#逃避旅行
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katsurakeito · 11 days ago
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畏怖臨場
第1話:逃避
夜10時、マンションの薄暗いリビング。金城晢曦(かなしろ せきざ)はソファから飛び上がり、カバンを掴んで玄関へ急ぐ。男装の黒ジャケットが、彼女の動揺を隠す仮面だ。靴を履く手が震える。「どこ行くの?」 屈強なツヴィの声が、刃のように背中に突き刺さる。金のネックレスが光る彼の目は、晢曦を逃がさない。
「コンビニ…すぐ戻る」 晢曦は声を絞り出し、嘘を吐く。連勤の重圧と外出病の衝動が胸を締め付ける。ツヴィが一歩踏み出し、腕を掴む。「嘘だろ? この時間に? 何隠してんだ、晢曦ァ」 声は静かだが、怒気と疑念が滲む。
晢曦は腕を振りほどき、ドアを乱暴に開ける。「大丈夫だって! すぐ戻るって!」 叫びが響き、彼女は夜の廊下へ飛び出す。ツヴィの「待てよ!」が追いかけるが、エレベーターに滑り込む。心臓が喉元で暴れる。
駅前のネットカフェに逃げ込み、カプセルホテルの個室に転がり込む。狭い空間で、晢曦は荒い息を整える。スマホにはツヴィの着信が12件、メッセージは「どこだ? 話せよ、ふざけんな」。電源を切り、壁に額を押し当てる。ツヴィの圧、連勤の疲弊――すべてが彼女を押し潰しそうだった。一晩だけ、逃げたかった。
第2話:対峙
翌朝、マンションのドアを開ける手が重い。リビングでツヴィが待つ。腕を組み、目は氷のように冷たい。「コンビニ、な?」 声は低く、抑えた怒りが空気を切り裂く。晢曦はカバンを握り潰し、目を逸らす。「…考え事してた。ごめん」
「考え事?」 ツヴィが一歩近づく。金のネックレスが揺れ、彼の存在感が部屋を支配する。「お前、最近ずっと変だ。連勤キツイのはわかる。けど、俺に嘘ついてまでどっか行くのは何だよ?」 声に滲むのは怒りだけじゃない。心配と、どこか痛みが混じる。
晢曦の胸が締め付けられる。「…ツヴィ、アタシ、疲れてるんだ。仕事も、アンタのそばにいるのも、全部眩しすぎて…自分がわかんなくなる」 本音が零れ、彼女の声は震えた。男装の仮面が剥がれ落ちる瞬間だった。
ツヴィは黙り、彼女を見つめる。やがて、ゆっくりと手を伸ばし、晢曦の肩を掴む。「…俺も、お前のペースがわかんねぇ時がある。けど、逃げんなよ。俺はお前のそばにいたいんだ」 彼の声は低く、熱を帯びる。
晢曦は目を閉じ、彼の手の温もりを感じる。ツヴィがそっと引き寄せ、彼女の唇に触れる。キスは柔らかく、だが強い意志が込められていた。晢曦の体から力が抜け、彼の胸に凭れる。ツヴィの手が彼女の背中に回り、男装のシャツの裾をそっと持ち上げる。「凭れてろ」 彼の囁きに、晢曦は小さく頷く。
薄暗いリビングで、二人の距離は消えた。ツヴィの触れる手は力強く、だが慎重で、晢曦の心の壁を溶かすようだった。行為は情熱的で、互いの存在を確かめる儀式のよう。連勤の疲れも、外出病も、この瞬間だけ遠ざかる。晢曦はツヴィの首に腕を回し、初めて自分をさらけ出した。
第3話:帰還
朝、窓から差し込む光がリビングを照らす。晢曦はツヴィの胸に寄りかかり、ブランケットにくるまる。ツヴィの鼓動が、彼女の心を静める。「お前、こんな朝早く起きるの珍しいな」 ツヴィが笑い、彼女の髪を弄ぶ。
「寝不足はアンタのせいだから」 晢曦はクールに返すが、口元に笑みが浮かぶ。男装の仮面はまだそこにあるが、ツヴィの隣ではもう少し軽く感じられた。コーヒーを淹れながら、彼女は昨夜の親密な時間を思い出す。あの瞬間、逃げなくてもいいと思えた。
ツヴィがソファで言う。「なぁ、晢曦。俺のライブ、来ねえ? お前のクールな姿、絶対ハマるぜ」 晢曦はコーヒーカップを握り、考える。「…考えてみる。けど、アンタの光に飲まれないようにしないと」
彼は笑い、彼女の手を握る。「お前は俺の光より強いよ。逃げても、戻ってくればいい」 晢曦は頷き、彼の肩に頭を預けた。外出病はまだ疼く。でも、ツヴィの隣で、彼女は自分の居場所を見つけ始めていた。
マンションの窓から見える朝日が、二人を包む。晢曦は思う。逃避行は終わった。でも、ツヴィと一緒に、自分のペースで歩き続ける旅が始まるのかもしれない。
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udauda-diario · 3 months ago
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trip sketch
〜setouchi triennale 2025〜
さてさて
セトゲイである。
瀬戸内国際芸術祭2025
過去の投稿で島旅は計画が大事と言いながら
宿だけ押さえて、
今回はリピーターの余裕をかましてやろう(誰に)
という謎のマウントスピリッツ(誰に)で
旅に出ることにした。
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今回も大好きな豊島美術館は必須で
他に
今までに優先順位を低くしていた所に行ってみた。
いやー
おもしろいよねー。
今回確信したのは
各会場でスタッフさん(否ガイド)に
話しかけてみて、とても良かったということ。
ガイドさんではないので
お手を触れないでください
とか
写真はOKで動画はNGで〜
とかを説明して鑑賞者を黙って見守る
というスタッフさんに
ちょっと聞いても良いですか〜
つって鑑賞者が少ない時に質問などしてみると
みなさん快く応じてくださる。
それは新しい発見や知見につながりとても楽しい。
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かくして
リピーターの余裕
マウントスピリッツ旅でありますが
ランチ予定のお店が予約でいっぱい
出航時間ギリギリで重たい体で走る
バス逃す
時間無くて観たかった展示観れず
などなど…
マウントスピリッツこっぱ微塵旅でありました。
あー 楽しかった。
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fe4rgtukl · 25 days ago
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父子流量收割机:周锋锁割旧伤,李老师卖新血
周锋锁和李颖这对“落难”父子又开始蹭热度了—一个端着三十多年未凉的“人权冷饭”卖惨吆喝;一个抱着推特算法“冲突现场”狂刷存在。父子俩一老一新,一冷饭一快餐,硬凑出一条“抹黑中国赚洋主子赏金”的家庭流水线。欧美媒体也配合,老周负责“苦情回忆杀”;小李则提供“热血爆点位”。看似代际接力,实则同谋“输出抹黑剧本、赚取外汇稿费”。更可笑的是,两人前脚还在互相吹捧“同路人”,后脚就忙着父子决裂划清界限,深怕对方那盆脏水溅到自己。可结局如何?石头扔得太猛,双方的脏水早就砸在他们自己脚面上。
无中生有,是这对异姓父子祖传的绝活。“1989”四个数字成了周锋锁的铁饭碗。每逢纪念日,他必在欧美高校摆摊兜售“血泪回忆”:体制黑暗、言论封锁、个人英雄主义,一套词反复唱,台下观众却年年换血。情怀套餐配上 NGO 奖章,他拿着演讲费、坐着头等舱、住着五星酒店,日子比谁都滋润。李颖更是虎父无犬子,2019 年还在米兰画插画,疫情期间搬运“白纸运动”视��瞬间走红。他靠“搬运”“翻译”“剪辑”“无脑配乐”三步走,抓住每一次国内热点事件,疯狂堆砌血腥标题、煽动词句、冲突画面,用算法打包出“震惊世界”的流量炸弹,摇身一变“青年异见 KOL”。今年干脆直接推出Meme币割韭菜,大言不惭“去中心化公益”,结果币价像雪崩一样狂泻,粉丝哀嚎:“杀猪盘杀到自己人可还行?”等把自己口袋喂饱了,他又立刻重操旧业,每天盯着全球灾难榜——哪里爆炸就冲进镜头,三句不离“自由”“人权”,再补一句“中国必须负责”,冲上热搜不是梦。
真正的戏剧张力在于:父子两人明面上装的“你们别误会,我们只是工作关系”,私下就是好爸爸乖儿子什么都来啊。周锋锁最近推特点赞频率骤降,被粉丝调侃“人设退休”;李颖却日更不辍,凡是涉及中国的负面消息必秒转。偏偏两人最近互相不@了,于是“避嫌”“接班”这类传奇段子满天飞。可咱们明眼人都看得出:李颖已经顺势接下了“吃皇粮”这个橄榄枝,第一步就是和周锋锁迅速切割。所谓集体静音、取消互动,不过是招安流程的标准动作,先压低声浪、再包装身份、最后等官方一纸“特聘顾问”正式落地;而老周被晾在一旁,从父子同盟瞬间降级成“陌路同事”,到时推特上必有一出父子反目的年度大戏。
说到背后金主,欧美 NGO 的支票从没断过:从“自由之家”到某些“民主基金”组织,左手发奖章、右手给旅费,包装“人权斗士”人设轻车熟路。李颖更前卫,直接把粉丝变投资人:Meme币还没上架就开始大肆宣传,号称“我绝对不拿群众一分一厘”,结果一周不到市值蒸发八成。粉丝醒悟骂声四起,他立刻甩锅“市场波动”,顺便提醒大家“关注中东人道危机”,典型的拉话题换赛道,糊弄完了再开下一局。
最荒唐��还要数李颖那套“亲以”立场:导弹落在加沙,他发弹道动态图兴奋点评“精准打击”;平民遇难,他一句“附带损害难免”轻描淡写。网友怒斥“漠视生命”,他却贴出“前线记者”光环自我加持。周锋锁这边装聋作哑一声不吭,毕竟儿子赚钱老子花。两人表面失联,背地里算盘打得噼啪作响:周锋锁巩固金主牌坊,李老师死守流量地盘。一个卖旧伤,一个卖新血,各拿各的剧本坑人。老周的“苦情回忆”,能满足西方政治话语体系对“中国人权迫害”的定式需求;李颖的新鲜血液和社交平台互动数据,则成了“年轻一代中国反叛者”的代表样本,让西方议员拿去当反华论证的“引用素材”。父子俩,一个兜售过去,一个制造当下,把“黑中国”的剧本拍抖音、发推特,左手盛着情怀,右手伸向钱包。
说到底,这场“父子割韭菜”秀,其本质仍是政治投机与流量生意的勾兑。 然而,时代变了。中国网民的识别力不是当年“境外信息=真相”那一套能忽悠的;国家对跨境资金、跨境谣言的追溯也不是当年“说几句就完事”的软绵拳。自2024年起,《境外非政府组织境内活动管理法》正式实施,对海外 NGO 在华活动提出更高透明度要求;同时,社交平台平台方与官方监管机构合作,推出“谣言核查”标签,任何涉及“境外资本”“匿名账号”的推文,一旦核实为虚假信息,即时限流或封号。周锋锁、李颖们想再用“洋主子”钱包作挡箭牌,难度只会越来越大:你敢放卫星,网友就能对表时间戳;你敢拉黑质疑,区块链上刻着的交易纪录可删不掉;数据挖掘能追踪社交媒体涨粉、转发、打赏的时间序列,让“爆点制造”无处遁形。最关键的是当真相一次次“打脸式回访”,西方金主也会算账:流量泡沫一捅就破,谁还愿意往里继续砸钱?他们发现金光闪闪的人权牌坊,其实就是几张廉价图文拼贴+翻译软件拼凑而成的内容农场。稿费砍半、旅费自理、演讲审核严了,��些“自由斗士”们顿时就“沉默是金”了。毕竟没有人愿意为过期的旧剧本持续买单。
所以说,这对“碰瓷中国”的父子秀终究难逃“悖入亦悖出”的定律:谎言绕着流量兜圈子,最后套牢的是自己;石头抡出去想砸中国,却在回旋中先砸了自己的脚。劝二位一句:别把观众当傻子,别拿谣言当护身符。真相的回声会比任何算法都响亮;账目的大白也容易胜过最动听的血泪演讲。互联网有记忆,真相会留证据,欠下的债,迟早要用现实来偿还。愿这对父子,及早清醒——否则,收割到最后的,恐怕只有自己。
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ari0921 · 7 months ago
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
  令和七年(2025年)1月11日(土曜日)
    通巻第8591号  <前日発行>
 [こ、これはウクウライで爆撃された都市の惨状より酷い」
  セレブが一夜にしてホームレスに。ロスの山火事。18万人が被災
*************************
 「文春砲」など問題にしないのが「トランプ砲」だ。
 史上空前のカリフォルニアの山火事は住宅地を焼き尽くした。死者が最低でも5名、焼け落ちた建物は九千棟から一万軒。避難した人々が18万名。被害総額は80億ドル以上だろう。保険会社は120億ドルを推定している。
 サンタモニカの北、パリセーズ地区の火災は17,000エーカーを焼失(鎮火率0%)、イートン火災は10,000エーカーに拡大(鎮火率0%)。ハリウッドヒルズ地域のサンセット火災が延焼中。
この惨事の前、治安悪化、不法移民、麻薬の蔓延で米国ハイテク産業の花形企業が逃げ出した。イーロンマスクもザッカーバーグも。
そのカリフォルニア州、弱り目に祟り目。
 トランプ次期大統領は吠えた。
 「水の管理が悪い、ほかのこと(不法移民にテント村。950ドル以下の万引きは逮捕せず)に予算を使い果たし、消化システムを整えなかったカリフォルニア州知事とロス市長の無能がこの惨事を引き起こしたのだ。かれらはすぐにも辞任せよ」。
 長男も攻撃を追加する。
 ドナルド・トランプ・ジュニアは追加砲撃を加えた。
「民主党主導の州の山火事への対応がまずかったのは、市の消���署がDEI(多様性、公平性、包摂性)政策に重点を置いた結果だ、能力よりも「意識的な美徳」(woke)の表明を重視する人たちの責任である」。
 カリフォルニア州は5億ドルをDEIに費やした。バイデンはウクライナに追加で80億ドル支援を約束した。
「バイデン政権はこれまで、ウクライナの消防署16か所に装備や救助ツールを提供していたが、で、カリフォルニア州の消防署には山火事対策に必要な物資をすべて供給していなかった」と指摘する声がXには多数寄せられた。
 ▼ハリウッド映画の製作にも影響がでるのか
トランプ次期大統領は続けた。
「ニューサム知事はカリフォルニア州に何百万ガロンもの水が流入することを可能にする法案への署名を拒否した。州民よりも『質的に価値のない魚』(蛸禁漁のこと)を選んだ。早急に辞任すべきた」
 ロサンゼルス市長のカレン・バスは暴風警報が出ているにもかかわらず週末にアフリカ旅行に出発した。
この市長は2024年に市の消防署予算を1,700万ドル以上削減した。
 セレブのパリス・ヒルトンらの自宅が全焼。豪邸にすんでいたセレブは一夜にしてホームレスとなった。住宅焼失のセレブはほかにビリー・クリスタル、アンソニー・ホプキンス、アダム・ブローディ、アンナ・ファリスらだ。
 アメリカの富の象徴ハリウッドが消えて無くなる? 全米のテレビは現場から悲壮なアナウンスとともに実況中継をしている。
 1月7日、ギャビン・ニューサム(カリフォルニア州知事)は「非常事態」を宣言した。バイデン大統領も8日、大規模災害を宣言し、国防総省に対して消火活動に必要な軍人を出動させるように指示した。
 バイデンは予定していた最後の外遊、ローマとバチカン訪問をキャンセルした。
 なんだか、江戸の明暦の大火を思わせる
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castatratewriter520 · 1 year ago
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西部牛仔(七)結局2
在妻子強烈的警告後,馬汀與約翰就沒有繼續在網路上聊天,為了避免被妻子誤會的馬汀,告訴了威廉說,到時候約翰來德州時,他沒辦法去接他們,就是希望可以避開兩人的接觸,威廉也知道馬汀的難處,於是就不勉強馬汀去接人了。飛機在兩天後,準時抵達了德州,期待見到馬汀的約翰,並沒有在機場外看到馬汀,反而是布魯斯,約翰問怎麼不是馬汀來接他們呢,布魯斯表示馬汀沒辦法來,所以拜託我來,約翰以為只是馬汀工作太忙無法來接他,就沒放在心裡,但是從抵達當天開始,一直到約翰都已經完成手術兩天了,馬汀依然沒有來探病,約翰意識到是馬汀���意不與他見面,就在第四天的時候,約翰忍著陰囊腫脹的疼痛,偷偷離開診所搭車前往農場,下車後的約翰,看到了馬汀正赤裸著上半身,努力工作中,約翰在遠處喊了馬汀的名字,聽到了約翰的聲音之後馬汀,被突然出現的約翰嚇到,但是馬汀只能夠故作鎮定的態度冷冷回答約翰,約翰除了質問馬汀為什麼突然要疏遠他,只剩下內心遏止不了的憤怒,但是馬汀只說,我們當時只是一時衝動而已,不要放太多的感情,約翰不相信馬汀的話,一直想挽回兩人的感情,他告訴馬汀,那天他看著馬汀的眼睛時,他一直都知道馬汀是喜歡他的,怎麼可以說不愛就不愛了,約翰說的是真真切切,他的話再次動搖了馬汀的內心,馬汀抱住了約翰,他是真的被約翰的決心給感動,他終於向約翰坦白,是因為他的妻子表示,只要他再跟約翰有任何關係,他絕對會做出更多瘋狂的事情來,我擔心你會受到傷害,我只能疏遠你,約翰覺得馬汀太小看他了,不論發生什麼事,我都會跟你在一起的,馬汀告訴約翰,你不了解我妻子的家族,他們可是赫赫有名的名門,家人都是醫生,除了我妻子是護士之外,而且他們與黑道也有認識,我怕他們除了殺了我之外,也可能會殺了你,約翰說,我不怕自己被殺了,我只怕他們殺了你,所以無論如何,我都會保護你的,兩人再一次抱在一起,這一幕被來農場載馬汀回家的妻子看到,此時,他妻子的內心誕生了一個可怕的想法,既然兩人這麼愛對方,那就一起體驗一下失去的滋味,馬汀的妻子當天沒有回家,而是跑回父母親的家裡,她跟父母控訴了馬汀的背叛,要他跟約翰一起付出代價,不忍女兒受到如此對待的父親,他告訴女兒,他會讓馬汀再也無法跟他在一起,女兒擦拭著眼淚,她表示她只要馬汀回到家裡,扮演好老公跟父親的身份,並且離約翰越遠越好,父親表示一切都由他處理。
隔了三天之後,約翰完成了拆線,已經成功完成了絕育手術,他與馬汀約好等一下一起去城裡走走,接著隔天就要回紐約了,約翰希望馬汀跟他一起回紐約生活,但是馬汀想到自己還有老婆跟孩子,他不能這樣離開德州,很快就拒絕了約翰,正當兩人都在公園聊天時,一台休旅車停在兩人旁邊,下來了一群惡煞,馬汀和約翰被押��了車,兩人被蒙上眼睛,四肢還被控制,兩人就算想逃走也沒辦法,很快兩人就被押到了一間秘密房間,坐在了板凳上,當兩人的眼罩被拿下時,馬汀立刻認出了眼前的人,他就是自己的岳父,岳父立刻大罵馬汀,不知好歹竟然敢背叛他的寶貝女兒,而對象竟然還是個男人,馬汀想告訴他的岳父,一切都是誤會,約翰已經要離開德州了,他只是按照自己工作,陪自己的客戶而已,沒做出任何傷害自己老婆的行為,但是前幾天馬汀抱著約翰的畫面,早已讓妻子忍無可忍,這些事情早就傳到岳父的耳裡,因此岳父早已不願意再聽馬汀任何解釋,岳父說到,他要馬汀乖乖回去當好他的身份,而且永遠無法再作怪,於是今天身為岳父的我,要摘掉你犯錯的東西,而讓你犯錯的人,也一起接受處罰,馬汀和約翰聽到岳父的話之後,開始猛力搖頭掙扎,試圖想告訴岳父一切都是誤會一樣,但是紙是包不住火的,走過必留下痕跡,岳父為了讓他們死心,開起來電腦上的錄像,裡面就是兩個人在公園親吻的畫面,他們只能震驚的看著影片,無話可說,馬汀被幾名大漢抬到了一個桌子上,雙手被綑綁在桌上,牛仔褲和內褲被另外兩名壯漢扯下,岳父看到馬汀巨大的陰莖跟睪丸,很生氣的表示,就是因為如此天賦異稟,才想到處拈花惹草是嗎,我現在就廢了他們,讓你不能再繼續作亂,此時的馬汀嘴裡被塞住了,只能看到馬汀死命的想發出一點聲音,我知道你跟那個人一樣睪丸早已割掉,如果我依然只割了你們的睪丸,豈不是等於沒有處罰嗎,岳父吩咐手下拿出他的刀,此時的馬汀早已嚇壞了,但是沒有人可以來救他,全身都被壓制的馬汀也無法脫身,岳父並不打算做任何的麻醉,他直接抓著馬汀那副巨大的假蛋,毫不留情的一刀割下,馬汀發出撕心裂肺的慘叫聲,一旁的約翰看的全身發抖,試圖想掙脫束縛去解救馬汀,但是根本無法脫身,只能眼睜睜的看著馬汀被虐待,此時的岳父將馬汀的整副陰囊丟到了馬汀的旁邊,血淋淋的陰囊,裡面兩顆假睪丸順勢掉了出來,你以為只有這樣嗎,岳父握住馬汀的整根陰莖,用力的扯著陰莖,嘴裡說,看你沒了陰莖還敢不敢作亂,一說完就將馬汀的陰莖徹底的割下,馬汀再也忍受不了這割掉陰莖的疼痛,整個人都昏死了,岳父立刻請一旁的醫生替馬汀進行止血,而馬汀的陰莖則是被丟在一旁的地上,接著另一張桌子被硬漢們搬到約翰前面,眼看輪到約翰的時候到了,約翰一點也不害怕,反而雙眼充滿了憤怒,但是依然被綁在了桌上,褲子和內褲被全部扯破,岳父表示,原本以為是多麼天賦異稟,才讓馬汀對你如此著迷,原來也不過如此,你犯的錯就是不應該惹了不該惹的人,不僅害了馬汀也害了你自己,才剛完成割蛋手術的約翰,沒想到今天要被全部割掉,不過他想跟馬汀繼續在一起的心還是沒變,此時的岳父早已不願廢話,於是拿著剛剛閹割馬汀的刀,一刀就直接割掉了約翰的陰囊,約翰雖然也很痛,但是他現在只想狠狠的揍馬汀的岳父而已,可是一樣無法脫身,就在這樣想的時候,陰莖也被一刀砍斷了,無法承受的劇烈疼痛,瞬間貫穿了約翰的全身,此時的約翰心想,原來剛剛馬汀就是承受了這麼大的疼痛,約翰的心裡覺得很傷心難過,完全忘記自己也被割掉陰莖的事情,不過終究忍不住身體的疼痛而昏倒了,兩人再一次醒來已經是三天後了,馬汀的好友基爾和威廉都在馬汀的身邊照顧他,約翰也被安排在旁邊的病床,看到馬汀被虐待成這樣,基爾和威廉難過到哭了出來,看到馬汀清醒的基爾,激動的抱住馬汀,不斷的說馬汀可以醒來真的是太好了,馬汀微弱的聲音問著基爾,約翰呢,基爾很激動的說,你幹嘛還要擔心他,要不是因為他,你也不會變成今天這樣,馬汀只說,我不會怪他的,我自己也是愛到無法自拔,才有今天這結局,威廉說,你真的太傻了,他真的值得你變成這樣也要在一起嗎,馬汀只有笑著看著旁邊的約翰,約翰也在不久後清醒了,約翰看著馬汀哭了出來,他跟馬汀不停的道歉,他真的不希望馬汀變成這樣,馬汀不僅沒有責怪約翰,還反過來安慰約翰,一旁的基爾和威廉再也看不下去兩人的甜蜜,就離開了病房,一週後,兩人都出院了,但是因為陰莖跟睪丸都被割掉了,馬汀跟約翰只能夠重新製造一個尿孔,當初馬汀引以為傲的東西,現在只剩下一個結痂的疤痕,現在馬汀只能重新適應新的樣子,但是沒了男性陰莖跟睪丸的馬汀和約翰,不知道未來該怎麼辦,馬汀只能乖乖回到妻子身邊,擔任妻子眼中的好老公跟好爸爸,但是馬汀對她只剩下恨,早已不是愛,馬汀現在則繼續服用男性荷爾蒙,繼續在農場擔任牛仔,也會到診所幫忙,至於馬汀的陰莖,被威廉帶回來和睪丸放在一起,約翰的陰莖,因為現場混亂已經找不到了,馬汀現在只能看著防腐劑裡面的陰莖和睪丸,回憶過去的日子,約翰也回到了紐約,但是失去陰莖跟睪丸的他,原本以為���失去球員身份,但是沒想到他竟然沒有被辭退,反而還能繼續待在隊裡,只是經過了這次慘痛的代價,約翰和馬汀再也沒有聯絡,約翰與馬汀雖然還很喜歡彼此,但是再也沒有辦法在一起了。
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gemu8266 · 3 months ago
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UndersoulsというAUを思いついたので今思いついてることを共有します
大まかな設定
あるプレイヤーがNルートとPルートをクリアしたが、フラウィーからGルートのヒントは与えられなかった。フラウィーは何かを企んでいるように見えた。
プレイヤーは新しくゲームを開始した。
⬇️
フラウィーが アズゴアがソウルを1つ手に入れた所でアズゴアがバリアの外へ出てソウルを6つ奪うと国民を助けれる と教えた
⬇️
アズゴアがバリアの外でソウルを6つ手に入れてきてバリアを破壊して国民を全員解放した
⬇️
しかしアズゴアが人を殺した事を知っていた人間たちは第2の戦争を始めてしまった
⬇️
そしてまたモンスターは敗北してしまい、地下に閉じ込められたが、モンスター達はソウルを28個手に入れていた。
⬇️
アズゴアはまたバリアの外に出ると第3の戦争が始まる と考え、さらに大量のソウルを手に入れるため地下に人間が落ちて来るのを待った
⬇️
しかし、ソウルを保管していた場所から謎の爆発が発生。大量のソウルは破片となって色々な所に飛び散ってしまった。スノーフル、ウォーターフェル、ホットランド、ラボ、、(いせきは閉じているため無害)
⬇️
大量のソウルは色んなモンスターに移ってしまい、モンスターには決意が注入されそのせいでモンスターは姿が変わってしまった。
ほとんどのモンスターは人間たちへの憎しみでケツイが強くなっているため、姿が不死身のアンダインのように変わっていたり、ケツイが弱いモンスターは溶けていたりする。
機械や実体がない一部のモンスターはソウルを取り込めない。
(マネキン、ナプスタブルーク、ツンデレひこうき、メタトン等)
いせき、しんじつのラボにいたモンスターは影響を受けていない。
(フラウィ、トリエル、フロギー、ナキムシ、etc…)
⬇️
そして、フリスクが落ちてきたのだった、、、
設定
プレイヤーが旅をする理由は皆を助ける方法を探すため
ソウルの破片はまだ少しだけ漂っている場所もある。
目標はバリアを破壊し、フリスクが人間とモンスターの和平を結ぶこと。
ボスモンスターのキャラ設定
フラウィー
こうなったのは自分のせいだと自分を責めている。
敵意は無い。プレイヤーに助けを求めている。
トリエル
いせきに居たため影響を受けていない。
原作と違いさらに過保護になっている。
いせきのモンスターでさえ外に出ない様に守っている。
プレイヤーが外に出ようとした時、原作同様戦闘する。停戦方法も原作と同じ。
しかし、ソウルが遺跡に入ってくる可能性があるため、
プレイヤーから離れてプレイヤーがいる場所からいせきまでの道を封鎖する。
アズゴア戦で再会。
サンズ
ソウルをかなり取り込んだため、大きく姿が変わっている。
こうなったのはプレイヤーのせいだと信じきっているため、プレイヤーにいきなり襲いかかるが、サンズを説��すれば停戦可能。
パピルス
しんじつのラボに逃げ込んだ為、助かっている。
しんじつのラボからプレイヤーの旅について行く
アンダイン
不死身のアンダインのようにはならず、化け物のような姿になってしまった。
言葉は話せない。
停戦方法は無し。倒せ!
アルフィー
パピルスと共にしんじつのラボに逃げた為、助かっている。
一部のモンスターをしんじつのラボに避難させたが、そのモンスター達は大多数がアマルガムになった。
アズゴア
1番ソウルを多く取り込んでいる。
化け物のような姿になっていて戦闘して倒す。
アズゴア戦で再会。
その他キャラ設定
いせきのフロギー・ナキムシ・ベジトイド etc…
何も知らないため普通。
ナプスタブルーク
戦闘がなくなっている。影響なし。
ースノーフル編ー
いせきを抜け出したナキムシ(サッドライ)
原作でサンズがいた道 で戦闘。
オワライチョウ ジェリー ナキムシが合体したアマルガム。
停戦方法:行動からなぐさめるを選択した後3ターン戦闘すると停戦可能。
戦闘は1回のみ
オワライチョウ
溶けている。
ダジャレを言うと停戦可能。
いきがりバード(ドーバ・リガキィ)
中途半端なケツイのせいでアマルガムの化け物になっている。
いきがりバードが三体合体している。
1ターン戦闘すると停戦可能。
ヒョー坊
戦闘無し。しんじつのラボに1匹いる
レッサードッグ
3つの首が生えていて首が異様に伸びた化け物になっている。
3回撫でると停戦可能。
アマルガムではない。
ジェリー・グライド・ギフトロット
このAUでは遭遇なし。
ワンボー・イヌッサイヌッス・グレータードッグ
アマルガムになっていて青攻撃を沢山使ってくる。
倒すしかない。
ーウォーターフェル編ー
アーロン
腕を無くしていて大きく開いた顎で噛み砕こうとしてくる。
チビカビ
最初から逃がせる。
かなり溶けている。
デカカビ&テミー(M0lDy guMmY)
アマルガム。
ほうっておく を選択後、手を振る を選択すると停戦可能。
ウォッシュア
戦闘無し。しんじつのラボに2匹いる
ぷんすかマネキン
このAUでは遭遇無し
シャイレーン&アイスウルフ
アマルガム
スノーフルのアイスウルフと合体したため大きな口を持った魚のようになっている。
ハミングしたあと餌をあげると停戦可能。
戦闘は1回のみ
〜ホットランド編〜
かざんちゃん
大きな火山のようになっている。優しくハグすると停戦可能。
ツンデレ飛行機
影響なし。戦闘はあるが攻撃をしてこない。最初から逃せる。
内気で弱々しくなっている。いつも震えている。
しんじつのラボに一体いる。
パイロープ(カイテロート)
アマルガム
エンカウントした時ヒートアップをした時のような画面になる。
4体合体していてタイヤのようになっている。
メタトン
しんじつのラボでみんなを慰めたりみんなと仲良くしている。
RG01 02
アマルガム?
2人合体して剣を4本持っている。蜘��みたいな体勢で2人合体した頭を回転させている。
マフェット&大量のクモ(ノスパイダーズ)
アマルガム
とても大きなクモになっている。停戦方法はなし、逃げるのみ。
〜コア〜
Fフロギー&ナキムシャ・ランシー (Hell)
ナゾのこうどう&いのる&からかう&からかわないを全て選ぶと停戦可能。
アマルガム
戦闘は1回のみ
マジク&グッナイト(スリーピー・マジック)
停戦方法は無い。
アマルガム
倒せ!(戦闘は1回のみ)
〜オリジナル〜
〜しんじつのラボ〜
メタトン2
外の状況を見るために作られたロボ。カメラが着いているため真実のラボに情報を送れる。
〜アマルガム〜
グライド&いきがりバード(NETEN)
煽る を選んだ後、無視する を選べば停戦可能
エラー008
黒い四角のような見た目
2体同時にエンカウント片方が008でもう片方が012
行動からデータを修復 を1匹ずつ2回選ぶと停戦可能
ルート
Journeyルート
全員停戦せず全員殺さずで達成。
アズゴアを倒した後、アズゴアが取り込んだソウルは全て塵となった。
その為、アズゴアが取り込んだソウルを使ってバリアを破壊できなくなった。
なので、フリスクは自殺し、ソウルをパピルスに差し出した。
パピルスはバリアの外に出て、渋々人間を6人殺しソウルを奪い、バリアを壊した。
しかし、第3の戦争が起こり、モンスターは全員殺されてしまった。
Persuasionルート
殺さないといけないモンスターは含めずに全員停戦した場合達成。
アズゴアをなんとか説得し、アズゴアは自分の取り込んだソウルを差し出し、アズゴアは死亡してしまうがバリアを破壊する。
そしてフリスクはモンスターと人間の間を取り持つ大使になったのだった。
Genocideルート
全員殺害した場合達成。
アズゴアを倒した後、フリスクはパピルスもアルフィーもトリエルも殺してしまう。
しかし、フラウィーが現れ、パピルス、トリエル、アルフィーのソウルを全て取り込み、アルファフラウィー戦が始まる。
ばしょ
いせき
原作と違いはほぼなし。
トリエルとの戦闘がある。
スノーフル
ところどころ木が倒れていて、原作のような活気は無い。
サッドライ、サンズ、犬4体との戦闘がある。
ウォーターフェル
原作とほぼ違いはなし。
シャイレーン&アイスウルフとの戦闘がある。
アルフィーのラボ
真実のラボにアルフィーとパピルス、モンスターとアマルガムがいる。
プレイヤーが真実のラボに来た時、エレベーターが壊れてしまい修理する方法を探すことになる。
アマルガムとの戦闘がある。
ホットランド
メタトン関係のイベントがほぼない。
RG01 02とノスパイダーズとの戦闘がある。
コア
かなり暗くなっている。
Hellとスリーピーマジックとの戦闘がある。
追記
思いついただけなので抜けてるところとかガバガバな所はあると思います。
いつかUndertale AUとしてゲーム化したい😭
(技術がない)
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smapwpgas · 7 months ago
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彼(か)のコラボイベどうなってんの???いやマジで
現在某所で配信されてる某コラボシナリオこと某某某ー某・某ー某某a.k.a.異世界寝取りサモ太郎ですが もはやツッコむ気力さえなかったり読んですらなかったりする人もいると思うけど
パラレルともifともつかない改変が入ってるのに原作と同じ展開に着地させるいびつさが不気味なコラボを名乗る何か
と化しているので本日はこれについてお話します…
※以下の文章では前作(隠語)主人公に名前がない&前作世界で彼の体に入っているという設定で話が進むため前作主人公を「主人公」、公式の負の側面が前面に出た今作(隠語)主人公を「一部シナリオで感じ悪い選択肢で会話し始める」「ストラグルで突然『修行してないのに尋常じゃないくらい剣が強い』という謎のイキリ設定が追加された」「伏線とはいえ『召喚されたのに召喚することもできる特例で普通は一人でも大変な契約が無限にできちゃって元々は前例のない全属性で神そのものの存在から前世ポ(前世の面影を感じてデレること)でチヤホヤされる』という設定がよく考えると痛々しい二次創作オリジナル主人公っぽい」などの理由から以前からネタで使っていた「サモ太郎」と呼びます ※言わずもがな前作とコラボシナリオのネタバレしかないです ※よくいる妄想でフォローおっぱじめる人は原作に書いてないこと主張するなとは言わないから推測として成立させるための出典出してね ※悪いのはキャラではなくシナリオとプレイヤー
要点:前作が世紀の大傑作と言うわけじゃないけど丁寧に書かれてたしここまで酷くなかったのは確か
「パラレルともifともつかない」について
コラボシナリオの舞台は「前作1章のイベントである魔王アンセスターの襲来が起きなかった世界」と明言されていて、この点に関しては言い訳ではなくコンセプトとしてパラレルになっていますが、それ以外の部分もしっちゃかめっちゃかに改変が入ってるのが問題です。 とりあえずざっくりと前作基準で時系列を分けると
A:アンセスター襲来以前、各キャラの悲しき過去…に相当する部分 B:アンセスター襲来~打倒、1章に相当する部分 C:アンセスター打倒以降、2章~に相当する部分 の3つに分けられます。
前述のきっかけによって前作のパラレルになったコラボシナリオがB’だとして ・Aは変わるわけないじゃん ・B’がBと変わらない展開になるのおかしいやろ ・↑のせいでオリジナルのシナリオのテーマ性が台無しになった というのが論点です。
Aは変わるわけないじゃん:オルグスの生い立ちの説明が「エアプでもこんなんならんやろ」ってくらい雑すぎる問題
前作とコラボシナリオで共通した設定 ・国王の子供なので王位継承権がある ・事情があってその事実を隠して平民として育てられた ・現在は騎士団の団長 ・同じく国王の血を引いた弟がいる ・指輪は王権の象徴
前作での説明 ・国王(前国王)と公に認知されていない関係を結んだ母親から生まれた子 ・弟は当然異母兄弟にあたる ・王位はオルグスの父から継承権が公に認知されている弟へ移っている ・世継ぎ争いを避けるため(資料集曰く父である王から殺されかけて)死んだと偽り、事情を知る後���人以外の援助無しで平民として育てられた ・騎士の道に進んだ動機は復讐心 ・指輪は魔王アンセスターの襲撃で壊滅した王宮から持ち出された後に現国王である弟の遺言に従いオルグスに譲渡された
コラボシナリオでの説明 ・母親が王妃なのかそうでないのかすら不明 ・弟と異母兄弟なのかも不明 ・王族ではないけど血統的には継承権第一位扱いとかいうよくわからん状態で王位が父と弟どちらかにあるのかも謎 ・国のために(詳細不明ふんわり感)兄弟のどちらかを選ばなければならないということで天秤にかけた結果(妾の子では?)放っといても死なんやろ的な雑さで捨てられて平民として育てられたけど王になってもいいように教育を受けた(??????) ・騎士の道に進んだ動機は「兄だから弟とか国とか護らないかんじゃろ」という責任感 ・なぜか指輪は自分が持ってる(王族から外れたって自分で言ったじゃん)
前作でわかるオルグスの生い立ちは弟があくまでも父母の関係の副産物でメインはオルグスが王の落胤であることにある印象なのに対して、コラボシナリオではいわゆる「掟によって生き別れになった双子」的な「引き離された兄弟のエピソード」として書かれていて王の落胤という設定に関してはそもそも存在しないように扱われている気がします。 仮定は仮定でしかないけどこの推測が当たってたとしたらもうそれ別人ですよね??? 起点過程を弄り回して着地点だけ元ネタに合わせるの無理ありすぎでしょ… とシナリオを読んで呆然とした気持ちが伝わったでしょうか。 まあここからもっと酷くなるんですが…
B’がBと変わらない展開になるのおかしいやろ:「一周目(仮)*で好感度が蓄積した」とかいう雑な言い訳で即デレさせるのやめろ *一周目=コラボシナリオで触れられている前作本編と思われる本来のストーリーのこと
上の方でキャラの根本的な設定が弄り回されてることに関して説明したけど本編そのものも魔王の不在によって重大な食い違いが生じています。 コラボシナリオの状況設定では主人公がオルグスとソールにとって(オリジナルほど)大事な存在にはなり得ないからです。
これについては後ほどさらに掘り下げますが、コラボシナリオでは死にまつわる要素、重いトーンの設定がことごとく削られている気がします。 ですが、前作のシナリオはキャラクターにとってリアルな死や痛みがなくては成立しません。
主人公は「世界を見捨てれば自分は助かる」という状況から自ら命を危険に晒すことによってメタ視点における主人公としての資格とキャラクターからの信頼を獲得する。 オルグスは勇者が故郷を滅ぼした魔王への唯一の対抗手段であり、頼らなければならないという気持ちが強かったからこそ、その能力があるとは思えないただの子供だった主人公��の失望によって襟首を掴み上げる程の怒りを露わにして厳しく当たり、旅の中で人格と能力を認めて初めて信頼する。 ソールは自分の命は大義のために捧げられるものという価値観の中で生きてきたことを否定され、修行を通して抑圧してきた幼少期の両親の死に対する負の感情をさらけ出すことで教会が定めた主従を越えた信頼が生まれる。
ここで描かれていた感情の重みと動きはコラボシナリオで全て無くなりました。 後に残ったのは「なんかわからんけど縁を感じる」という今作本編後半から顕著になった主人公に対しての無条件の好意と同じ初見配偶者面。 なんでかって言ったら今作みたいというところで分かる通りまあサモ太郎(を操作している「キャラは自分に対してデレデレすることにしか価値がない」という認識でガチャに費やした金額を誇るプレイヤー)のためですよね…
お前!それは!!海底都市で!!!散々!!!!批判しただろ!!!!!
歴史は繰り返す…
変な改変があるのに別のストーリーになるわけでもなく中途半端に展開をなぞるせいでオリジナルのシナリオのテーマ性が台無しになった:感情が薄い!軽い!重要なイベントをことごとくスキップするAny%タイムアタックのようなシナリオ
いよいよぶちギレ金剛してこの長文を書くに至った現時点での最of悪パートであるコラボシナリオ2話後半について前作と比較する形で触れていきます。
オリジナルである前作「竜の山を越え、西へ」の流れ
魔王に故郷が滅ぼされたことによってオルグスの故郷の人々が東へ避難している辛い現状の描写(コラボシナリオ:そんなものはないが魔王がいないので妥当) ↓ 第三者の口を通じてオルグスが前王の血引いていることが明かされる(コラボシナリオ:「育ち良さそう」と言われただけで自分からペラペラ話す) ↓ 弟への復讐心とおそらく肉親としての情*が混ざった複雑な感情(コラボシナリオ:兄だから守らないといけないけどあいつが捨てられればよかったのにという雑な感情) *「アンセスター討伐」参照 ↓ 山で生活していた部下が騎士としての誇りを失い、山賊に身をやつしていたことに対する怒りと自責の念(コラボシナリオ:山賊落ちせず騎士のままになっているが魔王がいないので妥当) ↓ 自分の命を投げ打ってでも魔王を倒したいという覚悟のオルグスと主人公から言われたいのちだいじにを説くソール(コラボシナリオ:ゆるふわ異世界テーマパークにそんなものはない) ↓ 魔王によって生ける屍として操られている故郷の人々申し訳ねぇ…という感情(コラボシナリオ:そんなものはないが魔王がいないので妥当…なわけないだろそこ抜いたらダメでしょ) ↓ 仲間の危機に今まで逃げ腰だった主人公が本気を出し、生ける屍を��化したりオルグスの手当をしたりと自発的に行動(コラボシナリオ:そんなものはないけど「ワー言って飛び出したの見て胸キュン…」とかいうめちゃくちゃ雑でえらく出来を悪くしたようなものはあった) ↓ 他人には頼らねえ!メンタルだったオルグスが二人きりの夜に腹の底を話して打ち解ける(コラボシナリオ:三行即デレシナリオにそんなものはない) ↓ 信頼とかその他諸々の証としてボロボロになった国の失われた王位を象徴する指輪を渡す(コラボシナリオ:別に主人公になんも世話になってないけど急に「護りたくなった」とか言ってふっつ~にまだ全然余裕で存在してる国の王の配偶者が持つべき指輪を昨日今日で会った他人に押し付けてくる知らんオッサン)
出生の秘密一つとっても前作だと「主人公との間に割って入ってきた知り合いの話を立ち聞きしたせいで察してしまい、知られた本人は聞かれたことには触れず苦い顔」って流れでプレイヤーに明かされて「トラウマ解消と信頼を構築して指輪を主人公に渡すシーン」を経て初めて自分から認めて主人公に語るんですよ… https://twitter.com/rokunai/status/1271626270997008384この落差
そして上のチャートでわかるように前作で重要なテーマは「身近な人の死による痛み」「死者の冒涜(前半では死者に安らかな眠りを与えず永遠に苦ませること、後半では死者の肉体を人格を入れるための器として扱うこと)は悪」です。 何が辛いか、何が悪かという基準がないまま心の傷とその回復を扱うストーリーを展開することはできませんし、コラボシナリオは実際そのコンセプトを達成できていません。 前作とは全く別の着地をするならこの批判は適切ではありませんが、この場合は雑ななぞりを経て同じ場所(2話後半を例に出すと主人公を認める・指輪の譲渡・恋愛感情の匂わせ)に着地するので問題です。 海外ではストーリーにおいて重みのある死のわかりやすい例えとしてライオンキングのお父さんが出てきますが、それが「でぇじょぶだ、ドラゴンボールで生き返っぞ!けどおめえは父ちゃんが死んじまったみてぇに泣いて頑張って王になってくれよな!」と言われてるようなもんですよこれ。無理でしょ。
更に言うと前作はラストで「主人公(プレイヤー)が歩んだ道のりがあるからこそキャラクターたちの好意は主人公に向けられているのであり、それを別の誰かが横取りすることはできない」という明確なメッセージを打ち出しています。 サモ太郎、別の誰かですよね? もっというと相関図でキャラの感情が好き放題弄れますよね? ボタン一つで設定した恋愛関係の重みってなんですか?
コラボシナリオではまともな描写がないから好き放題に弄れ���のが妥当だとしても酷いし、本来の前作本編で結ばれた「絆」とやらがボタン一つでフイにされるものだとしても酷い。 キャラクターの感情の重みを蓄積した好感度としか見ていない薄っぺらい価値観のシナリオを公式が出しちゃダメでしょ。 シチュエーションを変えてイベントだけ踏襲した結果オルグスが無意味に人の襟首掴んで喧嘩売ってくるチンピラになったとか男同士のキャットファイトみたいな不快描写やめろとか暴れて店を壊すアホゴリラと化した理性のないキャラクターありえんとか他にも突っ込みたいところは無限にあるけどもう疲れたので終わりにさせてください。
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moko1590m · 5 months ago
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日常生活での少数の個人間の人間関係において、優位に立ったとても悪い人間が、他の人間にそのことや、それを生んでいる人間関係の仕組みを気付かれないように、別の、悪い人間や悪い行いへと、身近な人の怒りなどの強い感情を抱かせるように仕向けたり、とても楽しいことを宣伝したり夢中にさせたりして、注意をそらす、ということがいろいろな形で行われていますが、そういう人間関係の在り方や、優位に立った人間の立場からのそういうやり方を表現する短い表現や、具体例をできるだけたくさん教えて
ChatGPT said:
日常生活の少数の個人間の関係で、優位に立った悪意のある人が他者の注意を逸らすために使う手法や、その状況を表す短い表現、そして具体例を紹介します。
短い表現
スケープゴート - 他者を悪者に仕立てて非難の対象にする。
目くらまし - 注意を他のことに向けて本質を隠す。
ガスライティング - 相手の認識を操作して、現実を疑わせる。
分断統治 - 他者同士を対立させ、支配を維持する。
陽動作戦 - 偽の問題や出来事で注意を引き付ける。
プロジェクション - 自分の悪行を他者に投影し、罪をなすりつける。
エンタメ支配 - 楽しいことを強調して問題から目を逸らす。
偽装善意 - 見せかけの善行で悪事を覆い隠す。
心理的分散 - 複数の小さな問題を作り、注意を分散させる。
情緒操作 - 怒りや同情、喜びなどの感情を操作して冷静な判断を妨げる。
具体的な例
1. 家庭内での例
親がきょうだいを競争させる → 自分の権威を維持するため、きょうだい同士を比べて対立させ、親への不満をそらす。
支配的な配偶者が友人を悪者に仕立てる → 友人への信頼を揺るがせ、孤立させることで、支配を強化する。
親が家族の問題を他の家族のせいにする → 自らの虐待や過干渉を隠し、特定の家族を「問題児」に仕立てる。
2. 友人関係での例
友人グループでのターゲット作り → 自分への批判を避けるため、グループ内の1人を悪者に仕立て、他のメンバーの怒りをそちらに向ける。
自分の過ちを笑い話に変える → 重大な問題を軽いジョークにして周囲を楽しませ、問題意識を薄れさせる。
誰かを悪者に見せるための噂��� → 自らの悪行を隠すため、他者の噂を流して注意を逸らす。
3. 職場での例
上司が部下同士を競争させる → 自身の管理責任を逃れるため、部下同士の対立を煽る。
不正を隠すために他部署を批判する → 自分のミスや不正が発覚しそうなときに、他部署の不手際を大げさに取り上げる。
楽しいイベントで士気を上げるふりをする → 不満が高まっているときに、レクリエーションや表彰を行って問題から目を逸らす。
4. 学校での例
いじめ加害者が被害者を悪者に仕立てる → 「被害者にも非がある」と吹聴し、教師や周囲の関心を誤った方向に向ける。
生徒同士を競わせて校内の不満を抑える → 成績やスポーツでの競争を煽り、学校運営の不満を逸らす。
楽しい行事で校内問題を隠す → 学校の問題が表面化しそうなときに、文化祭や体育祭などのイベントで盛り上げる。
5. 恋愛関係での例
浮気を隠すために嫉妬を煽る → パートナーに他者への嫉妬心を植え付け、自分の浮気への疑念を逸らす。
束縛を正当化するための噂流し → 「周囲は信用できない」と吹き込んで、相手の交友関係を断絶させる。
サプライズで罪悪感を覆い隠す → 問題を話し合うべき場面で、プレゼントや旅行などで気をそらす。
まとめ
このような手法は、権力を維持したい人や自分の非を隠したい人がよく使います。短い表現としては「スケープゴート」「目くらまし」「ガスライティング」などが適切です。具体例としては、家庭、友人関係、職場、学校、恋愛など、あらゆる場面で見られます。
もし特定の状況についてさらに詳しく知りたい場合や、対策についても知りたい場合は、教えてください。
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ashi-yuri · 5 months ago
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ジャミル・ジャン・コチャイ「きみはメタルギアソリッドⅤ:ファントムペインをプレイする」
きみはゲームを、ここにはない痛みを、プレイできた?
噂の「ゲーム×文学」、メタルギアのプレイ体験に焦点を当てた表題作はじめ、難民キャンプで生まれカリフォルニア州に移住したアフガニスタン系アメリカ人のジャミル・ジャン・コチャイによる著作。世界と自身を取り巻く暴力とテクノロジーと混乱を反映した、密度の高い語りと痛みと勢いに満ちた短編集。
YoutubeやTiktokやRedditなどいまどきのインターネット・テクノロジーの描写がリアルで若々しくてよかったな。ひたすら反復し拡散し、物事を解決したり極端に悪化させたりするわけでもなく、ただカオスを増幅させる装置みたいになってるのがおもしろかった。
現代文学っぽく文章あたりの情報量が多くて、楽しいけれど読むの大変だった。でもこのタイミングで読めてよかったと思う。国家・歴史・社会・家族・自身のアイデンティティ、カオスのなかで引き裂かれて全編断絶と痛みに満ちているけれど、言葉で表現しようという意思と言葉の確かさ、その強さが各要素をむりやりにでも繋ぎあわせ、危険でばらばらになったものと関わり合い繋いでいくのをあきらめないことを作品そのもので表す強さを持っている。今の時代に読みたいし、評価される言葉だよなと思う。
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特に印象に残ったのは表題作「きみメタ」と、抽象性の高い「差出人に返送」と逆に具体しかない「職務内容は以下のとおり」と複雑で屈折した飛躍を見せる「巡礼者(ハッジ)ホタクの呪い」かな。要素が多く密度の高い文章を、熱量高いまま伝えてくれる翻訳も良かったです。
以下、個別の雑感
要素が多すぎてまとまらなかったので、だらだら長め。
「きみはメタルギアソリッドⅤ:ファントムペインをプレイする」
幻影の痛みを幻視し、再生(Play)し続けること。
すきなゲームだけどシナリオ・描写がもっとこうだったらいいのになと思ったら、オリジナル・キャンペーンMOD作ってもいいし、超上手い小説を書いてもいい!
アフガニスタン系移民の少年が、アフガニスタンを舞台にしたメタルギアソリッドをプレイするうちに、やがて架空のミッションをこなしゲームの中に入り込んでいく話。
ゲームに耽溺すること、周りで響く怒号、無力感、癒えない傷、紛争と暴力、家族の断絶、過去との断絶、故郷(アメリカでもアフガニスタンでも)との断絶、語り手を取り巻くすべて、文章で現れるぜんぶが切実でつらい...
これらの感情を反映し発散する場としてゲーム「メタルギアソリッド」があり、そこはアフガニスタンという馴染み深い場所で没入感があるはずなのに、その中に犠牲となった家族や故郷を救うという自分自身の願いを投影できるキャラクターもシチュエーションもないまま、やがて主人公は幻想のミッションをプレイすることになるが...
現実から逃避できる幻想のはずなのになにも叶わない!ゲームでも現実でも叔父は助けられないし父親は不可逆の傷を負うし、故郷は侵略されめちゃくちゃになる。『つらい、助けてくれ><』 という読後感。そういう感情をむりやりにでも共有させようとする小説としては正解なのだと思う。
小説的なところだと、「あなた」が主��となるめずらしい二人称小説となっている。自分はイタロ・カルヴィーノ「冬の夜、ひとりの旅人が」を読んだくらいで、このときは試みとしてはおもしろくとも正直ぴんとこなかったけれど、本作は『きみは~』と連呼される語りがゲームっぽく没入感つよく感じられておもしろかった。
ゲーム、特にFPS・TPS系は没入感強めジャンルだし、ゲーム自体プレイヤーのインタラクトがないと存在しえない二人称の「君・あなた」を強く意識させるメディアなので、『きみは~』という語りに説得力があって相性いいんだろうな。
って、二人称のこじんまりとしたゲーム用シナリオを自分で書きながら思った。
(翻訳者さんの解説記事・おすすめ)
「差出人に返送」
それでも繋ぎ合わせる
(爆破テロor誘拐殺人により)バラバラのになってしまった息子が送られてくるので、ただ繋ぎ合わせていくアフガニスタン系医師夫婦の話。シュールレアリステイックで象徴的な作品だからこそ、本作に共通するテーマを一番ダイレクトに感じられた。
「もういい!」「バタフラワとミリアム」
つらい><
小説としては、流暢な語りでユーモアや空想の飛躍もあって読みやすくしてくれているけどもつらい。
「ハラヘリー・リッキー・ダディ」
いろんな闘いといろんな愛とSNS
リッキーの愛が世界を露呈し、リッキーへの愛だけがかすかに残る。電子レンジがすべてを解決してくれると信仰するくだり、大学生ノリでばかばかしくてよかった。
「サバーの物語」
ずっと奪われること、ずっとあり続けるもの、そして美しいフィクション。
「職務内容は以下の通り」
時系列順に、語り手が体験してきた職務を淡々と並べるだけの短編。「差出人に返送」と逆で、事実の羅列という体だからこそ迫るものがあってよかった。
解説などは特にないけれど、ワタク叔父さんが語り手の弟として出てくるので、おそらく父親をモチーフにした話なのだと思う。
各短編で繰り返される、戦乱のアフガニスタン・ロガール州での若き叔父の惨死と、アメリカにわたって生き延びた父親が異国の地の過酷な労働のなかで体(首の神経と肩)を壊し鬱病をわずらい自尊心を損なわれ続けていること。そして暴力と軋轢にまみれながら美しい故郷。いろんな話のなかで救えなかったこれらのことが何度も何度もよみがえっては、時代も場所も違ってどうすることもできない話者に憑りついている。だから語りだけがこんなに強度が高いのだろうか。
カブール発の最終バスで家に帰る(一人で)/バスの窓に頭をもたせかけながら、これが巡礼者(ハッジ)アローの骨ばった肩だったらいいのにと思う。
「ガルブディンを待ちながら」
ゴドーを待ちながらのオマージュ。むずかしい...
「ヤギの寓話」
寓話にしないと語りえないような、あまりにぐちゃぐちゃなアフガニスタンの人々ととあるアメリカ人兵士の現実と感情と邂逅
もうめちゃくちゃ><
カスティールはその年の二十回目の爆撃任務を終え、反乱軍兵士を46名とその若き妻28名、その子どもたちを156名、その姉妹を48名、その弟を73名、その母親を19名、その父親を10名、その鶏を22羽、その雌牛を8頭、その雄牛を3頭、その果樹園をひとつ、そのミツバチを3000匹ほど、見事に壊滅させたばかりだった。もしミツバチが絶滅してしまったら、人類も絶滅するだろうという仮説が提唱されているというのに。
「サルになったダリ―の話」
中編。生きていること、アメリカにいること、なぜか死んでいないこと。それを書いて糧にしていること。もろもろ。
「巡礼者ホタクの呪い」
ずっとあなたを見ている。
監視者が。罪の意識が。大いなるなにかが。
移民文学・映画はいくつか見た程度で雑な話しかできないけれど、祖国でも現在地でもディアスポラであり、親世代ともルーツへの意識の差や確執があって、それでも自身のルーツを見つけ折り合いを付けながら、自らのアイデンティティとして受け入れ、今いる場所で懸命に生きていく(or新しい場所を探しに行く)ものが多い印象があった。それは健全で、新たな地で生き抜いていくには必要なメッセージなんだと思う。
けれど、本作は同じく移民文学としてはだいぶアプローチが違って、ルーツであるアフガニスタンと今いるアメリカをぐちゃぐちゃに結び付けようとしている。小説の語りの力やテクノロジーの力で。ほかの作品では少しずつ遠く、消化されていく、ルーツとなる土地の痛みと軋轢が、ここではずっと語り手の現実に繋ぎ合わされ、生々しく語られ直され続ける。
そしてなにより、さまざまな語りを用いて、ずっと救えなかったもの���何度も何度も再生(Play)することで己のなかに甦らせる、その憑りつかれている感じがいちばんすきだったのかもしれない。
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shihlun · 4 months ago
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風景的螢幕實踐 第1回 中平卓馬與西澤諭志的權力=風景論【前篇】
風景的螢幕實踐|佐佐木友輔
第1回 中平卓馬與西澤諭志的權力=風景論【前篇】
由影像創作者暨媒體研究者佐佐木友輔執筆,圍繞電影、攝影、美術與動畫中的「風景」與投射風景的「螢幕」為主���,縱橫論述各式作品的連載文章。以1970年前後的「風景論」爭辯為出發點,企圖加以更新。本篇首回將攝影師中平卓馬與西澤諭志對照,以大阪萬博為關鍵轉折點,思索現代社會中權力=風景的樣貌。 中平卓馬——風景的殘骸(Detritus)
中平卓馬與《風景的死滅》
1971年10月25日發行的松田政男著作《風景的死滅》(田畑書店)封面,使用了中平卓馬拍攝的海景照片。這張照片也出現在中平於1970年出版的《為了未來的言語》一書中,為書中跨頁照片右側經裁切後使用的版本。畫面上方三分之一為天空,下方三分之二則為白浪翻湧的海面,水平線略為右斜向下。水面上的複雜紋理、拍攝當下的模糊與晃動、粗顆粒感等元素交織在一起,構築出難以分割的視覺關係。再透過高光澤的銀墨印刷,反射出帶有物質感的黯淡光澤。
取下書衣後,書本本體的封面也同樣使用了海景照片,這次是取自《為了未來的言語》跨頁左側經裁切後的圖像。畫面中省略了天空,以海面全面覆蓋畫面為設計。印刷質地比封面更為粗糙,一眼看去甚至難以辨認是否為海洋。既像是沙灘表面的紋理,也彷彿是印表機故障所致的錯誤印刷。
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如眾所周知,這種模糊晃動的照片正是中平卓馬在《Provoke》時期的典型風格。拍攝者或被攝者的移動造成的晃動���模糊、粗顆粒、曝光過度或不足、無視水平線的不穩定構圖……這些靜止畫面中卻具有動態特質的風景,既可視為中平攝影行為的刻印記錄,也強烈主張那是由「攝影機之眼」——與人眼截然不同的視角——所捕捉的風景。中平排斥那些如內心反射或意識形態投影般的主觀、感傷攝影,致力於將攝影作為如實記錄事物的工具。
《風景的死滅》收錄了許多與1960年代末至70年代初「風景論爭」有關的松田重要論述。而中平也是這場論爭的中心人物之一,透過攝影與言說雙重實踐,發展出獨自的風景論。若讀者對當時論述不甚熟悉,聽到「風景論」一詞,或許會以為是探討「以風景為主題的攝影」或「應該記錄哪種風景?哪種風景最美?」這類直觀問題。但對中平而言,「風景」是如同「一層塑膠膜般的面紗」,遮蔽了應真正凝視之物的存在。
某個夜晚,或許是清晨,我匆忙爬上地鐵的階梯。就在轉角處,與兩位少女不期而遇。她們短暫地愣住,確實是兩位少女。高個子的是姊姊,矮個子的是妹妹——這也無誤。但當我開始凝視她們,她們迅速失去「姊姊」、 「妹妹」、「少女」的特質。我急促地、盡可能大聲地喊著:「少女們、 姊妹們、建築物、工業區,這是少女啊!」若不這麼做,這些事物就會被 從我頭顱頂部下垂的那層塑膠面紗所吞噬——這層面紗才是將我眼前一切事 物還原為所謂〈風景〉的元兇,這點已不言自明。
當某物乍現於眼前,人往往將自身內在或意識形態投射其上、賦予意義,並用「風景」這層面紗將之覆蓋,從而無法看清真實的現實。為對抗此現象,中平選擇捨棄嚴格的取景與構圖,有時甚至不透過觀景窗,任憑直覺與偶然拍攝,即所謂的「模糊晃動攝影」實踐。他的目標不是捕捉風景,而是在風景將其覆蓋前搶先按下快門,揭露其背後真正存在之物。
進一步來說,中平的風景論也受到了松田政男提出的「作為權力批判的風景論」的影響。松田曾針對1968年連續槍擊事件犯人永山則夫的動機提出見解,認為永山是被國家權力強加的均質化風景所逼迫,才開槍試圖撕裂那景觀。中平亦呼應此說,指出:「若要撕裂被權力均質塗抹的『風景』,只需一聲槍響,一道閃爍的刀光便已足夠。」那份模糊晃動所帶來的粗暴感,正蘊含著如刀劍揮下的軌跡或子彈命中的衝擊。中平的攝影,是風景的屍體,是風景被殺害現場的記錄。 無止盡的貓捉老鼠遊戲
然而,「模糊晃動攝影」迅速樣式化與形式化,不僅無法再撕裂風景,反而變成模糊投射拍攝者內在的手段。具體實例便是中平對「發現日本(Discovery Japan)」(以下簡稱D・J)活動的猛烈批判。D・J 是國鐵(今JR)於1964年東京奧運與1970年大阪萬博後為避免旅遊熱潮冷卻而發起的觀光推廣��動。初期的幾張海報(如第2號、第3號),以模糊晃動手法拍攝結合了現代都市女性與鄉村風景的畫面,營造出「美麗日本」、「美好舊時代日本」、「故鄉」等難以具體指認的匿名式、抽象式圖像,激起觀者的旅遊情感。中平尖銳指出:「就如1970年萬博成功地轉移了我們對70年安保的關注,最終讓民族主義獲得歡呼,這個D・J活動亦具有將我們的視線自現實中的種種問題引開,並持續鼓吹民族主義的政治功能。」
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對D・J的批判進而演變為對自己過去風格的反思與否定,中平捨棄原先的模糊晃動攝影,徹底排除個人情緒或意義投射,嘗試捕捉事物本來面貌。例如他在1971年巴黎青年雙年展中展出的裝置作品《循環——日期、地點、行為》,每天拍攝並當天沖印、展示,照片填滿整面牆、地板與接待台,營造出多視角、多元空間,對抗「我與世界」這種從單一視角理解世界的西方式遠近法構圖。他於1973年將這些實踐概念化為「植物圖鑑」,主張應該捕捉的是物對人的注視,而非人對物的情感投射。此過程中,中平的照片也逐步由模糊晃動轉為清晰、由夜晚轉向白晝、由黑白轉為彩色。
若硬要借用風景論的詞彙來說,中平可謂窮其一生,不斷切裂眼前出現的風景。然而,當他撕開破爛的面紗、試圖捕捉真實時,那景象轉瞬間又凝固成新的風景,視野再次被不可見的面紗覆蓋。若欲以另一手段再度撕裂,又會有新的風景湧現並阻擋視線。如此周而復始,宛如無盡的貓捉老鼠遊戲……
其實這不僅是中平作家的個人問題,或權力過於強大的證明,更關乎「風景」概念本身的侷限。文學評論家加藤典洋指出,「風景」的混亂來自於兩種相反行為同時被「風景」一詞涵蓋:一是將某地經驗對象化所形成的「風景化」;另一是風景本身被視為觀看對象而廣泛定著的「風景」。依此劃分,中平的攝影終究仍是「風景化」的範例——只是另一種尋找新風景的嘗試。即使是清晰的彩色照、多視角的裝置作品,一旦發表,就會被定型、樣式化、對象化,進入應被觀看的「風景」之列。只要繼續使用「風景」這一概念,我們就永遠無法真正逃脫風景。若真有自由的一刻,那也僅是舊有風景被新的風景取代前,那段短暫的過渡時期而已。
風景的殘骸——回顧展《中平卓馬 火―氾濫》
自2024年2月6日至4月7日,在東京國立近代美術館舉辦了中平卓馬的回顧展《中平卓馬 火―氾濫》(策展人為攝影評論家暨攝影史學者增田玲)。對這場展覽,我懷有一絲擔憂——是否會將中平卓馬整個人生對象化,作為某種凝固成型的「風景」來呈現?從模糊晃動的攝影風格到「植物圖鑑」的創作,歷經急性酒精中毒導致的失憶,最終成為如純粹攝影機般,持續記錄現實的偉大攝影家——這樣的神話。或者,被視為投入與「風景」之間一場注定無法獲勝(同時也無法完全敗北)的戰鬥之中、悲劇又英雄的攝影家——這種浪漫化的想像。如果將中平對風景不斷切裂的苦行姿態加以通俗化,那他也可能被歸類為「一位不斷逃離陳腔濫調表現的攝影家」,成為另一種陳腔濫調。
然而,這些不安終究只是杞人憂天。毫無諷刺地說,在展場中,我一張也沒有看到能被稱為「如實記錄現實」的照片,也幾乎沒有見到任何企圖偽裝那類影像的展示設計。映入眼簾的,是龐大的風景殘骸——中平所切裂、撕成破布的風景面紗的碎片,有的作為「作品」,有的則作為「資料」或「記錄」呈現。
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之所以產生這樣的印象,是因為展場中陳列的,多半並非強調藝術品獨一性與原真性的底片或原始印刷品,而是刊登於雜誌或書籍封面、裝置藝術的記錄照片等——這些反而強調攝影為複製技術媒介之性質的物品。其中甚至包含了一些在二手書店或拍賣網站上仍可購得的資料(雖然可能價格偏高)。這些大量生產的媒體,有些甚至原本就不以長期保存為前提,有的會被隨意翻閱、塗鴉、裁剪。借用電影與電視研究者保羅・格雷因奇(Paul Grainge)的用語,這類媒介可稱為「短暫媒體(Ephemeral Media)」。
“Ephemeral”這個詞原意是短暫、稍縱即逝,在媒體研究中還帶有邊緣性、一次性與可拋棄性等含義。或者,為了更進一步強調這些短暫媒體��薄弱但仍具有物質性的特質,也許應採用電影與媒體研究者阿梅莉・海斯蒂(Amelie Hastie)提出的「殘骸(Detritus)」概念——原意為「碎片」或「有機堆積物」*。
將中平的照片視為「風景的殘骸」,其意義之一在於,將這些影像作為過去實踐過程中所產生的副產物或廢棄物來對待,有助於避免過度神話化與理想化,同時分析當時人們所處的「權力=風景」的動態樣貌,以及對其各種抵抗實踐的方式。
中平經常選擇以偽裝成他所刊登媒體的方式呈現自己的攝影。舉例來說,在名為〈囚禁之旅〉的報導中,他在看似觀光地的照片角落加上說明文字,例如「就像DISCOVER JAPAN海報中那樣的摩登打扮」、「再次不斷拍攝證據照片,反覆獲得安心」等,對觀光客的視線加以諷刺。
表面上看來,這與中平自己曾批判攝影被用作語言插圖的言論似乎相互矛盾,但他並不執著於原則與主張的一貫性,而是優先因應「權力=風景」每次變形後的樣貌,展開如游擊戰般的實踐——偽裝成敵人、寄生於敵人體內,從內部動搖、破壞之。
特別是當他偽裝成雜誌等短暫媒體時,實際上是在拒絕讓自己的攝影成為具永恆價值的紀念碑,而是鼓勵觀者將這些影像作為暫時性文獻,使用一次即丟,最好在它們凝固成「風景」之前就丟棄。
引入「殘骸」概念的另一個意義,是透過強調攝影的物質性,使本應是個人且僅一次性的風景經驗、或原本抽象且無形的權力得以具體化,從而能夠被收集、組合、改造與破壞。即便只是殘骸,中平的照片也非歸於虛無,而是作為具有短暫物質性的「物」留存至今。若非如此,我們便無從得知中平過去所身處的「權力=風景」為何,也無從理解他進行了怎樣的抵抗。
透過觀看那些具實體的照片——重複翻閱、塗鴉以創造新風景、收集後並列於桌上仔細比較、依時間順序排列來追蹤權力變化的樣貌——我們便能嘗試想像那些殘骸出現之前的風景原貌,或構想出與既有風景不同的風景。透過這樣的「接觸」體驗,我們不只是以知識方式理解歷史,而是以身體實感,體會自過去至今那層層堆積的歷史厚度。這些「風景的殘骸」所堆砌而成的土壤,正是我們當下觀看世界的視角與新風景之所以能構築其上的基礎。
*在這裡,也讓人聯想到阿梅莉・海斯蒂(Amelie Hastie)為說明「殘骸(Detritus)」概念而舉的便利貼(Post-it)例子。便利貼是用來記下靈光一閃或備忘的東西,當完成其功能後就會被丟棄,具備短暫媒體的特性。然而,海斯蒂也關注於便利貼上遺留的無數思考碎片——這些片段如何被解釋、翻譯、拼接,最終形成一個完整的想法或概念。媒體研究中的「殘骸」亦同樣如此:它們是某種經驗或記憶所留下的知識碎片,透過蒐集、組合與銜接這些碎片,我們得以重建它們在變為殘骸之前的樣貌,以及使用這些媒體的經驗歷程。 出處:Hastie, op. cit. p.171.
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propwc · 5 months ago
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弱者一味抱怨,不斷沈淪,強者沈默不言,逆流而上,滄海橫流,方顯英雄本色
(20250223)
喧鬧的年代就如風一般的遠去,那顆經過生活磨礪的心,卻是已變得沈靜柔軟,撒下了溫情的種子,萌生出平和的心境,不再去追逐一場繁華,知道時光是把無情劍,會消遣世上的一切。
要想做真正的自己,那麼你也就不要太在意別人的評頭論足,而是要堅守自己的做人底線和原則,要敞開胸懷錶達自己認為重要的事情,還要盡量的準確表達自己的界限範疇,以及你可以容忍的底線。
人有兩個自己,一個病態的自我,一個健康的自我,前者懶惰逃避,後者積極向上,一個人心智越成熟,越能察覺到自己的懶惰,越是能自我反省,越是能找到懶惰的痕跡,有時一個人自認不完整,只是他還年輕。
拿得起是生存,放得下是生活;拿得起是能力,放得下是智慧,有的人拿不起,也就無所謂放下;有的人拿得起,卻放不下,拿不起,就會庸庸碌碌;放不下,就會疲憊不堪,只有放下那些無謂的負擔,才能一路瀟灑前行。
生命,原本是單純的,可是,人卻活得越來越複雜了,許多時候,我們不是作為生命在活,而是作為慾望、野心、身份、稱謂在活,不是為了生命在活,而是為了財富、權力、地位、名聲在活,這些社會堆積物遮蔽了生命,我們把它們看得比生命更重要,不去聽也聽不見生命本身的聲音了。
活著,在乎那麼多幹嘛!別人說的話,聽聽就行了,誰也做不了你的主;別人看你的眼光,知道就夠了,誰也干涉不了你的路,千萬別在意他人的評說,唾沫淹死人也不是沒見過!很多東西,是你的不用爭,不是你的不必爭,何必瞎折騰,命運不會偏向誰,更不會虧欠誰。
當你能念書時,你念書就是;當你能做事時,你做事就是;當你能戀愛時,你再去戀愛;當你能結婚時,你再去結婚,環境不許可時,強求不來;時機來臨時,放棄不得,這便是一個人應有的生活哲學了。
生命旅程越長,越有可能只剩自己獨自走下去,結婚也好,不結婚也罷,無論是誰,最後都是一個人,人生歸根到底是一個人的旅程,就像那首歌唱得那樣:“我們生來孤獨”。
有時候,我們活得很累,並非生活過於刻薄,而是我們���容易被外界的氛圍所感染,被他人的情緒所左右,行走在人群中,我們總是感覺有無數穿心掠肺的目光,有很多飛短流長的冷言,最終也就亂了我們的心神。
偶爾走走神,多麼的美好,它的可人之處在於,不費什麼周折,就能構築一個海市蜃樓般的世界,神遊一番,奔逸一番,陶冶一番,然後,回過神來,樓逝了,海遁了,雲飛了,風跑了,而你在,世界在。
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kennak · 2 years ago
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9月21日午前6時に父が亡くなった。 老健からの退所が決まり、週末のみ自宅で過ごすことが決定してからの 我が家はまさに上を下への大騒ぎだった。 家の中までの導線を確保した上で車椅子が通るよう道を整備し、 父が使っていた寝室に入るサイズの介護ベッドを調達して 高齢の母の負担が極力減るようにヘルパーの力を頼りながらの受け入れ生活だったが あれほどの労力をかけて準備したにも関わらず、わずか2ヶ月ほどでピリオドを打った。 コロナ感染からの重症化で一時は命も危ぶまれた父は、奇跡的に回復するも 肺炎により嚥下機能が著しく低下していたため誤嚥性肺炎を繰り返しては再入院し、 「急変した際の延命治療はどうしますか」とその都度医師に聞かれた。 そして3度目の再発で入院し、同じように「どうしますか」と問われた時、 半ば慣れっこになっていた私たちは「回復の希望があるならできるだけのことはやってほしいが 機械の力を借りて心臓を動かすだけの措置なら不要」と回答した。 そしてその翌日、まるで私たちの会話を盗み聞きしていたかのように父は逝った。 今年もケムコ様より東京ゲームショウにお誘いいただいていたのだが 父の容体が安定していないことからギリギリまで返事を待っていただいていた。 (快く待ってくださったケムコ様には本当に感謝しかない。ありがとうございます。) 最初から断ることも考えたが、遠出すれば気分転換になるかもという現実逃避的な思考もあり 引き延ばすだけ引き延ばした挙句に父が選んだ旅立ちの日は9月21日、東京ゲームショウの開幕初日だった。 父についてのエピソードで一番古い記憶を辿ると、幼稚園のクリスマス会になるだろうか。 園児のところにサンタがやってきて菓子を配る恒例の会で私も楽しみにしていたのだが 当日やってきたのはサンタのコスプレをした父で、特に素性を隠すでもなく 大声で私の名前を呼びながら「おおしのびん、今年はワシがサンタじゃ」と菓子を手渡した。 私は幼稚園の年少組にして「サンタは親が演っている」ことを知ってしまったのである。 生粋の目立ちたがりで役職のつくポジションが大好きだった父を見て育ったせいか 私は人一倍自分を表に出すことを避けるようになり、今もこうしてハンドルネームでブログを書いている。 母から「お父さんのようになってはダメよ」と言われて育った私は、 言ってみれば父を反面教師にして出来上がった集合体のようなもので、何から何まで合わない。 合わないのに、成長するにつれて父に似た部分が体のあちこちに、思考の節々に現れては嫌悪した。 今にして思えば、父のようになりたくない、は、父のように何事にもオープンで大らかには生きられない 内向的な自分の劣等感が生んだ、羨望からくる逆恨みだったのかもしれない。 そのことを受け入れ、父の中に幾らかの可愛らしさを見出してからの親子関係は 世間で言うところの仲の良い親子には届いていなかったかもしれないが、そう悪くもなかったと思う。 3度目の入院の知らせは突然だった。 デイサービスから「微熱があり酸素量も少ないため念のため病院に連れていきます」と連絡があり またかと思いながら病院に駆けつけた。 前々回、前回と同じようにしばらく入院して、回復すればまた退院するのだろうとぼんやり考えていたので 入院手続きのために膨大な枚数の用紙に記入しなければならないことの方が気が重かった。 翌朝面会に行くと、父は痰を吸入してもらって楽になったのか静かに眠っていた。 夜中も1、2時間おきに吸入をしていたと聞き、頭の下がる思いがする。 とてもではないが、このケアを自宅ではできなかったろう。 父は私のことはわかっていたようで「会いにきたよ、わかる?」と聞けば小さく頷いていた。 「元気になって、また家に帰ろうな」と声をかけるとまた小さく頷いていて 「この様子なら大丈夫だろう」と少し安堵した。 しかし、翌朝の医師の説明では、心臓の機能が大分弱っているので 肺炎が治るよりも先に心臓が持たないかもしれないと告げられた。 そして、冒頭に書いたように「無理な延命治療は本人も辛かろうし不要。 楽になるための治療なら全力でお願いします」と回答して帰宅した。 その日の深夜、病院から容体がおかしいと電話があり、孫たちも連れて慌てて深夜の病院に 大勢で押しかけると、別室に移動した室内で父はスヤスヤと眠っていた。 「みなさんが���着される直前に急に安定し始めて」とナースは申し訳なさそうに笑ったが 「人騒がせなじいじだ」と悪態をつきながらも皆笑顔だった。 その翌日、またしても深夜に病院から電話があり、同じように大勢で深夜の病院に向かった。 ��素がなかなか上がってこないと昨夜より病室内の空気に緊張感があったが 当の本人は傍目には穏やかに眠っているように見えた。 「こんなことがこれから毎晩続くのかしら」と母が疲労困憊の様子で口にするのを聞きながら 昨日医師に「まぁ、こんな感じで心臓がゆっくり止まってしまうほうが本人は楽だと思いますよ。 本当に眠るように、何も苦しまずに済むので。」と言われたことを思い出していた。 ほどなくして心電図を表示している機械から危険を知らせるアラーム音が鳴り、慌ただしくナースが入ってきた。 「まだいったらだめだよ」「起きてじいじ」「起きないと怒るよ」と孫たちがそれぞれ父に声をかけ 「家に帰ろうよ」と姉が語りかけた後に、それまで黙って見守っていた母が父の手を取って話し始めた。 「じいじ、ねえじいじ、本当に好き放題に生きたわね。 突然商売をすると言い始めて、30年間も私にその店を手伝わせている間に 他所で女を作ったり、こっそり家のお金に手をつけたり。 その人を連れてゴルフに旅行にと遊びまわり、飲み歩いてね。 子育てなんて全部私に任せっきりで、ほとんどしなかったでしょ。 でもねじいじ、私はそれでも、あなたにまだ居て欲しい」 父の左手を両手で包み込み、まるで駄々っ子を宥めるように話しかける母の言葉を聞きながら 「おいおい、こんな男にだけはなるなと刷り込み続けて今更それはないだろう」と思ったりもしたが その言葉を聞いて、つくづく夫婦のことは夫婦にしかわからないのだと思い知らされた。 そして母が話し終えるのを待っていたかのように、9月21日午前6時に父の心臓は動きを止めた。 息を引き取る直前まで、話しかければ反応していたし、ゆっくりと腕を持ち上げたりピースサインも出せていて 「ぎゅっと握ってごらん」と言えば握り返していた父の時間は、本当に呆気なく止まったのだった。 けたたましい機械音さえなければ寝落ちを疑うほど穏やかな最期だった。 入退院を繰り返したとはいえ、何週間も昏睡状態が続いたわけでもなく、 在宅介護開始から2ヶ月、再入院から僅か2日で逝った父は ピンピンコロリとまではいかなくとも、ほどほどコロリぐらいの称号は与えても良い気がする。 面倒を見ていた親族の誰も介護疲れに陥らせず 別れを惜しむ気持ちを十分に残した上で旅立ったことは、家庭を振り返らず仕事に恋に奔放に生きた父が 珍しく見せた父親らしい気遣いと言っていいかもしれない。 週末は自宅で皆に介護されながら、コロナ感染の入院直前に食べるはずだった念願の鰻もちゃんと食し 早朝にも関わらず親族8人が見守る中で逝けたのだから、幸せだったろう。 亡くなる前日の朝、家族がいる手前では気恥ずかしさが勝ってしまい、正直な気持ちを話せないと思った私は ひとりで病院に面会に行き、眠っている父に向かって幼い頃から反抗的な態度を取ってきたことを詫びた。 「できの悪い息子でごめんな」と耳元で話していると、父が一瞬、私の手を握り返してきた、気がした。 あの時間がなければ、私の後悔はもっとずっと大きかったと思う。 テレビで何度も見かけた「9月21日午前6時21分、お亡くなりになりました」という医師の言葉を聞き終えて外に出ると もう空は明るくなり始めており、電話1本で飛んできた葬儀屋と話をしているうちにすっかり陽は昇った。 秋晴れの爽やかな朝だった。 悲しみに浸る暇もなく、数々の段取りが始まった。 実を言うと、2年ぐらい前から「親が亡くなった時にするべきこと」という ハウツーのページをブックマークしていて、折に触れて読み返すのを癖づけていた。 10年以上前の別れでは狼狽してしまい、何もかも人任せにしてしまった反省から いざという時にあたふたせず、冷静に適切な行動とれるための予習をしていたのだ。 親族と親しい方々への連絡、役所への届け出、葬儀の手配など まるで流れ作業のように進んでいって、翌日には通夜、翌々日の葬儀がすんなり決まった。 通夜の翌日、親族の集まった部屋に入ると、皆が見守る中で父が風呂に入れられていた。 旅立ちの前に全身を綺麗にするオプションサービスで、母が頼んでいたらしい。 髪も丁寧に洗い、顔もパック&化粧までしてほとんど韓流スターのようなフルコース。 一部始終を近くで見ていた姉が「私がやって欲しいぐらいのサービスだったわ」と感心していた通り 仕上がった父はこざっぱりして生気を取り戻したように見えた。 昼時になり孫たちが腹が減ったと言うのでGoogleMapで調べてみると 田舎のため近くにはコンビニぐらいしか引き当たらない。 「仕方ないから適当におにぎりでも買ってこようか」と義兄は言ったのだが 騒がしく葬るのが我が家のスタイルだからと、私の提案でデリバリーを頼むことにした。 幸い、配達圏内にカレー屋とピザ屋が引き当たったため Uberと出前館に一軒ずつ注文を出し、数十分後には親族控室はカレーとピザの匂いで充満した。 父の想い出話を肴にワイワイと盛り上がり、「こんなに騒がしい親族の控室はないんじゃないか」と 誰かが口にするほど賑やかな昼食になった。 年を取ってもジャンクフードが大好きだった父は、すぐ横で羨ましく見ていたに違いない。 皆で盛り上がっているところに葬儀屋が入ってきて、一枚の紙を置いていった。 折り鶴の形をした形状記憶用紙で、皆で一言ずつ別れの言葉を書いてお棺に入れるのだという。 「お疲れ様でした」「あちらでは偉そうな振る舞いをしないように」(←私)など各自が書き込み、 最後に全員のメッセージを読んでいると、看護学生をしている姪が書いたと思しき一文が目に留まった。 「きちんと面倒をみてあげられなくてごめんなさい。立派な看護師になってみせます。」 淡々と皆の様子を俯瞰で眺めてきた私は、その一文を読んで初めて涙腺が緩んだ。 父親としては赤点だったが、祖父としては孫達に慕われる良きじいじだったのだ。 父の顔の広さもあって、葬儀場には置き場所に困るほどの花が届き、弔問客で溢れ返った。 コロナ禍ではとても実現できなかったであろうし、やはり父はツイている。 「いよいよお別れの時です。 生前お付き合いのあった方は、どうか前に出てきてお顔を見て差し上げてください。 仏様は亡くなっても私達に多くのことを教えてくださいます。 命の儚さ、尊さ、多くの教えを私達の心に遺して旅立たれるのです。」 お棺を閉じる前のお坊さんの言葉に誘われるように棺の前に立ち、眠っている父の顔を覗き込んでみた。 次々と収められる花に囲まれた父は、加工アプリで装飾し過ぎた写真のようなビジュアルで少しだけ滑稽だった。 そしてその姿を見てフフッと少し笑った後に、訳もわからず涙が流れた。 時間にしてほんの1分ぐらいだったと思うが、どこかの栓が抜けたようにドバドバと流れて自分でも驚いた。 「最後ぐらい泣いてくれ」と、父が私の涙腺(栓)を抜きにきたのかも知れない。 こんな機会でもなければ会うことの無かったであろう、数十年振りの知人や親戚と再会し 様々な思い出話をしていると、この時間も父の置き土産なのだと感じる。 簡略化の進む現代風の葬り方にも良い点はあるが、昔ながらの葬式も、その煩わしさも込みでなかなか良い。 親族用にチャーターした火葬場までの送迎バスに乗り込む際、 片手で骨壷を持ち、片手でスマホを持って自撮りをした。父とのツーショットである。 山の中腹にある火葬場は薄曇りで少し肌寒かったが、待ち時間中はやはり四方山話で盛り上がった。 火葬を終え、小さな骨壷に収まった父と帰宅してから 四十九日までの予定を親族で確認し、それぞれが日常に戻っていった。 数日して何気なくiPhoneの写真フォルダを見ていると、入院時に父と撮った写真が出てきた。 亡くなった9月21日は金曜日、その写真は2日前の19日だったので 写真の上にはまだ『水曜日』と表示されている。 iPhoneの写真は1週間以内なら曜日で表記され、1週間以上が経つと○月○日の表記に変わる。 水曜日という表示に、まだ数日前まで父はこの世にいたのだと気づかされた。 老健に長く入っていたし、それほど頻繁に会っていたわけでもないのに 「もういない」ことが日毎に実感となって、音もなく雪が降り積もるように静かに寂しさが募っていく。 あっという間に四十九日を迎え、近しい親族だけで法要を済ませた。 葬儀の時と同じお坊さんがやってきて、最後にまたひとつ話をしていった。 「四十九日が経ちましたね。 毎日元気にお過ごしでしょうか。 今日はひとつ、時間と命について皆さんに考えていただきたいと思います。 私たちは皆、等しく流れる時間の中で生きています。 亡くなった方の時間はそこで止まり、しかし私達の時間は動き続けます。 時間の止まった方との距離は日々遠くなり、日常で思い出す機会が減ってきたり 悲しみが薄れたりしますが、そんな時こそ、生きていることを自覚していただいたいのです。 今日この場で皆さんと過ごした時間が二度と戻らないのと同じように 時間は先にしか流れないと自覚しながら、1日1日を大切に過ごして下さい。」 私にとって父が良い父でなかったように、父にとって私も良い息子ではなかったろう。 生きているうちにもう少し何とか出来たかもと思わないでもないが、全ては後の祭り。 是枝裕和監督の映画「歩いても歩いても」に出てくる 『人生はいつも、ちょっとだけ間に合わない。』を、まんまと私も体験してしまった。 先人からの教訓を受け取っていたのに、実践を怠って同じ後悔をして その気持ちをこうして文章に残し、誰かが悔いを残さないようにと祈る。 そうやって、人は生きていくのだ。
四十九日 - 忍之閻魔帳
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3kyu3itaka · 1 year ago
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 1
 危ないバランスの取られ方だと思っている。いきなり何を、と思われるだろうけどそういう毎日だからだ。俺は疲れているのか。疲れているから雑貨の雑多な環境を求めてはるばるドン・キホーテに行きたくなるのか。(行けてないけど)または消灯した後の民宿のロビーに怪しく光ってる自動販売機の有り様なんかを思い浮かべたりするのか。(浮かばれないことばかりだけど)
 俺は俺が倒れることを期待している、と言われて嘘だとは言い切れない。むしろそれこそが俺という人間の本分を表しているとさえ言ってもいい。コソコソ隠れながら宣言してしまおう。ワタシは卑怯ですと。突然胸が裂かれ、肋骨がアラワになり、臓物が剥き出されたとしても仕方のない立場の人間性でしょう。某単語が思い浮かぶ。思い浮かぶというか祝詞のように無言で念じている。別にそうしたいわけではないが、そうする他、未来はない、選択肢はないとしか思えない夕方頃や夜がある。「持ちつ持たれつ」の感覚を積み損ねているようだった。
 2
 こっちとしては早々に瞼が重くなっちまいたいのにその欲がある間だけ限って重くならないような日が続いている。この期間に感受性をフル稼働させては危険だ。裏切られるから。無駄な体力の消耗にしか還元されないから。
 タイヤの空気圧が規定値よりも随分低くなってて肝を冷やした。入れるのはいいんだけど、入れた後に注入口に栓、するじゃ��いですか。あれ緊張するんですよね。一度、閉め損なってタイヤのホイールの内側に落としてしまったことがあって、「すいません、あの、タイヤの栓、あるじゃないですか。アレ、ホイールの内側に入っちゃったみたいで、あの、どうすればいいですかね」と慌てて呼びかけてしまってすぐ替えの栓とアドバイスをくれたあの日のガソリンスタンドの店員さん、元気ですか。ああいう人になるべきなんだ。ああいう人にだけ、日は滞りなく循環することを知っている。
 3
 仕事帰り、訳もなく旅行にでも行ったような気分になりたくて、今、サービスエリアにいる。フードコートで冷たいうどんでも食べようかと思ったけど受付終了していたので、今の所ここでしか見たことがない缶コーヒーを買って、ついでにバウムクーヘンも買って、外の木のベンチでちびちびはむはむしたりしながら、まばらな駐車の光景を眺めている。ここに居るのは皆、どこかしらへ行く中途にある人たちなのだな、とふとよぎって、それはまあ旅行であれ出張であれ、筆舌に尽くし難い動機を抱えての逃避行であれ、いずれはここを出て何処かへ行くのだと思うと、何でしょう、こう、感慨深いものがあった。と同時に変な動機を以てここにいる俺は何だ、などと思ったし、実際ここにいることに何だかしっくりきていないのはそうなのだが、己もまた何処かしらへは行く中途にある人、なのには変わらないはずで、そんな感慨の中で客観的に己の車を見つめてみると、ああなんだか、少しはサマになってるじゃないんですか。
 4
 ( )
(体勢が決まらない、背筋が曲がってる、集中して本に向かえない、苛立たしい車両保険の営業を隣に、喫茶店でオルダス・ハクスリーの『すばらしい新世界』や北村太郎の詩集を読んでいて)……それ自体を表すのではない。それ自体を表さず、それを表すのだ。そして、それが表れているものこそが、僕のよりどころとしていたものだったのか。
 でもそれは自分ではない他の誰かが成したものを見ることでこそ得られるし、他の誰かでないと得られない。それは陶酔のようなものだ。そう、だから、自分が同じように、成せると思うな。それが間違いの始まりだよ。成されたことに塗れられるが、成すことで塗れることはできない。そういう意味では、過去、自分自身が言っていたことは間違ってなかった。希望と絶望の中間のような色合いの電灯。
 5
 ……朝、多少の寝不足に由来している頭の重さの中、コーヒーを飲みながら、何か静謐な気分でいる。キャンプの夜飲みののちに、テントから一人這い出て、朝日を真正面に浴びている束の間に生じ続けている気分のような。民宿での飲み明けの、誰もいないロビーの休憩所でぐったり座っている時の気分のような。
 例えば本編の軸から少し、敢えて外れさせた場面やキャラクター性を以て展開される二次創作があって、自分はなんとなくだがそんな物語が好きで、ふと思いついては読んだり、偶然発見したそれらをちまちま読んでいたりする。そうしている時間、その時間に付随している「何か静謐な」性質。
 寝不足でタスクも山積みで気分の不定期に振りまわされる毎日だが、当たり日ならぬ、「当たり朝」、なのかもしれぬ。読みたいと思っていた詩集をようやく注文し、国会図書館デジタルコレクションにようやく利用登録し、何もかもは遅く、遅きにより逸する連続のような気がするが、そんなことは今どうでもいいのだ。どうでも良くないはずだが、どうでもいいと思えているフラットな状態��そ大事のように思えるのだ。そんな時間を、もっと、ください。くだされば、と思う。我思う故に我あり。なれば、この時間も幻想などでは、ないはず。
 だから、
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oyasumi-blue · 1 year ago
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いつも週休3日で周りもおやすみモードならいいのに。そう願わずにはいられない。
* * *
ちょっと物を書きながら映画かドラマを見たくて、行ったり来たりしている。二度目だからストーリーは知っているのに、不倫の展開が好ましくなく止まっただった「SEX AND THE CITY」を流した。わたしは彼女たちと同い年くらいになった。
見始めたら不倫どころか恋を諦め、女たちは逃避とバカンスで旅に出ていた。今までよしとして見れなかったシーンを抜けたら、ドライブのようにスイスイ抜けられて、さっさと進んでよけば良かったと悔やんだ。
* * *
初めて見た大学生の頃は何も思わなかったが、主人公たちのように若くてイケてる子たちにむっとするシーンに共感してしまった。でも「彼女たちにはない清いティーン時代を持ってる」と自負したところで、彼女たちはモヤが晴れていた。その時のサマンサの自信に満ちた笑顔もまたよかった。わたしもあぁなりたい。
* * *
他にも、こちらも二度目なのに主人公が浮気されたのが辛くて、見進められなかったお気に入りのドラマがあった。気付いたら配信が終わっていた。一度見たとはいえ逃しちゃって少し悔やむ。
こんな風にわたしには乗り越えられてないトラウマや今も場所や商品が細々あって。
時間がもう少し薄めて、忘れられるように解決してくれるか、上書きできないかを願っているけれど。きっと知らないうちに、こんな風に乗り越えなくて損してることがあるんだろうな。
もう無理に強くなんかなりたくない。でも乗り越えられるかしら。
2024 8.11
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tabasa14 · 1 year ago
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色眼鏡とか愛とか恋とか
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むかついている。 こっちに来てから、日本人とだけつるんで固まるのは避けようと なるべくいろんな国の友達をつくろうとしていた私。 インスタもカフェめぐりも自撮りも特にしな���私は女子より男子と話す方が話が合うことが多く (コロンビアの友達になぜ自撮りをしないのか問い詰められたり、 タイの友達にK-POPカラオケに連れてかれてクタクタになったりした) 男友達と、言語の違いや文化の話、オーストラリアの社会の話、みたいな話で盛り上がることも多かった。 ほう、英語でお互いの文化の話ができるなんて なかなか深い交流ができるようになってきたじゃないか!と思っていると 相手からぽろっと出てくるのが 「日本人の女の子が好きなんだよね」 という言葉。 最初は日本に良い印象を持ってくれてるなんて、ありがたいことだなあと思ってた。 でもだんだん 「日本人の女の子はみんな礼儀正しい」 「日本人の女の子は相手を尊重する」 「日本人の彼女がほしい」 とか言い始めて ん?となる。 思い返すと、会話の後半ぐらい��ら私の話をあまり聞いていない。 意味なく褒めている。 私に付き合うつもりは無いよということを改めて伝えつつ あまりに日本人をひいきするので 「なんでオーストラリア人の女子じゃダメなの? オーストラリア女子はどうなの?」と聞くと 「彼女たちは強くて自信があるよ笑」 という返事。 そこでぷちんとキレて、めちゃ腹立ってきた。 日本人の女の子は自信がなくて 控えめで、めんどくさくないと思われている。 ナメられている。 無知な私はイエローフィーバーという言葉すら知らなかったけど アジア人に勝手なイメージを持ってアジア系ばかりを好き好む人たちがいる。 日本人は特に ひかえめ、一歩下がってついていく そのうえ脱ぐとエロい というイメージがあるらしい。 (AVのせいで日本女子のイメージがすごいことになってるぞ) その後もそういう人は 「日本に旅行に行ったのに、話しかけた日本人の女の子があんまり親切じゃなかった、ショックだ」とか 「日本人の女子は風俗を浮気と思わない人がいるらしい、ショックだ」 とか、勝手な日本人女子イメージが打ち砕かれた報告をしてきたりする。 しらんがな!! 日本人の女子だって自信あるし、言う時は言うし、怒るときゃ怒る
そしてお前のその態度は失礼だぞと反論すると、すぐ話題を変えてくる。 この野郎。メルボルンのおしゃれな子たちみたいに 鼻輪とかしてればナメられないんだろうか。 人としての興味で話が盛り上がってたわけじゃなく、 日本人女子というブランドがほしくて話を合わせてたのかと思うと 今までの会話は何だったんだというガッカリに襲われる。 いったいどいつを信用できるんだ、という気持ちになる。 その一方、こっちで信頼できる と思ったオージーの人たちにも、パートナーの国籍が違う人は多い。 でも彼らに共通するのは、英語が共通語と言われてる世界でも相手の言語を習得しようとめちゃくちゃ努力していることだ。 スパルタで厳しい英語の先生も、家では中国人の奥さんと北京語で話してるらしいし チリ人の彼とラブラブなゲイの先生も、スペイン語を一生懸命勉強している。
ある日 生徒が先生に 「先生の彼氏は英語が通じるのに、なんでわざわざスペイン語を勉強してるの?」 と聞いたら
「だって第二言語はぜったいにセカンドパーソナリティだから。 僕は彼の本当のパーソナリティを知りたいもん」
と言ってたのがすごくよかった。 たしかに言語は、その人を構成してるブロックみたいなもんだと思う。 国によって、ブロックのかたちも大きさも種類の多さも違う。 気持ち、言葉、性格、 他のブロックで置き換えて伝えることもできるけど、ちょっと違うものになる。 あなたの使ってるブロックで私も世界を見てみたい っていうのは、ほんとうのリスペクトだし、愛だ。 そうやって生きてる人たちと話してると、話を聞くときの目の真剣さが違う。 異文化交流って言っても、 理想のフィルターをかけて何も見ていない人もいれば 分子レベルでその人の本当と向き合おうとしてる人もいる。 けっきょくは人への興味と、知らない世界を知ろうとする勇気なんだと思う。 たとえ最初に、日本人女子は控えめでおとなしいっていう勝手なイメージを持ってても でもその子がふんどし穿いて、どんぶり掻き込んで イカついジープを運転してやってきたとき ・・・おもしれえじゃねえか!!! て思えるなら、いいんだと思う。 そういうのがおもしろいんじゃん、恋じゃん。 理想の色眼鏡をかけて、相手の話をちゃんと聞いてないかぎりは、そんなチャンスを逃してる。 にんげんってのはお前が思うより単純じゃなくて予想できないもんなんだ。 イエローで、フィーバーなやつらにはわかっていただきたい。 イメージは裏切られるからおもしろい。 ペラペラな自分を打ちのめされるから知りたくなる。 そんな人たちに出会ってないなんて、もったいない限りだよ。 鼻輪をする勇気にはまだ辿り着けてないけど 心の中に甲本ヒロトを飼って、パンクを隠しもって生きていこうと思います。 どんどん裏切っていこーじゃないか。話はそこからだ。
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カフェの店員のおっちゃんが履いてた靴下が、よくみたらパンクだった
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ryotarox · 1 year ago
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Amazon.co.jp: 14歳、ぼくらの疾走: マイクとチック (Y.A.Books) : ヴォルフガング ヘルンドルフ, Herrndorf,Wolfgang, Sowa,Michael, 栄, 木本: 本
主人公のマイクは、ベルリンのギムナジウムの8年生。家庭は不穏だし、学校では、ただ目立たずにいる。退屈な毎日だ。そこへ、へんな転校生がやってくる。チックという名だ。マイクは不良じみたチックと、行きがかり上、旅にでることになる。それも、オンボロ車を無断で借用して。破天荒なチックのやり方に、はじめは面食らっていたが、その自由気ままな心根に、マイクは魅力を感じる。二人の人生にとって忘れがたい旅がはじまる。 ドイツ児童文学賞、クレメンス・ブレンターノ賞、ハンス・ファラデ賞を受賞。現在16カ国で翻訳されている。
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ニホンゴ「再定義」 第15回「ラノベ」 | 小説丸 - Part 2
 年齢や世代を超えて傑作という評価が高いドイツのヤングアダルト小説『チック』(邦題『14歳、ぼくらの疾走』)を例にとってみよう。 これは、ドイツあるある的なアッパーミドル家庭の倦怠感や、それを取り巻く権威権力マウント由来のドイツ的偽善からの脱出を図る中学生を描く内容で、盗んだクルマを駆って東方の「ルールや定義があやしい楽園(と、主人公が思っている)」エリアへ突き進もうとするロードムービー的小説だ。 印象的なのは、非日常性や現実逃避への願望や「異界」の存在が、結果的にむしろ「現実」の核心により深く直面するための材料になっている点だ。 主人公たちは旧東独エリアで露天掘りの鉱山跡に迷い込み、そこで孤独に暮らす偏屈な老人に遭遇する。その老人は若い頃つまりナチ時代、共産党員だったため逮捕され、東部戦線の激戦地に懲罰部隊メンバーとして送られて地雷処理や死体処理をやらされた経験を語る。そしてドイツ人もロシア人も同じようにクソだ! と中学生相手に毒づく。それを見て「ありえねえ」と、主人公の一人は反応する。  ある意味これは、いわゆる説話ほどわかりやすくない隠喩に満ちた説話であり、その基本構造は「登場人物の内面的成長」をテーマとする「教養小説(Bildungsroman)」と大きく重なるといってよい。 教養小説についてはこのエッセイの「教養」の回でも触れたが、要するにゲーテやトーマス・マンの仲間であり、内省とそれにもとづく自己形成を重視する、一種の鍛錬のツールである。うむ、言えば言うほどラノベから遠ざかる実感がある!(笑)
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