秋分の日
地元に帰ってきたんだけど風邪っぽくなってしまった。
この時期帰省すると毎年こんなな気がして笑ってしまう。
僕はこの歳になっても山葵が駄目なんだが、今日久しぶりに胡麻豆腐on山葵にチャレンジしてみたけどやっぱり辛かった。
が、しかし昔ほど嫌な感じはしない。
これが大人になるってことなのかな。
相変わらず母親の作るご飯は美味しい。
バスの中で考えていたけど、よくよく思い返してみたら(いまよりもっと)子供の頃は両親や兄弟に僕のワガママで色んな迷惑をかけてしまっていたなぁと考えれば考えるほど過去に戻って当時の自分をぶん殴ってやりたい気持ちになるけど全ては過ぎ去ってしまったことだから、そんなことで色々あのときはこうすればよかった、ああすればよかったなんて考えるよりも今これから何をするべきかを考える方が格段に良いことだし、前向きだと思う。
何が正しいかとか前がどっちかなんてよく知らないけど、自分が正しいと思う方向に向かって歩いて行けばいいかなと思ってる。
おやすみなさい。
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12月はとても冷たく、街は暖かい
全ての言葉は口に出した瞬間に消えてしまう。
一瞬で消えてなくなる寒空の下の白い息と共に。
久しぶりに青山の街へ行き、知らないおじさん達とセッションをしてきた。
演奏の出来はともかくいい刺激になって良かった。
周りは全然知らない人達ばかり、お店ももちろん初めて行ったし存在も知らなかった。
でもなんだかすごい生活感というか、「ああ、なんだか知らないが全然見ず知らずの人達とセッションしているぞ…!」みたいな感覚が妙にリアルだったし、とても新鮮だった。
生活感というのもなんだか変な言い回しだけど、僕の普段の生活がバイトか家にいるかドラムの師匠のところのセッションのいずれかが大部分を占めていて、そのサイクルの中に身を任せ過ぎていて自分から何か新しいことや行動をあまり起こさな過ぎたからだろう。
来年はもっと攻める年にしたい。
あと日記ももうちょっと書くようにしたい。
もうheくんくらいしか見てなさそうだが。
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April 8, 2012
母の誕生日だった。
昔はよく口論したりしたけど今ではもう何ともない。
父親も母親もかけがえのない存在だ。
親父が誕生日だからとでっかいバラの花束を買ってきたみたいで、母親に電話したら「(あんなでかいの買ってきて)全く馬鹿じゃないの」とかいつもの調子だったけど内心嬉しそうだった。
全く不器用かつツンデレだから面倒くさいなぁとか思いつつもその情景が目の前にありありと浮かんでほくそ笑んだりした。
女の人は皆、花が好きなのかな。
次に帰省するときには花束のひとつでも買って帰ろう。
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April 19, 2012
久しぶりに一日休みの日だ。嬉しい。
が、しかしこんな日に限って何やっていいのやらみたいに迷ってしまう。
部屋の模様替えでもしようか。
好きだったあの娘の声もうまく思い出せない気がする。何故だろう。
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May 11, 2012
5月に入った。
本当に一日一日が尊いと感じてはいるけど、半面こんな暮らしぶりでいいのかな、と少し自分の生活を疑問に思ったり。
でもこれは今に始まったことではない。
色んなことがあったりして自分に自信が無くなってくるとたまに猛烈に消えてしまいたくなったりネガティブな思考に走ったりしてしまうけど、それを心の何処かがブレーキを踏んでいてくれて、まぁ気にすんなよ、たかが人生じゃねえか。なんて無言で励ましてくれているような気さえする。
確かに誰々に嫌われようが食えないやつだと罵られようが恋人に振られようが自分は自分なのだ。
そこを喜んで受け入れるか、諦めて受け入れるかは大した違いじゃないし、大した問題でもない。
良い意味でも悪い意味でも自分は結局自分にしかなれないのだ。
という上記の文章は多少他人の受け売りが混じってはいるが、僕の持論である。
要するに、短い人生だし好きに生きようぜ。その代わり好きに生きる分その間に起こるであろう全てのことに対して自分で責任を持とうぜ。
と、言いたかった。
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June 21, 2012
梅雨と台風を引き連れて、本格的な夏がやって来た。
あの日観た真っ赤に燃えているかのような夕焼けは本当に見ているだけで心が安らぎ、手を伸ばせばすぐ届きそうなくらい近く、何処までも泳いで行けそうなくらい広大だった。
気付いたら今の仕事始めてから一年が経った。
仕事でも仕事以外でも色んなことがあったし、色んな失敗をした。
でもまぁ、これは僕の人生なのだ。
友部正人の歌にこんなものがあるけど
「誰も僕の絵を描けないだろう 君はとうとうやっては来なかった 僕の失敗は僕の引き出しの中にしかない」
この歌がまさしく僕の言いたいことを代弁してくれてるかのように、自分は結局自分にしかなれないんだと思う。
僕はいくら頑張っても全く別の他人にはなれないし、他の人はいくら頑張っても僕にはなれない。良くも悪くも。
自分には自分の生活、他人には他人の生活。
もっと肩の力を抜いて過ごそう。
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初秋とあの娘とウイスキー
自分らしさとは一体何なのか、
他人に合わせながら自分の立ち位置を必要以上に気にすることに一体何の意味があるのか、
色んな環境の中や、色んな人が居る中で自分はどう在りたいのか、
そんなことをぼんやりと考えたりする。
無理をしない、自分に嘘をつかない、やりたいことをやる、他人の言うことをあまり気にしない、、全てはこれに尽きる気がする。
かと言って、自分一人さえ良ければいいというのは余りにも自分勝手だし、周りの色んな人達が居て、その中に自分も居るのだ、と思うと人は一人では生きられないことを再認識するし、自己中心的な人ほど、気づいたときには周りに誰も居なくなって、後々独りポツンと寂しく生きることになると思う。
すべての言葉、行い(いい行いも悪い行いも)はいつかブーメランとなって全部自分のもとに返ってくる。
「身の周りのぐちゃぐちゃした社会の理なんて全て吹き飛ばしてしまって、こうすることが今の自分にとって一番正しい」ということを続けていきたいと思う。
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ポインシアナ
その人が物理的に近くにいても、心の距離は遠い気がする。普通に話していても、うんと遠くから声が聞こえてくるみたいで。
僕がいままで見たこともない生き生きとした彼女の姿は、会場を熱狂させた。彼女は両手を広げ、僕はずっと遠くから眺めていた。
彼女が遠い存在になったみたいで。
目が覚めると歓声はすっかり消えていて、部屋には柔らかくて寒そうな朝の日の光が窓から入ってきて、僕はとても悲しくなった。
僕の部屋は殺人的に汚い。もちろん人はそう簡単には死なないけど恐ろしく汚い。
どうしたものかな、と布団の中でまどろみながらしばらくして起き上がり、いつものようにコーヒーを淹れる。
眼鏡は昨日踏んで割ってしまって、僕の手持ちの眼鏡は2つとも壊れてしまった。
人は失敗から学ぶみたいだが僕は何だか全然成長しとらんな、としみじみ思った。
小学校4年生の頃、保健室のソファーの上に初めて買った眼鏡を置いておいたら初恋の女の子にお尻で踏まれてしまい、鼻の部品のところが折れてしまったことがある。
次の日、女の子はお母さんと一緒に家に謝りに来てくれたけど、ソファーになんか置いておいた馬鹿息子が悪いから、とうちの母も笑っていた。
成長する部分と、いつま経っても成長せん部分があるんだなと。
最近は布団に潜ると、特定の女の子のことをぼんやりと考える。風邪ひいてないかな、とか。
これは恋なのかどうかはわからないけど、思い浮かべていると少し元気になったり、励まされたりしているような気がして、なかなか良いもんだなと。
それはさておき昨日は大きな公園の広場で昼過ぎから友達と寒い中5時間くらい飲んでいた。馬鹿なことはするもんじゃないな、と帰ってから思っても時すでに遅し。まだまだ僕は子供だなと、ひとつ勉強になった。
気付いたら今日も僕は休日だった。まだ布団から出られてもいない。
たまに無性に悲しくなってしまうけど、これも長い長い人生の中のひとつの試練なのかなと思うことにする。
さて、布団から出ようか。
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永遠の日曜日
静かな朝。
この前、一年半ぶりに会った友人と上野動物園、科学博物館(チョコレート展)に行ってきた。
時間は空いていてもわりと当時と同じテンションで話したりしていて時間って不思議だなと。
向こうが僕と久しく会ってみてどう思うかはわからないが、相変わらずよく喋るなぁとか、日々色んなことに巻き込まれていたりなどして大変だなと思ったりなどした。でも元気そうで良かった。
元気でいられることが何よりだ。
みんな色んないろの引き出しを沢山持っていて、引き出しの中には色んなカラフルなものが詰まっていて、それが人それぞれ違っているのがなんかいい。
たまに朝早く起きると、辺りはしんとしていて、窓からもやもやした日の光のようなものが差し込んでくるのが好きだ。
そのうち寺の鐘の音が聞こえてきて、ああ朝だな、と。
心の余裕が無くなってくると、他の人のことも考えなくなってしまうのってとても危険だし、かなしい。
自分の問題でいっぱいいっぱいになってだんだん顔が下を向いていってしまえば当然視野は狭くなるし、感覚的によけいにつらくなってしまう。
自分さえよければいい、という自分本位な考え方を別に否定はしないが、自分はともかく、他の人の為に何ができるだろうかとか、そういうことをいつも考えながら暮らしていきたい。
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静かな山葵畑
久しぶりに千代田区らへんをお散歩しまして。
もうすっかり街の景観はクリスマスとい��たところだった。
何処かの店では門松にクリスマスリースとかデコレーションされていて、もうこれ飾った人はクリスマスとかどうでもいいんだろうなと思った。
たまたま見つけて入った雰囲気のいい居酒屋で僕と一緒に遊んでた先輩は岐阜の地酒を呑みながら肉じゃがをつついていた。
肉じゃが美味すぎておかわりしたくらい良い感じのお店だった。また行きたい。
東京というと都心部の華やかで騒がしくてキラキラした感じの雰囲気を思い浮かべる人って多いかもしれないけど、そんな所よりもいい場所って探せばいくらでも出てくるから面白い。
「おお、こんなところが!お、こんなところも!!」みたいな感じに。
ただ単に普段からそういう面白そうなところを探していないだけなんだな。
なんていうかまだ11月だけど師走感半端無くて、予定が多い上に時間が過ぎるのも早い。
どうなっていくのかはよくわからない。でも強い信念と柔軟な心さえ持っていればいいんだと思う。
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Everytime We Say Goodbye
クリスマスイブは折角のクリスマスだからとコルトレーンを買ってきてひたすら爆音でした。(事後報告)
コルトレーンのマイ・フェイヴァリット・シングスは聴かず嫌い的な感じでいたんだけど、たまたま見つけてしまったものだから買ってしまって。
しかし素晴らしい。溜め息も出る。
ことし一年振り返ってみても、なんというかあっという間過ぎて、ああ、これが年を取るということなのだなと。
いつかは皆死ぬ。でも人間は死ぬ為に生きるわけではない。
来年はもっと色んなおいしいものを食べて、色んな素晴らしいものに触れていたい。それが全てだ。
自分なんて人間は良くも悪くもどうだっていい存在なのだ。しかし周りの人々の支えがあって生かして頂いている。
どうしようもない人間でも、誰かの何かの役に立ちたいと思うし、誰かの笑顔を観ていたいと思う。
「立派な人間になることは難しいが、善(い)い人間でいることは出来る。」
立派な人間になれるとは思わないけど、善い人間でいたいと思う。
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波
年も明けてなんか色々流動的に動いているなぁと思いながらも、めまぐるしく変わっていく日々を横目で見ながらいつも僕はコーヒーをすすっているわけなのだけど。
朝に飲むコーヒーはいいね。
窓の外は珍しく雪が降ってるし(朝は雨だったのに)、なんかやっと冬だなぁという感じ。
もうすぐ23回目の誕生日を迎えてしまうし、果たしてちゃんとした23歳になれるのだろうかと少し心配事はあるけど、何事も面白がってチャレンジして行けたらと思う。
昔、5歳くらいのときに思い描いていた20歳というのは自立した大人というイメージだったけど、今では30歳でも子供みたいな人は沢山居るし、一体全体何が大人というのだろうか。と、20歳になる少し前くらいに思っていた。
自分もまだまだ自立しているとは言い難いけど、身近なところから少しずつクリアしていこう。
と、去年も言っていた気がs
そういえば去年はあまりにも本を読まなすぎたな。
今年は部屋のいたるところに散らばっている未読の本達を読まなければ
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薪を割る村人達と湖を泳ぐ少女達
3月ですね
あと3日で私は23歳になる。
なんというか、自分で自分を客観視しても年相応とは言えないのに年月だけは経ってしまうのだなと。
時間は限りがあるから大事に使いたくなる。でもつまらないことに費やすにはあまりにも短すぎるのが人生だな。
新しいコーヒーミルを注文して、これから美味しいコーヒーを淹れて飲めるのだと想像したら、今から毎朝起きるのがとても楽しみだ。
今日は、これだけ。
皆様花粉にはお気をつけ下さいまし
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千年の孤独、コーヒーミル
コーヒーミルが届いた。ずっと欲しかったカリタのミル。
時間があるときは毎朝これで豆を挽き、コーヒーケトルでお湯を沸かしドリップしている。
おいしい珈琲が淹れられるかどうかでその日一日が気持ちよく過ごせるかどうかが左右するくらい僕にとっては大事な儀式みたいなものだ。
そういえば僕も先日、23歳になった。10年前は中学2年生とか、何だか馬鹿みたいだけど。
年を重ねていくと時間がどんどん早く感じてしまって、更に仕事で忙しいとなおのこと時間を大事にしようと思うようになった。
今月は何だかんだでコーヒーミル、ケトル、中古の自転車を買ったりなどして散財しまくったのだった。
自転車は4ヵ月くらいパンクしたままの兄の折りたたみを自転車屋さんに持ってったら「あ~これはもう駄目だね~」と言われ廃車に。
代わりにそのお店にあったまだまだ使える中古の自転車を思い切って購入。
仕事は色々あってなんか忙しくなりすぎて発狂するレベルなのだが、普段からなかなか楽天的に考えてる人間なので今のところ大丈夫そう。
今年の春は自転車で色んなところへ行こう。
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4年も前の記憶たち
使っていた携帯が壊れたので、前の携帯から更新しましょう。
一昨日は給料日だったので、昼過ぎに街へと出かけてずっと欲しかったレモのパンデイロを衝動的に購入。
鳴らし方はなかなか難しいけど、楽しいのでいいです。
後はタワレコで再発されていた、たま「犬の約束」を次兄への遅い誕生日プレゼントに購入。
こちらもずっと欲しかったけど廃盤でプレミア付いてたから、再発はとても嬉しい。
同時再発の「ろけっと」、紙ジャケ復刻の「さんだる」「ひるね」「きゃべつ」「けらいのひとりもいない王様」も素晴らしい。
この調子で「しおしお」「ねこばば」辺りも再発してくれないかなー
最近は年度末ということもあってか疲れがなかなか抜けない。
アルバイトだけど限りなく社員に近い仕事量だし、転職も考えたくなりますね。
昨日で「つくってあそぼ」最終回だったとのこと。
うちにはテレビというものがないのでYouTubeで観たけど、ガキの時分から観ていた番組が終わってしまうのはやっぱり寂しいな。
ワクワクさんが自身のブログで「ワクワクさんとゴロリ、人間と着ぐるみが~」とか書いてあったがワクワクさん、着ぐるみとか書いちゃいけませんぜ...
それと昨日行った洋食屋、予備知識無しに頼んだカレーがなかなかメガトン級のサイズでおいでなすって、あまりの大きさに店内がざわついてたくらい大きかった。
完食はしたけどしばらくカツカレーはいいや...ってなった。
さて、仕事へ。
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夜中にコーヒーを飲みながら
不覚。風邪をこじらせてしまった。
体調管理はちゃんとした社会人の最低条件のひとつでもあるが、やはり生活サイクルの乱れと仕事の疲れなのかな。
夜中に目が覚めると、世界にはまるで白と黒しか色が無いんじゃないかって思うくらいモノクロの世界だ。
そんな時に濃いコーヒーを淹れてベランダに出て静かな夜を楽しみたくなるのだが、あいにく僕の部屋にはベランダが無い。
眠い目をこすりながら布団の中で好きな女の子のことを考えていると、だんだんと心が暖かくなってくるのが分かる。
無口で大人しくてすらっとしていて、ちょっと取っ付きにくい所もあるけど頑張り屋で忍耐強くて、笑った表情が可愛くて声がそんなに高くなくて、たまにお互いがぎこちない会話をするあの子。
でも顔を思い浮かべようとしても、不思議と正確に浮かんでこなかったりする。何でだろうね。
特に親しいわけでもないし共通の話題もあるわけでもないし、何故好きなのかはわからないけど、何故だか好きなのだ。
不思議なもんだな。
なんか第三者的に観てもだいぶアレなことを書いているな...しかも素面で
そう、キース・ジャレットが死にかけていた時のソロ・アルバムを聴くと、夜中に起きてコーヒーを淹れたくなる。
なかなか自分の気持ちを表に出すことって難しい。音楽を演奏している時は自分でもびっくりするぐらい剥き出しなのに。
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8年という歳月について
御機嫌よう。
Blogは9年目に突入しました。時間は早いね。
僕も昔と比べて変わっただろうか。
変わることは勇気がいるし、変わらないことは現状維持という名の衰退でしかない。
昔と比べて色々と考えるようになった半面、昔よりも考えなくなったかもしれないなと、折りに触れて思う。
8年前は、今こんな風な生活を送ってることなんか全然想像できなかったし、大人になるとは一体どういうことなのだろうとぼんやりと考えていた。
あれから8年経った今でもまだまだ自分は子供だなと痛感するのである。
8年前、僕がまだ15歳の頃の記事から現代まで再度読んでくると幼稚な人間なわりにまぁ色々と考えてたんだなと。
さて、過去に何があろうが(良くも悪くも)もう過ぎたことなのだ。
日々どんなに辛かろうが、過去にどんな過ちを侵そうが、毎日必ず朝はやってくるし、毎朝の珈琲が美味ければ人生それでいいんじゃないかなと最近思います。
自分が楽になることは悪ではないし、辛いことから逃げるのも悪ではない。そもそも一体全体誰がそれを悪と決めつけていい権限があるのか。
楽しくない人生に一体何の意味があるのでしょう。
頑張りすぎず、怠けすぎず、精一杯今を生きよう。 みつを
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