#絵を描く暮らしの楽しみ
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自室の記録

5年前からルームシェアをしているSと一緒に引越しをしてから、3年が経った。寝室をSが、リビングを私が自室としている。私の部屋の正面には大きな窓があり、左右にもそれぞれ小窓がある。

小窓1
装身具類の置き場所。ピアスを置いている鳥のレモン絞り器は、Fさんから貰ったもの。Fさんはよく動物のものをくれる。犬の形をした栓抜きや、野営をするくまの置物も彼からのプレゼントだった。
カートリッジインクの空き容器には、ヘアピンやネックレスを入れている。私の父は吸引式の万年筆を好んでいて、父から贈られたペンもインク瓶とセットのものが多かった。実家を出て外にいる時間が増えてからは、インクを切らすことが怖く、自然と替えのインクを持ち運べるカートリッジ式の万年筆を使うようになった。それからしばらく経ち、1年前にプログラマを辞めたことを手紙で報告すると、その数日後に「励まし」とボールペンが送られてきた。以降ずっとそのペンを使っているから、手持ちの万年筆は���れもインクを抜いてある。
よく付けるピアスは窓の縁に置いていて、どこかの喫茶店で使われていたらしい伝票入れには、硝子のオーナメントやトライアングルのビーターを差している。

Hのくれたトライアングル本体は、腕時計とブレスレットを失くさないための場所として機能している。良くない使い方だと罪悪感を覚えてはクロスで磨いている。

小窓2
『陶の家』を見かけたらひとつ買うというのを続けていて、現時点で3軒が建っている。少しずつ街になっていく。家の奥には、ミナペルホネンの好きなQさんにプレゼントしたものと色違いのタイルを置いている。

小窓3
すぐぼろぼろにしてしまう指先のケア用品を置いている。H先輩に貰ったネイルオイルの磨硝子が好きだった。Fさんが動物をくれるように、この人は硝子をよくプレゼントしてくれる。硝子のオーナメントも、ステンドグラスのくまもH先輩から貰っている。

窓を開閉するハンドル(オペレーターハンドルというらしい)に紐をかけて、ケーブルや電源類をまとめている。先日Eから貰った白いカールコードのシールドもここに下げている。黒い服ばかり着ているのに、Eには乳白色のイメージがある。“誤って人間として産まれてしまった天使”だと感じさせる人と知り合うことが何度かあり、Eもその中のひとりだった。

向かって左には仕事用のシャツ、右には外套を何着か掛けている。秋冬用の服ばかりある。

机
ここに越すことが決まってから最初に選んだ家具。プログラマになったばかりの頃、メモリの重要さを机の広さに喩えて教えられた。それで机は広いほど良いものだと認識したのか、気付けば横幅のある机ばかり探していた。天板の色を緑に決めて、部屋の軸に据えた。

職場で割ってしまったマグカップに無線イヤホンや保湿クリームを入れている。シャツを濡らしたまま破片を持つ私を見て、笑ってくれる会社の人たち。これ以上は無いとよく思う。
ヘアクリップ入れにしている、ままごと用のような小さな花瓶も気に入っている。渋谷の蚤の市で友人へのプレゼントを選んでから、度々その人の店でものを買うようになった。���色のトレイやハート型の赤い缶もその人から買った。
銀色の電源タップは前の部屋から持ってきたもの。あらゆる電子機器の電力をここから供給している。

ギターをくれた友人たちが別の年の誕生日に合同出資してくれたオーディオインターフェースがモニターの下にある。未だに1-2と3-4の入力を同時にする方法が分からず、2つずつ付け替えながら使っている。これを貰ってからAudacityで曲を作り始めて、今もそのやり方をしている。会社の先輩には「システムを0と1だけで作ろうとしているみたいなものだよ」と言われたけれど、その頓馬さを含めて自分に馴染むので、Audacityをずっと使っている。キーボードがちょうど上に乗る。

モニターの横にはmicroKORGを置いている。普段は誕生日に贈り物をしないと取り決めているSだけれど、数年前に何かで手を貸した際「この恩は倍にして返します」と言い、その年の誕生日にmicroKORGをプレゼントしてくれた。このシンセサイザが部屋に来てから、自分の生活が向かうことのできる方角が増えたように感じている。大切な楽器。

microKORGには、新しい部屋で出した『野良の花壇』のマグネットを付けている。本来は冷蔵庫のために作られたマグネットだけれど、皆とスタジオにいる時にあって欲しく、ここに付けている。プリクラで来られなかった友達の似顔絵を描くような感覚。私の黒い冷蔵庫には、ピーター・ドイグの青鬼の絵と油絵の花のマグネットだけがある。

机の下に、PC・トランクケース・スーツケースを置いている。PCはSのお下がりで、MacBookしか使ったことのなかった当時の私は、こんなに大きな箱がPCだなんて、と思っていた。PCの上に付けたアンテナは狐の顔のような形をしている。
トランクケースは大学2年のころ大枚をはたいて手に入れたもの。どこか遠出をする時はこれに荷物を詰めている。畳み終えた洗濯物をSの部屋へ運ぶ時のかごや、ギターを弾く時の足置きとしても使用。頑丈さに安心する。
スーツケースはついこの間、京都に長く滞在するために買った。銀色の次に、灰がかった青が好きだと思う。

ギター・くま・本棚

ギターは高校時代の友人たちが誕生日にくれたもの。19歳になったばかりの頃、当時の交際相手と出掛けた帰り、気が付いたら楽器屋にいた。ギターを2本持ったその人に「どっちがいい」と訊かれ、指差した方を買ってくれた。私��ギターを与え、弾き方を教えてくれたことにずっと感謝している。その人と別れてしばらく経ち、誕生祝いに何が欲しいかを訊かれ、ギターを頼んだのだった。友人たちは「あえて白にしてみた」と笑っていた。今思えば、このギターを貰ってから白を自分のものにすることへの抵抗が弱くなった。ギターの届いた日、触っているのが楽しくて大学を休んだのを覚えている。
YAMAHAのアンプは義兄が使っているのを見て購入した。私が真似をしていると知って嬉しそうだった、と姉から教えてもらった。

左端のくまは、元は白だったのだけれど、深い青のシーツで眠るのに付き合わせたせいで黝くなってしまった。Kの小説に「ヤニや涎で汚れてしまったのかしら」と書かれてからは、布で包んでいる。いつかぬいぐるみ病院に連れて行きたい。隣は一度も会ったことのない人が贈ってくれた黒いくまと、高校時代の交際相手が留学先のお土産として連れてきてくれた焦げ茶のくま。誰かとビデオ通話をする時にはよくパペットのくまに代理出席してもらっている。右は、地元や旅先の雑貨屋で見つけて連れてきてしまった(“しまった”という意識がずっとある)小麦と白のくま。グレーのワゴンに小さなギャッペを敷いて、くまたちの場所としている。

低い本棚の上
蓋のない宝箱。小物たちというより、質量のある記憶群という方が実感に近い。
西荻窪にあった喫茶店の閉業を知って沈んでいると、H先輩が「お店で使っていた品物を販売しているみたいです」と教えてくれた。黒い花瓶のあるおかげで、ずっとその店を忘れずにいられる。今はEのくれた竹とんぼや、Aさんのくれた花を入れている。ポストカードをしまっておける箱のついた額縁には、Aの写真を入れている。過去、「__の写真を写真展に出してもいいですか?」と、もう搬入の終わった状態で確認の連絡が来たことがあった。Aがごく稀に見せる、こういった強引さが大好きだった。展示を了承する代わりに譲ってもらったその時の写真たちは、勾配天井の部屋に暮らしていた時に飾っていた。上京してから借りたどの部屋にもAの写真を飾っている。そのほか、江の島で拾った石や、Tさんがライブ終わりに嵌めてくれた指環、Uさんと行った犬吠埼のイルカの置物、書ききれないほどの誰かと紐付いた宝物がある。

声の依頼を受けた際、お礼にといただいた絵。額装までしてくれていた。元々この人の絵が好きだったので大喜びした。一度この絵を裏返さなければいけない時期があったので、また飾ることができて嬉しかった。

高い本棚の上
小さなギターは、Kさんと一緒にRさんの部屋でパーティをした日、中古のおもちゃ屋で買ったもの。Rさんの部屋に戻った後もご機嫌に鳴らしていて、そのあと火事が起きた。カセットコンロの火がテーブルクロスに引火して、火が早送りのように広がっていくのを見た。三人で死ぬ映像がちらついた、次の瞬間には火が消えていて、振り向くと花瓶を持って息を切らしたRさんが立っていた。チューリップを活けていた水での消火。このおもちゃが生き延びた証明になっている。このあいだのアルバムに入れたフィールドレコーディング曲にはその日の日付が付けられていて、火のはじける音やこのおもちゃギターの音が入っていた。volca keysは初めて触ったシンセサイザ。自分ひとりである程度のことができるようになりたくて、リズムマシンとマルチエフェクターを買った。
銀色のバットはひとつ前に住んでいた部屋の近くにあった台所道具の店で買ったもので、前日と翌日のあいだの時間に携帯品を置いておく場所として使っている。

Artekのスツール60を、椅子やベッドサイドテーブルとして使っている。パーティめいたことをする時には、3脚くっつけて大きなテーブルとして使う。雑貨屋でまとめて購入したので、その日で店のポイントカードが1枚分溜まった。そのカードをイッタラのキャンドルホルダーと交換してもらった。
銀色のトレイは、先述の蚤の市で知った店で買ったもの。部屋のポケットとして使っている。
“拯”の字は、精神がどうしようもなく落ちていた今年の始めに、Uさんが「書初めをしよう」と言って筆を持たせてくれたもの。翌月にまた京都を訪れた際に、国際会館のカフェスペースで焼き上がったものを渡してくれた。頭でばかり考えてはすぐに身体と疎通できなくなる私に、四肢のあることを思い出させてくれる友人。
本の上には気休めの紙魚対策として除湿剤と防虫剤を置いている。

小窓4
Fさんからの犬の栓抜きと、Hに貰ったコンクリートの置物、H先輩が分けてくれた犬の箸置き。母の好きなミニチュアを贈る際、色違いのチューリップを自分にもひとつ購入して、端に置いている。自分のために生きた花を買えない反動か、花のモチーフのものを見かけると嬉しくてつい手が伸びる。

キッチン
私の洗面台を兼ねている。私もSも、料理と呼べるような自炊は殆どしないので、調味料や調理器具が少なく、キッチンの収納部にはそれぞれの私物が仕舞われている。

Mさんが引越し祝いに買ってくれたカセットコンロ。パンを焼く時やカフェオレを淹れる時に使う。組み立てる際の動作がロボットアニメのワンシーンを思い出させるので、人前で使う時には「変身!」と言うようにしている。
隣の空き瓶は元々ジンの入っていたもので、誰かに花をいただいた時には一旦ここに活けている。

この部屋に越した時にIがプレゼントしてくれたローズマリーの石鹸の匂いが好きで、貰った分を使い切ってからも自分で買い直している。歯磨き粉はGUM以外だと落ち着かないので旅行先にも持っていく。歯ブラシはKENTのもので、最初に使ったあとの歯の滑らかさに感動して、誰かに共感してほしいあまりSに押し売りをした。それからSも同じものを使っているので、それぞれのストックも合わせると10本近くこの歯ブラシがある。右端はリングホルダー。左手の薬指に環を嵌めるようになってから、指環が好きになった。今は5本の指環を付けている。

食器棚
H先輩のくれたくまを吊るしている。緑の石鹸はMさんのスペイン土産。ここに写っている鉄鍋も鉄フライパンも、写っていない3本の包丁も2枚のお盆も貰いもの。




ソファ
机の天板に合わせて布を選んだ、三人掛けのソファ。毎日��こで眠っている。Sの部屋にある質の良いベッドよりも、薄いマットレスを敷いたソファの方がよく眠れる。枕に近い小窓のハンドルにエジソンランプを括りつけて、普段はその光で睡眠薬が効くまでを過ごしている。

部屋のすぐ向かいには線路があり、3面の窓から電車の通る音や光が流れる。最終電車の後は、スケートボードの走る音や、酔った誰かの歌が聞こえる。この部屋で生活をしている。
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昼夜問わず床で横になり、目を覚ますと雨が降っている。あー今日も自転車にカバーをかけられなかった、と思う。だけど予言みたいに雨の降る前に寝てしまうからできない。
いつのまにかAmazonプライムで『気球クラブ、その後』が見られるようになっていた。ひとり暮らしをはじめた��かりの頃、TSUTAYAで見つけた。好きな映画。今回はプライムで視聴。「5年って長いよ」という台詞があり、そうか、と思った。この映画は心が静かになれるからいい。
仕事から帰ると家で通販の作業。本を透明の袋に入れて、薄い紙袋に絵を描き、手紙を入れる。どれがどの注文かわかるよう、封筒にシリアルナンバーをメモする。ファミリーマートから発送。
アフタヌーンティーの紅茶のフラッペがおいしくてハマっている。レシートに100円割引券が付いてきて、「100円引きの永久機関ができるのでは」と心が躍るが、ファミペイ経由で一度しか利用できないようになっていた。
ラザロというアニメを見ている。先が気になるのがもどかしいのでゆっくり見るつもりが、あっという間に追いついてしまった。音楽に惹かれた。
いつか新宿のニュウマンで買った黄色い靴下が最近またお気に入りになった。好きなものに囲まれて生活するのは心地よい。ただ静かに、好きなことだけをしていたい。そして夜は少しだけはしゃぎたい、そんな5月
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250126
朝、日記の絵の描き方を変えてみようと思いたち、紙を切る。 一昨日、夢に見た山のかたちが頭から離れない。
中学生の頃の友人と電話する。 話すたび、ひさしぶりだけれど、かけがえのない。 あのころとは違うけれど、あのころと同じ声で話している。
彼が出張だから、ひとりで簡単に晩ごはんをすませて、ねた。
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250127
身体がつかれているのか、気持ちがしんどい。 立て直すために、クエン酸入りのレモン飲料を買って飲む。 その酸っぱさだけで目覚めるよう。 仕事。 新しくいろんなことを教えてもらえて、たのしい。 たのしい気持ちが感じられて、嬉しい。
夜、洗濯物を干し終えて、床でねてしまう。 やっぱり疲れていたみたい。
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250128
朝、肩こりがひどい。 重たい身体のまま、朝ごはんを食べる。 皿洗いをして、掃除機をかけて、ごみを捨てる。 すっきりとした気持ちで家をでる。 絵を描いたり、本をつくったりはできなかった。 朝に、制作をするのと家事をするのと、どちらがいいのだろう。 ずっと迷いながら過ごしている気がする。たぶん、どちらがいいということもなく、ひっくり返ることもあって、その時その時で流れていけばいいのだと思う。 今は朝に家事をするリズム。 仕事をして、家に帰って、風呂に浸かる。 こころが動く。 こころが動いて、ここ1、2年、こころが動いていなかったんだ、と思う。 楽しいこともあったけど、素直にただ楽しいと感じられていなくて。 あかるい気持ちをあかるい方へ押し出す力が弱まっていた。 なぜだろう。生活を取り戻してきただろうか。
夜、日記を書いて、あしたが楽しみな心持ちでねる。 あぁ、わたし、大丈夫だ。
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250129
朝、まだ暗い。 暗いうちに起きることができたのに、iPhoneをみてしまって、後悔。 時間が過ぎていく。
ここ数日、毎日、辛みが抜けきれなかった紫玉ねぎのマリネを食べている。 口の中に辛みが蔓延する。 ベーグルを食べて、ヨーグルトを食べる。 食べながら読んでいた本に、薪ストーブの話がでてきて、たしかに火は安心するなと思って、キャンドルに火を灯してみたらほんとうにほっとしてしまって、このことを忘れないでいたい、と思った。 日常使いのキャンドルがほしい。
やっとクリスマスツリーを片付けた。 来年はもう少しだけ早く片付けたい。 やり始めてしまえば大した手間ではないのに、ついやらないままにしてしまう。 彼と気になっていたカフェに行き、チョコケーキとコーヒー。 旅の予定を話し合う。 湖をみにいきたいね。 無印良品へ行って、いろいろと買った。さっそくキャンドルを買った。
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250130
アルバイトをやめよう、と思った。 アルバイトをやめよう、と思った���気が楽になって、続けられそうだな、と思った。 わたしはたぶん、何に対しても真面目に向き合いすぎてしまう。
大学での仕事が終わって、帰り道、木の上から妙な音がした。 見上げてみると、エゾリスがいた。 くるみだろうか、木の実を食べている。 思わず写真に撮る。 車に乗り込んで、全然目にはうつしていなかったことに気づく。 あ、わ、とこころが動くと、すぐに写真に撮ってしまうけれど、ほんとうは、もっとじっとみていたい、と思っている。
通り過ぎてみれば、世界から切り取られた写真のことしか思い出せない。 写真が思い出すきっかけになればいい、と思うけれど、その写真が世界と違うコントラストで枠に収められていたら、わたしの記憶は塗り替えられる。
夜、ひとり暮らしをしたい。 ひとりで整えたリズムがたやすく崩れる。 ひとりだと感じられる自分がふたりだと、薄くなる。
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去年買ったスカートのチャックが閉まらない。なあぜなあぜ。さらにビッグヒップになった模様。
花束みたいな恋をした。私は麦(菅田将暉)として泣いた。ジャックパーセルで一気に2015年に連れていかれた。タグがいいんだよ!と言われても呆気なく返事したことを思い出した。就活が迫るけどまだ学生学生していたくて、うちにこもってた時代。
麦が絹か、どっちに刺さるか聞かれて、どちらも痛いほど刺さったけれど。LRの音の振り分けを味わうために恋人に(偶然互いに)あげたワイヤレスイヤホンが、いつの間にか互いの空間を遮断するものになってて。遮断しようというよりこれも、相手の邪魔をしたくない配慮のつもりだった。
絵描きを諦め会社員となり生活のため働いて社会に順応していく麦。就活を諦めパートとなり生活のため働いて恋人との暮らしを楽しむ絹(有村架純)。配慮が遮断だったこと、麦の働く目的が手段になっちゃったこと、絹の学生時代からの変わらなさが私のカウンセリングとして機能した。ああ、私は麦だったんだ。ちょうど最近変わることと変わらないことついて考えが巡っていたこともあり、最後にはそれに背を向けて余裕をこめて手を振ることができたよう。坂本裕二先生、さすがっす。
iPhoneは11から11Proになり、体重は増え、英語では意見が言えるようになってきた。でもニューバランスもサンバも欲しくないあまのじゃく、現実的に計画を立てる性格はそのままで。変わりたくないもののために向き合う強さが欲しくなった。体も心も。そして過去にありがとうと言いたくなった。置いてきたもので今がある。食べたものはそうハイカロリーだったから。

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高取山近辺 断片的な記憶
思ったより移動に時間がかかり、駐車場についたのが12時。これから登るのはスタートが遅い。でも仕方がない。 準備を簡単にする。何年か前に買ったポストペットの日焼け止めをやっと使い切る。登山に際して少しでも軽くしようとビニールのパッケージを外し、SPF情報は手で書き直したもので少し思い入れがある。塗った後にタイヤの下に入れるように日焼け止めを置いた。
下っていくとハイキング帰りの人が見える。こんな時間に駐車場から登山装備で出てきた私のことをどういう目で見るのか。気にしても仕方がない。目を合わさずにすれ違う。
今日は携帯のアプリで見るオフライン地図がない。最近のYAMAPは地図のダウンロード制限が厳しく、無料会員ではここぞというときにしか地図が使えない。 しかし、低山でGPSに頼っていては仕方がない。これは訓練だ。
道祖神で分岐する。地元の老人会が作ったという手書きの地図を念のため写真に収めておく。 舗装された道を登るが、ときどき蜘蛛の糸の感触を顔や手に感じる。これが残っているということはあまり登山者がいないのかもしれない。1m程度のヘビが自分の前をゆっくり横切るのを待つ。
聖峰にはすぐ着いた。四人組のパーティが二つのテーブルを使っていた。一人がタバコを吸っていて、ライターを落としたので拾って渡した。右の二の腕に大きな蜘蛛の巣のタトゥーが入っていた。
何人かの左手の薬指に指輪をしているのが見える。自分が育った家では誰も指輪をつけていなかった。
四人組が去り、私が単眼鏡でスカイツリーを探していると上の方から中高年の二人組が下ってきた。一人はゲイターを足に巻き、もう一人は長ズボンの裾を靴下に入れていた。明らかにヒル対策と思われるため、ヒルが出るのか聞いた。道は選ぶと思うが、それなりに出るらしい。塩を持参しているから大丈夫だ、と答えた。
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二匹の蝶々が飛んでいる。お互いを追いかけるようにくるくると回転している。 どちらかが求愛していて、それをかわそうともう一匹が逃げているようにも見える。 蝶々がムードをどのようにとらえているかはわからないが、そんなことに時間とエネルギーをつかわずにさっさと交尾すればよいのにと思った。 けれどその直後に自分の考えが甘いことを恥じた。おそらく、愛を証明しろということなのだ。さっさと逃げられて、それで諦めるような相手であれば、そこまでだったということだ。時間とエネルギーを愛の証明に使わずして、一体何に使うというのか?
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梅の風味ののど飴を口に入れる。最適な登山ペースというのはギリギリ口の呼吸をしない程度であると前本で読んだ。 飴をなめている間は口で呼吸することが難しいのでペース管理に役立つ。 放っておくとすぐにペースがあがり、結果バテることになる。自分のことは自分が一番知らない。
高取山山頂はすぐだった。木の間から少しだけ大山方向が見える。大山の中腹に雲がかかっている。ほのぼのとした絵本のような山。先ほどの四人組とまた会った。会うのが二回目になると挨拶をするのは野暮だ。疲れていないので休まずそのまま大山方面の尾根を進む。 ちょっとだけ歩くと林道に出るはずで、今日はそこまでは見ておきたかった。いつかこの林道から大山に上ることができれば、自分の歩いた道筋で大山山頂までをつなぐことができる。
ゆるやかな下りの途中、草むらにタヌキがいた。こちらに気づくと逃げた。逃げる速度はシカや猿よりも遅かった。本気で走れば追いつくだろう、という速度。 小熊だったらどうしようか、親が来てもどうすることもできないが、ちょっとだけ気を張った。そのあとすれ違った人には「クマに襲われたらすみません」と心の中で謝った。
山ではすれ違う人には挨拶をすることが一般的だ。ただ、すべてのひとが挨拶を徹底しているわけではない。挨拶されたら返す、というスタンスの人も一定いる。 相手が挨拶を返すことができない、すれ違うギリギリで声をかけることを置き挨拶と心の中で呼んでいる。
目的の不動越までついたので引き返す。
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今日はコミティアがあった。私にはコミティアで買いたい本があったが、行くつもりはなかった。大学のころはサークルで同人誌を作り、発布したことがあった。私はいま本や漫画を描いたりしていない。 せめてと思い久しぶりに日記を書こうとこの時に決めた。
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また高取山に戻ってきた。ここからは一旦南に向かって下る。 緩やかで走りやすい道なので軽く走りながら下山する。5分ほど下りて、妙に日差しが明るくなって町に近づいていることに違和感を覚える。秦野の街が見える。方向が違う。 地図アプリで現在地を見る。尾根を間違えて真西に下りていた。 このまま下りても駐車場にはたどり着くことができない。 仕方なく来た道を引き返すことにした。走って下りた道を登り返すのは本当に馬鹿らしい。軽快に下りたことを心底後悔する。 自分の信じる宗教によっては、これは神が与えた試練であると考えることもできるだろう。 それについて私は、自分の都合のために神を利用するということだろうかと考えた。これも機会と考え、単にトレーニングとして活用すればよい。 いや、起きた事象を自分の何らかに利用するという考えが愚かであると感じた。 「せずにすめばよいのですが」。これは筆耕人バートルビーの象徴的なセリフだ。 全てのこと、すべての選択に対して、イエスでもノーでもなく、オルタナティブな態度を貫く。それこそ私たちがなすべきことではないか。バートルビーであれば今どう考えるか?そのように利用されることも快く思わないだろう。思い上がりなのだ。 院生の時に私にバートルビーを教えてくれたあの人は、今も神戸にいるのだろうか。
空の色が反射して枯れ葉が青く光る。ラジオで聞いた「煩悩即菩提」という言葉を思い出す。 煩悩があっても悟りに至ることができる。むしろ、煩悩がなければ悟りに至ることはできない、という説明だった。 煩悩を知ってこそ、��悩の輪郭を知ることができ、そこから脱することができる、と解釈はできる。しかし、これは慈悲の言葉にも見える。煩悩があろうが正しく生きることが大事なのだ、まだ引き返せる、がんばれ、みたいな。 それはどうなんだろうか。煩悩を知らずとも悟りに至ることは理論上可能だろう。 煩悩を利用して悟りに至る。すべてのものを利用するという態度が気に食わない。 理由はなく、すべてのものがそこにある。ただ一切は過ぎていきます。
また、高取山の頂上に着く。居た人と会話する。私の経路のことを話すが、全然話が通じない。高取山に一度ついてから別の尾根を2回下りて登って、という人は少ないはずだし、意味が分からない。 親切なことに「昼下りのジョニー」という名前のヒル避けスプレーを貸していただけた。靴にかけるのが下手くそで無駄に何度も使ってしまい、心から申し訳なく思った。
ここからはそのまま帰っても面白くないので正しく南下して弘法山方面に向かうことにした。 17時に駐車場が閉められるが、まだ余裕はあるはずだ。
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行きの車では「サカナクション山口一郎のナイトフィッシングRadio」の録音を聞いた。 ジッタリン・ジンの特集で、ドライで明るい感じが心地よかった。 「君がいた夏はとおい夢の中 空に消えてった打ち上げ花火」。 そんなことがあったか?と自分の昔を思い出す。
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ざっくりした緩やかな下りで、スピードを上げやすい。 多少衝撃があったほうが骨にも良いだろうと雑に駆け下りていく。
昨日の夜、若干寒気を感じた。風邪を恐れているので葛根湯を飲み、肌着を一枚増やし、ズボンの上にさらにズボンを履いて寝た。 朝は特に風邪っぽさはなかった。でも不安はあった。 登山することで自分が風邪でないことが逆説的に証明できると考え、そのために今自分が山にいる。そんなストーリーを一瞬、後付けで理由として考えた。
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亡くなった犬のことを思い出す。 僕らには忘れないことぐらいしかできない。
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ちょっときつい急登を登る。木の根を探してそこを頼りに登っていく。 頂上からは東に下りることができるが、南下して弘法山方面に向かう。
大昔、山を切り開いて作った切通しのあとがある。 その道端に頭が石で置き換えられた地蔵が二体いる。
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来る途中、後ろの車が前方のGEOに入店するために一時的に対向車線に入り、右折して駐車場に入るところを見た。その際、右折のタイミングを間違えたのかサイドスカートを縁石にぶつけ、周囲に大きな音を立てていた。縁石にはこすったパーツの跡が見えた。
森を一人で歩いているとこういう、よくわからない事を何度も思い出す。 登山の良さは何なのか。圏外になって誰とも繋がれない時に自分の暮らし、過去、将来などから距離をとって考えることができるのが魅力だと思う。それができれば頂上は必要ない。
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あなたが私の本をわざと返していないことを知っている。
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すでに16時が近く、時間的な余裕、体力的な余裕、足が壊れないことの保証(最近アキレス腱の調子が若干よくない)もないので、弘法山までは行かずに、246のトンネルの上付近で東に下ることにした。 吾妻山の頂上でミックスナッツと水分を補給した。見晴らしはいいが、標高が低く建物が縦方向に圧縮されてあまり見栄えが良くない。
勢いで下山する。だがこれで終わりではない。駐車場まで戻るのだ。駐車場まではあと2kmある。しかも登りだ。 公共交通機関の登山と自家用車の登山は訳が違う。何があっても必ず車に戻るのだ。行きて帰りし物語なのだ。
施錠30分前に駐車場についた。学生が一人、吹奏楽の練習をしていた。 混んでないはずなのになぜ私の車の横に車が止まっているのか、気にはなったがタイヤの下の空になった日焼け止めを回収して、靴を履き替え、服を着替え、ドライブスルーができる店を手早く探し、車に乗って帰った。
2025-06-01
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5/22
なんか毎日麺食べている気がする。今は実家暮らしなので最低でも夜ご飯は米を食べているが、一人暮らし始めたら毎食麺食べちゃいそう。楽で美味しくて最高、あとお恥ずかしながら偏食を拗らせているため余計な食材が全然入っていないのも嬉しい。醤油とか味噌の味の濃さが得意ではないので和食と相性が悪すぎる。
ちなみに今日のおやつには団子とねるねるねるねを食べた。団子は国分寺に寄った母が買ってきたもので、ねるねるねるねはバ先(低学年対象の科学教室的なイベント?の余りっぽい)で以前貰ったやつ。
食べ物の話はさておき、今日の作業ではESの基礎固め、選考課題用のキャラ構想、イラレお絵描きをした。正直就活用の作業に割くべき時間が多すぎて、しばらくは卒制に手がつけられそうにない。
目の描き込み、グローブ含む小物の陰影、スパッツの艶など、結構情報量が増えてきたのではないだろうか。
そういえばイラレのプロ(友人)に先日、普段どう描き進めているかを聞いたのだが、ペンツールのみをメインに使用し、アンカーをうつ度にハンドルで角度を調整していた。今日試しにそれをやってみたのだが、
難しい、、、無理だ、、、、、、
になった。ペンツールとダイレクトペンツールの二刀流でいくことを決意した瞬間である。両者の切り替えが面倒だが、ペンツールのみなんて到底無理じゃ、、、。
今後の難関はスカートの陰影。グレーの部分はメタリックにしようと考えている。正直ペイントツールでのイラストでもメタリックな素材なんて描いたことないので特大の不安を抱えているが、とっとと終わらせられるように��力したい。
おまけ。友人と話していて、💖穣💖のLINEスタンプ欲しくない?という話になったので描いてみた。顔サボったしめっちゃコピー多用したけど案なので多めにみてほしい。「その辺ご理解いただければと思います」も作ればよかったなと思っているところ。

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プロフィール
名前:カナリヤ響子
生年月日:1976.5.20
血液型:O型
住んでいるところ:京都
2003年7月に「カナリヤ響子」として、ネット上で音楽活動を開始。当初は簡易的なHPを作り、アマチュア向けの無料の音楽配信サイトでカバー曲やオリジナル曲のデモを配信していました。
HPではブログを更新し、日々の出来事を綴るだけではなく、さまざまな考察や考え方を執筆。
少しずつライブ活動も始め、関西を中心に三重や広島、関東でも歌わせていただきました。
ネット上ではAppleMusicやSpotifyなどの有料音楽配信サービスにて、オリジナル曲、カバー曲、コラボ曲の完成版をリリース。
そのほか、当時流行っていた着うたも配信し、ダウンロードランキング5位以内(アマチュア部門)、ヤマハの音楽配信サイトの有料配信では、数曲がランキング3位以内にランクイン、トップページでのおすすめアーティスト紹介に掲載など、多くの方々に応援していただきました。
約18年近く、AppleMusicやSpotifyなどのサブスク音楽配信サービスにて多くの方々に全曲を聴いていただきましたが、音楽配信代行会社(会社がなくなりました)を変更するため、2023年10月に全曲を引き下げました。
今後の配信はどのようにしていくか、現在考え中です。
2024年夏ごろから、いくつかのカラオケ配信サイトで歌声をサンプル的に公開しました。
ポケカラ(私の投稿ページ)
nana(私の投稿ページ)
Smule(私の投稿ページ)
あと数曲を公開してから、弾き語りにチェンジしたいと考えています。
そこから、少しずつオリジナルも作っていけたらなと思っているところです。
それとは別に、ホームページ開設とともにコンテンツの1つとして更新していたブログがきっかけで、Webライティングに興味を持つようになり、2012年12月頃からWebライターとして活動。
代表的なクラウドソーシングで広く知られるランサーズやクラウドワークスにウェブライターとして登録をして、多数クライアントと取引させていただきました。
2023年12月までの執筆記事数は、約5700記事(1記事5000文字で換算)。
執筆記事のほとんどは「Google検索上位表示対策を目的」としたSEO記事。
雑誌などの紙媒体ではなく、オウンドメディアなどのウェブ媒体の記事執筆のみ行っておりました。
また、作業の中ではライティング業務のみならず、WordPress入稿業務や表作成、文字装飾、画像編集、取材、写真撮影などもこなせるようになりました。
2024年には、Webライターさんを管理するディレクター側の仕事もしておりましたが、なんとなく仕事を変えてみたくなって、現在はライターとは無関係の仕事をしております。
勤務時間以外に少しだけWebライターの仕事をしたり、英語の勉強(英文でブログを書きたいから)をしたり、新たにライティングの勉強をしたり、新しいブログ開設のための準備をしています。
2013年頃からは、カメラにも興味をもち、いくつかのフォトコンテストで2位や特別賞に選んでいただきました。
今後のブログでも、これまで通り、写真の投稿を頻繁にすると思います。Instagramも同様です。
幼い頃は、のど自慢あらしで、テレビのカラオケ大会やラジオなどにも出演しておりました。地方大会、全国大会などいろいろありましたが、98%の確率で何らかの賞をいただいておりました。
昭和の名曲を手掛けられた有名な作詞家、作曲家様に審査や指導をしていただいたり、芸能関係の方々と関わったりでき、非常に刺激的な幼少期を送っておりました。
もともとは絵を描くのも好きですし、漫画を描いていたのもありまして、ストーリーを考えたりするのも好きです。
また、これまで引っ越しがかなり多い鳥で、、、いろんな街で暮らしてきたこともあり、その街の空気を感じながらゆるく歴史をたどったり、スポットやお店を探し、記事にするのが好きです。
これからも、多分いろんな街で暮らすかもしれません。これまで暮らしたことのある場所を一覧します。
富山県高岡市(0歳〜)
大阪府高石市(10歳〜)
京都府長岡京市(15歳〜)
大阪梅田、高槻市、東京高円寺、調布市など(21歳〜26歳に時々3ヶ月〜半年くらいの間隔で各場所にて生活)
京都府向日市の実家在住(28歳〜)
神奈川県横浜市東戸塚(35歳〜結婚により引っ越し)
神奈川県横浜市石川町・元町(40歳〜配偶者急逝により引っ越し)
京都府向日市の実家在住(44歳〜)
なかなか波乱万丈な人生を送っており、ハラハラドキドキの連続でしたが、最近は結構落ち着いてきまして、穏やかに毎日を楽しんでおります。
その中で、昔住んでいた街にフラッと出かけたいなと思うこともあり、その記録も公開していきたいです。
性格は、多分男っぽいです。意外とよく笑います。怒ると、すごく怖いらしいです。
基本的には1人で行動するのが好きで、こうしようと決めるとダイナミックに動くタイプです。
こんな鳥ですが、どうぞ、よろしくお願いいたしますm(__)m
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つじしまみちこ 特別インタビュー
新譜「Goodbye to AI」について
日本を代表する音楽プロデューサーつじしまみちこが2025年4月29日、5年以上の沈黙を破り、新譜をBandcampにて発表した。つじしま女史曰く、この度の新譜は、令和に元号が変わってから初めてのものであり、発表と同時に、シリアや北朝鮮、東欧地域からの注文が相次いでいるという。本誌は、新譜の発表に際して制作者であるつじしまみちこ本人に独占インタビューを行った。
はじめまして、本日は貴重なお時間を頂きありがとうございます。全く存じ上げないのですが、つじしまみちこさんは何者なのでしょうか? 世界的な音楽家ですが、コロナ禍に体調不良(後述)に見舞われ、表舞台から一度降りたので、日本の皆さんがご存じないのは無理もございません。2010年代より「つじしまみちこ」名義で純音楽の作曲に勤しんでおりましたが、平成末期の頃、電子音楽に興味を持ち、ウェブ上でいくつかの作品を公開しておりました。
つじしまみちこさんの名前の由来を教えてください。 ネトウヨに刺される恐れがある為、その質問への回���は���し控えさせていただきます。
つじしまみちこさんは、太宰治の妻であった津島美知子さんと何か関係があるのでしょうか。 ない。
つじしまみちこさんは、こしじまとしこさんから影響を受けておりますか? とても良い着眼点です。ないです。
つじしまみちこさんが最も影響を受けたアーティストは誰ですか? 何人もおりますが、一番影響を受けた人物を挙げるとすれば、子供の頃に目撃した、河川敷で黙々とドラム缶を半裸で殴打する名も知らぬ老人です。ヴィジュアル、音響、発想、その全てが芸術的でした。
つかぬ事をお聞きしますが、本当につじしまみちこさんは、専業の音楽家でしょうか? 音楽だけでは一年当たりの手取りが2000万円ほどしかなく、これだけでは食べていけないので、普段は株式、債券、金やレアメタルへの投資で生活費の大半を稼いでいます。所謂「億り人」です。
つじしまみちこさんにとって音楽とは何ですか? 単なる聴覚異常の原因でしかありません。実はコロナ禍に、頭の中で中島みゆきの「糸」が止まらなくなる奇病を患った事があり、心療内科・脳神経外科・内科・循環器科・耳鼻咽喉科・性病科をハシゴしたのですが、何処の病院に掛かっても原因が不明故に一向に快方へ向かわなかった為、処方された薬をゴミ箱に捨て、代わりに朝昼晩の食前食後に日本酒を飲んで自己治療をしている内に、恐らく音楽が原因ではないかと思うようになりました。非常に辛い思いをしたので、もう音楽なんてやめたくて仕方がなかったのですが、覚醒剤と同じでやめたくてもやめられませんでした。
つじしまさんが音楽制作を始めた理由は何でしょうか? 2010年代の半ば、それまで勤めていたブラック企業を解雇された後、楽して稼げる方法はないかと模索を始め、やがて、音楽配信と広告収入で不労所得が得られる事を知り、菊池有恒の「楽典―音楽家を志す人のための」や放送大学のテクスト「音楽理論の基礎」を熟読して音楽理論を独学し、楽曲制作に明け暮れていた時期があるのですが、殆ど誰にも見向きもされず、どれ程営業努力をしても数千円の収入しか得られませんでしたので、空しくなって3ヶ月ほどでやめてしまいました。当時の音楽シーンを見渡すと、病気や精神障害を抱えた人しか活躍していない惨憺たる有様でしたので、心身共に健康でおまけに京大卒と言う絵に描いたようなエリートである私に居場所などある筈もありませんでした。その後は、マーケットに戻り、生き馬の目を抜くビジネスの世界で活躍していたのですが、人が一所懸命汗水流して世界経済を動かしてい���最中、いい年して子供の遊びに夢中になり、事あるごとに感情的な言葉を下水道から逆流した汚物の如くSNS上にぶちまける所謂クリエイターと呼ばれる輩が憎くて仕方がなくなった為、彼らへの嫌がらせの一環としてウェブ上で不快極まりないミュージックを次々と公開し、戦いを始めたのが「つじしまみちこ」誕生のきっかけです。
今回の作品ですが、発表しようと思ったきっかけは何でしょうか? Bandcampのページ内のライナーノーツに記載の通りです。
今回の作品ではAI技術を活用したNEUTRINOというボーカルシンセサイザーが大々的にフィーチャーされております。ボーカロイド等の音声合成技術はお好きでしょうか? 好きで使っているのではなく、予算と私の人徳の問題でボーカリストの協力が得られない為、仕方なしに利用しています。NEUTRINOにせよボーカロイドにせよ、未だプロのボーカリスト程の歌唱力や表現力を持っておらず、また活用できる楽曲のジャンルは基本的にエレクトロ色の強いポップミュージックに限られていると感じており、不満の方が大きいです。
ジャケットに描かれた化け物は何ですか? 生成AIに「みちこ」の画像を生成するよう命令した所、アジア系の少女の画像が出力されたので、それをポリゴン加工し、目と口をつけました。化け物ではなく、AIと私のコラボレーションによって生まれたつじしまみちこの肖像です。
私は今回の作品でつじしまみちこさんの作る音楽を初めて聴いたのですが、いずれの楽曲も、オウム真理教が布教の為に作った音楽や旧ソ連の人々がジャーマンテクノなどに代表される西側のニューウェーブを模倣して作った電子音楽を彷彿とさせるものでした。実はインタビューの前に公安関係の方から、つじしまさんは以前よりオウム真理教や〇〇〇〇〇(自主規制)との関係が噂されていると聞いたのですが、これは本当でしょうか? (記者の問いかけに対し、額に手を当て沈黙するつじしま)
つじしまさん、もうオウムなんて辞めて創価学会に入りませんか。楽しいですよ。 断る。私は尊師を裏切る事は出来ない。
真面目な質問に軌道修正しますが、つじしまさんの新譜は、キング・クリムゾンやピンク・フロイド等の往年のプログレッシブ・ロックの影響が色濃いように感じるのですが、つじしまさんの年齢は、一体おいくつですか? つじしまみちこ自体は平成生まれの永遠の27歳であり、年を取らないのですが、中の人はGHQ統治時代に生まれた昭和世代の為、年齢が年齢だけに、新しい音楽を聴いても、作風にアップデートが掛かりません。近頃は耳そのものが聞こえなくなってきました。
コード進行、曲の展開が非常に独特ですが、何か曲作りの上での拘りはございますか? 私は楽典にもポピュラー音楽理論にも知悉しておりますので、音楽理論に���づいた作編曲が出来るのですが、ロック、古楽、雅楽、民族音楽、果てはノイズミュージックに至るまで、古今東西の様々な音楽を聴き続けた結果、不協和音さえもハーモニーと捉えられる程に感覚がおかしくなった為、最早、自分でも一体全体何をしているのか分からない状態で作品作りをしております。 かつて「躁鬱ポップ」を標榜し、Aメロはメジャーコードのクリシェで安定しつつも停滞した印象付けをし、その後のBメロはオーギュメントコード、ディミニッシュコード、クラスターコードの嵐という混沌状態、サビはメジャー・マイナーが混在する90年代的な懐かしい進行とし、リスナーが散々苦しんだ末に救済されるような構造の作品を濫造していましたが、今回はサイケデリック・ロックを彷彿とさせる不気味な進行の楽曲を、メロディーとアレンジを熱心に研究・工夫して、ポップミュージックに仕立て上げました。陽気ながら、どこか不気味で違和感溢れる仕上がりとなったと自負しています。 新譜の発表前、音楽業界の関係者に「マイク・オールドフィールド以来のプログレの名盤が出来たので聴いて欲しい。内田裕也の跡を継ぐロッカーとして、ネット出身の軟弱なアーティスト達を日本の音楽シーンから駆逐したいと考えている」と伝え、私の作品の試聴をお願いしたのですが、視聴直後より、誰もが次々と体調不良を訴えたり、家庭環境が崩壊したりと様々な災いに苛まれるようになったようです。唯一、異なる反応を見せたのは数年前から懇意にしているディスクユニオン新小岩店の店長で、曰く「このアルバムはプログレの棚には並べられない。そもそもロックミュージックのアルバムと言うより、歌謡曲のシングルと呼んだ方がしっくりくるので『つのだ☆ひろ』の中古8cmシングルと同じ棚に置く事になる」とのことでした。「せめて『人生(ZIN-SÄY!)』と同じ棚にして欲しい」と頼んだのですが「当店には既に『人生(ZIN-SÄY!)』は在庫がない」と言われました。ピエール瀧が逮捕された時期に一掃されたそうです。
新譜制作に当たって使用した機材を教えていただけますでしょうか? 20世紀末に購入した古いNECのPC-98マシンで制作をしました。PC-98と言っても今のZ世代は分からないと思いますが、かつてMicrosoftのWindowsやAppleのMacintosh、フリーOSのLinuxと拮抗していた日本産OSです。既にサポートどころか新製品の販売すらされなくなって久しく、ウィルス感染が怖いのでオフラインで利用しています。楽器についてですが、3トラックとも、電子音は、全て初代Moogを手弾きしたもので、ピ��ノは10年以上愛用しているSteinway、パーカッションはJazzの名盤から抽出した音源で、予定調和の展開を悉く破壊して心をざわつかせる民族楽器の類は現地の方に弾いてもらったものです。今回の作品の為にモニタースピーカーやオーディオインターフェースは一新しており、自宅も防音仕様に改築しました。
機材を一新したとの事ですが、これまでとの曲作りで大きく変わった点は何でしょうか? 曲を仕上げた後、火照った頭と体を鎮める為に夜の街へ飲みに出かけるようにしているのですが、以前は炭水化物抜きで日本酒とつまみだけで飲み続けていたのを、今回からは、シメにご飯物を頼むか、あるいは最初から丼物を頼んで酒を愉しむようにしました。一年ほど前から一升ほど酒を飲むと正体不明になって、自宅に帰る途中に車道で寝てしまったり、気が付くと明け方のゲイバーで店主と口論になっていたりと大変な事態に見舞われるようになっており、当初は年のせいかと思ったのですが、どうやら、医学的には酒を飲んだ時は炭水化物を摂った方が良いとの事でしたので、飲酒の仕方を大きく変えるようにました。太るかと思ったのですが、毎朝、酔っぱらった状態でジョギングをしたり、ジムでトレーニングをしている内、代謝が良くなり、沢山食べても体形が変わらなくなりました。時折、血尿が出ますが元気で暮らしています。
アナログシンセの音作りが絶妙にレトロで、YMOを想起させますが、坂本龍一氏と同じクラシック畑出身のつじしまさんは、坂本氏にどのような印象を抱いておりますか? 彼の作品は「千のナイフ」と「音楽図鑑」しか聴いた事がないのですが、電子音楽という形態を取らず、ピアノや管弦楽器などの生楽器を主体とした編成の方が良いものになると思っておりました。彼にこの事を伝えようと、上野辺りに呑みに誘おうとしていたのですが、その前に癌で亡くなってしまいました。
つじしまさんがヨーロッパ出身というのは本当ですか? はい。フランスで生まれました。
虚実入り混じるお話を延々として頂いた所で恐縮ですが、最早、誰もが理解不能な内容になっている上、好い加減、私自身が耐えられなくなっておりますのでインタビューを仕切り直したく思います。ここから先は真剣に答えていただけますか? 構いません。
つじしまみちこ 特別インタビュー
新譜「Goodbye to AI」について
日本在住の音楽プロデューサーつじしまみちこが2025年4月29日、5年以上の沈黙を破り、Bandcampにて新譜を発表した。本誌は、新譜の発表に際して制作者であるつじしまみちこ本人に独占インタビューを行った。デビュー以来、初めて真実を語るつじしまに迫りたい。
2020年代に入って音楽活動を事実上停止していたつじしまみちこさんがこの度、新譜を公開した背景は何でしょうか。 事の発端は昨年2024年11月にアメリカの大統領選挙でドナルド・トランプが再び大統領に選出されるという歴史的場面を目にした事でした。開票結果の出た日、私は、アメリカの知識人たちが民衆に対して語る言葉や伝える力を失った結果、あのような事態を招来したと感じました。同時に、私自身も、これまでの音楽活動の中では、具体的な説明を放棄し、受け手である視聴者に冷淡な態度を貫き、事あるごとに辛辣な言葉を浴びせかけてきたものの、よくよく考えると、私のしていた事は、反知性主義者の前に脆くも破れ、時代の敗者となったアメリカのインテリゲンチャと変わらない事に気付き、これまでの態度を猛省し、次こそは、難解な事柄を理解出来る知性を持つ少数者が聴いても、そして、前提知識のない愚昧な一般大衆が万が一聴いてしまっても、両方の層が楽しめるような作品を作ろうと一念発起した事が新譜制作の動機です。
今回の作品では全ての曲で、NEUTRINO(AI技術を用いたボーカルシンセサイザー)が使われておりますが、理由は何でしょうか? 私はボーカロイドやUTAUなどの従来のボーカルシンセサイザーには、歌唱力や表現力の点で落胆させられてきました。発売当時から、キャラクター性やCVを担当した声優の人気に頼る以外、セールスポイントがない代物とさえ思っています。しかし、2020年に登場したNEUTRINOは別格でした。従来のボーカルシンセサイザーに特有の発声の不自然さはなく、人間の歌声と遜色がないものでしたので、是非自身の楽曲に使いたいと思いました。調声はAI任せなので殆ど弄れませんが、素晴らしい技術であるのは事実です。それにも関わらず、NEUTRINOが大きな話題にならないのは、非常に残念に思います。今回の作品では、何も知らずに聴いた場合、私がボーカリストに頼んで歌ってもらったと思われるような楽曲にしようと考え、飽くまで生成された歌声に合う音作りを心掛けました。NEUTRINOにもボーカロイドのようにいくつかのキャラクターがあるのですが、私はボーカルシンセサイザーにせよ人間の声にせよ単なる音、楽器の類と捉えておりますので、キャラクターの情報を出しておりませんし、楽曲のテーマは、あらかじめ設定されたキャラクターの性格とは関係がございません。
いずれの楽曲も3分未満のたいへん短いものですが、これは何故でしょうか? 飽くまで、NEUTRINOの実験の為の楽曲と自身の中で位置付けており、一般流通する音楽とは異質なものにしたかった為です。今の時代とは異なり、20年以上前のウェブ上には、一般市場に流通する音楽作品とは一線を画した、実験的な音楽作品が数多く存在していたと記憶しておりますが、かつての「作品未満の作品」が気軽に発表出来た時代の雰囲気を再現できればと思った事ももう一つの理由です。既に過ぎ去った過去であるのは間違いありませんが、リアルな世界では体験し得ないような出来事に遭遇する事がゼロ年代のインターネット上にはあり、当時の私はバブル崩壊以来の「失われたウン十年」を打ち破るポテンシャルをインターネットに感じ、明るい未来を期待をしていたのですが、その後、年を重ねた私の目の前に現れたサイバー空間は最早、フィルターバブルによって正気を失った輩が、自分とは何の関係もない事柄に首を突っ込んで気狂い沙汰を起こす、ただただ不愉快な世界となっており、現実世界と何の違いもなくなっておりました。しかし、私はシニシズムに陥る必要はないと考えています。今回の作品では、サイバー空間、そして、過去への郷愁にさえ別れを告げ、新たな世界へ出発する事を全楽曲を貫くテーマとしています。当初、新譜のタイトルは「Goodbye to Vaporwave」とするつもりでしたが、楽曲がVaporwaveと程遠い質感のものしか出来なかった上に、既にVaporwaveの時代でもないので「Goodbye to AI」に変更しました。
それぞれの楽曲のテーマは何でしょうか? ライナーノーツにも英語で記載しておりますが、1曲目は「SNSにおけるデジタル・ファシズム」、2曲目は「過去との決別」、3曲目は「青年期」です。
ご説明頂きありがとうございます。しかし、楽曲を聴いた際の印象との乖離が激しく、説明していただいたのにも関わらず理解が追い付きません。 以前から同様ですが、歌モノの楽曲を制作する際は、曲調とは対照的なテーマを設定し、それを元にして作詞をしております。今回は長調の曲しかないので、テーマはいずれも、暗く、重く、深刻なものです。 私は元々Aphex TwinやClarkのようなIDMに強い憧れを抱いて音楽制作を始めたのですが、その後、プログレッシブ・ロックや現代音楽等の方面へと音楽の関心が広がるにつれて、趣味も作風も著しい変化を遂げ、今ではOrchestral Manoeuvres in the Darkのようなスタイルに行きつきました。尤も、意図的に似せようとしている訳ではなく、また、歌詞が英語ではなく日本語の為、楽曲のメロディーやコードは全くの別物です。
制作に当たって苦労された点は何でしょうか? NEUTRINOは基本的にAI任せの為、生成される声には細かな調節がききません。望んだようなボーカルが生成されるまで、音声合成の為の処理を幾度も走らせる必要がありましたが、まるで、スタジオにおけるレコーディング作業において、延々ボーカリストにリテイクを求めるのと同じ思いがしました。人間に匹敵するAIを使いこなす為には、人間が行った場合と同じ労力が求められるのではないかとさえ思い奇妙な気分になりました。 アレンジについては、実験作品でもあるので、音数を出来るだけ少なくし、チープな質感を出そうとしていたのですが、NEUTRINOは、発声の再現度が高すぎてピッチが怪しいものや息切れしかかった歌声までもが生成される場合があり、ボーカルのサポートの為に楽器を足している内、結局、30トラック超のアレンジにならざるを得ず、いつもの事ながらミックスにたいへんな時間を取られる事になりました。また人間的で生々しいボーカルとの調和を図る為、オケは電子楽器であっても生演奏感が出るようにピッチやテンポ、ベロシティを細かく調整し、揺らぎが出るようにしています。 マスタリング工程では、AIに因んだ作品ですので、Bandlab MasteringというAI技術によるマスタリングサービスを利用したのですが、敢えて音にアナログテープの質感を持たせるような形でマスタリングしています。音割れする程に音圧を上げた作品が流通している時代ですが、私は元々高音圧のマスタリングが好きではないので控えめに仕上げています。飽くまで、視聴する側で音量を調整すれば良いと思っています。
その他、新譜制作の際のこぼれ話はありますか? 久々の音楽作品制作でしたので、MP3配信の他に有料のアナログレコードかソノシートを用意しようとしたのですが、思いの外、高額な見積もりとなり、予算の都合が付かず、実現できませんでした。尤も、売る売らない以前に、単純に、自分の楽曲がアナログ盤になった場合、どういうものが生まれるか関心がありますので、1枚だけでもよいので、いつの日か作ってみたいと思っています。
質問に対して真摯にご回答いただきありがとうございました。つじしまさんが案外、まともな方で安心しました。 はい、仰る通り、実際の私は至って常識人です。
個人的な相談なのですが、この間、実家の猫が認知症になり、自分の前世が尿結石だと語り始め、家の中で妹に四六時中DVを振るうようになりました。果ては、近隣住民や自治体とトラブルを起こすようになった為、私は家族と協力して、止むを得ず、市長を山に埋めたのですが、以来、私も家族も霊障に苦しめられています。夏休み子ども科学相談室にも相談しましたが納得のいく回答が得られず、一向に解決の兆しがありません。妹は私のDVに耐え兼ね、手首の傷を増やす日々を送っております。家業の競輪でも立て続けに負けており、不幸の連続で、このままでは一族郎党離散せざるを得ないのですが、どうすればよろしいでしょうか。 病院行ってください。
最後になりますが、リスナーの皆様へ何か一言お願いいたします。 特にございません。ありがとうございました。
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2025.4.20-21
どうしてここにいるんだっけ?と思うけど、ここよりいい場所というのもあんまり浮かばない。
新しい靴の試運転、新しいイヤホンの試運転。
足も耳も馴染まない。細野晴臣さんのラジオに出ているテイトウワさんの音。
私はヘラヘラ暮らしているけれど、みんな(みんなとは?)に比べて楽をして暮らしている気がする、でもどこでこれ以上頑張るべきだったのかというとあんまりよく分からない。選択肢としては15年前くらいに分岐があり、そこで何ができたかというとできない。
強い意志で選択した結果なんだと思う。
「絵描いて本読んで暮らそう」と中学生の時に確かに思い、たぶんその選択をした。絵を描いて(そんな感じの仕事をして)本を読んで(そして映画を見たり美術館に行ったりして)暮らしているといえば暮らしている。一つ一つは真剣だったし、もっと良い選択をさかのぼって選べるのかというと分からない。
今の、2025年の自分が書いたものを2027年の自分は好きだと思うし、今の自分と今近くにいる人が交わしている会話のことも愛している。
今の自分と、今近くにいる人たちとの時間。
仕事のことで腕組みをしている時間があったけれども、それにしても「仕事で関わってる人は人生の重要人物では全くないからなー」なので、切り離したい。全く選んでいないので、大事ではない。まだ適応できていないので苦しいんだと思う。
夕日に滑り込むように外へ出て、オレンジか朱色のくちばしをした鳥が地面をつついているのを眺めた。坂を転がり下りたり登ったりしたら気分が晴れそうだなと思ったけど、あまりにも不審人物になるし多分虫がつくのでやめた。坂を転がる想像をすると、ノルウェイの森でみどりちゃんに「君は素敵だ」の表現として転がりっこするクマの姿が頭に浮かぶ。あのクマみたいに私は転がりたかった。
鷺の姿を見ると宮崎駿を思うようになってしまった。特に作品として大好きになったわけではないのに、鳥に愛着が深くなった。
2023年の夏に春樹の街とその不確かな壁を読んであまりにも面白くなく、駿にも期待しないで行ったらパワフルで驚いたのだ。
鳥を見て駿を思い、春樹がダンスダンスダンスで書いてくれた「娘を静かに傷つけ続ける母親」の描写を読んで深く救われた記憶を思い返す。
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【京都個展まであと2日】
新作「バステト」のご紹介です。
バステトはエジプト神話に登場する猫の女神のことです。猫の姿あるいは猫の頭部を持つ人の姿をしており、手にはシストラムという楽器、盾、籠を持つと云われています。
また、ファラオ(王)の守護者であり、人間を病気や悪霊から守るとされています。音楽や踊りを好み、多産のシンボルでもあります。
猫が人と暮らすようになったのはエジプトが始まりと云われており、猫への愛が強く感じられます。ルーブル美術館に納められているバステトの像は、子猫たちがバステトとじゃれあう微笑ましい姿をしており、エジプトの人たちが優しい眼差しで猫を観察していたことが感じられました。本作はそんな猫たちとの関係を元に描いた作品です。
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「ミチヨ スクラッチ絵画展 〜神話伝承 古今東西〜」
7月17日(水)〜23日(火)※最終日午後5時閉場
京都大丸店 アートサロンESPACE KYOTO
【Kyoto solo exhibition only two days away】
Introducing my new work 'Bastet'.
Bastet is the cat goddess of Egyptian mythology. She is said to take the form of a cat or a person with a cat's head, and to hold in her hands a cistrum, a musical instrument, a shield and a basket.
She is also said to be the guardian of the pharaoh (king) and to protect humans from disease and evil spirits. She likes music and dancing and is a symbol of fertility.
It is said that cats first came to live with people in Egypt, where their love for cats is strongly felt. The statue of Bastet in the Louvre Museum has a smiling figure of kittens playing with Bastet, which reminds us that the Egyptians observed cats with kind eyes. This work is based on their relationship with these cats.
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Michiyo Scratch Painting Exhibition - Mythological &Lore, Everywhen and Everywhere.
Wed 17 - Tue 23 July *Close at 5pm on the last day.
Kyoto Daimaru Art Salon ESPACE KYOTO
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犯罪の巣窟となっているフィリピンのPOGO このバオフという施設は、POGO(Philippine Offshore Gaming Operator)と呼ばれるものだった。海外向けにオンラインカジノを提供する業者だ。多くの国で、賭博はカジノなどの許可を得た施設以外では禁止をされているが、賭博をしたいニーズはある。そこで、オンラインで賭博を提供するというのがPOGOだ。最も多く利用されているのが中国で、中国ではマカオなどを除いて賭博が禁止をされているため、手軽にスマートフォンから楽しめるオンラインカジノの人気が高まっている。もちろん、中国人が海外のオンラインカジノを利用することは違法行為にあたる。 オンラインカジノだけであればまだしも、そこにはマネーロンダリングから始まり、ロマンス詐欺、仮想通貨詐欺、投資詐欺、麻薬取引、人身売買、誘拐、売春、殺人と、ありとあらゆる犯罪がついてくる。 フィリピン政府はこのような海外カジノ業者による犯罪に頭を悩ませたが、彼らが得ている経済的利益は魅力的なものだった。そこで、フィリピン政府は2016年にこのようなカジノ業者を公認し、法人税を徴収することにした。フィリピン娯楽賭博公社(Philippine Amusement and Gaming Corporation、PAGCOR)を設立し、一定の審査の元、カジノ業者をPOGOと認定し、オフショアオンラインカジノの運営を認めた。 各国から批判を浴びるオンラインカジノ施設POGO しかし、POGOはフィリピン人は利用することができず、外国人だけが海外からオンラインで利用することができる。外国、特に利用者の多い中国にしてみれば迷惑な話で、中国政府は何度となく、フィリピン政府に対してPOGOを禁止するように求めている。その結果、マルコス大統領は2024年末までにPOGOを廃止する宣言をした。 バオフもこのようなPOGOのひとつで、約8万平方mの敷地(サッカー場9つ分)の敷地に14の建物とスーパー、レストランがある。家宅捜索を受けた時、678人が働いていて、内訳はフィリピン人383人、中国人218人、ベトナム人55人、マレーシア人16人などで、その他、ルワンダ、インドネシア、キルギスタンなどの国籍の者もいた。 オーナーは黄志楊という中国人で、2019年にバオフを設立し、許可を取り、POGOの運営を始めた。しかし、仮想通貨詐欺が発覚をし、2023年2月にPOGOの資格が剥奪をされた。それでも、黄志楊はPOGOとしての運営を続けていた。つまり、バオフは違法POGOだった。 違法POGOの運営に市長が関与していた この違法POGOにマレーシア人のディランが監禁をされ、ディランは携帯電話を手に入れ、マレーシア大使館に助けを求めた。この時、暴行の後が残る自分の写真も送ったために、マレーシア大使館はすぐに大統領府反組織犯罪委員会(Presidential Anti-Organized Crime Commission、PAOCC)に通報をした。PAOCCもマレーシア大使館からの通報であるため、すぐにバオフに対して家宅捜索を行い、違法POGOの摘発を行った。 ところが、その捜査の過程で、意外な事実が明らかになった。このバオフの建物の多くは、バオフがあるバンバン市の市長が維持費を支払っていたのだ。バンバン市の市長はアリス・グオというフィリピン人で、市長に立候補するまでは、このバオフの株を50%所有していたこともわかった。立候補する時に、すべての株式をあるフィリピン人に売却したことになっていたが、そのフィリピン人は、自分が株式を譲渡されたことを知らなかった。つまり、株式譲渡は偽装であって、この違法POGOであるバオフの実質的なオーナーはバンバン市長ではないかという疑いが出てきたのだ。 ▲バンバン市議会で答弁するアリス・グオ市長。いつもにこやかで、市民からの支持は高かった。 ▲バンバン市の公式サイトには、アリス・グオ市長の写真とメッセージが掲げられている。バービー好きのアリス・グオ市長は、ピンクをアイデンティティカラーに使っていた。 市民から人気の高かったアリス・グオ市長 意外なことに、2022年6月に就任したアリス・グオ市長は、市民からの人気が高かった。前市長は既得権益にどっぷりと浸かった人であり、バンバン市にはたまに顔を出す程度で、自分はマニラ市の快適なマンションで暮らしていた。人口わずか8万人で、農業中心で、道路は穴ボコだらけ、停電が日常的というバンバン市は発展から取り残されていた。 しかし、そこに若くてチャーミングな女性市長候補が颯爽と登場した。アリス・グオは養豚業で成功し、12の企業を所有しているやり手のビジネスウーマンだった。市長に就任すると、さっそくセブンイレブンとマクドナルド、フィリピン最大のファストフード「ジョリビー」を誘致して持ってきた。 アリス・グオ市長はバンバン市に常駐し、健康センターを設立し、道路を修繕し、犬と猫にはワクチン��接種した。交通ストライキが起きると、市民のために無料のライドシェアサービスを提供した。結婚式や葬儀、イベントがあると、現場に現れて、テントと椅子を無償で貸与した。高齢者の誕生日には、必ずバースデーケーキを贈る。 バービーが大好きで、いつもピンクの服を着ている。決して美人ではないものの、親しみのある笑顔で人に接し、「最近太ってしまって」とお腹の肉をつまむ。市民は誰もが、そんなアリス・グオ市長が大好きだった。 ところが、この市長が、裏世界とも言えるPOGOにどっぷりと絡んでいたのだ。市民は大きなショックを受けた。 ▲市長時代の郭華萍。親しみやすい笑顔で、市民との距離が近い、人気の市長だった。 ▲アリス・グオ市長は、親しみやすい笑顔と行き届いた市民サービスで、市民からの人気は高かった。 ▲POGOとの関係で、警察で取り調べを受けるために同行を求められたアリス・グオ市長。この時は、大きな問題ではないと楽観をしていた。警察も、相手が市長であるため、丁重に扱った。 公聴会で発覚した市長の「身分」 PAOCCの捜査が終わると、アリス・グオ市長はフィリピン政府が行う公聴会に召喚された。市長と違法POGOの関係を追求することが目的だ。 それでも、市民は大好きなアリス・グオ市長を応援した。SNSでは、市民からの「アリスを信じている」「アリスが帰ってくるのを待っている」というメッセージで溢れ返った。 しかし、その市民の期待は裏切られることになる。公聴会で、アリス・グオ市長は実はアリス・グオではなく、まったく別人の中国人であることまでが発覚をしたからだ。 フィリピン国家調査局が、アリス・グオの身分照合をしてみると、アリス・グオというフィリピン人は実在したが、顔がまったく違う。しかも、この本物のアリス・グオは所在がわからなくなっていた。 では、市長はいったい誰なのか。フィリピン国家調査局は指紋から照合をして、中国籍の郭華萍(グオ・ホワピン)であることを突き止めた。中国人がフィリピンの市長になることはできない。 ▲公聴会に出席する郭華萍。ここで郭華萍の身分が虚偽のものであることが明らかになっている。郭華萍は残りの公聴会を無断欠席して海外に逃亡し、インドネシアで拘束された。 借金でフィリピンに逃れた郭一家 アリス・グオ市長は、公聴会では、あくまでもフィリピン人のアリス・グオであると言い張ったが、議員たちの追及に矛盾のある回答を重ね、もはや中国人の郭華萍であることは明らかだった。 この問題は、フィリピンや中国のメディアも取り上げることになり、調査報道により、郭華萍の生い立ちが次第に明らかになっていった。 郭華萍は1990年8月31日に、福建省晋江市に生まれた。父親は地元で養豚業や服飾工場、刺繍工場、飲食店を経営する人で、裕福な家庭だった。弟と妹が生まれ、絵に描いたような幸せな一家だった。しかし、90年代後半になると、父親の事業が思わしくなくなり、多額の借金を背負うことになってしまった。 母親は、借金から逃れるために、フィリピンのホワフェイ刺繍センターに7.5万ドルの投資をした。フィリピンに投資をすると、特別投資居住ビザが取得できるからだ。母親は3人の子どもをつれて、フィリピンに移住をした。 中学生になっていた郭華萍は、フィリピンの中国語学校に通うことになった。しかし、中国籍のままでは、フィリピン政府のパスポートを取得することはできない。中国のパスポートを取得するには中国に戻らなければならない。しかし、パスポートがないので中国に行くこともできない。 そこで、多くの海外在住の中国人がするように、業者から戸籍を買って、フィリピン政府のパスポートを取得した。この時、買ったのがアリス・リアル・グオのもので、以降、郭華萍はフィリピン人のアリス・グオとして生きていくことになった。
市長はフィリピン人ではなく中国人だった。身分詐称の市長は中国のスパイだったのか? - 中華IT最新事情
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第1回🐧組イメソンお絵描き大会
コニチハ!オムレツ林です🐣今回は楽しくなって描いたラストペンギンのイメソン……というか雰囲気似合いそうな曲の落描きまとめになります。これにより私の好きな曲の傾向ももれなくバレます。
ヴェイパー&クォーツ さよなら幽霊無人街

目を覚ますと誰も人間がいない未来の世界に2人きりで散歩するヴェイパーさんとクォーツに。
コルボ&メディー博士 暮しガスメータ

こちらも人口が減り廃れていく街の隅で2人生活をしていたコルボとメディー博士に。何気に今の所初出しの昔コルボちゃんです。
オクパト 『±0』

人生を自分の手で狂わせていく男、オクパトに歌ってほしいですね。
コルボ トゥイー・ボックスの人形劇場

コルボちゃんは人がいなくなった後も決まった時間に遊園地のステージに立ってはパフォーマンスしてます。
メディー博士 BUTCHER VANITY

原曲は食欲がやばい人の曲だけどそれを抑えきれない知識欲と好奇心に置き換えたような人です、博士。善のマッドサイエンティスト……。
ヴェイパー&クォーツ 可不ェイン

みんなはカフェインの摂りすぎに注意しようね!ヴェさんはもう手遅れです。(スマホから見てる方へ:ヴェイパーさんのイラストはGIFなのでタップすると回転します☕️)
オクパト テトリス
youtube

みーくんのリクエスト曲です。最初はオクパトくんが回転するgifだけを作るつもりだったのに動画ができました。オクパトくん、元気そう��すね!よかった〜!




パロディ元動画のリンクをまとめたyoutubeのリストも(自分用に)作りました。もし第2回があればここに継ぎ足していきます。
以上、第1回🐧組イメソンお絵描き大会でした!🐣
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0401(百合など)
高校生のとき書店で『百合姉妹』を見つけたとき、こういうのがあるんだと驚いた。女の子と女の子の恋愛の漫画があるんだ。ちゃんと雑誌で売ってるんだ。ドキドキしながら立ち読みして、その書店に何度も通った。今日もあるな、まだ売れてないな、じゃあこれはわたしが買っていいってことかな…。コミケで同人誌を買うよりよほどドキドキした。 百合っていう名前もいいなと思った。ボーイズラブがあるんならガールズラブもあるんだろうけど「ガール」はな〜と思っていた。「ガール」にどうしてもなじめなかったからお花の名前でごまかしてくれるのはいいなと思った。ただまあこれは当時高校生だったわたしの感覚なので、花の名前にされるのをいやがる人の方が多い気はする。あとこれ同世代なら伝わるかもなんだけど、「ガール」はYUKIとかあんじとか市川実和子のための語で、わたしの語ではないな〜みたいな感覚もあった。 百合姉妹の作家陣、ひびき玲音、硝音あや、蔵王大志…。当時のわたしとしては”ワンピースとかナルトの同人誌で見かけた名前”だったので、あっこの人たち女の子の話も描くんだ!とワクワクした。よく同人誌のあとがきとかで作家同士が「◯◯ちゃんもう結婚してくれよ〜」とか馴れ合っていたのを見ていたから、わーーっわーーってなんかこうジタバタしてよろこんだ。CUTiEのモデルより同人誌の作家の方が距離が近い感じ。
ボーイズラブの漫画や小説、二次創作の同人誌は身の回りにたくさんあって、でも女性同士の物語ってあんまりないんだなあと当時ちょっとさみしく思っていた。まあ探し方が悪かったんだけど、まだSNSもpixivもなかった時代の高校生だからそんなもんだったと思う。周囲に読んでる人もいなかったし。マリ見てはなんかしっくりこなかった。あずまんが大王はけっこう好きだった。NANAはナナとハチがカップルになる漫画かも?と思って読み始めた(ちがった)。少年漫画でいえばBLEACHのたつきと織姫の同人誌ないかな〜とか思っていた。ぜんぜんあったんだろうけどうまく探せなかった。BLEACH、クラスメイトでレズビアンのキャラクターがいて、クリトリスが勃起するってせりふがあってちょっとドキドキしたんだけど正直よくわからんと思っていた(自分の性器って���く見えないから)。 あと当時ヤマシタトモコがワンピースの同人誌を描いていて、らくがき的に女性キャラクターの絵もちょこちょこ描いていたのがスタイリッシュでとても好きだった。秀良子、のばらあいこ、阿弥陀しずく…その後商業BLで活躍している作家たちがワンピースにいて(このいるって感覚面白いよな)、たまに描いてくれる女性キャラクターを大事に大事に噛み締めていた。 ジャンプだとジョジョの6部がやっていたころ。コミケで探せば徐倫とかエルメェスの同人誌があったことはあった。でもカップリング感はあんまなかったかな。ジョジョは当時そんなにスペース数なくてコピー本が多かった。まあでも徐倫とエルメェスとFFの連帯の感じは原作を読んでいるだけでも本当にワクワクして大好きだったので、二次創作でそれ以上の掘り下げは求めていなかったかもしれない。またジョジョの二次創作はおしゃれな絵柄が多くて、作家の絵柄に落とし込んだイラストを眺めているだけでも面白かった。
コミケではモー娘。の同人誌を買ってうれしくなっていた。芸能系二次創作というのはいろいろ危ういものがあり言及が難しいんだけど、女性と女性が恋愛することを喜びたかった。わたしが見た限りだと同人誌でもあまり激しいものは見たことなくて、いわゆる現パロとかおとぎ話パロでちょっといちゃいちゃしながら仲良く暮らすような感じ…いってしまえばガワだけ借りてきて、女性同士の親密さをよろこぶような感じのものをよく見かけた。女性作家が多かった記憶。 現実にいる人間でそういう創作をやるのはあんまり行儀のよくはないことではあり、その感覚は当時だってあったけども、とはいえ、自分の「これ」はうそではないのだと思いたい、そういう素朴な切迫をなぐさめるものとして現実の人間をモデルにした絵柄でやる漫画同人誌というのはありがたい存在だった。すごいおぼえてるのが、モー娘。の風俗嬢パロ。後藤真希の娘。卒業を作中では「嬢の引退」とし、いやーーすごい読み応えあったな…。 モーヲタみたいな呼称もけっこう便利だった。いや自分モーヲタなんで〜〜とか冗談ぽく言って、写真集やグラビア雑誌を買ってみたりして。アイドルだからそんなにきわどい衣装やポージングはなかったのが、わたしにはかえってうれしいものが多く、飯田香織が素敵なワンピース着てメガネかけて図書館に佇んでいるとか、後藤真希と吉澤ひとみがおそろいのパジャマで歯みがいているとか、すごく幸せな気持ちで眺めていた。
その後大学生になり、まあなんかこうそこそこ遊び回るようになって百合の漫画を熱心に読まなくなってしまったので、いわゆる百合ジャンルの盛り上がりみたいなのはあんまりよくわからない。志村貴子の漫画をけっこう買っていたくらい。百合姉妹が百合姫になってからのことや、「尊い」みたいな言い回しも正直馴染みがないし、百合雑誌、百合ジャンルがどっちかというとシスヘテロ男性向けっぽくなってからはよくわからない(『百合姉妹』の想定読者は女性だったと思う)。百合SFで「百合が俺を人間にしてくれた」とかの感じは本当にもうわからん…。ただまあわたしは百合以前のこともあまり掘り下げてないのでわたし自身リスペクトに欠けるといわれればそうではある。ジャンルのファンというわけではなくて自分の時間のなかでそうであったということ。まあ最近はまた百合の作品で好きなものけっこうあるので、マイペースに楽しんでるんだけど(妹サブスクリプションよかったです)。 だから百合について語れることってあんまりないんだけど、それでも自分としては、『百合姉妹』を見つけたときのうれしさをすごく覚えているので、エイプリルフールに百合的な表現と接続したかたちで悪ふざけをやるのは悲しい。同人作家同士の馴れ合い的なやりとりが、じっさいどういう感覚だったのかわからんけども、高校生の自分としては素朴にうれしかったという思い出もあるので、なんというかそういう…中の人のじゃれあい的なのが「営業」みたいになっちゃう、「営業」でしかないみたいなのも苦しい。オタク的な表現にとても救われた子どもはけっこういた・いると思う。 だから百合で活動(とくに商売)している人たちはそういう悪ふざけや迂闊さにNOって言ってほしいし、同性婚にも言及してほしい。ほんとは。べつに創作は創作だとは思うというのはそりゃそうなんだけど、「言及しません」って堂々と言うのはけっこう驚く。驚くというかさみしいし心ぼそいのだと思う。でもぜんぜん黙っててもいいと思います(言えることしか言えないと思うから。これ伝わるかな…)。
ぜんぜん余談だけど、自分が大学生のとき資生堂でブランド整理があり、マキアージュの登場が印象深い。篠原涼子、伊東美咲、蛯原友里、栗山千明。タイプのちがう4人が並んで、「この世のハルがきた」というキャッチコピー。なんとも鮮烈で感激したな。CM内のキャラにちゃんと設定もあって、スペシャルドラマもやって…。レズビアンの物語ってわけではなかったけど、ちょっと百合っぽい親密さがあって大好きだった。あと篠原涼子どタイプなので最高だった。コフレドールがブランド終了ときいて思い出したけど、百合の話題からの連想でもある。
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241123
朝、次第にあかるくなっていく部屋をぼんやりと眺めていた。 お腹がすいた。 耳鳴りがやまない。 高い音がずっと一定に流れている。
浦河町にいく。 馬、馬、馬。 あちらこちらで馬が思い思いに過ごしている。 すごく穏やかで、馬と暮らす、なんてことを想像してみる。窓の外に馬がいること。
神奈川に住んでいたときにも聞いていた彼女のうたを聴く。 声のまるみに包まれるような彼女の歌。 今日はいつもよりもギターの音に耳がいく。かっこいい。 ふたりで、響きあう声。
音楽を身体で聴いていると、聴いているのに、その音から離れて違う世界にいってしまうような気がする。
開場を出ると、星が一面に散らばっていた。 こんなにも星があることにびっくりした。 山の方へ行けばもっときれいにみられるんじゃないか、と彼が帰路、山の休憩所に車を停める。 星がうつくしすぎて、ひっくり返りそうだった。 星の詰まった瓶をひっくり返したみたいたっだし、見上げすぎてわたしがひっくり返りそうだった。 星雲というのだろうか、あわく広がる靄までみえた。 今度、星をみに出かけよう、と決める。
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241124
朝、自分がゆらぐ。 ストーブの点火タイマーをセットし忘れて、冷たい部屋。 わたしは今、冬にいる、と思った。 最近、上手く季節が感じられなくて寂しかったけれど、やっとわたしが戻ってきたのかもしれない。 詩が書きたい。
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241125
朝、つめたい。 冷え込みが一段階濃くなった。 友人と、阿佐ヶ谷姉妹を追いかける夢をみた。 捕まえられなかった。
個展の絵が描けていない、と気がついて、こわくなる。 間に合わない。
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241126
間に合わないというストレスのせいか、3時に目覚めてしまう。 ずっと右に左に寝返りを打ちながら考える。 ねむれない。 4時15分にセットしたストーブの点火タイマーが作動する頃、少しねむれた。 今日はアルバイトに行ってから、大学の仕事。 寝不足なのがしんどかったけれど、案外やれそう。
絵をひとつ、諦めたら少し気が楽になった。 頑張ろう。 いつもは頑張らないように気をつけているけれど、たぶん、今は頑張りどき。
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和五年(2023)12月27日(水曜日)参
通巻第8070号
AIは喜怒哀楽を表現できない。人間の霊的な精神の営為を超えることはない
文学の名作は豊かな情感と創造性の霊感がつくりだしたのだ
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わずか五七五の十七文字で、すべてを印象的に表現できる芸術が俳句である。三十一文字に表すのが和歌である。文学の極地といってよい。
どんな新聞や雑誌にも俳句と和歌の欄があり、多くの読者を引きつけている。その魅力の源泉に、私たちはAI時代の創作のあり方を見いだせるのではないか。
「荒海や佐渡によこたう天の川」、「夏草や強者どもが夢の跡」、「無残やな甲の下の蟋蟀」、「旅に病で夢は枯野をかけ巡る」。。。。。
このような芭蕉の俳句を、AIは真似事は出来るだろうが、人の心を打つ名句をひねり出すとは考えにくい。和歌もそうだろう。
『春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣干すてふ 天香具山』(持統天皇)
皇族から庶民に至るまで日本人は深い味わいが籠もる歌を詠んだ。歌の伝統はすでにスサノオの出雲八重垣にはじまり、ヤマトタケルの「まほろば」へとうたいつがれた。
しかし人工知能(AI)の開発を米国と凌ぎを削る中国で、ついにAIが書いたSF小説が文学賞を受賞した。衝撃に近いニュースである。
生成AIで対話を繰り返し、たったの3時間で作品が完成したと『武漢晩報』(12月26日)が報じた。この作品は『機憶(機械の記憶)の地』と題され、実験の失敗で家族の記憶を失った神経工学の専門家が、AIとともに仮想空間「メタバース」を旅して自らの記憶を取り戻そうとする短編。作者は清華大でAIを研究する沈陽教授である。生成AIと66回の対話を重ね、沈教授はこの作品を「江蘇省青年SF作品大賞」に応募した。AIが生成した作��であることを予め知らされていたのは選考委員6人のうち1人だけで、委員3人がこの作品を推薦し
「2等賞」受賞となったとか。
きっと近年中に芥川賞、直木賞、谷崎賞、川端賞のほかに文学界新人賞、群像賞など新人が応募できる文学賞は中止することになるのでは? 考えようによっては、それは恐るべき時代ではないのか。
文学の名作は最初の一行が作家の精神の凝縮として呻吟から産まれるのである。
紫式部『源氏物語』の有名な書き出しはこうである。
「いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひける中に、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり」
ライバルは清少納言だった。「春は曙、やうやう白く成り行く山際すこし明かりて、紫立ちたる雲の細くたなびきたる」(清少納言『『枕草子』』
「かくありし時すぎて、世の中にいとものはかなく、とにもかくにもつかで、世に経るひとありけり」(道綱母『��蛉日記』)
額田女王の和歌の代表作とされるのは、愛媛の港で白村江へ向かおうとする船団の情景を齊明天王の心情に託して詠んだ。
「熟田津に 船乗りせむと月待てば 潮もかなひぬ今は漕こぎ出いでな」(『万葉集』)。
「昔、男初冠して、平城の京春日の郷に、しるよしして、狩りにいにけり。その里に、いとなまめいたる女はらから住みけり。」(『伊勢物語』)
▼中世の日本人はかくも情緒にみちていた
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶ泡沫(うたかた)はかつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」(『方丈記』)
『平家物語』の書き出しは誰もが知っている。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。 沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。 奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。 猛き者も遂にはほろびぬ、 偏(ひとへ)に風の前の塵におなじ」。
『太平記』の書き出しは「蒙(もう)竊(ひそ)かに古今の変化を探つて、安危の所由を察(み)るに、覆つて外(ほか)なきは天の徳なり」(『太平記』兵藤祐己校注、岩波文庫版)
「つれづれなるままに、日くらし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」(『徒然草』)
古代から平安時代まで日本の文学は無常観を基盤としている。
江戸時代になると、文章が多彩に変わる。
井原西鶴の『好色一代男』の書き出しは「「本朝遊女のはじまり、江州の朝妻、播州の室津より事起こりて、いま国々になりぬ」
上田秋成の『雨月物語』の書き出しはこうだ。
「あふ坂の関守にゆるされてより、秋こし山の黄葉(もみぢ)見過しがたく、浜千鳥の跡ふみつくる鳴海がた、不尽(ふじ)の高嶺の煙、浮島がはら、清見が関、大磯小いその浦々」。
近代文学は文体がかわって合理性を帯びてくる。
「木曽路はすべて山の中である」(島崎藤村『夜明け前』)
「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜ぬかした事がある」(夏目漱石『坊っちゃん』)
「石炭をば早はや積み果てつ。中等室の卓つくゑのほとりはいと静にて、熾熱燈の光の晴れがましきも徒らなり。今宵は夜毎にこゝに集ひ来る骨牌カルタ仲間もホテルに宿りて、舟に残れるは余一人ひとりのみなれば」(森鴎外『舞姫』)。
描写は絵画的になり実生活の情緒が溢れる。
「国境の長いトンネルをぬけると雪国だった」(川端康成『雪国』)
谷崎潤一郎『細雪』の書き出しは写実的になる。
「『こいさん、頼むわ』。鏡の中で、廊下からうしろへ這入はいって来た妙子を見ると、自分で襟えりを塗りかけていた刷毛はけを渡して、其方は見ずに、眼の前に映っている長襦袢姿の、抜き衣紋の顔を他人の顔のように見据みすえながら、『雪子ちゃん下で何してる』と、幸子はきいた」。
「或春の日暮れです。唐の都洛陽の西の門の下に、ばんやり空を仰いでいる、一人の若者がありました」(芥川龍之介『杜子春』)
▼戦後文学はかなり変質を遂げたが。。。
戦後文学はそれぞれが独自の文体を発揮し始めた。
「朝、食堂でスウプをひとさじ吸って、お母様が『あ』と幽(かす)かな声をお挙げになった」(太宰治『斜陽』)
「その頃も旅をしていた。ある国を出て、別の国に入り、そこの首府の学生町の安い旅館で寝たり起きたりして私はその日その日をすごしていた」(開高健『夏の闇』)
「雪後庵は起伏の多い小石川の高台にあって、幸いに戦災を免れた」(三島由紀夫『宴のあと』)
和歌もかなりの変質を遂げた。
正統派の辞世は
「益荒男が 手挟む太刀の鞘鳴りに 幾とせ耐えて今日の初霜」(三島由紀夫)
「散るをいとふ 世にも人にも さきがけて 散るこそ花と 吹く小夜嵐」(同)
サラダ記念日などのような前衛は例外としても、たとえば寺山修司の和歌は
「マッチ擦る つかのま海に霧ふかし 身捨つるほどの 祖国はありや。」
わずか三十一文字のなかで総てが凝縮されている。そこから想像が拡がっていく。
こうした絶望、空虚、無常を表す人間の微細な感情は、喜怒哀楽のない機械が想像出来るとはとうてい考えられないのである。
AIは人間の霊感、霊的な精神の営みをこえることはない。
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懐かしいものを。
2019年の #新年会 。
2020年まで、 #武蔵小杉 教室の前に新年会をしていました。
この年は、 #リストランテアンアンブレラ 。
楽しかったなぁ。
今年は新年会をしようと思ったけど、この数年でお客様も状況が変わり、みんなで集まるのは難しいかな?
といいつつ、また何かイベント的なことをしたいなぁ。
昔はよくイベントを企画したっけ���カフェでスケッチしたり、写経やお茶席、ファッション診断まで。
実は一つ準備の要らない簡単なイベントを考えていて、ちょっとワクワクしてる。
#art #coloredpencil #fabercastell #polychromos #色鉛筆 #ファーバーカステル #ポリクロモス #1日1絵 #イラストグラム #今日何描こう #今日何描いた #絵を描く暮らし #モレスキン #moleskine #lunch #foodsketch #ランチ

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