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#ストーン博士
gaebage · 3 months
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『哀れなるものたち』
 第一に来た感想は『フランケンシュタイン』のアップデート版であるなあ、と。彼女を再生させたモンスターな解剖学のおっさんの名前がゴッドなのもフランケンシュタイン博士が実験に成功した際に発した自分は神だ、というセリフ(検閲でそのセリフに雷鳴の音を被せてかき消されたんじゃなかったっけ)から来ているのだろうと思った。
 正直、なんだか気色の悪い映画で麗しきエマ・ストーンが出ておらねば冒頭で観るのをやめたと思う。しかしまあ幾度も出てくるエマ・ストーンのおっぱいやハアハアハアハアな激しい描写なんかに惹かれているうちになるほど、これは人類の進歩その歴史を、脳移植から生まれたクリーチャー、キメラたる彼女の急速な成長に託しているのだなと思った。
 そうしてその主題が終わって映画の幕を引く為に用意された展開も大変に収まりが良いと感じた。
 斯くの如く映画自体も面白く観たのだが、なにより麗しきエマ・ストーンがとにかく出突っ張り、しかも幼児の状態から現代の、それも知的階級のレベルにまで急速に進歩するベラの様子を見事に演じ切るのを堪能できるのが素晴らしい。
 まあちょっとハアハアハアハアが多すぎじゃね、とは思ったがそこはほれ、エマ・ストーンだから。おほほ。
2024/06/28 ディズニープラス
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cine-cuisine · 8 months
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映画「ゼロ・グラビティ」をモチーフにした料理レシピ『オービタル・ディライト』|あらすじ・キャスト・原作の情報も
映画「ゼロ・グラビティ」のあらすじ 「ゼロ・グラビティ」は、アルフォンソ・キュアロン監督による宇宙を舞台にしたサバイバル映画です。 物語は、ハッブル宇宙望遠鏡の修理ミッション中の事故から始まります。 医師であるライアン・ストーン博士(サンドラ・ブロック)とベテラン宇宙飛行士のマット・コワルスキー(ジョージ・クルーニー)は、宇宙船の破壊というアクシデントに遭遇し、地球に唯一戻る方法として国際宇宙ステーションへの到達を目指します。 息をのむような絶望的な状況で、二人は絶えず新たな困難に直面します。 ストーン博士は孤独と対面し、不屈の生存意志を持って挑戦に立ち向かいます。 彼女の旅は自己発見と心理的変容の物語であり、無重力の壮大な宇宙空間の下で人間の強さと脆さが映し出されるのです。 今夜の映画レシピは「オービタル・ディライト」 レシピの詳細 「オービタル・ディライト」は、映画「ゼロ・グ…
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hangyodori · 11 years
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映画『ゼロ・グラビティ』予告1【HD】 2013年12月13日公開
年をまたいで2回見たけど、やっぱり2013年のベストに入れたい。��スト1はこちらにします。
映画館で見るということがどういうものであるかを久しぶりに体感できた。DVDで見れば全然印象が違っていただろう。映像・音響の全てで、宇宙での恐怖と孤独を体験できる。だから何度も劇場に足を運びたくなるのだ。
重力=繋ぎとめる力は、無重力に慣れた体には立ち上がるのもしんどい環境だが、同時にそれがあるために立って歩くことができる。劇中のコワルスキーはめちゃくちゃかっこいい。そして同時に彼のおしゃべりはとてもわずらわしい。幾度かストーン博士はイラっとしたはずだ。でも、その関わりが結果的に彼女を生へと向かわせる。
宇宙に流されないために何かを掴んだり、掴み損なったりしながら、彼女は自分を世界に繋ぎとめようと奮闘する。それは誰にとっても人生そのものだ。
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haxyuth-6 · 2 years
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アイと短歌10月
食・メニュー名詠み込み
だてこじ/ビタミントリオ/ジェシー/P.M.G.
🍳だてこじ
「ひと夏の〜」
ラヴィットで黒髪に戻してきた館様が衝撃的で、ほんとうに夏の間だけだったんだ……ってちょっと切なくて、脱出島のときは金髪だったけどあのときのこ〜じくんこだわりのバター味噌汁の中に、ほんとにバターみたいに溶けちゃったのかなと思って。
「凝りすぎた〜」
どこにいてもボケの手数が多いふたりが大好きで、特にふたりで話してるときのテンポのよさ、めくるめく展開にいつも圧倒されていて、館様が即興料理でこだわった結果よくわからなくなってくときみたいにこの集にある歌は山ほど意味を込めてる。
「一寸先は〜」
王と側近みたいなとこ好きすぎて、この航海って料理好きの王さまが自らスパイスを探しにいく旅なのかな?って。こ〜じくんが言ってた“一寸先は先”が忘れられなくて、館様と一緒なら先は暗くないってコト⁉️って超拡大解釈してた。
「この街に〜」
都心とかに出て用事とか行きたい場所とかこなしてると食事の優先度がどうしても下がる(15時に白いモスバーガー買ってそのまま帰ってから食べたことある。)いるだけでハイカロリーなふたりだから、今近くにいるんだなあと思うだけでおなかいっぱいになるかも。
「研究所前〜」
これがいちばんお題の“食”を拡大解釈していると思うんだけど、私は今回ツアー参戦できないのが悔しくて何もわからないよ……と言いながらレポ記事の写真を見てた、まさに外に積もってる雪を、ここ通ったんだなあと思いながら食べてる感じだった。
「塩だけ〜」
館様クッキングといえば〜宮舘を添えて〜だけど島ではシンプルに塩だけで出してきたんだよね、いろいろままならなかったけど島での夜はすごく絆を感じて、いちばん大好きなふたりがそれを見せてくれるのが嬉しすぎてテンションおかしくなってた。
「チョコチップ〜」
自分でチャームポイントにあげるほどたくさん並んだほくろがチョコチップクッキーみたいでキュートなこ〜じくんだが、今のところ館様と一緒のときがいちばん楽しそうなんだよなぁ、推しコンビバイアスかなあとか。たったひとつの冴えたやり方、書名としても下の句としても強すぎる。だから銀河です。
「幸せに〜」
少し前のそれスノNo. 1グルメの回で隣席のだてこじがちょこちょこじゃれてたのを楽しく見てたんですけど『食だけにショック』がハイライトすぎてそれこそめちゃくちゃなショックを受けたという話。
🥕ビタミントリオ
「怜悧なる〜」
この前の素のまんまだてこじ担当回であべちゃん登場、しかもふたりして引き止めてたのが面白すぎたよね。しかもアルバムの話をして、やっぱこの曲っしょ!って流したのがこ〜じくんの担当曲『BOOM BOOM LIGHT』だったのが嬉しすぎて、3人の曲名に関わるワードを詠み込んでみた(toxic→かぐわ“しく”、juicy→ジュース、boom→マイブーム)
そうしてジュースが出てきたのでこの集にねじこみました……
「小憩す〜」
いちばん凝りに凝ってるのはこれ。YouTubeの不二家さん案件でビタミントリオがやってた天使と悪魔と受験生のコント(⁉️)大好きで、それをイメージしたやつ。「真夜中のショートケーキ」「ショーケースに腰掛ける悪魔」からスタートして
『小憩す』=『ショーケース』
『こしかけた』→(時計のてっぺん)越しかけた、(ショーケース)腰掛けた
とか引っかけまくって、最終的にコントと概ね同じストーリーラインになるという……
「つま先で〜」
これはTic Tac Toeから。食ってつまり食べることだし人肌を齧ってもいいのでは!?と思い当たるとするする出てきた歌。生野菜みたいに齧られるのも案外いいかもしれない。
「くちさびしく〜」
再三言ってることなんだけどオレンジkissのPR期間、7人で音楽番組に出続けていたのを見てて、サビの一列に並ぶところ私が画面越しに見てても少ないなぁ寂しいなぁって感じるのに、こ〜じくん列のいちばん後ろから見てたらもっと寂しく見えるんだろうなぁと思ってて。
「完璧に〜」
やっぱラボだからね、博士がいるんですよね、絶対に……デザイン的にはメンバーは被験体の方だけど、担当曲があってみんなで作り上げたアルバムだからいいかな、だてあべこじ博士の指示によりビタミンをぜひ添えていきたいなぁ。
😵‍💫ジェシー
ほんとうにこんなはずじゃなかったんですよ。絶対ジェシーには行かないと思ってたの。なのに……🤦という意味での誤嚥。
「舌に乗せた〜」
これはコンセプト誤嚥のもと。私はジェシーの顔も声も繊細だからこそやかましく振る舞うところも本当に大好きで(どこかで聞いたような話)、でもハマりかけたときってなんか抗っちゃうんだよね、飲みこまないように……って言ってるけど飲みこんじゃったのが今の私です。チェリーストーンってさくらんぼの種のことらしくて、実はイギリス英語の言い回しでアメリカだとチェリーピットって言うらしいんだけど、折角ストーンなので使ってしまった。おれは弱い。
「黙らない〜」
これはETから引いてて、留守の母親との電話で都合が悪くなって受話器にコーラかけて吐いたふりするってとこが記憶に残ってたから。ジェシーってファミリー映画っぽいよなぁってのと、Telephoneに「はぐらかさないで」って歌詞あったなあってので、いつの間にかTelephone 🆚Dance All Night みたいになってた。概念にバトルをさせるな。
「チルどころじゃ〜」
ジェシーの顔が好きすぎて、しかもずっと横で見てたい、恋人にしたい顔だから(急にどうした?)いいよ……一緒にめちゃくちゃになろう……(だから急にどうした?)と思っています
「無垢は〜」
これお友達が杏仁豆腐かわいい!って気に入ってくれてたんだけど、実はソクオチの白いスポンジに埋もれる無邪気なジェシーほんとかわいい……という感情100%でできてる。あとなんか緑の服ばっか着てるなって。種明かししたらお友達爆笑
「誰もいない〜」
最近Curtain Call聴いて泣きながら寝るのがマイブームなんだけど(不健康)、寄り添って歩いた誰もいない砂浜、恋人が去って仕舞えばひとりであるくのだな……って泣きながらチーズケーキ食べてたおれ。寝るときだけでなく何しててもだいたいCurtain Call聴いてる(不健康)
「ひと振りで〜」
何してても周りより先に、またはひとりだけで勝手に体揺らしてたり踊ってたりするのがほんとに好きで、私もわりと日常的に小踊りする方なので、楽しそうやん混ぜてや〜って思って。肉桂は薄荷との対比(勝手な印象)でもあるし、PARTY PEOPLE のとき茶色かったのもある。
「世界中で〜」
夜中に身内と一緒にStrawberry Breakfast 見てたときの冗談から。イチゴスペシャルってステージみたいな半月型をしてるから主演女優賞掴んで泣くとこまで食べながらイメトレしてる(!?)
🪅P.M.G.
それぞれに入ってるキャラメルラテ、ハニージンジャー、シナモンシュガーはそれぞれの声のイメージ。
館様は甘くて甘くて、少し焦げたみたいなかすれとコーヒーみたいなほろ苦さがある声だなあと思っているので。
ドリップを待つのはmaniaの映像で異様な溜めを見せたことに由来しています。
こ〜じくんは清涼でほんのり甘くて、何よりいちど聴くと忘れられない特別な声で、いつも効果てきめんに元気をくれる
最近本当に大好きだなあ、救われてるなあって実感することが多かった。
ふっかさんは甘くて濃くて蠱惑的な香りなのにいざ口にするとすっと溶けて味がわからなくなっちゃう、それこそ物足りなさでもっと欲しくなる声、リアコ担当大臣なのも頷ける。ひんやり溶けて消えるお砂糖みたいな声って言ってる深澤担の方を見かけたことあるんだよなあ。わかる。
完全余談だけど身内の間でツッコミできない認定を受けてて、それが自担が何やっててもかわいいねえ😌で終わっちゃうとこに如実に出てると思う。一時期こ〜じくんとジェシーが好きって言ってたらハーフの顔が好きなんだろ!?って怒られたんだけど、それ以前にもっと大事な共通点があって、事あるごとにボケ倒すところが好きなんだろうという……でも、ジェシーについては上で書いたけど、ふたりとも誰よりも優しくて繊細だからこそああやって明るくよく喋って盛り上げるんだろうなと思うと本当に愛おしい。
まあこの前「こじけんにハマりたくない😣」とか言ってた(そしてやっぱ彫りが深いのが好きなんじゃんって怒られた)から顔もやかましさも全部含めて業なんだと思います。小島健さんも好きですよ。だてこじ丈長びばちぇ担をやっていくよ。最近ほくジェが熱いよ。(余談の余談)
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gotojobin · 5 years
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#ストーンワールド #DrSTONE #DrSTONEKDJ #DokutāSutōn #StoneWorld #ストーン博士 #DrSTONEStoneWorld #KingDevinJoseph #Weaboo #WéäBóo #キングデビンジョセフ #おたく #Otaku #オタク #GotoJobin #後藤Jobin #デヴィンジョセフ王 #Weeb #WeebDar #王デヴィンジョセフ 1. The Age of 20Th Episode Power "Making the strongest weapon, mobile phone for 2 million years of humanity!" With the declaration of Senku, the mobile phone making in the village started. In order to launch a preemptive strike on the commander, I want to get the strongest weapon to control the information war, a mobile phone. However, it is an unknown territory for the villagers of the stone world (Stone World). Meanwhile, Senku created the first step of the mobile phone making roadmap, for some reason, that sweets. 2. Episode 20 ��Make the mobile phone that is the strongest weapon of mankind 2 million years!” With the declaration of Senzora, mobile phone creation in the village started. Senzora wants to get the strongest weapon to control information warfare, the mobile phone, in order to make a pre-emptive attack on the army. However, it is an unknown area for the villagers in the stone world. Meanwhile, it was that sweet that Chisora ​​created as the first step in the mobile phone roadmap ...! https://www.instagram.com/p/B6E9JCkn9lE/?igshid=qk90dy7h16xw
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alaephoenicis · 2 years
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クラウス・シュワブ博士、または「外交問題評議会(CFR)は如何にして、心配せずに核爆弾を愛することを私に教えたのか」 Dr. Klaus Schwab or: How the CFR Taught Me to Stop Worrying and Love the Bomb
ALAE PHOENICISのTelegramチャンネルはこちらから
注:このタイトルは、「ストレンジラヴ博士」が登場するスタンリー・キューブリックの映画 『博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか (原題:Dr. Strangelove or: How I Learned to Stop Worrying and Love the Bomb)』 のパロディになっている。
Johnny Vedmore著
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世界経済フォーラムは、単にクラウス・シュワブの発案によるものではなく、実はCIAが資金を提供したハーバード大学のプログラムから生まれたもので、ヘンリー・キッシンジャーが率い、ジョン・ケネス・ガルブレイスと「本物の」ストレンジラヴ博士であるヘルマン・カーンによって実現に向け推し進められたものだった。これは、クラウス・シュワブを採用し、世界経済フォーラムの設立を手助けし、「心配せずに核爆弾を愛することを教えた」、実在の人物にまつわる驚くべき物語である。
記録にある「世界経済フォーラムの歴史」は、あたかもヨーロッパで作ら���た組織のように創作されているが、そうではない。実は、クラウス・シュワブは、ヨーロッパを拠点とするグローバリストの組織を作るために、アメリカのエリート政治家チームを影で操っていたのである。クラウス・シュワブの歴史に詳しい人なら、彼が1960年代にハーバード大学に入学し、ヘンリー・A・キッシンジャー教授(当時)と出会い、生涯の友となることをご存じだろう。しかし、世界経済フォーラムの歴史書に書かれているほとんどの情報がそうであるように、あなたには全容が語られてはいないのだ。実は、キッシンジャーはハーバード大学の国際セミナーでシュワブを勧誘するのだが、このセミナーはアメリカの中央情報局(CIA)の資金援助を受けていた。この資金提供は、クラウス・シュワブがハーバードを去った年に発覚したが、その関連性はほとんど知られていなかったー今迄は。
私の調査では、世界経済フォーラムはヨーロッパが作ったものではない痕跡が見つかった。実際には、ケネディ、ジョンソン、ニクソンといったアメリカ政治の時代における公共政策の大立者たちから発せられた活動である。この3人は全員、外交問題評議会とそれに関連する「円卓」運動、および中央情報局(CIA)のサポート役と繋がりがある。
キッシンジャーを含む3人の極めて強力で影響力のある人物が、クラウス・シュワブを社会・経済政策の構築を通じて、アメリカ帝国と連携した完全な世界支配という最終目標に向けて導いていたのである。
さらに、そのうちの二人は、世界的な熱核戦争(Thermonuclear War)の脅威を常に作り出す中核を担っていた。私は、この二人をこの時代の地政学という広い文脈で考察することによって、1960年代にどのように彼らの道が交差し合流したのか、CIAが資金提供したプログラムを通じてどのようにクラウス・シュワブを勧誘したのか、そして彼らがいかに世界経済フォーラム創設の真の原動力となったのかを明らかにする。
ヘンリー・A・キッシンジャーについて
ハインツ・アルフレッド・キッシンジャーは、1923年5月27日、ドイツのバイエルン州で、ポーラ・キッシンジャーとルイス・キッシンジャーの間に生まれた。一家は、ドイツの迫害を逃れて1938年にアメリカに渡った多くのユダヤ人家族の一人であった。キッシンジャーは15歳の時、ロンドンへの短期移民を経てアメリカに到着し、ファーストネームをヘンリーに変えることになる。一家は当初アッパーマンハッタンに定住し、幼いヘンリー・キッシンジャーはジョージ・ワシントン高校に通うことになる。1942年、キッシンジャーはニューヨーク市立大学に入学するが、1943年初頭、アメリカ陸軍に徴兵される。1943年6月19日、キッシンジャーは米国に帰化。彼はすぐに第84歩兵師団に配属され、伝説のフリッツ・クレーマーによって、師団の軍事情報部門で採用され、働くようになる。クレーマーは、バルジの戦いでキッシンジャーとともに戦い、その後、戦後のアメリカ政治に大きな影響を与え、ドナルド・ラムズフェルドなどの未来の政治家に影響を与えることになる。ヘンリー・キッシンジャーは、2020年に書かれた『ニューヨーカー』の記事「The Myth of Henry Kissinger(ヘンリー・キッシンジャーの神話)」で、クレーマーを「私の形成期に影響を与えた最大で唯一の人物」と表現している。
その記事を書いたトーマス・ミーニーは、クレーマーを次のように評している:
「ニーチェの火付け役で、自己パロディーの域に達しているクレーマーは( 弱った目を酷使するために、良い方の目には片眼鏡をつけていた )、ワイマール時代末期、共産主義者や茶シャツのナチスと街頭で戦ってきたという。政治学と国際法の博士号を持ち、国際連盟でキャリアを積んだ後、1939年にアメリカに亡命した。彼は、キッシンジャーに「利口な知識人とその無血の費用対効果分析を真似しないように」と警告した。キッシンジャーが「歴史に音楽的に同調している」と信じていた彼は、「『計算』しない場合にのみ、あなたは小市民と区別される自由を本当に手に入れることができる」と彼に言ったのだ」
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ヘンリー・キッシンジャー、クラウス・シュワブ、テッド・ヒース(1980年世界経済フォーラム年次総会にて)
第二次世界大戦中、キッシンジャーはアメリカの防諜部隊に所属していたが、軍曹に昇進し、平和宣言後も長年にわたって軍の情報部予備軍に所属することになる。この間、キッシンジャーは、ゲシュタポやナチスの幹部など「妨害行為者」のレッテルを貼られた者を追い詰めるチームの指揮を執っていた。戦後、1946年、キッシンジャーは欧州司令部情報学校の教師に任命され、正式に軍を去った後も民間人として働き続けることになる。
1950年、キッシンジャーはハーバード大学で政治学の学位を取得。ウィリアム・ヤンデル・エリオットに師事する。彼は、後に6人のアメリカ大統領の政治顧問となり、ズビグニュー・ブレジンスキーやピエール・トルドーなどの指導者にもなった。ヤンデル・エリオットは、多くの弟子たちとともに、アメリカの国家安全保障体制と、イギリスのチャタムハウスやアメリカの外交問題評議会に代表されるイギリスの「円卓会議」運動とをつなぐ重要な役割を果たすことになる。また、大企業、政界のエリート、学界が共有するグローバルな権力構造を押し付けようとするものであった。キッシンジャーは、その後もハーバード大学で学び、修士号と博士号を取得するが、この時期すでに、FBIのスパイとして採用されることを希望していたとされ、諜報機関への道を歩んでいた。
1951年、キッシンジャーは陸軍作戦研究所のコンサルタントとして採用され、そこで様々な心理戦の訓練を受けることになる。このような心理戦への意識は、この時期の彼の博士課程での研究にも反映されている。ウィーン会議とその帰結に関する彼の研究は、熱核兵器をその手始めとして登場させ、退屈な仕事を少し面白くすることにもなった。1954年、キッシンジャーはハーバード大学の短大教授になることを希望していたが、代わりに当時のハーバード大学の学長、マクジョージ・バンディ(ウィリアム・ヤンデル・エリオットのもう一人の弟子)がキッシンジャーを外交問題評議会(CFR)に推薦してきた。CFRでキッシンジャーは、核兵器に関する研究会の運営を始めることになる。1956年から1958年にかけて、キッシンジャーはロックフェラー兄弟基金(この時期、ロックフェラーはCFRの副会長)の特別研究部長にも就任し、国防に関する複数の委員会を指揮してレポートを作成し、国際的に注目されることになった。1957年、キッシンジャーは、CRFのためにハーパー&ブラザーズから出版された「核兵器と外交政策」を発表し、熱核戦争を制定させる主要人物としての地位を確立することになる。
1966年12月、ジョン・M・レディ国務次官補(欧州担当)は、「欧州政策の形成」のために22名からなる顧問団を結成することを発表。この諮問委員会の最も著名な役者は以下の5人であった。ハーバード大学代表ヘンリー・キッシンジャー、ワシントン外交政策研究センター(フォード、ロックフェラー、カーネギーの資金で運営)のロバート・オスグッド、ロックフェラーのスタンダードオイルのメルビン・コナン、コロンビア大学のワーナー・シリング、同じくハーバード大学のレイモンド・ヴァーノンである。このほか、外交問題評議会のメンバー4人、フォード財団のシェパード・ストーン、あとはアメリカの有力大学の代表者という顔ぶれ。
この委員会の結成は、英米の帝国主義者がヨーロッパの政策を自分たちの思うように決定できる世界経済フォーラムのような組織を制定させようという「円卓会議」のアメリカ支部の意図を示すことわざの礎石の敷設と考えることができるだろう。
戦後のヨーロッパは重要な発展途上にあり、強大なアメリカ帝国はヨーロッパの再生とその若い世代のアイデンティティの出現にチャンスを見いだしつつあった。1966年12月下旬、キッシンジャーは「西ドイツにおける最近の州選挙はナチズムの復活を示すものではない」と宣言する声明に署名した29人の「アメリカの対独権威」の一人となる。この文書には、ドワイト・アイゼンハワーなども署名しており、ヨーロッパが再出発することを示すもので、ヨーロッパの戦争の惨禍を過去のものにし始めるという意味が込められていた。この文書の作成に関わった人たちの中には、すでに海外からヨーロッパの政策に影響を及ぼしていた人たちがいた。特に、キッシンジャー、アイゼンハワーと並んで署名したのが、当時外交問題評議会の代表でもあったハンス・J・モーゲンソー教授である。モーゲンソーは、「科学者対権力政治」という論文を書き、「政治的、社会的問題の解決策としての科学技術への過度の依存」に反対したことで有名である。
1967年2月、ヘンリー・キッシンジャーは、ヨーロッパ大陸で100年に及ぶ戦争と政治的混乱の原因を作ったのは、ヨーロッパの政策決定であると指摘する。ニューヨーク・タイムズ紙に掲載された「フラー調査」と題する記事で、キッシンジャーは、レイモンド・アロンによる著作『平和と戦争:国際関係論』がこれらの問題のいくつかを解決していると述べている。
ヘンリー・A・キッシンジャー教授が、ヨーロッパの政策形成にアメリカが関与することは、将来の世界の平和と安定に不可欠であると認識していたことは明らかだった。この頃、キッシンジャーはマサチューセッツ州ケンブリッジにあるハーバード大学を拠点にしていた。ここで、後に世界経済フォーラムの創設者となる若き日のクラウス・シュワブ氏が、キッシンジャーの目にとまることになる。
キッシンジャーは、国際セミナーの事務局長であり、シュワブ��ハーバードでの生活を回想する際によく口にする人物であった。1967年4月16日、ハーバードのさまざまなプログラムが、中央情報局(CIA)から資金提供を受けていることが報じられることになる。その中には、ヘンリー・キッシンジャーの国際セミナーへの13万5千ドルの資金提供も含まれていた。キッシンジャーは、この資金提供がアメリカの情報機関からだとは知らなかったと主張している。キッシンジャーの国際セミナーへの資金提供に対するCIAの関与は、文理学部長だったフランクリン・L・フォードのアシスタント、ハンフリー・ドーアマンによる報告書で明らかになった。1967年に書かれたドーアマンの報告書は、1961年から1966年までのCIAの資金援助に焦点を当てたものだったが、キッシンジャーの国際セミナーは、CIAが資金援助したハーバードのプログラムの中で最も多くの資金援助を受けており、1967年まで継続されることになった。クラウス・シュワブは 1965年にハーバード大学に着任した。
1967年4月15日、ハーバード・クリムゾン紙は、CIA Financial Linksと題する記事でドーアマンの報告書について、「援助には何の制約もなかったので、政府が直接研究に影響を与えたり、その成果が発表されないようにすることはできなかった」とする著者不明の記事を発表。「いずれにせよ、もし大学がCIAの研究助成金の受け取りを拒否するなら、影の組織は別の協定を通じてその申し出をするのに問題はないだろう」と淡々と締めくくっている。
これは証拠としてクラウス・シュワブがキッシンジャーによって、ハーバード大学でCIAが資金提供したプログラムを通じて、彼の「円卓」帝国主義者の輪に引き入れられたことを示している。さらに、彼が卒業した年は、それがCIAが資金提供したプログラムであったことが明らかになった年でもある。
このCIAの資金提供によるセミナーで、シュワブは極めて人脈の広いアメリカの政策立案者と知り合い、後に最強のヨーロッパ公共政策機関となる「世界経済フォーラム」の創設に協力することになる。
ジョン・K・ガルブレイスについて
ジョン・ケネス・ガルブレイス(John Kenneth Galbraith、しばしばケン・ガルブレイスと呼ばれる)は、カナダ系アメリカ人の経済学者、外交官、公共政策立案者、ハーバードの知識人である。彼がアメリカの歴史に与えた影響は並大抵のものではなく、1960年代後半に彼が行った行動だけでも、その影響は今日でも世界中に及んでいる。1934年9月、ガルブレイスは、まずハーバード大学の講師として、年俸2,400ドルで教壇に立った。1935年には、ハーバード大学の12の寮の一つであるジョン・ウィンスロップ・ハウス(通称ウィンスロップ・ハウス)のチューターに任命される。この年、最初の教え子にジョセフ・P・ケネディJr.が加わり、2年後の1937年には弟のジョン・F・ケネディがやってくる。
カナダ人のガルブレイスは、1937年9月14日にアメリカに帰化。その3日後、彼はパートナーのキャサリン・メリアム・アトウォーター(Catherine Merriam Atwater)と結婚。その数年前、彼女はミュンヘン大学に留学していて、ミットフォードと同じ下宿に住んでいたが、その時のボーイフレンドがアドルフ・ヒトラーだった。結婚後、ガルブレイスは、東欧、北欧、イタリア、フランス、そしてドイツを広く旅行した。ケンブリッジ大学で、経済学者ジョン・メイナード・ケインズの下で1年間研究することになっていたが、ケインズが突然心臓発作を起こしたため、新妻の説得でドイツに留学。1938年の夏、ガルブレイスは、ヒトラー政権下のドイツの土地政策について研究することになる。
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ジョン・ケネス・ガルブレイス: チャーリー・ローズとのインタビュー映像
翌年、ガルブレイスは、当時「ウォルシュ・スウィージー事件」と呼ばれた、ハーバード大学を解雇された2人の過激派教官の米国内のスキャンダルに巻き込まれた。この事件で、ガルブレイスはハーバード大学から解雇された。
ガルブレイスは、降格してプリンストン大学で働くが、まもなく国家資源計画委員会から、ニューディール政策の支出や雇用プログラムに関する検討委員会の一員にならないかという誘いを受ける。このプロジェクトで、彼は初めてフランクリン・D・ルーズベルトに出会う。1940年、フランスがナチスの軍門に下ると、ガルブレイスは、FDRの経済顧問であったロークリン・カリーの要請で、国防諮問委員会のスタッフに加わった。しかし、この委員会はすぐに解散となり、ガルブレイスは価格管理局(Office of Price Administration, OPA)に任命され、価格統制を行う部門を指揮することになった。1943年5月31日、彼はOPAを解任される。フォーチュン』誌は、早くも1941年からガルブレイスのヘッドハントを試みており、すぐに彼をライターとして自社のスタッフに迎え入れた。
ガルブレイスにとって最大の転機は、1945年、ルーズベルトの死去の翌日だった。ガルブレイスは、ニューヨークからワシントンに向かい、ロンドンに派遣されて、戦時中の空爆による経済効果全般の評価を任務とする合衆国戦略爆撃調査局の部門長に就任。彼がフレンスブルグに到着した時には、すでにドイツは連合軍に正式に降伏しており、ガルブレイスの当初の任務は変更される。ジョージ・ボールに同行して、アルベルト・シュペーアの尋問に加わることになったのだ。この一手で、ガルブレイスは、価格設定に関する統計や予測を扱う政策顧問から、ナチスの高位戦犯の共同取調官になった。シュペーアは戦時中、ナチスドイツ国防軍の組織、整備、武装の中心人物である軍需・戦争生産大臣をはじめ、さまざまな要職に就いていた。
その後、ガルブレイスは、広島と長崎に派遣され、原爆の影響を評価することになる。1946年1月、ガルブレイスはアメリカ経済史の決定的な瞬間のひとつに関与。彼は、クリーブランドで開催されたアメリカ経済学会に参加し、ハーバード大学のエドワード・チェンバリン、テキサス大学のクラレンス・エアーズとともに、フランク・ナイトやその他の古典派経済学の主要な提唱者たちと討論することになった。この大会は、戦後のアメリカを支配することになるケインズ派経済学の登場を告げるものだった。
1946年2月、ガルブレイスはワシントンに戻り、経済安全保障政策局の局長に任命される。1946年9月、ガルブレイスはここで、ウィリアム・バーンズ国務長官のためにドイツの復興、民主化、そして最終的には国際連合への加盟に対するアメリカの政策を概説する演説を起草する仕事を任された。ガルブレイスは、当時「冷戦派」と呼ばれていた政治家たちに反対し、1946年10月に職を辞し、『フォーチュン』誌に復帰。同年、大統領自由勲章を受章している。1947年、ガルブレイスは、エレノア・ルーズベルト、アーサー・シュレジンジャーJr、ロナルド・レーガンらとともに、「アメリカン・フォー・デモクラティック・アクション」という組織を設立。1948年、ガルブレイスは、ハーバード大学に戻り、農業林業と土地利用政策の講師を務めることになる。その後、ハーバード大学の教授に就任。
1957年になると、ガルブレイスはかつての教え子で、当時マサチューセッツ州の下級上院議員だったジョン・F・ケネディと親密な関係を築き始めた。翌年、ガルブレイスの著書『ポーランドとユーゴスラビアへの旅』を手にしたJFKは、ガルブレイスを「学界のフィリアス・フォッグ」と公言し、社会主義計画を間近で検証した。ガルブレイスは1958年には『豊かな社会』を出版し、「常識」や「依存効果」といった言葉を生み出し、高い評価を得ている。ガルブレイスがハーバード大学のポール・M・ウォーバーグ経済学講座に就任したのもこの頃で、若き日のクラウス・シュワブに紹介されたのが、この講座だった。
1960年には、ガルブレイスはケネディ陣営の経済アドバイザーとなった。ケネディが大統領に当選すると、ガルブレイスは新政権のスタッフとして働き始め、ロバート・S・マクナマを国防長官に推薦した人物であることは有名な話。1961 年、ケネディはガルブレイスを駐インド大使に任命。同年末には大統領の要請でベトナムに赴き、テイラー・ロストウ報告書に対するセカンド・オピニオンを与えた。ケネディはガルブレイスの助言でベトナムから軍を撤退させ始めることになる。
1963年、ガルブレイスはケネディからのモスクワ大使就任の打診を断って帰国し、ハーバード大学に戻った。ケネディが暗殺された日、ガルブレイスはワシントン・ポスト紙の発行人キャサリン・グラハムと一緒にニューヨークにいた。ガルブレイスはそのままワシントンに向かい、新大統領の議会合同演説の原案作成を担当。JFK暗殺の翌年、ガルブレイスはハーバード大学に戻り、有名で非常に人気のある社会科学のコースを開設。そこで10年間教え続けた。その後、ジョンソン大統領の顧問という地位は維持されたが、残りの期間を経済学に特化した最後の学術雑誌の執筆に費やした。
1965年になると、ガルブレイスは大統領に演説や手紙を書き送り、ベトナム戦争反対をますます声高に主張。この亀裂はジョンソンとの間にも残り、ガルブレイスはついにAmerican for Democratic Actionの会長に就任し、"Negotiations Now!" というベトナム戦争反対の全国キャンペーンを展開。1967年、ユージン・マッカーシー上院議員がガルブレイスに説得され、来るべき予備選挙でジョンソンの対抗馬として出馬したことで、ガルブレイスとジョンソンの亀裂はさらに拡大。ロバート・F・ケネディもガルブレイスを自分の選挙運動に参加させようとしていたが、ガルブレイスは故JFKと親交があったものの、ロバート・F・ケネディの独特のスタイルにはあまり乗り気でなかったようだ。
1960年代後半になると、ガルブレイスとキッシンジャーは、ともにアメリカにおける一流の講演者、作家、教育者として知られるようになった。また、二人はハーバード大学のOBでもあり、ガルブレイスはポール・M・ウォーバーグの経済学教授、キッシンジャーは行政学の教授として、アメリカと新興の新欧州双方の外交政策づくりに力を注いだ。1968年3月20日、カリフォルニア大学サンディエゴ校で開催される「マンデヴィル講演シリーズ」と呼ばれる春のセッションの最初の講演者が、キッシンジャーとガルブレイスであると発表された。ガルブレイスは「外交政策:冷静な議論」、キッシンジャーは「アメリカとヨーロッパ:新しい関係」というタイトルで講演した。
キッシンジャーは、クラウス・シュワブをハーバード大学のJ.K.ガルブレイスに紹介し、1960年代も終わりに近づくと、ガルブレイスはシュワブの世界経済フォーラムの実現に協力することになる。ガルブレイスは、ハーマン・カーンとともにヨーロッパに飛び、シュワブがヨーロッパのエリートにこのプロジェクトを支持するよう説得するのを手伝った。第1回「ヨーロッパ経営者シンポジウム/フォーラム」(WEFの前身)では、ガルブレイスが基調講演者となった。
ハーマン・カーンについて
ハーマン・カーン(Herman Kahn)は1922年2月15日、ニュージャージー州バイヨンヌで、イェッタとアブラハム・カーンの間に生まれる。ブロンクスでユダヤ教の教育を受けて育つが、後に無神論的な信念を持つようになる。1950年代を通じて、ハドソン研究所で核抑止力の概念と実用性に関するさまざまな報告書を執筆し、それが後に軍の公式方針となる。また、放射線小委員会などの公聴会のための報告書も作成。冷戦初期のヒステリーの中���、カーンは知的、倫理的、道徳的に「考えられないことを考える」余地を与えられることになった。カーンはゲーム理論(合理的観念を持つ者同士の戦略的関わり合いにおける数学的モデルの研究)を応用し、熱核戦争に関する潜在的なシナリオと結果をウォーゲーム化した。
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ガルブレイスとキッシンジャー、そして広くアメリカの政治体制にとって、ヨーロッパは世界の安定だけでなく、一般的なアメリカの覇権に対する主要な脅威であった。戦後のヨーロッパの相対的な安定は、熱核の対立によるものと認識され、キッシンジャーは非常に早い時期からこの動きを認識し、アメリカの覇権のために状況を操り始めた。熱核抑止に関連する複雑な力学を理解しようとし、それが政策決定にどのような影響を与えたかは、ヘンリー・キッシンジャー一人の問題ではない。ハーマン・カーンは同時期の熱核戦略計画の第一人者であり、キッシンジャーは50年代半ば以降、同じ主題に関する仕事でカーンと何度も顔を合わせていたようだ。ハーマン・カーン(左)とジェラルド・フォード、ドナルド・ラムズフェルド
1960年、カーンは熱核戦争のリスクとその後の影響を研究して『戦争と抑止の性質と可能性』を出版。ランド社は、カーンの著作で議論された抑止力の種類を次のように要約している: 直接攻撃の抑止、敵が米国への直接攻撃以外の非常に挑発的な行為に関与することを抑止するための戦略的脅威の使用、そして、最終的には潜在的侵略者が、防衛者または他の者が軍事的または非軍事的な限定的行動によって侵略を不採算にすることを恐れるが故に抑止される行為。
翌年、プリンストン大学出版局からハーマン・カーンの代表作『熱核戦争について』が初出版される。この本は、近くて遠い将来の世界政治に大きな影響を与え、アメリカの制定派政治家たちを、最悪の事態を想定した熱核シナリオに対抗するための外交政策を具体的に打ち出すよう駆り立てることになった。イスラエルの社会学者で「コミュニタリアン」と呼ばれるアミタイ・エッツィオーニは、カーンが恐るべき著作を発表したとき、「カーンは、自由恋愛の提唱者がセックスに対して行ったことを核兵器に対して行った」とした。
カーンの複雑な理論は、しばしば誤った言い換えがなされ、そのほとんどが一文や二文で要約することは不可能であるが、それは熱核戦争に関する彼の考え方に象徴されている。カーン氏の研究チームは、さまざまなシナリオ、絶えず進化するダイナミックな多極化する世界、そして多くの未知なるものを研究していた。
熱核戦争については地政学だけでなく、文化にも即座に、そして永続的に影響を与え、数年のうちに非常に有名な映画によって表現される。1964年、スタンリー・キューブリック監督の名作『Dr.ストレンジラブ(奇妙な愛)』が公開され、その瞬間から、そしてそれ以来、カーンは「本物のストレンジラヴ博士」と呼ばれるようになった。この比較について質問されたカーンは、Newsweek誌に「キューブリックは私の友人です。彼は、ストレンジラヴ博士が私であってはならないと言ったんだよ」 と言っている。しかし、スタンリー・キューブリックの描く古典的キャラクターと実在の人物ハーマン・カーンの間に多くの親和性があることを指摘する人もいる。
1966年7月に外交問題評議会に寄稿した『ヨーロッパにおける我々の選択肢』というエッセイの中で、カーンはこう述べている。
既存の米国政策は、一般に、ヨーロッパの安全保障の手段として、西ヨーロッパの政治的、経済的、そして軍事的な統合または統一に向けられてきた。統一は西側諸国全体、あるいは世界の政治的統一に向けた一歩であると考える者もいる。ヨーロッパにおける国家間の対立は、近代史を根本的に破壊する力であり、その抑制や、より大きな政治的枠組みへの統合は、将来の世界の安定に不可欠であると考えられてきたからである。
この発言は、将来のヨーロッパとアメリカの関係において、ヨーロッパ連合を作ることが望ましい解決策であることを示唆している。さらにカーンにとって望ましいのは、米欧の統一超国家を作ることであった。
1967年、ハーマン・カーンは20世紀を代表する『紀元2000年 : 33年後の世界』という未来派作品のひとつを執筆。
アンソニー・J・ウィーナーとの共著であるこの本で、カーンとその仲間は、2000年の終わりに技術的に我々がどのような状態にあるかを予測した。しかし、カーンの『紀元2000年 』のすぐ後に、同時に発表されたもう一つの文書がある。それは、『教育政策研究プログラムのための補助的試験研究:最終報告書(Ancillary Pilot Study for the Educational Policy Research Program: Final Report)』と題された文書である。これは、カーンが『紀元2000年 』で描いた未来社会をどのように実現するかを描いたものである。
「意思決定者の特別な教育的ニーズ」という項目で、この論文は次のように述べている。意思決定者を明確に教育し、実質的に国家の運命を計画したり、より民主的なプロセスで策定された計画を実行することができるようにすることは、非常に真剣に検討されるべきである」。この手順の一面は、共有の概念、共有の言語、共有の類推、共有の参照...を作り出すことであろう。さらに同項で次のように述べている。「ヨーロッパの人文主義的伝統の精神に基づく普遍的な再教育は - 少なくともその包括的な指導者層にとっては - 多くの点で有用であろう。」
先に述べたレトリックを研究し、その意味を読み解くと、この文書の中でハーマン・カーンは、社会の中の特定のグループだけを潜在的リーダーとして養成し、権力のためにあらかじめ選ばれた少数の人々が、社会として共有すべき価値観を定義できるようにして、民主主義を破壊することを提案しているのである。ハーマン・カーンも、世界経済フォーラムの「ヤング・グローバル・リーダー」制度には賛成するだろう。
1968年、ハーマン・カーンは、ハドソン研究所では何をしているのかと記者に聞かれる。という記者の質問に、「私たちは神の視点を持っている」と答えている。大統領の見解だ。壮大。天空的。グローバル。銀河的。エーテル的。空間的。総体的。メガロマニア(誇大妄想)は職業病の定番だ」。この後、ハーマン・カーンは椅子から立ち上がり、空に向かって指を指し、突然「メガロマニア、ズーム!」と叫んだと言われている。
1970年、カーンはガルブレイスとともにヨーロッパを訪れ、クラウス・シュワブによる第1回ヨーロッパ経営シンポジウムの募集を支援。1971年には、後に世界経済フォーラムとなる政策立案組織の歴史的な第1回会合で、ジョン・ケネス・ガルブレイスの基調講演を中央舞台で見ることになる。
1972年、ローマクラブは「成長の限界」を発表し、2000年までに世界人口のニーズが利用可能な資源を上回るだろうと警告を発した。カーンは晩年の10年間をこの考えに反対することに費やした。1976年、カーンは、資本主義、科学、技術、人間の理性、自己鍛錬の可能性は無限であるとする、より楽観的な未来予想図『次の200年』を発表。また、『次の200年』では、地球の資源が経済成長に限界を与えることはなく、むしろ人類は「太陽系のあらゆる場所、おそらく星々にもそのような社会を作り出すだろう」と予測し、悪質なマルサス的イデオロギーを否定している。
(ALAE P.💬ここからが本題という感じ…)
シュワブの3人の恩師
カーン、キッシンジャー、ガルブレイスの3人は、それぞれ熱核抑止論、外交政策立案、公共政策決定に関して、アメリカで最も影響力のある人物となった。この3人のキャリアは、ヨーロッパと冷戦に焦点を当てたものだったが、この時代の他の重要な出来事における彼らのさまざまな役割は、いずれも他のもっと破壊的でよく隠された出来事から研究者の目を容易にそらす可能性を秘めていた。
この3人の強力なアメリカ人は、多様な形で互いに結びついていたが、特に、キッシンジャー率いる22人の顧問団が「ヨーロッパ政策の形成」のために設立された1966年から、世界経済フォーラムが設立された1971年までの間に、ある興味深い、注目すべき糸がこの人々を結びつけていた。3人とも英米帝国主義の「円卓」運動のアメリカ支部である外交問題評議会のメンバーだった。キッシンジャーは、卒業後すぐに米外交問題評議会(CFR)にリクルートされてすでに深く繋がっており、ガルブレイスは、1972年に「極めて公然と」CFRの会員を辞めたと言われている。CFRは退屈だとし、あるジャーナリストに対して、「ほとんどの議事は『このまま座っていていいのだろうか』と疑問に思うほど陳腐さのレベルは根深い」と語った。ガルブレイスがCFRのメンバーになった時期は明らかではないが、1958年7月には早くもCFRの機関誌『外交問題』に「インドのライバル経済理論」が掲載されるなど、CFRの出版物を執筆していた。また、カーンは、国務省の公式顧問として働きながら、1966年7月に「ヨーロッパにおける我々の選択肢」、1968年7月に「交渉が失敗した場合」という作品を書き、CFRを通じていくつかのエッセイを発表していることが確認できる。
1960年代以前、この格別に影響力のあるアメリカの3人の知識人は、それぞれ戦後のヨーロッパの問題を理解し、戦争で疲弊した大陸の将来を描くことに深く関わっていた。
ガルブレイスは、第三帝国時代のドイツの政策研究などヨーロッパを広く旅し、ヒトラーのドイツが崩壊した後は、同じようにソビエトのシステムを研究していた。ガルブレイスは、後に大統領となるジョン・F・ケネディに幼少の頃から影響を与えたことは言うまでもないが、彼の推薦でJFKがベトナムからの撤兵を開始するほどの力量を持っていた。ケネディがダラスで暗殺された時、ガルブレイスは次期大統領の最初の演説を起草することになるが、ガルブレイスはすぐに傍流へと追いやられた。1960 年代の混乱の中で、ガルブレイスはヘンリー・キッシンジャーと親しくなり、二人ともハーバード 大学教授で外交問題評議会(CFR) のメンバーであり、ヨーロッパを安定させ、ソ連の侵略からヨーロッパを守る、という同じ目標を持っていた。
ガルブレイスとキッシンジャー、そして広くアメリカの政治体制にとって、ヨーロッパ��世界の安定だけでなく、一般的なアメリカの覇権に対する主要な脅威であった。戦後のヨーロッパの相対的な安定は、熱核の対立によるものと認識され、キッシンジャーは非常に早い時期からこの動きを認識し、アメリカの覇権のために状況を操り始めた。熱核抑止に関連する複雑な力学を理解しようとし、それが政策決定にどのような影響を与えたかは、ヘンリー・キッシンジャー一人の問題ではない。ハーマン・カーンは同時期の熱核戦略計画の第一人者であり、キッシンジャーは50年代半ば以降、同じ主題に関する仕事でカーンと何度も顔を合わせていたようだ。
カーンはキッシンジャーに、政治家や政策立案者が渇望する将来の出来事を比較的正確に予測する能力を提供した。カーンは、そう遠くない将来の技術進歩に関する正真正銘の預言者であり、彼の仕事は、しばしばストイックで人間の感情を排除してはいたが、時の試練によく耐えてきた。カーンとキッシンジャーの目標は1960年代半ばから後半にかけて重なり、この時期にカーンが行った脅威の評価がより楽観的になると、キッシンジャーはカーンの仕事が世界の人々に新しい未来を提供するための基本的なものであると考えるようになる。
しかし、キッシンジャーの未来像は、自由で公正な社会が共に「勇敢な新世界」へと進むというものではなく、キッシンジャー自らの外交問題評議会CFR主導による制定派の視点によって歪められた世界イメージを作り出そうとするものであった。キッシンジャーは、真の政治家として自己を再ブランディングしようとしたが、外国の民主的プロセスを破壊するだけでなく、最終的にはグローバリスト・アジェンダの利益のためにアメリカのシステムを弱体化させ続けることになったのだろう。シュワブがキッシンジャーに将来のグローバリストの指導者になる可能性を見出されたとき、このまだ若かったドイツ人はすぐにガルブレイスとカーンに紹介されたようだ。これは、カーンが、一般的な教育モデルとは別に、リーダーシップの潜在能力を持つ個人を特別に訓練する必要性を指摘したのと同じことである。
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世界経済フォーラムの設立総会で講演するクラウス・シュワブ(1971年)
クラウス・シュワブは、ハーバード大学を卒業したその年に、エッシャーウイス社をスルザー社に売却したばかりのピーター・シュミットハイニーに声をかけられた。シュワブの父オイゲン・シュワブは、第二次世界大戦中、エッシャーウイスのラーヴェンスベルク工場を経営し、ナチスの原爆用重水タービンの製造に極秘に携わっていたのだ。シュワブは、あるインタビューの中で、シュミットハイニーに呼び出された時のことを語っている:「君は今ハーバードから来て、近代的な経営手法を知っているから、統合を成功させるために手伝ってくれ」。しかしクラウスはそのインタビューでは、スルザー社とエッシャーウイス社の合併に協力し、スルザーAGという新会社ができたことには言及しなかった。シュワブが取締役を務めるこの会社は、南アフリカのアパルトヘイト政権の違法な熱核兵器開発計画に協力し、国際法を破ることになる。
クラウス・シュワブは、熱核戦争の最も重要な専門家たちの影響圏を離れるてすぐ、ハーバード大学を出て同じ年のうちに、熱核爆弾技術を専制政権に伝播することを扱う会社の合併の責任者を務めることになったのだ。
多くの人は、恐ろしい絶滅のシナリオを描いたりしないし、アパルトヘイトの南アフリカが歴史のこの時点で核兵器を手に入れることが、起こりうる最悪の事態の1つであると信じているかもしれない。しかし、ハーマン・カーンの熱核災害シナリオは、「災害や妨害工作、事故がない限り、主要な核保有国が侵略行為として熱核兵器を発射する勇気は当面ない」と、全くの天才に信じさせてしまったのである。実際、制定派の考え方は大きく変わり、ハーマン・カーンなどは、あるシナリオでは、フランスのような国を核保有国にすることは、地域的にも世界的にも安全保障に大きな利益をもたらし、米国の防衛費削減にも役立つと助言するようになっていた。
熱核戦争はもはや戦略的防衛政策の全てでも終結でもなく、1960年代も終わりかけの時期に、熱核による終末の恐怖を引き起こしていた当人たちが、本当に心配するのをやめて、核爆弾を愛するようになったのです。
注意:堕落した先駆者
世界経済フォーラム設立の真のブレーンは、クラウス・シュワブなのか?
キッシンジャーがシュワブを勧誘するために利用したセミナーに、CIAが関与していたことをどう考えればいいのだろう?
外交問題評議会(CFR)のような組織の背後に潜む権力者が、グローバリストの政策立案組織の真の創設者だったのだろうか?
世界経済フォーラムは、単にヨーロッパを統合するためのものだったのか?
それとも、キッシンジャー、カーン、ガルブレイスといったCFRの大物たちが設計した新世界秩序が意味するところは、ヨーロッパとアメリカ、そして残りの超国家の統合なのだろうか?
この3人の権力者は、それぞれ自分の知的欲求の反映をシュワブの中に見出していた。クラウスは、テクノクラート運動が始まった10年代の後半に生まれ、戦後の世界で形成期を迎えた最初の世代の出身である。カーンの未来予測は、人間の驚異を表現するだけでなく、その予測をできるだけ早く、結果がどうであれ、現実のものとするためのプロジェクトでもあったのだ。
1964年、クラウス・シュワブは、自分のキャリアをどうするか決めかねていた。彼は26歳で、自分の進むべき道を探していたが、その方向性を家族から見出すことになる。彼の父、オイゲン・シュワブは、第二次世界大戦中、ナチスの原爆投下作戦に参加し、歴史の「間違った側」にいた。オイゲン・シュワブ氏は、息子に「ハーバードでこそ、本当の力を発揮できる」と語っていた。戦後の分裂したドイツでは、熱核戦争の脅威が日常的に叫ばれ、人々の心理に大きな恐怖を与えていた。当時、ハーバード大学は、冷戦時代の欧州政策において中心的な役割を担っていた。
ハーバード大学在学中、シュワブはキッシンジャーの「国際セミナー」に参加していた。このセミナーは、CIAが資金を提供し、そのパイプ役として知られていた。このセミナーで、クラウス・シュワブは、差し迫った核の恐怖を利用するなど、あらゆる方法でヨーロッパの公共政策に影響を与えようとする人物たちと知り合った。そして、カーン、キッシンジャー、ガルブレイスの3人は、このプロジェクトに信頼性を与え、世界経済フォーラム設立のためにシュワブを支援した。シュワブ一人ではヨーロッパのエリートに自分の意図するところを説明するのは容易でなかったので、彼はカーンとガルブレイスをヨーロッパに連れてきて、他の重要なプレーヤーにプロジェクトの一員になるように説得。ガルブレイスはフォーラムの最初の基調講演者となり、カーンの参加も大きな関心を集めたが、第2回世界経済フォーラムは大物の参加なしでは失速し、クラウス・シュワブはフォーラムの第3回年次総会に観衆を集める何かが必要であることを理解していた。
1972年、ローマクラブの創設者アウレリオ・ペッチェイは、ローマクラブの依頼で、過剰人口に対してマルサス主義的なアプローチをとった「成長の限界」という本を出版し、物議をかもしたことがあった。この本は、世界の経済成長の持続可能性に疑問を投げかけるもので、ペッチェイはシュワブから1973年の世界経済フォーラムの基調講演に招かれることになる。このきわどい広報戦略は、シュワブとその組織にとって大きな利益をもたらした。それ以来、このフォーラムは、規模、スケール、パワーともに大きくなっていった。しかし、すべての始まりは、CIAが資金を提供し、シュワブが運営する講座であった。
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アウレリオ・ペッチェイ(右端)、1975年ローマクラブ会議(パリ)にて
シュワブは単なるテクノクラートではなくなっている。彼は、自分の肉体的・生物的なアイデンティティーを未来のテクノロジーと融合させるという意思を強く打ち出している。スイスの山奥のシャレーでエリートたちと密談する、悪の絆のような生きた悪役の戯画となった。我々が持っているシュワブのイメージは決して偶然ではないと思う。戦後、西洋文化において非常にユニークなことが起こった。政府が主流メディアをツールとして使い始め、軍事級の心理作戦で大衆をターゲットにしたのである。支配的な制定派は、紛争シナリオのドラマを映画のようなメディアと併合させることは極めて有効で、場合によっては殆ど自己増殖的なプロパガンダを作り出することを発見した。スタンリー・キューブリックの『ストレンジラヴ博士』のような映画は、人々に熱核災害のシナリオ計画のばからしさを理解させるには素晴らしい手段であった。
しかし、権力や富を求める人々、つまりクラウス・シュワブの言うところの社会の「利害関係者(競合権利者・ステークホルダー)」からは注目されることになる。これは非常に重要なことで、極端な富と権力の投影は、社会の「ステークホルダー」を引きつけ、世界経済フォーラムのテーブルに呼び寄せることになるのです。クラウス・シュワ��氏の主要なイデオロギー商品である「ステークホルダー資本主義」は、こうした「ステークホルダー」を取り込むことで、真の民主的プロセスからあらかじめ選ばれた少数のリーダーグループによる統治システムへと権力を移行させるだろう。彼らは、ハーマン・カーンが予測したように、前世代によって定められたアジェンダを継続するよう訓練されている。彼らがすべてのカードを握る一方で、庶民には幻の疑似民主主義プロセス、貧困、そして常に不条理な心理作戦が残され、私たち全員の注意を常にそらすことになる。クラウス・シュワブはやがて、ハーマン・カーンが最も悲観的な予測の中で恐れてきた通りの人物になる。ローマクラブが「成長の限界」レポートを発表すると、ハーマン・カーンはその結果に反論し、その悲観論に反対する。同時に、クラウス・シュワブはそれを自分の計画の中心に据え、ダボスでの彼のフォーラムでその創設者を基調講演者として招いたのである。
現在の地政学的状況は、冷戦時代の東と西の構図に回帰しているように見える。最近のウクライナでも、主要メディアは60〜70年前と全く同じような核の話法をまたもや繰り返している。私が思うに、冷戦時代のレトリックに戻ったのには、非常に明白な理由があるのだろう。それは、クラウス・シュワブとその支持者たちがアイデア不足であることを示す、非常に明白なサインである。彼らが、自分たちが安全だと感じ、最も重要なこととして熱核戦争に対する大衆の恐怖を引き起こすような地政学的パラダイムに戻ろうとしているように見えるのだ。イデオロギー運動は独自のアイデアを使い果たすと、この繰り返しサイクルが常に起こる。1960年代後半から、クラウス・シュワブはハーマン・カーンが予言した世界を作ろうとしているが、カーンの未来像はかなり正確ではあっても、半世紀以上前のものである。シュワブのテクノクラート運動は、革新的なテクノロジーの開発に成功し、1967年に作られたビジョンに向かって私たちを前進させることにかかっているのだ。カーンの予測をもっと詳しく調べてみると、シュワブが推進するあらゆるアイデアは、ほとんどすべてカーンの『紀元2000年』、そして60年代後半にさかのぼる未来の姿の予測文書に基づいていることがわかる。しかし、シュワブが無視しているように見えるのは、カーンの予測の多くは、将来の技術的進歩から生じる危険への警告と結びついたものであるということである。
シュワブは人生の終盤にさしかかり、明らかに世界的な災厄をもたらす可能性のある急進的な未来派アジェンダを必死に推進しているようにみえる。私は、世界経済フォーラムが必然的なる崩壊を前に、その拡大が最大レベルに達しようとしている、と考えている。なぜなら、やがて自分たちの国のアイデンティティを愛する人々が、自分たちの特定の文化に対する直接的な脅威に立ち向かい、彼らはグローバリストの支配に反撃するであろうから。端的に言えば、いくら洗脳を施したとしても、すべての人をグローバリストにすることはできないのだ。国家の自由とグローバリズムの支配の間には自然な矛盾があり、両者は完全に相容れないものである。
最後に実にしっくり来る考察として、ハーマン・カーンはシュワブがハーバードを去るのと同じ年に、とても重要なことを書いている。前述のハドソン研究所の『教育政策研究プログラムのための補助的な試験的研究:最終報告書』と題する1967年の文書の中で、カーンはこう書いている。
「われわれの技術的達成、さらには経済的達成は、さまざまな恵みをもたらすものであることがますます明らかになってきている。進歩を通じて、大量破壊兵器の蓄積、増強、拡散、プライバシーと孤独の喪失、個人に対する政府や私的権力の増大、人間のスケールと視点の喪失、社会生活や心理生物学的自己の非人間化などの問題が生じている。危険で、脆弱で、欺瞞的で、あるいは劣化しやすい管理・技術システムの中央集権化の拡大、悲惨な乱用の危険性をはらんだ他の新しい能力の創造、そしてあまりにも急速あるいは激変しすぎてうまく適応できない変化の加速化。おそらく最も重要なことは、誤りを犯しやすい人間に安全を任せるには、あまりにも大きく、複雑で、重要で、不確実で、包括的な選択を迫られることであろう。」
著者:ジョニー・ヴェドモア
ジョニー・ヴェドモアは、ウェールズのカーディフ出身。完全に独立した調査ジャーナリストであり、ミュージシャンでもある。 彼は、他のジャーナリストが見落としている有力者を暴き、読者に新しい情報をもたらすことを目的に活動をしています。 ジョニーに協力したい方、または情報をお持ちの方は、johnnyvedmore.com、または [email protected] までご連絡ください。
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redsnerdden · 2 years
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🎶Senku Blinded me with Science! 🎶 Dr.STONE The Stage ~Science World~ unveils its Main Cast Visual
🎶Senku Blinded me with Science! 🎶 Dr.STONE The Stage ~Science World~ unveils its Main Cast Visual #DrSTONE #Manga #StagePlay #Anime #ストーン博士 #otaku
Sorry for mixing Anime with a Thomas Dolby song but I had to get your attention. The Official Website for the newest stage show Dr.STONE The Stage ~Science World~ unveiled a new key visual and a teaser PV introducing the main cast visuals. It is also confirmed that 24-year-old Tsubasa Kizu, best known as Takemichi Hanagaki in the Tokyo Revengers stage play series, is cast as the protagonist…
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○『ゼロ・グラビティ』(2013)(prime video/吹き替え版)視聴。とにかく、「リアルな無重力表現」が一番のモチーフの映画。生きている人間として顔を出すのは、サンドラ・ブロック(ライアン・ストーン役)とジョージ・クルーニー(マット・コワルスキー役)の二人だけ。しかもジョージ・クルーニーの方は、早々に宇宙の彼方に消えてしまう。スペースシャトルの乗組員の他の三人に至っては、声だけで、初めて顔が出た時はみんな死人。/この映画の中で描かれている、国際宇宙ステーションやソユーズの描写は、どこまで本物に忠実なのかが気になった(疑っているのではなく)。/主人公のストーンが燃料切れのソユーズの中で諦めて、わざと酸欠で死のうとしていたときに突然現れ生き残るヒントをくれる「コワルスキー」は、所謂「サードマン現象」。/地球に帰還後の、湖の中で、カエルと「すれ違う」場面が小さなお気に入り。/とはいえ、[次から次へと、危機的状況が出現して、それを主人公がギリギリの闘志で切り抜ける]というのはいかにも映画的で、ちょっと態とらしい気もした。ちなみに、原題は「ゼロ」なしの「gravity」。すなわち「重力」。最後の場面で、主人公が湖のほとりで久方ぶりの重力に耐えながらゆっくりと立ち上がる場面が、その原題を表す象徴的な場面なのだろう。/ところで、宇宙服を着て船外活動をするときは、ふつうは、オムツをしているのでは? サンドラ・ブロック(ライアン・ストーン博士)は、ただの黒いショーツだったけど。あれが、実は、オムツなのかな。
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azukick · 5 years
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父の書斎で、懐かしい本を見つけた。
現役時代、物理化学の畑一筋で生きてきた父。 暇さえあれば、算数嫌いな私に、教科書以外のものを使って数学の面白さを教えてくれていた。 この本もそのひとつ。 博士は語った。 「一般に数学はいやいや勉強するものと思われています。 しかし一方、数学が好きだという人びとも少なからずいます。 なぜでしょう。数学は、美しいものだからです。 そしてその美しさは、専門の数学者だけでなく、誰にでもわかるものだからです」 ページを捲ると、父と私の書き込みがあちこちにあって。 学校の授業ではなく、ふたりで数学の話をしているときは夢中になれたのになあ… 結局、理数系は苦手なまま大人になってしまった。
ところで、安野光雅氏を知ったのはこの本がきっかけで、 故に私はずーっと「安野さんの本業は数学者で、絵本作家は副業」と思い込んでいたのでした。
美しい数学 『集合』 野崎昭弘 監修 安野光雅の文章とイラストによる数学読本。 ストーン・ブレーン博士の著作を安野氏が翻訳…とありますが、 私はこっそり、Dr.Stone Brain(石頭博士)= 安野氏自身なのでは?と疑っています。
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team-ginga · 3 years
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映画『ハワーズ・エンド』
 Wowowオンデマンドでジェームズ・アイヴォリー監督の『ハワーズ・エンド』(1992)を見ました。
 ジェームズ・アイヴォリーはヘンリー・ジェームズだのカズオ・イシグロだのの文学作品を映画化することが多い監督ですが、『ハワーズ・エンド』の原作はE. M. フォスター。『眺めのいい部屋』(1986)、『モーリス』(1987)に続くE. M. フォスター三部作の3作目だそうです。
 出演はアンソニー・ホプキンスーー『羊たちの沈黙』のレクター博士で世界的に有名な役者になりましたが、こういう「文芸映画」にも数多く出演しています。まああそこまで「大物」になったら、何をしても許されるでしょう。
 ヴァネッサ・レッドグレイブーー渋いなあと思いますが、何を見たかと言われるとリリアン・ヘルマンの自伝的小説の映画化『ジュリア』(1977)くらいしか思いつきませんし、私はリリアン・ヘルマンをよく知らないので『ジュリア』もあまり印象にありません。
 エマ・トンプソンーー私はどうもエマ・ストーンとエマ・ワトソンとエマ・トンプソンの区別がつかない(!?)のですが、『ハワーズ・エンド』の翌年1993年にまたカズオ・イシグロ原作、ジェームズ・アイヴォリー監督の映画『日々の名残』でアンソニー・ホプキンスと共演している女優ですね。
 ヘレナ・ボナム・カーターーー考えてみるとヘレナ・ボナム・カーターはティム・バートンの映画の常連になる前はジェームズ・アイヴォリーの映画の常連だったのですね。『眺めのいい部屋』、『モーリス』に続いての出演です。
 物語はーーうーん、なんと言えばいいのかなーー20世紀初頭のイギリスのお金持ちの2家族ーーシュレーゲル家とウィルコックス家ーーを描いたものと言えばいいのでしょうか。
 シュレーゲル家の妹ヘレン(ヘレナ・ボナム・カーター)はウィルコックス家の別荘(なのか)ハワーズ・エンドに招かれひと夏を過ごします。そこでウィルコックス家の次男と恋に落ちたヘレンは姉のマーガレット(エマ・トンプソン)に婚約したと手紙を書きます。
 ところが男の方は自分はナイジェリアに行く、とても女性を連れて行けるようなところではないと言います。つまり結婚する気などなかったわけです。
 数ヶ月後、ロンドンのジュレーゲル家の向かいにウィルコックス家が引っ越してきます。顔を合わせると都合が悪いだろうとシュレーゲル家の姉マーガレットはヘレナをドイツにやります。
 マーガレットはウイルコックス家の奥方(ヴァネッサ・レッドグレイブ)と親しくなり、奥方は自分の生まれた家であるハワーズ・エンドをなんとしてもマーガレットに見せたいと言いますが、病気で死んでしまいます。
 死に際に奥方はなぜかはワーズ・エンドを赤の他人のマーガレットに遺贈するというメモを書き残します。しかし、ウィルコックス家の当主ヘンリー(アンソニー・ホプキンス)や息子、娘たちは署名も日付もない遺言は無効であるとして、破って暖炉にくべてしまいます。
 妻が死んだのちヘンリーはマーガレットに求婚(!?)し二人は結婚します。
 そういうストーリーと並行する形でレナード・バストという男の物語が描かれます。バストはあるコンサートでヘレンが傘を間違えて持って行ってしまったことが縁でシュレーゲル家と付き合うようになります。
 あるときウィルコックス家のヘンリーがレナードが勤めている保険会社が倒産��危機にあると言ったため、マーガレットとヘレナはレナードに転職を進めます。レナードは忠告に従い転職するのですが、ヘンリーの情報は間違いで、むしろレナードは再就職先でリストラに会い失業してしまいます。
 責任を感じたヘレンはレナードとその妻を連れてハワーズ・エンドに行きます。そこでレナードの妻はかつてヘンリーの愛人であったことが明らかになります。ヘンリーは動揺してマーガレットに婚約解消を申し出ますが、マーガレットは許すと言います。
 その後ヘレンは長い旅に出て、行く先々から絵葉書を送ってくるだけで、一切マーガレットと会おうとしません。マーガレットはヘレンをハワーズ・エンドに呼び出す形で無理やり会いますが、ヘレンは妊娠しています。どうやら父親はレナードのようです。
 ヘレンをハワーズ・エンドに泊める泊めないでヘンリーとマーガレットの間で言い争いが起きます。ヘンリーはヘレンと話をさせるため息子のチャールズをハワーズ・エンドに行かせます。
 ちょうどそこへレナードがやってきます。チャールズはレナードに責任を取らせようと激しく詰め寄り、壁にかけてあった剣でレナードを打擲します。するとその勢いで本棚が倒れ、下敷きになったレナードは死んでしまいます。
 警察が来て検視が行われ、チャールズは自分が殺したのではない、レナードは心臓病で死んだのだと主張しますが、結局逮捕され裁判にかけられます。
 ヘンリーは息子や娘をハワーズ・エンドに呼んで、ハワーズ・エンドは後妻のマーガレットの所有とする、それ以外の現金は子どもたちで等分に分けると言います。こうしてハワーズ・エンドは、当初の所有者ヘンリーの先妻が望んでいたようにマーガレットのものとなるーーというお話です。
 うーん、私は恥ずかしながらE. M. フォスターの原作を読んでいないのですが、焦点が定まらないというのかな、どこに注目すればいいのかよくわからない物語です。
 ウィルコックス家のヘンリーやその子どもたちがクズだというのはわかります。でも、だからと言ってシュレーゲル家の姉妹が素晴らしい人物かというとそうでもないような気がします。シングルマザーになるヘレンの生き方は20世紀初頭という時代を考えれば非常に勇気ある生き方なのなのかもしれませんが、ヘレンの内面がそれほど掘り下げられているわけではないので共感はできません。
 結局先妻の遺志が実現したと言われても、そもそも先妻がなぜそこまでマーガレットを気に入り、彼女にハワーズ・エンドを遺そうとしたのかがわからないので困ります。
 タイトルが示すように、物語の主人公は人ではなく、ハワーズ・エンドという家であり場所であるということなのでしょうか。
 個人的にはなんだかモヤモヤが残る映画でした。
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gotojobin · 5 years
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takahashicleaning · 5 years
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TEDにて
サキ・マフンディクワ:古代アフリカのアルファベットに宿る優美と洗練
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
単純なアルファベットから秘密結社の象徴的言語まで、グラフィック・デザイナーのサキ・マフンディクワは、アフリカ大陸における文字コミュニケーションの多様性を称賛します。
彼は、文字やシンボルが体現する歴史や過去からの遺産に光を当てる一方で、アフリカのデザイナーが新たなインスピレーションを得るため、そのような記号を使うことを強く勧めます。
彼の主張は、お気に入りのガーナの絵文字「サンコファ」に要約されます。
サンコファの意味は「さかのぼって手に入れよ」、つまり、過去から学べということです。
エチオピアには、非常に古くから文字の伝統があり、紀元4世紀には、エチオピア文字が発明され、2,400万人以上が話すアムハラ語を書くために使われています。カメルーンでは、バムン王国のイブラヒム・ンジョヤ王が25才の時にシュモンを作りました。
シュモンは音節文字なので正確に言えば、アルファベットとは異なります。ここにあるのは、30年に渡って シュモンが経た3つの発達段階です。
リベリアに住むヴァイ族には、1800年代に初めて欧州人と接触する以前から読み書きの伝統がありました。これは、音節文字で左から右に読みます。隣国シエラレオネでは、メンデ族も音節文字を発明しています。ただ、読む方向は右から左です。
アフリカのデザインの伝統は古くデザインへの感性がはっきり表れています。
一方、問題もあります。特に現在、デザイナー達は、デザインに苦戦しています。アイデアやインスピレーションを外に求めようとする傾向が 強いからです。
このエチオピア十字は、ロン・エグラッシュ博士の主張を裏付けています。すなわち、アフリカは、直感的にフラクタルを理解することでコンピューティングと数学に大きく貢献できるのです。
古代のアフリカ人は、文明を創造しました。今も残る建造物は彼らの偉大さの証です。アルファベットの発明も人類の偉大な業績の一つです。
その起源は、紀元前1600年のメソポタミアにおけるくさび形文字の発明でその後エジプトのヒエログリフが続くという説がこれまで史実として認められてきました。
ところが、1998年にイェール大学のジョン・ コールマン・ダーネル教��により、西エジプト、テーベ砂漠にある石灰岩の崖で岩に刻まれた文字が発見されました。しかも、その年代は、紀元前1800-1900年の間でメソポタミアより何世紀も前のものでした。
発見場所にちなんでワディ・エル・ホルと命名された。この文字の調査は、現在も続いています。文字がいくつか解読されただけですが、研究者の間では、人類最初のアルファベットとして意見が一致しています。
これは、現在までに解読された古代文字の一覧表です。一番上のA「アレップ」で始まって真ん中の「ベット」以降に続きます。
象形文字は、ヒエログリフとも言います。絵を基本とする文字体系。
hieroglyphとは「神の御言葉」という意味のエジプト語をギリシア語訳にしたもので、「神聖なる刻字」を意味します。
くさび形文字は、ヒエログリフに匹敵するくらい最も古い文字の一つ。
2018年現在では、サピエンスは20万年前からアフリカで進化し、紀元前3万年に集団が形成され、氷河のまだ残るヨーロッパへ進出。紀元前2万年くらいにネアンデルタール人との生存競争に勝ち残ります。
そして、約1万2千年前のギョベクリ・テペの神殿遺跡(トルコ)から古代シュメール人の可能性もあり得るかもしれないので、今後の発掘作業の進展具合で判明するかもしれません。
メソポタミアのシュメール文明よりも古いことは、年代測定で確認されています。古代エジプトは、約5千年前の紀元前3000年に人類最初の王朝が誕生しています。
<おすすめサイト>
メアリー・ルー・ジェプセン:未来のマシンで脳からイメージを読み出せるか?
ハワード ラインゴールド: 個々のイノベーションをコラボレーションさせる
ヘンリー・マークラム:スーパーコンピュータの中に脳を構築!
ロン・エグラッシュ: アフリカのデザインに潜むフラクタル
ブノワ・マンデルブロ:フラクタルと荒さの科学
サラ・パーカック:宇宙から見た考古学
ラジェッシュ・ラオ:インダス文字のためのロゼッタ・ストーン
ジュヌヴィエーヴ・フォン・ペツィンガー:ヨーロッパ中の洞穴に描かれた32個のシンボルの謎
<提供>
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afiri8backlog · 4 years
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NYで制定された5G反対条例を日本語訳して掲載。やはり世界の有識者たちは5Gを条件反射で反対と言っているのではなく、危険かどうか?危険なら見直して、安全な使い方ができるのか?それを検証できる方法と情報をシェアする要求をしている。まったく同じ意見なのでシェアしていこう
5Gの安全性や新型コロナとの関連性を調べる条例を作ったNY
ニューヨーク州上院議員が5Gテクノロジーの健康への影響を調査する法律を導入 https://t.co/Q0WsbWG9gB
— RAINBOWRAINBOW (@MAHALOHA13) April 18, 2020
ニューヨーク州上院議員が5Gテクノロジーの健康への影響を調査する法律を導入
※リンク先を翻訳して掲載
ニューヨーク州の上院議員が、5G技術の健康への影響を研究する法案を紹介している(+5Gタワーが妨害され始めている
2020年3月上旬、ニューヨークのアンナ・カプラン上院議員は、5G無線放射周波数への曝露が健康と環境に与える影響を調査する法案を提出した。この法案が注目されています。この法案は、保健省と環境保護局が技術サービス局と協力して、「…第5世代(5G)および将来世代の無線システム技術と小型セルラーアンテナ配布システムを州内で実施した場合の健康と環境への影響を共同で調査・評価する」ことを求めている。ここで法案を読んで、今日中に5Gの健康と環境への影響を調査するための委員会を設立するように州当局者に働きかけてください
現在、主流メディアの注目を浴びていないものの、多くの取り組みが行われています。例えば、ニューハンプシャー州では、5Gに関するHB522法案で、「なぜ連邦通信委員会(FCC)は、米国の毒物学プログラムが最近発表した3,000万ドルの16年間の研究を含む、何千もの専門家による研究を無視しているのか、統計的に有意なDNA損傷、脳や心臓の腫瘍、不妊症、その他多くの状態を示しているのか? “そして “なぜ世界を代表する220人以上の科学者がWHOと国連に無線放射線から公衆衛生を守るための訴えに署名したのに何もされなかったのか…
このような取り組みが軌道に乗ってきたことは素晴らしいことですが、どのような新しい技術でもそうですが、適切な安全性試験が実施された場合にのみ、誰もが恩恵を受けることができます。だから、この技術に抵抗があってはならない。例えばナイジェリアでは、健康への影響を懸念する声が高まっているため、政府は5Gネットワークの展開のためのライセンスを発行していません。通信・デジタル経済大臣のイザ・アリ・イブラヒム博士は、政府はあらゆる技術の導入を検討する際には、常に国民の福祉、健康、安全を考慮すると述べた。これはすべての政府の取り組みであるべきです。
同氏の声明によると、「ナイジェリアでの5G展開の健康と安全への影響を批判的に調査・研究するための3ヶ月間の試験が2019年11月25日に開始された」としている。裁判プロセスの一環として、私はナイジェリア通信委員会(NCC)に、専門家、治安機関、その他の利害関係者のチームが裁判プロセスに完全に参加するように依頼しており、私のオフィスはまた、これらの機関に裁判への参加を呼びかけている」と述べている。その後、テスト工程が終了し現在はレビューと報告の作業が行われています。政府は憶測だけに基づいて行動するのではなく、専門家や国民との十分な協議を経て、5Gに関する情報に基づいた決定を行う。また、NCCには、5Gに関する疑問や懸念があれば、市民を巻き込むようにお願いしている。- イブラヒム
何が出てくるか楽しみですね。
5Gはスロベニアでも減速している、ここでは彼らの政府からの公式声明です。ルディ・メドベド大臣によると
“世界レベルで決定的な答えが出ていないことは承知しています。5G技術は、5Gが完全に無害であると結論づけることができるような結果を出すための研究が実際には十分に確立されていません。その上で、5Gは間違いなく未来の技術であり、スロベニアがこの技術を持たない「孤島」のままでいることは容認できないと述べました。メドベド氏は、5Gが健康に与える潜在的な影響に十分な注意を払っていないとして、通信ネットワーク・サービス庁(AKOS)の経営陣を批判した。
フランスは2015年にすべての保育園でWiFiを禁止する法律を可決しました。また、法律では、すべての小学校でWi-Fiを使用していない場合は、Wi-Fiを使用できないようにしなければならないと規定されています。可能であれば有線接続が望ましい。
5G技術に関する「陰謀論」が増加している中で、事実、科学、そしてこの種の技術を展開する前に適切な安全性テストを行うよう連邦保健規制機関に促し、なぜそうすべきなのかの証拠を提供する医師や科学者に固執することが重要です。にもかかわらず、5G技術の展開はすでに始まっている。
5G技術がある種の健康上の脅威となりうるという考えが主流のメディアによって継続的に嘲笑されている中で、5G技術の導入に疑問を呈する出版物が多数あることは、非常に気がかりなことです。例えば、フォーブスの記事では、「幸いなことに、すでに科学は5Gが人間にとってほぼ確実に安全であることを伝えている。あなたが本当の科学よりも根拠のない陰謀を好まない限り」。
かなり紛らわしいんだけど、なんで?なぜなら、大量の「善意の科学」が懸念を招いているからです。例えば、2019年8月に「Frontiers of Public Health」に掲載された研究によると
“一部の国、特に米国では電磁波の潜在的な危険性についての科学的根拠が広く否定されています。発がん性、不稔性、細胞損傷に関する結果は、現在の限界内の毎日の曝露レベルで発生しており、既存の曝露基準では公衆の健康を十分に保護できていないことを示している。試験のような発がん性の証拠だけでは、現在の暴露限界値が不十分であることを認識するには十分であるべきである」としている。
“新しい5G技術は、潜在的な慢性的な健康や環境への影響は評価されておらず、追跡調査もされていないが、人口密度の高いいくつかの���市で展開されている。5Gに関連する高周波数(短波長)の放射線は、その影響が全身に及ぶ可能性はあるが、古い技術の周波数ほど体内に深く浸透することはない(73、74)。ミリ波長域での曝露による生物学的影響が報告されていますが、5G技術の潜在的な影響の範囲と大きさは十分に研究されていません。これらには、酸化ストレスや遺伝子発現の変化、皮膚への影響、免疫機能への影響などの全身的な影響が含まれる(74)。ヒトの汗管との共鳴(73)、細菌やウイルスの複製の加速、その他のパラメータを示すin vivo研究では、この周波数範囲からの新しいまたはより一般的に認識されている生物学的影響の可能性を示しており、継続的に集団全体を曝露する前に研究の必要性を強調しています。
欧州議会の反省会の背景資料「5G無線通信の人間の健康への影響」でさえ、次のように述べています。
“もう一つの検討事項は、医学と物理学や工学を中心とした異なる分野の研究者を集めて、5Gの効果についてさらに研究を進める必要があるということです。無線信号への曝露に関する現在のEUの規定、一般市民の電磁界(0 Hz~300 GHz)への曝露の制限に関する理事会勧告は、20年前のものであるため、5Gの特定の技術的特性を考慮に入れていない」としている。
生物学的効果があることはかなり明確ですが、結論を出すことができないと指摘する研究もあります。例えば、「International Journal of Environmental Health」に掲載された「5G Wireless Communication and Health Effects – A Pragmatic Review Based on Available Studies for Frequencies from 6 to 100 GHz」と題された研究では、この点が強調されています。
“暴露研究の大半は生物学的反応を示している。しかし、この観察では、6-100GHzの周波数範囲での生物学的および健康への影響についての詳細な結論を導き出すことはできない。勉強の内容は千差万別で、全体の勉強数は意外と少ない。この反応はin vivoとin vitroの両方で発生し、研究されたすべての生物学的パラメータに影響を与えます。
だから、結論が出せないのであれば、そこにたどり着くまで待つべきでは?ドナルド・トランプ大統領は、無線とブロードバンドネットワークを刺激するための2つの法案、「5G and Beyond Security Act」と「Broadband Deployment Accuracy and Technology Availability Act」をすでに成立させている。
サンタバーバラ市議会議員のクリステン・スネドン氏は、サンタバーバラでの5G技術に強く反対し、市議会は5G無線技術を導入しようとするベライゾンの取り組みを否決
評議会は、この技術の潜在的な健康への影響を調査するためにもっと時間をかけることを4-3で採決した。マイケル・ジョーダン、エリック・フリードマン、キャシー・ムリロの各議員は、今すぐ契約書に署名することに投票しました。
“可能な限り規制したい “とクリステン・スネドン参議院議員は語った。”5Gに反対しているので、上り坂の覚悟はできている”
火曜日、サンタバーバラ市庁舎には数十人の人々が5G技術に抗議するために集まった。市議会は、ベライゾン・ワイヤレス社との契約で、市内の街灯に小型セルを20年間設置することを承認する見通しとなった。連邦通信委員会はこの技術を認可しているが、都市はその位置や周波数を規制することが許されている。
市が契約を承認しない場合、ベライゾンは市内の新しいタワーの提案書を自由に提出することになる。市は新たなタワーを認めるのではなく、既存の市有設備にシールドアンテナを認めることを検討している。
“今、決断するのは気が引ける “とアレハンドラ・グティエレス参議院議員は語った。“悩みを集中させてくれる人と、もっと時間をかけて決定的な話をする必要があります。”
建築史家のアレクサンドラ・コール氏は、市内に5G技術を導入することは、住民や観光客にとって不利益になると述べた。
“5G技術の弊害はすでに知られている “とコール氏は言う。”このようなタワーが、例えばステートストリートの街灯柱に入ることを許した場合、観光客の健康にどのような影響があるのでしょうか?ステートストリートの街灯柱に有毒アンテナを設置した場合、地元の労働者の健康にどのような影響があるのでしょうか?有権者は私たちの健康を守るために議会としてあなたを頼りにしています」。
スイス、5G展開を遅らせる 5Gへの抵抗:ドミノ倒しが始まっている マイクロソフトカナダ元社長、5Gの放射線被曝を警告
5Gが人類の存亡に関わる脅威を浮き彫りにしたサシャ・ストーンの完全ドキュメンタリー番組では、兵器開発の専門家、生物学者、分子・細胞生物学者、血液学者、活動家、そして重要な現場のリーダーたちが登場します。私たちは、この技術が何であるかを知っています – それがどのように設計されたかを知っていますし、それが地球とその人々のコントロールを取ることをどれだけ求めているかを知っています。私たちが先頭に立って…良心の炎を燃やしながらやっています。目を覚ましましょう!
この内容はとても激熱です
ニューハンプシャーHB522(5G反対条例)
進化する5Gテクノロジーの環境と健康への影響を調査する委員会を設立する
条例※翻訳してる��で日本語が変な部分も
12-K:12委員会設置委員会が設置されました。第5世代(5G)技術は、携帯電話の通信能力と接続性を飛躍的に向上させることが期待されていますが、無線周波数の増加に伴い、人間、動物、環境に重大なリスクをもたらす可能性があります。 本研究の目的は、5G技術がもたらす環境への影響と潜在的な健康影響、特に子供、胎児、高齢者、既存の健康不安を抱える人々に焦点を当てて、5G技術に関連する頭脳のメリットとリスクを検討することである。
12-K:13会員資格 I.委員会の会員は、次のとおりとする。
(a)衆議院科学技術・エネルギー委員会の委員、および衆議院議長によって任命された保健・福祉・総務委員会の委員を含む衆議院の3人の委員。
(b)下院議長が任命する下院議員2名。
(c)知事が任命する一般市民議員。
(d)司法長官が任命する。
(e)ニューハンプシャーハイテクノロジー評議会の2名の委員で、評議会が任命する。
(f)ビジネスアンドインダストリー協会を代表する1名の委員で、協会が任命する。
(g)ニューハンプシャー医学協会の会員で、環境医学を専門とし、電磁放射線に精通している者。
(j) 健康・人間サービス部の委員会委員(指名された者)
(k) 放射線の生物学的影響の専門家で、衆議院議員の議長が指名した議員1名.。委員会の立法委員は、委員会の職務に出席する際には、議会でのマイレージを受け取るものとする。 第1回委員会の第1回会議は、最初に指名された者が招集し、第1回会議は、本項の効力発生後45日以内に開催しなければならない。
12-K:14義務と報告義務
(a)マイクロ波と赤外線の中間に位置し、5G技術の導入により必要とされる30~300ギガヘルツ(GHZ)の電波から放出される高周波(RF)放射による健康と環境への影響を検討すること。
(b)5G技術の健康・環境への影響を評価するためには、小型のタワーを地上から各電話機のポールの高さまで250メートルの距離に設置する必要があり、3G及び4G技術のインフラと連動して動作することが必要である。
(c)物理学者・電気工学者を含む科学界、細胞専門家・腫瘍学者を含む医学界、携帯電話事業者・自律走行車の開発に取り組む事業者を含む無線技術産業界、及び5G技術に関心のあるその他の団体・一般市民からの証言の提出を受けること。
(d)次の質問と、ニューハンプシャー州の市民、自治体、および政府への影響を検討すること。
(1)なぜ保険業界は無線照射をリスクと認識しているのか、また、電磁波が照射される病理学的性質に起因する損害を補償しない保険契約を設定しているのか
(2)携帯電話メーカーは、なぜ携帯電話を本体から5mm以上離しておくようにとの記載があるのか。
(3)最近発表された米国毒物学プログラム16年3,000万ドルの研究を含む1,000件以上の査読付きの研究が、なぜFederalCommunicationCommission(FCC)に無視されているのか?
(4)なぜFCC認定の公衆の無線放射線被ばくのガイドラインは、皮膚の温度の熱影響のみに基づいており、無線放射線の非熱的、非イオン化的、生物学的影響は考慮されていないのか。
(5)なぜFCCの高周波数制限値は、ロシア、中国、イタリア、スイス、東欧のほとんどの国よりも100倍も高く設定されているのか?
(6)世界保健機関(WHO)は、なぜワイヤレス放射線が鉛、サリドマイド等を含む「ヒトに発がん性がある可能性のあるグループ1」であることを示したのか、また、2011年のWHO委員会に参加していた専門家の中には、なぜ発がん性が分かっているグループ1に入ることを求めている人がいるのか、なぜFCCCはこの情報を無視しているのか、その理由は何か。
(7)世界をリードする220人以上の科学者が、WHOと国連に署名して、国民の健康をワイヤレス放射線から守ることを訴えたのに、何も解決しなかったのはなぜでしょうか。
(8)特に、世界がインターネット・オブ・シングス(Internet of Things)、つまり、あらゆる機器が電磁波によって接続されるようになり、5G技術が導入されることによって生じるであろうパルス信号の数が増え続けることによる累積的な生物学的ダメージの影響についてなぜ調査が行われてこなかったのか。II.委員会は、調査結果と提言を反映した中間最終報告書を作成し、公表するものとする。
(a)3G及び4G技術インフラと連携した5G技術のメリットとリスクについて概説する。
(b) 電磁波を利用した5G以下の技術からのRF照射を制限するための戦略を必要に応じて策定する。
(c)5Gワイヤレスシステムについて、技術的に安全であることを宣言したり、市民の健康や環境を保護するために必要な措置の概要を示すパブリック・ポリシー・ステートメントを含めること。
(d)5G技術の代替案として、電磁波の影響を受けずに情報の流れを高速化し大容量化する技術を検討する。
(e)委員会が作成した立法案についての勧告を提供すること。
III.委員会は、第2号に定める中間報告書を2019年11月1日までに下院議長、上院議長、下院事務官、上院事務官、知事及び図書館に提出し、2020年11月1日までに最終報告書を提出しなければならない。
260:2 繰り返す。RSA12-K:12-K:14およびRSA12-K:12の前の小見出しは、環境と進化する5G技術の影響を研究する委員会に関するものであるが、これを再掲する。
260:3発効日 I.本規定の第2節は2020年11月1日に発効する。
承認:2019年7月19日発効
まとめ:世界も気持ちは同じだった
便利なものなら受け入れたい!・・でも、安全性について専門家がこれだけ警告を出しているのだから、ちゃんと検証して、何がどう危険なのかを見つけて、対処する方法を探して、人類や地球上の生命への影響がない形のテクノロジーを模索しようと・・
私は冒頭の記事をまとめた記者やこの条例を作り戦っている人たちと気持ちがシンクロしてて・・涙がでてきました( ;∀;)同士よ
これが人類は集合的無意識で繋がっているって奴なんでしょうかね
正常な人類、洗脳が解けた目覚めた人たちは同じ方向を向き始め、人類にとって何が脅威かを理解して、それぞれが個々の気持ちから活動を起こし、自然に団結の方向へと向かい始めている中・・
日本はこんな事になってます
新型コロナの渦中に5Gというワードを一切国民に知らせる事なく5Gの法律を成立させる政府
[特定高度情報通信技術活用システムの開発供給及び導入の促進に関する法律案] 2月18日、5G 設備投資企業支援法案を閣議決定 国内企業の競争力強化へ https://t.co/9CsAKkEbO1 5Gの普及を後押しするため政府は関連の設備投資を行う企業を減税などで支援する法案を18日の閣議で決定した。 #5G pic.twitter.com/eQ86EyZpEb
— hazukinotaboo (@hazukinotaboo2) February 24, 2020
[電波法の一部を改正する法律案] 4月16日、参院総務委員会で電波法改正案が可決⇒4月17日、改正電波法が成立 空き電波を5Gに活用 https://t.co/384GlCcycP 参院本会議。電波法の一部を改正する法律案を議題とした。若松謙維(総務委員長)の報告は可決。採決を行ったところ賛成多数で可決した。 #5G pic.twitter.com/oWDh8yRKTh
— hazukinotaboo (@hazukinotaboo2) April 19, 2020
引用元はこちら [電波法の一部を改正する法律案] 4月16日、参院総務委員会で電波法改正案が可決⇒4月17日、改正電波法が成立 空き電波を5Gに活用
以下、抜粋
複数の事業者が同じ電波を共同で利用するための改正電波法が17日、参院本会議で可決 高速通信規格「5G」のデータ量が増えて通信が遅れるのを防ぐため、携帯電話事業者が時間帯によって空いている電波を使えるようになる 2021年4月1日に施行され、22年度から本格運用
4月16日、参院総務委員会。 電波法の一部を改正する法律案を議題とした。 質疑を行った。 質疑を終局して採決を行ったところ、全会一致で可決した。 森本真治氏(立憲・国民.新緑風会・社民)が附帯決議の趣旨説明を行った。 附帯決議について採決を行ったところ、全会一致で可決した。 法案には附帯決議が付された。
4月17日、参院本会議。 電波法の一部を改正する法律案を議題とした。 若松謙維(総務委員長)の報告は可決。 採決を行ったところ、賛成多数で可決した。 改正電波法が成立した。
これが日本だよ・・春節終わって感染者が出始めた2月中旬頃から平行して5G業者支援法を作って、緊急事態宣言を出して、さらに警戒都市を全国に広げて、メディアを使い、芸能人の感染や死亡を使って、国民にステイホームを要請する裏で5Gを推し進めている
政治が国民のために仕事してるように見えるだろう・・でも
政治は国民を見ていない 国民の声を遠ざけ 国民の声を隠蔽する
5Gが安全か危険かの議論をせず、陰謀論だ��レッテルを貼って遠ざけ、デマ対策予算で言論封鎖でYoutubeの動画削除、ネットの検索結果も5Gに関する反対意見は一切でてこない。
5Gへの懸念を陰謀論のデマとすり替えるメディアの狙い
3/25から5Gのスイッチをonした直後から、急激に感染者が増え始めたというのに、新型コロナとの因果関係も明確にしないまま、さらに空いてる通信帯域も活用して5Gスマホを介したAIの高速通信ができるようにする
普通に考えて頭がおかしいとしか思えない・・
でてきた本命5G JAPAN テレワークに実は5Gは向いてない理由
5Gの基地局設置してたという人が自責の念から内情を暴露したという動画が話題になっている
※扇動目的のクライシスアクターの可能性もあるので、そこはフラットに自分で判断して
ただひとつ、これは明確に言える事・・
今テレビに出てる元政治家や元知事や現役の政治家たち 議席をもつ飛ぶ鳥も落とす勢いのある若い政治家たち含め
5Gとの因果関係に気づいてない人は無能 5Gとの因果関係に気づいてて触れない人は保身
そこはタブーなんだよ・・(;´∀`) でなぁなぁにされる=国民は政治家にとってタブーという理由で、健康を破壊され望まない治療を受けなければいけないビジネスに巻き込まれろ と言われてるようなものだ
政治家は国民の代表で、国民の声を国政に反映させるべき存在なのだから、そのタブーに切り込むのが政治
正直、何人か期待してた若手政治家がだんまりなのでがっかりしている┐(´д`)┌ヤレヤレ
冒頭で翻訳掲載している記事でわかるとおり、各国は国や企業がどーこー言おうが、州や市議会レベルで条例を制定し、5Gを牽制している
日本の県議会や市議会でも条例を作る事はできる 現に変な日本人ヘイト法案はたくさんできてるしね・・
LGBとTQIの根本的な違い
国民の声や市民の声に耳を傾けてほしい 一切、CM以外で5Gについて語られない気持ち悪い日本
世界は #5G反対 の流れになっている(安全性の確認がキー) そんな中5Gをごり押しする日本は今後どういう扱いを受ける事になるか
もしも外国で一斉に5Gが危険認定されれば、日本は健康に悪影響を与える渡航注意国 となるかもしれない。5Gを肝入り政策として、これから最先端テクノロジーとして進めるなら、進める前にしっかりと安全性について専門家をたてて検証してほしい
お抱えのえせ専門家じゃなくね(゚∀゚) Σ(゚Д゚)イタナ
という感じで、日本ではお目にかかれない海外の記事を翻訳して、日本の政策と比べてみました
5Gの安全性に懸念を持っているのに日本では議論もされない・・と気落ちしないでください。日本人は新聞、テレビ、ニュースメディアの洗脳が強くかかってる人が多いですが
言葉は通じなくても集合的無意識で同じ意志を持った同士が世界で動いてます。イギリスやオランダのような過激な行動(あれはレッテルを貼るためのやらせ。壊されたのは5G設備ではない)は返って悪いイメージを作り利用されてしまうけど、着々と力を持つ人たちが法律やエビデンスの面から説得力と行動力を持って5G反対で戦ってくれてるので
気持ちは同じ!(。-人-。)
オリンピックが中止になった時と同じく、各国外堀から日本政府に5Gの圧力がかかる事を期待して応援しながら良き未来を祈ろう。というか日本の場合は、他の国の5G通信衛星とのリンクが切れれば解放されるからね
詳しくはこちらを
5G基地局の場所を調べるなら無線局を見よう
東京都の5G基地局が急激に減少した謎を追う
全国都道府県別5G基地局導入数備忘録【更新4/29】
社会問題・テクノロジー
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lyrics724 · 7 years
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イケてるハーツ - ロゼッタ・ストーン 歌詞
イケてるハーツ – ロゼッタ・ストーン 歌詞
ロゼッタ・ストーン 歌詞 by イケてるハーツ 作詞:志倉千代丸 作曲:志倉千代丸 シェキ!シェキ!ベイベー!生命科学の異変? シェキ!シェキ!ベイベー!人工知能の発展系? 魂の定義→論争→研究→面倒→蛇足────YES! 指先に触れる 初めての感覚 かまちょしたいけど なんだか恥ずかしいな パパとの約束忘れるほど 世界は奇々怪 とりまありなの?ありよりのなしなの?結局なんなの? キミとボクの出会いは Oh yeah! 博士もビックリ オリオンも知らない Secret! 宇宙神秘 紀元前からの贈りもの? はたまた神話を飛び出した!? 摩訶不思議すぎる出会いは 百年先でも 愛しく包むよ シェキ!シェキ!ベイベー!生命科学の異変? シェキ!シェキ!ベイベー!人工知能の発展系? 魂の定義→論争→研究→面倒→蛇足────YES! グルグルって回る 地球自転速度…
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kurano · 7 years
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これまで、「カーリングのストーンはなぜ曲がるのか?」問題は「氷とストーンの間の摩擦の問題」というシンプルな説明しか行われていませんでした。しかし、氷の摩擦ではストーンの軌道が変わる「カール」の大きさを説明できないとLozowski博士は気づきました。そこで、Lozowski博士はノーザン・ブリティッシュ・コロンビア大学の理論物理学者であるMark Shegelski博士と共に、「ストーンが小さな氷の『小石』にくっついた一瞬で回転軸が生じ、それがストーンが曲がるという現象を引き起こしている」ことについて研究を行いました。 カーリングのレーンは「完璧に平ら」にはなっていません。試合前にはアイス・メーカーと呼ばれる製氷技術者がレーンに水をまくため、氷の表面には「小石」のようなものができます。ストーンが放たれたときに音が響くのはこの小石が原因とのこと。 ストーンがこの小石と接触すると、ほんの一瞬だけストーンが小石にくっつき、わずかにストーンの方向が変わります。これは電気丸のこの刃の動きを無理やり止めたことを想像するとわかりやすいのですが、刃の動きを止められた電気丸のこは、今度は機械全体が回りだします。これと同じことがストーンにも起こり、ストーンがすべりながら何千回もこのような方向転換が繰り返されることで、大きなカールが生まれるわけです。
http://gigazine.net/news/20180219-curling-stone-science/
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