#東京ママ部
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hachikenyakaiwai · 9 days ago
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【かいわいの時】寛政元年(1789)六月二十日:7月にかけて、玉造稲荷砂持大にぎわい(大阪市史編纂所「今日は何の日」)。ママ。『年代記・明和の春』では十八日、『摂陽奇観』では二十六日。
寛政元年(1789)五月末より七月にかけて、玉造稲荷の社殿築造に伴い、東横堀の久宝寺橋東詰や安堂寺橋の浜(神社の真西)から砂を浚い上げ、いったん神社南西の真田山「土取場」に集結し、稲荷社まで運ぶとゆう神事が行われました。六月中頃に「社内を地上」するため、諸人に勧進しようと社人などが市中を巡回したことに始まったとされています。砂持の願主は、大坂三郷を中心に近郷より昼夜を問わず参集し、労働奉仕だけでなく、財貨や、米、炭、薪、桧皮、材木等を奉納しました。その際、「ねりもの之出立」という仮装行列や俄が催され、これを「砂持風流」といいました。
(写真)「ねりもの之出立」。白蔵坊『栄々集』1789序(大阪府立中之島図書館蔵)(写)より。
本図は、まさに、砂持風流を代表する絵です。「大手」「中」(大手町の町中か)の集団が、行灯を先に立て、桃灯を灯りに進む。おかめや狐の面をつけ、囃子詞のように鍋釜に蠟燭を立て(丑ノ刻参りのパロディーか)、天秤棒やもっこ、子どもは籠で砂を運んでいる。米俵に立て札、竹を立てて注連を張って奉納しています。
『栄々集』 大阪府立中之島図書館蔵『栄々集』は同館書誌情報によると、書名「よいよいしゅう」(略)著者は「白蔵坊」とあり、同館ウェブサイト「おおさかeコレクション」��写真掲載されている《略》版本の体裁をとっているものの出版は確認できず、内容的には孤本の写本である《略》「序」末によると、同書を同年初秋(旧七月)に記したとあり、残暑の残る二か月以上にわたる砂持の最中と直後に、現地での見聞や記事異聞を、虚実綯い交ぜに記した随筆であろう。創作もあろうが、単なる読み物でなく、基本的には見聞した事実を踏まえている。例えば、噂を聞いたが見ていない部に「竹田近江戯場・楽屋面ゝ」が挙げられ、江戸中期の京坂の舞台で活躍した歌舞伎役者の伝聞が記されている(福原敏夫)。『仮装と俄の祭礼絵巻』岩田書院2020より。
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wankohouse · 4 months ago
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刺青 和彫り 三代目彫よし
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引用元:Irezumi-e 2023年5月4日 · SM mania March special edition 1983 with Mai Hana. Tattoos by Horiyoshi III , photo by Norio Sugiura
キーワード:SMマニア、花真衣、三代目彫よし、杉浦則夫
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引用元:Irezumi-e 2023年3月15日 · SM mania March special edition 1983 with Mai Hana. Tattoos by Horiyoshi III , photo by Norio Sugiura
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引用元:Irezumi-e 2023年3月13日 · SM mania March special edition 1983 with Mai Hana. Tattoos by Horiyoshi III , photo by Norio Sugiura
三代目彫よし、花真衣
SMpediaより
三代目彫よし(本名 中野義仁) 概要 刺青の彫り師。団鬼六、小妻要など、SM界に知人が多く、花真衣などの刺青は部分的に三代目彫よし氏の手によるものである。
杉浦則夫
wikipediaより
杉浦 則夫(すぎうら のりお、本名、1942年4月9日 - )は、愛知県名古屋市出身の緊縛写真家。
花真衣
SMpediaリンク 花真衣
SMクラブの女王さん。新東宝やにっかつ等の多くの映画やビデオに出演。緊縛のプレイルームを営んでいた。興味ないジャンルだけど、1998年に本拠地を西明石に移していた!と言うので興味を持ってしまった。2006年(平成18年)12月、兵庫県明石市西明石駅前でスナック華水木を開店。2013年以後の消息がないけど、幸せにしてるだろうか、と気になった。検索すると X にこんな投稿があった。
『先日、西明石駅近くのギャラリースナック「華水木」を再訪。京子ママから、かつて「花真衣」として出演された映画やショーについて(他にお客さんがいないタイミングで伺いつつ)、11年前から始められたという陶芸の話など。店内にある器の大半はご本人の手作り!���ラオケは、志賀勝の「道」と「男」』 午前4:06 · 2024年11月30日
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SMマニア 1983年3月号 2巻3号「杉浦則夫写真館」他 出版社 三和出版 
SMpediaより 雑誌SMマニア
1982年(昭和57年)7月1日、三和出版より創刊7月号。編集発行人は浅田昌弘。雑誌コード:02011
1999年(平成11年)、7月号(6月号未確認)の発行所が大洋図書。編集発行人は黒岩玄。雑誌コード:12027
2000年(平成12年)、発行:マイウェイ出版、発売:大洋図書になる。編集発行人は黒岩玄。
2010年(平成22年)、8月号で休刊。
2011年(平成23年)、隔月で発行再開。
以後、2019年6月号まで刊行確認(マイウェイ出版)
検索してみたけど、2019年6月号が最終みたいだね。
#japanese tattoo #wabori
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y-yuhara-tailchaser · 2 years ago
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ママどこ?
#fixx201506 #シッポ追い #tailchaser #猫 #ねこ #ネコ #cat #cats #猫写真 #東京猫 #外猫 #地域猫 #ねこ部 #まちねこ #ネコスタグラム #猫好きさんと繋がりたい #nekostagram #catstagram #猫咪 #straycats #streetcats #catsofinstagram #gato #katze #고양이 #кошка #kucing #kočka #گربه
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kaoriof · 1 year ago
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無題
丁寧に髪をとかすともう0時だった。ピピピというメロディとともにコンビニのドアは開かれて、わたしはそこで煙草を買おうかと思うけれどもやめる。憧れている女の子が新宿区の高校に通っていることを知って、落ち込んで舞い上がって、そうしてまた落ち込んだ。こんなにも近くで同じ景色を見ているのにわたしはどうしても彼女と同じ世界を生きることができない。等しい恐怖心ともどかしさを感じながら寂しさを分かち合いたかった。彼女がきれいだと思うものをわたしもきれいだと思いたいし、彼女が眠れない夜にはわたしも眠れずにいたい。となりで同じ蝉の鳴き声を聴いて、電車が過ぎ去ってゆくのをみて、風が、草はらを駆け抜けてゆくのをみた。けれどその一瞬のうちですら、たぶんわたしと彼女はきっとそれぞれ異なるひとのことを想って、それぞれ異なる色と匂いと温度と光をかんじている。満足することを知らず、いつまでも世界のありとあらゆるところまでつねに感じていたい。うしなわれた光と温度と音が知らない地でまたあたらしくうまれるところを、ずっととおい国のちいさな街で暮らす少年の報われなかった恋を、インターネットの隅で未だに煌めきを失わず残ることばの数々を、千年前に生きていた十七歳の少女が今を生きるわたしのそれと同じ眼差しで、同じ場所で、同じ海を眺めている様子をみたかった。恐竜の鱗が光にてらされてかがやいているのもみたかった。この風は、まだ人間が人間じゃなかった頃に吹いていた風かもしれない。同級生のこととかたとえば自分の数年後のこととか明日の試験のこととか考えているうちに、きっとたぶんあっとういうまにわたしは歳を重ねて死んでしまうから。あなたも。死は永遠に続く停止ではなくて、またあたらしい有限への始まりにしか過ぎないのかもしれない。昔の文章、はずかしすぎてマトモに読めなかった。一年前のわたしだったら全部削除していたかもしれない。だいたい、あなたにはなれないと分かっていながらあなたになりたいなんて思ってしまったわたしがわるかった。わたしは全然自分が思っているより幸せだし、あなただってきっとあなたが思っているより幸せなのだと思う。
Fresh Flesh
苛々してばかりいる。排気ガスを吸い込んだ朝の光。どこまでもぬるい夏の風。数値化された感性。立ち並ぶビル群。声のでかい女。ぜ〜んぶ、ほんとにぜんぶ、まるで雷光のようにわたしの心の奥の奥の奥のほうをカッと照らすので、まぶしくてひたすらに鬱陶しい。だけど舌打ちも暴力も歯軋りも性に合うはずがないので、ただ血液だけが巡るその速度を速める。あらゆる音がさっきまで飲んでいたシュワシュワサイダーの泡みたいに空気中を弾ける。ぽつ、ぽつ。びゅうびゅう。ざあざあ。びたびた。ぱらぱら。すぐそこで揺れている深緑(ふかみどり)が泣いているみたい。小鳥や野良猫は雨の日どこで雨宿りをしているんだろう。ショッキングイエローも、スモーキーピンクも、オーシャンブルーも、わたしたちはすべて黒い色の文字で表現できてしまうのに、心がぎゅうってなるあの感覚って、どんな言葉を選んでもなにかが違う。途中でこうじゃないって投げ出してしまう。どれだけ小説のページを繰っても、黒、黒、黒、そして少しの余白。けれどそこにはそこにしかない風があって、匂いがあって、音があって、熱があって。先生の合図とともに重たい教科書を開いて、ハイライターで色をつける。まだあと二十分もある、って思うとき途方も無い気持ちなる。(おねがいだから一人にしてほしい)と、一人なのに、そう思う。これからどうすればいいんだろう。どうなるんだろう。何をすればいいんだろう。何を守るべきで、何を捨てるべきなのか、わかったら、なんの迷いもなしに会いたい人たちの元へと駆けて行けるのに。夏の夜の闇に、重ねに重ねた不安を押しつぶされそうになって、怖くなって、ママが深く眠っているのを確認したあと、あたかも人が眠っているかのように部屋の布団を整えて、玄関のドアをゆっくり、すごくゆっくり開けた。ドット柄の上下パジャマのズボンと、上はダボダボのブルーのパーカー。真夜中に自転車のギアをいちばん重いのにして、全速力でペダルを漕ぐ。まだたくさんいる人々の話し声や車のエンジン音が瞬く間に遠のいていく中、車輪の回転する音だけが一定の大きさで響きわたる。往復およそ300円の通学路と、京浜東北線。光が差し込むと肌が透けてみえる白いブラウスと、微かに香る柔軟剤の香り。テスト前、教科書がパンパンに入ったリュックサックの重さと、かかとの磨り減ったローファーの鈍い光沢。小さな教室と、先生のつまらない冗談。どっと響きわたる笑い声の中に掻き消された不安定な思考。すべて、いつか、終わってしまうことがちっともさみしくないと思ってしまった。ゆるしてほしい。だって、いつだって死ぬことは生きることの一部。怖いモノなど無いと信じたいでしょ。
無題
上野で車に轢かれた鳩の死骸をみた。車窓に映る風の如く過ぎ去ってゆく光景はあらゆるモノの死の産物なのだと、いつかあなたが話していたのを思い出した。雲ひとつない晴れた日に駅の出口で名前も顔も知らない人を待ちながら、点滅する青信号に早まる人々の足取りを目で追う。断ち切れた水道管の真横でカラスがゴミを漁っていた。彼も彼女もこの街ですらいつか朽ちてゆくのに、世界はなぜこうも美しく出来すぎているのだろうかとよく考える。降ってくる雨粒の鋭さに刺され出血することもなければ、太陽の光によって皮膚が火傷することもない。風の強さで眼球が吹き飛ぶこともなければ、鳥の鳴き声で鼓膜が破れることもない。あーやってらんないなあと思いながら、チョコレートパフェを注文する。向かい席に座った顔見知りになって間もない女性が煙草を嗜む、その姿に恋心にも似たときめきを覚えた。文豪たちが綴ったうつくしい言葉が無数に散らばる図書館で、わたしと彼女は自分たちで編み出したくだらない戯れ言に花まるをつけた。いつか、という言葉が好きだ。いつか大丈夫になる。いつか幸せになる。いつか報われる。いつかわたしにも大切な人が出来る。いつか大人になる。いつか死ぬ。その果てに見える景色があらゆるモノの死の産物だとしたら、わたしは毎日それらを瞼の裏に葬り、目を閉じて祈る。人生にリタイヤもバッドエンドもエンドロールもない。
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kennak · 5 months ago
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ビートたけし率いる「たけし軍団」の一員として、また、漫才コンビ「浅草キッド」としてテレビ・ラジオで活躍してきた玉袋筋太郎(57)。50歳を境に、順調だった芸能活動に大きな変化が起こった。尊敬する師匠との別れ、「浅草キッド」の活動休止、長く連れ添った妻から三下り半を突きつけられて……。還暦が見える年齢になった今、家族同然だった仲間、自身を支えてくれた家族との関係を問い直す日々を送っている。(取材・文:元永知宏/撮影:倉増崇史/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部) 今の俺って正体不明でしょ? 高校卒業後すぐビートたけしに弟子入りし、師匠から「玉袋筋太郎」という芸名をもらった。相方の水道橋博士とのお笑いコンビ「浅草キッド」を結成したのが1987年のこと。今年の6月で58歳になる玉袋は言う。 「昔は、師匠からもらったこの玉袋筋太郎という名前に恥じないような型破りな芸人にならなきゃと思っていたけど、そういう力みみたいなもんはもうないね」 40年近い芸歴を誇るが、玉袋が過去を振り返ることは少ない。 「よく考えてみれば、芸人としてまだ一回もブレークしてないんだよね。俺なんか、これから。まだ全然アクセル踏んでないんだから(笑)。今の俺って、正体不明でしょ? 町中華食って、競輪やって、スナックで飲んだくれて。テレビとか見てる人は『なんだ! あいつ』と思うだろうね。 この年齢になって人生の目標なんか立てないんだけど、あえて言えば『職業・玉袋筋太郎』になれればいいね。『やっぱり玉袋だからな』とか『どうせ玉袋だろ!』と言われてもいいから」 玉袋はそう言って、紫煙をくゆらせた。 昭和のテレビ界のトップランナーだった“殿”に率いられた軍団の若手、玉袋が師匠や先輩たちと離れたのが2020年のことだ。彼らとは別の道を進むことに決めた。 「はじめに、殿が『オフィス北野』から出ていったからね(笑)。そのあと、弟子たちでどうするかという話になったんだけど、俺はひとりでやることに決めたんだよ。個人���務所の社長をカミさんにして、フリーになった」 同時に、10代の頃から生活をともにしてきた相方とも別れることになった(水道橋博士は2022年7月に参議院議員になり、翌年辞職)。ひとりっきりのリスタートだ。 「師弟関係って切っても切れないもの。今でもずっとつながってるわけですよ、ハートでは。『ビートたけしの味』を知る俺たち弟子が、それぞれの道を進みながら、いろいろなところでそれを広げていく。離れ離れにはなったけど、みんな、そういうことができているんじゃないかなと思うよ」 現在は東京・赤坂に開いた「スナック玉ちゃん」の経営者として、またタレントとして活動している。 「師匠と離れ、軍団とも別れてひとりになったときはさびしくて、心細くて、不安で仕方がなかった。だけど、自分で『やる!』と決めたこと。 レギュラーのラジオ番組スタッフは『玉さんと仕事してきたんだから、これからも変わらずやりたい』と言ってくれて、そのまま続けられた。独立する前後で『町中華で飲(や)ろうぜ』(BS-TBS)みたいな企画も生まれた。本当にいろいろな人に助けてもらって、もう感謝しかない。そういう気持ちを持った人と一緒にやってきてよかったなと思う」 妻との別居の原因は俺 50歳を過ぎてからの独立に苦闘する日々、私生活で嵐が吹いた。 「おふくろが認知症になっちゃって……施設に入れなくちゃいけなくなったときはつらかったね。年をとれば誰だってそうなるとはわかってはいるんだけど、自分が思うよりも早くそのときが来てしまった。 離れて暮らしていると、夢で見ちゃうんだよね。昔の、元気な頃のおふくろが出てきて、うわーっとなって夜中に目覚めることがあるよ」 会うたびに、母の変化を目の当たりにする。 「施設に行くたんび、行くたんび、ますます“天才芸人”になっていく。こっちが考えつかないような面白いことばかり言うんだよ。あるとき、俺が最近出した本を持っていったんだよね。そうしたら、ものすごく喜んでくれた。俺が表紙になっているのを見て、『ああ、いい本だね』なんて言いながらパラパラパラパラとめくって、『で、誰の本なんだい?』って言う。会うたびに、ボケの天才になってるんだよね」 もうひとつが妻との別れだ。 「携帯電話もLINEもブロックされてるから、俺から直接連絡する手段がない。どこでどんなふうに暮らしているかはわからない」 別居の原因は玉袋本人にあるという。 「緊急の場合は息子の嫁に連絡して用件を伝えてもらってるんだよね。人を介してでないとコミュニケーションが取れない状態がずっと続いている。 さびしくないかって? そりゃあ、さびしいよ。この件に関しては俺が100%悪い。俺に原因があるから、多くは語れないな。やっぱり、女々しいんだよね、俺は」 直接的なコミュニケーションはないものの、つながってはいる。 「個人事務所の社長であることに変わりはないし、俺がいないときに我が家の掃除や洗濯なんかはしてくれる。用事があるときには俺が置き手紙をして、それをカミさんが回収する形だね。 もっと優しくしておけばよかったと思う。それを教えてくれたということでは、カミさんはある意味で師匠になっちゃったね。俺が気づくのが遅かった」 戸籍はそのまま。ふたりの現在の関係を“スプリット婚”だと玉袋は表現する。 「そういうのもありでしょ。子育てが終わって夫婦ふたりで仲良くしようといったって、煮詰まる人は煮詰まるわけだし。無理に我慢する必要はないんじゃないかな。添い遂げる美しさもあるけど、スプリットする美しさだってあるんだから。 たまにカミさんの姿を見るとき、以前よりもイキイキしているように感じるよ。だから、今の状態も悪くないのかもしれない」 血縁関係ない息子を一生懸命に育てた 玉袋は実の姉と絶縁状態にある。家族がいれば心強いが、それを断ち切らなければいけないこともある。 玉袋は続ける。 「俺は、うちの親父が死んだときに姉と縁を切ったからね。姉の金銭問題のせいで親父が自分で死を選んだことで家族がバラバラになっちゃった……だけど、家族として過ごした時間とか経験は、自分の中に、もうずっと入り込んでいるからね。 たとえ縁を切らなきゃいけないほどのことが起こっても、二度と顔を見ることがない関係になっても、俺にとって家族はものすごく大切なものだね。かけがえのない時間、かけがえのない経験だったと思う」 玉袋は、妻の連れ子だった息子を育てあげ、孫をかわいがる“おじいちゃん”だ。50歳を過ぎて、さまざまな別れを経験した今だからこそ言えることがある。 「息子とも孫とも血のつながりはない。だけど一生懸命に育ててきた。血のつながりは大事なものだけど、それがすべてでもないと俺は思うよ。 日に日に老いていくおふくろを見るのはつらい。生きること、老いることってなんだろうというモヤモヤは俺の中にあるよね。でも、まだまだ無垢な2歳の孫を見ると心が洗われるような気がする。モヤモヤを吹き飛ばしてくれるんだよ。会うたびに、『こんなにピュアな生き物があるんだなあ』と思う」 血のつながりを背負いこむこともない 職場や学校、家庭での人間関係に悩む人が多いことも、心に傷を負いながらも懸命に生きようとする人がいることも玉袋はよく知って���る。 「俺は自分でもスナックをやっているし、全日本スナック連盟の会長もしている。取材でお邪魔する町中華の大将とかスナックのママは本当にタフだよね。たくましく生きている」 傷ついた経験があるからわかることがあると玉袋は思う。 「そこを切ればどのくらい血が出るか、どれだけ痛いかがママさんたちにはわかるわけ。人に優しくなれるし、人を支えるときには、上っつらの言葉だけじゃなくて、全力でやってやろうと思うんじゃないかな」 玉袋にも人間関係で悩んだ経験がある。 「人のことを考えすぎて、いろいろ世話を焼いたのに相手は俺のことを何とも思わないということもあるよな。若い頃はガックリきたもんだよ。姉貴の金銭問題もそうだった。今の俺は、見返りは求めない。孫には異常な愛情を注ぐけどね。 こんなことを言うと、『冷たいやつだ』とか『人間味がない』と言われるかもしれないけど、そういうことじゃない。ギャンブルと一緒だよ。戻ってこないと思っているものが返ってきたら、こんなうれしいことはないじゃない?」 還暦まであと2年。「自分が60歳になることなんか子どもの頃には想像できなかった」と玉袋は笑う。 「俺は断捨離という言葉は好きじゃねえけど、血のつながりがあるからとか、世話になったからといって余計なものを背負いこむこともないと思う。それは優しさとはちょっと違うかもしれない。 自分というトラックの荷台にはいろいろなものが載っているよね。長く生きていれば『こんなのもあったか?』というのもある。自分でうまく整理して、いらないものは産廃業者に預けちゃっていいんじゃねえかと思うよ。シールを貼って粗大ごみで出すとかね(笑)」 この先どれだけ芸人として活動できるかはわからないが、今、玉袋はこう考えている。 「88歳の先輩芸人、毒蝮三太夫さんに俺の本を見せたら『美しく枯れるなんて、言ってるんじゃないよ!』と怒られたよ。毒蝮さんからすれば、俺なんか、まだまだひよっこ。これからの目標は、人に迷惑をかけないで、自分勝手に生きることだね」 昨年10月、お笑いファンがざわめく出来事があった。長く活動を休止していた「浅草キッド」のふたりが同じ舞台に立ったからだ。 だが、復活までにはまだ時間が必要だ。 「ふたりは別の方向に行っちゃったから、まだ漫才できるような状況じゃない。だから、2、3年くらい経ってから漫才をやれるようになればいいと俺から言ったんだよね。俺が60歳で、あっちが65歳くらいかな。そのときまでに、お互いがいい男になれたらいいなと思っているよ」 撮影:倉増崇史 ------------------------------- 玉袋筋太郎(たまぶくろ・すじたろう) 1967年6月22日生まれ、東京都出身。高校卒業後、ビートたけしに弟子入り。1987年に「浅草キッド」として水道橋博士とコンビを結成。以来、テレビやラジオなどで活躍。一般社団法人「全日本スナック連盟」を立ち上げ、自ら会長を務める。『美しく枯れる。』(KADOKAWA)、『玉袋筋太郎の#昭和あるある』(双葉社)ほか著書多数。 「#家族とわたし」はYahoo!ニュースがユーザーと考えたい社会課題「ホットイシュー」の一つです。ひとり暮らしの単身世帯が過去最多となり、生涯未婚率も上昇するなか、家族のかたちは多様化しています。また、介護や育児、親子関係など、現代の家族が直面する問題も多岐にわたります。旧来の家族観が変化するなか、「家族」とは何なのか、どうあるべきなのか。さまざまなエピソードや課題をもとに、ユーザーと考えます。
LINEもブロックされてるから妻との連絡は置き手紙──玉袋筋太郎57歳、家族を問い直す日々 #家族とわたし(Yahoo!ニュース オリジナル 特集)
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foucault · 2 years ago
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今日は店は休みです。久しぶりに奈良に来ています。本籍を奈良に置く身としては、故郷へ戻る嬉しさです。仕事があるとはいえ、合間に興福寺で八部衆の御顔でも拝めるとなおなお嬉しいところですが。
そういえば、本日2023年12月12日はちょうど小津生誕120年、没後60年。小津で奈良、といえば『麦秋』の最後、ふっと差し込まれる麦畑の中をゆく嫁入り風景のシーンですが、あれ、どこなんでしょうか。後ろに耳成山のような山が見えるので、橿原のどこかかな。
ついでの話。このごろ書きものの仕事が多くて、頼まれもの以外の文章なぞつらつら書いている場合ではないのですが、小津についてふと気になってしまったことがあり、書いておかないと本来の仕事ができなさそうなので、合間合間に記していた雑文をここに置いておきます。長いですし、結論はないし、ほとんどの方が興味のない内容かと思いますが…。
ちょっとした調べものがあって雑誌『みすず』2001年12月号を読んでいたら、木村伊兵衛が小津安二郎を撮影した写真と文章「上海で小津安二郎氏をうつす」が掲載されていた。時期は1938年1月なので第二次上海事変の翌年。小津は1937年9月に出征して中国に渡り、事変の直後12月から上海にいたようで、その時に偶然木村と出会っている(その後小津は南京・漢口と転戦する)。写っている小津��携えているカメラは、木村の稿に続いて掲載されている田中眞澄氏の文章「ライカという”近代”」によればライカA型。小津関係の文章を読むと、小津は「ご愛用のライカ」をいつも手にしていたと多くの人が書いているので(同文によると山中貞雄はコンタックスだったらしい)さもありなんと思うのだけれど、田中氏の文章を読んでいくなかで、ちょっとしたことが気になるようになった。
小津は1942年から軍の依頼で記録映画撮影のためにシンガポールに滞在し、ただまあ映画製作などできる状況でもないため、自国内では上映が禁止されていたアメリカ映画をひたすら見続け、敗戦を当地で迎えている。そしてそのまま捕虜となり、抑留生活を終え1946年1月に帰国する際に小津はライカを手放しており、「彼が再びライカを所有するのは一九五四年のことである」とある。買った件の典拠はどこにあるんだっけ、と思いつつ近所の図書館に置いてある『全日記 小津安二郎』を紐解くと、なるほど1954年3月22日の項に、
> 「出京 サンにてライカを買ふ 135.000 アメリカン フアマシー 明治屋(燻製)によつて帰る」
とある。と、ここで急に話は脇道に逸れるのだが、ちなみに隣のページ、同年4月8日の項には、
> 「駒場の東大教養学部 民芸館 青山の花屋 それから 車にて銀座に出て なごやかに夕餐を喫す 野田夫妻と江原氏同道」
と日本民藝館に行った旨の記載がある。他にも、1951年11月10日に
> 「宿酔 森昌子さん達と 陶哉 たくみに寄って大船に帰る」
や、1955年5月17日には
> 「駅にて野田氏と待合せ 上野松坂屋の民芸展にゆく」
とも。ほか、パッと目を通しただけでも1952年4月8日、同年6月15日、1953年2月9日、1961年2月2日に銀座たくみに行った記載があるし、志賀直哉や里見弴についての言及は多すぎるので略す。こういうものを読むとつくづく民藝誌において特集「小津と工藝」を組みたいなと思う。白樺派との関係や小津の映画における「巧藝品考撰」について取り上げる特集。『秋日和』で原節子の後ろにかかっている暖簾は芹沢銈介だろうか、『秋刀魚の味』で中村伸郎の後ろに置かれたやちむん?はたくみで求めたものなのだろうか、やちむんであれば誰の仕事だろうか。佐田啓二と吉田輝雄がとんかつ屋で食事をするシーンには確かに芹沢カレンダーが掛かってるな、などといつも気になるので。松竹から写真借りるといくらぐらいかかるかな…。
それはさておき。この時購入したライカが、前掲日記の1961年3月23日の項に「夕方会社帰りの秀行くる ライカ借(貸)してやる」とある通り、のちに小津の甥が譲り受け、現在は茅野駅前「小津安二郎・野田高梧コーナー」に寄贈展示されているライカIIIfとズマリット5cmF1.5なのだろう。と、ここまで長々と記して、まだ前提です。
そこでふと思い出したのが厚田雄春・蓮實重彦著『小津安二郎物語』(筑摩書房・リュミエール叢書)の冒頭。ここには小津が『東京物語』と『早春』のロケハンをしている写真が2葉掲載されているのだけれど、どちらにおいても小津はバルナック型のカメラを携え、光学ファインダーをのぞいたりしている。沈胴レンズにフードをつけている様子から、あれはライカなんだろう、レンズは厚田雄春が『父ありき』において75mmを一場面で使った以外はすべて50mmだったと言っているぐらいだから同径のエルマーやズマール、ズミタールとかかな、などとうっかり思い過ごしていた。むろん『早春』については、製作年やロケハンの写真に記載されている「1955.7.20」という日付からするとまったく問題はない。しかし『東京物語』は1953年製作公開だから「再びライカを所有した」1954年では間に合わない。そう気がついて見直すと、小津が構えているカメラは、ライカIII型に似ているがファインダーの位置が違うし、そもそも1954年にあわせて手に入れたと思しきズマリットは沈胴レンズではない。
妙なことに気がついてしまったと思いつつも、ひとまずは日記記載の「サン」を手始めに調べてみようとしたが、何の会社かわからない。名取洋之助が企画編集した「週刊サンニュース」と関係はあるのだろうか。対外宣伝誌の専門家であり、銀座に店を構える森岡さんに聞いたらわかるだろうか。いずれにせよ1949年以降の小津の日記に「サン」が登場するのは、「1951年1月17日・3月21日・4月24日・11月10日、1952年4月17日、1953年6月16日、1954年3月22日(前述のライカを買った日)・10月14日、1955年4月6日、1960年7月14日、1961年2月2日(”たくみ サンに寄って三越”)」。1953年6月16日は、ちょうど『東京物語』ロケの最中だったことが気に掛かる。ほか、関係しそうな記載としては1953年3月30日に「アサヒカメラ座談会」、1954年11月5日の「シュミットに寄ってから」(当時ライカの総代理店だったシュミット商会か)、1955年2月15日「昼寝をしてゐると小尾がくる ニッコールの85m(ママ)のレンズを頼む 四万五千円を預ける」、同年3月11日「小尾に会ひ105mmのレンズを見る」、同年6月27日「小尾から電話ライカピッド(ママ。入手したライカがIIIfであれば、ライカビット SYOOMか)を頼む」ぐらいか。この「小尾」という人は何者なんだろう。
次に小津が構えているカメラの形状から何かわからないかと思い、あらためて細部を見れば、写っているカメラは戦後キヤノンが作っていたコピーライカであることがわかる。決め手はファインダーの位置。同時期の国産コピーライカであるニッカやレオタックスはライカそっくりに作っているのだが、キヤノンは誠実と言っていいのか「打倒ライカとコンタックス」の心意気の現れか、多少スタイルが違う。なお、小津が用いている機種については、この時期のレンジファインダー機は輸出用に作っていたせいか勢いがあり、すぐ新型が出るうえに、外観がどれも似すぎていて小さな写真では区別がつかない。時期を考えれば、1946年発売のSIIから1952年のIVSbの間のいずれかで、III型以降のように見受けられる。レンズもやはり形状から判断するとズマールに似ているので、1949年発売開始のキヤノン Serenar 50mmF1.9か。そう気づいて改めて調べると、「カメラ毎日」1954年6月号に掲載されている座談会「カラーは天どん 白黒はお茶漬の味」ではカメラの話がもっぱらで、その時に手にしているのはキヤノンである。このキヤノンのカメラとレンズ、そして外付けのファインダー、この時期どういう経緯で小津は使っていたのだろう。いずれにせよ、1953年の『早春』はともかく、なぜ1955年に「ご愛用のライカ」ではなく、キヤノンを用いているのか。
ついでに言うと、小津が鏡の前でカメラを向けて撮っているセルフポートレートに用いているカメラはコンタックス。日記をざっと読んだ限りではわからないけれど、これもいつ手に入れたのだろう。レンズはゾナーの5cmF1.5。明るいレンズがお好みと見える。こちらは姪が譲り受けたとのことで、今は先のライカと同じく茅野駅前にある。
長々と書いてきましたが、つまりはこれらが今回生じた疑問です。小津に詳しい人、どうか教えてください。
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nagamasayutaka · 1 year ago
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九州まで来ています。これから【不動産投資家養成講座】
 ベーシックコース 第4講 マーケティング
の授業が始まります。
 本日は、東京から高橋 わこ先生を招聘させて頂き講座を開催いたします。
 
本日も前回気に入った明るくて、
お子様が遊べるスペースを備えた安心できる環境で
ママさん達が学びを深めます。
 
子供へも伝わることなんでね。大歓迎です。
 
東京でベビーカーを押したお母さんをまるで
邪魔者扱いするような「チッ」と睨む、そんな
大人とは絡みたくない。
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cookingarden · 1 year ago
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ヴィム・ヴェンダース監督 『PERFECT・DAYS』
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最後に流れるニーナ・シモンの「Feelig Good」に息を飲んだ。いったいこれは・・・聞き覚えのあるこの歌が、世界に満ち溢れている。自分もまさにそのなかにいる。感動というより、圧倒的な覚醒感に心が震えた。
ルーチン
『PERFECT DAYS』にこれといったドラマはない。東京の下町で清掃員を務める平山の日常が描かれる。平山の毎日は実にシンプルだ。
笹箒で道を履く音で目覚める。布団を畳み歯を磨く。いつもの持ち物をポケットに収めドアを閉める。アパート脇の自販機で飲み物を買う。クルマのドアを閉める。清掃道具の詰まった軽四を走らせる。カセットテープを選ぶ。『朝日の当たる家』が流れる。
平山が向かうのは、東京の下町に点在する公衆トイレだ。
仕事場に着くと、掃除用具を下げてトイレに向かう。ドアノブを磨き、丁重に便座を拭く。利用者が来ると手を止め外で待つ。昼休みになると、いつもの境内のベンチで昼食をとる。揺れる木漏れ日にカメラを向け、ときに小さな若木を採集する。
仕事を終えると銭湯に行く。その足で地下通路の居酒屋でくつろぐ。アパートに帰るとポケットのものを玄関に揃え、布団を敷いて灯りを付ける。幸田文の『木』を開く。数ページを読んだら灯りを消し眠りに就く。一日が終わる。
映画は平山の一日を追い、振り出しに戻るように再び次の日の平山を描く。そしてまた次の日も。
繰り返されるルーチンのなかで、ときに問題も起きる。相棒は仕事をサボり、余命いくばくの男に、「スナックのママをよろしく」と告げられたりもする。突然現れた妹の一人娘は嬉しそうに平山の部屋に転がり込む。トイレ掃除を手伝うという。ときに起こる起伏もまた、周期の異なるルーチンのように平山の日常に差し込まれている。
別の世界
映画に描かれる平山の日常は、多くの人の日常とさほど変わらない。私たちもまた、同じ時刻に目覚め職場に向かう。厄介な問題を抱えることもある。晩酌もすれば銭湯にも行く。スナックに立ち寄れば、職場では聞くことがない打ち明け話しに耳を傾けたりもする。
それにも関わらず、平山の日常が自分のそれとはまるで別の世界に見える。
彼の日常が自分と決定的に異なるのは、繰り返されるルーチンへの率直な態度だ。平山はルーチンに決して文句を言わない。それどころか、同じ繰り返しのひとつひとつを受け入れ、楽しんでいるように見える。
しかし、平山はただ受け身なわけではない。彼の表情に迷いはなく、行いは自然で落ち着きがある。仕事をこなす姿はむしろ洗練されている。周りを自分のものにしている。平山のルーチンには輝きがある。なぜ、平山はこうも日常と交われるのだろう。
饒舌
私たちはルーチンを嫌う。同じことの繰り返しをつまらないと思う。そう思いながらもルーチンをこなしているのは、繰り返しを意識しなくても済む方法を身につけているからだ。時間があればスマホを眺める。人を待つときも、電車に乗っても、食事のときでさえ。そして、トイレに入ってもスマホを手放すことはない。
私たちは平山ほど無口ではない。よく喋る。饒舌ではないまでも、さまざまなメッセージを受け止める。というより言葉を消費することに忙しい。その点、平山は口数が少ない。相棒が話しかけても滅多に口を開かない。たまにガラケーに電話がかかっても、「うん」「ああ」で話は終わる。平山にスマホは似合わない。
平山の部屋にはモノが少ない。あるのは古本と苗木くらいだ。言葉の数とモノの多さは比例しているのだろう。私たちは周囲の者ともっと多くの言葉を交わす。お金でモノを求めるにはそれなりに言葉がいる。そうして世界は広がり複雑になる。そうするうちに、平山の日常が別世界になってくる。
滑る世界
しかし、世界を広げたところで、他人やモノとの関係が深まるとは限らない。平山が運転する軽四も、掃除をするトイレも、見上げる境内の木も、東京に無数にある似たもののひとつに過ぎない。その同じものを私たちもまた目にし、手にし、使い、過ごす。しかし、平山が木漏れ日に目を細めるようには外界と交わらない。
私たちの日常風景は、滑るように過ぎて行く。歩く側から通行人や植え込みが現れては消える。
しかし、平山のそれは異なる。木立から見れば、平山は言葉を交わすことができる、数少ない通行人の一人だろう。木立に小さな熱が生まれる。葉を透過する光が、微かに輝きを増す。
私たちも平山と同じ世界を生きている。東京の下町を行き交う数多の生活者の一人だ。路地から見上げる先にはスカイツリーが立ち、銀座線の改札を出れば地下商店街を通り過ぎる。夜闇を照らす自動販売機はいたるところにある。掃除の行き届いた公衆トイレもある。しかし、そうした日常に気持ちを止めることはまれだ。
それに比べ平山を取り囲む外界の、なんと満ち足りていることだろうか。同じ世界がなぜこうも違って見え、異なる関係で結ばれているのだろうか?
罪滅ぼし
おそらく平山には暗い過去があるのだろう。妹に「お父さんの見舞いにでも行ったら」と言われた平山は、立ちながら嗚咽を漏らす。弱り果てた父��だけが非日常のように断絶し、向こう側にいる。本来なら最も近いはずの関係に平山は近づけないでいる。そのことが却って、平山に日常との親密な交わりを促しているように見える。
関係の断絶から生まれる親密な世界。これはひとつの罪滅ぼしかもしれない。不幸なことかもしれない。私たちが平山とは正反対の世界にいるとしたら、私たちは親密な関係のせいで日常から断絶していることになる。はたしてどちらが不幸なのだろうか。どちらが幸せなのだろうか。
ひとつだけ確かなことがある。完全な関係も、完全な親密も、完全な幸せも不幸も存在しないことだ。矛盾する二つが同時にある。その矛盾を純粋に受け入れるとき、人は虚飾を離れ自分に忠実に生きることができる。そのとき世界はなぜか親密で美しい。何故もなく、ただ受け入れ慈しむだけの完全な日々が訪れる。
完全な日々
鳥が飛ぶ… 太陽の輝き… そよ風が流れる… 夜が明け、一日がはじまる… ああ、生きている。 なんという自由、ずっとこの時を待っていた。 ああ、生きている。
木漏れ日の向こうに木立がある。その向こうには太陽がある。
世界のなかに日本がある。日本のなかに東京がある。東京に平山が暮らしている。その平山を木漏れ日が包んでいる。
ニーナ・シモンの歌声が、至高の生きる喜びを伝えていた。平山が見ている木漏れ日が歌になっている。できることなら、こんな東京がいつまでも続いていてほしい。この「TOKYO物語」が生きながらえてほしい。
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darksouljellyfish · 2 years ago
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ヴィム ヴェンダース監督の映画 PARFECT DAYSを見てきた。
ちょいと前にJ-WaveだったかFMラジオで小津安二郎の特集番組を装いつつ、ほぼほぼこの映画の紹介をしているのをたまたま聞いていて、気になっていたのだった。
役所広司演じるトイレ清掃員のルーチンのような毎日を綴った映画。
ガラケーとフィルムカメラと小銭を持ってアパートを出る。アパートの前の自販機で缶コーヒーを買う。清掃用具を満載にした軽バンで家を出る。カメラが空を仰いでスカイツリーを捉える。昭和から残るようなアパート内での男の所作を追うシーンが続いた後で、突然ここが現在の東京、浅草近辺である事を知る。
映画の企画自体が、The Tokyo Toiletの一部であることもあって、さまざまなトイレを清掃して回る。���ィム ヴェンダース監督はThe Tokyo Toiletで作られたこれらの様々なトイレを「小さな聖域」だと言ったそうだが、主人公の平山はその聖域を清めて回る修行僧のようである。無口で黙々と進める仕事は丁寧。愚痴ばかりこぼす若い同僚にも説教するでなく、暖い目で見ているだけ。
車の中で流すカセットテープからの音楽を聞いている時、古書店の100円コーナーで買った文庫本を寝落ちするまで読みふけっている時の彼はとても幸せそうだ。
横尾忠則の寒山拾得展を見てから、興味が湧いて寒山の書いた詩集まで買ってしまったが、その中で気に入ったものの一つに、「琴書須らく自から随うべし」(きんしょすべからくみずからしたがうべし)で始まる五言詩が有った。自分の身のまわりに琴や書物を置いて、生活を楽しむべきであり、給料や地位の高さを欲することなく、無欲、無心に生きるのを良しと言うような内容が、故事などの引用を交えながら綴られている詩だが、この映画を見ながら、この詩を思い出していた。
映画のBGMはほとんど無い。基本的には平山が車の中でかけるカセットテープの音。1曲目はThe AnimalsのThe House of Rising Sun だった。この曲は平山が日曜日だけ通うバーのママ(石川さゆり)が客のギターを伴奏に歌うシーンも有って、これもなかなか良い。最後は繰り返す毎日に訪れるいろいろな変化が落ち着きを取り戻した段階で、Nina Simone のFeeling Goodを流しながら、平山の顔を小津安二郎のように真正面から捉えながら、映画は終わる。
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zdlmlq · 2 years ago
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12.03.2023の日記
あなたの国は小さい子のヌード写真が多すぎるって
どのパーティーでも言われた
裸の女の子の写真があふれていて
電車の中にまで吊ってあるのは絶対おかしいって
でも、まさかその中のひとりがあたしだってことは
誰も気づかなかった
あたしは こういう所に集まるマダムたちは
エメラルドを頭にいっぱいつけすぎて
馬鹿になっちゃたんだと思って育ったの
パパは「この国には肉食の文化がないから、みんな我々のように、乳飲み仔牛から腐りかけ成牛までの、色々な肉の味わいの差だとか、ジビエの血の味の事とかがわからない。だから子供の裸ばかりありがたがるんだ。一種の国家的変態だよ」っていう、お得意の演説で、腐りかけの成牛みたいなママを喜ばせてる。彼女はキャビアを食べている人を見ると鼻をつまむ。小さな卵を食べるのは野蛮人だって
フォクシーひと粒でアダルトヴィデオの女の子みたいになれるって聞いたから、あたしは自分を魔女だって言ってる友達に頼んで、パーティーに持ってきて貰い、最高によく効きますように、そして憧れのトレーシーみたいになれますように、って魔法をかけてもらってから、彼女とキスをして、コアントローで飲み干した。どこかで生きていれば35になるのね。あたしのトレーシー・ローズ
あなたは、あたしが知る限り本当の天才、そして天使
あなたとパパの書斎で出会った日のことは一生忘れないわ
黒革の表紙の本の裏に隠されていた80年代のVHS(ヴェ・アッシュ・エス)
あのヴィデオキャッセをパパから盗んでからあたしの人生は変わった
あれがバイブルになったの
あたしは今、あなたがデビューした年と同い年で、あなたの娘ぐらいの歳だわ。そう思うととっても変な気分。まだフォクシーは全然効いてないみたい。口の中は、熱いチェリーの味ばっかり
生きてれば74歳になるのねあたしのグレース・ケリー、生きてれば15歳になるのねあたしのジョンベネ・ラムジー
あなた方のことを考えると、死ぬほどうっとりして、死ぬほど憂鬱になるの
パパの命令でお医者様にマリリン・モンローそっくりに改造されたり、本当にある国の王女になるなんて絶対間違ってる
でも死ぬほど羨ましい。そして死ぬほど怖い
あたしはこんなに
死ぬほど羨ましくて、死ぬほど怖くて、死ぬほど退屈
Vandome,la sick kaiseki
Vandome,la sick kaiseki
Vandome,la sick kaiseki
Vandome,la sick kaiseki
たくさん血が出たり骨を折っちゃったりするのは僕の時代にはあんまり好まれなかったんです。フェティッシュとか精神分析とか、そういうつまらないものが流行っていて
でも、彼女たちが好きなものは結局、宝石と香水と毛皮だって事は永遠なんですよ
裸に毛皮だけ着せて、香水の瓶を割って、お腹を軽く傷つける。詰まらないプレイですけれども効果はすごいんです。真っ赤な血が、うっとりするような香りで
宝石も勿論たくさん使いました。トパーズ、アメジスト、オパール、こういう物には水晶以上の魔力と、生体化学的な影響力があって、まあ、若返るんだと
こういう話をすると、馬鹿にして嘲けり笑っている連中ほど、瞳孔が開いているのがわかる。後で呼び止められるから絶対
それで、彼女たちの宝石箱から一つ残らず出させてね
身に付けさせるんじゃないですよ。体の中に入れてゆくんです
滑稽といえば滑稽だし、でも芸術的とも言える
お腹を宝石でパンパンにした御婦人が喘いでるんですから
勿論、楽しくも何ともなかった、気持ち良くも何ともなかった、嬉しくも何ともなかった
この国の社交界の一部では、こういったことが何百年も通いてるんだなって思うと、変に敬虔な気持ちにさえなりかけたもんです。日本人だからでしょうね。僕は二十歳過ぎてたんだけど、誰もが15歳ぐらいだと思っていて
最近はちゃんとクラブがあったりするんですよ。卓もサウンドシステムもすごく充実していて、ヴァルスやポルカが終わると、変な、聴いたこともないオーストリア語のハウスみたいなのがかかるんですけど、みんなハイヒールに革靴だし。っていうか、踊りが凄くて、笑うのを我慢するのに苦労しました
嫌な感じの嘲笑しか出来ないから。生まれてからずっとそうなんです
復讐心ですか?どうだろう?今の東京の子供に比べればね
アメリカのポルノ女優に憧れてるっていう日本人の女の子がいて「さっきフォクシー飲んだの」って。この子は全然踊ってなくて、目をトロンとさせて、年寄りばっかり狙ってた
世界中に行ったけど、どこも何も変わらない。「オレみたいになるなよ」って、誰かに思ってた頃もあったんですけど、今はそんな誰かもいない
生まれて初めてです。自分からキスしたいなって思って
でも諦めました。彼女は、消えてた
Vandome,la sick kaiseki
Vandome,la sick kaiseki
Vandome,la sick kaiseki
Vandome,la sick kaiseki
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岩澤瞳のいたスパンクハッピーを知ったのは18の頃で、私はそれをカーテンもソファもない部屋の中で聴きました。退屈、と発音する彼女はその声にすら感情がなくてだからこそその言葉は彼女のためにあるような気がしました。私は自分を退屈だとは思えない。それは彼女のような人にこそ似合う言葉だと思っているから。
この歌詞にこころからうんざりできる人間であれればよかったのにと思います。私は自分が暴力を振るわれる若さと身体を持っている頃から、同じ傷を誰かにつけられるほどの加害性を持っていることを自覚しました。スパンクハッピー、或いはこの音楽を私に教えた人のせいです。傷をつけることがある人間だという自覚はついた傷を責め損ないます。自分がいつだって意図せずそちら側に立つ予感は、傷の痛みや怒りよりもよっぽどおそろしいものでした。私にとって、
ヘドラの目はヴァギナを模していますが性別は割り当てられていません。少なくともその言及はない。私はゴジラ対ヘドラという映画それ自体をとても気に入っていますが、何よりもこの怪獣にとても親近感をおぼえています。
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かわいいですね。
私が自分の体に嫌悪感を持たないのは、似た身体構造をもつ人々と親しくなった際にその体をこのましく思うからで、それが自分のものだから嫌悪するのは何か、通らないのでは、と、不安になってしまうからです。もちろんそれはそれ、これはこれとわけてしまうことはできます──というか、それが正しいのですが──、どうしてもその種の理屈を自分に向けて納得させることができません。私にはそういうことがとても多い。
今日が日曜日だということをうまく感じられません。とてもねむいです、
たくさんねむれるといいなと思います。
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pix-ied · 2 years ago
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23年10月2週目
仕事で他部署の先輩の言動にイライラする。元々会話が噛み合わないが、全て逆張りされているような感じがする。あちらもそうなんだろうけど。ルーチン業務が増えて、それをこなすだけで残業を目一杯使ってしまう。仕事が進まなくて持ち帰ってはみたもののやる気が起きなくて、家で仕事はしていない。そのことを考えると憂鬱な気持ちになる。明日また考えよう。
週末は最後の渋谷TSUTAYAへ。『11ミニッツ』『愛の神、エロス』『デスプルーフinグラインドハウス』『幸福なラザロ』を借りた。そのうち後者3作はそのまま六本木のホテルステイ中に鑑賞。おかげで忙しかった。1年以上ぶりの都内ホテルステイだったけど、今回はご飯を食べたり買いに行く以外はずっとホテルにいた。理想的な滞在。しかも今回利用したremmホテルは通常が14時チェックインの12時チェックアウトなので、追加料金なしで22時間滞在できた。BDプレーヤーは500円でレンタルした。お部屋で入れるお茶はロビーから選んで持ち出せるんだけど、ここのはちみつ紅茶が美味しいと家族から聞いていてそれも目的の1つでもあった。大学を卒業してから夜の東京を歩くことがなくなり、なんだか知らない外国の街を1人で探索している気分になる。そういうとき私は心から、楽しい!という気持ちを噛みしめる時間を過ごすことになり、自分のことが大好きな無敵な自分になれる。先に書いたとおり仕事はストレスを抱えているけれど、それもほとんど思い出すことなく過ごせたので(1泊程度だと完全に忘れることは無理だったけど)改めて、もっとホテルの単価を落としてでも、時々やった方がいいなと思った。ただ、今回のホテルは同じ階で誰とも会うことなく静かに過ごせたのが良かった。あと映画を観たりして過ごすならテレビが大きくてベッドから見られることも必須条件だなと。誰かと共有したいこともあるけれど、誰かといると基本は会話が生まれるので、楽しいをギュッと抱きしめる時間を持てることが1人時間の良さだと思う。
日曜は友達とデート。何年も前に気になっていたけど、結局1度も行けていなかったアートアクアリウムに。昔は夏のイベント的な感じだったと思うけど、今は常設展のようになっているらしい。これは今年の美術館としてカウントして良いのかちょっと微妙なところ。センスの良さが光る展示だけれど、これって金魚はいるんだろうかと疑問ではある。外国人受けしそうなミュージアムだった。私が外国から訪れたなら行きたいかも。その後ランチしておしゃべり。友達はいつも���分が調べて予約してとかしてるから、その辺をやってもらえるのすごく嬉しいと何度も言っていた。もうママたちにしてあげられることはそれくらいしかないので、時々希望に応えられているか不安になるけど、それで喜んでくれるなら当分友達の子供たちが大きくなるまではやってあげたいなと思う。友達も旦那さんは女友達のように話を聞いてくれないし、という話になり、どこのカップルも同じなんだなと思った。カップルのキャッチボールをすることを求めるのはやっぱり難しい話なんだろうか。
ドラマのこっち向いてよ、向井くん、を見ていたら、元カノが別れた理由が私と同じすぎて、妹と私たちのドラマじゃん!っと一瞬で盛り上がり、その後苦しくなった。もう結婚したいって言わないで、苦しいから。
そして、今年も4分の1を切ってしまったので、Wishlistの振り返り
台湾に行く
それ以外のアジアに行く
ビーチに行く
雪見温泉行く
行ったことない県に行く
サウナで整う
温泉の泉質を研究する
批評を書く
税理士の簿記論を取る
ヘミングウェイの英文法の本を読み切る
リベラルアーツを勉強する
読書会に参加する
雑談の練習をする
質問を用意する
楽しみなデートをする
フィルムカメラを使う
友達に友達を紹介してもらう
美術館に行く
西洋美術を観る
現代アートを観る
台湾映画を観る
中東映画を観る
ヨーロッパの国別に映画を観る
会社の机の上を片付ける
部屋の机の上を片付ける
物を手放す
ネイルシールを作ってもらう
足裏のメンテナンスに行く
整体に行く
美顔器買う
姿勢をよくする
美容医療を試す
週3回23時までに寝る
体脂肪率24%
月1でフィクション以外も読む
良い古本屋を見つける
本を売る
新書を買う
夏目漱石を読む
司馬遼太郎を読む
誠品書店で本を買ってカフェで本を読む
香水をつける
怒りのコントロールの練習をする
イライラを態度に出さない
パンミー食べる
水着を着る
友達の子供を抱っこする
職場の近くで家を探す
婦人科で検診受ける
魚料理を作る
スパイスを買ってみる
スコーンを作る
塗り絵する
具合悪くならないお酒の飲み方をマスターする
筆記具を買い直す
なりたい体型を意識して筋トレする
旅行先で映画を観る
旅行先で本を買う
建築を見る
演劇を見る
好きな会社の株を買う
NISAを始める
自分の人生は自分で楽しくする
仕事に小さくても楽しみを見出す
人の人生の野望を聞く
人生の野望を考えて人に話す
良いと思ったことはどんどん褒める
優雅な生活で最高の復讐をする
この3ヵ月かなり前進したような気がする。叶えたものが32個。気になってたけどずっとやれていないことに着手したり、旅行の予定に組み込んだり、気持ち的に概ね吹っ切れたのが良かった。あと3ヵ月というか、12月はまた忙しいので実質2ヵ月くらいであと何個達成できるだろう。
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hachikenyakaiwai · 1 year ago
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【かいわいの時】享保十四年(1729)四月二十日:将軍吉宗御用の象、尼崎から大坂に到着。南組惣会所に逗留。
享保13年(1728)にベトナムから牡と牝の象が日本に渡り、長崎に上陸した。この出来事が注目される一の理由は、2頭の象が献上されたものではなく、将軍徳川吉宗(1684-1751)の要請によりもたらされたからであろう。実はその要請が以前から商人のなかで伝えられたようだ。嘉永6年(1853)に林復斎等が編集した『通航一覧』に載せられた第38番東京船主の呉子明の手紙に次のような記述がある《史料9略》結局、2年後象が運搬されて来たが、その船主は呉子明ではなく、享保13年第15番唐船の船主の鄭大威である《略》このことから、当時幕府は多くの商人達に象の要請を伝えたことが考えられる。
黎貴惇は、ベトナムとラオスの国境にあるカムロ(甘露)地方の市場で行った象の売買について次のように述べている。
【史料11】『撫辺雑録』  「一象可載米三十擡、毎擡二十鉢、亦有��市番、駆牛至、三百隻来売、一牛不過十貫、一象價銀二笏」
黎貴惇の記述した「笏」は約10両に相当している《略》つまり、ベトナム国内で売買される象の価格は「二笏」で20 両に相当する。それでは象が日本まで運搬された時、どのくらいの金額がかかったのであろうか。実は、『通航一覧』に載せられた呉子明の手紙には下記のことが書いてある。
【史料12】『通航一覧』  「一象其帯来、小船不堪装載、徒新定造大船二艘、毎艘只装得一隻、但欲定造大船二艘、要用銀一萬餘兩、又唐山發船到暹羅、往来雑費、該用銀二萬餘兩」
史料に書いた造船費用1万両余と雑費2万両余は2頭の象を暹羅から日本まで運搬する見積もりである。つまり、1頭の象につき1万5百両がかかる。実際、鄭大威が広南産の象を日本に運んだ時、幕府にいくら支給されたかについての資料がまだ見当たらない。暹羅からと同じような造船費用と雑費とすれば、ベトナ国内で売買する象の価格の20両より700倍以上も上回るのである。そのため、東南アジアから日本までの象貿易は大変だったが、利益が高いことが窺えるのである(ファン・ハイ・リン)。「前近代ベトナムにおける象の国家的管理と象貿易」『専修大学古代東ユーラシア研究センター年報 第4号』2018より抜粋して編集。表記はママ、脚注略。ママ。1万5千両の誤記と思われます。
【見積明細】 ・象(2頭) 銀10両×2=銀20両 ・大船造船費(2艘)  銀1万両 ・運送費       銀2万両 総計 銀3万40両(享保年間)≒銀130貫≒25億円(現在)※銀1両=銀4.3匁=0.07石=2万円で換算。
(写真)尾形探香『象之絵巻物』1848-55(関西大学図書館蔵)部分 享保十四(1729)四月、中御門天皇が京都御所で象を見物する図。ただし、御簾のうしろの天皇の姿は描かれていない。『江戸名所図会』1829によると、天皇と上皇への拝謁のため、象は「広南従四位白象」に叙せられたという。時しあれは 人の国なるけたものも けふ九重にみるがうれしさ 中御門天皇。
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t82475 · 2 years ago
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梢ちゃん、初めてのイリュージョン
1. 大阪から東京へ引っ越して、あっという間に1学期が過ぎた。 新しい学校で仲良しの友達もできたし、まあどんな環境にもすぐに適応するのがウチの強みやな。 弟の湊(みなと)は転校先の小学校に慣れなくてちょっと苦労している感じ。 それで母ちゃんが新聞の折り込みチラシで見つけた小学生向けの造形美術教室へ行ってみたらどうか、と提案してきた。 湊はウチと違(ちご)て繊細やもんね。 ゾーケイとかビジュツとか、そういうんは向いてると思う。
母ちゃんは教室へ電話を掛けて見学の予約をした。 土曜日午後のクラス。 「梢(こずえ)も一緒に来て」 「えぇー、ウチも?」 「湊は小2やし一人で行かされへんでしょ? いつもママが付き添えるとは限らへんし、そのときはあんたが連れてくの」 「あーん、貴重な週末やのに。母ちゃんのいけずー」 「そろそろ『お母さん』かせめて『ママ』って呼んでくれへん? いつも成○石井で母ちゃんって大声で叫ばれるの恥ずかしいんやけど」 「『おかん』って言われるよりええやろ? それに高級スーパーやゆうて恥ずかしがるんは田舎モンやで。だいたい成○石井くらいアベノ橋にもあったやんか」 「あ、そうか」 「分かったらよろしい、母ちゃん」 「そうやって親を煙に巻くの止めなさい」
2. そんな訳で3人で見学に来た造形美術教室。 三田さんというおばちゃんの先生が教えていた。 生徒は10人ほどで、それに保護者のパパとママが何人か来ている。 この日はカラーキャンドルを作っていた。 使い古しのろうそくとクレヨンを削って湯せんにかける。 何色か溶かして好きな順番で型に流し込めばカラフルなキャンドルが出来上がる。
「桧垣湊くんね? よかったら一緒に作らない?」 先生に誘われて湊は頷いた。 「あのっ、ウチもやらせてもらっていいですか!」 「こら梢!」 母ちゃんが止めようとしたけど、先生は笑って許してくれた。 「湊くんのお姉さんね? もちろんどうぞ」 「桧垣梢ですっ。中学2年です! ヨロシクお願いします!!」 だってキャンドル作り、すごい面白そうなんやもん。
「うわぁー、綺麗やん!」 どや、この色のチョイスはなかなかのもんやろ? 「水色を入れたいの? ええで、お姉ちゃんが一緒に削ったげる」 クレヨンを削るのを手伝ってあげた。この教室、こんな小っちゃい子にもナイフ使わせるんか。 「ボク! そこ指入れたらあかんっ。熱いでぇ~!」 湯せんの中に指を入れかけた男の子を止めた。ホットプレートの扱いも注意させんとあかん��ぁ。
気が付けばウチは子供たちの輪の中にいてあれやこれや世話をしていた。 先生は後ろに立って笑っていた。
3. 「この娘が一番楽しんだようで申し訳ありません」 他の生徒さんたちが帰った後、母ちゃんが謝った。 ま、ウチを連れてきたらこうなるのを予想せんかった母ちゃんのミスやな。 「いいんですよ。よかったらこれからも毎週来てくれたら助かるな、梢ちゃん」 「ええんですか?」 「子供、好きでしょ?」 「ハイッ、好きです! ・・母ちゃん、ウチの分の月謝もお願い」 「あのねぇ」 「月謝なんて要らないわ。むしろお給料払わないといけないくらいよ」 「えぇ! お給料もらえるんですか!」 「な訳ないやろ」 母ちゃんがウチの頭を小突いた。
「ところで、」 母ちゃんは先生に向かって聞いた。 「三田、静子先生ですよね?」 「はい」 「覚えてませんか? 30年以上前ですけど京都の中学校で」 「京都? 確かに昔、京都で教師をしていましたが」 「私、美術部でお世話になった鈴木です」 鈴木っちゅうんは母ちゃんの旧姓やな。
「・・鈴木純生(すみお)さん? あの、捻挫して松葉杖の」 「はい!」 「きゃあ~っ」「きゃあ~っ」 母ちゃんと三田先生は両手を握り合った。 それからハグして、その場で跳ねながら一回転する。よお息が合うもんやと感心した。
「チラシでお名前見て、もしかしたら思ってたんです」 「懐かしいわ!」 「よかったら、あらためて昔のお話させてください」 「そうね、そうしましょう!」
・・後ろのドアが開く気配がした。 「先生、これも倉庫に置かせてもらっていいですか」 振り返ると背の高いお兄さんが立っていた。 その後ろには可愛いお姉さんもいる。 お兄さんは大きな丸いモンを抱えていた。 イケてない兄ちゃんやな。この、もさぁっとした感じ。 ウチの見立てやと30は超えとるな。もちろん彼女いない歴イコール年齢や。 それと比べてお姉さんはずっと若くてキュート。きっとピチピチの女子高生。
「ああ、まだ生徒さんがいましたね。出直します」 「いいのよ。もう済んでるから。・・それで何を置きたいの?」 「このボールです」お姉さんが答えた。 「くす玉なんだって」 「正確には人間くす玉です」 人間くす玉って、いきなり謎のワード。
「くす玉っ!?」 素っ頓狂な声を上げたのは母ちゃんだった。 「まさかそれ、S型の人間くす玉・・」 「よく分かりますね」 お兄さんが言った。 「あなた何者ですか?」
母ちゃんは両手で胸を押さえて深呼吸して、それから一人で叫んだ。 「きゃあああ~!!」 さっき三田先生とシンクロして叫んだときよりずっと大きな声だった。 皆が驚いて見守る中、母ちゃんだけが絶叫しながらぴょんぴょん飛び跳ねていた。 46歳の母ちゃんが急に若返ってハタチになったみたいに見えた。
4. 次の土曜日の教室。 ウチは一人で湊を連れて来た。 母ちゃんは前の晩からどこかへ出かけ、朝になって上機嫌で帰って来てグーグー寝ている。 ええ歳の主婦がそないな夜遊びしてええんか? 父ちゃんは笑ってたから許してるんやろうけど。
今日の造形美術教室の題材は千切り絵だった。 いろいろな色の和紙をハサミを使わずに裂き、糊で貼って綺麗な絵にする。 子供たちは一生懸命。ウチも一緒に絵を作る。 やっぱり楽しい。 ウチには造形美術の才能があるんやないか。
「みんなーっ、クッキーだよ! あたしの手作り!!」 れいらさんがお菓子を持ってきてくれた。 玻名城(はなしろ)れいらさんは先週出会ったあの高校生だった。 造形美術教室の卒業生で、ときどき子供たちに差し入れしてくれる優しいお姉さん。
「イッくんは二日酔いらしいです」 「男のくせに駄目ねぇ」 れいらさんが報告して三田先生が笑った。 イッくんとはあのお兄さんのことで、本名はえーっと、酒井功(さかいいさお)さんやったな。 れいらさんと同じく造形美術教室のOBで今もいろいろお手伝いしてくれているらしい。
「いったい何人で飲んだんですか? 先生」 「5人ね。イッくんと桧垣純生さんと私。それに桧垣さんの知り合いっていうモデル事務所の社長さんと、京都から来たイベント会社の社長さん。イッくん以外は全員女性よ」 「えっ、ウチの母ちゃんも一緒やったんですか?」 「そうよ。昔のお話が沢山できて楽しかったわ」 「社長するような人と母ちゃんが知り合いとか、知らなかったです」 「面白い人たちだったわ。皆さんお酒もぐいぐい飲むし、盛り上がっちゃった」 「先生もぐいぐい飲んだんでしょ?」 「おほほほ」 「イッくん可哀想。おばさんたちに飲まされて」 「んま、れいらちゃんったら失礼なこと言うわねー」 「ウチにも分かります。30過ぎのおじさんでも、おばちゃんたちから見たら若い男の子ですもんね。そら可愛がられますわ」 「梢ちゃんまだ中学生でしょ? 何でそんなことが分かるの?」 「えへへ、そうゆうんは得意なんです」 「でも30は可哀想よ。彼25歳だもの」 「うわぁ、ホンマですか~! ウチが言うたってチクらんといてくださいっ」 「あはは」「きゃはは」
5. 家に帰って、ウチは母ちゃんから若い頃の話を聞いた。 母ちゃんは京都の会社でイベントの司会やイリュージョンのアシスタントをしていた。 イリュージョンって、あのマジックのイリュージョンなのか。 二十歳のときの写真と言って見せてくれたのは、チャイナ服の母ちゃんが透明な箱の中に出現したところだった。 腰まで割れたスリットから生足出して、きらきら輝く笑顔で手を振っている母ちゃん。 今の母ちゃんと同じ人とは信じられないくらいに綺麗だった。
謎の『人間くす玉』についても教えてもらった。 人間くす玉は同じ会社のアトラクションで、中から女の子が飛び出すくす玉なんだって。 先週イッくんが抱えていたのは一番小さなサイズのくす玉。 「彼がクレクレしたから無料であげたって社長が言ってたわ。意味分からへんよね」 ウチにも意味が分かりません。
夜、れいらさんから LIME のメッセージが届いた。 『明日イッくん家に行くの。梢ちゃんも一緒にどう?』 『行きます!』 『イリュージョンを見せてくれるんだって』 またイリュージョン!? 後にして思えば、それは��チが新しい世界に足を踏み入れるお誘いだった。
6. イッくんのマンション。 「いらっしゃいませ!」 ドアを開けて迎えてくれたのは綺麗な女の人だった。 「あなたが梢ちゃん? 酒井多華乃(たかの)です。よろしくね」 「多華乃さんはイッくんの奥さんだよ。先月結婚したばかり!」 ほぇ~。ばりばりの新婚さんやないですか。 多華乃さんは七分丈スパッツの上にニットのサマーセーターを着ていた。セーターの襟ぐりが大きくて谷間がちらちら。 こんなセクシーな奥様がいるやなんて、この間は「彼女いない歴イコール年齢」とか思てゴメンナサイ!
リビングに案内してもらうとイッくんが待っていた。 ちゃんとお話しするのはこれが初めてだった。 「お招きありがとうごさいます! ・・あの、ウチも『イッくん』って呼ばせてもらってええですか?」 「いいけど?」 「実はどう呼ぶか寝ないで考えました。『イッくん』はちょっとナレナレしい、『イサオさん』はヨソヨソしい、そやかゆうて『イッさん』やと大阪のおっちゃんみたいで」 多華乃さんがぷっと笑う。 「なんでやっぱり、れいらさんと同じ『イッくん』で行かせてください!」 「梢ちゃんって面白いね」 よっしゃ、ウケてくれた! ウチは心の中でガッツポーズをする。
「イッくん、二日酔いは治った?」 れいらさんに聞かれてイッくんは頭をかいた。 「ああ、酷い目にあったけど、タカノがいてくれたから・・」 「熱いねーっ」 大喜びで冷やかすれいらさん。 いつものウチなら一緒に囃し立てるとこやけど、さすがに初対面で遠慮したのは我ながらエライと思う。
「・・んじゃ、さっそくやろうか」 「イリュージョン!?」 「うん、新作だよ。この場所に招かれたゲストだけが見れる限定イリュージョン。そして記念すべき最初のゲストが君たちだよ」 ぱちぱちぱち。れいらさんが拍手した。 今度はウチも一緒に思いきり手を叩いた。
7. 小さなテーブルを挟んで4人がソファに座った。 手前のソファにウチとれいらさん。 向かい側にイッくんと多華乃さん。 こちらから見て向かって左にイッくん、右に多華乃さんが座っている。
イッくんは多華乃さんの腰に左手を回すと、ぐいっと引き寄せた。 多華乃さんがイッくんに密着する。 ニットの襟がでろんと伸びて白い肩が出た。その肩にブラ紐はなかった。 あの、それはお客さんが男性のときに目を惑わすための演出ですか。 女でもドキっとするんですけど。
「これはサテンの袋。長さ2メートルあるのでうちの妻が全部入ります」 イッくんは多華乃さんを左手で抱いたまま、床の袋を右手で拾い上げた。 紫色でつるつるした光沢のある袋だった。 それを多華乃さんの頭から被せる。もぞもぞと右手だけで身体全体を覆ってゆく。 ・・そやから、わざわざ密着してそういう作業をするのは何でですか。 すごくエッチに見えるやないですか。
足先まで袋を被せた。 「足あげて」 多華乃さんの膝がぴょんと伸びて、目の前に袋の先が突き出された。 「れいらちゃん、袋の口をくくってくれる」 「これでいい?」 ���いらさんはサテン袋の口を絞って結んだ。
「ありがとう」 相変わらずイッくんは袋に入った多華乃さんを左手で抱いたままだった。 つるつるしたサテンの袋を右手で撫でる。 多華乃さんのボディラインがはっきり分かった。 膝、腰、頭。 うわ、そこは多華乃さんの胸。 いくら奥さんやからゆうて、人前でそないに揉みしだいたらアカンでしょ。
「次はこのシュラフ(寝袋)。梢ちゃん、シュラフって知ってる?」 「ええっとキャンプとかで使うモンですよね」 「そう、携帯用の寝具だね。綿が入ってて暖かいんだ。・・これを被せるから手伝ってくれるかい?」 イッくんに指示されてシュラフを今度は多華乃さんの足の方から被せた。 腰の下を通すとき、イッくんは左手に抱いた多華乃さんを持ち上げて通し易くしてくれた。 頭まで被せ終えると、脇のファスナーを上まで閉めた。
「こっちは縄で縛るよ。・・ん? どこかな」 右手で足元をまさぐった。 「れいらちゃん、そっちに紙袋が置いてない?」 「ええっと・・、あった!」 ウチとれいらさんが座るソファの後ろに紙袋があった。 「そこに縄が入ってるから、それでここを縛って。できるだけきつく」 れいらさんはイッくんのソファの後ろに回り、言われた通りにシュラフの口に縄を巻いて縛った。
「二人ともご苦労様でした。後は座って見てね」 ソファに座ったイッくん。 ウチとれいらさんはその反対側に座っている。 イッくんの左手はシュラフ(の中の多華乃さんの腰)を抱いたまま。
「いま、タカノは二重の袋の中。暖かい、というより暑いだろうね。呼吸するのも辛いかもしれない」 右手でシュラフを押さえた。多華乃さんのちょうど顔にあたる部分。 「この中で美女が苦しい思いをしていると考えたら、・・ちょっと興奮するよね」 「イッくん! そういうフェチな妄想してる場合じゃないでしょ! 梢ちゃんも見てるのに」 「え、ウチ? 何のことですか?」 分からないふりをしたけど、二人の会話は何となく理解できた。 じっと我慢してる多華乃さん。たぶん本当に苦しい。 そんな多華乃さんを抱きながら「興奮する」と言ったイッくん。ドSやんか。
「ごめんごめん。イリュージョンに戻ろう」 イッくんは右手でシュラフの口を縛る縄を掴んだ。 「いくよ。・・それ!!」 手前に引いた。 シュラフは腰の位置で二つに折れ曲がった。 「もう一回!」 すぐにシュラフの足先を掴んで持ち上げた。 二つ折りのシュラフが四つ折りになった。
「え」「え」 ウチとれいらさんは揃って声を上げた。 「二人で上から押さえてくれるかい」 言われた通りシュラフを押さえると、空気がしゅうっと抜ける音がした。 シュラフは四つ折りのまま潰れて平らになってしまった。
「えーっ、どうして!?」 「多華乃さんは!?」 二人で騒いでいると多華乃さんの声がした。 「お疲れ様、お茶にしましょ♥」 リビングに隣り合ったキッチンに多華乃さんがいた。 紅茶とケーキを乗せたトレイを持って笑っている。 少しだけ乱れた髪。少しだけ紅潮した頬。 とても色っぽかった。
8. 「いったいどうなってるの!?」 「それは内緒。今のところお客さんが来た時に見せられるのはこのイリュージョンだけだからね」 イッくんはタネを教えてくれなかった。 「あんなにたくさんあったイリュージョンの機材はどうしたの?」 「ほとんど人にあげるか倉庫に入れちゃったんだ。これからまた新しいのを作るよ」 「新居に汚いものを置くなって、三田先生に言われたみたい。私は気にしないんだけどね」 多華乃さんが補足してくれた。 「まあ彼のアパートにいろいろ怪しいモノがあったのは確かね」 「怪しいモノはないだろ、タカノ」「うふふ」 「イッくんはね、何でも自分で作っちゃうんだよ。イリュージョンの道具から吊り床まで」 「スゴイですね! 吊り床って何ですか?」 「あ、ゴホンごほんっ」「・・ちょっと早いかな? 梢ちゃんには」 「???」
いろいろ話をしてイッくんと多華乃さんのことを教えてもらった。 二人は同じ大学で知り合って、一緒にイリュージョン同好会を設立した。勤めるようになってからも仲間と活動を続けている。 マジックの競技会にオリジナルのイリュージョンを出して賞を獲ったこともある。 たまに造形美術教室の子供たちにもイリュージョンを見せてくれているんだって。
「最近はれいらちゃんも参加してくれてるんだ。梢ちゃんはイリュージョンをしてみたいって思わない?」 「やりたいです。ウチもあんなすごいイリュージョンができるようになりますか?」 「できるわよ。私も最初は何も知らなくて始めたんだもの」 「ならウチの親が許してくれたら。あ、日曜日しかダメですけど、いいですか?」 「ぜんぜん大丈夫」
「梢ちゃんを誘おうと思ったのは訳があるの」 れいらさんが説明してくれた。 「三田先生、10月に還暦を迎えるのよ」 「カンレキって?」 「60歳のことだよ」 「先生そんなお歳やったんですか」 「だからお誕生会を企画してるの。そこでイリュージョンも見せようって」 「ははぁ」 「いつもだったらイッくんが多華乃さんとやるんだけど、たまにはサプライズもいいでしょ?」 イッくんと多華乃さん、れいらさん。3人がウチを見て笑っている。 まさか。 「れいらちゃんがものすごく推すんだ。新しく来た梢ちゃんっていう中学生がとてもいい子だって」 「あのウチそんないい子では」 「僕も梢ちゃんと会って思ったよ。是非、誕生会のイリュージョンをやって欲しい。・・タカノはどう?」 「大賛成よ。私も梢ちゃんのことが大好きになっちゃった」 「決まりね。マジシャンはあたし、アシスタントは梢ちゃんだよ!」 れいらさんが宣言した。 どうやらウチはいつの間にかイリュージョンに出ることが決まっていたらしい。 母ちゃん、ウチ、母ちゃんと同じイリュージョンのアシスタントするんやで。怒らんといてな。
「実はこんなのを設計しているんだ」 イッくんはノートに描いた図面を見せてくれた。 スーツケース?の中に膝を曲げて入った女の人のシルエットが描かれていた。 「タカノ用に描いたんだけど、梢ちゃんなら問題ないはずだよ」 「もしかしてウチがこれに入るんですか?」 「そうだよ。それで外から剣を刺すんだ」 「えええ~っ!!」
9. 還暦祝いなんて勘弁してちょうだい。 はじめのうち三田先生はお誕生会を嫌がった。 それでも造形美術教室の卒業生がたくさん来る、保護者の皆さんもお金を出し合って準備してくれると聞いて抵抗を断念した。 「ありがとう! ・・でも赤いちゃんちゃんこなんて着せようとしたら、その場で逃亡するわよ」
母ちゃんはウチがイリュージョンするのを嫌がるどころか大喜びしてくれた。 「三田先生のお誕生日にイリュージョン? 素敵やないの!! それであんた衣装はどうするの?」 「んー、まだ何も決まってへん、と思う」 「マジシャン役はあの高校生の女の子ね? よーし、母ちゃんがまとめて面倒みたげる!!」 母ちゃんはイッくんの携帯の連絡先を聞いていたらしい。 勝手に電話して衣装製作の了解を取り、るんるん楽しそうに準備を始めたのだった。
10. 「スーツケースが手に入ったんだ。サイズをチェックしたいから来てくれる」 次の週、連絡があってウチは一人でマンションへ来た。 イッくんと多華乃さんが迎えてくれた。
さっそくスーツケースを見せてもらう。 「メ○カリで買った中古品なんだ。これをイリュージョンに使う予定」 それは思ったより小さかった。 立てて置いたら腰くらいの高さしかない。 「入ってくれるかい。梢ちゃん」 「あ、はい」 いきなりですか。 ええですよ。そのつもりでスカートやのうてショートパンツ穿いてきましたし。
イッくんが広げたトランクの中にお尻をついた。 「両手は後ろに回してくれるかい」 「後ろですか?」 「そう。手錠掛けるつもりだから」 「てじょう?」 「うん、後ろ手錠。動けないように」 !!
「イサオ! イリュージョン初体験の女の子にそんなストレートな言い方はダメっ」 多華乃さんが叱ってくれた。 「梢ちゃんフリーズしてるじゃない。・・心配しないで、梢ちゃん。マジック用の手錠だから自分で外せるわ」 「身の危険を感じました。ウチは生還できるんでしょうか?」 「んー、大丈夫だと思うよ。しらんけど」 イッくんがのんびり答えた。 ウチの関西人アンテナが反応する。 「あ、今『しらんけど』言いました? ウチも使うチャンス伺ってたんですけど」 「一度言ってみたかったんだよ『しらんけど』。今の使い方でいい?」 「グッドです。イッくん大阪でやっていけますよ」 「ナニアホナコトイッテンネン」 今度は多華乃さんが言った。 「多華乃さん、それは東京のヒトがやると割とスベるんで止めた方がええです。あとイッテンネンやのうてユーテンネンです」 「難しいのねぇ」「ドンマイです」 「ねえ、そろそろ続きをやらない?」 「イッくん人のギャグには冷淡ですねー」 「うふふ。冷たいのも彼の魅力よ」 はいはい、ごちそう様です。
トランクの中で横になった。 身体を丸くして両手を後ろに回す。 「もっと顎を引いて頭を下げてくれる」 「はい」 「あぐらを組む感じで。もうちょっとお尻下げて。・・OK、そのポジションをよく覚えておいてね」 「了解っす」 外にはみ出した髪を多華乃さんが直してくれた。 「大丈夫だね。では蓋するよ」 カチャ。 トランクの蓋が閉じて真っ暗になった。 頭の後ろが押し付けられて痛かった。 ぎゅっと折りたたんだ膝と脛、足の甲も前に当たってキツイ。 狭いやん! 「起こすよ」 ぐらり。 お尻に体重が乗った。 すっと身体が沈んで後頭部に余裕ができた。 足は全然動かせないけれど、��しだけほっとした。
「肩を捩じって、片手ずつ前に出してみて」 ごそごそ。 あ、出せた。 「右手で左の壁、左手で右の壁。触れるでしょ?」 はい、触れます。 「あとはまた両手を背中に戻す」 ごそごそ。 戻せました! 「ここまでできたら問題ないよ。ちゃんと生還できるから安心して」 はい! 「何度も練習して慣れてね。出してって言ってくれたらすぐに開けるから」 分かりました!
11. 「・・梢ちゃーん、大丈夫?」 声が聞こえた。 この声は、れいらさん!? 「はーい、大丈夫ですぅ。れいらさんですかぁ?」 「そうだよー。もう15分くらい経ったっていうから開けるよー」 え? 15分���?
ぐらり。 ウチを閉じ込めていた空間が横向きになった。 カチャカチャ音がして蓋が開く。 イッくんと多華乃さん、それにれいらさんがウチを見下ろしていた。 あ、えーっと。 「じゃーんっ、たった今、囚われの美少女が救出されました!」 あかん、誰も笑てくれへん。 仕方ないので、自分で「えへへ」とごまかして起き上がった。
「大丈夫みたいだね。静かなままだから、ちょっと心配になって」 イッくんが言った。 「ぜんぜん大丈夫です。・・何か馴染んでしもて、ぼおっとしてただけです」 多華乃さんとれいらさんが安心したように微笑んだ。
本当は、女の子を閉じ込めるってこういうことなんかと考えてた。 ちょっとえっちな妄想もしてドキドキした。 でんもそんなん恥ずかしくて言われへんやんか。ウチ純真な中学生やのに。
「そういえばれいらさん、いつの間に来てたんですか?」 「遅れてごめんね。梢ちゃんのお母さんに衣装の採寸してもらってたんだ」 「れいらさんちに行ってたんですか、ウチの母ちゃん」 それで朝からウキウキ出かけて行ったのか。 「面白いお母さんねぇ。あの人から梢ちゃんが生まれたのなら納得だわ」 「変な納得のしかた、せんといてください」 「そうだ梢ちゃんのお母さん、イリュージョンやってたって教えてくれたよ」 「え、そうなの!?」 多華乃さんが驚いた。 「らしいです。ウチも詳しくは知らんのですけど」 「むかし京都にいた頃、かなり本格的なイリュージョンをやってたらしいよ」 「なんでイサオが知ってるのよ」 「前に飲まされたときに聞いたんだ。・・あ、別にわざと教えなかったんじゃなくて、僕は余計なことは喋らないだけだよ」 「む」 多華乃さんはイッくんの首を肘で絞めて押さえ込むと、その耳の後ろをゲンコツでぐりぐりした。 「あれはスリーパーホールド。多華乃さんの得意技だよ」 れいらさんが教えてくれた。
その後イッくんがスーツケースイリュージョンの仕掛けを説明して、皆で進め方を相談した。 途中でれいらさんが「あたしもスーツケースに入りたい」と言い出して入ることになった。 「何時間でも閉じ込めていいよ」なんて言うもんやから「なら駅のコインロッカーにでも預けましょか」って返したら「うわーいっ!」と喜ばれてしまった。 多華乃さんまで「あらそれ素敵」なんて言う始末。 「手錠は?」「いいですねー」 「DID♥」「ですっ!」 もうやっとれんわ。 でも、これだけあけすけに話せるんは羨ましいな。 ウチもさっきスーツケースの中で興奮しましたって素直に告白したらよかったかな。
12. お誕生会前日の造形美術教室。 子供たちがみんなで飾り付けをしていた。
ウチは湊と一緒にケーキを作っている。 ケーキと言っても食べられない飾りのケーキだった。 ダンボールの大きな筒に模造紙を貼って、その上から色紙で作ったクリームやフルーツをつける。 「姉ちゃんっ。そこはローソクやんか」 「あ、ゴメン」 「ここのチョコプレートはボクがやる」 「ならまかせるで」 「うん」 造形美術教室に来るようになって湊はずいぶん積極的になったと思う。
立ち上がって周囲を見渡す。 手伝って欲しそうな子は・・おらへんな。 それなら部屋の隅に座り込んでちょっとひと息。 明日はいよいよイリュージョンの本番か。 昨夜見た夢を思い出した。
スーツケースに入っている夢だった。 何故か学校の制服を着ていて、後ろ手に手錠を掛けられていた。 この頃、何度も同じような夢を見る。 ウチはいつもスーツケースに閉じ込められていた。 ・・またか。 夢の中で考える。 ・・それやったら、楽しまな損。
イリュージョンと言われてスーツケースに入ったウチ。 そのままどこかへ運ばれる。 街の雑踏が聞こえる中をごろごろ転がって、静かな場所に置かれた。 コインロッカー!? スーツケースごと、コインロッカーに収納されたんか。 あの、このスーツケース、女の子が入ってるんですけど。
囚われのヒロイン。DID。 ずっと前からDIDの意味は知っていた。ウチはおませな少女なんや。 おませなウチは絶対絶命のピンチにも憧れる。 もう逃げられへん。どこかに売られてしまう。 そうや、可愛い女の子は拉致られて売られる運命にある。 諦めるってキモチ、ちょっとええと思う。
小さく折り畳んだ身体が動かせない。 もどかしい。もどかしくてウズウズする。 そやけど、このもどかしさに耐えるのが乙女の務めや。 身体じゅうが熱くなる。
「・・梢ちゃん!」 誰かに呼ばれて我に返った。 ウチの顔を覗き込んでいるのは、れいらさんだった。 「梢ちゃんがヒマそうにしてるのは珍しいね」 「ちょっと休憩中です。れいらさんはどうしはったんですか?」 「さっきね、衣装を試着してきたの」 「お~っ、どんなでしたか」 「セクシー! 自分でもびっくりしちゃった」 「母ちゃん、ウチの衣装よりもヤル気出してましたもん」 「恥ずかしいけど、あんな恰好めったにできないから頑張って着るよ。梢ちゃんの衣装は?」 「それは明日のお楽しみです。・・ええっと、あの、つかぬ事を伺いますが」 「はい?」
思い切って聞くことにした。
「れいらさん、こないだスーツケースに入ったでしょ? イッくんのところで」 「入ったねー」 「失礼なこと聞くって怒らんといてくださいね」 「うん、怒らない」 「れいらさんと多華乃さん、やっぱりマゾの人ですか?」 「へ!?」 「あのときのお二人、ドMトークで盛り上がってたやないですか。コインロッカーに預けてほしいとか手錠掛けられたいとか」 「そ、そんなこと口ばしったっけ」 れいらさんが顔を赤らめるのを見たのは初めてやないかな。 「『ICレコーダー梢ちゃん』の異名を持つウチですから間違いありません。あのトーク、なんぼかはノリで言わはった思うんですけど、羨ましかったです。あんな風に性癖を発散する女の人を見たのは初めてでしたから」 「中2のくせに性癖なんて言葉使うのね」 「ウチはおませな少女なんです」 「あははは」 豪快に笑われた。 「いいよ、教えてあげる。マジレスすると多華乃さんはドMだよ。自分でも公言してるわ。旦那様のイッくんはS」 「分かります分かります」 「あたしはMとS両方あるな。お相手によってどちらでも。・・あ、お相手って男性に限らないからね」 れいらさんはそう言ってウインクした。 「梢ちゃんはMだよね」 「あ、ウチはまだ・・」 「スーツケースに詰められて感じてるじゃない。もうみんな気付いてるわよ」 ぶわ。 冗談やなしに顔に火が点いた。
しばらくけらけら笑ってから、れいらさんは言った。 「それでいいんだよ! SとかMとか恥ずかしいことじゃないんだし」 「それやったらお願いがあるんですけど」 「何だって聞いたげるよ」 「これからはウチも多華乃さんとれいらさんのドMトークに参加していいですか? ウチもエロいこと言いたいです」 「そんなこと!? あはは、大歓迎!!」 「ありがとうございます。何かすっきりしました~」 「梢ちゃんて本当に面白くっていい子ねぇ。ますます好きになっちゃった。あたしが三田先生なら絶対にぶちゅ~ってしてるところね」 「ぶちゅう~!?」
13. 三田先生のお誕生会が始まった。 造形美術教室の生徒さん、保護者のパパとママたち、卒業生が何十人も集まっている。 イッくんと多華乃さん、それにウチの母ちゃんもちゃんと揃っていた。
司会のれいらさんが開会を宣言した。 続いてイッくんが卒業生代表として挨拶。・・その直後。 ぱーん! 正面にあったケーキからクラッカーが弾けて紙吹雪が舞った。 「三田先生っ。はっぴぃばーすでーぃ!!」 ケーキが上下に割れて、中から立ち上がったのはウチやった。 母ちゃんの作ってくれた白い衣装を着ていて、手には花束。 ケーキから出て花束を三田先生に渡した。、 子供たちは大喜び。他の人たちからも大きな拍手。
ウチが飛び出したのはケーキの形をしたびっくり箱。 その正体は前日に湊が作ったダンボール製のケーキだった。 これをイッくんがたった一晩で改造してくれた。 クラッカーを取り付けて紙吹雪が飛ぶようにした。 上下に分離できるようにして内部を補強し、小柄な女の子なら収まる空間を用意してくれた。 ホンマ、イッくんって何でもできるスーパーマン。
「ご苦労様!」 花束を渡して戻って来たウチをれいらさんが労ってくれた。 「ケーキの中でドキドキした?」 「はいっ。次にパーティするときは一緒にびっくり箱しましょ!」 「いいわね!」 ウチは皆が集まる前からケーキの中にずっと隠れていたのだった。
お誕生会はそれから子供たちが歌ったり踊ったり、造形美術教室の昔のビデオを上映したりして進行した。 そしてメインイベント。ウチとれいらさんのイリュージョンの時間になった。
14. れいらさんが衣装を着替えて出てきた。 「うわあ」「れいらちゃーん!!」 「すごーい!」「キレイ!!」 大人も子供もみんなびっくりしてるなぁ。 「みんなー! お姉ちゃんこれから頑張ってマジックするよー。立ち上がったりしないで見てねー」 「はーい!!」
れいらさんは真っ赤なボディスーツとその上に短い黒ジャケットを着ていた。 ボディスーツはハイレグで胸のカットも深い。 バニーガールみたいにも見えるし、白いブーツを履いているからレースクイーンのようにも見える。 エロくて恰好いい。 母ちゃんが「萌える~!!」と雄叫びを上げながら作ったコスチュームだけのことはある。執念がこもってるわ。 何人かのパパが見とれてしまってママから叱られているのもお約束。 さすがにこれを女子高生に着せて小学生の前に立たせるんはええのかと心配やけど、三田先生が手を叩いて喜んでるから構へんのやろうね。
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れいらさんが手招きした。さあ出番や。 「マジックをお手伝いしてくれる梢お姉さんです!」 「よろしくーっ」 ウチはスーツケースを引いて出て行く。 あの中古のスーツケースはイッくんが改造して外観が変わっていた。 正面と裏側に細長い穴が6つ。 これはサーベル(剣)を刺すための穴。 ギミックの都合でキャリーハンドルは上げ���まま固定。
ウチはお客さんの方に背中を向けると両手を後ろで組んだ。 その手首にれいらさんが手錠を掛けた。 左右に引っ張って手錠が外れないことを示す。 それが済むと、れいらさんはスーツケースを倒して蓋を開いた。 スーツケースの中は仕切り類が全部外されていた。 代わりに蓋の裏に剣刺しのギミックがついて、少しだけ狭くなったけどウチが入るのには問題ない。
うちは靴を脱がせてもらって裸足になり、スーツケースの中に横になった。 膝を引き寄せて身体を丸くする。 簡単な所作やけど、一発で決まるように何回も練習したんやで。
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れいらさんはスーツケースの蓋を閉じようとする。と、中身が大きすぎるのかなかなか閉まらない。 蓋にお尻を乗せて座って閉めた。パチンとロックを掛ける。 キャリーハンドルを両手で握り、重そうにスーツケースを立てた。
れいらさんが次に手に取ったのはサーベルだった。 これもイッくんの手作りで、長さ1メートルほど。 銀色のブレード(刃)と手元が束(つか)になっている。 れいらさんはブレードを指で撫でて痛そうな顔をした。 「怖い人は目をつぶってねー」 スーツケースの後ろに立ち、一番上の穴にサーベルの先端をあてがった。 何人かの子供が自分の手を目の前にかざした。
15. カチャリと音がしてスーツケースが閉ざされた。 ウチはもう外へ出られない。 ぐらり。 スーツケースが立てられて世界が90度回転した。 いよいよここから本番。 ウチはスーツケースの中で深呼吸する。 こんな姿勢やから本当の深呼吸は無理やけど、大切なんは気持ちやからね。
スーツケースの中で身体を捩じった。 背中で手錠を掛けられていた両手を前に回した。 そんなことができるのは、左右の手錠が分離できるからだった。 手錠の鎖は紐で繋がっているだけで、その紐はリールで伸びるようになっている。
前に出した右手で左の壁をまさぐり、そこに6個並ぶレバーを探し当てた。 蓋の裏にはサーベルの一部、ブレードの先端だけが隠されている。 レバーを動かすとスーツケースの蓋の穴からその先端が突き出る仕組みになっている。 一方、れいらさんが持つサーベルは、スーツケースの穴に押し込むとブレードが縮んで束の中に収まる仕掛けになっているのだった。
「・・スチール製のメジャーがあるだろう? あれと同じ構造だよ。ブレードは硬いように見えて実は巻き取られてるんだ」 「?」「?」「?」 ウチもれいらさんも、一緒に聞いていた多華乃さんも、イッくんの説明はさっぱり理解できなかったと思う。 理屈は分からんでも、効果は分かった。 後ろからサーベルを押し込むのに合わせてレバーを操作したら、お客さんにはサーベルがスーツケースを貫通したように見える。 大切なのは二つ。 二人のタイミングを合わせること、それから6個ある穴の順序を間違わんようにすること。 それさえ守ればバッチリのはずや。
れいらさんが最初の穴に1本目のサーベルを押し当てた。 コツン。 スーツケースの中に音が響く。 ウチは1秒待ってレバーを下げた。 これでサーベルの先端がにょっきり顔を出したはず。
2本目、3本目。 ウチは順番にレバーを操作した。 後で聞いたら子供たちとパパママたちはビックリしていたらしい。 ウチが本当に刺されたって思った子が多かったんやて! うわぁっ嬉しいぃ、って叫んでしもたよ。 4本目、5本目、6本目。 全部のサーベルがスーツケースを突き通った。 れいらさんはそのスーツケースをくるりと回してお客さんに全体を見せた。
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今度は後半。サーベルを抜く演技になる。 レバーを逆の向きに動かせばブレードの先端が引っ込み、同時にれいらさんがサーベルを引き抜いたらええんやけど、実はこれはけっこう、ちゅうか、かなり難しい。 前半でサーベルを刺すときは、れいらさんがサーベルを押し当てる音を合図に、少し遅れてレバーを動かせばよかった。 「・・でも、抜くときに少し遅れるのは困るんだ。ちょっと考えたら判ると思うけど」 「?」「?」「?」 またしても女性3人はイッくんの説明を理解できなかった。 「後ろで引き抜いてるのに、前に出ている先端がそのまま残っているのは不自然だよ。あれ?って思われてしまう」 「そうか」 れいらさんが気付いた。 「前も後ろも同時じゃないといけないんですね」
イッくん細かい。でもその通りやな。 ウチとれいらさん、スーツケースの中と外でタイミングを完全に合わせないといけない。 何か合図が要る。でもどうやって? イッくんのアイデアは単純やった。 「それならお客さんに合図してもらおう 」
16. 子供たちに向かってれいらさんが呼びかけた。 「みんなー、梢お姉さんが穴だらけになっちゃいました! 助けてあげたいですか?」 「助けてあげたーい!」 「じゃあ、この剣を抜きまーす! 何本抜かなきゃいけないかしら?」 「ろっぽん!!」 「1本ずつ抜くから一緒に数えてくれるー?」 「はーいっ」「数えるー!」 「数え間違ったり、声が揃っていなかったりしたら、梢お姉さんは死んじゃうかもしれないよ?」 「だめー!」「やだあっ!!」 「じゃあ練習しよう! いい? せーのっ、いーち、にぃーい・・。ああぁっ、ダメダメ揃ってないっ。もう一回!」 全員が揃って1から6まで数えられるまで練習させた。 「いくよ? せーの!」 「いーっち!」 れいらさんがサーベルを引き抜くと同時にブレードの先端が引っ込んだ。 「にぃーい!」 子供たちの声が響く。リズムもペースも綺麗に揃っていた。 「さーん!」 どんどんサーベルが抜けて行く。 「しいー!」 あと2本! 「ごぉー!」 これで最後!! 「ろぉーっく!!」
「はーい! 全部抜けたねー! 梢お姉さんは無事かなー?」 スーツケースを横に倒して、ロックを解いた。 カチャリ。 横になっていたウチが身を起こした。 「うわー!!」「あれー!?」 白い衣装がピンクに変わっていた。 立ち上がって一回転して見せた。 どうかな? 母ちゃんの作ってくれた早変わり衣装。 可愛いでしょ?
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れいらさんに手錠を外してもらう。 小声で言われた。 「知らなかったよ。びっくり!」 「えへへ。黙っててスミマセン」 二人並んでお辞儀をした。
三田先生が駆け寄って来た。 「すごいすごいすごい!! どきどきしちゃった! ありがとう!!」 イッくんも来て握手してくれた。 「やられたよ。衣装チェンジとはね」
もう一度拍手を浴びながら皆でお辞儀���た。 お客さんの中に母ちゃんと湊が座っているのが見えた。 湊は黙ってサムズアップしてくれた。 あんた、どこでそんなゼスチャー覚えたの。格好ええやんか。 ウチも笑って親指を立てて返す。 すると母ちゃんまで指を立ててウインクした。 母ちゃんっ、指が違う. 立てるのは中指やのうて親指やちゅうねん。
17. それから二週間経った夜。 ウチと母ちゃん���れいらさん、イッくんと多華乃さん夫妻、そして三田先生がレストランの個室にいた。 三田先生がお誕生会のお礼にと招待してくれたのだった。
「ウチ、フレンチなんて初めて」「あたしもです!」 「お箸で食べるフレンチ、いいですねー」 「友人のお店なの。形式張らずに楽しんでちょうだい」 ワインとノンアルコールのスパークリングで乾杯。 「あら、あなたたちもノンアル?」 先生がイッくんと多華乃さんに聞いた。 「僕らは後でいただきます。今は、ちょっと」 「彼、リベンジする気なんです」 多華乃さんが言った。 「タカノ、いきなり言う?」 「いいじゃない。頑張るのは私だよ?」 「あ、ぴぴっと来たっ。イリュージョンするんでしょ!」 れいらさんが言った。 イリュージョン!?
「この人、梢ちゃんの衣装チェンジに全部持ってかれたこと未だに根に持ってのよ。子供みたいでしょ? うふふ」 「そんなことはないよ。僕は」 「うん、イッくんってそうだよね」「分かるわ」「イッくん、ホンマですか?」 「ぼ、僕は・・」 「あまりイサオを苛めないであげて。その分、私が彼に苛められるんだから♥」 謎めいた微笑の多華乃さん。 他のみんなは笑っている。母ちゃんまでウンウンって頷いて。 まさかこの二人、ムチとローソクでSMプレイしてたりする?
18. 「ええっと、やろうか」「はい!」 イッくんと多華乃さんは席から立ちあがった。 一度出て行って戻って来た。 持ってきたのはあのスーツケースと紙袋。それからサーベル、ではなくて金属の細い棒。 「先日とは趣向を変えたスーツケースイリュージョンをやります。・・これは」 イッくんはそう言って金属棒を持って水平に構えた 「ステンレスの丸棒です。直径5ミリ、スーツケースの穴をぎりぎ��通る太さです。先端を円錐形に削り出しました」
イッくんはスーツケースを床に倒して蓋を開いた。 れいらさんが黙ってウチの肩を叩いた。それから開いた蓋の裏を指差す。 !! あの剣刺しのギミックがない。 蓋の裏に張り付けられていた黒いパネルのような仕掛けがなくなっていた。 6個の穴がはっきり見えた。
多華乃さんがさっとシャツを脱いだ。 ブルーのスパッツ。その上は黒いブラだけ。格好いい!! スーツケースの中に入って膝をついた。 そのまま身体を逆海老に反らしてスーツケースに収まる。むちゃくちゃ柔らかいやないですか。 イッくんが多華乃さんの肌を撫でる。ああ、また。 「あら♥」「まぁ♥」 嬉しそうな声を上げたのはウチでもれいらさんでもなく、三田先生と母ちゃんだった。
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イッくんはにやりと笑うと蓋をぱたんと閉じた。 すかさずスーツケースを立てて起こす。 紙袋から縄束を出してスーツケースに巻きつけ、荷物みたいにきりきり縛った。
れいらさんがウチの耳元でささやいた。 「多華乃さん、頭下向き」 ホンマや! あのポーズで逆立ち?
イッくんはスーツケースの後ろでステンレス棒を水平に構えた。 「前後の穴を一発で通すのが難しいんだ。・・練習の成果をご覧あれ」 息を整える。 いきなり穴に突き刺した。合図も何もしなかった。 反対側の穴から棒の先端が飛び出す。 すぐに引き抜き、別の穴に突き刺した。 抜いては刺してを何度も繰り返した。 むちゃくちゃ速かった。
今度はステンレス棒を6本、スーツケースの横に並べた。 まず1本を突き刺した。 すぐに次の1本を持って突き刺した。 立て続けに全部の棒を刺してしまった。
「・・おっと失礼」 テーブルにあった紙ナプキンで、一番下の棒の先端を拭いた。 ナプキンが血に染まったみたいに赤くなった。 ひょえー。 ウチらのイリュージョンより迫力ありまくり! 多華乃さんがどうなっているのか想像できなかった。 ぎちぎちに縄で縛ったスーツケースの中で、無理なポーズで逆立ちで。
「では助けてあげましょう。彼女が無事でいるかどうか心配です」 ステンレス棒を全部引き抜き、スーツケースの縄を解いた。 床に寝かせて蓋を開ける。 入ったときと同じポーズの多華乃さんが現れた。 ぐったりしているみたいやった。 イッくんが多華乃さんの背中に手を当てて起こした。
血!! 多華乃さんの胸と脇腹から真っ赤な血が流れていた。 ええ!! まさか、大怪我!? れいらさんも驚いて固まっている。 「・・ええっと、残念ながらイリュージョンは失敗したようです。妻は天国へ旅立ちました」
ガタ! 立ち上がったのは母ちゃんやった。 自分のナプキンを掴むと、二人に近づいて多華乃さんのお腹をごしごし擦った。 「ひ、・・きゃはははっ」 多華乃さんが身を捩って笑いだした。 「あーん、ごめんなさい!!」
「あんたら、やりすぎ! これ、ケチャップでしょ?」 母ちゃんが言う。母ちゃんの目も笑っていた。 「恐れ入りました」 イッくんが謝った。 「最後まで騙せると思ってたんですけど、さすがですね」 「昔よく使ったわ。匂いで分かるからお客さんと近いときは注意が必要なの」 「勉強になります」
19. 食事が済んで、三田先生がイッくんに聞いた。 「さっき、もし桧垣さんに見抜かれなかったらどうするつもりだったの?」 「そのときは蘇生措置をして生き返らせる予定でした」 「ウソ。スーツケースに入れて持って帰るって言ってたじゃない、イサオ」 「そっちの方がよかったかな?」 「そうね。私はまる1日詰められてもイサオのためなら耐えるわよ♥」 「多華乃ちゃん」「はい?」 三田先生がいきなり多華乃さんの頬を両手で挟んでディープキスをした。 「ん! んんん~っ!!」 「素敵よ、その心がけ。でも新婚だからってサービスしすぎると、彼、図に乗るわよ」 「はぁ、はぁ、・・はい」
「次は、」 三田先生が顔を向けたのは・・、ウチやった! 「一番頑張ってくれた梢ちゃん♥」 「は、はい」 ウチは顔を近づけてくる先生から逃げられなかった。 「本当に、一番お礼を言いたかったのはあなたなの」 「うわ♥」れいらさんの歓声が聞こえた。 「これからも、お願いね」 ちゅう。 マウスツーマウスでキスをされた。 女の人相手で快感やったというと変態みたいやけど、本当に気持ちよくてうっとりしてしまった。 ウチは皆が見ている前で60歳のおばちゃんにファーストキスを奪われたのだった。
・・それからウチは長いことイリュージョンの活動をすることになった。 イッくん夫妻とれいらさんにはまだ秘密があったけど、それを知るのはずっと先のことだった。
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~登場人物紹介~ 桧垣梢(こずえ):14歳、中学2年生。一人称は『ウチ』。 桧垣湊(みなと):8歳、小学2年生。梢の弟。造形美術教室の生徒になる。 桧垣純生(すみお):46歳。梢と湊の母ちゃん。旧姓鈴木。 三田静子:60歳。小学生向け造形美術教室の指導者。嬉しいと誰が相手でもキスする癖がある。 玻名城(はなしろ)れいら:17歳、高校2年生。造形美術教室の卒業生で教室を手伝っている。 酒井功:25歳。造形美術教室の卒業生。趣味でイリュージョンをやっている。通称イッくん。 酒井多華乃(たかの):25歳。功の新妻。身体が柔らかい。
4年前に書いた 多華乃の彼氏 と 多華乃の彼氏2 での仕込みをようやく回収しました。 仕込みとは、造形美術教室の先生の名前を三田静子にしたこと、そしてイッくんが京都に行って人間くす玉をクレクレしたことです。 大抵の場合、回収方法はまったく考えずに執筆時のノリだけで仕込むので、そのまま放置で終わることも多いです。 今回はAIで作成したイリュージョン絵(=スーツケースに女の子が入って笑っている絵)が中学生のように見えたことから、この女の子を純生さんの娘にして仕込みを回収することにしました。 純生さんと三田先生のエピソード(純生さん中学3年生のとき)は『三田静子』をサイト検索すれば出てくるはずなので興味のある方はお読みになってください。
今回のイリュージョンは3つ。 イッくんのマンションでやった袋詰めからの脱出は、現実に演じることが可能と想定しています。 ただし、あの部屋(正確にはソファと隣接してキッチンがある)かつ観客が少人数でないとできないので、舞台で演じるには向きません。 袋の上から多華乃さんのボディを撫でまわすのは夫婦のイリュージョンだからできることですね。
梢ちゃんのスーツケースイリュージョンは、前記の通りスーツケースに入った女の子をAIに描かせたので、それなら剣を刺してしまえと考えたものです。 ダンボールの剣刺しはよく見かけるイリュージョンですが、スーツケースは珍しいかもしれません。 サーベル回避のギミックは、これならできそう?というものをイッくんに考えてもらいました。 刺すときと抜くときのタイミングの相違は作者のこだわりです。お読みの皆さまには面倒くさかったら申し訳ありません。
梢ちゃんのスーツケースで仕掛けを凝ったので、多華乃さんのスーツケースは一切ギミックなしの命がけです(笑)。 ダンボールよりはるかに狭いスーツケースの中、軟体ポーズでその上逆立ち。いったいどうやって6本のステンレス棒をすり抜けたのでしょうか? 最後に母ちゃんが止めたのは本当はルール違反です。 元プロだから分かっているはずですが、レストランで血まみれは悪乗りが過ぎましたね。
本話の最後で梢ちゃんの今後を示唆しました。 イッくん夫妻とれいらちゃんの秘密とは、もちろん 前話 で描いたあの趣味です。 梢ちゃんがどんなM少女に育って行くのか作者の私も楽しみです。
挿絵は今回もすべてAIで生成して一部手修正を施したものです。 一番うまくできたのはれいらちゃんのマジシャン姿。やはりAIは単純な立ちポーズなら簡単です。 ここのところAIに描かせた絵にストーリーをつける小説が続きましたが、次回以降はストーリーを先に考えて挿絵をつける従来の手順で進めたいと思います。 しばらく時間が開くと思いますが気長にお待ちください。
最後に小説ページの体裁について。 tumblr の入力エディタが更新され、従来の入力方法(HTML入力)が使いモノにならなくなりました。 大きな変化がないように努めていますが、一部違和感があるのはお許し下さい。 (例えば、後書き前の区切り線が引けない~泣)
それではまた。 ありがとうございました。
[Pixiv ページご案内] こちら(Pixiv の小説ページ)に本話の掲載案内を載せました。 Twitter 以外にここからもコメント入力できますのでご利用ください。(ただしR18閲覧可能な Pixiv アカウント必要)
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yotchan-blog · 19 days ago
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art-rum · 1 month ago
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���大医学部卒の河野玄斗氏「親も」の勉強法に「え!どういうこと?!」3児ママタレント混乱→質問攻め
5/14(水) 18:20配信
デイリースポーツ
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河野玄斗氏
 東京大学理科三類に現役合格し、東大医学部卒で医師・弁護士・公認会計士の資格も持つ河野玄斗氏が13日、日本テレビ系「踊る!さんま御殿!!」に出演。子供の頃の勉強法を明かし、共演者を驚かせた。
【写真】質問攻めの3児ママ小倉優子 3口コンロフル回転で弁当作り「ルーティンできそう」1週間のメニュー
 河野氏は「(勉強は)分からない事の連続で、それをどうやったら分かるようなるか、試行錯誤する。それがスポーツやゲームでも、どうやったらうまくなるのか、できない事をできるようにする能力が高まる」と解説した上で、「僕(自分を)、頭がいい人、っていうよりは、“できない事をできるようにする能力が高い”と思ってて。それは勉強で、分かんないなあ、っていうのを分かる様に訓練してきた」と話した。
 3児のママで現役女子大生でもある小倉優子は「それってもともとそういう性格なのか、誰かからのアドバイスなのか…」「『勉強しなさい』って言われたことありましたか?」と食いつき気味に次々質問。河野氏は「勉強は抵抗なかったんで。(勉強しなさい、とは)言われたことなくて。親が隣で一緒に勉強を楽しんでくれていたんです」と説明した。
 これに小倉が「えっ?!どういうこと?楽しむってどういうこと?」と混乱。河野氏は「算数のプリントを解いていると、母は隣で採点をしてくれる。『採点1ページとプリント1ページ、どっちが早いか競争しよう』って楽しみながら勉強してたら、気づいたらプリント1日で150枚とか」と言ってさんまや小倉らを驚かせた。
 河野氏は「勉強をしろ、しろ、って親が言っても、当の本人(親)がやってなかったら、楽しんでなかったら、説得力がない。そんなに役に立つなら自分がやればいいじゃん、って子供は思う」と持論を展開していた。
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kennak · 7 months ago
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猪口邦子参院議員の自宅が燃え、2人が死亡した火災。鎮火までの9時間の謎に迫ります。 ■鎮火に9時間なぜ 猪口議員宅で火災  閑静な住宅街が騒然としたのは27日夜のこと。東京・文京区にある猪口参院議員の自宅マンションで火事があり、2人が死亡しました。 近隣住民 「バルコニーの角で人が手を振って助けを求めていた」  火元となったマンションを地図で見てみると、猪口議員の自宅である6階はワンフロアで、周りを庭が取り囲んでいます。  この火元の家には猪口議員夫婦と娘2人の4人が住んでいました。火事が起きた当時、猪口議員は事務所で仕事をしていて、次女は外出中でした。家には夫と長女の2人がいたそうです。  警視庁は亡くなった2人が夫と長女の可能性が高いとみて調べています。 近隣住民 「大学教授の人が住んでいるのは知っている。あそこが全部ワンフロアで一軒だというのも知っていた。ルーフバルコニーに時々出て、水やりをしている様子を見た」 「(家族構成は)娘さん2人。あと夫婦じゃないかな。(夫は)杖を付いて歩いているのを見たことがある」  上智大学教授などを経て2005年に初当選した猪口議員。小泉チルドレンとして初代少子化大臣などを歴任しました。初当選の際は夫である政治学者の孝さんの姿も見えます。 猪口邦子議員(当時53) 「(Q.旦那様へ一言?)ありがとう」 夫・孝さん(当時63) 「皆のために役立つ人になってほしい。良いところをどんどん出せるような市民のために働ける政治家になってほしい」  娘2人についても話していました。 猪口邦子議員(当時53) 「(Q.2人の娘さんからはどういう言葉を?)ママ良かったね」 ■鎮火に9時間 なぜ 当時夫と娘の2人  最初に通報があったのは今月27日午後7時10分ごろ。いったん火の勢いは収まったように見えましたが…。  通報から3時間以上すぎ、火の勢いは再び強くなります。消防隊が懸命に消火に努めるものの、鎮火には至りません。 現場を見ていた人 「消火しても消火してもずっと燃えていた。両方から放水しても全然、消えない」 ■鎮火に9時間 なぜ「放水も消えない」  現場の映像を見ると強い風が吹き、煙が流されている様子が見て取れます。27日、東京都心では最大瞬間風速12メートルを超える風が吹いていました。  消防によりますと、鎮火したのは日付が変わった28日午前3時51分。最初の通報から9時間近くが経っていました。 周辺住民 「風が強いので、きょうは火もすごかったけど、煙が南風で風が強すぎて火が止められない感じはすごくした」 ■鎮火9時間 なぜ はしご車入れない?  なぜ、これほど時間がかかったのか。そこには都会ならではの“死角”も見えてきました。  現場のマンションは最寄り駅は地下鉄春日駅。大通りから一本入り、細い路地が続く立地で、その先は行き止まりです。  27日の映像を見ると消防車は大通りで止まり、何本ものホースが伸びている様子が分かります。地上の��メラを見ても住宅街に長いホースが何本も伸びています。  現場にいた人は一様に、こう証言します。 近隣住民 「消防車が入る道が狭くて入れないので、大きい通りから入ろうとしたが通れなくて、救急隊が奥に走っていった」 「道が狭いので消防車が入ってこられない。ホースを下から伝って6階まで上げるので、すごく時間がかかっていてなかなか放水できない状態だった」  消火に時間がかかった理由は、それだけではありません。 現場を見た人 「建築の専門家だが、普通マンション燃えないんですよ。せいぜい床が燃えるくらい」 「(Q.建築の方から見ても不自然な燃え方?)あれだけ燃えるっていうのはなかなかないこと」
2人死亡 猪口議員宅で火災 鎮火に9時間“都心の死角”…はしご車入れない?- 名古屋テレビ【メ~テレ】
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