#誕生記念筆の日
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2025-5月号
アン��グラム作家の皆様に同じテーマでアンビグラムを作っていただく「月刊アンビグラム」、主宰のigatoxin(アンビグラム研究室 室長)です。
『アンビグラム』とは「複数の異なる見方を一つの図形にしたもの」であり、逆さにしたり裏返したりしても読めてしまう楽しいカラクリ文字です。詳しくはコチラをご参照ください⇒アンビグラムの作り方/Frog96
◆今月のお題は「対語」です◆
今月は参加者の皆様に「対語」のお題でアンビグラムを制作していただいております。メジャーな対義語は掘りつくされているのではと思われる中、作家の皆さんがどのような作品を作り上げてきたのか、楽しみにご覧ください。
皆様のコメントがいただけますと幸いです。

「損失/収益」 回転共存型:すざく氏
利益を失うこと/利益を得ること。 「損」の左の点のハネと「益」の左払いの重なり処理の切り替わりがうまいです。よい書体とデザインですね。

「アオムケ/ウツブセ」回転共存型:ヨウヘイ氏
顔や物の表面が上を向いていること/下を向いていること。 ドット表現が生きていますね。線が途切れたりという、1ドットの増減があっても割とこの解像度でも読めてしまいます。

「質素/華美」 図地反転共存型: いとうさとし氏
飾り気がなくシンプルの様子/華やかで美しく派手な様子。 「質」の上部にはみ出しがありますがそれを補ってあまりある全体的な完成度の高さです。文字のバランス���良く、すばらしいですね。

「闘(⿵门𭔰)争/逃走」 回転共存型:繋氏
「トウソウ」の同音異義語。 ステキな書体のデザインです。セリフやヒゲ部分もうまく生かされていますね。

「支配/服従」 回転共存型:KSK ONE 氏
相手を束縛すること/されること。 中央の「彳」相当部分のリガチャが気持ちよいです。筆致がかっこいいですね。

「過激/穏健」 回転共存型:douse氏
度を越して激しいこと/おだやかで行き過ぎていないこと。 太めの書体にすることで字画の衝突を自然に見せつつ、方向を切り替えるのに生かしています。「過」は大陸式のグリフですが気にならないものです。

「空虚/充実」 振動型:.38氏
なかみが何もないこと/満ち満ちて豊かなこと。 字画の絶妙な波うちと太さの変化で振動を実現させています。先割れ字画の具合もよいですね。中央の字画はハネとハライが切り替わります。
「陸/海」 敷き詰め図地反転型:アンビグラム研究室
「陸」と「海」の敷き詰め図地反転アンビグラム。陸海の図地反転の作例は複数存在します(一番早い作例はこちら��2010-05-06)。 本作はoyadge01氏と意瞑字査印氏が対応解釈、作字をkawahar氏がそれぞれ担当して制作されました。

「愚痴/感謝」 図地反転共存型: いとうさとし氏
言ってもしかたのないことを言って嘆くこと/ありがたく思って礼をいうこと。 非常に読みやすく驚くばかりです。「心/心」の図地対応は応用が利きそうですね。
「昨日/明日」 振動型:lszk氏
今日の一つ前の日/一つ後の日。 重ね合わせ処理をうまく利用した傑作です。矢印による示唆があるため、すぐに読めますね。

「脆弱/強靭」 敷詰回転共存型:douse氏
もろくて弱いこと/しなやかで強いこと。 黒パーツと灰色パーツを入れ替えていると見ることができます。角度の調整や線の出し入れの具合が絶品です。

「文明破滅/創世記譚」 鏡像共存型:ちくわああ氏
世界の終わりとはじまり。 文字単位での対応付けではないのですがバランスよく仕上がっています。かなり難しい対応付けをしている力作です。文字内の✨を自然にする中央の星デザインもよい工夫ですね。

「福良Pです/凶悪Qです」 図地反転共存型:つーさま!氏
QuizKnockのとある企画で発生した対義語。 「です/です」が図地対応できることに驚きです。「P/Q」がよいデザインですね。塗りつぶしが効果的に使われています。
「彼誰時のバス停/黄昏時の駅前」 回転共存型:松茸氏
明け方←→夕暮れ、バス停←→駅前。 適度なデフォルメが気持ちよく、全体的に素直に読める良作です。「亭」部分が袋文字のようになっている部分が上から下まで渡っているので気持ちよいですね。

「竜頭蛇尾/有終完美」 鏡像共存型:とり��とん氏
尻すぼみになること/最後までやり遂げること。 全体の流れで読むデザインではあると思いますが、一文字ずつ見てもかなりうまく調整されています。そのまま掛け軸にもできそうなよい作品です。

「おまえらの二次創作」 重畳型:Jinanbou氏
「オイラーの公式」に対する偽対義語(こちら)。 2ブロック分ずらしながら並べるとうまく配置できます。配置の発見と文字の切り取り方がすごいですね。

「貧乏舌/鼻セレブ」 回転共存型:てるだよ氏
こちらの偽対義語が初出でしょうか。 ポストに対するのコメントでは対応部分の前後関係が逆という指摘も多く��りましたが、このデザインによればうまい配置になっています。細かい筆画にも工夫がありますね。


「SYNTAX/SEMANTICS」 回転共存型:兼吉共心堂氏
構文 (syntax) と意味論 (semantics) は、プログラミング言語において、コードの構造と意味を区別する概念。 珍しくラテン文字での作品。文字数の違いをクリアするための圧縮手法が見所です。

「攻守」 旋回型:うら紙氏
主に競技における攻撃と守備。 全体的に三角のペン形状とし、「攻」の最初の部分と「守」の点を自然に見せています。ポイントを押さえたよい作品ですね。

「誕生/死滅」 図地反転回転共存型: いとうさとし氏
生まれること/死に絶えること。 「誕/滅」の自然さに驚きます。「生/死」はシンプルな文字同士の対応付けの分、細かい凹凸の調整が見所ですね。
「是/非」 敷詰振動型(180度回転同一型):kawahar氏
道理にかなうこと/誤っていること。 縦に読めば首を縦に振る肯定の「是」、横に読めば首を横に振る否定の「非」です。ちょっとしたウロコの調整でうまく読めるように仕上げられています。

「光/影」 振動型:ラティエ氏
物事の明るい部分/暗い部分。 主観的輪郭を利用した知覚シフト。作例が非常に少ない手法ですがうまく扱っており、言葉にマッチしていてとても良い作品です。
「平面/立体」 回転共存型:lszk氏
2次元/3次元。 平行四辺形のような部分を平面的に見たり立体的に見たり切り替わるところがぴったりですばらしいです。「面」の窓も斜めに切られているので「立」の時に柱状に見えてきます。

「鷹/鳩」 回転共存型:douse氏
政治的な立場として、強硬派/平和派。 文字の特徴を的確にとらえたすばらしい図案化です。バランスが絶妙なので、まだれが小さくてもしっかり「鷹」ですね。

「祝/呪」 回転共存型: oyadge01氏 × 意瞑字査印氏
「祝」を180°回転させると「呪」と読める王道のアンビグラム。意瞑字査印氏が対応解釈、oyadge01氏が作字を それぞれ担当する合作の制作スタイルです。

「分裂/統合」 敷詰回転共存型×2:オルドビス紀氏
別れること/まとまること。 「分/合」「裂/統」それぞれが敷詰共存の関係です。字画本体と装飾が切り替わる効果が実感できる作品ですね。レタリングとアンビグラムが絶妙に融合しています。
「平坦/起伏」 回転共存型:Σ氏
表面が平らなこと/表面に動きがあること。 「坦/起」は無変換共存の関係ですが、もう一文字と合わせて角度を調整することで一文字目と二文字目の関係を入れ替えています。裏になった「犬」も愛らしいです。
「浪費/節約」 鏡像共存型:螺旋氏
無駄な出費を増やす/減らす。 「浪/約」がとても自然で驚きです。「費/節」の省略の仕方がすばらしいです。最大公約数をとるというだけでもなく、書体の力によるものも大きいですね。
最後に私の作品を。
「眼鏡(めがね)」 回転型:igatoxin
熟字訓にルビをふるときは、対語ルビ(グループルビ)で均等に。逆に、文字ごとにルビをふるのは「対字ルビ(モノルビ)」です。
お題「対語」のアンビグラム祭、いかがでしたでしょうか。御参加いただいた作家の皆様には深く感謝申し上げます。
さて次回のお題は「能力」です。スキル、技術、技量、熟練、パワー、資質、知能、独創性、スタミナ、異能、資格、器量 など 参加者が自由に能力というワードから発想・連想してアンビグラムを作ります。
締切は5/31、発行は6/8の予定です。それでは皆様 来月またお会いしましょう。
——————————–index——————————————
2023年 1月{フリー} 2月{TV} 3月{クイズ} 4月{健康} 5月{回文} 6月{本} 7月{神話} 8月{ジャングル} 9月{日本史} 10月{ヒーロー} 11月{ゲーム} 12月{時事}
2024年 1月{フリー} 2月{レトロ} 3月{うた} 4月{アニメ} 5月{遊園地} 6月{中華} 7月{猫} 8月{夢} 9月{くりかえし} 10月{読書} 11月{運} 12月{時事}
2025年 1月{フリー} 2月{記憶} 3月{春} 4月{キッチン} 5月{対語} 6月{能力}
※これ以前のindexはこちら→《index:2017年~》
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ジェラルド・L・カーティス(英語:Gerald L. Curtis、1940年 - )は、アメリカ合衆国の政治学者。米コロンビア大学名誉教授。大学院生時代に日本で地方選挙の実態を徹底取材した博士論文がベストセラーとなったことをきっかけに、政権与党の実力者・財界の要人らと数十年にわたって深い関係を築き、アメリカ有数のジャパン・ウォッチャーとして知られるようになった[1]。 コロンビア大学で東アジア研究所所長・政治学部教授として長くアメリカにおける日本地域研究を主導する役割を果たしたほか[2][1]、日本でも東京大学客員教授、慶應義塾大学客員教授などを歴任。 ニューヨーク生まれ。ジャズピアニストを志してニューヨーク州立大学音楽学部に進学する。その後1962年にニューメキシコ大学社会科学科(西欧地域研究専攻)を卒業、1964年コロンビア大学大学院政治学修士課程修了(国際関係専攻)、1969年同博士課程修了。1968年にコロンビア大学からPh.D.取得[3]。 コロンビア大学政治学部助教授(1969 - 1972年)、同准教授(1972 - 1976年)を経て1976年に同教授となる(のちに、ジョン・ウィリアム・バージェスの功績を記念して設置されたバージェス記念講座教授に就任した)。1974年から1990年まで同大東アジア研究所長。 コロンビア大学着任後、日本政治の研究と並行して日米関係の民間対話活動にも尽力し、とくに戦後初の本格的な対話枠組みとして発足した下田会議などへの参加で知られる[4]。またデビッド・ロックフェラーが立ち上げた日米欧三極委員会にも加わって訪中し鄧小平らとの面会を果たしている[5]。 コロンビア退任後は東京財団の名誉研究員などを兼務しながら日本政界の調査研究を続ける[6]。また日米交流を橋渡しする数多くのスカラシップや団体の立ち上げに奔走してきたことでも知られる[7][2]。 専門分野は日本の政治外交、比較政治学、日米関係、米国のアジア政策[1]。 大学院生のときに駐日アメリカ大使館の知人を通じて、当時、自民党の若手実力者として頭角をあらわしつつあった中曽根康弘の知己を得る[2]。カーティスが博士論文執筆のための選挙現場取材を申し込むと、中曽根は大分の選挙区を紹介した[2]。これが1967年第31回衆議院議員総選挙における大分2区の自民党衆議院議員候補となる佐藤文生陣営で[2][8]、以後1年間にわたってカーティスは佐藤やその支援者らと寝食を共にして日本の「ドブ板選挙」の実情を克明に目撃することになった[2]。 カーティスはこの取材をもとに、立候補から初当選までの日本の選挙運動をテーマとする博士論文を執筆。これが日本でも『代議士の誕生』と題して邦訳が出版され、外国人による斬新な選挙分析としてベストセラーとなった[2][9]。 後年カーティスは、このときの佐藤の協力は徹底しており、選挙資金をおさめていた事務所の金庫の中身すら佐藤がカーティスに公開したと振り返っている[2]。 以後、堪能な日本語能力を駆使して政治の現場に深く入り込み、買収や恫喝も飛びかう日本の古い選挙の実態をつぶさに取材・調査する文化人類学的手法を開拓した[1][2]。その過程で自民党を中心に中央政界の要人らに接近し、とくに中曽根のほか三木武夫や竹下登とは、彼らが入閣候補者へ電話をかける現場に立ち会うほど深い関係を築いたことで知られる[10]。こうしたことから、日本政治に関するカーティスの知識や判断はアメリカ政府の東アジア政策・対日政策にすら影響するようになったともささやかれ[11][2][1]、70年代にカーター大統領が再選をめざしたさいには政権参加の打���を受けたとされる[12]。
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和五年(2023)12月1日(金曜日)
『中国の代理人』、最後の『パンダハガー』の大物
怪物キッシンジャー、毀誉褒貶のなか、百歳の大往生
*************************
1971年、世界に孤立していた中国に「利」を説いて近づき、反米路線を大胆に修正させたリアルポリティックスの体現者は、その北京秘密訪問が劇的だったので、なぜかアメリカ外交の立役者のように言われた。
じっさいに現在のホワイトハウスの対中影響力よりヘンリー・キッシンジャーの立場は強いと評価された(台北タイムズ、12月1日)。なお中国語のメディアはキッシンジャーを基辛格(環球時報、連合報)、季辛吉(台湾『自由時報』)と書く。
キッシンジャーは1969年から1977年までの八年間、米国外交の舵取りを担った。ロックフェラ-の外交顧問だった彼を政権に招き入れたのはリチャード・ニクソン大統領だった。
ニクソンとキッシンジャーが、外交で重視したのはリアリティであり、モラルやイデオロギーより優先し、力の均衡で冷戦構造を形成した文脈では戦後米国外交の立役者ニクソンと並ぶだろう。
ところがFBIの工作でウォーターゲート事件のスキャンダルに襲われたニクソンがレイムダック入りした時期に、キッシンジャーはするりと外交の主役の座をもぎ取っていた。
従来の歴史学に重点に置いて学説、地政学の伝統に囚われてき外交を、リアルポリティックの実現に結び、米中関係の回復、ソ連の孤立化を導き出した。これは元来、ニクソン大統領の発想だった。ところが、北京秘密訪問を演じたキッシンジャーにスポットが当たった。
当時、NYタイムズにでた風刺漫画を筆者は鮮明に記憶している。
ニクソンとキッシンジャーがホワイトハウスの庭を歩いている。柵外からみていた見物人が言う。
「ところでキッシンジャーのとなりにいるのは誰だい?」
キッシンジャーは泥沼に嵌まっていたベトナム戦争を早期終結されるため、ラオス、カンボジアのホーチミンルートに秘密爆撃をなして圧力をかけ、ベトナムと交渉し、停戦をもたらす「功績」があった。
これでノーベル平和賞をうけたのが、彼の絶頂だったのではないか。
「あのノーベル賞はいかがわしい」とする世評をよそに、トニー・ブレア元英国首相などは「外交を芸術にした」などと褒めあげた。「和製キッシンジャー」と言われた若泉敬(佐藤栄作時代の沖縄返還の密使)は、「キッシンジャーの著作に書かれたことを信用するな」と言っていた。
NYタイムズのコラムには「偽善者」というコラムが掲げられた(11月30日)。
キッシンジャーは中東和平でもエジプト、シリアを説得し、中東地域の秩序と安定を優先させたが、最大の成果はサウジアラビアとの密約で「ペトロダラー体制」を構築したことである。
▼リアリスト外交官の光と影
一方でキッシンジャーはチリの軍事クーデターへの介入など暗い面も多く、セイモア・ハーシェ、オリバー・ストーン等はキッシンジャーを「戦争犯罪人」と呼んだ。ニクソンを継いだフォード政権下��引き続き米国外交を担い、ときに大統領よりパワフルだった。
「中国は一つ」という幻影を作り上げたのはキッシンジャーであり、北京訪問は百回を超えたが、台北へは一度も足を踏み入れなかった。『中国の代理人』の面目躍如だ。
「台湾問題は解決不可能。戦争を避けるには時間の経過をまって、米中の話し合いでしか前進はない」などと台湾を不快にさせる発言が連続した。台湾はキッシンジャーを評価しないのも当然である。
1977年に理想主義を掲げたジミー・カーター政権が誕生すると、晴れ舞台をさった。替わって安全保障担当の大統領補佐官となったのはポーランド系ユダヤ人のズビグニュー・ブレジンスキーというグローバリスト、中国礼賛学者だった。
大統領当選前の1976年にカンザスシティで開催された共和党大会で、ロナルド・レーガン「キッシンジャーとフォードの下でこの国は、二番手になることは致命的ではないにしても危険な世界で、軍事力で第二位になった」と指摘していた。
米国の保守派はキッシンジャーを首肯していなかった。
1981年から82年までのレーガン政権では、キッシンジャーは共和党主流派から遠ざけられた。レーガンの支持者の多くがキッシンジャーを蛇蝎の如く嫌った。「反共」の信念が希薄だと言うのである。
このため、かれはロビィ活動と著作活動で、外野席からの影響力を保持した。
キッシンジャーは1982年に親中ロビィ団体「キッシンジャーアソシエイツ」を設立し、スコウクラフトら歴代大統領補佐官を政権中枢の送り込み、事実上の中国外交を舞台裏で担う。最大の顧客は北京だった。
晩年にニクソンは言った。
中国の不気味な台頭に「われわれの意図に反して、フランケンシュタインをつくってしまったのではないか?」。
米国外交は道を誤った。
キッシンジャーは、結果的に「中国の代理人」だったことを忘れてはならないだろう。だから中国はキッシンジャーが訪中すると特別待遇で報い、五月の百歳誕生日にはわざわざ王毅外相がNYの国連本部に近いキッシンジャーのオフィスに挨拶に訪れ、七月の訪中でも習近平がじきじきに会った。
▼米国が中国の脅威を認識するに時間がかかった
中国が軍事大国としてのしあがり、アジアの脅威となると、対中国スタンスを徐々に変えたのはオバマ政権後半からだった。
だが、オバマ政権は外交的手腕のないブレーンで周りを固めたため、大胆な方針の切り替えは出来ず、トランプの登場を待たなければならなかった。
トランプは就任前にキッシンジャーをNYのトランプタワーに呼んだ。しかし彼の言うことを「聞き置く」だけで、はっきりと安全保障���面では中国敵対路線に切り替えた。
この基本方針だけはバイデンも踏襲した。つまり、トランプ政権誕生でキッシンジャーの神通力は消えていたのだ。
キッシンジャーが拘わった各国は如何なる反応をしたか?
中国は「中国を理解した最大の友人を失った」とし、「米中時代の終わり」という論調が華字紙に溢れた。
インドは「彼は一度、インドを蹴飛ばし、やがて近寄ってきた」(『ザ・タイムズ・オブ・インディア』、12月1日)と評価は冷たい。
イスラエルは「ユダヤ人ならびにイスラエルにとって、キッシンジャーは英雄であり、また悪人である」(『ハーレツ』、11月30日)
米国は「毀誉褒貶甚だしいが、かれが冷戦構造を形成した」(NYタイムズ)
「権力こそが最大の媚薬であると信じた世界情勢の巨人」(英紙『タイムズ』)
キッシンジャーは反日家だった。日本での講演はべらぼうな額をふっかける「商売人」の側面が強くあった。
それはともかくとして、現在のブリンケンもサリバンも、最後のパンダハガーの威圧的風圧に比べるとその力量たるや、軽い、軽い。
平林たい子が中曽根を評して「鉋屑(かんなくず)のように軽い」としたが、バイデン政権における米国外交の担い手たちの軽きこと!
▼ロシアはいかなる反応を示したか?
モスクワタイムズは次のように報道した(11月30日付け)
「キッシンジャーは、冷戦時代に米国のソ連との緊張緩和の主要な立案者として、米国の外交政策だけでなく、ロシアの外交政策にも消えない足跡を残した。ウクライナ戦争中、ロシアと米国の対立が激化していることに深い懸念を表明する一方で、ウクライナのNATO加盟支持を途中から(23年5月から)主張するようになった。」
英誌『エコノミスト』で、「もし私がプーチン大統領と話したら、彼もまた、NATO加盟国であるウクライナのほうが安全だと言うだろう」とし、ロシアと中国の関係の将来については懐疑的だった。
キッシンジャーは同誌のインタビューで続けた。
「両国間の制限のないパートナーシップの公式宣言にもかかわらず、北京とモスクワ双方での相互軽蔑を感じた。私は中国について良いことを言ったロシアの指導者に会ったことがない。そして、ロシアについて良いことを言った中国の指導者に会ったことがない」
クレムリン宮殿は下記のプーチン談話を発表した。
プーチンはキッシンジャー氏を「優れた外交官、賢明で先見の明のある政治家」と評し、「外交政策への現実的なアプローチはヘンリー・キッシンジャーの名と密接に結びついており、国際的な緊張緩和を実現し、世界安全保障の強化に貢献した最も重要なソ連・アメリカ協定を締結することを可能にした」と評価した。ホンネとはと��ない。

最後にキッシンジャー路線とは距離をおく情勢の流動化のなか、米国の「レーガン基金研究所」が11月30日に発表した世論調査では「中国が台湾侵攻した場合、アメリカ国民の72%が台湾独立を支持する」とした。
NYタイムズは台北総督府で蔡英文総統にインタビューを行った。これも異例の珍事である。
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<Hemingway’s Fly Bottle (*1)/Another Heart (*2)>
7/21/2024 (The 125th Anniversary of Hemingway’s Birth)
by Masahide Kobayashi 6.6 (φ) × 35.5 (H.) cm 364 g Mixed Media
Slightly Iridescent Clear Bottle with Octagonal Lower Half and Round Upper Half (Glass)
Folded/Woven-blade Silver-grass-hopper (Plant Fiber)
Pine Stick (Plant Fiber)
Chocolate-colored Thong (Leather)
(*1) [https://www.mutualart.com/Artwork/Flies-in-a-Bottle/1A3B028FC320BED32F4E681CC2D0615F]
(*2) [https://reslater.blogspot.com/2011/07/big-two-hearted-river.html]
<ヘミングウェイのフライ・ボトル (*1)/もう一つの心臓 (*2)>
7/21/2024 (ヘミングウェイ生誕125周年記念日)
小林正秀 作 6.6 (φ) × 35.5 (H.) cm 364 g 混合材
下半分が八角面取りされ、上半分が丸い、僅かに銀化した透明瓶 (ガラス)
バッタの形に折った/編んだススキの “折り葉”/草編み玩具 (*3) (植物繊維)
松の木の小枝 (植物繊維)
チョコレート色の紐 (革)
(*1) この言葉は、デヴィッド・ハモンズの (何本かある “ボトル・アート” の中の) 少なくとも6本は数えられる “フライ・ボトル” の連作の一つ、<ボトルの中のフライ (瓶の中の蝿)>の題名に負っている ([https://www.mutualart.com/Artwork/Flies-in-a-Bottle/1A3B028FC320BED32F4E681CC2D0615F])。

この連作では、透明な瓶の内側に接着剤で貼り付けたジッパーの引手を、止まった「蝿=“fly”」に見立てているわけだが、“fly” は「ズボンのボタンやジッパーを隠す覆い布」の意味もあって、恐らくこの縁語から、この見立てが思い付かれたのではないだろうか。
この作品のボトルは連作中唯一「ペット=“PET”」だが、上述の「6本」の中には拙作同様ガラスのボトルもあり––––

([https://newyorkarttours.com/blog/art,artist,contemporary,critic,exhibition,gallery,newyork,photography,sculpture,tour,visualart/bottles/]-右から四本目のワインの瓶)––––また、上述「6本」の内の残る4本は、ガラスはガラスだが、「ボトル (細首/細口瓶)」ではなくて「ジャー (“jar”=広口瓶)」である

([https://www.mutualart.com/Artwork/Fly-Jar/624F86C99BE1B1E9]/

[https://www.mutualart.com/Artwork/Fly-Jar/01A3D05CA4FFA6D7]/

[https://lesoeuvres.pinaultcollection.com/en/artwork/one-stone-head]-1994/

[https://greg.org/archive/2024/03/02/shoo-fly-shoo.html]-1994-蝿が黒人で瓶がニューヨーク市ハーレムの「ゲットー (“ghetto”)」を表しているとのことだが、今は瓶がガザで蝿はパレスチナの子どもたちに見えてならない)。
拙作の「フライ (“fly”)」 は、蝿ではなくて「釣りの擬似餌=ルアー (“lure”) の一種である毛鉤 (“fly”)」––––飛ぶ (“fly”) 虫であるバッタ (「飛蝗」) の形に折った (折り紙ならぬ) “折り葉”/バッタの形に編んだ「草編み玩具」(*3) ––––である。
(*2) この言葉は、ヘミングウェイの最初の本格的な短編集である《我らの時代に = In Our Time》(1925 刊) に収められた〈大きな、二つの心臓のある川 = Big Two-Hearted River〉(1924-5 執筆) の題名に負っている。
この小説の第二部に、革紐で首から下げたバッタを入れたガラス瓶––––拙作の題名で言えば “フライ・ボトル”/原文では “グラスホッパー・ボトル” ––––が胸にぶつかって揺れたとあり、そこから、この瓶を、胸中の心臓の近くで揺れる胸外の “もう一つの/(二つある内の) 二つ目の心臓” に喩えた。
「かれは空の瓶を手にすると…草地に行った。……餌にするバッタを捕まえたかった。おあつらえむきのバッタが一杯…草の…根もとにいた。……中ぐらいのサイズの茶色いバッタを五〇匹くらい瓶に入れ…/…栓がわりに松の枝を押し込んだ。それで、バッタたちが逃げ出せないくらい瓶の口はふさがったし、通気にも問題なかった。/////// かれは…バッタの入った瓶の口を革紐で片結びにして、首から下げて、流れの方へと降り…た。…/… バッタの入った瓶が胸にぶつかり揺れた」––––アーネスト・ヘミングウェイ著, ニック・ライアンズ編, 倉本護訳『ヘミングウェイ釣り文学傑作集』木本書店, 2003, pp.46-8。
“he took an empty bottle and went…to the meadow. …Nick wanted to catch grasshoppers for bait…. He found plenty of good grasshoppers…at the base of the grass…. ……Nick put about fifty of the medium browns into the bottle. …/……Nick put in a pine stick as a cork. It plugged the mouth of the bottle…, so the hoppers could not get out and left plenty of air passage. /////// He started down to the stream, …the bottle of grasshoppers hung from his neck by a thong tied in half hitches around the neck of the bottle. …/…The grasshopper bottle swung against his chest.” –––– “Hemingway on Fishing” : Ernest Hemingway; edited by Nick Lyons, Lyons Press, 2000 ([https://www.amazon.com/Hemingway-Fishing-Ernest/dp/1585741442/ref=sr_1_1?crid=3ILB53P3QFMOI&dib=eyJ2IjoiMSJ9.JjbqJHremWZ5h_HnJQ9i8Q.bYOfxz8ItEOecHZymhUdroQz23LL5duJsEuP2ywH-Bw&dib_tag=se&keywords=hemingway+on+fishing%2C+lyons+press&qid=1718868802&s=books&sprefix=hemingway+on+fishing%2C+lyons+press%2Cstripbooks-intl-ship%2C251&sr=1-1]), pp.13~6.
この本の写真頁 (上掲ハードカヴァー版原書には有るがスクリブナーズ社刊のペーパーバック版には無い) の7枚目に––––「1916年頃、釣行でのE・ヘミングウェイ。『大きな、二つの心臓のある川』で描かれるバッタを詰めた瓶を首にかけている」(“EH on a fishing trip, c. 1916. Note the grasshopper-holding bottle around his neck that would find its way into ‘Big Two-Hearted River.’”) ––––とのキャプションが付された写真が収録されている。

つまり彼がまだ高校卒業前の––––(卒業を目前に兵役志願するも左眼弱視で叶わず、代わりに) 1918年の春、赤十字野戦病院輸送車の運転手に志願して北イタリア戦線に配属され、2週間後には19歳の誕生日を迎えるという7月8日の深夜にヴェネツィアの30キロ北東を流れるピアーヴェ川西岸のフォッサルタ・ディ・ピアーヴェで (一説によるとイタリア兵にチョコレートを配っていた時に) オーストリア軍の迫撃砲弾と機銃掃射を浴びて重傷を負う前の––––この写真は、上で引用はしなかった瓶以外の装備……竿や手網や、肩から吊るして膝下まで長く垂らした (釣った魚を水中で生かしておく生簀としての) 布袋や、(これは中が見えないので作中の記述に従っての推測だが)「ランチや毛鉤入れ帳でふくれ上がっ…た」「シャツの胸ポケット」(同上 p.48) 等……も含めて、作中の描写にそっくりである。
この小説は、(3ヶ月の入院と10数回にわたる237個の砲弾破片・銃弾摘出手術を経て帰国後の) 1919年9月に、昔のように友人らと釣りに出掛けた体験を基に、(しかし作中では彼らを消して主人公のニック唯一人が) 大自然との遣り取りを通して、戦場だった “彼の川” での心身の傷を、平和な “此の川” で癒し回復して行く過程を表した作品だが、このバッタ=“grasshopper” は––––彼自身も含めた––––戦火に追われ傷つけられる犠牲の草の根の民=“grassroots” を表しているように思う。
例えば第三短編集収録の〈人こそ知らね = A Way You’ll Never Be〉(1932執筆, ‘33刊) の中でも––––「この軍服を着た…数万の兵隊が、バッタ (ローカスト) の大群の如くやって來るよ」(谷口陸男訳, 三笠書房版全集1, 1955, p.156, 但し (ローカスト) は元文では行間に振られたルビである:“you will see…millions wearing this uniform swarming like locusts”-[https://gutenberg.ca/ebooks/hemingwaye-winnertakenothing/hemingwaye-winnertakenothing-00-h.html#story06awayyoullneverbe]-par.100)––––という風に、(確かに揃いの軍服を着て揃いの行動をする軍団を、「相変異」を起こし「群生相」となって飛来襲撃するバッタの群団になぞらえるのは極く常識的で常套的な連想とは言え) 徴集された民衆兵がバッタになぞらえられ、また “此の川” の岸で瓶に入れられたバッタも元は「草の…根もとにいた」(“They were at the base of the grass”) のであり、更には、小説の第一部で主人公は (戦火の換言に他ならぬ) 火事で焼き尽くされた町シーニー (Seney) を通り過ぎて行くわけだが、そこで見たバッタは––––「どれも煤けて黒い色をしていた。……焼け野原で暮らしているのでみな黒く変色してしまったのだ…。火災は一年前だった…が、バッタは今もみな黒く変色している…。いつまでこんなふうに変色したままの姿なのだろう、とかれは思った。…/『さあ、行くんだ、…どこかへ飛んでゆけ』/ かれはバッタを空中に投げ上げ、道の向こう…へと飛んでゆくのを眺めた」(同 p.36)––––のである。
この末尾は犠牲からの治癒と回復への希望・願望だが、バッタの犠牲面に絞ってここで更に付言すると––––これは拙作の瓶の銀化とも結果的に照応してくるのだが––––この黒いバッタの「ほこりをかぶった背中や頭…は虹色だった」(同上, “it was … iridescent where the back and head were dusty”-ibid.)––––という。そしてこの虹色=“iridescence” は、実は、上で触れた第三短編集収録の別の短編〈死体の自然誌 = A natural History of the Dead〉(1929-21執筆, ‘32+’33刊) の中の、兵士の死体を自然誌的に描写した箇所にも出てくるのである。––––「暑いところに…放って置かれると肉はコールタールに似てくる。特に損傷した箇所には、タールの表面に見られるような虹色の光彩が現れる」(“If left long … in the heat the flesh comes to resemble coal-tar, especially where it has been broken or torn, and it has quite a visible tarlike iridescence”-[https://gutenberg.ca/ebooks/hemingwaye-winnertakenothing/hemingwaye-winnertakenothing-00-h.html#story11anaturalhistoryofthedead]-par.8-l.4)。……つまりこのバッタたちは “生きている死体 (the living dead)” なのである。
そして終いには、この「道の向こう」の……第二部の瑞々しい緑の渓谷に生きる健康なバッタたちもまた、瓶の中に囚われた後は生きたまま魚の餌として犠牲になる運命にある���けで、その心臓は––––一寸のバッタにも五分の心臓がある––––主人公の胸の前で同じ鼓動を打つ同じ犠牲の草の根の民であることを証しているのである。……この瓶は、彼のもう一つの––––川ならば湧き/噴き出る水源としての––––心臓に他ならない。
周知のようにシーニーの町の側を流れる川は、実際はたったの3文字から成る単純な1音節名詞1語のフォックス川=Fox River なのだが、彼はそれを、その遥か北東に在る––––3文字+7文字の2語3音節から成る長く複雑な形容の––––川の名と取り替えている (これに Big も加えた形容全体の構造/型式は……あの倭建命の「{倭は国の眞秀ろば} 畳なづく青垣 山籠れる 倭 {し麗し}」にも似た……第三短編集収録の〈清潔な、明るい光の差し込むところ = Clean, Well-Lighted Place〉という題名と同じである)。
(via [https://reslater.blogspot.com/2011/07/big-two-hearted-river.html])
この “grasshopper” への “grassroots” の仮託は、旧約の『イザヤ書』(Is. 40–22~24) の昔から––––「主は地球のはるか上に座して、地に住む者をいなごのように見られ……また、…無きものとせられ、…むなしくされる。彼らは…植えられ、…まかれ、…地に根をおろしたとき、神がその上を吹かれると…枯れて、わらのように…風にまき去られる」(日本聖書協会『旧約聖書』1955年改訳 p.998) ––––と有るように、極めて馴染み深いもので、例えば現代の絵画でも––––Web 上では今はこの<赤バッタ、青バッタ>しか画像が見出せない

([https://www.nihonbijyutukai.com/anpan/archives/archives57])––––長谷川匠のバッタ連作が思い出される (「なお,伝統的に日本では,聖書…や欧米の文学書など…,飛蝗…を〈イナゴ〉と訳してきたが,これは〈バッタ〉と訳すべきものである」-[コトバンク-バッタ-改訂新版 世界大百科事典]=[https://kotobank.jp/word/バッタ-115128#goog_rewarded]-山崎柄根執筆部分より)。
この、聖書からの引用という繋がりで––––否、この短編集が刊行された百年前と今が何一つ変わらぬ戦火/戦禍の拡大/継起の時代だからという繋がりで––––最後に一言付け加えるが、この短編集の題名《我らの時代に》は……ヘミングウェイの作品 (と、併記するのは気が引けるが拙作) の題名が多くそうであるように……ある出典からの引用で、それは、英国国教会 (“Church of England”) の『祈祷書』(“The Book of Common Prayer”) の「晩祷」(“The Order for Daily Evening Prayer”) の中の––––「おゝ主よ、我らの時代に平和を与えたまえ」(“Give peace in our time, O Lord”-[http://justus.anglican.org/resources/bcp/1928/BCP1928.pdf]-p.31-l.9)––––だという。
(日本聖公会の1895年版『祈祷書』-[https://dl.ndl.go.jp/pid/824979/1/1] では、この言葉は「晩祷」ばかりでなく「早祷」にもあって、どちらも會師の先唱 :「主よ。我らの生涯泰平をあたへ給へ」で、また、これに対する會衆からの応/答唱は「地のはてまで戦争をやめしめ給へ」([ibid.-1/34],[ibid.-1/45]) であり、戦後の1959年版では、司式者先唱 :「主よ、この世を安らかに治めたまえ」と、会衆応/答唱 :「地のはてまで戦いをやめしめたまえ」である-p.73, p.84)。
……いずれにせよ、この、記されず/発せられず/海面下に沈んで隠された氷山の言葉を––––それをヘミングウェイの非情と反語がどう捉えていたかは別��して––––私たちは私たちの「我らの時代に」、今一度新たに/改めて思い発 (おこ) す必要があるのではないだろうか。
(*3) 新崎宏『手遊び 草編み玩具 第1巻』琉球新報社, 2011, pp.62~3 (沖縄型)/ 65~7 (普及型)/ 69~74 (中国型)。
[https://www.youtube.com/watch?v=mxb3Z399GNM]。
[https://www.youtube.com/watch?v=I_opJ2xl_Fk]。
追記
1989年の3月13日から4月8日にかけてパリの【Galerie 1900 ▾ 2000】で開催されたジョゼフ・コーネル展のカタログ–––– Edouard Jaguer, “Joseph Cornell”, ©1989 The Joseph and Robert Cornell Memorial Foundation [https://nostos.jp/archives/363284] ––––には、 いずれも1933年頃の作とされるコーネルの4本の “ボトル・アート” ––––色々な物品が中に入れられた沢山の小瓶を一つの箱に収めた広義の “ボックス・アート” とは異なる “一本瓶もの” の作品––––の写真図版5枚が収載されている。
その内<無題 (中国の瓶)>(p.20) と<無題 (月の瓶)>(p.21) の2枚=2作品はカラーで、


3枚の白黒は、<無題>と、<無題 (バッタの瓶)>の全図 (p.22) とその部分拡大図 (p.11) である。



<…中国の瓶…>に入れられた活版印刷本の頁らしき巻かれた紙の右端一行は、漢字に [平仮名のルビ] を振った漢字+平仮名交りの日本語の文章で––––「食物 [しょくもつ] を與 [あた] へて汝 [なんぢ] ‥ 今 [いま] より我子 [わがこ] ‥ 做 [な] れよと云 [い] は」––––と読め、従ってこれは、<…日本の瓶…>と改めた方が良いのではなかろうか。
それはともかくとして、コーネルにも<…バッタの瓶…>が有ったということだが、このバッタは、(解説も無く拡大図でも判別し難いのだが) ひょっとすると腹の下にゴムの吸盤が付いていて、何かに押し付けて初めのうちは平らに伏せて耐えているが、そのうちに吸盤の効力が失われて針金の脚のバネの反発力で突然跳び/跳ね上がるブリキの玩具の「跳ねバッタ」––––(例えば[https://www.ebay.com.au/itm/181510296673] 、[https://www.jataff.or.jp/konchu/obj/obj30.htm] 、[https://www.amazon.co.jp/ノーブランド品-q1145510112-ブリキのおもちゃグラスホッパー雑貨ブリキ玩具品駄菓子屋懐かしコレクション絶版品バッタレトロ品珍品/dp/B0D9WKKWX4] のような) ––––かもしれない (但し写真を見る限りでは吸盤は……初めからなのか、後で取れたのか、は兎も角として……付いていない)。
なお、1980年のニュー・ヨークMoMa でのジョゼフ・コーネル展の図録 ([https://nostos.jp/archives/49182]) には、反対側から異なる角度で撮られたと思われる内容物品の配置が違うこの瓶の白黒写真図版 (Pl. 12)

が掲載されている。
(10/14/2024)
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■欠陥「畜安法」と二人の〈わたなべ〉 〈酪農有事〉の今後を考える前に、概算要求の夏以降の農政展開に影響する動きを見よう。官僚トップを筆頭に大幅入れ替えとなった農水省幹部人事だ。 3日付「酪農『有事』を追う」(中)で、バター追加枠4000tが「国会閉幕後に公表」となった内実を書いた。実際に、国会を閉じた直後の週明け早々農水省にとって重要な数日となった。 6月26日水曜日夕方には、生乳需給緩和の中でのバター輸入枠大幅拡大の発表とともに、水面下では事務次官をはじめ局長級幹部人事が固まった。バター追加輸入、幹部人事とも実質的に森山裕、江藤拓氏ら自民農林幹部の事前了承が欠かせない。 6月28日正式発表した農水幹部人事は興味深い。今回の企画で何度か言及した「改正畜安法」とも関連する〈畜酪人脈〉が顔をそろえたからだ。 まずは、筆者も酪農問題で何度か取材した農水2トップである二人の〈わたなべ〉。事務次官に渡辺毅(官房長)、国際担当の農水審議官には渡辺洋一(畜産局長)両氏が就いた。 渡辺次官は生産局畜産部長時代に改正畜安法に伴うMMJなど系統外生乳業者の対応が問題になった。さらには畜酪部門が20年ぶりに畜産局に昇格となった時の局長・渡辺洋一氏には年明けに「改正畜安法が生乳需給問題で支障をきたす」と訊いたことがある。二人とも食料・農業・農村政策審議会畜産部会でも関係者から「改正畜安法」の課題を何度も指摘を受けてきた。この欠陥法と今日の〈酪農有事〉をある程度認識しているはずだ。 ■二人の牛乳乳製品課長経験者 次に局長人事。筆者もかつて何度か取材を重ねた二人の牛乳乳製品課長経験者が就いた。森重樹輸出・国際局長(東海農政局長)と松本平畜産局長(農産局農産政策部長)だ。 森氏の同課長就任は2014年と「官邸農政」による農協改革、TPP最終局面の時期と重なる。松本氏はより直接に酪農制度改革の渦中にいた。2016年に同課長に就き、加工原料乳生産者補給金等暫定措置法(いわゆる酪農不足払い法)を廃止し、現在の「改正畜安法」へと改変する担当部署を担った。 松本氏にも課長時代に改正畜安法の問題点、特に指定団体による生乳全量委託廃止と「二股出荷」、用途別需給調整問題で何度か疑問を呈した。当時の疑問、課題が今日、系統外生乳流通50万tへの拡大など新たな問題点を含みながら、〈酪農有事〉に至っているのは間違いない。 ■奥原元次官「生乳改革は農協改革の一環」 現在の〈酪農有事〉の一因となっている「改正畜安法」制定の根源は10年前の農協法改悪に行き着く。当時を振り返ろう。酪農危機の今後の打開策にも結び付くはずだ。 TPP合意と同時進行した農協改革は、2015年前後の全中の農協法外しの次に、全農改革と生乳制度改革がテーマとなる。推進したのは農水省側が経営局長を経て2016年6月に農水次官に昇格した奥原正明氏。自民党は小泉進次郎農林部会長とその後見役の農林幹部・西川公也氏だ。バックにいたのは安倍晋三首相の意を呈した菅義偉官房長官である。 奥原氏は「生乳改革は農協改革の一環だ」と明確に認識していた。当時、取材中にたびたび農水省の大野高志畜産部長から「奥原次官が生乳改革と独禁法違反を結び付け、さらには全中の動きを気にしている。何かあったのか」と聞かれた。先述した松本畜産局長は当時の牛乳乳製品課長で大野氏の直属の部下だ。 奥原氏の農協組織への不信感が大きかった。さらには、「生乳流通を単線型ではなく複線型にして、適正な競争と多様な取り組みが必要だ」「農協を通さないと補助金が出ない仕組みは、農業者に農協利用を強制することにもなる」と考えていた。 要するに奥原氏は初めに農協改革ありき、農協一元集荷を担保する現行指定団体制度の撤廃ありきだった。一方で、酪農問題の本質を何もわかっていなかったのだ。 生乳は2時間で品質劣化する生鮮品であること。今にも通じる北海道酪農の父・黒沢酉蔵の「健土健民」の意味。チーズ早期自由化の失政、酪農家と巨大大手資本との闘いの歴史。もともと畜安法の一部だった酪農を1966年に加工原料乳不足払い法として独立させ指定団体を通じ補給金直接払いをすることで生産振興させたこと。商系乳業対抗へ北海道農協乳業(現よつ葉乳業)の設立。1972年JA全農設立と同時に誕生した「農協牛乳」の狙い、指定団体の一元集荷多元販売による乳価交渉、配乳権行使の歴史などを一切無視、あるいは軽視して規制緩和、自由化、競争力強化の3点セットで不足払い法廃止、改正畜安法へと突き進んだ。だが、肝心の酪農家の所得向上には逆行することになる。 ■打開のカギは日本型水田酪農と全参加型需給調整 ではどうやって〈酪農有事〉を打開するのか。 まずは「改正畜安法」の抜本見直し。これまでも食料・農業・農村政策審議会畜産部会で関係者から問題点が数多く提起され、実際に農水省は省令改正で対応してきたが課題解消には程遠い。法律の建付けが制定時の生乳需給ひっ迫を背景に流通自由化に重きが置かれているためだ。 だが、状況が180度違う現在の需給緩和期に対応できていない実態を直視すべきだ。「改正畜安法」の見直しに関し須永新平牛乳乳製品課長は「時計の針を戻すことはできない」としているが、重要なのはスクラップ&ビルトではないか。需給安定を通じた酪農経営・所得の安定のために法律の中に全参加型の需給調整を明記すべきだ。 系統、非系統参加の関係会議開催などで需給調整対応を論議中だが、実効性のあるものにしなければならない。 今秋以降、今後10年の畜酪の在り方を決める次期酪肉近論議が本格化する。今後、生処販で構成するJミルクも将来戦略ビジョンを見直し、酪肉近提言をまとめる。その際のポイントも全参加型の生乳需給調整の仕組み構築だ。 ■輸入飼料依存の加工型畜酪は限界 日本農業の最大のアキレス腱である輸入飼料依存の加工型畜酪脱皮も主要テーマにすべきだ。安い輸入飼料に頼れる時代は終わった。飼料自給率をできるだけ引き上げるべきだ。国会で坂本哲志農相は、コストを理由に国産トウモロコシ確保に悲観的な意見を述べたが、難しくても子実用ト��モロコシ、青刈りトウモロコシの増産を政策支援で着実に実現するのが政治の役割のはずだ。このままでは飼料問題は日本農業の「時限爆弾」として残り続ける。 再生産を念頭に国産牛乳の適正価格実現とともに直接支払いも含めたセーフティーネット構築で日本型水田酪農、放牧酪農など多様な酪農展開が欠かせない。酪農は教育ファームをいち早く実践、定着させた食農教育の先駆者だ。ミルクの機能性は「脳腸相関」をはじめ未知の可能性で満ちている。新酪肉近には酪農乳業を生命創造産業として位置付けるべきだ。
【シリーズ・酪農「有事」を追う(下)】新酪肉近に需給強化と生命創造産業を 農水幹部人事に見る〈畜酪人脈〉と今後|JAcom 農業協同組合新聞
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私は外科医です。 私は医学部と厳しい外科訓練を経たので、回復力があり、うまく適応していると思いたいです。 私は医師になって13年になりますが、その期間の多くは、可能な限り優れた外科医になるための訓練に費やされてきました。 私には素晴らしい家族のサポートがあり、私の仕事を理解してくれる医師の妻がいます。そして私は精神疾患と診断されたことはありません。 ブリスベンの胃腸科医アンドリュー・ブライアント医師が先週自殺したことは、生々しい神経を直撃した。 彼の妻はこの正直で勇気ある手紙を書きました。 抱いたことはありませんが 私は深刻な自殺願望を 、他の多くの医師と同様に、暗い時期を何度も経験してきました。 うつ病、不安、燃え尽き症候群、自殺願望、絶望、無気力、無快感、気分の落ち込み、心配などはすべて、同じ現象、つまり内的または外的ストレス要因に対する人間の否定的な反応の異なる性質です。 もちろん、原因は常に複合的です。 家族歴、遺伝、行動の欠陥、劣悪な環境、不十分な社会的サポートなどに単純化しすぎてはいけませんし、そうすべきでもありません。 を注意深く分析すると 自分の暗い季節 、いくつかの共通のテーマが浮かび上がってくることがよくあります。 このような暗い時代においては、仕事が状況を悪化させ、永続させる重要な要因となることがよくあります。 外科医として、私は生涯の大部分を仕事に費やしているため、そこで何が起こるかは、結婚、家族、社会生活を含む私の人生の他のすべての側面に影響を与えます。 私を絶望の暗い穴に放り込んだ共通の事柄が 3 つあります。 1. コントロールの喪失 私は日々のコントロールを失ってしまいました。 私は病院で働いていましたが、14 日中 12 日は 24 時間年中無休でオンコールがあり、隔週の週末が休みでした。 外科試験の準備をしていたとき、私は毎日午前6時半から午後10時まで仕事と勉強をし、家族に会えるのは週末の昼食時だけでした。 私は 4 つのキャンパスをカバーする病院ネットワークで働いており、これらの現場を取材する際には週に 500 キロメートルを運転していました。 私は病院で働いていましたが、何日も家に帰れず、病棟や外来診療所のベンチ、車の中で一晩寝ていました。 、洗面用具、着替えを車のトランクに入れていました 私は寝袋 夜も家に帰れるかどうか分からなかったので、 。 緊急事態のため、職場では毎日計画が変更されます。 オンコール中は次の 1 時間がどうなるかさえわかりません。 なぜ仕事を減らすことができないのかと疑問に思うかもしれません。 そんなに簡単なことではありません。 私が仕事を減らすことにした場合、病院の費用は誰が負担するのでしょうか? 病院が他の医師を雇用していないのであれば、患者を野放しにするわけにはいきません。 私は待機する注意義務があるという事実を受け入れます。 このようなオンコール期間の激しさと人的被害は忘れられがちです。 それだけではなく、私たちは医療全般のコントロールを失いつつあります。 毎日、新しいフォーム、新しいガイドライン、新しいプロトコル、新しい医療ソフトウェア、新しいポリシーが登場し、すべて臨床医の活動を指示、制限、変更します。 これらのポリシーの中には、患者を診察していない人々によって書かれたものもあります。 コストを削減し、生産量を増やすために、医師や看護師の業務を再構築することに専念している有給業界全体が存在します。 2. サポートの喪失。 ただ想像します。 私の一日は朝6時に始まります。 朝起きると、完了していない退院サマリーの数と、完了しなければならないさまざまなコンピューターベースのモジュール (手洗い、プライバシー、患者の昇降など) を知らせる電子メールが届いていました。 ラウンドは午前7時に始まります。 記入が必要なさまざまな旅行書類、証明書、台本を持った 15 ~ 20 人の患者を診ています。 すべて電子医療システム経由で行う必要があり、使いにくく、ユーザーフレンドリーではなく、ログインに時間がかかります。その後、午前 8 時にオーバーブッキングされた手術リストを開始します。 7件の予約が入っています。 誰が手術リストに載るか、患者の順番については私には何も言えません。 最初の患者はまだ診察を受けていない。糖尿病患者は低血糖症だ。 幼児は機嫌が悪い。 自閉症の子供が逃げています。 通訳はまだ来ていません。 コンピュータはまだログインしていません。パスワードの有効期限が切れています。 一部の操作は他の操作よりも時間がかかることがわかっていたので、以前は操作リストを整理することができました。 しかし現在、予約オフィスは私の扁桃摘出手術にはすべて 14 分かかると判断しています。これはコンピューターに記録されている平均時間だからです。 スクラブした瞬間にタイマーがスタートします。 スクラブを外した瞬間にタイマーが停止します。 クリック。 クリック。 クリック。 劇場の予約には通訳の時間、治療前の期間、ICUへの転送が考慮されていないため、リストは遅れています。 担当の看護師は時間通りに終わるように私の首に息を吹きかけてくれています。 私は依然として各症例に約 14 分かかりましたが、チームは外部の臨床的理由により遅れています。 演劇チームは終わらせることに熱心で、すべてが急いでおり、間違いは必ず起こります。 その間、私は救急病院、一般医、その他の部隊からの 12 件の電話に対応しています。 現在までに 3 人の患者が救急病院で私を待っており、1 人は別の病院から飛行機で運ばれてきました。 運行リストの完成が遅れています。 私は急いでEDに行き、 インスタントコーヒーを 飲み干した。 それから午後の診療所に遅く到着しましたが、ここも予約がいっぱいでした。 クリニックの看護師たちは満足していません。 さらに多くの電話を受けながら、8〜10人の患者を診察しています。 私は複雑な手術について患者と話し合おうとしていますが、電話��事務手続きによって中断されてしまいます。 それから緊急事態に備えて劇場に戻ります。 この時点で私は失敗する準備ができています。 私は疲れていて、機嫌が悪くなり、頭はやるべき仕事でいっぱいです。 私は午後の回診をし、より多くの診察を受け、より多くの患者を受け入れ、手紙の口述筆記をします。 24 時間の通話期間中に最大 70 件の電話を受けました。 午後6時までに完全に疲れ果てました。 私はポテトチップスのパケットとジンジャービールを手に取り、書くはずだった書類に取り組み始めました。 今後数日間、事件のメモを見直します。 午後7時から8時の間に帰宅します。 夕食を食べて、子供たちを寝かしつけます。 再び呼び出され、緊急処置のために患者を劇場に連れて行きます。 夜中過ぎに帰ってきて寝ます。 深夜0時から朝6時までの間にさらに4回電話がかかってきます。 午前6時。 繰り返す。 私は日々のコントロールを失い、サポートも失いました。 実際にいつサポートを見つけることができますか? 同僚と人生について話す時間がありません。 家族と過ごす時間がありません。 友達と連絡を取る時間がありません。 医学部に足を踏み入れると、社会的なつながりは失われます。 人生の重要な出来事(誕生日、記念日、同窓会、学校の発表会、初めての散歩など)を逃した回数は数え切れません。 産科医が渋滞に巻き込まれたため、私は3人目を自分の手で出産しました。 翌朝、私は仕事に行きました。そうしなければ、12人の患者が手術を逃すことになり、2人の麻酔科医と約8人の看護師がその日の収入を失うことになるからです。 さらに重要なのは、手術リストのキャンセルは病院にとって多大な経済的損失となるため、管理者は満足しないでしょう。 どこでサポートを受けられるかはわかっていますが、実際には、いつ、どのようにサポートを受けられるのでしょうか? さらに、助けを求めて叫ぶ医師は正式に報告される可能性があり、そのため診療が制限され、場合によっては高額な医療費が支払われることになります。 助けを求めた研修生は成績不振のレッテルを貼られ、試用期間または是正措置を受けなければならない場合があります。 頻繁に宣伝されているサポートを実際に利用できない場合があります。 3. 意味の喪失 興味深いことに、上記の身体的および感情的ストレス要因は、私にとってはかなり対処可能です。 私は自分自身の身体的、精神的な限界を理解しています。 これらのストレス要因は疲労を引き起こしますが、仕事の興奮と知的挑戦は個人的に大きな満足感をもたらします。 瀕死のガン患者、緊急気道事故、複雑な病気の子供たちを相手にしているため、時々感情的に動揺することもありますが、なんとかやっています。 私に最大の苦痛をもたらしているのは、患者との有意義な臨床活動を奪う執拗な管理上の圧力であることをますます認識しています。 そして、これは多くの若い医師も同様に経験していることなのではないでしょうか。 かつて医学は有意義な追求でした。 今では面倒な業界になってしまいました。 医療の喜び、目的、意味は成文化され、無菌化され、プロトコル化され、工業化され、体系化されてきました。 医師はビジネスの網の中に囚われており、もはや崇高な職業ではありません。 若い医師の利他主義は、効率、生産性、主要業績評価指標という束縛に取って代わられています。 私自身の手術リストや診療所の整理についてはほとんど発言力がありません。 手術リストを再注文する権限さえも外科医から奪われている。 私が好きなこと(手術と患者の診察)は、測定され、記録され、ベンチマークされることです。 クリニックは予約が殺到しており、番号を確保するのが困難です。 患者と接するたびに必要な事務手続きは年々増加しています。 私が何をすべきか、そしてそれを行う最善の方法を指示するのは、臨床以外の部門が他にもたくさんあります。 合言葉は「費用対効果と生産性の向上」です。 に進みました ことを承知して医学の道 私は患者のために多くの犠牲を払わなければならない 。 私が実感しているのは、今日の現代医学において、医師はこの複雑な業界の数多くの商品の 1 つにすぎないということです。 それはもはや患者の問題ではありません。 病院の業務についてです。 患者満足度担当者、劇場利用担当者、患者フロー コーディネーター。 これらはすべてビジネス上の役割です。 外科医として、私は病院で 1 年間を過ごし、通勤中に笑顔で仕事に就くことができたことにとても感謝しています。 自分がやっていることが重要だとわかっていたので、長い日々を楽しみにしていました。 さらに一年、別の病院に入院したとき、私は仕事に行くのが怖かった。 電話に出るのが嫌いでした。 私は燃え尽き症候群になり、仕事でも家庭でも感情をコントロールできなくなりました。 私は本質的に攻撃的で無礼な人間ではありません。ただ限界に追い込まれ、仕事を取り巻く状況のせいで失敗しそうな人間です。 同じ外科医でも仕事は違う。 私を感情のコントロールを失うように押し込んだ力は、おそらく私たちの一部を自殺に追い込むかもしれない力と同じです。 一部の病院とそのビジネスにとって、私は外科医ではありません。 私はただの従業員です。 過労、焼損、交換可能。 医学への崇高な呼びかけは、医療業界としての官僚的な力によって窒息させられてきました。 私の考えに同意しますか、それとも反対しますか? 他にどのような「医師の闇」の問題が考えられますか?
医師であることの暗い側面 - DrEricLevi のサブスタック
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
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“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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日本人同士でも「些細な生活文化」の違いがカルチャーショックや摩擦を生む例は多く、 以下にジャンル別に簡潔な例をできるだけたくさん挙げます。
🍳 食事・食卓まわり
目玉焼きに醤油/ソース/塩こしょう/何もつけない
納豆に砂糖を入れるか入れないか
おでんに味噌をつけるかつけないか
カレーをスプーンで食べる/箸で食べる
パンにごはんを合わせるのはアリかナシか
弁当に冷たいまま食べる派/温めて食べる派
お米に梅干しをのせると汚れると嫌がる/OKな人
スイカに塩をかける派/かけない派
🚿 トイレ・風呂まわり
ウォシュレットを必ず使��/使わない
風呂は家族で続けて入る/毎回入れ替える
シャワーだけで済ますのが普通/失礼
歯磨きは風呂の中/洗面所限定
トイレ後の手洗いを必ずする/しない
家のトイレは男女で分ける/気にしない
温泉・銭湯で身体を洗ってから入る/いきなり入る
👨👩👧👦 家族との関係
両親に敬語/タメ口
親のことを**「お父さん/パパ/おやじ」**
家族の食事は毎回揃って食べる/各自自由
家族内での上下関係が厳しい/フラット
家にいるときも上下スウェットでOK/ちゃんと着替える
🧼 掃除・生活習慣
掃除機は毎日かける/週末だけ
洗濯物を夜干す/朝干す
布団を毎日たたむ/敷きっぱなしOK
靴を脱ぐ場所は玄関/玄関の外で
帰宅後すぐ手洗い・うがい/しない
外出着でベッドに寝るのはアリかナシか
💬 言葉づかい・コミュニケーション
「ありがとう」は頻繁に言う/言い過ぎはよそよそしい
「ごめんね」は軽く言う/あまり言わない
目上でもニックネームで呼ぶ/必ず敬称をつける
電話は一言目に名乗る/いきなり本題
メールやLINEに絵文字を使う/使わない
👫 対人距離・交際観
恋人でも手をつなぐのは恥ずかしい/平気
デート代は割り勘/男性が払う
異性との交際を家族に話す/秘密にする
飲み会でのお酌文化/セルフでOK
初対面でもフレンドリー/丁寧・形式的
🏘️ ご近所・地域文化
ご近所に挨拶を毎日/あまりしない
ゴミ出しの時間に厳格/適当でも黙認
回覧板を丁寧に回す/雑に回す
音の出る生活(洗濯・掃除・楽器など)は時間帯を厳守/気にしない
町内会に必ず入る/入らないのが普通
📚 教育・子育て
子どもに早くから敬語を教える/自由に育てる
子どもの勉強は親が積極的に見る/本人に任せる
お年玉の額は多め/少なめ
習い事は複数/一つに絞る
「叱る」ことは必要/否定的
🔚 その他
お正月は家族で集まる/どこかへ旅行
結婚式は神前式/チャペル式/しない
宗教的行事(お盆・法事)に積極参加/形式だけ
ご希望があれば、「世代別」や「地方別」「カップル間」「職場内」での事例に特化した一覧もお作りできます。
日本社会では、表面的には「中流的な同質性」が維持されているように見えますが、富の偏在・経済格差は、日常生活のごく些細なレベルに滲み出ます。 ここでは、特に意識されにくく、でも隠しきれずに表れる些細な生活文化のズレを、できるだけ簡潔に多数列挙します。
🛋️ 家・住空間まわり
玄関に靴がきれいに揃っている/靴だらけで雑然
玄関マットの有無/高級ブランドか100均か
インターホンの種類(カメラ付き/ピンポンだけ)
表札がある/ない
窓ガラスが曇っている/ピカピカに磨かれている
マンションの郵便受けの壊れ具合・落書きの有無
🍽️ 食生活
食卓にペットボトル/水差し/ウォーターサーバー
食器がバラバラ/統一されている
調味料が業務用/オーガニック/百均商品
おやつがスナック菓子/焼き菓子/フルーツ
米のグレード(無洗米/玄米/コシヒカリ/古米)
油がサラダ油/オリーブオイル/こめ油/ギー
魚を丸ごと買う家庭/切り身のみ/缶詰中心
👚 衣類・身だしなみ
Tシャツがヨレヨレ/アイロンがけされたシャツ
靴下に穴/同じ色で揃っている
洗濯物を外干し/浴室乾燥/ランドリー利用
部屋着が上下スウェット/ユニクロ/ブランド品
学生服の傷み・サイズ感/ランドセルの劣化
コートのブランド・手入れの有無
📱 モノの持ち方・使い方
スマホケースの汚れ・ひび割れ/清潔感ある保護
バッグがロゴ付きブランド/ノンブランド布袋
イヤホンが有線/AirPods/中華製の謎Bluetooth
傘がコンビニ傘/折りたたみ/高級傘
筆記用具が100均/文房具ブランド/何年も使い込まれたもの
🧼 清潔・衛生感覚
歯の黄ばみ・矯正・虫歯の有無
手の爪が短く整えられているか/伸びっぱなし
靴の汚れ具合/かかとのすり減り具合
カバンや財布の表面の傷・年季
手拭き用のハンカチを持っているかどうか
部屋の芳香剤の香り/無臭/カビ臭さ
🧒 子育て・教育まわり
子どもの習い事の数/種類(ピアノ、英語、塾など)
読んでいる本が漫画のみ/絵本・図鑑・学習まんが
自由研究の質:手書きで丁寧/印刷で美麗/丸写し
名前の書き方:漢字で丁寧/書きなぐり/カタカナ
親が子どもの宿題を見るか放置か
学校提出物が期限内/いつもギリギリ/未提出も
👫 人間関係の所作
お礼の手土産がある/ない
来客時にお茶を出す/出さない
言葉遣いが丁寧/荒っぽい/だらけた印象
LINEの文面が敬語/ため口/語���が粗雑
メールや申請書に誤字脱字が多い/丁寧で整っている
🏘️ 地域・移動・余暇
自転車のサドルが破れている/カバー付き/新品
車が軽・中古・外車・所有しないなどの選択
旅行が年に数回/日帰りのみ/全く行かない
休日の過ごし方:ショッピングモール/図書館/庭いじり/ギャンブル場
📚 教養・会話の中で滲む違い
漢字や敬語の使い方で育ちがにじむ
ニュースや時事の話題に無関心/興味を示す
「これ知らないの?」という一言に含まれる階層感
食材名・ブランド名・地名の発音ミス/正確さ
「エレベーターじゃなくて階段で」→健康志向/節約志向/エレベーターない住宅事情
💡まとめ:**
これらの違いは、あからさまではありませんが、日常の所作・物・空間にじわじわと「見えてしまう」ものであり、多くは「本人がそれを生活水準の差だと気づかないまま」露呈してしまうことが、静かなカルチャーショックや関係性の齟齬を生みます。
ご希望があれば、これらを「物語」や「場面対比」で描写したり、世代別・職場別のバージョンも作成できます。
あからさまに経済格差が可視化されやすく、貧困層にトラウマや劣等感を感じる可能性がある生活の違いを、ジャンル別に簡潔に列挙します。
🏠 住まい・環境
家が豪邸/タワマン/古い団地/築古アパート
部屋が広くて個室がある/家族で1部屋共有
冷暖房が全室完備/扇風機のみ/電気代を節約
庭がある/ベランダすらない
自室にデスク・ベッド/布団とちゃぶ台だけ
インテリアが高級家具/リサイクルショップ/段ボール代用
🚗 移動・乗り物
通学・通勤が送迎車/自転車/徒歩+乗り換え多数の公共交通
車が外車/新車のファミリーカー/ボロボロの軽/持っていない
旅行が年数回の海外/年1の国内/一切行かない
修学旅行の費用を全額自腹/補助あり/不参加
🍽️ 食生活・外食
外食が高級フレンチ/ファミレス/牛丼/スーパーの弁当
普段の買い物が百貨店/オーガニック専門店/業務スーパー/コンビニ見切り品
おやつがブランドチョコ/駄菓子/なし
水がミネラルウォーター/浄水器/水道水そのまま
誕生日ケーキが専門店のホール/手作り/カットケーキ/なし
🎒 教育・学習環境
塾・習い事に複数通う/1つだけ/一切通わない
所有している教材がZ会・進研ゼミ/100均ドリル/学校配布のみ
自宅に本棚/図鑑/電子辞書/勉強机がある/ない
オンライン学習がタブレット完備/スマホを使い回し/利用不可
大学進学の選択肢が私立でも余裕/奨学金必須/断念せざるを得ない
👚 衣服・身なり
制服・私服が常に新品/お下がり/破れを縫って使う
髪型が美容院で定期整髪/親がカット/伸ばしっぱなし
靴がブランドスニーカー/量販品/靴底がすり減っている
季節ごとの服がそろっている/1着で使い回し
カバンがハイブランド/丈夫な通学用/紙袋/破れてる
🎉 イベント・娯楽
誕生日やクリスマスのプレゼント有無/価格差
家族旅行の有無と宿泊施設の質(高級ホテル/民宿/日帰り)
お年玉の額が万単位/千円以下/ゼロ
お祭りやテーマパークに毎年行く/一度も行ったことがない
🧑🤝🧑 交友・人間関係
「家に遊びにおいで」に招待できる家か/無理な家か
「みんなでご飯食べに行こう」で行ける店に限りがある
「修学旅行のおこづかい」などで使える額が違う
「どんな家に住んでるの?」という質問が地雷化する
SNSで豪華な投稿に傷つく/自分の暮らしを出せない
🛠️ 医療・衛生
歯列矯正をしている/できない
予防接種・健康診断を定期で受けている/避ける
メガネやコンタクトが適切な度数/古いまま使い続ける
お風呂・シャワーが毎日入れる/節水で数日に一度
📱 所有物・日常的なモノ
スマホが最新機種/親のお下がり/持っていない
ゲーム機が複数台/中古/なし
ノートPCが個人所有/家族共有/使えない
通信環境が光回線/ポケットWi-Fi/フリーWi-Fi頼り
📈 総合的にあらわれやすい場面
宿題に親が付き添ってくれる/親がいない・時間がない
家族の会話が教育的・建設的/愚痴と疲労と怒号
「今週末の予定は?」に対し遊園地/勉強/バイト/何もない
✅ 補足
こうした差は、金額やブランドの違いとして現れるだけでなく、「当然できると思っていたことができない」「できないことを責められる」ことによって、深い劣等感やトラウマを形成する原因になります。 また、**他人との比較が起きやすい場面(学校、SNS、外出時、贈り物など)**で強く露呈します。
ご希望があれば、これらを物語的に描写したり、子ども視点・思春期・大人の恋愛・職場など、それぞれのステージ別での格差の「見え方」もご提供できます。
富裕層の中にも、あえて「質素」「節約」「ミニマリズム」を実践することで精神的・美的・社会的満足を得る人がいます。2025年の日本において、以下のような生活パターンが考えられます。
🍚 食生活
自炊中心で一日500円以下の食費(玄米・味噌汁・納豆・ぬか漬けなど)
外食を断る/チェーンの朝定食のみ利用
断食・1日1食生活で「感覚を研ぎ澄ます」
食材は道の駅・業務スーパー・無農薬農家直送から厳選
雨水で野菜を育て、自給自足の一部実践
🏠 住まい
都心の高級マンション所有でも実際は郊外の古民家暮らし
狭小住宅/築50年以上の家をセルフリノベ
賃貸住宅で家具は最小限(折りたたみ・移動式)
照明はLED1灯、暖房は湯たんぽと重ね着
電気契約は20A以下、水道・ガスも最低限の使用量
👚 衣服・持ち物
私服は毎日同じ(黒T+黒パンツ)=思考の無駄を省く
服はユニクロ・ワークマン・古着のみ
高級腕時計は所有していても、普段はノーブランドのチープカシオ
布製エコバッグを何年も使い込む
衣替えなし。季節ごとに2セットで回す
📱 通信・テクノロジー
格安SIM/サブスクはすべて解約/Wi-Fiなし生活
古いiPhoneを使い続ける(最新機種には興味なし)
スマホの使用時間を1日30分以下に制限
SNSは見る専、または一切使わない
🧘 修行的・精神的側面
冷水シャワーで意志鍛錬
瞑想/坐禅/朝の読経が日課
家計簿や支出管理を徹底し「1円で幸福を感じる」訓練
「所有しない」ことを誇りにする(家・車・保険すら手放す)
週末はネット断食・無言の時間
💬 対人関係・社会活動
交際費ゼロ、外出・飲み会は最小限
贈り物・年賀状・��節の挨拶を省略(相手の時間を尊重)
チャリティやNPOには匿名で寄付し、派手な寄付報告は避ける
SNSでは「節約術」や「ミニマル生活」を情報発信して影響力を持つ
ラグジュアリー系の交友関係を意図的に避け、地域の古老や子どもとつながる
🚲 移動・消費
車を持たず電車か徒歩、もしくは古い折りたたみ自転車
移動中にオーディオブック・経典・哲学書を聞く
キャッシュレス決済は使わず現金主義(出費の可視化)
美容院は年2回・セルフカットで済ませる
🎨 美意識・趣味
「美は節約の中に宿る」と信じる
読書は図書館・青空文庫・古本市のみ利用
収集はしない。モノは循環させる
趣味は散歩、写経、路地裏観察、物々交換
室内に花を活けるが、野草や拾った枝で表現する
🧾 その他象徴的な行動
医療費を抑えるために健康管理を極める(歩行・呼吸法)
銀行口座は1つのみ。投資や運用は一切しない「無財産主義」
「毎月○万円生活」や「持たない幸福」ブログを発信
世界一周など豪華な経験はしていても「今は粗食こそ贅沢」
高級品は「借りる/体験だけ/手放す」で完結
✅ このような人物像:
「修行系ミニマリスト」「侘び寂び系富裕層」「思想的節約家」「反消費アスリート」「アナーキスト風僧侶」
所有しないが影響力は大きく、静かに社会をリードしているタイプ
ご希望であれば、こうした人物をモデルにした物語・キャラ設定・思想的背景の分析などもお手伝いできます。
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6月の誕生花と花言葉まとめ:アジサイを筆頭に、梅雨時期を彩る美しい花々とその意味
6月の誕生花について 6月は梅雨の季節でありながら、美しい花々が咲き誇る時期です。 この月には多くの魅力的な花が誕生花として設定されており、それぞれに深い意味を持つ花言葉が込められています。 誕生花は古くから人々に愛され、プレゼントや記念日に特別な意味を与える素敵な文化として親しまれています。 6月全般の誕生花アジサイの魅力と特徴 6月を代表する誕生花として古くから愛され続けているアジサイは、梅雨の季節に美しく咲く日本の初夏を象徴する花です。 土壌の酸性度によって花の色が変化する特性や、雨に濡れた姿の美しさから「雨の花」とも呼ばれ、多くの人々に親しまれています。 アジサイの多彩な花言葉とその背景 アジサイには「移り気」「辛抱強さ」「浮気」「無常」といった相反する意味を持つ花言葉が存在します。 「移り気」や「浮気」は土壌によって花色が変化することに由来し、「辛抱強さ」は長い梅雨の期間を通じ…
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17章 気になった箇所まとめ
⚠ネタバレ
それぞれの役職(グール達の生い立ちに関連?)
累:バーの経営者
次郎:医者、モデル
陽:獣医
エド:大学教授(哲学科)
尋:ピアニスト
蓮:サーファー
派閥
革新派:モルトクランケン、(内乱時の)ホタルビ
体制派:フロストハイム(代表)
怪異容認派:現在のホタルビ?(疑惑)
中立:エド、累(オブスキュアリ?)
内乱に関連している?「グールの処遇を巡って=ガーラ」とも解釈できるけど、内乱時に怪異が暴走した件に関しては派閥が関連しているのだろうか。
「体制派」と「怪異容認派」は同じ意味?
挙げられていない寮に関して、ジャバウォックとヴァガストロムは対立している派閥同士だろう。シノストラには寮長派と副寮長派がいることから、両派がいるのかな。
ハイドはセリフからしてみて「怪異容認派」と取れるので、ハイドと協力しているロミオ側(副寮長派)が「怪異容認派」だろうか。
あと驚いたこととして、エドは『ヤマアラシのジレンマ』の信者だから怪異を容認する派閥と対立しているのかと思ったけど、中立だったのが意外。
対立は解決したかという質問の答えに、佑理のフロストハイムへの嫌悪を持ち出した
佑理がフロストハイムを憎んているのは派閥のためだと解釈できる。
累はクレメンティア出身
プロフィールに「任務中に呪われた」とあり、理由は死神から気に入られたこと →クレメンティアで死神に気に入られるような任務に行ったということ
ちなみに顧問は弁慶
今回までの章の発言を元に、全グールの過去の寮をまとめてみた。
ミオについて
ミオの漢字は「未桜」
フルネームは煤払未桜?
エリアスは学生?
弁慶は特待生とエリアスとの関係性に「友達」という表現を用いている
弁慶がエリアスについて「仕事?しかしあいつは……」
ジャバウォックのキツネ
「そもそも事の発端はハイド先生の引き継ぎが不十分だったこと」
「彼に、まさか自力でゲートの開錠ができるほどの知能が残っているとは、思いもしないでしょう!?」
「万が一、彼にあの子の所在が知られたら、すべての計画が台無し」
「とにかく、あのキツネを二度と敷地の外に出しちゃ……」
ハイド先生は現在ジャバウォック(とヴァガストロム)の顧問。誰か他からジャバウォックの顧問を引き継いだと読み取れる。
「知能が残っている」って、あのキツネは元々人間だったの?
ゲートとはジャバウォックの敷地? それともバロメッツのようにウルティオの監獄所から脱走した? ディオネシア“脱走”事件や、内乱の時の怪異の暴走とは関連がある?
「彼(キツネ)」に知られてはいけない「あの子」とは誰?キツネに関する計画とは?
カピバス壊れる
酒が無かった牛鬼が暴れてカピバスを壊した
牛鬼の酒が切れたのはおそらく16章でキツネが樽を壊した時のエピソード。
次郎の永眠症候群と内乱の関係
次郎「俺は内乱の直前で目覚めたので、正直その頃の記憶はあいまいですし」
善治は内乱の犠牲者だが、次郎は内乱の犠牲者ではない(内乱がきっかけで永眠症候群になったわけではない)。
時系列として、次郎が目覚める→内乱→善治死亡
気になるのは次郎が目覚めたのと『隻眼の眠り姫殺人事件』どちらが先か。次郎は容疑者の一人である。
以前その件について尋ねられると次郎はこう返す。
「さあ。わかりません」「俺、その頃の記憶が曖昧なんです。佑理曰く、病気の後遺症らしいんですけど」
家族関連で具合が悪くなる次郎
理想の家庭について尋ねる質問をした時に発作が出る
善治さんの誕生日(6月19日)の風船を剥がす
善治とトラウマ的な出来事があった?確か善治は「不慮の事故」ということを理由に、次郎に自分の存在を伝えることを拒んでいた。
→ それなら9章で特待生が善治の言葉を次郎へと伝言するシーンで次郎が「その言葉どこで覚えたのですか?」と反応したり、幽霊や死体に怯える特待生を見て嬉しそうにするのはなぜ?次郎は善治に対して好感を持っているわけではないの?善治が嫌い(思い出したくない存在)なの?
プールを見たことがない
博物館に行ったことがない
この辺りから次郎の家庭は過保護か、親に問題があって外出できなかったんだと思う。傷も気になる。
しかしなぜ善治の誕生日を意識して具合が悪くなったのか?誕生日関連で何かトラウマになる出来事が起きたのか?
そういえば次郎は善治の手書きの文字には全く思い出す反応をせず、カルテのように5年間保管する選択をした。それは善治が幽霊として書いた字は生前と筆跡が違っていたから気付かなかったのか、それとも次郎は善治の書く字を忘れていたかのどちらかだと思う。
善治の誕生日 → トラウマ
「家庭、家族」を想像する → 具合が悪くなる
9章の幽霊の「痛い、怖い」 → 具合が悪くなる
善治の口癖 → 少し思い出して驚く
死体や幽霊に怯える仕草 → 微笑む
善治の書く字 → 何も思い出すことなくカルテのように保存
注射器に反応する陽
「なんじゃその箱は……ちゅ、注射器!?」「わ、悪いことは言わん! いつか必ず後悔する日が来るけぇ、今すぐ止めぇ!��
陽は注射器にトラウマがある?
エド=ネロス 説 強まる
エドの故郷は「東欧の海沿いの国」
ライカは以前ルーマニアにいた。「東欧の海沿いの国」にルーマニアは含まれる。このことからライカとエドは故郷が共通している可能性大。
理想の家族について「大きな犬」はライカを暗示している?
ライカは累から「ワンコくん」と呼ばれているなど、犬に例えられることが多い。また理想の犬に関してエドが話した「素直で忠実な子」もライカの性格に当てはまる。
以前エドがライカに「そのネロスが諦めろと言ってるんだけどさ」と言った後、累はその様子を「茶番」と捉える。オブスキュアリにおける関係性を「家族」に例えているのではないか?
壊れた腕輪念珠
エドが特待生の手を取った時に腕輪念珠が壊れる
腕輪念珠に関して弁慶「周囲から邪気が向けられないように魂入れをしておいた」
魔除けの絵札的なもの?16章でロミオの絵札が壊れたことと関係がある?
エドには「邪気」にまつわる何かがある。「邪気」といえばキャンパス会話でエドが「この辺りから邪気を感じる」と話すシーンがあるのだけど、それとは関係がないのかなー。
蓮のスティグマの効果
「レイオスタス」で時短
以前は「レイオスタス」でタコ丸の吐いた墨を掃除しやすくしていた。時間操作のスティグマ?(時間を早めたり、以前の状態に戻したり)
蓮の契約した悪魔がアスタロトで怠惰を司っているので「物事を便利にする」という場面で使われそう。
蓮の過去は「海の家」関連
バーベキューに関して蓮「実家にいた頃、親父に嫌々手伝わされてた」
ホームのセリフで「夏は実家が繁忙期入るんで、その手伝いでクソしんどかったっすね。」
特待生が海の家に関連付けると蓮は反応する
プールに落ちた人を見た時に蓮は「監視救助の30秒ルール」を持ち出した
怪異が出た時に「118」へと連絡(海上における事件・事故の緊急通報用電話番号)
特質怪異が浮き輪(救助用具)だということ
タコ丸っぽい声
鉄板で焼いていたタコの「キューーーーー!」
タコ丸と関連?蓮のフラッシュバック?
キクロスに関して
エド「しかし、あの怪異はなぜ、きさらぎ駅なんていう場所にいたんだろうね」「そもそも学園は、いつどこでキクロスの存在に気づき、グールを向かわせたのか」「もしかしてあの時、キクロスを追っていたのはーー」
キクロスは元々きさらぎ駅にはいない生態だということかな。
「あの時、キクロスを追っていたのはーー」→ 伯玖さん?伯玖さんの言う「助けたい人」=隻眼の眠り姫=キクロスだろうか。学園が大我を向かわせた言及はしたが、伯玖を向かわせた言及はしていない。
その場にいなかったエドが情報を知っているのは、おそらくエドには「第六感(居場所が分かる)」があるから。6章でもエドは第六感を使ってライカの居場所を特定していた。
これは多分スティグマではなく吸血鬼の能力だろう。他にコウモリに姿を変える、不死身も吸血鬼の能力だからエドのスティグマは何なのか気になる所。
累とエドの関係
エド「大丈夫。俺の命は、君に分けてあげるために取っておいてるんだ」「そう簡単には手放さないつもりだよ」
これは本当にどういうこと??すぎて考察はできないけど記録として。
とりあえず今回はここまで。特に次郎に関して深掘りできたな〜と感じる。尋に関しては今回情報が少なかった。あと蓮についてや累エドの関係、陽の他の故郷についても気になる。
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虚子自選揮毫『虚子百句』を読む ⅩⅧ
花鳥誌2025年6月号より転載

日本文学研究者
井上 泰至
34 灯取虫這ひて書籍の文字乱れ
『ホトトギス』昭和二十年十月号初出。『六百句』には「(昭和年)六月二十二日。丸之内句会。丸之内倶楽部別室。」と注記。
ポイントは「書籍」の読みである。「しょせき」でなく「しょじゃく」とわざわざ振って読ませている。「しょじゃく」とは江戸時代独特の読みである。
出版技術は、日本の場合、奈良時代からあったが、商業出版が一般化するのは江戸時代からである。しかし、出版物の主流は奈良時代の昔から「仏書」であった。娯楽の読み物、知識を得る読み物も江戸時代には流行するが、今大河ドラマで描かれている版元たちも、大手の主流の業者は、「仏典」あるいは「儒書」といった、時間空間を超えた心理の書物「経典」を主力商品としたのである。
「本」とは人生の根本を語る書物の意味であり、読み捨ての娯楽の書物やプロの女性を多く描いた浮世絵、それに吉原のガイドブックを出す蔦屋重三郎のような版元は、���来格下の扱いだった。
特に「しょじゃく」という、呉音読みは仏教語によく使われる漢字音だ。「経」の字も、「けい」と読めば『論語』など儒教の書物を指すが、「きょう」と読めば、仏典を意味する。「修行」を「しゅうこう」と読まないのも、漢音と区別して呉音読みすることで、それが仏教の言葉で、特別な「行い」であることを示すためである。
結論から言って掲句に詠まれた本とは、江戸時代に刷られた糸綴じで和紙に刷られた和装本の仏教書であった確率が高く、洋紙に刷られた活字本ではないということになる。乱れている文字も漢字であって仮名ではないだろう。
灯火に集まって飛んできた虫が、開いた本の上に這う。洋紙ではすべりやすかったり、硬かったりして、感じがでない。柔らかく、繊維も残った古書の和紙の上を這ううち、文字が乱れて読書を遮られる。仏説による深い真理を目で追い、思いめぐらしているところに、灯取虫という闖入者によって、現実に、もっと言えば、心の「闇」の世界に引き込まれるような感が漂う。文字の乱れは想念の乱れでもあるからだ。〈金亀虫擲つ闇の深さかな〉に知られるように、虚子は「闇」の作家でもあるが、ここには「静」の「闇」がある。
35 炎天に立ち出でて人またたきす
「ホトトギス」昭和二十年十月号初出。『六百句』注記に「(昭和十九年)七月三日 土筆会。鎌倉草庵。香風園」とある。
炎天に出たときの、くらっとする一瞬の感覚は誰しも経験のあることだが、それを「人またたきす」と他人の「ままたき」によって示すところが、一句の眼目であるように見える。リズムから言っても、「人またたきす」は句またがりだ。
しかし、星野立子はこう語っている。
それは他所の人であるかも知れない。又自分自身であるかも知れない。要は日陰から炎天に出て来た途端の或る人の状態を捕へたのである。またたきをしたのを見たとしてもそれを捕へる力は修練の賜である。 (『虚子一日一句』昭和四十年)
つまり、立子の理解では「人」は、自分から見た他人でも、自分から見た自分でもどちらでもかまわないことになる。これは〈川を見るバナナの皮は手より落ち〉の句において、川を見ていたのは自分なのか他人なのか、曖昧である点に通じる。こうした、虚子句の視点が、まま主客未分であることが、まず注目される。
言い換えれば、くらくらした一瞬は、他人から見れば、立ち止まって瞬きをした動きと表情であり、自分の立場に立てば、明るすぎる日差しに瞼を一瞬閉じて、世界が幻のように見えたことを想像すればいい。むしろ、その両方を同時に想起すればいいということになる。
個人的な体験で言えば、家の窓を閉め切って徹夜し、昼過ぎいきなり炎天に出て、小説などで読んだ不法薬物の投与とはこんな感覚かという幻惑感や、脳出血が起こった際、目の奥が一瞬光って画面から一部ものが消え、意識が不安定になって記憶が遮断されたことを想起する。
時間の急激な停止の感覚が、生命のゆらぎを呼び、世界の幻惑感を呼び覚ます。そこを、他人のふるまいから見���して、主観に引き寄せた点を以て、立子のいう「修練」と理解すればよかろうか。
かつて麻薬によって意識が混濁する世界を描いた『限りなく透明に近いブルー』で、弱冠二十五歳の若さで芥川賞を獲った村上龍を彷彿とさせる。先輩作家の宮本輝が、テレビの対談で小説でしかできないことを書いた意味が大きいと評価していたと記憶する。
虚子のやろうとしていたことは、こうした人間の意識の幻惑をすら俳句で表現しようと「挑戦」なのであり、自分はそこまでの域に及べるのだろうか、と立子は父の死後感じていたと読める。
前の句が「闇」の、この句が「光」の意識の乱丁や混濁を扱っている点も味な構成となっている。『虚子百句』の配列・構成も端倪すべからざるものであることを肝に銘じなければならない。
『虚子百句』より虚子揮毫
35 炎天に立ち出でゝ人またゝきす 36 夏草に延びてからまる牛の舌
国立国会図書館デジタルコレクションより
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井上 泰至(いのうえ・やすし) 1961年京都市生まれ 日本伝統俳句協会常務理事・防衛大学校教授。 専攻、江戸文学・近代俳句
著書に 『子規の内なる江戸』(角川学芸出版) 『近代俳句の誕生』 (日本伝統俳句協会) 『改訂雨月物語』 (角川ソフィア文庫) 『恋愛小説の誕生』 (笠間書院)など 多数
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つじしまみちこ寄稿 「私の音楽生活」
「嗚呼、真実とはこれ程までに退屈か!」と、事実に基づいた文章を著わす度に考える。日常の軛から逃れる為に創作をしているにも関わらず、何故、現実の雑事を子細に記載しなければならないのだと思い始めると、途端に気が重くなり、やがて、官僚のような生真面目さは影を潜め、自ずと筆は虚構の世界へと向かい始める。そして、いっその事、一から十まで、何もかも創作してしまった方が良いとさえ思うに至るのが常であるのだが、今回は出来得る限り真実を記す事にする。
不労所得を得る為、BGM、音楽素材の作編曲に励んでいた2010年代半ば頃、ドラマでも映画��もゲーム音楽でも、とりあえずは金になれば何でも良いと思っていたので、柄にもなく、コンペへの応募の他、音楽配信サイトへ登録し、出来るだけリスナーの印象に残るようなメロディアスで奇抜なアレンジの音楽を量産しては投稿を繰り返していたのであるが、音楽素材の利用者は何人かいたものの、一向に大きな収益には繋がらず、知名度も上がらないまま一、二ヶ月が過ぎた頃、とうとう好きでもないものを作る事にも嫌気が差し始め、以来、一般向けの作品制作を完全にやめてしまった。
当時、既にメジャーコードのクリシェと作曲者自身がその名も分からぬような不穏な和音を組み合わせた「躁鬱ポップ」の原型は出来上がっていたので、一般に流通しているドラマや映画、アニメ、ゲーム内で流れている、ありきたりなBGMのようなものは、別に私が作る必要はないとさえ思うようになったが、AIによる作曲の実用化がなされつつある昨今、この判断は誤っていなかったと思う。作編曲はセンスなどではなく、殆ど、単なる技術に他ならないが、音楽は既に市場において、需要に比して供給過剰な状態であり、本業で十二分な収入を得ている私にとっては、アレンジやミックスにどれ程の手間暇を掛け、どれ程その技術を極めようと、機材を一新しようと、投資に見合ったリターンは望めないのが実情である。今も昔も私は別段、有名になりたい訳ではなく、ただ単に自分のしたい事がしたいように出来れば良いだけであるので、頭に血が上ったバンドマンのように、大手レーベルと契約したり、マスメディアに登場したいとは思っていない。醒めていると言えば醒めてもいるが、低俗で知能指数の低い輩と関わった所で私に何一つメリットはないという態度は昔から一貫している。
「つじしまみちこ」名義でウェブ上に音楽を投稿し始めた2019年頃も同様の心境のまま、最早、リスナーに対しての嫌がらせ以外の何物でもないものを作り続ける事になり、やがてそんな自分自身にさえ嫌気が差して、公の場で音楽を公表する事を20年代に入ってから止めてしまう。やがて、音楽への探求心さえ失った私は、COVID-19のパンデミックの最中、世界規模の「大本営発表」を前に一色に染まった大衆に対して怒りが爆発した結果、愚かな三政権が延長に延長を重ねた緊急事態宣言を完全に無視し、日本中を旅しては地酒を呷る日々を送ったのだが、そんな放蕩生活を送った後に出会ったのが次の一曲である。
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2023年頃、私は新しい音楽への興味すら失していたのであるが、Caroline Polachekの「Desire, I Want To Turn Into You」は発売と同時期に聴き、感激してすぐさまMP3を購入した次第である。自殺衝動に苛まれて抑鬱状態となったメンヘラアーティストたちによる電子音楽をとうの昔に聴き飽きていた私は、Carolineのどこか退廃的でありながらも肉感的な音楽に、喪失した身体性の回復を感じた。私も自身の音楽のスタイルを一新しようと思い、DAWを立ち上げ音作りを始めるのであるが、どういう事か一向に熱意が湧かず、2、3小節を作っては消してを繰り返す内、2年半の時が経過していた。気が付くと、岸田内閣は倒れ、石破内閣は成立直後に衆議院選挙で敗れ、故安倍晋三を後援したネトウヨと創価学会員のコラボレーションによって2012年に再誕した自公政権は風前の灯となっていた。明らかに新しい時代の兆しが見え始めた頃、私は徐々に創作意欲を取り戻し、新譜の制作に取り掛かる。
2024年の衆議院選挙の結果を見て私が思ったのは、右側からではなく、中道・リベラルの側から、右派政党自民党が作り出した「戦後レジーム」と言う名の過去の清算とそれらとの決別を本当の意味で行う必要があるのだろうという事である。安倍晋三が2012年に政権の座に返り咲いて以降、あたかも20世紀へ回帰したような奇妙な政治状況が作り出されたが、この国が安倍という男によって10年以上に渡り翻弄された事は間違いない。知性の欠如した首脳による2度目の劇場型政治は、安倍の暗殺、岸田の暗殺未遂、そして石破政権下での火焔瓶の首相官邸への投擲という悲劇に終わり、かつての小泉劇場と異なり、笑う者はいなかった。新譜制作の最中、私の頭の中では自身の置かれている現況や国政・社会状況についてのそのような想念が次々と浮かんでゆくのであった。
そうした中で生まれたのが、この度の新譜「Goodbye to AI」である。なお、断っておくが、ここで言う「AI」は「Abe's Intelligence」の略称ではない。
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はい、どうも。3ヶ月ぶりです。これまでの約1年放置と比べれば、3ヶ月なんて可愛いものですよね。今でも日記を読んでくれている人がいると知ったので、軽率にのこのこと書きにきました。メッセージに気づいたのはちょっと前なのですが、送ってもらっていたのはさらにもっと前っていう失態。…言い訳はあるのです。サイトのリンクも追々直す所存です。まずはアップローダー(?)を準備するところから…という話はけっこう前にした気がしますが、ええ、まだやっておりませんでした。いい機会なので、今度こそやりたいと思います。目標はこの連休中。3割くらいの期待値でお願いいたします。という私信です。
それでは言い訳タイムに入ります。忙しさにかまけていました。時間の捻出のしようはいくらでもあったように思うのですが、如何せん、忙しいの文字通り心を亡くした日々を送っていたので、パソコンを立ち上げて何かの作業をするということができませんでした。特に2月と3月。もちろん4月も。前回の日記を書いたときはボロボロになりかけていた時期ですかね。記憶がだいぶ曖昧になってきていますが、あのときはあのときで苦しいなと思っていたはずなんですよね。時期的に。ですが、今となってみれば何のその。まだまだこの先辛くなっていくぞ、とあの頃の私に教えてあげたい。
2月は大雪のせいで疲弊していたのもあります。雪道は怖くて嫌で嫌でたまらなかったのに、退勤時間はいつも20時とか21時(就業時間は8時~17時)。仕事だったら仕方ないよね、という雰囲気が漂う身内でさえも、こんな雪の日は普通、残業なんかせずに早く帰れって言うものじゃないの? 言わないなんて会社としてどうかと思うよ、という具合だったので、どう考えても普通ではなかったのですよ。日頃から車の運転は苦手で本当は乗りたくないんです、って話してあったのに、どうして聞き入れてもらえなかったのか…雪道が怖くないわけないのに。帰宅ラッシュの時間帯なら車通りが多いので、道がでこぼこになっていたとしてもまだ走りやすいんですよ。これが時間が経つにつれて車通りが少なくなり、気温も下がっていくと何が起きるのか。そう、路面凍結です。でこぼこの形をしたままツルツルになるのです。頼むから無事に家まで帰らせてくれ、と何度願ったことか。まぁそんなかんじに2月は乗り切り、3月。いや~~~~、しんどかったです。1日(土曜日)出勤。8日と9日(土曜日と日曜日)出勤。しかも退勤は21時。このまま14日までノンストップの予定でしたが、さすがに限界を迎えて13日は突発で休ませてもらいました。なんで身体のほうが先に壊れてくれないんだよ…と思うくらいにはしんどかったです。私、これまでに土曜日は仕事で潰したことはあっても、土日両方を潰したことはなかったのですよ。そしてくたくたの身体のまま15,16,17日は東京(と幕張)へ笑 ええ、そうですよ。うたぷりの3Dライブ、通称(略称)ASSDMSへ。席種はSSS、SS、S、Aの4種類。SSS席はアイドル直筆(?)の招待状がついてくるというやつです(直筆は宛名とサインのみでコメントはプリント)。参戦は土日の間で昼夜それぞれ1公演までと決めていたので、シリアルが必要な最速先行ではSSSに全振りして日曜夜のチケットをもぎ取り、次のアプリ先行では日曜昼のSSを獲得し、私のチケ戦はこれにて終了。これだけしんどい日々を送っているんだから、席は良い席がめぐってくるに決まってんだろ…と思っていたら、本当に良い席が取れまして、SSSはAブロックの3列目、しかもセンター寄りでした。最高でした。ありがとうございました。生きていればちゃんといいこともあるんだなって思いました。私のライブは日曜日のみでしたが東京へは土曜日から入っていたので、土曜日は刀剣博物館とすみだ水族館へ行き、普通に東京観光をしていました。もともとそちらに住んでいたので、東京観光なんていうとむず痒くなってきますが…笑 ちなみに今回はいとこと一緒でした。一人でだったら、どっちも行かなかっただろうな。いや、ちゃんと楽しんできましたよ。一人だったら行かなかっただろうな、と思うからこそ。刀剣~のほうは日本庭園のような場所が隣接していたので、そちらもしっかり堪能してきました。
だいぶ話が逸れましたが、まぁそんなかんじに3月も過ぎ去り、4月。4月は所属している課の体制が変わり、これがまた私に多大なダメージを与えてきたわけですが、とりあえず惰性でなんとかやってます。いやしかし、私って結局いつも同じような状況を引き寄せてしまうのかな…って絶望してみたり。なんて話しているとどんどん暗くなってしまいそうなので、冒頭の写真の話に切り替えます。桜です。今年も行ってまいりました。お花見。去年、一昨年は夜桜見物だったので、昼に行ったのは少々お久しぶりです。一応、夜桜の名所なので、見にいくなら夜!って思うのですが、昼は昼で良いものだなぁと思いました。なかなかに混雑していましたが、大好きなポッポ焼きにもありつけたので満足です。できたてのポッポ焼きのおいしさをなかなか他県の人に体験してもらえないのが残念で仕方ありません。おいしいんですよ。本当に。次にポッポ焼きにありつけるのは夏祭りのときになるかなぁ。あまり未来のことは考えたくないけど、必ずや入手して食べようと思います。
さて、この日記は3日から書いていたのですが、長々と書いていたら4日になってしまいました。コナンくんのお誕生日ですね!おめでとう!!GWはコナンの季節と認識しています。ちゃんと今年も映画は観に行ってきましたよー。私、実はけっこう何気にだいぶ長野県警が好きなので、去年から楽しみにしていたんですよ。期待を裏切らずに楽しかったです。そして来年も楽しみです。
この連休中にもう1回くらい日記書きにこれたらなぁなんて思いつつ、今日はこの辺で。今年はスパコ��に行くのは見送ったので、連休中はずっと自宅にいる予定です。たんまり買い込んで積読している本たちを消化していきたい所存。最近読んでまじサイコー!ヤベェ!!となったのは、東野圭吾さんの『マスカレード・ゲーム』です。シリーズの次回作が出たら間違いなく文庫化を待たずに買ってしまうだろう、と思うくらい、今後が楽しみな終わり方でした。
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明日は憲法記念日。憲法や平和について語りましょう~きんようび通信No.750📚~
2025年5月2日
*今日の通信は、母親が書いた文章を一部修正・補筆して紹介します(本人の承諾をもらっています)。2月に新聞に投稿したのですが採用されず、「また何か書いてリベンジするわ」と意気込んでいます。良ければ読んで下さい。
▲昭和17年9月の誕生日で、戦時中の記憶はあまり残っていません。はじめに戦争について強く考えたのは小学校5年生の時、学校の授業で「ひろしま」という映画を観に行ったことです。その時の衝撃や怖さは今も鮮明で、友だちと一緒に泣きながら帰ったことを覚えています
▲その次は、昭和29年3月1日のビキニ環礁におけるアメリカ水爆実験で「第五福竜丸」が被爆したことでした。港に帰って来た船の様子を伝えるラジオ放送の「ガア・ガア・ガア…」と続く音がとても怖かったです。今もその時期が近づくとその時の情景が鮮明に蘇ってきます
▲父の従弟の魚屋さんが売れ残った大きな鮪を持って来てくれたことがありました。「折角だから食べよう」と父や兄たちは言いましたが、「食べたら病気になる」と私と妹が大泣きしたのでそのまま畑に埋めてしまいました。当時同じような話は、いろんなところであったと思います
▲中学生になってから、新しい憲法のことを勉強しました。日本が武器を持たないことを知った時は嬉しく、先生が一生懸命に話される姿をみながら世界もみんなそうなればいいと思っていました。実現していれば鮪を捨てる必要はなく、もったいなかったなと今になって思います
▲戦争が終わって80年と言われますが、ウクライナやガザで起こっていること等をを知るたびにまだ終わっていないと感じています。沖縄で米軍によって女性や子どもが被害にあっていることに心が痛みますし、再び日本が戦争に踏み出さないか不安です。平和の大切さを語っていこうと思います
【今日は何の日📌】
【今週の一句🔖】
酒飲み🍻🍶🥃🍷川柳
シュワシュワの
食べ物・飲み物
欲しくなる😅
(暑いですね)
【今週の歌🪕】
・Rhiannon Giddens & Justin Robinson…Rain Crow(Official Video)
先日発売されたリアノン・ギデンズの最新アルバムから。3月の来日公演は東京のみで残念、次は大阪にも来て欲しい。今のアメリカの状況から、彼女の音楽はとても大事な意味を持っていると感じています😌
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【今週のグルメ情報😋】
・文明館…阪急茨木市駅から532m
昭和の空気をいっぱい感じることができるお店、ゆったりした時間を過ごしました☕️
#文明館

【追記📝】
明日から6日までカレンダー通りに休みます。3日午後からの憲法集会で扇町公園、5日は最後の春一番コンサートで服部緑地野音に行きます😊
#きんようび通信 #憲法記念日 #第五福竜丸 #戦争は終わっていない #平和の大切さ
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#1
【復活祭は誰のため?】
2025/04/20(日) 僕たちのジーザスがが十字架で死んでよみがえったことを記念する「復活祭特別礼拝」あります!
僕が学生時代お世話になった森孝一教授(元同志社大学神学部学部長、元神戸女学院院長)がキリストの復活について、こんなふうに言いました。 「イエスがよみがえったいう一次証拠はない。せやけど、2つの二次証拠がある。まず墓が存在しないということ。それから、開祖であるイエスの死後、弟子たちが活発に伝道したこと。イエスがよみがえったことなしに、あれだけの伝道はできひんかった。一次証拠にはならへんが、これらのことはイエスがよみがえったことを示唆する」ということです。 森先生は、自由主義神学(キリスト教を信仰よりも学問的、批評的にとらえる立場)の旗手です。 その方がイエス・キリストの復活について「二次証拠がある」と言っているのは、実に興味深いです。 僕は信仰的な立場でしか聖書を読みませんから、イエス・キリストの処女降誕も復活も再臨(*)も100%受け入れます。けれど、唯物論に立てば、それらのことは信じられなくて当然です。 逆に「処女懐胎は想像妊娠もあるし」とか「当時の人たちは、夢と現実の区別がついてなかった」とか「迷信深い人たちにとっては事実だった」などなど、“説明のつく解説”を僕たちは微塵もうけつけません。 信じられないことを信じるのが信仰であって、信じられないことを合理的に釈明して納得するのであれば、信仰は不要です。 僕たちは、人間の知性や理性を越えた“スーパーナチュラル”な聖書の神の世界を真正なことと認め、有限で不確実でどうにもならない社会を超越することに挑戦します――。 「そんなアホな、付き合ってられん」という人向けにイスラエルの王様だったダビデはこのように言います。
愚か者は心の中で「神はいない」と言う。(旧約聖書・詩篇14篇1節)
また、聖書随一の執筆者であるパウロは言います。
「死者はどのようにしてよみがえるのか。どのようなからだで来るのか」と言う人がいるでしょう。愚かな人だ。あなたが蒔くものは、死ななければ生かされません。(新約聖書・Ⅰコリント15章35-36節)
ざっくり言うと、聖書は次のことを示しています。 ①全知全能の神がいる ②その神が人類救済を計画した ③救済計画のため我が子イエスを犠牲にした ④犠牲の結果、全人類の罪は弁済された ⑤加えて、イエスがよみがえったことにより、全人類も死後に復活することが確約された ⑥以上のことは、信仰によってのみ発動する ⑦その保証として神の霊、聖霊が与えられる もちろん、細かいことはもっと様々あります。けれど、僕たちは、「聖書は神のことばです」と明言し、その聖書を紐解くことで、完全な救いをギフトとしてもらっています。そして、このギフトは知り合う人、全員にお届けしていく義務と責任を使命として頂いているのです――。 「墓はだった」ことにより示される“死んでよみがえったイエス・キリスト”が、僕たちのリードオフマンです。 僕たちはこの方に続き、「死んでよみがえる」というのが聖書の語る真理です。 信仰によってのみ捉えることのできる世界に皆さんを招待します――!
#2
■イースターと復活祭、正しいのはどっち?■
毎年訪れる、春分の日から起算して、最初の満月の次の日曜日。 キリスト教の暦では、「イースター」と呼ばれるお祝いですが、もともとユダヤ教の過越祭(すぎこしさい)を��敷きにして、「イエス・キリストの死と復活」を記念するものです。
キリスト教がローマ帝国で国教化されるに伴い、ゲルマン人の宗教で祀(まつ)られていた“Eostre(エオストレ)"という女神が春を司っていたことにちなんで、宗教混淆(こんこう/シンクレティズム)した結果、その名前からイースターという呼称が生まれました。
つまり、聖書の神様が嫌う偶像礼拝とのミックスです。
そのため、エオストレの眷属(けんぞく)である「卵を産むウサギ」がモチーフとなって、イースターエッグやイースターバニーが我が物顔で(?)まかり通ることになりました――。
なんでも、ごちゃまぜにして文化として受容しやすい日本人には何ら抵抗ないのかもしれませんが、純粋を大事にする僕たちクリスチャンには「そりゃ、ちゃうやろ」と突っ込みどころありありです。
そんなわけで、重箱の隅をつつくようなこと――と思われがですが、「×イースター」、「○復活祭」と表現しているわけです☆
と・こ・ろ・が、日本では「ディズニーで当たれば、日本中ではやる」という法則があって、世の中でも<イースター>という呼び方は、やや定着していきている感は否めません。。。
しゃーないので、適宜<イースター>という呼び方も織り交ぜながら、「本当はこうだよ」ってことを皆さんに伝えたいと考えてます。
■復活祭のメインテーマは何?■ イースターと復活祭の違いについて、指摘したところで、そもそも「復活祭って何やねん?」ってことです。
一言でいうと、“キリスト教の奥義中の奥義”です。 先に登場したユダヤ教の過越祭では、イエス・キリストの贖罪の死が暗示されているのですが、復活については秘匿事項でした。
かつて、エジプトでいいようにこき使われていたイスラエル民族がモーセに導かれ、真の神様の約束の土地目指して出立した奇跡体験を風化させないため、神ご自身が特別な祝祭として記念するよう定めたのが過越祭です。 好き放題使える労働力を手放したくないエジプト王ファラオと民の代表として対峙するモーセが、神の預言者として次々と9つの災害を予告し、その通りになります。 極めつけに発動された10番目の災害が「長子を打つ」というものです。 エジプト人にとって、長子は主神(ホルス)の化身であり、ファラオの権力基盤と考えられていました。 ですから、エジプト人家庭にとって長子が打たれる、というのは単に世継ぎが亡くなるということではなく、ファラオの権威失墜という意味がありました。 方や、イスラエル人家庭では、とある印(マーク)をつけることによって、災いが「過ぎ越し」ていきました。 その印(マーク)が、「子羊の血で家の入口を染める」というものでした。日本の鳥居が赤(もしくは朱色)で染め上げられるのは、その習わしが伝わったものという説もあります。 ここで大切なのは、赤という色ではなく、子羊が犠牲になる、という事実です。
イエス・キリストが十字架にかかって血を流したのは、このことと二重写しになって描かれます。 もちろん、偶発的なことではなく、父なる神様の計画に則(のっと)ったことです。 ここに旧約聖書を基礎にするユダヤ教の延長線に新約聖書を基礎とするキリスト教の”祭り”が祝われることの大事さがあります。 しかも、犠牲となって死んだイエスが、死んだままではなく、よみがえって「永遠に生きる存在」の原型として私たちに提示されているのです。 気づいてみると、これらのことも旧約聖書に預言されているのですが、その整合性は新約聖書を紐解かないとクリアにならないという仕掛け(謎解き?)になっています。
この「永遠に生きる存在」であるイエス・キリストを原型(教会の中では"予型"と言います)として認め、信じ、一体化していくのが、キリスト教の奥義です。
「なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われるからです。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。」(新約聖書・ローマ人への手紙10章9-10節) 「今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。」(新約聖書・Ⅰコリント人への手紙15章20節)
これらの手紙を書いたパウロはここで、麦畑をイメージしています。 畑にたくさん生えている麦の中で、最初に穂に実をつける株があれば、次から次へどの麦も穂に実をつけることになります。 同様にキリストが死者の代表としてよみがえったのであれば、他に眠った(死の婉曲表現)人たちも当然よみがえるでしょう、という光景を描いているのです。 そして、その畑の麦に加わる秘訣は「信じる」ことと述べられています。
これが聖書独特の論理です。 仮に「ようわからん」と言う人がいても、このように描かれる内容こそ”真理”であって、キリストともによみがえり(復活し)、永遠に生きることが神様の与える「新しい契約」、略して“新約”です。 このように“旧約”土台にして“新約”が成り立つというのが聖書の構造であり、“キリスト教の奥義中の奥義”です。
復活祭はこのことを大事にし、祝います――。
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