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#ひな祭り製作
yaoyuan6478 · 2 years
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#かつうらビッグひな祭り #かつうらビッグひなまつり #勝浦 #勝浦朝市 #勝浦ビッグひな祭り #勝浦町 #勝浦港 #ひな祭り #ひな祭り製作 #ひな祭りフォト (勝浦駅) https://www.instagram.com/p/CpO6saWpbl-/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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elle-p · 3 months
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Scan and transcription of the Persona 3 part of Animedia February 2016
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ふたりの時間が
> アイギス
(声/坂本真綾)
月光館学園などに出資している大企業・桐条グループによって作られた、対シャドウ特別制圧兵装のラストナンバーの少女型戦闘用ロボットである。心の力である「ペルソナ」が使えるように、ある特殊な方法により “自我” を与えられている。
ペ ル ソ ナ スリー ザ ム ー ビ ー
PERSONA3 THE MOVIE
● 「#4 Winter of Rebirth」、1月23日 (土) より全国劇場で公開予定
©ATLUS ©SEGA/劇場版「ペルソナ3」製作委員会
http://www.p3m.jp/
STORY 異形の怪物である「シャドウ」との戦いを続けてきた特別課外活動部のメンバーたちは、信頼していた部の顧問・幾月の裏切りと、彼によって告げられた真実を知ることで、自らの戦いの意味を見失ってしまった。そんなメンバーたちの前に謎の転入生・望月綾時が現れた。そして季節は冬へと移り変わり、理はある決断を迫られるのであった。
1日と1日の狭間にある隠された時間「影時間」には、異形の怪物「シャドウ」がはびこっていた―。「ペルソナ」という特殊な力に目覚めた結城理は、これまで「特別課外活動部」のメンバーたちと、影時間を終らわせるために、12体の大型シャドウとの死闘を重ねてきた。理たちは戦いのなかで仲間たちとの絆を強めてきたが、その過程で機械の乙女・アイギスは理に対して「私の一番の大切は、あなたのそばにいることです」と伝えるなど、特別に強い想いを抱いていた。
理たちが夏休み前に出かけた屋久島旅行で出会ったアイギスは、その旅行以来、特別課外活動部のメンバーとして、理たちと一緒に夏祭りや修学旅行を楽しむなど、人間と同じように生活してきた。一方で、戦いにおいてアイギスは、理を守 るために奮闘した。遠隔操作されて理を殺すよう幾月から命令されたときも、アイギスはロボットでありながら命令に逆らう「意思」を見せたのであった。
アイギスが理を思いやる気持ちがもっとも強く描かれたのは、第3章において幾月の命令にアイギスが逆らった直後である。仲間を失い、ひとりになることを恐れていた理のために、彼女は壊れた身体のまま理のもとに赴き、「わたしは消えません。あなたをひとりにはしません」と伝えた。第3章のラストで、謎の転校生・望月綾時と対峙した際に、アイギスは理に関するある記憶を取り戻し、なぜ理のそばにいたいと思ったのかを理解した。忘れられていた記憶が戻ったとき、アイギスは理に何を思うのか⋯⋯。重大な決断を迫られた理に、アイギスは願いを伝える。その願いに対して、理はいったいどのように応えるのだろうか?
ゆう き まこと
>結城理
(声/石田彰)
月光館学園高等部2年生。「ペルソナ」の能力に覚醒したあと、「特別課外活動部」に引き入れられてシャドウと戦う。仲間との絆を強め、成長するごとに新たなペルソナを使って強敵を倒してきたが、新たな敵を前に、どのような戦いを見せるのか。
たど
辿り着く場所⋯
●原画/山田裕子 仕上げ/濱岡幸治 フィニッシュワーク/高津純平
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nyantria · 5 months
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【ワクチンを警告してくれていた著名人】
窪塚洋介、成宮寛貴、山田孝之、GACKT、長渕剛、ワンオクTaka、ブラマヨ、高岡蒼甫、松本人志、松嶋尚美、竹田恒泰、古市憲寿、明石家さんま、オードリー若林、ほんこん、須藤元気、古舘伊知郎、小籔千豊、華原朋美、北野武、ASKA、辰巳琢郎…
参政党、チャンネル桜、中川淳一郎、HEAVENESE
ボクサーの村田諒太さんもコロナやワクチンに否定的だったと思います
泉大津市長 南出賢一さん
女優の水川あさみさんが、陰謀論者扱いを受けて、石原さとみさんとごちゃごちゃあったと記事になっていた事があります
ローラ!
漫画家の倉田真由美さん
百田尚樹氏も「ワシは反ワクチンではないし、打ちたい人は打てばいいと思うが、まだ疑わしいと思っとるので様子見」と公言、そのまま現在も打っておられないようです
格闘家の朝倉未来選手。自身のYouTubeで、未接種だということと病院で医師に心臓系の病気が増えてると聞いたことを伝えてくれてます。
北野たけし「これ、見えないオバケをみんなで怖がってるだけじゃないの?」
ASKAさん。イベルメクチンについても言及されています
ロバート・ケネディ・ジュニア米大統領候補
ボルソナノ大統領(ブラジル)
宇多田ヒカルさんもマスクにびっくりしたそうです
名古屋市 河村市長
加藤登紀子さん。特に子供のワクチンについて、異議をTweetしてました。辰巳琢郎さんもです。
井原剛さんはどうかな?
高橋ジョージさん
CBCの大石アナも仲間に入れてください
武田邦彦先生
やりすぎ都市伝説の関暁夫
元ファイザー副社長、AK-69、西川貴教、カンニング竹山、マツコ・デラックス、菜々緒、キングコング西野さん、田母神俊雄氏、馬渕睦夫さん、及川幸久さん、船瀬俊介さん、斎藤新緑さん、参政党メンバー、みちょぱ、世良公則
山本太郎さん、伊原剛、木村正治さん、近藤 誠先生、坂本美雨、ジョコビッチ、お笑いのシルク姉さん、高木沙耶さん、ボクシングの村田諒太、宮澤孝幸さん
エリック・クラプトン、内海聡氏、ロート製薬代表取締役会長の山田邦雄さん、【北海道】札幌禎心会病院、占いのゲッターズ飯田氏、所ジョージさん、高橋一生、DABOさん、格闘家の小見川道大さん、ガーシー
苫米地英人博士、小林よしのり先生、ジャニーズWESTの中間淳太くん、YouTuberアキラボーイさん、武井壮、TBS井上アナ、養老孟司さん、池田清彦さん、柄本明さん、
熊本県知事候補者 毛利秀徳さん、三宅洋平さん、田中昌之さん、千原ジュニアさん、
片岡ジョージさん、ロンブーの田村淳、松田学さん、SUGIZOさん、中野博、アーチストのsilvaさん、木村拓哉の母、まさ子さん、北村弁護士、ドゥテルテ大統領、YouTuberのミッツ
コロナワクチンが出来た直後にその怪しさを指摘した苫米地博士
苫米地英人は現在から考えてもかなり良い情報を出してたな
ミュージシャンとか表現者で異議を唱えなかったやつは作るものもニセモノってことじゃないの
特にロックとかパンクで
ラッパーも追加でw
スピリチュアルリーダーとか占い師とかそれ系も
こんな茶番すら見抜けない能力って
コロナは概念プランデミックみたいな漫画が増えなかったのも残念だな
いつも風刺漫画描いてた人もコロナはガン無視でつまんなくてファンやめた
タマホームの社長を忘れてはいけない
これはニュースになったから
個別芸能人やユーチューバーより
知ったきっかけになったよね
ジョコビッチもBBCが取り上げてたな
大阪府泉大津市長の南出賢一
麻生は会見かなんかでマスクかシールドを「いつまでやるんだこれ」ってマスコミに言ってたのは見た
ごぼうの党党首は行く先々で人に感謝されている
「あなたのおかげでワクチン打たずに済みました」
新潟大学名誉教授岡田正彦
長渕もワクチン発言してたの?
そう言えば長渕剛も女優にレイプ告発されてたな
ということはあれもワクチン絡みのネガティブキャンペーンか
西川貴教はワクチン推奨
政治家とかマスコミとか茶番ってわかってるやつらはマスクもしてなかったやろ
the pillowsの山中さわお
古舘伊知郎
初期からワク害報道してくれたのは
地方紙では中日新聞/東京新聞、河北新報
雑誌ではポストセブン、ゲンダイとかですね
心強かった
自分はバラいろダンディの苫米地氏とnoteの荒川氏でした
御二人には生涯感謝致します
お二方に救われた人は少なくないでしょう
でも彼らを知ってる時点で反ワクチンの素養が元々ありですね
苫米地のツイートで身構えたなあ
マイケルイードン博士
「打ったら2年以内に死にます」
2年以内に死んだ人たくさん居るだろうな
死ななかった人も遺伝子置き換わってる可能性があるし、スパイクたんぱく質は一年以降ものこり、そのままではなかなか消えないそうだ。
干されたり消されたりしたのがホンモノ
まだ生きてるのは台本にセリフが残ってるだけの演技者だから
記録しておかないとね
これ1番大きな機能は(他にもサツ用機能満載)遺伝子製剤だから
大半に病気出てくるのは3〜5年後なんだよね
今まで出てるのは単なる前夜祭なだけで
これマジだよ
英国の著名医の話でもそれ念押してた
数日前のインタビューだけどね
マジいい気味
これからが
死亡祭りなのに
何考えてんの?
当然猛毒との関連はアホだから無知のままで死んでゆく
ピーポーピーポー 死んでゆく♪
ピーポーピーポー 死んでゆく♪
馬鹿信者ども、
山田孝之は朝倉未来とYouTubeで人狼やってたな
そこにいたメンバーもしかしたら未接種多いのかな
毎回メンバー変わってるけどロンブーの淳や水川あさみが参加してたこともあったから
赤西仁、錦戸亮、佐藤健、城田優、オリラジ藤森とかもいたけど彼らはどうなんだろう
ワクチン派ひろゆき氏と反対の高岡蒼佑氏…コロナ禍での対立構造
2021年09月13日 フライデー
一方、元俳優の高岡蒼佑氏は「反ワクチン派」として最近有名になっている1人だ。
自身のインスタグラムのプロフィールには《#コロナは茶番 #TVは真実こそ報道しない》と書かれている。ストーリーでは“ワクチンを打ってしまった”という一般ユーザーに対し
《遅くないです 解毒していきましょう ビタミンCを摂りニンニクも有効 血栓を溶かしましょう 意識的に亜鉛も摂り入れましょう みんなで生き残るんです》
とアドバイスを送っている。
21年の9月にこう言ってるのかよ
まさに二回目ワクチン追い込み期だな
これはすごい
宮崎あおいと結婚してただけあるわ
お騒がせ奴かと思ってたけど正しい���ね
奥野卓司もコロワクの危険性を訴えてたなそういや
とろサーモンはどっちも打ってないって言ってた
今は知らんけど
そういえば警告したの男性ばかり
日本の女に生まれたの恥じるわ 世間狭い頭悪い 勘も悪い 整形だけで生きてる連中
当然海外出てこんなクソ語学能力ゼロの場所捨てといて助かったわ
日本の女は卑屈
くらたまが居るじゃん
ニコニコ動画がワクチン情報フルオープンで助かった
つべは藁人形レベルの人が検閲してたからな
やばみしかない
ワクチン接種勧めてた奴らが非難され始めたね
証拠残ってるから逃げられないよ
【ワクチンを警告してくれていた著名人】窪塚洋介、成宮寛貴、山田孝之、GACKT、長渕剛、ワンオクTaka、ブラマヨ、高岡蒼甫、松本人志…
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kennak · 19 days
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「キノコ雲の子」と呼ばれた高校生がいた。  原爆のキノコ雲に誇りを持つべきでしょうか――。早稲田大4年の古賀野々華さん(23)は5年前、留学先の米ワシントン州リッチランドの高校で、そう疑問を投げかけた。核産業で発展した町での勇気ある行動は、広島市で6歳の時に被爆した後東利治さん(85)の背中を押した。思い出すだけでつらく、向き合うことを避けてきた記憶の扉を開け、体験を語ることを決意した。 ■キノコ雲の校章に疑問 リッチランド高校に留学中の古賀さん。校舎にはキノコ雲の校章が大きく掲げられている(古賀さん提供)  「キノコ雲の校章を誇りに思う」「こんなにユニークな校章は他にはない」  米リッチランド高校。2019年5月、校内向けに配信された3分40秒の動画番組「AtomicTV」で、米国人の生徒が原爆のキノコ雲をかたどった校章を口々に称賛する中、古賀さんが口を開いた。  「原爆で亡くなった人は、町で生活していた一般の人だった。多くの人を無差別に殺した原爆を、私は誇りに思うことはできません」  リッチランドは、核施設で働く労働者や家族のために建設された。第2次世界大戦中に原爆を開発した「マンハッタン計画」の拠点で、長崎に投下された原爆の原料プルトニウムを製造したその施設は、1987年まで操業していた。 ■核産業で栄えた誇り リッチランド高校の校章。原爆のキノコ雲をシンボルにしている(古賀さん提供)  古賀さんが福岡県大牟田市の私立高校から留学したのは2018年8月。最初はリッチランドがどういう場所か知らず、校章を気に留めることもなかった。  半年ほどが過ぎた頃、男性教諭から校章の由来を教えられ、涙があふれた。  「原爆投下で戦争が終わって今がある」。周りの生徒は核産業で発展した町の誇りを当たり前のように口にした。2019年6月の帰国を前に、動画への出演が決まり、校章をテーマに話すと決めた。誇りを否定するつもりはない。ただ、被爆地で起きたことを知ってほしかった。  <日本人留学生、リッチランド高校のキノコ雲ロゴについて語る>。出演後すぐにワシントン州の地元紙で紹介され、ニュースは日本でも報道された。 ■40年続いた悪夢 被爆体験を語る後東さん(左)。古賀さんもその様子を見守った(7月14日、広島市中区で)  被爆者の後東さんはニュースを知って衝撃を受けた。「米国のど真ん中で原爆を批判するこの子はすごく勇気がある。自分も何か話さんといけんのんじゃないか」  1945年8月6日、天満国民学校(現・広島市立天満小)の1年生だった後東さんは、登校して間もなく学校の廊下で被爆した。窓ガラスが黄色く光り、轟音と同時に木造2階建ての校舎の下敷きになった。  何とかはい出し、避難時に見た光景が忘れられない。  あおむけで川を流れる無数の遺体、「助けてください」という叫び声。そして、やけどで頭皮の右半分がずり落ちたまま歩いている人の姿――。自宅を目指したが、がれきの上をはだしで歩くので痛くて前に進まない。様子を見かねたある男性がおぶって神社まで避難してくれた。その夜は神社で一人過ごした。  それから毎夜、目をつむると脳裏に惨状が浮かぶ。46歳頃まで続いた。思い出すことも、体験を口にすることも嫌だった。 ■返事が来ない 後東さんと古賀さんが交わした手紙  古賀さんの勇気に心が動いた後東さんは2019年8月、古賀さんに手紙を出した。<その勇気に私も背中を押され、被爆証言を始めようと決意しました>  しかし、返事は、待てど暮らせど来なかった。「原爆にこれ以上深入りしたくはないんじゃろう」。大きく膨らんだはずの決意がしぼんでいった。  古賀さんには、後東さんのほかにも手紙やメッセージがいくつも届いていた。原爆に特別な関心があるわけではなかった。日本人として素朴な疑問を口にしただけだ。反響に戸惑い、手紙は返事を書かないまま自分の部屋にしまった。  以前から興味のあった福祉を学ぶため、2020年4月、早稲田大社会科学部に進んだ。上京時、後東さんからの手紙も持っていった。「いつか話を聞きたいという気持ちがあったのかな」  コロナ禍での大学生活。児童養護施設のボランティアに応募しても受け入れてもらえない。経験を積めず、人とも会えない。やる気がなくなっていった。  2022年2月、ロシアによるウクライナ侵略が起きた。テレビで流れる戦車や爆撃の映像に衝撃を受けた。ロシアのプーチン大統領は核兵器の使用をちらつかせている。「私にできることは何だろう」。後東さんの手紙を思い出した。 ■動き出した2人の時間 古賀さんが制作したドキュメンタリー「あのプラタナスの木のように」の一場面。左が後東さん  <戦争や核、平和について自分にできる事はないかと考える日々が続いておりました。被爆の話をお聞きする事が今の私にできる事だと思いました>。2022年5月、後東さんに返事が届いた。手紙を出してから3年がたっていた。  後東さんは驚きと同時にうれしさがこみ上げた。手紙の最後に書かれていた携帯番号にすぐに電話をかけた。「またまた勇気をもらいました」  翌6月、広島で初めて顔を合わせた。古賀さんの手にはハンディーカメラ。後東さんの初めての証言を記録し、ドキュメンタリーを制作したいと思った。  まず向かったのは、原爆ドームそばのお寺。被爆死した近所のお兄ちゃんの墓に手を合わせる姿を撮影した。被爆した小学校の校庭にはプラタナスの木がある。被爆で幹が空洞になりながらも緑の葉を生い茂らせる木の前で後東さんは語った。「人間もたくましく生きていかにゃあいけんなあ」  4日間密着した映像は、約15分間の作品にまとめた。タイトルは「あのプラタナスの木のように」。古賀さんには後東さんの姿がプラタナスと重なって見えた。 ■核兵器の町を再訪 核施設から放出された放射性降下物で被曝したと語るトム・ベイリーさん。約1年後に死去した(2022年12月、古賀さん撮影)  2022年10月、古賀さんは3年ぶりにリッチランドを訪れた。  後東さんの被爆証言を聞いて、「原爆投下は絶対悪だ」と強く思った。でも、世界を見渡すと多くの核兵器があるのはなぜなのか。答えを求め、大学を休学して海を渡った。  2か月かけて住民約20人に核兵器に対する考えを聞いた。肯定的な意見が相次ぐ中、一人だけ反対する人がいた。当時70歳代後半のトム・ベイリーさん。施設から放出された放射性降下物で被曝し、甲状腺がんを患っていると語った。  「私は最後のヒバクシャではない」。核開発が続く限り犠牲者が出るとの訴えが、重く響いた。ベイリーさんは今年1月に他界した。 ■人生初、英語の勉強に挑戦 田中さん(右から2人目)に通訳してもらい、留学生と交流する後東さん(中央)(広島市中区で)  後東さんも動き出した。町内会の慰霊祭や区民センターなど、機会を見つけては、どこへでも行って自らの被爆体験を語る。「今さら証言してどうなるという気持ちもなきにしもあらずだが、それを振り切ってやろうと思いよる」。昨秋には自身の証言活動に「ひろしま平和塾 きのこ雲」と名前を付けた。  昨冬に知り合った広島大4年の田中美月さん(22)に通訳を頼み、留学生に話をする機会も増えた。今年に入って毎週3時間、人生で初めての英語の勉強を始めた。 ■2年ぶりの再会 世代を超えて交流を深める後東さん(左)と古賀さん。それぞれの目線で原爆と向き合っている(7月14日、広島市中区で)=東直哉撮影  7月14日、古賀さんが後東さんの初証言を追ったドキュメンタリーの英訳付き版が完成したのに合わせた上映会で、2人は広島で2年ぶりに再会した。会わない間もLINEで近況を報告し合っていた。  「負けんように、証言しようと思っていた」。後東さんが古賀さんと出会ってからの心境を明かすと、古賀さんは「被爆証言が多くの国に伝わってほしい」。2人の思いは呼応し合う。  後東さんはさらに証言に力を入れ、古賀さんは大学卒業後に渡米し、米国での核被害の研究に挑戦したいと考えている。  核兵器が使われない未来へ。1本の動画をきっかけに生まれた世代を超えた交流は、その一歩だ。  ※この記事は読売新聞とYahoo!ニュースによる共同連携企画です。
「キノコ雲の子」、原爆投下の米国で疑問投げかけ 長年口閉ざす被爆者に勇気 #戦争の記憶(読売新聞オンライン) - Yahoo!ニュース
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lupinnewseason · 11 months
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【11/10(金)より】 「LUPIN ZEROコラボひっぱりだこ飯」 淡路屋各店ほかにて発売!
ベールに包まれたルパン三世のビギニングを描くアニメ『LUPIN ZERO』。本作2話で少年ルパンが駅弁売りに変装するシーンに着想得て、淡路屋「ひっぱりだこ飯」とのユニークな駅弁コラボが実現しました!
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『LUPIN ZEROコラボひっぱりだこ飯』の容器は作品のロゴを描いた濃紺の特製陶器、掛け紙にはタコと少年ルパンがじゃれ合うコミカルな描き下ろしイラストを使用しました。 中身は、いつものひっぱりだこ飯食材に加え、作品の舞台である昭和30年代と同時代に誕生したタコウインナーを盛り付けています。
■商品名:LUPIN ZEROコラボひっぱりだこ飯 ■価 格:税込1,380円(本体1,278円) ■発売日:2023年11月10日 ■販売店 ・淡路屋各店(新神戸店、神戸駅店、西明石店、鶴橋店、芦屋駅臨時売店、西神中央店、垂水 駅店、神戸大丸店、三宮センター街店、神戸阪急店、芦屋大丸店、西宮阪急店、宝塚阪急店、川西阪急店、千里阪急店、高槻阪急店、阪神梅田店、大阪高島屋店、ラゾーナ川崎店ほか) ・淡路屋オンラインストア(https://all.awajiya.co.jp/) ・東京駅「祭 グランスタ店」など。 ※全国百貨店・量販店での駅弁大会でも展開を予定しています。
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sina1986 · 2 months
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葉山にあるセレクトショップ『September Poetry』
8月オープンショールーム「日々泡の会ニ〇ニ四 」のための品々をつくりました。
September Poetry
この場所は無宗教でフラットな礼拝堂で、祭壇。小さく儚く強い祈りのようなお店です。
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🌼ハッピーチャーム
SINA SUIENというちょっと先の未来からやってきたお守りです。
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ハッピーちゃんと、お花の刺繍、白くペインティングした陶器の数珠、お花のビーズ、30年代のフランス製の麻紐とシルクのリボンを編んだミサンガで構成しています。
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1重にすればチョーカー
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2重にすればブレスレットになります。
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チャームをしまっておくミニ巾着は、アンティークのハンカチとリボンで作っています。
ハッピーちゃんの表情やビーズの色、長さはどれも様々です。
🌻ロンT
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ヴィンテージのサーマル生地をパッチワークしてリメイクした長袖Tシャツで、三角の覗き穴があります。
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1枚1枚ペイントし、三角の刺繍を施しました。
アンティークハンカチにプリントしたスペシャルダブルネームタグも三角です。
尖ったところにはパワーが集まります。三角のとがりから未来のハッピーを受け取れますように、心を込めて縫いました。
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後染めは、奈良の吉野の黒滝村にある杉の里工房で杉の葉を使って桜色に染めました。
吉野の山の圧倒的な生命力と工房のおばちゃんたちのチャーミングさが手染めした1枚1枚に浸透しています。
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染める前の杉の葉。こんなに緑色なのにどうして桜色に染まるんでしょう、おばちゃんたちもわからないと言っていました。
自然の不思議です。
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⛰️ポシェット
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定番のポシェット。September Poetryがある葉山の空気を思い出しながら三角のお山を刺繍しました。
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たくさんのポケットやキーホルダーをぶら下げるベルトなどが付いているので機能的です。
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持ち手は長さが調節できます。
帆布生地なので丈夫で、日常的に楽しめます。
どれもひとつひとつ表情が違います。お店でいろいろ試してみて1番しっくりくるお品をえらんでもらいたいです🌷夏の小旅行に是非✨
September Poetry
オープンショールーム 8月10日(土)11日(日) 11時から17時 神奈川県三浦郡葉山町下山口1258-2
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petapeta · 1 year
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 獣肉を「けがれたもの」と考える国民に対して、いきなり「やっぱり食べなさい」といってもうまくいくはずがありません。そこで政府は作戦を考えました。飛鳥時代に「肉食禁止」を宣言したのは天皇です。ならば、「肉食解禁」も天皇にお願いしようというのです。かくして明治5年1月24日、宮中にて西洋��理の晩餐会が開かれました。参加したのは後藤象二郎・副島種臣・江藤新平・寺島宗則・井上馨(かおる)ら、肉食を推進する政府関係者たち。この模様が新聞で「日本では昔から肉食が禁止されてきたが、これに正当な根拠は無いとして、天皇自ら肉を食べられた」と報道されたことで、正式に肉食が解禁されたのです。とはいうものの、実は明治天皇は洋食嫌いでした。「肉食は養生のためよりも、外国人との交際に必要だから食べたのである」と大久保利通にグチをこぼしたそうです。「肉食推進作戦」には当然反発も起こりました。解禁から一ヶ月後、御岳行者10名が皇居に乱入し「万民の上に立ち、穀物の稲を祭司し、古代以来肉食を禁止した歴代の天皇をさておいて、外国の勢力に押しながされて獣肉を解禁するなど、とんでもないことである」と訴え出たほか、明治10年(1877)4月の朝野新聞では「大久保利通が無理矢理天皇に洋食を食べさせている」「洋食洋医を宮中から斥けよ」と糾弾する記事が掲載されました。 どうしても食う気になれない  明治天皇も食した肉ですが、それでも庶民には受け入れられませんでした。実際に食べて美味しさを実感すれば、口コミで広がっていきそうなものですが、そうはならない大きな理由がありました。それは「調味料」。西洋の肉料理は「スパイス」や「バター」を使って調理されますが、これがいけませんでした。ちょっと時代を遡りますが、フロイスが、天正13年(1585)にまとめた『日欧文化比較』の中にはこう書いています。 「われわれ(西洋人)は乳製品、チーズ、バター、骨の髄などをよろこぶ。日本人はこれらのものをすべて忌み嫌う。かれらにとってそれは悪臭がひどいのである」  遣外使節団の1人としてフランスに派遣された奉行池田筑後守長発(ながおき)が、船の中で出された洋食に苦悩している様子を、同行した理髪師の青木梅蔵が記録しています。 「パン・牛肉の焼もの様々、ことごと歎息なしたり、パンは別段臭気なけれども何とやら気味悪く、牛はなおさらなり、さればとて二日三日このかた食事とては一切いたさず、空腹もまた堪え難し。(中略)折からこの処へ御奉行様お一人にて、色青ざめ、ひょろひょろと致しお出ありし有り様、さながらこの世の人とも思われず」  NHKの大河ドラマ『八重の桜』にも登場した明治期の物理学者山川健次郎。学生時代、アメリカに留学するために乗った船中で食べた洋食について『山川老先生六十年前外遊の思出』で以下のように回想しました。 「何しろ西洋の食物なんて云うものは食べた事がない。あの変な臭いがするのがまず第一に困って、船に乗っても食わないで居ると、船の医者が飯を食べにゃいかんと勧めて呉れたが、しかしどうしても食う気になれない」
ナガジン!|特集:発見!長崎の歩き方 「西洋は長崎から~「洋食」」
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harawata44 · 6 months
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販売元に理由を聞いた!「いつ終売したの?」もう食べられない、昭和~平成の名作お菓子たち - ライブドアニュース
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以下引用
「懐かしいな、食べたいな」と思ったお菓子が終売に。それはまるで“孝行したいときに親はなし”的な悲しみだ。気づけば消えていた昭和~平成生まれの名作を、まとめておさらい!
一時、フリマサイトで1箱1000円程度で出品
 さよなら、チェルシー。ついにお別れの日が来てしまった。 (中略)  1971年に誕生した 『チェルシー』。♪もひとつチェルシー♪のフレーズが有名なCMソングは小林亜星さんの作曲だ。初代のシモンズからサーカス、八神純子、あみん、PUFFY、CHEMISTRYなど、人気アーティストによって歌い継がれてきた。  生前、小林さんも《すごい年月の間このうたを使っていただいたということは、とっても光栄》と語っていた(明治HPより)。  このCMソングでおなじみとなった『チェルシー』という名前は、3000ものネーミング案の中から選ばれたという。最終候補に残ったもうひとつの名前は『キングスロード』。こちらになっていたら、もっと���々しいCMソングになっていたかも!?  昭和から令和まで、世代を超えて愛されたチェルシーだが、売り上げの低迷により終売が決定。《こんなことになるなら、もっと買って貢献すればよかった》という後悔の言葉がSNSで飛び交ったが、後の祭りとなってしまった。
 気づけば消えていた思い出のお菓子は、ほかにもたくさん。'67年販売スタートの 『森永チョコフレーク』 は、子ども時代の定番おやつだった人も多く 《1箱全部食べて親に怒られたなあ》 《遠足で必ず買ってた》  など懐かしむ声が今も上がっている。販売終了は2019年。スマホ使用時にチョコで手が汚れていると支障が出ることが売り上げ減の一因とも指摘されたが、時代の流れの残酷さよ。
 ♪ポポロンロンロン ポポロンロン♪と歌いたくなる明治 『ポポロン』 は'76年から'15年に販売されていた。サクッとした一口サイズのシュー生地にチョコクリームが入ったお菓子だ。販売終了が報道されたのは'17年。知らない間に消えていたのだ。
ブルボン広報に『ルーベラ』終売の理由を尋ねると
 同時期、『カール』の全国販売終了がニュースになったが、 《カールがなくなるよりポポロンがすでになくなっていたという事実のほうが悲しい》  などの声がSNSを駆けめぐった。  中には《チェルシーは大丈夫か?》とつぶやいていた人も。7年後、まさか現実になってしまうとは!
 ロッテ 『霧の浮舟』 も恋しくなるお菓子だ。販売時期は'80年~'05年。その後'13年に完全復活するも'18年に終了となった。エアインチョコレートの草分けで、口の中でシュワッとなる感じが人気を集めた。 《独特の口溶けが忘れられない》 《名前やパッケージがおしゃれで大人な気分だった》 《一回復活したから、また復活してくれないかな~》  などの声が。前回は8年越しの復活だったから、次は'26年にもしかして……!?
 コアなファンが多かったのが、ブルボン 『ルーベラ』 。  '72年デビューのバター風味ラングドシャクッキーで、'21年には『ルマンド』『ホワイトロリータ』『バームロール』『チョコリエール』とともに擬人化された美少女キャラのイラストが発表され、“ブルボン5姉妹”と話題を呼んだ。だが'22年に終売。 《探してもないと思っていたら販売終了してた》 《いちばん好きなのに、もうないなんて悲しすぎる》 《知ってたら大人買いしてストックしておいたのに》  と別れを惜しむ声が多くあった。ブルボン広報に終売の理由を尋ねると、 「多くのお客様からご愛顧をたまわり、誠にありがとうございます。半世紀にわたりご好評をいただいてまいりましたが、近年の原材料価格上昇の影響を受け、やむを得ず(販売)休止に至りました」  休止ということは、もしや復活の可能性も!? 「現在は大きさやグレードを高め、さらに満足感のあるラングドシャロール商品として、『贅沢ラングロール』を販売しています」(同・前)  『ルーベラ』ロス勢は、この贅沢ラングロールで涙を乾かそう! また、ほかの4姉妹たちの行く末が心配だが。 「発売50周年を迎えるルマンドをはじめとした袋ビスケット商品群につきましては、これからもみなさまに愛し続けていただけるよう種々の活動に取り組んでまいります」  とのこと。お願いしますね、ブルボン様!!
 駄菓子では梅の花本舗 『元祖梅ジャム』 の終売も寂しかった。 《10円玉を握りしめて駄菓子屋に行ってよく買ってた》  と懐古する人も多い。'47年から'17年まで生産されたが、1人で製造していた梅の花本舗の社長が、加齢による体調不良、機械の老朽化、駄菓子屋の減少、売れ行き不振などの原因で廃業を決定。70年の歴史に幕を下ろした。報道時は 《またひとつ昭和が遠くなる》 《後世に引き継がれるべき昭和の遺産だった》  と惜しむ声がネット上にあふれた。
 廃業といえば、佐久間製菓の 『サクマ式ドロップス』 も残念。赤色の缶のドロップは1908年の発売開始から100年以上も愛され、スタジオジブリのアニメ映画『火垂るの墓』にも登場した。  だがコロナ禍で売り上げが減少、原材料の高騰などから'23年1月に廃業。このニュースが流れると、ジブリはツイッター(現X)にサクマ式ドロップスの画像を投稿。SNSでは 《中学のころ、ポケットに缶を入れて、タバコみたいな感じでなめてた。カラカラうるさかったけど、当時はそれが粋だと思ってた》  といった声のほか、 《実家でボロボロの缶を発見。貯金箱としてもう30年も使ってるって》  というエモいエピソードが続々。ちなみに、別会社であるサクマ製菓の『サクマドロップス』は、現在も販売中。こちらは緑の缶が目印だ。
原料・資材高騰で20円売価を維持することが困難に
 そして、'94年から販売された駄菓子の定番、よっちゃん食品工業の 『らあめんババア』 も'20年に終売。インパクト大のネーミング&パッケージイラストで、誰もが知るラーメンスナックだった。 《今でもときどき夜中に食べたくなる》 《お椀に入れてお湯をかけてラーメンにして食べるの好きだったなあ》  と、恋しがるネット民のため、よっちゃん食品工業に終売の理由を聞くと……。 「原料・資材高騰で20円売価を維持することが困難になったためです。みなさまから大変多くの声をいただき、また社内でも、長年製造していた製品につき惜しむ声も多くありました」(広報、以下同)  同社では、らあめんババアの代替品は検討していないそう。現在買える他社類似商品は『ベビースターラーメン』あたりになるの……? 「そのようになるかと」  ババアのロスはベビースターで埋めときますか!  生まれて消えて、また生まれて。諸行無常の響きありまくるお菓子戦線。今、口にしているお菓子も1年後にはなくなっているかも。そんな悲劇を回避したいなら、やはり買って応援、食べて応援!?
取材・文/今井ひとみ 
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momokuri-sannen · 6 months
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暑い。
もう初夏のような日になった。
東京は28度だとかなんとか。
もう勘弁してくれい。
昼は昨日の「dancyu祭2024」で購めた「邦栄堂製麺」の中華そばを食った。
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いつもはスーパーで4食入って、というのを使っているが、やはりひと味違う。
小麦の香りが云々とか面倒なことはどうでもよく、もう確実に「麺が旨い」
鶏がらスープも付属していて、たぶん具を乗せなくてもじゅうぶんに旨い。
今度は取り寄せようと思う。
明日から常勤になるので午後からは準備でウロウロする。
さすがにTシャツ1枚である。
例年ならTシャツ初日はゴールデンウィークあたりだが、今年は例外である。
晩飯は家人が冷蔵庫のきのこ類がヤバいというので「きのこのかき揚げ」と「ほうれん草の卵とじ」を食った。
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衣が付きすぎてなにがなんだかよくわからなくなっているが、しめじやえのき、しいたけ、玉ねぎ、にんじんが合わせてある。
ま、見た目はアレだが味は旨い。
揚げ物をやっていると時々なるのだけど、今日は暑かったせいもあって食欲がなくなってしまった。
たくさん作ったのに2個食うのがやっと。
明日は早い。
早く休もう。
ごちそうさん。
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crydayz · 4 months
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240614 金
引き寄せの法則ってのを結構素で信じてるって以前書いた
「なんで自分は毎日絵が描けてしまうんだろう?」って今思ってる
これがいいんだよ
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「なんでやれてしまうんだろう?」
「なんでこんなに幸せでラッキーなんだろう?」
ってベクトルで自分を不思議がる
これだけでどんどんやれるし、どんどんラッキーになる
マージ、マジマジ
--- 僕、28歳ん時もうすぐ死ぬ思いました
なんでかってこのまま生きてても「嫌なことの総量が増えていく」ばかりでそれを打ち消すいい事なんて雀の涙程度しか手に入らないに決まってるって思ったから
それが予想できるくらいには主観的踏んだり蹴ったり感を味わっていたし、過去の自分の成功体験に照らしても、もう10代の頃以上のラッキーなんて訪れるわけがないな、思ってた
つまり生きてても主観的にも客観的にもムダ。ふつうの知性と自尊心あるなら惨めで恥ずかしすぎて生きてらんない。格好悪すぎる思ってた
結構「武士的なスタンス」だと思うのね、これ
あとは自分をむっっっっっちゃ主人公として捉えてたよね
でも生きる為、それをやめた。精神を「負け犬ヌケサク敗残兵モード」にチェンジし、虐げられて然るべきモブ・・だけどどっこい最後まで生き残ちまう「ひょうきんピエロ」的ポジション目指した
しばらくその目くらましでどうにかなってたシーズンもあったけど、やがて冷静になって全部馬鹿らしくなって「幼少期に戻って人生最初からやり直したい」という気持ちになった
20代の頃のような「死にたい」という気持ち(格好良さを貫きたいという気持ち)は最早ない。ただただリセットしたい、今度はうまくやる、あそこで絶対妥協しない、選択ミスしない、へこたれない...って誓った
だからもう一度チャンスが来たら今度こそ間違わないし乗り遅れないって思った
僕の失敗のきっかけは初音ミクに対ししょーもないヘイトを抱いてしまったことだ
DTMを生半可に愛していたがゆえに、それ系の知識と愛が全然ないであろうミーハー絵描き達が初音ミクをハブにして唐突にDTM文化を蹂躙してきた(あるいはDTMカルチャー一切無視して製品のガワだけ浅はかに消費してきた)と感じてしまい、自分の好きなものを穢されたと感じてしまった
これはもう、そう感じちまったんだからどうしようもない...
それに加えpixiv台頭によるホームページの価値消失、友人に初音ミクブーストで狂気レベルの差をつけられたってのもヒステリー加速に拍車をかけた。でも何よりも大きいのは自分がディレクションしていたゲーム企画を取り上げられた事だったな
とにかく「ほう? ここまで俺をコケにしたいんか、世界」って思ったわ。知らんよなそんなの。みんな楽しくミクちゃん描いてんだ...
なぜそのウェーブに乗らないんだ? って知り合いの絵描きから暗に明に言われたさ。同人イベントで色紙にミク描いてって言われた時は内心全ギレしながら描いたっけなあ
ほんと、運気を下げる思考をしていた
何が要因かっつーと結局「愛を侮辱された」っていう主観的感情がきっかけなんすよ
だからそれ以降僕はなにかを愛することをやめました
だって、愛があるからそれを「穢された」とか「バカにされた」って思うんでしょ?
その結果チャンス逃して人から嫌われるようなルサンチマンばっか吐いてたら、結果的に自分が損するじゃん
損する事がわかってる「愛」を維持するの、ある意味純愛かもしれんけどその愛向けてる対象が自分の方振り向いてくれんの? 言ったら無理なわけじゃん、初音ミクの場合はクリプトンとかヤマハなわけ、あとRolandも好きだった
でもそういうオフィシャルは僕じゃなく初音ミクというキャラをサクサク消費しお祭り騒ぎしてる実力派絵描きの方を大事にする
いやもう、何言ってんだ純粋にお前キャラ ド・ヘタじゃんって指摘にはイエス、諸手を上げてイエス
ほんっと、身の程知らずとはこの事よ!!
今でも怒りと悲しみと後悔が蘇ってくるわ。どういうこじ���方してんだアホ!! 普通に魅力的なキャラなりなんなり描いて人心掴めよヘタクソ!!! って言いたい
腐ったアヤナミみてーのばっか描いてんじゃねーよ、と
閑話休題。昔話を繰り返したところでしょーがない
つまり、だ。今ムカついてるその項目、そのムカつきの要因となっているあんたの身勝手な「愛」
それ本当に維持すべき愛っすか? って話なんすよ
僕の場合は「自分が作った箱(Discord)への愛と執着」がまだ強固に残ってる...
こいつが今後間違いなく僕を不幸に導くことだろう
不幸になってでも、多少嫌われてでも自分の好きは決して曲げない
そういう気持ち(他人や社会のことをガン無視したヒステリックなプライド)があるとな、些末な事に侮辱と敵意感じてはヘイト撒き散らし、周囲に呆れられ病人扱いされキャリアも積めぬまま歳だけ食って、どうして自分のこの真摯でキレイで真っ直ぐな気持ちを誰一人理解してくれなかったんだろう? みたいなドンズレ思考抱えた××老害になる(うーん... 極端だ。極端な思考は自分と周りを傷つける。それは結果的に自分を不幸にする。だからよくない)
プライドは、捨てなくてもいいから箱にしまうか、意識的に横に置く
そして皆が食べたがっている料理を丁寧につくる
体力増やしアタマ使って時間捻出し「自尊感情維持する為の城(テリトリー)」を構築する
最初は自閉モードでいい。次第に他者を呼び込む為のサンドボックスなり応接間なり作っていけばよい
そして考えることは「しあわせ」についてだけでいい
「どうしてできないんだろう?」と考えると「できない自分」を引き寄せる
「どうして不幸なんだろう?」と考えると「不幸な自分」を引き寄せる
それは文脈関係なしに最初に見出しに設定したワードの正当性を「肉付け」する思考が脳内で自動的に発生してしまうから
だから「どうして幸せなんだろう?」と考え続ける事で「XXでXXであるがゆえにしあわせなのである」という講式が脳内に刻まれてゆく
どうして不幸だと思うのかを思考するメリットはない
どうして幸せなのか? を自身に問い続けるだけで100%、何をどうやっても幸福になってしまう
幸せな主観があれば精神的バッファがあるわけだから無茶できる
無茶すりゃ歳食ってたってそれなりの出力と他者貢献できる
それさえできりゃいずれ優しい世界が手を差し伸べてくれる
ああ、我々が思うほど世界は悲しくプログラムされちゃあいない
誰も自分という人間に手を差し伸べぬなら、自らが率先して誰かに手を差し伸べてしまえばよい
はい、キモいお節介&パターナル&ハラスメントフラグ、って指摘には同意
同意はするが、潜在的正解は常にそれだろ
自分が救うことや手を差し伸べることを「許してくれる命」を見つけて、まずはそれを応援する事から始めたらいい
人を応援する人をディスる人ってのはもう、それは120%ロクな人間じゃあないから無視していい
無論、犯罪者や極度に反社会的な性格の人を応援するようなムーブしちゃダメだし、それをやりそうになってる自分を止めてくれる人の事は無視しちゃダメだが
善&道徳だわ、基本。子供がいる手前、そうとしか言えん
だって子供はオートで犯罪犯したがるからな。それは子供の本質。そこに親も乗っかりブーストかけちゃったらクソ毒親だろ...
ゆたぼんの父親とかそうだろ。最終的に反面教師として役立ったから結果オーライかもしれんが
とにかく、絵とフィクションの中で悪と不道徳を描くのは構わないが現実のパーソナリティや生活ん中にそれ適用すんのはナンセンスだし何一つメリットがない
マジメすぎると現実と絵の世界を同期させちまうんだよな
自分もその境目がなかった、かつて―
絵は絵、現実は現実。どっちもウケがよく自分を幸せに導くベクトルに「デザイン」してこ
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chaukachawan · 5 months
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こんに負けたのまじで遺憾
(書き始めは楽st終わり二次会カラオケから帰宅して布団に入った頃です。その時の気持ちを想像して読んでね❤)
どうも、緒田舞里です。書かなくてもいいかなーとか思ってtumblr見たら思ったより書いてる人多くて、焦って描き始めます。現在月曜の朝5時30分です。寝すぎて逆に生活リズムおかしくなりそう。
打ち上げの後、5時までカラオケをしてから寝たら起きたのは23時でした。怖いね。人生最大睡眠時間更新です。ネタっぽくするのは苦手なので毎度の如く長文です。35期は割と1年前のこと書いてます。34期は知らん。文章少なめです���めんね。稽古場で���然同期と会えなくて不安だったけど、会えた時はやっぱり嬉しかったです。色々言うけどやっぱり同期っていいね。
縦縞コリー
こりちゃん!1stの時に思ったんですが、こりちゃんがちゃうかに入ってちょうど1年ですね。こんなに立派になって...😭こりちゃんは一発で「ええやん」を提供することが出来る人です。隣で激焦りしてました。でもそこで止まることなく、出したダメにちゃんと向き合って模索して、本人意識してたか分かりませんがのせる感情が少しづつ変わってたのが凄いなーと隣で思ってました。お祭りの村上さんと会うところや子ポリの独白が好きでした。堂々とした役は元々得意だったけど、この1年で特に悩みとかマイナスの感情の表現も上手くなったな〜って思ってます。3場とか特に。声量あんまり変わんないのにちゃんと気持ちが伝わってくる。出し加減や塩梅も好き。独白系のセリフかなり参考にしてました。これからもこりちゃんの色んな役を見たいです。
帝京魂
こんちゃん!オムニから推し。いい表情しますね〜本当に。イケおじ系が似合う。オムニから思ってたのは雰囲気とかを出すのがお上手。アローも書いてたけど「入ってる」のが分かる。稽古期間中みるみる顔色が悪くなっていってたので健康には本当に気を付けてください。7場のラップの後、ずっと気にしてたけど上手かったよ!周りは良いって言ってるのに本人は納得いってないのまじで分かります。個人的には3stが1番好きでしたね。1年を経て表情がより動くようになった。近くでやっててこんなに顔動く人だったっけ?って気づきを得ました。少なくともオムニはそんなこと無かったので、成長ポイントですね。カラオケ前はすみませんでした。自重します。あとベガから大集で大量にダメ貰ってショートしてたのが面白かった。最近元気で嬉しい限りです。
水琴冬樹
ベガ。1st噛んだのを帰り道までずっと気にしてたの可愛かったですね。1セリフ事にダメを貰おうとしてこたちを困らせていたベガを見てそういやこういう人だったと思い出しました。それだけちゃうかでの役者を久々に見た気がします。居残り練習等、誘ったら予定がない限り必ず付き合ってくれるという確証があります。そしていいダメを必ずくれます。悩んだ時に一回ベガにダメを貰うフェーズがあります。多分。箱での発声しんどかったけど楽しかった。演技面、本当に頼りにしてます。
七枚目
おみそ。今回もハート写真が取れました。大満足です。引退まで絶対に継続させます。カラビニマジで似合ってた。頑張ってよかった。
打ち上げでも話したけど、1年前のおみそは西南図書館の和室で方言を一生懸命直してました。それがもうこんなに大きくなっちゃって...😭😭感涙どころの騒ぎじゃないですよほんともう。仕込み週に会った時、おみそだ〜と近寄ったら「来ただけでこんなに喜んでくれるとは思わなかった」って言ったけど、次の日そっくりそのまま同じ事が立場逆で起こりました。シンパシーです。郷田の切り替え良かった!!中モンも本番信じられないくらい声量出ててビビりましたね。あの時二宮さん戸惑う演技でよかった。素でした。誰!?ってなりました。ずっと頑張ってた発声がここぞとばかりに活かされてたね。これからもおみその色んな役を見てみたいです
苔丸
苔ちゃん!浴衣と私服の色を揃えたり、カラビニエリにポケット付けたりと各所に細かいこだわりが見えて、苔ちゃんを見てるとものづくりってこれが楽しいんだよな〜を思い出します。香夜から1年。おばあちゃんもびっくりの役幅になっちゃった。毎回こんなにも役が変わる人が今までいただろうか。細かいニュアンスを拾い上げて表現するのがますます上手くなってる。その積み上げが演出達に「苔丸なら任せれる」って思わせるに違いない。オムニの時はずっと声量頑張ろ!!って言ってたはずなのに全く言わなくなった。外公〜秋公辺りで一気に声量が伸びた気がする。今回キャスパを一緒に作りながら、苔丸のこだわりや世界を垣間見た気がします。やりたい事に体と思考がついて行かないのもどかしいよね。きっと苔ちゃんならそれも何とかできると期待を寄せ続けます。
岡崎仁美
カヌレ。知らない間にバイト戦士になってた。どうやったら涅槃像が出てくるのかその頭の中を覗かせて欲しい。LINEのスクショを苔丸のTwitterでみたけど何も分かりませんでした。七瀬を見ながらこういうのやらせたらやったぱりカヌレだわってなりました。さすカヌ。幼い役やらせて違和感ないの誇るべき。留学に行くとか聞きました。出来れば最後まで一緒に引退したいなーという気持ちが有ります。寂しいもんね。
西峰ケイ
らび!今公演の相方!らびが八戸じゃなければ居酒屋のシーンはあんなにいいものにはならなかったし、漫才はもっと拙かったと思う。漫才を1回通す度にリアクションや間のここを直そう、っていうダメが尽きなくて楽しかった!アンケート総ナメだったのも、知り合いに聞いても二宮の夢のシーンが1番印象残ったっていう意見が多いのも、稽古中の音声録音して聞き返したり私が現実シーンをやってる間もずっと居酒屋のセリフ読みを考えてたらびの努力の結果だと思います。
らびはなんか気づいたら上手くなってた。秋と新人の間に何があった?ってぐらいグンっと上手くなった。声がいいですね。大好き。最近公演で関わる機会が激増してるからか、一緒に悪巧み考えてる感じかずっとある。役が近いのもあるけど。やっちゃえ!!ってやり始めてしっかりといいものを届けれる爆発力が魅力的。また共演したい切実に。
あろハム権左衛門
アロー!黒川まじで好き。なんで深山のところ客席から見れないんだって何回も思いました。毎stちょこっとずつセリフ変えて全部辻褄あってたって聞いたんですけど本当ですか?私は楽stしか気づかなかった。
オムニの時から、え初心者ま?と思ってました。シュールな笑いが似合うというか、表情があまり動かない役が似合うというか。だからこそ少し表情が動いた時に伝わる情報量が多い。下手すれば誤解を与えそうな所を上手に使いこなしてるなって思う!白子と稽古場で「いやアローいいですよね(*´ω`*)」「いいよね(*´︶`)」を何回やったことか。毎稽古なにかしらで上達していて、家でやってきてるんだろうな~と感じます。努力を他人から見てわかるほどすることの大変さたるや。36期が入ってきても努力の人とライナーを突然やりだすギャップを見せつけてほしいね。
大福小餅
こふく!ビバ九份。こふくの裁判長めっちゃ好き。こふくにしか出せないふわふわ感が、劇の始めっていう大事なシーンの雰囲気を変えてる気がします。頼りなさが本当に頼りない感じで大変良き良きのの良き(役の話です!!!)
1年経ってもこふくだけが持ってる独特の雰囲気はそのままに、雰囲気を声にのせたり、そもそもの発声が良くなってる気がします。舞監としても役者としても絶対に手を抜かないで上を目指し続けるのって誰にもできることじゃない。誇って欲しい。
そしてこふくにはひとつ謝らなければならない。キャスパ負担をかけてしまってマジでごめんなさい。あんまり夜残らないのに、残ってくれて練習してくれてありがとう!!「自分キャスパ苦手なんで」って言ったこふくを見た時に1番反省しました。胸がぎゅってなりました。ごめんなさい。
肆桜逸
スチル。最初の罪状マジで噛みそうになるから読めるのすごいよあれ。スーツガチにあってた。写真撮ってなかったのが本当に悔やまれる。これは同期全員に言えることですが、引越しや予定であんまり来れない人多くて大変寂しかったです😭っぱ同期なんですよ。というのはさておき、ついに吹田在住になったスチルくん。聞いてる感じ豊中住みで良かったと思います。朝ママチャリこいで30分からの稽古は死んでしまう。時折自分が吹田在住なのを忘れて豊中勢のフッ軽遊びに行こうとしてるの可愛いですね。
たぴおか太郎
🍆。ちゃうかに入って3年、ようやく舞台上で話すことが出来て感涙。皆さん知ってますか??これまで一回も舞台上で話したことないんですよ!?私はこんなにもなすかを愛しているのいうのに!2セリフぐらいしか掛け合いないけど小さな1歩だと信じてます(フラグじゃないです)
そして奈良脱出おめでとう🎊私の知る限り1番部屋に女の子!!って感じで統一感ある部屋で感動した。ヨギボー最高や。
ミル鍋
ゆにちゃ!建築と戦ってますね。製図室とお友達どころかズッ友。課題やばいとは聞いてたけど思った以上にヤバそう。私後から映像見て知ったんだけど、本番動きめっちゃ良かったってか可愛かったんだけど。何あれ見たかったんだけど。特に登場が好きすぎて有罪。ゆにちゃんは最初っから上手だった。動きが上手い。最初っからそれだ!っていう動きが出せてスタートラインが既に違う感じがします。オム二の時点でコルクさんについていけてるのスゴすぎる。各脚本、少しのセリフで存在感をひしひしと感じさせる役が上手い。この一瞬でお客さんの脳にインパクトを残せる役者は...ゆにしかいない!!!ってなるんだろうねきっと。いや演出じゃないから知らんけど。不揃いバーム美味しかった。今度いっぱい食べ物上げたくなっちゃった。
園堂香莉
なぽちゃ!なぽなぽなぽりだね。想像以上の鯛焼き愛で愛おしいです。役幅広っ。小さい子供からアナウンサー、エレベーターガールまで全部ハマってました。私のイチオシはエレベーターガールです。声に艶があるからか、役のイメージ、場の雰囲気と、衣装と全てに合致していてやべえええって幕裏で見てました。あれなぽりオム二出てなかったっけ?って思うぐらい上手。外公から既に上手かったんだけどね。最近自分の持ち味を活かしはじめてるのをみてニコニコしています。なでなでしたくなるね。照明もお疲れ様!これからも忠実なる照明班員でいます。何回かしてる、仕込み中に照明チーフにコンビニスイーツあげるやつ、毎回考えるのが楽しい。なぽちゃんの仕込みは照明えっへん感があって楽しい。それと事故には気をつけて本当に。
海泥波波美
あさぎ!新歓ありがとうこざいました!あさぎが副隊長ってこんなにも頼もしいんですね。やる気が〜とか言ってたけどちゃんと頑張ってるのか可愛いですね。オチャラケてる風に見えて1番人の事を見ているし、考えている。あさぎがいなかったら恐らく35期はまた違った関係性になっていたことでしょう。みんな言ってる。あとは温故知新の温故部分ファイト。あさぎはオムニから良いところはそのまま、良くないところもどんどん改善アップデートしている気がします。でもオムニからうるさかった。あんなうるさいやつがこんなに人のことをよく見てる人だとは思いもしなかった。ギャップやね。あさぎにはそのままでいて欲しいな。パチンカスにだけはならないでください。
衿君
えりちゃん!!ラジオパーソナリティ最高だった。まじでいい顔してる。「いい顔してる」が似合う人なかなかいないけどえりちゃんには声を大にして言える。表情がより活き活きするようになって慣れてきたのかなと思ったりしてみてました。私はずっと覚えてます。香夜楽stで爆発してたえりちゃんを。これを見るために演補やってたと言っても過言では無いってぐらい感動した。正直香夜の稽古期間中よりも仕込み期間でグッと仲良くなれた印象。こんな人だったの!?を沢山見ました。このたまらなすぎるギャップをぜひ36期にも見せつけて欲しい。あと映像。えぴが追いつかれそうって言っててすげえなって思いました。タイトルコール見た時、これで名前出るんですか??え??って嬉しくなりました。チラ見すら出来なかったあの立ち位置が今となっては悔しい。
黒井白子
白子!演補とオペお疲れ様!稽古場に白子とみーらが帰ってきた時の安心感ったら無い。白子はみーらのオタクって聞いてたけど思ったよりオタクで笑いました。それ以降シーン練見るのとかほぼ全任せですみませんでした。行き詰まった時にこうしてみたら?と代わりに演じたり、意見がスっと出てくるのは本当にすごい。誇ってほしい。少なくとも私にはできない。でも通しでこりにダメが出せないんですよ〜...って言ってるのを見て白子でもそんなことあるんやって思いました。完璧超人はいないってことですね。でも演技はずっと好き。香夜の時からまじで。香夜はじめロキとすごく不安に思ってたけどそれが払拭されたのは白子のおかげの部分が多々あります。多分私と意見が合わないって時も沢山あると思うけど、少なくとも白子がちゃうか嫌だ!って思ってしまうちゃうかにはしたくないなと思ってます。
近未来ミイラ
みーら!2連続演出おつかれ!と思ったら3連続だね!がんばれ!毎回、みーらの脚本!!っぽさを残しつつ新しいアイデアもあって色んな脚本がかけてしまうのが本当に凄い。いや、新しいアイデア自体がもうみーらって感じだから結局みーらの脚本だね。今回でいう就寝刑みたいな、よくそんなん思いつくなっていうのが随所に散りばめられていて毎回読むのが楽しみです。それにみんなが普段感じているような些細な悩みや普段すぎて言葉にしにくいもやもやを脚本に起こせるのが本当に凄い。そして演じるのが楽しい。
今回演補に選んでくれたけどまじで予想外すぎました。だって新人のコンビに入るんだぞ!?何か助けになれていたら幸いです。楽st前に「もしまりおさんいなかったら〜」と言ってくれたけどそれを受け止めるのにはまだもう少し時間がかかるのでちょっと待ってください。でも嬉しかった。二宮本当に楽しかったです。個人的に大きい役をやりたいなとも思っていたので本当に嬉しかったし、推しのこんこりと一緒に出来たのも楽しかった。まじで夢みたいな公演でした。まさに夢にまで魅せられてってね!!心も体も体調だけには気をつけて!
長い!!!長すぎるね!!
(書きながら香夜の我が子感やばいなって思いました差があったらごめん)
今回は去年外部公演で沢山得たインプットがちゃんと活かされてるなと実感した公演でした。自分の中の演技の選択肢が増える感じ。あの瞬間のために去年頑張ったんだな〜とも。その機会をくれたみーらと白子に感謝ですね。アンケートや人伝で沢山褒めてもらいました。それを真に受けると天狗になりそうで怖いので1回着信拒否してます。お褒めを受け入れるのには時間がかかるのです。そんなめんどくさい人間なんです。ごめんな!!何はともあれ本当に楽しかったです。やばい36期来ちゃうよ!!ってかもう来たよ!!
オム二全力で楽しませようぜ!
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yaoyuan6478 · 2 years
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#かつうらビッグひな祭り #かつうらビッグひなまつり #勝浦 #勝浦朝市 #勝浦ビッグひな祭り #勝浦町 #勝浦港 #ひな祭り #ひな祭り製作 #ひな祭りフォト (勝浦駅) https://www.instagram.com/p/CpO6Y7tJUVx/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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myonbl · 7 months
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2024年2月26日(月)
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教員生活も35年、この間普段の原稿執筆はもとより、私信でさえも悪筆を理由にキーボードを叩いてきた。その結果、たまに書類に手書きで記入するときなど、本当に漢字が書けなくなってしまった。デザインはわかってもディテールがわからないのだ。一念発起、今日から手書き手帳生活を始めることにする。TNP(トラベラーズノート・パスポート)は持ち歩いてのメモ帳に、TNR(トラベラーズノート・レギュラー)は出張や旅行時などに使用する。このtumblrもTNPのメモをもとにして書くことになる。悪筆は仕方ないが、丁寧に書けば何とか他人様に読んでいただける、そんな文字を書くために今日から精進するのだ。
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5時45分起床。
昨晩の点滴効果で、ココが💩をしていた。喜んでトイレを掃除する。
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朝食。
洗濯。
珈琲。
8時40分、ツレアイ(訪問看護師)が自転車で出勤、訪問2件。
録画番組をディスクに書き出す、ポワロ・コロンボ・ホームズ。
西七条郵便局へ、葉書5枚&スマートレター5通(¥1,215)。
東京の落友・Nさんに、関西ローカルの落語を録画したディスク(No.69)をスマートレターで送る。
岩波新書編集部に、昨日発信出来なかった読書ノート申込を葉書に書いて投函する。
西大路七条・笹寿し伍十で雛祭りの寿し予約、手まり寿しのセットを注文する。クーポン券(500円)があったので、¥5,100。
イオンモール五条の無印良品へ、パスポートメモ3種類を試しに購入する(¥360)。
NURO光から着信、10Gコース変更のための日程調整のための打合せ、明日の午後に電話するよう申し込む。
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帰宅すると、東京かわら版(3月号)が届いていた。落語協会の真打披露目は3/23(土)のチケットを準備済みだ。
ツレアイ帰宅。
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ランチ、彼女にはサッポロ一番塩ラーメン、私は日清の冷凍お好み焼き、三男はサッポロ一番味噌ラーメン。
彼女は<ひとまち交流館京都>で、月例のテディベア作り、M姉・O姉も一緒に。
私はAppleに電話、iMacの下取りに出したMacBookAirのギフトカードが届かないので調査を依頼、返答は<ギフトカードではなくアカウントに返金済みです>とのこと。うっかりしていたが、支払形態に合わせた返金となるので当然のこと、ちと恥ずかしいがホッとする、何しろ¥55,000は大金だ。
軽く午睡。
夕飯は買い物せず在庫で調製、冷凍庫から干物を出す。
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息子たちの夕飯、浜峰商店の鯵の干物、具沢山味噌汁、白ワイン。
ツレアイにはカマスの干物を焼く。
録画番組視聴。舟を編む第2回。
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名探偵ポワロ
第2話「ミューズ街の殺人」/ Murder in the Mewsシーズン 1, エピソード 2 300年続いている花火大会の夜、事件は起こる。その夜、ジャップ警部、ヘイスティングス、ポワロは夜空に上がる花火を見上げながら、こんな夜は殺人が起 きても銃声がかき消してしまうだろう、と話していた。翌朝、ポワロはジャップ警部からの電話で現場へ呼び出される。そこには、拳銃で頭を撃ちぬかれた女性 の遺体が!彼女は自殺か?他殺か?
片付け、入浴、体重は300g増。
パジャマに着替えて日誌書く。
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今日は細々とよく動いた。手書き手帳生活も順調なスタートだ。
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monthly-ambigram · 1 year
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2023-6月号
アンビグラム作家の皆様に同じテーマでアンビグラムを作っていただく「月刊アンビグラム」、主宰のigatoxin(アンビグラム研究室 室長)です。
『アンビグラム』とは「複数の異なる見方を一つの図形にしたもの」であり、
逆さにしたり裏返したりしても読めてしまう楽しいカラクリ文字です。 詳しくはコチラをご参照ください⇒アンビグラムの作り方/@2r96
◆今月のお題は「本」です◆
今月は参加者の皆様に「本」のお題でアンビグラムを制作していただいております。 ご高覧のほどよろしくお願い申し上げます。
今回も都合により簡単な講評とさせていただきます。ご了承ください。
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「学問のすすめ」回転型:.38氏
福沢諭吉の代表作。表紙にデザインしたくなるステキ文字ですね。
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「参考書」回転型:peanuts氏
かなり大胆な解釈をしているところもありつつ読めるところに落とし込むバランス感覚。
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「生き字引」回転型:ヨウヘイ氏
いつもながら低解像度がマッチした作りで隙間の調整が絶品です。
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「出版社」図地反転鏡像型:いとうさとし氏
ドット処理により読みやすくなっています。
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「帯紙」旋回型:douse氏
こんな帯紙なら取っておいて遊びたくなりますね。歪みを付けることで逆に上手く文字が認識できるようになっているようです。
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「鏡の国のアリス」鏡像型:ぺんぺん草氏
ルイス・キャロルの児童小説で「不思議の国~」の続編。リボン様のあしらいが文字と飾りを行ったり来たり。
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「作家小説」図地反転共存型:いとうさとし氏
有栖川有栖の作品。色も装丁に合わせています。字画密度の差を見事に吸収しています。
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「くるみ製本」内包型+内包型:海氏
製本手法のひとつ。「製」を親として2つの系統のマトリョーシカが展開されます。
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「かがり製本」内包型+内包型:海氏
製本手法のひとつ。こちらも2系統のマトリョーシカの組み合わせですが「本」の拾い方が違うのが面白いですね。
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「星/昴」図地反転型:いとうさとし氏
枕草子の一節「星はすばる~」より。同パーツである「日」が裏表に変わるのが見どころです。
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「本分/ホンブン」振動型:kawahar氏
本の「本分」が分かれて「ホンブン」になるのが本分な作品、との事です。面白い発見。
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「新版」旋回型:オルドビス紀氏
こちらの作品も調整された新版ですね(旧版は某所に)。美しい書体でアンビグラムと気付きにくいと思います。
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「ゲーデル、エッシャー、バッハ──あるいは不思議の環」回転型:Σ氏
ダグラス・ホフスタッターの科学書。ホフスタッターは「アンビグラム」の名付け親と言われていますね。文字組が複雑で面白く、一対多の対応としては歴代最多かも知れませんね。
最後に私の作品を。
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「写真/印刷」90度回転共存型:igatoxin
日本十進分類法(NDC)の分類記号74。
「本」がお題のアンビグラム祭 いかがでしたでしょうか。 梅雨入りを迎え、晴耕雨読で過ごすのも一興。あるいは皆様の本分に立ち返るのも。
お忙しい中 御参加いただいた作家の皆様には深く感謝申し上げます。ぜひ講評を寄せていただけましたら幸いです。
次回は『神話』です。締切は6/30、発行は7/8の予定です。よろしくお願いいたします。
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2017年 4月{ミステリー} 5月{音楽}        6月{童話}           7月{食}        8月{宇宙} 9月{回文}         10月{GAME}     11月{TOY}       12月{駅}
2018年 1月{書初め}    2月{蟲}               3月{映画}                4月{色彩} 5月{対語}        6月{アイドル}    7月{数学}                8月{恐怖} 9月{メカ}          10月{神}                11月{スポーツ}       12月{どうぶつ}
2019年 1月{書初め}       2月{地図}                  3月{漫画}            4月{職} 5月{都市伝説}   6月{速度}             7月{道具}     8月{文學} 9月{デパ地下}  10月{漢字4文字}    11月{学校}     12月{怪物}
2020年 1月{書初め}    2月{ART}           3月{気象}            4月{ギャンブル} 5月{カワイイ}   6月{建築}      7月{まつり}   8月{音楽} 9月{植物}       10月{ファンタジー}   11月{お笑い}       12月{時事}
2021年 1月{書初め}    2月{夜}                     3月{わびさび}       4月{日常} 5月{対語}     6月{医学}                 7月{トラベル}          8月{自然} 9月{料理}   10月{ファッション}    11月{ミステリー}    12月{時事}    
2022年 1月{フリー}      2月{天空}    3月{電脳}       4月{マジック} 5月{子供部屋}  6月{世界史}    7月{海洋}       8月{光る}  9月{武}     11月{人名}   12月{時事}    
2023年 1月{フリー}   2月{TV}   3月{クイズ}   4月{健康}   5月{回文}       
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kennak · 9 months
Quote
中国に駐在する日本の垂たるみ秀夫大使がおよそ3年の任期を終え、日本への帰任を前に記者会見を開きました。 外務省で中国語を専門とする、いわゆる「チャイナスクール」として40年近い外交官生活の大半を中国との関係に費やすなど、キャリア官僚としては異例の経歴を歩んできた垂氏。 習近平国家主席への権力集中が進む中国で、何を目指し、何を感じたのか。離任を前に開いた記者会見の全文で迫ります。 離任の記者会見を行った垂秀夫大使とは 垂大使は、昭和60年に外務省に入り、中国語を専門とする、いわゆる「チャイナスクール」の出身として、中国・モンゴル課長や領事局長、官房長などを歴任し、およそ3年前から中国大使を務めてきました。 いわゆるキャリア外交官は、専門とする国以外に欧米先進国などへも赴任するのが通例ですが、垂氏が駐在したのは中国、香港、台湾で合わせて18年。異例の経歴です。 中国共産党の高官だけでなく、民主化を求め政権に異を唱える人たちにも人脈を築いてきたと言われ、中国政府が日本の政策を批判したときには、SNSも使ってすぐに反論するなど、異色の外交活動が注目を集めたこともありました。 その垂大使の離任に当たっての記者会見は、12月4日午後、北京の日本大使公邸で1時間あまりにわたって行われました。 以下、その全文です。 会見 (垂大使 冒頭発言) 皆さん、こんにちは。こんなにたくさんお集まりいただいて感謝いたします。離任記者会見ということで、ちょっとピンとこないですけれども、こういう機会をいただいたことに御礼申し上げたいと思っています。 中国駐在 垂秀夫大使 私は12月6日に任務を終え、この地を離れて日本に帰国することになっています。振り返れば大使の期間もさることながら、40年近い外交官生活の大半を中国関係に携わってきたという意味でそれなりの感慨はあります。 国民の税金で養っていただいたといいますか、公僕として、長年、力をためてきた知見とか経験とか人脈、これらを生かして、何とか大使の任務を、最後のご奉公をかろうじて勤めあげられたのではないかなと安堵しています。 後ほど皆さんから日中関係や中国の問題で質問があると思いますので、最初は私が大使として何をやってきたか、その時どういう気持ちでやってきたかという内容を簡単にご紹介、ご説明させていただければと思います。 私が中国大使として着任したとき、この場で記者会見が開かれました。そこで私は大使館の今後の大きな柱として2つのことを申し上げました。1つは日系企業支援、もう1つは邦人保護、邦人の安全確保でした。 まず日系企業の支援という点については、日々のいわゆるビジネストラブルへの対応、これはもちろんのことながら真剣に取り組んだつもりです。 また、中国で行うビジネスが昔に比べれば非常に難しくなっている昨今、どちらかというと互助団体的であった中国日本商会の組織改革を提案し、大きく改革していただきました。 その結果として、今年の春から日本商会は会長職が固定化されました。また、これまでの任務以外にもロービングや調査業務、発信機能、これらを非常に強化する力強い団体に変貌しつつあるところです。いいスタートを切れたのではないかと思います。 中国日本商会 本間哲朗会長(左)の記者会見  先ほど申し上げました難しい中国ビジネス、とりわけ経済安全保障という観点からも非常にいい動きではないかと思っています。 次に在留邦人の安全確保という点についてです。私は普段から同僚に対して、(大使館の)政治部にいようが経済部にいようが広報文化部にいようが、すべてが領事担当官であると。そう何度も言って常に館内の意識改革を行ってきたつもりです。 私もかつて領事局長を担当した身です。ひとつひとつの領事案件、本当に、なんというか、普通の事務処理で済ませてはいけないような非常に厚みのある案件がたくさんあるんですね。 そうしたときに、もし事件・事故が起きた時に当事者が自分の肉親であったらどうかと。自分の父親が、自分の兄弟が、自分の子どもが事件・事故に遭ったらどういう対応をするかと。常にそういうつもりで対応しようと皆で確認し合ってやってきたつもりです。 ときには涙を流すこともありました。それでも領事担当の同僚は非常によくやってくれたと思います。邦人の安全確保、邦人保護という点はわれわれの大きな柱でした。ただ、この邦人保護、在留邦人の安全確保という観点から申し上げれば、今年の3月に起きた、国家安全当局に拘束された在留邦人の方がまだこう留されているという状況につきましては、私個人としては極めてじくじたる思いです。 社員が拘束された大手製薬会社「アステラス製薬」 この2つの大きな柱に加えて、私は1つの試みを提案しました。それは何かといいますと、この大使公邸の開放です。この北京には多くの外交団がいます。その数ある外交団の中でもわが日本大使公邸は、その美しさ、あるいは格式の高さ、いずれの点においても最も優れた素晴らしい大使公邸だと自負しています。 調度品もたくさん素晴らしいものがありますし、平山郁夫画伯とか絹谷幸二画伯の絵がかけられているなど、本当に美術館、博物館のような大使公邸です。春には桜が美しく咲きますし、秋には紅葉が見事に色づきます。 北京の日本大使公邸の庭園(垂大使撮影) その美しい庭園も抱えたこの大使公邸を在留邦人に使っていただく。そういう試みでした。この公邸の建設はもちろん、維持管理は全て国民の税金で行われている。そういう観点から言えば使っていただいて当然であると。そういう出発点でした。 当初は、在留邦人の方も半信半疑のところはあったんですけれども、何度もわれわれが使ってくださいとお勧めしているうちにいろんなことで使われ、コロナの時期もありましたが、それでも私の任期中に120回を超える公邸開放、公邸の利用が行われました。 例えば企業間のMOU(基本合意書)の調印式だとか、あるいはジャズのコンサートだとか、あるいは剣道の試合だとか、あるいは某大学の同窓会だとか、もういろんな形で使われました。時には日本人学校の子どもたちを中心にこいのぼり参観、あるいはひな祭り参観、そういうことに使われたこともあります。 大使公邸で開かれた 日本の特産品などをPRするイベント(2023年3月) 普段、公邸とあまり関係がないと思われるような方々には、例えば駐在員の配偶者だとか日本人学校のPTAの方々には一般参観日も設け、対外開放する日もありました。そういう試みを行って、これまで十分に使っていただいたと思っています。この試みは非常に上手くいったのではないかと思っています。 さて、中国で仕事を行っていく上では、特に私の任期中はコロナが非常に蔓延まんえんしている時期でしたし、また、ちょうど去年は日中国交正常化50周年、今年は日中平和友好条約締結45周年というエポックメイキングなこともありましたが、時には厳しい勤務環境の中で日本ではちょっと考えられないようなことが起きることもありました。 閉鎖された武漢の海鮮市場(2020年) 例えば、去年の50周年の関係では、在留邦人の人たちが手作りで祝うために、いろんな交流事業、文化事業を準備したり用意したりしましたけれども、それを日中関係が悪いという状況の中で、コロナを理由に何度も延期されたり中止されたり、そういうことがありました。 また、われわれとしてはなかなか受け入れがたいような理由で、日本の政策を批判されるようなこともありました。そういう時、多くの日本の人たち、とりわけ中国に長く勤務しているような人たちには「中国だからしょうがない、郷に入っては郷に従わないといけない」と理不尽なことを受け入れてしまうきらいが、私はあるのではないかと思っています。 そうしたときに民間の人、それぞれの個人はなかなか言いにくいんだと思うんですね。立場上も言い難い、企業の人も言い難い。でも私は日本の大使として、しっかり主張すべきは主張する必要があるという気持ちで、必要に応じておかしいことはおかしいということを声にしてきたつもりです。 ただ、ここで大事なことは、相手に対して物申すようなときには、その基準が、私は日本の大使ですから、日本の国益、あるいは日中関係をしっかり維持し大局を守っていくためにやるということが基本であるべきだと思っています。 決して反中とか嫌中とかいう感情で批判したり物事を判断したりしてはいけないと自分を戒めてきたつもりです。私のそうしたやり方についてどう評価されるのかについては、これは私自身が決める話でもありませんし、日本の皆さん、あるいは世論が決めることでもないんだと私は思っています。私は常々歴史が決めるものだと。歴史が評価してくれると考えて仕事をしてきたつもりです。 日本では外交に関する資料は30年後には公表されることになるわけですね。その将来の、歴史家か評論家かわかりませんが、そういう人たちがどう評価するのか、判断するのかということが私にとっては一番大きな基準であると、そういうつもりでやってきました。 私は常々同僚に対して、歴史に耐えられる外交をやろうと。歴史に恥じない外交をやろうと。今、その時々を過ごすためのアリバイ作りのためだけの外交をやってはいけないと、そういうことを訴え続けてきました。同僚は皆、本当にそれに応えて非常によくやってくれたと思っています。 そういう意味においては、ちょっととんがっているかもしれませんが、そういう上司、大使を持って非常に大変だったと思いますが、私の同僚は本当によくついてきてくれて非常に良い仕事をしてくれたと思っていて感謝しかありません。 先般、サンフランシスコで岸田総理大臣と習近平国家主席との間で日中首脳会談が開かれました。一番大事な点として、日中両国は全面的に戦略的互恵関係を推進することを再確認するということが示されました。私は非常によい会談だったのではないかと思っています。 日中首脳会談(アメリカ サンフランシスコ 2023年11月) これからが実は大変だと思います。大きな方向性を示すこと、これは何とかやれました。ただそれを具体化、実現していくことが、実はある意味ではもっと大事である、そう思っています。そうした意味では、引き続き日中双方の外交当局、あるいは政府全体がともに努力して、日中関係をさらに高みに押し上げていく必要があると。建設的、安定的関係を強化していく必要があると考えています。 冒頭申し上げましたように、40年近い外交官生活において、18年間、中国大陸、香港、台湾と勤務して参りました。私なりに一生懸命やってきたつもりです。精一杯駆け抜けた外交官生活だったのではないかと今思っています。何の後悔もありません。「風光霽月」の心境です。非常に爽やかで、思い残すことは何もないと、そういう心境です。 私の第2の人生の夢は、何らかの形で写真の世界で生きていけないかなと考えています。そのことを考えると、また非常にチャレンジ精神が出てくるという意味では、風光霽月と言いながら、また気持ちが震え上がってくるところがあります。中国も、日本も、あるいは台湾も、自然の美しさや一般庶民の喜怒哀楽には何の変わりもありません。私は中国大陸で撮りためてきた写真、そして日本、台湾で撮りためてきた写真、これらを多くの日本の方に示して、共通点をしっかりと伝えていくことによって、日中関係の更なる強化をお手伝いしたいと思っています。 垂大使が撮影した中国の農村 冒頭私からのご挨拶は以上です。 質疑応答 中国に長らく携わってきた外交官として今の日中関係についてどのような感想を。また今後の日中関係はどのようにあってほしいと考えるか。 今の質問で思い起こすのは、去年、日中国交正常化50周年のときの大使館公邸での記念レセプションです。私はそのレセプションの挨拶で、こういう風に日中関係をたとえました。これまでの日中関係はジェットコースターのようだと。上がったり下がったり、良くなったり悪くなったりだと。 遊園地で遊ぶジェットコースターは楽しいでしょうが、日中関係というジェットコースターに乗っている両国民はたまったものではないと。今後はジェットコースターではなく、ゆっくりゆっくり走る普通電車がいいのではないかと。要は、日中関係はしっかりと安定的に関係を構築していくことが大事だということを申し上げたつもりです。 日中関係が安定化するためには、やはり一番大事なものは日中間の意思疎通だと思います。日中は永遠の隣人であるのはこれはもう間違いのない事実なんですね。互いに引っ越すことはできないんです。国が違う以上、それぞれ国益を背負っているという意味において、ときには立場の相違だとか摩擦だとかがあるのは正常なことだと思うんです。自然なことだと思うんです。だからそれを恐れる必要は全くないんだと思うんですね。 恐れないといけないのは日中間で意思疎通がなくなることです。摩擦や意見の相違があればあるほど、本来であれば、日中の意思疎通は強化されなければならない。そういうふうに思います。首脳間から本当に民間レベルの交流に至るまであらゆるレベルで意思疎通が行われると。そういう関係が私は望ましいし、それが安定した日中関係につながるのではないかと思っています。 邦人保護の観点から。ことし3月に男性社員が拘束され、いまだ解放されていない。大使は11月28日にみずから領事面会に臨んだ。どういう思いで、なぜこのタイミングで臨んだのか。 サンフランシスコの日中首脳会談で、岸田総理は習近平国家主席に対して、できるだけ早期の釈放を要求されています。 それを受けて、この北京の一番の最前線で働く、なおかつその責任者である私が、そのための仕事を行うということ、これは、当然、まずやらないといけないことであると言えると思います。 さらに申し上げれば、私みずからが領事面会に行く必要があるとずっと考えていました。いろいろ事情があってそれは成し遂げられませんでした。 実は私による面会は領事面会としては8回目で、それ以前に7回領事面会が行われていました。その時、毎回、私は面会に行く同僚にメッセージを託していたんです。「われわれとしてはこの問題にしっかり取り組んでいくので気をしっかり持ってください」という趣旨のメッセージです。 今回、私が帰国することになり、やはりこのまま何もなしに本当に帰っていいのかと。私は、それは人の道ではないと。許されるのであれば直接会って帰国するという報告と、私の任期中に結果的には助けることができなかったことについてのお詫びを伝える必要があると感じていました。それが人の道であると感じていました。 また、私が行くことによって、例えば、メディアが関心を持ってくれ、日本政府としてこの問題にしっかり取り組んでいるというメッセージにもなると考えました。そして、非常に重要なことだと思いますが、この問題は決して風化させてはいけないと、忘れてはいけないと。多くの関係者の中でこの問題がだんだんと話題に上らないようになってはいけないと思っていましたので、私は自分が行くことが必要だと感じていました。 日中関係に関連した質問を。コロナが明けたあともビザの免除が回復しない状況。日本から中国を訪れる人が少ない状況になっている。今後何に期待するか。 人の往来が極めて少ない。とりわけ、日本から中国に来る人の数が極めて少ないです。いろんな理由があると思います。そもそもビザがなかなか取りにくい。昔はノービザということもありましたし。中国から日本へ行く旅行者、こちらも一番多かったときに比べればまだ半分にも達していません。ただこちらはそれでもそれなりの人が日本に行ってくれてはいます。 結果として何が起きるか。何が起こっているか、どういう影響があるかと申し上げれば、生の中国を見る機会があまりない、等身大の中国を知る機会がなく、中国に対する理解が深まらない。 上海 あるいは、万が一中国に対して誤解を持っていたとしたら、それにもかかわらずそれが増長してしまう、それが減じることもない、そういうことにも繋がってしまいます。 いずれにしろ、相互理解が深まらないということが、間違いなく起きています。昨今の日本人の対中感情の低さを表すいろいろな世論調査がありますが、それを見てもそのあたりは歴然と出ているのではないでしょうか。 広報スタイルについて。中国が発表した後に日本側が反論するという広報スタイルがあったと思う。それは垂大使から始まった形式だと思うが、この狙いは。 私どもからすれば、受け入れがたい理不尽な批判等もあったとき、あるいは申し入れがあったときには、われわれとしてあるいは私個人として、しっかり物申す必要があります。歴代の大使も同様にやられ、しっかりと反論されておられたと私は思っておりますし、信じております。 ただ、今おっしゃられたようなことが、私のやり方が特別に見えているのであれば、若干違いはあるのかもしれません。一般論で申し上げて、例えば中国側が私どもに申し入れをした時、私は必ず、あるいは歴代の大使もきっと同じだと思いますが、必ず反論する、あるいは日本側の立場を言う、日本としての申し入れを行うのです。 ところが、中国は国営の新華社通信がそれを流す場合、われわれの発言は完全に無視されるわけです。中国側の言い分しかないわけです。私はそれでいいのかと考えました。ある問題において、日本の大使が呼びつけられて、それに関する報道が中国側の一方的な主張���かこの世に出ない、それでいいのかという問題意識がありました。 ことばが悪くて申し訳ないのですが、中国が出していないのに、私どもがけんかを売る形で、われわれから直接出すということはなかったと私は信じています。中国側が出した時に、われわれが必ず反論すると。われわれも主張していることを出すということは確かに行いました。この世に中国だけの主張しかないことにならないように心がけたつもりです。 日本の(メディアの)皆さんを批判しているわけではありません。日本の皆さんは非常に立派なんです。中国側の主張も、日本側の主張も書かれるんですね。喧嘩両成敗じゃないですけど、大体、一応2つ書かれるわけです。最初の頃、私の主張がすごくちょっとしかなかった時もありましたが、だんだんと相当たくさん書いてくれるようになりました。 中国側はどんなことをしても自分たちのことしか書かないんです。それでも皆さん(日本のメディア)は書いてくれる。私はそれを信じて、中国側の主張しかないということになってはいけないと思ってやってきました。これは私の信念でやったことです。今後どうかということについては、私は申し上げる立場にありません。 大使の任期中、中国では習主席が3期目に入るという政治的に大きな動きがあった。3期目の習主席が率いる中国と日本は今後どう向き合っていくべきか。 極めて大事な、いい質問なんですが、私もまだ現役ですので、なかなか入り込めない部分もあり、答えが奥歯に物が挟まってるような言い方になるかもしれません。 中国は非常に変わってきています。どんどん変わってきています。それに応じた付き合い方、あるいは対中政策を考えていく必要があると思っています。一般論として言えば、私は首脳会談、この重要性がますます大事になっているんではないか。そういうふうに申し上げられるとこの場で言っておきたいと思います。 習主席になってから社会の統制が非常に厳しくなってきている。中国の人たちの価値観も多様化している。中国は社会統制の厳しさに耐えうるのか。また、仮に内側から変えようという動きが出てくる可能性があるかどうか、その場合日本としてサポートするようなことができるのか。 敏感な質問ですね。とても大事な質問なんですよ。いつもみたいに完オフ※だったらいくらでも喋りますが、ここは完オフではないので、そうした意味において申し上げればですね、今、言われたように、中国社会、社会統制がどんどん強くなってきているんじゃないか、それを内側から変えようとする力があるのではないか等々、そういう見方が存在していること自身、私は承知しています。そういうふうにだけ申し上げておきたいと思います。また日本がそれにどういう風に関わっていくべきなのか、あるいは関わっていくのがいいのかということについては、私はまだ現役ですので、お答えを差し控えさせていただきたいと思います。ご理解ください。 完オフ 「完全オフレコ」のことで、取材相手の名前や発言内容など一切を公表しないこと。 福島の処理水の対応をめぐり日本産の海産物の全面禁輸が続いている。この問題について今後どのように対応していくのか。 福島第一原発での処理水の放出(2023年8月) 私の見方で申し上げれば、今回の首脳会談でも2つ大事な点があったと思います。1つは、日中関係の位置付け、戦略的互恵関係を再確認すること。もう1つは、処理水の問題について。日中が、例えば専門家どうしがしっかり意見交換する。そういう形で互いにこの問題の解決に向けて知恵を出すといった方向性を確認したことだと思っています。 もちろん日本としては、今の「ALPS(アルプス)」の処理のやり方について、政府の一員として絶対的な自信を持っています。そうではありますけれども、一方で隣国の中国が別の意見を持っていることに対して、その意見、その主張は一切聞かないと、耳も貸さないというような姿勢は必ずしも適切ではないと思っています。 日中の関係当局、あるいは専門家どうしの意見交換、これを通じて、何とか着地点を見いだしていく、一刻も早く中国側の水産物の全面禁輸を解除するために努力することが大事だと思っています。 大使の在任中に最も印象に残っていること、また離任に当たって心残りなことがあれば。印象に残っている中国の指導者は。エピソードなどあれば紹介してほしい。 まず最も印象がある出来事、これはもういろんなことがありました。コロナについては、皆さんも同じように経験された方はたくさんいらっしゃると思いますが、特に去年の今頃なんかもう大混乱でしたしね。隔離生活も長かったりと、いろんなことがもう走馬灯のようにあるので、どれがと言われるとなかなか難しい。 PCR検査場に並ぶ人々(北京・2022年11月) 中国の古い友人、それから新しい友人とまた深い付き合いができたということも私にとっては極めて印象のあることでした。 あえて1つ申し上げれば、先般の日中平和友好条約締結45周年の際に中国が釣魚台迎賓館で行った記念レセプションで、私は大使としてスピーチする機会を与えていただきました。私はその中で、戦略的互恵関係、これが生み出された経緯を紹介するとともに、日中は戦略的関係の再構築が必要であると訴えました。スピーチが終わったあと、壇上から降りてきたときに、皆が座っている中で、1人、王毅中央外事弁公室主任兼外交部長が立ち上がって私のところまで迎えに来て、「大使、スピーチは良かった。素晴らしかった。ぜひ、戦略的互恵関係を再構築しよう」ということを言って、握手を求めてきたことは、とても印象のある出来事だったと思います。 日中平和友好条約45年の記念式典で垂大使に話しかける 中国 王毅外相(右・2023年10月) 何かやり残したことについてですが、私はやり残したことは、あえて言えば先ほどの邦人拘束の件です。 それ以外に申し上げれば、私は大使になってこういう大使館を作りたい、こういう気持ちで大使としての仕事をやろうと思っていたことについては、ほぼできたと思っています。もちろん、私が独りよがりにできたというよりも、私の同僚たちがしっかりついてきてくれたことが一番大きな理由です。私が思い描いていた大使館像、これをしっかり作れたと思っています。そういう意味では何ら思い残していることはないというのが私の心境です。 それから、心に残った指導者、中国側の指導者でいいですよね。これは、長い外交官生活の中でということで申し上げれば、私はやはり、あえて中国側のことを申し上げます。 日本はまだ何とか頑張ってらっしゃる方がいらっしゃる中で、本当にリスクを取って日中関係をしっかり進めていくんだとか守っていくんだという指導者が、今やそう多くないというかほとんどいない。 そんな中にあって、思い起こせば2009年。詳しいことは申し上げられませんが、2009年に、ある場で引退された曽慶紅※さんに会う機会があったんですね。そこで曽慶紅さんに、私の方から1つ質問したんです。曽慶紅さんは、中央組織部長で、いわゆる江沢民さんの側近中の側近であった方ですが、2002年4月だったと思いますが、訪日しているわけですね。 曽慶紅そう けいこう氏とは 元国家副主席。江沢民前総書記に近い実力者で、日本の政界にも幅広い人脈をもっていた。習近平氏が中国政治の表舞台に出てきた背景に、曽氏の影響力もあったといわれている。 なぜその訪日が大事だったかというと、実は当時、小泉総理の時代で、小泉総理自身が靖国神社に参拝した直後だったんです。その直後に、曽慶紅さんは日本を訪問されたんです。日本といっても大分県でした。確か私の記憶が間違いなければ武漢と大分のチャーター便を飛ばすか何かそういう話だったかと思います。 私は聞いたんです。「なぜ日本に行けたんですか。いろいろ反対とかなかったんですか」と。 曽慶紅さんは非常に満面に笑みを浮かべて、「日本には私の友人2人が待っていた。1人は野中広務さんで、1人は大分県の平松知事だ。日本の友人が待っているので、私は行かなければならないと思った。私は、2人の指導者に許可をもらった。1人が江沢民さん。もう1人が外交担当の副総理であった銭其シン【※王へんに、深のつくり】さん。2人とも喜んで行ってきなさいと言ってくれたから行きました。友人が待っていたから私は行ったんだ」と。私は本当にリスクを取ってでも日本を訪問する、日中関係を進めるという素晴らしい人だなと感じました。私にとってはとても心に残ったやり取りでした。 曽慶紅 元国家副主席(右・中国共産党大会 2022年) 改革開放で多くの日本企業が中国に来て経済交流を進めてきたが、足元では中国での事業リスクの高まりもあって対中投資意欲を大きく下げているという実情もある。中国で日本企業がおかれている状況や日中の経済関係は今後どうなっていくと考えるか。 私は2つのアプローチが大事だとつくづく思っています。1つは攻め、1つは守り。現実問題として、改革開放以降、日本経済、日本のビジネス界は中国との間の経済交流・経済往来を強化させてきました。ある統計によれば、今や中国大陸に、拠点数を入れた数字で申し上げれば、3万以上の日本の会社あるいは拠点があると。中国大陸の中で最も大きなプレゼンスを示しているのが日本企業なんです。 日本経済を考える上で中国経済を抜きに語ることはもうあり得ないと思います。もちろん、中国経済の大きなマーケット、これも非常に魅力的ですし、イノベーションやデジタル経済など、日本から見ても極めて目を見張るような動きを示していることもあります。どういうふうにして日本経済としてこれを活用していくのかというような視点は非常に大事だと思います。そうした意味では、中国との経済関係を能動的にしっかりと強化していくということはとても大切だと思っています。 日系企業の自動車工場 一方で、中国でビジネスをやっていく上で、今どんどんと難しくなっているわけです。いろんな問題も生じてきています。まず最初に中国経済そのものが、特に今年に入って、あるいは去年ぐらいから、非常に不景気である、デフレ気味の状況を示しているということもあります。それはまだ1つの経済の状況ですが、それだけではなくて、例えば、よく言われる自立自強のサプライチェーン、あるいは自国産品を優遇するような政策があります。 表面的には否定するんですが、内外差別を行っているのではないかと思われるような対応も見受けられます。業種によっては強制的な技術移転というような動きについても、われわれはいろいろ相談を受けていることも事実です。そういう経済安全保障的な側面から見ても、しっかりと守り、しっかり脇を締めて、中国経済、中国とのビジネスをやっていく必要があると。 私は両方が大事だと思っています。決して守りだけではダメだ、もちろん攻めだけでもダメで、攻めがあって守りだと考えています。 「ゼロコロナ」政策について。大使は着任から隔離を受け、終了まで全部見届けた。日本と全く違うスタイルをとった「ゼロコロナ」政策をどう総括するか。 着任のときは2週間でしたね。10日ではなくて2週間の隔離生活でしたが、総括は、私が行うのではなく本来中国政府ないしは中国共産党が行うべきものです。実際もう何度も総括していて、中国政府・中国共産党としては勝利宣言を行っているので、それに私が横から総括するっていうのは変な話かもわかりませんが、印象だけ申し上げます。 正直申し上げて、前半期は、「ゼロコロナ」、一種の真空状態を中国の中でつくる。そのために隔離を2週間だ3週間だ、地域によっては2か月要求しているところがあったわけですね。そのかわり、そこに入れば無菌状態、実験室みたいな状況をつくって。実はそれはそれでうまく回っていたのも事実なんですね。 ところがオミクロン株の流行となって、それはもう効果を発せられなかった。オミクロンの威力、伝染力がもっと強かったんですね。私は政策を変更するタイミングを逸したんではないかと個人的には思っていますね。そのタイミングは相当間違ったんじゃないかと。それが私の印象です。その結果、後半の方は極めて、世界的にもまれに見るようなロックダウン等があったり、北京では「弾窓(タンチュアン)」という経験した人でないとわからないような政策がとられたり、いろんな不可思議なことがありました。最後は大混乱の中、「ゼロコロナ」政策が取り下げられていく。全体としての評価については、私の個人的印象だけを申し上げれば、タイミングがうまくいかなかったというか、良くなかったと思っています。 弾窓タンチュアン 「ゼロコロナ」政策のもと、スマートフォンの「健康コード」と呼ばれるアプリに表示されたポップアップメッセージのこと。感染者が出た地域に行ったと認識されると、濃厚接触者でもないのに「あなたはリスクが高い地域を訪問しました」と表示される。この表示は自分では解除できず、数日間建物へ入れなくなったり公共交通機関の利用ができなくなったりする。 米中関係について。サンフランシスコで米中首脳会談が行われたが、今後���米中対立の構図は続くとみられている。今後、米中対立が深まる中で日本の役割は何か。また日本政府として現状、どのくらい日本の役割を果たせていると考えるか。 米中首脳会談(2023年11月) 日本大使としての立場で第三国どうしの関係である米中関係について、表だった評価をするのはなかなか難しく、差し控えないといけないんですけれども、一般論として申し上げます。 米中関係の安定化は、日本としては非常に希望しているところです。今回のサンフランシスコにおける米中首脳会談についてもいろいろな論調があるのも承知していますけれども、私は今回の会談を歓迎しています。 日本がどういう役割を発揮するかということについて。アメリカはわれわれの同盟国であり、日米同盟という強固な信頼関係のもとで、われわれは必要に応じて中国に対して対話を重ねながら、必要な時には中国に対して大国としての責任を果たしてもらえるように働きかける。そういうふうに考えています。 拘束された男性社員に領事面会をした判断理由として、帰国の報告と、任期中に結果として救出できなかったお詫びを伝えたいということだった。実際に伝えて先方の反応はどうだったのか。 すみません、私の発言、私の思いはお伝えした通りですが、先方の方の発言、対応等については私の立場上、紹介するのは恐縮ですが、差し控えさせていただければと思います。 (12月4日 BS国際報道2023 などで放送) 垂氏が大使として赴任する前に行ったインタビューの記事はこちら
中国・習近平体制と対峙した垂秀夫大使 ゼロコロナ 邦人拘束 日中・米中関係 離任前に何を語った? | NHK
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mugny · 1 year
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お世話になっている焼きたてパンPecoriさんがこの度10周年を迎えられます。今週末の土日は感謝祭です。割引券のプレゼントや大人気パンが特別価格になったりとお得なお祭りになっています。お近くの方は是非!(私のオススメは塩バターパン、フォンダンショコラ、おやきです!) 焼きたてパンPecori 10周年感謝祭 6/3(土)、6/4(日)の二日間 開催します! ●ご来店の皆さまに「10%割引券」プレゼント! ●人気NO.1「やみつき!塩バターぱん」2日間限り「10%割引」販売! ●ご来店の皆さまに自家製全粒粉クッキープレゼント ※数に限りがあります。無くなり次第終了! https://pecori.on.omisenomikata.jp *************** Pecoriは2013年6月に誕生し、お客様、地域の皆様に支えられ、10周年を迎えることが出来ました心より感謝申し上げます。 私達はこの地に来て15年。2人共難病を抱え治療の為に府外から越してきました。闘病生活およそ5年。店長は骨髄移植を経て、奇跡的に完治しました。そして私(妻)も潰瘍性大腸炎という持病で食事制限があり、「体に優しいパンを作ろう!」とペコリは始まりました。ペコリのパンに「揚げ物が無い」のはそういうところから来ています。今では2人共、超健康体です。 ただコロナ禍や様々な物価の高騰による経営難で、閉店して行くお店がたくさんある中、ペコリがこうして10周年を迎えることが出来るのは、ひとえに皆さまの支えがあってこそです。これからも一期一会を大切に。2人で出来る限り美味しいパンを皆さまにお届けして行きたいと思っています。何卒、よろしくお願い申し上げます。 みんなの笑顔があふれますように。 最後までお読み頂きありがとうございました。 Pecori
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