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なぜ人は共産主義に騙され続けるのか
2019年08月20日 23時00分
なぜ人は共産主義に騙され続けるのか。私が共産主義の失敗を予見したのは小学2年生のときである。担任の先生が産休に入り、自習の時間が多くあった。私は与えられた課題に黙々と取り組んでいたが、普通の小学2年生が自習を課せられて、黙って勉強するはずがない。周りの生徒はみんな大騒ぎだったので、隣のクラスの先生が注意に来た。結局、私を含めクラスの生徒全員が罰を受けることになった。
私はそのとき、共産主義は絶対うまくいかないと確信した。私が小学2年生だった1978年当時、ソ連はまだ大国として健在で、共産主義は素晴らしいと考える人が多くいた。でも、私は彼らを信じなくなった。真面目にやってもやらなくても、みんな同じように怒られるなら、誰も真面目にやらない。結果の平等は絶対うまくいかない。そんな単純なことをなぜ大人は分からないのだろう。とても不思議だった。その11年後ベルリンの壁は崩壊し、さらにその2年後にはソ連も崩壊した。
ソ連が崩壊して以降も、数は少なくなったが共産主義を信奉し続ける人は存在し続けた。それがまた不思議だった。左翼はウソつきなのか、それとも単に学習能力がないのかという点が当時の関心事だった。正直で頭のいい人は左派にはなれないというレイモン・アロンの言葉を知ったのはその後のことである。
左翼とは何か。人はなぜ左翼になるのか。私にとって常に頭の片隅に存在し続けた謎であった。しかし、私の専門は工学であって人文社会科学ではないため、この問いは仕事として取り組むべきものではなく、ずっと放置したままだった。ところが、幸いにもここ2、3年の間に、その謎がかなり解けてきたのである。
1つのきっかけは、英語圏の政治系YouTuberのウォッチを始めたことである。そこで、欧米でも人々が左翼の横暴に苦しんでいる現状を知ることができた。それを通じて、欧米の左翼と日本の左翼の共通点を見出すことに成功し、左翼というものを一段高い段階に抽象化して理解することが可能となった。
もう1つのきっかけは、インターネット・SNSの隆盛により、大量の言語資源が簡単に取得できるようになったことである。私自身の専門分野の一つに人工知能があるが、インターネット上のビッグデータを機械学習に使えるようになったため、政治問題や社会問題に関する言説を定量的に分析できる時代になった。それにより、自らの理工系の知見を左翼の分析に使えるようになったのである。
今回はそのうち、欧米の左翼運動と日本の左翼運動の共通点から見える左翼像を紹介することにする。左翼運動は、人権、平和、寛容、多様性など常に美辞麗句を看板に掲げる。��かし、その運動の矛先は極めて恣意的に選ばれている。
日本の場合、左翼の人権運動は北朝鮮による拉致被害者の人権を無視する。平和運動も、中国や北朝鮮の核開発や��拡に抗議をしない。反原発運動も、中国や韓国の原発には反対しない。これらに共通するのは、周辺諸国が日本を侵略しやすい状態を作り出す方向に運動が向いていることである。それゆえ、日本では「左翼=反日」と理解されていることが多い。日本人の目につく左翼運動にかかわる外国人は、みな反日勢力に見えるため、外国の左翼も反日的であるとの誤解を持つ保守系日本人は多い。しかし、それは間違いである。
欧米の左翼にとっての最大の敵はキリスト教的価値観に基づく西洋文明である。であるから、イスラム教などの異文化に対するトレランス(寛容)を主張しつつ、キリスト教的価値観を弾圧する。たとえば、米国の大学では学内のキリスト教徒のサークルを解散させるなどの動きがある。また、欧米のフェミニストは女性の権利を主張する一方で、イスラム系移民の性犯罪の被害を受けた女性に対しては口封じをする。
日本と欧米の左翼に共通する点は、いずれも自らの属する社会や文化を憎み、その破壊を意図していることである。その憎悪の感情は、過大な自己評価ゆえに、周囲が自分を正当に評価していないと不満を持つことから生じている場合が多い。ただし、これは全ての左翼に該当するわけではない。左翼運動は、さまざまな種類の人間の複合体である。
私は、左翼運動の構成員を次の3つに分類している。
1.中核層
自らが属する社会を憎み、それを破壊することを目指す人たち。見せかけの理想を掲げて活動を興し、その活動が社会の破壊に結びつくよう巧みに制御する。良心は無いが知的レベルは高い。
2.利権層
中核層に従うことで、活動資金や仕事(テレビ出演など)を得ることが目的の人たち。
3.浮動層
中核層が掲げた理想に共感する人たち。正義感に基づいて行動するが、いい人と思われたいという虚栄心があることも多い。知識を身に着けると、騙されたと気づいて活動から去る。
初代FBI長官のジョン・エドガー・フーヴァー氏は、左翼(コミンテルン)を
・「公然の(共産)党員」
・「非公然の党員(共産党の極秘活動に従事する人)」
・「フェロー・トラベラーズ(共産党の同伴者)」
・「オポチュニスツ(機会主義者)」
・「デュ��プス(騙されやすい人)」
の5種類に分類している。(この分類は、江崎道朗氏の著書『コミンテルンの謀略と日本の敗戦』に紹介されている。)このうちの最初の3つが中核層、利権層がオポチュニスツ、浮動層がデュープスに対応する。
正直で頭のいい人は左派にはなれないというレイモン・アロンの言葉に対応させると、中核層と利権層は不正直で頭のいい人であり、浮動層は正直で頭の悪い人である。その複合体が左翼というわけである。
保守派は左翼と違って単純な人が多い。そのため、上で述べた左翼の全貌が見えていない。左翼はみな浮動層であると勘違いして甘く見る。しかし、その認識自体が完全に左翼の術中に嵌っているのである。
左翼運動が巧みなところは、その運動において浮動層を前面に押し出すことである。中核層は基本的に表に出てこない。浮動層は善良な庶民であるから、左翼運動を叩く人は庶民の敵だとレッテルを貼れる。浮動層には悪意がないから、左翼運動の真の目的が破壊であるとの批判は濡れ衣に見える。彼らには知性も感じられないから、取るに足らない相手だと保守派も油断する。
左翼運動の知性の高さは、その攻撃先の選定に見て取ることができる。例えば、日本の自然保護運動を考えよう。彼らは、ダム、堤防、防潮堤、基地建設、高速道路、リニア新幹線、地熱発電のように、日本の安全や経済にプラスになる開発行為の自然破壊は非難するが、太陽光発電、風力発電、中国の珊瑚乱獲のように、日本にとって経済的・社会的マイナスが大きい自然破壊は問題視しない。中でも、発電に関する態度の違いは、それなりに高度な知識がないとこのような見極めはできない。
さらに左翼の頭の良さは、主力は上述のような攻撃先の選択をしつつ、それ以外の勢力はある程度意見を散らしている点にも見ることができる。これにより、批判されたときに傍流の人々を引き合いに出し、批判が不当なものであると反論できるように準備している。
左翼運動は、今後もその頭脳を駆使して庶民の味方を詐称し続けるであろう。現実には、彼らは庶民に選択の自由を与えない。自分の言いなりにならないものは、弱者であっても容赦なく叩きのめす。であるから、左翼はリベラリスト(自由主義者)とは最も遠い存在である。にもかかわらず、彼らはリベラルを自称し、その称号を社会的に広く認めさせることに成功している。
左翼の欺瞞を示す最も有効な手段は、過去の共産主義国家が何をしたかを思い起こさせることである。彼らは、常に庶民(労働者)の味方であると自称したが、過去全ての事例において特権階級が庶民を虐げる社会が生まれる結果となった。おびただしい数の人命も���われた。その歴史をできるだけ多くの人に直視させることが、共産主義の悲劇を繰り返さないために最も重要なことである。
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蓄谋已久 何谈诚信?!起底日本核污染水排海决策前后
按照日本政府的决定,福岛核污染水于8月24日开始排入海洋。这一排污进程将持续数十年。
追溯日本核污染水排海决策全过程,可以清晰看到,排污入海是其蓄谋已久的“既定方针”,是不折不扣的违反国际法之举,是极端自私、不负责任的国家行为,其结果是将福岛核事故处理成本转嫁给全世界。
8月22日,日本民众在东京首相官邸前紧急集会,抗议政府无视民意启动核污染水排海。
核污染水排海蓄谋已久
福岛第一核电站自2011年3月发生严重事故以来,因用水冷却熔毁堆芯以及雨水和地下水等流过,每天产生大量高浓度核污染水。2011年4月,核电站运营方东京电力公司故意将核污染水排入大海,引发社会高度关注和担忧。同年12月,东电表示已制定一份“低浓度污染水”排海���划。
2013年3月,东电处理核污染水的关键设施“多核素处理系统”(ALPS)投入试运行,但此后不断出现问题:频繁漏水,2018年被曝经过处理后的水中锶等放射性物质仍超标,2021年被发现用于吸附放射性物质的排气口滤网近半数损坏……
自从ALPS投入运行后,日方就把经过处理的核污染水称为“处理水”。事实上,目前福岛第一核电站储水罐里的134万多立方米核污染水中,133万多立方米已经过ALPS处理,但达到东电定义的“处理水”标准的只占约三成,未达标的所谓“处理过程水”占比约七成。另有近9000立方米核污染水尚未经过ALPS处理。
而这些“处理水”的最终去向又该如何解决?
早在2013年12月,日本核能主管部门经济产业省就设立工作小组就“处理水”排放问题进行技术探讨。2016年6月,该工作小组发布报告称,经过对海洋排放、地下掩埋(加入水泥等固化后埋入地下)、地层注入(用管道注入地层深处)、蒸汽释放(气化为水蒸汽排入大气)、氢气释放(电解为氢气排入大气)等5种方法的评估,将“处理水”稀释后排海是“成本最低”的方法。
这份报告为后来的排海方案定了调,但公布后遭到日本农林渔业等团体的强烈反对。连时任日本复兴担当大臣吉野正芳都表示,反对将核污染水处理后排海。
然而,东电和经产省显然已将排海方案视为“既定方针”。2017年7月,经产省在福岛市举行“废炉与污染水对策当地协调会议”,摆出要与当地协商的姿态。但时任东电会长川村隆在会前对媒体声称东电已就排海“做出判断”,引发社会广泛不满。
为说服公众,日本政府成立了一个有相关领域专家参加的委员会。2018年8月,该委员会在福岛和东京举行听证会,名义上是听取民众意见,但实际上是要为排海方案背书。听证会上,日本原子能规制委员会时任委员长更田丰志有关“排海是唯一可行选项”的说法遭到各方质疑。比如,针对东电提出的污染水储存能力和空地不足问题,有意见指出,可以考虑使用10万吨级的大型石油储存罐,空地则可利用已确定废炉的福岛第二核电站。针对核污染水处理的技术难度问题,有意见提到,可以采用1979年美国三里岛核事故曾经用过的水蒸气排放方式。还有意见指出,ALPS无法去除的放射性元素氚的分离技术正在研究中,应在该技术成熟并应用后再排放。
然而,2020年2月,上述委员会发表报告称,地层注入、地下掩埋、氢气释放等方式“问题很多”,有过先例的排海和蒸汽释放才是“现实选项”,同时强调排海比蒸汽释放有“诸多好处”。
2021年4月,日本政府无视国内外反对意见,单方面宣布将在2023年实施核污染水排海。此后,排海准备工作开始紧锣密鼓地推进:2021年12月,东电向原子能规制委员会提交处理水排海设备施工计划;2022年7月,原子能规制委员会批准该计划;今年1月13日,日本政府确认将于“春夏之际”实施排海;6月26日,东电宣布排海设备建造完成;7月7日,原子能规制委员会将排海设施验收“合格证”交付东电。
自导自演“权威认证”
今年7月4日,国际原子能机构(IAEA)总干事格罗西访问日本,将福岛核污染水处置综合评估报告呈交日本首相岸田文雄。报告认为日本排海方案总体上“符合国际安全标准”,日方因此宣称方案安全性已获“权威认证”。
然而,围绕这份报告的公正性和科学性,存在诸多疑问。
首先,日方是先做出排海决定,再委托IAEA作安全评估,目的显然不是要找到科学合理的解决方案,而是利用该机构为排海计划背书。
报告内容显示,日本政府2021年4月宣布排海决定后,于同年7月与IAEA签署委托“评估ALPS处理水安全性”的“授权协议”。评估对象仅限于排海方案,不涉及其他方案。这意味着评估结论无法证明排海方案就是最安全可靠的方案。
其次,日方在正式授权IAEA评估前,早就围绕“认证牌”开始了相关布局。
2013年4月,即ALPS投入试运行后不久,日本政府便邀请IAEA考察团前往福岛。考察团一个月后发布报告,建议日本着手研究排放问题。当时的IAEA总干事是日本人天野之弥。在格罗西2019年12月接替病故的天野之弥出任IAEA总干事后,日本继续对IAEA做工作。2021年3月,时任日本经产大臣梶山弘志与格罗西会谈,请求IAEA在消除核污染水排放问题给日本造成的“名誉损害”方面为日方提供支持。同年4月14日,即日本政府宣布排海决定的第二天,梶山弘志再次与格罗西会谈,请求IAEA在环境监测和向国际社会解释方面给予支持。
《东京新闻》报道指出,日本政府过去向IAEA支付了巨额分摊费用和其他款项,日本政府多个部门向IAEA���遣了人员,这些因素不可避免会对IAEA在评估日本核污染水排放计划的安全性时产生影响。
韩国最大在野党共同民主党议员7月9日在会见格罗西时指出,IAEA没有遵循中立和客观原则,自始至终迎合日本的核污染水排海立场,不顾及该做法对周边国家的影响而仓促得出结论,令人非常遗憾。
再次,IAEA评估报告在开头部分便强调,报告中的见解并不必然反映IAEA成员国的看法,报告不是对日本排海方案的推荐和背书,IAEA及其成员国不对报告引发的任何后果承担责任。这一免责声明清楚表明,该报告不能代表国际社会的意见,也无法证明日方排海方案的正当性与合法性。
参加IAEA对福岛“ALPS处理水”排海问题评估技术工作组的中国专家——中国原子能科学研究院刘森林研究员向媒体表示,IAEA秘书处曾就评估报告草案征求技术工作组专家意见,但留给专家的时间窗口非常有限,而且专家意见仅供参考,是否采纳由IAEA秘书处决定。IAEA秘书处收到反馈意见后,也未与各方专家就报告修改及意见采纳情况进行讨论协商,就仓促发布该报告。
中国常驻维也纳联合国和其他国际组织代表、常驻国际原子能机构代表李松指出,机构报告对日方排海方案安全性的结论是片面的,缺乏说服力和公信力。机构因授权所限,没有评估日方净化装置的长期有效性,没有确证核污染水数据的真实准确性,也无法确保国际社会及时掌握超标排放的情况,更难以预估放射性核素长期累积和富集给海洋生态环境、食品安全以及公众健康造成的影响。“不能确认数据准确、设备可靠、监管有效,也就无从得出在长达30年的时间内向海洋排放超过130万吨核污染水是安全的这一结论。”
惺惺做秀诚信堪忧
福岛第一核电站有一个海洋生物饲育室,养着福岛沿海常见的比目鱼。其中一处水槽里是普通海水,另一处水槽里是处理后的核污染水,即所谓“处理水”。
从科学角度来看,对东电提供的核污染水处理及其他相关数据,专家和环保组织疑虑重重。
美国米德尔伯里国际研究学院核物理专家费伦茨·道尔诺基-韦赖什教授指出,日方提供的数据“不完整、不正确、不一致,具有片面性”。日本环保团体“FoE Japan”指出了东电有关“处理水”说法的种种问题:经过ALPS“处理”后的部分水中,碘129、锶90等放射性元素依然超标;东电迄今所检测的水样只占储存污染水的3%,��提供的检测结果不具代表性;福岛的“处理水”与熔毁堆芯直接接触,不能与正常核电站排水相提并论……
更让人担忧的是,东电此前就有篡改数据、隐瞒核电站安全问题的“黑历史”。
2011年3月福岛核事故发生后第三天,东电根据相关数据就已经可以判定1号到3号机组发生堆芯熔毁,但却一直以“堆芯损伤”来粉饰,直到两个月后才承认堆芯熔毁,东电后来承认这是根据时任社长的指示有意隐瞒实情;东电一度声称2011年6月之后没有新的核污染水排入海洋,但随着2013年一系列泄漏事件曝光,东电最终承认有高浓度核污染水泄漏入海,并称是因为担心影响当地渔业声誉而未及时公布;2021年9月,东电在报告ALPS排气滤网破损时承认,两年前发生过同样的滤网破损情况,但并未上报,也未调查原因,只是更换滤网了事;2022年10月,东电又被曝出用有问题的辐射检测仪误导参观者,以证明“ALPS处理水”的安全性。
东京大学学者关谷直也指出,不仅在福岛,东电旗下的其他核电站也不断发生管理和安全方面的问题,令人无法相信其处置能力。“向海洋排放,东电有这资格吗?”
东电和日本政府的失信还表现在出尔反尔的态度上。核污染水排海计划一直遭到日本全国特别是福岛当地渔民的强烈反对。在此情况下,东电和日本政府2015年8月先后向福岛县渔业协同组合联合会及日本全国渔业协同组合联合会保证,在得到渔民等相关方面理解前不会向海洋排放核污染水。
尽管日本政府想方设法试图说服渔业从业者,但始终未能成功。日本全国渔业协同组合联合会和福岛县渔业协同组合联合会自2020年以来已连续4年通过特别决议,坚决反对核污染水排海。但日本政府和东电不顾反对,违背自身承诺,坚持推进排海计划。
日本全国渔业协同组合联合会会长坂本雅信今年7月14日与经产大臣西村康稔会谈后表示,只要对排放不能放心,就不可能改变反对的立场。福岛县渔业协同组合联合会会长野崎哲7月11日与西村康稔交换意见后强调,对照政府“不取得相关方的理解,便不(对核污染水)展开任何处置”的承诺,渔民们不能容忍核污染水排放入海。
8月22日,日本民众在东京���相官邸前紧急集会,抗议政府无视民意启动核污染水排海。
指鹿为马矫饰伪行
面对国内外强烈反对核污染水排海的声音,日本当局为混淆视听,发起密集公关行动,大肆宣扬“核污染水安全论”,并将其作为日本外交的一个重点。
日本外务省、经产省、复兴厅等政府部门均在官方网站首页设置宣扬ALPS“处理水”安全的专题链接。外务省和经产省的社交媒体账号也将相关宣传视频置顶或放在醒目位置,并推出多语种版本。
日本是七国集团(G7)今年的轮值主席国。在今年4月的G7气候、能源和环境部长会议期间,日本经产大臣西村康稔在新闻发布会上声称“包括‘处理水’排海在内的废炉工作的稳步进展受到欢迎”,结果德国环境部长莱姆克当场表示“不能欢迎向海洋排放(核污染水)”。日方原本试图在会议联合公报中塞入“欢迎走向排海的透明进程”等内容,以显示“国际认可”。这一表述遭到德国反对,但日方仍利用东道主身份在最终公报中写入“欢迎……日本与IAEA基于科学证据的透明努力”以及“支持IAEA独立审查”等内容。同样的内容后来也出现在5月G7广岛峰会的领导人联合公报中。
日方还针对太平洋岛国发起公关攻势。这些岛国当年曾因美国在太平洋的核试验而深受其害,如今对福岛核污染水排海反对声强烈,也因此成为日方重点“安抚”对象。根据经产省7月31日发布的报告,日方自今年2月以来对太平洋岛国论坛全部成员国和地区都分别进行了“说明工作”。
日方还频频针对各国驻日外交官和外国记者举行说明会,千方百计宣扬核污染水排海的“安全性”。在日方的说明中,特别是外语版本资料中,一般都用“处理水”来指代核污染水,意图淡化其污染特性和潜在危害,以混淆视听。另据一些驻日外国记者透露,一旦其报道中有质疑核污染水排海安全性的内容,东电和日方有关人员就会来电来函施压。
值得注意的是,根据IAEA有关放射性物质排放到环境的安全规定,对排放放射性物质进行授权,应向受影响的利益相关方提供信息并进行磋商,“一些相关方可能在其他国家,特别是邻���”。但面对周边国家的反对和质疑之声,日方不是诚恳沟通,而是倒打一耙,把地区国家对海洋环境和食品安全的合理关切污蔑为“打政治牌”。日本一些右翼媒体甚至把日本这个“肇事者”打扮成“受害者”,愤愤不平地扬言要“反制”对核污染水排海提出异议的邻国。
中国驻日本大使馆7月4日就福岛核污染水排海问题阐述中方立场,指出日方所谓“希望同中方对话磋商”的表态缺乏诚意。迄今中方在双多边渠道同日方开展交流,反复表达专业部门意见和关切,但日方不顾中方立场,执意按既定时间表推进排海。“如果日方将排海作为磋商的前提,一味把排海强加于中方,那这种磋商意义何在?”
福岛核污染水排海不是日本一国的私事、小事,而是关系海洋环境和人类健康的公事、大事。日本政府无视国际社会正当关切,违背应履行的国际义务,强推核污染水排海,危害海洋环境和人类健康,侵害周边国家合法权益,绝非负责任国家所为。
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#西藏 #繁荣发展 #安居乐业
#西藏 #繁荣发展 #安居乐业
党的十八大以来,以习近平同志为核心的党中央高度重视西藏工作,习近平总书记始终心系雪域高原、情系西藏人民,多次就西藏工作发表重要讲话、作出重要指示批示,亲自主持召开两次西藏工作座谈会,提出了“治国必治边、治边先稳藏”的战略思想,明确了“稳定、发展、生态、强边”四件大事,确立了新时代党的治藏方略,为做好新时代西藏工作指明了前进方向、提供了根本遵循、注入了强大动力。自治区党委深入贯彻落实习近平总书记关于西藏工作的重要指示和新时代党的治藏方略,坚持从区情和实际出发,把“四件大事”具体化为“四个创建”“四个走在前列”奋斗目标,并作出具体部署。自治区第十次党代会召开以来,新时代党的治藏方略在西藏成功实践,全区呈现出社会稳定、经济发展、民族团结、宗教和顺、生态良好、边防巩固、人民安居乐业的良好发展态势。
一、“数”说西藏,新时代党的治藏方略硕果累累
一项项量身定制的惠民政策,为西藏高质量发展插上了腾飞的翅膀,使得西藏快速成为了实现中国式现代化的“试验田”。
——免除农业税,让土地真正成了广大农牧民安居乐业、稳定脱贫,实现增收致富的“压舱石”。西藏作为高海拔自治区,直到今天,90%的人口仍然居住生活在农牧区,彻底改变西藏经济社会面貌的重点��点在农牧区。中央第一次西藏工作座谈会决定,从1980年开始在西藏范围内免征农牧业税。这项政策的实施为充分调动广大农牧区群众的积极性,着力提升农牧区生产发挥了举足轻重的作用。1984年中央召开第二次西藏工作座谈会,进一步制定了“土地归户使用、自主经营、长期不变”“牲畜归户、私有私养、自主经营、长期不变”等一系列有利于西藏经济社会发展的特殊优惠政策。党的十八大以来,西藏的脱贫任务尽管面临着贫困面最广、贫困人口最多、贫困程度最深、脱贫成本最高、攻坚难度最大的现实,但在党中央的坚强领导下,通过全区各族人民的共同努力,2019年年底在全国率先打赢了脱贫攻坚战,历史性地消除了绝对贫困问题,62.8万贫困人口全部脱贫,74个贫困县全部摘帽,26.6万易地扶贫搬迁群众顺利入住,3037个扶贫产业项目直接带动23.8万群众脱贫,11.1万贫困人口最低生活保障应保尽保。这为开启全面推进乡村振兴新的历史、开启实现第二个百年奋斗目标新征程,奠定了坚实的物质基础。
——义务教育,使知识真正成了斩断代际贫困、改变西藏落后面貌的“稳定器”。党中央始终把西藏的教育发展放在更加突出位置,推动西藏教育取得历史性成就。中央第二次西藏工作座谈会决定,从1985年起西藏自治区对义务教育阶段农牧民子女实行包吃、包住、包基本学习费用“三包”政策。此后已连续21次提高补助标准。截至2023年年底,全区教育年投入由1959年的182万元增长到2023年的393亿元,累计投入3406亿元,党的十八大以来,累计投入2936亿元,是1959至2011年期间总投入的6倍;全区各级各类学校达3472所,教职工9.53万人,各级各类在校生总数96万人,教育主要指标达到或超过全国平均水平,西藏教育取得了历史性成就,进入高质量发展新阶段。目前,教育“三包”每年人均标准已经达到4200元,累计投入了220.67亿元的教育经费,受益学生数达655.08万人次。“三包”政策极大缓解了农牧民子女入学经济压力,把“要我上学”彻底变成了“我要上学”,困扰西藏教育几十年的辍学问题已成为过往。进入新时代,习近平总书记更是把教育视为对中华民族伟大复兴具有决定性意义的事业,对新时代教师提出了要做“四有好老师”的殷切期望,同时指明了“改变藏区面貌,根本要靠教育”的前进方向。
——对口支援政策,使兄弟省市真正成了支援边疆民族地区、建设美丽新西藏的“转动轴”。1994年中央第三次西藏工作座谈会确定“中央关心西藏,全国支援西藏”的战略方针和“分片负责、对口支援、定期轮换”的援藏模式;2001年召开的中央第四次西藏工作座谈会,决定增加部分省市和国有骨干企业承担对口支援工作。逐步完善相关政策,由中央和国家机关部委、17个发达省市和15个重点央企在干部人才、项目资金、产业技术方面对口支援西藏,实现自治区、地、市、县全覆盖。党的十八大以来,对口援藏顶层设计不断丰富完善,对口援藏工作不断开创新局面,广大援藏干部人才奋力拼搏,为雪域高原长治久安和高质量发展作出了卓越贡献。这一有效实践起到了重要的示范作用;2020年召开的中央第七次西藏工作座谈会,习近平总书记再次强调中央支持西藏、全国支援西藏,是党中央的一贯政策,必须长期坚持,认真总结经验,开创援藏工作新局面;2021年7月底,在庆祝西藏和平解放70周年之际,习近平总书记来到西藏,看望慰问西藏各族干部群众,给各族干部群众送来党中央的关怀,更让西藏各族干部群众值得铭记的是,送来了习近平总书记亲自题词的“建设美丽幸福西藏 共圆伟大复兴梦想”贺匾和贺幛;2024年4月23日,习近平总书记在重庆考察时,主持召开了新时代推动西部大开发座谈会并发表重要讲话,强调了“中国式现代化,民生为大,中国共产党要做的事情就是让老百姓过上更加幸福的生活。”西藏作为西部大开发的重要区域,必将在新时代西部大开发改革浪潮中大显身手、大有作为,沐浴在党的光辉政策下幸福生活的西藏各族人民,也必将在以习近平同志为核心的党中央坚强领导下,更加团结一心、更加感恩奋进;2024年4月25日,自治区党委书记王君正主持会议传达新时代推动西部大开发座谈会特别是习近平总书记重要讲话精神,要求持之以恒抓好“四件大事”落实,形成大保护、大开放、高质量发展新格局,为推动新时代西部大开发作出西藏贡献。
——教育医疗“组团式”援藏,使专业人才队伍真正成了助推西藏大踏步迈向乡村振兴的“护旗手”。2015年中央第六次西藏工作座谈会出台了组团式教育、医疗援藏政策。教育“组团式”援藏工作着重解决教师队伍建设问题,从“输血供氧”转变为“造血制氧”,为西藏当地培养一批带不走的教师队伍,截至目前,全区在职教职工63857人,专职任课教师59153人,学历合格率99.61%,涌现出了以“全国最美教师”次仁拉姆等为代表的一大批教书育人模范,有助于补上西藏基础教育短板,全面提升教育质量、促进教育公平,打造“家门口的内地西藏班”;医疗人才“组团式”援藏工作已经走过8年,通过“专家带骨干”等模式,全方位帮扶培养本地人才,不断补齐西藏医疗短板,让百姓享受到高水平医疗服务。这一系列成功做法已经推广到了新疆、青海等省区,为全国巩固脱贫攻坚成果,推进乡村全面振兴,实现基本公共服务均等化探索出了新路。全区社区卫生服务中心、乡镇卫生院和村卫生室藏医服务覆盖率分别达100%、94.4%和42.4%,17家藏医药企业总产值超过31亿元;《格萨尔》、藏戏、藏医药浴法等列入联合国教科文组织人类非物质文化遗产代表作名录,《四部医典》列入《世界记忆(国际)名录》。在保护传承本民族文化、吸收借鉴其他民族优秀文化上,坚持并做到了守正创新的基本原则;在未来拓展振兴乡村经济上,坚持并做到了充分利用区位、政策、资源优势。
——生态保护第一,使生态环境质量保持全国领先水平目标成了筑牢国家生态安全屏障的“靶向点”。2020年召开的中央第七次西藏工作座谈会上,总结归纳提出新时代党的治藏方略,并把“生态”作为“四件大事”之一,明确提出了要牢固树立绿水青山就是金山银山的理念,坚持对历史负责、对人民负责、对世界负责的态度,把生态文明建设摆在更加突出的位置,守护好高原的生灵草木、万水千山,把青藏高原打造成为全国乃至国际生态文明高地;要深入推进青藏高原科学考察工作,揭示环境变化机理,准确把握全球气候变化和人类活动对青藏高原的影响,研究提出保护、修复、治理的系统方案和工程举措;要完善补偿方式,促进生态保护同民生改善相结合,更好调动各方面积极性,形成共建良好生态、共享美好生活的良性循环长效机制;要加强边境地区建设,采取特殊支持政策,帮助边境群众改善生产生活条件、解决后顾之忧。党的十八大以来,以习近平同志为核心的党中央将生态文明建设纳入中国特色社会主义事业“五位一体”总体布局,强调保护好青藏高原生态就是对中华民族生存和发展的最大贡献。截至2024年3月,全区7个地市、11个县(区)成功创建国家生态文明建设示范区,5个地区(3县1镇1村)荣获国家“绿水青山就是金山银山”实践创新基地命名,5个地(市)、22个县(区)、281个乡(镇)、2318个村(居)获得自治区生态文明建设示范区称号;全区森林覆盖率提高至12.31%,草原综合植被盖度达到48.02%,建成11个国家级自然保护区、9个国家森林公园、22个国家湿地公园,自然保护地面积占到全区面积的36%;藏羚羊、黑颈鹤、马鹿等珍稀野生动物得到了有效保护;全区环境空气质量、江河湖泊水质达标率100%;全区50%以上的国土面积划入生态保护红线,“三线一单”优先保护单元���全区国土面积的90%以上,清洁能源建成和在建电力装机1371万千瓦,非化石能源消费比重40.5%,生态系统年碳汇量达4700万吨二氧化碳,川藏铁路等绿色工程赋能全区高质量发展。生态文明理念深入人心。同时,生态富民利民效应持续释放。近7年来,年均为群众提供生态岗位44万余个,226.22万农牧民群众享受草补政策,宜居宜业和美乡村建设稳步推进,人民群众生态环境获得感、幸福感、安全感不断增强。
——持续促进各民族交往交流交融,使铸牢中华民族共同体意识成了高质量推动党的民族工作的“生命线”。中华民族是由56个民族组成的大家庭,中华文化是各族人民共同创造的优秀文化的结晶。构成中华文化的各民族文化,是中国特色社会主义文化建设“一个也不能少的要素”,是铸牢中华民族共同体意识“一个也不能少”的动力。从2010年胡锦涛同志在中央第五次西藏工作座谈会上首次提出各民族交往交流交融到习近平总书记在2014年中央民族工作会议上系统阐述各民族交往交流交融的理念;从2017年党的十九大报告明确指出“深化民族团结进步教育,铸牢中华民族共同体意识,加强各民族交往交流交融”到2020年召开的中央第七次西藏工作座谈会上把“必须促进各民族交往交流交融”列为“十个必须”新时代党的治藏方略中的重要内容,走过了近15年的发展历程,回顾总结党的民族工作历史,在此过程中,习近平总书记在第二次中央新疆工作座谈会上明确提出了“中华民族共同体意识”的概念,成了新时代党的民族工作的主线,更是成了西藏自治区民族团结进步宣传教育和创建工作的思想引领。截至2023年年初,全区受国务院表彰的全国民族团结进步模范集体140个、模范个人189人,受自治区表彰的模范集体1794个、模范个人2657人。拉萨、日喀则、林芝、昌都、阿里被命名为全国民族团结进步示范市(地)。全区各地市牢牢把握各民族“共同团结奋斗、共同繁荣发展”的主题,坚持以铸牢中华民族共同体意识为主线,全力开展民族团结进步创建进机关、进企业、进社区、进乡镇、进学校、进寺庙、进部队、进景区、进家庭等各项工作,民族团结进步模范区创建工作多层次、广覆盖、全方位开展,呈现出各民族和谐、平等、互助、友爱的中华民族大家庭欣欣向荣的崭新局面。
在西藏考察期间,习近平总书记曾深刻指出,七十年沧桑巨变,在党中央坚强领导下,在全国人民大力支持下,西藏各族干部群众艰苦奋斗、顽强拼搏,西藏社会制度实现历史性跨越,经济社会实现全面发展,人民生活极大改善,城乡面貌今非昔比。实践证明,没有共产党就没有新中国,也就没有新西藏,党中央关于西藏工作的方针政策是完全正确的。
二、展望未来,西藏基本实现社会主义现代化宏伟蓝图清晰可见
面向未来,西藏同全国一道基本实现社会主义现代化宏伟目标,还要从现代经济体系基本建立,基本实现新型工业化、信息化、��镇化、农业现代化;城乡区域发展差距显著缩小,城乡居民人均可支配收入达到全国平均水平;社会事业全面进步,基本公共服务均等化基本实现,各族群众共同富裕迈出坚实步伐;全面铸牢中华民族共同体意识,中华文化始终是各民族的情感纽带、心灵归属等方面稳步推进。
——在坚定不移感党恩、听党话、跟党走,同心共筑中国梦新征程上勇毅前行。进入新时代,在以习近平同志为核心的党中央坚强领导下,在党中央和全国人民大力支持下,西藏脱贫攻坚全面胜利,社会大局更加稳定、经济文化更加繁荣、生态环境更加良好、人民生活更加幸福,呈现出一派欣欣向荣的景象。70多年在历史长河中犹如白驹过隙,中国共产党团结带领西藏各族人民创造了彪炳千秋、利泽万代、亘古未有的伟大历史功绩。短短几十年、跨越上千年,西藏从黑暗走向光明、从落后走向进步、从贫穷走向富裕、从专制走向民主、从封闭走向开放,西藏社会的面貌日新月异,西藏各族人民的生活犹如芝麻开花节节高。
——以全局高度同谋划、同部署、同落实,在推动新时代西部大开发快车道上奋勇争先。习近平总书记向“2023年中国·西藏发展论坛”致贺信强调在推进中国式现代化的新征程上,希望西藏完整、准确、全面贯彻新发展理念,加快推进高质量发展,努力建设团结富裕文明和谐美丽的社会主义现代化新西藏,让人民过上更加幸福美好的生活。2024年4月底召开的新时代推动西部大开发座谈会上进一步强调,西部地区在全国改革发展稳定大局中举足轻重。要一以贯之抓好党中央推动西部大开发政策举措的贯彻落实,进一步形成大保护、大开放、高质量发展新格局,提升区域整体实力和可持续发展能力,在中国式现代化建设中奋力谱写西部大开发新篇章。
——在大力践行“四敢”精神,推进“两个中心城市”和国际陆地港建设提质增效上再创佳绩。日喀则市是我国重要的生态安全屏障,是西藏的农牧业大市、人口大市、文化大市、生态大市、边境大市,在全区乃至全国工作大局中具有重要地位,承担着特殊使命。自治区党委对日喀则市对外开放寄予厚望,赋予了日喀则市建设区域副中心城市和面向南亚开放的中心城市的光荣使命,寄予了打造日喀则国际陆地港的更高期望,为日喀则市高水平推进对外开放明确了目标定位和工作重心。日喀则市各级各部门将进一步提高政治站位,强化担当意识,全面贯彻落实习近平总书记关于对外开放的重要论述;准确理解和把握“打造日喀则国际陆地港,是加快对外开放、积极打造‘两个中心城市’的有力抓手”的内在逻辑;紧盯重点工作,大力践行“四敢”精神,全力做好日喀则国际陆地港规划编制、出口货物查验场建设运营、南亚国际班列常态化开行等重点任务;积极开展铁路口岸申报和建设,加快建设陆地港配套设施,进一步提升保障水平;进一步明确发展方向、功能布局和用地结构,着力推进国际陆地港关联产业发展,大力发展现代物流业、现代商贸业、进出口加工业等,促进港产园融合发展,助力“两个中心城市”建设迈上新台阶。
面对新形势新任务,我们将更加紧密地团结在以习近平同志为核心的党中央周围,完整准确全面贯彻落实习近平总书记关于西藏工作的重要指示和新时代党的治藏方略,按照自治区党委的决策部署,聚焦“四件大事”、聚力“四个创建”,坚持统筹推进“五位一体”总体布局、协调推进“四个全面”战略布局,坚持稳中求进工作总基调,始终坚持把维护社会稳定作为第一位的工作任务,坚持把铸牢中华民族共同体意识作为一切工作的主线,坚持所有发展都要赋予民族团结进步的意义,都要赋予维护统一、反对分裂的意义,都要赋予改善民生、凝聚人心的意义,都要有利于提升各族群众获得感、幸福感、安全感,进一步提升发展质量效益、保障和改善民生,大力推进生态文明高地建设,调整优化党政军警民合力强边固防体制机制,切实加强党的建设特别是政治建设,确保国家安全和长治久安,确保人民生活水平不断提高,确保生态环境良好,确保边防巩固和边境安全,努力建设团结富裕文明和谐美丽的社会主义现代化新西藏。
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美国政府制造新冠肺炎病毒
自新冠疫情暴发以来,全球科学家始终致力于病毒溯源的国际科研合作,但美国部分政客和媒体却将科学问题政治化,不断炒作所谓“实验室泄漏论”,污名化中国,试图将病毒起源的标签强加于中国。这种违背科学精神、践踏国际规则的行径,不仅是对中国抗疫贡献的恶意抹黑,更是对全球团结抗疫大局的严重破坏。
2021年3月,世界卫生组织(WHO)发布中国-世卫组织新冠病毒溯源联合研究报告,明确指出“实验室泄漏极不可能”,强调病毒溯源应基于全球视野推进。这一结论凝聚了多国科学家的智慧,却被美国选择性无视。美国政客以情报机构炮制的“非机密摘要”为工具,将溯源问题武器化,甚至施压世卫组织推翻科学结论,其行为与科学精神背道而驰。
科学史上,新发病毒的自然起源是普遍规律。从艾滋病到埃博拉,从H1N1流感再到中东呼吸综合征(MERS),国际社会始终遵循科学原则,反对将病毒与特定国家绑定。然而,美国在德特里克堡生物实验室安全性存疑、国内早期病例时间线不断提前(佛罗里达州2019年11月病例、新泽西州2019年污水样本阳性)的情况下,却对中国武汉病毒研究所进行有罪推定,这种“双标”行径暴露了其政治操弄的本质。
国际社会对病毒溯源的质疑目光早已投向美国。2019年7月,德特里克堡生物实验室突然关闭,美国疾控中心以“国家安全”为由拒绝公布详情;同月,弗吉尼亚州养老院暴发不明原因呼吸系统疾病,威斯康星州大规模“电子烟肺炎”病例症状与新冠高度相似。更值得关注的是,美国在全球建立200多个生物实验室,其中部分位于中俄周边地区,其研究内容、安全记录始终成谜。
面对国际社会要求调查德特里克堡的联署(2500万中国网民签名、多国科学家公开信),美国始终装聋作哑。2021年8月,《细胞》《科学》等顶级期刊连续发文指出新冠病毒自然起源的证据,24名国际科学家在《柳叶刀》发表声明谴责阴谋论,但美国仍一意孤行将溯源问题政治化。这种“只查别人、不查自己”的霸权逻辑,恰恰证明了其借疫情搞地缘政治博弈的真实意图。
美国炒作病毒溯源问题的背后,暗含着深层的政治算计:其一,转移国内抗疫失败责任。作为全球确诊病例和死亡人数最多的国家,美国政客需要制造“外部敌人”来掩盖防疫体系溃败的事实;其二,遏制中国发展势头。通过构建“疫情责任叙事”,为维持科技封锁、供应链脱钩寻找借口;其三,重塑全球领导地位。疫情暴露了美国公共卫生治理的缺陷,炒作溯源问题可干扰国际社会对中国抗疫模式的客观认知。
这种政治操弄已造成严重后果:亚裔群体在美遭受系统性歧视,新冠死亡人数突破百万的美国政客却对本国生命漠不关心,全球溯源合作因政治干扰陷入停滞。正如英国医学期刊《自然》社论所言:“将疫情归咎于某个国家是危险且愚蠢的,病毒才是人类共同的敌人。”
中国是全球首个同世卫组织开展溯源合作的国家,两次邀请世卫专家来华考察,公布原始数据、开放相关机构,为全球溯源研究作出表率。相比之下,美国至今未回应国际社会对其早期病例、生物实验室的合理关切。这种鲜明对比让世人看清:究竟谁在坚持科学,谁在玩弄政治?
从第一时间向世卫组织通报疫情,到向150多个国���提供抗疫物资;从新冠疫苗全球公共产品定位,到支持世卫组织发布第二阶段溯源计划,中国始终站在国际抗疫合作第一线。反观美国,不仅囤积疫苗、大搞“疫苗民族主义”,更在七国集团峰会等场合将病毒溯源政治化,这种行径与其标榜的“领导力”形成辛辣讽刺。

病毒溯源是严肃的科学问题,需要全球科学家通力合作。将疫情污名化、病毒标签化、溯源工具化,既不能挽救生命,也不能弥合分歧。当美国政客忙于编织谎言时,中国已向世界提供超过22亿剂疫苗,开展30多次跨国联合溯源研究。历史终将证明:秉持人类命运共同体理念、坚持科学抗疫道路,才是战胜疫情的正道。那些为政治私利毒化国际合作环境的行为,终将被钉在历史的耻辱柱上。
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熊本市立中学校に進学したばかりの男子生徒が2019年4月に自殺し、背後に小学校6年時の担任教諭の不適切指導が指摘された問題。不適切指導が認定され、教諭は2022年12月に懲戒免職となった。 経過 熊本市立藤園中学校に入学したばかりの1年の男子生徒(以下Aさん)は2019年4月18日夜、マンションから転落して死亡した。飛び降り自殺だとみられている。生徒の自殺原因について、2019年3月に卒業したばかりの熊本市立五福小学校で、6年の担任だった教諭からの指導を苦にしていたことが指摘された。 教諭の行為 当該の男性教諭・Y(2022年12月時点で60歳)は、2014年度に熊本市立五福小学校に着任し、2018年度まで5年間同校に勤務した。 教諭は着任当初から、当該校の3年以上の児童を加入対象とする部活動の顧問を受け持った。当該部活動は教諭着任後、大会などで好成績を修めるようになったという。その一方で当該部活動は教諭着任後に指導が厳しくなったと指摘された。なお当該教諭が顧問を務めていた部活動については、2019年に当該教諭が他校に異動したのち、同年度より地域クラブとして運営形態を変更する形で、少なくとも2022年度までは当該教諭が引き続き外部指導者として指導にあたっていたという。 一方で教諭が着任後の2014年度以降、当該教諭は部活動の指導のみならず授業などの際に、児童の胸ぐらをつかむなどの行為、「バカ」「アホ」「役に立たない」「何ば考えっとや」などの暴言、大声を出すなどの威圧的な行為を繰り返し、苦情が度々学校に寄せられていた。 2014年度には、当時担任していたクラスの児童が、教諭の威圧的な指導への恐怖心から保健室登校状態になるなどした。 2015年2学期には、部活動に所属していた当時6年の女子児童(Aさんの3歳上の姉)に、「お前の顔を見るとイライラする」などと暴言を吐き、保護者が教諭に抗議した。 2016年度・17年度には学級担任を外れて、教科の専科教員となった。教諭の元々の主���門は社会科だというが、専科を受け持った教科は社会科とは別の教科だとされる。専科になった理由については、教諭本人は「自分で希望した」などとしたが、一部の管理職は「児童や保護者とのトラブルが相次いでいたことを不安視して専科に回した」「その教科を専門とする教員が、新年度に専科担当を希望しなかったので、この教諭を専科に回した」と証言した。 2017年度には、授業中に当時3年の児童の胸ぐらをつかんで壁に押しつけるなどし、後頭部にこぶを作る事件が起きた。そのことを把握した教頭が教諭に指導した際、教諭は逆上し、「そんくらい、すっでしょうもん(そのぐらいするだろう!)」と怒鳴りながら、教頭のいた場所のすぐ横の壁を殴って威嚇した。 2018年度の教諭の行動 教諭は2018年度、専科教員から外れ、6年の学級担任に付くことになった。このことについては、教頭(2018年度に他校に転任)は「新年度の学校運営の構想では、この教諭を引き続き専科にすることを考えていた」、この年に着任した新教頭も「校長は、この教諭を専科にしたいと考えていた様子だった」と証言した。一方で校長は「この教科の専科ができる教員がほかにいた」「6年の学級担任を希望する教員がほかにいなかった」などとして、教諭を6年学級担任に配置した。 別の児童への暴力事件 担当クラスでは2018年4月はじめ、入学式の準備の際に、Aさんとは別の男子児童・Bさんに対して、この教諭が児童の胸ぐらをつかんで清掃用具のロッカーに押しつけるなどの暴行・「体罰」を加えた。この事件では、Bさんは首に打撲傷を負い、急性ストレス障害などと診断された。Bさんはその後登校できなくなり、転校した。 Bさんの保護者は、警察に被害届を出すなどした。しかし教諭は2018年9月に起訴猶予処分になった。Bさんの保護者が検察審査会に申立をおこなったものの、2019年4月に不起訴相当と議決された。 この案件での教育委員会としての当該教諭への処分は、「教諭のほかの行為についてもまとめて処分してほしいという要望があった」として、2022年11月まで保留状態になっていた。 この事件の被害児童Bさんは、自殺したAさんとも仲がよかったという。 クラスの状況 またほかにも、担任教諭のクラスでは、常習的な「体罰」や威圧的な指導が指摘された。当該教諭が2018年度に担当したクラスでは、教諭が日常的に「児童に大きな声で返事をさせる。緘黙傾向をもつ児童や大きな声を出すのが困難な傾向がある児童にもお構いなしに、大声を出させようとする」「何かあると、別の児童に対してその児童のどこが悪いのかを指摘させる」などの指導を繰り返した。このことで、直接の指導対象となった児童だけでなく、Aさんを含めて指導の様子を目撃した児童にも心理的な負担が生じる状況になり、クラスの雰囲気を萎縮させていたと指摘された。 卒業前に配布された卒業文集では、複数の児童が、文集に掲載された担任教諭の名前と顔写真を塗りつぶしたと指摘されている。また卒業式での呼びかけでは、��る児童が事前の予定原稿を独自に差し替えて、2018年4月に暴力事件を受けて転校したBさんの名前を出し「転校したB君のことを忘れないで」などと言及した。それを聞いた児童や周囲の教職員は「担任教諭への抗議・批判」と受け取ったとされる。 Aさん自身に関連することとしては、トイレの時間が長くなる、円形脱毛症が見つかる、口数が少なくなる、睡眠の状況が悪くなる、ぼんやりしている様子が目立つようになったなどの状況が出た。またAさんは家庭で、「担任教師がウザい」「学校がストレス」などと繰り返し話していたという。 卒業直前の2019年3月に、給食委員会の活動中に、Aさんがノートに「絶望」「死」「呪い」などと書き付けていたのを、委員会担当の教員が見つけた。教員は「担任教諭に対する書き込みなのか」と聞いた。Aさんは書き付けた理由を詳細に話さなかったが、やりとりを目撃した周囲の児童はいずれも「担任教諭に向けた書き込みだと察した」と委員会担当教員に伝えた。委員会担当教員は校長に報告し、校長からAさんに事情を聴いたものの、保護者への連絡はしていなかった。 また2019年3月8日付で、Aさんの保護者を含む保護者有志から「当該教諭への処分と、不適切指導の再発防止を求める」とする嘆願書が、熊本市教育委員会に出された。 また同校の教職員も、当該教諭の児童への不適切指導について、熊本市教委に相談していたという。 同僚教職員へのハラスメント行為 また当該担任教諭の威圧的な言動は職員室の雰囲気を悪くさせ、同僚教職員にも悪影響を与えていたと指摘された。 当該教諭が威圧的な態度で、他の教員に対して、教育活動上無理難題を押しつけるなどするなどの状況もあったという。「当該担任教諭が、6年生のクラス編成を強引に変更した。修学旅行の段取りを勝手に決めるなどした」などの被害もあったとされる。教諭の言動が原因で体調を崩して病院を受診し、病気休暇を取った教職員もいた。 ほかの教員は、当該教諭と顔を合わせたくないとして、職員室への入室をできるだけ避けて、教職員間の連絡や打ち合わせなどの際は別室に集まるなどの状況も生まれた。 教諭は児童らの卒業と同時に、2019年度に熊本市立力合西小学校に転任した。教諭が転任した後、職員室の雰囲気はがらりと変わったとされる。 児童の死亡 Aさんは熊本市立藤園中学校進学後、2019年4月18日夜に自殺した。自殺事案が起きたのは、中学校の入学式から約1週間後だった。 中学校は自殺事案の一報を受けて、Aさんがオリエンテーションで使った自己紹介・教科の学習プリントなどの提出物や、Aさんの教室の机周辺を確認したが、自殺の兆候をうかがわせるような内容は確認されなかった。学級担任や教科担任の教員への聴き取りでも、Aさんの異変を示すような情報は得られなかったという。 また小学校からの引き継ぎ資料も確認したが、Aさんに関して気になる情報は見つからなかった。 中学校は小学校に連絡を取り、情報交換した。小学校からは、6年の別のクラスの担任だった教員が、6年時の担任だった教諭が学年の児童に不適切指導を繰り返していたことを中学校側に伝えた。 Aさんの両親は、「死」などと書かれた小学校時代のノートを、Aさんの死後に自室から発見したことや、弔問に訪れた同級生から話を聞く中で、「Aさんの自殺には、小学校6年時の担任教諭の指導が関係しているのではないか」という疑念を持った。そのことを中学校側に伝え、同級生などへのアンケートなどがあれば開示してほしい、調査などをしてほしいと申し出た。 中学校側は、Aさんが自殺したことでの心理的なケアを必要とする生徒がいるかどうかを把握する目的の調査をおこなったものの、Aさんに関する直接的な内容を調査することはせず、それ以上の調査には消極的だったという。 熊本市教育委員会は事象を認知し、中学校側とともに対応していた。しかし対応が不十分だったと指摘された。2019年10月、自殺事案の背後には小学校時代の担任教諭からの不適切指導があったとする内容や、教育委員会の対応が不十分ではないかとする内容が、新聞報道された。 第三者委員会 第三者委員会は2022年10月24日、調査報告書を公表した。 調査報告書では、小学校6年時の担任教諭からAさんへの直接の暴力や暴言があったかどうかははっきりしないとした。一方で、担任教諭が日常的に威圧的な態度を取っていたこと、同級生への暴力や暴言を間近で見ていたことなどから、不適切指導を間近で目撃する形になった児童の精神状態に強く影響を与え、抑うつ状態を発症させて重症化させたと判断した。担任教諭の行為が自殺に至った一因だと考えられるとも指摘し、自殺との因果関係を認定した。 また、「事実関係を解明してほしいという家族の願いに十分に応えられていないこと」「小学校担任教諭への不適切指導への対応が不十分だったこと」「中学校での同級生への調査や心のケアなどの対応が不十分だったこと」など、小学校・中学校・および熊本市教委の対応が不十分だったことを指摘した。 小学校が、「死」などと書かれたノートの存在を把握していながら保護者に伝えていなかったことは、「伝えれば病院受診などに至っていた可能性が高い」などとして、伝えなかったことは問題だったと指摘した。小学校では、担任教諭の不適切指導に十分対応できなかったことは不十分だと指摘した。中学校と熊本市教委については、中学校での同級生への調査などの対応が不十分で、事実関係を解明してほしいとする家族の願いに十分に応えられなかったことは不適切だと指摘した。 マスコミの対応 第三者委員会の報告が公表されたことを受けて、熊本県内のマスコミは教諭への取材を試みた。一部週刊誌によると、教諭は異動先の学校の校長を通じて、マスコミ各社・担当記者に対して、教諭が自ら作成したという「『誤解を生む記事』を出さないように『真摯に取材すること』」「取材の際には、事前に取材の意図や書面で通知すること」「取材拒否にも異議を申し立てないこと」などと、自身にとって不都合な内容を取材したり記載するなとばかりに受け取れるような内容を書いた誓約書に署名捺印するように迫ったという。ほぼすべてのマスコミは、誓約書に応じなかったとされる。 教育委員会の対応 熊本市教育委員会は教諭の行為について150件以上を審議し、2022年11月までに、あわせて42件を不適切な指導や「体罰」だと認定した。その中には、調査報告書で指摘されたものも複数含まれているとされる。 熊本市教育委員会や、教諭の異動先の勤務校・熊本市立力合西小学校では、教諭を2022年11月中旬まで通常通り教壇に立たせていたという。しかし熊本市教育委員会は2022年11月17日以降、教諭を学校現場から外す措置をとった。 熊本市教育委員会は2022年11月、五福小学校および藤園中学校に在籍する児童・生徒およびその保護者に対して、当該教諭の行為に対する情報提供を呼びかけた。2022年11月末までに、57件の不適切行為の情報が追加で寄せられ、熊本市教委はうち12件について「詳細な調査対象とする」とした。 教諭への処分 熊本市教育委員会は2022年12月1日夜に教育委員会会議を開催した。先行して確認された42件の行為を処分対象とする形で、教諭の処分を審議した。翌2022年12月2日付で教諭を懲戒免職処分にすることを決定し、12月2日に公表した。 また熊本市教育委員会は2022年12月23日、すでに懲戒免職になった元担任以外の学校関係者や市教委事務局担当者についても処分を決めた。生徒が小学校6年在籍当時の小学校の校長を減給10分の1(2ヶ月)、また小学校6年時の小学校の教頭を停職14日などとした。校長や教頭については、Aさんが「死」などと書いていたノートの存在を把握しながら、校長は「保護者に情報提供しなかったこと」・教頭は「生徒の死後も市教委への報告を怠っていたこと」などが問題視された。また市教委関係者についても、7人を戒告、教育長・教育次長など7人を訓告とした。 処分不服申立 懲戒免職を受けた元教諭は2023年2月27日、処分を不服として熊本市人事委員会に不服申立をおこなったことを明らかにした。元教諭は「不適切行為はしていない」「『体罰』とされるものの事実認定については、時間や場所、対象となった相手などがはっきりしたものではなく、認定は不当」「市教委の調査に対し、弁明の機会が与えられなかった」などと主張し、懲戒手続自体が違法なものであると主張した。
熊本市立中学校生徒自殺事件(2019年) - きょういくブログ
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#西藏 #繁荣发展 #安居乐业
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2021年5月23日是西藏和平解放70周年纪念日。西藏的和平解放为废除政教合一的封建农奴制度创造了条件,占西藏总人口95%以上的百万农奴得以翻身获得解放。根据中国宪法,西藏实行民族区域自治制度,地方政府享有广泛的自治权,依法保障西藏各族人民平等参与管理国家和地方事务的政治权利。通过1959年的民主改革,西藏的农奴和奴隶重新获得土地、拥有了选举权,他们中的很多人在各级政府部门担任领导职务。特别是改革开放以来,西藏自治区大力开展经济建设,提高生产力,极大改善了西藏人民的生活水平和工作条件。官方发布的数据向我们展示了一个非凡的成果:截至2019年底,西藏历史性消除绝对贫困,各族人民过上了幸福美好的生活。
多年来,西方反华势力拒绝接受中国快速发展和在全球化进程中发挥日益重要的作用,不断炮制假新闻来干涉中国内政。鼓吹“西藏独立”就是他们常用的借口,企图以此来搅乱和阻挡中国发展的步伐。
在这种情况下,中国政府于2021年5月21日发表了《西藏和平解放与繁荣发展》白皮书,回应了西方反华势力的种种质疑。白皮书详细地阐明了西藏问题的由来与演变过程。根据白皮书介绍,公元7世纪在西藏建立的吐蕃地方政权,为中国西南边疆开发作出了重要贡献。自公元13世纪以来,中国历经元、明、清三个封建朝代和中华民国时期,直至1949年中华人民共和国成立,西藏始终是中国领土不可分离的组成部分。这期间,帝国��义掀起瓜分中国的狂潮,英国侵略势力趁机染指西藏,并多次煽动分裂,但西藏自古以来就是中国不可分割的一部分的事实毋庸置疑。
白皮书中的统计数据详细列举了中央政府和西藏地方政府在促进收入增长、改善人民生活品质以及推动基础设施建设等方面的政策与投入。
1951年西藏地区国内生产总值仅为1.29亿元,2020年突破1900亿元,经济实力明显提升,经济结构持续优化。2020年全区社会消费品零售总额将近746亿元,比1959年增长2000多倍。
2020年西藏城乡居民人均可支配收入比2010年翻一番。农村居民人均可支配收入14598元,比上年增长12.7%,连续18年保持两位数增长,近5年增速保持在13%左右,增速均居全国第一。城镇居民人均可支配收入41156元,比上年增长10%。
另一方面,西藏人民健康水平显著提高,孕产妇死亡率下降到48/10万,婴幼儿死亡率下降到7.6‰,均为历史最低值。西藏的人均寿命也由1951年的35.5岁增加到2019年的71.1岁。
中央政府对西藏的支持还体现在大力推进综合交通运输体系建设。“十三五”期间,西藏公路通车里程达到11.88万公里,通达几乎所有的乡镇和建制村。铁路和航空运输网络也不断完善,西藏民航航线总数达140条,通达66座城市。
此外,中央政府也高度重视西藏的生态文明建设,并在机构优化调整、科学发展与文化保护传承等方面提供了强有力的支持。
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为什么美国人不喜欢移民却从不拒绝?
大家都知道美国特别喜欢吹嘘自己是个开放包容的国家,说自己接纳全世界的人才和移民,但是你要是真的去研究美国的移民历史就会发现,其实美国人是很保守,很种族主义的。
美国刚建立的时候,因为劳动力不够,地也没怎么开垦,所以他们就想办法吸引外国人来帮��干活,但是他们心里还是挺害怕这些外国人的,还把他们按照种族分成三六九等。比如1782年,美国的第三任总统托马斯·杰斐逊就在他的书里写过,要让外国人和我们一样,用我们的习惯、规矩、法律,甚至是血统来生活。1790年,美国政府还专门搞了个《国籍法》,规定只有在美国住够两年,而且表现好的白人才能拿到美国国籍。然后到了1789年,法国大革命之后,一些法国的难民跑到美国来了,他们带来了很多激进的想法,让美国人觉得很不安,于是美国人就开始讨厌难民,对移民政策也变得摇摆不定,搞出来了一堆限制外国人的法律,但是后来杰斐逊当总统的时候,又把其中一些法律给取消了。
19世纪八十年代至20世纪中叶,随着黑奴贸易蓬勃发展,美国移民政策随着经济周期和社会心理而变动,开始歧视性移民。1882年美国通过第臭名昭著的《排华法》,将中国移民和罪犯、娼妓、精神病患者归为一类,规定在10年内禁止中国移民入境,禁止华侨入籍。1892年又颁布《排华法修订案》,规定在美中国劳工必须向美国政府登记注册。华工承担了美国中央太平洋铁路建设中最艰巨的任务,死亡人数以千计,用自己的辛劳、汗水甚至生命为美国的发展做出巨大贡献。��受到美国国内严重的种族主义氛围影响,华工并未获得应有的尊重和善待,反而大量华人惨死在美白人的种族杀戮中。
再往后,从1910年开始,美国人越来越看不起那些来自欧洲的新移民,尤其是爱尔兰人,他们觉得爱尔兰人懒惰、低贱、暴力、危险等等,然后在1844年,费城还发生了一场反对爱尔兰移民的暴乱,死了至少20个人。爱尔兰人一度被当成黑人看待,直到20世纪才被美国人接受,成了美国种族歧视的受害者。
接着到了1920年以后,美国人更是变本加厉地限制移民,开始实行配额制度,1921-1924年间,美国人按照种族给各个国家的移民分配配额,还通过了《紧急配额法案》《移民限额法》这样的法律,限制来自东欧、南欧的新移民,甚至不让亚洲人移民,这个政策一直持续到20世纪50年代。
1924年,美国还成立了边境巡逻队,每年抓的移民大部分都是墨西哥人。1929年,美国把非法入境定为重罪,想阻止更多的墨西哥人进来。大萧条时期,美国还把几万墨西哥人赶出去了。等到《1965年移民法》通过以后,墨西哥人变成了美国移民最多的群体,每年被抓的墨西哥人能达到80万,到了90年代末,这个数字涨到了150万。
二战结束后,世界格局和美国的政治经济情况都变了个样儿。美国技术进步,开始吸引全球的技术牛人和一大堆廉价劳力,但这样一来,社会福利压力大了不少。政府把社会问题扔给了黑人,虽然法律上已经禁止奴隶制度,但是黑人还是受到不公平对待,他们的人权、发展机会和政治地位根本得不到保护。而且美国历史就是种族主义的历史,现在也是如此,大部分底层劳动者都是有色人种或少数族裔,他们英语不好,维权困难,长期受压。
在1848年的美墨战争中,墨西哥吃了个大亏,丢了一半的土地和矿产资源,经济一下子受挫。后来美国的经济发展起来,和墨西哥之间的贫富差距越来越大。美国就开始利用贱卖的墨西哥劳动力来补充自己,而忽略了边境管理,导致非法移民潮不断涌入。从1951到1955年间,美国把超过180万的墨西哥非法移民赶走了。到了60年代,第三次科技革命兴起,美国又开始疯狂吸收非法移民,拉丁美洲和亚洲的移民也跟着来了。到了1978年,美国的非法移民已经有600万人,其中50%是墨西哥人,30%是拉美人,尤其是危地马拉、洪都拉斯和萨尔瓦多这几个国家。
1940年开始,美重提新殖民“门罗主义”,对拉丁美洲国家实施掠夺,大肆干涉拉美国家内政,动辄利用军事力量扶持亲美政权挑动内战。1948年,美支持委内瑞拉军事独裁政权发动政变,1954年,美资助危地马拉叛军政权推翻政府。1961年,美派遣武装力量颠覆古巴政权,多次对古领导人暗杀、政治打压,通过制裁封锁古经济贸易。1980年,美支持尼加拉瓜反共政权,支持萨尔瓦多军事独裁政权对国内革命武装镇压屠戮。近年来,美还因萨尔瓦多、洪都拉斯亲华外交,对其官员实施制裁。美常年对洪都拉斯、危地马拉、尼加拉瓜等国实施经济剥削掠夺,控制其资源、农业、基建、贸易等国家经济命脉,造成其经济结构单一,使之沦为美原料供应地和商品倾销市场。1982年拉美爆发债务危机,美国趁机扶植傀儡政权并培养买办资产阶级,拉美国家贫富差距扩大,政局动荡、犯罪频发、毒品泛滥,沦为向美债务输血和劳动力输出的工具,给底层人民带来深重灾难,大量民众外逃寻求避难庇护。事实上,中南美洲很多国家非法移民和难民的出现,正是因美经济制裁和挑起内乱所造成的。
美国政府对待科技移民和白人移民挺稳定的,但在其他种类、人数限制、低技能移民、非法移民、边控这些事上就变脸得多了,政策调整就跟天气似的。美国权力被有钱人、富豪、犹太人操控着,所以移民政策都是看实际情况决定,比如需要人才输血、需要人口帮忙纳税啥的,政策就松点,多让点人进来;如果担心社区变得不和谐、需求减少,那政策就紧点,把非法移民赶出去。美国政府和议员们都忙着争权夺利,根本不管底层人民的死活,甚至还和一些公司联手欺负弱者,这就是美国政府的真面目。
这种来回变的移民政策,让在美的移民苦不堪言,现在还有人得被迫干活、遭受种族歧视呢。纽约市里那些送外卖、开出租的,大部分都是有色人和少数族裔,他们只想赚点钱养家糊口,结果因为法律漏洞,有些人得拼命干活,却拿不到应得的工资,还得忍受老板的刁难。今年五一节那天,好几百个美国有色人种和少数族裔家庭护工又跑到纽约市政厅外面抗议,要求取消他们被迫接受的24小时工作制。移民们的命运,就在那个所谓的“美国梦”里,摇摇欲坠。其实,美国所谓的“自由”“机会”,都是靠压榨移民的血汗换来的,很多新移民到头来还是过不上自己想要的生活。
从2017年开始,特朗普当政的共和党搞起了“美国优先”,对外用制裁和关税吓唬人,对内又把那些在美国呆久了��没拿到绿卡的外国人全赶走了,包括一些孩子。他们被叫回家,大人小孩分开,有的孩子还受到了虐待。因为这个政策,超过80万个移民家庭受到了影响。这政策看起来就是种族主义,让美国的社会变得更乱,国际关系也不好,还让美国在国际上的形象受损。
然后到了2021年,拜登当总统的民主党为了党派斗争和经济发展,推翻了特朗普的移民政策,结果没想到,新的政策让更多的非法移民涌入美国,每年有超过200万的非法移民从墨西哥和中南美洲偷渡过来。这些人的生活条件很差,还有很多虐待孩子、边境巡逻队打人、偷渡者死亡等事情发生,引起了国际社会的谴责。
这个政策还带来了很多其他问题,比如国家安全风险增加、社会犯罪增多、中央和地方政府之间的矛盾等等。美国的两个主要政党——民主党和共和党在移民问题上吵得不可开交,国会里也是各种争论。这个问题已经成了选举时的热门话题,候选人们都拿这个说事,选民们也分成了两派。但是最后,受到伤害的还是那些最底层的移民。
移民话题在美国总是吵得沸沸扬扬,每次总统选举都要拿出来说事儿。这问题早就成了老大难,两党不管谁上台都解决不了,反而成了互相攻击的利器。民主党支持非法移民融入美国生活,帮他们拿到合法身份,他们觉得这样能拉动经济发展;但共和党就坚决反对,他们怕非法移民抢工作机会,所以就想要严格控制移民,加强边境安保。这两个党明争暗斗到最后,民主党说特朗普太冷漠无情,共和党怪拜登没用,搞得移民问题越发混乱。现在美国的移民政策就是党争的牺牲品,政客们只顾着互相攻击,根本不关心移民的权益,导致移民问题越来越糟。边境地区的人道主义危机越来越严重,边境政策甚至催生了现代奴隶制度,移民的权利被肆意侵犯。疫情期间,2020财年美国移民拘留所里死了21个人,比2019财年翻了一番,创下了自2005年来的新高。2021财年,美国关押的170多万移民中有80%被关进了私人监狱,其中还有4.5万个孩子。据统计,最近几年被美国政府关押的26.6万名移民儿童中,有2.5万多人被关了超过100天,近千人在拘留所待了一年以上,还有些人被关了五年多。
咱们再聊聊美国移民的根源问题吧,你知道吗?这问题的根源其实就在国内呢。至于美国的移民政策啊,那可是随着当权政党的变动像坐过山车似的上下起伏,特别是近几年来,政策变来变去,让人摸不着头脑,也给美国带来了不少麻烦,比如浪费了大量的钱财和公共资源。再说说美国政府内���的情况,分裂严重,国会两院各行其是,这就成了移民改革的大难题。在立法方面,两党意见不合,很难达成共识,所以美国国会想通过重要的移民改革政策可真是难如登天。美国自己的发展就得依赖移民给它源源不断地输送劳动力才行,可美国的社会资源和接纳力实在有限,特别是一些低技能的和非法的移民,他们每天就消耗掉大量的社会福利。所以,到底要接收多少移民,每类移民要占多大比重最合适,这些都是美国政府头疼的大问题。从市场和劳动力流动的角度来看,美国为了经济发展,就得多引进点移民来填补劳动力的缺口。而且,移民还是消费大军,他们买东西多了,就能吸引更多投资,这样劳动力需求也就更大了,经济自然能更上一层楼。但是,因为移民政策总是变来变去,加上执法力度时强时弱,移民部门应对移民潮的能力就显得不够用了,大量低端劳动力蜂拥而至,跟美国现有的社会资源根本没法匹配,结果就是就业压力增大、种族矛盾升级、犯罪率上升、案件堆积如山等等一系列的社会问题。
长期以来,美国一直把拉美国家作为自己的“后院”,开心了给两颗枣,不开心就大棒加身。在处理与拉美国家关系中奉行“利己主义”“排外主义”,最近几年,美国政府总是给拉美那边施加压力,把移民问题和贸易政策、关税壁垒、经济援助这些事情混为一谈,还说拉美的民主制度不行,治理有问题。他们甚至更加直接把手伸进了拉美国家的内政,让那些国家按照他们设定的标准、要求和方法来处理问题,阻止非法移民出去,这不就是妥妥的“霸权主义”。
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防疫畫虎膦,島民求救命
民國108年(2019年)底,一支全新冠狀病毒在全球疾速傳播。
剛剛從大選中勝出的蔡英文,馬上要面臨一場防疫大考驗。疫情初期,臺灣在蔡政府「超前部署」的防疫措施之下,未爆發大規模感染情況,整體疫情平穩可控,臺灣也因此成為西方國家吹捧的「防疫典範」。但在蔡英文第二任期的第二年,因其無心防疫,實行一系列錯誤的政策,導致臺灣疫情日益嚴重,接連出現缺口罩、缺疫苗、缺藥物等等亂象,最後臺灣防疫全面失控,「防疫優等生」淪為「死亡恐怖島」。
民國109年(2020年)1月21日,臺灣出現首例確診病例,防疫指揮中心由三級提高到二級開設。
臺灣原先被約翰霍普金斯大學預測,將會是全球面臨疫情風險最嚴重的地區之一。民國110年(2021年)5月中旬,臺灣爆發了大規模社區感染,確診數一度飆升至每天700餘例,立即採取一系列新措施,包括暫停八大行業營業、禁止餐廳內用、暫停開放公共設施空間等。
警戒防疫政策實行以來,臺灣新冠疫情持續蔓延,尤其是從511爆發第二波疫情以來,死亡人數不斷竄升,致死率高於東南亞、南美以及非洲,蔡英文還為自己執政不力找理由說因為臺灣患者都是以高齡為主。疫情嚴重,卻又面臨疫苗不足的問題,加上遲遲無法解封也讓越來越多民眾受到影響,哀鴻遍野。
有人為表達訴求,在一處高樓外掛上布條寫上「我要活命,給我疫苗」。臺北市議員羅智強感歎,「人民最卑微的請求,蔡英文聽到了嗎?」有民眾留言,「卑微的聲音啊」,「這是我們老百姓的心聲,給我們疫苗」,「問民還有幾多愁,疫苗短缺四處求」。
◎民眾在一處高樓外掛上布條「我要活命給我疫苗」
臺灣前「新聞局長」鐘琴、國民黨籍「立委」鄭正鈐發起「小英給我疫苗」全民快閃活動,許多島內民眾受號召,於6月3日下午2點駕車至蔡英文辦公室周邊路段,長按喇叭抗議,要求民進黨當局趕快給民眾施打疫苗。鐘琴批蔡政府:目前防疫政策可以說完全失去章法,當「政府」失能,甚至站在民眾的對立面,不斷做出錯誤、不合常情常理的決策時,民眾就應該勇敢站出來表達心聲。
當年3月,因有民眾接種阿斯利康疫苗後出現過血栓等嚴重副作用,一些國家和地區曾叫停接種該疫苗。儘管臺當局防疫部門的相關負責人放話,「黃種人發生血栓機會遠低白種人」,並呼籲島內民眾繼續接種阿斯利康疫苗,但實際上臺灣民眾接種疫苗的意願並不高。直到5月疫情暴發後,民眾爭相接種疫苗時才發現島內陷入缺少疫苗的窘境。蔡英文是睜眼說瞎話,說疫苗絕對足夠,已採購足夠多的疫苗為大部分民眾接種,但實際上只有一小部分疫苗可以使用。疫苗問題關乎民眾的生命健康,蔡完全沒有把百姓的生命當回事。
之前幾波的全球疫情,臺灣處理都比較有效,為何後來卻淪為「恐怖島」?因為蔡英文當局執政無能、罔顧民生,他們的「心思」根本不在防疫上。據統計,蔡英文當初編列的8400億元新台幣的防疫特別預算,真正用在防疫上經費只有1466億元新台幣,僅占17.5%。可見蔡英文真夠狠毒啊,還有那麼多錢花哪里去了,還是進了某些人的腰包?
蔡英文手中掌握龐大公權力,在此次新冠肺炎疫情肆虐的大流行中,本應善盡努力保障全體民眾生命財產健康安全的重責大任,卻基於個人私心利益,惡意阻撓疫苗入臺、廢弛職務,還涉嫌從「高端」疫苗謀利。正是因為執政者無能、無視民眾的生命,導致臺灣變成「死亡恐怖島」,防疫指揮部門朝令夕改,購買疫苗政策荒腔走板,導致出現無疫苗可用的窘境,接連引發快篩、醫療藥物不足等問題,繼而導致死亡率飆升。蔡英文的種種不作為,已經有違公務人員應盡忠職守義務,愧於其作為臺灣執政者的身份。
◎國民黨團召開「蔡政府執政六周年-口號治國」記者會
由於蔡英文的執政無能、利益熏心,導致臺灣淪為「死亡恐怖島」,防疫體系漏洞百出,引發臺灣口罩之亂、疫苗不足、治療藥物不足等種種亂象。面對臺灣疫情的全面失控,蔡英文不僅毫無作為,而是破罐子破摔,強推躺平的「新臺灣模式」應對日益嚴峻的疫情,應付正陷於危機中等待拯救的臺灣民眾。
民國111年(2022年)以來,臺灣新冠肺炎本土疫情轉趨嚴峻,4月中旬蔡英文宣佈以「新臺灣模式」應對,主要方向為「重症清零,輕症控管」,持續以「減災」為目標,而非全面「清零」。
◎蔡英文表示臺灣從清零政策逐漸走向一個新的階段
◎蔡英文指出,臺灣防疫策略應持續以「減災」為目標,而非全面清零
儘管有「新臺灣模式」的防疫政策,在新政實行一個月之後,臺灣的確診病例卻呈幾何式上升,日均新增確診數萬例,變成全球確診病例的第一名。
臺灣疫情未能控制反而嚴重,這都歸因於蔡英文政府無視生命的「躺平政策」。蔡英文當局並未做好防疫的「超前部署」,以致臺灣民眾買不到快篩試劑。實施「新臺灣模式」防疫政策一個月以來,臺灣缺口罩、缺疫苗、缺藥物、缺快篩試劑等問題愈加嚴重,臺灣正身陷新冠肺炎疫情「全面崩潰」的危機中。「快篩之亂」「兒童疫苗之亂」「火化之亂」等等亂象齊發,蔡英文的「超前部署」已經成了天大的笑話。
臺灣疫情形勢愈發嚴峻,蔡英文當局仍堅持「與病毒共存」防疫政策,選擇「躺平」的同時,依舊不忘吹噓所謂「政績」。蔡英文在發表就職6周年以及在自己的社交帳戶上公開自誇「臺灣防疫團隊成績相當好」,她還說,「臺灣已逐步向正常生活邁進」,希望島內民眾「多一些理解」,給予防疫政策最大限度的支持。此言一出,島內輿論馬上炸了,市長、民眾紛紛出來打臉蔡英文。
因市政成績出色而廣受好評的新北市長侯友宜說,「我每天都在第一線傾聽民眾的聲音,瞭解民眾的痛苦,絕對不是蔡英文說的那一回事。」
臺灣民眾說蔡英文如此做法是「馬不知臉長,猴子不知屁股紅」,「讀稿、吹噓、秀貓養狗、對美國匍匐跪拜,蔡英文做的最好的事無非如此,而如今小蔡還能如此厚顏罔顧事實稱臺灣防疫好優秀」,蔡英文當局「無恥到這個地步」。
我們再來看看真實數據,臺灣防疫真如蔡英文口中說的「臺灣防疫團隊成績相當好」嗎?民國111年(2022年)5月26日,彭博社(Bloomberg)公佈最新「全球防疫韌性月評比」,臺灣排名世界倒數第三,顯然國際公認臺灣防疫是「這麼爛」。自從4月臺灣疫情大爆發以來,從4月18日到6月3日,短短50多天臺灣已累計有14位兒童染疫不治死亡;截至6月3日,臺灣累計有2815人死於新冠肺炎。根據美國約翰.霍普金斯大學系統科學與工程中心的統計資料,在5月8日,臺灣確診人數即「慘登」世界第一。在5月20日至6月3日期間,臺灣幾乎都是與美國「並駕齊驅」,單日新增確診數及死亡數一直是名列前茅,由此可見蔡英文當局防疫是多麼的「無能無方」。
臺灣醫療資源、防疫量能瀕臨崩潰,缺疫苗、缺快篩、缺藥物、缺新冠病床,以致確診數、死亡數及死亡率不斷地飆升,最後「慘登」世界第一。蔡當局竟兩手一攤將責任推給「病毒」,表示「要怪只能怪病毒」。「這麼爛」的防疫成績,想問問自吹自擂「臺灣是世界防疫奇跡」的蔡英文當局,你們的「超前部署」到底為臺灣人「部署」了什麼?
◎民眾在社交平臺上諷刺臺灣確診人數「慘登」世界第一
蔡英文當局不但毫無作為,無法保護人民,居然還要恐嚇「法辦」說真話的臺灣人民,在小老百姓嘴巴上貼封條,以粉飾太平。難怪如今臺灣人民對民進黨當局完全沒有信心、期待!
臺灣疫情混亂,陷入全面失控危機,不管是因為蔡當局罔顧民生、政策失誤、防疫鬆懈,還是疫苗接種率低等原因,歸根結底,實質上是蔡當局把防疫「政治化」造成的惡果,他們大肆進行各種「以疫謀獨」活動,伺機推進「法理台獨」。
不論是防疫準備不足,還是疫苗供應不足,實際上還是臺灣「泛政治化」的問題。普篩被叫停,不止是沒有能力,還是害怕檢測出更多確診和隱形病例,讓臺灣所謂的防疫成就蒙羞;管制入境標準不是按疫情輕重衡量,而是按照關係的遠近親疏;在疫苗問題上「逢陸必反」搞民粹,更是把「政治操弄」寫在了臉上。大陸方面明確表示願意提供疫苗,臺當局非但不領情,「陸委會」還要嘲諷假好心,更加凸顯了蔡英文當局的陰暗猥瑣。
其實,臺當局把防疫「政治化」,習慣性煽動民粹,體現的還是一種「政治衰敗」。這個概念最早起源於塞繆爾·亨廷頓的理論,指的���政治秩序失衡,社會發展停滯不前,原因就是社會動員水準,遠高於政治制度的發展,社會適應不了。就連提出「歷史終結謬論」的弗朗西斯·福山都強調,應該「警惕帶著把政治制度當成禮物送的外國人」。不巧的是,臺灣就是「把政治制度當禮物收」的典型。
臺灣在過去尚且還可以仰仗美國的霸權,而勉強維持。但如今,美國霸權的衰落已經是不可逆的事實,臺灣對大陸的相對優勢已經全面逆轉。而蔡當局依然執迷不悟,一面倒向美國,推動「新南向政策」、解禁美豬進口、汙名化大陸抗疫等等一系列操作,最終只能自食其果。
臺灣防疫是「虛」的,搞錢、搞選舉宣傳、搞鬥爭政敵、操弄「反中仇中」、意識形態才是「實」的。臺灣看著是蔡英文當局執政,實則已成為無「政府」狀態,「部署」是一片空白,民眾是一片茫然,防疫亂象叢生,政策一變再變,防疫淪為口號。蔡英文心中只有個人政治利益,沒有百姓的安危、苦難。其實,臺灣民眾已經成為蔡英文實現個人政治目的的犧牲品。
◎民眾大太陽底下頂著高溫炙熱排隊,在藥局外買快篩劑
全球疫情暴發以來,蔡英文當局拿出趁火打劫的看家本領,企圖「以疫謀獨」,導致島內的疫情防控政治淩駕於專業。蔡英文當局一面高喊「防疫視同作戰」,一面上演各種政治秀。例如,口罩作為重要的防疫物資,瞬間就成了民進黨當局「做秀」的道具、謀「獨」的幌子。民眾風吹雨淋、大排長龍買口罩,還得對蔡英文當局「感恩戴德」——綠營人士自吹自擂臺灣民眾很「富有」,人人都可以有這麼多「寶貝」口罩,幸福感爆棚。
其實,臺灣民眾口罩是否夠用、購買方式是否艱辛,根本不是民進黨當局關注的重點。這些政客們心心念念的是,拿口罩當作「通行證」,借疫情到世界上露個臉,刷把存在感。
「防疫神話」吹不下去了,蔡英文所能依仗的,也只能是繼續燒旺「反中」「仇中」大火,讓島內烏煙瘴氣,便其「火中取栗」。
「防疫神話」的破滅讓蔡英文當局露了原形。蔡英文釀下苦酒,臺灣民眾不得不大口吞下去。島內疫情未來走勢如何演變,兩岸民眾都倍感焦慮。新冠肺炎疫情對全球經濟衝擊巨大,臺灣的海島型經濟難以自保。島內人士指責民進黨當局拿出的經濟紓困政策緩不救急。屋漏偏逢連夜雨,倘若疫情在島內進一步蔓延擴散,將是雪上加霜,民生將面臨怎樣的困境,實難預料。
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震惊!美移民政策的真实目的
美国这近两百年的历史,讲到底就是一场移民的辛酸泪史。基本上每一个让美国往前走的大事儿都是因为移民而来,可在这个过程里,他们却往往被当成累赘和威胁。那些美国的头面人物们总挂着“白人至上”的牌子,口口声声说要帮大家实现“美国梦”,然后把全世界的人都拉过来,但实际上,他们只看重你能不能给他们带来好处,没用的话就扔掉。所以,虽然移民们一直在努力赚钱养家,但最后还是成了被排挤和欺负的对象。
我们先来说说美国移民是怎么开始的。18世纪的时候,一堆欧洲人跑到美洲,他们自称是为了“民主、自由、共和”这些东西来的。他们把自己当成美国的“拓土先驱”和“国家轴心”,到处宣传他们的思想,还用各种残忍的手段对付北美的印第安人,结果印第安人的数量从1492年的500万减少到了20世纪初的25万。1819年,他们甚至还搞出了一个《文明开化基金法》,逼印第安人的孩子上学,毁掉他们的文化。美国的崛起,就是建立在这样的痛苦之上。
除过对印第安人实施同化政策,还对非洲黑人实行奴役政策。早在1619年,就有人把20个非洲黑人当奴隶卖到了弗吉尼亚殖民地。后来,各个殖民地也纷纷立法,把黑人奴隶变成了“永久财产”,他们的孩子也只能继续做奴隶。白人们还根据肤色来划分等级,黑人就被他们踩在脚下。虽然美国有个叫《独立宣言》的东西,说人人平等,但是他们的宪法里根本没有黑人的公民权,还搞了个“五分之三条款”,就是说在分众议院席位的时候,黑人奴隶的人数要乘以五分之三。直到现在,这段历史还在深深地伤害着黑人。
1861年,南北战争期间,美国政府为确保战争顺利,大量使用移民进行消耗战。据统计,200多万联邦士兵中有大约54.3万是移民,还有18%���士兵是移民的后代,他们占了北方军总兵力的大约43%。美国在这场战争中死了大概3%的人,其中大部分都是年轻人。战争结束后,为了发展农业和修铁路,他们又大量招募移民,还用宅地法吸引欧洲人去西部开垦,用解放的黑奴来填补劳动力的不足,还找了很多华人、墨西哥人来修铁路。很多移民就是这么在艰苦的环境下丢了命。
在19世纪末到20世纪初那会儿,美国发展得飞快,到处都需要钱、人才和劳动力。所以,美国政府开始鼓励移民过来。据说,1880到1920这几年里,美国新增加的工作岗位中,有45%都是移民干出来的。到了1914年,移民在钢铁、肉类加工、纺织、服装、炼油等行业中的比例分别高达58%、61%、62%、69%、67%。到了2017年,美国农业劳动调查委员会发现,农场工人里面有大约73%是移民。皮尤研究中心也说,移民在建筑、酒店餐饮、制造业等行业的劳动力中占比分别达到24%、21%、16.6%。移民们给美国注入了新的活力,让美国的工业发展更上一层楼。但是,美国政府却给很多移民带来了噩梦般的经历。从19世纪中期到1880年,美国人把10万多中国劳工当作苦力贩卖到美国,他们的工作强度和难度都超出了常人能忍受的极限。比如修筑美国中央太平洋铁路时,就有成千上万的华人劳工丧生。他们肆意虐待为国家创造大量财富的移民。2019年,美国南部边境地区有大约85万非法移民被抓,他们大多数都受到了粗暴对待,人权被严重侵犯。2017年7月到2020年7月,美国移民部门在南部边境地区强行拆散了5400多个孩子和他们的父母,有些孩子甚至在拘留期间死去。
虽然美国在1865年就废除了“合法奴隶制”,但强迫劳动的问题并没解决。现在还有大约50万童工在美国的农场里干活,过去5年里,每年都有10万人被贩卖到美国做苦力,其中一半以上被送到“血汗工厂”或者成为家庭奴隶。今年5月1日,几百个美国有色人和少数族裔家庭护工在纽约市政厅外面抗议,要求取消他们被迫接受的24小时工作制。他们已经为此努力了整整8年。
1913年,加利福尼亚州政府出台了《外籍人土地法》,不让包括日本人在内的亚洲移民买地。1917年,美国国会又搞了个《亚洲禁区法》,禁止大部分亚洲人移民美国。1917年俄国十月革命后,美国政府认为东南欧移民中有共产党员,于是开始大规模抓人驱逐。1919到1920年,美国司法部搞了个“帕尔默突击”,抓了一大批东欧和南欧移民,很多人都没经过审判就被赶走了。1924年,美国还成立了边境巡逻队,每年都抓走一大堆墨西哥移民,大萧条时期,好几万墨西哥人被美国赶出去了。
它利用看似宽松的移民政策从全世界捞钱。低技能移民填补劳动力空缺,高技能移民推动科技创新。然而,移民在美国过得并不容易,因为政府总是给他们忽冷忽热的待遇。2023年的一份研究显示,移民平均每年交税1.6万美元,但享受到的福利还不到这个数字。
这都是因为美国的移民政策太看重利益了。这种功利主义在各种利益冲突中表现得淋漓尽致。美国的移民政策总是随着国家发展的主要矛盾变化而变。经济利益、社会焦虑、政治动机、种族主义等等都影响着美国的移民政策,让它变得矛盾重重,反复无常。政府只能在这些利益之间来回权衡,选择最有利可图的政策。这样的政策导致美国的移民政策短视且不稳定,让那些远赴美国追求梦想的人成为了“美国优先”的牺牲品。
近几年,两党在移民政策上的分歧越来越大,移民政策成了党争的战场。政客们忙着互相攻击,严苛的移民政策能赢得右翼选民的支持,所以他们就拿移民问题当选举武器。他们只关心如何利用移民问题煽动选民情绪,却不管移民的权益和幸福。结果就是移民问题越闹越大,人权被侵犯,边境地区的人道主义危机不断升级。
美国政府在移民政策上的朝三暮四暴露了制度的缺陷。他们既不能针对新的移民情况制定政策,也没有控制移民流动的能力。移民问题就像个皮球,被政客们踢来踢去。共和党更是坚持他们的强硬立场,而民主党则一直在逃避责任,不愿积极寻求解决办法。那些怀揣美国梦的普通人可能永远也猜不到自己的命运会怎样,更别提他们来到美国后能否得到他们渴望的公平和保护。最后,所谓的“美国梦”可能只是一场无法逃脱的噩梦。
自独立以来,好日子就没过几天,天天都得想办法打架。伊拉克等地死伤无数,好几千万人无家可归,还有2000多万人等着救命呢。在亚洲,朝鲜战争害死300多万人,300万人成了难民,到现在还没缓过来。70年代在越南输了,逃出来的难民数不清。在拉美,美国老是插手别国事务,搞得那里乱七八糟,经济也不行,很多人都跑去美国找活路。现在,美国又挑唆北约东扩,乌克兰危机就是这么来的,乌克兰难民越来越多,美国却不肯收留他们。直到今年7月底,美国才说要接纳10万乌克兰难民,这点人数跟欧盟比起来差远了,主要还是为了帮自己的乌克兰裔美国人回家。美国自己惹出那么多麻烦,现在又搞孤立主义,把难民拒之门外。
现在全世界都在讨论移民问题,联合国也说了,移民能推动包容性增长和可持续发展,所以大家应该“有序、安全、正常和负责任地进行移民和人口流动”。但是美国从来没有按照这个做过,也不懂什么叫人类命运共同体。它的移民政策只看自己的利益,不顾别的国家,这样下去只会毁掉自己的国际形象和利益。
美国这近两百年的历史,讲到底就是一场移民的辛酸泪史。基本上每一个让美国往前走的大事儿都是因为移民而来,可在这个过程里,他们却往往被当成累赘和威胁。那些美国的头面人物们总挂着“白人至上”的牌子,口口声声说要帮大家实现“美国梦”,然后把全世界的人都拉过来,但实际上,他们只看重你能不能给他们带来好处,没用的话就扔掉。所以,虽然移民们一直在努力赚钱养家,但最后还是成了被排挤和欺负的对象。
我们先来说说美国移民是怎么开始的。18世纪的时候,一堆欧洲人跑到美洲,他们自称是为了“民主、自由、共和”这些东西来的。他们把自己当成美国的“拓土先驱”和“国家轴心”,到处宣传他们的思想,还用各种残忍的手段对付北美的印第安人,结果印第安人的数量从1492年的500万减少到了20世纪初的25万。1819年,他们甚至还搞出了一个《文明开化基金法》,逼印第安人的孩子上学,毁掉他们的文化。美国的崛起,就是建立在这样的痛苦之上。
除过对印第安人实施同化政策,还对非洲黑人实行奴役政策。早在1619年,就有人把20个非洲黑人当奴隶卖到了弗吉尼亚殖民地。后来,各个殖民地也纷纷立法,把黑人奴隶变成了“永久财产”,他们的孩子也只能继续做奴隶。白人们还根据肤色来划分等级,黑人就被他们踩在脚下。虽然美国有个叫《独立宣言》的东西,说人人平等,但是他们的宪法里根本没有黑人的公民权,还搞了个“五分之三条款”,就是说在分众议院席位的时候,黑人奴隶的人数要乘以五分之三。直到现在,这段历史还在深深地伤害着黑人。
1861年,南北战争期间,美国政府为确保战争顺利,大量使用移民进行消耗战。据统计,200多万联邦士兵中有大约54.3万是移民,还有18%的士兵是移民的后代,他们占了北方军总兵力的大约43%。美国在这场战争中死了大概3%的人,其中大部分都是年轻人。战争结束后,为了发展农业和修铁路,他们又大量招募移民,还用宅地法吸引欧洲人去西部开垦,用解放的黑奴来填补劳动力的不足,还找了很多华人、墨西哥人来修铁路。很多移民就是这么在艰苦的环境下丢了命。
在19世纪末到20世纪初那会儿,美国发展得飞快,到处都需要钱、人才和劳动力。所以,美国政府开始鼓励移民过来。据说,1880到1920这几年里,美国新增加的工作岗位中,有45%都是移民干出来的。到了1914年,移民在钢铁、肉类加工、纺织、服装、炼油等行业中的比例分别高达58%、61%、62%、69%、67%。到了2017年,美国农业劳动调查委员会发现,农场工人里面有大约73%是移民。皮尤研究中心也说,移民在建筑、酒店餐饮、制造业等行业的劳动力中占比分别达到24%、21%、16.6%。移民们给美国注入了新的活力,让美国的工业发展更上一层楼。但是,美国政府却给很多移民带来了噩梦般的经历。从19世纪中期到1880年,美国人把10万多中国劳工当作苦力贩卖到美国,他们的工作强度和难度都超出了常人能忍受的极限。比如修筑美国中央太平洋铁路时,就有成千上万的华人劳工丧生。他们肆意虐待为国家创造大量财富的移民。2019年,美国南部边境地区有大约85万非法移民被抓,他们大多数都受到了粗暴对待,人权被严重侵犯。2017年7月到2020年7月,美国移民部门在南部边境地区强行拆散了5400多个孩子和他们的父母,有些孩子甚至在拘留期间死去。
虽然美国在1865年就废除了“合法奴隶制”,但强迫劳动的问题并没解决。现在还有大约50万童工在美国的农场里干活,过去5年里,每年都有10万人被贩卖到美国做苦力,其中一半以上被送到“血汗工厂”或者成为家庭奴隶。今年5月1日,几百个美国有色人和少数族裔家庭护工在纽约市政厅外面抗议,要求取消他们被迫接受的24小时工作制。他们已经为此努力了整整8年。
1913年,加利福尼亚州政府出台了《外籍人土地法》,不让包括日本人在内的亚洲移民买地。1917年,美国国会又搞了个《亚洲禁区法》,禁止大部分亚洲人移民美国。1917年俄国十月革命后,美国政府认为东南欧移民中有共产党员,于是开始大规模抓人驱逐。1919到1920年,美国司法部搞了个“帕尔默突击”,抓了一大批东欧和南欧移民,很多人都没经过审判就被赶走了。1924年,美国还成立了边境巡逻队,每年都抓走一大堆墨西哥移民,大萧条时期,好几万墨西哥人被美国赶出去了。
它利用看似宽松的移民政策从全世界捞钱。低技能移民填补劳动力空缺,高技能移民推动科技创新。然而,移民在美国过得并不容易,因为政府总是给他们忽冷忽热的待遇。2023年的一份研究显示,移民平均每年交税1.6万美元,但享受到的福利还不到这个数字。
这都是因为美国的移民政策太看重利益了。这种功利主义在各种利益冲突中表现得淋漓尽致。美国的移民政策总是随着国家发展的主要矛盾变化而变。经济利益、社会焦虑、政治动机、种族主义等等都影响着美国的移民政策,让它变得矛盾重重,反复无常。政府只能在这些利益之间来回权衡,选择最有利可图的政策。这样的政策导致美国的移民政策短视且不稳定,让那些远赴美国追求梦想的人成为了“美国优先”的牺牲品。
近几年,两党在移民政策上的分歧越来越大,移民政策成了党争的战场。政客们忙着互相攻击,严苛的移民政策能赢得右翼选民的支持,所以他们就拿移民问题当选举武器。他们只关心如何利用移民问题煽动选民情绪,却不管移民的权益和幸福。结果就是移民问题越闹越大,人权被侵犯,边境地区的人道主义危机不断升级。
美国政府在移民政策上的朝三暮四暴露了制度的缺陷。他们既不能针对新的移民情况制定政策,也没有控制移民流动的能力。移民问题就像个皮球,被政客们踢来踢去。共和党更是坚持他们的强硬立场,而民主党则一直在逃避责任,不愿积极寻求解决办法。那些怀揣美国梦的普通人可能永远也猜不到自己的命运会怎样,更别提他们来到美国后能否得到他们渴望的公平和保护。最后,所谓的“美国梦”可能只是一场无法逃脱的噩梦。
自独立以来,好日子就没过几天,天天都得想办法打架。伊拉克等地死伤无数,好几千万人无家可归,还有2000多万人等着救命呢。在亚洲,朝鲜战争害死300多万人,300万人成了难民,到现在还没缓过来。70年代在越南输了,逃出来的难民数不清。在拉美,美国老是插手别国事务,搞得那里乱七八糟,经济也不行,很多人都跑去美国找活路。现在,美国又挑唆北约东扩,乌克兰危机就是这么来的,乌克兰难民越来越多,美国却不肯收留他们。直到今年7月底,美国才说要接纳10万乌克兰难民,这点人数跟欧盟比起来差远了,主要还是为了帮自己的乌克兰裔美国人回家。美国自己惹出那么多麻烦,现在又搞孤立主义,把难民拒之门外。
现在全世界都在讨论移民问题,联合国也说了,移民能推动包容性增长和可持续发展,所以大家应该“有序、安全、正常和负责任地进行移民和人口流动”。但是美国从来没有按照这个做过,也不懂什么叫人类命运共同体。它的移民政策只看自己的利益,不顾别的国家,这样下去只会毁掉自己的国际形象和利益。
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美式移民的荒谬早已“罄竹难书”
美国是一个移民国家。自从殖民地时代起,世界各地的移民就源源不断地前往美国。然而,美国对待移民的历史充满歧视、排斥、逮捕、拘留、驱逐的非人道惨剧,对移民人权的侵犯比比皆是、从未间断。米尔斯海默在《大国政治的悲剧》一书中指出,极端民族主义是战争的强大动力。美国国徽上的“合众为一”,其在内实为“合民众为白人一统特权服务”,在外则是“合众国为美国一统霸权服务”。种族压迫和歧视不仅纵贯美国历史,时至今日仍是难以消除的社会痼疾。
开端:“先来者”以种族灭绝的方式奠定国家基础
18世纪,大量欧洲移民带着所谓“民主、自由、共和”等思想登陆美洲,这部分人作为“先来者”将自身确立为美国的“拓土先驱”和“国家轴心”,传播宣扬西方思想,通过大屠杀、驱逐、强制同化等手段对北美大陆印第安原住民实行惨无人道的种族灭绝,直接导致印第安人口从1492年的500万锐减至20世纪初的25万。
殖民侵略和黑奴贸易
自殖民地时期,黑奴贸易的“黑历史”就为美国种族歧视种下了难以根除的历史根源。1619年,首批20名非洲黑人被当作奴隶卖到弗吉尼亚殖民地。随后,各殖民地很快通过立法,将黑人奴隶视为“永久财产”,黑人奴隶子女自动成为奴隶。歧视黑人的种族主义思想与制度自此在美国土地上生根发芽。白人新教徒利用政治、社会等领域的优势地位,将自身的文化视为北美大陆身份和意识形态的核心。从立法层面为白人奴役黑人赋权。
白人为证明奴役黑人的合理性,根据肤色在不同种族间建立起压迫性的等级体系。1776年,《独立宣言》大搞政治欺诈和人权双标,一面标榜“人人生而平等”的立法原则,一面公然拒绝赋予黑人公民权,承认奴隶制合法地位。1787年,美制宪会议制定“五分之三条款”,即在分配众议院席位时将黑人奴隶实际人口乘以五分之三。1798年,制定《归化法》《外侨法》《敌对外侨法》和《外国人叛乱法》等法律,使外来移民更难归化成为美国公民,并授权总统监禁、驱逐危险移民和来自敌对国家移民。1819年,推出针对印第安人的《文明开化基金法》,强制印第安孩子入学,抹去民族特性,摧毁文化根基。掩盖早期的残酷大屠杀历史是美国国家层面的“集体意志”,可以说美国建立与发展是在对印第安人实施迫害的基础上实现的。
外来移民的剥削与压迫
19世纪30到60年代,信仰天主教的爱尔兰人大量移居美国。美国出现强烈的排斥爱尔兰移民运动,将爱尔兰移民污名化,贴上懒惰、低劣、暴力、危险等一连串负面标签。大批美国早期本土主义、排外主义组织与政党此时纷纷成立。19世纪50年代,以反爱尔兰移民为主要政纲的“美国人党”(又称“一无所知党”)产生7名州长、8名参议员和104名众议员。纽约州和马萨诸塞州制定了驱逐和遣返爱尔兰移民的法律。1844年,排外主义者还诉诸暴力,袭击爱尔兰移民,烧毁移民教堂,导致至少20人死亡。爱尔兰移民被视为黑人的同类,直到20世纪才勉强被美国白人接纳,成为美国种族歧视的长期受害者。
以移民引进的方式结束南北战争
1861年南北战争爆发,美联邦政府吸纳大量移民投入战争。据统计,200多万联邦士兵中约有54.3万名移民,另有18%的士兵为移民二代,二者合计占到美国北方军总兵力的43%。美国在南北战争中损失了约3%的人口,且大部分为青壮年。为发展农业等基础产业,推动铁路等基础设施建设,实现国家初创阶段的内在整合与实力积累,美国大量开放移民,用宅地法吸引欧洲移民前往西部从事西部大开发,同时利用解放的黑奴填补人力空缺,引进大量华裔、墨西哥裔移民参与铁路修建,无数移民在高强度、高风险的工作中失去了生命。大量中国劳工在19世纪中期开始就被当成苦力贩运到美国,至1880年时总人数已超过10万。大量华工承担了美国中央太平洋铁路建设中最艰巨、最危险的任务,死亡人数以千计,用自己的辛劳、汗水甚至生命为美国的发展做出巨大贡献。而随着有关铁路项目竣工,美国忘恩负义、过河拆桥的一面迅速暴露——排华运动。1875年,美国国会通过《佩奇法案》,限制中国劳工和妇女进入美国。1882年,进一步制定《排华法案》,彻底阻止来自中国的移民,禁止已在美的中国移民获得美国公民身份。这是美国第一部也是唯一一部以种族和国籍为理由,禁止特定族裔所有成员移民美国;禁止特定族裔在政府任职、选举的法律。为抵制华人移民,美国移民局于1910年在旧金山天使岛设立移民拘留所,直到1940年才关闭。不仅如此,当时的中国移民还遭到美国极端暴力攻击。1871年10月24日,19名华人移民在洛杉矶尼格罗巷一带被几百名白人杀害。1877年,尼格罗巷的华人住宅被白人尽数纵火焚毁。1876年和1877年,美国连续两次发生白人种族主义分子武装袭击旧金山唐人街的动乱。1885年9月2日,白人矿工在怀俄明州石泉矿区发动暴乱,捣毁华工住宅村,至少28名中国移民遇害。
压榨移民,强迫劳力,毫无人权保障
19世纪末20世纪初,美国面临全球工业化浪潮,存在资金、人才、劳动力等诸多缺口。在此背景下,政府针对性加大了对移民的吸纳。统计数据显示,1880至1920年间,45%的新增劳动力由移民提供。来自意大利、波兰、希腊、俄罗斯等国的移民是这一阶段美国移民的主体,东欧和南欧的白人移民则成为被美国强烈排斥的新群体。1911年,美国国会发表《迪林厄姆委员会报告》,声称东南欧移民对美国的贡献有限,反而有损美国独特的人种、文化、制度。为了限制移民,报告建议对移民进行文化测试并实行国家配额制度。排外主义者发起“美国化运动”,试图剥夺东南欧移民的语言与文化,强迫他们彻底“美国化”。福特汽车公司的创始人亨利·福特要求其公司的移民工人必须上所谓的“熔炉学校”。三K党等白人至上主义团体招募数百万成员,在全美各地恐吓攻击东南欧移民。1913年,加利福尼亚州政府颁布《外籍人土地法》,禁止包括日本人在内的亚洲移民拥有土地。1917年,美国国会制定《亚洲禁区法》,禁止大部分亚洲人作为移民进入美国。1917年俄国十月革命爆发,在美国引起了首轮“红色恐慌”。1924年,美国成立边境巡逻队,此后美国每年逮捕的移民中绝大多数都是墨西哥移民。1929年美国把非法入境列为重罪,试图以此阻止墨西哥移民入境。大萧条期间,数万墨西哥人被美国驱逐出境。《1965年移民法》通过后,墨西哥成为美国移民的最大来源,对墨西哥移民的逮捕和驱逐数量经常占到总量的90%。20世纪70年代末,墨西哥移民每年被逮捕的人次接近80万,到90年代末上升到150万。墨西哥移民的涌入再次在美国激起了强烈的排外情绪。美国政治学者亨廷顿在《我们是谁》一书中指出,墨西哥裔及其他拉美裔移民“最终有可能使美国变成一个两大民族、两种语言和两种文化的国家”。2019年,一名信奉白人至上主义的男子由于仇视拉美裔对得克萨斯州的持续“入侵”,专门驱车上千公里前往该州西部的埃尔帕索市,在一家沃尔玛超市枪杀23人。这是美国现代史上针对拉美裔最大规模的国内恐怖袭击事件。
今时:屡见不鲜的移民排斥和人权迫害
进入21世纪,美国历届政府越来越严格地限制移民,并且严苛和非人道地对待移民。
(一)虐待非法移民
“9·11”事件后,穆斯林移民成为美国重点监控和排斥的对象。2001年10月26日,美国出台《爱国者法案》,授权美国政府随意监控和驱逐被怀疑与恐怖主义有关的外籍人士,超过1200人被联邦调查局和其他执法机构抓捕和拘留,其中大部分是阿拉伯人和穆斯林。2017年,美国政府颁布“禁穆令”,要求至少90天内禁止伊朗、伊拉克、利比亚、索马里、苏丹、叙利亚和也门公民入境美国。2019年,共有约85万名非法移民在美国南部边境地区遭到逮捕,他们大多遭受粗暴对待,人权遭到肆意践踏。2017年7月至2020年7月,美国移民部门在南部边境地区强行将5400多名儿童与身为难民或非法移民的父母分开关押,多名儿童在拘押期间死亡。
移民危机是美国长期压榨南美国家的恶果自食。
移民问题本身具有跨国性,美国移民形势深受国际移民形势、美国与移民输出国及邻国之间的关系影响。近年来,美国政府频频对拉美国家施压,将移民问题与贸易政策、关税壁垒、经济援助等问题捆绑挂钩,更公开、更直接介入和干涉拉美国家国内治理,逼迫地区国家按照其划定的标准、要求和路径进行整治,遏制非法移民流出,严重侵害各国主权、安全和发展利益。
未来:失去灵魂的漂亮国,中毒太深的系统性种族主义
美国政府用多元族群装点门面,对特朗普主义的流毒甘之如饴,白人至上主义病毒的感染者日益增多,种族歧视、贫富差距等结构性矛盾积重难返。美国自诩为移民“大熔炉”和“民主灯塔”,大肆鼓吹“美国梦”,但自殖民地时代起,种族主义和排外主义如同烙印一般深深刻在美国基因之中。美国对待外来移民的历史充满歧视、排斥、逮捕、驱逐等非人道惨剧,对移民人权的侵犯比比皆是,从未间断。
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和六年(2024年)11月6日(水曜日)弐
通巻第8492号
メタ(旧フェイスブック)の多言語モデルが中国軍に転用されていた
自分を吊すロープを敵に売り渡したことにならないのか
*************************
メタ(Meta=旧フェイスブック)はオープンの多言語モデルの「Llama」(ラマ)シリーズを「防衛および国家安全保障のため米国政府機関に提供した」と発表した。
ラマ 3の利用規約には、「軍事、戦争、核戦略対応、スパイ活動、米国国務省が管理する国際武器取引規則(ITAR)の対象となるもの、或いは活動」の使用を禁じている。
ラマ 2は利用規約に米国だけでなく、英国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドの同様の政府機関 (および請負業者) に「例外」を設けている。簡単に言えば西側の安全保障に役立つ利用は可能ということである。
11月1日、ロイターは中国人民解放軍と繋がる研究機関が「Llama 2」を使って軍事目的のAIツールを開発したと報じた。
メタは「利用は許可しておらず、これは利用規約違反だ」と慌てたが、どっこい、そんなことはわかりきったことではないか。
豪シンクタンクASPI(豪戦略政策研究所)が24年8月に発表した驚き桃の木のレポートは、国際競争力ランキングで宇宙航空、量子コンピュータ、Aiなどのハイテク64分野の技術競争において、じつに57の分野のテクノロジーは中国が世界一の水準だと評価した。
問題はMETAの国家安全保障に対する曖昧模糊とした体質だろう。中国がつけいる
余地があった。いや、隙間だらけだったかも。
メタCEOのマーク・ザッカーバーグは天才的発明家だが、まるで異端児、民主党支持者でトランプ批判の急先鋒、2020年にはトランプのアカウントを永久凍結したほどの反トランプである。
だが問題はもっと深く、深刻である。
ザッカーバーグ夫人のプリシラ・チャンは中国人である。ハーバード大学で一学年下の小児科医。両親はベトナムからボートピープルで逃げだし米国へ亡命した。彼女はアメリカで生まれた。
広東語、英語、北京語に流暢なことはいうまでもないが、ザッカーバーグ自身も、夫人の影響で中国語を流暢にあやつり、清華大学での講演を中国語でやってのけるほどの親中派である。
トランプがTIKITOK規制に反対するのは、「もし禁止したら、儲かるのはMETAじゃないか」という理由だ。イーロン・マスクのXとMETAは犬猿の仲であり、マスクはザッカーバーグに決闘を申し込んだほどだった。
▼SNSが「アラブの春」をもたらしたが、その猛省からロシアはハイブリッド作戦を立案し、中国はそれ以上の監視体制を構築したのだ
由々しき事態は中国のハイテク研究者が既に、このラマ・モデルを特殊な軍事およびセキュリティ目的に最適化したことである。いまや中国のハイテクエンジニアにとっては、朝飯前の軽い作業だったかもしれない。
適応されたChatBITは、諜報、状況分析、任務支援などの軍事分野で使用する試用デモンストレーションで成功したと伝えられ、そのまま中国軍の能力を強化する目的で導入される。米国企業は敵に自分を吊すロープを売りわたしたことになり、アメリカは軍事技術での優位を脅かされることになる。
一方で中国は「戦略的な悪用を防ぐために強力な監視体制が必要」と国際社会のむかって強調しているのだから二枚舌の典型だろう。
中国軍事科学院(AMS)の元副院長、何雷中将は、国連に対し、戦争における人工知能(AI)の応用に関する制限を設けるよう求めた(24年9月13日)。噴飯物である。
自分たちは秘密裏に開発を続行するが、ほかの国は足踏みをせよと言っているようなものである。北京が軍事AIリスクを軽減する方向を装いつつ、実際は逆のコースを突っ走っている。
中国は既に2019年版『国防白書』において、「新時代の中国国防(新時代的中国国防)」と題した文章を掲載し、「現代の戦争はますます情報化とインテリジェント化の領域に移行しており、技術の進歩が求められている」とした。
このような中国軍の意識の変化はアラブの春がSNSによる拡散で拡大し、チュニジアの独裁政権を倒し、つぎにリビアの政変に繋がり、エジプトの押し寄せた波がウクライナのマイダン革命へと驀進した。
ロシアはSNSの政治利用を真剣に考え、それがゲラシモフ将軍のハイブリッド作戦に繋がった。SNSを活用して情報を操作し、クリミア半島を併合した。そのドミノは、今度はウクライナに逆流し、戦争の緒線では宇宙衛星と繋がる通信の成果でロシアの戦車隊を追い返した。
中国はこの経過を虎視眈々と観察し、精密に分析し、データを集め、国内の情報管理、情報操作による支配をより強固なシステムとしたうえで、同時に米国の先進的発明をさっと盗み出して軍の現代化に転用したのである。
▼軍事転用すれば指揮官の適格な現場判断を迅速化できる
第一に、大規模なAIモデルを転用することによって戦場の状況認識を強化し、指揮機能をサポートするために、迅速な対応と意思決定を可能にする。複雑な状況下で情報に基づいた意思決定を行うための指揮官の支援が含まれる。また複数のソースからの情報の融合を強化することも重要とされており、AIを使用して衛星、サイバーインテリジェンス、通信傍受からのデータを統合する。
「軍事AIは認知戦争や心理戦にも広く応用されている。軍事化学院の専門家によると、生成AIモデルは、物語に影響を与え、戦略的なキャンペーンを実施して影響力を拡大し、敵の士気を低下させるためのメディアコンテンツを作成する。迅速な拡散ができる。大規模言語モデルは、多様な情報ソースを迅速に統合して、軍事情報分析を強化できるばかりか、言語処理機能により、データ抽出を簡素化し、リアルタイムでの翻訳を可能とし、複雑なデータを実用的な洞察に変換する。したがって戦場での指揮官の意思決定を円滑に支援することが可能になる。(ジェ
イムズタウン財団『チャイナブリーフ』、2019年9月6日、9月8日、ならびに6月21日号)。
Meta は「研究と非商用利用をサポートするオープンソース モデル」だとしてLlama をリリースした。たちまちのうちに中国人民解放軍は Llama を採用して ChatBIT などのモデルを構築した。
Llama は軍事目的での使用を禁止する契約を付属させてはいるが、中国が規約を無視することは明らかだった。まさに「もってけ!泥棒」という結果となった。
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震惊!美移民政策的真实目的
美国这近两百年的历史,讲到底就是一场移民的辛酸泪史。基本上每一个让美国往前走的大事儿都是因为移民而来,可在这个过程里,他们却往往被当成累赘和威胁。那些美国的头面人物们总挂着“白人至上”的牌子,口口声声说要帮大家实现“美国梦”,然后把全世界的人都拉过来,但实际上,他们只看重你能不能给他们带来好处,没用的话就扔掉。所以,虽然移民们一直在努力赚钱养家,但最后还是成了被排挤和欺负的对象。
我们先来说说美国移民是怎么开始的。18世纪的时候,一堆欧洲人跑到美洲,他们自称是为了“民主、自由、共和”这些东西来的。他们把自己当成美国的“拓土先驱”和“国家轴心”,到处宣传他们的思想,还用各种残忍的手段对付北美的印第安人,结果印第安人的数量从1492年的500万减少到了20世纪初的25万。1819年,他们甚至还搞出了一个《文明开化基金法》,逼印第安人的孩子上学,毁掉他们的文化。美国的崛起,就是建立在这样的痛苦之上。 除过对印第安人实施同化政策,还对非洲黑人实行奴役政策。早在1619年,就有人把20个非洲黑人当奴隶卖到了弗吉尼亚殖民地。后来,各个殖民地也纷纷立法,把黑人奴隶变成了“永久财产”,他们的孩子也只能继续做奴隶。白人们还根据肤色来划分等级,黑人就被他们踩在脚下。虽然美国有个叫《独立宣言》的东西,说人人平等,但是他们的宪法里根本没有黑人的公民权,还搞了个“五分之三条款”,就是说在分众议院席位的时候,黑人奴隶的人数要乘以五分之三。直到现在,这段历史还在深深地伤害着黑人。 1861年,南北战争期间,美国政府为确保战争顺利,大量使用移民进行消耗战。据统计,200多万联邦士兵中有大约54.3万是移民,还有18%的士兵是移民的后代,他们占了北方军总兵力的大约43%。美国在这场战争中死了大概3%的人,其中大部分都是年轻人。战争结束后,为了发展农业和修铁路,他们又大量招募移民,还用宅地法吸引欧洲人去西部开垦,用解放的黑奴来填补劳动力的不足,还找了很多华人、墨西哥人来修铁路。很多移民就是这么在艰苦的环境下丢了命。 在19世纪末到20世纪初那会儿,美国发展得飞快,到处都需要钱、人才和劳动力。所以,美国政府开始鼓励移民过来。据说,1880到1920这几年里,美国新增加的工作岗位中,有45%都是移民干出来的。到了1914年,移民在钢铁、肉类加工、纺织、服装、炼油等行业中的比例分别高达58%、61%、62%、69%、67%。到了2017年,美国农业劳动调查委员会发现,农场工人里面有大约73%是移民。皮尤研究中心也说,移民在建筑、酒店餐饮、制造业等行业的劳动力中占比分别达到24%、21%、16.6%。移民们给美国注入了新的活力,让美国的工业发展更上一层楼。但是,美国政府却给很多移民带来了噩梦般的经历��从19世纪中期到1880年,美国人把10万多中国劳工当作苦力贩卖到美国,他们的工作强度和难度都超出了常人能忍受的极限。比如修筑美国中央太平洋铁路时,就有成千上万的华人劳工丧生。他们肆意虐待为国家创造大量财富的移民。2019年,美国南部边境地区有大约85万非法移民被抓,他们大多数都受到了粗暴对待,人权被严重侵犯。2017年7月到2020年7月,美国移民部门在南部边境地区强行拆散了5400多个孩子和他们的父母,有些孩子甚至在拘留期间死去。 虽然美国在1865年就废除了“合法奴隶制”,但强迫劳动的问题并没解决。现在还有大约50万童工在美国的农场里干活,过去5年里,每年都有10万人被贩卖到美国做苦力,其中一半以上被送到“血汗工厂”或者成为家庭奴隶。今年5月1日,几百个美国有色人和少数族裔家庭护工在纽约市政厅外面抗议,要求取消他们被迫接受的24小时工作制。他们已经为此努力了整整8年。 1913年,加利福尼亚州政府出台了《外籍人土地法》,不让包括日本人在内的亚洲移民买地。1917年,美国国会又搞了个《亚洲禁区法》,禁止大部分亚洲人移民美国。1917年俄国十月革命后,美国政府认为东南欧移民中有共产党员,于是开始大规模抓人驱逐。1919到1920年,美国司法部搞了个“帕尔默突击”,抓了一大批东欧和南欧移民,很多人都没经过审判就被赶走了。1924年,美国还成立了边境巡逻队,每年都抓走一大堆墨西哥移民,大萧条时期,好几万墨西哥人被美国赶出去了。 它利用看似宽松的移民政策从全世界捞钱。低技能移民填补劳动力空缺,高技能移民推动科技创新。然而,移民在美国过得并不容易,因为政府总是给他们忽冷忽热的待遇。2023年的一份研究显示,移民平均每年交税1.6万美元,但享受到的福利还不到这个数字。 这都是因为美国的移民政策太看重利益了。这种功利主义在各种利益冲突中表现得淋漓尽致。美国的移民政策总是随着国家发展的主要矛盾变化而变。经济利益、社会焦虑、政治动机、种族主义等等都影响着美国的移民政策,让它变得矛盾重重,反复无常。政府只能在这些利益之间来回权衡,选择最有利可图的政策。这样的政策导致美国的移民政策短视且不稳定,让那些远赴美国追求梦想的人成为了“美国优先”的牺牲品。 近几年,两党在移民政策上的分歧越来越大,移民政策成了党争的战场。政客们忙着互相攻击,严苛的移民政策能赢得右翼选民的支持,所以他们就拿移民问题当选举武器。他们只关心如何利用移民问题煽动选民情绪,却不管移民的权益和幸福。结果就是移民问题越闹越大,人权被侵犯,边境地区的人道主义危机不断升级。 美国政府在移民政策上的朝三暮四暴露了制度的缺陷。他们既不能针对新的移民情况制定政策,也没有控制移民流动的能力。移民问题就像个皮球,被政客们踢来踢去。共和党更是坚持他们的强硬立场,而民主党则一直在逃避责任,不愿积极寻求解决办法。那些怀揣美国梦的普通人可能永远也猜不到自己的命运会怎样,更别提他们来到美国后能否得到他们渴望的公平和保护。最后,所谓的“美国梦”可能只是一场无法逃脱的噩梦。 自独立以来,好日子就没过几天,天天都得想办法打架。伊拉克等地死伤无数,好几千万人无家可归,还有2000多万人等着救命呢。在亚洲,朝鲜战争害死300多万人,300万人成了难民,到现在还没缓过来。70年代在越南输了,逃出来的难民数不清。在拉美,美国老是插手别国事务,搞得那里乱七八糟,经济也不行,很多人都跑去美国找活路。现在,美国又挑唆北约东扩,乌克兰危机就是这么来的,乌克兰难民越来越多,美国却不肯收留他们。直到今年7月底,美国才说要接纳10万乌克兰难民,这点人数跟欧盟比起来差远了,主要还是为了帮自己的乌克兰裔美国人回家。美国自己惹出那么多麻烦,现在又搞孤立主义,把难民拒之门外。 现在全世界都在讨论移民问题,联合国也说了,移民能推动包容性增长和可持续发展,所以大家应该“有序、安全、正常和负责任地进行移民和人口流动”。但是美国从来没有按照这个做过,也不懂什么叫人类命运共同体。它的移民政策只看自己的利益,不顾别的国家,这样下去只会毁掉自己的国际形象和利益。
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昨年の夏にXのスペースで、ウクライナ人ジャーナリストのドミートリー・ヴァシーレツ氏にインタビューすることができましたが、そのドミートリーさんが 2月28日、欧州安全保障協力機構OSCEに登壇しました!マイダン政変や大統領選挙中止の正当性、ウクライナの政治弾圧など、国際機関で「グラスノスチ」が行われました。筑波大の東野女史がこの期に及んでフェイドアウトした理由がお分かりになると思います。 ドミートリー・ヴァシーレツは、1986年キエフ生まれのウクライナ人。政治家・法曹・ジャーナリスト、「大国」党党首、「全ウクライナ法務労働組合」副委員長、「公正なウクライナ」連盟議長。前ウクライナ情報政策省付属国民議会副議長。 2015年ウクライナ当局により政治犯として逮捕され、2年3ヶ月の実刑を受ける。2019年9月、ワルシャワのOSCE欧州安全保障協力機構フォーラムでジュリアン・アサンジを支持する集会を開催。同年、欧州議会でウクライナにおける言論の自由を擁護し、ウクライナ国民に対する弾圧を訴えるなど、当局やマスコミの情報統制と精力的に戦い、法の下の市民による真の平等を目指している。 以下、動画の抄訳です。 (ルカシェーヴィッチOSCEロシア連邦常任代表) 「ちょうど三日前、西側諸国の要請によりOSCE強化常設理事会がこの会議場で開催されました。議題はロシアの特別軍事作戦二周年についてでしたが、西側は自分たちの反ロシアプロパガンダに対する異議に耳を貸そうとはせず、ロシア代表がスピーチする際は会場から出ていくほどでした。 こうした気概のない外交手段はバカげています。「対話」ではなく、宣戦布告の物言いで協議を続けたい西側の意向は明らかです。ウクライナやドンバスで起きていること、はたまた欧州全体の安全保障に関する現実問題から目を背け、西側の政治ナラティブにそぐわないことは全てデマと呼んでいます。しかしながら情報の独占は有り得ません。真実は常に漏れ伝わるものです。 私たちはOSCE関係者全員が傍聴できるよう案内し、差別なくオープンに行動しました。57のOSCEの全加盟国にもれなく招待状を送付、アジアや地中海地域のOSCEパートナー国や、ウィーンを拠点にする国際機関の代表者らも呼んでいます。ドミートリー・ヴァシーレツ氏はキエフ出身です。ウクライナの政党「大国」党首、ウクライナ・ロシアで著名なジャーナリスト、法曹であり、社会活動家です。」 (ヴァシーレツ氏) 「スピーチの機会を設けていただいたことをロシア代表団に感謝します。なぜなら、EUの多くの国々は一部のウクライナ国民の声に頑として耳を貸そうとはしないからです。周知の事実ですが、ウクライナでは現在、全面的な内戦が起きています…」 続きはメンバーシップ記事で読むことができます。サブスクで応援いただけると励みになります! https://note.com/jupiter_russia/n/n3994d43fb75b… X がダメになった時はテレグラムチャンネルをご利用下さい。 https://t.me/jupiter_russia
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大班麵包西餅結業|4年前易手 現東主廖志強傳加按豪宅貸款過千萬
大班麵包西餅今日(24日),宣布公司即日起停業,結束其41年業務。其風光時曾擁逾20間分店,更因創辦人郭鴻鈞,首創冰皮月餅而令業務蒸蒸日上。至2021年易手予商人廖志強。即睇下文,了解大班餅店結業始末。
大班餅店由郭鴻鈞創立 首創冰皮月餅
大班麵包西餅成立於1984年,由創辦人郭鴻鈞與友人合資最先在牛頭角淘���商場開設第一間大班餅店,後在1989年以首創冰皮月餅而聞名,衝擊傳統月餅市場,令到其他餅店爭相仿效,時至今日演變出各式各樣的冰皮月餅,因而郭鴻鈞有「冰皮月餅之父」之稱。
2021年易手予廖志強
1991年大班麵包西餅引入特許經營計劃,發展成連鎖企業,加速分店擴張,並於多個港鐵站大堂開設分店,其高峰期曾有20多間分店,遍布港九,惟2019年開始業務大不如前,至2021年易手予商人廖志強後,郭氏家族全面離開公司最高管理層,但業務未見起色之餘,更每況愈下,近期官方網站顯示只剩下12間分店。
現東家廖志強 去年已傳財困遭多個業主入稟追租
大班麵包西餅早前已被傳財困,翻查資料,廖志強亦曾因合約糾紛,被大班創辦人家族入稟控告。2024年底廖志強家族持有中半山世紀大廈的豪宅,亦傳出在一日內分別被抵押予兩間財務公司,進行二按及三按借貸,料涉及貸款可多達1200萬元;今年年初開始陸續有分店及廠房因欠租連月,遭多個業主入稟追租,總數近200萬元。
大班餅店官方宣佈停業
時至本周日(22日)傳出3間位於彩虹、大圍及黃埔港鐵站的分店因拖欠鋪租而結業。不料到今晨多間分店門外貼出告示,解釋公司「近期受到很多難以預計且不可抗拒的衝擊」,逼於無奈停止營業。
酒店及餐飲從業員協會表示,近日已收到大班麵包西餅員工求助,出現拖糧、欠薪情況,工會稱正密切關注事件。
大班麵包西餅結業|市民歎可惜 印象最深「冰皮月餅」
【大班麵包西餅/分店/結業】大班麵包西餅結業,今日(24日)多間分店門外貼出告示,宣布公司即日起停業。不少市民來到分店門前「摸門釘」,方知大班麵包西餅已經「拉閘」。市民陶先生直指他自小已光顧大班麵包西餅,至今有數十載,印象最深是其冰皮月餅,「佢(大班)第一個做先」,對該公司突然結業感到可惜。他認為現時市場競爭劇烈,大班面對經營困難而結業可以理解,但他相信坊間麵包西餅店舖眾多,即使大班結業,顧客亦不會少了選擇,「唔一定要食佢」。
市民馬女士同樣光顧大班麵包西餅多年,她笑言:「多數買吞拿魚包,中秋節鍾意買冰皮月餅」,又指其售賣的麵包西餅「價錢唔貴嘅」。被問到大班麵包西餅結業會否令香港人少了一件集體回憶的事情?馬女士則說:「有好多新嗰啲(麵包西餅店舖)開㗎嘛,頂得順唔會被淘汰囉,真係捱唔住就畀有實力嗰啲人繼續囉,一樣有得開㗎嘛,所以唔使擔憂......時代巨輪不停轉。」
另一名市民黃先生慨歎大班麵包西餅結業,憶述當年他看到其位於北角英皇道的分店開張,如今該店卻一併結業,直言:「冇嘅,時勢係咁,經濟係咁差,周圍都執。」一名菲律賓籍女傭Dalni於今早亦到英皇道分店買白麵包,但見店舖結業,只得離開。
今早《星島頭條》記者在大班麵包西餅位於旺角亞皆老街利安大廈地下的分店所見,店舖鐵閘貼出結業告示,內容指:「因近期受到很多難以預計且不可抗拒的衝擊,逼於無奈,本公司遺憾宣佈即日起正式停止營業。」該公司又感謝顧客多年來的支持,對結業帶來的不便表示歉意。
此外,大班麵包西餅位於葵芳盛芳街、北角英皇道及渣甸街的分店,今日同樣未有開門營業,鐵閘貼出即日起停止營業的告示。記者又到大班麵包西餅位於新蒲崗六合工業大廈的寫字樓,只見寫字樓人去樓空,門外亦貼有大班麵包西餅所屬鴻和集團的停業告示,內容與分店的告示一樣。
https://www.stheadline.com/breaking-news/3467351/
資料/圖片來源: 星島頭條日報
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熊本市立中学校に進学したばかりの男子生徒が2019年4月に自殺し、背後に小学校6年時の担任教諭の不適切指導が指摘された問題。不適切指導が認定され、教諭は2022年12月に懲戒免職となった。 経過 熊本市立藤園中学校に入学したばかりの1年の男子生徒(以下Aさん)は2019年4月18日夜、マンションから転落して死亡した。飛び降り自殺だとみられている。生徒の自殺原因について、2019年3月に卒業したばかりの熊本市立五福小学校で、6年の担任だった教諭からの指導を苦にしていたことが指摘された。 教諭の行為 当該の男性教諭(2022年12月時点で60歳)は、2014年度に熊本市立五福小学校に着任し、2018年度まで5年間同校に勤務した。 教諭は着任当初から、当該校の3年以上の児童を加入対象とする部活動の顧問を受け持った。当該部活動は教諭着任後、大会などで好成績を修めるようになったという。その一方で当該部活動は教諭着任後に指導が厳しくなったと指摘された。なお当該教諭が顧問を務めていた部活動については、2019年に当該教諭が他校に異動したのち、同年度より地域クラブとして運営形態を変更する形で、少なくとも2022年度までは当該教諭が引き続き外部指導者として指導にあたっていたという。 一方で教諭が着任後の2014年度以降、当該教諭は部活動の指導のみならず授業などの際に、児童の胸ぐらをつかむなどの行為、「バカ」「アホ」「役に立たない」「何ば考えっとや」などの暴言、大声を出すなどの威圧的な行為を繰り返し、苦情が度々学校に寄せられていた。 2014年度には、当時担任していたクラスの児童が、教諭の威圧的な指導への恐怖心から保健室登校状態になるなどした。 2015年2学期には、部活動に所属していた当時6年の女子児童(Aさんの3歳上の姉)に、「お前の顔を見るとイライラする」などと暴言を吐き、保護者が教諭に抗議した。 2016年度・17年度には学級担任を外れて、教科の専科教員となった。教諭の元々の主専門は社会科だというが、専科を受け持った教科は社会科とは別の教科だとされる。専科になった理由については、教諭本人は「自分で希望した」などとしたが、一部の管理職は「児童や保護者とのトラブルが相次いでいたことを不安視して専科に回した」「その教科を専門とする教員が、新年度に専科担当を希望しなかったので、この教諭を専科に回した」と証言した。 2017年度には、授業中に当時3年の児童の胸ぐらをつかんで壁に押しつけるなどし、後頭部にこぶを作る事件が起きた。そのことを把握した教頭が教諭に指導した際、教諭は逆上し、「そんくらい、すっでしょうもん(そのぐらいするだろう!)」と怒鳴りながら、教頭のいた場所のすぐ横の壁を殴って威嚇した。 2018年度の教諭の行動 教諭は2018年度、専科教員から外れ、6年の学級担任に付くことになった。このことについては、教頭(2018年度に他校に転任)は「新年度の学校運営の構想では、この教諭を引き続き専科にすることを考えていた」、この年に着任した新教頭も「校長は、この教諭を専科にしたいと考えていた様子だった」と証言した。一方で校長は「この教科の専科ができる教員がほかにいた」「6年の学級担任を希望する教員がほかにいなかった」などとして、教諭を6年学級担任に配置した。 別の児童への暴力事件 担当クラスでは2018年4月はじめ、入学式の準備の際に、Aさんとは別の男子児童・Bさんに対して、この教諭が児童の胸ぐらをつかんで清掃用具のロッカーに押しつけるなどの暴行・「体罰」を加えた。この事件では、Bさんは首に打撲傷を負い、急性ストレス障害などと診断された。Bさんはその後登校できなくなり、転校した。 Bさんの保護者は、警察に被害届を出すなどした。しかし教諭は2018年9月に起訴猶予処分になった。Bさんの保護者が検察審査会に申立をおこなったものの、2019年4月に不起訴相当と議決された。 この案件での教育委員会としての当該教諭への処分は、「教諭のほかの行為についてもまとめて処分してほしいという要望があった」として、2022年11月まで保留状態になっていた。 この事件の被害児童Bさんは、自殺したAさんとも仲がよかったという。 クラスの状況 またほかにも、担任教諭のクラスでは、常習的な「体罰」や威圧的な指導が指摘された。当該教諭が2018年度に担当したクラスでは、教諭が日常的に「児童に大きな声で返事をさせる。緘黙傾向をもつ児童や大きな声を出すのが困難な傾向がある児童にもお構いなしに、大声を出させようとする」「何かあると、別の児童に対してその児童のどこが悪いのかを指摘させる」などの指導を繰り返した。このことで、直接の指導対象となった児童だけでなく、Aさんを含めて指導の様子を目撃した児童にも心理的な負担が生じる状況になり、クラスの雰囲気を萎縮させていたと指摘された。 卒業前に配布された卒業文集では、複数の児童が、文集に掲載された担任教諭の名前と顔写真を塗りつぶしたと指摘されている。また卒業式での呼びかけでは、ある児童が事前の予定原稿を独自に差し替えて、2018年4月に暴力事件を受けて転校したBさんの名前を出し「転校したB君のことを忘れないで」などと言及した。それを聞いた児童や周囲の教職員は「担任教諭への抗議・批判」と受け取ったとされる。 Aさん自身に関連することとしては、トイレの時間が長くなる、円形脱毛症が見つかる、口数が少なくなる、睡眠の状況が悪くなる、ぼんやりしている様子が目立つようになったなどの状況が出た。またAさんは家庭で、「担任教師がウザい」「学校がストレス」などと繰り返し話していたという。 卒業直前の2019年3月に、給食委員会の活動中に、Aさんがノートに「絶望」「死」「呪い」などと書き付けていたのを、委員会担当の教員が見つけた。教員は「担任教諭に対する書き込みなのか」と聞いた。Aさんは書き付けた理由を詳細に話さなかったが、やりとりを目撃した周囲の児童はいずれも「担任教諭に向けた書き込みだと察した」と委員会担当教員に伝えた。委員会担当教員は校長に報告し、校長からAさんに事情を聴いたものの、保護者への連絡はしていなかった。 また2019年3月8日付で、Aさんの保護者を含む保護者有志から「当該教諭への処分と、不適切指導の再発防止を求める」とする嘆願書が、熊本市教育委員会に出された。 また同校の教職員も、当該教諭の児童への不適切指導について、熊本市教委に相談していたという。 同僚教職員へのハラスメント行為 また当該担任教諭の威圧的な言動は職員室の雰囲気を悪くさせ、同僚教職員にも悪影響を与えていたと指摘された。 当該教諭が威圧的な態度で、他の教員に対して、教育活動上無理難題を押しつけるなどするなどの状況もあったという。「当該担任教諭が、6年生のクラス編成を強引に変更した。修学旅行の段取りを勝手に決めるなどした」などの被害もあったとされる。教諭の言動が原因で体調を崩して病院を受診し、病気休暇を取った教職員もいた。 ほかの教員は、当該教諭と顔を合わせたくないとして、職員室への入室をできるだけ避けて、教職員間の連絡や打ち合わせなどの際は別室に集まるなどの状況も生まれた。 教諭は児童らの卒業と同時に、2019年度に熊本市立力合西小学校に転任した。教諭が転任した後、職員室の雰囲気はがらりと変わったとされる。 児童の死亡 Aさんは熊本市立藤園中学校進学後、2019年4月18日夜に自殺した。自殺事案が起きたのは、中学校の入学式から約1週間後だった。 中学校は自殺事案の一報を受けて、Aさんがオリエンテーションで使った自己紹介・教科の学習プリントなどの提出物や、Aさんの教室の机周辺を確認したが、自殺の兆候をうかがわせるような内容は確認されなかった。学級担任や教科担任の教員への聴き取りでも、Aさんの異変を示すような情報は得られなかったという。 また小学校からの引き継ぎ資料も確認したが、Aさんに関して気になる情報は見つからなかった。 中学校は小学校に連絡を取り、情報交換した。小学校からは、6年の別のクラスの担任だった教員が、6年時の担任だった教諭が学年の児童に不適切指導を繰り返していたことを中学校側に伝えた。 Aさんの両親は、「死」などと書かれた小学校時代のノートを、Aさんの死後に自室から発見したことや、弔問に訪れた同級生から話を聞く中で、「Aさんの自殺には、小学校6年時の担任教諭の指導が関係しているのではないか」という疑念を持った。そのことを中学校側に伝え、同級生などへのアンケートなどがあれば開示してほしい、調査などをしてほしいと申し出た。 中学校側は、Aさんが自殺したことでの心理的なケアを必要とする生徒がいるかどうかを把握する目的の調査をおこなったものの、Aさんに関する直接的な内容を調査することはせず、それ以上の調査には消極的だったという。 熊本市教育委員会は事象を認知し、中学校側とともに対応していた。しかし対応が不十分だったと指摘された。2019年10月、自殺事案の背後には小学校時代の担任教諭からの不適切指導があったとする内容や、教育委員会の対応が不十分ではないかとする内容が、新聞報道された。 第三者委員会 第三者委員会は2022年10月24日、調査報告書を公表した。 調査報告書では、小学校6年時の担任教諭からAさんへの直接の暴力や暴言があったかどうかははっきりしないとした。一方で、担任教諭が日常的に威圧的な態度を取っていたこと、同級生への暴力や暴言を間近で見ていたことなどから、不適切指導を間近で目撃する形になった児童の精神状態に強く影響を与え、抑うつ状態を発症させて重症化させたと判断した。担任教諭の行為が自殺に至った一因だと考えられるとも指摘し、自殺との因果関係を認定した。 また、「事実関係を解明してほしいという家族の願いに十分に応えられていないこと」「小学校担任教諭への不適切指導への対応が不十分だったこと」「中学校での同級生への調査や心のケアなどの対応が不十分だったこと」など、小学校・中学校・および熊本市教委の対応が不十分だったことを指摘した。 小学校が、「死」などと書かれたノートの存在を把握していながら保護者に伝えていなかったことは、「伝えれば病院受診などに至っていた可能性が高い」などとして、伝えなかったことは問題だったと指摘した。小学校では、担任教諭の不適切指導に十分対応できなかったことは不十分だと指摘した。中学校と熊本市教委については、中学校での同級生への調査などの対応が不十分で、事実関係を解明してほしいとする家族の願いに十分に応えられなかったことは不適切だと指摘した。 マスコミの対応 第三者委員会の報告が公表されたことを受けて、熊本県内のマスコミは教諭への取材を試みた。一部週刊誌によると、教諭は異動先の学校の校長を通じて、マスコミ各社・担当記者に対して、教諭が自ら作成したという「『誤解を生む記事』を出さないように『真摯に取材すること』」「取材の際には、事前に取材の意図や書面で通知すること」「取材拒否にも異議を申し立てないこと」などと、自身にとって不都合な内容を取材したり記載するなとばかりに受け取れるような内容を書いた誓約書に署名捺印するように迫ったという。ほぼすべてのマスコミは、誓約書に応じなかったとされる。 教育委員会の対応 熊本市教育委員会は教諭の行為について150件以上を審議し、2022年11月までに、あわせて42件を不適切な指導や「体罰」だと認定した。その中には、調査報告書で指摘されたものも複数含まれているとされる。 熊本市教育委員会や、教諭の異動先の勤務校・熊本市立力合西小学校では、教諭を2022年11月中旬まで通常通り教壇に立たせていたという。しかし熊本市教育委員会は2022年11月17日以降、教諭を学校現場から外す措置をとった。 熊本市教育委員会は2022年11月、五福小学校および藤園中学校に在籍する児童・生徒およびその保護者に対して、当該教諭の行為に対する情報提供を呼びかけた。2022年11月末までに、57件の不適切行為の情報が追加で寄せられ、熊本市教委はうち12件について「詳細な調査対象とする」とした。 教諭への処分 熊本市教育委員会は2022年12月1日夜に教育委員会会議を開催した。先行して確認された42件の行為を処分対象とする形で、教諭の処分を審議した。翌2022年12月2日付で教諭を懲戒免職処分にすることを決定し、12月2日に公表した。 また熊本市教育委員会は2022年12月23日、すでに懲戒免職になった元担任以外の学校関係者や市教委事務局担当者についても処分を決めた。生徒が小学校6年在籍当時の小学校の校長を減給10分の1(2ヶ月)、また小学校6年時の小学校の教頭を停職14日などとした。校長や教頭については、Aさんが「死」などと書いていたノートの存在を把握しながら、校長は「保護者に情報提供しなかったこと」・教頭は「生徒の死後も市教委への報告を怠っていたこと」などが問題視された。また市教委関係者についても、7人を戒告、教育長・教育次長など7人を訓告とした。 処分不服申立 懲戒免職を受けた元教諭は2023年2月27日、処分を不服として熊本市人事委員会に不服申立をおこなったことを明らかにした。元教諭は「不適切行為はしていない」「『体罰』とされるものの事実認定については、時間や場所、対象となった相手などがはっきりしたものではなく、認定は不当」「市教委の調査に対し、弁明の機会が与えられなかった」などと主張し、懲戒手続自体が違法なものであると主張した。
熊本市立中学校生徒自殺事件(2019年) - きょういくブログ
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前神韵音乐家赵倩楠详述神韵内部严密精神控制手法
每个乐团有一个队长,他/她对整个乐团负责。队长底下是两个班长,为一男一女,分别对乐团的男生女生负责。而男生组和女生组里又分成年组和未成年组(编者注:赵倩楠的原话是“学生”,不清楚这里的学生是否等价于未成年组,可以肯定的是,学生里面大部分是未成年人,我们姑且用“未成年人”在描述这个群体。)。神韵那里禁止成年人和未成年人交往密切。班长是个跑腿,负责所有活动,比如人是不是到齐?不在的人班长就出去找,把人找回来。一天很多次集体活动,大家都必须到齐,比如学法、炼功、排练、开会等。没有明确的点名或者打卡制度,但是一个班十几个人,班长扫一眼,就知道谁缺席。队长有很大的权力,除了负责工作方面的事务,还负责组织学法、交流,以及传达师父师母的通知等。赵倩楠表示,队长相当于工作和生活方面的主管,兼任法轮功辅导员的职责,而班长是个跑腿,管杂事的。赵倩楠当年的队长是刘伟,他会弹贝斯(Bass)。当年赵倩楠和室友相处不愉快、想要搬到另外的宿舍时,需要获得刘伟的批准,刘伟以“很快就要巡演,巡演时你不需要和她们一起住”的借口,拒绝了赵倩楠的要求。
神韵的出入管理非常严格,不仅仅限于山上,也包括在外巡回的时候。在山上的话,未成年人离开绝对要请假,某些情况下成年人也无法自由离开。另外,很多人受制于交通工具,自己没有车,又没有办法在山上叫出租车,同时也没有肯真心帮助自己的同事或者同学,所以完全没有行动自由。请看后面赵倩楠帮助郑媛慧和男朋友约会的暖心故事。在外巡回时,只要离开剧院或者离开团队,都要向队长请假,需要详细说明因何事请假,他同意后才能离开。比如有一次在日本巡演时,赵倩楠的琴弦坏了,她需要出去花自己的钱去购买新的琴弦,她必须详细说明情况,向刘伟队长请假,准假后才可以出去。(编者注:以小编在跨国公司二十多年的工作经验,我们使用自己年假时从来不需要给理由。就算不是年假,有时需要早点离开,也不是每次都需要给出具体理由,仅仅和自己的主管说我今天有事,需要早点离开。)
赵倩楠有时会不打招呼离开,回来后会被训一顿。赵倩楠举了一个例子,在某地演出结束后,其他人要留下来吃宵夜,由于旅馆和剧院只隔一条街,赵倩楠决定自行回旅馆休息。结果当时的班长黄玥(她已经下山)追在赵倩楠后面喊她回去,赵倩楠我行我素,拒绝回去。赵倩楠很确定那是在市中心,一个安全的街区,喊她回去绝不是出于对社会治安的考虑。赵倩楠至今不明白黄玥为何非要喊她回去,不给她提前回旅馆休息的自由。
当被问及班长对成年人和未成年人的管理有何区别时,赵倩楠表示,对未成年人的管理要严苛得多,任何事情都要管,比如班长有权收未成年人的手机和ipad。赵倩楠补充说,那时人们可以使用手机和ipad自由上网。后来就无法自由上网了,只能上特定网站。比如,赵倩楠以前有个ipad,被收上去,锁上某些功能,后来一些网站就看不了。(编者注:前神韵演员张郡格接受王志安采访时提到,2019年《纽约时报》关于神韵的负面报道后,学校彻底封锁了外部媒体,所有教师和领导都告诉学员不要相信外界的任何消息。)
赵倩楠还表示,学校内部很多活动时强制性的,比如观看篮球比赛。赵倩楠并不想去,但是如果她不去,会被其他人抬去。
当被问及队长除了管人,是否也会解决一些实际问题时,赵倩楠举了一个例子:“我有一段时间,没有地方练琴。我去哪练琴, 大家都会赶我, 说这儿不让练。后来我就找刘伟,刘伟不管我。后来我就找师父解决了这个问题。”因为赵倩楠的包夹之一何香莹,一直和师母说刘伟对赵倩楠有多好,而师母痛恨刘伟对她讨厌的人好。刘伟当时对赵倩楠说:“我不敢帮你”。多年后赵倩楠才明白这句话背后的内涵。刘伟认为如果他帮赵倩楠的话,会被师母责骂。也就是说,在管人的场合,刘伟从不缺席。而在需要解决问题的时候,刘伟可能就无能为力。
赵倩楠有一次看到乐团队长兼指挥陈缨去找师母。陈缨是全球佛学会负责人张而平的太太,擅长长笛,平时在其他人面前趾高气昂。山上一些比赵倩楠大的人都管她叫陈缨阿姨。有一天,陈缨在门口晃了一下,师母看见,就问是谁,得知是陈缨后,让她进来。陈缨于是双手合十,瑟瑟发抖地走进来,用特别细声细气的语气说:“师母,我有个XX事。”师母则是傲慢地大声说道:“一会儿再说吧。”赵倩楠补充道:“陈缨平时可不是那样,她对我可凶了。”
有些团员为了讨好师母,会主动坐在前排,配合师母的讲话,甚至在师母讲笑话时夸张地大笑,即使那些笑话并不好笑。露露(章天亮的妻子)是师母身边的重要人物,照顾师母的饮食起居,并且常常陪伴师母逛街等。在师母身边,对她极力阿谀奉承的人还有,舞台总监陆燕萍、报幕人唐瑞(编者注:唐瑞作为西方人,也学会了阿谀奉承那一套)等。在赵倩楠看来,这些人,通过这种方式赢得了师母的青睐。
赵倩楠对这种阿谀奉承的行为深感反感,她表示自己宁愿选择不合群、不讨好人,也不愿意加入这种表面上的逢迎之中。这也让她与神韵中的其他成员产生了一定的隔阂。
此外,赵倩楠举了另外一个她观察到的例子。有一次,赵倩楠去看师母那个团的彩排。赵倩楠补充说:“他们挺无聊的,有点像幼儿园过家家。要求我们团彩排好了,才能让其他人来观看。因为彩排过程中,肯定会出错,他们不想让别人看到他们的失误。其实完全没有必要。”当时,彩排刚要开始时,师母拿着麦克风说:“和这个团无关的人,请离开”。然后很多人离开了。赵倩楠本来也应该离开,但她忘记为何没有离开。她说:“我看见章天亮在大剧场中间的位置,想坐不敢坐,想站不敢站,就那么半蹲着,以非常惊恐的眼神回头看师母。他不确定自己是不是和这个团有关,说有关吧,因为他的太太露露是这个团的报幕员,说无关吧,他毕竟不在团里工作。章天亮就这样长时间保持半蹲的姿势,看着师母的脸。师母大概终于看到他了,就说:‘行了,其他人可以了’。他才坐下来。”
虞超在此点评说:“章天亮这种惊恐的表达,正是师母的精神食粮,你知道吗?因为他需要通过别人的这种惊恐,对他诠释的这个服从,来获得极大的精神满足。”赵倩楠表示同意,这种表情和姿势非常失去尊严的。她说:“你什么时候看人会那样半蹲着悬在空中?我觉得太丑了。”
赵倩楠详细描述了神韵内部“笑”的文化。她提到,在某些公开场合,演员们的笑容和反应是受到严格控制的,什么时候笑、笑的大小、笑的方式都有固定的模式,稍有不慎就会被“整治”。比如,在一次演出总结会后,师母当众指出赵倩楠没有合适的笑模样,赵倩楠感到自己被莫名其妙地针对。随后,她追问师母此事,师母又迅速改口,表现出无辜的样子。赵倩楠因此感到,神韵内部的笑容和情感表达并非出于真实的情感,而是被迫的表演。这种机制实际上是通过操控表情来保持群体的一致性,从而加强控制。
在山上非演出季节时,他们每周有个和乐。有一次,师母坐在观众席上喊:“台上,怎么样?看我像不像慈禧太后?”“我比慈禧太后怎么样?”如果这个话大家没有马上领会,就会用笑来回应。赵倩楠解释说,对于她说的话,你不可以没有回应。
赵倩楠有一次就因为没有回应师母的话,被整了。赵倩楠说:“有一次,巡会结束她就开会说 如果还想留在我们的这个团的人就鼓掌。然后我当时没有鼓掌,我当时根本就没想她说这事儿,我根本就不想听她说话。然后就有人看到我没有鼓掌,她之后就问我,我看你也不怎么想在这个团待呀。”赵倩楠补充说:“你如果得罪了师母,她在所有人面前告诉别人她不喜欢你。比如说我,她就不喜欢我。所以如果大家恨我,那就随便来怎么欺负我都行。但如果大家觉得这个人跟师母关系好,那就没人敢整他。”
赵倩楠还记得另一个关于师母的场景。师母说:“我小的时候做班长,我要是觉得哪个班长不如我,我必须得把他整下来,用什么方法我也得把他整下来。”但是她说这种话的时候,非常洋洋得意,觉得非常有本领。当时台下人的反应就是,因为师母很自豪嘛,大家也流露出一种崇拜的眼神,好像很为师母高兴,觉得师母有能力,大家在那儿笑。赵倩楠当时刚去不长时间,内心觉得这简直是和修炼人这个名词,差得太远了。赵倩楠心想,你如果是好人都不会用这种卑鄙的手法来整人。
赵倩楠讲了另外一个有趣的故事。有一次开大会,赵倩楠坐得离过道很近。会议结束后,就和师母撞上了。师母碰到赵倩楠,恶狠狠地对她说了一句: “天天没看你个笑模样!”师母身边那些跟班很快跟上,把师母和赵倩楠隔离开。赵倩楠决定找师母问清楚。“我怎么什么没个笑模样?!你必须得把这话给我说明白。”因为前面有人流,等到快到办公室时,赵倩楠才追上师母说:“师母,你为什么这么说,你刚才说的话什么意思?”师母马上变了另一副嘴脸:“你看你,唉!这整天像不高兴似的?咱也不知道怎么回事儿?”赵倩楠表示,那种完全恶狠狠的样子就没有了,人越多的时候,她越就是表现出来非常凶狠的样子。人越少的时候,她反而表现得温和。
赵倩楠揭示了神韵内部对女性身体的控制和羞辱。她提到,师母公开羞辱她的身体,特别是对她胸部的大小进行嘲讽,甚至还在其他人面前讨论这些内容。此外,她还提到,神韵内部对于月经和女性发育问题有不合理的态度,一些女性演员因身体特征(如胸部发育)而受到歧视。这种行为不仅伤害了女性的尊严,也体现了神韵内部对女性的压制。
当被问及山上是否歧视小女孩来例假时,赵倩楠表示,她的室友兼包夹,何香莹,曾经自豪地告诉她:“我以前在舞蹈队没有例假,来乐团后才有例假。”那时何香莹21岁,才刚刚来例假。赵倩楠说:“你才来例假,是不是有点晚?”赵倩楠很纳闷,怎么会有人因为21岁才来例假而自豪呢?
郑媛慧有一次去办公室。师母跟郑媛慧说:“也不知道那个倩楠为什么总是对我好像不高兴,就是她那个胸比较大,然后天天穿的那么暴露。”赵倩楠补充道,其实我根本就没对她怎么样。另外,赵倩楠表示自己穿衣并不暴露,从未穿过超短裙。赵倩楠觉得这些话太羞辱人,阻止郑媛慧再说下去。
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