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MIDNIGHT YOUTH
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kkkillertune-blog · 7 years ago
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2018年6月4日
わたしは海の見える街がとても好きだ。 強い風でゴーッと耳に響く音と、ザザーンと波が泡立つ音を聞くとテンションが上がる。 わたしは職業柄あまり旅行が出来る立場ではないから、定期的に好きな人と二人で車を走らせて近場の海へ遊びに行く。 2人とも車なんて持っていないから、近くのレンタカー屋に行って、一番小さい車を借りて、やっぱ海はサザンだろといってカーステレオでサザンオールスターズを聴きながら海に向かって進んでいく。 わたしは免許を持っていない。 なので、行きも帰りも好きな人が運転する。 だからその日わたしたちはお酒を飲まずにしらふのままで、見慣れた東京の街を横断することになる。
「この道、左です」 カーナビがお知らせするたびに好きな人は「はいはい」と口に出して了承する。 時々カーナビが何かを言う前から曲がる準備をしていたりするので、もしかしたらこの人は海までの道を全部覚えているのかもしれない。 好きな人が迷う素振りなく都会の街をぐんぐん進んでいくたび、幼少期の両親の車の中を思い出す。
祖父と祖母の家まで車で2時間。 わたしは窓の外を流れる景色の全部が面白くて、自分の住む比較的発展した街から祖父たちの住む何処もかしこも緑だらけの小さな田舎に着くまでの間、ひたすら窓に鼻を押し付けて外を見ていた。 面白さにかまけて道順なんてまったく覚えようともしなかったわたしは、全く迷うことなく長い道をぐんぐん車で進んでいく父と母を見て、結構な年になるまで本気で「どうやら大人になると全部の道がわかるようになるらしい」と思っていた。
“運転免許を取る際に全国の道を覚えるテストがあって、今車を走らせている大人たちはその「道」のプロなんだわ。 だからトトロのパパは運転免許を取っていなくて自転車でママのいる病院へ行くから道を間違えそうになるんだわ。 ああ、大人になったら絶対免許なんか取らないぞ。”
この節を両親とも面白がってまったく否定しないので、サンタクロースが実は両親だとわかってショックを受けてから数年経っても、まだわたしは運転免許全国道路完全把握特別試験の存在を信じていた。 正確には14歳まで信じていて、友達のお兄ちゃんが原チャリの免許を取得したタイミングで「す…すごい!全国の道を把握できたなんて!!」とビックリして称賛した際に「は?」と言われるまで本気で信じ込んでいた。 大人の嘘は罪深い。 それから二年くらいそのことを思い出して娘がのたうち回るなんて二人は考えもしなかったのだ。
この話を好きな人の車の中で定期的に思い出す。 好きな人の運転はとても滑らかで、揺れなくて、景色が音もなく過ぎていく。 ビルが少しずつ消えて空がどんどん広くなっていって、次第に今度は山が空を遮って、窓を開ければ空気の中に草の匂いが混じり始める。 その様子に夢中になって、ふと赤になった信号機の静けさでやっと「そういえばわたし、ここまでの道全然覚えてないな」と思う。 どう思い出しても草まみれの古い家やローソンの真隣に建っているセブンイレブンや窓から顔を出した犬の姿くらいしか思い出せない。 そのことをいつも正直に好きな人に言うと「ほんと?逆にそれ自分見てなかったな」と言う。
「道を全部覚えていても、どうやら見えない景色というものがあるらしい」 そのことに気付いたのは、好きな人の助手席に座るようになってからだ。 運転に関してわたしはかなり無力だが、見つけた景色を報告することに関しては全国一二を争う名手と言ってもやぶさかではないなと思う。 せっかく海に行くのに好きなビールを飲ませてあげられなくてごめんね、その代わりと言っちゃなんですが君の見てない場所ばっか見てやるぞ、と思う。 その結果車にゲロゲロに酔ってパーキングエリアで車から這い出るようになったとしても、彼が面白がるならそれでいいと思う。
もしかしたらこの文章を読んだきちんとした大人になった人からは「運転に協力的じゃない彼女なんて最低」と思われてしまうのかもしれない。 負担率で言えば1:9で確実に好きな人がしんどいに決まっている。 でもこれからもきっとわたしは免許なんて取らないだろうし道なんて全然覚えないだろうな、と思う。 なんとなくこれでわたしたちは成り立っているような気がするのだ。 それにまず地図読めるか?というとまずそこが怪しかったりもするし。
次の日曜日、また二人で海に行こうかということになった。 今度はちょっと遠出して、海沿いの道をドライブする。 その時は見つけた景色が過ぎて、好きな人が見られないことがないように、目をギンギンにして即報告ができたらいいなと思う。
わたしたちのドライブはいつもマイペースに大変忙しい。
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kkkillertune-blog · 8 years ago
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ギターの話
わたしが唯一好きな人にあげた物に、タカムラの小さなアコースティックギターがある。 14歳の誕生日に、離れて暮らす父が「お前は歌がうまいから」とわたしに買ってくれたものだ。 「楽しくない」という気持ちだけで理由なく学校をサボるわたしに、父はなにか建設的な暇の潰し方を与えたかったらしい。 元々音楽は好きだけれど楽器などには一切興味を持たなかったわたしは、結局一曲も奏でないままこの小さなギターを約10年間、楽器としてではなくインテリアとして扱ってきた。 あまりにも宝の持ち腐れなので、どうせならと当時アコースティックギターを探していた好きな人に「壊れて弾けなくなるまで捨てないで」という条件で譲ってしまったのだ。 どうして10年間もかたくなに捨てようとも売ろうともしなかったギターを、こんなにもあっさりと彼にあげてしまったのか。 実はわたし自身にもよくわかっていない。 ギターをあげてしまおう、そう思った日、「わたし一度も弾いたことないの」と言うわたしを連れて壁の薄い部屋を抜け出して真夜中の公園でギターを弾いてくれた彼に、ドラマみたいだと胸が鳴ったのを覚えている。 「知ってる曲弾いてあげるから歌って」と小さなアーチに腰かけて、はっぴいえんどの風をあつめてのイントロが奏でられた瞬間、わたしのギターはこんなにも美しい音を出すのか、と呆気にとられた。 ここから歌うんだよ、と目で語りかけてくる彼につられてわたしが素直に歌うと、好きな人は満足そうにおっ、という顔をして足でリズムをとっていた。 今考えると「これで恋に落ちなかったら人間じゃないだろう」と思う。 耳をすませばの雫と天沢聖司じゃん。そう思いながら歌った。 どの草むらから楽器を携えたおじいちゃん達が飛び出してくるんだろうか、猫はどこだ、やなやつやなやつ。 気付いたら口から「これ好きな人がもってて」と溢れていた。 好きな人という他人の登場により、わたしとギターの共同生活は突然終わりを迎えたのだ。 今、父のくれた小さなギターは好きな人の旅のお供になっている。 突然大自然へ飛び込まないと死ぬ病を患っている彼は、唐突に「山にでかける」「キャンプしてくる」「どっか行くけど連絡なかったら捜索隊呼んでくれ」というメッセージだけを残して数日仙人みたいな生活をおくる時がある。 そういう時一緒にわたしのギターを連れて行って、山のキャンプ地などで他の登山家たちと宴会をした際に歌うのだそうだ。 出かけるたびに各地の大自然に囲まれたわたしのギターの写真を送ってくるので、まるでアメリの庭の小人のようだな、と思う。 今朝も好きな人は「山」とだけメッセージを残してどこか遠くの場所に出かけていった。 いつものように大きな岩withわたしのギター、朝日withわたしのギターみたいな写真が送られてくるのかもしれない。 「お前は体が弱いから山に登ったら死んじゃうよ」 好きな人はそう言うけれど、���つかわたしも自分のギターが楽器としてこの上ない幸福な時間を得ている瞬間に立ち会いたい。 恭しく部屋に飾っていた頃の姿をぬぐって、新しい姿を焼き付けたい。 何よりわたしだって好きな人と一緒に山に登りたい。 そんなことを思いながらわたしはなにも知らない彼に「死んだら殺すぞ」と返事を送った。 あの真夜中の公園のことを一生思い出しながら生きていく自分のために、好きな人にもギターにも一生死んでほしくないなと思う。 寒い思いをしていないかな、彼のことを思いながら今日もわたしは眠りにつくのです。
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kkkillertune-blog · 8 years ago
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たぶん愛の話
好きな人が自分を痛めつけるようにお酒を飲むとき、大抵わたしはそこにいない。 好きな人がフラフラになって夜に生きる悪い男たちにボコボコにされて、渋谷のコンビニまえに転がって血の味を噛み締めているとき、大抵わたしは眠っている。 後日その話を聞いてわたしが「お前殺すぞ」と言うと、彼は痣だらけの顔で「ひどっ」と言って、わたしよりもお兄さんの顔をして笑うのだ。
わたしの好きな人はどうしようもない。 自分のことには無関心で、ただただ襲ってくる寂しさに名前をつけることを知らないので、自分が苦しむ理由を彼はしらない。 好きな人が寂しい気持ちになる理由を、わたしはもう長いことずっと隣で研究しているけれど、好きな人はそのことをしらない。 わたしがやんわり「わたしは好きな人としかセックスしないんだ」と断った日から、ずっとずっと彼はわたしの愛のことをしらない。
今日、中華料理屋で2人で流れているテレビを見てボーーーッとしているとき、「昨日ね、寝た女の人からクズだねって言われた」と彼は言った。 恥ずかしいから気を許した人の前でしか持ったりしないんだ、と言っていた不格好に握ったお箸をパカパカして、しょげたみたいによくわからないところを見ていた。 「寂しい気分になっちゃったの」とわたしが言うと「うん」と彼は答えた。
寂しい気分になったとき、彼は子供時代に戻って、自分を知らない場所に置いていった女性のことを思い出して「世界に独り」みたいな顔をする。 彼はいつまでも自分のことを置いていった女性を追いかけて、怒ったり罵ったりすることを忘れて、どんどんどんどん傷ついて石のようにじっと動かなくなってしまう。 そうやってたったひとりで寂しくなって、クズのふりをして立ち上がって、誰かを傷付けてはまた一緒に自分も傷付いて、振り出しに戻って子供時代に戻ってしまうのだ。
わたしは、そうやって独りで傷付いて渋谷のコンビニの前や小さなアーチのある公園や安い中華料理屋でボコボコになる彼をもう長いことずっと見てきた。 けれどわたしは絶対に、彼の寂しさを拭うふりをして自分が大切にされるためにセックスをした女性たちのように、一緒に抱き合って寂しいね、とか言わない。 わたしの隣にいながらなに勝手に孤独になってんだお前殺すぞ、なのだ。
“好きな人がクズのふりをするたびに、お前はクズなんかじゃないと、わたしはずっとずっと言いたかった。 わたしはお前に出会ったときから今まで、たったの一度だってクズだなんて思ったことはない。 今度またズタズタになる前じゃなくて、ズタズタになってからわたしのところに来たら金玉もいでぶっ殺してやる。”
わたしが「お前殺すぞ」言うと、好きな人は「ひどっ」と言って笑った。 なんだこいつ、まじで怒るぞ、とかそんなことを思っているうちに、気付くとわたしのエビチリのお皿の端には、好きな人が食べていた油淋鶏が一つだけ置いてあった。
「なにこれ」とわたしが聞くと、好きな人は「愛です」と言って、やっぱり楽しそうに笑っていた。
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kkkillertune-blog · 8 years ago
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大根の葉が好きなうさぎの話
わたしの昔飼っていたペットに「うーちゃん」といううさぎがいる。 うーちゃんは16で家を出た姉(実際は男と付き合っているうちに同棲状態になってそのまま生活の中から消えてしまっただけ)がペットショップで衝動買いした子で、「喘息でちゃうから置いてくね〜」といって勝手にわたしと母の家に置いていった子だ。 うーちゃんは最初「うさちゃん」で、これは姉が名前を決める前にうちに置いていってしまったので名前がなく、映画のベイブがベイブ(赤ちゃん)と呼ばれている理由にだいぶ近い。 それだと味気ないしなにより一生をうちで過ごすことになるのだから、と母と2人で考えた名前がうーちゃんだった。 実際は学校から帰ってきたら母がめちゃくちゃふつうにそう呼んでいたからなんだけど、うーちゃんもそれに普通に反応するのでその日からうーちゃんはうーちゃんという名前で生きていくことになった。
うーちゃんは茶色いミニウサギでピーターラビットにそっくりだった。 大根の葉っぱが大好物で、祖父の家で採れた大根がうちに来るたびに「今からうーちゃんに葉っぱをあげるよ!」といって2人でうーちゃんが大根の葉を食べる姿を可愛いね、可愛いね、と見ていた。 シュレッダーのようにしゅるしゅると葉っぱを飲み込んで、シャクシャクと良い音をたてて食べるので、わたしはうーちゃんに大根の葉をあげるために同じくらい大根をよく食べた。
うーちゃんはたぶん頭が良い方のうさぎだったんじゃないかな、と思う。 うちの家族は一人ひとりは馬鹿みたいに単純だけれど、集まるととんでもなく複雑になるので、わたしの嫌いな親戚が家に来るぞ、ああ嫌だな、という日は決まって玄関で番犬みたいに番兎をしていた。 「ん゙ーー!!」と鳴いて靴を脱いだ足に噛み付くので、うーちゃんはわたしが嫌いな親戚たちから「バカうさぎ」と呼ばれていたけど、まじでわたしは彼らが嫌いなのでうーちゃんがファイトする姿に「こいつはすごいなぁ、なんでわたしが嫌いな人がわかるんだろうなぁ」と感心しかなかった。
2014年の12月4日にうーちゃんは死んだ。 この日の一年前、2013年の12月4日に祖父が死んだ。 ついでにその日の一年後、2015年12月4日には母の車が壊れて黒い煙製造機になった。 さらに言うとその7年前の2007年の12月4日にわたしの可愛い姪っ子が生まれた。
つまりみんな可愛い姪っ子の誕生日に死んでいくので姪っ子は誕生日おめでとうのたびに曽祖父うさぎ黒い煙製造機を思い出すはめになった。 祖父に関しては一ヶ月前から危篤状態になり踏ん張り倒して5歳の姪に嫌な予感を感じさせつつパーフェクトなタイミングで臨終し6歳を迎えさせたのでだいぶ罪が重い。 あまりに何度も生き返るので医者が笑ってわたしたちは「ガンダルフ」と呼んで祖父のラストファイトを見守った。
みんな「自分を忘れないでくれ」と毎年姪の誕生日に記憶を参加させる。 姪も「今日じーじとうーちゃんが死んだ日か…」と8歳あたりから許したふしがある。 たぶん車に関しては許してない。遊園地がおじゃんになって今でも思い出してムカつく瞬間があるだろうと思う。 仕方ない、わたしだって同じことがあればムカつく。たぶん泣く。
今日は8月9日で全然関係ない日だけれど、昼前にご飯を作ろうと大根を切っていたときに耳の奥で「ッターン!」という音が聞こえた。 うーちゃんが早く大根の葉が食べたくて「はやく!」と足を踏み鳴らす音だ。 えっ、と思って振り向いてもキッチンのどこにもピーターラビットは居なかった。
日が沈んで母にわたしは電話をした。 「お盆ってうさぎも帰ってくるの?」 母は笑って「うける、わたしのとこには帰ってきてない」と言った。
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kkkillertune-blog · 8 years ago
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わたしという適当な人間の起源の話
わたしが大人になって買った本に、「ぼくにきづいたひ」という絵本がある。 吉祥寺のトイズボックスというフリーの絵本編集者が切り盛りしている絵本専門店で22歳のときに買った。 そのときはこの絵本の絵を担当している片山健さんがトイズボックスで個展をしていたので、わたしの絵本には健さんのサインが書かれている。
主人公が生まれて初めて自分は自分だと認識する瞬間が夏の情景と優しい言葉で綴られている。 生まれて初めて「ぼくはどこからきたんだろう」という疑問を、夏の暑い日に主人公は抱く。 この絵本を買った理由はわたしにもそういう経験があったからだ。
わたしが初めて自我を持った瞬間は幼稚園の体操の時間だった。 わたしは幼稚園や小学校によくいる口を開けてボーーーーッとしてるだけの子供で、重度の小児アデノイドで鼻がいつも詰まっていたので大体ずっと口が開いていて昔の写真を見ると8割5分鼻水が出ている(めちゃくちゃかわいい)。 目の前でなにが起こっていても全部景色にしか映らない。 目の前で誰かが話していても意味を理解する以前に「聞く」ということをしないので会話ができない。 むしろ誰かと強制的に話すと緊張してストレスが溜まってよく吐いた。 だから友達はほとんど居なかった。 それでも母は「畑とかで転がってるだけで毎日楽しそうやったしなあんた」という感じだったので、友達が出来なくても全然心配しなかったしわたしも話をしなくていいから全然悲しくなかった。
わたしは幼稚園の中にある、階段の手すりに取り付けられた超ロングの滑り台が大好きだった。 それも滑る部分じゃなくて終点の下にあるめちゃくちゃ狭いスペースで、かくれんぼをすると大体誰かがここに隠れるみたいな部分。 ここに篭ってボーーーーーッとするのが好きで、特に夏の日はよくここに居た。日陰だし地べたがちょっとだけ湿って冷たくて気持ちが良かった。 その日はこのスペースに篭って寝てしまい、もも組に集まれの合図にも気付かないで体操の時間になって先生がわたしがいないことに気付くまでわたしはここで眠っていた。
先生がめちゃくちゃにブチ切れながらわたしをここから引っ張り出して体操に参加させたとき、たぶん生まれて初めてわたしはブチ切れた。 整列する意味もわからなかったし先生たちが「子供はこういうのをやるものでしょ」とうさぎさんとかくまさんを極端にデフォルメした仕草をするのも意味がわからなかった。 それを楽しそうに真似している友達も意味がわからなくて、まずなんで自分がこの場所が嫌いなのに毎日ここに来ているのかも意味がわからなかった。 全部が意味不明だった。全部に意味があるのなら教えてほしかった。
その瞬間に今まで全部遠く��あった景色が「目の前の出来事」に変わった。 皆が話している内容もラジオから聞こえるどうでもいいお天気情報ではなくて「これが俗に言うコミュニケーションってやつだぞ」ということに気付いた。 魂に色がついたように初めて自分が立っている場所、自分は人とはこういう風に違っていて自分はこう考えるということを知った。
絵本の中のぼくはお父さんに連れられてやってきたお寺の木陰で自然の揺らめきを感じてこれらと自分の違いに気付く。 草や蝶に思いを馳せて「ぼくも昔こうしていたような気がする」、「ぼくはどこからやってきたんだろう」と思う。 なんてロマンチック野郎なんだろう。
わたしの自我も「お花のようにわたしもいい香りがしないのはなぜ?」とかから生まれれば良かったのに。
今日は好きな人と散歩をする日で、なにも予定はたてずにお酒を飲みながら公園の木陰で木や草の香りを嗅ぎながらそんなことを思い出していた。 夏の日差しを浴びるとあの日の魂の彩りを思い出して心の中の小さなわたしが震える。 好きな人はわたしの魂の目覚めを聞いて「お前はレジスタンスウーマンだね」と笑った。
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kkkillertune-blog · 8 years ago
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キラーチューン
将来に不安を持つ、なんて今時の若者らしいな自分、と思う。 大学を中退して何年経つのか。すっかり周りの景色も変わって、自分の未来の展望なんてものが確信的に壁ドンしてくる年になった。
何かを作る人になりたくて、なれる、むしろなるとしか思えなくて小さな港町から美大を目指して東京という大きな街にやってきた。 わたしの家は貧乏で、正確に言うと「貧乏になった」が正しいんだけど、どっちみちお金が無かったのでわたしは16歳から19歳までの3年間、ただひたすら倒れるまでバイトをして予備校代から受験費用、引っ越しまでの資金をためた逞しい女の子だった。
期待しすぎたのかもしれない。 憧れるなんて夢見すぎ、馬鹿だよねと言いながら密かにハチミツとクローバーの世界に夢見ていたのかもしれない。 入学してみるとびっくりするくらい普通で、特別なことはなにもなく、ただ卒業を待つだけの醜い生活が待っていた。
好きな作品を作る、それが制作だとわたしは思っていた。 自分で作る、自分の気持ちで作る、自分の中から生み落とすように、それが制作。 学校の課題で作ったものを「制作」と呼ぶ同級生たちが信じられなかった。 授業に遅刻、グループワークに遅刻、一人暮らしの部屋に溜まるのはティッシュペーパーと使い尽くしたコンドーム。 頭が悪いのはわかっていた。美大は偏差値が低い。必然的に馬鹿も多くなる。教授は中学生に教えるように授業をした。 こんなにも光がなくなっていくものなのか、制作をする人間の瞳は。 わたしたちよりも何十年も多く芸術に携わってきた人間の瞳は、とうに苦痛に慣れた目をしている。
気付いたら大学の教務課に「退学届」を出していた。 わたしの大学生活は一瞬のきらめきもなく終わってしまった。
今わたしは「芸術家」という職業をしている。 半年に一度、個展を開いて自分自身を慰めるように色んな人に「わたし」を見てもらっている。
25歳。なにが出来ただろう。 自分を嫌わないことで精一杯だった。 大人になる行程を否定してきた人生だったので、気付いたら心は20歳みたいな25歳になってしまった。 こんな気持ちの葛藤を文章にするのは今しかない、性格悪いぞ自分はと開き直るなら「若者」のうちがいい。
そんな気持ちでこんなページを作ってしまった。 ひっそりこっそり書いていくので、誰かの目に止まったらラッキー、という気持ちで気軽に作ってしまった。
いいじゃないどうせネットの世界よ、と思う。 でもその世界の中じゃなきゃ、自分自身に仮面をかぶせた姿じゃなきゃ、耐えきれないと思う。 ここではキラーチューンちゃん。 でも語ることは自分自身。
ちぐはぐな世界を始めようとしている。 どうでもいいわたしのこと、キラーチューンとしてわたし自身がわたしを愛すためのページ。
それがここです。
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