#無葉風扇
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生活家電【白酷咪MAO air cool-Mist 3in1清淨保濕無葉風扇】無扇葉親子家庭必備!九段風速沁涼一夏!清淨空氣+涼風扇+室內保濕一台搞定

南臺灣夏天真的不只需要冷氣吹涼涼~ 還要配合一台多功能大風量的循環扇. 不但可以增加空氣對流,還能節省電費. 白酷咪MAO air cool-Mist3in1清淨保濕無葉風扇~ 太強大!涼風扇+空氣清淨+環境加濕! 空間有限!親子家庭大推薦!自動模式超便利. 內含UV殺菌燈,空間隨時淨化空氣,好安心. 加上加濕功能,冷氣房室內保濕不乾燥,操作簡易. 一台無葉風扇搞定需求,九段風速,無扇更安全.
生活家電「白酷咪」無扇葉親子家庭必備!九段風速沁涼一夏! 清淨空氣+精油芳香+空氣加濕+涼風循環一台搞定

白酷咪MAO air cool-Mist 3in1清淨保濕無葉風扇│產品宅配
Bmxmao MAO air cool-Mist 清淨保濕無葉風扇~ 放入紙箱完整包裝. 最外層還用合身紙箱包覆起來運送到家! 可以足夠保證送到客人手上,不會碰壞.
日系人氣家電「Bmxmao」產品多樣化~ 無線吸塵器、掃地機器人、空氣清淨機、 冷暖循環扇、日常照護...等家電產品!

白酷咪MAO air cool-Mist 3in1清淨保濕無葉風扇│產品配件
箱內各樣配件都有分隔擺放. 主機、HEPA抗菌複合濾網、遙控器、 量杯、說明書&保固卡、產品退換貨&開封說明書、 遙控器、電線、水箱.

整個組裝過程相當簡便. 先把HEPA抗菌複合濾網放入主機體. 然後,再把水箱機按照說明書來安裝.


空氣清淨、香氛加濕
HEPA抗菌複合濾網,運作720小時後. 螢幕會有濾網更換提醒. 大家不用擔心更換時間,真的相當智慧. 若要更換濾網,一定要注意切斷電源再換. 此外,濾網不可水洗唷!
濾網有第一重,抗菌過濾. 以及有第二重,HEPA高效過濾. 可以阻擋顆粒,灰塵、煙霧、寵物毛髮等~ 所以家中有養毛小孩的朋友們真心入手呀.
霧化水箱操作也操輕易,放入適量水,可用量杯. 滴下精油,可選自己喜愛味道,紓壓忙碌心情.
同時開啟涼風扇和霧化模式,真的有夠好用. 還能有著加濕功能,按下自動模式. 當環境濕度達到55%自動停止出霧,有夠貼心. 說明書有多種操作方式,可視個人需求. 清楚明瞭的介面,真是適合我這懶人操作.


繼續閱讀:https://fresa58.com/mao-air-cool/
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Today I read that A story (short history) on FB about two Chinese artists ... Qi Baishi 齊白石 & 徐悲鴻 Xu Beihong
好感人啊!俺哭了,淚流不止… 😭 這大過年的,管它吉利不吉利的,總比憋得內傷要好。朱蘭我給妳腦門頂上貼個 🧧 red 🤣,沒事的!Lan~*
《知音》忘年之交 (Two famous Chinese painters their friendship between generations.)
徐悲鴻比齊白石小30歲,年齡的差距,性格的不同,並沒有阻礙兩人友情的發展。徐悲鴻是齊白石的摯友也是恩師。
最憐一口反萬眾 使我衰顏滿汗淋
這是節錄齊白石寫給徐悲鴻的詩。
草廬三顧不容辭, 何況雕蟲老畫師, 深信人間神鬼力, 白皮松外暗風吹。
一朝不見令人思, 重聚陶然未有期。 海上清風明月滿, 杖藜���夢訪徐熙。 ─ 齊白石
👇 徐悲鴻 Xu Beihong 畫馬



👆 齊白石、徐悲鴻 芋葉小雞圖 102cm×34.5cm (left)
徐悲鴻 竹下雄雞圖 148cm×54cm (right)
1953年,徐悲鴻因腦溢血病逝,事後三年,徐家每月還是準時給齊白石送錢。 92歲的齊白石���知老友已逝後,急忙趕去徐家,一進門就下跪,任何人勸說,他都不肯起來。 徐悲鴻比齊白石小30歲,年齡的差距,性格的不同,並沒有阻礙兩人友情的發展。 在徐悲鴻內心,齊白石不僅是自己的摯友更是恩師,而齊白石卻說徐悲鴻是他一生的恩人。(👇continue...)
1928年,留法回國的徐悲鴻擔任北平大學藝術學院院長,為了將中國畫發揚光大,徐悲鴻一直在尋找有繪畫藝術天賦之人。 或許是冥冥中自有天意,一次偶然的機會,徐悲鴻在陳散原(歷史學家陳寅恪的父親)先生家見到兩副畫《柳塘游鴨》《枯藤群雀》,他驚嘆不已,一打聽才知道是出自民間木匠齊白石先生之手。 於是第二天便登門拜訪。 當時齊白石正在趕制兩方印,徐悲鴻只能站在旁邊等候,因此也親眼目睹了老先生篆刻的章法和刀法。 “蒼勁有力,好像呼呼風聲,篆法高雅,佈局奇崛古樸。” 徐悲鴻驚訝又興奮。 當看到牆上的一幅公雞時,不由得又贊嘆: “先生您的畫自然古樸,不落古人窠臼,自成一格,您看這只只公雞,在不求似中得似,更顯神韻。” 此時的齊白石每天窩在家裡以賣畫為生,經常遭人白眼,看到如此懂自己欣賞自己作品的人,不由得為之動容,上前抱拳道: “知我者,悲鴻兄也!” 徐悲鴻見狀,立馬錶明自己今天來的目的,是想請先生出山,去北平藝術院給學生授中國畫課。 齊白石先是一驚,隨後立馬拒絕道: “我一個鄉巴佬,去洋學堂講課,恐怕會給您徐院長帶來麻煩。” 而徐悲鴻卻表示: “能請先生出山,乃我校之榮幸,何來麻煩一說。” 但後面不管徐悲鴻說什麼,齊白石都是拒絕的。 這樣來來回回,直到第三次,齊白石仍以我是湖南土音不適合授課為由,拒絕任教。 徐悲鴻卻再三懇求並表示: “只要先生您作畫示範就行,不用授課,道理就在其中,為表誠意,願意每天自駕馬車接送,親自作陪。” 就這樣,農民出身的齊白石當上了北京藝術學院的教授,憑借藝術天賦和繪畫功底得到了許��學生的尊敬。 徐悲鴻不僅履行了當初承諾,更是夏天為齊白石裝風扇,冬天為他生暖爐。兩人經常在一起探討繪畫,交情也是一天比一天深厚。 可好景不長,一些保守派聯名抗議,反對將西方的繪畫改造成中國畫,後面事情越鬧越大,徐悲鴻迫於無奈,辭去了院長一職,離開了北平。 徐悲鴻一走,齊白石也不去上課了,學院多次派人去家裡請他,結果齊白石直接遞上一張紙條,上面寫著: 齊白石已死。 為了表達對徐悲鴻的恩情,齊白石又作詩兩首: 草廬三顧不容辭, 何況雕蟲老畫師, 深信人間神鬼力, 白皮松外暗風吹。 一朝不見令人思, 重聚陶然未有期。 海上清風明月滿, 杖藜扶夢訪徐熙。 並贈一幅“尋舊圖”給徐悲鴻,興起,他自己又再劃一幅留給自己。 後來,兩人一直保持著書信來往,當時齊白石還沒有出版自己的正式畫集,徐悲鴻便親筆給中華書局負責人寫信,推薦齊白石的畫集,親自寫序,讓齊白石在藝術界快速站穩腳跟。 而齊白石對徐悲鴻也特別信任,有人告訴他即將有生命危險,讓趕緊離開,齊白石當時也忐忑不安,糾結要不要走,可徐悲鴻讓他留下來,他想都不想就答應了。 1953年,徐悲鴻去世,徐家兒女考慮到齊白石的年齡,就沒敢告訴他,每當齊白石問起,總是說父親出國了,要麼出差了,並且每月以父親的名義給齊白石送錢。 可不料,紙終究包不住火,一次齊白石遠方的學生來看望他,無意間說漏了嘴,齊白石還是知道了。 據畫家郭味蕖回憶,他曾在徐悲鴻紀念館接待了齊白石: “1956年深秋,齊白石老人得知徐悲鴻先生去世的噩耗,立即趕來,一進門就要跪拜,老人眼裡滿是淚水……許久之後才緩緩說要看徐先生的影像。” 徐悲鴻是齊白石的摯友也是恩師。 最憐一口反萬眾 使我衰顏滿汗淋 這是節錄齊白石寫給徐悲鴻的詩。 高山流水,知音難覓,子期離世,伯牙毅然斷琴,徐悲鴻的離世,讓齊白石如何不傷感呢? 徐悲鴻先生在名冠京華之時,能夠三顧茅廬請出布衣齊白石先生,可謂是慧眼識珠。他們都把對方當成畢生的知己,友情早已超越時空,天長地久。 大千世界,人海茫茫,君子百朋,此生能得一知己,足矣!
article via 慕道生 and Slightly edited by Lillian Don
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中秋大團圓
#柳沈 #渣反 #SVSSS
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中秋是個團圓的好日子,今日蒼穹峰特別熱鬧,12峰主齊聚一堂,掌門大開宴席,連一些回不了家的弟子們也都可以參加。
直到尚清華拿出月餅後大家就陷入了一片死寂⋯⋯
原來岳清源交代,讓尚清華採購月餅,殊不知這個人用月餅悄悄的計畫了一盤復仇大棋,(其實就是俄羅斯輪盤月餅)數量及種類多到連他自己都記不清那種。
秉持著獨樂樂不如眾樂樂的心態,尚清華笑嘻嘻的把月餅堆在院子中心的大桌上,熱情講解遊戲規則!
現場只有沈清秋知道這遊戲的可怕程度!臉色發白的拿著扇子捂遮著嘴。
掌門師兄還不解的道:「只是個小遊戲,熱鬧氣氛也好。」就笑咪咪的批准了。
此時的月光照亮蒼穹峰每個角落,奇石、巨岩、老松、翠竹、小溪、池塘、好一副絕美山水,但只有後院,用慘不人堵都不足以形容慘況⋯⋯
===== ===== ===== =====
桌上一盤盤各色月餅,有的是金黃外衣撒著芝麻的傳統月餅,也有方正油潤的鹹月餅,粉白圓滑的豆沙月餅,上面紅色小兔子印紋特別可愛,最吸眼球的就���水晶月餅,外表晶瑩剔透,裏面五顏六色豆沙餡、底下鋪著翠綠的竹葉,在點綴上金箔,要說多好看就有多好看。
正當眾人一陣猛誇讚尚清華用心時,只有沈清秋將木清芳拉到一旁,小聲問:「你們煉丹爐還有多少解毒藥?現在、立刻、馬上、全部拿出來!」
木清芳一臉疑惑的問:「師兄怎麼了嗎?」
沈清秋嚴肅的道:「你別管!有多少都拿出來!等一下一定會用到!」
在一旁的柳清歌看他這麼緊張也湊過來問:「怎麼了?」
沈清秋一把啾著柳清歌的衣領,一臉慎重的說:「千萬別吃!否則後果不堪設想。」
「喔!」:柳清歌只顧盯著師兄的眼睛,一時之間什麼話也沒聽進去,就胡亂的應了一聲。
只有沈清秋保持高度戒備,因為他知道尚清華的尿性,這個人就是喜歡搞事情。
果然不出所料沒過一陣子,院子裡就已經有不少弟子橫七豎八的倒在一邊陣亡了。
有的吃到辣椒因此把頭埋進水缸裡狂灌水,有的雙眼無神呆坐一旁,有變成動物四處奔逃、還有不斷發出豬叫的、更有位女弟子雙峰從A罩杯直接升級成D罩杯,惹得其她女弟子紛紛搶食後產生各種中毒症狀!大家才知道這俄羅斯輪盤的可怕之處紛紛後退。
尚清華見大家停下來不吃了,連忙喊:「你們怎麼不吃了?裏面還有包元寶、靈石的。」
眾弟子一聽,還有靈石?元寶,心一橫,反正也不至死,紛紛又圍了上來搶食,導致更多弟子中毒,還有咬太用力咬到元寶把牙給咬崩的。
本以為只有弟子倒霉的沈清秋發現案桌上也有幾顆月餅?
頓時陷入恐慌….這…..是掌門發的?還是尚清華做的??
這時岳清源拿起月餅淺嚐一口,笑咪咪的說:「是花豆餡的啊,餅皮酥脆薄而不膩,好吃!」
沈清秋忍不住盯著掌門師兄看、手中雅緻的竹扇快被他搧成蒲扇。
沈清秋想:師兄似乎沒事,這表示這個餅不是尚清華他們做的,是安全的可以食用?
正當他還在這樣想的時候,木清芳已經變成了一隻鴨子,在一旁嘎嘎嘎的亂叫。
而師妹齊清淒已經一腳踩在案桌上撩起裙擺準備暴打始作俑者!
一旁的柳冥煙驚訝的問:「師父!?….胸…胸部⋯胸部不見了?」
齊清淒已經快氣死,原本的柳葉眉變成有菱有角的劍眉,儼然一副俊美少年模樣。
她已經無法冷靜,指著尚清華大罵:「快交出解藥!不然老娘跟你沒完!!」
其他峰的峰主見狀紛紛放下手中的月餅,直直的盯著尚清華看!
尚清華溜的快,躲在柳師弟身後,一副小人得志的樣子,對著大家辦了鬼臉說道:「哼!誰叫你們老是欺負我們安定峰!我們是後勤單位,不是什麼擦屁股單位欸!這就是我給妳們的一點小小的教訓。」說得那是一個理直氣壯。
話音剛落,整個人被柳清歌一把提起,像抓小雞一樣,見無法掙脫,尚清華奸詐的一笑對著柳師弟說:「師弟~難道你就不想看見沈清秋春心蕩漾的模樣嗎?」
柳清歌頓時愣了一下,陷入沈思。
尚清華拿著手中的月餅遞到柳師兄面前,那如同惡魔的聲音又說:「想想沈師兄在床上嫵媚嬌柔的樣子,你一定會後悔錯過的!」
見柳師弟耳根一陣躁紅,他又繼續說:「吃上一口可以展現雄風,而沈師兄的可以化骨纏綿,而且此毒只有你能解,錯過就太可惜嘍~不是我老王賣瓜自賣自誇,呲~呲~呲~要弄到那西域的催情花可真費勁了~」
「你想如何?」柳清歌咬著後槽牙低低的問。
「幫我!今天的復仇絕不能失敗!」尚清華說完就把月餅往他嘴邊塞,還露出調皮的笑容。
看著眼前月餅如同白雪公主的毒蘋果一樣的有吸引力,柳清歌忍不住的咬了一口。
此時飛劍霹來,柳巨巨本能反應是召出乘鸞、一個清脆響亮的聲音,擋下齊師姐的劍。
齊清淒驚呼不已:「柳師弟!?」
「手誤….」柳清歌一臉艱難的道,順便把餅給嚥了下去。
齊師姐快氣瘋了!舉著長劍指著柳清歌道:「師弟你這也是要下犯上了?!」(大怒)
「我….沒有…..」柳清歌面色難看⋯⋯
就這樣來回打了十幾招、但無論師姐如何出招,都無法傷到尚清華分毫。
只有尚清華如同反派一樣在旁邊,快樂的說著風涼話:「師姐!你們今天誰也��不了我,有了柳清歌在手,我的計畫天下無敵!哈哈哈!」
「哇!師尊好帥!」:女弟子A
「師尊太俊了!」:女弟子B
「師尊我能為了您生猴子」:女弟子C
齊清淒越聽越生氣!「一群花痴…..」
又看到一旁看戲的尚清華,真的是忍一時越想越氣,退一步越想越虧,出手越發兇狠。
柳清歌抵擋一陣,覺得再這樣下去,等一下還要怎麼帶師兄賞花燈和煙火?只能一咬牙,直接把尚清華這個大麻煩,往山腳下扔了出去,彷彿一道璀璨的流星畫過天際,氣的齊師姐臉色烏青。
空氣中只留下尚清華的豪言壯語:「祝大家中秋節快樂!」
「哼!柳師弟以為這樣就能讓他逃過一劫嗎?」說完齊清淒帶著剩下的女弟子,下山報仇去了。
正當柳清歌嘆了一口氣以為麻煩結束了的時候。
沈清秋顫顫巍巍的道:「你…..長出老虎的耳朵你知道嗎?….」
柳清歌:!!$#+=$)%^*+
眾人紛紛搖頭嘆氣😮💨
掌門岳清源抱著變成鴨子的木師弟,笑呵呵的看著大家。
(完)
去年寫的梗今年才拿出來用🤣我真是寫太慢了。
錯字一定有,還請大家多包涵🙏
祝大家中秋節快樂💕
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出会った頃から掴めない人だった。もう8年の付き合いになると気づいた時、お互いに笑ってしまった。初めて会った日を全く覚えていないし、恐らく相手も覚えてないだろう。学生の頃は良く遊んでいたけれど、社会人になってから予定がすれ違い、久しぶりに会うと随分と髪が伸びて、金髪になっていた。新宿駅の待ち合わせでかなり探してしまった。お互い最後にいつ会ったかも覚えていなかったけど、たまに交わす連絡で大まかな近況は知っていた。4年付き合った彼女と別れた、私は仕事を辞めた、など。暑い夏の日だった。
そこから1年半後、最悪の状態で終電を無くした私はダメ元で「家に泊めてくれないか」と連絡していた。1人暮らしで夜中に起きている人はかなり限られている。3人に連絡して、1番最初に連絡が返ってきた。同棲していた彼女と別れて1人暮らしに戻っていた家に、こんな形で来ることになるとは。笑ってしまった。タクシーで向かうと、1年半前よりももっと髪が伸びて、後ろにひとつに結んでいた。毛先だけ金髪で、また誰なのか分からなかった。学生の頃は私が喫煙者、相手は非喫煙者。嫌煙していたのに、今では喫煙可能の喫茶店を探すほどに。ワンルームなのに煙草の匂いが全然しなかった。「生活感がない」とい��言葉を体現したかのような人間なので、部屋も本当に物がなかった。同��する前の、学生の頃に住んでいた家は何回も行ったことはあったけど、その時よりも何もなかった。柑橘の、何か甘いような匂いがした。夜中に押しかけた上に、1年半ぶりの再会がこれなので、申し訳なさすぎてベッドの横に座布団を敷いて、座ってずっと映画を見ていた。仕事終わりだったらしく、すぐベッドに入って眠っている。時間が過ぎるのを待てれば良いので、息をひそめていた。寝返りを打つたびに、手が触れるのを感じていたけど、もう良い大人なので、気付かないふりをした。床が冷たすぎて、何も考えずに済んだ。
お互い何も言わないけれど、学生の頃に、何度もキスをしたことがあった。その先の、線は越えていない。不思議な関係だったことを、そういえばずっと忘れていた。それが去年の、寒い日だった。
年が明けた。ダラダラとラインをしていると「めちゃくちゃ酔っ払った」と来た。どうやら新年会で飲みすぎてしまったらしい。水を飲め、など面白がっていると「暇なら来てほしいレベル」との連絡。この前世話になったしな〜と、支度を始める。まだ三が日が過ぎたばかりで、私が家に押しかけた日から1ヶ月も経っていなかった。ウケるな〜と思いながら、タクシーに乗って向かった。夜中の0時前に着くと、ベッドに転がっていた。めちゃくちゃ酔ってるけど、頑張ってお風呂には入ったらしい。危険な行為すぎて呆れてしまった。しばらく酔った人で遊ぶ。おでこにペットボトルを乗せたり、水を飲ませたり。何要員で呼ばれたん?と聞くと、心の支え・おしゃべり要員、と言われた。そう言った割にすぐに寝息が聞こえた。まだ着いて1時間も経っていなかった。床が冷たすぎる。暖房がついてるはずなのに、顔にだけ温風が直撃して死にそうなので、寝ているのを起こしてベッドに入って良いか確認、滑り込んだ。背を向けて横になって寝ているので、私は壁に背をつけて、下半身だけベッドに入った状態で映画を見た。腰が痛くなって、私も横になる。お互いに背を向けた状態で寝っ転がって、ぼんやり映画を見ていると、後ろから抱きしめられた。もう私は彼氏と別れていたし、なんとなく予感と期待があったので放っておいた。暖かい。映画を見始めたばかりなのに、全然集中できないし、眠気も来ない。私は人と一緒に眠ることができない。暖かさだけを感じて、映画を見切った。もう諦めて、お互い向かい合って抱き合った。間接照明も消して、窓から明るさだけが頼りの部屋で。線を越えたことはないし、多分これからもない。性的な雰囲気が一切ない男だ。不思議と、それが私を安心させた。背中に回った腕で、背骨と肩甲骨の形を何度もなぞる。痩せていて、大きな背中だ。向き合っているので、何度も目が合う。唇ばかりに目が合ってしまう。暑い。手が何度も頬に触れて、焦げる。同じことをきっと考えているけど、何も話さなかった。キスをした。唇の形を確認し合うような、軽いキス。何も話さず、キスをしては抱きしめ合って、背骨の数を何回も数えた。1、2、3...と数えても、途中で分からなくなった。カーテンの隙間から、朝日が差し込んできた。何故か遮光カーテンだけで過ごしている。カーテンレールに、毛布を掛けて、朝日が眩しくないようにしていた。またベッドに戻ると、少しだけキスをした。
二日酔いどう?と聞くと、まだ頭が痛い、とうんざりした顔をしていた。ベッドから出ると、何も起きて無かったかのように、数時間前のように、2人で換気扇の下で煙草を吸った。仕事が残っているのはいつものことで、15時頃に一緒に家を出た。タクシー代をきっちり回収して、電車で帰った。コートとマフラーから、あの、柑橘の甘い匂いがして、顔を埋めた。体温を反芻しては、どんな性行為をするんだろう、と想像してしまい、死にたくなった。
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20241117
日記を書く。日記とは本日起きたことについて頭の中をふらふらと千鳥足で浮遊している言葉たちを文字にまとめて起こすことで、そういう意味ではおれはうんちを漏らしたという日記以来、まともな日記なんて書いていなかったのかもしれない。その日に起きた出来事を書くから日記なのであって、そのとき思ってることだけや過去の出来事ばかりを書くことは日記ではないのかもしれない。そんなことはどうでもいい。
11時頃目を覚まし、二日酔いでないことに安堵する。昨日はどういう経緯でだとかどうしてだとかはわからないが、確か妻と代々木から渋谷まで歩き17時頃にかつて羊がベランダで飼われていた桜ヶ丘珈琲(?)で白州のソーダ割りを2杯飲んでそのあと静岡おでんがめちゃくちゃにうまい店でおでんをつまみに日本酒を2合飲み、家に帰って朝5時までジムビームのソーダ割りをでかいTHERMOSのジョッキで飲みながらamazonprimeのThe boysシーズン4を垂れ流し、気絶するように眠った。
目を覚ますと隣に妻はいない。記憶があやふやではあったが深夜3時頃に美容室を予約していたはずだった。リビングにいくと案の定こたつで眠っている妻の姿があった。妻は金土の夜はow2というFPSを朝日が昇るまで狂ったようにやり続けて疲れ果てて寝るという習性がある。空腹を感じたおれは妻を起こすのは悪いな、と思いつつ適当にカップ麺を作って食べ、珈琲を淹れてタバコを吸った。換気扇の音や煙草の匂いで妻が起きると機嫌が悪くなるということは頭ではわかっているが、ルーティンとして朝の珈琲と煙草をやめることができない。支度をし、美容室に向かう。美容室で散髪中に「今日めちゃくちゃ天気いいよ」と妻にLINEを送る。散髪が完了し、駅前の無印良品まで行き、掛け布団用のカバーを買ったのちクリーニングに出していた羽毛布団を取りに行き、そのまま15時頃に帰宅する。
帰宅すると妻はまだこたつで眠っていた。そばにいき、どこかでかけるか、今日は家で過ごすかの小さな会議をする。結果隣駅の東中野のミスドまで歩いて汁そばでも食うかという話になる。妻の支度が終わるのをダラダラと待つ。16時頃家を出る。東中野まで着いたはいいものの、ミスドは見当たらない。以前妻が行ってみたいと言っていた喫茶店風の店が目に入る。ミスドは諦めてすぐにその店に入る。17時までランチタイムをやっているらしく、変な時間に2人で定食を食べ、おれはビールを一杯飲む。
帰り道、時間がまだ18時過ぎということもあり、妻はまだ帰らずどこかに行ってくると言う。1人で家に帰っても何もやることがない一緒に遊ぶことを提案する。数年ぶりに4円のパチンコを打つことになる。8000円負ける。パチンコで負けた気持ちのまま月曜日を迎えたくなく、どっか適当な安い居酒屋に妻を半ば強引に連れて行く。
店は串カツ田中にした。この間youtubeでサンシャイン池崎が楽しそうに串カツ田中で飲んでるのをみたからだ。妻はホットウーロン茶を頼み、おれはチンチロハイボールを頼む。チンチロの目は奇数で、通常料金のメガハイボールが目の前に置かれる。さきほど定食を食べたばかりで腹も減っていないが、適当につまみを頼み、2回目のチンチロに臨む。また奇数で通常料金のメガハイボールが目の前に置かれる。パチンコといい、今日はとことんついてない日だなぁなんて思いながら、壁にかけられたテレビに映った「世界の果てまでイッテQ!」を眺め、妻とあーでもないこーでもないと話をし、店を後にする。
家に帰ると溜まった洗い物が我々を迎える。いつもなら洗い物はおれがしているが、今日はとことんやる気にならず、おれはこたつで寝てしまい、その間に妻が不機嫌になりながらも洗ってくれていた。
目を覚まして、風呂に入る。風呂から出ると時間は23時30分を回っていた。0時30分にはシラフで寝たいおれだったが、湯船でほてった身体を冷ますためにグラスに氷を入れ、数年ぶりに相対性理論を聴きながらラフロイグのソーダ割りをゆっくりと飲んだ。
日記を書こうと思った時間はすでに0時を回っていて、書き始めた頃にはラフロイグのソーダ割りを飲み干してしまったため2杯目を作る。相対性理論を垂れ流しながら日記を書く。そして今が深夜1時だ。日曜日の夜深夜まで飲むと確実に明日の仕事がつらくなるため何もいいことはないが、おれは日記を書きながら酒を飲むことを選んだ。なぜなら馬鹿だから。
こんな感じの日常を、東京に来てから��この半年間、淡���と過ごしている。毎日進歩や前進ができているわけではないが、毎日どこかに必ず新鮮味や楽しさが含まれている。淡々と今日起こったことを他人が読むとつまらない以外の感情は湧かないと思うが、今日みたいな東京の日常がいつかのおれにとっては鈍色に眩しく光る思い出となるはずだ。
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モラテク見本市🎡
@きんたろうむすめ
1 日前
あきらかに自分がおかしいこと言ってんのに
相手を馬鹿にするように笑って、私は落ち着いてますよ風を装って相手がおかしなことゆってるように印象操作する。これが立花のやりかた。筋肉弁護士がゆっとることが100%正しいと普通の脳みそ🧠もっとる人やったらすぐ分かる対談でした。お疲れ様でした!
@ginikuro
1 日前
相手にするとバカを見る、と関わると貰い事故るからわかっていて皆が直接向き合わないことに、真正面から切り込んでくれました。
立花さんは質問に答えないで、相手の言葉尻や枝葉の部分を取り上げ、
そこに少しでも穴があるとそこを攻めてきて時間を稼ぐという繰り返し。見ている方でもイライラしっぱなし。
そこを何回も元の道にもどそうとされていました。話が平行線なのは人間性のレベルが違いすぎ。
本当におつかれ様でした。
ー
注意して観ないとカピバラの独壇場のように印象付けられてしまうカピバラお得意の(というかそれしかない笑)モラテク見本市のような対談だった笑
具体的には態度の見せ方から戦略的で何を言われても落ち着き払って含笑いしながら決して敵意を見せず、その上で時折呆れたように「おいこの弁護士大丈夫か?」などと相手を貶す発言を差し挟むのはこれだけで明らかに失礼な態度であるしモラハラ尊師確定()なのだが多くの人にはこれが説得力として作用してしまうらしい。真偽不明な不倫ネタで一般市民の道徳観を利用して自分に課された目的(恐らく統一教会絡みの政争)のために散々煽り、扇動しておいて、デマ���恫喝で人を死に追いやることも厭わないその倫理観を問われれば「ボク、悪い人だもん⭐︎」の一言で開き直り。こういうのは典型的な詐欺師やヤクザのテクニックではないのか。この手の輩には正論は通じないし正攻法でいっても無駄に疲れるだけなので「そんなに問題があるなら訴えて下さいよ」とご本人自らも指摘しているように法的に裁かれることがないと制御出来ない。一般市民の対抗策としては徹底的に相手にせず存在を無視する態度を貫く方が身のためだと思いますけどね。といいつつ面白いので観てしまったのだが笑
※ 一応お断りしておくと自分は桜井氏の信者ではありません。
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2024/4/30
抗がん剤治療のために2週間母が入院する。これが決定したのが10日ほど前。そしてこの日が入院日。
ほぼほぼ余命宣告されている身として、どのような気持ちで生きているのか心情を慮ることが難しい。
とはいえ、全人類いつか死ぬという宣告はされてるわけで、その間に成長して学んで社会に貢献して誰かに何かしらのバトンを渡して死ぬ。
つまり色々と忙しくてあまり死ぬことについて考えない。母もとりあえず入院やら治療やらがあるのであまり考えないのかもしれない。
やることがなくなったときに一気にとんでもない不安や孤独が襲ってきそうだけど、たまにそれは俺もある。好奇心が枯れるまでは死にたくないので。
町田の隅っこで母と柴犬がひとまとめで実家で暮らしている。そこから母が抜けるわけで、誰が柴犬の世話をするのか。自分しかいない。
というわけで実家に2週間くらいいる。
別居婚なのか、これは。
朝から母に言われたとおりに誰に感謝されるわけでもないのに外猫に餌をやり、それに不満げな柴犬にギョニソを焼いてあげ(ムスケくれて食べないけど)、観葉植物に水をあげ、冷蔵庫にある食材で傷んでいるものを捨てて、なるべく食材を消費するように冷凍されていたアジを焼いて朝食を食べた。

洗濯をしたが、雨予報なのを忘れていた。
風呂場にしか干す場所はなく、浴室乾燥はなく、母は晴れてるときにしか洗濯をしなかったのかと思う。十数年前までは一緒に暮らしていたが母が担当していた家事については、つまり家や家族を維持するためのものには無頓着だったのがよく分かる。
扇風機を洗濯物に当てて、まぁこれでなんとかなるかと。
犬の散歩をして、これは健康になってしまうかもしれないと思いながら仕事のために出かける。
家から駅までやたら遠い。
イレギュラーが多いほうが頭は若くいられるそうだが、2週間。まぁ、仕方ないか。

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2024年12月8日(日)

三重県紀北町・奥川ファームから隔週に届く定期便、今朝はいつもより少し配達が遅かったが、おそらく歳暮の影響だろう。今回は米は休み、平飼い有精卵・畑無農薬野菜・手打十割蕎麦・手作りパン、地鶏は入れ忘れたとのことで数日後に臨時便��来ることになっている。今回のスペシャルは干しイモとシュトレーン、市販のものでは味わえないであろう味と風味(当社比)が嬉しい。奥川さん、いつもありがとうございます。

5時起床。
日誌書く。
ツレアイの起床を待って、洗濯開始。

手打蕎麦が切れたので、今朝は山芋煮麺。
洗濯物を干す。
珈琲をいれる。
昨晩から車に積み込んだままの荷物を片付ける。

MQJ(メモリアル・キルト・ジャパン)のウェブサイトを更新、報告は省略して(ニュースに書くので)事実関係の報告のみ。
研究室のiMac(M3)を次男に譲るので、彼が使用中のiMac(M1)をAppleTradeInで下取り���見積は¥49,000。
奥川ファームから定期便到着、蕎麦は冷凍庫へ、タマゴは冷蔵庫へ、大根葉があったので水にさらしてから、ちりめんじゃことピリ辛炒めに。

ランチ、息子たちにはラ王みそ味、彼女には玉子かけご飯、私は賞味期限ギリギリの肉まんを蒸していただく。
録画番組視聴、
桂紋四郎「饅頭怖い」
初回放送日:2024年12月7日 土曜の早朝は関西の笑いをたっぷりと!▽今回は桂紋四郎の落語「饅頭(まんじゅう)怖い」▽2024年に逝去された落語家・漫才師のみなさんを懐かしい映像でしのびます。
落語のお時間<追悼 桂雀々さん>
私は午睡、彼女は買物に。
作��場の整理、なんとか年内には仕事しやすい環境を復活させたい。
セントラルスクエア花屋町店へ買物、ココの療養食。
コレモ七条店、お弁当用の惣菜購入。
夕飯前に、彼女と三男でココに点滴。
私は夕飯の揚げ物に。

昆布締め厚切りポークを豚カツに、奥川ファームのサツマイモとカボチャを天ぷらに、特売の鰹タタキ、キュウリのぬか漬け、レタスとトマト、それにT姉からいただいたスパークリングワイン。
食事しながら、サラメシを楽しむ。
録画番組視聴、日本の話芸から「芝浜」立川談四楼、随所にオリジナリティーが溢れているが、上下のミスがあって個人的には興ざめ。
昨日の落語研究会の続き、「鰍沢」入船亭扇遊。
片付け、入浴、体重は2日で650g増。
ハーパーのハイボール舐めながら日誌書く。

辛うじて3つのリング完成。
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本来は親友に向けたマンションリフォームのアドバイスだが、LINEで送るには長すぎるので、増田の日記として公にさらしてみる。ブコメやトラバで有用な反論が得られるかもしれない。祝1000user超え。いろんな意見が聞けて楽しい。おそうじ浴槽がみんなに届いてうれしい。祝2000user超え。自分の知識がみんなの役に立ったようでうれしい。はてブ愛してる。増田は建築士としてそれなりに経験値はあるが、住まいのあり方や価値観は本当に多様なので、N=1の意見として参照するぐらいがちょうどよい。大前提適切な断熱壁と二重ガラス樹脂サッシが装備されていること。それがない建築が許されるのは安藤忠雄だけ。既存のサッシが交換できないならインプラスなどの内窓をいれればよし。風呂編おそうじ浴槽!これが言いたくてこの長い日記を書いているといっても過言ではない。google:image:おそうじ浴槽 他の設備投資を削ってでもこれを装備してほしい。日々の家事から風呂そうじを排除できるのでオススメ。じゃあ何を削ればいいかというと、、、鏡→いらない。水アカ掃除の手間を増やすだけ。化粧棚→いらない。必要に応じて山崎実業のマグネット収納をつかえばよい。浴室乾燥機→いらない。アイリスオー��マの除湿器で代用できる。風呂の入り口付近にコンセントを用意しておく。上下するシャワーフック→これはいる。が、山崎実業のマグネットフックで代用可能。風呂のサイズは1620か1616にする。この2つは浴槽が1.6mあるから足を伸ばせる。そのほかの1416とか1418 etcは浴槽が1.4mになってしまう。ただし1616は一般に住宅用しかない。なぜか1620はマンション用もある。住宅用とマンション用の違いは施工に必要な天井の高さ(これショールームのスタッフすら知らなかったりする)。マンション用のほうが必要高が低いので、排水の勾配など制約の多いマンションでも施工できる。逆に言えばその制約さえクリアできれば住宅用をマンションに施工することも可能。最近は1616でもマンション用があるとのこと。TOTOは1717というさらに浴槽が大きいやつもあるらしい。トラバ感謝。なお換気扇は選べるならパナソニック製をオススメする。パナソニック以外は換気扇の羽を外すことができない。それでお前は何にしたノーリツのユニットバス1616。標準でおそうじ浴槽がついてくる。なぜならおそうじ浴槽はノーリツの特許だから。だがコスパが高すぎて儲からなかったのかノーリツはユニットバス事業から撤退してしまった。。。床編なぜか無垢フローリングにあこがれる人が多いが、高いし隙間が空くしメンテも大変で何がいいのかさっぱりわからん。オススメは厚突きフローリング。無垢の質感とべニヤの寸法安定性を両立している。薄い突板のフローリングは偽物感がすごいので、だったら偽物でいい。マンションだと防音フローリングといってふにゃふにゃのフローリングを勧めてくる工務店がいるが、これは工務店の施工が楽になる建材でユーザーにメリットはない。下地側で防音は確保できる。仕上げの塗装ウレタン塗装やUV塗装は強靭で水を放置しても浸透しない。ただし傷ついたときの補修はプロに依頼しないといけない。自然ワックス仕上げは質感に優れるが、醤油をこぼしたのを一晩放置すると浸透してシミになる。数年おきに塗り直しが必要だが自分でDIYできる。どっちが良いかはお好みで。それでお前は何にしたニッシンイクス150mmオーク自然オイル仕上げ/30度ナナメ貼り。複合オーク150幅 | 無垢・複合フローリング・不燃ボード|NISSIN EX.本当はヘリンボーンにしたかったがめっちゃ高いのでナナメ張り。床暖房温水式にしよう。電気式は暖まるまでの時間がかかりすぎて実用的でない。壁や天井の仕上げ天井躯体あらわし!中古マンションでなければできない仕上げ!天井は水漏れでカビてなければそのままつかえるはず。ぜひやろう。壁壁面は大抵のマンションで解体後にGLボンドという接着剤が盛大に残るので、上から塗装するかそのままにするかを判断する必要がある。google:image:GLボンド 撤去 マンションリフォームの事例集で綺麗なコンクリート壁がでてくる場合があるが、あれはもう一回壁を仕上げなおしている。余談だが世の中のほとんどのコンクリート打ちっぱなしの建築は、コンクリの上から打ちっぱなし風の塗装をしている(安藤忠雄のように本物のコンクリートで打ちっぱなしを仕上げるのはものすごく難しい)。一般人はその塗装をみて「やっぱコンクリート打ちっぱなしはかっこいいねー」と言っている。それは塗装だ。たまに「コンクリート打ちっぱなしって寒くないの?」と聞かれるが、それは断熱が入っていない建築をイメージしているから。なので安藤忠雄の住宅は夏暑いし冬寒い。なお忠雄本人はタワマンに住んでいる。マンションの場合、隣や上階に部屋があればそこが断熱として効くので打ちっぱなしでも大丈夫���ただし床は例外。熱伝導率が高いので皮膚が触れたときに同じ温度でもコンクリートやタイルのほうが冷たく感じる。それでお前は何にした壁面はGLボンド撤去の上、塗装。一部モルタル塗り直し。一般の壁はAEP塗装の白マット仕上げ。寝室とクローゼットはモイスという調湿建材。壁紙はきらいなので未使用。キッチン食洗器海外勢のデカイ食洗器をいれよう。パナソニックのビルトインは買ってはいけない。あれは卓上タイプよりも食器が入らない。海外食洗器をキッチンをいれるときは、床から天板の下端までの高さに注意してほしい。日本だとミーレがデカい顔をしてぼったくり価格で売っているが、これは高さが80cmでギリギリ日本の一般的なシステムキッチンに入る寸法だからだ。AEGやボッシュは82cm以上を要求するので、日本の一般的な85cmの高さのカウンターだと入らないことが多い。逆に言えばとにかく下を82cm確保すればどのメーカーでも入る。AEGはカゴがリフトアップする。ボッシュは耐久性が高い。ガゲナウはボッシュの見た目をかっこよくしただけ。IKEAはAEGのリフトアップを削除した廉価版。ミーレはぼったくり(2回目)。ガスorIH中華料理命!でなければIHをオススメする。加熱時に上昇気流が発生しないから油が飛び散りにくいし、使っていないときはフラットだからほかの用途に使える。勝間和代氏はIHのガラスの上でうどんこねてた。それでお前は何にしたコスト削減のためシステムキッチンは購入せず、天板だけ買って大工さんに施工してもらった。天板の下は無印の収納を突っ込んでいる。これで百万ぐらいコスト削減。天板はシゲル工業で作ってもらった。スクエアシンクって手で溶接するからめっちゃ高いんだけど、ここはプレス品だから安い。スクエアシンク | ステンレスワークトップとキッチンシンク製造のシゲル工業その他に検討したのはキッチンハウスのグラフテクト。今でもグラフテクトはアリだと思っている。GRAFTEKT -グラフテクト- | 家具のようなキッチン・システムキッチン水栓はLIXILのナビッシュA6。濡れた手で触らないので、水栓周りがよごれにくい。https://www.lixil.co.jp/lineup/faucet/navish/換気扇はパナのDEシリーズかフジオーにしよう。メンテがしやすい。パナはDWという10年掃除不要と謳っている製品を推しているが、あれは代わりに一切のメンテができず、10年で本体交換を必要とする地雷。IHもパナ。グリルまでIHにしている唯一のメーカー。このグリルが優秀で、オーブン代わりになるし、パンもおいしく焼ける。おかげでヘルシオとバルミューダトースターが不要になった。洗面台水栓は垂直面から生えたやつにすべし。立ち水栓は��本が汚れる。ダブルボウルは便利だが、なくてもなんとかなる。それでお前はLIXILのYL-537を2台設置。洗面台と水栓が一体型で、かつ壁から水栓が生えている。本来は公共施設用のものなので耐久性が高い。それでいてシステム洗面台より安い。いいことづくめ。唯一の弱点は排水トラップが真下に生えるから下の収納に制約がでる。脱衣所にガスコンセントを引いておくと、ガスファンヒーターで冬の風呂上がりの寒さや洗面所の足元の冷えを解消できる。乾太くんやガス炊飯器もそうだが現代のガス機器は優秀なのにマイナーなのでもっと評価されるべき。トイレ安さに惹かれてパナのアラウーノにしたが、失敗した。パナはアラウーノの素材のことを「有機ガラス系新素材」とか言っているが、これは単なるプラスチック。普段は自慢の泡洗浄で汚れを防いているが、一度洗剤が切れると陶器の数倍の速さで汚れる。しかも洗剤の消費ペースが早く毎月補充が必要。めんどい。やはりトイレはTOTOにすべきだった。パナは商品設計はとても誠実なのに、どこかに弱点があると言葉のあやでごまかそうとするのがムカつく。パナソニックが聞きなれない単語を使い始めたら要注意だ!手洗い器は洗面所と同じで、垂直面から水栓が生えているやつにしよう。その点でサンワカンパニーはダメ。あいつらインスタ映えすることばっかり一所懸命でメンテのことを忘れてる。照明調光可能な照明を入れる人類は太陽の動きと連動して暮らす生活を何万年と続けてきたので、極力それに合わせた照明を計画するのが基本。究極は「日が沈んだら寝る」だが、現代人には無理ゲーなので「夕日が沈むのを遅らせる」のを目的とする。なのでだんだん暗くできる調光可能な照明をいれる。夕日の代わりなので暖色にする。色温度が変わる機能は不要。増田は風呂や納屋も含めて調光可能にした。深夜になにかを思い出して、納屋やトイレに行ったときにバチっと全開でライトが付くのは不快だ。パナソニックがまさにそういった夜間だけ暗くなる人感センサースイッチを出している。[トイレ壁取付]かってにスイッチ(換気扇連動・ほんのり点灯モード対応) | アドバンスシリーズ | スイッチ・コンセント(配線器具) | Panasonicタスク&アンビエント聞きなれない言葉かもしれない。これはタスク=作業場所とアンビエント=環境照明は別々に計画しましょうということだ。真っ暗な部屋でスマホライトをを下向きにすれば手元が照らされ、上向きにすれば部屋がぼんやり照らされる。照明は向きによって機能が変わる。食卓やキッチンなど何かしらの作業が発生する場所には下向きのライトで必要な明るさ確保、それだけでは全体が暗いので、上向きの間接照明で明るさを補うといい感じになる。食卓の上にペンダントライトを吊るのはタスクライトのためであってオシャレのためではない。この「何かしらの作業が発生する場所」はライフステージの中で結構変動するので、照明の位置や向き、数を可変できる「照明ダクト+スポットライト」が増田のオススメ。白くて丸いシーリングライトは、タスクに必要な明るさを確保しようとするとアンビエントまで過剰に明るくなる。すると眼の光彩が絞られて手元が暗く感じる→さらに明るいシーリングライトを買ってきて・・・の無限ループに陥る。親のいる実家がどんどん明るくなるのはそのせい。シーリングライトは法律で販売禁止にすべき。それでお前は何にしたタスクライト→天井に配線ダクトをつけまくり、MAXRAYのレトロフィットスポットライトMS10481-44にウシオ電機のCシリーズの電球。 LDR6/5 E11 φ65 ロング(スポットライト) | 照明器具のマックスレイ | ウシオライティング(製品サイト) 信頼できるメーカーで調光可能で演色性が高くてそれなりに安いとなるとこのへんになる。ウシオ電機は一般にはあまり知られていないかもしれないが、建築業界ではとても有名な照明メーカー。器具自体はデザインでお好きにどうぞ。よく「LEDは10年もつぞ」と言われるが、その前に5年ぐらいで制御基板が壊れるので灯数が多い器具は電球が分離できるやつにしておいたほうがいい。アンビエント→リビングはコイズミの棚上照明。商品名の通り壁面収納の上を間接照明にして天井を照らしている。Shelf’s Compact Line|シェルフズコンパクトライン|コイズミ照明株式会社寝室は壁面にパナのホームアーキの壁面ブラケット。天井には照明無し。HomeArchi(ホームアーキ)|ブラケット|住宅用照明器具 | Panasonicスイッチ基本スイッチはすべてパナのリンクプラスで遠隔操作可能にした。正直高くついたしアプリは超クソだが、PSEを遵守したなかで選ぶとパナしかない。Philips Hueなどのスマート電球でリンクプラスの代用とすることも可能だが灯数が多いときはあまりオススメしない。演色性が低いのと基盤がすぐ壊れる。アプリはクソなので(2回目)、これらをArduino+Homebridgeで自動制御しているが、詳細を書くとこの日記が3倍に膨れ上がってしまうので、そのうちQiitaにでも書く。なお照明は製品設計としてそれなりに奥が深いので(インバーター周波数とか演色性とかカンデラとルクスとルーメンの違いetc)なるだけパナか照明専業メーカーのものを使おう。安いからってアイリスオーヤマとか買っちゃダメ![B! 家電] ブログ アイリスオーヤマのLEDシーリングライトのチラツキが酷いパナのアプリがクソで思い出した。パナソニックの玄��ドアホン、これもアプリも超クソだった。ピンポーンとなってからスマホで出るまでに30秒はかかる。 30秒もまたせたら相手は留守だとおもって立ち去ってしまう。それじゃあ、と思ってアイホン、Google Nest、Alexa Ring、も買ったが同様に遅延がひどい。どうしろと!!→結果、Aqara G4でなんとかジプシーを卒業できた。今んとこまともに機能するスマホドアホンはこれだけかも。安藤忠雄は好きです。
マンションリフォーム虎の巻
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和六年(2024)1月4日(木曜日)
通巻第8080号
中国の「認知戦」専門チームは「311基地」の61716部隊
敵の人々の認識を誤断させるフェイク、脅迫情報をおくり続けよ
*************************
人間の知識を司る意識に巧妙に操作された攪乱、陽動情報、嘘の情報、フェイクなどを植え込んで戦意を削ぎ、モラルを弛緩させ、士気を低下させる高度な情報戦争が「認知戦」で認識の領域に侵入し、敵の総合戦略を麻痺させる。
嘗ては地下出版や風船によるビラの散布、潜入スパイのたれ流した嘘情報からはじまって筆跡をまねた手紙、命令書の偽造もあった。印鑑も偽造した。
近年の情報操作の戦場はラジオ、テレビ、新聞からネット網に移行し、ときに敵のプラットフォーム、公的機関のHPを乗っ取り、あるいは権威筋の機関を騙る詐欺(なりすまし)の手口に似た戦術が多用されている。
生成AI、チャットGPTは、いとも簡単に画像や音声を偽造し、たとえば敵の政治指導者になりすます。女性指導者の裸の写真やら擬装されたベッドシーンまで機械がつくってのけるのだ。
すでに中国軍機関紙である『解放軍報』は23年4月13日号点で、「対話型AI『チャットGPT』の軍事利用の可能性を議論する」という論文を掲載している。これによれば「偽情報で敵を混乱させて有利な状況を作り出す『認知戦』や情勢分析などは有望である。とくにチャットGPTの文章作成能力を利用し、偽りの言論を作り出し、民衆の心理に影響を与え、民衆の認知を誘導、欺まん、操作することで社会の分断や政権転覆の目的を達成できる」と明記しているのである。
ロシアがクリミヤ半島を軍事占領し電光石火に併呑する前の段階で、こうした作戦をロシアの認識戦チームが行使した。「ハイブリッド作戦」と呼ばれた。
このハイブリッド作戦は、発案者がゲラシモフ参謀長だったために「ゲラシモフ・ドクトリン」と命名された。
こうした認知戦(RECOGNITIVE WARS)を得意とするのが中国人民解放軍である。軍内部に「認知戦部隊」を持ち、とくに「台湾統一は歴史的使命だ」などと大言壮語を宣伝し続けてきた習近平にとっては重要な工作部隊である。
米国の軍事アナリスト、ティモシー・トーマス退役軍人が米国陸軍戦争大学の学術誌『パラメータ』に寄稿した論文「マインドにファイヤーウォールはない」では「人の心、意識、精神の重要性を無視することはできない」とし、ハードウェアだけの戦争はもはや意味が希薄になったとした。
▼情勢判断を誤らせる高度な戦争
認知戦とは相手の認識領域に誤った知識、情報を植え込んで情勢判断を誤らせる高度な心理戦争のパラダイムに含まれるが、人間の心理を読みこなさないと高度な戦術は取れない。しかし知的レベルの高い人に効果がなくとも、無知蒙昧な大衆の誌認識力を誤らせば良いのである。
個人のメールアカウントはすでに中国が掌握している。台湾、香港に、或いは日本を経由して個人情報を売り飛ばす輩がいる。
日本の例を挙げよう。LINEヤフーの利用者は9600万人。23年11月に無料通信アプリLINEで大規模な個人情報漏洩が発表され、夥しいプライバシー情報が漏れていたことが判明、なかでも取引先の企業、氏名、メルアドが特定できる情報だった。LINEヤフーは業務を中国、韓国から切り離すと再発防止を言明したが、徹底されていなかった。LINEヤフーは「韓国よりも、中国支配といった方が正確で、昔も今もLINE情報は中国に筒抜けだと見て良い」(「テーミス}2024年1月号」
ベトナム戦争のおり、ベトナム反戦運動がこともあろうに当事者のアメリカ国内で起きた。これはソ連がなして絶妙な世論工作だった。
「ソ連の代理人」たちがメディアを誤導したのだ。ヒューマズム、人命尊重という普遍的価値観は重要だが、戦略的見地から言えば、これは利敵行為となる。戦争をやっているときに自分の国の指導者を後ろから首を絞めるようなものだろう。
ま、日本でも朝日ブンカジンとか、小田実とか、アジビラ一枚でかけ回った、おっちょこちょい左翼がベ平連とかのソ連の代理業務のごときを展開していましたからね。
中国人民解放軍の対台湾『認知戦争』は福建省福州に」ある311基地が本拠だ。
ここで専門部隊が対台湾工作を担当とし、傘下メディアを通じて情報操作を行う。311基地��司令部は、台湾海峡対岸の福州市だから台湾と言葉も共通であり、また台湾人駐在員が多いので、脅迫やハニトラで工作員に成り下がった台湾人も多いらしい。
311基地は「世論戦、心理戦、法律戦基地」として編成された軍の機構改革によって新設された「戦略支援部隊」の傘下にあり、部隊番号は61716である。
311基地の由来は「世論戦、心理戦、法律戦」の三戦(3)と軍事作戦(1)、ネット上の情報作戦(1)の組み合わせだと台湾筋は推測している。傘下にラジオ局「海峡の声」と「中国華芸伝播公司」、出版社の「海風出版社」を持つ。
フランス軍事学校戦略研究所(IRSEM)は、2021年の報告書『中国の影響力』のなかで、これらメディアの「会長」は偽名で、311基地の司令官(少将)と同一人物だと指摘した。
311基地はニュースサイト「華夏経緯網」を開設しており、北京のIT企業が開設したとされているが、新華社通信や中国共産党機関紙、人民日報と同列のメディアの一つだ。
▼若者の失業対策だった五毛幇
中国には失業した若者が展開する「五毛幇」が存在し、一説に20万人が従事したとされた。フェイクメールを一通打てば10円、一日に200通ほど打ち込んで発信し、日銭、食事代を稼いだ。
この五毛幇たちは党の指令通りの文書を無数のネットに流し続けたが、いまや生成AIで、人を雇わなくてもできる。あらゆるソーシャルメディアサイトやプラットフォームを活用して、攪乱、フェイク、陽動、恐喝などのニセ情報、心理的威圧を目的とする情報の発信を続ける。
中国は、認知ウイルスを拡散する手段として、内部対立の醸成、人々の怒りの扇動、分割と統治という3つのアプローチを使い分けている。
現地の協力者を招いて論争を煽り、虚偽の情報を拡散させることで、台湾の世論を操作し、政府に対する不満と怒りを引き起こす作戦である。周辺国も巻き込んで主要敵を孤立化させるのである。
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人不該太清醒,過去的事情就讓它過去,不必反復咀嚼,一生不長,重要的事兒也沒那麼多。
(20241227)
許多過去的事情早已殘存在了記憶中,被賦予了漸漸被淡忘的命運,而現在的時光依舊與過去一樣,不聲不響,每個人在這個世界成長都是在自己的時光中旅行,我們永遠都是不會知道後來會是有什麼。
人在福中不知福,直到有一天苦了,才對比出以前的甜,所以甜中總有苦,福中總有禍的人,最能感受幸福,所以,淡淡的君子之交最能長久,若即若離的愛情最堪回味。
人生沒有如果,卻有很多但是,人只要不失去方向,就不會迷失自己,有能力就不必去氣餒,有價值就不必炫耀,生命的質量取決於每天的心境,通過改變態度可以使得自己經常處於良好的心境狀態。
人生苦短,沒有彩排,事在人為是一種積極的人生態度,隨遇而安是一種樂觀的處世妙方,順其自然是一種達觀的生存之道,人生在世,短暫不過百年,人生就像一杯茶,不會苦一輩子,但總會苦一陣子,沒有開始的苦,就沒有後來的甜。
路,要靠自己走,不依賴,配偶,是命中的貴人,不忘恩,朋友,要靠相互幫襯,不自私,幸福,要靠自己感覺,不抱怨,善心,是平安的基礎,要攜帶,成敗,只是人生調味品,要看開,得失,都是身外之物,要放下,命,爸媽只能給一次,要珍惜。
打開的窗戶,其實是一扇心窗,越來越明白:活得簡單,才能活得自由,覓一片草地,靜靜躺下,感受大地的柔軟,陽光的微笑,藍天的遼闊;掬一捧泉水,一飲而盡,感受歲月的平靜,生命的清澈,靈魂的淨然;擷一片秋葉,默默聆聽,感受風的旋律,雨的呢喃,感受這個人生,這個世界的美麗情懷。
人生中需要經歷許多苦,苦是命運的一種成全,並不是糾結於苦至死不休,從苦中看到方向,看到生命積極的力量,用一種平和細細打量生活,包容苦,從苦中超越,活一種人生的從容,超然和大度。
遇到欣賞你的人,學會笑納,遇到你欣賞的人,學會贊美;遇到嫉妒你的人,學會低調,遇到你嫉妒的人,學會轉化;遇到不懂你的人,學會溝通,遇到你不懂的人,學會理解!
人生苦短,沒有必要和生活過於計較,無言的青春,張揚的我們,一路成長著,一路感悟著,快樂並疼痛著,這樣的青春年華,體會不到流逝青春後會變成什麼樣子,其實,多麼想要一個無怨的青春。
人生的快樂,走自己的路,看自己的景,超越他人不得意,他人超越不失志,心裡放不下,自然成了負擔,負擔越多,人生越不快樂,計較的心如同口袋,寬容的心猶如漏斗,複雜的心愛計較,簡單的心易快樂。

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序
僕は惑星周期の途上で遺書を書いている。
蝶が一度吸って落とした蜜のようにいとしかった日々を。
この歌は僕の生きてきたかろい足取りであり、君に渡す重い鐵の塊である。
第一章
「ヴァニラ・アイスクリームの日々」
僕はたれよりも孤独だった
S駅へ向かういつもの電車に寄りかかり
肋骨の夢を見ていた
僕の骨骨は美しく浮き上がり
青い血管と白んだ脂肪らがそれを包む
(八センチのピンヒール。)
―――穢い人。
そのひとは扇風機を、パスタを、一万円札をくれた
花火を見に行かず
僕は何より穢いことやものを集めて回る
総てはそんな風だった
ヴァニラ・アイスクリームを
一日に一個だけ、それだけ食べた
第二章
「自由律」
ミュージックよ鳴り響いて!スクエアホールは退屈のなかただ破滅を願っていた
(針葉樹林の夢を見る)
音階を壊してその硝子片で流れる血を太陽に捧げた
外の見えない窓、エアーコンディショナーの緑、十六度の部屋はいつも冷たかった
石を並べて遊ぼう
賽の河原ごっこしようよ
地獄めぐりの地図は持ってきた?
天国に近いアパートメントの一階で冬を描いた
(深い森の中で迷ってしまったらなんてくだらない問いかけをして、)
遺書も残さずに十一月に死んだ君
遺書を描き続ける僕の日々
冷蔵庫は小さすぎて駅に行ける程のお酒も入れられませんでした、あの日六畳のアパートで見たライト、ライト、ライトの銀河の圧倒的な漠々を、オーバートリップ、月の板、死体は宇宙を泳ぎますか、君は十三歳で旅行に出た、僕は十三階からぐしゃぐしゃの地上に憧れてただ眺めていた…
第三章
「サーティーファイブの夢」
35個の夢をもって
30人を殺そうとした
あの日のチェーン・カフェで
君は青い猫
迎えに来て
いつでも
アトリエでホテルで駅で途方で
いつも君を待った
君は無表情で立っていた
いつでも
(かろくなったからだで、飛べた日のこと、僕はいつでもゆめをみた、短い生と、上映され続ける夢のフィルム、東京。)
「大丈夫。」
「だいじょうぶ
「ダイジョウブ
ツー。
最終章
「海へ」
三月のよく晴れた日にジンジャーエールを持って長いながい電車の旅の末、僕はいつだって海へ来た、海辺から少しのところに死んだ大きな木が縺れ踊るように佇んでいた、僕はそれを一生忘れないだろうと思った、そしてボロボロのブーツを捨てた日にも、小さなベッドのある宇宙の果てでも、その海を忘れなかった。
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0721
昨日は財布とスマホを忘れて労働に出かけてしまった。気づいたのは電車の中で、あちゃーとは思ったけどまあでもパスモ(クレカと一体型のやつ)があるからべつに平気だなと思ってすぐあきらめた。待ち合わせの予定とかもなかったし。こういうときに限って何か緊急の連絡が…とはちょっと思ったけど、一月に義父が亡くなったばかりだからしばらくそういうことはあるまいと思った。またそういうことがあるかもとはあんまり考えない。こういうのって性格なのかな。誰からも何も来ないに千円と頭の中で賭けた。 つまりわたしは労働に遅刻しないよう、わざわざ引き返さなくたって平気だと自分に言い聞かせているのだろうかとちょっと思った。そんなに遅刻をおそれているのか。ちょっとくらい遅刻したって気にしない感じの方がいいのになと思う。自分も周囲も。わたしは電車とか待ち合わせとか映画の上映開始時間とか、いつもいろんなことがギリギリで、ギリギリまで仕度ができないタイプなんだから大手を振って遅刻しちゃえばいいのに毎度バタバタ走って大汗をかいている。悪あがき。一生こうやって走っているんだろうかとときどき恥ずかしくなる。
さっき電車に乗り込むとき、ホームと電車のすきまに靴を落としてしまった人がいた。すきまにかかとを引っかけて転んでしまったようで、一瞬迷ったけどわたしも電車を降り、大丈夫ですかと声をかけた。このときはまだ自分が��布とスマホを忘れてきたことに気づいていないのが、なんか昔話の正直者っぽいムーブだな……。人助けってほどのことでもないけど、うっかり者で正直者のなんとか太郎的な。 でもそんなんではないな、昔話の無償の正直さではないな。自分も乗りたい電車に遅れそうでしょっちゅう走っているタイプだから味方したくなったってだけかもしれない。自分ももうずっと前、学生時代、靴をホームのすきまに落としたことがあって、東中野の駅で足を踏み外して体ごと落っこちかけたのを近くにいた人がすぐ引っ張り上げてくれた。そのときは演劇のフライヤーを業者に届けに行く用事でかなり重たい紙袋を持っていた。よく引っ張ってもらえたなと思った。そういう善意の循環……みたいなことを考えるとなんかちょっと気味が悪いような気もする。これはわたしがひねくれているだけかも。 転んだ人は声をかけられてかえって恥ずかしいかもしれないと思って、駅員さんが来るまでなんとなく近くで見守り、駅員さんはすぐ来たので車輌ひとつぶんくらい離れたところに移動した。そして、電車一本くらい見送ったっていいや、多少遅刻してもいいやという判断をした自分に酔っていないか?みたいなことも思った。多少の遅刻は気にならない自分をやりたかったんではないか。なんだか心臓がばくばくし、さっきその人が転んで尻もちをついたとき、プリキュアみたいな絵面と一瞬重なった。スカートが広がった感じと手に握ったままのハンディ扇風機がなんか魔法少女みたいだなと思った。それがうしろめたくて声をかけたのかもしれない……とかも考えた。 なので財布もスマホも忘れてきたと気づいたときちょっとほっとした気持ちもあった。慣れない善意のようなことをしたからそれと釣り合いがとれているような気がした。バチが当たるの逆みたいな。
そういうことを考えていたら電車はすぐ着いて、財布もスマホも持っていないのに水筒と読みかけの本は持って会社に出かけるのなんか優雅だな…と思った。あとタオルと日傘と飴。リュックの中で水筒の氷がカラカラ鳴って、このごろ水筒には冷たいお茶を入れているから、歩くたび遠足の子どもみたいな音がする。 読みかけの本はレアード・ハント『インディアナ、インディアナ』。柴田元幸訳。柴田元幸だから読んでみるというのは武豊が乗るから買っておくみたいな感じ? わかんない。インディアナ〜は難解な小説ではないと思うんだけど、ゆっくり読まないとすぐなんだかよくわからなくなる小説。もうあと少しで読み終わるんだけど、読み落としているところがたくさんある気がして行きつ戻りつ読んでいて、今はもっかい最初からゆっくり読み直している。 「ヴァージルの死ぬ間際にノアはもう緑の印は見つかったかとヴァージルに訊いて見つかったならどこにあるのか教えてくれと頼んだがヴァージルは長いあいだノアの顔を見てそれから眠りに落ちそれから目ざめてノアの顔を見てそれからまた眠りに落ちた。」だいたいこういう感じ。辛抱強く話を聞くみたいな小説で、いつかこういうの書きたいな、書けたらなあと思う。このそれからが3回続くの、自分だと書くのに勇気がいると思うし、書いたとしても書いたぞってあざとさが出てしまう気がする。
お昼は会社の横に来ていたフードトラックでタコスを食べた。パスモで支払えた。白いタコスには鶏肉、ピンクの生地には牛肉の赤ワイン煮込み、黒っぽい生地にはサボテン?を何か和えたやつ。三個入り。キウイのサルサが辛くて美味しかった。スマホを持っていたらぜったい写真を撮っていたなと思った。 並んでいるとき、トラックに据えた鉄板の火が消えてしまったようで店の人が五分くらい格闘していた。しばらくチャッカマンをカチカチやっていたけどたぶんチャッカマンも燃料切れのようで、ぜんぜん火がつかない。ライターでやろうとしてなかなかうまくいかず、昼休みの五分くらいってけっこう長く感じるしかなり人も並んでいたんだけど、その人はまるで焦らず黙々とやっていたのですごいなーと思った。焦りが顔に出ないタイプなだけかもしれないけど。べつに誰にも謝らず、普通に注文を受け普通にタコスを包んでとやっていて、そうだよなあと思った。
労働を終えまっすぐ帰宅したらスマホにはやはり誰からも連絡は来ていなくて、千円勝ったと思った。千円くらい何か食べようと思った。わざわざ夜出かけるのめんどくさいなとは思ったけど、金曜の夜でほんとは寄り道したかったのだから出かけたい気持ちが勝った。 ぶらっと出てみたらいつもより涼しくて、どこまでも散歩できそうな気持ちのいい晩だった。ぶらぶら歩き、なんとなく電車に乗っていた。夜だから上り電車は空いていて、定期圏内の、でもあまり降りる用事がない駅のちょっと歩いたところにある中華料理屋というか定食屋というか、カツカレーが美味しいらしいので前から行ってみたかった。ふだんぜんぜん用事のない、買い物に行くような街でもない、誰も知り合いもいない駅。ここでわたしが何か交通事故とかにあって死んじゃったりしたら、なんであんなところにいたんだろうと家族は不思議に思うんだろうな……とあまり行かない場所に出かけるたび思う。 駅を降りたら書店があったので覗いてみた。雑誌と漫画と学参の棚が大きい、ちょっと広めの店舗の懐かしい感じの書店。気になっている本のリストを頭に浮かべながら物色し、目当てのいくつかは置いていないようだったけど、そういえばしゃしゃさんの本が今日発売日じゃなかったっけと思って探した。『蒼き太陽の詩』。1,2巻は棚に差してあったけど今日発売の3巻はなかった。レジに持って行って、これの3巻もありますかと尋ねたら奥から出してきてくれた。ラスト一冊でしたと教えてくれた。あっ善意と思った。カツカレーを食べながら読んだ。 『蒼き太陽の詩』は、アラビアンファンタジーというのかな、双子の王子が国王の座をめぐって殺し合う……というワクワクハラハラする物語。砂漠の王国が舞台の大長編で、読みやすくてぐいぐい進んだ。『インディアナ、インディアナ』を読んでいたから余計にそう思うのかも。壮麗な織物みたいな物語で、読んでいるとキャラクターたちの声が聞こえてくるし人や周りの風景が目に浮かぶ。生き生きとしている。これアニメになったらいいなーと思った。赤将軍のユングヴィはファイルーズあいさんがいいな……。
カツカレーの店は、客はわたしだけで、店のおじいさんは座敷でテレビを見ていた。テーブルにハイボールのコップとつまみがいくつか並んでいて、わたしが来たのでおじいさんはちょっと慌てたようすで、でもにこやかに注文をとってくれた。すっかりすり減った畳が赤くなっていて、ちょっと緊張した。あまりきれいでない状態に緊張するのもあるし、よそものが入ってきてすみませんみたいな緊張感もある。テーブルはきれいに拭かれていた。揚げたてのカツが大きくて、油と肉汁がジュワッと溢れてきてすごく美味しかった。カレーは濃くて、柔らかくほぐれた牛肉もけっこう大きいしたくさん入っていた。たしかにうまい。がつがつ食べるうちにだんだん体のこわばりがほどけた。 テレビの音がものすごく大きくて閉口したけど、カツを揚げ終えたおじいさんが汗をぬぐいながら夢中で見ているのがなんかよかった。『チコちゃんに叱られる』というやつ?初めて見た。音が大きいから見てしまう。ボーッと生きてるんじゃねえよってこれかと思った。Vtuberっぽい。おじいさんが何度もはははと笑った。どうしてゴルフボールの表面にでこぼこがあるのかというのをとても真剣に見ているので、ひととおり解説が終わるのを待って会計を頼んだ。
家に帰ったら板垣さんがツイッターでスペースをやっていたので、洗い物や洗濯物などを片付けながら聞いた。どうやら同じ大学出身だったことがわかって思わず話しかけてしまった。一日いろいろカラフルでなんか気持ちが興奮していたのか、やけにたくさんしゃべってしまって、恥ずかしくなって寝た。文フリの話とか小説の話。 千葉雅也『エレクトリック』、わたしは父親がエロいのがいいと思った。と言ったんだけど、なんていうの、エロいって言い方はちょっとちがう気もするんだけどエロく書くことのすごさがあってそれをそう受け取りたいというか……。これは『サバービアの憂鬱』で読んだんだったかな、「男性は会社(仕事)に嫁ぐ」というのを思い出したの。大場正明『サバービアの憂鬱 「郊外」の誕生とその爆発的発展の過程』。うろおぼえだからちょっとちがうかもだけど、男性が会社(仕事)に対して「嫁」になってしまう、みたいな。父親の人妻的な感じ。そういうエロさ。舞台の宇都宮も郊外(サバービア)だなと思った。そしてそういう小説の、文章自体がヘテロでない感じがあって、すごくよかった。多くの小説の文章が意識的にも無意識的にも備えている、当然の「調べ」みたいなものがあんまりない文章だと思った。
『エレクトリック』の前後で読んでいた、数年前の文藝賞の作品が、なんかこうすごくどヘテロだったのもあってそう思ったんだと思う。ヘテロが悪いわけではもちろんないけどよくもわるくもどヘテロ、ザ・調べという感じで、この作品のどこらへんがわたしは苦手だったのかを語ろうとすると、そこに糸口があるみたいな話。 なんていうの、村上春樹に文句言ってる場合じゃないくらい若い作家の新しい作品がめちゃめちゃ古いジェンダー観で、読んでいて作品の面白さとかすごさはわかるような気はしたんだけど、でもこれをよしとするんだなあ、帯に誰々氏が激賞と書いてあるけどそうなんだ?!みたいな驚きは、やはりあった。ジェンダー観もそうだし、地方や精神障害者への偏見を強化するような感じもあって気になった。「壮大な作品」「圧倒的な熱量」「知識と想像力を駆使し」と帯に書かれていたけど、わたしは読んでいて小ささや狭さの方が目についた。 いやわざとそう書いている、いかにもなステレオタイプをやることに意味がある作品なんだろうとは思った。仕掛けというか。でも意味があるんですよと書くずるさというか……。ステレオタイプをなぞり続けたい、そのようにして書けるものに作家は意味を見出したいし、どうしても興味がある。それってフェチではあるよなあと思うんだけど、ステレオタイプをフェチと指摘されることってあんまりない気がする。 偏見の強化によって生まれる痛み、それを感じない場所に作家は立っていて、痛みを感じる人のこともあまり見えない。いや見えてはいるかもしんないけど、自分の書くこの作品とはさほど関係ないと思っている? それは別の作家、何かそれにふさわしい属性を持った作家がやることであって自分の作品では関係ない。おそらくは無自覚な特権があり、特権って言うと反発したくなると思うけど……みたいなことを思って、うーーんとなった。やつあたりかもしんないけど。作品名出さずに書いてるからなんのこっちゃって感じだと思うけど。 まあ小説ってそんなに読まれないんだろうなと思った。読む人そんなにいないから、これのここってどうなのみたいな話題にのぼることってあんまりない。漫画とはそこがちがう。あとまあわたしが純文学、文芸誌とその賞にそれなりに夢をもっている(もっちゃっている)ふしはあるな…。
そしてこの作品の直後にC・パム・ジャン『その丘が黄金ならば』を読んであーーーこういうのが好きだ〜〜と思って、なんかそういう不満のようなものはふっとんだ。大きい。大きい小説。こういうのがいい。小さい小説がだめなわけではぜんぜんないけど、大きい話を書こうとしたものが狭苦しく感じられるのはやはりつらい。あと長さもよかった。四六版で384ページ。父親が亡くなり子どもたちが埋葬の旅に出る…という筋書きで、本のけっこう前半で埋葬は済んじゃう。その後が長いのがよかった。純文学系の賞はちょっと短いのかもしれない。「自分の書くこの作品とはさほど関係ない」と書いたけど、まあだって短いもんなー。読む人にも書く人にも。この長さの話はもうちょっと掘り下げたい。日記に書きたいことっていろいろあるな。長くなったのでまた今度。

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鳳凰 龍 細密石彫刻製作 石基壇 聖徳太子殿 念佛宗仏教美術 The Prince Shotoku Hall The Buddhist Art of Nenbutsushu Stone carving
聖徳太子殿 The Prince Shotoku Hall
念仏宗無量寿寺(念佛宗) 総本山 佛教之王堂〜三国伝来の佛教美術 日本では類例を見ない四手先総詰組様式、および三手先腰組付縁の八角堂 It is a grand octagonal shrine with four-stepped intermediate bracket complexes under the eaves and three-stepped bracket complexes under the veranda, which is peerless in Japan.
概略 高さ17.2m(基壇、棟飾り込) 側通り柱間4.85m
輪島塗による高蒔絵、及び彫金が施された厨子に、中華人民共和国、工芸美術大師・佘國平佛師制作の「和国の教主」とうたわれる聖徳太子像がお祀りされている。
念佛宗(念仏宗)無量寿寺 聖徳太子殿 建築的特徴
他に類を見ない様式 四手先総詰組、三手先腰組付縁の八角堂は他に類を見ない。特に四手先総詰組は、日本建築史上初めての独自の変形組み手である。特殊な組み方をすることにより、組み手同士の立体的干渉を回避している。この念佛宗(念仏宗)ならではの、独創的な手法は、専門家をも捻らせている。日本の大工の始祖とも崇められる聖徳太子も、きっと納得されているに違いない。 天平の文化が華やかなりし頃、神社仏閣は、鮮やかに朱で彩られ、外国文化を吸収、醸成され、それはきらびやかなものであった。 そして今また千年の時を超え、念仏宗 佛教之王堂における聖徳太子殿は、天平時代の華やかさを凌ぐ存在感で、参詣者を迎える。 外装壁部には「天女」、阿件形の「鳳風」、衆生を導かんと雲を従えて天下る阿件の「龍」が、また蛙股部には「宝相華」が、胡粉の白一色に塗られた彫刻で荘厳されている。腰組部と階段脇の耳石にも阿件の精緻に「鳳風」が彫刻されている。 これら数多くの彫刻、彩色で彩られた御堂は、典雅な趣にみあふいざな満ち溢れ、訪れる者を夢の世界へと誘う。 桟唐戸は丹青技法による極彩色が施された「宝相華」や「転法輪」、「鳳凰」の彫刻で荘厳され、八方を守護している。 世界に誇る槙の日本庭園に囲まれた姿は、飛鳥・天平時代を偲ばせる典雅な趣に満ちている。 軒裏に扇垂木を用いており、内部は韓国人間国宝・李萬奉大僧正猊下、及び、直弟子洪昌源師制作の、韓国古来の伝統的丹青技法による彩色が施され、合計428点の彫刻が太子を賛嘆している。 念佛宗(念仏宗)無量寿寺 聖徳太子殿 建築的特徴 三国伝来の佛教文化 念佛宗(念仏宗)無量寿寺 佛教之王堂の聖徳太子殿は、かつて、聖徳太子が御堂にこもって、経典の解釈に没頭しておられる時、夢告(��こく)で教えを賜った(たまわった)との伝説から、法隆寺などでは平安時代より、「夢殿」(ゆめどの)とも呼ばれてきた。 ここ念佛宗(念仏宗)無量寿寺 佛教之王堂における聖徳太子殿は、日本の建築技術と韓国の丹青(たんせい)技法、そして中国の彫刻が見事に調和し、三国伝来の佛教文化の粋を見ることができる。 例えば四手先総詰組様式及び三手先腰組付縁(こしぐみつきえん)は、他に比類なき日本建築の最高峰といえるもの。 また、内部に施された極彩色(ごくさいしき)は、韓国の丹青技法が日本で独自発展を遂げた平等院鳳凰堂の様式を踏襲したものであり、天井画写真下方の緑色部、「ぼかし」のような繧繝(うんげん)彩色や、全体的な白く縁どられた紋様等が特徴的である。 和国の教主 聖徳太子 念佛宗(念仏宗)無量寿寺 佛教之王堂 聖徳太子殿には、聖徳太子像をお祀りしている。天竺(インド)から唐土(中国)へ伝わった佛教の尊さを悟られ、神佛が習合する中、日本へ佛教を根付かせた「日本佛教の父」が聖徳太子。 「和を以て尊しとなす」 これは世界的に有名な聖徳太子『十七条憲法』の根幹(こんかん)をなす第一条の言葉。『十七条憲法』は、我が国最初の憲法であり、佛教精神を基(もとい)とした平和国家日本の建設に臨まれた聖徳太子の決意を表している。推古(すいこ)天皇即位の時、聖徳太子を摂政(せっしょう)とし、すべての政治を委ねられた。『日本書紀』には、その時、もろもろの豪族らは、君主と先祖の恩に報いるために競って佛をお祀りする場所を造ったとされ、以来、それが「寺」となった。つまり恩に報いるために寺が建てられ、佛教が興隆していった。 第二条に「篤く三宝を敬え。三宝とは佛・法・僧なり」そして「何れの世 何れの人か この法を 尊ばざる」として、どの時代、いかなる人であってもこの法を尊ぶべきことを明断しておられる。 そして佛教を基調とした国づくりをして、日本を統一国家に相応しい姿にされた。それによって寛容の心が根付き、民の争い事が減った。そして佛教伝来から僅か数十年で、当時の世界最新建築の佛教伽藍(ぶっきょうがらん)「四天王寺」「法隆寺」を建立した。聖徳太子が、「和国の教主」と呼ばれる所以。太子の願いは、大和の地に佛教を興隆させ、人々に平和をもたらすことでした。 丹生(たんせい)技法に彩られた堂内 青丹によし 奈良の都は 咲く花の 薫ふがごとく 今盛りなり 聖武天皇(しょうむてんのう)の御代、奈良で一世を風靡した丹生技法は、今、ここ社の地で大きく華開いている。 渡来して日本的発展を遂げた密度濃やかな繧繝(うんげん)彩色や、白縁模様で荘厳された極彩色の天井を、吉野檜の銘木に、拭き漆と熨斗(のし)模様を施した八角柱が八方から支える。 聖徳太子殿の「八角宮殿」 扉に描かれた阿吽の鳳凰は、聖天子(せいてんし)の出現を待ってこの世に現れ、飛天は、釈尊説法時に舞い降り、奉楽し、天華を散らし空中で舞う、とされている。 宮殿は、もともと、天竺(てんじく)における塔やその下の小室である「龕」(がん)を源流とし、後世、これが厨子(ずし)や仏壇に変化した。 法隆寺玉虫厨子や橘夫人念持佛(たちばなぶにん)などは、その代表例。 念佛宗(念仏宗)無量寿寺 佛教之王堂 聖徳太子殿の「宝珠」 宝珠は、災いを除き、願いをかなえる力を持つとされ、聖徳太子殿の屋根に聳える宝珠は、聖徳太子の佛教興隆の成就を象徴しています。 この宝珠を護法神である、八頭の象が支えており、八方から佛敵より佛法を護り、宝珠の周りには、凡夫の煩悩を焼き尽くす火焔(かえん)が、勢いよく燃え盛っています。 聖徳太子殿の「輪島塗 高蒔絵」 日本の伝統技法の輪島塗りによる高蒔絵は、最高品質の漆を盛って、乾かないうちに松煙(しょうえん)を蒔きこみ、盛り上げ固めます。入手困難な「舟鼠(ふなねずみ)の蒔絵筆」を用い、輪島塗職人の二年間にわたる努力の末に完成しました。十枚の扉に浮かび上がる金色の『十七条憲法』の銘文は、職人会心の傑作です。 松竹梅と獅子 念佛宗(念仏宗)無量寿寺の宮殿下部には獅子が八方を護り、吉祥紋様の松竹梅が施されています。 風雪や厳寒に耐えて緑を保つ常磐木(ときわぎ)の「松」と「竹」、春、百花に先駆けて花開く「梅」を長寿・高潔・節操・清純などの象徴として「歳寒三友(さいかんさんゆう)」とも呼び、その吉祥紋様を背景に、獣類中、最も勇敢で高貴な、百獣の王の獅子が、宮殿を護っています。
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230901 記憶喪失の夏
どういうことなんだ。もう八月も終わりだというのに、それにしても暑すぎる。今朝「一年で唯一好きだった9月も、ここ数年の暑さのせいでついに嫌いになってしまう。今年はもう終わりだ」とだけ LINE が飛んできた。どちらかと言えば私は幼少の頃から九月はあまり好きな月ではなかったし、夏が好きだった。ガキは案外、夏好きだからね。市営プールからの帰り、夕方になってもまだ明るい日に照らされた、緑の木の葉一枚一枚が静かに風に吹かれている。公園の日陰にあった錆びた青いブランコが揺れている。投げ出していた両手両足を蚊に刺されすぎた。夏休みが終わってしまい学校に行くことが(子どもの頃から根っからの怠け者ゆえ)本当に嫌だと思いながらも、ただ流れていく時間を無意識に感じ取っているみたいに、日々のそれら風景のなかでぼけっと過ごしていた。それでいて前日の記憶はいつも曖昧だった。いまではそんな風に時間を感じることができないだろう。当たり前のように年をとったから、いや、あの頃と比べて毎日こうも暑いからじゃないの。
(230830)
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盆休みに姉が東京から帰省してきた。転職するとかで長期有休を取ったらしく、珍らしく一週間も「こんな何もないところ(これぞ地方の常套句)」で過ごしていた。全国で比較的には名の知れたところなのかもしれないが、私が戻ってきてからも人口はますます減少する一途をたどり続けていて、文化的にも色んな意味で不毛地帯(最寄りの映画館まで片道1時間半以上かかる。oh~)と化している。そんなところなのだから、休日に帰ってきても動画配信を流しながら酒を飲むかものを食うかくらいしかやることがない。それが極まってきたからなのか、日が燃えている午後の炎天下にもかかわらず、仕方ないから散歩でもしに行こうとなる(正気ではない)。後から聞くと全く意味が分からないのだが(私も酔っていて記憶なし)、誰かが急にミスドを食べたいと言い出し、おつかいがてらということだったらしい。人の出入りがまだわりと多い駅前まで向かってから、古い町並みが保存されたまま改築された建物が並ぶ観光客向けの通りを歩き、二人とも子どもの頃から馴染のある商店街に入っていく。どの時期でもこの商店街はもうすっかり閑散としていて、空きテナントが目立っている。
歩きながらぼんやり話していると、地元で過ごした高校を卒業するまでのことを、お互い大して覚えていないことに気づく。私が地元に戻ってから生活しているなかで不意に思い出す印象的な出来事(良きにつけ悪しきにつけ)のほとんどは、東京で暮らしていた頃のことばかりだ。姉の場合は、私と正反対の性格だし、地元にそこまで嫌な思い出があるわけでもないはずで、その頃の記憶を積極的に忘れようとはしていないと勝手に思うけれど、どうなのだろう。思春期の記憶は大部分が碌なものではないと決まっているが(?)、子どもの頃のことをほとんどよく思い出せないのは、何だか虚しい気がする。しかし、過去の記憶のほとんどが意識できる心的なものだけに限ったものではないとするならば、記憶は意識されることのないままに身体そのものに存続しているのではないか、と根拠もなく考えてみたくなる。「無意識」という言葉からは身体的な意味合いが強く感じられる。そもそも身体による/への作用が伴わない限り、心的なものは働きえないし、その両者の絡み合いや拮抗、浸透や離反が、生を形作っていく……なんて当たり前のことをここで繰り返し書く必要はないか。いまだに「記憶」という言葉を心的なものとして捉えてしまうことが多いけれど、あくまでも潜在的なものは身体の領���にあるのだ。
(230831、最高気温37.5℃)
*
その帰り道、通っていた小学校の手前にある横断歩道で信号待ちしていると、校門の近くに植えられた木の前に女の子が一人立っていた。木のすぐそばにある花壇の囲いのブロックには男の子と女の子が座っていたが、三人とも何も話さずに黙っている。すると、木をじっと見ていた女の子(背が高くて、長い髪に楽天イーグルスのキャップを被っている)がさっと手を伸ばして、太い幹から何か掴み取った。座っている二人の前に来てまた素早く地面にそれを置く。クワガタだった。見ていた私は「すごっ」と声を上げてしまったが、そのとき三人の子どもたちと目が合った。こちらを一瞥するとすぐに視線を地べたに落として、何も言わずにじっとクワガタの様子を見ている。日に焼けた男の子は暑さで少し疲れているようで、隣に座っているハンディ扇風機を首から下げた女の子はガリガリ君を食べていた。三人とも小学3、4年生くらいの子たちだろうか。姉どころか私も、何かの間違いで(!)親にでもなっていたら、今頃はそんな年齢の子がいたとしても別におかしくないんだよな、とか働かない頭で適当に話していた。結局、駅前のミスドに寄っていくことなんてもちろん忘れていたが、コンビニで氷結と煙草だけ買って帰って来たことは覚えている。
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毎日、暑い日が続いている。昨日は義父の居る施設へ面会に行った。顔色が良く、話しかけて反応もあったので一安心。職員さんたちがみんな優しくて本当にありがたい。
夕方から義実家のお墓参りに行き、ときどき行くカレー屋さんで夜ご飯。美味しかった。
祖母も何年かまえから施設暮らしで、最近はもう記憶が薄れているのだという。それでも、なんとなく気持ちだけでもと思って葉書を送っていたら、暑中見舞いありがとう、とメールが届いたので、びっくりして嬉しかった。
あんまり暑いので寝室用のエアコンを購入した。(これまでは隣室のエアコンを扇風機で送り込んで頑張っていた)この夏の暑さは怖いほどだ。とはいえもう八月も半ばで、本当に冬が来るだろうか、いや、来るのだろう。お盆のさなかなのに午前中からエアコン工事の業者さんが来てくれて、工事がおわってお昼を食べてから、すっかり眠ってしまっていた。
真ん中に向かって深くなる葉月 プールサイドの塩素のにおい
そういえば引っ越し先の実家は、幼いころよく連れて行ってもらった公園などが意外とすぐ近くにある。市営プールは、もう無いのだという。泳ぎは苦手だったがプールで遊ぶのは楽しかった。夏休みに遊びに連れて行ってもらったプールはふたつあり、そのふたつとも、今はもうない。ひとつは隣接する公園に山羊が居て、そのへんの草を摘んでは食べさせていた。孔雀も居た。むかしだなと思う。今は山羊も居ないそうだ。
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