#2...映画「陪審員2番/JUROR2」正義より大切なものが、時に正義を歪める
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kennak · 5 months ago
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監督業を活発化さた2004年の「ミリオンダラー・ベイビー」以降の作品で問い続けてきたのが「正義とは何か」。 本作は20年かけて様々な正義を描いてきたイーストウッドが93歳で辿り着いた集大成的な内容。 検事・弁護士・裁判官・陪審員・被害者遺族・加害者家族・証言台に立つ人々、それぞれの立場で考える正義が交錯する 陪審員制度を通して、正しい判断を貫く難しさや、正義より大切なものが、時に正義を歪めることも描いている。 出産間近の妻を愛する主人公・ジャスティン(ニコラス・ホルト)は温厚で真面目な青年だが、 アルコール中毒からの飲酒運転で事故を起こし、身を滅ぼしかけた過去を持っている。 断酒会に参加し自らを律し続けて4年が経過したジャスティンにとって、 素行も悪く世間から偏見の目で見られがちな被告の男は、昔の自分と被る部分もあったに違いない。 更生の道半ばのジャスティンと、恋人を失くしたことで人生のやり直しを決意したばかりの被告。 12人の陪審員の中で、世間の無理解や差別的な視線の冷たさを誰よりも知っているであろうジャスティンは 被告を助けるため真実を明らかにしなければと主張する正しさと、 真実に辿り着いた瞬間に、代わりに自身が終身刑を受けるかもしれない恐怖との板挟みで悩み続ける。 この法廷において、裁かれるべきは誰なのか。 被告の無実を証明する確固たる証拠も、視界不良の大雨の中でジャスティンが衝突したのが鹿で無かった証拠もない。 精査すればわかるかもしれないが、その作業を多くの陪審員は望んでいない。 子供のために早く帰りたい母親も、ただ警察に協力し喜んでもらいたくて曖昧な記憶のまま証言台に立つ老人も、 誰もが���意で行動しているわけではない。 世間の多くが感じる「悪そうなやつ」は、もう悪いでいいじゃないかで片付けようとする。 男が無辜である1%の可能性に言及するより、家族との時間が大切だと考えるのは責められることではない。 昇進のために勝ち(有罪確定)を急ぐ検事(トニ・コレット)の杜撰さは権力の正しい行使ではなく、 職務怠慢として責められるべきだが、彼女もまた、元刑事の陪審員(J・Kシモンズ)の言葉をきっかけにして 「心臓が息の根を止めるまで真実に向かって浸走れ、それが刑事だ」(@SPEC)の刑事魂を取り戻していく。 登場人物の誰かには自分を重ね合わせられるように作られているはず。 「もし自分がこの場にいたら」と考えながら、あっという間の2時間だった。 現代の日本でも、詳細が明らかにならないまま、感情が暴走し束になって人を裁く場面にしばしば遭遇する。 反論を封じられた状態で拡散されるネガティブな情報は、精査されることなく広がり続け歯止めが利かない。 後に真実が明らかになったとしても、その時に世間の興味が別のニュースに移動していれば誰も気に留めない。 ひとつの事象について「間違っているかもしれない」と一旦立ち止まる重要性を、私達は今一度肝に命じなければならない。
映画「陪審員2番 /JUROR #2」正義より大切なものが、時に正義を歪める - 忍之閻魔帳
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