pp.13~6.
この本の写真頁 (上掲ハードカヴァー版原書には有るがスクリブナーズ社刊のペーパーバック版には無い) の7枚目に––––「1916年頃、釣行でのE・ヘミングウェイ。『大きな、二つの心臓のある川』で描かれるバッタを詰めた瓶を首にかけている」(“EH on a fishing trip, c. 1916. Note the grasshopper-holding bottle around his neck that would find its way into ‘Big Two-Hearted River.’”) ––––とのキャプションが付された写真が収録されている。

つまり彼がまだ高校卒業前の––––(卒業を目前に兵役志願するも左眼弱視で叶わず、代わりに) 1918年の春、赤十字野戦病院輸送車の運転手に志願して北イタリア戦線に配属され、2週間後には19歳の誕生日を迎えるという7月8日の深夜にヴェネツィアの30キロ北東を流れるピアーヴェ川西岸のフォッサルタ・ディ・ピアーヴェで (一説によるとイタリア兵にチョコレートを配っていた時に) オーストリア軍の迫撃砲弾と機銃掃射を浴びて重傷を負う前の––––この写真は、上で引用はしなかった瓶以外の装備……竿や手網や、肩から吊るして膝下まで長く垂らした (釣った魚を水中で生かしておく生簀としての) 布袋や、(これは中が見えないので作中の記述に従っての推測だが)「ランチや毛鉤入れ帳でふくれ上がっ…た」「シャツの胸ポケット」(同上 p.48) 等……も含めて、作中の描写にそっくりである。
この小説は、(3ヶ月の入院と10数回にわたる237個の砲弾破片・銃弾摘出手術を経て帰国後の) 1919年9月に、昔のように友人らと釣りに出掛けた体験を基に、(しかし作中では彼らを消して主人公のニック唯一人が) 大自然との遣り取りを通して、戦場だった “彼の川” での心身の傷を、平和な “此の川” で癒し回復して行く過程を表した作品だが、このバッタ=“grasshopper” は––––彼自身も含めた––––戦火に追われ傷つけられる犠牲の草の根の民=“grassroots” を表しているように思う。
例えば第三短編集収録の〈人こそ知らね = A Way You’ll Never Be〉(1932執筆, ‘33刊) の中でも––––「この軍服を着た…数万の兵隊が、バッタ (ローカスト) の大群の如くやって來るよ」(谷口陸男訳, 三笠書房版全集1, 1955, p.156, 但し (ローカスト) は元文では行間に振られたルビである:“you will see…millions wearing this uniform swarming like locusts”-[https://gutenberg.ca/ebooks/hemingwaye-winnertakenothing/hemingwaye-winnertakenothing-00-h.html#story06awayyoullneverbe]-par.100)––––という風に、(確かに揃いの軍服を着て揃いの行動をする軍団を、「相変異」を起こし「群生相」となって飛来襲撃するバッタの群団になぞらえるのは極く常識的で常套的な連想とは言え) 徴集された民衆兵がバッタになぞらえられ、また “此の川” の岸で瓶に入れられたバッタも元は「草の…根もとにいた」(“They were at the base of the grass”) のであり、更には、小説の第一部で主人公は (戦火の換言に他ならぬ) 火事で焼き尽くされた町シーニー (Seney) を通り過ぎて行くわけだが、そこで見たバッタは––––「どれも煤けて黒い色をしていた。……焼け野原で暮らしているのでみな黒く変色してしまったのだ…。火災は一年前だった…が、バッタは今もみな黒く変色している…。いつまでこんなふうに変色したままの姿なのだろう、とかれは思った。…/『さあ、行くんだ、…どこかへ飛んでゆけ』/ かれはバッタを空中に投げ上げ、道の向こう…へと飛んでゆくのを眺めた」(同 p.36)––––のである。
この末尾は犠牲からの治癒と回復への希望・願望だが、バッタの犠牲面に絞ってここで更に付言すると––––これは拙作の瓶の銀化とも結果的に照応してくるのだが––––この黒いバッタの「ほこりをかぶった背中や頭…は虹色だった」(同上, “it was … iridescent where the back and head were dusty”-ibid.)––––という。そしてこの虹色=“iridescence” は、実は、上で触れた第三短編集収録の別の短編〈死体の自然誌 = A natural History of the Dead〉(1929-21執筆, ‘32+’33刊) の中の、兵士の死体を自然誌的に描写した箇所にも出てくるのである。––––「暑いところに…放って置かれると肉はコールタールに似てくる。特に損傷した箇所には、タールの表面に見られるような虹色の光彩が現れる」(“If left long … in the heat the flesh comes to resemble coal-tar, especially where it has been broken or torn, and it has quite a visible tarlike iridescence”-[https://gutenberg.ca/ebooks/hemingwaye-winnertakenothing/hemingwaye-winnertakenothing-00-h.html#story11anaturalhistoryofthedead]-par.8-l.4)。……つまりこのバッタたちは “生きている死体 (the living dead)” なのである。
そして終いには、この「道の向こう」の……第二部の瑞々しい緑の渓谷に生きる健康なバッタたちもまた、瓶の中に囚われた後は生きたまま魚の餌として犠牲になる運命にあるわけで、その心臓は––––一寸のバッタにも五分の心臓がある––––主人公の胸の前で同じ鼓動を打つ同じ犠牲の草の根の民であることを証しているのである。……この瓶は、彼のもう一つの––––川ならば湧き/噴き出る水源としての––––心臓に他ならない。
周知のようにシーニーの町の側を流れる川は、実際はたったの3文字から成る単純な1音節名詞1語のフォックス川=Fox River なのだが、彼はそれを、その遥か北東に在る––––3文字+7文字の2語3音節から成る長く複雑な形容の––––川の名と取り替えている (これに Big も加えた形容全体の構造/型式は……あの倭建命の「{倭は国の眞秀ろば} 畳なづく青垣 山籠れる 倭 {し麗し}」にも似た……第三短編集収録の〈清潔な、明るい光の差し込むところ = Clean, Well-Lighted Place〉という題名と同じである)。
(via [https://reslater.blogspot.com/2011/07/big-two-hearted-river.html])
この “grasshopper” への “grassroots” の仮託は、旧約の『イザヤ書』(Is. 40–22~24) の昔から––––「主は地球のはるか上に座して、地に住む者をいなごのように見られ……また、…無きものとせられ、…むなしくされる。彼らは…植えられ、…まかれ、…地に根をおろしたとき、神がその上を吹かれると…枯れて、わらのように…風にまき去られる」(日本聖書協会『旧約聖書』1955年改訳 p.998) ––––と有るように、極めて馴染み深いもので、例えば現代の絵画でも––––Web 上では今はこの<赤バッタ、青バッタ>しか画像が見出せない

([https://www.nihonbijyutukai.com/anpan/archives/archives57])––––長谷川匠のバッタ連作が思い出される (「なお,伝統的に日本では,聖書…や欧米の文学書など…,飛蝗…を〈イナゴ〉と訳してきたが,これは〈バッタ〉と訳すべきものである」-[コトバンク-バッタ-改訂新版 世界大百科事典]=[https://kotobank.jp/word/バッタ-115128#goog_rewarded]-山崎柄根執筆部分より)。
この、聖書からの引用という繋がりで––––否、この短編集が刊行された百年前と今が何一つ変わらぬ戦火/戦禍の拡大/継起の時代だからという繋がりで––––最後に一言付け加えるが、この短編集の題名《我らの時代に》は……ヘミングウェイの作品 (と、併記するのは気が引けるが拙作) の題名が多くそうであるように……ある出典からの引用で、それは、英国国教会 (“Church of England”) の『祈祷書』(“The Book of Common Prayer”) の「晩祷」(“The Order for Daily Evening Prayer”) の中の––––「おゝ主よ、我らの時代に平和を与えたまえ」(“Give peace in our time, O Lord”-[http://justus.anglican.org/resources/bcp/1928/BCP1928.pdf]-p.31-l.9)––––だという。
(日本聖公会の1895年版『祈祷書』-[https://dl.ndl.go.jp/pid/824979/1/1] では、この言葉は「晩祷」ばかりでなく「早祷」にもあって、どちらも會師の先唱 :「主よ。我らの生涯泰平をあたへ給へ」で、また、これに対する會衆からの応/答唱は「地のはてまで戦争をやめしめ給へ」([ibid.-1/34],[ibid.-1/45]) であり、戦後の1959年版では、司式者先唱 :「主よ、この世を安らかに治めたまえ」と、会衆応/答唱 :「地のはてまで戦いをやめしめたまえ」である-p.73, p.84)。
……いずれにせよ、この、記されず/発せられず/海面下に沈んで隠された氷山の言葉を––––それをヘミングウェイの非情と反語がどう捉えていたかは別にして––––私たちは私たちの「我らの時代に」、今一度新たに/改めて思い発 (おこ) す必要があるのではないだろうか。
(*3) 新崎宏『手遊び 草編み玩具 第1巻』琉球新報社, 2011, pp.62~3 (沖縄型)/ 65~7 (普及型)/ 69~74 (中国型)。
[https://www.youtube.com/watch?v=mxb3Z399GNM]。
[https://www.youtube.com/watch?v=I_opJ2xl_Fk]。
追記
1989年の3月13日から4月8日にかけてパリの【Galerie 1900 ▾ 2000】で開催されたジョゼフ・コーネル展のカタログ–––– Edouard Jaguer, “Joseph Cornell”, ©1989 The Joseph and Robert Cornell Memorial Foundation [https://nostos.jp/archives/363284] ––––には、 いずれも1933年頃の作とされるコーネルの4本の “ボトル・アート” ––––色々な物品が中に入れられた沢山の小瓶を一つの箱に収めた広義の “ボックス・アート” とは異なる “一本瓶もの” の作品––––の写真図版5枚が収載されている。
その内<無題 (中国の瓶)>(p.20) と<無題 (月の瓶)>(p.21) の2枚=2作品はカラーで、


3枚の白黒は、<無題>と、<無題 (バッタの瓶)>の全図 (p.22) とその部分拡大図 (p.11) である。



<…中国の瓶…>に入れられた活版印刷本の頁らしき巻かれた紙の右端一行は、漢字に [平仮名のルビ] を振った漢字+平仮名交りの日本語の文章で––––「食物 [しょくもつ] を與 [あた] へて汝 [なんぢ] ‥ 今 [いま] より我子 [わがこ] ‥ 做 [な] れよと云 [い] は」––––と読め、従ってこれは、<…日本の瓶…>と改めた方が良いのではなかろうか。
それはともかくとして、コーネルにも<…バッタの瓶…>が有ったということだが、このバッタは、(解説も無く拡大図でも判別し難いのだが) ひょっとすると腹の下にゴムの吸盤が付いていて、何かに押し付けて初めのうちは平らに伏せて耐えているが、そのうちに吸盤の効力が失われて針金の脚のバネの反発力で突然跳び/跳ね上がるブリキの玩具の「跳ねバッタ」––––(例えば[https://www.ebay.com.au/itm/181510296673] 、[https://www.jataff.or.jp/konchu/obj/obj30.htm] 、[https://www.amazon.co.jp/ノーブランド品-q1145510112-ブリキのおもちゃグラスホッパー雑貨ブリキ玩具品駄菓子屋懐かしコレクション絶版品バッタレトロ品珍品/dp/B0D9WKKWX4] のような) ––––かもしれない (但し写真を見る限りでは吸盤は……初めからなのか、後で取れたのか、は兎も角として……付いていない)。
なお、1980年のニュー・ヨークMoMa でのジョゼフ・コーネル展の図録 ([https://nostos.jp/archives/49182]) には、反対側から異なる角度で撮られたと思われる内容物品の配置が違うこの瓶の白黒写真図版 (Pl. 12)

が掲載されている。
(10/14/2024)
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東京都現代美術館企画展 「ホー・ツーニェン エージェントのA」
捉えがたいこのアジア、この歴史、この世界の仕組みを教えてよ

シンガポールを拠点に活動するホー・ツーニェンの、映像を中心とした展示。
語るほど複層的で複雑で捉えがたい地域や歴史について、時間、虎、京都学派、様々な学術知識、過去の文献、短歌、映画、その中に宿る幽霊を丁寧に読み込み、取り込みながら、総体的に理解し、語ろうとする取組。
好きな要素しかないので、好きな展示でした。
抽象的でイメージを重ねずらし拡散していく内容は直観的に分かりやすいとは言い難くて、ともすれば単なる言葉遊びやひとりよがりな思考実験やアート表現にも見えかねないけど、シンガポール、東南アジアのルーツや現在、そしてさらに時間そのものについて、作者自身がルーツであり存在の根拠となるものをなんとか理解したいし、自身を取り巻くもので表現したいという真摯さが根底にある気がするので、自分はとても興味深く見られた。
壮大なその試み、混乱、矛盾ごと、頭の中身を作品にしたような展示でした。見せ方がとにかく格好よくてすごくよかった!
なんとなくKRZの複層的な語りが好きな人は好きそうと思いました。おすすめ。




太平洋戦争について、理論的に根拠づけようとする京都学派の言論について取り上げた「ヴォイス・オブ・ヴォイド-虚無の声」
断罪や告発するような切り口ではなくて、時間も空間も距離を置いた場所から改めて丹念に拾い上げ、どこか親近感や共感や客観性を交えながらVRで身体的に体験させるという複層的な体験はほんとに独特で、現実から遊離しながら、現代までずっと残響が響き続ける声について考えさせられる機会を提供してもらったなと思う。
主観的でいてオートマチックでもある東南アジア辞典「CDOSEA」や映画の編集から成る「名のない人」「名前」の連作も、コンセプトと体験が一致していてすごくよかった。イメージの連なりが気持ちよく格好いい!
『時間(タイム)のT』は時間の関係で、適当に流し見。
スミッソンの「スパイラル・ジェッティ」の引用があったけれど、KRZと同様に、時と土地を扱う作品作る人ははやっぱり好きなんだと思った。


国立近代美術館での展示「スパイラル・ジェッティ」より
図録の解説が的確にいろんな角度から、ちょっと眺めただけではわかりにくい作品を解説してくれて読みごたえがあった。なかの図や構成もめちゃくちゃ格好良いので、手元に置けるのは嬉しい。

映像を表現言語の中枢とし、現代美術、映画、舞台芸術の領域を超えた横断的作品を世界各地で手掛けてきた、20年に渡るホー・ツーニェンの制作活動の全貌を掴むことは容易ではない。その芸術的実践を貫く手法は、歴史、哲学、美術史��どの言説を含む幅広いソースから素材を集め、それらを複数の技法・技術を使って再編、転用、合成することで、イメージと言葉と音、そして鑑賞者の身体との複雑で豊かな層やもつれを形成するというものである。そこには、主体や言説を固定化し権力を形象化するシステムに対するホーの批評的応答を読み取ることができる。 崔 敬華「媒介者(エージェント)のたく(らみ)」より
ホー自身もおそらく、媒介者の増殖を通した脱人格化のプロセスのただなかで、そのつど「作家になる」のだろう。そのような共犯性に関して、アーティスト、キュレーター、ドラマトゥルク、出演者、音楽家、技術者、翻訳者、鑑賞者、研究者、批評家等々を私たちは区別しないだろう。 新井知行「ホー・ツーニェンとの協働について」
自分の備忘録用
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詩人か 文学やってる人とか音楽やってる人みたいなアート系の人の中には、自分の好悪感情と、社会一般の善悪感情を混同して、「私はあいつが嫌い ゆえにあいつは悪い」と超短絡することがある
さらにあいつは悪いから、一気にあいつを排除して当然、排除すべきだ、ともう一段超短絡する 二回も超短絡するってことは、何も考えていないのと同値
で、こいつみたいに首相撃ち殺しちゃえってなる 日本でも安倍さん暗殺を大喜びした文学者の大学教授とか、やたらと安倍首相や保守政治家を揶揄して喜ぶ大御所歌手とか、安いお笑い芸人とかがいる
人間の原形はこういう超短絡がよくおこり、そのために過去数千年以上大量の殺戮が行われてきた あいつは異教徒だから悪い奴で、殺されて当然とか、あいつはあの国の奴らだから悪い奴で殺されて当然とか
そんな殺戮の歴史を何とかしたいという思いから社会科学的思想が発展してきた 思想信条で殺し合いしてたら永遠に殺し合いになるから、内心で思っている限りは不可罰とか、政治的に反対の考えだからって殺しまくるといつまでも平穏な世の中にならないから、殺人傷害などは禁圧するけど、思想信条を言論で訴える自由は最大限尊重するとか そうやって、人類は野蛮から文明へと進化してきた 確かに
これは意識して訓練しないと身に付かない だから学校教育で社会の仕組みを教え、自由と責任について考えさせたりするわけだが、こういう事柄を理解する人間は常に一部だけだ
そういった法の精神を理解しない輩は、反対意見にたいして暴力で襲い掛かり、自分の正義だけを大声で言い立てる そういう奴らのアタマの中は、政治的、社会的に言えばルネッサンス以前の状態のまま 現代に生きているわけだ 宗教戦争や魔女狩りや、人種間の殺戮や王朝交代における完全な殺戮、あるいは王侯貴族の勢力争いによる殺し合いと同じ内容のことを同じ精神レベルで行っている
意識高い系、LGBT系、反日サヨク系、反ワク、放射脳・・・色々と話通じない輩は政治的社会的には中世以前の状態にいると考える
アベガァーの連中見てるとわかるでしょ 意識が混沌の闇の中で、世の中のことは何もわかってない ただの己の脳内の妄想の正義のためには何をやっても許される、という、幼児期の万能感のままに行動しているだけ 成熟以前の幼児以下 そんな状態で大人をしているわけだから、そりゃあ、不潔感が漂う 人間精神が不潔な状態
私はサヨク系を嫌いなのは、この精神的な不潔感が根本原因だ ああ、もち���ん、どんな妄想サヨクも妄想をがなり立てる自由はあるよ 日本は法の支配が生きている文明国家だから
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