#盾娘
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吉田恵里香氏が「実際に生きづらい人や当事者が声を上げたり、一生懸命前に出ると、時に矢面に立ち、攻撃を受けてしまう。だからエンターテインメントが代わりに声をあげて、攻撃をかわす盾になれたらいい」と言っててじゃないですか。この「盾」になるってのも娯楽作品の一つの「徳」ですよ。力ですよ でもこの傾向が進むと、「SNSで政治議論をしても傷つくだけだから、全部フィクションの登場人物に任せよう」となるかもしれん。人生に疲れたオジサンが美少女アニメ見て「あの娘達が俺の代わりに笑ったり、泣いたりしてくれる…」と癒されるように。もはや生きているのはフィクションの中の人物だけだ
Xユーザーのどう即さん
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矛盾のグリムジエンド
The Contradictory Grim the End
とある職人が作ったその鍵に
A certain craftsman made a key
開ける扉はもうこの世には無い
The door it opens no longer exists in this world
理不尽な運命 その果てに倒れた
Having succumbed at the end of an irrational, unfair fate
闇と光の相反する魂
Were two opposing souls of light and darkness
.
それが「グリムジエンド」
That was "Grim the End"
憤怒の罪の象徴
The symbol of the sin of wrath
.
闇の男は原罪を引き裂き
The man of darkness was Twiright
悪の繁栄を願うトワライト
Who sought for evil to prosper by splitting up the original sin
光の男は愛する者のため
The man of light was Moonlit
それらの破滅を願うムーンリット
Who sought its destruction for the sake of the one he loved
.
時代によって姿を変えるそれは
It would change its form for each era--was it
罪作りな器か
A vessel to make sin?
罪殺しの道具か
A tool to kill sin?
.
残酷な童話が幾百生まれる
A cruel fairytale over hundreds of years produced
生まれ持つ人の怒り引き出す器
A vessel that drew out people's innate rage
.
愛を失った誰かの怒りが
The rage of someone who's lost their love
それを終わらせるだろう
Would likely put an end to it
.
矛盾したその存在
It contradicted its own existence
.
偽りの公爵 女を拐かし
A false duke kidnapped a woman,
その恋人の恨みを買った
And incurred the vengeance of her lover
���えた令嬢に毒を盛ったのは
A starved noble woman was poisoned
過去の彼女に惹かれた王子
By a prince who'd been charmed by her past self
.
それは大罪人に
That was a judgment to hand down punishment
罰を与える裁き
To those grave sinners
.
白ノ娘は親友を殺した
Though the Daughter of Evil killed her dear friend
悪ノ娘を許してしまった
The Daughter of White forgave her
光の男は目的果たせず
Unable to achieve his goal, the man of light
少しずつ魂 すり減り始めた
Felt his soul begin to wear down, little by little
.
記憶を保って生き続ければやがて
If he kept living on this way with his memories intact, eventually
神のルールによって
By the Rules of the gods
その魂は壊れる
His soul would break down
.
錆びついて欠けてく僕の歯車
My rusting, chipping gear
残された時間はもう長くはない
Doesn't have much time left
.
それでも全ての罪が消えるまで
Still, until I've erased all of the sin
僕は諦めはしない
I won't give up
.
いつか君に会える日まで
Until the day I can see you again
.
心の壊れた裁判官が
The heartbroken judge
罪のかけらを集める終末
Had the end goal of gathering the fragments of sin
彼に取り憑いてた光の歯車も
The gear of light that came to possess him
既に錆びつき砕けた
Had already rusted and broken to pieces
.
罪を殺すための存在だったのに
Though it had existed to kill sin
今ではその罪求める
Now it sought sin out
矛盾のグリムジエンド
That was the contradictory Grim the End
.
闇の男の高笑いが
The man of darkness' roar of laughter
どこから聞こえてきた
Could be heard from somewhere
.
残酷な童話が幾百生まれる
A cruel fairytale over hundreds of years produced
生まれ持つ人の怒り引き出す器
A vessel that drew out people's innate rage
.
愛を失った誰かの怒りが
The rage of someone who's lost their love
僕を終わらせるだろう
Will likely put an end to me
.
矛盾した......
It made a contradiction...
もうすぐ君に会いに行くよ
I'll go to see you very soon
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デジモンアドベンチャー :くるみ割り人形の物語は、チャイコフスキーの 1892 年のバレエ『くるみ割り人形』、E.T.A. ホフマンの 1816 年の物語『くるみ割り人形とねずみの王様』、および 1979 年のサンリオのストップモーション アニメ映画『くるみ割り人形』を大まかにベースにしています。
時は1999年お台場東京、街中を歩き回って人々の家をのぞき、就寝時間を過ぎて家に帰ると子供たちをネズミに変える謎の老人、ジャンカリンの物語です。
シュタールバウム家の一人娘クララ(八神ヒカリ演じる)は、明日弟のフリッツ(八神太一演じる)が遊びに来ることに興奮して眠れませんでした。ゲルダおばさん(城戸丈演じる)はジャンカリンの話をして彼女を怖がらせようとするが、クララは大人になりすぎて信じられないと言う。ドロッセルマイヤーおじさん(石田ヤマト演じる)が��着して彼らを驚かせます。彼はクララにくるみ割り人形を与え、彼女はそれを愛します。彼女はそれを守れるならすぐに寝ると約束します。
クララは真夜中に目を覚ますと、くるみ割り人形がなくなっている。彼女はネズミの群れがくるみ割り人形を階段から運んでいるのを見て、彼らを追って居間に入る。彼女が人形を取り戻すと、ネズミのリーダーで頭が二つあるネズミのマウゼリンクス (ヴァンデモンが演じる) と対峙する。王様はクララにくるみ割り人形を渡すように命じるが、彼女は拒否する。クララが気絶すると、くるみ割り人形が生き返り、ネズミから彼女を守ろうとする。
翌朝、クララは寝室に戻っていた。クララは叔母にネズミと人形がなくなったことを話すが、ゲルダは馬鹿げたことを言っているだけで熱があるのだと主張する。ゲルダ叔母が部屋を出た後、クララは腕の引っかき傷を見て、夢だったのではないかと考える。それからクララはベッドから起き上がり、部屋を出て、リビングルームの階段を見下ろす。錯乱したクララはリビングルームに降りて、おじいさんの時計を見つめる。そして降りて時計を見ると、ドロッセルマイヤーおじさんが「チクタク、ティー…」と何度も言っているのが聞こえる。クララは時計を覗き込み、中に入る。
ドロッセルマイヤーおじさんが中にいるのではないかとクララは考える。それはジャンカリンのようで、ジャンカリンに怯えてしまう。怖がったクララは歩き回り続けるが、ジャンカリンが何度も現れる。クララは怖くなってそこに座った後、暗闇の中を歩き回り、一緒に踊っているバレリーナを見つけます。踊りが終わると辺りはさらに暗くなり、光が戻ると、彼女は自分が宮殿にいることに気づきます。
そこで彼女は自分と同じ少女の肖像画と、眠っているネズミ人間が入ったガラスの棺を目にしました。人形の城の皇帝(泉光子郎演じる)、侍従長(高石タケル演じる)、そして会葬者の一団が現れ、クララをメアリー王女が戻ってきたと信じている。クララが間違いを正した後、人形の城の皇帝は彼女が人形の国にいると説明します。彼らは双頭のマウゼリンクス率いるネズミたちと戦争をしていた。敗北は避けられないと思われたとき、人形たちは降伏した。しかし、人形の城の皇帝はマウゼリンクスの最後の任期に同意することを拒否した。メ王女マリー(太刀川ミミ演じる)は息子のシュヌルル(ピコデビモン演じる)と結婚しなければならないというものだった。拒否したことに対する罰として、マウゼリンクスは王女を醜いネズミのように見えさせ、人形の城の皇帝が結婚に同意するまで眠り続けるという呪いをかけました。
人形の城の皇帝が物語を終えると、衛兵の隊長とフランツ(八神太一演じる)という名前の若い中尉が入ってきて、人形の城の皇帝に、世界中から賢者が集まったことを告げます。 人形の城の皇帝とフランツは、賢者が全員集まれば、王女マリーを呪いから解放する知識が得られると信じている。しかし、賢者たちの理論はいずれも突飛であるか、効果がありません。すぐに、どの治療法が王女を助けるかについて議論が勃発します。
誰も助ける方法を知らないことに絶望したクララは、城を出て通りをさまよいます。街頭の歌手が、すべての答えを持っていることで知られているジプシー占いの方向を彼女に示します。クララは彼女のところに行き、王女を救い、マウゼリンクスを倒す方法を知っているかどうか尋ねます。ジプシー占いは魔法の水晶玉を使用してマウゼリンクスを監視し、王女を救う唯一の方法は王の力の源であるクラカトークのクルミを破壊することであると明らかにします。これは、純粋な心を持つ誰かが魔法の真珠の剣を振るう場合にのみ可能です。ジプシー占いは剣を提供しますが、それを戦いに運ぶ人を見つけるのはクララ次第です。
クララはフランツが十分に純粋な心を持っていると信じて城に戻ります。彼女は王女を救うために彼が何をしなければならないかを彼に言います。 人形の城の皇帝はフランツに、成功したら娘と結婚させると約束し、フランツは人形軍団を率いて戦いに向かう。彼らは、ネズミたちがシュヌルルと王女との著名な結婚を祝っているときに到着します。おもちゃの兵隊が負けているように見えたとき、フランツはクラカトークのクルミを破壊し、マウゼリンクスを殺します。しかし、彼は彼に呪いをかけ、くるみ割り人形に変えます。
クララはくるみ割り人形を宮殿に運び、宮廷と人形の城の皇帝が王女マリーの目覚めを祝っていることに気づきます。フランツの新しい様子を見て、王女は結婚の約束を破棄し、くるみ割り人形を醜いと言います。クララはフランツを人間に戻す方法を知る者を探して王国を出て放浪するが、シュヌルが攻撃から生き残って彼女を追っていることに気づかない。
道を歩いていると、クララはチェッカー ゲームをしている 2 人に出会います。しかし、彼女が道を尋ねて彼らに話しかけようとしたとき、彼らは森の人形使いと呼ばれる奇妙な男によって操られている人形であることが明らかになりました。最初は森の人形使いがなぞなぞを話し、クララの質問に答えるのが難しくなります。しかし、森の人形使いは、この道のさらに先に時計商人と呼ばれる人物が住んでいることを明らかにし、フランツの魔法を解くのを助けることができると考えられています。
やがて彼女は時計商人に出会い、フランツを救う唯一の方法は本当の愛だと告げられる。クララはフランツを愛していると宣言するが、時計商人はそれだけでは十分ではないと言う。旅に疲れ果てたクララは眠りに落ちる。彼女はフランツが再び人間になり、魔法の王国に入る夢を見る。城で末永く幸せに暮らすために階段を上ろうとしたとき、クララの足が動かなくなる。フランツは彼女なしで歩き続けるので、クララは彼の足をつかんで行��ないでと懇願する。
彼女は目を覚まし、ガーが彼を引き離そうとしているときにくるみ割り人形をつかんでいることに気づく。彼女はシュヌルルにフランツを助けて代わりに自分を殺してほしいと懇願するが、シュヌルルはフランツが母親を殺した罪で死ななければならないと主張する。フランツがくるみ割り人形を刺そうとしたとき、クララは自分の体を盾として使う。これによりフランツは呪いから解放され、シュヌルルは破壊される。
クララはベッドで目を覚まし、隣にはドロッセルマイヤーおじさんがいました。クララが何が起こったのかを語り、ドロッセルマイヤーに時計で何をしていたのか尋ねようとしていると、ゲルダおばさんがやって来て、フリッツが来たと告げました。彼はフランツそっくりでやって来ました。
フリッツは家に戻ると、クララに花束を手渡し、「マルチパン城の王女様にぴったりだよ」とささやきました。彼はクララの手に優しくキスをし、クララはフリッツをとても恋しく思いました。
声の出演: クララ(八神ヒカリ演じる):和多田美咲 フランツ、フリッツ(八神太一演じる):三瓶由布子 ゲルダおばさん(城戸丈演じる):草尾毅 ドロッセルマイヤーおじさん(石田ヤマト演じる):浪川大輔 不思議婆さん、森の人形使い、時計商人:吉田鋼太郎 人形の城の皇帝(泉光子郎演じる):小林由美子 王女マリー(太刀川ミミ演じる):高野麻里佳 侍従長(高石タケル演じる):潘めぐみ オランダ風名士、文学博士、フランス風名士、ロシア風名士、中国風名士、死刑執行人、プロシア風名士、詩人、イギリス風名士、インド風名士:藤井隆 ジプシー占い:北浜晴子 マウゼリンクス夫人 (ヴァンデモンが演じる) :一の���あつ子 鼠王シュヌルル(ピコデビモン演じる):山田隆夫
#digimon adventure#digimon adventure: the story of the nutcracker#デジモンアドベンチャー#くるみ割り人形#デジモンアドベンチャー くるみ割り人形の物語#クララ#フリッツ#フランツ#八神ヒカリ#八神太一#yagami hikari#yagami taichi
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ウィンクが下手な小娘、二階堂ふみ
語って!と言われてから二ヶ月以上経つね
そろそろ痺れを切らしている彼女について
色々語らせてもらおうかなと思っています

俺らは出会って2年くらいになるらしい
出会った当初どんな会話をしてたかなと
文章起こす前に見返してきたんですけど
今とさほど変わってない緩すぎる雰囲気
俺が体調崩した時、ゼリーごっくんして
ちゃんとうがい!ぶくぶくぺーして!と
あまりに子供扱い過ぎる口調で心配され
そんな扱いされた経験が滅��にない俺を
無意図的に子供扱いしてくる希少な人材
小生意気、不器用、素直な女の子ですよ
食生活やら何やらを心配してくれるのは
今も昔も全く変わってないなと思います
俺がもうここをやめるよって話をした後
たいくんは頑固だから考え直さないよね
みたいなのを言っていたあたりはさすが
俺の事をよく分かってくれるなと思った
それと反対に俺はまだ彼女が分からない
矛盾だが素直だけど本音を言わない故に
彼女には未知な部分が多過ぎるんですよ
2年じゃまだまだ月日が足りないようで
心の銭湯こと安らぎと元気をくれる存在
スローペースだが着実に進む俺らの時間
これからも出来るだけ長く続けていこう
貴方は俺の最高なソウルメイトですから
ホワイトデーの良いお返し思い付かなかったな
朝の通勤にこの曲を。新しい環境でも君らしく
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嘘、か
私はいつも嘘ついてたかもな
私が絵を好きになった人がたまたまメンヘラだったのではなく
私はメンヘラの中から絵が上手い人を無理矢理探していただけなのかも知れない、と
つまり私は本当は絵の上手さよりもメンヘラ性を重視して付き合う人を選んでいるだけなのではないか、と
否。これは何も私の求めるものと矛盾しない
何故なら絵とはロマン。ロマンは無駄
無駄な行為を続けるには負荷が必須で負荷を常態化させる上でメンヘラ的な人を身近に置くことは極めて合理的で…
いや。ここにも欺瞞が
本当に私にとって絵はロマン(無駄)か、という事だ
生きる上で普通に不可欠ではないか
必要不可欠で実利のあるものにロマンはない
つまり私はまったくロマンを追えてない
イコール私は絵を描く為にメンヘラと付き合っているわけではない…
認めたくない。自分が損得抜きにただメンヘラが好きなだけのドMだなどと
ままならぬ飢餓と社会性にクリティカルな問題抱えた、対話が成立しそうでギリ成立しないヒステリックな人を許して愛せる自分が大好きなだけのエゴイストだなどとは
こんなメチャクチャな人を許せてる自分カッケェ、という自己愛が主体でそこに他者愛なんてほとんどない
実は人の事をすぐに怒って悔い改めさせようとする人々の方がよほど他者愛が深いのではないか
そして私はその他者愛を唾棄すべき不快なものと思っている。だから他者を心の底から愛せない
そうか。でも死に行かんとする他者に対し痛みは感じる。痛みは感じるがその痛みを止める為に相手の決意を捻じ曲げてでも助ける事は相手の為ではなく自分の為。そんなものは他者愛であるはずがない
何もかもただ自分の為にやっている
他人の気持ちに寄り添ったフリをするのは、それをしている自分を格好いいと思っているから
他人の為に自己犠牲できる人を格好いいと思っているから
これを解体したら本当にわけがわからなくなる
自己犠牲は格好いい。これが私の欲望の最小単位ということにしておきたい
そこに嘘があったとしても私はそこから先を見たくはない
なあんだ、自己犠牲べつにかっこよくもなんともねぇや、という視点を手に入れたくない…
みんな、なんで自己犠牲フェチじゃないんだ
「人を助けて死ぬのって気持ちいいね」って、どうして思わねぇんだよ
ああ、気持ちいい。これは気持ちいい事の筈なんだ
自己保存欲求という本能を抑えてでも実践する理性的・社会的な他者愛的行動
あ、そっか。ヒーローに憧れてんだこれ
そして元気な人を助ける程のパワーがないからハードル下げてメンヘラ選んでる
ん。別にそれ分かった所で欲が無くなることはないな
私の中のヒーロー実践欲を満たす為にはメンヘラの横暴さに耐える事が必然なのだ
そしてヒーローになりたいという欲は他者にとっての規範や有益な存在でありたいという欲望
その欲があまりに綺麗事のお為ごかしに満ちていて恥ずかしいから、皮肉や露悪やヒステリーでカモフラージュしている
いや、邪気眼であり厨二だろ、これは
そして私はただの一度も、他人のことを救えた事がない。誰にも希望を与えられていない
つまり私はまだまだ飢餓の中にいる
飢餓から逃れたいという欲が苦しすぎるから、「飢餓を求める欲がある」という事にして問題解決を先送りにしている
そんな欲求あるわけない
私は今すぐすべての責任を放棄し身勝手に氏にたいのだ
生きることは飢餓の肯定に他ならぬ
我々は神によって不条理で不自由な欲望与えられた餓鬼(グール)に過ぎない
娘は言った。飽きると言う感情が苦しいと
理性はそれをずっと楽しみたいと願い続けているのに感情がそれを無価値とレッテル貼りしてしまう。その浅はかな感情自体が嫌いなのだ、と
新しい刺激を貪欲に求める身体が嫌なのだ、人間の仕様そのものが嫌なのだ、と
おお、娘よ。それは私が32歳くらいでようやく向き合う事になった人間の本質だ
なぜそれをもう持っている。何処で見つけた?
かわいい。なんて可愛い生き物なんだ
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親がダメですよ。いくら口では厳しく言っても、実家に棲まわせているという矛盾。 こういう親は、毎月決まった生活費を入れる約束をしても、「今月は歯医者でお金掛かったから厳しい」とか「インフルエンザで1週間欠勤したから厳しい」とか言われると、許しちゃうんですよ。独り暮らしで普通に家賃払わなきゃならない場合は、歯医者だインフルだ関係無いんですが。 自分の人生は自分だけのものなので、どういう選択をしようと本人の勝手ですが、実家ありきで人生プランを考えられたら、親としてはたまったもんじゃないです。
高学歴でも“あえて非正規” 「働くために生きるのは嫌」年収200万円の娘の人生プランにバブル世代の父絶句 #令和に働く #令和の子(THE GOLD ONLINE(ゴールドオンライン))のコメント一覧 - Yahoo!ニュース
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スパルタは人類史上、初めて結婚を制度化した。
スパルタ - Wikipedia
スパルタでは、国民皆兵制度とひとそろいの運用がされ、軍事組織の維持の為の結婚であり、一夫多妻制と一妻多夫制が採用され、性教育も盛んに行われた。古代ギリシア、古代ローマ、ローマ帝国では結婚した女性にのみ自由市民権が与えられ、自由市民権が無い女性は老婆も婦人も少女もみな奴隷階級の神聖娼婦や娼婦であった。古代ギリシアの歴史家ヘロドトスは古代ギリシアのアフロディーテ神殿において神殿売春が行われていたと初めて言及した人物である[2]。
「神の家」が存在したと記している(性教育であるとする説もある)、ヘロドトスは『歴史』の中で神殿売春の慣習を伝えているが[3]、多分に誤解を含んでいるという主張もある[4]。女性にも体育が奨励されて健康な子を持つことが期待された。15歳ぐらいになると親が決めた30歳ぐらいの男性と結婚させられた[矛盾 ⇔ :en:Sparta#Role_of_women]。戦死することが多かったスパルタでは、兄弟や複数の男性で一人の女性を妻に迎えたと伝えられる。妻は夫と昼間に顔を合わせることはほとんどなかった。妻は自由市民権が与えられ、複数の夫の死後は後家として複数の夫の私財の相続が認められ、子孫の後見人となれた。また、スパルタ兵の娘は7歳から民会への参加が許された。しかし家庭の奥に籠もって一生を送ったアテナイの女性に比べれば自由であった。
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飴屋法水+角銅真実『地球は、記述されたがっていた』/『たんぱく質』刊行記念セッション

生と死、獣と人、食べること、殺すこと、めぐりゆく記憶
この地球に生まれ、やがて去っていく、私のすがた、この世のはなし
地球は、記述されたがっていた
「生」の根源を見つめる演劇作家・飴屋法水の集大成的小説『たんぱく質』の刊行を記念して、
飴屋さんの朗読と、音楽を通して根源に触れようとする音楽家・角銅真実さんによるセッションを、twililightで開催します。
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飴屋法水+角銅真実『地球は、記述されたがっていた』/『たんぱく質』刊行記念セッション
日程:2024年5月20日(月)
開場:19時 開演:19時45分
会場:twililight(東京都世田谷区太子堂4-28-10鈴木ビル3F/三軒茶屋駅徒歩5分)
料金:3000円+1ドリンクオーダー
定員:26名さま
主催・企画:twililight、palmbooks
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ありのままの自分の姿を一生知ることのないまま生きる人間は、ある意味では狂っているのだと思いますが、狂っているからこそ、ひとつの価値観だけでなく、矛盾を抱えて、曖昧なまま、揺らぎながら生きていけるのだと思います。
このセッションによって、ありのままの自分の姿を知ることができない人間が、他者をとおして、人間の自然を、垣間見ることができたら。(twililight 熊谷充紘)
別人と、別人が、出会い交わり、混じり合うーー
「たんぱく質」のことばが音になって届けられたときに、なにが見えるのか?海の生物に親しみ、地球を見つめるまなざしを感じるおふたりが奏でる生きものに出会えるのがとてもたのしみです。(palmbooks 加藤木礼)
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*定員に達したのでキャンセル待ちの受付になります!
申し込み:[email protected]
件名を「飴屋法水+角銅真実『地球は、記述されたがっていた』として、お名前(ふりがな)・お電話番号・ご予約人数を明記の上、メールをお送りください。
*このメールアドレスが受信できるよう、受信設定のご確認をお願い致します。2日経っても返信がこない場合は、迷惑フォルダなどに入っている可能性がありますので、ご確認ください。
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飴屋法水(あめや・のりみず)

photo ©️Lieko Shiga
高校在学中、唐十郎の「状況劇場」に音響担当として加わる。1983年「東京グランギニョル」を旗揚げ。演劇、美術、動物商、文筆をはじめ領域を横断しながら一貫して、人間の「生」の根源を見つめる独自の表現をおこなう。著書に『君は珍獣(ケダモノ)と暮らせるか?』『ブルーシート』『彼の娘』などがある。
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角銅真実(かくどう・まなみ)

photo by Ittetsu Matsuoka
音楽家、打楽器奏者。長崎県の山と川に囲まれ育つ。マリンバをはじめとする様々な打楽器、自身の声、言葉、身の回りのものを用いて、楽曲制作やパフォーマンスなど自由な表現活動を展開している。
2024年1月にソロアルバム『Contact』をリリース。
自身のソロ以外にバンドcero、dip in the pool、滞空時間など様々なアーティストのライブサポート、レコーディングに携わるほか、映画や舞台、ダンスやインスタレーション作品への楽曲提供・音楽制作も行っている。
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ウマ娘の話題になると必ず「屠畜」がNGワードなっていて出すと大炎上するのがお決まりになっているが、「潔癖主義」が歴史修正主義的な現実改変を生み出しているのは見逃せない。
潔癖さ��現実に齟齬があったときに、「虚偽の現実」を優先するポスト・トゥルース仕草というか…。
悪質なのは「虚偽の現実」を”虚偽”と知りながら唱える人たちで、本来(自身の潔癖主義から)優先すべき”馬の福祉”という問題点を、見て見ぬふりをして、むしろ問題視した人を集団で叩くという矛盾行動に至る。
ウマを大事にしたいのかしたくないのか、どっちなんだい。
馬は所詮畜生なのだから、人間様に食われてしかるべきだという人は、露悪主義だが少なくとも筋は通っているといえる。まだマシである。
人間ジェネリック(@DividedSelf_94)さん / X
『アニマルライツ』や『アニマルウェルフェア』とは違う観点の話。
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2023回顧 寫於20240131
你在一個很裡面的地方就什麼也不會記得,卻也什麼都忘不掉。一年來常在空閒時默念章裕老師分享於臉書的文章:「這世間沒有不完美,或是即將趨於圓滿;不,世界在每一刻都是圓滿的,所有的罪人都已含藏恩典,所有的孩子內在都有個老人,所有的嬰兒都面臨死亡,所有死者都有永生。沒有一個人可能看著其他人而知道自己的道路還有多遠,強盜和賭徒內在都有個佛陀等著,所有婆羅門內在都有個強盜。……一切都是好的,一切都是圓滿,皆是梵。(赫曼·赫賽 《流浪者之歌》)」
就是這樣子,這一年來發生的所有想大聲罵「幹你娘」的事到了年尾居然都得到圓滿的結束,一種在冒險的路上走著走著回過神來就已經拯救世界的感覺,原來不知不覺間那些苦痛都被解決了嗎!原來被拯救的正是我自己的世界嗎!原來我有這麼強嗎!
2023有一堆讓我痛苦的屁人用一堆屁事讓我哭的死去活來^^,某一個夜晚我悲傷的跟蘇聊天,他傳來「什麼時候可以看到園子跟茂夫一樣越來越強」(這句對我的影響大到截了圖一直在心裡默背)後,我才終於醒來,原來要等到一切結下善果才會意識到那都是在用自己澆水。幸福跟幸運不是一種可以被消耗的東西,這些過程只是必經的潮起潮落,你真的擁有而且絕對不會失去,浮動的東西諸如才華或是人際關係,最重要的是身在其中卻能穩定,在平靜中睡一個長長的覺,在每個夜晚把自己蜷成一隻貓。
年初在一個地方寫下「希望2023能成為跟月光一樣的人」,突然看到才想起有這件事,那時候是希望自己擁有月光的什麼特質早就忘記,現在也沒有往那邊努力,畢竟根本不記得這回事啊!那2024要成為什麼呢?想到一些形而上的東西像是善良或是和平��愛,鏈鋸人第二季主角的第一個朋友說:「即使結果是錯誤的……我只要沒弄錯自己的感情就好了!」,是了,我的一切行為都不是依循一個純粹的目標,而是有一大坨有的沒的情感讓我複雜讓我矛盾讓我曖昧不清,好多執著好多顧慮好多寶物不能捨棄,做不到筆直的前進於是一路上都彎彎曲曲,中間還莫名其妙多了好多站要停。然後就不想去想太多事情啦!一切事情跟關係都只會越來越複雜啊!成為月光根本是一個太簡單的想法!2024希望自己能沉著的坐在光明裡!這樣就好啦!
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テレビのニュースは
���れを見てもガザの被害、空襲で泣き叫ぶガザの子供、家族を失い悲嘆にくれるガザの男、とガザ側の被害ばかり強調する
1000発を超えるロケット弾がイスラエルに打ち込まれたり何百人も拉致され人質になっていることも、ハマスのテロリストがイスラエルの町で意図的に幼児や赤ん坊を残虐に殺害してそのビデオを公開していること、ハマスがその拠点を意図的にガザ市民の生活の中心に置き、ガザ市民を人間の盾にしていること
そして、何よりハマスはただ単に武力でガザ地区の一般市民を押さえつけて支配しているテロリスト集団で政府でも何でもないこと ガザ西岸のパレスチナ暫定政府とは全く別物であること ガザ市民もハマスを批判的に見ている場合が多いこと アラブ世界で最もパレスチナ人が自由に豊かに生きている国はイスラエルであること
この辺はほぼ全て��ルー これで一般の日本国民がイスラエルとハマスの戦闘のあり様を理解することなど土台無理 ひどいもんだ イスラエルの味方するのはアメリカや日本の味方するみたいで本能的に嫌なのかね
まあ、テロリスト重信の娘をわざわざ出してハマスの擁護と宣伝に余念がないぐらいだから、偏っているのはわかってはいるが
ますますテレビニュースは見なくなった もうさ、テレビは野球、サッカー、ラグビー、バスケなどスポーツ中継と、ドラマ映画だけにしてくれんか ああ、それなら地上波、BS見ないで ネトフリとかディズニーとかWOWWOWと契約すればいいのか あれ それでもNHKは地の果てまで受信料払えって追ってくるのはどうしよう
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ヴィム・ヴェンダース監督 『PERFECT・DAYS』
最後に流れるニーナ・シモンの「Feelig Good」に息を飲んだ。いったいこれは・・・聞き覚えのあるこの歌が、世界に満ち溢れている。自分もまさにそのなかにいる。感動というより、圧倒的な覚醒感に心が震えた。
ルーチン
『PERFECT DAYS』にこれといったドラマはない。東京の下町で清掃員を務める平山の日常が描かれる。平山の毎日は実にシンプルだ。
笹箒で道を履く音で目覚める。布団を畳み歯を磨く。いつもの持ち物をポケットに収めドアを閉める。アパート脇の自販機で飲み物を買う。クルマのドアを閉める。清掃道具の詰まった軽四を走らせる。カセットテープを選ぶ。『朝日の当たる家』が流れる。
平山が向かうのは、東京の下町に点在する公衆トイレだ。
仕事場に着くと、掃除用具を下げてトイレに向かう。ドアノブを磨き、丁重に便座を拭く。利用者が来ると手を止め外で待つ。昼休みになると、いつもの境内のベンチで昼食をとる。揺れる木漏れ日にカメラを向け、ときに小さな若木を採集する。
仕事を終えると銭湯に行く。その足で地下通路の居酒屋でくつろぐ。アパートに帰るとポケットのものを玄関に揃え、布団を敷いて灯りを付ける。幸田文の『木』を開く。数ページを読んだら灯りを消し眠りに就く。一日が終わる。
映画は平山の一日を追い、振り出しに戻るように再び次の日の平山を描く。そしてまた次の日も。
繰り返されるルーチンのなかで、ときに問題も起きる。相棒は仕事をサボり、余命いくばくの男に、「スナックのママをよろしく」と告げられたりもする。突然現れた妹の一人娘は嬉しそうに平山の部屋に転がり込む。トイレ掃除を手伝うという。ときに起こる起伏もまた、周期の異なるルーチンのように平山の日常に差し込まれている。
別の世界
映画に描かれる平山の日常は、多くの人の日常とさほど変わらない。私たちもまた、同じ時刻に目覚め職場に向かう。厄介な問題を抱えることもある。晩酌もすれば銭湯にも行く。スナックに立ち寄れば、職場では聞くことがない打ち明け話しに耳を傾けたりもする。
それにも関わらず、平山の日常が自分のそれとはまるで別の世界に見える。
彼の日常が自分と決定的に異なるのは、繰り返されるルーチンへの率直な態度だ。平山はルーチンに決して文句を言わない。それどころか、同じ繰り返しのひとつひとつを受け入れ、楽しんでいるように見える。
しかし、平山はただ受け身なわけではない。彼の表情に迷いはなく、行いは自然で落ち着きがある。仕事をこなす姿はむしろ洗練されている。周りを自分のものにしている。平山のルーチンには輝きがある。なぜ、平山はこうも日常と交われるのだろう。
饒舌
私たちはルーチンを嫌う。同じことの繰り返しをつまらないと思う。そう思いながらもルーチンをこなしているのは、繰り返しを意識しなくても済む方法を身につけているからだ。時間があればスマホを眺める。人を待つときも、電車に乗っても、食事のときでさえ。そして、トイレに入ってもスマホを手放すことはない。
私たちは平山ほど無口ではない。よく喋る。饒舌ではないまでも、さまざまなメッセージを受け止める。というより言葉を消費することに忙しい。その点、平山は口数が少ない。相棒が話しかけても滅多に口を開かない。たまにガラケーに電話がかかっても、「うん」「ああ」で話は終わる。平山にスマホ���似合わない。
平山の部屋にはモノが少ない。あるのは古本と苗木くらいだ。言葉の数とモノの多さは比例しているのだろう。私たちは周囲の者ともっと多くの言葉を交わす。お金でモノを求めるにはそれなりに言葉がいる。そうして世界は広がり複雑になる。そうするうちに、平山の日常が別世界になってくる。
滑る世界
しかし、世界を広げたところで、他人やモノとの関係が深まるとは限らない。平山が運転する軽四も、掃除をするトイレも、見上げる境内の木も、東京に無数にある似たもののひとつに過ぎない。その同じものを私たちもまた目にし、手にし、使い、過ごす。しかし、平山が木漏れ日に目を細めるようには外界と交わらない。
私たちの日常風景は、滑るように過ぎて行く。歩く側から通行人や植え込みが現れては消える。
しかし、平山のそれは異なる。木立から見れば、平山は言葉を交わすことができる、数少ない通行人の一人だろう。木立に小さな熱が生まれる。葉を透過する光が、微かに輝きを増す。
私たちも平山と同じ世界を生きている。東京の下町を行き交う数多の生活者の一人だ。路地から見上げる先にはスカイツリーが立ち、銀座線の改札を出れば地下商店街を通り過ぎる。夜闇を照らす自動販売機はいたるところにある。掃除の行き届いた公衆トイレもある。しかし、そうした日常に気持ちを止めることはまれだ。
それに比べ平山を取り囲む外界の、なんと満ち足りていることだろうか。同じ世界がなぜこうも違って見え、異なる関係で結ばれているのだろうか?
罪滅ぼし
おそらく平山には暗い過去があるのだろう。妹に「お父さんの見舞いにでも行ったら」と言われた平山は、立ちながら嗚咽を漏らす。弱り果てた父親だけが非日常のように断絶し、向こう側にいる。本来なら最も近いはずの関係に平山は近づけないでいる。そのことが却って、平山に日常との親密な交わりを促しているように見える。
関係の断絶から生まれる親密な世界。これはひとつの罪滅ぼしかもしれない。不幸なことかもしれない。私たちが平山とは正反対の世界にいるとしたら、私たちは親密な関係のせいで日常から断絶していることになる。はたしてどちらが不幸なのだろうか。どちらが幸せなのだろうか。
ひとつだけ確かなことがある。完全な関係も、完全な親密も、完全な幸せも不幸も存在しないことだ。矛盾する二つが同時にある。その矛盾を純粋に受け入れるとき、人は虚飾を離れ自分に忠実に生きることができる。そのとき世界はなぜか親密で美しい。何故もなく、ただ受け入れ慈しむだけの完全な日々が訪れる。
完全な日々
鳥が飛ぶ… 太陽の輝き… そよ風が流れる… 夜が明け、一日がはじまる… ああ、生きている。 なんと���う自由、ずっとこの時を待っていた。 ああ、生きている。
木漏れ日の向こうに木立がある。その向こうには太陽がある。
世界のなかに日本がある。日本のなかに東京がある。東京に平山が暮らしている。その平山を木漏れ日が包んでいる。
ニーナ・シモンの歌声が、至高の生きる喜びを伝えていた。平山が見ている木漏れ日が歌になっている。できることなら、こんな東京がいつまでも続いていてほしい。この「TOKYO物語」が生きながらえてほしい。
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF QIN SHI HUANG
的是不我一有大在人了中到资要可以这个你会好为上来就学交也用能如文时没说他看提那问生过下请天们所多麽小想得之还电出工对都机自後子而讯站去心只家知国台很信成章何同道地发法无然但吗当於本现年前真最和新因果定意情点题其事方清科样些吧叁此位理行作经者什谢名日正华话开实再城爱与二动比高面又车力或种像应女教分手打已次长太明己路起相主关凤间呢觉该十外凰友才民系进使她着各少全两回加将感第性球式把被老公龙程论及别给听水重体做校里常东风您湾啦见解等部原月美先管区错音否啊找网乐让通入期选较四场由书它快从欢数表怎至立内合目望认几社告更版度考喜头难光买今身许弟若算记代统处完号接言政玩师字并男计谁山张党每且结改非星连哈建放直转报活设变指气研陈试西五希取神化物王战近世受义反单死任跟便空林士台却北队功必声写平影业金档片讨色容央妳向市则员兴利强白价安呵特思叫总办保花议传元求份件持万未究决投哪喔笑猫组独级走支曾标流竹兄阿室卡马共需海口门般线语命观视朋联参格黄钱修失儿住八脑板吃另换即象料录拿专远速基帮形确候装孩备歌界除南器画诉差讲类英案带久乎掉迷量引整似耶奇制边型超识虽怪飞始品运赛费梦故班权破验眼满念造军精务留服六图收���半读愿李底约雄课答令深票达演早卖棒够黑院假曲火准百谈胜碟术推存治离易往况晚示证段导伤调团七永刚哥甚德杀怕包列概照夜排客绝软商根九切条集千落竟越待忘尽据双供称座值消产红跑嘛园附硬云游展执闻唱育斯某技唉息苦质油救效须介首助职例热毕节害击乱态嗯宝倒注停古输规福亲查复步举鱼断终轻环练印随依趣限响省局续司角简极干篇罗佛克阳武疑送拉习源免志鸟烦足馆仍低广土呀楼坏兵显率圣码众争初误楚责境野预具智压系青贵顺负魔适哇测慢怀懂史配呜味亦医迎舞恋细灌甲帝句属灵评骑宜败左追狂敢春狗际遇族群痛右康佳杨木病戏项抓徵善官护博补石尔营历只按妹里编岁择温守血领寻田养谓居异雨止跳君烂优封拜恶啥浪核聊急状陆激模攻忙良剧牛垒增维静阵抱势严词亚夫签悲密幕毒厂爽缘店吴兰睡致江宿翻香蛮警控赵冷威微坐周宗普登母络午恐套巴杂创旧辑幸剑亮述堂酒丽牌仔脚突搞父俊暴防吉礼素招草周房餐虑充府背典仁漫景绍诸琴忆援尤缺扁骂纯惜授皮松委湖诚麻置靠继判益波姐既射欲刻堆释含承退莫刘昨旁纪赶制尚艺肉律铁奏树毛罪笔彩注归弹虎卫刀皆键售块险荣播施铭罗汉赏欣升叶萤载嘿弄钟付寄鬼哦灯呆洋嘻布磁荐检派构妈蓝贴猪策纸暗巧努雷架享宣逢均担启济罢呼划伟岛歉郭训穿详沙督梅顾敌协轮略慧幻脸短鹰冲朝忍游河批混窗乡蛋季散册弃熟奖唯藏婚镜紧猜喝尊乾县伯偏偷秋层颗食淡申冠衣仅帐赞购犯敬勇洲束斗徒嘉柔绩笨拥漂狮诗围乖孤姓吸私避范抗盖祝序晓富译巨秀馀辉插察庆积愈端移宫挥爆港雪硕借帅丢括挂盘偶末厅朱凡惊货灭醒虚瑞拍遗忠志透烈银顶雅诺圆熊替休材挑侠���累互掌念米伴辅降豪篮洗健饭怜疯宏困址兮操临骗咧药绿尼蔡玉辛辈敏减彼街聚郎泡恨苏缩枢碰采默婆股童符抽获宇废赢肯砍钢欧届禁苍脱渐仙泪触途财箱厌籍冰涛订哭稳析杰坚桥懒贤丝露森危占茶惯尘布爸阶夏谊瓶哩惨械隐丰旅椰亡汽贝娘寒遭吹暑珍零刊邮村乃予赖摇纳烟伦尾狼浮骨杯隔洪织询振忽索惠峰席喵胡租款扰企刺芳鼠折频冒痴阴哲针伊寂嘴倚霸扬沉悔虫菜距复鼓摩郑庄副页烧弱暂剩豆探耐祖遍萧握愁龟哀发延库隆盟傻眉固秘卷搭昭宁托辩覆吵耳閒拨沈升胖丁妙残违稍媒忧销恩颜船奈映井拼屋乘京藉洞川宪拟寝塞倍户摆桌域劳赚皇逃鸿横牙拖齐农滚障搬奶乌了松戴谱酷棋吓摸额瓜役怨染迫醉锁震床闹佩牠徐尺干潮帽盛孙屁净凯撞迴损伙牵厉惑羊冬桃舰眠伍溪飘泰宋圈竞闪纵崇滑乙俗浅莲紫沟旋摄聪毁庭麦描妨勒仪陪榜板慕耀献审蟹巷谅姊逐踏岸葛卧洽寞邦藤拳阻蝎面殊凭拒池邪航驱裁翔填奥函镇丌宽颇枪遥穹啪阅锋砂恭塔贺魂睛逸旗萨丸厚斋芬革庸舒饮闭励顿仰阁孟昌访绪裕勿州阐抢扫糊宙尝菩赐赤喊盗擎劝奋慈尽污狐罚幽准兼尖彰灰番衡鲜扩毫夸炮拆监栏迟证倾郁汪纷托漏渡姑秒吾窝辆龄跌浩肥兽煞抹酸税陷谷冲杜胸甘胞诞岂辞墙凉碎晶邱逻脆喷玫娃培咱潜祥筑孔柏叭邀犹妻估荒袋径垃傲淑圾旦亿截币羽妇泥欺弦筹舍忌串伸喇耻繁廖逛劲臭鲁壮捕穷拔于丑莉糟炸坡蒙腿坦怒甜韩缓悉扯割艾胎恒玲朵泉汤猛驾幼坪巫弯胆昏鞋怡吐唐悠盾跃侵丹鑑泽薪逝彦后召吕碧晨辨植痴瑰钓轩勤珠浓悟磨剪逼玄暖躲洛症挡敝碍亨逊蜜盼姆赋彬壁缴捷乏戒憾滴桑菲嫌愉爬恼删叹抵棚摘蒋箭夕翁牲迹勉莱洁贪恰曰侨沧咖唷扣采奔泳迹涯夺抄疗署誓盃骚翼屠咪雾涉锺踢谋牺焦涵础绕俱霹坜唬氏彻吝曼寿粉廉炎祸耗炮啡肚贡鼻挖貌捐融筋云稣捡饱铃雳鸣奉燃饰绘黎卷恢瞧茫幅迪柳瑜矛吊侯玛撑薄敦挤墨琪凌侧枫嗨梯梁廷儒咬岚览兔怖稿齿狱爷迈闷乔姿踪宾家弘韵岭咦裤壳孝仇誉妮惧促驶疼凶粗耍糕仲裂吟陀赌爵哉亏锅刷旭晴蝶阔洩顽牧契轰羞拾锦逆堕夹枝瓦舟悦惹疏锐翘哎综纲扇驻屏堪弥贯愚抬喂靖狠饼凝邻擦滋坤蛙灾莎毅卒汝征赠斗抛秦辱涂披允侦欲夥朗笛劫魅钦慰荷挺矣迅禅迁鹿秤彭肩赞丙鹅痕液涨巡烤贱丈趋沿滥措么扭捉碗炉脏叔秘腰漠翅余胶妥谣缸芒陵雯轨虾寸呦洒贞蜂钻厕鹤摔盒虫氛悄霖愧斜尸循俩堡旺恶叉燕津臣丧茂椅缠刑脉杉泊撒递疲杆趁欠盈晃蛇牡慎粒系倦溜遵腐疾鸭璃牢劣患祂呈浑剂妖玻塑飙伏弊扮侬渴歪苗汗陶栋琳蓉埋叡澎并泣腾柯催畅勾樱阮斥搜踩返坛垂唤储贩匆添坑柴邓糖昆暮柜娟腹煮泛稀兹抑携芭框彷罐虹拷萍臂袭叙吻仿贼羯浴体翠灿敲胁侣蚁秩佑谨寡岳赔掩匙曹纽签晋喻绵咏摊馨珊孕杰拘哟羡肤肝袍罩叛御谜嫁庙肠谎潘埔卜占拦煌俄札骤陌澄仓匪宵钮岗荡卸旨粽贸舌历叮咒钥苹祭屈陋雀睹媚娜诱衷菁殿撕蠢惟嚣踊跨膀筒纹乳仗轴撤潭佛桂愤捧袖埃壹赫谦汇魏粹傅寮猴衰辜恳桶吋衫瞬冻猎琼卿戚卓殖泼譬翰刮斌枉梁庞闽宅麟宰梭纠丛雕澳毙颖腔伫躺划寺炼胃昂勋骄卑蚂墓冥妄董淋卢偿姻砸践殷润铜盲扎驳湿凑炒尿穴蟑拓诡谬淫荡鼎斩尧伪饿驰蚊瘟肢挫槽扶兆僧昧螂匹芝奸聘眷熙猩癢帖贫贿扑笼丘颠讶玮尹詗柱袁漆毋辣棍矩佐澡渊痞矮戈勃吞肆抖咳亭淘穗黏冈歧屑拢潇谐遣诊祈霜熬饶闯婉致雁��讽膜挣斤帆铺凄瑟艇壶苑悬詹诠滤掰稚辰募懿慨哼汁佬纤肃遨渔恕蝴垫昱竿缝蹈鞭仆豫岩辐歹甄斑淹崎骏薰婷宠棵弓犬涂刹郁坎煎螺遮枯台昔瘾蒂坠唔瞎筝唇表吁冤祷甩伞酱范焉娇驼沦碳沾抚溶叠几蜡涌氧弦娱皓奴颓嘎趟揭噹剥垦狭魁坊盐屎郝佩摧栗菊瘦钧匿砖嘘缚嘟盆债霞挽逍畔蕴颈获畏喂脾姬赴囊噪熄锡诀肇璋晕浊伐峡窃枕倘慌垮帕莹琦厢渺脏削锣虐豔薇霉衍腊喧娶遂睁裙韦矢伺钉婴蓄奸廿堵葬蓬鸦尝挨蕾璿挚券厨醇呻霍剃浆葡暨滨履捞咕耕棉烁尉艰妓棺鹏蒸癌纬菌撇惩绑甫崩魄拂汰氓歇萝呒萄蕃曝疋向胏烛腻襄妆髓朴薯颂薛滩橘贰嘲叹枚侮豹巢酬碑翩蚕辽矿屡谴卵撰攀肌冯宴盏阪浦迦颁炼尬胀辟艘株只湘饲爹梨喽侍疫雕黯并铝弗爪鄙钗栽狸谘柄悸喉擅劈秉芷裸锵贾逗寓咚璞烫铅啸炳屿竖惶仕挪栅迄顷窄鸥鲢郊倩兜茧磊抒夷绰溯拙僚芙杖溃凶鸽妒沌祺呐卦聆栖蝇佮唾汇楣匠蛛悼舜耿瞄芋瞒竭茵吼苛浸拯克豆沛掠廊凸搅俺酌倡朦蕉暱焕掏蝉焰狄绳惰芽裹宛御赎燥滔贬悍袂坟颉啤押尴颤钝腥缔粮哑槟簿斧肿纶僵齣辖蹲敷喘扎酿佑肖愈隧嗜檬迳碌襟凋圭寇污哨倪筠桦诈姜旬秃脂噢撼衅庚炫谭惭涩崔贷胡晒琉捏绮膝拭暗醋膨杠鑫瀑喃剖袜逾涅扳惘凳呃掘捍榔窍蜗旷梵暇稻柠抉辗蔚钩卜莺匡蜘祯哔窟亟谛溢黛晦伶逮傍葱刁堤恍匣谍禧轿耸瀚斐忿泓拐驴罕沫绽刃窈渝仄瑛葵噜绣奕窥浏隶蔽仟敛丞诘鳖疤膏锥窕皱晰晖舅孰煽姚钞袱绊焚芦咸沮呕瞪淳丐茹盘菱篠涕衬蚀溉瑄翟怠钰躯肺掷丑奢荫靶纱芸佰峻阱哄肾庄囡阑戳腕菸凹蟾蒐呱巾雏螃盯馈垄毓犀逞姨穆樵阀弥跷搁隙疵憧忏琨阙萱怅辄搏榕饥捣渣眺虞俯绅谤珑咫俏淆蜀楠乞诅匀貂寰迋敞跪囚溺骆憬苇脊瑶疆乍杆眸窜孽卅夭簧徘馒趴鎚啼冗缉絮啄沸萃嘶鸳禽惫徨屐舆邂掀嫖苟檯矫铎棱哗徊拱蕙徬滞吠妞氾芹叩朽侪赦汐丰虔茅棠仑膳魉儡鸯懦渗邵筱畜崖瑕蕊揣擒挂屯莽矽侏弧澈饺奎裘塌饵偎泻蔓彗樽衔茍磋萎廓悯铸茎歼壤浇蚤恃瞻拚汀椒嚼粥磅佫勘脖吨澜锻笙厄嚷伽徽隅寥缤簾烘茜驯噎厦闰煤链锈诫颊俐曳蓓暧郤淌喀昆蔑峙躁菇逅雇殴泌酥缮莓辕骇巍糗扛杏茁琵礁秽岔僻焊嗡诵瞌捌遁赃涡琮卯锯扔苏邹莅隘蹋湛昼岫蛰桩藐汲禄皂濑绒耽粪粤卤曜懋咎痘聂垢瞳闵睿跤鉴躬斟淇莒毯幸骋岱庐殃橄恤叽鳞蒙芥榄楷硫苔麒椎禹喙厘袅亥倌吭诃裔梓蓦岩帜瓣狡惕蒙怯嫩龚嚎豚埠暸唆妃瓢蹄厮讥啃琶愿噱狷搪氢橙咆靡砌筷兑溼呸镀踹冢祟懈术搓攸橡膛俞祉冀炊瓷遐揽鹭茄蜢塘郡韬挟牟糙阎旻赘霆呎炭霄媳瘤猿颺煚铠蝠钜苓傀烬墅璇困愣恬嫉琐嫂淼梳憎搂藻酵屉陡摺箫飨桐蚱曦璧偈蹦昶咙铮嗤戌屌耘裳啾嵘胺笃烹巩厝疚鸶汹蔷沐咽烙畸讳揍曙铐朔涓睬矶岐凄鲫楞鲤荆偕徜饥肮蔼辙恁霈诛鞠茉煜傭嗓酹昙铨艳绷峨揉珈鹃诲臆焰隽熔堇韧扒憨舵肛戊坝抠骷碘鞍冕榨肘羔哺霓巳铲蚵惆驹撷稽羹纺蜕趾吊豁褪癸眨臻慷蝙胧沼舱柚抨葭枷靥硝绚绞缆讪褚砗嫣蒲丫鹦蒹憩懊聋盎婊盔峦矜凛铺鹉蜴惚畴羁媛堑泛疮韶憋祁诟搔蜥袒奄忱玖拌悴祠扼髅筑蛤茱骐捶须亢葔艸筛岳岳慵戮跎砰仑炜篱笈瘫吏痊庶厥棘娑沁窘鲸缕硷俨栈蔬鸠闲迢���昀泠涟眩噫娥荼鳄镖侃虏俾樟榴咛炬窦笠翱莘躇翡姜枭匕藩徉觞拣吱皈墉傌梢巅踌萌幌杭侥栾奠痲夸瘖芯蟀驿耨禾瑾
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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七年振りに推しに会ってきた話 〜ミューズとしての道重さゆみ〜
先週の日曜日、私は名古屋近郊にある小さな町へと出かけた。
芸能活動引退を表明している推しのアイドルに会いたかったからだ。
その町のショッピングモールで、彼女の最後のCDのリリースイベントがあり、新譜の予約と引き換えに至近で彼女と接する機会を得られるのであった。
彼女はモーニング娘。の6期メンバーとして2003年にデビューし、リーダーを経て、2014年秋に卒業。芸能活動を休止。その後、2017年にソロとして活動を再開し、歌手やモデルとして活躍。2023年には強迫性障害の診断を受けたことを公表し、制限しつつも活動を継続していたが、ついに今夏のツアーをもって22年の活動の幕を引くと発表した。
引退を知ってしまった以上、せめて一目でもと思うと矢も盾もたまらず、強引にスケジュールを組んだのであった。
改めて振り返るに、彼女が私の人生において突如として「推し」となったことに、特段大きなきっかけがあったのではない。
就職を前にした2012年の春、友人に誘われモーニング娘。の大阪公演を一般客の一人として見たことがきっかけだった。
三次元のアイドルに興味などなかった私であるが、ステージの眩さとファンの熱気を目の当たりにし、一挙に引き込まれた。
第一印象は、多幸感で満ちた女の園、という感じだった。魅力的な女性たちが一つのグループとして歌い、踊る、その眩さ。互いを、そして舞台のあちらとこちらとを一つに繋ぎ合わせるように生き生きと動き回っていることの新鮮な活力に驚いた。それは私の全く知らないキラキラとした世界だった。
最初は単に彼女が私の割と好きな顔立ちだったからなのかも知れないが、彼女の表情を目で追っていると、楽曲に合わせ表情を作り、それを透徹することで世界を作っているように感じられるようになった。
私はそこに痺れた。
そうして道重さゆみさんは私の初めての推しとなった。
今でもそこに痺れ続けている。
さて、ちょうどその春公演で先輩方が卒業し、モーニングは道重新体制となった。
ハロー!プロジェクト自体がそれまでの『所謂』アイドルから、現在のアイドルシーンへと続くかっこいい路線、プロフェッショナル路線へと舵を切り始めた時代の境目だった。逆に当時のメンバー構成だったからこそ、それが可能だったと言えるかも知れない。成功とは必然に見えるものだから。そして結果的に、必然に導かれ、さゆも、モーニングも人気がどんどん高まっていった。
彼女の功績については、2014年頃のネット記事を参考にされたい。
あらゆる論者がさゆのリーダーシップと魅力、それを支える努力を称えている。
2年半をかけ、一度は失速したと思われたモーニング娘。は再びアイドル界での地歩を着実に固め、更にさゆの卒業後も残されたメンバーたちによって一層強固な地位を築いていった。
話を戻して、さゆの卒業発表は、2014年の春頃だったか、休日を無為に過ごす私の元へ、突如舞い込んできた。
余りに唐突で、今思い返しても白黒になってしまった部屋の風景と、全く違うのにその日がエイプリルフールかどうかを必死に考えていた混乱ばかりが浮かんでくる。
余りに劇的な卒業公演は仕事終わりに遅刻しながらも映画館のライブビューイングで見届け、泣き、後日円盤(ライブDVD)を見てまた泣いた。
さゆを失った中でも日常は続き、私をモーニング娘。に引き合わせた友人の誘いでさゆ不在のモーニングの公演へ通い続けていた。最終的に12期メンバーの一人をまた推すのであるが、その気持ちがさゆへの気持ちとはまた違っている事に気付いた。
その頃には一方でさゆも「再生」していたので二人について色々考えていた。
彼女らに私が抱く、二つの異なった「推し」の形の差異を明らかにしたく、「ミューズとしての道重さゆみ、ロールモデルとしての尾形春水」というブログを書きかけたのだが、当時は冷静になれず、失敗してしまった。最後まで書き切れなかったのだ(ただ、リンクを張るために記事を探して読んでみてびっくりした。上に書いてきたようなことはこの頃もう既に書いてあるではないか。そして「ロールモデルとしての尾形春水」は後日書き上げてあった)。
今書くならどうだろう、例えば次のように表現してみる。
---道重さゆみには可愛さ、あるいは美に対して絶対的理想がある。そうなりたいという願いが彼女を形作っており、我々は彼女を通して彼女の理想を一緒に探している。舞台に上がったさゆは、確固とした可愛さ/美の概念と、それを追う現実の身体性との重なりであり、その姿は擬人化された神、即ちミューズとして我々にインスピレーションを与え、彼女を輝かせている。
短いが意外に上手く表現できているのではないかと思う。
特に、さゆの言う可愛いは自分の外にある感じ、が私の表現したかったことの全てなのかも知れない。
その飽くなき追求が、彼女の深みであり魅力なのではないだろうか。
細かい論は先の書きかけのブログに譲るとして、それも畢竟このイタリック体で今回書いた文章の修辞となるのだ。
と、そこまで大仰に書いておきながら、私は「いい」ファンではなかったと思う。
元々、私は私の現実を生きているという気持ちも強く、諸々の制約の中で、全てを賭してファン活動にだけ人生を捧げることはできなかった。
加えて、「再生」公演後に当たる数年間は何度も環境が変化し、以前のような気持ちでファンとして接せられず、気持ちが合わなくなっていた。
さゆのことを神格化し過ぎていた、いや、さゆ自身ではなく自分の応援の仕方に潔癖過ぎたのだと思う。さゆを応援するならこうしたい、という気持ちの通りに事が運ばないのなら、最初から諦める、というような次第で。
諦めることが増えると、今でも界隈で有名な「強い」ファンには妙な劣等感を覚えるのだが、要はそういう見知らぬ(しかし私がいた「現場」にもいたはずの)誰かと比べて十全に楽しめていないような気がして辛くなる。
そういう人は当然ファンクラブ会員で、日本中で行われるイベントや公演に全通(全て参加すること)し、グッズを揃え、何組もCDを購入し、メディア露出は必ず抑え、ブログとインスタとツイッターとユーチューブとその他諸々の記事は余さず目を通す。私にはそういう類のことはできなかった。
私には私なりの応援の仕方、楽しみ方しかできなかった。ペースを上げて義務のように、或いは中��のような応援をすることは私らしくはなかった。だからといって好きな気持ちでは誰にも負けないのに…とずっとおかしな悔しさがあった。
ただ、今になって、そういう特定の層を含むたくさんのファンたちがあって、おかけでさゆは活動し続けることができ、私が7年ものブランクを経ても会いに行けたのだということだった。たくさんの人たちがさゆを好きで良かった。やっとそう思えた。
そろそろ今回のリリイベの話をしよう。
朝から並んで新譜の予約をし、イベントの整理券を無事入手した。
物凄い強運でステージに近いかなり前方で舞台に相対することとなり、さゆの登場を待ちながら、期待と不安を感じていた。久しぶりの生さゆみんは楽しみとして、しかし実際私は何年ごしに目の当たりにして、過去のようにさゆの魅力を感じられるのだろうか?この数年の間にお互いが過ごして来た時間は全然違う種類のもので、それは私の感受性にも大きく影響しているのではないか?懐かしいとしか覚えなかったり、或いは感じる所が何もなかったら?遠い世界の事のように思えたら?さゆのことは綺麗な思い出のまま封印していた方が良かったのではないか。ピンクのメンバーTシャツを来て、サイリウムを持って、形ばかりではないか?
そわそわとネガティブなことを考えていると、スタッフが開演を案内し、さゆが登場した。
私は全てを忘れた。
私はさゆを覚えていた。
ソロで歌い踊るさゆの全てが最高だった。
メンバーTを着てサイリウムを振って手拍子しして見様見真似で振りコピして合間には「さゆー」と叫んだ。
さゆのいる30分はさゆのいない7年間よりも長かった。
月並みだが、来てみて良かった、その一言に尽きた。
さゆは私の憧れのままであった。
3日経ってもまだ夢のようで、昨日のインスタライブもリアタイ(リアルタイム)で楽しみ、アーカイブも何回も特にトークの場面を繰り返し再生した。
なんでまあこんなに可愛いのかこの人は…。
同じ89年の13日産まれ、というのが個人的に拘りのある部分で、さゆが7月で私が3月なので学年も違うし他の人からするとどうでもいいことだろうが、強烈なシンパシーを抱いている。
今月はまだ一歳違いだけど、次のライブでは同い年になっていて、そう言えば娘。時代もこのタイミングを跨いでコンサートがある度、何回でもそれが嬉しかったのだった。
本当は最後の最後まで全てを見届けたかったけれども、遠征は私の環境では現実的ではない。
それはもう受け容れるしかなく、しかし最終公演の円盤が出るまでがラストツアーだと思って、きっと泣いてぼやけてしまうだろうけれど、さゆの幸せを願って送り出せたらと思っている。
最後に。
この度の道重さゆみさんの引退は、彼女の心身の健康に関わる問題であり、惜しむ気持ちはあるものの、その決断は��対で、一ファンには口を挟む権利はない。私もさゆとは少し違うものの、参っていた時期があり、色々察する所がある。
しかし、たくさんの月日がさゆを癒した暁には、もう一度私たちの前に現れてくれる日も、もしかするとあるのではないか、という期待はどこかに残されている、と信じている。
迂遠な物言いをしたワガママに過ぎないが、ファンとして、名残惜しさの余り少しの希望を残しておくことを自分には許したい。
ただ勿論のこと、その願いが叶わなくとも、私はさゆを責めたりはしない。むしろ、「再生」以降のソロ活動という、ボーナストラックの如きさゆとファンだけの純粋な時間を一度でも(と言って何年もあった訳だが)用意してくれたことへの感謝しかない。
私の永遠のミューズが、大好きなさゆが、きっとどこかに存在し、今日も可愛いぞ、と自分に満足しているのなら、それでいい。
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その戦争体験者が「匂いがしない、完全に絵物語」と感じたとすれば、映画には表層的な戦いのビジュアルや物語構造だけが描かれていて、内面や実存、偶然性、非英雄性、人間の矛盾、そして身体的・心理的リアリティがごっそり抜けている可能性が高いです。
以下に、「戦争のリアル」を描く上で足りない可能性がある要素を、テーマ・感覚・心理・構造の観点から分類しつつ、できるだけ多く列挙します。
【1. 身体的リアリズムの欠如】
汗、泥、血、排泄、飢え、臭い、虫、皮膚病、腐臭、死体の硬直
爆音による聴覚のマヒや耳鳴り、吐き気、震え、嘔吐、痙攣
仲間の身体が破裂・欠損していく恐怖と慣れ
怪我の痛みが引かないまま任務を続ける日常
寒さや暑さ、眠れない、ずっと渇いている、痛い、重い、かゆい
「全身が震えたまま、銃を構えた」ような描写
【2. 時間感覚の歪み】
「5分が1時間にも1秒にも感じられる」極限状況
待機、待機、待機……そして一瞬の地獄
時の流れが意味を持たなくなる感覚
日常との断絶した時間の密度や希薄さ
【3. 心理的リアリズム・非英雄性】
臆病になって隠れてしまった自分の記憶
敵の死体を見て吐いたのに、数日後には無感動になっていた
味方が「楽しく」敵を殺していることへの戸惑い
殺したくないのに殺してしまう手の震えと、その後の沈黙
「あのとき引き金を引いていなければ…」という思考ループ
英雄ではなく、ただ生き残っただけの自分
【4. 運と偶然への妄想・信仰】
「なぜ自分が生き残ったか、わからない」
爆弾が数メートルずれていたことの奇跡と罪悪感
「これは何かの意味があるのでは」と思いたくなる自分
お守りや占い、神の声、意味づけせずにはいられない心
【5. 他者との関係の変容】
昨日笑っていた友人が、頭を吹き飛ばされる現実
遺体を運ぶときに、その人の顔が浮かばない
仲間が狂気に陥る姿を見る恐怖
敵を殺した直後に、敵の写真や手紙を見つけてしまう苦痛
【6. 「自己」の崩壊と新たな再構成】
殺すことも死ぬことも日常になっていく
自分が死ぬかもしれない、という理解ではなく“納得”
善悪の軸がぐらつく
帰還後、自分が何者だったかがわからなくなる感覚
「ただの肉の塊になった自分」を発見する体験
【7. 国家・正義・目的への懐疑と幻滅】
戦場での行動と、帰国後の賞賛のギャップ
正義と命令が一致しない苦痛
上官や命令の理不尽さを呑み込むか、壊れるかの選択
戦争の「意味」が理解不能になっていく感覚
【8. みじめさ・矛盾・人間の滑稽さ】
「死にたくない」と叫んで小便を漏らす上官
空腹に耐えかねて、犬の餌を取り合う兵士たち
下品な冗談だけが生き延びるための方法
死体から靴を奪うときの罪悪感とそれを忘れる速度
【9. 帰還後の断絶・孤立・空白】
日常が遠すぎて「帰る場所」が感じられない
何を語っても誰にも伝わらない、という沈黙
戦友の笑い声が頭から離れない
「まともに生きている」ように見えて、何も感じていない
【10. 戦争の「前」や「外」からの視点が欠けている】
「戦争が始まる前の普通の暮らしの記憶」
戦場に行かない人々の無関心と理想化
民間人の視点・戦場の“裏側”にある日常の破壊
加害者にも守りたいものがあったことへの気づき
◆まとめ
戦争をリアルに描くためには、戦闘シーンの迫力やストーリーの巧妙さ以上に、身体・偶然・沈黙・羞恥・無意味・孤独・矛盾・臭気・記憶・無感動といった「人間の限界」に迫る視点が不可欠です。
「匂いがしない」と言われた作品は、おそらく意味や因果が整いすぎており、人間の不条理な弱さや迷い、生理的リアルが欠落していたのでしょう。
もしご希望があれば、「そのような“匂い”を意識的に盛り込むための脚本演出ポイント」もご提案できます。お気軽にどうぞ。
「戦争に直接行かない側」の現実や現実感
【1. 身体的リアリズム(不在ではなく“他の形”での表出)】
座りっぱなしの司令部職員の腰痛、胃潰瘍、疲労死
空襲警報のたびに地下壕へ走る都市住民の動悸・息切れ
子どもを背負いながら疎開路を歩く母親(父親)の足の水ぶくれ
工場労働者の油まみれの手、火傷、慢性的な睡眠不足
「安全な場所」での身体の硬直、息を殺す夜、失禁・嘔吐
【2. 時間感覚の歪み(兵士とは別種の異常)】
ラジオの開戦・終戦放送を聴いたときの「一瞬の���結」
毎日が「誰かの死の連絡を待つ時間」になる家庭
戦地からの手紙が届くまでの時間が異常に長く、届いた瞬間に過去に戻されるような感覚
疎開先で過ごす時間が、「本当の時間」と断絶した非現実のように感じられる
【3. 心理的リアリズム・非英雄性】
「何もできない」都市市民としての罪悪感
募金しかできない自分に苛立つ若者
「戦地に行ってないから語ってはいけない」と自ら口を閉ざす帰還兵の妻
息子(娘)や夫(妻)を「立派に送り出した」ことへの誇りと喪失の共存
【4. 運と偶然への妄想・信仰】
「こ���神棚に祈れば無事に戻ってくる」と信じる母親(父親)
何かのサイン(夢、お告げ、日常の偶然)を「徴」として受け取ろうとする心理
「爆撃の前日に家を離れていた」ことで生き延びたことの意味づけと混乱
占いや星座、預言などに集団的に依存していく現象
【5. 他者との関係の変容】
近所で戦死者が出るたびに口数が減る住民たち
「息子(娘)さん、帰ってこないの?」と訊かれて黙るしかない母親(父親)
兵士を送り出すことが、共同体内の「名誉」と「義務」になり、人間関係に緊張が走る
疎開先で「余所者」扱いされ、冷たい視線にさらされる子ども
【6. 自己の崩壊と再構成(戦地外でも発生する)】
「妻」として待ち続けた時間の中で、自分が自分でなくなるような感覚
子を失った親が「自分が死ぬべきだった」と語るようになる
空襲後の瓦礫の町で、言葉を失う子ども
自ら志願した息子(娘)の戦死に、肯定も否定もできないまま何十年も止まる時間
【7. 国家・正義・目的への懐疑と幻滅】
戦時報道と現実との乖離を肌で感じる都市民
勝利報道の裏で息子(娘)が戦死した事実に混乱する家族
上層部の豪華な食事の映像に怒りを覚える配給制下の民衆
学校教育で「正義の戦争」と教えられながら空襲で親を失った子どもの矛盾
【8. みじめさ・矛盾・人間の滑稽さ】
瓦礫の中から米を探して盗み食いする子どもたち
「戦死者を讃える式典」で泣かない自分を責める未亡人
国策映画を見ながら、隣で眠る父親(母親)
空襲警報中に着替えを優先して逃げ遅れる市民
空襲で焼け出された者同士で、濡れた畳を巡って口論になる避難所
【9. 帰還後の断絶・空白】
帰ってきた兵士と目を合わせられない家族
「普通の生活」がぎこちなくなる、日常のうすら寒い静けさ
戦地でのことを語ろうとしない父親(母親)に苛立つ子ども
「あの人は昔、誰かだった」という形で語られる帰還兵
【10. 「戦争の外」にある視点】
遠い村の老婆が感じる「戦争なんて知らないけど、何かが変わった」感覚
民間人にとっての「戦争」は、配給制度、失踪、突然の爆撃音としてのみ現れる
戦地に行くことのない知識人が戦争を「語る」ことの危うさ
犠牲者の顔を知らない立法者が「正義」を語る虚しさ
◆補足的視点:子ども、戦場に行かない大人、高齢者、障害者の経験の特異性
子ども:戦争の意味もわからないまま空襲に怯え、孤児化し、誰の話も理解できないまま成長する
大人:夫(妻)を送り、子を失い、町を守り、避難所で全責任を背負う存在
高齢者:次の世代を見送りながら、自分は何もできないと嘆く日々
障害者:疎開も逃避もできない身体を抱えて、破壊のただ中に取り残される恐怖
◆まとめ
兵士の経験と戦場外の人々の現実は、決して断絶していない「地続きの暴力」として描かれるべきです。 都市や農村、官僚、親、学者、子ども、それぞれが異なる形で身体・偶然・不条理・羞恥・期待・喪失を経験し、戦争はその全体を貫く構造として立ち上がる。
ご希望があれば、ここから文学・映画・演劇・ノンフィクションなど具体作品に即した視点や、戦場体験のない作家がこれらを描く工夫なども掘り下げてご紹介できます。
「戦争を“知らずに”生きている人々の現実」が、戦場の地獄の同時代性とどう不気味なコントラストを成すかを、多層的に列挙します。
【1. 空間的ギャップ】
同じ「時間」に、まったく違う「世界」が隣接して存在していることの異様さ
晴れた休日のピクニックと、そのとき戦場での銃撃戦の地獄が、地球上で同時進行している事実
大都市のカフェで誰かが恋に落ちる一方で、同時刻に前線では誰かの頭部が吹き飛ばされている
戦場では「匂い(死臭・火薬)」が支配しているのに、都市では新製品の香水の広告が流れる
子どもが夏休みの自由研究をしている家庭の裏で、兵士の母親(父親)が「息子(娘)の遺体確認」の電話を受け取る
農村で「今年は豊作だ」と喜んでいる老人が、戦場に行った孫の遺書をまだ知らない
【2. 時間的ギャップ|個人的な「気づき」のズレ】
ある個人が、戦争の現実に気づく瞬間と、それ以前の無関心との断絶
戦争についてまったく意識していなかった人が、徴兵制の通知や親族の死で突然すべてが反転する
「昨日までただのTVの話だったのに、今日は“自分の話”になった」
SNSで笑っていた友達が、突然「戦死者追悼」の黒いアイコンに変わっていて、動揺する
戦争に無関心だった若者が、恋人の兄弟の戦死によって、人生観ごと崩される
学校の授業中に先生が「戦死した教え子」の話をし、生徒の表情が凍る
【3. 時間的ギャップ|集団的な「気づき」や遅延のズレ】
社会全体が戦争の現実に気づくまでの時間差
初期はみんな「どこか遠くの戦争」として扱っていたのが、徴兵や物資不足で「自分たちの生活」が侵食されていく
政府や報道が戦争を隠していることで、市民が**“まだ平和”という錯覚**を保っている時間
戦争が始まってから数年経ってようやく「戻ってこない息子(娘)たち」に異変を感じ始める村の空気
テレビ番組が急に「戦死者特集」を始めて、一般人が**「今さら…?」と違和感を抱く瞬間**
集団的な目覚めが訪れるのは、爆撃が都市部にも及んだとき――「遅すぎた気づき」
【4. 感情的ギャップ】
「日常の喜怒哀楽」と「戦争の非日常」が、ねじれながら共存している
若者がプロポーズを考えていた同じ日、戦場では同年代の兵士が死亡している
家にいる子の誕生日パーティーのケーキを用意する母(父)の手元に、戦死の電報が届く
SNSで自撮り・推し・恋バナで盛り上がっているタイムラインに、ぽつんと戦地からの報告が流れる
街の映画館では笑い声が響き、戦場の衛生兵は**「誰も笑っていない場所」で傷口を縫っている**
新年を祝うカウントダウンの瞬間、兵士は雪の中で一人見張りをしていた
【5. 意識・想像力のギャップ】
自分の“当たり前”が、他者にとって“想像すらできない”現実であるという落差
「朝の散歩が気持ちいい」と言った直後に、「息子(娘)の足が地雷で吹き飛んだ」と語る隣人の表情
「今日、何食べる?」という日常会話が、戦地では**「あと何日食料がもつか」**という恐怖に変わる
自分の悩み(失恋、試験、仕事)を打ち明けた後に、相手が戦争孤児だと知る羞恥と沈黙
「選挙なんて行っても意味ない」と言っていた人が、戦地に送られる前の兵士の最後の投票行動を知ったときの衝撃
「ニュースは暗いから見ない」という態度が、ある人の**「現実からの逃走」**に見えてくる瞬間
【6. 構造的・社会的なギャップ】
「無関心でいられる特権」と、その代償
大都市の富裕層は戦争を「コスト」としてしか見ておらず、田舎の若者が実際に死んでいる
戦場に送られるのは「誰か」であり、自分ではないと信じている都市住民の慢心
「平和のなかにある平和」が他者の死によって維持されているという不都合な構図
メディアの「戦意高揚」の裏で、実際の被害は矮小化されている
戦争が続くほど、兵器産業や経済が潤っていくことへの倫理的ジレンマ
【7. 不在によって浮かび上がるギャップ】
何かが「ここにいない」ことで生まれる痛みと現実感
運動会で一人欠けた家族写真
誰もいなくなった村の青年会
帰ってこない恋人を待つ部屋だけが、時間が止まっている
戦地からの手紙が届かなくなった瞬間から、時計の針の音がうるさく感じられる
��まとめ
このギャップの本質は、「戦争の“外”にいることの異常な正常性」です。 人は戦争が始まっても、恋をし、笑い、誕生日を祝う。 けれど、それが誰かの死と同時に起きているという“二重性”に気づいたとき、世界は一気に歪んで見えます。 その歪みこそが、戦争の「本当のリアル」の一部なのです。
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Text
「結局自分なんざあ何の保証もない日雇労働だけやって食費生活費医療費に全部注ぎ込んでなんも残せず未練たらたらのまま死ぬんですわ」
そんな事を言って自嘲するIfの自分ってもんは、後ろを観れば大量にいる
むしろそっちがメジャーな世界線だ
非常に「掴み心地のいい」パーソナリティ
しっくりくるよ、手によく馴染む。まさに「俺用」に削り出された概念って感じする
ああ、それこそが私の安全地帯(コンフォートゾーン)
それは「異性」を拒絶する世界観
異性の命を背負わず、異性との間に生まれる命の責任も背負わない...
けど、ぶち抜いてきたんだ、妻が―
私のその「無責任」を!
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(私を背負えッ!!!!!! あんたの子供が生みたいッッッ!!!!!!)
って言外に伝えてきた
まだ娘が生まれる前、私は妻(当時はまだ彼女)のあまりの横暴さとワガママさに愛想尽かし、彼女の電話番号を着拒しカイカイキキで仕事に没頭していた
まだ亀有に二人でアパート借りてた頃だ。電車に2時間乗って埼玉のスタジオに凸って着た妻は「話すことなんてない...」と突き放す私の胸ぐらを、真っ直ぐ伸ばした両手で掴んだままうつむき、3分以上も動かなかった
そこに至るまでに言葉によるすれ違いは重ね尽くしている。私は一度「要らない」と決めたものは決して受け取らないし追いかけもしない
だから彼女は最期に「絶対離さない」というメッセージを行動でもって伝えてきたのだ
決して愛情などではない、狂気的かつ矛盾に満ちた「執着」!!!
自分が欲しいものは相手に迷惑かけようが自分が傷つこうがとにかく必ず穫る!!
そういう「決意」がそこにはあった
これほどまでに他人から求められた事は一度もないし、これほどまでに他人を強引に引き留めようとする人も観たことがない
「この女(ひと)・・面白いッ!!!」
そう感じた私は、たまった仕事をほったらかしにして妻と一緒に亀有へ戻ったのだった(ほんとはもうちょいディティールがあるが書くと長くなるので端折る)
そこからは 妻を世界の中心に据えたただただオモシロと愛に満ちた日々が続き、今に至る
まるで山岸由花子の強引な愛を一周して受け入れた広瀬康一の気分だ
私は運が良い
妻のような「超面白い人」に出会えたんだから...
なので、まあ、運命というものは「超面白い人による強引な干渉」によって180°変わると言えよう
しかし妻に後で「なんであの時あんなに必死に求めた?」と聞いても「背の高さがちょうどよかったから」という答え以外は引き出せなかった....
私はいくらでも妻に対して褒めるとこあるのに―
けど、そんなとこ含めてやっぱ面白かった
あの時の混乱と興奮の熱はまだ消えてない。私も彼女のように他者や世界に対し気ままに全力で「しがみつき」たい!
否、噛みつきたい!
【✓】
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