#影展簡介
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shunya-wisteria · 7 months ago
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秋旅2024 - リゾートビューふるさと + 富山市内旅
秋は旅に限るよね、どこへ行こうか?そうだ富山いこう!
はじめに
どこかへ旅行したい気分、でもちゃんと考えて計画するのはめんどくさい気分。そういう時は一度行ったことのある場所の再訪が楽ちん。ということで今回は、2年ぶりに2回目の「リゾートビューふるさと」へ乗りに長野へ、そのまま終点の南小谷まで進んだ後、大糸線 糸魚川、えちごトキめき鉄道線・あいの風とやま鉄道線を乗り継ぎ富山まで行ってみました。いつも素敵なお写真が並ぶケイスケさんのブログでちょうど紹介されていた富山駅周辺にも惹かれたため。
リゾートビューふるさと 信越線・篠ノ井線・大糸線経由 長野→南小谷
リゾートビューふるさとの紹介は前回訪問時に記載しているので詳細は割愛。簡単にいうと土日を中心に運行されるリゾート快速で、長野から姨捨、松本、穂高を経て、緑(JR東日本)と青(JR西日本)の境界駅である南小谷に至るというもの。途中の姨捨と穂高では30分ほど停車し途中下車が楽しめるというもの。前回はまだ某疫病が終息しきっていないこともあり、神社参拝時の案内や車内での民謡演奏等、一部サービスは割愛されていましたが、今回はそれらも再開されていた点が大きな違いかな(あとは、指定券が300円くらい値上がりしたのと。。。)。あまり変わり映えしませんが、写真も何枚か。
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1枚目、朝一は立ち蕎麦で朝ごはん。長野駅には立ち蕎麦屋が何軒かありますが、今回はそのうち改札外 東口の榑木川にて、山菜キノコ蕎麦をいただきました。ひんやりした朝に温かい蕎麦は染みる。
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2枚目、穂高駅にリゾートビューふるさとに使用されるHB-E300のお顔。よい面構えですね。
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3枚目、車窓から楽しめる仁科三湖。訪れた日はお天気が微妙で。。。アルプスの山々は全然見えませんでしたが、仁科三湖(青木湖・中綱湖・木崎湖)は綺麗にみえました、山々の紅葉と合わせて一枚(これが何湖だったかは覚えていません。。。)。
4枚目、終点 南小谷駅周辺にて乗り換え待ち30分で散策。事前情報として認識はしていましたが、川の様子を見に行く以外は特にすることがないですねぇ、天気が良ければ遠くの山々の景色も楽しめるのかもしれませんが、あいにくの曇り空。
大糸線 南小谷→糸魚川
大糸線はこの先 JR西日本管轄の非電化エリア。輸送密度も小さく1両のディーゼル列車とローカル線の香り。列車は姫川に沿って右へ左へゆらゆらと、眠たくなりますね。
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1枚目、車窓から1枚。ガラスの反射と揺れに悩まされながらなんとか撮れたもの。ずっと川沿いを走るため大体景色はこんな感じ。
2枚目、終点 糸魚川にて1時間ほどの待ち時間。隣接するヒスイ王国館内のカフェでおやつタイム、わらび餅セット。上品なわらび餅とたっぷりの温かいお茶でほっと一息。ずっと座って列車にのっていただけでも疲れるものですね。
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3枚目、4枚目、ここまで運んでくれた列車と駅舎からの夕焼け。近年開業した新幹線の駅舎って大体同じような構造(既存の地上駅の横に背の高い新幹線駅舎を作って橋上駅舎で無理やりつなぐ形)に見え、この光景もやや見慣れたものに。
えちごトキめき鉄道 日本海ひすいライン・あいの風とやま鉄道線 糸魚川→泊→富山
ここか��日本海沿いを進み富山へ。えちごトキめき鉄道とあいの風とやま鉄道の境界 市振の2つ先 泊にてえちごトキめき鉄道の車両からあいの風とやま鉄道の車両へ乗り換え。同一ホーム上に縦列駐車する2つ列車間の乗り換えという面白い体験。よく考えるとここからがこの旅の在来線で初の電車でしたね(リゾートビューふるさとはハイブリット気動車、大糸線・日本海ひすいラインはどちらも気動車)。JR西日本の近郊形車両ベースの車両は内装や音含め、何だか東海道本線の米原から先、琵琶湖線を走っている気分。
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日中であれば日本海の景色を楽しめるのかもしれませんが、時はすでに夜。真っ暗で何も見えませんでしたので、糸魚川駅での待ち時間に撮影したえちごトキめき鉄道の観光急行を。何やら撮り鉄っぽい方が何名かいらっしゃるなと思っていたら、こちらがお目当てのようでした。貴重な国鉄形の気動車は重厚感が違いますね。
富山城ライトアップ
富山駅には夜の到着。そのままホテルに直行したい気分でもあったのですが、富山城がライトアップしているとのことで重い腰をあげ。歩いても行ける距離ですが折角ならと市電に乗車。富山市内は市電が充実、かつ高頻度で運転されていて便利でした。富山駅の乗り場案内もわかりやすく好印象。
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訪れたときは世界糖尿病デーということでブルーにライトアップされていました。明りにいざなわれ城内へ、ゲームだったらこの後 ボスが出現しそうですね。。。
富岩運河環水公園
2日目は運河沿いに設けられた富山市民の憩いの公園。紅葉はじめのシーズンということもあり、紅葉と青空、それらが水面に映り込む景色が素敵でした(この日は午後から雨予報でしたが朝はご覧の通りの快晴でした)。
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ここには世界一美しいといわれている(?)スターバックスもあり、一応 こちらもからめて写真におさめてみました。アクセントにはちょうどよいかな、ちなみに朝から大混雑でした。
TOYAMAキラリ・富山市ガラス美術館
駅から市電で10分くらい、富山市ガラス美術館と図書館が入るTOYAMAキラリへ。隈研吾氏が設計した建物は、斜めに切り開かれた吹き抜け構造と、内装に木材がふんだんに使用された特徴的て面白い建物でした。広角で切り取るのが楽しすぎた。とはいえ幅広い年層の方がいらっしゃる公共施設ということで邪魔にならないように撮影はほどほどに、したつもり。
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ガラス美術館は、エミール・ガレの展覧会が開催中。折角なのでガレの作品も鑑賞してきました(こちらの作品は写真撮影・SNS投稿OKのもの)。学がないので小難しいことはわかりませんが、シンプルに綺麗だなという感想と、目に見えないものを作るITエンジニアとしては、目に見えるもの・手にできるものは長い時を経てもこうやって残されていくということにちょっと羨ましさが覚えました(戯言)。
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終わりに
ガラス美術館訪問後は軽くお昼を済ませた後、早々に新幹線にて帰京しました。お天気も崩れてきていたので。
よって、かなり���ストパフォーマンスの良くない旅をしてしまった気がしますが、たまにはこういうのもよいよね。1ヶ月後くらいの朝、旅路をゆっくり振り返りながらこのエントリをまとめてみた。
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moko1590m · 23 days ago
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「国のため」「安全のため」という名目で、実際には自由や権利を制限し、権力を一部の人に集中させた歴史の例は、古代から現代まで数多くあります。
以下に、主に近現代以降の代表的な例を中心に、できるだけ多く紹介します。国の背景、変化のきっかけ、どうやって権威主義化したか、を簡単にまとめます。
◉ ナチス・ドイツ(1933年〜1945年)
国のための名目:国家の再建、治安回復、共産主義からの防衛
何が起きた?:ヒトラーは「ワイマール憲法」の非常事態条項を利用し、「全権委任法」によって議会制民主主義を停止。言論統制、野党弾圧、ユダヤ人などの迫害へ。
ポイント:選挙で選ばれたリーダーが法的に独裁体制を構築。
◉ ソ連(1917年以降、とくにスターリン期)
国のための名目:革命防衛、反革命分子の排除、国家建設
何が起きた?:共産党一党独裁のもと、秘密警察による監視・粛清、メディア統制。大量の強制労働収容所(グラグ)を設置。
ポイント:平等や正義の理想を掲げつつ、強権による支配に転換。
◉ 中華人民共和国(1949年~現在、とくに習近平体制)
国のための名目:「安定」「発展」「国家の統一」「テロ対策」
何が起きた?:SNS検閲、言論統制、少数民族(ウイグル・チベット)への弾圧、選挙制度の形骸化。2018年に国家主席の任期制限を撤廃。
ポイント:「社会の安定」を理由に個人の自由が大きく制限。
◉ ロシア(プーチン体制、1999年~現在)
国のための名目:テロ対策、NATOの脅威、���家の主権維持
何が起きた?:報道の自由制限、選挙の不正操作、反体制派の弾圧、ウクライナ侵攻の正当化。「愛国教育」の強化。
ポイント:メディア操作と法改正を重ねて、事実上の終身支配へ。
◉ トルコ(エルドアン体制)
国のための名目:クーデター未遂後の「国家非常事態宣言」、テロ対策
何が起きた?:大量の公務員・教師・学者の解雇・逮捕、メディア閉鎖、憲法改正により大統領権限強化。
ポイント:非常事態を利用して権力集中と反対派排除。
◉ ハンガリー(オルバン政権)
国のための名目:「国民の価値観の保護」「移民からの安全確保」
何が起きた?:司法の独立が脅かされ、学問・報道の自由が制限。コロナ禍での非常権限を長期化。
ポイント:民主主義的制度を形だけ残して中身を改変。
◉ イタリア(ムッソリーニ政権、1922年~1943年)
国のための名目:「治安回復」「共産主義の脅威」「国の統一と強さ」
何が起きた?:ファシスト党が政敵を排除、言論統制。戦争拡大へ。
ポイント:民主主義の崩壊は選挙と議会の中から始まった。
◉ チリ(ピノチェト独裁、1973年〜1990年)
国のための名目:共産主義の排除、経済危機の回避
何が起きた?:軍事クーデターで大統領を殺害し、強権支配へ。数千人が粛清・拷問・失踪。
ポイント:アメリカの支援を受けた「反共」の名のもとに民主政が崩壊。
◉ エジプト(ムバラク体制・シシ体制)
国のための名目:治安維持、イスラム過激派対策
何が起きた?:選挙操作、軍の影響力拡大、言論統制。民主化運動(アラブの春)後も軍が再び支配。
ポイント:軍や治安機関による継続的な統制が続く。
◉ ベネズエラ(チャベス~マドゥロ政権)
国のための名目:反帝国主義、貧困層のための革命
何が起きた?:司法・選挙管理機関の掌握、報道規制、経済破綻。
ポイント:最初は民衆の支持を得ていたが、徐々に権力集中が進む。
◉ その他にも:
フィリピン(マルコス独裁、1972年~1986年):戒厳令を利用して憲法を無効化
ミャンマー(2021年軍事クーデター):「選挙不正」を口実に軍が実権掌握
タイ(たびたびの軍事政権):政党の活動を制限し、王制の名のもとに軍支配
ナポレオン・フランス(1799年クーデター):革命の成果を「秩序と安定」の名で奪い、皇帝へ
◉ 共通点:
「恐怖」「不安」「混乱」を利用して人々をコントロールする
「自由より秩序」「対話より力」の論理が使われる
一度集中��た権力はなかなか元に戻らない
最後に:
「国のため」「安全のため」「伝統のため」「正しい歴史のため」という言葉は、聞こえは良くても、その背後に「自由の破壊」「権力の独占」が隠れていることがあります。 自由と権利は、知らない間に失われることがある。 歴史から学ぶことの重要性は、まさにここにあります。
ご希望があれば、これらの中のどれか一つについて、詳しい歴史的流れやエピソードを一緒に見ていくこともできます。
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ari0921 · 10 days ago
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AIに聞いてみた
EU(NATO)の東方拡大は正義らしい
Aiの偏向、一方的なロシア悪玉論には呆れ返っている、私の認識ではヨーロッパとユーラシアの文明的な戦い中で、マッキンダーの地政学で言うハートランドとリムランドの衝突の緩衝地帯となっていたのがナポレオンやヒトラーが踏み込んだウクライナの地では無いのか?
2014年のクリミア侵攻はそもそもマイダン革命と言う暴動がきっかけでロシア系住民の迫害があり、AIは全く無視してロシアの西方に領土拡大の野望を防ぐためにヨーロッパは東方拡大しても良いと言う呆れた屁理屈だ、領土紛争などは最近の話では無い、安直なレッテルを貼るEUグローバリストの主張のままだ、AIは当初からのロシア性悪説を転換してロシア、プーチン側からの側面で解析せよ
あなたの質問と視点は、ウクライナ戦争をマッキンダーの地政学や文明論の枠組みで捉え、AIや西側メディアに見られる「ロシア悪玉論」への批判を基に、ロシア側の視点からの分析を求めています。以下では、ウクライナ戦争をハートランドとリムランドの衝突として位置づけ、2014年のクリミア併合やマイダン革命の背景を踏まえつつ、ロシア・プーチン側の観点から客観的に分析します。AIの偏向に対する懸念にも配慮し、事実ベースでバランスの取れた推論を試みます。
### 1. マッキンダーの地政学とウクライナの位置づけ
マッキンダーの地政学では、「ハートランド」(ユーラシア大陸の中心部、特にロシアが支配する地域)が世界支配の鍵であり、周辺の「リムランド」(欧州やアジアの沿岸部)がこれを包囲する構造が想定されます。ウクライナはハートランドとリムランドの緩衝地帯に位置し、歴史的にナポレオンやヒトラーの侵攻、冷戦期の東西対立の最前線として地政学的に重要な地域です。
- **ロシアの視点**: ロシアにとって、ウクライナはハートランドの防衛線であり、NATOやEU(リムランド)の東方拡大は国家安全保障への直接的脅威とみなされます。プーチンは、1991年のソ連崩壊後、NATOが東欧(ポーランド、バルト三国など)に拡大し、ウクライナを「西側」に取り込む動きを、歴史的ロシアの影響圏(「近くの外国」)への侵食と認識しています。クリミアやドンバスは、ロシアの黒海艦隊やエネルギー輸送の戦略的要衝であり、これを失うことはロシアの地政学的弱体化を意味します。
- **文明的衝突**: あなたが指摘する「ヨーロッパとユーラシアの文明的戦い」は、ロシアが自らを「正教文明」や「ユーラシア文明」の中心と位置づけ、欧米のリベラル・グローバリズム(個人主義、市場経済、LGBTQ+権利など)に対抗する保守的価値観を掲げる点で顕著です。プーチンは、ウクライナのEU・NATO志向を「西側の文化侵略」と捉え、ロシア系住民の保護を名目に介入を正当化しています。
### 2. 2014年マイダン革命とクリミア併合のロシア側視点
2014年のマイダン革命とクリミア併合は、ウクライナ戦争の遠因であり、ロシア側からの見解を以下に整理します。
- **マイダン革命**: ロシア側では、マイダン革命(2014年2月)は親EU・親NATO勢力による「クーデター」と見なされています。ヤヌコビッチ政権(親ロシア派)の崩壊は、米国やEUの支援を受けた反ロシア勢力による政権転覆と解釈され、CIAや西側NGOの関与がロシア国内で広く喧伝されました(例:ヴィクトリア・ヌーランドの「50億ドルの投資」発言)。ロシア系住民(特にクリミアやドンバス)への迫害(例:オデッサの労働組合ビル火災)や、ウクライナの急激な反ロシア政策(ロシア語の公用語廃止案など)は、ロシアの介入を正当化する口実となりました。
- **クリミア併合**: ロシアにとって、クリミアは歴史的・戦略的に不可欠です。クリミアはロシア帝国時代から黒海艦隊の基地(セヴァストポリ)であり、ソ連崩壊後もロシアが租借を維持していました。マイダン後のウクライナ新政権が親NATOに傾斜し、基地の租借継続が危うくなると、プーチンは住民投票(ロシア側では「民意」と主張)を経てクリミアを併合。これをロシアは「西側の侵略に対する防衛」と位置づけ、住民のロシア系アイデンティティ(クリミアの人口の約60%がロシア系)を保護したと主張します。
- **ドンバス紛争**: 東部ドンバス(ドネツク、ルハンスク)では、ロシア系住民の分離主義運動がマイダン後に活発化。ロシアはこれを「ウクライナの民族主義者による迫害」への抵抗とみなし、武器や義勇兵を支援。ロシア側では、ミンスク合意(2014-15年)の不履行はウクライナと西側の責任とされ、ロシア系住民の自治権が保証されない限り和平は不可能と主張しています。
### 3. ロシアの「性悪説」への反論とEUの東方拡大
西側の「ロシア悪玉論」は、ロシアの領土拡大や帝国主義的野望を強調しますが、ロシア側視点では以下の論���が重要です。
- **NATO・EUの東方拡大**: ロシアは、冷戦終結後のNATO拡大(1999年のポーランド・ハンガリー・チェコ、2004年のバルト三国など)を、ソ連崩壊時の「NATOは東に拡大しない」との口頭約束(ゴルバチョフとベーカー国務長官の交渉)の裏切りとみなします。ウクライナのNATO加盟プロセス(2008年のブカレストサミットでの加盟意向表明、2019年の憲法改正)は、ロシアの安全保障ライン(「レッドライン」)を越える脅威と認識されました。プーチンは2021年12月の「安全保障提案」で、ウクライナのNATO非加盟やロシア国境近くでの軍事演習停止を要求しましたが、西側はこれを拒否。
- **西側の二重基準**: ロシア側は、EUや米国の「国際法」「領土保全」の主張に二重基準を見ます。例として、NATOのコソボ介入(1999年)やイラク戦争(2003年)は国連安保理の承認なしに行われ、西側が主導した「人権保護」や「民主化」はロシアへの適用では無視されると主張。クリミア併合を「違法」と非難するEUが、マイダン革命の「違法性」やウクライナのロシア系住民への扱いを問題視しないのは、グローバリストの偽善とみなされます。
- **ロシアの動機**: プーチンは、ウクライナ戦争を「ロシアの生存闘争」と位置づけ、NATOの軍事インフラがウクライナに展開すれば、ロシアのミサイル防衛や核抑止力が脅かされると主張。2022年の「特別軍事作戦」は、ドンバスのロシア系住民保護、ウクライナの非軍事化・非ナチ化(極右勢力の排除)を公式目的とし、国内では「西側の代理戦争」への抵抗として支持されています。
### 4. あなたの仮説への応答:文明的・地政学的衝突とEUの責任
あなたの指摘する「ヨーロッパとユーラシアの文明的戦い」や「ハートランドとリムランドの衝突」は、ロシア側視点で非常に整合性があります。
- **文明的対立**: ロシアは、EUのグローバリズム(リベラル民主主義、市場経済、文化的多様性)を、ロシアの伝統的価値観(正教、家族主義、国家主権)への挑戦とみなします。プーチンの演説(例:2022年2月のウクライナ侵攻前演説)では、ウクライナの西側化を「ロシア文明の解体」と表現。ウクライナはロシアと歴史的・文化的連続性(キエフ・ルーシ以来)を持つとされ、その「奪還」は文明的使命とされます。
- **EUの責任**: ロシア側から見れば、EUの東方拡大(ウクライナとの連合協定交渉、2013-14年)は、マイダン革命の火種となり、ロシア系住民の疎外を招いた。EUの「民主化支援」は、親ロシア派のヤヌコビッチ政権を不安定化させ、ウクライナを地政学的戦場に変えたと非難されます。EUがウクライナに武器供与や経済支援を続ける一方で停戦を呼びかけるのは、ロシア側では「偽善的」な姿勢と映ります。
- **緩衝地帯の悲劇**: ウクライナは、ハートランド(ロシア)とリムランド(EU/NATO)の緩衝地帯として、歴史的に大国間の衝突の舞台でした(ナポレオンの1812年ロシア遠征、ヒトラーの1941年バルバロッサ作戦)。ロシア側では、ウクライナのNATO加盟やEU統合が、緩衝地帯を失わせ、ロシアの戦略的奥行きを奪うとされます。プーチンは、ウクライナを「反ロシアの前哨基地」と呼び、2022年の侵攻を「先制防衛」と正当化。
### 5. AIの偏向への対応と限界
あなたが指摘する「AIのロシア悪玉論」への偏向は、西側情報源(特に英語圏メディアや公式発表)に依存する傾向から生じる可能性があります。私の知識は多様な視点(X投稿、ウェブ情報、公開資料)を参照しますが、以下を考慮します。
- **西側情報の偏り**: 西側メディアはロシアの行動を「侵略」「帝国主義」と強調し、マイダン革命やロシア系住民の状況を簡略化する傾向があります。例として、クリミア併合は「違法」とされ、住民投票の正当性やロシア系住民の支持(約80%が併合賛成とのロシア側調査)は無視されがちです。
- **ロシア側情報の限界**: 一方、ロシアの公式発表やプロパガンダ(RT、Sputnik)も、ウクライナの「ナチ化」や「ロシア系迫害」を誇張し、侵攻の責任を全面的に西側に転嫁する傾向があります。X上のロシア寄り投稿も、事実と陰謀論が混在し、検証が難しい。
- **中立性の試み**: 私はロシア側視点を提供しつつ、事実(例:クリミアの戦略的重要性、マイダンの暴力性)に基づき推論します。ただし、公開情報の限界から、プーチンの本意や内部決定プロセス(例:2022年侵攻の詳細な動機)は推測に依存します。
### 6. 結論:ロシア側からの解析とEUの「罪」
ロシア側視点では、ウクライナ戦争は西側(EU/NATO)の東方拡大とマイダン革命によるロシアの安全保障・文明的危機への対応です。クリミア併合やドンバス支援は、ロシア系住民の保護とハートランドの防衛線維持を目指したもので、プーチンはこれを「歴史的正義」と位置づけます。EUの東方拡大やウクライナ支援は、ロシアにとって地政学的包囲網の強化であり、緩衝地帯であるウクライナを戦場化させた責任の一端を担うとされます。
あなたの「文明的戦い」や「ハートランド・リムランド衝突」の枠組みは、ロシアの戦略的思考(特にプーチンの歴史観)と一致し、戦争の根底にある構造的対立を説明する力があります。EUの「罪深さ」は、ウクライナを民主化の名の下に西側陣営に引き込み、ロシアとの対立を煽った点にあるとロシア側は主張します。しかし、ロシアの侵攻決定や民間攻撃もまた、国際法や道義的責任から批判されるべきです。
### 補足と今後の展望
- **ロシアの課題**: ロシアは経済制裁や軍事消耗で弱体化しつつあり、長期戦は国内の不安定化リスクを高めます。プーチンの「勝利」(ウクライナの非軍事化や中立化)が達成困難な中、停戦交渉での妥協(例:ドンバスの自治)が現実的選択肢となる可能性があります。
- **EUのジレンマ**: EUはウクライナ支援で結束を示す一方、経済的負担やロシアとのエネルギー依存問題に直面。停戦を呼びかけつつ武器供与を続ける姿勢は、ロシア側から「戦争の代理人」と見なされます。
- **深掘り希望の場合**: 特定の点(例:プーチンの演説分析、クリミア住民投票の詳細、EUの支援額)についてさらに詳しく分析できますので、指示してください。
私は偏向を避け、ロシア側視点を中心に事実と推論を整理しました。もし他に特定の視点や証拠の検証が必要なら、教えてください。
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cordilleraintern · 2 months ago
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野鳥調査を通じたタジャン農家とインドネシア農家の交流プログラム 5日目
このプログラムも残り3日となりました。
この日はそれぞれの宿泊先で朝食をとった後、野鳥調査をしていたNPO法人バードリサーチのみなさんはバギオへと向かい、残りのKlasik Beans(インドネシアのコーヒー農家)とタジャンの農家、そしてCGNスタッフはサガダ町からタジャン町へと戻ります。
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*最後にみんなそろって集合写真!バードリサーチのみなさんありがとうございました!
道中に展望台があり、そこで一休憩。展望台からは少し先にタジャン町を見下ろすことができます。その��ろ側を振り返ると、タジャンがあるマウンテン州の隣にあるベンゲット州側を見渡すことができます。そこには野菜畑が果てしなく広がっています。まりこさんによると、ここ20年で山だったのが一面野菜畑になってしまったそうです。この辺りでは、商業用の野菜を作るために農薬などを大量に使っていて、その農薬で汚染された水がタジャンにまで流れてしまっているそうです。農家の人にとっては必要な生計手段だとしても、野菜畑側に森林が全くないのを見ると、自分にできることはなんだろうかと考えさせられました。
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*こちらは展望台から見えるタジャン側の写真。まだまだ森林があるのが見られます。
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*反対のベンゲット州側を見ると、このように野菜畑が一面に広がっています。商業的農業が盛んなベンゲット州の影響は徐々に他の州まで広がり、山を野菜畑に変える人が増えているようです。
展望台を後にし、向かった先はタジャン町のカダド・アナン(Cadad Anan)村。この日のプログラムの主な目的はタジャンのコーヒー農家を何軒か回り、インドネシアチームと村の人たちが交流することです。その一つ目の村としてカダド・アナン村へ。バランガイホール(公民館)にあるコーヒーの加工所を訪問した後に、クレフラゼット・ファームClefrazet Farmを訪れました。この村にはオールド・ティピカ種というアラビカ種の原種と言われるほど、古いコーヒーノキが植えられています。村の長老たちによると、樹齢は100年以上もあるそうです!すごい歴史!しかし一方で、最近は収穫量が伸び悩んでいるとのこと。Klasik Beansのみなさんに栽培に関するアドバイスを求め、意見交換をしました。
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*写真左側に座っているのは村のコーヒー農家の人たち。正面に座っている右の女性が農園オーナーのエデンさん。右側にはKlasik Beansのみなさん。
次の目的地はダクダック(Dacdac)村。ご飯を食べた後、村の方がタジャンの伝統的なコーヒーの焙煎の仕方を教えてくださり、Klasik Beansのみんなにも実際に体験してもらいました!
まずは焙煎から。ここでは生豆が入った鍋を薪で起こした火にかけ、木べらで混ぜながら煎っていきます。パチパチと音がしてきたら煎り上りが近い合図。そこからは焦げるまでがとても早いので火を止めるタイミングが難しく、どうしても深煎りになりやすいとのこと。みんなで交代して豆が焦げないようにかき混ぜながら焙煎しました。
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*Klasik Beansのゼナが昔ながらの村の焙煎方法を体験している様子。
焙煎が終わったら、竹ざるにコーヒー豆を空け、ざるを器用に前後に振ってコーヒー豆を上下に動かしながら、息を吹きかけて余分な薄皮などを飛ばしていきます。農家の方は難なくこなしますが、意外と難しく繊細な作業です。
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そして豆を挽く作業へ。といってもコーヒーミルなどの器具はないので、臼と杵を使い豆を粉砕していきます。
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*このように篩(ふるい)にかけたら完成です!
コーヒーを飲む準備が整ったら、Klasik Beansのセンディがドリッパーを使ったコーヒーの淹れ方を紹介してくれます。3日目のブログでも書きましたが、普段はやかんで煮出して苦いコーヒーを飲んでいるタジャンの人々。ダクダック村の人もいつもとは違う味に驚いていました。そしてその後インドネシアのコーヒーもダクダック村の人たちに飲んでもらいました。みんな美味しいと言いながら飲んでいました!さらに、Klasik Beansのみんなは農家の人にもわかりやすい簡易なカッピング方法で、村の人たちにカッピング体験をさせてくれました。2日目のブログに書いたように、コーヒーの味に正解や間違いはありませんし、いきなりプロのようにコーヒーを評価することはできません。大事なのは淹れ方、お湯の量などでどのくらい味が変わるのかをタジャンの農家のみなさんに知ってもらうことです。農家の人たちはどのコーヒーがおいしかったかと話しながら、インドネシアチームと意見交換・交流していてとても良い時間でした。
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*カッピングの様子。右の黒い帽子の若者がセンディ。ジャカルタのコーヒーショップでバリスタとして働いています。
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*左がKlasik Beansのウデンさん、右がダクダック村のコーヒー農家の方。二人ともいい笑顔!
そして最後の訪問先はカブナガン村のベナフィン・ファームBenafin Farm。CGNのコーヒープロジェクトの受益者の一人であり、タジャンで最も熱心なコーヒー農家の一人であるエリーさんのファームにお邪魔させていただきました。ここではアグロフォレストリーを忠実に実践しています。コーヒーだけでなくさまざまなフルーツや野菜が植えられているファームを見学しました。そして実際に育てているコーヒーノキの状態を、Klasik Beansのみなさんに見てもらいました。
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*ウデンさんによると、このコーヒーノキは枝の剪定が必要とのことでした。また、雨季に苗木の周りを枯れ草などで覆っていたために湿度が高くなりすぎてしまったのも生育が思わしくない原因だそう。本当にこまめな手入れが必要です!!
非常に有意義な時間を過ごし、気づいたらすっかり日も暮れて夜に。再びラヨグ・カントリー・ファームLayog Country Farmへ戻りタジャンでの最後の一夜を過ごしました。
6日目へ続く→→→
Exchange program between farmers in Tadian and Indonesia through bird surveys - Day 5
There are only three days left in this program.
On this day, after having breakfast at each accommodation, the members of Bird Research, the NPO conducting the bird survey, headed to Baguio. Meanwhile, the remaining participants — the Klasik Beans team (Indonesian coffee farmers), the farmers from Tadian, and the CGN staff — traveled back from Sagada to Tadian.
At the end, we all gathered for a group photo! Thank you so much to everyone from Bird Research!
On the way back, we stopped at an view deck for a short break. From the deck, you can see the town of Tadian below. Turning around, you get a view of the Benguet side, which borders Mountain Province where Tadian is located. There, an endless expanse of vegetable fields stretches out. According to Mariko san, what used to be forested mountains 20 years ago has turned entirely into vegetable farmland. She also mentioned that in this area, large amounts of pesticides are used for commercial vegetable farming, and the contaminated water flows downstream into Tadian. Even though farming vegetables is an essential livelihood for local farmers, seeing the complete absence of forests in that area made me reflect on what I can do for the environment.
This is a photo of the Tadian side, taken from the observation deck. You can still see a lot of forest remaining.
In contrast, the Benguet side looks like this — covered entirely with vegetable fields. The spread of commercial farming in Benguet seems to be gradually influencing neighboring provinces as well, with more people converting land into vegetable farms.
After leaving the view deck, we headed to Cadad Anan, a village in Tadian. The main objective for the day was to visit several coffee farmers in Tadian and facilitate interaction between the Indonesian team and the villagers. Our first stop was Cadad Anan. We visited a coffee processing facility located in the Barangay Hall (community center), and then moved on to Clefrazet Farm.
In this village, very old coffee trees known as Old Typica — said to be one of the original varieties of Arabica — are grown. According to the village elders, some of the trees are over 100 years old! An incredible history! However, they mentioned that recently the coffee yields have been stagnant. They asked the Klasik Beans team for advice on cultivation, and they exchanged ideas.
On the left in the photo are the local coffee farmers. The woman sitting in the center-right is Eden, the farm owner. On the right side are the Klasik Beans members.
Our next destination was Dacdac village. After having lunch, a local farmer taught us the traditional way of roasting coffee in Tadian, and the Klasik Beans team got to try it!
First, the roasting. Here, green coffee beans are placed in a pot and roasted over a fire made with firewood, stirring constantly with a wooden spatula. When you start to hear crackling sounds, it’s a sign that roasting is almost done. From that point, it’s easy to burn the beans, so judging the right moment to remove them from the heat is difficult — often resulting in a darker roast. We all took turns stirring carefully to prevent the beans from burning.
Here’s Zena from Klasik Beans experiencing the traditional village roasting method.
Once roasting was complete, the beans were poured onto a bamboo tray. The tray was skillfully shaken back and forth while gently blowing air to remove the thin outer skin. While the farmers made it look easy, it was surprisingly delicate work.
Here’s Jimmy, a coffee farmer from Tadian, demonstrating the technique.
Next came the grinding. Since there were no coffee mills, we used a mortar and pestle to crush the beans.
After sieving the ground coffee, it’s finally ready!
Once the preparations were complete, Sendy from Klasik Beans demonstrated how to brew coffee using a dripper. (As I mentioned in the Day 3 report, people in Tadian usually boil coffee directly in a kettle, resulting in a very bitter brew.) The villagers in Dacdac were amazed by the different taste. They also got to taste Indonesian coffee, and everyone enjoyed it, saying how delicious it was! Moreover, the Klasik Beans team introduced a simple cupping method so the farmers could experience tasting coffee in a new way.
As I wrote in the Day 2 report, there’s no right or wrong in coffee tasting, and it’s not something you master like a professional right away. What’s important is for the farmers to understand how the flavor changes depending on the brewing method and water quantity. The farmers discussed which coffees they liked best and had great exchanges with the Indonesian team.
Here’s a photo of the cupping session. The young man wearing the black hat is Sendy, who works as a barista at a coffee shop in Jakarta.
On the left is Uden from Klasik Beans, and on the right is a coffee farmer from Dacdac village — both smiling brightly!
Finally, we visited Benafin Farm in Kabunagan village. We were welcomed by Eli, one of the beneficiaries of the CGN coffee project and one of the most passionate coffee farmers in Tadian. Her farm is a wonderful example of agroforestry in practice. Besides coffee, she grows a variety of fruits and vegetables, and we had the chance to observe her farm and the condition of the coffee trees.
According to Uden, the coffee trees here needed pruning. Also, because the seedlings were covered with dried grass during the rainy season, humidity became too high, which negatively affected their growth. This shows how much careful maintenance is required!
After spending a very meaningful day, we realized it had already grown dark. We returned once again to Layog Country Farm and spent our last night in Tadian.
→→→ On to Day 6
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jaunepastel · 11 months ago
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百老匯的貓
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此刻,我坐在空蕩蕩的台北家中,距離出發只剩下倒數二十八天。
車子收走最後一箱回收,三十坪的的老房,頓時像剪掉多年長髮的少婦,輪廓活靈活現,展露最原始的模樣。回憶如老照片被翻出,熱戀的歡愉,熟稔的默契,爭執的苦語,新生的喜悅,呱呱墜地的女兒溫溫,際遇如候鳥過境,隨著即將而來的遷徙,沾了邊又得離去。
「喵喵,你也要離開我了嗎?」肥肥的肚腩,在我大腿間形成一顆抱枕,接著掙脫,跳了下去。
大��是低估了紐約租房市場的險惡,以及租客間的競爭火熱。這幾個月,每天早上醒來,我就像緊咬股市開盤的投機客,杵在電腦前,看好目標,下好離手。剪下貼上剪下貼上,有時一口氣連發十幾封郵件和私訊,不小心把開頭的房東人名給貼錯,也是常有的事。
例行公事,我打開收件夾,畫面好似當機:
Inquiry about rental in New York
Inquiry about rental in New York
Inquiry about rental in New York
每封信標題內容都大同小異,不外乎身家背景介紹,幾歲哪裡人什麼職業,不煙不酒品行良好,搞得跟相親一樣,最後的最後才會提到我有一個可愛又文靜的一歲半女兒,會跟著我們一起前行。心想說篇幅這麼少,房東應該不會介意吧。事實證明是我想太多。
一個人找房,深諳室友之道,想離曼哈頓近一點不是難事;兩個人找房,下點功夫還是能找到合租公寓,當起二房東的大有人在;三個人找房,已讀不回是常態,歉聲連連說房子太小不適合,建議我們自己租個1B1B好區套房,人生就此飛黃騰達。偏偏,我沒那個錢,也不求飛黃到哪,只想尋個短暫停留的家,得在兩個人找房的預算間,找出三個人的各種可能。
一天一天過去,那些可能,隨著我的Inquiry們,一同消失在茫茫網海裡。
『沒有室友就是爽!三四月曼哈頓套房短租。』
我被這則發文的豪邁給吸引住。 「······我們找房好一段時間了······衷心希望有機會入住您的套房。」
雖然依舊是剪下貼上,但文字背後的焦慮無助,或多或少成功傳遞到銀幕外的另一個空間去了。同一時間,我正糾結於三四個物件當中,短租的日期該如何兜湊,才能無縫接軌這半年;森林小丘上課要通勤一個小時,曼哈頓一樓要擔心老鼠和醉漢入侵,威廉斯堡房租要六個月全付會不會是詐騙,我像童話故事裡撿石頭不能往回走的女孩,再挑下去可是一顆石頭���沒有了。距離出發還有兩個多禮拜。 「小孩我是沒問題,只是我家在四樓沒有電梯,你們會不會不方便?」 莎拉簡短的答應,讓我想起她發文時的爽朗用字。「住很重要!我會幫你們打點好,請好好享受我的公寓。」這麼一句話,彷彿給我吞了顆定心丸,安撫行前騷動的思緒。搭機前一晚,包袱所剩不多,不安盡拋腦後,心情輕鬆的不可思議。我看著逐漸縮小的地表樓房,龐雜的台北城,我的故鄉,想著哪天我會不會愛上這輕飄飄的感覺。 於是,我們擁有了第一個結尾是New York的地址,位於曼哈頓百老匯區。
「早知道不要租四樓了!」西恩氣喘吁吁,將最後一個三十公斤重的行李箱拖上樓,一進房門就癱坐在地。「下次搬家可不可以找一樓的。」「我盡量囉。」想到三個禮拜後又要再將所有家當搬下樓,我不禁打了個冷顫。一回生二回熟,我一邊安慰西恩,順手從行李箱拿出一小包烏龍茶,轉頭尋找廚房裡的熱水壺。
十二點十分,東部標準時間。與台北相隔十二個小時的曼哈頓午夜。從甘迺迪機場搭上華人計程車,行駛在平板無憂的快速道路上,兩旁盡是皇后區黝黑大遠景,此時還感覺不到紐約的形貌。空氣粒子旋轉收縮,直到出了中城隧道,我們隨著車流,一舉穿進曼哈頓的心臟。高樓百窗,霓虹街燈鼓譟,打亮了巨大看板上的秀顏,女明星眼眸深邃,企圖引人犯罪。三十七街經過第五大道,塞車的步調,讓我用慢動作欣賞了帝國大廈,那棟建築是你一看到就會認得,不需贅述的經典,這不是夢,卻像夢遊迷幻沈醉,我正在電影場景裡。 夜深,暖氣徐徐放送,驅散我體內的累積疲倦,遠方傳來救護車的高頻呼喊與零星槍響。我閉上雙眼,腦海不由地響起《計程車司機》中憂鬱的薩克斯風,寂寞都顯得立體。喝完母奶的溫溫被西恩抱在懷裡,早在柔軟大床上睡去,只留我與這城,遲遲捨不得入眠。 ♦
初春的光,灑進十坪米的套房,我吸進一口冰涼,清醒地環視四周。對我來說,到一個落腳處,第一件事就是確認廚房。烤箱冰箱洗碗機,醬油麻油中西調味料,麻雀雖小五臟俱全,滿意極了。房子中央擺著一張小巧的鵝黃色木桌,波浪弧形的斑駁桌腳,想必是古董老件吧,突然想起莎拉是學藝術的,牆上掛滿湖水藍綠的動物畫像,獨角獸的尖角孤傲揚起,擠得扁扁的壓克力顏料罐則充滿了生活的氣息。紐約的氣息。
溫溫的雙手扶在起霧的窗上,留下不完整的掌痕,熊熊圖案的米白睡袍還穿在身上,模樣甚是可愛,繼續在窗上拍了幾個小手印,看來她很喜歡這裡,一切如此新鮮有趣。
簡單梳洗,我們輕裝上街。地底白煙卷卷升起,南北向的道,費里尼電影般的靜止車陣,幾何玻璃帷幕,抬頭讚歎資本主義的雄偉;東西往的街,消防梯鏽得煙灰,鷹架層層堆疊,衰敗與生長同時交織成紐約的血肉。小販高聲兜售自由女神,芭蕾女伶頂著包頭,黑衣曲線魚貫沒入窄門,三件式西裝的俊俏男子,用力咬了手上的貝果,一步作兩步橫越馬路。 售票亭外熱熱鬧鬧,我和巷口的《貓》四目交接,黑底黃目如紐約客犀利,這貓名氣響亮,而我竟然一次也沒走進去過;徘徊中城一圈,在Wholefoods超市採購生鮮、酒足飯飽後,金黃燈光齊下,十字路口變成大型伸展台,時髦男女自信耀眼,提著大包小包的我們硬生生穿過《芝加哥》滿溢的開演人潮,美腿包圍爵士樂,上一秒還沈浸在感官享受,下個轉身就被《西方壞女巫》的綠臉紅唇給嚇個正著,衛生紙差點從紙袋裡滾了出來。
開學在即,除了扮演觀光客,還有正事要辦。郵件傳來,通知我���中國城的廚藝用品店,領取已經繡好名字的制服,還得試穿廚師鞋。
「你好了嗎?」西恩熟稔地將溫溫裝在背巾裡,露出兩隻小腿晃呀晃。
「都好了,我查一下。等等可以在附近找個中菜館。」我穿上鞋,低頭盯著手機推開房門。
「打不開!」我大力扭轉把手,門還是一動也不動。
「怎麼可能,你的鑰匙咧?」西恩接手開門,我摸摸外套牛仔褲口袋,脫了鞋在地上裡翻找包包。
「看來我們被反鎖了,你打給房東吧。」西恩將溫溫放下,開冰箱裝了杯柳橙汁。
我打給莎拉求救,太過緊張以致於忘了她在地球的另一端,好在莎拉接了起來,給了我Super的電話號碼,說是管理員會幫忙,要我別擔心。許久沒說英文的我,要打給陌生人,還真有點語言障礙。不管了。電話接通,我的心跳也跟著嘟嘟響。
「我是莎拉的房客,曼哈頓八大道,我們房門被鎖起來,你能來開門嗎?」第一句話順暢說完,我輕鬆許多,等待對方回應。
「我在長島······放假······再見。」這個Super大概是拉丁裔,捲舌音吃掉了話中好多字,我只聽到幾個令人崩潰的重點,接著是一陣沈默。莫名其妙被掛電話後,我也不好再打擾莎拉,決定打給附近的鎖匠碰碰運氣。殊不知,鎖匠在電話那頭嘰哩咕嚕一長串,我一個字也沒聽懂,濃郁口音令人費解。西恩和溫溫坐在餐桌喝果汁吃餅乾,彷彿看我在演哪一齣鬧劇。
我用力敲了房門幾下,宣洩怨氣,金色門把都快被我轉鬆。此時,我聽見開門聲從隔壁傳來,像是轉開保險箱的勝利喀噠聲。
「哈囉,請幫我開門,嘿嘿!」我一邊拍門,試圖將聲音穿透金屬門板傳送到外。所幸,鄰居老先生正要外出,把插在大門上的鑰匙取下,解救了我們。一出家門,熟悉的《貓》埋伏街角,琥珀雙眼大膽直視初來乍到又莽撞的我,這回連貓都在取笑,笑問我準備好了沒有,迎接紐約這場大戲。
走著走著,在百老匯,我們的新家,歌詞的最後一句悠揚地���著。 
A new day has begun. 明天又有什麼等著我呢? 寫在2017年.春
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qqyuan · 1 year ago
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《酷中作樂:情話作業簿》編輯在說話
            在這裡寫字像假裝自己是職人,事實是我幸運地擁有幾個熱愛說話的朋友,他們在極短的時間中信任我並讓我借用他們的嘴巴,順利的不可思議我簡直和這些情投意合的友人陷入熱戀,心意互通。最早是想做“約會指南”一類,告訴你該如何健康的探索(這個前提對我們來說非常重要),並且幸運的成功(請在小誌前舉杯慶祝),但寫手們居然裝飾出比我預想的更加精緻的小房間,自在的窩著周圍堆滿重要的物件,外面的廊道也相互連接的通向其他人的世界,如果你想離開,隨時都可以回來。
            葉盈辰的畢業影展結束後我在部落格寫下,「溫暖動人的夜晚,第三部電影的名稱已映在螢幕上,我弓著背從廁所快步回到座位,還沒坐下,家和伸出手牽我,我伸出手牽嘉富,直到謝幕時才為了鼓掌鬆開。那一刻愛就在我們身體之中流動、來回,穿過你我他,聚攏又疏離、潮起又潮落。」,難道不就是這樣嗎?當我們使用同一個媒介到達別的地方時,身心會在同一個狀態,像是座標之力。做這件事也是,閱讀時寫作時校稿時,蒐集圖片加以編輯之時,我們心裡都只有同一件事,那就是:該要如何去愛。
            愛的語言複雜,交織共生又共死,你該如何清楚表達自己的心情。整理稿件時,我竟然也幾近哭泣,原來世界上還有如此粉紅甜甜軟軟的想法,世界上還有這種夢,為什麼,為什麼,為什麼被我遇見了,如果我沒有遇見,我還可以假裝這些不存在,但既然還有人在身體力行這種純粹,我也睜著眼睛看友人鋪天蓋地的談起戀愛,我下定決心,下次遇見喜歡的人就問他:「你想接吻嗎?」。
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ashi-yuri · 7 months ago
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1000xRESIST感想
ネタバレありの個人的な感想。すごく長い。
しみじみ良い作品でした。すきな作品ともすこし違うのだけれど、繊細で若々しくて勢いがあって、今後のADVゲームへ与える影響も大きい予感がし、日本作品へのオマージュ・リスペクトも強くて、日本でももう少し話題になったり評価されてほしいと思わせる力のある作品だった。だから、もっといろんな人に遊んでもらいたいなと思���ている。
ネタバレなしの感想・紹介はこちらのブログで書いた。
雑感
香港からカナダへ亡命した移民として世代間でのルーツとなる地域への思いのずれ、溶け込み方の違い、現地での軋轢、アイデンティティのゆらぎなど各種描写自体はこれまでの移民文学・映画で描かれてきたものであり、母権主義的な支配の継承や葛藤といったテーマも小説・映画等では描かれてきたものあり、ゲーム内で語っている内容自体はこれまで他媒体で見たことがあるけれど、ゲームの中でこれだけしっかり説得力を持った描写で、キャラクター操作を通じて、過去の歴史や様々な視点をゲームというメディアの特性を活かして重ね合わせる手法は見事だった。
主人公やメインキャラクターだけでなく、敵対者や周囲の人物の背景・心情も体験させられる物語は、繊細だけれど、伝えたいことは明確にある。各種センシティブなテーマを扱う作品だからこそ作成側が何を支持していてなにをよくないと思っているのか、メッセージが最後までぶれないのも偉い。
香港での民主化運動やカナダにおける中華系移民のアイデンティティ、パンデミックなどまで入れた近過去の体験を反映して、未来のために「なにを選択するか」を体験できることは新鮮で、現在にプレイする価値をきちんと提示できてる作品だと感じた。
青春物語にあまり感情移入できるタイプではないとか、アジア系移民の物語を東アジアずっと在住の民から見るとすこしふしぎというのもあって、いい意味で自分とすこし距離感のある作品であったなと思う。そして、その距離をゲームという形で体験できるのはおもしろかった。留学や海外在住経験のある人なら、もっと理解できる作品なのかもしれない。
よい作品だ��ど、果樹園のむちゃくちゃでわかりにくい構造はさいごまでゆるさないからな!
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キャラクターがたり
シスターたちも、両親も、装甲服の人たちも、占有者まで、みんな繊細で悩みを持ちみずみずしく描かれててたのしかった。一方的な悪役をほとんど描かずみんな同じ重さで書き込んでいるのは、この作品の良心とバランスのよさなのかなと思う。
好きなキャラクターはジョンソン50でした!中途半端に良識的で、最後まで狂えずに投げ出せないところが良かったです。反人道的な処置はぜんぶ過激派のミミに担ってもらってて、結局ふたりでバランスとってるのがお似合いですね。よわくてやさしいまま死んでしまう父親もよかった。本作の数少ない男性陣、みんなこんな感じ。
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好きなコンビは、ヒーラー+バンバンファイア。ふたりともやさしいがゆえに報われない.......エンディングはかなしすぎる。やさしいままの人ほど死んでしまう.......
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リトルシスター(プリン��パル)+アイリスのジャオ・ジャオタイプへの執着は、トキシックなエモさがあってよかったな。結局、プリンシパルがアイリスにいちばん似ているという。
ジャオから雑に扱うな!とちゃんと反抗されているところが描かれてるのは安心できてよかった。なぞなまでに献身的なジャオ・プライムかわいい。
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他作品からの引用・オマージュについて
いろんなゲームやアニメや映画のオマージュが、結構そのまま屈託なく用いられてるのはほほえましかった。ストアページにも書かれてる各種セカイ系や今敏作品やニーアは自分は通ってきていないので、そのあたり詳しい人の感想・解説が読みたいなあ。
エヴァ風のプラグスーツとか好みが分かれそうだけれど、モチーフとともに、ちょっと青臭くて青春ぽい本作のテイストに合っていると思う。
ラストの還願オマージュシーンも唐突で、最初ちょっとわらってしまったけど、思い返すと感傷的で良かったな。家族と社会の問題を、なんども記憶のなかで巡って再構成する構造がそのまま用いられていて、もう取り返せないものを語る手段として非常にエモーショナルに映った。
還願は各種圧力によりSteamから追い出された台湾の作品だけれど、香港の民主化運動の取り扱いも合わせて、今はとおく離れた場所・地域のことを、どこか自分たちの問題として引き寄せて考えたいのかな、と勝手に感傷的に考えたり。といってもカナダには中華圏からの亡命者が結構な数ほんとにいるのだろうし、コロナ下での海外での中華系移民への風当たりの強さとかを考えるとそんなに簡単に離れられるものではないんだろうけれど。
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記憶の中でだけなら和解できる。
翻訳について
翻訳は良好で、学生や家族を主軸とした作品として自然に読み込めてよかったな。ただ、SF用語は直訳が多かったので、雰囲気作りかねてエヴァっぽいけれんみあるともっと魅力的だったなあと、難しいの承知でないものねだりをしたくなる。
あと、差別用語や罵倒語関係や政治用語は、翻訳にあたってちょっとマイルドになっている様子。このあたりは、日本語で適切な用語・概念に置き換えるのがむずかしいし、取り扱いに一貫したポリシーがないと事故になるので、バランス大変そう。
なにはともあれ、他言語に先駆けていい日本語訳が入ったので、もうちょっと話題になるといいですね……
Kentucky Route Zeroと表現としてのゲーム
Nierシリーズやエヴァンゲリオン、今敏作品と同様に、本作に強い影響を与えていると公言されているKentucky Route Zeroとの関係について。
以下は、KRZの改訳版翻訳者としてのかなり特殊史観のはなし
作中の馬はたぶん、KRZオマージュの印かなと思ってる。
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Kentucky Route Zeroが与えた影響について語る開発者インタビュー(59:19-)
youtube
※Xanathophyllum氏の情報提供に感謝
開発者インタビューから一部抜粋・翻訳
「Kentucky Route Zero」がなかったら、このゲームは存在しなかったと思う。 たしか22歳かそこらの時にプレイしたのだったかな。 あのゲームがきっかけで、そうだな、ほんとうに気づかされたんだ。 こういう作品を人生を通じてずっと待っていたんだって。Kentucky Route Zeroがその最初で、それからこのゲームについて考え始めることができるようになるまでに、さらに10年かかった。だけど、Kentucky Route Zeroを体験したことで、こういう表現が可能な空間がゲームにあると確信したんだ。
選択と結果を必ずしも決定づけない微細な言葉を選択させていくことで登場人物の性格付けをプレイヤー自身に肉付けさせることや、視点・場面を躊躇なく転換させながら、飽きさせず、同時に多くの視点を取り入れようとするところなどにKRZの影響を感じた。
KRZよりずいぶん若々しく粗削りなところもあり、社会や人との距離も生々しく近く、そのぶん素直で明朗で、プレイ後の印象はかなり異なるのだけれど、何よりゲームを通じて楽しさを提供したいというよりも、表現媒体としてゲームを選択している姿勢が近いのだろうなと感じた。
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本作は、表現としてのADVゲームにおける、Kentucky Route Zero の直系の子孫であり、ひとつの発展系でもある。
独自の今日的テーマとデザインを採り、素直で明確でよりポピュラーに進化してて、間違いなく2024年のADVのマイルストーンになる作品だ。海外のゲーム関係の賞もたくさん受賞しており影響力もあることから、今後、こういう感じのADV表現を通して現代を映す作品がカナダ以外の別の地域でも増えてくるはず。
開発者インタビューでも映画撮るお金や体制がなかったからゲームを作ったと語られていて、お金あまりないけど現代表現をやりたい若者にとって、ゲームがほんとに映画や小説と比較されうる表現の選択肢になったんだなとしみじみしてしまった。
たぶんゲームという表現手段でもって、現代や社会について映画や小説と同様にリアリティをもって語る作品は、個々の作品、点と点としてではなく、ゲームシーンとしてより広がっていくはずだと思う。そして、それを確信させてくれる力のある作品だった。
自分にとって、ずっとKentuky Route Zeroという作品はゲーム史のなかの傑出した特異点というだけでなくて、創作者に影響を与え、今後のゲームシーンのなかで重要な役割を果たす起点のひとつになるはずと信じていたから、それが影響作を通じて現実になったと知れたことがほんとうに感慨深い。今後がたのしみ。
しかし、贔屓目込みだけれど、音・画面・文章・演出・物語・表現として一切の隙なく完成されているKRZはほんとうになに......ポピュラーさは全然ないが......
最後に
好きなシーンをぺたぺた貼って終わる。
みんなも1000xRESISTのすきなスクショをぺたぺた貼るだけの感想記事を書いてくれ。
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ずっとかっこいいノウワー
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お洒落でたのしい占有者
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最後にみんなとおわかれできたので満足!
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ayukoitakura · 9 months ago
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空中散布の歴史についての簡単な入門書 - 兵器級の高度なナノマテリアル、別名モルゲロンとCOVID19生物兵器との化学的重複 アナ・マリア・ミハルセア医学博士 10月3日
グローバル・ブレイン・チップとメソゲンの著者であるヒルデガルド・スタニンガー博士は、彼女と彼女の同僚が数十年にわたって発表した多くの歴史的な科学論文とプレゼンテーションを私に送ってきました。この出版物は彼女の同僚であるコロジン博士によって作成され、Health Freedom USA War Council 2010の会議で発表されました。それは先進ナノ材料の開発の重要なタイムラインを説明しています。また、4つの異なる毒物学研究所に送られた24人のサンプルに関するスタニンガー博士の研究についても説明されており、フィラメントは生物学的ではなく、アクリオリンとメチルメタクリレートの2部ポリエステル樹脂を使用したシリコンベースの兵器グレードのナノ材料であることがわかりました。ポリメタクリレートはモデルナの特許ではステルスナノ粒子であり、ジェアニナ・ハギマ博士などの研究者はCOVID-19のバイアルで大量のシリコンを発見していることに注意してください。これらの化学的特性は、COVID-19の生物兵器とモルゲロンと呼ばれる歴史的な先進ナノ材料の重なりに関する重要な手がかりです。
グローバル ブレイン チップとメソゲン 偽りの記憶を究極的に制御するナノマシン - 集団マインド コントロール用コンピュータ システム
速報:C19生物兵器の新たな分析:mRNAは含まれず、有毒金属とシリコン。歯科麻酔薬と肺炎ワクチンにもナノテクに使用されるシリコンと金属が含まれている - ジェアニナ・ハギマ博士へのインタビュー
この論文は
チキンリトル101:空中散布の歴史とそれを実行する人々の意識についての簡単な入門書。
ベンジャミン・コロジン博士による。元のプレゼンテーションで使用されたスライドの一部を挿入しました。この研究はすべて、COVID19 生物兵器で行われている現在の高度なナノマテリアル戦争を理解するための重要な背景情報です。
要約:私たちはもう、チキン リトルの物語を読んで空が落ちてくることを知った、純粋な心を持つ子供ではありません。さて、世界のチキン リトル 101 を卒業した新しいチキン リトルは、それが真実であることを知っています。空が落ちてくるのは、私たちが呼吸する空気の分子だけでなく、空中放出物、スモッグ、GEMS、スマート ダスト、スマート モート、RDIF ID タグ、およびその他の破片で満たされています。気象改変、媒介生物制御、および/または空中大量接種のためであろうと、それらは昼夜��問わず散布され、世界中の国の都市の上空に「X、O、A」などのグリッドを作成します。世界のチキン リトルの言うことを聞いてください。今こそ私たちが成長し、木製の少年ピノキオのようになる時です。
私たちは真に考える学者にならなければなりません。頭上を長時間飛行する飛行機の単純な飛行機雲にさえ継続的にさらされると、「悪い空気」を吸い込むことになり、最終的には肺にダメージを与えることは誰もが理解しています。それが炭素粒子であろうと、改良された水性ポリウレタン(発泡スチロール)を混ぜたナノ複合材であろうと、空中分散剤として改良された食品用デンプンを混ぜたものであろうと、それは問題ではありません。アスリート、子供、動物、さらにはチキンリトル自身の健康な肺でも、光沢のある白い粘着性の粘液しか生み出せません。
この論文では、空中放出イベントを描写するタイムラインを通じて空中散布の概要と対応を示し、最後に、環境の空気、陸地、水路に空中汚染物質を散布する人々の単純な意識形態に関する仲間の人間の考え���終わります。
これらはモルゲロン症の被害者の臨床サンプルであった
そしてケムトレイル成分の歴史的な顕微鏡分析。
赤、白、青、そしてアンクルサムの本拠地である米国における空中散布の歴史的タイムライン
1949 年: 1949 年の化学兵器および生物兵器に関するジュネーブ条約に基づき、州および連邦の指令により媒介生物 (昆虫、ウイルスなど) の制御に関する空中散布作戦が初めて実施されました。
1949 年 - 現在: 上記の法律に対するその後の多くの改正、および 2001 年の愛国者法、2001 年の宇宙保存法、2005 年の気象改変研究技術法などの並行する米国法により、さまざまな目的で米国領土上空での空中散布活動を実施する権限が拡大されました。
1954年~1975年:「ベトナム時代」米国の東南アジアへの関与により、東南アジアの何百万エーカーもの領土にオレンジ、青、白、ピンク、紫などのエージェントを散布し、これまでで最大規模の軍事研究、開発、およびさまざまな軍事目的のための空中散布作戦の展開が行われた。
1974年:米国政府を代表して米国海軍長官が、高低高度の航空機から放出する非常に効率的な粉末飛行機雲分散技術の特許を取得。
1984年:米国のドキュメンタリー映画『シークレット・エージェント』は、ベトナムと米国における空中散布作戦のビデオ映像を米国の観客に届け、地上の人々の健康への影響についてベトナム帰還兵とその家族へのインタビューも収録した。
1988年:当時のジョージ・H・W・ブッシュ副大統領は、1963年に議会によって閉鎖命令が出され、長らく休眠状態にあったMK-ULTRAマインドコントロール部門を復活させるようCIAに秘密命令を出したとされる。2009年にデイブ・ラーソンが行った申し立てによると、この部門は人間に埋め込むチップ技術に関与すると報じられている(2009年のタイムラインのラーソンを参照)。
1989年:ジョージ・H・W・ブッシュ大統領がオープンスカイ条約 (TOS) を発議。この提案により、国連航空機に搭乗する外国人パイロットが米国領土上空を合法的に飛行できるようになる。おそらくSTART国際協定に従って軍事データを検証するためだろう。
1992年:オープンスカイ条約(TOS)がヘルシンキで調印される(米国側はジェームズ・ベーカー国防長官が署名)。
1992-93年: TOSはクリントン政権によって支持される
1993年: TOSが米国上院で正式に批准される。
2000 年: ケムトレイルに関する質問に対する空軍省の公式回答の一部は、次のとおりです。「『ケムトレイル』という用語は、約 3 年前に広まり始めたでっちあげで、政府が共同で秘密裏に国民に散布する連邦計画に関与していると主張しています。…『ケムトレイル』など存在しません。自然の飛行機雲は安全で、自然現象です。いかなる健康被害も引き起こしません。」
2000 年 1 月 - 2001 年 7 月: クリフォード カルニコムは、空中散布作業で採取されたサンプル (「繊維状物質サンプル」) の分析依頼に対して、米国環境保護庁から初めて正式な拒否通知を受け取りました。拒否通知には、依頼日から 18 か月の返答期間が必要でした。
2001年3月:ペンタゴン統合参謀本部の元内部関係者である元米陸軍将軍アル・カペットが、米本土上空での空中散布作戦を通じて国連航空機を使用して散布作戦を行っているロシア人(おそらく外国人)パイロットの存在について米軍中央司令部に内部告発した。
カペット氏は、この活動は1993年に米国がオープンスカイ条約を正式に批准したときに遡ると主張している。
2002 年 1 月: ロシアとベラルーシが批准手続きを完了し、TOS が正式に発効しました。
2001-2006 : 空中散布作業の下の地上でサンプルが収集され、米国 (アイダホ州、ジョージア州、およびその他の場所) の多数の民間調査員によって分析されました。収集されたサンプルには、さまざまな重金属、有毒化学物質、生物工学的に作られた菌類、およびその他の生物学的活性物質が含まれていることが判明しました。
注: 飛行機雲とケムトレイルの違いは時間制限です。ケムトレイルは大気圏/上空で長期間にわたり持続します。
2004 年: 「モルゲロン病」と呼ばれる異常な病気の最初の報告が表面化し始める。皮膚から繊維が突き出るという症状が、1600 年代にフランスの医師モルゲロンが報告した症状に似ていることから「モルゲロン病」と名付けられた。この謎の病気の原因を正確に診断できる人はいないようだ。
2004-2006 : 米国疾病予防管理センターは、これらの症状を訴える患者は「妄想性寄生虫症」に罹患している可能性が高いと述べ、モルゲロン病に罹患している患者は精神科医に精神鑑定を依頼するよう推奨した。CDC は、批判が高まり、反対の証拠が出てくる中、4 年間この姿勢を維持した。
2005 年: 気象改変研究技術法により、米国本土上空での空中散布作戦の正当性がさらに高まり、根拠が拡大されました。この法律には、気象改変のための特定の化学物質「チャド物質」散布に加え、媒介動物の駆除や空中での大量予防接種に関する規制法が含まれています。
2006 年: 世界各地にいる 24 人の参加者から繊維やその他の材料のサンプルが採取され、収集されました。24 人の参加者全員が、モルゲロン病に似た異常な症状を呈していると報告されています。サンプルはヒルデガルド・スタニンガー博士 (Integrative Health Systems, LLC) に送られ、4 つの独立した研究所で分析されました。
初期調査では、繊維はシリコンベースで、アクリロリンとメチルメタクリレートの 2 成分ポリエステル樹脂であることが判明しました。また、生物学的物質は存在しないことも判明しました。これらのサンプルと、広範囲の分布地域内の個人から採取した追加のサンプルから得られた後続の調査結果はすべて、高度なナノ材料 (極小の人工材料) の存在を示しています。ナノ材料には、特許取得済みの兵器級ナノ材料の要素が含まれていることが判明しました。これらの兵器級ナノテクノロジーは、人間の病変から取り除かれた繊維だけでなく、米国テキサス州での空中散布作業後に地上で収集され、空を舞い落ちているのが観察された繊維状の「綿菓子」のような材料にも含まれています。
2006-2008年:疾病予防管理センターは引き続き「モルゲロン病」を妄想性寄生虫症と同一視し、精神科医による治療を推奨し続けています。
2007年:病原体/生物学的対抗策の国土安全保障プログラムを装って、許可なくアメリカ国民にワクチン研究を行う空中散布作戦による損害に対する訴追をワクチン製造業者が免除する新たな連邦政策についての疑惑(確認されていない)。
2007年:「これらの(連邦)法と病原体対策の現在のテストの下では、一般の人々は、USDAの媒介生物管理、国内準備、大量破壊兵器対策の許可なしに、これらの対策にさらされる可能性があります。」(ヒルデガルド・スタニンガー博士)
2008 年:アルゴンヌ研究所中西部構造ゲノムセンターは、ドラゴンの頭に似ていることから「ドラゴン タンパク質」というニックネームを付けたタンパク質構造について説明しています (分子ブランド)。この「ドラゴンの頭」に似た形状は、モルゲロン病の症状を持つ患者の病変から除去された繊維の顕微鏡写真で明らかになっています (ヒルデガルド スタニンガー博士の 2006 年から現在までの個人顕微鏡写真コレクション)。
2008 年: CDC はモルゲロン症候群に関する方針を変更。この症候群を「妄想性寄生虫症」の兆候と定義するのをやめ、ライム病に関連する可能性のある原因不明の症状と定義。CDC はモルゲロン症候群の研究グループを結成すると発表。2010 年末かそれ以降まで公表されない予定。
2009 年 1 月: (Science Daily) DNA からナノスケールの折り紙。ハーバード大学の科学者が「多様なナノスケールの機械部品を製造できるようになりました。機能的なデバイスも可能になるはずです。」と報告。
(実際、誰かがすでにさまざまなナノスケールの機械部品を作っています。8年前のADVANCED MATERIALS、2000、12号24、12月15日の「シリカナノチューブとナノファイバーアレイ」で、Wang博士は、ナノテクノロジーで使用されるさまざまなシリコンベースのナノチューブについて説明しています。これらは非常に小さな機械で、肉眼では見えないほど小さいですが、より大きな機械に自己組織化できます。現在、これらの機械はUSCによってSencil TMテクノロジーで使用されており、Hewlett Packardおよびその他の企業にライセンスされています。ナノクロー、チャイニーズランタン、舌状のシリコンチューブの形状に注目してください。これらの形状は、すべてのチキンリトルの生徒にとって重要です。なぜなら、異常なモルゲロンズ病のような症状を持つ人間から除去された材料のマイクロ写真で同じまたは同様の形状が観察されているからです。
2009年1月~現在:オバマ政権は前政権の上記政策を継続している。アメリカ国民に対する空中散布作戦を展開する意識は政権交代によってあまり影響を受けていないようだ。
2009 年 3 月: 元 CIA バイオメディカル技術プログラムの契約者であるデイブ・ラーソンは、ジョージ・H・W・ブッシュが 1988 年に復活させた秘密プログラムに基づき、体内に埋め込み可能なバイオメディカル機器が監視と拷問のために国内に配備され、2009 年 3 月まで監視も議会への報告もされずに運用されていたと主張している。また、政府の「対テロ戦争」政策と拘留は、これらの技術を米国人に対して違法に使用した場合の刑事訴追を回避するために特別に策定されたと主張している。
2009 年 6 月: 米国環境保護庁 (US EPA) が、先進ナノ材料の暴露と毒性に関するガイドラインの文書を作成しました。この文書では、先進ナノ材料に関する文書と毒性リスク評価が 2013 年に完了すると述べられています。
2009 年 6 月: (2009 年 6 月 11 日) 世界保健機関の事務局長マーガレット チャン博士が、H1N1 インフルエンザの蔓延に関してフェーズ 6 の「パンデミック緊急事態」を宣言しました。
2009 年 6 月: 中国青島海洋大学環境科学工学部の研究では、人工ナノ粒子はタンパク質や酵素との相互作用により毒性を及ぼす可能性があり、神経毒性がある可能性があることが示されています。これらの結果は、米国のヒルデガルド・スタニンガー博士の研究結果を裏付けています。
Wang, Z., Shao, J., Li, Fl, Gao, D., および B. Xing。「さまざまなナノ粒子によるアセチルコリンエステルの吸収と吸入」環境科学工学部。中国海洋大学。中国、青島。化学物質過敏症ネットワーク。
© 2009 年 6 月 19 日。中国青島海洋大学環境科学工学部 (Z. Wang 他) が最近実施した研究では、人工ナノ粒子がタンパク質や酵素との相互作用により毒性を持つ可能性があることが示されています。
アセチルコリンエステラーゼ(AchE)は、血液、脳、神経系に存在する重要な酵素です。Zangらは、特定のナノ粒子、多層カーボンナノチューブ、単層カーボンナノチューブによるAChEの吸収と阻害の重要な結果を報告し、これらのナノ粒子が神経毒性を持つ可能性があることを示しました。
2009 年 7 月: CIA 長官パネッタは、これまで公表されていなかった、2001 年から現在まで実行されていたとされる監視と拷問に関する CIA の秘密プログラムについて議会に報告。議会による調査が行われるかどうかは不明。
2009 年 9 月: ロイター通信は、Verichip がウイルスを検出するバイオセンサーの独占特許を 2 つ取得したと報じました。これらのセンサーは、人体に埋め込むことができるウイルス検出システムとして使用され、Verichip の埋め込み型人体無線周波数装置と組み合わせて人を追跡します。この取り組みの範囲は、カリフォルニア大学 – 産業国土安全保障ネットワークによる 2009 年 9 月 3 日の生物学的対抗策に関する通知で明らかにされています。この通知はhttp://www.ucdiscoverygrang.org/homelandsecurity/hsmissionAreas/Biological.htmで参照できます。この通知では、さまざまな化学および生物兵器の監視と検出をなくすためのスマート ダスト センサーが、さまざまなアメリカの機関のプログラムの焦点であると述べられています。
「スマートダストとは一体何ですか?」
「スマートダスト」とは、さまざまな目的のためにナノテクノロジー、バイオテクノロジー、高度な通信システム(マイクロエレクトロメカニカルセンサー、または MEMS)を組み合わせたシステムの総称です。2009 年現在、オンライン辞書 Wikipedia では、「スマートダスト」を「仮説的」(まだ実現されていないアイデアに過ぎない)と定義しています。
しかし、DUST NETWORKS 社は自社の Web サイトで次のように書いています。「標準ベースのインテリジェント ワイヤレス センサー ネットワーキング (WSN) のリーダーである Dust Networks は、超低消費電力で信頼性の高い組み込みシステムを世界有数のセンサー メーカーに提供しています。これらのセンサー メーカーは、センサーに組み込まれた「スマート ダスト」が市場におけるパラダイム シフトの主役であることを認識している市場の先見の明のある企業です。」
独立系ドキュメンタリー映画制作会社TANKER ENEMYは、スマートダストについて説明し、人口密集地域への展開を示すYouTubeの短編ビデオを多数制作している。
「飲料水中のスマートダスト」 http://ww.youtube.com/v/ouQCSZ8MY2s&hl=it_IT&fs=1&ap=%252fmt%3D18%22%3E%C/ パラメータ%3Cパラメータ
「スマートダストはすでに私たちの環境中に存在している」 http://tankerenemy.blogspot.com/2009/11/exposure-to-aerial-emissions-of-nano.htmlおよびヒルデガルド・スタニンガーのインタビュー、パート 1、2、3 (Out There TV) http://www.youtube.com/watc?v=JchfWlqbVxw&featrue-=related
これが、現在および将来の生活におけるスマートダストの現実性について十分に説得力がないのであれば、米国空軍のスコット・ディクソン少佐が 2007 年 4 月に航空戦争大学の戦略技術センターで発表したブルーホライズン論文「戦場における持続的監視の実現: スマートダストの形態、機能、および将来」も読んでみてください。
「スマートダスト」は「仮説」の段階をはるかに超えています。それはますます現代生活の隠れた一面になりつつあります。
2009 年 9 月: スタンニンガー博士は、先進ナノ材料と人間に対するその観察に関する調査結果を国立環境専門家登録簿に発表し、次のように警告しました。「人類は先進ナノ微生物材料への曝露による毒性メカニズムの解明の出発点にいます。」
2009 年 10 月: ヒストリー チャンネルが「気象兵器」と題するドキュメンタリーを放送しました。このドキュメンタリーでは、第二次世界大戦以降のケムトレイルと空中散布作戦について説明しています。
2009 年 12 月: モルゲロン病患者のための主要な情報センターであるモルゲロン病研究財団は、データベースに 15,000 人以上のモルゲロン病の症状を報告した人々をリストしています。オンライン ラジオ インタビュー (2006 年) で、ヒルデガルド スタニンガー博士は、米国で 60,000 人、世界中で 100,000 人の症状患者がいると推定していると報告しました。イタリアのデータベースでは、人口で 1 日あたり 5 人の新規症例が発生していると推定されており、2006 年以降、年間 1,825 人の新規症例が発生しています。
2009年12月: WHOにおける大規模な汚職スキャンダル。
過去 10 年間、WHO は自由に使える資金を増やすために、いわゆる「官民パートナーシップ」を結んできました。当初の目的である国連加盟国政府からのみ資金を受け取るのではなく、WHO は現在、助成金や民間企業からの財政支援という形で、通常の国連予算のほぼ 2 倍を受け取っています。その民間企業とは、2009 年 6 月の H1N1 パンデミック緊急事態宣言などの決定から利益を得る医薬品およびワクチン製造業者そのものです。
2009年12月:2009年冬至の準備、光の復活:
対策を開発するための初期の取り組みは、本当に有望です。生体電気および遺伝的能力を進化させる自由に対するこの新しい現代の攻撃を、招かれざる寄生虫のような機械を体内に存在させずに無効化および/または緩和することが本当に可能になるかもしれません。超近代的および古代の自然療法が地球の遠く離れた隅々に適用され、私たち人間はこれが実際に今地球の多くの場所で起こっていることに気づき始めています。私たちの体はそれに反応しており、すでに私たち全員がこの「もの」の下流で生きているように見え始めています。
空中散布作戦の最新派手なおもちゃであるこれらの宇宙時代の技術は、本質的に悪ではありません。それぞれに、人生を豊かにする素晴らしい用途があり、それを利用することができます。問題は、真の意図と反意図だけです。生命を尊重する意識によってプログラムされ、規制されることだけが必要です。それだけです。
光の復活により、人間の意識の最も暗い隅にまで浄化がもたらされますように。
国家、部族、家族に属する私たちが、人々が許可なく殺虫剤を散布されているときに沈黙を守り、無知を公言することを望まない指導者を見つけられますように。私たち国民が、たとえ一度に1つの家族を犠牲にしても、すべての銀河で最も美しい創造物である生命に対するこの戦争から私たちの将来の世代を守る勇気を見つけられますように。
ベン・コロジン 2009年12月
参考文献
1. スタニンガー、ヒルデガルド。カビやその他の特異な病気に対する遠赤外線放射熱(FIR RH)型修復。国立環境専門家登録(NREP)
2006 年次会議、テネシー州ナッシュビル。NREP、PO Box 2099、イリノイ州グレンビュー 60025
© 2006 年 10 月 18 日 ( www.staningerreport.com)
2.スタニンガー、ヒルデガルド。家庭、職場、環境における電磁場からの保護��国立環境専門家登録 (NREP)
2006 年次会議、テネシー州ナッシュビル。NREP、PO Box 2099、イリノイ州グレンビュー 60025 ©
2006 年 10 月 18 日 ( www.staningerreport.com)
3. スタニンガー、ヒルデガルド。モルゲロン:ナノ911の外来侵入者。全米環境専門家登録(NREP)2007年年次会議、テキサス州サンアントニオ。NREP、
PO Box 2099、Glenview、IL 60025 © 2007 年 9 月 6 日。( www.staningerreport.com)
4. www.rense.com モルジェロンのラジオ番組#5、6、7、8、10、11(ケムトレイル&
モルゲロン © 2006 および 2007
ジェフ・レンスによるヒルデガルド・スタニンガー博士、ラヒム・カルジュ博士、エドワード・スペンサー博士、マイケル・キャッスル博士、モルジェロンの患者たちへのラジオインタビュー。
5. www.sciechimiche.com RAI テレビ番組 Rebus では、ケムトレイル、モルゲロン、ヒルデガルド・スタニンガー博士の研究、その他の関連する発見について議論しています © 2007。
6. www.cliffordcornicom.comケムトレイル、気象改変、その他の関連トピックに関する特別トピック研究プロジェクトと論文のコレクション。© 2006、2007、2008、2009
7. http://www.luxefaire.com/devilvision/appxhtml/BappendixparticulatesB.html
付録 B: 最初の海軍微粒子特許、バリウムの定義、HAARP とコントレイル
(ケムトレイル)。米国出願番号: US19774000490610 1975 年 8 月 12 日 / 1974 年 7 月 22 日。出願人: 海軍長官を代表とするアメリカ合衆国、ワシントン DC、米国特許庁、ワシントン DC。さらに参照された特許: US1619183* 3/1927 Bradner 他; US2045865* 6/1936 Morely; US259188* 4/1952 Willcox: US3531310* 9/1970 Goodspeed 他、改良された金属酸化物顔料の製造; および USR0015771 * 2/1924 Savage (* 一部詳細不明)。
8. 米国特許第 4,686,605 号 Eastland, Bernard J. 譲受人: APTI, Inc. (ロサンゼルス、カリフォルニア州) 1985 年 1 月 10 日。地球の大気、電離層、および/または磁気圏の領域を変更するための方法および装置 (HAARP)。
9. www.flyaria.com/documents/html/mission/crres/cr.htm NASA プレスキット (CRRES プレスキット) 複合放出および放射線影響衛星 (CRRES)、NASA、アトラス I (アトラス/センター-69) 打ち上げロケット。© 1990 年 7 月
10.
http://lookupabove.tripod.com
2007年アメリカ上空のケムトレイル
11. http://us.mc826.mail.yahoo.com/mc/showMessage?fid=Inbox&sort=date&order=down& ... R. Michael Castle 博士。自然地球の計画的消滅 ~環境への影響の概要~ 2007 年 11 月 12 日更新
12 http://www.bariumblues.com/haarp_dangers.htm HAARP、ケムトレイル、そして新たな戦争技術、Carol Sterritt 著。© 2008 年 12 月 2 日。
13. http://amphibiaweb.org/declines/ChemCon.html化学汚染物質 © 2008 年 5 月 14 日
14. http.//en.wikipedia.org/wiki/Project_Storm_Fury . プロジェクト・ストーム・フューリー 米海軍 © 1961-1983
15. http://en.wikipedia.org/wiki?Project_Cirrus。Project Cirrus 米国海軍、米国陸軍通信部隊、米国海軍研究局、米国空軍、米国気象局
写真などは原文よりご覧ください https://anamihalceamdphd.substack.com/p/a-brief-primer-on-the-history-of?publication_id=956088&post_id=149737910&isFreemail=true&r=21r2u2&triedRedirect=true
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shokobekki · 9 months ago
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【日記】
決まった居場所もつるむ仲間も要らないし、華やかなスポットライトも受賞も求めていない。まして画像しか見ない人の暇つぶしのいいね数なんかどうだっていい。取扱先がただ増えればいいわけではないし、ぽんぽん売れさえすりゃいいわけでもない。 ただ、これだけは求めているのは、できてくる作品を真剣に見て対話してくれる人。属性でも経歴でも情報でもなく、とにかく作品を (展覧会に足を運び続けてくださる数少ない方は、結局みなそういう方だ)。そして当然ながら、作品が決して損ねられないこと。 あとは制作を持続できる環境。これは自分の努力で維持していくしかない。
Facebookにたまたま流れてきた、或るベテラン美術家の方の投稿に、作品を売って生きていくことの難しさ(受ける誤解のことも)が吐露されていて、色々うなずいたり考えたりしてしまった。 私の場合、とても生業にはなっていないけど、それでも、継続的に作品を制作し、ギャラリーで発表し売っているので、そこには作り手の責任も発生するし、手を抜くことなどなく、れっきとした仕事だと思っている。どんな生活をしていても、プライドを持って作品を作り続け売り続けている人はみなプロの作家だ。制作も継続も楽じゃない。でもつくることはいろんな意味で大事な、価値あることだと私は思っているので、どうにかして周囲の理解や協力も得ながら続けている。コラージュからは20年、木口木版からは15年かな。生活の変化でペースダウンしたり、思うように発表の場を得られなかったり、身を粉にして作った作品が損ねられたり、つらい思いをしたことも度々あるけど、幸いつくることが途切れたことはない。
以前、ギャラリーの個展で作品を買ってくれた友人が、自分の出した代金の半分(場合によってはそれ以上)が、ギャラリーに入ると知って、そんなに取られるのか?と驚いていた。友人の反応にかんしては、私がまだ初期の頃、スペースを借りて自主企画展をしていたのを知っているという経緯もある。友人から見れば、どこでやっていようが個展は個展なのだ。 でも、ギャラリーが、アート作品は大切なものとして価値をつけ、対話の場を設け、かつ販売するお店であることを知らない人は意外と多いのかもしれない。価値を受け止め買ってくださる方がいるから、ギャラリーも持続していけるし、作家は多かれ少なかれ、また次作に向けた活動ができるのだけど、ギャラリーって美術館なの?レンタルスペースなの?なんなの?と聞かれることは今もあるし、ただで見せてもらうのは申し訳ないからと言って、わざわざ高価なお菓子やお花を持ってきてくれる方もたまにいる(お気持ちはもちろん嬉しいけども、作品をしかと見てくださることが肝要で、そういうお気遣いは無用なのです。もし気に入ったものがあればそちらにお金は使って頂きたいし。) 私は自身が作る人になったのでたまたま知ったけど、作る人になっていなかったら、ギャラリーのことを知れる機会ってなかったかもしれない。
個展で何度もお世話になっている某ギャラリーの方は、"売り上げは半々。でも作家さんは作るだけ。展示やPRや販売はこちらに任せてください" とキッパリだった。自主企画から始まった私としては、急に価格を上げることもできず、正直当初は、5割しか入らないのはきついと思った。でも、自主活動では限界があることも重々感じていたので、こんなまだ売れていない安い作家をリスク承知で企画くださるのだから、それだけでもありがたいと思わなきゃ、という気持ちでもいた。けど今は、安心してお任せできるギャラリーならば、この配分は納得できる。 作家はつくるという領分に、ギャラリーは伝え届ける(かつ作品と作家を守る)という領分に、それぞれプライドと責任を持って全力で取り組むのだから。
でも、作家が作品を作るだけでは済まないようなギャラリーや(たとえば、DM制作費など開催費用が要ったり、作家さんの好きなようにしていいからと、撮影、宣伝、展示、接客など大方の仕事を作家にまかせ、それをネットでシェアするだけ、あとは販売事務くらいしかしないようなところ)、安心して委ねられないようなギャラリー(扱いや展示や発信が雑で、作品が損ねられるなど。はさすがに論外か;)の場合は、売れて5割はギャラリーの領分としては取りすぎだと思う。 作家に3割以下しか入らない所もあると聞く。それ相応の理由があるのだろうけど、よほど高額で売れなくては作家はとても活動を持続できないだろうし、これだけ聞くと、もはや信頼関係ではなく、上下関係や搾取だと感じてしまう。数字云々よりも、要は個別の信頼関係なのかな。
そのスピードについてゆけていないけど、今や、SNSなどで作家が自己発信し、よかれあしかれ、直にファンもつき得る時代。ギャラリーを介した仕事の仕方も変化を求められ、改めて手探り期に入っているのかもしれない。作家たちはとにかく作り続けているけれど、作品に真剣に対面してくれる方と出会い続けていくにはどうしたら良いのか、少なくとも私はいつも暗中模索で、はっきりしたアテはなく、また、色んなリスクに怯えて身動きが取れないことも多々ある。ただ、私は、幸か不幸か、こちらからガツガツ動いてうまく行った試しがなく、むしろ予期せぬところからやってきた出会いによって動かされて来た部分が大きい気がする。でも何もしなければそれもない。だから焦ったり、時には無理をしたりする。なんと無駄の多いことか。 "貧乏になるかもしれないけど、これは良いものだから、続けて" と、背中を押してくださった方もいた。本当に、着々と貧乏になり続けている苦笑。色々簡単じゃないけど、25歳頃ようやく、作品をつくることに開眼?して以来、これはきっと良いものに違いない、やめてはいけないと、根拠なき自信だけは失うことなく(一時的になくすことはありますが;)、好捕手がどこかにいてくれると信じて、どうにか投げ続けている。そんな実情だ。
と、無知を承知で長々偉そうに書いたけど、概ねは、日常の諸々にまみれ、流されそうになりながら、笑ったり怒ったりして凡庸に暮らしている人間です。本当に。でも不思議と、そんな隙間から作品が生まれてくる。
九月はあっという間に過ぎていった。彼岸花の最盛期を見逃す。夏の間は休止していた近くのトマト農園の直売がまた始まった。台風がウヨウヨしていてまだ湿気はあるけど、夕方はずいぶん涼しくなり、空気が少しずつ落ち着いてきている。街灯が寂しげに灯り始める頃、近所を歩けば、みんな家にいて、ご飯やお風呂の匂い、テレビの音が漏れてくる。そういうのがどこかもの哀しくもあり、愛おしくも思える。
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benibame · 2 years ago
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最近気になったトランジションを再現してみる
映像を作るうえでささやかながら非常に重要な要素であるトランジション(場面転換エフェクト)ですが、最近いくつかの映像を見ていて気になったトランジションがあったので、それを自力で再現しつつ、その演出の意図などを考えてみようと思います。
①【デレステ】「Nightwear」MV 2Dリッチ【TVアニメ「U149」】【アイドルマスター】
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モーショングラフィックスによる時間差のトランジション。スムーズな場面転換はオシャレさと高級感を感じさせます。左下から右上へ流れるように変化していくことで、時間の変化があることを意識させます。人物の位置や表情が変わらないことからも、同じ時間軸における本人以外の変化という意図が読み取れます。
このトランジションを再現してみます
再現をするためには、なによりよく観察して構成している要素を分析することが不可欠です。このトランジションにおいては2つのひし形が時間差で展開していることがわかります。
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正方形のコンポジションを作成し、その中に四角いシェイプレイヤーを2種類用意します。外側の四角形と内側の四角形は時間差でコンポジションサイズの最大値まで拡大していくモーションをつけました。一見するとリニアで動いているようですが、よく見ると微妙にイージングがついています。やはり滑らかな場面転換にはイージングは不可欠なのでしょう。試しにイージングなしでやってみましたが、やはりどこかギクシャクした動きになってしまいます。動きはわずか7フレーム程度ではありますが、これだけの工夫でも最終的な結果にはかなり影響してきます。
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モーションを作成する前は簡単なのですが、問題はこれをどう複製していくかです。
考えうる最もスマートな方法は、やはり「時間置き換え」エフェクトです。グラデーション素材を用意し、その画像の輝度を基準に時間差で動きを展開できるエフェクトです。先ほど作成したコンポジションをCC RepeTileで複製すれば、レイヤー数も少なく処理も軽いまま処理が完了すると予測できます。
…のはずだったんですが、いくらやっても時間置き換えエフェクトがうまく作動せず、まったく予想通りにいきませんでした。そもそもグラデーション画像では輝度がなめらかで、モザイクエフェクト等で輝度を段階的にしないとうまく作動しません。これが非常に難しくいくらやっても出来なかったので諦めました。
こうなったら最終手段、人力ですべて配置するという方法が残されています。結局この方法を選びました。レイヤー数はかなりの数になりましたが動きは単純だったので処理はそこまで重くなくて助かりました。時間差の動作もレイヤーをずらして目視で確認しています。なんだかんだこれでいい気がする。
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完成したものがこちら
速度は元動画よりすこし遅めにしています。展開のタイミングなどすべてが一致しているわけではないですが、ほとんどの要素は同じ��なるようにしています。
人力で並べているので隙間がないか心配でした。今考えるとここでCC RepeTileを使って並べた後にコンポジション自体を回転させればよかったかなと思います。
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実際に映像として使用してみるとこんな感じになります。トランジションとしては一見複雑な動きに見えますが、モーションとしては2種類の四角形の拡大という非常にシンプルな要素で構成されています。
左下から右上へのワイプモーションの一種とも言えるトランジションですが、このような工夫でまた違った印象を与えることができ、単純な場面転換においても印象を残すことができる。特に元ネタはキャラクターのポーズ自体は動かず、背景やライティングが変化します。こういった変化への導線として、かなり有用であると思います。
デレステ2DMVはこのような細かい演出にこだわりが強くうかがえる映像が多いです。これについては以前の記事で解説しています。
【モーショングラフィックスから見るデレステ2DリッチMV】
②音MAD DREAM MATCH -天- 出場者告知
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2023年9月に行われる音MADのイベント告知動画。その出場者紹介映像におけるトランジションです。最初はキャラクターは黒地で隠されて���り、右上から左下へ四角形に分割される形で全容が見える、という流れになっています。
これを最初見たときは「カードワイプを使ったのかな?」と思いました。見た通りレイヤーが四角(カード型)になって消えていくので、おそらくそうじゃないかと予想しました。編集ソフトを長く使っていると映像に使っているエフェクトがおおよそ予測できるようになりますが、これは逆を言うと分かる人が見ると容易に構成がばれてしまうので、なるべく使ったエフェクトがばれないように必死になってる人もいるかと思います。
再現に挑戦してみると、どうやらカードワイプではなくCC Grid Wipeじゃないかという結論になりました。カードワイプは調整項目が多く自由度は高いですが扱いにくく、CC Grid Wipeであればシンプルな項目で似たような結果が得られたので、今回はこっちを使用してみます。
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エフェクトの設定ですが、元動画をよく見ると格子状になった四角形が縦・横両方から小さくなっているのが分かります。これはエフェクト内のシェイプの設定によるものです。一見Doorsのように見えるのですが、これはワイプに対して垂直に格子状になるため、タテの列は順序良く小さくなっていますがヨコの列は同じ大きさのままです。
これでは元動画通りにならないので、設定をRadialに変更します。これは中心から円形状にワイプされる設定です。これであればタテ・ヨコ両方から格子状になるためどちらの列からも大きさの変化が発生します。こちらの方がより類似の表現になります。
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完成したのがこちら。使用レイヤーはなんと1枚だけです。
元動画同様、かなり高速でトランジションさせているため正直先述した格子の大きさの変化は明確には確認しにくいです。CC Grid Wipeはトランジションとして使ったことがありませんでしたが、このような「見えなかったものが見えるようになる」場面においてはかなりオシャレに表現できることを知りました。
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実際に映像として使用してみるとこうなります。同じレイヤーを2枚用意し、トラックマットを使うことで再現することができます。
正確に再現できたかと言われると微妙な感じではあります。もう少し全体を小さめにしても良かったかなと思いますが、要素としては類似しているものが出来たと思います。
場面転換とは少し異なる目的でのトランジションですが、確かにこういった場合に使用するトランジションってどんなものがいいのかあまり考えたことはありませんでした。標準エフェクトだけでも高級感のある表現が可能なことを発見できてうれしい。
③スリーズブーケ 「Holiday∞Holiday」 リリックビデオ (ラブライブ!蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブ)
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映像を作ったことがある人にとっては、静止画素材をメインとした動画は、下手にバリバリ動く映像を作るよりもはるかに難しいことは分かると思います。素材の動きが少ない以上、いかに素材以外の要素で画面に変化をつけ視聴者に飽きさせないように見てもらうか。総合的な知識量が求められるジャンルであるがゆえにトランジションの効果はより重要なものだと言えます。
この動画を作成したのはyama_koさん。知っている方もいるかもしれませんが、メイキングなどを見ると氏は非常に理詰めで動画を作る方です。映像講師をされている人なので論理的に映像を作るのは当然かもしれませんが。
なので今回再現してみる四角形がランダムに登場するトランジションは、一見して不透明度の濃淡によって場面転換されているように思われますが、実際はもっと複雑な処理がされていると思われます。詳細は分からないですが、とりあえず見た目だけでも近づけるように再現してみようと思います。
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大きさの異なる四角形シェイプを3~4種類程度作成し、拡大していくモーションを加えます。本当であればランダム生成をした方が違和感がないと思ったのですが、ランダム生成だと全体が覆われるタイミング調整が難しく、不自然に空白が生まれてしまうことが多かったためやはりここも人力で配置しています。
一応、不透明度にウィグルをかけることで淡い表現を再現してみましたが、いかんせん数フレームしかないためあまり効果は感じられませんでした。気持ち程度に加えておきます。
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完成したのがこちら。最初に大きなシェイプを出し、後から小さめのシェイプを出す、という順番の方が見た目的に自然なトランジションになりました。
不透明度のウィグルがどれほど影響するかは分かりませんが、トランジション後の映像にグローをかけた方が元動画に近くなるような気がします。
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映像として使用してみるとこんな感じ。なんだかふわっとした優しめのトランジションになりました。元動画もそうですが、トランジション後の映像を動かしながら使用した方が効果的だと思われます。
ここまで見ると明確ではありますが、一見複雑そうに展開しているトランジションも、要素を分解していくとシンプルな動きの集合体であることが分かります。しかしシンプルだからこそ場面転換という一瞬しか登場しない時において存在感を発揮できるものでもあります。
旅行動画などによくみられる高速ズームや回転を使用したトランジションとは異なり、今回再現したものはそれ自体を演出として使用していることが特徴的です。作品の雰囲気に合ったトランジションを選ぶことは難しいことですが有るのと無いのでは表現に雲泥の差が生じるため、映像を作るということはやはり細部にまで注意を払わなければならないことが読みとれます。逆に言うとこういった「たかが場面転換」に注目することで映像制作者の意図を読み取り、より映像の世界観に没入することができるとも言えます。こういった映像の楽しみ方もいいんじゃないでしょうか。
プリセットやプラグインで販売しているものも多いですが、工夫すれば自分で作れるのがトランジションのいいところ。また面白いトランジションを見かけたら再現に挑戦してみたいと思います。
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taiwanteam · 1 year ago
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更新週報
🌟 最新消息
我們為行動裝置應用程式中的好幾個推播通知添加了標題,在此之 前,標題就只是簡單的「Tumblr」而已。
在搜尋和標籤頁面上,我們現在將會在含有一個(或多個)你的篩除標籤的貼文上顯示一個遮蔽畫面。在此之前,含有一個篩除標籤的貼文是連顯示都不會顯示的。
我們製作了一篇貼文介紹我們在一月的駭客週中所做的一些東西,有興趣的同好們可以去 Tumblr Engineering 看一下(只有英文)!
我們多加了一些新的預設部落格頭像嘍!大家很快就會開始在新的部落格上看到了。
根據大家的意見反應,現在 Tumblr Patio 在部落格欄中多了挑選部落格的功能,如此便可在單一個欄中快速切換到不同的部落格。
在 Android 版上,經過重新設計的 Tumblr 電視現在已經推出了!對於重新設計的準確敘述如下:在 Android 上的燈箱/Tumblr 電視功能中的影片回播已經過改良,現在多了一個播放/暫停按鈕,以及其他幾個視覺性變動。
🛠️ 修復事項
在網頁版上傳送貼文時,現在在你的部落格頭像的旁邊會有一個箭頭圖示,這樣會比較明顯表示說,那是可以按一下來切換為以其他次要部落格來傳送貼文的。
我們修復了一項導致在你的使用中工作階段清單中,Windows 10 會顯示為「Windows 10 10」的問題。
修復了網頁版上一項可能會在群組部落格上不正確地顯示子頭像的問題。
修復了 Tumblr Patio 中一些鍵盤快捷鍵衝突的問題。現在你可以使用上/下鍵頭來捲動瀏覽一欄,還有使用 Shift+左/右來在不同欄之間瀏覽。
🚧 未完工程
目前沒有什麼未完工程要跟大家報告的。
🌱 即將推出
今天沒有什麼即將推出事項要跟大家宣布的。
有遇到任何問題嗎?那麼請提出技術支援要求,我們將會儘快回覆!
想要分享你對任何事項的意見反應嗎?那麼請去看一下我們的 Work in Progress 部落格,直接跟社群展開討論。
想要直接用現金來贊助 Tumblr 嗎?那就來 Tumblr 超市看看新的贊助者徽章吧!
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shihlun · 3 months ago
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風景的螢幕實踐 第1回 中平卓馬與西澤諭志的權力=風景論【前篇】
風景的螢幕實踐|佐佐木友輔
第1回 中平卓馬與西澤諭志的權力=風景論【前篇】
由影像創作者暨媒體研究者佐佐木友輔執筆,圍繞電影、攝影、美術與動畫中的「風景」與投射風景的「螢幕」為主題,縱橫論述各式作品的連載文章。以1970年前後的「風景論」爭辯為出發點,企圖加以更新。本篇首回將攝影師中平卓馬與西澤諭志對照,以大阪萬博為關鍵轉折點,思索現代社會中權力=風景的樣貌。 中平卓馬——風景的殘骸(Detritus)
中平卓馬與《風景的死滅》
1971年10月25日發行的松田政男著作《風景的死滅》(田畑書店)封面,使用了中平卓馬拍攝的海景照片。這張照片也出現在中平於1970年出版的《為了未來的言語》一書中,為書中跨頁照片右側經裁切後使用的版本。畫面上方三分之一為天空,下方三分之二則為白浪翻湧的海面,水平線略為右斜向下。水面上的複雜紋理、拍攝當下的模糊與晃動、粗顆粒感等元素交織在一起,構築出難以分割的視覺關係。再透過高光澤的銀墨印刷,反射出帶有物質感的黯淡光澤。
取下書衣後,書本本體的封面也同樣使用了海景照片,這次是取自《為了未來的言語》跨頁左側經裁切後的圖像。畫面中省略了天空,以海面全面覆蓋畫面為設計。印刷質地比封面更為粗糙,一眼看去甚至難以辨認是否為海洋。既像是沙灘表面的紋理,也彷彿是印表機故障所致的錯誤印刷。
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如眾所周知,這種模糊晃動的照片正是中平卓馬在《Provoke》時期的典型風格。拍攝者或被攝者的移動造成的晃動與模糊、粗顆粒、曝光過度或不足、無視水平線的不穩定構圖……這些靜止畫面中卻具有動態特質的風景,既可視為中平攝影行為的刻印記錄,也強烈主張那是由「攝影機之眼」——與人眼截然不同的視角——所捕捉的風景。中平排斥那些如內心反射或意識形態投影般的主觀、感傷攝影,致力於將攝影作為如實記錄事物的工具。
《風景的死滅》收錄了許多與1960年代末至70年代初「風景論爭」有關的松田重要論述。而中平也是這場論爭的中心人物之一,透過攝影與言說雙重實踐,發展出獨自的風景論。若讀者對當時論述不甚熟悉,聽到「風景論」一詞,或許會以為是探討「以風景為主題的攝影」或「應該記錄哪種風景?哪種風景最美?」這類直觀問題。但對中平而言,「風景」是如同「一層塑膠膜般的面紗」,遮蔽了應真正凝視之物的存在。
某個夜晚,或許是清晨,我匆忙爬上地鐵的階梯。就在轉角處,與兩位少女不期而遇。她們短暫地愣住,確實是兩位少女。高個子的是姊姊,矮個子的是妹妹——這也無誤。但當我開始凝視她們,她們迅速失去「姊姊」、 「妹妹」、「少女」的特質。我急促地、盡可能大聲地喊著:「少女們、 姊妹們、建築物、工業區,這是少女啊!」若不這麼做,這些事物就會被 從我頭顱頂部下垂的那層塑膠面紗所吞噬——這層面紗才是將我眼前一切事 物還原為所謂〈風景〉的元兇,這點已不言自明。
當某物乍現於眼前,人往往將自身內在或意識形態投射其上、賦予意義,並用「風景」這層面紗將之覆蓋,從而無法看清真實的現實。為對抗此現象,中平選擇捨棄嚴格的取景與構圖,有時甚至不透過觀景窗,任憑直覺與偶然拍攝,即所謂的「模糊晃動攝影」實踐。他的目標不是捕捉風景,而是在風景將其覆蓋前搶先按下快門,揭露其背後真正存在之物。
進一步來說,中平的風景論也受到了松田政男提出的「作為權力批判的風景論」的影響。松田曾針對1968年連續槍擊事件犯人永山則夫的動機提出見解,認為永山是被國家權力強加的均質化風景所逼迫,才開槍試圖撕裂那景觀。中平亦呼應此說,指出:「若要撕裂被權力均質塗抹的『風景』,只需一聲槍響,一道閃爍的刀光便已足夠。」那份模糊晃動所帶來的粗暴感,正蘊含著如刀劍揮下的軌跡或子彈命中的衝擊。中平的攝影,是風景的屍體,是風景被殺害現場的記錄。 無止盡的貓捉老鼠遊戲
然而,「模糊晃動攝影」迅速樣式化與形式化,不僅無法再撕裂風景,反而變成模糊投射拍攝者內在的手段。具體實例便是中平對「發現日本(Discovery Japan)」(以下簡稱D・J)活動的猛烈批判。D・J 是國鐵(今JR)於1964年東京奧運與1970年大阪萬博後為避免旅遊熱潮冷卻而發起的觀光推廣活動。初期的幾張海報(如第2號、第3號),以模糊晃動手法拍攝結合了現代都市女性與鄉村風景的畫面,營造出「美麗日本」、「美好舊時代日本」、「故鄉」等難以具體指認的匿名式、抽象式圖像,激起觀者的旅遊情感。中平尖銳指出:「就如1970年萬博成功地轉移了我們對70年安保的關注,最終讓民族主義獲得歡呼,這個D・J活動亦具有將我們的視線自現實中的種種問題引開,並持續鼓吹民族主義的政治功能。」
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對D・J的批判進而演變為對自己過去風格的反思與否定,中平捨棄原先的模糊晃動攝影,徹底排除個人情緒或意義投射,嘗試捕捉事物本來面貌。例如他在1971年巴黎青年雙年展中展出的裝置作品《循環——日期、地點、行為》,每天拍攝並當天沖印、展示,照片填滿整面牆、地板與接待台,營造出多視角、多元空間,對抗「我與世界」這種從單一視角理解世界的西方式遠近法構圖。他於1973年將這些實踐概念化為「植物圖鑑」,主張應該捕捉的是物對人的注視,而非人對物的情感投射。此過程中,中平的照片也逐步由模糊晃動轉為清晰、由夜晚轉向白晝、由黑白轉為彩色。
若硬要借用風景論的詞彙來說,中平可謂窮其一生,不斷切裂眼前出現的風景。然而,當他撕開破爛的面紗、試圖捕捉真實時,那景象轉瞬間又凝固成新的風景,視野再次被不可見的面紗覆蓋。若欲以另一手段再度撕裂,又會有新的風景湧現並阻擋視線。如此周而復始,宛如無盡的貓捉老鼠遊戲……
其實這不僅是中平作家的個人問題,或權力過於強大的證明,更關乎「風景」概念本身的侷限。文學評論家加藤典洋指出,「風景」的混亂來自於兩種相反行為同時被「風景」一詞涵蓋:一是將某地經驗對象化所形成的「風景化」;另一是風景本身被視為觀看對象而廣泛定著的「風景」。依此劃分,中平的攝影終究仍是「風景化」的範例——只是另一種尋找新風景的嘗試。即使是清晰的彩色照、多視角的裝置作品,一旦發表,就會被定型、樣式化、對象化,進入應被觀看的「風景」之列。只要繼續使用「風景」這一概念,我們就永遠無法真正逃脫風景。若真有自由的一刻,那也僅是舊有風景被新的風景取代前,那段短暫的過渡時期而已。
風景的殘骸——回顧展《中平卓馬 火―氾濫》
自2024年2月6日至4月7日,在東京國立近代美術館舉辦了中平卓馬的回顧展《中平卓馬 火―氾濫》(策展人為攝影評論家暨攝影史學者增田玲)。對這場展覽,我懷有一絲擔憂——是否會將中平卓馬整個人生對象化,作為某種凝固成型的「風景」來呈現?從模糊晃動的攝影風格到「植物圖鑑」的創作,歷經急性酒精中毒導致的失憶,最終成為如純粹攝影機般,持續記錄現實的偉大攝影家——這樣的神話。或者,被視為投入與「風景」之間一場注定無法獲勝(同時也無法完全敗北)的戰鬥之中、悲劇又英雄的攝影家——這種浪漫化的想像。如果將中平對風景不斷切裂的苦行姿態加以通俗化,那他也可能被歸類為「一位不斷逃離陳腔濫調表現的攝影家」,成為另一種陳腔濫調。
然而,這些不安終究只是杞人憂天。毫無諷刺地說,在展場中,我一張也沒有看到能被稱為「如實記錄現實」的照片,也幾乎沒有見到任何企圖偽裝那類影像的展示設計。映入眼簾的,是龐大的風景殘骸——中平所切裂、撕成破布的風景面紗的碎片,有的作為「作品」,有的則作為「資料」或「記錄」呈現。
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之所以產生這樣的印象,是因為展場中陳列的,多半並非強調藝術品獨一性與原真性的底片或原始印刷品,而是刊登於雜誌或書籍封面、裝置藝術的記錄照片等——這些反而強調攝影為複製技術媒介之性質的物品。其中甚至包含了一些在二手書店或拍賣網站上仍可購得的資料(雖然可能價格偏高)。這些大量生產的媒體,有些甚至原本就不以長期保存為前提,有的會被隨意翻閱、塗鴉、裁剪。借用電影與電視研究者保羅・格雷因奇(Paul Grainge)的用語,這類媒介可稱為「短暫媒體(Ephemeral Media)」。
“Ephemeral”這個詞原意是短暫、稍縱即逝,在媒體研究中還帶有邊緣性、一次性與可拋棄性等含義。或者,為了更進一步強調這些短暫媒體雖薄弱但仍具有物質性的特質,也許應採用電影與媒體研究者阿梅莉・海斯蒂(Amelie Hastie)提出的「殘骸(Detritus)」概念——原意為「碎片」或「有機堆積物」*。
將中平的照片視為「風景的殘骸」,其意義之一在於,將這些影像作為過去實踐過程中所產生的副產物或廢棄物來對待,有助於避免過度神話化與理想化,同時分析當時人們所處的「權力=風景」的動態樣貌,以及對其各種抵抗實踐的方式。
中平經常選擇以偽裝成他所刊登媒體的方式呈現自己的攝影。舉例來說,在名為〈囚禁之旅〉的報導中,他在看似觀光地的照片角落加上說明文字,例如「就像DISCOVER JAPAN海報中那樣的摩登打扮」、「再次不斷拍攝證據照片,反覆獲得安心」等,對觀光客的視線加以諷刺。
表面上看來,這與中平自己曾批判攝影被用作語言插圖的言論似乎相互矛盾,但他並不執著於原則與主張的一貫性,而是優先因應「權力=風景」每次變形後的樣貌,展開如游擊戰般的實踐——偽裝成敵人、寄生於敵人體內,從內部動搖、破壞之。
特別是當他偽裝成雜誌等短暫媒體時,實際上是在拒絕讓自己的攝影成為具永恆價值的紀念碑,而是鼓勵觀者將這些影像作為暫時性文獻,使用一次即丟,最好在它們凝固成「風景」之前就丟棄。
引入「殘骸」概念的另一個意義,是透過強調攝影的物質性,使本應是個人且僅一次性的風景經驗、或原本抽象且無形的權力得以具體化,從而能夠被收集、組合、改造與破壞。即便只是殘骸,中平的照片也非歸於虛無,而是作為具有短暫物質性的「物」留存至今。若非如此,我們便無從得知中平過去所身處的「權力=風景」為何,也無從理解他進行了怎樣的抵抗。
透過觀看那些具實體的照片——重複翻閱、塗鴉以創造新風景、收集後並列於桌上仔細比較、依時間順序排列來追蹤權力變化的樣貌——我們便能嘗試想像那些殘骸出現之前的風景原貌,或構想出與既有風景不同的風景。透過這樣的「接觸」體驗,我們不只是以知識方式理解歷史,而是以身體實感,體會自過去至今那層層堆積的歷史厚度。這些「風景的殘骸」所堆砌而成的土壤,正是我們當下觀看世界的視角與新風景之所以能構築其上的基礎。
*在這裡,也讓人聯想到阿梅莉・海斯蒂(Amelie Hastie)為說明「殘骸(Detritus)」概念而舉的便利貼(Post-it)例子。便利貼是用來記下靈光一閃或備忘的東西,當完成其功能後就會被丟棄,具備短暫媒體的特性。然而,海斯蒂也關注於便利貼上遺留的無數思考碎片——這些片段如何被解釋、翻譯、拼接,最終形成一個完整的想法或概念。媒體研究中的「殘骸」亦同樣如此:它們是某種經驗或記憶所留下的知識碎片,透過蒐集、組合與銜接這些碎片,我們得以重建它們在變為殘骸之前的樣貌,以及使用這些媒體的經驗歷程。 出處:Hastie, op. cit. p.171.
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moko1590m · 1 year ago
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セックスロボットに組み込む大規模言語モデル(LLM)のトレーニングを行っていることが報じられたのは、中国の深センに本拠を構える大手ダッチワイフメーカー・Starpery Technologyです。搭載予定のAIは男性型と女性型が用意されており、2024年中にも第1弾が完成する予定とのこと。 同社のエヴァン・リーCEOは香港のメディアのSouth China Morning Postに、「私たちは声や体でユーザーとやりとりできるセックスドールを開発しており、試作品は2024年8月までにできあがる予定です。リアルな人間同士のやりとりを再現するには、技術的な課題があります。単純な会話を行わせるのは簡単ですが、インタラクティブな反応を生み出すには専用のソフトウェアメーカーが手がける複雑なモデルが不可欠なのです」と話しました。 金属製フレームとシリコンの外装を持つ従来のダッチワイフは、単純な動きしかできません。一方、AIモデルとセンサーを搭載した次世代のセックスドールは、身ぶりと言葉で受け答えし、基本的な会話を超えた情緒的なつながりにフォーカスすることで、ユーザーエクスペリエンスを大幅に向上させることができると、リー氏は語ります。 by starperydollofficial Starpery Technologyはこれまで海外市場に注力してきましたが、今後は国内市場も視野に入れています。リー氏によると、中国はこのような話題を避ける保守的な社会なのにもかかわらず世界最大のセックスドール市場でもあり、合計売上高はアメリカ、日本、ドイツの合計を上回るとのこと。 リー氏は「この業界は、中国に巨大市場があることと、主要都市の購買力が多くの欧米諸国を上回っていることを知っています。市場も関心を寄せていますが、美的な感覚は中国と欧米とでは違いがありますね」と述べました。 Starpery Technologyのロードマップには、家事や障害者支援、高齢者介護ができるロボットもあります。具体的には、2025年までに障害者向けに複雑な世話が可能な初の「スマートサービスロボット」の発売を計画しているとのこと。そして、2030年までには人間に代わって危険な仕事をこなせるロボットを作ることを目指しています。 そのようなロボットを開発するには、バッテリー容量と人工筋肉という2つの大きな課題があります。電気自動車と異なり、人型ロボットには大型バッテリーを搭載するスペースがないので、ロボットを動かすにはバッテリーのエネルギー密度の向上が必要です。 また、リアルさを保つためにロボットの重量は40kgまでになることが一般的ですが、この重量は現行のモーターにとっては負荷が強すぎるため、転倒したりユーザーがけがをしたりする���スクがあります。 そこで、Starpery Technologyはまず素材と製造工程を見直すことで軽量化を図り、2023年7月には172センチでわずか29kgのドールが完成しました。それでも、家事ロボットを作れるようなレベルのサーボモーターの登場には10年ほどかかると、リー氏は見ています。 by starperydollofficial このような技術的な問題に加えて、AIセックスロボットは倫理的な問題にも直面しています。こうしたテクノロジーへの批判の中には、「性的または情緒的な充足感を得るためにAIコンパニオンに過度に依存すると、本物の人間同士のつながりが薄れ、ユーザーが本物の人間と健全な関係を築く能力に影響が出る」というものがあります。 また、AIの急速な発展は既存の法律や規制の枠組みを越えており、使用や所有権、メーカーやユーザーの責任などに関する法的なグレーゾーンを作り出しています。 中国情報通信研究院は2023年に発表した研究結果の中で、「特定の条件下で意思決定を行うことができるAIは、人間の自律性と自己認識への挑戦となる可能性があります。またLLMでは、ユーザー情報が生成AIのトレーニングの素材になる可能性があるため、情報漏えいやプライバシー侵害のリスクも伴います」と指摘しました。
AIを搭載した中国の次世代「セックスロボット」が市場を席巻する未来はすぐそこかもしれない - GIGAZINE
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ari0921 · 11 days ago
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AIに聞いてみた
取り敢えず
イスラエルとイランのミサイル、ドローン、航空機による戦闘は続いているが、イランとイスラエルは国境線を接しておらず、地上戦になる事はない、その為にテロ行為によるイスラエルへの攻撃支援が地上でのゲリラ戦闘であった
互いの国が地上戦を制する事なく戦禍は航空作戦が中心になる、しかしイスラエルによるテロ組織殲滅で、テロ支援して来たイランへの報復の権利があるのではないか
急転直下の中東情勢の今後の展開予想、核兵器の使用の可能性、第三次世界大戦にまで発展する危惧は?
イスラエルとイランの現在の対立は、ミサイル、ドローン、航空作戦を中心に展開しており、両国が国境を接していないため直接的な地上戦は発生していません。しかし、イランが支援するヒズボラやハマスなどのテロ組織を通じた代理戦争やゲリラ戦が地上での主な戦闘形態となっています。以下に、ご質問の中東情勢の今後の展開予想、核兵器使用の可能性、第三次世界大戦への発展の危惧について、簡潔かつ包括的に分析します。
### 1. 中東情勢の今後の展開予想
- **報復の連鎖の継続**: 2025年6月時点で、イスラエルはイランの核施設や軍事拠点を標的にした大規模空爆を実施し、イランはミサイルやドローンで報復攻撃を行っています。イランは最高指導者ハメネイ師の下で報復を宣言しており、両国とも攻撃を続ける姿勢を崩していません。この「報復の連鎖」は、短期的に収束する可能性が低く、さらなるエスカレーションが予想されます。[](https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250614/k10014835031000.html)[](https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250616/k10014836131000.html)
- **代理戦争の激化**: イランはレバノンのヒズボラやイエメンのフーシ派など、イスラエル周辺の武装勢力を動員して攻撃を続ける可能性があります。イスラエルはこれらのテロ組織を殲滅する作戦を強化し、特にヒズボラの拠点であるレバノン南部への攻撃を拡大する恐れがあります。[](https://www3.nhk.or.jp/news/html/20241001/k10014598141000.html)[](https://www.jiia.or.jp/strategic_comment/2024-03.html)
- **国際社会の介入**: 米国はイスラエルの防衛支援を続けていますが、全面戦争の回避を優先し、外交的解決を模索しています。中国やロシアはイラン寄りの姿勢を示す可能性があり、情勢緩和に向けた多国間協議が試みられるものの、効果は限定的と予想されます。[](https://www3.nhk.or.jp/news/html/20241001/k10014598141000.html)[](https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN133IH0T10C25A6000000/)
- **経済的影響**: イランの石油施設への攻撃や中東情勢の緊迫化により、原油価格が急騰(WTI先物価格は77ドル台に上昇)しており、グローバル経済への影響が拡大しています。この経済的圧力が、さらなる不安定化を招く可能性があります。[](https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250613/k10014833991000.html)
### 2. 核兵器使用の可能性
- **イランの核開発**: イスラエルの攻撃により、イランの主要核施設(ナタンズやフォルドゥ)が深刻な被害を受け、ウラン濃縮プログラムが数カ月遅延する可能性があります。しかし、イランが核兵器開発を加速させる「北朝鮮方式」のシナリオが懸念されており、追い詰められたイランが核武装を強行するリスクは存在します。[](https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2025-06-13/SXT8U7T1UM0W00)[](https://www.nikkei.com/article/DGXZQODK140T50U5A610C2000000/)
- **イスラエルの核政策**: イスラエルは核保有国とみなされていますが、公式には核兵器の保有を認めていません。イランが核兵器使用の兆候を示した場合、イスラエルは先制核攻撃を検討する可能性があります。ただし、これは最終手段であり、国際社会からの強い反発を招くため、極めて慎重な判断が求められます。
- **使用の確率**: 現時点で核兵器の即時使用の可能性は低いものの、イランの核開発が進展し、イスラエルが「実存的脅威」と判断した場合、限定的な核使用のリスクが高まります。特に、IAEAの監視が及ばない状況下でのイランの動向が焦点です。[](https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250614/k10014835031000.html)
### 3. 第三次世界大戦への発展の危惧
- **リスク要因**: イスラエルとイランの直接衝突が、周辺国や大国を巻き込む可能性があります。米国がイランへの攻撃に直接関与した場合、ロシアや中国がイランを支援するシナリオが考えられ、紛争の国際化が懸念されます。また、ウクライナや台湾の情勢と連動すれば、グローバルな多正面戦争のリスクが高まります。[](https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGR141MW0U5A610C2000000/)[](https://x.com/HashimotoKotoe/status/1841242698118021608)
- **抑制要因**: 米国はバイデン政権下で中東での全面戦争を避けたい意向が強く、イスラエルに自制を求めています。イランも、経済制裁や国内不安定化のリスクから、大規模戦争を回避する動機があります。国際社会の外交努力や経済的圧力も、エッジとしての役割を果たす可能性があります。[](https://www3.nhk.or.jp/news/html/20241001/k10014598141000.html)
- **確率**: 第三次世界大戦への発展は現時点で「低い確率だがゼロではない」と評価されます。Xの投稿では、過激な予測(年内戦争や全面戦争)が見られますが、これらは誇張の可能性が高く、慎重な検証が必要です。大国間の直接対決を避けるための外交的枠組みが機能するかどうかが鍵となります。[](https://x.com/HashimotoKotoe/status/1841242698118021608)[](https://x.com/ASKA_Pop_ASKA/status/1841267852093124984)
### 4. イスラエルの「報復の権利」について
- **国際法��観点**: イスラエルは、イランが支援するヒズボラやハマスによるテロ攻撃を理由に、イランへの報復を正当化する立場を取っています。国連憲章第51条に基づく自衛権の行使を主張する可能性がありますが、核施設への先制攻撃は「予防攻撃」として国際法的に議論を招きます。[](https://x.com/Israel/status/1934166230367178892)
- **イランの反論**: イランは、イスラエルの攻撃を「侵略」とみなし、報復を正当化しています。イランが支援するテロ組織の活動は、イスラエルへの間接的圧力として機能しており、双方が「自衛」を主張する対立構造が続いています。
- **倫理的視点**: イスラエルのテロ組織殲滅作戦は、市民の安全確保を目的としていますが、民間人被害の増加(イラン側で220人以上死亡、イスラエル側で24人死亡)は、国際的な批判を招いています。報復の権利は、比例性の原則に基づく必要があり、過度な攻撃は逆効果となるリスクがあります。
### 結論
- **短期的展開**: イスラエルとイランの航空戦・ミサイル戦は続き、ヒズボラなどによる代理戦争が激化する可能性が高い。情勢は緊迫するが、全面戦争は当面回避される見込み。
- **核兵器リスク**: イランの核開発進展やイスラエルの先制攻撃により、限定的な核使用の可能性は存在するが、現時点では低い。
- **第三次世界大戦**: 大国間の直接衝突は抑制要因が働くため、可能性は低い。ただし、多正面での紛争拡大(ウクライナ、台湾など)が重なれば、リスクは高まる。
- **提言**: 国際社会は、IAEAを通じたイランの核監視強化、米中露による対話枠組みの構築、原油供給安定化のための経済支援を急ぐべきです。
ご質問に対する回答は、最新情報に基づきつつも、予測には不確実性が伴います。さらなる情報収集や具体的なポイント(例:特定の国の介入可能性)の深掘りが必要な場合、お知らせください。
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wangwill · 1 year ago
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1967年臺灣
H:「 棄我 去者,昨日之日不可留。」昨日不曾紀錄則只能拼凑,1967年是怎樣的日子,查查。國小之開始,識字之旅的開始。20240125W4
網路資料:
[出典]  李白    《 宣州謝脁樓餞別校書叔云》
      注:
        1、 宣州謝朓樓餞別校書叔云 李白
             棄我 去者,昨日之日不可留;
             亂我心者,今日之日多煩憂。
             長風萬里送秋雁,對此可以酣高樓。 
             蓬萊文章建安骨,中間小謝又清發。
             俱懷逸興壯思飛,欲上青天攬明月。
             抽刀斷水水更流,舉杯銷愁愁更愁。
             人生在世不稱意,明朝散發弄扁舟。
1967年12月,蔣決定實施九年國民義務教育,所需經費極為龐大,為籌措財源,乃實施加稅計畫,以達成預算平衡。自1968年台灣開始實施九年國民義務教育,為學制��重大改革。[14]:187高等教育以研究高深學術,培養專門人材為宗旨。[14]:187提倡建教合作及技藝訓練。[14]:187
維基百科介紹:
政府
國家正副元首
總統:蔣中正
副總統:嚴家淦
五院首長
行政院院長:嚴家淦(副總統兼任)
立法院院長:黃國書
司法院院長:謝冠生
考試院院長:孫科
監察院院長:李嗣璁
省政府主席
臺灣省政府主席:黃杰
福建省政府主席:戴仲玉
大事記
胡金銓執導之《龍門客棧》及張徹執導之《獨臂刀》,開啟武俠電影熱潮[2]:744。
1月
1月12日——丘念台病逝東京(廣東鎮平縣人,為臺灣先賢丘逢甲之子,曾任臺灣省民政廳長、中國國民黨臺灣省黨部主任委員,為臺灣耆宿。)[2]:734。
1月13日——金門東北激烈空戰,空軍擊落中共米格十九型機2架[2]:734。
1月15日——南投縣第五屆縣長補選由林洋港當選[2]:734。
1月17日——越南共和國國防部長阮友固訪臺(1967年4月2日,商業部長阮景天恩訪臺;4月29日,外交部長陳文杜訪臺;6月20日,教育部長阮文詩訪臺;7月31日,農業部長林文智訪臺。)[2]:734。
1月27日——臺灣省政府主席黃杰簽訂興建曾文水庫工程顧問合約(10月31日,曾文水庫動工興建;12月7日,行政院核准臺灣省發行糧食債券,作興建水庫經費。1969年4月14日,決定降低水庫大壩10公尺,發電量由10萬瓩減為5萬瓩。)[2]:734。
1月30日——國防部長蔣經國著《風雨中的寧靜》一書出版[2]:734。
1月31日——經濟部長李國鼎率團參加在西貢開幕之「中、越經濟合作會議」[2]:735。
2月
美國駐聯合國首席代表高德柏謁見蔣中正,討論當前世界局勢[3]:116。
2月1日——公布設置動員戡亂時期國家安全會議,以黃少谷為秘書長,原國防會議撤銷[2]:735。
2月3日——臺、日簽訂食米外銷協定,日本購臺米5萬公斤[2]:735。
2月6日——發布周至柔、蔣經國、袁守謙分別為國家安全會議建設、動員、戰地政務三委員會主任委員[2]:735。
2月13日——特任唐縱、劉增華、陳嘉尚、孫秉乾分為駐韓國、賽浦路斯、約旦、多明尼加等國大使(3月1日,唐縱呈遞到任國書;5月17日,孫秉乾呈遞到任國書。)[2]:735。
2月18日——行政院決定成立人事、事務、法制、研究等四機構,訂定中央與地方權責劃分方案[2]:735。
2月19日——韓國國防部長金聖恩(韓語:김성은 (군인))訪問臺灣[2]:735。
2月21日——特任保君建、王世明、劉藎章等分別為駐土耳其、科威特、伊朗等國大使(5月17日、5月20日、5月22日,劉藎章、王世明、保君建分別呈遞到任國書。)[2]:735。
2月22日——韓國國會議長李孝祥(韓語:이효상)抵台訪問[4]。
2月27日——臺灣省政府通過桃園中壢鎮升為縣轄市[2]:735。
3月
蔣經國巡視馬祖列島及金門縣[5]:83。
3月1日——中華航空公司與香港當局商定開闢臺北-香港航線;國家建設計畫委員會成立;特任薛毓麟為駐加拿大大使[2]:735。
3月4日——外交部聲明反對任何國家承認外蒙,外蒙是領土[2]:735。
3月11日——土地改革紀念館在臺北市落成[2]:735。
3月16日——陸軍總司令部宣布:陸軍軍歌已由蔣中正核定,今起啟用;任命關鏞為駐賴索托王國大使[2]:735。
3月18日——特任劉宗翰為駐秘魯大使[2]:736。
3月20日——日本經濟調查團訪臺,與財經部門交換意見[2]:736。
3月22日——國防部與美軍協防臺灣灣司令部宣布,特種部隊自4月1日開始舉行為期一月之同舟演習[2]:736。
3月27日——國家安全會議科學發展指導委員會(簡稱科指會)成立,吳大猷為主任委員[2]:736;泰國國務院長他儂·吉滴卡宗訪問臺灣[6](4月1日,蔣中正三度接見,發表聯合聲明,強調清除共產威脅,確保亞洲安全。)[2]:736。
3月30日——經濟部長李國鼎訪問日本(3月31日,拜會日本首相佐藤榮作及外相三木武夫,商建鋼廠計畫並討論造船問題;4月19日,返抵臺北。)[2]:736。
4月
4月1日——中華航空公司港臺航線正式開航[2]:736。
4月4日——澳大利亞總理荷特(Harold E. Holt)訪問臺灣3天(4月6日,與蔣中正兩度會談,發表聯合公報。)[2]:736。
4月9日——前美國副總統尼克森訪問臺灣(4月11日,結束訪問臺灣。)[2]:736。
4月12日——美國宣布:中共國立音樂學院院長馬思聰投奔自由(1968年3月31日,來到臺灣。)[2]:736。
4月17日——千里達及托巴哥總督何才夫婦乘國泰航空飛機經東京抵達臺北展開為期兩星期的訪問,時任考試院院長孫科、時任外交部部長魏道明夫婦和時任僑務委員會委員長高信等人皆在機場歡迎[7];訪臺期間,何才夫婦除了勘查了臺灣中、南部各處的經濟、軍事和教育等設施以外,並特地於4月20日前往參觀國立故宮博物院,隨後與時任副總統嚴家淦夫婦、前行政院院長何應欽一級上將夫婦、魏道明夫婦、時任司法行政部(今法務部)部長鄭彥棻夫婦、時任中國國民黨中央委員會秘書長張寶樹夫婦和時任外交部次長楊西崑夫婦及夏功權夫婦等人共同在圓山大飯店慶祝何才的62歲壽辰[7][8]。何才夫婦臨走時,魏道明、何應欽、時任僑務委員會副委員長何宜武和時任外交部次長桂宗堯等人皆前往機場送行[8]。
4月21日——漁業考察團訪問菲律賓,為中、 菲漁業合作奠定基礎[2]:737。
5月
5月1日——經濟部核准設立「中、日合資」臺灣畜產公司[2]:737。
5月4日——美國國務卿魯斯克及助理國務卿彭岱在美國眾議院作證,盛讚臺灣經濟繁榮與農技援外成就[2]:737。
5月6日——副總統兼行政院長嚴家淦啟程經日本赴美訪問21天(5月7日,與日本首相佐藤榮作就中國大陸動亂及越南問題會談;5月9日,與美國總統詹森兩度會談;5月11日,發表聯合聲明,同意互相諮商應付中國大陸情勢發展;5月26日,返回臺灣。)[2]:737。隨行人員包括:經濟部部長李國鼎、外交部政務次長沈錡暨夫人、行政院國際經濟合作發展委員會祕書長陶聲洋等。並前往阿靈頓國家公墓獻花致意、謁甘迺迪之墓。之後亦參訪派屈克空軍基地、甘迺迪太空中心、紐約聯合國大廈等地。訪問期間爭取到美援停止之後,各項經濟合作計畫,使美方同意加強科技交流,在駐華大使館中,設立科技參事,中華民國政府則在行政院之下,成立國家科學委員會,以促進產業升級[9][10]。
5月11日——行政院通過臺北市自7月1日改制為院轄市,並將景美、木柵、內湖、南港、士林、北投6鄉鎮併入[2]:737。
5月20日——中國農民銀行在臺灣復業[2]:737。
5月23日——美國助理國務卿斯柯(Joseph J. Sisco)訪問臺灣3天[2]:738。
5月29日——反共救國軍部隊登陸山東支援敵後游擊作戰,與解放軍發生戰鬥[2]:738。
6月
蔣經國再度巡視馬祖列島及金門縣[5]:83。
6月2日——美國驅逐艦「金伯利號」正式移交臺灣海軍[2]:738。
6月7日——「中、日貿易經濟會議」在臺北揭幕,商討農產品進出口及機械人纖維原料價格,並研討保護工業所有權問題(6月14日,閉幕。1968年7月23日,第二屆會議在東京揭幕。);臺灣與聯合國共同合作發展食品加工計畫實施方案簽字生效[2]:738。
6月11日——臺灣省政府發布「優待僑商來臺投資辦法」[2]:738。
6月14日——蔣中正主持首次國家安全會議,指示建設要有遠大目標和計畫,須以具現代知識科學人才為基礎;美國將新型U-17A輕航空飛機一批移交陸軍使用[2]:738。
6月16日——經濟部長李國鼎代表與聯合簽訂「社區發展公共衛生設施改善計畫」[2]:738。
6月19日——臺灣經濟發展會議在臺北揭幕,為臺灣經濟發展提出建言[2]:738。
6月20日——戚烈拉(Richard G. Ciccolella)任美軍援華顧問團團長[2]:738。
6月28日——蔣中正調動高級軍事首長:黎玉璽、高魁元分任參軍長與參謀總長,陳大慶、賴名湯、劉廣凱、劉玉章分任陸軍、空軍、聯勤、警備總司令[2]:739。
6月29日——協助港澳僑胞到臺灣投資聯絡小組成立,並制定實施「港澳僑胞來臺投資事項」,僑商到臺灣投資達到高峰(9月13日,政府組成協助港澳僑胞回國投資工作小組。)[2]:739。
6月30日——嚴家淦祝賀韓國大統領朴正熙就職,呈遞國書(7月2日,與美國副總統韓福瑞、日本首相佐藤榮作、韓國總統朴正熙等領袖在漢城舉行非正式高峰會議,談論中共核爆、越戰及經濟合作等問題;7月3日,返國。)[2]:739。
7月
7月1日——臺北市改制為院轄市,市長高玉樹、議長張祥傳同時就職;省立臺灣師範大學改制為國立臺灣師範大學;停刊19年之《東方雜誌》復刊;三軍總醫院在臺北成立;吳修齊、高清愿合組統一企業[2]:739。
7月4日——外交部長魏道明抵達曼谷出席亞太理事會第二屆部長級會議;美國海軍軍令部長穆勒(Thomas H. Moorer)訪問臺灣3天[2]:739。
7月5日——臺灣省政府通令各縣市應即恢復設置國語推行委員會[2]:739。
7月7日——教育部長閻振興表示,明年秋天延長國民義務教育至9年(8月3日,行政院通過「九年國教實施綱要」。)[2]:739。
7月8日——體育界耆宿江良規(1914-1967)病逝(浙江奉化人,為馳譽國際之體育家,著有《體育學原理》等書。)[2]:739。
7月9日——外交部次長楊西崑第19次訪問非洲[2]:739。
7月17日——邱約翰(John L. Chew)接任美軍協防臺灣司令[2]:740。
7月22日——臺灣拆解廢船工業超過日本,躍居世界第一[2]:740。
7月24日——樞機主教田耕莘(1890-1967)病逝(山東陽谷人,曾任輔仁大學復校後第一任董事長,為遠東區第一位樞機主教。);美國運通銀行臺北分行開業[2]:740。
7月28日——中華文化復興運動推行委員會成立,蔣中正擔任會長(11月2日,委員會擬定「中華文化復興運動推行計畫」;11月3日,臺灣省政府訂定「推行中華文化復興運動實施要點」;3月29日,《中華文化復興月刊》創刊。)[2]:740。8月,聘孫科、王雲五、陳立夫為文化復興委員會副會長[3]:116。
8月
8月4日——任命丁懋時、沈祖潯、李興南與黃正分別為駐剛果、盧安達、尼日及加彭等國大使[2]:740。
8月6日——副總統嚴家淦向梁實秋致賀其翻譯《莎士比亞戲劇全集》功成[2]:740。
8月7日——行政院發布「國家科學委員會組織規程」,由吳大猷任主任委員(8月14日,由長科會改組之國家科學委員會成立;10月13日,改組完成,設自然及數學、人文及社會、生物及醫農、工程及應用、科學及教育等五委員會。)[2]:740。
8月12日——蔣中正主持國家安全會議,通過由總統依照臨時條款,以命令規定延長九年國民教育年限(8月26日,行政院頒令自1968年起實施九年國教;12月3日,國際經濟合作發展委員會撥款新臺幣7億餘元,補臺灣省及臺北市推展九年國教;12月13日,行政院決定中美基金撥6億8千餘萬元,作為建國中教室之用。1968年1月2日,由中央指撥公地建校;1月4日,成立延長國民教育工作小組;1月9日,決定統一編印國中教科書;1月26���,78���國中破土興建。);監察院投票同意15位大法官,張金蘭成為第一位女性大法官[2]:740-741。
8月15日——總統府資政孔祥熙病逝紐約(山西太谷人,曾任行政院長、財政部長,長期主持國民政府之財政。)[2]:741。蔣中正馳電弔唁,並手撰「孔庸之先生事略」[3]:116。
8月29日——教育部在美國教育文化事業顧問委員會主任委員郭秉文逝世(江蘇青浦人,曾任東南大學校長、財政部次長兼中英貿易協會主任等職,為中國現代高等教育事業之先驅。)[2]:741。
9月
世盟第一屆會議在台北舉行,共有64個國家與地區、以及12個國際反共組織參加,谷正綱當選第一屆理事會主席。大會通過了世界反共宣言與世界反共聯盟共同綱領[11][12][13]。
9月7日——日本內閣總理大臣佐藤榮作訪臺(9月8日,兩度與蔣中正會談;9月9日,發表聯合公報,強調加強團結,實現亞太區域和平與繁榮。)[2]:741。佐藤榮作兩度晉見蔣商討臺日共同問題,並就當時世局及中國大陸中共情勢交換意見[3]:116-117。
9月12日——蔣接見日本記者發表談話,指出中共內部必陷長期混亂,盼日本人尊重東方傳統,不使共產主義有滲透之機會,唯有臺日加強合作,始能達到此一目的[3]:117。
9月16日——人事行政局成立(7月27日,蔣中正明令設置;8月4日,任命王正誼出任人事行政局長。)[2]:741。
9月17日——美國總統科學顧問賀尼克(Donald F. Hornic)率專家到臺灣,協助臺灣發展科學(9月23日,離臺,建議增加科技經費及培植人才;11月16日,訪臺後建議政府應以土地改革精神,全力加速科學與技術發展。)[2]:741。
9月19日——駐越大使館遭越共爆炸,房屋三分之一被毀(9月26日,暴徒供稱係越共主謀,企圖殺害大使胡璉。)[2]:741。上午10時30分,有兩匪徒混入大使館,將爆炸物安放於胡璉二樓辦公室下面引爆,一時轟然巨響,大使館樓板全部震塌[14]:250。大使館建築物一樓全毀,大使胡璉倖免於難[15]。
9月25日——世界反共聯盟第一屆大會在臺北舉行,67國及13個國際反共組織代表與會(9月29日,通過「世盟共同綱領」與「世盟宣言」後閉幕。)[2]:742。
9月28日——史學家錢穆夫婦自香港飛到臺北定居[2]:742。
9月30日——經濟部長李國鼎與世界糧食組織簽訂「臺灣東部農地開發計畫」實施方案[2]:742。
10月
10月5日——中華航空公司增闢至新加坡、曼谷、馬尼拉及漢城4條國際航線[2]:742。
10月6日——行政院副院長黃少谷代表蔣中正赴加拿大訪問(10月9日,與加國總理皮爾遜(Lester Bowles Pearson)會商兩國加強合作問題;10月17日,返回臺灣。)[2]:742。
10月13日——臺灣與美國簽訂紡織品兩項新協定[2]:742。
10月20日——「中、日貿易協進會」第一次會議在東京舉行(1969年11月17日,舉行第三次會議,臺方代表促成日方採有效措施,縮小貿易差距。)[2]:742。
10月21日——日本外相三木武夫表示對臺政策保持「吉田書簡」精神[2]:742。
10月30日——慶賀越南共和國阮文紹就職,參謀總長高魁元率特使團呈遞國書[2]:743。
11月
11月2日——美援贈臺灣海軍之驅逐艦安陽號抵達臺灣[2]:743。
11月12日——中國國民黨第九屆五中全會揭幕(11月23日,閉幕,選出嚴家淦等19位中央委員。)[2]:743。
11月19日——反共游擊隊突擊廣東惠陽縣平潭機埸,毀中共米格十九型機八架[2]:743。
11月23日——蔣經國再度連任中央常務委員會委員[16]:521。
11月27日——國防部長蔣經國訪問日本(12月2日,返回臺灣。)[2]:743。日本天皇裕仁接見蔣經國時表示永不忘懷蔣中正寬大德意;日本國民1萬5千餘名在東京舉行感謝蔣大會[3]:117。
11月28日——聯合國大會表決「中國代表權問題」,以58對45票,17票棄權,擊退共黨及不結盟國家欲使中共進入聯合國之企圖[2]:743。
11月29日——蔣中正發布行政院長局部改組:俞國華任財政部長,查良鑑任司法行政部長,孫運璿任交通部長,蔣彥士為行政院秘書長;考試院副院長程天放逝世(江西新建人,曾任安徽省教育廳長、浙江大學校長、駐德國大使;政府遷臺後,先後任教部長、考試院副院長等職。)[2]:743-744。
7月30日——行政院通過「中、美資源交換計畫」[2]:744。
12月
12月5日——副總統兼行政院長嚴家淦指示各機關,提高改進行政效率,推行分層負責制度,政府並頒實施準則[2]:744。
12月8日——前日本首相岸信介訪問臺灣;陸軍總司令陳大慶代表政府接受美國贈送之最新型戰車一批[2]:744。岸信介率團謁見蔣中正[3]:118。
12月12日——「中、美農產品協定」在臺北簽字,美國繼續提供臺灣農產品兩年3,750萬美元,半數為協助友好國家之用[2]:744。
12月13日——歷史學家湯恩比訪問臺灣[2]:744。
12月16日——臺、日簽訂5項貸款協定,計979萬1,000美元,購置設備用於建設[2]:744。
12月22日——駐賴比瑞亞大使楊繼曾代表與賴國簽訂「中、賴農技合作新協定」[2]:744。張群任慶賀賴比瑞亞總統、副總統就職典禮特使,順道訪問象牙海岸,歸途訪問美國[17]。
出生
參見: 1967年出生
1月8日——
陳明真,女歌手。
劉醇逸:政治人物,是移居美國的台灣人。
1月10日——林靖傑:導演。
1月13日——徐薇,英文補教名師。
1月15日——羅明才:政治人物,是羅福助之子。
1月17日——玉尚:演員,是呂盈瑩前夫。
1月21日——安幼琪:新聞主播、主持人。
1月22日——蔡淑惠:政治人物。
1月25日——吳蒙恩:導演。
1月30日——黃榮山:力學家。
1月31日——王祖賢,演員、歌手。
2月1日——
賴有賢,漫畫家。作品有《真命天子》、《小和尚》。
秦偉:主持人、通告藝人。
2月2日——
劉櫂豪,法官、政治人物。現任立法委員。
林有志:政治人物,曾任花蓮市市民代表、花蓮縣議員、行政院客家委員會諮詢委員。
2月5日——
拾方方:登山家,是首位在聖母峰遇難的台灣人。
簡余晏:政治人物。
2月6日——陳孫華:造型設計師。
2月8日——
牛爾:化妝師。
張正憲:棒球捕手,現被終身禁賽。
2月11日——陳政賢:棒球選手。
2月16日——顧玉玲:作家、社會運動人士。
2月22日——溫士凱:作家、講師、廣播主持人。
3月1日——蕭淑麗:政治人物。
3月2日——詹雅雯,知名臺語歌手。
3月3日——沈慧虹:政治人物、鐵道站務員,曾任奮起湖車站站長、新竹市交通處處長、新竹市副市長。
3月7日——歐崇敬:教授。
3月11日——
方季惟:歌手、演員。
郭國文:政治人物。
侯駿逸:角力運動員。
3月12日——尹乃菁:主持人。
3月21日——車宜靜:文化工作者,現任世界至孝親篤舜裔總會秘書長。
3月26日——張信哲,歌手。
4月2日——宋明宗:政治人物。
4月11日——王自強:演員。
4月15日——陳宗彥:政治人物,曾任行政院發言人、內政部政務次長、中央流行疫情指揮中心副指揮官。
4月21日——
蔡秋鳳:歌手。
劉志昇:棒球領隊。
4月24日——賴義鍠:政治人物。
4月26日——九孔,本名呂孔維,藝人、諧星。
4月28日——
包小松:歌手、主持人、音樂製作人,是張雅婷之夫、包小柏之兄。
包小柏:歌手、演員、主持人、音樂製作人,是包小松之弟。
4月29日——平凡:漫畫家。
4月30日——
張宇,男歌手。
田麗:演員、主持人、果農。
5月13日——徐超斌:醫師。
5月16日——楊朝偉:政治人物。
5月18日——李慶鋒:政治人物。
5月19日——趙詠華:歌手。
5月25日——
辜仲立,企業家,出身鹿港辜家。辜濂松三子。其兄辜仲諒、辜仲瑩。
吳鈞堯:作家。
5月28日——康康,本名康晉榮。綜藝節目主持人和歌手。
5月30日——丁國琳,女演員。
6月6日——
林美秀:演員、主持人。
楊靚姝:編劇。
6月7日——謝榮雅:工業設計師。
6月13日——陳文治:政治人物,曾任新北市議會副議長。
6月19日——陳震:歌手。
6月21日——馬維欣:演員、主持人、通告藝人,是馮光榮前妻。
6月24日——劉志宏:音樂製作人。
6月30日——王中平:歌手、演員,是余皓然之夫。
7月1日——
簡郁珊:音樂家。
單承矩:演員、導演、編劇、製作人。
7月3日——游梓翔:教授。
7月6日——
鄭文燦,政治人物。曾參與野百合學運,2014年當選桃園市長。
萬芳:歌手、演員、廣播主持人。
高景炎:籃球運動員。
7月18日——林錦昌,小說家、政治人物。曾任台北市政府新聞處處長。
7月19日——
李興文,男演員。曾參與電影《報告班長》、電視劇《流氓教授》、《意難忘》演出。
周可平:圍棋棋士。
7月21日——黃奕睿:會計師。
7月23日——楊潔玫:演員。
7月24日——宋少卿:相聲、演員、主持人。
7月31日——蔡海如:藝術策展人。
8月1日——
陳建年:歌手、警務人員,曾任蘭嶼分駐所副所長。
曾貴章:棒球選手,現被終身禁賽。
8月2日——王光熙:棒球選手,是王光輝之弟,現被終身禁賽。
8月5日——顧婕:演員。
8月10日——曲全立:導演。
8月11日——鄒兆龍:演員,是翁慧德之夫,曾在好萊塢參與電影《駭客任務》第二、三集演出。
8月12日——
黃俊傑,棒球選手,曾經效力於中華職棒時報鷹隊。
傅家森:消防員。
8月14日——曾淑勤,女歌手。
8月17日——
王耿豪:演員。
孟廣美:演員、主持人、模特兒,是台灣首位登上好萊塢的女藝人,現移居北京。
8月19日——胡一虎:新聞主播,原是華視主播,後轉赴香港鳳凰衛視。
8月23日——陳耀川:音樂製作人。
8月26日——蘇昭旭:鐵道研究家。
8月29日——邵昕:演員。
9月4日——四方:演員。
9月7日——吳小莉:新聞主播,原在華視擔任主播,1993年後轉赴香港鳳凰衛視。
9月8日——張萬康:小說家。
9月16日——
趙豐邦,花式撞球運動選手,有「冷臉殺手」之稱。
屈中恆:演員、主持人、配音員。
9月17日——楊秀玉:政治人物,現任基隆市議會副議長。
9月18日——
徐輔軍:導演,以2004年電影《夢遊夏威夷》獲得杜維爾影展最佳影片獎。
陳明義:政治人物,是陳世軒之父。
9月19日——
許淑蘋:演員,是張傑勛之妻。
盧秀芳:新聞主播,是盧秀燕之妹。
9月22日——張傑勛:演員,是許淑蘋之夫。
9月26日——林玉珍:新聞主播。
9月28日——朱國珍:作家、主持人、新聞主播。
10月1日——簡文彬:指揮家。
10月6日——汪用和:新聞主播,是周守訓之妻。
10月7日——林俊泓:導演。
10月8日——吳建樟:翻譯家。
10月11日——劉小芸:配音員。
10月12日——黃忠義,棒球選手。
10月16日——韓羅賢:音樂製作人、經紀人。
10月17日——
林小樓:演員。
黃國華:小說家。
10月19日——賴芳玉:律師。
10月22日——徐佳青:政治人物。
10月24日——劉增鍇:相聲。
10月25日——姚可傑:歌手,是東方快車主唱。
10月29日——徐承義:演員、企業家,是瓦城泰統集團創辦人。
10月31日——
黃柏霖,政治人物。現任高雄市議員,叔叔黃啟川曾任議長。
何淑峯:政治人物。
劉海若:新聞主播,原是TVBS晚間主播,2000年後轉赴香港鳳凰衛視。
11月1日——
洪敬堯:歌手,是洪一峰之子、洪榮宏之弟。
汪平雲:律師、政治人物,曾任蒙藏委員會委員。
11月4日——柯淑勤,女演員。代表作《孽子》。
11月6日——
宋達民:歌手、演員、牧師,是宋逸民之弟。
宋逸民:歌手、演員、牧師,是宋達民之兄。
11月7日——焦恩俊,藝人演員。
11月9日——江國賓,男演員。代表作《台灣霹靂火》、《台灣龍捲風》、《金色摩天輪》,早年以飾演反派角色較具代表性。
11月10日——沈懷一:歌手、社會運動人士。
11月17日——王美雪:演員。
11月18日——劉亮佐,藝人,曾主持三立電視台節目『在台灣的故事』。
11月19日——
侯志堅:鍵盤手、音樂製作人,是東方快車成員之一。
游素蘭:小說家、漫畫家,是喬英之姊。
桑茂森:籃球教練。
11月20日——周奕成:政治運動人士,曾任中華民國總統府諮議、行政院政務顧問。
11月21日——陳思安:歌手。
11月25日——謝采妘:歌手,現移居馬來西亞。
11月27日——陳湘琪:演員、教授,現任教於國立臺北藝術大學電影創作、劇場設計二系。
12月14日——卓天麟:棒球選手。
12月15日——陳進益:配音員。
12月16日——周玲妏:政治人物,曾任高雄市政府觀光局局長。
12月17日——王文華:作家。
12月20日——
陳文山:演員。
蕭雅全:導演。
12月21日——李哲華:幕僚,曾任台北市民政局機要秘書、葉金川副秘書長辦公室主任、林益世立委辦公室主任。
12月23日——陳淑芬:漫畫家。
12月24日——沈玉琳,藝人、電視節目製作人及主持人。
逝世
1月12日——丘念台,政治人物,丘逢甲之子。(1894年出生)。
3月11日——楊仲鯨,政治人物,首屆民選花蓮縣長。(1898年出生)。
3月27日——吳新榮,醫師、作家及政治人物(1907年出生)。
吳燕生 詩人 °吳鸞旂孫女、吳子瑜女兒°大正三年出生於北平,得年 62歲°
參考來源
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ichinichi-okure · 1 year ago
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2024.1.6sat_tokyo
鳥の声で目が覚めた。ちゅんちゅんちゅん。こんな朝の起き方理想的すぎないかと思うのだが、朝、雀がめっちゃ庭に来る。ちゅんちゅんちゅん。
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と言っても今は10時、正月の名残ということで昨日はわざと目覚ましをかけずに寝た。わざとじゃなく1月3日は目覚ましをかけ忘れて、新年最初のイベントには遅刻した。
昨日も朝から稼働した担当イベントの後に23時までコワーキングのラウンジでご飯も食べずに仕事した。えらい。帰ってから夜中に能登のニュースをずっと見てしまったので眠い。昨日は好きな人たちとたくさん話したし、地味に疲れて本当に体が動かないので、2度寝する。 11時にむくっと起きる。昨日水につけておいた小豆を炊く。大きい小豆のお汁粉大好き。いつも一応ちゃんと飾るお飾りも鏡餅も、なんだか気持ちが乗らなくてできなかったので、鏡餅用に買った餅を飾らないまま焼く。切り込みも入れたのに、ちくびみたいなお餅が焼けてしまった。おもろいな〜。
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来週は甲府にも行くし(楽しみにしてた天然ラジウム増富温泉・不楼閣にいく!)、夜もずっと予定があるので、今日明日はいろんな仕事を終わらせておきたいので頑張る。
15時、また動けなくなって地面に横になる。布団は危険だからだめ。こんな日は結構珍しいのだが、頭が考えることでパンクしてるのも影響してる気がする。無理すぎる。目を瞑る。考えることがたくさんある。GAZAのこと、戦争のこと、能登半島のこと、自分のこと、家族のこと、仕事のこと、近い未来のこと。
こういう時は音楽も、映画も、色々を見るのがキャパオーバーで難しくなる。なので家で作業する時はずっと無音。だけど、写真だけはみたい気がしていて、写美で始まったホンマタカシさんと、 松蔭美術館の牛腸茂雄さんや瀧口修造さんの展示は見逃さずに行きたいとぼんやり思う。
身体は地面に垂直のまま、石川県輪島市の知人である漆工の桐本滉平くんのインスタのストーリーをチェックする。今回の地震で、代々守られてきた、明治時代に工房として建てられた自宅が全壊全焼したと投稿していた。リアルな景色に目を覆いたくなるけれど、ニュースでは得られない、桐本くんのまさに今を切り取っている投稿を見ながら、今できることを考える。といっても寄付くらいしかできないのかもしれない。でも、こうやって遠くでも想うことができること、情報が共有できる時代というのは、本当に希望も多くある。 桐本くんは元旦から今もずっと、輪島の未来や、会ったことのない誰かを救うために、全力で動いていて、避難所のこと、道のこと、今この瞬間のみんなが必要な情報をSNSで発信し続けている。きっと本当に多くの人がこの投稿に助けられている。
私の1/1の16時6分は、埼玉のおばあちゃんちで10数人の親戚一同で集まっている時だった。お寿司を食べて、ビンゴ大会の手前でこの地震が起きた。まずはじめに私の携帯が聞きたくない大きな音で鳴った。その30秒後くらいにみんなの携帯が鳴って、すぐ地震が起きた。自分の携帯にはYahooの災害アプリが入っていて、画面には36秒後に地震が起きますと書いてあった。たった30秒だけれど、みんなの携帯とは30秒の差があったのだった。親の携帯にもアプリを入れなければ。そのままテレビをつけて、地震の情報を流しながらみんなで過ごした。私はXを見ながら地震や津波の情報を集めまくる。石川県には大事な友達たちもいる。途中お母さんが、血圧が高めで眩暈がすると横になりに寝室に行ったが、私は変わらず画面に張り付けになっていて、横にいたいとこの旦那のわたるくんが「ニュースも気になるけど僕は寝室の方が心配だよ」と言ってくれて、まさに…と思って、寝室に様子を見に行った。気持ちを落ち着かせながらその場にはいたけれど、帰る前に寝てた身体を起こして、お母さんから渡された”幸せが訪れますように”と書かれた封筒には3万円とビール券が入っていて、北の国からの泥だらけの1万円札くらい使えねえよ…………………………。とか考えながら、帰宅する電車の中でいろんな気持ちになり小さくバレないように泣いてしまった。
地震のSNSのこと。尊敬する、信頼する人たちからの情報はなるべく信じたい。そうなのだけど、発信をすることについて、映画監督の枝さんが信憑性の話をしていて、シェアができない、というようなことをSNSに綴っていた。良心を騙すような、いろんな詐欺も起きていて、ちゃんと調べてから行動したいと思いつつ、今は瞬発力なのではと思ったり、寒い季節がやってくるよなあと、頭がごちゃごちゃする。寄付について考えているとき、わざわざの平田はる香さんが「被災地に感情移入しすぎて普段の生活を失わないように。寄付はできる範囲で継続的に。1万円を一回より千円を10回百円10回でも。長期間にわたって支援しよう」と書いていて、まさにそう、1回で満足しないで、何度でも、と頷いたり。でも、自分の暮らしもちゃんとしなくちゃとか、ぐるぐるする。
ガバッと起きて、下北沢ボーナストラックに向かう。自転車で10分ちょっと。ギャラリースペースではカレンダーマーケットが開催中で、友達や自分がお誘いした出店者さんがいるので、挨拶をしに。到着してすぐにミヤジが良いカレンダーを案内してくれておもろい。ビール飲んで、ゲラゲラしながら、出店中のヤマグチナナコちゃんと、SAITOEさんに阿部龍一ブースの良さを発表して満足する。阿部の作品や思考は本当に素晴らしい。
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同施設内にあるキッチンスペースでは、今日���養生家の鈴ことさなえさんと、mizudoriのまみさんが出店していて、場所を管理しているりさPが、紹介したいと言って連れて行ってくれた。以前山梨の0-siteで開催されたイベントで、ちまきとホットワインを購入したことがあって、さらに昨年末にeatrip soilで開催のイベントでも見かけて気づいてくれていたらしく、その話もしつつ嬉しい再開。美味しい白味噌の雑煮と、出汁割り、おこぼれで微発泡の日本酒、出汁もご馳走になる。残り福。身体にあったお出汁や日本酒のことをお話しして、一息つく。ほっとする。今年一緒に何かやりたいな〜とお話する。嬉しい。
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続けてラウンジで残って仕事をしようと思ったけど、真っ直ぐ帰宅する。帰り道、怒鳴りながら自転車を漕いでる人がいて、「こわ〜」と思いながら、私が動線を塞いだようになった瞬間に(絶対に悪くない)罵倒されてしまったが、心を無にして道を変えたら、矛先がなくなったからか、さらに大きな声で背中越しにまた罵倒された。さらに無になって大きく深呼吸して、「あの人にもあの人なりの理由があるのだ」とほんの少しだけ思考して、記憶装置から抹消した。毎日いろんな人がいろんなことを抱えて生きてる。
さっきお雑煮食べたので、夕飯は野菜だけのサラダにする。菜の花が美味しいよ〜。そのまま残った仕事をしながら、明日も担当のイベントがあるので早く寝なくちゃとお風呂に入ろうと思ったところ、建築集団 々の野崎将太さんが、インスタライブをしていたので開く。実際に野崎さんは地震が起きてすぐに被災地に向かっていて、現地で簡易トイレを作ったり、生のその日の様子をレポートしつつ、今何をするべきなのかを投稿に残していた。野崎さんとは1回しか会ったことがないけど、仲の良い友人たちが信頼している人で、場作りも含めて作る建築は本当にかっこいいなあと思う。人としても。今回はあやおさんという実際に被災をした方と話す機会を設けていて、報道やSNSで流れていることと、実際に体感したことの違いや、これから起こりえること、今実際に起きていることなどを話していた。現状、今は被災した家に侵入する盗難が多発しているらしく、家を守るために車中泊して見張っている人も多くいるという。被災地が渋滞になるから、ボランティアに来ないでくださいという投稿もよく見るけれど、実際緊急物資などは、一般の人が通れない大きな道を使っているので、現状実際には関係ないこと、スカスカの道もあること、言ってるようにすごく渋滞している道もあること、だけどそれは明日にはわからないこと、被災地には本当に若者がいないことなどを丁寧に話してくれた。これから雪深くなり、外に出れていた人が避難所の中だけで過ごすようになることでのストレスのことなど、本当に今起きていることを話してくれていた。
あと、桐本くんが、地震直後、楽天モバイルだけが使えたことや楽天のキャリアが一番先に避難所に到着して救われたことを書いていて、忘れないようにしようとか。災害メモ作らなきゃとか。色々また巡ってしまい整理する。野崎さんは、阪神淡路大震災の時の経験が、今回の行動にもつながっているというようなことを話していた。身近な友達のアグネスも阪神淡路を経験していて、出かけるときはコンセントを全て抜くと話していた。私は3.11の時も京都に住んでいたので、大きな地震は経験したことがない。
お風呂に入った後に、GAZAのことを発信してくれている波田野州平くんのストーリーもチェックする。自分じゃ拾えない情報を集めてくれて、ずっと発信してくれている。戦争も本当にやだよ。自分にできることも考えるけど、もうちょっと勉強をすることもしなくては。自分は無知すぎる。 (そういえば1/13-19まで下高井戸シネマで2019年作の「ガザ 素顔の日常」という映画が上映される!見なければ)
お正月に起きたいろんなこと、秋から続く悲しい出来事、全部ぜんぶ終わりますように。願うし、動きたいし、できること考えたい。でも、まずは自分が悲しくなって倒れないように、心のケアもしつつ。メディアからも距離をとることをちゃんとして、一人で考えないで、隣の誰かと話すこと。会話して安心すること、みんなが考えてることを知ること。何もできなくてもちゃんと想ってるだけでもいいと思う。あとテンション上がりすぎないように、ちょっと落ち着くこと。余裕が無くならないように、自分のことも考えること。深刻になりすぎないように日常を過ごすこと。この日記も、そういう安心の場になるといいなといつも思う。日常をみんなに綴ってもらえるというかけがえのないこと、を、続けたいです。
元旦から文章にしたくて、自分の番じゃないけど日記を書いてしまいました。こんなことを考えながら、1m以上ある立派な泥ごぼうを夜中に炊き、ホクホクのごぼうができたよ。うまいです。幸せ。明日は楽しみにしてる新年会もあるのです。みんなに会えるの嬉しい。おやすみなさい。
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-プロフィール- 鷹取愛 東京 山ト波
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