Tumgik
motokara171 · 4 years
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2019年配信ハイライト(主におわちか)
今年の配信の中から個人的におすすめの回を選びました。年末年始のお供にどうぞ
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motokara171 · 4 years
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浜野さんが10月に販売した拙作『宇宙なめくじのせいなんです』の感想を書いてくださいました!!マジでありがとうございます!!優しいとか言われたの初めてで嬉しいっすね……
『宇宙なめくじのせいなんです』感想
 もう一ヶ月以上前のことになるが、TwitterやここTumblrの相互な人(冴草さん)がオリジナル短編小説集を出した。『宇宙なめくじのせいなんです』と題されたこの本は、pdfという形でBOOTHにて頒布されている。  遅くなってしまったが、これをようやく読了したので感想を書いていこうと思う。せっかくなので、まずは作品ごとの簡単な感想を記そう。
 「ねじれ童話 白雪姫」
 百合ですね。それもすごく「わかる」感じのテイストな百合。「確かに、王妃様ってただの悪役にしておくにはもったいない人間臭さがあるなあ…」と感じ入ってしまった。好きです。
 「洗礼の夜」
 カクヨム版で一度読ませていただいた。はず。「シャワートイレを恐れる『僕』vs.シャワートイレ」というシンプルな構図なのに、文章の熱量がそれをダイナミックな攻防戦に見せる。なんだかんだ言って収録作の中でいちばん人間的な美しさを纏った作品だと思った。クソの話といえばまあそうなのだけれども。でも綺麗なんだよ。本当に。
 「風に祈る、果ての星で」
 収録作中最も幻想的で、確かにSFっぽい作品。少女司祭が少年を抱き寄せるシーンがお気に入り。哀しくて、でもやわらかくてさ。これ以上言葉にしたら壊れてしまいそうだからこれくらいにしておく。
 「ねじれ童話 幸福な王子」
 元の作品(オスカー・ワイルドのやつで合ってますかね?)を未読の状態で読んだのだが十分面白かった。富とか資本って、一見して簡単に「恵まれない人」へ与えることができるように思えるのだけれど、そう簡単にはいかないらしいことが、現代の状況で証明されているように思う。その「富の再分配」をうまくやろうとする思想の一種が福祉なんだなと納得したりした(福祉学科にいたゴミカス人間並みの感想)
 「捨てるな」
 とにかく描写が丁寧なので怖さも強い。限りなくエッセイに近い文章に入り込むホラー。凄まじくトリッキーとかじゃなくても怖いもんは怖いと知った。
 「転生」
 死後。それは誰しも一度は考える瞬間のこと。死んだあとに、なんだろう、人生のリザルトというか総括を見られたらいいなあと私も思った。また淡々とした筆致が素敵。
 「卒業」
 あとがきで「ほぼ実話です」と語られているのも納得のリアル感。私もサークルをあまりよくない形で辞めた経験があるのでとても共感した。私もまだ23年しか生きていないけれど、今感じている人生の「どん底感」もいつかはこう語れるようになるのかもしれない。文章にしてくれてありがとう。
総じて…
冴草さんの書く文章はいつも表現力が豊かで、そして他者を見つめる視線が優しくて、前から好きだった。こうして本として出してくださったことに感謝する。国家試験を控えているということでかなり大変な時期かと思いますが、どうか身体に気をつけて乗り切ってください。関東の変な街より愛をこめて。
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motokara171 · 4 years
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“《創作講座初級篇》 1.赤の他人に時間を使わせた上で、その時間は無駄でなかったと思わせること。 2.男女いずれの読者も応援できるキャラクターを、少なくとも一人は登場させること。 3.例えコップ一杯の水でもいいから、どのキャラクターにも何かを欲しがらせること。 4.どのセンテンスにも二つの役目のどちらかをさせること…登場人物を説明するか、アクションを前に進めるか。 5.なるべく結末近くから話を始めること。 6.サディストになること。どれほど自作の主人公が善良な人物であっても、その身の上に恐ろしい出来事を降り掛からせる――自分が何からできているかを読者に悟らせる為に。 7.ただ一人の読者を喜ばせるように書くこと。つまり、窓を開け放って世界を愛したりすれば、あなたの物語は肺炎に罹ってしまう。 8.なるべく早く、なるべく多くの情報を読者に与えること。サスペンスなぞくそくらえ。何が起きているか、なぜ、どこで起きているかについて、読者が完全に理解を持つ必要がある。たとえゴキブリに最後の何ページかをかじられてしまっても、自分でその物語を締めくくれるように。”
2007-11-02 - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ
ヴォネガット創作講座。ストーリーを作るときに。
(via roamingsheep) (via phorbidden) (via srgn)
(via ideofunk-blog)
(via gkojax-text)
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motokara171 · 4 years
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今更なんですが
本作りました、オリジナルの短編集です、一冊400円です よろしくお願いします
宇宙なめくじのせいなんです | 無認可書店(合法) https://hangedpenguin.booth.pm/items/1640862
※下から試し読みもできます
https://www.pixiv.net/artworks/77437477
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motokara171 · 5 years
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「永遠に僕のもの」を観ました――無邪気な天使が「自分のもの」を欲しがるまで
 お久しぶりです。土曜のお昼、話題の映画「永遠に僕のもの」を観てきました。
 正直なところ、観た直後は「面白かったし物凄く好きなんだけど、どこが良かったのか具体的に挙げろと言われるとコメントが出ない映画」という感じで、語りたがりの自分には珍しいことなのですが、うまく感想が言語化できず数時間苦しい思いをしました。指に刺さった棘が皮膚の下に完全に潜り込んでしまったみたいな気分。鬱陶しいけどつい弄ってしまうし、熱中してしまうというか。
 それが先程、ようやく取り出せました。とりとめもなく雑然としておりますが、ここに残しておきたいと思います。なお、なるべく控えますが多少のネタバレを含むので御注意下さい。
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タイトル
 なんでここまで感想がまとまらず苦しんだかというと、魅力的なことは全身でビリビリ感じられるのに、いざ考え始めると根っこが何か、どんなテーマと解釈できるのかがいまいちぼやけて(わざとぼやけたまま)映されてるからなんですよね。主人公=カルリートスの行動には確かな動機なし、かといって考え無しに動いているわけでもなし、その上劇中の至る所で、しばしば話を脇の方へ誘導してしまうような意味有りげな場面が挿入される。
 でもそれが狙いというか���そうあって当然なんだな、となんとなく理解できたのは、タイトルを改めて思い返した時です。邦題は「永遠に僕のもの」。これは、劇中で描かれる一連の長く寂しい愛の物語を暗示するものでしょう。一方原題は“El Angel(天使様)”。この題のことを考えるべきでした。
 恐らくですが、作り手は初めから彼を「人」として扱っていないんです。無垢で人間たちの善悪なんか超えたところにいる天使。人の形をとっているだけの、理解し難い存在。それが主人公カルリートスなのではないか。(因みに冒頭、本人も自分の出生時の話などを引き合いに出して、暗に天使を自称しています)
 これの2つの事実を念頭に置いて俯瞰で眺めたとき、ようやく展望が開けてきたように感じました。
「所有」
 カルリートスは盗みの天才。身軽で用心深く、家屋への侵入の技に長けています。しかし何より彼を天才たらしめているのは、人間としての善悪に全く欠けている点です。
  「ちょっと欲しいから盗む、要らなくなったら喜ぶ人にあげる」のが彼の信条で、そもそも自分の考えが実現する過程でどんな障害が起きようが、たとえば家主に見つかろうが構わないのです。逃げることもしばしばですが、悠々と挨拶して出ていくと本人もさらっと語っています。罪や恥の意識が決定的に抜け落ちているのです。
 実際最後の最後まで、他人に対するそれと同じく「自分が所有している」という事実にはあんまり拘りませんでした。目に見える物や人より、状況を思い通りに動かすことこそが、彼に与えられた唯一の欲でした。
 盟友・ラモンと、銃を別として。
ラモン
 ラモンとは工業学校で知り合いました。カルリートスの方からの「一目惚れ」と言って差し支えないと思います。カルリートスはものすごく危険なちょっかいをかけて、ラモンとわざと喧嘩しますが、結局二人は「盗み」を通じてすぐに打ち解けます。
 まあカルリートスにしたら好都合というか、多少強引でも初めからラモンに近づくのが目的だったんでしょうね。ここから物語はずんずん動き出します。
 ラモンは全編を通じて登場し、時にカルリートスに寄り添い寄り添われ、時に拒絶し合いますが、ぜひ注目してほしいのは、これまで具体的な人や物に興味を示さなかったカルリートスが、状況や役割でなく「ラモン自身」を激しく求めていたことです。無垢な天使様が初めて心の底から欲しい、専有したい、と願ったもののために前述したような信条を破っていく様は、まさしく堕天でしょう。
 カルリートスは観客含め、誰から見ても危うい雰囲気を備えた絶世の美男子……というより、「中性的」な「美人」ですが、物語のかなり早いうちから銃に異様な拘りを見せます。そうして実際、百発百中と言っていい腕前を誇ることになるのですが、銃をあるものの象徴と考えると、色々腑に落ちるところがあります。これは僕の見立てがズレてなければ、劇中でも(しかもわかりやすいタイミングで、手を変え品を変え)しっかり示唆されています。
 あまり詳しくは言えませんが、ぜひそのあたりも意識してご覧いただけたらと。
カルリートスは「サイコパス」なのか、それとも
 カルリートスは、人間としてはあちこち欠落しています。最初に述べた通り、何故悪事(と世間では言われること)を働くのか、明らかにはなりません。
 一方でカルリートスにだけできること、それから周りはやりがちだけれどカルリートスはできない(避けている)ことは明確に示されていたりします。ここもぜひ気にしてほしい。
 ところで彼の特徴的な言動は、俗に言う「サイコパス」のそれと、かなり多くの点で一致します。ですが(ソースは不明ながら)監督が以前インタビューか何かで「カルリートスはサイコパスと設定したわけではない」と否定しているらしいんですね。この情報が本当だとするなら、何故監督はそんな否認をしたのか。
 あくまで個人的にですが、僕はやっぱり、カルリートスは初めから「人間」ではなくて、人だけれど人同士で通用している(=世間の)価値観を超越したところにいる、だから安易に障害や病気のように扱われて、感情移入されてたまるか、という……なんというか、強火オタクによる揺るぎない解釈みたいな、そういうものなのかなあと感じました。わからん。
まとめ
 まあ長々語りましたが、ここまで挙げたような要素をピックアップすることで、僕の中ではすとんと落ちました、という話です。
 結構的はずれなところもあると思いますし、百聞は一見に如かずとも言いますから、ぜひ皆さんにも劇場で観ていただきたいです。冒頭の踊るカルリートスくんめちゃめちゃ可愛いし。70年代のファッションや音楽が散りばめられててゴキゲンだし。あとほんとに個人的な感想として、人物造形といい全体に立ち込めるやりきれなさといい、なんか萩尾望都テイストというか、おれの中では萩尾望都先生の作品と同じ箱に入る雰囲気だった。
 というか語りたいんだよね。ネタバレに配慮してるからおれの読み取った部分とかこれは絶対間違いないでしょって箇所を削らざるを得なかったし。全員観ておれと「永遠に僕のもの」の話しよう。頼む。
 では。
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motokara171 · 5 years
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帰ってきてから
 札幌に帰ってきてから色々険しいことになって、それが一段落したのはいいのですが、本当に毎日無感動に生きていて、何かが欲しくてYouTubeを開きアルゴリズムに薦められるまま動画から動画を飛び移って、それでも笑うでも怒るでもなく、ただ漫然と明るい時間を消費するだけの毎日です。枝から枝へ次々渡るけど結局お望みの果物を見つけられないサルというのはこういう気持ちなんでしょうか。それともサルは目の前の結果が全てで、何日連続で見つけられなかったとか、そういうことは考えないのかもしれません。サルのことはあまり知りません。
 夜中の散歩は習慣になっていて、夜中になると家をこっそり出るのですが、この頃は距離を倍に増やしたり、コンビニに寄り道して仕入れたお酒を飲みながら歩いても、むしろ寂しくなるばかりです。何故か考えてみたのですが、数週間前まで住んでいた溝の口はたとえ平日の夜中だろうが、日曜の明け方だろうが、人がいない時間帯というのがありませんでした。また、昼間は道が狭く立て看板やネオンに溢れているのを鬱陶しく感じることがあったのですが、夜になるとそれが何とも言えず街に抱かれた感じ、体内に潜り込んだ感覚を与えてくれました。地元にはそれがありません。道はだだっ広くて前を見ずに歩いても何にぶつかることもなく、0時を過ぎれば人通りはほぼ無くなります。今まではそれが普通だったけど、溝の口の視聴覚的な刺激に溢れた夜を想うと、どうしても物足りないのです。歩けば歩くほど、見るほど、聴くほど、本当に何もないな、おれは異分子なんだな、と気持ちが塞いできます。
 ややもすればまた順応できるのでしょうが、今は昼夜となく孤独と暗闘し、目が覚める前に少し苦しくなってそのまま死ねないかなということばかりを考える日々です。
 地元に帰ってきて一つだけ良かったのは、その静けさです。憂鬱にも隙間があって、束の間解放され、何も考えない時間、真にニュートラルな時間というのが数秒から数分できることがあります。そこにちょうど、「静けさ」という音が嵌りこむことがあったりします。
 札幌では先週まで、絶えずしとしとと雨が降っていました。雨が降っていない時間もあるのですが、雲は見える範囲を取り囲み黙って待機したままで、いつまた愚痴を垂れ出すかわからないような状態です。それを見るにつけ、おれの気持ちみたいだな、とまた悲しくなってしまうのですが、その日はたまたま本当にニュートラルで、そんな空模様を見ても何も感じず、ただ窓の外、自宅の庭に視点を据えてぼんやりしていました。
 何分経ったかわかりませんが、その日数度目の雨が降り出しました。珍しくその時は本降りで、大きな雨粒が見えるほどでした。僕はそれをじっと見ていました。見ているというか、捉えるだけ捉えていました。すると耳慣れないバラバラ、バラバラという音が耳に入ってくるのです。
 ようやく意識的に眼球を動かして、音源を探してみると、それは庭の薔薇の葉に、雨粒が衝突する音でした。雑音(正しく『雑音』です)まみれの溝の口では絶対に聴こえない音でした。僕はそれを発見したとき、帰ってきて初めて、ちょっとだけ泣きました。
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motokara171 · 5 years
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インターネットを大事にしてきた人の言葉、素敵…
初めてのフォロワーが爆散した
これは数日前のこと。インターネットの波間に出会った初めてのTwitterフォロワーが「爆散」した。
「爆散」というのはつまり「垢消し」で、向こうにはいろいろ事情がありそうだし、確かに最近彼は自身のプライベートでセンシティブな部分を多く話題にしていたから、それを家族やリアルの知り合いに見られてしまったのかもしれない。とにかく、どうにも彼は戻ってきそうにない。なので、ほんの少しだけ思い出話をする。
彼が最初にTwitterをフォローしてくれたとき、わたしのFF数はそれぞれ10とかそこらだった。身内の連絡用に始めて、好きなことしか話していないTwitterに外部の人が興味を持ってくれたということがわたしは嬉しかったし、またドキドキした。確か、最初は『ハーモニー』の話で字数制限ギリギリのリプを投げ合った。その時はわたしよりも彼のほうが年上だと思っていたが違っていて、びっくりしたことを覚えている。それから段々とそれぞれ興味の方向性を異にしていったけれど、相互の関係は4年続いた。この4年、いつもタイムラインには彼がいた。彼は●夢厨をしていた時期があるそうで、そういう画像も流れてこないわけではなかったけれど、基本的にはいつも彼の投稿を楽しみにしていた。踏み込んだ表現をすれば、生活の一部とも言えるくらいだった。
そんな彼ももう大学生だという。まあ、大学生になったら、いろいろあるよね。
人には立派なリアルの生活がある。だから、Twitterから消えても、その人がリアルでちゃんと生きているならば全く問題はない。でもわたしには、彼がそのリアルでうまくやれているかがすこしばかり心配だ。
彼はもうこのエントリを読むことはないと思うけれど、昔「浜野さんのイメージ曲です」と言って「CAND¥¥¥LAND」(tofubeats)を教えてくれたことやその他諸々のお礼を記す。新しい音楽の扉を教えてくれてありがとう。ProjectItohの時は話し相手になってくれてありがとう。ほかにもいっぱい、今まで本当にありがとう。ずっと元気でいてください。
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motokara171 · 5 years
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初めての推しがいなくなるということ
 お久しぶりです。
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 神奈川で暮らすようになってから、気がつけば一月以上が経つ。平日は毎日病院で患者さんを相手にワタワタして、週末になれば半ば頼み込むようにして誰かと会い孤独を紛らわせて、という生活。ぶっちゃけ、来て何日経ったか、なんていちいち数える暇がない。
 これまで長くはないが決して短くもない人生の中で、年長者たちに散々「大人になると毎日あっという間だよ」なんて嘆きを聞かされてきたけれど、脅しじゃなかったんだな、としみじみ感じる。もっと真面目に聞いておけば、と思うが、真剣に傾聴したところで時間の流れに堰を造る事なんか誰にもできないので、最近は諦めて身を委ねることにした。
 そんな生活を送る中、ここ3週間で、人生に些細だが絶対的な変化が訪れた。生まれて初めて、アイドルにハマったのだ。
 僕はアイドルなんか興味が無かった。一番アイドル文化に近かったのなんて、まだ物心がつくかつかないかの年頃にモーニング娘。の全盛期が来て、テレビの前で一生懸命「恋愛レボリューション21」の振り付けを真似していたのが、最初で最後だった。ここ数年こそ、そういう気持ちもなくなったが、中高生の頃なんかは、アイドルとそこにくっつくファンという人種を軽蔑さえしていた覚えがある。
 そんな人間が如何にして、アイドルにハマったのか。
 
 「オードリー」という漫才コンビがいる。00年代の終わりに大ブレイクし、それから10年が経つ今もなお数々のレギュラーを持つ、息の長い実力派である。経歴など詳細は、wikipedia等を参���されたい。
 場の流れを中断させるようなボケと、ロケでの体を張った姿が印象的な春日さんと、ブレイク後数年は陰に隠れていたが、徐々にその独創的な発想力や現代文学への造詣の深さ、相方の春日をも凌駕する滅茶苦茶なボケで今やピンでも活躍する若林さん。二人の「信頼し合っているけど、仲良くしすぎない」絶妙な距離感が最も色濃く表れるのは、彼らがブレイク直後からパーソナリティを続けるラジオ番組「オールナイトニッポン」だろうと思う。
 実はこの「オードリーのオールナイトニッポン(以下ANN)」、ずっと興味はあったが、10年間聴かずじまいだった。そんなANNを、ようやく最近聴き始めた。これが本当に面白い。
 10年間も夜中に顔を突き合わせていると、だんだん相手への不満が溜まってはちきれそうなものだが、そこはお互い(というか主に若林さんが)気持ちをぶつけ合って、適度に内圧を保っている。
 神奈川に来る前の週(春日さんのプロポーズが成功したあたり)から聴き始め、その翌週フライデーによる春日さんの浮気報道があった。同じ週、新居で荷解きをしながら聴いていたら、若林さんが春日さんを素晴らしいバランス感覚でもって叱り倒しており、爆笑しながら「今聴き始めて良かったな」と思ったものだ。まあしかし、そこは本筋ではない。
 ANNを毎週聴取していると、二人の会話によく「日向坂」という単語が出てくることに気づく。「日向坂」、正式には日向坂46だが、どうやらアイドルグループであり、その冠番組「日向坂で会いましょう」のMCとして、オードリーが出演しているらしい。以前から、日向坂というグループ名はちょくちょく耳にしていたし、何よりオードリーの二人がアイドル相手にどう立ち回っているのか興味が湧いた。試しにYouTubeで「日向坂_オードリー」で検索し、トップに出てきた『名シーン集』を視聴してみた。
 これが意外にも、めちゃくちゃ面白かったのだ。
 正直期待していなかった。まあアイドル相手にバラエティの真似事をしてるんだろ、なんて事すら考えていて、オードリーの様子だけを観るつもりだった。
 見事に裏切られた。凄いことに、ちゃんとバラエティをやっているのだ。
 21人(正確には現在1名が休業中で、スタジオにいるのは20名)のメンバーそれぞれにしっかりとした個性があり、技術があり、センスの光るコメントが出る。かと言って慣れきっているわけでもなく、企画にはいつも全力で、素人にしかできない奇跡的なボケやオチもかましてくれる。勿論オードリーの回しが全編に渡り冴え渡っているのも大きいのだが、それを差し引いても、完璧に成立していたのだ。
 ゲラゲラ笑いながらも、気づけば僕はパソコンの前で正座していた。動画が終わって、徐ろにスマートフォンを手に取り、Apple Musicを起動した。そしてアーティスト名「日向坂46」で引っかかってきたシングルを、全部ライブラリにダウンロードした。
 
 こうしてまんまと日向坂46のファンになったわけだが、アイドルグループの負う宿命として「この中で誰が一番好きか」と比べられる、という現象が起きる。「推し」というやつだ。誰が一番好きなのか、僕も考えてみたりした。
 しかし僕は選べなかった。初めのうちは、純粋に個々人の煌めきを集めた銀河系としてのグループが好きで、所謂「箱推し」として。それから段々と、「歴も短い、すぐに北海道に帰ってしまうから握手会に行けるわけでもない、そんな自分が誰か一人を選ぶなんておこがましい」という遠慮に変わった。
 でも別に問題なんかなかった。僕はそれで良いと思っていた。
 
 6月21日、金曜日。グループ結成当初からのメンバーで、先に脱退した長濱ねるさん(現在は欅坂46専任)と共にセンターを務めた柿崎芽実さんが卒業する、と発表があった。グループとして初の卒業生だった。
 ショックだった。自分でも意外なくらいに。でも、何故こんなに悲しいのかわからなかった。
 
 日向坂46の前身は「けやき坂46」だった。「不協和音」「サイレントマジョリティー」等で知られる欅坂46の姉妹グループとして、長濱ねるさんを中心に結成された、という成り立ちがある。どうやら長濱さんが、欅坂46のオーディションに合格したが一時辞退した、という経緯があり、再度欅坂への加入を決意した際の「移行措置」として集められたグループらしいのだ。
 しかし、そこに集まったメンバーは純粋にアイドルになりたい者、欅坂46のパフォーマンスに憧れた者など、本気のメンバーばかりだった。結果的に、そんなメンバーの熱意と努力によって、「日向坂46」として独立するに至るのだが――そうやって集まった中に、柿崎芽実さんもいた。
 前述したとおり、柿崎芽実さんは結成当時から長濱ねるさんと共にセンターを張っており、「けやき坂46のオリジナルメンバー」としては中核と言っても過言ではなかった。長濱さんや、欅坂の絶対的センター・平手友梨奈さんとも、抜群に仲が良かった。言うなれば欅坂との繋がりが、他のメンバーにも増して強かったのだ。
 またグループ全体としても、欅坂に追いつけ追い越せで懸命に努力し、地道に人気を獲得してきた。途中、長濱ねるさんが「兼任解除」としてけやき坂を離れ、正式に欅坂のメンバーになったり、1期生にはなにも知らされることなく2期生の加入が決定する、などの波乱もあった(後者に関しては『1期生衣装部屋立てこもり事件』で検索してほしい)。しかし苦難を乗り越え団結し、昨年には唯一の3期生且つ最年少メンバーとして、上村ひなのさんという新戦力を加えた彼女たちは、改めて欅坂46に並び立つ存在になるべく活動を展開していた。
 だが、今年2月。グループを「日向坂46」と改名することが発表された。改名に関してはメンバーには知らされていなかったらしく、各々この報にひどく驚きながらも、喜びを露わにし、嬉し泣きする者もいた。しかしそんな中、一人だけ複雑そうな面持ちで目を潤ませたメンバーがいた。
 柿崎芽実さんである。
 彼女もまた欅坂に憧れ、背中を追いかけた一人であり、長濱さんがいなくなってからも「けやき坂の」センターとして、踏ん張り続けていた。そんな彼女の心理に、長濱さんの脱退、「けやき坂46」という肩書きの剥奪がどう働いたか、僕は知る由もない。何ならリアルタイムで見てすらいない。でも、もしかすると、それらが彼女の目には、「どうしようもない喪失」として映ったのではないか、という事は、想像に難くない。
 ところで、柿崎さんと欅坂の平手さんとの仲良しぶりは、ファンの間でも有名だった。映像を直接見てはいないのだけれど、二人で海に行ったりしていたらしい。まるで一組の恋人のように、仲睦まじい様子だったと。
 柿崎さんにとっては、砂浜を並んで歩いた二人の足跡が、振り返ってみれば、波にさらわれて消えていた。そんな印象だったのかもしれない。
 
 僕が画面越しに見る柿崎さん――いい加減鬱陶しいから以降は普段のように「めみ」と呼ぶが――は、コケティッシュな笑みとぶりっ子キャラ、無茶振りにも即座に対応する器用さの目立つ人だった。ウインクがこれ以上無いほど魅力的だった。メンバーみんながひな壇に揃う引きの画でも、いつしか彼女の姿を探すようになっていた。
 改名の発表があってから、イベントや収録を休むことが増えたと聞いていたけど、先週の「日向坂で会いましょう」ではいつものぶりっ子キャラで大活躍していて、ああ、大丈夫なんだな、と勝手にホッとしていた。
 僕含め、観客というのはなんて傲慢なんだろう、と思う。ショーの最中、演者が演者として見せる顔にばかり目が行って、何を想い、何に苦しんでいるのか――はっきり言えば「ひとりの人間である」ということを、すっかり忘れきってしまうのだ。
 改名発表の折見せた切なげな表情、最近の欠席、そうした事を鑑みれば、めみの内面の懊悩に思い至っても不思議ではない。むしろ自然な事のはずだ。しかし情けないことに僕は、すっかり失念していたのだった。
 
 あの日、実習が終わって帰宅した僕は、ベッドに裸で寝転がり、漫然とTwitterを眺めていた。そうしたらめみの卒業発表があった。しばらく呆然としていた。事態が飲み込めなかった。30分くらいして、ようやく身を起こした時には、窓の外はすっかり暗くなっていて、開け放った窓からは今にも雨が降り出しそうな、湿った匂いがした。さっきまで腹が減って仕方なかったのに食欲は消え失せ、ただ頭の奥がじんじんしていた。
 ぜひ笑い飛ばしてもらいたいのだが、僕は事ここに至ってようやく、自分がめみ推しであったことを悟ったのである。
 
 指先に体温が戻り始めて、僕はスマートフォンのブラウザを起動し、情報を集め始めた。何ができるわけでもないが、ただ知りたかった。仔細漏らさず彼女の事を知ろうと思った。
 まず、卒業発表直後に目を通しためみのブログを、もう一度読み返した。「しばらく心身の不調が続いているし、高3になって、将来に悩むようになってしまった。これ以上メンバーに迷惑をかけられない」とあった。その切実さに堪えられなくて、すぐにタブを閉じてしまった。
 5ちゃんねるのファン用のスレッドをまとめたブログを見つけて、記事を読み漁った。ファンのための有料メッセージサービスで、しばらく前に、めみが黒いチューリップの写真を送ってきた、という話を、そこで見かけた。
 調べてみて、愕然とした。黒いチューリップの花言葉は、『私のことは忘れてください』だった。
 僕は泣いた。本当かどうかは知らない。だも、そんなことがあってたまるかと思った。17歳の女の子が、誰より最前線で踏ん張ってきた子が、将来に思い悩み、メンバーに迷惑をかけられないと自らグループを去る決意を固める。それだけでも悲惨なのに、『私を忘れて』って、そんな……。
 他人の記憶から消え去りたい、なんて思うのは尋常の事ではない。ましてやアイドルとして、ステージに立っていたなら尚更だ。
 彼女は、僕が暢気に彼女たちを消費している間、ずっと自分を責めていたのだろうか。いなくなったほうがみんなのためだ、そうやって自らを追い詰めながら、カメラに向かってウインクをしていたのだろうか。
 そう思うとたまらなくなって、自分が恥ずかしくなって、めみに謝って、励ましたくて、だけど僕は彼女を好きになって日も浅いただのいちファンでしかない。どうする事もできなかった。それでも自分の中の濁った何かを消化したくなって、文具屋に走っていってスケッチブックとサインペンを買い、めみの絵を描いた。冷蔵庫の酒を飲み尽くしながら、一心不乱に描いた。難しかった。
 気がつくと僕は床に伸びていて、窓の外はもう昼で、足元には少女の絵が散らばっていた。二日酔いで動けなかった。あれは自己満足だったな、と思った。でも気持ちは少し落ち着いていた。
 
 日曜日の今日、電車で1時間かけて、錦糸町まで出かけた。ここのタワーレコードに、めみのフォトパネルがあると聞いたからだ。曇天の錦糸町駅前は、殺気立った人がいっぱいで、なんとも言えない湿気と臭気が充満していて、名前ほど優雅な街ではなかった。
 タワーレコードに入って、すぐ脇にそれはあった。アイドルのコーナー、その中央に堂々と日向坂のブース、そしてめみのパネル。
 「ご自由にお撮りください」とのことだったので、近づいて写真を1枚撮った。それから改めて彼女の顔を見た。丸くて色白の顔、やや吊り上がったアーモンドのような眼、小ぶりな鼻、艷やかな唇。緩やかに波打った黒い髪。陳腐だがなんとなく、妖精っぽいよな、と思った。それから、僕の好きな人形アニメ「森のレシオ」に出てくるキャラクターに、どことなく似ているんだ、と気づいた。
 周りの人が見ていないか確認して、僕は小さく一礼をした。短い間だったけど、初めての推しになってくれてありがとうございました。あと、ごめんなさい。しばらくは忘れられそうにないです。
 その場を離れた僕は、しれっと関係ない映画雑誌を買って、店を出た。
 
 彼女――柿崎さんが、これからどんな道を歩むか、それは僕にはわからない。できる限り幸せになって、いつかこの数年間を懐かしく思い出せるような日々を送ってほしい。
 相変わらず傲慢だとはわかっている。でも、今はそう祈らせてほしい。
 それから、今夜も「日向坂で会いましょう」の放送がある。そこに柿崎さんはいない。先週の次回予告でも、姿を見かけなかった。それでも僕は観るつもりでいる。もう少し、日向坂46というグループを推していたいと思っている。
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motokara171 · 5 years
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サーフ ブンガク (JR鎌倉駅) https://www.instagram.com/p/Byw8W9ah9fM/?igshid=fbama2xbc5fi
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motokara171 · 5 years
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2019/03/18
元は航空機のチケット代を払うためにコンビニに行っただけだったんだけど、天気がものすごく良くて、結局丸4時間くらい歩いちゃった。川が見たくて……
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motokara171 · 5 years
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Netflixで「ベルベット・バズソー」を観ました
 「ベルベット・バズソー」。Netflix制作の映画で、監督は名匠ダン・ギルロイ(『ボーン・レガシー』の事は思い出してはいけません)、主演はなんとあのジェイク・ギレンホールです。Netflixはほんと、ハリウッドなんかの大作主義じゃできない挑戦的なテーマを、ナイスな面々で作らせてくれるって意味じゃほんとに貴重ですね。
 あらすじとか予告編はまあ、Wikipediaやら公式サイトを見ていただくとして。以下、気になったことや考察みたいなものを、つらつらと書き連ねていきます。ネタバレ全開なので、ぜひ本編視聴後にどうぞ。
Velvet Buzzsaw | Netflix Official Site
 
 さて。
 ひとつだけ引っかかるというか、ここはこっちのほうが個人的に好みだったなって思うのは、モーフって遅ればせながら絵の持つ魔力に気がついて周りを止めようとしたし自分でも何とかしようとしたんですよね
 しかも自分の地位も名誉も投げうって絵の呪いを明らかにした(本人も『この業界で自殺したも同然だ』)し、名声と富に酔って自分をフった相手にも「まだ君を大事な友人だと思ってるから」と忠告する、それでも殺されてしまった。 
 まあ、気づくには遅すぎたって言えば簡単ですけど、この作品って芸術を生み出す側は基本的に救われるというか、むしろディースの絵に触れることで、本人にとって良い選択をしてるんですよね。ダムリッシュが自分のフッドに戻っていくシーン、ピアース先生が砂浜に絵を描いているエンドロールの映像とか。彼らは確かに、ディースの作品群に影響されていたけど、呪いを受けることなく、むしろ啓蒙された。 
 で、モーフも一次創作ではなくて他人の絵やら生涯をまとめるってだけではあるけど、ディースの足跡を辿って、本を作ろうとしていた。ディースの作品がそれほど見事で、モーフの心を捉えたからですね。そしてその作業はひとつの立派な創作だし、芸術になり得たと思うわけです。彼もまた、ディースに啓蒙され、ようやく真に作り手達の側に回ろうとしていたんです。それは、ロドラに『ずっとこういう仕事をしたいと思っていた』と語るシーンからわかります。彼自身、批評の限界を感じていたと白状していて、ようやく(他人の人生に依存する形でありながらも)芸術を生む人間になろうとしていた。なのにあの無惨な最期! 
 彼が呪いを受けて死ぬことは変わらなくても、せめてディースの評伝を仕上げたという描写を入れてほしかったなと、個人的には思います。 
 ※書いてる最中に思い出したんですが、そういえば作中に『依存は創作をダメにする』みたいな警句が出てきましたね。批評や作品の販売は、言葉を選ばず言えばまさしく依存によって成り立つと思いますが……評伝なんかの執筆もその域を出ないと解釈をするならば、筋は通りますね。 
 モーフはまあ、褒められた人間じゃないでしょう。というかこの作品に出てくる批評家や画廊の人達は皆傲慢で、お金儲けしか頭にないし、自分より立場の弱い人はどう扱ってもいいと思っている、とすら感じます。モーフに至っては、私的な事情で他人の作品をこき下ろして、取り返しのつかない事態を招いてしまいました。でも、各々に筋の通った美学に基づいていたし、決して大それたものじゃなかった。 
 それにみんな、正しい事、まともな事も言ってもいるんですよね。極悪人ではない。小さな出来心、慢心が、彼らを地獄に引きずり込んでしまったのですね。まさに大事なのはhumble。ケンドリックラマーも“It's so hard to be humble.”(『謙虚でいるのが一番難しいんだよな』)って歌ってますし。ところでダムリッシュがちょっとケンドリックに似てるのは偶然かな。DAMNとDamrishだし。関係ないか。 
  
 まあとりあえず、一人ひとりが不愉快で、非常に危うく、たまらなく魅力的。すごく面白い映画でした。
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motokara171 · 5 years
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MOTHER2から3の部分的な考察
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motokara171 · 5 years
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2019/02/03
 午前0時を過ぎてからよく歩く。人はいないし歩くと脳がシャキッとする。初めのうちこそ家族に文句を言われたが、最近はこっそり家を出てこっそり入ればあまりうるさく言わなくなった。
 よく行くコンビニが三軒ある。セブン二軒とセイコーマート。完全に気分で決める。今日はセイコーマートに行���たかったので、0時ちょうどに行った。閉まっていた。いつも1時まで開いていた記憶があるのだが、仕方ない。イヤホンからは孤独を歌う曲が流れ続けていた。実際この時も相当孤独だったが、どうも居心地悪く感じた。遠回りしてセブンへ行った。
 結構な頻度で立ち寄るので、店員さんが顔を覚えたらしかった。いつも通り温かい飲み物(今日は缶コーヒーだ)を買ったら、「今日も温かいのね。テープだけでよろしいでしょ?」と訊かれた。「お願いします」と答えた。得した気分になった。
 外に出て、煙草を吸いながら缶コーヒーを啜っていたら、車が来て、人が店に入り、すぐに戻ってきた。店舗の照明のせいで車内を透かして見ることができた。運転席の男が、助手席の女に袋を手渡していた。やがて二人は熱烈なキスを交わし始めた。秒数を測るが、20秒で馬鹿らしくなってやめた。車内から性行為の匂いが流れてきて、僕の脳が浮腫んだ。煙草の煙も敵わなかった。頭が痛くなってきたので、コーヒーを飲み干して缶をゴミ箱に捨てて逃げた。さっきの店員さんが不思議そうな顔でこちらを見た気がする。
 イヤホンからは一曲リピートで、先程と同じ曲が流れていた。惨めな気分を忘れるために、歌詞を聞き取ろうと躍起になって聴いた。歩きながら耳を傾けるうち、しっくりこなかった理由がわかった。孤独を歌い上げながら、その向こうに特定の誰かを想定していたからだった。「君」って誰だよ。心当たりがねえよ。この曲はしばらく聴くのをやめようと思った。
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motokara171 · 5 years
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A fun Dark Souls inspired piece I finished up today. 
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motokara171 · 5 years
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motokara171 · 5 years
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フォロワーさんにMinecraftの購入コードを頂きましたのでぼちぼちやっています 具合が悪くていまいち捗らないのですがめちゃくちゃ楽しいです
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motokara171 · 6 years
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〜怪奇現象のカラクリ〜
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まだ数は少ないけれど、私の周りでも結婚をする人がちらほら現れ始めた。
今年で25歳だ。まだ不安を感じたり焦ったりする意識は持たないけれど、 知人の結婚式の出席は、自分の人生について考える機会になる。
私の脳内では、男性と女性の間にひどく厚くて高い壁ができていて、もはや両者は完全に別の生物だと区別されている。あまりいい恋愛をしていないからだろうか。私の恋愛経験はおそらく人並みより少ないからそもそも分母が乏しいけれど、それでも楽しい思い出は少ないように思う。
だから結婚式に出席すると驚くのだ。
「まったく別の生き物が分かりあって、愛し合っている… そんな怪奇現象が、いま目の前で起こっている…」と。
男性と女性という分かり合えるはずのない生き物が愛し合わないと、新しい命は生まれない。これは神様が作ったあまりに残酷なシステムのように思えるが、それに法って男女はどうしようもなく惹かれ合うように作られている。
“分かり合えるはずのない生き物同士”、というのは完全に私見だけれど、
男性との会話、女性との会話で、私自身 回転させている頭の部分が違う実感がある。 それに私が知っている限り、既婚者の男性というのは自分の奥さんに(物理的に)殺されかけるという恐ろしい経験を必ず1度はしているものだ。
男女の間にも、人間関係としての絆が結ばれることは勿論あるだろうけど ”愛”というよくわからん混沌としたドロドロの感情が一滴でも注がれただけでどうしてあんなにややこしいことになるのだろう?
そして結婚式というのはどうしてあんなに否定しようもない”幸せの象徴”であるかのように演出しなくてはいけないのだろう。  夜の駅の改札で恋人たちが泣きながら喧嘩したり、幸せそうに抱き合ったりしているのはどうしてだろう。  人はなぜ異性に翻弄されるのだろう?
実はこれは私が連載中の『BEASTARS』という漫画でも取り扱っているテーマなので、
これから私自身、追究していかなくてはいけない問題なのだ。
オオカミの主人公がウサギの女の子に恋をして、性的対象として意識し、それが周りから異様な目で見られるというあらすじなのだが(勿論ここからストーリーはいろいろな方面に枝分かれして広がってはいる。何しろもう単行本も10巻目突入だ)
その恋を価値あるものにするには、自分と異なる個体に惹かれる神秘についてもっと掘り下げて描いていく必要がある  というわけである…。
自分の作品のテーマが、作者自身の人生の大きな課題でもあるというイコールはあるあるなのだろうか。だとしたら、仮に私が素晴らしい男性と巡り合って結婚したら、既婚者の私が『BEASTARS』という漫画を描くことの意味さえ問われる気がする。
邪推かもしれない。一生未婚のまま「な~~んで皆結婚なんてしてるわけ!?バッカじゃん!!」なんてのたまいながら漫画を描き続けるオババになっているかも。もうこのことを考えるのはやめよう。
ひとまず私がそんなくだらない自問自答をしながら連載している『BEASTARS』11巻は11月8日に発売。そして私は今月末にバルセロナのサロンデルマンガというイベントに出席予定だ。
無駄なことをぐるぐる考えている間にも、容赦なく時間は進んで〆切は近づいてくる。
愛だの恋だのいう前に、ひとまずは目の前の仕事である。
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