#断酒宣言の日
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豊島 心桜(とよしま こころ、2003年9月25日 - )は、日本の女優、グラビアアイドル。新潟県五泉市出身。アービング所属。
スリーサイズはB82-W62-H88。かつては洋服を購入する際に胸が入らずあきらめるなど、巨乳がコンプレックスで知らず知らずのうちに隠そうと猫背になっていた。また、SNSに写真を公開する際にはボディーラインが出る服を着ない、横向きのものは加工ツールで小さくするなど、胸を目立たなくなるよう逆加工していた。かつては削ぎ落としたいとまで思い詰めており、これを活かせるグラビアの仕事をしていなかったら確実に要らないと思っていたという。なお、巨乳については祖母や叔母に似たと自己分析している。
高校時代より『週刊プレイボーイ』からグラビアのオファーがあったが、上記の理由で抵抗感や恐怖感を持っていたために断っており、高校卒業後にオファーを受諾した。母と祖母は最初のオファー時点で乗り気だったうえ、2歳下の弟[注 13]の彼女も応援してくれており、『メジャー感』を購入したことを弟経由で連絡してきたという。なお、祖母はグラビア開始以前に(ドラマやバラエティなどの)出演作品をすべてチェックしており、厳しいアドバイスもくれていたという。また、同デジタル写真集の表紙は『君が獣になる前に』のプロデューサーの目に止まり、それを見せてもらった監督も快諾した結果、千田ミヤコ役への起用につながったという。
高校2年時に校則で禁じられていなかったからとUber Eatsを呼んで学校に激怒された結果、3年時の生徒手帳には「デリバリー禁止」が追記された。また、水泳の授業については「朝から塩素の入った水で髪を濡らしたくない」との思いから体調不良と偽って一度も出なかったため、入学時に購入したスクール水着はタグ付きのままで実家に眠っている。当時はオンライン授業ばかりになるなどのコロナ禍にあり、修学旅行については駄目になった海外の代わりである沖縄へ荷物を送ったが、生徒に新型コロナウイルス感染者が出たことから沖縄も駄目になり、1週間後に荷物が返ってきた。さらには、大阪へ変更された時点で緊急事態宣言が出されたため、すべて中止になってしまったという。
スカウトされて仕事を始める前は社長かキャリアウーマンになりたいと思っていたが、20歳になった後は心境に変化が生まれており、タレントとしてこのスタイルが活かせるかもしれないと思うようになったほか、グラビア撮影の際にスタッフからスタイルを褒めてもらった結果、やっても良かったとの旨を述べている。初披露後の反響は凄く、もっと早くからグラビアを始めていれば良かったとの旨で後悔を滲ませている。
『週刊プレイボーイ』2023年47・48合併号にてグラビアを初披露する際にビキニを着用したが、これは1歳半の時にキティちゃんのビキニを着用した時以来のことだった。なお、初披露に際しての予習では頓知気さきなのグラビアを良いと思っていたところ、掲載号の表紙を彼女が担当していたため、思わずテンションが上がってしまったという。また、通常の『週刊プレイボーイ』を見ておこうと思っていたが、増刊『週プレPREMIUM 2023上半期グラビア傑作選』に多数のグラビアアイドルが掲載されているのを見てこちらを先に買い、後から通常の『週刊プレイボーイ』や何冊もの写真集も買って予習したという。
特技は幼稚園年中から中学3年末まで10年ほど続けたクラシックバレエ。ただし、2019年7月時点で身体は固���って久しく、ストレッチ時に頑張れば開脚ができる程度との旨を明かしている。
月に2回は猫カフェへ通うほどの猫好きであるが、上京後は猫アレルギーになってしまい、猫と触れ合う際にはマスクを着用している。
好物にラーメンや麻辣湯(中国語版)を挙げており、前者は週1回、後者は週2回食べている。一方、シイタケが苦手だったが20歳になった後は食べられるようになったという。
「仕事を始めるきっかけとなった憧れの人」には横田真悠を挙げているほか、「私の運命を変えたとっておきのエンタメ作品」には中学生当時に見ていたテレビアニメ『ラブライブ!』を挙げている。
マネージャーはかつて小池栄子を担当していたことからも、豊島には「グラビアもおしゃべりもお芝居もできるようになりなさい」と指示しているという。
本名でもある「豊島心桜」のうち名前の「心桜」は、祖父が好きだったドラマに「桜」の名を持つ人がいたことからその漢字を使いたく、「こころ」か「さくら」にしたいという願望を同時に叶えたものである。
酒については、飲み始めた当時はビールや梅酒のソーダ割りなら飲めるかなという程度だったが、その後は担当編集者と飲みに行かせてもらった際に同じペースで飲んでも自身はまったく顔に出なくなったという。ただ、酒よりもコーラの方が(20歳になる前と変わらず)好きであるという。
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みんな知らない「実は略語」の言葉をまとめました。詳しくは...

食パン:主食用パン
食パンの語源に関しては複数ありどれが正しいかわかりませんが、有力な説を2つ紹介します。1つは、「主食用パン」の略。パンが日本に入って来た当時はイースト菌などもなく、比較的小さな菓子パンだけが作られていました。それからパンが大きく膨らむようになり、米の代わりになり得るようになったため、「主食用」と名付けられました。もう1つは、消しパンではない「食べられるパン」の略。昔は美術のデッサンなどでパンを消しゴム代わりに使用していたためです。
ブログ:ウェブログ
ウェブサイトの一種で日記形式のもの。英単語でも”blog”がありますが、もともとは”Web”と記録を意味する”log”が合わさった言葉である”web log”の略です。
軍手:軍用手袋
元々軍隊用の手袋として使われていたためです。日露戦争の際に、寒冷地を戦場とする兵士に支給するために考案されたものです。その後、荷物運搬や土いじりなど日常生活で使われるようになりました。
演歌:演説歌
元々は自由民権運動の政治運動家(壮士)たちが演説の代わりに歌った壮士節が始まりとされます。1930年代にジャズやクラシックが大衆歌に組み込まれていき、歌詞も政治とは関係のない叙情詩的なものに変わっていきました。
教科書:教科用図書
主に小・中・高および特別支援学校などで学ぶ時に配布される中心的な教材のことで、「教科用図書」の略です。教科書と教材の違いは、文部科学大臣の検定に合格したものが教科書と呼ばれます。
チューハイ:焼酎ハイボール
焼酎とハイボールを組み合わせた「焼酎ハイボール」の略語。焼酎やウォッカなど無色で香りのない酒類をベースに、炭酸で割ったものを一般的に指しますが、炭酸ではなくウーロン茶で割ったウーロンハイもチューハイの一種です。
ジャガイモ:ジャガタライモ
ジャガイモはそもそも南米原産の食材であり、日本には16世紀末にインドネシアのジャカルタからオランダ人により伝えられました。そのため当時は「ジャガタライモ」と呼ばれていましたが、後に略されていきました。ちなみに日本では中国語由来の馬鈴薯とも呼ばれます。
ワイシャツ:��ワイトシャツ
主に男性が背広の下に着るシャツのことですが、元々は和製英語である「ホワイトシャツ」の略。よく「Yシャツ」と記載されることがありますが、これは完全に当て字です。一方で、「Tシャツ」はアルファベットのTの字に似ているためこう呼ばれるようになりました。
割勘:割前勘定
友人との飲み会などでよくある割勘は「割前勘定」の略。割前とは分割してそれぞれに割り当てることを意味する言葉です。江戸時代後期の戯作者で浮世絵師として有名な山東京伝が発案されたと言われており、当時は「京伝勘定」と言われていたそうです。ちなみに世界的に見ると割勘の文化は少数派で、男性や年上が払うのが一般的のようです。
カラオケ:空オーケストラ
歌のないオーケストラの意味で、「空(から)オーケストラ」から「カラオケ」と略されました。カラオケは日本で1960年後半に誕生したとされ、その後世界に広がっていきました。そのため英語でも”karaoke”と書きます。ちなみに中国語では「卡拉OK」と突然アルファベットが出てくる不思議です。
バス:オムニバス
ラテン語で「すべての人のために」という意味の「オムニバス」が語源で、フランスの乗合馬車の発着所の雑貨屋の看板に書かれていたことに由来します。そこから多くの人が利用する乗合自動車をオムニバスと呼ぶようになり、その後略されました。
リストラ:リストラクチャリング
英語で「再建」を意味する”restructuring”から略されたものです。リストラと聞くと人員削減をイメージしますが、本来の意味は事業構造を再構築することです。その中の一環として、人員削減が起こります。
リモコン:リモートコントロール
英語で「遠隔操作」を意味する”remote control”から略されたものです。TVなどに向かってリモコンから赤外線をデジタル信号で送ることでチャンネルや音量などを操作することができます。
ソフトクリーム:ソフト・サーブ・アイスクリーム
海外では「柔らかいクリーム?」となり伝わらない和製英語です。英語では” soft serve icecream”であり、ソフトクリームサーバーの製造などを行っている日世の創業者・田中穰治が日本でソフトクリームを広めるのにわかりやすくするために省略したとされています。
ペペロンチーノ:アーリオ・オーリオ・ペペロンチーノ
唐辛子をオリーブ油で炒めたパスタ料理。正式名称は「アーリオ・オーリオ・ペペロンチーノ」と言います。イタリア語で「アーリオ」は「ニンニク」、「オーリオ」は「オリーブオイル」、「ペペロンチーノ」は「唐辛子」を意味しています。
経済:経世済民
中国の晋朝について書かれた歴史書である『晋書』に書かれた「経世済民」を略した言葉です。現在の政治と同じような意味で昔から使われていました。���治以降、”economy”の訳語として頻繁に使われるようになったようです。
首相:首席宰相
首席はトップを意味し、宰相は辞書で調べると「古く中国で、天子を補佐して大政を総理する官。総理大臣。首相。」と載っています。首相の言葉の中に首相が含まれている二重表現のような言葉です。ただ「首相」は日本国憲法に記載された言葉ではなく、報道などで使われる内閣総理大臣の通称です。
切手:切符手形
お金を払って得た権利の証明となる紙片のことを古くから「切手」と呼んでいました。日本の近代郵便制度の創始者である前島密が、“郵便物に貼って支払済を表す印紙”に「切手」という言葉をそのまま当てたそうです。
出世:出世間
元々は仏教語で、仏陀が衆生を救うためにこの世に出現することを指す言葉で、「出+世間」でした。そこから略され、日本では僧侶が高い位に上ることを意味するようになり、世間一般でも役職が上がることなどを指す言葉となりました。
断トツ:断然トップ
2位以下を大きく引き離すことを指す言葉ですが、元は「ずば抜けて」の意味を持つ「断然」と首位を表す英語の”top”が合わさった言葉の略。そのため「断トツの1位」という表現は二重表現になります。
押忍:おはようございます
朝の挨拶である「おはようございます」から「おっす」と短くなり、さらに「おす」へと略されました。そこから「自我を押さえて我慢する」という意味を込めて「押忍」という漢字が当てられました。
デマ:デマゴギー
大衆を扇動するための政治的な宣伝を意味するドイツ語の「デマゴギー」を略したものです。元の意味の通り、政治的な意味合いを持つ言葉でしたが、昭和になってから、単純に「嘘」や「根拠のない噂」の意味で使われるようになりました。
おなら:お鳴らし
屁を「鳴らす」の名詞である「鳴らし」に「お」をつけて婉曲に表現した言葉で、そこから一文字略されました。元々の言い方の方が上品な感じがあって良いですよね。というのも、一般庶民は昔から「屁」と言っていましたが、宮中に仕える女房たちは隠語として用いていたためです。
電車:電動客車
電動客車をより細かく表現すると、「電動機付き客車」または「電動機付き貨車」となります。電車は架線あるいは軌道から得る電気を動力源として走行しています。
電卓:電子式卓上計算機
計算機という本来役割を表す意味の言葉が略されています。1963年に世界初の電卓が登場し、1964年に現在のシャープから日本初の電卓が発売されました。当時の価格は53万5千円と車を買えるほどの値段でした。今では100均で売られてい��ものもあるのに驚きですね。
ボールペン:ボールポイントペン
英語で”ball-point pen”と言い、これを略した言葉です。ボールという単語が使われている理由は、ボールペンの構造上、先端に小さな回転玉(ボール)があるためです。
インフラ:インフラストラクチャー
英語で「下部構造」や「基盤」を意味する”infrastructure”から略されたものです。電気・ガス・水道・電話・道路・線路・学校や病院などの公共施設など、私たちの生活に欠かせないものを指す言葉となっています。
シネコン:シネマコンプレックス
「コンプレックス”complex”」が「複合の」を表す英単語で、同一ビル内に複数のスクリーンを備えた複合型映画館のことを表します。国内の代表的なものとしては、TOHOシネマズ、イオンエンターテイメント、MOVIX、ユナイテッド・シネマなどがあります。
シャーペン:エバー・レディー・シャープペンシル
シャーペン��「シャープペンシル」の略ということを知っている方は多いと思いますが、実はこれも略語。1838年にアメリカで「エバーシャープ」という筆記具が登場し、その後1915年に現シャープの創設者である早川徳次氏が国内初となるものを考案し、「エバー・レディー・シャープペンシル」という商品名をつけヒットさせました。
ピアノ:クラヴィチェンバロ・コル・ピアノ・エ・フォルテ
イタリア語で「小さい音と大きい音を出せるチェンバロ」という意味です。いつの間にか「小さい音」を表すピアノだけに略され、楽器を表す名詞となりました。元のピアノの意味は今でも音の強弱を表す「メッゾピアノ」や「ピアニッシモ」と合わせて音楽記号として使われていますね。
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私の「ダブスタコレクション」にまた新作が加わりました。 ・お仲間候補者が選挙戦でネット&SNSを活用 ⇒「●●フィーバーで大躍進!」「政治が面白い!」「人柄を信じられる!」 ・敵視候補者が選挙戦でネット&SNSを活用 ⇒「加熱するSNS!」「錯綜する情報!」「かつてなくデマが大量拡散した!」←New!! こんな政治的公平性皆無の記事をタレ流すメディアなんて、「報道は正確かつ公正でなければならず、記者個人の立場や信条に左右されてはならない」と宣言した「新聞倫理綱領」違反でしょ。 あまりにやりたい放題の無法状態なのに、国民側から対抗手段がないのは大いに問題だなあ。昔テレ朝は「権力者が操る陰謀論にだまされるな」なんて言ってましたが、こんな報道を見る限り、「恣意的な陰謀論を振りまいてる権力者」はむしろ腐り切ったマスコミのほうでしょう。 以下、過去コレクション集です。 ・与党議員に不記載が発覚 ⇒選挙特番で候補者紹介画面に「裏」「ウラ金」マーク ・野党議員に不記載が発覚 ⇒(ダンマリ) ・保守派言論人が差別発言 ⇒「人権侵犯だ!」「差別扇動者だ!」 ・左翼言論人が差別発言 ⇒「真意は測りかねる」「コメントは控える」 ・与党議員が批判を受ける ⇒「国民の声に耳を傾けろ!」 ・野党議員が批判を受ける ⇒「アンチの罵詈雑言!」「怒涛のような攻撃に辟易!!」 ・与党議員が事前運動疑惑 ⇒「公職選挙法違反!」「逮捕しろ!」 ・野党議員が事前運動疑惑 ⇒「政治活動の発言だ」 ・与党議員が地元有権者にクッキーを渡す ⇒「公職選挙法違反!」「買収だ!」 ・野党議員が地元有権者に日本酒を渡す ⇒「会合の対価だ」 ・与党議員が政治資金収支報告書に不記載 ⇒「裏金だ!」「脱税にあたる重大犯罪だ!」 ・野党議員が政治資金収支報告書に不記載 ⇒「単なる記載ミス。訂正したので問題ない」 ・与党が世襲候補者を擁立 ⇒「異常事態だ!」「政治不信を招く!」 ・野党が世襲候補者を擁立 ⇒「世襲っぽいけど世襲じゃない」 ・与党議員が不祥事で謝罪 ⇒「疑惑はより深まった!」 ・野党議員が不祥事で謝罪 ⇒「本人が撤回しているので、それでいいのではないか」 ・与党議員が特定宗教と付き合い ⇒「特定宗教から祝電や取材を受けるだけでもアウト!」 ・野党議員が特定宗教と付き合い ⇒「個人の思想なので問題ない」 ・与党議員が演説中に薬莢を投げつけられる ⇒「暴力ではなく抗議活動」 ・野党議員事務所に生卵が投げつけられる ⇒「民主制を脅かす卑劣なテロ!」 ・リベラル弁護士が懲戒請求や監査請求をやる ⇒「正当な権利行使!」 ・リベラル弁護士が懲戒請求や監査請求をやられる ⇒「リーガルハラスメントだ!」 ・与党や右派を批判し、ネタにする漫才 ⇒「見事な社会風刺!」「お笑いの本当の役割を教えてくれた!」 ・野党や左派を批判し、ネタにする漫才 ⇒「完全に無理」「冷笑系しぐさ本当にやめた方がいい」「テレビ消した」 ・与党議員が不倫疑惑 ⇒「ゲス不倫!」「辞職しろ!」 ・野党議員が不倫疑惑 ⇒「既婚者との交際問題」(不倫とさえ言わない)「今の報道の過熱ぶりは異常。批判できるのは身内だけではないのか」 ・韓国女性DJがビキニ ⇒「男性に媚びるのではなく、自己表現としてのセクシーさ!」「自分の好きな格好をして何が悪い!」 ・グラビアアイドルがビキニ ⇒「男性に媚を売り、性的消費を助長する!」「悪い大人に無理矢理着せられた被害者!」 ・天皇陛下の写真を燃やす映像展示 ⇒「表現の自由だ!」 ・二次元萌え絵広��� ⇒「環境型セクハラ!」「男が思い描く女の虚像!」「性的搾取だ!」 ・我が国が防衛力強化 ⇒「軍事大国になるぞ!」「1発撃てば何百発も返ってくる!」 ・北朝鮮からミサイル ⇒(ダンマリ) ・不法行為をおこなう外国人問題について国会質疑 ⇒「外国人差別だ!」「ヘイトスピーチだ!」 ・難民申請中の外国人が女子中学生に性暴行 ⇒(ダンマリ) ・福島第一原発から処理水を放出 ⇒「欺瞞だ!」「毒は薄めても毒!」「断じて許せない!」 ・中国の原発から、福島第一原発処理水の9倍量のトリチウムを放出 ⇒(ダンマリ) 結局マスコミは「自分たちの書き方ひとつで国民はコロっと騙せる」と完全に我々を舐めてかかってるんですよ。私たちはこんな姑息なやり口に断固として乗るべきではありません。「事実をありのままに報道する」というまともな働きひとつできないならサッサと滅んでください。
Xユーザーの新田 龍さん: 「私の「ダブスタコレクション」にまた新作が加わりました。
新聞倫理綱領 日本新聞協会
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和六年(2024年)8月13日(火曜日)
通巻第8365号
バングラ政変の黒幕に米国が関与? 『南アジアの春』?
インドから見れば、周りのスリランカ、ミャンマー、モルジブに政変が起きた
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筆者の印象ではバングラデシュの人々はたいそう親日的である。国旗をみても、日本の国旗そっくりのデザインで、白地がみどり、日の丸は赤。小学生でもまっさきの覚える国旗だ。
1971年の戦争でパキスタンから独立後、日本が最大の支援国だったこともある。
そのバングラ人が日本にあきれかえった事件は、ダッカ空港日本赤軍ハイジャック事件で、凶悪犯人の出鱈目な要求を当時の福田政権は「命は地球より重い」と言って身代金にも応じ、ハイジャッカーの言いなりになったことだった。
日本には武士道があったのでは?
2015年に筆者は関空からダッカへ向かった。飛行場で登場寸前に継体電話が鳴り、うっかり或る新聞コラムの原稿締め切りを忘れていたことを知った。原稿の督促、それも24時間以内。
機中で書き上げ、ダッカのホテルから、FAX送稿して間に合った。間一髪だった。原稿用紙を持っていないので、同行した家内に下書きの字数を数えてもらい、1200字にまとめた。強烈に思い出すのはダッカの三流ホテルからでもFAXが通じたからだ。
機内で隣に座ったのは���いバングラデシュの男性。日本ではタイル工務店で働き、一年ぶりの里帰り、親方がボーナスを呉れたからと嬉しそうな笑顔だった。「おみやげも沢山買えた」。
先般のバングラ政変はシェイク・ハシナ首相がインドへ逃亡し、欧米が保護していた銀行家のムハンマド・ユヌス(ノーベル平和賞。グラミー銀行創設)を暫定政権のトップの据えることで、混乱は一時的に収まった。超法規的措置だが、最大野党BNPと軍が納得したからで、軍は出来るだけ早い時期に民主手続きによる選挙を行うと宣言した。
バングラデシュの軍隊はエリートで陸軍13万2000人、海軍1・7万、空軍が1・4万の陣容である。
さてバングラ政変の「黒幕」は誰なのか?
ハシナ前首相は亡命先のインドでメディアの取材に応じ、「明らかに黒幕はアメリカよ」と言っている。
中国では? と切り返す暇を与えず、アメリカ黒幕説の理由を「セント・マーチン島をアメリカは軍事基地として租借し、ベンガル湾で睨みを利かそうとしていましたが、私が拒否し続けたからです」と説明した。ハシナは親中派である。
セント・マーチン島はチッタゴンから南へ、ミャンマー沿いのリゾート島で、バングラの国内観光では人気もあるが、インフラが整っていないばかりかアクセスが悪く、外国人はほとんど行かない。
そもそもバングラは日本の四割しかない面積に一億八千万の人口を抱えて、世界一の稠密度をほこり、そのうえ国土の半分が湿地帯、海岸線はマングローブ、人が住める土地は限られている。
▼軍事要衝の確保を急いでいるのは中国である。
米軍が、いくら地政学的要衝にあるとはいえ、この島を租借して空軍基地をつくるとは考えにくいのではないか。
とはいえ当該島の北にあるチッタゴンは中国がねらっているし、南のミャンマーのチャオピーはすでに中国の石油とガスのパイプラインの拠点化し、将来は港湾近代化を予定している。
筆者は、このチャオピーにも行ったことがあるが、ミャンマーの仏教原理主義過激派が70万人のロヒンギャをバングラに追いだした拠点でもある。中国が大工業団地を造ると言って土地の買い占めをしていた。
一方、インドの心配事は何かと言えば、バングラ国内に19000人のヒンズー教徒、その安全である。バングラではヒンズー教徒への謀略事件が目立ち、8000人のインドからの留学生は政変前後に帰国した。カナダのトロント等では、ヒンズー京都を守れという集会とデモが行われている。
バングラの政治はAI(アワミ連盟)とBNP(バングラ民族党)の対立構造で、最大野党BNPは過去二回の総選挙をボイコットした。
BNP総裁のジア元首相(殺害されたジア将軍未亡人)は自宅監禁を解かれたばかりで、これから政治力量を発揮できるか、どうか。
BNPには過激派JEI(ジャマート・エ・イスラミ)を抱えており、さらにこの分派の過激派が昨今のバングラ暴動を仕掛けたとされる。
ハシナが去って、ラーマンミュージアムは破壊された。ハシナの邸宅は民衆が押し入り、手当たり次第に家具、備品を持ち去った。
エアコン、応接セットから扇風機、絨毯、植木鉢から家畜まで。陽気に歌を唱いながらの略奪だが、新聞も余裕を持って写真グラビアを特集したが、罪を咎める風情はまったくなかった。
▼バングラの産業は繊維だが女工哀史、ユニクロも撤退
さきのグラミー銀行と組んでバングラに繊維工場、店舗を展開したのがユニクロだった。
そのグラミーユニクロは経営方式などで意見が合わず、撤退した。
また日本が援助し、JICAが中心となって、ダッカ市内を縦断する地下鉄は部分開通していた。ところが、さきの暴動で駅や改札などが破壊され、メトロかいつの目途は立っていない。日本企業も新たな難題を抱え込んだ。
日本に住む外国人は増えるばかりで、中国の82万人を筆頭に、二位ベトナムが57万人、三位韓国が41万人。犯罪件数もこの順番である。
四位以下はフィリピン人が32万、ブラジル22万、ネパール18万、インドネシア15万、ミャンマー8・7万、台湾、アメリカ、タイ人とつづき、ミャンマー、ペルー、インドスリランカのあと、第十五位がバングラデシュ人の27962人(23年度末統計)。
そういえば日本のコンビニ店員は十数年前までは中国福建省閥が多かった。
いまではスリランカ、バングラ、ミャンマー勢にカザフスタン、ウズベキスタンなどの新顔。つまり他の国からの出稼ぎ組はコンビニや居酒屋より給与の高いところへ移動したのである。
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アヘン「阿片」
アヘンに含まれる成分「テバイン」から合成する化合物『オキシコドン』をバーデュー・ファーマ社が発売。
1950年代初頭にアメリカで風薬成分として混ぜて販売し、1996年に中毒性の高い『オキシコドン』を関節炎の第一選択薬として販売。
『オキシコドン』はバーデュー・ファーマ社の売上80%を占めた。
薬の審査を行うU.S.A.食品医薬品局も錠剤の販売を認めた根拠になったのは1986年
テレビや新聞などメディアで頭脳明晰な専門家とされカリスマ評論家と称賛されていた「ラッセル・ポルトノイ」は「米国の医師はアヘン恐怖症に陥ってるが、克服する時が来た。慢性的に鎮痛剤として使用している患者の内、中毒になるのは1%未満だ」と連日メディアに出演し140以上の論文や専門誌に名を連ね「アヘンの成分は使用しても問題ない。今の時代に中毒や命の危険など無い」と断言。
医師の多くもポルトノイの主張にはエビデンスがあり正しいと同調するようになり『オキシコドン』をバーデュー・ファーマ社が販売し、2001年には15億ドルの莫大な売上を齎すことになる。
ブラックマーケットでは医療目的以外で販売されるようになり、その5%はインターネット販売��

薬局の強盗では90%がオキシコンチンが狙われていた。
ケンタッキー州ハザード刑務所の受刑者半数がオキシコンチンがらみの犯罪者となっていた。
2007年、バーデュー・ファーマ社の重役3名が『オキシコドン』に関する不当表示などで逮捕起訴された。
メディアに表れる様な専門家が薦めているから、医師が許可しているから、製薬会社が安全だと証明した?
更に、国の審査機関が承認しているから大丈夫?
この様な主張が絶対的に正しいと確信が持てますか?
あなたの身体、あなたの子供や愛する人は誰が守ってくれますか?
誰かの意見では無く、自分自身の頭で捉え、判断できる知識と教養を身につけたいものです。
アヘンケシ
古代シュメール語で「喜びの植物」を意味する〝フル・ギル〟
学名「パパベル・ソムニフェルム」
英語では「オピウムポピー」
中国では音訳されて「アーピエン」
当て字に「阿片」が使われ日本ではそのまま「アヘン」と呼んだ。
アヘンケシの具体的な加工方法が記述された6000年前の石板が発見されている。
ローマ帝国時代には広く流通し帝国崩壊後は危険性を熟知したアラブ人医師が様々な加工を行い金と同価値で輸出した。
十字軍が戦地から持ち帰ることでヨーロッパ中に広がっていく。
自称錬金術師パラケルススは詐欺師で、アラブ人のアヘン加工品をローダナムと名づけ「秘��の薬」として喧伝。

1660年代にはイギリスのトーマス・シデナム医師が甘味を加えて飲みやすくしたローダナムを発売し大儲けする。
1700年代のヨーロッパは治療薬としての使用より娯楽用の嗜好品になっていた。
イギリスではタバコよりも多く消費され子供にも服用させていた。
当時のイギリスでは酒より安全と云われた。

中国にはイギリスよりも遥かに早くアラブ人の貿易商と取引していたが、1600年代にイギリスの貿易船から中国〔清〕にタバコとパイプが伝わりパイプでタバコが大ブーム。
1777年に中国がアヘンの輸入を禁止したもののイギリスはインドからアヘンを買い密輸で中国にアヘンを売りお茶を買ってイギリスに戻るインド貿易が莫大な利益を得ていく。
ドイツでは、1803年に20才でドイツの見習い薬剤師フリード・ゼルチェルナーがアヘンの同じ重さで10倍の強い効力を発揮する物質の抽出に成功。
ギリシャ神話の〝眠の神〟モルフィウスから『モルフィウム』と名づけた。
1827年にドイツの製薬企業「メルク」が〝モルヒネ〟の名称で大量生産。
利益優先でアヘン中毒者に処方薬としてモルヒネを使う医師も多く現れた。
1830年代後半には中国〔清〕でのアヘン中毒者は爆増。
1839年、中国〔清〕はイギリス船から2万箱のアヘンを没収しその場で燃やした。
これがきっかけでイギリスと中国〔清〕は戦争になる。

アヘン戦争は2度起こり中国〔清〕の兵士はアヘン中毒で使い物ならない状態で完敗。中国〔清〕はアヘンの輸入を許可し多くの港を失うことになる。
この時「香港」はイギリスの統治領となり、1888年には中国〔清〕の成人男性70%がアヘン依存に陥った。
この頃、第3代アメリカ大統領のトーマス・ジェファーソンがパリからアヘンを持ち帰りアメリカの薬剤企業が製造販売を開始。
更にゴールド・ラッシュで中国〔清〕からアヘン中毒者7万人がサンフランシスコの港から出稼ぎに入ってきた。

中国〔清〕は、アヘンの売買と売春を兼ねたアヘン窟を形成しギャンブラーや著名人が集まり犯罪者がたむろ��るようになる。
アメリカ人のアヘン中毒者と死者が急増し1875年「サンフランシスコ条例」でアヘンを禁止。
1909年、連邦議会はアヘンの輸入を禁止。
中国〔清〕のアヘン窟も敵発され終息するかに見られた。
アヘンを胃に入れることで中毒になると考えたフランス人医師シャルル・ガブエル・プラヴァズは、体内に直接浸透させる道具を発明。

人類初の〝注射器〟が誕生。
1853年、プラヴァズの作った注射器を片手で簡単に押し出すタイプで血管に直接注入できる注射器をスコットランドのアレクサンダー・ウッド医師が進化させ現在の注射器が完成する。
中毒性が無くなると考えられたが、直接血液に送られることで即効性が高まり中毒患者を増加させてしまう。
ドイツの製薬会社「バイエル」で働くハインリッヒは、モルヒネを酢酸との化学反応させたアセチル化すると、脳に素早く作用して極少量のアヘンで効果がでることを発見。バイエル社はアセチル化で「アスピリン」を造り出し成功していたので「ジアセチルモルヒネ」の名称で販売。
1898年には安全性が高く中毒にならない薬として「ヘロイン」という商品名で販売された。

1900年、アメリカのイーライリリー社は風薬として誰でも簡単に買える安全安心薬として販売。
乳幼児や妊婦でも服用できると宣伝し、第一次大戦では兵士に注射。
咳止め喉飴にも配合し、慈善団体はモルヒネ中毒患者に無料で大量のヘロインを届ける活動が盛んに行われた。
1905年、子供の死亡やヘロイン中毒者が急増し問題視され、1906年の化学物質審議会がヘロインの危険性を指摘した。
しかし、米国医師会は「ヘロインは治療薬として推奨される」と発表。
バイエル社とイーライリリー社は安心安全の薬として宣伝し販売を続け莫大な利益を得ていた。
1924年、アメリカ連邦議会は「ヘロイン防止法」を可決。
製造も販売も禁止された。
1950年代にアメリカの製薬会社「パーデュー・ファーマ」が風邪薬に混ぜて発売したのが、アヘンから新しく抽出した別の成分「テバイン」から合成した〝オキシコドン〟
そして、純度の高い〝オキシコンチン〟を関節炎の第一選択薬として販売。
パーデュー・ファーマ社の売上80%になるヒット商品になった。
1996年には高用量の錠剤を販売。
当時テレビや雑誌にカリスマ評論家として連日出演していた「ラッセル・ポルトノイ」は、オキシコンチンを慢性的に使用している患者の1%しか中毒にならないと訴えた。
テレビ番組の連日出演の効果で専門家としてカリスマ性を得ていたラッセル・ポルトノイは、140以上の関連した論文に共著者として名前を連ね米国医師もエビデンスがある主張だとして支持する様になる。
ラッセル・ポルトノイは「アヘンの成分を使っても、今の時代に中毒になる事は絶対に無い」と断言していた。
2001年にはパーデュー・ファーマ社はオキシコンチンの売上だけで15億ドルもの利益を得ていた。
この頃には、医療目的以外でオキシコンチンを求めるブラックマーケットで大人気となりインターネットでの売買も急速に増加した。
オキシコンチンを狙った薬局の強盗事件も多発し、ケンタッキー州ハザード刑務所は受刑者の半数がオキシコンチンに関わる犯罪者になっていた。
麻薬組織と医師が州の公的低所得者医療扶助制度を悪用して処方箋を1日150枚以上書いたり、全米の医療機関数百カ所でオキシコンチンはばら撒かれていった。
2007年、アメリカ政府はパーデュー・ファーマ社の重役3名を逮捕起訴した。
オキシコンチン事件の元凶は「製薬会社が安心安全と断言している」「医師が承認している」「専門家がテレビで薦めている」「国の審査機関が承認している」だから大丈夫!

SNSが情報源になっている現代に評論家や専門家と名乗る詐欺師先生の言葉を絶対的に正しいと信じる無知な人は実に多い。
そんな馬鹿な人々の子供や大切な愛する人はいったい誰が守ってくれるというのでしょう?
詐欺の被害者や投資で失敗した無能人の多くは常に他人の責任にしてSNSで被害者ぶり誹謗中傷を繰り返している。
他人の意見ではなく最低限自分自身を守ることのできる知識と教養を身につけたいものだ。
#オキシコンチン #アヘン #麻薬 #ケシ
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久しぶりのテキサス。11年振り。まだPjが修士を取り終えたばかりで、PimmyがAustinに住んでいた時に、Austinに行ったのが最後。今回は、Austinより少し南のSan AntonioでAARの年次会議があるので参加。仲間で出す本の会議や、来夏ローマの世界哲学会議の準備会合、自分の発表、研究者仲間内の夕食会などは全て月曜日に上手くスケジュール調整できてしまったので、金曜日から土日は遊ぶ。Dallasから飛んできたPimmyと空港で集合して、早速、テキサスといえばBBQ。巨大ベビーバックリブを食す。
SanAntonioはメキシコ���の領土争いの時に、Rooseveltが拠点とした場所。今回宿泊したMengerホテル内には、Rooseveltがメキシコからの独立のために中心的に戦った12名のカウボーイを集めた酒場、Menger Barがある。彼らが戦闘拠点としたAlamoという場所は、元々はスペインからのミッションが立てた修道院。そこに立てこもってアメリカ人が戦ったので、テキサスがアメリカの一部になっている。Texas prideの中心地でもある。
Mengerでは4泊するので、角部屋のAlamoが見える良い部屋をあてがってくれた。土曜日は朝、ダラダラしながらUNESCO遺産になっているカトリック修道院の午後からの半日ツアーに申し込む。BrunchをTexmexで有名なレストランへ歩いて行く。San AntonioはRiverwalkといって川沿いの道が整備されており、川に沿って街が形成されようとしている。ここ二十年位でwalkable cityへ改造していっている。世界遺産は、スペインのミショナリーが建てた教会や共同生活場所。フランシスコ会や、ベネディクト会が主に来ていたらしく、イエズス会の強欲的ながめつさから思うと、フランシスコ会やベネディクト会は少し性格が異なる。アメリカンインディアン達を教化していくと同時に、機織り、鋳造などの技術も伝授したらしい。見物の後はJazzバーへ。満席といって断られたので、適当に夕食を取っていると、受付のボーイがわざわざ探しに来てくれた。ノーショーだから、席を半額で売りたいという。店にしたら二重の商売だが、有り難く、半額なだけにショーの半分だけを聞く。やっぱり、アメリカのJazzは良い。身体に音楽が染み込んでいるのが良く分かる。でも、この日は良く歩いて、Pimmyによると27000歩も歩いたらしい。
日曜は、またダラダラして、Pimmyが行きたかった有名なパン屋カフェに行く。注文が届くのが遅いと文句を言ったら、注文していなかった私の分のホットチョコレートもサービスでくれた。お昼過ぎにはPimmyを見送り、学会発表準備の結論部分を練る暇もなく、Yale時代の教え子、WayneがAustinから車をぶっ飛ばして2時間もかけて会いに来てくれる。
Wayneはずば抜けて優秀だった。お母さんが大好きな甘えん坊の次男坊。お兄ちゃんと一緒に日本を訪ねてくれた時は、二人を山梨ドライブへ連れ出した。暫くお互いに忙しく、全然連絡を取っていなかったのだが、NYにいる時に、そういえば、WayneってAustinにまだ住んでいるの?とダメモトで聞いてみたら、なに~!!!って感じで会いに来てくれた。金土日は、彼女の誕生日で小旅行中だったのに、彼女をAustinの家に連れて帰ってから、わざわざ来てくれた。ありがたい。
Wayneは、この4年ほどFacebookで働いていたらしいが、12月からはAI関係会社で決算状況をAI判断させるサービスを提供するらしい。Facebookでも、決算関係プログラムを統括していたらしい。コロナ禍で相次いでお父さま、お母さまを心筋梗塞で亡くされたらしい。もう2年前だよマキ。。。ようやく、立ち直ってきたとこなんだよ。。。と。そんなWayneを見ながら、私の方が大泣きする。毎週のようにお母さんやお兄ちゃん、お父さんの話をしては嬉しそうにしていたWayne。無邪気さが無くなり、急に大人っぽくなったと思ったら、苦労していたんだ。お兄ちゃんがいて良かった。。。と。そして、ボストン出身の彼女はお父さんが脳腫瘍宣告を受けて3ヶ月で亡くなるなど、若いカップルは、私の知らない間に、大変なコロナ時代を過ごしていたらしい。人に会わなくて良かったから、本当に助かったねと、段々、昔の無邪気な笑顔に戻る。
今度はいつ会えるのだろう。お兄ちゃんの側に住みたいからと、お兄ちゃんが家を買ったGeorgia、Atlantaに引っ越すらしい。それと同時に転職。彼女は、もうずっとオンラインでの仕事なので、どこに住んでも同じ。彼女ができた時は嬉しく、私にまで報告してくれたっけ。僕は未来に希望を抱いていたいんだよ、マキ。と微笑む。心優しいWayneは、昔のWayneのまま。そして、人生は色々あるね。疲れる。。。と溜息をつく。
Wayneだけでなく、今回はTianyuやYui、Tucker先生と、ほぼ10年程度会っていなかった友人達と再会できた。彼らは、まるで昨日までと変わらない。普通に、つい昨日も会っていたような感覚なのだ。人生の生き方やスタンスが変わらない。結婚やら何やらで人格が変わるように感じる人間は、やっぱり、元々が底浅い人なのかなぁなどと思う。本質は、変わらないでいてほしいが、それが変わったように感じさせる時点で、人間として底浅いっていうことなんだろうな。主体的に人生を生きていないで、周りに流されるバカの証拠でもあるが。。。それに気付かない、気付けないのだとしたら、家族といえど、もうアホすぎて付き合いきれんやろ。。。とも改めて思った。
世界中散らばっている若い友人達。私はなんて幸せ者だろう。Wayneは別れ際に、マキは何も変わっていない。マキはマキのまま。安心した。というかホッとした。Yaleを思い出した。と、ボソボソ恥ずかしそうに言っていた。ちゃんと言語化できているだけ偉い。やっぱり、Wayneはお母さんに可愛がってもらっただけに、性格が可愛いのだ。私はWayneのお姉さんを自負していたが、また、思い出した。お姉さんを自負している分、彼らみたいな良い人間達の精神的拠り所になり続けて上げられるようにと。
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2023年11月14日(火)

今朝もよく冷えた。私は在宅ワークの日、ところがツレアイ(訪問看護師)は緊急対応で、朝6時30分に自転車で家を出て行った。もちろん、相手のあることなのでこんな事態も珍しくない。とは言え彼女は人一倍の寒がり屋、昼前には戻るはずなので温かいランチを用意して迎えよう。どう、こんな話を聴くと少しは心が温かくなったかな・・・、なんてね!

4時45分、ツレアイが早出なのでアラームよりも1時間早く起床。
朝食。
6時30分に彼女が出勤。
洗濯。
可燃ゴミ、30L*2。
ヤクルトさんから、野菜ジュース購入。
あれこれ片付け。
昼前にツレアイ帰宅、お疲れさま。

ランチ、息子たちには出石蕎麦、我々は残り物カレー仕立て。
録画番組鑑賞、

映画・キネマの神様。
日本映画史を飾る傑作、ヒット作の製作、配給、興行を続け、2020年に松竹映画は100周年を迎えました。 『キネマの神様』は、そんな松竹映画100周年を記念した作品となります。 監督は日本映画界を代表する山田洋次、原作はこれまで数々の文学賞を受賞してきた人気小説家・原田マハによる「キネマの神様」。彼女が自身の家族、経験をもとに書きあげた思い入れ深い小説を、山田洋次監督がオリジナルの映画作品へと昇華させました。 2020年3月1日にクランクインするも、撮影のちょうど半分を終えた3月末に、ダブル主演を務めるはずだった志村けんさんがご逝去されました。程なくして日本政府による緊急事態宣言が発出し、撮影は長期中断を余儀なくされるなど、あらゆる困難が降りかかりました。 しかし、世の中がどうなるか分からない状況下でも、山田監督はじめ制作スタッフは撮影の再開を信じ、前を向いて準備を進めました。 撮影休止中に山田監督は脚本を再考し、新たなキャストを迎え、感染症対策を万全にした態勢で撮影を再開。このような長い旅路を経て、作品を届けたいと願う全ての人の想いが込められた本作がついに完成し、2021年8月6日に公開を迎えます。
観たかった映画、BSプレミアムの放送で見ることが出来た、感無量。

久しぶりにウォーキング測定、セントラルスクエア花屋町店で買い物して帰宅。

夕飯、無水鶏ジャガ、目玉焼き、白ワイン。
録画番組視聴。
秋・根室本線を呑む!
初回放送日: 2023年11月13日 俳優・六角精児が「酒」と「鉄道」という偏った視点で旅する▽一部区間の廃線が迫る北海道の根室本線を乗り納め▽絶景の鉄道遺産を訪ね、ご当地グルメと美酒に舌鼓! 「呑み鉄(のみてつ)本線・日本旅」第33弾は秋の北海道▽富良野から新得まで廃線になる根室本線の旅▽空中に浮かぶ貨車!?三井芦別鉄道の廃線跡▽幾寅駅なのに「幌舞駅」と書かれているのはなぜ?▽本シシャモ、ホッキ貝、原木シイタケ…北海道の味▽いつまでこの姿を見られるのか…風化が進む旧士幌線・タウシュベツ川橋りょう跡▽国立大学にできた酒蔵で若き醸造家と語る▽池田町の「町民用ワイン」、その飲み方にビックリ!
片付け、入浴、体重は300g増。
日誌書く。

久しぶりのウォーキングで、軽く3つのリング完成。
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
アイウエオカキクケコガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ドナニヌネノハヒフヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを日一国会人年大十二本中長出三同時政事自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地合市業内相方四定今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当八六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初北午指権心界支第産結百派点教報済書府活原先共得解名交資予川向際査勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投示変打男基私各始島直両朝革価式確村提運終挙果��勢減台広容必応演電歳住争談能無再位置企真流格有疑口過局少放税検藤町常校料沢裁状工建語球営空職証土与急止送援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車優夫研収断井何南石足違消境神番規術護展態導鮮備宅害配副算視条幹独警宮究育席輸訪楽起万着乗店述残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺造英被株頭技低毎医復仕去姿味負閣韓渡失移差衆個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望松非撃佐核観察整段横融型白深字答夜製票況音申様財港識注呼渉達良響阪帰針専推谷古候史天階程満敗管値歌買突兵接請器士光討路悪科攻崎督授催細効図週積丸他及湾録処省旧室憲太橋歩離岸客風紙激否周師摘材登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺央券赤号単盟座青破編捜竹除完降超責並療従右修捕隊危採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販園具左異歴辞将秋因献厳馬愛幅休維富浜父遺彼般未塁貿講邦舞林装諸夏素亡劇河遣航抗冷模雄適婦鉄寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換久短油妻暴輪占宣背昭廃植熱宿薬伊江清習険頼僚覚吉盛船倍均億途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊洋静善逮婚厚喜齢囲卒迫略承浮惑崩順紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等救執層版老令角絡損房募曲撤裏払削密庭徒措仏績築貨志混載昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星傷永択秀著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘拒刑坂刻底賛塚致抱繰服犯尾描布恐寺鈴盤息宇項喪伴遠養懸戻街巨震願絵希���契掲躍棄欲痛触邸依籍汚縮還枚属笑互複慮郵束仲栄札枠似夕恵板列露沖探逃借緩節需骨射傾届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端賃折紹獲郡併草徹飲貴埼衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑章臓律誘紛貸至宗促慎控贈智握照宙酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯排裕堅訳盗芝綱吸典賀扱顧弘看訟戒祉誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯硬妥威豪熊歯滞微隆埋症暫忠倉昼茶彦肝柱喚沿妙唱祭袋阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻封胸娘砂李塩浩誤剤瀬趣陥斎貫仙慰賢序弟旬腕兼聖旨即洗柳舎偽較覇兆床畑慣詳毛緑尊抵脅祝礼窓柔茂犠旗距雅飾網竜詩昔繁殿濃翼牛茨潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏零酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅泊尽杯僕桜滑孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡疲稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩帝宏唆鳴阻泰賄撲凍堀腹菊絞乳煙縁唯膨矢耐恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇曽械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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「やっぱり勝ちたい。引き続き力を合わせていきましょう」
~きんようび通信No.758📚~
2025年6月27日
※本日(6月27日)15時より最高裁第三小法廷で「いのちのとりで裁判(生活保護基準引き下げ違憲訴訟・大阪及び愛知訴訟)」の判決期日があります。13時より行う宣伝活動で話しする内容をまとめてみました
▲大阪の裁判は、2014年12月19日に提訴して今日で3844日目となります。振り返ると実に様々なことがありました。この後15時からの判決が何を言うか、しっかり耳を傾けようと思っています。大阪から原告・弁護団・支援者合わせて40名近くが参加しています
▲「だまってへんでこれからも」と言う本を持ってきました。全国29地域で初めて勝訴となった2021年に作ったものです。タイトルを付けた堰立夫さんは、逆転敗訴だった2023年4月・高裁判決前に亡くなりました。最高裁での勝訴を誰よりも望んでいる一人だと思います
▲51人いた原告は今33人、13人が亡くなっています。ほとんどの方が高齢で身体の不調や将来への不安を持っていますし、追い討ちをかけるかのように米不足・物価高騰がのしかかっています。長年こんなに辛い思いをさせてきたことに対し国は謝るべきではないでしょうか
▲政治が歪めた行政を正すのは司法の役割です。1ヶ月前の口頭弁論で5人の裁判官は原告の方を真っ直ぐ向いて話を聞いてくれました。もし私たちが望む結論以外の判断だったとしたら、日本の民主主義に大きな禍根を残します。最高裁には人権の砦としての役割を必���果たして欲しいです
▲生活保護制度はすべての人の暮らしに影響があり、「土台沈めばみんなが沈む」と訴えてきました。私たちは人として尊重され、誰もが安心して暮らせる社会を望んでいます。今日で一つの結論が出ますが通過点に過ぎません。でもやっぱり勝ちたい。引き続き、力を合わせていきましょう
【今日は何の日📌】
【今週の一句🔖】
酒飲み🍻🍶🥃川柳
託された
お猪口を掲げ
空を見る
【今週の歌🎸】
・Lady Gaga - Abracadabra(Official Music Video)
来年1月に来日するレディ・ガガの最新アルバムに入っている曲。一応チケット申し込みましたがきっと当たらないと思います🤨
#LadyGaga #レディガガ
youtube
【今週のグルメ情報😋】
・カフェこぴーぬ‥京丹後市網野町島津3020ー1(網野駅、約3キロ)
昨年12月に見学させてもらった「あみの福祉会」が運営するカフェ。オムライスのランチ、とても美味しかったです。ケーキも色々食べてみたいです🍰🧁

【追記📝】
異常な暑さですね。水分補給を確実に行いながら、体調管理に気をつけましょうね。農業に影響が出ることを考えると怖くなってしまいます😱
通常国会が閉会・都議選も終え、次は参議院選挙です。必ず投票に行きましょう。私たちの行動が政治を変える流れにつながります😉
#きんようび通信 #いのちのとりで裁判 #だまってへんでこれからも #生活保護は権利 #最高裁 #人権の砦 #やっぱり勝ちたい #選挙に行こう #参院選
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つじしまみちこ寄稿 「私の音楽生活」
「嗚呼、真実とはこれ程までに退屈か!」と、事実に基づいた文章を著わす度に考える。日常の軛から逃れる為に創作をしているにも関わらず、何故、現実の雑事を子細に記載しなければならないのだと思い始めると、途端に気が重くなり、やがて、官僚のような生真面目さは影を潜め、自ずと筆は虚構の世界へと向かい始める。そして、いっその事、一から十まで、何もかも創作してしまった方が良いとさえ思うに至るのが常であるのだが、今回は出来得る限り真実を記す事にする。
不労所得を得る為、BGM、音楽素材の作編曲に励んでいた2010年代半ば頃、ドラマでも映画でもゲーム音楽でも、とりあえずは金になれば何でも良いと思っていたので、柄にもなく、コンペへの応募の他、音楽配信サイトへ登録し、出来るだけリスナーの印象に残るようなメロディアスで奇抜なアレンジの音楽を量産しては投稿を繰り返していたのであるが、音楽素材の利用者は何人かいたものの、一向に大きな収益には繋がらず、知名度も上がらないまま一、二ヶ月が過ぎた頃、とうとう好きでもないものを作る事にも嫌気が差し始め、以来、一般向けの作品制作を完全にやめてしまった。
当時、既にメジャーコードのクリシェと作曲者自身がその名も分からぬような不穏な和音を組み合わせた「躁鬱ポップ」の原型は出来上がっていたので、一般に流通しているドラマや映画、アニメ、ゲーム内で流れている、ありきたりなBGMのようなものは、別に私が作る必要はないとさえ思うようになったが、AIによる作曲の実用化がなされつつある昨今、この判断は誤っていなかったと思う。作編曲はセンスなどではなく、殆ど、単なる技術に他ならないが、音楽は既に市場において、需要に比して供給過剰な状態であり、本業で十二分な収入を得ている私にとっては、アレンジやミックスにどれ程の手間暇を掛け、どれ程その技術を極めようと、機材を一新しようと、投資に見合ったリターンは望めないのが実情である。今も昔も私は別段、有名になりたい訳ではなく、ただ単に自分のしたい事がしたいように出来れば良いだけであるので、頭に血が上ったバンドマンのように、大手レーベルと契約したり、マスメディアに登場したいとは思っていない。醒めていると言えば醒めてもいるが、低俗で知能指数の低い輩と関わった所で私に何一つメリットはないという態度は昔から一貫している。
「つじしまみちこ」名義でウェブ上に音楽を投稿し始めた2019年頃も同様の心境のまま、最早、リスナーに対しての嫌がらせ以外の何物でもないものを作り続ける事になり、やがてそんな自分自身にさえ嫌気が差して、公の場で音楽を公表する事を20年代に入ってから止めてしまう。やがて、音楽への探求心さえ失った私は、COVID-19のパンデミックの最中、世界規模の「大本営発表」を前に一色に染まった大衆に対して怒りが爆発した結果、愚かな三政権が延長に延長を重ねた緊急事態宣言を完全に無視し、日本中を旅しては地酒を呷る日々を送ったのだが、そんな放蕩生活を送った後に出会ったのが次の一曲である。
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2023年頃、私は新しい音楽への興味すら失していたのであるが、Caroline Polachekの「Desire, I Want To Turn Into You」は発売と同時期に聴き、感激してすぐさまMP3を購入した次第である。自殺衝動に苛まれて抑鬱状態となったメンヘラアーティストたちによる電子音楽をとうの昔に聴き飽きていた私は、Carolineのどこか退廃的でありながらも肉感的な音楽に、喪失した身体性の回復を感じた。私も自身の音楽のスタイルを一新しようと思い、DAWを立ち上げ音作りを始めるのであるが、どういう事か一向に熱意が湧かず、2、3小節を作っては消してを繰り返す内、2年半の時が経過していた。気が付くと、岸田内閣は倒れ、石破内閣は成立直後に衆議院選挙で敗れ、故安倍晋三を後援したネトウヨと創価学会員のコラボレーションによって2012年に再誕した自公政権は風前の灯となっていた。明らかに新しい時代の兆しが見え始めた頃、私は徐々に創作意欲を取り戻し、新譜の制作に取り掛かる。
2024年の衆議院選挙の結果を見て私が思ったのは、右側からではなく、中道・リベラルの側から、右派政党自民党が作り出した「戦後レジーム」と言う名の過去の清算とそれらとの決別を本当の意味で行う必要があるのだろうという事である。安倍晋三が2012年に政権の座に返り咲いて以降、あたかも20世紀へ回帰したような奇妙な政治状況が作り出されたが、この国が安倍という男によって10年以上に渡り翻弄された事は間違いない。知性の欠如した首脳による2度目の劇場型政治は、安倍の暗殺、岸田の暗殺未遂、そして石破政権下での火焔瓶の首相官邸への投擲という悲劇に終わり、かつての小泉劇場と異なり、笑う者はいなかった。新譜制作の最中、私の頭の中では自身の置かれている現況や国政・社会状況についてのそのような想念が次々と浮かんでゆくのであった。
そうした中で生まれたのが、この度の新譜「Goodbye to AI」である。なお、断っておくが、ここで言う「AI」は「Abe's Intelligence」の略称ではない。
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『ブロッコリー・レボリューション』岡田 利規
5編入っている短編集。どれも特徴的で文体はややバラバラ、温度感も幅があり、多芸さは好感が持てる、かも。
『楽観的な方のケース』は、もうただの恋愛小説として読んだ。いや思えば苦境に立たされるパン屋を通じて市場経済に対する虚しさを吐いているようにも見えるが、結局は破局の道をたどるかもしれないカップルをパン屋に投影するということのみがテーマであると考えた方がすっきりした。
『ショッピングモールで過ごせなかった休日』は、ある種の内向性叩きの作品にも読めた。もっと平たく超極端に言うならオタ叩きの作品である。田辺聖子の『うすうす知ってた』的な気配のある作品でもあり、いや南木佳士『急須』の方が近いか? とにかく内に籠る者の世界観が強烈な生き方をしている人間を通じて変わる話である。「晒す」行為の存在するネット社会への冷笑を含んだ作品にも読めなくはないが、まあでも個人の変化の話でしかないか。
『ブレックファスト』『黄金期』と表題作はどれも日本、というより東京に置いて行かれた者の作品に読める。
前者は「妻」たる主人公の視点で、女性のグラビアの載る中釣り広告への描写などから今の日本の消費性の鬱憤が伺えそうな一方、その人物を東京で待つもう一人の主人公「夫」の言を信じるなら彼女は半ば陰謀論的なものに片足を突っ込んでしまっている状態でもある。どちらも確かに「東京」が象徴する「現代」になじめない者の思考ではあるのだ。その二面性を一人に押し込みつつ、そしてそれを東京から眺めるかつて近しかった者を置く。示唆的にも見えるがむやみに掘ると単に自分の思想的なポジションを念頭に置いたトークにしかなりえない、気がする。どこまで夫の言い分を信じるか、どこまで妻の東京への視線に寄り添うか、或いは批判するか。
『黄金期』はかなりSFが入っているが、これも東京を舞台にどう馴染むか、或いは馴染めないかという話を多面的に描いている作品だ。二人称でずっと語ってる。主人公が持っていた浮遊能力と「落ちてきたら危ないから降りろ」という言葉で能力を失うというのは、どういうメタファーなのだろうか。単に東京に談合できずに変わっているというだけでなく、それが急に適応した人間こそが危ないのだろうか? 詐欺に堕ちたりよく分からん商売に手を出したりすると考えているのだろうか。都市の中で生きることに虚しさを感じているように読めるのだが、ずっと東京暮らしの俺には微妙にそれに対して本質的な理解には至っていない気がする。
感想を書いていて気付いたが、表題作の『ブロッコリー・レボリューション』は前4編の総決算であるのだな。男女の破局の話であり、「現代日本」たる「東京」との破局の話であり、二面でモノを語る話であり、内に籠る存在と外に出る行為の話である。
止めどない挿入表現による類型を見ない特徴的な文体(俺が知らんだけかも)がまず頭に残るだろう。いちいち書かれる「ぼくはいまだにそのことを知らないでいるしこの先も知ることは決してないけれども」が非常によく頭に引っかかる。そして東京五輪に対する批判的な視点、ツーリズムに対する批判的な視点も印象に残るだろう。
主人公のもとから逃げ出したとされる「君」は、東京五輪の宣伝に沸き立つ様子を通して、自分自身を、そして恐らくその自分自身の奥にいる弱者らを置いて行っている「東京」に辟易としてタイに至る。しかしタイを感じた酒類の扱いやサッカー少年らの一件もまた何かを置いて行って出来上がった話であり、立場が旅行者になったことで自分が批判的に見ていた者自身になっていたこと、階級への無頓着さを知る。
しかし、これらは全て主人公が知るはずもないことで、つまりモラハラ気質のあった彼の妄想であるわけだ。しきりに語り掛ける形で彼女を叱咤する主人公であるが、あくまで妄想、であるはず。彼はむしゃくしゃした気持ちで東京を歩き、自転車なんぞを倒したりしているわけだ。
では「君」の思想は、一体誰の、どの立場の人間の物なのか? 全て妄想なのかあくまで「君」の考えなのか。感情で思想を判断するときに、これは重要な点である。好ましい者の考えなのか好ましくない者の考えなのか、被害者の物なのか加害者の物なのかが変わるからだ。だからまあ、感情で思想を判断してはいけないんだろうけどね。
この作品は、だからこそ作者の考えをそう簡単に透視することはできない作りになっている。思想を投げてはいるが、投手をぼかしてスタンスを若干不明瞭にしている。うまい。強い。これは面白い。
文体も挑戦的過ぎて面白かった。普通なら罫線を入れたり接続詞を入れたりするはずなのにそれがないだけで、異様な浮遊感が出る。思考そのものをそのまま垂れ流すように書くやり方として自分もこういうのは思いつくが、ここまで読みやすくは書けない。
常に「東京」に、そして資本で回る「社会」に対する不満を感じる作品群ではある。きっと作者はそれを抱いているのだろう。しかしそれをストレートに投げない。二面入れる。演説でなく小説として手元に来る。この一冊そのものは墓に入れておきたいかな。
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豊島 心桜は、日本の女優、グラビアアイドル。新潟県五泉市出身。アービング所属。 ウィキペディア
生まれ: 2003年9月25日 (年齢 21歳), 新潟県 五泉市
身長: 167 cm
事務所: アービング
活動期間: 2018年 - 現在
職業: 女優、グラビアアイドル
スリーサイズはB82-W62-H88。かつては洋服を購入する際に胸が入らずあきらめるなど、巨乳がコンプレックスで知らず知らずのうちに隠そうと猫背になっていた。また、SNSに写真を公開する際にはボディーラインが出る服を着ない、横向きのものは加工ツールで小さくするなど、胸を目立たなくなるよう逆加工していた。かつては削ぎ落としたいとまで思い詰めており、これを活かせるグラビアの仕事をしていなかったら確実に要らないと思っていたという。なお、巨乳については祖母や叔母に似たと自己分析している。
高校時代より『週刊プレイボーイ』からグラビアのオファーがあったが、上記の理由で抵抗感や恐怖感を持っていたために断っており、高校卒業後にオファーを受諾した。母と祖母は最初のオファー時点で乗り気だったうえ、2歳下の弟の彼女も応援してくれており、『メジャー感』を購入したことを弟経由で連絡してきたという。なお、祖母はグラビア開始以前に(ドラマやバラエティなどの)出演作品をすべてチェックしており、厳しいアドバイスもくれていたという。また、同デジタル写真集の表紙は『君が獣になる前に』のプロデューサーの目に止まり、それを見せてもらった監督も快諾した結果、千田ミヤコ役への起用につながったという。
高校2年時に校則で禁じられていなかったからとUber Eatsを呼んで学校に激怒された結果、3年時の生徒手帳には「デリバリー禁止」が追記された。また、水泳の授業については「朝から塩素の入った水で髪を濡らしたくない」との思いから体調不良と偽って一度も出なかったため、入学時に購入したスクール水着はタグ付きのままで実家に眠っている。当時はオンライン授業ばかりになるなどのコロナ禍にあり、修学旅行については駄目になった海外の代わりである沖縄へ荷物を送ったが、生徒に新型コロナウイルス感染者が出たことから沖縄も駄目になり、1週間後に荷物が返ってきた。さらには、大阪へ変更された時点で緊急事態宣言が出されたため、すべて中止になってしまったという。
スカウトされて仕事を始める前は社長かキャリアウーマンになりたいと思っていたが、20歳になった後は心境に変化が生まれており、タレントとしてこのスタイルが活かせるかもしれないと思うようになったほか、グラビア撮影の際にスタッフからスタイルを褒めてもらった結果、やっても良かったとの旨を述べている。初披露後の反響は凄く、もっと早くからグラビアを始めていれば良かったとの旨で後悔を滲ませている。
『週刊プレイボーイ』2023年47・48合併号にてグラビアを初披露する際にビキニを着用したが、これは1歳半の時にキティちゃんのビキニを着用した時以来のことだった。なお、初披露に際しての予習では頓知気さきなのグラビアを良いと思っていたところ、掲載号の表紙を彼女が担当していたため、思わずテンションが上がってしまったという。また、通常の『週刊プレイボーイ』を見ておこうと思っていたが、増刊『週プレPREMIUM 2023上半期グラビア傑作選』に多数のグラビアアイドルが掲載されているのを見てこちらを先に買い、後から通常の『週刊プレイボーイ』や何冊もの写真集も買って予習したという。
特技は幼稚園年中から中学3年末まで10年ほど続けたクラシックバレエ。ただし、2019年7月時点で身体は固まって久しく、ストレッチ時に頑張れば開脚ができる程度との旨を明かしている。
月に2回は猫カフェへ通うほどの猫好きであるが、上京後は猫アレルギーになってしまい、猫と触れ合う際にはマスクを着用している。
好物にラーメンや麻辣湯(中国語版)を挙げており、前者は週1回、後者は週2回食べている。一方、シイタケが苦手だったが20歳になった後は食べられるようになったという。
マネージャーはかつて小池栄子を担当していたことからも、豊島には「グラビアもおしゃべりもお芝居もできるようになりなさい」と指示しているという。
本名でもある「豊島心桜」のうち名前の「心桜」は、祖父が好きだったドラマに「桜」の名を持つ人がいたことからその漢字を使いたく、「こころ」か「さくら」にしたいという願望を同時に叶えたものである。
酒については、飲み始めた当時はビールや梅酒のソーダ割りなら飲めるかなという程度だったが、その後は担当編集者と飲みに行かせてもらった際に同じペースで飲んでも自身はまったく顔に出なくなったという[8]。ただ、酒よりもコーラの方が(20歳になる前と変わらず)好きであるという。
2歳時に中山競馬場へ親戚のおじさんに連れて行ってもらったことをきっかけに、競馬好きとなった。当時は遊具場にて遊んでいてレースは見ていなかったが、新聞と赤ペンを持って大騒ぎするおじさんのディープな姿に抵抗はなく自然と惹かれていき、馬券を買えるようになった後の2024年2月24日には同競馬場にて馬券師デビューを飾ったという。
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2025/4/3 16:00:25現在のニュース
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毎日が記念日
11月10日は…
断酒宣言の日
全日本断酒連盟が制定。
1963年11月10日、全日本断酒連盟の結成記念大会が開かれ、11月のNovemberを「もう飲めんばー」、10日を「酒止(十)まる」と語呂合せなんです。
断酒は、ちょっと…
【疑わしいAI-イチロウによる11月10日の出来事】
1951年 - 朝鮮戦争の休戦協定締結:朝鮮戦争における北朝鮮とアメリカおよびその他の国々との間の休戦協定が、板門店で締結されました。この休戦協定により、朝鮮戦争は終結し、北緯38度線を境に南北に分割された朝鮮半島の現状維持が確定されました。
1975年 - アンゴラ内戦勃発:アンゴラで共産主義政府と反乱軍勢力との間で内戦が勃発しました。この内戦は、冷戦時代の影響を受けたもので、数十年にわたって続き、アンゴラに深刻な影響を与えました。
2001年 - Windows XPの発売:マイクロソフトは、Windows XPと呼ばれる新しいオペレーティングシステムを発売しました。Windows XPは非常に人気があり、多くのユーザーに採用されました。
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兵庫県の斎藤元彦知事や側近によるパワハラやたかり、公金不正使用などの疑惑が次々と発覚するなか、県議会の調査委員会(百条委員会)が県職員に行ったアンケートの中間報告の全容がわかった。企業に面と向かって商品をせびり、県庁内では「知事の言うことが聞けんのか」と怒鳴り倒してパソコンを投げつける――。今まで断片が伝えられてきた斎藤知事のふるまいだが、部下職員たちの直接証言は想像を超えるひどさだった。 高額商品でもためらいなくおねだり 「その靴ほしいです。白い靴がほしいです」 斎藤知事が“CO2排出量が世界最少になる靴”を開発したメーカーに対しそう言ったという面談記録を読んだ県職員は、「恥ずかしく感じた」とアンケートに記した。 百条委のアンケートは約9700人の県の全職員を対象に行われ、69%にあたる6725人が回答した。このなかで斎藤知事が贈答品を受け取っていることについて、実際に見たり、聞いたとの回答は946に上った。 「知事が播磨の牡蠣が食べたいと要望しているとの連絡があり、R4.3.12に食事会をセッテイングした。知事は食事後、トロ箱に入った牡蠣を土産として持ち帰った。なお、食事代、土産代はお支払いになっていません」 「昨年度、レゴ展のレクの際に、知事から世界遺産登録30周年記念で発売された『姫路城のレゴブロック』を飾りたいので用意できないかとの発言があった。後日、秘書課に届いているのを実際見た」 昨年6月、姫路城がレゴになったと宣伝する斎藤知事(本人Xより) 昨年6月、姫路城がレゴになったと宣伝する斎藤知事(本人Xより) すべての画像を見る 「皮革製品の現場視察で40万円相当の革ジャンを試着して『これはいい。もらえないか』と知事がおねだり。あまりにも高額な品のため、結果、無償提供はできないと結論づけられたと聞いた」 2021年の知事選当選直後から頻繁な県内出張を繰り返した斎藤知事。だが、その目的も、行政運営のためだったのか疑わしいと思わせる証言も続いた。 「視察先は、何が食べれるか、もらえるかで決めていると聞いた。実際に、R5は視察先の赤穂で牡蠣を食べている」 「知事が視察に行くことを『遠足』、視察時に持ち帰る物品を『お土産』と揶揄し、『遠足が好きやから』『お土産必須やから(困るわ)』と県職員があきれた感じで話すのを聞いたことがある」 職員が受取りを固辞したものまで独り占め 行く先々で、狙ったものを必ずゲットしようとする熱意もすさまじい。 「『ください』と言葉にはしないが『ほしい』オーラがすごかったとのこと」 「+Nukumoriマルシェ(障害福祉事業所で作った授産商品のセレクトショップ)で関係者が自費で購入する隣で、無償でもらえるのをひたすら待ち、しびれを切らせた関係者が自身の財布から授産品を知事のために購入しているのを現認しました」 カニ、玉ねぎ、養殖ノリ、黒枝豆、ゆるキャラ抱き枕、ジャケット、シューズ、自転車、播磨織ネクタイ、法被、バースデーケーキ、日本酒…。知事がもらっていったと県職員が挙げるものは枚挙にいとまがない。 昨年9月、ズワイガニの加工工場視察をXで宣伝した斎藤知事(本人Xより) 昨年9月、ズワイガニの加工工場視察をXで宣伝した斎藤知事(本人Xより) 「使わない物でも、とりあえず何でももらう、ほしがると職員から聞いた」 「農家から大量の野菜をもらったり、牡蠣の養殖業者から大缶の牡蠣をもらった際も、独り占めして全部自宅に運ばせる。知事家族では食べ切れないほど大量の生鮮食品をどうしているのか、との疑問もある」 回答者の一人は「県職員は県民・事業者との応対時に贈答品はすべて受け取らない対応をしている」と、公務員としての当然の心がけを職員は実践していると指摘しながら「にもかかわらず知事は積極的に求めている」と続け、県トップだけが公職者の倫理を破り続けてきたことを嘆いた。 醜いのは、随行職員が受け取りを固辞したものまでガメて持ち帰る姿だ。 「冬の但馬へ出張に行ったときカニをお土産に用意されたようだが、随行者が受け取りをお断りしたら、断った随行者の分も含めて、知事が独り占めして持って帰ったと聞いた」 斎藤氏はこうしたたかり疑惑について、8月22日、出張先の鳥取県で「賞味するものについては、���人で��べさせていただくことはあったが、あくまで県としての受領だ」と珍妙な主張を記者団に開陳した。だが「県として」飲み食いした後、何を還元したのか。 「まったくPRしてくれない。飲んだことも忘れている、と聞いた」 「(カニ業界の)関係者が、知事が何回も来てその都度、カニなどを持って帰ってもらっているが、それを目当てに来るので、もう来ないでほしいと言っているとのこと」 パワハラで県政の停滞を招くほど じつは、こうした憤激を隠し切れなくなった県職員の中には、知事のタカリ行脚の尻ぬぐいに回っている人が少なくないこともアンケートから浮かび上がった。 「知事はお土産必須で、各普及センターの所長のポケットマネーからお土産代を捻出していると人づてに聞いたことがある」 「視察時にお土産がもらえると知事の機嫌がよくなるので、視察の担当者が視察先にお土産を渡してくれるように事前に依頼したり、自腹で会計しておいて、知事にはお土産という体(てい)を取ったりしていると複数人から聞いた」 驚くべきおねだりの実態が明かされている(兵庫県職員アンケート中間報告より) 驚くべきおねだりの実態が明かされている(兵庫県職員アンケート中間報告より) 兵庫県の受難はもちろんこれだけではない。これまで漏れ聞こえてきた斎藤知事の県職員へのパワハラは、県政の停滞を招くほどのものであることも見えてきた。 「令和5年4月11日に知事レク(定例記者会見の項目説明)に陪席した際、レク開始早々に知事は『聞いてない』と発言、持っていたペンを机上に放り投げ、場の空気が凍りつきました。 その日は当該案件について一切説明を聞いてもらえず、後日改めて個別レクに入るための日程調整等からやり直すこととなったため、約1ヶ月間、記者発表(=事業開始)が遅れました」 「自分の知らないことが報道で出ると激怒すると聞いた。例えば、淡路のサイクリングロードのモニュメントの除幕式を知らずに激怒したことで、その後の二つ目の着工は止められ完成が遅れている」 「打ち合わせで,知事の思いと少し違う意見を述べたところ、君の意見は聞きたくないと激怒された。知事室に呼ばれて待っていると、長い時間待たせた挙句、一人で知事室にいるにもかかわらず、気分が乗らないと言われて面談はキャンセルされた」 「人間として扱ってほしい」と漏らす秘書課職員 見えてくるのは、感情の赴くままに行政の方向を決めたり、施策を止めたりする“独裁”ともいえる姿だ。 「メモ用の鉛筆の芯がとがりすぎていた」「会議室の温度が低い」「机の配置が気に入らない」「ペンのインクが出にくい」。 信じられないほど些細な理由で機嫌を損ねる斎藤知事が、職員を「お前」「こいつら」と呼んでいたとの証言も複数ある。 協議などで自分の意見が通らないと「腹立つわ」と8回以上繰り返したとの証言や、「土木部の人を机をたたきながら『ボクは知事なんだぞ。知事の言うことが聞けないのか』と叱責」したとの記述もアンケートにはある。 知事は日常的にパワハラを行なっていたようだ(兵庫県職員アンケート中間報告より) 知事は日常的にパワハラを行なっていたようだ(兵庫県職員アンケート中間報告より) まともなコミュニケーションが成立していたのか疑わしい県庁内。斎藤知事らの問題行動を記した告発文書をメディアなどに送った元西播磨県民局長のAさん(60)(7月に自死)が県民局長職を更迭された直後の今年4月1日、知事との協議では「ICレコーダー等機材の持ち込みは現に慎むこと」とする要綱が秘書課などから出されたと、回答者の一人は記した。 知事との協議の記録は政策立案段階では当然だとするこの回答者は、録音の禁止は知事のパワハラ発言の証拠公開をけん制する狙いだろうと指摘している。 知事の意向を他の部局に下ろす秘書課は今や県庁内で怨嗟の的にもなっていることをうかがわせる回答もあった。だが、ある職員は「秘書課の職員が『人間として扱ってほしい』と言ってました」とも書き込んだ。県庁全体が負のスパイラルに陥っているかのようだ。 「知事からパソコンを投げつけられたことがある」 アンケート回答の中には、そんな被害を直接当人から聞いたとの記述もあった。パソコンを投げつけられた当人は、百条委員会の証人尋問で証言するつもりがあるとも話していたという。 その証人尋問は8月23日、非公開で最初の6人に対して行われた。斎藤知事に対しては8月30日、公開で行われる。 足元からこれだけの非難の声が噴き出すなかで、斎藤知事はどう弁解するつもりなのか。 ※「集英社オンライン」では、今回の問題について、情報を募集しています。下記のメールアドレスかX(旧Twitter)まで情報をお寄せ下さい。 メールアドレス: [email protected] X(旧Twitter) @shuon_news 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
<兵庫県職員アンケート全容入手>「ボクは知事なんだぞ!」カニ、靴、革ジャン、姫路城のレゴ…“おねだり知事”のあきれたタカリ癖「視察先は何がもらえるかで決めている」パソコンを投げつけられた職員も | 集英社オンライン | ニュースを本気で噛み砕け
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二十年続けて来たバンドに今年で一区切りつける決心をした。 青春...というか、自分の人生の一番元気な時期を捧げてきた活動だった。 ここしばらくその公示のためにフライヤー作ったりウェブを更新したりイベントの準備をしたりしていたけど、いちいち心へのダメージが大きくてなかなか大変だった。バンドマンなら知っていると思うけど、「バンマス」というのは死ぬ程孤独な立場なのだが、二十年の中で一番孤独を感じた(苦笑)。寝る前の酒量が増えた。幸い?繁忙期である夏の仕事の準備や、レッスンや教室や、ブラジル太鼓の学校公演/ワークショップのツアー、そして相変わらずの家事育児で本当に忙殺されていて...気が紛れて、とにかく前に進めた所はある。 キウイとパパイヤ、マンゴーズ。略称K.P.M.。 最初は本当に、大学の音楽サークルの営業バンドとして軽い気持ちで、キウイちゃん/パパイヤちゃん/マンゴーちゃんという女子大生三人(すぐにキウイ&マンゴー二人になった)が歌うポップかつアーバンなレゲエ...くらいのノリだった。自分が作曲をするなんて思ってもいなかった。 デビュー作になったこれは曲も詞も正真正銘自分の処女作(22歳くらいの時)で、とても軽いノリで作った。メンバーに聞かせる時はやたら緊張したけど。まあでも今聴くと、特に何も考えてなかったとはいえ自分のミュージシャンとしての根っこはこういう感じなんだよな、と思う。
Maruyeyi · Let's start makin' dub(Gentle rhodes Dub by AG Kanno)
その後、自分のやりたいことや思い、考えを伝えたい。何よりこの日本で「音楽」をやる時の気持ちの悪さや居心地の悪さを何とかしたい!と思って舵を切り換えてやって来た。「モテたい!」とか「売れたい!」とかいう気持ちももちろんあったけども、それより圧倒的に別のことについて思考や行動のエネルギーを使っていた。そんなことやってたらお金になるわけないし、同業者にもあんまり気に入られないし、可愛がられないし、大変なのは仕方ない。楽しかったことよりも、とにかく必死でしんどいことばかり先に思い出す。よく二十年も続いたものだと思う。 自分がバンドで何をやりたかったか、というのは、二年前にアぺトゥンぺ×KPMで出したEP 『KOMPU SATKE MENOKO(昆布干し女)』 をリリースした時に、お買い上げいただいたとあるお客さんからのメールがもの凄く的を射ていてビックリしたので紹介させて欲しい。
【キウイとパパイヤ、マンゴーズについて思っていたことと、新作「Kompu Satke Menoko」の感想】 「トロピカルジャパネスク」や「ワールドワイドローカルズ&アワジェイポップス」では、シャレの効いたタイトルを見たあと音楽を聴くとツッコミどころ満載で、タイトルの意味と行ったり来たり、考えるうちに笑ってしまった。 洒落ているというより皮肉っぽいのかもな。 「これがジェイポップだろ?」と投げかけられた。怒りと笑いの混じった挑発を感じた。 キウイとパパイヤ、マンゴーズの音楽を聴く誰かにはその音楽がジェイ的なものへのアンチテーゼであるように見えるのかもしれない。だがキウイとパパイヤ、マンゴーズにとっては普通にテーゼだ。 聴く人にどう受け取られるかも分かっていながら、実は腹の中でそれを逆手にとって「これがコンテンポラリーな日本の音楽です」という態度を決め込んでいる。ちゃんぽんな盛り込みをしてしれっとした様子だから私は笑けてしまったのだ。 キウイとパパイヤ、マンゴーズの曲調は好みではなかったが、やっていることが私は好きだ。 アペトゥンペとパパイヤ、マンゴーズ名義の新作「Kompu Satke Menoko/ herekanho」がもうすぐ発売だそうで、宣伝の短いビデオを見た。 ジャケットは「Kompu Satke Menoko(昆布干し女)」の世界をイメージしたデザイン。 深い夢の中のような、蜃気楼のような、此方彼方今昔のファンタジックオーバーラップ… 柴刈り男と洗濯女、熊狩り男とコブ干し女… この夜のビーチも、男女の出会いの場の役割を果たしたかつての盆踊り広場のような、ダンスホールなのでせう(ちょうちんやミラーボールは無いが月やビルの電気の光がある)。 仕事帰り大きな月の沈む海 ごらん向こうにシティが見える 音のスタイルにわざと「シティ・ポップ」を選んでいるような気がする なぜなら、都市であるところのモノと、大衆的であるところのモノの、両方の意味があるから 音楽好きの消費者の皆様へ向けてシティポップという既存の用語を巧妙に用いてそれとは異なるものをサブリミナルの方法で刷り込む。 (※どちらが主でどちらが従(異なるもの)ということは本来的にはない。何かに対するアンチテーゼではなく、それぞれに自分にとってのテーゼがある) 「今のこの場所の音楽」とは何か? わたしの考える「今のこの場所の音楽」、それを見せつける、主張する、教え込むという陰謀を成功させるのだ! そう考えたであろう音楽作りの場面を想像し、作品紹介で「シティ・ポップ」と解説しているところを見ると悪意を感じる(笑) 音楽とか文化を人々が受容、消費する様子を見物しているときに始まった「怒り」がシャレと遊びへ昇華されてゆく 怒りがヤケクソになり、諦めてから開き直り、 あくまでもこれが「ポップ」であると最後まで言い張る 音楽を通して自分が共同体とどう繋がるかについての最終的なプライドなのだと思います (そうしたら、何かに対するアンチとしてとか否定で何かを言うのでなくて自分が何であるか、自分の考えは何であるかのほうを言うってことは、いろんな場面で大切だと思いました。) あと、、、 「私の音楽はJ-POP」と言い張る理由のもう一つには「自分のバックグラウンドを考えたときに自分が日本の土着民であることが紛れもない」という生真面目があるのではないか? 自分が各地の音楽のネイティブでは決してない、自分がそれらに学びつつも指揮を執るようなことはしない。「私はその土地の音楽を出来る」と言わない。何をしようが私がするならJ-POPにしかならない。 だとしたらそれはワールドワイドローカルズ、それぞれの土着民への敬意だ。 J-POP人の自分へも含めて。 っていう想像をしました。 今回の作品は曲調が好き! 1枚予約したい。
ありがとうございます。実際、本当にそういうことを考えて葛藤を繰り返して、なんとか少しずつ前に進んできたので... 伝わっている人がいることが本当に嬉しかったし、驚いた。
自分なりに世の中の仕組みと、日本で「音楽」をやる、とはどういうことかというのを、おそらく無駄に考えすぎて来たのかと思う。活動がブーストしそうな時も、少し波に乗れそうな時も、いちいち何かを考えてバンマスの俺がいつも一番動きが重たかった。 2007年に『八月のさよなら』という曲をリリースしたのだけど、「アメリカへのラブソング」というテーマだった。25歳の時に当時のメンバー中井雅子(現・Rayons)と一緒に書いた。
Maruyeyi · 八月のさよなら(2007.August)
これが売れなくて、中井は脱退して、当時のレーベルの社長はどっか逃げちゃって、もう制作にお金もかけられないし、自分が社長で制作費出さなきゃだし、半ばやけくそ気分でアプローチを変えて趣味を込めたのがTropical Japonesque 以降の路線だった。そして佐々木遊太との出会いだった。
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これ以降、Go(Arai)さんが参加してくれて。悠子ちゃんや小春が参加してくれて、そして海外での仕事が増えて行った。大橋キウイは俺と結婚して子供ができたので海外ツアーを続けるのが難しくなり、夫婦で悩んだ末、彼女は引退を決断した。その後はおもだか秋子ちゃんや、山本泉という贔屓目なしの天才民謡歌手たちが我々のツアーを助けてくれた。 海外転戦は本当に楽しかったけど、最初期は富山のSUKIYAKIが手伝ってくれたツアー制作をメンバー五人いた上での収益考えて、結局自分で全てやるようになって... 謎に外国語スキルは上がったけど毎回マジで必死。仕事量、というか仕事の種類?言語の数?しかしアフリカから南欧に渡って「J-POP(と半ば無理やり言い切る)」をやるようなバンドのアレコレを誰にどう頼んで良いものやらさっぱり解らなかった。ツアー初日は「あとは演奏するだけ!」という開放感で頻繁に飲みすぎて二日酔いになっていたし、ツアー終えて帰国するとかなりの頻度で寝込んだ。 あとは、海外でのパフォーマンスが増えたことで、いわゆるリベラルアーツやそれを土台に置いた娯楽の「本場」としての西欧の覇権主義、常識との付き合いにはさらに頭を悩ませることになったし、自分は踊れる音楽が好きだったとはいえ、あまり(特に欧米人が好むような)享楽的な刺激に特化したバンドは志向してこなかったな、とも思い知った。最近、マユンキキの現代アート作品周りで音楽系のサポートすることが多いけど、現代アート、というものにも色々モヤモヤしつつも、そこでのコンテクストの読み合いには、いわゆるバンド活動ではついぞなかったスッキリ感があったりするのが自分だ。 自分のこだわりみたいなものは「近代国家」としての日本でものを作る人間の心持ちとしては別に間違ってなかったとは思うが、「バンドマン」「ミュージシャン」としては独りよがりでメンバーたちには随分迷惑をかけた。皆もう若くはないし、これ以上は「バンド」という形で俺個人の闘いには巻き込めないな、と思う。皆歳をとってライフステージも変わったし、自分にも守らなきゃいけない生活もある。とにかく一緒にやってくれた事に感謝している。 自分は昭和五十六年('81)生だけど、世界一豊かだった頃の日本で育って、社会に出てその凋落とともに大人になり、中年(もう四十代!)になった。バンドブームは俺の青春時代には実はとっくに崩壊していたと思うけど、少なくとも最後の夢を見られた世代なのかなと思う。そして、気づけば元号も変わって「J-POP」の時代も終わっていた。
人前で演奏する「バンド」としては森川浩恵加入以降の、間違いなく今が一番ベストだと思っていて、このメンバーでもっとできることがあるとも思うんだけど、とにかく今年で一区切りにします。去年リリースした「SLASH!」という曲、今一番聴いてほしい。明るく楽しい曲が書けて、森川浩恵のボーカルも新境地見えた気がして、とても嬉しかったし気に入っているので。自分が書いてバンドでやった、今のところ最後の「J-POP(言い切る)」かな。
自分は歌や踊りや合奏を「音楽」として捉える時、その作法は全て輸入ものだと思っている。その上でどう日本の「ミュージシャン」とか...もっと言えば「近代国家」の国民として生きていくか、というのは今後も悩みながらやっていくつもりだ。そのためには消費者とは別の立場で市場の中にも居続けなきゃならないので、演奏するアーティストとして引き続きプロの看板は掲げたままやっていきます。その上で「音楽」だけに関わらず自分の表現をもう少し自由にやるつもり。 メンバーもそれぞれ自分の活動続けます。引き続き注目してほしい。一番長く一緒にやってるメンバーである永田と誠也さんとか...本当にかなりイケてる演奏家になっているんだよな。聴きに行った方が良いし、何か仕事頼んだ方が良いです皆さん。マジで。 今のところ11/17が活動休止前最後のライブになると思う。今まで応援してくれた人たちに感謝の気持ちでやりたいです。配信もあるのでぜひ見てください。よろしくお願いします。
11/17(日)@下北沢Basement Bar
キウイとパパイヤ、マンゴーズ
『活動休止LIVE』
op12:30 st13:00
前売:¥3,500 当日:¥4,000
配信チケット: ¥1,800
【配信チケットについて】
下記URLのwebshopにて配信チケットを11/15までにご購入ください。後日配信URLがメールで届きます。
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