#苦楽園カフェ
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ひとこと日記📓 2024.11(上)
11.2- 月が変わってもどんよりとした気分は晴れない。��因ははっきりしているから、晴れるはずもない。日中は活動しているから気をそらせるからいいけど、深夜になるとだめだな。特に、翌日仕事がない日は余計に。すぐそこに読みたくて買った本があるのに、今夜も連絡が来るんじゃないかってスマホに張り付いてる。最近の日記、つまらない。
11.3-am3:00怒りで震えながら眠る。早起きして、午前中に外の用事を全て済ませた。帰宅して、また怒りが湧いてきてメッセージしたら案の定ケンカになって、10回以上電話したけど出なくて30通以上メッセを送ってブロックされたけどわたしが何するか分からないから怖いのかすぐにアンブロックして電話をかけてきた。腹が立って憎くて悲しくて卑怯で女々しくて気持ち悪くてでもまだ好き。
11.4-昨夜、胃に穴が開きそうになる電話をしていたのに、今日会うことになった。彼の希望で彼の家で過ごす。何事もなかったかのように取り繕って。セックスのために呼ばれた感があった。お風呂場でしていたら息が苦しくなって途中でやめた。でもお風呂場から出て症状が落ち着いたらされるがままになってて、ほんとうはただ静かに抱き合いたかっただけなのに。夜、人がまばらな城下公園でお堀の鯉や水面に映る紅葉を2人で眺めながら、これからの私たちについて断片的に語り合った。彼は、「もし僕たちが一緒に◯◯に引っ越したら、◯◯のカフェに行ったり、◯◯に行って夜景を見たり、ロマンチックだよ」と弾む気持ちを抑えながら嬉しそうに言った。わたしはそれを聞いて楽しみだなんて全然思わなかった。
11.5- 朝、体を動かせなくて仕事を半日休んだ。
11.6- 午前中、システム障害が起こりほとんど仕事にならず、コーヒーを飲んだり、掃除機をかけたり、仕事外のタスクを整理したりしていた。働かずにお金をもらうのは得したようでいい気分。午後から車検に行く。夜ご飯は栄養のあるものをつくって食べた。まぁまぁ良い日だった。今のわたしに必要なのは、思考する時間。
11.7- 心の静けさを求めてる。やりたいことリストを作っている。トランプ氏が大統領になった。ゴミ収集車を運転したりマックのアルバイトをしたり、humorとad libで勝利を掴んだ。人身売買が本当になくなれば良いと思う。
11.8-
11.9-
11.10-オープンカーでドライブ。違う自分を演じること。
11.11- 中国では独身の日。結婚しても結局のところ1と1なのは変わらない。/今週末、ずっと行きたかった料亭に行こうと誘われ、来週末、一緒に隣県まで出かけようと言われた。なんだこれミステリー。/今日からマウスピースして寝る。心が汚いからせめて身だけは綺麗になりたい。
11.12-
こんなクソみたいな日記やめよう。
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4月は仕事を置いて、長野、山梨、岡山、兵庫、大阪へ1人で旅をした。もちろん絵は描いているのだけれど。それが仕事なのかどうかは今の私にはまだ分かっていない。4月は本をたくさん読んだし、ライブにも3回行った。とにかく自分が直感的にしたいことをした月だった。
長年、壊れていたフィルムカメラを修理に出した。山形のまだオープンしたてのカフェ兼フィルムカメラを売っているところだ。フィルムカメラの修理の相場がわからないのだが、大手で見積もり��出したら5万で、今回お願いしたところは9000円だった。シャッター幕の修理と全体メンテナンスでこれはきっと破格だ。仕事も丁寧で、毎年メンテナンスをお願いしようと思う。
そのカメラを持ってまずは岡山の牛窓に行った。絵を気に入ってくれた大御所の木工作家さんにぜひ来てくださいと言われ、厚かましくも伺った。まずは下げていたカメラの話になった。その木工作家さんも舶来物が好きなんだろう。木工作家さんの展示中にお邪魔したのだが、お店の縁側で2人きりで絵を見ていただいた。とても優しい朗らかな方だった。きっとまた牛窓には来るだろう。白漆のカフェオレボウルとジャムスプーンを買った。
その夕方、牧野伊三夫さんのライブドローイングとharuka nakamura さんのライブがあった。どちらも即興で牧野さんは自由に、harukaさんは牧野さんに合わせて音楽を奏でているようだった。なぜか分からないけれど、この時間がとても苦しかった。苦しい苦しいと思いながら、絵が描かれる筆の音とギターの音を聴いていた。
ライブが終わった時間が終バス近くで、走ってバス停に向かう。牛窓の街を十分に味わうことなく、大阪の十三に向かった。
十三は赤羽の繁華街に似た雰囲気があった。美味しい中華屋さんで、麻婆麺と生ビールをいただき、帰りにたこ焼き屋さんに寄るも売り切れ。仕方なくお好み焼きを頼んだ。前の客が居なくなると、余っていたたこ焼き4個をお好み焼きの角に入れてくれた。これが大阪人の人情なのか。優しい店員さんだった。コンビニでビールを買い、ホテルでお好み焼きとたこ焼きとビールをいただく。はっきり言って食べすぎだ。
翌日、もう来ることはないだろう十三を後にし、兵庫の古市に向かった。宝塚で乗り換え、古市へは1時間と少し。随分と田舎である。そこにアーキペラゴはあった。人っ子ひとりいないとはこのことだろう。新緑が美しく、鳥の囀りが響き、風がさわさわして気持ちがいい。気づくと3時間くらい居た。志村ふくみさんの「母なる色」を買った。
古市をあとに、大阪の吹田市に向かった。吹田市の山田で降りたが、十三とは違い、規律があり、風格、気品、そんな言葉が似合う街だった。緑が多く、広い公園があり、落ち着いた住宅街だ。そそこにippoplus はあった。長年行きたいと願っていた。荻上直子さんの映画に出てきそうな一軒家をギャラリーとして会期中に開放していて、あとは住居にしているのだろう。お庭には冬を越えて蓄えていた緑がこんもり目に入ってきた。店主とは初めましてだったが、そんな気があんまりしない。「初めましてですよね?」と確認された。白い空間は全て控えめで、物が引き立つ空間だった。ここで展示をしたいと願う作家が多いのも納得だった。
新幹線の時間が近かったので、店主に挨拶をし新大阪から帰った。
次の日、お昼くらいまで寝ただろうか。
この日もライブを予約していた。場所は神田なのだが神田までの道のりが分からない。東京に生まれて、関東に30年以上住んでいるが、これだ。呆れる。
19時に着いたが開演が19時30分だった。予期せず池間さんのリハーサルを聴くことになる。「拝啓、朝」「水兵さん」をやっただろうか。
池間さんが同じ床で歌う。足でリズムを踏む振動が私たちに伝わる。憧れの人がこんなに近い距離で歌う。人生で初めての経験である。そんな経験をしているなか、私は床のことを考えていた。CDでは涙が流れるのに、ライブではそれが無かった。元気が出た。池間さん��ライブ中に言った「お仕事帰りですか。お疲れですよね。今日は私が全力で与えて、あなたたちはもらって帰ってください」と。そういうライブだった。
遊んでばかりいて、私はどういうつもりなのだろう。
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2023年が終わるらしい
2023年のはじまりは、3月から転職も決まっていたし、持病の悪化による日常生活への不安もあったので、2月いっぱいまで休職した。 療養もかねて尾道に一週間滞在したが、出発の日に地元が大雪ですっころび、カメラのレンズを破壊するという暗黒の始まりを告げるなど、つらいことがたくさんあった。 2月も、結局、休養することがないまま、次の職の仕事をずっとしていた。どこかで休みたいと思いながら、全く休めないまま、2023年が終わりそうだ。 意外だったのは、誰の力も金銭的援助も借りずに十年近くひとりでやってきたこと、というのは、なんだかんだ「使える」ということだった。通用するんだ、これが。というおどろきは大きかった。手応えがあったとか、結果が出たとか、そういう意味ではなく、するっと不安なくやっていける。いままでやってきた、他人の顔色をうかがい、他人の動作に合わせて平均的に働くというのとは違った。積んできたものが、無駄にならない機会に巡り会えてよかったと思う。 休みたいと思いながら、休めないでここまで来たし、年始の休みも8日まであるけど、いろいろと休めないことが多い。雇用契約のある労働は休みだが、個人的な仕事はいくらでもあるし、なんなら山積みになっている。九日間で終わるのだろうか…と思いながら一日目をもう半日終えてしまった。(2024年のしいたけ占いには、おまえはだいたい気づいたら働きまくっていて休んでない、みたいなことが書かれていてちょっと悲しかった)
毎年毎年、何を年間のまとめに書いていただろうかと思うわけで、今年も悩んでいるわけだが、全然答えが出ない。とりあえず、読んだ本とか作った本をまとめていたような気がするから、それをやる。

★作った本★ 1月 『山梔の處女たち』 pixivのいつだったかの百合文芸で佳作をもらったオメガバース百合「首輪とロマンス」、恋愛/性愛から離れたところで手を取り合う少女たちの魔法学園小説「魔女の選択」収録の短編集。Kindle版は、いつだったかのKino-Kuni文学賞で大賞をもらった滅び行く漁村の女二人の物語「迎え火」も収録している。
5月 『けものと船乗り』 現代物、というか、現実世界の不均衡や理不尽に焦点を当てたものがたりを多く書いてきたな、という自覚もあり、あと「幻想文学はもう書かないんですか」とたくさん声をかけてもらったりもしたので、ひさしぶりに幻想文学らしい幻想文学を。 全ての船を沈めてしまうけものが棲むという「島」を望む岬でまちのひとたちにこれまた「けもの」と呼ばれている存在が、船乗りを拾って海へこぎ出そうとするお話。 『ヤールルカ』 写真家の女の短い物語。撮ること/撮られることの暴力を考えているので、そのこととかを中心に、これは短い物語だったが、もう少し長く書けたらい��なと思ってちょっとずつ書いてる。ひとつ、暴力的な経験を「してしまった」ので、それも書けるか…とすごくいやな気持ちになりながら思っており、だが、これは書くことでしか報復も抗議もできないという思いがあるので、この物語とは2024年以降きちんと向き合いたいと思う。
9月 『ゆけ、この広い広い大通りを』 日々詩編集室から出た本。二児の子持ちの専業主婦・バイクと音楽がすきなトランスの女性・都会で働けなくなったフェミニスト、三人の同級生が「地元」でささやかな試みをするお話。 「ちがいのある人がともに過ごせる共有地をつくる」をコンセプトにしている団体を母体にもつ出版社から出る本だったので、いろいろ考えたし、思っていた以上にいままで読んでくれていたひと以外のひとに受け取ってもらえてよかった。自分が持つ切実な課題とかもたくさん載せた物語だったので、ベストをつくしたし、2023年のベストだと思う。この物語に全力をつくしていたので、2023年は、ヨモツヘグイニナでは大きめの物語は作らなかった。 この本は、ヨモツヘグイニナの通販の他に、本屋lighthouseさんとか、シカクさんとか、mychairbooksさんとか、日々詩編集室とかでも買えるので、お気に入りの書店さんで買ってもらえるとうれしい。 『いづくにか、遠き道より』 再録短編集。たくさんたまっていたのでつくった。2014年に書いた小説とかをおそるおそる読み返したら、思っていた以上に「小説」だったのでほっとした。
11月 『アルバトロスの語りの果てへ』 売れない作家のノイと、そのパートナーで人気役者のターが、アルバトロスの繁殖ボランティアに参加するお話。 物語を自分自身が語るとき、そこには当然自分も含まれている物語のこともあるし、そうでないこともある。だけど、埒外にあっても内にあっても、ひとは、語ったり語られたりせずとも、勝手に他者に物語を見いだし、それを消費してゆく構造がある。『山梔の處女』収録の「魔女の選択」によく似た内面を持つ物語だと思うが、他者のふるまいや言動に「物語」を見いだすとき、「なにを見ているか」に自覚的になりたいよね…というようなことを考えながら書いていた。
12月 『浜辺の村の大みそか』 日々詩編集室で出た小さい本。『浜辺の村でだれかと暮らせば』の番外編みたいなやつ。いまから日和と八尋がやったような大晦日をわたしも過ごします。
★読んだ本とか観た映画そのほか★ 色々読んだけど、印���深かったものについて。 『銀河英雄伝説』全巻 銀英伝のコンセプトバーやカフェにいくので読んだ。相変わらずめちゃくちゃおもしろい。 『豊穣の海』全4巻 来年参加する八束さんのアンソロジー父親の死体を棄てに行くやつの資料(?)イメージをつかむのに読んだ。今西が金閣寺のように燃えて、それを本多が眺めている(『暁の寺』)がよかった。あと、大人になって読み返してみると松枝清顕……「全部おまえが悪いじゃん!」ってなるのがおもしろかった。勲に対しては共感するところも多かったし、あいかわらず『天人五衰』が一番好き。 『雨の島』 今年の1月1日に読み終えてた。呉明益の本、『歩道橋の魔術師』も読みたいんだけど、未訳のチョウチョのなんとか…?が読みたい。 『苦海浄土』 ネイチャーライティングをやろうとすると必ず出てくる石牟礼道子、の代表作。水俣へ3月と10月といくことになったし、石牟礼道子を筆頭に水俣関係の本をとてもたくさん読めた一年だった。とてもよかった。来年は『水俣病を旅する』『苦海浄土』(全3巻)を読みたい。 『アフターヘブン』 八束さんの本。めちゃくちゃよかった。 『フィリックス・エヴァー・アフター』 すっごくおもしろくて、何度でも読み返したい! 『鋼鉄紅女』 最高だった……「地獄へようこそ……」って武則天が宣言したところから、もう一気に読んだ。家父長制と、男女の二人の「ペア」というかたちに反旗を翻す最高のSF小説。 『私と夫と夫の彼氏』 2023年で読んだ中で、一番一番おもしろかった漫画!11巻が待ち遠しい! 『琥珀の夢で酔いましょう』 この漫画もめっちゃおもしろかった~! 『父の時代、私の時代』 堀内誠一の自伝的エッセイ。「ウッチェロ!!!!!!!」澁澤龍彦・瀬田貞二との思い出を添えて。めちゃくちゃ古本価格高騰していたので文庫で出してくれてありがとう! 『ガザに地下鉄が走る日』 ずっと読みたかったけど、なかなか読めずにいて(岡真理さんの本は『記憶/物語』を2020年に読み、もう一度これも今年再読した)やっと読む。見過ごしてしまわないように、何が出来るかを考え続け、アクションを取る、できることをやるしかないんだけど、「人間が人間として生活するということ」が、誰にでもある世界にたどり着きたい。 本だと、吉田育未さんの翻訳作品を井上彼方さん/紅坂紫さん編集の『結晶するプリズム』で知り、『聖なる証』『星のせいにして』を読む。めちゃくちゃおもしろかった!年越し読書本は『イエルバブエナ』。「このひとが翻訳している本ならぜったいおもしろい!」という翻訳者さんに出会えたのがうれしかった。 映画もいろいろみたけどとくに『バービー』『his』『ゲゲゲの謎 鬼太郎誕生』がよかったな~。結局体力がなくて窓際のトットちゃんを見に行けなかったのがちょっとさみしい。 さいたま文学館で開催されていた澁澤龍彦の展示にはいけた。パンケーキも食べた。 12/24にITOプロジェクトの『高丘親王航海記』を見に行く。それについてのくわしいことは静かなインターネットに書いた。
★旅行★ 「今年はいろんなところへ行ったんじゃないですか?」と言われたけど実はあんまり行ってなかったりする(さみしい) 1月 尾道 ライターズインレジデンス尾道でまたみはらし亭に滞在する。だいたい伊勢うどん食べてた。 3月 水俣 はじめて水俣へ。というか九州自体がはじめて。いろんなひとに出会い、いろんなことを学び、いろんなおいしいものを食べた。『常世の船を漕ぎて』を水俣病歴史考証館で買った。 5月 東京 行ったという記憶しかない。なにしたっけ…?なにもしてないのか…もしかして…。 9月 大阪 銀英伝のバー「海鷲」へ行く。ロイエンタールの透けてる板を買った。文フリ大阪も行った。 10月 東京 銀英伝のカフェ「イゼルローンフォートレス」へ行く。かおりさんと会う。ながいことSNS上ではお付き合いがあるのに生身で会うのは初めてで、だけど「すっぱいものきらいだもんね」とか長年付き合ってきた人間同士の会話ができてとてもおもしろかった。次の日は吉祥寺や多磨へいき、緑色のインコとオナガを見る。 水俣 ふたたび水俣へ。熊本市内も立ち寄ったが、土砂降りだったので熊本大学と、橙書店へ行く。島尾ミホと石牟礼道子の対談集というめちゃつよBOOKを買った!めちゃくちゃ楽しかった。 11月 文フリ東京。ヒマラヤ鍋を食べる。次の日は埼玉文学館へ。武蔵野うどんに衝撃を受ける。
★来年の予定とか★ 1月14日に文フリ京都。辰年なので澁澤龍彦のコラージュみたいな『兎島にて』という本をだします。こういう物語で「兎」って単語がでると、誰か特定の人をみんな思い浮かべると思うんですけど、その特定の人は卯年のわたしです。他の誰でもありません。 3月までに出さないといけない原稿がめっちゃいっぱいあるので頑張ってます。 オープンにしてるのは八束さんの家父長制アンソロだけだけど、そのほかもまた媒体に載るなどしたらお知らせします。 やりたいことは、三宅島・舳倉島・天売島、この三つのどれかの島にいきたい!2023年は労働が忙しすぎてぜんぜん鳥写に行くことがなかった(かなしい)一年になっちゃったから、2024年はちゃんと鳥写したいです。 あと、日々詩編集室から『ゆけ、この広い広い大通りを』もでたことだし、もうちょっと小説を書いて発表する幅みたいなものをひろげたいかなと思っている。つらいことがたくさんありすぎたから、アンソロは主催も参加もいやだったけど、そういうのとか……あと、書いたらお金がもらえるタイプの原稿とかも、書ける媒体があるのなら書いていこうかと思っている。 これはずっとそうなんだけど、賃労働をしながらほかにわたしの体力で「できる」ことが「小説を書く」ことしかなかったので……。タイミングや機会があれば、頑張ってみようと思っている。
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田園の中の喫茶店にて
最近単発のバイトに中々入れず、退屈な日々を過ごしている。
前のようにパチスロに行く気もなくなり、秋が深まる山やら滝やらに行っては数枚の写真を撮って帰る。
普段カフェインを控えているが、温かい珈琲が美味しい季節になったから、前から気になっていたカフェを周り始めた。
今日来たところは木曜から土曜までしか営業していない、海の側から少し山に入った田園地帯の真ん中にある喫茶店だ。
古民家のような外見から中に入ると立派な梁がある。ピアノやギター、コントラバスまであって、音楽イベントをやっていると聞いた。
オリジナルの珈琲を頼む。
客は自分ひとりで、お店の人も一人だった。

窓際のいい席に座れた。文庫本を開いてたまに外を見るというのを繰り返す。
すると車が店の前に止まり、女性が一人店の中に入ってきた。
予約していた人なのだろうか、店主は女性の顔を見ると豆を挽き始めた。
香ばしい香りが店内に広がる。
読んでいた桜木紫乃の短編小説にいいアクセントをくれ���。
七、八分くらいしてそれが出来上がったようで、女性は袋を持って会釈しながら店を出た。
それから五分ほどして、店主が申し訳無さそうに、珈琲カップを持ってきた。
「大変お待たせしました」
「いえいえ」
「エチオピアです」
「ありがとうございます」
もしこれが町中にあるチェーン店のコーヒーショップならクレームを入れる人もいるだろう。
でもここは時がゆっくり進む田んぼの真ん中の喫茶店。早さなんか求めてはいない。
大人の例えをするならば、メイクをしている相手を待っている時間と同じで、完全に相手が美しい状態で出てくるのはどれだけ待ってもいい。

珈琲を一口飲む。取っ手が無いタイプだから少し指が熱かったがそれもいい。
あっさりした飲み口だがコクがある。苦味は程々で酸味はあとに少し残るくらい。バランスの良い味で、毎日飲むのにはうってつけの味だった。
小説を読み終えて文章を書く。
聞こえるのは少し前にオーダーした珈琲牛乳を作る音と外にいるカラスの声。
そういえば、と思い出したのは自分の誕生日と一ヶ月違いで大学の同期だった香菜の事。今日がその誕生日だったのをスマートフォンの日付を見て思い出した。二年前くらいに突然泣きながら電話があって以来、たまにやり取りをする。
香菜とは色々あった。大学に入って最初に仲良くなった女の子が香菜で、初めて女の子の部屋に泊まったのも彼女の部屋だ。不思議なものでそんな関係だったにも関わらず、ある時期から互いを嫌うようになって口も聞かなければ目も合わせなくなった。
だから泣きながら電話してきたのは何故なのかわからなかったが、それをすんなり受け止めて泣き止むまで話を聞き続けた自分���どうしてなのかわからない。
とりあえず誕生日メッセージを送っておいた。
珈琲牛乳がテーブルに置かれる。

昔、母親が作ってくれたような優しい甘さ。
ミルクの膜があってそれをスプーンですくって食べるのが好きだ。
村上春樹の短編を読む。三分で読み終わるくらいあっさりしたものだが、村上春樹の色が確かにそこにあって、純粋にさすがだなと思った。
まだ外でカラスが鳴いている。洗い物をする店主の息遣いと厨房の奥で流れるピアノの音楽が微かに背中越しに聞こえる。
香菜から返信が届く。
お礼と今度公開される映画の監督を務めた事を報告してきた。
おめでとう。さすがだね。と返した。香菜はずっと優秀だった。いや、人に評価されるのが得意だった。作った作品を面白いと思ったことはないが、教員や審査員たちに認められる物を多く作っていた。
反対に俺は落ちこぼれのような物で、自分主演のハードボイルド作品を作ったり、クドカンもどきの恋愛コメディを書いたりしては、不評を買っていた。
そんな二人が今こうして連絡を取り合ってるのを同期が聞いたら驚くだろう。
そんな事を考えていたら珈琲牛乳が温くなってしまった。
閉店時間も近い。
家に帰りたくない。
ずっとこんな風にどこかの店の片隅で本を読んだり下手な文章を書いたり誰かと話をしていたい。
窓の外の田んぼからは、稲のひこばえが大きく育っている。もう秋も深いというのに元気だ。
店にあるアコースティックギターを弾きたいなと思ったが、恥ずかしいので店主に言えないまま店を去る。
夕飯なのか夜の部の仕込みなのかコンソメスープの香りがした。
家の今夜の晩御飯はヒレカツだ。
今日もまた酒を飲んで睡眠薬を一錠��めに飲んで寝るのだろう。最近上手く眠れない。
明日は面接。
帰りにまた寄ろうかな。
この田園の中の喫茶店に。
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旅日記③ in Australia🇦🇺
Sydney編
続いて、Sydneyについて覚えてる限りのことを。
前半は都市について、後半は向こうでの医師の働き方について書きました。めっちゃ長くなった🤦🏻♂️










3日間の滞在で感じたSydneyの魅力
第一の感想、数年��みたい。
ちょうどよく都会。日本でいう表参道のような上品な雰囲気を持ちつつ、道が広くて都会の行き過ぎた喧騒みたいなのがない。夜1人で歩いても明るいから怖くなかった。(夜のお散歩が楽しめるの最高)
気持ちの良い大自然が、電車や車をちょっと走らせると辿り着ける距離にある。最高すぎる。SydneyでもBlue Mountains(写真2枚目)など自然観光はたくさんしたけれど、1番気に入ったのはBondi beach(写真6枚目)。このビーチは何回来ても飽きないだろうな〜って思った。嫌なことあっても穏やかな気持ちになれそうな、そんな素敵なビーチだった🐚(現地の人たちは暇さえあればすぐ海に行ってレジャーシート引いてchillするらしい。)
アジア系多め。おかげさまで、旅行中に自分が外国人だと感じる瞬間もなく、差別を感じることもなく。アジア系が多めだからか、アジア系料理のお店も豊富で、海外旅行あるある「日本食恋しい」がなかった。
ジェラートがめちゃくちゃ美味しい。現地の人曰く、イタリア人が「イタリアンはさすがにイタリアの方がちょびっとだけ美味しいけど、ジェラートはイタリアと差異なく美味しい」と話すらしい。やるやんシドニー…。
ライフスタイルが魅力的。活動は朝早くから、でも夕方にはお休みモード。カフェは朝6時から空いてて、コーヒー買ってからみんな職場へ向かうらしい。飲み会は基本1次会まで、2次会はジェラート食べて終わりなんだとか🍨。深夜までの飲み会は翌日の疲労感が凄まじいので、この文化はますます魅力的。
(物価高いことを考慮しても)給料高め、定時で帰宅、残業少なめ。休日は自分の時間、家族の時間を大切にする国民性。Australiaはビザを取るのが大変なことで有名だけど、医師の資格があれば永住権の獲得も容易いようで、ちょっと働いてみたいかもと思ってしまった。
みんながみんな自由。ド派手な花柄ワンピースきたおばあちゃん、青い髪のお姉さん、靴履かずに裸足で歩くお兄さん。こういう他人への興味関心が薄いところ、居心地良い。狭いコミュニティは少し息苦しくて得意じゃないから、いいな〜って思った。
働く女性に優しい社会。出産はタダ、育休は両親合わせて2年ほど。お母さんがベビーカー連れてクラブでお酒飲んでても安全らしい(?)。電車で���ちゃんが泣いてると機嫌悪くなるおじさんがいる日本よりは、たぶん優しい。
ざっと思い付くのでこれくらい。
今までは、海外旅行行っても初日に『日本しか勝たんな🇯🇵』と感じるのだけど(実際、ご飯は美味しい人は優しい治安はいい街は綺麗だから当たり前)、Sydneyはそんな日本のいいところもきちんとあったな〜って感じがした。ただ、数日の滞在なので見えてない部分もたくさんあると思う。
英語頑張って勉強して、数年間ここで働いてみたいなって思った。骨を埋めるのは日本がいいけど。
余談
3枚目はBlue Mountainのkissing trees(loves treesとも呼ばれている)🍃。お互いが栄養を受け渡ししあっているおかげで生きている木のことなんだけど、触ったら素敵なご利益があるらしい。めちゃくちゃ触っといた。ガイドのおじさんは触りすぎて効果なかったらしい(何なん)。
続いて向こうでの医師生活を聞いた感想
Australiaに行った目的は、日本人ながら現地でドクターとして働いている知り合いに会いに行くことで、せっかくお話たくさん聞けて刺激を受けたので、そのこともメモしておく📝
🇦🇺と🇯🇵の働き方の違い
🇦🇺は週4.5勤務で残業なし(9時5時)で、残りはゆっくり自分の時間を過ごせる。専門医は週5勤務に対して研修医は週4.5勤務。この差0.5週は、研修医は勉強に時間を使ってねって意図で、0.5週分も給料は出るらしい。(日本でも病院を選べば色々あるんだろうけど、全体的に日本よりも時間にゆとりのある生活を推奨してるんだなっていう印象)
有給は日本は年10日なのに、向こうは年間まるまる5週間。
働き方について色々メモしたけど、それでも日本で医師を週6で残業ありでバイトもしてやってるひとよりかなり年収の差があるらしい。お金が全てではないけど、お金の余裕は心の余裕だよなぁなんて思ったり🤦🏻♂️
ビザを取るのってすごい大変らしいけど、医者に関しては国家試験に受かれば2週間で取れるから、永住権獲得の心配は格段と少ないらしい。アメリカは永住権は全然取りにくくて、9年くらい?働いたらアメリカの僻地か、故郷に帰らないといけない決まりらしい。アメリカの僻地ってハワイが含まれるんだけど、だからハワイには日本人の医師が多いんだって。(ワーホリでオーストラリアにきて魅了されたけど、学生ビザとか雇用で何とか引き継いで、在住9年目っていうひとにウルルで会った。いまだ永住権取れずにいるし先が見えないっていって、ビザって大変なんだ〜って思ってたから、医師にとってビザは何とでもなるよっていう話は大きい収穫だった。)ちなみに、医師の他にビザが取りやすい職業は看護師と研究者らしい。
国試はアメリカと違っていついつまでにとかいう制限がないから、何回でもチャレンジできる。先生はいけるいけるって言ってたけど、絶対大変。(まあとりあえずオーストラリアに行ってみて、無理だったら日本帰ろ〜とかいうくらいのマインドでいいんだよって先生が言ってた。失業するわけじゃあるまいし、と。)
日本は1人の患者に1人の医師が担当するところが主流だから、急変とかあると呼び出しがあるけど、オーストラリアでは患者1人をチームで担当するから、呼び出しとかないし、負担もいい意味で分散される。
オーストラリアの医師は、ローカルGP(総合診療医)が70%をしめてて、専門医は残りの30%。ローカルGPは日本の総合診療医よりも何倍も網羅されてて、お産も心疾患も救急や小児や看取りなど全部がめっちゃできる。だからGPトレーナーをやるだけでも、経験をたくさん積んだ医師になれるらしい。
逆に、専門医を取るにはだいたい8年くらい(スムーズに行っても6年)かかる。オーストラリアで専門医をとってから日本に帰っても、日本でその専門医としてすぐなれるわけではないけど、学会発表とか色々やれば、専門医への近道があるみたい。要するにまた日本で1からっていうわけではないということ。
海外での人種差別ってないの?って思って質問したら、オーストラリアでは患者が白人以外の医師に対して差別っぽい言動をした場合、ブラックリストにのるかんじで患者側が病院から追放されるらしい。だから、白人以外もとっても守られてる国だなと感じた。訴訟もないわけじゃないけど、保険がきちんとあるから、それに関して��日本と同じかな。
育休は旦那さんと合わせて2年間くらいもらえるし、ドクターだったら保育園に納めるお金は他の職種より多いらしいけど、子供を保育園に預けるだけでオムツ用意しなきゃとかないらしい。多分、この収める金額によって楽さが選べるのかな?詳しくはわからないけど、とりあえず日本より子育てしやすい社会体制が整っているとのこと。
私はまだ日本で働いたこともないので日本の実態もよく分かってないし、医療体制において向こうがが優っているとも言えないけれど、刺激的でワクワクした☀️
興味持ったらとりあえず手突っ込んで、できるだけ将来の選択肢を狭めないように生きていきたいな、と思えた1週間だった。先生と知り合った時(10年前)は、自分はまだ中学生、先生もまだ大学生で、自分が先生と同じ進路を辿るとも、先生が日本を出るとも思ってなかった😂あとこんなに親しくなるとも思ってなかった。人生の縁に感謝です🌿
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皆様ごきげんよう、またまた私です。
はい、そうです祈織です。🖋🌓
今回からメンバーブログというものを始めることになりまして、やはり1番手はお前だろうということでこうして記事を書いている訳であります。
メンバーブログというのはそれぞれメンバーが自分のことや考えたことをテーマに沿って自由に更新していくものとなっております。
更新は不定期となりますが、皆様の暇な時にでも楽しんでいただけたらなと思っております。
テーマはその都度皆と話し合って決めていくのですが、今回は初回ということもありまして
⒈自己紹介・好きな物
⒉主催祈織との馴れ初め(主催はメンバーのことでも語ってろ)
こんなラインナップとなっております。
……いやその2番目のやつ何??と私も思うのですが…
何故か皆がノリノリであるが故に…ご了承くださいませ(?)
では早速自己紹介から始めていきましょう。
名は祈織(きおり)、由来は私がキリスト教系の高等学校へ好奇心で入学したことからはじまります。
まあそのうち語るかもしれないので今回は割愛しましょう。
小さい頃から本が好きで…と言っても読む量はたかが知れていますが…
小学校3~4年生の時に図書館の伝記を読み尽くし(今となっては何も内容を覚えていない)、何か暇だなと思ってファンタジー小説を読み始めてから、脳内ファンタジーや厨二病(?)を患うようになります。
陰キャだし友達居ないし…ってことで、グラウンドに出て健康的に遊べと圧をかけてくる小学校教師に聞き分けのいい子供の演技をしながら教室を出て、そして図書館に入り浸る…そんな人を欺く術を取得しつつある子供時代です。
私が思う子供時代はこんな感じですが、はるたんに聞くとどうやらそうでもないらしく。
彼女が私との馴れ初めを語る回を楽しみにしている自分がいます。
創作を始めるようになったのは中学生の時で、その時からはるたん含め当時のいつめんと言う名の身内の間で創作が大ブーム。
皆で交換小説を書いたりイラストを書いたり(私は描けない)、私は曲を作ってみたりと楽しい日々を過ごしていました。
当時ボーカロイドが流行っていた関係もあり、そうか…!一般人でも曲って作っていいんだ…!(それはそうだろう)といたく感動した私ですが、そうして始めた曲作りは大した機材もないのでピアノでリズムを作って五線譜に書き殴って無料ソフトに暗号化して打ち込んで…みたいな感じです。どこに出す訳でも無く完全に自己満足の世界でしたね。私のクソ雑魚ピアノスキルでは弾けないような曲を演奏させてニコニコするだけの遊びです。
ピアノに関しては幼稚園からやっているというのに一向に成長しません。練習も飽きてしまいますし。
自分ってもしかして才能ある…?と気づいたのは小学生高学年から管楽器と出会��てからです。私の担当はアルトサックスでしたが、学校の楽器に『華子』と名付けて可愛がるまでになります。
どんな時間も楽器触りたい!と思っていました。
今振り返ってみても吹奏楽部時代はもう一度やりたいと思えます。それくらい楽しかったです。
百合が好きになったのは高校時代の環境と見ていたアニメ等の影響だったかと思います。
男女間の仲が悪いクラスで、男子との関係で何度も病んでゆく友達を見て絶対同性同士で過ごした方が平和なのに…などと言うある意味若さともとれる穿った考え方で視聴したアニメ作品はどれもキラキラして見えたものです。
今となっては人が人を想う気持ちはどれも尊いでしょうけれど、女の子が複数人いて互いに抱くどんな感情も何にも代えがたい尊さを持つ唯一無二のものであるなぁという気持ちです。
百合万歳。
最近好きなものは各国の神話や美術、科学など所謂マニアックなものばかりで、中々今は商業百合作品を楽しむところまで時間の関係でも行けておりません。
根が考察ヲタクなので考えることができるコンテンツに沼りがちですね。
例えば某夢の国。普通に行っても楽しいのですがやれあの山の柱状節理が気になるだの、あの島の発電システムが気になるだの、歴史的背景を踏まえた備品の数々、そしてその関係性。
それらを見に行くために年パスを買って一人で行くなどしたこともありましたね。
ショーやパレードも素晴らしく、演者の演技力を堪能し、いつしか写真に残しておきたくなった私はここでカメラを始める訳です。
勢いで一眼レフを購入し、誰に教えられる訳でも無く勘とフィーリングとノリで弄り倒す私ですが最初の写真の酷いこと酷いこと。それでもあの時は綺麗に撮れた!なんて喜んでおりました。
音楽やカメラで分かったことですが、努力することを苦だと思った時点で成長は見込めないのだなぁなどと思う訳であります。楽しいと思うことは才能であると、そんな気がしますね。
楽しいから私は本の世界でファンタジー脳や厨二病を拗らせるし、一人で美術館に行くし、神話や神社の御祭神を調べてはニヤニヤするし、一人で某夢の国行って一日中遊んで帰ってくるし、一人でカラオケ行くし、曲だって作るわけです。
こんな感じで人からよくズレてるだの癖が強いだのと言われる主催ですが、次のテーマである主催からみたメンバーのことにでも触れてみようかと思います。
まずは柘榴。☕️🍎
第一印象は何この美少女。です。
最近気づきましたが私実はメガネフェチだったらしく、彼女と初めて会った時にしていた縁の太いあのメガネが忘れられません(?)。
後から聞いたら花粉症でコンタクト入れられなかったってだけだったそうです。おお神よ…。
あと柘榴は某夢の国での私の考察(奇行)に付き合ってくれた1人でもあります。
好きになるものは大体同じで、カフェ巡りしたりバレエ見に行ったり一緒にロリィタ服買ったりお揃いのアクセ買いまくったりと色んなところに行ったなあ…。運命共同体ですし。
そんな彼女が最近めざましい成長を遂げているのがアクセサリー作り。撮影で使うロザリオとブローチを短期間で全員分自作したのはこいつです。なんつー集中力だ…。
店でもやるんか?って位のクオリティまで持ってきて頂いてただただ感謝。引き続きグッズ制作の程宜しくお願いします。
柘榴が心血を注ぎ作った小物…そのうち特集してもいいかもしれませんね。
次ははるたん。🫧🐑
第一印象?ンなもん忘却の彼方です。
彼女とは幼稚園からの仲ですし最古の記憶を辿っても何も思い出せません。気づいたら隣にいたタイプの人です(?)。
でもはるたんは私よりも過去の記憶があるらしいです。ごめんて。
とりあえず昔から彼女の言葉選びや画力には目を見張るものがありましたし、性格も良いし、可愛いし。
人を絶対攻撃しないタイプです。 その代わりめちゃくちゃ抱え込んで我慢するけど。口堅いし。
あとめちゃくちゃ私を褒めてくれるので好き。
なんで?君の方が凄いよ才能あるよ天才だよ!!…という言い争いが日常的に巻き起こります。これが愛と平和。
心が荒んだ時ははるたんを見ましょう。きっと貴方を癒してくれるはず。全人類のラッキーアイテムははるたんの短歌。はるたんのTwitterにて掲載中。是非待ち受けにしましょう。
次はいーちゃん。🎪🍫
彼女とは柘榴経由で知り合った子です。
まだ知り合って日が浅いというのに大分濃い絡みしてる気がする。当社比。
彼女は思慮深く、頭が良いという印象。あとかわいい。
この前とある企画展に2人で遊びに行ってきたので��が、その対象の歴史を完璧に予習してきていてめちゃくちゃビックリした思い出。
どうやら歴史や民俗学に興味があるらしく、神話の情報極振りの私とは違って非常にバランスが良いです。
考察が捗ります。感謝。
私服もめちゃくちゃ可愛くて…というか私の好みすぎて、大体いーちゃんとの待ち合わせで私の第一声は「かわいいいいい( ´ཫ`)」です。
あとはセルフプロデュース能力が高いです。
今後小説のキャラクターのビジュアルを公開する予定ですが、その全てが天才的。確実に作りこんで、仕上げてくる…しかも創作未経験で。是非そのキャラデザも皆様に見ていただきたい所。お陰様で私とはるたんの推しは彼女の担当キャラクターです。���卒我らが推しを宜しくお願いいたします。
次はみけ。🍓🎀
みけとは最初某夢の国ヲタクと言う点で仲良くし始めた子でしたね。
ハキハキしていてコミュニケーション能力が高め。
知らない人とでも臆せず話せちゃうって才能だよな…とか思います。でも別にグイグイ来るような不快感は一切ない。
きっと他人を思いやる姿勢が初期装備であるんだろうなぁなんて思います。あと顔が良い。
今後いくつ作品を作ろうとも彼女を主人公に当てたくなる…!そんな感じです。
そして私との距離が一気に縮まったのはお互い百合ヲタクだということに気づいた時。
お互いになんでそんな話題になったんだっけ???となってる訳ですがこれはもう導きということで。
鬼スケジュールをこなしてる大人気コスプレイヤーさんなので遊べる機会は今となってはあまり無いですが、一緒に創作しよ!と言ったら快く乗ってくれました。感謝。
顔も可愛くて声も可愛くてイラストも可愛い彼女のTwitterは必見です。全員フォローせよ。無料で幸せになれます。
次はゆーやさん。🥀🦋
出会ったきっかけは確かTwitterのロリィタさんと繋がりたいタグとかその辺だった気がする…。
…え?そうですよね?(急に不安になるやつ)
私がゴス会に憧れを抱いていることを知りわざわざゴス会を開催してくれたという聖人。
いいんですか?そんな、わざわざ主催してくれるなんて…!!と言った私に「いいんですよー、その代わり祈織さんが何か主催してくれた折には私も参加させてもらえれば」と言ってくれたゆーやさんが私が作った百合創作サークルに参加してくださっているのはなんの因果なのか。
…っていうかこれで合ってる?
そうして数年越しに再会したきっかけがこのサークルという私にとってなんとも運命的な方です。あと顔がいい。
センスが良くて気遣いもカメラの腕も一流なので創作でめちゃくちゃ助けられています。感謝。
撮影時のメインカメラはほとんどゆーやさんがされていますのでご覧いただけたらプロの所業が分かっていただけることかと思います。Twitterの投稿写真や今後公開するHPの素材として使っているので是非見てください。一瞬だけでも!お願い!
次はゆう。🌕🦊
ゆうは百合好きという共通点から知り合った子ですね。
百合を表現する、という点であの時はよく2人で撮影したり企画話し合ったりしましたね。
これがやりたい!という要望を沢山出してくれるし、レスポンスも爆速で返してくれるのでめちゃくちゃやりやすかった印象。
そんなゆうですが、本人談では本来重度の人見知りらしく。
初対面で一日中遊んだっていうこともあり私は全然そんなこと感じなかったですね。
そして顔が良い。彼女の撮影時の表情が好きなんですよね、あの時は専ら私がカメラマンでしたから。
特に憂いを帯びた表情が破壊力強めです。今ここに公開してやりたいくらい���す。
今後の撮影に乞うご期待です。暫しお待ちを。
最後にゆしあさん。
彼女は唯一会ったことがないメンバーです。
メンバーブログ等SNSの発信は今の所やる予定がありませんが、一応私目線だけは綴っておきましょう。
会ったことはないですが、きっと誰よりも私の性格や本質を把握していることだろうと思います。
なぜなら人生や価値観について彼女と電話で語っていたらいつの間にかオールしてたみたいな事を何回も繰り返しているからです。
こんな深い話人としないでしょうよって事を長時間話しているのです。いや、そりゃぁお互いに把握してしまいます。
しかも楽しくて時間が経ってる、みたいな体感なので余計に私の中で唯一無二の存在ですね。
私は早寝の民なので途中寝落ちて復活してを繰り返していますが…彼女はずっと変わらぬクオリティでお話してくれます。いつか勝ちたい。
性格は明るくて話しやすくて。あとすっごく真面目。
私の身に起きた嫌な思い出に自分の事のように怒ってくれる優しい人でもあります。
そして博識。彼女自身の環境的な側面もあるでしょうが、彼女の体験談や知識は非常に興味深いです。
彼女の知識は創作、シナリオの面でかなり活躍してくれています。感謝。
彼女のおかげで小説の世界観はかなり深みのあるものとなったのではないでしょうか。
小説に乞うご期待、ですね。私も頑張る。(白目)
さてさて、私はここまでで一体何字書いたのか…字書きとしては気になり始めるレベルまできていますね。
ここまで長くするつもりは無く、軽い気持ちで読めるブログを目指すはずだったのですが……はて。
ここまで読んだ人は居るのでしょうか…。
もし居るのならばスクロールしたその手は腱鞘炎にでもなっていることでしょう。
ありがとうございます。お疲れ様です。
今日は湿布でも貼ってゆっくりと休んでください。
最初は 自分のこともメンバー全員分のことも書くんかい!と思いましたが、皆様に主催目線のメンバーのことを知っていただくいい機会になったのではと思います。
如何だったでしょうか?
他にも皆でこんなテーマを話して欲しい等希望がありましたらコメント欄でお聞かせいただければと思います。
次のメンバーブログの担当は柘榴☕️🍎です。
きっとここまでの長文にはならないでしょう。多分ね。
貴方のその手の腱鞘炎が治ったらまた遊びに来てください。
ではまた。
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不登校を経験した小説家・金原ひとみさん(41)学校だけでない社会とつながる熱中できる場所に、子どもは救われる|STORY
6/1(日) 7:10配信

magacol 引用元:STORY
「学校へ行きたくない」、子どもの発したこの言葉に親は心配し、焦り、不安に苛まれるかもしれない。不登校は決して失敗ではなく、子が選んだ一つの選択。我が子が成長するための一歩と捉え、道を切り拓く姿を見守っていく。きっとそれは親の成長にもつながるはず。
金原ひとみさん 小説家41歳・東京都在住 引用元:STORY
学校だけではない社会とつながる熱中できる場所に子どもは救われる
幼稚園にも学校にも楽しさを見出せず、周りの子どもに混じることに違和感を覚えていた金原さん。1日でも多く休むためにありとあらゆる理由をつけ、学校に行かせようと躍起になる母親と戦っていました。
「漠然とした生きづらさを感じていましたね。なんでこんな世界で生きていないといけないんだろう…と。今年、デビュー後20年で書いてきたほとんどのエッセイを収録したエッセイ集を出す予定で、書き下ろし分の1回目で幼少期のことを書いて思い出したんですが、子ども時代のことを思うと、十歳くらいのころ、学校の非常階段の上から下を見下ろし(ここから飛び降りたら全部終わる)…と泣いていた姿が甦るんです」。
母親に引きずられるように学校に連れて行かれることも。「私が学校に行かない、納得できる理由を常に探しているようでした。自分自身エイリアンなのではないかと本気で思っていた時期もありました。あまりにも人にできることが自分にはできなかったので」。
小4から完全に不登校に、そして小5で父親の海外転勤についていった時に転機が訪れます。「父から日本語を忘れないようにと渡された本の世界にのめり込むようになりました。小説の中では息ができて、小説の中では生きているのが辛くなかったんです」。
その頃から小説を書いていた金原さん。大学教授の父親に誘われ、中学生の時に小説創作ゼミにも参加しました。「読むのも書くのも同時期にスタートしたんです。書くことで、溺れそうになる足元を支えられる思いがしました」。
中学も数日、高校も数カ月で不登校に。ただその頃には交友関係が広がり生きやすくなっていったそう。「関わる人たちを自分で選べるようになって、ずいぶん居心地が良くなりました。家庭でも学校でも自分と合わない人の近くにいるのは苦し��ったので。親は選べるものではないので、どんな親であったとしても生まれ持った呪いのようなものです。合わないなら物理的に、もしくは精神的にだけでも距離を置くことが大切だと思います」。
ある時父親に、“子どもの頃が一番辛かった”と話したところ、“子どもが苦手な子どもっているんだよ”と。「確かに子どもは誰かの庇護のもとにいて自由が奪われた状態で生きて行かなければならない。子どもにだってそれぞれの属性があるんだから、その状態が合わない人もいるはずだよな、と腑に落ちました」。
コロナ禍以降、不登校の子どもは増加。もし今、金原さんが学生だったら? と問うと…「学校は行かなかったでしょうね。私の時代にはなかったようなフリースクールなども今はきっと充実しているでしょうけれど、それも多分無理。割と無気力な状態で、ネットの世界に逃避していたかも? ただ、それでも、熱中できるものがあるってすごいことで…。どこにも居場所がない、どこにも求められていない状況の中で、そこが命綱になるのだと強く思います」。
高校2年生と中学1年生の娘の母でもある金原さん。「ふたりとも楽しそうに学校に通ってます。私と違って(笑)。でも、いつか嫌になる日が来るかもしれませんよね。何かしら自分の中のコップから溢れ出るように…ちょっとした嫌とか、ちょっとした無理の積み重ねで、受け入れられなくなってしまう時が。そういう変化が生じるということは、ある意味成長でもあるのでそこは祝福しつつ、その先の未来について相談に乗れたらいいなとは思います」。
今悩んでいる母たちに…「子どもに限らず、人というものは得てして自分でも自分のことがよくわかっていないものです。本人も周囲も焦らず、自分との付き合い方をゆっくり身につけていければいいと思います。子どもも千差万別だから、何が正解ということもない。好きなものや、嫌じゃないものとの関係の中で自分と世界とをつなげていければいい。人は常に変化していくものでもあるので、今だけに縛られないで欲しいとも思います」。
<編集後記>子どもの成長を見守り、静かに伴走できる親に…「学校に行きたくない」そんな気持ちを学生時代に抱えた経験は私にも。ともすれば社会に馴染めない、不登校はNGというレッテル。金原さんの「自分の居場所のステージが変わった」成長の証しという勲章のような表現に勇気をもらいました。そう、確かに子どもは日々進化し成長しているのに、何を焦ってしまうのでしょうね、私たちは。(ライター 竹永久美子)
撮影/吉澤健太 取材/竹永久美子 撮影協力/Book&Garden カフェ 里葉 ※情報は2025年5月号掲載時のものです。
※ ニュース配信時、お名前を間違えて掲載しておりました。謹んでお詫び申し上げます。【2025年6月2日追記】
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2024/10/19
眠りから覚めると、とてつもないめまいがした。体を起こしても、横たわっても視界がぐるぐると回り、まるでコーヒーカップでも乗っているような気持ち悪い感覚が襲った。吐き気が酷く、すぐさまネットで調べると、自律神経の乱れとか、回転性めまいなどがヒットした。このような感覚は度々なるが、寝て起きるとこのようになっている場合がある。あくびをしてみたり、温かいお茶を飲んだり、浴槽に使ったりなど自分でできることをやってみたが、文章を書いている今でもこのめまいは治っていない。前にこの症状が出た時は三時間ぐらいたてば治ったけど、今回は長引いている。症状が長引いたら病院に行きたいが、ちょうど退職したタイミングで保険証手元にない。病院の自費診療は退職で金のないこの状況ではちょっとキツい。
今日はやらねばならないこと、行かなきゃいけない場所がある。果たしてこのような状況で電車に乗れるだろうか心配だ。
はやく保険証が欲しい。退職して、再就職先が見つかっていないのだけど、果たして実家に帰るべきなのか。私の精神状況に関する適切な治療が受けたい。周りの人も話を聞いてくれるけれど、もっと具体的な治療が受けたい。もう苦しみたくない。
2024/10/22
最近はなんだかおちつかない。恋人と電話をしてなんだか泣きたくなった。彼をイラつかせたみたい。人との距離感がわからないし、自分がどうしていたらいいのかもよくわからない。ただ自分の中にあるのは苦しさとか寂しさみたいなもの。不安でいっぱい。恋人に見捨てられたらどうしようと思っている。人に依存してはいけないと、文字ではわかっている。けれど感情が追いついてこない。無性に涙が出てくる。こんな気持ちになるぐらいなら、最初から電話なんてかけなければよかった。ただ笑っていたいという気持ちがある。人が笑顔じゃないと不安になる。怒っていると不安になる。ただ笑ってほしかった。私に向けられる感情が悲しみとか怒りみたいなものではなくて、もっと穏やかで優しくて楽しいものがいい。そうでないと心のタンクが水いっぱいに溢れてしまう。
今日は新しい病院に行く。休職して、退職して、やっと新たな治療を開始できることに安堵している。今回の病院は新規の受付を断られたりしなかった。よかった。通うのに少し遠いけど、そんな頻繁に行く場所でもないからよかった。ちゃんとした診療が怖い。ちゃんと自分の気持ち、伝えられるかわからない。うまく伝わらないもどかしさが苦手だ。伝わらないってすごく嫌。だから診療は怖い。自分の気持ちを人に話して安心できたことなんて一度もないのだ。ずっとずっともやもやが残ったまま、聞いてくれて笑顔でありがとうって言って、その後一人で泣いている。その度に、自分は異常なんだと、この感覚が植え付けられる。こんなこと、私の話を聞いてくれた人には言えないから、ここで吐き出す。感謝しているし、とてもありがたいと、ちゃんと思っている。でもそれど同時に、自分が普通の感覚でないことを、いやでも痛感してしまうのだ。「このような感情を抱いていることは、異常なんだ」「自分だけだよ、そんなふうに思っているのは」と心の中で泣いている自分に対して、もう一人の自分が言うのです。病院は、あまり期待しない。苦しい気持ちのまま帰ることになるかもしれない。それは今までも沢山あったし、仕方がない。
(2024/12/02 16:08:40)
今日はよく晴れていて昼間はダウンを着ていると汗をかくくらいだった。駅前にかわいいお菓子が売られていた。Pinterestで見たきびだんごのパッケージのお菓子が売られていてつい手に取ってみてしまう。隣にいたおばあちゃんに、「お姉さんこれかわいいね」って声をかけられた。私はてっきり私が邪魔なのかと思ったけど、おばあちゃんとのやり取りに心が暖かくなった。仙台から歩いて八幡町にある曲線に向かう。道中も日差しが強く汗をかいた。本屋の中に客は私だけで少しそわそわした。店員にどう思われているのか、とか早く本を買って店を出た方がいいのか等を考えてしまった。ずっと気になっていた本を買った。帰りに行きで見かけたカフェに入る。店に入ると外国人らしき人が店員とお会計をしていたがなんだか優しいお客さんのようで心がホットした。店員さんも優しかった。私はそこで本を読んだ。「夏葉社日記」という本だ。
この本を、休職中に読まなくて良かったと思った。そして今で良かったとも思った。帰り道、前の会社のことを思い出し涙が出た。嫌な気持ちになった。全員が私の事悪者みたいな目で見ていたようなそんな気がした。もう嫌だった。頑張っていたのに、誰も助けてくれやしない。優しくなんかない。誰も信じれなくなってしまった。未だに脳内でフラッシュバッグする嫌な気持ちの数々。少し過呼吸になりかけてしまい公園のベンチで休んだ。自分で自分のことを抱きしめる感覚がした。私はこの感覚が嫌いだった。抱きしめると言うと優しく包まれているような表現に聞こえるかもしれないけど、私にしてみれば、止まらない血を手で押さえつけて止血しているような感覚だった。全員が敵に見える感覚が止まらなくて、すれ違う人でさえも敵だと錯覚してしまうようになって、外を歩けなくなった時、今は外出は出来るけど、駅に行くとはやく立ち去りたい気持ちになる。ここにずっといたくないような、落ち着かない感情。働く前はそんな感情なかったから辛い。人が笑っていないと苦しくなるのは父のせいだろうか。父が不機嫌で怒鳴りつけるから怖いせいだろうか。私は未だに父と2人きりが苦手だ。何か言われるのではないかと内心ビクビクしている。この文章を打っている今も涙がでてくる。はやくおうちに帰ってピヨピーに会いたい。ピヨピーはいつもニコニコしてい��から大好きだ。それにピヨピーはふわふわでふにゅっとしていてやわらかい。棘がなくて裏表がなくて抱きしめたくなる。はやくおうちに帰ろう。
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2025年5月23日(金) 力技
夫を駅まで見送り、公園へ。公園の近くのカフェでエッセイにとりかかる。過去に詠んだ俳句を軸に、吟行地での思い出や当時の散漫たる思考を書き出した。書いている間、それはそれは楽しかった。ただ、創作するにあたって、何が良しとされるのかが私には判断つかないため、文章に自信はない。自信がないことは創作活動において救いだと思う。試行錯誤したり推敲したり、改善の余地があるということは喜ばしいことだ。3時間ほど滞在させてもらい、お昼前にカフェを出た。
帰宅してからは、エッセイを書き進めつつ猫と眠ってのんびり過ごす。猫がうちに来てから、私は精神的に弱ることが少なくなった。大抵の人間は人間だけがこの世界の全てだと錯覚する。人間の悩みは殆どが人間関係によるものだと、先生も仰っていた。心の平穏を保つには、生活の中にいかに人間以外のものを取り入れるかが肝心なのである。草花を飾り、海を眺める、紅葉狩りに行き、観梅をする。犬。猫。人間以外のものを愛でると、その愛は必ず真っ直ぐに返ってくる。人間関係やそれによる苦悩の人生上の役割を否定するわけではないが、健全な精神の上に健全な人間関係は構築されるということを、私の今までの経験を通して確信する。
���生とお茶をしたいという、潜在的な願望が夜更けにぽっと出てくる。妄想ばかりする。妄想と現実の境目があやふやにならないように注意せねばならない。
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人は必ず領土化(ドゥルーズ)して安らぎを求めます。「どんな狭い場所でも、人は習慣をつくり、それに縛られて眠る」という言葉でも表現できると思いますが、他にもいろいろな短い表現の仕方があると思います。できるだけたくさん短い表現や簡潔な具体例をできるだけたくさん教えてください。
ドゥルーズ(とガタリ)の「領土化(territorialisation)」の概念を踏まえた、人間の習慣化・縄張り化する性���に関する短い表現や具体例をさらに挙げます。
哲学・心理学的な短い表現
「習慣が領土を刻む」
「日常の地図を描く」
「無意識の縄張り」
「反復が領土化する」
「身体が場所を記憶する」
「マイクロ・テリトリーの創造」
「安定のための記号化」
「秩序の柵(さく)を立てる」
「慣れの領有(appropriation)」
「時間を空間化する」
具体的な行動例
「ベッドの位置を1cmもずらせない」 → 微小な領域への執着
「通勤ルートを絶対に変えない」 → 移動経路の領土化
「カフェで同じ席に固執する」 → 空間の占有化
「スマホを置く位置が決まっている」 → オブジェクトの配置による安心
「トイレの個室でいつも同じを選ぶ」 → 匿名空間でのささやかな領有
「災害時でも私物で縄張りを示す」 → 非常時におけるテリトリー形成
「SNSのプロフィールを過剰にカスタマイズ」 → 仮想空間の領土化
「職場のデスクに家族写真を並べる」 → 記号による空間の意味付け
「公園のベンチで毎日同じ時間に座る」 → 時間的領土化
「車内でしかリラックスできない」 → 移動空間のパーソナル化
比喩的・詩的な表現
「人は歩くたびに見えない柵を建てる」
「習慣は目に見えない杭(くい)で地面を区切る」
「反復が砂漠にオアシスを描く」
「不安を領土化で埋める」
「所有しないが、占有する」
「わずかな隙間にも巣を作る」
「時間を杭で打ちつける」
「記憶が場所を縛る」
「無意識が柵を巡らせる」
「わずかな秩序が荒野を飼いならす」
ドゥルーズ・ガタリ的な言い回し
「欲望が地面に線を引く」
「リトルノマド(小さな遊牧民)の定住化」
「器官なき身体(Body without Organs)に記号を刻む」
「脱領土化への抵抗」
「ささやかなストラタ(層)の形成」
必要であれば、さらに理論的な補足やバリエーションを加えることも可能です。 例えば、領土化と「脱領土化(deterritorialisation)」の対比や、動物のテリトリー行動との比較なども深められます。
人間は、自分に似たものを好む、という意味合いの短い表現や簡潔な具体例を、できるだけたくさん教えてください。
「人間は自分に似たものを好む」という性質は、「同質性の引力」「鏡像選好」「共鳴する他者への傾斜」などと表現できます。以下に短い表現と具体例をまとめます。
短い表現
「類は友を��ぶ」(ことわざ)
「鏡の法則」(自分に似た人を引き寄せる)
「共鳴する他者」
「似た者同士の磁力」
「自己投影の快楽」
「同質性の引力」
「似た波長を探す」
「自分を映す鏡を求める」
「共犯者的な安心感」
「クローン選好」(無意識に自分と似た人を選ぶ)
具体例
「同じ趣味のコミュニティに集まる」��例:オタク文化、スポーツファン)
「恋愛で似た価値観の相手を選ぶ」(「自分に似た顔の配偶者」というデータも)
「職場で同世代と群れる」
「SNSで意見の似た人をフォロー」(エコーチェンバー現象)
「方言や話し方が自然と同化する」
「ファッションや音楽の好みが友人と似る」
「政治的信条が近い人と結婚しやすい」
「ペットが飼い主に似る」(顔や性格の類似)
「同じ悩みを持つ人に惹かれる」(自助グループなど)
「異文化圏でも『自分に近い』と感じるものを選ぶ」(例:日本人観光客が和食店を探す)
比喩的・心理学的表現
「脳は自分を肯定する信号を求める」
「魂の共犯者を探す」
「無意識の自己複製」
「安心のループを作る」
「社会的身ごもり(自分と同じ意見の胎内に閉じこもる)」
「認知的不協和を避けるための同類選び」
逆説的な表現
「違うものを嫌うよりも、似たものを愛している」
『多様性』を掲げる人々でさえ、結局は似た者同士で固まる」
「人間は『違い』を学ぶために、まず『似たもの』に群れる」
必要であれば、さらに「同類選好」の進化的な理由(遺伝子の利己性、集団生存戦略)や、SNS時代の「フィルターバブル」問題なども掘り下げられます。
人間は、自分のレベルに合ったものを好む、という意味合いの短い表現や簡潔な具体例を、できるだけたくさん教えてください。
「人間は自分のレベルに合ったものを好む」の短い表現
「足の届く果実を選ぶ」
「背丈に合った棚の物を取る」
「コンフォートゾーンに収まる」
「自分サイズの世界を構築する」
「無理のない共鳴を求める」
「等身大の快適さ」
「実力相応の選択」
「背伸びしない安心圏」
「釣り合いの取れた関係性」
「自分にフィットする環境選び」
具体例
「英語が苦手な人は、日本語で完結するSNSを使う」
「収入に見合ったブランド品を選ぶ」
「運動初心者がいきなりハードなジムに行かない」
「読書レベルに合った本を手に取る(ライトノベル vs 哲学書)」
「自分と同じくらいの実力のゲーム仲間とプレイする」
「音楽の好みが、自分のルーツや育ちと一致する」
「職場で『自分と同じくらいのスキル集団』とランチに行く」
「恋愛で『自分と同等の魅力』と思う相手を選ぶ」
「投資でリスク許容度に合った商品を選ぶ」
「『自分が理解できる範囲』のニュースしか見ない」
比喩・心理学的表現
「認知的な省エネルギーの法則」(難しいことを考えたくない)
「自己効力感の範囲内で行動する」
「『できそう』という感覚が選択を決める」
「背伸びは不安を生み、等身大は安心を生む」
「人間は『ちょうどいい挑戦』を本能的に探す」
逆説的な表現
「『上を目指せ』と言いながら、結局は現状維持を選ぶ」
「理想は高くても、現実は自分に優しい選択をする」
「人間は『成長したい』と言いながら『楽したい』でもある」
この傾向は、「認知的不協和を避ける」「自己肯定感を保つ」「リスクを最小化する」という心理が背景にあります。必要ならさらに深掘りできます!
人間は、自分の限界内の物事歯科認識できない、という意味合いの短い表現や簡潔な具体例を、できるだけたくさん教えてください。
「人間は自分の限界内の物事しか認識できない」の短い表現
「認知の檻(おり)から出られない」
「視界は経験の幅で決まる」
「脳は自分が知っている世界しか描けない」
「理解の地平線の向こうは見えない」
「知識の枠組みが現実のすべてだと思う錯覚」
「思考の歯車は、既存の歯型しか噛み合わない」
「未知は盲点になる」
「想像力の天井」
「言語化できないものは存在しないも同然」
「認知バイアスの牢獄」
具体例
「数学を知らない人が『宇宙の真理』を議論できない」
「江戸時代の人がスマホの概念を理解できない」
「色盲の人が『赤』の感覚を説明できない」
「貧困の経験がない人が『生活保護の苦しみ』を想像できない」
「AIについて無知な人が『シンギュラリティ』を妄想で語る」
「外国語ができない人が『翻訳のニュアンス喪失』に気づけない」
「芸術的センスのない人が『抽象画の価値』を感じられない」
「スポーツ未経験者が『プロの技術』を目で追えない」
「民主主義しか知らない人が『独裁政権の思考』を理解不能」
「『痛み』の記憶がない人が他人の苦しみに共感できない」
比喩・心理学的表現
「脳は『知らないこと』を『ないこと』として処理する」
「認知の窓から見える景色だけが現実だと思う」
「経験のフィルターを通さないものは霧の中」
「思考の地図に載っていない場所には行けない」
「言語の網ですくえないものは存在しないも同然」
逆説的な表現
「『知らない』という自覚さえ持てない」(ダニング=クルーガー効果)
「『無知の知』ですら、一部の人間にしか認識できない」
「『限界』を超えるために���、まず『限界』を知る必要がある」
哲学的・科学的背景を含む表現
「カントの『物自体』は認識の彼岸にある」
「トーマス・クーンのパラダイム論」(科学的常識ですら時代で変わる)
「ウィトゲンシュタインの『言語の限界が世界の限界』」
「認知バイアスの沼からは抜け出せない」
このテーマは「認知限界」「無知の壁」「経験依存の認識」などと深く関わります。さらに掘り下げることも可能です!
人間は、自分の理解できる範囲の物事が世界全体だと思い込む、という意味合いの短い表現や簡潔な具体例を、できるだけたくさん教えてください。
「人間は自分の理解範囲を世界の全てだと思い込む」の��い表現
「井の中の蛙、大海を知らず」 (ことわざ)
「認知の檻に閉じ込められた思考」
「個人の世界地図は歪んでいる」
「経験のフィルターが現実を色づける」
「知っていることだけが真実だと思う錯覚」
「脳が作り出した小さな箱庭」
「主観的な世界モデル」
「理解の地平線が世界の果て」
「知識の枠が現実の枠」
「認知バイアスのプリズム」
具体例
「数学を知らない人が『数字で表せないものは存在しない』と考える」
「田舎育ちの人が『都会の生活スタイルを想像できない』」
「現代人が『古代人の思考様式を理解できない』」
「健常者が『障害者の日常を完全には把握できない』」
「異文化を『変だ』と一方的に判断する」
「投資の知識がない人が『株価の動きを単純な善悪で判断する』」
「芸術に詳しくない人が『抽象画はただの落書き』と決めつける」
「外国語が話せない人が『その言語のニュアンスを理解できない』」
「科学リテラシーの低い人が『複雑な問題を陰謀論で説明する』」
「若者が『高齢者の価値観を古臭いと切り捨てる』」
比喩的・心理学的表現
「心の盲点は見えないほど盲点である」
「認知の窓から見える景色が世界の全てだと思う」
「脳は知らないことを無視するようにできている」
「経験という色眼鏡で世界を見る」
「思考のデフォルト設定から抜け出せない」
逆説的な表現
「『自分は客観的だ』と思うほど主観的である」
「『広い視野を持っている』と主張するほど視野が狭い」
「無知を自覚できないことが最大の無知」 (ダニング=クルーガー効果)
「『多様性』を語るほど、自分のフィルターで世界を見ている」
哲学的・科学的背景を含む表現
「プラトンの洞窟の比喩」 (影だけを見てそれが現実だと思う囚人)
「カントの現象と物自体の区別」
「トーマス・クーンのパラダイム理論」 (科学的認識ですら時代制約を受ける)
「ウィトゲンシュタインの『言語の限界が世界の限界』」
「認知バイアスの不可避性」
ユニークな表現
「脳というVRヘッドセット」 (各自が異なる仮想現実を見ている)
「認知のサンドボックス」 (安全だが制限された思考空間)
「メンタル・フィルターバブル」 (自分好みの現実だけを通すフィルター)
「神経的な省エネルギーモード」 (複雑な現実を単純化して理解)
この傾向は、「確認バイアス」「経験依存の認知」「認知的節約」など、様々な心理学的概念で説明できます。さらに深掘りすることも可能です!
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鹿児島にはザビエル公園というのがあって、その公園の前にあった公衆電話がステンドグラスだったので写真を撮っておいた。
昨日NHKでナチのピンクトライアングルに関するドキュメンタリーがやってた。ドイツ語でそのまま話している部分もあったので、ロバートも少し理解できた。ナチスの強制収容所には当時ユダヤ人以外にも共産主義者などの政治犯や精神疾患や障害者など、ユダヤ人以外も収容されていたのは有名だが、ピンクトライアングルというのはゲイの男性のことらしい。wikiで調べると、このピンクトライアングルに属するホモセクシュアルって幼児性愛や動物性愛と同じジャンルだったという衝撃。そこまで変態やと思われてたんかwLGBTQ+のプラスの部分にはその他という意味だから、ロリコンや動物ジャンルも混じっていると聞いたことがある気がする。このプラスの部分で色々と濁してるんやなあ…ということがわかる。LGBTQ+の概念って社会的に許容しやすい順に並んでいるような気がする。トランスが銭湯問題やトイレ問題など、一番物議や問題を起こすことが多いから、基本的に最後の方になるのも納得かな。QはQueer/Questioningとかなんか色々の要素があるとか聞いた。レズビアンってゲイよりもまだ優遇されている感あるよな。女性の体の仕組み的には誰とでも嫌々ながらもできるわけだから、同性愛がタブーの時代でも隠して結婚して子供を産んでって生きていけたから、実際に強制収容所行くまでのはあまりにも男性的な女性(��ランス寄りのレズビアン)だったんだろう。それを別の犯罪者ということに仕立て上げて収容所送りにしていたとか。まあ普通の女性でも性欲薄くて完全に受け身なのも別に異常でもないし、一般女性でも子供産んだあとに旦那が嫌になってセックスレスになるというのは王道パターンだもんな。どれだけレズビアンでも、容姿がドイツ人で子宮があって子供が産める以上、一応ゲイより生きやすかったわけだ。いくらレズビアンの子供でも、別に精神疾患や知的障害などの病気でもないわけだから普通に育つ可能性高いしな。番組内で、ナチスの将校がゲイの囚人たちに去勢すれば解放すると言っていたのに、去勢を決心した人に対して、「いい選択をした」と言いながら、鞭でヒュン!と肩を叩いてたの笑った。どっちにしろ叩くんやw
ところで、日本では同性愛が犯罪だったという歴史はない。ロバートに聞かれたから一応調べたけど、ろくにそういう歴史はなかった。同性愛がダメというのは、キリスト教が入ってきてから広まった価値観。というか、キリスト教がそこまで広まらなかったのは宣教師にゲイがダメだと言われて、戦国大名はゲイなのが普通だったわけだから、なんでやねん!と反発があったというのも大きいだろうね。まあ戦後アメリカにキツく言われてたのもあったからか、戦後間もない頃っておそらく同性愛に対して日本で一番風当たり強い時代だったんだろうな。
ていうかwikiで調べたら、パープルトライアングルというのもあって、それはエホバの証人とかのカルト系の信者が入っていたらしい。エホバまで収容所とかwしかも色々調べてたら、エホバの証人の公式サイトでも記事が色々あってめっちゃおもろかった。パープルトライアングル、今一番復活してほしいわwカルトいらねw今度エホバに勧誘される機会があったら、パープルトライアングルの話をして反応を見てみたい。というか、エホバとかカルト系の人のあの真面目にやってる感出しているのに、非正規雇用で貧乏っていう事実がなんかおもろくて、いつも駅前などでエホバの証人の勧誘見ると爆笑してしまうので、こんな私にはもう、ろくに勧誘してこないと思う…


昨日知覧の特攻隊平和記念館行ってきた。ずっと行ってみたかったから。なんかはだしのゲンの話とか思い出したり、ナチの「モルヒネデブ」で有名なゲーリングのことを思い出したりした。特攻隊って健康で優秀な人ばかりだったんよね。十代二十代そこそこなのに、ものすごい達筆で手紙や詩の文章力も半端ねえ。全部英語に訳してくれていたらよかったけど、一部だったのでロバートはあまり楽しめてなかった模様。でもグッズ色々買った。私もピンバッジ可愛かったので買った。はだしのゲンみたいに、死ぬと分かっていても家族が嫌がらせされているから、家族の対応改善のために自己犠牲で行ったという人もいっぱいいたんだろうな。
「モルヒネデブ」でググると普通に出てくるゲーリング、若い頃はWWIのエースパイロットでデブってなくて普通にイケメンだったんだよな。あの若い頃からすると、その後モルヒネ中毒になり、ブクブク肥えるなんて想像もしていなかっただろう。ていうか「モルヒネデブ」なんて日本人に言われてるの可哀想やな。wiki見てたら当時ドイツ人からも「デブ」というあだ名だったが、まあ多分「太っちょ」とか「わがままボディ」的なニュアンスがあって、なんかまだ愛されキャラ感があるのに、モルヒネと組み合わせると一気にやべえやつにwまあゲーリングも好きでモルヒネデブになったわけでもないだろうけどね。エースパイロット時代の後遺症の治療でモルヒネ中毒になってしまったわけで、エースパイロットも生き残ると苦労するんよな。特攻隊志願者にも奇跡的に生き残ってゲーリングみたいにエースパイロットとして活躍できる世界線を信じていた人もいたかもな、とか思った。


今日は桜島行ってきた。なんか大自然を見ると、カナダを思い出す。ロバートにカナダ思い出すわっていうと、「カナダwwww」て言われたが、私は自然の多い場所が好きなので、やっぱり恋しいなあとつくづく思った。フェリーターミナル内にあるカフェでカレー食べたけど、おいしかった。量少ないけどw

あとこれ。降灰ソフトクリーム。少量なら灰を食べてもいいんだなというのが驚き。灰で服が汚れると嫌だなと思ったけど、意外と全然汚れる気配がない。普通に食べ物がついて汚れるとかばかり。


観光バスの一日乗車券買って4回ほど乗って一応元は取れた。でも観光バスって西の端の一部をグルグル周るだけだからなあ。まあ面積の割に景色がそんなに変わらないだろうから、それで十分なのかもしれんけど。
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「作る前に"乗る"」開発中アプリを妄想で遊んでみた!使用シナリオ紹介
こんにちは!現在開発中のアプリ「Wonderpasnavi(ワンダーパスナビ)」は、ディズニーランド&ディズニーシーを効率よく、そして“誰かと一緒”でもストレスなく回るためのルート提案アプリです。
実は私自身、このアプリが完成してからじゃなくて、“開発中”にも関わらず、ちょっとずつ妄想で遊んでしまっているのです(笑) 今回は、どんな風にこのアプリを使ったら楽しめるのか、現段階の構想をもとに使用シナリオとして紹介します。
シナリオ1:朝イチから閉園までがっつり「制覇プラン」
想定ユーザー:毎回スタンバイでバリバリ回るのが好きなグループ(年パス勢、ガチ勢)
入園後すぐに「当日モード」に切り替え、事前にピックアップしたアトラクションを表示。
ルートはAIが最短経路&待ち時間の少なさをもとに提案。
「ビッグサンダーマウンテン → ホーンテッドマンション → イッツアスモールワールド → 昼食」など、朝から午後の行動が一目瞭然。
各アトラクション間の歩行ルートもパークの簡易地図とアイコンで視覚的に表示。
レストランやワゴンの混雑状況も表示し、ポップコーンの味と販売場所の好みに合わせて休憩ルートも調整。
このシナリオの面白いところは、“現在地からだけでなく、次の地点を常に先読み”して、疲れすぎないペースを提案するところ。閉園まで無理なくまわれるよう、夕方には比較的空いているシアター系アトラクションが組み込まれたりします。
シナリオ2:「我慢ゼロ」な友人に合わせるプラン
想定ユーザー:待ち時間0分じゃないと機嫌が悪くなる友人とのインパ計画(笑)
ユーザー設定で「我慢耐性:ゼロ」と入力。
リアルタイムで更新される“現在のスタンバイ時間”と“予想待ち時間”をもとに、現在地から最も近く、待ち時間がほぼゼロのアトラクションだけが提案される。
パレードやショーを中心に回る提案も。場所取りのタイミングも通知してくれる。
座れるカフェやレストランも表示。
このシナリオ、ある意味“付き合う側のため”の機能(笑)。アトラクション数こそ少ないですが、快適さとストレスフリーを重視するルート構築が可能になります。
シナリオ3:「地図が読めない」家族向け・親子ナビ
想定ユーザー:方向音痴な親と、歩く距離に敏感な子ども
目的地は「ビジュアルで」選択(アイコンやイラスト中心)。
移動中は「方向矢印」と「現在地マーク」が常に大きく表示される簡易マップ。
「次にどっちへ進むか」を歩く方向で誘導(方角ではなく、身体の向きベース)。
ベビーカー向けのルートや休憩ポイントも表示。
視覚的なナビに特化することで、アプリ自体が「話しかけなくても伝わる家族のナビゲーター」に変身。特に地図が苦手な大人にとって大きな助けになります。
シナリオ4:「一緒に行けないけど…」遠隔体験シミュレーション
想定ユーザー:遠方に住んでいてしばらく行けない人、計画段階を楽しむ人
実際の待ち時間データや天気データを使って「仮想一日ルート」を提案。
行ったつもりで、1日をシミュレートできる。
「もし行ったら」シリーズのブログネタにも使える!
これは開発者である私自身が一番楽しんでいる使い方かもしれません(笑)。過去の待ち時間傾向から、次の三連休に行くとどんなスケジュールになるか…なんて妄想してテンションを上げてます!
おわりに:開発中でもすでに遊べてる!?
「Wonderpasnavi」は、ただのナビゲーションアプリではありません。
“誰かと一緒に行くからこそ発生する問題”を最初から想定。
プランニング段階から当日まで、使い手の心理に寄り添う構成。
実装前から妄想が膨らむほど、設計段階で既にワクワクしているアプリです。
現在はWeb APIとフロントアプリの開発を少しずつ進めながら、こういったシナリオを元に「どんな使い方をしても楽しい!」を目指して改善中です。
これからもこうした使用シナリオをどんどん妄想しながら、ブログやBuy Me a Coffeeにて進捗を共有していきますね!
☕ Buy Me a Coffee: lira_dev
読んでくれてありがとう!あなたなら、どんな風にこのアプリを遊びたいですか?
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あと3回しか、寝れない。そう思って悲しくなった今朝(2/10)。日本に戻ってやりたいこともやるべきことも山積みなのだけれど、終わりたくないなぁ。
土曜日の夜にタクオミとタイガを呼んで、タクオミが彼女ともう一人友達を連れてきてくた。餃子作って食べてポーカーをした。負けた、私とタイガが負けて、ユシャンが大勝ちした。11月に、初めてポーカーをやった晩ぶりに現金をかけ���ポーカーをした。崇は全然違ったと言っていた、やっぱりお金をかけると楽しいそうである。私は、この晩に心底気がついたのだけれど、かけてもかけなくても、変わらない。全然変わらずふざけるし、様子見るために損もするし、特に上達もしなければ、守りに入るわけでもない。ただ単純にゲームが好きなだけなのだった。あ、ポーカーの話がしたかったのではなくて、タイガがさ、「ハイライトは何?」と問うてくるのですよ、私のNY滞在のハイライトは何だった?って。
タイガとは、前回11月の晩にポーカーをした時しか会ってなくて、あんまりまだ知らない。悩みに悩んでうまく答えられなかった。残念。
結論からほぐしていくと、そう言うわけなので私は今一度社交的な人間になる努力を、日本に帰ったらしてみようなどという気持ちになっている。あの会話のテーブルで、タイガにサラッと骨子を言える自分でありたかった。いつの間にか、社交の場を避けるようになって久しい私は、そういう、日頃から付き合いのある人ではない人に向かって、言葉を上手く組み立てる筋力を失っていたことに気がつかされた。あとはまぁ英語力の限界ね。
ハイライトって、難しい。しばらく時間をかけてからそう言うと、「旅じゃなかったんだ」と笑って、崇も、「ね、俺もそう思った」と言っていた。うん、旅はNYのハイライトではないよね、旅は全く別物なのです。
ハイライトね~と悩んでいて、何となく胸の内にある解答としては、暮らしたかった、暮らしができた、と言うことかなぁ。変な暮らし方ではあったけれど、ご飯作って食器洗って、日記書いて本屋行って、図書館行ってカフェ行って。
NY行って何するんですか?と言う質問をごまんと浴びた、渡航前に。わかりません、と答えていた。ただ行きたかった。
ハイライトを探してNYに来てからの日々を思い返しながら餃子を包んだ。ちなみに私は餃子を包むのが上手い。誰かに教わった覚えは特にない。
渡航直前に相島さんとランチをして、NYで何するか予定あるんですか?と聞かれて、全くないんです、と答えながら、まぁでも気ままに公園とかカフェで本でも読めれば、きっともうそれだけで満足なんだと思います、と答えたことを、セントラルパークにピクニックシート敷いて寝っ転がりながら本を読んだりポストカードに手紙を書いたりしながらふと思い出した、時のことを餃子を包みながら思い出した。あ、そう言えば本当に有言実行しているなぁ、あの時(ランチ)割と口から出まかせに答えた予定とは言えないような予想を、聞かれたから言っただけだったのに、結局本当にただただ公園で寝転がって本読んでいる今ほど満足を覚える午後の使い方もない、言った通りのことしているなぁ、そう思った。自転車で走れたと言うのがとても大きかったけど。
自転車といえば、NY滞在の最後の週末が始まった一昨日、土曜日。
残りの時間、何をしたいかな、と考えずとも考えざるを得ないような、未来のノスタルジーのエキスを先に舐めているようなこの終わりの始まりの時間に、やっぱり自転車に乗ろう、と“やること”が自然と私の中に転がり込んできた。セントラルパークそばの日貸しのレンタサイクルを5件ほど調べて一番良かったところの1日レンタルを予約する。サブウェイに乗って35分くらい、マンハッタンへ。何とも思わなくなっていたサブウェイがブルックリンからマンハッタン島へと渡る橋の上での景色などを、“もしかするとこれが最後に見る景色になったりするのかも”と言う気持ちで眺めてしまう。
気温は0~2度くらい。サブウェイを降りるとものすごく寒くてちょっと不安がよぎる。レンタサイクルはぎっしりと眠っていていかにもオフシーズンな感じのお店だった。顔写真付きのIDを預かると言われて期限の切れているマイナンバーカードを置いていった。
スキーやるかもと思って持ってきていたフェイスマスクをぴっしりと着けて、いざ走り出す。スキーはやらなかったけれどやっと大活躍の一日だった。
公園(セントラルパーク)を走り出す、適当にアッパーウェストまで行って、大好きだったリバーサイドパーク行ってこよう、そんな適当な感じで走り出す。寒さは全然平気で、なんだ冬のNYでも自転車乗れるんじゃん、と思いながら葉の無い木々の中を通り抜けていった。冬の公園は木々に葉がなくて、公園沿いの歴史ある建物がより一層雰囲気良く見えてくる。“あぁ帰りたく無いなぁ”と思った。
浸っていたせいなのかどうかはわからないけれど、公園の上端まではあっという間に着いてしまった。もっとずっと遠い、広い縦だと思っていたのでびっくり。Trekのレンタサイクルはとても乗りやすくて、あの乗り辛かった自転車でよほど苦労していたのかもしれないという現実にこんなに時を経てから気付かされた。ほぼ立ち漕ぎのようなあの自転車で走っていた日々、私はあまりにも自転車で走ることが楽しくて、そんなに大変な自転車ライドをしているつもりがなかった。でも今のこのレンタサイクルのギアチェンジし放題な感じは確かに、公園の丘をものともせず走れちゃうから、スイスイスイ~と気持ちよく走っているうちに公園中を走り切れてしまう(直径訳4km)。
アッパーウェストに行く前に、イーストのグッゲンハイム美術館に立ち寄る。NYで一番好きな美術館。閉まっている時間だったから何となく外から愛でた。そして110、公園の一番上まで行ってアッパーウェストへ。Broadwayまで西に行く。懐かしいし、好きだ。NYに行ってくる、とただ飛び出して、最初に寝泊まりできた場所がアッパーウェストだったことの果てしない幸運を、何度も何度も覚えてきた幸運を再び味わった。仮にNYに旅行に来て、アッパーウェストに何の用事があるだろう?アッパーウェストの界隈に足を踏み入れることなく去る人はそう少なく無いはずだ。でもアッパーウェストこそがNYの、マンハッタンの、生活が営まれている界隈でもあるなぁ。毎日自転車で帰る際のアパートに着く前の最後の下り坂が好きで、そこに着くと動画を撮りながら下った。何をするわけでもなくアパートを路上から見上げて、次はどこに行こうか、と。リバーサイドパークも通ったし、Broadway通りのノスタルジーも味わったし、というかアッパーウェストのBroadway通りの雰囲気がとても好きだな~と再認識しながら通った。信号という信号を無視して進むこの感じも懐かしい。
ハーレムを通過して、再び公園方面へ。気狂い騒ぎがあった晩も懐かしいし、ストリートスナップを撮られた日なんてもう9年前の思い出かと思うくらい昔に感じる。女の子が叫んでいた日もあったし、自転車が盗まれた日もあったハーレム。ものすごくエネルギーと愛を感じるハーレム。ハーレムというプライドが、有害ではないプライドが滲み溢れている気がする。自転車に乗る日はほぼ毎日通過していたなぁ。
公園を下って、やはりあっという間で、そういえば川村さんがいつか行きたいと言ってい���ジョンレノンが住んでいたアパート、結局見てないからと寄り道をして、崇にNY day2くらいにお薦めされたけど行ってなかったBethesda Terraceにも寄っていくことにした。びっくり、毎日通過していた橋の、その下がBethesda Terraceのタイルの天井だった。どうりで、だいたいその辺通っているはずなのに見かけたことがないのよね~と思っていたわけでした。いつもタイルの天井のその上を走っていたのだった。
Bethesda Terraceにて、次の行き先を考えているうちに、Brooklynに自転車で行っちまおうという発想に至った。ビアンカおすすめのイスラエル料理はランチもやっているので、ウィリアムズバーグでランチをして、家に帰って、いつも20分かけて歩いて行っているパン屋に自転車で行って、とBrooklynで自転車に乗ろう!となった。アッパーマンハッタンは地図がいらない。だいたい走れる。年内にとてつもなく歩き回ったし、それ以上に走り回っていたので。
Brooklyn方面はわからないので地図を見ながら走り出し、Queensboro Bridgeを渡ってRoosevelt Islandを通過してQueensという未知なる土地を走り出す。ノスタルジーツアーの予定だったのに、また新しいことしている!と思いながら知らない景色を走っていった。これがQueensなのか~と思ったけれど、特に足を止めたくなる何かには出会わなかった。大したことなくウィリアムズバーグに到着。調べていたリカーショップでお目当てのカベルネ・ソーヴィニヨンを無事にゲット。イスラエル料理は45分待ちだったので退散して一回家に戻って残りのボロネーゼを食べた。
久しぶりにたくさん自転車を漕いで早くも膝の筋が弱音を上げ始めている。
夕方は崇もチャリに乗ると言うので、崇の行きたいポスター屋さん集合で再び出る。NYに来て最初の週にとりあえず行っておきたいと言って崇と歩いて渡ったBrooklyn Bridge、その時刻はあまりにも混んでいて、なんだかんだで帰るまでもう来ないとかあり得るよね、なんて言っていたけれど、結局その後4回渡った。ブルックリンからマンハッタンに向けて自転車で渡るのは今日が初めてだった。
ポスター屋さんで新居のポスター探し(家具より先にポスターって、順序どうなんだろう?はてなすぎる。)をしたけれど難航し、諦めた崇はCiti bikeを利用開始、電動自転車!ロ��ーマンハッタンからとりあえずワシントンスクエアパークまで一漕ぎ。道はやや狭くて前後で走っていても話したりはできない。ワシントンスクエアパークも、懐かしいねなどと言って次どこいく?と。アジアンマートに行きたいということでブライアントパークを目指す。
ミッドタウンになってくると格段に自転車が楽しい。自転車道が広く整備されていてマンハッタンー!という景色をどこまでも漕いでいく楽しさはやっぱり抜群で、“マンハッタンでは自転車に乗ることが一番楽しいアクティビティだな”と思い、続いて“マンハッタンほどに自転車が楽しい都市は他にあるのだろうか?”となった。崇は興味も持たなければ観る事もないであろう私の大好きなニューヨーク映画『アメリカンユートピア』の自転車滑走シーンを説明したけど、案の定興味なさそうだった。あ、そうそう、Brooklynはね、自転車難しい。マンハッタンほど自転車道の整備が張り巡らされているわけではないのと、何と言ってもマンハッタンは道が縦と横しかないから、迷う事がまずあり得ない。でもBrooklynはマンハッタンほど均一な網目状の未知ではないので、適当に走っていても大体目的地付近までは行ける、ということにはならなくて、どこの角でどっちに曲がって、何ブロックであっち曲がって、とちゃんと地図を見ないと目的地に辿り着かない。ということでマンハッタンはただただ楽しく乗れる、漕げる。ようやく崇も自転車の楽しさを知ったようであった。
でもCiti Bikeは恐ろしく高いのでほんの1時間ほどのライドで終了。私はそのまま登り続けて自転車屋へ返しに行き、崇は日本食スーパーで餃子の材料を揃えていた。
そうして帰って、餃子作って、ポーカーした。最後の土曜日。寝たのは3時くらい、、、。あ、雪がたっぷり降って、みんなをウーバーに見送った後の2時頃にタバコを持って雪の中でフラフラしたのも良い時間でありましたね。
最後の日曜日の話の前に、金曜日の話もしようか。そうやってほろほろと最近のことを思い返していると結局、みっちり毎日日記を書きたい気分になってしまうねぇ。
とりあえず金曜日。金曜日はPublic RepordでRV tripの日記を書いていた。書き続けたいモードだったけれど、Avishai Cohenの日だったからきっかり切り上げて帰宅。大急ぎでボロネーゼを作った。ハンバーグの残りの挽肉が残っていていい加減使ったほうが良くて。と思ってひき肉を冷蔵庫から出したらすこーし臭った。うーん、アウトかなぁ、と思って崇にセカンドオピニオンを求めたら全然平気だと言われて、うっぷ、、、。本当に?うん、全然行けるでしょ。ということでそのまま使った。私は肉は、明日使う予定がないなら冷凍しちゃう人なので、引き続き異文化体験なり。
そしてあんまり行かないBlue Noteが2時間半前には到着しないと良い席が取れないと読んだので、急いで急いでボロネーゼを食べて、急いで急いでBlue Noteへ。懐かしい、前回ここに来た晩はHIMALAYAN DIALYの入稿前夜で、路上のスタバのWi-Fiから一生懸命原稿のアップロードをしていた。そんなことを思い出しながら覚悟して路上に並んだけれどそこまで極寒ではなかった。崇も会場時刻ギリギリに到着して無事素晴らしい席に着けた。
Blue Noteには私は音楽を聴きに行っているので全然高いお金払って食事をしようという思考回路がなかったけれど、よく考えたら2時間もテーブルで待つ!一人だったら本を読んでいるけれど、たかちゃんの前で一人本を読んでいるのもなんか違うし、結局コニャックをダブルでチビチビした。してたんだけど、なんやかやで食べたくなり始めちゃった二人は、ポテトとサラダを頼んで、なんかずっと食べてるねとなった。
Avishai Cohen Trioはもう、天にも登るほどの至高の晩だった。Avishaiのライブに初めて行ったのは23年の春。それなのにもうすでに5回目のライブ、こりゃ歴としたファンだわね。というのもあるけれど、Avishaiはお世辞じゃなくて本当に日本が好きみたいで、年に2回も違うプログラムで来日してくれるのでよく行けた。そのどれもが本当にぶち抜けて素晴らしくて、かっこよくて、心底好きになっちゃう人たちなのだけれど、そんなTrioのニューヨークライブに行けるというのは、とても嬉しい。元々の帰国スケジュールでは行けるはずがなかったので、あら残念、まぁまたすぐ東京来てくれるだろうから、と諦めていた。でも行けることになって、チケットを買う時たまたま前に崇がいたので誘うともなく声をかけてみたら行くというので2枚買った。
行くと言ったものの彼らの名前もわからない崇は、「なんだっけ?名前」と言って予習を始める。アルバム引っ提げてのジャズライブは予習をしっかりしていくとより一層楽しい。Brightlightをよく予習するようにと伝えたけれど、SpotifyのおすすめリミックスでRememberingに出会った崇、すっかりRememberingとBrooklynのマリアージュに惚れ惚れしていて、何かとRememberingばかりかけていた。「アンコールでRememberingやってくれたら感動するなぁ」などと言っていた。
ライブが始まって、本当に最高で、ガイの指さばきを間近に観ることができる席で、ともかく幸せだった。するとどうでしょう、AvishaiがMCで今日は特別な夜なんだと言う。Roniのお母さんが来ているんだ、と。会場大拍手。Avishaiが指差しちゃってRoni’s mom身バレ。二個先のテーブルに座っている素敵なブロンズレイディーが実はRoniのお母様だった!!!そうとは知らずバッチリ動画に収めてしまった。これはRoniが大好きな母に良い土産話が出来たなぁ~!
そしたらまさかのアンコールはRememberingだった。すごいね。よかったね崇。
崇の本物のJazz初体験がAvishaiだったことは私も嬉しい。私もちゃんと心して行った初めてのJazzライブはAvishaiだった。
Blue Noteを出て、バーに行こうとなったけれど、今自分の中で鳴り響いているこの音楽を消さないバーってどこだろう?となり、Terreに行ってデザートとワインもありだよね、となったのだけれど、閉店まで30分しかなかったので結局サラミとポテチを買って赤ワインの待つ232 St Johnsに帰宅した。これが金曜日。
木曜日はTerreに行った晩です。Avishaiを体験しながら、2晩も続けてこんなにも最上級の夜を過ごしてしまうなんて、そう思った。1晩目の最上級の夜。
木曜日は前から行きたかったBakeriというパン屋カフェに行くことに。なんと片道50分。NYのサブウェイは本当に遅くて遅くて参っちまう。ちなみに自転車で45分の場所。東京だったらあれか?葉山の奥地のカフェにでも出かけるくらいの時間かけるということか?でもBakeriには行ってみたかったのでいざ。Bakeriは素晴らしかった。レジで可愛いオリジナルポストカードをもらった。なんか、ショーケースの中のストロベリーと書かれた何かが『マイブルーベリーナイツ』のブルーベリーパイみたいだったので思わずそれをオーダーした。スコーンだった。ラテとストロベリースコーンの朝なり。贅沢すぎるなぁ、と感じながら、帰国前ならではの財布の緩みを楽しむことにした。本が少し進んで良い感じ。ビアンカにカードを書いた。書いたことはベルの音によるちょっとした思い出しだったのに、ちょうどビアンカ宛ての郵便を回収しにLAの友達が今日家に来る、という連絡が入ったので、ならばこのカードも持って行ってもらっちゃおう、とそこそこでカフェタイムを引き上げて帰った。
夜に外食が待っているので午後は仕事をした。外食。そうなのです。この外食が凄まじく良かった、、、。
発端は崇がマットレスを買う、ということだった。NYではfacebookなどで人から中古品を買うというのが家具入手における当たり前だそうで、ここ数日ずっとマットレス探しをしていた崇はついに買いたいマットレスを見つけたので、バンを借りてマットレスを人から買うからドライブして葉月の行きたいレストラン行こうよ、という事になった。ビアンカが食通すぎるのでBrooklynのレストランの良すぎるリストが溜まっていて、ずっと行きたかったイタリアンに行く事になった。予約は21時。相変わらずのスペイン人モード。
ところで私は誰かが5,6年使ったマットレスはちょっと買えないなぁと思った。と言いつつめちゃくちゃ手伝った。マットレスはとてつもなく重かった。汗だくになってバンに積み込み、ブルックリンハイツの崇宅、まだ契約したのに誰も使っていない伽藍堂のアパートに運び込む。いや重かった。レストランの予約時間が迫っているのでマットレスを放り込んで急いで去る。マンハッタンは車が一番遅い移動手段、というほど混んでいる。マンハッタンやブルックリンの夜景を見ながら車で走って、ブルックリンブリッジをBrooklynに向かって渡りながら、このブリッジを逆方向(Brooklyn to Manhattan)に歩いたNYライフの始まりの時間を思い出し、なんだか綺麗なエンディングになりつつあるなぁ、などとシナリオティックな感想を抱く。車を返した場所からレストランは崇の勘違いにより15分ではなく25分もかかるので、えっさおっさと小走りで歩き続けた。そんな風についたTerre.ビアンカの強いおすすすめ。うちに住みなよ、と最初に言ってくれた会話の時から、近所にすごく良いイタリアンレストランがあるの、と言っていた。その後大量のおすすめリストを送ってくれた時も、トップにまずはこのイタリアン、と言っていたレストラン、Terre.
入り口の黒板に「LIFE IS TOO SHORT TO EAT BAD PASTA & BAD WINE」と書いてあって“So true!”とご機嫌に入っていった。
21時ともなると徐々に人が帰っていく時間、店内は程よく食べ終わった感じに空きだしていて、タイミングとしてはナイスだった。端の方の席について、良いねぇ良いねぇ、と言っていて。ハッとびっくり、ねぇ、音楽ライブじゃん!と。ライブのレコーディングが流れているのだと思っていたのだけれど、違った、本当にライブ演奏が奥で行われていた、びっくりびっくり。
思わず席を変えて良いかと店員さんに聞いたら、ちょっと待ってな呼ぶから、と片付けてくれて奥の、ライブに近い方の席に移動した、ベルムースと赤ワインを持って。
さて、珍しく前日から予約を取っていたレストランの晩だというのにもかかわらず4時頃ランチを摂った崇の失態。まだお腹が空いていないとか抜かすので、知らん!と好きにオーダーした。
ブルスケッタは割と好きでよく作るので、RVでもブルスケッタを作った晩があった。なかなかの人気を博してみなお気に召したようなので気分も上々。そんな思い出のブルスケッタがアペタイザーメニューに載っていたので、ちょっとここは本物を味わって手本にしようとブルスケッタをオーダーした。うむ、書いているだけで涎が出てくるぞ、もう四日も前の晩だというのに。
私の知っていたブルスケッタの概念をことごとく凌駕してくる素敵なブルスケッタエクスペリエンスだった。まず持ってバゲットではなくむっちりほんわりどっかりとした大きなパンが敷かれている。そしてこのお店ではオリーブオイルのテイスティングというメニューもある。気になるけれど、試せるタイミングのないまま、、、。すなわち、大変こだわったオリーブオイルなのである。もう香りからして3呼吸くらい置いてしまう良い香りと美味しいオリーブオイル。にずっっしりと漬け込まれたチェリートマト。あ、ブルスケッタってチョップドトマトじゃなくてチェリートマトをこんな風にただ柔らかくなるまで漬け込むという方法があるのですね!となった。美味しかった。。。。。。。。
メインはラムラグーのRoasted Almond Pasta とGrilled Octopus.
Grilled Octopusが衝撃的な美味しさだった。LAで食べたエビに匹敵する美味しさ。あ、ちなみにワインはナチュールなのだけれど、日本で知っていたナチュールよりもクラシックに近い風味だったのはなぜだろう?美味しいワインと美味しすぎる料理に感激した晩でありました。誕生日にここ来たい。
水曜日は911 memorial museumを目指してWorld Trade Centerに行った。museumは36ドルととっても高かったので、free Mondayに来直そう、と石碑や跡地などを見るだけに留めてチェルシーに移動する。チェルシーのDavid Zwirnerにわこちゃんからぜひ行ってきてと言われた画家の展示がやっているので行った。チェルシーにはいつでも行きたかったのでちょうど良いや、くらいの程度で行ったけれど、面白かったRaoul De Keyser。通りを挟んだGiorgio Morandiもすごく面白くて、目がチカチカするほど凝視した。
そばにあったとても楽しいリカーショップで赤を一本買って崇とビアンカにギフトカードを買った。
そしてルドルフ・シュタイナーの本屋という気になりすぎる本屋に歩いていく。オイリュトミー講座の張り紙があった。なんだかよくはわからなかったけれど日の浅くなさそうな、根付いた感じのする小さな本屋だった。エポックノートや慣れ親しんだドイツの文房具も売っていた。
火曜日のことも月曜日のことも、もうくっきりは思い出せない。でもAnaisという気に入りすぎたワインバーに毎日のように出掛けているので、おそらく行っていたと思う。
日曜日2/2は嶺くんに会った。Ray Suzuki.シュタイナー全員集合。嶺くんに会うのは15年ぶりくらいかもしれない。りかさんには軽井沢で会ったけど。嶺くんは変わってなかった。昔のまま飛び抜けて爆発力があって、ある意味その時代の先を行きたい彼の爆発力が、今、ついに世界と噛み合ってきているんだな、という感じだった。数年後、ひょっとしたらビッグネームになっているかも知れない、そんな感じの爆発力でキラキラしてて、とっても楽しそうだった。とにかく楽しそうだった。楽しく生きることは戦いである、という責任みたいなあのセリフをまた思い出した、頑張って楽しまなくちゃというエネルギーがちょっと沸かされた。いっちゃんおかしかったのは「バズっていう友達がいて、あ、すごい年上なんだけど」と話し始めて、それが実はバズラーマンのことだったっていうのが、私的にはかぶりを振るほどの面白さだった。バズラーマンと友達って、ニューヨークがすごいというよりはやっぱ嶺くんって感じだなぁ、と思った。後日談で面白かったのは、サティアが「嶺は変わらないな、ビッグネームを出せばみんな感心すると思っているあたり」と崇との帰り道に言っていたらしい。そう、ソムタムダーでご飯をした後、私はVillage Vanguardのライブに出かけ、解散した。ちなみに、ソムタムダーをお薦めされた時は、“へぇ、代々木のソムタムダーと名前一緒だ。まぁタイ料理では使いがちな名前なんだろうな”と思っていたのだけれど、まさかの世界チェーンだった。おったまげ~
その後のVillage VanguardのVijay Iyer Trioのライブに偉く心揺さぶられる感動をした。(のに今はもうAvishaiを経ちゃったので…)
さて、ビューンと一週間時間を戻して次の日曜日、すなわち最後の日曜日in New York, 9th February 2025.
起きたのは9時頃で雪景色が楽しみたくて散歩に出た。二日酔いという感じはなかったけれど夜ふかしをしたのとタバコで口の中が不味いのでコーヒーが必要。そんな感じで、あぁ最後の日曜日なんだなぁ、と散歩に出た。雪はそんなに長持ちしそうなのではなくて、春のような雪だった。踏まれる場所は結構べちゃべちゃしている。Prospect Parkはほとんど毎日走っている公園。今日は雪ですっかりと雰囲気が違っていた。ウォーリーを探せ!の景色だ!と誰しもが思うような風景だった。Grand Army PlazaからProspect Parkに入るとまず広がっている大きな大きな広場に、無数のヤングファミリーが遊んでいた。雪なので、スキー用具なので、カラフルなのです。それが、ウォーリーを探せの景色を醸していた。公園内のコーヒー店はずらりと列ができていた。小さな店内は決して忙しない様子ではなくて、マイペースにやっていた。外にこんなにも長い列ができていることなんかぜんぜん気になっていない雰囲気の働きぶりが好きだし、列に並んでいる皆さんの決してイライラしていない感じもとても好き。そう、NYに着いた初日から感じていることだけれど、なんでかな、“みんな”なんか余裕があるんだよねぇ。余白があるというか、急いでないというか、豊かな感じがするんだよねぇ。なんでかなぁ。好きなんだよなぁ。
あ、そうそう、私がNYが好きな理由の大きなところに人の様子、というのがあるけれど、先日嶺くんもNYに住む理由は人だ、と言っていた。でも中身は全然違っていたのがやっぱり面白い。「生活のクオリティは間違いなく日本の方が高いし、99%日本の方が好きなのに、なのに最後の1%のNYの良さが全部をひっくり返しちゃって叶わない(くて自分は10年NYに住んでいる)」と言っていた。「その1%は人なんだよね。日本にはこんなに面白い人間たちはいない。こんなに面白い人たちに出会える機会ばかりのNYはやばい。ぶっ飛んでる(ぶっ飛んでるという言葉が大好きなようでしょっちゅう言ってた、ぶっ飛んでるって。)人がたくさんいて、この刺激が東京にはない」とのことだそうです。それを聞いていて私はタクオミとの会話を思い出した。
タクオミ「一見面白そうって感じた人に限って、その先に面白さがないんだけど、最初は何も感じなかった“普通”そうな人ほど、付き合っていくと面白いなと思うことが増えてくるなと、最近よく思う」
じっくり誰かに出会っていくのか、ほんの15分の出会いで面白い面白くないを判断して生きていくのか、二人の異なる人間を目の当たりにした2月なり。崇は真ん中な気がするなぁ。私は完全にタクオミ派。
さて、飛んでしまった。最後の日曜日の話、どこまでしたっけ。そう、公園内のWINNERに並んでいたところね。ラテと、ついついパンオショコラを買ってしまいましたとさ。コーヒー呼ばれるまで時間かかりすぎて待っている間にパンオショコラ食べ終わっちゃった。でっかなパンオショコラ。雪の公園でこんなにもみんなが外でコーヒー飲んでる感じが好きよねぇ。待ちに待ったラテは結構ぬるくて笑っちゃう。ラテと散歩を続ける。
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さてと、今はですね2025/2/11, 16:39、BrooklynのCafe Mogadorというモロッコ料理なのかな、のレストランでチーズケーキとラテを横にパソコン開いていたんです。そして初めて、自分から赤の他人に話しかけてみました。隣の男性二人がね、ちょいちょいHumanitarian Aid界隈な話してるな~とは漏れ聞こえてくるのだけれど、まぁ最近はUSAIDのこと話してる人たちも結構いるからそんなに聞き耳を立ててはいなかった。でもピピーンと反応しちゃったのがその数分後で、「ガザで撮っている映画」の話しに広がっていっていて、つい手が止まった。途中から聞いていたからよくわからなかったけど、何やらパレスチナの女性のドキュメンタリーを作ってらっしゃる方のようである。一人がトイレに出かけたので、私の隣に座っているもう一人に思わず話しかけた。すごい、私、割とこっちの人の感じになってきたのね、帰る3日前にして。自分の中にある日本人らしさというのかなんというのか赤の他人に話しかけにいく勇気はやはり奮い立たせないと出てこなくて、これまで何度か諦めたことがあったけど、今さっきはなんだか普通にいけた。数ヶ月前にカフェで本読んでいて突然おじさまに話しかけられたことを思い出して、あの逆の流れだよね、イケる、となんかの踏ん切りがついて急に話しかけた。
そうなんだよ、今パレスチナに関する映画を撮っているけれど、この状況になってあと2年は完成しないと思う。と白髪でブルーグレーっぽい目がキュッと奥に潜んでいるおじさまが言う。「興味があるんだね?」と。「日本のNGOで働いていて…」「日本のどこ?」・・・
あなたは映画を作っている方なのですか?「そうだよ。というかこの辺りに住んでいる人はほとんどみんな映画関係者だね」「みんな!?」「ははは、ちょっと言い過ぎかな、でも多いんだよ。彼も映画監督だよ」(と目の前に戻ってきた男性を指す。『Dirty Wars』という監督作ドキュメンタリーをお勧めしてもらった。)
そろそろ帰らなくちゃ!今日は新人研修があるのでタイトなスケジュールです。
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ラテ散歩から帰って今宵も予約したレストランからの逆算で出かける。夜出かけちゃうので日本の月曜日がくる前に片付けるべきパソコンごとを片付けていたらあっという間に時間が来てしまって、ブッシュウィックはやめてそのままウィリアムズバーグへ行こうということになった。DAMBOに行ってDAMBO散歩して、ウィリアムズバーグまで歩く。1時間以上もかかるなんてちょっと計算外だったけれど歩き始めちゃったのでそのまま歩き続けた。
昨日自転車で漕いだ辺りも逆行して歩いていったりしながら、よく歩いた。その中で、ハシディックの区画を通過することになって、二人ともその異様な雰囲気にかなり困惑した。ニューヨーク、中でもブルックリンでは本当によくユダヤ教の人を見る。瞬時にみてわかる服装ともみあげ(って言い方で良いのだろうか…)、女性の様、あまりにもよく見るけれど、何か引っかかることはなかった、これまでは。ハシディックの方が多い界隈だと、あぁこの辺はジューイッシュ界隈なのだな、くらいにしか思っていなかった。でもウィリアムズバーグに向けてネイビーヤードを50分くらい歩いている中で、異様なハシディックの世界を通過して、二人ともあまりにもわからないことが多すぎて困惑した。みんなのガラケーの使い方に違和感を感じる。凄まじい数の幼稚園児くらいの子供たちが皆ヘブライ語で遊んでいて、一様に真っ黒なその服装の集合体。家並みの閉塞感。東西分断時代の東ベルリンなのかここは?というような閉塞感あるマンションは、ニューヨークの中ではすごく異様だ。みたことないほど飲食店がなくて、スーパーも全然ない。コマーシャルボードが全くない。工場地帯のような静かな景色と、全くニューヨークらしい開放感が消し切られた閉塞感ある建物に雰囲気。なんなんだ!?ここは!?
と歩き抜け、今夜はハシディックを調べよう、ということになった。
そうやってウィリアムズバーグに到着し、「あぁ、なんかやっと呼吸が楽になったね」と言い合った。
ドミノパークに行ってまた一通りノスタルジーを覚える。ドミノパークは、NY day2に歩いてきた場所だ。あの頃は半袖を着ていた。今はアイススケートパークが楽しげで、雪景色のドミノ。気になる本屋があって入り、これ以上荷物を増やしてはいけないと本屋に入る度に思って、結局また買いたいものを手に取って、レジに持っていって、カードで払いたいと言ったら1ドルだから良いよそのまま持っていきなと言われる。
ご機嫌に到着した今宵のレストランはHave & Mayer.ところで今夜はスーパーボウル。アメリカの一年で一番大きいイベントの一つとのことで、レストランがガラ空き!!!スポーツバーに人口が集中している。そうか!予約の取りづらいレストランはスーパーボウルの日が狙い目なのか!と気がつく崇くん。
Have & Mayerは行かないわけには行かなかった。ビアンカの究極のお勧め。本当に大事な友達かめちゃくちゃ気に入った男の子しか連れて行かない究極のデートスポット、という説明でお薦めされたレストラン。インテリアデザイナーもしているビアンカがそこまでいう空間を、覗かずに帰る訳には行かないよねぇ。
素敵だった。隠れ家的なくすぐられる素敵さと、ちょっと特別な感じとカジュアルさのバランスが絶妙で、どっちのテンションにもなれる。アンティーク調なインテリアと植物のバランスも可愛かった~
あとは最初から最後まで���しんでいたのは、全ての(アンティーク調な)ワイングラスが全部違うの!どのテーブルにも最初からグラスが置かれていて、見渡す限り全部違うグラスだった。見ていて飽きない。。。
食事はお高め。一番高い外食だったな。
なすが大好きな崇くんを前に、Grilled eggpluntから目が離せなくなった我々。それからTerreのGrilled Octopusの感動を引きずり続けている我々は食べ比べと評してGrilled Octopus、お姉さんの激推しだったので。どちらも小ぶりの上品な皿だった。崇の表現ではこちらのGrilled OpctopusはTerreのよりも全体を均一にグリルされているのが良いとのこと。Terreは太さ細さによってグリル加減が変化していてそれが良い、とのこと。Terreの一皿の感動は付け合わせにもあるのよね、ちょっとフムスっぽいビネガーの効いたあの付け合わせはなんだったのか、、、。「帰ったらGrilled Octopusやってみよ~」と私。「日本帰る前にやってみようよ」崇。メインはSmoked Mozzareraのパスタ。ニューヨークの本物イタリアンは全てパスタは自家製のようですね。それからナチュールワイン。ナチュールだけどPas Loinのナチュールよりもクラシカル寄りなんだよなぁ。Smoked Mozzareraを味わいながら、またまたRV tripの炭火焼とか言って楽しんでいたBBQに思いを馳せる我々であった。
レストランは兎にも角にもガラガラで、隠れ家席の裏に座っているゲイカップルと我々くらいしかいないのでお姉さんがもうぱっぱぱっぱ来ちゃって逆にのんびりできないというカラクリの時間だった。ガラガラだからのんびりできるね!という最初のアイディアは食べ終わる頃には無くなっていて、誘われるままにティラミスを食べ終えた我々は、次どこいく?という話になる。結局、Terre行って食べ損ねたブラータとプロシュートのあいつ、食べておく!?という冗談調なアイディアに即決した我々。てくてく歩いて再びTerreへ。やっぱり大好きすぎる。
「Biancaが究極のデートスポットをこっちじゃなくてHave & Mayerにしたのはわかる気がするなぁ」と崇。「なんで?」と私。私はどうもTerreの方が好きだ!Have & Mayerももうそれはそれは素敵極まりないのだけど、ちょっと素敵すぎちゃって笑 Terreくらいアットホームな雰囲気で中身は至極の料理を出すお店によりグッと来ちゃう。「Have & Mayerの空間の作り込み方とかは確かにTerreのカジュアルさより究極感あるじゃん」と崇。でも俺もTerreの方が好き、とのことでした。34歳の誕生日にTerreに来たい、という目標を定めたわたくし。ブラータとプロシュートのプレートには先日のブルスケッタに乗っている例のトマトがついてきて最高でした。ワインもベリグッドでした。贅沢すぎる!という持て余すほどの贅沢をひたひたに味わい尽くして帰宅した。
Netflixでハシディックに関するドキュメンタリーを観たけれど、謎がより一層深まったのと私はちょいちょい寝落ちた。
そうして翌朝が、このpagesを書き始めた2/10になると言うことですね。読みづらいなぁ。まぁ良いか~~~
月曜日、2/10の朝はプロスペクトパークのジョギングをしてからパン屋に行くと午前中が勿体無い、と言う限られた時間を感じてしまうモードに入っていたので、パン屋に走って行く、と言う一石二鳥コースを実施してみた。パン屋までは歩いて片道20分くらいなのでジョギングコースに最適では?とザック背負ってジョギング。でもやっぱり公園を毎日走れちゃう最高の環境だったので、通りを走るのはそんなに気持ちの良いものではなかった、信号に、通行人に、凍った歩道に。大好きすぎるこのパン屋も、これで最後になるのかなぁ、と言う気持ち。
引き続き大好きなAnaisに行って昨日サボった分の仕事と、ここ最近の振り返り上記を書き、そういえばすっかり911メモリアルミュージアムのフリーチケット取るの忘れたなーとなった。パルミジャーノレッジャーノを買って帰ってリゾの晩。『アンオーソドックス』Netflixのハシディックのドラマを一気見した。
火曜日はウィリアムズバーグに出かけてTrader’s Joesでお土産を買って、Bakeriでバゲットを買って、カフェがどこも混んでいたのでCafe Mogadorに入ってみた。コーヒーだけのつもりだったのに空気感に飲まれまくってチーズケーキをオーダーしてしまった。至福のティータイムであった。上記の続きを書いて帰って新人研修やった。20時半に新人研修が終わってブイヤベースを作り始めた。今夜何食べる?話をしていて珍しく?崇が海鮮にしよう、と言うので使われてなかったサフランの出番とばかりにブイヤベースを提案。私がCafe Mogadorにいるうちに崇がブルックリンハイツの気になっている魚屋さんに行ってくると言って、私はセロリを探し求めて結局ユニオンで見つけた。ニューヨークの海鮮は軽井沢ツルヤの海鮮には叶わず、思ってたほど魚介スープの濃さが出なかったけれど、美味しいワインがあるので結果オーライな晩だった。
てな訳で、書きかけを重ね続けた今は2/12の17:20 at Anais. 間も無く、帰らなくては。
最終日の水曜日、本日は昨夜雪��降ったので朝から散歩に出た。こんなにも帰るのが悲しいなんて、生まれて初めての感情である。日本には友達もいて家族もいて温泉もあるけど、まだニューヨークに居たいねぇ。結局後ろ髪引かれちゃうのか単に散歩が好きなのか2時間半くらい散歩してた。サンフランシスコからBrooklynに来たのが1/5の晩で、その夜はVillage Vanguardに行った。翌日の11時に、ビアンカの友達のペットグッズを作っている作家さんに会いに行ったカフェが家から徒歩15分くらいなので、久しぶりにそのカフェに行ってラテを持って散歩しようというアイディア。ビアンカの友達さんとはなんか英語が話しやすくて楽しく話したカフェ。我が家のワンコ4匹に特注リードをオーダーしたカフェ。浅野忠信がガッツポーズしている写真が一面にある新聞がぺろりんとテーブルに置かれていたカフェ。あの日も雪だったというかあの日の雪が結局ニューヨークで見た一番素敵な雪景色だった。あの日はまだ、これからもっと雪が降るんだろうな、楽しみだな、と思っていた。その2日後に西海岸に戻ることになった。あの束の間の、「これから残りの期間、ブルックリンを楽しむぞ!」と思っていた、不思議なサンドイッチの具材みたいな印象になって残っている束の間の数日間に散歩していたあたりを散歩した、最後の日の朝。
そのカフェにはペットグッズを受け取りに1/7にも行ったのだけれど、持ち帰りでオーダーしたのは今朝が初めて。蓋に書かれた「Hazuki」がなんだか可愛い。ラテはミルクの配分が多すぎて、エスプレッソ風味のホットミルク、みたいな飲み物だった。ラテを片手にカメラを2台首から下げて1時間半くらいプロスペクトパークを散歩した。思考が捗ったというか考え事をずっとしていたけれど何考えていたのかあまり覚えていない。気持ちの良い飽きることのない散歩だった。公園の雪景色って、別にニューヨーク感ある景色かというとそうでもないのに、好きなものは好きなのよね、と独りごちた。雪でもランナーがたくさんいて、犬はより一層楽しそうにしていて、鴨は今日も勇ましいほどの集合をしていた。
散歩から戻ったら通りにエドがいた。あれ?エドの話ってこの日記でしたことがない!?エドは同居人ね。まぁエドの説明はいつかするとして、ともかく、通りでエドと、「なんでかね、またゴミ回収されなかったね」と話してから「ところで明日はバハマに何時に出るの?」と聞いたら「朝なんだよ8時とか」と言うので、「私も明日、朝早く出る」と言ってウーバーに乗るエドに分かれて帰宅した。
シャワーを浴びて、荷造りを始める。始めようとして盛大にかっぴろげたんだけど、お腹が空いて待てない崇さんが「ブイヤベーススープでのリゾットの作り方教えて。教えてくれたら作るから。」と言うので降りていって(あ、部屋は3階。共有キッチンは1階)リゾを作った。美味しかったけれど、やっぱり海鮮の濃度が足りない。崇が日本に次に来たら、軽井沢ツルヤの海鮮でちゃんとブイヤベースを作って食べて欲しい。
パッキングに戻って、過去にワインをお土産に持ち帰ろうとした自分を憎んだ。難しいし重いし!!!ワインってとてもよろしくないわね、持ち帰ろうとするの。絶対入り切らない、と怯えてかかった荷造りだったけど、なんとかなりそう。まだ持ち上げてないので最後の不安は残っているけれど。
荷造りの目処が立ったので大好きなサワドーを家に持ち帰ろうと買いに出かける。家から20分。WINNERからAnaisまで40分。1時間も歩いていたとは思えないほど、噛み締めていたらあっという間だった。one last sip of French Perl at Anaisと出かけてきたのが今ということです。
ビアンカに感謝の手紙を書いて、この時空が行き交いすぎている日記?の後半を大急ぎでここまで書き殴った感じ。RV tip日記は、日本に持ち帰りたくなかったけれど、仕方ないね、日本でのんびり回顧しましょう~。
さぁ、帰らなくちゃ!!!
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大変おくらばせながら、付き合って100日目に廉くんとデートしてきましたよ日記を書きます!いつの話やねん!って感じかもやけどもっと早く書けば良かった。でもおれこうやってしっかりレポみたいに書くのあんましないからどきどき。まず1日目、会う前から廉くんが「みっちーに渡したいものある!よろこんでくれるかな。」って言うてくれてて、なにかなーって楽しみにしてたんやけどおれがすごく気に入ってるカカオのいぬのスタンプのぬいぐるみをくれました!前に二人で探してみたときは全然どこにもなくてやっぱり韓国のなんかなー?って言うてたからびっくりした。必死に探してくれたんやって。届いてから本物かわからんかったからもう一個頼んだって言うてて律儀で好きやなって思いました。そこから事前に気になっててすごく行きたかったカフェに向かってんけど、向かってる途中にめちゃくちゃ混むらしいって情報を見つけて冷や汗かいてました。いざ着いたら案の定ほんまに飲食店か?ってくらいの列を成していてさすがに何時間かかるか分からんかったから諦め。近くにいい感じのカフェを見つけたのでそっちに入りました!おれは悩んだ末いちご畑っていう飲み物を頼んで、ツレドリンクやー!とか言うて喜んでたんやけどワッフルも甘くて飲み物も甘くて途中から🫤この顔になってた。そしたら廉くんが飲み物少しくれました。このワッフルが結構硬くて切るの苦戦��てたらそれがおもろかったらしく廉くんに何度か真似されました。すーぐまねしてくる!写真に映ってるいぬたちがそのぬいぐるみです。かわいいやろ。

次の目的地向かう時におれら二人とも地図アプリとか表札とかみて一生懸命向かおうとするねんけど、わけわからん階段に誘導されたりとか同じ道ぐるぐるしたりしててほんまに二人ともあかんな!ってなっておもしろかった。無事遊園地に到着できて、みたかったイルミネーションも見れた!列並んでる時に唐突におれのカバンがちぎれたんやけど、絶望の気持ちVS空気壊したくなくて必死に我慢してるおれの隣でそんなおれを見てお腹抱えて爆笑してる廉くんの図、おれはたぶんずっとあの瞬間を忘れへんやろなーって思った。悪い意味でおれってこういうとこあるよなーって思うんやけど、廉くんが笑い飛ばしてくれるならなんでもいいなあって。すきやなあって思いました。去年のうちで最後やったらしいまんまる満月も見れたし、勇気出して腕掴んで歩けたし、満足げな顔してたと思うおれ。カバンが壊れた人と思えへんくらいご機嫌やった。きらきらの遊園地を背景に好きな人の隣歩くの、ほんまに幸せやったなあ。その後レストラン予約してたから頑張ってお腹空かせてたんやけど、めちゃくちゃ唐揚げの匂いしてきてまんまと唐揚げ食べたくなって。「食べたいなー!」言うてたら廉くんが買ってくれました。「俺も食べるよ、食べる?」って言うてくれて。好きやった。どこの部分思い出しても好きやなあ。

その後早々に遊園地を後にして、予約してたレストランに。おれの前ではお酒飲まへんって言うてたのに一緒にお酒飲めてうれしかった。前菜からなにからなに食べても美味しくて、横断歩道を眺める席でふたりでにこにこで食事しました。廉くんが席外したタイミングで店員さんに予約してたプレート出してもらうようにお願いして、帰ってきた廉くん出迎えたらたぶんおれがカバン触ってたからもう帰るんかと思った廉くんが上着着出したから焦って止めて、「まだもうちょっとここおらん?」とか言うたら素直に着席してくれて「じゃあなんか頼もかなー!」とか言いながらデザートのメニュー見出したから「デザートより先に飲み物ちゃうかな?」とか苦しすぎる提案をしたんやけどすんなり「確かにそうやね!」とか言いながらドリンクだけを注文してくれました。ほんまに素直な人で助かった。勘付かれる前に来てくれるかなってそわそわしてたら、花火ばちばちのサプライズプレートが来てくれました。廉くんめちゃくちゃびっくりしてた!成功してよかった。

次の日は二人とも起きられへんくてだらだらしたあと、おれのカバンを見に行きました。めーっちゃかわいいの見つけられて即購入。そのカバン自体もほんまにかわいいし気に入って、廉くんにも色どれがいいと思う?って聞いて決めたからほんまに愛着湧いて、このカバンを今日買うためにカバンが壊れたんや!って思えるくらい気に入った。結果的によかったなーって思った。廉くんに似てるハチワレとおれに似てるらしいちいかわをお互い買いました。めっちゃかわいい。廉くんはいつもおれのちいかわを持ち歩いてくれててそれもかわいい。

そこから予約してたお寿司屋さんに行ったんやけど、ほんっまにめちゃくちゃおいしかった!びっくり。2人ともお酒飲みながらご機嫌でお寿司食べました。おいしいお寿司食べながら、あの時こう思ってたんだよーとか、たぶんあの時から好きやったんやろうなーとかお互い話したのがとっても楽しくてちょっと恥ずかしかった。ほんのり酔って赤い顔でにこにこだった廉くん、いつ思い出してもかわいい。

帰ってから寝る前一緒にテレビ見てたんやけど、絶対に廉くんのデートCM見たくないおれVSなにがなんでもおれにCMを見せたい廉くんやった。「CM早く流れんかなー!」とか言うてにやにやしてた。あの人。やれやれ。
最終日はゆっくり買い物したり、マリオカートしたり(俺が勝ちました!)、すごい高い階で優雅にご飯を食べました。廉くんは案の定ポテトをめちゃくちゃ気に入ってました。一番うまい!!とか言うてて好きやった。他にも高いの沢山あったのに。

そこからはもう帰りの時間が迫ってたからめちゃくちゃどたばたですぐばいばいの時間に。ほんまにあの時の廉くんの顔思い出すだけで抱きしめたくなる。いつもおれに年上やから!先輩やから!言うてくるけど、ちゃんと弱いところというか素直に感情を見せてくれるのもおれはほんまに嬉しいです。普段廉くんが言うてることを、どんな表情なのかなとかどんな様子なんかなとか思ってたのが今は具体的に想像つくようになって、すごく嬉しい。おれもこの3日間で廉くんの好きなとこいっぱいいっぱい増えたし、今までに好きやなって思ってた部分も何倍も好きになった。廉くんがおれのことすごくすごく好きでいてくれてるのも伝わったし、おれもこの人のこと心底好きやなあって思いました。ほんまは毎日毎日会いたいけど、大人なので我慢。また次のデートを夢見て日々を頑張ります!廉くんだいすき。素敵な三日間をほんまにありがとう。

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12月のビッグイベントといえばみっちーとのデートでした。みっちーと一緒に過ごしたこの3日間たっくさん思い出あるからここに記録しておくー。拙い文章やけど許してね。

まずはこのかわいいカフェ!ほんまは違うとこに行く予定やってんけど大行列で。これは待ってたら次の予定に間に合わへんぞってことでここのカフェに来たんやけどここも大当たりでした。美味しかったね。でもまたあのカフェも絶対行こね!約束。また楽しみ増えたなあ。あ、あとね真ん中にいるマスコット!これはみっちーがよくカカオのスタンプで使ってるわんこ。これみっちーにあげたくて血眼で探しました。廉さん頑張りました。喜んでくれて嬉しかったし渡せて嬉しかったー!はよ渡したくてうずうずしてたもんなー。みっちーを喜ばせるぞ大作戦は成功しました。ピース。


夜は遊園地のイルミネーション見てきましたー!めちゃくちゃ綺麗ちゃう?みんなにもおすそわけ。ほんまに綺麗やった。めちゃくちゃ見惚れたもんね。俺ね、今年はやりたいことリストってやつを作ってまして。その中のひとつに「イルミネーションを見る!」を書いててんな。それを書くときにあわよくば好きな人と!って思いながら書いたらまさかの叶いました。みっちーと見れて良かったって凄く思います。そんでね、遊園地やったからアトラクションもあってんやんか。やから乗るぞー!って並んでた時にハプニング発生!みっちーのカバンが壊れちゃった…。みっちーそのカバンをこのデートのために用意してくれてたらしくめちゃくちゃしょんぼりしてました。もうね、LINEスタンプにできるくらいわかりやすく。思わず大爆笑してしまいました。しょんぼり顔も可愛かってん。全部愛おしくて笑っちゃった。腹抱えて笑ったのはごめんやで。でも次の日とびきりおしゃれなカバン買えてるんるん満面の笑み浮かべてました。「どっちの色がええかなあ?」って真剣な顔して聞いてくるのも全部可愛かった。めちゃくちゃデートやん!ってデートやけど思いました。


それでこれはめちゃくちゃ美味しいご飯とみっちーからのサプライズ。俺たちが会った日は偶然にも100日記念日やったみたい。俺は会う直前に気付いたのにみっちーは前から気付いて予約してくれてました。ほんまにびっくりしたし嬉しかった。きっと俺めちゃくちゃいいリアクションしてたと思う。目ん玉飛び出る?くらい驚いた。みっちーってほんま俺のこと好きやな!と思いつつ、こんな素敵で優しいあったかいみっちーと両想いでいれることがつくづく幸せやなって感じました。それでね、この日満月ですごくすごく月も綺麗な日やった!2人で綺麗だねえってにこにこで見れたのも凄く幸せやった。ふたりだけのものにしたいから月の写真はここに載せません!(謎の独占欲)
という感じでね、もうここだけ見ても楽しそうでしょ!うん、ほんまに楽しかったなあ。みっちーと会って、みっちーと一緒に過ごしていっぱいみっちーの良いなって思うところが増えました。喜怒哀楽全部めちゃくちゃ顔に出ちゃうところとか、俺がドジしちゃうから「段差あるから!きをつけて!」って毎回気にかけてくれるところとか、お風呂でドジしてなんか1人で喋ってるところとか(外まで丸聞こえでしたよ)、一生懸命地図と睨めっこするところとか、めちゃくちゃにこにこで俺のこと見てくれるとことか。まだまだあるけどそろそろ恥ずかしくなってきたからここまでにしとこ。ほんまにね大充実の3日間やったの。やから俺終わって欲しくなくて2日目の夜とかひっそり泣いたし、バイバイする時は大泣きかましました。ほんまに年上?俺。いくつになってもバイバイは苦手やなあって痛感した。泣いちゃうくらいみっちーと離れたくなかったしほんまに楽しかったみたい。でもまた会えるから。その日のためにまたお仕事も自分磨きも頑張ろうと思います。改めて、長なったけど!みっちー、会ってくれて大事な3日間を俺と過ごしてくれてありがとう。もっともっとみっちーのことが大好きになりました。これから先も俺たちはながく一緒にいるやろうからいっぱい思い出作っていこうね。大好きだよ。

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重慶の隠れ家カフェ「梦谷咖啡」へようこそ!
四川美術学院に隣接する公園内にひっそりと佇むこちらのカフェは、アート好きやカフェ好きにとってまさに天国!美術学院の影響を受けた壁画アートが公園全体を彩り、歩くだけでも楽しいスポットです。
店内は天井が高く、広々としていてとても開放的な空間。リーズナブルな価格で本格派のコーヒーが楽しめます。特におすすめは、20元で味わえるアメリカンコーヒー。苦味の効いたパンチ力抜群の一杯は、心も体も目覚めさせてくれます。
お気に入りの本を片手にコーヒーを楽しむと、つい時間を忘れてしまう心地よさ。アートとコーヒーが織りなすこの特別な空間で、あなたも癒しのひとときを過ごしてみませんか?










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