#店舗引戸
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27日に東京 江戸川区の工事現場で起きた大規模な爆発事故で、原��となった地中のガスボンベにおよそ60年前の「1964年11月」に※出荷前の検査に合格したことを示す刻印がされていたことが捜査関係者への取材でわかりました。現場はもともと舗装された駐車場で、警視庁はボンベが地中に埋められた経緯について、引き続き調べています。 27日、江戸川区東葛西の新築住宅の工事現場で地盤へのくい打ち作業中、突然、爆発が起き、10人が軽いけがをしたほか、周辺の住宅や店舗38棟に窓や壁が破損するなどの被害が出ました。 警視庁によりますと、地中5、60センチの深さにあった「アセチレンガス」という可燃性ガスのボンベが工事中に損傷し、漏れ出したガスに重機とボンベがこすれた際の火花が引火した可能性があるということです。 さらに、28日の現場検証で回収したボンベを詳しく調べたところ、61年前の1964年11月に出荷前の検査に合格したことを示す刻印がされていたことが捜査関係者への取材で新たにわかりました。 現場は少なくとも40年前から駐車場として使われていた場所で、警視庁は駐車場ができる以前、土地が舗装されるよりも前にボンベが埋められたとみています。 28日の現場検証では地中からジュースのビンなども見つかったということで、警視庁は爆発の原因の特定を進めるとともに、ボンベが埋められた経緯について引き続き調べています。
東京 江戸川区の爆発事故 ガスボンベに1964年の刻印 出荷前検査合格示す | NHK | 事故
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幸雄は二日間、佐伯家でお世話になった。その間、浩二は時間を見て茨城県内をドライヴして回った。一日目は大子の袋田の滝や常陸太田の西山荘など県北、二日目はつくばの学園都市や土浦の霞ケ浦などの県南の名所を回り、常陸秋そばや常陸牛も堪能した。美津雄は小百合とずっと家にいたが、浩二の幸雄に対するおもてなしが異常だと思った。しかし、まァ、恐らくこれが冥土の土産になるンだろうと小百合は美津雄に話し、様子を見ることにした。
東京に一足早く戻ったみいは、夕方になると電話をした。彼女は、
「浩二さん、御免なさいね〜。幸雄さんも齢なンだからそちらでお陀仏されちゃ困るンだけど…。一応、橋場の息子さん達には事情を説明して了解を得てるので、何かあったらお電話してくださいね」
と話した。浩二は、
「いえいえ、とんでもないです。筑波山へロープウェイを使って筑波山神社にもお詣りをしましたが、その際に息子さんを連れて万博にも連れて行ったらしくて、記念公園に来た時はとても喜んでらっしゃいました。今のところお元気ですよ」
と伝えた。
いよいよ翌日、美津雄と小百合と一緒に東京に戻ることになった前夜、幸雄は荷物をまとめていた。浩二は様子を見に部屋を訪れ、忘れ物はないか聞いた。彼はないと言ったが、
「申し訳ないが、こんな年寄りの最後の我儘だと思って聞いて欲しいンだが…」
と話した。浩二は何ですかと聞くと、
「後でもイイから、浩志と一緒に撮った写真を送ってくれないかのぅ…。もしオレが死んだ時に、息子らに棺の中に入れて欲しいと遺書に残そうと思って…」
と言った。もはや浩志のいないこの世には未練はなく、明日にでも死んで構わないとの事。だが、幸雄さんは長生きしますよと、一昨日の夜、浩志と絡む夢を見て夢精してしまったことを思い出し、苦笑しながら浩二は話した。
そして、朝になって幸雄は美津雄と小百合と一緒に水戸駅へ向かい、浩二と改札口で別れた。彼は、
「色々よくしてくれて、本当にありがとう」
と、両手で浩二の右手を握りながら会釈をした。やはり九十代とは思えない、背筋が伸びた様子に浩二は改めて驚いた。年齢詐称でもしているのではと疑うほどだった。
幸雄たちを見送り、家に戻った浩二は再び独りになった。色々あり過ぎて疲れたなと思いながら応接間のソファに横になった。彼はそのまま昼過ぎまで寝入ってしまった。窓を全開にし、風がカーテンを翻しながら室内を行き交う。心地よさの故になかなか起きれずにいると、インターホンが鳴った。誰だろう…? 浩二はソファから身体を起こし、声をかけた。その声は江利子だった。珍しいなと彼は思った。
「こんにちわ。お休みでしたか? 御免なさ〜い」
「いえいえ、先日はありがとうございました」
江利子の片手には、広樹の職場でもあるK百貨店のショッパーがあった。今、営業終了したI百貨店の跡地に移転するらしく、新店舗が建築中だった。江利子に差し出されると、
「そんな、お気遣いいただかなくても…」
と浩二は断ったが、彼女は満面の笑みを浮かべながら言った。
「実は、わたしたち、佐伯先生のお宅の隣に引っ越すことにしました!」
佐伯家の隣には、祖父母の代からずっと一組の夫婦が住んでいたが、最近子どもが水戸の郊外に二世帯住宅を建てたとのことで売却し、最近取り壊されて更地になっていた。浩二は、
「かえってよろしくお願いします。でも、何故?」
と聞いた。江利子は話した。
「佐伯先生から、『大樹君、共働きで面倒を見るのが大変ならオレが代わりに見てやるよ。浩二もいるし』と、生前言われてたンです。まさか亡くなるとは思わなかったから…。でも昨夜、先生が夢に出て来たンです! 『わりぃな、オレが約束しておきながら果たせずにくたばっちまって…。でも、浩二がいるから大丈夫だっぺ』って」
オイオイ、オレは何も聞いちゃいねぇよと内心思いながらも、
「…父さんが、夢に?」
と、ついに他人の夢にまで出始めたか!?と呆れてしまった。
利江子は仏前に線香をあげ、先生の好きなお酒買って来たわよ〜と備え、満代先生となかよくねと言い、帰って言った。突然の知らせに浩二は考え込んでしまったが、まァ、これも父さんの遺言だと受け止め、引き受けるかと決心した。
一年後に、広樹と江利子が小学五年生に進級した大樹を連れて来て、浩二は二人が仕事でいない時には面倒をみることになるのだが、最初は結婚も子育ての経験もなく戸惑うばかりだったものの、大樹も次第に浩二がいるのが当たり前だと思う様になっていった。そして、中学校に入学して間もなく大樹は精通し、第二成長期を迎えるのだが、浩二を最初の情人(アマン)として受け入れることになった。浩二も彼を愛し、一緒に寝ない時はないほどに布団の中で絡んだ。嗚呼、父さんの悪いところを譲り受けてしまったと、後に彼は後悔するのだった。
東京に戻った幸雄と美津雄・小百合は、上野駅の中央改札でみいと幸雄の甥が待っているのを認めた。別れ際に美津雄は、
「じいさん、元気でな」
と言った。幸雄は深々と頭を下げながら、
「…本当にお世話になりました。これ以上、思い起こすことはないよ。明日にでも逝っちゃってもイイ」
と話した。それを聞いたみいは、
「ほらほら、縁起でもない! ダメよ、浩志君だってびっくりするわ」
と強い口調で言った。
甥・俊介は幸雄が持っていた荷物を持ちながら、
「お義父さん、疲れたでしょ? ウチに帰ろう」
と声をかけた。俊介より幸雄の方が身長が高いことに美津雄と小百合は驚いた。
こうして幸雄はみいと俊介と一緒に地下鉄の乗り場の方へ向かって行った。美津雄と小百合も、御徒町駅前のスーパー「Y」で正夫��岳次が飲もうと誘われているので、このまま上野広小路を目指した。
この夜、俊介と家路に着いた幸雄は夢を見た。幸雄は、何故か浅草の「Kバー」で独りデンキブランを飲んでいたが、後から浩志が来て向かい側の席に座った。客はおらず、店員だけが二人の為に注文を受けていた。互いに齢を重ね、串カツやもつ煮を肴に二人はグラスを傾けた。完全に貸切りだった。夜なのか外は静かだ。ほろ酔い気分で二人はKバーを出て、車も人もいない歩道を言問橋の方へ歩いて行った。東武鉄道すら通らない、静かな花川戸の界隈を二人は歩いて行った。幸雄にとっては異様に感じたが、浩志がこの場を用意してくれたのだろうと思うことにした。
言問橋のちょうど真ん中に立った時、幸雄の脳裏にオスバルドプグリエーゼの「思い出」が流れた。両腕を広げ、浩志の片手を握り、もう片方の手を彼の腰に回した。二人は円を描く様に踊り始めた。夜空を仰げば満月が見え、その光が二人を照らしていた。浩志は幸雄の胸元に顔を寄せ、涙を流した。腰に回していた方の手指で幸雄は、浩志の頬を伝う涙を拭った。
「…泣くのはおよし」
そう言いながら、幸雄は浩志に接吻した。いつしか、未だ学生服を着ていた浩志に同じことをしたなと幸雄は振り返った。これを機に、浩志はアルゼンチンタンゴのレコードを集め始めたのだ。最初に買ったのは藤澤嵐子だったっけ? 「夜のプラットホーム」が大のお気に入りで、楽器で効果音をも表現するタンゴの魅力に惹かれ、すぐにアルマンドポンティエルのレコードを買い求めていた。「花火」と言う曲が脳裏に流れる中、隅田川花火大会の時には浅草の人気ないところで激情のままに浩志を愛したっけ? 次から次へと思い出が蘇り、幸雄も涙を流した。嗚呼、永遠に踊り続けたい…。しかし、まるで映画の様にブラックアウトし、夢は終わってしまった。
朝になり、幸雄は目を覚ました。上半身を起こしながら、
「…夢か」
と言葉を洩らした。彼は、近いうちにあの世へ逝くかもしれないと思った。
数日後、幸雄のところに郵便物が届いた。開封すると、恐らく彼が定年で新聞社を退職した時だろう、互いに笑顔を見せる浩志とのポートレートが入っていた。幸雄は俊介にその写真を見せ、大いに喜んだ。
そして、浩志の四十九日が終わったとみいを通じて話を聞いた夜、眠る様にして幸雄は九十余年の生涯に幕を下ろした。告別式には浩二も参列し、みいも駆け付けた。俊介は、
「まさか浩志さんの四十九日が終わった後に亡くなるなんて…。何か運命の様ですね」
と話した。みいはハンカチで目頭を押さえながら、
「…何だかんだ言って、これで良かったのかもね」
と言った。浩二も、
「きっとあの世でタンゴを踊ってますよ」
と、幸雄の遺影を見ながら涙を浮かべた。
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高取山近辺 断片的な記憶
思ったより移動に時間がかかり、駐車場についたのが12時。これから登るのはスタートが遅い。でも仕方がない。 準備を簡単にする。何年か前に買ったポストペットの日焼け止めをやっと使い切る。登山に際して少しでも軽くしようとビニールのパッケージを外し、SPF情報は手で書き直したもので少し思い入れがある。塗った後にタイヤの下に入れるように日焼け止めを置いた。
下っていくとハイキング帰りの人が見える。こんな時間に駐車場から登山装備で出てきた私のことをどういう目で見るのか。気にしても仕方がない。目を合わさずにすれ違う。
今日は携帯のアプリで見るオフライン地図がない。最近のYAMAPは地図のダウンロード制限が厳しく、無料会員ではここぞというときにしか地図が使えない。 しかし、低山でGPSに頼っていては仕方がない。これは訓練だ。
道祖神で分岐する。地元の老人会が作ったという手書きの地図を念のため写真に収めておく。 舗装された道を登るが、ときどき蜘蛛の糸の感触を顔や手に感じる。これが残っているということはあまり登山者がいないのかもしれない。1m程度のヘビが自分の前をゆっくり横切るのを待つ。
聖峰にはすぐ着いた。四人組のパーティが二つのテーブルを使っていた。一人がタバコを吸っていて、ライターを落としたので拾って渡した。右の二の腕に大きな蜘蛛の巣のタトゥーが入っていた。
何人かの左手の薬指に指輪をしているのが見える。自分が育った家では誰も指輪をつけていなかった。
四人組が去り、私が単眼鏡でスカイツリーを探していると上の方から中高年の二人組が下ってきた。一人はゲイターを足に巻き、もう一人は長ズボンの裾を靴下に入れていた。明らかにヒル対策と思われるため、ヒル��出るのか聞いた。道は選ぶと思うが、それなりに出るらしい。塩を持参しているから大丈夫だ、と答えた。
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二匹の蝶々が飛んでいる。お互いを追いかけるようにくるくると回転している。 どちらかが求愛していて、それをかわそうともう一匹が逃げているようにも見える。 蝶々がムードをどのようにとらえているかはわからないが、そんなことに時間とエネルギーをつかわずにさっさと交尾すればよいのにと思った。 けれどその直後に自分の考えが甘いことを恥じた。おそらく、愛を証明しろということなのだ。さっさと逃げられて、それで諦めるような相手であれば、そこまでだったということだ。時間とエネルギーを愛の証明に使わずして、一体何に使うというのか?
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梅の風味ののど飴を口に入れる。最適な登山ペースというのはギリギリ口の呼吸をしない程度であると前本で読んだ。 飴をなめている間は口で呼吸することが難しいのでペース管理に役立つ。 放っておくとすぐにペースがあがり、結果バテることになる。自分のことは自分が一番知らない。
高取山山頂はすぐだった。木の間から少しだけ大山方向が見える。大山の中腹に雲がかかっている。ほのぼのとした絵本のような山。先ほどの四人組とまた会った。会うのが二回目になると挨拶をするのは野暮だ。疲れていないので休まずそのまま大山方面の尾根を進む。 ちょっとだけ歩くと林道に出るはずで、今日はそこまでは見ておきたかった。いつかこの林道から大山に上ることができれば、自分の歩いた道筋で大山山頂までをつなぐことができる。
ゆるやかな下りの途中、草むらにタヌキがいた。こちらに気づくと逃げた。逃げる速度はシカや猿よりも遅かった。本気で走れば追いつくだろう、という速度。 小熊だったらどうしようか、親が来てもどうすることもできないが、ちょっとだけ気を張った。そのあとすれ違った人には「クマに襲われたらすみません」と心の中で謝った。
山ではすれ違う人には挨拶をすることが一般的だ。ただ、すべてのひとが挨拶を徹底しているわけではない。挨拶されたら返す、というスタンスの人も一定いる。 相手が挨拶を返すことができない、すれ違うギリギリで声をかけることを置き挨拶と心の中で呼んでいる。
目的の不動越までついたので引き返す。
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今日はコミティアがあった。私にはコミティアで買いたい本があったが、行くつもりはなかった。大学のころはサークルで同人誌を作り、発布したことがあった。私はいま本や漫画を描いたりしていない。 せめてと思い久しぶりに日記を書こうとこの時に決めた。
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また高取山に戻ってきた。ここからは一旦南に向かって下る。 緩やかで走りやすい道なので軽く走りながら下山する。5分ほど下りて、妙に日差しが明るくなって町に近づいていることに違和感を覚える。秦野の街が見える。方向が違う。 地図アプリで現在地を見る。尾根を間違えて真西に下りていた。 このまま下りても駐車場にはたどり着くことができない。 仕方なく来た道を引き返すことにした。走って下りた道を登り返すのは本当に馬鹿らしい。軽快に下りたことを心底後悔する。 自分の信じる宗教によっては、これは神が与えた試練であると考えることもできるだろう。 それについて私は、自分の都合のために神を利用するということだろうかと考えた。これも機会と考え、単にトレーニングとして活用すればよい。 いや、起きた事象を自分の何らかに利用するという考えが愚かであると感じた。 「せずにすめばよいのですが」。これは筆耕人バートルビーの象徴的なセリフだ。 全てのこと、すべての選択に対して、イエスでもノーでもなく、オルタナティブな態度を貫く。それこそ私たちがなすべきことではないか。バートルビーであれば今どう考えるか?そのように利用されることも快く思わないだろう。思い上がりなのだ。 院生の時に私にバートルビーを教えてくれたあの人は、今も神戸にいるのだろうか。
空の色が反射して枯れ葉が青く光る。ラジオで聞いた「煩悩即菩提」という言葉を思い出す。 煩悩があっても悟りに至ることができる。むしろ、煩悩がなければ悟りに至ることはできない、という説明だった。 煩悩を知ってこそ、煩悩の輪郭を知ることができ、そこから脱することができる、と解釈はできる。しかし、これは慈悲の言葉にも見える。煩悩があろうが正しく生きることが大事なのだ、まだ引き返せる、がんばれ、みたいな。 それはどうなんだろうか。煩悩を知らずとも悟りに至ることは理論上可能だろう。 煩悩を利用して悟りに至る。すべてのものを利用するという態度が気に食わない。 理由はなく、すべてのものがそこにある。ただ一切は過ぎていきます。
また、高取山の頂上に着く。居た人と会話する。私の経路のことを話すが、全然話が通じない。高取山に一度ついてから別の尾根を2回下りて登って、という人は少ないはずだし、意味が分からない。 親切なことに「昼下りのジョニー」という名前のヒル避けスプレーを貸していただけた。靴にかけるのが下手くそで無駄に何度も使ってしまい、心から申し訳なく思った。
ここからはそのまま帰っても面白くないので正しく南下して弘法山方面に向かうことにした。 17時に駐車場が閉められるが、まだ余裕はあるはずだ。
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行きの車では「サカナクション山口一郎のナイトフィッシングRadio」の録音を聞いた。 ジッタリン・ジンの特集で、ドライで明るい感じが心地よかった。 「君がいた夏はとおい夢の中 空に消えてった打ち上げ花火」。 そんなことがあったか?と自分の昔を思い出す。
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ざっくりした緩やかな下りで、スピードを上げやすい。 多少衝撃があったほうが骨にも良いだろうと雑に駆け下りていく。
昨日の夜、若干寒気を感じた。風邪を恐れているので葛根湯を飲み、肌着を一枚増やし、ズボンの上にさらにズボンを履いて寝た。 朝は特に風邪っぽさはなかった。でも不安はあった。 登山することで自分が風邪でないことが逆説的に証明できると考え、そのために今自分が山にいる。そんなストーリーを一瞬、後付けで理由として考えた。
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亡くなった犬のことを思い出す。 僕らには忘れないことぐらいしかできない。
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ちょっときつい急登を登る。木の根を探してそこを頼りに登っていく。 頂上からは東に下りることができるが、南下して弘法山方面に向かう。
大昔、山を切り開いて作った切通しのあとがある。 その道端に頭が石で置き換えられた地蔵が二体いる。
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来る途中、後ろの車が前方のGEOに入店するために一時的に対向車線に入り、右折して駐車場に入るところを見た。その際、右折のタイミングを間違えたのかサイドスカートを縁石にぶつけ、周囲に大きな音を立てていた。縁石にはこすったパーツの跡が見えた。
森を一人で歩いているとこういう、よくわからない事を何度も思い出す。 登山の良さは何なのか。圏外になって誰とも繋がれない時に自分の暮らし、過去、将来などから距離をとって考えることができるのが魅力だと思う。それができれば頂上は必要ない。
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あなたが私の本をわざと返していないことを知っている。
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すでに16時が近く、時間的な余裕、体力的な余裕、足が壊れないことの保証(最近アキレス腱の調子が若干よくない)もないので、弘法山までは行かずに、246のトンネルの上付近で東に下ることにした。 吾妻山の頂上でミックスナッツと水分を��給した。見晴らしはいいが、標高が低く建物が縦方向に圧縮されてあまり見栄えが良くない。
勢いで下山する。だがこれで終わりではない。駐車場まで戻るのだ。駐車場まではあと2kmある。しかも登りだ。 公共交通機関の登山と自家用車の登山は訳が違う。何があっても必ず車に戻るのだ。行きて帰りし物語なのだ。
施錠30分前に駐車場についた。学生が一人、吹奏楽の練習をしていた。 混んでないはずなのになぜ私の車の横に車が止まっているのか、気にはなったがタイヤの下の空になった日焼け止めを回収して、靴を履き替え、服を着替え、ドライブスルーができる店を手早く探し、車に乗って帰った。
2025-06-01
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いつもご利用いただきまして誠にありがとうございます。香十は名跡を受け継ぎ、本年2025年に450年をむかえます。

お客様各位
この度、日本香堂グループ450年を迎えるにあたり、香十を長年にわたり、ご愛顧、お引き立てくださり誠にありがとうございます。
改めて心より感謝申し上げます。
香十として、グループ内のテーマであります「450プロジェクト “聞く〜awake your spirit〜」を2025年4月より香りを通して実現して参ります。お香、香りの持つ素晴らしさを感じていただければ幸いです。
今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。
株式会社香十天薫堂
代表取締役社長 山田昌彦
日本香堂グループ
450プロジェクト始動について
この度、⽇本⾹堂グループ450年を迎えるにあたり、2025年4⽉8⽇(⽕)より「450プロジェクト “聞く〜awake your spirit〜”」を始動します。それに伴い、日本香堂グループ450年「450プロジェクト “聞く〜awake your spirit〜”」記者発表を、以下の内容で東京丸の内『東京會舘』で開催いたしました。450年を迎えるにあたり、2025年4⽉8⽇(⽕)より「450プロジェクト “聞く〜awake your spirit〜”を始動します。
本プロジェクトは、「⾹りを聞くことで五感が磨かれ、新たな⾃分へと内⾯から研ぎ澄まされていく。 時空を超え、⾹りとともに旅をする時間」というストーリーのもと、2025年4⽉から2026年3⽉にかけて「今までを聞く(過去)」「今を聞く(現在)」「これからを聞く(未来)」の3つの視点から、新事業やプロジェクト、新製品を発表していきます。
物質的な豊かさだけでなく、⽬に⾒えない精神的な価値や⼼の充⾜が求められる時代へと移⾏し、「本物」の価値がより⼀層注⽬される今、当グループは「⾹りを聞く」という体験を通じて、時空を超えた感覚を呼び覚まし、感性をより深く研ぎ澄ます機会を提案していきたいと考えています。
450年記念商品の発売
4月18日のお香の日に発売開始いたします

「⾼井⼗右衛⾨(たかいじゅうえもん)2025 No.4」
清和源氏の末裔、安田又右衛門源光弘を初代とする香十は、天正年間の初め、京で創業し御所御用も務めていました。 香十第四代は徳川家康公に召され、駿府と江戸を往還し京に名跡の地歩を築きます。 江戸時代に名跡香十第八代を継承した高井十右衛門は香具師十右衛門として茶道界に名の知られた香の名人です。十右衛門による香十銘香(練香)は、光格天皇献上香「千歳」をはじめ、茶道各流派家元に納め続けた数々の銘が記録に遺されます。 第八代として「香十 高井十右衛門 家傳薫物調香覚書」を書き残し、その技術と理念を今日に伝えます。
この伝統を継承し最高の香原料と最新の技術で丁寧に心を込めて創香されたのが「高井十右衛門」の名を冠するこの逸品です。
香調:透明感のある梔子と華やかな薔薇が乳香や白檀と調和したみずみずしい香り
お香 内容量:50本入 香立付 価格:3,300円(税込)

平安時代の⾹りを再現した練香「六種の薫物(むくさのたきもの)」
「六種の薫物」は平安期を代表する薫物(練香)です。 「梅花」「荷葉」「侍従」「菊花」「落葉」「黒方」の六種類。 伝来する家や、調合する人物によってその処方に違いがあり、『薫集類抄』や『香秘書』は古くからの香の処方や原料の扱い、保管の方法など細かく記されています。そのような貴重な書から香合わせの達人の処方を再現し、450年記念の「六種の薫物」を限定で製造した逸品です。

「黒方」 朱雀院処方 沈香や麝香、丁子を豊富に用い、重厚かつ格式の高い香り

「梅花」 源公忠処方 沈香や占唐に丁子の酸味が効いた、梅の花に似せた華やかな香り

「荷葉」 山田尼処方 沈香や白檀などを用い、清涼感のある蓮の花に似せた軽やかな香り

「侍従」 八條宮処方 沈香や甘松に熟鬱金が調和した秋風のような落ち着いた香り

「菊花」 白河院、平忠盛処方 沈香や甲香、薫陸など用い、菊花に似せて作られた香り

「落葉」 後小松院処方 沈香や甲香、麝香などを用い、落葉がはらはらと散るような香り
練香 内容量:3粒 価格:4,950円~5,500円(税込)
※数量限定のためなくなり次第終了とさせていただきます
日本香堂グループ450年記念

書籍「⽇本の⾹」発売 「⽇本の⾹ The scent of Japan」
世界に誇る長い歴史と深さをもつ日本の香文化。 仏教とともに日本に伝えられたとされ、1500年にさかのぼると言われています。 時代の移り変わりとともに香りと人とのあり方も変化してきました。 「日本人にとって香りとは」。 歴史と育んできた文化、美意識をわかりやすいコラムと美しい写真・絵画などの資料でまとめたビジュアルブックです。
日本香堂グループが450年の節目に老舗出版社である誠文堂新光社とともに、類書には無い構成で制作をいたしました。
書籍 価格:4,950円 2025年4月22日発売
座香十サイトリニューアル
2019年に『⽇本の⾹り⽂化の継承と創造』をテーマに、⽇本の⾹⽂化を楽しみながら、知り・学び・創る場として⾹⼗銀座本店、オンラインでスタートした『座⾹⼗』。 450年を機に、⽇本の⾹⽂化体験の場を鎌倉・寺院と広げ、インバウンド向け⾹体験などメニューも充実化し、4⽉18⽇リニューアルします。日本香堂グループで開催されるワークショップの総合サイトです。
こちらからご覧ください
香器デザインコンテスト

日本香堂グループ450年を記念し、日本の地域の風土・文化・技術を文脈とし、心のゆとりや潤いを感じて豊かな暮らしを演出する香器(香皿・ディフューザー容器)を募集しております。第一次募集締め切りは2025年5月15日となっております。
詳しくはこちらをご覧ください。
日本香堂グループ450年の詳しい内容はこちらから
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2025/3/27 20:00:21現在のニュース
金融相、有価証券報告書の総会前開示を要請へ 海外投資家の要望で(朝日新聞, 2025/3/27 19:56:30) 貸金庫、保管対象から現金を除くよう求める 金融庁の監督指針改定案(朝日新聞, 2025/3/27 19:56:30) 「追加関税は駆け引きなのか…」 「カーアイランド」九州で懸念の声(毎日新聞, 2025/3/27 19:55:40) 元維新の札幌市議、「実態ない事務所」に政務活動費 電気も契約せず:朝日新聞([B!]朝日新聞, 2025/3/27 19:51:18) ビルの解体工事現場で16人搬送、CO中毒か 東京・千代田 ビル内��発電機2台が稼働(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2025/3/27 19:50:23) 「蘇我氏色」一掃し大造成 甘樫丘遺跡群から井戸や倉庫跡 奈良 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2025/3/27 19:49:55) USスチール買収完了目標は「6月末」に延期 日鉄、米と交渉継続(朝日新聞, 2025/3/27 19:48:56) 東京福祉大、日本ウェルネススポーツ大、北洋大「不適合」…日本高等教育評価機構が認証評価結果([B!]読売新聞, 2025/3/27 19:42:55) 全国高校選抜ラグビー、4強出そろう 東福岡が大阪桐蔭に競り勝つ(毎日新聞, 2025/3/27 19:41:39) 厨房に立つ102歳!ラーメン屋で現役バリバリの秘訣とは? 群馬の老舗人気店、麺ゆで中にスクワットも:東京新聞デジタル([B!]東京新聞, 2025/3/27 19:40:38) 九州電力、新社長に西山勝氏が就任へ 「新たな電源開発も検討」(毎日新聞, 2025/3/27 19:39:50) 原発再稼働は県民投票で 新潟の市民団体、条例求め知事に直接請求(毎日新聞, 2025/3/27 19:39:50) 全国高校選抜ラグビー、4強出そろう 東福岡が大阪桐蔭に競り勝つ(毎日新聞, 2025/3/27 19:39:50) ももクロ百田さん「ライブで一大事起こす」 新潟・新発田市長を訪問(毎日新聞, 2025/3/27 19:39:50) ロ朝軍事協力「深刻に憂慮」「米国の関与が不可欠」 25年外交青書(朝日新聞, 2025/3/27 19:39:46) 「泥舟もこげば沈まない」五輪、国会、政権交代…元農水相の激動人生(朝日新聞, 2025/3/27 19:39:46) 宝塚歌劇団、パワハラ認め謝罪から1年 外部の指摘、改革に反映(朝日新聞, 2025/3/27 19:39:46) 万博の公式本に「制作途中のイラスト」 絵本作家「渾身の絵が…」(朝日新聞, 2025/3/27 19:39:46) フジ社長「成功体験にとらわれていた」 日枝氏体制の反省点問われ(毎日新聞, 2025/3/27 19:32:08) 欧州独自ではロシアを抑止できない 識者に聞くウクライナ派兵の課題:朝日新聞([B!]朝日新聞, 2025/3/27 19:30:39)
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獅子舞・The Lion Dance
朝5時半に起きて、ご飯を食べて、7時35分発の高速バスに乗った。娘と一緒に高松市での獅子舞イベントを見に行った。2人ともワクワクしていた。1ヶ月前垂水の海神社の秋祭りに行ったが、獅子舞は行わなかった。家に帰ってパソコンで娘に見せるため獅子舞の動画を探した。出たビデオはほとんど香川県で撮ったビデオだ。何でかなーと思った。もうちょっと調べたら香川県は獅子舞で「日本一」だと初めて知った。
Got up at 5, ate breakfast, and took the 7:35 highway bus. My daughter and I went to Takamatsu City to see a Lion Dance event. We were both so excited. A month before, we had gone to Kaijinja, a shrine in Tarumi in Kobe, for their autumn festival, but there had been no Lion Dance. When we got home, I looked for some good Lion Dance videos to show my daughter, and most of the videos that came up were from Kagawa. I wondered why. After a little more searching, I found out that Kagawa Prefecture is "#1 in Japan" for the Lion Dance.
確かに、香川に住んだ4年半の間、秋になるとマンションの近くにある神社が獅子舞をしながら神輿を担いで近所を歩き回った。それが特別だと感じていなかったが、神戸に引っ越してから獅子舞は1回も見たことがない。
Of course! I'd live in Kagawa for four and a half years, and every fall a shrine near my apartment walked around the neighborhood, performing the Lion Dance and carrying the mikoshi. I hadn't really thought it was anything unique to Kagawa until coming to Kobe, where I haven't seen the Lion Dance even once.
獅子舞王国さぬきというイベントでは、上演した獅子舞団が香川県と沖縄も神戸市からも来た。神戸市の団体は南京町から来たから、中国の伝統的な獅子舞と似ていると思う。香川の団体は私にとって「普通な」日本の獅子舞を踊った。沖縄の獅子舞は香川の獅子舞とだいぶ違う。本州、九州、四国などの獅子舞は奈良時代に中国から入ってきた。しかし、沖縄の獅子はシーサーに基づいている。シーサーも元々中国の獅子だったが、伝説と特性が本州の獅子と異なる。ネットでいろんなことを調べていっぱい知ったが、このエッセイは研究論文じゃない。😂
At the Shishimai Okoku ("Lion Dance Kingdom") Sanuki event, groups came from around Kagawa, Okinawa, and even Kobe to dance. The team from Nankinmachi, Kobe's Chinatown, performed what I imagine is a more traditionally Chinese Lion Dance. The Kagawa teams danced what I had come to know as "the usual" Japanese Lion Dance. The Okinawa team's performance was totally different from Kagawa's. The Lion Dance came from China to the Japanese islands of Honshu, Kyushu, and Shikoku during the Nara Period, but the Okinawan shisa is the basis for their shishi, or "lion." The shisa also came from China, but its legend and features are different from Honshu's shishi. I read a lot online about these things, but this essay is not a research paper. 😂
娘と一緒に獅子舞を見に行ったという話を友達にして「怖くない?」と聞かれた。全然。娘が可愛いツインテールの髪型を下ろして、獅子みたいに頭を左右に振って鈴の音を真似して「ジンジャリンジャリン」と歌った。このイベントの数週間後、山形県に住んでいる親戚に会いに行ったとき、夫のおじさんがお土産を売っている店で、「何が欲しい?」と娘に聞いた。「これ!」と答えて小さい獅子様を指で指した。その日以来、毎日コートのポケットに入っている。
When I talked to a friend about going to the Lion Dance event with my daughter, my friend asked, "Wasn't she scared?" Not at all. My daughter took down her cute pigtails and swung her head around like a shishi, imitating the bells and drums with her voice, "Jin jarin jarin." A few weeks after this event, we took a family trip to Yamagata Prefecture to visit my husband's relatives. While we were there, we went to a souvenir shop where my husband's uncle asked my daughter, "What would you like?" "This!" she answered happily and pointed at a little shishi. Ever since that day, she's been carrying it in her coat pocket.
Various links to things I read while writing this essay:
#japan#japanese culture#studying japanese#leanring japanese#bilingual#essay writing#エッセイ#獅子舞#lion dance#kagawa#kobe#香川県#秋祭り#postcards from Japan#langblr#Japanese langblr#日本語の勉強
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東京五輪から2年 湾岸はいま
悪夢のようなTOKYO2020大会から2年が経った。 五輪のために姿を変えられたあの場所は、巨額の資金を費やして建てられた会場は、白いフェンスに閉ざされていた公園は、いま一体どうなっているのか。 湾岸エリアを中心に、フィールドワークを行った。
①築地市場
築地本願寺から場外市場に向かう。日曜日。外国人観光客、親子連れ、カップル。賑わいは築地市場があった頃と変わらないように見えた。どの店にも、昼食を目当てに沢山の人が並んでいる。
立体駐車場の最上階から市場のあった方を見下ろす。縦横に走るターレ、魚の並ぶケース、積み上げられたトロ箱、林立する仲卸の看板――それらが全て消え去り、でこぼこの、剥き出しのコンクリートだけが灼熱の太陽に焼かれていた。その一部は駐車スペースに。数台の自家用車。物悲しくなるぐらいしょぼい。
駐車場のわきに、築地市場の仲卸とおぼしき店名のプレートを付けたターレが放置されていた。よく見ると、ナンバープレートを外した痕がくっきりと残っている。
石原元都知事が主導した2016年五輪招致当時、築地市場を潰してメディアセンターを作るという話が出ていた。2020東京大会ではそれが「駐車場」にかわり、市場は2018年10月に東京都によって閉鎖された。選手村から競技場への輸送のために新たに作られた環状2号の全面開通は、五輪閉幕から1年以上も過ぎた2022年12月。五輪招致が、都民の台所を打ち出の小づちのように利権を生み出す空虚な「一等地」に変えてしまった。
築地を舞台にしたある連載漫画の中で、目利き一筋の主人公は何故か移転に何の葛藤もないまま「豊洲で頑張っていこう」と仲間に呼びかけていた。築地市場83年の歴史は、急速に「なかったもの」にされようとしている。
②月島
東京では五輪の前から、競技会場と直接関係のない場所でも各地で再開発が起こっていた。晴海にも程近い、湾岸エリアに位置する月島もまたその1つ。もんじゃストリートで有名なこの町は、一本裏道に入ると古い木造家屋が軒を連ねる下町らしさが残っている。私たちが2017年に訪問した際は、月島1丁目西仲通り地区再開発計画のためにもんじゃストリートの店舗が軒並み閉店していた。
そして今回訪ねてみると、MID TOWER GRANDなる地上32階、高さ121mの超高層マンションが建ち(2020年10月竣工)、その1階にもんじゃ屋などの店舗が入っていた。 月島ではさらに地上48階、高さ178.00mのタワマンを建てる月島三丁目南地区第一種市街地再開発事業、地上58階、高さ199mのタワマンを建てる月島三丁目北地区第一種市街地再開発事業が控えている。フィールドワークの後で知ったことだが、この月島三丁目再開発計画には反対運動や行政訴訟も起こっているとのこと。長年暮らしてきた人々の息吹が聞こえるような町並みが、大手開発業者によ���て姿を変えられようとしていることには胸が痛む。
③晴海選手村
カンカン照りの選手村跡地。ここはHARUMI FLAGなる高層マンション群として開発され、完成すれば5,632戸12,000人が暮らす街になるという。未だ工事中で通行できるのはメインストリートの車道のみ。焼けつくような暑さの中、誰もいないコンクリートだらけの空間は殺伐とした雰囲気が漂っていた。
選手村をめぐっては、東京都が適正価格の10分の1という不当な安さで都有地を三井不動産ら11社のデベロッパーに売却したとして住民訴訟が起きている。五輪という祝賀的なイベントが作り出す例外状態によって、公共財産が民間資本に吸い上げられた象徴的な場所だ。
街の中心に近づくと、左手には、大会中、大量の食材廃棄が問題となった食堂の跡地が、中央区立の小中学校(2024年度開校予定)として整備されていた。
右手には三井不動産の商業施設「ららテラス」。その1階には「東京五輪を振り返りスポーツの力を発信する施設」として「TEAM JAPAN 2020 VILLAGE」が設置されるらしい。五輪と三井不動産のどこまでも続く蜜月がうか��える。
その先では道路を挟んで左右両方の街区で50階建ての2棟の超高層タワーマンションが目下建設中だった。
選手村を訪れるとき、2018年、建設工事中に2人の労働者が亡くなったことを思わずにはいられない。その街区は、労働者の死という痛ましい現実を塗り固めるようにSUN VILLAGE(太陽の村)という輝かしい名前で分譲されている。 この街区だけではない。この街全体が、五輪によって引き起こされた問題などまるで何もなかったかのように成り立っている。この街ではとても生きていけない、生きた心地がしない。生気を抜かれたようにその場を後にした。
④潮風公園、お台場海浜公園

ビーチバレーボールの会場設営のため何年もフェンス封鎖されていた潮風公園。わたしたちは初めて公園内に入った。こんなに広かったのか!無観客のくせに、この公園全体を占拠していたなんて、ほんとうに厚かましい。
東京湾の対岸の埠頭にはコンテナが並んでいる。海をみてみると、うっ!海水は泥沼のような色。しかし、なぜか匂いはせず、潮の匂いさえもしない。ファブリーズでもしているのか?
わたしたちは、野宿の人たちが寝ていた場所を探して公園内を歩いた(東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織員会による追い出し→https://x.gd/ZJP4d)。木がたくさんあってなかなか住み心地よさそうだと思っていたら、屋根のある排除ベンチにたどり着いた。なんて醜いデザインなのだろう。
次に「トイレのようなニオイ」と話題になったお台場海浜公園のビーチへ、匂いを確認しに行った。「遊泳禁止」の看板があり、スクリーニングのためと記してあったが、やはり汚染が懸念されているのだろろう。このビーチの海水も濁っていて、潮の匂いさえもしない。怪しい水質だ。
しかし、暑すぎる。灼熱の日差しの下で、ビーチバレーボールや、トライアスロンをやって、汚い海に飛び込んでいたのか。 知れば知るほど、オリンピック・パラリンピックは地獄だ。
⑤有明
有明の旧会場エリアへ。グーグルマップで見ると、どうやらこの一帯は「有明オリンピック・パラリンピックパーク」と名付けられたらしい。いまや地に落ちた電通がオリンピックでちゃっかりゲットした、唯一黒字と言われる有明アリーナへ。SNSではステージが見えない席があると不評を買っていたが、「ディズニーオンアイス」をやってるらしく、猛暑の折、駅から会場まで大勢の人だかり。
有明体操競技場はこの5月に「有明ジメックス」と名を変え、株式会社東京ビックサイトが運営する展示場としてオープンしたらしい。第一印象は「・・・神社?」世界的ウッドショックの最中に木材を山のように使って、10年程度で取り壊される予定とのこと。こんなに立派にする必要あったのか?
そこからゆりかもめの駅を越えると、フェンスで囲われた草ぼうぼうのワイルドな一角が。有明BMX会場跡地だ。グーグルマップには「有明アーバンスポーツパーク(2024年4月開業)」とあるが、いまのところ影も形もない。スポーツ施設より原っぱ公園の方が需要あるのでは?
有明テニスの森公園は工事パネルが外されて、開放感に溢れていた。こんな素敵な場所を何年もオリンピックのために囲って、市民を排除してきたかと思うとあらためて腹が立つ。
真夏の炎天下に火を燃やし続けた聖火台があった夢の大橋にも立ち寄った。観覧車が無くなっていた。東京都はこの夢の大橋を含むシンボルプロムナード公園の一角に、新たに聖火台置き場をつくって飾っている。東京都はいつまでオリパラの亡霊にすがる気か。。
⑥辰巳・東京アクアティクスセンター
アクアティクスセンター
「威圧」を形にしたような巨大建造物。
建物の周りには木陰がなく、取ってつけたような弱々しい植栽が施されている。
正面外の、広すぎる階段は、車いす利用者でなくても、大げさすぎてびっくりする。コンクリートが日射で熱い。ゴミ一つ落ちていないのは、人が寄り付かないからだろう。
その下にたたずんで私は、ピラミッド建設のために労働を強いられている人のような気持ちがした。
ここは、公園の一部であった。近くに団地もある。誰でも入って、海からの風を感じながらくつろぎ、出会う場所だったはずだ。
5年前に訪れた時は、工事中で巨大な支柱がそびえたっていた。三内丸山遺跡にインスパイアされたのかと思ったが、出来上がったのは帝国主義の終点のようなしろものだった。
「お前たちが来るところで���ない。」という声がどこからか聴こえる気がした。
知ってる。だから入ってみた。静かだ。人っ子一人いない、空調が効いて冷え切っている。だだっ広いロビーの小さな一角に、TOKYO2020オリパラのポスターたちがいまだに展示されていた。
競争をあおり、序列化し、勝者に過剰な価値を与え、「感動」を動員するスペクタクルがここで続けられるのだ。
生きていくのに必要な潤いをもたらす公園に、このような醜悪なものが君臨しているのを私は許せない。
炎天下の湾岸エリアを丸1日かけて回った。TOKYO2020跡地は、廃墟になっていると思いきや、むしろ多くの場所でまだまだ開発が続いていた。開発への飽くなき欲望と「レガシー」への執着、五輪災害は閉幕後も延々と残り続けている。 この日撮影した映像を使って「オリンピックって何?東京からパリ五輪1年前によせて」という動画を作成し、1年後に五輪開幕が迫るパリでの反五輪の闘いに連帯を示すメッセージとした。 From Tokyo To PARIS, NOlympicsAnywhere
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結論から言うと不安は対処すべきではない
ドリームオーダー、ブースターVol.2が発売されまして、まぁちまちまやっているわけでございますが。
3戸郷が非常に微妙な性能で使いづらい、まぁ3コス先発は大抵の場合使いづらいものなので放っておこう。3吉川も選択肢の一つとしてはアリだけど、そんなにウキウキになる程でもない。
1浅野、2長野、1中山、0岡田が地味~にありがたい、けど本当に地味、そんなジャイアンツ熱ケツ情報でございます。
会社の同僚にゴリ押したところしっかりハマってくれたので、対戦環境はあるにはある。でも、シングルまで買ってるならちょっと知らない人と対戦してみたいよね?ってことで店舗大会に出てみた訳です。
こんな感じで組んでみた。コンセプトは「山崎伊織の低スタミナを捕手で支える」
以下細かい話
後攻の時は山崎伊織が先発、細いドローを本領発揮大城と岸田で支えて1回2/3で交代、読みを放棄して数字の暴力を振るえるので1戦30分の制限対策の意味合いもある。後は中川ゲーミング。
先攻の時は戸郷が先発、一回くらいは覚醒させてくれというお願い戸郷2積み、DP3で山崎伊織が先発となってもそこまで負担にならないと思っている。
山崎伊織型になった場合とにかく手札枚数が不安なので、吉川・中山でフォロー、2長野のドローとビルドアップは中途半端感があるので苦しい時は菊池に賭ける。
攻めはどうせダイスが絡むので繋がれば点取れるし繋がらないならそれまでだし、と思いつつ強振+を並べて圧力をかける。後は読み合いを通す部分はそういうゲームです。
ブシロードのカードゲームは「ブシナビ」というシステムで店舗大会のエントリーが出来る。いい歳しておいて引っ込み思案の私的には店頭で頼もう頼もうと致さないでよいだけ大変ありがたいシステムである。
カードは揃えた。エントリーもした。8名参加、所謂スイスドロー式で3勝したら優勝らしい、後はやるだけ、グッドラック!
以下はそのグッドラックの思い出せる限りの記録である。
1戦目ː日本ハム ※後攻 1-2〇
記念すべき最初の一歩である。緊張もある一方で1戦が30分をオーバーすると両者負け判定になるということで、私の不出来で相手に判定負けを付けるわけにはいかないというプレッシャーの中あくせくキビキビゲームを進めていく。
日本ハムは戦術カードを駆使することで強化されるコンセプト、このゲームの基本的に強い行動の「覚醒」を半ば放棄する構えになるので「読みを通してテキスト効果を活かす」必要がある非常にテクニカルなデッキである。
初回に上位打線の万波、清宮で早速1失点。「このまま永遠にアウト取れないのでは?」と最高潮にテンパるもなんとかチェンジ、1回裏で岡本(たぶん、もしかしたら浅野)の2ランが出たところでグッと冷静さを取り戻し後は中川と大勢の覚醒ゲーミングで勝利、勝っちゃったよ……
2戦目ː楽天 ※先攻 1-0〇
本当に相手に申し訳ないくらいテンパった。ダイスアプリがフリーズして30分制限が重くのしかかる。テンパりついでにアウトカウントを間違えまくる(相手の方にはそんな状況でもおおらかに許して頂きました)。
楽天は本領発揮で強化される投手が強力、一方打線は浅村頼りで締まった展開になるはず。
悉くをダイス-1と覚醒に阻まれ、こちらはチャンスをなんとか中川覚醒で抑える。最終回表2アウトで「正直私のこのグダりっぷりなら引き分けでも相手の勝ちを認めるべきでは?」などと考えていたところ下位打線が繋がり秋広ミート打ちが手堅くタイムリーになり大勢無双でそのままゲームセット、2勝ちだが申し訳なさが勝つ。
3戦目ː巨人 ※先攻 0-1✕
勝てば優勝、なんでやねん。ないない、なさ過ぎて最早全く気負いはなくなっていた。
お相手の方は横川先発ということで、専門用語で言うところの1-2-1-1継投であろう。
じりじりとランナーを溜められつつ、こちらは覚醒の嵐でアウト量産の中どうにかこうにか最終回0-0まで粘ることが出来た。読みを放棄しながら捕手本領発揮と渾身で数字の暴力で上回るのは思った以上に強力かもしれない。
とかなんとか思ってたら、なんかベンチに大勢がいないんですけど。やらかしましたね、ベンチの大勢がメインデッキに混ざってしまったようで。
無事サヨナラ負け、終わってからもうお相手の方に平に謝り倒しましたね、決して舐めプとかふてくされた訳ではないのじゃ……
「どこかに無くしたのではないのならよかったです。ゲーム中でも申告してくれればよかったのに」とまで仰って頂きまして、ドリームオーダーあったけぇなとなりました。
「TCGの大会に出て知らん人と遊ぶ」というありえんくらい高いハードルを思い付きで越えてみた。振り返って文にしたためればこんなもんであるが、現場では途轍もない緊張が確かにあった。
「緊張は悪いことではなくて、自分ができるかできないかわからないギリギリのところにチャレンジするとか、経験したことのないことを経験するから緊張するんだよね」ってローランドさんも言ってたしな、今日のところはギリギリのチャレンジを自分で褒めつつ、Vol.2環境を楽しみつつ、Vol.3に期待しつつ、ということでどうかひとつ。
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栗きんとん1,814円(6個入り・税込)/すや(岐阜県)
ラジオでaikoがすやの栗きんとんを取り寄せていると言っていた。すやという言葉が妙で引っかかったものの、栗きんとんに全く興味がなくそのままスルーしていた。
ある日、会社に贈答品としてすやの栗きんとんがきた。ラジオでうっすら聞いたアレか。正月にあるべちゃっとした栗きんとんではない、思ってたんと違う!と食べてみると、ほの甘く栗そのものでおいしい。それ以来、今度は季節になったら自分で買おうと思っていた。栗きんとんは9月1日から材料がなくなる(だいたい1月)までの販売。写真は9月になってから髙島���で購入したもの。すやの店舗以外では、都市部の髙島屋か阪神百貨店で取り扱いがある。
栗そのものの味なのはそれもそのはず。使われているのは栗と砂糖だけ。濾した栗のなめらかさのなかに小さな栗のかけらを感じられる。保存料は使われていないので、日持ちはしない。
「すや」という店名が妙に思っていたらHPによると、
「創業は元禄年間。江戸から下ってきた一人の武士が、この宿場町に住みつき、「十八屋」の屋号で酢の店を開いた」
とあるので、「酢屋」ということなんだろう。そこから、100年後に菓子屋へと変わったようで不思議。
栗きんとんってもっとクリーム状でおせちに入っているやつでは?と思っていたら、東濃地区(岐阜県南東部)あたりでは、すやのような形の和菓子を栗きんとんというそう。
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2024年4月25日(木)

Appleのオンラインストアには<学生・教職員向けストア>があって、<大学生、高等専門学校および専門学校生、これらの学校に進学が決まった生徒のみなさん、大学受験予備校生、教育機関の教職員の方々などが対象>であることから、私など重宝している。例えば<Mac mini>の一番安いモデルは一般なら84,800円のところが70,800円で購入出来るのだ。今回は自宅のM1モデルを下取りに出してM2モデルを購入した。研究室に入れたiMac(M3)が快適なので、落差が気になりだしたのだ。さて、どうかな?

3時起床。
日誌書く。
Mac mini の入替作業、まずは使用中のM1モデルを初期化して、次にM2モデルに Time Machine のバックアップを復元する。結構時間がかかると思っていたが、いつもの起床時間までには完了した。M1モデルは下取りに出すのだが、土曜日に集荷を予約している。
ツレアイの起床に合わせて洗濯開始。

朝食、珈琲、今朝は弁当なし。
プラゴミ、30L*1。このところ、トレイをスーパーに持っていくので従来の45Lではなく30Lで間に合うようになった。
彼女は夜の太鼓の練習があるので自転車で出勤、私は一人で出発。

今朝は交通量が多く、結構時間がかかってしまった。
昨日の<情報機器の操作Ⅰ(栄養学科)>の入力課題をチェック、かなりタイピングにバラツキがある。
<スタディスキルズ>第4週の授業内容を検討、ワークシートを用意する。
木曜日3限は<スタディスキルズ(教育学科)>、18名のクラスだが1名は退学したようなので17名が3週連続欠席無し。今日からグループワーク開始、3班に分けたのだがそれぞれカラーが違って面白い。

帰路は順調、48分とは凄い。

まずはコレモ七条店まで買い物、トマト・キュウリ・レタス・コロッケ・アジフライ。
糠床メンテナンス、キュウリを漬ける。
奥川ファームの真タマネギをスライスして酢に漬ける。
Mac mini のチェック、今回は吊るしモデル(メモリーが8M)なのでいささか余裕がない(お金がないので仕方ない)。

早めに息子たちの夕飯、ホウレン草のごま和え/ニンジンのぬか漬け/トマト/焼きソーセージ(ハーブ)/コレモの<昔ながらのコロッケ>、揚げと若布の味噌汁、🍷。
🍷���びちびやりながら、ツレアイの帰りを待つ。
20時に終了との連絡、あれこれ肴を用意する。
🍶+🍷いただきながら録画モードで
レトロでアート 五感で楽しむ個性あふれる町 〜大阪 十三界わい〜
初回放送日:2024年4月25日 昭和の香り漂う飲食店の傍らに個性的な壁画が!?大阪・十三をよゐこ有野晋哉と朝ドラ「ふたりっ子」に出演し大阪とゆかりの深い菊池麻衣子が旅し、五感で楽しみつくす。 大阪・梅田からほど近く、神戸、京都へのアクセスも抜群。レトロな飲食店が賑(にぎ)わいを見せる大阪・十三。歓楽街を一歩進めば、意外なモノづくりの老舗に、巨大なアート作品も出現!個性あふれる町の魅力満載の旅▼おばちゃんから引き継ぐ子供に大人気の“イカ焼き”の味▼発酵パワーが注目される“柿渋”の老舗ですてきな染め物体験▼個性的な壁画に込めれらた町の人たちへの温かい思い
なかなか面白かった。
片付け、入浴、体重は2日前から600g減少。
パジャマに着替えて日誌書く。

ま、こんなものかな。
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驚愕! 関西空港に「1個5500円のおにぎりバーガー」登場! これでも“高くない”と言えるワケ - ライブドアニュース
以下引用
リニューアルオープンした関西空港第1ターミナル国際線出発エリアに、1個5500円の「おにぎりバーガー」を出す店舗が出店しました。かなり強気な価格ですが、見方によってはコスパがいい商品かもしれません。
1個3000円のメニューも!
2023年12月4日に第1ターミナル国際線出発エリアがリニューアルオープンした関西空港。このエリアには、びっくりする価格の”おにぎりバーガー”が存在します。 最近はSNSを中心に、とある都内の高級ホテルのルームサービスで頼む「おにぎり」が2個で4000円を余裕で超えていたことが話題を呼びましたが、関西空港に出店した「OnigiriBurger 関西国際空港本店」で提供される”おにぎりバーガー”の看板メニューの価格は、それを上回る1個5500円です。そのほかに1個3000円の商品も売られています。 しかし、5500円という強気の価格も、理由を知れば納得で��るかもしれません。 おにぎりバーガーはバンズの代わりに“お米と海苔”で具を挟んだ商品ですが、この高価格帯の商品に使われている具は、正真正銘の神戸牛です。1日55個限定で、5500円にて販売されている看板メニュー「侍”SAMURAI” 神戸牛ステーキバーガー」は、高級鉄板焼店さながらの本格スタイルで焼かれた神戸牛の肩ロース”ステーキが入っています。3000円のものは神戸牛のすき焼きが具となっている「神戸牛 関西風すき焼き”SUKIYAKI”バーガー」です。 しかも「侍”SAMURAI” 神戸牛ステーキバーガー」は肉自体が最高品質であることに加え、ステーキとしてそのまま出されても十分といえるほどの厚さ・大きさ。人生のなかでも指折りの「特別な日」に数万円かけて食べるであろう「高級神戸牛ステーキ」と比較すると、むしろコスパは高いといえるかもしれません。 そのような「OnigiriBurger 関西国際空港本店」ですが、店舗の外装はまるでタピオカ店のような、とてもポップなものとなっています。しかしレジ横には金色に輝く「神戸ビーフ品評会優秀賞購買店」の立て看板が。店舗担当者は「これを持っているおにぎり店は、日本ではここだけです」と話します。 なお、看板商品の神戸牛を取り扱ったメニューこそ高額ですが、同店にはお手軽な価格で楽しめるメニューも存在します。たとえば1300円の「BBQ焼肉」バーガー、700円の「自家製油みそ 厚揚げ豆腐」バーガー、500円のベーシック」おにぎりバーガーなどがこれにあたります。
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警視庁や岐阜県警など1都4県警合同捜査本部が27日、アジト4カ所を家宅捜索したベトナム国籍のグループによる大量万引事件を巡り、捜査本部は組織犯罪処罰法違反の疑いで、いずれも同国籍のアジト管理人2人を逮捕した。 逮捕されたのは埼玉県坂戸市のアジトに住むヴ・バン・カアン容疑者(26)と、大阪市中央区のアジトを管理していたグエン・フウ・トウ容疑者(29)=同市天王寺区生玉町。 ヴ容疑者の逮捕容疑は今年7月、埼玉県坂戸市のアジトで、愛知県豊川市内のドラッグストアで万引された化粧品など90点(販売価格約19万5千円相当)を受け取ったとしている。グエン容疑者は共謀して同月、愛知県豊橋市内のドラッグストアで万引された化粧品41点(同約4万8千円)を、運送会社へ偽名を使うなどしてアジトまで配送させ、犯罪収益を隠したとしている。 グループを巡っては、ベトナム国内の指示役を頂点に、実行役が日本国内のドラッグストアで商品を万引し、運搬役が航空便の手荷物としてベトナムへ持ち込んで現地で転売していた疑いがある。実行役の1人は今年6~10月にかけて、約150店舗で犯行に及んだと供述。捜査本部は全容解明を進める。
ベトナム国籍大量万引グループ〝アジト管理人〟2人を逮捕 全国のドラッグストア標的(産経新聞) - Yahoo!ニュース
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今年の前半は暇さえあれば劇場へ行っていたのに今全然行けていない!デヴィッド・フィンチャーの”The Killer”はおろか、スコ爺の新作もまだ観れていない。”The Killer”は配信になる前に観に行きたいけど…!そうこうしているうちに『インファナル・アフェア』もパトリシア・ハイスミスの映画も終わってしまう!12月はアキ・カウリスマキの新作『枯れ葉』が公開されるし、年が明けたらビクトル・エリセの最新作が…!意識的な無関心の時期がきてるけど、タイミング合わせて劇場に行きたいな。今こういう時代だからこそカウリスマキの”人間愛”に触れたい。


↑右は試写に行った友人から送られてきた画像。カウリスマキの映画に救われている人は沢山いるのだから、まだまだ引退せずにいてほしい…!
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今年は南方熊楠、串田孫一を知れたことで充分に幸せ。南方熊楠って全然知らなかったけど、知れば知るほど面白い人物だ。彼の研究、民俗学に特化せず言語学(ラテン語を独学?どうしたらできるの?)、精神学や人文学など多岐に渡りすぎていて、生きているうちに彼の脳内を理解しきれるのか不安になってくる。大学へ行かずに独学でオイはいく!っていう地の地でいく姿勢に密かなアナーキー精神を感じて惹かれてしまう。(ちょっと厨二病っぽいところが面白い)ここで彼の型破りな名言を紹介。
「肩書きがなくては己れが何なのかもわからんような阿呆共の仲間になることはない」
学歴や肩書きはない。組織にも所属せず師もなく独学で生涯在野で生きてきた熊楠さん。偉大な功績を残しながら、当時はかなり風変わりな人物だった模様。
「学問は活物(いきもの)で書籍は糟粕(酒のしぼりカス)だ」
蔵書家でありながら、不要と判断した本はキチンと返却していたらしい。
「権威に媚び明らかな間違いを不問にしてまで阿諛追従(あゆついしょう。相手に気に入られようと媚びへつらうこと)する者など日本には居ない」
ロンドン滞在中、ある大学の事務総長に腹を立て一言ピシャリ。
どうでしょう、魅力しかない人物だと思いませんか。来年は和歌山県にある熊楠の研究の場であり長く暮らした母屋を訪れたい。
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今は串田孫一にはまっている。人と自然のつながりが明瞭なわかりやすい表現、飾らない言葉たちで綴られている。ある部分でめざしたい文章、文体。この静寂な世界…静かな朝に読むのが至高。今は『雲の憩う丘』を読んでいる。27の随想、少しずつ味わいたい。

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そのほか先ほどの南方熊楠を始め『ノモレ』『パパラギ』など、今年は民俗に関する本を読んできた。文化人類学にはずっと興味と憧れをもっていて、大学では映画学と同じくらい学んでみたいと思っていた。もっと広い世界がみたいという漠然とした思い、日本とは違う世界の人たちの暮らしを体感したいという気持ちはいまだにずっと心にある。文明社会から遠く離れた人々の暮らしは至ってシンプル。こういった人類の衣食住に触れると決まって、モノに溢れ返った自分たちの生活が馬鹿らしく思えてくる。10年後はもっと情報化社会が進んでいるだろうし、自分の手を使って生み出したり足で稼ぐ機会がどんどんなくなっていきそう。そうなれば人間はどんどんダメになるだろうし、そこに自分は存在していられるかとても不安。人との連帯だけで何とか乗り切っていきたいけれど。指先だけで答えが分かる世の中でも、熊楠の「知の妖怪」精神で生き抜きたい。などと思う。
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今はもっと世界の、日本の往年の作家たちを知りたいという気持ちが強い。情報過多な現代に惑わされないよう、一度立ち止まって自分を見つめ直す時間を大切にしたい。
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↑今年のWBC。Jimmy Fallonみたいな人が映っていて、まさか⁈と思って調べたらやっぱりジミーだったみたい!(右側にいる頭抱えた水色シャツの人。)
今年は縁あって野球をたくさん観ている。WBCで人並みに大谷フィーバーがきたし、周りに野球ファンが増えたこともあり、初めてちゃんとプロ野球を見始めた。今は日本シリーズという、日本一を決める試合を一生懸命みている。ほんとはカードを持っている山本由伸選手がいるオリックスを応援したいのだけど、今は阪神タイガースを全力応援している。(ルールは勉強中!)
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私の家族は元々野球ファン。父は世間でいうまぁまぁなレベルの虎党だ。小さい頃ユニフォームとメガホンを持ちオリーブ色のパルサーに乗って、甲子園によく連れていってもらった。私が覚��ているのはタイガースファンに対する恐怖心。地鳴りみたいな大歓声、メガホンをバンバン叩いて騒いで叫んで…圧がもうね、すごいやん、おーん。て感じ。甲子園は高校時代に行事で出て以来、一回も行っていない。今年は突然父の体調が悪くなり、実家に頻繁に帰るようになった。今まで滅多に戻らなかったので、兄と「これからはできるだけ家族と過ごそう」と決めた。はからずも家族と向き合う年となり、全員が少し照れながらできるだけ毎週末を大切に過ごしている。嬉しさと少し変な感じ。高校から各々が別々の暮らしを送っていた。家訓かわからないけど、早いうちから家を出て自活するのが当たり前だと思っていた。だけど今は顔を見せることが一番の親孝行なのかも、と思ったりする。
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エニウェイ今は阪神タイガースが優勝できるように応援している。(いっぱい勝ってる気がするけど一体何回勝てばいいんだ)今日は山本由伸さんが出てるので複雑な心境だった。してやられたり…。毎日勝つのは難しい。勝ち負けの世界で戦う人たちはみんな輝いてるなぁ。
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今日は朝から実家へ直行。しばしダラダラした後リニューアルオープンした神戸のタワレコに行った。前は店舗数が少なかったのでひと店舗が占める割合が大きかったのだけど、今回は店舗数が増えたためタワレコもリニューアルとはいえかなり縮小されていた。取り寄せていたアナ・フランゴ・エレトリコの新作とRachael&Vilrayのアルバムを購入。
↑アナ・フランゴ・エレトリコの新作情報。
↑細野(晴臣)さんがラジオでおすすめしていたRachael&Vilray。毎夜聴いてます。
家に帰り、バーベキューの準備。今日は庭でバーベキューみたいなことをしながら野球をみて過ごした。すいちゃん(義姉)の手伝い2割おしゃべり8割。野球は負けたけどいい一日だったー。
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以上、雑多な日記でした。みなさん良い週末を〜。
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2023.9.14thu_tokyo
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昨晩は疲労困憊なのに百万遍を歩き回ったのち村屋※で飲んだ 帰りに天下一品に寄ったせいか 今朝は二度寝していた

二度寝して現場に到着
午前中はトイレ前にあったデカい鏡を移設する準備をしていた ラジオは「今夜アレになる」「18年ぶりのAREだ」と繰り返す
鏡を取り外すと朽ちた内壁がバリバリと剥がれたので修復 車があるうちに2枚多めに合板(畳サイズ)を買っておいてよかった
京都「西ノ京」に開店する珈琲ヤマグチ※の工事を請け負っている 最高気温が35度を超えたことを意味する猛暑日は37日を数えた

クライアントと友達
午後は昨日に引き続きクライアントが友達2人と助っ人に来てくれた ニュージーランド在住?サービス業従事者&僕の母校の教員
クライアントは真名美という 5年位まえ僕の飲み屋の客だった 真名美が現場に来るとアイデアを伝えてどう形にするか相談する
京都入りしてから2か月と1週間が経つ 7月7日に銭湯で買った石鹸はすっかりちびてしまった

7月8日天井落とし
今日はこういうかたちで「回想」することをみとめられたので 日頃反芻していた言葉の断片を1行31文字以内で書き留める
高井戸ICからイッチー※のハイエースに工具を満載し片道460km 物件は元米屋でその前はパン屋 餅屋いずれも貸主の商売だった
東京から京都へたった1人で移住した借主の行動力に感服する 工事の相方で師のイッチーと真名美で3人であちこち飲み歩いた
METROでのGiftやKyoto TSUBAKI fm 3rd anniversaryは楽園だった 京都にいる内にできるだけ多くのリスニングバーやクラブを回りたい

DJで一級建築士のタムラさん(DoitJAZZ)
築90年の町家建築を相手に序盤のほとんどは解体で難儀した 天井を落とし壁をめくり床をこじあけた裏側に幾千の生き物の痕跡

イッチーと彼が連れてきたアルバイト
仕事終わりには若松湯で埃りと汗を流している 町場に用事があればその周辺の銭湯巡る 10数軒は回ったか

文化財で銭湯にプチ遠征
ひと月かけて執り行われる祇園祭にも少し詳しくなった 通りの名前も徐々にしみついてきている

祇園祭はカッコよかった
コーヒーを淹れる台は材木屋で50年眠り続けたラワンの一枚板 材木屋は現場の近くにあり親切※美大関係者へのサーヴィスが手厚い

材栄さん
京都入りと同時に2級建築士製図試験対策の日曜講座に通い始めた しかしオンもオフもやることが満載で宿題の半分もままならなかった
めくった壁から90年前の大工さんがつくった壁がでてきた 新しく造る壁と並列させて見えるように設えている

A剥がして現れた壁

B古い壁と新しい壁
8月22日 イッチーはトリツカレ男の店番と都立家政での新しい 案件に着手すべく一足さきにハイエースに工具の半分を載せて帰った
いったん東京に戻り9月10日に製図試験挑んだが十中七八アウトだ 12月7日に結果が出る そのころには珈琲ヤマグチも板についている

二級建築士製図試験問題
言葉を尽くし手を動かし工夫を重ねた内装工事も終盤 準備した200枚の名刺は徐々に京都人たちの名刺に換わっている
いろんな店で顔なじみになり「工事終わったら帰りはるんですか」 惜しんでくれるのは嬉しいが工事はあと1週間半くらいで終わらせたい
サウナで声をかけてくれた51才の紳士は音楽通だった いまやかけがえのない京都のともだちになっている

レコード棚も造っています
場所柄外国人とも酒を酌み交わした フィンランド人、チリ人 トルコ、中国人、モンゴル、アイルランド…7か国位?
芸大(先端芸術表現科)の同級生や先輩とも久しぶりに会えた なぜか同級生の2人が医師免許をとっているが明日その彼らに会う

先端の先輩が自転車に載せられる美術館をつくっていた
16時半 真名美は同級生と自然派ワインの店coimo wine & cafeへ 僕は若松湯のラジオで阪神タイガースの優勝の瞬間を見届けた
最寄りの定食屋兼飲み屋「たいたん はちべゑ」へ行くと 「あとアウト1つやで」と狂喜乱舞するファンに迎えられた※

あれに乾杯
京都でピザ屋を開きたいという同い年の夫妻に出会った※ 早く眠るつもりがCOMOGOMO JURAKUで2人の夢を語りあった
もしかしたら彼らの店を造ることになるかもしれない 25時 今日も倒れるまで眠らなかった
灼ける盆地の風にも秋の成分がだいぶん添加されてきた もう猛暑日の38日目をカウントすることはないだろう

イッチー、フィンランド人���イラリくん、やぎ
ーーーーーーーーーーー 注釈
※村屋 出町柳のカオスな飲み屋。自然派日本酒が豊富。
※珈琲ヤマグチ 現在自家焙煎コーヒーのオンライン販売とイベント出店。 2023年9月現在。中京区西ノ京左馬寮町にて喫茶店を開業予定。 御前丸太町下ル 若松湯東入ル。 https://www.instagram.com/_3_yamaguchi/
※イッチー 高円寺のタパスバー「トリツカレ男」店主。 2017年末この店をイッチーが造っているのを手伝わせてもらったことが 僕が内装を始めたきっかけのひとつになっている。 https://www.instagram.com/toritukareotoko/
※親切な材木屋 材栄 https://zaiei.shopinfo.jp/
※阪神タイガースのリーグ優勝 日記の中にアレの瞬間が2回あるのは ラジオ放送に遅れてテレビ放送がついてくる。 タイムラグは2分近くあったと思う。 その間検閲できちゃうのでは?という時間差。 ラジオは昔も今も最速のメディア。現場でもラジオが相棒。
※ピザ屋 ヨロシクピッツァ。 ポップアップ出店と窯ごと出前ピザしている。 https://www.instagram.com/yoroshiku_pizza/
※COMOGOMO JURAKU 現場から近いし深夜遅くまで開いているので 製図試験対策で力尽きたらここで晩酌していた https://www.instagram.com/comogomo_juraku/
-プロフィール- やぎ 38歳 東京 とんち造作計画・内装業
ペーパードライバーの個人事業主の内装業。 店舗設計、解体、壁の造作、什器製作、左官、給排水配管 などおおよそ全て自前で施工している。 佐橋※介。※の部分を景に替えてお読みください。 http://instagram.com/tonch_keikaku/ http://tonch.tokyo/
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2023/6/5〜

6月5日 通勤中の道の真ん中に亀がいて今日も竜宮城フラグ。いつもここで自転車ですれ違う方と、おや!亀ですね!となった。 竜宮城のことを少し考えながら歩いてみて、宴の席苦手だから別に行きたくないな〜とか、開けてはいけない箱を持たされるのは荷物になるのでお断りだな〜、とか思って亀を助けなくても良い気持ちになる。
昨日の体調不良と半日部屋に篭った反省をしつつ、社会に出るとなんとかなってしまう感じに、社会に出るための体力のための身体になってしまう悲しさを、そこまで悲観しきれずに感じている。
職場の方にZoffの教職員割で30%引きでメガネが買える、と教えてもらった!Zoffのメガネ買ったことないのでお部屋用のメガネを変えようかな。
今週も出張と通院があるし、週末は1人の予定があるので、なんか頑張らなくてはいけない。
最近、自分のデジタルカメラで撮った写真がそこまで嫌でなくなってきたのに、今日はカメラを持っておきたかったのに、今日はカメラがなかった。

6月6日 qpさんのお散歩音声の中で、ご自身の喋り方が苦手だったけれど録音したのを聞き重ねるうちに慣れたのか嫌でなくなってきた、とお話ししているのを聞きいて、私は自分の喋り方や声がとても嫌いなので、音声録音をしてみようかな、と思った。 玄関からお風呂に入るまでの音を録音してみようかな。1人で喋れるのかな。
昨日廊下から「お笑いはラバーガールとか好きだった」という2期下の方々の会話が聞こえてきて、HINTOのしらないまちのP��を見たくなる。 Apple Musicで検索してみたけれどサブスクにはないみたい。 その流れでふと東京事変や椎名林檎を数曲ダウンロードした。

電車で隣になる女子高生たちはスマホの単語学習アプリをせっせと攻略している。今隣の女子高生も一通り学習を済ませて、ホーム画面に移ったところで、その画面にダイエットの教訓が書かれていた。
今日はもうひとパターン名刺を作ってみたい。
上司から、ミスドは店舗によっては、店でドーナツを揚げていないと教えてもらう。セントラルキッチン?だっけ。昨日聞いていたqpさんのお散歩音声でも、セントラルキッチン?になってから大戸屋は美味しくなくなった、と言っていた。
明日はまた東京出張なので、空元気を使って「おはようございます!」をやらなくてはいけない。

6月7日 出張先に辿り着くまでに正しい池袋行きに乗れているのかいつも不安になる。 池袋を経由するその前後の駅のラインナップの違いをいまだにちゃんと理解できていない。高校生の時もこの路線に少し絡まった駅を使いながら、結局池袋に行ければいいのでは?と思っていた。
出張先2件で、伝えたいことを大きな声で訴えてしまい涙が出そうになりながらおじさんに囲まれて、なんでこの姿勢で仕事をしてしまうのか、と思ったけれどもっと悲しくなるより先に、外が暑くてつらかった。
お持ち帰り案件をかかえてもやもやしながら神保町で下車して、大学の図書館の利用更新を確認して、気になる雑誌をペラペラザッピングした。坂本龍一の芸術新潮と装苑に載っていたロバの映画が気になる。 面白そうな本のタイトルを見つけたりして、神保町をふらふらして帰ってきた。 研究室を2度覗いたけれど、お客さんがいらしたのでまた今度。今の上司は、私の先生の前職の学校の教え子なので、この4月からたいそうお世話になっているんですよ、と報告をしたかったところ。 助手でお世話になった方が、ちょうどアメリカから帰国中のようで連絡をとってみる。
帰りの電車で最果タヒの百人一首の本を読み進めていると、死んでみせる愛情アピールって意味不明!と会って、ごもっとも! 日曜にあった友人から話の流れで「死なないでほしいよ。」と言ってもらえたこと、喜んでしまったことを思い出す。本当に死んじゃったりしないと思うのに、そう言ってもらえた日は、少なくとも生きようと思える。 明日は通院。一ヶ月が早い。

6月8日 自分で新しく始めた、玄関の音、のこと、朝起きてそれにわくわくしている自分がいた気がする。
職場で久しぶりにおかしなペンの持ち方に突っ込まれてしまい「お箸はちゃんと持てますか?」と訊かれた。その方はお箸をちゃんと持てないらしい。
通院して、どんよりと入院を迫られて、確かに自分がどういうモチベーションでここに通っているのかよくわからなくなってしまった。 とにかく待ち時間が長くて、それだけの理由で、東京の大きな大学病院に通っている意味がよくわからない気持ち。 でもお会計の待ち時間に、先週末に、もう最後かもね、と会った友人から出産報告を受けて、なんかハッピーになった!1ヶ月早かったらしい。 少なくとも今日のところも死なないでいたいと思ったので気をつけて生きよう。

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