Tumgik
arsemard · 4 years
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ひょっとしたら、Touche Amoreはあなたのフェイバリットバンドかもしれない。私はいくらかお金を賭けてもいいが、あなたがエモかハードコアを聴く人なら、そしてその両方に浸っているならまず間違いなく、あなたはどこかの時点で彼らのアルバムを誰かに勧めたことがあるはずだ(たいていは『Is Survived By』だと思う)。Touche Amoreがあなたの好きなバンドではなかったとしても、あなたの知り合いの好きなバンドであることはまず間違いない。このバンドは、ハードコアの中でも最もハードコアなファンベースを持っていて…まぁ、リードシンガーのJeremy Bolmと話した後ならその理由はすぐわかる。
あなたがJeremyのバンドに関心があるなら、彼は喜んでその対価を返す人物だ。彼は感謝と謙虚さの模範であり、静かな性格のデュエル・ファシストであるため、彼自身の精神の健康を危険にさらしてでも、非常に親しみやすいのだ。Touche Amoreの4枚目のアルバム『Stage Four』に対する圧倒的なファンの反応は、2016年に癌で母親を失った経験を深く掘り下げ、Jeremyは一部のファンの悲しみや喪失感の代弁者となった。これを受けて、バンドのニューアルバム『Lament』は、前作への反響を整理し、愛する人の死によって開かれる悲しみの無限の地平線と折り合いをつけようとする試みとなっている。
以下は今年の夏に行われたMick RとJeremyとの電話での会話の記録です。このトランスクリプトは、わかりやすくするために若干編集されています。
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インタビューを受けてくれてありがとうございます。次号であなたの特集を組めるのをとても楽しみにしています。
どうもありがとう。
New Noise Magazineについてはご存知ですか?
もちろん。何冊も持ってるよ。フレキシ(ソノシート)付きとかもやってるよね。いつも雑誌の内容について本当にクールだと思ってたんだ。
私たちのやっていることを気に入ってもらえて嬉しいです。全然馴染みのない方もいるので。
君たちはあらゆるジャンルをカバーしつつ、今もフィジカルな雑誌として残っている数少ない一つだから関心を払わない方が難しいね。
ええ、今もフィジカルとしての雑誌がメインであり、ウェブサイトの補足ではないという部分は気に入っています。以前はよく雑誌を集めていたとか、ZINEシーンにハマったというようなことはありましたか?
うん、過去に少しだけならあるよ。2000年代初頭に”Status”というジンがあってね。サウザンドオークス(カリフォルニア州南部の都市)で発行していたジンがなんだけど、(Statusを作っていた)彼はレーベルもしていて、Curl Up and Dieやthe Casket Lotteryなんかのレコードをリリースしていたんだ。僕がジンに寄稿したことがあるのはあの時が唯一の経験なんだけど、そこでレコードレビューを書いたり、いくつかインタビューもしたね。 そう、19か20歳の時にConvergeのJacob Bannonにインタビューしたこともある。何年も後になって、彼と直接話せるような間柄になってから「覚えてないと思うけど、君にインタビューしたことがある」って言ったら「オー、シット!クレイジー!」って反応だったね。
彼はそのインタビューであなたのことを覚えていなかったんですね。
もちろん覚えてないと思う。 確か“You Fail Me “か “No Heroes“のツアー中で、ちゃんと日付を確認してみないといけないけどね。今でもそのテープを持ってるよ。まだデジタル・レコーダーが出る前でインタビュー用のミニ・テープなんだけど、どこかにあるはずだ。
どこかのタイミングで(そのテープを)公開する価値はあると思いますか?
まぁ僕もそれは考えたけど、個人的に聞き返して楽しむだけかな。再生する機器も持ってないから、聞くためだけにもう一台買わないといけないし…。まぁ何があったのかは神のみぞ知るってとこだね。確か(レコーダーは)雑誌のオーナーから借りたものだったと思う。 実は数年前に僕は”Down Time”というジンを出したんだけど、当時のそのインタビュー記事を転載したんだよね、(元となったオリジナルの)ジンのコピーはまだ持ってたから。でもインタビューの音声自体は最初の時からもうずっと聞き返してない。めちゃくちゃ緊張しているはずだから(聞き返せば)多分面白いだろうけど少し恥ずかしくもあるよ。
過去の自分を振り返って「おお、これが自分か…」と実感するのはきついこともありますよね。振り返ると言えば10月に「Lament」というニューアルバムが出ますが、このアルバムは内省や回顧といったテーマに焦点をあてているように思います。明確にタイトルにも示されていますが、これらのテーマに関して説明してもらえますか?
僕達の前回のアルバム「Stage Four」は、自分の母の死とそのプロセス全体を扱ったアルバムだった。今回のアルバムは、あのレコード(Stage Four)がリリースされた後の自分の人生について、あのリリースが自分の人生にいかに影響を及ぼしたのかについて書いているんだ。自分自身の悲しみについてまっすぐ正面から向き合うことでどういった問題が起きるのか、オーディエンスの反応が自分の人生にいかに影響を与えたのか、そしてあの苦しみを通して人々と培うことができたつながりについてもね。 それから、本来ならなる必要のない代弁者になってしまったこと、悲しみに関して相談されることが多くて、それにどう対応すればいいのかわからず、丸一日を棒に降ってしまうことについても。ツアー中なら誰かにそういう話題を話しかけられるのは日常的にあるけど、家にいるときでさえそういう内容のDMやメールが来ない日はないんだ。 それに対応するのは自分だから。でももっとポジティブな面でいえば、(このアルバムは)人生の中で自分を支えてくれた人や支えてくれなかった人を映し出しているとも言える。だから、そういうことに関するあらゆるトピックに触れていると言えるね。
悲しみや喪失感に関することで相談されて、あなたが自分の手に負える範囲を超えているなと感じるのはどういった状況でですか?
どこからともなくいきなりそういう目に遭うんだ。ツアー中、コーヒーを買うのに歩いていたり、レコード屋でレコードを見ていたりすると、誰かが近づいてきてね。自分は誰とでも話すのが好きな方だしバンドに関心を持ってくれる人には本当に感謝しているからヘッドフォンを外して「ヘイ、元気?」って感じで楽しい会話になりそうな気がするんだけど、大抵の場合「妹が脳腫瘍で死んだことを知ってほしいんだ、あなたのレコードは本当に自分の支えになったから」とか。もっとハードなのだと「ねえ、一体どうやって折り合いをつけたの?」とか。というか、人にアドバイスできるほどちゃんと用意ができているとは全然感じてないんだ、僕自身が今も折り合いをつけている最中だからね。 そういう点でいえば、僕は悲しみや苦しみに終わりはないと思ってる。だからしんどいよ、潜在的には良い一日を過ごしていて、頭の中も良い状態にある時に、そういうことで気が散ってしまうのは。それはそういうことをシェアしてくる人に対して感情移入するからだけじゃなくて、どうして自分とシェアしてくるのかっていう理由にも共感するからね。もし自分が逆の立場で、自分が経験している苦しみゆえにあるレコードとつながりを感じていて、そのレコードを作ったバンドの人間に会えたとしたら、自分だって同じことをすると思うんだ。僕だって伝えるさ! 僕が感じているのはそういう類いの罪悪感なんだ。精神的な余裕がないって理由でDMにはまず返信しないし、悪いとは思っているんだ。届いたメッセージに目を通して「ステージ4」とか「癌」とかの文字が出てくるだけでもうきついんだ。だから 共有したいと思っている人達に対して心を開いてないことに罪悪感はあるんだけど、もうただ無理なんだよね。そういうのを読むのは本当につらい。彼らがなぜそうするのかがわかる罪悪感と、なぜそうするのかに共感する気持ちの狭間なんだけど、ただ期待される役割を果たすことが自分はできないと感じてる。
ええ、あなたは精神科医というわけでもないですしね。

正直言って、自分も答えを持っているというわけじゃないんだ。
大抵の人はあなたにそういった感情を吐露するだけで満足なんでしょうか?それともあなたから積極的に何かを求めているような状況に遭遇しますか?
その時と場合によって毎回違うね。ある時はアドバイス的なものを求められて僕にはそうする資格がなかったり、レコードに共感したからという理由で何かをシェアしたいだけって人もいる。繰り返しになるけど、僕にはよくわかるんだ。僕の人生においても自分にとって意味のあるレコードを出してきたバンドがたくさんいて、そういうことを本人達に伝えた機会もあったからね。 若い頃は、レコードを聴いて自分がどう感じたか、それを直接伝えることがアーティスト本人に影響を与える可能性なんて考えたこともなかった。そのレコードがアーティストにとってどれほど深くパーソナルなものだったとしてもね。自分がファンだったり、レコードに心を動かされた時にそういうことはまず考えないよね。でも今、自分はそういうことが起こり得ると実感できるポジションにいて、上手い言い方が出てこないけど、ある意味で”Oh, god…”ってなるきっかけになり得るというか。 僕らのバンドは何年もかけてそういうことに気がつくようになった。みんなどれだけ意識していたかはわからないけど、ある時ツアーでライブが終わった後、徹夜で移動する前にスライスのピザを一切れ食べようってことでまだ開いてる店を探しながら、僕らのグループは通りを歩いててね。みんなすごくいい雰囲気だった。確かトロントでのことだ。とにかく、みんなで店まで歩いてサクッとピザを一切れ食べて、みんなで笑ったり時間を楽しんでた。その帰り道にバーが通りに出ている店があって、そのバーにいた何人かがさっきのショーに来ていてね。僕らのバンドを見るなり、みんなでハイタッチし合ったり「最高なショーだった!」とかそういうやりとりがあってね。 それでバーの客の一人が私を見て近づいてきて、僕はただ幸せと喜びいっぱいでその光景を見ていたんだけど、彼は僕の方を向いて「やあ、先週僕の妹が自殺しちゃって、今週あなたのレコードが本当に支えになった。ショーがあって本当に良かった。」って言ってきてね。僕はもうそれにぺしゃんこにされてね。”Oh my god!”っていう。バンドのメンバーがそれを見ていて、それから僕らは会場まで無言で引き返した。後で一人が僕を引っ張って「最悪だったな」と言ってね。本当にその通りだった。 こんな状況に遭遇することがけっこう多くてね…僕はこういうことをうまくコントロールする精神的な心構えができていないし、本当にしんどいことが多いんだ。僕はただこの世界を(滑落しないように)トラバースするのに最善を尽くしているだけなんだ、他の人と同じようにね。こういうやり方で自分の悲しみを表現できるプラットフォームを持っていることは本当に幸運だと思ってる。このバンドをやることは、こういうことすべての吐け口になっているんだ。 そういう意味で今までどんなセラピーにも行ったことがないなんてバカだとは思うけど、でも自分で作った薄っぺらい言い訳もあって、だってもしセラピーに行ってしまったらじゃあ僕は一体何について歌えばいいんだ?っていう。だってそうだろ?自分が抱えている問題が全て解決されちゃったらもう何も歌うことがなくなってしまうんじゃ?このバンドはずっと物事に対処するための自分なりの治療法であり続けてきたからね。 だからまぁ、あのレコードをリリースすることで自分がどういう立場に置かれるかってことをわかってなかったわけだけど、僕にとってあのレコードは必要だった。自分の悲しみに対処するために必要な方法だったんだ。そして何年も経った今、あのレコードをリリースすることのインパクトをわかっていなかった。僕にとって「Lament」を書くことは、「Stage Four」が自分に与えた影響や、人々に寄り添えなかったことへの罪悪感という感情を吐き出す方法であり、同時にそういうクソ(な状況や感情)をくぐり抜けることの難しさの表現でもあった。
あなたは、そういったタイプの交流を、あなたにとってより管理しやすい方向に落とし込もうとしたことはあるんですか?
いやあまりないかな。ただできる限り避けようとはしているね、おそらくこれも健康的ではないんだろうけど。
でもあなたはまだこういう交流を受け入れていますよね。
まぁ、どうやってやめればいいか分からないからだよ(笑)。 僕は自分たちの活動に関心を持ってくれたり、今でも聴き続けてくれる人たちに感謝して生きてきたんだ。これが5枚目のアルバムだから、最初のアルバムから聴いてくれてる人には、あるいは3枚目から入ってくれた人にとっても、これまでの間には多くの出来事が起こるだろ。人の興味は変わっていくものだし、僕もそれはわかっているから。 これはまぁジョークだけど、僕らのバンドはドレイクが出てくる前からやってるんだぜ。いったんドレイクが出てきたら、みんなそっちに飛び乗っちゃうだろ?なにしろ新しいジャンルでエキサイティングだからね(笑)。だから最初からそこにいてくれた人は誰であろうと、人生の恩人だと思ってる。僕はいつだって話が好きな方だし、ショーでも必ず顔を出すようにしてる。ずっとバックステージに隠れているようなタイプだと思ったことはないよ。僕は自分の時間を割いてくれる親切な人たちと関係を持つのが好きなんだ。諸刃の剣だよ。
アルバム「Lament」のカバーアートがとても面白くて、深読みするうちに象徴的になってきた気がしてます。(Lamentという)たった一言の言葉ですが、タイトルの片方が沈んでいる一方、もう片方は持ち上がってきて、それが回転しているような印象を与えています。ある種、感情や思考といったものはある時には他のものの水面下に隠れ、またある時にはどこからともなく出てきて予期せず表面化するといったような。(この解釈は)いい線いっていますか?
100%核心を突いていると思うよ。まさしく自分達が目指していたものだね。Nick (ギタリスト)が僕らのアートを最初の時から全てやってくれてる。彼は実際それで生計を立てているしね。素晴らしいグラフィックデザインのアーティストだよ。でも一緒に仕事をするときは、レコードのレイアウトをどうするかということになると、彼は率先して僕をクライアントのように扱ってくれるんだ。
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僕らはとても緊密に仕事をしていて、僕が何を伝えようとしているのかということについては、彼はとても意識的で親切なんだ。レコードを作っているとき、リリックの内容に関してはとても緊密に作業していて、僕が歌詞をある程度完成させたら、それを彼に送ってアルバムアートの面で何をすべきかのアイデアを与えるんだ。彼はそういうのをとても早い段階で始めるのが好きなんだ。
アルバムのタイトルトラック “Lament “は、さっきのあのサイクルに関係している。曲中にあるライン"I lament, then I forget / I lament, till I reset “(私は後悔する、そして忘れる/ また後悔する、リセットするまで)というのがある。完全に通常運転で、気分も全く問題なく始まった1日でも、メッセージが来るとかそういった些細なことや、あるいは何かを目にしてしまってその日の調子がすっかり狂ってしまうことがあるんだ。そしたらできるだけそれから目をそらして、ただ気を紛らわせるようにする、それがなんだろうとね。そして寝て起きたら、また同じことの繰り返しがやってくる。これがこの世界をトラバースする上でのプラスとマイナスなんだ。
"Come Heroine "という曲のタイトルは、今この国で起きていることにとって重要な意味を持つと感じています。オピオイドクライシス*がある中で、それにCOVIDのパンデミックが重なっています。多くの人が自分の問題からドラッグに慰めを得ようとしていて、今のような厳しい時にこそ、この曲は特に妥当性を感じます。 (オピオイドクライシス/ 米国では毎日100人を超える人がオピオイド鎮痛薬の過量投与で命を落とすなどオピオイドの不適切使用が社会問題となっている)
とても挑発的な曲名だよね。だからこそこのタイトルを選んだんだ。でも僕にとっては、この曲は自分のパートナーのことを歌ったもので、彼女の存在は僕の人生の困難を乗り越えるためのすごくポジティブな力となってくれていて、特に自分の母親を亡くした時のことを歌ってる。一方で彼女自身も自分の人生の中で失ったものや葛藤を抱えていることは理解している。 僕にとっては、人生で本当に辛い思いをしたいくつもの理由を抱えていながら、なお自分のためにそれらを脇に置いて付き合ってくれた人へ感謝の気持ちを示すための曲なんだ。彼女がそうしてくれているように私に寄り添ってくれた人。そういう人のための曲なんだ。
つまり、文字通り彼女はあなたのヒロインなんですね。
そう。オープニングのラインは“From peaks of blue / Come heroine”(青/憂鬱の頂点から/ヒロインがやってくる)彼女は自分の人生で経験してきた悲しみの山脈を持っていて、そこから彼女が本当に温かい優しさと期待感を携えて来てくれたというような感じなんだ。
とてもクールですね。正直、これを聴いた時にそういう結論にはならなかったんです。
いや本当、正直言うと僕にとって音楽の醍醐味はそこなんだ。(曲について)誰かが何かを誤った解釈していても、一度だって不快に思ったことはなくて、それは曲を一度世に出したらもうその曲は自分のものじゃないって本当に思ってるから。その曲のナラティブを決めるのはリスナーだ。多くの人が僕の所にきて「この曲はこういう意味だった」とか「あの曲はこういう意味だった」と教えてくれた。例えば、Stage Fourの最初の曲は、母に食べさせようとすることについての歌だったんだ、(末期ガンで)彼女は体重がすごく落ちていってたからね。で、その曲が摂食障害が治るきっかけになったと言ってくれた人がいたんだ。 でもそれで「いや、あれは別に摂食障害のことを歌っているわけじゃなくて」とはならなかったよ。 実際、それって素晴らしいことだし、本当にスペシャルなことだ。だから、誰かに(曲の解釈を)推測されるときは、いつも楽しませてもらってるんだ。よっぽど間違っていなければね、たとえば「こいつを殴ったことを歌ってる!」とか。
全然、そういうこととは無縁というか、しそうにないですよね。
もちろんだよ!
先ほどドレイクが出てきたのと同じ頃にバンドも露出するようになったと言っていましたが、あの頃は音楽シーンがいくつかの点で今とは違っていましたよね。当時ははっきりとエモリバイバル、ポストハードコアのリバイバルが来ていました。その頃と今とでは、エモやパンクシーンはどのように変わりましたか?特にこの4年間で、これらのシーンに大きなシフトがあったように思います。
いい質問だね。具体的なこれっていうものがあるかはわからない。僕達がより意識的になるという点で、僕は世界は大きな振り子スイッチのように進んでいくと思ってる。トランプのような人間が政権につくと、物事がより激しく政治的になる。ブッシュが就任していた時も多くの人々の政治的な意識が高まったよね。 でもオバマになってからの数年間はほとんどの部分で物事がすごく普通になったように感じられたんだ。当然、その間も政治的にはずっと多くのことが起きていたんだけどね。でもトランプ政権が誕生してからは、政治や社会的なコメントが再び前面に出てくるようになった。これを不幸中の幸いだとは言わないけど、こういう対話をするのは良いことだよね。 それが対話を促進させるのであれば良い、というべきかな。でも同時に誰一人として今の状況で満足していない。興味深い状況の並置と言える。そこには自己反省する余地もたくさんあると思うんだ。こういう緊迫した政治状況に直面すると、自分自身を���つめ直して「自分はこれらの過ちを正すためにできる限りのことをしているのか?」と自問するようになる。それが状況の変化に繋がっているのは確かだと思う。
バンドを始めて、それまでとは違う自分になったと感じますか?
ああ、そうだろうね。(バンドを始めた当時)僕は24か25歳だったけど、今やもう40歳目前、今は37歳だ。人は30歳を迎えると、自分の人生を本当に、本当に、本当に、見直し始めるようになると思うんだ。僕たちのアルバム『Is Survived By』は、基本的にそういうことについて30歳の時に書いたものだ。成熟度と、自分が思い返す価値のある人生を送っているのかどうか。 20歳の時は無敵のような気がして、将来のことはそこまで考えないような気がするよね。でも今の自分は、まぁみんな誰もがそうだと思うんだけど、あらゆることにおいて歴史の正しい側にいるかどうかを考えるようになってきてると思うんだ。みんな政治的な意識が高まってるし、社会的な意識も高まってる。こういったこと全般がそうじゃないかな。
全体的に物事に対して意識が高くなったような気がするんですね。
そうだね。バンドを始めた頃はできる限り楽しむことしか考えていなかった。床で寝て、請求書の支払いができなくても気にしない。実家に住んでてまだ家族と一緒に暮らしてて。そんな感じだったんだ。 無職のやつらを集めてクソみたいなショーもした。 ガソリンスタンドの食ベ物だけで食いつなだりっていうクソみたいなツアーとか、そんなのばかりだった。当時は何年も経ってまだこのバンドをやっているなんて思ってもいなかったけど、そういった経験と共に成長し、適応することを学んだ。あの頃に得たパンクの倫理観が今の自分たちの生き方に繋がっていると、今でも思っている。
辛いときに助けられたレコードがあると言っていましたね。そういったレコードを作ったミュージシャンの中で、その当時話してみたかった人や、自分に影響を与えたレコードについて今でも話してみたいと思っている人はいますか?
結局のところ、僕はただのファンなんだ。大のレコードコレクターだしね。レコードは自分にとって世界の全てを意味してる。このバンドをしていて最大の特権の一つだと思ってることは、現時点で自分のフェイバリットバンドのうち、おそらくDeftonesを除く全てのバンドと一緒にプレイできたことなんだ。(Deftonesとも)フェスでは一緒にプレイしたんだけど、それはノーカウントだから。 最近よくこういう話をするんだ。僕は数ヶ月前にポッドキャストを始めたんだけど、その会話の中でよく出てくるのが、僕の好きな点とまでは言わないまでも、このパンクというジャンルは天井がすごく低いっていう意味では唯一のジャンルで。この点について異論はぜひとも歓迎だし、別の話も聞きたいと思ってる。でも十分ハードに努力さえすれば、自分の好きなバンドと一緒にプレイすることが不可能ではないと思える唯一のジャンルなんだよ。 完全に可能性の範囲内なんだ。プロモーターとだって友達になれる。好きなバンドが100万枚売れる必要もない。好きなバンドは7インチを2枚出すバンドになるかもしれない。何を言ってるかわかるだろ?完全に可能なんだ。ショーで彼らに会うことも、近づいて話をすることもできる。僕は、自分の人生を完全に変えてくれた人達とこれまでたくさんの対話をすることができたり、それどころか友達にもなることができて、本当に、本当にエキサイトしてる。そして今、僕は(ポッドキャストで)彼らにインタビューを始める立場になった。 先週、CursiveのTim Kasherにインタビューしたんだけど、それが超エキサイティングだった。二人ともロサンゼルスに住んでいて、お互いのライヴで会ったり共通の友人がいたりして知り合いではあったんだけど、彼と実際に会話をする機会を得て、2000年代初頭のサドル・クリーク時代やネブラスカのオマハのシーン、そしてそのシーンが自分にどれほど影響を与えたか、またシーン全体が自分にとってどれだけ意味のあるものだったかについて、洗いざらい本人にぶちまけることができた。 レターマン(”Late show with David Letterman”というテレビ番組)でCursiveのプレイを見た時の話をしたんだ。パンク周辺から出てきたバンドで、個人的に知っているかどうかは別として、彼らのような存在がレターマンの番組に出演するのを見ると、僕ら全員の勝利のような気がするんだ。彼らがやってくれた。クールなことをしてくれたっていう。様々なことが頭の中を駆け巡っている中で、自分に印象深いものを与えてくれたこの世界の人間に会うチャンスがあると、いつもぞくぞくするんだ。 今回のニューアルバムのレコーディングでも、ロス・ロビンソンは子供の頃から僕の人生の中で大きな役割を果たしてくれた人だしね。Kornの1stが出た頃は好きだったし、Sepultura、Glassjaw、At the Drive In、Blood Brothersも大好きだった。これらのレコードはどれも自分の人生を通してとても重要なものだったし、今は(そういった作品をプロデュースした)彼とレコードを作っているんだ。僕はレナード・コーエンの大ファンなんだけど、スタジオで僕が歌っていたマイクは、レナード・コーエンがレコード”The Future”の全曲で歌っていたマイクだったってことをあとで知ったんだ。 マジで心からぶっ飛んだね。だから、僕は今でもこういう体験をするし、こういうことに麻痺したり、当たり前のことだと思うようにはならないと思う。僕にとって全部がエキサイティングだし、これからもそうだろう。もし、エキサイティングだと思わなくなったら、その時点で自分が嫌いになるね。
ええ、何か別のことをしたらいいと思います。
そうだね。僕のバックアッププランは郵便配達員になることだってよくジョークで言ってたんだよね、メールオーダーの仕事をするのが好きだし、そのプロセスも大好きだからね。仕分け室の後ろに座ってヘッドフォンをつけて、1日8時間郵便物を仕分けするのは自分にとっては夢の仕事だと思って。僕にぴったりだ。でも同時に、もう郵便局がなくなってしまうかもしれない状況なんだ(笑)。 (参考: https://www.bbc.com/japanese/53830503)
バックアッププランにもバックアップが必要ですね。
僕のバックアッププランでさえ崩壊したんだ。 郵便局のようなものが危険にさらされるとは君も思ってもみなかっただろうけど、ドナルド・トランプが就任したことによってここまで来たんだ。
2020年10月7日 NEW NOISE MAGAZINEの記事より
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arsemard · 6 years
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ANOTHER TOKEN TANTRUM
このコラムを投稿すべきなのか私は何度も悩んだけど、結局投稿することに決めた、と思う。ファック、知るか。これはもしかしたら物議を醸すようなものだし、私を含めて人によってはきつい内容だと思う。これは性的暴行、レイプカルチャー、そしてコールアウトカルチャー(性的なハラメスメント等を告発すること)についての話。私は自分が身をもって経験してきたことからしか話すことができないし、性暴力のサバイバー全員を代弁するつもりは決してない。  
私は思うのは、パンク、クィアのサークル内において、過ちを犯した人達をあまりに早く見捨ててしまうことが多いということ。私達は人に"更生する見込みがないろくでなし"だとレッテルを貼ったり、そういう人間を追放したり、皆で一���に叩いたり、またそういった場所で仲間を作ることに躍起になり過ぎているような気がする。それは私達が人を善か悪、安全もしくは危険な存在だと本当にそう思っているからではなく、クソなことをした人間と友達付き合いすることの社会的な悪影響を恐れるからだ。もしくは最悪そういうクソな人間(の仲間)なることを恐れているから。 私達が悪い行動(振る舞い)から距離を置きたがるのは、悪い行動というのは(性格や育ちの)悪い人間だけがするものだと教わってきたからだ。善人だろうと悪人だろうとやってしまうようなことではなくて。私はレイプや虐待、悪意のある行動をして、責任をとろうとせず、変わろうともせず、(問題が)発覚したあとでさえクソなことをし続けるような、真にクソったれな人間について話しているわけじゃない。そんな奴は町を追い出されて、公然と非難されて、バットでしばかれて当然だー私が言っているのはそういう状況における私的制裁についてのこと。 クィアサークルの中でよく使われる二つのフレーズがあるけど、私はそれが私達を危険に陥れているのではないかと思っている。それは『(加害者を)教育するのは私の仕事ではない』、そして『意図(のあるなし)は関係ない』というものだ。
 人生のある時点で近親相姦や言葉の上では”合法”的なレイプを経験してきたトランスウーマンとして、セックスの最中にからかわれたり恥ずかしい思いをさせられた経験がある身として言わせてもらうなら、そして誤って自分の境界線を超えてしまい、また他人の境界線も超えてしまったことが経験がある身として言わせてもらうなら、私達はこういった様々な体験を単純に性暴力という単一の体験に一緒くたにしてしまっていると思う。それぞれが体験したことは一人ひとり全く異なったものだから、話すには困難を伴うものだと感じるし、私は他のサバイバーを代弁するようなことはしたくない。それにどういうやり方であっても他人の体験を矮小化するようなことはしたくない。私はこのコラムを書くにあたって、この性暴力は”リアル”、これは違うという風に判断することには細心の注意を払って書いている。私ができることは自分の体験を他のサバイバーに向けて話すことだけだ。これは男性に意見とか”賛成”と言ってもらいたくて書いているわけじゃなくて…私がしようとしているのはサバイバー同士で性暴力をカテゴライズするやり方について議論すること、またそういうカテゴライズがいかに問題となりうるか、そういった繊細な議論のための場を作ることだ。
というわけで私について言えば、私がトランスになる以前の頃に相手からジョークのつもりで私がベッドで”クソ女っぽ過ぎる”と言われた時や、私が全然気持ちがのらない(からやめてほしい)と彼女に言ったのにやめてくれなかった時、もちろん最悪だったし本当にクソな気分になった。 それにそういうことがたびたび起きて私の精神に酷い影響も及ぼすことにもなった。 でも私にはそういったようなことと、誰かに同意なしに地面に押し倒されたり、首を絞められたり、私がまともに話したり動けないくらい泥酔しているときに”あんたこれが好きなんでしょクソホモ野郎”と言われながら(目の前で)オナニーされることが同じことだとは思えない。そういったことは子供の頃に家族から受けた性暴力ともまた違うものに感じられた。ベッドの中で”クソ女っぽ過ぎる”と私に言った人は何年も経ってからとても誠実な方法で心から謝ってくれたけど、それは私にとってすごく意味のあることだった。私達はみな毒された地獄のような環境の中で成長していくし、それによって形作られることで知識に反して自らの意志で有害な人間になっていく。誰にもお互いの扱い方について良い見本となるモデルを持っていないし、同意について学校で学ぶこともない。私達の大半は15歳くらいまでに学んできたことを捨て去り(unlearning)、治癒することに人生の大半を費やしている。良心を持つ善良で優しい人々だってクソなことはする。そしてもし私達が、クソなことをしてしまった人でも善良な人間になれると信じるのを拒絶するならー善良な人間とは本当に具体的に意味のある善良という意味でー、私達は性暴力からお互いを守ることに失敗してしまう。なぜなら私達が悪魔だとみなした人々の中にだけ脅威を見出そうとするからだ。
もしかすると許すこと(forgiveness)、意図、成長するということに関して私の中でしこりとなっている部分があるのは、私が人生で最初に性的暴行を受けたのは私が愛した人であり、私を愛してくれた人であり、その後も長年私が愛し続けている人という事実に根ざしているからなのかもしれない。この人は自責の念を行動で示し、誠実な方法で、解放された関係で、私にエモーショナルでむき出しの自分をさらけ出してくれた。なぜならたとえ過ちだったにせよ危害を加えたことに変わりはないから。でもこの人にはそうする責任があったと思うし、その上彼はその時私にしたことがどれだけ持続力を持ってダメージを与え続けているか、ちゃんとわかっていなかった。もし私が彼に入れ込んでいなくて同情する気持ちを持ち合わせていなかったら、もし一度に異なる真実を抱えてあがくことがなかったとしたら、(結果的にさらに)私も彼も苦しむことになっただろうし、それに加えて彼の人生で出会う誰か他の人が徹底的に苦しむことになっただろうと私は確信している。彼は成長することがなかっただろうし、私はもっと長期に渡って治癒のプロセスが難しくなっていただろう。
私達が加害者を追放する時、本当は彼らを追放しているわけではない。 私達にそんなことはできない-不可能だ、たとえいくらそう望んだとしても。人々に価値がないと言われた人間は変わろうとすることはないだろう。そういう人達は自分に決定的に入れ込んではこないような人を探そうとするだろうし、より良い自分になろうと努力することもないだろう。もちろん、加害者を教育することはサバイバーの仕事じゃない。でももし私達が、サバイバーとして、他人に加わるかもしれない危害を抑えたいのなら、誰も彼らの行動を批判しない世界へ彼らを追放することは私にとって良いことだとは思えない。彼らはただ悪くなっていくだけだろう。私は”責任”(accountability=既に起こったことに対する責任という意)という言葉がたびたび架空の産物で、めったにない、難しくて、突き止めることが困難なものだ感じられることも理解しているけれど、 私達がクソな行為をした人の中に人間性を見ようとすることをやめてしまうとき、私達自身の人間性の一部も喪失してしまうと思う。これはなんだか寛大(liberal)なように感じるけどこれは真実だと私は思っている。もちろん、もし私達がそういう人にもう一度チャンスを与えても、彼らがどうしようもない存在だと証明するときは…そのときこそベースボールバットを持ってこよう。問答無用で。でも私は、加害者には怒りと同じくらい愛情や微妙なニュアンス、共感や思いやりといったものを許すアプローチをとりたいと思う、とはいえサバイバーのための安全な空間を作り維持すること、そしてまずは彼らサバイバーのニーズを満たすのが先決だ。私達があまりに早く人を見限り、彼らは本質的に悪い人間なのだと強く主張するとき、彼らはどうやって良くなろうとするモチベーションを見つけられるだろう?私達が彼らに存在する資格がないと言っているようなことが"善良"なことだというのなら、彼らは一体次に何をするだろう?
maximum rocknroll #392
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arsemard · 6 years
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Sheer Magのギグに行ってみれば、あなたはモッシュピットの真ん中にいる自分を発見するかもしれないし、会場の後ろの方で漂っているのかもしれない。それか柵にもたれかかってリリック全部をシャウトしているかもしれない。あなたが安全で楽しい時間を過ごしているなら、何をしていようとSheer Magは気にしない。しかしこのフィラデルフィアのバンドが心地いい体験を作ることに懸命になるのと同じくらい、彼らが注意深くこしらえた包括性(inclusivity)を持つシャボン玉のような空間は時に脅威にさらされる。
「私はただ「あんた一体なに?私の目の前から消えて」って言っただけ。」リードシンガーのTina Halladayは、ショーが終わった後に知らない他人が近づいてきて彼女の背中を触ってきたという出来事を話してくれた。「その日、その前にもその人は私とフェイスブックで繋がろうとしてきた。私はもう黙れよって感じで。その後も彼はすごく変なことを言ってたー私が歌えるはずないと思ってたって。もうびっくりした。なんで私が歌えないと思うわけ?」彼女の声にはうんざりした気持ちが込められている。「デブな人間はなんとなく歌えそうにないから私も歌えない?私には才能があるはずもなく、セクシーでもなんでもなくてー私はデブね、だからって上手くできっこないって?まぁ、ふざけんなっていう。」
Tinaは天賦の才の持ち主だ。彼女はロウなパンクのエネルギーと共にソウルフルな叫び声を届ける。そしてバンドはライブショーによって熱狂的なフォロワーを多く生み出していった。ライブで彼女はオーディエンスに自分の身を投げ、汗まみれになりながら歌い続けることもある。2014年の結成以来、Sheer Magは今なおほぼセルフマネージメントのまま活動しており、自分達で企画するギグもやり続けている。そして3枚のEPをリリースした後、昨月デビューアルバムNeed to Feel Your Loveをリリースして、彼らの知名度は飛躍的に上がった。
Sheer Magの魅力の多くは、サウンドやルックス、メッセージにおけるクラシックなロックとパンクの衝突の仕方にある。Thin Lizzyから丸パクリしたかもしれないリフがTinaの強烈なパンク弁論法のパワフルなバッキングとして響くとき、伝統的なアメリカンロックのお約束は痛烈に左翼的なリリックによって巧妙にひっくり返されるのだ。Need To Feel Your Loveのヘビーメタル調のオープニングトラック”Meet Me in The Street”では、ドナルド・トランプの就任に対するプロテストにおいてバンドが”throwing rocks at the boys in blue”(警察官に石を投げる)”姿が描写される一方、気取った足取りのシングル”Suffer Me”は1969年のストーンウォール暴動について書かれた曲だ。アルバムは”(Say Goodbye to) Sophie Scholl”という曲のシンガロングで幕を閉じるが、これは反ナチスのパンフレットを配ったことで処刑された若いドイツ人女性へ追悼の意を表した曲だ。(ゾフィー・ショルは白バラ抵抗運動のメンバー)
Tinaはショルが抵抗したナチスドイツと今日のナショナリズムの台頭に類似性があることを認める。「ドナルド・トランプはファシスト(独裁者)とほとんど紙一重だ」と彼女は主張する。「ベルリンに行ったとき、私はホロコーストミュージアムへ行ってナチスの権力が強大になっていく(過程を)を学んだ。私は(おそらくヒトラーの)演説を聞いて思いっきり泣き出してしまった。抑えられなかった。トランプの演説も同じに聞こえる。」
Sheer Magの曲はTinaとギタリストのMatt Palmerが一緒になって作っている。Tinaはそのクリエイティブなプロセスについて「彼は一番親しい友達の一人だから、私がどういう人生を過ごしてきたのか知っている」と言う。「多くの曲が私や私の経験に関すること。ポリティカルな曲については、(Mattが)本を読んだりしてリサーチしたことで、私の視点よりももっと大きな視点から書かれてる。」Tina個人の物の捉え方は自身の育った環境に大きく影響を受けていると彼女は説明する。「私は一人親の家庭で、幼少の頃は生活保護で暮らしていた。」と思い返す。「私達はすごく貧乏なうちで、周りの人達から見下されていた。私の母は数ヶ月の間フードスタンプ(政府が生活保護者に発行する食料配給券)で食いつないでいたし、彼女にとってはそれを使うことがすごく恥ずかしいことだった。もしも(自分ではなくて)リッチな白人男性がこういうことについて歌ってたとしたらこんな感じとは違うはず。」
さらに彼女が言ったことは、ライブをしたいと思っているのはリッチな白人男達でもないということだ。「クソ白人のおっさんどもが、観客の前の方に陣取ってて、ダンスしてる人達に対してキレてるの!」彼女はゾッとしたと詳しく話す。「サンディエゴで起こったことなんだけど、私はブチキレてークソ後ろに行け!ってそいつらに向かって叫んだの。そしたらキッズが前の方に来てくれてダンスし出した。彼らはすごく楽しそうだった。」
あなたはそろそろTina Halladayは普通のバンドリーダーではないということを実感しているはずだー太っていて、フェミニスト、完全に堂々とした存在、唯一比較できるのは今のところBeth Ditto(Gosshipのボーカル)だけだろう。つまり、型にはまることのない他のキッズはTinaのタフでタイトなパフォーマンスの中に自分自身がキラキラと照り返されているのを見出すのだ。彼女はロールモデルになっているという考えに怖気付くことははないのだろうか?「人々がそういう風に捉えている可能性もわかっているけど、私自身はそういう風に感じることはあまりないかな。」と彼女は返す。「時々はあるかもね。でも私はチャレンジ精神を持ってると思うし、私はなんとかできるってことも知っている。というか今はそんなことの心配してる場合じゃないって感じ。私にはもっと他に心配しなきゃならないことがめちゃくちゃたくさんあるから。」
そういう心配事はステージ上の強烈な存在感のための燃料として使うことができるのだろうか?「私の考えでは、怒ることは悲しむことよりも建設的だと思ってる、特に(2016年の大統領)選挙が終わった後では…」と彼女は考えを巡らせる。「怒りを表すことは、私の見るところでは不正(injustice)に対して解決を図るための有効な方法だと思ってる。それにもし私が歌っていなくてこういうやり方で自分の感情に対処していなかったら、何をやってるかわからない。今よりももっとわけのわからないことをしてるかもしれない。(歌うことには)本当にカタルシス効果があるから…。特に多くの女性から、私は彼女達をインスパイアしてると言われて、本当に驚くべきことね。それだけでも何ものにも代えがたい価値がある。あらゆる仕事(作品)は、たった一人(に価値があるだけで)でも完全に正当化されるもの。」
この世界が表通りでさえも偽造された政治から利を得るような場所だとしても、Sheer Magはよりリアルなものを、より回復力に富むものを表現する、そしてTina Halladayはそのような確固としたスピリットを精製した結晶だ。彼女が私たちの側にいてくれるのは心強い。
2017年8月16日 Crack Magazineの記事より
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arsemard · 6 years
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Rhylli Ogiuraはハードコアの中でも屈指のカリスマ性を持つフロントウーマンの一人だ。ときに英語、ときに日本語で自分の胸の内を大声で叫び、David Yow(Jesus Lizardのボーカル)ミーツMissy Elliottのような堂々とした足取りでステージを大股で歩く。だがKrimewatchのボーカリストは「ハードコアにものすごく入れ込んでいたわけではない」と認める。そもそもハードコアバンドで歌いたいとも思っていなかったという。
「私がしたいと思ってたわけじゃないけど、彼女達に説き伏せられて」と言うのはニューヨークシティのこのバンドを立ち上げたベーシストのEmma HendryとドラマーのShayne Benzの二人のことだ。彼女達がボーカリストの第一候補に挙げていたのが友達の友達だったOgiuraであり、2015年にバンドを結成した。「私は彼女のポジティブで人を魅きつける存在感に対してずっとすごいと感じていて、ステージでよく映えるだろうなと思ってた」とBenzは言う。「私達はこれが彼女にぴったりの役だとわかってた。」
ラモーンズのようなクラシックなバンドがいつもかかっているようなパンクに馴染みのある家庭で育ったHendryとは違い、Ogiuraが影響を受けた人物にRoger MiretやJohn Brannon, Raybeezといった名前は挙がらない。代わりに彼女が挙げるのはLil Kim, Big L, Nas, Mobb Deep, Jay-Z, Missy Elliotといったアーティストだ。「何かヒップホップにはすごくエンパワーされるところがあって、私にとって重要なもの」と彼女は言う。「ひょっとしたら黒人のストラグルを自分のことのように感じることはできないかもしれないけど、そこには何かしら普遍的なもの…街のリズム、人々や電車のリズムがある。」
Ogiuraの持つヒップホップの影響と、他のメンバーの持つより伝統的なパンクロックのバックグラウンドの緊張関係がKrimewatchをハードコアの中で最もエキサイティングなグループの一つにしている。 キャッチーでアップビートでありつつ”go fuck yourself”なアティテュードを炸裂させ、猛烈なブラストとブレイクダウンがある。2016年2月に発表して話題をさらったデモ以降、事は雪だるま式に進んでいくー1ヶ月後にはバンドの初ライブ、2ヶ月後にはLockin’ Outからデモのリリースが決定し、ライブのオファーが次から次へと、NYCを超えた地域からもオファーがやってきた。
そして今届けられたのがKrimewatchのセルフタイトルのデビューLPだ。12分半そこそこに詰め込まれた新たな9曲には、今日のキッズのために再発明したかのような初期80′s NYHCサウンドが捉えられている。「すごく気に入ってる!」とOgiuraは興奮気味に言う。「みんなのたくさんのハート、ハードワーク、エモーションが入ってる。私は自分達がいる場所、自分達がなったものに本当に誇りに思ってる。」
Krimewatchはある1曲から始まったー今は”song one”または”小便たれ”として知られる人気の曲だー偶然だがこの曲はHendryがベースを始めて最初に作った曲でもある。ボストン大学を出て、新たにNYCに移住した彼女の仕事後の主な現実逃避は4弦の楽器だった。「(住んでいたのは)すごくエキサイティングな地区ではなかったから、私にはベースを弾く時間がたくさんあった」と散歩する人で溢れたブルックリンのパーク・スロープの側に住んでいたことを思い返す。「だから私はかなりの曲を作った。」
Hendryは以前、サイケロッカーのNative Sonを含むボストン地区のいくつかのバンドでキーボードをプレイしていたが、その間ずっと瓜二つの双子の姉妹Sophieが Leather DaddyやFirewalkerといったパンクバンドで頭角を表してきているのを見ていた。後者のアクト(Firewalker)が徐々に勢いを増してくると、Emmaはそれに刺激されて自身の音楽にもっと真剣に打ち込むようになった。Krimewatchは彼女が初めてライブをしたバンドである。それよりもっと意外なのはOgiuraの初めてのバンドだということだ。
「最初にバンドをやり始めたとき、リリックは自分にとって大事なものにフォーカスするようにとEmmaが言ってくれたー自分のすごく嫌なものや本当に好きなものにね。彼女は私がそれを激しく吐き出すように歌うことをわかっていた」とボーカリストは思い返す。日本生まれのOgiuraは、従順で服従的な日本人女性というステレオタイプに抗うために、Krimewatchのいくつかの曲で日本語でシャウトせざるを得ないと言った。「もしあなたが提供できる(自分なりの)視点を持っているなら、それがシス白人男性からではないというだけでも、それはとても価値があって共有することが重要なものなんだと私は思う。」と言う。
「私が関心を持っているのはそういった声だし、(そういう声が挙がるのを)促進させて、もっとたくさん見たい。私にとってKrimewatchで充実感を感じることは、アジア人女性として自分の経験を他の人とシェアできるということと、ハードコアー(に限らず)なんでもそうだけどーは独占的にあるタイプの人間だけのためのものではないということを世界に示せること。」
そういう考えに沿って、もともとKrimewatchはオールフィメールのラインナップにする予定だったが、しかし男性をメンバーに迎えることにもためらいはなかったーギタリストのSean JoyceはNYCパンクスお気に入りのAjaxでプレイしていた人物だ。「ハードコア/パンクの世界では女性は本当に人数が少ないから、全員女性のバンドで音楽を作ることに焦点を当てていた」とBenzは説明する。「でも私達のメッセージや信条に関する限り、男性をバンドに入れてもそれが変わるわけじゃない。」Joyceはバンドのソングライティングにおける要という実績ある欠かすことのできないパートを担っているだけでなく、彼は文字通りファミリーの一員になった。Krimewatchのデモをリリースした10日後に彼とBenzは結婚したのだ。
「これは私達全員にとってバンド以上のもの」とOgiuraは強調する。「私達は(バンドだから)やることもあるけど、これはフレンドシップのためのものでもある。私は練習に行く時、みんなで一緒にプレイするのと同じくらい友達と一緒にハングアウトしたり喋ったりすることにワクワクしてる。この三人は私にとってすごく大事な存在。」
2018年3月1日 REVOLVERの記事より
過去記事→ On Patrol With Krimewath https://arsemard.tumblr.com/post/150223372482/on-patrol-with-krimewatch
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arsemard · 7 years
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このバンドによって多くの人が超バッドになることを恐れないようになってほしいと本当にそう思う。フューチャーキッズは過去からの音楽をプレイしている��
トランス/フェミ/クィアの存在を綴ったハードコアジャムは、人々がそれを楽しむのと同じくらい、容赦がなく、怒りに満ちて触発されるものだ。 私は彼らのベイエリアツアーの日程の多くを見ることができてすごく幸運だったし、それは今まで見た中で最も感動的で凄まじいショーの一つだった。
私はサンノゼのギグ直前のG.L.O.S.S.をキャッチし、彼女達がこれまで受けてきた絶え間ない量のハイプや、アウトサイダー達で構成されたコミュニティの中でさえ除け者になること、そしてハードコアにおいて支配的な”マン”カルチャーを破壊することについて話をしてもらった。ハードコアを変えるなんてクソ、いっそ彼女達が壊してくれればいい。
MRR: G.L.O.S.S.として一緒に練習やプレイをするようになってからどのくらい経ちますか?
Jake: 自分とSadieが一緒にボストンからオリンピアに引っ越してきたのがつい最近のことで2014の9月(この記事は2015年5月)。自分がいくつかリフを作り初めてそれが曲として形になってきたのが夏くらいで。「Sadie、ハードコアバンドをやりたいからドラムして」と言うと「ボーカルがしたい!」って返事だったから「それいいね!」っていうことになって、それでTannrrに連絡した。前のバンドで西海岸ツアーを一緒に回っていたからその時からの知り合いで。
Sadie: それで私がターゲット(ディスカウントショップ)にヒョウ柄の布団カバーを探しに行った時に、そこの駐車場でJulayaと出会って。だって足にSSDのタトゥーがあるしヤバいと思って「バンドに入ってよ!」って言った(笑)。
Julaya: それから私がCoreyによかったら一緒にバンドやってほしいってお願いして。
Jake: 自分とJulayaが一緒に練習した時に彼女は初めてベースに触ったんだけど、その次の日には彼女はベースとアンプをもう買ってて、超クールだと思った!
Sadie: ファーストショーまでみんなで3ヶ月くらい練習したかな。
MRR: 今現在オリンピアでは何が起きてる?どういったプロジェクトがおすすめですか?場所、バンド、その他なんでも教えて下さい。
Julaya: 今のオリンピアでCoreyが入ってるバンドは全部いいと思う。
Corey: 私がやってるのはVexx、CowboyとMona Reels。エクスペリメンタル/ダンスのエレクトロニックなやつだけど私はCC Dust(Vexxのボーカルのサイドプロジェクト)がすごくいいと思う。自分達の友達がやってるバンドはどれもすごくクールな気がするかな…。
Jake: TannrrはSlouchもやってるし、SadieとMargy PepperのEricaと一緒にTankiniってバンドもしてるよね。
Sadie: Tankiniはもう過剰なほどポップパンクバンドだね。
Tannrr: でもあれは”自己嫌悪”ポップパンクだし。
Sadie: パロディとかジョークってわけじゃないけど、なんかすごくポップだよね。私はすごい楽しいしドラムをプレイするのも好き。
Jake: オリンピアのバンドならMargy Pepperはもうずっと好き。Combat Knifeもすごくクール。
Sadie: Margy Pepperは私も。
Tannrr: ンーフ!(同意の意味)
Julaya: オリンピアのバンドなら、もう活動してないみたいだけどLove Interestってバンドが好きで、パンクバンドではないけどめちゃくちゃ好き。
Sadie: Hen’s Teethはすごく過小評価されてるバンドだと思う。ダークでミッドテンポなパンクなんだけど、これもフェイバリットなオリンピアのバンド。Dick Bingeもまだ続けてくれていたら!
Tannrr: あとChainとMargy Pepperがもっと頻繁に見れたらいいのにと思う。
Corey: (オリンピアでは)ショーをプレイできる場所はたくさんあるけど、オールエイジス(年齢制限なし)の場所はそんなに多くはないね。
Julaya:  オールエイジスのイベントは(時間が)早いしね。パンクのライブができるバーはどこも早い時間枠をオールエイジスのショーにあててるから。そうなると時間通りにきっちり終わる必要があるから嫌なんだけど、でも決定権はライブハウス側にあるからね。
Sadie: ショーはオールエイジスでも、本当にあらゆる人にとってアクセスしやすいショースペースって実際はもっと複雑なものだと思う。だってフライヤーに”シットハウス”と書いただけじゃ、13歳のキッズには何のことかわからないこともあるでしょ。私達が考えていたのは、CD-Rのデモを作って、モールに行って、小さいベイビーパンクスにそれを渡して、ライブに誘ったり、どこでショーがあるのか教えたりとかそういうこと。だって歳を重ねるにつれて忘れがちになるけど、どこでショーがあるかとかすごく内輪な情報だし、警察にバレずにそれを広めることは難しいし。
Jake: それと(ライブ場所が)地下だと車椅子ではアクセスしづらいしね。あとこれはオールエイジス(のイベント)に付き物の問題だけど、多くの大人が酒を飲んでるような地下には実際キッズは行けないし、”車椅子可”となってる多くのバーでも普通に階段があったりね。それ以外にも移動することすら大変とか、常にいろんな問題があるからバーはクソ最悪。
Sadie: オールエイジスにするのは一番簡単なことだから優先されるけど、他の部分でも受け入れやすい(inclusiveな)空間になってるとは限らない。私はオールエイジスと掲げてるショーで、パンクスではない年配の人達がただはしゃいでるだけで蔑まれた目で見られてたり、入場を拒否されてるのも見てる。近くに住んでて顔見知りの女性がつい最近Tankiniのショーに来てくれてて、彼女はかなり年配でパンクじゃない人なんだけど、ドアマンが本当にたちの悪いやり方で彼女にバカにしてて。ドアマンは見た目だけで勝手に彼女のことを決めつけて「(チケット代を)払えるのか?寄付してくれるのか?」って。
Jake: 私達のツアー中に起きたことだった思うけど、意地の悪いドアマンがいてチケット代が7ドルのショーだったんだけど、多くの人が興味津々で外にいたのに追い返されてたことがあった。ショーをブッキングするのはすごくストレスフルなことだし、何らかの敷居を設ける必要があるのもわかる。それに物事を円滑に進めるために他のことに構ってられないのもわかるから誰かを非難するつもりもない。ただ、中で何をやってるのか知りたくてうろついてる人が周りにいただけ-ほとんどは黒人だったと思うけど”何やってるの?”って感じで-なのにドアマンは「7ドル」って言うだけ。すごく張り詰めた雰囲気だったし、それも北西部でこんなことが起こるなんて見てるだけで感じが悪かった。後からギグで見かけた人も何人かいたし、そういう部分は考え直す必要がある思う。
Sadie: ライブ場所が黒人の多い居住地区で、白人バンドが多く出る時とかそういう人種的な(トラブルが起こる可能性がある)場合は特にね。興味深々で来てるだけなのに受付にいる白人が「(入るには)金がいるんだからそこにいるな。まぁでもショーはオールエイジスだけどね」って。なぜ現実の人種的な分析も考慮されずにオールエイジスだけが優先されるの?っていう。
MRR:これはハードコアにおける排外的な一面について言及していると思いますが、支配的な文化の写し鏡となっている行動や振る舞いはあまり検証されていないと思います。ハードコアの中で軽視されてきた身として自らの経験を話すことはできますか?また軽視されてきた身としてこのシーンをどのようにしていきたいですか?
Julaya: 私達は、(G.L.O.S.S.のライブで)初めて疎外されたと感じた多くの白人男性達とそのことについて何度も議論をしなければならなかった。彼らは「こんなのダメだろ、もし俺が疎外されてる立場の人間だったらどうなんだ?」みたいな感じで駄々をこねたり大騒ぎしたりしてた。
Corey: どういう言葉使いだったっけ?「皆のための平等の権利ってやつは、シス白人男性抜きなのか?」みたいな。
Julaya: あれは「黒人女性が離れてショー見るべきなんて意見は僕だってクソだと思う。でもそういう人達が”白人男性は下がって見て”と言うのはいいのか?」って言ってきた人がいて、私達は「え?そうだけど…?」っていう。
Jake: やばかったのはこの人はGagのファンだったんだけど、Gagのメンバーが彼に向かって「最低だなお前!(さっき売った)Tシャツを買い戻すからもう二度と来るな!」って言ってて。あれは本当にやばかった。
MRR: それはすごいですね! あなた達は多くのストレートの人達からのエキサイトした反応をもらっていますね。彼らが表現するエモーションはとても強烈で、声をあげて泣いたりしていて、そういった反応を見るのはクールなことだと思いますが、私にはどこか腹黒いようにも見えます。これはあなたのためのものではないのに、というような。それについてどう思いますか?
Sadie: ある日みんなで話し合ったの、私達のレビューの中で”進歩”や”寛容”といった語り口がどれだけ多く含まれているかについて。パンクは時代が進むにつれてより寛容になってきている…とか、つまらない、”inclusion(包括)”のリベラル的な価値とか、そういったものを私達と結びつけたりとか。ただ私が言いたかったのは、私達は意図的に不寛容なバンドだということ。
(inclusionとか)そういったことは素晴らしいとは思うけど、私達はメインストリームのクィアの課題に応じるつもりはない。Jakeとも話し合ったけど、メディアに出るトランスの人達がどれだけすぐ(多数派に)同化していくか、そしてこれはトランスの人々の中でも今まさに起きていることなんだよね。セルアウトする人達はいつだって、メッセージを届けるためにより大きな舞台が必要だと主張するけど、舞台が大きくなるにつれて自分達のメッセージを薄めたり、妥協しなくちゃならないことがある。そうすることで実際はクィアの人達にとって物事をより悪くしていってる。
トランスの(メディアへの)露出によって何が起きてるかというと、いわゆる普通のアホな人達が、トランスウーマンはこう、トランスジェンダーの人はこう、トランスのナラティブ(ストーリー、語り口)はこう、という先入観を持つようになってしまった。そういうステレオタイプには当てはまらないトランスの人にとって、それは迷惑でしかなくて。というのはリベラルの人達から「あなたはトランスジェンダーなんだね、あなたのことはよく知ってますよ」と言われても彼らは何一つ知らないから。それでステレオタイプから外れた行動をとればトランスジェンダーのモデルから外される。トランスの人達がLGBTムーブメントの主流から疎外されているのはこれが理由。私達は意地が悪すぎるの。そして皆を代表して言うわけじゃないけど、私はノーマルになりたくもないし、そもそもなれやしないしね。
MRR: それはリスペクタビリティ(世間体、社会的にちゃんとしていること)のポリティクスですねー支配的な文化に受け入れてもらえるような(ちゃんとした)やり方でアクティビズムを実践しなければ意味がない、という。
Sadie: その通り。
Jake: 私達が多くの人達、Noiseyとか(そういうメディア)に対して”NO”と言えることはすごくクールだけど、誰でも私達についてブログを書いたり、自分のハマっているものに関して言いたいことをなんでも言えるっていう、2015年の今という時代はすごく生きにくい。MTV Iggyに出ているようなクィアバンドに私達やAye Nakoを含めた記事を書いてる人もいたしね。一体どういうつもり?MTVとかNoiseyみたいな媒体の役割は、理解できないものを社会が理解できるような、許容できるようなものに作り変えることでしょ。クィアネスにおいて私が重要だと思っていることは、世間では理解不能なものというところで。つまりクィアの意味するところは、ノーマルじゃなく、意味不明で、反社会的ということ。私達がしていることは社会とは相反することだし、MTV Iggyの役割は政治改革の枠組みの中でも表現できるようなものを作ることでしょう。
それかSadieが言ったように、そういう同化主義者のクィア達は結局パイの大きい部分を手に入れようとしているだけで、今まさに排除されようとしている人達、例えば有色のトランスウーマンは今アメリカでは文字通りジェノサイドに直面しているし、投獄されたり、貧しいクィアの人達は結婚や401k(確定拠出年金のこと)に全く関与できなかったりするけど、そういった人達の反対側にいるということ。だからそういう政治改革とか市民権とか言ったナラティブを持ってこられるのは迷惑なだけだし、少なくとも私は全然同意しない。私は社会を破壊することに興味がある、社会に許容されることではなくてね。
MRR: パンクやハードコアの中でもそういった文化的な同化といった動きがあると感じますか?あなた達のメッセージがリベラルパンクスによって誤った解釈で受け取られることは起こり得ると思いますか?
Jake: 今まさに起きてる!
Corey: 私は( G.L.O.S.S. に関する)レビューには褒め過ぎなものが多いと思ってるけど、その中にはとても嫌な言葉があったりする。「これが男のバンドだったらまぁまぁだけど、そうじゃないからヤバい」みたいな。私達はこういう言葉は聞きたくない。
Sadie: あと女性がいるからってRiot Grrrlと比較されることもね!でもトランスウーマンからのレスポンスは本当に凄まじくて、それは私にとってとても素晴らしいことで本当に大事なことで…。トランスウーマンやトランスのフェミの人達がライブが終わった後にやって来て「私は今までこんな気持ちでピットにいれたことはなかったし最高だった。歓迎されてる気がしたし、私もまたハードコアに関わりたいと思った、私もバンドを始めたいと思った」とかそういう話をしてくれて。クラウドサーフしてる女性を見るのも、みんな歌詞を覚えてくれてるのも本当にすごかった。このバンドは私が歌詞で言及したり、象徴している人達のためにある。あなたの言うように他の人達が気に入ってくれるのもクールだけど、彼らのためのバンドではない。
Julaya : QPOC(a queer person of color =有色人種のクィア)の私としては、ストレートの白人男子が「おお、俺はこの曲から大事なことを得たぞ」みたいなことを言ってるのを聞いては何度もへこんだ。まぁそれほど気にもしてないけど、だって実際彼らの意見なんてどうでもいいから!多くの有色人種の女性の友達とか、歴史的に無視されてきたと感じている人達が私の所に来て、今までで初めて居心地がいいと感じたライブだったとか、リリックに共感したとかそういうことを言ってくれた。そう言ってもらえるだけでこれはやる価値のあることなの、他の白人男子が私達のバンドを嫌おうと、間違った理由で好きになろうともね。私はそれでいいと思ってる。
MRR: 過去にやっていたバンドのライブと、G.L.O.S.S.のライブではどういったところが違いますか?
Corey: オリンピアでは、普段は前の方に陣取っている男の子達が後ろの方に行って、新顔の人達が前の方に来るかな。
Julaya: 男の子達も別にそれを大げさな話にはしないし、 彼らの肩をポンと叩けば丁重にすぐ後ろの方に下がってくれるから、そういう所は友達にとても感謝してる。
Corey: (このバンドは)象徴するものがあると感じられる初めてのバンドかな。みんなシンガロングしてくれたり泣いてくれたり、本当に圧倒される。
Sadie:うん。
Tannrr:うん。
Jake:うん。
Sadie: オークランドでのファーストショーの後、みんなでCoreyのママの家に帰ったんだけど、部屋に入った途端に泣けてきて「今誰か泣いてる人いる?!」ってみんなにメールする寸前だった。
Julaya: これはバンドのメンバーにはもう何度も話してるけど。私みたいなハードコアを好きな多くのクィアパンクスが経験したことがあると思うけど、ボストンクルーと出会う以前、私はクィアパンクのライブに行ってたの、クィアパンクスの周りにいるためだけにね。好きなバンドなんて一つもなかったのに。わかるでしょ?こういう種類の音楽が好きな多くの人達が、音楽とその周りにあるコミュニティの両方に繋がるのは初めてのことだと思うし、それはすごく大きいことだと思ってる。私は他の人の意見を代弁することはできないけど、何人かはそういうことを私に言ってきてくれたし、私はこれが違いを生んでいる大きな部分だと思う。
MRR: その見解は正しいと思います。私はクィアパンクとハードコアの『狭間にはまっている』多くの人を知っています。音楽は嫌いだけど友達とハングアウトするためにクィアパンクを選ぶ人、もしくは好きなハードコアのライブに行きはするけど、多くの人達と意味のある方法で繋がれないといったような。
Sadie: 本当にそう、私はボストン時代からずっとアホみたいにハードコアに入れ込んでいて、私はいつだってちゃんとした形で関わりたいと思っていたけど脇に追いやられていたし、なんでそうなるのか理解できなかった、だってそこにはちゃんとした(具体的な)理由なんてないしね。当時はまだ子供だったしミソジニーとかセクシズムが自分に当てはめられているとは理解できていなかった。なぜなら私はまだ完全に自分のアイデンティティを自覚していなかったから。私は本当にそういった感覚にアクセスしたかったし、今はそれらを一つにまとめることを学んだ。マイクロフォンの反対側にいるというのは本当にキツかった。
ついこの前も考えていたんだけど…私が過ごしてきたパンク人生の全てがこの瞬間を作り上げているんだと思ってる。私が経験してきたもの、学んできたもの、それら全てがこのバンドで頂点に達していて、それはもの凄く凝縮された、特別なものなの。
Tannrr: 私は多くのハードコアショーに一人で行って、バンド転換の間なんかはただ突っ立ってるだけだった。私は酒も飲まないしタバコも吸わないから、よそ者みたいにただそこに立っているだけ。もしかしたら遠くには知り合いがいたのかも?私は社会的に疎外されている気がしたし、おそらくただのアウトサイダー以上に何かが付随していた気がする。それかただ社会的な不安を感じていただけなのかな。でも私は本当はハードコアをやりたかったのに、ハードコアの代わりにパンクバンドを始めるなんておかしいよね…。ハードコアのショーはSlouchとDispareteでプレイしたことがあるけど、どちらもバンドがその場に馴染んでいると感じたことは一度もない。
だから時々私は”ハードコア”に対してムカつくんだよね。ハードコアの世界にようやく私が受け入れられたこと/実際に話しかけられるようになったり、報われるまで本当に時間がかかったから。バンドがそれほど好みじゃないからっていう理由だけで見下されるような感じがするのはおかしいし、G.L.O.S.S.に関しては正反対に皆すぐに関心を持ち始めるのもおかしい。まぁもう慣れたけど。でも私にとって大事なことは、ハードコアショーでは今まで見かけたことのなかった人達-マジでめちゃくちゃ疎外されていると感じている人達-に会うこと、それに私が今まで(ハードコア以外の)他のショーですら会ったこともないような人達が明らかにG.L.O.S.S.のために来てくれてるのを見ることで。どういった理由であれ疎外感を感じている人達にとって私達は何らかの意味があるということが嬉しい。
MRR: みなさんはデモが出てからのものすごい状況やレスポンスをどのように受けとめていますか?
Corey: 笑ってる(笑)。
Julaya: 本当に仲のいい友達4人と一緒にバンドをやっているから外部のサポートは必要ないって感じてる。だって何か良いことが起きたときはいつでも私達みんなで浮かれ騒ぐし、クソなことが起きた時はみんな私のそばにいてくれるから。それに彼女達は私のことをよく知ってくれている。”ここが彼女のスイッチか”とか”ここにジュニアミントあるよ”とか何でも。
Corey: そう、私達は練習にはいつもキャンディを持ってくの。
MRR: よくキャンディを食べてるということ?好きなものは?
Julaya and Corey: ジュニアミントとグミベア(クマ形のグミ)。
Sadie: グミはめっちゃ好き!
Corey: Tannrrはジュニアミントを食べてるとこしか見たことない。
Tannrr: でもそれほど好きでもないよ。
MRR: Tannrr、あなたは偽りの人生を生きているのですか?
Tannrr: 違うって、砂糖は大好き!なんていうか私はずっとキャンディが好きだったんだけど、最近は(パイやタルトなどの)ペストリー生地のものが好きで。でもお気に入りのペストリー屋さんが閉まってしまって、私はもうどうしたらいいのかわからない。お気に入りだったBearded Lady(オリンピアのお菓子屋、2015年2月に閉店)のマフィンが消えちゃって本当にへこんだ。あそこがもうなくなってしまうのは仕方ないけど私は本気で動揺してる。ていうかもっとリアルな話をしようよ…(笑)。
Sadie: Bearded Ladyも閉店だなんて!Jakeの好きなキャンディは?
Jake: サルミアッキ(世界一不味いと言われるフィンランドの飴)。でもどこでゲットできるのか知らなくて。あと塩味のカラメルカシューとスニッカーズも。
Julaya: Coreyはサワーワームグミ(芋虫型のグミ)が好きだよね(笑)。
MMR: 皆さんがそのようにバッドビッチでい続けられる秘訣は?
Julaya: 私は18歳のときに”バッドガール”ってタトゥーを入れたの、それからバンドの他の子にもバッドガールのタトゥーを入れてあげた。
Corey: あと私達はピンクの警棒を持ってる。
Tannrr: 武器は他にもいろいろ持ってる。私はいつでも喧嘩を辞さない姿勢でいれるようにしてる。
Julaya: この前の夜は止めに入ってくれたけどね!(笑)
Tannrr: あれは私がバンの中で荷物を詰めてたら、ある男とJulayaが揉めてて、彼女が”What the fuck?”って言ったのを聞いて。それで何かいい武器はないか結構探したんだけど何も見つからなかったから、ただ止めに入ったら結局何も起こらなかった。
Julaya: Tannrrはケンカしたがりだけどね。
Tannrr: 私は…DTF(したがり)だから(笑)。若い人達はそういう風に言うんでしょ?(Down To Fuck =ヤリマン/チン的な意味。ここではDown To Fightでケンカしたがり的な意)
Jake: ケンカこそ若さを保つ秘訣。
Sadie: この前バーで男にパンチを食らわしたの、だってミソジニストのアホだったから。”カス”って言うのをやめないし私の頭をボトルでかち割るぞって脅してきて。そしたら友達のMamboが立ち上がって”彼女を脅してんのか?”って言ってくれて。そんな揉め事があって一旦は収まったんだけど、私達が帰るときにそいつが自分のガールフレンドに顔を近づけて喚いているのを見てたら、そいつもこっちを見返してきて。それで自分の股を掴んででかい喘ぎ声を出しながらそれを私の方に向けてこすりつけてきたからそれでスイッチが入っちゃって。そいつの方に行って服の襟をつかんで顔面にパンチを入れてやったの。めっちゃ気持ちよかった。
Julaya: 私は自分の人生で今周りにいてくれている、まさにこういうグループの人達に囲まれていたかったんだと思う。もし私が誰かと喧嘩する羽目になっても、起きたことに疑問を持つ人なんて誰もいない。みんなただ私の味方になって守ってくれる。
Sadie: あの日の喧嘩でも、私が今まで感じたことのないほど強くみんな私の味方になってくれたし、それにはすごくエンパワーを感じる。なんていうか、私は自分のことを擁護していいんだ、みんなも私を擁護してくれる、という感じで。 私は本当に良いガール/フェミクルーを持ててると思うし、今までそういう人達がいたことはなかった。昔も私をかばってくれる人はいたけど、それはパターナリスティック(強い立場にある者が弱い立場の人を守るといった父権主義的な)な感じがしたし、若干上から目線的な的な感じで”おお、彼女は自分の面倒が見れないのか”とか”おお、彼女は俺達が守るべきホモだ”みたいな。でも今は(味方になってくれるのが)実在する女性やクィアの人達で、それはすごくクールなこと。
Julaya: そう。私達はお互いにプレゼントとして武器をたくさん贈り合���てるの。
MRR: ワオ、すごく感動しますね、このバンドから1万のガールギャング達が出てくることを望みます。軽視されてしまう立場のジェンダーでありながら、悪びれることなく堂々とスペースを要求すること、抑圧に対して直接行動をとること、そしてシス/ストレート/白人一般からの罵倒には甘受しないことについて思い起こしました。嫌がらせをされたときに相手を非難するというだけではなく、彼らがもう誰かに危害を加えようと考えなくなる所まで怖がらせるという。
Sadie: 今私は喧嘩ができる!って徐々に実感してきてる。すごいことだと思う。
Jake: (確保すべき)”安全な空間”といったコンセプトの主流なものはすごく限定されていて、それだと常に守りの側に立たされてしまう。 根底にある思想は行動を信用していない人達に対して要求する、というものだしね。昨晩のショーでSadieがMCで「ここは安心してビッチになれる空間だから…」って言ってて(笑)。安心して猫も被れないような人達を信用しようとするのではなくて、安心してバッドな自分をさらけ出せる人達を信頼してクルーを受け入れること、それはつまり安全な空間というものを(守りではなく)攻めの形態として見ているようだし、小さな場所を死守するというよりむしろ空間を(積極的に)取っていくことのように思えた。
MRR: それは“デンジャーゾーン"のコンセプトと似ていますねー抑圧的な行動が危険だとみなされる空間のことです。 クズみたいな振る舞いをするには危険な場所、なぜならその行動が悲惨な結果をもたらすことになるから。ここにいると危険だから来るな、姿を現すな。ここ以外の場所はあなたにとって安全な場所なんだから、私達だけの空間を確保させてくれ、といったものです。
Julaya: 私はこのバンドが、何に対しても申し訳ないような気持ちにならなくていい初めての場所だった。あとさっきも言ったように私は多くの白人男性と話し合いをしてきた。彼らは「このせいで俺は抑圧されてると感じる!」と言ってきて、謝罪か「あら、あなたはこの場所で安全だと感じていないのね、どうにかしなきゃ」と言ってもらうのを期待している。でも私や多くの友達は「謝る必要もないし、変えるつもりはない。我慢して!ようこそ、私の毎日感じている感覚へ。いいから我慢して。」と返してきた。これはすごく大事なことだと思う!
MRR:あなたがそう言うとき彼らはどういう顔をするのですか?
Tannrr: アホっぽい犬みたいな?(笑)あともう一つ特筆すべき重要なことがあって… 私達にはB.L.O.G.S.があるの。Boys Living on G.L.O.S.S.’s Shitlist。書き出してはいないけど、許さない男の子達のリストのこと。
Corey: リストは日に日に長くなってる。
MRR: Julaya、あなたは今以上にバッドになるつもりですか?
Julaya: そのつもりはないけど。フェイスタトゥーとかならやろうかな…(笑)。
MRR: G.L.O.S.S.の将来の予定は何がありますか?このまま大暴れし続けて、ハードコアから全ての男性を追放する、とか?
Sadie: イエス。
Julaya: イエス。
Corey: そう、私達のデモの7”がTotal NegativityとNervous Nellyから出るのと、テープがNot Normalからリプレスされる予定。
Julaya: 7”はヨーロッパでもSabotageから出る予定。
Sadie: レコードは、Jakeのレーベルとクィアやトランスをはっきり表明している他のレーベルの共同でリリースするんだけど、私はこれも本当にクールなことだと思ってて。多くのハイプでトレンディな”man-hardcore”レーベルから出さないかって話を持ちかけられたけど、私達は全部突っぱねた。私にとって大事なのは、私達がそういう誰も聞いたことのないようなレーベルやハードコアの人達が気にもしないようなレーベルを拡大させ、宣伝することなの。今は「ハハ、このレコードは超クィアなレーベルからしか買えませんから」って感じ。これは本当に最高。
MRR: あなた達はハードコアにおける支配的な”マン”カルチャーを破壊しているのですね。
Sadie: ハードコアの支配的なマンカルチャーを破壊することに関してもう一つ言わせて。私達はうっかりしててツアー用に作ったテープの数が少な過ぎたんだけど、Youth AttackのeBayグレムリンシットみたいにバンドの宣伝目的のために(需要に対して)不足気味にマーチを作るのはハードコアの世界ではありがちなことで。(Youth Attack recordsの小ロット生産の限定マーチがebayで出回っていることを揶揄していると思われる)(私達のテープが少なすぎたのは)完全にただのミスなの、一体どれだけの人がテープを欲しがるのかわからなかったし。私はむしろテープはフリーで配ってもいいと思ってる。
私達は今日ドーナツショップで2人のAFABベイビーパンクスを見かけたの。(AFAB=Assigned female at birth:出生時に女性とされた人で現在トランジェンダーやノンバイナリーの人を指す)彼らは12歳くらいで、一人は半分ヒョウ柄、半分タータンチェックのパンツを履いててVirusのパッチをつけてた。私はバンを降りて2ブロック走って彼らにテープを渡しに行ったら、めちゃくちゃ喜んでくれて。私達にとってはYouth Attackのネット弁慶なんかよりもこういうことの方がはるかに大事なことなの。私達が意図的にテープを少数生産したんだとは思ってもらいたくないー本当にみんなに一つずつ持っててほしいと思ってる。
Jake: 私達、このインタビューで敵をどんどん増やしていってるよね…
Sadie: じゃあ、あと30秒で敵に回しておくものは他にある?
Jake: ファックNoisey、ファックImpose、ファックStereogum.
Sadie: ファックViva La Vinyl.
Jake: ファックTurnstile.
Corey: ファック”マックルモアヘアーカット”、あと”za”。
Sadie: ファック、コーヒーにうるさい奴。
Tannrr:ファック、チップをあげないパンクス。
Jake: ファック「ブラジルから来た少年」(映画)。
Sadie: ファックPitchfork、ファック、ローカルビジネス。
Tannrr: ファック、リサイクル。
MRR: 終わりにはポジティブなことを書いておきたいのですが、ちょうど今あなた達が最高だと思っていることは何ですか?
Julaya: 多くの有色人種の女性が私達のショーに来てくれることが最高に嬉しい、オリンピアでは特にね。私達は数週間前にある男の子の家でプレイしたんだけど、前の列はアジア人の女性ばっかりで、私の心はとてもいっぱいになった。あとCowboyも最高、オリンピアで最高のバンド!あとブルーのアイブロー!
Corey: 私は完全に振り切ってるバンドにいれるってことが最高。私達は何度も傲慢なクズ野郎をショーから追い出してきたし、安全な空間を確保するためにベストを尽くしてきた。正当な怒りを持って、必要なときに私達のモラルを発動させる、そういうバンドの一員でいれることは本当に最高。
Tannrr: 私は友達のMariaが言ってくれたみたいに「またパンクが好きなった、G.L.O.S.S.のおかげでまたパンクに興味を持つようになった」っていろんな人に言われることが最高。あとFacebook上で私と繋がってるキッズがどれだけフェミニスト/クィアのハードコアバンドをやりたいかってポストしてるのも最高。私はパンクが誰かにとって実際に意味のあるものになり得るという事に本当に興奮してる。あと、G.L.O.S.S.のおかげでメイクが捗ることもね。
Sadie: 私達は中西部や南部の小さな町に住んでる多くの若いトランスウーマンから連絡をもらってるの。 ある子からのEメールには「父に私がトランスってことを理解してもらえなくて、自分の服を全部捨てられちゃう。だからこの家から出たい、私の町にも来て。」と書いてあった。個人的に私達がそういう場所を訪れることは本当に重要で、そういう町だとショーに10人くらいのキッズしかいなかったりするけど、彼らにとってはとても���アルですごいことなの、ハイプなフェスに出てプレイするよりもよっぽどね。そういう(フェスに出る)のも楽しいけど、小さな町に行って本当に真剣な繋がりを持つ方が私にとっては大事な事なの。だから私はそういうことが最高だと思う。それと多くのガールタイムとフェミのバイブスを定期的にゲットできるバンドにいれることも最高。それからちょうど今ハマってるバンドは、ポートランドのSteel ChainsとSpetsnaz、ボストンのLeather Daddy、あとニューヨークのIn Schoolってバンドかな。
Jake: 私はハードコアやパンクにまた興味を持ってくれた人がいるって話がすごく嬉しい。多くの人もこう思ったことがあると思うけど、”もうどうしようもないし、自分にとって大事なことだとしてもこれは完全に諦めた方がいいのか?それとも一か八かでも意味のあるものを作ろうとした方がいいのか?”って何度も思った。(物事に)トライすることは(流れに逆らって)あえて難しい道を選んでいる気がするけど、私達はうまくいってると思う。だからすごく嬉しい。(トランスジェンダー当事者等)そういう人達に「おかげで自分にとってパンクが意味のあるものになった」と言われるのが一番嬉しい…いや…「自分自身に意味があると思えるようになった」って言われたのが今までで一番嬉しかった。
MRR: 昨夜のライブでも ”I fucking love being a trans woman!” と叫んでいた人がいましたね。
Sadie: あれは本当にすごかった。あの瞬間、私は圧倒され過ぎてどう反応したらいいかわからなかった。それで後から一人になったとき、”あれなんだったの?”って振り返り始めて。あれは本当にやばかった。私はこのツアー中、何度も泣いてる。
Jake: 2015年に入って私が一番やばいと思ったバンドはシカゴのDominadora。まだ20秒くらいの練習動画しか見れてないんだけど、あれはベストになるって確信してる。あとシカゴのthe WrongとボストンのLeather Daddyも。
それとブラックコミュニティに対して今も続けられている警察の暴力へのレスポンスとして、2014年にハイウェイを封鎖したり、破壊工作や警察に抵抗している人達を見るのは信じられないくらい触発された。2015年はこういったことや、レイシズム、家父長制社会、資本主義に対するあらゆる形の抵抗をもっと見てみたい。
MRR:最後に何か言っておくことはありますか?
Corey: 私が言っておきたいのはこの変な感じ、友達同士の私達がただ音楽をやってるだけで、周りの人々がとてもエキサイトし始めてるってこと。
Julaya: これは私にとって初めてのバンドで、ベースをプレイしたのも初めてだし、そもそもライブできるとすら思ってなかったし…。
Sadie: このバンドはとそれほど純粋に始まったの。私達はみんな本当に最高で、良いコミュニケーションがとれているし、一緒に遊ぶのも本当に楽しい。バンドの練習でたくさんキャンディーを食べたり喋ったりね。とてもくつろいだ気分になれるし、何よりもこれ以外の他のことは全部素晴らしいおまけってこと。何か最後に言うことはある?
Corey: Bad girls have each other’s backs!
2015年5月のMaximum RocknRollのインタビュー記事より
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arsemard · 7 years
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Interview with Jeff Caffey, Creator of Olympia Hardcore
まずはじめに、あなたは現在どういったバンドに携わっていますか?
今やってる主なツアープロジェクトとしてはGAG、Angel Du$t、あとOdd Man Outだね。Turtle Neckってバンドもしてる。それとBad BloodとMongrelっていう二つの遠距離プロジェクトにも関わってて、これは想定してなかったけどパッと立ち上がったプロジェクトなんだけどね。それから他のバンドのサポートもよくしてるし、常に曲は作ってるよ。あ、それとStand Upでもプレイしているね。
あなたはオリンピア出身ですか?
そう、オリンピア出身だね。(カナダの)リッチモンドで育ったんだけど、その後養子にとられてユースの頃にオリンピアに戻ってきてからずっとこっちにいるよ。
OLYMPIA HARDCORE FEST(OHC)はどのようにスタートしたのですか?あなたが全てを仕切っているように思ったのですが。
そうだね、ブッキングとオーガナイズは基本的に全部僕がやってるけど、もちろん誰の助けも借りずにってわけじゃない。ここオリンピアと周りの友達はみんな最高で、とても協力的なコミュニティだ。彼らの協力なしには実現できなかっただろうし、北西部がこれほど突出して活気あるエキサイティングなシーンでなければ、こんなに面白いものにもならなかったと思うよ。
どうやってスタートしたかについて話そうか。僕はNew Direction Festというハードコアパンクフェスを主催する集まりの一人として動いてたんだ。このフェスはただバンドがライブするだけじゃなくて、カウンターカルチャーの基本にフォーカスしたワークショップなんかもあってね。ブッキングに関しても(バンドの)場所は問わず、ポリティカルな活動を基礎に置いてたりその価値観に共感できるバンドにオファーをかけていた。そのフェスの集まりはもう解散してしまったんだけど、メキシコの友達がやってるBrigada Rojaってバンドをいつかまた呼ぶと約束していてね。そのあと何もすることなく1年が過ぎてしまってこれはマズいと思って、2014年の夏にOHCをやることを目指して2013年からオーガナイズをし始めたんだ。Tercer Mundoの7インチを聴いたときにケツに火をつけられた気持ちになったんだ。現行のハードコアで最重要バンドの一つだと確信したよ。
それで1回目のフェスに出てもらうために彼らにコンタクトをとって飛行機で来てくれるようセッティングしたんだ。”フェス”って言い方はあんまり好きじゃなくてそう言いたくないんだけどね。(OHCはフェスというよりも)世界中から友達に来てもらって少し大きめのショーをやってるというだけで。それに、前の集まりが解散した理由は2年目にたくさんバンドを呼びすぎてみんな無理し過ぎちゃったからね。そのうち一つにはOi Polloiのアメリカ初ツアーなんかもあったんだけどね。でもまずはHayes, Mircé, Corey, Joey, Ian, Jake, それに受付をしてくれたり、軌道に乗るよう助けてくれた人、自分が望む以上のサポートをしてくれたりしてオリンピアのシーンで本当にクールなことが起こる手助けをしてくれたみんなには感謝してるよ。
ハードコアシーンにおいて、何がオリンピアをこれほどスペシャルなものにしているのだと思いますか?(オリンピアは)多くの素晴らしいバンドがものすごい勢いで出てきてきて、ほとんどクレイジーだと思います。
(オリンピアは人口規模でいうと約5万人ほどの都市)
オリンピアはハードコアパンクにとってパーフェクトな環境がある場所だ。ラディカルな政治色が強くてコミュニティ志向の都市だしね。それに働かなくてもとても暮らしやすい所だし、共同生活で賃貸することも楽にできる。(生活の)ペースがゆっくりしているから必然的に内省的になるし、もっとコミュニティを作ったり関わるようになる。(イベント等の)スペースを自分で始めたり、バンドでジャムッたりもできるし、もっと自分のしたいことをするようになるんだ。それが良い労働観(good work ethic)を培ってくれる。なぜなら物事が起こるよう自分で動かなければならないからね。自分が何も持っていなければ、頑張ってツアーをしたり自分の街で何かが起きるよう動いたり、何か価値あるものを作らない限り、どのバンドも来てくれない。わざわざ12時間もかけてドライブしてね。
(オリンピアが)ハードコア第一世代の”ルーツ”的なフィーリングを維持し続けるパーフェクトな場所であるというのには多くの要因が絡んでる。ここにはシニシズムと自分の技術を磨くっていう気風がある。コミュニティがミュージックラバーの集まりだから、ジャンルに関して精通した音楽を作るしね。スタートしたばかりのバンドでさえそういう精神は持ってるし、人の心を掴むバンドを作る必要がある。
オリンピアを褒めてばかりだけど欠点もあるけどね。バンドを発展させようと思ったらもっと情熱とスパークをもってめちゃくちゃ努力しないといけないとかね。大きい都市だとバンドもパッと組めてすぐにそれなりの成功も得られるかもしれないけど、それだとありふれたつまらない音楽しかできないんじゃないかな。僕は初めて西海岸ツアーをやった17歳のときから自腹でやってきた。そしてそれを変えるつもりはない。だから同じパッションを持ってるようなバンドをますますサポートしたくなるんだ。
(そういった各シーンの違いは)バンドの売り上げにも関係していると思いますか?
もちろん一つの要因だと思う。ハードコアのマーケティングはここ数年でソーシャルメディアの影響が増してきたし、これはモダンなトレンドだと思うね。パシフィックノースウエスト(太平洋側北西部)は素晴らしい場所だ。多くの人が強烈にハードコアに入れ込んでいるし、いつも自分たちの友達を連れてきてくれる。OHCはここオリンピアでやるからこそこれだけクールなものになるんだと思ってるよ。
では昨年のOHCのハイライトは何でしょう?また今年楽しみにしているものは何ですか?
去年は嵐のように凄まじかった。正直ちょうど今職場にいるからあんまり思い出せないけど、Bugg、GemとMilk Musicは一番エキサイトしたセットの一つだね。G.L.O.S.S.はもちろん制御不能なほどだったし、GAGがピザ屋でプレイしたのも地獄と化していた。あとMPKを初めて見たけど、期待を遥かに上回ってとてつもなかったね。
僕はいろんなものにとてもニッチな愛をもってる方だから、一番エキサイトするのはいつもフェス(で呼ぶアクト)ってわけじゃないけどね。覚えてるのはインディアナからマークが来てDLIMCをやる予定だったんだけど、彼はシアトルで立ち往生しちゃって来れなくて、とてもガッカリしたことだ。彼らは今年オースティンのJuan’s Festに出るはずだから、この地球のどこかで彼らが見れるっていうのは最高に嬉しい。あとCCTVのラストショーもとんでもなかった。
今年はまだ全然考えられないけど、めちゃくちゃエキサイティングなものになるのは間違いない。メキシコシティからRiña、ロサンゼルスからP-22が来るんだけど、オリンピアには絶対ハマるバンドだと思うからとても楽しみだ。アナウンスしたバンドが全部思い出せないくらいだよ。あと(去年のは)Rik and the Pigsが通りでプレイしたのもめちゃくちゃヤバかった。
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全てのショーで安い値段をキープするのは大変ではないですか?あなたは世界中からバンドを呼んでいますし、とても費用がかかっていると思うのですが。ファンディング等でお金を集めたりもしているのですか?
僕はすごく恵まれてて多くの友達が積極的にそのタイミングでツアーを組んでくれるから、自分で手配するバンドは手で数えるくらいなんだ。僕はお客さんが僕の友達のマーチやイベントのインフラにお金を払って、十分それが還元されている(つまり赤字が出ていない)と信じている。僕はいつもアフターショーを開いたり、オールドスクールなことを続けていたり(?)、いつもやばい音楽をかけてくれる地元のDJや、ドアマンをしてくれる人、必要な備品を貸してくれる人たちにちゃんとチップを払ってるよ。
もちろん資金の大部分はツアー中のバンドにいくし、あとの残りは飛行機で来てくれたバンドやローカルのバンドに渡る。だからフェスとは言いたくないんだよね。一回のギグでアホみたいに高いギャラを要求するバンドなんて必要ないような類の音楽をサポートしてるわけだから。
“サポートする”っていうことは失敗を避けるただ一つの方法だし、僕がとてもクールだと思ってるイベントに、みんながお金を払ってくれることにはとても感謝してる。みんなが僕と同じものを好きになるのを期待してるわけじゃないんだけど、僕は本気で自分の友達の作る音楽が何よりもクールなものだと思ってる。
それはもちろんだと思います。それに安い値段をキープするのもとても重要なことですし、もしそうでなければもうそれはハードコアとはいえませんよね。OHCはまだしばらく続けるつもりですか?それともいつかは終わりを考えていますか?
僕は現状通りハードコアを脅かすような資本の支配を避けることが重要だと思っている。たとえ僕たちがお互いに売り合うようなバカみたいな方法だったとしても、そこにはパッションとエナジーが一番最初に来るべきだし、どういった形の金銭的やりとりであっても本来は偶発的なものであるべきなんだ。僕たちがこういう(資本主義的な)世界で生きていると言えどもね。
(OHCについては)僕がインスパイアされなくなるまで続けるつもりだ。今年はとても精神的に疲れることが多いけど、まだ情熱を持ってるから大丈夫だよ。腹黒くなって誠実さがなくなってしまったらもう潮時だと思うけど、そうなる日まではね…。
私たちは大学ラジオなので、これは聞いておかなければなりません。ちょうど今あなたが聴いているもの、また今聴いておくべきものを教えて下さい。
ちょうど今聴いているのはDusty SpringfieldとJay and the Americansだね。今朝早くは仕事をしながらChuck BerryとLittle Richardのプレイリストを聴いてた。でもハードコアに絞るならDCのTrash King Productionsから出るProtesterの新譜を聴いてたよ、強烈だね。それと今でも僕らとやってくれているCold World。Trapped Under Iceの新譜もクールだし、Angel Du$t用の新曲のアイデアも頭の中にあるんだ。
Lower Speciesは天才のCapt Trippsと共にHigh Command (オリンピアのレコーディングスタジオ。(おそらくオリンピアでDJもしている?)Capt Trippsがエンジニアを務める)で新作用のレコーディングを終えたところだ。Odd Man OutもLPが出るし、 Phoebe とNot ShitのデモもSoCal rockから出る。Innumerable Forms もLPを出す予定だし、Stand Upも今新曲を書いてる。 
Mala Rachaは超越したスピリットを持ってるし、このバンドは北西部から出てくる何万もの新しいプロジェクトに匹敵するから待ちきれない。CrimenもManic Relapse Festで再結成するし、これもCintas Pepe Recordsでは好きなバンドだから近くにきたらぜひ見てほしい。ここオリンピアでも日本のSystem Fuckerと一緒にプレイするんだ。Qloaqa LetalもManic Relapseで再結成するし、これも本当に信じられないバンドだから見逃さないでくれ。
それとSummer Breezeっていうヒューストンの新しいイベントにはNot Dead Yet FestとDameged City Festと同じくらいチェックしておいてほしい、僕たちもプレイするんだ。それじゃまた。
2017年4月30日 KUPS 90.1FM TACOMA “THE SOUND"(ピュージェットサウンド大学の大学ラジオ)のインタビュー記事より
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arsemard · 7 years
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全ての曲は怒りで満ち、猛スピードですぐに終わる。数十年前からこうだったし、現在もこのままだ。ギターは空気を裂き、リズムセクションは時間と格闘する。フロントマンはそこに穴を開けようとするかのように天井をじっと見つめる。8分が経過しライブは終わった。
場所はワシントンDCのBlack Cat、バンドはKombat、ジャンルはハードコアだー パンクロックを更に加速させたその後継型は、80年代初頭にここDCで爆発した音楽だ。Bad Brainsによって発明され、Minor Threatによって普及されることになるハードコアは、パンクの持つ冷笑的な敵意から更に怒りを先鋭化させ、アメリカのアンダーグラウンドシーンにおいて爆発的な速度で広まっていった。30年以上を経た今、ワシントンのハードコアシーンは洪水のように押し寄せる若いバンド達によって再びまた盛り上がりをみせている。
端から見ればそれは過去の再現、単なるリバイバル、子供じみたノスタルジアに映るかもしれない。しかし近くから見てみると、それはまるで最盛期の地域の伝統行事のようだー結束の強い新世代のパンクス達は、並外れた自己認識によって受け継ぐべき音を選別する。そしてシーンの内側からは、”今”という時間こそが核心だと感じる。
「みんな昔のことはとても意識してる。」とAce Mendoza(22歳)、ワシントンで最も精力的に活動するいくつかのバンドでプレイしている彼は言う。「でも僕らは今を生きなければならない。(昔とは)同じじゃないってことを理解しなきゃならない。」
真に”今”を生きるということは(永遠に)続くものは何一つないということを知ることだ ーそれは今日のハードコアが、音楽の腐敗しやすさへの鋭敏な認識と比べて、(過去のハードコアにはよくあったような)思春期的な反応とはさほど関係がないという理由を説明してくれる。キッズ達はハードコアの歴史をよく知っている。彼らはこの瞬間が連続する瞬間のうちの一つに過ぎないことを理解している。しかしそれでもなおこの瞬間は自分たちの番なのであり、また自分たちだけのものだ。
この達観しているような彼らの禅的思想は、シーンのシティズンシップとして至る所に流れているようだ ー燃えるような目をもつKombatのボーカル、D.J. Doroheng(23歳)もそうだ。4月のBlack Catでのライブでも、Kombatがショー毎のみならず曲毎に成長していっていることがはっきりと感じられた。しかしバンドの10代のギタリストDaniel Peñaは、高校を卒業する予定であり、つまりKombatはおそらくこの夏(2016年)以降活動しないということを意味する。しかしDorohengはそれについて不満はないようだ。
「いくつかのバンドは、将来自分たちがどう見られるかってことを気にしてるように思う。」と彼は言う。「俺はむしろ記憶に残らなくて構わない。」(Kombatはその後2017年6月にも新譜をリリース済。)
ハードコアの音自体は長年に渡って変わっていない。今なおギター、ベース、ドラムと人間の声を要しハイボリュームでハイスピードだ。その精神も変わらない。現在もシーンは依然として堅固なDIY精神で動いており、曲そのものは外の世界への軽蔑で燃えている。しかしハードコアは本質的にパーソナルな音楽だから、21世紀のシーンを取り巻く現在の状況がそこに新鮮さを持ち込んでいると言える。昔ながらのサウンドは若者達の指紋で覆われているのだ。
3月、DCのコロンビアハイツの地下にあるバー、ワシントンのAll Ages(=年齢制限なしの)シーンの中核を担うPinch ーそこではStuck Pigsがその非凡さを力業で体現していた。曲は驚くほど速く、メンバー4人がそれぞれスピードの限界を突破するかのようで、バンドが一体となって放出するエモーションがプレイヤーのテクニックを凌駕し始めるほどの驚異的な状態に突入していた。ここにハードコアという音楽のマジックがある。それが人々を動かす。
Pinchは居心地の良いバーだが、オーディエンスがモッシュを始める度に空間は暑く狭苦しく、まるで電子レンジのポップコーン袋のようになる。リノリウムの床がシーソーになったかのように人々は左右に押し合う。彼らは部屋の反対側に突っ込むためにしかめっ面をして、ぶつかった時に微笑む。乱闘のようだがこれが親交のポーズなのだー男女が入り混じったオーディエンスは、怪我ではなく人との触れ合いを得ようとしている。
全員10代のハードコアバンドBust Offのボーカル、Rael Griffin(19歳)はショーのピットで一番最初に目に入る一人だ。シーンの多くの人間と同じく、彼はステージの上でも下でも、音楽に全身で入り込もうとする。 「自分にとってとにかく興奮する音楽なんだ」とGriffinは言う。 「誰かがスラムダンスでぶつかってくるのを感じると、自分が本当にそこにいると理解できるんだ。」
どのタイプの音楽でも自分の存在というものを確認させてくれるものだが、ハードコアではそれが特に顕著と言える。モッシュピットが周りの人間を絶えず掻き回していれば、衝突に対しては体全体で対処する必要があり、空間にいる全員がその瞬間物理的に繋がることになる。スマートフォンに見入っている人間は誰一人いない。
これはキッズ達がインターネットに疎いということではない。むしろ彼らはハードコアのあらゆるスタイルに精通しているーフロアを見渡せば、カラフルなバンドTシャツ、黒のパーカー、鋲を打ったデニムジャケット達が夢中でサークルピットを渦巻いているのが見える。
Leo Denegro(18歳)をピットで見失うことはない。鮮やかなブルーで縁取りされた黒いレザージャケットが、脱色した彼のスパイクヘアーによく似合っている。まるでワシントンのオリジナルハードコアシーンを記録した写真集「Banned in D.C.」のページからダイブして飛び出してきたようだ。しかしDenegroは自分自身をリバイバルというより、連続しているものの一部と見ていると言う。 「ハードコアはそれ自体が生まれ変わるものだ。自分達はコピーがしたいんじゃなくて、自分達のものにしようとしているんだ。」  
この当事者意識はとても誠実に見える。そしてそれがシーンのインクルーシヴィティ(inclusivity: 排他的でなく多様性を受け入れる包括性という意味)の拡大を促し続けている ー今なおシーンの大多数は白人男性だが、1982年の頃よりも少なくなっている。
Pure Disgustのボーカルで、Stuck Pigsではベースを弾くRob Watson(23)は、自分がワシントンのハードコアシーンで唯一の黒人ではないことに気づいて安心したと語る。「今はあらゆるバンドにクィアの人、女性、POC(people of color=有色人種)の人がいるし、彼らは自分たちと同じような人達のために音楽を作っている。」と言う。 「ハードコアやパンクはインターネットによって以前よりもアクセスしやすくなったから、みんな自分自身と同じような人間を見て”自分にもできる”と考えるんだ。」
そう、インターネットはよりハードコアへのアクセスを容易にしたー他の全てのものと同様に。今やユースには無数のバラエティに富むあらゆるデジタルカウンターカルチャーが提供されている状態だから、ハードコアは昔ほど多くの若者の耳を引き付けることはなくなった。そのおかげでワシントンのハードコアシーンは以前よりも排他的、派閥的な雰囲気がなくなったと言う人もいる。わざわざショーに来るということは、間違いなくにその場にいたいということだ。 
「今はもうポップカルチャー全部が壊滅的(?)だから、招かないなんて余地はない。」とStuck PigsのSarah Kingは言う。「外に出ることなくオンラインでアイデンティティを形成することもできる。だから不親切にしたり排他的になる余地はない。…目立ちたがり屋のポーザーは今だにいるけど、D.C.の人達はそういう人にも優しいし!」
ワシントンの新たなハードコアシーンはあまりにも民主主義的であり(ヒエラルキーの)頂点も底辺も存在しないが、その中心にはStuck Pigsがいる。このシーンは(バンド同士の)友好的な競争関係ではなく、いくつものバンドが同じ4人のミュージシャンをシェアするという見境のないコラボレーションによって活気づいている。Stuck Pigsのメンバーは他にもKombat、Protester、Pure Disgust、Red Death、Soft Grip、Stand off、Unknown Threat、Zipperでもプレイしている。
しかし各バンドに耳を傾けてみると(ほぼ全バンドがBandcampで視聴できる)、彼らが持つハードコアへの造詣の深さに驚くはずだ。自分たちが生まれる以前にここDCをハードコアの首都たらしめていたバンド達ーthe Faith, Government Issue, S.O.A., Void, Youth Brigadeー のみならずそれに続くフォロワー達にもしっかり精通しているのだ。ウィスコンシンのMecht Mensch、テネシーのKoro、日本のGauze、そして今もyoutube上でその燃え殻が燻っているような80年代の多くのバンドを知っている。彼らが把握している知識のレベルの高さは、各ミュージシャンがバンドによって異なる影響を振り分けることを可能にし、それがバンドによって異なる音像を鳴らすことを可能にしている。
Kombat、Protester、Pure Disgust、Stuck Pigs等で活躍するBrendan Reichhardtは言う。「僕らがこのシーンを牛耳っているとか言われるけど、自分たちはただ友達と音楽をやってるだけだ。自分たちは皆あるメンタリティをシェアしているんだ。人生をハードコアパンクに捧げているっていうね。」
Devotion(=身を捧げること、献身、忠誠という意味)。これがハードコアの最高の美点なのだろうか?これほど短命なものに身を捧げる?Reichhardtは人生の真実について話すように、ハードコアの儚い本質について語る。もしかしたら彼は人生の意味を語っているのかもしれない。
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ある4月の土曜日の昼過ぎだった。アダムズ・モルガンのカルバリー・メソジスト教会で、サンダル姿の中年男がモッシュピットを通り抜けてステージに上がり込み、ショーを止めようとした。男がステージで「演奏を止めろ!」と叫んだのは地元のハードコアバンドCollusionがプレイを始めてわずか数分だった。彼が隣のマンションの住人であるのは明白だった。
オーガナイザーであるChris Mooreは舞台裏で男と冷静に話し合った。彼はこのショーを中止にするつもりはなかった。毎年春に何百人ものファンがワシントンに集うパンクフェス、Damaged City Festの今年最大のライブだった。Moore(29歳)は、フェスティバルの創設者の1人であることに加え、シーンのコーディネーター、守護神として年中パンクショーを企画している。
そしてCoke Bust、Sick Fix を含む多くのバンドでプレイしてきた彼は、ハードコア(シーン)は人の出入りが頻繁なことを知っている。だから彼は、ワシントンでいつでも出入りができるような場をキープしつづけ続けることを自分のミッションとしてきた。「パンクシーンは本当に、簡単に勢いを失ってしまう」とMooreは言う。「人は物事を途中で挫折させてしまいがちだ。だから何度でもそれを元に戻し、プッシュして、みんながエキサイトするようトライしなきゃならない。」
そのためか、今日のハードコアは社会に牙を向くよりも自己保存により関心があるようだ。このジャンルのパイオニア達は、レーガン政権下において大胆なポーズとBPM170のビートでメインストリームカルチャーを崩壊させようとしていた。しかし今やインターネットによってそれは完遂されてしまったように見える。
Damaged City Festでの激しく偏狭なパフォーマンスを見た後、今日のハードコアが世界を変えることはないというのを理解するのは簡単だ。しかしあなたの人生を変える可能性はある。
ハードコアは間違いなくウラカミコウヘイの人生を変えた。 21歳の彼はずっと前からパンクバンドで歌いたいと思っていたが、Damaged City Festの最終日、わずか6分弱でその人生の目標を達成した。 4年前に大学に通うために日本からワシントンにやって来たウラカミは、最近Zipperを結成した。Mendozaがドラム、Dorohengが初めてのギター、ベースはG.L.O.S.S.のJulaya Antolinだ。(Zipperはおそらく既に活動停止しており、現在は羅生門で活動中。)
Damaged City FestでZipperが放った3曲の爆撃は、おそらくフェスティバルで最も短いセットにも関わらず、間違いなく最高だった。彼のバンドメイトが音を出している間ウラカミは完全に日本語で叫んでおり、ハードコアが究極的には独自の音響言語であることを証明していたーそれは完全なカタルシスを瞬時に伝える。 
「まだ始めたばかりなのに皆こんなにハマってくれるなんてすごくクールだ。」ウラカミはそう言って、怒っていた口からは笑みがこぼれていた。「それを実感してる。」
2016年5月12日 Washington Postの記事より
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arsemard · 7 years
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40 Years of Women in Toronto Punk: APRIL - SHEQUALIZING DISTORT
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MARJIE FRANCIS, ZOË DODD, SARDÉ HARDE & CHLOE RINGE
自己紹介と、トロントパンクシーンとどのように関わっているのかを教えて下さい。また誰と一緒に写真に写っていますか?
SH: 私はSardé。Not Dead Yetフェスの共催者で、 Shequalizing Distortっていうラジオをやってる4人のうちの一人。そしてローカルのハードコアパンクのギグに行く準レギュラーってところ。6年前にプレーリーからトロントに引っ越してきたばかりだから本当にただの田舎者。(Shequalizing Distortは、おそらくgauzeのEqualizing distortをもじっていると思われる)
ZD: 私はZoe。トロントパンクシーンでバンドを泊めたり、バンドをやったり、ショーを手伝ったりしてて昔はもっとアクティブに活動してたけど、今はカジュアルなお客さんでたまにバンドが泊まる場所を探してるときは泊めてあげたり、DJをしたり、私の素晴らしいガールフレンドたちとshe-equalizing distortを一緒にやってる。
CR: 私はトロントでのたくさんのパンクショーに協力してるのと、Not Dead Yetも毎年やってる。私はShequalizing Distortのメンバーでもあって、他の3人と一緒に写真に写ってる。
MF: 私はMarjie。ここ5年くらいトロントに住んでて、その前はモントリオールに住んでたんだけどオンタリオで育ったから13歳の頃からトロントのギグにはよく通ってた(ママには言わないで)。私はギグに行ったり、このカレンダー作りに協力したりしてるのと、レギュラーsheXdクルーの一人。あ、あと毎年Not Dead Yetもしてる。
パンクにハマったきっかけは?今でも繰り返し聴き続けているレコードは?
SH: 私は人里離れたなんにもないど田舎に住んでて、ムカついてて退屈してた。グランジとかメタ���を聴いてアドバスターズマガジンを読んでるような12、13歳の子供が、パンクにハマることは本当に自然なことだった。今でも聴くレコードなんてたくさんある。1つだけなんて選べない。
ZD: 私は小さい頃にRamonesやブロンディをラジオで聴いてて、貯めてた小遣いから彼らのレコードを買ってた。私は80年代に育ってパンクはかなりメインストリームだったんだけど、多分11歳くらいの頃に、嫌いなんだけど一方でスゴイとも思ってた私の姉を通してパンクにハマった。私たちはエドモントンに住んでて彼女はモッズだったんだけど、私が一番クールだと思ってた多くのパンクスと友達だった。当時、初めてパンクショーに行ったのが12歳くらいだったと思う。それでものすごく音楽にハマってゴス、ニューウェーブ、パンク、ポップパンク、メタルなんかを聴いてて、母が勤めてた映画館の隣あったローカルなレコード屋に行ってた。90年代後半にトロントに引っ越して、それからシーンにもっと深く関わるようになった。2000年代始めの頃まではシーンには女性が多くなかったし、本当に小さくなってて、私はショーをオーガナイズしたりバンドをプレイしたりして貢献することにモチベーションを感じてた。それでそれ以来ここのシーンの一員になった。今でもよく聴くのは Rudimentary Peniの”Death Church”ね。このレコードが大好きだし今でもフェイバリットの一つね。
CR: 私はトロント生まれだけど育ちはクソみたいに小さい街で、子供にとって”悪ガキ”になる以外することなんてなにもなかった。16歳の頃にはショーを見るためにグレーハウンドバスに乗ってトロントに行ってた。
MF: 私には9歳年上の兄がいて、世界で一番クールな人間だと思ってるんだけど、その兄がハマるものならなんでも後を追った。ギャングスタラップとかスケートボード、ニールヤングからタイダイ、そして最終的にパンクロック。(今でもよく聴くレコードは)兄と二人で決めたやつで、XのWild Giftね。
女性らしさはあなたの仕事、音楽、プロジェクトに影響を与えていると思いますか?そしてその理由は?
SH: もちろん!年齢を重ねるにつれて実感するようになったし、男性が数で勝ってるような状況にいつもいたから、自分を小さく感じたり私の意見を真剣に受け取ってもらえなかったりってことについてよく考えるようになった。大事なことは女性として声を大にして主張する場を確保すること、自分の考えや洞察を発信すること、そして絶えず逆境に直面している他の女性に協力的でいること。私が自分の人生のあらゆる面でトライしているのはそういうことね。
ZD: 女性であるってことが、シーンにもっとアクティブに関わりたい、貢献したいっていう動機になったのは間違いない。ものすごく男性支配的な(昔はそうだったし今もそうなり得る)シーンにおいてね。当時トロントでショーをアテンドしたり、音楽をプレイしたりしてる女性は私たちくらいですごく少なかったけど、2003〜2004年あたりからたくさんのバンドで女性がプレイするようになって。私にとって他の女性との関係は、人生において常に不可欠なものであってきたし、この社会において女性であるということのネガティブな面は無視できないものがある。そういうネガティブな側面っていうのは、私の携わってきた仕事、音楽、プロジェクトにおいても大きな影響を及ぼしてきたし、もちろんそれがモチベーションの要素にもなってきた。
CR: 私はライブに行ってても、誰かと音楽の話をしてるときでも、下らないサブカル的な暇つぶしをしてる最中も、自分の”女性らしさ”(それがどういう意味であろうと)を痛いほど感じてる。たとえ誰かが私を真剣に扱ってると感じても、頭の中に小さいアスタリスクがある感じ。私はいいと思う人としか付き合わないし自分の周りにはいい人ばかりだけど、それでもパンクにはとても多くの恥ずべき事や行為が常態化してる。“女性らしさ”は、パンクの中での女性のノーマルな役割に反してない限り許容されてるだけ。
不定期に放送してるこのラジオショーは一つのアイデアであり、プロジェクトだと思ってて、というのはパンクに詳しくて真剣さを求める私たちのような人々のためのスペースを確保する方法を見つけたから。そして私たちはこれが好きだし、やめたりしない。
MF: イエス!私がすること全ては自分が女であるってことに影響されてる、それは望む望まないに関わらずね。私は女でいることが好きだし、みんなのことも愛してるけど、私たちが絶えず直面している猛烈にクソみたいなことは困難だけどもやりがいのあることでもあるし、私のすること全てはそれに対抗して生き延びていく過程のように思ってる。サバイブすることは美しい。
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arsemard · 7 years
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音楽は変革である。それはドラムのリズム、ギターの音を通して、文化や思想、感情をふるいにかける。ニューヨークに住むアラブ系アメリカンにとって音楽の愛はハードコアパンクのサウンドだった。そしてついにはそれにより彼の人生は変わることとなる。
ニューヨーク郊外、ヨンカーズ出身のNader Haramはニューヨークのハードコアパンクバンド Haramのボーカリストだ。彼の両親は1980年代に死亡者推定15万人、退去者100万人以上���出したレバノン内戦により難民として亡命した。両親がニューヨークに移った後は、Naderは他の子供と変わらない郊外の普通の暮らしをしていた。しかし多くのニューヨーカーにとって、事態が変わったのは2001年9月11日だ。
「一番最初に校長にクラスから呼び出されたのを覚えてる。」とNaderは述懐する。「D.A.R.E.(=Drug Abuse Resistance Education 薬物乱用防止教育?)の職員が来て、”父さんはどこだ?何の仕事をしている?最近海外へ行ったか?”と聞いてきたんだ。」
母が迎えに来て、車に乗った。僕らはそのまま学校から走り去り、僕は振り返ったのを覚えてる。”何があったの?どういうこと?”と聞くと彼女は”市内で攻撃があって、父さんはそこにいるの。”と答えた。」この日以来、現実離れした出来事が彼につきまとうようになる。
「ここで警官から尋問されて...父がテロリストだとも言われた。一方、父は最初の緊急事態のときにグラウンドゼロで人々を助けていたんだ。」とNaderは言う。
Haram(アラビア語で禁忌の意)は、アラビア語で歌う最初のアメリカンパンクバンドであり、その文化的アイデンティティの最前線にある。
(自分はこういう人間であり、他の人とは違っているという意識が個人的アイデンティティ(personal identity)。それに対し自分が属している集団についての考えを基礎に、自分がその集団の一員であるという意識が文化的アイデンティティ(cultural identity)。)
「10、15年後に振り返った時、僕らは彼らのことを話題にするだろう、少なくともその重要性については。」とCLRVYNTマガジンのJames Khubiarは言う。「ラティーノコミュニティのために20、30年間奮闘してきたLos CrudosやLGBTならテキサスのThe DicksやBig Boysのような、Haramもそういった役割を果たすバンドだと思っている。なぜなら(そういったバンドは)彼ら以前には存在せず、参照点も何もなく、彼らだけだ。」
Haramはボーカル:Nader、ギター:Mike Gallant、ドラムス:James Stuart、ベース:Martin O'Sullivanというメンバーだ。彼らはゴスに影響を受けたハードコアパンクサウンドを持つ。逆なでするようなボーカル、軽快なようで入り組んだリズムセクション、そしてギターは粘ついて脈打つようだ。
2016年8月、ニューヨークのJoint Terrorism Task Force(テロ対策合同部隊)がNaderや彼の両親の自宅、彼の職場を訪れ始めた。8月10日、マンハッタンのコンピューター修理店で彼を雇っていたことがある叔父から電話がきた。調査官がNaderのインターネット履歴を調べにやって来たと言う。彼は父からも家に調査官が来たと聞いた。
それはバンドのツアー初日のことであり、彼らはワシントンDCでのライブに車で向かっているところだった。「俺たちがツアーに出発したその日に(捜査が)あったという事実は、俺たちがその時に何をしているのかわかった上でそのタイミングを選んだっていう風に俺には見える。」とHaramのドラマーJames Stuartは言う。「ただアラビア語というだけでNaderが何か変なことをしているんじゃないかと疑いをかけるに充分だってことだ。あいつらは曲の翻訳すらしていない。(曲のリリックは)アンチ過激派で、宗教とは関係ないようなことばかりだ。そういうこともせずにいきなり彼の自宅の前に現れたんだ。」
1週間後、NYPDの巡査二人がNaderの両親の自宅へやってきて、その後Naderを尋問するため彼の自宅に行き、そこではじめて彼がもうそこに住んでいないということを知った。Naderによると彼らは彼の生活やバンドについて質問し、バンドについて印刷した資料を見せて去っていったという。それ以降接触はない。「俺にとっては今でもとても屈辱的な体験だ。自宅に来たんだ、わかるだろ?」
Naderは自身の経験を回想した。
"Fuck them. I don't care. I still do my thing everyday, and I'll do it every day until I die."
 —Nader Haram
ニューヨークのJoint Terrorism Task Forceは104あるJTTFのうち一番最初にできたもので、1980年に組織された。主要なパートナーはFBIとNYPDだが、50を超える市、州、国家機関もその一部に含まれている。「情報共有が主(な活動)だが、それを超えることもある。実際に行動を共にすることもある」とFBIのニューヨークJTTF副局長Charies Bergerは言う。JTTFのメンバーはニューヨーク地域のテロの脅威に対して行動し、起訴するために活動している。我々はNYPDとビル・デブラシオNY市長の事務所にも取材を試みたが、彼らはコメントを拒否した。
NYPDは���去にニューヨークのムスリムコミュニティをスパイしていたことが問題視された。(AP通信によるピューリッツァー賞を受賞したシリーズにて発覚。)NYPDは市内のモスク、コーヒーショップ、レストランや学生協会に捜査官を送り込んでいた。(ニューヨーク市立大学のレポートを参照)
市長のビル・デブラシオはその後、イスラム教徒を不公平な監視から守るために連邦裁判官を任命した。「これはムスリムの監視が終わったことを意味するのか?もちろん違う、Naderの身に今起こっていることについては特にね」とムスリムコミュニティーネットワークのDebbie Almontaserは言う。
ハードコアパンクシーンのムーブメントが警察権力の標的となったのはこれが初めてではない。FSU(Friends Stand Unitedまたは” Fuck Shit Up”)は90年代にボストン、マサチューセッツから始まった全国規模の組織であり、FBIの調査対象だった。彼らはアンチレイシストを標榜するグループで、パンククラブからナチの駆逐を主張したが、ハードコアパンクシーンを統制するために暴力沙汰を起こしていないか、監視されていた。FBIによってストリートギャングの一つに分類され、2004年のドキュメンタリー作品”Boston Beatdown II”がリリースされて以降、FSUの名は悪名高いものとなった。FSUのメンバーは映像のバイオレントなシーンで彼らの暴力を強調して解説している。創設者と言われるElgin Nathan Jamesは2009年に恐喝の容疑で起訴されている。
(これはMestのボーカル Tony Lovatoに対しFSUに5000ドル”寄付”すれば更なるトラブルから避けられると話を持ちかけ、実際に会うところを逮捕されたという事件。)
2017年4月28日 circaの記事より
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arsemard · 7 years
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40 Years of Women in Toronto Punk: MARCH - SXE
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MARCH - SXE: Leah, Erin, Karla & Rae 
まず自己紹介とトロントパンクシーンとどのように関わっているのかを教えて下さい。また誰と一緒に写真に写っていますか?
Rae: 私はRae!セントキャサリンズ出身(トロント郊外の南に位置)。私はトロントのいろんなジャンルのショーによく行ってて、アートを作ってる。このカレンダーのストレートエッジの月にErinとKarla、Leahと一緒に写ってる。
Erin: 私の名前はErin。私はトロント(シーン)ではそんなに重要人物ではないかな、ショーを見に行く準レギュラーってところ。でも私はローカルのヘルスケアプロバイダー(≒看護師)で応急処置とCPR(心肺蘇生法)くらいならできるレベルのかわい子ちゃんだからどこか悪いと思ったら連絡して。
Leah: 私はLeah、セントキャサリンズに住んでる。トロントでのショーにはできるだけたくさん参加したいと思ってる。
Karla: 私の名前はKarla、Pure Pressureのボーカルをやってる。
パンクにハマったきっかけは?今でも繰り返し聴き続けているレコードはある?
Rae: 私は小さい頃に新聞配達をしてて、それで稼いだお金で月に一枚ランダムにCDを買ってた。初めて自分で買ったパンクのCDはRancidのIndestructible。それからヴァイナルも集めるようになってX-ray SpexのGermfree Adolescentsを買った。それは今でも毎週スピンしてる!
Erin: 私の母は10~20代の頃にすごくパンクにハマってて、私は彼女が好きだったバンドとかを聴きながら育った。それで自分もティーンネイジャーくらいからショーに行き始めた。ラモーンズのRocket to Russiaが最初に母に教えてもらったレコードかな。あとMisfitsのWalk Among Usとか。でもRancidのOut Come The Wolvesが自分で初めて見つけたパンクのレコードで、それは10歳の頃からのフェイバリットね。
Leah: 兄が私をパンクにハマらせた。ジョージ・ストロンボロポロスのパンクショー(パンクバンドを紹介するTV番組)を見たり、トニー・ホークのゲームで新しいバンドを見つけたり、Punk-O-Ramaのコンピレーションを買ったりしてお互いに音楽をシェアし合ってた。13歳の頃にハマったたくさんのバンドは今でも好き。Propagandhi、Milencolin、Oskerとかね。
Karla: Fall Out Boyとか当時のFueled By Ramen Recordsとか流行りのポップパンクから入ったかな。でもJawbreakerとMinor Threatこそ私にとって本当の意味でグッときた初めてのバンドだった。JawbreakerのDear Youは間違いなくそういう類の(聞き続けるべき)一枚ね。
Womanhood(女らしさ、女であること)はあなたの仕事、音楽やプロジェクトに影響を与えていると思いますか?そしてその理由は?
Rae: もちろんそうね。私に大きな影響を及ぼしたり、知っていること全てを教えてくれたのは全員女性だった。私の母、祖母、美術の先生、そして私の親友だってそう。自分のアートワークで使っている人物を除けば、私のモチベーションになってるものは全体として女性/クィアのイシューに関する事とか、自己のアイデ���ティティに関することね。
Erin: 女らしさは私の人生や仕事に大きな役割を果たしていると思う。私はもっぱら女性に育てられてきた。母は一人手で私を育ててくれた。美容師の収入で3人の子供を育ててきた経験のある祖母の助けを借りながらね。それ以外にも私の人生に影響を与えているのは男性優位の職種で管理職になった叔母と、学校の先生を退職してから心理療法士になった偉大な叔母ね。彼女らはみな私の中にたくさんの愛と知性を教え込んでくれた。私は個人的にサポートワーカー(≒介護士)をやりながら看護師を目指してて、うまくいけば助産師になるつもり。(職業としての)看護はとても「女性」優位な傾向がある分野だけど、それでもまだ認識が足りてるとは言えない。あらゆるタイプの看護師はとても重要だし、あなたやあなたの愛する人の世話をする主な人も看護師なのに、そういう風に認識されているのは一般的に男性のドクターのように見える。
私は人生で出会うあらゆる女性にとても触発されてる。自分の友達とか家族、同僚、それにクライアントでさえもそう。私は彼女たちのおかげで絶えず学び、また呪いを捨て去る(unlearning)ことができてるからとても感謝してる。
(learningは新しい知識を得るという意味で学習するということ。それに対してunlearningは既存の習慣を捨て去るという意味で反学習すること。)
Leah: 女らしさは、私の人生全てに何らかの形で影響を与えてる。私は母からとてもたくさんのことを学んだ。彼女は私が知ってる中でも一番強い女性ね。彼女はいくつかのウーマンズシェルターに転々としながら一人手で3人の子供を育てなければならなくて、いつも機転をきかせてなきゃいけなかった。私の(ものの)見方や情熱、興味があることっていうのは、母が経験してきたことを見ることで形作られてきた。私は自立するということだけじゃなく、優しさや思いやりというものを学んできた。私は母のように強く、打たれ強い(立ち直りが早い)ようになりたい。そして私が食べ物やパンやケーキを焼くことに興味を持つようになったのも彼女がきっかけ。私はちゃんとした研修や教育を受けたわけじゃないけど、いくつかのヴィーガンベーカリーで働いたこともある。
(ウーマンズシェルターとは、家庭内暴力から逃れるため等の目的で利用される一時的な保護と支援の場。詳しくはウィキペディア参照)
Keala: もちろんそうね。私は(今もそうだけど)自分の中で内面化されている多くのミソジニー(女性嫌い)を捨て去る必要があった。そのせいで他の女性に対して警戒心を抱いてしまっていた。今では私の仲間のほとんどが女性を自認する人たちだし、私の人生はより良い方向に変わった。
あなたにとってストレートエッジはなぜ重要なのですか?
Rae: 私は以前は”ストレートエッジ”と主張することに対して抵抗があった。なぜかというと好戦的な感じとかマッチョな男クラブっていうステレオタイプなイメージがあったから。というよりどっちかというと嫌いだったかな。というのは高校時代の最初の頃にストレートエッジの男子たちがよく私をい��めていたの。(クソな奴らのことなんて私はもう乗り越えたし、そいつらはその後全員ブレイクエッジしたけど。)
でもだからと言って自分のことを”sober”(シラフの意)って言うのにも葛藤があった。私が突然そう主張することで、薬物中毒から回復した人たちが積み上げてきたものを台無しにする気がしてそれは最悪だと思ったから。私を含めて女性やいろんな人たちがラディカルな理由でストレートエッジを主張しているけど、それは単に”自分のため”っていうだけじゃないの。それはハードコアの教え(ハードコア由来のストレートエッジ)とはまた別のものね。薬物中毒によって多くの人が命を落としてきたし、それはものすごく悲しいことでしょ。私はパーティでバカ騒ぎするような人たちも全然受け入れられるし、私が一緒に遊ぶ人の95%はそういう人たち。でもショーに来てる他の人たちや自分の友達、また彼らの行動にもちゃんと注意を払うってことは大事。誰も他の人より強いとか弱いなんてことはないし、人を測る尺度は一つじゃないから。
Erin: 私は周りで(薬物)中毒とかが珍しくないような環境で育ったから、ストレートエッジは私にとって大事なこと。貧しい境遇の育ちだし、愛するたくさんの人たちが中毒に侵されている。母は私を普通じゃないやり方で育ててくれたし、どうして私がこういう風になったか不思議に思った人がたくさんいると思う。私は酒とかドラッグとかにいろいろ手を出した後、これは自分には合わないと悟って、それらを断つためにストレートエッジを使うってことが必要だったの。
私にとってストレートエッジとは自分自身をコントロールし続ける方法かつ安全を確保する方法ね。私はシラフでいた方が気分がいいし、その方が自分自身を安全に保つことができるってわかってる。
年を重ねるにつれて自分はストレートエッジって言葉が嫌いだったってことに気づいたんだけど、というのはそれに伴うメンタリティが嫌いだったから。私は(体育会系、マッチョ的な意味での)”bro culture”が嫌いだった。でも現行のストレートエッジは私にとってパンクやハードコアシーンの中で居場所を取り戻す方法にもなってる。私は今もここにいるってことをヘイター達に見せる方法なの。
Leah: 私にとってストレートエッジはそこまで重要なことじゃないかな。パーソナルな選択ね。私はドラッグやアルコールに依存する人たちをたくさん見て育ってきて、薬物にコントロールされないよう小さい頃から懸命だった。私は自分自身(の行動)に責任を持てるようになりたいし、それは根本的に重要なことでもある。(ストレートエッジでいるという)私の選択はポリティカルなスケールの上に存在していて、(酒やドラッグによる)陶酔の文化、社会的な規範や期待に反して戦うという私なりの試みなの。道徳的な選択ってつもりもないし、正しいとか間違ってるってことでもない。ただこれが自分にとってしっくりくるってこと。
Keala: 私はエッジになって9年だけど、最初はただストレートエッジなだけだった。私はパーティーで飲んだりとか、泥酔して記憶を無くしたこともない。Minor Threatは私が存在すら知らなかったコミュニティを教えてくれて、それは私の孤独感を小さくしてくれた。でも自分の心を独立させて考えてみれば、自分のストレートエッジは今や何よりもマルコムXの理論に沿って立脚している部分が大きいと感じた。だからそれが(私にとってストレートエッジが)重要なことの理由 - これが私の一つの反抗の形だから。
(マルコムXはストレートエッジという言葉こそ使ってませんが(”ストレートエッジ”という言葉自体イアンマッケイが提唱したものなので時代的にも合わないですが)、非常に近いことを言ってました。“彼らは我々を鎮めるためにここハーレムにドラッグを送るのだ。彼らは我々を鎮めるためにここにアルコールを送るのだ。彼らは我々を鎮めるためにここに売春を送るのだ。” マルコムX)
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arsemard · 8 years
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Dennis Lyxzén interview politics 3/3 | This town ain’t big enough for any of us >
Post about Dennis Lyxzén interview politics written by dayafterdaydc
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(前回の続きより。デニス・リクセゼンはRefused時代から一貫して反資本主義的メッセージを前面に押し出してきたが、それが端的に表わされているのが”Refused Party Program”冒頭のスポークンワードだと思われる。)
“俺たちの存在や、俺たちのパレード、ダンスをきっかけに
党の綱領(The Party Program)の知恵に触れ、また注目してほしい
それは俺たちの人生に不可欠なもので、抗い難いほど魅力的なものだ
グレート・スピリットはこう宣言する
資本主義とはまさしく組織的犯罪であり、我々はみな被害者なのだと
次の曲はRefused Party Programだ”
・(現在の社会情勢について)あなたは資本主義が問題だと思いますか?それともこれは人間の性(さが)なのでしょうか?私としては、これは人間の性なのではないかと思っています。というのは資本主義社会になる以前から、人間はお互いを抑圧し合ってきたからです。
そうだね。でも僕は人間の性というものは信じてないんだ、マルクス主義者だしね。全ては社会の構造(に問題がある)と思ってるんだ。僕たちがお互いにどう向き合うかっていうのはその構造によると思ってる。男性らしく、女性らしくなるように教えられるっていうのもそういう構造だからだし、僕たちのセクシャリティがどう機能するかっていうことも構造(の問題)だ。
もちろん、階級(による格差)は昔からあった。昔からずっと階級制社会で、男性主義的な社会だったけど、資本主義はそれらの最悪な部分を引き出したと思ってる。資本主義というのは、階級制社会を前提として成り立つシステムだからね。資本主義は他の制度と比べてみても、モラルもなければ理性もない。あるのはただ経済効果だけだ。資本主義には良心なんてないし、僕たちの生活なんて眼中にない。資本主義はできる限り多くの利益、金を生み出すことを目指すシステムだし、トリクルダウンー十分利益を上げれば底辺の者にも利益のおこぼれに与れるなんていうアイデアだっておかしい。資本主義こそがまさしく問題だと思っているけど、それは今僕たちの全てがそれになっていて、みんなそのシステムの下に生きているからだ。
僕は人間の性というものは信じない。僕は周りや育つ環境、社会構造によって僕たちの考えは根本的に変わることができると思ってるんだ。だから僕はシステムを変えることで人も変わると信じている。もちろん、実際はもっと複雑だろうけど、僕は資本主義こそが大きな問題だと思う。
・つまり、あなたは私たちが向かうべきは社会主義だと考えているということですか?
うん。とても抽象的なアイデアでしかないけどそうだね。もしこの社会をどうすればいいかってことがはっきりわかっていたら、こんな所に座って君と話なんかしてないよ。それこそノーベル平和賞ものだろう。どうすればいいかという具体的なアイデアは持ってない。ただわかっているのは、純粋に経済に基礎を置いた世界の在り方っていうのは持続可能じゃないってことだ。僕が信じているのは「人はそれぞれ各人の能力に応じて(社会に)貢献し、(消費する時は)各人の必要性に応じて受け取る」っていう古いマルクスの格言だ。スウェーデン語でも覚えてるし、今もこれを信じてる。そういう仕組みの世界が必要だと考えてるんだ。
・ソ連や現実に存在する共産主義国などーそれらは全て失敗していますよね。共産主義やマルクス主義的思想の妥当性については疑問を抱かざるを得ないと思うのですが。
うん、そのことについては熱心に研究したよ。ロシアの本質はほとんど”国家資本主義”と言っていいものだった。そして中国もロシアも周辺諸国からのプレッシャーもあって、(体制側の)人間は完全にパラノイアと狂気に陥った。
中国は”現実社会主義”路線をとって、人々が自由に体制を批判することでよりよい社会主義を目指すとしていたけど、実際にはそれを許さなくなった。そこが大きな問題だと思う。このように陥る危険性のあるトラップは多いけど、だからと言ってそれがトライしない理由にはならない。僕は十分に発展した社会主義的思想が機能したことは未だにないと思ってる。それは常に大きな欠陥を抱えていて、僕の望むようなアイデアとは違うものだった。でもおかしいだろ。僕は平等な社会を望んでる。お互いをケアし合うような社会を望んでる。僕が社会主義について話せば、いつもみんなビビりながら「じゃあロシアは?」って聞いてくるんだ。
でもそれは僕が話したいこととかけ離れてる。(社会主義に関心があるからといって)何年も過去のことを説明する責任を持たされるのはおかしい。「俺の考えじゃないのになんで弁護しなきゃならないんだ?」ってなるだろう?僕はスターリン主義者でもレーニン主義者でもない。ただもっと根本的に違う世界があり得るっていうことを信じているだけだ。
・あなたは民主主義を信じていますか?
うん、信じている。
・私にとってはそこ(既存の共産主義・社会主義体制に���主主義がないこと)が問題だと思っています。それに言論の自由もないですよね。
その通り、これはとても大事なことだ。誰だって意見を持っているなら、それを議論したり、表現する自由がなくちゃならない。僕はデモクラシーを信じている。
・共産主義体制(ソ連)が崩壊したとき、どう思いましたか?かなり昔の話ですが。
当時はまだポリティカルじゃなかったから正直よくわからなかったね。ひとつ気になるのは、当時世界は二つに分かれていた。つまり別の可能性があったってことだ。こちら側は資本主義だけど、共産主義や社会主義については漠然としたイメージしか持ってない。そこがとても興味深くてね。というのは(当時は)緊迫した空気の中で、別の世界になり得る可能性があったってことだからね。そして(ソ連が)崩壊して、全てが資本主義体制になった。僕はここが問題だと思ってて、今の20代とかもっと若い子はオルタナティブ(別の可能性)があったってことを知らないだろう。そういう(社会主義的な)アイデアなんかも知らない。
もちろん、東欧圏の共産主義体制には大いに問題があったのは事実だけど、考えとしては資本主義の他にも別の可能性があったって事実は好きなんだ。そこは興味深い。そっちの方がよりよい世界を作ると思っている。
・好きな作家やライターは誰ですか?
ほとんどはスウェーデンの作家、地元の作家だね。それ以外なら、今でも好きな本は”Revolution of Everyday Life”だね。シチュアシオニストのラウル・ヴァネーゲムが書いたもので、素晴らしい本だよ。今質問を聞いたばかりでパッとは思い出せないけど、本はたくさん読む方だね。フランスのライターも好きだよ、彼らは独特のアティテュードを持ってるからね。
(ラウル・ヴァネーゲムはベルギー出身の作家。1961〜70年頃までシチュアシオニストの活動に参加。)
・ポリティカルライターはどうですか?
ポストモダン主義とポスト構造主義のちょうど境目ーミシェル・フーコーやギー・ドゥボールなんかを読むと、モダン主義的な”大きな物語”に可能性があるという考え方は、深く学べば学ぶほど大きな問題があるとわかる。
僕が好きな政治理論(political theory)っていうのはーそこに可能性があるときだ。だからその後にやってきたポスト構造主義ー”何もリアルじゃない、可能性がなにもない、全てがただ見せかけで、意味のあるものは何もなく、何も重要じゃない”っていうのは好きじゃないんだ。わかるだろう、僕はアイデアが好きなんだ。あるアイデアが僕たちの人生、僕たちのマインドを変え、そして僕たちを別の軌道に乗せていき、違う人間にしていくっていう事実、考え方が好きなんだ。でもポストモダン主義とポスト構造主義のちょうど間ー両方の考え方があるようなその境目も好きだよ。
・その辺りはあまり詳しくありません。私は理論より歴史の方が得意です。
なるほど。例えば1968年(フランスの5月革命)は知性的な革命で、彼らは実際にそういったアイデアを考えていた。彼らはマルクス主義を応用して、もっとパワフルなものに作り変えたんだ。
僕は90年代後半から00年代始め頃の間まで、政治理論が僕たちを解放させるものだと考えていた。政治理論が目指すべきものだと思っていたんだ。初期のNoise Conspiracyは知性的でー「俺たちには言語が必要だ、世界を変えるアイデアを見つける必要がある」って感じで、僕にとっては長い間それは政治理論だったんだ。たくさん政治の本も読んだ。友達ともよく議論したし、それが目指すべきところだと思っていたんだ。でもその後そうではなくなった。少なくとも僕にとってはね。
僕にとって大事なのはまさしく音楽だったんだ。でもいつだって音楽が大事だけど、音楽に自分の持っているアイデアを吹き込ませようとしたり、より意味をもたせようとすること、より真剣さやパワーを持たせること。つまりそういったポリティカルなアイデアや知性的な考え方を音楽に吹き込むことは、音楽をよりパワフルにすることだ。
・(そうすることで)もっと面白くもなりますよね。
そう、より面白くもなる。前にも言ったように、自分自身にも挑戦するし、リスナーにだって挑戦する。僕はある程度、話す言葉(言語)がその人の考え方を決めると考えている。政治理論は君にもう一つの言語を与える。世界を理解するための別の視点をもたらすんだ。
・パンクシーンに右翼の居場所はありますか?
ないね(笑)。次の質問。
・Refusedをやっていた頃から政治的なスタンスに変化はありますか?
ああ、もちろんあるよ。年を重ねれば戦いを選ぶことを学ぶ。それほど重要ではなくなったイシューもあるし、より重要性が増したイシューもあるね。
・なにが増して、何が減りましたか?
自分が何者で、何を望むかっていう僕の基礎は変わらないけど、戦略やアプローチ、どのように人に伝えるか、どうやったらできるか?っていう、そういう所が一番の変化だね。Refusedの頃は、あっちもこっちもどこでも撃ちまくるって感じでクレイジーだった。今はもっと焦点を絞って何が重要か、どのイシューが取り組む価値があるかってことを見極めようとしている。それに僕は政治に関して自己犠牲的なアイデアは好きじゃない。僕は生活の中で意識的でいながら、かつ同時に革命的なアイデアが好きなんだ。
だから取るに足らない小さいイシューはどうでもいい。左翼的な人はそういう(小さいことを気にする)傾向がある。僕にはとても頭の良い友達がいるけど、彼らが何をするかっていうと、勉強グループを作ってマルクスのある考え方を巡って別のグループと論争したりするんだ。こんなクソには付き合ってられない。そんなことは重要じゃない。年をとるにつれてそう思うようになった。下らないことに使う時間なんてないんだ。もし僕が何か戦いを選択するとしたら、それは戦う価値があるとわかっているからだ。
まだ若かった頃は、人が持ってるハンバーガーを蹴り落として「ファックユー!ゴーヴィーガン!」とか言ってたけどね。もうそんなことはしないだろ?自分のポリティカルな考えとバランスをとるようになった。そういうところは直したというか、変わったかな。 それと現実の生活において、これはさっきも言ったことだけど、若いうちは反抗的でいることは簡単なんだよね。ある意味(若いうちは)反権力、クレイジーになることをほとんど期待されていると言ってもいい。でも年をとるにつれて、反抗的でいることは難しくなっていく。そういう人間でいるってことがハードになってくるんだ。そこが面白い所でもある。そういった考えをしっかり掴んで離さないために、更にラディカルになる。理解も更に深まって、経験も豊富になっていく。
ひとつ興味深いのは、若い頃「あれもクソ、これもクソ。あいつらはムカつく。こいつらもムカつく」って思ってたものが、年をとってみて「やっぱり俺は正しかった、俺の感は当たってた」ってなるところだ。(若い頃は)政治的、理論的なことはよくわかってなかったよ。ただなんとなくこれは違うってことはわかってて、それに堂々と声をあげてきたんだ。それから20年経って思うのは、やっぱり正しかったってことだ。
・私も全く同じような経験をしたことがあります。Refusedで一番ハッピーな思い出は何ですか?そしてRefusedが成し遂げた一番すごいことは何ですか?
Refusedでの一番ハッピーな思い出は2012年からかな(笑)。まあでも僕たちは(再結成する前も)素晴らしい時間を過ごしていたけどね。みんな本当にのめり込んでいて、メンバー間の付き合いも楽しかったし、僕たちは張り詰めた感じでイカれたガキじゃなかった。いくつも最高の思い出があるよ。でも君もムービーを見たと思うけど、あれは本当に悲惨でみんなが苦しんでいた感じだろう。(ムービーとはDVDになっている”Refused Are Fuckin’ Dead”のこと。1998年、アメリカツアーの最中、バンドに不和が生じそのまま解散した経緯をメンバー自身が語るドキュメンタリー作品。)
でも僕たちは長い間とても楽しかったんだ。僕たちがスウェーデンでなぜ人気が出たかって、Refusedはみんなそれぞれ面白いキャラの持ち主でエネルギッシュだったから、そういう所にみんなハマったんだ。あのムービーからそういう所は見えない。あれは暗くて殺伐とした感じだけど、僕たちはもっと楽しい奴らだったんだ。解散する1年半前まではすごい楽しかったんだよ。いい思い出はたくさんあるね。
そしてこのバンドの一番の功績は、スウェーデンにおいて、93~97年の間、ひたすらツアーを繰り返してバンドムーブメントを作り上げたことだ。それ以来今もシーンはアクティブだよ。それが成し遂げたことで一番でかいことだと思う。僕らはあの当時スウェーデンで、多くの人々にとって意味のあることをどうにかやり遂げたんだ。僕にとって、”Shape of Punk to Come”は確かにグレートなアルバムだけど、最後の作品になったからね。「これで終わりだな」っていうのがなんとなくわかっていた。一方で、95~96年に回った”Songs to Fan the Flames of Discontent”(2ndアルバム)でのツアーはマジで凄かった。本当にたくさんの人がやってきて、そこに存在してたんだ。それで俺たちは新しいものを作り上げていった。すごくクールだったよ。
・それ以前にスウェーデンにはパンク/ハードコアシーンはなかったのでしょうか?
全然なかった。Refusedを結成した頃、僕たちはストックホルムまでプレイしに行っててね。(Refusedの地元ウーメアからストックホルムまでは約650km)それでもいたのは大体20人くらいかな。「ハードコアキッズはどこにいる?」って聞いても「ストックホルムにハードコアキッズはいない」と言われたりね。だから僕たちーRefusedだけじゃなく周りの多くの友達も含めて、みんなで90年代にそういう大きなハードコアシーンをスウェーデンにおいて作り上げたんだ。あらゆる都市をツアーで回って人々が姿を現した。めちゃくちゃクールだったよ。俺たちは現実に何かを作り上げたんだ。それから15年後、ニューヨークのデカい箱で、2日連続で5000人を前にライブをすることになるなんてね。
・allmusic.comではRefused(の解散した原因)について、音楽的なキャリアと自身のアナキストとしての信念に折り合いをつけることができなかったからと書いてありました。それは本当ですか?
いや、本当じゃないよ(笑)。上手い後付けだね。僕たちは始めたとき、パンクバンドになる以上の野心なんて特になかったけど、そこから僕はもっとラディカルになっていった。それで僕は最終的に(自分の政治的な信念に)ちゃんとケリをつけることはできなかったから、まぁ部分的には合っているのかな。他のメンバーはリフを作るのに延々何時間もかけていて、僕は「そんなのどうでもいい、俺はただ革命がしたい」って感じで、みんな「はぁ?」っていう反応だった。僕は「全てが革命のため」って感じだったんだ。だからある程度は当たってるよね。 僕たちはそういう根本的な所で相違があって、もちろん僕はすごく頑固だった。音楽は僕にとって資本主義を転覆させる手段でしかないと思っていた。みんなは「俺たちはただめちゃくちゃヤバいロックバンドになりたいだけで、お前はイカれてる」って感じで、僕の方は「あいつらは革命的じゃない」って感じだった。だからまぁ少しはあるんだけど(解散した)主な理由はそこじゃない。でもあの頃の僕はかなり付き合いづらい人間だったと思うよ(笑)。
・Refusedの曲���どのように作られていたのですか?
ほとんどはChrisとDavidがリフやアイデアを持ってきて、そこに自分がボーカルとリリックをつけて、それであとはスタジオで一緒にやってみてって感じかな。ChrisとDavidはすごく才能があるんだけど、彼らは本当に凝り性で放っておいたら1曲に2年もかける。あそこを変えて、ここを変えてってね。だから僕が「よし、これがコーラス、これがヴァースだ、じゃあまとめよう」感じでパッと決めるんだ。だからみんなの協力的な努力の賜物だ。リフのほとんどは彼らが書いたものだけどね。Chrisは天才だ。あいつは”New Noise”のリフに1年近くもかけたんだよ。
・”Summer Holiday VS. Punk Routine”の意味を教えてください。
当時Refusedは徐々に知名度を得つつあった。少なくともヨーロッパとスウェーデンではね。それでミーティングや予算にまつわる話に多くの時間を割く羽目になってね。それが本当に嫌だったんだ。ツアーをするのにどれくらいの金を稼いで、レンタルにいくらかかるとか…そういう予算に関する話がね。おかしくなりそうだった。そういう話をするのは本当に嫌だったね。それは今もバンドをしてるから金にまつわる話はどうしてもあるんだけど、当時の僕はただパンクバンドでいたかったんだ。パンクをプレイするっていうそれだけ。だからオファーは全部受けたよ。「現実的に行こうぜ」っていうのと「パンクでいたい」っていう二つの気持ちに割かれるフラストレーション、それがあの曲で歌われていることだね。
・ツアーはあなたにとって”サマーホリデー”ですか?
そうだね。ツアーは僕にとってそうあるべきものだよ。そして”パンクルーティン”は、いろんな会議とかレーベルの人間にあれこれ言われることだ。あれは意味がわからなかった。今はもうそれなりに慣れたけどね。今じゃそれが毎日の一部だよ(笑)。でもあの当時はまだそういう準備ができていなかったんだ。
2014年6月 dayafterdaydcの記事より
(元記事から多少編集を加えました)
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arsemard · 8 years
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Dennis Lyxzén interview politics 2/3 | This town ain’t big enough for any of us >
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(前回の続きより)
・(現在のバンドINVSNの曲)”Down in the Shadows”のリリックにある”they”とは誰を指しているのでしょうか?
前に話してたことと少しかぶるかな。だんだん年をとってくると、(現状の)社会構造では自分の生きたいように生きることすら難しくさせられてくる。それは僕でさえそうで、この”ノーマルクライシス”にやられると『やばい、定職にもついてない。恋人もいない。俺は一体何をやってるんだ?』ってなってくる。わかるだろう?年を重ねていくと柔軟な考え方を維持することすら難しくなっていく。そういうことについての曲なんだ。堕落するのはとても簡単だ。これはとても象徴的な意味での話だけどー予期していなかったこと(心構えができていないこと)や、そういう風になりたくないと、絶対になりたくないと思っていたものの一部に、人の人生はいとも簡単に引きずり込まれてしまう。
僕にはラディカルでミュージシャンとしても素晴らしい友達がたくさんいるけど、彼らのバンドが全然日の目を見なかったりすると、そのうちガールフレンドやボーイフレンドができて、それから急に子供が出来たりして、ローンを組んで家を買ったりする。ツアーにも行けなくなって、安定した職に就く。心の奥ではいろんなアイデアを持っているのに、それが実現することはない。そういう話だ。
別にそういう人たちを見下してるってわけじゃないんだ。そうじゃなくて、僕はもっと自分らしくいたいってことだ。それともう一つ、誰かに感謝されることはないって所もポイントだ。君がよくわからない他人に対して犠牲を払って貢献したところで、誰もありがたいなんて思わない。君は自分のために自分の人生を生きなければならないんだ。本来君が行くべき道をね。世間の人たちは『(周りに)溶け込みたい、みんながそうしてるから自分もこうしたい』って感じだろう。仕事、上司、親。例えば上司に「ほら、これだけやりましたよ」と言って媚びを売ったところで誰も君に感謝なんかしない。君の人生は君が生きるものだし、これは大事なことだと思うんだ。だから“they”はそういう漠然としたよくわからない人たちっていうことだね(笑)。
・まだ誰にも聞いたことがなかったのですが、今まさしく聞きたかったことに少し触れてもらったのでお聞きします。あなたのように成功した人と、才能があるにも関わらず注目されないあなたの友人のような人たちを分けるものは何だと思いますか?情熱、才能、それとも運でしょうか?
それら全てのミックスだね。まず自分のことに関して言えば”やる気”だ。変な感じだけど、”絶対に諦めない”っていうアティテュードがここまで僕を連れてきたんだ。今まで数え切れないほど「クソが、こんなもの何の意味もない」って思ってきたよ。でもそれでも僕は続けてきたし、そういう頑固なところがあってね。それと、僕は事を起こすのには長けてる方だ。人と話す。人と知り合う。僕の友達には、僕よりも才能のある奴らがいるけど彼らはレコードを出そうとしない。僕は(クオリティ的に)出すべきじゃなかったレコードも山ほどリリースしてきたけど、それは僕がこういう人間だからだ。
・(こういう人間とは)外向的という意味ですか?それとも精力的ということ?
精力的だね。それに僕はじっとしてられない方でね。「実現させるぞ、実現させるぞ…」っていう風にしてれば、実現するものだ。加えて僕の最大の強みは、コーディネートが上手い(テキパキしてる)ってことかな。僕はバンドを2つ組んでて、レコードレーベルも持ってる、それら全部に目を配らせて、物事を実現させる。それに僕にはめちゃくちゃ才能のある友達がいるしね。でも彼らは自分たちの手ではやろうとはしない…(ため息)。そこで僕がことを起こすってわけだ。でもそれが僕だ。
運もある。しかるべき時にしかるべき場所にいるっていうね。もちろん才能もある。そして努力だ。何かを実現させるような人は大抵努力している。それでうまくいけば何かが起きる。簡単なレシピなんてないよ。
僕はこのイアン・スベノーニアスの本(”ロックンロールグループを作るための超自然的戦略”というタイトル)が好きなんだ。彼なら僕よりももっと上手くいく良い方法を知ってるかもしれないね。でももし本当に知ってるなら彼はもっとビッグなバンドでプレイしてるんじゃないかな(笑)わかんないけど。
(イアン・スベノーニアスは、Nation of UlyssesやThe Make-Upのフロントマン。後半で詳しく言及されている。このインタビューの前に彼の本をデニスに贈っている。)
・それはそうですね(笑)。
でも成功にレシピなんてないんだ。Refusedにだって同じことが言える。僕たちは1998年に”The Shape of Punk to Come”をリリースした。ドラムのDavidとは「このレコードを気に入る奴なんていない、これを欲しがる奴はいないだろ」って話したのを覚えてる。当時パンク/ハードコアシーンはちょっと保守的だったしね。それでも「知るか、誰も欲しがらなくても構わない」って思ってリリースしたけど、出した当時は本当に誰にも気に入られなかった。
「おお、クールだね」っていう奴も何人かはいたけど、ハードコアキッズはみんな「よくわからない、前作の方がもっとハードコアでよかった」って感じだった。それで僕たちは解散した。それから14年後に宝くじにでも当たったみたいだよ。神様が「よーし、お前らは最高だからご褒美だ」って感じでね(笑)。
そういうことは誰にも予見できない。でも僕のケースでは、単に頑固だったのと、それに僕には他に代わりとなるプランもなかった。頼れる地位もないし、何か実務経験があるわけでもない。これだけだ、そうだろ?(笑)
・あのアルバムでは自分たちの信念を曲げなかったということですね。自分たちが作りたいと思う作品を作り、それが理解されるまでに時間がかかったと。
他人にこういうのが期待されてるという想定をベースに音楽を作るんなら、それはクソにしかならない。もちろん「これはキャッチーだ、ウケるだろう」と思って曲を作ることもできるけど、大抵は他の曲の方がうけたりする。人のウケを期待して曲を作るのは、貧しい音楽を作るってことだ。僕は自分や自分の友達、一緒にやってるメンバーのために音楽を作ってる。「自分たちのできる一番ヤバイ曲を作ろう、あいつらがヤバイとびっくりするような曲を作ろう」っていう風にね。それが人に通じるときもあれば通じないときもある。作った時に「おおこれはヤバイ!」って思っても後で振り返ると「悪くはないけど別にヤバくはないな」って思ったりね(笑)。そういうもんだ。僕はいつも…(長考)…ナーバスにならないように��めてるよ。ただ曲を書いて、演奏する、音楽に夢中だからやる。そういうのは表れると思うんだ。音楽に対して打算的になったりシニカルになれば、そういうのは「お、これはリアルじゃないぞ」ってバレると思うんだよね。
・確かにそうですね。私は2005年にイアン・マッケイとPositive Force DCのマーク・アンダーソンにインタビューしたのですが、二人とも非常に似たようなことを言っていました。”もし本気で信じるなら、なんであれそれは実現する”ということです。「Dischordを設立して25年経って、今はいいポジションにいる。でも(設立して)5年目はまだそうじゃなかった。」と。
そうだね。バンドにも同じことが言える。僕たちはバンドをやってて全然稼いでないけど誰も気にしない。そしてできれば(バンドを)ただ続けて、ある日誰かに「こいつらすげえ!」って思われたいね。僕も(イアンやマークの意見に)賛同するよ。自分の心に従って、自分が納得することをやる。そうすれば、うまくいけば周りの人もそれをキャッチしてくれるはずだ。
(Positive Force DCは、80年代のワシントンD.C.のパンク/ハードコアシーンから生まれたアクティビスト集団のこと。 Fugazi、 Bikini Kill, Nation of Ulysses、 Girls Against Boys、Q and Not U等とベネフィットライブを行ったりしている。)
・このバンド(INVSN)で全然稼いでないんですか?
(嘆き悲しむ声で)僕たちは多くの金を失った。マイクっていうマネージャーがいて、彼と一緒にやり始めたとき「君はお金が嫌いなのか?」って言われたよ。もう19歳じゃないっていうのにね。みんな家賃を払うにも金がいる。基本的にはツアーも自腹だしね。でも悪くないよ。何かを始めるにはまず投資が必要ってことだ。僕はこのバンドに自信を持ってる。メンバーにもね。彼らと一緒にプレイできるのは光栄だ。もちろん、稼げるかどうかなんて関係ない。
・さすがパンクロッカーですね。RefusedのファンにもINVSNを気に入ってくれることを期待しますか?
RefusedとHate Breedがフェイバリットなら、全然ダメだろうね。もしRefusedが好きで、StoogesやJoy Divisionも好きっていう音楽好きならいけると思うんだ。でもRefusedを好きな理由が、ロウなエナジーやパワーだったとしたら、このバンドはまるっきりそれとは違うものだ。もしかすると気に入るかもしれないし「何だこれ?」ってなるかもしれない。それは僕も理解できる。Rage Against The Machineのライブで「No Spiritual Surrenderやれよ!こんなクソラップメタルふざけんな!」っていう野次も聞いたしね。僕が言ったわけじゃないけど、当時は「なんでこんなことしてるんだ?意味わからねえ」って僕も思ってたしね。
でもRefusedの場合は少し違うと思ってる。僕たちはただのハードコアバンドから、ごくわずかなハードコアバンドしか成し遂げなかったことをやったと思ってる。ジャンルを超越したんだ。Refusedが好きな人はハードコアキッズじゃなかったんじゃないかな。
・大体はそうだったかもしれませんね。
Refusedのファンにはメタルヘッズもいるしね。メタルヘッズならINVSNは嫌いだろうね。でもあらゆる音楽が好きでRefusedも好きな人達なら、彼らはグッドミュージックが好きってことだ。僕はこの世には2種類の音楽があると思ってて、それはグッドミュージックかバッドミュージックだ。素晴らしい音楽か、そうじゃない音楽。僕の音楽に対する考え方はこんな感じだ。もし君もそうならINVSNを気に入るはずだ。ただモッシュしたいだけなら、知らなくてもいいものだね。RefusedからNoise Conspiracy、そしてINVSNと僕のキャリアを追ってくれている人達もいる���Refusedしか聞いたことがなくて、いきなりINVSNを聞いた���全然違う感じがすると思うよ。
・リリックのテーマに関しては似ていますよね。信念を貫くというタイプというか。
そうだね。なんていうかRefusedは本当に外に向けた感じで、思いっきり顔面に向けて、政治にファックユーをかますって感じだった。INVSNはもっと内向きで、自分自身に向けられたものだ。(Refusedのような極左思想的な)ポリティカルな考えを持ちながら大人になっていけば、いずれ「ちょっと待て。俺は何をやってるんだ?」っていう、実存的なクライシスに直面し始めると思うんだよね。
それとリリックは最初にスウェーデン語で書いて、それから英語に翻訳するっていう手間を踏んでるのもあるかな。英語を書く時はいつでもそうだね。僕は英語が得意な方ではあるけど、まずは翻訳しなくちゃいけない。自分の母語は英語じゃないから、英語で考えるときも、英語で何かを書く時も「説明しなきゃならないのはどれだ?」って感じだ。(このインタビューも英語)母語のスウェーデン語ならもっと速いし、きめ細やかな表現になって、もっとパーソナルな表現になると思うね。それは(翻訳を通すことなく)僕の考えそのものだから。INVSNの新作のリリックを見れば、多くの曲が僕自身のマルクス主義やアンチ資本主義的思想に根ざしてることがわかると思う。RefusedやNoise Conspiracyのように面と向かってファックユーとは言わないけど、リリックのいたる所に見受けられるはずだ。もっと捉えにくくはなってるけど、今も(そういう政治的な意図を込めたリリックは)あるよ。同じ人間だからね。
・ラブソングも多くはないですよね。
多くないね。みんなもう知ってるだろう。こういった(ポリティカルな)トピックをもう20年も書いてきた。今さら「こいつは社会主義者だ!知らなかった!」とはならないだろ(笑)。
・あなたは外向的な性格ですか?それとも内向的ですか?
僕は双子座だから、ステージ上では外向的だ。ステージから離れれば社交的ではあるけど、かなり抑制的な人間になる。それをシャイとは言いたくないんだけど…酒も飲まないしね。パーティーピープルな方ではないよ。クレイジーにならないし。女の子にも絡まないし、小心者なんだろうね。で、一度ステージに上がれば躊躇することは何もなくなる。わかるだろ?(笑)こういう二面性のある性格なんだろうね。変だと思うよ。僕と会って、一緒にハングアウトした後にライブを見てもらうと「どうなってんだ?」って思うよね。
・あなたはVillage Voiceの記事を読んだと言ってましたね。(Noise Conspiracy時代のデニスをイアン・スベノーニアスのパクリだとして痛烈にディスしている2005年の記事)まず、あなたは本当にイアン・スベノーニアスに影響を受けたのでしょうか?そして、あなたが自身のバンドで彼のキャリアを後追いしていると書いた記事を読んだのは本当ですか?
読んだよ。つまりね、僕はThe Make-Upが大好きだ。彼らはファンタスティックだよ。Nation of Ulyssesも素晴らしいし、Cupid Car Clubも本当にクールだ。(全てスベノーニアスのバンド)Make-UpとはRefusedでもNoise Conspiracyでも対バンしたことがある。彼らのバンドが大好きだし、とても影響を受けた。当時、友達から「シチュアシオニスト・ムーブメントをチェックした方がいい」って言われてね。それでシチュアシオニストに関する本を読み始めたんだ。それとちょうど同じ頃にNation of Ulyssesを知ってね。「まじかよ、これこそシチュアシオニスト・パンクロックだ」って思ったね。めちゃくちゃ興奮したよ。
(シチュアシオニスト(状況主義者)とは、1957年から72年にかけてギー・ドゥボールらを中心にフランスで結成された政治・芸術前衛集団のことで、社会、政治、日常生活の統一的な批判や実践を試みた。68年の五月革命にも大きな影響を及ぼしたと言われる。)
Make-Upを知った時も「マジでクールだ」って思ったけど、その当時僕はモッズ系にハマッててね。The Jamとかノーザンソウルにのめり込んでた。で、それと同じライン上にあったんだ。Make-Upは本当に好きだったね。彼らのポリティカルなアイデアもファッションのセンスも含めてね。あまりにも好きだったからハードコアシーンから出てNoise Conspiracyを始めた時には、Make-Upに聞こえないようできる限りのことは全てしたよ。スタジオでみんなで曲を作ってる時も「なんかMake-Upっぽいな、やめよう」って感じだった。間違いなく音楽的に引き合いに出されるっていうのはわかっていたからね。だからハードコアシーンから出てきて、60’sっぽいガレージバンドで、キーボードに女性もいるし、絶対較べられるなと思ってた。
それはいいんだけど、僕らは自分たちらしいバンドにしたかったんだ。International Noise Conspiracyを始めた時、Nuggets のボックスセットみたいなガレージバンドにみんなでハマっててね。最初の曲はSonics のカバーだったな。でもそれから俺たちは演奏が上手いってことに気づいてね、それで少しやり方を変えることにした。Make-Upにもならないようにね。彼らはもちろん素晴らしい。でも俺たちはMake-Upじゃなくて、スウェーデンの北部からやって来たバンドだ。僕らは違うアイデアを持っている。(Refusedの時は)Born Againstからパクってるって言われたしね。僕たちはBorn Againstからは何もパクってない。俺たちはあのバンドが大好きだっただけだ。
・(Born Againstの曲)”Half-Mast”をカバーしましたよね。あれは素晴らしかったです。
“Half-Mast”もしたね。でも音楽的にもリリック的にも、Born Againstに似せようとしたことはないんだ。僕たちは彼らのファックユー・アティテュードが好きだっただけだ。それで”Shape of Punk to Come”のブックレットの中でも”Refused are Fucking Dead”の箇所で”Born Against are Fucking Dead”のリリックをパロッた部分があるけど、それはただあのバンドが好きだったからだ。でもああいうパロッたものを書くのは、まぁ簡単だよね。(批判には)そういう思いがあったんだと思う。でも僕たちには自分たちの音楽が目指すべき地平線が見えていた。自分たちが何にのめり込んでいるのかわかってる。安直に「全部スベノーニアスのパクリじゃねえか」って思うかもしれないが、そうじゃない。
僕はスベノーニアスも彼のバンドも好きだけど、Noise Conspiracy を始めるときに「まるでMake-Upだ、でもMake-Upになりたいわけじゃない、このバンドは自分達らしくありたい」っていう風に、彼らの二番煎じにならないよう全力を尽くした。だからそこら辺は相当意識的だった。だからイエスともノーとも言える。僕は彼らのバンドが好きだけど、自分たちは全然違うことをしようとしていたんだ。Noise Conspiracyは最終的に70年代のジャムロックバンドみたいな感じになって終わっちゃったけどね(笑)。最後のアルバムにはマジで長いジャムソングがあるんだ。ギタリストがオールマンブラザーズなんじゃないかと思ったよ(笑)。でも(パクリというのは)違う。僕はそれが真実だとは考えてない。さすがに安直だと思うよ。でも人をけなすには良い方法だ、そうだろ(笑)?
・あの記事を見た時、落ち込みましたか?
いや、全然。気にならないね。彼らは僕を知らないし、直接話を聞きにも来なかった。彼らは僕の過去やレコードコレクションを知る由もない。安直にそう思っただけなんだ。Make-Upやスベノーニアスと比較されるなんて、まだいいよ。お世辞とも言える。彼らは本当にすごい奴らだろ?もしみんながそう思うならそう思えばいい。でも僕たちよりももっとひどい奴らと比較してほしいかな(笑)。まぁだからあまり気にしないようにしてるよ。
・私がスベノーニアス本人にあの記事について聞いた時、彼はこう言っていました。「模倣、コピー、それは若い奴の悩み事だ。歳をとればわかる。ポイントはコピーすること、しかし上手にやることだ」と。
全くその通りだね。若い頃にINVSNの曲を聞いたら「なんか聞いたことあるぞ」って感じになるだろう。でもそこに自分たちらしさを落とし込んだんだ。だから(スベノーニアスの発言と)同じだね。Noise Conspiracyを始めたときも、パクれるところはパクってきた。すると「ああ、彼らはこういうことをしようとしてたのか」ってわかる時があるんだ。それで、それから自分たちのアイデンティティを見つける。パクりはするけど、そこに自分のアイデンティティに落とし込むんだ。彼はやっぱり賢い男だよ、イアンは。
・彼は「若いうちはみなオリジナルを目指すが、ただのノイズでしかない」と言っていました。
それは最高だね(笑)。
(続く)
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arsemard · 8 years
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Dennis Lyxzén interview politics 1/3 | This town ain’t big enough for any of us >
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デニス・リクセゼンに過去の偉大なるフューチャーパンクバンド、Refusedが成し遂げた最大の功績は何かを尋ねればこう答えてくれる。
「このバンドの最大の功績は、93~97年の間、ひたすらツアーを繰り返して、スウェーデンにおいてバンドムーブメントを作り上げたことだ。それ以来今もシーンはアクティブだよ。それが成し遂げたことで一番でかいことだと思う。僕らはあの当時スウェーデンで、多くの人々にとって意味のあることをどうにかやり遂げたんだ。95~96年に回った”Songs to Fan the Flames of Discontent”(2ndアルバム)でのツアーはマジで凄かった。本当に多くの人がやってきて、そこに存在したんだ。それで俺たちは新しいものを作り上げていった。Refusedだけじゃなく、周りの多くの友達も含めてみんなでそういう大きなハードコアシーンを90年代のスウェーデンにおいて作り上げたんだ。
ツアーで回ったあらゆる都市で人々が姿を現した。めちゃくちゃクールだったよ。俺たちは現実に何かを作り上げたんだ。それから15年後、ニューヨークのデカい箱で、2日連続で5000人を前にライブをすることになるなんてね。」
***
2014年3月、Refusedのリユニオンライブ(2012年)から2年、そしてRefusedの結成から約四半世紀が経った今、フロントマンのデニス・リクセゼンはRefusedとは似ても似つかないバンド、INVSNを引き連れて再びここワシントンD.C.にやって来た。INVSNはサウンド的に近いバンドとしてthe Cureが挙げられるだろうか。
Refusedスタイルのパンク・メタルしか聴かない人にとっては、INVSNのサウンドはキラキラし過ぎているかもしれないが、2013年にリリースされたセルフタイトルのアルバムは、まるで義務かのように何度も繰り返し聴かせるような中毒性を持ち、私の中で着実に大きな存在になっていった。INVSNは忘れがたいフックで満たしたピュアポップを繰り出す。ミニマルでダーク、キラリと光る宝石のような曲は、ReplacementsやTom Pettyといった職人たちを彷彿とさせつつ、Joy Divisonなどの80’s サウンドを最も強く感じさせる。
DCでのショーは約30~50人といった入りだったが、リクセゼンは依然としてファンタスティックなロックンロールフロントマンであり、シンガーとしても素晴らしかった。オーディエンスはみな満足していた。
今回このインタビューでは、”親密な関係を築く”といった私のジャーナリスティックな戦略が思いがけず功を奏し、デニスに1時間以上のロングインタビューを行うことができた。私たちは、人間の性、資本主義、中年パンクスになること、幼少時代の話からInside Out、Fugazi、そして”予期していなかったこと、なりたくなかったもの、絶対になりたくなかったものに人生が引きずり込まれていくということ”について、率直に話をした。
***
・クラシック(と言われる名盤)は、古びていくのでしょうか?
いや、古びない。だからこそクラシックと言われるんじゃないかな。つまり、僕たちは”古びる”と言ったけど、人々がThe ClashやMinor Threat、Neil Youngとかに立ち返り続ける理由は、それらに時代を超越するものがあるからだと思う。とはいえ(あらゆる作品は)時間が経つにつれて文化的な重要性は間違いなく減衰していくとは思う。それでもなお残り続けるものがクラシックと言われる所以だね。
(この質問は、Refusedの3rdアルバム”The Shape of Punk to Come”の冒頭のスポークンワードからの引用。『クラシックは古びることはないと言われるけど、そんなことはない、古びていくんだ。まあでも、まさか俺たちも古くさくなっていくとは考えてもいなかったよ…』と言ってこのアルバムは始まる。)
・ということはクラシックは古びない?
古びるものもあるってことだ。面白いよね。あれは批評家や知識人への言及で、あいつらが「これはUK発の過去最高なバンドだ!」とか騒いでも、その2年後には完全に忘れ去られてたりする。常に新しいエキサイティングなものを探し続けるってメンタリティだ。でも本物の名盤っていうのは、長い時間をかけてゆっくりと一人でに画期的な作品になっていくものだ。Refusedっていうのはそういうアホみたいに大胆な声明でもあって ー ミュージアムを燃やしたりとかそんなことばかり話してたけど(笑)、ああいうことでロックの伝統を拒否しようとしたんだ。
バクニニスト的なアイデア ー「何かを作り出すためにまず破壊しなければならない」ってやつだ。あれは僕にとって多くのインスピレーションになった。「今あるものはクソだからぶち壊して新しいものを作る」っていうメンタリティは、今も完全にロックンロールのクリシェになってるよね。
(バクニニストとは、ロシアの哲学者バクーニン主義者のこと。近代の政治・思想史で最もラジカルなアナキズムの提唱者と言われる。)
・「クラシックは古びるものか」といった(過去の作品に言及した)質問をされるのは嫌いですか?
いや、そんなことないよ。実際初めて聞かれたことだしね。インタビューで嫌なのは「新作はどういった感じですか?」っていう類だね。あれは本当にムカつくよ…せめて「音源を聴きましたが、私はこう思います」っていうのが礼儀だろう。それくらいだね、嫌な気分になるのは。僕は考えがとても柔軟な方だし(笑)。あまり興味のない質問ならただ思いついたことを言うだけだよ。
・政治家みたいですね。
そうだね。上手いこと言い逃れする。政治家の話し言葉ってまずストレートに答えないだろう。どんな些細なことだろうと責任がついて回るからね。だから常にそういう喋り方ー政治的話法ーで、約束を避けたり、見解を示さなかったりする。僕はスウェーデンではテレビの討論番組にも出たりもするんだ。最近は考えを持ってるポリティカルミュージシャンっていう役割にちょっと疲れてきて、あまり出てないけどね。スウェーデンで受けるインタビューだとだいたい政治について話すしね。そしたら「そんなに政治を語るんだったら政治家になればいい」って言われる。『政治を語るのは、まさしく僕が政治家じゃないからこそだろ』っていうね。
僕の政治的な考えや意見は時に非現実的だし、アーティストっていうのはそうあるべきだとも思ってる。これだけ世界が複雑かつ分断されていれば、政治家としていいアイデアがあったとしても、結局それは妥協の産物にしかならない。ミュージシャン、アーティストとしての僕が目指すものはとてつもなく過大なものだ。僕の目的は見当違いな(くらい大きな)ことを言って、人々に考えるきっかけを作ることなんだ。だから、必要とあれば…
・主張を変えることもある?
そうだね。そういう(柔軟な)部分はアーティストの長所だと思う。アイデアが100%考え抜かれたものである必要はないし、アクションプランまで示さなければならないなんてこともない。ただのアイデアだからね。僕が音楽を好きな理由、音楽やアート、文字となった言葉のパワーに魅かれる理由はそこなんだ。「俺の言いたい事はこれだ」ってわざわざ説明する必要もないし、アーティスティクな表現だからね。多少大げさに言った方がいいんだと思う。
・つまり、社会におけるあなたの役割は、現実主義者ではなくアイデアリスト(理想主義者)ということですか。
そうだね。理想主義者でもあるけど、それ以上にミュージシャンとして人々に勇気やインスピレーションを与える存在でいることだ。というのは、僕自身何かを見たり読んだりして、自分自身に気づきを得たり、なんとか上手くやっていく方法とかそういうアイデアの種を見つけることが好きなんだ。そしてそれはアーティストの役目だと思ってる。
そう、僕は理想主義者だけど、実生活では現実主義者でもある。どういう風に物事が進んでいくかを知っている。でも自分のアートに限って言えば、常にオープンでいて「なんでもできる」っていう気持ちでいなきゃダメだ。僕がパンクロックから学んだことはこれだ。なんだってできる。どうして自分に限界を作る?なんだってできるんだ。
・“Hats off to hatred”(憎しみに敬意を)というあなたのリリックからはRage Against The Machine(以下RATM)の”Anger is a gift”(怒りは賜物)というリリックを連想しました。そこで聞きますが、RATMは好きですか?そしてもう一つ、このリリックには”Anger is a gift”と同じような感情がありますか?
RATMが現れたのは事件だったね。実は1stアルバムが出てすぐに彼らを見に行ったんだ。Inside Outのザックがいるからってだけでね。Inside Outはもうめちゃくちゃ好きで、Refusedみんなのフェイバリットだった。バンドでコピーもしてたしね。それでみんなでストックホルムまでRATMを見に行ったんだ。客は45人くらいだったと思う。そこで僕らはみんなハードコアのシャツを着てたから「お前らハードコアキッズか」って言われて、彼らと一晩中ハングアウトした。その三ヶ月後に彼らは世界一のバンドになってたね。だから彼らのことは追ったよ。彼らが出てきたのはRefusedを結成してすぐの頃だった。僕たちは別にRATMみたいになるつもりはなかったけど「メインストリームのバンドであれだけラディカルに政治に言及してて、シーンまで作ってる。マジかよ」とは思ったね。彼らの音楽が100%良いとも思えなかったけど、それでも何曲かはすごいと思ったし、リリックにも素晴らしいものがあった。
だから(INVSNの)あの曲には同じような感情があると思う。アウトサイダーや変人、または疎外されたと思って育ってきた人ー僕みたいな人間は、そういうネガティブなエネルギーや憎しみを抱えてきた。教師、大人世代の人間、自分の周りの奴らやクソジョックス、いじめてくる奴ら、とにかく全員を憎んでいたからね。僕はそういうエネルギーを原動力にしてバンドを始めた。そういうエネルギーをクリエイティブなもの、ポジティブなものへ注ごうと思ってね。屈折した形の復讐だ。誰も僕を信用してくれないし、学校でも人気のある方ではなかった。女の子にもモテなかったしね。頭のおかしい奴だと思われていたんだ。
・味方は誰もいなかったということですか?
みんな「こいつはマジで狂ってる」って感じで僕を扱ってたからね。それでそういう(負の)エネルギーを何かクリエイティブで最終的にポジティブなものに転換させることにした。それが大きかった。あのリリックで書いた”憎しみ”というものが、今の自分という人間を形作ったと言える。僕は全然憎しみに満ち溢れた方じゃないし、むしろ正反対でかなり呑気な性格だけど、人格形成期だったあの頃に今の自分の基礎が作られたから、(自分を)いじめる奴がいたことには感謝してる。そういうクソな経験をしなければならなかったことに感謝してるし、そういう経験の積み重ねがこういう人格を形成した。僕は強い人間でいる必要があったし、「誰にも従わない」って感じだった。なんといっても学校では周囲からの同調圧力がとても強かったからね。そういう圧力には絶対に屈しなかった。それが生涯を通じて己の道を行くっていう自分を作ったんだ。この曲を書きたかったのは、多くの人がこういう「あいつらめ、ふざけんな。見とけよ」っていう感情を認めることに繋がればと思ったからだ。それでもし君が何かクリエイティブなことにそういう力を切り替えることができたなら、それはとても素晴らしいことだと思うんだ。
・周りに合わせることはしなかったということですか。
絶対にしなかった。俺は群れる奴らが大嫌いだったし、それは今もだね。子供の頃はずっと一人で、一人遊びをして育ったんだ。それに小さい頃から男グループのノリっていうのが肌に合わなかった。男根主義的な社会構造っていうのはこの世で最悪な考え方だと思う。男たちが一緒になって奇声を上げているのとか、そういうのは本当に気が滅入るしね。今でもアレルギーだよ。学校の頃はずっとそういうのに我慢できなくて、それが今の僕を作った。まあ僕は男だけどね(笑)。こんな感じで育って、小さい頃から普通とは違う感じでそれが今の自分になったんだ。それにはとても感謝してる。
・それでも少しは友達がいたのではないですか?
あんまりいなかったね(笑)。どうだったかな。12~13歳くらいに本気で音楽にハマりだしたんだけど、それまではほとんど一人だった。12、13歳でデヴィッドボウイにハマって、ビートルズも聴いていた。クラスのみんなはAC/DCとかを聴いてたから、変わった奴だったね。それからヘビーメタルにハマりだして、ついに誰もついてこれないくらいめちゃくちゃのめり込んだんだ。それから自分と同じくらいのめり込んでる奴を見つけてね。彼とは今でも友達だ。最近まで一緒にAC4っていうハードコアバンドを組んでいたんだ。だから彼が初めてできた本当の友達かな。14、15歳の頃だった。
実はクラスにも一人友達がいたな。ギターが弾ける唯一の奴で「君は友達だ、ギターが弾けるんだろ、一緒に音楽をやろうぜ」って感じで誘ったんだ。僕は楽器は全然弾けなかったけど彼はできたからね。彼にはパンクロッカーになるように強要した。それで15歳のときかな、87年に一緒にパンクバンドを始めたんだ。そしたらある日、彼はボタンダウンのシャツに、ピアスも外して、髪も切って練習場所に現れてね。「どうしたんだ?」って聞くと「父親がもうパンクは辞めろって。パンクじゃなくなったら車を買ってやると言われた」と答えてね。それでバンドは解散した。あれはキツかった。
それから僕たちは89年に初めて本当のハードコアバンド(Step Forward)を結成した。僕とドラムのJensで、スケートボードとかヘビーメタルをやってる奴らに会って声をかけたんだ。「ハードコアバンドを始めたいから、入ってほしい」ってね。それで彼らにハードコアを聴かせるようになって、バンドでプレイしてもらうようになった。
そしてRefusedを結成する頃には、僕らと周りの友達を含めた小さなパンクシーンができた。僕は当時20とか21だったんだけど、その頃にいきなり初めて自分の属するコミュニティっていうものができたんだ。大きなグループの一員で、みんな自分と同じ物にのめり込んでる仲間っていうね。だからとても変な人生だと思うよ。僕はとても社交的な人間で、人と付き合うのが好きな方なのに、長いことそうはならなかったからね。いろんな友達をハードコアにハマらせようとしたよ、ストレートエッジを強要したりね(笑)。「よくわかんない」とか言ってる奴らには「おい、俺らはストレートエッジにならなきゃダメだろ」とか言ってね。そいつらは「いやよくわかんないけど」って感じだったけどね(笑)
・あなたの両親はどう思っていたのでしょうか?
両親は僕を最初から変わってる子供だと思ってたね。僕が音楽にハマりだした時、彼らは「そういう時期なんだろう」って感じだったし、僕がモヒカンにしたりキラーブーツを履いても「そういう時期なんだろう」って感じだったんだけど、ある日学校から帰ってきて、急に「ベジタリアンになる、俺はストレートエッジだ」って言ったら、そこで初めて「一体どういうことだ?」ってなってね。Refusedでツアーに行くとなった時にはとても心配していたよ。「音楽をやるのは構わんが、ちゃんとした仕事を見つけるべきだ。永遠にそんなことを続けるわけにはいかないんだ。」と言われたよ。
それがある日突然応援してくれるようになった。ライブにもたくさん来てくれてね。父はINVSNとRefusedのシャツも持ってるし、いつもサポートしてくれてる。僕には弟が二人いるんだけど、二人ともバンドをやってて、10歳も年の離れてる方はほとんど僕と同じことをしているよ。彼はINVSNのヨーロッパツアーの時にサウンドマンもやってくれた。彼もパンクバンドを組んでて、スタジオも持ってるんだ。だから僕とかなり似たような生き方をしてるんだけど、両親はとても協力的だね。そうなるにはしばらく時間がかかったけどね。
父はワーキングクラスの人間だから、彼にとって成功っていうのはつまり金なんだ。「成功すればいい車、いい家を買えるだろう」っていう感じでね。長いこと理解してくれなかったよ。「お前はヒット曲を書け」って言われたりね(笑)
僕は「人生はそうじゃない。人生すべてがひとつのアートで、プロジェクトみたいなものなんだ」とか言っても「でも全然稼いでないだろ!」って言われる。僕は「稼ぎは関係ない。フリーエージェントみたいな生き方で、したいことをなんでもするんだ。」って感じだ。今はそれをとりあえずは受け入れてくれたよ。でもRefusedを再結成したときにちょっとした金が入ったことがあって、その時父は「イエス!」ってハッピーになってたけどね(笑)
・Refusedがまだ現役だった頃のあなたの言葉に「バンドはいつだって限界まで努力するべきだ」というものがありました。私はこれをとても気に入っているのですが、INVSNでもそうしていますか?そして今もこの言葉を真剣に捉えていますか?
ああ、今もそうしてる。これは音楽の境界線を壊すために前衛的なフリージャズプレイヤーのようになるとか、そういう音楽的な話ではないしそっちに興味はないんだ。興味があるのは常に、自分たちのできること、成し遂げられることを把握するために努力するってことだ。今までやってきたどのバンドでも僕はトライし続けてきたし、僕にとっては常に新しいものに挑戦してきた。つまり僕がパワーポップバンド(Lost Patrol Band)をやったのはパワーポップの曲を書けるかどうか試したかったからだ。あれがINVSNの前身だった。しばらくパワーポップもやって、Noise Conspiracyもやった。
INVSNを聴いて「これは新しい、画期的だ」とは誰も思わないだろう。でもプレイスタイルが違う。とても簡潔なんだ。多くのことはしない。フィルもなし、ギターソロもなし。いじくり回すこともない。「弾くのはコード二つ、この曲ではそれだけ。」っていう感じで、そこがチャレンジなんだ。歌い方やリリックにしても、絶えず創造的に自分自身を駆り立てること。それが僕のメインとなる目標だ。
もしも「よし、今まで誰もやったことのないことしかやらないぞ」っていう風にバンドを始めたとしたら、ただ最悪な結果にしかならないと思う。クソみたいなサウンドになるね(笑)。そうじゃなくて、自分自身を駆り立てること。今までよりうまく歌う。バンドの全体的なアイデアとしては、僕は今も自分を駆り立てようとしてるんだ。何かにトライしてたとえ上手くいかなかったとしても、それがどうした。じゃあ次はこうするぞっていうだけだ。僕のキャリアを追えばわかるだろうけど、同じ様に聞こえるレコードを2枚と作ったことはない。似たような傾向で、Noise Conspiracyでは以前やったことに改良を加えていく感じではあったけどね。INVSNも同じような感じだと思ってる。次のレコードは今やってることにもっと近くなるだろうけど、より改良を加え、自分自身を更に駆り立て続けるんだ。
・ワシントンD.C.での良い思い出は何ですか?それからイアン・マッケイと会ったことはありますか?
彼とは何度も会ったことがあるよ。ずっと昔にイアン・マッケイに初めて会った時のエピソードは気に入っててね。1991年、僕とDavid(Refusedのドラム)と、友達みんなでイェベレまでFUGAZIのショーを見に行ったんだ。カフェQっていう場所でライブをしてて、多分客は50人くらいだったと思う。それが普通だって僕たちは知らなくてね。FUGAZIのショーにたった50人?しかもそのうち20人はウーメアから来た自分たちだ。それで僕らはいつもウーメアでやってるようなことーステージまで駆け上がったり、マイクを掴んでFUGAZIの曲をシンガロングしたりしたんだ。それでショーが終わってから、楽屋に行ったことを覚えてる。Refusedの1stデモを持ってたから92年だったかもしれない。それで楽屋まで行ったとき、僕はもうビビり声になりながら「ヘイ、僕たちウーメアから来たRefusedってバンドで…」って入っていってね。そしたら皆フレンドリーに「ヘイ、元気か?」って言われて呆気にとられたよ。それで”あそこにイアンがいる!”と思ってまたビビりながら「スケートはまだしてるの?」って聞いたら彼は「ああ、たまにね」って返してくれた。それで僕は「本当ですか!」って言ってそのまま出ていったんだ。彼に初めて会ったのはその時だ。それからも何度も会ってるね。地元ウーメアでFugaziのオープニングアクトにNoise Comspiracyで出たこともあったね。もう僕にとっては一大事だったよ。彼はいつだってナイスガイだね。会う時はいつも感銘を与えてくれる。彼は「ヘイ、デニス。元気かい?」って感じだけど、僕は「マジかよ!」っていうね。
D.C.にも何度も来てるよ。こっちには友達もたくさんいる。RefusedはFrodusとBatteryのメンバーとも対バンしたんだ。Damnation AD(Batteryのギタリストが在籍するバンド)なんかとね。とにかく知り合いがたくさんいるし、クールな所だよ。たくさんの歴史があるしね。Discord Records周辺の現象にはとてもインスパイアされて、友達と一緒にバンドをスタートさせるきっかけをもらった。僕はNy Våg Recordsっていうレーベルもやってるんだけど、ローカルバンドしかリリースしないんだ。ローカルシーンしかサポートしない。これはDischordと同じアイデアだ。もし君の地元にローカルシーンが存在しているのなら、大切にして、育てて、記録していく必要があるんだ。
(パート2に続く)
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arsemard · 8 years
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Los Crudosが1991年に結成されるその前から、USパンク・ハードコアシーンには一握りではあるが既に”ラティンクス”(ラテン系の意)は存在していたし、名の通ったバンドにも関わっていた。The Bags, Black Flag, Descendents, Adolescents, Suicidal Tendencies, Agnostic Frontなど多くのバンドがシーンに頭角を現したが、彼らは(リリックにおいては)アメリカでの自身の変わった人生経験に正面から向き合うことはあまりなく、どちらかと言えば疎外感や社会不安といった一般的なテーマに焦点を合わせていた。これに対してLos Crudosは、有色人種や移民としての自身の経験をはっきりとリリックに盛り込んでいた。
(Latinxは最近使われるようになった言葉で、Latinoはラテンアメリカ系男性、Latinaがラテンアメリカ系女性を指すのに対し、Latinxは男女の区別がなく、トランスなどセクシャルマイノリティも含めて"ラテン系"の人を指す言葉。ラティーノがいるバンドとしてSuicidal Tendenciesのマイク・ミューレはメキシコ系とのハーフ、Agnostic Frontのロジャー・ミレットはキューバ移民など)
Los Crudosは、ストイックな音楽性と最大限のスピード、オーバードライブさせたギターで非常にラディカルなハードコアパンクをプレイした。ボーカリストのMartin Sorrondeguy(以下マーティン)は、アメリカに住む移民としての不安をスペイン語で吐き出した。(英詞の曲が1曲だけあるが、そのタイトルは”That’s Right We’re Spic Band” [Spic=ラテンアメリカ人の蔑称]であり、その反逆精神が伺える。)そしてそのインパクトはスペイン語を母国語とする人たちだけにとどまらず、シーンに存在する非白人からノンバイナリー(男性でも女性でもない人たち)に至るまで、パンクの広範に渡って衝撃を与えてきた。バンドは10年間繰り返しツアーを行って、Spitboy 等のバンド達とコネクションを作りつつ、国境の南側にも出向いた。Los Crudosがメキシコに渡った時、大勢の暴徒が中に入ろうとして会場に押し寄せるほどであった。
Los Crudosの解散後、マーティンはLimp Wristを結成、音楽的にもテーマ的にも同様にラディカルなバンドである。Limp Wristはマーティンや他のメンバーのクィアネスを前面に押し出して、パンクシーンのヘテロノーマティビティ(異性愛を標準と捉える価値観)に対して異を唱えた。また、80年代当時のシーンについてLGBTQパンクスにはよく知られたことだが、The Dicks、Big Boys、MDCなどポリティカルバンドもクィアネスを題材にしていた。そしてFifth Column、Pansy Division、Team  Dreschといったバンドによって、”クィアコア”というムーブメントが作られる。Limp Wristは自らのアイデンティティのどの部分も削ることなく、よりハードでより速い曲を作った。
生涯現役のパンクスであるマーティン・クルード(ファンにはそう親しまれている)は、世界各地でパンクを題材にした写真の個展も開いてきた。2012年にはGet Shot!というタイトルの写真集を出版し、またいくつかの大学ではパンク、ラティーノ性、LGBTQの交わりに関する講義で講演者としても招待されている。
(2016年)9月末、デサフィナードス(ポルトガル語で音痴の意)と題されたLos Crudosのこれまでとシカゴ近郊のラティンクス・パンクシーンを9日間に渡って祝うイベントがあり、そのオープニングでマーティンはホストを務めた。このイベントはパフォーマンスに加え、トーク、レクチャー、リーディング、アートエキシビジョン等の企画もある。 Alice Bag、Michelle Gonzales、David Zamora Casas、Dorian Wood、Gerardo Villarreal、Cristy C. Roadといった大勢のラティンクス・パンクアイコンも出演。我々はマーティンと一緒に25周年となるLos Crudosを振り返り、またイベントに対する彼の見解を聞いた。
***
懐古展を企画することでマーティンは自身の過去に立ち返る必要があったし、Los Crudosの再結成は確実にバンドのアイデンティティを明確にさせた。クルーは2013年に再結成を決意。90年代にバンド仲間であったトランスウーマンの友人がガンと診断されたことがきっかけだった。「その場でLos Crudosのメンバーに電話をかけた、みんな「よし、やろう」と言ってくれたよ。あの状況ではクルードスのスタイルで行くのが正しいと感じたんだ。普遍的で馴染みのあるやり方でいく必要があったんだ。」
マーティンは過去を引きずるようなタイプとは違うが、それでも若い頃に最初に始めたバンドを再結成することは純粋にノスタルジックに映るかもしれない。だが2016年にLos Crudosをプレイすることは、90年代初頭と変わらないくらい意味がある、と彼は言う。「25年前に俺たちが書いたリリックは、今もなお完全に有効なんだ」と言う。「自分にとってそういうリリックをシャウトすることは苦じゃないし、今も強烈に感じている。まさに今起きていることなんだ。アメリカはすごくアンチ・ラテンだし、世界はアンチ移民の流れだ、俺たちを含めたね。」
そういったリリックが今なお有効性を失っていないからこそ、マーティンはパンクの歴史におけるラティンクスの重要性を声を大にして主張し続ける。彼はシーンの専門知識をアカデミックな領域へ持ち込んだものの、大学に篭ってばかりいる学者達を全力で支援する気にはならないらしい ーそれももっともだ。「俺は今もベースメントショーに通うし、今なおムカついているんだ(笑)。俺はそこから離れることはない。大学での講演だってそれほど多くしてるわけじゃないしね。彼らはパンクを学ぶ学者は大勢招くけど、パンクスを招くことはあんまりないんじゃないかな(笑)。もし俺が招かれれば光栄に思うし、パンクとは一体何なのかってことについて本当のことを伝えるためにベストを尽くすよ。俺は”パンク学者”とやりあうのも苦じゃない方だしね。だって彼らはたまに間違ってるし、それが本になって世に出る前にきちんと批判しとく必要があるだろ。」ときっぱり言う。
バンドのキャリアをスタートさせた当初から、マーティンのパンクのスタイルにはアイデンティティが不可欠な要素だった。「もちろん、早くてアグレッシブな音楽が好きだからパンクにハマるやつもいる。」しかしラティンクス・パンクスにとって、このジャンルは”10代の反抗”といったもの以上の意味を持つ。「アメリカに住むラテン系のパンクス達は、怒れる郊外の白人ユースとは違う…例えば両親に逆らってるようなリリックの曲を見かけたりするが、それは”俺は親と何の問題もない”って言ってるようなもんだろう(笑)。俺たちはそういうものとは違う現実を生きてきた。俺たちは郊外に住んでてそれから街にやって来たわけじゃない。俺たちはギャングが幅を利かしている街で、腐敗ばかりがあるような所で育ったんだ。俺たちは暴力が蔓延する地域から出て来て、若いラティンクスとして育ったんだ。」
マーティンは、ウルグアイ移民の子供として育った自身の経験を、Los Crudosで曲にすることで、そういった現実に目を向けさせようとした。「あそこは独裁国家だった。(ウルグアイは1973〜85年まで軍事政権が続いた)そしてほとんどのアメリカンパンクスは”一体何の話だ?”って感じだった。エルサルバドルについてアメリカからの視点で書かれたような曲もあったが ーあれはクールだったし、もちろん素晴らしい功績を残したバンドも多くいただろうがー ある特定の地域出身の人とか、そういうキツい現実に向き合ってきた人たちが書く曲はやっぱり少し違う。だから俺たちにとって大切なそういうことを、自分たちの曲として書いていく必要があると思ったんだ。」
Los Crudosが最初に登場して以来、アメリカにおいてはラティンクスパンク ・ハードコアは大きなムーブメントに成長し、露出する機会が増えてきたと共に、メキシコや中南米、スペインとのシーンの結束も強くなってきた。Downtown BoysからニューヨークのLatino Punk Festまで多くのことが起きている現在、いわばシーンのゴッドファーザーと言える彼は今のラティンクス・パンクの隆盛についてはどう思っているのだろうか。「クールなことだと思うよ。君が言うパンクシーンにいるラティンクスに関して言えば、本当にたくさんいるし、アイデンティティを題材にする奴らばかりでもないしね。俺が思うに差別化っていうのは、君がただ単に”パンク”と言う代わりに”ラティンクス・パンク”と言うことであって、それ自体がある意味ステートメントにもなっている。君自身はそれをいい意味で使ってるんだろうけど、使い方には気をつけなきゃならない。キッズによっては”俺達のもんだ(お前がその言葉を使うな)”って言ってくるかもしれないからね。 俺自身はそういうメンタリティに陥ったことはないよ。いつだって出身が違う人達ともコネクションを作ってきた。なぜLos Crudosがこれほど多くのコミュニティや異なる属性の人達にまで広がるのかといえば、俺たち自身を孤立させてこなかったからだ。」
「俺は”型にハマる”のが怖いんだ。」とマーティンは続ける。「つまり、”ああ、俺はラティンクスのバンドマンなんだから政治やアイデンティティについて歌わなくちゃ!”ってなる必要はないと思うんだ。もしそうすることが自分らしくないんなら、しない方がましだ。」マーティンは政治性よりも嘘偽りのなさや芸術性のある方を支持する。「政治的なクィアネスとは何の関係もないところで、完全にヤバいクィアな人間が何かするのを見たいんだ…みんながパンクに何を持ち込むのか、何を取って何を与えるのかってことに興味があるんだ。俺はバンドが繰り返し同じことをしていたらすぐに飽きてしまう方でね。今のキッズはリスクを取ることや、仲間内やシーンから違って見られることを恐れているように見える。シーンや仲間内から外にはみ出れば、もちろん批判されるかもしれない、だが批判されるってことはもしかしたらめちゃくちゃクールなことをしてるかもしれないってことだろ?(笑)俺は過去に受けたインタビューで、全てのバンドが政治性を主張するべきだとは思わない、と言ったら”でも君がしていることはそういうことだろう!”と言われた。もちろん俺がしてきたのはそういうことなんだが、みんなが俺の後についてくることなんて求めてない。」
Limp Wristでは特に顕著だが、クィアネスは彼の音楽において大きな要素となってきた。アンダーグラウンドとメインストリームの両方において、LGBTQコミュニティの存在がより可視化されるようになってきたが、パンクシーンでのそういった動きを彼はどのように見てきたのだろうか。「長年に渡って、徐々にクィアパンクやカミングアウトした人たちの存在感が増してきた、あるいはより目に見えるようになってきたね。俺はとてもたくさんのトランスのキッズがシーンの一部を担っているのを見てきたし、そのことには本当に驚いている。15、20年前のハードコアパンクじゃこんなことはあり得なかった。パンクやハードコアってすごくマッチョな外見だったからみんなすごくビビってたし、それは俺にだってわかる。ケンカしまくったり、いつでも闘えるように身構えてなきゃダメだからね。君がもし変な奴と見なされれば、他の奴らからちょっかいを受ける、そうすると君はパンクの中で自分の居場所を確保するために戦わねばならないんだ。”俺はパンクも好きだ、ディックをしゃぶるのも好きだ ーこれは俺自身のことなんだがー で、お前が嫌いだからって俺の知ったことかよ”と言うためにね。これこそが真のパンクスピリットだし、内輪の中で挑んでいくこと、特にあまりにも多くのルールでがんじがらめになってしまった所では尚更だ。俺たちにはルールをぶち壊す奴が必要なんだ。」
マーティンはパンクの未来を、POC(people of color =有色人種の)コミュニティに向けられる抑圧的な力を相殺させるツールとして、共感と積極性のうちに見ている。「怖いのは今の若い世代が敗北感を植え付けられるんじゃないかってことだ。これはオープニングイベントでも話したことなんだが、”たとえ奴らがこの土地を高級住宅地化して俺たちを地元から追い出そうとも、あるいは君のコミュニティや家族、周りの人や君自身について、あのアホのトランプがああいうゾッとすることを言っていようとも ーたとえ何があろうが、俺たちは常にサバイブし続ける。俺たちはどこにもいかない。”」
“ーNo matter what, we will always survive; we’re not going anywhere.”
政治の発展とは分割や侵害からではなく、実験によってもたらされるものだ、とマーティンは間髪入れずに力説する。「今の政治では、他の人とぴったり同じ考えじゃなかったり、期待されていることを正確に言わなかったらすぐに侮辱されて、裏切り者だと言われる。これは左翼に内在するファシズムみたいなものだ。”オーマイゴッド!俺と同じ考えじゃないなんて!やつはアホだぞ!” こういうメンタリティはまじでクソだし持つべきじゃない。おかしいと思うのは、そこには微妙なことやミスが許されなかったり、実験や探求、学習するってことの入り込む余地がない所だ。」
ディサフィナードス・フェスティバルは、Los Crudosとその仲間たちがパンクの歴史の中でラティンクスを盛り上げるために行ってきた長年の努力の集大成だ。「エキシビジョンでは俺たちの地元でどういう風にパンクが始まってきたかっていう歴史を見せるんだ。1987年に一番最初のショーがあって、それからLos Crudosが始まり、その後に他のバンド達も続いていった。俺たちの地元からのアーティストも招待している。いつも俺たちをサポートしてくれたり、よく見に来てくれた人たちで…もはやコミュニティみたいなものだね。」Los Crudosが始まって25年を経た今、このプロジェクトはこの厳しい政治情勢の中でその火を生かし続け、バンドの今もなお続く次世代に残すべき遺産を祝福する祭典となる。
2016年10月4日 Remezclaの記事より
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arsemard · 8 years
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多様性を受け入れることや一体感というものを主張するにも関わらず、パンクやハードコアは未だにかなり白人化されているシーンだ。私がトロントでのショーに足を運ぶ時はいつも「自分はここに属してない」と心の奥底で感じている人がいる、ということに気付かされるような出来事や出会いがある。あなたが数少ないアジア人の一人なら、人混みの中で自分と似たような容姿の人にすぐ目が行くだろう。
昨年、私はS.H.I.B.G.B’sというローカルDIYスペース(現在は既に閉鎖)のショーに通い始めてすぐに、VCRのキーボーディストであり、TriageのボーカルでもあるLia Lepreに出会った。Liaはチャイニーズとイタリアンのハーフで、トロントハードコアシーン(TOHC)の中でアクティブに音楽とアートを作る、おそらく唯一のアジア系フロントウーマンだ。私がLiaを知るきっかけとなったのは彼女のTumblrだった。そこにはアーティストとしての彼女の個人的な作品の他、パンクイベントのデジタルフライヤーも投稿されている。私の知る限りTOHCシーンにいる人間のほとんどは25歳以下である。この若さは20代後半からそれ以上のパンクスが多い他の都市と比べて、トロントシーンの特徴の一つと言えるだろう。今回、彼女の多忙なアートスクールのスケジュールの合間を縫って、トロントシーンやツアー、インターネット、パンクに居場所を見つけることなどについて、話を聞いた。
20代前半であることや年下でいるということは、コミュニティをより安全に、より受け入れやすいスペースにすることに、なんらかの効果がある(役立っている)と思いますか?
私はアートや音楽のシーンというのは、若いキッズの多様性を受け入れる感性に頼る部分がかなり大きいと思ってる。私たちはみな今も成長している最中だし、学ぶことはまだまだある。そしてその結果として、自己認識を深めたり、クリティカル・シンキングを身につけたり、他にも…本当にいろんなことを皆から学べていると思う。とは言うものの、少し年上の人と会うときは彼らがどういう人間なのか判断する必要があるから、身構えることもある。自分は経験があるけど、少し年上の人でクールっぽく見える人でも、(話してみると)ジェンダーアイデンティティの問題に関して理解が欠けてたりしてね。
(クリティカルシンキング=批判的思考法 とは、物事を科学的、客観的に様々な角度から考え、感情論に影響を受けず、科学的根拠・証拠から限りなく答えに近づいていく思考法)
問題のある意見を持つ人や他人を威嚇するような人物と関わるとき、あなたならどうしますか?
その人がどのような意図を持っているかを理解するために少し時間を置くことは重要だと思う。何事にも文脈(背景)があり、みなそれぞれの固有の体験がその人の考えや意見を形作っていると思うから。それにおそらく私たちのほとんどは、それを自覚しているかどうかは別として、ある種の内在化した物の見方(偏見)を持っているものだと思うしね。私たちはそういう(偏った)物の見方をしていないか自分を疑うべきなんだと思う。自分の行動や発言が、誰かに非難されたり反対されたりしたときは、すぐに自分の守りに入るんじゃなくて、まず最初に自分の行動を省みることが大事。
ハードコアの中のダイバシティ(多様性)について、あなたにはどう見えていますか?
いや…まだ見えてないかな。私としては有色人種の人、トランスの人や、障害のある人達が、マジョリティ層から明らかな例外として浮いちゃう存在にはならないっていうのが多様なシーンだと思ってる。パンク(のシーン)で自分みたいな容姿の人を見かけたらいつも目に留めるし。私がショーに行き始めた頃なんかは、バンドのメンバーに女性がいるっていうだけで目立って見えたりね。他のアジア人がパンクショーに来てたり、バンドでプレイしててもすぐ気がついた。
ハードコアにおける”多様性とそれを受け入れること”(diversity and inclusion) についてのあなたの考えは、どのような体験から形作られたのでしょうか?
私が何に嫌気が差すかっていうと、バンドのプレイヤーもオーディエンスも男性ばかりってこと。今までで一番印象に残ってるショーは、ステージにいる人たちが本当に多様な人たちで、それがオーディエンスの間にただエネルギーを生むだけじゃなく、本当に様々な人たちを勇気づけてショーに連れてきていた。それで前に(イベントに)あるバンドを呼びたいっていう話を周りでしていたとき、その理由が『ライブのメンツが白人シス男性のバンドばかりになるのを避けたいから』っていうことがあって。それって例外的にそういうバンドを一つブッキングしたところで、ただトークナイズしていることにしかならないと思う。“多様化している”バンド一つでチャラにしようとするなんて解決策とは言えない。問題はそういった構造そのものに、アティテュードの中にこそある。
(トークナイズ = 言い訳的にマイノリティを配置すること。例えばドラマのキャスティングが白人ばかりであるという批判を避けるために黒人を一人入れておく、というようなときに使われる)
年の近い人と一緒にバンドをすることと、あなたより年上のバンドではどういう違いがありますか?
私は若い子達がプレイしてることにより触発される方かな。あと私はつい最近まで実年齢より年下だと思われてたみたくて、いろんな人に見下される感じで扱われてた。それって下らないことだし、その背景にある考え方もよくわからない。若いバンドのどういう所がクールに思うかっていうと、”ルール”をよく知らないからこそ何の気なしにそれを壊したり、とてもフレッシュな物を持ち込んだりするところ。ワクワクするサウンドを作るためにとてもストレートな方法でその影響を混ぜ合わせてみたりとか。
「ここは自分の場所じゃない」と思った��うな所はありましたか?
もちろん。ツアーで行った何ヶ所かはそこの人たちやその場所に対して「完全に場違いだな」と感じたこともあったし、居心地のいい所から抜け出してライブをするっていうのは、楽しくもあるけど疲れることでもある。私たちがモントリオールでプレイした時、ほとんど片手で数えられるくらいしか女性がいなかった時があって。で、ライブの終わり際にうちのバンドメイトに唾を吐いた男がいたからそいつを叱りつけたら、私のことを「シンセサイザービッチ」って言い返してきた。正直それは面白かったけど。数で圧倒されたり、場違いだと感じることは怖いことだと思う。
対話や議論の重要な場としてのインターネットという考えについてはどう思いますか?
インターネットの重要性って、告知(宣伝)ができたり誰かと繋がれたりすることだと思う。世界の別の場所と即時に繋がれることはクールだし。今年の夏は(2015年当時)、ツアー中の新しい写真が毎日のようにアップされるからVexx(G.L.O.S.S.のドラム、COREYが参加している)をフォローしたりね。Tumblrはみんなが同じレベルの声を持てるようにしたと思う。
(インターネットに対して)リアルな生活の場の方が議論の場に向いており、私たちのコミュニティにとってもそれは重要だと信じる人達がいますが、あなたの考えはどうですか?
それはやや非現実的な考えだと思う。ネットで起きることは”実生活”で起きることよりも価値が低いっていう風に決めつけるような傾向があるように思える。でもネット上の議論で何が嫌になるかというと、誰でも読める場所に誰もが言いたいことを投稿できるけど、時としてその結果、どうとでもとれるような(矛先が)曖昧な意見とか、そもそも目的すらないような意見も投稿されてしまうところ。アイデアは方向性がなくなってしまって、そのインパクトを失うことだってある。それと私たちはインターネットで言いたいことを何でも言える環境にあるけど、それは考えなしに何を言ってもいいってことじゃない。この現実世界と同じようにね。
2015年12月2日 Mask Magazineの記事より
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arsemard · 8 years
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The Ian MacKaye DIY Community Interview
※この記事はThe Indie Spiritualistの了解の下、翻訳・投稿されています。
It would be allowed to translate and show by The Indie Spiritualist.
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ライター : Chris Grosso 翻訳元 : http://theindiespiritualist.com/2012/05/08/mackaye/#more-4011 翻訳者 : kei
僕が最初に聴いたのはFugaziだ。次がMinor Threat、それからEmbrace。最後にようやくIan MacKaye(訳注1)のそれ以外の色んな試みを知った。そのどれもが、僕の人生の中で大きな意味を持っている。高校時代の僕の思い出はスケボーをしながら聴いたFugaziやMinor Threat、他にも数多くのパンク/ハードコアバンドに彩られている。多くの奴らが他人がどう思ってるかなんて気にすんなよ、と僕に言ってくれた。そんな不安を抱くことはだいぶ減ったんだけど、いまでもまだその言葉たちは僕の心の奥深くで鳴っている。
Ianの関わったバンドや、彼のレーベル Dischordがどれだけのものを僕に与えてくれたかってことなら、正直、言いたいことは星の数ほどある。でも、僕は友達のBenとIanについて、もう少し詳しくするならMinor Threatの7インチ『In My Eyes』の裏面について、話していたときの彼の言葉を伝えたい。「彼らのスタイルの何がぼくにとってスゴかったかっていうとさ、その本当に普通の見た目なんだよ。ぼくや、ぼくの友達と何も変わらない。って事は、彼らができていることは、ぼくらにもできることじゃないか」これはBenが手作りのパンク/ハードコアシーンで大切なことの大部分をちゃんと分かってるから言える言葉だと思う。もしも君だって同じ畑で育ってるんなら、言いたいことがなんなのかはっきりと分かるだろう?
そこで、僕はIanと膝を付き合わせて、インタビューのBGMにはFugaziの『Repeater』を流しながら、コレをはっきりさせてみようと思った。そして、あっという間にこのアルバムはこの場所を’90年代に、ここ(コネチカット州)のライブハウスによく通ってたあの頃に変えていた。たくさんの大切な思い出がある。何ヶ月も探し回っていたCDやレコードを会場の物販や、ディストロで見つけたときの興奮。会場の外でショウまでの間、スケボーをしてたこと。手渡されたフライヤーを見て、お気に入りのバンドがもうすぐコッチにツアーしに来ることに気づいたこと。ヴィーガンとか、ストレイトエッジとかについて頭の良さそうな会話がしたくて、でも実際にはバカみたいなことをしゃべってたこと。ステージに飛び乗って、マイクを抱えて、曲の中でそこにいた誰よりも深いところに置いてると思ってた歌詞の一行を叫んだこと。もしかしたら、理想化しすぎてるかもしれない、いや、そんなことはないか。あれは僕にとって本当に大切な時間だったし、そこにいた彼らにしてもそうだと思う。もちろん、いまこの文章を読んでる君たちの多くにとっても。
だから、そうして受け継いだDIYの精神と、オールドスクールのパンク/ハードコアの道徳心がそうであるように、このインタビューを僕だけでやるようなことはしたくなかった。その代わりに、まず先に君たち、あの頃そこにいた、もしくはいたかった君らに「このインタビューでなにを訊いて欲しい?」って訊いてみた。そしたら、パンク/ハードコアシーンにいる人たちから幅広いジャンルで、たくさんの質問が届いた。そこからいくつか気に入ったものを選んで、あとはできるだけ公平になるようランダムにすることにした。さて、いい加減、インタビューを始めようか?
僕はIanがどれだけ知的で、その素晴らしい意見を余すところなくインタビューで答えてくれるのかを知ってる。けど、今日用意した質問のいくつかはフランクすぎるのも実は分かってる。Ianはそういうのにもちゃんと真面目に答えてくれるだろう。さすがにこれは無いだろう、みたいなのが混じってても。それをとてもありがたく思う。ーーもういいだろう、前置きはこれでおしまい。
The Indipendent Spiritualist(以下、TIS): 今日は時間を取ってもらってありがとう。まず、それをとても嬉しく思います。
Ian MacKaye(以下、IM): 大丈夫、気にしないで。
TIS: じゃあ、さっそく最初の質問をしますね? 今でもまだスケートボードはやってますか? そして、スケボーはあなたの人生、あとパンクとの関係の中でどんな存在ですか?(Nate Newton)
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IM: スケートボードが人生に与えてくれたものは大きいね、それにまだ僕は自分をスケートボーダーだって思ってるよ。たぶん、他の奴らが考えてるボーダーとしてのあり方とは違うだろうし、同じようにはしてないと思うけど。もちろん、パンクロックにしてもそうだよ。僕の思うパンクロッカーとしての自分はとても限定的で、具体的なものの上に立ってる。僕が初めてスケートボードに触ったのは’70年代のことで、それは言うなら自分の周りの世界を再定義していく道を進む、って感じだった。だから、それは修行みたいなもので、全部が一体スケートボードをする上でどういう意味を持つのか、ってことに変わって行ったね。例えば、別の言い方をするなら、僕が外に出かけて、路地裏に誰かが置いてった、凍ったまんまの水の箱が並んでたりする。もうほとんど乗ることはなくなったけど、脳みそは勝手に動き出して、そこをスケートボードで走ることを考えてしまう。そんな感じ。雨だって、もし君がスケートボーダーなら違う意味を持つ。歩道、その縁石、コース、バンクなんかでね。僕がワシントンDCの地下鉄を歩いてるとする、で、そこには綺麗にカーブした分かれ道とかがあるわけで、そっちにも続いてる。そして、考えるんだ、もし僕がボードに乗ってたとして、走っていたらその真っ直ぐな壁をどんな感じで走れるだろうって。そんな感じで僕はスケートボードが教えてくれた見方で考えているし、これにはどんな風にアプローチできるだろうなんて思ったりする。
パンクの世界に飛び込んだときも同じだった、僕は今までやってきたように色んなものを定義し直した。でも、シーンの開拓者みたいな言い方はして欲しくないんだ、僕たちがやる以前からやってたバンドはいたんだから。確かに、僕たちがパンクに出会ったとき、ワシントンDCにそういったシーンはなかったよ。僕たちは自分たちでショウをやって、自分たちでレコードを出した。でも、勘違いして欲しくないけど、ワシントンDCは音楽の街じゃないんだ。僕たちの両親の誰一人もバンドを組んだことはないし、誰一人、こうやるんだってのは知らなかったんだ。それでも、いま自分たちはなにができるか? どういう状況にいるのか? 周りはどうなっているのか? そいつらの反応は? ーーそういうのに目を向けて、一歩ずつ進んで行ったんだ。で、僕は思うんだけど、この能力はスケートボードで上達していく中でも同じ様に使われるものだと思う。最近はもうパンク/ハードコアシーンとスケートボードは似た様なものって言われたりもしてるけど、僕がパンクシーンにいるようになった頃に、スケートボードからは遠ざかってしまったんだ。その頃は誰もそれがパンクと似ているなんて言いもしなかったし。ジョックやロックンローラーみたいな奴らの多くには「(パンクをやってるなんて)つまらねぇヤツだな」って言われたりもしたけど、僕はそんな姿勢が大嫌いだった。だから、彼らには一片の興味も持たなかった。僕はパンクに深くハマり込んでいく中でもスケートボードを手放すことはなかったんだけど、部分的にはストップしてしまった。数ヶ月ぐらい経って、Tony AlvaやJay Adams、Duane Petersたちがそれぞれに革命みたいなものを、パンクシーンに入り込みながらやり始めたんだ。僕は偉大なスケートボーダーじゃないし、コレでの自分の限界も分かってる。でも、そうじゃないんだよ。そこじゃないんだ。僕にとってスケートボードは普段とは違う環境で誰かと一緒にいて、そこで彼らと同じ時間を過ごすことを学ぶ場所だったんだ。ここ数年は一緒にスケートボードを楽しむ人がいないんだけど、強制はできないしね。Dischordの事務所の近くにも公園があって昼間は人でいっぱいになるんだ。でも、朝方ならガラガラなんだ。なら、朝の8:30ぐらいに行って、滑って、キッズが来て僕を見つける14時前には切り上げよう、なんて考えたりもするんだ。でも、やっぱりそれは誰かと一緒じゃないとね。どうしてもやってるって気がしないんだ。それでも、スケートボードのことはよく考えてしまう。笑っちゃうくらいにスケートボードやロックンロール、なんでもいいよ、多くのものがアホらしいこだわりや、ムカつく態度、下品な振る舞いが当たり前の様になってる。話にならないよ。僕にとってスケートボードやそれについて回る考えは、スゴく意味のあることだし、それはどんなクソ野郎も関係ないものなんだ。
TIS: はい、そうですね! 僕も本当にその通りだと思います! 変な感じですが、言っていることは手にとる様に分かるのに、僕はいままで自分の中にこうしたスケボーによって与えられたものが確かにあるんだとは考えていませんでした。えーっと、では次の質問に移りますね。この二つは一緒に答えてもらった方がいいと思ったので、同時に質問しますね? Dischordからリリースできなかったバンド、たとえばthe Hatedとか、Moss Iconとかがいますが、そうやって関われなかったバンドで後悔しているものはありますか? (Toby Hamp) 次が、何故、DischordはSwiz(訳注2)のレコードをリリースしなかったんですか? (Ben Smith)
IM: 実のところ、リリースができなかったことを後悔しているバンドはいないんだ。リリースをしようって言っても、それには面倒な問題が多くあって、まず僕たちはお金持ちじゃないんだ。お金はどうしたって必要で、僕たちは何かをリリースしたら、そこから資金が回収出来るまで時間を必要としてる。そして、お金が返って来た後でも、やらなきゃいけない面倒なことは山積みで、時間が足りなくなる。Dischordが何をしているのか、ってことを理解したいんだったら、ひとつ、みんなに分かって欲しいことは、1988年から15年間、僕はツアーを行っていた。Fugaziのツアーは数え切れないほどだし、その間は本当に忙しい。The Hatedにしても、Moss Iconもとても素晴らしいバンドだ。でも、その頃は本当に忙しくてね、自分の周辺にどんなバンドがいるのかとかまでは気が回らなかったんだよ。Moss Iconがすごいバンドだってのは知ってるけど、解散があまりにも早かった。たぶん、彼らのラストショウで僕らとも共演してると思うんだ。いや、そうじゃないかも? たぶん、それはAdmiral(訳注3)だね。でも、彼らのことを同時に思い出してしまうのは、きっとこのどっちもが誰かの手によってダメになってしまったバンドだからだ。それによって評価が変わることはないし、ギタリストだったTonyもいい奴だよ。彼らはとても短命なバンドだった、僕は彼をよく知る時間もなかったし、仲良くなる前に彼らは解散してしまった。
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Dischordのカタログに載ってるバンドは、良い言い方が見つからないけど、言うなら「サインした」奴らなんだ。別にDischordはサインを求めないし、契約を交わしたことがあるバンドなんかないよ。僕たちがリリースしたレコードってのはほとんど全てが付き合った結果なんだ。だから、誰かと知り合うってのは、まず彼らのバンドを知るところから始まる。そこから友人になって、関係がいろいろと深まっていく。で、ある日、いいんじゃないかな? ってタイミングで、レコードを作ろうってなる。この考えがとても力強い交流を生むし、Dischordという活動を見たときに、この方法だと何が起こっているのかがそのまま分かる。’90年代に起こった変化として、もっと何かを起こせるような、ずっと続いて来たシーンへとレーベルの活動対象が移って行ったことがある。それと何も違わない。僕の中でレコードっていうのは、何かがあって、それを記録として残すためにリリースして、他の人にも知らせるっていうこと。だから、実際そこまでは行かなかったバンドはいっぱいいる。僕はthe Hatedのメンバーについても少しは知ってるけど、彼らは僕がみんなが同じ場所にいるって考えてたよりも少し強く、自分たちの譲れないものがあったみたいだ。でも、彼らはかっこいいよね? それも変わらない。Moss Iconもミネアポリスから出てきて、深く知る間もなく解散してしまった。その頃の彼らはまだ若くて、たぶんもう少し時間があって、もう少し長く彼らが活動していたら、ちゃんと知り合っていただろうとは思う。
Swizはまた話が変わってくる。メンバー全員、よく知っている。彼らは僕より少し年下だけど、特にヴォーカルのShawn Brownのことはその前から聞いてた。そう、Dag Nasty(訳注4)のオリジナルメンバーだよ。だから、バンドのことは知ってたし、彼がかっこいいのも分かってた。彼らは”harDCore”なんて呼ばれてたDCのシーンに、ハードコアとは何なのか? をもう一度呼び戻そうとしていた。その頃のシーンにはRites of Spring、Embrace、Soul Side、Beefeater(訳注5)なんかが、それぞれに枠組みの拡張を目指していたと思うけど、その中でもSwizは特に素晴らしくて、本当に型破りな感じで、その上でカッコいいときてた。けど、残念なことに彼らはローカルなZINEでDischord全般に、Fugazi、僕自身についても具体的にバカにするような発言をしてた……僕にしたら、オーケイ、なら僕もお前らみたいなクソと関わることはないな、ってなるよね。もし君がなにかのインタビューで僕が誰かを持ち上げるために、他の誰かを引き合いに出してたらどう思う? 少なくとも僕は、自分たちを持ち上げるために、他の誰かを攻撃して引きずり下ろすみたいなのに興味はない。どうでもいいし、持ち上げられたからって嬉しくもない。Dischordを運営していくことが大きな勲章ってわけじゃないんだ、でもね、彼らだって自分たちが何を思って、何を言ったかは分かってるんだから、その上で僕が彼らをディナーに招く、なんてことはないさ。けど、僕は彼らが上手くやって欲しいって思ってたし、事実としてSwizのレコードはSammich Recordsから出た。これは僕の妹のAmandaとEli Janney(Ianの弟Alecが加入していたThe Faith、Rites of SpringのメンバーでもあったEddie Janneyの弟)が運営してたレーベルで、このアルバムの制作資金と流通はDischordの方で全部持ってるんだ。まぁ、自分でクソ食らえ、勝手にしろよ、って言っといてなんだけどね。でも、彼らのことは好きだし、面白いことに全員がJason Farrell(訳注6)を好きなんだよ。彼は素晴らしいアーティストだし、FugaziやDischordでの多くの仕事を引き受けてくれた。Nathanは知ってる通り、Shudder to Thinkを始めたし、ドラマーのAlexもシーンにいた。僕とShawnはお互いに変わらず友達だって思ってるから、これはなんて言うか痴話ゲンカ(Internecine)みたいなものかな? そうだ、ちょっと確認していい? (ここでIanは近くにあった辞書でInternecineを調べ始めた)ーーInternecine、internecine……ちょっと「inter〜」って言葉が多すぎるね。ごめん、あったよ。コレだ。Internecine。「【形容詞】大虐殺の、血なまぐさい」ーーコレはさすがに過激すぎるね(笑) 「大量の虐殺、大規模な破壊に巻き込まれる、若しくは参加させられる」ちょっと待ってくれ、こっちだ。「グループメンバー、関係者内部で起こる諍い」うん、彼らは僕より10歳くらい若かったし、ムカつくことを言った。で、僕は彼らのレコードは出さなかった。でもさ、笑っちゃうけど、言い争いがあったわけじゃないんだ。それでも僕は長いこと煩わしい思いをしてきた。人ってよく「なんだあのクソ野郎は⁉︎」とか、「本当に、バカにしてるな!」とかなるけど、これに関して言うなら、僕は資金だけは出したんだよ。
TIS: はい、その辺りについてはハッキリしたと思います。
IM: そうだといいね。これはもう眠らせておいて欲しいよ。
TIS: ええ、その通りですね。じゃあ、次ですが…… 未成年のクラブ、ライブハウスの利用などを憂慮している市議会に対して以前発言したことがありましたが、その後、ワシントンDCの観客たちはどうなりましたか? (Taylor Steele)
IM: アレは下らないことだった。DCに��Go-Go clubってのがあって、そこはこの街独自のちゃんとしたダンスミュージック・カルチャーをずっと、それこそ三十年以上もやってきた場所なんだ。アフリカ系アメリカ人にしてみればとても大切なものだった。確かに一部のGo-Goのスタッフは多くのドラッグや、ギャングや、周辺住民との問題を抱えていて、それがGo-Goを一種の無法地帯のようにしてしまっていた。でも、そうじゃないGo-Goの姿もあって、昔ながらのダンス・クラブとして、小規模なショウを多く行ってきた姿だ。僕が話してるのはこっちなんだ。
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で、ある日そのショウの最中にいざこざが起こって、揉め事を起こしたヤツが放り出されたんだ。そいつは呼んだのか、連れてきたのか知らないけど、兄弟か友達かと銃を手に戻ってきて、警備員に突きつけた。結果、幾つかの発砲があって、全くの無関係だった17歳の女の子が殺された。ある議員がすぐさまこんなことが起こるAll-Age(全年齢対象、一般的にアルコール販売、室内での喫煙の禁止など)のショウは直ちに禁止しようとした。だけど、このケースだとクラブは軽いアルコールの販売をしていて、キャパシティーを超える人数を入れていた。銃を持ってたヤツはノー・ライセンスで、射ったヤツらはもれなくアウトだ。もうみんな分かってる思うけど、ここではいくつもの法律が破られていて、そうしたものはいざことが起こったら何の抑止力にもなっていなかった。だから、別の法律を持ってこようとしても、それも結局は役立たずでAll-Ageのショウをバカげた騒ぎに変えるだけになる、だって、ソレがもうバカげてるんだから。情報公開の時に言ってたかどうか分からないけど、僕はこの殺された女の子にも興味がある。もし彼女が既に21歳だったら、対応はちょっとはマシになったんだろうか? このショウが未成年禁止(21歳以上限定)のショウで、銃を持って戻ってきたヤツが射ったのも21歳の娘だったら、もうちょっとマシな状況なのかな? 僕はその娘が何歳であろうともダメだと思う、でも議員はその年齢に反応したんだ。それが彼のエリアで起きたことでもあったからね。僕もそこにかかるプレッシャーや争い、特にアルコールをめぐるものに関しては知ってる。事実として、アルコール飲料関係の業界が、そこにいれる人間を単なる年齢で決めるという状況を作り出している。それは理不尽なことだ。僕は起きてしまった事件や、被害者の女性には深い悲しみを覚える。けど、この事件はこのショウがAll-Ageであった事実とは何の関係もない。’80年代のはじめの頃に僕らは市とAll-Ageのショウの実現を認めさせるために、それは激しくやりあった。たぶんこの議員や、今のDCの住民の多くはそれを知らない。これはずっと続いてきた、理性的な音楽シーンなんだ、でも議会はそんなことは気にもかけない。
これはこの街で生きることにも関わる問題だ。僕の人生はこの街にある、でも多くの場合で誰一人として何が起こっているのかを掴もうとしていない。たぶん、今の議会は僕が誰で、何をして、僕たちが何を求めたのかなんて忘れてる。それは地図に載ってることじゃない。変な話だけど、ここ最近の数年、僕は自分たちがやってきたことが少しは知られるようになってきたんじゃないかって感じ始めていたんだ。僕が普段関わることのないそういう奴らに会ったとき、彼らは僕らが誰か知っていたことがあった。ビックリしたよ、僕は自分のやってきたことはそういうレーダーに引っかかることなんかないと思ってた。少しずつ変わってきたんだろうね。それなのに、事件について聞いた時は、それをブッ壊された気分だった。彼の宣言によって、クラブは厳戒態勢が敷かれた。けど、みんなが分かってたようにそれが必要なことは起きたりしなかったよ。この街にはまだthe Black Catや、the 9:30 club、the Rock N Roll HotelなんかのAll-Ageの会場がある。そこは誰だって行ける特別な場所だ。でも、僕はそもそもがそうであればいいと思うよ。
TIS: とても悲しい事件だと思います。でも、禁止の条例が実施されなかったことは嬉しく思います。この質問はあなたと子供時代を過ごしたRollins(訳注7)とも関連することですが、あなたとRollinsはなにか笑える出来事をハーゲンダッツでやったことはありますか?(Steve Karp)
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IM: そうだね、僕は子供時代に新聞配達をやっていた。でも、その後僕のやった仕事の最初の四つはHenryを通じてのものだったんだ。最初はFriendly Beasties Pet Shop、次がGeorgetown Movie Theaterで、それからハーゲンダッツのショップ、四つ目はBethesda Surf Shopっていうサーフ、スケートボードの店だった。サーフショップではあんまり一緒にいることはなかったんだけど、他の三つ、特にそのハーゲンダッツではだいぶフザケてた。僕とHenryが一緒の時は間違いなく何かやってたね。ガキっぽいけど、よく不条理ギャグをかまして、たまにそれを動画にしたこともあったよ。ペットショップとハーゲンダッツの時間はバカ騒ぎだった、特にペットショップはオーナーはアメリカンなんだけど彼の奥さんはスパニッシュなんだ。年とったオジさんと、イカれてる感じのマネージャーもいた。そのマネージャー二人ともがオーナーそれぞれとデキてて、たまにケンカをしてはバーに出かけていくんだ。考えてみて欲しいんだけど、店に15、6歳の僕らだけだよ? 何でもヤりたい放題じゃないか。Henryもどこかで答えていると思うけど、ペットショップでの話やハーゲンダッツでの話は腐る程あるんだ。だから、そういうのが何かないかってのを訊くのは、僕がMinor Threatでやってた時にステージに上がってくる奴はいなかった? って訊くのと一緒だね。
TIS: (笑いながら)大変よく分かりました。次は同じギター・プレイヤーとして特に興味深い質問です。 なぜ、ギブソンSGなんですか? (Ben Smith)
IM: 16歳の時にWoodstockの映画で、ピート・タウンゼント(訳注8)がギブソンSGを演奏しているのを見たんだ。虜になったよ。その映像でのパフォーマンスは素晴らしいの一言だった。まぁ、真実を言うと1983か84年にYesterday and Today RecordsのオーナーSkip Groffの下で働いていて、彼が売りに出したギターがギブソンのSGだったんだ。それを僕は買って使ってるんだけど、あとで別のやつをJesse Quitslandっていう友達から買ってる。この二つが僕の使ってるギターだね。ギターを買い換えたことはないし、使うにしてもどっちかだけ。バックアップのヤツは持ってるけど、使うのはこの二つだね。音も良いし、気に入ってる。これをどう言おうか? 例えば誰かが「ワシントンDCに住むのはどんな気分?」って僕に訊いたとする。答えは「分からない」だね。僕はここに50年は住んでて他は知らない。これはSGも一緒なんだ。他のを試したことが無いわけじゃないけど、SGのまんま��。たぶんこれが僕のやり方、別に楽器屋に行って「う〜ん、こいつの音は良い感じだ」とか「こいつは面白いな」なんてやってないよ。言うならば「そこにあるもので出来ることをやる。これが基本。僕に必要なものはもうここにあるから大丈夫」。これが僕のやり方で、Dischordもコレで30年以上やってる。Dischord Houseに移ってから30周年も越したし、仕事場所もずっと同じ。僕はだいぶ長くやってきたけど、絶えず同じもので仕事をしている。それは変化を受け入れないってことじゃない。わざわざ買ったりはしないってだけ。出来ることが一緒なら、新しいものは要らないね。そういうのに興味もないし。あんまり、機械について考えたくないんだ。ペダルも使ったことだってない。ギター、ケーブル、アンプ。これで充分。一度だけマニピュレーターで、その時興味のあったサウンドをやったことはあったけど、それを他の人も喜んでくれてたらいいね。
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TIS: イイですね。この質問も二つ同時にした方がいいと思うので、まとめさせてもらいます。 Trustkill Recordsが出したEmbraceのトリビュートアルバム(訳注9)を聞いたことはありますか? もしそうならどう思いましたか? (Jim Callahan)それと、Wugazi(訳注10)のアルバムを聞いたことはありますか? (Brian Grave)
IM: 実は僕からするとEmbraceはとても不確かなバンドだ。レコードに残っている曲は僕にとってもとても大切な曲だし、個人的にはベストにしたいくらいの歌詞である。あのレコードを残せたことは嬉しいし、とても好きなバンドだ。でも、ものすごく脆かった、確かやったショウは14回だし、バンド自体も15回くらいしか一緒に練習しなかった。まぁ、最後の頃は録音が残っているけどね。いまでもソレは影響を及ぼしてるって言われるし、僕も聴いたりする。実は今朝、別のインタビューを受けて、大ファンだって奴にEmbraceについてこれでもかと訊かれたんだ。このバンドは僕の中でも重要な存在だから、嬉しかったよ。いつもMinor ThreatやFugaziのことばかりで、Embraceは滅多にないんだ。でも、曲は凄く良いものばかりだと思う。カバーの知らせは嬉しかったね、結果はどうでもよかったんだ。どうやったかってのは更にどうでもいい。誰かは自分がカバーしたいようにするし、もしくは、そのまんまでやったりする。新たにしようってのも素晴らしいけど、僕は自分たちの受けた衝撃を伝えようとするのが好きだ。人によって曲の解釈が違うのは楽しいね。たぶん、10年くらい前から話は聞いていて、たぶん彼らはどっちのやり方ものそのレコードで見せてくれたんだと思うよ。とてもいいと思う。
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Wugazi……は、一回だけ聴いたんだ。実際Fugaziはリズム・ミュージックとしてもよくできてると思うし、面白かったよ。でも、特に反応はしなかったな。それは確かに刺激的だった。そんなやり方があったなんてね。みんながEメールで教えてくれたんだ。実のところ、作った奴らについてはなにも知らないんだけど、このマッシュアップってのはもう驚きしかない。さっきも言ったけど良かったね。他にもFugaziの「Waiting Room」と、Destiny’s Childの、なんだったけな? 確か「チャーリーズ・エンジェル」って映画の「Independent Woman」だったと思うけど、そいつも衝撃的だったね。それを誰がやったにしろ、彼らは二つのものを組み合わせて、全く新しい第三の曲を生み出したってこと。でも、僕はWu-Tangのメンバーは尊敬しているけど、彼らのいるジャンルに詳しいわけじゃないし、たまに歌詞が分からないこともある。彼らの、Ol’ Dirty Bastardが作ったんじゃないような曲だったら、二、三曲くらいはよく知ってんだけどね。
影響って意味なら、たぶん聴いた時の衝撃よりはないよ。ジャンルも違うしね。結構な数、インタビューでも、僕自身が興味のないジャンルに関しての質問を受けることがあるんだ。たいがいが、単なるおしゃべりか、宣伝か、流行りについてだ。そんなのはインターネットで流行ってるものとはまた違って、僕の仕事に関係はない、とまでは言えないんだ。分かると思うけど、インターネットってのはもの凄く喧しくて、その要求は天井知らずだ。そう言った、精神的なものからして確実に社会は変わっているんだ、ってのを僕も見てきた。それはインターネットから始まっていて、正直、良いことだとは思えてないんだ。たぶん今日中にあと三回くらい僕の電話もネット上で予定が変わったことを知らせると思うけど、昔だったらそれは電話での会話だったんだ。メールも一つの方法だし、SMSもそうだよ。でも、僕にはそれが電話をかけたり、僕のところに顔を出したりしてたのと同じとは思えないんだ。僕が偏屈だってわけじゃないよ? PCだって使うし。でも、僕には多くの人がPCを使ってる間、どれだけ無意味なことに時間を使ってしまってるかが気になるんだ。これはとても深刻な問題だし、僕らの生活っていう大きな枠での、精神的な変化だと思う。たぶん、それはもう起こってて、僕らは一度立ち返る必要があると思う。僕らはバランスを失おうとしているし、どこかでどうなっているかを確かめるべきだよ。あくまで例えだけど、きっとWugaziも、インターネットがなければ僕は気付かなかったかもしれない。自分自身が今も色んなものが変わっているその真ん中にいて、でもその流れに干渉できないっての分かる。昔にNIKEがMinor Threatのグラフィックを使ったことや、Forever 21がTシャツのプリントに使ったことも、僕が車の事故で死んだってのまであった。その広がり方と好意的な反応は、受け取った人々がどれだけ嬉しかったのかを示してて、僕はビックリした。彼らはこんなにも日々にイベントを望んでいるんだって。きっと彼らには無駄話にするくらいのなにかしかなくて、色んなことを無為にして過ごしてる。ーーだったら、本当はなにかをするべきじゃないのかな?
TIS: 僕も同意します。そうしたものに囚われていないか、僕らはちゃんと確かめるべきなんでしょう。僕はあなたほど純粋にはなれませんが、考えることだけはしたいと思います。次の質問はあなたがどれほど気にしたことがあるのか分からないんですが…… もし、あなたの人生が映画化されるとしたなら、誰にあなた自身を演じて欲しいですか? (Timothy Hiles)
IM: 確かにそんなことは考えたこともなかったね。知ってるかぎり、そんな話はないし、僕はハリウッドなんか大嫌いなんだ、気にしたこともないし。僕にしたら、ソレは気持ち悪くなるくらいの金を使って企画したものを、吐き気がするくらいの金を使って作り上げている場所だ。そこにいる人にも、宣伝にもアホみたいに金を使うしね。そして、図々しくもテレビ番組や授賞式で、それに興味のあるヤツらにだけ向けた賞賛を受け取るんだ。ビックリするよ。いっそ狂ってるんじゃないかとすら思う。ハリウッドだって良い映画は作ってるとは思うよ、でも前にある文章を読んでね……ところで君はいくつ?
TIS: 33歳です。(2012年現在)
IM: じゃあ、僕よりは少し若いね。たぶんその辺りから、アメリカの軍事に対するスタンスが変わってきたと思うんだ。僕が生まれた頃はベトナム戦争の最中で、それは公式な戦争じゃないのに、長い時間をかけて下火になって行って、終わったのは12歳の時だった。そして、戦争が始まって、終わるまでの間、この国には徴兵制があった。だから、その間の常識は、18歳になったら軍に入る、って事だった。僕はそうしない奴らがいるなんて知らなかったし、それはそういうものだと思っていた。9歳、10歳、11歳、12歳になってもまだ僕は18歳になったら呼ばれて、ベトナムに行くんだとずっと思ってたんだ。あの戦争はとても醜悪で、最悪だった。戦争ってのはそういうものだけど、あの戦争はその中でも特別だった。アメリカはそこで立ち尽くしていて、軍隊にしてもクソみたいだっただろうね。もうこれ以上はゴメンだって。僕にすれば、あんな戦争はアレだけだった。どう言ったらいいかな? 例えば、君や君の友達たちが、ちょっと遊びにいくかって感じでM80を抱えて、偵察に行って、指を吹き飛ばされたりする。もう勘弁ってなるさ。あの戦争でこの国が骨の髄にまで教えられたのがソレだって僕は思うね。
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でも、’80年代に、軍隊に関していくつか大きな変化が起こったんだ。例えば、トム・クルーズが出演した「トップガン」だ。ファイターパイロットを目指すそれは、陸軍だろうが、空軍だろうが、その映画の中に出てきた全部はもの凄い金がかかってる。PRでもあるからね。そして、バカみたいな成功を収めた。ハリウッドのやっている仕事の一つは、間違いなくPRで、生まれてすぐにそれは始まった。Gore Vidalの「Hollywood」は読んだことあるかな? 歴史小説なんだけど、その中にウッドロウ・ウィルソン(第28代アメリカ合衆国大統領。任期は1913-1921年)がハリウッドに来て、こう言うシーンがある。「私はこの戦争(第一次世界大戦)に参加するべきと思うが、一つ問題がある」その問題が当時のアメリカとイギリスには共通項なんか見当たらなかったことだ。むしろイギリスはかつて敵だった。独立をした時にどこと戦ったのかは明白だろ? だから、人々はイギリスよりもドイツに親しみを覚えそうだった。でも、ビジネスとして考えた場合、関わるべきは同盟国側だ。彼らは国民の意識を、パブリック・オピニオンを変える必要があった。だから、ウィルソンはハリウッドに行ったんだ。国民の意識を変える、悪の帝国ドイツを生み出すために。サイレント映画でナチスの悪の科学者みたいな誰かが女性を縛り上げてる絵面を思い浮かべてくれ。そうやって、ドイツはだんたんと悪者にされて行った。成功したんだよ。そこからハリウッドってヤツは色んなものを正当化するのに使われ始めたんだ。
TIS: ありがとうございます。この質問が深い洞察に満ちた、考えさせられるものになって、良かったです。またしても、この質問も軽いものになりますが…… ビートルズ? それとも、ストーンズ? (Joseph P. McRedmond)
IM: そうだね、ストーンズはいくつかお気に入りの曲がある。一方、ビートルズは一貫性のある作品を何枚も作ってるし、間違いなく傑作と呼べるアルバムも何枚かある。難しい質問だね。ストーンズは歴史に残ることをいくつもやっているけど、作品ごとにムラがあるし、ビートルズの『リボルバー』周辺のアルバムは完璧って言葉に限りなく近い。丁寧なプロダクションとはっきりとした意思、色褪せない演奏と歌い続けられる歌、そして一貫した個性。素晴らしいアルバムたちだ。ストーンズには『ベガーズ・バンケット』ってアルバムがある。僕は今でも思い出せるんだけど、昔自分でビートルズのミックステープを作ろうと思ったんだ。でも、どうしても上手くいかなかった。彼らの曲はアルバムにある位置が最も素晴らしい配置なんだ。二つのバンドともに、そう言える数少ない存在だと思うよ。
TIS: これは僕自身(Chris Grosso)としての質問になります。あなたが自分の歩く道を、社会で言われるようなモノやずっと言われてきた価値観ではない、自分自身の道を見つけたのはいつのことでしょうか?
IM: ……僕の生まれ育った街はこの国での若者たちの活動が肌で感じられる場所だった。僕の両親は古いタイプの人間で、反戦、平等主義者だった。でも、恐ろしい出来事もたくさん起こっていた。マーティン・ルーサー・キング牧師は暗殺されて、それでもワシントンには抗議デモや反対者がたくさんいた。政府は彼らを野蛮なテロリストだと決めつけて、僕はそこで政府が言うことが必ずしも正しいことではないということを学んだ。彼らが間違っているのかどうかは分からない、まずはそれを確かめなくちゃいけないんだ。問題なのはそれぞれに、誰にも大事なものがあるということだ。それはどんな場所であっても大切なことで、決して疎かにできない。結局いつも問題になるのはそこなんだ。それがこの国の政府に関するものなら、君は確かめなくちゃいけない。それで良いのか、と思わなくちゃいけない。僕にとっては子供の頃から、それは当然と言えることで、両親は常にそれを与えてくれたし、僕はそれを受けとった。僕は中途半端じゃなかったし、不確かでもなかった。僕は8歳、もしくは9歳で、そして一人の人間だった。一般的な考えだと、例えば「5歳の時にどこに行った?」とか、「ものごころが付いたのはいつ?」みたいな感じだけど、僕の両親はそうじゃなかった。僕を一人の人間として扱った。いまそうであるように、僕以外もそうであるように。
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たぶん、僕が自分自身についてちゃんと考えたのは14、5歳の頃だと思う。何かが変わりつつあって、僕のそばを横切っていくようだった。僕の足場は確実に崩れ始めていて、軋みをあげていた。実際は単なる意識過剰で、勘違いだったけど。僕は外を歩いている時、自分は狙われていて、殺されるんじゃないかとふと思ったりした。僕はいま、この時に自分が死んだらどうなるかをずっと考えてた。高校時代の心配事はほとんどがそれだった。だから、卒業した後に無駄な時間を過ごすヒマは無いと思った。まだ、高校を卒業したばかりだったけど、大学に行く気もカケラもなかった。そんなことには時間を使わなかったんだ。頭の中にあったのは「なんで生きていて、どうして生きているのか?」だった。コレはパンクそのものだって僕は思ってる。僕は大学になんて行きたくなかった、いや、行くべきだとは思わなかった、って言うべきかな? 僕は自分で、自分を確かめる道を選ぶことにしたんだ。
その時、僕自身にはいくつかコレなら、ってものがあったけど、そういうのも結局は与えられたか、押し付けられたものたちだった。だから、まずはそれらを並べていって、どれがどういう意味を持っているのか、僕らはどれなら続けたいと思うのか、を探すことにした。大事なことは信念があり、政治的、道徳的な意見/哲学を持ち、生きることでもあることだ。僕たちはなにかを持って生まれてくるわけじゃ無い。そのなにかは生まれつきのものじゃないし、仮にそうじゃないと教えている場所で育った子供たちも、どこかで立ち止まって、「本当にこれで良いのか? 僕はそうやって生きていくのか?」と考えてみて欲しい。僕たちには自分自身について問いかけ続けるべきことがあるはずだし、不要なものをいつまでも抱え続けるべきじゃない。僕が自分の人生でやってきたことを言うなら、コレに尽きる。
別のこと、たぶんまた違ったことで言うなら、僕は未来についてはあまり考えていない。未来に対して余計な心配をしていない、と言うべきかな? 過去はもう変えられないし、未来は誰にも分からない。じゃな、どうしたら良いんだろうね? もし誰かが5年後、10年後どこにいたいかを基本にして人生を進もうっていうのなら、僕はまずこの先のスーパーを目指しなよ、って言うね。それにその誰かが向かう先のスーパーのことで頭がいっぱいだったり、何をしようかとか、どんなだろうとか思ってるなら、絶対に事故るね。それも君の目の前にあるもので。まずはいま走ってる道を見なよ。僕は自分を大切にしている。今、この瞬間が全てだ! 他のことなんか知るか! なんて言わない。けど、僕は思うんだけど、もし君がしっかりと今を生きているなら、君は同時に未来を生きていることになる。未来はだんだんと今になっていくものだからね。だから、自分をしっかりと守ってやれば、次にどうするべきかは自然と分かると思う。
TIS: 僕もとてもよく似た思いを持っています。ありがとうございます。今日は本当にあなたと話ができて嬉しかったです。あなたはとても大きな存在でした。あなたの関わったバンドや、Dischordは僕の人生で計り知れないほどの意味を持っています。うまい言い方が見つかりません、ただ、ありがとうございます、と言わせて下さい。
IM: 大丈夫、僕もありがとう。
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訳注1 Ian MacKaye(本名 Ian Thomas Garner MacKaye)1962年4月16日・ワシントンDC産まれ。Bad Brains、Black Flagなどのパンク/ハードコアバンドに触れ、10代で最初のバンドThe Slinkeesに参加。その後、The Teen Idlesを結成。このバンドの7インチ『Minor Disturbance』の制作、リリースのために立ち上げられたのがDischord Recordsであり、現在もIanと、彼とMinor Threat/Egg Huntで演奏したJeff Nelsonによって運営されている。その後結成したポスト・ハードコア・バンドFugaziで世界的な認知度を得る。飲酒、喫煙、フリーセックスをしないという思想「ストレイトエッジ」の提唱者であり、現在も酒類、タバコ類の広告が載った雑誌のインタビューは受けていない。また現在のメインバンドThe Evensでは酒類の販売をしない会場、学校、路上などで活動を行っている。あくまでもDIYにこだわった活動と反商業主義を貫く、USインディ、パンク/ハードコアシーンの最重要人物の一人。
訳注2 メリーランド州アナポリスで結成されたthe Hatedは最初期のEMOバンドと呼ばれる内の一つ。活動期間は1985-1990年。Moss Iconも同じくアナポリスで結成された最初期のEMOバンドであり、ハードコア・バンドBorn Against、Universal Order of Armageddonでも活動していたTonie Joyが在籍していたことでも知られる。この二つのバンドに関しては長らく音源の廃盤が続いていたが、現在Moss Iconについては『Complete Discography』がTemporary Residenceより発売されている。Swizは1987年にワシントンDCで結成されたハードコア・バンドであり、後述のDag Nastyのオリジナル・メンバーShawn Brownが在籍していた。またギターのNathan Larsonはこのバンド解散後にShudder to Thinkを結成、Dischordよりアルバム3枚をリリースする。
訳注3 ‘80年代後期〜90年前後まで活動したハードコア/EMOバンド。後にDischordからアルバムをリリースするHooverのJoseph McRedmondとBurning AirlinesのベーシストMike Harbinが在籍していた。バンド自体は2枚の7インチを発表している。
訳注4 Minor Threat、Bad Religionでも活動したBrian BakerやShawn Brown、他にもパンク/ハードコア・バンドBloody Mannequin Orchestraのメンバーによって1985年に結成された。彼らの音楽性の特徴として、ハードコアの攻撃性を抑え、メロディーを強調したメロディック・ハードコアと呼ばれるジャンルを生み出したと言われている。ディスコグラフィーは多いがメンバーの入れ替わりも激しく、収録されていないテイクが数多く存在すると言われている。EMOに大きな影響を与えたバンドの一つ。
訳注5 EMO最初期のバンドと呼ばれたRites of Springは1984-1986年にかけて活動し、このメンバーの内、Guy Picciotto、Brendan Cantyの二人が後にIanと共にFugaziを結成する。EmbraceはMinor Threat解散後にIanが弟のAlecが参加していたハードコア・バンドThe Faithのメンバー(この内ギターのEddie JanneyはRites of Springにも参加している)と結成したバンドであり、(Ian本人は否定しているが)EMOの先駆けと呼ばれるバンド。Soulsideは幾つかのアルバムをDischord、Sammich Recordsからリリースしたポスト・ハードコア・バンドであり、この内のメンバー三人がFugazi、Rites of SpringのドラマーBrendan Cantyと、プロデューサーでもあるEli Janneyのサイドプロジェクトとして始まったGirls Against Boysに参加する。Beefeaterはポスト・ハードコアの先駆者と呼ばれるバンドであり、ジャズやファンク、ワールドミュージックをハードコアに取り込んだ。この上記のバンド全員が関わっているのが「革命の夏」と呼ばれる、あまりにも拡大しすぎたハードコア・シーン内部に自分たちの血の通ったシーンを作る運動、及びDIYによる社会変革運動に参加している。
訳注6 現在はRetisonic、過去にSwiz、Bluetipで活動していたギタリスト、ヴォーカル、グラフィックデザイナー。自身のバンドを始め、At the Drive-In、Burning Airlines、Embrace、Fugazi、Lungfishなど数多くのバンドのアルバムアートワークを手がけている。
訳注7 Henry RollinsはワシントンDC出身のヴォーカリスト、パフォーマー、レーベルオーナー、作家など。Ianとは近所に住む幼馴染である。ハードコア・バンドBlack Flagのヴォーカリストとして活動するが、1986年のバンド解散以後は個人名義またはRollins Bandとしてスポークンワードでのライブ、コンサートを続けている。Ianと同じくDIY精神に重きを置いた活動を続けるシーンの最重要人物の一人。
訳注8 Pete Townshend。ザ・フーのギタリスト。初期のバンドのヒット曲ほとんどを手がけ、ウインドミル奏法や楽器破壊のパフォーマンスなどでバンドのイメージを作り上げた。ウッドストックには2日目にザ・フーとして出演。
訳注9 アルバム名は『Land Of Greed… World Of Need』。1994年にリリースされた。Rancid、 Farsideなど計14バンドがそれぞれ一曲ずつカバーしている。
訳注10 HIP HOPグループWu-Tang Clanのラップを、Fugaziの演奏に乗せるという方法のマッシュアップ。特設サイトからフリーダウンロードできる。ちなみにアルバムタイトルの『13 Chambers』はFugaziの『13 Songs』とWu-Tangの『Enter the Wu-Tang(36 Chambers)』を掛け合わせたもの思われる。
付記
USインディの最重要人物の一人。イアン・マッケイのインタビュー。
もちろん日本のメディアによる彼へのインタビューは数多くありますが、ほとんどは音源の発売、来日に合わせて(仕方ないといえばそうですが)のものなので、中々彼自身についてのものはなかったりします。
日本Wikipediaにも彼の個人ページは存在しないので、彼の思想やバンドは知っていても、それがどのような影響を及ぼしていて、どのような考えから生まれたものなのかを知るのは直接海外のインタビューを漁らなくてはなりません。個人的には、このインタビューとネット上で読めるコレやコレを読めば、彼の活動全体に関わる哲学を俯瞰できるんじゃ……と自惚れてみます。
もちろん、彼の関わったバンドの音源にも触れて欲しいと心から思っています。
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arsemard · 8 years
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皆さんへ G.L.O.S.S.は解散して、自分達の人生の進める決断をしました。私たちはみな仲のいい友達のままですが、バンドメンバーの一部が心身の健康を害していることを正直に言っておかなければなりません。私たちはみな能力の高い人間ではありませんし、これだけ注目された中での活動は手に負えないものとなってしまいました。
私たちは、いかに人々の心を動かすことができたか、また人々に心を動かされたか、そして個人としてどれだけ成長できたかという観点で成功したかどうかを判断したいと思っています。このバンドはこれ以上持続させることができないほど大きくなり、扱いづらいものになってしまいました。ひとつだけ収穫があったことは、私たちを取り巻く個人崇拝は不健全だということです。それは定常的なストレスとなり、(ツアーで)ずっと巡業して回ることは私たちの私生活を犠牲にし、個人の内面的成長やコミュニティで積極的に活動することの妨げとなりました。メインストリームのメディアに出るということは、私たちが他のクィアの人たちのために作ってきたものに対して、全く見ず知らずの他人から口出しされるということであり、それは非常に不毛で疲れることです。
私たちが大切にしたいパンクとは、ビッグになることでも有名になることでもありません。自分自身に挑戦し、お互い人として良くなろうとすることなのです。 私たちは絶えず祭り上げられ、あるいはこき下ろされ、崇拝され、あるいは悪魔化されるといった状態で、誠実でいることも内省することも困難であると感じました。私たちは一面的なマンガのキャラクターではなく、そっくりそのままの人間でいたいのです。
私たちをサポートしてくれて、また時間を使って「自分にとっていかに大事な存在か」ということを伝えてくれた皆さんには、感謝の気持ちでいっぱいです。もしこのバンドがあなたのためにあったなら、あなたは自分のことをちゃんと知っている、そしてそれは誰にも奪うことはできないのです。私たちは10月トロントであるNot Dead Yet Festでのプレイを予定しています。また後ほど詳細がアナウンスされますが、北西部での最後のショーを企画しています。解散後にBandcampで得たお金は全て、”信仰の垣根を越える労働者緊急宿泊シェルター”、オリンピアにある簡易ホームレスシェルター(ホームレスを経験した人の社会参加の促す活動や、メンタルヘルスケア等も行う緊急宿泊施設)に寄付されます。また私たちのレコードは廃盤にはしない予定です。
どうして私たちが辞める決断をしたのか理解してくれてありがとう。あなた方が悲しむかもしれないということはわかっていますが、これは私たちにとっても悲しい決断だということをどうかわかってほしいのです。そしてそれは痛みを取り除くことでもあり、大人になることでもあるのです。私たちの健全な私生活を望むなら、バンドを終わらせることは正しい選択なのです。(私たちはあなた方のサポートにとても感謝していますが、解散しないでとかマーチャンダイズの件で、どうかEメールを送らないで下さい。)
G.L.O.S.S.のおかげで出会えた人たちや、訪れることができた場所に私たちはずっと感謝しています。これらの繋がりを作ることは、非常にやりがいのある行為であり有意義なことでした。1年半以上の間、全てのことに本当にありがとう。
この経験をあなた方とシェアするということこそ、私たちにとっては本当に何物にも代え難いものでした。
With love,
Girls Living Outside Society’s Shit
2016年9月26日 Maximum Rocknrollの記事より
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