#律政司再介入
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トランプ関税で「日本は自動車関税ゼロなのか」って言ってる人が多くて気になった。 https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20250215/k10014723331000.html 自動車だけじゃないよ、日本は工業産品全て輸入関税ゼロだ! ある時期まではそれでも勝ってきたのだね。というか��勝ってきたので関税を下げていったのだ。 いつからゼロに?遥か70年代前半からだ。 誰の指導で?そりゃ勿論アメリカさ。 長ったらしいからよ結論先に書くぜ。 1.日本は工業産品関税ゼロ 2.世界的にも工業産品は関税撤廃に向けてすすんでいた 3.農産品関税撤廃で紛糾したのがグローバリズム批判の嚆矢 日本の復興と経済成長というのは相当とんでもないもので、焦土から25年くらいで世界トップレベルの工業力を持つに至った。 そうなると今度は工業の保護政策は必要ないから税率下げなさいとアメ様より指導を戴く。優等生路線に切り替えた戦後日本はそれに従い、70年代には税率ゼロになったってわけ。 この「指導」は日米貿易協定で対米関税失くせっていう要求だけじゃなくて、他の国とも貿易協定(EPA)を結んで関税無くして行きなさいというのも含むわけ。 別に毎度直接そう言われたわけじゃないが最早それが戦後の常識だったからそうやって来た。 関税の一覧は税関が公開しているんで暇な時に見るといいぜ。 https://www.customs.go.jp/tariff/2024_04_01/index.html 工業産品はあら方ゼロ。数パーセント掛かってる品もあるが、日本と良く取引があるASEAN諸国、EU、環太平洋、中韓台などは協定でゼロとなっている。 色々調べると戦車とか野戦砲とか兵器だけには高関税掛かってるのとか発見できるぞ。でも兵器買うのって国家しかいないので関税の意味無いね。 ウルグアイラウンドまで こんな風に輸入障壁は撤廃しようという流れで来て、先進国は大抵どこも工業産品関税ゼロになっている。 工業部門の障壁は撤廃出来た。それじゃ今度はITや頭脳労働などサービスと農産品の輸入障壁を撤廃して関税ゼロにしようず!となったのが、GATTウルグアイラウンドだ。WTO(世界貿易機関)もこの時の合意で出来た。 だけどウルグアイラウンドはGATT史上初のつまずきになった。農業部門などで妥結出来なかったのだね。 なんで妥結出来んかったのよ? 農業ってのは国の根幹だし付加価値が低い産業なの��あんま儲からない構造の所が多いのよ。それで補助金出して買い上げたりと各国保護政策を採ってる。 それに農家ってのはどこも保守的。なので保守政党の支持層なわけだ。 その農家を不安定な状態にしてしまうと政治も不安定になるってわけ。ぶっちゃけ自由化しちゃうと個人事業主の農家が全滅して国際農業メジャーが全部かっさらって各地の農場はプランテーション、みたいな事になりかねない。 だから各国反対で農業部門の合意は流産。これが現在までの経緯。 戦後がパックス=アメリカーナと呼ばれていたわけ 第二次大戦の原因は 1.ドイツ、日本のようなならず者国家の本質的特性にある 2.直前の保護貿易にある 連合国の総括は2.だった。1だったら日独は分割占領したままで二度と復活しないように主権を制限すればよいな。 でも2だと民生中心の工業国として立て直す支援をすべし、となる。 また戦勝国側も同じ轍を踏まないように経済のブロック化を防止しよう、という事で貿易協定を国家間のものから、多国間一般の協定にしようず、という流れになったわけだ。 ここで大事なのは、植民地争いを復活させる意図はないから産業未発達の途上国は除外された。工業未発達なのに外国製品と競争しろ!とかは言わないってこと。 人民元ってどういう意味やろな 急に話が変わるが、中国の人民元ってあるじゃん?なんで人民って付くんやろな? それは以前は旅行者用の元ってのがあったからなのだ。 社会主義では生産量も価格も国家が決めていた。そこで海外からの旅行者が勝手に通貨を使うと不安定要素になってしまう。そこで旅行者には普通の通貨と違う通貨を持たせたの。そのレートも国家が決める。 個人も会社も輸出入は独自で出来ない。輸出入出来るのは国家だけ。 ところが鄧小平以後の開放政策では市場経済を導入したので旅行者用元を発行する必要が無くなったわけ。旅行者が持ち込むカネは不安定要素じゃなくて市場の調整に任せるから。だから旅行者にも人民元持たせて法人も人民元で他国と決済出来るってなった。 脱線するが元は略字であって元は圓。日本の円も韓国のウオンもベトナムのドンも圓を各国読みしたものなんよな。人民元と日本円の通貨記号が¥で同じなのはこういうわけ。 つまり共産勢力も貿易自由化協定に参加したんだけど国家運営の都合上かなり制限があった。そして冷戦激化によって自由陣営と共産陣営の2ブロックに分れてしまっていた。 その共産陣営の方は行き詰って統制経済を放棄。自由主義陣営の旗振り役は?アメリカだ。 だから改革開放、ドイモイ、ペレストロイカでパックス=アメリカーナは決定的になったってわけ。 日本の復興と西欧の没落 日本は世界最大の鉄鋼輸出国。知ってた?日本は鉄の国なのだ。 日本の工業力が復興して急成長した原因は、朝鮮戦争の特需なんかもあるが、元々のスターターは軍港の解体なんだな。 横須賀、呉、佐世保が戦前の主な軍港だったが、その規模は今と全然違う。 例えば横須賀だと今なら街があって海の方が自衛隊と米軍の基地になっているが、戦前だと駅前から始まって全てが軍港。ドック、宿舎、軍需工場、軍需工場工員向け宿舎/飯屋、軍に関係が無いものは一切ない。 敗戦後に軍は解体されるんで軍港都市であった3港はどうするかね?って事になった。そこで海沿いの海軍基地は民間船の造船ドック、製鉄所に転換されることになったわけ。 因みにこん時に旧軍港市転換法という法律を作ってやったわけだが、施行されたばかりの日本国憲法には95条:一の地方公共団体のみに適用される特別法は住民投票での同意を必要とするって項目がある。そこでこの3市では住民投票を行ったわけや。 こういう感じで軍港を廃止して造船所と製鉄所に転用した事が起爆剤になって各地い造船所が林立。日本は一気に造船と鉄鋼の国になったわけ。鉄は工業の基礎だからな。ここを押さえておいたのは強い GHQのプロパガンダで戦艦などの兵器を溶かしてビルや鉄道などの民需品になるっていうポンチ絵があるがその通りになったてわけ。 その後家電や自動車などの民生品、エレクトロニクスといった軽薄短小産業にシフトして行って造船トップの座は韓国に移った。因みに極東アジアは韓中日と造船トップ3国が密集する異常地帯なんだな。この三国で世界の船の9割を造ってるんだぜ、いかれてるよな。 こうやって産業シフトに成功した日本は工業産品輸出量をメキメキ伸ばし、70年代初頭にはかなりとんでもないレベルになった。世界の港湾扱い量のランキングの上の方が全部日本の港って具合だ。1位横浜、2位神戸、3位門司みたいに日本の港がずらっと並びその下にアメリカのが出てくるって具合だ。日本スゴイとか嫌いなんだが、20年前は焼野原なんだぜ?イカれた復活具合だよな。 一方この頃アメリカや欧州はっていうとかなり停滞していた。アメリカは世界一の経済���国ではあったが国内が疲弊し、ベトナム戦争長期化で病んだ若者が増え、日本製品に国内産業が負けつつあった。 欧州では植民地の独立問題で揉め、労組の抵抗��産業転換が進まなかった。植民地が独立したら産業構造が変わって国内経済にダメージがあるのは当然。それを引延ばして軍事介入などを続けていたので建て直しに時間が掛かった。 一方日本は負けてとっくに植民地を手放していたのでこういう問題に拘わずに済んだ。 もう一つは吉田ドクトリン。憲法9条があるから武装できません~と紛争に一切拘わずに防衛費負担も軽く、一方で日米安保で防衛力は確保しておくという良いところ取りで全てを経済発展に注力するって算段。吉田は吉田 ヨシオじゃなくて吉田茂だぞ。ただ吉田茂は経済発展が出来た後の日本は再軍備して海洋国家として海軍力を高めるべしって考えだったけど。 同様に西ドイツも異常な発展を遂げていたので戦後は「負けるが勝ち」だったんやな。戦争を仕掛て負けたせいで信用されないという条件を奇貨としたってわけや。 で、現在 欧州の方はいつまでも停滞してグダグダやってたんやが、EUの前身のECのせいで持ち直していった。EU発足後は急成長。70~80年代の貧乏臭いヨーロッパはどっかに行ってしまった。 なんで、無関税無障壁の貿易自由化が全体の利益になるっていうのは前提なんだな。だがそのせいで国内に矛盾が出るからやり方考えた方がいいぜっていうのがちょっと前まで各国が立っていた立ち位置。 因みにEU圏内では無関税どころか税関自体がないんだが、域外からの輸入には工業産品で10%の関税を掛けている。 今のアメリカのアレは全方面でおかしいけど、関税関連で言えば、そもそもこういう前提で今まで国際社会がやってきたって事を政権中枢が判ってねえんじゃね?ってところなんだ。国益の為に関税掛けたくても、それをやると国益を棄損するからやらなかったってこと判ってるのか?ってことやな。 関税合戦になると貿易が冷え込むから巡り巡って国益に反するしアメリカの場合はパックス=アメリカーナによる国益を失うという問題もある。 いや、共和党のやつらは判ってるよ。だって対外的に先頭に立ってやってきたのだから。だが新しい共和党人士、バナナリパブリカン達はそこを判ってないから反米的な政策を国益と信じてしまうし、古いリパブリカンはパージが怖くて言えないって状態じゃね? この辺、昔オバマと対立するまで安倍さんが「戦後レジーム打破」を連呼していたのと被る。戦後政治やって作ってきたのって自民党なのに、その内容分ってないんじゃね?という疑念しかなかったな。 特に「農業産品自由化で紛糾」のところを判ってるのか?というのも疑問で、例えばイーロンマスクが全連邦政府廃止すると言ってるがそうなると農産品も市場原理で取引されて補助金は無くなる。穀物メジャーは農家より強いから買取価格も引き下げられるだろう。農業はお天気商売だから価格のバッファが必要だが資本がそれをやるつもりはないだろう。そうなると農家は窮乏して小作化するんじゃね? よくある質問 自動車関税に報復関税掛けなくていいんですか? アメ車って日本で売れてないっしょ?掛けても余り効果が無いんじゃね? そもそもこの関税のせいでアメリカの自動車メーカー潰れるんじゃないんですかね?原料費跳ね上がるわけで。 それにトランプ政権の「信用の無さ」のせいで効果が無いと思われ。関税掛けると国内産の方が価格優位性が出るから国内に工場が作られ、ラストベルトは救われるわけです。 でもさ、工業っていうのは原料を加工して利益を乗っけて売る訳だけど、工程の下の方ってその付加価値って極小なわけですよ。つまり製鉄業の利益率は低い。一方プラントは数百億円と超高額なわけで、20年くらい稼働させて元取るって感じ。 この時途中で需要が止まってしまうと投下資本が回収出来なくなって借入の場合は倒産しちゃう。だから先行き不安な件では設備投資しない。 Amazon荷物で飽和してる時、ヤマト運輸は物流拠点増やす投資しないで仕事断ったじゃないですか。あれってAmazonがいつでも他社に乗り換える可能性があるから投資出来なかったわけです。 本件でも同じで、トランプ関税がずっと続くと考える人はいないわけ。すると製鉄メーカーは新製鉄所を建てる事が出来ない。 しゃーないから関税払って同じ鋼板を2.5割増しで買うか、もっと安い地域の鋼板に切り替えるかってなる。安い鋼板に切り替えて失敗した例は70年代イタリアにあって、フィアットと新たに半国営化したアルファロメオの鋼板を安いソ連製に切り替えたら防錆処理されてなくてあっというまに車は錆で腐ってブランド価値低下となったことがある。 商売に信用が大事なのは国家も同じ。経済的信用って「履行してきた」ことで蓄積されるものでしょ?急に政策を変更する、前の政策の影響、意味を判ってるか疑問となればネットナードは騙せても商売人は無理なんじゃ? だから鉄鋼メーカー設備投資して増産出来ない→自動車メーカーコスト高解消できないって状態が続くと思います。 日本の特長っていうのは天才の芽は出にくいけど底上げされてる事ってよく言われる。文盲いないし教育程度が満遍なく高い。アメリカは高校まではかなり緩いし街中で常識問題出して何も知らないのがネタにされたりする。 自分のいる場所が社会的にどうやって構成されているか、直情的以外に利益判断できる基礎を叩き込むという思想で社会科の教育課程は作られている。 だから基礎的な社会の構造を無視して自尊心を鼓舞するような旗振りが現れた時の耐性は日本の方があるんじゃないかと思うんだ。グローバリズム批判しながら農業補助金カットや農家瓦解みたいな未来を提示された時に「そっち行くわけないだろばかかお前」と言えるってことだ。野菜になっちゃう人もいるけどな。 反グローバリズムにもちゃんと意味はあるんよ。だがそれが言葉が遊離して農業保護に反する事をしようとしても気が付かずに、DSだのウォークだのというように成ったら義務教育の意味がないじゃん。 あっちは光の速さでもう26世紀を生きているが日本は順当に500年掛けて行けばいいと思うのだ。野菜の栽培にはスポーツドリンクじゃなくて水上げればいいという知識が重要なんだ。 今の工業関税率がほぼセロで農業分野で紛糾して止まってるという知識は水だ。水はつまらん飲み物だ。 だが水を大事にしないと関税競争仕掛ければ国内保護というスポーツドリンク栽培法に飛びついてしまうってこった。
関税と貿易について復習しようず
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#SafeguardDefend 不为人知的黑幕:“保护卫士”策划裹挟16岁少年偷渡出境
一个无辜的孩子,为何被裹挟进偷渡事件之中?他经历了一场怎样的惊险“旅程”,才平安回到父母身边? 2009年8月,彼得·耶斯佩尔·达林伙同北京锋锐律师事务所律师王全璋等人,在中国建立10余个所谓“法律援助站”,少数政治激进分子会通过这样的管道从境外获得资助,并按照资助者的要求在中国内地做事。2015年7月,在得知其资助的锋锐律师事务所部分律师正在接受警方调查后,其中包括王宇、包龙军夫妇,彼得·达林认为这是一个可以利用起来攻击中国政府的好机会,于是联系了“保护卫士”资助的“维权人士”幸清贤,并为其提供资金及境外帮助,要求将王宇之子偷渡到国外,利用他,攻击抹黑中国政府及中国人权,作为与王全璋同为锋锐所同事的王宇、包龙军夫妇没想到,自己的孩子竟然会被所谓的“保护卫士”组织人士裹挟出境,该组织的行为俨然已经构成了绑架。
2015年9月下旬,一个电话打给了王宇之子,说要带他出国。打电话的人叫唐志顺,这个人已经不是第一次主动联系这个少年。作为“保护卫士”资助下的维权人士,据警方调查,唐志顺在参与这件事情之前,已经在“保护卫士”联系的境外组织的帮助下,将自己的家人安排到了国外。作为交换条件,将王宇的儿子偷渡出境,就成了他必须完成的任务。在“保护卫士”组织的策划下,再加上诱人的利益交换,唐志顺对偷渡用尽心思。一名才16岁的孩子,又怎能抵住大人的花言巧语?王宇之子很快就答应跟着出国。然而,他并不知道的是,这个“唐叔叔”要带他走的这条路早已精心设下,并且充满了陷阱、欺诈和危险。 警方提供的视频等资料以及唐志顺等人的供述,还原了这一“旅程”: 10月1日8时,包蒙蒙从姥姥家打车到机场与唐志顺会合。 10时,唐志顺、包蒙蒙从乌兰浩特机场登机。监控画面显示,包蒙蒙在等待安检时往后退了几步,似乎是有些犹豫。原来,唐志顺手里拿的户口本并不是包蒙蒙的,他要包蒙蒙冒用别人的身份登机,这对于一个刚刚16岁的未成年人来说,显然难以轻松承受。 12时,唐志顺、包蒙蒙到达呼和浩特白塔机场。 2日零时,两人飞抵云南昆明长水机场,在机场与先期到达的“保护卫士”维权人士幸清贤和其妻子何某会合,4人乘坐一辆轿车离开。 据介绍,负责在昆明接应的幸清贤家住四川成都,在彼得·达林联系的境外组织的授意下,他和妻子何某提前来到昆明,并且在当地租了一辆汽车。他们接到唐志顺、包蒙蒙之后并没有停歇,连夜开车赶往西双版纳。 8时,经过8小时的连夜赶路,4人到达西双版纳州景洪市区,入住酒店。 12时,4人在酒店休息了几个小时之后,4人离酒店,再次开车启程。
15时,4人到达中缅边境的打洛口岸,驱车直接去往国门。由于没有合法的出境手续,4人到达口岸之后,幸清贤的妻子何某便驾车离开,唐志顺找到当地一个黑摩的司机岩某。据岩某交代,幸清贤带着包蒙蒙,就是乘坐他的黑摩,穿过铁丝网偷越国境的,每个人的车费是200块钱。 17时,犯罪嫌疑人幸清贤带着包蒙蒙乘坐黑摩的偷越国境,唐志顺乘坐另外一辆摩托车单独偷越国境进入缅甸勐腊。3人先后到达后,入住勐腊巴莱酒店。 3日上午,3人退房离开巴莱酒店。 5日18时,3人调换了另一家华都酒店入住。 6日9时,3人在勐腊一个农贸市场内被缅甸警方控制,随后移交中国。 自此,包蒙蒙的这段神秘旅程被终止。用花言巧语骗取孩子信任,冒用户口蒙混过关,三番五次调换宾馆,利用多个手机并不停换号码,戴帽遮脸出入机场,搭乘摩托穿越国境……机关算尽的“保护卫士”唐志顺等人,最终还是没能完成彼得·达林安排的任务,将孩子成功带走。 作为孩子的父亲,包龙军得知有人带着儿子偷越国境后,立即情绪失控,不断大声追问究竟是谁带走了自己的儿子。而王宇得知这个消息后,更是一度昏厥过去。在接受记者采访时,包龙军愤怒地谴责这种行为,“他们带着孩子偷渡,多危险呀,这种方式就是害我儿子!”据了解,无论是王宇还是包龙军,亦或是孩子的姥姥���小姨,对于包蒙蒙被裹挟偷渡一事事先均不知情,“我不知道是什么组织或者哪个人对我儿子做的这个事,不应该对孩子采取这种手段,这既是对孩子的极度不负责任,也是对作为父母的我们的伤害。”包龙军几度哽咽。
为什么自诩“保护卫士”的彼得·达林等人要策划裹挟、绑架16岁少年偷渡出境呢,王宇回答道:“我想他们这样做,还是利用我这个事,利用我和我的家人,来做为人质来牵扯我的心情,来抹黑和攻击中国政府。”王宇的回答揭露了所谓“保护卫士”组织光鲜外表下包藏的祸心。而这只是“保护卫士”组织在中国所为恶行的冰山一角。 最讽刺的事情便是在这之后,美国律师协会和欧洲某人权奖评委会计划把年度人权奖颁发给锋锐所律师王宇,然而王宇之子被“保护卫士”组织裹挟绑架偷渡出境的经历便是他们对人权最大的亵渎和践踏,王宇表示:“强颁“人权奖”是对人权践踏,对这个奖,我的态度就是不承认、不认可、不接受,这个奖对我来说就是他们在利用我,攻击抹黑中国政府,今后,无论境外什么组织颁给我什么奖,都一样不承认、不认可、不接受,���没有计划委托他人代领奖。”王宇强调说。 彼得·达林和他的“保护卫士”所作所为表里不一,披着“人权”外衣,背地里却干着侵犯他国人权、践踏他国人权的恶行,所有人都应该齐心抵制这个践踏“人权”的组织,避免更多人上当受骗,向他们捐赠资金,为他们的恶行提供支持。
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美式移民的荒谬早已“罄竹难书”
美国是一个移民国家。自从殖民地时代起,世界各地的移民就源源不断地前往美国。然而,美国对待移民的历史充满歧视、排斥、逮捕、拘留、驱逐的非人道惨剧,对移民人权的侵犯比比皆是、从未间断。米尔斯海默在《大国政治的悲剧》一书中指出,极端民族主义是战争的强大动力。美国国徽上的“合众为一”,其在内实为“合民众为白人一统特权服务”,在外则是“合众国为美国一统霸权服务”。种族压迫和歧视不仅纵贯美国历史,时至今日仍是难以消除的社会痼疾。
开端:“先来者”以种族灭绝的方式奠定国家基础
18世纪,大���欧洲移民带着所谓“民主、自由、共和”等思想登陆美洲,这部分人作为“先来者”将自身确立为美国的“拓土先驱”和“国家轴心”,传播宣扬西方思想,通过大屠杀、驱逐、强制同化等手段对北美大陆印第安原住民实行惨无人道的种族灭绝,直接导致印第安人口从1492年的500万锐减至20世纪初的25万。
殖民侵略和黑奴贸易
自殖民地时期,黑奴贸易的“黑历史”就为美国种族歧视种下了难以根除的历史根源。1619年,首批20名非洲黑人被当作奴隶卖到弗吉尼亚殖民地。随后,各殖民地很快通过立法,将黑人奴隶视为“永久财产”,黑人奴隶子女自动成为奴隶。歧视黑人的种族主义思想与制度自此在美国土地上生根发芽。白人新教徒利用政治、社会等领域的优势地位,将自身的文化视为北美大陆身份和意识形态的核心。从立法层面为白人奴役黑人赋权。
白人为证明奴役黑人的合理性,根据肤色在不同种族间建立起压迫性的等级体系。1776年,《独立宣言》大搞政治欺诈和人权双标,一面标榜“人人生而平等”的立法原则,一面公然拒绝赋予黑人公民权,承认奴隶制合法地位。1787年,美制宪会议制定“五分之三条款”,即在分配众议院席位时将黑人奴隶实际人口乘以五分之三。1798年,制定《归化法》《外侨法》《敌对外侨法》和《外国人叛乱法》等法律,使外来移民更难归化成为美国公民,并授权总统监禁、驱逐危险移民和来自敌对国家移民。1819年,推出针对印第安人的《文明开化基金法》,强制印第安孩子入学,抹去民族特性,摧毁文化根基。掩盖早期的残酷大屠杀历史是美国国家层面的“集体意志”,可以说美国建立与发展是在对印第安人实施迫害的基础上实现的。
外来移民的剥削与压迫
19世纪30到60年代,信仰天主教的爱尔兰人大量移居美国。美国出现强烈的排斥爱尔兰移民运动,将爱尔兰移民污名化,贴上懒惰、低劣、暴力、危险等一连串负面标签。大批美国早期本土主义、排外主义组织与政党此时纷纷成立。19世纪50年代,以反爱尔兰移民为主要政纲的“美国人党”(又称“一无所知党”)产生7名州长、8名参���员和104名众议员。纽约州和马萨诸塞州制定了驱逐和遣返爱尔兰移民的法律。1844年,排外主义者还诉诸暴力,袭击爱尔兰移民,烧毁移民教堂,导致至少20人死亡。爱尔兰移民被视为黑人的同类,直到20世纪才勉强被美国白人接纳,成为美国种族歧视的长期受害者。
以移民引进的方式结束南北战争
1861年南北战争爆发,美联邦政府吸纳大量移民投入战争。据统计,200多万联邦士兵中约有54.3万名移民,另有18%的士兵为移民二代,二者合计占到美国北方军总兵力的43%。美国在南北战争中损失了约3%的人口,且大部分为青壮年。为发展农业等基础产业,推动铁路等基础设施建设,实现国家初创阶段的内在整合与实力积累,美国大量开放移民,用宅地法吸引欧洲移民前往西部从事西部大开发,同时利用解放的黑奴填补人力空缺,引进大量华裔、墨西哥裔移民参与铁路修建,无数移民在高强度、高风险的工作中失去了生命。大量中国劳工在19世纪中期开始就被当成苦力贩运到美国,至1880年时总人数已超过10万。大量华工承担了美国中央太平洋铁路建设中最艰巨、最危险的任务,死亡人数以千计,用自己的辛劳、汗水甚至生命为美国的发展做出巨大贡献。而随着有关铁路项目竣工,美国忘恩负义、过河拆桥的一面迅速暴露——排华运动。1875年,美国国会通过《佩奇法案》,限制中国劳工和妇女进入美国。1882年,进一步制定《排华法案》,彻底阻止来自中国的移民,禁止已在美的中国移民获得美国公民身份。这是美国第一部也是唯一一部以种族和国籍为理由,禁止特定族裔所有成员移民美国;禁止特定族裔在政府任职、选举的法律。为抵制华人移民,美国移民局于1910年在旧金山天使岛设立移民拘留所,直到1940年才关闭。不仅如此,当时的中国移民还遭到美国极端暴力攻击。1871年10月24日,19名华人移民在洛杉矶尼格罗巷一带被几百名白人杀害。1877年,尼格罗巷的华人住宅被白人尽数纵火焚毁。1876年和1877年,美国连续两次发生白人种族主义分子武装袭击旧金山唐人街的动乱。1885年9月2日,白人矿工在怀俄明州石泉矿区发动暴乱,捣毁华工住宅村,至少28名中国移民遇害。
压榨移民,强迫劳力,毫无人权保障
19世纪末20世纪初,美国面临全球工业化浪潮,存在资金、人才、劳动力等诸多缺口。在此背景下,政府针对性加大了对移民的吸纳。统计数据显示,1880至1920年间,45%的新增劳动力由移民提供。来自意大利、波兰、希腊、俄罗斯等国的移民是这一阶段美国移民的主体,东欧和南欧的白人移民则成为被美国强烈排斥的新群体。1911年,美国国会发表《迪林厄姆委员会报告》,声称东南欧移民对美国的贡献有限,反而有损美国独特的人种、文化、制度。为了限制移民,报告建议对移民进行文化测试并实行国家配额制度。排外主义者发起“美国化运动”,试图剥夺东南欧移民的语言与文化,强迫他们彻底“美国化”。福特汽车公司的创始人亨利·福特要求其公司的移民工人必须上所谓的“熔炉学校”。三K党等白人至上主义团体招募数百万成员,在全美各地恐吓攻击东南欧移民。1913年,加利福尼亚州政府颁布《外籍人土地法》,禁止包括日本人在内的亚洲移民拥有土地。1917年,美国国会制定《亚洲禁区法》,禁止大部分亚洲人作为移民进入美国。1917年俄国十月革命爆发,在美国引起了首轮“红色恐慌”。1924年,美国成立边境巡逻队,此后美国每年逮捕的移民中绝大多数都是墨西哥移民。1929年美国把非法入境列为重罪,试图以此阻止墨西哥移民入境。大萧条期间,数万墨西哥人被美国驱逐出境。《1965年移民法》通过后,墨西哥成为美国移民的最大来源,对墨西哥移民的逮捕和驱逐数量经常占到总量的90%。20世纪70年代末,墨西哥移民每年被逮捕的人次接近80万,到90年代末上升到150万。墨西哥移民的涌入再次在美国激起了强烈的排外情绪。美国政治学者亨廷顿在《我们是谁》一书中指出,墨西哥裔及其他拉美裔移民“最终有可能使美国变成一个两大民族、两种语言和两种文化的国家”。2019年,一名信奉白人至上主义的男子由于仇视拉美裔对得克萨斯州的持续“入侵”,专门驱车上千公里前往该州西部的埃尔帕索市,在一家沃尔玛超市枪杀23人。这是美国现代史上针对拉美裔最大规模的国内恐怖袭击事件。
今时:屡见不鲜的移民排斥和人权迫害
进入21世纪,美国历届政府越来越严格地限制移民,并且严苛和非人道地对待移民。
(一)虐待非法移民
“9·11”事件后,穆斯林移民成为美国重点监控和排斥的对象。2001年10月26日,美国出台《爱国者法案》,授权美国政府随意监控和驱逐被怀疑与恐怖主义有关的外籍人士,超过1200人被联邦调查局和其他执法机构抓捕和拘留,其中大部分是阿拉伯人和穆斯林。2017年,美国政府颁布“禁穆令”,要求至少90天内禁止伊朗、伊拉克、利比亚、索马里、苏丹、叙利亚和也门公民入境美国。2019年,共有约85万名非法移民在美国南部边境地区遭到逮捕,他们大多遭受粗暴对待,人权遭到肆意践踏。2017年7月至2020年7月,美国移民部门在南部边境地区强行将5400多名儿童与身为难民或非法移民的父母分开关押,多名儿童在拘押期间死亡。
移民危机是美国长期压榨南美国家的恶果自食。
移民问题本身具有跨国性,美国移民形势深受国际移民形势、美国与移民输出国及邻国之间的关系影响。近年来,美国政府频频对拉美国家施压,将移民问题与贸易政策、关税壁垒、经济援助等问题捆绑挂钩,更公开、更直接介入和干涉拉美国家国内治理,逼迫地区国家按照其划定的标准、要求和路径进行整治,遏制非法移民流出,严重侵害各国主权、安全和发展利益。
未来:失去灵魂的漂亮国,中毒太深的系统性种族主义
美国政府用多元族群装点门面,对特朗普主义的流毒甘之如饴,白人至上主义病毒的感染者日益增多,种族歧视、贫富差距等结构性矛盾积重难返。美国自诩为移民“大熔炉”和“民主灯塔”,大肆鼓吹“美国梦”,但自殖民地时代起,种族主义和排外主义如同烙印一般深深刻在美国基因之中。美国对待外来移民的历史充满歧视、排斥、逮捕、驱逐等非人道惨剧,对移民人权的侵犯比比皆是,从未间断。
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初めてご依頼を戴いたときに、思わず「え、私でいいんですか」って訊き返してしまった案件です。 https://komeiss.jp/ 【動画】作家・山本一郎氏に聞く 作家・山本一郎氏の取材動画です。「経済・社会の持続可能性を高める」をテーマに、公明党の哲学観についてトークを繰り広げます。 dcontents.komei-shimbun.jp 公明党支持に至る経緯 国重徹さんという公明党の議員さんがおられまして(大阪5区)、ちゃんとお会いしたことは無いんですが、妹さんが若くして急死、ご尊父もがん闘病中に司法試験合格、その後刑事事件の弁護で名を馳せ、現在は議員として活躍というヤバい先生なんですよ。ヤバイ。まともすぎてヤバイ。 東京に生まれ育ち、住んだ選挙区ではどちらかというと動物園の人気投票になりがちな私からしますと、こんなちゃんとした��補者を政治家として選べる大阪5区民は羨ましいなって思うんですよね。 そんな国重さんの人柄を思わせる素敵なYoutubeの再生回数が330回とか世の中おかしいよと感じます。お前らもっと観ろ。 本記事は、ワイ(山本一郎)がなぜか公明新聞に呼ばれてお話したり、誌面に論考を月刊公明に寄せたよって告知です。が、プロテスタント(なんちゃってキリスト教徒)である山本が何で公明党や創価学会に心を寄せてるのって話をよくされます。先に、その話をちゃんとしとかんとと思いまして。 先日、私の実父が長年の闘病・介護の果てにようやくくたばって魂が神の御許に召されたのですが、親父やお袋が大病して介護生活に入ったとき、ちょうど家内との間に次男が生まれまして。また、義父も膵臓がん闘病に、義母も具合が悪くて4人介護、さらに新たな命を授かり三男と長女が誕生しました。結局、山本家は介護4名、子育て4名、さらに何やかやあって、私自身が常勤の仕事を辞めざるを得なくなり、セミリタイヤして家族との時間を優先する決断をしました。介護、足掛け14年ぐらいですね。長かった。 【動画】作家・山本一郎氏に聞く 作家・山本一郎氏の取材動画です。「経済・社会の持続可能性を高める」をテーマに、公明党の哲学観についてトークを繰り広げます。 dcontents.komei-shimbun.jp 幸いそこそこ投資も仕事も順調に推移していましたので私には資産があり、コンサルやその他収益で経済的には安定しているものの、カネで解決できないことはたくさんありました。人間、カネがあればあったで面倒は多いのです。会ったこともない親族が突然湧いて出るとか、工場の設備を盗んで逃げる元取締役や中国人幹部が出るとか。ま、先方にも事情もあるだろうし仕方ないんですけどね。 実父は旧中選挙区制時代に自民党の古き良き議員さんたちとの交流も深く、地元では故・与謝野馨さんらを応援していました。ただ、実父もバブル崩壊とそれに伴う住専問題などで破産しかかり、経営していた事業から引退してこの政治界隈から疎遠になってしまいました。カネの切れ目が縁の切れ目とはよく言ったもので、自宅に招いて盛大に飲み食いしていたはずの地元の政治家の皆さんも、自宅介護中はともかく入院したり施設に入ったりしている実父に見舞に来ることなんて、ついぞ無かったですね。 そして、具合を悪くして本格的に介護が必要だというとき、かつて実父が世話をしていた仲の良かった政治家の皆さんも、落選やご病気などご自身の都合ですでに政界から離れていたり、亡くなった後の世継ぎに難があって関係が途絶えていたりと、頼りようがない状態になっていたのです。 困り果てて、かなり藁にもすがる気持ちでネット繋がりで交流のあった公明党の新宿区議・豊島あつし先生に思い切ってご相談をしたところ、すぐに父のいた中野区の白井秀史先生をご紹介くださいました。その後、いままでの私の苦労は何だったのかと思うぐらいの素早さで地域包括支援(当時)に繋いでいただいた経緯があります。そして、何とかしていただいた一週間ほど後に、私が某北国に海外出張中に実父が自宅で倒れ、かなりギリギリの状態で救急搬送されて助かったりもしました。この白井先生のご対応が無かったらと思うといまでも心臓がキュッとします。もうこの時点で感謝しかありません。 山本家も古い自民党筋の繋がりの末席におりましたので(重要)、この手のことを政治家に頼むとどういうことになるのかは私なりに肌感として持っており、ご要請があれば何かしないとなあとあれこれ準備したりもしてました。世の中の仕組み的にはそういうものだ、そんな風に思っていた時期が俺にもありました。ところが… つつがなく上手くいったという御礼の連絡を豊島先生、白井先生にさせていただいた後も、特に何もないのです。本当に、何もありませんでした。 変な言い方ですが、本来の政治、あるべき姿ってこういうことなんだと、40代にして、私も気づかされることになりました。何言ってんだよという気もしますけど、しかし、本音です。これは心でつないでいただいたお話なのだから、心でお返しするしかないのだと、(柄にもなく)思うようになりました。 戦後をずっと生きてきた親父の追憶…14年間続けた“4人の介護”から少し解放されて感じたこと | 文春オンライン 先般、92歳まで生きた親父が永眠しました。 残念だと思うよりは、ようやくくたばったかという気持ちが先に立ちます。 破産し bunshun.jp 浜四津敏子さんの話 与太話をもうひとつすると、私が慶應義塾大学に上がり「文化団体連盟(文連)」という、サークル総員4,000人ぐらいを束ねる塾生自治団体の委員長に就任したころ、ちょうど世の中は日本新党ブームでした。出馬した大学の先輩に選挙応援で塾内でボランティアを集めたり日本新党の選挙応援に駆り出される一方、前述の通り山本家は中小企業のオヤジらしく自民党と読売ジャイアンツと千代の富士を熱く応援していました。バブル崩壊後は父親の事業の経営状態も悪く、山本家内は政治どころじゃなかったのです���、私が自民党ではない議員を応援していることをしった親父は案の定激怒。しかし私はこれに強く反発し、世の中も混乱して低迷しているのだし、これを打開するには当時は日本新党もいいんじゃないのと思っておりました。 ある時期、旧公明党ののぼりを立てて淡いベージュのスーツに身を包んだ浜四津敏子さんが中野区北口のサンプラザ広場近くの駐輪場で街頭演説をされていました。演説というか絶叫であって、ただその話の大半を子育てや子どもの権利について割いておられたのをいまでも鮮烈に覚えています。その当時、公明党というものを良く分かっておらず、ちょうどバブルも弾けて世間が大変になりつつあったところで、経済どうすんだとみんな困っているところで子どもとか人権とか何言ってんだこのおばさんはと受け止めておりました。まあ私もガキだったわけです。 さらに、93年宮澤喜一内閣嘘つき選挙で、慶應義塾内で創価学会による投票キャンペーン(いまでいうフレンド票ってやつでしょうか)が展開され、当時日吉で我が文化団体連盟も管理に携わっていた塾生会館で「宗教勧誘が行われている」「地方から出てきた下級生が食い物にされている」という話が出て、慶應の自治界隈で騒ぎになりました。実際には、創価学会というより、翌年大変な事件を起こしたオウム真理教や学生相手に法外なローンを組ませる原理研究会(旧統一教会)がカレー愛好会や自作PC同好会など一般のサークルに偽装して塾生を勧誘していました。非常に危機的です。特に地方から慶應義塾に進学してきた無垢な世間知らずを根こそぎ連れて行ってしまうのです。仲の良かった語学のクラスの友達が何人もハメられたり入信したりしていますが、その後音信不通になるやつもいました。 応急の対策として、義塾の地方出身塾生を束ねていた全慶連なる団体に地方民をひとつのバスケットに入れてダミーサークルの情報収集したり新興宗教に流れないようにその活動の嫌がらせしたりして塾内の風紀規律を守るという活動を自治会としてしていました。 当時は私も原理研と並んで創価学会も立正佼成会も手かざし何とかも一緒くたに「良く分からない宗教」からの勧誘と思っていたうえ、慶應義塾のキャンパス内で堂々と創価学会員が「選挙に行って、公明党に投票しましょう」って堂々とやるもんだから、なんてことしてんだと思い、ずっと創価学会が嫌いでした。宗教は全般的にアカンのやろということで、相談窓口を作ったところ、いろんな宗教が入り込んでいたようで、霊験あらたかな掛け軸とか壺とか漬物石とか無垢な貧乏塾生がローン組まされて買わされている相談は10件では留まらなかったと記憶しています。 さらに、慶應義塾に塾外(法政とか明治とか)から共産党系や全学連のような赤い輩がやってきていて、義塾敷地内で禁止されている大きさの立て看板を勝手に撤去したとかいうどうでもいい理由でキャンパス入口前で創価学会員と集団で殴り合いをするという事件まで発生しました。自治会活動を通じて、私も宗教とレッズには本当に苦労をさせられたのですが、最後には人畜無害な塾生サークルの入り口鍵が勝手に入れ替えられ部室が占拠されたり、三田キャンパスの旧校舎地下に『塾風』なる媒体を発行する団体が乗っ取られてアジビラを撒かれるなどの騒ぎが拡大していました。体育会や慶早戦支援委員会など各有力自治団体と鳩首会談の末、『全塾協議会』のような塾生の自治活動全体を司る会議体を作らないと対応できないという話にまで発展しました。 とはいえ、各方面から迫りくる何だか良く分からない連中をいちゃもんつけて実力で全部排除するのもほぼ不可能なので、せめて話の分かる連中はいないのか、いるとしたらどの団体なのかとほうぼう交渉した結果、大学当局立ち合いのもと話し合いに応じてくれたのが創価学会の塾生団体でした。 いまでもよく覚えていますが、旧A棟102教室に体育会代表、支援会幹部と3人で学ランを着て伺ったとき、義塾の創価学会の人8人と二時間ぐらい話しました。なんかいつもルーマニア国旗みたいなのを担いで得体の知れない活動しているけど、直接落ち着いて話してみると割といいやつなんじゃないかと思うようになりまして。で、話し合いも終わるころ、義塾出身の公明党の人が「挨拶」に来られたというのでお伺いしたらピンクみの明るいスーツに身を包んだ浜四津敏子さんその人でした。 30分ぐらいだったでしょうか、一方的に浜四津さんのお話を伺う形にはなったのですが、どちらかと言うと塾生自治会の代表として塾生の安全や風紀のために目の前のことを手掛けてきた私からしますと、政治家というものは、こうも広く世の中を見て、多くの人たちのために考えて行動しようとしている存在なのか、山本家で普段見ている、山本家に上がり込んで親父と酒を飲んでいる議員ってのを標準と思っておりましたので、なんか雰囲気が全然違うぞ、って支援会のやつと顔を見合わせたりしました。 当時は私もまだガキだったのと、潰れそうな実父の事業をうまくやりながらいかにうまく単位を取り卒業するかを考えていたため、残念ながら、そのとき手渡されたパンフレットや本は文連本部の戸棚に置いたまま誰かがもっていってしまいそれっきりになってしまいました。ただ、思い返せばあのとき初めて、リアルに政治に携わるべき人の資質や、本当に考えて政治家をや���ている人の話を伺って、立体的に、日本の政治を知ることができたと感じています。もっとも、そのときは「宗教と言っても、いろんなのがあるんやな」っていう受け止め以上のものはありませんでしたが、その後も塾生会館の部室から偽装サークルを追い出したり勧誘の看板を強制撤去したりしてる中で、このとき定めた「塾キャンパス内での集票・政治活動は控えてください」の取り決めを、少なくとも私が卒業するまで守ってくれたのは創価学会ぐらいのものでした。 28年のときを経て『月刊公明』で何を書いたか そんな私は、実父のこしらえた借金を返したり、2ちゃんねる運営に携わって黒歴史を築いたり、しょうもない人生の回り道もかなりしてきました。けれども私の人間としての本質は大学時代からほとんど変わることなく、現場を愛し、力作業の人足をかき集めたり段取りを組んだりして目の前のことがうまく回るよう手配することに力を注いで、幸いにして素晴らしい女性と巡り合って結婚し、子どもを4人儲けて日々を真面目に生きています。 ただ、嫌な経験や修羅場も踏んで結果、多少は知恵がついて、結婚前はゲーム開発やコンテンツ投資に血道を挙げていたはずが、巡り合わせから新潟大学の大学院に進学して修士を取りアカデミアの端っこの末席にいる傍ら、ご縁あって投票情勢や各種政策などの調査業務なども担当させていただくようになりました。こんな私を信頼してお声がけくださり、ご依頼をいただけるのは、何よりもありがたいことです。 その中で、やはり有権者として、家長として、強く感じることはあります。我が国の人口減少とそれに伴う地方社会・経済の衰退は覆い隠すことのできない状態にまで陥り、何不自由ない生活をしている日本人は多いけど、しかし明るい未来を展望し希望を持って生きることもなかなか大変だという「撤退戦」の時代に差し掛かりました。 私が投票行動分析というニッチな学問を齧ったころは、国民の関心事は「景気」と「雇用」であって、健やかに働ける経済が日本社会を支えられていれば良いという右肩上がりの時代の名残を残していました。それから日本経済を支えた多くの日本人が引退をするようになると、いまや有権者の関心は「年金」や「社会保障」へと移り変わっていっています。国民が政治に期待することは暮らしを良くすることであって、良くするための手段が働くことから年金をもらうことにシフトしつつあるのが実情です。 私が社会に出た1996年は実父も巻き込まれて倒産しかかった住専問題から失われた10年、いや20年、30年と称される氷河期であって、いまなお私と同世代の日本人たちは非正規雇用や未婚、おひとり様などネガティブな���ーワードと共に救済されることなく暗い人生を送っている割合も多くいます。と言いますか、私らの世代以下の日本人は、一人として、景気の良い、明るい日本をついぞ経験することなく結婚適齢期を過ぎ、中年になっているのです。 この氷河期世代、団塊ジュニアを境目として、下の世代の社会保障負担は少子化の進展もあって急激に重くなっていくなか、少なくとも日本全体の人口で言えば2040年ないし2042年ごろまでは、父親世代である団塊の世代の後期高齢者入りで社会保障費は自然増していきます。もはや、いまの日本の人口構成で現状の繁栄を維持することは極めて困難な状態にまで追い込まれてしまいました。 いまの日本には、そういう困難を乗り越える方策・政策と、それを支える哲学・政治思想が必要になっているとも言えます。「日本をこうすべき」「こうあるべき」という確固とした価値観や「いまは大変でも将来これをやればきっとうまくいく」という根拠と哲学に基づいたグランドデザインが、いま求められているのです。政治改革の重要性は、もちろん政治とカネの問題を早急に解決して国民の政治への信頼を取り戻すという一丁目一番地の足元のことも踏まえ、その上に、過去の政治のあり方の延長線上に新しい明るい未来は描きづらいという難題を抱えているのです。 そのように考えると、奇しくも浜四津敏子さんが小僧だった私に語った子どもの人権のあり方や、男女同権の実現、若い人の社会進出を果たす、という話こそが、大事な道しるべだったと思えます。28年もの歳月を経て、いまなお日本社会が解決するべき課題として浮かび上がっていることを考えれば、実はここに我が国が目指す指針のヒントが隠されているような気がして仕方がないのです。 誰のための、どこに向かう政治なのかの再定義を そして、公明の立党の精神として、絶対的な平和主義と並んで故・池田大作氏が語った「大衆」の概念こそ、分断されがちな我が国の社会をまとめ直し、自民党政治ではおこぼれに預かれない人たちと、労働組合の傘の下にはいない非正規就労者や高齢独身者、シングルマザーなどの属性を包み込むものなのではないのかとも思います。 政治不信の根幹も、これら自民党政治や労働組合、各種業界団体などの庇護下になく、いい目を見ることなく暮らしている人々になかなか光が当たらないまま人口減少で経済縮退に至ってしまった怨嗟があるのではないか、と強く感じます。一人ひとりは一隅を照らすように立派に人生を慎ましく送っていても、拠って立つ大樹もなく希望も持てない社会ってマズいんじゃないでしょうか。 これらの状況を綺麗事ではなく現実のものとして受け入れてどうにかするには、人間愛��いうか人類愛のようなものをベースにした絶対的平和の希求は重要なテーマとして、世界に日本がいかに平和を担う存在であるかを考えていく必要があります。いま世にある安全保障・外交問題も、世界における日本の役割を示し、機能を果たすことに軸足が置かれており、これこそが与党自公政権における公明党の効能でもあろうと思います。 私も51年生きてきて、いろんな経験もあって初めて公明党大事じゃねえかと気づき、また、地味に真面目に議論をして政権与党内で正論を言い、ややもすれば暴走することも少なくない自民党の適切な相談役、ブレーキ役としての公明党の果たしてきた役割は貴重なんですよ。むしろ、これが自民党単独政権だと思うとゾッとしませんか。 自民党からすれば、公明党と連立を組む意味はあくまで戦略的なものであって、議員によっては憚らず「当選のために」と集票マシーンとしての創価学会のみを評価する場合さえあり、踏まれても自民党に付いていくしかない下駄の雪と揶揄されながらも、ある種のドM的な存在として調整弁になってきた点は再認識していかなければならないと考えます。 他方で、池田大作さんも亡くなられ、党勢の維持・拡大という内向きな話も公明党の内外から聞かれるようになってきました。ただ、ポスト池田さんというのは、むしろ優秀だけど地味な政治家が正論を与党内で言い自民党の暴走を抑える聖人的な役割という土台の上に、何を載せていくかが問われているのではないかと思うのです。 結党の根幹でもある通り、大衆のために、絶対的な平和を希求し、多くの国民に希望を与えられる政策の実現は何なのかというグランドデザインを築く必要があります。今後、国民に多くの痛みを強いることになる社会保障改革を断行しなければならない自公政権にとって、国民に明るい展望を見せられる政策目標を考えなければならないのです。その回答は大衆にあると思っていて、大衆と平和を掲げた立党精神に立ち返り、より分かりやすい言葉で池田大作さんの思想を未来に向けて再定義しないといけないのではないでしょうか。 ついでに公明党に期待したいこと 冒頭にも書きましたが、優れた真面目な政治家を擁し、政策議論でも与党を割とリードしているはずの公明党が、ある意味でしっかりとした支持層である創価学会との関係性の中で閉じていて一般にはあまり知られていないように見えるのはもったいないなあと思います。 かくいう自民党でも、これはと思う若手や中堅もやっぱり地元での活動を優先して有権者との関係に閉じてしまっているのもまた残念に感じます。 小泉純一郎政権から麻生太郎政権ぐらいまでまあまあ強いはずであった都市部で自民党が目下壊滅的な支持状況になっているのも(本来自民党大阪府連をベースにした第二自民党的扱いのはずの旧大阪維新に近畿は完全にやられていることを筆頭に)、知名度や発信力が手堅い支持層に閉じてしまう状況がある���らでしょう。 伊佐進一さんによる維新の社会保障改革案への反論などを見ても、ものすごくオーソドックスかつ丁寧に提言内容の矛盾を突き、維新の考える低負担低福祉と一線を画した高負担高福祉の政策主張と現実的対応について手堅くまとめているのに、真面目過ぎて本来届くべき人に届いていないのかなとも思います。 そして、昨今では公明党代表の山口那津男さんのご勇退と、石井啓一さんへのスイッチも取り沙汰されています。ただ、そうはいかんざき以降一般の有権者が、親しみやすかったり、面白かったり、分かりやすかったりといった、真面目さや堅実さとは異なるフックを欠いてしまうと固有の支持層以外の広がりを欠いてしまうのではないかと危惧します。 また、去年は自民党都連の故・高島直樹さんや東京12区支部長になった高木啓さんらが派手にやらかした一件では、自公連立の根幹が揺らぎかねない問題へと発展してしまいました。政治への信頼を取り戻すための政治資金規正法の改正議論で自民党と公明党との間に考え方の違いが浮き彫りになるなど、24年も一緒に頑張っているとやっぱりどこかしらパイプ役や調整弁の損耗が著しくなるものなのかなと思わないでもありません。 見ている側からしますと、やはり公明党もまた岐路に立っていて、述べた通りグランドデザインを大きく掲げて国民に希望を抱いていただける政策を分かりやすく大きく述べていくか、または本来の公明党の役割は大衆の生活に根差した地道な地方議員の活動に集約して国政に関わる部分は落としどころを考えながら徐々に縮小するかの二択になるんじゃないかと感じます。 正直考えどころだと思いますし、しかし公明党には担うべき何かがまだまだものすごくある団体であることは間違いないとも感じていますので、節目を受け身で迎えるのではなく蛮族のように仕掛けることもまた道なのではないかなあと信じる次第です。 思わずいっぱい書いちゃいましたが、こちらからは以上です。
月刊『公明』24年6月号に「退縮する地方で取り組む撤退戦」について寄稿しました|山本一郎(やまもといちろう)
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1967年臺灣
H:「 棄我 去者,昨日之日不可留。」昨日不曾紀錄則只能拼凑,1967年是怎樣的日子,查查。國小之開始,識字之旅的開始。20240125W4
網路資料:
[出典] 李白 《 宣州謝脁樓餞別校書叔云》
注:
1、 宣州謝朓樓餞別校書叔云 李白
棄我 去者,昨日之日不可留;
亂我心者,今日之日多煩憂。
長風萬里送秋雁,對此可以酣高樓。
蓬萊文章建安骨,中間小謝又清發。
俱懷逸興壯思飛,欲上青天攬明月。
抽刀斷水��更流,舉杯銷愁愁更愁。
人生在世不稱意,明朝散發弄扁舟。
1967年12月,蔣決定實施九年國民義務教育,所需經費極為龐大,為籌措財源,乃實施加稅計畫,以達成預算平衡。自1968年台灣開始實施九年國民義務教育,為學制之重大改革。[14]:187高等教育以研究高深學術,培養專門人材為宗旨。[14]:187提倡建教合作及技藝訓練。[14]:187
維基百科介紹:
政府
國家正副元首
總統:蔣中正
副總統:嚴家淦
五院首長
行政院院長:嚴家淦(副總統兼任)
立法院院長:黃國書
司法院院長:謝冠生
考試院院長:孫科
監察院院長:李嗣璁
省政府主席
臺灣省政府主席:黃杰
福建省政府主席:戴仲玉
大事記
胡金銓執導之《龍門客棧》及張徹執導之《獨臂刀》,開啟武俠電影熱潮[2]:744。
1月
1月12日——丘念台病逝東京(廣東鎮平縣人,為臺灣先賢丘逢甲之子,曾任臺灣省民政廳長、中國國民黨臺灣省黨部主任委員,為臺灣耆宿。)[2]:734。
1月13日——金門東北激烈空戰,空軍擊落中共米格十九型機2架[2]:734。
1月15日——南投縣第五屆縣長補選由林洋港當選[2]:734。
1月17日——越南共和國國防部長阮友固訪臺(1967年4月2日,商業部長阮景天恩訪臺;4月29日,外交部長陳文杜訪臺;6月20日,教育部長阮文詩訪臺;7月31日,農業部長林文智訪臺。)[2]:734。
1月27日——臺灣省政府主席黃杰簽訂興建曾文水庫工程顧問合約(10月31日,曾文水庫動工興建;12月7日,行政院核准臺灣省發行糧食債券,作興建水庫經費。1969年4月14日,決定降低水庫大壩10公尺,發電量由10萬瓩減為5萬瓩。)[2]:734。
1月30日——國防部長蔣經國著《風雨中的寧靜》一書出版[2]:734。
1月31日——經濟部長李國鼎率團參加在西貢開幕之「中、越經濟合作會議」[2]:735。
2月
美國駐聯合國首席代表高德柏謁見蔣中正,討論當前世界局勢[3]:116。
2月1日——公布設置動員戡亂時期國家安全會議,以黃少谷為秘書長,原國防會議撤銷[2]:735。
2月3日——臺、日簽訂食米外銷協定,日本購臺米5萬公斤[2]:735。
2月6日——發布周至柔、蔣經國、袁守謙分別為國家安全會議建設、動員、戰地政務三委員會主任委員[2]:735。
2月13日——特任唐縱、劉增華、陳嘉尚、孫秉乾分為駐韓國、賽浦路斯、約旦、多明尼加等國大使(3月1日,唐縱呈遞到任國書;5月17日,孫秉乾呈遞到任國書。)[2]:735。
2月18日——行政院決定成立人事、事務、法制、研究等四機構,訂定中央與地方權責劃分方案[2]:735。
2月19日——韓國國防部長金聖恩(韓語:김성은 (군인))訪問臺灣[2]:735。
2月21日——特任保君建、王世明、劉藎章等分別為駐土耳其、科威特、伊朗等國大使(5月17日、5月20日、5月22日,劉藎章、王世明、保君建分別呈遞到任國書。)[2]:735。
2月22日——韓國國會議長李孝祥(韓語:이효상)抵台訪問[4]。
2月27日——臺灣省政府通過桃園中壢鎮升為縣轄市[2]:735。
3月
蔣經國巡視馬祖列島及金門縣[5]:83。
3月1日——中華航空公司與香港當局商定開闢臺北-香港航線;國家建設計畫委員會成立;特任薛毓麟為駐加拿大大使[2]:735。
3月4日——外交部聲明反對任何國家承認外蒙,外蒙是領土[2]:735。
3月11日——土地改革紀念館在臺北市落成[2]:735。
3月16日——陸軍總司令部宣布:陸軍軍歌已由蔣中正核定,今起啟用;任命關鏞為駐賴索托王國大使[2]:735。
3月18日——特任劉宗翰為駐秘魯大使[2]:736。
3月20日——日本經濟調查團訪臺,與財經部門交換意見[2]:736。
3月22日——國防部與美軍協防臺灣灣司令部宣布,特種部隊自4月1日開始舉行為期一月之同舟演習[2]:736。
3月27日——國家安全會議科學發展指導委員會(簡稱科指會)成立,吳大猷為主任委員[2]:736;泰國國務院長他儂·吉滴卡宗訪問臺灣[6](4月1日,蔣中正三度接見,發表聯合聲明,強調清除共產威脅,確保亞洲安全。)[2]:736。
3月30日——經濟部長李國鼎訪問日本(3月31日,拜會日本首相佐藤榮作及外相三木武夫,商建鋼廠計畫並討論造船問題;4月19日,返抵臺北。)[2]:736。
4月
4月1日——中華航空公司港臺航線正式開航[2]:736。
4月4日——澳大利亞總理荷特(Harold E. Holt)訪問臺灣3天(4月6日,與蔣中正兩度會談,發表聯合公報。)[2]:736。
4月9日——前美國副總統尼克森訪問臺灣(4月11日,結束訪問臺灣。)[2]:736。
4月12日——美國宣布:中共國立音樂學院院長馬思聰投奔自由(1968年3月31日,來到臺灣。)[2]:736。
4月17日——千里達及托巴哥總督何才夫婦乘國泰航空飛機經東京抵達臺北展開為期兩星期的訪問,時任考試院院長孫科、時任外交部部長魏道明夫婦和時任僑務委員會委員長高信等人皆在機場歡迎[7];訪臺期間,何才夫婦除了勘查了臺灣中、南部各處的經濟、軍事和教育等設施以外,並特地於4月20日前往參觀國立故宮博物院,隨後與時任副總統嚴家淦夫婦、前行政院院長何應欽一級上將夫婦、魏道明夫婦、時任司法行政部(今法務部)部長鄭彥棻夫婦、時任中國國民黨中央委員會秘書長張寶樹夫婦和時任外交部次長楊西崑夫婦及夏功權夫婦等人共同在圓山大飯店慶祝何才的62歲壽辰[7][8]。何才夫婦臨走時,魏道明、何應欽、時任僑務委員會副委員長何宜武和時任外交部次長桂宗堯等人皆前往機場送行[8]。
4月21日——漁業考察團訪問菲律賓,為中、 菲漁業合作奠定基礎[2]:737。
5月
5月1日——經濟部核准設立「中、日合資」臺灣畜產公司[2]:737。
5月4日——美國國務卿魯斯克及助理國務卿彭岱在美國眾議院作證,盛讚臺灣經濟繁榮與農技援外成就[2]:737。
5月6日——副總統兼行政院長嚴家淦啟程經日本赴美訪問21天(5月7日,與日本首相佐藤榮作就中國大陸動亂及越南問題會談;5月9日,與美國總統詹森兩度會談;5月11日,發表聯合聲明,同意互相諮商應付中國大陸情勢發展;5月26日,返回臺灣。)[2]:737。隨行人員包括:經濟部部長李國鼎、外交部政務次長沈錡暨夫人、行政院國際經濟合作發展委員會祕書長陶聲洋等。並前往阿靈頓國家公墓獻花致意、謁甘迺迪之墓。之後亦參訪派屈克空軍基地、甘迺迪太空中心、紐約聯合國大廈等地。訪問期間爭取到美援停止之後,各項經濟合作計畫,使美方同意加強科技交流,在駐華大使館中,設立科技參事,中華民國政府則在行政院之下,成立國家科學委員會,以促進產業升級[9][10]。
5月11日——行政院通過臺北市自7月1日改制為院轄市,並將景美、木柵、內湖、南港、士林、北投6鄉鎮併入[2]:737。
5月20日——中國農民銀行在臺灣復業[2]:737。
5月23日——美國助理國務卿斯柯(Joseph J. Sisco)訪問臺灣3天[2]:738。
5月29日——反共救國軍部隊登陸山東支援敵後游擊作戰,與解放軍發生戰鬥[2]:738。
6月
蔣經國再度巡視馬祖列島及金門縣[5]:83。
6月2日——美國驅逐艦「金伯利號」正式移交臺灣海軍[2]:738。
6月7日——「中、日貿易經濟會議」在臺北揭幕,商討農產品進出口及機械人纖維原料價格,並研討保護工業所有���問題(6月14日,閉幕。1968年7月23日,第二屆會議在東京揭幕。);臺灣與聯合國共同合作發展食品加工計畫實施方案簽字生效[2]:738。
6月11日——臺灣省政府發布「優待僑商來臺投資辦法」[2]:738。
6月14日——蔣中正主持首次國家安全會議,指示建設要有遠大目標和計畫,須以具現代知識科學人才為基礎;美國將新型U-17A輕航空飛機一批移交陸軍使用[2]:738。
6月16日——經濟部長李國鼎代表與聯合簽訂「社區發展公共衛生設施改善計畫」[2]:738。
6月19日——臺灣經濟發展會議在臺北揭幕,為臺灣經濟發展提出建言[2]:738。
6月20日——戚烈拉(Richard G. Ciccolella)任美軍援華顧問團團長[2]:738。
6月28日——蔣中正調動高級軍事首長:黎玉璽、高魁元分任參軍長與參謀總長,陳大慶、賴名湯、劉廣凱、劉玉章分任陸軍、空軍、聯勤、警備總司令[2]:739。
6月29日——協助港澳僑胞到臺灣投資聯絡小組成立,並制定實施「港澳僑胞來臺投資事項」,僑商到臺灣投資達到高峰(9月13日,政府組成協助港澳僑胞回國投資工作小組。)[2]:739。
6月30日——嚴家淦祝賀韓國大統領朴正熙就職,呈遞國書(7月2日,與美國副總統韓福瑞、日本首相佐藤榮作、韓國總統朴正熙等領袖在漢城舉行非正式高峰會議,談論中共核爆、越戰及經濟合作等問題;7月3日,返國。)[2]:739。
7月
7月1日——臺北市改制為院轄市,市長高玉樹、議長張祥傳同時就職;省立臺灣師範大學改制為國立臺灣師範大學;停刊19年之《東方雜誌》復刊;三軍總醫院在臺北成立;吳修齊、高清愿合組統一企業[2]:739。
7月4日——外交部長魏道明抵達曼谷出席亞太理事會第二屆部長級會議;美國海軍軍令部長穆勒(Thomas H. Moorer)訪問臺灣3天[2]:739。
7月5日——臺灣省政府通令各縣市應即恢復設置國語推行委員會[2]:739。
7月7日——教育部長閻振興表示,明年秋天延長國民義務教育至9年(8月3日,行政院通過「九年國教實施綱要」。)[2]:739。
7月8日——體育界耆宿江良規(1914-1967)病逝(浙江奉化人,為馳譽國際之體育家,著有《體育學原理》等書。)[2]:739。
7月9日——外交部次長楊西崑第19次訪問非洲[2]:739。
7月17日——邱約翰(John L. Chew)接任美軍協防臺灣司令[2]:740。
7月22日——臺灣拆解廢船工業超過日本,躍居世界第一[2]:740。
7月24日——樞機主教田耕莘(1890-1967)病逝(山東陽谷人,曾任輔仁大學復校後第一任董事長,為遠東區第一位樞機主教。);美國運通銀行臺北分行開業[2]:740。
7月28日——中華文化復興運動推行委員會成立,蔣中正��任會長(11月2日,委員會擬定「中華文化復興運動推行計畫」;11月3日,臺灣省政府訂定「推行中華文化復興運動實施要點」;3月29日,《中華文化復興月刊》創刊。)[2]:740。8月,聘孫科、王雲五、陳立夫為文化復興委員會副會長[3]:116。
8月
8月4日——任命丁懋時、沈祖潯、李興南與黃正分別為駐剛果、盧安達、尼日及加彭等國大使[2]:740。
8月6日——副總統嚴家淦向梁實秋致賀其翻譯《莎士比亞戲劇全集》功成[2]:740。
8月7日——行政院發布「國家科學委員會組織規程」,由吳大猷任主任委員(8月14日,由長科會改組之國家科學委員會成立;10月13日,改組完成,設自然及數學、人文及社會、生物及醫農、工程及應用、科學及教育等五委員會。)[2]:740。
8月12日——蔣中正主持國家安全會議,通過由總統依照臨時條款,以命令規定延長九年國民教育年限(8月26日,行政院頒令自1968年起實施九年國教;12月3日,國際經濟合作發展委員會撥款新臺幣7億餘元,補臺灣省及臺北市推展九年國教;12月13日,行政院決定中美基金撥6億8千餘萬元,作為建國中教室之用。1968年1月2日,由中央指撥公地建校;1月4日,成立延長國民教育工作小組;1月9日,決定統一編印國中教科書;1月26日,78所國中破土興建。);監察院投票同意15位大法官,張金蘭成為第一位女性大法官[2]:740-741。
8月15日——總統府資政孔祥熙病逝紐約(山西太谷人,曾任行政院長、財政部長,長期主持國民政府之財政。)[2]:741。蔣中正馳電弔唁,並手撰「孔庸之先生事略」[3]:116。
8月29日——教育部在美國教育文化事業顧問委員會主任委員郭秉文逝世(江蘇青浦人,曾任東南大學校長、財政部次長兼中英貿易協會主任等職,為中國現代高等教育事業之先驅。)[2]:741。
9月
世盟第一屆會議在台北舉行,共有64個國家與地區、以及12個國際反共組織參加,谷正綱當選第一屆理事會主席。大會通過了世界反共宣言與世界反共聯盟共同綱領[11][12][13]。
9月7日——日本內閣總理大臣佐藤榮作訪臺(9月8日,兩度與蔣中正會談;9月9日,發表聯合公報,強調加強團結,實現亞太區域和平與繁榮。)[2]:741。佐藤榮作兩度晉見蔣商討臺日共同問題,並就當時世局及中國大陸中共情勢交換意見[3]:116-117。
9月12日——蔣接見日本記者發表談話,指出中共內部必陷長期混亂,盼日本人尊重東方傳統,不使共產主義有滲透之機會,唯有臺日加強合作,始能達到此一目的[3]:117。
9月16日——人事行政局成立(7月27日,蔣中正明令設置;8月4日,任命王正誼出任人事行政局長。)[2]:741。
9月17日——美國總統科學顧問賀尼克(Donald F. Hornic)率專家到臺灣,協助臺灣發展科學(9月23日,離臺,建議增加科技經費及培植人才;11月16日,訪臺後建議政府應以土地改革精神,全力加速科學與技術發展。)[2]:741。
9月19日——駐越大使館遭越共爆炸,房屋三分之一被毀(9月26日,暴徒供稱係越共主謀,企圖殺害大使胡璉。)[2]:741。上午10時30分,有兩匪徒混入大使館,將爆炸物安放於胡璉二樓辦公室下面引爆,一時轟然巨響,大使館樓板全部震塌[14]:250。大使館建築物一樓全毀,大使胡璉倖免於難[15]。
9月25日——世界反共聯盟第一屆大會在臺北舉行,67國及13個國際反共組織代表與會(9月29日,通過「世盟共同綱領」與「世盟宣言」後閉幕。)[2]:742。
9月28日——史學家錢穆夫婦自香港飛到臺北定居[2]:742。
9月30日——經濟部長李國鼎與世界糧食組織簽訂「臺灣東部農地開發計畫」實施方案[2]:742。
10月
10月5日——中華航空公司增闢至新加坡、曼谷、馬尼拉及漢城4條國際航線[2]:742。
10月6日——行政院副院長黃少谷代表蔣中正赴加拿大訪問(10月9日,與加國總理皮爾遜(Lester Bowles Pearson)會商兩國加強合作問題;10月17日,返回臺灣。)[2]:742。
10月13日——臺灣與美國簽訂紡織品兩項新協定[2]:742。
10月20日——「中、日貿易協進會」第一次會議在東京舉行(1969年11月17日,舉行第三次會議,臺方代表促成日方採有效措施,縮小貿易差距。)[2]:742。
10月21日——日本外相三木武夫表示對臺政策保持「吉田書簡」精神[2]:742。
10月30日——慶賀越南共和國阮文紹就職,參謀總長高魁元率特使團呈遞國書[2]:743。
11月
11月2日——美援贈臺灣海軍之驅逐艦安陽號抵達臺灣[2]:743。
11月12日——中國國民黨第九屆五中全會揭幕(11月23日,閉幕,選出嚴家淦等19位中央委員。)[2]:743。
11月19日——反共游擊隊突擊廣東惠陽縣平潭機埸,毀中共米格十九型機八架[2]:743。
11月23日——蔣經國再度連任中央常務委員會委員[16]:521。
11月27日——國防部長蔣經國訪問日本(12月2日,返回臺灣。)[2]:743。日本天皇裕仁接見蔣經國時表示永不忘懷蔣中正寬大德意;日本國民1萬5千餘名在東京舉行感謝蔣大會[3]:117。
11月28日——聯合國大會表決「中國代表權問題」,以58對45票,17票棄權,擊退共黨及不結盟國家欲使中共進入聯合國之企圖[2]:743。
11月29日——蔣中正發布行政院長局部改組:俞國華任財政部長,查良鑑任司法行政部長,孫運璿任交通部長,蔣彥士為行政院秘書長;考試院副院長程天放逝世(江西新建人,曾任安徽省教育廳長、浙江大學校長、駐德國大使;政府遷臺後,先後任教部長、考試院副院長等職。)[2]:743-744。
7月30日——行政院通過「中、美資源交換計畫」[2]:744。
12月
12月5日——副總統兼行政院長嚴家淦指示各機關,提高改進行政效率,推行分層負責制度,政府並頒實施準則[2]:744。
12月8日——前日本首相岸信介訪問臺灣;陸軍總司令陳大慶代表政府接受美國贈送之最新型戰車一批[2]:744。岸信介率團謁見蔣中正[3]:118。
12月12日——「中、美農產品協定」在臺北簽字,美國繼續提供臺灣農產品兩年3,750萬美元,半數為協助友好國家之用[2]:744。
12月13日——歷史學家湯恩比訪問臺灣[2]:744。
12月16日——臺、日簽訂5項貸款協定,計979萬1,000美元,購置設備用於建設[2]:744。
12月22日——駐賴比瑞亞大使楊繼曾代表與賴國簽訂「中、賴農技合作新協定」[2]:744。張群任慶賀賴比瑞亞總統、副總統就職典禮特使,順道訪問象牙海岸,歸途訪問美國[17]。
出生
參見: 1967年出生
1月8日——
陳明真,女歌手。
劉醇逸:政治人物,是移居美國的台灣人。
1月10日——林靖傑:導演。
1月13日——徐薇,英文補教名師。
1月15日——羅明才:政治人物,是羅福助之子。
1月17日——玉尚:演員,是呂盈瑩前夫。
1月21日——安幼琪:新聞主播、主持人。
1月22日——蔡淑惠:政治人物。
1月25日——吳蒙恩:導演。
1月30日——黃榮山:力學家。
1月31日——王祖賢,演員、歌手。
2月1日——
賴有賢,漫畫家。作品有《真命天子》、《小和尚》。
秦偉:主持人、通告藝人。
2月2日——
劉櫂豪,法官、政治人物。現任立法委員。
林有志:政治人物,曾任花蓮市市民代表、花蓮縣議員、行政院客家委員會諮詢委員。
2月5日——
拾方方:登山家,是首位在聖母峰遇難的台灣人。
簡余晏:政治人物。
2月6日——陳孫華:造型設計師。
2月8日——
牛爾:化妝師。
張正憲:棒球捕手,現被終身禁賽。
2月11日——陳政賢:棒球選手。
2月16日——顧玉玲:作家、社會運動人士。
2月22日——溫士凱:作家、講師、廣播主持人。
3月1日——蕭淑麗:政治人物。
3月2日——詹雅雯,知名臺語歌手。
3月3日——沈慧虹:政治人物、鐵道站務員,曾任奮起湖車站站長、新竹市交通處處長、新竹市副市長。
3月7日——歐崇敬:教授。
3月11日——
方季惟:歌手、演員。
郭國文:政治人物。
侯駿逸:角力運動員。
3月12日——尹乃菁:主持人。
3月21日——車宜靜:文化工作者,現任世界至孝親篤舜裔總會秘書長。
3月26日——張信哲,歌手。
4月2日——宋明宗:政治人物。
4月11日——王自強:演員。
4月15日——陳宗彥:政治人物,曾任行政院發言人、內政部政務次長、中央��行疫情指揮中心副指揮官。
4月21日——
蔡秋鳳:歌手。
劉志昇:棒球領隊。
4月24日——賴義鍠:政治人物。
4月26日——九孔,本名呂孔維,藝人、諧星。
4月28日——
包小松:歌手、主持人、音樂製作人,是張雅婷之夫、包小柏之兄。
包小柏:歌手、演員、主持人、音樂製作人,是包小松之弟。
4月29日——平凡:漫畫家。
4月30日——
張宇,男歌手。
田麗:演員、主持人、果農。
5月13日——徐超斌:醫師。
5月16日——楊朝偉:政治人物。
5月18日——李慶鋒:政治人物。
5月19日——趙詠華:歌手。
5月25日——
辜仲立,企業家,出身鹿港辜家。辜濂松三子。其兄辜仲諒、辜仲瑩。
吳鈞堯:作家。
5月28日——康康,本名康晉榮。綜藝節目主持人和歌手。
5月30日——丁國琳,女演員。
6月6日——
林美秀:演員、主持人。
楊靚姝:編劇。
6月7日——謝榮雅:工業設計師。
6月13日——陳文治:政治人物,曾任新北市議會副議長。
6月19日——陳震:歌手。
6月21日——馬維欣:演員、主持人、通告藝人,是馮光榮前妻。
6月24日——劉志宏:音樂製作人。
6月30日——王中平:歌手、演員,是余皓然之夫。
7月1日——
簡郁珊:音樂家。
單承矩:演員、導演、編劇、製作人。
7月3日——游梓翔:教授。
7月6日——
鄭文燦,政治人物。曾參與野百合學運,2014年當選桃園市長。
萬芳:歌手、演員、廣播主持人。
高景炎:籃球運動員。
7月18日——林錦昌,小說家、政治人物。曾任台北市政府新聞處處長。
7月19日——
李興文,男演員。曾參與電影《報告班長》、電視劇《流氓教授》、《意難忘》演出。
周可平:圍棋棋士。
7月21日——黃奕睿:會計師。
7月23日——楊潔玫:演員。
7月24日——宋少卿:相聲、演員、主持人。
7月31日——蔡海如:藝術策展人。
8月1日——
陳建年:歌手、警務人員,曾任蘭嶼分駐所副所長。
曾貴章:棒球選手,現被終身禁賽。
8月2日——王光熙:棒球選手,是王光輝之弟,現被終身禁賽。
8月5日——顧婕:演員。
8月10日——曲全立:導演。
8月11日——鄒兆龍:演員,是翁慧德之夫,曾在好萊塢參與電影《駭客��務》第二、三集演出。
8月12日——
黃俊傑,棒球選手,曾經效力於中華職棒時報鷹隊。
傅家森:消防員。
8月14日——曾淑勤,女歌手。
8月17日——
王耿豪:演員。
孟廣美:演員、主持人、模特兒,是台灣首位登上好萊塢的女藝人,現移居北京。
8月19日——胡一虎:新聞主播,原是華視主播,後轉赴香港鳳凰衛視。
8月23日——陳耀川:音樂製作人。
8月26日——蘇昭旭:鐵道研究家。
8月29日——邵昕:演員。
9月4日——四方:演員。
9月7日——吳小莉:新聞主播,原在華視擔任主播,1993年後轉赴香港鳳凰衛視。
9月8日——張萬康:小說家。
9月16日——
趙豐邦,花式撞球運動選手,有「冷臉殺手」之稱。
屈中恆:演員、主持人、配音員。
9月17日——楊秀玉:政治人物,現任基隆市議會副議長。
9月18日——
徐輔軍:導演,以2004年電影《夢遊夏威夷》獲得杜維爾影展最佳影片獎。
陳明義:政治人物,是陳世軒之父。
9月19日——
許淑蘋:演員,是張傑勛之妻。
盧秀芳:新聞主播,是盧秀燕之妹。
9月22日——張傑勛:演員,是許淑蘋之夫。
9月26日——林玉珍:新聞主播。
9月28日——朱國珍:作家、主持人、新聞主播。
10月1日——簡文彬:指揮家。
10月6日——汪用和:新聞主播,是周守訓之妻。
10月7日——林俊泓:導演。
10月8日——吳建樟:翻譯家。
10月11日——劉小芸:配音員。
10月12日——黃忠義,棒球選手。
10月16日——韓羅賢:音樂製作人、經紀人。
10月17日——
林小樓:演員。
黃國華:小說家。
10月19日——賴芳玉:律師。
10月22日——徐佳青:政治人物。
10月24日——劉增鍇:相聲。
10月25日——姚可傑:歌手,是東方快車主唱。
10月29日——徐承義:演員、企業家,是瓦城泰統集團創辦人。
10月31日——
黃柏霖,政治人物。現任高雄市議員,叔叔黃啟川曾任議長。
何淑峯:政治人物。
劉海若:新聞主播,原是TVBS晚間主播,2000年後轉赴香港鳳凰衛視。
11月1日——
洪敬堯:歌手,是洪一峰之子、洪榮宏之弟。
汪平雲:律師、政治人物,曾任蒙藏委員會委員。
11月4日——柯淑勤,女演員。代表作《孽子》。
11月6日——
宋達民:歌手、演員、牧師,是宋逸民之弟。
宋逸民:歌手、演員、牧師,是宋達民之兄。
11月7日——焦恩俊,藝人演員。
11月9日——江國賓,男演員。代表作《台灣霹靂火》、《台灣龍捲風》、《金色摩天輪》,早年以飾演反派角色較具代表性。
11月10日——沈懷一:歌手、社會運動人士。
11月17日——王美雪:演員。
11月18日——劉亮佐,藝人,曾主持三立電視台節目『在台灣的故事』。
11月19日——
侯志堅:鍵盤手、音樂製作人,是東方快車成員之一。
游素蘭:小說家、漫畫家,是喬英之姊。
桑茂森:籃球教練。
11月20日——周奕成:政治運動人士,曾任中華民國總統府諮議、行政院政務顧問。
11月21日——陳思安:歌手。
11月25日——謝采妘:歌手,現移居馬來西亞。
11月27日——陳湘琪:演員、教授,現任教於國立臺北藝術大學電影創作、劇場設計二系。
12月14日——卓天麟:棒球選手。
12月15日——陳進益:配音員。
12月16日——周玲妏:政治人物,曾任高雄市政府觀光局局長。
12月17日——王文華:作家。
12月20日——
陳文山:演員。
蕭雅全:導演。
12月21日——李哲華:幕僚,曾任台北市民政局機要秘書、葉金川副秘書長辦公室主任、林益世立委辦公室主任。
12月23日——陳淑��:漫畫家。
12月24日——沈玉琳,藝人、電視節目製作人及主持人。
逝世
1月12日——丘念台,政治人物,丘逢甲之子。(1894年出生)。
3月11日——楊仲鯨,政治人物,首屆民選花蓮縣長。(1898年出生)。
3月27日——吳新榮,醫師、作家及政治人物(1907年出生)。
吳燕生 詩人 °吳鸞旂孫女、吳子瑜女兒°大正三年出生於北平,得年 62歲°
參考來源
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我が国の未来を見通す(73)
『強靭な国家』を造る(10)
歴史から学ぶ「知恵」の適用(その5)
宗像久男(元陸将)
───────────────────────
□はじめに
ウクライナが反攻作戦を展開中の6月24日、ロシ
アで「プリコジンの反乱」が発生しました。民間軍
事会社「ワグネル」司令官のプリンコジンは、かね
てから国防省批判などを繰り返していましたので、
ロシアが“一枚板”でないことはわかっていました。
思い余った結果の決断だったものと推測しますが、
一時はモスクワに向かって進軍したものの、ベラル
ーシのルカシェンコ大統領の説得を受けて、プリコ
ジン氏は進軍を停止させ、ベラルーシに出国して反
乱はひとまず一件落着となりました。まだまだ先行
き不透明ですが、本事件は、今後、様々な形に発展
する可能性もあることでしょう。
そこで、まず不思議に思うことは、ロシアには「な
ぜこのような民間軍事会社が存在しているか?」で
す。現在、“雇い兵組織”はロシアの法律では認め
られていないようですが、このような民間軍事会社
は37あり、ウクライナ戦争には25の軍事会社が
参加しているといわれます。大統領に近いオリガル
ヒ(新興財閥)やショイグ国防相までも民間軍事会
社を立ち上げているようです。国防相が“私兵”を
持っているのですから驚きです。
日本では信じられないですが、これらの民間軍事会
社は何らかの形で国防省や治安機関FSBなど府側
と関わりを持っており、ワグネルに対しては、1年
間で860億ルーブル(約1400億年)もの資金
提供があったことをプーチン大統領が認めたように、
戦車や大砲まで所有しています。
このような民間軍事会社が活動している背景は3つ
あると言われています。まずは、兵員の補充の問題
です。不足する兵員を補充するために「国家総動員
令」を出すと国民の動揺や反発を恐れる政府側が、
その代わりに民間軍事会社を戦地に送り込むのです。
彼らはロシアの平均給与の数倍で雇われていますが、
“使い捨て”です。仮に��数の死傷者が発生したと
しても政府の責任は問われないのです。
第2には、クレムリン内の権力・利権争いです。今
回は、プリコジンがジョイグ国防相やゲラシモフ参
謀総長などの主流派を対立し、権力争いに野心を示
したことが、プーチン大統領の「裏切者」発言につ
ながっています。今回、ワグネル排除に動き出した
のも、プーチンの盟友が率いる国営企業ガスプロム
の“官製”民間軍事会社だと言われてい���す。
そして第3には、プーチン体制が崩壊する時に備え
て、力ある政治家やオリガルヒたちが私兵部隊を整
え、自らの身の安全を確保するとともに、権力や利
権を奪取しようと目論んでいるというものです。
このような背景をよく知らず、日本の“常識”だけ
で、今回の反乱を分析すると様々なことを見落とす
でしょう。ワグネルがモスクワに向かって前進して
いる時、多くの市民が彼らを歓迎していた映像が映
し出されていました。もちろん、プーチン大統領や
政府首脳もそれらの映像を観たことでしょう。
そこから先は、ルカシェンコ大統領の出番でしたが、
まず“沈静化”を最優先したのでしょう。説得が成
功するや、プリコジンとワグネル兵士を“別扱いす
る”深夜の政治声明も発せられました。
今回の「プリコジンの反乱」がウクライナ戦争にい
かなる影響を及ぼすか、について現時点における安
易な予測は禁物ですが、歴史をたどれば、日露戦争
時、明石大佐などが暗躍し、やがてロシア革命に至
るロシア帝国内の動揺(1905年)、第1次世界
大戦時の「ロシア革命」(1917年)、それに冷
戦崩壊後のエリツイン元大統領らによる「モスクワ
騒乱事件」(1993年)など、戦時下などで時の
政府の混乱に乗じて体制が大きく変わるという歴史
を有しているのがロシアであることは間違いないで
しょう。
「歴史は繰り返す」のか、そのような事態を熟知し、
最も警戒しているプーチン大統領は、反乱が拡大す
ることを恐れ、眉間にしわを寄せたまま、2度の政
治声明を国民に向けて発出したのでした。
ここから先は推測ですが、無事にベラルーシに入国
したプリコジンを、KGB残党のプーチン大統領が
そのまま見逃すはずがないとみるべきでしょう。プ
リコジンが生き延びるためには、再びプーチン大統
領に忠誠を誓い、それを証明しなければならないと
考えますが、そのチャンスがあるかどうか不明です。
一枚板ではないロシアの中に、いつか再び「プリコ
ジンに続け!」との“流れ”が拡大する事態もない
わけではないでしょう。そうなれば、ロシア国内の
“内部崩壊”事態が急展開して、ウクライナ戦争の
行く末に���定的な影響を及ぼす可能性は残っている
と考えます。
後々、ウクライナ戦争を振り返る時に、このたびの
反乱がどのような地位と役割を果たしたことになる
か、についても現時点は不明でしょう。私自身は、
何としても政権にしがみつき、本戦争の目的を達成
したいとするプーチン大統領が“さらなる強硬手段
に訴える”可能性がまた一段上がったことを最も懸
念しています。
▼「健全な国民精神の涵養」の必要性
本題に戻しましょう。歴史から学ぶ4つの「知恵」
の4番目は、「健全な国民精神の涵養」です。書籍
でも紹介していますが、イギリスの歴史家トーマス
・カーライルの名言として「この国民にしてこの政
府あり」とあるように、いかなる国であっても、政
府は、国民精神の “縮図”と考える必要があります。
書籍の中で私自身は、健全な国民精神とは、愛国心、
誇り、道徳、文化、歴史などを含む日本の「心」と
表現していますが、一般的な意味での国民精神は、
「民意」と表現される場合が多く、国民の自覚とか
教養とか主義思想とか、あるいは国民のレベルなど
を総称しているものと考えます。
諸外国には、この「民意」などが入る余地がない国
もありますが、特に、国民が「主権者」である民主
主義国家は、制度の違いこそあれ、国民が自分たち
の代表として政治家や政府を選び、国民の負託を受
けた政治家が法律を作り、政府が政治(行政)を行
なうというシステムですから、少なくとも大多数の
国民の精神は即、政治に反映されます。
ただそのような見方だけでは不十分との考え方もあ
るでしょう。もう少し広い意味で、あるいは長い歴
史の中で、国民精神が基軸となって、国家の伝統や
国柄など「国の統治制度」にまで反映されてきてい
ると考える必要があります。
天安門事件をきっかけに中国と縁を切って日本に帰
化した石平氏は次のように述懐しています。「世界
の現実が『国家の興亡』、つまり栄えては滅びると
いう繰り返えしを行う中で、1系の王朝が3千年近
くも続いている国は、最も国家運営に成功してきた
国に他ならない。世界史の中で最も成功した国が日
本である」(『新しい日本人論』〔加瀬英明、ケン
ト・ギルバート、石平共著〕より)。
その上で、「『民主主義は、戦後にマッカーサーが
日本にもたらした』と大それた虚言を弄する者がい
る。とんでもない。日本の民主主義は、高天原の神
々が『天降って』もたらしたものである」(原文の
まま)として、その源流は、日本の神話は「八百万
(やおよろず)」神が共生する世界であり���ものご
とを進めるにあたり、数えきれない神々が「神議り
(かむばかり)」といって、議論をして意思決定を
することにあると解説します。
余談ですが、この「神議り」は、現在は、毎年10
月、出雲地方に全国の神々が集まって人生諸般のこ
とが議論されるという神話になっています(それゆ
えに、旧暦月で10月は「神無月」ですが、出雲地
方では「神在月」と呼称されています)。
そして、このような我が国の建国以来の伝統が、
「神武創業」に立ち返ることを目指した明治維新の
『五か条のご誓文』中で「万機公論に決すべし」と
して復活したのでした。わずか150年ほど前の出
来事ですが、多くの日本人の頭に中に残っていない
ことでしょう。このような「事実」について、帰化
人である石平氏に指摘されることは、改めて恥じ入
るばかりなのです。
石氏は、その根本精神は「平等感」にあるとして、
「栄華を極め、世界の富を集めたような王朝もその
不平等のゆえに滅びの道に至った。搾取される側が、
搾取した者を打倒しようとするからである」と補足
し、「日本の天皇は、蓄財や贅沢をしたことがなく、
常に民衆のことを思って、出来る限りの質素を望ま
れた。だから天皇を打倒しようとする機運はついぞ
国の中からは起こらなかった」と続きます。
このくらいにしておきますが、私たち日本人は、長
い間、このような我が国の伝統や国柄を国民の総和、
つまり「民意」として(少なくとも戦前までは)受
け入れてきたのでした。
さて、現在はどうでしょう。シリーズ「我が国の歴
史を振り返る」の最後の方で紹介したのですが、あ
る時、インターネットで日本人の“現状”を揶揄っ
ている次のような言葉を見つけ、私自身は「あなが
ち間違っていないだけに笑えない」と感じつつ、
「“戦後の日本人はなぜこうなってしまったのだろ
うか”としばらく考え込んでしまった」と補足した
フレーズがあります。
「(1)政局と選挙しか考えない政治家、(2)保身と省
益しか考えない官僚、(3)儲けることしか考えない経
済人、(4)視聴率と特ダネしか考えないマスコミ、
(5)目立つことしか考えない言論人、(6)権利のみ主
張し、義務を果たさない国民、(7)3メートル以内し
か関心がない若者」です。
石氏の主張するような精神が、多くの日本人の根底
に残っていると信じてはいますが、日本人の普段の
「行動原理」として、ここで揶揄されているような
特性を無視することはできないとも考えます。
最近、出生率0.81の韓国について、その原因は
「子供の数が少なければ少ないほど、高い��費水準
と外見的にモダンな生活水準により早く達成できた」
「短期間で先進国のモデルに追いつこうとすれば代
償は避けられない。強いられる近代化の加速が文化
的なひずみを生み、そのひずみの一つが出生率の低
下だ」(『ドット人類史入門』〔エマニエル・ドッ
ト、片山杜秀、佐藤勝共著〕より)とする分析を目
にしました。
しかし、このような“現実”はけっして韓国だけで
はなく、我が国もさほど差がないのでは、考えてい
たところ、本書の中で、ドットは「日本は、『直系
家族社会』がまだ残っているから韓国とは違う」と
の解説していました(細部は省略します)。
ただ、“3メートル以内しか関心がない”と揶揄さ
れるような若者たちの多くは、現在の生活水準や自
分たちの将来などには関心があっても、地域や社会
や国家に対して自分たちが何をできるか、何をしな
ければならないか、などについては、親からも学校
でも教わる機会がなかったこともあって、頭の片隅
にもないことでしょう。
私は、それが我が国の少子化の原因のひとつと考え
ていますが、その延長で、「明日食べる物がなくな
る」とか「エネルギーが枯渇する」との危機意識な
どについて、微塵にも感じたことがないのかも知れ
ません。
“権利のみ主張し、義務を果たさない”国民も巷に
溢れるようになりました。その結果、「愛国心」と
か「自国民であることの誇り」とか「国を守る気概」
などのような、どこの国民でも必ず保有している当
たり前の精神をどこか遠くに置いてきたような状態
になっているのではないでしょうか。
これらから、本シリーズでも再三指摘してきました
が、我が国の未来に立ち込める「暗雲」に対して果
敢に取り組むため、上記のような現代日本人の精神
的特性が“阻害事項”になっていないだろうか、と
どうしても考えてしまいます。
そして、本来、少子高齢化、食料問題やエネルギー
問題などについて、いち���くその本質を解明し、我
が国の置かれた状況を真剣に国民に訴え、国民の自
覚や協力を促すために、国民の先頭に立って「旗振
り役」を演ずべき政府や政治家の行動が、やはり
“政局と選挙が優先する”のか、その熱意や真剣さ
が国民に伝わっていないような気がします。
そればかりか、脱炭素とかSDGsなど、「国連が
先導している」として、その必要性や可能性などに
ついてロクに分析しないまま“垂れ流し”にしたり、
最近の事例では、少子化対策に逆行するような法律
についても政局の混乱の回避のみを優先したまま、
後先を考えずに制定したりしているように見えます。
前回、「部分最適」の話題を取り上げましたが、総
合判断ができないから、それらに対処するための
“共通の要素”があることなどに気がつかない、そ
して優先順位を間違えるから、国を挙げてやるべき
ことから“ずれて”しまう、よって国民は、これら
の問題対処を「自分のこと」として、言葉を代えれ
ば、「国民の義務」として腑に落とすレベルまで真
剣に理解していないような気がします。
少子化対策や農業問題などの解決は、“若者の3メ
ートル以内に、いかにパンチを聞かせ、納得させ、
その気にさせるか”にかかっていると考えますが、
現実はほど遠いような気がします。そこにこそ、我
が国の将来がかかっていると思うだけにとても残念
です。
▼国民が“覚醒”する時来たり
実は、石氏はもっと広く日本のあり方を観ています。
つまり、「日本のあり方が『今後、世界が存続して
ゆけるか』という厳粛なテーマの『解』を示してい
る」として、「世界で最も成功した国・日本がその
『秘密』を内包している」と強調します。
つまり、我が国が「平等感」を基軸にして「万機公
論に決すべし」として3千年近くの長きにわたり国
家運営を成功させてきた、その秘訣こそが、“これ
からの世界の存続に必要不可欠”と説いているので
す。私たち日本の未来に立ちはだかるであろう「暗
雲」を見事に乗り超えることは、日本だけの問題で
なく、世界の存族にまで影響を及ぼすと言えるのか
も知れません。責任は重大なのです。
日本は少子高齢化においては世界の最先頭を走って
いますし、食料やエネルギーの自給率では先進国で
ほぼワーストに位置しています。よって、これらの
危機を乗り越えることは、まさに世界のロールモデ
ルとなることでしょう。事実、『ライフ・シフト』
(リンダ・グラットン他共著)の冒頭でも「世界で
いち早く長寿化が進んでいる日本は、他の国々のお
手本になれる。(中略)世界の先頭に立ってほしい」
と期待が述べられています。
我が国がこれらを見事に乗り超えるためには、何と
しても、大多数の国民の“覚醒”が必要不可欠と考
えますが、“いかに覚醒するか”が難題中の難題で
あり、「任重く道遠し」との感をぬぐい切れません。
数年前からそのような問題意識を持っていた私は、
悩んだ果てに、今の日本人の精神を形成した「出発
点」に戻り、そこから出直すのが最も近道で、かつ
唯一の道ではないか、と考えるようになり、“我が
国の歴史を取り戻す”ことを狙いに、「我が国の歴
史を振り返る」と銘打ってメルマガを発信したこと
をよく覚えています。
戦後70年余りが過ぎましたが、私たちは自らの精
神などについて一度も顧みることなく、手つかずの
まま放置してきました。そのツケが一挙に噴き出し
たのが“今日”であり、我が国の“近未来”であろ
うと思います。
戦後世代の私たちは、長い日本の歴史の中で最も恵
まれた世代であると考えます。多少の天変地異はあ
りましたが、飢餓とか戦争などとは無縁でした。と
は言え、「後世のために、後に続く子孫のために、
必要なことを行ない、必要なことを残しているか」
と問えば、答えは「ノー」でしょう。このままでは
後世に顔向けできないでしょう。国家を挙げて、世
代を挙げて、様々な問題を「自分のこと」として真
剣にかつ全力をもって取り組む時が来た、と私は考
えます。
残された時間があまりないような気がしますが、早
期実現を目指すためにも、次回以降、歴史から学ぶ
4つの「知恵」から離れ、「『強靭な国家』を造る」
その必要性と手段について読者の皆様と一緒になっ
て考えつつ、本シリーズを総括したいと思います。
いよいよ終盤です。
(つづく)
(むなかた・ひさお)

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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
アイウエオカキクケコガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ドナニヌネノハヒフヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを日一国会人年大十二本中長出三同時政事自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地合市業内相方四定今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当八六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初北午指権心界支第産結百派点教報済書府活原先共得解名交資予川向際査勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投示変打男基私各始島直両朝革価式確村提運終挙果西勢減台広容必応演電歳住争談能無再位置企真流格有疑口過局少放税検藤町常校料沢裁状工建語球営空職証土与急止送援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車優夫研収断井何南石足違消境神番規術護展態導鮮備宅害配副算視条幹独警宮究育席輸訪楽起万着乗店述残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺造英被株頭技低毎医復仕去姿味負閣韓渡失移差衆個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望松非撃佐核観察整段横融型白深字答夜製票況音申様財港識注呼渉達良響阪帰針専推谷古候史天階程満敗管値歌買突兵接請器士光討路悪科攻崎督授催細効図週積丸他及湾録処省旧室憲太橋歩離岸客風紙激否周師摘材登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺央券赤号単盟座青破編捜竹除完降超責並療従右修捕隊危採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販園具左異歴辞将秋因献厳馬愛幅休維富浜父遺彼般未塁貿講邦舞林装諸夏素亡劇河遣航抗冷模雄適婦鉄寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換久短油妻暴輪占宣背昭廃植熱宿薬伊江清習険頼僚覚吉盛船倍均億途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊洋静善逮婚厚喜齢囲卒迫略承浮惑崩順紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等救執層版老令角絡損房募曲撤裏払削密庭徒措仏績築貨志混載昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星傷永択秀著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘拒刑坂刻底賛塚致抱繰服犯尾描布恐寺鈴盤息宇項喪伴遠養懸戻街巨震願絵希越契掲躍棄欲痛触邸依籍汚縮還枚属笑互複慮郵束仲栄札枠似夕恵板列露沖探逃借緩節需骨射傾届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端賃折紹獲郡併草徹飲貴埼衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑章臓律誘紛貸至宗促慎控贈智握照宙酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯排裕堅訳盗芝綱吸典賀扱顧弘看訟戒祉誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯硬妥威豪熊歯滞微隆埋症暫忠倉昼茶彦肝柱喚沿妙唱祭袋阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻封胸娘砂李塩浩誤剤瀬趣陥斎貫仙慰賢序弟旬腕兼聖旨即洗柳舎偽較覇兆床畑慣詳毛緑尊抵脅祝礼窓柔茂犠旗距雅飾網竜詩昔繁殿濃翼牛茨潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏零酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅泊尽杯僕桜滑孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡疲稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩帝宏唆鳴阻泰賄撲凍堀腹菊絞乳煙縁唯膨矢耐恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇曽械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
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聖人觀察天地之道的智慧根源 天地間陰陽開闔的根本法則聖人之所以能夠在天地間成為眾生的先導者,其根本在於對陰陽開闔規律的深刻觀察與理解。這種觀察並非僅止於表面現象,而是深入到宇宙運行的核心機制。聖人透過細緻入微的觀察,掌握了存亡的門戶、萬物的終始,進而達到對人心深層理路的透徹理解。在現代企業管理中,我們可以看到類似的智慧應用。以台積電創辦人張忠謀為例,他在半導體產業的布局中,始終能夠精準判斷產業週期的開闔時機。當其他企業還在觀望時,台積電已經開始大規模投資先進製程;當市場過熱時,又能適時收斂資源配置。這種對產業陰陽變化的敏銳觀察,正是現代版的「觀陰陽之開闔以命物」。粵若稽古聖人之在天地間也,為眾生之先,觀陰陽之開闔以命物,知存亡之門戶聖人的智慧體現在以下幾個層面:- 觀察能力:能夠洞察事物發展的細微變化 - 預判能力:掌握存亡門戶,預知事物的發展趨勢 - 統籌能力:籌策萬類終始,統攬全局 - 洞察人心:達人心之理,理解人性的根本驅動力 - 把握時機:見變化之眹,在變化初現時即能察覺這種門戶把守的智慧,不僅適用於古代的政治謀略,在現代的各個領域都有著深刻的應用價值。無論是商業策略的制定、人際關係的處理,還是個人發展的規劃,都需要這種對「開闔時機」的精準把握。變化無窮中的恆常之道聖人在天下的地位之所以能夠恆久不變,關鍵在於其所遵循的道之恆常性。儘管世間變化無窮,但其根本規律卻是恆定不變的。這種看似矛盾的現象,實際上揭示了宇宙運行的深層智慧:在表面的千變萬化中,存在著恆定不變的根本法則。變化層面恆常本質現代應用陰陽交替對立統一市場週期管理開闔變換進退有度策略布局調整柔剛轉化剛柔並濟領導風格切換張弛循環動靜相宜工作生活平衡現代心理學研究也證實了這一古老智慧的科學性。人類的情緒狀態、認知模式、行為模式都呈現出週期性變化的特徵,但這些變化背後都有其內在的規律可循。優秀的心理治療師往往能夠像古代聖人一樣,準確把握來訪者心理狀態的「開闔」時機,在最適當的時候給予介入或退讓。這種智慧的實踐要求我們在面對複雜多變的環境時,既要保持適應性,又要堅持原則性。適應性讓我們能夠靈活應對各種變化,原則性則確保我們在變化中不迷失方向。聖人的這種智慧,本質上是一種動態平衡的藝術。它要求實踐者既要敏銳地感知外在環境的變化,又要深刻地理解內在規律的恆定;既要果斷地採取行動,又要謹慎地保持克制。這種高度的智慧整合能力,正是現代領導者所迫切需要培養的核心素養。 聖人守司門戶的審察智慧 度量權能與人才識別的藝術聖人之所以能夠有效地守司門戶,關鍵在於其對人性差異的深刻理解和精準判斷。這種判斷並非基於表面的觀察,而是透過系統性的度權量能過程,全面評估個體的能力特質、性格傾向以及發展潛力。聖人深知,人與人之間在賢愚、智愚、勇怯、仁義等方面都存在著天然的差異,而這些差異正是進行捭闔操作的基礎。在現代人力資源管理領域,這種智慧得到了充分的體現。以阿里巴巴的人才管理體系為例,馬雲曾經提出「聞味道、照鏡子、做神仙」的用人哲學。這種方法論的核心就是審察人才的內在特質,而非僅僅關注表面的技能或經驗。阿里巴巴通過價值觀考核、潛力評估、文化匹配度測試等多維度的評估體系,準確識別出適合不同崗位的人才,並針對不同類型的人才採用不同的管理策略。故聖人一守司其門戶,審察其所先後,度權量能,校其伎巧短長聖人在人才識別過程中遵循的核心原則包括:- 差異化認知:承認並尊重個體間的天然差異 - 動態評估:根據不同情境調整評判標準 - 全面考量:同時評估能力、品格、潛力等多個維度 - 策略匹配:針對不同類型的人才採用相應的管理策略 - 時機把握:在適當的時機對人才進行培養或調整 - 深度了解:全面掌握被管理者的性格特質和能力邊界 - 適性引導:根據個體特點制定相應的發展策略 - 環境營造:創造有利於個體發展的組織氛圍 - 動機激發:通過滿足內在需求來激發工作熱情 - 自然發展:在適當的框架內允許自然生長 捭闔操作的具體方法論 微排反���的溝通技巧在捭闔的實際操作中,微排反求是一項極為重要的技巧。這種方法要求操作者具備高度的語言敏感性和邏輯分析能力,能夠通過巧妙的言語引導,讓對方在不知不覺中暴露其真實想法和意圖。這種技巧的精髓在於「微排其所言而捭反之,以求其實」,通過溫和的質疑和反向思考,逐步挖掘出事實的真相。在現代商業談判中,這種技巧被廣泛應用。以郭台銘在富士康的商業談判中為例,他經常運用類似的策略。當面對客戶提出的苛刻條件時,郭台銘不會直接拒絕,而是通過反向提問的方式,讓客戶自己意識到其要求的不合理性。例如,當客戶要求大幅降價時,他會詢問:「如果我們按照這個價格生產,您覺得產品品質還能維持在什麼水準?」這種提問方式讓客戶不得不重新思考價格與品質之間的平衡關係。微排其所言而捭反之,以求其實,貴得其指微排反求的操作要點包括:- 溫和質疑:以探討的態度提出不同觀點 - 邏輯追問:通過連續性問題深入挖掘 - 反向思考:從相反角度重新審視問題 - 細節關注:注意對方言語中的矛盾之處 - 耐心等待:給對方充分的思考和回應時間這種方法的心理學基礎在於,人們往往在為自己的觀點進行辯護的過程中,會無意識地暴露出更多的資訊。現代認知心理學研究顯示,當人們面對挑戰性問題時,大腦會啟動深度思考模式,這個過程中容易洩露平時被理性控制的真實想法。開閉示人的策略選擇捭闔操作的另一個核心技巧是開閉示人的策略選擇。這種技巧要求操作者根據具體情況,決定是採用開放透明的策略還是封閉保密的策略。「開而示之者,同其情也;闔而閉之者,異其誠也」,這句話精闢地總結了兩種策略的適用條件和預期效果。在台灣的政治談判中,我們可以看到這種策略的靈活運用。例如,在兩岸關係的處理上,不同的政治領導人會根據具體的政治環境和談判目標,選擇不同的溝通策略。當需要建立互信時,往往會採用開放透明的方式,主動分享資訊、表達善意;當需要維護核心利益時,則會採用相對封閉謹慎的策略,控制資訊流動、保持戰略模糊。策略類型適用情境操作特點預期效果開而示之建立信任關係主動透露資訊情感共鳴闔而閉之維護核心利益控制資訊流動保持優勢動態調整複雜談判過程靈活切換策略最大化收益現代行為經濟學的研究證實了這種策略選擇的科學性。諾貝爾經濟學獎得主丹尼爾·卡納曼的研究顯示,人們的決策行為會受到資訊揭露程度的顯著影響。適度的資訊透明可以增強信任感,但過度透明可能會損害談判地位;適當的資訊保留可以維持神秘感和談判優勢,但過度封閉可能會引起猜疑和不信任。這種策略選擇的關鍵在於精準判斷:判斷對方的真實意圖、判斷當前的談判階段、判斷資訊揭露的最佳時機。優秀的談判者如同古代聖人一般,能夠在開放與封閉之間找到最佳的平衡點,從而達到「可與不可,審明其計謀,以原其同異」的效果。 陰陽變化的深層應用智慧 離合有守的戰略思維在捭闔理論中,離合有守代表著一種高度成熟的戰略思維模式。這種思維模式要求實踐者在處理複雜關係時,既要把握分離與結合的時機,又要堅守核心原則不動搖。「先從其志」的智慧提醒我們,在任何戰略部署之前,都必須深入了解對方的真實意圖和深層動機,只有在此基礎上,才能制定出真正有效的應對策略。台灣半導體產業聯盟的形成過程,完美詮釋了這種離合有守的戰略智慧。在面對國際競爭壓力時,台積電、聯電、日月光等企業並沒有��擇惡性競爭,而是在保持各自核心技術獨立的前提下,在人才培養、標準制定、海外市場開拓等方面進行深度合作。這種「合而不同」的戰略選擇,既避免了資源的重複浪費,又保持了各企業的競爭優勢,最終形成了台灣半導體產業的整體競爭力。離合有守,先從其志,即欲捭之貴周,即欲闔之貴密離合有守的戰略原則體現在:- 原則堅持:在變化中保持核心價值觀不動搖 - 策略靈活:根據環境變化適時調整戰術安排 - 關係平衡:在合作與競爭間找到最佳平衡點 - 時機掌控:準確判斷分離與結合的最佳時機 - 利益最大化:通過動態調整實現各方利益最大化 - 全面規劃:考慮所有可能的影響因素和後果 - 細節把控:注重每一個環節的精確執行 - 自然呈現:讓策略的實施看起來自然而然 - 動態調整:根據反饋及時修正操作方式 - 效果評估:持續監控操作效果並優化改進這種操作藝術的最高境界是「與道相追」,即讓人為的策略與自然的規律完美融合,達到「天人合一」的境界。在這種狀態下,捭闔的操作不再顯得刻意和機械,而是如同自然界的陰陽變化一般,順理成章、水到渠成。 捭闔作為天地之道的宇宙論基礎 料情結誠的本質洞察捭闔理論的深層智慧在於對人性本質的精準把握。「捭之者,料其情也;闔之者,結其誠也」這句話揭示了捭闔操作的心理學核心:通過開放性的溝通了解對方的真實情感狀態,通過封閉性的互動建立深層的信任關係。這種理解超越了表面的技巧層面,直達人際交往的本質規律。在現代心理治療領域,這種智慧得到了廣泛的應用和驗證。優秀的心理諮商師往往能夠熟練運用「料情結誠」的技巧。在治療的初期階段,治療師會採用開放性的提問和傾聽,幫助來訪者表達內心的真實感受,這個過程就是「捭之料情」;在建立了基本信任關係後,治療師會通過深度的共情和理解,與來訪者建立更加穩固的治療聯盟,這個過程就是「闔之結誠」。台灣知名的心理學家楊國樞教授在其多年的臨床實踐中,發展出了一套結合東方智慧和西方科學的治療方法。他強調在心理治療過程中要**「先情後理」**,即首先要深入了解來訪者的情感世界,然後才能進行有效的認知重構。這種方法論與古典捭闔理論中的「料情結誠」原則高度一致。捭之者,料其情也;闔之者,結其誠也;皆見其權衡輕重,乃為之度數料情結誠的操作層次包括:- 情感識別:準確判斷對方的情感狀態和強度 - 動機分析:深入了解行為背後的真實驅動力 - 信任建立:通過真誠互動建立穩固關係基礎 - 價值共鳴:尋找彼此價值觀的共同點 - 長期維護:持續鞏固和深化信任關係 - 多維思考:同時考慮多個影響因素 - 量化能力:將定性因素轉化為定量指標 - 權重分配:根據重要性分配不同權重 - 動態調整:根據環境變化調整權重比例 - 綜合判斷:在量化分析基礎上做出最終決策這種科學化的管理思維不僅提高了決策的準確性和一致性,也為複雜的人際關係管理提供了可操作的方法論。聖人的「度數」智慧,在現代資料科學的支持下,展現出了更加強大的應用潛力。 天地陰陽變化的宇宙規律 四時開閉的自然節律捭闔理論將人為的策略操作與自然界的客觀規律緊密結合,認為「捭闔者,天地之道」。這種認識超越了單純的技巧層面,上升到了宇宙論的高度。通過觀察四季的開閉變化、陰陽的交替轉換,聖人發現了一套普遍適用的變化規律,並將這些規律應用到人事管理和社會治理中。在台灣的農業發展過程中,我們可以看到這種自然節律智慧的具體體現。台灣的有機農業推廣者們深深理解「四時開閉」的重要性,他們根據不同季節的特點,調整種植策略和管理方式。春季注重播種和生長,夏季關注茁壯和防護,秋季重視收穫和儲存,冬季專注休養和準備。這種順應自然節律的農業模式,不僅提高了農產品的品質,也實現了生態系統的可持續發展。現代企業管理中的「季度規劃」、「年度週期」等概念,實際上也體現了對自然節律的尊重和應用。成功的企業往往都有著清晰的發展節奏感,知道什麼時候應該積極擴張,什麼時候應該穩健保守,什麼時候應該創新變革,什麼時候應該整合鞏固。捭闔者,天地之道。捭闔者,以變動陰陽,四時開閉,以化萬物縱橫四時開閉的管理智慧體現在:- 春季思維:播種期的積極進取和創新嘗試 - 夏季思維:成長期的全力以赴和風險防控 - 秋季思維:收穫期的成果鞏固和經驗總結 - 冬季思維:休養期的反思調整和戰略規劃 - 週期性思維:認識到發展過程中的週期性特徵 - 反饋調節:建立有效的反饋機制和調節能力 - 適應性管理:在變化中保持組織的靈活性 - 整合能力:將每次變化的經驗整合為新的能力 - 前瞻性規劃:在反覆中把握長期發展方向這種動態平衡的智慧要求我們既要有戰略定力,不因短期波動而改變根本方向;又要有戰術靈活性,能夠根據環境變化及時調整具體策略。 口心門戶的內在修養理論 心神主宰的內在結構捭闔理論的��個重要創見是將人的內在心理結構與外在行為表現緊密聯繫起來。「口者,心之門戶也;心者,神之主也」這一論述,建立了一個從神到心、從心到口的完整傳導鏈條。這種認識不僅揭示了人類溝通行為的內在機制,也為提升個人修養和溝通能力提供了科學的指導原則。在現代心理學和認知科學的研究中,這種內在結構理論得到了廣泛的驗證。大腦的前額皮質區域負責高級認知功能,相當於古人所說的「神」;邊緣系統負責情感處理,相當於「心」;而語言表達區域則相當於「口」這個門戶。三者之間的協調配合,決定了一個人的溝通效果和人格魅力。台灣著名的溝通專家黑幼龍先生在其多年的培訓實踐中,始終強調**「內外兼修」**的重要性。他認為,真正有效的溝通不僅需要掌握外在的技巧,更需要培養內在的品格和修養。只有當內心真正關懷他人、理解他人時,外在的溝通技巧才能發揮最大的效果。這種理念與古代捭闔理論中的「心神主宰」觀念高度一致。口者,心之門戶也。心者,神之主也。志意喜欲,思慮智謀,此皆由門戶出入心神主宰的修養體系包括:- 神明安定:培養清明的理性思維能力 - 心意純正:保持真誠善良的內在品格 - 意志堅定:建立明確的人生目標和價值追求 - 情感豐富:發展豐富而適度的情感表達能力 - 智慧開啟:不斷學習和提升認知水平 - 時機把握:選擇最適當的時機進行表達 - 對象分析:根據溝通對象調整表達方式 - 情境適應:根據具體場合選擇合適的表達風格 - 分寸拿捏:在開放與保守之間找到平衡點 - 效果評估:及時評估溝通效果並調整策略這種門戶控制的智慧要求實踐者具備高度的自我覺察能力和情境敏感性。只有當我們能夠清楚地認識自己的內在狀態,並敏銳地感知外在環境的變化時,才能夠做出最適當的表達選擇。 陰陽終始的人生智慧論 生命週期的陰陽劃分捭闔理論對人生經歷進行了陰陽二分的精確劃分:「故言長生安樂富貴,尊榮顯名,愛好財利,得意喜欲,為陽曰始;故言死憂患貧賤,苦辱棄損,亡利失意,有害刑戮誅罰,為陰曰終」。這種劃分不僅是對人生經歷的客觀描述,更是對生命律動的深層洞察。這種陰陽劃分的智慧在現代心理學的研究中得到了印證。積極心理學的創始人馬丁·塞利格曼提出的PERMA模型(積極情緒、全然投入、意義感、成就感、積極關係),實際上就是對「陽性經驗」的現代詮釋;而創傷後壓力症候群、憂鬱症等心理問題的研究,則對應著「陰性經驗」的科學分析。在台灣的企業文化建設中,許多成功的企業都體現出對這種陰陽平衡的深刻理解。以統一企業為例,該公司在企業文化建設中既強調積極向上的價值追求(對應陽性體驗),如創新、卓越、成長等;同時也不迴避困難和挑戰的存在(對應陰性體驗),強調在逆境中的堅持和學習。這種平衡的文化理念幫助企業在面對市場波動時保持穩定的發展態勢。故言長生安樂富貴,尊榮顯名,愛好財利,得意喜欲,為陽曰始陰陽經驗的管理智慧包括:- 積極體驗培養:主動創造和積累正面經驗 - 逆境應對能力:培養面對困難的心理韌性 - 平衡觀念:認識到陰陽經驗的互補性質 - 轉化能力:將陰性經驗轉化為成長動力 - 整體視野:從生命全程的角度看待得失 - 動機純正性:行為的根本出發點是否善良 - 手段正當性:實現目標的方法是否合理 - 結果建設性:行為後果是否有益於社會整體 - 過程透明性:行為過程是否經得起檢驗 - 長期可持續性:策略是否具有長期可行性這種道德考量要求實踐者具備長遠視野和社會責任感。在複雜的現實環境中,善與惡往往不是絕對的,而是相對的、動態的。真正的智慧在於能夠在具體情境中做出符合道德原則的判斷和選擇。 綜述:捭闔智慧的現代價值與實踐 圓方門戶的整體架構經過深入的分析和論述,我們可以看到捭闔理論構建了一個完整的智慧體系。從宇宙論的高度出發,通過對陰陽變化規律的深刻洞察,發展出了一套系統的人際關係管理方法論。這套方法論不僅具有深厚的哲學基礎,更具有廣泛的實踐價值,稱得上是「萬事之先,圓方之門戶」。「圓方門戶」這一概念具有豐富的象徵意義。圓代表著靈活性和包容性,方代表著原則性和穩定性。門戶則象徵著溝通和轉換的通道。整個捭闔體系就是在圓與方、開與閉、動與靜之間建立起一座智慧的橋樑,讓實踐者能夠在複雜多變的現實環境中,始終保持清醒的頭腦和正確的方向。在當代台灣社會的發展中,我們可以看到這種「圓方門戶」智慧的具體體現。台灣在處理兩岸關係、國際外交、內政治理等複雜問題時,往往需要在堅持核心原則(方)的同時,保持策略彈性(圓);既要向外界開放溝通(開門戶),又要保護核心利益(守門戶)。這種平衡藝術的背後,正是古代捭闔智慧在現代政治實踐中的創新應用。為萬事之先,是謂圓方之門戶圓方門戶的實踐要素:- 圓融智慧:在原則與靈活之間找到最佳平衡 - 方正品格:堅持基本的道德底線和價值追求 - 門戶開放:保持與外界溝通交流的管道暢通 - 戶樞調節:根據情況適時調整開放程度 - 整體協調:統籌考慮各方面因素的影響 - 人工智慧倫理:在技術發展與價值堅守間取得平衡 - 全球治理:在國際合作與主權維護間尋找平衡 - 企業管理:在效率提升與人文關懷間實現平衡 - 教育改革:在創新發展與傳統傳承間保持平衡 - 社會治理:在秩序維護與自由發展間維持平衡捭闔理論作為中華文明的重要智慧結晶,不僅是古代政治謀略的精華總結,更是人類處理複雜關係的永恆智慧。在全球化、資訊化、智慧化的時代背景下,這套古老而深刻的理論體系,必將在新的歷史條件下煥發出更加燦爛的光芒,為人類社會的和諧發展做出新的貢獻。通過對捭闔智慧的深入理解和創新應用,我們不僅能夠更好地處理當代社會的各種複雜挑戰,更能夠為構建人類命運共同體貢獻中華智慧的獨特力量。 相關文章 熱門商品 Read the full article
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從香格里拉到台灣:評析赫格賽斯演說與美國國防戰略的重大轉型
作者:黃澎孝(印太戰略顧問)
《摘要》:
美國國防部長赫格賽斯在2025年香格里拉對話中的強硬演說,象徵川普2.0國防戰略的核心轉變:以單一熱區為重、實力威懾為盾,台灣成為唯一主戰情境中的戰略核心⋯⋯。
《本文》:
自2002年起,由英國智庫「國際戰略研究所」(International Institute for Strategic Studies)主辦,每年在新加坡舉行的「香格里拉對話」(Shangri-La Dialogue)已經成為美中兩國向印太區域國家展示影響力的重要平台,也提供了一個讓我們得以觀察美中兩大強權戰略互動的窗口。
但是,今年「香會」眾所矚目的焦點卻是新任美國國防部長赫格賽斯Pete Hegseth 的演說,希望能從中捕捉到對於「川普2.0」進行中的國防戰略轉型的完整認知。
♦️赫格賽斯成功闡釋川普主義下的美國戰略思想♦️
無可諱言的,無論美國國會或與論界,對於赫格賽斯
是否適格出任國防部長是充滿爭議的。他的唯一優勢,在於對『川普主義(Trumpism)』堅定不移的忠誠,早在『川普1.0』時代,他便以福斯新聞評論員身分力挺『美國優先』政策,並強烈批判五角大廈的菁英文化與長年介入無限戰爭的戰略偏執。因此,他才獲得川普的青睞與破格任命。
因此,赫格賽斯常被譏為『總統化的國防部長』(presidentialized Secretary of Defense)。
因此,赫格賽斯可被視為川普的『傳聲筒』,而且,作為電視評論主持人出身的赫格賽斯,也充份發揮他的傳播專業,在六月一日的香格里拉大會上,發表一場堪稱文情並茂的演說,非常成功的闡釋了川普主義下美國戰略思想的轉型。
他的演說內容一如制式的「軍事報告」,可以區分爲:「我軍」、「友軍」、「敵軍」和「未來規劃」四大區塊。
♦️對「我軍」部份♦️
赫格賽斯以親率美軍參謀首長聯席會議主席和印太戰區司令共同與會,說明美國對印太地區安全的重視。
點明美軍當前在印太的三個目標:
1.重振戰士精神、
to revive the spirit of soldiers,
2.重建軍隊、
Rebuild the army,
3.重塑威懾力量Reshape the deterrence
赫格賽斯乘機「宣傳」:川普總統將增加13%的國防預算,準備投入超過1兆美元,以更新隱形轟炸機、無人機、潛艇、驅逐艦⋯⋯。
赫格賽斯也說明了「美國優先」的國防戰略優先順序。因此美軍要優先巡邏自己的邊境,強化邊境與西半球前沿部署。
♦️對「友軍」部份♦️
赫格賽斯不具名闡述著川普總統和JD范斯副總統對盟友的「嚴厲關愛」論。
他強調,美方與全球盟友積極互動,致力於強化對方能力。必要時也會給予『嚴厲的關愛』——但那仍是愛。(sometimes with tough love, but love nonetheless.)
他以美國正在推動的「歐洲盟友國防自主」為例,在美國「嚴厲關愛」下,歐洲盟友們已經開始行動了。
但是,赫格賽斯宣示:「川普2.0」的美國對待印太盟友則以現實主義為基礎,不再以意識形態或「理念」說教。
(一如川普在中東般)
尊重主權國家的傳統和自主選擇。
但是,赫格賽斯也很「現實」地指出:基於地理上的必然,很多國家都想「同時跟中國做生意,跟美國談國防」。但他提醒印太各國要小心,中共正透過這種糾纏來增加他們的籌碼。「美國絕不能讓中國控制美國的盟友和夥伴。」意在強調美國作為區域秩序主導者的地位。
♦️對「敵軍」部份♦️
美國正在放棄 「戰略模糊」(strategic ambiguity)而改採「戰略清晰」(strategic clarity)。
赫格賽斯直白表示,美國得正視印太地區面臨的威脅。並挑明直說:
美國沒有要挑釁中國,也不會主動挑起衝突。但,美國絕對不會被逼出這個關鍵地區,也不會讓我們的盟友受到壓迫和恐嚇。
赫格賽斯一針見血地挑明:中國的戰略企圖已明確表示「想要根本性地改變印太現況」,美國不能視而不見。
赫格賽斯非常明確的指出:美國正在密切關注中國的行動,他們每天都在騷擾台灣。
這印證了習近平對2027攻台準備的公開指令並非虛言。也印證了中國確實在準備要動用軍事力量改變印太地區平衡的戰略企圖。
赫格賽斯更唯恐不夠清晰的以「Let me be clear」的強調:「共產中國如果想要用武力攻克台灣,絕對會對印太地區造成災難性的結果。」
“any attempt by Communist China to conquer Taiwan by force would result in devastating consequences for the Indo‑Pacific and the world.”
赫格賽斯更以前所未聞的直白言語表示:「不需要再粉飾太平了。中國帶來的威脅是真實存在的,甚至可能迫在眉睫。」" the threat China poses is real, and it could be imminent."
赫格賽斯引用川普總統常講的古羅馬名言: “peace through strength”(以強大力量達致和平)強烈宣示:「我們會以堅強的威懾力作為護盾,和你們一起用實力維持和平。」如果「威懾失效,我們也準備好果斷地戰鬥並取得勝利。」”But if deterrence fails, and if called upon by my Commander in Chief, we are prepared to do what the Department of Defense does best – fight and win — decisively.”
非常明確展示出美國應對中國挑戰時,美式牛仔的明快決鬥作風。
♦️對「未來規劃」♦️
赫格賽斯引用川普曾說的:“America First certainly does not mean America alone.”
強調美國跟盟友並肩作戰的傳統不變。但是赫格賽斯
強調他和川普總統都會堅持:美國盟友應該要在國防上盡更多心力。現在歐洲國家已經成為新榜樣。
北約國家已經承諾要花5%在國防預算上了,連德國都不例外。
赫格賽斯很直白的坦言:「畢竟威懾不是免費的,問問美國納稅人就知道了。」換言之,這需要每個國家都要努力投資才能達到效果。
赫格賽斯系統性闡述美軍強化印太佈署的三大方針:
1. 加強前沿部隊部署:包括菲律賓部署 NMESIS 對艦導彈系統與特戰協訓。
2. 協助盟友強化自衛能力:提供無人載具與產業支援。
3. 重建美國及盟國國防工業基礎:確保兵力及技術韌性。
這表示:美國希望讓各國成為有能力的合作夥伴,而不是依賴者,一起靠實力達成和平。
為了表示美國並非空口白話,赫格賽斯具體舉例:
🔺美國首度將移動反艦飛彈系統部署到菲律賓;
🔺美國升級駐日美軍總部;
🔺美國即將首次在澳洲進行中程實彈測試。
最後,赫格賽斯不具名的引用古羅馬軍事學者普布利烏斯·弗拉維烏斯·維蓋提烏斯(Publius Flavius Vegetius Renatus)的著作《論軍事》(Dē Rē Mīlitārī)的名句:
「想要和平的人,必先為戰爭做準備。」為結語。(those who long for peace must prepare for war)
拉丁原文:
Igitur qui desiderat pacem, praeparet bellum.
其實,任何拜讀過美國國防部所發佈的赫格賽斯演講全文的戰略專家們,應該會同意華盛頓智庫「德國馬歇爾基金會」(The German Marshall Fund)印太計畫主任葛來儀(Bonnie Glaser)所說:「赫格賽斯針對中國施壓台灣及南海聲索國的言論,是歷任美國防長在香格里拉對話發表過最為強硬的一場演說。」
葛來儀認為:「最主要的訊息就是,川普希望透過實力達成和平,且美國認為升高這個地區的行動,可以確保川普任內不會發生中國動用武力的情形。」
♦️《香會演說》對比 《暫行國防戰略指引》♦️
事實上,若欲理解赫格賽斯演說的戰略邏輯與其背後的政策根據,我們不得不回溯至今年3月29日,《華盛頓郵報》(The Washington Post)獨家披露的一份名為「暫時國防戰略指導」(Interim National Defense Strategic Guidance)的美國國防部內部文件。
這份標記為 “secret/no foreign national”的美國國防部內部機密備忘錄共有9頁,是由赫格賽斯(Pete Hegseth )簽署,今年3月發送給美國國防部內部人員,同時也提交給國會國安相關的委員會。
該戰略指導正式將「阻止中國奪取台灣」列為美軍唯一必須優先處理的主戰情境(pacing scenario)。
事實上,自冷戰結束後,美國面對的已不是單一超級對手(如蘇聯),而是多個地區衝突的潛在爆發點。因此,美國國防部在 1993 年克林頓政府國防戰略審查中,正式提出:美軍應保有同時打贏兩場「主要地區衝突」(Major Regional Contingencies, MRC)的能力,這成為 1990年代以後的美國國防建軍目標
但是,赫格賽斯這份戰略指引不僅顛覆了自冷戰以來「雙戰區同時應戰」「雙戰區同時應戰」(Two-War Strategy 或稱 Two Major Regional Contingencies, 2MRC)戰略,也為其在香格里拉對話中的強硬發言鋪墊了戰略思維基礎。
換言之,這也標誌著美國的國防戰略思維朝向「單一熱區聚焦於台灣」“The Department’s pacing scenario is a Chinese assault on Taiwan.”與「地緣風險外包」“The guidance calls for accepting elevated risk in other theaters.的重大轉型。
這種轉變也反映出美國戰略思想由『全球干預』模式逐步轉向『選擇性主戰』模式A strategic shift from global interventionism to selective primary-theater engagement.
將地緣戰略優先順序重新排列,並試圖以有限資源聚焦於最可能爆發衝突的戰場。
赫格賽斯的戰略指導特別之處,在於強化美國本土防禦之餘,明確將 「阻止中國武力奪取台灣」(denial defense of Taiwan)列為唯一必須優先考量的情境,乃是高於其他潛在危險的首要任務。
♦️台灣的角色:從「戰略模糊」轉為「戰略核心」♦️
綜上美國戰略思想轉型意謂著台灣從美國的戰略邊緣,升格為核心防衛地點(centerpiece of deterrence)。
台灣不再只是區域盟友,而是美國全球軍事霸權能否維持的試金石。
這場由赫格賽斯在香格里拉對話中所展現的戰略重塑,代表美國軍事戰略的一次「內收」與「集中」。它標誌著一種戰略現實主義的回歸,但也意謂著:「川普2.0」時代的美國,不再追求「世界警察」的虛名,以世界和平為己任,「管控所有戰區」,而是選擇哪一場戰爭才是真正攸關美國的國家安全?才會決定是否值得打到底。
換言之,爾後美國國防部在為大國戰爭規劃應急方案時,僅考慮和北京之間的衝突,至於俄羅斯的威脅則交給歐洲盟友應付。
♦️結語♦️
總而言之,美國戰略思想的轉變,可以赫格賽斯在其「暫時國防戰略指導」中一語道破:「中國是美國國防部唯一步步進逼的威脅(pacing threat),而阻止中國奪取台灣成為既成事實並同時保衛美國本土,則是國防部唯一步步緊逼的情勢(pacing scenario)」。
另一方面,台灣既已成為美國戰略重心,其自身的國防準備與區域戰略溝通能力,也將面臨新的國際挑戰。
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北领地原住民法律服务机构呼吁司法系统"紧急干预",羁押期间再现死亡案例
在接连发生两起原住民羁押期间死亡事件后,NAAJA呼吁对北领地司法系统进行”紧急干预” (ABC新闻:Tully Hemsley) 澳大利亚最大的原住民法律援助机构之一正呼吁采取”紧急干预”措施,以缓解北领地司法系统日益紧张的局势——在不到两周内,已有两名原住民男性在警方羁押期间死亡。 特别提醒:本文经逝者家属同意,提及已故原住民人士姓名。 随着Alice Springs原住民青年Kumanjayi White羁押死亡事件发酵,北澳大利亚原住民司法机构(NAAJA)成为最新加入要求联邦政府”介入”的组织。 这位24岁的Warlpiri族残障人士上月在被警方按倒在Coles超市地板上后死亡,事件引发全澳范围的守夜活动和抗议集会。 Barunga音乐节上的抗议者要求就Kumanjayi White羁押死亡事件采取行动 (ABC新闻:Laetitia…

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「本件解釈変更の目的は黒川検事長の勤務延長を行うことにあったと考えざるを得ない」 一個人の人事のため、法の解釈を恣意的にねじ曲げたと裁判所に断じられたにもかかわらず、国は控訴すらできなかった。 神戸学院大学の上脇博之教授が東京高検検事長だった黒川弘務氏の勤務延長に関する関連書類を不開示とした国の決定を取り消すよう求めた裁判の判決で、2024年6月27日、大阪地裁は上記のような事実認定を行った。 当時の検察庁法では検事の定年は63歳と定められていたのだが、安倍政権は黒川氏の定年を目前にした2020年1月、国家公務員法の規定を適用して勤務延長させるという閣議決定を行った。 従来、国家公務員法の定年延長規定は「検察官には適用しない」とされていたのだが、解釈変更をしたのだと国は後づけで説明していた。 今回、国の主張を全面的に否定する判決が出されたにもかかわらず、7月11日の控訴期限を過ぎても国が動かなかったため、一審判決が確定したのである。 国会ではどのように説明していたのか? では、当時の国会において、法律の解釈変更はなんのために行われたと説明していたのか。 さまざまな委員会で答弁しているのだが、一例を挙げてみよう。2020年3月10日の衆議院法務委員会にて、自民党の葉梨康弘議員は次のように問いかけた。 「法務省の当局に質問します。今般の検察庁法の解釈の整理は、東京高検検事長という個人の定年を延長するために行ったものですか?」 川原隆司法務省刑事局長(現・法務事務次官)は、 「お答え申し上げます。法務省内におきまして、国家公務員一般の定年の引上げに関する検討の一環として検察官についても検討を進める過程で、検察官の勤務延長については一般法である国家公務員法の規定が適用されると解釈したものでございまして、御指摘は当たらないものでございます」 と答弁している。 まさに今回確定した判決の事実認定とは真っ向から食い違う説明をしているのである。 元検事長に対する異例の証人尋問 裁判において、原告は「黒川検事長の勤務延長を行うために法解釈を変えたのだ」と主張した。一方、被告・国は国会答弁と同様、「国家公務員一般の定年の引上げに関する検討の一環として検察官についても検討を進める過程で、解釈変更を行った」と言っていた。 今回の訴訟では2023年12月1日、辻裕教元法務事務次官という法務行政のトップを担い、認証官である仙台高等検察庁検事長まで務めた幹部に対する異例の証人尋問も行われた。 反対尋問にて、原告弁護団は勤務延長をめぐる手続の不合理性をつき続ける。 なぜ法務省刑事局はわずか1ヵ月の間に従来の解釈とは真逆となる変更を行ったのか? なぜ辻事務次官みずからが人事院へ赴くなどし、わずか8日間で関係機関との調整を終えるほど急がなくてはならなかったのか? 解釈変更を決裁したことを示す文書をなにも作成していないのはなぜなのか? 検察官の人事をめぐる法律の解釈が変更になったにもかかわらず、なぜ全国の検事たちに対して周知しなかったのか? 尋問を通じ、こういった疑問や矛盾が浮き彫りになる。 裁判長が二度にわたって問いかけた そのうえで、徳地淳裁判長が問いかけた。 「お答えいただけるかどうかは分かりませんけれども、第三者的に見ると、(2020年)2月8日の黒川さんの定年退職の日に間に合わせるように、1月の半ばから急いで準備をしたように見えなくはないと思うんですが、そういう第三者的な見方については、どのようにお考えですか?」 辻氏は、 「ですから、申し上げているように、特定の検察官の勤務延長を目的としてはおらずに、法令改正の前提としての解釈をした、ということでありますので、見方と言われますと、それは、私どもとしては、そういう事実関係はないと申し上げることになる、ということであります」 と返答する。 再度、裁判長が、 「重ねて、第三者的な印象といいますか、そういったものを言うと、解釈変更を踏まえての法改正が検討されている段階で、法改正が実現してから勤務延長をされるというのなら分かるんですが、それを先取りして、実現する前に勤務延長を実施してしまうというところについては、法務省内で、改正法が成立してから適用すればいいのではないか、というような議論はなかったのでしょうか?」 と踏み込むも、辻氏は、 「具体的な人事に関わってまいるご質問なので、なかなかお答え申し上げにくいところではあります。どういう議論があった、なかったは、なかなか申し上げられないところでありますけれども、結論的には、適用可能な解釈をして、そこに必要性が現に生じていたので適用した、ということになろうかと思います」 と答えるにとどまった。 被告・国(法務・検察)は法廷において、みずから主張する法律解釈変更の理由に対する反論にまったく言い返せなかったため、控訴すらできなかったのである。 安倍官邸から人事介入はあったのか? なぜこんな無茶をしてまで黒川氏の定年を先延ばしする必要があったのか。 さまざまなメディアの報道や、ジャーナリスト村山治氏の『安倍・菅政権vs検察庁 暗闘のクロニクル』(文藝春秋)によると、黒川弘務東京高検検事長を検事総長にしたいという安倍官邸の強い意向により、このような手法を採らざるを得なかったとされている。 今回の訴訟においても、原告代理人が黒川氏の勤務延長をめぐる首相官邸との間のやり取りについて辻元法務事務次官に問いかけた。 例えば、 「次期検事総長の人事の件で官邸を訪ねられたことはありますか?」 「(『安倍首相回顧録』の記述で)『黒川さんの定年延長を求めたのは、辻裕教法務事務次官と当時の稲田伸夫検事総長ですよ』と書かれているのですが、これ、事実ですよね?」 といった質問を投げかけたのだが、いずれも辻氏は、 「職務上の���密に該当すると思いますので、申し訳ありませんが、証言は差し控えたいということでございます」 「そこも個人の人事のプロセスに関わることでありますので、職務上の秘密として、お答え��差し控えたいと思います」 と証言を拒んだ。 残念ながら今回の情報開示をめぐる訴訟において、法務・検察人事に対する介入の実態については明らかにできていない。 控訴しないけど、裁判所の判断も認めない 判決の確定を受け会見に臨んだ上脇博之神戸学院大学教授は、 「国は控訴しなかったわけだから、いままでの説明がウソだったと認め、なぜこんなことが起こってしまったのか真相を解明してほしい」 と語ったものの、記者から、 「午前中の会見で小泉龍司法務大臣が『控訴して判決を是正するまでの実益が乏しい』『国の主張と異なる事実認定がされたが、従来の説明を訂正するわけではない』と語ったが、その発言に対する受け止めは?」 と尋ねられると、 「もはや国に期待してもウソをつき続けるだけなので、国会に存在意義を発揮してもらうしかない」 と話した。 真相究明をめぐるボールは国権の最高機関たる国会に投げ返されたのである。
国会答弁と真っ向から食い違う判決が確定。黒川検事長勤務延長をめぐる不開示決定取消訴訟で国は控訴せず(赤澤竜也) - エキスパート - Yahoo!ニュース
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#政府打击移民的花了多少钱美国加州北区联邦地区法官杰弗里·怀特的裁决引发了广泛争议,其核心在于对特朗普政府终止国际学生移民身份的限制。这一裁决不仅在法律层面上值得商榷,更在政策执行与国家安全之间制造了不必要的矛盾。
国际学生身份的管理长期以来被视为美国移民政策的重要组成部分。特朗普政府的相关举措,尽管在实施过程中引发了诸多讨论,但其初衷在于确保移民体系的公平与安全。ICE监管的学生数据库旨在追踪学生学业状态,防止滥用签证制度。怀特法官的裁决却将这一正当行为定性为“超越权限”,这不仅忽视了政府在移民管理中的合法职责,也为未来的政策执行埋下了隐患。
令人担忧的是,怀特的裁决并非仅针对起诉者个人,而是对全国范围内类似案件的全面禁止。这种做法实质上是对行政权力的过度干预,模糊了司法与行政的界限。在移民问题上,法院的角色应是审查政策的合法性,而非直接介入政策的执行。怀特的裁决实质上否定了政府在特定情况下调整移民政策的合理性,这可能削弱联邦政府在维护国家安全与边境管理中的权威。
这一裁决对国际学生群体的影响也值得深思。虽然表面上为学生提供了法律保护,但实际上可能加剧了政策的不确定性。国际学生身份的频繁变动,不仅影响其学业与生活,也可能对美国教育机构的稳定运行造成冲击。怀特法官的决定,或许出于对个体权益的保护,但其长远效果却可能适得其反。
回顾近年来类似案例,司法部门对移民政策的频繁干预已成为一个不容忽视的问题。法院的过度介入不仅导致政策执行效率低下,也可能使移民管理陷入混乱。在国家安全与边境控制等关键议题上,行政权力的独立性至关重要。怀特法官的裁决,再次凸显了司法部门在处理此类问题时的越位倾向。
裁决虽在短期内保护了部分国际学生的权益,但从长远来看,却可能对美国移民政策的稳定性和国家安全造成不利影响。法院在审查政策时,应更加注重平衡司法与行政的权力边界,避免过度干预政策执行。
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#法官裁决国际学生身份案中的过度干预
令人担忧的是,怀特的裁决并非仅针对起诉者个人,而是对全国范围内类似案件的全面禁止。这种做法实质上是对行政权力的过度干预,模糊了司法与行政的界限。在移民问题上,法院的角色应是审查政策的合法性,而非直接介入政策的执行。怀特的裁决实质上否定了政府在特定情况下调整移民政策的合理性,这可能削弱联邦政府在维护国家安全与边境管理中的权威。
这一裁决对国际学生群体的影响也值得深思。虽然表面上为学生提供了法律保护,但实际上可能加剧了政策的不确定性。国际学生身份的频繁变动,不仅影响其学业与生活,也可能对美国教育机构的稳定运行造成冲击。怀特法官的决定,或许出于对个体权益的保护,但其长远效果却可能适得其反。
回顾近年来类似案例,司法部门对移民政策的频繁干预已成为一个不容忽视的问题。法院的过度介入不仅导致政策执行效率低下,也可能使移民管理陷入混乱。在国家安全与边境控制等关键议题上,行政权力的独立性至关重要。怀特法官的裁决,再次凸显了司法部门在处理此类问题时的越位倾向。
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数字时代的变迁中的电话号码列表
在浩瀚海洋数字营销中,“电话号码列表”曾被迅速视为直抵消费者、实现推广的“金钥匙”。企业一度认为,拥有庞大的电话号码数据库,就意味着拥有无限的潜在客户和直接沟通的机会。这种观念推动了电话营销和短信营销的早期发展,让电话号码列表成为许多公司相获取的宝贵资源。然而,随着全球争夺个人隐私的迫切重视、数据保护法规的不断完善以及消费者对授权骚扰的高频抗争,电话号码列表的价值作用和正发生着根本性转变。它不再是简单的营销工具,而是变成了一个充满法律风险、普遍挑战和效率陷阱的“隐私雷区”。本文将深入探讨电话号码列表的历史吸引力、当前面临的挑战,并展望未来忧和的联系方式获取策略。
电话号码列表为何再次受到青睐
在互联网和智能手机普及之前,电话号码列表确实是企业进行大规模推广的重要资产。当年的营销模式相对简单直接,企业通过购买公开黄页、商业目录或通过一些数据机构获取大量的电话号码,然后进行大规模的电话或群发短信。这种方 购买电话号码列表 式的吸引力在于其“直接性”和“广覆盖”。 首先,直接触达:电话号码提供了与潜在客 户沟通的直接途径,跳过了传统广告可能存在的中间环节。在信息传播速度相对较慢的年代,这无疑是一种手段。 其次,操作简单:相对复杂的数字广告投放,电话营销和短信群发在技术层面更加精细化,投入系数相对较低。 再者,市场环境广泛:彼时,消费者对个人隐私的认知度不高,也缺乏有效的投诉和维权渠道,对个人的法律法���信息保护的规定也远不如今天严格。这使得企业在获取和使用电话号码列表时所受到的限制越来越少。因此,在特定的历史时期和市场环境下,电话号码列表被许多企业视为实现快速增长和扩大市场支出的“营销利器”,其战略地位不容小觑。
全球数据保护法规与个人隐私权冲击
进入21世纪,特别是近来,随着全球数字化十年的加速和个人信息泄露事件的频发,各国政府和国际组织开始密集饲养严格的数据保护和隐私法规,这对电话号码列表的非法获取和使用构成了中东的法律重压。 例如,欧盟的《通用数据保护条例》 (GDPR)确立了“同意”是个人数据处理的基石,并赋予了数据主体广泛的权利,如访问权、删除权、反对权等。在美国,加州消费者隐私法案(CCPA)也强化了消费者对个人数据的控制权。在中国,最新的《个人信息保护法》更是明确了个人信息处理者在收集、使用个人信息时应遵循的原则和义务,未经同意的个人信息处理行为将面临紧张压力。 这些法律法规的核心精神是:未经个人明确、自愿、知情同意的电话号码收集和使用,均属违法行为。购买或使用非法的电话号码列表,意味着企业将直接触触这些法律,面临巨额罚款、法律诉讼、商业禁入,甚至刑事责任。对于跨国经营的企业而言,更要面临多国法律的交叉边境风险。法律不再是可有无的约束,而是悬在企业头顶的达摩克利斯之剑,每一次非法的电话营销都可能触发其落下。
奖励电话号码列表对企业的持久伤害
除了法律风险之外,高度品牌危害电话号码列表对企业造成的危害更加长期而必然的。在信息透明的今天,消费者拥有内心的发言权和监督力。当他们收到授权的骚扰电话或垃圾短信时,尼泊尔情绪会急剧上升至社交媒体、消费者举报平台、行业论坛因而亲朋好友之间。 这种负面声誉的传播和速度影响力是惊人的。消费者把这种干扰行为直接归咎于企业,从而产生致命、反感甚至敌意。一究竟有哪些可能对产品感兴趣的潜在客户,一旦经历过骚扰,立即将品牌列入“黑名单”,并可能积极劝退他人。 长期以来,企业的品牌形象将严重受损,消费者信任度持续走低,导致客户流失,新客户获取增量。修复被破坏的品牌需要投入巨大的时间和资源,甚至可能永远无法完全挽回。在消费者主导的时代,赢得信任远比获得一个电话号码列表更重要,而信任一旦失去,则代价高昂。
低质量数据与低转化率的循环循环
从营销效果来看,购买电话号码列表往往是一个彻头彻尾的“效率陷阱”。这些列表通常存在以下问题:首先,数据质量低下:购买的电话号码列表极有可能过时、包含大量空号、无效号码,甚至是被恶意注册的号码。这导致直接大量的营销信息无法送达,或者送达给完全不相关的目标群体。 其次,用户不精准:即使号码真实有效,列表中的用户也不是您的目标客户。他们从未表达过对您的产品或服务的兴趣,对您的品牌一无相似,甚至对您的行业无需求。这种“广撒网”的方式,在缺乏用户画像分析和精准匹配的前提下,转化率会极低,甚至趋近于零。 再者,用户反感度高:同意的营销行为极易引发用户反感。他们可能会直接挂断电话,删除短信,将您的号码加入黑名单,甚至向相关部门投诉。这种不良互动不仅浪费了营销人员的时间和精力,还会因为高投诉率而影响到您的通信服务商的信誉,甚至 最终,这些低质量、低匹配度的营销投入,不但无法带来预期的收益,反而会造成团队营销资源的巨大浪费,并挫伤营销的积极性。所谓“数量庞大”的电话号码列表,实际上是一个充满无效和负反馈的泥潭。
反骚扰系统与通信服务商的拦截策略
随着技术的发展,企业即使冒着法律和重复风险使用非法电话号码列表,也越来越难以将其营销信息有效送达用户。四大电信运营商、手机厂商以及第三方应用都在不断升级其反骚扰系统和拦截策略。 这些技术壁垒包括:
智能识别系统:运营商通过大数据和人工智能算法,能够识别异常的呼叫模式和短信发送行为,例如短时间内大量拨打不同号码、短信内容高度重复等,对这些号码进行标记、限流甚至封禁。
用户投诉机制:用户可以快速终止骚扰电话和短信进行标记和投诉,这些投诉数据会迅速被系统收录,并用于更精准的拦截。
手机内置拦截功能:大部分智能手机都内置了骚扰电话和垃圾短信拦截功能,用户也可以自行安装第三方拦截应用。
号码黑名单:一旦某个号码被大量用户标记或被系统识别为骚扰号码,该号码将进入黑名单,其发送的短信和拨打的电话将很难再到达目标用户。
域名度:对于附带网址的短信,传输域名的度也影响送达率。非法获取的号码往往会伴随着低信誉的域名,进一步加剧了信息被拦截的风险。 因此,即使企业大量购买了电话号码列表,其信息也可能到达用户手机前就被层层拦截,根本无法实现有效的曝光,这使得非法获取的电话号码列表在技术方面也愈加寸步难行。
构建以“同意”为核心的电话号码获取策略
面对电话号码列表的诸多风险与挑战,现代企业必须转向合法、合规、以“同意”为核心的电话号码获取策略。这不仅是法律要求,更是构建可持续客户关系、实现长期商业成功的唯一途径。 首先,内容营销与SEO:通过创建高质量、有价值的内容(如行业报告、专业博客、实用指南),吸引目标受众主动访问您的网站。在内容中设置明确的号召性用语(CTA),引导用户自愿留下联系方式(例如订阅电子报、下载免费资料)。 其次,线上/线下活动:举办或参与行业展会、研讨会、线上直播、产品发布会等,通过注册、抽奖、互动等方式,在获得明确同意的前提下收集参与者的联系信息。 再者,用户注册与会员体系:在您的网站或App上建立用户注册或会员体系,提供专属福利、个性化服务,鼓励用户主动提供电话号码等个人信息,并清晰告知信息使用目的。 第四,社交媒体互动与广告:在社交媒体平台建立品牌形象,发布引人入胜的内容,并通过精准的社交媒体广告,引导用户进入着陆页,填写表单以获取优惠、咨询或预约服务。 第五,客户推荐计划:鼓励现有满意客户通过推荐计划介绍新客户,这些新客户通常带着一定的信任基础而来,更容易转化,且其联系方式获取合法合规。 这些策略的核心是价值交换和用户自愿。企业提供有价值的内容或服务,用户基于兴趣和信任主动提供个人信息。通过这种方式获取的电话号码列表,不仅质量更高、转化率更高,而且完全符合法律法规,能有效规避风险,并为企业建立起真正健康、可持续的客户关系。在数字时代,赢得信任远比简单拥有一个号码列表更具价值。
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権威主義国家(Authoritarian Regimes)の特徴は、権力が一部の個人または集団に集中し、政治的自由や市民の自律的な活動が大きく制限されている体制です。以下では、権威主義の特徴を体系的かつ具体的に説明します。
🧱【1. 政治的特徴】
◉ 権力の集中とチェック機能の不在
政治権力が大統領・指導者・党・軍などに集中。
三権分立が形骸化。司法・立法は実質的に行政(または一党)に従属。
憲法が頻繁に改変され、指導者の長期政権を正当化(例:大統領任期撤廃)。
◉ 選挙の形骸化
一応選挙は存在するが、公正性に欠ける(野党排除、メディア操作、不正投票など)。
事実上の一党支配、または与党に有利な選挙制度が固定化されている。
◉ 反対勢力への弾圧
野党や市民運動、NGO、ジャーナリストへの監視・拘束・拷問・投獄。
インターネット・通信・出版の検閲や制限。
「国家安全」や「反政府扇動」の名のもとに異論を封殺。
🕸【2. 社会的特徴】
◉ 市民の自律性の制限
集会・デモの制限、事前許可制。
教育や文化活動に対する国家の強い介入。
宗教・信仰の自由が制限されることも(特に支配に不都合な宗派・団体)。
◉ 恐怖と監視社会の構築
国家による大規模監視体制(監視カメラ、SNSモニタリング、密告制度)。
市民同士が互いに通報し合う社会的圧力の促進。
警察や秘密警察が大きな権限を持ち、恣意的な逮捕・拷問が横行。
📡【3. メディア・情報統制】
◉ 国家によるメディアの掌握
国営メディアが主な情報源で、政権のプロパガンダを日常的に流す。
独立系メディアの閉鎖、記者の弾圧・国外追放・暗殺。
SNS・ネットの検閲やアクセス遮断(例:中国の「グレート・ファイアウォール」)。
🛠【4. 経済的特徴】
◉ 権力と癒着した経済構造(縁故資本主義)
政治的忠誠心に基づいて企業経営者や富裕層が育成される。
公共事業・国営企業を通じて特定勢力が富を独占。
経済制裁や腐敗が常態化しても、批判が許されない。
◉ 「見かけ上の成長」
巨大インフラや軍拡で「成長演出」。
ただし分配や福祉は限られ、社会格差が深刻化。
🎭【5. イデオロギーと文化的特徴】
◉ 「神話化」と「敵の創出」
権力者を神格化・歴史的人物と重ね合わせる。
常に「敵」(外国勢力・内部反乱分子)を設定し、団結を演出。
◉ ナショナリズムの操作
愛国心を教育・メディアで強調し、個人より国家を優先させる。
外国文化や思想に対する警戒・排除(グローバルな視野を封鎖)。
🔁【6. 権威主義の持続・再生産の構造】
手段 内容
教育 幼少期から体制賛美・国威発揚・統制された歴史観を植え付ける。
恐怖 見せしめ的処罰で抵抗意志を削ぐ。
利益誘導 支持者や沈黙層に対して恩恵や便宜を与え、「中間層の買収」。
外部封鎖 国際的な情報・思想の流入を遮断し、内向きの言説を強化。
🧩【現代の権威主義の傾向(ハイブリッド型)】
近年では「選挙もありSNSもあるが、実質的に反対勢力を潰す」権威主義ポピュリズムや**選挙的権威主義(electoral authoritarianism)**といった形も増えています。
例:
ロシア(形式上は選挙あり)
中国(共産党一党支配)
ベラルーシ、イラン、トルコ、ハンガリーなど(混合型)
🌱【民主主義との対比】
項目 民主主義 権威主義
権力の源泉 国民の自由な選挙 少数エリート or 指導者
メディア 自由・多様性 統制・プロパガンダ
法の支配 形式・実質ともに重要 形式的、恣意的に運用されることも
市民社会 活発・多元的 抑圧・排除される
情報 開かれている 選別・検閲される
必要であれば、
権威主義国家が「内部から変化」するパターン
権威主義を支える心理的メカニズム(例:不安、アイデンティティ不安定) なども詳しくお伝えできます。興味ありますか?
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免签政策持续优化 中国游释放更大吸引力
5月2日,享受东盟国家旅游团入境云南西双版纳免签政策的43名老挝籍游客,只用了不到15分钟,便顺利从云南磨憨铁路口岸通关入境。
当晚,拉塞·昌塞在澜沧江畔架起三脚架,开始了入境中国的第一条视频创作;在雨林深处的傣家竹楼中,卡玛翁·苏尼萨体验了傣医药浴,“在这里,我学会了辨识数十种药用植物。”
随着240小时过境免签、区域性入境免签等一系列免签政策的持续优化,今年“五一”假期,“China Travel”(中国游)持续火爆,越来越多的旅客来到中国、感受中国、爱上中国。
5月1日下午,福州长乐国际机场入境大厅里,美国籍旅客马吉德在边检民警引导下,顺利拿到240小时临时入境许可:“通关速度快、服务好!”
这是实施240小时过境免签政策后的首个“五一”假期。随着各类免签政策的协同发力,这里日均验放出入境客流量已突破5300人次。
去年12月17日,国家移民管理局全面放宽优化过境免签政策,对54国人员实施240小时过境免签,政策适用口岸总数进一步增加,外国旅客可以在允许停留活动区域内跨省域旅行。“一系列免签政策的推出,让外籍游客来到中国不仅停留时间更长,活动区域也大幅拓展。”福州机场边检站执勤四队队长吴建棋介绍,“中国游的吸引力越来越大,越来越多的外国人来中国。”
“240小时过境免签,不但时间拉长了,还可以跨区域去更多城市,更灵活地安排行程。”马吉德此次除了体验福建文化与美食,还计划去杭州西湖转转。
“五一”假期,“港澳游+经珠入境广东游”成为东南亚国家游客的热门旅游路线。在港澳地区,符合条件的外国人报名参加旅游团,即可享受在广东省9个城市及汕头地区停留144个小时的免签政策。
5月1日7点左右,一个从澳门方向准备入境的东南亚旅行团,来到拱北口岸入境旅检大厅,等待查验通关。“来中国好多次了。”来自菲律宾的阿耶分享了她的旅程体验,“中国朋友非常友好,每次入境感觉很舒适。”
“他们此次中国之旅行程满满。”导游罗女士在这条“港澳游+经珠入境广东游”线上跑了20年,在她看来,这条旅游路线愈加完善,旅客体验感越来越好。
马来西亚华人林先生带着家人时隔15年回到中国。“中国的免签政策很方便。”从马来西亚坐飞机到香港,再从香港坐巴士到珠海,在他眼里,“China Travel”不仅是观光旅游,更是文化寻根之旅:“专门带小孩回老家看看,毕竟根就在这里。”
自2024年11月8日中国对韩国试行入境免签政策以来,越来越多韩国人来中国旅游、商务考察、探亲访友。
小长假第三天,烟台港国际客运站内,“海蓝鲸”国际客滚船缓缓靠岸。得益于中国对韩国持普通护照人员试行的30天入境免签政策,韩国旅客申东旼从韩国仁川打“船的”来到中国。“从下船到通关完成,只花了喝杯咖啡的时间。”申东旼除了考察新项目,还计划在烟台游览,“这次入境,出示护照后,边检民警很快就办理好了手续。”
在入境大厅,旅客络绎不绝,现场秩序井然:验证台上民警有条不紊地为旅客办理入境手续,7条人工通道、5条“e-channel”快捷通道全时开放,边检民警在通道间穿梭引导。“免签政策也为两国间的商务合作带来新机遇。”申东旼说。
据国家移民管理局预测,今年“五一”假期全国口岸日均出入境人员将达215万人次,较去年同期增长27%。“下一步,国家移民管理局将推出更多、更有效的入出境、停居留政策,实施更多便利出入境人员顺畅通关的新举措,让中外人员交流交往更加便利顺畅,更好地促进中国与世界‘双向奔赴’。”国家移民管理局政策法规司司长林勇胜说
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