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#ナルシストって言ってくる人もいるけど
seasandandsorrow · 9 months
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中学生の頃から、追い求めている美というのが、とても抽象的なものだから。顔の構造というよりも、目線の鋭さや髪の馴染み方や思慮深さや指先の軽やかさ、要するに、神秘的でエロティックなものでありたいという願望があって、それは本能を計算するようなずるいものなんだけど。飛び抜けて美しいひとたちは、研究している。ナルシストたちは自分の理想の高さに負けて、毎日打ちひしがれてる。それを生まれた時から持ってる魅力みたいに纏うのが上手なだけ。人間の自然体な美って、やっぱりたかが知れている。人間というのは元の姿が醜いから、馬や蝶の美しさと初めから並ぶことはできなくて、そういう神秘的な存在の纏う空気を再現するには多大な努力が必要なんだ。
思い返せば、今の思想にたどり着くまでにいろいろな精神状態を経験してきた。若いときは美しくなりたい願望が強すぎて、自分が常に美しいかどうかを見張ることに疲れて、孤独だった。お風呂の鏡に映る自分の姿勢と腰の曲線と、水に濡れる髪の流れ方や分け目さえ全部確かめた。その結果本当に首が長く伸びた。いつのまにか肉体を改造していた。食べない方が美しい肉体を作れるか、もしくは自由に好きなものを食べる体験を持っている人格の方が美しいか、そういう概念で考えていて、単純な造形的な話ではないからこそ、本当にうんざりするほど自分の言動一つ一つを矯正しようとした。生活感のある自分が許せなくて、生きているクソ長い時間の一分一秒余さずすべて美しくあるべきで、生活感のある部分は全部脳内で早送り、今のなし、目を瞑って耐えてた。
その反動で、大学の途中から、今度は美しいものを見つめることを少しずつ辞めた。美しくなくてもいいという考えを受け入れることがこんなに楽だったんだって知って、ヒールの高い靴を履かなくなったし、俯く角度を考えなくなったし、座り方の曲線を意識しなくなった。それはそれで良い時間だった。生きていることの実感があって断然楽しかったし、いろんなものが明るくてきらきらして見えたし、たっぷりと自分を許せたけど。
でも今度はそれも飽きてきて、今はやっぱり美しいものに飢えている。美しくなりたい願望を意図的に忘れておこうとしてた間に、なんだか顔が老けたような気がした。美しいものでありたい。その厳しさと生活感とのバランスを、ずっと試しているし、きっとにいなにとってそれは死ぬまで残される課題なんだ。
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ari0921 · 3 months
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和六年(2024年)6月26日(水曜日)弐
   通巻第8306号
 現代版ゾルゲ(世紀のスパイ)が釈放された???
  米国の機密情報をばらしたジュリアン・アサンジが自由の身に
*************************
 ジュリアン・アサンジは突然釈放された。司法取引に応じて自由の身となり、英国のベルマーシュ刑務所から出所した。英米は国家安全保障の基本を忘れたようだ
すぐにサイパンへ向かう飛行機に搭乗し英国から去った。ロンドンのエクアドル大使館にたてこもった期間を含めると合計十四年を孤独に過ごした。
西側の左翼ジャーナリズムは勝ち誇ったように報道した。彼を支援してきたのは国家破壊を企む左翼団体と、それに同調するメディア、脳幹が汚染された自称「ジャーナリスト」たちである。
ジュリアン・アサンジは五年間拘留されていた英国の刑務所を6月24日の朝にでた。
米国司法省との長期にわたる交渉があった。27日に米国北マリアナ諸島にあるサイパン法廷に出廷し、すでに服役を終えた期間を米国は量刑として言い渡される。つまり米国の刑務所での刑期は免除される。
暴露サイト「ウィキリークス」の創始者であるアサンジは、政府の腐敗と人権侵害に関する機密ファイルを公開したと『仲間』から賞賛されているが、国家の機密を漏洩したことは重罪ではないのか。
今年初め、オーストラリアのアンソニー・アルバニージ首相は、「米国がアサンジ氏に対する訴��を終結させる方法を見つけられるよう希望する」と述べ、同国の議員らはアサンジの帰国を認めるよう求める動議を可決した。
ドイツのオラフ・ショルツ首相も、英国の裁判所はアサンジを米国に引き渡すべきではないと発言していた。
 アサンジの犯罪とは何か。
かれは国家安全保障の機密文書を不法に入手し、流布した、本来なら18の罪状で有罪となれば、禁錮175年の刑を受ける可能性があった。アサンジは「米国では公正な裁判を受けられない」と主張していた。
 何を漏らしたのか?
2009年に米陸軍の下級情報分析官チェルシー・マニングと共謀して国防総省の機密コンピューターシステムにハッキングし、盗みだした機密資料は膨大な量におよび、ウィキリークスによってオンラインに投稿され、西側諸国の安全保障に深刻な損害を与えた。漏洩した情報の中には、イラクとアフガニスタンで米国に情報を提供していた人物の名前も含まれていた。
 ウィキリークスは2010年から翌年にかけてイラクやアフガニスタンでの戦争に関する文書約50万点。国務省公電約25万点などをネットに漏洩した。そのなかには米軍ヘリがイラクで民間人を誤って射殺する映像も含まれていた。16年の米大統領選では、ロシアがサイバー攻撃で民主党やヒラリー・クリントン候補の陣営から入手した電子メールの内容をウィキリークスが暴露した。ロシアとの繋がりが露呈した。
 そうだ、かれは「現代版ゾルゲ」である。
 ▼アサンジはスノーデンを手下にしてロシアのエージェントだった
 当時、米司法省の国家安全保障担当トップのジョン・デマーズが述べた。
 「ウィキリークスの創設者は、伝統的な報道機関として活動したことは一度もなく、その代わりに、検討や文脈なしに機密文書のすべてを自身のウェブサイトに公開し、政府にはいかなる秘密も知る権利はないという自身の哲学を推し進めた。責任あるジャーナリストであろうとなかろうと、戦場にいる機密情報源だと知っている個人の名前を故意に公表し、彼らを最も重大な危険にさらすようなことはしないだろう」
ジョン・R・シンドラ(元国家安全保障局上級情報分析官)が書いた(『ワシントン・エギザミナー』、4月11日)
「アサンジは血に染まっている。彼は、2013年にエドワード・スノーデンがロシアに亡命する際に重要な役割を果たした。スノーデンは、100万件以上の米国国防機密文書を盗み出し、モスクワにたどり着いたCIAの契約職員だった。スノーデンは現在もモスクワに留まっている。スノーデンは10年以上にわたり、アサンジがロシアの言いなりになっているという現実を露呈した」
シンドラは続けた。
「アサンジはウラジミール・プーチンの部下であり、クレムリンのエージェントだ。米国の諜報機関は何年も前からこのことを知っていた。当時のCIA長官マイク・ポンペオは 2017年4月に率直にこう説明している。『今こそ、ウィキリークスの実態を明らかにする時だ。ウィキリークスとは、ロシアのような国家主体にしばしば支援される非国家の敵対的諜報機関である。我々の諜報機関は、ロシアの軍事情報機関であるGRUが、民主党全国委員会に対するサイバー作戦を通じて入手した米国の被害者のデータをウィキリークスで公開したと断定した。報告書は、
ロシアの主要プロパガンダ機関であるRTがウィキリークスと積極的に協力している』」。
 ▼バイデン派しょせん「口だけ���長」
 さらに続ける。「アサンジを釈放し、罪の裁きを逃れさせることは、世界中でプーチンが行った数々の攻撃的な行為に報いることになる。多くの欧米人がロシアや中国のような独裁政権の側に立つよう促すことにもなる。アサンジの奇妙な経歴は、世界的な有名人となった。欧米には、彼に倣いたいと思う不満を抱くナルシストな若者が大勢いる。複数の地域で緊張が高まり、第三次世界大戦の可能性が迫っている現況のもとにアサンジを釈放するタイミングは最悪だ」。
 アサンジを批判する西側のメディアが少ない。
 「機密情報を漏らすことで米国の安全保障を損ない、情報提供者(すでに相棒は37年の刑を受けている)を危険にさらした」とする囂々たる非難も、左翼ジャーナリズムは、「政府の不正を暴露した」と真逆の報道に興じた。
 アメリカでこの「寛大なる」司法取引に批判はあるが、激昂の声が聞かれない。
 ヒラリーは膨大な機密書類を自宅に持ち込み、自分のパソコンで捜査し、スマホにも収録していたが、バレると金槌で壊した。ところがヒラリーへの判決は「軽率な行為だが犯罪性はない」。それでいてフロリダ別邸に機密書類をもちこんだトランプだけを起訴し、おなじくガレージ一杯に機密書類を持ち込んでいたバイデンは「耄碌していた」とお咎めはなかった。FBIも司法省も腐っている。
バイデン政権は国家安全保障の基本を忘れたようだ。事件はオバマ政権時代だが、起訴したのはトランプ政権になってからだった。国家機密労演が軽犯罪並みとなれば、水面下の外交工作なども微妙に変化せざるを得なくなるのではないのか。
釈然としない結末である。
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m12gatsu · 1 year
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聞き上手になりたいんですが、会話した後に自分の言葉を振り返ると自分語りしかしていない気がします。話し上手なわけでもないので厄介です。ひとに興味をもつとこから心がけてはいます。けどなおりません。自分は救いようのないナルシストと思ってます。会話を楽しくするコツを教えてください。
やだよねー、何でもかんでも自分のことに置き換えるやつ。そこまで内省して述懐できるなら大丈夫っしょ、と思うけど、ただ、聞き上手であることと、会話を楽しくすることは必ずしも一緒じゃないんじゃない、と思います。
いま『ボウリング・フォー・コロンバイン』を観てたんですけど、「銃乱射事件のあった高校の生徒や街の人々と話すとしたら何と言う?」とマイケル・ムーアに質問されたマリリン・マンソンが、良いことをいっていました。
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もうこれに尽きます。
聞き上手というのは、何か相手にとって有用な御神託を垂れてやることでもないし、興味があろうとなかろうと、スマホ見たりしないで、相手の方を見て、時々うなずいたり、適宜次の言葉を促してやったり、わからないことがあれば一旦相手の言葉を遮ってでも問い直してみることじゃないですか、知らんけど。なんだかこう書いていて、どしたん? 話きこか? 的な男性性への嫌悪がむっくりと首をもたげてきます、勃起したちんこみたいに。これは俺の宿痾。明日ひま? 飲もうよ。
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monogusadictionary · 2 years
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ぶっちゃけた話、女に生まれたから見た目が40点や30点でもそこそこモテるし性的対象になるけど、男に生まれたら70点じゃないとモテにくいし性的対象にならず、60点だと印象はいいかもしれないけどセックスは出来ない……みたいなくらい男女の恋愛難易度に差はあると思うよ
その分男は金と権力あれば20点でもモテるし、女は歳取れば元々60点の人ですら見向きもされなくなるただ、一番恋愛したいはずの思春期や20代前半だとそういうバフやデバフがまだ使えないから、女に生まれていたら恋人がいたであろうモテない男がこの世にわんさかいると思う
「男は眉毛整えて流行りの髪型してそれに合う服着れば雰囲気イケメンになる」
というのも、それだけでマシになるということは閾値の直前ギリギリのラインにいる奴が多いってことだと思うんだ。
反対に
「すっぴんは見せられない!」
と化粧で嘘つくこと前提の人達は、
本当は20点でモテないし性的対象にもされないはずなのに"化粧"という男には出来ないチートで40点や50点に引き上げてるから、20点30点が隠れてるだけだと思う
だから
男は努力せずに閾値の下ギリギリで非モテ判定されてる雑魚、
女は本来非モテなのに化粧と努力でモテラインに立ってる強者
が同じくらいいると思ってる
じゃあ「なぜそうなるの?」という疑問が出るんだけど、プンプンは化粧の力と自分磨きへの意識の差だと思う。
女は小学生の頃から少女向け雑誌や漫画で「自分磨きが当たり前!」ってなってるけど男はその意識がめちゃくちゃ低い。それすると「ナルシストや〜!」となったりするし
そして何より化粧。女は化粧しないのが、男は化粧するのが当然の世界になったら恋愛難易度は今と真逆になると思うよ。それくらい化粧は力がある
「いやいやそんなに影響ないでしょ…」と思うかもしれんけど、「化粧水と乳液以外顔に何もしてはいけませんよ」って言われたら結構絶望するやろ?
なので結論。
男は努力して自分磨きしたらギリギリだった奴はモテるかもしれんぞ。ん?じゃあ自分磨きは何かって?
筋 ト レ だ よ ♡ ♡ ♡
https://twitter.com/punpun765p/status/1625537473874104321?s=46&t=VicXeDlZ7z6JtWgOWCdNyg
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トム・ヴァーレインのブックセールにて
アレックス・アブラモビッチ
昨年の夏、ブルックリンでこんなミームが飛び交った: トム・ヴァーレインのブックセールの会場でキスしたらどうなる? バンド「テレヴィジョン」を結成し、そのフロントマンを務めたヴァーレインは、2023年1月28日に死去した。彼は長年にわたり、アート、音響学、占星術、UFOなど、さまざまなテーマに関する5万冊、20トン以上の本を入手していた。ブルックリンの隣接するガレージで8月に2日間にわたって行われたこれらの本の販売会は、大変な人気だった。アヴァンギャルドポップ・ミュージシャンのアート・リンゼイが立ち寄った。トニー・アウスラーは短いビデオを撮り、インスタグラムに投稿した。旧友たち(中には数十年ぶりに太陽の下に出てきたかのような者もいた)が、長い行列の中にお互いを見つけた。
ヴァーレインは膨大なコレクションをいくつかの倉庫に分けていた。彼が暮らすチェルシーの1ベッドルームから歩いてすぐの場所に1つ、川向こうのゴワナス運河に近いレッドフックに4つ。ヴァーレインはウーバーを使わなかった。ブルックリンの方の倉庫に行くには、おんぼろの食料品カートを持ってF系統の地下鉄に乗り、街でいちばん標高の高い地下鉄駅であるスミス・アンド・ナインストリート駅まで行き、あとは徒歩で移動した。人ごみの中で、ヴァーレインは目立った。背が高く、痩せていて、きれいな姿をしていた。(「トム・ヴァーレインの首はロック界で最も美しい」とパティ・スミスは1974年に書いている。「本物の白鳥みたい」)。彼は一度もタバコをやめず、フィルム・ノワールの登場人物のようなカーコートを着ていた。しかしそんな彼がカートを押して階段やエスカレーターをガタガタと降り、ブルックリン・クイーンズ・エクスプレスウェイの下をくぐり、7車線の道路を横切り、レッドフックに向かっていた。本をどこかに運ばねばならなかったのだろう。
ヴァーレインはストランド書店の常連で、かつて出荷部門で働いていたこともあった。店の前の1ドル均一のカートのまえにいるところを見かけることもあった。ツアー中にはサウンドチェックから開演までの時間を利用して地元の書店を訪れた。ブルックリンでは、倉庫にあまりにぎっしりと荷物を詰め込んでいたため、彼の遺品整理を任された友人のパトリック・デリヴァズは、箱を動かすスペースを確保するためだけに別の倉庫を借りなければならなかった。テレヴィジョンの直近のギタリストだったジミー・リップは、1月にアルゼンチンからやってきたが、7ヶ月後にまだニューヨークにいて作業を手伝っていた。ブッシュウィックの書店「ベター・レッド・ザン・デッド」のデイヴ・モースとマティ・ディアンジェロも整理に参加していた。
モースは言う。「ふつう、『5万冊の本がある』と言う電話がかかってきても、行ってると500冊くらいなんだ。今回、僕らは箱を数えた。5万冊よりは少しだけ少なかったかもしれない。ヴァーレインはパッキングがとても上手だったからね。たくさんの詰め物が使ってあった。波形の段ボールを折ったりプチプチを使って、即席で巣のようなものをつくってある。がさつではあったけれどとても几帳面で、ほとんどの本は素晴らしい状態だった。僕らは計算し、自分たちだけでは無理だと悟って頭をかいた。そしてスペースを持っている知り合いのディーラーを考えた。
ディアンジェロはワシントンDCのキャピトル・ヒル・ブックスを思い出した。そこはブックストア・ムーバーズという姉妹会社を持っていて、トラックも調達できた。そのトラックはいま、ブルックリンのガレージの前にあって、デリヴァズがみている。中の本は「文学」、「詩」、「宗教」といったテーマ別に分類されている。ディアンジェロは、神話や神秘主義、オカルト、超常現象、スピリチュアリティを指す「MOPS」という新しいカテゴリーを作った。イスラム教の旋舞教団、アレイスター・クロウリー、アントン・ラヴェイに関する本が、チャップブック[17世紀ごろからの冊子]や料理本(ヴァーレインがコンロで作ったのはコーヒーだけだったが)、中国に関する本の隣に並んでいた。読書家として、ヴァーレインは心理学や過激な理論に思う存分傾倒した。しかし、何度も立ち返ったテーマがあり、興味がずっと昔にさかのぼるものもあった。ヴァーレインのかつての親友でありバンドメイトでもあったリチャード・ヘルは、2013年に出版された自伝『I Dreamed I Was a Very Clean Tramp』の中で、彼がとても若かった頃のことをこう語っている:
世界は彼にとって理解不能の異様なところと写っており、空飛ぶ円盤のようなものから、極端な陰謀論、不明瞭な宗教的神秘主義まで、あらゆる種類の非合理的な説明に影響を受けやすかった。彼は、これらの信念や疑念が多くの人々にとってクレイジーに映ることを知っていたし、それが彼が人前に出るのを嫌がっていた理由の一つだ。
ブックセールの数日後、私はリップとデリヴァズに会うためにレッドフックの倉庫まで歩いて行った。彼らはアンプ、スピーカー・キャビネット、真空管でいっぱいのユニットを見せてくれた。それもヴァーレインが収集したものだ。「曲のキーがE♭だと、トムは真空管を交換するんだ。ほら、ここに、彼が印をつけていたかがわかるだろう」
販売会場には『The Tube Amp Book(真空管アンプの本)第4版』というカタログが、ギオルギー・リゲティの伝記とブルーノート・レコードの歴史に挟まれてあ���た。私はいま、それを買わなかったことを後悔している。ヴァーレインはまだ製造が続いているスロバキアから輸送した新しい真空管を持っていた。eBayから入手した、あるいはeBayが存在する前に購入したヴィンテージの真空管も持っていた。何百という真空管を持っていた。
ヴァーレインは高価な機材には手を出さなかった。(ルナ・アンド・ギャラクシー500のディーン・ウェアハムは、ヴァーレインがかろうじて弾ける12弦のエレキを持ってスタジオに現れ、それを見事に弾きこなしたことや、ヨーロッパ・ツアーを全く機材を持たずに行い、各都市で新しいストラトキャスターをレンタルしたことを覚えている)。しかし、彼は自分のトーンにこだわった。ジェフ・ベックのように、アンプに直に接続し、ギターのボリュームとトーンのノブを操作して、他のプレイヤーがエフェクターのペダルでしか作れないようなエフェクトを得ることができた。彼はおそらく、どこまでも繊細だったのだろう。リップは彼らのサウンドチェックの一コマを振り返った。「トムが弾くのをやめて『ブーンという音がする』と言った。俺らには何も聞こえなかったけれどトムは言い張った。俺らはその音の元を探して、やっと会場のうしろのほうで見つけたんだ。その下まで行かなければわからなかったのに、トムはステージから気づいたんだ」
「トムは非常にガード固かった」とヘルは自伝に書いている。「防御が強いんだ。それには良いことも悪いこともある。それは彼にある種の整合性を与えた。流行に流されることはなく、慎重で信頼できた。でもそのせいで一緒に仕事をするのは本当に難しかった」。しかし、6年ほどの間、ヴァーレインとヘルは(ふたりは一緒にデラウェア州の高校を飛び出し、ニューヨークで再会していた)同じアパートに住み、同じダブルのマットレスで眠り、「テレサ・スターン」として一緒に詩を書き、ヘルが主宰する詩誌『ドット』から出版した(彼が最初に出版したのはアンドリュー・ワイリーの詩集だった)。
1972年、ふたりはバンドを結成した。ヴァーレインはサード・アベニューの質屋でベース・ギターを選び、ヘルに基本を教えた。髪を切り、名前を変え(「マイヤーズとミラー」から「ヘルとヴァーレイン」に)、ネオン・ボーイズと名乗り、ビリー・フィッカを加入させた。数ヶ月間、彼らはヴァーレインのアパートでリハーサルをした。アンプやセットを買う金はなかった。ジャズ志向の優秀なドラマーだったフィッカは、代わりに電話帳でドラムを叩いた。ヘルは「Love Comes in Spurts」、「Blank Generation」、「Eat the Light」など数曲を書いた。ヴァーレインは「Bluebirds」、「$16.50」、「Tramp」を書いた。彼らは『ヴィレッジ・ヴォイス』紙に「ナルシストなリズム・ギタリスト募集、最低限の才能があればOK」という広告を掲載し、何人かがオーディションを受けた(ディー・ディー・ラモーンになったダグ・コルヴィンや、ブロンディを結成することになったクリス・スタインもいた)が、誰もフィットしなかった。1973年になっていた。ヘルとヴァーレインは13番街にある小さな店、シネマビリアで働いていた。マネージャーのテリー・オークは、チャイナタウンのロフトに寝泊まりしていたリチャード・ロイドを推薦し、ロイドを2人目のギタリストに迎えて、彼らはバンド名をテレヴィジョンに変えた。
CBGBのオーナーであるヒリー・クリスタルは、彼のクラブでカントリー、ブルーグラス、ブルースのバンドを取り上げようと計画していた。テレヴィジョンをマネージメントするようになったオークは、代わりに自分のバンドを演奏させるよう彼を説得した。徐々にひとつのシーンが形成されていった。テレヴィジョンはリチャード・ウィリアムズとブライアン・イーノとデモを録音した。もしヴァーレインがイーノのサウンドを嫌っていなければ、イーノは彼らのファースト・アルバムをプロデュースしていただろう。ヴァーレインは、イーノがそのテープをイギリスに持ち帰ったと確信していた。ロキシー・ミュージックの次のアルバムのグルーヴの中に、自分のアイデアが入っているのが聴こえたと思っていたのだ。それが事実かどうかは別として、同じ頃、マルコム・マクラーレンとヴィヴィアン・ウエストウッドは、とんがった髪、破れたTシャツ、安全ピンといったヘルのルックスや態度をコピーし、セックス・ピストルズにあてがった。ヘルは回想する。「俺らの演奏はまるで反逆のスクラップが転がり落ち、ぶつかり合う音みたいで、同時にそれを遠くから眺めているみたいに美しくて胸が張り裂けそうでもあった。感動させられ、揺さぶられ、目を覚まさせられた」
しかし、テレヴィジョンがファースト・アルバムをレコーディングする頃には、バンドはそのメンバーではなくなっていた。ヴァーレインは、徐々に、そしてその後は徐々にではなく、ヘルとヘルの曲を脇に追いやった。『Marquee Moon』を何年もリハーサルして手を入れ続け、考え続け、それは1977年、ヘルの脱退から2年後に発表された。ヘルの代わりにフレッド・スミスがベースを弾いていた。曲はより慎重に構成され、短編小説のように構成された。ヴァーレインはジョン・コルトレーンとアルバート・アイラーを愛し、彼のレコード・コレクションの大半はESPやインパルスといったレーベルのジャズ・アルバムで占められていた。しかし、コンサートでも、テレヴィジョンがノイジーで自由だった頃、ヴァーレインとロイドが奏でる連動したソロは高度にアレンジされていた。ウィリアムズはそれを「金線細工を施された」と表現した。
彼らの曲は文字通り「文学的」だった。ロックンロールではめったに美徳とされないことだが、ヴァーレインにははまっていた。彼は手がかりや警官、裏切り者、その他ハードボイルドな小物でいっぱいの探偵小説を書き、それを打ち砕いているかのようだった。『Marquee Moon』に収録されている8曲のうち5曲は、夜に起こる物語を歌っている。4曲は過去形と現在形を行き来している。ヴァーレインの描くイメージにははっとさせられる。「素敵な小舟が欲しい/海でできた小舟」、「世界はとても薄かった/俺の骨と皮のあいだで」、「思い出す/雷が雷自身に落ちたのを」。
しかし、パンクの先駆けとなったテレヴィジョン(ヘルが所属していたときのグループ)がアナーキーで、1977年のテレヴィジョンがほとんどプログラムされたようにコントロールされていたとしても、両者を異なるバンドと考えるのはまちがいだし、ヘルとヴァーレインを正反対の人物と見るのもまちがいだ。ヴァーレインの歌声は神経質で切迫していた。彼のアルバムはやはりパフォーマンスであり、素早く録音され、多かれ少なかれライブだった。奇妙で、絶望的で、すばらしかった。1曲目の終わりに「愛する人と未来を引きずり降ろせ」とヴァーレインは10回続けて歌っている。彼とヘルには共通の恍惚感があった。
もちろん彼らは憎み合っていた。「あいつには我慢できない」とヴァーレインは言い、ヘルも手加減しなかった。しかし、『I Dreamed I Was a Very Clean Tramp』のエピローグで、ヘルはほんとうに久しぶりにヴァーレインに会ったときのことをこう語っている:
このあいだ、レストランから家に帰る途中、古本屋の前でトム・ヴァーレインが安売り本の箱を漁っているのを見かけたんだ。俺は彼に近づいて、「空飛ぶ円盤について何かわかったか?」と聞いた。
ヘルはヴァーレインの歯(俺の歯よりもっと悪い」)、顔(「でこぼこで膨張している」)、髪(「白髪まっしぐら」)を描写している。
俺は背を向け、ショックを受けて歩き去った。俺たちはまるで2匹の怪物が打ち明け話をしているようだったが、ショックを受けたのはそのことではなかった。俺が愛を感じたからだ。俺は彼に感謝し、彼を信じ、自分の中で、彼がありえない人間であり、彼を好きになることがありえないことを肯定した。それまでもずっとそうだったのだ。俺はこれまでと同じように彼を近くに感じた。彼のような人間以外に何を信じればいいのだろう? なんてこった、俺は彼と同じなんだだ。俺は彼だ。
ヴァーレインの本は、Better Read than DeadやCapitol Hillのサイトでまだ購入できる。彼のレコード・コレクションは、そのうちグリーンポイントとイースト・ヴィレッジのアカデミー・レコード別館で販売されるだろう。その本やレコードははいまとはちがう時代、いまとはちがう街を思い出させる。書店やレコード店が遅くまで開いていて、CBGBで夜遊びした後でも店を覗くことができて、そこで手に入るものは安かったし、それを保管するのに必要なスペースも安かった。たとえ書店で働いていたとしても、その金でオフセット印刷機を買って自分で詩の版元を始めたり、ソーホーにロフトを見つけて自分のバンドを始めたりできたのだ。
2024.3.4
ロンドン・レビュー・オブ・ブックスに掲載
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4komasusume · 1 year
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かわいさとは性差を超越するものなのだ――田中ぬぬ『こんなにカワイイ音瀬くんが女の子のはずがない』
 劇作家ウィリアム・シェークスピアは男の娘についてこう語っています。
 『美しさは罪だ。だが可愛さは正義なのだ』
 男の娘の存在を的確に表現しています。……言ってませんね。言ってるわけがないですね。いきなりこんな与太を飛ばしたのは、今回取り上げる作品が男の娘を主人公にしているからです。
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こんなにカワイイ音瀬くんが女の子のはずがない 1巻 (まんがタイムコミックス)
posted with AmaQuick at 2023.09.23
田中ぬぬ(著) 芳文社 (2023-09-07)
Amazon.co.jpで詳細を見る
 田中ぬぬさんの『こんなにカワイイ音瀬くんが女の子のはずがない』です。現在まんがホームで連載中です。
 男の娘 (おとこのこ)とは【ピクシブ百科事典】 (pixiv.net)
 男の娘とは ”外見が、「かわいい又は美しい娘」に見える男子”ということです。2000年代以降に女装男子の一ジャンルとして確立しました。私自身の感覚では、美しさよりも可愛にさに比重を置いている女装ジャンルだと思っています。
 作者の田中ぬぬさんは電撃コミックで『女装しないのは俺だけなのか!?』作品を手がけていて男の娘への造詣の深い方です。『こんなにカワイイ音瀬くんが女の子のはずがない』でも男の娘の可愛さと深い世界を描いています。
 新連載1話目のインパクトは大事です。田中ぬぬさんは4コマ誌での実績がなく、扱う作品も男の娘というニッチなテーマ。なかなかのハードルの高さですが、1話6ページの中で主人公の音瀬くんが女装男子の男の娘である作品の肝を最大限に生かす演出をしています。
 1ページから2ページ目でノリノリで撮影会に参加する主人公・音瀬未来を描いています。かわいいものが好きで自身をカワイクし撮影会に参加していることと、ナルシスト的性格であることがわかります。
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 3ページ目4ページ目で可愛い自分に悦に入っている音瀬くんを描いていますが、その様子に軽い違和感を感じます。どこか非日常的なことをしている雰囲気を身にまとっているのです。
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 そして5ページ目。変形4コマ形式で音瀬くんが女装していることを本人以外から指摘されて判明します。これにより音瀬くんが絶体絶命のピンチになりストーリーに大きな盛り上がりを出すことができています。
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 6ページ目で捉えどころのない橘のキャラクターの明示と音瀬くんの秘めた趣味を黙っていることに対する条件を提示することによる次回への引きを描き、読者の期待感を高めているのです。
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 1話6ページ41コマ。この中でキャラクターのカワイさを際立たせ、ストーリーの山場で女装であることを描き、さらに次回に期待を持たせる。考え抜かれた演出で感嘆します。これから何が始まるのかという期待感を読者が持ったら勝ったも同然です。
 この1話は芳文社のサイトから試し読みできますのでぜひその目で確かめてください。
 芳文社 こんなにカワイイ音瀬くんが女の子のはずがない 1巻
 
 主人公の音瀬未来くんは
 この青年が
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 こうなります。
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 もう一度作品タイトルを確認してみましょう。『こんなにカワイイ音瀬くんが女の子のはずがない』です。「男の子のはずがない」ではないのか?いいえ、これでいいのです。どんなかわいい女の子より、男の娘である音瀬くんのかわいさが至上であるという情熱あふれるタイトルなのです。
 音瀬くんは1話目で女装していることがバレたら、身の破滅と考えているのがわかります。しかし自分のかわいさについては非常にポジティブな思考を持ち合わせてるのです。
 1話目ラストで橘が音瀬くんに出した交換条件とは、男の娘になっている音瀬くんの写真を撮らせること。その際に橘が言った
 「女装男子なんてなかなか撮れないし面白そうじゃん」という言葉に対しての音瀬くんの反応がこれです。
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 女装趣味がバレて絶体絶命なのに、自分のかわいさを評価されないとこの反応です。さらに翌日改めて撮影する段取りになった時も不安だと心の中で思っているのにその態度は楽しみで仕方ないのが見て取れます。
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 音瀬くんは自分がかわいくなること、かわいいと評価されることが絡むと常識のタガが外れるのです。橘から女装趣味をネタに色々やらされても、その行為がかわいいことに繋がると満更でもない気持ちになる。これが音瀬くんのキャラクターの面白さです。
 ではやらせる方の橘はどんなキャラクターかというと、トリックスター要素を多分に持ち合わせています。表情豊かな音瀬くんとは逆にほぼ変化のない表情。感情の起伏がないかというとそうではなく、音瀬くんに愛好するアニメキャラクターのポーズをリクエストして、間違ったキャラのポーズをとった際にもクドクドと説教をしたり、アニメのエンディングダンスをするよう指示をして、その出来に事細かく注文をつけたりとめんどくさいオタクな側面があります。
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 策にはめて音瀬くんの女装姿を撮影する割には撮影技術が拙かったり、情報商材サギに引っかかりそうになったりとポンコツな側面もあり、総じて捉えどころのないキャラクター性を持っています。
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 橘は女装ネタで音瀬くんを無理やり従わせているので、ポンコツ面で中和しているのかもしれません。そして何より重要なのは橘は音瀬くんの女装を面白いからと興味本位な発言をしていますが、ことあるごとに男の娘になった音瀬くんを全面肯定して、彼をかわいくするための行動力が天井知らずなのです。
 ホワイトデーのお返しにバカ高いオーダーメイドのコスプレ衣装を作ることなど朝飯前。届いた衣装で撮影するために喫茶店を貸し切る。言葉だけでなくその行動力で音瀬くんのかわいさを評価しています。
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 音瀬くんにとって橘は女装をしている弱みを握られているのと同時に一番の理解者であるのです。作中でこの理解者である面が音瀬くんの中で大きくなっていき、二人の関係に変化が出てきます。
 この作品では音瀬くんが男のアイデンティティを持ちながら、女装して男の娘を肯定的に捉えていることが面白いです。女の子のような男子を登場させた4コマはありますが、ここまで切り込んだ描き方はしていなかったと思います。コメディ作品ですが、男の娘のかわいさ、素晴らしさを推している本気度が感じられる作品となっています。
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画像出典 芳文社 『こんなにカワイイ音瀬くんが女の子のはずがない 1巻」 P3,P6,P7,P8,P19,P20,P10,P11,P14,P14,P90 掲載順
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dmstattoo1998 · 1 year
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其の十九彫目 「プロとアマの違い」
さて今回は彫り師のプロフェッショナルとアマチュアの違いについて語りたいと思います。
個人的な尺度からの定義と一般的な定義がごちゃ混ぜになってしまう可能性はございますが、いつもの様にご了承くださいませ〜🙏
簡潔に言えば
「アマは自分だけが楽しめればそれで良い。プロは相手を満足させ喜びを共有し、報酬対価を得る」
ということかと思います。
セミプロのような方々もいらっしゃるが個人的にその定義が曖昧ではあります。
個人的に思うに片手間で彫っている感じですかね。しかしたまに上手な方もいらっしゃいますので一概にセミプロが悪い訳ではございませんが、プロと同じ料金提示しているならば問題かもしれません。
片手間なのですぐに本業の職に専念する選択肢もありますので、あえて言えば「彫りものだけで食っていく」という覚悟の違いでしょうか、、、、、
プロフェッショナルは一定の顧客が付いて安定した期間が過ぎ同じ生活リズムに慣れるとほぼ必ずと言っていいほど心から楽しめなくなる瞬間が訪れます。
アイディアの枯渇、体力の低下による葛藤などなど、、、、、
この現象は職業関係ございません。
彫り終わって課題を達成した時、結果を出した時、、、、その時の達成感は強烈です。
しかしその達成感も長くは続きません、また次の課題がすぐあるからです。
その繰り返し繰り返しの作業の連続の中を生きるのです。
あえて言うなら苦痛と快楽との「矛盾律」の中で生きていくのです。
それで逃げ出す人、挫折する人もいれば、ひどい時には精神を病む人もいます、、、、、、、
格好よく言えば人生は挫折が多々ありますが、それを乗り越えるたびに人は成長するものだと信じて疑いません。
プロはコツコツと人が見えないところの努力を欠かさないものです。
スポーツ選手でも料理人でもプロフェッショナルと呼ばれる人は見えないところの努力を決して怠りません。
趣味でやっているアマチュアは自分だけが楽しめればそれで良いのです。
プロフェッショナルは必ず相手がいらっしゃって責任が伴います。なぜならその相手から対価を得るのだから。
厳しいことを言えば一生消えないものを入れるのだから安易な考えで彫り師の門を叩くことは非常に危険なことであると考えます。
責任から常に逃れるような思考選択に比重を置くのであらば、どの様な人もプロとは呼べるものではないと定義いたします。
厳しいことを書く様ですがもちろん「人」としての成長は殆ど期待できない方々でしょう。
しかしある大きな出来事がきっかけで改心する時がございます!
それはもう良い意味で劇的なくらい変化します。
すぐに言い訳、自分だけのご都合で生きてらっしゃる利己主義者、損得思考で打算的、支配欲が強く虚言癖が伴う自己愛性人格障害者[ナルシスト]、、、、
このような方々は全員「責任」を取って己が矢面に立つという観念はなく逃げ癖がついているので「仁義」は皆無です。
彼らは頭の回転が早く、他者をコントロールする手法にも長けておりますが修羅場での経験値が圧倒的にないです。
弱く繊細なので心の中は常にビクビクしており異様なくらい警戒心と洞察力はありますが、修羅場や闘争の中で培われた洞察力とは全くの別物です。
なので自身を大きく見せようと外見をタトゥー武装する傾向は高いです。
次回はYouTubeやネット情報、書籍等では書いてない彼らの簡単な対処法を独自の目線で切り込んでみたいと思います。
よくお客さんのご相談にこのような方々からの被害案件が非常に多いので次回は自己愛性パーソナリティ障害、簡単に言えば「ナルシズム」についてお話したいと思います。
DMS TATTOO
下記公式サイト
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crydayz · 1 year
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230709 EXTRA
俺は、普段の思考こそが「狂っていて」「酔っ払っていた」のかもしれん。
[LINK] https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10147294940
自分の事を好いていない相手に対し一方通行で愛を注ぐ事で自己満足しているだけのナルシストだったのだ。
幾度も幾度も嫌いだ、好きではないと言われたのにそれを一時の気の迷いと断じて傲慢な信頼を押し付けていたのは俺の方だ。
法律的・人道的な義務だけ果たして後は野となれ山となれで良いのだ。
ただ、親の不仲は子供にとっての不幸な思い出に繋がる。それだけが残念でならない。
子供の為ならいくらでも自己犠牲をする事を許容してきたがどうやらその「諦念」自体が疎ましいらしい。
善悪が立場によって見え方が変わるように、人間は相互に加害者として成立し得る。
被害感情を1mmでも感じた時点で自分以外の人間は全て「加害者」であり「加害者候補」なのだ。
そんなメンタリティでは世渡りしていけないだろうが心が弱いトラウマ持ち人間の精神というものはそういうもんだ。仕方ない。
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sinrabansyo0123456789 · 2 months
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ここまで詳しい説明は初めて。
 
チャネリングで、問題人物って聞いてる人達も、自分達を被害者って言いたがる。
 
症状が似てる。
 
魔術で問題になってるけど、魔術を使い過ぎると『ナルシスト』になってしまう。
 
その事とも、関係があると思う。
 
主流の天界は、魔術を使いたがる。
 
修行不足だと、ナルシストになった場合、被害妄想が酷くなるのかも。
 
恩恵を受けてる側も影響を受け���し。
 
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kuchuki · 5 months
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2024/05/14
今回の担当:🎈
次回の担当:🦋
爽の練乳いちご味がおいしかったです!パフェにのせるためにミルク味のアイスを買いに行ったら売り切れていて、代わりにいちごパフェということでいちご味のアイスを探して買ったのですが、かなりおいしかった。代わりとするにはもったいなかったかも。でも、パフェにアイスを合わせるのって難しい。スポンジや生クリームとは違って、アイスはそれだけで完成しているものだから……。
最近、カラオケで歌える曲をもっと増やしたくて、プレイリストに新しい曲を探して追加したりしています。おれは救いようのないナルシストだからカラオケに行くのが好きです。最悪ですね。それはそうと、一人カラオケって高くないですか?二人分より高い可能性まである。そこまでではないか。家の近くに一人でも安く入れたお店があったんですが、休業してしまって、そこからぜんぜん一人カラオケできてないんです。悲しい。
元気なんだけど、特に何もなくて、変な自己否定がはかどってしまっています。もうしわけない!
お気づきかと思いますが、わたくしはこうやって言葉を重ねることで「そんなことないよ」を相手から引き出そうとする怪物です。ほどよく無視してね。あとからでも否定してね。
お気に入り
八咫烏シリーズを読んで呻いています。勧めたいけど、アニメ化したことで仙台市図書館では若干予約待ち状態になっていて、大学図書館には一冊もない……。今借りている分は返却期限までにもう一周したいと思っています。そのくらいおもしろいです。
回答
🦋
お気に入り、ないかも……。メモを見返したんですが、記録に残そうという気になるのは衝撃的だったり嫌だったりする夢ばかりで、よい夢が全然残っていませんでした。よい夢は抽象的な事が多くて持ち帰りにくいような気もする。でも最近、お二人とクッキー缶をつまんでいる夢を見ました!きれいな紫色のクッキーが入っていて、食べたら甘じょっぱくて不思議でした。
🌛
わたしはほうれん草のおひたしになりますので……めんつゆかお醤油味になるのかな~としか……。しいて挙げるなら身長は160センチ以上欲しいかな。服の丈が合わないことが多くて困るから……。
質問
週末、気合を入れて夜ご飯を作らないといけない予定があるんですが、デザートがまだ決まっていなくてちょっと困ってます。おすすめ……とまでは行かなくてもよいので、何か洋菓子の名前を挙げてもらえると助かります……!
(インスピレーション的なものがほしいので、実際に作れるかどうか等は考慮しなくて大丈夫です!)
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ymifune · 5 months
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アフロ民藝
5月4日。できたことを中心に。 4月の体組成計の結果は、筋肉量 +0.6kg、体脂肪量 +0.4kgと出ている。おおよそ京都から帰ってきてからの1ヶ月の結果だ。1月、3月と筋肉量が減っているぐらいなので、少なくとも筋肉量が減らずに済んでよかった。今5月で・・・まあ年換算した時の結果はまたおいおい確認することとしよう。今見ているのだけどね。あと2ヶ月で今年も半分が終わる。その時にまたまとめられたらいいのかなと思う。 今週の結果で見ると、筋肉量 +0.4kg、体脂肪量 -0.4kg と出ている。 5月2日木曜日にフィリピンの写真家Rと、同じくフィリピンの写真家のVとは初めて会って、中野で写真撮影を敢行した。そこまでフィリピンのRの写真家としての腕を買っているということはないのだが、撮影自体は楽しく最後まですることができた。多少は出来上がりもIGに上がった。 5月3日金曜日は中国のJが東京に遊びに来ていて、初めて会ってきた。今回は森美術館に一緒に行った。森美術館の方はとてもいい内容だった。アフロ民藝という、黒人の美術家が名古屋県の常滑市で焼き物を学び、民芸品とブラックネスを融合させインスタレーションを完成させていた。カタログも少し欲しかったのだけど、3400円ぐらいでまだ製作中とのことで、見て内容を確認することはできなかった。 Jは悪い男ではなかった。Jは・・・コロナ前にやり取りをした限り、かなりの遊び人で、キラキラした自撮りばかり撮っているナルシストのような印象だった。で、その私の観察が必ずしも間違っていたとは思わないのだけど、中国に戻りきちんと仕事をし、空いた時間で創作を続けているという真面目な面も知ることができた。 が、・・・褒めて落とすのって良くないね。でも、まあ書こう。口臭がひどかった。歯石が溜まっている人の口臭がして、とても隣にいられたものではなかったので、割とあっさりと森美術館、スタバだけで帰ってきた。 空いた時間でコマコマと歩を進めていたArtful Dodgerの"Think About Me"のカバーだが、ようやく録音できるところまでトラックを完成させることができた。とても難しかった。直近のカバー曲の話をすると、Magnetic Manの"Boiling Water"があったが、あれはとても簡単だったのだ。曲の構造も簡単だったし、コード進行、ビートパターンもさほど苦もなく最後までできた。 が、Artful Dodgerは違った。3/4拍子のワルツというUK Garageとしてはかなり特異なリズムから始まり、コード進行、ビートパターン、曲の構造に至るまで、ポップスのお重の構造を目一杯活用した完成度の高いポップスだった。コード進行的にも私なりの解釈を足すようなことを大きくはできず、割と原曲に忠実に作ったトラックになったんじゃないかと思う。ボーカル部分も多分、原曲に忠実だと思う。 明日、録音すると思う。風邪っぽくもなく、時間も明日明後日なら取れそうなので、録音はしようと思っている。ミキシングとマスタリングまでできるかどうかはちょっとやってみないとわからない。 GW中に人と会う約束だったり、しないといけないことだったりは、まあ大体終わったと言えるので、集中して、自分のことをしよう。 向き合おう。 本当に必要なことってそれだけだ。向き合うこと。 洋書を読んでいる時、和書を読んでいる時もそうかもしれないが、どうしても気持ちが活字から離れて、取り止めのないことをふわふわと考え始めてしまう時がある。そんな時に、小声ででもその文面を声に出して読んでみるかのように口を動かすと結構集中力が戻ってくる場合がある。口に出すという脳の指令と、耳でそれを改めて聞くという聞き取りの刺激が入ることで脳が活性化するのではないかと思う。食事中はそれができないのが難点だ。 筋トレは楽しくできていると思う。今日、足の日の10日目が終わったので、来週になるのかな、1週間のディロードに入るだろう。定期試験のことをこちょこちょと最後までやらないといけない時だったので、時間があるのはいいことだ。 聴解の試験のFBは先んじていただいたのだが、学校に大体の資料があるので、家では特に作業が進められていない。 アメリカの作家 Paul Austerが亡くなったという。Sam LakeのInstagramで流れてきて知った。ニューヨークで買ったPaul Auster原作の漫画を最後まで読んでいなかったなと思い出し、紙の本なのだが、最後まで読んでみようと思っている。また、Sam Lakeがその訃報の表紙に使っていた小説をKindleで購入した。近いうちに読もう。 向き合って、少しずつでも前に進まないとだな。 あと休みは2日ある。また書くかもしれない。 もしこれを読んでくれた方がいたら、どうか残りのお休みも楽しんでもらえれば。
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mycatisinsanity · 6 months
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律の日 20240408.
 明日は初回の授業。勤務先が遠いのでちょっと億劫だ。履修者を確認すると80人以上いた。怖すぎる。考えたくない。準備はまだ終わってない。適当に喋っておけば平気かなあ。こんなんでも「先生」か。
 彼氏もちゃんと風邪ひいたようで、今日は一日中しんどそうだった。電話の向こうから頼りない声。私も声が出づらい。昨日はなんとかバイトに行き、忙しい時間帯も乗り越え、その後のオンライン講座も乗り切った。だんだん体力ついてきた。そしてどんどんナルシストになってきた。この自信過剰に効くのは他者のスキルの高さに打ちのめされる事しかないので、打ちのめされに学会や研究会に出たいと思う。でも時間がない。私はなぜこんなに忙しいんだ。
 最近毎日ゴキブリを家で見るようになって戦慄、というかほとんど神経がすり減ってノイローゼ状態である。今朝、要の侵入経路であるベランダを徹底的に掃除したら、心も少しだけ穏やかになったし、そのあとはその姿を見ずに済んだ。心の底から神様に祈るか、大人しくバルサンを炊くか。後者は面倒だし、何より私には時間がなさすぎる。彼氏も時間がない。家族もみんな忙しい。私は自宅の近所に友人が住めばいいのにとずっと願っている。このことこそ、いま、本当に神に祈るべきだと思う。ひとりの生活も気ままで良いし、私の生活はほぼ自己完結していて他人が入り込む隙間はそんなに無い(虫は余裕で隙間を見つけて入ってきたが)けど、お茶友達くらいいたらもう少し暮らしは朗らかになると思うのだ。ナルシストも緩和されると思うのだ。お昼に一緒にカレーとか食べに行こうよ。そのあとちょっと海沿い散歩して、KALDIでタダのコーヒー飲みながら物色して、人多いねえなどと言いながら適当に解散しようよ。軽度の現実逃避がないと、現実が重すぎてだめ。
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ladyteacup2828 · 6 months
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Disney Wish Movie
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やっとウィッシュ本編を見ることが出来ました✨
高画質で見る最新ディズニー映画が綺麗過ぎて、始終圧倒されて飲み込まれそうだった!特に王の書斎の願い玉のシーンね!
後はずっとマグアマばっかり見てたw 二人ともどのシーンも素敵すぎる(〃艸〃)
失礼な話なんだけど、声優じゃない芸能人が起用されてるって聞いて、あんまり期待してなかったんだけど、やっぱりオーディションで選ばれただけあるわって感動した。
全然違和感ない。アーシャはちゃんと十代の少女らしい明るく突っ走るも、不安やもろい場面や力強い場面もある声だった。
マグニフィコはちゃんと気高いけど、たまにうちに秘めたナルシストや自尊心とのギャップを上手く表現してて、さすが福山雅治だと思った!
この人以外に務まる人いないくらい完璧じゃん!
アマヤは思ってたよりも上品で暖かみがあって、まさしく王妃様って声でびっくりした。
キャラと素晴らしくマッチしてるし、声だけでもマグぴともマッチしてるし、審査員には花束と金一封贈りたい💐🎉
小説は児童向けだったから、あまり細かな表現が無いのでボヤっとしたことしか分からなかったんだけど、映像で見るティーンズたちは分かりやすくて、あぁ七人いてやっぱり良かったなと思った。
小説読んだ時は誰が誰だかいちいち登場人物の写真を見ないと理解できず、登場シーンを見ても物語を進める作業的なシーンにしか思えなかった。けど映画はやっぱり映像で見るし、言われてるよりは���せ方が上手いと思うので余計な場面とは思えなかったな。
むしろ、最後の指名手配されてから王と彼を信用しているであろう国民が敵に回った絶体絶命を前に、みんなが一致団結する場面でグッと引き込まれた。
スターはどの場面も最高に可愛いので、ベストシーンが選べない★
特典シーンで初めて知ったんだけど、ミッキーの声優ってウォルト・ディズニーだったんだね( ゚3゚)
あんまり特典シーンは面白くなかったんだけど、ワンス・アポン・ア・スタジオは面白かった。実際の制作会社の実写を基に、今までのディズニーキャラが集まって記念写真撮るとか面白い!
一番笑ったのが、エルサが額縁から出てこようとするハンスを凍らせてたの容赦無いww 両方の意味で死ぬ死ぬww
そして特典と言えば別の動画になるけど
youtube
の方が面白い!
Tシャツ何よww それにマグニフィコしか見られないはずのアマヤのセクシーな姿がww 禁書の力を使ってでも動画も見た奴も消されるレベルだww(ノ▽<)
本編の話に戻るけど、内容は言われていたほど悪くはないと思う。ただいくつか内容の補足は必要だと思った。
冒頭の絵本の部分で、王がやっていることはちゃんと正しいことと思わせないように、この力がみんなに望まれるかは分からない的な内容の補足が入ってたのは良いな。
アーシャとマグニフィコが書斎で歌うシーンの曲は、奇麗だけど歌詞の内容は初めて見る、もしくはそんなに繰り返して見ない人にはあまり入ってこないかも。この曲だけじゃなくて、森の動物たちと歌う曲もそう。
曲って初めて聞く時、そんなに繰り返し聞かない曲は意味が頭に入って来ないから、ミュージカルでもその後に内容の補足がいると思う。
アーシャが祖父の願いを叶えてくれないから、マグニフィコにそれなら願いを返したらと意見したと取られても(個人的には理解力や読解力が無いんじゃない?その人と思うが…)おかしくないんじゃないと思った。
あの歌を無くして、アーシャが
「今までいい暮らしが出来てるのは王のお陰で感謝します、でも叶える気のない願いまでみんなの願いを取り上げるのは違うと思う」
「夢や希望を取り上げるのは、みんなの可能性を奪っています。夢が叶えられなくてここに来ていたとしても、結局は国民はあなた無しでは何も出来ない人間になってしまうし、いずれそれは国の衰退に繋がります」
とか
マグニフィコも
「みんながみんな善人じゃないし、そうしておいた方が国民としても国としても自衛になる」
「自分の過去の経験から自分は今自分に出来る最善のやり方で王であるべきだし、国を守りたい」
とか
二人の対話からたとえ小さな子供でも、おぼろげにでも意見が違うんだなと分かればまだ良かったのかも…。
和解エンドとかあっても無くても、たぶん100周年の映画だから続編作るだろうし、和解だけが問題じゃない気がする。
あとアーシャん家に凸するマグニフィコは、小説ではあの無礼者たちへのテンションでそのまま来たのかなと思って、それでもかなり怖い王、いやおっさんだなと思ったけど、映画ではちゃんと黒い光が後ろから差してダークな雰囲気になってたw
あと福山ニフィコのお陰かな。
そう言えば、英語と日本語ではマグニフィコのキャラが違って見えるの不思議。
英語はセクシーな大人のイケオジ+若干ナルシスト感が溢れ出して、そして時には子供心を忘れず爆発させる感じなのに(悪く言うと精神年齢低い、身体は大人頭脳は子供みたいなww)
日本語は落ち着いた理知的なイケオジで、ナルシストの仕草をしてもあまり癖に感じず、けれど内面の感情や余裕のなさをチラ見せしつつも、いつも押さえつつある感じがする。
小説ではアマヤが斧を使って禁書を破壊するシーンが出てたけど、一度はなりふり構わず夫を取り戻す為に過激なシーンを出しても良かったんじゃないかと思う。暴力は全てを解決するって意味に捉えられるかも知れないけど、マグアマ勢としては物足りない。
序盤は小説よりいいじゃんマグアマじゃん( `・ㅂ・)وってなったけど、終盤は国が大事かも知れないけど、夫のことも考えてあげてよってなった。
広場で直接妻を攻撃するまでに色々試行錯誤を繰り返して守ろうとするシーンがあれば、あまり問題視されないんじゃなかったのかな。
最後は何か吹っ切れてる感じが本編でもあって、あれじゃあ最後の地下牢送りにしてそのままの冷たいアマヤ像が出来てしまうわ…(;´༎ຶ益༎ຶ`)
あとすごい面白かったのが、アーシャが祖父の願い玉を奪い返しにマグニフィコの書斎へ忍び込むシーン。
いちいち言ってることと真逆のデカい声を出してしまうバレンティノと、スターがエレベーターの扉が閉まってるのをどうにかしようと適当に魔法をかけて、王のデスクが小説で思ったよりも火事になるところ笑ったww
さらにダリアが王を止めようとタイミングを窺って焦ってる時に書斎の窓から爆発でもしてんのかってくらい明るい火が見えてて、あの子何してんの!?ってなってるとこが、笑いの連続だったww
色々感じるところはあったけど、私はアナ雪よりもウィッシュの方がハマったし好きだと思う。
続編が待ちきれない。
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hoshiimooishiimo · 8 months
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Looked at me:story3「素敵に生きたいセブンティーン」
ZINEプロジェクト「Looked at me」に寄せてもらった作品の一部をご紹介します。 「Looked at me」についてはこちらから
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わたしの中学時代はコンプレックスに塗れていました。容姿のことでバカにされたり、悪口を言われたり、先生にもバカにするようなことを言われたこともありました。どうして普通にしてるだけでこんなに言われなきゃいけないのだろうと沢山悩み、夜に一人で泣いたりしてしまったこともありました。
でも勉強はしたいから学校には行かなくてはいけないし、大嫌いな一重瞼と簡単に別れを告げることもできないし、ダイエットもなかなかうまくできないしただ悩むことしかできませんでした。アイプチをして二重整形について毎日調べて、どうしたら変われるのかを考えながら瞼のマッサージをずっとしていました。
しかしわたしは自分のことをどうしても嫌いになりきれず、なんとかコンプレックスと向き合って生きていきたいと思いました。
まず第一にわたしはどんな姿でもわたしだし、わたしのことを見た目で判別して悪く言う人はそもそも良い人ではないのだから仲良くする必要もないし、言わせておこうという発想の転換をすること。わたしには素敵な友人がいますが、彼ら彼女らはわたしのことをばかにしてきたことは一度もなかったし今でもそのようなことはしません。人間関係もわたしのコンプレックスと密接に関わっていることに気づくことは大切でした。
またわたしはお洋服とメイクが大好きになりました。あまり興味のなかったお洋服とメイクにYouTubeや母親の影響で関心を抱くようになり自分の世界観を完成させることができました。好きなお洋服を着るだけで自分に自信を持てたし、わたしのセンスって世界で1番最高かもなんて思えたりします。お洋服は心も守れる鎧です。見た目に自信がないから好きな服を着れないと言ってる人を見ると悲しくなります。わたしは体型や見た目に自信がない人こそ、好きなお洋服を着て自分好みのメイクをして最高の自分を作るべきだと思うのです。どんなに頑張っても好きなアイドルにはなれないしモデルさんみたいにすらっとした体になれないけど、今日のわたしはちょっぴりいつもよりかわいいかもって毎日思えると自己肯定感も上がるし本当に可愛くなっていっている気がします。
そしてわたしにとって大きな変化を与えたことがあります。それはアルバイトでアメリカ人とたくさん関わるようになったこと。今まで自分が体型に囚われず好きな服を着る!と言っていてもお腹を出すことにはやっぱり抵抗があったり、短いスカートやズボンは太っちゃったから恥ずかしいな、とか思っていましたし今でも少し思います。それでも、自分の見た目を気にせずに好きな服を自信を持ってきている彼らは素敵で、輝いているように感じました。
でもやっぱりどんなに安定して過ごせてるつもりでも自分では言葉に言い表せないモヤモヤが脳みそを支配することがあります。
どんどん後輩に立場を追い抜かれるバイト、勉強したつもりなだけで上がらない成績、増えてく体重、なかなかうまくいかない恋愛、ドタキャンする友達、磨かれないファッションセンス。
あれもこれも高校生なりの悩みで大人にとってはちっぽけかもしれないけど、わたしにとっては結構大きな悩みで…。こんなことですぐ悩んでしまうような性格がコンプレックスになっているなって最近思い始めました。
性格を好きになるって見た目を好きになるよりもきっと、難しいこと。わたしは自分の性格を素敵ってちゃんと思えるようになりたい。頭から爪先まで、大好きでいたい。これからもわたしは好きな服を着てマインドを切り替えてなんとなくダイエットして好きなもの食べちゃってなんとなく生きる。たぶん現代を生きる私達はナルシストで生きるくらいがちょうどいいのかもしれない。昔からずっと付き合い続けてるコンプレックスと新しいコンプレックスを、少しナルシストに甘やかして今日もわたしは生き��いく。
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P.N. うえの
19歳になりました
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manganjiiji · 9 months
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家格は屑星の二にて候
さて。仕事が始まってございますな。ぜんぜん。ぜんぜん4時間とかです。でもいつもの通り立ち仕事(本屋)なので、まだ2回しか行っていないのでとにかく帰宅してから脚が痛い。結構、結構ね、乗換駅で歩くんだよね。毎日とくに伸縮性のないジーパンを履いているためとにかく階段がきつい。でも2回目の今日は1回目の勤務より痛みがましだったので、このままちょっとずつましになるといいですな、と思う。最近、連日5000歩ほど歩いただけで、とにかく横になった時に足にしびびび!という稲妻が走るかのような痛みが発生する。この状況になるともう動く気が起きない。よくないことだ。この痛み自体は何年も前からある、というか小さい頃からあるようなないような気もするのだが、とにかくぴりぴりとした痛みが足からふくらはぎ、太ももにかけて駆け抜けてゆく。急激に太った頃もこれが酷かった気がするので、最近また太りすぎて下半身に負荷が��かっているのであろう。だいたい62kgだと思う。60kgがたぶん、せめて私の脚が支えられるぎりぎりの体重だと思う。食べすぎているんだ。お腹いっぱいでも、空いていなくても、とくに飢餓を感じていないのに、ただ「間が持たないから」という理由で1日4食くらいになっている日がある。普段は1日2食なので、異常である。これを1日2食に戻して守ったところでとくに痩せない。特に痩せなくても、健康のためにせめて59〜60をふらふらするくらいの体重にはなりたい。危険だ。もう4年前になるのか、20kg太った。正確にはまず16kg太り、その後8kg太ったので24kg太り、4kgなんとか落として今。20kg太ったのは度を越した飲酒と暴食である。毎日が急性アル中のような状態で毎日尿失禁していた。そのおかしさを認識できずへらへらと号泣しながら生きていたため、限界を越えてどんどん太っていった。社会的にも最終的には総崩れになったが、まあいい経験だったと思う。そもそも酒が一滴も飲めないサラブレッドの家系で飲むと体調不良(頭痛ゲロ)必至だったのだが、慣らせば馴れるもので、体と脳と筋肉はぶっ壊れたが、酒が「全く飲めない」ではなくなった。人間としても様々なことを経験して全く何をやっているのか、22〜23歳のやるであろうことを32〜33歳で経験した。嵐のような日々だった。その後の反動というか、まほやくジャンルでかなり知的で成熟して落ち着いた人種と交流したことにより、わ、わたしって、かなりやばい……。ということにようやく気づき、そこからさまざまな意識改革が行われた(友人には「全く根本をわかっていない、意味が無い」と評されるであろうが)。9歳年下の同居人大学合格のための住み込み家庭教師を経て、なんとか人間としての感覚を身につけていったような気がする。そこ(同居人氏合格)からもうすぐ2年が経とうとしている。相変わらずあまり自分が「ましになった」という感覚は少ないが、病状はかなり改善したと思う。不眠に陥ることが少なくなったし、うつ状態(希死念慮を伴う)も月に1~2回、つまり2日〜4日で済んでいる。カウンセリング、主治医変更、投薬(通院)の安定、偏頭痛薬の注射、生家との距離を置けたこと、障害年金の受給が始まったこと、など、この2年で変化したことが多くある。これらの変化がなければ、今私はここまで穏やかに生きることはできていなかった。さまざまな友人がつねに物心両面で支え続けてくれたからこそであって、私の努力というのはほとんどない。本当にこんな頑固でわがままでナルシストでとくに旨味のない(コンテンツとして面白みのない)ただおちゃらけているだけの人間に、よくもまあここまで徳の高い友人達が繋がっていてくれるものだ、と思う。恩返しとしては私が元気で楽しく小説でも書いて生きていくことだと思う。小説といえばあんさんぶるスターズ!!の大人気カップリング、燐一(りんひい)のラブコメを7000文字ほど一日で書き、数年ぶり(体感)にpixivに投稿した。本当に久しぶりの事だった。Twitterで文庫ページメーカーに収まる程度の正体のない短文を書いたりはしていたが、二次創作をきちんと(対外的に姿勢をただして)投稿するのは2年ぶりくらいで、かなり緊張した。というのも、私はmusicのメインストーリーの第1部を読み終わった+αくらいの人間なので。せめてメインストーリー第2部まで読み終わりたかったのだが、結局書いてしまった。また読んだはずの第1部の記憶も怪しい。というわけで、もう石を投げて下さいという趣旨のキャプションをつけて投稿した。あんスタの二次創作をしている方々は基本的にストーリーは全履修が当たり前だと思っていると、私は勝手に思い込んでいるので、こういう半端者が書いたブツはそもそも読まれないことが多いと思う。読んでもらえてもライト層とか(キャラが好きなだけでストーリーは読まない層)。私はソシャゲのストーリーを読むのがかなりかなりかなり苦手な人間であるため、これからもすごく遅い進捗なのではないか、と思うが、あんスタのメインストーリーはかなり好きである。テーマが民主主義と主権者の政治参加の話だし、それを封建制の君主の家に生まれ、そこから逃れてきた天城燐音が大衆に訴えるという図が何よりも説得力があってよかった。明治維新で、天城燐音のような自発的に民主主義に目覚める人間がいたとしたら、日本はまあ違っただろうな、と思うが、私たちが戦後生まれだから天城燐音を創り出せるのであって、まあそれは旧日本には無理だ。民主主義ではなく、議会制度という程度の認識、江戸幕府+列藩が共和政になり、議院内閣制を採用したくらいの理解がせいぜいだったろうと思う。これは絶対王政や産業革命を経ていない日本ではごく当たり前のことと思う。よくこの、自前の頭の良さと勤勉だけで、民主主義国の歴々に立ち向かえたなあと思う。ただ、結局はトップダウン式の政治を人々が「望んでいる」のもあって、日本の民主主義というのはかなり保守的だ。今の日本の左派を見ても、「政治家は○○をしろ/するな」というだけで、自分が政治家になるとか、政治家に対して影響力のある活動をするとか、そういうことではないらしい(ように私には見える)。そもそも結局議員も世襲が強く、派閥も世襲議員を中心に回っている。このトップダウン式の1番頂点は何かと言うと、日本人が勝手に忖度している「幻想のアメリカ」だ。アメリカを初めとする欧米の意識に合わせよう、嫌われないようにしよう、というのが結局この国の大勢だ。現実的に、アメリカの核を初めとした軍事力に金を払って、防衛をアウトソーシングしているのもあり、そこにはやはり敗戦国としての力関係と悲しい自己評価の低さがあるため、「アメリカに従う」ことが与党ならびに自民党に求められることの第一義になっている。まあ私は個人的にアメリカがそんなに嫌いではないが、アングロサクソンははっきりと日本人をバカにし続けているので(というか、彼らには民主主義を生み出したという誇りがあり、日本人の猿真似など見るに耐えないと思っているだろう)、かれらの尺度でわざわざ自分たちを見なくてもいいだろうと思う。私たちは私たちの基準で世界を見ていいはずだ。そして当然アメリカより日本のほうが面白い国だし(僅差ながら)、この国に潰れてほしくないので、はやくアメリカから独立してきちんと(軍事力をバックにした)発言権のある国際社会の一員となって欲しいと思っている。17の頃から変わらない思想だ。軍事力を持つ=戦争の準備、ということで現在の日本では軍事力を持つことは忌避されているが、日本以外のほとんどの国は、どこもみな軍事力という「いざとなったら戦争してでも自国民を守る覚悟、世界すべてを敵に回しても自国民の命を優先する覚悟」を持っており、それが基本的には国家の仕事の最重要のうちの一つである。「戦争できない国」に住むということは、働いて稼いだ金の一部を税金として納めていると思いきや、捨てていると同じことだと思う。他国が攻めてきた時に、自国民を守れない政府に税金を支払っても意味がない。命の保障が国家の仕事の第一である。それは外圧はもちろん、内政においても同じ。だから人権という考え方があります。金を払ってアメリカの軍事力を頼るということは、自分たちには軍事力の決定権がないということ。イスラエルを支援しているアメリカの軍隊に多額の金を支払っている日本は、ガザ侵攻においても明確に加害者です。そのうえで、政府=国民ではないから私たちはイスラエルにNOを言い、デモをする。政府がアメリカに対して「NO」を言うことができないのでそうするわけですが、そもそも政府がアメリカに対して「NO」を言える世の中になったほうがいいと私は思います。国際社会の一員になるということは、公的にアメリカに「NO」を言える国であるということです。残念ながら、今は核兵器を持たねばそれは難しい事態となっていますが。
年始から何を長々と喋っているんでしょうね。私はbasicを読んでいないのでまだはっきりとはわかっていないのですが、結局天祥院英智がアメリカみたいなものなのかな。でも英智様よりも上に老害たちや、ゴッドファーザーなる旧世代がいるみたいだし(これは旧列強になぞらえられる)、basicでTricksterが何をやったのかがわかれば、あんスタ世界もさらに分かると思うので、basicを読むのも楽しみにしています。とにかくmusicは天城が面白い。突然の封建社会の申し子。そこからアンサンブルスクエアに飛び出してきた異分子2つ。ほかに注目株はやはり七種茨。主人公のあんずはどうなのかというと、今のところmusicでは目立った動きなし。主人公が番狂わせみたいな立ち位置だと面白いと思うんだけど、musicの第1部ではそれは天城一彩の役目だった。爽快に誰も彼をも救っていく、というか、天城燐音を救うためのスーパーヒーロー天城一彩。まさに主人公はこちらだった。ということはbasicでの番狂わせは明星スバルなのか?と思うが、そこはあんずに期待したい。あんスタは世界観構成だけではなくてキャラクターの絆や関係性も多種多様でおもしろいので、ありがたいなあと思っている。まほやくはこの点、「恋」にすべてが集約されていた(魔法使いは何にでも恋をする、恋こそが生きる理由)ので、関係性というか執着の度合いにあまりバリエーションがなかった。あんスタはユニットというものがあり、事務所というものがあり、学校があり、シャッフルユニットがあり、過去の因縁があり、過去の因縁があり、過去の因縁があるので、色々な人間が、人間との関わりに励んだり諦めたり反発したり愛したりしていて、バラエティ豊かに感じる。そもそもキャラクターが49人以上いるうえ、9年も続いているコンテンツだから、まほやくと較べることはできないのだが。ただ、まほやくのメッセージ性がかなりわかりやすいのに対して(話をしよう、よく話し合ってお互いを知った上で共に生きる道を模索しよう)、あんスタはかなりばっさりと「終わった関係」も��いており、まあ人生ってきれいごとだけじゃないよね、という冷めた、現実的に大人として生きるなら切り捨てざるを得ない人生のパーツというものを結構散りばめている気がする。まあちょっと期待しすぎかもしれないけど、三毛縞斑なんかは、見ていて痛々しいキャラクターだと思う。だからこそ桜河こはくと出逢ったことが、三毛縞斑ファンにはかなり感動的だったのではないかと思う。(この辺はよく知らないので適当ぶっこいてます。)
あんスタのスケジュール帳に日々のゲームの進捗や予定、コメントを書き込み、博文館懐中日記にその日の行動記録を書いているため、tumblrまで書きに来る気力が最近ない。上の二つをだいたい0時頃書いて寝るのが日課になっており、1月1日から続いている。
最近読んでいる本は『差別はたいてい悪意のない人がする』『客観性の落とし穴』『現代思想入門(千葉雅也)』。資本主義の〈その先〉へと、精読アレントも再開したいのだが、なぜ次から次へと新しい本に手をつけてしまうのだろう。いい加減にしてほしい。『母という呪縛 娘という牢獄』を昨晩3時間ほどで読み切ったが、何が言いたいのかわからないノンフィクションだった。というか、もし言いたいことがあるのだとして、それが私の予想通りであるならば、それは結論としては「糞」としかいいようがない本だった。児童虐待をなめている?教育虐待や精神的虐待、身体的虐待をここまで詳細にえがいておいて、なぜ「虐待」という単語が出てこないのか。虐待被害者は虐待加害者を殺すしか、もう生き延びる道がなかった、とすべての状況が言っているのに、ここにきてまだ「家族のあり方」「学歴偏重社会」だとか抜かしているのは、頭が沸いているのか?社会的養護に至れなかった被虐待児が成人してからも虐待を受け続け、トラウマケアなど遠い話で、物理的に母親という加害者から逃げられなかったという話を、ここまで「マイルド」な表現にしたのには、もはや悪意すら感じる。異常な人間が子供を虐め続けて、そのあげく子供に殺されたというそれだけの話なのに、なぜまだ子供を加害者かのように取れる余地を残すのか。異常な人間は周りがいくら何をしようが異常なまま子供を虐待するので引き離して子供を保護するしか方法がないです。こんな簡単なことをあと何千回この人生で言っていかなきゃいけないんだろう。社会との戦いは続く。私だって、「悪」なんて本当には無いよ、と言いたいよ。でもどこかで線引きしないと、誰も悪くなかったで終わるどころか、被害を訴えたやつが悪い、になっちゃうじゃん。たとえ自分がなんらかの被害を受けたとして、その憎悪の連鎖を断ち切って、自分は加害しない、と、「被害」を引き受けて生きていくのが人間ってもんだろう。好き勝手に加害して生きているやつは、逮捕されて、きちんと刑罰を受けるべき。虐待でもいじめでもなんでもそう。加害者側にも事情があった、っていうけど、事情のない人間なんかいないからね。弱いものを虐めてうさを晴らす人間の事情など斟酌する余裕はこの世にはないと思う。
2024.1.15
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3103dayo0201 · 9 months
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3曲目のパイナップル・クッキー食べる・パンサー気取り・シュガーコーン・刺さらねえ・ナルシスト・真似すんな。   なんか、これ聴いて、最初ちょっとイラってしてたの。どんな連想が始まってたかっていうと、20代とか30代もかな、わたしはパイナップルポニーテールをたまにしてて(中森明菜のなのだけど)、会社の誰か1人にだけ、「中森明菜に似てるって言われない?」と言われることがあったから。涙袋が大きいからそう見えるのかなとかって思ってた。でもカラオケで一番歌いやすいのが明菜ちゃんなの。だから、少し骨格似てるのかもしれない。   それで、アメリカに居たとき、すし職人のあっちゃんの彼女がクッキー屋でバイトしてて、で、そこのピーナッツバターが塗り込んでるクッキーと、マカダミアナッツとホワイトマシュマロが入ってるクッキーが好きで、いっつもバイト先に持ってきてくれてて、いっつも食べてた。同じ時期に日本に帰った名前忘れたんだけど、一緒に短期間働いてた女の子があたしのこといっつもクッキー食べてるからクッキーって呼んでた。それはそれであたしも凄い楽しくて。   パンサー気取りはあたし、その印刷出版会社で作った動物占いの冊子でコアラだって知ったんだけど、これ凄い流行って、妹とローソンとかで出力するなんかがあって、5アニマルズというもので出力してみたら(500円)真ん中がコアラなのに5つの周りの動物が全て黒豹だって出力結果だったのね。ある意味、パンサー気取りなわけ。   シュガーコーンなんてのは砂糖で出来てるから熱で溶けるものだし、苗字は佐藤だしなとか。刺さるわけねーだろとも思った。チバちゃんは刺さる歌詞を一杯書いてる。べつにあたし、詞を書く人間ではないけど、なぜか、洋楽の翻訳したくてしたの。というのも、この曲気になるってワンフレーズで思ったら、かならず読んでたの。そうすると、あたしの求める何かが書いてるから、落とし込むのに翻訳のような意訳してた。自分の為に。   ナルシストなんかじゃ全然ないし、逆にナルシストなカウンターに来る野郎に悪態ついてたけど。でも、ナルシストって、ナルキッソスで、あの神話の男って、いっつも自分の姿を水鏡に映してるじゃん。だから、真似どころか、同じなんだよ。   そう頭と感情と心の中で流れていって、怒りが消えたみたいな感じ。  
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