Tumgik
#フランス式耳つぼ
ari0921 · 4 months
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和六年(2024年)6月6日(木曜日)
   通巻第8280号 <前日発行>
 アメリカは中国を打ちのめす野心に乏しい
  「米中冷戦」はズルズルと、どちらかが刀折れ矢尽きるまで
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米中関係が緊張の度合いを高めている。米国と中国は戦略的影響力を競い合う二つの大国であることには間違いない。両国は自由民主主義国家と権威主義国家という二つのイデオロギー圏の対抗リーダーでもある。
「ツキディデスの罠」にしたがうと、どちらか一方が滅びるまで戦いは続くのだが、米国では中国の脅威認識は八割近くに達するものの、「中国を木っ葉微塵にやっつけろ」とする強硬論は少数派である。
米国の中国論壇は分裂している。
かたや「中国共産党(CCP)は自由主義的な政治価値観に基づく政府と平和的に共存することはできない」と主張し、「抑圧された中国国民を救済する」のみならず、自衛のためにも「自由世界は中国共産党打倒に取り組まなければならない」とする。この訴えはメディアが殆どつたえない。
 典型がマイク・ポンペオ国務長官(当時)の演説だった(2020年7月。加州ニクソン記念館で)。ポンペオは「自由を愛する世界の国々は、中国に変化を促さなければならない。今、行動しなければ、最終的に中国共産党が我々の自由を侵害することになる。そうなれば我々の子孫が中国共産党のなすがままになるかもしれない」と警告した。
 2019年10月のペンス副大統領(当時)の演説は大きく注目された。ペンスは、中国に現実的な関係構築を呼び掛けた演説だった。
ポンペオ演説は、中国共産党と自由・民主主義国家を明確に対比させ、「自由主義の世界は独裁体制に勝利しなければならない」と強硬な姿勢が目立った。
「中国が繁栄すれば民主主義に転換する」などと淡い期待の下での『関与政策(エンゲージメント)』は失敗だったと総括し、1970年代の米中国交正常化を主導したニクソン元大統領が言った「中国が変わらない限り、世界は安全にはならない」を引用して「自由主義の同盟諸国が立ち上がって中国の姿勢を変えるときだ」と直接的な軍事対決には言及しなかった。
 ▼フォーリンアフェアーズにも強硬論文が登場
 『フォーリン・アフェアーズ』(24年5/6月号)で、マット・ポッティンジャー(トランプ政権の国家安全保障担当大統領副補佐官)と連邦議会下院の中国問題委員会委員長だったマイク・ギャラガーが「米国政府は中国共産党の打倒を米国の対中政策の主要目標にすべきだ」と主張した。
「中国共産党政権は、自由主義的価値観を堅持する世界を容認できない。緊張緩和を求めることは米国にとって裏目に出る。したがって米国は中国との競争を『管理』するのではなく『勝つ』よう努めるべきだ」と唱えた。
このような言い分は、現在民主党が牛耳る米国政府の公式政策とは異なっている。
第一に、北京はもはや「激戦または冷戦」において米国または米国同盟国に勝てるという希望を持たなくなっている。
第二に、中国政府は「抑圧的」ではなく、むしろ「共産主義独裁から解放される」とブリンケン国務長官は云うのだ。「我々は中国の政治体制の変革を求めているわけではない」。
随分と融和的な主張だが、目の前にウクライナとイスラエルが絡みつき、これ以上中国にまで戦線を広げることは得策ではないとの判断からだろう。
しかし中国の政治体制の変革を求めないのならば、覇権争いは最初から米国の負けとなるのではないのか。西側は口先介入で誤魔化したから香港は完全に中国共産党管理下に入り香港の自由は殺された。バイデン政権は制裁の継続と拡大で中国の経済力を弱めることに集中している。
他方、中国共産党にとってはその政治権力の独占体制を死守することにある。
中国政府の核心的利益であり、これを攻撃する意図をアメリカが表明するという意味は「中国の完全な敵と位置づけることになって逆効果だ」
とブリンケンは唱えるのである。
 中国メディアはバイデン大統領が2022年のバリ島APECで、また2023年にカリフォルニアAPECで習近平主席と会談した際に 「米国は中国の制度を尊重しており、それを変えようとはしていない」としたポイントを力説し繰り返している。
儀式的なレベルでは、習近平の世界安全保障構想は アメリカを永遠の敵とは考えておらず、むしろアメリカを平和的に共存する世界の一部と見なしている。あくまでも言葉の上のレトリックにせよ。
 中国は米国よりも「民主的」であると主張する。
 (よくそんなことが言えるなぁ)
習政権は「西洋の立憲民主主義」と「普遍的価値」の理念が党の指導的地位の維持に及ぼす脅威を非常に重視している。中国の外交は、米国の世界的な威信と影響力を弱めることに執着している。
習近平が2013年に最高指導者となったとき、中国は世界経済の中心的地位を獲得し、米国との軍事力の差を縮めていた。
習近平が拡張主義的なのは、権威主義的であるというだけでなく、中国が現在、相対的に優位な力と影響力を享受しているという信念に基づいているからだ。
歴史的にみても英国、フランス、オランダ、米国などの「民主主義国家」が、過去に先住民の同意を得ずに植民地を奪取してきた。中国は、依然として日本を憎み、台湾と南シナ海は中国のものだと信じている。中華民国(台湾)は民主主義国であるにもかかわらず、台湾をかならずや統一する、武力行使も辞せずと脅しをかけ、また尖閣諸島と南シナ海をめぐっても一切の根拠を示さず領有権を主張し続けている。2016年の国際仲裁裁判所によるフィリピン有利の判決を中国に対して拒否した。
国際貿易や金融に視野を移せば、米中両国は貿易と投資の管理を必要としているし、気候変動、健康、環境保護、犯罪などの国境を越えた問題では米中の連携が不可欠だ。また偶発的な軍事衝突を防ぐために、相互に意思疎通を図る必要があることも言を俟たない。
経済学でモルガンスタンレーの主任エコノミストだったスティーブン・ローチは『サウスチャイナ・モーニングポスト』(6月3日)でこう述べた。
「米国の対中保護主義は歴史的な大失態で『新たな永遠の戦争』になる危険がある」
ローチは「わたしは過去中国経済について楽観的だった。その時代は終わった。生産効率の低下が質の高い成長を裏切り、中国は世界で最も強力な経済の原動力であるにもかかわらずパワーは衰退している」とした。
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chaukachawan · 3 months
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ヤクシャショウカイ
どうもー、36期ラムダです。カタカナで「ラムダ」を正式にしようと思っていたのですが個人的にひらがなの方が好きなんですよねえ。あとひらがならむだだと物理のラムダから離れられてる気がするのも良いです。
人とお話しするのが好きなのでほぼ全員分かけるぐらいには話させていただいたと思うのですが、体力の都合上、同じ脚本と36期だけにさせてくださいっ
そして面白いお題がナーンにも思いつきません。シンプルに書きます。いざ、参る。(敬称略)
注 ありえんぐらい長いです。冗長です。
鯊馳果迄   多崎(現在) 
今ここに芸名をかくだけでも漢字むっじい!ってなりました☺️最初に学食で一緒にご飯食べて話した時、あー仲良くなるわこの人多分。ってなりました。そっちがどう思ってるかは知りません。演劇への向き合い方はもちろんすごいし、映像も宣伝美術も、僕よりぜーんぜん忙しいはずなのにサラーっとやるよね。日頃僕が一番あなたを容赦なくいじめてると思いますけど尊敬はしてますよ、だいぶ。根っこの部分の優しさというか責任感というか。地球防衛軍いっしょにやろーぜ。
茶兎もぐ  岡田(現在)  
いやーすごいよほんとに。最初の方は毎稽古ロキさんと付きっきりでやっててイヤにならないかな?って心配になるぐらいだったけど稽古終わりで喋ってみたら、楽しい、上手くなりたい、挙げ句の果てにロキさんが一番かわいい。演劇に対する熱意やべえなってなったし、実際めちゃうまくなったし。2人で稽古した時もここはこういう理由でこっちの言い方がいいと思うって具体的に真剣にダメを出してくれて。人間って短時間でこんな変わるんだなあと(いい意味だよもちのろ���)すごい。見習いたい。ほんとに。
黒井白子 岡田(過去)  
演劇サイボーグっていうか、演劇ゾンビって感じがします。白子さんは最初に脚選でプレゼンしているのをみた時から、ガッチガチの人だあっていう印象です。でも初心者に優しいタイプのガチ勢でした。わざわざ資料を自分で作って刷って演劇序論を開講していただいて、演劇の大先輩として色々おしえていただいて、、白子さんが同じ脚本でほんとに良かったなぁとしみじみ思います。個人的には暇な時にやるゴリゴリのパントマイムがめちゃ好きです。
三十路  海野詩  
最初の稽古から目をバチっと合わせて稽古してくださって、最近やっと慣れてきました。うまいうまいと言ってくださって、でも先輩としてのアドバイスもしっかりしていただいて、精神的にすごく助けていただいたなと思います。何より何よりほんっとに優しい。また恋バナ入荷されたら教えてくださいね。
緒田舞里  藤井   
新歓隊長をしてくださっていたからかわかりませんが、ちゃうかと言えばこの人!って感じがすごいです。なんていうんでしょう、半端ない中心人物感。これだけ人間がたくさんいる団体で気を配って取り仕切って、ハイパー人間すぎますね。しかも演技指導がわかりやすううういい、てりまかしばにゃっくです
苔丸  学生A
第一印象はチャリ塗りの人でしたが今の印象は完璧にこけえもんさんです。もうほんとにぴっったりだと思います。ちゃうかは視野広くて気を配れる人が多いですがぶっちぎりですね。配りすぎて気が無くなっちゃうんじゃないでしょうか。4次元サイドバックで何人の人を救ってるのでしょうか。演出補佐さんとしても、どんな質問しても笑顔で考えてくれます。さいこうだっっこけえもーーん!!(敬称略ですよ?)
水琴冬雪  プロデューサー  
第一印象は寝坊の人でした。失礼ですいません。でもベガさんの演劇に対する知識と技術と熱量を最初に稽古した時に思い知らされて衝撃だったのよーく覚えてますね。色んな人に言われてると思いますが、ダメがすごい!ほんとに!!一番好きです、ベガさんのダメ。ずばーーんとど真ん中ストレートなダメをわかりやすい言葉で伝えてくれます。あと話してて楽しいですすごく。いっぱい話しかけますね。
岡崎仁美  店員  
ちゃうかネーム決めでなかなかおわらない大量の36期をぱっぱとまとめて名前を決めまくってくださいましたね。円滑に進むようにバシっっと言わなきゃいけないことは言ってくれるというのがすごいなーと。誰にもできるようで全然できない。ほんとに縁の下の力持ちって感じがします。使い方あってますかね。また阪神戦行きましょう!
宮濵一颯  我らが演出
もうここまできたら時効だと思いますし僕はほんとに嬉しかったので書きますが、ロキさんがエンドロで多崎やってくれないかと耳打ちしていただいて、僕のちゃうかライフは始まりました。理由はどうであれ、あまりにもビギナーな自分に来ないかと言っていただいたのがどれだけ嬉しかったか。全力でやってやろうと本気で思いました。ぶらんほどロキさんかわいいとはなりませんが、やっぱりロキさんの人を惹きつける魅力みたいなものはすごいなと思います。天性のものですよね。どう言えば良いのかはわかりませんが。僕はロキさんが行っちゃう前に乾杯できるように早めに二十歳になっておきました。乾杯しますよ、頼みますよ!?
同期ターイム
うみつき
あー、天才。仲良くなりたいと思わせる魅力が満載すぎるなと思う。ほぼ初対面で多摩をいじってきた時に本物だなと確信しました。演技は言わずもがなです。うん、すごい。 
那須智むぎ
なんか、かっこいいなと思います僕は。演劇もオペも楽しそうにさらっとこなして。先輩とも同期とも誰とでも仲良く話して。最初数学科っていうのでクセ強ボーイかなと勝手に思ってたけどほんとに余計な心配でしたね。いくらでも起こしてあげるからこれからもよろしくお願いいたします。36期で誰になりたいですかと言われたらむぎです。
一言で言うなら良い人。良い人の権化。先輩から好かれてる理由もよーーくわかります。物腰低いけど言いたいことをしっかり伝えてくれるし、そう言う人間としての安心感みたいなのが良い人って感じる原因でしょうか。人のことよく見てるなって思います。でも、寿司はネタとシャリ同時に食べた方が美味しい。絶対。
東愛莉
しっかりしてるなあって感じ。10ヶ月もこちらが早く生まれてるのに全然しっかり度負けまくりですね。演技の時の表情の豊かさがすんごい。どこで学ぶんでしょう。
桐生芙愛
色んな人に楽屋でかわいいかわいいって言ってるイメージが強いなあ笑、でも同期でご飯食べましょって言ってくれたり、男子のくだらん会話にも笑顔で入ってくれたり。なんて言うかなあ、クラスのありがたい女子(?)って感じがします。教科書を借りたお返しせねば。
響夜
なんか当たり前の顔してさめちゃ多忙な時間割こなすのやめてくんないかな!?普通の課題しかないのにヒーヒー言ってるこっちが恥ずかしいじゃないか!楽屋ではほぼ麻雀やってるとこしか見ないしさあ。生き方が上手いなあといつも見てて思いますね。麻雀打てるようになりたい。
張潤玲
まず絶対みんなから言われることをさき言いますよ、日本語うっっっめえええ!!こんな難易度鬼言語余裕で使えてる意味がわかりません。もうそれだけで頭上がりません、すごすぎて。しかもアナウンサーめっちゃしっくりきてるし、話したらちゃんと面白いし。中国語とってたら本場のやつ教えてもらえたのかなと、たまに後悔します
大良ルナ
36期が短期間で仲良くなったのなんでか考えてみたんです。あなたがLINEアイコンいじってからだと思うんです。最初にご飯食べませんかって言ったのも確かあなたです。なんかそういうみんなが踏み出しにくい一歩をさらっとおっきく踏み出せるのがすごいなと。ありがたい。あと、最初の通しの時の衝撃。あれは忘れらんないですね。なんかなりきるとかじゃなくて憑依、みたいな。ベガさんのいう通り楽しそうにやるよね、尊敬。
錫蘭リーフ
最初に一緒にご飯食べてくれた同期は君ですね。まさか駿台の時の話を大学きてからできる人がいるとは。演劇大大大先輩なはずなのに同じ目線で相談したらスパッと答えてくれるのがありがたい。もっと話したいなーと思う1人ですね。とりあえず一回お家にお邪魔させてください!
宙音暁莉
なーんでそんな早起きなのにいつも元気なんですか?なーんでイラストでもなんでも話題が出たその日中に当たり前のように書いちゃうんですか。行動力オバケ。あ、あなたも吹田支部配属予定でしたね。盛り上げていきましょう
紫苑
なんかクソカッケェな芸名。最初の脚本決めで最初に話してくれた人。めちゃありがたかったの覚えてます。それでも君とはまだまだ話し足りないなと思っておりますよわたくし。とりあえず言えるのは演技上手くなってんな!?
雨々単元気
いやーオペ席から見るあなたの演技いいですよお、なんか声が良い。聞こえやすい。振り切れる感じが最高。色んな人に言われてると思うけど、36期ソロでやってんのバケモンだろ普通に。あと趣味あいまくりなんだよなあ。破とQの間がもし出るようなことがあればあなたを絶対に誘います。かもん。
月銀蓮
一方的に君とは仲良くなりたいと言い続けて引かれてないでしょうか。滲み出る良い人感。通しでもすごいよって言ってくれるし照明めちゃうまいし。なんかあったかい。もっともっと話したいですよ僕は。
きなこ
あなたも良い人感だだ漏れタイプですよね。どういう風に生きてきたらそんなやさしーーい雰囲気を出せるんでしょうか。フランス語がどーしても詰んでしまった場合助けを求める可能性があります。なにとぞなにとぞ。
小佐々優大
我らがエンドロの照明。言われたことを一瞬で反映しちゃうからすごいよね。マスターという名前似合いすぎてるなといつも思います。
オーム
絶対勉強多忙なのに同じ36期としてやれてるのがもう嬉しい。会うチャンスがあんまりないからそこまで話せてないのが結構本気で残念なんですけど。同じ浪人生組(おこがましいかな)として仲良くしてくださいっ!
はーーーかきすぎました。思ったこと全部書いたらこんなことになってしまいました。ここまで全て読んだ人はだいぶ暇人ですね。長々と失礼いたしました。
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kachoushi · 8 months
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各地句会報
花鳥誌 令和6年2月号
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坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和5年11月1日 立待花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
星の出るいつも見る山鳥渡る 世詩明 人の世や女に生まれて木の葉髪 同 九頭竜の風のひらめき秋桜 ただし 太陽をのせて冬木の眠りけり 同 生死また十一月の風の音 同 朝湯して菊の香に上ぐ正信偈 清女 懸崖の赤き菊花の流れ落つ 誠
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年11月2日 うづら三日の月花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
秋空の深き水色限りなし 喜代子 故里は豊作とやら草紅葉 由季子 菊花展我等夫婦は無口なり 同 しぐれ来る老舗ののれん擦り切れて 都 狛犬の阿吽語らず冬に入る 同 謎々のすつきり解けた小春の日 同 杣山の織火となりぬ紅葉山 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年11月4日 零の会 坊城俊樹選 特選句
綿虫と彼女が指せばそれらしく 瑠璃 梵鐘のはらわたに闇暮の秋 緋路 逝く秋をくづれゝば積み古書店主 順子 綿虫や浄土の風が抜けるとき はるか 太き棘許してをりぬ秋薔薇 和子 弥陀仏の慈顔半眼草の花 昌文 綿虫のうすむらさきや九品仏 小鳥 参道で拾ふ木の実を投げ捨てる 久 綿虫は仏の日溜りにいつも 順子 香煙はとほく菩提樹の実は土に 小鳥
岡田順子選 特選句
腰かける丸太と秋を惜しみけり 光子 九品の印契結ぶや冬近し 眞理子 古に大根洗ひし九品仏 風頭 綿虫や浄土の風が抜けるとき はるか 奪衣婆の知る猿酒の在り処 光子 神無月ならば阿弥陀も金ぴかに 俊樹 蚤の市に売る秋風と鳥籠と 和子 下品仏とて金秋の色溢れ 俊樹 綿虫と彼女が指せばそれらしく 瑠璃 梵鐘のはらわたに闇暮の秋 緋路
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年11月4日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
ありきたりの秋思の襞を畳みをり かおり 秋日入む落剝しるき四郎像 たかし 返り花ままよと棄つる文の束 美穂 凩や客のまばらな湖西線 久美子 凩のやうな漢とすれ違ふ 睦子 小鳥来る小さなことには目をつむり 光子 流れ星キトラの星は朽ちてゆき 修二 凩に雲や斜めにほどかれて かおり 人肌を知らぬ男のぬくめ酒 たかし 老人が老人負うて秋の暮 朝子 冬の日や吾が影長く汝に触れて 同 身に入むや妣の財布の一セント 久美子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年11月10日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
秋思消ゆ「亀山蠟燭」点せば 悦子 この町へ一途に滾り冬夕焼 都 新蕎麦を打つ店主にも代替はり 佐代子 添ふ風に方位はあらず狂ひ花 悦子 HCU記号音満つ夜の長し 宇太郎
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年11月11日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
トランペット響く多摩川冬に入る 美枝子 竹林の風音乾き神の留守 秋尚 公園の隣りに棲みて落葉掃く 亜栄子 句碑の辺の風弄ぶ式部の実 同 新のりの茶漬に香る酒の締め 同 歩を伸ばす小春日和や夫の癒え 百合子 朔風や見下ろす街の鈍色に 秋尚 ぽつぽつと咲き茶の花の垣低き 同 リハビリの靴新調し落葉ふむ 多美女 濡れそぼつ桜落葉の華やぎぬ 文英 露凝りて句碑に雫の朝かな 幸風 大寺の庭きりもなや木の葉散る 美枝子 山寺の風の落葉を坐して聞き 三無
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年11月13日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
風除の日だまりちよっと立ち話 和魚 風除の分厚き樹林影高き 秋尚 揚げと煮し切り干やさし里の味 あき子 薄日さす暗闇坂に帰り花 史空 渦状の切干甘き桜島 貴薫 切干や日の甘さ溜め縮みたる 三無 風除けをせねばと今日も一日過ぎ 怜 切干や少し甘めに味継がれ 秋尚
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年11月13日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
確かむる一点一画秋灯下 昭子 幽玄な美女の小面紅葉映ゆ 時江 釣り糸の浮きは沈みし日向ぼこ 三四郎 六地蔵一体づつにある秋思 英美子 赤い靴なかに団栗二つ三つ 三四郎 着飾りて姉妹三人千歳飴 ただし 正装で背中に眠る七五三 みす枝 雪吊の神の恐れぬ高さまで 世詩明 七五三五人姉妹の薄化粧 ただし トランペット音を休めば息白し 世詩明
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年11月14日 萩花鳥会
夜鴨鳴く門川住居六十年 祐子 捨てられて案山子初めて天を知る 健雄 ゴルフ玉直ぐも曲るも秋日向 俊文 山茶花や現役もまた楽しかり ゆかり 舟一艘ただぼんやりと霧の中 恒雄 献茶式津和野城下や朝時雨 美惠子
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令和5年11月14日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
秋の暮百均で買ふ髪飾 令子 虫食ひの跡そのままに紅葉かな 紀子 背の丸き鏡の我やうそ寒し 同 小春日や杖つく母を見んとする 令子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年11月15日 福井花鳥会 坊城俊樹選 特選句
小春日や日々好日と思ひたり 世詩明 禅林を通り来る風秋深し 啓子 何事も無き一日や神の旅 同 炉��きの一花一輪定位置に 泰俊 一本の池に煌めく櫨紅葉 同 三猿を掲ぐ日光冬日濃し 同 立冬こそ自己を晒せと橋の上 数幸 小六月笏谷石は饒舌に 同 如何にせん蟷螂は枯れ僧恙 雪 猫じやらしもて驚かしてみたき人 同 一匹の枯蟷螂に法の庭 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年11月17日 鯖江花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
小鳥来る赤き実に又白き実に 雪 幽霊の出るトンネルを抜け花野 同 おばあちやん子で育ちしと生身魂 同 見に入みぬ八卦見くれし一瞥に やす香 時雨るるやのつぺらぼうの石仏 同 近松忌逝きし句友の幾人ぞ 同 季は移り美しき言葉白秋忌 一涓 菅公の一首の如く山紅葉 同 落葉踏み歩幅小さくなる二人 同 冬ざれや真紅の句帳持ちて立つ 昭子 今日の朝寒む寒む小僧来たりけり やすえ
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年11月17日 さきたま花鳥句会
からつぽの空に熟柿は朱を灯し 月惑 白壁の色変へてゆく初時雨 八草 六切の白菜余すひとり鍋 裕章 一切の雲を掃き出し冬立ちぬ 紀花 小春日や草履寄せある躙口 孝江 柿を剥く母似の叔母のうしろ影 ふゆ子 いわし雲よせ来る波の鹿島灘 ふじ穂 鵙たける庵に細き煙たつ 康子 雲切れて稜線きりり冬日和 恵美子 水鳥の羽音に湖の明けにけり 良江
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令和5年11月18日 伊藤柏翠記念館句会 坊城俊樹選 特選句
紫のさしも衰へ実紫 雪 蟷螂の静かに枯るる法の庭 同 二人居て又一人言時雨の夜 清女 母と子の唄の聞こゆる柚子湯かな みす枝 還りゆく地をねんごろに冬耕す 真栄 帰省子を見送る兄は窓叩く 世詩明 人に無く芒にありし帰り花 同 香水の口よりとどめさす言葉 かづを 時雨をり故山の景を暗めつつ 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年11月19日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
浮寝鳥日陰に夢の深からむ 久子 呪術にも使へさうなる冬木かな 久 無敵なる尻振り進む鴨の陣 軽象 冬日和弥生も今も児ら走る 同 冬蝶の古代植物へと消えぬ 慶月 谿の日を薄く集める花八手 斉 冬天へ白樫動かざる晴れ間 慶月 青空へ枝先細き大枯木 秋尚 旋回す鳶の瞳に冬の海 久 冬の蜂おのが影這ふばかりなり 千種 水かげろうふ木陰に遊ぶ小春かな 斉
栗林圭魚選 特選句
竹藪の一画伐られ烏瓜 千種 遠富士をくっきり嵌めて冬の晴 秋尚 白樫の落葉急かせる風のこゑ 幸風 切り株に鋸の香遺る冬日和 久子 四阿にそそぐ光りや枯れ芙蓉 幸風 白樫の木洩れ日吸ひて石蕗咲けり 三無 小春の日熊鈴つけしリュック負ひ 同 青空へ枝先細き大枯木 秋尚 寒禽の忙しく鳴ける雑木林 貴薫 草の葉を休み休みの冬の蝶 秋尚 逞しく子等のサッカー石蕗咲けり 亜栄子 甘やかな香放ち桂紅葉散る 貴薫 あづまやの天井揺らぐ池の秋 れい
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年11月26日 月例会 坊城俊樹選 特選句
薄き日を余さず纏ふ花八手 昌文 耳たぶに冬の真珠のあたたかく 和子 黒松の肌の亀甲冬ざるる 要 雪吊をおくるみとして老松は 緋路 冬空を縫ふジェットコースターの弧 月惑 ペチカ燃ゆフランス人形ほほそめる て津子 上手に嘘つかれてしまふ裘 政江 嘘つつむやうに小さく手に咳を 和子 手袋に言葉のかたち作りけり 順子
岡田順子選 特選句
池一枚裁ち切つてゆく鴨の水尾 緋路 黒松の肌の亀甲冬ざるる 要 自惚の冬の紅葉は水境へ 光子 玄冬の塒を巻きぬジェットコースター 同 光圀の松は過保護に菰巻きぬ 同 ペチカ燃ゆフランス人形ほほそめる て津子 雪吊を一の松より仕上げをり 佑天 不老水涸れをり茶屋に売る団子 要 遊園地もの食ふ匂ひある時雨 俊樹
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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knockout1207 · 1 year
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【UTR≡CHT】俯瞰音子さんの名前の考察
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今回は匿名音楽ユニット「ユトレヒト」の俯瞰音子(Fukan Neko)さんの名前について考察をしてみようと思います。
まず俯瞰(ふかん)と、音子(ねこ)に分けて考えます。
俯瞰は「下に見下ろす」という意味です。
音子は発音をそのまま漢字にすると「猫」になります。
単純に考えると高い塀に登って地面を見下ろしている猫かもしれません。
では、もっと高いところから見下ろしている場合はどうでしょうか?
そう。
空を飛んでいる鳥の目線です。
英語でも俯瞰は「bird's-eye view」と表現します。
🦅(鳥)≠🐈‍⬛(猫)
(※ノットイコール(≠)は同じ(=)ではないという意味です)
つまり1人の名義ではなく、俯瞰さんと音子さんに分かれた2人名義ということなのかもしれません。
灰色の子のキャラクターデザインも左右の目の色が違うので、鳥の目(俯瞰さん)と猫の目(音子さん)という暗喩でしょうか?
次にシュレディンガーの猫箱からの考察。
『こうもり問題』です。
分類する時に A にも B にも分類できる場合、どちらに分類すればいいかという問題。
コウモリは鳥に分類されるか獣に分類されるか。
🦅≡🐈‍⬛ (mod 🦇)
(※「🦅を 🦇で割った余り」と「🐈‍⬛を🦇で割った余り」が等しい)
この図式が成り立つなら、本当は1人?
でも最初の方の呟きで(時間は午後8時)
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泡と六角氏の家紋と桜の花と、3つのマークが揃っていたので、俯瞰(🦅)さんと、瞰音(🦇)さんと、音子(🐈‍⬛)さんの3人の連名のような気がします。
もう少し考えてみます。
ロゴについてです。
背景が黒の円で人物が黒抜きの夜を思わせるロゴと、白い背景にユトレヒトの文字のCの部分に人物の横顔があるロゴが、最初と2回目の呟きで登場しました。
一応日本を基準として考えますが、日本が夜だった場合、同時刻に昼の国もあります。時差があるのです。
国際基準の子午線を基準に考えるとイギリスのイースト・ライディング・オブ・ヨークシャー等、東経0度0分から1日がはじまります。
イーストランディング・オブ・ヨークシャーの旗は、偶然にも灰色の子の目の色と同じですね。
“地域の旗 旗日: 2013 年 4 月 18 日 旗デザイナー: トレバー & トーマス・アップルトン
白いバラはイーストライディングスタイル(通常のヨークシャーローズとは逆さま)で飾られています。 青は海洋活動、緑は農業を表しています。 青はヨークシャー全体とライディングのつながりを表すためにホイスト側に配置され、緑は東への位置を表すためにフライに向かって配置されます”
だそうです。
昔はロンドンのグリニッジ子午線が使われていました。
私が子供の頃に習ったのはロンドンだったので、英語と日本語で考察してみます。
まず俯瞰を英語、音子を日本語として考えます。
bird's-eye view(鳥の目線)と出てくるのを無視して、「look down」で調べてみます。
look downには動作の「下を見る」以外の慣用句があるようです。
look down on 🐈‍⬛で「猫を見下す」みたいな意味になります。
またlook downは「浮かない顔」やlook sadと同じように「悲しいそうな」意味合いでも使えるようです。
次に音子について考えます。
音として猫(Cat)が思いつきます。
また音と子を分解すると猫が消えます。
子は干支のネズミかもしれません。
「Le chat parti, les souris dansent.」
「猫がいなくなるとネズミが踊る」というフランス語の慣用句です。日本の「鬼の居ぬ間に洗濯」みたいな意味があります。
俯瞰の瞰という字を分解すると目と耳がありますし、攴部(攵ぼくぶ)という、棍棒で叩いたり、鞭打ったりする攻撃的な意味合いの部首があります。
瞰音(🦇≡💠)さんが総合プロデューサーとして、取り仕切っているということかもしれません。
『瞰音』何となく字面だけ見ると「観音(かんのん)」とも読めそうな気がします。観音様の名前の由来は「観察された(avalokita)」+「音・声(svara)」らしいです。
🦅と🐈‍⬛は🦇に監視されているのかもしれませんね。
また「子」という漢字は一(1)と了(終わり)で構成されています。
音を最初(C)から最後(B)まで扱う人ということでしょう。
そう考えると🐈‍⬛の方は、音楽プロデューサーのAnonimity.さんも含まれていそうです。
(Anonimity.さんの方もアノニマス同様複数名義かもしれません)
また、音子の漢字を「ネ、コ」と読まず「オト、コ」と呼んだらどうでしょう。
男。
��・・・・・・。
ずっと可愛らしい名前に騙されていましたが、🐈‍⬛の方は男性かもしれません。
俯瞰の英語、look downに合わせてみます。
「look down on man(男).」なら「男を見下す」という意味になります。
この解釈なら、まだ僅かに女性である可能性がありそうです。
ですが「look down man.」なら、「俯く(悲しそうな)男」になってしまいます。
なお、シュレディンガーの猫箱で書いたBox and Coxの元ネタの下宿人は2人とも男性です。
・・・・・・・。
これらの考察は全てフィクションなので、墓場まで持っていこうと思います。
事実は確認しなくて良いのです。フィクションなので。
🐈‍⬛は女性で良いと思います。
(🏳️‍⚧️女性と言えば女性の時代ですし)
ファンにとって恐らくそれが一番幸せなことでしょうから。
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hosizorayoukai · 2 years
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【さようならカッシーニ】グランドフィナーレ・土星最後の50枚・土星の実音を収録!(Saturn #3)
カッシーニが最後の力を振り絞って送ってくれた最後の生画像50枚と 土星が発するプラズマを実際の音として変換し収録!
ありがとう!探査機カッシーニ。 そして、長い間お疲れさまでした。
カッシーニの撮った画像と音楽でつづる土星の旅の第3回目。 1997年の打ち上げから、2017年の土星へ突入するまでの20年間の記録を全3回でお送りします。
第3回目となる本動画は、カッシーニの最後のミッション、 「グランドフィナーレ」の活動記録と、木星の天体たちの別れの記録を 生画像をそのまま公開しています。
📝目次📝 ------------------------------------------------- 0:00 カッシーニの最終軌道 0:26 グランドフィナーレの軌道 1:23 エンケラドゥスとの別れ 1:47 タイタンとの別れ 2:18 カッシーニ土星へ突入 3:37 土星の実音
🎦「カッシーニ20年の記録」見逃し配信はこちらから🎦 ------------------------------------------------- ★第1回 土星最大級の「嵐」と神秘的な「環」 https://youtu.be/zC3x3hs9Wtg
★第2回 土星の「オーロラ」と六角形極のミステリー「巨大ハリケーンの核」 https://youtu.be/zC3x3hs9Wtg
★第3回さようならカッシーニ・20年の旅「最後の50枚」と土星の「実音」 https://youtu.be/rL6ZBHTMY3s
土星の旅に浸りながら、探査機カッシーニと 超美麗な土星の環の芸術を目や耳で感じて、 疲れた頭をいやしていただければ幸いです。
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▼元ちとせ カッシーニ(土星に環がある理由) 歌詞 - 歌ネット https://www.uta-net.com/song/68859/
▼【中古 - 非常に良い】カッシーニ/元ちとせ(初回生産限定盤)(CDアルバム・DVD付) https://a.r10.to/hUE337
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▼【お取寄 約3-7日間】カッシーニ・ミッション作曲:三澤 慶【金管8重奏-アンサンブル譜】 カッシーニの長い旅路の途中の出来事を5分間の中に集約し表現した作品。 https://a.r10.to/huEfyO
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📘資料・出典📘 ------------------------------------------------- ▼公式サイト – NASA Solar System Exploration https://solarsystem.nasa.gov/
▼ESA/Hubble https://esahubble.org/
▼カッシーニ・ホイヘンス - 土星探査機 - NASA ジェット推進研究所 https://www.jpl.nasa.gov/missions/cassini-huygens
📀使用ソフト📀 ------------------------------------------------- ▼Space Engine –宇宙シミュレーターソフト http://spaceengine.org/ ロシアの天文学者でプログラマによる独自の3D宇宙空間 シミュレーションソフトウェアおよびゲームエンジン。 ※当動画は、Proライセンスを取得して配信しています。
▼CeVIO AI すずき つづみ 深層学習等のAI技術を使い、声質・癖・喋り方をリアルに再現した 新世代の音声創作ソフトウェア最新版!
・すずき つづみ(ベクターPCショップ) https://pcshop.vector.co.jp/service/catalogue/cevioai_tsudumi/index.php この動画はCeVIOプロジェクトの「すずき つづみ」を使用しています。
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lampmusic · 5 years
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60's Magic of 60 Songs
僕が大好きな60年代の音楽のプレイリスト「 60's Magic of 60 Songs 」をSpotifyで公開しました。
Spotifyプレイリストへのリンクは下記になります。
“60's Magic of 60 Songs” on Spotify
下に1曲ずつ簡単な曲紹介というか、個人的なコメントを書きました。
簡単なといっても、60曲あるので、分量がすごく多いです。。
興味がある方は聴きながら読んでもらえたらと思います。
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01.Les Masques 「Dis Nous Quel Est Le Chemin」1969 フランスで制作されたブラジル音楽。アルバム自体は基本的にはジャズサンバにフランス語を乗せた形です。 ピアノとヴィブラフォン、マリンバで作り出すオリエンタルな雰囲気が不思議な曲。 バンド・サウンドにこういうちょっと変わった楽器入れるだけで雰囲気が全然変わるんだなぁと思いました。 Djavanの「Nereci」という曲と共通する雰囲気を感じる曲。
02.Nirvana 「I Never Had A Love Like This Before」 1967 イギリスの二人組のニルヴァーナ。 イントロのピアノのコードからただならぬ感じ。このコード進行は自作曲の「ムード・ロマンティカ」で使わせてもらいました。 アレックス・スパイロパウロスの優しい歌声と絶妙な旋律。そして曲に深みと広がりを持たせるアレンジ。 美しさとオリジナリティを同時に感じる最高の1曲ですね。
03.Armando Trovaioli「Francoise」1967 これまたイントロから怪しい曲。普通じゃない。 こういう雰囲気の音楽を作りたいなぁと、心の中でずっと思ってます。言うなれば、常に心の目標として浮かぶ1曲です。 アルマンド・トロヴァヨーリはイタリア映画音楽作曲家で、『Don Giovanni in Sicilia』という映画に収録されているそうです。 たしか僕はこれはコンピCDで知りました。
04.Eternity's Children「Mrs. Bluebird」1968 イントロで一瞬オルガンのピッチが歪むのが良いです。 オルガンの刻み+ベース+ドラムの3連のリズムとコンプ感が気持ちいい曲。最近はこういうリズムの曲ってめっきり聴かなくなりました。 音の歪みに時間的な距離を感じます。 昔の素晴らしい音楽を聴くと、大事な玉手箱を空けたような気持ちになります。
05.Bruce & Terry「Don't Run Away」1966 歌や演奏にかかったディレイ(エコー)がちょっとサイケデリックな響きでそこがまず良い。 そして曲がとても美しい。 これは後にビーチ・ボーイ��に加わるブルース・ジョンストンの曲です。 聴いた時、山下達郎「Only with you」を思い出しました。
06.The Association「Happiness Is」1967 アソシエイション自体は大学の頃から何枚か聴いてきましたが、このアルバムは割と近年聴きました。そこで改めてこのバンド好きだなと。 この曲が特に好きで、コーラスと転調が良いです。聴いているとコーラスの方を一緒に歌っちゃいます。 コーラスグループの演奏って、聴くと中域の和音系の楽器、鍵盤やギターがそんなに大きく入ってませんよね。コーラスを邪魔しないように音符も短めだったり。なるほど。
07.The Critters「Mr. Dieingly Sad」1966 クリッターズも存在やジャケットは���っていたんですが、ずっと聴かずに来て、Spotifyにあったので聴いてみたら、この曲が今の自分にしっくり来ました。曲に合った優しい歌声が気に入りました。 昔はこういう全音下降進行の曲って大好きだったんですが、最近また自分の中できてます。このプレイリストにはこの曲と同系統のコード進行の曲が何度か出てきます。
08.The Tradewinds「New York's A Lonely Town」1967 ビーチ・ボーイズ調というかホットロッド調というか、とにかくポップで、歌のファルセットが気持ち良く、大好きな曲です。 2分強で終わっちゃうのも良いですね。 67年にしては少し前のサウンドに感じるなと思ったら、65年にシングルでリリースされたようです。
09.The Bob Crewe Generation Orchestra 「Barbarella」1968 映画のサントラの曲で、この曲の魅力は何といっても歌とコーラスの表現。 息を続けたまま音程を行き来する箇所がとても多く、そこが大好きです。 一緒に歌ってて真似しちゃいます。 ブレイクするところに溜め息を入れて音程を下げるアレンジ、最高です。 僕もやりたい。 と絶賛しつつ、昔一緒に住んでた脇田がこれのCDを買ってきて聴いた時はなぜかそこまでピンと来なかったのを覚えています。
10.Quincy Jones「Who Needs Forever」1966 出だしの「Who Needs Forever~」のメロディでもう名曲感が漂ってきます。 「あ、この曲絶対普通じゃない」ってなりますね。 クインシー・ジョーンズが音楽を担当した映画のサントラで、歌はアストラッド・ジルベルト。 なので、主題歌はボッサ調です。
11.The Impressions「The Girl I Find」1969 これのCDは持ってるんですが、そんなに聴いてなくて、Spotifyで改めて聴いたらすごく気に入っちゃいました。 完全にカーティス・メイフィールドの世界観です。 曲調もアレンジもこの翌年リリースのカーティス・メイフィールドの1stソロアルバムに繋がる曲ですね。 カーティスってオーボエ好きだなぁ。僕もオーボエの音大好き。
12.Jan & Dean「When Sunny Gets Blue」1966 この曲はジャズスタンダードのカバーです。 メロトロン(というサンプリングマシンの元祖となる鍵盤楽器)を多用して作り出されたこの雰囲気が最高。 ドラムが入ってないせいなのか、ここまでメロトロンが前面に押し出されたサウンドって珍しい気がする。
13.The Four Seasons 「Wall Street Village Day」1968 フォー・シーズンズのこのアルバムはどの曲も大好きなので、選ぶのが難しかった。 最終的に「Look Up Look Over」とかなり迷いましたが、僕の場合すぐしっとりした曲に流れちゃう傾向があるので、今回はこちらにしました。 バスドラが入るタイミングがブラジル北東部の音楽でよくあるリズムパターンに似ていて好み。ノリノリで聴く1曲です。
14.The Lovin' Spoonful「Didn't Want To Have To Do It」1966 この曲の気怠く切ない雰囲気、最高です。 ロジャー・ニコルスのヴァージョンで知り、そっちもすごく好きなんですが、このオリジナルヴァージョンの方がもっと好きです。 永井作の「心の窓辺に赤い花を飾って」はこの曲からも影響受けているのかなとか思いました。
15.The New Wave「Autrefois (J'ai Aimé Une Femme)」1967 Spotifyで初めて聴いた作品です。 曲はミシェル・ルグランの「Watch What Happens」のカバーです。 ボサノヴァのよくある進行の曲で、たしか日本語でも似た曲があるよなと思ったら、浅丘ルリ子の「シャム猫を抱いて」でした。
16.The Byrds「Get To You」1968 バーズというと、ビートルズのような曲調からフォークロック、カントリー、サイケ、ラガロック等色んな曲をやっているイメージがありますが、 こういう3拍子というのか6拍子というのか、なんだかんだ僕はどこにもあてはまらない(バーズの全ての要素が混ざったともいえる)この曲が一番好きですね。 初めて聴いた時からずっと好きな曲です。
17.Donovan「Ferris Wheel」1966 曲が始まって、アコギ、ベース、パーカッション、シタール、歌と入って来て、ただ「最高~」となる曲です。 ひたすら音楽に身を委ねていたくなる、そんな1曲。 ドノヴァンは高校の頃にたまたまテレビで観た映画に使われていた「Season of the Witch」が気に入り、ベスト盤を買ったのが聴き始めたきっかけでした。この『Sunshine Superman』というアルバムはドノヴァン初心者にオススメのアルバムです。
18.Tenorio Jr.「Nebulosa」1964 ポップでキャッチ―なピアノトリオのインストナンバー。 ジャズサンバでこういう音階を使った曲って珍しく、それが見事にはまってます。 これを聴いた当時、良い意味で「この曲だけ他のジャズサンバとなんか違うじゃん」と思ったのをよく覚えています。
19.The City「Snow Queen」1968 キャロル・キングがソロアルバムを出す前にダニー・コーチマー等と組んだバンド。 特にこの曲なんかはキャロル・キングのソロ作と並べて聴ける感じです。 演奏が乗っていって、最後終わるころにはだいぶテンポアップしてるのが良い。 永井の「或る夜」(公式未リリース曲です)はこの曲を意識したのかな。
20.Chad & Jeremy「Painted Dayglow Smile」1968 イギリスのフォークデュオ、チャド&ジェレミーのサイケ時代の作品。 特に後半のトトロが出てきそうなポップな展開が大好き。 曲も不思議だけど、ジャケットも不思議。
21.Tony Hatch「Call Me」1966 この曲を初めて聴いた大学生の時、「なんてお洒落な曲なんだ」と思ったと同時に、 作曲者のトニー・ハッチ・オーケストラのCDを貸してくれた山本勇樹くんのことも「なんてお洒落な人なんだ」と思ったことを覚えています。 この都会的な軽やかな雰囲気が郊外出身の田舎者の僕には衝撃的な1曲でした。
22.The Monkees「Porpoise Song」1968 モンキーズのサイケ期の代表曲。映画用に作られた曲だと思います。 モンキーズはそんなに熱心に聴いてきたわけではないんですが、この曲のマジカルミステリツアーのビートルズのようなポップでサイケな雰囲気が大好きです。 これキャロル・キングの作曲なんですね。ずっと知らずに聴いてました。
23.Antonio Carlos Jobim「Surfboard」1967 ジョビンのインスト。 拍子がどうなっているのかよく分かりません。演奏するの大変そう。 65年には既に発表されていた曲ながらボサノヴァの枠から大きく逸脱する冒険心溢れる曲で、ジョビン自身も気に入ってる曲なのか何度か再録リリースしています。
24.Harpers Bizarre「Me, Japanese Boy」1968 この曲のアメリカ人から見た(言ってみれば正しくない)日本観に憧れて、インスピレーションを得て、『ランプ幻想』というアルバムを作りました。 ウィンドチャイムとか金属系の打楽器とウッドブロックが効いています。 歌詞がシンプルで英語に慣れていない僕なんかでもグッときます。この曲、素敵すぎませんか? ちなみに、これはバート・バカラックの曲のカバーになります。
25.Archie Bell & The Drells「Tighten Up (Part 1)」1968 ファーストアルバムの1曲目から掴みはOKですね。 こういうシンプルな曲、やってみたいな。 様々な掛け声やラフな手拍子が入っているのが良いです。 この時代から70年代前半あたりのスウィートなソウルが大好きです。
26.Simon & Garfunkel「So Long, Frank Lloyd Wright」1969 ボサノヴァが世界的な音楽になってから、ブラジル以外の色んなところでボサノヴァ調の音楽が作られましたが、個人的には、サイモン&ガーファンクルのこの曲がボサノヴァの良いところを上手く消化し吐き出しているという意味でナンバー1かなと感じています。 このデュオは他にも「America」「Sound of Silence」「Mrs. Robinson」「Scarborough Fair」等、同等に素晴らしい曲がたくさんありますが、それらはベスト盤に絶対入るような有名曲でして、プレイリストとして1曲選ぶとこれかなと。 僕たちがMaganacyというバーでライブをやっていた2001年頃にこの曲を演奏しました。
27.Piero Piccioni「Amanda's Train」1969 ピッチオーニはイタリアの映画音楽作曲家です。好き過ぎて1曲選ぶのが大変でした。 「Mr. Dante Fontana」という個人的に傑作キラーチューンだと思っている曲があるのですが、好きなヴァージョンがSpotifyになかったので、この曲を選びました。 この「Amanda's Train」を聴いてもらうと分かる通り、この人���メロディーって滅茶苦茶切ないんですよ。 ピッチオーニには本当に影響を受けまくってます。
28.The Millennium「5 A.M.」1968 ミレニウムは「The Island」や「There is nothing more to say」等、他にも良い曲があるのですが、この曲にしました。 今聴くとスネアのチューニングが高過ぎるのが耳に痛く少々残念ですが、それ以外はすごく良いです。
29.The Zombies「Tell Her No」1965 イントロのウーリッツァーのフレーズから最高です。 歌の入りのメジャーセブンスコードが気持ち良い曲。 コリン・ブランストンの声はいつ聴いても良いですね。
30.Walter Wanderley「Soulful Strut」1969 ワルター・ワンダレイはブラジルのオルガン奏者です。 こちらも先ほどの「Call Me」同様、明るくご機嫌なインストナンバーです。 こういう曲は生活に彩を与えてくれて、ただ流しているだけで良い感じ。1人で聴いていてもあがりますね。
31.Georgie Fame & The Blue Flames「Moody's Mood For Love」1964 この曲はジャズスタンダードのカバーで、僕はこのジョージィ・フェイムのヴァージョンが大好きです。 歌詞見ながら歌いまくってました。そのせいで今でも結構歌詞を覚えてる。 パッションを感じる歌いまわしがたまりません。 タイトル通りすごくムーディーな曲ですが、録音の古さもムードを高めています。 若い時分にこんな素敵なものに触れたらおかしくなっちゃいますよね。
32.Jorge Ben「Que Pena」1969 キレのある演奏にディレイの効いた歌が乗るという不思議なサウンド。 歌にこういうディレイを使っていた頃のジョルジ・ベン好きだなぁ。 最後歌のディレイが増幅するところのサイケ感がたまりません。
33.Ennio Morricone「Matto, Caldo, Soldi, Morto... Girotondo」1969 この曲はイントロが始まった瞬間からやばいのがわかる系の曲ですね。 エッシャーのひたすら階段を降りていく錯視の絵のような不思議な曲。 サイケ過ぎる。 これは当時脇田に聴かせてもらったなぁ。 ジョビン作の「三月の水」も少し近い感じがします。
34.The Rolling Stones「She's A Rainbow」1967 イントロのエレピはウーリッツァーにコンプを強くかけたってことで良いのかな。 すごく有名なイントロだけど、以前何の楽器かネットで調べたら特に詳しく出てこなかった気がする。 永井曰く、普通のアコースティック・ピアノだそうです。 ピアノであんな変わった音作れるのかぁ。 演奏しているのはニッキー・ホプキンスだと思います。 この曲の「ウッララー、ウラッラッララー」っていう生意気な声の?コーラスがすごく好きです。ちょっと菅井協太くんっぽい声。
35.Claudine Longet「Who Needs You」1968 昔Lampでカバーした曲。 イントロのスキャットでは一瞬香保里さんと永井?と思ったり思わなかったりするかもしれません。 男声のトミー・リピューマの声がキラキラしてて素敵です。
36.The Velvet Underground「Sunday Morning」1967 あー、60年代って最高だなぁと思わせてくれる1曲。今でも好きなアルバムですが、これを一番聴いたのは大学1年の時。 ヴェルヴェット・アンダーグラウンドがなんでこんなに良いかというと、色々あるけど、やっぱり一番はルー・リードの声と歌い方が良過ぎるから。 最近だとマック・デマルコが同じ系統の歌だと思う。
37.Marcos Valle「The Face I Love」1968 こちらも昔Lampでカバーしてました。 マルコス・ヴァーリとアナマリアのピッチがしっかりしていて、ハモリも気持ちいいです。 「Call Me」と同じ系統のコード進行ですね。素敵です。 マルコス・ヴァーリの代表曲というと「サマーサンバ」ですが、僕はこっちかなぁ。
38.Harry Nilsson「Everybody's Talkin'」1968 『真夜中のカーボーイ』という映画に使われた曲です。といっても僕は映画は観てませんが。 「この時代のアメリカ、最高!」と思っちゃう曲です。といっても僕はアメリカに足を踏み入れたことはありませんが。 先ほどのドノヴァンの「Ferris Wheel」と一緒で、とにかくこのザ・60年代という雰囲気に身を委ねていたくなる系の曲です。とにかく雰囲気が好き。 アコギはもちろん、その雰囲気作りに一役買ってるのがこのドラムなのかも。と思い、ミックスで控え目なドラムに注目して聴いている今日この頃です。
39.Gal E Caetano Veloso「Onde Eu Nasci Passa Um Rio」1967 ブラジルのカエターノ・ヴェローゾとガル・コスタによる気怠いボサノヴァ作品で、アルバム自体が神懸っているのですが、特にこの曲が好きです。 ドリ・カイミの音と音をぶつけてくるアレンジもはまっています。 この曲のリズムパターンが所謂ブラジル北東部由来のもので、この二人の出身のバイーアの音楽の伝統的なリズムです。
40.Stevie Wonder「My Cherie Amour」1969 親父が持っていたレコード『Hotter Than July』がスティービー・ワンダー初体験だったのですが、 その他の有名曲はベスト盤レコードで初めて聴きました。 そこに収められていたこの曲や「If you really love me」なんかがすごく好きでしたね。 スティーヴィー・ワンダーも、やっぱり何が良いってこの歌声なんですよね。歌とか声って本当に大事な要素です。
41.Astrud Gilberto「Photograph」1965 ジョビンってこういうシンプルなメロディ(2つの音の往来)で景色を豊かに聴かせるのが得意で、 僕も作曲面ですごく影響を受けました。 ジョビン曲を歌ったアストラッド・ジルベルトのトラックって沢山ありますが、その中でどれか一つと言われたら僕はこれかなぁ。
42.France Gall「La Cloche」1964 フランス・ギャルは60年代以降も活躍したようですが、個人的にはこの時代を象徴するようなシンガーです。 僕の場合聴くのはほとんど1stだけです。 この曲とか、聴いた全ての人を捉えて離さないような強い魅力があると思います。 この微妙なズレの気持ち良さ。なんなんでしょう。
43.The Kinks「All Of My Friends Were There」1968 キンクスってすごく独特で味のあるバンドです。 最近はそんなに聴いていないんですが、久々に『アーサー~』とか聴いたら以前より良い感じに聴こえたり。 レイ・デイヴィスってすごく物を作る才能のある人だと感じますね。 僕が一番好きな作品はこの曲が入ってる『The Kinks Are the Village Green Preservation Society』です。 そこに収録されている「People Take Pictures of Each Other」という曲もすごく好きです。
44.Spanky & Our Gang「Hong Kong Blues」1969 イントロのオリエンタルな雰囲気はカリンバという指で弾く小さな楽器です。 その後に続くのはタイのラナートという楽器かな?こういう微妙な音程の楽器良い。 調べると1940年代に作られた曲で様々なカバーがあるようです。 僕はこのスパンキー&アワ・ギャングのヴァージョンでこの曲を初めて知りました。 ちなみに同アルバムに収録されているボサ調の「Without Rhyme or Reason」も大好きです。
45.Pink Floyd‎「See Emily Play」1967 ピンク・フロイドの作品で僕が興味を持って聴くのはシド・バレットが在籍した時期のものだけです。 最初のシングル2枚と1stアルバムですね。これらは本当にどれも良くて、自分にしっくりきます。 シド・バレットの作る曲って、この感性はどこから来たんだろうって思うくらい独特なメロディーで、しかも歌声もすごく良いんですよね。
46.Nick De Caro And Orchestra「Caroline, No」1969 この感じが好きな人には、ニック・デカロの『Italian Graffiti』(74年)の「Wailing Wall」もオススメです。 そちらはトッド・ラングレンのカバーで、この「Caroline, No」はビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソンの曲のカバーです。 僕はこのニック・デカロのヴァージョンを聴くまで、『ペット・サウンズ』内での「Caroline, No」の位置付けってそこまで高くなかったのですが、これを聴いてその良さに大いに気付けました。ニック・デカロの優しい声が最高です。
47.The Hollies「Bus Stop」1966 60年代のヒット曲の一つで、うちの両親が好きで、僕が小さい頃から家でよくかかってました。 意識的に音楽を聴くようになってから、自分でも買って聴くようになった曲の一つです。 こういう曲の存在があったから、ビートルズと同時代の音楽を他にももっと知りたいと思えるようになったのでした。
48.Francis Lai「Un Homme Et Une Femme」1966 これは誰もが耳にしたことがある旋律だと思います。 映画『男と女』の主題歌です。 このダバダバダのぶっきらぼう且つピッチが定まらない歌が最高です。 この頃ヨーロッパでは沢山のボサ調の曲が作られたそうです。
49.The Five Stairsteps「Ooh, Baby, Baby」1967 The Miraclesのスモーキー・ロビンソンの曲で、こちらはカバーです。 同じシカゴのカーティス・メイフィールドがプロデュースしたもので、サウンドも良い感じ。 70年代のメロウなソウルに繋がっていく名曲だと思います。
50.The Groop「The Jet Song」1969 これはSpotifyで初めて聴きました。 転調がとても面白い曲。 転調後、最後の解決の仕方をジェット機が上昇していく音のように聞かせるアイディアが素敵です。
51.The Cyrkle「The Visit (She Was Here)」1967 地味なボサ調の曲ながら、気怠さが心地良い、魅力的な曲だと思います。 歌詞の「She Was Here」でハモるところが良いですね。 このサークルは、1970年に「The Minx」という映画の音楽を作りましたが、その表題曲のヴォーカルヴァージョンもやはりボサ調で、そちらは更に好きです。
52.Peter And Gordon「A World Without Love」1964 先ほどのホリーズ「Bus Stop」と同じく、僕が小さい頃から家でよくかかっていた曲で、 高校に上がり、ギターを少し弾けるようになると、耳コピして弾いたりしていました。 すごくビートルズっぽい曲ですよね。そうなんです。これはポール・マッカトニーが彼らに作った曲なんです。 ウィキペディアに、ポールがこの曲を作ったのは提供の6年前と書いてありましたが、なぜビートルズはこれを自分たちでやらなかったのかと思いました。
53.Roger Nichols & The Small Circle Of Friends「Don't Take Your Time」1968 大学に入りソフトロックの名盤として山本くんに最初に借りたCDだったかな。 とにかくこの1曲目が印象的でした。 その後、未だにこんなビートの曲に出会ってない気がします。 ストリングスアレンジやピアノの演奏なんかも滅茶苦茶攻めてますよね。 これまで何度も聴いてきたのに未だにどういう曲か分からないという。。でも音楽ってそれで良い気がする。
54.Laurindo Almeida「The Girl From Ipanema」1964 ジョビンの数あるボサノヴァ作品の中でも、一番有名な「イパネマの娘」。 このカバーは、口笛とローリンド・アルメイダのギターが軽やかで良い雰囲気です。 この曲がすごいのは、Bメロにあたる部分(ブリッジ部)の普通じゃない転調の仕方だと思います。 2番の頭で調をどう戻すかという問題の部分も、とてもスムースに繋がっているように聞こえます。
55.Peter, Paul And Mary「Lemon Tree」1962 両親がピーター・ポール&マリーの音楽が好きで、僕もいつの間にか好きになってました。 小学生の頃に、気に入っていた「Gone The Rainbow(虹と共に消えた恋)」を聞き取りでカタカナに起こして一緒に歌ってました。CDを1秒単位で巻き戻してストップして聞き取りました。すごい執念。 そんなわけで、僕が人生で初めて自発的にCDをかけたアーティストです。 62年とのことですが、ミックスも改善されており、今聴くとリズム等ちょっとモダンな感じがしました。
56.Spiral Starecase「Broken Hearted Man」1969 中性的で伸びやかなボーカルが気持ち良いグループです。 大学の頃によく聴いていて、それ以降はずっと聴いていなかったのですが、Spotifyで久々に聴いたらやはり良かったです。 たまにはこういう元気で力強い音楽も良いなと思います。
57.Luiz Henrique「Alicinha」1967 これはボサノヴァのアルバムとしてはそこまで名盤扱いされていませんけど、個人的にはとても好きな1枚で今でもよく聴いています。 いつもアルバムで聴いているので、あんまり曲単位で考えたことなかったのですが、プレイリストを作るにあたりこの曲を選んでみました。 アコーディオンとスキャットをシヴーカが同時録音していて、それがとても効いています。
58.The Dave Clark Five「Because」1964 60年代のヒット曲の一つ。 これの音源は家には無くて、親父が時々ギターを弾きながら歌っているのを聴いて、良いなと思っていた曲です。 ドラゴンボールの初代エンディングテーマ「ロマンティックあげるよ」を思い起こします。
59.Ennio Morricone - Bruno Nicolai「Metti, Una Sera A Cena」1969 歌のラインがアルペジオのようで、初めて聴いた時、そこが衝撃的でした。 なるべく1アーティスト1曲にしようと思ってプレイリストを作ったのですが、モリコーネは甲乙付け難く結局2曲選んじゃいました(アストラッド・ジルベルトも歌唱は計2曲ですね)。
60.The Free Design「Make The Madness Stop」1967 フリー・デザインを初めて聴いた当時そこまでピンと来なくて、それ以降熱心に聴いてこなかったのですが、久々に耳を傾けてみたら、この曲にグッときちゃいま���た。 途中に出てきたモリコーネの「Matto, Caldo, Soldi, Morto... Girotondo」のような、僕、こういう下降系のコード進行に弱いんだと思います。
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sorairono-neko · 5 years
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おまえって子は
 ここ数日、ヴィクトルは家にいなかった。勇利はマッカチンと一緒に留守を守っていた。ヴィクトルはいま忙しく、泊まりがけでモスクワへ出掛けることが多い。このときもそうで、一週間の予定だった。ヴィクトルは家を出るとき気遣うように言った。 「すぐに帰ってくるからね。俺がいないあいだ、気をつけるんだよ」 「大丈夫だよ。ちゃんと練習するから」 「スケートのことだけじゃない。夜遅くに出歩いちゃだめだ。知らない人に声をかけられても簡単に信用しないで」 「子どもじゃないんだから」 「ヴィクトル・ニキフォロフに会わせてあげると言われてもついていっちゃいけないよ」 「なにそれ?」 「ヴィクトル・ニキフォロフのグッズをあげると言われてもついていっちゃいけないよ」 「ばかにしてるの?」 「勇利はヴィクトル・ニキフォロフが好きすぎるから心配なんだよ」  ヴィクトルは名残惜しそうに旅立っていった。 「マッカチン、さびしい?」  夕食のあと、勇利がソファに座ると、マッカチンがそばにやってきた。勇利は前脚の脇に手を入れて持ち上げてやり、顔をのぞきこんだ。 「ヴィクトルは明日帰ってくるよ。たぶんおみやげたくさんだから、楽しみに待っていようね」  マッカチンが元気に返事をした。 「でも、そうだね……」  口元に手を当て、勇利はちょっと考えた。彼はマッカチンを見やり、何かひらめいたというように笑みを浮かべた。 「あれ……、やっちゃう……?」  マッカチンが不思議そうに首をかしげた。 「ぼくは昔からよくしてたんだ。すごくすてきな、うれしい時間になるんだよ。しあわせなんだ」 「くぅん」 「もう夢中になっちゃう。うっとりして、ほかのことを考えられなくなるし……」 「わう」 「すごく気持ちよくなって……」  胸に手を当てると、自然と吐息が漏れた。 「べつにいけないことじゃないんだから……、いいよね?」  勇利は自分の部屋へ行き、いろいろなものを持って居間へ戻った。幾度か往復しなければ、必要なものはそろわなかった。 「ちょっと待ってね」  マッカチンが興味深そうに見守る中、勇利は筒状に丸めてあるポスターをひろげ、それを壁一面に貼っていった。もちろんヴィクトルのポスターである。大切に長谷津から持ってきたのだ。これを持ちこんだことはヴィクトルにはひみつにしてあった。べつに怒られないだろうけれど、なんとなく気恥ずかしい。 「ちょっと斜めになってるかな……だめだめ……まっすぐ……」  もちろん、壁にもポスターにも傷をつけるようなことはしない。専用の留め具を使って勇利は綺麗にポスターを展示した。大きいもの、ちいさいもの、いろいろあるけれど、どれもすばらしくすてきなヴィクトルだった。衣装を身に着けた演技中のものも、正装の気取った表情のものも、日常的なくつろいだ雰囲気のものも、たまらなくなるほど勇利を高揚させる。 「どう、マッカチン。ヴィクトルかっこいいでしょ?」  勇利は得意げに自慢した。 「これは手に入れるのに苦労したんだ……ほんとに大変だったんだから」  勇利は苦労話を披露しながら、すべてのポスターを貼りつけた。並べ方にも工夫を凝らした。他人が見たらわからないだろうけれど、勇利にとっては意味のある並べ順だった。 「これでよし、と……。次」  勇利は手持ちの映像ディスクを映し出すため、テレビのスイッチを入れた。部屋でコンピュータを使って見るのもいいけれど、居間のテレビはおそろしく大きいのだ。一度この大画面でヴィクトルの演技を鑑賞したいと思っていた。ヴィクトルがいるときには気恥ずかしくてなかなか言い出せなかったが、いないいまなら見放題である。 「どれから行こうかな……、やっぱり復帰戦? いやいや、でも、ヴィクトルの原点である昔の映像も捨てがたい……。シニアデビューなんて、もうたまらなくぞくぞくするし、ファイナルを初めて制したときのは泣いちゃうし……迷うなあ」  同居していた時代のピチットにさんざん「いいから早く選びなよ!」と注意されたにもかかわらず、勇利はいまもこういうことでいつまでも悩むのだった。この「どれにしようかな」と考えている時間も楽しいのである。 「じゃあ……、まずはこれ。世界ジュニアね」  勇利はようやくひとつを選び出した。 「マッカチン、ぼくはね、この映像を見てヴィクトルに夢中になったんだよ。なんていうか、その、ひ、ひと目惚れってやつ……」  勇利は赤くなりながら説明した。 「だってもうほんとにすごかったんだ! 高貴で……華麗で……マッカチンならわかってくれるよね!?」  マッカチンは勇利の言い分に理解を示してくれた。マッカチンはいつだってぼくのヴィクトルへの愛をわかってくれる、と勇利は大満足だった。 「じゃあ、行くよ……再生するよ……えいっ」  勇利は順ぐりにヴィクトルの試合動画を次々と再生していった。演技に興奮しすぎて感極まったときは、インタビュー映像を挟んで気持ちを落ち着かせた。しかし、インタビューの内容も勇利を感激させるものばかりで、勇利は冷静になれる時間など一秒もなかった。 「マッカチン、見てる? 見てる? ヴィクトルだよ……見てる……?」  勇利はマッカチンを抱きしめ、熱烈なまなざしを画面にそそいだ。 「このときはね、ヴィクトル、あまり調子がよくないって言われてたんだ。公式練習でもいつものあざやかさがないとかなんとか……。確かに、上がりきってないのかなっていう感じはあって、ぼくすごく心配だったんだけど、でもヴィクトルだからね! もちろん試合では最高の演技だったよ! 金メダル! やっぱりね、ヴィクトルはどんな調子でも、試合にはばっちり合わせられるんだよ! 練習でいくら失敗しても、本番できまれば問題ない。ヴィクトルはね、そうなんだ。練習でいまひとつだなあって顔してるときでも、あまり気にしてないんだよね。『まあ本番ではきめるから』って感じ。それで実際そうしちゃうんだよ! すごくない? さすがじゃない? かっこよくない?」  勇利はマッカチンを上から抱きかかえ、つむりにおとがいを押しつけた。 「あっ、もちろん、練習から完璧なときもあるよ! 軽々と四回転を跳んじゃってさ……それも次々。失敗しないんだ。あんまり簡単に跳ぶから、あれ、いまのって四回転じゃないの? って不思議になったりする。四回転なんだけどね。ふわっと跳ぶんだよ。ふわっと! 着氷もね、すーって。すーっ!」  言ったあとに、ヴィクトルが「すーっ」と着氷したものだから、勇利は声を上げ、「いまの! いまのやつ! いまのやつねマッカチン!」と教えた。 「あとさ……衣装もさ……いつもすてきだよね……似合う……。ヴィクトルは衣装にもすごくこだわってるから。細部までうつくしくて……。それに、同じプログラムでもいろんなのがあるんだよ。ヴィクトル・ニキフォロフは、演技だけではなく、彼の衣装も人々の関心を集めるすばらしい要素のひとつである」  フィギュアスケート雑誌の解説のようなことを言って、勇利はうんうんとうなずいた。 「あっ、これね、これ、ヴィクトルが初めて全部自分でしたやつ。音楽も、振付も、衣装も、自分が主導でやったやつだよ。前から意見は言ってたけど、とうとう彼が……。インタビューでね、最初のころはコーチに心配されたし、いろいろだめなところを指摘されたって言ってた。でも最終的にはこうなったんだよ。最高だよね。ぼくこれ大好きなんだ……」  勇利はうっとりと画面の中のヴィクトルに見入った。 「すごくなじんでるし……ヴィクトルのいいところが最大限に引き出された……って感じ……」  それから勇利はふふっと笑った。 「でもヴィクトルの『いいところ』なんてたくさんあるから困っちゃうね。ぜんぜん印象のちがうプログラムでも、全部ヴィクトルは自分のものにしちゃうから」  勇利は映像を変えながら、「このときはヴィクトルはこうで」「試合前こんなことを言ってて」「このジャンプはなかなか完全にきまらなくて、この試合で初めて文句なしの出来になったんだよ」「いまの! いまの見た!? GOEプラス3! 完璧! 最高!」「この鬼ステップ見てよ。ヴィクトル以外できないよ」「ヴィクトルのスピン! スピンは芸術! 芸術はスピン!」とおしゃべりに夢中になった。マッカチンは熱心に聞いていた。気持ちがどんどん高揚した勇利は、どきどきしながら次のプログラムに移った。 「マッカチン、これね……ぼくがいちばん好きなやつ……、ううん、ヴィクトルのは全部いちばん好きなんだけど、とにかく好きなんだ……見て……」  ヴィクトルが優雅に、高潔に、このうえなくうつくしく舞った。勇利はほとんど泣きそうだった。ヴィクトルのことで頭がいっぱいだった。彼のことしか考えられない。ヴィクトルへのたまらない気持ちが大きくて、言葉も浮かんでこなかった。勇利の目元に涙がにじんだ。 「ヴィクトル……ヴィクトル……」  ヴィクトルが四回転フリップを跳んだ。 「ヴィクトル、大好き! 大好き、好き! ほんとに好き!」  勇利は瞳をうるませながら、高ぶる感情にまかせて叫んだ。 「ヴィクトル大好き! 結婚して!」 「いいよ」 「──は……?」  なんだいまの声……。勇利はぱちりと瞬いた。空耳かな? マッカチンの鳴き声? テレビから聞こえた? でも演技にそんな声が入っているなんておかしいし、すごく近いところから聞こえたような気がする……。  勇利はゆっくりと振り返った。ヴィクトルが勇利のすぐ後ろに立ち、口元に手を当てて画面をみつめていた。 「これいつだっけ? どの大会? フランスだったかなあ」  勇利は頭の中が真っ白になった。なんで? なんでヴィクトルがここに? 仕事は? モスクワは? 動画見てるあいだに二十四時間経っちゃったの?  勇利は黙って立ち上がった。 「いつだったかはおぼえてないけど、氷の具合はおぼえてる。この会場は……、勇利?」  勇利はヴィクトルの腕を引いて方向を変えさせ、扉のほうを向かせた。そして背中をぐいぐい押して部屋から出てもらった。 「なんだ? どうしたんだい?」  勇利は戸を締めた。一度大きく深呼吸し、それから猛烈な勢いで働き始めた。動画を停止させ、ディスクをすべて入れ物に戻し、ポスターもみんな剥がした。もちろん破れたりしないように細心の注意を払ったけれど、とにかくものすごい速さの仕事だった。勇利は綺麗に私物をまとめてしまうと、自分の部屋へそれを片づけた。居間は元通りになり、勇利が熱狂していた形跡などなくなった。マッカチンがソファの上で勇利を見ていた。 「おかえり、ヴィクトル」  勇利は扉を開け、ヴィクトルを迎え入れた。 「疲れた? 仕事大変だったでしょ?」 「まあね。ああ、どうもありがとう」  勇利はヴィクトルからかばんや大きな紙袋を受け取り、居間のソファの上に置いた。 「ごはんは?」 「食べてきた」 「そう。じゃお茶淹れるね」  ヴィクトルがソファでマッカチンとくつろいでいるあいだに、勇利は丁寧に紅茶を淹れた。しずしずと運んでいくと、ヴィクトルが笑顔で礼を述べた。 「帰るの明日じゃなかった?」 「勇利とマッカチンに早く会いたくてね。今日のうちに帰れそうだったからそうした」 「無理したんじゃないの」 「こんなの無理のうちに入らないさ」 「そう」 「おみやげがあるよ」 「ありがとう」 「食べ物もあるけど……勇利はほどほどにね」 「うん」  ふたりはしばらく、静かに紅茶を飲んだ。マッカチンはヴィクトルにぴったりとくっついていた。マッカチンがうれしそうでよかったなと勇利は思った。もちろん、ヴィクトルが帰ってきて勇利もうれしい。 「ところで勇利」 「はい」 「結婚式はいつにする?」  勇利は口にふくんでいた紅茶を噴き出しそうになった。彼は���せながらカップを置き、ヴィクトルに向かって声を高くした。 「なんで連絡してくれなかったの!?」 「驚かせようと思って」 「確かに驚いたよ! 驚いたけど、ああいうのよくないと思う!」 「俺の動画見ておおはしゃぎしてたから?」 「……言わないで」  勇利は両手でおもてを覆った。恥ずかしくてたまらなかった。頭がおかしいくらいヴィクトルに騒いでいるところを見られた。 「……いつから見てたの?」 「いつからだろう。わりと長いことかな」 「なんですぐ声かけてくれないの!?」 「いや、楽しそうな勇利がかわいくて。俺のこと大好きなんだなあと思って」 「そんなの前から知ってるじゃん! いまさら確認しなくてもいいでしょ!?」 「そうだ。前から知っている。なのになんでいまさらそんなに照れてるんだ?」 「好きだって知られてるのと、好きなのを大々的に態度に出してるところを見られるのとではぜんぜんちがうんだよ……」  うう、と勇利はうめいた。涙が出そうだ。ヴィクトルに見られていたなんて。 「あんなにポスター持ってたんだね」 「言わないで」 「いつごろのなのか、何のポスターなのかおぼえてないのがたくさんあった。あとで見せてくれるかい?」 「やだ」 「そう恥ずかしがらないで。心配しなくても、普段リンクで俺の演技を見てる勇利はあんな感じだよ」 「ぜんぜん安心できないんだけど! それにそういうときはべらべら感想しゃべってないでしょ!?」 「でも目が言ってるからね」  ヴィクトルはくすっと笑った。 「好き好きヴィクトル、愛してる、結婚してって」 「ばか!」 「ポスターは? 剥がしちゃったのかい?」 「ヴィクトル」  勇利は真剣な顔をヴィクトルに近づけた。 「忘れて」 「え?」 「いま見たことを忘れるのです」 「いま見たことって? 勇利がヴィクトル・ニキフォロフにきゃーきゃー言って好き好き騒いでたこと?」 「黙って!」  勇利はヴィクトルと額をごつんとくっつけた。 「なお、この話が終わった三秒後、貴方の記憶は自動的に消滅します」 「自動的に」 「3・2・1……ゼロ」  勇利はヴィクトルから離れた。ふうと息をつき、優雅に紅茶を飲んでいると、ヴィクトルが口をひらいた。 「結婚式の服装はどういうのがいい? 和装? 洋装? 勇利はどちらも似合うだろうね」 「忘れてって言っただろ!?」  勇利はものすごい勢いで振り返って苦情を述べた。ヴィクトルは笑った。 「いくら俺が忘れっぽくても、勇利のことは忘れないよ」 「そういうことじゃなくてさ! ヴィクトルには情けってものがないの!?」 「勇利、さっきのディスクを持っておいで。一緒に見よう」 「拷問なんだけど!!」 「俺が取ってこようか」 「ぼくが行きます!」  勇利は慌てて立ち上がった。ヴィクトルを部屋へ入れたら、きっとポスターまであばかれてひろげられてしまうだろう。冗談ではない。 「……これですけど」 「たくさんあるね」 「言わないでよ……」 「何が恥ずかしい? 勇利は俺のことが好きだろ? それがいけないことなのか?」 「いけないことじゃないけど、とにかく恥ずかしいんだよ」 「勇利の愛は崇高だ。堂々としていればいい」 「好きな相手にそんなふうになぐさめられるなんて思いもしなかったよ」  勇利には過酷なことだった。あんなことがあったのに、ヴィクトルと一緒にヴィクトルの動画を見るというのは、かなりの責め苦だ。正直なところ、逃げ出したかった。とはいえ、映像が始まればヴィクトルに夢中になってしまうこともまた事実で……。 「ヴィクトル、いまの見た?」 「ああ、見たよ」 「すごいよね」 「あれはちょっとばかり練習したよ」 「ちょっとばかり!? ちょっとでできるの!?」  勇利は動画に熱中し、きらきらと輝く瞳でヴィクトルをみつめた。ヴィクトルは笑いながら勇利の髪に頬を寄せ、かるくくちづけた。 「あっ、いまの! いまのすごい! あれ、できる?」 「できるよ」 「すごい! すごいすごい!」 「勇利はこの��ログラムのどんなところが好き?」 「え……、かっこいいし……優美だし……なんかもうすごくて……」 「勇利、きみは技術的にも芸術的にもこの演技を解説できるはずだよ。やってごらん」 「えー、無理! そんなのできない!」  勇利は頬に両手を当て、いやいやとかぶりを振った。 「前に自分の動画を見たとき、これにはこういうところが不足していて、こういう練習をしてここを補えばよくなる、そう思ったからやってみた、と教えてくれたじゃないか」 「ヴィクトルの演技は無理だよ! そんなふうに冷静に見られないよ!」 「興奮しちゃう?」 「興奮しちゃう!」  勇利は画面の中のヴィクトルに見入った。ジャンプやスピン、ステップはもちろん、ヴィクトルの視線、ヴィクトルの指先、ヴィクトルの表情、衣装がなびく様子にさえも感じ入った。勇利は熱心にヴィクトルに話しかけた。 「ね、ヴィクトル、かっこいいでしょ? ヴィクトルかっこいいでしょ?」  ヴィクトルはくすっと笑うと、「ああ、かっこいいよ」とうなずいた。 「やっぱりヴィクトルもそう思う? どのあたりがかっこいいと思う?」 「だいたいにおいて他人に興味のない勇利をここまでめろめろにするなんて、かっこよくないわけがない」 「あっ、いま、着氷乱れた? なんで乱れたの?」 「俺だってたまにはそういうこともある」 「うそだ、ヴィクトルにはそんなことないよ。もう完璧なリビングレジェンドだもん」 「この演技、まだそう呼ばれてないころのやつじゃないか」 「じゃあもう乱れない?」  勇利は真剣にヴィクトルをみつめた。 「これからあとの演技は完璧?」  ヴィクトルは笑い出し、勇利の肩を引き寄せて髪にキスした。 「ああ、完璧だよ」 「やったー」  勇利は無邪気に喜んだ。 「さすがヴィクトル……」 「こんなに熱狂的なファンの期待は裏切れないからね」 「あっ、いまの振り好き! 好き!」 「そうかい?」 「うん。いまのとこかっこいい! もう一回見ていい?」 「いいよ」 「あっ、ほらかっこいい……。ね?」 「そうだね」 「すごい……。ヴィクトル、この演技解説して。悪いところないよね。もう全部最高」 「そうかな。そんなに速さが出てないし、乗りきれてないよ。ステップも途中で転びそうになってたね。上手くごまかしたけど。プログラムがまだなじんでないのか、いかにも慣れない感じだし、調子が悪いせいかジャンプが重そうだ。いまのジャンプも着氷がちょっと詰まってるね」  勇利はむっとしてヴィクトルをにらんだ。 「そんなことないよ。すごい演技だよ。だって金メダルだよ」 「ああ、金メダルだよ。でもそんなのは関係ない。演技として、こんなんじゃだめだね」 「…………」  勇利は隣にいるヴィクトルをうっとりとみつめた。ヴィクトルが「どうしたんだい?」とほほえんだ。 「ヴィクトル……かっこいい……」  ヴィクトルが笑った。 「自分に厳しいんだね……。さすがヴィクトル・ニキフォロフ……。そうやって研鑽を積んでいくんだ……」  ヴィクトルは笑いで肩を揺らしながら勇利を抱き寄せ、頭をこつんとくっつけてささやいた。 「まったく、勇利のヴィクトル熱にはまいるよ」 「だって──」  勇利はヴィクトルがどれほどかっこうよいか、どれだけ鋭い目を持っているか、どれくらい努力しているかを熱烈に語ろうとしてはっと我に返った。そんなことを教えられるまでもなく、ヴィクトルはヴィクトルのスケートに対する情熱を知っているのだった。  やっちゃった……。  勇利は赤くなった。ヴィクトルの前でヴィクトルヴィクトルと騒ぐのがあんなに恥ずかしかったのに、またやってしまった。 「あ、あの……」  勇利はおずおずと切り出した。 「なんだい?」 「もうそろそろ、寝ない……?」 「そうだね」  ヴィクトルはおもしろがって提案した。 「大好きなヴィクトル・ニキフォロフと一緒に寝るっていうのは、どうかな?」 「け、けっこうです!」 「ただいま」  勇利は練習を終えてひとりで帰宅した。ヴィクトルは今日は休みだ。マッカチンが奥から駆けてきて、おかえりというようにひと声吠えた。 「ただいま、マッカチン。ヴィクトルは?」  勇利はマッカチンに話しかけながら居間のほうへ歩いていった。扉の向こうから音楽が聞こえた。何か聴いているのだろうか。いや、これはテレビの音だろうか? 勇利は戸を開けようとしてはっとした。知っている曲だった。勇利の過去のプログラム使用曲だ。 「ああ、勇利、綺麗だ、うつくしいよ!」  ヴィクトルの声がした。まさかと思った。まさか。まさか。こんなことが……。 「すてきだ。いいね、いまのアクセル! その入り方で軽々跳べるんだね。さすがは俺の勇利だ」  勇利は勢いよく扉を開けた。顔がまっかになっていた。思った通り、ヴィクトルはあの大画面のテレビで、勇利の演技を鑑賞していた。 「いまの振り向き方! ぞくぞくするね。なんて目つきなんだ。冷静で、挑戦的だ……」  さすがにポスターは貼っていなかった。勇利はほっとしたけれど、それでもじゅうぶんに気恥ずかしいことだった。やめて欲しい。 「勇利! 勇利、いいよ……きみは最高だ!」 「ヴィクトル!」  勇利はなかば怒りながらヴィクトルに近づいていった。 「何やってるんだよ!」 「ああ、おかえり、勇利」  ヴィクトルはにっこり笑って振り返った。いかにもいま気がついたというようなそぶりだが、絶対にわかっていたにきまっている。 「勇利の過去の映像を見てるんだ。一緒に見ないか?」 「見ません!」 「そう言わずに。綺麗だよ」  ヴィクトルは勇利を無理やり隣に座らせた。勇利としては断固として拒絶したいところだったけれど、ヴィクトルにしっかりと肩を抱かれたので逃れることができなかった。 「ほら、見てごらん」  ヴィクトルが上機嫌で画面を指さした。 「これはいくつのとき? かわいいね。いまもかわいいけどね。でもいまより幼いね。いや、だけどどうだろう。勇利はいつもかわいらしいからわからないね。変わらないかな?」 「これは十九のときだよ。変わってるにきまってる」 「ワオ、そんなに前? 確かにいまより顔つきは子どもっぽいね。でも綺麗だよ。十九のみずみずしさがある。十九歳の勝生勇利か。なんだかどきっとする響きだね」 「意味がわからないんだけど」 「いまは二十四歳だね。二十四歳の勝生勇利……。ぞくぞくするね」 「結局何歳でもいいんじゃないか」 「そうだよ。俺は勇利ならいくつでもたまらない魅力を感じるんだ」 「ヴィクトル、酔ってるの?」 「ほら、いまのところ。いいね。清麗だね。すばらしいよ」  何がすばらしいのか勇利にはさっぱりわからなかった。反論しか思い浮かばない。 「そうかな。未熟だよ。おそるおそるって感じ。もっと思いきりよく行かなきゃ」 「そうかもしれないが、その初々しさがいいんだ」 「そう? 恥ずかしいよ。もっと、こう……」 「清廉潔白って感じだね。素直な、綺麗な演技だよ。勇利の魂が澄んでいるからだろうね」 「ちょっと……」  そういう褒め方をされるとそわそわする。もっと技術的な話をして欲しい。 「なんていうか、たたずまいが可憐だ。でも、凛々しいね。このぴんと張り詰めた空気。これが勇利のうつくしさにつながるんだろうね」 「あの、ヴィクトル、やめてください……」 「背筋が伸びて凛としてる。負けてたまるかっていう目つきだね。こういうの、大好きだよ。静かな決意がうかがえる」 「黙って見てられないの?」 「綺麗だよ、勇利。綺麗だ……」 「やめて……」 「うつくしい」  ヴィクトルはそのあとも、「この水際立った物腰」「鋭い集中力」「慎ましやかなしぐさ」と勇利のことを褒めちぎった。勇利は気恥ずかしくて聞いていられなかった。 「ああ、勇利、綺麗だ。本当に綺麗だ。うつくしい。勇利が好きだ。大好きだ!」 「ヴィ、ヴィクトル……」 「どうしようもなく好きだよ。おまえがいとおしいよ。勇利」  勇利は両手でおもてを覆った。 「好きだ。たまらなく好きだ。勇利、大好きだ。結婚してくれ!」  勇利ははっとして目をみひらいた。ゆっくりと瞬き、手を顔から外し、おずおずとヴィクトルを見た。ヴィクトルは優しく笑って勇利をみつめていた。彼の青い瞳がきらめいた。勇利は口をひらいた。 「……はい」 「……この動画、どこで手に入れたの?」  くちびるが離れると、勇利はうすくまぶたを開けて尋ねた。ヴィクトルは勇利の目元にキスしてから楽しそうに答えた。 「ミナコがくれたよ。彼女は勇利の秘蔵映像をたくさん持っている。今度ポスターももらおうかな」 「絶対だめ」 「勇利は俺のを何枚持ってる?」  勇利はヴィクトルにもたれかかり、彼をおおげさににらみつけて尋ねてやった。 「結婚式はいつにするの?」  ヴィクトルは笑い出した。 「好きな相手の映像を見て、ああして声を上げてはしゃぐというのはなかなかいいものだね。気に入ったよ。勇利の気持ちがわかった」 「そう」  勇利はつんとそっぽを向いた。 「ヴィクトルの動画を見るのは楽しいけど、ぼくの映像を見て楽しむヴィクトルの気持ちは、ぼくにはさっぱりわからないよ」  ヴィクトルは目をまるくし、それから、たまらないというように勇利を抱きしめた。 「勇利、おまえって子は!」
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technocat1026 · 5 years
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イスラエル軍事協力企業レイセオン社から技術を奪いソニーエリクソン、サムスン電子が協力し5G回線を使用し各ターゲットの端末の回線に攻撃使用が可能な場合、日本は巨大な生体実験場となる。
https://ameblo.jp/indianlegend/entry-12342927613.html
指向性エネルギー兵器
(DEW、directed-energy weaponの略称)は、
砲弾、ロケット弾、ミサイルなどの飛翔体によらず、
兵器操作者が意図した目標に対し
指向性のエネルギーを直接に照射攻撃を行い、
目標物を破壊したり機能を停止させる兵器である。
目標物は対物用も対人用もある。
DEWのうち、実戦に投入された兵器は非致死性の治安兵器で
一部ある程度で大部分は未だ研究開発段階である。
アクティブ防護システムの一環としても開発が進められる。
~電波~
高エネルギー電波兵器(HERF)は
電子レンジと同様の原理で作動し、類似の機能を示す。
2007年1月25日、
アメリカ陸軍は小型装甲車(ハンヴィー)に搭載可能な装置を公開した。
この装置は平面状に配列されるものと似ている。
装置は、460m離れた人間の体感温度を約54度に感じさせることができた。
こうした兵器の実物大での製造は2010年まで予期されていなかった。
この装置はアクティブ・ディナイアル・システムの一つとして、
おそらく最も有用に配備されたものである。
アクティブ・フェーズドアレイ・アンテナによって
高出力の電磁波を特定の部位に収束させる事で
電子機器を焼損させて無力化する方法の開発も進められる。
[マイクロ波]
マイクロ波兵器は、人体に損傷を与えるには充分強力である。
アクティブ・ディナイアル・システムは
ミリ波を供給源として目標の皮膚の水分を加熱し、無力化するほどの痛みを引き起こす。
この装置はアメリカ空軍研究所とレイセオン社により暴徒鎮圧の用途で使用されている。
激しい痛みをもたらすが永続的な損傷を与えないよう企図しているものの、
このシステムが眼球に対して回復できない損傷を引き起こすという、
若干の懸念が示された。
マイクロ波に暴露することでの長期間の副作用に関して
いまだに試験中である。
この装置はまた、保護されていない電子機器を破壊する。
関連技術にはテンペストが挙げられる。
これは予期しない電子情報の漏洩に関する研究である。
これらの装置には様々なサイズがあり、ハンヴィーに搭載されるほどのものも含まれる。
ヴィジラント・イーグルは空港防御システムである。
これは航空機へと発射される投射体に、高周波数のマイクロ波を指向するものである。
この兵装システムは、
ミサイル探知および追尾サブシステム(MDT)、指令および制御システム、
そして走査アレイから構成される。
MDTは多数のパッシブ式の赤外線カメラを固定装備している。
指令および制御システムはミサイルの射点を特定する。
走査アレイは地対空ミサイルの誘導装置を妨害するマイクロ波を照射し、
これを航空機から逸らす。
ボフォースHPMブラックアウトは高出力マイクロ波兵器システムで、
商用オフザシェルフ(COTS)電子機器を、距離を置いて破壊可能であるとされている。
この装置は人体に影響はないと述べられている。
[使用と効果]
人体に対して電磁波兵器を使用するとき、劇的な効果を作り出せる。
レイセオン社のアクティブ・ディナイアル・システムでは
急激な灼熱感が引き起こされ、または距離にもよるが、
個人や複数の人々に、
不安、恐怖、強い倦怠感や混乱などのより巧妙な影響を生み出す。
こうした兵器の軍用としての3つの長所は以下の通りである。
個人または集団が、彼らがこうした装置で照準されていても、
必ずしもそれを理解するわけではない。
マイクロ波の波長は他の無線周波数のいくつかに似ており、
容易に建築物などの素材を透過する。
この波長には特別なアンテナを用い、その効果により、
個人または市や国といった広範囲の双方を照射できる。
こうした兵器の軍用や強制執行としての使用可能性には以下のものが含まれる。
敵兵力または民衆に激しい不安感や急迫の危機感を与え、
闘争よりも逃走するように影響を及ぼす可能性。
反抗や非協力的態度に伴う激しい不安感や恐怖よりも、
わずかな協力的態度でも肉体的に大きな幸福感を伴う方が非常に望ましいということを、
捕虜とした敵兵員に理解させる能力。
耐え難い倦怠感を、すでに疲労した敵兵力に与える能力。
長期間にわたり、敵兵力から正常で連続した睡眠を奪う能力。
敵の親しい兵員達の間に、間接的に思い込みを与える可能性。
これはある兵士の言動を
(その兵士が聞きつける奇妙な声や音は、しかし他の誰にも聞こえない)
精神的に不安定として真剣に取り上げないというものである。
こうした感覚、声、奇妙な音や夢は、
特別なマイクロ波型式の波長のアンテナにより、ある程度の精密さで敵に強要できる。
〔マイクロ波で脳内に音を発生させる兵器『MEDUSA』:「サブリミナルメッセージも」〕
(2008年7月8日 WIRED)
米軍が初期開発に資金を拠出していた、
マイクロ波を使って脳内に音を作り出す非殺傷型兵器。
しかしその完成品は、筆者が『New Scientist』誌で報じたとおり、
戦場での活躍が想定される一方で、
ショッピングモールで利用される可能性も秘めている。
このプロジェクトは、
「耳に聞こえない音を使った暴徒の抑止��
(Mob Excess Deterrent Using Silent Audio)の頭文字を取って『MEDUSA』と呼ばれる。
少々取って付けたような名前のMEDUSAは、
長距離音響装置(LRAD)やその類似装置など、
単に音を投射するだけのものとは異なる
[LRADは、約270メートルの効果範囲にある対象に向けて大音量・高周波数の音声ビームを発射し、攻撃の意欲を無くさせることができるという]。
ソニーとサムスン電子
日本との関係
「東芝#DRAM」も参照
1986年、東芝半導体事業本部長川西剛[注 4]は国際担当専務の仲介で李秉喆会長や幹部総出のVIP歓迎を受けて建設途中の半導体工場を視察し、見返りに当時世界最大容量1メガビットDRAMを開発中の最新鋭大分工場を見学[17]させている。1986年、三星電子も1メガビットDRAMを開発し、東芝大分工場生産ラインを統括担当する製造部長をスカウトして大分工場と同等設備を有する製造工場を建設している[15]。
1987年5月にアメリカと日本へ研究所を設立し、1988年に半導体事業売上高9億5百万ドルで半導体メーカー売上高ランキング18位になる。
1988年、日本の半導体企業は半導体企業トップ10社中6社を占めるが、1991年バブル崩壊による資金繰悪化でメモリー事業撤退や工場閉鎖など大掛かりにリストラすると、三星電子は韓国政府のバックアップを受けて東芝、松下電器、三洋電機、シャープ、NECなどからリストラされた日本人技術者を高給でヘッドハンティングし、日本人技術顧問が外国人技術者中77名と大半を占めた結果、最新技術を得る[15]。
1992年、東芝とサムスン電子はフラッシュメモリの共同開発と技術仕様・製品情報の供与契約を締結する。1993年、サムスン電子は韓国初の6メガバイトフラッシュメモリを開発する。1995年、東芝とサムスン電子は64メガビットフラッシュメモリ技術の共同開発で提携する[15]。
半導体メーカー売上高ランキングでは1991年は14億7千3百万ドルで12位、1995年は83億2千9百万ドルで6位、2002年から2011年まで米国インテルに次ぎ2位である。
2000年代から現在まで
Samsung Galaxy
1990年代までの韓国国内におけるサムスン電子の位置づけは、主要企業の中の一社に過ぎなかったが、上述の半導体事業での躍進などもあって2000年代以降は韓国国内の事業規模や韓国経済に与える影響面などは圧倒的なものを持つようになり、また、世界の電機メーカーの中でも有数の大企業に成長した。
特に1997年のアジア通貨危機は、国家経済の危機とは裏腹にサムスン電子を強力な企業に成長させるきっかけとなった。通貨危機で韓国の大企業30社のうち16���が破綻し、サムスン電子も韓国政府から公的資金が注入される事態となり、倒産寸前にまで追い込まれたが、破綻を避けるために広範な構造改革の断行や効率的な経営計画の実行などにより、サムスン電子は半官半民の韓国の将来をかけた企業として、グローバル企業への成長を加速させた[18]。インターネット・バブル崩壊後の2000 - 2003年にもサムスン電子は純益伸び率5%を記録した。
また、サムスン電子は、1990年代から半導体で得た莫大な利益を、2000年代前半当時としては次世代産業であったLCD事業や携帯電話事業に大規模に投資を行い、さまざまな製品の世界市場でシェアを伸ばした。またマーケティング活動とコマーシャル活動を大規模に行っている。例としては、1996年には「TOPスポンサー計画」を通じてオリンピックの公式パートナーになり、1998年には長野冬季五輪の公式スポンサーとなり、2000年代以降は継続してオリンピックのスポンサーを務めている[19]。
2009年に、サムスン電子は売上高基準でドイツのシーメンスと米国のヒューレット・パッカードを超え、世界最大のIT・家電メーカーとなった[20][21]。2009年のサムスンのシェアは、薄型テレビと半導体メモリで世界第1位[22][23]、携帯電話が世界第2位[24]、白物家電でも上位を占めている。また、同年には、2020年の目標として売上高4,000億ドル達成を目指すビジョン2020を掲げた[25]。これを実現するために、既存のセット・部品中心の情報、通信、AV事業(Infotainment)に、ソフトウェアとソリューションを中心とした医療/バイオ、環境/エネルギー、利便性/癒しなど暮らしの質を向上させるライフケア(Lifecare)を新たな事業領域に盛り込み、「21世紀型のビジネス構造」への変身を図っている。
2010年、自社で生産したExynosマイクロプロセッサをスマートフォンに搭載。さらに新規CPUコア(マングース)の独自開発に着手。テキサス州オースチンやカリフォルニア州サンノゼを拠点に研究開発が進められていたが、2019年に開発中止が発表された[26]。
ソニーとサムスン電子は、合弁で液晶パネルを製造するS-LCDを韓国の忠清南道に設立していたが、2011年、ソニー側が、合弁会社の株式を全てをサムスンに売却する形で合弁を解消した[27]。
2018年8月、2020年までの3年間に設備投資と研究開発費の合算で180兆ウォンを投資することを発表。既存のメモリー、有機ELパネルのほか、次世代通信規格(5G)に対応した通信インフラ設備やバイオテクノロジー、人工知能、自動車部品といった新規事業の育成にも乗り出すことを示唆した[28]。
2018年10月24日、NECと5G向け基地局の技術開発と営業で提携すると正式に発表した[29]。
2018年5月、韓国検察当局はサムスンバイオロジクスの粉飾決算疑惑の捜査を開始。2019年6月6日までに、証拠隠滅を指示した容疑でサムスン電子の副社長3人を相次いで逮捕した[30]。
2019年9月30日、中国のスマートフォン製造拠点である恵州工場を閉鎖。中国国内でのシェアの低下や製造コストの増加が問題となっていた。スマートフォンの製造は、閉鎖までにインドやベトナムなどの製造コストの低い国の工場に振り分け進められていた[31]。
沿革
1969年1月 - 三星電子工業(株)設立。
1969年12月 - 三洋電機の韓国でのジョイントベンチャーとして三星三洋電機を設立(1977年三星電子に合併)。
1970年1月 - NECの韓国でのジョイントベンチャーとして三星NECの設立。
1970年11月 - 白黒テレビ「P-3202」を試生産。
1973年 - 三星三洋電子設立(現・サムスン電機)。
1973年12月 - 三星家電工場を竣工。
1974年 - 三星電子東京事務所が開設
1975年 - 三星ジャパン株式会社 設立
1977年 - 三星電気(株)を吸収合併。
1978年7月 - アメリカに現地販売法人「SEA」を設立。
1980年3月 - 韓国電子通信株式会社を買収。
1980年9月 - ポルトガルの最初の現地生産法人「SEP」竣工。
1982年6月 - ドイツに現地販売法人「SEG」設立。
1982年9月 - ポルトガルの最初の現地生産法人「SEP」竣工。
1982年12月 - 韓國電子通信、三星半導体通信株式會社に商号変更。
1983年 - 三星電子株式会社 東京支店 開設
1984年2月 - 三星電子(株)と改称。
1984年 - 光州電子(株)を合併。
1984年 - 11月にイギリスに現地販売法人「SEUK」設立。
1984年12月 - アメリカに現地生産法人「SII」設立。
1987年5月 - 海外の研究所(アメリカ・サンタクララ、日本・東京)を設立。
1987年9月 - オーストラリアに現地販売法人「SEAU」設立、カナダに現地販売法人「SECA」設立。
1987年10月 - イギリスに現地生産法人を竣工、生産開始。
1987年 - 李健熙(イ・ゴンヒ)が2代目会長に就任。
1988年 - 三星半導体通信(株)を吸収合併、第二創業宣言「21世紀に超一流企業に」。
1988年10月 - フランスで販売会社「SEF」設立、タイに現地生産法人「TSE」設立、メキシコに現地生産法人「SAMEX」竣工、生産開始。
1988年11月 - にサムスン半導体通信を吸収合併。
1989年8月 - マレーシアに現地法人を設立。
1992年2月 - チェコスロバキア(当時)に現地生産法人を設立。
1992年7月 - 中国・天津にVTR生産法人を設立。
1993年 - 李会長がフランクフルトで「新経営」宣言 量より質の経営へ。
1994年11月 - 障害者のための工場、無窮花(ムグンファ)電子設立。
1996年3月 - アメリカ・テキサス州オースティンに半導体工場を着工。
1997年1月 - 第2創業を宣言。
1997年 - アジア通貨危機で従業員の30%を削減。
1998年 - 日本サムスン設立。
2000年10月 - 中国に通信技術研究所を設立。
2004年4月 - ソニーと合弁で液晶パネル製造会社S-LCD設立。
2004年4月 - 東芝と光ディスク装置の合弁会社 東芝サムスンストレージテクノロジーを設立。
2004年12月 - サムスン電子とソニー、相互特許使用契約の締結。
2007年11月 - 家電販売で日本市場から撤退。ソフトバンクモバイル向け携帯電話の製造・販売は継続される。
2008年4月 - 複数の違法行為の責任をとって李健熙会長兼CEOが辞任。
2008年11月 - 本社をソウル特別市中区太平路から同市瑞草区瑞草洞へ移転
2010年3月 - 李明博の恩赦により李健熙が会長に復帰
2016年11月 - オーディオ機器・車載インフォテイメント関連企業のハーマン・インターナショナルを約80億米ドルで買収。
2017年2月 - 全国経済人連合会(全経連)に脱退届けを提出。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%A0%E3%82%B9%E3%83%B3%E9%9B%BB%E5%AD%90
ソニーとサムスン電子はレイセオンから告訴されていた。
積層半導体の製造に関するレイセオン社の特許請求は、自明性のために適切に無効にされた、と連邦控訴裁判所は裁定した。
行政上の有効性の課題を決定する特許庁である特許審判委員会は、特許が先行技術に先行するというレイセオンの主張を正しく拒否しました。米国連邦巡回区控訴裁判所は4月2日を裁定しました。
先例のない決定は、レイセオンが特許侵害で訴えたソニー株式会社とサムスン電子株式会社の勝利です。レイセオンは、デジタルカメラやスマートフォンで使用されているソニーとサムスンの光検知モジュールが侵害されていると主張しています。
グーグル直訳すみません。
https://www.docketbird.com/court-documents/Raytheon-Company-v-Samsung-Electronics-Co-Ltd-et-al/Text-of-Proposed-Order-Proposed-Order-to-Terminate-Stay/txed-2:2015-cv-00341-00126-001
COME NOW, Plaintiff Raytheon Company (“Raytheon”), and Defendants Sony Corporation, Sony Corporation of America, Sony Electronics Inc., Sony Mobile Communications (USA) Inc., Sony Semiconductor Corporation, Sony EMCS Corporation, Sony Mobile Communications Inc., and Sony Mobile Communications AB, (collectively, “Sony defendants”), OmniVision Technologies, Inc. (“OmniVision”), and Apple Inc. (“Apple”), Samsung Electronics Co., Ltd., Samsung Electronics America, Inc., and Samsung Semiconductor Inc. (collectively, “Samsung”) (Sony defendants, OmniVision, Apple, and Samsung collectively, “Defendants”) (collectively, “Parties”) hereby jointly file this Joint Report and Joint Motion to Terminate Stay and Dismiss. The Court, having considered this request, is of the opinion that the Parties’ motionto terminate stay and dismiss Plaintiff’s claims against Defendants with prejudice and Defendants’ counterclaims against Plaintiff as moot should be GRANTED.IT IS THEREFORE ORDERED that Plaintiff’s claims for relief against Defendants are dismissed with prejudice and Defendants’ counterclaims against Plaintiff as moot. IT IS FURTHER ORDERED that all fees and costs shall be borne by each party incurring the same.Case 2:15-cv-00341-JRG-RSP Document 126-1 Filed 06/08/18 Page 1 of 2 PageID #: 3094
〈原告レイセオン会社(「レイセオン」)、および被告ソニー企業〉今すぐ来なさい アメリカ、ソニーエレクトロニクスInc.、ソニーモバイル通信(米国)Inc.、ソニー半導体企業、ソニーイーエムシーエス企業、ソニーモバイル通信Inc.、およびソニーモバイル通信AB ,(集合的に「ソニー被告」) OmniVision のソニー企業 従って、テクノロジー,Inc.(「OmniVision」)、およびアップルInc.(「アップル」)、サムスン電子Co.,Ltd.、サムスン電子アメリカ,Inc.、およびサムスン半導体Inc.(集合的に「サムスン」)(集合的のソニー被告、OmniVision、アップル、およびサムスン、「被告」)(集合的に「パーティー」)は、このジョイントリポートとジョイント動作をターミネート滞在と解雇に一緒にファイルする。 法廷は、この要求を考慮し、パーティーのmotiontoが終わるという意見をもっている 人民集会がGRANTEDであるはずであるので、原告に対する先入観および被告の反訴を持つ被告に対して原告の主張を延期し、解雇する 。被告に対するリリーフについての原告の主張が先入観および被告の反訴によって原告 として 未解決 に対して退けられるそれであるTHEREFORE ORDERED。すべての料金とコストが2 PageID#の個々のパーティーを招くthe same.Case2時15分-cv-00341-JRG-RSP文書126-1ファイリング06/08/18ページ1により負担されることとするそれであるFURTHER ORDERED:
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momijiyama1649 · 5 years
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ざこば・鶴瓶らくごのご お題一覧 1992年    1 過労死・つくし・小錦の脂肪    2 一年生・時短・ニューハーフ    3 レントゲン・混浴・アニマル    4 ゴールデンウイーク・JFK・セクハラ    5 暴走族・かさぶた・バーコード    6 タイガース・母の日・入れ墨    7 目借り時・風呂桶・よだれ    8 しびれ・歯抜け・未婚の娘    9 ヘルニア・目ばちこ・フォークボール    10 造幣局・社員割引・オリンピック    11 父の日・猥褻・丁髷    12 ピエロ・ナメクジ・深爪    13 ミスユニバース・特許・虫さされ    14 魔法使いサリー・祇園祭・円形脱毛症    15 サザエさん・ジャンケン・バーゲンセール    16 ト音記号・北方領土・干瓢    17 妊婦体操・蚊帳・ビヤガーデン    18 身代わり・車だん吉・プラネタリウム    19 床づれ・追っかけ・男の涙    20 海月・肩パット・鶏冠    21 放送禁止用語・お年寄り・ピンポンパン    22 おかま・芋掘り・大人げない    23 復活・憧れ・食い逃げ    24 蒲鉾・風は旅人・半尻    25 泉ピン子・ヘルメット・クリーニング    26 美人姉妹・河童・合格    27 スカート捲り・ケツカッチン・秋の虫    28 チンパンジー・フォークダンス・いなりずし    29 稲刈り・小麦粉・フランス人    30 日本シリーズ・鶴瓶・落葉    31 クロスカウンター・学園祭・タクシー    32 付け睫毛・褌ペアー誕生・ツアーコンダクター    33 泣きみそ・ボーナス一括払い・ぎゅうぎゅう詰め    34 静電気・孝行娘・ホノルルマラソン    35 暴れん坊将軍・モスラ・久留米餅 1993年    36 栗きんとん・鶴・朝丸    37 成人式・ヤクルトミルミル・まんまんちゃんあん    38 夫婦善哉・歯磨き粉・夜更かし    39 金の鯱・オーディション・チャリティーオークション    40 ひ孫・いかりや長介・掃除機    41 北京原人・お味噌汁・雪祭り    42 視力検査・フレアースカート・美術館めぐり    43 矢鴨・植毛・うまいもんはうまい    44 卒業式・美人・転た寝    45 らくごのご・浅蜊の酒蒸し・ハットリ君    46 コレラ・さぶいぼ・お花見    47 パンツ泥棒・オキシドール・上岡龍太郎    48 番台・ボランティア・健忘症    49 長嶋監督・割引債・厄年    50 指パッチン・葉桜・ポールマッカートニー    51 同級生・竹輪・ホモ    52 破れた靴下・海上コンテナ・日本庭園    53 シルバーシート・十二単衣・筍    54 ぶんぷく茶釜・結納・横山ノック    55 睡眠不足・紫陽花・厄介者    56 平成教育委員会・有給休暇・馬耳東風    57 生欠伸・枕・短気は損気    58 雨蛙・脱税・右肩脱臼    59 鮪・教育実習・嘘つき    60 天の川・女子短期大学・冷やし中華    61 東京特許許可局・落雷・蚊とり線香    62 真夜中の屁・プロポーズ・水戸黄門諸国漫遊    63 五条坂陶器祭・空中庭園・雷    64 目玉親父・恐竜・熱帯夜    65 深夜徘徊・パンツ・宮参り    66 美少女戦士セーラームーン・盆踊り・素麺つゆ    67 水浴び・丸坊主・早口言葉    68 桃栗三年柿八年・中耳炎・網タイツ    69 釣瓶落とし・サゲ・一卵性双生児    70 台風の目・幸・ラグビー    71 年下の男の子・宝くじ・松茸狩り    72 関西弁・肉まんあんまん・盗塁王    73 新婚初夜・サボテン・高みの見物    74 パナコランで肩こらん・秋鯖・知恵    75 禁煙・お茶どすがな・銀幕    76 ラクロス・姥捨山・就職浪人    77 掛軸・瀬戸大橋・二回目    78 海外留学・逆児・マスターズトーナメント    79 バットマン・戴帽式・フライングスポーツシューター    80 法螺貝・コロッケ・ウルグアイラウンド    81 明治大正昭和平成・武士道・チゲ鍋 1994年    82 アイルトンセナ・正月特番・蟹鋤    83 豚キムチ・過疎対策・安物買いの銭失い    84 合格祈願・パーソナルコンピューター・年女    85 一途・血便・太鼓橋    86 告白・ラーメン定食・鬼は外、福は内    87 カラー軍手・放火・卸売市場    88 パピヨン・所得税減税・幕間    89 二十四・Jリーグ・大雪    90 動物苛め・下市温泉秋津荘・ボンタンアメ    91 雪見酒・アメダス・六十歳    92 座蒲団・蛸焼・引越し    93 米寿の祝・外人さん・コチョコチョ    94 談合・太極拳・花便り    95 猫の盛り・二日酔・タイ米    96 赤切符・キューピー・入社式    97 リストラ・龍神伝説・空巣    98 人間喞筒・版画・単身赴任    99 コッペン・定年退職・ハンドボール    100 百回記念・扇子・唐辛子    101 ビクターの手拭い・カーネーション・鉄腕アトム    102 自転車泥棒・見猿言わ猿聞か猿・トマト    103 紫陽花寺・豚骨スープ・阪神優勝    104 三角定規・黒帯・泥棒根性    105 横浜銀蝿・他人のふり・安産祈願    106 月下美人・フィラデルフィア・大山椒魚    107 鯨・親知らず・ピンクの蝿叩き    108 蛍狩・玉子丼・ウィンブルドン    109 西部劇・トップレス・レバー    110 流し素麺・目高の交尾・向日葵    111 河童の皿・コロンビア・内定通知    112 防災頭巾・電気按摩・双子    113 河内音頭・跡取り息子・蛸焼パーティ    114 骨髄バンク・銀杏並木・芋名月    115 秋桜・ぁ結婚式・電動の車椅子    116 運動会・松茸御飯・石焼芋    117 サンデーズサンのカキフライ・休日出勤・ウーパールーパー    118 浮石・カクテル・彼氏募集中    119 涙の解剖実習・就職難・釣瓶落し    120 ノーベル賞・めちゃ旨・台風1号    121 大草原・食い込みパンツ・歯科技工士    122 助けてドラえもん・米沢牛・寿貧乏    123 祭・借金・パンチ佐藤引退    124 山乃芋・泥鰌掬い・吊し柿    125 不合格通知・九州場所・ピラミッドパワー    126 紅葉渋滞・再チャレンジ・日本の伝統    127 臨時収入・邪魔者・大掃除    128 アラファト議長・正月映画封切り・ピンクのモーツァルト 1995年    129 御節・達磨ストーブ・再就職    130 晴着・新春シャンソンショー・瞼の母    131 家政婦・卒業論文・酔っ払い    132 姦し娘・如月・使い捨て懐炉    133 立春・インドネシア・大正琴全国大会    134 卒業旅行・招待状・引っ手繰り    135 モンブラン・和製英語・和風吸血鬼    136 確定申告・侘助・青春時代    137 点字ブロック・新入社員・玉筋魚の新子    138 祭と女で三十年・櫻咲く・御神酒徳利    139 茶髪・緊張と緩和・来なかったお父さん    140 痔・恋女房・月の法善寺横丁    141 ひばり館・阿亀鸚哥・染み    142 初めてのチュー・豆御飯・鶴瓶の女たらし    143 アデランス・いてまえだへん(いてまえ打線)・クラス替え    144 長男の嫁・足痺れ・銅鑼焼    145 新知事・つるや食堂・南無阿弥陀仏    146 もぐりん・五月病・石楠花の花    147 音痴・赤いちゃんちゃんこ・野崎詣り    148 酒は百薬の長・お地蔵さん・可愛いベイビー    149 山菜取り・絶好調・ポラロイドカメラ    150 お父さんありがとう・舟歌・一日一善    151 出発進行・夢をかたちに・ピンセット    152 ホタテマン・深夜放送・FMラジオ    153 アトピッ子・結婚披露宴の二次会・おさげ    154 初産・紫陽花の花・川藤出さんかい    155 ビーチバレー・轆轤首・上方芸能    156 ワイキキデート・鹿煎餅・一家団欒    157 但空・高所恐怖症・合唱コンクール    158 中村監督・水着の跡・進め落語少年    159 通信教育・遠距離恋愛・ダイエット    160 華麗なる変身・遠赤ブレスレット・夏の火遊び    161 親子二代・垢擦り・筏下り    162 鮪漁船・新築祝・入れ歯    163 泣き虫、笑い虫・甚兵衛鮫・新妻参上    164 オペラ座の怪人・トルネード・ハイオクガソリン    165 小手面胴・裏のお婆ちゃん・ガングリオン    166 栗拾い・天国と地獄・芋雑炊    167 夜汽車・鳩饅頭・スシ食いねぇ!    168 長便所・大ファン・腓返り    169 美人勢揃い・雨戸・大江健三郎    170 親守・巻き舌・結婚おめでとう    171 乳首・ポン酢・ファッションショー    172 仮装パーティー・ぎっくり腰・夜更し    173 ギブス・当選発表・ちゃった祭    174 超氷河期・平等院・猪鹿蝶    175 コーラス・靴泥棒・胃拡張    176 誕生日・闘病生活・心機一転    177 毒蜘蛛・国際結婚・世間体 1996年    178 シナ婆ちゃん・有給休暇・免停    179 三姉妹・バリ・総辞職    180 家庭菜園・ピンクレディーメドレー・国家試験    181 ほっけ・欠陥商品・黒タイツ    182 内股・シャッターチャンス・金剛登山    183 嘘つき娘・再出発・神学部    184 金柑・恋の奴隷・ミッキーマウス    185 露天風呂・部員募集・ぞろ目    186 でんでん太鼓・ちゃんこ鍋・脳腫瘍    187 夢心地・旅の母・ペアウオッチ    188 (不明につき空欄)    189 福寿草・和気藹々・社交ダンス    190 奢り・貧乏・男便所    191 八十四歳・奥さんパワー・初心忘るべからず    192 お花見・無駄毛・プラチナ    193 粒揃い・高野山・十分の一    194 おぃ鬼太郎・シュークリーム・小室哲哉    195 くさい足・オリーブ・いやいや    196 ダイエットテープ・北京故宮展・細雪    197 若い季節・自動両替機・糞ころがし    198 おやじのパソコン・なみはや国体・紙婚式    199 降灰袋・ハンブルグ・乳首マッサージ    200 雪見酒・臭い足・貧乏・タイ米・コチョコチョ・雷・明治大正昭和平成・上岡龍太郎・お茶どすがな・トップレス(総集編、10題リレー落語)    201 夫婦喧嘩・川下り・取越し苦労    202 横綱・占い研究部・日本のへそ    203 マオカラー・海の日・息継ぎ    204 カモメール・モアイ・子供の事情    205 ありがとさん・文武両道・梅雨明け    206 団扇・ボーナス定期・芸の道    207 宅配・入道雲・草叢    208 回転木馬・大文字・献血    209 寝茣蓙・メロンパン・初孫    210 方向音痴・家鴨・非売品    211 年金生活・女子高生・ロングブーツ    212 エキストラ・デカンショ祭・トイレトレーニング    213 行けず後家・オーロラ・瓜二つ    214 金婚式・月光仮面・ロックンローラー    215 孫・有頂天・狸    216 雪女・携帯電話・交代制勤務    217 赤いバスローブ・スイミング・おでこ    218 参勤交代・ケーブルカー・七人兄弟    219 秋雨前線・腹八分・シルバーシート    220 関東煮・年賀葉書・学童保育    221 バンコク・七五三・鼻血    222 ホルモン焼き・男襦袢・学園祭
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%96%E3%81%93%E3%81%B0%E3%83%BB%E9%B6%B4%E7%93%B6%E3%82%89%E3%81%8F%E3%81%94%E3%81%AE%E3%81%94
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sasakiatsushi · 6 years
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言葉と物と音について ー一多和田葉子とカールステン・ニコライ一一
 文字は数字になり、数字は点になる。 「ラビと二十七個の点」
 多和田葉子と「音楽」との関わりといえば、彼女と同じドイツ在住のジャズ・ピアニスト高瀬アキとの長年に渡るコラボレーションがつとに有名である。二人は日本、アメリカ、ドイツなど数カ国で朗読+ピアノのジョイント・ツアーを行なっている。だがもうひとり、あるドイツ人ミュージシャンと共同で一枚のコンパクト・ディスクを発表していることは、おそらくほとんど知られていないのではないか。yoko tawada + noto名義で一九九九年にリリースされた『13』がそれである。  ノトことカールステン・ニコライ(Carsten Nicolai)は、美術と音楽という異なる二つの領域と、両者を横断する「サウンド・アート」と呼ばれる分野において、近年めざましい活躍を続けている人気アーティストである。美術家としては、日本を含む世界各国で個展が催されており、ドクメンタを始めとする国際的に著名な展覧会にも度々参加している。音楽の世界では、ノトもしくはアルヴァ・ノト(alva.noto)名義で数多くの優れた作品を発表しており、エレクトロニカと総称される現在の電子音楽の一潮流において、シーンの最前線を牽引する存在として高い評価を受けている。『13』はニコライ自身のレーベルから限定盤CDとしてリリースされたものである。  筆者の知り得た限りでは、日本語で刊行されている多和田葉子の文章で、この作品に触れたものは存在していない(どういうわけか公式サイトのビブリオグラフィーにも載っていない)。それゆえ、どのような経緯で二人が知り合い、共同作業をすることになったのかは今なお不明なのだが(筆者はニコライ本人から直接CDを貰ったのだが、馴れ初めについては聞き損ねた。だがニコライが作家多和田葉子のファンであったことは間違いない)が、この一度限りの試みは、多和田葉子の「言葉」の特異な有様を考える上で、極めて重要な示唆を与えてくれるように思う。
 高瀬アキとのコラボレーションに関しては、多和田葉子は何度か書いている。たとえば「音楽と文学の境界を越えて、などといかにも新しいことのように言うのは正直言って恥ずかしい」などと言いながらも、言葉と音楽との出会いを、繊細かつ緻密に描写した以下の文章。
 音と言葉のパフォーマンスでは、ピアノの即興演奏と詩の朗読が同時進行するのだが、この同時進行というのは「あわせる」というのとはちょっと違う。わたしは、足の親指から喉までの領域は音楽に聞き入って音楽に応えながらも、舌から脳に至る区域は言葉の意味を追って進む。あるいはピアノの方に向いた左半身は音に向かって発熱させ、右半身はテキストの中に沈み込ませようとしてみる。すると、自分というものが二つに分裂して大変気持ちがよい。両者の間には溝がある。半分は言葉の世界の外に出ていて、半分は中に入っているような気持ちでもある。もちろん、つながりもある。しかし、そのつながりは、歌のメロディーと歌詞の間の関係のようにべったりしたものではない。両者は不思議な空間を屈折して進む振動によって、間接的に繋がっている。あるいは分離している。そうでなければ、「音楽に合わせて読んでいる」ことになってしまう。 「フライブルク一音楽と言葉」『エクソフォニー 母語の外に出る旅』
 フリーの即興演奏と、詩人や小説家による朗読のパフォーマンスという組合せは、特にヨーロッパにおいては、とりたてて珍しいものではないが、その際に現場でリアルタイムに起こっている、実のところかなり錯綜した、ある種の「戦い」にも似た事態を、この文章ほど見事に解き明かしているものはない。だがしかし、ここに記されている音と言葉の交感の明晰かつ詩的な自己分析は、ノトとの『13』の場合は、ほとんど当てはまらない。  『13』には一九分二五秒の長いトラック一曲のみが収録されている。最初に音楽抜きで「ヨーコ・タワダ、ドライツェーン(DREIZEHN=13)」と無造作にタイトルが告げられ、一拍置いてから、ノトのトレードマークである厳密に構成された電子音が、ミニマルでモノトナスなパルス=リズムをゆっくりと刻み出し、数秒の後に朗読が始まる。言葉が読まれる速度は非常に速く、切れ目もほとんどない。バックのサウンドにメロディ的な要素は皆無であり、朗読の調子も、極度にストイックで無機質なサウンドと同様に、ほとんど機械を思わせるような無表情さをひたすら保ち続ける。  朗読されるテクストは、題名の通り、十三の断片に分かれており、最初から九番目までがドイツ語、残りの四つが日本語で読まれる。内容はほぼ「詩」と呼ぶべきものであり、脈絡を断ち切られ縫合されたアブストラクトな言葉の連なりが、奇妙にコミカルな雰囲気を醸し出す。日本語によるパートの最初の断片は、たとえばこんな具合である。
 まくらするならだれもいないんでよなきするまくらしらないスリッパ あさおきるのがつらいんでいぬのとおぼえまねしているのがやかんねっとうそれからカーテンのやくそく ゆれながらさゆうにどんどんおおきくふくらんでいってめをあけてもちょくりつするのはだれ めがさめたときのわたし からだがいつものさんばいも (注:原文を参照できない為、CDから聞き取ってひらがなとカタカナのみで表記した)
 自然な抑揚を欠いた、だがいわゆる一本調子とはやはり違う不思議な韻律の、とはいえしかし六を挟む数字で割り切れるようなアルカイックな「日本語」の懐かしさがどこかで谺しているようでもある多和田の朗読。その背景で、エレクトロニックな発信音が整然と流れていく。その単調でマシニックな反復は、人間の「声」の寄り添いによって、初めてやっとかろうじて「音楽」と呼ぶことができるようなものであり、と同時に、そのような「人間」的な要素など、そもそもまったく必要としていないようにも聞こえる。  先のエッセイの続きで、声に出して読むこと=音読という行為(いや、運動と言った方がより正しいだろうか?)が、音楽の演奏と直に掛け合わされることによって、「言葉」が俄かに「音=響き」として浮上してくる驚きについて、多和田葉子は書いている。
 たとえば、「食べたがる」という表現に現れた「がる」という単語などは、「がる、がる、がる」と繰り返してみると分かるが、随分個性的な響きをもっている。ところが、普通に読書している時には、なかなかそのことには気がつかない。「がる」がその前にある動詞から切断されてたっぷり発音された瞬間に、その響きがいわゆる「意味」に還元しきれない、何か別のことを訴えかけてくる。言葉をたずさえて音楽という「もうひとつの言語」の中に入っていくと、そういった言葉の不思議さが自分のテキストの中から立ち現れてきて驚かされる。音楽を通して、言葉を再発見するということかもしれない。 (同前)
 音楽は「もうひとつの言語」である。多和田葉子の朗読と高瀬アキのピアノの共演は、まったく異なる二つの「言語」によって、手探り状態で対話をしているようなものだ。相手の「言語」が及ぼすエフェクトによって、自らが操る「言語」も刻々と異化されてゆくことになる。両者の間に完全な交通などはありえないが(それにもしもそうなったら「対話」の意味もなくなるだろう)、そうであるからこそ、そこにはマジックが生じ得る。  ピアノの音に対峙しながら、口唇から発される言葉は「意味」を脱色され、バラバラの音韻へと分節され、語の響きの肌理が、ざわめきとともに立ち上がってくる。つまり、言葉は「もうひとつの音楽」である、と言っても同じことではないか。「対話」であり「双奏」でもあるような、二つの「言語/音楽」による交通=コミュニケーション(それはもちろん、多和田の言うように「反コミュニケーション的なコミュニケーション」でもあるのだが)。「耳をすましても決して一致はしない、もどかしい、余りだらけの割算をお互いに繰り返しながら、発見を重ねていくことに、音と言葉の共演の楽しさがあるように思う」と、先の文章は結ばれている。  しかし『13』の場合には、そもそも言葉と音はまったくコミュニケーションしていないのではないか。サウンドは無骨にパルスを繰り返す。声は黙々と言葉を発音していく。あたかもそれは二台の機械が互いに無関係に駆動しているさまを見せられて(聴かされて)いるかのようなのだ。「不思議な空間を屈折して進む振動によって、間接的に繋がっている。あるいは分離している」などとは、とても呼べない。それらは繋がっても分離してもいない。そこには厳密な意味で「交通」は存在していない。アコースティックな即興演奏とエレクトロニックな反復音響という違いはあるにせよ、この共演はほとんど異様である。 実際のレコーディングがどのように行なわれたのかは不明だが、多和田葉子はノトと「対話/双奏」していない。  なるほど確かにひとつのポイントは、ノトの「音楽」自体がいわゆる「生演奏」ではない、ということにある。それはあらかじめ録音されたものであり、デジタルに記録されたオーディオ・データが機械的に再生されているのにすぎないからだ(もちろん、ニコライがその場でエレクトロニクスを操っていた可能性もゼロではないが、そのような想定はおよそナンセンスというものだろう)。当然のことながら、音楽がリアルタイムで声に反応JGすることはありえない。だから「交通」があるとしても、それは一方通行でしかない。この考えはまったく正しいが、しかし問題の本質は実はそこにはない。  たとえ既に完成されたバック・トラックをヘッドフォンなどで聴きながら多和田葉子の声が録音されたのだとしても、そのことが朗読にどのような影響を齎したのかは、完成した『13』からは聴き取ることができない。反対に、朗読が事前にレコーディングされており、音楽の方が後から付け加えられたのだとしても、結果はほとんど相違ないのではないかとも思える。つまり、言葉と音の時空間的なズレは、この作品の本質には関係しておらず、むしろこの無関係さこそが問題なのである。多和田葉子とカールステン・ニコライが一度も直接会ったことがなかったとしても、この作品は十分に成立可能であり、言葉と音が完全に別々に録られていようと(筆者はそう思っている)、あるいはそうでなかろうと、『13』の仕上がりには関係がない。そこに厳密な意味で「交通=コミュニケーション」が存在していないというのは、このような意味である。  では結局のところ、多和田葉子とノトの一度限りの共同作業は、多くの豊かな可能性を孕みつつ現在も継続中の高瀬アキとの共演と較べて、いわば試しに行なってみた無味乾燥な実験のひとつでしかなく、そこにはおよそ得るものはなかったということになるのだろうか。なるほど確かにそこでは「音楽を通して、言葉を再発見する」というような体験は、ほぼ皆無であったかもしれない。しかし、そのような言葉と音楽の生産的な交流とはまったく別の次元で、この出会いには明らかな必然が潜んでいたのだと、筆者には思える。そしてそれは何よりもまず、多和田葉子の言葉とカールステン・ニコライの音の「組成」が、極めてよく似ている、両者はほとんど同じ物である、という点に存している。
「私が目的としているのは、幾何学的な体験をするということであって、美的なものを追求していくということではありません」 カールステン・ニコライ
 音楽家としてのカールステン・ニコライは、デュオ・ユニット「cyclo.」として共同制作も行なっている池田亮司などと並んで、しばしば「サイン・ウェイヴ派」などと呼ばれている。「サイン・ウェイヴ」とは、一定の周波数を示す「サイン=正弦曲線」のみで表される「波=音」のことであり、倍音の要素を一切含まないことから、「純音」とも呼ばれる。言うまでもなく、「音」とは空気中の振動という物理的な現象なのだが、あらゆる「音(響)」は、フーリエ変換という数学的なプロセスによって、「サイン・ウェイヴ」の重ね合わせに分解することができる。ニコライと池田は、このような「純音」それ自体を、楽曲の素材として全面的に使用しており、ある意味では「電子音楽」の黎明期に立ち戻ってみせたかのような(既に五十年代にシュトックハウゼン等がフーリエ変換を用いて「サイン・ウェイヴ」による作品を発表している)、彼らのラディカル=原理的=急進的な方法論と、旧来の「音楽」の美学的価値判断を揺るがすような姿勢は、90年代の「テクノ」以後の環境の中で、極めて強力な影響力を持つことになった。  「サイン・ウェイヴ」の特質は、あらゆる「音」の原基を成すものでありながら、それ自体は徹底して人工的なものだということである。自然界には「サイン・ウェイヴ」は存在していない。現実の世界でも、たとえば時報や横断歩道のシグナル等といった限定されたもの以外では、正確な周波数だけの「音」を耳にすることは滅多にない(そしてこのことが「サイン・ウェイヴ派」が音色の点でも新鮮に受け止められた理由でもあるだろう)。いわばそれは「数」としての「音」だといっていい。  ところで、興味深いことに、「音」を「数」として、すなわち周波数の厳密な値として捉えることによって(それゆえ「サイン・ウェイヴ派」は「周波数音楽」などと一ある種の揶揄や批判も含めて一呼ばれることもある)、個々の「音」そのものを、まるで一種の彫刻のように磨き上げたり、ブロックのように連結したりといった、嘗ての「音楽」では考え方自体がありえなかったような作業が可能になった。言い換えればそれは、「音」を「物質的」に扱えるようになったということである。たとえば、1キロヘルツ(ヘルツは周波数の単位)の一秒の「音」は、「数」で表示されるものであるのと同時に、削ったりバラしたり、あるいはつまんだりすることもできるような、一種の「物」でもある。  更に現在のデジタル・テクノロジーは、「音」のサンプリングを一秒の四万四千百分の一(もしくは四万八千分の一)の精度で行なうことを可能にしており(更にいわゆる次世代オーディオではその二倍以上のサンプリング・レートが達成されている)、カ−ルステン・ニコライや池田亮司は、そのようなミクロな「音」の単位で制作を行なっている。比喩的に言えば、「サイン・ウェイヴ」が「音」を水平にバラしたものだとすれば、「ミクロ・サンプリング」は「音」を垂直に切り刻む。そうすることによって「物質」としての「音」が抽出されてくることになる。純粋で超微細な、分子のような,点のような「音」。  「数」であり「物」である「音」。このような意味での「音」は、およそ「音楽」の歴史において、作曲や演奏の俎上には上ってこなかったものである。今なお大半の音楽家にとって、それは「音ー楽」の「音」ではない。ちなみに『13』をリリースしたカールステン・ニコライ自身のレーベルの名称は「noton.archiv fur ton und nichtton(ノートン、音と非=音のための収蔵庫)」という。ノートンとはドイツ語で音を意味するtonに英語のnoを加えた造語であり、ノトというアーティスト・ネームも、ここに由来している。
 言うまでもなく、人間の「声」も「音」であることに変わりはない。「言葉」が「声」として発された瞬間、それは「音」になり、必然的に「サイン・ウェイヴ」の集積に分解され得る。そしてまた、たとえば「食べたがる」の「がる」は、もっと短い「が」の更に何万分の一ものミクロな「音」に分割され得る。このようなマセマティカルかつマテリアリスティックな観点に立った時、『13』における多和田葉子の朗読は、「言葉」としての「意味」を失うどころか、最終的には、ノトが用意したエレクトロニックな「音」との差異さえ消滅させてしまうことになる。「物」としての「音」に区別はありえないからだ。  もちろん、それはあらゆる「音」に関して等しく言えることであり、『13』の多和田葉子の「声」が殊更に「物質的」に振る舞っているわけではない。だが、カールステン・ニコライの「音」に対する幾何学的かつ唯物論的なアプローチは、多和田葉子の「言葉」へのアプローチと、明らかに通底していると思える。そしてそれは、朗読=音読によって生じる「音」としての「言葉」というよりも、むしろ「音」以前の書かれた「言葉」、すなわち「文字」の審級、そして更にその根元に在る「言語」の審級において、そうなのではないか……おそらくカールステン・ニコライは、このことに気付いており、それゆえ二人のアーティストは出会うことになったのではないだろうか?    私はよく、言葉のklangkorperとschriftkorperということを考える。これらは決してよく使われる合成語ではないが、klang(響き)とschrift(文字)は、大変一般的な単語である。それらの単語にkorperを付ければ出来上がり。言葉は意味を伝達するだけではなく、たとえば響きというものがあり、響きそのものが作り出す意味もある。文字についても、同じことが言える。 「からだからだ」『エクソフォニー』
 korperとは「からだ」(この「から」には「空」や「���」も潜んでいる)の意である。「言葉��響き+からだ」と「言葉+文字+からだ」。「文字」と「響き」とが、同じ「からだ=言葉」の中に入れられる。それはいわば「グラモフォン(「文字」+「音声」/蓄音機)」(デリダ)としての「言語」ということであろう。だが、今や「音声/響き」は「物」でもある。ならば当然、もう一方の「文字」もまた「物」として捉えられなくてはならない。「グラモフォン」はそれ自体、すこぶる唯物論的な装置なのである。  断っておかねばならないが、それはしかし、ただ単に「文字」がインクの分子や、フォントのドットに分解可能だという、言わずもがなのことを意味しているの(だけ)ではない。「言葉」も「音」も「物」である、ということは端的な事実でしかない。だが、カ−ルステン・ニコライが、「音」が「物」で(も)あるという事実を潔く受け入れた地点から、彼の「非=音楽としての音楽」を開始し、旧弊な美学では太刀打ちできない、唯物論的なポエジーとでもいうべき「音響」の世界を切り拓いてみせたように、多和田葉子は、「文字」が「物」で(も)あることを、「書くこと」の始源において絶えず意識しながら(意識させながら)、すぐれて「詩」的でありながらも同時にやたらゴツゴツとした手触りを持った「非=言葉的な言葉」を駆使して、「グラモフォン」としての「言語」をアップデイトさせていると思えるのだ。そしてこの時、ドイツ語と日本語の境界は、もはや意味を成さなくなっている……。
 ここで俄に想起されるのは、ベンヤミンが「翻訳者の使命」で唱えた、あの非常に理解しにくい「純粋言語」なる概念である。
 二つの言語間の親縁性は、歴史的親縁性を除くとすれば、いかなる点に求めることができるだろうか。(中略)むしろ、諸言語間のあらゆる歴史を超えた親縁性の実質は、それぞれ全体をなしている個々の言語において、そのつど一つの、しかも同一のものが志向されているという点にある。それにもかかわらずこの同一のものとは、個別的な諸言語には達せられるものではなく、諸言語が互いに補完しあうもろもろの志向(Intention)の総体によってのみ到達しうるものであり、それがすなわち、〈純粋言語(die reine Sprache)〉なのである。 「翻訳者の使命」ヴァルター・ベンヤミン/内村博信訳
 ベンヤミンのもっとも有名な、かつもっとも難解なテキストの一つというべきこの論考は、しかし知られているように、もともとはボードレール『パリ風景』のベンヤミン自身によるドイツ語訳の序文として書かれたものである。であるならば、どれほど高度に観念的な思考が繰り広げられているように読めたとしても(そしてそれは勿論そうなのだが)、しかし一方ではそれは、ベンヤミンその人による具体的な翻訳作業の経験と、より正しく言うならば「翻訳」という行為に内在する紛れもない「物質性」と、密接に結び付いていると考えられなくてはならない。
 ひとつの言語形成物[作品]の意味が、その伝達する意味と同一視されてよい場合でも、意味のすぐ近くにあってしかも無限に遠く、その意味のもとに隠れあるいはいっそうはっきりと際立ち、意味によって分断されあるいはより力強く輝きつつ、あらゆる伝達を超えて、ある究極的なもの、決定的なものが依然として存在する。あらゆる言語とそれぞれの言語による形成物には、伝達可能なもののほかに、伝達不可能な何かがなおも存在するのだ。それが象徴するものとなるのは、ただ諸言語で書かれた有限の形成物においてのみであって、これに対して諸言語そのものの生成のうちにおいては、それは象徴されるものとなる。そして、諸言語の生成のなかでみずからを表現し、それどころかみずからを作り出そう(herstellen[復元する])とするものこそ、純粋言語というあの核そのものなのである。 (同前)
 「象徴するものを象徴されるものそのものにすること」が「翻訳のもつ強力な、しかも唯一の力なのである」とベンヤミンは言う。「純粋言語」という概念は、そのような意味での「翻訳」を可能ならしめるものであり、と同時に、その絶対的な困難の根源に横たわるものでもあるように見える。それは「翻訳」を包含するあらゆる「言語表現」の基底であり、また限界でもあるようなものであり、しかし「翻訳」というあくまでも具体的な行為=運動によって、はじめてその存在を証立てるものとしてある。つまり「純粋言語」というもの自体は抽象的だが、それはいわば「言語表現」の「物質性」の果てしない乗数の狭間から立ち上がってくるのである。
 純粋言語とは、みずからはもはや何も志向せず、何も表現することなく、表現をもたない創造的な語として、あらゆる言語のもとに志向されるものなのだが、この純粋言語においてついに、あらゆる伝達、あらゆる意味、あらゆる志向は、それらがことごとく消滅すべく定められたひとつの層に到達する。 (同前)
 「翻訳者の使命」とは「異質な言語の内部に呪縛されているあの純粋言語をみずからの言語のなかで救済すること」だと、ベンヤミンは述べている。しかし彼は「みずからの言語=母国語」と「異質な言語=外国語」の非対称性について語っているのでは無論ない。当然ながら「みずからの言語」の内部にも「純粋言語」は呪縛されている。ここでの「呪縛」とはむしろ「みずからの」という自明性の中に潜在し隠蔽されている、というような意味なのである。  周知のように、多和田葉子には「翻訳」を主題とする一連の作品群が存在している。中編『文字移植(旧題『アルファベットの傷口』)』を始めとして、短編「大陸へ出掛けて、また戻ってきた踵」、パウル・ツェランを論じたエッセイ「翻訳者の門」など。ドイツ語と日本語を併記した詩集『あなたのいるところだけなにもない/Verlag Claudia Gehrke』もある。  多和田葉子は、彼女が「最も尊敬するドイツ語詩人」だというツェランの「詩人はたった一つの言語でしか詩は書けない」という言葉に関して、次のように述べたことがある。
 「一つの言語で」という時の「一つの言語で」というのは、閉鎖的な意味でのドイツ語をさしているわけではないように思う。彼の「ドイツ語」の中には、フランス語もロシア語も含まれている。外来語として含まれているだけではなく、詩的発想のグラフィックな基盤として、いろいろな言語が網目のように縒り合わされているのである。だから、この「一つの言語」というのはベンヤミンが翻訳論で述べた、翻訳という作業を通じて多くの言語が互いに手を取り合って向かって行く「一つの」言語に近いものとしてイメージするのが相応しいかもしれない。 「パリー一つの言語は一つの言語ではない」『エクソフォニー 母語の外に出る旅』
 「ベンヤミンが翻訳論で述べた」「一つの言語」とは、言うまでもなく「純粋言語」のことである。晦渋なベンヤミンの文章が一挙にクリアになった感があるが、しかし「多くの言語が互いに手を取り合って向かって行く」という明快な表現を、単純な意味でのポリグロット的な理想像や、あるいは間違ってもいわゆるクレオール的な言語様態への素朴な称揚と捉えてはならない(たとえ多和田葉子がしばしばクレオールへのシンパシーを表明しているとしても)。この文章を多和田葉子はこう結んでいる。
 ツェランを読めば読むほど、一つの言語というのは一つの言語ではない、ということをますます強く感じる。だから、わたしは複数の言語で書く作家だけに特に興味があるわけではない。母語の外に出なくても、母語そのものの中に複数言語を作り出すことで、「外」とか「中」とか言えなくなることもある。 (同前)
 「翻訳者の使命」を司る「純粋言語」なるものは、たとえば「日本語」と「ドイツ語」の「間」にあるのではなくて、それぞれの言語の内部につねに/すでに巣食っているのである。「一つの言語」の中に生成する「複数の言語(むしろ「無数の言語」と呼んだほうが正確かもしれないが)」と、「複数の言語」を貫通する「一つの言語」とは、つまりはまったく同じことを指しているのであり、「それ」すなわち「純粋言語」が露出する瞬間を、「翻訳」と呼んでいるのである。  しかしそれにしても、やはりもうすこし具体的な話にならないものだろうか。ジャック・デリダは、ベンヤミンの「翻訳者の使命」を論じた講演の中で、「純粋言語」を次のように定義している。
 それは言語の言語ー存在(=言語であること)、そのものとしてのかぎりでの言語ないしは言葉である。すなわち、諸言語が存在するようにさせ、そしてそれらが諸言語であるようにさせるといった、いかなる自己同一性も有しないそういう一者である。 「バベルの塔」『他者の言語  デリダの日本講演』ジャック・デリダ/高橋允昭訳
 ますます具体的から遠ざかったかにも思えるが、必ずしもそうではない。ここにふたたびカールステン・ニコライによる「純粋音響」を接続してみることで、何かが仄見えてくるように思う。だがそのためには「翻訳者の使命」に先立つベンヤミンのもうひとつの奇怪な言語論「言語一般および人間の言語について」を参照する必要がある。  「人間の精神生活のどのような表出も、一種の言語(Sprache)として捉えることができる」と書き出されるこの論考は、したがって「音楽の言語、彫刻の言語、といったものを論ずることができる」のだとした上で、極めて特異な一種の「汎ー言語論」を展開していく。
 言語は事物の言語的本質を伝達する。だが、言語的本質の最も明晰たる現われは言語そのものである。それゆえ、言語は何を伝達するのか、という問いに対する答えはこうなる一一どの言語も自己自身を伝達する。たとえば、いまここにあるランプの言語は、ランプを伝達するのではなくて(なぜなら、伝達可能な限りでのランプの精神的な本質とは、決してこのランプそれ自体ではないのだから)、言語ーランプ[言語となったランプ]、伝達のうちにあるランプ、表現となったランプを伝達するのだ。つまり言語においては、事物の言語的本質とはそれらの事物の言語を謂う、ということになる。言語理論の理解は、この命題を、そこに含まれているかに見える同語反復性を完全に払拭してしまうような明晰さにもたらしうるかどうかにかかっている。この命題は同語反復なのではない。というのもそれは、ある精神的本質にあって伝達可能なものとはこの精神的本質の言語を謂う、ということを意味しているからである。一切はこの〈……を謂う〉(これは〈そのまま直接に……である〉と言うに等しい)に基づいている。 「言語一般および人間の言語について」ヴァルター・ベンヤミン/浅井健二郎訳
 ベンヤミンが自ら先回りして注意してみせているように、ここで主張されていることは、いや、このような記述それ自体が、一見したところ、あからさまなまでにトートロジックに思える。「この命題は同語反復なのではない」とわざわざ述べることによって、それは却ってますます深刻な「同語反復」に陥っているようにさえ見える。字面だけでロジックを辿ると、ベンヤミンはほとんど「言語とは何ものでもない(もしくは、それと同じ意味として「何ものでもある」?)」ということを語っているようにさえ思われてくるかもしれない。長くなるが続きをもう少し引用する。
 ある精神的本質にあって伝達可能なものが、最も明晰にこの精神的本質の言語のうちに現われるのではなく、その伝達可能なものがそのまま直接に言語そのものなのである。言いかえるなら、ある精神的本質にあって伝達可能なものが、そのまま直接に、この精神的本質の言語にほかならない。ある精神的本質にあって(an)伝達可能なものにおいて(in)、この精神的本質は自己を伝達する。すなわち、どの言語も自己自身を伝達する。あるいは、より正確に言えば、どの言語も自己自身において自己を伝達するのであり,言語はすべて、最も純粋な意味で伝達の〈媒質〉(Medium)なのだ。能動にして受動であるもの(das Mediale/媒質的なるもの)、これこそがあらゆる精神的伝達の直接性[無媒介性]をなし、言語理論の根本問題をなすものである。 (同前)
 このようなベンヤミンの独特と言ってよい「言語」観は、先のデリダによる「言語ー存在」という語によって端的に言い表されている(もっともデリダは引用した講演原稿の中で「言語一般および人間の言語について」は自分の手には負えない、というようなことを語っているのだが。「その試論の性格が私の眼にはあまりにも謎めいているし、また豊かで多元決定もいろいろとあるので、私はその試論の読解を延期せざるを得なかった」)。「いかなる自己同一性も有しない一者」というデリダの表現にも現れていることだが、ベンヤミンの初期言語論は、ゲルショム・ショーレムによるユダヤ神秘主義から非常に強い影響を受けている。「言語一般および人間の言語について」や「翻訳者の使命」で語られていることは、つまるところ「言語」なるものを通したメシアニズムなのだと考えれば、明らかに理解はしやすくなる。そして、「言語一般および人間の言語について」と同年に成立した「同一性の諸問題についての諸テーゼ」や、「翻訳者の使命」より十年ほど後に書かれた「模倣の能力について」などの論考を読む限り、要するにそういうことなのだと考えて恐らくは差し支えない。  ベンヤミンの論述が過度に難解に見えるのは、彼がたとえば「精神的本質」という言葉で表そうとしているものの内容を、けっして直接には示そうとしないから、正確には示すことは不可能だし、またすべきでもない、と考えているからである。それでも人間はそれを「言語」において、あるいは「言語」的なるものにおいて掴まえようとするしかない。そして/しかし、「言語」は「同語反復」という形式によってのみ、それを表すことが出来る。  だとすれば、ある意味では「精神的本質」の内容は、もはや問題ではないのではないだろうか。極端に言えば、それはいわば一種の空集合のようなものである。いや、それ自身のみを要素として持つ集合のごときものなのであって、そして/しかし、「それ」を名指そうとした途端に、こう言ってよければ、この形式はあからさまに「宗教」的な色彩を帯びることになる(デリダの「いかなる自己同一性も有しない」という表現は、このことを更に逆説的に捉えたものだとも考えられる)。しかしここでは「純粋言語」とは「どの言語も自己自身を伝達する」のだということ、すなわち「言語ー存在」である、ということを、敢て専ら形式的に捉えてみたい。  たとえば「言語は言語である」はトートロジーである。しかし総てのトートロジーはオントロジーを稼働する。それは言うなれば「自己自身を伝達する」ことしかしていない。それは「言語がある」とだけ記しても、ほとんど同じ意味である。逆に言えば、それだけで足りるのに「言語である」ではなく、「言語は言語である」という無意味で非生産的な反復を必要とするところにこそ、「純粋言語」の核心がある。それが「純粋」であるというのは、「自己自身を伝達する」という運動=現象の純度を指しているのである。  ではここに「音は音である」というトートロジーがあるとしよう。空気中の振動現象を人間の鼓膜ー聴覚が認知することで生起するのが「音」である。前述したように、カールステン・ニコライが自らの音楽に用いている「サイン・ウェイヴ」は、あらゆる「音」の原基を成す、周波数成分としてはそれ以下に分解できない「音」、という意味で「純粋音響」と呼ぶことが出来る。それはすべての「音」の中に潜んでいるものではあるが、当然ながらわれわれは特定の音楽を「サイン・ウェイヴ」の重ね合わせにフーリエ変換して聴取する耳を持っているわけではない。それはあくまでも原理的にそうであることが知られるようになっただけなのだが、しかし同時にそれは厳然たる物理的な事実でもある。  カールステン・ニコライは、そのような「純粋音響=サイン・ウェイヴ」を、そのまま音楽の素材、構成要素として用いている。そこで次のようには言えないだろうか。「純粋音響」のみから成る「音楽」は、ただフーリエ的な意味で「純粋」であるというだけではなく、「音は音である」ということを極限的に明示し、「自己自身を伝達する」ということに収束しているという意味で、トートロジカルな存在なのであり、そのことによって、「音」のオントロジーを、すなわち「音ー存在」を証明しているのだ、と。そして極めて重要なことは、この「音ー存在」は、現実に聴くことが出来るということである。  ベンヤミンの「純粋言語」とニコライの「純粋音響」のアナロジー、そして両者の決定的な違いは、ほぼ明らかだろう。われわれは「純粋言語」を実際に読むことは出来ないが(それはたとえば「翻訳」という運動=現象の中でしか触知し得ない)、「純粋音響」は具体的な聴取が可能である。もちろん、ベンヤミンによれば「人間の精神生活のどのような表出も、一種の言語として捉えることができる」のであり、したがって「音楽の言語」というものが想定し得るのだった。しかし「音楽」を「言語」として捉えた上で、そこにおいての「純粋言語」を考えたとしても、結果としては同じことだ。つまるところ、われわれは「言語」においては、「音」における「サイン・ウェイヴ」に相当するものを、いまだ発見していない、ということなのである。
 多和田葉子が、自らの「言葉」によって検証し析出し探求しつつあることとは、ベンヤミンの不可能な「純粋言語」を可能ならしめようとするおそるべき試みであり、そしてそれはまた、カールステン・ニコライが「音楽」と「音」に対して行なってみせたのとほとんど同じことを、「言葉」において行なおうとする試みである。高瀬アキとのコラボレーション・パフォーマンス(朗読+ピアノ演奏)のために書き下ろされた「脳楽と狂弦」や、連作詩編「傘の死体とわたしの妻」などは、その最新の成果である。そこでは「言葉」が「文字」であり「音響」であり「物質」であるということが、「言葉」が「言葉」であるということが、驚くべき強度で反復されている。  おそらく「言語」には「サイン・ウェイヴ」は存在しない。だがしかし、ベンヤミンが漸近してみせたように、それが在ると考えることで露わになる真理がある。そしてわれわれは多和田葉子の他に、この真理を実践する者を、未だほとんど持ち得てはいない。
(『(H)EAR』青土社刊)
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日本映画界のアクションシーンに多大な影響を与えた俳優・千葉真一氏。映画を通して日本文化の一端を担いながら、日本人の魂とも云うべきサムライ、武士道精神に魅入られるようになったそう。誇り高い日本人として世界を股にかける俳優人生は、いつだって全力でした。その尽きることない情熱で、気力に乏しい昨今の日本を照らし出します。
――最近は若者の「〇〇離れ」という言い回しをよく耳にします。車離れ、酒離れ、政治離れに活字離れ。かつての日本のライフスタイルや文化は最近の若者からするとどうして魅力的に映らないのでしょうか?
まず日本民族とはどんなものか、というところを考えてみてください。地球上には大きく分けて3種類の人種がいますね。白色、黒色、黄色。白い連中は「自分たちが一番秀でている人種だ」と思い込んでいる。特にアジアに生きる我々有色人種の国を、白色の民族はほぼ植民地にしてきた歴史があります。
しかし、日本という国だけは植民地にはならなかった。むしろ日本は、東南アジアの植民地になった国々を助けてきたのです。たとえばミャンマー。あの国が独立するまでの間、日本は相当の力を貸したことを知っていますか(ミャンマー(旧ビルマ):英領であったが1943年にビルマ国を建国。旧日本軍は独立を支援した。その後再び英��となるが1948年にビルマ連邦として独立)。日本はそのくらい素晴らしい国でした。そしてそこには「武士道」の精神が息づいていたのです。
――武士道とはそもそもどんな精神なのでしょう。
僕は『千葉流 サムライへの道(JJサニー千葉著、ぶんか社、2010年発行)』という本を書いて、武士道精神にも触れています。文字にすると「武」の「道」。道という字で表されるものが、日本には複数あります。たとえば剣道、弓道、柔道が日本の大きな3つの武道です。
しかし1945年に終戦を迎えた折、この3つの武道が危険視されたことがあります。武道があるから日本は戦争に進んだという錯覚です。世界の人間はこの錯覚を利用し、これら武道を廃止した。誰が廃止をしたか。GHQと日本の裏切者たちが手を組んだのですよ。
日本人の本質は武士道から培われるもの。武の精神というものを日本人は理解しているはずです。そこを世界の人間は利用した。「武士道の精神がやがて戦争に繋がるのだ、他国を侵略するのだ」という考えを展開したのです。ですが、決してそうではない。
そもそもGHQは武士道とはなんぞやということをわかっていませんでしたから、「一体、武士道とは何なのだ。見せてみろ」と言ってきた。アメリカの海兵隊に凄い奴がいるから、日本の武士道とやらと闘わせてみたらどうだと、いう話になったのです。
――国の威信と誇りを賭けた闘いですね。どんな日本人がそこで立ち上がったのでしょう。
日本の笹森順造(1886-1976。日本の政治家、教育者、剣道家)という、当時の内閣の大臣がいました。笹森大臣は「これは国の一大事である。なんとしても武士道の本質を見せたい」と、意気込んだ。そこで選ばれたのが国井善弥(1894-1966。鹿島神流第十八代宗家)。笹森大臣は、この国井を代表として米海兵隊との試合へ送り出しました。
……試合の場に、屈強な海兵隊が銃剣を持って現れた。対する国井が携えていたのは、木刀のみ。対峙する2人の姿にGHQや米兵の視線が注がれるなか、国井は畏まってお辞儀をした。ええ、武士道ですから礼は基本です。GHQの連中たちは「闘いも始まっていないのに、敵に謝っているのか」と訝しんだそうです。そして闘いの火蓋は切られた。
国井が静かに立ち上がるやいなや、米兵は銃剣で激しく突いてきた。まだ構えも十分にしていなかった国井はしかし、木刀で銃剣を跳ね上げ、と同時に相手の手首を叩き落とした!米兵の手首は折れ、砕けたとも伝えられています。
GHQの人間たちは驚愕し「武士道の精神というものを初めて目の当たりにした。相手を倒すだけでなく、まるで人の心を見抜いているかのようだ」と、国井を讃えました。闘いを終えた国井は再びお辞儀をして去っていった。礼に始まり礼に終わる武士道精神を見せたのです。
それから数年後、廃止された武道が日本で復活を遂げました。かつては武道を排除しようとした連中を認めさせたということです。
――日本人という民族を考えるとき、武士道精神は大きな要素になるということでしょうか。
武士道精神の血は私たちのなかに流れているんですよ。これはもう絶対に。おじいちゃん、おばあちゃん、その先祖からずっとね。
江戸時代の武士である山本常朝(1659-1719。肥前国佐賀鍋島藩士)が武士の心得を語りました。「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり。」これは、腹を据えて前に進むぞという精神です。山本常朝が語ったことをまとめた書物が『葉隠』。武士道を表した山本のこの言葉が、僕は大好きです。
また別の人物による言葉で、次のようなものが残されています。「花は桜木 人は武士」。花なら美しい桜が一番、人なら潔い武士が一番という意味です。潔く散っていく、それが武士の心なのだということ。素晴らしいですね。
こういった言葉が現代にも伝えられ、その精神が脈々と受け継がれてきたのは、日本人に武士道精神の血が流れているから。そういうところに、僕たちは日本人として誇りを持ちましょう。今の若者に伝えたいのはこういうことです。
ひとつ、みなさんにお尋ねしたいことがあります。国歌である「君が代」の歌詞の意味を知っていますか?
――君が代については近年、教育現場で賛否が問われています。歌詞の解釈まで理解をしている日本人は年々少なくなっているように見受けられます。
僕らの時代とは違いますね。僕は親父が軍人だったということもあって、日本人としての在り方を理解してきたように思います。
僕が中学生のとき、親父から「君が代の意味をわかって歌っているのか」と聞かれました。わからないと答えると、「君が代はすごい意味を持っているんだぞ。日本の心を歌っている。特に「さざれ石」は大事な言葉で、仲間のことを歌っているんだ」と教えてくれました。
さざれ石というのは漢字で記すと「細石」。文字通りに細かい石や小石のことです。そんな小さな石が何十年、何百年、何万年もかかって巌となる。それはまるで一人ひとりの日本人の心がやがて一つになっていく様子を指しているかのよう。また、巌に苔が生えるまでの長い年月が経とうとも、この心は同じ。友よ、死ぬまで限りなく、我々日本人は同じ信念を抱いている。その信念を抱いて生きていこう。
……君が代に込められた想いとはそういう意味なのだと、僕の親父は言いました。そして僕は日本人でよかったと感じ入り、日本人としての誇りを持つようになったのです。武士でありたい、サムライでありたいと強く願うようにもなりました。
しかしながら戦後から現在に至り、日本人というのはどこかに、「自虐観念」とも言うべき感覚を持つようになりました。自分の国の良い部分を過小評価してしまう。そういった感覚をどうも拭い去れない。そのため、日本人としての自信や誇りを持てないでいる。そんな人が増えているのではないでしょうか。
――すると日本に対して魅力を感じない若者は、言い換えれば自虐的な若者なのでしょうか。
今の若者は日本人というものを理解していませんね。僕は下村博文氏が文部科学大臣を務めていた頃、下村氏のパーティに参加したことがありました。そこでこんな質問をしたのです。「あなたは教育者として文部科学大臣として、何をやるべきだと考えていますか?」続けて、お願いをしました。「これからの日本を昔のような素晴らしい日本にしてほしい。そのためには、子どもたちに武士道を伝えなければいけない。それはつまり歴史を教えることです」僕はこの国でやるべき一番大切なことは、「子どもに歴史を教えること」「日本語を教えること」この2つが最も大切だと考えています。
まず歴史を教えましょう。日本の文化がどのように育まれてきたか、武士道という素晴らしい精神を身に付けた日本人はどんな人々であったか、彼らはどのようにして時代を生きてきたか、いかにして日本人としての誇りを抱くようになったか。
こういった歴史を学ぶことはとても大事です。なぜなら人は誇りを持つことによって、一生懸命に物事に取り組み、夢や目的意識が芽生えてくるからです。そして夢に向かって走ろうとする、目標に近づくためにどうすればいいかを自分の頭で考えて行動するようになる!
――歴史を学ぶといっても、受験や高給取りになるための勉強の一環としてではなく、自分自身の人生を強くするための学びですね。
僕はそう信じていますし、昔も今もそういう風に生きています。しかし、今の若者がそのように考えるのは一筋縄ではいかないのでしょう。世の中が変わりましたから。身近なところにいろいろなモノが溢れすぎていて、苦労しなくてもなんでも手に入る。ここで若者を責めるつもりはありません。そんな世の中を作ったのは、我々大人です。
自虐観念という言葉を用いましたが、そういった感覚はどのようにして生まれたか。このこともひとつの歴史ですね。戦後にGHQが日本の歴史教育に手を入れました。間違った教育本や歴史本を作り、子どもたちに教育を施した結果、若者が日本をきちんと理解しなくなったのです。
式典で国歌を斉唱しない、天皇制の意義を知らない。そういう教育が主流になるにつれ、日本人の在りようがが段々と変わってしまっているのが事実です。みなさん、このまま進んでいくのですか?いいえ、元に戻すべきでしょう。本来の日本人はいかに素晴らしいか、それを知らない日本人が増えていますよ。
かつてフランスの大使が「絶対に滅んでほしくない民族は?」と聞かれたとき、「日本に決まっているじゃないか」と即答したそうです。それぐらい日本の価値は認められていたのに、今はどうでしょう。国内外における日本への評価が変わってきています。世界で一番素晴らしい民族でありうるのに、自らの民族性への認識が抜け落ちているのはとても寂しいことです。
――自国に対しての視線が甘すぎるのも問題ですが、今の日本人はむしろ自虐が過ぎるのかもしれません。これからの時代、どういったことが転換となるのでしょう。
日本人の民族性を再認識させられたことがありました。それは3.11東日本大震災であり、被災者の方々です。あの大きな地震が東北を襲った際、世界中が日本のことを危ぶんだ。こんな災害に見舞われた日本はきっと沈没するだろう……。カメラが世界中からやってきて、山のような瓦礫を撮影しに来ましたね。日本の危機を捉えるために彼らはやって来たのです。
しかし実際はどうであったか。カメラが吸い寄せられたのは瓦礫ではなく、必死に生きる被災者の姿でした。彼らの行動は、レンズを通して世界中の人々に「この民族はいったい何者なのだ」という衝撃を与えました。
蠢く津波はあらゆるものを押し流しました。大混乱ですし、極限状態だったでしょう。しかしあるとき、何億円もの金銭の入った金庫が流されてきた。すると被災者のみなさんはその金庫をきちんと警察に届けたのです。また水の配給があれば、きちんと並び順番を待ちます。他者を慮り、他者に譲る気持ちがそこにあったのです。
あの素晴らしい人々……。必死になりながらも他者を思いやる姿が全世界に向けて映し出されたとき、どんな影響が生まれたでしょう。ある人は「やっぱり日本人は素晴らしい民族なんだ」と再認識し、またある人は「こんなに素晴らしい民族がいたのか」と驚きを感じました。
――あれほど過酷な状況下でも、被災者は無人になったコンビニでペットボトルの代金150円をきちんと置いていったという話があります。いかなるときも礼節を忘れない武士道の精神のひとつのあらわれでしょうか。
その150円だってちっぽけなことではありません。本当に素晴らしい!被災者の方々は本当に大変だった!今だってそうです、辛い状況にいる被災者は少なくはないでしょう。しかし同時に、本来の日本人の在り方を見せてくれたことに、私は心から感謝しています。よくぞ!よくぞ日本の心を体現してくれた。あの危機的状況の最中にあったにも関わらず……。素晴らしいことです。
日本人が自らの民族性のなんたるかを失いかけているなか、それを再認識させてくれたのは彼ら被災者でしょう。礼に始まり礼に終わる。それこそが日本人の心であり、かつての教育ではそういった振る舞いを子どもたちに教えていたのですよ。僕たちは被災者のみなさんに感謝し、しっかりと援助し保護すべきです。
自衛隊はどうだったでしょう。ひたすら必死になって働いていましたね。ろくに睡眠を取らずに行方不明の子どもたちを探していました。そんななか、一人の少女が一通の手紙を持ってきたそうです。手紙を開くと、『自衛隊のおじちゃん、ごくろうさまです。私たちを助けてください。どうか日本を守ってください』と書かれていた。小学生の女の子ですよ。真っ黒に汚れた小さな手から、それを受け取った自衛隊は、みんな涙した。「子どもたちを探そう。きっと見つけ出すんだ」と声を挙げ、立ち上がったそうです。
――東日本大震災は大きな衝撃を日本に与えましたが、世界はそういった目線で日本を見ていたのですね。
今、世界からたくさんの人たちが来日しています。日本を見に来た、日本人に会いに来たと言ってくれている。四年前、安倍総理が来日旅行者を800万人から1千万人に増やすことを目指しました。そして今、どのくらいになったと思いますか?3000万人です。
これほどの人数の人がなぜ日本を訪れているかというと、日本が素晴らしいからです。会ってみたいと思わせるほどの魅力が日本人にあるからです。日本人の生活をこの目で見たい、同じ釜の飯を食べてみたいと思わせるだけの魅力がね。3.11はそういった影響力の発端です。被災者のひたむきに生きる姿に、日本人ならではの本来の姿が息づいていたからでしょう。日本は今、見直され始めている。これをみんな発信するべきです。そして僕はそんな映画を撮りたいと考えています。
それと自衛隊だって、素晴らしい。日本の誇りですよ。今の教育は6・3・3制ですが、そのうち1年間は自衛隊に入隊させるというのは、いいんじゃないかな。若者よ、そこできちんとした日本の精神を勉強してこい!朝は時間通りに起きてピシッとね。今の時代はご飯を食べられて水も十分に飲めますが、若者には決まりごとの稽古を受けるという体験をしてみてほしいんです。自分の体で体験してくるというのは、大きな意義を持ちますよ。
 島国・日本で脈々と受け継がれてきた武士道精神。そこに芽吹くのは「礼」や「思いやり」、「自律」の心。素朴な、人としての根底を支える心の在り方でした。次回は俳優活動にスポットライトを当てながら、敬愛するサムライ的人物のエピソードを伺います。
写真:田形千紘     文:鈴木舞
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abraxas174 · 3 years
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『ユドルフォ城の怪奇』上・下 アン・ラドクリフ
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《上・下巻合わせての評です》
待つこと久しというが、これほど長く待たされると、待っていたことさえ忘れてしまう。本棚から手持ちの本を取り出して奥付を調べてみた。平井呈一訳の思潮社版『おとらんと城綺譚』が出たのが一九七二年、矢野目源一訳の牧神社版『ヴァテック』が七四年、国書刊行会版世界幻想文学大系『マンク』上巻が八一年だから、ゴシック・ロマンスを語る上で欠くことのできない『ユードルフォの怪』は、ほぼ半世紀遅れの本邦初訳である。
しかし他のゴシック小説が次々と訳出されたのに、どうしてこの作品だけがこうまで遅れたのだろうか。上下巻ともに五百ページを超える長さもあるが、作者のアン・ラドクリフに、ストロベリー・ヒル・ハウスを建てたウォルポールや、フォントヒル・アビーを建てたベックフォードのような人目を引く逸話がなく、話題性に乏しかったせいかもしれない。真相はともかく、ようやく日本語で読めるようになったのは何よりだ。
時は一五八四年、舞台はフランス。貴族の分家の末裔であったサントベールは煩わしいパリを離れ、ガスコーニュの別荘で妻と娘エミリーとの暮らしを愉しんでいた。ところが、熱病が夫妻を襲い、妻に先立たれたサントベールも転地療養の旅の途上、息を引き取る。この小説は、孤児となったエミリーが、叔母のもとに身を寄せたことを契機に、次から次へと降りかかる苦難と恐怖に見舞われるさまを描く、今風にいうならサスペンス・スリラーである。
ゴシック小説といえば「陰惨な城や僧院を舞台に、殺戮と凌辱と魔薬が横行し、死骸と幽霊が出没する恐怖と暗黒の世界(私市保彦著『幻想物語の文法』)」が定番だが、本作もまた、その紋切り型を踏襲する。主な舞台となるのは、イタリアのアペニン山中に立つユドルフォ城とフランス南部ラングドックにあるルブラン城。長く捨て置かれ、荒れ寂れた二つの城には、一方は女主(あるじ)の失踪、他方には奥方の変死、という事件があり、様々な噂が飛び交い、果ては幽霊を見たという者が続出する。
エミリーが、ユドルフォ城に行く破目になったのは、父が娘の後見人を叔母のマダム・シェロンと決めたせいだ。この叔母は道心堅固な父と違って俗物で、姪を自分の社交界での地歩を固めるための道具くらいにしか考えていない。勝手に結婚話を進めておきながら、モントーニが資産目当てで結婚を迫ると即座に承諾し、嫌がる姪を引き連れて夫の故郷のイタリアに旅立つ始末。遠縁の女主の謎の失踪により、モントーニの手に渡ったのが、峻険な山中に聳え立つゴシック様式のユドルフォ城である。
当時、英国ではピクチャレスクという美的概念が流行していた。いうなれば、風景美の理想であり、由良君美によれば「とにかく自然の風景美を描くのだが、その自然のなかに、ある峨峨たるもの、不均衡なもの、とりわけ岩や廃墟を不可欠の点景とすることによって美観を高めたもの(略)こう薄茜(うすあかね)の夕空のなかに遥かな寺院や廃墟が消え消えに取り囲まれていますね(『椿説泰西浪漫派文学談義』)」といった風景を指している。
ラドクリフは、ピクチャレスクの美に強い影響を受け、この小説を書いたにちがいない。というのも、父とともにピレネーを越えてラングドック地方に行く途中、あるいは叔母とともにユドルフォ城への山道を辿る途上で、エミリーはイタリア人画家、サルヴァトール・ローザが描く絵そのままの景観を目にすることになるからだ。まあ、全篇がピクチャレスクな風景を描くためにエミリーに旅をさせているようなもので、その合間に善人と悪人の互いの思惑をかけた相剋が書かれているといっていい。
今のミステリを読み慣れている読者には、長々と続く情景描写がくどく感じられるかもしれない。しかし、それだけの長さを担保することで、主人公だけでなく、彼女をいたぶる叔母やモント―ニのような敵役をただの薄っぺらな悪人ではなく、立体的な陰翳を持った人間として描くことに成功している。どちらかといえば、上から目線が気になるサントベールや思慮の足りない恋人のヴァランクールより、欲に目がくらんで破滅する、人間らしい敵役の方が魅力的に思えるほどだ。
ゴシック小説の代表作だが、幽霊譚の恐怖を期待すると裏切られる。エミリーは知性と教養を身に着け、詩や絵も得意で、リュートも弾けば歌も歌う。父の薫陶を受け、どんな状態にあっても自分を見失うことがない。感受性が強過ぎて、時には影に怯えることもあるが、すぐにもとの自分に立ち返る。お付きのアネットのように簡単に幽霊を信じたりしない。不可思議な現象が起きれば、自分の目や耳で確かめようとする。
ただし、謎は早くから提示されるが、その秘密は時が至るまで明らかにされない。謎は複雑に絡み合った宿命的な奇縁の中にあり、年若いエミリーの手には負えないからだ。最後の最後になり、それまで周到に配置されていた伏線が回収されて初めて、なるほどそうであったかとうならされる。二つの城の怪異、父が隠し持っていた母ではない女性を描いた細密画の秘密等々が明らかにされると、それまでもやもやしていた視界が一気に晴れる。
途中で放り出さずに最後まで読めば『ユドルフォ城の怪奇』が極上の謎解きミステリだと分かるはず。ただ、これほどの作品が、なぜ今まで訳出されなかったのかという謎は残る。もしかしたら、私市保彦のいう「特に、最後に奇怪な事件の合理的な種明かしがかならずなされるアン・ラドクリッフの技法は。まさに探偵小説の祖といってよい」という評にあるように「合理的な種明かし」が、当時の幻想怪奇文学ブームにそぐわなかったのではないだろうか。海外ミステリの人気が高い今だからこそ日の目を見たのかもしれない。
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moiaussiamnesiejp · 3 years
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「ルイ・ルフォック、ある一生、里子に出された子どもたちの闘い 」loopsider フランス語動画翻訳
2021.11.16
「もしかするとわたしたちは孤立無援の子どもかもしれない。だがいつの日か、わたしたちは、この社会みんなの子どもにならなければならない」 殴られ、虐待やレイプの被害を受けた経験もある、元里子のルイ・ルフォックさんは、ある闘いを闘っている。つまり、児童保護という闘いを。 彼の苦しみに満ちた人生が、テレビ映画「誰のものでもない子ども」のなかで語られている。イザベル・カレの出演する、この悲痛な映画は、11月14日21時5分より、France2で放送される。
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ルイ・ルフォックさん:わたしは産み落とされるとすぐに里子に出されました。母は精神を病んでおり、わたしの世話をすることができなかったからです。わたしの身は社会的子ども支援課に託され、その後乳児院に預けられ、1歳半までそこで育てられました。
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(字幕)ルイ・ルフォックさんは、フランスの児童保護システムの欠陥を、一身で表している。
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ルイ・ルフォックさん: 1歳半のとき、最初のホストファミリーのもとに預けられました。その一家は、わたしに心から愛情を注いでくれ、大いに助けてくれました。しかし、残念なことに、ある日この一家は、仕事の都合と個人的な事情で南フランスに引っ越すことになりました。社会的子ども支援課に対して、この家庭での受入れを継続してほしいという要望が出されましたが、要望は却下され、そのためわたしはこの家庭を離れ、二番目のホストファミリーのもとに預けられました。それはわたしにとって、文字どおり地獄への降下でした。なぜなら、そこでわたしは虐待を受けたからです。その家で最初に見たのは、その家の実子たちでした。彼らは階段の上でモデルガンを持ってわたしを待ち構え、そしてわたしを上から撃って楽しんでいました。わたしはその家で、たくさんのぬいぐるみやおもちゃを当てがわれ、庭もあるという生活に慣れ切っていました。ですから、わたしはむしろ、明るく生き生きした子どもでした。しかし、わたしは部屋のなかにほぼ24時間、365日閉じ込められ、彼らと食事を共にする権利はありませんでした。わたしのことを虐待したのは、女性でした。サディズムからだったと思います。シャワーで冷水や熱湯をかけられました。自分でも説明がつかないこと、そして今でも理解できないのは、なぜ社会的子ども支援課が、わたしが耐え続けたこの悪夢のような状況に、2年間も気付かなかったのかということです。
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(字幕)三番目のホストファミリーも、悪夢のような環境であった。ルイ・ルフォックさんは、その後預けられた施設で「家庭の地獄」を目撃する。10歳のときのことである。
ルイ・ルフォックさん:その施設に入って最初の夜のことを覚えています。新入りの子ども��ちにいたずらを仕掛ける儀式がありました。子どもたちのグループがベッドに近づいてきて、わたしたちに小便をかけて楽しんでいました。またたとえば、年長の子たちは、年少の子たちに大便を食べさせていました。そこに預けられて最初の年に、わたしは年上の男の子から何度もレイプの被害に遭いました。平穏に過ごせるためには、彼が18歳になるまで待たなければなりませんでした。そしてわたしたちはまた、そこで大人たちによって暴力が振るわれていることに気づきました。その施設で働いている多くの人たちが、まったく教育されておらず、社会福祉の教育も、その分野の資格も持っていなかったのです。ですから、わたしは何も恐くありませんでした。大人のことも、自分を危険に陥れることも、闘うことも恐くありませんでした。それはその年頃の子にとって、とても特異な感情で、わたしたちはその感情を抱いたまま成長しました。そのせいで、わたしたちは不健全で不安定な精神的状況に置かれるようになり、それはその後の人生にもついて回りました。
(字幕)ルイさんは家出をするようになる。若者たちやエデュケーターたちからの尊重を得るための、家庭での「国民的スポーツ」である家出を。
ルイ・ルフォックさん: 女の子たちと家出をしたとき、彼女たちは、男たちからアパートメントに泊めてもらうために、フェラチオをしていたこともあります。とくに、パリのバルベス地区で。そうしてやっと、わたしたちはアパートメントに眠りに行くことができるのです。当時、わたしは13歳でした。まだ13歳だったのです。毎回、家出から戻るとわたしたちは警察署で過ごさなければなりませんでした。エデュケーターたちが家出届けを出していたからです。そして子どものころ、警察官からなぜ家出をしたのかと尋ねられたことは一度もありませんでした。一度もです。里子だから無理もないと思われていたからです。わたしたちが欠陥品だから、家出をしても、学校をサボっても、暴力的・攻撃的になっても無理はないと思われていたからです。わたしたちの額には烙印が押され、それが、すべての子どもたちがオープンに話すことや、受け入れ先家庭の実態を告発すること、そしてとくに、自分たちの受けている暴力を打ち明けることの妨げとなっていたのです。
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(字幕)2014年、ルイ・ルフォックさんは著書のなかで自己を語った。そして現在、彼の物語をもとに、France2のテレビ映画「誰のものでもない子ども」が制作された。
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ルイ・ルフォックさん: 毎日わたしはSNSを通じて、子どもたちからのたくさんのメッセージを受け取っています。この子どもたちからは、ホストファミリーのもとや里親のもとに未だ置かれており、彼らはわたしが味わったのと同じような体験を語ってくれています。それを読んで、わたしは恐怖に駆られています。それはいつも同じ話だからです。たとえば、子どもを虐待するエデュケーターたち。家出した際に危険な目にあうこと。周囲の専門家たちが耳を傾けてくれないことなどです。またわたしは、朝から晩までわたしたちのことを見ていた、文部省や各機構、そして専門家たちのことを考えます。かれらはわたしたちを保護する機構とみなされながら、それに相応しいやり方で私たちを扱うことに、まったく関心を持たなかったのです。最もわたしが怒りを覚えるのは、自分が劣悪な家庭に生れたことではありません。わたしを保護する責任を負った組織や機構が任務を怠り、わたしにさらに苦しみを与えたことです。わたしは、いまこの社会に生きる市民のみなさんと、この動画を通してわたしたちのことを見ているみなさんが、この映画を観て、ともに怒り、自分の選んだ議員に対して説明を求めることを望みます。なぜなら、わたしたちは孤立無援の子どもかもしれませんが、いつの日かわたしたちは、この社会みんなの子どもにならなければならないからです。(了)
(動画)https://www.facebook.com/Loopsider/videos/lyes-louffok-une-vie-un-combat-les-enfants-plac%C3%A9s/224281186443382/
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sorairono-neko · 5 years
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とろける王子
 今季からシニアに上がった選手の中に、たいへん気難しく、冷ややかで高貴な者がいるらしい。  ヴィクトルがそのうわさを耳にしたのは、シーズンももう終盤、ヨーロッパ選手権のおりだった。話していたのは昔なじみのフランスの選手で、近頃妹に彼氏ができたらしく、「昔はくっついてきたのに、最近は彼氏彼氏ってつめたいもんさ。もう未練もなくあっさり離れていったよ。俺は傷心だ」といたずらっぽく言ったあと、「つめたいといえば」と思い出したように続けたのだった。 「今年からシニアに来た選手、知ってるかい? 確か日本の子だったかな」 「知らないな。どういう選手?」 「君の場合、よほど目立つ選手じゃないとおぼえないしな。無理もないか。いや……、まあグランプリシリーズでも会ってないはずだな。君のところのギオルギーはどっちの大会でも一緒だったが」 「へえ。彼なら知ってるのかい?」 「いや、会話したことはないと思うよ。話くらいは聞いてるだろうけどね。そもそも、彼と口を利いたことのある選手が果たしてシニアにいるんだろうか?」  その不可解な物言いにヴィクトルは興味を持った。 「どういうことだい? その選手は幽霊か何か?」 「れっきとした生身の人間だよ。なかなか愛らしいってことだよ。俺もちゃんと会ったことはないけどね」  彼が言うには、その日本人選手は、黒髪と大きな瞳を持った、少年のような選手らしかった。誰もが最初はジュニアの選手がまぎれこんだと思うのだという。眼鏡をかけていて、地味で、ひっそりとすみのほうにおり、用事がなくなるとすぐにリンクや会場から消えてどこかへ行ってしまう。しかし試合のときになると髪を上げて、黒い瞳を輝かせ、すてきな演技をするのだということだ。 「俺も映像や写真を見たよ。試合のときはちょっと大人っぽくなるかな。ほんのすこしだけどね。まあまだ二十歳前なんだから仕方がない。東洋人は幼めだし。だけど、衣装を着て髪を整えると、選手らしくなるよ。ちょっと背伸びしてるようにも見えるけど、それも初々しくていいじゃないか。ただ、不思議なことに、誰も笑顔を見たことがないんだ。言葉を誰とも交わさないんだから当然かもしれないが、声援をもらっても手を振るでもない。取材されていてもにこりともしない。とにかく常に冷静で、誰とも馴れ合わない印象なんだ」 「ひとりが好きなのかもね」  そういう選手は確かにいる。話すことで気が散るのだろう。とくに試合前は精神を研ぎ澄ましたいという者は多い。 「それはそうなんだろうな。でも、顔立ちも悪くないから、女子なんかは『あの子の笑顔を見てみたい』って騒いでるぜ。気持ちはわからないでもないけど。どんなときでも平然としてるから、笑ったらどういうふうになるんだろうって気になるんだ」 「珍しいのは認めるけど、そんなにおかしなことじゃないだろう。シニアに上がったばかりだから緊張しているのもあるんじゃないか? スケートのほうはどうなんだい」 「ジャンプはまだまだ甘い。よくすっ転んでるし。ただ、スケーティングは抜群に上手いよ」  ヴィクトルはすこし関心を持った。 「そうなのかい?」 「ああ。でも、点数に出るような上手さじゃないんだよ。なんていうのかなあ……、見ていて惹きつけられる演技なんだ。すごくぐっと来る。ただ、採点されるところを押さえてるわけじゃないから、それほど得点は上がらないし、順位もいまひとつだ。それでも、子どもみたいなあの選手が魅力的な演技をして見せて、途中ジャンプでしくじって、そういうこともあって点が伸びなくて、悔しそうにうつむいてる姿は何かこころに残る。それに、将来を期待させるよ」 「なるほど……」  そんな選手はヴィクトルの好みだった。どうなるのだろう、と想像力を刺激してくれるスケーターは大歓迎だ。どうやらその日本人選手は、ほかの性質の点からいってもその傾向が強いようである。笑ったらどんなふうになるのか──なんてすてきな想像ではないか。 「どの大会でもそんな感じだから、みんなのうわさになってるよ。いったいどういう選手なんだろう、今回はどんな演技をするんだろう、次こそ笑うだろうか、今度こそ話ができるだろうか──ってね」  そのうわさをおもしろいと思ったヴィクトルは、試合で会ったことがあるというギオルギーに早速尋ねてみた。 「日本の選手? ああ、なんとなくうわさになっているのは聞いたな」  ギオルギーは思い出したようにうなずいた。 「私は調整のために出た試合と、グランプリシリーズのふたつの試合とで一緒だった。つまり三回会った」 「どうだい。うわさ通りなのかい。君は彼と話すことができた?」 「いや、機会もないしな」  ヴィクトルは、それはそうだな、と納得した。シニアに上がりたての選手と最初から親密に話をする選手は少ない。友人の選手同士でつながりがあるとか、演技にひかれて話しかけたいとか、そういう理由からたいていは親しくなってゆくのである。 「だが、そのうわさはうなずけるものがある。確かにそんな感じだった」 「誰ともしゃべらない……?」 「ああ。練習のときは、いつも真剣な顔でリンクをみつめ、ほかの選手たちの動きを見ていた。自分の番ではもちろん集中していた。それ以外ではなかなか見かけなかったし、見かけても、まじめに準備をしているとか、することが終わって帰るところとか、そんなところばかりだった。コーチと話している場面は見たが、それも言葉数が少なかったような気がする。観察していたわけではないのでちゃんとしたところはわからんが。とにかく孤独で、しかしその孤独を愛しているように見えた。つまり、さびしがっているようではなかった」 「友達はいないんだろうか」 「さあ、いないのかもしれないな。もしくは、彼の出場した試合には出ていなかったか。シニア一年目の選手なんてたいていそんなものだろう? ヴィクトル、何を気にしている?」 「いや、ちょっとおもしろいなと思ってね。つめたい印象だったのかい?」 「冷徹には感じなかったぞ。顔立ちのせいかもしれないが……。自分の世界を構築して、そこに存在しているといったふうだ。ただ、他人に興味がないのはその通りかもしれないな」  ほかの者たちにも訊いてみたが、その選手の印象は、上品、清楚、凡庸、生意気、高潔、地味、孤独、冷淡、気取り返っている、などなど、さまざまだった。もっとも、うわさとはそういうものだ。この中には真実も交じっているだろうし、まったくのでたらめもあるのだろう。ただ、受けた感覚は当人たちのものだから、その者らにとっては本当なのである。  共通しているのは、スケーティングがすてきだということ、誰とも話さないということ、笑わないということ、他人に無関心だということ、いつもひとりでいるということ。  どんな選手なのだろう? 謎めいた彼にヴィクトルの想像はふくらんだ。  世界選手権では会えるだろうか?  ヴィクトルはその選手と話してみたかった。いったいどういうことを考えているのだろう? そもそも、どうして誰も話しかけないのだろう。みんな口をそろえて「話しかけるなっていう雰囲気なんだ」と言うが、���んなのは勝手な妄想かもしれないではないか。当人は、知り合いもおらず、たったひとりでどうすればよいかわからないまま、心細く感じているかもしれない。誰かがすこしでも親切に声をかければ、うれしそうに笑って「友達がいなくて……」と答えるのかも。やってみる価値はある。  ヴィクトルはこのところ成績を伸ばし、確かな技術と表現力で、表彰台のてっぺんを獲ることも珍しくなくなっていた。もう次はヴィクトルの時代だと言われているし、ヴィクトルもすでに自分がいちばんのつもりでいる。近頃はスケーターに話しかけられることも増えてきた。先輩スケーターたちだってヴィクトルの実力は認めている。きっとその日本の選手も、ヴィクトルのことは知っているだろう。もしかしたら、ヴィクトルが話しかけたら喜んでくれるかもしれない。たいていの選手は、ヴィクトルに「ファンです」と言ってサインや写真をねだるのだ。  試合のため会場入りしたヴィクトルは、会えたらちょっと声をかけてみよう、と考えていた。何を話そう? まあなんでもいいか、とすぐにヴィクトルはその問題について検討するのをやめた。会えば自然と言いたいことが思い浮かんでくるだろう。いますぐでなくていいのだ。ひと通り行動や試合を見れば、何かしら感想を持つだろうから、それを伝えればよい。  ヴィクトルは間もなくその選手のことを忘れ、知り合いと交流したり、演技についてヤコフと話しあったり、練習の内容を考えたりと忙しくなった。そして彼が公式練習を終え、廊下を歩いているときに事件は起こった。いや──事件、というほどではない。たいしたなりゆきではなかったのだ。しかしヴィクトルは、そのとき、その日本人選手の性質を目の当たりにした。 「ああ、彼だ」  一緒に歩いていたギオルギーが、すこしさきにいる黒髪の選手を示した。 「え?」 「おまえが訊いていただろう。シニアに上がった日本の選手だ」  ヴィクトルは自然とそちらを見た。すこしいとけない顔つきをした、物静かな雰囲気の選手が、ひとりで荷物を片づけて立ち上がったところだった。ヴィクトルは一瞬迷った。いまここで話しかけるべきだろうか? しかし言うことがとくにない。とりあえず様子を見るだけでいいか、と納得した、そのときだった。 「やあ、かわいこちゃん!」  陽気な声が聞こえ、その場にいた選手や関係者が振り返った。日本人選手に話しかけたのはイタリアの選手で、ヴィクトルよりも年長だった。いつも明るく、人をからかってばかりいる。���談交じりにいくらでも女性に声をかける男である。 「一緒に食事でもしないか? いつもひとりでいるそうじゃないか。そんなんじゃ、悪いやつにどこかに連れこまれていたずらされちまうぜ! 子どもみたいなのが好きってやつもいるからな!」  全員が日本人選手に注目した。きっとみんな、うわさを知っているのだろう。笑わない、誰とも話さない、高貴で孤独なスケーターは、この誘いにいったいどんな反応を示すのか?  彼は、眉ひとつ動かさなかった。怒ることもほほえむこともなく、静かにイタリアの選手を見た。彼は一歩退き、相手が通りやすいように道を譲ると、上品に、丁寧に、礼儀正しく一礼した。日本式の挨拶だ。それからすっと身をひるがえし、まっすぐ歩いていってしまった。何かきちんとした断り文句を述べたのかもしれない。口元が動いた気がする。しかしヴィクトルには聞こえなかった。 「ふ、ふられた……」  声をかけた選手がぼうぜんとしてつぶやき、まわりにいた者たちがくすくす笑った。ヴィクトルも笑いながらギオルギーに「ちょっと下品だね」と感想を漏らした。きっとあのイタリア選手は、冗談のつもりであんな物言いをしたのだろう。うわさを知っていて、すこしからかったのかもしれない。おかたい、まじめで模範的な日本人には通じなかったのだ。  その事件で、彼のうわさはますますひろまったようだった。彼と最初に言葉を交わす者は誰なのか? いったいどんな者ならあの落ち着き払った、氷の仮面をとかすことができるのか。彼が感情をあらわにするのはジャンプを失敗したときと、キスアンドクライで悔しそうにするときだけで、ほかではまったくそっけない。あんなに幼い容貌なのに、そういう大人っぽいところがしびれる、かわいい、とあこがれる女子選手まで出てくる始末だ。  すごい騒ぎになったものだな、とヴィクトルは思ったが、当人はそれに気がついているのかいないのか、そのあとももくもくと練習に励み、相変わらずひとりで行動しているようだった。ヴィクトルはあまり彼を見かけなかった。  結局、試合が終わるまで、彼と口を利くことはヴィクトルはなかった。しかし確かに、彼のふるまいから、物静かでつれない孤高の貴公子という印象は受けた。女子選手たちは、ひそかに「孤独の王子」などと呼んだりもしているようだ。とにかく彼は、コーチといるか、スケート連盟の人間といるか、ひとりでいるか、といったふうだった。  話すのが苦手ならそれもよいのではないかとヴィクトルは思った。それで彼が落ち着いていられるならいいことだ。人に興味もないようだし。もしかしたら彼は、ヴィクトルのことも知らないかもしれない。いや、知らないということはさすがにないだろうか。だが、知識としてはあっても、ただそれだけのことだろう。だって、ヴィクトルに近づきたがるほかの選手のようには、彼はヴィクトルと話したくはなさそうだ。世界ランキング何位の選手、という情報としてしか、彼は人に関心がないのだろう。  バンケットはにぎやかで、活気にあふれていた。いろんな選手がまわりに集まってき、話をしようとヴィクトルに迫った。陽気に騒ぐのは嫌いではないので、ヴィクトルはその状況を楽しんだ。あまりひとところにとどまっていてもつまらないから、あちこちを歩きまわった。その途中でのことだった。  飲み物がからになった。新しいグラス、と探したヴィクトルは、近くのテーブルから濃い赤のワインを取り上げた。すこし味を見、口当たりのよさに気をよくして振り返り、歩き出した──そのときだった。 「あっ」  誰かに突き当たった。突然方向を変えたヴィクトルが悪い。ヴィクトルは相手がよろめくのにとっさに手を伸べ、腕をつかまえた。転びそうになったのをかろうじて支える。 「すまない」  急いで謝った。 「俺が悪いね、いまのは。大丈夫かい?」  はっと目をみはった。驚いたように胸元を押さえ、瞬いているのは、あの日本人選手だった。  ヴィクトルは息をのんだ。見ていた者たちも口を閉ざした。彼の胸に──白いシャツに、まっかなしみがついていたのだ。あきらかにヴィクトルの持っていたワインが原因で、それは隠しようもないほど色濃く、目立った。  あの、いっそ冷酷にさえ見える選手──誰とも話をせず、先輩スケーターの誘いも上品に丁寧に、落ち着き払って退ける彼が、いったいどうするだろう。怒り出すか。文句を述べるか。つめたくヴィクトルを見てから、無視して立ち去るか。あるいは、何かひとこと皮肉を言うか。スケートは上手くても歩くのはそうでもないみたいですね……。  ヴィクトルはものが言えなかった。言葉が出てこない。こんなことは初めてだ。 「えっと……」  みっともないような、迷った言いぶりになってしまった。しっかりしなければ。 「本当にごめんね」  ヴィクトルは丁重に謝罪した。 「新しいのを買うよ。申し訳なかった。とりあえずそのしみをなんとかしないと。きみ──」 「いいえ」  彼が口をひらいた。声を初めて聞いた。優しくやわらかい、やすらぎをもたらすような素朴で純粋な声だった。 「お気になさらないでください」  そのまどかな物言いに、ヴィクトルは驚いて彼を見た。彼はヴィクトルをまっすぐにみつめていた。頬は紅潮し、甘い輝きを帯びた瞳は夢見るようにうるおい、くちびるは可憐に、ふるえるように言葉を紡いだ。 「ぼくがよそ見していたのが悪いんです……」  ヴィクトルは瞬いた。少年のような彼はゆっくりと目を伏せ、ワインのしみにふれて、慎ましやかにささやいた。 「ぼく……、忘れません……」 「え?」 「──いいえ、なんでも」  彼はおもてを上げ、うっとりと、とろけるようなまなざしをヴィクトルに向けた。はにかんだ、ひどく魅惑的な表情だった。 「こちらこそごめんなさい……、びっくりしましたよね……」 「いや、俺は……」 「あ、あの……」  彼のまつげがふるえた。 「ぼく、失礼します……」 「待ってくれ」 「これじゃもうここにはいられないし」 「替えのシャツを──」 「いいんです」  彼はぺこりと頭を下げると、ヴィクトルの脇を急いで通り抜けていった。 「きみ──」  彼はヴィクトルの呼びかけに一度だけ足を止め、楚々としたしぐさで振り返ると、頬にそっと手を当て、もう一度お辞儀をしてから、儚げにうつむいて駆けていってしまった。 「──驚いた」  そんな声が聞こえた。 「あの選手、あんな顔するんだな……」 「私、話してるの初めて聞いちゃった! やわらかい英語よね。かわいい!」  ヴィクトルはまだぼうぜんとしていた。あの、つんとしているような高貴な彼が──あの変わりよう。 「やあ、色男」  いつの間にかクリストフがそばに来ていた。彼はヴィクトルを肘でつついた。 「どうしたんだい、そんなにぼうっとして。まさか勇利に惚れたなんて言わないだろうね」 「勇利?」 「いま駆けていった子さ」  クリストフはあの選手の消えたほうを示した。 「勝生勇利っていうんだ。日本の選手。俺の友達なんだよ」 「え!?」  ヴィクトルはびっくりしてクリストフに詰め寄った。 「友達……!?」 「そう」  クリストフは、何をそんなに驚いているんだ、という態度で飲み物を飲んでいる。 「それがどうかしたのかい?」 「彼、友達はいないんじゃなかったのか!?」 「え? なんで?」 「だってそういううわさだし、実際誰とも話していなかった……」 「うわさ?」  ヴィクトルは聞いたことと見たことを洗いざらいクリストフに話した。クリストフは黙って耳を傾けていたが、そのうち彼の口元に笑みが浮かび、話が終わるころには声を上げて笑っていた。 「ああ、そうだね。確かに友人は多くないみたいだけど、俺とはわりと仲がいいよ。ジュニア時代から知ってるんだ」 「そうなのか!?」  それはそうだろう。冷静になってみれば理解できる。一緒に試合に出ていれば、選手同士は自然と仲よくなるものだ。しかし彼はとにかくひとりが似合う選手だったから、そんなこと、考えもしなかった。 「わかるけどね。勇利って自分から人に話しかけないし、話しかけられても戸惑ってるし、そうじゃないときはめんどうだと思ってるみたいだし」 「やっぱり」 「でも、そんなうわさは本当じゃないよ。べつに彼は冷徹じゃない。気取り返ってもいない。むしろ緊張して話せない感じかな。まあ、わりと淡々としたところがあるのは否定しないけどね」 「君、友達だというわりには、この試合で彼と一緒にいなかったじゃないか」 「君が見ていないところでは話してたよ。たまにだけど。彼は人がいると気が散るからね。そっとしておいたんだ。シニア一年目の世界選手権で相当考えることがあるようだし。邪魔したくなかったんだよ。ああ、ひとりの世界を構築している、っていうのは本当かもね」 「誰とも口を利かないって……」 「今回は俺とひとつも試合が重なってなかったからねえ。確かに俺もそういううわさは聞いてたけど、まさか勇利のことだとは思わなかった。彼、まわりにそんなふうに見られていたなんて知ったらどう思うかな。『なにそれ!?』ってうろたえるかも。かわいそうだから黙っていてあげよう」  クリストフはくすくす笑った。 「じゃあ、みんなは勝手な想像で語っていただけなのか……」 「まあね。いや、みんなが見ていた勇利がもとになっているのなら、勝手な想像とも言えないのかな。でも勇利はごく普通の選手だよ。ちょっと人付き合いがへたで、スケートが好きで、まじめで、不思議な魅力のある……、」  クリストフはそこでからかうように言った。 「君の大ファンの子」  ヴィクトルは大きく瞬いた。 「俺の……?」 「わかるでしょ?」  クリストフが片方の眉を上げる。 「勇利の様子を見れば……」 「…………」 「君のことが好きで好きでたまらないんだよ」  ヴィクトルはさっきの勇利を思い出した。貴方のことが好きです、貴方しか見えません、というような、いちずでけなげなのぼせ上がった目つき……。 「本当、一生を捧げてるくらいの情熱」 「……一度も話しかけられたことがない」 「だから言ってるでしょ。そういう子なんだって」 「目が合ったこともないよ」 「君が彼を見てないからだよ。勇利は見てるよ。君のこと。じっと。ただ、気づかれないようにね」  ヴィクトルは天井を仰いだ。 「日本人てそういうものなのか?」 「さあ。まあそんな感じだとは聞くけど、勇利は特別なのかもしれない。俺といるときはとにかく君のことを話してる。君たちは彼のことを無表情だと思ってたみたいだけど、おもしろいよ。くるくると顔つきが変わるから」 「孤独の王子……」 「なんだいそれ」 「そう呼ばれてるんだって、彼」 「あっはは。そりゃいい。まあ、ひとりでいることが多い��ら、あながちまちがってはいないだろうけど」  クリストフは楽しそうにうなずくと、ヴィクトルを見やってにやっと笑った。 「でも、勇利の王子様は、この世でヴィクトル・ニキフォロフだけなんだよ」  勇利がリンクメイトと話している。ほほえんでいるが、どこか控えめな、敏感そうな笑みである。ヴィクトルはしばらく彼の困ったような、ためらいがちな態度を眺めていた。そしてふいに大きく踏み出すと、足音をたて、「勇利!」と元気に挨拶をした。 「あ……」  勇利が顔を上げ、ヴィクトルに気がつく。彼の瞳がきらきらと輝き出し、このうえなくうれしいという愛らしい笑顔になった。 「ヴィクトル!」  勇利はベンチから立ち上がって、まっすぐにヴィクトルのもとまで駆けてきた。彼はヴィクトルの前でぴたりと立ち止まり、「もういいの?」と声をはずませて言った。 「いいよ」 「そっか」  勇利は振り返って、リンクメイトたちに「じゃあ」と手を振った。彼はすぐにヴィクトルを見上げた。そのうっとりとした瞳は、初めてヴィクトルにほほえみかけたあのときと変わらぬ甘美をたたえ、愛情はあのころ以上に増していた。 「行こう」 「うん……」  ヴィクトルはいまでも、勇利にあのうわさの話をしていなかった。勇利はこういうことはあまり聞きたくないだろうし、それにヴィクトルも、「俺だけだったんだよ」ということは言いたくなかった。勇利が自分の性質に気がついて、ヴィクトルへの特別な笑顔を見せなくなってしまったらつまらないではないか。  だからひみつだ。ちっとも親しくなかったあいだも、勇利はヴィクトルを見ればめろめろになり、いつの間にかうわさに「皇帝にだけとろける王子」という異名が加わったことは。 「久々のデートだね」  クラブから出ると、ヴィクトルは機嫌よく言った。勇利ははしゃいだ顔になり、しかし口ぶりだけは厳しく、「デートじゃないから」と注意した。 「そうかな? 俺はデートのつもりなんだけど」 「ぼくはちがう」  ちがうなら、そのうれしくてたまらないという表情は何なのだ。ヴィクトルは思うけれど、笑いをこらえるだけで何も言わない。ここでそんな愚かな指摘をするほどヴィクトルはつまらない男ではないのだ。 「そうか、ちがうか」 「ちがうよ。どこへ行くの?」  夕食にはすこし早い時刻だ。 「服を買いに行こう」 「ヴィクトル買い物好きだよね」 「勇利のだよ」 「いらないんだけど」  ヴィクトルはすぐ勇利に服を贈るので、勇利はうんざりしているらしい。 「今日はちゃんと理由があるんだよ」 「え?」 「ホワイトシャツ買ってあげる。それならいいだろ? スーツは着ることも多いし」 「うーん、いいけど……」  勇利が不思議そうにしている。なんでホワイトシャツ、と言いたそうだ。 「ほらほら、こっち」  ヴィクトルは上機嫌で服屋に勇利を案内し、上質なシャツを一枚購入した。もちろん、型が、襟のかたちが、といろいろ着せ替え、いちばんよく似合うものを買った。勇利は「シャツ一枚なのに」とぐったりしていた。 「はい、どうぞ」 「どうもありがとう……」  勇利はきょとんとしている。やっぱり、なぜシャツを買ったのかわからないのだろう。 「ちょっと思い出したものでね」 「何を?」 「クリスに、勇利が気にしなくていいって言ってるんだから必要以上に話しかけるな、泣かれるぞ、って脅されたりもしたからね。遠慮してたんだ」 「何のこと?」 「きみのシャツをワインでだめにしたことがあった」  勇利は目をみひらいた。ヴィクトルはくすっと笑ってささやいた。 「そのお詫びだよ」 「……おぼえてたんだ……」 「まあね」  俺にだけ、あんなに可憐にほほえみかけられてはね……。ヴィクトルはまぶたをほそめた。 「さあ行こう。ちょうどいい時間だ。食事だよ」 「……うん」  勇利がヴィクトルをいちずに見上げ、とろりとした目つきでかすかに笑った。その顔だよ、勇利。 「今日は練習に付き合えなくてごめんね。問題はなかった?」 「うん。みんな親切にしてくれたよ」 「そうか。よかった。楽しかった?」 「うん、まあ……」  ヴィクトルは勇利がサラダと格闘するのを眺めながら、ゆっくりした口ぶりで言った。 「明日は朝からずっと一緒に練習できるからね」  勇利が顔を上げた。彼は頬をほんのりとさくら色に色づかせ、うっとりととろけた微笑を浮かべて、甘えるようにヴィクトルをみつめた。 「ほんと……?」  ヴィクトルは勇利のなめらかなほっぺたにふれた。 「ああ……もちろんさ……」  いまでもヴィクトルは、勇利にとって、身もこころもとろけてしまう唯一の王子なのである。
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hiruzenmegata · 3 years
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近さの / なかに / はいる
※この記事はnoteに書いたものをそのまままとめて移植したものです
→もとの記事(初回)https://note.com/megata/n/n47f8d146b717
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花になるなら、飾らず、まっすぐに伸びるヒマワリがいい。モードが言う。対してハロルドは、一面に咲くヒナギクを見下ろしながら、自分はこの花がいいと言う。あの花この花の区別なく、たくさん横並びで生えている、どれでも変わりないようななかのひと花でありたい、と。そんなふうにヒナギクを評するハロルドに対し、同じ花なんてないとモードは意見する。それから、こんなこともいう。世の中の不幸のほとんどは、他人と同じように扱われることに不満を持たない人々が生み出している、と。
ところが、「どこにでもいるやつなんて どこにもいない」式のことを述べたてるモードは、とてもとても極端な人物なのだ。名もなき雑草のひと花ひと花に愛情深い態度を示す���うな、落ち着いた穏やかな人格ではない。独善的で身勝手な狂老女、とみなされても不思議ではない。
ラブコメというジャンルはどのような構造で組み立てられているか、という話のなかで話題にのぼり、紹介された映画『ハロルドとモード』を実際にみてみた。とはいえこの映画は、いわゆるラブコメというジャンル映画ではないように思われる。家人の目につくところで自殺を演じ続ける少年ハロルドだが、ハロルドの母は、息子が首を吊ろうと手首を切ろうと銃で頭を撃ちぬこうと、まったく相手にしない。「いつものいたずらね」ということで軽く流し、かわりに精神科に通わせたり、軍人の叔父に預けようとしたりする。ただし同伴・同席はしない。ハロルドは一人で精神科や、叔父のオフィスに通わされる。 ハロルドはいつものように、知らない人の葬儀に勝手に参列する。そこで知り合った79歳の老女・モードもまた、赤の他人の葬式に参加するシュミがあった。二人は巡りあう。 モードは常に人の車を運転する。公道の街路樹を引き抜き、人の車にのせ、料金を払わず高速道路をぶっ飛ばし、白バイ警官をまいて、山に勝手に植えにいく。シャベルだって当然盗品である。しかしあっけらかんとしていて、罪の意識はない。法を犯していることぐらい理解しているだろうけど、罪を犯している自責はかけらもない。めちゃくちゃである。 惹かれ合った二人が、きちんと一夜を共にする描写(朝になって、裸の少年と老女がおなじベッドで目覚めるシーン)があるのがとてもよかったです。 「ラブコメ」のジャンル映画ではなさそうだったし、それに「恋愛」を描いているようにも思われなかった。おもしろい映画だったけどね。さあ「恋愛」ってなにか。
このごろ読んでいた嘉村磯多の「途上」という自伝小説のなかに、露骨な切れ味の描写があってハッとさせられた。中学校のなか、からかわれたり後輩をいびったり、勉学に励みつつ田舎出身を恥じらい、色が黒いことをバカにされたり先生に気に入られたり、下宿先の家族に気を使いすぎたりして、なんやかんやで学校を中退して、実家に戻ってきた。ぶらぶらしていると、近所にいる年少の少女に目が留まる。いつか一度、話したことがあるきりだが、やたらと彼女が気にかかる。そこにこの一文があらわれる:「これが恋だと自分に判った。」 そんなふうにはっきり書かれてしまうと弱い。「はいそうですか」と飲み込むほかない。 けれど、恋愛を描いている(とされるもの)に、「これが恋」って「判った」だなんて明確に言及・説明を入れ込むことは、どうなんだろう。少なくとも当たり前な、お約束なやり口ではないと思うけど。 世の中には、「恋」「愛」「恋愛」という単語の意味するところがなんであるのか今一度問い直す手続きを踏まえずに、じつにカ���ュアルに言葉を使っているケースばかりがある。そうすると、その場その場で「恋」の意味が変わっていくことになる。その「恋」が意味しているものは単に一夜のセックスで、「恋多き」という形容詞がその実、「ぱっと見の印象がイケてた人と手当たり次第やりまくってきた」って内容でしかないときも少なくない。 まあけど、それがなんなのかを追究するのはやめましょう。というか、いったんわきに置いておきます。
さて『ハロルドとモード』の紹介された雑談のトピック:「ジャンルとしてのラブコメ」ですが、これは単に、「イニシアチブを奪い合うゲーム」であるらしい。そういう視点で構築されている。要するにラブコメは、恋愛感情の描写とか、恋とは何かを問い直すとかじゃなくて、主導権や発言権を握るのは誰か?というゲームの展開に主眼がある。気持ちの物語ではないのだ。描かれるのは、ボールを奪い合う様子。欲しがらせ、勧誘し、迷い、交渉する。デパートのなかで商品を迷うように。路上の客引きの口車にそれなりになびいたうえで、「ほか見てからだめだったらまた来ます」って断りを入れて、次の客引きに、「さっき別の店の人こういってたんですよね」とこちら側から提示するように。 イニシアチブの奪い合い、というゲームさえ展開できればいいので、気持ちとかいらない。ゲームが展開できるのであれば、主体性もいらない。ラブコメの「ラブ」は心理的な機微や葛藤の「ラブ」ではない。奪い合っているボールの呼び名でしかない。(つまり奪い合い=おっかけっこ、が、「コメ(ディ)」ってワケ)
浮気はドラマを盛り上げる。人が死ぬのも、まさに「劇的」なハプニングだ。雨に濡れて泣きながら走り、ようやく辿りついたアパートの部屋はもぬけの殻、ただテーブルにひとことの書き置き「フランスに行きます」みたいな、そんな派手な出来事で試合はいよいよ白熱する。ところが、心理的な機微や葛藤というのはいつだってモノローグ的だので、気持ちの面での「ラブ」を描きたいなら、このような出来事たちはむしろいらない。うるさすぎる。もっとささやかで、短歌的な味わいのものがふさわしい。ひとりでいるときに、マフラーの巻き方を真似しようと試みて途中でやめたり、チェーンの喫茶店の安コーヒーの味が思い出でおいしくなったり、そういうのでいい。出しっぱなしのゴミ勝手に片づけたの、ちょっとおせっかいすぎたかなってくよくよ悩む、とかでいい。
恋愛の感情・心理がよく描写されているように感じられる物語の登場人物は、内面的な葛藤に閉じこもらざるを��ないシチュエーションに押し込められている場合が多い気がする。「ひとには秘密にしてないといけない」「誰にも言えない」という制約のある環境。仕組みとして、宗教の違いや人種や年齢の断絶、同性愛など、自分の思いを簡単にひとに打ち明けられないセッティングの話のほうが、「イニシアチブ奪いあいゲーム」からは遠ざかる。(それに、そんなようなセッティングだと、「世間の常識」が要求してくるジェンダーロールを無視して鑑賞しやすい場合も多い。)
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成功した実業家の息子であるハロルドは、経済的にも肉体的にも不自由なく暮らしている。が、なんだか欠落を抱えている。自殺遊びや他人の葬式への参加など、死に接しているときが最も楽しい。老女モードは、そんなハロルドの世界観を一変させることになる。彼女はかなりアナーキーな存在で、逮捕されるようなことばかり繰り返している。けれど悪びれない。自らの行為を、自分らしい人生を過ごしている実感を与えてくれる刺激として肯定している。
J.G.バラードに『コカイン・ナイト』という小説があって、この頃これを読みました。あ、そもそもこの記事は、最近読んだものや見たものについて、できるだけ網羅的に言及できないかと願いつつ当てずっぽうで書き出した文章です。できることなら人とのやりとりや、自分の過ごした日常についても記したいが、それがうまくできるかどうか。
『コカイン・ナイト』の主人公はチャールズで、世界中を飛び回っている旅行記者です。退屈について、カリスマについて、刺激について。さまざまな切り口から鋭い洞察が重ねられたこの名作の入り口は、ミステリーのかたちをしている。 スペインの南、ハイパーセレブたちのリゾート地で働いているはずの弟が窮地にたたされているから助けにいかなきゃ! という目的で、チャールズは物語の舞台にやってきます。弟の状況はよく知らないけど、あいつのことだし、そこまで深刻じゃないだろう。そう高を括ってやってきました。ところがどっこい、弟、かなりやばい状況でした。 大邸宅が放火により全焼し、五人が焼け死んだ。弟にその容疑がかけられている。捕まって、留置されている。裁判を待っている。けれども、誰も、弟が犯人であるとは信じていない。警察だって例外じゃない。明らかに、弟の犯行ではないのだ。それでも弟は、自分がやったと自白しており、嘘の自白を繰り返すばかりで取り下げない。いったいなにが起こっているのか。どういうことなのか。 地域の人らはすべて疑わしい、なにかを隠しているような気がする。チャールズは素人ながら探偵のまねごとをしはじめ、地域の人々から疎んじられはじめる。チャールズにとって、地域の人々の態度と距離感はますます疑わしいものに思えてくる。そして実際、普通には考えにくい、歪んだ事態を数々目撃することになる。余暇時間を持て余したハイパーセレブたちは、事故を起こして炎上するボートを楽しそうに見つめていた。拍手さえあがる。
『ホット・ファズ~俺たちスーパーポリスメン~』という映画があって、平和な村=表向きには犯罪のない村を舞台にした話でした。「表向きには」犯罪はない、というのはつまり、法に反した行為があったとしても、届け出や検挙がなければ統計にはあらわれない、ということを示しています。
世の中にはあたまのかたい人というのがたくさんいて、俺もその一人なんだが、すべてのルールは事後的に構築されたものなのに、これを絶対の物差しだと勘違いしている場合がある。法律を破ったのだから悪い人だ、みたいな感覚を、まっとうなものだと信じて疑わない人がたくさんいる。身近に悪いやつ、いやなやつ、いませんか。自分のなかにも「悪」はありませんか。それと「被告人」「容疑者」はぜんぜん別のことではないですか。 陰謀論がささやかれている。「悪いやつがいる、たくさんいる、てのひらで人を転がしているやつと、愚かにも転がされているやつがいる、自分はその被害者でもある」そう発想する立場に対し、逆の立場に立たされている不安を訴える声もありえる。「知らず知らずのうちに、自分は、陰謀に加担しているのではないか。なんならむしろ積極的に参加しているのではないか」あんなふうになってしまうなんてこと思いもよらなかった、ってあとで口走っても遅い。
『コカイン・ナイト』の主人公チャールズは旅行記者で、世界中を飛び回っているから定住地はない。 どこかに行くと、「自分にとって、ここが本当の場所だ」と感じられる旅先に巡り合うことがある。けれどその段階を越えたむこうに、「自分にとって、世界はすべて異郷である。どこにいても、自分は単なる旅人以上のものではありえない」その境地がある、というようなことを池澤夏樹が言っていたかもしれない。言ってないかもしれない。ともかくチャールズは定住地がない。
國分功一郎『暇と退屈の倫理学』には、 遊動の暮らしをやめて定住するようになったとき、人類は、財産や文明を手にするようになった。貧富の差が生じ、法が生じ、退屈が生じた。時代が下って便利になればなるほど、退屈は大問題になってくる。 というようなことが書かれていた。遊動の暮らし云々については資料がない話だから、この本がどれほど学問的に厳密なのかはわからないけど、発想としてはおもしろいと思ったので覚えています。記憶だから、読み返すとそんな話してないかもしれないけどね。 けどまあ、ともかく、遊動し続けていたチャールズは、退屈がまさに大問題になっている地域に巻き込まれるかたちで取り込まれていく。はじめは弟の部屋を使っていたチャールズも、その地域を牛耳っているやつが用意してくれた部屋にうつるときがやってくる。その部屋にはじめて足を踏み入れたチャールズに、こういった言葉がかけられる。「チャールズ、君は家に帰ってきたんだ……」 「今の気分を大いに楽しみたまえ。見知らぬ場所という感覚は、自分にとって、常日頃考えているよりも、もっと近しいものなんだよ」
この記事は当てずっぽうで書き出した日記ではあるけれど、記事のタイトルははじめから決めている。「近さの/なかに/はいる」 ようやく、「近さ」というキーワードを登場させられました。よかった。距離についての話を引き続き。
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[3]
いつか「ア・ホロイ」というグループ展で映像作品の発表をしたときに(おれのみヘッポコな)対談イベントの相手として巻き込んだ太田充胤(医師・ダンサー・批評家)が、ちょうどその当時スタートさせていたのが『LOCUST』という雑誌だった。Magazine for travel and criticism|旅と批評のクロスポイント。 執筆者たちはみんなで旅行をしにいく。そしてその場所についての文章を書く。これを集めて雑誌にしている。参加者は批評家だけではないが、肩書は別になんでもよい。いわゆる観光ガイドでもなく、かといって思想ムックでもない。地域と時事に結びついた、批評癖のある人らの旅行界隈記集で、最近、この第三号を買いました。三号の特集地は岐阜県美濃地方。
この本、千葉市美術館で買った。千葉市美術館ではいま、「大・タイガー立石展」が開催されている。立石紘一=立石大河亞=タイガー立石という作家については、これは子供のころ、好きで好きでしかたなかった絵本のひとつの作者として知りました。親近感、懐かしさがある。 60年代、日本のなか美術作家として活動、のちイタリアに渡り、そこで油絵もヒットしますが、同時にデザイナー・イラストレーターとしても、漫画家としても活躍。日本に戻り、絵本の仕事も手掛けるようになります。陶も捏ねます。 ナンセンス、毒々しくも軽妙で、湿度は高いんだけどしつこくない。筆運び色選びモチーフ選び影の黒さははっきりシュールレアリズム由来で、反逆児のフリをしつつジャンルの枠組みは壊さず、荒唐無稽なフリをしつつ不穏当で思わせぶり、祝祭的=黙示録的、派手好みのくせに辛気臭くすら感じられるガロ感がいつまでも抜けない。という印象。個人的には。
懇意にしている友人の家、友人なのかな、友人なんでしょうか。一緒にいる居心地はいいんだけど、話題が狭く、政治的な話も教養的な話もしない。あるのは惰眠と食卓で、生理的で予測可能なよろこびしかない。安心安全で退屈な時間を過ごす人。おれは人のことをバカにして生きてる。まあいいかそれはいま。ともかく、友人、そう友人の家を出て、千葉中央駅に到着すると、急に大雨が降りはじめた。美術館まで徒歩にしてほんの10分の距離ですけど雨はものすごい。駅ビル内のダイソーで傘を買って足を濡らして10分歩くなら値段的にもそう変わらないと判断し、駅前でタクシーに乗り込みました。「市立美術館まで」と注文します。「市立?」聞き返した運転手はメーターをつけずに発車、すぐに着いて、料金として500円を払う。車運転させておきながら500円玉1枚だけ払って降車するのは後ろめたい。ちょっと照れくさくもある。 タイガー立石の絵はいわゆるコピペっぽさというか、表面的なトレースが多い。ピカソの泣く女やゲルニカ、ダリの溶けた時計、ルソーの自画像、タンギーのうねうね、そんなものがはっきり登場する。作品によっては、モチーフらは一枚の画面にただ雑然と並んでいる。ライブハウスのトイレの壁みたく、全体のなかに中心のない、みるべきメインの仕組まれていない羅列面。 ずっと好きではあったけれど、とはいえどっぷりハマりこんだ覚えのある作家でもない。距離感としては「シュークリーム」とか「揚げ出し豆腐」みたいな。それでも、さすが小さなころからの付き合いだけあって、自分のなかに、あるいはタイガー立石をみる自分のなかに、自分自身の制作態度の原型をみるようで居心地が悪く、やはりちょっと照れくさくもあった。
もちろんカタログを買う。そのために美術館併設の書店に立ち寄った。そこで『LOCUST vol.3』を見つけたので一緒に買ったのだった。太田充胤が、「おいしい、と、おいしそう、のあいだにどんなものが横たわっているのかを考えた原稿を vol.3に載せた」と言っていた覚えがあったためだ。なんだそれ、気になる。そう思っていたところだった。 ぜんぶで7つのパートにわかれたその原稿の、はじめの3つを、ざっくばらんに要約する。 1・はじめの話題は日本の食肉史から。肉を食べることは力をつけることと結び付けられもしてきた。禁じられた時代、忌避された時代もあった。食肉への距離感っていろいろある。 2・野生動物の肉を食うことが一種のブームになっている。都市部でもジビエは扱われている。ただ、大義たる「駆���される害獣をせっかくだから食べる」というシステムは、都市部では説得力がうすい。都市部のジビエは「珍しいもの」としてよろこばれている? 舶来品の価値、「遠いものだから」という価値? 3・身近に暮らす野生動物と生活が接しているかどうかで、(動物の)肉というものへの距離感は変わる。都市部の居酒屋で供される鹿の肉と、裏山にかかってたから屠って食卓に登場する鹿の肉は、そりゃ肉としては同じ鹿肉であっても、心理的な距離の質は同じではない。
イモムシが蝶になる手前、さなぎに変態してしばらくじっとしている。さなぎの中身はどろどろで、イモムシがいったんとろけた汁であり、神話の日本の誕生よろしく、ここから形状があらわれ、蝶になるのだと、子供のころ誰に教えられたわけでもないのに「知って」いた。それは間違いだった。イモムシの背中を裂くと、皮膚のすぐ裏側に羽が用意されている。蝶の体つきは、さなぎになるよりずっと前から、体のなかに収納されている。さなぎはただ、大一番な脱皮状態を身構えてるだけの形態で、さなぎの中がどろどろなのは、イモムシや成体の蝶の体内がどろどろなのとまったく同じことだった。日高敏隆の本で知った。大学院生のころ、ひとの自作解説を聞いていたら、「イモムシがいったんその体の形状をナシにして、さなぎの中でイチから再編成しなおして蝶になるように」という言い方をしている人があった。同じ勘違いだ。 この勘違いはどうして起こり、どうして疑いなく信じ続けられるんだろう。だって、イチから再編成されるなんて、めちゃくちゃじゃないか。めちゃくちゃ不思議なことがあっても、それが「生命の神秘」や「昆虫の不思議さ」に結びついて納得されてしまえば、「ね、不思議だよね、すごいよね」で済む話になるのか。<現代人・大人たちが昆虫を嫌うのは、家の中で虫を見なくなってきたからだ>という論文を先日みつけました。隣近所の人とあいさつをするかどうかで生活の心���すさは大きく変わる。知らない人の物音は騒音でも、知っている人の物音はそんなに不愉快じゃなかったりする。「面識」のあるなしは非常に重要だから、背が伸びてもなお、公園や野原で昆虫と親しみ続ける人生を送っていれば、虫嫌いにはなっていかないだろう。けれど、そういう人生を送っていたとしても、いったん誤解した「さなぎ状態への理解」が誤りだったと、自然に気づけるものだろうか。
岐阜で供されたジビエ肉についての原稿をLOCUSTに執筆した太田充胤は高校の同級生で、とはいえ仲良しだったわけではない。今も別に、特別仲良しとかではない。なんかやってんなあ、おもろそうなこと書いてるなあ、と、ぼんやり眺めて、でも別にわざわざ連絡はしない。卒業後10年、やりとりはなかった。数年前、これを引き合わせた人がいて、あわせて三人で再会したのは新宿三丁目にある居酒屋だった。ダチョウやカンガルー、ワニやイノシシの肉を食べた。それこそ高校の頃に手にとって、ブンガクの世界に惹かれる強烈な一打になったモブ・ノリオの作品に『食肉の歴史』というタイトルのものがあったな、と急に思いついたけれどこれはさすがにこじつけがすぎるだろう。あ、 ああ、自分の話を書くことはみっともなく、辛気臭いからしたくないんだった。「強烈な一打」たるモブ・ノリオの『介護入門』なんてまさに「自分の話」なわけだが、他人の私小説のおもしろさはOK けど、自分がまさに自分のことを語るのは自分にゆるせない。それはひとつに、タイガー立石はじめ、幼少時に楽しんだ絵本の世界のナンセンスさ、ドライさへの憧れがこじれているからだ。 まとまりがなく、学のなさ集中力のなさ、蓄積のなさまであからさまな作文を「小説」と称して書き散らかし、それでもしつこくやり続けることでなんとか形をなしてきて、振り返ると10年も経ってしまった。作文活動をしてきた自負だけ育っても、結果も経歴もないに等しい。はじまりの頃に持っていたこだわりのほとんどは忘れてしまった。それでも、いまだに、自分のことについて書くのは、なんだか、情けをひこうとしているようで恥ずかしい気がする。と、このように書くことで、矛盾が生じているわけだけど、それをわかって書けちゃってるのはなぜか。 それは、書き手の目論見は誤読されるものだし、「私小説/私小説的」というものには、ものすごい幅があるということを、この10年、自分にわかってきたからでもある。むしろ自分のことをしっかり素材にして書いてみてもおもろいかもしれない、などと思いはじめてさえいる。(素材はよいほうがそりゃもちろんいいけど)結局のところ、なんであっても、おもしろく書ければおもしろくなるのだ。
こないだ週末、なぜだか急に、笙野頼子作品が読みたくなった。『二百回忌』じゃなきゃだめだった。久しぶりに引っ張り出して、あわてて読んだ。おもしろかった。モブ・ノリオ『介護入門』に接し衝撃を受けた高校生のころ、とりあえず、その時代の日本のブンガクを手あたり次第漁っていた。そのなかで出会い、一番ひっかかっておきながら、一番味わえていない実感のある作家が笙野頼子だった。当時読んだのは『二百回忌』のほか『タイムスリップ・コンビナート』『居場所もなかった』『なにもしてない』『夢の死体』『極楽・大祭』『時ノアゲアシ取リ』。冊数は少なくないが、「ようわからんなあ、歯ごたえだけめっちゃあるけど、噛むのに手一杯になってしまってよう味わわん」とばかり思っていた。 新潮文庫版『二百回忌』に収録されているのは4作品。いずれも、作家自身が作家自身の故郷や家族(など)に対して抱いているものを、フィクションという膜を張ることで可能になる語り方で語っているものだ。
『大地の黴』: 生まれ故郷に帰ってきた主人公が、故郷での暮らしを回想する。かつて墓場で拾い、そして失くしてしまった龍の骨が、いまや巨大に成長し、墓場を取り囲み、そして鳴る。小さなころ、その土地に居ついている、黴のような茶色いふわふわが見えていた。地元の人の足元にまとわりついていた。いま墓の底から見上げる、よく育った龍の骨たちのまわりにもいる。
『二百回忌』: 二百回忌のために帰省する。親とは険悪で、その意味では帰省したくない。しかし、二百回忌は珍しい行事だし、すでに死んだ者もたくさん参加する祝祭時空間らしいから、ぜひとも行ってみたい。肉親はじめ自分の人生と直接のかかわりをもったことのある地元の顔ぶれは嫌だけど二百回忌には出向く。死者もあらわれる行事だから華々しいし、時間はいろんなところでよじれ、ねじれる。
『アケボノの帯』: うんこを漏らした同級生が、うんこを漏らしたことに開き直って恥ずかしがらない。そればかりか、自分の行いを正当化ないし神聖化し、排泄の精霊として育つ。(漏らしたことで精霊になったから、その同級生には苗字がなくなった!)自分のうんこの話をするのははばかられるけれど、精霊が語る排泄は肥料(豊かさ)や循環の象徴であるからリッパである。
『ふるえるふるさと』: 帰省したらふるさとの土地が微動している、どうやら時間もねじれている。いろいろな過去の出来事が出来していく。
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[4]
『LOCUST』の第三号の特集は岐阜で、おれの祖父母の実家は岐阜にある。大垣にあったはずで、いまどうなっているかは知らない。 父方の祖母が一年ほど前に亡くなった。おれの祖父=おれの父からすれば実父は施設で暮らしはじめた。住む者のなくなった、父の実家は取り壊された。父は仏壇や墓のことを考えはじめ、折からの歴史好きも手伝って、寺を巡っては話をきいてまわるようになった。寺の住職はすごい。自分とこにある墓の来歴ならしっかり把握しており、急に訪れた父が「うちの母のはいった墓は、いつ、誰がもってきたもので、誰がはいっているのか」と尋ねればすらすらと教えてくれる。 つい数代前、滋賀の彦根から、京都の寺に運んできたとのことだ。ところが運んだ者がアバウトで、京都の寺は彦根の寺と宗派が違う。それもあって、一族代々の墓ではなくて、数代のうち、そのアバウトさに異を唱えなかった人らが結果的におさまっているらしい。よう知らんけど。 続いて調査に乗り出した、母方、つまり岐阜の大垣にあった家の墓の来歴についても、どうやらごまかしが多い。ひとりの「かわりもの」のために、墓の行き先がなくなる事態があったらしい。 昭和のなかごろ、青年らは単身で都会へと引っ越しはじめ、田舎に残してきた墓をそのままにしてると数十年のちに誰か死ぬ。次は誰の番だろうかと悩むころには、あれこれ調べて動かす余裕がない。嫁ぎ先の墓にはいるとか、別の墓をたてるとか、戦死してうやむやになってるとか、ややこしいからウチは墓を継ぎたくないとか、もはやふるさとはないから墓ごと引っ越したいけど親戚全員への連絡の手立てがないのでできる範囲だけを整理して仕切り直すだとか、そういうごたごたを探査するのがおもしろいらしい。 父から送られてきた、一緒に夕食を食べることを誘うメールには、「うちの墓についての話をしたい」と書いてあって、おれはてっきり、「墓を継げ!」というような説教をくらうのかと身構えていたのだけど、全然そうじゃなかった。墓の来歴からみえてきた、数代前のずさんさ、てきとうさから、果ては戦国時代の仏教戦争まで、わがこととしての眺望が可能になった歴史物語を一席ぶちたかっただけだったみたいだ。よかった。
京都で父は祖父、父からすれば実父と、たまにあそんで暮らしている。祖母なきいま、90近い祖父と話をできるのはあとどれくらいかと思いを馳せるとき、父はふと、戦争の頃のことを聞いておこうと思い立った。いままでぶつけていなかった質問をした。 「お父ちゃん、戦争のときなにしとったん?」 祖父は15歳だった。日本軍はくたびれていた。戦局はひどい。余裕がない。15歳だった祖父は、予科練にはいった。 「軍にはいれば、ご飯が食べられるから」と祖父は笑って話したそうだ。けれど理由の真ん中は本当はそこじゃない。どうせだめになるのだ、負けるのだ。自分の兄、つまり一家の長子を死なすわけにはいかない。兄=長男に家は任そう。長男が無理やり徴収される前に、次男である自分が身を投げうとう。 きっと必要になるから、と考えて、英和辞書を隠し持って予科練にはいった。敵の言葉の辞書を軍に持ち込んでこっそり勉強するなんて、見つかったらえらいことになる。 その頃、12歳だった祖母は、呉の軍需工場で働いていた。 生前の祖母、というか、祖父と出会ったばかりだった祖母は、祖父が、長男に代わって死ぬつもりで、自ら志願して予科練にはいっていたことを聞いて泣いたという。 おれの父親は、おれの祖父からそんなような話を引き出していたそうだ。父としても、はじめて聞く話だった。 90近くなった自分の父親が、目の前で話をする。自分の身に起きたこと、戦争時代の思い出話をする。子供の前で語ってこなかった話を語る。なんだか瀬戸内寂聴みたいな見た目になってきている。極端な福耳で、頭の長さの半分が耳である。 本人は平気な顔をして、ただ、思い出を話しているだけなのである。それでも、「大井川で、戦地へ赴く特攻隊を見送った。最後に飛び立つ隊長機は空でくるりと旋回したあと、見送る人々に敬礼をした。」と、この目で見た、体験した出来事についての記憶を、まさに目の前にいる、親しみ深い人物が回想し話しているのに接して、おれの父は号泣したという。これは「裏山にかかってたから屠って食卓に登場する鹿の肉」なのだ。
戦争への思いのあらわれた涙ではない。あわれみや悲しみでもない。伝え聞いていたという意味では「知って」いたはずの戦争だが、身近な存在たる父親が直接の当事者であったことがふいに示されて、戦争が急激に近くなる。父親が急激に遠くなる。目の前で話されていることと、話している人との距離感が急激に揺さぶられた。このショックが、号泣として反応されたのではないか。食事中、口にする豚肉を「ロースだよ」と教えてくるような調子でふいに、「この豚は雌だよ」とささやかれて受けるショックと同質の、「近さ」についての涙なのではないか。感情の涙ではなくて、刺激への反応としての落涙。 これでひとまず、自分の描く分を切り上げる。思えばいろいろなトピックに立ち寄ったものです。ラブコメにはじまり、犯罪的行為と共同体の紐帯の話、内的な事件「恋」の取り扱い方、ジビエを食べること、故郷についてのマジックリアリズム。 散らかすだけ散らかしておいて、まとめるとか、なにかの主張に収束するということもない。中心がない。さながらライブハウスのトイレの壁みたく、みるべきメインの仕組まれていない羅列面。 この羅列面に対して連想されるもの、付け足したくなったものがあれば、各々が好き勝手に続きを書いてください。うまく繁茂すれば、この世のすべてを素材・引用元とした雑文になるはずです。や、ほんとのことをいえば、すでにテキストというものはそういうものなんですけど。
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共通の知人の結婚式で、前に付き合っていた女性に会った。もう数年前のことだ。
私たちは大学の同期生で、お互いが初めて付き合う相手だった。二十歳から付き合い始め、20代の大部分を二人で過ごした。同棲していた期間も長かった。20代の終わり、彼女が突然別れを切り出し、部屋を出て行った。会うのはそれ以来だった。
彼女は美人ではない。ファッションに力を注ぐタイプでもない。しかし彼女は、なんというか、非常に素敵になっていたのだ。その時だって別に美人ではなかったが、彼女を綺麗だという人がいても私は全く驚かない。付き合っているときはあんなにもっさりしていたのに。
私にはその時点で、特定の恋人がいなかった。それで思ったのだ。 彼女とは趣味が合うことも分かっているし、一度は別れたが共に積み重ねた10年からの歴史があるわけで、 もう一回付き合ってみてもいいんじゃないか、と。もしも彼女に彼氏がいたとしても、そいつには私の何分の一かの歴史しかない。しかも私は転職に大成功を収め、今や彼女と付き合っていた頃の3倍の収入を得ている。勝ち目はある筈だ。
友人に頼んだ根回しも功を奏して、パーティーが終わった後に彼女と二人で話す機会を得た。近くのカフェで、向かい合って座る。私は柄にもなく緊張していた。とりあえず、付き合っている男はいるのか聞いてみる。答えはイエス。まあ、いい。何とかしてみようではないか。 ここはひとつ端的に切り込んでみようと考え、私はストレートに言った。今日、久しぶりに見たら綺麗になっていて驚いたよ。付き合ってた頃と別人みたいじゃん。こんな○○ちゃんだったら、俺もう1回付き合ってもいいなと思っちゃって。
彼女は薄く笑みを浮かべたまま、きっぱりと答えた。
「やめたほうがいいよ」
考えるだにどうかしているとしか思えないが、この時の私はやけにイケイケな気分で、彼女の言葉に「そんな遠慮することないよ、自信持ちなよ」などと思って浮かれていた。
そこに彼女から放り込まれたのが、こんな言葉だった。
「あなたと付き合うと、私またブスになるから」
浮かれた心が一瞬で冷え切った。ええ、今何て言った?耳を疑う。「どういうこと」私は顔が引きつるのをこらえながら彼女に尋ねた。
「あなたは私に何をしたのか、覚えていないの」
彼女の声が冷たくなる。パーティーで友人たちと笑っていた時とは別人のように。「俺、何した?」最悪な返答だが仕方がない。これしか言葉が思い浮かばなかった。彼女は言う。聞きたいの?忘れているならそのほうがいいんじゃないの?いや、聞きたい。私は食い下がる。長くなるよ、と彼女が言う。別にいいよ、と私は答える。それなら、と彼女が話し出した。
あなたが私にしたのは、「あんたには性的な価値がない」と徹底的に叩き込むこと。自分みたいな度量のある寛容な男がいたから恋愛をできているけど、本当は市場価値なんかない、むしろマイナスだということ。
付き合っている間中、あなたにブスといわれデブといわれ、友達の彼女と比べられて「俺にも男のプライドがあるから」っていう理由で友達がカップルで集まる場に連れて行くのを拒否されて、あなたの友達が私のいる前で「(こんなブスと付き合えるなんて)お前凄いわ」ってあなたに言っても、あなたはひとつも怒らず「まあいいとこもあるんだよ、家事出来るし」って言ってへらへらして、友達が帰ったらその日はずっと私に冷たく当たったよね
二人で働いてたのに家事は全部私がやってたし、ご飯も、あなたは放っておくと牛丼とコンビニばかりで、そのくせそれだとすぐに具合を悪くするから、食費はほとんど私が出していた。あなたは服や本やレコードを大量に買ってくるけど収納は絶対に買わなかった。収納も私が買った。
とにかくくたくただった。仕事がないときは家事、家事が終わって茶の間に戻ると、あなたが自分の好きな音楽や映画をかけていて、全然楽しくなかった。くたくたに疲れてるときに、プログレだのレディオヘッドだのフランス映画だの。私がたまに好きな音楽をかけると黙ってボリュームを下げたでしょう。私はボリュームなんていじってなかった。あなたと同じ音量のままだった。お金も時間もなくて、元気もなくて、いつもけなされて、綺麗になんかなれる筈がないと思う。
私は黙った。彼女がいうことは、一つ残らず事実だった。俺は交際相手でありながら、彼女を女性として価値の低い人間だと思っていた。それでも彼女の賢さや仕事の能力は掛け値なしに評価していたし、 ブスだのというのも照れ隠しのつもりだったし、彼女のことを愛しているつもりでいた。しかし、何だかそれもよく分からなくなっていた。自分がこんなに酷い男だったとは、それを彼女がこんなに恨んでいたとは。
「うん、付き合ってたときは、俺が悪かったと思う。でも俺も変わったし…」
私が何とか言葉を繋ぐと、彼女は遮るように
「あなたと付き合うことは、二度とないよ」
とぴしゃりと言った。私は思わず舌打ちしそうになり、何とか抑える。そして、また黙る。長い沈黙。彼女に目をやると、顔色ひとつ変えず淡々とコーヒーを飲んでいる。無性に怒りが湧きあがる。
「あのさ」
私は言う。言うが、言葉が続かない。むかむかして黙っていられなかっただけで、言いたいことなど特にはなかった。
彼女は言う。私、もうあなたの不機嫌は怖くないよ。あなたのこと好きじゃないから。付き合ってた頃は不機嫌になられるのが嫌で、何でも言うことを聞いていたけど、もう違うから。彼女は、付き合っていた頃は見たことがないような毅然とした表情だった。綺麗だった。  
「今の彼氏は、いい男なの」私は力なく、聞きたくもない質問をする。
彼女は短く「うん」とだけ答える。
どんな奴なの、幸せなの。いろいろな言葉が口を突いて出そうになったが、聞いても仕方がない。そいつがいい奴で、彼女を幸せにしているのは一目瞭然だったから。来年の夏に結婚するの、と彼女が言う。ごめんなさい、最初にあなたが「もう1回付き合わないか」って言った時、「私、結婚するから」って言えば済む話だったのに。何だか自分でもコントロールが利かなくて、長々と酷いことを言って。
彼女は悲しそうな顔をしていたが、その顔はとても優しく穏やかだった。そんな表情を初めて見た。
本当に、本当にごめんなさい。酷い後出しで、今更こんなことを言って。私、あなたが好きだったの。でも、一緒にいるときは卑屈になるばかりで、勝手に疲れて自爆しちゃった。次に付き合う人には、うんと優しくしてあげてね。
彼女はそう言ってにっこりと笑った。
私は泣きそうになっていた。私はこの人を何年もかけてぼろぼろにし、それを見知らぬ男がものの数年で完璧に近く治癒して、彼女は美しくなり、変わらず聡明であり、私はそんな彼女と、恐らくもう会うことすらないのだ。
便所に行き席に戻ると、彼女はもういなかった。テーブルからは伝票がなくなっていた。
先日、新宿で久しぶりに彼女を見かけた。結婚相手らしき男と一緒だった。彼女から話を聞いて、最低の男である私は「そういう優しい男は大抵が醜男だし、心根が良くても話がつまらなかったり、お人よしで金に縁がなかったりするに決まっている」と勝手に思い込んでいた。ところが、彼女の伴侶は私など比べ物にならないほどの長身のイケメンで、二人で笑いながら話している様子を見るにつまらぬ男にも貧乏な男にも見えなかった。彼女はあの時よりももっと綺麗になっていた。男は顔をくしゃくしゃにして彼女に笑いかけていた。二人は新婚のように睦まじく、目を引くくらい幸せそうだった。
” - No.39367 かっこ悪い振られ方 - コピペ運動会 (via dc-ep)
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