#街中華好きと繋がりたい
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無題
平穏よりも胸のときめきをいちばんにしたら世界のぶあつい皮膚が一枚めくれたかのようになにもかもが歌い踊りかがやきはじめたのをいまでも覚えている。わたしは親が厳しくて外泊できないけれど、そのあいだに同級生の子たちはうつくしい島の海に反射する満月をみて、だれかと夜通しぴたりとからだをあわせて内緒話をするような、今にもぷつりと切れそうな糸のように細くて鋭い若さを世界の夢に浸らせている。感性を野放しにして、こどものころの感動をひとつずつ取り戻す時間がわたしにも必要だった。けれど思いどおりにいかないこともある、それも定めとおもって歯をぎゅっとくいしばる。わたしには必要だった。路上、白い廊下みたいに澄んだ朝霧をかんじる時間。薄いトップス。ズレた口紅。好きな男の子と寝て一限目をサボるとか、夜の街頭を走り抜け、くだらないことに時間とお金を費やすこと。「それだけじゃない、夜に遊ばなくても昼に釣りをしたりサッカーしたりそういう遊び方だってあるだろう。そっちのほうが幾分もまともだ」 おとうさんは夜遅くに帰ってきたわたしを叱りつけ、そう言った。わたしはけしてワルにあこがれているのではなくて、ただただ綺麗なものに飽きただけだった。わたしにとって祈りや信仰はさいしょから型があってそれに当て嵌めてハイ完成みたいなかわいいお菓子作りのようなものじゃなかった。昔も今も自分でうつくしい歌をつくれない。うつくしいものがたりをかけない。うつくしい絵を描けない。世の中にはフォロワーが万桁いる女子高生がいて、今、世界中では何千もの美術展が開催されていて、明日、いつかオリンピックに出るであろう少年がはじめてスケボーに乗るかもしれない。わたしには何もできないかもしれないけれど、彼らの生き様はわたしをわたしたらしめる微かなエッセンスとしてわたしに溶け込む。それを祈りという言葉で表象してはだめ?これからのことをかんがえると、ずっとどきどきする。目の前の光景が、訪れたことのない地の光が、風が、わたしを、わたしのからだを必要としてる気がする。世界中に張り巡らされた血管がわたしの心臓部にも繋がっているような心地。死ぬ5秒前ってどんな感覚なのかしらないけど、築き上げた塔が崩れてゆく感じなのかな、雪景色のような。
無題
朝起きたら腕に友達の噛み跡と身に覚えのない痣が3つくらいあった。耐え難い疲労がからだのあちこちにひっついて、入れ墨と化している。活字の海を、本をその背に背負えたらよかったのに、今のわたしを崖っぷちに引き止めているのはうつくしい言葉でもなくて、泥に塗れた重いカルマ。イヤホンの先から垂れ流れる音楽すらも風のように軽やかで自由なものではなくて、ねばねばした気持ちわるくてかなしいものに聴こえた。夏と、そのあつさと、その底知れぬ闇に街ゆくものすべてがこころのずっと奥の方で平伏している。昼過ぎにスクランブル交差点前の���大スクリーンが薄青い空を泳いでいるようにみえたこと、街ゆく人の肌色が、シャボン玉のようにその熱を吸収して発光していたこと、ぜんぶなんか夢みたいにふわふわしているかんじがした。もうすぐでなつやすみなのに、大学入ってからそれまでもずーっと夏休みのような感じだったからあまりどきどきしない。みずみずしくずっと光っていたい。わたしもいつかデカい人間になりたい、いつかいつかいつかという文句ばかりが増えてゆくのを横目でみて、ぜんぶカサブタを剥がすように振り解いて拭ってくれる奇跡みたいな命、日々、音をどうしても期待してしまう。どうすればいいんだろーと思いながらまたあしたも友人と夜ご飯をたべにいく約束した。それでまた家に帰って、朝起きて虚無感に苛まされて、の繰り返しを大量の課題で中和する。薄暗い中でたべるごはんとか朝早��きして化粧をすることじゃない、今はなにもない海とか草原でなにも繕わずにその自然のデカさとか愛を仰向けになって享受するのがいちばんただしいきがする。たすけてと呼ぶには大袈裟すぎるし。
end
泣き出しそうに張り詰めた空気に鼻を啜る。世界の彩度が落ちて、ぶあつい服を着た街ゆく人たちが皆んなちっちゃな怪獣みたいにみえる。肌寒い。外はずっと灰色、モスグリーン、レモンみたいな匂い。大きな木が揺れて、木の葉の上に横たわっていた雨の滴が霧のように3秒間くらい降った。最近は毎日毎日やることが多くて、それをこなしているあいだに1日が終わる。3日連続で化粧を落とさずに寝てしまった。多くの人が電車にのっているときに外の景色に目をやらないのと同じ感覚で、わたしも生活の外側にひろがる微かな動きに鈍くなった。ずっと特別でありたかった、1番愛されたかった、そういった思春期的な熱望とどんどん疎遠になっていく自分に日々焦ったり安堵したりしている。だけど同時に、わたしの中をまだ生きている17歳のわたしがその面影をときどき覗かせる。期待させる。突拍子もなく走ったり、ゲラゲラ笑ったりする。些細なことで泣いたり、理不尽な世界に怒っている。良くも悪くも変わっていくのなら、これからの自分に期待をしたい。アルバイト先では後輩が6人くらいできて、みんなわたしよりも仕事ができる。わたしはもともと注意をされると衝動的に泣いてしまうところがあったし、シンプルに忘れっぽかった。あまりにも器用に仕事ができないので、ある日店長とそのことについて話し合ったら意識の問題と言われた。その1、人からのアドバイスに劣っている自分を見出してはだめ。その2、素直に人からの意見を受けとる。その3、自分のためでなくだれかのために働く。この3つを約束した。夜の繁華街で50歳の男���に飲みにいきませんかと声をかけられたり、あした授業にどんな服でいくかを考えながら化粧品を見に薬局に寄り道したり、腕に点々とのこる虫刺され痕をみて、それを残した蚊のことを考える。あした、図書館で借りた本の返却期限。わたしもちっちゃな怪獣になって寒さをまるごと食べてしまいたい、寒い日の、霞んだ光やクリアな淋しさ、果実のようにぎゅうぎゅうに酸っぱい気持ちを。
slow burning
大学一年生というよりも、高校四年生というような振る舞いをしているなあ、と自分のことを客観視する。新宿の横断歩道橋から行き交う人々を眺める。つい最近まで、委員会の同期の仲の良さにムラができていて、グループとかカーストとかそういう言葉が浮上してきてしまうほど揉めそうになっていた。それでも、それぞれが居心地の良い場所にしようと歩み寄っている。こういう、諦めによる愛想ではなくて心からの気持ちに胸を打たれる。明大前の飲み屋で酔っ払って「俺みんなのこと愛してるよ」と照れ笑いする先輩に、わたしたちみんな、キモいねーなんて言って茶化した。そのあと夜の大学で騒いでいたら警備員に注意された。机の下に10円玉を落としたのを拾わないで帰る。いつまでも赦されていたい。山猫のような女の子でいたかった。すぐ隣、肌すれすれにだれかの温もりを感じて弱さを誤魔化すのではなくて弱さを共鳴しあっていたい。「東京の人は生き急いでいる」なんて言葉があるけれど、わたしは美しい光景がそこに広がっていれば必ず立ち止まる人でありたい。仕事に遅れそう、とか、終電が、とかじゃない、好きな人たちのためだけに忙しくありたい。恋人は待ち合わせをするとき、「どこでおちあう?」と聞くのだけど、高2の頃、初めて会う日、それを「(恋に)落ち合う」と勝手に解釈して勝手にどきどきしたのを思い出した。それからわたしも「どこで落ちあう?」と聞くようにしている。ドア窓の形に切り取られた青い影が電車のフロアに映って、がたんごとんという音に沿ってフィルム映画みたいに小刻みにうごいていた。池袋で新疆料理をたべて、お腹を下す。スペイン語の中間試験。渋谷で5分1000円の手相占いをしたら、鎖みたいにいくつもの線が絡まっていますね、と言われた。意外と気にしいなんじゃない���すか?「そうですね」と答える。駄菓子屋で1000円使い切ったほうが幸せになれそうだとおもった。電車の隣の線路にカラスが一羽いた。こんなに近くでみるのははじめてだ、と思って、じーっとみつめた。黒なのに黒じゃなくて、光を受けて渋いグリーンや紫っぽくみえる羽毛に目を見張る。なんか、空はどこまでも真っ青なのに光の細部だけ色があたたかい夕方前みたい。ふわっとなにかに気付いて、じーっとそれを見つめて、そこになにかが“視える”とぜんぶ途端にスローモーションになって、焦燥感や虚しさがたちあがってくる瞬間がある。からっぽなのにぎゅうぎゅうな感じ。AirPodsをケースにしまう音が体感的に5秒間くらい耳に残ったり、自分の息遣いにどきどきしたり、すれ違う男子高校生の会話声や、鳥が羽をはためかせる様子がクリアに輪郭が保ったまま空中を転がる。ガムを買って噛みながら、心のもやもやしたなにかを同時に小さく噛み砕いてゆく。光の洪水。家に帰ってパスタをたべたあと、お風呂で下の毛をつるつるにする。夕方終わりにお風呂に入るの、とても好きだなあと思う。コンタクトレンズを外さないまま、化粧も落とさずベッドへダイブする。瞼の裏に東京タワーの赤がたましいの塊みたいにまあるく光っている、はやく何もかも諦められる年齢になりたいと思う。
無題
なんかまじでわたしが疲弊していて悲観しているのか、世界が残酷なのかわからなくなってきた。脳科学の講義を受講したあと、テキトーに混雑した休日の街をあるいていたら皆んなの脳みそが透けて浮きでてきそうで気持ち悪くなった。地球4周分の神経線維。そう、どでかい爆弾が街ゆく人々の頭蓋骨に葬られている。ニューロンが軸索を介してつながってゆく、放出と受容を繰り返してみんな手を繋ぎあってゆく。セール中でバイトの雰囲気がぴりぴりしていて、みんな資本主義の豚みたいに働いていた。うつくしくないとおもったし、私も美しくなかった。結いた髪に、ぴたっとあげられた前髪。なにを思っているのかを書くのがずっと怖かった。もしかしたら私の感じているこの欲望はとても汚らわしいもので、それゆえにだれかを傷つけてしまうかもしれない。でも、言葉にしなければすぐにわすれてしまう感情に名前をあげなくなって、水をあげなくなって、そうしたら、じぶんの脳みその溝をうめていたみずみずしい苔までもがすっかり枯れきってしまって虚構を連ねるようになった。空洞に哀しみの音だけが響き渡る。友達はいるけど、私はその友達の1番になれない。恋人みたいな人はいるけど、私はその恋人の1番にはなれない。1番っていうのはほんとうの意味での1番、2番とか3番とかがいない1番。圧倒的な2人の世界の中でのフェアで高貴な1番。有名になりたかった。文章でも外見でも写真でもなんでもいい、だれにも敵わない羽根で世界を羽ばたいてみたかった。わたしを選ばないで、そこらへんのそれっぽくかわいい女の子を選ぶかっこいい男の子たちを信じられないでいる。外国に行ったらモテるよ^_^と投げかけられた言葉について何回も考えるけど、考えるたびにかなしくなる。でもね、神様はいるとおもう。木漏れ日の首筋に、砂丘のしずけさに、広大な空の一枚下に、その温もりと永遠が芽吹いているのをしっている。そのたびに、わたしはこの世界に愛されていて、まだ19歳で、まだ何にでもなれて、そして世界を(気持ちがあふれてしまいそうなくらい)等身大で愛しているドラゴンみたいにかわいい女の子だとまじないを唱えるようにして心を強く保つ。アスファルトに散った桜が朽ちて、吐瀉物のようにグロテスクにぬるい光を浴びている。走り抜ける。だれかの憎悪の中に、疑念の中に、見下しの中に憧憬の眼差しを覚えながら。東京で灯される光の数だけ、アフリカの広原でつややかな花が咲けばいいのに。光の重さの分だけ、銃弾が軽くなればいいのに。帰り道、ひさしぶりにパンを買って帰った。
日記
弟がiPadのタッチペンを無くしたらしくて、それを聞いた母がすぐにAmazonで検索して新しいのを買った。こういうとき、ほんとうになんか小さなことだけれど、すごく心が愛にみちる。
大学の新校舎の建物のにおいが400人もの人が集まった大教室の縁をすべっていく。扉を開けた瞬間、目と目と目がわたしの顔を捉える。湿気漂うフロアにだれかがペンを落とす音、先生のマイクが吐息までもを拾って湿った熱を加速させる。「儚いって聞いて何を思い浮かべますか?蝶?蛍?蝉?トンボ?」 教授がそう聞くと、みんなのえらぶ選択肢がちょうど均等に分かれる。講義が終わるといつもすぐに帰るイケてる男の子が蛍を選んでいて、なおさらかっこよく見えた。わたし、インスタのフォロワーが490人いるんだけど、その人数って今見てるこの人たちよりももっともっと多いのかと思うとなんか心強いような息苦しいような、不思議な気持ちになるなーとぼんやり思った。君たちはぶっちゃけ勝ち組です、という先生がキモかった。海外の大学院に行きたい。わたしはもっともっと色々な人を知るべきだし、美しい景色にであうべきだし、貪欲に学ぶべきだとおもうから。聡明になって、お金を稼いで、将来だいすきなひとたちにたらふくご飯をたべさせてあげたい。お母さんとお父さんが育ててくれた、守ってくれた���の心の真ん中にそびえる愛情のかたまりを誰かに分け与えていきたい。でも、そうとも思うけど、逆にそれをこなごなにさせてくれる危険性や若さゆえの解放にも目が眩んでしまうの。「今しかできない」ってとてもずるい言葉だなあ。
19さい
19歳とかいちばん呪われていた1年だった。まだハタチじゃないけど、もうそうさせて、と思うくらいに、1年のあいだに10年分くらいの幸せと不幸せがぎゅうぎゅう詰めに、どっちがどっちかわからなくなるくらいに入り乱れててくるしくてさみしくて悲しかった。くるしかった。わたしと同じ純度で、等しく、あいしてほしい。あいされたい。
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24年11月4週目
父の四十九日が終わり、樹木葬と海洋散骨の準備が進む。骨の一部を粉にしてもらって、船の手配も済んだ。あと���当日ちゃんと船が来るかどうかだけが心配だ。
土曜の朝、最近はいつも会社に行く時間にあたりになぜか起きがちなんだけど(平日はぜんぜん起きられないのに!)金曜に整体に行ったおかげか8時間眠れた。ジム行く前はなんとなく、月1整体かマッサージに行く気持ちでいたけど、ジム通うようになってから気になったときしか整体に行っていない。って話をしたら、体の歪みが強いから月1くらいでメンテナンスした方が良いよって言われちゃった。営業トークだろうけど、逆にジムに通うようになってから自分の体が歪んでいる自覚は強くなったので、そうだよなぁとも思う。ただ、勤務地変わりそうだから、その店舗には通えないんだよな。他の支店、帰り道にあるかな。
土曜日すっきり起きて観たい映画の1回目に間に合いそうだったので、急いで支度して新宿に向かった。まだ電車も街中も空いていて、土曜の初回映画を観に行けるタイプの人と付き合いたい。「silent」「いちばんすきな花」「海のはじまり」の脚本家の生方さんの脚本の巧さと普段動かない感情がギュッとなる感じがすごく好きでこの映画のことを知ってから観たいと思っていた『アット・ザ・ベンチ』。観るまでふんわりとしか知らなかったんだけど、4人の脚本家が1つのベンチを主軸に5本の作品のオムニバス形式の作品。同じ主演の2人でのオムニバスかと思ってたら、それぞれ主役級の俳優さんたちが出てくる豪華な作品だった。2作品目の岡山天音と岸井ゆきのカップルの別れ話の手前みたいな作品がほどよいラブコメだった。
家でずっと昔に録画していた『ハイスクールミュージカル ザ・ムービー』を観た。最後の映画なんだね。高校三年生に仲良いクラスに転校してきたみたいな気分で全体的にちょっとついていけなかった。本当はハイスクールミュージカル世代なんだけど、当時は全然観てない。映画を一本観たくらい?アメリカのディズニーでハイスクールミュージカルナイトみたいなイベントがあるのを知って観たいと思っていたのだ。でもやっぱりこういうシリーズものはちゃんと順を追わないと面白さ半減なんだよね。ザック・エフロンってこのあたりの作品の後観たのが、『グレイテスト・ショーマン』で、突然おじさん?いい年したお兄さんになっていてビックリしたけど、年が近いせいかあれはあれで良かったんだよな。ミュージカル部分だけ観たくなってきた。
大事に大事に読んでいた『マチネの終わりに』を読み終えた。上手く言葉にできないけど、ギュッと抱きしめて生きていきたい小説。必ず買おう。知的な大人が好きなせいか、ふたりが会話のベースが高い位置にあって、お互いにぴったりとはまるように感じている様子が心地良かった。大人の恋愛小説と発売当時単行本に書いてあったような気がするけど、当時ではなく年齢が大分近づいてきた今読んで良かったと思う。たった3度会っただけで、いちばん深く愛した人。そんな人間が私にも存在するだろうか。存在してほしいようなしてほしくないような出会いたいような出会いたくないような。とにかく話がしたいと思う。こういうことはここでしか書けないけれど、男性側からこんなに話ができる人はいないというようなことを言われたことは何度かある。でも私にとって、それは私の努力によるところであったり、その人が現在進行形で知り合いと付き合っていたりと私の中でストンと落ち着くことはなかった。逆に私自身がこんなに話せる人いないよと思うのは男友達。恋愛に繋がらないと分かっているから話せることの方が多くてマッチしない。もう新しく誰かに出会うことは煩わしく、というか出会った相手を恋愛対象に思えるか、思われることができるか吟味してしまう感情が煩わしい。もう恋愛なんてしないというマインドで生きている方がずっと気が楽だ。洋子のように子供を持ちたいという気持ちがあるなら、それはまた違うのだろうけど。
今年は夏に福田進一さんのコンサートに行ってから、映画を見直したり、spotifyでサントラを聴いたり、平野さんの分人に関する考えをまとめた新書を読んだりしてこの小説にやっとたどり着いた。もう小説としてはこれが間違いなく今年ベストだと思う。最近感受性が鈍っていて小説���読んでもあまり感想が出てこないので、そう思える作品でに出会えてとても幸せだ。
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和六年(2024)1月27日(土曜日)
通巻第8107号 <前日発行>
ミャンマー国軍のクーデターは「西郷なき西郷軍」?
軍と仏教高僧との融合統治が機能不全に陥ったのではないか
*************************
ミャンマーで「本当は」何が起きているのか?
大手メディアは投票箱民主主義至上史観だから、本質的なことが見えてこない。
2021年2月、ミャンマー国軍はクーデターに打って出た。ところが、ミャンマーの民衆が想定外に強く反発し、「民主主義を蹂躙した」として大規模な抗議集会が開かれた。抗議デモに軍が出動、多くの死傷者がでたため国際社会から批判に晒された。
欧米の傀儡といわれたアウン・サン・スー・チーを支持する人たちは外国のメディアが同情的に報道したので、鮮明に反政府の旗を掲げた。こうなると正義はどちらにあるのか、よく分からない政権運営が続いた。因みに2021年のミャンマー経済はGDPがマイナス18%、通貨は暴落し、庶民は生活苦に喘ぐ。
クーデターから三年が経った。欧米のメディアの複写機である日本は「国軍=悪」vs「民主主義団体=善」のスタンスを依然として維持している。スーチー政権のときにロヒンギャ70万をバングラデシュへ追い出すと、欧米メディアは一斉にスーチーを「人種差別主義」「ノーベル賞を返還せよ」と猛烈な批判に転じたが、日本はそのまま、ミャンマー国軍批判である。
この価値基準は「イスラエル=悪」vs「ハマス=善」、「ゼレンスキー=善」vs「プーチン=悪」と、リベラルな西側政治家やメディアが作り上げたフェイク図式に酷似している。ミャンマー国軍ははたして悪魔なのか?
ミャンマーの社会構造は宗教を抜きに語れない。
仏教徒が90%をしめ、しかも上座部(小乗仏教)である。僧侶が800万人もいる。
軍隊は徴兵制で43万人(実態は15万に激減)。
つまりこの国は軍と仏教世界との融合で成り立つ。軍は元来、エリート集団とされ、国民からの信頼は篤かったのだ。それが次第にモラルを低下させ、徴兵ゆえに軍事訓練は十分ではなく、そもそも戦意が希薄である。愛国心に乏しい。
軍クーデターは伝統破壊の���欧化に反対した政治的動機に基づく。単なる権力奪取ではない。つまり「西郷軍が勝って、近代化をストップした」ような政治図式となるのだが、現在のミャンマー軍(ミン・アウン・フライン司令官)はと言えば、「西郷隆盛なき西郷軍」である。権力は握ったものの何をして良いのか分からないような錯乱状態にあると言える。
軍人は経済政策が不得手。コロナ対策で致命的な遅れをとり、猛烈インフレに襲われても、適切な対応が出来ず、外資が去り、自国通貨は紙くずに近く、闇ドルが跋扈している。
国民は外国で反政府活動を活発に展開する。国内各地には武装組織が蠢動を始めた。
▼まるで「西郷のいない西南戦争」でクーデターが成功した
西南戦争は『道義国家』をめざし、挫折した。戦略を間違えた。というより勝利を計算に入れずに憤然と立ち上がったのだ。
佐賀の乱、神風連、秋月の乱、萩の乱から思案橋事件が前哨戦だった。城山で西郷は戦死、直前に木戸が病没、大久保暗殺がおこり、明治新政府は「斬新」な政策を実行に移した。しかし行き過ぎた西洋化、近代化。その象徴となった「鹿鳴館」に反対して国学派が復興した。
ミャンマーの仏教鎮護国家の復活が国軍指導者の目的だった。
しかし彼らは広報という宣伝戦で負けた。都会は西洋民主主義、グローバリズムに汚染され、若者は民族衣装を捨てていた。西洋化は、あの敬虔なる仏教との国ミャンマーにおいてすら進んでいた。
となりのインドでは巨大なモスクを破壊し、その跡地に大きなヒンズー寺院建立した。竣工式にはモディ首相自らが出席した。
ミャンマー国軍に思想的指導者は不在のようだ。だからこそ、国軍は仏教の高僧を味方にしようとしてきた。しかし国内的に厄介な問題は同胞意識の欠如である。そのうえ山岳地帯から国境付近には少数民族各派の武装組織(その背後には中国)が盤踞している。中国はミャンマー国軍政府と「友好関係」を維持しているが、背後では武装勢力に武器を供給している。
主体のビルマ族は70%だが、嘗て国をまとめた君主はいない。カチン、カレン、モン、シャン、カヤ族と、それぞれ少数の武装組織が国軍と銃撃戦を展開しているものの、反政府で連立は稀である。カチン、カレン、モン族は博くラオス、カンボジアにも分散しており、ラオスでのモン族は米軍について共産主義と闘った。敗戦後、17万人のモン族は米国へ亡命した。
2023年10月27日、ミャンマーの反政府武装組織が初めて三派共闘し、シャン州北部で「国軍」と戦闘、驚くべし国軍が敗走した。国軍兵士数百が投稿した。
中国の秘密裏の仲介で停戦状態となったが(24年1月26日現在)、ミャンマー民族民主同盟軍(MNDAA)、タアン民族解放軍(TNLA)、西部ラカインのアラカン軍(AA)の「三派」の共闘はこれから「連立」となるか、どうか。
この三派以外にも不明の武装組織(なかにはギャン��団、麻薬シンジケートも武装している)。なにしろミャンマーは五つの国と国境を接し、130の少数民族がいるとされる。
国境問題の複雑さが問題をさらに複雑にする。ミャンマーが国境を接する国々とは、インド、中国、ラオス、タイ、バングラである。地域によっては少数民族が多数派となる。
西海岸の古都シットウエイはインドとの海路の拠点であり古代遺跡があるため外国人観光客が多い。
チャウピューは中国へのパイプラインがミャンマーを斜めに横切り雲南省へと繋がっている拠点、ここには中国企業が進出し、工業団地を建設中で、ロヒンギャとの暴動になった場所、行ってみる、と放火されたモスクの無残な残骸があった。やや東側の中部、マンダレーは雲南華僑の街である。
旧首都のヤンゴンと新首都ネピドーはアクセスが悪い。マンダレーは国際空港こそ立派だが、翡翠やルビーの商いはほぼ華僑が握る。そうした三都三様の物語が付帯する。
▼麻薬王
ラオス、タイ国境に拡がるのが統治の及ばない「黄金の三角地帯」である。
アフガニスタンにつぐ麻薬産出地域で、ギャング団と武装組織と博打場である。治安の安定はあり得ないだろう。
黄金の三角地帯の形成と発展、その後の衰退は国民党残党という闇とCIAの奇妙な援助があり、やがて彼らへの弾圧、そしてミャンマーとタイとの絶妙な駆け引きをぬきにしては語らない深い闇である。
国共内戦に蒋介石は敗れて台湾に逃れたが、南アジアで戦闘を継続したのが国民党の第27集団隷下の93軍団だった。およそ一万もの兵隊が残留し、シャン州をなかば独立国然とした。モン・タイ軍(MTA)は『シャン州独立』を目指した軍事組織で、ビルマ共産党軍が主要敵だった。
国民党残党の軍人とシャン族の女性のあいだに産まれたのがクンサ(昆沙)。
のちに『麻薬王』と呼ばれる。中国名は張奇天で、一時はモン・タイ軍の2万5000名を率いた。軍資金は麻薬だった。
CIAが背後で支援した。アルカィーダを育て、やがて裏切られたように、ムジャヒデン(タリバンの前身)を育てたのもCIAだったように、やがて米国はクンサに200万ドルの懸賞金をかけた。
『麻薬王』と言われたクンサは紆余曲折の後、麻薬で得た巨費で財閥に転じ、晩年はヤンゴンにくらした。2007年に74歳で死亡した。米国の身柄引き渡し要求にミャンマー政府は最後まで応じなかった。
もうひとつの有力部族=ワ族はモン・クメール語を喋る少数民族で、いまワ族の武装組織は中国の軍事支援がある。
▼ミャンマー進出の日本企業は、いま
さて安倍首相が二度に亘って訪問し、日本が投じたティワナ工業団地はどうなったか。
ヤンゴンの南郊外に位置し、コンテナターミナルを日本が援助した。しかし国軍クーデター以後、西側が制裁を課し、日本政府が同調したため、日本企業の10%がミャンマーから撤退した。住友商事、KDDIなどが残留しているとは言え、投資のトップはシンガポール、中国、そして台湾、韓国が続く。
日米印の企業投資は実質的にぼゼロ状態だ。
拍車をかけているのが外交的孤立である。ミャンマー軍事政権を支持するのは中国である。背後では、ロシアが接近している。
仏教界は分裂している。将軍たちと協力し、仏教とビルマ文化の両方を外部の影響から守る必要があるという軍の理念に共鳴した高僧もおれば、「ラカイン州で地元の仏教徒とイスラム教徒のロヒンギャ族の間で暴力的な衝突が起きると、『過激派僧侶』といわれるウィラトゥ師は、「ビルマ仏教はイスラム教徒によって一掃される危険にさらされている」とし、「イスラム教徒経営の企業のボイコット」を奨励した。
軍事クーデターに反対するデモに参加した僧侶たちも目立った。シャン州北部の主要都市ラショーでは国軍の統治が崩壊した。
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役者紹介🚃💨🍩🍗
どうも、らびです。ビアゲ編も書き足したぞ。34期の皆さんは最後まで読んでくれると嬉しいな
【栞編】
今回のキーワードとなる「環状線」にちなんで、おそらくこの中で最も環状線を知ってるであろう私が、皆さんに似合いそうなオススメの大阪環状線の駅を書いていきたいと思います。被っても知らん。
〇園堂香莉
大阪城公園
お散歩してそう。あの辺はお散歩にちょうどいいですからね、自然も綺麗でお城もあるし。かなりオススメです。古墳好きな人はお城も好きなんでしょうか
〇近未来ミイラ
寺田町
あの、ほんま、この駅ってなんも無…簡素で素朴なエリアなんですよね。素朴な舞台が好きなみーらのセンスと近しいものがあるような気がしなくもない。それにしてもほんまに何も無いこの駅。でもみーらなら独自の着眼点で何かを見出せそう
〇たぴおか太郎
大阪
キディランドもユザワヤもありますからね。間違いなく大阪駅でしょう。それはそうと、あそこのちいかわらん���って絶対にもっと広くするべきだと思いませんか?
〇錫蘭リーフ
福島
オフィスカジュアル的な衣装がとても似合ってるのでオフィス街でおなじみのこの駅で。でもほんまにあのオシャレなオフィス街歩いてそうなんだよな
〇帝京魂
京橋
京橋怖いよな。特に夜なんて怪しげな人が沢山いるし…でもこの辺色々ラーメン屋さんとかあるイメージですね。でもあんまり知らない。京橋怖いので
〇森々仙入
西九条
ユニバが似合いそう。ということでユニバに繋がってる西九条駅をチョイス。ユニバのクルーにいそう。私もユニバ行く時にしか使ったことないので西九条に何があるかが分かりません。
〇箏
福島
中之島の近くでもあるのですが、中之島のあたりは景色が美しいですねー。川沿いにおしゃれな建物が沢山立ち並んでいて緑も多くて…そんな景色がルーベにピッタリではないかなと
〇苔丸
弁天町
駅に隣接して空庭温泉という大型温泉施設があります。温泉だけでなく写真スポットやらレストランやらが沢山融合していて楽しい場所なので是非
〇響夜
芦原橋
ここには教習所があります。ここの教習所はなかなか難易度が高く、普段から千日前筋など大都会を走ります。ここに最狂のドライバーなびやをブチ込んだら一体どうなるんでしょうか。
〇ミル鍋
桃谷
この辺はオシャレなお家が多いですからね〜お金持ちの凝りに凝った家がちらほらあります。建築巡りしても楽しそうです。
〇あろハム権左衛門
福島
福島には美味しい飲み屋が沢山あるので、オーストラリアのパーリーで初手ジントニックをキメたあろハムならやっていけるでしょう。
〇アリリ・オルタネイト
玉造
住宅街のイメージなので街にいるネコちゃんと触れ合いますね。あと近くの空堀商店街には猫カフェがいくつかある。オススメです。
〇〆切三日前
天満
商店街があって美味しい飲食店が沢山あります。かなりオススメ。市場もあるから芋も売ってるかも…新鮮な食材が勢ぞろいしてます
〇黒井白子
森ノ宮
森ノ宮には実は漫才劇場があります。ここでよくお笑いライブがやってるんですよねしかもなかなか豪華!あと普通に劇場もある。演劇も観れてピッタリやん
〇中森ダリア
鶴橋
コリアタウンあるからね、間違いない。鶴橋は少々治安が悪いのですが、あのゴチャゴチャ感はアウトロー好きのひらりなら問題ないでしょう。
〇きなこ
桜ノ宮
環状線で春にここを通ると川に沿って桜がいっぱい咲いててすごい綺麗なんですよね。雰囲気的に桜が似合いそうだなぁと思ってのチョイスです
〇暁レミエル
天王寺
放課後の天王寺にいそう〜〜JKが似合うのでJKが沢山いる天王寺です。画材屋さんもあるよ。あとアクセスが良い!でも阪大からは遠い
〇肆桜逸
大阪
都会の眩しさに圧倒されてほしいです。ちなみに大阪駅には「LUCUA1100」って建物があるのですがこの読み方ご存知ですか?
〇埖麦
天王寺
めっちゃ放課後天王寺にいそう2。高校生が似合うからかな。この辺の高校生は放課後天王寺のフードコートやらでたむろしてます。いそう
〇紫苑
新今宮
カオスと混沌の街、新今宮———。こんな場所になつめを突っ込んだらどうなってしまうのでしょうか…そのカオスさを見てみたいですね。でも新今宮に行くのはオススメしません。どっちやねん。オススメしろよ。
〇水琴冬雪
大阪城公園
カメラをやっているので。何と言っても景色が綺麗で撮りごたえのある場所なのではないかなと思います。春は梅や桜が沢山咲いててカメラマンも多いですよ
【BE YOU AGAIN 編】
BE YOU 「揚げ」INということで、みなさんにオススメの揚げ物を書いていきたいと思います。みなさんにオススメのと言いつつも、みなさんを揚げ物に例えると、みたいな趣旨になっているかもしれません。
東愛莉
ごまだんご
おさげ髪がよく似合うので。両手に持ってて欲しい
大良ルナ
ハムカツ
ピンク色がよく似合うので。頬張っててほしい
児
カキフライ
独特の雰囲気がありつつも魅力的である
うみつき
白身魚のフライ
サッパリしている、ぽい
統括のフォーニャー
チーズホットグ
キラキラしているから
緒田舞里
エビフライ
みんな大好きで華がある
白
大葉の天ぷら
爽やかだが渋さもある
埖麦
ポテトフライ
若者のジャンキーな雰囲気がぽい
岡崎仁美
竜田揚げ
唐揚げではなく竜田揚げ
雨々単元気
ししとうの天ぷら
辛いやつに当たって良い反応しそう
舞原の絞り滓
オニオンリング
めっちゃなんとなくやけど、ぽい
じゃがりーた三世
串カツ
中身が全然わからない
オーム
コロッケ
声の雰囲気がコロッケの中身の感触に近い感じがするので
テキストを入力
ごぼうのの唐揚げ
細い
縦縞コリー
唐揚げ
唐揚げバカ
大福小餅
揚げパン
甘党すぎるから
叶イブ
チュロス
甘くて可愛いものが似合う
アリリ・オルタネイト
揚げ春巻き
グローバルな感じがするからです
はぜちかきつ
カツ
王道。似合う。
おや…役者紹介の様子がおかしいぞ…
▶︎役者紹介が団員紹介に変化した!
という訳で34期の皆さんには真面目なやつを書いていきたいと思います。
◯たぴおか太郎
稽古日誌とかコラ画像の感じとか見ていたら一見激ヤバな狂人だと思いきや、誰よりも優しくて気遣いの天才で努力家な素敵な方です。なすかさんがいないと成立しなかった事、沢山あるかと思います。あとセンスも大好き。今度の公演も楽しみにしています!
◯岡崎仁美
もはや友達。いっぱい遊びに行ってるもんね〜☺️時にはズバッと厳しい意見も言い場を締める役割は、下手したら嫌われ役になってしまう可能性もあるのに、それが出来るのは普通じゃないです。すごい。ヌピというデカい柱が無くなってしまうことは少し不安もあります。引退しても遊びに行きましょうね!
◯水琴冬雪
オムニに出てなかった私にとっては感謝してもし足りない人です。「らびはもうオレンジ班だからねー」って終礼に入れてくれた事にも大入りを書いてくれた事にも助けられました。嬉しかったです。今役者を出来ているのもベガさんのおかげだと思っています。宣美も、最後にまたベガさん脚本の担当が出来て良かったです。
◯緒田舞里
色んな意味でこうなりたい人。活動内容の特性上でしょうか、ちゃうかを楽しいとは思いつつもその下にはずっとしんどさもあって、でも外公終わりに色々お話しした時にそんな自分がなんかもう色々成仏しました。ありがとうございます。まりおさんは、「この人にそう言ってもらえるなら」と思わされる位偉大で、でもどんな人にも寄り添える素晴らしい先輩です。こうありたいと思う人です。
◯肆桜逸
絶対稽古場作業場吹田にいて欲しい。この人がいれば絶対その場が面白くなるからです。今年入ってから急激に仲良くなった気がします。インターネットの話するの楽しいですね😃引退しても吹田支部(旧)しましょうね。俺は吹田が大好きなんだよ!!
◯児
もう奇怪な動きをしたり美声を響かせてるこたちさんの姿が稽古場から無くなると思うと寂しいですね。自分の中でがっころの演出を出来た事は色んな意味で大きかったと思っていて、その点ではめちゃくちゃ感謝しています。次の公演も楽しみです。
◯らっしー
座長になるべくしてなった方ですね。らっしーさんのホワッとした雰囲気はちゃうかに安寧をもたらしていることでしょう。個人的には私服がカッコよくてめっちゃ好きです。進撃の巨人の服もかっこいいと思ってます。本当です。
◯統括のフォーニャー
なんでも肯定してくれる優しいネキ。個人的にはもっとお話ししてみたかったし、役者ももっと見てみたかったなと思っています。全然関わりの強い訳でもない私が言うのもなんですが、強くてしたたかな方だなと思っています。
◯舞原の絞り滓
外公で共演でき��嬉しかったです。もっとお話ししたいと思ってたので。横から聞こえるまほろさんのクソデカ声、いまだに恋しいです。だーがーしかーし‼️まだまだ知らないこともあると思います。願わくばまたその機会があらんことを…
◯じゃがりーた三世
結局この人のことを何も分からないまま引退してしまいそうです。本当不思議な方です。なんでそんな、後輩にもめちゃくちゃ敬語なんですか…?でも時々芯食ったことを言うので怖い。
◯アリリ・オルタネイト
ボス。舞美のね。猫みたいにフラッとどっかに行ったかと思えばフラッと戻ってきて頼りになる人。かっこいい。よくよく考えたらめちゃくちゃハイスペックなことを思い出してすげぇ…となるやつを何回もやってます。
34期、フォーエバー
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ズル休みした次の日は、一日中寝てたのにいつも体が重い。心が重い。日差しが眩しくて、やる気が起きない。新しい1日で始めればいいのに。
私がバンドやラジオに明け暮れている間に、あのアーティストもこのアーティストも新しい曲を出していた。homecomingsやラッキーオールドサンが沁みる。彼らのことをシティポップなんて簡単な言葉や歌詞でまとめたくない。シティでもポップでもなく、こんなん「生活」じゃんね。
* * *
一年に一度、ビリー・アイリッシュと友達が作った曲しか聴けなくなるときがある。穏やかな闇、ゆるやかな絶望。
出社の予定がなくなり、今すぐベッドに潜り込みたい気持ちと、こんなにいいお天気なのだから色々なものを取り込みたい気持ちと、二つで揺れる。
* * *
今年の夏、大変助けられて大変お世話になった、ゆっきゅんのトークイベントに訪れた。アルバム作りに当たって影響を受けた本の紹介と、10冊を選書して本屋に並べていた。またお気に入りの本屋がひとつ増えて、翌日も訪れた。暇さえあればまた通おう、ソファが素敵な窓際の本屋。
トークイベント中に購入した「エリカについて」。ご本人の名前がついた詩集なのに、「私が私が」感が大変薄くてそれがまた良かった。悪口っぽい話も悪口らしく書かれてなく、読んでも傷付かず、私が私がどころかご本人のダメ出しされた話が自虐でもなく淡々と書かれていて、それまた好印象だった。カッコつけてない、素直さがストンと入る。
一年半ぶりに会った彼も、そうゆう人だった。ちょっとのんびり話す人で、柔らかくて、話すけど自慢とかはしない。目の前の相手のことを考えてるんだろうな。お互い暑がりなんだよね、暑いねって言いながらハンカチを仰いだ、10月の真夏日の17時。
25時。彼の小さな汗がポタリと落ちた。暗くて汗をかいてることに気付かなかった。
暑がりな私が昔後輩に���セックスの最中も汗だくになるんですか?」と聞かれて、その会中が笑った話をしたのは、多分21時過ぎ。答えは、暑いときは水飲んだり冷房下げてもらえるから、汗は少しかいても汗だくになることはなく。汗の話をしていた後に、彼の汗を見ることになるなんて。ライブで誰かの汗に触れて嫌な気になることもあるけれど、彼の汗は嫌じゃなかった。
翌朝10時。ホテル街と人のいない繁華街を駅まで、少し手を繋いで歩いた。前は向こうから、ん、と言いながら繋いでくれたのにな、と思い返した。けど関係なかった。私に足りないのは私の意思で、どうしたいかで、どう思われるとか、こうゆうドライさが好きでしょとか。ブランディングや作戦立てて理屈で訳いる場合じゃないんだよ。だからそうゆうのを捨てて、自分から手を繋いだ。
またね、が本当にまた実現するのか。また前みたいにしないのか。私は嘘をつきたくないから、思わなかったら、またねすら言わないけれど。別れた直後は思わなかったのに、またどこか浮かれてる。でもその浮かれてる正体、あなたにじゃなくて、この状況になのか、分からないんだ。
2024 10.20
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科学的に正確でもポリコレ的に正しくない、「不都合」な研究結果をどうするか。
現代西洋社会においてミソジニーは神話である—と唱える女性進化心理学者が、アカデミアの自己検閲、ジェンダー・バイアスと学術界における女性の影響、学問的アプローチに見る男女の違いなどを語った。
↓以下まとめ
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『Modern Wisdom』は、クリス・ウィリアムソン(Chris Williamson)が様々な思想家達を招き、社会・文化・健康などあらゆるテーマについて語る人気ポッドキャスト番組。ジョーダン・ピーターソン博士、サム・ハリス、アンドリュー・ヒューバーマン博士、スティーブン・ピンカー、ダグラス・マーレイなど、豪華なゲスト陣は十人十色で内容も興味深いものばかり。
第665回目のゲストは、ペンシルバニア大学助教授で社会心理学者、そして作家でもあるコーリー・クラーク博士(Dr. Cory Clark)。
クラーク博士は、学術心理学における自己検閲について、特にジェンダー・バイアスと学術界における女性の影響に焦点を当てた研究についての洞察を語った。
以下、クラーク博士とクリスの対談要約と関連する発言を一部抜粋して訳した(発言は繋がっていない場合あり):
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①アカデミアとジェンダー・バイアス
・アカデミアは必ずしも知的純粋さと真実の砦ではない
・蔓延する女性嫌悪という概念は、現代西洋社会においてはほぼ神話である
・もう一方の性に対して、どちらがよりひどい扱いを受けているのかという問いに答えるのは難しい
・我々は女性への加害により敏感な傾向があり、主流のナラティブは反女性バイアスにより重点を置いてきた可能性がある
/
クラーク博士(以下、博士):「(一年前に発表した論文について)心理学におけるジェンダー・バイアスに関する最近の研究をレビューしたものなんですが、多くの場合、正反対のことが見られる。つまり、人々は様々な領域で女性に有利な方向へ偏っているんです。
男性よりも女性の方が良く扱われることが多い。男性よりも女性の方が好かれます。同じことをしても、女性は男性より罰せられません。女性は男性より優れているとする根拠が示された時よりも、男性が女性より優れているとする科学的な発見があった場合の方が、人々はより偏見を持ちやすいんです。
つまり、人々は女性が男性よりも優れていることを望んでいる。だから、社会は女性に対して性差別的であり、私たちは女性に対する潜在的な危害に警戒しなければならないという考え方は、実は私たちが男性よりも女性のことをとても大切に思っているという事実そのものから生じている可能性があると思われます。男性に対する偏見が見つかっても、誰も気にしないし、見出しにもならないわけです」
博士:「現代の西洋社会において、それ(女性差別)はほとんど神話だと言っていいでしょう���はい」
博士:「7年間も発表するのに苦労した研究があるんですけど、知能に関するもので。男性も女性も同レベルで知的である、女性は男性よりも知的である、男性は女性よりも知的であるという。
人々は男女が同じように知的、あるいは女性の方が知的というのを好ましく思うんですが、男性の方が女性よりも知的である、というのには苛立ちを覚えるんですね」
クリス:「どうしてでしょうね。というより、まず主流のナラティブでは反女性的バイアスが蔓延しているということになっていて、当の男性達ですら反男性的な感傷に呼応している」
博士:「そうですね。男性も女性も女性有利に傾いたバイアスを持っていますが、女性の方がそれはより強い傾向にあります」
博士:「女性の方が『価値』が高いという考え方は、進化の観点からすると、100人の女性と1人の男性がいれば100人の赤ちゃんを産むことができるが、1人の女性と100人の男性がいれば、1人しか産めないというのがあるかもしれないですね。すなわち女性は『限られた資源』であると。学者達もそう主張してきたし、まあもっともらしいと言えます」
博士:「1920年の時点で男性が女性より賢いとか、女性が男性より賢いというような研究を行ったとしたら、現代と同じ反応があったかと言えば、とても疑問です。
加えて、女性はX年間不利な立場に置かれてきたという文化的なナラティブがある。
これは大きな問題です。そして今、是正措置が進み、完全に逆転してしまった。そして多くの場合、男性は女性のために不利益を被っている。だから、どちらも社会において起こっていることだと思います。女性に対する性差別のようなものがあると、みんなワッと飛びついて炎上する」
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②ガンマ・バイアスの概念
・ガンマ・バイアスとは、女性の成功も男性の失敗も、見出しの中で性的に扱われてしまうという概念である
・人々が日々経験する世界は限られており、ニュースやソーシャルメディアが彼らの世界観を形成している
/
クリス:「ガンマ・バイアスというのは、男性心理学センターのジョン・バリー博士が…少なくとも彼が広めた概念です。彼が考案者かどうかは忘れたけど。基本的には、特に一般的なニュース、メディアの記事において、記事が女性寄りのものであれば見出しに性別を表記する、というものです。
あるいは反男性的な記事であれば、見出しに性別を入れる。しかし逆のケースでは、男女の区別をつけない。つまり基本的に、女性の成功も男性の失敗も、結局は両方が取り上げられることになる。だから例えば、白人男性の射殺事件が見出しになったり、女性のCEOが見出しになったりする。
でも、その逆は必ずしも正しいとされないというか、その逆はあまり見ないわけですよね。結果、人々の世界に対する見方に歪みが生じる。今、より多くの人が外よりも家の中で時間を過ごしていて、すなわち彼らが日々経験する世界は限られている。つまり、ほとんどの人は読んだニュースやフォローしているソーシャルメディアを通して、それが世界観を形成してるんですね」
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③高等教育における女性
・2023年第1四半期、女性CEOの数は過去最多となったが、これは必ずしも女性にチャンスが多いことを意味しない
・心理学��学者も、データの解釈に関しては女性寄りのバイアスをもっている
・このようなバイアスは、誰が権力を握っているかということと、実際に何が起こっているかということに対する誤った認識の組み合わせによって引き起こされている
・女性が高等教育を支配するようになったことで、トリガー警告や弱者保護への懸念といった文化的な変化が起きている
/
クリス:「科学が女性にとって不利な場合、人々はその情報を検閲したがる傾向にある、という研究もなさってませんでした?心理学者にも(女性重視の)バイアスがあるといういうような」
博士:「まず心理学の教授達にアンケートを取ってインタビューしたんですね。(中略)
動機は、よくわからないですが、いくつか考えられます。ひとつは… 前にも言ったように、私たちは女性により大きな関心を持っている。そして文化的な変化があり、その一部は、女性がより権力のある立場にいるという事実によってもたらされている。
女性がメディアや科学分野といった組織内で権力的地位を占めるようになり、自分達の利益をより気にかけるようになった、というのもあるでしょう」
博士:「この論文はうまくいけば今にも受理されそうなんですが、学者や一般の人々が雇用における男女差別を信じている、というものなんですね。
実際の求人に女性や男性の名前で応募してもらうというものなんですが、2009年ごろから、突然、ステレオタイプな男性向けの仕事でも、女性に有利なバイアスがかかるようになりました。ステレオタイプな女性向けの仕事では常に女性が有利でした。
しかし、一般の人々や学者達は、誰もがその逆だと思い込んでいる。ステレオタイプの男性的な仕事には、女性に対する大きな偏見があると思い込んでいるんです」
クリス:「男がCEOになった、という話には被害者カードを振り回す余地もないので、だからどうした、となるわけでね」
クリス:「ある種のミサンドリー(男性嫌悪)や、男性を非難し続けたいと願望を持つ女性がいるのは、まあ理解できますかね。
Google Scholarでミソジニーを検索すると114,000件ヒットしますが、ミサンドリーを検索すると2,340件しかヒットしません。つまり、人々は反男性的な偏見、特に女性からの偏見について研究していないし、関心もない。
『黒人が人種差別をするなんて、まさかそんなことはない』というヤツですよね。街頭インタビューやアンケートで『女性は性差別主義者ですか?』と質問したら、似たような結果になるに違いない」
博士:「Googleといえばもっと面白いのがあって、これは論文執筆後に見つけたんですけど、『Men are stronger than women(男は女より強い)』でイメージ検索するんです。(男は女より強い、というのは)平均的にというか、ほぼ例外なく事実ですよ。
すると検索結果に表示された41枚の画像のうち、1枚は当てはまるものでした。2枚は中立的なもの。残りは全て、女性の方が男性より強いとする画像だったんです。女性が男性より速く走るとか、女性が男性を頭上に持ち上げるとかね。
だから、『男は女より強いというのは事実だ』と言ったところで、『いや、女の方が強い。グーグルで検索した』となってしまうんです��」
画像 博士:「ここ数年で、学部レベルでは女性が圧倒的に多くなり、男性よりも女性の方がはるかに多く、大学院でも女性の方が多くなり、今では教員も女性の方が多くなっています。かつて教育機関のほとんどは男性によって運営され、学生も男性であったわけですが、今では女性が過半数になりました。
それが唯一の原因だとは言いたくないし、それだけとは思いませんが、過去10年間に起こった多くの文化的な変化の主な原因であることは間違いないでしょう。
なぜなら、それらの変化はすべて女性の価値観を優先しているからです。
例えば、授業でトピックを教えるときに、トリガー・ウォーニング(センシティブな題材、性暴行や虐殺や人種差別などについて扱う前に、そうした話題が苦手な人達が教室を出たり記事を読むのをやめるなどして心理的な負担を回避できるように配慮する措置)を出したがる。
物議を醸しそうな問題を研究した学者がソーシャルメディアで攻撃されたり、解雇されたり、嫌がらせを受けたりするケースが急増しています。
学術雑誌の編集変更を見てみると、リスナーの皆さんには馴染みがないかもしれませんが、シュプリンガー・ネイチャー誌系列の科学界で最も権威のある学術誌が、ここ数年、一連の論説を発表していて、『人間の社会集団の尊厳を損なう可能性のある科学は掲載せず、撤回する可能性がある』と述べているんです。一体どういう意味かと」
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④男女の心理的な違い
・女性は歴史的に子供を育て守る責任があり、男性は集団を守るために連合を形成する責任があった
・女性は物事に対して平等主義的な傾向があり、男性は階層主義的な傾向がある
・女性は自分の功績を過小評価する傾向があり、男性は自分 の功績を過大評価する傾向がある
・女性は言論の自由よりも包摂的な社会を優先する傾向が強く、男性は包摂的な社会よりも言論の自由を優先する傾向が強い
・女性は他人を助けることを目的として科学を追求する傾向が強く、男性は世界を理解することを目的として科学を追求する傾向が強い
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博士:「アカデミアの男女比率構成が変わったことで、女性の関心、すなわち弱者を危険から守るという目的が優先されるのは避けられない結果でしょうね。また女性の方がはるかに形式的平等主義者でもあります。なので男性の方が階層集団的であるのに対して、女性は皆等しい結果になるのを好む傾向もあるんです」
博士:「(身体的特徴の差や原始社会から現在まで積み重ねられた役割の違いなどを鑑みれば)男女の差はものすごく大きいわけです。そして男女には優先順位の違いも見られます。
心理学の教授陣に関して言えば、男性教授は女性教授よりも科学の目的である真実の追求を支持していますし、女性よりも学問の自由を支持しています。
一方で女性は、それらと道徳的な懸念や危害の懸念とのバランスを取る必要がある、と考えています。
つまり、こういうことです。男女の性差や性格が進化し、教育機関の男女構成が変わると、その教育機関が達成しようとしている目標が根本的に変わってしまうのです。
科学の場合であれば、『真実(但し特定の誰かに対するネガティブなステレオタイプを広めないものに限る)』みたいなことになってしまっている」
クリス:「あなたの調査の中に、私の好きな統計があるんですが…男性の56%が、『大学は攻撃的な考えから学生を保護すべきではない』と答えたのに対し、女性の64%は、『保護すべき』だと答えた。
男性の51%は、『学生が暴力的な抗議運動をすると脅した場合にも、大学は講演者の来校を中止すべきではない』と答えたのに対して、女性の67%が『中止すべき』と答えている。
男性の58%は、『学生が攻撃的な発言を報告するために利用できる、大学の秘密報告制度に反対』しているが、女性の54%は『賛成』。
『学生新聞の物議を醸すようなニュースに関して、掲載前に管理者の承認を必要とすべきではない』と考える男性は63%、一方で女性は『承認を必要とすべきだ』が51%。
71%の男性が、『言論の自由を守ることは、包括的な社会を促進することよりも重要』と回答しているが、女性の60%は、『言論の自由を守ることよりも、包括的な社会を促進することの方が重要』と答えています。
つまり、男性は経験的に正しいことを進めることに比較的関心があり、女性は道徳的に望ましいことを進めることに比較的関心があるということでしょう」
博士:「学問の自由を当たり前に重要視していて、科学は当然のように真理を追求するべきだと考えている人には、これらの統計は非常に好ましくないものに見えるでしょう。女性が科学や学問の世界で問題を引き起こしているのでは、とね。
しかし女性達はこの統計を見て『やっとこれで(学問が)救われる』と考えているんです。『誰にとっても安全な場所を作り、科学が良いことをするようにするわ』とね。科学は害を成すものではないんですが。
科学者の優先順位について、別の論文があるんですが、男性は世界を理解し、何が真実なのかを知り、物事の仕組みを解明することに基本的な関心を持っている。
一方、女性が科学をするのは世の中に良いことを起こしたいから、です。つまり、彼女たちの動機としては真実を知りたいけれども、それは、それが他の人々を助けることに役立つ場合だけなのです。つまり、他の人々を助けないような真実、特に他の人々を傷つける可能性のある真実には価値がなく、科学や学問の分野でそれを追求すべきではないと考えるんですね」
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⑤進化心理学とジェンダー・バイアス
・男女は進化によって異なる心理的特徴を持っている
・生物学的性別は、大多数の人々にとって二項対立である
・性的に強圧的な行動をとる傾向は、そのような行動をとる男性に進化上の利点を与えるために進化した可能性が高い
・ジェンダーバイアスは、STEM分野で女性の割合が低いことの最も重要な要因ではない
/
クリス:「アレクサンダー・デイト・サイクス(Alexander Date Sykes )が発表した、本当にめちゃくちゃ素晴らしい研究があるんですけどね。彼には再来週あたりにゲストで来て話してもらう予定なんですけども。
55%の独身男性は、この1年の間、女性に声をかけたことがないというんです。女性の77%は、よりアプローチされたと答えていますが、それは18歳から30歳の層に限ります。
そして41歳以上になると傾向が反転し、55%の女性が「声をかけられたくない」と答えたんです。
ここで疑問なのは、『男性は女性にアプローチするの���やめよ』みたいな論説を誰が書いているのかということです。その年齢層の女性達なんですよね」
博士:「ああ、なるほどですね。つまり、女性にアプローチするのを止めろと言っているのは年配の女性で、アプローチされない層の女性なんですね。だから競争相手を排除するべく、20歳の女性を口説くのを止めろと言っているという」
クリス:「そうそう、女性の敵は女性じゃないの、なんて」
博士:「心理学の教授に、『教授は生徒とセックスしたら解雇されるべきか』という質問をしたことがあります。男性は『解雇されるべきではない』と答える傾向にありますが、女性は『解雇されるべき』と言いますね。自分の利益を考えているのかもしれない。
ひょっとしたら若い女性に気を配っているのかもしれない。年上の教授からハラスメントを受けては嫌でしょうから。でも年配の女性教授達にしてみたら、自分らとくっつくべき年齢層の男性教授が、24歳の大学院生と性交しているのが嫌というのもあるかもしれない。まあこれらのことを区別するのは難しいですよね。
個人的にはどちらもれっきとした理由だと思うんですけどね。例えば特に年配で子供がいる女性には、母性本能のようなものがあって、若い人を守りたいという願望があります。同時に若い女性は繁殖の競争相手でもあるわけです。あなたは40歳の女性教授で独身なら、45歳の男性教授が28歳の大学院生とデートするのを望まないでしょう」
クリス:「そうそう、ビル・バービット(Bill Burbitt)の話で、平均的な女性がよりボディ・ポジティブを支持する理由として、自分の周りの太っている友人に痩せて欲しくないから、という」
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クリス:「進化心理学、あなたの専門分野のひとつであり、僕が執着する分野のひとつでもありますけど、進化心理学がこれほど嫌われるのはなぜだと思いますか?」
博士:「私の目的は、なぜ人々が進化心理学や行動遺伝学を嫌うのかを知ることではなかったんですけどね。心理学で物議を醸す結論のほとんどは、あなたをトラブルに巻き込みます。それらはすべて進化心理学や行動遺伝学から来ているといっていいでしょう。
人々は集団の違いに関する結論を嫌うんですね。男女差や人種差、特に進化論的な説明や行動遺伝学的な説明によって支持される結論を嫌うんです。進化心理学も行動遺伝学は互いに相性が良く、というのも進化は私たちの遺伝子に働きかけるからですね。」
博士:「最初に話したように、その違いが女性よりも男性に有利なものであったり、黒人よりも白人に有利なものであったりするとね。
白人が黒人より、あるいは男性が女性よりも優れているようなことがあれば、それについて進化的あるいは遺伝的な説明をするじゃないですか。そんな���とをしたらクビになるわけです。論文も撤回されることになる。誹謗中傷も受けるでしょう。
進化心理学はめちゃくちゃになってしまいました。特に、女性が学問の中心を占めるようになるにつれて、有害になりうる話題には気をつけよう、避けよう、となってしまっている」
博士:「まあでもいちばん行きたくないのは社会心理学ですね」
クリス:「ですね。様々な心理学分野の中で最も信頼性が低いのに、現在最も台頭していて、政治的に、感情的に最も支持されている分野という」
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⑥心理学における政治的バイアス
・保守派は心理学で十分に代表されていないグループである
・政治的バイアスは人種的バイアスよりも一般的である
・イギリスでは階級が決定的な要素であり、アクセントは階級を表すこと���ある
・人々は人種差別よりも政治的人種差別を容認しがちである
/
クリス:「学者に平均的な世論調査をすると、特に今、現代の学界では、かなり左寄りになっていますよね」
博士:「それについては議論がありますね。保守派が科学に向いてないとか、科学が嫌いなだけだと言う人もいるんですが、保守派を差別して採用しなかったり招聘しなかったりすると、学者がはっきり言っている研究もあるんですね。だから、人々が保守派を差別していると考えるには十分な理由があるでしょう」
クリス:「スコット・ギャロウェイ(Scott Galloway)が教えてくれたんですが、民主党の親の3分の1か5割だったかな、自分の子供が共和党員と結婚することを恐れているんだそうです。そう、政治的なものに対する集団内、集団外での憎しみは本当に大きく、人々はそれを認めているんですね。恥とも思っていない」
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⑦アカデミアにおける過敏症
・NYUは黒人専用の寮を検討していた
・シュプリンガー・ネイチャー・ガイドラインは、害を及ぼす可能性があるものは抑制すべきであると示唆している
・心理学の教授の多くは、何かを発表するかどうかを決める際には、道徳的な懸念よりも学問の自由を優先すべきであると考えている
・過敏症のせいで、2つの堅実な研究分野が悪評を立てられている
/
博士:「NYUだったかな、黒人専用寮を検討していて、それもあれですけど、さらに白人のみの人種に関する集会で『黒人は参加できません。我々のしでかしたクソの山にあなた方は我慢してきたというのに、顔向けできないからです』みたいな感じで」
クリス:「あなたの研究に戻りますが、アメリカ中の心理学教授共を集めたわけですね。有害な結論に達した時それをどう対処するか、奴らは何と?」
博士:「男女の違いについて話してきましたが、私のデータ全体を見渡すと、ほとんどの人が学問の自由を支持し、何かを発表するかどうかを決める際に道徳的な懸念を考慮に入れることには反対しているんです。
なので私は訊いたんです;その発見が抑圧されてしまう前に、一体どの程度、その有害性が確実であるべきか、と。
最も一般的な回答は、『科学的知見を決して抑圧すべきではない』というものでした。そこから段階的に『害を防ぐ唯一の方法が、その発見を抑制することだという証拠があるべき』という感じで、驚いたことに一番下(抑圧すべき)にはほとんど誰もいませんでした。
驚いたというのは、先ほどお話ししたシュプリンガー・ネイチャー・ガイドラインは、『害を及ぼす可能性があると思われるなら、論文をリジェクトするか撤回すべし』というようなものだからです。
しかし、それが適切な線引きだと考える心理学教授はほとんどいなかった。だから私は、この分野がどこに向かっているのか、人々が何を望んでいるのかという認識は、実際にはどうなのだろうかと思うんですね。一部の過激派が、政策に影響を与えるような権力の座を得ようとしているということなのでしょうか。ネット上での声が実在する数以上に多く感ぜられるだけとか。
人々が何を望んでいるのかが歪められている気がしますね。
私たちの多くは怖くて何も言えない。その結果、声を上げる少数派の人達は、大胆な政策変更を行うことができるのです。闘いを挑む人はそれ��ど多くない。不満を持っている人は何人かいるが、反対意見を持つ人の多くは何も言わないので」
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⑧学界における女性の影響力
・女性がアカデミアを支配し、男性教授候補のプールはますます小さくなっている
・議論されているすべてのトピックの間に共通して通っている一本の糸筋は、ある種の偏狭さと、社会的に過小評価されているとされるグループに対する懸念であり、それはしばしば人生で苦しんだことのない進歩的な白人女性によって推進されている
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博士:「このような性差に加え、女性がアカデミズムを席巻しているのを目の当たりにすると、その数は当分の間、女性側に推移していくでしょうね。現時点では、男性側に戻るという希望はありません。
男性はもうそれほど大学に進学していないし。なので教授になれる可能性のある男性のプールは、日に日に小さくなっています」
博士:「進歩的な人達は本質的に黒人を見下すような話し方をし、黒人と話しているときに自信のなさを見せるのに対して、保守的な人たちは黒人も白人も同じように扱うという論文もあるんです。
他にも、どんなジョークが面白いか、不快か、みたいなことを調べた論文もあって、保守派は『一様に全員をからかう、みんな面白い、みんなこういうことの対象だ』みたいなのに対して、進歩派は『マイノリティ・グループをからかっちゃいけない、他のみんなはからかうけど、彼らをからかっちゃいけない』みたいな感じなんですよ」
博士:「ポーランドの学会にいたんですが、友人のマヤ・グラッソ(Maya Graso)が非常に興味深い発見をしていて。
どうやって計測したのかは失念したんですが、男性は外的危害あるいは肉体的危機の保護者であるのに対して、女性は内的危害や内面的損傷の保護者なんです。つまり、男性は他人が肉体的なダメージを受けているのを見ると立ち上がるのに対して、女性は特に心理的、感情的なダメージを受けている人を守るために立ち上がるんですね。
これは非常に興味深いもので、実際我々が目の当たりにしているのは、肉体的な被害の可能性を生み出してまで女性達が他者の「気持ち」を守ろうとするもので、彼女達は必ずしも二次的、三次的なことまで考慮していないように見えます」
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⑨映画監督とジェンダーの優先順位
・映画監督をする上で、女性は男性とは異なる優先順位を持つ
・2020年版『ムーラン』の予算は2億円、興行収入は7000万円で、1億3000万円の赤字だった
/
クリス:「20年くらい前でしたっけ、ディズニー映画の『ムーラン』が最初に作られたとき、主人公は小柄な女の子で、より賢く、より懸命に働くために、あらゆることをする必要があった。
彼女は自分の体格を補うために一生懸命に働いて、頭を使って体格のなさを上手く利用したりして、より速く、より経験を積み、困難を克服し、やったー、彼女は素晴らしい、となったわけですよね。
ムーランの最新版とは対照的なんです。
最新版の主人公は何もする必要がない。彼女はそこにいる男たち全員���見下されている。彼女は当然、その男共より優れている。彼女は困難を克服する必要がない。彼女は魔法のような女性の気、エストロゲンの気、それこそ何でも持っていて、そのおかげで男達全員よりも才能がある。
そして男達はみんな不器用で、恩着せがましい。そしてそれは…どこかで見た展開だよね」
博士:「1作目は男性監督で、2作目はおそらく女性監督じゃないですかね」
クリス:「そう思う?見てみよう。どうかな。なんてことだ。新しい方の『ムーラン』の監督はニッキー・カロ。ニュージーランドの女性映画監督だ。ファックだよ、古い方のは…男だ。バリー・クックとトニー・バンクロフト監督、1998年だって」
クリス:「参考までに『ムーラン』の予算は2億ドルで、興行収入は7700万ドルだった。1億3千万ドルという重い重い代償を払って、女性の脆さを支えたわけなんだね」
(まとめ&訳終わり)
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今回の動画は密かに大先生として尊敬している吉澤洋治さん(@yojireal )にお薦めいただきました。いつもためになる書籍のご紹介やコメントをありがとうございます。
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音楽を作り、続けている。その音楽については、口頭で狙いなどを話すことが多い。作ったものに関して、聴き返すと、どうやってこんなものを作ったのか・作れたのか、本当に覚えていない。それだから、聴きながら自分で再認する、というか再認以上のものをしている気がする。
去年の下半期からの制作は、案を出すことが専らだった。DAWを変えてから、作曲の方法が変化した。とある曲(完成はしているが、公開していない)を作っている間、それを痛感した。
つくりはじめは、ただ変なリズムを並べていただけなのに、これをどうにか活かしたい。遊んでいただけなのに、納得がいかなくなってきた。すると、どうなるか。できた部分、そのMIDIやらAudioの四角を全て、後ろの方に置いてから、その曲のデータで全く違う曲を作った。PCで曲を作れるようになってから、キーを意識したことは全くと言っていいほど無い。とにかく、音を鳴らす、作る。直列・並列と、ならべていく。ずらしてみる。音が、そこで鳴る。言葉���出来ない何かが、後ろにやったデータと繋がったりして、持ってくる。音は、その四角で鳴っていて、それだけで独立しているのに別の音を呼ぶ。全く不思議なことに。
俺は最近、騒音について考えている。不快な音(楽)について。ややこしいのだけれど、それは心的現象としての「今すぐ止めてくれ!」を促すものだと考えている。微分音や、黒板を爪でキーッとやる音については、あまり興味はない(微分音階は大好きだけど)。考えているのは、たぶん、雑踏に近い。雑踏となると、幾らでもスルーできるような印象があるような気がして、使いにくいなあと思っている。イヤーな音(楽)は、どうして耳を塞ぎたくなるのだろうか。これに、じぶんなりに応え続けたい。因みに音楽自体への情報、作者とかそういうのは考えからは外している。ドカーンとやってきた音楽がどうして不快なのか、であって、ドカーンとやってきた音楽が不快なのはどうしてなのかは、どうでもいい。
話は戻って、そうして作った曲があり、作曲の方法のようなものが変わった。まったく変わった。でもこれは失敗だった。なんてこった、いつまでも聴いていたくて、10分くらいになってしまった。完成品は4分半に、どうにか纏められた。
去年下半期の制作は、それと折り合いをつけるために、1分に満たなくても良いから、とにかく作ってみることを続けた。ということは、自分はそれまで、自覚的に案だしをしていなかったことになる。
曲ができた! ええやんええやん! 曲作ったんやからええやんええやん!というノリで、自分が聴いていた。公開するとかしないとか、正直、どうでもよくて。高校のときから、ずっとそうだった。自分の曲の最高のリスナーは自分だと、そういう感じで…… ポール・ブレイの初期録音を聴いていたら、CDの読み込みがおかしくなって、同じ地点を何度も繰り返すようになった。俺はもう、その出来事が堪らなく嬉しくて、iPhoneを取り出して、ただ録音した。ボイスメモではなくてGarageBandで。録音している最中、その繰り返しに変化をつけたくなったから、CDプレーヤーを叩いた。元通りに再生されたけど、それもつまらない。もう一度、バン! 今度は違うところで繰り返しが起きた。楽しい! 他にもある。家にある、とにかく音楽を鳴らせるデバイスを自室に掻き集めて、同時に曲を流す。俺は弾けないギターを持って、父親手作りのエフェクターでゥワンゥワン、ガチャガチャに弾いて、演劇チックにデタラメの演技をする…次には絶叫する。PCからはR18ゲームの音楽が流れていても、ええやんええやん!絶叫する。ただそれだけ。そういう音楽を高校のときに作っていた。もう、データはない。本当に残念なことに、変声期前の弟の声が入っている曲もあったのだけど…これだけは悔しい。「ママー ママー」と曲間に入っているものがあった。自分が何度も手軽に聴けるようにと、SoundCloudにあげていて、account数は3つもあった。SoundCloudを知る前はDropboxに上げていたし、本当に膨大な数の音楽を作っていた。
俺は、ずーっと、楽しくなりたいんだ。
また話が逸れた。案だしをしていく中で気にいるもの、案として完成したはずなのに、何か足りない、そういうものが出てきて、その曲の完成を目指す事もあった。
案だしというのは、面白いと思う。書いたように、自分は曲ができたらスマホで何度も何度も聴く。すると、当初の狙いから外れた発見がある。すると、これを発展させたいと思う。次の案出しは、それを踏まえたり、同じ地点から違うPerspectiveの音楽を作ってみる。完成を求めたものではない、というのも、当時失敗と思った、あの方法とは違う。過去の曲に触発されて、別のProcessで作るから。俺は途中で、ぱーすぺくてぶ なこととか忘れて、その時に鳴って欲しい音を出す。すると、影響元なんてものは、さきの曲からは外れて、何だか、比べて歪な曲ができる。
しかも、作り終えたら、触発された曲とは似ても似つかないものが出来る。
その時は。
時間が経って、分かってくる。自分が、いったい何をしたいのかが、やっと分かってくる。
さっきも書いたけど、俺は、ずーっと楽しくなりたい。音楽で。
Hallo Bee(現AVA)展示会での音楽は、そうした案出しを重ね、失敗だと思っていた方法を結合させて、ゼーハーゼーハー作った。
図書館でペラッと捲った本に「私は、そこにあるのではない。ピンで象られた姿が私になっているのだ。」みたいな、ペソアの断章に出会って、いたく感動した。当時の彼女と一緒に来ていたのだけど、この衝撃を持ち帰るために、帰って欲しかった! 安部公房が何か、インタビューだったかで「ぼくはね、人間のね、皮膚に興味がある。皮膚があるから(そのせいで)、そのカタチが人間となる。だから、他人があるんじゃないかな」みたいなことを言っていた。俺は安部公房の考えにもナルホドと思っていて、皮膚について強く考えていた時期もある、が、ペソアの文を読んで、ひっくり返った!
これらを通じて、結晶したのがHB展示会だった。そう、楽しくなりたいから音を出して、案。それがピンになり、出来た。展示会、空間についてキュレーターの上野くんとは、もちろん話し合った。しかし、ワタシハタイチョウガズタボロデ、上野くんに導かれ、あの空間になった。
会場に着いて、はじめてあの空間がやって来た!
ボクダッテ、空間で鳴る音という点で、音響面で工夫した。それに、それに!上野くんへのコウイウカンジヲメザシメマスゥ……と矢鱈、自分の思考で使う用語(切羽詰まりすぎて、その用語に注釈をほとんど入れなかった)で伝えたものが、大いに伝わりすぎていて、アアアッ! 悶絶。
灰街さんが私の空間について言及していた文を読んで、素直に嬉しかった。でもまだ、その空間に触れてなかった。分からない部分もあった。会場で、わかっちゃった!
ありがたいことに、駒澤さんの個展で私の曲を使っていただけたことがある。行きたかったな……
音が、音を呼ぶ。空間に、音。本当にそうなのか? ああいった展示会というのは、行ったことがなかった。思うのだ、あの、雑踏についての話になる。空間というのは、厳密に、あるのか? 俺にとって、空間というのは、便宜的なもののように感じる。騒音は、二人称的には耳の鳴りだけれど、三人称的には空間が必要になる。爆音で音楽が眼の前で鳴っていること、隣の部屋から「今すぐ止めてくれ!」が来ること。
ペソアと安部公房の話にプラスして、ケージの防音室の話を考える。音は、どこで鳴っているのだろう。心音、身体の震え、そして、私はペソアのことから、空間を合わせてこう思う、いつか、どこかで鳴るものだと。鳴っている音は、鳴った音なのだ。いつか、どこかで鳴るものは、予想できない。もちろん、対角線論法みたいに、そこで鳴っているのかもしれない。鳴り続けているのかもしれない。しかし、いつか、どこかで鳴るものは、まだ鳴っていない。空間という基底は、いつも一人称、二人称では起こり得ない。ならば、三人称的、音(楽)ではなく三人称の音楽には、空間が本当に必要なのか? 雑踏は、それに応えてくれそうなんだ。でも、雑踏を雑踏のままにするのではなく、DTMでの作曲に昇華したい。自分が、応える音楽が、いつか、どこかで鳴るものになるだろうし!
そんなことを考えてます
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day 4.
2/18 日曜日
最終日の朝。起きたらまだ7時とかで。もうちょっと寝れたじゃん、って思ったけど……。「早起きしたから、イチャイチャしよ?」 なんて甘い声で言うから、もうどうしようもなく俺の心を擽ってくる。あざといのようちの子って。俺のツボを分かってんなー…って。ずるい子だ。
沢山イチャイチャ出来て、この上ない幸せ��す。思い出してもニヤニヤしてる。
この日はどうしよっかーって話してて、急遽中華街に行くことに。日曜日、激混みでえっぐい。
昼過ぎだったから腹減ったし。ダージーパイ食べたいとリクエスト貰ったから、食べ歩きで大吾はダージーパイ。俺は肉まんをチョイスして食べながらぶらぶら。喉乾いて、前に行ったことのあるタピオカを飲ませてあげたくてお店に寄って飲んだり。タピオカが吸えなくて苦戦してるのが可愛くて、ずっと見てられる。今度はミニブタカフェに行こうね。あとはアクアリウム。約束な。

新幹線まで時間があったから、ちょっと寄り道して車停めて話してたんだけど、…俺が体調崩しちゃって。その間ずっと手握っててくれた大吾には感謝。マジでごめんね。それと、ありがとう。
……まあ最後も最後でハプニングだったけど、まさかの駅まで思ったより時間が掛かる事実。
体調が良くなって来た所で急いで向かった。ここ数日、運転中は基本手ずっと繋いでたね。赤信号でキスするのも、ちゃんと叶えられた。
駅に着いて、離れるのが寂しくて。やっぱりこの時間が俺は苦手。出来ることなら離したくなかった手を離して君を最後に抱き締めた。香りも温もりも覚えておくように、染み込ませるように。
何度も振り返って手を振る姿に心がギュッて締め付けられてた。見えなくなってもその場から暫く動けなくって。ホームを歩く姿を見て、やっと帰れたって感じかな。
当初一日だけの予定が、3泊4日の長期で居られた。ハプニングには感謝してます。
逢うって決まってから、逢う日まで毎日楽しみにしてた時間も逢ったらあっという間。一瞬だった。正直逢って俺への気持ちが減っちゃったらとか、やっぱり違うなって思われたらどうしよう。って不安もあったけど、それ以上に俺が逢いたかったし、大吾の存在そのものを好きになったから。不安よりも好きが勝ってた。俺と逢ってどうだったかな。離れるのが惜しいぐらいに、俺はもっと君を好きになってもっと一緒に居たい。そう思うようになりました。遠距離だからなかなか逢えないし、逢いたい時にすぐ行けないけど。君となら離れてる時間も、一緒に愛を育てて行けると感じたよ。普段、好きも大好きも伝え合ってはいるけど、やっぱ直接顔を見て言い合える。そんな関係でずっと居たい。照れくさそうな顔も、拗ねてる顔も、少し寂しそうな顔も、色っぽい顔も。全部俺のもの。この先もずっと、俺のそばで笑ってて。君を幸せに出来るのは俺だけだから。
次は2ヶ月後に。またその日の為に頑張るからね。


君を誰よりも愛してる。愛しの君へ、愛を込めて。
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MOONLIGHTING - AL JARREAU LYRICS+SUBTITULADA ESPAÑOL
「Moonlighting」
このブログを10月1日に書いている。今日10月1日といえば、私が学生時代を過ごした80年代は就職活動の解禁日とされていた。
当時、会社訪問は4年生の10月1日と同時に始まり、面接を経て試験を受け「内定」が年末までに取れれば、それが就活の順当な在り方だった。現在とは違い、それはホントの「短期決戦」で、数か月という短時間をいかに動くかにより働く会社が決まり、その後に続く大半の人生までも確定してしまうというものだ。中には、私のように年が明けても会社は決まらず、卒業さえも危ぶまれる学生もいたが、それでも4月には無事に入社式を迎えることができていた。 時は昭和62年、西暦1987年。いわゆるバブル入社組は「全員入社」という意味でもバブルの恩恵を受けた「幸運な人たち」だったと思う。
「こちらブルームーン探偵社」というアメリカのテレビドラマをご存じだろうか? シビル・シェパードとブルース・ウィルスが共演するコメディタッチのドラマで、日本では80年代の後半NHKで放送されていた。日本で作られたモノもそうだが、80年代に製作された映画やドラマは、主人公たちの衣装や室内の設えに本物使いや拘りがあり、ストーリー以外にも多くの見どころがある。この「ブルームーン探偵社」でもその傾向は随所に見受けられ、いかにも高級そうなワンピースやジャケット姿で635を操るシビルや当時流行だったノーベントの上着をジャストフィットに着こなすブルース、そしてドラマのスタートとエンディングに華を添えるアル・ジャロウの歌など、CGが多様された今日のドラマにはない贅沢な空気感がこの作品には漂う。 ストーリーはドタバタでコメディテイストだが、衣装や車などの小道具や音楽が洗練され一流であるが故に、その対比がこのドラマを上質なエンターテイメント作品に仕上げている。吹き替え版は無いが、その映像はユーチューブで見ることができるので、興味がある方はご覧になられてはいかがだろう。
普段聴くのはジャズだが、本当はフュージョン好き。シンプルなコード進行の上にきれいなメロディが乗り、アレンジに少し捻りが利いたものをいいと感じる。特にキーボードにローズピアノのサウンドが使われていれば、私の頭の中は80年代の輝く光景で満たされる。今回ユーチューブの映像をきっかけに、80年代に録音されたアル・ジャロウのCDを数枚手に入れた。丸い声質、正確な音程、全体のサウンドは、とても私好みで耳触りが良く、もっと早く聴いていればよかったと思うほど心地よい気分と気分と時間を得ることができた。お店で聴く音楽もしばらくアルの歌声が続くことになるだろう。
アースカラーのスーツを着る男性。ハイウエストのパンツにジャケットを合わせる女性たち。シティポップが流れる街のパブは仕事帰りの男女で賑わう。 パソコンもスマホもなく、全てがアナログ。��然情報も少ないから、それを得るためには自ら体験するしかない。だから人は街へ出る。それが街の活気へと繋がる。人・街・生活スタイルが時間の経過とともに洗練されお洒落になっていったあの頃。80年代とはそんな時代だった。昨今は、便利で多くのものが手に入り、多様性が認められる文化風潮だが、なぜだか心持が豊かに感じられることがない。あの時代を過ごした人なら、きっと誰しもがそう思うはずだ。そういう観点に立てば、昭和末期の80年代は、「あのころはよかった」との懐古的感情では片づけられない「特別」な時代なのだと思う。私の趣味嗜好も当時をベースにするものが大半を締めるのだから、あの時代を生きたことを心から良かったと思うのである。
注文服ヤマキ 木下 達也
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おれは多摩が嫌い。家ばっかでつまんねーから。自然もなければ都会でもない。住むためだけのベッドタウン。立川も八王子も駅前は多少栄えてるけど、ちょっと歩けばウチの近くと似たような景色になる。ハリボテみたい。海もなければ多摩川も遠いし、デカい公園もない。昭和記念公園は金を取られる。いくらかマシな駅前でも、遊ぶには金がかる場所ばっかりだ。高校生の頃、雑費込み5000円の小遣いじゃ大した事はできない。電車に乗って遠くに行く機会も中々ない。昔一回嫌気が差して新宿まで出ようと決めた。大学入るまで電車通学したこと無かったから、知ってる「都会」が新宿くらいしかなかった。金がもったいないから行きは歩き。国立から線路沿いに歩いて、三鷹辺りまでは似たようなつまんねー町並みが続いた。無機質なコンクリの高架と、その足元の人が入ってんだか入ってねーんだか分からんピカピカの商業施設。それを囲む家。時々森林。つまらん。でもそこらを通り過ぎると個性が見えてくるようになる。まず駅前の雰囲気が画一的でない。でけえ掘っ立て小屋みたいな駅舎とツルツルのアスファルトの閑散とした���ータリーみたいなワンパターンじゃない。駅の形がおもしれえ。乱立する店も金はねえから利用はできないが、それでもプラプラ歩き回りながら眺めてるだけで楽しい。マックや松屋、ビッカメやルミネを眺めていても何も楽しくねえけど、ここは違う。見慣れない街への新鮮もあるだろうけど、それ以上の何かがある気がした。街に色があった。中野で断念しちゃったけど、今でもアテもなくフラフラ歩き回るのがすきなおれの原体験だ。大学も多摩だった。おれはもう一生をここで過ごすのかもしれないと思った。このままでは魂が多摩色に濁ってしまう気がして、わざわざ都心のバイト先を選んだ。初めて目白という地名を知った。往復1000円弱がタダになるのはデカい。無駄に一人暮らしして、最寄りが中央線から京王になってなんか新鮮だった。多摩内を南西に移る虚無の引っ越しだった。中1までは本気で日本の電車とは中央線が北海道から九州まで繋がってるもんだと思ってた。乗り換えという行為の意味が謎だった。新宿での乗り換えで一旦駅を出て、覚えたてのタバコで一服するのが恒例だった。西口の喫煙所でモード学園のビルを眺めながら一息ついてると主人公にでもなった気がした。目白ではバイトの休憩中に学習院へ侵入して一服するのが好きだった。キャンパスがおれのとこと違ってザ・大学って感じがした。附属の生徒が構内を歩き回っていた。おれの母校も小中高一貫校で、小学生が学食でチョロチョロしてるのが嫌だったのを思い出した。マックスキャロットに行こう行こうと思っていて終ぞ行かずじまいになってしまった。今度行かないとな。一回金なさすぎて目白から帰れなくなった。みどりの窓口がある池袋まで歩いて、Suicaを払い戻して現金を手にし事なきを得たのも思い出深い。この頃から都心の雰囲気に少し慣れ始めた。同時期から服装に気を遣い始めたのもこれと無関係じゃなかったかもしれない。元々フラフラ歩き回るのが好きだし、そのステージが多摩から遥かに豪華になったのが嬉しくてたまらなかった。都心はすげえ。立川より立派な街並みが隣の駅まで歩いてもずっと続いてる。バイト代もあるからかっこ良くて履き心地の良い靴も買えるようになった。バイト帰りに、当時流行りだしたサウナへ寄って一泊するのも好きだった。親の同意書も要らず外で泊まれるようになったのが嬉しかった。まあ以前も自分の字で書いて出してたけど。朝から一風呂浴びて、さっぱりした身体で上野や錦糸町をふらつくのも新鮮な体験だった。バルト9では深夜も映画が観られる事を知った。ゲーセンもファミレスも夜は閉まってしまう時代で、こんな場所があるのかと思った。夜を映画館で過ごすなんて、マンガや映画に出てくる不良少年みたいな体験で興奮した。終電で適当な駅に降りて、夜通し歩き回るのも好きだった。夜中の鵠沼海岸でボーッと波の音を聞いたり、誰もいない江ノ島を歩き回った事もあった。おれは生まれも育ちも一応東京だけど、あの頃になって本当の意味で上京を果たしたのかもしれない。人はこうして人生を旅して、最後に多摩に落ち着くのかもしれない。本人はそれで良くても、ガキはたまったもんじゃないけどね。
おれは多摩が嫌い。家ばっかでつまんねーから。 自然もなければ都会でもな..
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#日本#Japan#東京#tokyo#横浜中華街##Yokohama#写真#photo#picture#スナップ#Canon#canonphotography#写真好きな人と繋がりたい#写真撮ってる人と繋がりたい#写真で伝えたい私の世界
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ブルーライトを浴びながら、誰かと話しながらの寝落ちができないわたしですらそれを片手にねむることが子どものころから日常茶飯事なくらい生活に溶け込んでいる本だけど、こだわりが強いため決して読書家とはいえない。例えば下町は嫌だけど郊外はいいだとか、下手なぬるいラブストーリーはだめだけど好みの女の子像だとまた話が変わってきたり、そういう。好きなことになると饒舌になると幾度となく言われてきたわりに本について事細かに書き残したことがなかったので、最近新しく読んだものから久しぶりに読んでときめいたものまでずらっと並べたい。読書メーター様様。
①九龍ジェネリックロマンス
吉岡里帆ちゃんで実写化、主題歌はKroiらしい。ちなむところ神。以前Teleがベビわるドラマの主題歌をしたり(そういえばTeleのANNは死ぬほどおもしろかったので外ではきけない)とやっぱり好きと好きを繋げる遊びしかしたくない。恋は雨上がりのようには物語にハマれなかったけど、眉月じゅん作画は宮崎夏次系と同じくらい愛しているので九ジェネの一巻をはじめて読んだときは舞台もキャラも言葉回しもわたし好みすぎてありがとうしか出なかった。鯨井ちゃんは言わずもがな楊明とのふたりが大好き。このあいだひとりで突然街中華に行ったのはこの作品のせいでもある。水餃子食べたい。
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YODEL SYSTEM.『Generalbass』

YODEL SYSTEM.『Generalbass』
1.「信じる」 2.「勇気の相違」 3.「アルファ・レクイエム」 4.「この西瓜と向日葵は誰のもの?」 5.「Live and Death」 6.「愚痴と溜息のミルフィーユ仕立て」 7.「散歩するショートケーキ」 8.「愛は知らない」 9.「離郷」 10.「もしも世界がポリスティブで出来てたら」 11.「宇宙でいちばん大好きな君へ」
1.「信じる」
ほんとうの気持ちなど 誰もわかりはしない 時にはひとり思い悩み 涙を流してもいい
季節が過ぎていくのは あまりに速すぎるから 抱えきれぬこの想いも すべて言葉にしよう
ありふれた日々が愛おしく感じる 別れた友や恋人に問う 今を楽しく生きられてるかい?
決して皆に自慢できるような 人生じゃなくても 不平不満を探すより 私らしくあるために
これから先の道のりは 最初に両手を広げて どこにでもある景色を まずは拾い集めたい
風の吹く方向など 誰も知るはずがない 思いがけないこの瞬間に 吹き抜けることもある
正義や理屈じゃ測れない わずかなアンバランス やりたいことがなくたって 自分を嫌いにならなくていい
さりげない優しさに泣きそうになる いつから私はぬくもりを 無性に求めるようになった?
決して世界に自慢できるような 倖せじゃなくても 大好きな人たちと生きてく 私らしくあるために
それさえ出来れば倖せだ 今なら本心で言える 背伸びばかりしすぎて 周りが見えなくなってた
止まらない愚痴 募る不幸自慢 心に棘が刺さってく
その場の空気が怖くて 逃げ出す勇気もなかった
決して皆に自慢できるような 人生じゃなくても 不平不満を探すより 私らしくあるために
もう過去には戻れないから 何度でも今日から立ち上がり 上手くいったこと いかなかったこと あらゆる過去を抱きしめて
大好きな人たちと生きてく 私らしくあるために
この世界は時に 皮肉で汚れているけれども 自分自身のことくらいは 素直に信じてみたって良いじゃない
2.「勇気と相違」
ふたり星���を見つめて 明るい未来を語らう そんな夢を見た日は 君との恋が終わった日
フィクションのようだった 放課後の屋上に呼び出し すべて上手くいくと思い込んでた そこに君は来なかった
小さな恋がどこかへ流れて 初めて悲しい気持ちになった
なぜに思い込み なぜに告白した 片想いのままなら 永遠になれたのに
よく晴れた日のカフェテリアで なんでもない話をする そんな夢を見た日も 君との恋は忘れず
ノンフィクションにしたいと 良からぬ想いが芽生え 気まぐれのように踏み出した あの日の僕を恨む
大きな愛に僕らは惑わされ ほんとの気持ちを置き去りにしたまま
なぜに走り出し なぜに後悔する 片想いのままなら 永遠になれたのに
クラスでいちばん人気の君を 誰もが恋人にしたいと願った 他でもない僕もその一人で いつもは叶うはずがないと 素直に諦めたのに どこで何を間違えたのだろう?
現実と非現実の些細な隙間で 僕の知らない僕がいて 大切なものを傷つけ 失望の味を知る
小さな恋がどこかへ流れて 初めて悲しい気持ちになった
大きな愛に僕らは惑わされ ほんとの気持ちを置き去りにしたまま
なぜに何度も なぜに繰り返す 片想いのままなら 意気地なしのままなら 永遠になれたのに
3.「アルファ・レクイエム」
この人は私と話したくないんだと ふいに気付いてしまう瞬間ってあるよね そうなると何を話しても無駄 心はシャッターを閉じる こんな広い世界で生きているのに こんな小さな社会に閉じ込められる ショーケースの中の人形みたく 今日も…… 不似合いなスーツとパンプスとメイクを纏う
心の底から信じていた彼が 得体の知れない×××にハマってた すぐにアパートから逃げようとしても 右手に手錠をはめられ 左足に鎖を繋がれて されるがままになるしかない あなたの欲望を受け止めるしかない 終わりを悟って目を閉じたら いつか愛したカノジョがいた
ふた周り以上も体格が違うのに 恋人は一瞬で伸びてしまった インスタに上がってた筋肉自慢 いざという時には役に立たない 騒ぎを聞きつけ響くサイレン 真夜中に咲き誇れカーネーション 憂鬱も理不尽も聞き飽きた 愛の名を騙る星人Aよ 地獄で震えて眠れ
その手を握るから 楽になって良いんだよ ゆっくり休んでね さよなら大好きだった人よ
4.「この西瓜と向日葵は誰のもの?」
テーブルの上に並んだ この西瓜と向日葵を 誰にも見つからないように 塩と胡椒でいただいて ふたりでにっこり笑いましょ
テーブルの上に並んだ この西瓜と向日葵を 内緒の話で切り分けて 残りは僕らでいただいて すべてをこっそり貰いましょ
テーブルの上に並んだ この西瓜と向日葵を もしも社会が見つけたら メディアの首をいただいて 部屋にしっかり飾りましょ
テーブルの上に並んだ この西瓜と向日葵を あいつとこいつの真似をした 小物の土産にいただいて 詭弁ですっぽり覆いましょ
5.「Live and Death」
ベッドに横たわっているだけで 一日が過ぎていく 同年代のみんなはきっと あくせく働いているというのに 私だけ取り残されそうで 不意に切なくなった
どうして普通にやれないの? なぜ普通になれないの?
何度も自問自答してきた言葉が この胸深くに突き刺さり もう抜けそうもないや だからナイフが刺さったまま 生きていく
他の誰かを傷つけるくらいなら 自らにひどい言葉をぶつけて 誰にも好かれないようにすれば いつかきっと孤独になるし 社会にも迷惑をかけずに 静かに死ねるね
やさしくありたかった あたたかくありたかった 落ち着く時間は何処にもなくて 家族にも甘えられず 恋人とも距離を置き始めて 本音を忘れてしまった
あなたの本音がわからないよ 思いの丈を喋ってごらん
やりたいことを無理と決めつけ 自分の想いは強い力で捻じ曲げた 私の求める私を演じ続けたまま 死んでいく 激しく
人生という芝居を演じるのは もう疲れたよ
突然頭を殴られたように 心にぽっかりと穴が空いた あれから少し頑張ったけれど もう頑張れなかった 仲間を傷つけ 自分も殺してしまった すべて失った後にどんな言葉を重ねても 耳を傾ける人など誰もいない
現代という病に侵され 誰もが思い悩む季節の中で 最初で最後のダンスをしよう これが駄目なら死んでもいい 終わった夢の幻だから
突き刺さったナイフや 縫い痕から溢れる血 そして涙に沁みゆく人生 死んだ気持ちで 生きてみるよ
6.「愚痴と溜息のミルフィーユ仕立て」
今日も何もない一日が終わってく そこにあるのは愚痴と溜息 せっせと全部挟み込んで ミルフィーユ仕立てにしてしまおう
結構好きなあなたと どうでもいい君と さっさと消えてほしい奴らを ミルフィーユ仕立てにしてしまおう
現実という名のカオスは 嫌なことばかりだよね 嘆いてもしょうがない どれだけ今をはしゃぎ飛ばせるか
やっちゃえやっちゃえやっちゃえ 明日のことなど どうでもいい
ほんじゃらほんじゃらほんじゃら 社会のことなど どうでもいい
Who Baby 私が良ければそれでいい ぜんぶ自己責任さ
真夜中に始まるリンチパーティー 羽目を外して暴れよう 嘘まみれのソーシャルメディア あらゆる批判は自分の鏡だよ
説教ばかりの上司や兄ちゃん 己の顔をよく見てみな 狂った顔をしてるじゃないか 愚かな羊たちの群れよ
センチメンタルな気分になって シーシャに入り浸る若者 CBDで気持ちよくなれば どんなに汚れた世界もFeel So Good
ありったけの悲しみが 突然心に溢れて 繁華街を彷徨う少女の その表情は晴れやかに感じた
やっちゃえやっちゃえやっちゃえ 生き残った奴が 正しいんだ
ほんじゃらほんじゃらほんじゃ あいつのように 壊れちゃえ
Who Baby 人間だって生き物だ 鎖に繋がれるな
Ah 夢幻の宇宙が 目の前に広がってるよ 身体の感覚は朧げで 天に召されそうだ 助けて!
やっちゃえやっちゃえやっちゃえ やっちゃえやっちゃえやっちゃえ やっちゃえ!
ナツキ印の人形は 今日もベッドで静かに眠ってる
今日も何もない一日が終わってく そこにあるのは愚痴と溜息 せっせと全部挟み込んで ミルフィーユ仕立てにしてしまおう
やっちゃえ 壊しちゃえ! イカれた世界を 私もう壊れたよ
7.「散歩するショートケーキ」
ある朝、目を覚ますと ショートケーキが散歩してた 何度目を擦っても 手足を生やした君がいた
何回、声をかけても ショートケーキは止まらない いちごに手をかけても びくともしなかった
こうして僕らは 不思議の味を知る 次の日クラスで もし笑われたとしても
子どもの頃に見たものが 今の僕らを作ってる 夢をあきらめず 否定せず 誰より大きな未来を掴もう
I will make my dreams come true そのままでいい
ある夜、窓の外を見ると 小さな妖精が見えた 手招きするような仕草に 僕は吸い寄せられた
どこまで、君を追いかけても その距離は縮まらない 家族の呼ぶ声が 現実に引き戻した
いつしか僕らは 不思議を嘲笑い かけがえのない星を そっと手離してしまう
子どもの頃を振り返り 今の僕らを見てみると 夢をあきらめ 否定して 何故こうなってしまったの?
それでも今を生きるんだ 前を向いて生きるんだ 愚痴を吐かずに生きるんだ 自分なりに夢中で生きるんだ
I will make my dreams come true そのままでいい 僕のままでいい
散歩するショートケーキ 空飛ぶビーフステーキ 世界はいつでも複雑怪奇 僕らは明日も青息吐息
子どもの頃の僕に 自慢できるような生き方は きっとできていないけど これはこれでいいと胸を張れる そんな人生を歩むんだ
子どもの頃に見たものが 今の僕らを作って 夢をあきらめず 否定せず 誰より大きな未来を掴もう
I will make my dreams come true そのままでいい
やるだけやればいい やらない後悔より やる後悔を
8.「愛は知らない」
この世界が心底 嫌いな君へ
放課後の体育館裏 人気もまばらな倉庫 ただひとつの私の居場所 コンクリートが友達
ここから抜け出そうと オーディションを受けた 家族も透明で 東京へひとり来た
お金もないし家もないけど もう帰る場所はない 地元へ戻ったところで きっと笑われるだけだし
愛なき暮らしを続けるより 愛なき街の方がいい すれ違う誰もが知り合いより 他人同士の方がいい
ずっと私に染み付いてきた 地元の空気が嫌いだった 家族も同級も教師も全員くたばれ 私に構うな
あれから何年かして なんとか生きてる アイドルにはなれず ひたすら影暮らし
ポリコレがどうとか セクハラがどうとか 世間は色々言うけど いざ現場を見ても 誰も知らんぷりをする
やっとできた友達を 私は守れなかった 自暴自棄の女を見たところで 手を差し伸べるのは屑野郎だけ
愛さえあればと願っても 愛が偽物の時もある 理想だらけの虚構より ひとつの希望がほしい
ずっと私に染み付いていた 負け犬根性が嫌いだ 今更やっと気付いて踏み出したくても 時が流れすぎた
青春したかった 普通になりたかった
見上げればコンクリートジェイル いつまでもロンリネス 虚飾だらけのコモンズ 政治家たちの語るフェアリーテイル
この世界は愛を知らない 正義も優しさも知らない 誰かを守る資格もない そして誰かを咎める権利もない
愛を知るためにこの街に来たのに 愛が怖くなってしまったよ 政治も宗教も意地悪も懲り懲りだ もう自由にさせて
やりたいなら他でやってよ 心の渇きは癒えない
この世界が心底 嫌いな君へ
9.「離郷」
見えなくなっていく ふるさとの景色よ 時折抱きしめてくれ 淋しい時くらいは
荷物は先に着く 僕だけ追いかける まだ見ぬ明日に幸運あれと さよならに名前をつけた
卒業式の終わりに 君から貰ったボタン ポケットの中で握りしめて 電車は橋を渡った
新たな世界へ旅立つ日は 空は青い方がきっと良いだろう もうひとつだけわがままを言うのなら 恋人や友達と一緒が良いだろう
もう泣かないと決めたのに 涙が止まらない
近づいてくる 未知なる暮らしよ いつかは慣れるのかな 不安が募っていく
心のベルが鳴り 急ぎ足で駆け出す 春の陽気が眠りへと誘い さっそく向かい風が来た
遠距離恋愛はできないと 好きなのに別れた 後悔の雨は今も止まないけど ふたり幸せになる��めに
新たな世界へ旅立つ日は 予定を立ててからの方が良いだろう もうひとつだけ忠告するなら 電車の時間は確認した方が良いだろう
ひとりでやるんだと決めたのに 僕は未熟だ
咲きかけの桜の下にいる ビール片手に酔っ払う男たち でも表情は晴れやかで あの人たちなりに幸せなんだと 羨ましくなった
新たな世界へ旅立つ日は 笑顔の花を胸に携えた方が良いだろう もうひとつだけ言えるなら すべてを投げ捨てない方が良いだろう
退路を断つのは一見美しい ただ時が経てば経つほど もう戻れなくなるから 孤独が好きな人などいない
新たな世界へ旅立つ日は 空は青い方がきっと良いだろう もうひとつ望めるのなら 程よく暖かい方が良いだろう
ちゃんとするって決めたから 何度転んでも みんなに声かけながら ここから歩き始める
10.「もしも世界がポリスティブで出来ていたら」
このまっさらな大地に 新しい街をつくろう 住居にオフィスに町工場に 電気や水道も忘れないで
一時停止ボタンを外せば たちまち家が立ち並ぶ そういや道はまっすぐ引けたかい? 曲がった道は渋滞の元……
もしも世界がポリスティブなら すべてはあなたの思うように ビルはにょきにょき生えて 東京タワーにピラミッド 凱旋門もひとつの街に
このまっさらな大地に 遊園地をつくろう コーヒーカップにメリーゴーランド ジェットコースターも忘れないで
ドリンクショップにレストラン お土産屋さんも欲しいよね みんなの笑顔が明日へのエナジー 描く未来は夢の国
もしも世界がアミュエーターなら すべてはあなたの思うように ゴーカートにバンジー サファリパークもひとつの世界に
ポリスティブもアミュエーターも ゲームの中の世界 だから夢で終わらせるのかい?
あきらめない夢は終わらない 憧れの人の言葉を胸に刻む
未来の世界を君に繋ぐために 僕はどんなに転んでも立ち上がる もしも明日が雨だとしても 明後日が天晴れになるように前へ進んでく
愚痴なんか言ってもしょうがない 終わったことを嘆いても始まらない
嵐の夜も 淋しき朝も ぜんぶ抱きしめて 今日を生きよう
11.「宇宙でいちばん大好きな君へ」
片想いだと思ってた 一年前の夏 君は突然声をかけてきて 夏祭りへ僕を誘った
夜空に花火が舞う その瞬間 君はそっとキスをして 僕に告白した
隣で眠る天使は 最愛の君だよ ずっと続いてほしい時間 倖せがふたりを包む
世界でいちばん大好きな人 ようやく出逢えたから どんな強い雨に降られようとも その手は二度とは離さない
世界がたとえ終わっても 愛する君を見つけ出す 人間は愚かな生き物だけど この愛は嘘じゃない
隣同士の席になり 一気に縮まる距離 修学旅行の自由行動 思えばきっかけだったよね
普段は無口だけど 話すと意外に饒舌で ふと微笑む表情がかわいくて 気づいたら好きになってた
大人になって しばらく遠距離になり 年に一度しか会えないぶん より愛を確かめ合った
世界でいちばん大好きな人 恋が愛に変わっても あの頃のように熱くなくたって ぬくもりで抱きしめればいい
世界中にこう伝えたい 僕の恋人は最高なんだと いくつになっても変わらぬ愛で ふたりぎゅっとしたい
空港でひとり見つめた朝焼けに 君の面影を感じた 何度も会いたくなったけれど 君には夢があるから 僕なんかに付き合わせちゃ申し訳ない ある時我慢できなくなって 正直に打ち明けた そんな僕を抱きしめてくれるのは 世界で君だけ だから僕も君がつらい時は この身体いっぱいに愛を伝えたいよ
愛は世界を変える力がある 愛に嘘はつけない 愛よ僕らを包み込んでほしい 愛が宇宙から消えても
世界でいちばん大好きな人 ようやく出逢えたから どんな強い雨に降られようとも その手は二度とは離さない
夜明け前の僕らへ 未来はきっと明るい
YODEL SYSTEM.『Generalbass』Credit
Produced / Written by Yuu Sakaoka(YODEL SYSTEM.) Co-Produced by Koharu Takamoto, TORIMOMO, Yurine, Sakura Ogawa
Demo Track Created(Guitar, Synthesizer, Bass, Drum, Programming etc...) by Yuu Sakaoka, Aaron Greenburg & Carroll Santana(Small Band)
Very very very thanks to my friend, my familly, and all my fan!!
2025.4.2 YODEL SYSTEM.
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散歩の記録
東京都青梅市 多摩川上流にて
昼は武蔵野うどんを食べた。硬くておいしい。
小麦、ほうれん草、豚肉、醤油、かつおだし、武蔵野と関東の味。(価格考えたら輸入品だろうけれど)
電車を降りて、和製ホラーゲームで何度も見たような、小さな仏像が置かれている小さなお寺を見た。天井画の装飾が中華風で凝っていて、地元で大事にされてる感じもあってよかった。維持管理大変だと思うけれど、ほどほど保存されてほしい。
なんとなく写真は撮らなかった。
さむいのと観光ついでにコーヒーを飲んだ。名物らしい豆乳チーズケーキはしっとりしてて食べやすく、木の器が山間部に来た感じがして情緒が増す。

多摩川沿い遊歩道
晴れてて静かだった。
川の音、鳥の鳴き声、なにかの動物の気配、青梅街道を走る車、イベントの準備作業、風にそよぐ薄の葉擦れの音がする。
山並みの向こうに送電線が見える。
山と川と繋がる電線と線路

駅に戻るまでの道の景色がよかったので写真撮ってたら、おそらく犬の散歩してた地元の方が映り込んでしまってよくないことしてしまった。怪訝な感じで見てたけれど、嫌だったかもしれない。自分も自宅周辺で写真撮られるのいやだし。
自分やひとの生活圏を観光として消費すること、好きじゃないんだから気をつけたい。撮りたい気持ち、すぐに忘れていく自分の記憶に残しておきたい気持ちとうまく折り合いをつけないと。

ともあれ、寒くて天気がよい日に広いところへ出かけられたのでよかった。
散歩の収穫

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2024年遊んだゲーム振り返り
2024年お疲れさまでした。
例年のごとく、一年で遊んだゲームの振り返りです。思い出せる限りで、EDまで到着している・ある程度遊び尽くしている作品をリストアップしています。 直接的なネタバレは避けるようにはしますが、その判別は私の基準のためご注意ください。(「物語を詳細に書き起こしてはいない」をネタバレ回避ぐらいに捉えています)
・未解決事件は終わらせないといけないから(1月)steam
レプリカ、リーガルダンジョン、The Wake、に続くSOMIさんの作品。過去三作よりものすごーーーーく遊びやすくて、主題もわかりやすく、フレンドリーに作られているなあ、という印象でした。実際大きな反響があって、色々な人が遊んでいるのを目にしました。とても嬉しい。 誰が・いつ喋ったものかもわからない証言の山を見比べて、話者・前後関係を明らかにしながら少女誘拐事件の真相を追いかける、テキスト主体のミステリーアドベンチャーです。二重三重にめぐらされたミスリードをくぐり抜け、物語を紐解いたときに残るやるせなさと温かさ。 スタッフロール後のあとがきとして表示されるのでまま引用しますが、「他人に理由なく優しくしたとき それまで存在しなかった物が 新たに作り出されて 人生のプロットが変わると信じながら 私はこのゲームを完成させた」の一文、これを過去三作のあとに出てきた作品として受け取った身として、深く息をつく思いでした。
・The Case of the Golden Idol(1月)steam
(かなりネタバレです) 穴埋めミステリーがもっと遊びたい! という動機で遊んだゲーム。不思議な力を持つ像を手にした人々が歴史上で巻き起こす、凄惨な事件の繰り返しを追っていくアドベンチャーです。たしか有志の方の日本語パッチを当てて遊んでいたはず。 遊びやすかったか、というと正直NOなのですが、金の像に魅了された人々が燃え上がらせてゆく火をハラハラしながら見守っていました。相続争い、カルトの関与、ゆくゆくは戦争にまで発展するそれらが突然、ひどくあっけない理由で終わってしまうところ、歴史だな~と笑っていたように思います。
・かがみの特殊少年更生施設(4月)web
これゲームかな……web上で遊びきれるものだからギリギリゲームの範疇でいいか……。 第四境界さんが提供するARG(代替現実ゲーム、現実とフィクションの境目を曖昧にするゲーム)のひとつで、「ゲーム」としてのガワはなく、web上に公開されているひとつのホームページに直接アクセスして触れる形を取っています。 一見ふつうの少年院のものとして公開されているそのページには、いくつかの不自然な点が。気にかかるワードをページ内の検索窓で調べていくと、職員用に秘匿された機密ページが引っかかってしまいます。こうしたワードを見つける→検索をする、のくり返しで、施設の隠した後ろ暗い秘密を暴いていくことになります。 この作品に触れる「私」はおおよそのゲームのように、プレイヤーとしての人格を別に取るものではありません。あくまで私であり、ただそのページにアクセスしているだけの部外者です。なにかを解決することもなければ、危害に晒されることもありません。ただ薄気味悪い内情があったことだけを能動的に知ってゆく体験、得がたいものでした。おもしろかった。 似た形式でサイレントヒルとのコラボサイトがあるようなので、そちらも遊んでみたいなあとおもいつつ、つつ、足踏みをしています。遊ぶカロリーが高い……。
・ユニコーンオーバーロード(4月)switch
今年!? 去年ぐらいの気持ちでいました。本当に面白かったです。 ヴァニラウェア発のSRPG。私はオーディンスフィアも十三機兵防衛圏も未プレイで、こちらの作品は初めて。 突如巻き起こった反乱により転覆したコルニア王国、反乱軍の将により再興された古代帝国、彼の手に落ちていく周囲の国々。母であるコルニア女王を城に残したまま落ち延びた王子アレインは、やがて解放軍を率い、祖国を取り戻す旅に出ることとなります。物語は王道も王道、主人公も良心の塊で、この時代に珍しく、心ゆくまでヒロイックなロールプレイをさせてくれる作品でした。 すばらしいのはなんといってもその自由度の高さ! 序盤の必須イベントを除いて、ほとんどのシナリオは順不同で進めることが可能です。それでいて推奨レベルである程度の導線を引いてくれるので、チャレンジを選ぶもよし、導かれるまま遊んでもよし、と快適にプレイすることができました。(ただ、その自由度と引き換えに、どうしてもメインストーリーの臨場感は薄れてしまうなあと思うところもあって……両立の難しさを感じました) ドラケンガルド王国でのサブシナリオ「岩山に薔薇よ咲け」がよかったな、と今でもしみじみ思いだします。残した者・残された者の気持ちが交錯する、今度こそはと気が逸る、彼らの後悔を掬い取る。名シナリオです。だばだば泣きました。
・Staffer Case(5月)、Staffer Reborn(6月)steam
作品としては別個ですし、システムも違うのですが、同じ世界観であり繋がりを持つもののため一緒に。 超能力者「ステッパー」の存在する世界、彼らを管理する街ロンドンが舞台。ステッパーらの起こす事件専門の警察部署に配属された新人捜査官ノートリックの物語です。 ゲームのジャンルはミステリーアドベンチャーで、証拠同士を突き合わせて疑問を解いていく形です。並外れた聴力で心臓の鼓動を聞き取り「嘘を聞き分ける」能力者、現場に残った見えざる証拠を見出す能力者、そして、ミステリーものでは掟やぶりであろうサイコメトラー。彼らの中で奮闘するノートリックにご期待ください。 操作性は……よい、とはいえず……テキスト送りや演出のテンポが遅くてせっかちプレイヤー(私)は歯噛みしながら読み進めていたのですが、Case2の展開が非常によくて、評価ががらりと変わった作品でした。悪いことは言わないのでネタバレを踏まないうちに遊んでください。Case2までは無料体験版があります。Case2以降もすさまじいのでひっくり返ってほしい。 Staffer Rebornのほうが短くて遊びやすく、一応独立はしているのでどっちを先に遊ぶか……なのですが、私個人はCaseの後をお勧めします。
・鏡のマジョリティア(8月)PC app
いわゆる架空言語翻訳ゲームーーただし読み取るのはカードゲームの専門用語だ!フリフリをコンコンしてもらおうか! 主人公はカードゲーム「魔女の布陣(マジョリティア)」が大好きな少年――ではなく、それを模したものの記憶が欠落してしまったアンドロイド。そんな彼には、マジョリティアに負けた瞬間に時間を巻き戻す能力が備わっていて……。 すなわちゲームの核は、用語の意味を掴みながら何度もやり直し、相手の出方を覚えて、それにカウンターを構える死に覚えシステムです。カードゲームの用語を読み解く特性上、「これは私」「これはあなた」のターンが不要になっているのが、この種のゲームでは本当に画期的! そのうえ、キャッチ―な読解ゲーム部分を前振りとしつつ、あるときゲーム性ががらりと変わる瞬間があって。たどり着いた瞬間に息を呑んだものでした。やれることが大きく広がってしまう。 物語にはいくらかのオタクノリがありつつも、基本的にはホビアニ(ホビーアニメ)の熱血テンション。テレビにかじりついて見つめていたころのことを思い出しました。おもしろかったです。
・Citizen Sleeper(9月)steam
辺境の宇宙ステーション「アーリンの瞳」に流れ着いた漂流者の視点で、そこに住む人々との交流を重ねてゆく物語。ステーションに跋扈するギャングたち、労働者を酷使する大企業――資本主義に圧迫された暮らしを送る人々。ステーションを揺るがす動乱に身を投じていくもよし、場末の小さなバーに力を貸すもよし、日に一度だけ振られる複数のダイスの目を行動リソースとして、様々なアクションを試みていくTRPGチックなゲームシステムとなっています。日本語ローカライズが丁寧で、UIもSEもたいへんに気持ちがいいので、文章を読んでいるだけで豪華なものを味わっている心地になりました。 はじめは行動回数も少なくて、生き延びることさえぎりぎり。他人を救ってなんかいられません。それでも懸命に住民と関わっていこうとする試みのあいだに、ステーションの内情や彼らの苦しみが明らかになってくる――こうして出会う誰もの力になりたくなってしまう。 体制をひっくり返そう!という壮大なドラマにも浸ることができたのですが、私個人としてはもっと小さな、必死に毎日を生きている人たちの物語に感じ入ることが多かったです。初めに出会ったのはひとりでバーを切り盛りするタラさんだったし、寡黙な料理人のエンフィスに口を開いてほしいと思ってしまった。 いっぱいに堪能して満足です。よい作品でした。
・レイトン教授と不思議の街(9月)SP
DSによるレイトン初期の三部作では最初も最初の作品。ほか二作は先に遊んでいるので、これが最後になりました(アロマさんが誰だったのかがやっとわかった……)。 三作ひっくるめて、ストーリーの点ではこれが一番好きでした。劇的なものはなく、物語の終わらせ方にレイトンらしさがある。あの展開であればいくらでも壮大な展開にできたであろうところ、こう落ち着けてくるんだなあ、というバランス感に染み入りました。 ナゾは比較的とんち系のものが多かったな~という印象。私自身が手数の多いパズル系が苦手なのもあって、遊びやすかったなと思います。
・ゼルダの伝説 知恵のかりもの(10月)switch
これおもしろかったなあ。おもしろかった。 私がゼルダに入ったのは「夢をみる島」からだったので、そのリメイクが出たときにも驚いたのですが、そうした最新グラフィックで丁寧に整え直されたマップをいい意味で「破壊」して、縦横無尽に駆け回る姫様の姿に度肝を抜かれたのを覚えています。PVで木の上に飛び乗る光景が目に入った、その次の瞬間にはゲームを購入していました。 想定手順をぶち壊していく瞬間が一番楽しいんだよな~! を地で行く作品。こうしてクリアして欲しいんだろうなあ、は理解するとして、それをどうスキップしていこうかな? と考えているのが楽しかったです。遊ぶ人によって回答が違うのもわかっているので、配信者さんが遊んでいる動画を眺めていることも多かった作品でした。 物語にもちょうどよさがあって、今回のナビゲーターであるトリィとの触れ合いを経てのEDには涙が滲みました。よかった。
・Limbus Company(12月)steam・SP
ソシャゲ枠です。関連作にあたるLobotomy Corporation、Library of Luinaは既プレイだったこともあり、初めて遊んだのはリリースのその日ではあったのですが、手持ちぶさたになって離れていた時期があって――。久しぶりに手を付け、毎章毎章ストーリーでぼろ泣きして、すっかり元の場所に戻ってきたような形です。厳しいにもほどがある世界観で人間讃歌をやっている作品。 めいっぱい楽しむにはもちろん前二作を遊んでほしい、のですが、そちらも難易度が高いゲームではあるので、なかなか勧めづらい作品です。ここから入るでもおそらく問題はないので、気に入ったらぜひ前作も、と言わせてください。 ふんわりした感想になってしまった。現行のソシャゲなので……。
以上です。今年はこのほかにも謎解きキットを遊んだり、リアル脱出ゲーム(オフラインを含む)を遊んだりと、謎解きに触れることの多い一年でもありました。来年もたくさんゲームを遊びたい!
それでは、よいお年をお迎えください。一年間お疲れさまでした。
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