📸秋野不矩美術館 茶室“望矩楼” / Akino Fuku Art Museum Tearoom, Hamamatsu, Shizuoka ——天竜二俣出身、京都画壇で学び京都の文化功労者でもある日本画家 #秋野不矩 の作品の世界観を表現した、#藤森照信 の初期の建築作品。2018年にはツリー型の新作茶室“望矩楼”も。 次回特別展は『中村正義展-日本画を超えて-』展(2023年1月28日〜) 静岡・秋野不矩美術館 茶室“望矩楼”の紹介は☟ https://oniwa.garden/hamamatsu-akinofuku-art-museum/ ...... 「浜松市秋野不矩美術館」は現・浜松市天竜区二俣町出身の日本画家・秋野不矩の作品を中心とした展示が見られる美術館。 その建築は藤森照信/内田祥士による設計で、藤森照信さんの建築家としての初期の作品の一つ。2018年には茶室“望矩楼”が新たに登場しました🍵 . これまでも長野県・茅野の『フジモリ茶室』(空飛ぶ泥舟・高過庵・低過庵)や滋賀県・近江八幡の『ラ コリーナ近江八幡』などを紹介している通り、藤森照信建築ファンです。 自分が「建築を見る」ことのきっかけになったのはこの方の建築であり、この秋野不矩美術館! . 前述の2つ程「園地・ランドスケープ」って感じではない(と思い込んでた)ので紹介してなかったけど、数年間行っていなかった間に茶室“望矩楼”が加わってたのでこれを機に紹介します。 ほんとは特別展『日本画で綴る 源氏物語五十四帖展』がすごく良かったので会期中に紹介するつもりだったのだけど…終わった直後になってしまった…🖼 . 旧・静岡県磐田郡二俣町(後の天竜市二俣町)に生まれ、20代前半の頃は京都画壇・西山翠嶂に師事、その後は京都を拠点に昭和〜平成年代に活躍した秋野不矩。(余談なのだけど、先日京都の方に西山翠嶂のお話を聞いたばかりだったから「あの西山翠嶂!」という気分に) . この美術館が当初建った天竜市(→浜松市に吸収合併)の名誉市民であるだけでなく、京都市立芸術大学の名誉教授もつとめた京都でも文化功労者として表彰。晩年には文化勲章も受章されました🎖 . その晩年の1998年(平成10年)に地元・天竜市に開館したのがこの秋野不矩美術館。特徴的なのはその外観。 一応中は鉄筋コンクリート造らしいのだけれど、土塀って感じの漆喰や地元の天竜杉をふんだんに使った自然風な建築で自然の山の中腹に溶け込んでいます(コンセプトは「秋野不矩作品との調和」)。 続く。 - - - - - - - - #japanesearchitecture #japanarchitecture #japanarchitect #japandesign #japanesegarden #japanesegardens #beautifuljapan #landscapedesign #gardendesign #japanmuseum #artmuseum #japanart #ランドスケープ #建築デザイン #茶室 #teaceremonyroom #美術館 #現代美術館 #庭園美術館 #fujimoriterunobu #akinofuku #天竜市 #天竜区 #天竜二俣 #二俣 #浜松市 #hamamatsu #おにわさん (秋野不矩美術館) https://www.instagram.com/p/CligeG_P7cV/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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アナキストの夜会 in 四川省
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Wednesday 27 August 2014
真観は、禅寺には行かず東京に行く身支度を始めた。今日は、夏休み明けの授業があった。6時14分発のバスに乗って東京に向かったがバスが東京に入ると渋滞をしていた。通常なら8時には東京駅に着くのだが8時半になっても首都高をバスは走っていた。終点の東京駅の一つ前の霞ヶ関バス停で降りた真観は霞ヶ関駅に移動した。しかしこれは宜しくなった。入ったメトロの入り口から丸ノ内線に移動するのに結構な長さを歩いた。丸ノ内線に乗りそして大手町駅で降りてまた半蔵門線まで移動に時間が掛かりやっと半蔵門駅に着いたのが9時過ぎ。学校のタイムカードを打ったのは9時過ぎでギリギリだった。もう霞ヶ関駅を利用するのは止めようと思った。授業に出席した学生は若干少なかった。夏休み明け仕方ないかと思った。学生達は夏休みの課題としてZINEを提出してくれた。真観は1ヶ月前から髭を生やす様になった。髭は年齢の割には白髪が多く生えている。真観はその生え方を気に入っていた。学生達の反応は?まあそれなりに、悪くはなかった。彼らにとってはどうでも良いとは思うが・・・。タバコも1ヶ月前から止めた。禁煙したことは学生達に伝えなかったがその方が喜ばれると思う。タバコの匂いを嫌う学生は多い。誰も文句は言わないのだが・・・。
授業が終ると図書室のSさんを訪ねた。借りていたビデオを返し、夏休み休み明けの図書室の状況を確認。真観はまたZINEを展示を図書室で展開したいがまだ様子を見る方が良さそうとSさんと話した。そして真観は新たにビデオを借りた。今回は、川端康成、小林一茶、永井荷風の特集番組のビデオ。図書室を出た後は学生のMと個人面談をした。Mは自分のことを話している内に涙ぐんだ。真観は、ただ見守るしかなかった。これが西洋の場合だったらハグしてあげることは自然なのだろうか?真観はハグでも何でもして上げたかった。でも日本は"そういうこと"をすると誤解をしうわさをする。
学生のMと一緒に学校を出て市ヶ谷駅まで。駅でMと別れて真観はオフィスに行こうと思ったがUさんと電話で話し、少し遅らせることになり新宿に向かった。ヨドバシカメラで旅先で活躍したローライフレックスで撮ったフィルムの現像出しをして、いくつか気になる商品を物色した。
夕刻オフィスに移動。真観がオフィスに着くとUさんはまだ戻っていなかった。しばらくしてUさんが戻って来て久しぶりに再会。今月の始めUさんが耳の手術で入院していたのでお見舞いに行った時以来だった。Uさんは元気だった。手術した耳の具合はまだまだ完治していない様子。お互いのことを報告し合いながらおしゃべりを楽しんでいるとあっという間に8時近くになった。今日は、真観の元学生であるAがオフィスに訪ねて来るというので待っていた。Aが来た。2年振りの再会。真観はスーツケースから「出会いのカメラマン」の写真を取り出しAに渡した。それはAがギャラリーで写真展をした時のスナップ写真だった。3人でぽっちゃり中華で食事をすることに。Aの最近のことを聞かせてもらったがAもまだまだ若い。人生色々あるさと励ました。真観の話を聞いてもらう、という感じではなかった。まあUさんと一緒にAを見守る感じだ。食事の後はいつもの様にカフェに行く。カフェで話している時にAは自分の父親が韓国でペンション経営を始めたことを話してくれた。そしてそのペンションのウェブサイトを見せてくれたが真観はビックリした。それはそのペンションの規模と各部屋の内装の派手さだった。Aの親御さんは55歳になるというが人生の成功者の様に思えた。(人生の成功者が何であるかの定義は難しいが・・・)どんな人物なのか会ってみたいなと真観は思った。Aは、3人で会っている写真をFacebookにUPした。真観はやはり1ヶ月前まらFacebookはお休みしている。Aは、写真と一緒にテキストを添えようとしていたので真観は『アナキストの夜会 in 四川省』はどうかと提案してそうなった。真観はAにアナキストの意味を説明した。
真観は、10時のバスに乗って静岡に帰るつもりだったがAがオフィスに訪ねて来ることを聞いた時点で諦めていた。人と会って一通りおしゃべりする時間は3〜4時間は必要だと最近真観は感じている。そしてUさんにまたUさん宅に泊まらせてもらえないかとお願いしていた。11時にお開きになりA と別れ、Uさんと蒲田駅まで移動。Uさん宅に着いてから軽く飲みながらおしゃべりを続けた。おしゃべりの内容は近代史が中心。深夜2時に就寝となった。
茶畑庵では眠い眠いと言ったのに今日はどうだ?朝から動きっぱなしでこんな遅くまで活動。もちろん寝ていない。やっぱり環境のせいだな、と真観は思った。
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五篇 下 その五
東海道を離れ伊勢の参宮道に来ている弥次郎兵衛と北八。
雲津の旅館で、狂歌詠みがはじまる。
弥次郎兵衛が別の短冊に道々詠んだ歌を書きだしたのだがその間、北八は手もちぶさたなのでさっき胡麻汁が指し示したびょうぶを見て、
「へえ、恋川春町の絵がある。
もし、あの絵の横に書いてる文章は、賛(さん)ですかな。」
と、胡麻汁に聞いてみる。
胡麻汁は、北八の問いに、
「いや、あれは、詩(し)でございます。」
と答える。
北八は、また別の絵を指差して、
「こちらの布袋の絵の横に書いてるのは、詩(し)ですかな。
誰が、書いたもんです。」
胡麻汁が、
「いや、あれは、語(ご)でございます。
沢庵和尚が書いてくださった教訓でございます。」
と言うので、北八は心のうちにこいつはいまいましい奴だと思っていた。
賛(絵のかたわらに、書かれたその絵にちなんだ歌などのこと)と問えば、詩だと言い、じゃ、詩かと、問えば、語(教訓的な文句のこと)だと言う。
それならこっちにも考えがあるとそこらを見回して、
「もし、あの角にある屏風の絵のそばに書いてるのは、六でございましょうな。」
と、今度は、先に、ひとつよけいに言う。
胡麻汁は、北八が、言うものを見て、
「六か何かは、知りませんが、あれは、質(しち)にとったものでございます。」
と、いう。
北八は、むっとしている。
そのうちに、台所のほうから、女中がやってきた。
「はい、ひげ面さまから、お手紙が参りました。」
胡麻汁は、
「どれどれ、何じゃな。」
と、手紙を受け取ると、その場で読み出した。
『島渡ひげ面でございます。
ただいまお江戸から来られた十返舎一九先生が、私にお宅にご到着されたところでございます。
もちろん名古屋連中や杵吉田などからも書状がきております。
さっそくあなた様のことをお話すると、お宅にもお伺いなさるとの事ですのでまずは、ご連絡まで。』
胡麻汁が、声に出して一通り読むと、
「こりゃどういうことじゃいな。さっぱり訳がわからん。」
と、弥次郎兵衛の方に向き直って、
「先生、ただいま朋友どもからこのような手紙が来ましたが、こいつはたぶん尊公のお名前をかたってまいったものと見えます。
さいわい、まもなくここへ来るようですから、いっちょ、なぐさんでやろうじゃございませんか。」
と、言う。
弥次郎兵衛は、それを聞いて、真っ青になり���
「さてさて、大変なことだ。いやはや、横着なやつもあればあるものだ。
しかし、私は会いますまい。」
と、言うと、胡麻汁が、
「それはまた、どうして。」
と、問いかける。
「いやどうも、さっきから、持病の腹痛がおこりました。
そうでなければ、その偽者を懲らしめてやるものを。さてさて、困ったものだ。」
と、思いがけない展開に、さすがの弥次郎兵衛も、そわそわしている。
亭主の胡麻汁をはじめみんなさっきから弥次郎兵衛の様子がどうもおかしいので、さてはと気づいて、こいつの正体を暴いてやろうと互いにそでを引き合う。
茶賀丸が、
「でも先生。これからも、こういうことがたびたびあるかもしれない。
ご不快ではございましょうが、ぜひその偽者にお会いなさるがいいと思います。」
と、弥次郎兵衛の様子を伺いながら言うと、
「はてさて、こまったことをおっしゃる。」
と、弥次郎兵衛は、益々、そわそわしだした。
垂増が、
「ところで、先生のお宅は江戸のどこになるんですかな。」
と聞いてきたのだが、上の空の弥次郎兵衛は頭が回らない。
「さてどこだったか。おおそれそれ、鳥羽か伏見か淀竹田。」
それを聞いた、��雪が、
「山崎の渡しを越えて、与市浜へとお尋あれか。
仮名手本忠臣蔵の一場面じゃないか。茶化すな。ははは。」
と、笑いとばす。
胡麻汁が、
「そういえばたしか、あなたがたのお笠に江戸神田八丁堀、弥次郎兵衛と書き付けてありましが、その弥次郎兵衛さまというは誰の事ですかな。」
「はあ、聞いたことがあるような名だが、誰であったか。
おお、聞いたはずだ。私の実名は、弥次郎兵衛でございます。」
と、弥次郎兵衛は、やややけくそ気味で答える。
「ははあ、右や左の旦那様。よければお恵みをと回っている弥次郎兵衛とは、あなたのことであったか。」
と、胡麻汁が、言うと、
「さようさよう。」
弥次郎兵衛は、上の空で、返事をしている。
「ところで、弥次郎兵衛先生。
その偽者の一九を今すぐにでも、連れてきましょう。」
と茶賀丸が、意地悪く言うと、
「いや、私は、もう出立しましょう。」
と弥次郎兵衛は、立ち上がろうとする。
「なぜまた、今からお立ちになるので。
何時じゃと思っておられるのかな。もう、午後の十時をまわったが。」
と、胡麻汁が、怒ったように言うと、
「とうのも私の腹痛は変わっておりまして、このようにかしこまってばかりいるとだんだん悪くなる。
いつも夜分、外を歩いて、冷やすとじきに良くなりますから。」
と、なんとも間の抜けた言い訳をする。
「なるほどそれで、今から立とうというのか。
まあそうだな。そうするか。
たとえお前らがここにいると言っても、ここにはもう泊める部屋はない。
早く出ていけ。よくも人の名をかたって騙したな。」
と、胡麻汁が、弥次郎兵衛らの荷物をそこに放り出して言う。
「なに、かたっただと。」
と自分が悪いのを棚に上げて、弥次郎兵衛が詰め寄ると、
「そう、かたったわいな。
本当の十返舎先生は名古屋の川並道中から、状がついてきてるから間違いない。」
と弥次郎兵衛があまりにも威圧的に言うので、胡麻汁はちょっとひるんだがもっともなことを言う。
垂増が、
「最初からどうもおかしいと思っておった。
こちらから放り出されないうちに、ちゃっちゃと出てていかんせ。」
と、そっけない言いようだ。
「なんだ、放り出すだと。こりゃおもしろい。」
と、弥次郎兵衛がりきむが、
「おい弥次さん。このへんが潮時だ。だいたい、お前の思い付きが悪い。
さあここを出て、どこかの安い宿にでも泊まろう。
こりゃ、どなたも、真っ平御めんなさい。」
と、北八が、わびを入れる。
亭主の胡麻汁も腹は立ったが、おかしさもあってこのふたりが這わんばかりの様子でそこそこに支度し出て行くのを、家内の者どもと手を打ちたたき笑いながら見ていた。
弥次郎兵衛は、ずっとふくれっ面で、りきみかえっている。
北八の方は、おかしく思いながら、あとにしたがっている。
短冊に いやとは言わずに 旅の恥 書き捨てていく 偽りの名で
と北八が詠んで、なんとなくおかしくなって、笑い出した。
二人は旅館から出たのだが、もはや十時を過ぎているので家並みは、戸を閉めてひっそりと静まり返っている。
どれが、旅館かもわからない。
暗がりの中、旅館を探しながら歩いているといきなり軒下の犬どもが起きてきてほえかかるので、弥次郎兵衛はきょろきょろして、
「ええ、この畜生め。大きな声でほえやがる。」
と石ころを拾って投げつけると、犬は怒ってますます弥次郎兵衛にほえかかる。
その様子に、北八が、
「かまいなさんな。犬までがばかにしてやがる。おや、弥次さん。
妙な手つきをして、お前何をしてるんだ。」
となにやら変なしぐさをしている弥次郎兵衛に、問いかけた。
「いやなに、犬ににらまれた時には空中に虎という文字を書いて見せると、犬が逃げるということだからさっきから書いてるんだが、いっこうに逃げない。
どうやらこいつら、字が読めない犬みたいだ。ししし。」
と、どうやらこうやら、追い散らかして行く。
しばらく歩いてどうやら、この町の外れまで来てしまった様子に、弥次郎兵衛が、
「こりゃ、失敗した。ええい、ままよ。北八よ。夜どうし歩こうじゃあねえか。
なあ、きつい事はない。行こう。」
と、言うのを、
「お前は、とんでもないことを言う。まだ、十二時にもなっていないだろう。
まだ、どっかやってる旅館があるだろう。」
と、北八は、疲れた様子で答える。
「そうは言っても、今まで、歩いてきて全然見つからねえじゃねえか。」
と辺りを見回すと、
「いやあるぞあるぞ。遥か向こうに火が見える。
あの火を目あてに行って、宿をたのもう。」
弥次郎兵衛が言うので、その方をみて、
「それがいい。しかしあれは、家の灯りには見えないみたいだが。」
と、北八が、暗闇を透かして見ながら言う。
弥次郎兵衛が、
「とんだことをいう。あれは、戸のすき間よりもれる火にちがいない。」
と、自分に言い聞かせるように言う。
「うん、そうかもしれない。家のうちでたく火だ。
なにがなんでも、あそこに頼んで泊めてもらおう。」
と、足任せに、急いで行く。
つづく。
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“納品のお知らせ”
京都oud.さん @oud.kyoto へ
ランプを納品いたしました。
今回、オーナー岡部さんの
こだわりのご依頼により
一点物を中心に納めました。
イギリスアンティークのガス漏れ検知器の
中身を使ったscience prop、
ヴィンテージの足踏みミシンの
部品を使ったmacbeth 、
古い燭台や、真鍮支柱を使った照明等々。
静かに個性を主張するそれは
灯さずともオブジェのような
雰囲気を備えています。
是非、実物をご覧頂きたいと思います。
宜しくお願い致します。
・oud.
〒605-0871
京都府京都市東山区慈法院庵町588-1-2
tel:09090539232
https://www.oud-shop.jp/
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はこにわ市で頂いたひふみ《一二三》サンのとんぼ玉。夏にぴったりの綺麗色♪根付にしてみました。 #とんぼ玉 #はこにわ市in静心庵 #根付 #着物 #名古屋帯 #しじら織 #ハナオムスビ着付け教室 #ハナオムスビ #走る着付け講師 #京都 #京都市下京区 #着物コーディネート #趣着物 #kimono #kimonostyle #fashion #カトエリきもの
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京都を愛したデヴィッド・ボウイが涙した正伝寺の日本庭園
NEWS WEEK
ニューズウィーク日本版ウェブ編集部
<訪日外国人にも人気の日本庭園。なぜ歴史に名を残した人たちが日本庭園にたどり着くかを考えると、その見方も変わってくる。デヴィッド・ボウイは日本のテレビCMに起用された際、自ら正伝寺を撮影場所に希望したという>
金沢の兼六園や岡山の後楽園、水戸の偕楽園など、人々を魅了する日本庭園は各地にあるが、訪れるのは日本人だけではない。
実際、Japanese gardens(日本庭園)に関する英語の情報はインターネットにあふれており、アメリカには日本庭園の専門誌まである。今や日本庭園は、日本を訪れる外国人にとって外せない「見るべきもの」となっているのだ。
京都を中心に庭園ガイドをしている生島あゆみ氏はこのたび、「なぜ、一流とされる人たち、歴史に名を残した人たちは、日本庭園にたどり着くのか」をテーマに執筆。『一流と日本庭園』(CCCメディアハウス)を刊行した。
庭園そのものだけでなく、それらを造った人物、深い関わりのある人物の人生を見つめた上で、庭園との結びつきを読み解いた。これ1冊で日本庭園の見方・楽しみ方が変わるというユニークな一冊だ。
足利義満は金閣寺を、稲盛和夫は和輪庵を造った。スティーブ・ジョブズは西芳寺に、デヴィッド・ボウイは正伝寺に通った。ここでは本書から一部を抜粋し、3回に分けて掲載する(今回は第2回)。
※第1回:利他の心に立つ稲盛和夫が活用する京都の日本庭園「和輪庵」
◇ ◇ ◇
デヴィッド・ボウイ(1947年〜2016年)と正伝寺(しょうでんじ)(京都)
たびたび京都を訪れていたデヴィッド・ボウイが、その美しさに涙したという正伝寺の庭。白砂に七・五・三の刈り込み、遠方に望む比叡山の借景......。世界的なアーティストは何を感じとったのか。
親日家のデヴィッド・ボウイ
ボウイは、親日家で有名でした。また仏教や禅に造詣が深かったようです。BBCテレビ『デヴィッド・ボウイの日本流への熱情』によると、ボウイが20歳頃、舞踊家リンゼイ・ケンプ氏のもとで、ダンスとマイムを習いました。このケンプ氏が、伝統的な歌舞伎の様式に大きな影響を受けていたそうです。歌舞伎や能という伝統芸能が、ボウイが日本文化を知る入り口になりました。
また、チベット仏教の高僧はボウイと親交があり、彼が仏教の僧侶になるつもりだったと証言しています。もともと、仏教に深い関心があったようです。
アルバム『ジギー・スターダスト』全盛期の頃に、スタイリスト・高橋靖子、写真家・鋤田正義、ファッションデザイナー・山本寛斎などがボウイと親交があったそうです。
鋤田正義はボウイを京都で撮っていますが、ボウイの希望は京都の人々が日常の生活を送るような場所で、というものでした。
ボウイが梅田行きの阪急電車の前でさっそうと立っている姿は、ファンだけでなく京都に住んでいる人達をも魅了します。切符を買っていたり電話ボックスで受話器を持っていたりする写真などもあります。古川町商店街では、当時、創業70年のうなぎ店の名物八幡巻きを買っている姿もありました。
スターダムにのし上がった1970年代後半、プレッシャーなどからドラッグの誘惑に苛まれ、ベルリンに移り音楽活動をしていた時期がありました。名盤「ロウ」「ヒーローズ」「ロジャー」のベルリン三部作を制作しました。この頃、ボウイはツアーの合間を縫うように京都を訪れていました。ボウイにとっては大きなターニングポイントで、自分自身をリセットするために京都に来ていたそうです。
大徳寺の僧侶は、ボウイと親交がありました。日本、そしてその精神の奥にある禅に、ボウイは向き合っていったのだそうです。WOWOWドキュメンタリー『デヴィッド・ボウイの愛した京都』で「禅の中では、自由を得るというのが究極にあり、特に死ぬことからの自由のことだと。変わるというのは自分が死ぬことで、ボウイは、自分が変わることから真の自由を求めていたのではないでしょうか。」と僧侶は話していました。
「新しい自分、本当の自分の姿を京都で見つけたのです。京都の時間の流れを、ボウイは大切にしていたようです。常に今が大事だということです。」と彼は続けます。
ボウイは芸術や文化、歴史を学ぶ才能に溢れていたと言います。美術品のコレクターではなく、その物の精神を自分のものにしていく才能があったそうです。「ヒーローズ」のB面に収録されたインストゥルメンタル曲「モス・ガーデン」では、美しい琴の音色が聞こえてきます。これはファンが、直接本人に手渡したおもちゃの琴の音色です。これを弾きこなして、自分の音楽表現をしている才能に凄さを感じます。
1990年代には、イマンと新婚旅行に京都に来ていますが、滞在したのは老舗旅館「俵屋」でした。また、江戸時代創業の蕎麦屋「晦庵(みそかあん)河道屋(かわみちや)」本店もお気に入りだったそうです。俵屋と河道屋は、スティーブ・ジョブズも好きでした。二人が遭遇した可能性は少ないと思いますが、好みが似ているのが不思議です。
正伝寺の歴史とその庭園
ボウイが愛した正伝寺は、どのようなお寺なのでしょう。正伝寺は、京都市北区西賀茂にあります。五山送り火で有名な船山の南側に位置しています。臨済宗南禅寺派の諸山の格式を持つお寺です。山号は吉祥山(きっしょうざん)。寺号は正伝護国禅寺で、本尊は釈迦如来です。
正伝寺は、1260年、宋より来朝した兀庵普寧(ごったんふねい)禅師の高弟が、京都一条今出川に創建しました。1265年に兀庵普寧禅師は宋に帰りますが、その後、東巌恵安(とうがんえあん)が跡を継ぎ、1282年にこの西賀茂の地に移りました。
応仁の乱で荒廃しましたが、徳川家康が再興します。本堂は、1653年に金地院の小方丈が移築されたものです。伏見桃山城の御成殿(おなりでん)の遺構を移したものとも言われています。方丈の広縁の天井には、伏見城落城時、徳川家臣・鳥居元忠と家臣らが割腹し果てた廊下の板を、供養のため天井に貼った「血天井」があります。
方丈の各室の襖絵は、1605年頃、徳川家康の命により狩野山楽が描いた中国・杭州西湖の風景です。山楽の残した貴重な作品です。
庭園は白砂とサツキ等の刈り込みが並ぶ枯山水です。方丈の東側に造られており、敷地は363平方メートル���す。
方丈から見て白砂の奥に、右から、七つ、五つ、三つと、植栽の大刈り込みがあるだけです。これを七・五・三形式と言いますが、通常は石が七・五・三に置かれ、植栽で表されているのは正伝寺だけです。
植栽構成は、三つがサツキのみ。五つがサツキとサザンカ、七つがヒメクチナシ、アオキ、サザンカ、サツキ、ナンテン、ヤブコウジ、チャと組み合わされています。
この庭園は江戸初期に造られました。小方丈が金地院から移築されているので、小堀遠州作とも言われていますが、時期的に見て、別の作庭家との説もあります。
江戸初期には、滋賀県の大池寺庭園や奈良県大和郡山の慈光院庭園など大刈り込みの庭園が他にも存在しています。龍安寺の石組が「虎の子渡し」と言われるのに対し、正伝寺の七・五・三とする刈り込みは「獅子の児渡し」と言われています。ゴツゴツした石が虎で、ふわっとした植栽の刈り込みを獅子と見立てたのでしょうか。
明治維新以降、寺領・社殿の召し上げなど苦しい時代になります。正伝寺の明治期の写真が残っていますが、高木が増え、刈り込みも乱れた様子です。
戦前の1934年、重森三玲を中心とした京都林泉協会の会員有志が、後から加えられたであろう石を取り除くなど荒れた状態を整えました。こうした努力により、かつての姿を取り戻した現在の庭園は、京都市の名勝に指定されています。
庭に敷き詰められた白川砂と緑の刈り込みの植栽、下界を遮断する漆喰塗りの塀の構成の向こうに、遠山として望めるのが比叡山です。遠くにポツンと比叡山だけを見渡せる巧みな借景の取り方が、正伝寺の庭をより特別な存在にしています。
正伝寺とデヴィッド・ボウイ
京都の北に位置する正伝寺は、最寄りのバス停から歩いて20分ほどかかりアクセスが良くありません。山門を抜けると登り坂の山道が続きます。本堂まではおよそ250メートル。静かな山道はやがて、下界と離れた特別な禅の庭へと誘ってくれます。
実はこの人里離れた禅寺の正伝寺の庭は、知る人ぞ知る名勝なのです。どうしてボウイがこの庭のことを知っていたのでしょうか。おそらく、彼の友人だった米国出身の東洋美術家・デヴィッド・キッドの存在が大きかったのだと思います。
デヴィッド・キッドは、九条山に邸宅を持っており、「桃源洞」と名付けていました。ボウイはここをよく訪れたそうです。ボウイは、桃源洞の居間にあった平安時代の地蔵菩薩を眺めて時を過ごしていたそうです。菩薩の控えめな様子から深い哀れみを感じていたのではないでしょうか。
1979年の年末、広告代理店が宝焼酎「純」のコマーシャルにボウイを起用する提案をしました。アーティストとして非常に高い純粋性を持った人として、彼以外にいないということでした。
ボウイはお気に入りの俵屋に泊まり、撮影は嵐山にある松尾大社近くの公園や正伝寺で行われました。正伝寺を希望したのは、ボウイ本人だったそうです。宝ホールディングスの元会長・細見吉郎は、学生時代からずっと京都に住んでいましたが、当時、この寺の存在を知らなかったそうです。整然とした枯山水庭園と比叡山の眺めに感動し、訪れる人も少なく、静寂に包まれていたので「ボウイさんが正伝寺を指定した理由が分かった」と語っています。
――「撮影中にボウイさんは庭園を見つめ、涙を浮かべていた」と細見さんは振り返る。「景観に感動したのか、何か悲しい思いをしたのかは聞けなかった。繊細で純粋な人だった」と記憶をたどる。――(日本経済新聞「D・ボウイが涙した静寂」/2016年2月19日)
宝焼酎「純」の販売数量は、1980年からの5年間で11倍に増えたそうです。
コマーシャルには、ボウイ自身が作った「クリスタ��・ジャパン」という、雅楽を意識したインストゥルメンタルの曲が使われました。正伝寺の庭の白砂の上に、グラス片手に座っているシーンはとても印象的です。
私がこの庭を訪ねたのは、紅葉が始まる頃でした。デヴィッド・ボウイが愛した庭を鑑賞しようと、海外からの観光客の姿もありました。
刈り込みが美しい庭の方丈前には数人がいましたが、みな庭を観ており、沈黙だけが心地よい空間を作っていました。しばらく静観していると、心が洗われたような気持ちになりました。
ボウイもまた、心を清めるように真の美を前にしていたのかもしれません。庭には、自分をリセットするとともに、自由にしてくれる作用があるのかもしれません。
※第3回は5月23日に掲載予定です。
※第1回:利他の心に立つ稲盛和夫が活用する京都の日本庭園「和輪庵」
『一流と日本庭園』
生島あゆみ 著
CCCメディアハウス
正伝寺 京都府京都市北区西賀茂北鎮守菴町72
http://shodenji-kyoto.jp/
正伝寺は、京都市北区西賀茂にある臨済宗南禅寺派の諸山の格式を持つ寺である。山号は吉祥山。寺号は詳しくは正伝護国禅寺という。本尊は釈迦如来。
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今週めちゃくちゃ忙しい&プライベートな予定もそこそこ立て込んでいたのでUPできませんでしたが、、、😅 . . . この前の日曜日、ファットバイク遊びの後に訪れたのは小田原市内にある寺カフェ瑞鳥庵さん。 . . . ちなみに、「瑞鳥」とは、「めでたいことの起こる前兆とされる鳥」のこと。「瑞」は「めでたいしるし[=吉兆]」をあらわす言葉だそうですよー . . . お寺もカフェも精進料理もめちゃくちゃ好きなわたくし。なんでこんなステキな場所、気づかなかったんだろ〜😭ってくらい、ドンピシャなカフェでした。 . . . まず、ほんとにお寺の隣にありますこちら。しかも、結構奥まった静かな場所にあって、ものすご〜く落ち着きます。 . . . このカフェへ、お寺がご実家のオーナーの女性が、お寺の脇にあった民家を改築して、お寺に来られる方や小田原近辺に住んでる方々が集う場所にしたい、という想いで1年半前に作った場所だそうです。 . . . な��ほど〜。だから、まるで知り合いの人の家にいるみたいに居心地が良かったのか、と納得😌 . . . いつか「こども食堂にもしたい」とゆう夢もあるそうで、店内には絵本もたくさんありました。一緒に行った優月ちゃんもめちゃくちゃ楽しんでた😊 . . . 最後におススメされた蒼の世界が描かれた絵本がすっごく素敵で、大人もほしくなるような、うっとりする絵本でしたよ〜◎ . . . この日はランチタイムを過ぎた頃にいったので、ほぼほぼ貸切状態。精進料理プレートはなかなか手が込んでいて、走り疲れた体にじんわり染みる、優しい味わいでした。 . . . カレーも美味しそうだったので、次回はぜひカレーを食べてみたい◎ . . . 人気メニューの青色のチーズケーキは、四人で3口ずつくらいシェアしたのですが、見た目のインパクトと違って、優しい味ですっごく気に入りました🙆♀️また食べたいぞ。 . . . 飲みもののメニューにはハーブティやハーブコーディアルが結構並んでいて、店内にはアロマやハーブのグッズもたくさんありました。 . . . きっと、うちの母を連れて来てあげたら、とても喜んだだろうなぁと思うような、ほっこりするお店でした😌 . . . カフェとか飲食店、せっかく行くなら美味しいものを食べたい、というのももちろんありますが、「お金を落とす」という行為は、経済的な活性でもあり、その人に対する支援だと思ってます。 . . . こうゆうカフェ、なかなか身近なエリアには貴重なので、これからもぜひ長く続いて欲しいものです🙏またぷらっといかせていただきます! . . . 14:00すぎにこのお店をあとにして、向かった先はsotosotodays。神奈川西部では貴重なお店。ちょこちょこ冬支度道具を買ってきましたー。その子達はまたそのうちご紹介します。笑 . . . この前の城カフェからの城さんぽも良かったし、こうやって、フォレストバイクに行って、身近な小田原を新たな視点で開拓するのもなかなか楽しいもんだ🤓 . . . そろそろ肌寒くなって来たから、次回からは車で15分くらい走ればいける箱根湯元♨️でひとっ風呂あびてから帰るのもいいなぁ。(意外と汗かくので💦) . . . あぁ、こうしてまた、定期的な足を運びたくなる場所と休日の楽しみが増える一方です🚲💨😜 (瑞鳥庵) https://www.instagram.com/p/B44o-pPAjbw/?igshid=174tqwi5kpaih
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Auction
Wednesday 29 August 2012
やることが多過ぎる。
でもひとつひとつこなす。
アーティの車検が迫って来ててあれやこれや直すと代金が10万を軽く越す。
因に前回の車検は、108.758円。昨年のアクシデント修理に29.180円
オイル漏れ処理、ステアリングボックス交換、タイヤ交換は、マスト。
2代目アーティをオークションで探している。
ミッションは、車検に掛かる費用程度で手に入れること。
71.700円で出品されているワゴンRを検討。
オークションに詳しい兄じゃに相談。
出品者は、心配なら現車確認して下さいとのこと。
兄じゃの勧めもありその車を川崎市溝口まで見に行くことにした。
午後1時に茶畑庵出発。
4時半に出品者のお店に着いた。
もちろんR246(下道)で行った。
3時間半掛かかった。仕方ない。
早速そのワゴンRに試乗。
フィーリングは、良かった。
すぐに入札をしたら90.000円からの入札になった。
トンボ帰りでまた静岡に戻る。
9時に茶畑に着いた。
行きが3時半々、試乗に30分、休憩合計が30分くらい。
帰りも3時半ということになるな。
今日は、母の日だったのに忘れていたら母から電話があった。30分後に折り返し電話すると約束したんだがその30分でスーパーで夕食の買い物をしようと考えていた。それでスーパーに行ったら元生徒から写真の相談の電話が来てスーパーの店内で長電話で対応した。母との約束は、僕の都合で破られた。申し訳ないと思う。元生徒との電話が終わってすぐ母に電話して近況報告。母は、元気だった。
さて本日がオークション最終日。
11時23分のオークション終了までに競りが始まった。
初めての競り参加だった。
71700円は軽く10万円を越して来た。
僕と後1人で競り合いになった。
僕は、自分の出せる予算を決めていてその金額までは頑張るつもりで1.000円ずつ入札して行った。
僕は入札すると相手も入札する。それで後5分になって来てこれはもうだめかな、だめでもいいやと思っていたら僕が落札してしまった。ちょっと不思議な体験だった。落札金額133.000円。予算内だった。
さてこれから10日間くらいで2代目アーティとなるワゴンRがやって来る。
オートマをやめてマニュアル・ミッションにした。
これは僕の大きなこだわりだった。マニュアル・ミッションの方が低燃費だそうだ。
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【迎春のブーケレッスン】 新年の訪れをフレンチスタイルのブーケと共に迎えませんか。 新雪を思わせる白い花と、春を待つみどりゆたかなグリーンをたっぷりと。 新春にふさわしくのびやかで大ぶりなブーケになります。 日本の多様なすまいのかたちに調和する、優しさと静けさのあるブーケをお伝え出来ればと思います。 又、ご参加下さる方との時間を大切にしたく、少人数でのレッスンとなっております。 ブーケ制作やお花のレッスンが初めての方のご参加もお待ちしております。 新春を待つひとときを皆さまとご一緒できましたらと思い、開催を予定致しました。 ご参加お待ちしております。 日時:12月28日(火) 9時30〜11時30 (年末にてお忙しいことと思います。開始時間等、難しい際はご相談下さい) 場所:山形県緑町庭園文化学習施設洗心庵 (山形市緑町1丁目4番28号) レッスン料:¥8800(税込) お申込、お問い合わせ等はインスタグラムDM、又はE-mail(
[email protected] ) にて承ります。 (写真のブーケと当日の花材は変わります) 撮影:柏倉琉生( @_kashiwa_ ) #軽井沢花苑 #フラワーアレンジメント #ブーケレッスン #フレンチスタイル #パリスタイル #シャンペトルブーケ #コンポジション #ブーケ #クリスマスリース #スワッグ #ガーランド #山形 #山形市 (Yamagata, Yamagata) https://www.instagram.com/p/CXAuJZ8v-gj/?utm_medium=tumblr
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📸三千院庭園(京都市左京区)② Sanzenin Temple Garden, Ohara, Kyoto 実は2つのお寺の歴史を背負う三千院。まず三千院そのものは、古くは延暦年間(782年~806年)に伝教大師・最澄が比叡山延暦寺の建立に際して構えた草庵“円融房”をその起源とします。 平安時代に親王を住職に迎えて門跡寺院となりますが、お寺の場所は火災や応仁の乱、政治的な理由などで転々。滋賀の比叡山坂本、洛中、東山、船岡山麓、京都御所の近接地…。 その呼称も場所によって円融房/梶井宮/梨本坊/梨本門跡/円徳院/円融院と変遷。大原の現在地に移転し『三千院』と呼ばれるようになったのは明治時代に入ってからのこと。 もう1つのルーツの寺院が、平安時代の986年(寛和2年)に天台浄土教の恵心僧都源信により創建された『極楽院』。現在の三千院の中で最も古い建造物『往生極楽院』は極楽院の阿弥陀堂として平安時代後期に建立されたもので、建築が国指定重要文化財、鎮座する「木造阿弥陀如来及両脇侍坐像」(阿弥陀如来像、観音菩薩坐像、勢至菩薩坐像)は国宝に指定。 そんな極楽院は三千院がこの地に移転したのに伴って三千院の一部に取り込まれました。 ■有清園 大正時代の終わり(1926年)に建立された宸殿〜前述の「往生極楽院」の中間点に広がるのが池泉回遊式庭園“有清園”(ゆうせいえん)。作庭年代は不明だけど、極楽院の歴史から考えると���碧園より古いのかな…?こちらは背後の斜面や山を取り込んだ、よりスケールの大きな庭園。その名は中国の詩人・謝霊運の「山水清音有」(山水に清音有り)より命名されたとか。 夏に訪れても苔がきれいな庭園だったけれど、春にはヤマザクラとシャクナゲ、秋にはモミジが美しい庭園に! そして大原三千院で有名なのは“わらべ地蔵”。 彫刻家・杉村孝さんによる小さな地蔵さんが有清園と往生極楽院から進んだ先の苔エリアの中にたたずんでいます。ちなみにこのお地蔵さん、京都以外のお寺でも見ることができますが(静岡『宝泰寺庭園』)、一番写真を見る機会が多いのはやっぱり三千院。 また境内のその先には6月に見頃を迎える“あじさい苑”や、長い三千院の歴史に伝わる文化財・寺宝を展示する“円融蔵”も。また季節や時間を変えて訪れたい! 京都・三千院庭園の紹介は☟ https://oniwa.garden/sanzenin-temple-kyoto-%e4%b8%89%e5%8d%83%e9%99%a2/ ———————— #japanesegarden #japanesegardens #japanesearchitecture #japanarchitecture #kyotogarden #mossgarden #kyotomoss #zengarden #landscapedesign #beautifuljapan #beautifulkyoto #japandesign #jardinjaponais #jardinjapones #japanischergarten #jardimjapones #kyototrip #kyototravel #kyototemple #庭院 #庭园 #庭園 #日本庭園 #京都庭園 #京都寺院 #京都旅行 #京都観光 #大原 #京都大原 #おにわさん (三千院 有清園庭園及び聚碧園庭園) https://www.instagram.com/p/Cpv-GgqvAwU/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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予想外と予想的中 懇親会
Sunday 26 January 2014
ハルオは、5時半に起床し東名御殿場バス停6時50分発のバスに乗った。早起きは、昨年からの禅寺通いで苦ではなくなっていた。順調にバスは東京に向かい8時半頃バスは新宿に着いた。今日は、学校で卒業制作の選抜講評会が開かれる日。ハルオは、学校に10時少し前に出講し講評会の開かれる教室へ入る。そして一番前の中央の席に座った。どうせ、どうせという言葉は好きではないがどうせならしっかりとこの講評会に参加したい。それとハルオにはもうひとつその理由があった。それは自分の教え子3人がこの講評会で自身の作品をプレゼンするのだがその時の模様を動画にして残したかった。ハルオは、躊躇なく三脚を自分の席の前に立てて準備をした。講評会では35作品がプレゼンされた。ハルオの前には、審査員の方々が4人座って各作品について批評をした。ハルオは、講評会の進行(生徒の名前、作品タイトル、プレゼンでの本人&審査員が述べた気になる言葉)を画家の叔母からもらったスケッチブックにメモをした。そのメモは、10ページに及んだ。手書きのメモは、最近手に入れた時が消せるボールペンの御陰で捗った。手書きを癖にすることはハルオの必須科目になっている。ハルオは、メモの内容を後で整理して次回の授業に役立てたいと思ってそうしていた。自分の教え子のプレゼンは、講評会の後半にやって来た。この時は、メモを取らずに動画のみを撮影し記録した。自分の教え子ではないが2人の生徒がこの講評会に参加出来なくて作品だけ紹介されたのだがハルオは咄嗟に閃きこの2人の生徒の作品についての審査員の批評も動画に残した。後でその動画を本人たちに渡そうと思ったからだ。ハルオは思う、自分がされて嬉しいことで自分が出来ることなら実行する。これは、時にはただのおせっかいになる時もあるが閃いた以上自分に対し知らんぷりをすることが出来ない。この講評会での予想外の展開があった。自分の教え子がグランプリを取れなかったことだった。僕の落胆はさておき本人はどうその結果を受け止めて行くか?その方が気になった。誰が取ろうと自分の学校の生徒なのだから素直に喜びたいとハルオは思った。予想的中は、ここでは避けておこう。講評会が終了し、グランプリを取れなかったその教え子の元へ行きハルオは前々から用意して静岡から持参したフレーム入りの写真を彼に渡した。その写真は昨年彼と仲間の生徒たちが学校のギャラリーで写真展を開催した時、ローライフレックスで撮った彼のポートレイトだった。グランプリを取ったらその場でメッセージも添えようよポストカードを2枚一緒に用意したが何も書かずに写真を入れた封筒に忍ばせておくことにした。すでにメッセージはポストカードを見れば伝わるかもしれないと。
学校を出てすぐに市ヶ谷駅に向かう。駅でUさんに今回の講評会の結果を電話で伝える。Uさんには、昨年末今回の講評会でプレゼンした3人の内2人の生徒とUさんに引き合わせ作品のアドバイスをしてもらいお世話になっていたからだ。今後一段落してこの2人の生徒は直接Uさんに結果報告お礼をするかは本人たちに任せようと思う。自発的にそれが出来たなら素晴らしいことだと思う。ハルオは、急いで新宿から4時発のバスに乗った。ハルオにはまだ摂心会が残っているからだ。バスは、満席で補助席に座るしかなかった。しかし補助席についてあまり不満はない。乗車して少しでも早く静岡に帰れるだけで十分だからだ。夕焼けで赤く染まった富士山をフロントガラスの先に見た。
バスは渋滞もなく順調に静岡に向かった。東名御殿場のバス停でバスを降り車に乗り換えて裾野に戻る。すぐにも禅寺に戻りたかったがその前にもう一つしなければならないことがあった。それは、市長、市議会議員選挙の投票だった。摂心会の間禅寺の外で選挙カーが大声を張り上げて指示を訴えていた。坐禅には不必要だがこれも仕方ないと言える。誰に入れるかはすでに決めてあった。投票後、いつもの「Today's Fashion」を投票所の入り口近くで撮影。 今日は、帽子も冠っていたがその帽子は車の中に置いて来た。撮影のために取りに行くのも問答だったので帽子なしで撮影。そしてすぐに茶畑庵に戻りシャワーをして禅寺へと車で向かった。
摂心会4日の夜は、懇親会が開かれた。摂心会は、明日の昼で終えるからだ。7時半少し前に禅寺に着くと懇親会は始まっていた。懇親会の料理も典座(てんぞ)さんが拵えた様でハルオにもその料理を残しておいてくれた。どの料理にどんな名前があるのか特に聞いた訳でもなかったので説明が難しいが湯葉が絶品だった。今回の摂心会には禅寺と縁のある別のお寺から来られた3人の方丈さんと典座さんがいた。ある方丈さんは本格的にクラシックを勉強された方で声楽を得意としていた。そして参禅者のリクエストにすんなり応じてくれその素晴らしい歌声を披露してくれた。この方丈さんの読経も素晴らしいと今回の摂心会中参禅者の1人が言っていたことは頷ける気がした。人柄も奔放でどこか作家でお坊さんだった今東光を思い出させた。続けて余興というかもう一人参禅者の方で尺八の演奏を披露してくれた。その尺八は、3尺ある少し長い尺八で煤竹製だと聞く。お2人のキャラクターは正に洋と和の対照的で自己表現の違いを見せてくれた。ハルオは、両方の名演を動画に録った。カメラは、常に手元に、やはりそうだといハルオは納得した。そしてもう一つ。今回の参禅者の内2人女性が参加していたがその女性の一人が「結婚相手は尊敬出来る人」とハルオの座っていた席の前で言ったのでハルオはその言葉に食いついてしまった。その女性の横に例の奔放な方丈さんが座っておられ軽く話題が下ネタになったので食いつきは下ネタを例にしてしまった。寺で話すのは不謹慎かとも思ったが話す前に皆に断わって意見を言った。「尊敬出来る人と言われても大抵の男は実に困る。例えば出会った当初は尊敬出来る下半身を持ち合わせるとする。だが歳と共にその元気さ/強さは残念ながら衰えて行く。男という生きものはプライドの生きものでその弱くなった下半身が尊敬から外れることを恐れる」こんな内容を言った。実にくだらないが大抵の男はそうだと思う。ハルオの意見をある人は達観しているといい、ある人はそれは違うと言った。当の言われた女性はちんぷんかんぷんなことを言ってるなこの人は、と思っていただろう。ハルオは、その場では言わなかったが逆に「あなたはダメダメな人だけど好き」と言われた方が男性としては楽で嬉しいと思う。「結婚相手は尊敬出来る人」=男性の立場から言えば���結婚相手は美しさを維持出来る人」と似ている。その場はそれで終ってしまい特に意見のぶつかり合いはなかった。ハルオは、後になって失敗したと反省した。一言多いぞ、と。「あ〜そうですか、いい人が見付かればいいですね〜」と言えば良かった。でももう取り返しが出来ない。��の女性を傷つけたとは思わないが余計な一言だった。懇親会の後も休憩所でその女性と話す機会があったがその時は他の話題だったがやっぱり会話がスムースに行かなかった。ハルオは、懇親会でビールと日本酒を2合強飲んでいた。この冬になってから熱燗を好んで飲む様になった。最終日の今夜、残った参禅者は、ハルオを入れて7人に減っていた。
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好きなように生きりゃいいのさ
「 しあわせになれ。」
アクリル絵の具、岩絵の具、シャーペン、パウダー
この年齢になると、どうも身体のあちらこちらが痛くなってすぐに弱気になってしまう自分がいて、自分でもびっくりしている今日この頃である
おはようございますGoda worldのゴーダです
今まで長い間、小さいころから、負けるな、頑張れ、強く生きろ、という生き方の洗脳をされてきたからかなのか、ああ、頑張って強く生きにゃならんのだな、嫌だなあ、とずっと思って生きてきていたのだけれど、違う方角からは、いやいや、そんなことせんでもいいよ、頑張らんでもいいんやで、という魅惑的なラッパも聞こえてきて、ぼくは出来るだけラクなほうへ行きたい性(さが)であるので、嬉しい反面、オイどっちやねん、って突っ込みたくなってくるものだ
好きなように生きりゃいいのさ
人生に迷ったときは、危険なほうを選べ
といったのは、たしか岡本太郎だったと思うけれど、うん、あそこまでストイックに何かに対してひたすら対極的に何かと「戦う」ということを信条に生きる、というのもどうかとは思うのだけれど、
でも、今までの人生を振り返ってみると、危険なほうに向かったときのほうがジンセーは充実していた気もする
けれど、その危険なほうを選んだ日々をもう一度やれと言われると、二度とやりたくない、と胸を張って宣言できるのだから、本当の本心はやっぱりやりたくなかったのかな、とも思っている
いや、若さがゆえの、それでも「どーしてもやってみたい衝動」をおさえることが出来なかったのだろうな、うん、これが一番ちかい
なぜ、こんなことを書いているかというと、最近、瀬戸内寂聴が亡くなった
瀬戸内寂聴のお寺「寂庵」は京都市の北のほう(静かな場所だ)にあるので、もちろんその訃報は京都新聞の一面に大きくトップニュースとなった
まだ、寂聴ではなく、瀬戸内晴美のころに、岡本太郎から「秘書にならないか」と誘いがあったくらい親交の深った二人だったと聞いている
そんな折に、上の「 迷ったときは危険なほうを選べ 」と言われたそうだ
そして、そのとおりの人生を選んできた、という文章をどこかで読んだことがある、そして、それは本当にツライ体験の連続だったが、一切の後悔はない、とも書かれていた
死ぬときに、一切後悔などない、と本気で言えることが出来たならばそれは双六(すごろく)でいうところの「あがり」であり、いわゆるじゅうぶん「しあわせ」な人生だったと言えるのではないかと思っている
晩年の瀬戸内寂聴は、京都新聞にコラムの連載を載せていたんだけれど、コロナあたりから若干の弱音らしきものも正直に吐いていた気がする
最近は、娘さん?いや、秘書だったか?が代筆していたような気もする、(そもそもあまりちゃんと読んではいない)けれど、確かに死を意識しだしたのがこちらの読み手にもよく伝わるような内容だったと思う
いくら仏門に入ろうと、カトリックに染まろうと、敬虔なムスリムの人生を歩もうと、無宗教だろうと、死は誰にでも平等に訪れるものであるし、
自分もこうやって何かしらの表現をしていくと決めたのならば、ちゃらんぽらんに生きているテキトーな俺カッケーだろ? っていうやり方も別にありっちゃありなんだけれど、なんて言うのかな、、そういうのって見え透いてるからあんまり好きではない、っていうことに最近気付いた
ぼくは、生命は個人主義ではなく、全体主義でしか成り立たない、という考え方なので(共産主義じゃないよ)
個という概念は幻想にしか過ぎなくて、例えば、この世に恵まれない人が存在する限り、誰一人として本当に恵まれた人間は存在しない、という考え方(めちゃくちゃざっくり言うと)だ
ややこしいんだけれど、いわゆる平等主義とは違う、
平等という概念がそもそも生物学上的にあり得ないので、なるべく格差をなくしてみんなが不安になることなく楽しく暮らせていけるような世の中がいいよね、っていう考えで、そういう政(まつりごと)を行ってもらうように人を選ばなければならないのだけれどねえ
底上げが最優先課題だと思うのさ
一番、理にかなっていて、公平なのはBIだと思うんだけれど、今の現在の制度で恩恵を受けて得をしている人たちが大反対する(もしくは何か新しいことを嫌う民族だからそれがもたらす効果も調べることや検証すらせずに反対する人はたくさんいる)から、1mmも進んでいないし議論すらない
もし、A Iがもっと進んで、AIの言う事に変に恐れずに人類が耳を傾けることが出来るようになるならば、AIはたぶんBI制度を推奨すると思うよ
A I こそ俯瞰した観点からの全体主義だと思うんだよね
話がだいぶ逸れたな
だから、
自分の作品の片鱗にでもいいから多少カッコ悪くてもそういった、大袈裟に言えば、生きるだの死ぬだのというような真実を盛り込みたいなと再度思った、かな
あれ? 何が言いたかったんだろう、支離滅裂の文章になってしまった
まあ、いいや。
この映画をやっと観た
3ヵ月前から借りっぱなしだったけれど、映画が二時間半くらいあると知って「 おれ、そんなヒマちゃうし 」って思ってほったらかしだった
感想か
このクリストファーノーラン監督のインターステラーは名作だと思っているけれど、この映画は「 うーーん、、、」って感じだった
新しいことを映像でやろうとしている、のは間違いない
そういう意味では、見応えはあった
しかし、僕が求めている、映画を観たあとの「感動」がない
あのロバートロドリゲスの作品を知り合いに借りて、史上初の「0点」をつけたんだけれど、それは最高のクソ映画だった(誉め言葉かもしれない)
それは、クソみたいな展開しか起こらないクソ映画なんだけれど、なぜか最後には感動するんだよね
そして、この映画は、
ネタバレになるかな、いや、ならんと思う
そもそも、エントロピーの値がマイナスになると、時間が逆行するっていうのもちょっと違う気がするけどなかなかよく思いついたな、とは思う
ただ、その時間が逆行している世界に行けたとして、その自分は順行で世界が進む(同居できる)、というのがどうも腑に落ちない
それを映像化したことには凄いなと本当に思う
まあ、でも、これからメイキングのDVDも入っているから、撮影方法なんかは興味があるのでまた時間があるときにでも観ようかなって思っている
上の絵は、いつものように絵のほうから「描いてくれ」と言われて、そのまま筆を前に進めてみることにした絵だ (3週間���かかった)
ただ、その「描いてくれ、」というインスピレーションでは初めは長髪でもう少し細身だったんだけれど、いやいや、きみは髪をバッサリと切った方がいいよ、チルアウトしろよ、と少しの押し問答のすえ、バッサリと行かせてもらった
こうやって、作品のほうを散髪するのもいいんだけれど、実際の自分も、おさまりが悪くなったバッサバサでくるくるの髪を散髪しに行かないといけないんだけれど
なんか、変なヤバいウィルスが流行り出してるニュースで持ち切りだ
やべえ、早めに散髪いかないと、また休業されたら困るYO
今日はここまで
See you~
Goda world
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2020年は特殊な年だったから備忘として自分の活動を記しておこうと思う。
【公演】
●こまつ座『イヌの仇討』
1/17~19 横浜
1/20~21 名古屋
1/22~23 稲沢
1/24~25 岐阜
1/26 尾北
1/28~30 豊橋
1/31 知多
2/3 伊勢
2/4 津
2/5 幸田
2/6 岡崎
2/9 金沢
2/10~11 ���山
2/12 七尾
2/13~14 高岡
2/15 野々市
2/17~18 砺波
2/19 魚津
3/9 香川(中止)
3/10~11 徳島(中止)
3/12 鳴門(中止)
3/14~15 高知
3/16 松山(中止)
3/25 函館
3/27~29 札幌
3/31~4/1 旭川
4/3 釧路
※東京で多くの公演が中止や延期になる中、よくこれだけ回れたもんだ。北海道も状況が少し落ち着いてる時に行けた。この頃は夏には沈静化するだろうと楽観視してたしなぁ…。
●渡辺源四郎商店 Presents うさぎ庵『コーラないんですけど』
4/28 ザ・スズナリ(中止)
●彩の国シェイクスピア・シリーズ『ジョン王』
6/8~28 埼玉(24ステージ中止)
7/3~6 名古屋(5ステージ中止)
7/10~20 大阪(13ステージ中止)
※見事に全公演中止になった。台詞も覚えて、稽古用のパニエやロングスカートも買ってたけどね。でもシリーズ物なので、何年後かにはやってくれるたろうという希望があるから救われる。
●四獣『ワンダーガーデン』新配役&生演奏
7/1 CBGKシブゲキ!!実験週間2020
※企画に応募して2週間で本番だったけど、やってよかった公演。劇場も再開後初ということで非常に協力的だった。来てくれたお客さんの心意気やマナーも素晴らしかった。
●ケムリ研究室『ベイジルタウンの女神』
9/13~27 東京
10/~14 兵庫
10/9~10 北九州
※この公演ができたのとできなかったのでは天と地ほどの差がある。自分にとっては今年の要の公演。
●四獣×玉造小劇店『ワンダーガーデン Season2』
10/29~11/1 シアター711
※リーディングとは言え四獣を7月と10月にやれたことは今後の活動における自信にもなった。行き詰まった時は頭を切り替えて自分達で動けばいい。逆境から生まれる新しい発想。そのためには常にフットワークを軽く。
【配信】
●留守電ひとり芝居オーディオドラマ『居酒屋ジパング~みーちゃんの行方~』
●アートにエールを!東京プロジェクト『きのこ会議』
【トークイベント】
●マコトとテツヤでしゃべります
7/14 若葉町ウォーフ
●INU-KERA
12/19 ロフトプラスワン
●Mirai CHANNEL on LIVE
FM世田谷「劇ナビ!!」公開収録
12/20 ザ・スズナリ
※今年は人と人を繋ぐということを意識し始めた年だった。インタビュアーやってるから演劇界で顔が広いとか言われるけど、人脈を人のために使おうと思ったのはコロナも関係してるし、自分の年齢的なものもあるだろう。コロナは出会いの機会を奪うからね。特に若い演劇人には大打撃だと思う。「繋ぐのがお前の役目」という啓示、というかお節介。
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5月28日はこにわ市in静心庵。とんぼ玉作家ひふみさんの氷ダルマが可愛い〜!2個のみ、早いもの勝ちだそうです! 5月28日(日)はこにわ市in静心庵 10:30〜18:30 阪急関大前駅より徒歩3分 http://ameblo.jp/info-hakoniwa/entry-12268539401.html ・ #Repost @hi_hu_mi_123 with @repostapp ・・・ 5月28日関大前の静心庵で行われるフリマに出品予定のとんぼ玉です 「雪だるま」ならぬ「氷だるま」のとんぼ玉 透明のガラスをフロスト加工で氷のようなスリガラスにしてあります。 これから暑くなる時期、小物だけでも涼しげに・・・ #フリマ #とんぼ玉 #和小物 #根付け #はこにわ #はこにわ市 #はこにわ市in静心庵 #5月28日はこにわ市
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7/14ゼリーの日 誕生日/クリムト 水谷豊 久米宏 斉藤慶子 森喜朗 ヴィクトリア王女 あいはら友子 大平有沙 本谷有希子 羽生未来 誕生日 1180年 後鳥羽天皇(尊成親王,隱岐院,顯徳院) (天皇(82代),土御門・順徳・仲恭天皇の上皇)[1239年2月22日歿] 1810年 緒方洪庵(蘭学者) 1862年 グスタフ・クリムト (墺:画家)Gustav Klimt[1918年2月6日歿] 接吻、我が家にもあります!一度、現物観たいもんです! 2019/7/23~10/14まで豊田市美術館にて開催中 1890年 オシップ・ザッキン(彫刻家・画家) 1913年 ジェラルド・R.フォード (米:大統領(38代))Gerald Rudolp h Ford[2006年12月26日歿] 1918年 イングマル・ベルイマン(映画監督) 1919年 リノ・バンチュラ(俳優) 1935年 出光元(俳優) 1937年 森喜朗 (首相(85,86代),衆議院議員[元],建設相(62代),通産相(56代),文相(106代)) 1944年 久米宏 (キャスター,アナウンサー(TBS[元])) 1952年 水谷豊 (俳優) 1953年 南部虎弾(電撃ネットワーク・タレント) 1954年 あいはら友子(女優) 1960年 上村CAN(虎舞竜・歌手) 1961年 斉藤慶子 (女優,タレント) 1964年 椎名桔平(俳優) 1967年 倉持陽一(真心ブラザーズ・歌手) 1969年 桜庭和志(総合挌鬪家) 1972年 古賀篤 (衆議院議員) 1972年 谷口けい (登山家)[2015年12月22日歿] 1972年 鈴木真仁 (声優) 1974年 羽生未来 (タレント,歌手)[2005年2月22日歿] 1975年 タノムサク鳥羽 (プロレス) 1975年 ティム・ハドソン (米:野球(投手))Timothy(Tim) Adam Hudson 1975年 安田ユーシ (お笑い芸人(とんがりネッシーズ[解散])) 1977年 ヴィクトリア王女 (スウェーデン:王族,王太子) 1978年 河合竜二 (サッカー(MF)) 1979年 本谷有希子 (劇作家,演出家,女優) 1995年 大平有沙(モデル) 誕生花は きんぎょ草、花言葉は“危険な恋”、 誕生石は トルコ石(turquoise)、宝石言葉は“成功” ゼリーの日 日本ゼラチン工業組合が2005年に制定。 ゼラチンを主原料とすることから「ゼラチンの日」と同じ日を記念日とした。 パリ祭,フランス建国記念日 1789年のこの日、パリ市民がバスティーユ監獄を襲撃・占領し、これがフランス革命の始りとなった。1880年から祝日となった。 1932年の映画Le Quatorze Juillet(7月14日)の邦訳名が『巴里祭』だったことから、日本では「パリ祭」と呼ばれる。 検疫記念日 厚生省(現在の厚生労働省)と日本検疫衛生協会が1961年に制定。 1879年のこの日、日本初の伝染病予防の法令「海港虎列刺病伝染予防規則」が公布された。 ペリー上陸記念日 1853年のこの日(旧暦嘉永6年6月9日)、アメリカの4隻の黒船艦隊が江戸湾の浦賀沖に現れ、ペリー提督が久里浜に上陸して将軍への親書を渡した。 蒸気船をお茶の銘柄・上喜撰にかけて太平のねむりをさます上喜撰たった四はいで夜もねられずと狂歌に詠まれるほど、江戸の街は大混乱となった。幕府は、翌年のペリー再来に備えて品川沖に6基の砲台(台場)を作った。 翌年来航したペリーとの間で「日米和親条約」が結ばれ、日本の鎖国が終った。 廃藩置県の日 明治4年7月14日(新暦1871年8月29日)、藩を廃止して県を設置する詔書が出された。 1869年の版籍奉還で江戸時代の藩はなくなっていたが、旧藩主がそのまま藩知事となっていた。明治政府は中央集権国家を確立するため廃藩置県を断行し、各県に中央政府から県知事を派遣した。 当初は3府302県で、後に3府72県に改廃した。 内視鏡の日 1943年 関口宏 (俳優,司会者) ひまわりの日 1977年のこの日、日本初の静止気象衛星「ひまわり1号」がアメリカのケネディ宇宙センターから打ち上げられた。 求人広告の日 1872年のこの日、『東京日���新聞』に日本初の求人広告が掲載された。 共和国記念日 [イラク] 1958年のこの日、革命により王政が打倒され、共和国が樹立されたことを記念。 シルバーデー [韓国] 恋人同士が銀製品をプレゼントし合う日。 韓国では毎月14日が恋人に関する記念日になっている。 歴史・出来事 1789年 フランス革命記念日 1977年 ひまわり(静止気象衛星)1号打ち上げ 1993年 横浜ランドマークタワーが開業。高層ビルでは高さ日本一 2008年 東京スカイツリーの起工式 人事件(神谷力) #今日は何の日 #パーソナルカラー #カラードレープ #カラーパレット #色見本 #PCCS #ドレープ120色 #パーソナルカラー用品 #テストドレープ #金銀ドレープ #ケープ #カラーシート #カラーチップ #C³ #色のみかた #顔タイプ #顔タイプ診断 #パーソナルカラー診断 #シーキューブ # (パーソナルカラー用品ドレープ、見本帳,PCCSのご用命はc3(シーキューブ)) https://www.instagram.com/p/CCmdgUxAF4W/?igshid=ditzs4jlzubu
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ここであえての2016年の観賞記録と
2016年の映画観賞回数135回。
『クリード──チャンプを継ぐ男』(ライアン・クーゲラー)
『ジョン・ウィック』( チャド・スタエルスキー、 デヴィッド・リーチ)
『ヒトラー暗殺、13分の誤算』(オリヴァー・ヒルシュビーゲル)
『黄金のアデーレ──名画の帰還』(サイモン・カーティス)
『エール!』(エリック・ラルティゴ)
『白鯨との闘い』(ロン・ハワード)
『顔のないヒトラーたち』(ジュリオ・リッチャレッリ)
『シャーリー&ヒンダ──ウォール街を出禁になった二人』( ホバルト・ブストネス)
『Re:LIFE』(マーク・ローレンス)
『ムーン・ウォーカーズ』(アントワーヌ・バルドー=ジャケ)
『海賊じいちゃんの贈りもの』(アンディー・ハミルトン、 ガイ・ジェンキン)
『ローマに消えた男』(ロベルト・アンド)
『コードネームU.N.C.L.E.』(ガイ・リッチー)
『ブリキの太鼓』(フォルカー・シュレンドルフ)
『パリ3区の遺産相続人』(イスラエル・ホロヴィッツ)
『ストレイト・アウタ・コンプトン』(F・ゲイリー・グレイ)2回。
『ザ・シャウト──さまよえる幻響』(イエジー・スコリモフスキ)
『ブリッジ・オブ・スパイ』(スティーヴン・スピルバーグ)
『クリムゾン・ピーク』(ギレルモ・デル・トロ)
『PEACH──どんなことをしてほしいのぼくに』(坂西伊作)
『エージェント・ウルトラ』(ニマ・ヌリザデ)
『恋人たち』(橋口亮輔)2回。
『知らない、ふたり』(今泉力哉)
『バットマンVSスーパーマン』(ザック・スナイダー)
『ニューヨーク──眺めのいい部屋売ります』(リチャード・ロンクレイン)
『オデッセイ』(リドリー・スコット)
『不屈の男──アンブロークン』(アンジェリーナ・ジョリー)
『ひつじ村の兄弟』(グリームル・ハゥコーナルソン)
『最愛の子』(陳可辛)
『クーパー家の晩餐会』(ジェシー・ネルソン)
『ヘイトフル・エイト』(クエンティン・タランティーノ)
『キャロル』(トッド・ヘインズ)
『ズートピア』(バイロン・ハワード、 リッチ・ムーア)
『ポテチ』(中村義洋)
『奇跡』(是枝裕和)
『テラフォーマーズ』(三池崇史)
『弱虫ペダル Re:RIDE』(鍋島修)
『弱虫ペダル Re:ROAD』(鍋島修)
『劇場版 弱虫ペダル』(長沼範裕)
『殿、利息でござる!』(中村義洋)
『マッドマックス──怒りのデス・ロード』(ジョージ・ミラー)5回。通算10回達成。
『海よりもまだ深く』(是枝裕和)
『ルーム』(レニー・アブラハムソン)
『これが私の人生設計』(リッカルド・ミラーニ)
『三等重役』(春原政久)
『フルートベール駅で』(ライアン・クーグラー)
『社長太平記』(松林宗恵)
『マネー・ショート──華麗なる大逆転』(アダム・マッケイ)
『リリーのすべて』(トム・フーパー)
『レヴェナント』(アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ)
『駅前旅館』(豊田四郎)
『スポットライト──世紀のスクープ』(トム・マッカーシー)
『ミラクル・ニール!』(テリー・ジョーンズ)
『欲望』(ミケランジェロ・アントニオーニ)
『グランドフィナーレ』(パオロ・ソレンティーノ)
『アイアムアヒーロー』(佐藤信介)
『バンクシー・ダズ・ニューヨーク』(クリス・マウカーベル)
『最高の花婿』(フィリップ・ドゥ・ショーヴロン)
『マクベス』(ジャスティン・カーゼル)2回。
『ヘイル、シーザー!』(ジョエル・コーエン · イーサン・コーエン)
『アイヒマン・ショー』(ポール・アンドリュー・ウィリアムズ)
『ハロルドが笑うその日まで』(グンナル・ヴィケネ)
『夏の夜の夢』(ジュリー・テイモア)
『コップ・カー』(ジョン・ワッツ)
『ボーダーライン』(ドゥニ・ヴィルヌーヴ)
『マイケル・ムーアの世界侵略のススメ』(マイケル・ムーア)
『デッドプール』(ティム・ミラー)2回。
『モヒカン故郷に帰る』(沖田修一)
『ディストラクション・ベイビーズ』(真利子哲也)
『君がくれたグッドライフ』(クリスチアン・チューベルト)
『団地』(阪本順治)
『ヒメアノ~ル』(吉田恵輔)
『アウトバーン』(エラン・クリーヴィー)
『ブルースブラザース』(ジョン・ランディス)
『トリプル9』(ジョン・ヒルコート)
『FAKE』(森達也)
『プリンス/サイン・オブ・ザ・タイムズ』(プリンス、 アルバート・マグノリ��
『ミスター・ダイナマイト──ファンクの帝王ジェームス・ブラウン』(アレックス・ギブニー)
『忌野清志郎 ナニワ・サリバン・ショー 感度サイコー!!』(鈴木剛)
『クレイマー、クレイマー』(ロバート・ベントン)
『帰ってきたヒトラー』(デビッド・ベンド)
『日本で一番悪い奴ら』(白石和彌)
『トゥーヤングトゥーダイ!──若くして死ぬ』(宮藤官九郎)
『嫌な女』(黒木瞳)
『ふきげんな過去』(前田司郎)
『セトウツミ』(大森立嗣)
『超高速! 参勤交代リターンズ』(本木克英)
『マシュー・ボーン「ザ・カーマン」』(マシュー・ボーン、ロス・マクギボン)
『スーサイド・スクワッド』(デヴィッド・エアー)
『エクス・マキナ』(アレックス・ガーランド)
『フリーウェイ』(マシュー・ブライト)
『二ツ星の料理人』(ジョン・ウェルズ)
『教授のおかしな妄想殺人』(ウディ・アレン)
『ONCE──ダブリンの街角で』(ジョン・カーニー)
『シング・ストリート──未来へのうた』(ジョン・カーニー)
『王立宇宙軍──オネアミスの翼』(山賀博之)
『シン・ゴジラ』(庵野秀明、樋口真嗣)2回。
『裸足の季節』(ドゥニズ・ガムゼ・エルグヴァン)
『ロング・トレイル!』(ケン・クワピス)
『グッバイ、サマー』(ミシェル・ゴンドリー)
『ブルックリン』(ジョン・クローリー)
『後妻業の女』(鶴橋康夫)
『トランボ──ハリウッドに最も嫌われた男』(ジェイ・ローチ)
『ラスト・タンゴ』(ヘルマン・クラル)
『AMY エイミー』(アジフ・カパディア)
『グエムル──漢江の怪物』(ポン・ジュノ)
『フラワーショウ!』(ヴィヴィアン・デ・コルシィ)
『ストリート・オーケストラ』(セルジオ・マシャード)
『ニュースの真相』(ジェームズ・ヴァンダービルト)
『阿弖流為』(いのうえひでのり)
『怒り』(李相日)
『ジャニス──リトル・ガール・ブルー』(エイミー・バーグ)
『高慢と偏見とゾンビ』(バー・スティアーズ)
『オーバー・フェンス』(山下敦弘)
『リトル・ボーイ──小さなボクと戦争』(アレハンドロ・モンテベルデ)
『ハートビート』(マイケル・ダミアン)2回。
『神様の思し召し』(エドアルド・ファルコーネ )
『THE BEATLES──EIGHT DAYS a week the touring yeas』(ロン・ハワード)
『永い言い訳』(西川美和)
『生きうつしのプリマ』(マルガレーテ・フォン・トロッタ)
『はじまりはヒップホップ』(ブリン・エヴァンス)
『奇跡の教室──受け継ぐ者たちへ』(マリー=カスティーユ・マンシオン=シャール)
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(ロバート・ゼメキス)
『この世界の片隅に』(片渕須直)2回。
『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2』(ロバート・ゼメキス)
2016年の本読了冊数80冊。(同人誌は除く)
渡部直己『小説技術論』(河出書房新社)
アレイヘム『牛乳屋テヴィエ』(岩波文庫)
デーレンバック『鏡の物語』(ありな書房)
ウォー『愛されたもの』(岩波文庫)
いとうせいこう『鼻に挟み撃ち 他三編』(集英社)
畑山博『いつか汽笛を鳴らして』(文春文庫)
ウォー『ご遺体』(光文社古典新訳文庫)
栗林佐知『はるかにてらせ』(未知谷)
ドストエフスキー『地下室の手記』(新潮文庫)
川田順造『聲』(ちくま学芸文庫)
ブレヒト『アンティゴネ』(光文社古典新訳文庫)
藤野裕子『都市と暴動の民衆史』(有志舎)
アリストパネース『蜂』(岩波文庫)
香山リカ『ヒューマンライツ』(ころから)
小野寺拓也『野戦郵便から読み解く「ふつうのドイツ兵」』(山川出版社)
ベルンハルト『石灰工場』(早川書房)
いとうせいこう=奥泉光+渡部直己『小説の聖典』(河出文庫)
春日太一=サンキュータツオ『俺たちのBL論』(河出書房新社)
大江健三郎=古井由吉『文学の淵を渡る』(新潮社)
岡和田晃『向井豊昭の闘争』(未来社)
岡本かの子『家霊』(ハルキ文庫)
岡和田晃=ウィンチェスター『アイヌ民族否定論に抗する』(河出書房新社)
ドゥルーズ=ガタリ『カフカ』(法政大学出版局)
外岡秀俊『北帰行』(河出書房新社)
オニール『言説のフィクション』(松柏社)
アレン『間テクスト性』(研究社)
スピヴァク『サバルタンは語ることができるか』(みすず書房)
スピヴァク『いくつもの声』(人文書院)
バトラー『権力の心的な生』(月曜社)
『朝鮮近代文学選集3 短編小説集 小説家仇甫氏の一日 ほか十三編』(平凡社)
パク・ミンギュ『カステラ』(クレイン)
バトラー『自分自身を説明すること』(月曜社)
カダレ『夢宮殿』(東京創元社)
バトラー『アンティゴネーの主張』(青土社)
ベルンハルト『ある子供』(松籟社)
ハン・ガン『菜食主義者』(クオン)
木村友祐『聖地Cs』(新潮社)
木村友祐『イサの氾濫』(未來社)
いとうせいこう『想像ラジオ』(河出書房新社)
吉村萬壱『ボラード病』(文藝春秋)
フックス『フェミニズムはみんなのもの』(新水社)
ムージル『愛の完成/静かなヴェロニカの誘惑』(岩波文庫)
赤司英一郎『思考のトルソー・文学でしか語られないもの』(法政大学出版局)
北島玲子『終りなき省察の行方』(上智大学出版)
時田郁子『ムージルと生命の樹』(松籟社)
ムージル『愛の完成/静かなヴェロニカの誘惑』(岩波文庫)
ムージル『三人の女/黒つぐみ』(岩波文庫)
古井由吉『ロベルト・ムージル』(岩波書店)
ヴェルメシュ『帰ってきたヒトラー(上)』(河出文庫)
ヴェルメシュ『帰ってきたヒトラー(下)』(河出文庫)
橋本陽介『日本語の謎を解く』(新潮選書)
カルペンティエル『時との戦い』(国書刊行会)
カルペンティエル『この世の王国』(水声社)
カルペンティエル『追跡』(水声社)
シェイクスピア『から騒ぎ』(ちくま文庫)
シェイクスピア『冬物語』(ちくま文庫)
カルペンティエル『エクエ・ヤンバ・オー』(関西大学出版局)
カルペンティエル『失われた足跡』(集英社文庫)
カルペンティエル『バロック協奏曲』(サンリオSF文庫)
シェイクスピア『ヘンリー六世 全三部』(ちくま文庫)
シーラッハ『犯罪』(創元推理文庫)
シーラッハ『罪悪』(創元推理文庫)
シェイクスピア『じゃじゃ馬馴らし』(ちくま文庫)
松岡和子『深読みシェイクスピア』(新潮文庫)
温又柔『台湾生まれ 日本語育ち』(白水社)
ウルフ『灯台へ』(岩波文庫)
シェイクスピア『アントニーとクレオパトラ』(ちくま文庫)
カルペンティエル『光の世紀』(書肆風の薔薇)
ソローキン『青い脂』(河出文庫)
寺尾隆吉『ラテンアメリカ文学入門』(中公新書)
師岡康子『ヘイト・スピーチとは何か』(岩波新書)
温又柔『来福の家』(白水uブックス)
木村友祐『野良ビトたちの燃え上がる肖像』(新潮社)
木村友祐『イサの氾濫』(未來社)
ブコウスキー『パルプ』(ちくま文庫)
町山智浩『最も危険なアメリカ映画』(集英社インターナショナル)
『ノーベル文学賞にもっとも近い作家たち』(青月社)
カルペンティエル『方法異説』(水声社)
滝口悠生『死んでいない者』(文藝春秋)
崔実『ジニのパズル』(講談社)
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