#演奏後記
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ヒロオガワの秋の新譜「African Suite」ですが、そのタイトル曲、初演の頃の写真です(同窓生との集合写真) 今回収録された、African Suite 1~3の制作・誕生秘話を語ります アフリカ組曲の3曲は、高校時代(17歳)のPiano Improvisationが、元になっています。1980年頃にカセットテープに録音していた、膨大な演奏記録から、「これは!」と思える楽曲を聴き返し、耳コピ、一部スコア化などして、1988年~1990年にかけて、再現録音しました(完全なコピーではありません)。この3曲は、当時、ライブでも良く演奏していたのですが、その記録は残っていなくて少し残念です。その後、パーカスやベース、SEなどを加えて、今の形になったのが1994年頃。そして今回、さらに30年の時を経て、新録音、新編集で、披露することになりました。17歳という「若さ」がフレーズのあちこちに出ていますが、それがまたフレッシュな感覚で、愛おしくさえあります。
Hiro Ogawa's new autumn album "African Suite", the title song, and a photo of the premiere (group photo with alumni) Here is the story behind the creation and birth of African Suite 1-3 The three pieces of African Suite are based on Piano Improvisation from his high school days (17 years old). From the vast amount of performance records recorded on cassette tapes around 1980, he listened back to the pieces that he thought were great, copied them by ear, and made some scores, and recorded them again and again from 1988 to 1990 (not a perfect copy). These three pieces were often performed live at the time, but it is a little disappointing that the records do not remain. After that, percussion, bass, SE, etc. were added, and the current form was formed around 1994. And now, after another 30 years, it is time to present them with new recordings and new edits. The youth of the 17-year-old is apparent in many of the phrases, which gives it a fresh feeling, and is even endearing.
FBページの同内容の記事
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ISEKAI - Anime & Video Game Muse
Out NOW!
My album just dropped!! 🎮 無事世に出ました🥹💿

■ CD/DVD
https://www.sarahalainn.net/discography
■ Digital

フラゲ日がデビュー作品「ゼノブレイド 」15周年記念と重なり、
平日の雨にも関わらず、いらして下さり、
一緒に大切な記念日を共にできて感無量🥹
あまりミニでないライブw
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私は「ゼノブレイド 」をレコ発直前までプレイ🎮
後もうちょいでラスボス!
未来は自分達で変えられる
だから、一緒により「いい世界」を築いて行こう
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生きてるだけで十分頑張ってるから
ISEKAIへ逃げて、「いい世界」を築こう
ライブも生で観��頂けたら幸せです
今月のライブ��報

日本とご縁がある作品集ということで、
今回のサラスタイルは👘
6.22東京で最後のレコ発のサラスタイルは…ご想像にお任せします^ ^
レコ発ミニライブ&特典会
✨入場無料!✨
■ 6月22日(日)新宿マルイ メン 8F イベントスペース
1stステージ13:00~/2ndステージ15:30~

#ゼノブレイド#約ネバ#MOTHER#ガンダム#モンハン#推しの子#サガエメ#クロノクロス#タイムトラベラーズ#銀河鉄道999#百英雄伝#Xenoblade#tpn#Earthbound#Gundam#oshinoko#monsterhunter#SaGa#ChronoCross#timetravelers#GalaxyExpress999#EiyudenChronicle#sarahalainn#multiinstrumentalist#サラオレイン#sarah àlainn#サラ・オレイン#サラスタイル#Youtube
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続続・デート記録 0502 無事2度目の採卵を終えて現金で謝礼金を受け取る。なんで現金…闇バイト感がすごい。 帰宅後、生理痛よりさらに重い鈍痛に耐えていると哲学博士がごはんつくりに来てくれた。親子丼と冷ややっこを大きなテーブルで食べて、人と暮らすのって悪くないのかも、と去年高橋君が家に転がり込んできた時と同じ感想を持った。 0503 喜劇研究会の大学二年生の後輩と雨の中出町柳でデートした(〇〇君とデートしたいな~♡とふざけて名指しでツイートしたらDMが来た、夢のようななりゆき)。 喫茶ゴゴでモーニングしたあと出町座で映画観て、叡山電車にのって貴船神社参拝。やっぱりお笑いサークルの人はごりごりに笑わせてくれてすごい、超満足。 人生で一番歳離れた人とのデートかもしれない。いまの1年生、早生まれだと干支同じらしくてウケる。 0505 神戸-東京間で仕事上二拠点生活をしている人と心斎橋でランチ。一周遊び終えた感じのしゃらくさい、一歳上のコンサルだった。ディスカッションでヒートアップしたけどそういう人には色気を感じないもんだなと思う。寝ないように気をつけよう、ならよくあるんだけど、寝たいと少しも思えなくてわれながら不思議だった。 夜中に「結局真剣な相手は求めてないんだよね? どういう関係がほしいの?」とLINEが来ていて、あー最初に目標設定しないと異性と関われない感じ? つまんないなあ、と思った。けれど明らかに自分より頭が回る人だったので、そう思うことでほっとしてもいることにも気づいていた。デートは戦いじゃないのに。 0507 哲学博士が車出してくれたので清水五条でランチ。デザートにスコーンとたいやきもつけた。 一歳しか変わらないとはいえあくまでも学生だしそのうえバンドマン、長髪、ピアス、喫煙者なので(ひも願望とかあんのかも!)と邪推していたのだがお手洗い行っているうちに勘定もたれてしまった。見た目のわりに硬派な人。なんというかカップルじゃなくてアベックって感じの交際になりそうだなと思いながら付き合い始めた。 わたしの本拠地はあくまでも東京なのだが彼がどれくらいそれをわかってくれているのかわからない。吉田寮を一瞬出て一人暮らしするも半年で舞い戻るくらいには寂しがり屋っぽい。 暇な人と付き合いたいなあと思ってたからちょうどいいのかも。今年博士出そうにないし、吉田寮も気に入ったし、わたしは元々貧乏くさいデートが好きだし(登山、野宿、ドライブ、不法侵入など)、うん、ずっと学生でいてほしいかも。 0509 高橋君が京都に来たので、雨が降りしきるなか一緒に自転車で写真の展示を見て回った。誰かと自転車で並行して町走るの、意外と1年ぶりとかだった。写真と企画への文句を言うのをにやつきながら聞き流す。文句ってその人の賢さが出るから、いいよね。 夜はおかるでカレーうどん食べて、2軒目は村屋という居酒屋でちびちび日本酒を飲んだ。京大生の友達の家に泊まるというのを見送って帰宅。

0510 東山の京セラ美術館でもういちど高橋君と集合。今度こそ晴天、暑すぎずちょうどいい季節。 ハンバーガーショップでランチ食べて、17時まで展示回って高瀬川で休憩して、次会う約束は特にないまま「またね」と別れた。 恋人がドラマーとしてライブに出ていたので吉田寮に行く。演奏中4回くらい目が合って恥ずかしかった。文句なしにいろっぽくてかっこよかった。好��た男の表舞台を見に行く、というのはもしかしたら大学生以来かもしれない。 元彼とゆいとKICHIRIで21時に集まって0時までだべった。元彼に「やってること大学生すぎるけど、マーケットが拡がってよかったじゃん」と失礼なコメントをされた。 0512 末広食堂という600円で定食を出している、いかにも学部生が来そうな食堂に恋人と行った。店前でハグして、14時に新幹線に乗る。
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Chuck Mangione - Feels So Good (Nana's Journey Into Song, March 8th, 1979)
車のカギを無くしたと思って落ち込んでいたら、先程ズボンの中から見つかってほっとした。
無くしたら1個5~6万円かかるから死ぬほど焦ったけど、無事見つかったのでFeels so good。
(確かにFeels So Goodだ)
ということで、米国のフリューゲル・ホルンプレイヤー、チャック・マンジョーネが演奏するのは彼の大ヒット曲「フィール・ソー・グッド」。
当時のレコーディング・オリジナルメンバーの貴重動画。
(英国BBCのアーカイブに良くこんなに綺麗な映像が残ってたね!)
Aiレストアかもしれない。
バークリー、ジュリアード音楽院、カーティス音楽学校と並ぶ米国有名音楽学校のイーストマン音楽学校出身のチャック・マンジョーネ。
同校の卒業生には有名ジャズドラマーのスティーブ・ガッドやベーシストのロン・カーター、作家のニコルソン・ベイカー等 がいます。
米国では音楽学校や音楽院と呼ばれる学校は日本の専修学校や専門学校とは違い、学部や修士・博士課程を持つ音楽大学の事なので注意が必要です。
正式名称はロチェスター大学イーストマン音楽学校。
コダックの創始者で慈善家のジョージ・イーストマンが設立した音楽大学です。
卒業後はアート・ブレイキーのジャズ・メッセンジャーズに加入。
(エリートじゃん!)
チャック・マンジョーネのアルバム「Feel So Good」は1978年のビルボードアルバムチャート2位を記録。
ちなみにこの年の1位アルバムは「サタデー・ナイト・フィーバー」のサウンドトラックでした。
アダルトコンテンポラリーチャートではフュージョン・ジャズでは異例の首位を獲得。
1976年から1980年にかけてグラミー賞の最優秀インストゥルメンタル作曲賞を受賞。その他、最優秀レコード賞、最優秀ポップ・インストゥルメンタル・パフォーマンス部門では3度の受賞を誇る米国を代表する名ジャズ・プレーヤーのひとりです。
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秋旅2024 - リゾートビューふるさと + 富山市内旅
秋は旅に限るよね、どこへ行こうか?そうだ富山いこう!
はじめに
どこかへ旅行したい気分、でもちゃんと考えて計画するのはめんどくさい気分。そういう時は一度行ったことのある場所の再訪が楽ちん。ということで今回は、2年ぶりに2回目の「リゾートビューふるさと」へ乗りに長野へ、そのまま終点の南小谷まで進んだ後、大糸線 糸魚川、えちごトキめき鉄道線・あいの風とやま鉄道線を乗り継ぎ富山まで行ってみました。いつも素敵なお写真が並ぶケイスケさんのブログでちょうど紹介されていた富山駅周辺にも惹かれたため。
リゾートビューふるさと 信越線・篠ノ井線・大糸線経由 長野→南小谷
リゾートビューふるさとの紹介は前回訪問時に記載しているので詳細は割愛。簡単にいうと土日を中心に運行されるリゾート快速で、長野から姨捨、松本、穂高を経て、緑(JR東日本)と青(JR西日本)の境界駅である南小谷に至るというもの。途中の姨捨と穂高では30分ほど停車し途中下車が楽しめるというもの。前回はまだ某疫病が終息しきっていないこともあり、神社参拝時の案内や車内での民謡演奏等、一部サービスは割愛されていましたが、今回はそれらも再開されていた点が大きな違いかな(あとは、指定券が300円くらい値上がりしたのと。。。)。あまり変わり映えしませんが、写真も何枚か。

1枚目、朝一は立ち蕎麦で朝ごはん。長野駅には立ち蕎麦屋が何軒かありますが、今回はそのうち改札外 東口の榑木川にて、山菜キノコ蕎麦をいただきました。ひんやりした朝に温かい蕎麦は染みる。

2枚目、穂高駅にリゾートビューふるさとに使用されるHB-E300のお顔。よい面構えですね。


3枚目、車窓から楽しめる仁科三湖。訪れた日はお天気が微妙で。。。アルプスの山々は全然見えませんでしたが、仁科三湖(青木湖・中綱湖・木崎湖)は綺麗にみえました、山々の紅葉と合わせて一枚(これが何湖だったかは覚えていません。。。)。
4枚目、終点 南小谷駅周辺にて乗り換え待ち30分で散策。事前情報として認識はしていましたが、川の様子を見に行く以外は特にすることがないですねぇ、天気が良ければ遠くの山々の景色も楽しめるのかもしれませんが、あいにくの曇り空。
大糸線 南小谷→糸魚川
大糸線はこの先 JR西日本管轄の非電化エリア。輸送密度も小さく1両のディーゼル列車とローカル線の香り。列車は姫川に沿って右へ左へゆらゆらと、眠たくなりますね。


1枚目、車窓から1枚。ガラスの反射と揺れに悩まされながらなんとか撮れたもの。ずっと川沿いを走るため大体景色はこんな感じ。
2枚目、終点 糸魚川にて1時間ほどの待ち時間。隣接するヒスイ王国館内のカフェでおやつタイム、わらび餅セット。上品なわらび餅とたっぷりの温かいお茶でほっと一息。ずっと座って列車にのっていただけでも疲れるものですね。


3枚目、4枚目、ここまで運んでくれた列車と駅舎からの夕焼け。近年開業した新幹線の駅舎って大体同じような構造(既存の地上駅の横に背の高い新幹線駅舎を作って橋上駅舎で無理やりつなぐ形)に見え、この光景もやや見慣れたものに。
えちごトキめき鉄道 日本海ひすいライン・あいの風とやま鉄道線 糸魚川→泊→富山
ここから日本海沿いを進み富山へ。えちごトキめき鉄道とあいの風とやま鉄道の境界 市振の2つ先 泊にてえちごトキめき鉄道の車両からあいの風とやま鉄道の車両へ乗り換え。同一ホーム上に縦列駐車する2つ列車間の乗り換えという面白い体験。よく考えるとここからがこの旅の在来線で初の電車でしたね(リゾートビューふるさとはハイブリット気動車、大糸線・日本海ひすいラインはどちらも気動車)。JR西日本の近郊形車両ベースの車両は内装や音含め、何だか東海道本線の米原から先、琵琶湖線を走っている気分。

日中であれば日本海の景色を楽しめるのかもしれませんが、時はすでに夜。真っ暗で何も見えませんでしたので、糸魚川駅での待ち時間に撮影したえちごトキめき鉄道の観光急行を。何やら撮り鉄っぽい方が何名かいらっしゃるなと思っていたら、こちらがお目当てのようでした。貴重な国鉄形の気動車は重厚感が違いますね。
富山城ライトアップ
富山駅には夜の到着。そのままホテルに直行したい気分でもあったのですが、富山城がライトアップしているとのことで重い腰をあげ。歩いても行ける距離ですが折角ならと市電に乗車。富山市内は市電が充実、かつ高頻度で運転されていて便利でした。富山駅の乗り場案内もわかりやすく好印象。


訪れたときは世界糖尿病デーということでブルーにライトアップされていました。明りにいざなわれ城内へ、ゲームだったらこの後 ボスが出現しそうですね。。。
富岩運河環水公園
2日目は運河沿いに設けられた富山市民の憩いの公園。紅葉はじめのシーズンということもあり、紅葉と青空、それらが水面に映り込む景色が素敵でした(この日は午後から雨予報でしたが朝はご覧の通りの快晴でした)。


ここには世界一美しいといわれている(?)スターバックスもあり、一応 こちらもからめて写真におさめてみました。アクセントにはちょうどよいかな、ちなみに朝から大混雑でした。
TOYAMAキラリ・富山市ガラス美術館
駅から市電で10分くらい、富山市ガラス美術館と図書館が入るTOYAMAキラリへ。隈研吾氏が設計した建物は、斜めに切り開かれた吹き抜け構造と、内装に木材がふんだんに使用された特徴的て面白い建物でした。広角で切り取るのが楽しすぎた。とはいえ幅広い年層の方がいらっしゃる公共施設ということで邪魔にならないように撮影はほどほどに、したつもり。


ガラス美術館は、エミール・ガレの展覧会が開催中。折角なのでガレの作品も鑑賞してきました(こちらの作品は写真撮影・SNS投稿OKのもの)。学がないので小難しいことはわかりませんが、シンプルに綺麗だなという感想と、目に見えないものを作るITエンジニアとしては、目に見えるもの・手にできるものは長い時を経てもこうやって残されていくということにちょっと羨ましさが覚えました(戯言)。


終わりに
ガラス美術館訪問後は軽くお昼を済ませた後、早々に新幹線にて帰京しました。お天気も崩れてきていたので。
よって、かなりコストパフォーマンスの良くない旅をしてしまった気がしますが、たまにはこういうのもよいよね。1ヶ月後くらいの朝、旅路をゆっくり振り返りながらこのエントリをまとめてみた。
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フーエバーユーアー
5ヶ月ぶりに映画館で映画を観た。小田香。タルベーラの愛弟子という惹句に、なんていうかこう、タルベーラはきっと望まないであろうHegemonieを感じつつ、でもずっと気になっていた作家。新作の『Underground』は時間が合わなくて、特集の内の短編集を観た。良かった。フィクションとドキュメンタリーが、フィルム1枚で隔たってる感じ。
*
一番古い記憶は何ですか。俺は、ベビーカーで目を開けて、太陽が眩しくて、またすぐに目を瞑る記憶。あ、目を開けたよー。あ、閉じたよー。と、母親の声がきこえる。さいきん息子をベビーカーに乗せて散歩している時、幌の隙間から差し込む日差しに顔をしかめる彼を見て、俺の記憶が偽りじゃないって確信した。
*
大江健三郎の随想で、大江が武満徹と結んだ友情のことを読んで、むかし一度だけ友達の演奏で武満の楽曲を聴いたことがあるのをふと思い出した。TSUTAYAバイトの時の同僚で、藝大でフルートを専攻する同い年の男の子だった。屈託のない人懐っこい性格で、なんとなく上品だった。器量も良かった。違う世界に住んでる感じがした。何でこんな場末のレンタルビデオ屋でバイトしてるのか不思議だった。バイト歴は俺の方が少し長くて、仕事を教えたりするうち仲良くなって、何度か2人で飲みに行った。その流れで、自身のソロワンマンのリサイタルに誘ってくれたんだった。箱はどこだったか、もう忘れたけど、半地下の小洒落たイベントスペースで、入り口にいくつか祝い花が並んでいた気がする。ドレスコードこそなかったけれど、聴衆も夜会服っぽい出で立ちで、尖り切った二十歳前後のパンクスだった俺はちょっと居心地��悪かった。1、2時間の演奏時間の記憶もほとんどないけど、セットリストの最後が武満徹の『声』だった。演奏前に曲の紹介があった。フルートを身体の一部と見なし、和音の合間に肉声を発する。練習中は笑っちゃって大変だった、と彼は屈託のない笑顔ではにかんでいた。前衛芸術にかぶれた二十歳前後のスノッブだった俺は、武満の名前だけは知っていた。例によって楽曲の構成も展開も覚えていないけど、最後、フルートから口を離して、虚空を見つめながら、Whoever you are と彼が叫んだことは憶えている。
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1975年のキース・ジャレットの名盤「ケルン・コンサート」誕生秘話を題材にした映画が2つ。
Köln 75 International trailer
ベルリン国際映画祭スペシャル部門で初公開される「ケルン75」は、ドイツの10代のヴェラ・ブランデスが困難を乗り越えてアメリカ人ピアニストのキース・ジャレットをケルンに連れて行き、史上最も有名なジャズの録音の1つを演奏させた物��です。
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Lost in Köln / a documentary film about the history of Köln concert | documentary film Köln concert
これは実現しそうになかったキース・ジャレットの演奏の物語です。しかし、その録音は世界で最も売れたソロジャズアルバムとなりました。ケルンコンサートの謎のピアノを探す大胆な調査の中で、神話の舞台裏と天才の仕事が徐々に明らかになっていきます。
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‘The Köln Concert is the hit he wants to disown’: why Keith Jarrett shunned two new films about his unlikely masterpiece | Jazz | The Guardian
「ケルン・コンサートは彼が捨て去りたいヒット作」:なぜキース・ジャレットは自身の思いがけない名作を扱った2本の新作映画を拒んだのか 彼の背中は痛み、ピアノは劣悪だった。しかし、ミュージシャンが即興で奏でた1975年の演奏はジャズの歴史に刻まれた。今、その魅惑的な夜と、それを実現させた口の悪い10代のプロモーターを讃える2本の映画が公開される。 「キース・ジャレットと真正面から向き合って、私はこう言ったの。『キース、このコンサートをやらなかったら、私は終わりよ。そして、あなたも終わりよ』って」 ――ヴェラ・ブランデスは50年後の今、その決定的な瞬間を思い返しながら笑う。彼女は当時18歳のコンサート・プロモーターで、気難しいことで知られるジャズ・ピアニストを、劣悪な楽器での演奏に何とか説得しようと必死だった。 彼は数音弾いて言った。「別のピアノが手に入らないなら、このコンサートは中止だ」 この神話的なやりとりが起こったのは1975年1月のこと。ジャレットはケルン歌劇場で自身最大規模のソロ公演を控えていた。しかし、用意されていたのは彼が期待していた10フィート(約3メートル)、半トンのベーゼンドルファー・インペリアルではなく、6フィート(約1.8メートル)のリハーサル用ベビーグランドピアノ。音は薄っぺらく、ダンパーペダルは機能せず、低音域には全く力がなかった。 激怒したジャレットは演奏を中止しようとしたが、ブランデスの必死の説得と2人のピアノ技術者の懸命な作業の末、しぶしぶ1時間の完全即興セットを披露することとなった。 しかし、その公演は驚異的な成功を収め、ECMレーベルから発売されたライブ録音は史上最も売れたソロ・ジャズ・アルバム、そしてソロ・ピアノ・アルバムとなり、これまでに400万枚以上を売り上げる記録的作品となった。
半世紀後、ジャレットが劣悪な楽器に適応せざるを得なかったこの物語は、ビジネス界の講演者たちによって「障害を創造的に活用する方法」の事例として何度も語られるようになった。 そして今年、この伝説の夜を題材にした映画が2本公開予定だ。 ひとつは、ブランデスとその日の出来事を自由に脚色したドラマ『Köln 75』。 もうひとつは、アイコニックなピアノの行方を追い、コンサートにまつわる無数の矛盾した証言を検証する長編ドキュメンタリー『Lost in Köln』である。
頑固なジャレットが最終的に譲歩して公演を行ったのはなぜか。「理由はいくつかあると思います」とブランデスは言う。 「まず、マンフレート・アイヒャーは、オペラハウスの独特な音響を生かすために、マイク2本を使って録音するようマーティン・ヴィーランドにすでに金を払っていたので、プレッシャーがあったのかもしれません。 でも、主に個人的なプライドだったと思います。もしキースが公演をキャンセルしていたら、劇場の外には1,400人の怒った観客がいて、ホテルで絶望していたでしょう。 彼は観客を気にかけるタイプのパフォーマーではなく、自分の芸術への愛だけが原動力です。でも、もし挑戦しなかったら、彼は自分自身に腹を立てていたと思います。」 「ケルン75」は今月���ルリン映画祭で初公開される。「ロスト・イン・ケルン」は今年後半に公開される。ドリアン・フォードはケルン・コンサートで英国をツアーしている。
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Yuji Takahashi / 高橋悠治 plays Debussy - Children's corner "The little shepherd" (2018) ドビュッシー没後100年記念演奏会 (浜離宮朝日ホール)
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The worst scans you've ever seen and transcription of the Persona 3 part of Cut April 2015




2006年にPlayStation2用のゲームソフトとして発売された『ペルソナ3』。20万本以上のセールスを記録したRPGにして、小脱・コミック・ドラマCD・TVアニメなどさまざまなメディアに拡大してきた人気タイトルである。そして2013年より劇場版アニメとして公開されている本作は、原作ゲームの発表から10年近くを経てなお拡大を続けている稀有な作品でもある。斬新なビジュアルや深い感情移入を促すストーリー、中毒性をもたらすゲームシステムなど、本作の面白さを象徴するトピックは数多い。その中でも特に強調したい『P3』の魅力-それは、発売当時ユーザーに衝撃を与えた革新的な音楽と、受け手の想像力をかき立てるパーソナリティを持った主人公の存在だ。今回は劇場版の第3章公開を機に、『P3』の音楽を一手に担うコンポーザーの目黒将司と、主人公を演じる声優・石田彰に登場願った。『P3』が広く深く愛される理由を、彼らの言葉から読み解いてみよう。
『PERSONA3 THE MOVIE』
目黒将司
『ペルソナ3』を特別たらしめた音楽の「革命」とは何か
テキスト=清水大輔 text by Daisuke Shimizu
『PERSONA3 THE MOVIE #3 Falling Down』4月4日公開、アニプレックス配給 ©ATLUS ©SEGA/劇場版「ペルソナ3」製作委員会
SHOJI MEGURO
1本のRPGとして2006年に登場した『ペルソナ3』 (以下『P3』) がさまざまなメディアに選出しながら現在まで愛され続け、劇場版アニメが公開されるほどの支持を獲得できた理由。それを考える上で、同作品の音楽の斬新さは絶対に外せない要素のひとつだ。では、『P3』の音楽とは何だったのか-それは、本文中で何度か述べさせてもらっているとおり、一言で表すならば「革命」である。最も象徴的なのはフィールドやバトルのBGMにボーカル曲が採用されていることだが、それぞれの楽曲がユーザーの潜在的な欲求に応え、『P3』の世界観を押し広げる大きなうねりとなったことで、本作へのユーザーの熱量が持続してきた側面もあると思う。実���、『P3』やシリーズの他作品の楽曲を演奏する「PERSONA MUSIC LIVE BAND」のライブが日本武道館で開催されていることからも、その支持の深度が窺えるのではないか。そんな『P3』の音楽を手掛けているのが、アトラスのチーフコンポーザーである目黒将司。同社のあらゆるゲーム作品に寄り添う名曲を送り出してきた作曲家・目黒による『P3』の楽曲は、単に「ゲームのBGM」の枠にとどまらない「ポップ・ミュージック」としての力を内包している。 劇場版第3章の公開を機に、革命的な音楽が生まれた背景を聞いた。
目黒さん自身も関わられた劇場版の第1章、第2章ですが、ご覧になってどんなことを感じましたか?
「ウチが作ったゲームを、監督さんからスタッフの皆さんまで全員が理解して、すごく的確なアレンジをしてくれた作品だなあ、と思いました。ファンの目線で見たらすごく喜んでもらえるような映画だと思うし、このスタッフさんたちにやってもらえてほんとによかったなっていう」
目黒さんが『P3』の音楽を最初に作られたのはそれこそ10年くらい前になりますけど、劇場にかかること自体はやはりすごく特別なことだったんじゃないですか。
「そうですね。劇場版の音楽をやらせていただけるのはすごく光栄なことで、もちろんふたつ返事でやらせていただいたんですけども。曲作り自体は特別ガラッと変えることはなかったんですが、ゲームでは表現しきれなかったところを、秒単位で細かく表現できたのは嬉しかったです。それから『ペルソナ』のファンに恩返しができるような感じもあって、そういう感情は大きかったかもしれないですね。技術的には、作った当時よりきれいにできたけど、『P3』とあまり変わってないのかなっていう気はします。結局、僕が『P3』の音楽だと思って作る以上は違ったものはできないし、ファンの方々が求めているであろう『P3』から逸敗しないものを作るのは大前提にあって、それは特に意識しないでもできるというか」
無意識のところに『P3』の音楽はかくあるべし、というものがあるということでしょうか。
「そうですね。当時『P3』を作る段階で、僕の中の造語なんですけど、『フューチャーポップ』を作ろうと思ったんです。後日検索したらフューチャーポップってジャンルがあって、『どうしよう、かぶっちゃった』っていうのはあったんですけど(笑)。なので、基軸となっているのは僕の中で考えるフューチャーポップっていうジャンルで、それを作れば『P3』の音楽になるという感覚です」
作品がたまたま歌を呼んでいた。ゲームに呼ばれて歌を入れた、っていう感じです
いちユーザーとして当時『P3』をプレイして、ほんとに革命的なゲーム音楽だなあと思ったんです。ゲームのBGMでありつつ、単に作品に添えられたBGMというだけではなくて、音楽として本当に素晴らしいものだと感じたんですけども。
「革命という意味では、たぶん『P3』自体がウチの会社の中で革命的だったのかなとは思います。もちろん、当時から革命を起こそうぜっていうノリではなかったですけど、結果的に『1』『2』の流れから見たら革命的なゲームになったので、その作品についた曲だったから革命に見えたのかもしれない(笑)。ただ、音楽の面でファンに驚きを与えたい、楽しませたいっていうのは常に考えているので、その驚きの部分でそれまでとは違った感覚で受け入れられたのかなあ、とは思うんですけど。『P3』は、基本的には『ペルソナ』のゲーム音楽の中でも斬新なところをやってるっていう考え方はあって、やっぱりBGMに歌が入ってるのは大きいと思います。このゲームはわりとインターフェースも変わっていて、初期の段階にいろんなサンプルを見て、サウンド面でも新しいことをやってやろうと思ってました。で、ボイスが入っていたら、たぶんみんなビックリするだろうなあ、と」
おっしゃるとおり、たとえば戦闘シーンのBGMがボーカル曲だったのは当時衝撃的でした。「この音楽でイケる!」って確信を持てたのはどんな瞬間でしたか?
「それはもう、作ってる段階ですね。画面なりシナリオなりを見ていて、もちろんこの『P3』の世界観が一番大きかったんですけども、『これは歌入れるよなあ』っていう感覚は普通にありましたね。それよりも、歌を録音して、何曲もBGMとして入れることのコストやノウハウが当時のウチにはなかったので、『歌入れなきゃなんないけど、どうしよう?』っていうのが一番大きかったかもしれないです。ボーカルのツテもないし、どうスタジオをブッキングしたらいいかもわからない。何もわかんないけど、俺しかやる人いないから、しょうがないなあ、頑張るかあって思ったところが、当時の自分に対して一番褒めてやりたいところですね(笑)。ただ、その部分は『P3』が特別なわけではなくて、他の『女神転生 (真・女神転生Ⅲ・NOCTURNE)』だったり、いろんな作品でも『あっ、これ歌入れなきゃ』ってことになったらやるし、『尺八の音必要だよな』ってなったら尺八を演奏できる誰かを探して、スタジオをどうやって取ったらいいかとか知らなくても飛び込んだと思うし。なので『P3』がたまたま『あっ、歌入れなきゃいけない』と思う作品だった、というところで勇気をもたらされた感じですかね」
でも、『P3』の音楽を作ったことで、目黒さん自身の作曲家としての幅は広がったわけですよね。
「そこは転機になりましたね 。いつもどおり、他の作品と分け隔てなく音楽を作ってましたけども、結果的にはすごくいろんな面で転機にはなってます。今は40を過ぎたので、作っていると初期の段階から『こういうふうに受け入れられるだろうなあ』というのは経験則で見えてくるし、大体の予想をしているんです。他の作品なら、たとえば『ペルソナ4』(以下『P4』) のときも『あっ、歌をやっていいんだ。じゃあ次も歌ものをやろう』っていう感じではなくて、作品がたまたま歌を呼んでいたと。もう、ゲームに呼ばれて歌を入れた、っていう感じですね」
『P3』の音楽を作ったときも、想像していた反応と実際の反応が重なった体験をされたんですか?
「そうですね、サントラを出したときは正直売れると思ってました」
(笑)それはすごい!
「(笑)なぜかというと、僕の白がい いから、とかではなくて、ちょうどその頃バスタソースの《♪うた~らこ~》が毎日のようにCMで流れていて、CD化されたらバーンと何万枚も売れたんですよ。それと同じことで、ゲームでずうっと同じボーカル曲を聴かされたら、『なんだろう?ちょっと買っちゃおうかな』ってなるだろうなとは予想してました」
それはすごく面白いお話で、その時点でゲームBGMの枠を飛び越えてますよね。というのも、メロディであったり楽曲自体が、ゲームで流れてる音楽っていう意味を超えて届いていってるということでもあると思うんですよ。たらこは世の中のそこら中に流れてたかもしれないですけど、『P3』の音楽は『P3』をプレイしている人にしか届かない。でも売れたというのは、それだけ深くささったということですよね。
「かもしれない。たらこのCMを聴いて届いちゃってボーンと売れたのと、ウチのゲームが20万本以上売れて、ボーカル曲が響いちゃって『なんだこれ?』と思って買っちゃった方の割合はそんなに変わらないかもしれないですね。『P3』の音楽を作ってる段階では、『なんだこりゃ?』って思う人もたくさんいるだろう、でも作品内のBGMとしては合ってるという評価は得られるだろうなあ、っていう感覚はあって。で、サントラを出すときは、あれだけ何回も聴いて刷り込まれているから、きっと今までになく売れるだろうなあ、とは当時思ってました。ただ、『P3』で特別みんなに突き刺さるカッコいいボッブスを作ってやろうという気はなく-いや、もちろんカッコいいボップスを作りたいとは思っているんですが、それは『P3』に限ったことではなくて」
ただ、結果としてこの音楽を好きになって買った人がたくさんいるわけで、もはやそれはポップミュージックであると言えますよね。
「ああ、なるほど」
物語に添えられることで、すごく意味がある。そして、物語が一緒になっていなくても聴き手にとって意味がある。『P3』の音楽ってそういうものだったと思うんですけども。
「それは『P3』がそういう範囲の曲まで許されるゲームだった、ということでもあるんじゃないんですかね。許容範囲が広かった。『真・女神転生』や『デビルサマナー』にしても、こういう世界観でこういうお話だからこんな音楽、っていう、どこの部分をやるとプレイヤーを驚かせられるか、楽しませられるか、作品に呼ばれてる中でどこを狙うか、の範囲が、『P3』は広かったんじゃないかと思います。結局、『ゲームにつける音楽はこうだよね』というのは、シナリオなり設定なりを見ていって、それに合わせるという感じなので」
なるほど。
「ちょっと象徴的なお話になるんですけど、『ペルソナ』は『3』も『4』もいくつかスピンオフの作品が出ているんですね。そこでは僕じゃなくて部下の小塚 (良太) や喜多條 (敦志) が担当しているんですけど、特に喜多條は “『ペルソナ』らしさとは何か” とか、過去の作品にとらわれすぎていて、いかに目黒が作った曲を真似するか、から入っていったので、まあ最初はクソみたいな曲しかできなかったんですよ(笑)。で、『それは劣化目黒の曲になっちゃうからダメだ、喜多修くんが思う “ペルソナ” の音楽はこうあるべきだっていうのを自分で考えてやらないと』っていうことをずっと言っていて。それで彼は目覚めていい曲が書けるようになって、作品にもなってるんです。なんか、そういうことなんじゃないかなあと思いますね。作品の担当者、作曲家が思う “『ペルソナ』の曲ってこういうことだ” っていうことをしっかり表現すればいいだけなのかな、という。『ペルソナ』という作品からどういう曲が呼ばれているか、それに対して自分なりのアウトプットをすることが重要なのかなあと思いますね。話を戻すと、『P3』の場合はみんなが音楽としても普通に聴けるような曲がBGMとして合ってる、と作品が言ってたから作れた音楽なんじゃないかと思います」
こういう音楽が合ってる、と言ってきた作品は『P3』が最初ですか。
「最初ですね、ええ」
それって革命ですよね(笑)。
「(笑)だからやっぱり『P3』のゲームが革命なんですよ。僕はあくまで革命に乗っかったんです」
ライブでは、予想しなかった部分で「こういうふうに愛していただいてるんだ」っていう発見がある
『P3』の音楽が届く範囲はどんどん広がっていて、もとはゲームのBGMとして作られた楽曲をいろんな方が歌って、武道館でバンドが演奏していますよね。それってほんとにすごいことだと思うんですけど、実際お客さんの目の前で演乗したときはどんなことを感じますか?
「僕自身はライブは買っていただいたファンの方々とのコミュニケーションの場なのかなと思ってます。予想しなかった部分で、『ああ、こういうふうに愛していただいてるんだ』っていう発見がいろいろありますね。ライブに関しては、『P3』のサントラが出るときに、足立 (和紀/アニプレックスブロデューサー)さんと、『これはライブをやったらソニーミュージックのオフィスのカフェテラスくらいは埋まるよね、ウケるよね、やりましょうよ』っていう話を実はしていて(笑)」
そして気づいたら武道館まで行ってしまった、と(笑)。
「あそこまでデカくなるとは思ってなかったですけど(笑)、どうファンに恩返しができるかなっていうのはずっと考えていて。そこでみんなに楽しんでいただけたらいいし、逆に僕も皆さんのペルソナ愛ってこういうものなんだっていうことを、すごく勉強させてもらってます」
わかりました。ではシンプルにお聞きしますが、目黒さんにとって『ペルソナ3』とは何ですか?
「『ペルソナ3』は担当したゲームのうちのひとつですが、僕自身のいろんなキャリアも含めて、転機になった作品だとは思います。一番は、目黒将司っていう名前を世の中に少しだけ広める転機になったのかな、ということですね。それってけっこう大きくて、いろんなお仕事もいただけるようになるし、すごく大事なところだなあと思いますね。僕自身の作曲のスキルは、『P3』だけじゃなく、いろんな作品をやりながら徐々に上がっていって��と思います」
『P3』だけでなくさまざまな作品を手がけてきた経験を、次回作 の『ペルソナ5』にどう反映していきたいと考えていますか?
「常に思ってることなんですけど、僕はまだまだ全然だなと。自分を卑下してるわけじゃなくて、僕自身、作曲家としてもっとよくなれるっていう感覚でいます。なので、『P3』『P4』でゲーム音楽業界の確固たる地位を得た、みたいな感覚はまったくないです。『ペルソナ5』も、今までに得たノウハウを導入して、よりよいゲームになるように音楽を作っていくだけですね」
めぐろしょうじ
1971年生まれ。1996年株式会社アトラス入社、現在同社クリエイティブ部サウンドチーム ディレクター/チーフコンポーザー。『女神異聞録ペルソナ』(96年) で一部楽曲を担当、以降『ペルソナ』『真・女神転生』シリーズなど数多くの作品で音楽制作を担当。
石田彰
「ゼロの存在」を肉体化させた10年間。その道のりで得たものとは
テキスト=清水大輔 text by Daisuke Shimizu
AKIRA ISHIDA
『PERSONA3 THE MOVIE』の原作『ペルソナ3』は、いちユーザーとして見ると特殊なゲームであるように思う。基本的に、劇中の主人公にほぼセリフはなく、何事にも一歩引いたパーソナリティの持ち主である彼が、さまざまな出会いを通して変化と成長を遂げ、やがて大きな運命を背負っていく-この構造に感情移入し、作品にのめりこんだユーザーがものすごく多いということは、発売から10年近くを経た今劇場版としてアニメ化されたという事実が証明している。受け手の想像力をかき立てる存在としてのこの主人公には、『ペルソナ3』という作品だからこその魅力があるのだ。劇場版では結城 理という名前を与えられた主人公を演じてきたのが、『新世紀エヴァンゲリオン』の渚カヲル役や『機動戦士ガンダムSEED』のアスラン・ザラ役で知られる声優・石田彰。現在の日本のアニメ界には欠かせない名優のひとりだが、彼はこの「主人公」から何を感じ、受け取り、どのような過程を経て「ゼロの存在」だったキャラクターを肉体化させていったのか。原作ゲームとの出会いから劇場版に臨んだ際の心情まで、幅広く語ってもらった。
最初は、「とにかく邪魔にならないようにしよう」という発想だった
まずは、彼に出会ったときにどんな印象を受けましたか?というところからお話を聞かせてください。
「原作ゲームでは “主人公のセリフ。” というのはないんですね。なので、プレイヤーの人が気持ちよくゲームをできるような声を求められてるんだなと、一番最初はそういうふうにとらえていたので、『とにかく邪魔にならないようにしよう』っていう発想でしたね。その後、ドラマCDをやらせていただくことになって、そのときに初めて『ああ、こういうことを言う人なんだ』『なるほど、こういうタイプの人間なのね』っていうことがわかってきて。“主人公” というキャラクターが自分の中でどんどん厚みが出て固まってきて、あとからイメージが大きく育っていったところがありますね」
なるほど。
「彼は、普段こう、自分から進んで何かしようというキャラクターではないので、そこはメリハリというよりも、むしろ何かあったときに頼りがいがあることに違和感が出るくらい、普段はさめている感じをちゃんと持っておかないと、成り立たなくなるんです。まずそこが、“主人公” としての意識を持つときの一番のポイントですね。で、それをやっているとだんだん面白くなってくるんです。ある意味変な人なので(笑)。『なんかひとりだけ消費カロリーが少ないなあ』っていうところがあるんですけれども、そこに面白さを感じてたりしましたね」
変ではあるけれど、同時にすごく受け入れられて、愛されているキャラクターでもありますよね。
「静の部分での特徴はすごく大きい人ですが、決して『こういうキャラです!』っていう動的な特徴の出し方ではありません。だから皆さんに受け入れてもらえているのはなぜかと考えると、最初に立ち戻って、“主人公” としてあまり色を出さなかったのがよかったんだと思います。このキャラクターをどう作った、ということではなくて、削いでいって、要素をなくしていった結果、ゲームの楽しさに引っ張られて皆さん��彼を受け入れてくれたのかな?という気がします」
今こうして劇場版で絵がついて、ご自身でセリフを入れた「主人公」が結城 理という名前を与えられて動いてしゃべっている。その姿というのは、10年近く彼と向き合ってきた石田さんにとっても感慨深いものがあったんじゃないですか?
「何より名前がついたのが嬉しかったですね。それこそドラマCDでも “主人公” っていうクレジットでしたから、やっと名前がついたことがとてもとても嬉しかったです。それだけで、映画になってよかったなって思うくらい(笑)。『ペルソナ3』は長年続いてきて、自分の中でもそうそう終わらないものという意識があったし、本当にこう、想像以上にいい子に育ってくれた気がします(笑)」
(笑)劇場版の主人公である結城 理は、原作ゲームやドラマCD以上に、特に物語の序盤では厭世感が強い人物として描かれている印象を受けました。今までの “主人公”と理を演じ分ける上で、意謡の違いはありましたか?
「いや、僕の感覚ではそんなに違いをつけるつもりはなんです。むしろ第1章を録り終えたときに、ずいぶんとフレンドリーになったなっていう感覚があったくらいで」
なるほど。特に第1章は距離があるというか、何か1枚挟んだ向こう側からしゃべっている感じがあると思いまして。だからこそ、第2章、第3章で仲間を思う気持ちが強くなっていく描写が効くというか。
「正直、第1章と第2章、3章との違いで言えば、第1章は劇場版ということで気負っていた部分はありますね。最初、けっこう気負ってガチガチになって球を投げていたところがあるんだと思います。でも、得体の知れないものとガチで戦わなきゃいけなくなりました、さあどうします?っていう物語の導入部である第1章が終わって、第2章では高校生の楽しい日常みたいなやわらかい話も入ってきて。なおかつ第3章では理と対比されるキャラクターも出てきて、こっちはこうだけど、そっちはそうだよねっていう見せ方ができてきたんですね。だから第2章、第3章になって変化球も使えるようになったというか、自分の武器が増えたのに比べて、第1章ではストレートでいくしかない、打たれないためにはとにかくスピードを出さなきゃっていう、そういうところにしかすがれないと思っていたわけです。なので、自分自身の緊張感という部分での差は、第1章と他の豊とを比べるとあると思いますね」
第3章では理に加えてファルロスと綾時を含めた3役を演じられたわけですけど、ファルロスと綾時がいることによって、石田さんの中で理の人物像がよりハッキリしていったところもあるのでしょうか。
「理と綾時は、お互いに持ってない部分を表しているキャラクターだと思うんですね。大きくとらえてしまえばファルロスもその一部なんですけど、理というのは、自分が関わってることはすべて自分でコントロールしてなんとかするべき、という部分を表す人だと思っていて。で、綾時は人と接しやすいように壁を薄く薄くして、その壁はフィルム状にしてすごく薄く見せることで人とベタッとくっつける、相手と距離を縮められるっていう、そういうやり方ができるキャラクターで。その両方を演じるというのは、自分の中でもバランスが取りやすいんです。2役やる、3役やるというのはフィジカル的には大変で、ちょっと負担になったりもするんですが、物語の中で理と綾時は対をなすキャラクターと言われたときに、それを自分の手の中でやれるのは、自分にとってすごくわかりやすいですね。逆にひとりでやっている分、その両方のキャラクターが自分の範疇を超えていかないので、思ってもみなかったものが生まれない部分もありますけど、なんとか納得のいくものにさせていただけたなと思います」
第3章を拝見して印象的だったのが、理が心の底から笑うシーンで。原作のゲームからこのキャラクターを知ってる身からするとすごくグッとくるシーンなんですが、石田さんにとってもすごく大事なシーンだったんじゃないですか?
「そうですね。理が『どこまでみんなに溶け込んでいくのか?』っていうところが物語のポイントになるので、確かにすごく大事だと思います。大事だし、第2章の屋久島に行くシーンあたりから、『壁取り払い始めてるよね、君』みたいなことは理に対して思ったりもしてました。ずっと仲間と一緒に行動をしているし、徐々に徐々に距離は詰めていってるんだけど、理なりのみんなへの近づき方として、僕にとって一番わかりやすい近づき方をしたのが今おっしゃったシーンだと思います。いろいろ迷って、迷って迷って、最終的に『自分はこうするんだ!』って決めて行動に出たのがそこなのかなっていう気もちょっとしていて。でもそれは、映画を観てくださる皆さんがそれぞれの理像を受け取ってもらって、理の理らしいところってここだよねっていうポイントを持っていただけたらいいと思いますね」
薄い色を何回も何回も、何十回も重ねていきながら濃くしていった。そういう作業です
今後、物語は佳境に入っていくわけですが、どのようなイメージを持って臨みたいと考えていますか?
「そうですね、話の流れを意識して、観てるお客さんを泣かせてやろうとそういうスケベ心を出さないようにしようかなと」
(笑)。
「そういうことを考えると、よく失敗するので(笑)。そうしたいっていう感覚は湧いてくると思うんですよ。思うんですいく、そこは抑えてやらなきゃいけないんじゃないかな」
わかりました。では最後に、「声優・石田彰にとって『ペルソナ3』とは何か?」というお話を伺いたいと思います。10年間演じる中で主人公の彼がどんどん肉付けされていって、石田さんにとっても、観ている人にとっても人物像が見えてきましたよね。そういうキャラクターを演じる経験というのは、やはりすごく大きいことなのでは、と思うんですけども。
「ひとつのキャラクターを、その成長も含めて長ーいスパンでやらせていただくというのは、限られた運のいいキャラクターでしか経験できないんですよね。これだけいろいろとこの主人公について考える、特に劇場版になってそういう機会を与えてもらえたなと。すごくこう、ひとつのキャラクターを深く掘り下げることができた作品だし、そういう作業を強いられたキャラクターでもあって(笑)、いい修行をさせてもらったと思います。感覚としては、薄い色何回も何回も、何十回も重ねていきながら濃くしていったっていう、そういう作業ですかね。最初の頃は、ここにも塗り残しがある、こんなところにも範囲があったっていう発見がいっぱいあって、それが出揃って見渡せてからも作品が続いているので、そこにどんどん色を塗り重ねていってる感覚ですね。そこに面白さを感じながらやっています」



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60年前、福岡県稲築町の山野炭鉱でガス爆発事故が起き237人が犠牲となりました。 5月30日、地元の学校で当時を知る語り部が講演を行い、「自分を大事にして生きて欲しい」と語りかけました。 「今から山野炭鉱ガス爆発事故で亡くなられた方が安らかに眠っていただけるように黙祷をします。黙祷」 福岡県嘉麻市の稲築東義務教育学校です。 60年前に起きた山野炭鉱ガス爆発事故の犠牲者を悼むため5月30日朝、黙とうが捧げられました。 事故が起きたのは1965年6月1日午後0時36分。 かつて、三井鉱山の主力炭鉱の一つだった稲築町の山野炭鉱坑内で大規模なガス爆発が起きました。 石炭の採掘作業中だった552人のうち237人が一酸化炭素中毒などで亡くなり、坑内から次々と遺体が運び出されました。 夫が山野炭鉱に勤務していた 山下三千子さん(86) 「幼稚園とか、保育園があったんですよ。そこに全部死体をね、237名から全部寝せるんですよ。涙しか出ないその当時はね」 夫が山野炭鉱で働いていた山下三千子さんです。 夫の一二三さんは事故当日、午後からの出勤だったため無事でしたが、地元で起きた大惨事の記憶を風化させたくないという思いから子供たちに当時の体験を語り伝えています。 夫が山野炭鉱に勤務していた 山下三千子さん(86) 「おじさんたちも、元気で行って帰ってくると思って、そういうガス爆発事故があったからね、切ないよね、思い出しただけでね。だから今日一日を大事に、元気にしとって皆さんね。明日は分からんね。」 山下さんは子供たちに、「自分を大事にして今を生きて欲しい」と訴えました。 講演を聞いた畠山凛音さん(小6) 「辛かったこともあったかと思うけど、国や家族のためにしてきたところがすごいと思いました」 講演を聞いた小嶋奏翔さん(小6) 「爆発事故で残された方たちの気持ちも考えて、本当に幸せを祈って行きたいです」 60年経った今も、近くの公園には山野炭鉱の練習坑道が当時のまま残されています。 その高台には、事故で犠牲になった人たちの霊を鎮める慰霊碑が建てられていて、1週間前、稲築東義務教育学校の児童たちが清掃に訪れ、花を手向けました。 夫が山野炭鉱に勤務していた 山下三千子さん(86) 「鉱員さんたちのおかげで私たちも生活してきたじゃないですか。やっぱりその感謝はありますから。私も何もできないけど、(慰霊碑に行くんですよね、手を合わせに」 私たちの暮らしと、日本の経済成長を支えてきた炭鉱。 60年前の事故で学んだ教訓と命の尊さは次の世代にも受け継がれていきます。
237人が死亡した三井山野炭鉱ガス爆発事故から60年 夫が炭鉱マンだった86歳女性が大惨事の記憶を語る(RKB毎日放送) - Yahoo!ニュース
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05/04/2024

人間ドッグに来ました🏥 病院に早く着いてしまい、他の方たちと入口で並んで待っていました。 その横で咲く桜の花が綺麗でした🌸
殆どの方は職場の健康診断で私とは別の階での検診だったようで、チェックイン後、すぐ別れました。


早かったおかげでチェックインも私の階では一番乗り。 基本の検査の待ち時間も殆ど無く順調に進み、2時間後には大腸&胃の内視鏡の洗浄液の服用に入りました。


キャンディは舐めればOKなので、美味しくない薬を飲みながら、糖分補給をして過ごしていました。
幸いなことに、私は早い段階で内視鏡検査に入れました。
今日は早起きして検診していることもあって、ベッドに座った時点で既に睡魔が襲ってきます笑 私の場合は毎回、鎮静剤使用後、次に気付いたときには検査は終わっているパターンです。
今回は初めての検査もあり、時間が長かったこともあってなのか、ベッドが別部屋に運ばれていくところが朦朧とした記憶に微かに残っています。
検査を行った看護師さんに言われて初めて知りましたが、今回は大腸検査の最後の段階で目が覚めたそうです。 2人が慌ててフォローしようとしたら、 「眠いです…」 と言い残して再び熟睡していたそうです笑 記憶にないのがまた恐ろしい笑

14時15分、遅い昼食時間です🍴 病院の食事なのに、本当、美味しいんです🥰

私は勿論『肉』をチョイスです🍖







サラダとデザート、ドリンクはバイキングコーナーからもらって頂きました🥗🍰
去年の秋から15時からピアノ演奏のサービスがあるそうで、サザンオールスターズの真夏の果実を演奏してもらいながらの昼食でした🎶
検査結果の資料は後日郵送してくれますが、結果は早く聞きたいので、今年も聞いてから帰ることにします。
去年の4月の検査ではCT検査した大腸が引っかかったのと、去年の秋から減量に励み、順調に8-9kg落ちましたが、喜ばしく思う反面、もしかして癌で痩せたのか…と心配もしながらの検診でした。 私が半年近くの間に急激に痩せたことから、田舎に住む一部の親戚から、私の重病説が広がっています…苦笑 それもあって今回は内視鏡で調べてもらいました。
結果は陰性で、癌の兆候も一切ないとのことでした。 去年、CTで引っかかった理由は、大腸に残ったかすかな食物でしょうとのことでしたので、また安心していっぱいご飯が食べれます🍚
ここの病院の検診代、お値段もそれなりにしますが、自分の体への投資だと思っています。 既に亡くなりましたが、私の父の難解な病気の早期発見もしてくれた病院で、父が最期まで元気に過ごせたのはここの医療従事者のレベルの高さもあってのことだと思っています。





ここはマストです笑
あまおういちご ホワイトチョコレート ショコリキサー🍓


イオンモール熊本なので、村上選手の垂れ幕⚾


ストーンマーケットで可愛いブレスレットがあったので購入✨
明日から使おう♡
#備忘録#photography#japan#reminder#kyushu#美味しさは正義です#スイーツには夢がないとダメ#sweets#kumamoto#人間ドッグ#godiva chocolixer#godiva#stone market#イオンモール熊本
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0523 「日本酒取りに行っていい?」という口実で(前回わたしが京都みやげを渡すのを失念していた)男の人が家に来た。彼が家に来るのは2度目。 料理をふるまうのは苦手だし、技術があったところで付き合っていない相手に繰り出せばなめられるし、ということで手巻きずしを提案した。ちょうどいい可愛さだし華やかだし準備楽なのだけれど、付き合っていない相手とするのは初めてだった。 コストコで大容量のサーモンを持参すると連絡があったので、おもに薬味(茗荷、青紫蘇、ディル、ゴマ、チーズ、納豆、錦糸卵等)と酢飯を用意した。刺身がサーモンだけだったのでこの人手巻き寿司初めてかよと思って内心ウケていたら本当にほぼ初めてだった。 21時から始めたこともあって家に泊まりたそうなムードを出されたが好きとも言われてない相手を泊めるほど初心じゃないのでセックスする気ないですムードを出し返したら帰ってくれた。 いずれ折を見て寝てみたいとは思っている。でもいまじゃなくていい。わたしの欲の方が根深い、舐めないでほしい。 0524 サークルの、ずっと会ってみたかった野澤さんという4歳下かつ代は4つ上の先輩をライブ後に出待ちしたらごはんに連れて行ってくれた。かっこよくて、でも女子に対して警戒心が強いところが可愛かった(無論、初対面だった上にわたしがありえないくらい歳を食った後輩だからというのは否めない)。 あなた小説書いてるんでしょ?千葉からいろいろ聞いてるよ、と突然言われて顔がちびまる子ちゃんくらい真っ赤になった。だから、そういうのやめてくれよな。まあお笑いやってることと自意識の度合いは同じような行為なので別にそれくらい明かしてもいいだろってことなんだろうけど、本当にほんとうに勘弁してほしい。結果出してるからいいじゃんとか言ってどれくらいの選考の進み具合なのかまでご丁寧にわたしがいない場で紹介する知人は数年前からあとを立たない。わたしの華々しい活躍に頼らずあなた自身のことをもっと話したら!?って思う。キャッチーだから使いたいのはよくわかるんだけど。 また会いたいけど明らかにわたしみたいな圧のある女が苦手そうだったので、出待ちはほどほどにしたい。 0527 夕方に新幹線に乗って京都へ。彼氏が駅まで迎えに来てくれた。 借家をていよく追い出された(住み込みのバイトが来るらしい)ので彼氏宅(寮)に寄生することになった。大掃除を頑張ったからなのか、前よりかは寮全体が綺麗だった。寮祭をしているので夜中まで人がいっぱいいる。 日記で彼氏とか恋人とか書くのちょっぴり恥ずかしくなってきたのでこれを機に同居人って記せるな~と思いはするのだけれどつかの間なのでやっぱやめとこ。 0527 夕方、ゴミ回収のバイトから帰ってきた恋人と丸太町のモリオカというイタリアンで夕食を食べに行った。彼が300グラムでパスタを注文したのでありえないくらいの大皿に隙間なくアラビアータが盛られたものがしずしずと大船のように運ばれてきたので男子大学生すぎるだろ!と思ってウケた。男子大学生と言ってもわたしと一つ違いなのだけれど。 そのあと銀座湯で銭湯行ってほかほかになり、眠い眠いと言いながらそれでも煎餅布団の中でエッチなことを散々して知恵の輪のように絡まり合って寝た。 恋人はとても可愛い。尖った属性をいっぱい持っているのに、それを売りにしていない。市場に立ったことが――自分を売ろうとしたことがいちどもないしこれからもそうなんだろうなってところが可愛い。あらゆる面において、ねじれの位置に存在する人間だなと思う。わたしは打算を掲げて資本主義と商業主義に跪く、野心と承認欲でガソリンの如くぎらつく女だから。 それをどれほど彼が理解しているのかわからない。よほど生活が充実しているのか、全然スマホ見ない。山の信仰の本とか読んでる。 0528 碌に研究室へ行っていない割にはバイトやバンド練習や寮会議で忙しそうなので仕事は基本ひとりで部屋を占拠している。学生証を借りて図書館に行ったら母校と変わり映えしない無機質な学習室がずらりと並んでおり、2016年の頃の気持ちがよみがえってくらりとした。 寮のジムに行ってシャワーを浴びに行った帰り音楽室通ったらドラムの音が聴こえたので覗いたら案の定彼氏だった。あーんめっちゃかっこいいんですけど~と思ったけどわたしは相変わらず音楽のことなどなにひとつわからないのだった。 「どういう時自暴自棄になる?」と訊いたら「あんまりならないけどだいたいドラムの演奏が上手く言ってない時やな。いいビート刻めたらその日はごきげん」と言うので、原稿と一緒だなあと思った。 今月中に初稿あげたかったけどぎりぎり間に合うかどうかってところだ。キャラメルママにパソコン持ち込んで、初稿まで残り30枚。
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21st Century Museum of Contemporary Art, Kanazawa
1年ぶりくらいの21世紀美術館。
ゴールデンウイークなので人出が凄くて吐きそう。
(尋常ではないくらい人が沸いている)
今回、有料コーナーは見たい作品がなかったので無料で鑑賞できる「POP UP ART」を鑑賞。
写真最初のインスタレーションは米国コロンビア大学の視覚芸術教授Sarah Sze(サラ・ジー)の作品「喪失の美学」。
大量生産される製品のみで制作されているらしく、建築的構造の中に自然のプロセスを表現しているそうで、巨大な未来都市の形をしたシャンデリアのようでちょっと素敵。
次のコンクリート作品は、支配構造への反発たるパンクの精神で作品を制作するスイス人作家ユニットのペーター・フィッシュリ(Peter Fischli ) ダヴィッド・ヴァイス(David Weiss)で「
無題・コンクリート・ランドスケープ」。
21美の中にこれだけ客がいるのに何故かここだけ一人も客がいない(笑)。
そっとガラス越しに作品に近づくと案内係の美術員さんがアイコンタクトで奥へと手招き(笑)。誘われるまま、誰もいない外の広いフロアにポツンと佇むこちらの綺麗な長方形のコンクリートを鑑賞開始。
しかし、不思議だ。
何の変哲もないコンクリートの塊なのに、誰もいないところでひとりで鑑賞していると、あらゆる雑念が消えて無の境地というか禅の世界観というか、不思議な感覚を覚える(笑)。
屋外で展示されると、時間と共に雨や光にさらされて埃がたまり、苔が生え、表面に凹凸が生じ、自然の変化が反映される風景表現となるということらしい。
なるほど、このコンクリートの塊から「詫び寂び」を感じ取った自分のセンスは間違いはなかった。
(なんやねん。笑)
2003年のヴェネチア・ビエンナーレで金獅子賞も受賞しているほどのユニットだけあって、こんなありきたりのコンクリートで哲学するパンキッシュなペーター・フィッシュリ& ダヴィッド・ヴァイスには今後も注目。
その他にもいろいろなアーティストの作品があったけど、今日はここまで。
帰り際、美術館前の石浦神社から上下黒の法被を着た子供中心の和太鼓奉納演奏が聞こえてきたけど、リズムが普通の「和」のリズムではなくベリーダンスなんかで有名な「アラブリズム」(笑)。
(なんとセンスのいい子供たちなんだ!)
このリズムに気が付いた自分のセンスの良さに再び感動。
そして、観光客にいつものように記念撮影を頼まれて、いつものように笑顔で了解する。
そして夕日を浴びながらフランス人とイタリア人とブラジル人とドイツ人とロシア人でごった返す長町武家屋敷を通って実家に帰宅。
(中国人はほとんど見かけなくなった)
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20250609 ロックの日 & 20250601 ウクレレ愛ランドフェス
今年もやってきましたロックの日! 最近のフリピは活動も盛んになり、 記事の投稿数もうなぎ上り&人気も上々うなぎ上り (ってことにしておく)。
つい先日6月1日(日)も 新宿で開催された「ウクレレ愛ランドフェス」の オープンマイクステージに出演してまいりました。

9時45分~という休日でいうところの早朝にもかかわらず 近郊、遠方各地から多くの方にお集まりいただき、 フリピのノリと勢いだけの突っ走りをご覧いただきました。 ありがたい限りです。
オープニングで披露したのは 昨年のウクレレピクニックでも演奏した 「ダンスサイトジンギスカン」。 ナル先生に教わったダンスだけはバッチリに、 今年も風に煽られながら(譜面台がふっとぶー) 大はしゃいぎを繰り広げた後は、 フリピには珍しいバラード曲 「ヒール・ザ・ありがとう」でしっとりと、 ウクレレらしいほのぼのした雰囲気を…と思ったのも束の間、 普通じゃ締めくくれないのがザ・フリッピーズ。 NEXT COMINGの ウクレレサンタさんを見つめるサプライズで会場を大いに沸かせ、 15分のステージを終えました。
そして写真を撮ったりわちゃわちゃしたりしてたら始まった ウクレレさんたさんのステージ。 今回は、うだっちさんとの初ユニットということで、 このテンションのママ応援するしかないーー!とはしゃいでいると、、 運営さんも一緒に踊り始め… 「楽しむ天才だね」という、素晴らしいお言葉を拝借。 何よりの誉め言葉です。
そしてその後もいろんな人のステージ見ては 素敵な演奏をBGMにダンスを披露するフリピ。

そう、自分たちのステージより、 うまい方々のステージで大はしゃぎするほうがフリピっぽいのよね。 なーんてニヤニヤしつつも 場数を踏むごとにどんどん進化するフリピ。 時間とともにメンバーの結束も強くなり、 デビューする頃にはどんなパワーを持ってるんだろう。
2033年6月9日のデビューまで あと8年です!
ちなみに次の出演は 6月14日(土)12時~ 「コマエdeハワイ」です。こちらもよろしく!
🌈6月1日(日)ウクレレ愛ランドフェス セットリスト ダンスサイトジンギスカン ヒール・ザ・ありがとう
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ヨーロッパを制覇したカーリヤ、いよいよ日本上陸!
日本でのライブについて触れたインタビュー記事がアップされましたので、和訳してみました!
以下和訳⇩
すべてはユーロビジョンから…いや、正確には、10年前、フィンランドのヴァンター郊外から始まった。 「Cha Cha Cha」でヨーロッパの聴衆を沸かせ、国際的な注目を集めるコラボ曲にも参加するカーリヤは今、 日本進出を見据えている。 まったく新しいチャレンジ――日本のリスナーに、フィンランド語で、メタルの影響を受けたパーティー系EDMポップスを届ける。これ以上クレイジーなアイディアはあるだろうか? こんなクレイジーなことに挑戦できるのは、イェレ・ポウホネン=カーリヤだけだろう。そう、彼は6/12、カーリヤのアジア初となるライブのため、大阪に向かう。このライブは2025年大阪万博にて実施されるフィンランドデー、より正確には「Party like a Finn – Rock & Fashion」という夜のパーティーイベントのプログラムの一つとして開催され、カーリヤと、ヴォーカルグループTuuletarが演奏する。 とはいえ、予想以上に国際的になったカーリヤのキャリアの、次のステップとしてはこれは完全に理にかなったものだろう。ヨーロッパをは制覇した。新天地��乗り出すときが来たのだ。 「カーリヤのスーパーヒーローみたいなバイブスや、ボレロ、ボウルカットは、日本の聴衆にウケるんじゃないかとずっと考えていました。それに彼らは、ヘビーな音楽や、ほかのフィンランドの音楽も好んでいる」バーゼルからのビデオ通話で、ポウホネンはそう語った。「ずっと日本をヨーロッパの次に目指すマーケットだと考えていました。日本は巨大なマーケットで、そこで成功すれば、ずっとツアーを続けることができる。もちろん、そのためには大きな努力は必要ですが」 ストリーミング数を分析すると、アジアには成功の兆しがあった。「実は昨日、ここバーゼルで、東京から来たというファンに会ったんです。彼は僕のフィンランドのギグにも来てくれていました」そう話す彼は明らかに嬉しそうだった。 「とにかく現地に行き、ライブパフォーマンスを見せるしかない。それがKäärijäとしてずっと信じてきたことなんです。僕たちがやってることを生で見てもらえさえすれば、きっと伝わるって! それに、日本語をいくつか覚えてステージで話せるようになれば、きっと喜んでもらえると思います」
ピープルズチャンピオンの帰還
もちろん、ポウホネンはユーロビジョンのためにバーゼル入りしている。昨夜、彼は2024年のフィンランド代表エリカ・ヴィクマンとともにステージに立った。数日後には、彼は再び決勝のステージで会場を沸かせる。今回はクロアチアのベイビーラザニア(昨年の大会でファンの人気者だったアーティスト)と一緒だ。コラボ新曲「#eurodab」を、テレビで最大級の視聴者に向けて披露する。 Käärijäのワールドワイドな旅路が始まった場所がユーロビジョンだったことを考えると、これはパーフェクトな舞台だろう。2023年大会で、「Cha Cha Cha」は圧倒的視聴者票を獲得し、優勝したスウェーデンのLoreenと僅差で2位となった。 それ以降、物語は急速に動き出した。 「言うまでもなく、もし「Cha Cha Cha」がユーロビジョン関係なしにリリースされたとしたら、こんなことは起こらなかったでしょう。偶然海外の誰かがこの曲を見つけ、そこから何かは生まれたかもしれないけど、この一連のフィーバーは…ユーロビジョンのおかげですね」ポウホネンは言う。
コラボレーションの力
少し時間を戻そう。 イェレ・ポイホネンがラップに出会ったのは、フィンランド南部ヴァンターの郊外で中学校に通っていたときのことだった。 2014年ごろから、彼は自分で曲を作り始めた――EDMに、ラムシュタイン風のヘビーな要素を融合させたスタイルだ。 カーリヤの初期作品は完全にDIYだったが、やがてワーナーミュージック傘下のフィンランドの有名ヒップホップレーベル、Monsp Recordsの目に留まることとなる。 「たしか6年くらい前だったと思いますが、プロデューサーと一緒に、どうやったらドイツに売り込めるかって真剣に考えてたんです。ベルリンの街角にラジカセ持ってって、カーリヤの曲を流そうかって話までしてましたね。しかもその時点では、まだ国内でもブレイクしてなかったのに!」ポウホネンは笑う。 次の大きな課題は、「ユーロビジョン・マジック」が解けたあと、このモメンタムをどうやって維持するかということだ。 「ユーロビジョンを追いかけてない人たちも、僕の音楽を聴いてくれています。もしこれが一過性のユーロビジョンフィーバーなのだとしたら、僕たちが今もギグを完売させられるわけがない。確かに火をつけてくれたのはユーロビジョンですが、今はもうそれを超えた広がりがあるんです」 カーリヤと彼のチームはすでに、今後数年の具体的なプランを立てている。 「ヨーロッパでのツアーや、もっと規模の大きいショーの計画も立てていますし、日本には特にフォーカスしてます。もちろん、さらに先のことも考えてますよ。今後の展開についてもね」 戦略のカギとなるのは、様々な国のアーティストとのコラボレーションだ。これまでカーリヤは、クロアチアのベイビーラザニア、エストニアのトミー・キャッシュ、オランダのヨースト・クライン、そしてスウェーデンのホーヤと言った同志たちとタッグを組んできた。そして今後もさらにコラボは続く、とポウホネンはほのめかす。
すべては笑顔のために
Käärijäという名前を訳するのは難しい。文字通りの意味は「包装紙(包むもの)」となるが、フィンランド語の「“kääriä rahaa”(=あっという間に金を稼ぐ)」という表現に由来している。 この名前はアイロニ���クで、カーリヤは決して大金を稼ぐためにやっているわけでない。すべては楽しむためだ、とポウホネンは強調する。 「僕はこの仕事が好きだし、僕たちの生み出しが音楽すべてを愛しています。もう「Cha Cha Cha」はやりたくない、と思う日が来たとしたら、その時こそが物事を考え直すときなんだと思います」 「僕たちはただ、いいものを作り出し、楽しもうとしているだけ。僕は自分自身、そしてフィンランドの人達に、(自分のやっていることは)世界で通用するんだと証明したいんです」 ポウホネンは、フィンランド語が障壁になるとは思っていない。 「フィンランド語でいい歌を作って海外の人とつながることができれば、なんだってできるってことを、僕たちはすでに証明したと思っています」 なんだってできる――しかし、彼の一番の野望について聞くと、カーリヤはフィンランド人らしく、地に足の着いた現実的な姿勢を崩さず答えた。 「ドイツかイギリスでアリーナライブができたら、クールだと思う。まずはそこから始めようか」
<終>
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パリンプセスト(英語: palimpsest)とは、書かれた文字等を消し、別の内容を上書きした羊皮紙の写本のことである。
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パリンプセスト - Wikipedia
紙が普及する以前には羊皮紙を使うことが一般的であったが、高価であったため、不要となった写本を再利用することが行われた。消された元の文章等は肉眼では判別しがたいが、紫外線やX線等を利用する特殊なスキャナを使って復元することができ、そこに貴重な古文書が隠れている場合がある。
Palimpsest - Wikipedia
(自動翻訳)
パリンプセストという言葉はラテン語の パリンプセストスに由来し、これはπαλίμψηστος、palímpsēstos [ 4 ](古代ギリシャ語のπάλιν (pálin) 「再び」とψάω (psáō) 「削る」に由来)から来ており、この複合語は次のような過程を描写している: 「元の文字は削り取られて洗い流され、表面が再び滑らかにされ、新しい文学���資料が回収された材料の上に書かれた。」[ 5 ] 古代ギリシャ人は蝋で覆われた板に尖筆で書き、蝋の表面を滑らかにして再度書き込むことで文字を消していた。この習慣は古代ローマ人に取り入れられ、彼らは再利用可能な蝋で覆われた板に書き記した。キケロがパリンプセストという用語を使用していることからも、このような習慣があったことが分かる。
口語では、パリンプセストという用語は、建築、考古学、地形学でも、ある目的のために作成または加工され、後に別の目的で再利用されたオブジェクトを指すために使用されています。
Palimpsest (disambiguation) - Wikipedia
書籍とジャーナル]
パリンプセスト(小説)、キャサリン・M・ヴァレンテ著、2009年
Palimpsest (中編小説)、チャールズ・ストロス著、2009
パリンプセスト、ゴア・ヴィダルの回想録、1995年
パリンプセスト:第二段階の文学、ジェラール・ジュネット著、1982年
音楽
パリンプセスト(アルバム)、プロテスト・ザ・ヒーローの2020年のアルバム
パリンプセスト (クセナキス)、ヤニス・クセナキスによる室内楽作品、1979 年
パリンプセスト Iとパリンプセスト II 、ジョージ・ベンジャミンによる管弦楽曲
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コンポージアム2023 近藤譲を迎えて – ぶらあぼONLINE | クラシック音楽情報ポータル
近藤譲「パリンプセスト」オーケストラ作品
5曲目のタイトル《パリンプセスト》(2021)は、文字を消して再利用された羊皮紙を指す言葉。グレゴリオ聖歌のレスポンソリウムを下敷きにして書かれたピアノ曲《柘榴(ざくろ)》(2020)をオーケストラで書き直した曲だ(「 九州大学 芸術工学部 公式チャンネル 」で、この原曲の演奏が聴ける)。結果的には2004年の管弦楽曲《夏に》の前半部をよりストイックにした音楽にも視えてくるのが面白い。
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Erased de Kooning Drawing / *Visionary Tokyo / Ring of Colour
ロバート・ラウシェンバーグ が1953年に制作した「Erased de Kooning Drawing(消されたデ・クーニング)」という作品。これは文字通り ウィリアム・デ・クーニングのドローイングを消しゴムで消し去ったという作品。

元になった作品は、当時すでに巨匠であったデ・クーニングに意図を説明し、ドローイングを提供してもらったのだとか。さすがにキャンバス作品を消す勇気は無かったのかもしれません。そしてこの付属のタイトルカードの文字はジャスパー・ジョーンズが書いたと言われています。この辺りの経緯も興味深いですね。
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