#rのある暮らし
Explore tagged Tumblr posts
Text
2024.09.28
10月に地元で会う約束をしているYから、彼女の好きな小説家のサイン本を買ってきてほしいと頼まれた。それで、今日の昼から池袋の本屋を回ったけれど、どの店でもとうに売り切れているようだった。時間を持て余して、大学図書館へ向かう。
大学時代の同級生と数年に一度出している同人誌の次号を、今年の12月に発刊することになった。私はもう短歌をやりたくなく、短歌以外に何を出せばいいのかも分からない。そのまま同人誌用には何も書かないで過ごしていたのだけれど、主宰が面白がったので、数日前に書いた自室の記録を加筆修正して寄稿することにした。卒業生カードで入館し、しばらく文章を直していた。こども園で働くFさんを幼稚園教諭と呼ぶことが正しいか分からず、「あなたの職業って何て書くのが正しい?」とメッセージを送る。正式には保育教諭というのだと教えてくれた後「カリスマ保育教諭とか?」とおどけた台詞を付け足すのがFさんらしかった。
ペンを持つ右手が疲れてからは散歩に出かけた。好きな本屋を経由して、自由学園明日館へ行った。正面入口に着くと「“本日は結婚式で貸し切りのため外観のみの見学”ですって、あらあ、おめでとうございます」と看板を読み上げている人がいた。その声色に少しの落胆も滲んでいないことが良かった。芝生や窓を眺めて、売店でポストカードを1枚買った。




明日館を出てから、Hと落ち合うまでを東京芸術劇場で過ごした。その場所で長い時間を過ごすのは、大学の入学式以来だった。地下1階から最上階までを目的もなく往復して、何枚か写真を撮った。最近はカメラを持つのが楽しくて、写真を撮っては投稿している。その頻度を自覚すると、自分の饒舌さに嫌気が差してくるので、記録しておきたい写真を一度に残すためにこれを書いている。この投稿は写真まみれです。


芸劇の椅子に座っていると、目の前のエスカレーターで降りてくるHと目が合い、手を振る。外では何かのお祭が開かれていて、その賑やかさから逃げるように東へ向かった。目的地とした喫茶店が閉まっているのを確認し、散歩に切り替える。テーブルと椅子を外に出しているミニストップを見つけ、カフェオレを買ってそこに腰かけた。テーブルを指差しながら「いい店知ってるんだよね」と自慢げに話すと「ダセ~」と笑われた。京都のお土産を渡した。Hと一緒に暮らすWさんの分も含めて、少し量の多いお香にした。



今日は曇り空で、街全体が白く見える日だった。電線や工事現場の壁が落書きのように浮いていた。途中、ワインの空き瓶を入口に並べている店があり、「テイクフリーかな」とふざけると「喧嘩用じゃない?」と返される。酒瓶を持って殴り合うジェスチャーをする。




都電荒川線の駅に行き着き、降りる駅も決めずに乗車する。「電車というよりは線路を移動するバスと呼ぶほうが近いね」と話しながら、googleマップ上で路線をなぞる。飛鳥山公園という場所に城のような山型遊具があることを知り、そこを目的地とした。


飛鳥山公園は、とても良い公園だった。目的としていた城は、遊具と呼ぶには気が引けるほど大きかった。かつて実際に走っていたらしいSLや子供用の船、頭を垂れた幾種もの動物たち、遊びきれないほどの遊具があった。すべり台よりも象が主体になっている遊具を見て、三崎亜記の『象さんすべり台のある街』という短編を思い出した。城の中で遊びたかったけれど、子供やその親たちが楽しそうにしているのを邪魔したくなく、また違う時間帯の様子を見���かったこともあって、「夜にまた来ましょう」と決めて公園を出た。




喫茶店で一杯ずつ酒を飲み、Hの喫煙のために王子駅まで歩く。Hが「めっちゃ良い公園だったな」と呟くので「過去形にしないで」と返すと、「めっちゃ良い公園であり続けるだろうな」と訂正してくれる。それがツボに入り、しばらく笑っていた。私��同じくHもこの街が気に入ったらしく、「ここは住み良いのかな」と引越しまで検討しているようだった。


日の暮れたころに公園へ戻ると、昼にいた子供たちは姿を消していて、代わりに大学生くらいの年頃の集団が点在していた。うち1つのグループが手持ち花火をしていて、遠くからその火を眺めていた。城の中へも入って、物見へ立ってみたり、すべり台で遊んでみたりした。ずっと楽しかった。もう営業終了していたけれど、小さなモノレールの駅もあった。“飛鳥山山頂駅”と看板の出ているのを見つけて、「下は“麓駅”なのかな」とHが言うのを確かめに行くと、“公園入口駅”と掲げられていた。冬にも来たいね、早朝も良いだろうね、ここで花見をしたら楽しいだろうね、と話をした。どの季節のどの時間にも、自分たちの楽しそうにしている様子が想像できた。


Hと別れて部屋に戻り、撮った写真を眺めていた。動物たちの写真を見て、新しい部屋でここへ来たいと思う。皆それぞれ好きな動物がいて、その動物たちと彼らとが近くにいるのを見たかった。「いつかみんなで行きたいです」とメッセージを書きながら、象は何頭かいたけれど、イルカはいなかったことを思い出す。オットセイはいた。城の写真も併せて送ると、Rさんから「籠城したい」と返信があり、それがRさんらしくて好きだった。



21 notes
·
View notes
Text




SUZUKI JIMNY XL JB64-3(2023)
貰い物ムーブ、中古アルトときて、3台目のマイカーは新車となりました。前の2台と違って「欲しくて選んだ車」です。 平成30年に走行5,000km弱で購入したアルトに乗って約4年。2回目の車検を終えた2022年3月、走行距離は7万kmまで伸びていました。 まだまだ乗れそうではありましたが、ちょっとしたトラブルが発生し、次の車検(2024年3月)にはそこそこ費用が掛かりそうな気配。

そもそも2018年の3月にアルトを買って、その数ヶ月後に登場したのがこの車です。当時の投稿にもありますが、僕がその時の車に求めていた条件が『MTで自転車が積める軽四駆』でしたので、この数年間で増えていくJB64を指をくわえて眺めていました。

今は少し落ち着いたようですが、当時JB64/74は納期がかなり長く、乗り換えを決意し、注文したのが2022年の6月で、納車されたのは15ヶ月後の2023年9月でした。その間にマイチェンで2型から3型になり、余計な機能がスズキセーフティサポートやアイドリングストップが標準装備となり値上がりしました。 注文時に宣告された納期ぴったりでしたので、そこまで"長かった"という印象はありませんでした。

JB64には3つのグレードがありますが、今回選んだのは”XL”、松竹梅でいうところの竹です。 ドアバイザー、フロアマット、ETC車載機と最低限の物に加え、奮発してグリルをオプションとして付けました。

その他のパーツは別途購入し、ちまちまと自分で取り付けました。
ペダルはAPIO製に

カーナビは不要なので��ィスプレイオーディオを導入しました


ドラレコは気合を入れて配線


ターボ車に乗る機会があれば付けたかったブースト計。OBD2で水温とかも取れるやつ

3型からMTでも標準になったアイドリングストップのキャンセラー

JAOSのマッドフラップやYAKIMAのサイクルラックを取り付けています。

その他にも細々としたものがついていますが割愛。人気車種だけあってアフターパーツが豊富でついつい買ってしまいます。
純正の鉄チンホイールとタイヤは早々に脱ぎ捨て、夏はメーカー不明のメッキびかびかホイールに定番のオープンカントリーR/T、冬はJB23のホイールにTOYOオブザーブW/T-R、どちらも純正の175/85からワンサイズアップの185/85となり、引き締まった見た目です。冬タイヤ以外は中古ですが。


車が必須な地域で暮らしているので、車を趣味にするのは遥か昔に諦めたつもりでいましたが、すでに結構お金かけちゃってますね。
納車から半年ちょっとで10,000km走りましたが、いい車です。 自転車を積んで車中泊も余裕でこなせます。



リジットアクスルなので決して乗り心地が良いとは言えないのでしょうが、今まで乗ってきた車たちに比べればマシです。 他にも不満がないわけではありませんが、そのすべてを打ち消すくらいに見た目が良い。写真映りが抜群に良い。

移動すること自体も目的になる、頼もしい子です。
33 notes
·
View notes
Text
遊びたいー
お買い物してる所のPさん去年暮れから2月半ばまでお休みなので 去年12月にちょくちょくお買い物して、全部で5g位お買い物したんだけど 気が付けば全部使ってしまっまた😭
でも今週遊びたい⋯
もう1箇所Rでお世話になってる何処があって、そこも🧊あるでおねがいしちゃおうかな
何度かお願いしてて 物も良いもので信用はしてるけど、やはりいつものpさんからお買い物したいな すごく安いのに凄く高品質な🧊で対応も💮💮💮
でも2月半ばまで待てない 浮気して買ってしまいそう😭
あ、俺はおじさんですよ!?
若いと思ってた方が居たので書いときます
おっさんです笑
53 notes
·
View notes
Text
和の最上VS洋のミシシッピ
38。これがなんの数字を表しているか分かりますか?
正解はメラルとミシシッピの身長差です。
自分の頭に竹物差しを当ててもなおそれよりも高い人間と話すってどういう感覚なんですかね。それはそれとし��、初期のメラルはミシシッピと最上がどっちがどっちか分からず、ミシシッピを前にして「あれが最上…?」と50%をお見事に外していきました。確かに顔が見えないと二人の違いって一度や二度会っただけでは分からないのかもしれない。ちなみに声が低くて良いのが最上、テンションが高くて良いのがミシシッピです。これでみんなも見分けられるね!
ちなみにメラル氏曰く和っぽいのが最上で洋っぽいのがミシシッピらしいです。
それは名前の印象だけで決められているのではないか………???
ちなみに、最上の芸名はMO・GAでミシシッピの芸名は三船智です。
ほな最上が洋でミシシッピが和か……………
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ということで三度目まして。アツい男の権化、六甲賽ロコ郎こと賽です。ん?いや、賽こと六甲賽ロコ郎か?まあどっちでもいいか。3回目ともなるとみんな俺の話しとかそろそろ飽きてきたと思うので、今日は少し趣向を変えていきます。
6/19 稽古日誌
本日の内容は
・発声
・シーン練
でした。
シーン練については前半をきっちり固めよう!ということで一回動きを消して読みだけでしっかり細かいところを突き詰めていきました。背水の陣の覚悟で行きますが、椿、かなり仕上がってます。
はじめてげきだんにはいった!これからいっぱいおしばいするぞー!!さいしょはかんたんなみじかめのきゃくほんをやってみよう!
表情管理が甘いテンポが早すぎるそこは遅いセリフがそもそも入っていない言い方に緩急がない動きが平坦読みが平坦動きの癖が良くないいい間違え噛み間違えタイミング間違え
Knock out
そうして昼練でも稽古でもボコボコにされた俺は、生まれ変わったーーーーーー
ら、いいなぁ。と思っています。
本当に奥が深い。最初は「一ヶ月残ってるのにもうセリフ覚えたんだがwwwwオムニ、”理解”っちゃいましたwwwwww」とか言ってたのに、やればやるほど自分の演技はもっと出せるもっとやれるとなってくる。終着点など無いということを、理解した。
が、とはいえ最初としてはかなり上出来だと思います。この一ヶ月で俺はマリアナ海溝より高く、エベレストより深いほど強くなったーーーー
ーー通し稽古、期待しといてくだ賽。
俺がこの一ヶ月で学んだこととしては、台詞を個として掴むことではなく、群として見るということです。これが一番大きい。自分の台詞を覚えていわないといけない関係上人の台詞にまで意識を伸ばすことはとても難しいですが、自分の役の人間は他の役の人間の言葉に反応して行動している。それを意識してみるとより自然で高度なお芝居ができるのかな、と最近は感じています。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
37期ミックスジュース
今回はこの一ヶ月に起こった37期にまつわるオモロエピソードを紹介していきます。
ということで
本日のおmenu
・ロールシャッハシンドローム
・あだ名メーカーとびぃ
・メラル、マリオカートワールドのバイト説
・俺のピクセルがこんなに可愛い訳ない
・図書館の守���神チロル
・37期限界カラオケ
…自分で書き出しておいてだけど、多いな。話したいことが多すぎる。
・ロールシャッハシンドローム
ーーーこれから観測される結末は、 確定していないが避けようのない厄難だ。 願わくは、閉じて開いた対称の輪郭が 鮮やかであらんことを。
ある稽古の翌日、思いつきで箕面の山を登ることになった俺とピとメラル。バスで降りた先の道を進んでいくと、山道から逸れた道にはいかにもご利益のありそうな祠が。
…え?願い事すんの?いや俺ド理系だし神も信じてないからそういうのは別にいいかなぁ。
「………」
「オムニが成功しますように」
「長台詞が上手く読めますように」
その瞬間、俺たちは世界と共鳴した。
と、いうことでイクラ椿の三人でエモクロアTRPG「ロールシャッハシンドローム」というシナリオをしてきました。本当に面白かった。(3/8)^3は、激アツだよぉ…
ちなみにイクラ椿とは
さい
ぴくせる
めらる
の三人のことです。分かりやすいね。ピが回してくれて人生初のTRPGだったのですが、本当にこれが初めてで良かったし、とても良い結末を見ることが出来ました。ありがとう、ピ。俺はお前のその目が嘘をついていないことはすぐに分かったからな。
ぜひ次回もやりたいし、他の人とも遊んでみたいですね。俺がもっと慣れたらロールシャッハシンドローム回してみたいので、まだ知らないよという人はひたすらにネタバレを避けてください。
・あだ名メーカーとびぃ
あー、授業だるかったー。普通に出席だけして話二ミリくらいしか聞いてないけどこんなんで俺は生きていけるんか………?
あっ、あんなところにとびぃいるやん。とりま話しかけるか。
「あっ、賽ちゃんじゃんおつかれー」
賽ちゃん!?!?!?
とびぃにじさんじ好きだったよね、近畿来たからには志摩スペイン村いきたいなーーー
「そうだね、レイたそも誘っていきたいなー」
レイたそ!?!?!?
「今日メラルたそと会って初めて話したけどよかったー!」
メラルたそ!?!?!?
こいつ、シンプルに人の呼び方がおもろい。なんや賽ちゃんって、初めて呼ばれたしこれからも呼ばれることあるんか。
………いや結構呼ばれ心地いいな。
ということでこれから俺のことは賽ちゃんと呼んでください。なんでかは知らないけどすごくスッと入ってくる。なんでだろう。
本人曰く人に変なあだ名をつけるのが趣味らしいです。そんなニュアンスのことを言ってた。皆さんもとびぃから是非変な呼び方されてくださいね(?)
・メラル、マリオカートワールドのバイト説
まず最初に定義をしておきますが、彼女のバッグは4次元ポケットとします。今回の講義ではこの前提を用います。
…え?証明?そんなもん理学部がやってくれるからいいんだよ。俺ら基礎工学部はそれを使って実際プログラムが動いたらいいの。
さて、彼女のバッグからは駄菓子和菓子洋菓子フルーツとこの世のありとあらゆる食べ物が出てきますが、その中でも特段TierSのものは何かわかるでしょうか。
そう、バナナです🍌
メラル家はバナナの自然生成スポット故家にたくさんのバナナがスポーンするらしいので彼女は常にバナナを頬張っていますが、これが俺の生活を大きく変えることになるのをメラルバナナ初見プレイの俺はまだ知らなかった。
そう、バナナはこの世のバグなのだ。
🍎りんご一玉200円
🍒アメリカンチェリー1パック800円
🍉小玉スイカ一玉1000円
うわー、高いなー。やっぱフルーツは一人暮らしで買うもんじゃないな。やめとこー………
そういえばメラルはバナナ愛好家だったな。バナナはここら辺にあるか………どれどれ?
🍌バナナ4房200円
200円!?!?!?
安すぎだろ。なんや二百円て。じゃあ50円で一個食べれるやん。嘘やろ?腹持ち最強食物繊維豊富便通最良稽古前最適のバナナが50円で食えるの?食堂の小鉢よりも安いやんけ。えなんでりんごは200円に対してバナナは50円なん???そんなん買うやん。
と、いうことで俺はバナナの虜となってしまいました。美味しいねぇ…
ちなみにピ……ちょっと待てよみんなこれを流石に彼ピと解釈してないよな。ピクセルのことです。あっぶね〜〜〜、ちゃんと言っといて良かった。
ちなみにピクセルは俺のバナナのラップの仕方を見てメラルのバナナと勘違いしたようです。なんで?いやシンプルに俺の親とメラルの親のラップのやり方が同じだけだろというと
「………え賽の親とメラルの親の匂わせってこと???」
なんでだよ。冷静沈着ボーイの第一印象の俺のピクセルどこいったん。……っていうかちょっと俺もあんまわかってなかったけど、バナナのラップの仕方ってこの世に一通りじゃないの?外にバナナを持って行くやつは全員匂わせってこと???
…訳がわからなくなってきたから、この話はここでおしまいにしよう。
・俺のピクセルがこんなに可愛い訳ない
皆さん社会的釈迦ことみーらさんのYouTubeに投稿された東京03ならぬ東京30の動画は見ましたか?東京03のコントを30分でコピペするという非人道的な企画でしたが、その劇中のピがとても可愛かったです。百読は一見に如かず。ピの可愛さ、ご賞味あれ。
・図書館の守護神チロル
ここ最近図書館に行く用事が多かったのですが(主に涼みに行くかトイレの二択。本も読まなければ勉強もしていない。)、マジでチロルと会う。昨日とか一日に2回会った。共Aでも2回会った。シンプルに行動に関する脳回路が似ているのか…???ちなみに図書館にはまだ俺の知らない4階5階があるみたいなことをチロルが言ってた気がする。うちの図書館はゼルダのダンジョンなんか?
・37期限界カラオケ
〜稽古の休み時間〜
賽「うわ、なんか松屋食いてえ!」
もずく最上「わかる!!!」
稽古finish、石橋ダッシュ🏃♂️
ピ「なんか知らんけど俺も行くぜ!!!」
賽「うわ松屋カウンター席しかないやん!!!��っしょ!!!潰れr………いつかまたきます!!!」
なか卯ダッシュ🏃♂️
賽「カツ丼うめぇ!!!けどまだまだ騒ぎ足りねえよなぁ!!!」
男…いや、漢達「うおおお‼️‼️‼️」
と、いう経緯のもと、俺たちは気づいたらまねきねこにいた…
すごい楽しかったです。最上は解釈一致の歌い方で、多分前世は演歌歌手だったのだなと思います。あと可愛くてごめんがおもろすぎた。その声でその曲はずるいって。
そしてもずくはハイテンションすぎる。え、その歌い方でなんで喉が壊れない????????俺だったら喉の一つや二つや三つは持っていかれるが。なぜ声が枯れない????????人間じゃないのか????????
そしてピ、お前全ての歌う曲が解釈一致や。あーーーこれね!!!!あーーーーこれ歌うのね!!!!!!!!!あーーーーーーーこれ絶対歌うと思ってた!!!!!!!!
みたいな感じでとても楽しいカラオケでした。やっぱみんなフッ軽なのがいいね。稽古後ということもあり喉が開いてて気持ちよく歌えました。また行きましょう。まだ行ってないメンツも、稽古後でも稽古全然関係なくても。いつか金曜か土曜にオールでやってみたいな。前回はギリギリ日付は超えることが出来ました。その頃には俺ともずくの二人だけだったが………
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
と、いうことで雑談9割のアブラマシマシニンニクモリモリ稽古日誌をお送りしました。37期のみんなのおもろいとこについてちょっとでも知ってくれたらうれぴ。
稽古も後半戦になってきましたが、だんだんとなくなって行く自信、それに引き換えなんやなんや感じる成長、まだまだ降り積もる課題……
どうなるかわかんないけど、とりあえず第一回通しまでに納得できる形に持っていきます。ここまできたら、筋通しましょうや………
あ、
質問きてた
もしあなたに翼が生えたら、何をしたいですか?
���えは一択
実家に帰ります。
もうここんとこ週一くらいで親の夢を見ます。完全にホームシックというやつです。親と連絡を取るのはシブいのでほとんど業務連絡しかしないのですが、やはり深層心理では寂しがってるんですね。これに気づいたとき、「え!?!?俺可愛いー!!!!」と叫んでしまいました。その通りだよ可愛いね賽ちゃん。今日も瞳を閉じれば、親と焼肉を食べる夢、親のハンバーグを食べる夢、親と一緒に寿司を食べる夢、親の唐揚げを食べる夢………
お前飯の夢しか見てないやないかい
ホームシックというより、ホームフードシックでした。母親の作る揚げたての唐揚げが食べたい。早く帰省させてくれ。というか親が神戸の親の実家に帰るのでそこに合わせて唐揚げだけ無理やり食いに行こうかな。
なんだか思いつきで始めたリレーが思いのほか繋がってて嬉しいです。俺たちで、伝統を築いていこう。…ゴールデンチョコレート?なんのことですか?
次の人への質問は
受験生時代に一番むかついたこと
でお願いします。
ちなみに俺のこと一番むかついたことは、共テ1Aの図形が苦手すぎて模試なども含めて30年分の図形を回し、三角形五心方べき相似何もかもを把握したのに2025共テ本番で数十年ぶりの新傾向・空間図形が出てきたことです。満点はむずいけどちょっと捨てれば全然ノー勉でも点数取れる。俺の直前二週間の毎朝図形討伐30分はなんだったんだ…
ちなみに今回の文字数は5731字らしいです。そっから加筆しているので大体5850字くらい?俺のタンブラー4回弱で外公の台本ができるということですね。素晴らしい。実はちょこちょこ脚本を書いているので、秋公か新人公演にでも出そうと思います。俺はとろんとろんを越えるぞ……!!!
…ガチでどうでもいいんですけど、最上が2回生から3回生になるタイミングで表記が最上→最神になったら激アツ展開ですよね。以上、37期cool beauty担当賽がお送りしました。
2 notes
·
View notes
Text
So, regarding that ending
I want to deliver an interesting nugget. I'm being led to believe by translators in the r/HunterxHunter discord server (no longer associated with the reddit cause reasons) that the Japanese audience reaction has been more positive generally? I mean, obv it's entirely possible the Japanese fanbase has just as many if not more 'dudebros' who are just eating it up uncritically. I however am interested in the possibility that our rough translation is making it somehow even worse? Apparently, if the translators are to be believed in there, the image out right now was translated using chatGPT. So if it feels like it reads janky to anyone else, there's that. Said translators in there, (that mostly work on manga scanlations) are working on a hand translated version, so I'll share it when it's out! In the meantime, someone scalped this together somehow, it's the original Japanese text of Togashi's Letter to the program. Go nuts!
池のほとりで釣り竿を握り微動だにしない少女。突然竿が大きくしなり、少女が叫ぶ。彼女の名前はギン。ギン「来た来た来たァァ!!」池の主を担ぎ、得意気にギンは1人の女性の前に立ち言い放つ。ギン「約束通り主を釣ったよ!!お母さん!!」さらに女性に近づき小さな声でギンは続ける。 「これでもう二度と私にハンターになれとか言わないでしょ…!」仕方なくうなずく女性。ギンは主を担ぎながら去って行く。 母親「主を釣り上げることで狩猟(ハント)に目覚めてくれると思ったんだけど…ねぇ?」女性が隣の夫に同意を求める。父親「島から一生出ないで店を継ぐ…。それが現在(いま)のギンの希望なんだ。尊重してやろうよ」。 女性はまだ不満気だ。母親「まぁ、途中で気が変わるかも知れないしね。全くあなたもギンに何でそんなに…って、そりゃミト大ばあばとノウコばばの血筋よねェ…。」どうやらミトとノウコが血縁関係にないことを女性は知らないらしい。夫は静かにほほ笑む。あきらめきれず、女性は続ける。 母親「でも!ゴンじいは有名なハンターだったんだし…!あの娘(コ)だっていつかはきっと島を」 ギン「出ないからねッッ!!」姿すら見えなくなった森の奥から、両親のやりとりが聞こえるはずもないのに叫び返す娘。父親は楽しそうにつぶやく。父親「お見通しだね」 場面が変わり、ミトのころから続くお店。主はきれいにさばかれ全ての部位が下ごしらえされている。作業をしながらギンの独白。ギン(お母さんはわかっていない…)(じいがハンター時代の思い出を楽しそうに話す時、大ばぁばがさり気なく席を外していること) (ノウコばばの相槌が全て誰かからの伝言で、ばばがじじのそばにいられなかった寂しさを控えめに滲ませていること)包丁を持つ手でまな板を強くたたく。(私はまっぴらだ!!)(誰かの帰りを何ヶ月も何年も心が締め付けられる想いをしながら待つのも!!自分が誰かを待たせるのも!!)(私は…) 扉が開く音。のんびりとした穏やかな声が響く。小太り���少年が植物を抱え入ってくる。少年「山菜とったよ~ おおっすげ~本当に主を釣ったんだ!」「よ~し島民全員にふるまおうぜっっ」 ギン(私はずっと…ずっと一緒にいたい人と) 少年「皆の喜ぶ顔が目に浮かぶぅ」「さあ、始めよ~」 ギン(ずっと一緒にいる!!)「うんっっ!!」満面の笑顔で料理を作る2人。 島から一羽の鳥が飛び立つ。大空を鳥が舞う。鳥の下にはどこかの街。様々な人々。誰かの息子、誰かの娘、誰かの孫が色々な場所で暮らし、誰かと笑顔で交している。それはあのキャラの子どもや、あのキャラの孫かも知れない。鳥が空の彼方へ飛び去る。それを見送っている誰かの後ろ姿。 完
#I guess when a better translation is out I'll know for sure#but I doubt my opinion is gonna change much#Just something interesting to consider I think#hxh#hunter x hunter#hxh gon#hxh killua#gon freecss#killua#gon#killugon#ending d#noko#hxh ending#english translation
24 notes
·
View notes
Quote
山梨県富士河口湖町にある中国資本ホテルが「あなたの家の木のせいで富士山がよく見えない」という理由で隣人宅のヒノキを無断で伐採、さらに除草剤を注入した事件。 週刊現代は2024年2月に『「富士山が見えないから切った」…中国資本のホテルが隣人宅のヒノキ23本を無断伐採した、「身勝手すぎる言い分」』でいち早く詳報した。 その後、器物損壊の罪に問われた実行犯の中国人男性に対し、甲府地裁は12月2日、求刑通り罰金30万円の判決を言い渡した。 「この件は本来、隣人とのトラブルなので内々の話し合いで収めたいと考えていました。ところが、ホテル側からは誠意ある対応が一度もなく、あまりにも倫理観が欠如していたため告発を決意しました。被害発生から3年近く経ちますが、まずは実行犯に対する処分が決まって安心しました」 こう安堵するのは、被害者の井上さん(仮名)だ。 2021年10月、敷地内の雑木林の一部を伐採する工事作業完了の挨拶のためにKホテルを訪れたときに撮影 2022年1月、敷地内の枝が無断で伐採されていることに気づき、事情を聞くためにKホテルを訪れたときに撮影 まずは前代未聞の事件を振り返る。複数の事業を営んできた井上さんは、終の棲家として富士山を一望できる高台の土地を購入して別荘を建築した。敷地の背後にはインバウンド向けのホテルがあり、HPでは「富士山の眺望」をアピールしていた。 「もともと富士山が見える客室は数室だけで、宿泊者から不満が出ることもあったようです。別荘の建築を始めると、ホテル側から『あなたの土地の雑木林が邪魔をしていてホテルから富士山を見ることができない。ホテルの眺望を良くするために木を切ってくれないか』と打診があり、プライベートを守るために一部だけ残して雑木林を伐採しました。ところが、富士山の眺望にこだわるホテル側はプライベートを守るためのヒノキの伐採も求めてきたのです。 先方の求めに対し、『では、そちらが塀を立てるなど代替案を出してくれないか』と伝えたところ、『プライバシー保護のために別途塀を立て、その費用を負担することもやぶさかではない』という趣旨の提案がありました。ところが、費用は一部しか負担できないというのです。そもそもヒノキの伐採に応じる義務はありません。そこで、『それだと難しいですね』と提案を断ると、まさかの出来事が起きました」(井上さん) ホテル関係者が「内部告発」 なんと、ホテルの関係者が井上さんの別荘の敷地内に不法侵入し、勝手にヒノキの枝を伐採してしまったのだ。非常識な行動は伐採だけではなかった。伐採された木の根元には直径2センチほどの穴があけられており、木を腐らせるためにグリホサートという除草剤が流し込まれていた。多数の事業を手掛け、法令遵守を徹底してきた井上さんにとって予想もしない事態だった。 枝をバッサリ切られてしまったヒノキ 根本には直径2センチほどの穴があけられており、除草剤が流し込まれていた 伐採および除草剤注入があったのは、2021年の年末から翌年の年始にかけて。ちょうど工事業者などの出入りがない時期だった。 「いくらなんでもやりすぎ。さすがにひどい」と心を痛めたホテル側の関係者からは「ホテルの眺望をよくするためという理由で経営者が従業員らに命じてヒノキを伐採させたのを現地で確認した」という情報提供があった。また、防犯カメラの映像を確認すると、経営者がヒノキの枝を片づける男性に謝礼を渡している姿も写っていた。 井上さんはホテルを訪れて『どういうことか?』と尋ねた。だが、ホテル側は『知りません。何のことだかわかりません。おたくが自分で切ったんでしょう』の一点張りだった。 河口湖にあるKホテル。近くには有名女優の別荘も建つ 前代未聞の行為に及んだホテルは富士河口湖町の別荘地にあるK。開業はコロナ渦の2020年12月。経営母体はAという中国籍の男性が代表を務めるM社で、Kホテルのほか、ジャパニーズウィスキー専門のウイスキー博物館や日本語学校を運営している。 「もともと中国資本のホテルとは知りませんでしたが、のちにその事実を知りました。その後、ホテルの中国人経営者から『会いたい。話がしたい』との要望があり、恐怖を感じていた私に代わって、代理人が面会しました。 経営者は通訳を通じて『仲良くしたい』『隣人としてちゃんと付き合いたい』と一方的に話すだけであり、こちら側が『切ったんですよね』と聞いても『私は知らない』『やってない』と否定するだけ。誠意の欠片もありません。それどころか、彼の側近は『私たちは日本の警察には捕まらない』と豪語していました」(井上さん) 「経営者から依頼された」実行犯が法廷で証言 Kホテルの経営者であるA氏からは、その後も謝罪はおろか、誠意ある対応は何ひとつなかった。 「枝を切られ、除草剤を注入されたヒノキは23本。しばらくすると朽ち果てました。仮に倒れて周囲に被害が出てしまった場合、所有者である私��責任になります。そこで、除草剤を注入されたヒノキはすべて処分しました。 一方で、ホテルは何事もなかったかのように営業を続け、インバウンド客で賑わっていました。やりたい放題は許されるのか。やり場のない怒りをどこにぶつければいいのか途方に暮れました」(井上さん) 除草剤によって腐り、倒れてしまったヒノキ 井上さんは除草剤によって腐ってしまったヒノキ23本を処分することになった 困り果てた井上さんは、2023年1月に被害届と告訴状を富士吉田署に提出。不安を抱えながら捜査の進展を待った。ようやく事態が一歩進んだのは、被害発生から2年半以上過ぎた頃だった。井上さんの代理人が明かす。 「実行犯グループのうち主犯のRという中国人男性が今年9月4日に器物損壊罪で逮捕されました。RはAの旧知の人物であり、Kホテル建設時には造園の仕事を担当していた。その後、残りの実行犯2人も逮捕されました。 Rは当初、容疑を否定していましたが、『Aからの依頼を受け、犯行に及んだ。他人の土地だとわかっていたが、無断で侵入し、毒を入れて木を切った。ほかの2人には私が指示した』と容疑を認めました。 なお、主犯のRが『依頼されたのは自分だ。2人は自分に指示されただけであり、他人の敷地だと知らなかった』と主張したこともあり、残りの実行犯2人は不起訴となり釈放されました。 公判にはRの妻も出廷し、『私が責任をもって更生させます』と情状酌量を求めていました」 実行犯逮捕の翌日に「日本脱出」 Rは80万円で無断伐採と除草剤注入を請け負ったという。伐採を断らなかった理由について、Rは次のように明かした。 「依頼者とは数年前に知り合い、何度か内装の仕事を受注していた。依頼者から『すでに施工完了した内装の未払い分の代金と伐採費用を一緒に支払う』といわれた。伐採を断ると未払いの施工代金が支払われない可能性があった。さらに依頼者から『何かあったら自分がすべての責任を取る』といわれ、伐採してしまった」 Rらの行為は許されるものではないが、A氏に金銭で依頼された実行犯であり、首謀者はA氏だ。 「Aの動きは早かった。実行犯の逮捕を受け、Aは妻子を置いて翌9月5日に出国し、現在も行方がわかりません」(井上さんの代理人) Kホテルからの富士山の見晴らしは良くなっていた(2024年3月下旬、ホテルを取材した際、記者が撮影) A氏の自宅は千葉県松戸市内の高台にある豪邸だ。近隣住民が言う。 「以前はパチンコ屋を経営する在日の方が住んでいましたが、3年ほど前に2億円で売りに出され、Aさん一家が引っ越してきました。お年寄りから子どもまで大人数で暮らしているようです。日本の常識が通用しないところがあり、引っ越してきた当初、ゴミ捨てをめぐるトラブルなどが相次ぎました。ご主人も奥さんも日本語をあまり話��ません。通訳を介さないとやりとりできないので大変でした。そういえば、ご主人はしばらく見かけませんね」 インターホンを押すと、女性が対応したが、何を聞いても「日本語がわからない」と繰り返す。代わりに出た女性も「(Aは)海外に行っている。河口湖のホテルの件は何もわからない。弁護士に連絡してくれ」と話すのみだった。
「私たちは日本の警察には捕まらない」…隣人のヒノキを無断伐採した《富士山が見える中国資本ホテル》の実行犯が逮捕、実刑判決も中国人経営者は「国外逃亡」(週刊現代) | 現代ビジネス | 講談社(1/4)
2 notes
·
View notes
Text
The 75 Best City Pop Songs
はっぴいえんど / 12月の雨の日 (1970)
赤い鳥 / 忘れていた朝 (1971)
ガロ / 学生街の喫茶店 (1972)
猫 / 地下鉄にのって (1972)
井上陽水 / 帰れない二人 (1973)
荒井由実 / ルージュの伝言 (1975)
荒井由実 / COBALT HOUR (1975)
かまやつひろし / ゴロワーズを吸ったことがあるかい (1975)
小坂忠 / しらけちまうぜ (1975)
佐井好子 / 冬の地下道 (1975)
SUGAR BABE / 雨は手のひらいっぱい (1975)
杉田二郎 / 男どうし (1975)
ティン・パン・アレー / ソバカスのある少女 (1975)
ハイ・ファイ・セット / 冷たい雨 (1976)
加藤和彦 / シンガプーラ (1976)
Ryo Kawasaki / The Breeze and I (1976)
大貫妙子 / 愛は幻 (1976)
尾崎亜美 / 瞑想 (1976)
下田逸郎 / セクシィ (1976)
伊藤銀次 / こぬか雨 (1977)
笠井紀美子 / バイブレイション (1977)
風 / 海風 (1977)
大橋純子 / シンプル・ラブ (1977)
ラジ&南佳孝 / The Tokyo Taste (1977)
高橋幸宏 / サラヴァ! (1978)
浜田省吾 / 風を感じて (1979)
門あさ美 / ファッシネイション (1979)
松原みき / 真夜中のドア~stay with me (1979)
南佳孝 / モンロー・ウォーク (1979)
しばたはつみ / バイバイ・ジュエル (1979)
高中正義 / BLUE LAGOON (1979)
渡辺香津美 / アイル・ビー・ゼア (1979)
ブレッド&バター / SUMMER BLUE (1980)
南佳孝 / 風にさらわれて (1980)
大貫妙子 / 新しいシャツ (1980)
山根麻衣 / たそがれ (1980)
山下達郎 / RIDE ON TIME (1980)
吉田美奈子 / MIDNIGHT DRIVER (1980)
来生たかお / 夢の途中 (1981)
尾崎亜美 / 純情 (1981)
濱田金吾 / 街のドルフィン (1982)
間宮貴子 / 真夜中のジョーク (1982)
Makoto Matsushita / Love Was Really Gone (1982)
松任谷由実 / 真珠のピアス (1982)
ムーンライダーズ / くれない埠頭 (1982)
中原めいこ / Fantasy (1982)
大貫妙子 / 色彩都市 (1982)
佐藤博 / SAY GOODBYE (1982)
清水靖晃 / 睡蓮 (1982)
亜蘭知子 / Midnight Pretenders (1983)
村田和人 / 一本の音楽 (1983)
八神純子 / 黄昏のBAY CITY (1983)
山下達郎 / スプリンクラー (1983)
大沢誉志幸 / そして僕は途方に暮れる (1984)
竹内まりや / プラスティック・ラブ (1984)
T-SQUARE / OMENS OF LOVE (1985)
スターダスト・レビュー / 今夜だけきっと (1986)
CASIOPEA / MIDNIGHT RENDEZVOUS (1994)
カーネーション / やるせなく果てしなく (2003)
Lamp / 最終列車は25時 (2004)
歌謡曲/アイドルポップ
高田恭子 / みんな夢の中 (1969)
岩崎宏美 / ロマンス (1975)
郷ひろみ / 寒い夜明け (1976)
杏里 / オリビアを聴きながら (1978)
金井夕子 / パステルラヴ (1978)
中原理恵 / 東京ららばい (1978)
野口五郎 / グッド・ラック (1978)
アン・ルイス / 恋のブギ・ウギ・トレイン (1979)
松田聖子 / チェリー・ブラッサム (1981)
寺尾聰 / ルビーの指輪 (1981)
稲垣潤一 / 夏のクラクション (1983)
杉山清貴&オメガトライブ / SUMMER SUSPICION (1983)
中森明菜 / SOLITUDE (1985)
菊池桃子 / 夏色片想い (1986)
中山美穂 / CATCH ME (1987)
シティポップは1970年代半ばに現れ、80年代に全盛を迎えた日本の音楽ジャンルの一つで、音楽的にはファンク、ディスコ、R&B、AOR、ソフトロック、フォークロック、シンセポップなど幅広い要素から成り立っています。当初は単に「都会的な」ポップスとして国内でイメージ広告的に使われた呼称が、2010年代に入ってユーチューブや各種ストリーミングにおいて海外の好事家の注目を浴びることにより大きな再生回数を数えるようになったもので、定義をめぐって専門家の間でも見解が分かれているようです。
作編曲においてアメリカ黒人音楽などからの盗用が散見されることで、ヴェイパーウェイブ、フューチャーファンクといったサンプルベースのマイクロジャンルの先駆者とされているようですが、私が想起するのはミュージックマガジン編集長だった中村とうよう氏が、このジャンルを代表するともいえる大瀧詠一のアルバムを評して語った「アーティフィシャル(人工的)。彼らが模倣するようなアメリカ音楽はスポンティーニアス(自発的)」という言葉です。K-popをはじめまるでAI生成されたような音楽が莫大な再生回数を稼いでいる、ポピュラー音楽やヒットチャートという器が、マーケティングや新自由主義の考え方によってバラバラに分断され空洞化してしまった現状を予見する言葉のように思うのです。
6 notes
·
View notes
Text

House in Shukugawa 夙川の家 (共同設計|arbol)
ミニマルな空間と美しい曲線が生む 優しく包容力のある住まい The minimalist space and beautiful curves create a tender and inclusive home
夙川の家は兵庫県西宮市に位置し、四方を2階建ての隣家に囲まれたコンパクトな旗竿地にある。 プライバシーの観点から外に開くことが難しい敷地条件に対し、内部を周囲から切り離して住み手のための”独立した世界”をつくることを目指した。 ”中庭”と”大きな気積をもったドーム空間”により、閉じた箱の中でも窮屈さを感じることなく、美しい緑や光を愛でながら居心地良く過ごすことができる。包み込むような空間が家族の団欒を生み、暮らしを受け止める包容力のある住まいとなっています。
“House in Shukugawa” is located in Nishinomiya City, Hyogo Prefecture, on a compact flagpole-shaped lot surrounded on all sides by two-story neighboring houses. The site conditions made it difficult to open the house to the outside for privacy reasons, so we aimed to create an independent world for the client on the inside. The “courtyard” and “domed space with a large volume” allow the residents to spend a cozy time while enjoying beautiful greenery and light, without feeling cramped in a closed box. The enveloping space creates a family gathering, and the house has the tolerance to accept the people’s life.
- ⚪︎ロケーション 夙川の家は、兵庫県西宮市の豊かな自然と古くからの邸宅街が広がる夙川沿岸の閑静なエリアに位置している。この場所のように地価が比較的高いエリアでは、邸宅街と対照に土地が細分化され住宅が密集している部分も多くみられる。本邸も、四方を2階建ての隣家に囲まれたコンパクトな旗竿敷地での計画だった。 ⚪︎ご要望 クライアントから伺った理想の住環境や要望は、次の5つに整理できる。
自然とのつながり(緑、光、風、四季を感じれること)
プライバシーを確保しつつhyggeを大切にできること(hygge:デンマーク語で「居心地がいい空間」や「楽しい時間」をさす言葉)
陰翳礼讃の精神で光や陰翳を繊細に感じられること、照明計画も同様に均一な明かりではなく変化や緩急があること
全体に繋がりがあり、用途に合わせて空間ボリュームが多様に調整されていること
インテリアから建築まで飽きのこない普遍性のあるデザインであること
これらのテーマと敷地条件をもとに、建築形態を検討していった。 ⚪︎デザインコンセプト プライバシーの観点から外に開くことが難しい敷地条件に対する解決策として、あえて周囲を隔絶し「中庭」と「ドーム空間」によって建物内部にクライアントのための“独立した世界”を構築する住まいを提案した。また共有していただいた好みのインテリアイメージには、ヨーロッパの空気感を感じるものが多く意匠にもそれらの要素を取り入れることにした。
まずコンパクトな敷地の中で可能な限り大きく建物のフットプリントを設定し、周囲に対して閉じた箱型の木造2階建てとした。次に内部でも自然や四季を感じ取れるよう、安定した採光が確保しやすい北側の角に中庭を配置。その周りを囲むようにホールやダイニングスペース、キッチンなどのアクティブなスペースを設けた。寝室や浴室といった個人の休息スペースは、必要最小限の大きさにして2階に配置した。(1ルームの寝室は、可動式収納家具によって部屋割りを調整可能) この住まいの最大の特徴はドーム型のホールであり、それは人々の暮らしを受け止める包容力のある空間となっている。適度な求心的プランが家族の団らんを生み、中庭の抜けとドームの大きなヴォイドが人が集まった際も居心地の良さを保証する。閉じた箱でありながら窮屈さを感じることなく、親密なスケールで家族や友人達と心地良く過ごすことができる。 またタイル張りの床、路地テラスのようなダイニングスペース、バルコニーのような踊り場、ドームとシンボリックなトップライトなどにより、1階は住宅でありながらセミパブリックな空気感を醸し出している。これがプライベートな空間である2階とのコントラストを生み、小さな家の中に多様さと奥行きをつくり出している。 採光については、単に明るいことだけではなく相対的に明るさを感じられることも重要である。ホールの開口部は最小限として基準となる照度を下げつつ、中庭に落ちる光が最も美しく感じられるよう明るさの序列を整理した。また壁天井全体を淡い赤褐色の漆喰仕上げとすることで、明るさを増幅させるとともに影になった部分からも暖かみを感じられるよう設計している。 空間操作としては、中庭外壁隅部のR加工、シームレスな左官仕上げとしたドーム天井、ドームと対照的に低く抑えた1階天井高などが距離感の錯覚を起こし、コンパクトな空間に視覚的な広がりをもたらしている。 ⚪︎構造計画 木造軸組構法の構造材には、強度が高いことで知られる高知県産の土佐材を使用。上部躯体には土佐杉、土台にはより強度や耐久性の高い土佐桧を用いた。工務店が高知県から直接仕入れるこだわりの材であり、安定した品質の確保とコスト削減につながっている。 ⚪︎造園計画 この住まいにおける重要な要素である中庭は、光や風を映し出す雑木による設え。苔やシダなどの下草から景石や中高木まで、複数のレイヤーを重ね、コンパクトでありながらも奥行きのある風景をつくり出している。またコンパクトな分植物と人との距離が近く、天候や四季の移ろいを生活の中で身近に感じ取ることができる。石畳となっているため、気候の良い時期は気軽に外へ出て軽食を取るなど、テラスのような使い方も可能。草木を愛でる豊かさを生活に取り入れてもらえることを目指した。 敷地のアプローチ部分には錆御影石を乱張りし、大胆にも室内の玄関土間まで引き込んで連続させている。隣地に挟まれた狭い通路であるため、訪れる人に奥への期待感を抱かせるような手の込んだ仕上げとした。また石敷きを採用することにより来訪者の意識が足元に向かい、ホール吹抜けの開放感を演出する一助となっている。 ⚪︎照明計画 ベース照明は、明るすぎず器具自体の存在感を極力感じさせない配置を心掛けた。特に中庭の植栽を引き立てる照明は、月明かりのように高い位置から照射することで、ガラスへの映り込みを防止しつつ、植物の自然な美しさを表現できるよう配慮している。ホールについても、空間の抽象度を損なわないために、エアコンのニッチ内にアッパーライトを仕込み、天井面に器具が露出することを避けた。 対して、人を迎え入れたり留まらせる場(玄関、ダイニング、リビング、トイレ)には、質感のある存在感をもった照明を配置し、インテリアに寄与するとともに空間のアクセントとしている。 ⚪︎室内環境 居心地のよい空間をつくるためには快適な温熱環境も不可欠である。建物全体がコンパクト且つ緩やかに繋がっているため、冬季は1階ホールとキッチンに設置した床暖房によって、効率よく建物全体を温めることができる。壁天井には全体を通して漆喰(マーブルフィール)による左官仕上げを採用し、建物自体の調湿性能を高めている。 換気設備は「第1種換気※1」を採用。温度交換効率92%の全熱交換型換気ファン(オンダレス)により、給排気の際に室内の温度と湿度を損なうことなく換気を行うことができるため、快適で冷暖房負荷の削減に繋がる。CO2濃度や湿度をセンサーにより検知し、自動で換気量を増やす仕組みも取り入れている。 また断熱材は、一般的なボードタイプよりも気密性が高く、透湿性に優れた木造用の吹き付けタイプを使用。サッシはLow-E複層ガラス+アルゴンガス充填で断熱性を高めた。 ※1「第1種換気」..給気、排気ともに機械換気装置によって行う換気方法 ⚪︎まとめ 近隣住宅が密集する環境の中で、周囲を隔てて内部空間を切り離すことで、住み手のための世界を築くことができた。仕事で毎日を忙しく過ごすクライアントだが、ここでの時間は、仕事を忘れ、好きなものに囲まれ、家族や友人たちと心から安らげる時を過ごしてほしい。心身共に癒やされるような家での日常が、日々の活力となるように。この住まいがそんな生活を支える器になることを願っている。 ⚪︎建物概要 家族構成 |夫婦 延床面積 |70.10㎡ 建築面積 |42.56㎡ 1階床面積|39.59㎡ 2階床面積|30.51㎡ 敷地面積 |89.35㎡ 所在地 |兵庫県西宮市 用途地域 |22条区域 構造規模 |木造2階建て 外部仕上 |外壁:小波ガルバリウム鋼板貼り、ジョリパッド吹付 内部仕上 |床:タイル貼、複合フローリング貼 壁:マーブルフィール塗装仕上 天井:マーブルフィール塗装仕上 設計期間|2022年11月~2023年7月 工事期間|2023年8月~2024年3月 基本設計・実施設計・現場監理| arbol 堤 庸策 + アシタカ建築設計室 加藤 鷹 施工 |株式会社稔工務店 造園 |荻野景観設計株式会社 照明 |大光電機株式会社 花井 架津彦 空調 |ジェイベック株式会社 高田 英克 家具制作|ダイニングテーブル、ソファ:wood work olior. ダイニングチェア:tenon インテリアスタイリング|raum 撮影 |下村写真事務所 下村 康典 、加藤 鷹 資金計画・土地探し・住宅ローン選び|株式会社ハウス・ブリッジ テキスト|加藤 鷹
-
House in Shukugawa ⚪︎Positioning the land as the background Located in Nishinomiya City, Hyogo Prefecture, the surroundings along the Shukugawa River are quiet, with abundant nature and a long-established residential area. Due to the high value of land and the relatively high unit price per tsubo, there are many areas where land is densely subdivided into smaller lots. The site was a compact, flagpole-shaped lot surrounded on all sides by two-story neighboring houses. These conditions were by no means good. However, the client purchased the lot because of its good surrounding environment and the fact that it was in an area that he had grown familiar with since childhood. ⚪︎Requests The ideal living conditions and requests we recieved from the client can be organized into the following five categories.
To be able to feel nature (greenery, light, wind) even inside the house
To be able to value "hygge" (Danish word meaning "comfortable space" or "enjoyable time") while ensuring privacy
To be able to feel light and shade sensitively in the spirit of " In Praise of Shadows(Yin-Ei Raisan)" and the same goes for the lighting design
The entire space is connected and the spatial volume is adjusted in a variety of uses
Timeless design that can be cherished for a long time
Based on these themes and the site conditions, the architectural form was studied. ⚪︎Design concept The site conditions made it difficult to open the house to the outside for privacy reasons, so we aimed to create an independent world within the house in line with the client's preferences. Many of the interior images they shared with us had a European feel, and we decided to incorporate these elements into the design.
First, the footprint of the building was set as large as possible in relation to the site, and it was designed to be boxy and closed to the outside. To allow the interior to experience nature and the four seasons, a courtyard was placed in the north corner, where it is relatively easy to secure lighting. The hall (living and dining room), kitchen, and other active spaces are located around the courtyard. Rooms for individual rest, such as bedrooms and bathrooms, were kept to the minimum necessary size and placed on the second floor. (The storage furniture in the bedroom is movable in order to accommodate changes in usage.) The most distinctive feature of this project is the domed hall. It is a tolerant space that accepts people's lives. The moderate centripetal plan creates family gatherings, the courtyard and the large volume of the dome guarantee a cozy feeling even when people gather. Here, one can spend comfortable, quality time with family and close friends without feeling cramped. In addition, the tiled floor, the alley terrace-like dining space, the balcony-like stairs, and the dome and symbolic top light give the first floor a semi-public atmosphere even though it is a house. This contrasts with the private second floor, creating variety and depth within the small house. In terms of lighting, it is important not only to be bright, but also to have a sense of relative brightness. While minimizing the openings in the hall to lower the overall illumination level, we organized the sequence of brightness so that the light falling on the courtyard would be perceived as beautiful as possible. The walls and ceiling are finished in a uniform light reddish-brown plaster, which allows the warmth of the light to be felt while amplifying the brightness of the space. In terms of spatial manipulation, the soft curvature of the outer courtyard wall corners, the seamless plastered dome ceiling, and the low ceiling height of the first floor in contrast to the dome create the illusion of distance and visual expansion in a compact space. ⚪︎Interior Environment A comfortable thermal environment is also essential for creating a cozy space. As the entire building is compact and gently connected, the volume can be efficiently heated in winter by floor heating installed in the ground-floor hall and kitchen. The walls and ceilings are plastered (with a Marble Feel) throughout to enhance the building's own humidity control. The ventilation system is "Class 1 Ventilation*1. The ventilation system uses a total heat exchange type ventilation fan (ondaless) with a temperature exchange efficiency of 92%, which allows ventilation without compromising indoor temperature and humidity during air supply and exhaust, resulting in comfort and reduced heating and cooling loads. The insulation is of the sprayed wooden type, which is more airtight and has better moisture permeability than ordinary board-type insulation. Low-E double-glazing glass with an argon gas filling are used to enhance thermal insulation.
*1 "Type 1 Ventilation". A ventilation method in which both air supply and exhaust are done by a mechanical ventilator. ⚪︎Structural Planning Tosa wood from Kochi Prefecture known for its high strength, were used for the structural members of the wooden frame. Tosa cedar was used for the upper frame, and Tosa cypress was used for the foundation because of its higher strength and durability. The construction company purchased these materials directly from Kochi Prefecture, ensuring stable quality and reducing costs. ⚪︎Landscaping plan The courtyard, an important element of the house, is designed with a mix of trees that reflect the light and wind. Multiple layers, from undergrowth such as moss and ferns to landscape stones and medium height trees, create a compact yet deep landscape. The compactness of the space also means that the plants are close to people, allowing the users to feel the weather and the changing seasons in their daily lives. The cobblestone pavement enables the use of a terrace-like space, where one can casually step outside for a light meal when the weather is nice. We aimed to bring the richness of loving plants and trees into people's lives. The approach to the site is made up of tan-brown granite, which is boldly pulled into the entrance floor of the house to create a continuous line. Since it is a narrow passageway between neighboring properties, we created an elaborate finish to give visitors a sense of anticipation of what lies ahead. The use of stone paving also directs visitors' attention to their feet, helping to create a sense of openness in the hall atrium. ⚪︎Lighting Plan The base lighting is not too bright, and the presence of the fixtures themselves is minimized as much as possible. In particular, the lighting that enhances the plants in the courtyard illuminates from a high position, like moonlight, to prevent reflections on the glass and to express the natural beauty of the plants. In the hall, lights were installed in the air conditioner niche avoiding the exposure of fixtures on the ceiling surface, so as not to spoil the abstractness of the space. On the other hand, at the place where people are welcomed in or stay (entrance, dining room, living room, and restroom), lighting with a textured presence is placed to contribute to the interior design and accentuate the space. ⚪︎Summary In an environment where neighboring houses are densely packed, we were able to build a world for the residents by separating the interior spaces from their surroundings. The client spends his busy days at work, but during his time here, he wants to forget his work, surround himself with his favorite things, and spend truly restful moments with his family and friends. We hope that daily life in a house that heals both body and soul will be a source of daily vitality. We hope that this home will be a vessel to support such a lifestyle. ⚪︎Property Information Client|Couple Total floor area|70.10m2 Building area|42.56m2 1floor area|39.59m2 2floor area|30.51m2 Site area|89.35㎡ Location|Nishinomiya-shi, Hyogo, Japan Zoning|Article 22 zone Structure|Wooden 2 stories Exterior|Galvalume steel sheet, sprayed with Jolipad Interior|Floor: Tile flooring, composite flooring Walls: Marble Feel paint finish Ceiling: Marble Feel paint finish Design Period|November 2022 - July 2023 Construction Period|August 2023 - March 2024 Basic Design/Execution Design/Site Supervision| Yosaku Tsutsumi, arbol + O Kato, Ashitaka Architect Atelier Construction| Minoru Construction Company Landscaping|Ogino Landscape Design Co. Lighting|Kazuhiko Hanai, Daiko Electric Co. Air Conditioning|Hidekatsu Takada, Jbeck Co. Dining table and sofa|wood work olior. Dining chairs|tenon Interior styling|raum Photography|Yasunori Shimomura, Shimomura Photo Office (partly by O Kato) Financial planning, land search, mortgage selection|House-Bridge Co. Text | O Kato
#architecture#architectdesign#design#インテリア#インテリアデザイン#buildings#furniture#home & lifestyle#interiors#夙川の家#住宅#住宅設計#建築#アシタカ建築設計室#空間デザイン#住まい#Ashitaka Architect Atelier
10 notes
·
View notes
Text
るんぺんパリ【RunPenParis】

自己紹介 2024年11月4日追記 6116文字】 三重県伊賀市(旧名:上野市)出身 伊賀市(旧名:上野市)に 1976年(3歳)から 1996年(23歳)6月まで住んでいた 1976年以前の記憶と出生は不明 津市にある施設にいたと聞いた覚えがある 三重県亀山市に二つか三つ年上のお兄さんいるらしいが あった事は一度もない 30代の頃に一度だけ電話で話をした 父方に引き取られたお兄さんに 母親の事を聞いた 母親は別の人と再婚し離婚して 娘さんと一緒に暮らしているらしい 父親は再婚して自分と同じぐらい娘さんがいるらしい お兄さんはおじいさんの事を尊敬していて 中国語を勉強してるらしい あとは色々と聞いたけど 覚えているのはそれぐらいの内容で もう二度と話す事はないだろうと その時に思ったけど お兄さんの顔がどんな顔なのかは 見てみたい気持ちは少しある
伊賀市でそこそこ有名なのが 伊賀流忍者で忍者屋敷は今も昔も変わらない内容で 営業している それは去年に末っ子を連れていったから確認済 外観はただの古い家だけど 中に入ると意外と見応えはある 観光施設って感じ 伊賀牛は金谷のすき焼きが有名で 森辻が新しい様相なってから焼肉を食べた 個人的には伊藤の牛丼が好きだ 油が多い感じのお肉だから 100gも食べれば満���感がある 上野天神祭の鬼行列も有名かな ひょろつき鬼が子供の頃は本気で怖かった 銀座通りが歩行者天国になり 的屋がならぶ 高校生の頃はリング焼きが100円ぐらいで 何個も買って食べた 今年は10月18・19・20(金土日) 19(土)は久しぶりに一人で一日中お祭りを楽しむ予定だったけど 昼前から雨が降ってきて鬼行列は中止 午前中は親戚を3件回って、おみやげを渡した 午後に実家によって車を駐車して 歩いて上野天神祭へと向かった いつも泊まる「伊賀上野シティホテル」は1泊10000円以上も高い 16800円だった。この日は駐車場も使えなかった 夜の19時から同級生のお店「クワトロNo.4」に初めていった 30年ぶりにちゃんと会ったガキさんは すぐに気がついてくれた 居心地がよかったので閉店の1時までカクテルを8杯ぐらい呑んだかな 意外と安くて8200円だった 次の20(日)は上野天神祭に参加している同級生のオデに会って 鬼行列の準備風景を写真に撮って 上野天神さんの近く紅梅屋でおみやげを結構買って 桔梗屋で上生菓子とお茶を飲んで 静岡へ帰った 松尾芭蕉は俳句で有名で伊賀出身で 小学生の頃はがっつりと俳句を作らされる 俳句はいやいや作らされたので 俳句番組は見ない 俳聖殿の中には過去の優秀な俳句が収められていたかな 普段はこれといって何もないけど 俳聖殿のたたずまいは何か「The Haiku」という感じ 上野城のお堀の高さ日本2位? 一時期は日本1位説もあった 中学生の頃は上野城で体育の授業があったり クロスカントリーレースで走らされたり 高校生のデートも上野城が定番だったのか それらしき男女がイチャついていた 夜のライトアップは不気味なお城に見えた 一応、桜の名所なのかな 高校生の頃に一つ年下の子とつきあっていた頃は よく上野城をさんぽした 帰りはその子の家の近くまで送っていった この子はとても純粋な子で 自分にはもったいない子だった 半年もつきあっていないが 今でも純粋で幸せになっているかなと思い出す事もある もう向こうは忘れているだろうけど 伊賀の街には銀座通りとか丸の内とか 東京で聞くような名称が多く使われている 地元のうわさでは東京が伊賀の真似をして 街を作ったとの話がよく出てくるから 誰か本気でテレビとかで調べてほしい気もする いまだに東京が伊賀のマネをした説を 親戚がまじめな顔でいいだす時があるから 本当に真実が知りたいけど 自分が調べるほどは興味がない 2004年(平成16年)11月1日に 伊賀市に変わってから 上野市駅が忍者市駅になり 近鉄の電車だったのが伊賀鉄道になり 電車がコスプレになった 駅前には銀河鉄道999のメーテルと哲郎の銅像があり 産業会館がハイトピア伊賀になった 産業会館だった時にマルキンのパン屋が近くにあった そこのシナモンパンが子供の頃から大好きで 今はもう手に入らない もう一度、あのシナモンパンが食べてみたい あと小さなパチンコ店「マルト」があった 「フルーツパンチ」という機種で勝った覚えがある あと「麻雀物語」もあったかな 「海物語」という機種が記憶の最終機かな 上野で住んでいた時期に一日で20万近く負けて それからパチンコは完全に辞めた じつはその後もたまにしたが 本当に気晴らし程度で その内にきっぱりとやめた スロットが主流になったら なおさら興味すらなくなった 新天地もなんかおしゃれなサビれかたで 「新天地Otonari」となった 街は高校生の頃の面影は薄くなったけど 何となく残っている上野市街は今でも魅力的だ 新天地には映画館もあった気がする 当時は賑やかな商店街だった 当時からあった「喫茶店フランセ」は今もある 大きな化粧品店は更地になっていた 高校の時の知り合いが「クワトロNo.4」という バーを経営しているが、まだ入った事はない いつか行ってみたい気持ちはある ただダーツバーらしく 常連っぽい人たちのたまり場っぽいイメージで 気楽入れなさそうな雰囲気はある 一度だけ朝方にお店の扉までいったけど バーの扉って感じで雰囲気はあった 最近は実家で一人暮らしのおかんの様子を見に よく帰省するようになったけど 若い頃は年一回も帰省しなかった 最近の伊賀でよく立ち寄るのが 「菓匠 桔梗屋織居」と 「HANAMORI COFFEE STAND」と 「岡森書店白鳳店」で 岡森書店は、Kマーホの名で出版した 「トイレの閃き」が背表紙の色が抜けた状態で 25年以上も本棚に置いてくれている これを見ると初心に戻れて まだまた創作していこうとがんばれる この岡森書店の店長さんは従姉の同級生で 小学校の先輩の同級生でもあり この店長の妹さんは自分と同年代で それにしても伊賀は狭いなと感じる
市部という地区だったと思う 近くに市部駅という無人駅がありその近くの 依那古第一保育所に5歳から6歳の2年間通った おかんは自分の送り向かいのために 自転車を乗る練習して そのおかんが運転する自転車の後ろに乗って 途中の田んぼに二人で落ちて 泥だらけになった おかんは去年の年末まで 81歳でまだ自転車に乗って 小田町の坂を下っていたらしい いまは親戚から危ないからと 召し上げられた 小学校6年卒業までは上野市依那具にある 市営の城ケ丘住宅で過ごした この市営住宅はもう40年以上も その雰囲気を変えずに今でも残っている ここは伊賀市の文化遺産にしていいほどの時間が止まった場所だ いまだに汲み取り式の便所の換気の煙突が立ち並んでいる このカオスな感じは小学生の頃の不便な生活を思い出させる あの生活で暮らしたから今があるのは確かだ 小学校の通学路にある 垂園森でよく遊んだ 現在も存在しているが オバケが出そうな森 この森は当時通っていた依那古小学校の校歌の歌詞にも出て来る イメージ的には幽霊が出そうな森だけど 何か不思議な生き物が住んで居そうな森に見えた きつねも出そうだし おばけも幽霊も心霊も もしかするとタイムスリップして 小学生の頃に戻れそうな気もする森だと変な懐かしさを感じる 近くには無人駅の市部駅とにらめっこしている森 中学校から市街の上野城の 城下町で過ごした 当時はカオスな市営城ケ丘住宅から出れる事が本当にうれしかった 小学校までの友達とも飽きてしまっていたので寂しくはなかった 当時から色々な物にすぐに飽きては新しい物が好きだったので そっちのワクワク感で本当にうれしかった そして築20年以上の中古の一軒家で2階建て 自分の部屋がありトイレは汲み取り式だけど洋式で あこがれの上野の街で住める事もあって本当にうれしかった
そして近くの崇廣中学校に通う事に 中学校の3年間は 転校生という立場と 中一で足の骨折 バスケ部の試合で名張の体育館で遊んでいて 二階から飛び降りたら右足のかかとがにヒビが入った その夏にはバスケ部をクビになり陶芸部に入った 中二で腕の骨折 どちらも遊んでいての骨折2回 中三の高校受験で いい想い出は無い
高校2年生で 小学校の時にサッカーで出会った 旧友とバンドを組んだ RCサクセションのコピーで 「雨上がりの夜空に」「トランジスタラジオ」 「ベ���ベー逃げるんだ」「サマーツアー」 「サントワマミー」「いけないルージュマジック」 「いいことばかりはありゃしない」 「どかどかうるさいR&Rバンド」 旧友が作ったオリジナル曲「ガレージの上のR&Rバンド」 一番のモテ期だった気がする ただバンドをやっている自分を見て 好意を寄せられても違うなと思った バンドをしていない時はただのバイトに明け暮れた 高校生だったから バンドマン目線のそういう女子には興味がなかったから 冷たい感じだったかも 本当にこの時期がこれまでで一番楽しかった。 高校生の頃はたくさん恋をしたが 自分が不器用だったので自分が好きだった人からは つきあえてもすぐにフラれた 人を好きになることに迷走し始めて 最終的に好きになる事はやめて なんとなくという感情で奥手に過ごしていった そのせいか、他校の女子からゲイだとウワサされる事もあった なぜそうなるか不思議だったけど 当時は楽しければなんでもよかった
1993年 一人暮らしを始める やっと自由になった気がした 2年間ぐらいは金が無くて 通帳の残高は毎月マイナス50万 カツカツ生活 家賃と車のローンがきつかった 1996年7月から 2003年7月の 7年間は茨城県と千葉県の県境 利根川の近くに住んでいた この界隈を走るタクシー運転手の 態度は本当にムカつくから こっちも態度悪く乗ると 気分の悪さはお互いさまになる 関東平野は景色が無く ここでの生活は落ち着かなかった 食文化も人も気候も水も 肌に合わなかった 特にうどんの汁が濃いだけのシンプルな味は げんなりさせてもらった ただ寺原駅近くの「ふる川」はよく通った とくにカレーめちゃくちゃ美味かった この「ふる川」は今もやっている 当時はお店の小学生の女の子が手伝っていた 夫婦だけでやっていて 週3回ぐらい夕飯でお世話になった 「さば定食」もよく食べた気がする
1997年から パソコンをミドリ電化で38万で購入して 作詞やネットに興味を持つ まどみちお詩集を読みだす 作詞に近い詩を書き始める 「Kマーホ」という名で 詩を書き始める 目標を300篇と決めて 詩を思いついたら メモをつけるようになる 週末は家に引きこもり 一日中、音楽を聴きながら パソコンがあるのに まだワープロで詩を清書していた
1998年から2002年まで 「Kマーホ」の名で 詩に団体に参加したり 詩の賞に応募したり 詩集を自費出版したり この当時参加していた詩の団体には もうドロドロとした 詩を書く人や あまりにも読み解けない詩や 暴力的な人や いい人もいたけど 自分とは全然目指している方向が 違うので2年目ぐらいで辞めた それからは詩の団体に興味は無くなった それから 自費出版した詩集を 全国の小中学校や 全国の図書館へ寄贈して 活動を休止 理由は2000年に結婚してから 集中して詩を書く時間が無くなってきたから 2002年に2つの詩集を出版して 詩の事は全部段ボール箱へ入れた
2003年から2019年まで 育児に重点を置いて生活をする この時期は友達とも連絡を 切っていたので のちに死亡説や宗教説が出ていたらしい 2003年7月から 現在は静岡県在住 もう20年以上住んでいる
2019年 るんぺんパリ【RunPenParis】の名で 詩を書き始める SNSでの詩の発信を始める るんぺんパリ【RunPenParis】とは フランスはパリの街を ぺんを持って 走るという意味から 【RunPenParis】ができた 1973年8月1日生まれ(もう51歳) しし座 O型 右利き 詩・詩集・ことばをデザイン アート・写真・小説・ペン画 松尾芭蕉の生家がある伊賀市で 十代までを過ごし 俳句が幼少期から 身近に存在していた 二十代から詩を書き始めて 「Kマーホ」名で活動(1999-2002) 詩集6冊を出版して活動休止
その後 松尾芭蕉の俳句のような シンプルな言葉遊びを 詩で出来ないかと考えていた中で 令和元年(2019)に 「るんぺんパリ【RunPenParis】」の名で 活動を再開 SNSに140文字に 言葉をデザインした詩 「140文字詩」を 毎日投稿する活動を始める 2023年9月に140文字詩が 1200作品に到達した事で 「140文字詩」を全国へ さらに世界へと 俳句のように広く知られる 存在になって欲しい ◆るんぺんパリ【RunPenParis】作品一覧 【2023年】Amazonで販売 2023/12/27第2フォト集「ほちきす それでは あかんで」 2023/12/2 第1フォト集「とめても ええか ほちきすで」 2023/11/23 第16詩集「もあいの ねごとを よみとる」 2023/9/16 第15詩集「さんもじ もしくは よんもじ」 2023/9/9 第14詩集「のこりの あぶらは わるもの」 2023/9/2 第13詩集「あそびも しごとも たいふう」 2023/8/26 第12詩集「かいてきな しつどに おぼれる」 【2022年】Amazonで販売 2022/12/6 第11詩集「やくそくは よなかの おひるに」 2022/11/3 第10詩集「みさんがの ともだちの たまんご」 2022/10/7 第9詩集「くうきと さんその かつさんど」 2022/9/3 第8詩集「さついを こめた いもけんぴ」 2022/8/7 アート作品集「やさいに つめる にくえらび」 2022/2/14 アート作品集「よなかに ひかる かみぶくろ」 2022/1/1 第7詩集「みかんの むくちな ��もち」 【2021年】Amazonで販売 2021/9/8 第6詩集「そんな ことばは さよなら」 2021/8/3 第5詩集「あさに おくれた なんて」 2021/6/5 第4詩集「すいかの たねの ちょうこく」 2021/5/31 第3詩集「たんぽぽの たまご ひとつで」 【2020年】Amazonで販売 2020/7/27 第2詩集「こよい こよりの そらから」 2020/3/2 詩小説「すきから あいへ おやすみ」 【2019年】Amazonで販売 2019/7/21 第1 詩集「ところで あした あいてる」 ◆Kマーホ 作品一覧(1999-2002) 【2002年】 2002/4/30 第6詩集「眠立体(ねむりったい)」 2002/4/4 第5詩集「コールサック」 【2000年】 2000/7/31 第4詩集「マガサス星人」 2000/1/31 第3詩集「おしりとサドルが あいますか」 【1999年】 1999/8/1 第2詩集「テレビジョン」 1999/5/1 第1詩集「トイレの閃き(ひらめき)」 【受賞】 2001年 詩「眠立体(ねむりったい)」第6回トワイライト文学賞 2000年 詩「永遠の親友」信越郵政局長賞 1999年 詩「トイレの閃き(ひらめき)」第1回万有賞 1998年 作詞「地球のウラハラ」第31回日本作詞大賞新人賞候補ノミネ���ト
#runpenparis#art#paris#artist#artistreet#詩#vogue japan#るんぺんパリ#詩集#japan#アートブラッシュ#アート#アートワーク#アートギャラリー#アート作品#個展#自己紹介#伊賀#伊賀市#上野天神祭#140文字詩#写真#ぺん画#伊賀出身
2 notes
·
View notes
Text
詩集『人生と演劇』

詩集『人生と演劇』
1.「夜と演劇」 2.「あなたと演劇」 3.「ドレスと演劇」 4.「旅と演劇」 5.「僕と演劇」 6.「秋と演劇」 7.「演劇と風」 8.「演劇とマス」 9.「演劇とはかない」 10.「演劇とあきない」 11.「演劇と街」
1.「夜と演劇」
終演後の街はもう暗く、 車内も人はまばら。 言葉にならない余韻の中で、 私は台詞を反復する。
カーテンコールが終わる頃、 ひとりの眼を見つめて、 一瞬に涙を認めた。
この劇団はもう終わる。 明日はここにいない。 サヨナラも言えぬまま。 キャラバンは街へ消える。
風の中へみんなの宴は、 静かに溶けていく。 誰の声も聞かぬまま、 明日は別の場所で。
サヨナラも言わぬまま。 キャラバンは夜へ消える。
ありがとうも言えぬまま。 キャラバンは時に消える。
2.「あなたと演劇」
私の憧れた先輩、 ずっと追いかけてた先輩、 彼が「部活を辞めたい」と言った日、 未だに忘れもしない。
誰に聞かれても、 部長が問い詰めても、 虚ろな目のまま、 どこかを見つめていた。
もう数ヶ月が経って、 誰も先輩の話はしない。 でも、私は覚えてる。 数日後に転校していった先輩の噂、 もう聞かないけれども。
あのアイドルのオーディション、 親にも友達にも内緒で、 初めて応募した。
テレビに出るような人になれば、 先輩は帰ってくるんじゃないかって。 詩的でも激情でも、 なんでもなくたって、 私はアイドルになる。
やりたいことはこれから見つければいい。
広告を見た日に浮かんだ疑問、 やっとわかった。
生きる意味。 生きる価値。 生きる……
3.「ドレスと演劇」
ふだんの私にはなれない、 あなたになりきって。
大きな声で叫んだり、 普段言えないことを伝えたり、 そんな非日常感に憧れ、 私は役者になりたいと思った。
あの娘が着ている、 ドレスには手が届かなくたって、 あなたへのラブレター、 最初に渡された日、 ここで生きてくことを決めた。
憧れた私じゃなくても、 夢は無数に分岐して、 いつか描いた道のりが、 突然目の前に現れる。
世界はいつも残酷で、 言うことなんか聞かないけど、 それでも私は素直に、 愛のままに。
咲かせろ、リアリズム。
4.「旅と演劇」
あの頃は旅をするたびに、 街に劇団があって、 夜になると素敵な劇を観られたものだ。
名もなき役者と、 天才作家たちの宴。 次もまた観られるかと劇場を訪れると、 もう別の劇団が構えてた。
たとえば海の見える街で、 かつて映画館だった劇場。 たとえば昔栄えた町で、 かつて盛場だった劇場。
アングラの名を借りて、 誰もが明日の光を求めてた。
埃を被ったマネキンに何かを問うても、 誰も何も答えないと私は知っている。 それでも世界は今日も回り続けて、 誰かの夢を無作為に拾い集めようとする。
さらば役者たちよ、 さらば素敵な劇団よ。 あなたたちの描いた虹は、 私が忘れない。
一度きりのロマンスは 愛の名を借りた幻想。
5.「僕と演劇」
学校へ行きたくない日は 女優志願の姉に連れられ、 劇団の稽古を静かに眺めてた。
朝から深夜まで 僕の知らない世界が、 目の前に広がる様を観るのは 楽しかった。
でも本番を観るのは嫌いで、 大人と呼ばれる年齢になってからも 一度も観劇したことがない。
未完成なものが好きなのは、 保育園だった頃からの癖。 完成したら後は壊れるだけ、 ちょっぴり可哀想な気がした。
スーツをしっかり着る男も、 ドレスをきちんと着こなす女も、 どこで生まれたのかわからない生物も、 自然の中に佇む擬人化された君も、 そして、それを見つめる僕も。
9時から6時まで今日も僕は、 上司に怒られながら仕事をする。 後輩にゃ出世で先を越されたが、 世の中には上司になるよりも大事なことがある。
誰かの上に立つよりも、 僕は僕の人生の方が大事で、 とっくに亡くなった姉の後を追い、 週末はこのステージに立つ。
髪を切れと言われても 僕はこのステージのために髪を伸ばす。
6.「秋と演劇」
雨上がりの舗道に ぽつんと取り残された水溜りが、 まるでクラスメイトのAのようだと 友人の誰かが言う。
僕はそれを否定する言葉が出ず、 ひたすら唇を噛み締めるしかなかった。
秋が来る頃、 高校で文化祭があると聞いて、 僕はAにある役を演じないかと誘った。
ずっとAを見つめてきたから BにもCにもなれると知っていた。 誰かが決めつけなければ Aは誰にでもなれると知っていた。
人はほんの一言で変われる、 きっかけがある、 もしその一瞬が僕なら、 ありきたりな言葉でもいい、 僕だけの言葉で。
愛という名のシャワーで 君の心を融かそう。
AがAのままで居られるように 僕がこの手を握るから。
7.「演劇と風」
どんなに君が歴史になろうとも、 私が思い出させるから、 「老いた」なんて言わないで、 その手を握るから。
風に吹かれるように、 社会はゆっくり変わって、 たしかに君を、 過去のものにするけれども、 精神に埃を被らぬうちは、 きっと現在を投影したまま、 そうやって生きる。
ロマンティシズムの塊を、 人間と呼ぶのなら、 君が若かった頃の写真を切り取って、 目の前に貼り付けたい。
まだ死んでないじゃないか、 安いバーボンに溺れるくらいなら、 ラーデンシュタインに、 ローガン伯爵に、 君にしかなれないアイツを、 死ぬまでに再び演じてくれよ。
そうさせなきゃ、 ここで手を握っている意味などない、 私だって、 君に惚れ込んだんだから。
一度は憧れた人だから。
これ以上、 好きに筆を入れさせないでくれよ。
8.「演劇とマス」
最初はほんの気まぐれ、 人生はやさぐれ、 そんな私の戯れ、 あなたに明け暮れ。
いつしか劇も大きくなり、 髪はちょっと伸び、 メイクは綺麗になったけれど、 それでもふと微笑む瞳は、 あの頃とちっとも変わらない。
あなたの劇を見て、 あなたを好きになり、 私は大人に変わってった。
大きな仕事を任され、 しばらく行けなくなっても、 私はあなたが生き甲斐、 ずっとそうだと信じてた。
ある日、友達からのLINE。
彼の安寧を奪わないで。 ふつうに生きる権利を憎まないで。
9.「演劇とはかない」
この一瞬がすべてを台無しにしてしまう。
たった一音…… たった一秒…… いつかの夏の影。 踏みしめて。
「コメディエンヌ」と言われた同級生が 効果音を持ってきた。 いつも朗らかな少女の真剣な眼差し。
絶対に失敗は出来ないと 何度も練習して 僕のいない日は後輩にも委ねて もしもに備えた。
でも本番はまさかの影が付き纏う。
永遠に終わらぬ読み込み、 舞台はすぐそこまで進んでく。
君の落胆した表情が今も忘れられない。 プロになっても時折夢に現れるんだ。 ひと夏の努力を無駄にした十字架。
「君だけのせいじゃない」と皆は言うけれど、 それでも、 何か出来たはずだと、 心の中には消えないかさぶた。
君へのかさぶた。 青春という名前のかさぶた。
10.「演劇とあ��ない」
愛がはしゃぎだす、 この共鳴の中に、 ふたりは抱きしめ合う、 夜が明けるまで。
正解なんてない、 このエチュードが終わるまで、 悲しみに任せて、 抱きしめ合えばいい。
そんな芝居すら、 誰かが決めたもの、 私たちはドールハウスの中で、 夜明けまで、 愛を演じていく。
そうやって生きてきて、 こうやって笑ってきて、 ああやって泣いてきて、 どうやって生きるのか。
11.「演劇と街」
私の街に、 新たな劇場ができた。
人が来る、 広場が生まれる、 愛を知る、 夢を感じる。
余分に木を切らず、 できるだけ循環させ、 後載せの言葉ではなく、 今ある言葉、 そして地域の声で。
奏でたいのは理想じゃなく、 そこにある現実を見つめ、 何もない土壌への幻想でもなく、 今の地域と共に歩きながら。
なんでもない物語を紡ごう。 言葉のない世界を生きよう。
あなたと、 わたしと、 この街と。
詩集『人生と演劇』Credit
Produced by Yuu Sakaoka
All Poetry Written by Yuu Sakaoka Dedicated to Kazumi Yasui(「女優志願」) Brain by TORIMOMO, Koharu Takamoto, Sakura Ogawa
Designed, Edited, A&R by Yuu Sakaoka Co-Produced by Koharu Takamoto
Management by G.Slope & Hill's Planet
Very very very thanks to my friend, my familly, and all my fan!!
2024.9.1 坂岡 優
2 notes
·
View notes
Text
uihy
自室の記録

5年前からルームシェアをしているSと一緒に引越しをしてから、3年が経った。寝室をSが、リビングを私が自室としている。私の部屋の正面には大きな窓があり、左右にもそれぞれ小窓がある。

小窓1
装身具類の置き場所。ピアスを置いている鳥のレモン絞り器は、Fさんから貰ったもの。Fさんはよく動物のものをくれる。犬の形をした栓抜きや、野営をするくまの置物も彼からのプレゼントだった。
カートリッジインクの空き容器には、ヘアピンやネックレスを入れている。私の父は吸引式の万年筆を好んでいて、父から贈られたペンもインク瓶とセットのものが多かった。実家を出て外にいる時間が増えてからは、インクを切らすことが怖く、自然と替えのインクを持ち運べるカートリッジ式の万年筆を使うようになった。それからしばらく経ち、1年前にプログラマを辞めたことを手紙で報告すると、その数日後に「励まし」とボールペンが送られてきた。以降ずっとそのペンを使っているから、手持ちの万年筆はどれもインクを抜いてある。
よく付けるピアスは窓の縁に置いていて、どこかの喫茶店で使われていたらしい伝票入れには、硝子のオーナメントやトライアングルのビーターを差している。

Hのくれたトライアングル本体は、腕時計とブレスレットを失くさないための場所として機能している。良くない使い方だと罪悪感を覚えてはクロスで磨いている。

小窓2
『陶の家』を見かけたらひとつ買うというのを続けていて、現時点で3軒が建っている。少しずつ街になっていく。家の奥には、ミナペルホネンの好きなQさんにプレゼントしたものと色違いのタイルを置いている。

小窓3
すぐぼろぼろにしてしまう指先のケア用品を置いている。H先輩に貰ったネイルオイルの磨硝子が好きだった。Fさんが動物をくれるように、この人は硝子をよくプレゼントしてくれる。硝子のオーナメントも、ステンドグラスのくまもH先輩から貰っている。

窓を開閉するハンドル(オペレーターハンドルというらしい)に紐をかけて、ケーブルや電源類をまとめている。先日Eから貰った白いカールコードのシールドもここに下げている。黒い服ばかり着ているのに、Eには乳白色のイメージがある。“誤って人間として産まれてしまった天使”だと感じさせる人と知り合うことが何度かあり、Eもその中のひとりだった。

向かって左には仕事用のシャツ、右には外套を何着か掛けている。秋冬用の服ばかりある。

机
ここに越すことが決まってから最初に選んだ家具。プログラマになったばかりの頃、メモリの重要さを机の広さに喩えて教えられた。それで机は広いほど良いものだと認識したのか、気付けば横幅のある机ばかり探していた。天板の色を緑に決めて、部屋の軸に据えた。

職場で割ってしまったマグカップに無線イヤホンや保湿クリームを入れている。シャツを濡らしたまま破片を持つ私を見て、笑ってくれる会社の人たち。これ以上は無いとよく思う。
ヘアクリップ入れにしている、ままごと用のような小さな花瓶も気に入っている。渋谷の蚤の市で友人へのプレゼントを選んでから、度々その人の店でものを買うようになった。銀色のトレイやハート型の赤い缶もその人から買った。
銀色の電源タップは前の部屋から持ってきたもの。あらゆる電子機器の電力をここから供給している。

ギターをくれた友人たちが別の年の誕生日に合同出資してくれたオーディオインターフェースがモニターの下にある。未だに1-2と3-4の入力を同時にする方法が分からず、2つずつ付け替えながら使っている。これを貰ってからAudacityで曲を作り始めて、今もそのやり方をしている。会社の先輩には「システムを0と1だけで作ろうとしているみたいなものだよ」と言われたけれど、その頓馬さを含めて自分に馴染むので、Audacityをずっと使っている。キーボードがちょうど上に乗る。

モニターの横にはmicroKORGを置いている。普段は誕生日に贈り物をしないと取り決めているSだけれど、数年前に何かで手を貸した際「この恩は倍にして返します」と言い、その年の誕生日にmicroKORGをプレゼントしてくれた。このシンセサイザが部屋に来てから、自分の生活が向かうことのできる方角が増えたように感じている。大切な楽器。

microKORGには、新しい部屋で出した『野良の花壇』のマグネットを付けている。本来は冷蔵庫のために作られたマグネットだけれど、皆とスタジオにいる時にあって欲しく、ここに付けている。プリクラで来られなかった友達の似顔絵を描くような感覚。私の黒い冷蔵庫には、ピーター・ドイグの青鬼の絵と油絵の花のマグネットだけがある。

机の下に、PC・トランクケース・スーツケースを置いている。PCはSのお下がりで、MacBookしか使ったことのなかった当時の私は、こんなに大きな箱がPCだなんて、と思っていた。PCの上に付けたアンテナは狐の顔のような形をしている。
トランクケースは大学2年のころ大枚をはたいて手に入れたもの。どこか遠出をする時はこれに荷物を詰めている。畳み終えた洗濯物をSの部屋へ運ぶ時のかごや、ギターを弾く時の足置きとしても使用。頑丈さに安心する。
スーツケースはついこの間、京都に長く滞在するために買った。銀色の次に、灰がかった青が好きだと思う。

ギター・くま・本棚

ギターは高校時代の友人たちが誕生日にくれたもの。19歳になったばかりの頃、当時の交際相手と出掛けた帰り、気が付いたら楽器屋にいた。ギターを2本持ったその人に「どっちがいい」と訊かれ、指差した方を買ってくれた。私にギターを与え、弾き方を教えてくれたことにずっと感謝している。その人と別れてしばらく経ち、誕生祝いに何が欲しいかを訊かれ、ギターを頼んだのだった。友人たちは「あえて白にしてみた」と笑っていた。今思えば、このギターを貰ってから白を自分のものにすることへの抵抗が弱くなった。ギターの届いた日、触っているのが楽しくて大学を休んだのを覚えている。
YAMAHAのアンプは義兄が使っているのを見て購入した。私が真似をしていると知って嬉しそうだった、と姉から教えてもらった。

左端のくまは、元は白だったのだけれど、深い青のシーツで眠るのに付き合わせたせいで黝くなってしまった。Kの小説に「ヤニや涎で汚れてしまったのかしら」と書かれてからは、布で包んでいる。いつかぬいぐるみ病院に連れて行きたい。隣は一度も会ったことのない人が贈ってくれた黒いくまと、高校時代の交際相手が留学先のお土産として連れてきてくれた焦げ茶のくま。誰かとビデオ通話をする時にはよくパペットのくまに代理出席してもらっている。右は、地元や旅先の雑貨屋で見つけて連れてきてしまった(“しまった”という意識がずっとある)小麦と白のくま。グレーのワゴンに小さなギャッペを敷いて、くまたちの場所としている。

低い本棚の上
蓋のない宝箱。小物たちというより、質量のある記憶群という方が実感に近い。
西荻窪にあった喫茶店の閉業を知って沈んでいると、H先輩が「お店で使っていた品物を販売しているみたいです」と教えてくれた。黒い花瓶のあるおかげで、ずっとその店を忘れずにいられる。今はEのくれた竹とんぼや、Aさんのくれた花を入れている。ポストカードをしまっておける箱のついた額縁には、Aの写真を入れている。過去、「__の写真を写真展に出してもいいですか?」と、もう搬入の終わった状態で確認の連絡が来たことがあった。Aがごく稀に見せる、こういった強引さが大好きだった。展示を了承する代わりに譲ってもらったその時の写真たちは、勾配天井の部屋に暮らしていた時に飾っていた。上京してから借りたどの部屋にもAの写真を飾っている。そのほか、江の島で拾った石や、Tさんがライブ終わりに嵌めてくれた指環、Uさんと行った犬吠埼のイルカの置物、書ききれないほどの誰かと紐付いた宝物がある。

声の依頼を受けた際、お礼にといただいた絵。額装までしてくれていた。元々この人の絵が好きだったので大喜びした。一度この絵を裏返さなければいけない時期があったので、また飾ることができて嬉しかった。

高い本棚の上
小さなギターは、Kさんと一緒にRさんの部屋でパーティをした日、中古のおもちゃ屋で買ったもの。Rさんの部屋に戻った後もご機嫌に鳴らしていて、そのあと火事が起きた。カセットコンロの火がテーブルクロスに引火して、火が早送りのように広がっていくのを見た。三人で死ぬ映像がちらついた、次の瞬間には火が消えていて、振り向くと花瓶を持って息を切らしたRさんが立っていた。チューリップを活けていた水での消火。このおもちゃが生き延びた証明になっている。このあいだのアルバムに入れたフィールドレコーディング曲にはその日の日付が付けられていて、火のはじける音やこのおもちゃギターの音が入っていた。volca keysは初めて触ったシンセサイザ。自分ひとりである程度のことができるようになりたくて、リズムマシンとマルチエフェクターを買った。
銀色のバットはひとつ前に住んでいた部屋の近くにあった台所道具の店で買ったもので、前日と翌日のあいだの時間に携帯品を置いておく場所として使っている。

Artekのスツール60を、椅子やベッドサイドテーブルとして使っている。パーティめいたことをする時には、3脚くっつけて大きなテーブルとして使う。雑貨屋でまとめて購入したので、その日で店のポイントカードが1枚分溜まった。そのカードをイッタラのキャンドルホルダーと交換してもらった。
銀色のトレイは、先述の蚤の市で知った店で買ったもの。部屋のポケットとして使っている。
“拯”の字は、精神がどうしようもなく落ちていた今年の始めに、Uさんが「書初めをしよう」と言って筆を持たせてくれたもの。翌月にまた京都を訪れた際に、国際会館のカフェスペースで焼き上がったものを渡してくれた。頭でばかり考えてはすぐに身体と疎通できなくなる私に、四肢のあることを思い出させてくれる友人。
本の上には気休めの紙魚対策として除湿剤と防虫剤を置いている。

小窓4
Fさんからの犬の栓抜きと、Hに貰ったコンクリートの置物、H先輩が分けてくれた犬の箸置き。母の好きなミニチュアを贈る際、色違いのチューリップを自分にもひとつ購入して、端に置いている。自分のために生きた花を買えない反動か、花のモチーフのものを見かけると嬉しくてつい手が伸びる。

キッチン
私の洗面台を兼ねている。私もSも、料理と呼べるような自炊は殆どしないので、調味料や調理器具が少なく、キッチンの収納部にはそれぞれの私物が仕舞われている。

Mさんが引越し祝いに買ってくれたカセットコンロ。パンを焼く時やカフェオレを淹れる時に使う。組み立てる際の動作がロボットアニメのワンシーンを思い出させるので、人前で使う時には「変身!」と言うようにしている。
隣の空き瓶は元々ジンの入っていたもので、誰かに花をいただいた時には一旦ここに活けている。

この部屋に越した時にIがプレゼントしてくれたローズマリーの石鹸の匂いが好きで、貰った分を使い切ってからも自分で買い直している。歯磨き粉はGUM以外だと落ち着かないので旅行先にも持っていく。歯ブラシはKENTのもので、最初に使ったあとの歯の滑らかさに感動して、誰かに共感してほしいあまりSに押し売りをした。それからSも同じものを使っているので、それぞれのストックも合わせると10本近くこの歯ブラシがある。右端はリングホルダー。左手の薬指に環を嵌めるようになってから、指環が好きになった。今は5本の指環を付けている。

食器棚
H先輩のくれたくまを吊るしている。緑の石鹸はMさんのスペイン土産。ここに写っている鉄鍋も鉄フライパンも、写っていない3本の包丁も2枚のお盆も貰いもの。




ソファ
机の天板に合わせて布を選んだ、三人掛けのソファ。毎日ここで眠っている。Sの部屋にある質の良いベッドよりも、薄いマットレスを敷いたソファの方がよく眠れる。枕に近い小窓のハンドルにエジソンランプを括りつけて、普段はその光で睡眠薬が効くまでを過ごしている。

部屋のすぐ向かいには線路があり、3面の窓から電車の通る音や光が流れる。最終電車の後は、スケートボードの走る音や、酔った誰かの歌が聞こえる。この部屋で生活をしている。
22 notes
·
View notes
Text
2024年6月13日木曜日
病院の待合室にて20
くちずさむ歌はなんだい?思い出すことはなんだい?(2)
まだ13時過ぎなんだけど。楽しいのになぜか時間が過ぎないという、最高なような不気味なような現象が起こっていた。でも大丈夫。鳴門といえば渦潮だから。まだ渦潮見てないから。徳島と淡路島を結ぶ大鳴門橋、その橋の中がトンネルのようにくり抜かれており、そこに遊歩道が作られていて、鳴門の渦潮に徒歩で近づく事ができる、その名も『渦の道』。そこに行くことにした。私は多分行くの3回目ぐらい。結構好きな観光スポット。たくさん歩けるし。渦が見えるかもしれないし(満潮とか干潮とかちゃんと渦が出るタイミングを狙わないと見えない事が多い)。
渦の道に車で向かっている道中では、私達はフィッシュマンズの話をしていた。Tくんは中学生の頃からフィッシュマンズを聞いていて、これは私の当時の感覚だと相当早かったように思う。私たちが13歳から15歳というと、1997年から99年に当たる。フィッシュマンズにとっては、『宇宙 日本 世田谷』、『8月の現状』、『ゆらめき IN THE AIR』、男達の別れツアー、佐藤さんの逝去、そしてライブ盤『98. 12. 28 男達の別れ』という激動の3年である。今でもありありと思い出せるTくんの部屋には、フィッシュマンズのCDが何枚か置かれていて、私は『ゆらめき IN THE AIR』や『宇宙 日本 世田谷』のジャケットを見て、かっこよいと思ったりしていた。私はTくんに、最近フィッシュマンズが海外で高く評価されていて、音楽の食べログことRate Your Musicでも『男達の別れ』が金字塔のように扱われていたり、ついこないだもPitchforkのSunday Reviewで『ロングシーズン』が採り上げられていたんだよ、と早口でまくし立てていた。どうして早口になったかというと、こんな話ができる人はあんまりいなくて(でもよく考えると今も私の友達でいてくれてる人は、多分この話みんなできる)嬉しくなっちゃったから。Tくんはそういったことを全然知らなかったが、東京から福岡までの飛行機の中で『ロングシーズン』を聞いていたらしい。無意識で世界とシンクロしていく人間。ホンモノとはこういう人のことを言うのだと思う。
youtube
「そのピッチフォークのレビューでね、「走ってる…」のところが”Driving…”って訳されてたの。あれって車の歌だったの気づいてた?よく考えたら夕暮れ時を二人で走って東京の街のスミからスミまで行かないよね」
「気づいてなかった!そっか」
Tくんに「どうしてフィッシュマンズ聞くようになったの?」と尋ねてみた。きっかけは、彼がかつて好きだった女の子、彼がバンドをやってる時に歌にまでした女の子が、フィッシュマンズを好きだったことだという。Tくんは最初に『Neo Yankees’ Holiday』を買ったらしく、一枚目としてはまあnice choiceだと思うのだが、その女の子は「まあ、あれもいいよねー」ぐらいの感じだったらしい。Tくんがすばらしくnice choiceであるためには、いわゆる世田谷三部作に手を出さなくてはいけなかったのだった。そして私はこの話を聞きながら、こんな素敵な話は、当然むかし一度聞いたことがあったのを思い出していた。でもそんなことは言い出せずにいたし、こんな話は何度聞いたって素敵なのでよかった。




渦巻は巻いてるのか巻いてないのかよく分からなかった。私が行く時はいつも、巻いてるのか巻いてないのかわからない状態である事が多い。時間とか潮の満ち引きとか考えず、適当に行ってるからだと思う。橋をその内側から見るのも、私は楽しいから大丈夫なのだが、相当歩いたので疲れてしまった。もう一箇所、鳴門には霊山寺という四国八十八箇所巡礼の一番札所であるお寺があり、そこも観光名所として有名なのだが、疲れてしまったので、行くかどうかを決める会議が私とTくんとで開かれた。そして、入るかどうかは別として、ドライブがて���行ってみようとなった。なんとなく高速に乗りたかったので、鳴門北ICから板野ICまで乗ろうと思った。せっかくだから音楽をかけようと思い、Apple Musicで、『はじめてのフィッシュマンズ』というプレイリストを掛けた。一曲目は『いかれたBaby』だった。やっぱり初めて買うフィッシュマンズは『Neo Yankees’ Holiday』で全然いいと思った。ほとんど誰も走っていない高速に、少し傾いてきた陽の光が射して、そこに音楽が混ざって気持ちよかった。鳴門の街のスミからスミまで、僕ら半分夢の中…もちろん運転中だから完全覚醒中だったけども。Tくんを無傷で東京に帰す事も運転手としての責務である。
高松道を降りて、霊山寺に着くまでの間に少しだけ、音楽ではなく、Tくんの私生活について話す時間があった。その内容については当然ここに書く事は出来ない。唯一言えることと言えば、Tくんは本当にエンターテイナーだということだけである。
霊山寺に来たのは私個人としては2回目だけれど、記憶よりこじんまりとしていたので、車から降りて参拝することにした。霊山寺は天井から多数の灯籠が吊ってあるのがとにかく綺麗でかっこよいのですが、それをTくんに見てもらえてよかった。ここは八十八箇所巡礼の一番札所なので、RPGの最初の町のように、お遍路さんになるための装備品、白衣や輪袈裟や遍路笠や金剛杖や納経帳などが全て揃えられるお店があり、入って眺めていると、「僕、数珠とか持ってないんだよね」と言って、Tくんが数珠を買おうとしていた。お店の中なのであんまり言えなかったが、数珠はいちばん安価なもので1600円くらいして、上は8000円くらいするものもあり、私は「高くない?」と思っていた。「数珠は高い方がいい。法事の価値観ではそう定義されています」みたいのは聞いたことがないけど、まあ本人が納得してたらいいか。Tくんはいちばん安価ではあるがしっかりしていると思しき数珠(数珠の審美眼など私にあるわけないけど)を購入していた。法事の度に私と四国のことを思い出すか、あっけなく失くすかのどちらかになるだろう。


午後三時を過ぎたので、本日宿泊予定のビジネスホテルにチェックインすることが可能になった。ホテルは徳島市内にあって、ここから三十分くらい。いったん。いったんチェックインしてみようか。しなくてはならないことを早めにやって、気持ちに余裕を蓄えていこうじゃないか。ホテルまでの道中では、Tくんがやっていたバンドについての話をしたと思う。彼らが発表したCDやCD‐Rのうち、私が一番好きなのは最初のミニアルバムである『ワンダフルまたはフレッシュ』、二番目に好きなのはその次のミニアルバムの『ギターでおしゃべり』という作品で、初めてこれらの音源を聞いた私は感動のあまり、この二枚の解説を頼まれもしないのに書き上げ、それがバンドのウェブサイトで公開されるということがあった(追記:改めて思い返すと、一枚目の『ワンダフルまたはフレッシュ』には解説を書いていないような気がしてきた。二枚目の全曲解説は書きました。これは間違いありません)。私はあの解説を書いたことを、どちらかと言えば良かったことだったと思っているが、割と最近になって、解説を書くのではなく、バンドにインタビューをした方が良かったのかもしれないと思ったのだった。なぜなら例えば、私が彼らのレパートリーで一番好きなのは、最初のミニアルバム所収の『湯河原で男女』という曲だが、このマジカルな曲をどうやって書き、どうやってアレンジし、どうやって録音したのか、ということをあいつらは絶対忘れてしまっているからだった。そういうことをつぶさに訊いて、記録に残しておけば良かった。誰のために?もちろん私のためにである。他の人も読みたかったら勝手に読めばいいと思うけど。一応車の中でTくんに『湯河原で男女』を書いた時のことを訊いてみたが、やっぱりあんまり覚えていなかった。しかし、彼自身のこの曲についての解釈と、自分自身の作家性への分析のようなものが聞けたので、それは嬉しかった。それをここで書いてもいいのだが、彼のバンドは一応現在「曲作り中」であるらしいので(12年くらい曲作り中みたいです)、万が一の時のために書かないでおく。なんか種明か��っぽくなりそうだから。他にも『国鉄に乗って』という曲を書いた時の大変面白いエピソードなどを聞けたので、ファンの私は大満足だった。まあ話に夢中になって、途中かなり道を間違えたりしたが、言わなかったので多分ばれてないと思う。土地勘のない人とするドライブにはこういう好都合な面がある。あと売るほど時間があるから大丈夫。時間の叩き売り。持ってけ時間泥棒。
つづく
2 notes
·
View notes
Text
桜林美佐の「美佐日記」(247)
日本の援助がテロ資金?──「国連」と名が付けば
何でもOKの感覚
桜林美佐(防衛問題研究家)
───────────────────────
おはようございます。桜林です。「男もすなる日記
といふものを、女もしてみむとてするなり」の『土
佐日記』ならぬ『美佐日記』、247回目となりま
す。
今回も感想を頂きました。やはり長い間、ねこさ
んと暮らしておられるというR様から「羽田空港での
事故で、ペットについて議論がありましたが、石川
県では自衛隊の方にペットの救出に配慮してもらっ
たということはうれしいニュースです。
まだ賛否両論があると思いますが、これからは、ペ
ットも家族として捉える考え方が広がっていって欲
しいと願っています」
本当にその通りですね。あの羽田空港の事故はち
ょうどライブでテレビ画面を見ながら皆さんの無事
を祈っていましたが、動物の存在のこともとても気
になっていました。後でやはり貨物室のペットは助
けられなかったと知り、非常に辛かったです。
ところで、非常に不思議なのですが、UNRWA(国連
パレスチナ難民救済事業機関)本部の地下において、
イスラム過激派ハマスの拠点が発見されたという衝
撃的なニュースが報じられたのに、なぜ大騒ぎにな
っていないのでしょうか??
もはやUNRWAはハマスの共犯、いえ、同一であるこ
とが明白になったということでしょう。
それにもかかわらず、日本も諸外国に続いて資金
拠出を停止したことに対し、批判的な論調が「国際
政治学者」の方々から出ているというのは、どうい
うことなのでしょうか。
日本はこれまで10億ドル(1500億円)以上
を資金援助してきたとのこと。いうまでもなく私た
ちの血税です。
それがテロの資金になっていたということは、本
当に、ショックなことですし、私たちは「加害者」
になっていたということではないですか。
昨今は、ロシア、北朝鮮、イランが共謀しつつあ
ると言われています。日本としては警戒を厳とすべ
きなのに、パレスチナ支援と称し約91億円が昨年
末の補正予算で成立し、10.7テロの後に上川外
務大臣がUNRWAを訪問して追加支援を約束しました。
その後、UNRWAへの拠出は現在停止していますが、
普通に考えればこのような予算がなぜスムーズに通
ってしまっているのか、疑問です。
装備移転で「殺傷兵器」を出せるようになるかど
うかの議論では「日本が戦争に加担する」とか「日
本も狙われる」などと騒いでいますが、日本がテロ
を支援していることは許されるのでしょうか??
装備移転に関しては神経質に取り上げるのに「国
連」と名が付けば何でもOKという感覚は、あまりに
も浅薄ではないかと感じます。それならば装備移転
も、国連経由で行えばいいのではないでしょうか。
日本がパレスチナの人々のためだと思って拠出し
てきたお金がハマスに回ってしまい、難民を全く助
けていない上に、テロの資金に使われてきたとした
ら、それは激しく責任追及されるべき罪だと思いま
すが、なぜ、その騒ぎが起きないのでしょうか。
今日も最後まで読んで頂きありがとうございました。
どうぞ良い1週間をお過ごし下さい。
2 notes
·
View notes
Text
Best Albums of 2023+よく聴いた旧譜とか

Anagrams - Blue Voices [Balmat] (2023)
Apple / Spotify / Bandcamp

Avalon Emerson - & The Charm [Another Dove] (2023)
Apple / Spotify / Bandcamp

Baba Stiltz - Paid Testimony [Public Possession] (2023)
Apple / Spotify / Bandcamp

Beat Happening - We Are Beat Happening [Domino] (2019)
Apple / Spotify / Bamdcamp / Domino

DJ Trystero - Castillo [Incienso] (2023)
Apple / Spotify / Bandcamp

Doc Sleep - Birds (In My Mind Anyway) [Tartelet Records] (2023)
Apple / Spotify / Bandcamp

Earth Trax - Closer Now [Lapsus] (2023)
Apple / Spotify / Bandcamp

Greg Foat & Gigi Masin - Dolphin [Strut] (2023)
Apple / Spotify / Bandcamp

Herbie Hancock - Maiden Voyage [Blue Note] (1965)
Apple / Spotify

吉村弘 - Soundscape 1: Surround [Misawa Home] (1986)
Apple / Spotify / Bandcamp

Huerta - TV Slang [R&R] (2023)
Apple / Spotify / Bandcamp

Joe Zawinul - Zawinul [Atlantic] (1971)
Apple / Spotify

Khotin - Release Spirit [Ghostly International] (2023)
Apple / Spotify / Bandcamp

Other Lands – Archipelagos [Athens Of The North] (2022)
Apple / Spotify / Bandcamp

Pharoah Sanders – Pharoah [India Navigation] (1977)
Apple / Spotify / Bandcamp

Sensorama - Where The Rabbit Sleeps [Bureau B] (2023)
Apple / Spotify / Bandcamp

SG - For Lovers Only / Rain Suite [Faitiche] (2023)
Apple / Spotify / Bandcamp

本多信介 - サイレンス(夕映え) [ALTY] (1983)
Apple / Spotify / Bandcamp

Solitaire - S.T. [Fax +49-69/450464] (1995)
Bandcamp

Touch Of Noise - Percussionproject [Mikado Records] (1995)
Apple / Spotify / Bandcamp
吉村弘(未発送)のほかは、すべてレコードで手に入れた。特にお気に入りがSensoramaとBaba Stiltzなのでぜひ聴いていただきたい。
Roman FlügelとJörn Elling WuttkeによるSensoramaは、90年代後半〜00年代はじめにハンブルクのレーベルLadomat 2000からリリースしていた。Roman Flügelが複数の名義で多様な作品を産んできたのと同じく、SensoramaもAlter Ego、Acid Jesus、The Primitive Painterなどの変名を持っている。なかでもSensoramaはテンポはゆったり、音は少なめに手づくり感にあふれていて、優しい温もりがある、でもちょっと風変わり、ときどきとんがり。初めて聴いてすぐに魅せられリピートしまくった。
ふたりともハンブルク出身でも拠点でもないのだが、ライナーノーツを読むとこのアルバムはハンブルク人脈に愛されていたからこそ作られたようだ。Golden Pudel Club(いつか行きたい)のブッキング担当/DJであるRalf Kösterによってコンパイル、Bureau Bからリリースされた。リリース・パーティは当然Pudelで行われ、JörnのSoundcloudでは当日の楽しそうなmix(Part 1とPart 2)を聴くことができる。
待ちに待ったBaba Stiltzのセカンド・アルバムは、その名で人気を獲得したハウスから離れ、近年のシングルの延長で、The Folk ImplosionやBeckの地味目の曲を思い出させるローファイ・フォークという趣。それがほんっっと好み。彼はグランジ風の服装をしていて、Our Legacyのランウェイではモデルとして歩き、VOGUEに���ナップされ、DAZEDで特集を組まれるおしゃれさんだ。2018年にInstagramでDinosaur Jr.(私がいちばん好きなバンドのひとつ!)のTシャツを着ているのを目撃して勝手に喜び、それはジョークでもハズしでもなく本当に好きらしく、レジデントを務めるNTS RadioではSonic YouthやPJ Harveyなどオルタナをたくさんかけていたのでずっと共感していたのだった。レーベルのPublic Possessionは、ハウスを通過しつつインディ~オルタナ的表現をするアーティストを紹介してくれるのでよくチェックしている。
このTumblrにお気に入りの音楽リストを投稿し始めたのは2014年だから、もう10年目になる。よく聴いていたアルバムにRoman Flügelの『Fatty Folders』(2011年)や『Happiness Is Happening』(2014年)、ベスト・トラックのひとつにBaba Stiltz“Palats”を挙げていた。それまで好んでいた王道のロックやインディ・ロック、ポップスにプラスして、同世代の友達が聴いてなさそうなエレクトロニック・ミュージックこそが、ひとり暮らしの日常の気分を整えてくれる居心地のよいものとなっていった時期だった。居心地のよさを知ったとして、たいていは自分もアーティストも年月を経て変わっていくことが多いだろう。変わっても認められる、ずっと好きで自分の核というか心の支えになる――大切な存在の音楽を作ってくれるアーティストがいるのはありがたいことだ。
旧譜では、そのうち聴くでしょとスルーしていたが世間的には名盤扱いの、ハービー・ハンコック、ファラオ・サンダース、ジョー・ザヴィヌルの上記のアルバムに今さらハマった。たまたま聴いたら、まるで私のための作品かと感じるほどスッと入ってくる不思議な体験だった。そのとき他に何を聴いていたとか、年齢、気候、体調などにもよるのかもしれない。
昨年書いた「レコードを手に入れたらじっくりリスニング」を心がけたおかげか、他にもお気に入りのレコードがたくさんできてしまったので、そのうちmixにできたらという感じです。
毎年恒例、FRENCH BLOOM NETのベスト音楽に寄稿しました。プレイリスト2023 Best 100+ Tracks(Apple / Spotify)を作ったので聴いてみてください。ライヴとDJ mix音源を詰め込んだプレイリスト2023 Fav Mix & Live(Soundcloud)もどうぞ。
※タイトル、レーベル、リリース年はオリジナルを表記。ジャケ画像はリイシューも使用。Beat Happeningは全部入り的BOXのため、サブスクのリンクはアーティストページにしています。
(いりー)
2 notes
·
View notes
Text
"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
アイウエオカキクケコガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ドナニヌネノハヒフヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを日一国会人年大十二本中長出三同時政事自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地合市業内相方四定今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当八六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初北午指権心界支第産結百派点教報済書府活原先共得解名交資予川向際査勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投示変打男基私各始島直両朝革価式確村提運終挙果西勢減台広容必応演電歳住争談能無再位置企真流格有疑口過局少放税検藤町常校料沢裁状工建語球営空職証土与急止送援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車優夫研収断井何南石足違消境神番規術護展態導鮮備宅害配副算視条幹独警宮究育席輸訪楽起万着乗店述残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺造英被株頭技低毎医復仕去姿味負閣韓渡失移差衆個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望松非撃佐核観察整段横融型白深字答夜製票況音申様財港識注呼渉達良響阪帰針専推谷古候史天階程満敗管値歌買突兵接請器士光討路悪科攻崎督授催細効図週積丸他及湾録処省旧室憲太橋歩離岸客風紙激否周師摘材登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺央券赤号単盟座青破編捜竹除完降超責並療従右修捕隊危採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販園具左異歴辞将秋因献厳馬愛幅休維富浜父遺彼般未塁貿講邦舞林装諸夏素亡劇河遣航抗冷模雄適婦鉄寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換久短油妻暴輪占宣背昭廃植熱宿薬伊江清習険頼僚覚吉盛船倍均億途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊洋静善逮婚厚喜齢囲卒迫略承浮惑崩順紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等救執層版老令角絡損房募曲撤裏払削密庭徒措仏績築貨志混載昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星傷永択秀著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘拒刑坂刻底賛塚致抱繰服犯尾描布恐寺鈴盤息宇項喪伴遠養懸戻街巨震願絵希越契掲躍棄欲痛触邸依籍汚縮還枚属笑互複慮郵束仲栄札枠似夕恵板列露沖探逃借緩節需骨射傾届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端賃折紹獲郡併草徹飲貴埼衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑章臓律誘紛貸至宗促慎控贈智握照宙酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯排裕堅訳盗芝綱吸典賀扱顧弘看訟戒祉誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯硬妥威豪熊歯滞微隆埋症暫忠倉昼茶彦肝柱喚沿妙唱祭袋阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻封胸娘砂李塩浩誤剤瀬趣陥斎貫仙慰賢序弟旬腕兼聖旨即洗柳舎偽較覇兆床畑慣詳毛緑尊抵脅祝礼窓柔茂犠旗距雅飾網竜詩昔繁殿濃翼牛茨潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏零酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅泊尽杯僕桜滑孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡疲稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩帝宏唆鳴阻泰賄撲凍堀腹菊絞乳煙縁唯膨矢耐恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇曽械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
201K notes
·
View notes
Text





2015年 06月 03日
寝坊と再会とプレゼンと夜会
昨夜2時半過ぎに寝た。 アラームを5時にセットした。 起きたら9時近かった。
僕は、寝坊してしまった。 久しぶりの失態。
学校と学生たちに連絡。 9時半のバスに乗って東京駅まで。 バスの中、10年前に卒業した元学生のRちゃんからメッセージ。学校で会うことになった。
12時20分、学校到着。クラスの学生何人かと会う。僕、謝る。元学生のRちゃんと再会。一緒に食堂でランチ。Rちゃんは、広島在住。今月その10年前の元学生たちと写真展を東京で開催予定。たくましくなっていたRちゃん。お子さん2人のお父さん。
今日は、午後から1年生に対してプレゼンをした。1コマ、1時間半。自己紹介、写真活動(オフィシャル、プライベート)、授業の3部構成でプレゼン。準備した甲斐があり説明がわかり易くなったか?それにしても寝坊は失態。
キャリアサポートのI先生とある在学生の進路相談受ける。小笠原諸島に暮らすAちゃんとその学生を繋げることに。Aちゃんは、水中写真を撮っている。AちゃんとRちゃんは、同窓生。プレゼンの後、図書室のSさんとZINE展開の打ち合わせ。
タクシーで事務所へ。誰もいない。少しして渋谷に行く。D社に行き、機材ピックアップ。また事務所に戻る。Uさん戻る。2週間ぶり。お互いの近況報告���
夕食を中華料理屋へ。1人のウエイトレス日本語出来ず不慣れな様子。無垢な印象。中国のどこ出身なのかiPhoneの地図使い尋ねる。すると温州だと言う。温州人は、「中国のユダヤ人」だとWikiで知る。
ふと、Aが気になりLINEで連絡してみた。A、シンクロか、お茶の水駅にいるという。夕食合流することに。A、Uさん、僕と3人集まるとそれは「アナーキストたちの夜会」となる。夕食の後いつものカフェでコーヒーフロート。
10時過ぎ、2人と別れ1人事務所泊まり。
今日の失態。我反省するなり。 2日間の寝不足と火曜日の撮影疲労がたたる。
AND SO THE DANCE GOES ON ・・・ ダンスは続く。
(モノクロ写真は、AのFacebookから借用。)
0 notes