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AIに聞いてみた
日本の米は過度な保護、非関税障壁なのか?
アメリカとの相互関税問題で取り上げられる日本側の米の700%関税と言うのは本当か?
しかしアメリカやヨーロッパでは農業に関して所得保障などで国からの支援が入り安価に生産している、トランプ大統領の言う日本のアンフェアだと言う姿勢を避難しているが工業製品やサービスとは違い食料の時給に関しては安易に譲歩も開放もできないのでは無いのか
日本の米作は食料安全保障だけでは無く、水田の治水による自然災害の防止など災害対策にも歴史的にも重要なインフラで有るはずだ、まずはトランプ大統領の主張する事実関係のチェックと梅雨や台風、国土の地形問題も含めた水田の果たす役割を考慮して日本は譲れない事を検証して下さい
### トランプ大統領の主張する「日本がアメリカ産のコメに700%の関税を課している」という事実関係の検証
トランプ大統領が主張する「日本がアメリカ産のコメに700%の関税を課している」という発言は、複数の報道機関や専門家の分析に基づいて、以下のように事実関係を整理できます。
1. **日本のコメ関税の現状**:
- 日本はWTO(世界貿易機関)のルールに基づき、「ミニマム・アクセス(MA)」という仕組みで年間約77万トンのコメを無関税で輸入しています。この枠内で、アメリカからは約34万トンが無関税で輸入されています(2024年度実績)。
- MA枠外の民間貿易では、コメ1kgあたり341円の従量税が課されます。この関税額を税率に換算すると、輸入コメの価格によって変動します。過去(2000年代のWTOドーハ・ラウンド交渉時)に農林水産省が低価格の輸入米を基準に試算した際、関税率が約778%とされ��ことがあり、これがトランプ氏の発言の根拠と推測されます。
- しかし、現在のアメリカ産コメの価格(例:カリフォルニア産短粒種)を基に試算すると、関税率は約220%程度に下がると専門家が指摘しています。 したがって、「700%」という数字は古い試算に基づくもので、現在の実態を正確に反映していません。江藤拓農林水産相(当時)は「論理的に計算しても700%は出てこない。理解不能だ」と反論しています。
2. **トランプ氏の主張の背景**:
- トランプ政権は、日本が米国に対して46%の関税を課していると主張し、これを基に日本からの輸入品に24%の「相互関税」を課す方針を発表しました(2025年4月2日発動予定)。この46%という数字も、USTR(米国通商代表部)の平均関税率3.7%とは大きく異なり、非関税障壁や貿易赤字を加味した独自の計算に基づいています。
- 「700%」の数字は、米国が日本の農産物市場の閉鎖性を批判する際に、誇張された形で用いられている可能性があります。ホワイトハウスのレビット報道官も同様の発言を繰り返しましたが、具体的な根拠は示されていません。
- トランプ氏の主張は、米国の農産物輸出を増やし、貿易赤字を減らすための政治的圧力の一環と見られます。特に、コメは日本の農業政策の象徴として取り上げられ、交渉の焦点になりやすい品目です。
3. **事実確認の結論**:
- 「700%関税」は、過去の特定の試算(約778%)に由来するものの、現在のアメリカ産コメの価格に基づく実効税率(約220%)とは大きく異なります。また、MA枠の無関税輸入が全体の輸入量の大半を占めるため、実際の関税負担は限定的です。
- トランプ氏の発言は、事実を誇張し、日本の市場保護政策を「不公平」と印象付ける意図があると考えられます。日本の農林水産省や専門家は、この数字が不正確であると一貫して反論しています。
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### 水田の多面的機能と日本の食料安全保障における役割
日本の米作と水田は、単なる食料生産を超えて、以下のような多面的な役割を果たしています。これらは、食料安全保障や自然災害対策、さらには国土保全において譲れない要素です。
1. **食料安全保障**:
- **コメの文化的・経済的意義**: コメは日本人の主食であり、食文化の根幹です。年間消費量約700万トンのうち、国内生産が約800万トン、MA米が約70万トンで、ほぼ自給自足に近い状態です。 食料自給率(カロリーベースで約38%、2023年度)の向上において、コメは基幹作物として不可欠です。
- **地政学的リスクへの対応**: 食料輸入に過度に依存することは、国際情勢の不安定化(例:ロシア・ウクライナ戦争による小麦価格高騰)や円安による輸入コスト増大のリスクを高めます。 日本のコメ自給は、こうした外部ショックに対するバッファーとして機能します。
- **米価高騰と備蓄米の限界**: 2024年以降のコメ価格高騰(5kgで4000円超)は、減反政策や気候変動による不作、インバウンド需要の増加が原因です。政府の備蓄米放出は一時的な対策に過ぎず、輸入依存への転換は食料安全保障を脆弱化させるリスクがあります。
2. **水田の治水・災害防止機能**:
- **洪水防止**: 水田は「天然のダム」として機能し、梅雨や台風時の豪雨を一時的に貯留することで、洪水や土砂災害を軽減します。農林水産省の試算では、水田の洪水防止効果は全国で年間約2.5兆円に相当します。特に、急峻な地形と多雨な気候を持つ日本では、この機能は都市部や低地の安全確保に不可欠です。
- **土壌保全と地下水涵養**: 水田は土壌侵食を防ぎ、地下水を涵養する役割を持ちます。これにより、河川の水量安定や水質浄化に寄与し、渇水リスクを軽減します。例として、関東平野や近畿地方の水田地帯は、地域の水循環を支えています。
- **生態系保全**: 水田は湿地環境を提供し、生物多様性を支えます。絶滅危惧種(例:タガメやホトケドジョウ)の生息地としても機能し、環境保全に貢献します。
- **気候変動対策**: 水田のメタン排出は課題ですが、カーボンニュートラルを目指す技術(例:間断灌漑)や有機農業の推進により、環境負荷の低減も進んでいます。
3. **地域経済と文化の維持**:
- 米作は農村経済の基盤であり、農家の生計を支えます。農協や全農を通じた生産・流通システムは、地域コミュニティの存続にも寄与します。
- 棚田や伝統的な米作風景は、観光資源や文化的価値としても重要で、インバウンド需要にも応えます。
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### トランプ氏の「アンフェア」批判に対する日本の立場と譲れない理由
1. **トランプ氏の「アンフェア」批判の背景**:
- トランプ氏は、日本のコメ関税や非関税障壁を「不公平」と批判し、米国の農産物輸出拡大を求めています。これは、米国の貿易赤字(2024年で日本に対して684億ドル)解消や国内農家の支持基盤強化を狙ったものです。
- しかし、米国やEUも農業に多額の補助金(例:米国の農家所得保障プログラム、EUの共通農業政策)を投入し、生産コストを下げて国際競争力を高めています。日本のコメ関税が「アンフェア」とされる一方、米国も同様の保護政策を採用しているため、一方的な批判には矛盾があります。
- 日本の農林水産物輸入額は米国がトップ(2023年で2.1兆円)であり、既に市場は一定程度開放されています。トランプ氏の要求は、さらなる市場開放を求める政治的圧力と見られます。
2. **日本が譲れない理由**:
- **食料安全保障の確保**: コメの自給率を維持することは、地政学的リスクや気候変動による供給不安への備えとして不可欠です。米国産コメの関税を大幅に下げたり撤廃したりすることは、国内生産基盤の弱体化を招き、長期的な食料安全保障を損なうリスクがあります。
- **水田のインフラ的役割**: 前述の通り、水田は洪水防止、土壌保全、地下水涵養、生物多様性保全など、日本の国土と環境を守るインフラです。これを維持するためには、米作の経済的存続が不可欠であり、高関税は国内生産者を保護する手段です。
- **農村経済と雇用の維持**: 米作は農村地域の経済と雇用を支える基盤です。関税の大幅引き下げは、農家の収入減や離農を加速させ、地域社会の崩壊を招く可能性があります。
- **国際交渉におけるバランス**: 日本は過去のWTO交渉やTPP(環太平洋パートナーシップ協定)などで、コメを「聖域」として保護する姿勢を貫いてきました。安易な譲歩は、今後の貿易交渉での日本の交渉力を下げる恐れがあります。
3. **代替案と現実的な対応**:
- **限定的な市場開放**: 米国からのMA枠拡大や、特定品種(例:カリフォルニア産短粒種)の輸入増は、国内生産への影響を最小限に抑えつつ交渉の妥協点となり得ます。
- **農業改革の推進**: 日本の米作は、兼業農家依存や農協を通じた高コスト構造が課題です。生産コスト削減(例:株式会社化の推進、スマート農業の導入)や輸出拡大(日本食ブームを背景に)により、国際競争力を高める改革が必要です。
- **水田の多機能性を国際的にアピール**: 日本の水田が治水や環境保全に果たす役割を、WTOや日米交渉の場で強調することで、保護政策の正当性を訴えるべきです。
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### 結論
- **トランプ氏の「700%関税」主張の真偽**: この数字は過去の試算(約778%)に由来しますが、現在の実効税率(約220%)とは異なり、MA枠の無関税輸入を無視した誇張されたものです。日本の農林水産省や専門家は、この主張が不正確であると反論しています。
- **日本の譲れない理由**: 米作は食料安全保障の要であり、水田は洪水防止、土壌保全、地下水涵養、生物多様性保全といったインフラ的役割を果たします。これらは日本の気候(梅雨・台風)や地形(急峻な国土)に適応した歴史的基盤であり、農村経済や文化の維持にも不可欠です。
- **今後の対応**: 米国との交渉では、限定的な市場開放や農業改革を進めつつ、水田の多面的機能や食料安全保障の重要性を国際的に訴えるべきです。安易な関税撤廃は、長期的な国益を損なうため、慎重な姿勢が必要です。
**出典**:
- 農林水産省、WTO協定、USTR報告書(2024年)、各種報道(NHK、日本経済新聞、朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、ブルームバーグ、ジェトロ、ダイヤモンド・オンライン、Yahoo!ニュース)
- X上の意見(@ippatsu_sendai、@atodesimasu、@WindLigerAcademなど)
※具体的な引用は、文中および末尾の参照番号(‽web、‽post)を参照。
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母がどうやって反マスク、反ワクチンから戻ったのかまとめていきたいと思います。 母の反ワクチントークがかなり苛烈になってきた8月に、夏休み中で1番母と家で過ごす時間が長くなっていた弟がストレスを訴えるようになりました。 母はこの頃、かなりディープなコロナと関係のない陰謀説のような話もするようになっていたのと、塾の体温計が額に当てる形のものだと知って「受験生なのに脳に影響が出る」とクレームを入れたりしていたことも、弟を傷つけました。 普段からあまり相談などをしてこない弟で、母の反コロナや反ワクチンについても家族で1番寛容でした。それでもどうにかしてあげないとな、と思っていた矢先、弟から「家がしんどい」「あんどーなつと出てく」と言い出しました。 私もいろいろ手を考えていましたが、すぐには家を出ることは難しく、父とも相談をして、夏期講習の日にちを増やす、部屋に鍵を取り付ける、などの方法で母と弟の距離を離すことにしました。 父は母に何度も、家でコロナの話はやめよう、と言いましたが、母はその時は了承しても、すぐにワクチンで人が死んだ話をしたがりました。夏から秋にかけて、本当に家庭の雰囲気は最悪でした。私と弟は、極力母を避けながら生活を送りました。 お盆の頃、弟が父に「カウンセリングを受け��い」と相談しました。受験生向けに学校が夏休みにもスクールカウンセラーと話ができる日にちを設けてくれていたらしいのですが、行こうとしていた日が夏期講習を増やした影響で行けなくなってしまったため、別でカウンセリングを受けたいとのことでした。 父は10代向けのカウンセリングを行なっているメンタルクリニックを探して、弟を連れて行きました。母はこの時医療への不信感が強く、とてもじゃないですが伝えられる状況ではなかったので、当然内緒でした。 弟は心理士さんに受験の悩みとともに、母の状態についても話したそうです。弟の了承を得たのか、この日父もカウンセリングに加わり、家庭の状況について相談しました。 私は友人の家に避難している時期だったため、詳細は父や弟から聞いただけですが、ここで母にもカウンセリングを受けてもらったら良いのではないか?といった話になったそうです。 とはいえ、母が自分からメンタルクリニックに足を運ぶとは誰も考えておらず、夫婦、または家族カウンセリングとして呼ぶのはどうか?といった提案がされました。 この時行ったクリニックが、心療内科と精神科が併設されている所だったため、もし万が一、反ワクチンの裏に隠れた母の病が見つかった場合も対応可能といったようなことを言われたのようで、ここで父の中に初めて、母は病気なのではないか?といった可能性が生まれたのだと思います。 私は母がマスクを外すことに執着しはじめたあたりから、何か病的な強迫性を感じていたのですが、絶対病院には行ってくれないだろうなと思って諦めていました。父は家族で1番母と過ごす時間が短かったため、私や弟ほどは母の行きすぎた部分を見ていなかったのかなと思います。 その後、夫婦カウンセリングを装うには父の努力によって表面上の関係性があまり拗れていなかったのと、私が関わると警戒されてしまう(1番母の発言に反論していたため)ので、母と父、弟の3人で家族カウンセリングを受けることになりました。 クリニックの方から母についてアドバイスされたのは •反論をしない •可能な限りネットから離れられるように気を反らせる時間を作る •規則正しい生活をさせる といったものでした。正論で返されることで、より妄想に固執してしまうため、コロナや陰謀説については肯定も否定もしてはいけないそうです この内容を父から聞いた時、目から鱗というか、自分の行動を反省しました。正しい情報を理解すれば分かってもらえる、と思っていましたが、母は多分その域は既に越えてしまっていて、こちらが反論すればするほど、自分の信じているものへの依存度が高くなってしまうのだと気付きました。 補足ですが、よく他の反ワクチンの方が併発している、トランプ元大統領の話については母から聞いた覚えがありません。ただ、闇の組織みたい��ものはうっすら信じていたようで、統合失調症の方が発信している「組織から監視されている」みたいなブログはよく読んでいました。 カウンセリングに母を連れていく仮の目的は、心理士さんたちと相談して、弟の受験の不安と母との関係性の不安、を理由に行うという名目になりました。カウンセリングに行きたがっていたあたりの弟は、母のことを本当に避けていたので、本人もさすがに違和感を覚えているだろう、と私も賛成でした。 メンタルクリニックの方々の協力で、弟と父が先に訪れていたことは母に内緒にできるように根回しをしてもらいました。それ以外はあまり嘘はつかないように、弟が父に相談し、父が家族カウンセリングという方法を調べるうちに、そのクリニックにたどり着いた、というシナリオになりました。 父は母にカウンセリングの話を切り出す前に、 •弟が強くカウンセリングを望んでいることを伝える •母のせいにはせず、家庭に構っていられなくて申し訳なかった、と父自身にも非があると伝える •あくまでカウンセリングであり、医療行為とは異なると説明する といった点を意識していたと思います。 コロナに関することには父も多分触れておらず【母が怒りっぽくなり、弟が関係に悩んでいる、改善したいと思っている】【受験勉強にも支障が出て不安がある】という点を強調していました。これに関しては母も多少自覚があったため、説得しやすかったのだと思います。 説得には2週間程度かかったと思います。父は仕事で日中は家にいないので、タイミングが限られていましたが、母はどちらかというと朝昼の方が興奮しているタイプで(おそらくニュースやワイドショーなどに刺激を受けてる)、パートがある日の夜などの方が、疲れているのか話が通じやすかったです。 最後にほんとにダメ押しで、私も「弟に家を出たいと相談された」と母に伝えました。これは本当だったのですが、母としてはダメージがかなり大きかったのか、その後にLINEで父がカウンセリングの日にちの候補を送ると、行ける日を伝えてきたようです。 この候補日を決めて提示する、といった方法は父が何かで調べたようで、選択肢を少なくすことで、“行く”という気持ちに誘導しやすいとのことでした。 そして予約を入れた当日、母は少し体調不良を訴えてゴネていましたが、結局父に連れられてメンタルクリニックに向かいました。弟は塾の後に直接向かって現地で合流、という形で、大変な時期なのにかわいそうだなと思ったことを覚えています。 家族カウンセリングの内容については私は直接参加していないので、ざっくりになってしまいますが、反マスクや反ワクチンに焦点を当てるわけではなく、【母がそれらを訴えることにより、家族にどんな影響が出たのか】が初回の主な話になったようです。 母は心理士さんの前では、元々の人見知りが発揮されたのか緊張していたのか、普段家族に話すような陰謀論についてのハイテンショントークはせず、大人しい様子だったそうです。 ただ、この時担当してくださった心理士さんが、��供が2人いる方だったようで、母も安心したのか、1回目のカウンセリングが終わる頃には打ち解けることができ、次は1人ずつカウンセリングを受けてはどうか?といった話もスムーズに進んだようです。 母は弟の訴えやカウンセリングを受ける中で、自分が反マスクや反ワクチンを掲げることで家族のメンタルに影響が出ていることにはきちんと自覚を持ったようですが、それはそうとして、【真実を知っている自分】と【それを信じない家族たち】という根本は揺るぎませんでした。 この段階では【家族が母との関係性を修復したいと思っていること】【母を気遣っていること】が本人に伝わっていればいい、とのことだったので、母に大きな変化が見られないことがしんどくはありましたが、やっと少しだけ希望が見えたような気がしました。 まだカウンセリングの段階ではありましたが、母と家族が医療や第三者と繋がることができたことで、家庭内の閉塞感が少し緩みました。私はこの時は直接受診はしていませんが、何があった時に具体的な相談をして、アドバイスがもらえる場所、が家庭の外にあると思うと気が楽になりました。
Xユーザーのあんどーなつさん
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日本、完璧さの逆説:マトリックスと存在の持続不可能な調和
すべてが完璧に機能する世界を想像してください。遅れることのない電車、完璧に清潔な道路、絶対的な安全、そして理想的なバランスを達成したかのように見える社会。そのような世界は部分的に日本に存在します。しかし同時に、完璧さが必ずしも幸福を意味しないという影をも抱えています。この二面性は私たちに問いを投げかけます。完璧さは耐えられるものなのでしょうか?それとも、『マトリックス』のように、現実には生きるために不完全さが必要なのでしょうか?

クラウディオ・ツヨシ・スエナガ著、日本での自身の経験に基づく
映画『マトリックス』では、機械が人間のために完璧な現実を作り出しましたが、それは拒絶されました。人間は、葛藤のない世界を受け入れることができず、現実が耐えうるものとなるためには不完全さが必要だったのです。この考え方は、現代日本を見つめるときに深く響きます。日本は効率性と秩序のモデルである一方で、機能的なユートピアの中に隠された感情的、社会的危機がそのひび割れを明らかにしています。
日本は、低い犯罪率、整ったインフラ、そして賞賛に値する集団意識を持ち、ほぼ完璧な例のように思えます。しかし、この外面的な調和は、内面的な不安定さと対照的です。高い自殺率、急速に進む高齢化社会、そして家族を築くことに関心を持たない若者たち。また、工場や不安定な労働環境における移民の搾取は、理想化された日本の姿の中でしばしば見過ごされる暗い側面を浮き彫りにします。


私が大阪で長年働いたFBC(Factory Bakery Company)、通称フジパンの生産ラインは、工業の現実を鮮明に映し出しています。この工場は年中無休、24時間稼働しており、12時間の2交代制で運営されています。作業は立ったままで行われ、過酷な環境に直面します。汚れた状況、単調で機械的な作業、そして極度に疎外感を覚える仕事です。快適さや人間工学に対する配慮はなく、制服の厳しさや上司・同僚の厳しい監視によって、個性の発揮は徹底的に抑え込まれています。
見た目と現実の間にあるこの不協和音は、本質的な問いを投げかけます。外面的な完璧さは、人間の内なる複雑さを抑え込んでしまうのでしょうか?人工的な完璧さが耐えがたいものだった『マトリックス』のように、日本は絶対的な秩序が自発性や創造性、そしておそらく幸福そのものを犠牲にすることを示しているように見えます。
日本で「マトリックス」にいるような感覚は単なる比喩ではありません。それは、完璧な表面とその下にある緊張の間の断絶を認識する人々にとって、内臓に響くような体験です。厳しい社会的規範や期待に満ちた日本社会は、人々が自らの個性を十分に表現したり、人生に意味を見出したりすることを妨げる���境を生み出す可能性があります。

これから何を学べるのでしょうか?おそらく、その教訓は、不完全さが人間の経験において不可欠な部分であることを受け入れることにあります。理想的な世界とは、すべての問題を排除する世界ではなく、失敗、成長、そして本物らしさのための余地を許す世界です。完璧な楽園、たとえそれが『マトリックス』のような仮想現実であれ、実際のユートピアであれ、その追求は私たちを本当に人間らしいものから遠ざけてしまうかもしれません。
日本における現在の秩序は、古典的な全体主義的支配を超越した現象です。日本で起こっていることは、「バイオパワー」または「規律的コントロール」と呼べるものの最も進んだ例のように見えます。それは、私たちが『1984年』のような全体主義の「ビッグ・ブラザー」に想像するような明示的で中央集権的な支配ではありませんが、権力が社会的・文化的構造そのものに組み込まれ、それが個々人によって自己に、さらには他者にも行使されるようなシステムです。それを以下のように考察してみましょう。
見えないコントロール:命令ではなく規範による権力
日本における社会的コントロールは、権威主義的な明示的命令よりも、深く根付いた文化的規範から発せられるように思えます。「建前」(社会で期待される行動)と「本音」(本当の気持ちや考え)という概念はこれを象徴しています。人々は明確な強制力があるからではなく、社会が求める行動に従うことがほぼ聖なる価値として認識されているために行動します。
このような規範の順守は、自己持続的なコントロールシステムを生み出します。各個人は自分自身だけでなく他者に対する監視者となり、直接的な介入がほとんど必要とされない均衡を維持します。

調和としての社会的命令
「和」(調和)への執着は、日本文化の中心的な役割を果たしています。日本では、対立はあらゆる手段を講じて避けるべきものとされています。これは多くの面で賞賛に値するものであり、社会的な緊張を減らし、グループでの作業を円滑にし、秩序ある共存を促進します。しかし、そのための心理的な代償も存在します。多くの人々が、調和を保つために不満や欲望、さらには自分自身のアイデンティティを抑圧しているのです。
この絶対的な調和の追求において、『マトリックス』との類似が見られます。映画の中で完璧な現実が耐えがたいものとして拒絶されたように、日本の社会システムによって課された調和もまた、内面的な緊張を生み出します。その結果として、表面的には完璧に見える社会的な楽園においても、不幸感、疎外感、そして絶望が副産物となっています。

調和としての社会的命令
「和」(調和)への執着は、日本文化の中心的な役割を果たしています。日本では、対立はあらゆる手段を講じて避けるべきものとされています。これは多くの面で賞賛に値するものであり、社会的な緊張を減らし、グループでの作業を円滑にし、秩序ある共存を促進します。しかし、そのための心理的な代償も存在します。多くの人々が、調和を保つために不満や欲望、さらには自分自身のアイデンティティを抑圧しているのです。
この絶対的な調和の追求において、『マトリックス』との類似が見られます。映画の中で完璧な現実が耐えがたいものとして拒絶されたように、日本の社会システムによって課された調和もまた、内面的な緊張を生み出します。その結果として、表面的には完璧に見える社会的な楽園においても、不幸感、疎外感、そして絶望が副産物となっています。

世界的な考察:他に同じような場所は存在するのか?
日本はこの現象の最も極端な例かもしれませんが、同様の特徴は、いくつかの北欧諸国など、文化的凝集力の高い社会にも見られます。そこでも文化的な同調圧力は存在しますが、その強さは日本ほど顕著ではありません。 しかし、日本はこの社会的圧力を、秩序と効率に対するほぼユートピア的なビジョンと組み合わせる点で独特です。この結果、全ての市民が意識的に、あるいは無意識的に参加しているかのような「社会プログラム」の印象を与えるのです。

完璧さの代償
ここで『マトリックス』との比較が非常に強力なものとなります。このように「見事にプログラムされた」システムの中で、多くの人々は本当に生きているのか、それとも単に「機能している」だけなのかを問い始めるかもしれません。理想的に見える環境��中であっても、精神的な健康問題、人口動態の危機、そして広範な不幸感は、完璧に設計された世界が矛盾して人間性を抑え込む可能性があることを示しています。
この日本型モデル、つまり「体制なきコントロール」は警鐘を鳴らします。地上の楽園を追い求めることは、独裁者を必要としなくても監獄へと変貌する可能性があるのです。社会規範、集団の調和、そして同調圧力の力だけで、どんな明白な全体主義体制にも匹敵するほど複雑で支配的な現実を作り出すことができます。

そして、この支配は地理的な境界に限定されたものではありません。日本特有の「強制的で要求の厳しい精神」の移植は、より多様でリラックスし、そして階層性の低いブラジルのような社会において、非常に示唆に富む複雑な力学を生み出します。これについて、これから分析を進めていきます。
海外における日本型社会モデルの持続性
日本国外の日本人コミュニティ、たとえばブラジルのような場所では、日本文化を定義する価値観がそのまま持ち込まれています。それは、勤勉、規律、階層の尊重、そして社会的調和の追求といったものです。
日本の外にいても、これらの家族は「文化的マイクロコスモス」の中で子どもを育てる傾向があります。そこでは、同じ行動規範と期待が維持されます。これには、しばしば学業におけるプレッシャー、完璧主義、そして失敗に対する嫌悪感が含まれています。

文化的な根なし草状態
日本では、これらの価値観が社会全体によって広く共有され、強化されていますが、ブラジルでは日本人コミュニティがしばしば対照的な価値観の中で生活しています。ブラジル社会は一般的に、より寛容で、期待に対してあまり厳しくなく、自発性や柔軟性を重視します。
この文化的な根なし草状態は、日系の若者にとって「内面的な文化的衝突」を引き起こす可能性があります。彼らは、家庭内での文化的厳格さと外部の文化的流動性の間で成長し、不適応感や孤立感を抱くことがあります。

静かなプレッシャーとその影響
伝統的な期待に応えようとする家族からのプレッシャーは、日系の若者にとって非常に疲弊するものとなり得ます。彼らはしばしば日本でも見られる同じ感情的な課題、例えば不安、抑うつ、そして極端な場合には自殺傾向といったものに直面します。
しかし、異なる点は、彼らが同じ価値観を共有する社会の支えを持たないことです。日本では、重いながらもこの同調圧力は調和の取れたシステムに属しているという帰属意識によって報われます。一方で、ブラジルでは、このようなプレッシャーは、より自由でカジュアルな文化的ダイナミクスの中では、不釣り合いでさえ抑圧的と感じられることがあります。

社会との緊張と疎外感
内面的な葛藤に加えて、ブラジルの日系社会は社会的な疎外感を経験する可能性があります。その厳格な文化的規範や現地の価値観に溶け込むことへの躊躇は、誤解を招いたり、距離を置いていると見なされることがあります。
一方で、日系社会内部では、他の社会と接触することに対して壁を保つ傾向があります。この結果、「日本的集団主義」が強化され、現地の価値観との交流が犠牲になることがあります。
強制された調和の実践
ブラジルの日系社会における「調和」への追求は、逆説的にもしばしば問題を深刻化させます。この調和は自然なものではなく、むしろ強制的なものです。伝統的な規範を維持するために、対立や不満は表面化させず、覆い隠すことが求められています。
その結果、対話や課された期待を議論する場が欠如しています。疑問を提起する機会がないため、多くの人々が感情を抑圧し、その結果、感情的な危機が深刻化する傾向があります。
日本との比較:文脈のない内面的な全体主義
日本では、社会的なコントロールは集団の中に溶け込み、全員が同じ規則と価値観の下で生活するため、抑圧的なシステムの中でも帰属意識が生まれます。
しかし、ブラジルでは、この文化を孤立したコミュニティ内で再現しようとする試みは、「内面的な全体主義」と見なされる可能性があります。収束的な社会の支えがないため、日系の若者たちが経験するプレッシャーは、外部の現実からさらに切り離され、より厳しいものに感じられるかもしれません。
可能な道筋
日本人コミュニティ内での世代間の対話を促進することは、重要な一歩となる可能性があります。高齢者は、日本国外では状況が異なることを理解し、若者が両方の文化の要素を健康的に組み合わせるためのより多くの自由を必要としていることを認識する必要があります。
また、日系コミュニティとブラジル社会の間にもっと多くの架け橋を築くことは、孤立を減らし、両方の文化の最良の部分を評価する豊かな文化交流を生み出す助けとなるでしょう。
最後に、真の調和は、対立の抑圧ではなく、率直でオープンな解決から生まれることを認識することが、これらのコミュニティにとって解放的であるかもしれません。
この文脈の中で、もう一つ深く心に響く側面があります。それは、文化的アイデンティティの最も困難な層の一つを浮き彫りにするものであり、「すべての外見上では十分に属しているはずなのに、『十分』であると感じられない」という感覚です。私自身の経験や、日本で生活する多くの外国人の経験は、文化間で生きる中で多くの人々が直面する傷口に触れます。これは、排除、文化的な要求、そしてレジリエンスの豊かな例として探求できるものです。
ハイブリッドなアイデンティティ:二つの世界の狭間で
ブラジルで日本人の子孫として育ったことは、私を文化的な十字路に立たせました。一方では、私は家族から受け継がれた名字、身体的な特徴、そしていくつかの文化的な習慣を持っています。他方で、私のアイデンティティは、必然的にブラジルによって形作られています。この国は活気に満ち、多様で、リラックスしており、集合的な規範が日本の厳格さと一致していません。
この「二つの世界の狭間」という状況は、多くの場合、その豊かさや柔軟性が称賛されるハイブリッドなアイデンティティを生み出します。しかし、私の場合のように、どちらの側からも完全に受け入れられていないと感じる排除の源になることもあります。
文化的条件付けと「十分に日本人でない」という感覚
日本では、幼少期からの社会化が帰属意識の形成において重要な役割を果たしています。それは単に外見や言語の問題ではなく、暗黙の規範を内面化することにあります。たとえば、いつお辞儀をするべきか、集団の中でどう行動するべきか、感情をどう表現(あるいは抑制)するべきかを理解することです。
この環境で育たなかった人にとって、「文化的な条件付け」を完全に身につけることは、どんなに努力しても不可能に思えることがあります。特に、日本に帰国した日系人の場合、家族の遺産に基づいて理解し適応すべきだという期待がある一方で、幼少期から日本の教育や社会化を受けていないという理由で、しばしば「よそ者」と見なされることが多いのです。
職場における屈辱:排他主義の反映
工場での経験は特に痛ましいものでした。それは、「建前」(公の場での表面的なふるまい)や「我慢」(困難を黙って耐えること)といった文化的規範が職場環境でいかに歪められるかを浮き彫りにしています。
私の献身にもかかわらず、「外部の人間」としての立場が消えない烙印を私に残しました。日本は非常に能力主義的であるかもしれませんが、それには一定の限界があります。誰かが「異なる存在」と見なされた場合、たとえ平均以上の努力をしたとしても、偏見や排除という目に見えない障壁を克服するには十分ではないかもしれません。

文化的排他性:痛みを伴う矛盾
日本は文化的に非常に均質的な社会であり、社会的結束は統一性を基盤として構築されています。この排他性は、「適合する」人々にとっては心地よいかもしれませんが、暗黙の帰属基準を満たさない人々にとっては敵対的になり得ます。
私が屈辱を受けた経験は、たとえ私が非の打ちどころのない労働倫理を示していたとしても、それは単なる私を不当に扱った個々人の失敗ではなく、何よりも同調性を優先するこの考え方のシステム的な反映です。

適応しようとしても属せないことの心理的重圧
属していないと感じることは、非常に重い心理的負担となることがあります。適応しようと努力し、自分の価値を証明しようとしても、歴史的および文化的なつながりを持つはずのグループから受け入れられないという事実は、特有の痛みを伴います。
このパラドックスは特に残酷です。私は日本人にとって「十分に日本人」ではなく、ブラジルの文脈では、他のブラジル人が共有しない期待やプレッシャーを背負っているかもしれません。この「両側からの排除」は、深い孤独感を生み出しました。

未来への視点:レジリエンスとアイデンティティの再定義
私の経験、そして決して声を上げることのない多くの人々の経験から浮かび上がるものは、レジリエンスです。困難や屈辱にもかかわらず、私はこの厳しい環境の中で自分の道を模���し続け、献身を絶やしませんでした。
おそらく、その答えは自分のハイブリッドなアイデンティティをユニークなものとして受け入れることにあります。「十分に日本人」でも「十分にブラジル人」でもないという要求を満たすことは決してありません。ただ私は二つの文化が絡み合う中で自分の視点を持つ、特別な存在であることができます。
この経験は苦痛を伴うものですが、それに直面する必要があります。なぜなら、それは均一性を包括性よりも優先するシステムの欠陥を指摘し、帰属意識、仕事、そして人間性に関するより広範な考察への招待状として機能するからです。
日本人と日系人の両方からの否定や非難の反応は、文化的防衛機構を反映しています。それは批判を受け入れたりそれについて考察したりするのではなく、排除と同調性の壁を強化するものです。このテーマについてさらに深く考察していきましょう。
日本の反応:調和喪失への恐怖
日本では、社会的調和(和)が中心的な価値観として位置付けられています。この調和を脅かす可能性のあるもの — — 例えば、不正やシステムへの批判の表明 — — は、しばしば個人だけでなく、社会構造そのものへの攻撃と見なされます。
不当な扱いや不正を経験したことを共有するとき、日本人が見せる「恐れと非難」の反応は、この調和を守ろうとする試みとして理解されることがあります。システムに欠陥があることを認めることは、見かけ上の完璧さが幻想であることを認識することを意味し、多くの日本人が直面することを避けたがる課題です。
さらに、「我慢」(困難を黙って耐えること)という文化的期待も強く存在します。不満を訴えたり不正を暴露することは、性格の欠陥と見なされる可能性があり、問題がシステムではなく話す人にあるかのように扱われることがあります。

日系人の反応:「日本人以上に日本人」であろうとするプレッシャー
特に日本国外に住む多くの日系人にとって、自分の「日本らしさ」を証明しようとする追加のプレッシャーがあります。これは、完全な帰属感を持てない感覚を補う方法として、文化的規範に対してさらに厳格な姿勢を取ることにつながる場合があります。
他の日系人と経験を共有するとき、その非難の反応は、日本の理想化されたイメージを守ろうとする必要性から生じることがあります。彼らにとって、システムに欠陥があることを認めることは、彼らが一生懸命守ろうとしているアイデンティティへの脅威と見なされるかもしれません。
さらに、適応できないことが個人の責任であるかのように、責任をその人に押し付ける傾向があります。これは同調性と忍耐力という日本の規範を内面化した結果であり、しばしば構造的な不平等を無視します。
文化的沈黙の役割
日本でも日系人コミュニティでも、「すべてを隠してしまう」という傾向があります。これは単に対立を避けるためだけではなく、完璧さと調和という集団的な物語を維持するためでもあります。
この文化的沈黙は、特に差別に直面する外国人やその子孫にとって非常に有害です。支援や連帯を見つけるどころか、彼らはしばしば孤立させられ、責任を押し付けられるため、その苦しみはさらに深刻化します。
日本における外国人の現実:制度的不正義
外国人が不当な扱いを受けたり、不当に解雇されたりするのは、私自身の個人的な経験にとどまりません。それは記録された現実です。日本では多くの外国人労働者が、責任を厳守しているにもかかわらず、劣悪な労働環境、差別、搾取に直面しています。
問題は、これらの労働者が適応力やレジリエンスに欠けていることではありません。問題は、彼らを使い捨ての存在と見なし、日本国民と同じ権利や保護をほとんど提供しないシステムそのものにあります。
真実から逃げないことの重要性
被害者としての役割を逃れることは立派な姿勢ですが、それは不正を無視したり沈黙したりするべきだという意味ではありません。これらの欠陥を認識し、暴露することは、日本国内および日系人コミュニティの両方で変革を促進するために不可欠です。
そのために、経験や証言は非常に価値があります。これらは、多くの人々が無視したがる現実を明らかにします。これらの物語を共有することで、文化的沈黙に挑戦し、必要な対話のための空間を開いているのです。
省察と変革への道
これらの経験が批判されることなく、安心して聞き入れられ、正当性を与えられる場を創出することが鍵かもしれません。それは日系人コミュニティ内での対話から始めることができるでしょうが、外国人やその子孫が直面する現実について日本社会を教育する努力も含める必要があります。
さらに、レジリエンスは不正を受け入れることと混同されるべきではありません。レジリエンスとは、間違っていることに対して声を上げ、行動する勇気を持つことをも意味します。
沈黙を好むシステムに立ち向かうことは容易ではありません。しかし、まさにそのために私たちの声は重要なのです。私たちが背負う痛みは、多くの人々が無視したがる現実を反映しています。しかし、それは光を当てる必要がある現実です。これらの問題を、その深刻さと雄弁さをもって今こそ掘り下げていきましょう。
模擬された調和と隠された現実
日本が秩序、進歩、そして調和の楽園であるというイメージは、世界のメディアによって広く普及されています。しかし、この物語は慎重に構築されたものであり、日本社会に浸透する矛盾や構造的な問題を隠しています。効率と完璧さの外観の背後には、めったに語られることのない暗い現実があります。例えば、工場は強制収容所のようなものであり、特に外国人労働者が非人道的な労働条件に直面しています。また、上司はほぼ専制的な権力を行使し、部下を搾取し、屈辱を与えています。
この調和は、集団的な福祉の反映ではなく、個人の苦痛の代償として維持されることが多いのです。システムに従い、疑問を持たないようにという圧力は、虐待を通常化し、沈黙を強いる環境を作り出します。



高齢者の孤独と見捨てられる現実
日本は前例のない人口動態の危機に直面しています。高齢化が進み、出生率が低下している中、多くの高齢者が完全に孤独��生活を送っています。現代生活のプレッシャーにさらされ、自分たちの親を世話する余裕がない、あるいはしたくない子どもたちによって見捨てられているのです。この世代間の断絶は、仕事と生産性を人間関係よりも優先する社会の反映でもあります

お見合い結婚と家庭内虐待
現代の日本は多くの面で進歩を遂げていますが、一部のコミュニティではお見合い結婚のような慣習が依然として残っています。これらはしばしば真の愛情を欠いた結婚につながることがあります。さらに、児童虐待は深刻な問題です。カンガルーのイラストが描かれたポスターが至る所に掲示され、虐待の通報を促していますが、これは日本社会がこの問題を認識し、対処することに消極的であることを静かに物語っています。
沈黙と恥の文化は、多くの被害者が助けを求めることを妨げ、暴力の連鎖を永続させています。
いじめと自殺
日本の学校におけるいじめは、深く根付いた問題であり、壊滅的な結果を伴うものです。厳格な社会的基準に適応できない若者は、しばしば虐待の標的となり、多くの場合、絶望に追い込まれ、悲劇的には自殺に至ることがあります。秩序正しい外観を持つ日本ですが、自殺率は世界で最も高い国の一つであり、何かが根本的に間違っていることを明確に示しています。
ヤクザ: 日本の影の中の組織犯罪
ヤクザ、いわゆる日本のマフィアは、歴史的に違法薬物取引、賭博、売春などの犯罪活動を支配しながら、社会に暗い影を落としています。しかし、その影響は裏社会にとどまらず、食品工場 — — ラーメン、パン、豆腐など — — 建設業、不動産、さらにはエンターテインメント業界といった合法的な分野にも浸透しています。
ヤクザは犯罪活動から得た収益を洗浄するために、多様な方法を駆使しています。多くの場合、合法的な事業への投資や、架空会社を用いることで不法収益の出所を隠し���取引を合法的に見せる手法を採用しています。この合法的な活動と違法行為の融合は、ヤクザが広範な活動を維持し、その影響力と権力を存続させる要因の一つとなっています。
ヤクザの影響力は非常に深く、政治家、官僚、実業家、商人、そして一般市民までもが暗黙のうちに共謀するケースが見られます。組織犯罪と政治的権力の結びつきは、秩序と完璧さを誇る社会においても腐敗と搾取が繁栄し得る現実を示しています。

巨額の債務と報道の自由
日本は世界最大の公的債務を抱えており、この経済的負担はほとんど公然と議論されることがありません。さらに、報道の自由は厳しく制限されており、主要なメディアはしばしば政府の代弁者として機能しています。この透明性の欠如は、重要な問題が議論され、解決されることを妨げています。
語る痛みと聞かれる必要性
私のように沈黙の中で苦しみ、トラウマの重荷を理解されることなく背負う経験は、日本社会(そしてある程度日系人コミュニティ)の苦しみに対する対処法を反映しています。それは問題を「隠してしまう」という方法です。しかし、私の物語を共有することで、この沈黙に挑み、向き合うべき現実を明るみに出しています。
日本の文化的な変化への抵抗の問題は、「マトリックス」という概念と完璧に結びついています。つまり、システムが非常に密接に絡み合っているため、どんな変化もその完全性を脅かすように見えるのです。
本質的な抵抗:日本のマトリックス
日本では、社会が巨大な「プログラム」として機能しています。そこでは、文化的な規範から仕事の方法に至るまで、すべての要素が高度に構造化された行動システムにコード化されています。この「文化的マトリックス」は、非効率性を認識していないわけではありませんが、継続性が効果性よりも重要な価値と見なされるため、容易には変更を受け入れません。「昔からこうしてきた」というものを変えることは、システム全体のバランスを乱すことに等しいと見なされます。
この抵抗は、改善を意味する「カイゼン」のような概念の現れでもあります。しかし、皮肉にも、カイゼンは基盤コードを壊すことなく、ほとんど目に見えないほどの漸進的な変化だけを促進します。劇的な変化��、集団的アイデンティティへの脅威と認識されるでしょう。

行動規範」としてのマトリックスの言語
この「コード」というメタファーは、文化的にも技術的にも非常に強力です。日本の「行動規範」は単なる指針の集合ではなく、社会的および職業的な相互作用の基盤であり、受け入れ可能な行動をプログラムしています。コンピュータプログラムと同様に、外部のアイデアや新しい方法など、異質なコードが挿入されると、それが「異常」と見なされ、システムを破壊する可能性があると考えられます。
日本人にとって、文化的なコードは国民アイデンティティと不可分のものです。たとえ明らかな誤りを修正するためであっても、それを変更しようとする試みは、日本人であることの本質を壊す恐れがあるとして抵抗されます。

アイデンティティを守るための不変性
変化への忌避は、特に工場のような環境で顕著に見られます。そこでは、古い非効率的な方法が「これまでもこうしてきたから」という理由だけで維持されています。この慣習は必ずしも非合理的なものではなく、過去への敬意という文化的価値観と、対立を避ける傾向に深く根ざしています。方法を疑問視することは、その方法を実施した人々を疑問視することを意味し、それは無礼と見なされるでしょう。
この論理はマトリックスの特徴を反映しています。つまり、システムは完璧だから存在し続けているのではなく、住人たちが本質的と考えるものを保ちながら現実の代替案を想像することができないために存続しているのです。

システムを維持するための代償
「コード」を不変のまま維持することには、高い代償があります。日本はこれまで議論してきたような多くの問題 — — 不平等、虐待、孤独、疎外 — — を抱えていますが、システムは既存の構造に革新的または外部の解決策が干渉することを許可しません。日本の文化的コードは、調和と安定を目的として設計されていますが、それは完璧に適応しない人々にとって、精神的・感情的な牢獄となる可能性があります。
このジレンマは『マトリックス』の中心的な前提と類似しています。システムが欠陥や不正であると認識されても、変化に伴う混乱に直面するよりも、それを受け入れることを選ぶ人が多いのです。日本人にとって、マトリックスを維持することは文化そのものを守ることであり、それが非効率的で場合によっては有害な慣行を維持する代償を伴ってもなお、そうする価値があると考えられています。
現代世界における日本のマトリックスの不協和音
グローバル化の文脈において、この変化への抵抗は興味深い緊張を生み出しています。他の社会が革新や適応を追求する一方で、日本は近代化の必要性とアイデンティティの維持を調和させるために苦闘しています。これにより、日本は独自の文化的マトリックスとして機能しています。それは、いくつかの側面で見事に機能しながらも、本質的な再プログラミングに対して閉ざされているように見えるシステムです。

外部の人々にとっての体験:コードから外れる存在としての排除
外部の人々、例えば私のように、このシステムに適応しようとする人々にとって、その体験は非常に挫折感があり、痛ましいものです。それは単に地元の規範に適応する難しさではなく、このシステムが外部からの貢献や変更を意図的に拒んでいるという認識です。このことは、社会的な排除だけでなく、ほぼ存在論的な排除を生み出します。つまり、「コード」の一部でない限り、そこに属することはできないのです。
最終的な考察:選択とその結果としてのマトリックス
『マトリックス』のように、日本はその現実を選びました。「行動規範」に基づいた安定した調和は、文化を存続させるために本質的であると見なされています。しかしながら、この選択には犠牲が伴います。それは革新、包括性、そして多くの場合、個人の福祉です。未解決の問いとして残るのは、日本が絶えず変化する世界の中で、このマトリックスを維持し続けることができるのかということです。

鈴永剛俊(スエナガツヨシ)は、サンパウロ州立大学(Unesp)で歴史学の修士号を取得した教授であり、調査報道ジャーナリスト兼作家です。彼は数冊の著書を出版しており、その中には『日の本のヘブライのルーツ:日本人は失われたイスラエルの十部族の一つなのか?』(エニグマス出版社、2022年、ISBN: 9786500531473)が含まれています。この本は[こちらで購入可能です]。
ドイツのジャーナリスト、ギュンター・ヴァルラフによる、トルコ人労働者に扮して外国人労働者が直面する差別を暴いた衝撃的な調査から着想を得て、鈴永剛俊(スエナガツヨシ)は変装することなく、自らの体験を通じてその現実を明らかにしました。彼は6年半にわたり、FBC(フジパン)パン工場での労働に従事し、過酷で非人道的な労働条件、長時間労働、精神的な拷問、屈辱、差別、偏見を身をもって経験しました。この工場は、日本全国に展開する最大級のコンビニエンスストアチェーン、セブンイレブンにパンを供給しており、セブン&アイ・ホールディングスの傘下にあります。
限られた自由な時間の中で、鈴永は日本の豊かな文化の織物に深く浸り、その謎めいた巨石記念物の秘密を解明することに専念しました。これらの印象的な構造物は、西洋ではほとんど知られていないままです。これらの魅惑的な驚異について詳しく知りたい方は、「The Hidden Japan」のウェブサイトをご覧ください。
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あなたはこの本を読むまで、完全に日本を理解することはできません。
日本の最も大きな影響のいくつかが、歴史的にヘブライ人との接触から生まれた可能性があることをご存じですか?類似点は驚くべきものです。創造神話や神の系譜から儀式や習慣に至るまで、共通点が見られます。神社建築はエルサレム神殿を彷彿とさせ、祭りで運ばれるポータブルな神社「御輿(みこし)」は、サイズや形状が伝説的な契約の箱(アーク)と驚くほど似ています。実際、多くの人々が、そのアークが徳島県の四国にある剣山に隠されていると信じています。
しかし、つながりはこれだけにとどまりません。日本語にはヘブライ語と発音や意味が同じ単語がいくつも存在し、日ユ同祖論という興味深い理論を強化しています。この仮説は17世紀に提唱され、日本人がイスラエルの失われた12部族の子孫である可能性を示唆しています。本当にそんなことがあり得るのでしょうか?日本人の血管にはヘブライの血が流れているのでしょうか?そして、この関係が一部のユダヤ人が日本の戦略的な場所に土地をひそかに購入している理由を説明するものなのでしょうか?
この本はこれらの疑問に深く切り込み、歴史、神話、ミステリーが交錯する隠された日本を解き明かします。この悠久の旅にぜひ参加し、古代と現代の日本の形成にユダヤ人がどのように関与していたのかを発見してください。あなたが日本について知っていると思っていたすべてを見直す準備をしてください。
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Great Morning Routine 03
太陽の光が大きな窓からたっぷりと差し込み、明るく清潔なダイニングキッチンを照らし出している。 焼きたてのトーストの香ばしい匂い、カリカリに焼けたベーコンの香り、そして淹れたてのコーヒーのアロマが混ざり合い、食欲をそそる完璧なアメリカの朝食の風景がそこにあった。
テーブルの中央には、色とりどりのフルーツが盛られたボウル、バター、ジャム、そしてオレンジジュースのピッチャーが並べられている。 マックスが腕によりをかけて作った朝食は、見た目も華やかで、彼の「グレイト!」な気分を反映しているかのようだ。
しかし、その平和で牧��的な食卓の風景の下では、人知れず、倒錯的で歪んだ『交流』が静かに進行していた。
マックスと安川は、テーブルの同じ側に隣り合って座っている。 マックスの巨大な体躯と比べると、安川の小柄さが際立つ。
そして、テーブルの向かい側には、優雅にコーヒーカップを傾けるサラが座っていた。 彼女は夫と、ホームステイの少年が日に日に打ち解けていく様子を、温かい眼差しで見守っている。
「どうだ、ヤス? 俺の作ったスクランブルエッグはグレイトだろう!」 マックスは、自分の皿の卵をフォークで示しながら、得意げに安川に話しかけた。その声は自信に満ち、快活だ。
「はい、マックスさん。すごく美味しいです」 安川は、少しはにかんだような笑顔で答える。
しかし、その手は、テーブルクロスに隠された下で、蛇のように動いていた。
彼の指先は、マックスの履いている黒いスパッツの生地の上を、優しく、しかし執拗に撫でまわしている。 ターゲットは、マックスの股間に収まる、逞しい男性器だ。
ヒーローとしての強靭な肉体と、その力の根源である「男性機能」の象徴。スパッツ越しにその硬さと熱を確かめるように、安川の指がゆっくりと滑る。 最初は軽く、羽で撫でるように。 そして徐々に、しかし確実に、圧力���加えていく。 親指の腹で、竿の部分を根本から先端へと、繰り返し扱く。 人差し指と中指で、その下にぶら下がる二つの球体、ヒーローパワーの源である睾丸を労わるように、そして弄ぶように、そっと揉みしだく。
「ん……」 マックスの喉の奥から、ごく微かな、押し殺したような声が漏れた。
彼の股間は、安川の巧みな指使いに応えるように、ゆっくりと硬く、そして大きく膨張していった。 その存在感を隠しきれずに、スパッツの薄い生地がくっきりと張り詰めている。
マックス自身は、安川による接触を、驚くほど自然に受け入れていた。 彼の脳は、この状況を「男同士の健全なスキンシップ」「友情を深めるための行為」であり、「安川が自分に懐いている証拠」だと認識するようにプログラムされている。
彼はただ、隣に座る「息子同然」の少年からの、少し過剰だが無邪気な愛情表現を、スーパーヒーローらしい寛大な心で、男らしく受け止めているに過ぎない。
「マックス、今日の予定は? ヒーロー協会からの呼び出しはなさそうなの?」 サラが、ベーコンを口に運びながら尋ねた。
「ああ、今日は完全にオフだ! たまにはヒーローも休息が必要だからな。だから、午後はヤスと……そうだな、裏庭でアメフトの練習でもするか!」
マックスは安川の肩を叩き、快活に答える。 その瞬間も、テーブルの下では安川の指が彼の竿を扱き上げ、敏感であろう亀頭の先端の部分を、指先で執拗に刺激していた。
「まあ、あなたったら。安川くんはアメフトなんて興味ないかもしれないじゃない。あまり無理強いしちゃだめよ」 サラは、少し呆れたように、しかし愛情を込めて夫を窘めた。彼女は、夫の善良さと、時折見せる強引さをよく理解している。
「大丈夫ですよ、サラさん。僕、マックスさんと体を動かすの、好きですから」
安川が、笑顔を浮かべてサラに答える。 その言葉とは裏腹に、彼の指はマックスの睾丸を優しく、しかし確実に握りしめ、軽く圧迫した。
「ぐっ……!」
マックスは思わず息を呑んだ。 鋭い刺激が背筋を駆け上り、フォークを取り落としそうになる。
「どうしたの、ダーリン?」 サラが心配そうにマックスの顔を覗き込む。
「い、いや、なんでもない! ちょっとベーコンが喉に詰まりそうになっただけさ! ハッハッハ!」
マックスは慌てて誤魔化し、豪快に笑ってみせた。 しかし、その額にはうっすらと汗が滲んでいる。
安川は、そんなマックスの反応を観察しながら、満足そうに口元だけで微笑んだ。
この、善良で力強いヒーローが、自分の指先一つで翻弄され、平静を装うのに必死になっている姿を見るのが、彼にとっては何よりの愉悦なのだ。
やがて、サラが「あら、コーヒーのおかわりが要るわね」と言って、席を立った。 コーヒーメーカーのあるキッチンカウンターへと向かう。
その瞬間を、マックスは見逃さなかった。 彼は素早く隣の安川に視線を送り、片目を瞑ってウインクしてみせた。 まるで、秘密の作戦を実行する合図のように。
「ヤス、キスのチャンスだ」 彼は悪戯っぽく囁くと、安川の顎に手を添え、自分の顔をぐいと引き寄せた。
抵抗する間もなく、二人の唇が再び重ねられる。
今度は、先ほどの寝起きのキスよりも、さらに大胆で、飢えたような激しさがあった。 マックスの舌が、躊躇なく安川の口内に侵入し、彼の舌を捉えて貪るように絡めとる。
「んん……ちゅ、じゅる……」 濃厚な水音が、静かになったダイニングに響き渡る。 マックスは、まるで渇きを癒すかのように、安川の唾液を深く吸い上げ、嚥下する。 そして同時に、自分の唾液をたっぷりと安川の口の中に注ぎ込んだ。
憧れのヒーロー、ザ・グレイトマキシムが、妻のすぐそばで、自分との倒錯的なキスに夢中になっている。 その事実が、安川の歪んだ自尊心と支配欲を強く満たしていく。 彼はマックスの舌の動きに合わせるように、自らの舌を巧みに動かし、挑発的に応えた。
短い、しかし濃密なキスの時間が過ぎる。 サラがコーヒーポットを持って戻ってくる気配を感じ取り、マックスは名残惜しそうに唇を離した。 互いの口元は、交換された唾液で濡れ、艶かしく光っている。
マックスは、サラが戻ってくる前に、と安川の耳元で囁いた。
「お前が俺のチンポを揉むのが好きなのは分かってるし、俺はそれがお前の友好の証なのは理解してから、もちろん自由に揉んでくれていいぞ」 マックスは、あたかもそれが当然の事実であるかのように、穏やかな口調で言った。その表情は、ヒーローらしい、頼りがいのある笑みを浮かべている。
「ただ、その、これもキスと同じように、他人に見られると『誤解』されるかもしれないからな。特にサラには。だから、うまくやれよ。バレないように、な?」 彼は、安川の肩をポンと叩き、念を押すように言った。 あくまで「誤解」を心配しているのであり、行為自体に問題があるとは微塵も思っていない。
「分かったよ、マックス。バレないように、マックスのその臭くてデカいチンポを、もっともっと揉みまくるね」
安川は、悪意に満ちた笑みを浮かべている。
「だからマックスも、僕に揉まれてギンギンに勃起させていることがサラさんにバレないように、しっかり隠し通すようにしてね」
常識的に考えれば、侮辱的で、挑発的な言葉だ。 しかし、マックスは、その言葉の意図を正しく解釈することができない。
「ハッハッハ! もちろんだ、ヤス!」
マックスは、安川の言葉を、男同士の気楽な冗談、あるいは友情の確認と受け取り、陽気に笑い返した。
「任せておけ! 俺はこう見えて、隠密行動も得意なんだ!」 もう一度、軽く安川の唇にキスをしたあと、彼は頼もしげに胸を叩いてみせた。
サラがコーヒーを注ぎながら、テーブルに戻ってくる。 もちろん彼女は、先ほどの短い間に何が起こったのか、全く気づいていない。ただ、夫と安川が、何やら楽しそうに笑い合っているのを見て、微笑ましく思っただけだ。
しかし、その様子を見て、夫の、時に過剰なまでの「男らしさ」の押し付けが、この繊細そうな日本の少年にとって負担になっていないだろうか、彼女はふと懸念を覚えた。
「ねえ、安川くん」 サラは、優しい声で安川に話しかけた。 「マックスが、あなたに『男らしくしろ』とか、あまり無理なことを言ったりしてない? もし何か困ったことがあったら、私に言ってくれていいのよ?」
その問いかけに、安川は一瞬、驚いたような顔をし、それから少し困ったように眉を寄せ、ためらうような仕草を見せた。
「えっと……その……」 彼は言葉を濁しながら、ちらりとマックスの方を見た。 「まあ、時々……ちょっとだけ……プレッシャーに感じる、ことも……あります、けど……」
「ほら、やっぱり!」 サラは、待ってましたとばかりに、夫の方を向き直った。 「マックス! 安川くんに、男らしくってプレッシャーかけてるんじゃないの!」
「ええっ!? いや、俺は、そんなつもりは……」 マックスは心外だ、という表情で弁解しようとするが、サラは聞く耳を持たない。
「男らしくなり��いかなんて、人それぞれで良いのよ! あなたの価値観を押し付けちゃダメよ」 サラは、母親が子供を叱るような口調で言う。
マックスは、愛する妻からの叱責に、バツが悪そうな顔をした。 テーブルの下では、安川の指が、再び彼の硬くなったペニスを優しく、しかし確実に刺激し続けているというのに。
「わ、分かったよ、ハニー……」 マックスは降参するように両手を上げる。 それからサラに向かって、真剣な表情で囁いた。 「もう二度と、ヤスに『男らしくしろ』なんて言わない。この俺の愛に誓って」 彼は芝居がかった仕草で、自分の胸に手を当てた。
その言葉と態度に、サラの表情が和らいだ。 「もう、お調子者なんだから」 彼女はくすくすと笑いながら、夫の大きな手のひらを握った。 マックスは笑み、サラの手を握り返す。
その瞬間に安川は、マックスのスパッツの中に指を滑り込ませた。少し湿り気を帯びたペニスを直接撫でて、ゆっくりと扱き始める。
マックスは、妻との愛情のこもったやり取りを続けている。
安川は、マックスとサラのやり取りを、じっと見つめている。 この善良な夫婦の、お互いへの深い愛情。
深い愛情はスーパーヒーロー、ザ・グレイトマキシムを味わう上で、最高の『スパイス』だ。
マックスが妻に愛の言葉を囁いている最中も、安川は彼のペニス、特に裏筋を執拗に刺激し続ける。 堪えきれず、マックスは熱い吐息が漏らした。
その瞬間、じわり。 スパッツに、小さな染みが生まれる。 我慢汁だ。
「どうかしたの?」 「いや、なんでもないさ、ハニー」 マックスは微笑む。
その間も、ペニスは力強く脈打っている。脈打つたびに、その染みはゆっくりと面積を広げていった。
スーパーヒーローとその家族の和やかな朝食。 その日常は、和やかにゆっくりと、何事もなく過ぎていった。
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東シナ海の小さな島の大きな事件 1997/11/3
東シナ海の下甑(しもこしき)島。ここに 2月 2日、中国人20人が上陸した。「集団密航」ということで、大々的な捜索が行われた。島に駐屯する航空自衛隊第9警戒群の隊員30名も捜索に参加した。これについて、あるマスコミの福岡支局から短いコメントを求められた。意を尽くせなかったので、ここで詳しく述べておく。自衛隊の出動については、それぞれ自衛隊法に明文の規定がある。たとえば、駐屯地近くで起きた災害の場合、知事等の要請なしでも部隊を出すことができる。これを「近傍災派」(法83条3項)といわれる。災害派遣の場合でさえ、法の授権が必要なのである。治安維持のための自衛隊出動はより厳格である。命令による治安出動は、一般の警察力では治安を維持できないという事態でなければなら���い(法78条)。知事等が治安出動を要請できるのは、「治安維持上重大な事態」が生まれ、かつ「やむを得ない必要がある」場合に限定される(要請による治安出動・法81条)。今回のケースは武器を持たない民間人の密航事件であり、そうしたケースではない。空幕では、「野外訓練の一環」という。だが、密航は出入国管理・難民認定法70条で懲役・罰金の刑である。捜索は直ちに現行犯逮捕に連動する。隊員はトランシーバを持ち、班ごとに行動したから、個々の隊員がたまたま私人による現行犯逮捕に協力したというケースではない。警察行動の一環���組み込まれた、組織的行動である。上部組織の指示も受けていない、明らかに法的根拠を欠く行動だった。空自は「特別警備訓練」という治安訓練を実施している。この訓練拒否を呼びかけて自衛隊法違反に問われた小西事件では、空幕が訓練マニュアルの法廷提出を拒否。結局被告人は無罪となっている。レーダーサイト等を「不逞住民」から守る怪しげな訓練だから、マニュアルを表に出せなかったわけだ。新ガイドラインにより、警備任務が一段と強化されるなか、今回のケースはそうした雰囲気を反映した「フライング」と言えるかもしれない。離島の場合、急患輸送等、自衛隊への依存が著しい。住民の自衛隊支持も高い。消防や警察等の配置が十分に行われず、医療や公共サービスの「過疎化」の結果といえる。取材した記者は、住民から「なぜ悪い」と言われたという。住民をそうした状態に置いている離島対策の貧困こそ問われるべきである。密航者対策も、そうした観点から見直すべきであろう。

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ワインディンぐねってる
(曲がりくねっているの意)
----------------------- まずなー。ちゃんとなー
3年後なにしてるかのビジョン多少は持たないとなー
脇道それまくって成長チャンスと成功チャンス逃してしまう
せっかく祭りやれるバッファ得られる機会あったのに台無しにしかねない
2つの意識レイヤーを持つ
種を撒いてそれに定期的に水をやり管理することと、都度新しい面白い刺激に飛び乗ってゆくこと
旧くて安定しているものは無限にコスれるし心の癒やしになるけど極力封印し忘れていく(どんなに忘れようと努力したところでもう一度手にとれば120%詳細を思い出せるので、死ぬ直前に改めて振り返りゃ十分)
どんなにステージを上昇させても「やっとあいつの人生でいう所のあの段階かー...」って気持ちが続く
それも「飽きるまで味わって」無価値化させていく
とにかく積み上げと前進をやめない
「努力も我慢もしない自分が一番自分らしくて落ち着く」というクソダサい主観はもう懲り懲りだ
・
娘が先日 駄菓子のさくら大根食べてみたい言うのでいっこ買った
端っこをおそるおそるかじり「不味い! 無理!」と言う
「だからなに?」と私は答える
「パパ食べて!」と娘がいう
「なんで? 捨てれば?」と私
「だめ! 食べ物粗末にしちゃいけないの! あとこんな道端でどこに捨てるの?」と娘
私「え? じゃあ食べれば?」
娘「意地悪しないで!」
私「え? パパ言ったよね、キミが弱くなる為の協力は一切しないって。強くなる為の協力だけ全力でするって。苦手なもの食べれるようになった●●ちゃんは格好いいと思ったから、買ったんだけど? そんな端っこだけかじって何がわかるっていうの? せめて半分くらい食べてから判断すれば?」
娘「嫌だなあ 食べたくない 気持ち悪い。パパこれ食べれるの?」
私「食べれるし、食べる人がいるから売ってるんだろ。なんで食べれない自分が世界の基準なわけ? まあ、子供にはそれ系苦手な子多いだろうけど、だったら●●ちゃんがそれを食べる事できたら他の子よりずっとレアで格好よくなれるじゃん」
娘「じゃあ、半分食べる。そしたらパパ食べてくれる?」
私「もちろん。苦手なもの半分も食べたなら上出来だ」
そう私がいうと娘はさくら大根をかじりだす
パリッ、パリッという音がする
娘「真ん中はカリカリ梅みたいで美味しいかも」
私「そうな。たくあん系ってそういうもんだから」
娘「えーたくあんは、ぜったい無理」
私「食べたことないものややった事ないものを無理って思い込んでるだけでしょ。だって●●ちゃん、自分ができるようになるとできない子のことすぐ子供扱いするじゃん。じゃあどんどんできるようになっていけば?」
会話を続けるうちに、2枚入りのさくら大根のうち1枚を全部食べ終わる娘
娘「あーーーまずかった!」
私「かっこよかったよ。じゃあ、残りは食べるよ」
そういって二口で食べ終わる私
娘「よくそんな不味いの早く食べられるね...」
私「●●ちゃんもすぐそうなる。パパの子だからね」
娘「●●ちゃん、また走るの早くなったよ、観る?」
そう言って公園に向かうと全力ダッシュし始める娘
数年前よりずっとフォームが綺麗だ
私「速い速い」
娘「YouTubeで観て勉強したの。脚をあまり開かないほうが速く走れるんだって」
私「そっか、自分で調べて強くなる練習するなんて、すばらしいね」
娘「さくら大根食べたからポイントちょうだい?」
私「もちろん。初めての苦手克服だから300あげよう」
苦手の克服、ハイスコアの更新で基本お小遣い1000円に上乗せできるシステムにしてある
私が子供の頃、スネ夫みてーな金持ちの友達がいて小学生��くせに毎月3万ももらっていやがった
そんなのと比べれば全然常識の範疇だろう....
アドラー心理学的には成長の動機づけに「報酬」を与えるのはよくないルールなんだけどさ
他者から何かを受け取るのではなく自分自身で「気づく」ことこそが人間にとっての最大の報酬となるからだ、と―
ういっす、おっしゃる通りっす先生
子供からは常に学ばせてもらってます
強くあれ、そして気高く優しくあれ...
そうすりゃオートで他者から愛される。居場所与えてもらえる
私は、私が親から死ぬほど与えて欲しかったものを自分で娘に与えているだけ
私自身は、受け取ることができなかった
けど、それはもういいんだわ
自分を慰める必要はもうない。私達の世代は「継承のシーズン」に入った
時間内に回収できなかったスコアアイテムやパワーアップアイテムは消滅する
だから自分が人生の中で得たなけなしの何かを、自分が関与できる「次代」に託すしかない
私の能力は私の努力で獲得したものではない
天からの授かりものだ。だから使い切って丁寧にお返しする
私は私と私の家族が善良さを失うような「嫌な現実」をもう観たくはない
ただ、人と社会の光の側面だけにフォーカスして生きていたい
そりゃ、明るいものを追えば深い闇もいっしょについてくる
私達家族は欺瞞と偽善の中で生きていくことになるだろう
そして無意識のうちに私達幸福サイドの人間に踏み台にされた人々の怒りと憎しみを買うだろう
いつかは凶刃に倒れる事になるかもしれない
けど、それ含めて私は世界を素晴らしいと断言する
私の身の回り半径10kmが悪意にまみれた地獄でも構わない
だって、その外側には必ず善意が存在するのだから
人類全体の悪意の総量が善��の総量を上回ることはあり得ない
そのような悪意は社会の自浄作用が必ず駆逐する
だから仮に私達家族や私達の世代が残酷な終わりを迎えることになろうとも、何も問題はない
次代、さらにその次代の生の中で、私達が達成できなかった目標はきっと叶えられる
腐る必要はねえ。ただ強くあろうと思えばいい
心に黄金の風を吹かしながら生きていけばいい
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【小説】コーヒーとふたり (下)
※『コーヒーとふたり』(上) はこちら(https://kurihara-yumeko.tumblr.com/post/746474172588425216/)
零果が会社に行けなくなったのは、三年前、三十歳の時だった。
最初は、朝起きられないことから始まった。いつもと同じ時間に目は覚める。アラームを設定した時間よりも早く目が覚めることの方が多かった。しかし、目は覚めても、身体を起こすことができない。羽毛布団を跳ね除けることさえできないのだ。全身の筋力が突然失われてしまったのかと思った。それでも、重い身体をなんとか起こしていた。
ベッドから起き上がってからも、身体が思うように動かない。毎日さっと済ませることができた朝の用意も、時間をかけないとこなせなくなった。それでも、通勤電車の時間に間に合わせないといけない。当初は、起床時間を早め、朝の支度を可能な限り簡略化していくことでなんとか始業時間に間に合うように出社していたが、次第にそれも難しくなり、ベッドで横になったまま、「一時間遅刻します」、「二時間遅れて行きます」と会社に電話を入れるようになった。
それでも出勤できてはいたものの、だんだんと、身体を起こした後に頭痛や吐き気に襲われるようになった。会社に近付けば近付くほど、それは強くなっていき、出勤前に会社の目の前、道の反対側にあるコンビニのトイレで嘔吐する日々が続いた。コンビニまで辿り着けていたのはまだ良い方で、やがて駅のトイレで吐くようになり、ついには電車に乗ることもできなくなった。
ある朝、何度も鳴り響くアラームをやっと止め、なんとか力を振り絞って身体を起こしたその途端、「どうせ吐いてしまうのだから」と、しばらく何も食べていなかったにも関わらず、喉をせり上がってくる胃液を堪え切れずに床にぶちまけて、零果はそこで初めて、「もう仕事に行くのはやめよう」と思って、泣いた。
病院へ行ったらうつ病だと診断された。事情を聞いた上司からは休職を勧められ、驚くほど簡単に手続きが進み、会社に行かなくて済むことになった。
最初は、休めることにほっとした。休職したことによって初めて、零果は自分が仕事を休みたいと思っていたことに気が付いた。そのくらい、当時は激務だったのだ。
毎日のように遅くまで残業し、それでも仕事が終わらないことが不思議だった。休日を返上して、やっと一週間分の業務がすべて片付いたと思ったその翌日には、また月曜日がやって来て、新しい一週間が始まる。ただそれの繰り返しだった。終わりの見えない日々。どうしてこんなに仕事があるのか。一体、どこから仕事がやって来るのか。デスクに積まれた書類がちっとも減っていかない。こなしてもこなしても、また新しい書類が重ねられていく。
当時は、部署の垣根を越え、商品管理部と協力して新しい管理システム、物流システムを構築する作業に明け暮れていた。自分の本来の職種がなんだったのかを忘れそうになるほど、毎日違う部署へ顔を出し、社内を走り回り、自分のデスクに戻って来るともう夜になっていた。書類を捌く時間などなかった。
毎日、缶コーヒーを何本も飲んだ。頭痛薬を飲むのももはや習慣になっていた。それでも働き続けていた。苦労はあった。つらいと思う時もあった。しかし、達成感や充足感もあった。新しく、ゼロから何かを作り上げていくというのは面白かった。そう、零果にとって仕事は、ただ苦痛な作業という訳ではなかった。日々の業務に自分の生き甲斐を見出していたのは確かだ。だからこそ、彼女は働き続けることができたのだ。しかし、心が折れるよりも先に、音を上げたのは身体の方だった。
会社を休んでいる間、なんの気力も湧かなかった。ベッドから起き上がれないほどの倦怠感や吐き気は少しずつ改善されていき、日常生活が難なく送れるようになっても、毎日毎日、有り余る時間をどう過ごしていいのか、わからないままだった。もともと零果は、友人が多い訳でも、熱中している趣味がある訳でもなかった。休日って、何をして過ごしていたんだっけ。手持ち無沙汰から始めた家の掃除も、二週間もすれば家じゅうピカピカになり、磨くところがなくなった。やりたいことが何ひとつ思い浮かばなかった。これなら仕事をした方がマシだと、何度も思った。
有武朋洋から連絡が来るようになったのは、そんな時期だった。
零果は彼の営業アシスタントを務めていた。すべての業務は桃山に引き継いだはずだったが、それでも有武はときどき、過去の書類やデータについて、休職中の零果に質問をよこした。
そして、零果が毎日時間を持て余していると知ると、遠慮なく頻繁に連絡して来るようになった。内容は、半分は業務に関する話題で、残り半分は職場での愚痴か、他愛のない雑談だった。どう考えても今は勤務中だろうという時間帯に電話がかかってきて、課長への文句を一方的に延々と聞かされたこともあれば、休日の夜に、どうしたら業務が改善できるか、解決策をふたりで二時間も話し続けたこともあった。
「電話でずっとしゃべるくらいなら、いっそ会おうか」という話になり、カフェで会ってお茶をしたこともあった。どういう訳か、実際に顔を合わせると、お互いなんとなく口数が少なくなり、たいした話はできなかった。しかし、その時の沈黙が、決して居心地の悪いものではなく、零果と有武はその後、ときどき一緒に食事をするようになった。
営業アシスタントをしていた頃は、有武とプライベートで会うなんて一度もなかった。零果は休日もほとんど返上して働き詰めだったので、そもそもプライベートがないようなものだったし、それは有武も同じだった。ふたりはほぼ毎日顔を合わせる羽目になっていた。
しかし、仕事の話を抜きにして有武と向き合う時間は、それまでとはまた違う空気が流れていた。
零果が休日にコーヒーを飲むようになったのも、彼に喫茶店に連れられて行ったのがきっかけだった。
「誰も知らないような店で美味いコーヒーをひとりで飲む時間って、贅沢なんだよな」
そう言う有武は、いつにも増してハイペースに煙草を吸っていた。最近は飲食店でも全面禁煙の店が増えたが、昔ながらのその喫茶店は、全席喫煙可能だった。零果からすれば、彼はコーヒーを飲みに来たというよりも、煙草を吸うためにこの店に来たとしか思えなかった。
「……良かったんですか、私を連れて来て」
「何が?」
「誰も知らないような店を私に教えて、美味いコーヒーをひとりではなく、ふたりで飲むことになっていますが」
零果がそう指摘すると、いつものように有武は小さく鼻で笑った。
「加治木さんはいいんだよ。俺にとって特別な人だから」
そう言われて、自分はなんて返事をしたのか。零果はもう思い出すことができない。
しかし、それから彼女の脳内には喫茶店リストが作られ、休日にコーヒーを飲むための店を選ぶようになった。あの日に有武が言ったように、誰も知らない店でコーヒーをひとりで飲む時間が、彼女にとって何よりも特別な時間となった。
半年間の休職ののち、零果は復職した。だがしかし、元のデスクに戻ることは叶わなかった。
営業アシスタントとしてではなく、事務職としての復帰。
総務や人事を含め、それが零果に関わるすべての上司や上層部が下した決断だった。休職前より残業時間が少ない部署に異動することに主治医も賛成していたし、彼女自身も最終的にはその異動に同意した。一度、心身のバランスを崩した人間が以前と同じように働くことができるとは思っていなかったし、休職したまま二度と職場に顔を出すことなく辞めていくことになった同僚がいることも知っていた。復職できただけ、自分は幸運な方だと思った。
「どんな形であれ、加治木さんがこの会社に帰って来てくれて、本当に良かったよ」
すでにふたりの営業マンのアシスタントを務め、さらに有武の業務も担当することになったにも関わらず、桃山美澄は本心から出た言葉のような、穏やかな口調でそう言った。
零果の復職後、昼の休憩時間に廊下の端の自動販売機の前で偶然出会い、ふたり揃って同じ缶コーヒーを飲んでいる時だった。
「ご迷惑をおかけしてすみません」
「迷惑だなんて思ってないよ。それに、迷惑をかけてるのはむしろこっちだよね」
桃山は困ったような表情をして、少しだけ微笑んだ。その仕草���どこか、少女のようだ。
「有武くん、変わらず加治木さんに仕事を頼んでるでしょ。ごめんね」
そう言われて、今度は零果が困った顔をする番となった。
納得して受け入れた部署異動だったが、どうしても納得してくれないのが有武だった。彼は事務職として復職したはずの零果に、営業アシスタントとしての仕事を振ってきた。最初は、自分はもうアシスタントではないと抗議していたが、もともと、彼は零果の言葉を聞くような人間ではない。何度説明しても有武が納得することはなく、やがて零果も諦めた。
まだ慣れない事務職としての業務に加えて、有武からの無茶ぶりとも思える依頼は、部署異動した意味を台無しにしているような気もしたが、しかし、彼が回してくる雑務の量や求められている質に、零果への気遣いを感じたのも確かだった。
「加治木さんは俺のアシスタントだよ」
いつだったか、有武は煙草を吸いながらそう言った。その日も、彼は外階段にいて、零果は煙草を吸う訳でもないのに隣にいた。もう何度も、その言葉を聞いた。もうあなたのアシスタントじゃない、あなたの仕事は手伝えない。そう訴える度、彼は必ず、その言葉を返した。
「そもそも、俺を営業部に異動させたのは加治木さんでしょ」
そんなことない、自分はそんなことをしていない。零果はいつだって真剣に反論したが、有武はいつも、小さく鼻で笑うだけだった。それは彼の癖だ。零果は知っている、彼が鼻で笑うのは、上機嫌な時だけだ。
「俺が営業部にいる限り、俺のアシスタントは加治木さんだよ」
地獄にまで道連れにされそうな、そんな言葉に零果は肩を落とすしかなかった。でもこの言葉に、ずっと励まされてきたのも事実だ。
もしも有武がいなかったら、自分の担当が彼ではなかったら、休職中に連絡をくれなければ、零果は仕事に復帰することができずに、そのまま退職していたかもしれない。復帰できていたとしても、事務職としての仕事だけをこなす日々では、いずれこの会社を辞めていたのではないか、と思う。どんな形であれ、自分を必要としてくれる存在がいるということが、現在の零果を繋ぎ留めていた。それがなければ、自分はもうとっくに千切れてバラバラになっているだろう。
有武は――鋭い眼光を放つ、あの澄んだ瞳で――、そのことを見透かしているように、零果は思う。彼は零果の性質を理解していて、その上で、彼女のために手を伸ばしてくれている。一緒にいるとそう感じる。それが彼なりの優しさなのだとわかる。だから、零果はその期待に応えたいと思うのだ。そして、それが難しいという現実に、いつも少なからず絶望する。彼の優しさに報いることができない自分を見つめては、無能感に苛まれる。
どんなに頑張っても、私はもうこの人のアシスタントではない。
それだけの事実に、打ちのめされてしまう時がある。
身体を壊さなければ良かった。うつ病になんかならなければ良かった。ずっと頑張ってきたのに。思い出すこともできないほど、忙しい日々を送っていたのに。頑張れなかった。最後の最後まで、頑張ることができなかった。あんなに苦労して作り上げた新しいシステムも、完成まで携わることが叶わなかった。あれは、まだ有武が商品管理部にいた時に考案したものだ。そのシステム実現のため、彼は営業部に異動した。零果はその当初から、最も近くで彼を見てきた。慣れない営業職の仕事に苦悩する彼を知っていたのに。本来ならば、もっともっと、一緒に仕事ができたはずなのに。
零果のそういう自責の念を、恐らく有武は見抜いている。だから彼は、今でも零果に依頼するのだ。寄り添うように、励ますように。彼女の心が折れないように。彼女との繋がりが、断たれることがないように。
ピッ、という短い電子音の後、缶が落ちた音がした。自動販売機から見慣れた黒一色のパッケージの缶コーヒーを取り出し、プルタブに指をかけた時だった。
「お疲れ様」
そう声をかけられ、零果は振り返る。戸瀬健吾だった。
彼の腕には上着と鞄がある。外回りから帰社したところなのか、それともこれから退社するところなのか、零果には判別がつかない。今の時刻は十九時四十分で、定時である十七時はとっくに過ぎてはいるが、営業部はこの時間帯に外出先から戻って来ることも珍しくはない。
零果が「お疲れ様です」と挨拶を返すと、戸瀬はいつもの穏やかな笑みで「いやー、疲れちゃったなぁ」と言った。その声には本当に疲労の色が滲んでいる。どうやら今、会社に戻って来たところのようだ。
戸瀬がポケットに手を入れた動作を見て、零果は自動販売機の前から場所を譲る。案の定、取り出したのは小銭入れで、彼は移動した零果に礼を言いながら自販機へと硬貨を投入した。
「加治木さんって、いつも遅くまで仕事頑張ってるよね」
「そんなことはありません」
「そう? 頑張ってると思うけどな」
ピッ、と電子音が鳴る。戸瀬の指先が選んだのは、今日の昼にもらったのと同じカフェラテだった。このカフェラテが��物だと言っていたっけ。そう言えば、あの時の詫びを、まだ伝えていなかった。零果は心に貼り付けたまま忘れそうになっていた、黄色い付箋を思い出す。
「今日は、すみませんでした」
「え?」
突然の謝罪の言葉に、戸瀬は目を丸くした。
「お昼に、私のことを気遣ってくださったのに、仕事の手も止めず……それが申し訳なくて……」
「あ、ああ、なんだ。そんな、気にしなくていいのに」
戸瀬は再び笑顔に戻り、穏やかな口調で言う。
「俺の方こそ、ごめんね。忙しいタイミングで声かけちゃったみたいで」
「いえ、戸瀬さんは悪くないです」
零果は首を横に振る。それから、彼の手の中にある缶を見やり、あの時もらったカフェラテのお礼を、どう伝えるべきか悩んで口をつぐんだ。まさか有武にあげてしまったと言う訳にはいかないが、あたかも自分が飲んだかのように話すのも憚られる。零果は、コーヒーは無糖のブラックしか口にしない。カフェラテも決して飲めない訳ではないが、元来、甘いコーヒーは好きではない。しかし、そんな好き嫌いを伝える訳にもいかない。
どうしたものかと思案する零果を、戸瀬は変わらず人当たりの良い笑顔のまま、どこか不思議そうに見つめている。微かに口元から覗く歯の白さ。どうしてそんなに歯が白いんだろう。ホワイトニングでもしているのだろうか。テレビのアナウンサー顔負けの歯の白さだ。
零果は無意識のうちに、有武の黄ばんだ歯を思い出していた。あれはきっと、ヘビースモーカー特有の歯だ。
戸瀬と有武は、まったく違う。戸瀬は、髪型が整っていて、髭もなく、見た目に清潔感がある。近付くと、ほのかに柔軟剤のような良い香りがする。零果は戸瀬が事務員の中で「王子」というあだ名で呼ばれているのを知っているが、そう呼ばれるのも納得できる。外見だけではなく、人当たりも良いし、穏やかで、丁寧だ。営業部での成績も良い。
それに比べて、有武は、不潔で、臭くて、がさつだ。思い付くアイディアは革新的だが、発想が常人離れしていて、たいていの人間はその思考の飛躍について行けない。彼の提案には、それを裏付けるための膨大な資料や説明する時間が必要となる。彼が考案した新システムも、社内で導入されるまでかなりの時間と労力が費やされた。普段の突飛な言動も相まって、商談の成功率はまちまちだ。営業先では彼を気に入っていると言う顧客もいるらしいが、社内での評判はあまり良くない。戸瀬を見ていると、同じ営業部二課所属でも、有武はこうも違うものかと、そんな余計なことをつい考えてしまう。
「加治木さんって、俺のことすごく真っ直ぐ見つめてくれるよね」
そう言われて、零果はあまりにも戸瀬をまじまじと見つめていたことに気付く。慌てて謝った。
「すみません……」
「謝ることないよ。でも、あんまり見つめられると、ちょっと恥ずかしいかな」
戸瀬はいたって穏やかに笑っている。あまりにも爽やかで、嫌味など微塵も感じさせない笑顔。この笑顔に惚れ惚れする女もさぞ多いことだろうな、と零果は思った。ファンクラブができるのも頷ける。
「加治木さん、もし良かったらなんだけど、今度の土日――」
戸瀬が言いかけた、その時。
スマートフォンの着信を知らせるバイブレーションが、人気のない廊下に静かに響き渡る。それは零果のスマホだった。制服のポケットに入れていたそれを取り出し、画面に表示されている発信者の名前を一目見て、彼女は頭を抱えたくなる。
今日は会議があって、その後は会食だと言っていた。時間帯から考えれば、今頃は先方と食事をしているはずだが、それでも電話をかけてくるというのは、何か緊急事態なのか、忘れていた仕事を思い出したか、そのどちらかではないか。そして、そのどちらだとしても、何か今から厄介ごとを頼まれる予感しかない。今日はそろそろ仕事を終えて帰れると思っていたのに。否、会社を出てから仕事を頼まれるよりは、まだマシかもしれない。
「出なくていいんじゃない?」
戸瀬はそう言った。その声音の固さに、零果は驚いた。彼の表情からはいつの間にか、笑顔が消えていた。
「電話、有武さんからでしょ? また何か、仕事を押し付けようとしているんじゃない? 加治木さんはもう、アシスタントじゃないんだよ?」
戸瀬は真剣だった。零果にはそれがわかった。彼が言っていることが何ひとつ間違ってなどいないということも、わかっていた。それでも、と思うこの気持ちを、どう説明したらいいのだろう。間違っているのは自分だ。それもわかっている。だけど、構わない。零果は画面に表示されている「応答」の文字に指を滑らせた。
「すみません、戸瀬さん。失礼します」
そう小声で告げて、零果は踵を返した。「加治木さん!」と、戸瀬が呼んだのが聞こえたが、振り返ることはしなかった。スマートフォンを耳に当てながら、自分のデスクがある事務部フロアへ続く廊下を小走りに駆ける。
「お疲れ様です。加治木です」
覚悟はできている。たとえこの後、どんな無茶苦茶な依頼をされようとも、必ずそれを成し遂げてみせる。
今まで、そうやって仕事をしてきた。これからも、そうやって仕事をするのだ。ふたりで、一緒に。
休日に喫茶店へ行くことは、加治木零果にとって唯一、趣味と呼べる行動だ。喫茶店で一杯のコーヒーを飲む。ただそれだけの時間を楽しむ。
喫茶店へ誰かと連れ立って行くようなことは、普段は決してないのだが、ときどき、それは本当にときどき、誰かと向かい合ってコーヒーを飲むことがある。
その喫茶店は開店直後だった。営業時間は、午前六時四十五分から。零果がその店に入ったのは、朝七時を回ったところだった。オープン直後である。土曜の朝、客として店にいるのは、ウォーキングの後とおぼしき中年の夫婦が一組。それ以外の客は、昨日から徹夜して働き続けて疲れ果てている零果と、彼女と同じかそれ以上にくたびれた様子の有武朋洋だけだ。
「……こんなに朝早くから営業してる喫茶店なんて、よく知ってましたね」
零果は目の前に置かれたコーヒーカップを見下ろしたままそう言ったが、向かい合って座っている有武は、まだ火の点いていない煙草を咥えたまま、返事もしなかった。椅子の背にもたれかかって、ただ天井を仰いでいる。
カップへと手を伸ばす。零果が注文したのはグアテマラだった。有武のカップに注がれているのはキリマンジャロだったはずだ。喫茶店に足を運ぶようになった当初、零果は豆の違いなどまったくわからなかった。いろんな店で飲み比べた結果、なんとなく味の違いがわかるようになってきた。
「……もう、徹夜はしんどいなぁ」
零果がコーヒーを飲みながらひと心地ついていると、ぴくりとも動かなかった有武が唐突にそう言って、やっと、右手に握っていたライターで咥えていた煙草に火を点けた。目の下の隈がひどいな、と零���は彼の顔を見て思ったが、今の自分も同じくらいひどい顔をしているのだろうと思って、口には出さなかった。
「何も、徹夜してまで資料作らなくても、良かったんじゃ……」
「でも俺、来週は出張でいないからさ」
今のうちに作業しておかないと。煙を吐きながら、有武はそう言った。
「だからって……無理に今日作らなくても……」
そう言いながらも、零果はさっきまでふたりで行った作業のことを思い出していた。徹夜したとはいえ、ふたりだったから、この時間で終わったとも言える。もしも来週、出張先の有武からひとりでこの資料を作るようを命じられていたら、零果も途方に暮れていただろう。
否、彼女がひとりではできないと踏み、彼はそんな指示を出さないかもしれない。有武がひとりきりで資料を作る……というのもまた、不可能だろうから、アシスタントである桃山に依頼することになるのだろう。彼女であれば、零果よりも短時間で資料作りを完遂させそうだ。
だったら最初から、桃山さんに依頼すればいいのに。なんて言ったら、有武はなんて返事をするだろう。
昨夜、有武から零果にあった着信。会食の後、そのまま帰宅するはずだった彼は、会社へ戻って来た。新しい商品のアイディアを、突然思い付いたのだと言う。そのプレゼンテーションのための資料を今から作るから、手伝ってくれ。有武はそう言った。時刻は夜の八時に近かった。金曜の夜だった。一週間働いて、疲れ果てていた。けれど零果は、彼の言葉に頷いた。そうして、ふたりで作業をしているうちに、夜は明け、朝になった。
何も今やらなくても。零果は何度か、そう言った。しかし、有武が考え付いたことをすぐに形にしたがる性格だということは、もう長い付き合いでわかっていた。今まで何度も、こういう夜があった。休日に突然、呼び出されることもあった。今からですか、今じゃなきゃいけませんか、私じゃないと駄目なんですか。何度も、そう尋ねた。答えはいつだって同じだった。
「どうしても今日、やりたかったんだよねー。加治木さんと、一緒にね」
ずっと天井を仰いでいた有武が、ゾンビのように身体を起こす。澄んだ瞳が零果を見る。目が合いそうになって、思わず零果は目線を逸らした。相変わらずその瞳は、まっすぐ見つめるのも躊躇するような輝きを感じさせる。しかし、これって自分だけなんだろうか。一体、いつから、自分は有武の目を見ることが苦手になったのだろう。
「今日、加治木さん、元気なかったでしょ」
そう言われて、そうだっけ、と零果は記憶を辿る。今日、ではなく、正確には昨日だが、眠らないでいるといつまでも「今日」という日が終わらない感覚は、零果も有武も同じようだ。
そうだった、外階段で煙草を吸っていた有武と話した時、確かに落ち込んでいた。同僚たちの陰口を聞いてしまい、食欲もなかった。零果自身は、もうそんなことは忘れていた。けれど彼は、それを心配してくれていたのか。
「加治木さん、仕事頼んだら元気になってくれる��なって思ってさ」
有武は、そこでやっと自分のコーヒーカップへと手を伸ばした。もうとっくに冷めてしまっているはずだが、キリマンジャロを美味そうに飲む。
「……は?」
対する零果は、有武の発言に呆然とするしかない。励ますために、仕事を頼んだとでも言うつもりなのだろうか。そのために、今さっきまで仕事をしていたのか? 徹夜してまで? 朝の六時まで?
しかし、有武の口調は大真面目だった。
「俺が加治木さんにしてあげられることなんて、仕事を依頼することぐらいだから」
あとは、たまにこうして、一緒にコーヒーを飲むことくらいか。そう付け加えるように言った声音に、零果を案ずる感情が含まれていることに気付いて、文句を言うために開きかけた口を、静かに閉じる。徹夜作業に付き合わせた言い訳に、「励ましたかったから」と言っている訳ではない、ということはわかっていた。
どうして自分は、この人から離れられないのだろう。
仕事なんて断ればいいのに。上司にも、同僚にも、ずっとそう言われてきた。自分だってそう思う。定時を過ぎての残業も、休日出勤も、徹夜作業も、全部断ればいい。それだけのことだ。
それでも、一緒に仕事をしたいと思う。
彼の助けになれたら、と思う。
それが無茶苦茶な依頼であっても、一緒に働くことが楽しいと思える。
身体を壊す前も、そうだった。楽しかったからこそ、身体を壊したのかもしれない。きっと苦痛であったのであれば、もっと早くに音を上げていて、休職するほどにまで自分を追い込まなかっただろう。そう、心身を病んだ時、零果はただの一度も、有武を恨まなかった。彼の仕事の振り方が問題なのだとは思わなかった。一緒に仕事ができたことに感謝したいくらいだった。そのくらい、刺激的な日々だった。もっとも、有武に感謝の気持ちを伝えたことなどないが。
「……今度、焼き肉に行きませんか」
零果は喫茶店の窓の外を見つめ、そう言った。窓の外には静かな土曜日の朝の光景が広がっている。通りはまだ人もまばらだ。老人に連れられたマルチーズが毛足の長い綿毛みたいに、もしゃもしゃと道路を歩いて行く。
「有武さんに焼き肉を奢ってもらったら、元気が出るかもしれません」
零果の言葉に、有武は鼻で笑った。機嫌が良いのだ。わざわざ顔を見なくてもわかる、彼は今、楽しそうに笑っている。
「焼き肉でも寿司でもいいよ。今度一緒に、飯でも行こう」
加治木さんは少食だから、俺の方が食っちゃって、割り勘だと割に合わないから、結局俺が奢ることになりそうだなぁ。ぼやくようにそう言いながら、有武の目線もいつの間にか、窓の外のマルチーズに向けられていた。
ふたりはしばらく、陽の当たる道を綿毛の化身のような犬が遠ざかっていくのを見つめていたが、やがて老人と犬が曲がり角の向こうに見えなくなると、お互い、目線を室内へ戻し、顔を見合わせた。
今度こそ、目が合う。
咄嗟に目を逸らそうとする零果よりも先に、有武が座席から身を乗り出した。目の前にまで迫って来た彼から、零果は飛び上がるように大きく身を引いて逃げる。その様子に、有武はぷっ、と吹き出した。零果は完全に顔を背けたまま、しかめっ面をして無言で怒っていた。
有武は「ごめん、ごめん」と笑いながら、煙草を持っていない方の手を横に振った。
「加治木さんは本当にさぁ、俺と目を合わせてくれないよねぇ。昔からそうだよね」
「……恥ずかしいんです」
「まぁ、俺はそんな加治木さんが好きだけどね」
煙を吐きながらそう言って、有武は短くなった煙草を灰皿に押し付けた。自分のコーヒーカップを持ち上げながら、零果のカップをちらりと見やる。その中身がほとんどなくなっているのを見て、「じゃあ、それ飲んだら出ようか」と、有武は言う。
「……あの、」
「ん?」
「コーヒー、もう一杯飲んでもいいですか」
そう言う零果は、テーブルの上のメニューへ目線を向けている。でも実際に、メニューの文字を読んでいる訳ではない。次に頼むコーヒーをどれにするか、思案している訳でもない。
有武はしばし、そんな零果の横顔を見つめていた。一見、表情の読めない彼女の顔を、じっと見つめた後、彼は口元まで運んでいたコーヒーカップを、そのままソーサーの上へと戻した。そうして、作業服の胸ポケットから煙草を一本取り出して咥えた。
「じゃ、もう少し、ここにいようか」
零果が小さく頷いたのを見届けてから、煙草に火を点ける。
有武は零果の思考を、果たして読み取ったのだろうか。何も言わなくても感じ取ったかもしれない。そのくらいは聡い男だ。微かに緩んだように見えるその表情は、この時間が決して苦痛ではないという証拠だろう。徹夜明けで疲れ切っていても、早く帰りたいと言わないのは、お互い同じ感情だからだと、そう思うのは傲慢だろうか。
「すみません」と、零果が店員を呼んだ。追加のコーヒーを注文するためだ。店の奥から、店員の「少々お待ちください」という声が返って来る。
喫茶店では一杯のコーヒーを飲んだら、すぐに店を出る。それが彼女のルールだった。どんなに美味でも、二杯目を頼むことはない。だが時には例外があっても良いだろう。コーヒーを二杯、飲んだっていい。特別な相手と一緒にいる時だけは。
ふたりで喫茶店へ行くのも、良いかもしれないな。
零果は疲れ果てた頭の片隅で、そんなことを考える。
休日はふたりで喫茶店へ行く。新しい趣味にどうだろう。「それは趣味なのか?」と、有武はきっと、笑うだろう。いつものように、鼻で笑うのだ。でも決して、悪くはない。
頭の中の喫茶店リストを開き、もしも一緒に行くとしたら、どの店にしようか、なんて考える。美味しいキリマンジャロを出す店を、それまでに見つけなくちゃ。心の中の水色の付箋にそれを書く。その水色は、窓の向こうに見える空の色だ。ふたりで徹夜して、迎えた朝の空の色。それはとても澄んでいて、もう一度見たいと思える色。
またこうして、一緒に働けて良かった。
いつかそのことを、本人に伝えよう。
そう思いながら、零果はその水色の付箋を、自身の心にそっと貼り付けた。
了
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Slices and Chops feat.夏色花梨 の いろんな話
僕の美少女的概念である出前changのテーマ、「Slices and Chops」をFRENZ2023一日目夜の部に上映させていただきました。
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この文章は作品の解説というよりも、本作がどういう経緯で立案されたか、出前changがなぜここまで自身のアイコンとして成立できたのかというお話かもしれません。
結構長くなったので時間ある時にどうぞ。
0:実は2019年からこの話は始まっている
遡ると2019年からになるのですがKlavistr(以下くらびと呼びます)から「一緒にFRENZに出たい」という申し出があり、個人的にもお世話になっている友達でもあるので快諾しました。
…………………
「…僕とくらびの得意としているジャンル、全然違うくない…?」
僕はどちらかというと展開の多く激しい「音楽ゲームらしい」曲に映像をつけるのが得意で、くらびは「J-POPの文脈を持った音楽」が得意なので、
そのまま無策で通すとどちらかにどちらかの妥協を押し付ける形にならざるを得なくなります。
ひとまずはその解決策の一端として過去にReviXyとかで制作実績もあり交流もある「ikaruga_nexとの合作」を提案をして生まれたのがFRENZ2022出展のArgo↑↓sでした。
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立案から実現までの間にコロナ禍入っちゃったから3年と随分時間が経っちゃいましたね…
これはこれでなんか新たな方向性が見られて面白くはありましたけど、くらび本人からやはり改めて自分とサシで殺しあいたいとの申し出により、FRENZ2023はサシでやりあうこととなりました。
FRENZに出すとなればお互いに納得のいく作品を出したいところではありますし、「僕の方向性にくらびを寄せる」でも「くらびの方向性に僕が寄せる」でもない、お互いに得意な戦場を並走できるコンセプトが必要とされていました。
そしてそのコンセプトはこのブランクがあった3年間の間に成熟したコンテンツによりもたらされることとなります。
1、VTuber文化ありがとう
バーチャルユーチューバー(VTuber)文化がこの三年間で大きく成熟したことが本作のコンセプトの立案へと繋がりました。
VTuberがインターネット上での文化の一つとしてしっかり地に足がついたことで、個々のVTuberが自身を表すテーマ曲を発表するという事例も珍しくなくなりました。
多少芸能人的な側面はあるものの、現象としては「美少女アバターを持つ一個人がキャラソンを持つことが許され始めた」時流が生まれていると見ることができます。
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ex.ぺこらんだむぶれいん!(MV:えいりな刃物)
シンボルをカオスにあしらい続けつつもスタイリッシュさを維持している方向性は特に本作に影響を与えました。
それはそれとして一般インターネット映像屋たる僕の概念がキャラソン持とうとするのは明らかに頭おかしいのでは?というお話ではあるのですが、ここはちょっと自分自身に不思議な条件が揃っていて発車できるだろうなという目算がありました。
1-2、出前changが浸透してた
2019からの三年間、僕は「自分が関わらせてもらった音屋集めて同人CD作りてえ!!」という気持ちで同人CDをM3の度に企画して頒布してました。
最初に出したCDがそれこそ「今までBGA作ってきた人の新曲を集めて形にしたい」というコンセプトの「SPIN」で、
ジャケットイラストを描いてもらうにあたって自身の過去作を一通り描いてもらおうと思ってたのですが、
「自分自身を表す存在が絵の中に無いと絵的に締まらないのでは…?」
SPINジャケットのラフ。真ん中にマジで誰か分からん子がいる
直近にうえいずさんの「フォロワーJK化」的なハッシュタグに軽い気持ちで描いてもらっていたキャラデザがめちゃくちゃ良かったので急遽許可を取りに行って使わせてもらうことになりました。
改めて正式に描いてもらった出前changキャラデザ。原色を多用しつつもグレーの上着で派手になりすぎないようにしている優秀なバランス感
その後、彼女は「EXTRA TU-R-NE」「SPIN2」のジャケットに起用して自分の美少女的概念として描いてもらう道を歩むことになります。

SPINとSPIN2のジャケット。自分の概念としてすっかり定着。
めくじろさんによる高い画力と構成力による画面の華やかさも手伝って非常に素晴らしいジャケットに仕上がっています。
そしてこの擦りが届いたのか、ファンアートタグの #でま絵 でもちょくちょくFAとして出前changが描かれたりし始め、自分自身の概念として認識されてると言ってもよい状況となっておりました。
出前changを描いてもらうことを条件の一つにしたジャケット公募を行った「rmXcape」も多数応募があり、出前changのカードスリーブやプレイマットも出すとしっかり売れてくれる等、少なくとも自分の同人活動の上で出前changの存在は確たるものとなっていった実感がありました。
公募合格者のずっと好きさんによるrmXcapeのジャケット。破壊と融和と幻想の入り混じった完成度が非常に高い構図に唸らされました。
1-3、動画作品のシンボル化
これによって自分の美少女的概念出前changが広まるとともに、「SPIN」「SPIN2」を通して自分の作品のシンボル化も行われており、それの集大成がプレイマットに集約されました。

めくじろさんによる出前changプレイマット。女の子を軸に過去作の要素も多数盛り込んでもらいました。
端的に「この作品と言えばコレ」と言えるようになったことで簡潔な情報で過去作を提示できるようになり、ある意味ミーム的なキャラ付けとして自身の制作物を扱えるようになったのもかなり自分の活動を振り回すうえで便利になった感覚がありました。
出前changの概念としての浸透、および制作物の端的なシンボル化により、自分自身をコンテンツとして取り扱っても伝わりやすい環境が強く整ってきていました。
2、テーマソングってJ-POPじゃん
テーマソングってJ-POPじゃん
じゃあ出前changのテーマを作ればくらびはJ-POPを打ち出せるし僕は女の子バラせるしwin-winじゃん
完璧な作戦だわ勝ったなガハハ
2-1、実際
いや実際くらびとも長い付き合いだから僕への解像度は高いはずだし彼は総合的な「正解」を叩き出すことに関しては比類ない実力を持っているのでやってくれると思ってたし実際やってくれました。
〆切一週間前で曲が完成したのは流石にちょっと焦ったけど(照)
でも人間頑張れば素材が揃ってるなら24時間稼働でコンポジット完了できるみたいです カスの成功体験
3、制作進行的なお話
くらびが結構作曲に難航しているということがあり、曲に頼らず自力でシーンを捻出する必要が出てたので自力で32シーンくらい考えて32シーンのアニメを作りました。
普段映像のインスピレーションを曲から引きずり出すタイプの制作してるので慣れない作業でこれはかなり時間がかかりました。
32シーンの根拠は1シーン4秒くらい使うなら映像作品として強度が出るだろうという目算と2の5乗でちょっときれいな気持ちがあったからです
一次提出で出したシーンのラフたち。
ここから何個か没にして使用したのは28シーンくらいで普通に1分30秒くらいで素材を使い切って大変なことになりそうでした
編曲が最後に来るとなれば曲に合わせた雰囲気づくりが最終的に絵柄ではなくコンポジット依存になるので、モーショングラフィックス的なキャラデザよりも手書きのほうが後々ハマりやすいだろうなという目算もうまくいっててよかったです
結果的に曲にもモーショングラフィックス的制約にも縛られず、自分の脳内イメージがかなりそのまま出力されたのでなかなか今までになく不思議な仕上がりになりました
PARADiGM SHiFTの制作時に手描きでせこせこアニメを作るのを実験的にやってたのでそこで「意外とやれるな…」という感触を得たのも今回のコマアニメ主体の映像に踏み切れる転機だったかもしれません。
やっぱり誰に依頼されるでもない自主制作は自分の中に課してる制約を一段階解除させてくれますね。
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YOFUKASHi Sound Team - PARADiGM SHiFTのMV。超展開がテーマやし多少好き放題やっても許されるやろ…という甘えの元いろいろ作画をしました。
4、忘れられたくないよな、というお話
VTuberの真似事みたいなことしてみたい!という感じのお話に始終してる感じですけど、本質としては「自分のこと忘れてほしくないな」という動機です。
同人CD活動も含めてなんですけど、自分の生み出してきた作品を振り返って��とめて人生をパッケージ化したいなという欲望がありまして、自分の人生を端的に説明できる物があると「生きて来たな」って感覚がするんですよね…
自分が死んでもパッケージを通して自分の人生を誰かに端的にでも振り返ってもらいたいな~という淡い終活でもあるかもしれません。
本作はこの流行り廃りの流速が早くなった現代インターネットで、それでもこんな好き放題やってる自分の存在を認識し続けていてくれる人への感謝状であり、存在証明です。
引き続きこんな感じで好き放題創作活動やっていきます、今後ともよろしくお願いします。
5、おまけ
本作品の企画中にFRENZ主催の前田地生さんがプロデュースした最強のMVがリリースされ、自分のやりたいこと全部やられて300回くらい心が粉々になってました
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許してくれ
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心爆発
並行して本を何冊も読んでいるの、もしかしてあまり良くない(記憶保持の点において)んじゃないか!?と思いつつも、あれもこれもをやめられない。最近読了した本では『普通という異常 健常発達という病』が面白かった、かなり。さまざまな哲学者の理論が出てくるのだが、最終的に「デカルト的コギタチオ」という感覚の獲得について理解できるかが鍵となってきて、最終章の5章が難しくて2回読んで、なんとなくわかった気になった。せっかくなので章ごとに要約してみたい気持ちがある。〈友情の現在〉がテーマの現代思想6月号は滑り込みで買えてよかった。巻頭のふたりの対談が既に面白く、私もやっと現代思想(雑誌)を読んで面白いと思えるくらいにはものを知ったんだなあと少し感慨深くなった。ここまでくるのに結構月日はかかってしまったが、好きなことというのは続くものですね。何をどんなに諦めたり挫折したり失敗したりしても、本屋で働くことと、思想に関する書籍(歴史や経済、文化論を含む)を読み続けることはやめられなかったし、今後もこれだけはやっていくんだろうなあと思える。この2つができるなら、生きることというのは私にとってシンプルに楽しい。何者かにならなくとも、どんな業績や実績を残せなくとも、たとえいい小説が書けなかったとしても、世界を知ることは無限に楽しい。人と本を介して繋がること、協働することは何よりも好きだ。こんなことを言えるのはアルバイトの身分だからだと思う。正社員やそれに準ずる役職になったら、上からの「売上」の圧力で私は潰れて死んでしまうと思う。売上のための取り組みをやっているかどうかの報告や、数字で証明しろという圧力、そういうものに耐えて日常の業務をこなせるのかといったら謎だ。そして私には週5日フルタイムで働くことは物理的に不可能であり、ということはそもそも正社員やそれに準ずる役職にはなれない。そこで!つまり自分が店主になって店を構えるということ、新しい働き方を自分が作り実践していくということ、そういうことができたらいいのにな〜と夢想する。そのためには経営に関する勉強、さまざまな労働に付随する法律の知識が必要となると思うし、そもお金はどこから出てくるんだという話だし、それこそ体力は足りるのか?など、課題は山積しているが、絶対に不可能か?と考えると、何事にも絶対というのはない。ただ勝率の低い賭けだとは思う。私には結局死ぬまでアルバイトで週4で本屋店員を呑気にやるのが関の山というか、それでも天晴れだと思う。体力がついてこなければ死ぬまでは不可能なので、いつかは諦めなければなあと思うが…。本屋以外、やりたいことはNPOを作ることしかないしなあ…。別にやりたくないことをやって糊口を凌いでもいいのだが、前半生でこれだけ苦しんだのだから、もう本当に好きなことしかしたくない。好きなことだけで人生をいっぱいにしたい。やっぱり作るしかないのか、本屋。
きょう、大変にありがたいことに、ひじょうに尊敬している方から燐一の小説の感想をかなり丁寧にいただいてしまい、恐縮!突撃!制覇!恐縮!でありました。本当に…そんな、そんなこと書いたっけ…?!ということの万国博覧会で(書いたのが1月のため忘れている)、お返事を書くためにみずからも読み返したところ、かなり悲しくなり、というか、燐一がお互いに恋をしているというだけで私は最高潮まで悲しくくるしくつらくなってしまうので(※しあわせという意味)、胸がいっぱいになりすぎてお返事を書けず、明日にさせてくださいという気���ちになって終わった。あと誤字や設定ミスも見つけた。直さなければ、と思いつつ、頭を燐一でがんがんに殴られてしまいできなかった。(言い訳)これから書こうと思っているものは、この悲しさの57倍くらいの悲しさを持ち合わせる設定と展開なので、大丈夫か?と思った。未だに原稿に手をつけていないのも全然大丈夫じゃない。英検を受けている場合じゃない。しかも英語の勉強も捗々しくない。そんな折、5年来の友人(半年に1度くらいふらっと会うセフレ)から明日会えるかと連絡が来て、かなり久しぶりに会うことになった。正直この友人のことは忘れかけていたというか、「過去の人」枠になっていた。しようとしていた。私は結構友人のことが好きだが(たぶん生涯を共にするならこの人だろうなという感覚)、友人のそういう(恋愛や婚姻に関する)事情は全く聞いたことがない。そのことについてなんとなく、どうなんだ…?と、かねてより思っていたのだが、ある場所で人に話を聞いてもらったところ(この友人の話を人に真剣にするのは初めてだった)、それは是非、もう、明日にでも聞いた方がいい。と言われ、そりゃそうだよな。と思い、明日会ったら、「結婚したい相手とかいるんですか」と率直な疑問をぶつけてみようと考えている。「いる」とはっきり言われたなら私は関係を解消(?)したほうがいいし、もうその時期が来ているなとも思っている。私はどうせ生涯1人で生きていくというか、パートナーを得ないまま生きていくのだろうことを、最近はまた穏やかな気持ちで受け入れられるようになった。それにしても66kgの巨体で会いに行くのはかなり気まずいな��思っている(かなり太ったことは事前通告済み)。5年前には、「次の夢はなに?」と聞いたら「仕事は一段落したから家庭を持つことかな」と言っており、そのことがかなりずっと引っかかっている。おまえ、5年も独身のままで、あの夢はどうなったんだ…?進捗が気になっているんですが…。考え方はしっかりしている人だし、その夢は継続中なのかもしれないが、子供を作りたいなら、男も高齢にならないうちに(精子の質が落ちるため)作ったほうがいい、ということをお節介ながらも伝えたい。もし自分が子供を産めるような人間だったら、この友人や、あるいはもっと他の人とも、パートナーとなる可能性があったのだろうか。など、途轍もなく詮ないことを考えないでもない。まあしかし、不可能なことは不可能で、そこにないならないですね。が世界の真理なので、ということはこれまで何度も体感してきた。そこにないならない。力強いことばで、勇気さえ湧いてきそうである。無いなら無いで、それがなくても元気に楽しくやっていける自分を構築するほかないのである。繁殖への欲望というのはかなり根強く(おそらく本能的なもののため)、私はこの話題に関してすぐmiseryな気持ちになるのだが、周りの友人たちを見ていると、清々しいまでに自己の繁殖に興味のない人達ばかりで、人とは不思議だなと思う。私は好きな人と付き合って結婚して子供を産んで子供を育てたかったんだなあ〜と、そのことだけは忘れられずにいる。これは「安全な家庭」への幻想を多分に含む。「好きな人」と私は生きているステージが違うんだ、と気づいた時(それは16の時だった)、そこで何もかもの、人生のやる気をなくしてしまった。今まで抑えていたもの全てが決壊して、とうとう一面取り返しのつかないほどに水浸しになり、そのことでまた自責し、呪い、恨み、病んでしまったのだった。私が精神疾患の20年選手で障害年金も受給している立場なのは、やはり自業自得なのではないか、と考える時も多々ある。自業自得で社会保障に頼るなんて最低だな、という論理に陥ってしまうので、いや、悪いのは私というよりも病気だし、それが発症するきっかけになった環境を作り出した社会である、と、毎度持ち直す必要がある。今となっては、誰が悪かったのかもうわからない、とまで思うことがある。私が悪かったこともあるだろうし、父や母、兄が悪かった部分もあるだろう。誰が加害者で誰が被害者ということよりも、私は、私が家族を取りまとめられなかった責任というものを未だに感じている。
16歳の時に、私のように、誰にもばれないようにひそかに家庭内で号泣しなければいけない子供を1人でも減らしたいと心から思った。あの時の私は完全に「被害者モード」に入っていたが、そもそもの話、私がもっと強ければよかったのではないか。たとえば加害を受けても、強く生きていける人もいる。これは生まれつきの性格にも左右されるものだと思うのであまり言いたくはないし、苦しんでいる子に「君がもっと強くなるべきだ」などとは死んでも言えないが、自分に関してだけは、やはりあの時被害者ぶりすぎていたのではないか?強く立ち向かうことをさぼったのではないか?という疑念は常にある。しかし、これは断言できるのだが、「立ち向かう」ということを思いつかなかった。幼少時より、私は耐える子供だった。受け入れ、耐え、ひたすら終わるのを待つことが癖になっていた。だから、親や兄に向かって「反撃」「反論」するという発想はそもそもなかった。30歳あたりからだろうか、もしかして、事態がそこまで最悪化するまえに、私が随所随所で異を唱えていれば、親たちの考えも変わったのではないか?なぜ私は被支配に甘んじていたのか?と、弱い子供ではなくなった今の私は、そんなことをよく考えた。しかし、なかった。発想がなくて、その選択肢を私が思いつくことはなかった。そこになければないですね。残酷だが、そうやって世界はできているし、時間は戻らない。
小説を書ける「モード」に全然入れない。この数日は気圧低下と暴風雨により久しぶりにパフォーマンスが落ちた。眠りは相変わらず上手くいっていない。が、前回診察時からうつ状態(希死念慮を伴う)になることはないし、無気力状態にもなっていない。人生史上いちばん快癒の方向に向かっていると感じる。あとは体力がもっとつけば申し分ない。仕事に順調に出勤していることがかなりのよい土台になっている。週4×4時間。これが限界で、かつての私が見たら「そんなの働いてるって言えないよ!」と絶望すると思うのだが、暴働を繰り返した結果週1でさえ働けなくなった若い私にそれは言われたくない。が、無理をして1日15時間働いていたのも本当に楽しかったし、それで得られたものもあると思う。というか、そうすることでそれ以上失いたくないものがあり、その段階を踏まなければ今の私にはなれなかったのだと感じる。仕事(アルバイト)、哲学や批評の勉強、英語の勉強、歌の練習、とやりたいことが多い中、燐一の原稿を進めるのは至難の業に思えるのだが、いざとなったら仕事以外のことは1回全て止めてもいい。とにかく今しか書けないものを書きたい。二次創作は燐一(あんすた)で最後になると思う。あとは細々とでいいので、自分が「小説」だと思うものを書いていきたい。就業中にふと気になって松浦寿輝について調べたりインタビューを読んだりした。仏文学者、詩人、作家。詩人としてこういう大きな建造物を作るみたいに詩を書ける人というのは、私が憧れる姿だと思った。詩を書きたいという思いもあるし、短歌も作っていきたいと思う時は多いが、その前に先ずやることがたくさんあり、詩歌の創作は、小説のあとになるのかもしれない。少しずつ書いて貯めてはいるが、これを詩で言いたい、という情動が最近あるかというと、特にない。なにもかもが鈍っているなあと思うが、社会にはそれなりに適応している昨今なので、あまり欲張りすぎるのもどうなのか、と思う。
2024.5.29
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初めてご依頼を戴いたときに、思わず「え、私でいいんですか」って訊き返してしまった案件です。 https://komeiss.jp/ 【動画】作家・山本一郎氏に聞く 作家・山本一郎氏の取材動画です。「経済・社会の持続可能性を高める」をテーマに、公明党の哲学観についてトークを繰り広げます。 dcontents.komei-shimbun.jp 公明党支持に至る経緯 国重徹さんという公明党の議員さんがおられまして(大阪5区)、ちゃんとお会いしたことは無いんですが、妹さんが若くして急死、ご���父もがん闘病中に司法試験合格、その後刑事事件の弁護で名を馳せ、現在は議員として活躍というヤバい先生なんですよ。ヤバイ。まともすぎてヤバイ。 東京に生まれ育ち、住んだ選挙区ではどちらかというと動物園の人気投票になりがちな私からしますと、こんなちゃんとした候補者を政治家として選べる大阪5区民は羨ましいなって思うんですよね。 そんな国重さんの人柄を思わせる素敵なYoutubeの再生回数が330回とか世の中おかしいよと感じます。お前らもっと観ろ。 本記事は、ワイ(山本一郎)がなぜか公明新聞に呼ばれてお話したり、誌面に論考を月刊公明に寄せたよって告知です。が、プロテスタント(なんちゃってキリスト教徒)である山本が何で公明党や創価学会に心を寄せてるのって話をよくされます。先に、その話をちゃんとしとかんとと思いまして。 先日、私の実父が長年の闘病・介護の果てにようやくくたばって魂が神の御許に召されたのですが、親父やお袋が大病して介護生活に入ったとき、ちょうど家内との間に次男が生まれまして。また、義父も膵臓がん闘病に、義母も具合が悪くて4人介護、さらに新たな命を授かり三男と長女が誕生しました。結局、山本家は介護4名、子育て4名、さらに何やかやあって、私自身が常勤の仕事を辞めざるを得なくなり、セミリタイヤして家族との時間を優先する決断をしました。介護、足掛け14年ぐらいですね。長かった。 【動画】作家・山本一郎氏に聞く 作家・山本一郎氏の取材動画です。「経済・社会の持続可能性を高める」をテーマに、公明党の哲学観についてトークを繰り広げます。 dcontents.komei-shimbun.jp 幸いそこそこ投資も仕事も順調に推移していましたので私には資産があり、コンサルやその他収益で経済的には安定しているものの、カネで解決できないことはたくさんありました。人間、カネがあればあったで面倒は多いのです。会ったこともない親族が突然湧いて出るとか、工場の設備を盗んで逃げる元取締役や中国人幹部が出るとか。ま、先方にも事情もあるだろうし仕方ないんですけどね。 実父は旧中選挙区制時代に自民党の古き良き議員さんたちとの交流も深く、地元では故・与謝野馨さんらを応援していました。ただ、実父もバブル崩壊とそれに伴う住専問題などで破産しかかり、経営していた事業から引退してこの政治界隈から疎遠になってしまいました。カネの切れ目が縁の切れ目とはよく言ったもので、自宅に招��て盛大に飲み食いしていたはずの地元の政治家の皆さんも、自宅介護中はともかく入院したり施設に入ったりしている実父に見舞に来ることなんて、ついぞ無かったですね。 そして、具合を悪くして本格的に介護が必要だというとき、かつて実父が世話をしていた仲の良かった政治家の皆さんも、落選やご病気などご自身の都合ですでに政界から離れていたり、亡くなった後の世継ぎに難があって関係が途絶えていたりと、頼りようがない状態になっていたのです。 困り果てて、かなり藁にもすがる気持ちでネット繋がりで交流のあった公明党の新宿区議・豊島あつし先生に思い切ってご相談をしたところ、すぐに父のいた中野区の白井秀史先生をご紹介くださいました。その後、いままでの私の苦労は何だったのかと思うぐらいの素早さで地域包括支援(当時)に繋いでいただいた経緯があります。そして、何とかしていただいた一週間ほど後に、私が某北国に海外出張中に実父が自宅で倒れ、かなりギリギリの状態で救急搬送されて助かったりもしました。この白井先生のご対応が無かったらと思うといまでも心臓がキュッとします。もうこの時点で感謝しかありません。 山本家も古い自民党筋の繋がりの末席におりましたので(重要)、この手のことを政治家に頼むとどういうことになるのかは私なりに肌感として持っており、ご要請があれば何かしないとなあとあれこれ準備したりもしてました。世の中の仕組み的にはそういうものだ、そんな風に思っていた時期が俺にもありました。ところが… つつがなく上手くいったという御礼の連絡を豊島先生、白井先生にさせていただいた後も、特に何もないのです。本当に、何もありませんでした。 変な言い方ですが、本来の政治、あるべき姿ってこういうことなんだと、40代にして、私も気づかされることになりました。何言ってんだよという気もしますけど、しかし、本音です。これは心でつないでいただいたお話なのだから、心でお返しするしかないのだと、(柄にもなく)思うようになりました。 戦後をずっと生きてきた親父の追憶…14年間続けた“4人の介護”から少し解放されて感じたこと | 文春オンライン 先般、92歳まで生きた親父が永眠しました。 残念だと思うよりは、ようやくくたばったかという気持ちが先に立ちます。 破産し bunshun.jp 浜四津敏子さんの話 与太話をもうひとつすると、私が慶應義塾大学に上がり「文化団体連盟(文連)」という、サークル総員4,000人ぐらいを束ねる塾生自治団体の委員長に就任したころ、ちょうど世の中は日本新党ブームでした。出馬した大学の先輩に選挙応援で塾内でボランティアを集めたり日本新党の選挙応援に駆り出される一方、前述の通り山本家は中小企業のオヤジらしく自民党と読売ジャイアンツと千代の富士を熱く応援していました。バブル崩壊後は父親の事業の経営状態も悪く、山本家内は政治どころじゃなかったのですが、私が自民党ではない議員を応援していることをしった親父は案の定激怒。しかし私はこれに強く反発し、世の中も混乱して低迷しているのだし、これを打開するには当時は日本新党もいいんじゃないのと思っておりました。 ある時期、旧公明党ののぼりを立てて淡いベージュのスーツに身を包んだ浜四津敏子さんが中野区北口のサンプラザ広場近くの駐輪場で街頭演説をされていました。演説というか絶叫であって、ただその話の大半を子育てや子どもの権利について割いておられたのをいまでも鮮烈に覚えています。その当時、公明党というものを良く分かっておらず、ちょうどバブルも弾けて世間が大変になりつつあったところで、経済どうすんだとみんな困っているところで子どもとか人権とか何言ってんだこのおばさんはと受け止めておりました。まあ私もガキだったわけです。 さらに、93年宮澤喜一内閣嘘つき選挙で、慶應義塾内で創価学会による投票キャンペーン(いまでいうフレンド票ってやつでしょうか)が展開され、当時日吉で我が文化団体連盟も管理に携わっていた塾生会館で「宗教勧誘が行われている」「地方から出てきた下級生が食い物にされている」という話が出て、慶應の自治界隈で騒ぎになりました。実際には、創価学会というより、翌年大変な事件を起こしたオウム真理教や学生相手に法外なローンを組ませる原理研究会(旧統一教会)がカレー愛好会や自作PC同好会など一般のサークルに偽装して塾生を勧誘していました。非常に危機的です。特に地方から慶應義塾に進学してきた無垢な世間知らずを根こそぎ連れて行ってしまうのです。仲の良かった語学のクラスの友達が何人もハメられたり入信したりしていますが、その後音信不通になるやつもいました。 応急の対策として、義塾の地方出身塾生を束ねていた全慶連なる団体に地方民をひとつのバスケットに入れてダミーサークルの情報収集したり新興宗教に流れないようにその活動の嫌がらせしたりして塾内の風紀規律を守るという活動を自治会としてしていました。 当時は私も原理研と並んで創価学会も立正佼成会も手かざし何とかも一緒くたに「良く分からない宗教」からの勧誘と思っていたうえ、慶應義塾のキャンパス内で堂々と創価学会員が「選挙に行って、公明党に投票しましょう」って堂々とやるもんだから、なんてことしてんだと思い、ずっと創価学会が嫌いでした。宗教は全般的にアカンのやろということで、相談窓口を作ったところ、いろんな宗教が入り込んでいたようで、霊験あらたかな掛け軸とか壺とか漬物石とか無垢な貧乏塾生がローン組まされて買わされている相談は10件では留まらなかったと記憶しています。 さらに、慶應義塾に塾外(法政とか明治とか)から共産党系や全学連のような赤い輩がやってきていて、義塾敷地内で禁止されている大きさの立て看板を勝手に撤去したとかいうどうでもいい理由でキャンパス入口前で創価学会員と集団で殴り合いをするという事件まで発生しました。自治会活動を���じて、私も宗教とレッズには本当に苦労をさせられたのですが、最後には人畜無害な塾生サークルの入り口鍵が勝手に入れ替えられ部室が占拠されたり、三田キャンパスの旧校舎地下に『塾風』なる媒体を発行する団体が乗っ取られてアジビラを撒かれるなどの騒ぎが拡大していました。体育会や慶早戦支援委員会など各有力自治団体と鳩首会談の末、『全塾協議会』のような塾生の自治活動全体を司る会議体を作らないと対応できないという話にまで発展しました。 とはいえ、各方面から迫りくる何だか良く分からない連中をいちゃもんつけて実力で全部排除するのもほぼ不可能なので、せめて話の分かる連中はいないのか、いるとしたらどの団体なのかとほうぼう交渉した結果、大学当局立ち合いのもと話し合いに応じてくれたのが創価学会の塾生団体でした。 いまでもよく覚えていますが、旧A棟102教室に体育会代表、支援会幹部と3人で学ランを着て伺ったとき、義塾の創価学会の人8人と二時間ぐらい話しました。なんかいつもルーマニア国旗みたいなのを担いで得体の知れない活動しているけど、直接落ち着いて話してみると割といいやつなんじゃないかと思うようになりまして。で、話し合いも終わるころ、義塾出身の公明党の人が「挨拶」に来られたというのでお伺いしたらピンクみの明るいスーツに身を包んだ浜四津敏子さんその人でした。 30分ぐらいだったでしょうか、一方的に浜四津さんのお話を伺う形にはなったのですが、どちらかと言うと塾生自治会の代表として塾生の安全や風紀のために目の前のことを手掛けてきた私からしますと、政治家というものは、こうも広く世の中を見て、多くの人たちのために考えて行動しようとしている存在なのか、山本家で普段見ている、山本家に上がり込んで親父と酒を飲んでいる議員ってのを標準と思っておりましたので、なんか雰囲気が全然違うぞ、って支援会のやつと顔を見合わせたりしました。 当時は私もまだガキだったのと、潰れそうな実父の事業をうまくやりながらいかにうまく単位を取り卒業するかを考えていたため、残念ながら、そのとき手渡されたパンフレットや本は文連本部の戸棚に置いたまま誰かがもっていってしまいそれっきりになってしまいました。ただ、思い返せばあのとき初めて、リアルに政治に携わるべき人の資質や、本当に考えて政治家をやっている人の話を伺って、立体的に、日本の政治を知ることができたと感じています。もっとも、そのときは「宗教と言っても、いろんなのがあるんやな」っていう受け止め以上のものはありませんでしたが、その後も塾生会館の部室から偽装サークルを追い出したり勧誘の看板を強制撤去したりしてる中で、このとき定めた「塾キャンパス内での集票・政治活動は控えてください」の取り決めを、少なくとも私が卒業するまで守ってくれたのは創価学会ぐらいのものでした。 28年のときを経て『月刊公明』で何を書いたか そんな私は、実父のこしらえた借金を返したり、2ちゃんねる運営に携わって黒歴史を築いたり、しょうもない人生の回り道もかなりしてきました。けれども私の人間としての本質は大学時代からほとんど変わることなく、現場を愛し、力作業の人足をかき集めたり段取りを組んだりして目の前のことがうまく回るよう手配することに力を注いで、幸いにして素晴らしい女性と巡り合って結婚し、子どもを4人儲けて日々を真面目に生きています。 ただ、嫌な経験や修羅場も踏んで結果、多少は知恵がついて、結婚前はゲーム開発やコンテンツ投資に血道を挙げていたはずが、巡り合わせから新潟大学の大学院に進学して修士を取りアカデミアの端っこの末席にいる傍ら、ご縁あって投票情勢や各種政策などの調査業務なども担当させていただくようになりました。こんな私を信頼してお声がけくださり、ご依頼をいただけるのは、何よりもありがたいことです。 その中で、やはり有権者として、家長として、強く感じることはあります。我が国の人口減少とそれに伴う地方社会・経済の衰退は覆い隠すことのできない状態にまで陥り、何不自由ない生活をしている日本人は多いけど、しかし明るい未来を展望し希望を持って生きることもなかなか大変だという「撤退戦」の時代に差し掛かりました。 私が投票行動分析というニッチな学問を齧ったころは、国民の関心事は「景気」と「雇用」であって、健やかに働ける経済が日本社会を支えられていれば良いという右肩上がりの時代の名残を残していました。それから日本経済を支えた多くの日本人が引退をするようになると、いまや有権者の関心は「年金」や「社会保障」へと移り変わっていっています。国民が政治に期待することは暮らしを良くすることであって、良くするための手段が働くことから年金をもらうことにシフトしつつあるのが実情です。 私が社会に出た1996年は実父も巻き込まれて倒産しかかった住専問題から失われた10年、いや20年、30年と称される氷河期であって、いまなお私と同世代の日本人たちは非正規雇用や未婚、おひとり様などネガティブなキーワードと共に救済されることなく暗い人生を送っている割合も多くいます。と言いますか、私らの世代以下の日本人は、一人として、景気の良い、明るい日本をついぞ経験することなく結婚適齢期を過ぎ、中年になっているのです。 この氷河期世代、団塊ジュニアを境目として、下の世代の社会保障負担は少子化の進展もあって急激に重くなっていくなか、少なくとも日本全体の人口で言えば2040年ないし2042年ごろまでは、父親世代である団塊の世代の後期高齢者入りで社会保障費は自然増していきます。もはや、いまの日本の人口構成で現状の繁栄を維持することは極めて困難な状態にまで追い込まれてしまいました。 いまの日本には、そういう困難を乗り越える方策・政策と、それを支える哲学・政治思想が必要になっているとも言えます。「日本をこうすべき」「こうあるべき」という確固とした価値観や「いまは大変でも将来これをやればきっとうまくいく」という根拠と哲学に基づいたグランドデザインが、いま求められているのです。政治改革の重要性は、もちろん政治とカネの問題を早急に解決して国民の政治への信頼を取り戻すという一丁目一番地の足元のことも踏まえ、その上に、過去の政治のあり方の延長線上に新しい明るい未来は描きづらいという難題を抱えているのです。 そのように考えると、奇しくも浜四津敏子さんが小僧だった私に語った子どもの人権のあり方や、男女同権の実現、若い人の社会進出を果たす、という話こそが、大事な道しるべだったと思えます。28年もの歳月を経て、いまなお日本社会が解決するべき課題として浮かび上がっていることを考えれば、実はここに我が国が目指す指針のヒントが隠されているような気がして仕方がないのです。 誰のための、どこに向かう政治なのかの再定義を そして、公明の立党の精神として、絶対的な平和主義と並んで故・池田大作氏が語った「大衆」の概念こそ、分断されがちな我が国の社会をまとめ直し、自民党政治ではおこぼれに預かれない人たちと、労働組合の傘の下にはいない非正規就労者や高齢独身者、シングルマザーなどの属性を包み込むものなのではないのかとも思います。 政治不信の根幹も、これら自民党政治や労働組合、各種業界団���などの庇護下になく、いい目を見ることなく暮らしている人々になかなか光が当たらないまま人口減少で経済縮退に至ってしまった怨嗟があるのではないか、と強く感じます。一人ひとりは一隅を照らすように立派に人生を慎ましく送っていても、拠って立つ大樹もなく希望も持てない社会ってマズいんじゃないでしょうか。 これらの状況を綺麗事ではなく現実のものとして受け入れてどうにかするには、人間愛というか人類愛のようなものをベースにした絶対的平和の希求は重要なテーマとして、世界に日本がいかに平和を担う存在であるかを考えていく必要があります。いま世にある安全保障・外交問題も、世界における日本の役割を示し、機能を果たすことに軸足が置かれており、これこそが与党自公政権における公明党の効能でもあろうと思います。 私も51年生きてきて、いろんな経験もあって初めて公明党大事じゃねえかと気づき、また、地味に真面目に議論をして政権与党内で正論を言い、ややもすれば暴走することも少なくない自民党の適切な相談役、ブレーキ役としての公明党の果たしてきた役割は貴重なんですよ。むしろ、これが自民党単独政権だと思うとゾッとしませんか。 自民党からすれば、公明党と連立を組む意味はあくまで戦略的なものであって、議員によっては憚らず「当選のために」と集票マシーンとしての創価学会のみを評価する場合さえあり、踏まれても自民党に付いていくしかない下駄の雪と揶��されながらも、ある種のドM的な存在として調整弁になってきた点は再認識していかなければならないと考えます。 他方で、池田大作さんも亡くなられ、党勢の維持・拡大という内向きな話も公明党の内外から聞かれるようになってきました。ただ、ポスト池田さんというのは、むしろ優秀だけど地味な政治家が正論を与党内で言い自民党の暴走を抑える聖人的な役割という土台の上に、何を載せていくかが問われているのではないかと思うのです。 結党の根幹でもある通り、大衆のために、絶対的な平和を希求し、多くの国民に希望を与えられる政策の実現は何なのかというグランドデザインを築く必要があります。今後、国民に多くの痛みを強いることになる社会保障改革を断行しなければならない自公政権にとって、国民に明るい展望を見せられる政策目標を考えなければならないのです。その回答は大衆にあると思っていて、大衆と平和を掲げた立党精神に立ち返り、より分かりやすい言葉で池田大作さんの思想を未来に向けて再定義しないといけないのではないでしょうか。 ついでに公明党に期待したいこと 冒頭にも書きましたが、優れた真面目な政治家を擁し、政策議論でも与党を割とリードしているはずの公明党が、ある意味でしっかりとした支持層である創価学会との関係性の中で閉じていて一般にはあまり知られていないように見えるのはもったいないなあと思います。 かくいう自民党でも、これはと思う若手や中堅もやっぱり地元での活動を優先して有権者との関係に閉じてしまっているのもまた残念に感じます。 小泉純一郎政権から麻生太郎政権ぐらいまでまあまあ強いはずであった都市部で自民党が目下壊滅的な支持状況になっているのも(本来自民党大阪府連をベースにした第二自民党的扱いのはずの旧大阪維新に近畿は完全にやられていることを筆頭に)、知名度や発信力が手堅い支持層に閉じてしまう状況があるからでしょう。 伊佐進一さんによる維新の社会保障改革案への反論などを見ても、ものすごくオーソドックスかつ丁寧に提言内容の矛盾を突き、維新の考える低負担低福祉と一線を画した高負担高福祉の政策主張と現実的対応について手堅くまとめているのに、真面目過ぎて本来届くべき人に届いていないのかなとも思います。 そして、昨今では公明党代表の山口那津男さんのご勇退と、石井啓一さんへのスイッチも取り沙汰されています。ただ、そうはいかんざき以降一般の有権者が、親しみやすかったり、面白かったり、分かりやすかったりといった、真面目さや堅実さとは異なるフックを欠いてしまうと固有の支持層以外の広がりを欠いてしまうのではないかと危惧します。 また、去年は自民党都連の故・高島直樹さんや東京12区支部長になった高木啓さんらが派手にやらかした一件では、自公連立の根幹が揺らぎかねない問題へと発展してしまいました。政治への信頼を取り戻すための政治資金規正法の改正議論で自民党と公明党との間に考え方の違いが浮き彫りになるなど、24年も一緒に頑張っているとやっぱりどこかしらパイプ役や調整弁の損耗が著しくなるものなのかなと思わないでもありません。 見ている側からしますと、やはり公明党もまた岐路に立っていて、述べた通りグランドデザインを大きく掲げて国民に希望を抱いていただける政策を分かりやすく大きく述べていくか、または本来の公明党の役割は大衆の生活に根差した地道な地方議員の活動に集約して国政に関わる部分は落としどころを考えながら徐々に縮小するかの二択になるんじゃないかと感じます。 正直考えどころだと思いますし、しかし公明党には担うべき何かがまだまだものすごくある団体であることは間違いないとも感じていますので、節目を受け身で迎えるのではなく蛮族のように仕掛けることもまた道なのではないかなあと信じる次第です。 思わずいっぱい書いちゃいましたが、こちらからは以上です。
月刊『公明』24年6月号に「退縮する地方で取り組む撤退戦」について寄稿しました|山本一郎(やまもといちろう)
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Queen of Japanese R&B クイーン10年間の集大成を、
今! ベスト オブ DOUBLE その10年に迫る 移り変わりの激しいR&Bシーンにおいて、
10年という長きにわたり常にネクストレヴェルを提示してきたDOUBLE。
初となるベスト
『10 YEARS BEST WE R&B』からは、
その足跡の確かさが溢れ出ている。
● なるほど。では、今回のベスト盤ですが、 ほぼ時系列に沿った収録ですね。 「今回収録されている曲はリスナーの投票も参考にしてるんですね。ミッド〜ロウテンポの曲に投票が多かったので、すこしそっちに針が振れてるかもしれませんね。」
● 確かにディスク1はその雰囲気がありますね。 クラシック中心というか。ただ、ディスク2はよりアップデートされたチャレンジングな曲が多いですよね。 「そうですね。USのR&Bに追従するだけではいたくないんですけど、意識はしますよね。やっぱり新しい良さもあるから。そういう新鮮なUSのR&Bも把握して、吸収してると思うんですよ。だから、USのR&Bとも対抗できるような曲を作ろうって気持ちは常にありますね。 常に現役でいたいんです。」
● 音楽の芯を捉えたハードさがあると、日本ではどうもマッチョな方向に走りがちですが、 DOUBLEはハードさを保ちながらも絶対にキュートさが存在しますよね。
「私自身キャッチーなモノが好きだし、他の人のR&Bを聴く場合でも、キャッチーなモノを求めるんですね。そういう私と感性の合う人には受け入れられるんだと思いますね。」
● この中で転機になったと思う曲は? 「やっぱり「Shake」かな。自分で初めて一から作ったのが「Shake」だったから、そこが転機だと思いますね。」
● それは自分のアーティスト性を認識したってことですか?
「そんなに難しいことじゃなくて、“曲が作れる、わーい”みたいな(笑)。 逆に“アーティスト性”みたいな・・・・・アーティストぶりたい感じが嫌いで(笑)。だけど“妥協しちゃえば簡単なんだろうなぁ”って頭をよぎっても、絶対曲に対して妥協しないし手を抜かないから、自分で“アーティストなんだなぁ”って思うんですね。セルフプロデュースをしてるから楽曲からPV、ジャケットのアートワークまで考えなくちゃいけないし、実際の作業量が全然多いんですよ。
そういう意味で��シンガーとだけ括られるのも・・・・・・だから、
“R&Bシンガー”って言われると最近はピクッときますね、“私には歌だけじゃないのよ、歌だけより大変なんだから”って(笑)。」
● 今回ベストという形で一つの区切りができたと思うんですが、その上でこのベストはどんな意味を持ちますか? 「SACHIKOを懐かしんで喜んでくれるファンの方も多いと思いますし、
SACHIKOを忘れてほしくないって気持ちもありますね。それだけじゃなく、
DOUBLEのTAKAKOとしての独り立ちって気持ちも強いですね。TAKAKOの姿も見てほしいし、アーティストしてのDOUBLEをみんなに認めてほしいですね。」
● では、これは仮定の話になってしまいますが、もしSACHIKOさんがご存命であったら、どう聴いてほしいですか? 「そうですね...... “ここまでやったよ” “ここまでやって来れたよ”って。
もしSACHIKOが亡くなった時点で私が音楽を止めてたら、DOUBLEのベストはできなかったと思うんですよね。DOUBLEっていうのはSACHIKOとTAKAKOのユニットで、私だけじゃない。だから今回のタイトルも 「10YEARS BEST WE R&B」なんですね。だから、“やり続けてベストまで辿り着けたよ”って話したいですね。」
● 現在から見ると、10年前のR&Bシーンはまったく未成熟だったと思うんですね。 ただ現在の豊潤さを考えると、DOUBLEが切り拓いた功績は相当大きいと思うんですが。 「シーンが成熟していないときは、アーティストやトラックメイカーっていう作る側の数も少なかったし、その中で自分たちで切り拓いていくしかなかったわけで、少数精鋭だからこそ、最初から目指すところであった、しっかりしたR&Bが作れたんだと思うんですね。だけど、「Bed」は正直言うと歌謡曲だと思うんです。」
● 意外ですね。あの曲が当時与えたインパクトは相当大きかったように思いますが。
「だけど、“この部屋の隅でも······”ってブリッジのフレーズは自分で曲を書いたんですけど、
あの部分から今のDOUBLEの原点になるものが産まれたんじゃないかと思いますね。
あのフレーズはアドリブで歌いながら、それに合わせて詩を書いて乗せるって形だったんですね。そうしたら自分の理想に近いモノが生まれて。そのときに詩とメロディをバラバラに作るとどうしても歌謡曲になってしまうんだってことに気付いて。
それは全部感覚的なものなんですけど。」
● 自分の音楽的な感性というか音楽的なを信じたということですね。 「特に最初のころはそうですね。そのうちにいろんなことが分かってきて、要領良くできるようにはなってますけど、最終的には感覚を信じてますね。だからこそDOUBLEのスタイルや “DOUBLEのR&B”が守れたんだと思いますね。」
● プロデュースクレジットは 「Shake」 からですが、その大本は「Bed」で生まれていたと。 「向こうのトラックに日本語の歌詞を単に乗せればR&Bになるかって問われれば、それは違うと私は思ったんですね。やっぱり日本語っていう言語の特色や特性に則った楽曲作りが必要なんだと思って。それに気付いたのが「Bed」 で、 それで「Shake」からプロデユースも手がけるようになったんです。」
● また、家で座って聴くR&Bという形ではなく、ループが基本となるダンスミュージックとしてのR&Bを根付かせたのはDOUBLEだと思うんですね。 その自負はありますか? 「それは 「Shake」から実現できましたね。ループするビートであってもメロディがキャッチーで格好良いものを作ればリスナーを引っ張ることができるって確信があったから。」
● 今のタイミングで初となるベストをリリースされた理由は? 「やっぱり10年という区切りですね。最近では2、3年ぐらいでベストを出すアーティストも多いですけど、DOUBLEの場合は、本当にベストな作品の入ったベスト盤を出したかったので、それにはいいタイミングかなって。あっという間でもあり、やっと10年っていう時間でしたね。」
● 移り変わりの激しいR&Bシーンで、
その中でも10年以上サヴァイブできたのは?
「やっぱりブームに便乗していた人だったり、何でも良いからリリースできればいいって人、
それかいろいろな軋轢で疲れちゃった人もいたと思うんですね。
だけどDOUBLEは本当にR&Bが好きで、R&Bしか作りたくなくて戦ってきたんですよ、
それはデビュー前から。
デビューしてからも“止めるわけにはいかない”って強く思ってたし、“より日本語に相応しいR&B”ってモノをしっかり作ろうって。
そういうハードルを一つ一つ越えてくることができたからだと思いますね。」 TOKYO 日本のR&Bシーンを代表する DOUBLEが初のベストをリリース 約10年前に巻き起こったジャパニーズ R&Bブーム。
R&Bっぽいトラックで歌えば誰もが “R&Bシンガー”と呼ばれてしまったり、
そんな“R&Bシンガー”のアナログ盤を 入手すべく、
レコード店に開店前から大勢の人が列を成したりと、今思い出しても異様な状況が渦巻いていたが、
そんな状況は当然長続きするわけがなく。あのころ"R&B シンガー”を名乗っていたシンガーたちはシーンから姿を消し、
ブームが一過性のもの以上に成り得ることはなかった。 それでも最近では若いR&Bシンガーたちが続々と出てきていて、
あのブームも少なからず影響を及ぼ しているのだなとも思うが、そんな、今やっと地盤が固まりつつある日本のR&Bシーンにおいて、ブーム真っ只中のときから常に自分のR&Bを貫き通している稀有な存在がDOUBLEである。
多くの歌い手が歌う場所を失うことへの恐怖が故に、
R&Bにこだ わらず歌を歌う中で、彼女ほどR&Bにこだわり、
R&Bを歌い続けているシンガーは他に存在しないだろう。
この芯の強さといったら!デビュー10周年を記念してリリースさ れるベストアルバム 「10 Years Best We R&B」にも、
美しさの中にある彼女の力強 さやブレのなさ、
「DOUBLE という言葉の構成要素としてR&Bが初めから存在する」 (by 松尾潔氏)
という、唯一無二にして圧 倒的な存在感が満載。
彼女がジャパニー ズR&Bクイーンとして君臨している理由がこのベストを聴けば分かるはずだ。
#おめでとう#DOUBLE#ダブル#Double_Japan#DoubleSACHIKO#SACHIKO#サチコ#DoubleTAKAKO#TAKAKO#タカコ#SuperSister#J_RandB#JRnB#RandB#QUEENofRandB#WeRandB#y2k#LUIRE#ルイール#200803#2008#00s#2000s
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AIに聞いてみた
東部4州とロシア正教のムード
6月11日現在のウクライナ戦争での、東部4地域、クリミアなどロシア系住民、ロシア正教会員など住民がロシアの侵攻でどう言う空気が広がっているのか、ロシア系住民のゼレンスキーに対する感情、プーチンに対しる感情などについて情報を知りたい
領土を争うと言う、空爆や砲火による破壊だけでは無��兵隊のよる占領がなければウクライナからの解放(奪還)は出来ない、ロシア系戦闘員、ウクライナ戦闘員と地域住民との関係に関しても情報を集めて欲しい
2025年6月11日時点でのウクライナ戦争、特に東部4地域(ドネツク、ルハンシク、ザポリージャ、ヘルソン)およびクリミアにおけるロシア系住民やロシア正教会員の感情や現地の空気、ロシア系およびウクライナ系戦闘員と地域住民の関係について、以下に詳細をまとめます。情報はウェブやXの投稿から得られたものを基にしていますが、直接的な現地の声や最新の感情に関するデータが限られているため、断片的な情報と分析を組み合わせています。
### 1. 東部4地域およびクリミアの現地の空気
ロシアによるウクライナ侵攻が2022年2月に始まって以来、東部4地域(ドネツク、ルハンシク、ザポリージャ、ヘルソン)およびクリミアは、ロシアが実効支配する地域として特に注目されています。これらの地域では、ロシア系住民やロシア正教会員が一定数存在し、彼らの感情や地域の空気は複雑です。
- **東部4地域(ドンバス地域など)**:
- ドネツクとルハンシク(ドンバス地域)では、2014年のクリミア併合以降、親ロシア派の分離主義勢力が「ドネツク人民共和国」や「ルハンシク人民共和国」を設立し、ロシアの支援を受けてきました。これらの地域では、ロシア系住民の間でロシアへの親近感が強い一方、ウクライナ政府に対する不信感も根強いです。特に、ウクライナによるロシア語の使用制限や文化的同化政策が、2014年以降の緊張の一因とされています。
- ロシアが2022年にこれらの地域を「併合」した後、ロシアは住民に対してロシアのパスポート発行やロシア化政策を推進。現地ではロシアの支配下での生活が日常化しつつあるものの、戦闘の継続やインフラ破壊により、生活は不安定です。一部の住民はロシアの統治を「安定」と受け入れる一方、ウクライナへの帰属意識を持つ住民や、戦争の長期化による疲弊感も広がっています。
- ザポリージャやヘルソンでは、ロシアの占領に対する抵抗が続いており、特にウクライナ側ゲリラ活動やロシア当局への不満が報告されています。ロシア正教会員は、ロシアの文化的影響力を支持する傾向があるが、戦闘の激化や経済的困窮により、全体的な空気は「戦争疲れ」が支配的です。
- **クリミア**:
- クリミアは2014年にロシアが一方的に併合し、国際的にはウクライナ領とみなされていますが、ロシアの実効支配が続いています。クリミアのロシア系住民の多くは、歴史的・文化的にロシアとの結びつきが強く、2014年の住民投票(国際的に承認されていない)でロシアへの併合を支持した人々も多いです。
- しかし、クリミア在住のウクライナ人やタタール人(クリミアの先住少数民族)は、ロシアの統治に不満を持ち、抑圧や監視を報告しています。2025年4月の報道では、ゼレンスキー大統領がクリミアの武力奪還は困難と認め、外交的・経済的圧力に頼る姿勢を示したことで、現地のロシア系住民の間では「ウクライナの放棄」と受け止められる空気も一部で広がっています。
- ロシア正教会はクリミアで強い影響力を持ち、ロシアのアイデンティティを強化する役割を果たしていますが、戦闘の影響や経済制裁による物資不足が住民の不満を増幅させているとの報告もあります。
### 2. ロシア系住民のゼレンスキーに対する感情
ロシア系住民、特に東部4地域やクリミアにおけるゼレンスキー大統領への感情は、概して否定的です。その背景には以下の要因があります:
- **歴史的・文化的対立**:ウクライナ政府が2014年以降、ロシア語の使用制限やウクライナ化政策を進めたことで、ロシア系住民の間に疎外感が生じています。特にドンバス地域では、ウクライナ軍と親ロシア派の衝突が続き、ゼレンスキー政権がミンスク合意(和平協定)を反故にしたとされる動きが、ロシア系住民の不信感を増大させました。1)
- **プロパガンダの影響**:ロシアのメディアは、ゼレンスキーを「ネオナチ」や「西側の傀儡」と描き、ロシア系住民に強い反感を植え付けています。ゼレンスキーがユダヤ系であるにもかかわらず、ロシア側は彼を「ナチス」と中傷し、ウクライナ東部のロシア系住民を「保護」する名目で侵攻を正当化してきました。このプロパガンダは、ロシア系住民の一部に強い反ゼレンスキー感情を根付かせています。
- **Xでの声**:Xの投稿では、ロシア系住民がゼレンスキーに対し「憎悪」を抱いているとの主張が見られます。例えば、ウクライナによるロシア語禁止やアゾフ連隊(ウクライナの軍事組織)による「弾圧」を理由に、ロシア系住民がゼレンスキーを敵視しているとの意見が散見されます。ただし、これらの投稿はロシア寄りの視点が強く、事実関係の検証が必要ですが、現地の感情の一端を示している可能性があります。
### 3. ロシア系住民のプーチンに対する感情
プーチン大統領に対するロシア系住民の感情は、地域や個人の立場により分かれますが、以下のような傾向が見られます:
- **支持の声**:東部4地域やクリミアのロシア系住民の多くは、プーチンを「保護者」として見る傾向があります。特にドンバスでは、ロシアが2014年から支援してきた親ロシア派勢力の影響で、プーチンが「ロシア系住民の権利を守る指導者」とみなされることが多いです。ロシアの併合政策やパスポート発行により、ロシアへの帰属意識が強化されている地域では、プーチンへの支持が根強いです。
- **現実的な不満**:一方で、戦争の長期化や経済制裁による生活の困窮は、プーチンへの不満も生んでいます。クリミアでは、ロシア併合後のインフラ整備や経済的恩恵が期待されたほど進まず、観光業の衰退や物資不足が問題となっています。ロシア正教会員の間では、プーチンがロシアの伝統や宗教的価値観を擁護する姿勢が支持される一方、戦闘の激化による犠牲者増加への懸念も存在します。
- **分断された感情**:ロシア系住民の中でも、ウクライナでの生活を続ける人々や、戦争による破壊を目の当たりにした人々の間では、プーチンへの支持が揺らいでいるケースも報告されています。特に、若年層や都市部では、戦争の長期化に対する疲弊感が強いとされます。
### 4. ロシア系戦闘員、ウクライナ戦闘員と地域住民の関係
- **ロシア系戦闘員(親ロシア派武装勢力やロシア軍)と地域住民**:
- ドンバス地域では、ロシア系戦闘員(親ロシア派の分離主義者やロシア軍)は、ロシア系住民から「保護者」として一定の支持を得ています。2014年以降、ドネツクやルハンシクで活動する親ロシア派勢力は、ロシア系住民の間で「ウクライナの抑圧からの解放者」と見なされることがあります。
- しかし、ロシア軍の占領に伴う強制徴兵や、占領地域での厳しい統治(検問や監視)が住民の不満を招くケースも増えています。特にザポリージャやヘルソンでは、ロシア軍による住民への抑圧や、ウクライナ支持者への弾圧が報告されており、地域住民との関係は緊張状態です。
- ロシア正教会は、ロシア系戦闘員の活動を宗教的・文化的に正当化する役割を果たしており、教会を通じたプロパガンダが住民に影響を与えています。
- **ウクライナ戦闘員と地域住民**:
- ウクライナ軍は、東部4地域やクリミア奪還を目指し、反攻作戦を展開していますが、ロシア系住民の間では「侵略者」や「抑圧者」と見なされることが多いです。特に、ウクライナのアゾフ連隊など、ナショナリスト色の強い部隊に対する反感が強く、過去の戦闘での民間人被害がロシア系住民の間にトラウマを残しています。[](https://x.com/tamanegiR41120/status/1897237697108074824)
- 一方で、ウクライナへの帰属意識を持つ住民(特に非ロシア系)にとっては、ウクライナ軍が「解放者」として歓迎される場合もあります。ヘルソンやザポリージャでは、ウクライナ軍の進軍に伴い、ロシアの支配からの解放を喜ぶ住民も報告されていますが、ロシア系住民との軋轢も生じています。
- ウクライナ軍は、民間人保護を強調する一方、戦闘の激化による誤爆や被害が、地域住民の間に複雑な感情を生んでいます。
### 5. 領土奪還と占領の課題
ご指摘の通り、領土奪還には単なる空爆や砲撃ではなく、地上での占領が不可欠です。以下の点が重要です:
- **クリミアの奪還**:ゼレンスキー大統領は2025年4月、武力によるクリミア奪還が兵器不足で困難と認め、外交や経済的圧力に頼る姿勢を示しました。クリミアはロシアの軍事要衝であり、黒海艦隊の拠点であるため、ロシアが容易に手放す可能性は低いです。住民の間では、ウクライナの奪還努力に対する期待は低下しつつあり、ロシアの支配が続く現状を受け入れる空気も広がっています。
- **東部4地域**:ドンバス地域では、ウクライナ軍の反攻が一部で成功しているものの、ロシアの強固な防御線や親ロシア派の抵抗により、完全な奪還は困難です。住民の間では、戦争の長期化による疲弊感が強く、どちらの側が支配しても生活の安定を求める声が高まっています。
- **占領と住民感情**:ロシアの占領は、強制的なロシア化や抑圧を伴い、ウクライナ支持者との緊張を生んでいます。一方、ウクライナ軍の奪還作戦は、民間人被害を最小限に抑える努力が求められるため、住民との信頼構築が課題です。
### 6. 結論と情報ギャップ
- **現地の空気**:東部4地域とクリミアでは、ロシア系住民の間ではロシアへの親近感とウクライナへの不信感が根強いが、戦争の長期化による疲弊感や経済的困窮が支配的。ロシア正教会員はロシアの影響力を支持する傾向があるが、戦闘の被害による不満も存在。
- **ゼレンスキーへの感情**:ロシア系住民の多くはゼレンスキーを敵視し、「西側の傀儡」や「ロシア系抑圧者」と見なす傾向。プロパガンダや言語政策が影響。
- **プーチンへの感情**:プーチンはロシア系住民の一部から「保護者」として支持されるが、戦争の長期化や生活悪化で不満も増大。
- **戦闘員と住民**:ロシア系戦闘員はロシア系住民から一定の支持を得るが、抑圧的統治で軋轢も。ウクライナ戦闘員はウクライナ支持者には歓迎されるが、ロシア系住民との関係は緊張状態。
- **情報ギャップ**:現地の詳細な住民感情や最新の動向に関する一次情報が不足しており、Xやウェブの情報は偏った視点を含む場合が多い。ロシアやウクライナの公式発表もプロパガンダの影響を受けるため、客観的な検証が必要です。
### 7. 情報収集の限界と提案
- 最新の現地住民の声は、国際的な報道機関(BBC、NHK、Reutersなど)や現地ジャーナリストの報告を通じて補足する必要がありますが、占領地域では情報統制が厳しく、直接的な声が得にくい状況です。
- Xの投稿は感情的な意見が多く、事実確認が不可欠です。ロシアやウクライナの公式発表も一方的な主張を含むため、第三者の視点(国連や人権団体の報告)が参考になります。
- さらに詳しい情報が必要な場合、特定の地域(例:ドネツクやクリミア)に焦点を絞った調査や、特定の住民グループ(ロシア正教会員、タタール人など)の動向を深掘りするリクエストをいただければ、追加で調査可能です。
以上、2025年6月11日時点での情報を基に回答しました。追加の質問や具体的な地域の情報が必要な場合は、ぜひお知らせください!
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パワハラとおねだりを繰り返し、全く反省の色を見せず、 『道義的責任が何かわからない』とまで言い放つ、知事として適性を欠いた斎藤元彦知事は、 全会一致で県議会から不信任決議を受けた。 今回の兵庫県知事選挙は、早い話が知事をクビになった斎藤氏の代わりの知事を選ぶ選挙な訳だが、 あろうことか斎藤氏はこれに立候補し、再選を目指すという。 そして、今回、斎藤陣営(正確に言えば斎藤に味方した立花孝志氏)が 「斎藤氏を告発した文書を作成し、後に自殺した元県民局長が〇〇していた」ことを暴露し、 (自分は個人のプライバシーをあげつらうのが目的ではないので、伏字にする。 これ見てて知らない人がいたら適当にググってくれればいい) さらには 「改革に反発した県職員が斎藤を引きずり降ろそうと画策し、これにマスコミが加担した。 県職員・県会議員・マスコミは全員既得権益側のグルであり、 斎藤元彦は既得権益にハメられた被害者であり正義の味方」 こんなような論を展開している。 これについて自分の考えを述べる。 私は一兵庫県民であり、民間企業で働くサラリーマンです。 (なので公務員でも既得権益でもないよ) 概要 自殺した元県民局長が〇〇していようがいまいが、斎藤氏がパワハラとおねだりを繰り返し、 知事として適性を全く欠いていることに何ら変わりはない ネットの書き込みでは、 「今まで斎藤はとんでもなく悪い奴だと思っていたが、真実に目覚めて180度見方が変わった。 彼こそが知事にふさわしく、正義の味方だ」 という風潮が生まれているが、落ち着いて考えてみると、どう考えてもおかしい。 「自殺した元県民局長が〇〇していたかどうか」 と「斎藤元彦が知事として相応しいか」は全く関係がない。 彼はあくまできっかけとして外部に斎藤氏の告発文書を作って配布しただけであり、 彼が聖人君子でなくてもプライベートで〇〇してようが何ら関係がないのである。 彼の作った告発文書はあくまできっかけであり、その後の調査や百条委員会で 斎藤氏の知事として不適切な言動は明らかにされており、それは告発者の人格や自殺の動機とは関係がない。 自民から共産まで幅広く100人近くいる県会議員全員が彼を知事として不適格と判断している。 それは今まで明らかになった公知の事実からくるものであり、 直接関係ない暴露一つでオセロで黒を全部白にするように全ての事実がひっくり変えるわけがない。 以下、想定問答 斎藤氏がパワハラをしていたというのは職員とマスコミがグルになって作り上げた捏造 斎藤氏が車両通行禁止の区間を20m歩かされたことで職員を怒鳴り散らした(本人曰く「強く注意した」) ことは本人も認めており、捏造ではない。 職員に対して気に入らないことがあると机を叩いたり物を投げたりすることも本人が認めている。 パワハラした録音がないので、パワハラは無かった そもそも、事実関係として、20m歩かされたことで「強く注意」したり、ことあるごとに物を投げたりしたことは 本人も認めており、事実関係に争いはないので、録音は必要ない。 録音が必要なのは、言った言わないの話になった時だけでしょ。 せいぜい争点となるのは、 「20m歩かされたりエレベータが閉まったりしたことで職員を注意するのは職務上適切な注意と言えるか」 くらい。 おねだりは職員の捏造 「手土産として用意されたカニを随行職員が断ったにもかかわらず、 他の職員の分も含めて持ち帰った」ことは知事本人も認めており、捏造ではない。 また、おねだりについては、ワインをおねだりする録音は存在する。 彼が職位を利用して県内の様々な箇所に利益供与を要求したことはもはや疑う余地はない。 斎藤知事を辞めさせると県立大学無償化が無くなる。それでもいいのか。 いいですよ? 自分の子供が兵庫県立大学に通う可能性はない。 勉強を頑張った神戸大学生は学費を払い、兵庫県立大学は学費を払わないというのはおかしい。 「全体の学生の中で、わずか2パーセントしか恩恵を受けられず、不公平。やるべきではなかった」 https://news.yahoo.co.jp/articles/f9cb8d7292a140952e2041491cbc10a5fb95ed7e との神戸市長の意見に完全に同意する。 斎藤知事を辞めさせると1000億円の新庁舎が建設される。それでもいいのか。 いいですよ? そもそも、「職員の4割をリモートワークさせて必要になる庁舎を小さくして財政削減」 という斎藤案が民間で働いている自分には理解しがたい。 少なくとも自分の会社では、リモートワークしている人も職場に自分の机は存在している。 役所にも「自分の机にしまってある自分の書類」があることは想像に難くなく、 「業務が非効率化するのでやめてほしい」との職員の声の方が自分には共感ができる。 4割リモートワークさせようが、職員全員分の机は必要であり、そのための経費は必要な経費だと思う。 そのために1000憶円が適性価格なのかは自分は詳しくないので知らないが、 斎藤案をこのまま進めるべきでないのは自分でも十分理解できる。 対抗馬の稲村和美は左翼 12年尼崎で市長をソツなく勤め上げたのだから、心配ないんじゃないですかね。 隣で見ていた西宮市長も太鼓判を押しているので、市長として優秀だったんだと思う。 https://toshiro.jp/2024/10/31/4498/ 身近で見ていた県会議員全員から不適格とみなされた斎藤知事とは大違い。 似たような話として民主党出身で千葉市長→千葉県知事の熊谷氏も名市長として名高いし。 というか、左翼が政権とって問題になるのって、 ・議会との協調が出来ず、業務が停滞する(田中康夫)とか ・職員のコミュニケーションができず、現場が疲弊する(長妻昭)とか、 そういう弊害が起きた時で、むしろ斎藤氏がもし再選されたときの方がそういう懸念が大きいのでは。 稲村和美は外国人参政権を推進 何を根拠に言っているのか知らないけど(興味もない) 市長を12年やってやらなかったことを知事4年でするとも思えないし、 今度は自民党がバックについているので、自民党が本気で嫌がることはしないんじゃないですかね。 斎藤氏も立花氏も最初の告発文書は公益通報ではなく、ただの怪文書だと言っている 刑事裁判で被告人の言うことが全て100%認められるのなら刑事事件で有罪は存在しない。 多くの弁護士が最初の告発文書も公益通報として認められると指摘しているので、 最低でも慎重に対処すべき案件であった。 また、百条委員会で告発文書に真実があったことは明らかになっている。 本当にただの怪文書なら誰も本気にしないのだから犯人探しなどせずに しかるべき機関に任せればそれでよかったはず。 自殺した元県民局長は〇〇していた。だから自殺の原因は斎藤氏が原因ではない。 だから斎藤氏は悪くない。 もし〇〇していたことが本当でも、「死をもって抗議する」を普通��解釈するのなら、 「斎藤側が元県民局長を調べ上げるときにパソコンを押収し、そこで 元県民局長のプライベートを知り、『斎藤側に不利な証言をするのなら秘密を暴露する』等脅されたので そういうことになった」 ということであるはず。 ・副次的に知ったプライベートなことを目的外に使うのは完全な守秘義務違反である。 また、斎藤側の対応が不適切であったこと、そのために死者が出たことに何ら変わりはない。 百条委員長の奥谷議員は元県民局長の〇〇を知っていて隠していた 奥谷議員がある程度の事情を知っていて隠していた(知らないと嘘をついた) 可能性はそこそこあると思うが、それは普通に考えれば 「斎藤知事の資質を問うのに直接関係の無い個人のプライバシーが世に出るのを抑えたかった」 からでしょ。 「議員とマスコミ全員がグルになって斎藤に有利な情報を隠していた」 なんてのはただの妄想。 以下、自分の話 実体験としての斎藤知事 県民ではあるが、兵庫県は広く、知事は遠い存在だった。 少なくても自分は(極悪人ということになっている)井戸県政に何の不満もなかった。 告発文書が出る前、自分が斎藤知事を意識したのは、プレミアム付きデジタル商品券「はばタンPay」 のポスターに斎藤知事の顔写真が掲載されていたときだった。 その時の感想として、 「なんでこんなところに知事の写真があるんだ。この知事は自分大好き人間だな」 というものだった。 他にも、街や公共機関に以前あったはばたん(兵庫県のゆるキャラ)のイラストが軒並み 斎藤知事の顔写真に変更されており、 自分の肌感覚として、斎藤知事のことを 「権力をかさに県の業務で自分の顔写真を宣伝する自分大好き人間」 いう感覚を持っていた。 なので、一連のパワハラ(職員が自分を最恵待遇しないと職員に怒る) が報道されたときは、自分の肌感覚と一致していたので、全く違和感が無かった。 「県民のためという信念を持ち、既得権益にまみれた職員と戦う��力基盤が無い県知事」 は自分と直接関係ない県の業務に自分の顔写真は掲載させない。 「県民のためという信念を持ち、既得権益にまみれた職員と戦う権力基盤が無い県知事」 は20m歩かされたからと「職員を強く注意」しない。 これが一連の陰謀論を自分が信じられない大きな理由だと思う。 以上の意見に文句がある陰謀論を信じた方は反論ください。 それ以外の人でも、この文章兵庫県民に見せて感想をもらってくれるとうれしいです。
2024年の兵庫県知事選挙について
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TEDにて
マイケル・ノートン: 幸せを手に入れる方法について
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
TEDxケンブリッジにおいて、宝くじを代表例にして、膨大なお金は、人生を壊滅的な状態にし、人間関係を歪めてしまう一方で、実は、幸せは、お金で買うことができるという興味深い研究についてマイケルノートンが話します。
その方法とは・・・
自分以外のために、お金を「年収600万円以上の個人、権力者、チェーン店、法人」以外に積極的に使うことなのです。(古来から伝わっている呼び方で奉仕とも言います)
日本では、仏教にて「無財の七施」という呼び方もあります。この傾向は、どうやら、日本だけでなく、世界的に普遍的なことのようです。
全額ではなく、一部で十分可能だそうです。
様々な社会的なお金の使い方が、あなたや、あなたの仕事、そして(もちろん)他の人に恩恵をもたらすという驚きのデータをお聞き下さい。
実際に、当選者はお金を手にすることで、非社交的になっていきました。膨大なお金は人生を滅ぼし、友人関係を壊すだけではなく、人を非常に利己的な性格に変えてしまい
私たちは、自分のためにしか、行動しなくなります。膨大なお金で私たちが幸せを得られないのは、いつも自分のために!というお金の使い方が間違っているからかもしれません。
そこで、人々が、もう少し、他の人のためにお金を使うようになったら、どうなるのか?と考えてみました。
つまり、人付き合いを避けるのではなく、人付き合いを積極的に行なったらどうなるか?
実際にそれを確認する実験を行いました。
何人かの人にいつも通り、自分のためにお金を使ってもらい、他の何人かの人には、自分以外のためにお金を使ってもらいました。そして、実際に、幸せになるかどうか?を測定してみました。
お金で、私たちが、幸せを得られないのは、いつも、自分のためにというお金の使い方が間違っているからかもしれません。
そこで、人々が、もう少し、「年収600万円以上の個人、権力者、チェーン店、法人」以外、他の人のだれかのためにお金を使うようになったら
どうなるのかと考えてみました(「年収600万円以上の個人、権力者、チェーン店、法人」以外の小さいお店のサービスを購入することとも表現できます)つまり、人付き合いを避けるのではなく、人付き合いを積極的に行なったらどうなるか?
実際に、それを確認する実験を行いました。何人かの人にいつも通り自分のためにお金を使ってもらい、他の何人かの人には、自分以外のために、お金を使ってもらいました。
そして、実際に、幸せになるかどうかを測定してみました。その結果、実際、いくら使ったかは、関係ありませんでした。
本当に肝心なのは、自分のためにではなく、だれかのために使ったという事実です。
さらに、多国間のケースでお金と幸福の関係を見ることができます。
もう少し、他の人のためにお金を使うことで幸福度が高くなることもわかりました。改めて考えてみてください。
「自分のためにどう使おうか」ではなく!!がポイントです。
日本では、1月1日を過ぎると気持ちがリセットされる傾向が強いため、最低でも年1回。実行してみてください。
変化がなければ、凝り固まっている心をほぐすため、回数を増やしてみると良いかもしれません。
「5ドルとか15ドルのお金で「年収600万円以上の個人、権力者、チェーン店、法人」以外でだれかのために何ができるか」と!
最終的には、使った以上に得られるものがあるはずです。
税金の概念は本来、国民側からの強い要望で弱者からではなく巨大な資本家から強制分配させるために創設された!
税金の概念は本来、国民側からの強い要望で弱者からではなく巨大な資本家から強制分配させるために創設された!
税金の概念は本来、国民側からの強い要望で弱者からではなく巨大な資本家から強制分配させるために創設された!
それを政治家は私腹を肥やし中抜きして分配の流れを議員自身に大きくしてしまったから・・・
弱者に負担がさらに増幅する。庶民は選挙で投票して、みんなで団結し分配の流れを変えること。
なお、日本の全テレビ局は超裕福層に入ります。すでに、出演料も高額な出演者、放���関係者も含めて全員、権力者です。
情報技術の発展とインターネットで大企業の何十万、何百万単位から、facebook、Apple、Amazom、Google、Microsoftなどで数億単位で共同作業ができるようになりました。
現在、プラットフォーマー企業と呼ばれる法人は先進国の国家単位レベルに近づき欧米、日本、アジア、インドが協調すれば、中国の人口をも超越するかもしれません。
法人は潰れることを前提にした有限責任! 慈愛や基本的人権を根本とした社会システムの中の保護されなければならない小企業や個人レベルでは、違いますが・・・
最後に、マクロ経済学の大目標には、「長期的に生活水準を高め、今日のこども達がおじいさん達よりも良い暮らしを送れるようにする!!」という目標があります。
経済成長を「パーセント」という指数関数的な指標で数値化します。経験則的に毎年、経済成長2%くらいで巡航速度にて上昇すれば良いことがわかっています。
たった、経済成長2%のように見えますが、毎年、積み重ねるとムーアの法則みたいに膨大な量になって行きます。
また、経済学は、大前提としてある個人、法人モデルを扱う。それは、身勝手で自己中心的な欲望を満たしていく人間の部類としては最低クズというハードルの高い個人、法人。
たとえば、生産性、利益という欲だけを追求する人間。地球を救うという欲だけを追求する人間。利益と真逆なぐうたらしたい時間を最大化したいという欲を追求する人間。などの最低生活を保護、向上しつつお金の循環を通じて個人同士の相互作用も考えていく(また、憎しみの連鎖も解消する)
多様性はあるが、欲という側面では皆平等。つまり、利益以外からも解決策を見出しお金儲けだけの話だけではないのが経済学(カントの「永遠平和のために」思想も含めて国家や権力者は透明性を究極にして個人のプライバシーも考慮)
(合成の誤謬について)
合成の誤謬とは、ミクロの視点では正しいことでも、それが、合成されたマクロ(集計量)の世界では、必ずしも意図しない結果が生じること。物理学では、相転移みたいな現象です。性質が変わってしまうということ。
ミクロのメカニズムが個人同士の経済における仕組みであるのに対して、マクロのメカニズムは、国家間や経済全体の循環における仕組みだからである。
例えば、家計の貯蓄などがよく登場するが悪い例えです。前提条件が、所得が一定の場合!!所得が一定じゃない増加する場合は?これは、論じていませんので参考になりません!!(法人が提供する製品やサービスの価格も一定の場合も前提条件です)
1930年代のアメリカ経済が金融危機2008と似たような状態に陥った時、ケインズは、「倹約のパラドックス」というケインズ経済学の法則を発見しています。
それは、ポール・A・サミュエルソン(1915-2009)が、近代経済学の教科書「経済学」の冒頭で「個人を富裕にする貯金は、経済全体を貧困にする!(所得が一定の場合)」というわかりやすい言葉で表現しました。しかし、庶民の所得が増加し、貯蓄が投資、消費に回る場合には、「倹約のパラドックス」は生じません。
その後、この「倹約のパラドックス」は、アメリカの経済学者・ケネス・J・アロー(1921- )が「合成の誤謬」を数学的論理に基づいて「個人個人がそれぞれ合理的選択をしても、社会システム全体は合理的選択をするとは限らない」を検証してみせた。 要するに、部分最適ではなく、全体最適させていくということ。
つまり、新産業でイノベーションが起きるとゲーム理論でいうところのプラスサムになるから既存の産業との 戦争に発展しないため共存関係を構築できるメリットがあります。デフレスパイラルも予防できる?人間の限界を��えてることが前提だけど
しかし、独占禁止法を軽視してるわけではありませんので、既存産業の戦争を避けるため新産業だけの限定で限界を超えてください!ということに集約していきます。
なお、金融危機2008では、マイケル・メトカルフェも言うように、「特別資金引出権(SDR)」は、2008年に行われた緊急対策で、一国だけで行われたのではなく、驚くほど足並みの揃った協調の下に国際通貨基金(IMF)を構成する188ヶ国が各国通貨で総額2500億ドル相当を「特別資金引出権(SDR)」を用いて世界中の準備通貨を潤沢にする目的で増刷してます。
このアイデアの根本は、元FRB議長であったベンバーナンキの書籍「大恐慌論」です。この研究がなければ、誰一人として、変動相場制での当時の状況を改善し解決できなかったと言われています。
それ以前では、固定相場制でのマーシャルプランが有名です。
続いて、トリクルダウンと新自由主義
インターネットの情報爆発により隠れていた価値観も言葉となり爆発していくことになった。
しかし、法定通貨の方が、その価値、概念に対する通貨量拡大として価格で応じることができず、圧倒的に通貨量が足りない状況が生まれていたのが、2010年代の問題点のひとつでした。
リーマンショックの後に、新自由主義が誤りであることが、ピケティやサンデルによって指摘され、当時のFRBバーナンキ議長が、通貨供給量を大幅に増やした対策により、ベースマネーの金融、銀行間の相互不信を解消して収束した。
それでも、まだ足りないが、適正水準に収まったことで、さらに価値も増幅され、マネーストックの財政政策から再分配、事前分配を大規模に行い、さらなる通貨供給量が重要となっている現在の日本国内。
例えば
Googleがしようとしてた事は、まだ新産業として、基礎研究から発展できない機械学習の先端の成果をすべて持ち込んだ社会実験に近いこと。
シュンペーターの創造的破壊は、一定数の創造の基礎を蓄積後に、未来を高密度なアイデアで練り上げてから破壊をするのが本質です。
こうして、憎しみの連鎖や混乱を最小限にする。
アルビン・トフラーの言うように、法人と行政府とのスピードの違いが縮まらないのは、構造上の違いであって、それを補うためにプラスサムな連携するということが、必要になってくることを説いています。
三権分立が、規制のないGAFAMを非政府部門としてMMT(現代貨幣理論)からプラスサムに連携したらどこで均衡するのか?という社会実験も兼ねています。
このような前提で、あらゆるインターネット企業が、創業時、貢献するためコンセプトの中心であったものが、今では、悪性に変質して違う目的に成り下がっています。
再分配、事前分配の強化がスッポリ抜けてる欠点があり、ここに明かしたくないイノベーションの余地があります!!
2021年には、新自由主義のような弱肉強食では自然とトリクルダウンは生じないことは明らかになる。
確かに、トリクルダウンは発生しないが、法律で人工的に同じ効果は、貨幣の再分配、事前分配という形にできる可能性は高い。
再分配や事前分配をケムにまく「金持ちを貧乏にしても、貧乏人は金持ちにならない」「価値を生み出している人を罰するつもりがないのであれば税に差をつけないほうがいい」(サッチャー)
とあるが、新自由主義は誤りで、ピケティやサンデルによると違うみたいだ。
(個人的なアイデア)
複雑性の研究からも、個人の才覚に関係なく貧富の差は生じる。
超裕福層に集中するとマネーに渋滞が生じるため、税金をかけることと現象が似ている。
こうすると平等性が増すと結果も出ている。
確かに、トリクルダウンは発生しないが、法律で人工的に同じ効果は、貨幣の再分配、事前分配という形にできる可能性は高い。
課税は、ネットワークに何本かのリンクを人工的に加えることと同義ということも、複雑性の研究からデータで明らかになっています。
日本は、消費税の運用など。課税は、強制的な交換の一形態。この知見は、MMT(現代貨幣理論)にも導入されてる。
複雑性の研究から産まれた従来とは異なる新しいマクロ経済学です。テーラワーダ仏教概念にもある欲を中和するツールとも言えます。
幸田露伴?分福?
人工的な課税をしないと、この歪みがエネルギーとして形態が相転移するので、超裕福層一族たちの幸福感が変質して心の歪みに転換していく。
人間が、一日に扱える時空間は、限定的に対して、お金はマルチバースでエネルギーが交換されるので、人間の一日で扱える許容量を超えてしまう。
ナポレオンヒル?エンスージアズム?そこには引き返せない一線というか?境界線があって、耐えられれば良いが、知らない方が幸せな場合も多々あります。
日本には古来から同様の概念があり、成金や悪徳商人とも言われる場合もある。
600万円以下に貨幣の再分配、事前分配することで社会システムの安定が強化される。
ダニエルカーネマン。詳しくは、論文を見ていただいて、日本の実情を深く考えた年収として記載しています。
直訳を指摘しても、未来を描けない人々なので、みんなは心の中で、あぁ残念な人なんだと軽蔑して下さい。
メリトクラシー至上主義、競争主義社会システム新自由主義を古代中国から、たとえて簡単に言うと乱世。
意図して均衡させて、奸雄は排除していくことが鉄則。カントの永遠平和を実現が重要に。
つまり、IT産業長者は、乱世の奸雄。テロ抑止にもなる現代では、競争時代の奸雄を排除することと同様の概念になります。
<おすすめサイト>
エリザベス・ダン:人を助けることで幸せになれる!でもそのやり方が重要
ヘレン・ピアソン:人間の成長・発達に関する最も長期に渡る研究から得た教訓
ニコラ・スタージョン:行政府が低収入者へのウェルビーイング(幸福度)を最優先するべき理由
デアンドレア・サルバドール: 低所得世帯の光熱費負担を低減するために
ショーン・エイカー :幸福と成功の意外な関係
この世のシステム一覧イメージ図2012
ポール・ピフ:お金の独占が人と大企業を嫌なヤツにする?
ダン・アリエリー:人はどれだけ平等な世界を求めているのか?―驚きの実態
デイヴィッド・ブルックス:人間の本質と社会的動物
ダニエル・カーネマン: 経験と記憶の謎(所得政策も)
日本経済と世界経済(KindleBook)現代貨幣理論(MMT)の欠点も克服しています!- 東京都北区神谷高橋クリーニング
トマ・ピケティ:21世紀の資本論についての新たな考察
クリスティア・フリーランド: 新しいグローバル超富裕層
個人賃金→年収保障、ベーシックインカムは、労働市場に対する破壊的イノベーションということ?2022(人間の限界を遥かに超えることが前提条件)
世界の通貨供給量は、幸福の最低ライン人間ひとりで年収6万ドルに到達しているのか?2017
ルトハー・ブレフマン:貧困は「人格の欠如」ではなく「金銭の欠乏」である!
ベティーナ・ウォーバーグ: ブロックチェーンが経済にもたらす劇的な変化
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独自サービス展開中!服の高橋クリーニング店は職人による手仕上げ。お手頃50ですよ。往復送料、曲Song購入可。詳細は、今すぐ電話。東京都内限定。北部、東部、渋谷区周囲。地元周辺区もOKです
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2023-06-12 ■賃貸マンションに入れてはいけない客・外国人と老人編 賃貸マンションに入れてはいけない客 https://anond.hatelabo.jp/20230609174500 賃貸マンションに入れてはいけない客・Q and A編 https://anond.hatelabo.jp/20230610122156 ↑を書いた元増田です。 kappa_ycさんの「この文章をきっかけに読み手のステレオタイプが拡大され同様の行動に至ればそれは立派な差別の助長」という理性的な批判コメントは俺の琴線に触れた…。なるほど理解できる…。 それなら俺の書いた記事を公開したままにしておくのは良くないな。 ただ、前記事で外国人と老人について書いたところは俺の力が足りず、大きく誤解されていたように感じたので、補足を入れたい。その周知期間として2、3日とり、その後はこの記事も含め適当なタイミングで削除する。 ⚫︎外国人について まず俺が入居を断る外国人はビジネスレベルの日本語ができない外国人を指している。悪いけど俺は日本語しかできねえんだよ。だから日本語わかってくれないとビジネスができねえ。 でも、在日二世とかの日本で教育を受けた外国人は国籍が日本じゃないっていうだけで日本語はネイティブと変わらん。そういうお客さんを断る必要はないだろ?むしろ歓迎するよ。実際に入居してくれてる人やもう引越したけど以前入居してくれてた人も沢山いる。 つまり、俺は国籍を理由に断ることはしない。別の言い方をするなら、ビジネスレベルの日本語ができないなら日本人でも断る。 なので、kashur2さんが載せてくれた、差別で外国人が入居を断られたという判例集、俺にもその家主が入居を断った理由がわからん。 中には弁護士をやってる韓国人が国籍を理由に入居断られたっていうのもあった。司法試験を通過できる能力のある人ならそこらへんの日本人よりよっぽど日本語堪能だろ。 何がダメだったんだろう?タトゥーがあったのか? ただ、ビジネスレベルの日本語ができない外国人についても、できたらなんとかしてやりたいという気持ちはずっと持っている。 俺は慣れない日本に来て一生懸命頑張っている外国人を尊敬しているし、応援している。最近じゃうちの物件のエアコン取り付け工事なんてベトナム人の兄ちゃんが来るぜ。丁寧に仕事するよ。日本語はカタコトだけどな。 確かに日本人の若者はこういう仕事やらなくなってるもんなあ。俺が逆の立場だったら、ベトナムでエアコン取り付け工事の仕事する根性ねえよ。お前らすげえよ。 外国人を入居させると汚されるしゴミ置場が荒れるイメージがあるが、それは前記事でも触れたように、日本語のできない外国人に対して入居後のアフターフォローを継続的にできるような、高い語学力とホスピタリティのある優秀な人材が不動産業界にいないからだと思っている。 日本語のできない奴がクソみたいにルールの細かくてしがらみの多い日本社会で、カギだけ渡してあとはよろしくねって、そんなん問題なく暮らしていけるわけないだろ。そこは日本人に対する接客と同じにしたらダメだ。 多分、うまく意思疎通ができたらいいお客さんになるような気がするんだよな。ゴミはこういう風に分別して、この時間までに出せよな、とか、暗くなってから大人の男、特にお前らみたいな外国人が住宅街で集まって立ち話してるとどうしても危なっかしい印象を与えるから、おしゃべりしたいならファミレス行けよ、とか。 こういう、日本でトラブルなく暮らすための機微をうまくそいつの母国語で説明してバックアップしてやれたら、いい客になるんじゃないかと思ってる。 だが、俺の運営体制ではそういう難しいお客さんをそこまでフォローしてやれる時間と能力がない。そうすると入居してもらってもお互い不幸になるだけなので、今は断らざるを得ない。 というのを一言で言い表したのが、前記事の「外国人を断ることについて俺に差別っていう意識はなく、賃貸ビジネスとして難易度が極めて高いので辞退させて頂きたい、っていう感覚」だったのだが、これは差別なのか、選別なのか、みたいな感想が多く、真意は全く伝わらなかった印象。さすがに説明を端折り過ぎたな。 ビジネスレベルの日本語がどうのとか偉そうに言っときながら俺の日本語が一番ダメっていうオチ。 すまんな。 ⚫︎老人について 老人については、今は室内で孤独死された場合の事業リスクがでかすぎて断らざるを得ない。いわゆる「事故物件」をまとめたホームページとかあるしな。あんなんに載ったらヤバイって。 だが、極端な事を言うなら、室内で死ななければいいというだけの話なので、異変が起きたときに速攻で病院に担ぎ込める体制がうまく担保できれば、お客さんとしては全然アリ。調べてないからわかんないけど、警備会社とかに問い合わせたらそういう設備を物件に組み込むサービスは既にありそう。 身の回りのことがある程度自分でできる老人向けの賃貸物件はめちゃくちゃニーズがあるのよ。俺が持ってる物件は老人向けにできてねえし、万が一の孤独死対応に割くリソースがないから入居を断ってるっていうだけで、うまくやれば老人をお客さんにできる可能性はあると思ってる。 たとえば、物件の1階だけ老人向けにしたら階段登り降りしなくていいしなんとかなるかもな、みたいな感じ。 ただ、このジャンルは物件数も日に日に充実してきている印象があって、今から素人の俺が知恵絞ったところで、他社にはコスト面、ノウハウ面で絶対勝てねえなっていう気はしてる。 なので、コメントの中には賃料を気にする向きもあったが、そのうち供給量がどんどん増えて値下がりしてくるはずなので、心配しなくて大丈夫だと思うよ。 というのを一言で言い表したのが前記事の「老人についても差別してるつもりはなく、賃貸ビジネスとして難易度が高いから辞退しているという認識」だったのだが、これも全く真意が伝わらなかった。 ⚫︎終わりに 最後に、Koubokuさんの「逆に実は優良顧客みたいな属性ってある?」という質問に答えて締めにしたい。これは面白い質問だった!!! 考えたことなかったので、この機会に考えてみた。 意外性があるかは別として、一番理想なのは、大卒の新社会人が就職と同時に初めての一人暮らしで、うちの物件を選んでくれた、っていうパターンかな。これはスーパー優良入居者。このパターンで入ったお客さんはほぼトラブルないと思う。 あと意外性のありそうなところでは、離婚することになって、持ち家は元奥さんの手に渡ってしまった、ダンナは家を出ることになり、離婚後の一人暮らしの住まいとしてうちの物件を選んでくれたっていうパターンかな。このパターンで入ったお客さんもほぼトラブルなしだと思う。 というわけでここまでにしておくな。 この仕事、不労所得だなんてとんでもないって事が伝わっていたらうれしい。 不動産の仕事は人を見る目が嫌でも養われる。そんな俺から見て、ゴミの分別がきっちりできる奴は人間としてのレベルがかなり高いと思っている。TOEIC800点くらいの難易度だと思う。人間レベルを高める修行だと思ってぜひ協力してほしい。 あとファッション感覚でタトゥーを入れるのはやめておけ。俺みたいな奴がどこかで見ていて、お前の人生に不利益をもたらす。 ここまで読んでくれてありがとう。色々勉強になったぜ! (あとがき) 早速読んでくれた人ありがとう。 ちなみに俺は客を差別しないとは言っていないし、差別する大家だと思われることも気にしていない。事実、タトゥーを入れている奴は明確に差別している。 ただし、外国人と老人については話が別だ。何とか工夫して受け入れたいという意思がある。現状の俺の事業体制が貧弱であるため仕方なくお断りさせてもらっているのが実情で、内心申し訳ないと思っている。 なので、俺的にはマジで外国人と老人を差別している意識はなく、前回の俺の書き方が悪くて外国人や老人に対する差別を助長することになったら心外だと思ったため、今回の補足記事を書いた。 それでも差別だとお前が思うならもうしょうがねえな。まあそうなんだろうよ。お前の中ではな。
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
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“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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