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#サブカルチャーなんてクソくらえ
kazugoto · 1 year
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前期総括①:サブカルチャー左派の皆さん、ビビってるんじゃないですかぁ?
さて、夏コミも終わったので、今年前半の総括をしてみたいと思います(同人作家なので前期後期はコミケが基準です)。
今年の前期は、とにかく「左のオタク主義」に悩まされた8ヶ月でした。昨年の半ば頃から私の若者論批判に対するサブカルチャー左派からのクソないちゃもんが目立っていたのですがはっきり言って、多くの右派“オタク”の反フェミニズムや、それこそ近年流行りのナチス“是々非々”(という名の肯定)と同じくらい、みんな言うことが同じなんですよね。後藤はもう若くないのにとか、お前は大人の側につくのか若者の側につくのかとか、若い世代が上の世代のアンチレフト扇動の影響を受けているという理論は若者の主体性の否定であり人権侵害だ、とか……。何というか、少しでも「若者」を擁護する(甘やかす)かのような議論は許さん、みたいな情念が(左派“オタク”の若い世代からも!)伝わってきました。
昨年、若い世代による環境運動を蔑視した北守(藤崎剛人)とか、海外のヘイトクライムまで引き合いに出して若い世代における「差別意識の低さ」を否定したLhasaとかもそうなんですけど、彼らは若い世代のリベラルな社会運動は、無視しているどころか「あってはならない」ものとして認識しているように思えます。
それは、1990年代半ば頃から勃興し、2002年の香山リカ『ぷちナショナリズム症候群』で確立され、サブカルチャー左派の外にまで蔓延した、「若者=政権に対して従順」みたいな認識とか「若者の右傾化」論とかを背景にして、「自分は同世代や若い世代とは違って政権を批判しているから“まとも”なんだ」と、「若者」を否定することによって左派としてのアイデンティティを形成してきたサブカルチャー左派にとって、リベラルな若い世代の社会運動の存在を認めることは彼らのアイデンティティを否定することなのでしょう。
規模は小さいかもしれないですが若い世代の環境運動は(主として毎日・東京・共同で)報じられていますし、表現規制反対派ムラを批判しているなら商品のジェンダー表現の見直しを求める動きに高校生も関わっていることはわかっているはずです。自分たちが見下してきた「若者」にリベラルな社会運動をされると自分たちのアイデンティティが崩れる、だけどうかつに若い世代を批判できない、というところで「過激な反若者論活動家」である私が批判されるのだと思います。反フェミニズム連中とどこが違うんだよ。
いまは近年の国政選挙の結果を見ても「若者=自民・維新支持」という図式は崩れつつあります(特に維新)。そんな中でリベラルな若い世代の社会運動を否定するサブカルチャー左派には「もしかして、ビビってるんじゃないですかぁ?」と言いたいです。
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sugurukumasaka · 2 years
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@see.see.sfc がとんでもなく売れたので全然書く暇なかったけど、 @ifniroastingandco 20thはやっぱり盟友 @yiiiy_tonal と祝わなきゃね!と思い。イトーちゃんがこの辺の皆さんを繋いでくれてるのは間違いないし、静岡において熊坂が楽しくやれるのもこの辺のみなさんのおかげです。札幌住んでなきゃ、スノボじゃなくてサーフィンだったら静岡だったろうな移住先。いやー今日はさっきストーリーにも上げたけど静岡祭りで笑った。銀行入金帰りのゲリラ豪雨、雨宿りの時にこんな俺に声かける若い美人は静岡出身。ナンパして店で働いてもらうことになりそうだし、店でめっちゃもりあがった同級生は、もう亡くなっちゃったちんまいボストンテリアのお母さん。覚えてるよ。写真も見せてくれてマジで嬉しかったなー。人は覚えれないけど犬は結構覚えてる。 脱線すげえな。。。で、 @phateeinsta は熊坂を語る上で外せない。腹の周りの大きな贅肉のような切っても切れない縁があり、気づけばブランド2年目?の時にビームスで採用してもらい、そこから桜新町軸で20年近く。なんなら桜新町にphateeの事務所がなければ @fridge.setagaya は生まれてないのよ。ベニトカゲ食いてえな坦々麺もだけどできればレモンの効いた海老蕎麦を。 コロナもあったり色々と乱立ブランドのはっきり言うなら格好悪い小煩い立ち回りを見て、安っぽい嘘ものヘンプと一緒にされちゃ困るわ。と、改めてリブランディングに取り掛かり2年。 @yuma_tony_namba に採用してもらったり、 @417.jp で別注のお取り組みを @taneichiakira に声かけしてもらったり、 @ryomiyoshi に採用してもらったり。自分的にはこう言ったら露骨だけど野外出店で安く売るようなものじゃなく、ヘンプとはなんぞや?吸ってよし、とか違法だから。とはっきり言いたいブランドがこのファッティ。別に吸いたいやつは吸えばいいけどよ。 このTシャツはさ、カルチャーなくとも純粋にすげえのよ重くないけど軽くもないし、洗濯しても風合いは増すし。なんかよくサブカルチャーありきでファッション語る、簡単に言えばニルバーナ効かない人はあのTシャツきちゃダメ?とか、昔うるせえ先輩に言われたなー。デッドのTシャツ着るならちゃんと他のロック勉強しろよって。うるせえよ、俺は音楽が好きじゃなくて服が好きなんだよね。って思ってて。話逸れたけど、だからヘンプ自体も、シルクやコットンなど。純然たる #素材 としてチョイスすりゃあいいのに色々うるさいものがついてきやすいものではあった。確かにそれが確実なるファッションとして輝いていた20年前、そんな時もあったけど今は違う。俺も47歳。気持ちのいい服を着たいよ。 んで、俺の好きなイフニコーヒーは申し訳ないんだが俺はコーヒーの味はよくわかんない。けど毎日飲んでるし、彼はそれで許してくれる。彼は間違いなくすごいコーヒーマンなんだけど、それを強要してこないし、同調も要求してこない。美味しいなら飲んで。ただそれだけ。そう言うことなんだよな、なんつーか。ま、眠いし疲れてるし、大好きやみんなやseeseeや、一番大切なブランドphateeの事を書くからアレなんだけど、とにかくそのスペシャルボディ���染めたかったのよ普通にコーヒーの色で。で、それを普通に売りたかったら20周年のタイミングってだけの話。ついでに在庫もりもりだったレイルロードも染めたったら、絞りのコストが靴下のコスト以上で死亡。なので二足セットでギリギリ赤字回避。そんな感じでやってるペースが洋服屋のムードなんじゃないかな。のんびり売れたらいい。 ヒロと作った @see.see.sfc の洋服はこの週末で完売目指すけどさ、ケメックスの挽物は本当に欲しい人が出てくるまで店においとけばいい。このコーヒー染のTシャツだって、店で畳んで置いといたっていい。いつも完売しちゃったら店が成り立たねえ。目的にならなくともうっかり欲しくなる、そう言うものを増やせないと俺たちセレクトショップは、ブランドのオンリーショップに負けちゃうのよ。俺たちがブランドの直販に勝てることは一つ。 人の作ったものを作ったやつより豊かに売る事。これがわかってもらいたいよねーな、イフニの取り組みです。めっちゃ可愛いよTシャツオススメ。ちょっと高いのは俺のせいじゃない。 #なげえ #愚痴っぽい #大麻吸う人嫌い #食ってよし吸ってよしとか言う人もっと嫌い #きて気持ちいいが一番いい #言わなくていい #吸わなくていい #phatee #ifni #ifnicoffee #tyedye #hemp #fashion #サブカルチャーなんてクソくらえ #俺に説教くれた中目黒の人 #めんどくせえ #phateeだけが本物 #あとはビジネス #いや俺よくやったみんな褒めて (Setagaya, Tokyo) https://www.instagram.com/p/ChvBbBtv8uT/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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mvage-blog · 7 years
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■憑依型ソロアーティスト「aoihr」、2度のバズを経て自身のリアルをさらけ出す初アルバム「僕と春」が明日発売
■aoihr/少女漫画
■mvageレビュー 「僕と春」「夏休みの終わりと、始まり」を弊サイトで取り上げた、アベシュンスケさんによるソロプロジェクト「aoihr」。
作詞、作曲、編曲、歌唱、演奏、撮影、映像製作まですべてお一人で担当するマルチな才能の彼が放つ渾身の1st音源「僕と春」が明日3/24(土)より関東その他のディスクユニオンにて店舗販売されます。
紹介した「少女漫画」は現状の最新MVで、件のアルバムにも収録されている楽曲。青臭く、エモーショナルな叫びをポップなメロディに載せるキャッチーさは変わらず満ちているのですが、「夏休みの終わりと、始まり」で見せたモダンなシューゲイザーへの接近すらも自身を構成する一部分に落とし込み、aoihrの最新サウンドへと変貌させる手腕はお見事のひと言。これが前身バンドの既存曲のリアレンジというから底が知れません。
また、彼を構成する一部として、カバーの名手であるということに触れないわけにはいきません。先ず世にインパクトを与えた「もしもナンバーガールが再結成して「PPAP」を演奏したら」で我々の度肝を抜き、
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チャットモンチーのトリビュート・アルバムへの楽曲応募を、楽曲の瑞々しさを損なわずに自らの色を打ち出す離れ業で実行。個人的には、世間一般での代表曲「飛び魚のバタフライ」で応募してる部分にもプロデューサーの視点というか「どうせ誰がカバーしても叩かれるんだから、無名アーティストがいちばん有名な曲を演るトピックを提供しますよ」という賢いプレゼン能力を感じてゾクゾクします。
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そして極めつけに、すでに30万回再生を超えるバズりっぷりを見せた、「もしもMy Hair is Badが「マックのポテトが揚がる音」を演奏したら」の公開。
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声質が似ている、とかチャチなものではなく冷静な視点で当代随一の人気バンドの構成・クセを把握し、これまた馴染み深いメロディとのマッシュアップを図っていて、もう七色いんこか北島マヤかよと言いたくなる憑依っぷり。恐ろしい子。
「僕と春」公開時も同様のコメントをしましたが、これだけ冷静に俯瞰的な視点を持てるクソ賢いミュージシャンが選択した音楽性が、この力強くエモーショナルな、人間を感じられるものという事実が何よりグッと来ます。「マイヘアポテトの人」でも良い、「ナンバガPPAPの人」でも良い。人間・アベシュンスケの青い咆哮を、どんなきっかけでもいいから聴いてください。
■バンドデータ 21歳のシンガーソングライター·アベシュンスケによる音楽プロジェクトaoihr(アオイハル)初の音源作品集。 Music Videoを発表済みである「僕と春」「夏休みの、おわりと、はじまり」の再録版、前身バンド時代からのリメイク作品となる「少女漫画」、書き下ろしの「メリーランド」を含む全6曲を収録。近年のサブカルチャーにおけるデフォルメされた青春観に疑義を唱えるかのような圧倒的リアル。
■直近ライブ 3月25日 青山スパイラルホール 15:45~ 弾き語りライブ
※同時に紹介したMV「少女漫画」を解体する展示がされています。入場無料。
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53ng-blog · 4 years
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もう少し可読性に優れたブログサービスにでも移転してみるかとしばし眺めていたが、ブログとして書くようなことなど何もないことに気付く。そもそも誰のためにも書いていないものをブログとして発信することは矛盾している。やはり辺鄙なTumblrが性に合っているのだった。
インテリの書く文章には概ね愛想がないものだが、愛想とインテリは反比例するのだろうか、みたいなバカげたことを考えていた。分かりきったこと、備忘録に愛想もクソもない。しかし先日某ブログを見つけた際にその常識(偏見)は覆されるに至った。親しみやすさを感じる文章は、普段文字を読まない人が文字を読むに当たって重要な要素のように思われる。それが行き過ぎると所謂オタク、ネット、twitter構文の様相になるのだが。この無愛想な文と親しみやすい文のあいだ(冷静と情熱のあいだ)を絶妙に泳ぐ文章に出会ったという話。現代的トレンドやサブカルチャーを積極的に取り入れ、喩えに使うことでより理解しやすく、笑えるテイストに仕上がっている。さらに独特のインテリ臭を見事に消している。頭がいいってこういうことだなと思いながら、全部きっちり読んだ。おしまい……え?誰にも教えないですよ。獅子座の女は本当に好きなものを洞穴に隠す習性があるんです。知らんけど。笑いの学識はプラタナスの根よりも深いのです。理あるものは笑いの生える幹には無関心のまま、根の中に生きるもののみ、です。
ds.(蛇足) 最近までヤンヤンつけぼーのヤンヤンはパンダの楊楊だと思っていた。yum yumが由来と知り、一体なんなんだ、あのパンダは、途方に暮れた。
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tvod · 7 years
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#011  Mo Pleasure Mo Problems.
快楽と倫理の間
パンス 前回で話が出た「ソフトウェアに内在する想像力やその暴走の面白さ」についてだけど、昨今は、ソフトウェアについて批評するハードルが高くなっているような。ちょっと触れただけでTwitterで炎上、みたいな。だからこそみんな大枠のマーケティングっぽい話に向かっていく部分もあるのかな~、とも考えてる。
コメカ ソフトウェアの質を問うことに誰もが及び腰になってるってのはあると思う。リスクしか無いからさ。でも、ハードウェアや環境についての言及でも、イデオロギーは抜きにしたビジネス的・マーケティング的な話ばかりが目につくのは気持ち悪い。
パンス みんなお金の話、「稼ぎ方の話」が好きだよね。読んだって一銭も懐には入んないのに。むしろ支払ってるよ! まあそういうのもあっていいんだけど、もうちょっと一見無駄っぽいものを重要視しないと、どんどん民営化されちゃうよ~。ペラペラの観光立国になってしまうよー。とは言いたい。 まあ余裕がないという言い方もできる。社会を忌避して自分だけはサバイヴしてこうと決めてる人も、社会悪に憤りを感じてる人も、共通するのはそこなのではないか。
コメカ なんつーか、マーケティング的な語りの場とかサブカルチャーの現場では、イデオロギーの問題が視界から外されがちでしょ。で、逆にイデオロギーが語られるときには、マーケティング的な構造分析やサブカルチャー的な快楽は「ふしだらなもの」とされるというか。あんま良くないと思うんだよねそういう感じ。
パンス あー、そうだね! それぞれにお互いをノイズとして捉えているように見える。
コメカ 生活することと、イデオロギーについて考えたり行動したりすることがフラットに繋がる状況を作りたいって思う。ただ、日本社会はもうある一線を踏み越えてしまってるし、もしかしたらそれは日本だけじゃなくて世界全体がそうなのかもしれないけど。 ただ少なくとも、例えばサブカルチャーに内在する快楽みたいなものが、「存在しない」かの様に語るのは危険だと思うんだよ。政治的には正しくない、でもそれを観る者に快楽を呼び起こす、っていうモノや表現はどうしても存在する。それにどう向かい合うかを試されてるというか。 むしろ、そういう快楽についてもきちんと捉えておかないと、リベラリズムは袋小路に辿り着くんじゃないかと思ってて。
パンス ここ数年はポリティカル・コレクトネスについても盛んに議論されてる。僕個人の話をすると、例えばダンスホール・レゲエは超好きなんだけど、それらの歌詞にあるミソジニーやらの問題についてはどう思ってるんだ!と責められちゃったら上手く答えられないな~と頭抱えちゃう。ラップも同じような問題を抱えている。で、この手の議論は80年代後半から行われているんだよね。(最近復刊した『ヒップホップ・ジェネレーション』に詳しいです!) 月並みな意見かもしれないけど、それらの議論をめんどくさがらずに、臆せず参加する、という姿勢が大切なんじゃないかな。「俺たちの好きな○○に持ち込むな」でも「原理主義的にそれは全部アウト」でもないところを探る。
コメカ 快楽には大概暴力的なものが付随する訳で、快楽を感じている自分に開き直ったら終わりというか。 でも、快楽を感じている自分を認めないのはもっとマズいと思うのよ。それは人間であることの責任から実は一番逃げてるというか。教条主義的な「正しい」語りだけを例えばネット上で書き続けるだけじゃ、「個人」として語ることにはならないなあって思う。生きて暴力的な快楽を感じ愉しんでいる自分がもし現実にいるのなら、そのことも織り込みながら言葉を使っていかなきゃいけない。たださっきも言ったけど、だからと言って快楽主義的な態度に開き直ることももちろんアウトなんだけど。 自分が感じている快楽について内省したり相対化する為に批評の言葉があると思うんだけど、自分の快楽について批判されるとみんな烈火のごとく怒るでしょ(笑)。批評が介在する余裕がもう無い。
それぞれの心情に批評的であるということ
パンス ポリティカル・コレクトネスを疎ましいな〜と思うレベルも、人によってレイヤーがあるね。最近はジャンプ編集部の女性用トイレにポルノグラフィックな? 表示がつけられたことが話題になっていたけど、それまで差別とかに反対してた人まで「これはいいんじゃない」って意見が出てるのが興味深かった。趣味嗜好の問題とごっちゃにしてると、勝手に自分基準で判断できちゃうんだけど、自分の好みを越える問題もあるんだよということをまずは認識しておかないと。一方で、自分の好みで、嫌いな表現を抑圧するような動きも見られる。アリ/ナシを判定して終了、じゃなくて、自分の快楽基準を顧みつつ、どう修正していくか、ということではないかと。
コメカ 快楽主義と倫理主義の、どちらか一方に片寄り過ぎた言葉が出回りがちだと思うのよね。特にネット上の言葉は、書き手の顔が見えにくい分、主体性を欠いた極端な快楽主義or極端な倫理主義的な言動になりがち。…言うだけなら何とでも言えるからね。言葉と語り手の内実が乖離していくのは、やっぱりあまり良いことじゃないと思う。 日本社会に倫理的な思考が根付かない理由の一つには、そういう語り手としての自分に対する内省が無いからってのもあるんじゃないかと。右だろうが左だろうが、重要なのは自分自身の語りを正直に地道にやって、それを互いに突き合わせていくことで。それができなきゃ結局全体主義にしかならない。
パンス 迷いがない言葉、というのが求められるようになってるね。Twitterもアジテーションにはちょうどいいフォーマットだから、ひとつの強い理念をキャッチーに展開するほうがやりやすいんだよね。それで大きな支持を得られたとしても、ミニ・トランプになっちゃうよ……。政治の世界だけじゃなくて、いるじゃない。「新社会人に指南してやる」みたいな人。ムハンマドが出てくる前のアラビア半島は、大きな宗教(物語?)がなく、「預言者」たちがそれぞれ人気を獲得してたというけど、そんな雰囲気に近いかもね。
コメカ 理念や倫理は絶対に必要なんだけど、それをちゃんと個々の身体や生活と重ね合わせたものにするにはどうしたらいいか、っていうね。SNSで理念だけを書きまくってると、書き手の内実と言葉がズレていってしまう。ただ何度も言うけど、だからと言ってだらし無く自分の快楽についてばかり書いて理念を置き去りにする態度も、もちろん良くない。だから政治とサブカルチャーは同時に語られるべきだと思ってる。
パンス とりあえず、みんなブログを始めたらいいんじゃないかな (笑)。クソな世界だけじゃなくて、好きなものとかについて適当に語りまくってほしいよ。
コメカ そこでまあ最初に話したマーケティング云々の話にも繋がるっていうかさ、無難な状況分析的語りじゃなくて、みんな自分が思ったことや自分の実感をもっと正直にアウトプットするべきなんじゃないかなあ。最適解に乗っからないと恥ずかしいみたいな空気があり過ぎでしょ。それぞれの人間の正直な心情に対して、互いに批評的であるべきで。そこから初めて議論が始まる訳だから。だからそういうプロセスをぶち壊す様な暴力を振るう人にはマジで抵抗したい。
パンス うんうん。身も蓋もない言い方をすると、みんな他人より精神的優位に立てればOKって雰囲気になってるね。幼稚な例だと「はい論破~」とか。「論破」とか、自分が気持ち良くなる以外に何の意味もないよ。 「批評」が「相手をやり込める」みたいな意味に転化している感もある。「マウンティング」なんて言い回しもすっかり流行ってますが。まあここでこう語ることもマウンティングだ!みたいに言われたらどうしようもないんだけど。とりあえずそういう不毛さからは逃走したいですね……。ネットのナルシスからの逃走論ですよ。スキゾ/パラノの問題系はいまだ死なずですよ…。
コメカ ぼくはこういう状況でパラノ的に自己言及し続けようとは思ってて、そこがぼくらのキャラクターの違いじゃないでしょーか、という感じやね(笑)。
パンス コメカ君は絶望が深いからな……大逆事件の頃の石川啄木のように(『時代閉塞の現状』)……。この対比を見守って頂ければ幸いです (笑)。
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chuyuyinget · 5 years
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それが何であるかが起こることができるビジネスにいます
毎週の製品低下のためのあなたのモデルは、完全にファッション世界をガタガタしました。それは実際に驚くべきことであり、時には陽気で、ファッションモデルを見て、このモデルを複製しようとする。このアプローチに関して最も失敗することは、人々が実際にあなたが作るものを望むならば、それが働くだけであるということです。ない場合は欲望を作成するための効果的な方法ではない。あなたはこの方法でコレクションを販売するためのあなたの意図にいくつかの洞察を与えることはできますか?コレクションは、具体的にこのモデルに収まるように設計されていますか? しかし、私たちのために、それはどんな種類の戦略計画でもありませんでした。それは私たちが物事を作ったときに、必要性から、確実性を持っていないし、シーズン全体のアイテムを注文することができることを意味していた。私たちはいくつかのティー、いくつかの汗を作るだろう。彼らが販売しない場合は、我々は彼らと立ち往生するつもりです。 シュプリーム キャップ通販それで、我々はより少ない量を作りました。そして、それが本当によかったならば、それは売れます。それから、我々は売られる何も持ちませんでした。私たちは人々を呼び出すことができず、それを再作成するように頼むことができなかった。もしそうなら、我々はそれを何かと置き換える必要がある。それは我々が2ヶ月のためのものを持っている基礎の完全な店ではなかった。私は、どちらの月も同じ製品月を得ることができました。私たちがしていたことは少し興奮しなければならなかった。我々は、「我々は、基本的なクソをしている会社です」と言いたくありませんでした。それで、あなたは潜在的に少しものを押し進めているものを作ろうとしています。明らかな部分は別として、我々は何がうまくいくかを知らなかった。当時、プレス、no instagram、それのどれもなかった。私たちはそれを注文します、そして、我々が人々が好きでないもののトンで残っているならば、我々は確実性または資金をそれを扱うために持たないことから、少量を注文します。決して意図的ではなかった。私たちは実際に夏のものがあるいくつかの季節を持っています、そして、我々は3月の終わりに製品から売られました。月5日(月)の販売はありません。「この店は糞だ」という人がいる。なぜ人々はこれについて話していますか?「何を言いたいのか。「もし2週間前に来たら、それは本当によく見えましたか?「そこには何もない。それで、それはそれについてより多くでした。 時間とともに、サブカルチャーは主流になります、そして、私の感覚はそれがものを売るために信頼性に頼るブランドのために壊滅的でありえます。しかし、この現象は否定的に最高に影響を与えたようではありません。あなたが人気と成功の浮き沈みから身を守るために作られたどんな種類の計算ですか? 我々は何もしないでください、そして、我々が考える最高のものであると思うものを出すことはできません。その後、彼らはそれが好きかどうかを決定する顧客です。私は、それが我々がしようとするものであると感じます。人々の好みとスタイルが根本的に変わるならば、私は本当に確信していません。それは我々が進化していないことを意味します。私たちのために、私たちはいつもやってきたことをすることができるように感じています。それは私たちがいつもしていることを行うことができます。我々がそれをすることができなかったならば、それは厳しいでしょう。そして、私はクリスタルボールを持っていません。シュプリーム スーパーコピーしかし、私たちは暑くない場合は、コースを維持する必要があると思います。我々は、まったく同じものをします。我々は、それが何であるかが起こることができるビジネスにいます。多くのブランドはそれを通していました;何人かはそれから出ます、いくつかはそうしません。 私は、我々がまだ行っていることを最も誇りに思います。私は長い間多くの人々と仕事をしてきたことを誇りに思っています。私は1日から働いている人々を持っている。それは、私を誇りに感じさせます。私は自分自身をサポートすることができました、そして、私と共に働く多くの人々。そして、私の子供。それはたくさん意味します。
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mandenakira · 6 years
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BREAKNOTEZ
ブレークノーツ、雑多な記し
ブレイクしようがしまいが
ブレークスルーな、 壊して再構築するような、
そんないきおいほしくて名付ける 雑な言葉の断片 ゴミクズ
捨てられたものを 磨いて宝に変える錬金術
それくらいのつもりの やつ。
スパイク・リーの新作のニュースが入ってきた。途中までジョンズの方かと思ったが、それは淡い期待か、リーとジョンズが手を組むぐらいがほんとはいいのにアメリカ。黒人のラッパーがドライブスルーで寝てたら起きぬけに警官に25発も弾丸喰らうのがアメリカ。
恐怖がまわりまわって 厄介なものになってるのさアメリカ
ボスを見てたらわかるさ 逐一怖がってる反応��飛ばすシリアへのミサイル 脅すさそりゃ北朝鮮 QのJFKつながり匂わせて庶民の救いをすくいとるのさトランプのKING。
いま世界に必要なのは 教えだ。自分の世界と向き合うがあまり甲状腺に異常をきたしたトップアスリート、鬱を公言してはばからないアーティスト、こころの機微を理知的にとらえなおすサイエンティスト、そういった世界の変化を音に変換するため人生を修行とするミュージシャン、それらの夢を絵として語り紡ぐ、画にして 映す。
あー、これはプロット
そういうのが今必要だ。
タンブラーみててわかったのは、おたくは善を信奉してる、その現象であり文化 サブカルチャー。
不良や 悪や 輩は その、すこし教養のなさと嗅覚の鋭さで その善をとっくに越えて ある意味スルーして 自我を通してる そうやって生きてる。
共通項は 少なからずある、けど そのまんまでは交わらない。
だからマジックが必要。
カオスにして 真っ裸にするくらいの けど神々しいまでのうつくしさ それをともなって。
有無を言わせないくらいの。
そういうプロットを 考えている。。
今日の作業だけでもいっぱいいっぱいで、アルコールで慰めたりしながらの たわ言。。
みんなが満足してたらいい。
逆にいうと、
みんなが満足してない世界は
ほんとクソみたいである 消滅すればいいのに。
noフォローでよろしく ブラザー
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kazugoto · 1 year
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前期総括②:サブカルチャー左派の「左のオタク主義」はなぜ生まれるのか
私が近年悩まされている「左のオタク主義」はなぜ生まれるのか、ということについてもう少し考えてみます。私が考えるのは、「年長者=権力者としての自覚の欠如」と「“内輪ノリの自由戦士”としての自覚の欠如」の2つがあると考えます。
まず「年長者=権力者としての自覚の欠如」。最近も「コミケとは戦場だ」というツイートが流行り、参加歴の薄い若い世代の熱中症などが続発している、という準備会のツイートに対して「それ見たことか」みたいなツイートまであったりしました。
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しかし元のツイートから考えると熱中症云々というのは周囲による後付けではないかと思います。
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準備会の公式見解では、むしろキャッチーな言葉による扇動の危険性を述べています。しかし《昨今のSNS》の問題とする見方には違和感があります。ここにあるものの一つこそまさしく「年長者=権力者としての自覚の欠如」だと思います。
ああいった言説が求められるのは、まさに右派左派問わず“オタク”は年長者として若年者に(本人の自覚無自覚問わず)高圧的に振る舞いたい、という欲望があるのだと思います。
ただ、弊TLではそういった振る舞いに反省を促す発言も見られたのですが、これに限らず、年長者としての自分の振る舞いを見直すよう働きかける呼びかけは、弊TLにおいてはどちらかと言えば保守的な層のほうが多いように感じます。
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むしろ左派“オタク”層のほうが、「若者の右傾化」論を背景に「若者を甘やかすな」という論調が強い。とりわけ政治分野においては少しでも「若者」を擁護していると見なされた言説に対して嘲笑が飛んできます。しかし、むしろ年長者としての自覚を促すためにこそ、若者論批判が必要です。
左派“オタク”層は、「若者の右傾化」論を背景に、(本来であれば権力勾配の下のほうである)若い世代に対する被害者意識に溺れて、内輪での繋がりを強化しています。それは非常にみっともないことであると若者論批判の観点から改めて強調しておきたいです。次に「“内輪ノリの自由戦士”としての自覚の欠如」。
“オタク”には多かれ少なかれ“内輪ノリ”を何よりも重視する傾向があります。反フェミニズム、反LGBTQ+などでまとまる右派“オタク”も、彼らが「内輪ノリの自由」を侵害されていると主観的に思っているからでしょう。
私の若者論批判へのクソな批判が左派“オタク”層から浴びせかけられるのも、そもそも彼らにとって若い世代や〈普通の日本人〉に対する嘲笑が“内輪ノリ”であり、それらを批判する私が煙たがられているという、極めて“オタク”らしい振る舞いと言えます。
思えば、この手の批判が増えてきたのも、昨年半ば頃に、北守(藤崎剛人)の「日本アニメーター・演出家協会が自民党などの極右議員への支持を表明したから共産党はアニメーター支援の看板を下ろせ」と言ったことを差別的だと批判したら、その取り巻きに絡まれたこととか他にもLhasaなどのサブカルチャー左派層の若者論や〈普通の日本人〉バッシングを批判してきたことがきっかけなんですよね。前者に至ってはハンドルネームに「北守さん党」とかつけていた奴もいたし、他の奴もブロックされた恨みからか、私の批判以下の悪口を言っていたようです。
そこから私、ひいては若者論批判全体に対して嘲笑していいという雰囲気がツイッターのサブカルチャー左派コミュニティ内で醸成されたのでしょう。構造としては「呉座雄一事件」と極めて相似しています。
自民党政権や維新、そして表現規制反対派ムラを批判していたらその人が「まとも」だ、というのは大間違いです。
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例えば表現規制反対派ムラ批判でよく挙がってくるこのアカウントは、「アスペ」という精神障碍者差別的なネットスラングを使っています。他にも「こどおじ(家父長制)」を連呼する墨東公安委員会氏、「ウェイ」などの特定の〈若者文化〉差別的なスラングを使うYash氏のほか、それ以外にも「チー牛」のような男性差別(そして精神障碍者差別)用語を使うアカウントや、トランスジェンダー差別者も非常に多い。
サブカルチャー左派・左派“オタク”は、自民党政権や維新や表現規制反対派ムラを批判していることで自分は他の“オタク”(+政権を支持していると勝手に見なされている若年層)よりも「まとも」なのだ、という意識の元、他分野での差別的な内輪ノリが暴走してしまうのではないかと思います。そこに内輪ノリへの批判を攻撃と捉えるという昔から今まで“オタク”層に根強く残っている「おたく族」的な精神と相俟って、「左のオタク主義」が生まれ得るのではないか、というのが私の考えです。
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