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kyotomotor · 2 years
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koch-snowflake-blog · 9 months
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HN
葵ななせ
HNの由来
お花が好きだから「葵」、爽やかな名前が良いなと思ったので「ななせ」にしました
性別
女の子
誕生日
2004年8月7日 19歳です◎
星座
しし座
血液型
A 型
前世
全然分からないので前世占いをしたら「平安貴族」って出ました(笑)
住んでいるところ
東京都
生まれたところ
岡山県
家族構成
父、母、妹です。仲良しなので毎日連絡取ってます
職業
大学生です。週3回くらい喫茶店でバイトしてます。
学年
1 年生
絡むーちょ
よく遊ぶのは大学の友達とか高校時代の友達
似ている芸能人
え~~あんまり言われたことないです(笑)
身長
155cm
体重
内緒です…
足のサイズ
23.5cm
手の長さ
測ったことないです!
胸のサイズ
Gカップ
趣味
映画鑑賞(アクションが好き)、お散歩
特技
ピアノ(3~18歳までならってました)
握力
測ったことないけど結構強いと思います(笑)
髪型
ロング
口癖
「そやな~」とかですかね?
性格
真面目、完璧主義って言われます。
嗜好品
コーヒー(ブラック)たまに飲みます
自慢なこと
耳が動かせます!
持っている資格
むかーし漢検を取ったような…?
使っている携帯電話
iPhone
好きな男性のタイプ
人生にワクワクしている人
好きな女性のタイプ
美意識が高くて自分を持っている人
好きな言葉
二兎を追う者は一兎をも得ず
好きな芸能人
山田孝之、役所広司
好きな食べ物
和食
嫌いな食べ物
パイナップル
好きな飲み物
黒ウーロン茶
嫌いな飲み物
特にないかな?炭酸はちょっと苦手です。
好きな教科
国語
嫌いな教科
英語
好きなテレビ番組
水曜日のダウンタウン!
好きな映画
最近ワイスピを見ました
好きな本
漫画ですがキングダムが好きです!
好きなスポーツ
バスケ、水泳
好きな音楽
RADWIMPS
好きなブランド
ブランドはあまりこだわりが無くて…SHEIN で買います!
愛用の香水
マルジェラの香水が好きです!
好きな花
お花はなんでも好きです
好きなゲーム
最近はあんまりしてないけど、スプラトゥーンハマってました!
愛車
持ってません。でもいつか大きい車が欲しい!
将来の夢
誰かのお嫁さん
好きな動物
ワンちゃん
休日の過ごし方
家で映画見てるかたまにお散歩します。
尊敬する人
やりたいことを全力でやっている人。MINAMO ちゃん。
今一番欲しいもの
ワンちゃんが一生生きられるお薬。
今一番行きたいところ
海とか自然の綺麗なところ
今一番やりたいこと
バンジージャンプ!
よく遊ぶところ
なんだかんだで原宿らへんによくいるかな?
マイブーム
香水、キャンドル集め。
最近ひそかに興味があること
誰がこの世界のトップなのか(笑)陰謀論とか結構好きです(笑)
生まれ変わったら
また自分になりたいかな。
世界平和に必要なのは
他人への干渉を無くすこと。
兎に角主張したい事
意外と私、面白いです…。
疑問に思っている事
本当に人間は猿から進化したのか。
ここだけの話
私のデビュー作、どうですか?気に入ってもらえるかな…
経験人数
2人。どちらも彼氏です。
初体験
17歳の時、初めての彼氏と。
なぜAVに?
友達に進められたのと、もともと興味があったからです。30代までの人生���計を立ててみた時に、やりたい仕事だけが無くて、興味があるならやってみようと思って応募しました。特に頑張れたことも無くて何やってもそれなりの私なので、AV を通して自己表現をしてみたいです。あとやっぱり、エッチなことが好きなので…。
S?M?
結構Mだと思います…
自分がエッチだなと思う時
エロのアイディアが出てくる時です。ああ、やっぱり好きなんだなって思います(笑)
オナニー
週3回くらい、おもちゃでします。
オカズは?
妄想です…
AVでやってみたいこと
潮を吹いたことが無いので吹いてみたいです。
尊敬する女優
MINAMOちゃん。上品さとか間合いが素敵だなって思います。
女優としての夢
毎作品自信作にできるように頑張りたいです。私のファンでいて良かった、と思ってもらえるような女優さんになりたい。
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201 notes · View notes
xx86 · 4 months
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6/8(土)
気を張る6連勤明けだったのでおもしろいほど寝られた。体も水を吸ったように重い。
14時過ぎに少しだけ持ち直してお花屋さんへ行く。白い紫陽花と、レモンイエローのカラーと、お店のお姉さんにオススメされたなんだか分からない白い蕾のついたグリーンを買う。お花の名前は覚えられてもグリーンの名前は全く覚えられない。なぜならグリーンは好みではないから。
お家に帰ってこれは寝ておいた方が良さそうなだるさだなと思ったのでまた昼寝だか夜寝だか中途半端な時間に2時間ほど眠る。初夏の光を浴びながら眠るのは心地よい。午睡とはいい言葉。
21時におばあちゃんから電話があって、明日曽孫達がじゃがいも堀りに来るから礼ちゃんも来るかと誘われ、甥姪会いたさに二つ返事をして電話を切った後、芋掘りできるような服も靴も無いことに気づく。私は一張羅しかもたないと決めているのだ。急いでユニクロとGUをGoogleマップで検索してみるも、全て閉店していて、ですよねーと思いながら眠りについた。明日開店と同時にユニクロかGUに駆け込もう。
6/9(日)
朝5時半に起きたら昨日買った紫陽花が既に萎れててショック。水切りが上手にできてなかったのだろうか。気を取り直して、スキンケアを入念にし、ラジオ体操第一も第二も踊る。毎回迷うのだけどラジオ体操は踊るであっているのだろうか。する?
ちなみに大人になってからラジオ体操第二をやったことない人、ぜひやってほしい。三半規管めちゃくちゃになって目眩が起きるプログラムになっている。
最近の私は超健康なので夜は22時半には寝て、5時半には起きている。休みの日も。その代わり休みの日は15時までならどれだけお昼寝しても良いスタイルだ。
朝一の予約でマツエクサロンへ行って、お姉さんと筋トレをするなら夜よりも朝という話を聞いて激しく同意した。お風呂上がりのマッサージとか推奨されてるけど、夜はとにかくお風呂上がり以降の工程が多いから、プラスアルファは継続できない。体動かす系は朝に限ると思っている。気持ちもすっきりするし目が覚めるし。
マツエクを終えた後、おばあちゃんに今から服と靴買って向かうと言ったら、一式貸してくれるとのこと。ありがたい。
おばあちゃんの家に着いたら既にカッパを着た甥と姪が待ち構えていて小さい子供のカッパ姿ってなんてカワイイんだろうとときめく。
ジャガイモは面白いぐらい獲れた。私は田舎生まれ田舎育ちで甥姪と同じように収穫を手伝ってきた身なので変な色の芋虫も大きいミミズも何も怖くなく、子どもと一緒にはしゃげてよかった。ゾッとする昆虫、クジャクヤママユぐらいだと思う。
おばあちゃんの作ったお昼ご飯を食べて、甥と姪とオセロをやる。兄がひたすら私の容姿をいじってきて、兄って兄にしておくには本当に本当に嫌なヤツだよなあとしみじみ傷つく。
紫陽花が一日で枯れた話をしたらおばあちゃんが庭の立派な紫陽花を一輪切ってくれた。義姉も便乗してあれもこれもと色んな品種を切ってもらっていた。残ったおかずも好きなだけ持って帰りなと言われたので、義姉から先にどうぞと譲ったら大量にあったエビフライ全部持ち替えられてウケた。私に残されたおかずはからあげ2個。あの兄が選ぶ女。そしてあんな性悪男と上手くやれてる女。娘が2人もいるのに信じられないような言葉で妹の容姿を野次る旦那と一緒に笑ってられる女。なんてお似合いな夫婦なんだろう。
図書館で借りていたムーミンの返却期限が迫っていたので本を返して続きを借りる。
いい歳して容姿批判ぐらいで傷つくのもどうかと思うけど今朝見た紫陽花のように気分が萎れてしまったのでさっさと寝る。
6/10(月)
急遽先輩と約束してた飲みをドタキャンされ朝から萎える。仕方ない理由だとしても飲む気分でいたから。
でもまあ1人で飲みに行けばいっかとさっさと仕事を終えて飲みに行く。仕事終わりのビールってなんでこんなにおいしいんだろう。1人だど飲むペースが早くなるので千鳥足で帰る。本当に人って酔っ払うと千鳥足になるんだな。
家に着いて、勢いのままシャワーを浴びる。本当は服用中なのでお酒を飲んではいけないのだけど、酔っ払った頭で飲んでも良さそうな薬だけピックする。
お酒のせいか体がぽかぽか熱くてクーラー21度にして寝る。3時ぐらいに震えながら目が覚めた。
6/11(火)
縁を切るために京都へ行こうと諸々予約したけど、縁切り参りは今までくらってきた代償が大きすぎるので予定を変えてオススメしてもらった苔寺へ。方向音痴すぎてやっとの思いでバスに乗るも、バスの中がびっくりするぐらいうるさくてびっくりした。例えばクラブやフェスなんかなら声を出していきたいけど、公共交通機関や美術館は多少静かじゃなきゃ嫌派である。外国の方ならしょうがないかなと思うけど聞こえる言語は全部日本語だった。イヤホンを耳に突っ込み、エンドレスでHidetake Takayamaを流しておく。まあきっとみんな嵐山で降りるんだろうなと思ったら終点の苔寺まで一緒で、マジ?静かにできる?と心配になった。
写経もお寺も素晴らしかったのだけれど、基本道が狭いので道の真ん中で一眼とか構えられるとげんなりしてしまう。私が嫌いなもの、暑さ、人混み、乗り換え、道の真ん中で立ち止まる人、容姿弄りがおもしろいと思ってる人、エビフライをぜんぶもって帰る人、である。
私は写真を全然撮らないし、写真ではなく記憶に残しておきたい派なので、人がいないスポットを見つけてはほう、っと立ち止まる。絵画を見るような感覚。
ピリピリ音を鳴らした携帯で仕事の対応を結構大きな声でしていたおじいちゃんのことを、隣のベンチに座っていたたぶんヨーロッパ系の女性が電話終わるまでサングラスを少しずらしておじいちゃんをじっと見つめていたのが良かった。彼女の隣に座っていた多分旦那さんは目を閉じ瞑想をしているようで、これが正しい苔寺の楽しみ方だろうなと思う。次来る時は絶対朝一でくると誓う。
せっかくなので近くの鈴虫寺にも寄る。平日だからか私が苔寺を人の3倍ぐらいのスピードで回ったからなのか分からないけどあまり待たずすんなりと前の方に座れた。
人が待ってると思うと緊張してあんまり上手にお願い出来なかったけど、お礼参りに来る時は絶対タクシーで来ようと誓った。
あんまり食欲ないなあと思いつつ、朝から水以外とってなかったので前から気になってたお店へ行ってみる。カウンター席に通されたけど、店員さん達がマジであけすけな話をしてて笑った。定食はほっこりおいしく体が喜んでる、と思った。
本当はもっとゆっくり京都を堪能する予定だったのだけど、とにかく暑いし人は多いしでほとほとに疲れ予定よりうんと早い新幹線に乗って帰る。人身事故が多発し、結局名古屋で足止めを食らったけど、重いの我慢してムーミンの小説もってきてよかったな〜と思いながらムーミンを読んだり寝たり自由に電車内で過ごす。結局電車が動いたのは1時間半後だった。
一度コロナがはじまったばかりの頃、縁切りしたすぎて京都へ行ったけどめちゃくちゃ空いててよかったな。静かな時に行きたい。静かな京都なんて存在しないだろうけど。
後輩の結婚報告を受けて、もう年下も結婚していく年齢になったのだなあとしみじみした。
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tutai-k · 11 months
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たどり着かなかったおおくの未来たちへ
文フリ東京だった。 土曜日開催のイベントってなんだかんだ言いながらはじめてのような気がする……労働が土日祝休めなかったころはなんでイベントは平日にやらないんだろうと思っていたし、土日が休みだったころはイベントは土曜日にしてほしいと思っていたが、日月休みになると、イベントは日曜日がいいなと思ってしまう。日月は宿泊料��がやすい。
そんな自分本位な「この日がいいな」をわたしはいくつも持っている。
文フリ東京は、土曜日の朝に出発した。車内販売がなくなってしまって、でもまあ新幹線のホームとか購買にシンカンセンスゴイカタイアイス(シンカンセンモウカタクナイアイスだという噂だが)が売っているらしいから、それを食べようと思っていたが、朝、名古屋駅で見つけることはできなかった。 しょんぼりしながら新幹線に乗る。新幹線の中ではほとんど寝ていた。
東京駅・浜松町・流通センター。いつもの乗り換えで会場に向かう。来年の12月の文フリはビッグサイトでやるらしいから、この行程で向かうのはあと一回。
会場前に八束さんのスペースで不穏なフライヤーをもらう予定だったのでもらいに行ったら、八束さんがさいたま文学館で開催中の『澁澤龍彦の文学世界』のフライヤーも一緒にくれた。 ので、スペースが出入り口の真ん前だったこともあって、これはたくさんのひとに見てもらえるんじゃないか…!ということで、出口に向けて配置した。完璧である。
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そんな素敵な設営をして、開場。
遠方からきてくれたフォロワーさんに展示のフライヤーを見せ澁澤龍彦の話をし、「若い頃にわたしも全集読みました!」と言ってもらうなどしたり、痛覚の麻子さんにはえんえんと「この写真見てくださいやばくないですか?羽田に楯の会の制服を着て見送りに着た三島の帽子をかぶっておどけているときの写真でこれが二人が実際にあった最後になるんですよ……」と一生終わらないんじゃない勝手くらいの話をしつづけてしまったり、このフライヤーに気づいてくれた通行人のひと(「澁澤龍彦だ…!」という声が聞こえた)に「裏面も見てください!そしてよろしくお願いします!」とさっと差し出したり……。こんなに充実した文学フリマ東京は、2014年から参加していて初めてじゃないかと言うくらい充実していた。
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惜しむらくは、澁澤龍彦のフライヤーと一緒に不穏なフライヤーを挟んでいたにもかかわらず、だれも「澁澤龍彦と棄てに行ける家父長制があるんですか?」と聞いてくれなかったこと…。澁澤龍彦と棄てに行ける家父長制は果たして存在するのか……?
とまあ、こんな感じなのだが、そろそろ皆さんも不穏なフライヤーとは?と思っているところだろうと思うので、ご紹介致しますとこういうやつです。
「父親の死体を棄てに行く」アンソロジー。家父長制を棄てに行きたい方はどうぞ2024年5月の文学フリマ東京をお待ちください。
イベントが終わってからは、八束さんとヒマラヤ鍋を食べに行った。 お店の予約時間まで過ごしていたドトールで渋沢栄一の話になり、「ああ、向こうは傍家で、本家はうちなので」と話したら「いまうちって言いました?」と聞き返される。うちです。 ヒマラヤ鍋屋さんはめちゃくちゃすてきな楽隊(?)のお誕生日パレードがあったり、びっくりするような美味しい鍋を食べられたりと大満足だった。
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打ち上げを終えて、翌日のさいたま文学館に備えて埼玉に宿を取っていたので、移動をはじめたら電車がいきなり止まった! 電車の沿線で人身事故があったとのことで、近くのハブ駅みたいなところで電車を降ろされてしまう。こんなこと担ったのは初めてなのでびっくりしていると、とりあえず一時間くらいしたら電車は動くからね~とアナウンスが入り、事なきを得る。
都会ならではの体験だな…と思いながら、ホテルにたどり着いて泥のように寝た。
そしてさいたま文学館へ。
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張り切って出てきたら開館まえについてしまった…。図録を買って、老人クラブの展示があったので見せてもらったりして(ヤツガシラの俳句があってとてもよかった)、10時になる。
貸し切り状態……。
展示は、埼玉と澁澤の関係から始まっていて、浦和高校時代の写真(浦和高校同窓会が出しているものだった)があるのがとてもよかった。 限定本も展示がたくさんあり、原稿も、文学館が所蔵しているものが4、5点。 サド裁判のときに澁澤が三島に書き送った手紙に、争点が「わいせつか芸術かを超え、表現の自由/検閲への抵抗である」ことが書かれていることを指摘していたり、『高丘親王航海記』の原稿用紙、最初は「了」と書いてあったのを、推敲の段階で文字を自ら消したことを指摘していたり、「澁澤龍彦」という人物を表現との向き合いかたから見せているのが良いと思った。 面白かったのは三島の写真の使い方で、「血と薔薇」の「男の死」の三島の写真、あと、メインビジュアルが羽田に見送りにきた三島の帽子をかぶっておどける澁澤の写真だったからか、「楯の会の制服を着た三島由紀夫」の写真が展示してあったりした。
展示をひとしきり見た後は、図書室に今回の展示の関連本がまとめてあるとのことだったのでそれを身に。「作家のおやつ」「作家の食卓」といった本の紹介や、山﨑ナオコーラが文豪の墓参りにいく本に澁澤の項目があった。山﨑ナオコーラの澁澤へのまなざしにはわたしにもおぼえがある。よい本だった。そしてその本で、先月わたしが緑色のインコに夢中になっていた霊園に中島敦の墓があることを知った。敦、ごめんな……墓のことなんて全然知らなかったから、緑色のインコのことしか考えてなくて……。
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その後は文学館併設の「けやきカフェ」で澁澤龍彦コラボメニューをたべる。黒糖と胡桃のパンケーキ。澁澤が好きだった胡桃や黒糖のお菓子をイメージしてつくられていて、とてもよかった。 思い出したのは、今よりもっと貧乏だったころ、いろんなところでやっている澁澤の展示に行けなくて悔しい思いをしたことだった。いまこうしてたどり着くことができるようになったことを、なんだかとても、自分が、自分をなんとかしているように思えた。
パンケーキを食べ終えてから、「武蔵野うどん」に挑戦することにした。「伊勢うどんとは対極にあるうどんだ」という事前情報しかなかった。 桶川駅ちかくのお店はかなり人気店のようでたくさん人が並んでいて、お店に入れたのは並び始めてから一時間後くらいだった。 つけ麺(うどんのことをつけ麺というのか?)システムで、つけ汁とうどんは別々の皿に載っている。なるほどこういうやつなのか、となにも考えずにがっと箸でつかんで汁につけてすすりはじめたはいいが、うどん、めちゃくちゃかたいんですけど?!噛みちぎれない…やばい、全部すすって口の中に入れるしかない……と思ったが、これがまたすさまじく長くて……永遠にうどんがおわらない……。 こんなに硬くて長いうどんはじめてなんですけど?!おれたちは箸で持ち上げただけでへたしたらブツッといく伊勢うどんの民なんだということを再確認し、「これは風邪を引いたときに食べるうどんではなく、体力が有り余っているときに食べるうどんだな」と確信しました。きっと武蔵野のひとたちは、風邪をひいたときにはおかゆを食べるに違いない。(伊勢志摩の人間は風邪をひいたら伊勢うどんを食べます)
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二口目からは一本ずつ食べることで武蔵野うどんのおいしさを堪能し、また是非食べたい、顎の力を試したい、と思った。
武蔵野うどんを噛み砕くのに体力のほとんどを持って行かれて、疲れ果てたので、そのまま帰宅することに。 購買にシンカンセンスゴイカタイアイスを見つけたので購入し、席に着くと、隣のひともおなじシンカンセンスゴイカタイアイスを持っていた。しかもおなじチョコレート味。
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べつに示し合わせてはいないがふたり一緒に食べることになってしまい、こんなに好きなひとがいるのに、もうシンカンセンスゴイカタイアイスは車内販売されないんだな……と悲しくなる。 そして、乗車15分まえに買ったし、シンカンセンモウカタクナイアイスだった。
アイスを食べ終えてからは、記憶がない。気づいたら名古屋だった。
名古屋駅で、近鉄のホームに来たら、電車を待つ人は無秩序にホームにた��ずんでいて、車両のドア���か何も気にしていなかったし、電車が着いても「先に並んでいたひと」という概念がないので、運良くドアの近くにいたひとから電車に乗りこんだ。東京とかから帰る途中、この近鉄のホームの無秩序さを目の当たりにすると、まだ名古屋から三重まで帰らないと行けないのに、「帰ってきたなあ」と思うのだった。
名古屋駅から最寄り駅までも、寝ていたのでほとんど記憶がない。
帰宅したら、夕食は焼きそばだった。焼きそばの麺は、どれだけ頬張っても簡単に噛みちぎれた。武蔵野うどんは硬かった。
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kennak · 5 days
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関東地方で太陽光発電所の送電ケーブルの盗難が増えている。北関東が特に多く、東京都や神奈川県にも被害は広がる。山間地にある施設の盗難対策は難しく、再生可能エネルギー普及への悪影響を懸念する声が出ている。(米田怜央) ◆防犯カメラ設置していたのに…  相模原市中心部から車で20分。津久井湖に近い神奈川県の谷ヶ原太陽光発電所(最大出力1000キロワット)で6月、地面に張り巡らされた銅線ケーブル2700メートルが盗まれた。復旧費を含めた被害額は3000万円に及んだ。 切断された谷ヶ原太陽光発電所の送電ケーブル  一昨年にも3000メートル分を盗まれて防犯カメラを設置し、さらなる警備も準備中だった。現地を案内した県職員は「どうすれば防げるのか…」と話した。  発電所の多くは山間部にある。防犯カメラも敷地全体をカバーできない。個人所有の発電所の場合、対策コストの負担も重い。  神奈川県内の60代男性は所有施設で今年、ケーブルを2回盗まれた。数千円の防犯アラームと「防犯カメラ作動中」という看板を設置したが、「警備会社と契約するお金はない」とこぼす。 太陽光発電所に設置された防犯アラーム  警察庁によると、太陽光発電所のケーブル盗難は昨年、全国で5361件あった。今年は6月末時点で4161件。茨城県が1196件と最多で、栃木、群馬、千葉県が1000件弱と続く。関東地方で全体の9割を占める。 ◆「お金が道端に転がっているようなもの」  警視庁は8月14日、群馬県内の発電所のケーブルを盗んだ疑いで、タイ国籍の男4人を摘発。売却を目的に1都7県で30件以上の事件に関わり、買い取り総額は数千万円に上るとみて調べている。捜査幹部は「防犯カメラが少なく捜査が難しい。盗む側からすればお金が道端に転がっているようなもの」と語る。  被害増加の背景には銅価格の高騰がある。ロンドン金属取引所の銅価格(3カ月先物)は、最近4年間で1.5倍~2倍程度に上昇。楽天証券経済研究所の吉田哲さんによると、電気自動車(EV)や人工知能(AI)の開発による電子製品の需要増などが要因で「価格は高止まりする」と予測する。  古物営業法は買い取り業者に売り主の身元確認を求めるが、切断したケーブルなど手を加えた物は対象外で規制されない。神奈川県内のある業者は「盗難品か解体品かは見ても分からないが、客を疑う商売をすれば信頼がなくなる。身元確認はしないのが業界の不文律」と明かした。 ◆罰則規定を設けた身元確認義務の条例を施行へ  ケーブル盗の横行は、太陽光発電そのものを大きく揺るがしかねない。被害増を受け、保険会社が太陽光発電所での盗難補償をやめる動きも出てきた。 谷ヶ原太陽光発電所に張り巡らされているケーブルカバー。切断され、中のケーブルが引き抜かれている  一般社団法人日本損害保険協会によると、太陽光発電所のケーブル盗難被害で大手など7社が2022年度に支払った保険金は、2017年度の約20倍に増えた。損害保険ジャパンは発電所の立地や防犯対策などを確認した上で、盗難補償を含まない契約も始めている。担当者は「今までの保険の提供は難しい」とする。  一般社団法人太陽光発電協会の杉本完蔵シニアアドバイザーは、ケーブルの地下埋設などの防犯対策を訴えつつ、「保険がなければ金融機関での資金調達が難しく、事業が立ちゆかなくなる。太陽光発電の拡大に悪影響だ」と危惧する。  被害が深刻化する千葉県は来年、古物買い取り業者に売り主の身元確認を義務付け、懲役と罰金の罰則規定を設けた条例を施行する。警察庁は同様の条例を検討するよう全国の警察に指示した。
太陽光ケーブルの相次ぐ盗難、防ぐ方法は? このままでは再生可能エネルギー普及への悪影響も:東京新聞 TOKYO Web
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mlyzvt-no2157 · 8 months
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一文字の間違いで物凄い意味が違った事
【ご注意】
今回のエピソードは、かなりお下品です。っていうか、ガチで下品です。それでも大丈夫って方なら、どうぞ👇
私が前に勤めていた会社は珍事件の宝庫だった。特に、ユニークで面白いというか個性的(変な人とも言う)が非常に多く、常に誰かがネタを落としてくれていた。
私が新人の頃、嘱託で読書家だったZさんはスペイン語、フランス語、イタリア語、ポルトガル語を話すマルチリンガルで、若い頃の記者時代はキューバ革命や冷戦中のキューバ危機、コロンビアの紛争など、主にスペイン語圏の中南米の記者だった。そして、かのカリスマ革命家のチェ・ゲバラにも会ったという事で私も含めて若手記者達の目標と憧れでもあった。(ちなみに私は、アル・カイーダのウサマ・ビンラディンに会ってみたかったが、終ぞ、彼に会う事は叶わないまま、ビンラディンは死亡してしまった)
ただ、Zさんはラテン語は物凄く上手なのに、英語は超が付くほどド下手だった。ハッキリ言って、そこら辺にいる小学生や、中学生の方が遥かに英語が上手だろうと思うくらい、英語が下手で、普通に英単語の発音が間違っていたり、ラテン語が混ざっていたりするので、Zさんが使う英単語が何を意味するのか理解出来ない人がほとんどだった。例えば、イギリスのチャールズ皇太子(現チャールズ国王)をラテン語読みで「シャルル皇太子」と言うので、理解できるまで???状態になってしまう事もしばしばだった。
ある日、所属長のMさんと同期のS君と私との3人でのんびり過ごしている時、Zさんが我々の部署にやってきて、私の隣の席(もともと誰も座っておらず、常に空いている)に座り、声をかけてきた。
Zさん「なぁなぁ、みずほちゃん、今暇?時間大丈夫?」
私「暇なわけじゃないですが、立て込んでないので大丈夫ですよ」
Zさん「よかった。ところで、みずほちゃん、『ペニスの商人』って知ってる?」
私は教皇の間に呼び出されたミロのように、思わず、「はっ?」と言ってしまいそうになったのをグッと堪えた。
『ペニスの商人?なんじゃそりゃ????臓器売買のブローカーのことかな???いや、ペニスは臓器じゃないか(👈どうでもいい)...ペニスを除去するのなら、私が子供の頃はモロッコ、今はタイが主流だけれど、何の事だろう???そもそも、ペニスを取り除くって需要があるのは知っているけれど、ペニスが欲しいって需要なんかあるのかな?それとも、私が知らないだけで、ペニスの売買っていう市場があったのかな?しかし、需要と提供のバランスはちゃんと取れているのかな?ペニスを提供する人は何の為に提供するのかな?ひょっとして物凄い高額な市場なのかな?でも、聞いた事ないしな~???』
私の頭の中は疑問符が飛び交っていた。
私が珍妙な表情をして黙りこんでしまうと、Zさんは、「おーい、みずほちゃん、聞こえてる?」っと尋ねてきた。
「聞こえてますよ」
「じゃぁ、返事くらいしてよ」
「いや~、Zさんが仰った『ペニスの商人』って何だろう?って思って、考え込んでしまったんです。『ペニスの商人』って何ですか?臓器売買のブローカーか何かですか?」
「臓器売買のブローカーって恐ろしい事いうなぁ...ペニスの商人は明るい話で、有名な小説だよ。知らんの?」
「小説ですか。初めて聞きました。」
Zさんが、『ペニスの商人』が小説だと言うので、私はそのとき、ふと小松左京さんの『アダムの末裔』という小説の事を思い出した。以下がアダムの末裔の簡単なあらすじである。
ポルノ小説作家である主人公は、恋人と幸せに暮らしていたが、自分の作品がマンネリ化している事に悩んでいた。新しい小説の連載の締め切り期限が近づいているが、一向に新鮮なネタが思い浮かばず、悩んでいるとき、自宅のリビングの飾り棚に物凄く巨大なペニスのオブジェがある事に気付く。恋人と自分の関係もマンネリして、恋人がこの巨大なオブジェを買ったのだろうか?と疑問を抱きながら、主人公がオブジェを見ていると、なんと、そのオブジェが動き出した。ビックリ仰天した主人公は腰を抜かしてしまう。そして、気が付くと、自宅の周りには、その最初に見たオブジェと同じぐらいの大きさのペニスのオブジェが溢れかえっていた。恐れおののく主人公。巨大ペニスの大群が自宅の中を好き放題荒らしていったが、一匹(と言っていいのか分からないが💦)のペニスがネズミ捕りの罠にかかり絶命してしまう。その他のペニスはいつの間にか忽然と消えていた。すると、巨大な人がやってきて、そのペニスはずっと未来の人間の男性の姿なのだと言う。遠い未来、男性の役割は子種を残す為だけのものとなり、進化の過程の一環で、身体はペニスだけとなり、文明の繁栄をもたらす女性は巨大化したのだという。絶命したペニスは未来からやってきた女性に持って帰られ、主人公は男性の未来の姿がペニスだけになるという事い愕然とする一方で、男性で人類の祖先と言われている聖書の「アダム」の「末裔」が「巨大化したペニス」という小説のネタを思い浮かぶ
30年以上前に、親友に借りて読んだ小説なので、あまりはっきりとした事は覚えていないが、アダムの末裔のあらすじはこんな感じだったような気がする。私は、Zさんが言っている「ペニスの商人」と言うのは、ちょっと内容は異なるが、ひょっとして「アダムの末裔」のことではないかと思った。
私「ペニスをテーマにした題材なら、小松左京さんの『アダムの末裔』なら知ってますけど、「ペニスの商人」は初めて聞きました。誰の作品ですか?」
Zさん「ペニスの商人の作者は、日本人じゃなくて、外国人の作家。有名な作家だよ。けど、ボクは作者の名前を発音できないけど、ファーストネームは『ギジェルモ』で、ラストネームは『○×◆□×////』ダメ、ボクは発音できない。しかも、ペニスを売るからペニスの商人っていうタイトルじゃなくて、ペニスっていうのは地名だよ」
私「『ペニスの商人』は、ギジェルモ・ナントカさんって人が書いた小説なんで、ペニスは地名ですか...?」
私の頭の中は益々混乱した。
ギジェルモって誰だろう?有名な外国人作家でギジェルモなんて人はいたかな?トーマス・マン、フランツ・カフカ、オスカー・ワイルド、アレクサンドロス・デュマ、エミリ・ブロンテ、ビアトリクス・ポター、アーネスト・ヘミングウェイ、ドストエフスキー、レフ・トルストイ、チャールズ・ディケンズ、ヘルマン・ヘッセ...やっぱり、ギジェルモって人は知らんなぁ...
しかも、ペニスなんて地名はあっただろうか?一体何処だろう?未承認国家の山の奥地かな?それとも、インドネシアのジャングルの奥地に住んでいる原住民みたいなペニスケースを衣服としている人々の集落かな?うーん、検討もつかない...Zさんは、一体何の何処の場所を言っているんだろう??
私の頭の中は、益々激しく疑問符が飛び交っていた。
私「ペニスってどんな場所ですか?未開の地のジャングルか山奥の原住民が暮らしている集落ですか?アフリカの奥地ですか?それともアマゾンの奥地ですか?もしくは、鎖国している国にある秘境か未開の場所ですか?」
Zさん「違う違う!ペニスはキレイな事で有名な街だよ。そうだな~一番の特徴は、お面を付けるお祭りがあることかな」
私「ペニスには、お面を付けるお祭りがあるんですか?」
Zさん「そうそう!お面を付けた華やかなお祭り!いっぱい観光客が来るよ♪」
私の頭の中はまたもや疑問符だらけになってしまった。第一「ギジェルモ」なんて名前の有名な小説家は聞いた事が無いし、お面を付けたお祭りなんて、ひょっとこのお面にドジョウ掬いぐらいしか思い浮かばなかった。ひょっとこのドジョウ掬いは、島根県に由来する事は知っていたが、私の頭の中で、島根県に『ペニス』なんて地名はない。島根県のドジョウ掬いを、外国の有名な作家が、わざわざ舞台にして小説化するだろうか?ドジョウ掬いの祭を見に行ったことはないが、観光客が押し寄せるとも考えにくい。しばらく考え込んでから、私は再びZさんに尋ねた。
私「お面を付けたお祭りって、もしかして、島根県でやる、ひょっとこのお面を付けたドジョウ掬いの事ですか?」
Zさん「違う違う。そんなんじゃなくて、もっと洗練されたカッコイイお祭!」
私「洗練されたカッコイイお祭りですか。ペニスってお面を付けたお祭り以外にも、何か有名な物ってないですか?」
Zさん「ええっとねぇ。まず、ヨーロッパにあって、観光客が常にいて、車の乗り入れが禁止されていて、アドリア海に面していて、昔都市国家だったときに凄く繁栄していた街。それでね、物凄く街並みがキレイで、世界遺産にもなっていて、ペニスは別名として『アドリア海の女王』とも呼ばれている所!」
私は、『アドリア海の女王』という言葉を聞いて、やっとZさんが言っていた「ペニス」が何処であるかを分かった。都市国家、車の乗り入れ禁止、物凄くキレイな街並み、かつては都市国家として栄光の歴史を歩んでいる、『アドリア海の女王』、これはすなわち、アドリア海に面した運河の街、イタリアのヴェネツィアで間違いないだろう、と。
私「Zさん、ペニスって、イタリアのヴェネツィアのことですか?」
Zさん「そうそう!ヴェネツィア!ヴェネツィアを舞台にしたギジェルモ・ナントカの喜劇小説!」
私「やっと分かりました。ウイリアム・シェイクスピアの『ヴェネツィアの商人』の事ですね」
Zさん「そうそう!その通り!」
ヴェネツィアは、英語読みすると『ベニス』と発音する。Zさんは、英語が恐ろしく苦手な人なので、濁音の「ベ」が半濁音の「ペ」になってしまっていたのだろう。そして、ウイリアム・シェイクスピアのファーストネームであるウイリアムはスペイン語読みで「ギジェルモ」と発音する。『シェイクスピア』をZさんは発音できなかったのだろう。
この後、Zさんとどういう会話をしたか、あまり覚えてないが、チラっとMさんとS君の方を盗み見ていると、PCの画面に顔を埋めて肩が小刻みに震えていた。恐らく我々の会話を聞いて、吹き出したいのを堪えていたのだろう。
私は、Zさんに、ヴェネツィアの英語読みは、『ペニス』ではなく、『ベニス』と発音すると教えてあげるかどうか迷ったが、Zさんに恥じをかかせる事になると思い、黙っておくことにした。
しかし、一文字の違い、しかも濁音か半濁音かの違いで、トンデモナイ意味の違いがあるのだなぁと改めて思った。同じ事を意味のつもりでも、『ヴェネツィアで、仮面を付け、仮装した人々でカーニバルが開催される』と『ペニスで、お面を付けたお祭りがある』では、Zさんにとっては同じヴェネツィアのカーニバルの事を意味していても、聞く方になってみると、全く違うモノを想像してしまう。
一文字の違いが、こんなに大きな意味の違いになってしまうとは、字書きとして、気を付けなければと思った瞬間だった。
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hangorin · 1 year
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東京五輪から2年 湾岸はいま
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悪夢のようなTOKYO2020大会から2年が経った。 五輪のために姿を変えられたあの場所は、巨額の資金を費やして建てられた会場は、白いフェンスに閉ざされていた公園は、いま一体どうなっているのか。 湾岸エリアを中心に、フィールドワークを行った。
①築地市場
築地本願寺から場外市場に向かう。日曜日。外国人観光客、親子連れ、カップル。賑わいは築地市場があった頃と変わらないように見えた。どの店にも、昼食を目当てに沢山の人が並んでいる。
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立体駐車場の最上階から市場のあった方を見下ろす。縦横に走るターレ、魚の並ぶケース、積み上げられたトロ箱、林立する仲卸の看板――それらが全て消え去り、でこぼこの、剥き出しのコンクリートだけが灼熱の太陽に焼かれていた。その一部は駐車スペースに。数台の自家用車。物悲しくなるぐらいしょぼい。
駐車場のわきに、築地市場の仲卸とおぼしき店名のプレートを付けたターレが放置されていた。よく見ると、ナンバープレートを外した痕がくっきりと残っている。
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石原元都知事が主導した2016年五輪招致当時、築地市場を潰してメディアセンターを作るという話が出ていた。2020東京大会ではそれが「駐車場」にかわり、市場は2018年10月に東京都によって閉鎖された。選手村から競技場への輸送のために新たに作られた環状2号の全面開通は、五輪閉幕から1年以上も過ぎた2022年12月。五輪招致が、都民の台所を打ち出の小づちのように利権を生み出す空虚な「一等地」に変えてしまった。
築地を舞台にしたある連載漫画の中で、目利き一筋の主人公は何故か移転に何の葛藤もないまま「豊洲で頑張っていこう」と仲間に呼びかけていた。築地市場83年の歴史は、急速に「なかったもの」にされようとしている。
②月島
東京では五輪の前から、競技会場と直接関係のない場所でも各地で再開発が起こっていた。晴海にも程近い、湾岸エリアに位置する月島もまたその1つ。もんじゃストリートで有名なこの町は、一本裏道に入ると古い木造家屋が軒を連ねる下町らしさが残っている。私たちが2017年に訪問した際は、月島1丁目西仲通り地区再開発計画のためにもんじゃストリートの店舗が軒並み閉店していた。
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そして今回訪ねてみると、MID TOWER GRANDなる地上32階、高さ121mの超高層マンションが建ち(2020年10月竣工)、その1階にもんじゃ屋などの店舗が入っていた。 月島ではさらに地上48階、高さ178.00mのタワマンを建てる月島三丁目南地区第一種市街地再開発事業、地上58階、高さ199mのタワマンを建てる月島三丁目北地区第一種市街地再開発事業が控えている。フィールドワークの後で知ったことだが、この月島三丁目再開発計画には反対運動や行政訴訟も起こっているとのこと。長年暮らしてきた人々の息吹が聞こえるような町並みが、大手開発業者によって姿を変えられようとしていることには胸が痛む。
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③晴海選手村
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カンカン照りの選手村跡地。ここはHARUMI FLAGなる高層マンション群として開発され、完成すれば5,632戸12,000人が暮らす街になるという。未だ工事中で通行できるのはメインストリートの車道のみ。焼けつくような暑さの中、誰もいないコンクリートだらけの空間は殺伐とした雰囲気が漂っていた。
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選手村をめぐっては、東京都が適正価格の10分の1という不当な安さで都有地を三井不動産ら11社のデベロッパーに売却したとして住民訴訟が起きている。五輪という祝賀的なイベントが作り出す例外状態によって、公共財産が民間資本に吸い上げられた象徴的な場所だ。
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街の中心に近づくと、左手には、大会中、大量の食材廃棄が問題となった食堂の跡地が、中央区立の小中学校(2024年度開校予定)として整備されていた。
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右手には三井不動産の商業施設「ららテラス」。その1階には「東京五輪を振り返りスポーツの力を発信する施設」として「TEAM JAPAN 2020 VILLAGE」が設置されるらしい。五輪と三井不動産のどこまでも続く蜜月がうかがえる。
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その先では道路を挟んで左右両方の街区で50階建ての2棟の超高層タワーマンションが目下建設中だった。
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選手村を訪れるとき、2018年、建設工事中に2人の労働者が亡くなったことを思わずにはいられない。その街区は、労働者の死という痛ましい現実を塗り固めるようにSUN VILLAGE(太陽の村)という輝かしい名前で分譲されている。 この街区だけではない。この街全体が、五輪によって引き起こされた問題などまるで何もなかったかのように成り立っている。この街ではとても生きていけない、生きた心地がしない。生気を抜かれたようにその場を後にした。
④潮風公園、お台場海浜公園
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ビーチバレーボールの会場設営のため何年もフェンス封鎖されていた潮風公園。わたしたちは初めて公園内に入った。こんなに広かったのか!無観客のくせに、この公園全体を占拠していたなんて、ほんとうに厚かましい。
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東京湾の対岸の埠頭にはコンテナが並んでいる。海をみてみると、うっ!海水は泥沼のような色。しかし、なぜか匂いはせず、潮の匂いさえもしない。ファブリーズでもしているのか?
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わたしたちは、野宿の人たちが寝ていた場所を探して公園内を歩いた(東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織員会による追い出し→https://x.gd/ZJP4d)。木がたくさんあってなかなか住み心地よさそうだと思っていたら、屋根のある排除ベンチにたどり着いた。なんて醜いデザインなのだろう。
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次に「トイレのようなニオイ」と話題になったお台場海浜公園のビーチへ、匂いを確認しに行った。「遊泳禁止」の看板があり、スクリーニングのためと記してあったが、やはり汚染が懸念されているのだろろう。このビーチの海水も濁っていて、潮の匂いさえもしない。怪しい水質だ。
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しかし、暑すぎる。灼熱の日差しの下で、ビーチバレーボールや、トライアスロンをやって、汚い海に飛び込んでいたのか。 知れば知るほど、オリンピック・パラリンピックは地獄だ。
⑤有明
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有明の旧会場エリアへ。グーグルマップで見ると、どうやらこの一帯は「有明オリンピック・パラリンピックパーク」と名付けられたらしい。いまや地に落ちた電通がオリンピックでちゃっかりゲットした、唯一黒字と言われる有明アリーナへ。SNSではステージが見えない席があると不評を買っていたが、「ディズニーオンアイス」をやってるらしく、猛暑の折、駅から会場まで大勢の人だかり。
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有明体操競技場はこの5月に「有明ジメックス」と名を変え、株式会社東京ビックサイトが運営する展示場としてオープンしたらしい。第一印象は「・・・神社?」世界的ウッドショックの最中に木材を山のように使って、10年程度で取り壊される予定とのこと。こんなに立派にする必要あったのか?
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そこからゆりかもめの駅を越えると、フェンスで囲われた草ぼうぼうのワイルドな一角が。有明BMX会場跡地だ。グーグルマップには「有明アーバンスポーツパーク(2024年4月開業)」とあるが、いまのところ影も形もない。スポーツ施設より原っぱ公園の方が需要あるのでは?
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有明テニスの森公園は工事パネルが外されて、開放感に溢れていた。こんな素敵な場所を何年もオリンピックのために囲って、市民を排除してきたかと思うとあらためて腹が立つ。
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真夏の炎天下に火を燃やし続けた聖火台があった夢の大橋にも立ち寄った。観覧車が無くなっていた。東京都はこの夢の大橋を含むシンボルプロムナード公園の一角に、新たに聖火台置き場をつくって飾っている。東京都はいつまでオリパラの亡霊にすがる気か。。
⑥辰巳・東京アクアティクスセンター
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アクアティクスセンター
「威圧」を形にしたような巨大建造物。
建物の周りには木陰がなく、取ってつけたような弱々しい植栽が施されている。
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正面外の、広すぎる階段は、車いす利用者でなくても、大げさすぎてびっくりする。コンクリートが日射で熱い。ゴミ一つ落ちていないのは、人が寄り付かないからだろう。
その下にたたずんで私は、ピラミッド建設のために労働を強いられている人のような気持ちがした。
ここは、公園の一部であった。近くに団地もある。誰でも入って、海からの風を感じながらくつろぎ、出会う場所だったはずだ。
5年前に訪れた時は、工事中で巨大な支柱がそびえたっていた。三内丸山遺跡にインスパイアされたのかと思ったが、出来上がったのは帝国主義の終点のようなしろものだった。
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「お前たちが来るところではない。」という声がどこからか聴こえる気がした。
知ってる。だから入ってみた。静かだ。人っ子一人いない、空調が効いて冷え切っている。だだっ広いロビーの小さな一角に、TOKYO2020オリパラのポスターたちがいまだに展示されていた。
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競争をあおり、序列化し、勝者に過剰な価値を与え、「感動」を動員するスペクタクルがここで続けられるのだ。
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生きていくのに必要な潤いをもたらす公園に、このような醜悪なものが君臨しているのを私は許せない。
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炎天下の湾岸エリアを丸1日かけて回った。TOKYO2020跡地は、廃墟になっていると思いきや、むしろ多くの場所でまだまだ開発が続いていた。開発への飽くなき欲望と「レガシー」への執着、五輪災害は閉幕後も延々と残り続けている。 この日撮影した映像を使って「オリンピックって何?東京からパリ五輪1年前によせて」という動画を作成し、1年後に五輪開幕が迫るパリでの反五輪の闘いに連帯を示すメッセージとした。 From Tokyo To PARIS, NOlympicsAnywhere
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myonbl · 17 days
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2024年9月9日(月)
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今日は我が家の同居猫・ココの満18歳の誕生日である。2006年の12月、ツレアイの友人からマンションの前に猫が捨てられているとのことで、長男が運転して大阪まで引き取りに行ったのだった。動物病院で検査してもらった結果、生後3ヶ月程度ということで覚えやすく9月9日を誕生日としたのだ。近頃は腎臓が弱くなって貧血気味、それでも点滴と増血剤の注射で何とか日々を送っている。人間にすれば私より遥かに高齢者、無理せずノンビリやっていこうね。
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3時起床。
日誌書く。
二度寝。
5時45分起床。
洗濯機回す。
ツレアイは息子たちの朝食と次男のおにぎりを用意する。
私は午後に内科受診が控えているので朝食はパス、珈琲だけいただく。
洗濯物を干してから、改めてシャワーを浴びる。
ツレアイは午後からの勤務、あちこち買物に走る。
O工務店に依頼して1階のトイレを改修したのは7月下旬のこと、やっと請求書が届いたのですぐに振り込む。
<東北笑生会>からニュースレターと振込書が届く。
ごぼう茶煮出す。
ガーリックオイル作る。
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ランチ、ツレアイには伊勢うどん、三男にはサッポロ一番しょうゆ味。
彼女は13時前に自転車で出発、火曜日の午後は2件の訪問。
私は春日郵便局で東北笑生会の会費を振り込み、京都南病院へ。
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この1ヶ月の血圧の平均値を主治医に報告、自宅では落ち着いているのだが、診察室ではいつも高くなるのはこの歳になってもちと恥ずかしい。次回は1/20(月)13時30分に予約を取る、授業が終わるまで来られないからだ。
診察室での体重は6週間前に比べて0.2kgプラス、思いのほか酷くなくてホッとする。気が緩んで、帰宅してからチキンラーメンを食べてしまった。
冷蔵庫の食材をチェック、すじ肉が残っていたので炊き合わせにしよう、コレモ七条店まで買い物に出る。
炊き合わせ仕込む。
17時30分、仕事の後の買物終えて彼女が帰宅、一緒に夕飯準備。
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豚バラ肉のゴマよごし・すじ肉の炊き合わせ・レタスとトマト・冷や奴。受診が無事に済んだので、セブンイレブンで50円引きで買ったビールを頂く。
録画番組視聴、名探偵ポワロ。
第2話「ビッグ・フォー」/ The Big Fourシーズン 13, エピソード 2 ヘイスティングス、ミス・レモンのもとにエルキュール・ポワロ死亡の知らせが届く。手配したのは最近警視監に昇進したジャップ。一方、『ビッグ・フォー』 と呼ばれる組織の存在が世間を賑わせていた。新聞は彼らが世界戦争を企む国際的な秘密結社で、最近起きた列車衝突事故や暴動はすべてビッグ・フォーの仕業 だと報じていた。その4週間前、新聞記者タイソーのもとにビッグ・フォーに関する警告文がたびたび届いていた。
風呂の順番を待つ間に、やはり寝入ってしまった。
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辛うじて3つのリング完成。
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indigolikeawa · 2 months
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2024年7月22日月曜日
病院の待合室にて23
くちずさむ歌はなんだい?思い出すことはなんだい?(5)
 続いて、私がTくんのバンドを見に行ったら対バンで出ていたのを見て「これは人気出そう!」と思った三大バンド、という私がよくしてしまう話をした。その三大バンドとは吉祥寺シルバーエレファントで見たandymori、相対性理論、そして吉祥寺WARPで見たきのこ帝国である。andymoriはライブの一曲目がゆったりした三人のコーラスで始まる曲で、「今こんなことをするバンドがいるんだなぁ」と思っていたら、二曲目がめっちゃ速いパンキッシュな曲で、ギャップがあってかっこよかったのを覚えている。相対性理論はどえらいポップな曲に、かわいい小さな声のボーカルが乗っていて、「これは人気出るぞー!」とはしゃいだ。『シフォン主義』のCD‐Rを物販で売っていた気がするので、『LOVEずっきゅん』とかもうやっていたと思う。そしてきのこ帝国は、声よし演奏よし出音よしで、ギターの人の佇まいがキマっていてとてもかっこよかった。この時しか吉祥寺のWARPには行ったことがないのだけど、ドラムの音がものすごく良かった印象がある。この三大バンドはどのバンドも大人気になり、やがて解散したり活動休止したりバンドの形を大きく変えたりした。何もかもが12年以上前のことであるから無理もない。ちなみに個人的な好みで言ったらホライズン山下宅配便やうずらといったバンドの方がずっと好きだった。この二つのバンドも、もう活動していないと思う。続けるということは難しい。
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 もうすぐ空港に着くというところで、私の最近の生活や病気についての話をした。普段ここに書きつけているようなことについて。私が誰かに同じような話をされたら、良かれと思って変にアドバイスしてみたり、別の視点を提供しようとしたりしてしまいそうだが、Tくんはただ「そうなんだね」と相槌を打ちながら聞いていた。
 車が空港に着き、お土産を買ったりした後で、ハンバーガー屋さんぽいカフェがあったので、そこでお茶することにした。私はアイスコーヒーを、Tくんはビールとフィッシュカツ(たしか)を注文した。
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そこでは、私たちがバンドを組んでいた時にコピーしていたくらい好きだったバンド、Weezerについての話になった。
「仲見世のすみやの近くに、海賊盤屋さんあったじゃないですか?あそこで安倍くんが買った、すごい高くて画質の悪い非公式のウィーザーのライブビデオ何回も見ましたよね。あんなのよく買いましたよ。すごい時代」
「ああー、あのフェスみたいなやつでしょ?あれ格好よかったよね!YouTubeにあるんだよ。ちょっと待ってね…あった!これでしょう?」
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「いや、もっともっと画質が荒くて、カメラがめちゃくちゃ寄っていて、リヴァースの手元とかしか映ってなくて、”Getchoo”とか演っていて、20分くらいしかなくて…」
 そんな映像全く記憶にない。Weezerのライブビデオはフェスのやつしか持ってないと思っていた。従って「えっ嘘、そんなのあったっけ?」ということになり、私がYouTubeのWeezerのライブ映像をどんどん見せては、Tくんが「違う…違う…もっと円盤みたいに近くて…」という、重要参考人の取り調べのシークエンスみたいになってしまった。あと円盤というのは東京都は高円寺にかつてあったお店のことで、夜は決して広いとはいえない店内でライブをやっていることが多く、出演者と最前列のお客さんの距離がとても近かった。ここで言っているのはその感じのことだと思われるが、そのお店では店内ライブの撮影もしており、それはレジ横に置いてあるビデオカメラで撮影していて、客席の最後列よりも後ろからの俯瞰気味のショットになるので、その喩えは微妙にややこしい。探してくうちにYouTubeにアップされた1992年から2000年までのWeezerのライブのブートレグ・ビデオのプレイリストというとんでもないものを発見したりした(ちなみにWeezerのデビューは1994年。92年てあんた)。
 しかし、映像は見つからなかったので、「そんなのもあったかー、そうかそうか」ということに話は落ち着いた。そのうちに、「我々にとってのウィーザーは、やっぱりマット・シャープのことだよね」「だよねだよね」という話になったり、人気スケーターを撮影したスケートボードのビデオがストリートで取引されていたという良い話や、実はiPhoneは我々の会話を全て聞いていて…というお伽噺にもなったりしているうちに、出発の時間となってしまった。その時にもう一度Weezerの話に戻り、「私たちはウィーザーのグリーン・アルバムにがっかりしたじゃない?アメリカのリアル・エステイトっていうバンドも同じような経験をしたってインタビューで言ってたよ」と言って、彼らの代表曲のひとつである”It’s Real”のビデオをYouTubeで再生したら、そこに「12年前」と出て、Tくんのバンドと同時期のバンドだったんかい!となった。そりゃ聞いてきたものも近いはずである。私は、Tくんのバンドに限らず、あの頃の東京にシーンのようなものがあったと仮定するなら、きっとUSインディーとの同時代性みたいなものもあったんだろう、でもそんなことはみんな忘れ去られてしまった気がする、と妙にしみじみしてしまった。あの頃のことで、私が見ることのできたものに関しては、私の中に残っているが、私が見ることができなかったものや、私の中に残っているものでさえ、私の外にそれを見つけることは、現在容易なことではないし、私の記憶だって、きっとどんどん薄れていってしまう。そのことが良いことなのか悪いことなのかは、正直私には分からない。
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 お別れの時間が来てしまった。保安検査場の前で私は「見えなくなるまで手を振ったりしてると、本当に寂しくなるから行くね。ごめんね。またね!」と言った。Tくんは笑いながら「あはは。わかったー。またね」と言った。お互いに軽く手を振って踵を返し、私は振り返らないように努め空港の出口へ向かいズンズン歩いて外に出て、そのまま車に乗って逃げるように家に帰った。
 4日後の23日の木曜日にTくんからショートメールが、何枚かの写真と共に送られてきた。写真はすべて私とTくんのツーショットだった。
「ありがとうございました!
田口さんの本が気になったので注文しました、またねー」
 そういえば、私たちは一軒目の居酒屋で、Tくんのバンドが撮った「マイリトルラバー」という映画の話をしたのだった。それは、先述の円盤というお店からT君のバンドに企画の誘いが来て、映画を撮ることになり、そのころ映画をそれなりに見ていた私は、彼らに吉祥寺のお好み焼き屋さんに呼び出され、どんな映画を撮ったらよいか、TくんとベースのHさんと企画会議を行うことになった。どういういきさつかは忘れたが、最終的には「南くんの恋人」みたいな映画を撮ろうということになり、TくんとHさんは「いやー決まって良かったー」とご満悦だったのだが、私は大丈夫かなぁ…と思っていた。そして後日仕上がった映画「マイリトルラバー」を見たら、まあまあ「南くんの恋人」でびっくりしたということがあったのだが、「その映画について、円盤の(店主であった)田口(史人)さんが『二〇一二』というご自身の著書の中で触れているよ」と酒席で伝えたのだった。そういえば、Tくんは最近読書をしていると言っていたので、ちょうど良かった。Tくんのバンドが唯一発表したフルアルバムのタイトルは『映画館』だった。どうして『映画館』というタイトルだったのだろう。まだTくんはその理由を覚えているだろうか。今度会ったら聞いてみようと思う。
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くちずさむ歌はなんだい?思い出すことはなんだい?
おわり
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neobakufu · 3 months
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ネオ幕府アキノリ党による100の政策
※内はアキノリ将軍未満による脚注。
🌾 文化・日本語
1. 『双京構想』京都を陪都に。
※ 上皇后両陛下に仙洞御所にお戻り頂く案などから上奏。
2. 文章の形式を国粋化。縦書き・漢数字を基礎に、時間や単位や数理や音楽も日本文化圏独特の書式を考案し漸次移行。
※ 漢数字に関しては画数が多く判読もしにくいため,西ローマ・アラビア数字くらい判読しやすく書きやすい数字用の文字を作ってフォントに組み込んだりを検討。
3. 日本語の電子媒体を刷新。
※ イーロン・マスク氏に会いに行ってXの東アジアの言語を全部縦書き漢数字(言語ごと)に直してもらう事を条件に,共栄圏での法人を作ってもいいと約束。ただし,その情報資産は共栄圏のものとし,資本の移動は認めない。 ※ 拡張かなを拡充し電子媒体に組み込む・体制化した際に方言の言語化も視野に。
4. 都内の外国籍労働者・親族等への日本語や法制に係る教育サービスの展開。
※ それぞれの民族に寄り添った親善団体と連携 ※ 裏で世界共栄化に関わる宣伝を行い、本国に情報輸出させる足がかりとする。😈
5. 都内の宗教共同体の実態把握・公的包摂・共生都市社会の推進。
※ 体制化までの中長期的に各宗教の日本化を試みる方針。
🌾 税制・社会保障・経済
6. 税制改革や都債発行を財源に,実質賃金の上昇率の安定向上(最低でも年3%水準)まで一律で都民税半額。
7. 都営ブロックチェーンの創設・ネオ幕府トークンの発行とサーバー維持管理。
※ 全国電子通貨を想定・通貨の名前は「球」読み方は本名が「たま」,「きう」が普及版。NAMが出典。 ※ いずれ日本円にとって代わる。😈 ※ 我々が全国化した折には武蔵国の地域トークンというか藩札を創設を想定。
8. 都債発行・時限的な商品券等の給付による地域経済振興。
9. 都民や都内に通学する学生への一律奨学金免除。
10. インボイス廃止を国政に提言・特に中小零細企業の事務処理負担を軽減。
11. 濫用的な投資や無軌道な開発,オーバーツーリズム等に因る地価や宿泊施設の価格高騰を抑制。
12. 外国企業等による国土の売買規制に係るモデル条例の策定。
13. 都内の特に大企業の法人税の納税率を向上・財源構成の平等化。固定資産税の累進化。
14. 社会保障費用の逆進性緩和・累進課税の推進。
🌾 教育・学術
15. 公営学生寮の確保・増大。
※ 国際法を典拠に一定の自治権を認める
16. 大学院まで教育全面無償化+困窮世帯向けに塾代含め支援検討。
17. 専門学校等の整理統合・総合大学との連携強化・学生や職員の有益な流動化を促進。
18. 図書館民営化の見直し。知識アクセス・公共教育インフラの維持。
19. PTAの有償化や情報共有・可視化の促進。
20. 教育委員会の体質改善・責任体制の明確化。
21. 都立高校の入試改革の見直し・効果的な外国語教育に転換/無益な学習負担の軽減化。
※ どうでもいいけどほんとに外語やるならマッチング実践とかだわ
22. カルト校則の全面廃止・学生の学ぶ権利や表現の自由を守る。
23. 入学しない大学への入学金支払義務の免除・ルール撤廃を東京から実践。
24. 部活動の地域化・民営化等による教員の負担軽減を都から実践。
🌾 交通・公共施設
25. 練馬─中��─杉並─世田谷区や足立─台東─江戸川区を縦断する都営線路の開拓。
26. 東京都-近隣の港湾に集中投資・世界一の港湾大都市圏を構築。
27. 満員電車の終局的な解消・時差通勤の促進(主に企業向け)や代替手段の公的導入検討。
28. 離島との往復費用の低廉化・人材や投資交流の活発化。
※ 将来伊豆諸島は伊豆の国に, 小笠原諸島以南は小笠原国にする。
29. 16歳未満(中学生)に対しての交通インフラ料金を子供料金にする・25歳以下に対してユース料金の公共交通機関・各商業施設での導入。
🌾 防災・戦時体制を想定した防衛
30. 全国のあらゆる自然災害に対し救援・復興の為の物資や人員輸送が可能な体制の整備。
31. 都内のあらゆる公共設備の耐震化推進。
※ 災害をある程度前提とする伝統的な都市デザインの可能性も検討。
32. 核戦争を想定した核シェルター建設・地下経済圏の構築促進。
33. 災害リスクを見据えた都民や隣接県民(都内の勤労者)向けに食料等備蓄・予備的分配。
34. 官公庁・民間企業に対するサイバー攻撃の防衛体制整備。
35. 東京都の空を米軍から取り戻す・首都圏の集団安全保障体制を見直し。
36. 近隣諸国の紛争や破局的災害を想定した都民の命と経済を守る有事法制・モデル条例の策定。
37. 安全保障や軍需産業分野の研究開発支援・学界に蔓延る偏見の改善。
🌾 恋愛・婚姻等の共生生活・性的少数者支援
※ 現在はヘテロが社会の主体である事を公共に認め(右翼を安心させ), その余裕の下に性的少数者への配慮を行う政治指針を宣言化。
38. パートナーシップや相続法制等に係る性的少数者の権利保障モデル条例の策定。
※ パートナーシップに日本語の造語を与えることを目的に研究会を行う、反動保守国学者や左派リベラルの論客もネオ幕府体制の責任もとで幅広く招聘したい。
39. 専門家や当事者の意見を参考に高齢者向けの公的恋愛支援事業を実験的に開設。
40. 既存の公営マッチングアプリ・ブライダル支援等政策の見直しと再構築。
41. ユース(18-25歳を想定)以下に対してのマッチングアプリ補助制度。
🌾 医療・福祉・地域協同・家庭問題
42. 視力矯正器具や歯列矯正等への保険適用・車椅子や補聴器の価格低廉化。ゆくゆくは無償化。
※ 歯を生やせるようになればすぐ保険適用を検討
43. ひきこもり老人を訪問し地域を協同化・社会的包摂を目指す・若年層のアルバイトで高齢者を訪問しスマホ教室とネット普及・生活状況の実態調査。
44. 民間に甘んじた無料塾・こども食堂等の公営化。
※ 都から職員を派遣して実態調査し一定の基準で認可を行い、その場で謝礼。 ※ その後恒久的に経済支援, 半官半民でネットワークをくみ人的支援を拡大 ※ 定期的に児童虐待や裏社会の斡旋等の有無を潜入調査。😈
45. 実態調査のうえ, 都心や下町に関わらず包括的な訪問診療・介護サービス等を拡充。
46. 学校や社内研修に基礎的な救急救命の教育カリキュラムを導入・相互扶助の日本を再建。
47. 地域交流や文化活動を活性化すべく公立小中学校等の空きスペース活用促進。
48. 既にある公園に遊具を拡充・児童の自由と安全を保障。遊閑地の利活用推進。
※ クレーム処理等は我々ネオ幕府が請け負う。
49. 生活保護の取得要件緩和と生活再建・出口支援。給付付き税額控除の試験的導入。
50. 公共施設から迅速・全面・包括的にバリアフリーデザインを実装。
51. 乞食(路上生活者・野宿者・炎上するだろうがこの言葉を使う,いささかの差別的感情を含まない)の住宅支援事業における不合理待遇(いわゆる「タコ部屋」等)の撤廃。
52. 「禁煙」でなく「分煙」。公共喫煙所の増設と依存症支援拡充。
53. 「帰宅困難家庭」の児童のシェルター確保・拡充。
54. 親の孤立防止。財政的支援やシッター利用・保育所等インフラの拡充。
55. 麻酔科医の待遇改善・拡充による無痛分娩・不妊治療等の普及・無償化を都から実践。
56. ヤングケアラーの実態調査・迅速な支援拡充。
57. 一定期間の債務等支払義務の凍結や世間からの隔絶を許容する「隠遁」制度の試験的導入による自殺予防。
58. 共同親権制度移行後の離婚親や子の権利保証に向けたモデル条例案の策定。
59. 犯罪被害者や遺族の情報秘匿や生活再建支援事業の拡充を都から実践。
🌾 環境・公共衛生・都市デザイン
60. 『江戸東京オシャレ特区』構想・ドレスコードの厳格なサービス業種の方でも自分らしい服装等の表現を保障。
61. 炭素繊維等による東京湾浄化・老若男女が利用可能な東京湾に。
※ 一〇年単位の長期計画で研究会に予算をつけて水質浄化に関わる各方面の専門家と企業に助成を。
62. タクシーや通勤通学バスや訪問介護車両や都内を往来する長距離トラック等に向けた電気自動車等の導入支援。
63. 道路にゴミ箱を増設し収集作業も増員・雇用創出。
※ 『乞食』の方々向けに最低でも3日に1度は湯船に疲れる水準の支援体制を迅速に構築。
64. 都内の樹林伐採ストップ・地域経済や文化に無益な再開発の見直し。国土を守る。
65. 引越しや住宅確保等に係る費用分担による近隣県への移住サポート。
※ 漸次地方都市にも移住サポートしたい・全国化したときに地域を蘇らせる。
66. 主に大企業の都外への本社機能移転・人口とリスク分散を段階的に進める。
67. 排除アート・「座らせないベンチ」の全面撤去。小憩できる都市デザインの再建。
68. ユース(12-25最程度を想定)以下に対して公営美術館・芸術施設の入場料無料化。
69. 路上表現・アーティスト等に向けた道路使用許可申請等手続きの簡素化・拡充
70. 官民連携で路上ライブ・イベント等を充実させ,『解放区』の乱立。
🌾 動植物
71. 動物殺処分0の次は都から始める愛玩動物の生体販売全面禁止。
※ ペットショップの店員かわいそうだから動物病院とか生物学研究所に転職もさせてあげて。そのために予算つけよう。 ※ 日本固有種の生物種は緩和したさがある,というかその系統を維持するための研究会や国家機関創設を提唱したい。
72. 特定外来種や有毒の微生物等の実態調査・飼育手段の包括的なデータベースを策定し公開。
73. 生物学系の人材活用・医療分野との連携を強化。
74. 孤立対策に動植物との共生を促進・AI利活用で安全・安定的な飼育体制を提供。
🌾 宇宙開発
75. 軌道エレベーターや公共/民間通信衛星等を想定した宇宙産業への公共投資。
※ 東京から日本〜東南アジアをまたぐ測天衛星網(GPS)を提唱
76. 核融合発電技術への積極的公共投資。
※ 戦時を想定した燃料備蓄
🌾 食糧自給・安全保障
77. 家庭菜園や地域農産・地産地消の促進。
78. 種苗法改正の見直し・食文化の保全。
※ 戦時を想定した食料備蓄
79. 酒税法の見直し・どぶろく文化を再興。
80. 生レバーやユッケ等の規制緩和。
81. 依存症対策や飲酒強制の予防規制を条件に, 飲酒解禁を18歳に引き下げ。
🌾 労働市場制度
82. 新卒一括採用の見直し・企業や経済団体等への協力要請。
83. 官公庁や民間企業の採用基準にポスドク枠拡充。
84. 生涯学習・リカレント教育普及に向けた労働市場改革。職業訓練給付や実施企業への支援等の拡充。
85. 様々な産業分野の企業に対して有給や育休利用の促進。
🌾 汚職・職権乱用の防止
86. 地方議会における縁故的な役職(選管等)の選定過程・給与等の見直し・再編と代替的職務の用意。
87. 刑事収容施設や入管施設内での侮辱や虐待や差別的待遇の実態調査・迅速な改善。
88. 市民オンブズマン制度の創設・拡充による第三者目線の地方議会の監査強化。
89. NPO法人設立や生活保護申請・政治団体含む会計監査の厳格化・責任体制の明確化。
🌾 表現・報道の自由
90. 小池都知事が実施していた様な一部のマスコミやジャーナリスト等の排除に反対・報道と表現の自由を守る。
91. 『表現の自由』の前提として,エンタメ・出版・コンテンツ業界に投資拡充・且つアーティストの食い扶持と表現の場を守り,層の厚さを維持。
92. NHKの過剰な集金を規制・困窮世帯の債務免除・公共の利益となる基礎的なコンテンツは保障するが国民の無償・平等な『知る権利』に配慮。
🌾 スポーツ
93. 『マイナースポーツに光を』・Eスポーツ含む多様な体育会系コンテンツにも積極的に投資。
94. 身体に障害を有する方々が主役であるパラスポーツ分野に投資拡充・宣伝を強化。
🌾 その他
95. 小池都知事の財政調整基金の使途・費用対効果について徹底的に監査。
96. 小池都知事や森本首相も関わる東京オリンピックに関する利権構造や裏金・役員の不審死・作業員の過労死等の真実究明。
97. コロナ禍におけるエンタメ産業や一部の飲食業界・性産業等への差別的待遇の見直し・適切で平等な補償体制の確約。
98. コロナ禍における緊急事態宣言の手続的正当性・費用対効果を徹底再調査。
99. お気持ちベースの『自粛要請』では無く必要な法整備・責任体制を明確化。
100. 多様な業種の方々に配慮し投票所を26時まで開放・且つ開票日を平日にスライドし行政コストを軽減。
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kyotomotor · 2 years
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tokyomariegold · 5 months
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2023/12/11〜
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12月11日 昨日つけ置き洗いをした加湿器の給水タンクのキャップを捻り開ける力がなくて水を捨てられず、朝そのままで出かけた。浴室乾燥していた洗濯物も気温が下がって乾きが悪くなり3時間では乾かなくなってしまい干したまま出かけた。
この調子で毎晩毎晩掃除や片付けや、やらなくてもいいのに儀式的にやってしまうことを減らしたい。その日の感じに合わせて必要ならばやる、程度にしたい。
お昼休みに歩いていたら、向かいから坂を降りて来た自転車の方がすっころんでズボンの膝が破れてしまった。私含め近くにいた人たちは遠巻きに心配そうに、でも声をかけたりもできずにいる様子で見守っていて、本人はやっと少しずつ起き上がって、そんな時に後ろから悲観するばかりでない明るい声で「あら〜大丈夫かしら?」と声をかけてくれた年配の女性がとても救いの存在だった。 心配そうに「大丈夫ですか?!」と言われたら「大丈夫です」しか言えなそうだけれど、余裕を持った明るさで声をかけてくれたら「ズボンの膝が破けちゃった…」と、少し泣き言を答えることも許してくれそうだな、と思った。
お休みに入った上司の代わりを務めてくださる方と、まだ様子見あってお仕事をしている感じがなんだか煮え切らなくてぎくしゃくして話す度に泣きそうになっている。
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12月12日 向かいのデスクの方が自分で設計した自邸が1月末に完成するお話を聞かせてもらう。写真も見せてもらって白と木が良い塩梅の素敵なお宅だった。 すごい!うらやましいとか尊敬するとか目標としたいとかそうゆう次元でなくて、なんかこれはとても嬉しいだろうな!?と率直に思ってしまい、他人のことだけれど「嬉しくないですかこれ!」と少しテンションが上がってしまった。 年が近い彼女よりお仕事でできないことが多い(と勝手に思っている)私は、時々それに落ち込んだりしていたけれど、彼女は本当に建築が好きなんだ!と嬉しくなる発見ができた。 私は建築はお仕事でしかなくて、作家さんの作品や考え方を観るのは好きだけれど自分で作りたい分野ではない切り分けはできているので、全く別の類の方としてやっと彼女を捉えることができた気がする。 お家ができたら遊びに行かせてもらうお願いもできた。
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昨晩、教えていただいた大阪のギャラリー情報を確認し、ちょっと違うかな〜となっている。 今日から京都のギャラリーも少しずつみてみよう。
友人へ次会った時に渡そうとしていた京都限定のルルルンのパックと光線さんのガチャガチャをレターパックライトに詰めて送ろうとしたらポストに入らなかった。また3センチ(今回はプラスの5センチも)をオーバーしてしまった。
マスクが苦し過ぎてくらくらするのと、日中の噛み締めがひどくて顔が痛くなるので、2日間外す生活をしてみたけれど、なんとなく人と喋る時の飛沫恐怖が発生してしまい、唾が飲み込めないことがたくさんあった。また良くない症状を発症させてしまったかもしれない。
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12月13日 ガスの点検の立ち会いのため午前中はお仕事をお休みをした。 そのため昨晩は出来る限りの掃除をしたり日記を更新したりとても忙しく過ごし、22時からの一食目のご飯は栄養補給でしかなくて味がしなかった。
でも朝起きて、まだ薄暗い中で大島さんの新しい読み切りの漫画を読んで二度寝をしたら、夏に展示をしたギャラリーの白濱さんと大学時代の好きな友人が夢に出てきてとても幸せだった。alt_mediumで小規模のブックフェア的なイベントを開催していて、私はそれに参加して写真集を販売したり自分の作品についてトークをしたりして、出版関係のお仕事をしている友人はたまたま仕事でこのイベントに来ていて、写真を通してお仕事でこうやって好きな方々と再会できた幸せな夢。
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朝起きても、半日仕事を終えても、まだどことなく今日良かったことがあった、と思う気持ちはこの夢のおかげだと思う。 こうなると今の仕事を続けることを少し悩んでしまう。
フィルムカメラで写真を続けるためにNikonF100の修理をするべきだと、もう一度修理店を探して、インターネットで見つけた2店舗に連絡をとってみた。修理するより中古機材を買った方が安いのかな。
午後から出勤する道中、イルミネーションの準備が進められていて、夜帰宅するときちゃんと光っていた。
いつも行くスーパーの品揃えについて、私がお決まりで毎日買い続ける商品が、ある時から私が買うごとに一つずつ減ってき、最後の一つを購入した次の日からその商品の取り扱いが終わってしまうことが何回か続いていて悲しい。その中の需要と合わないものを嗜好してしまっているの?
無事でいたすぎて、年明けの有給の予定を立て始めている。
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12月14日 ティカ・αが作曲、最果タヒが作詞した曲が、1月24日にリリースされる情報を知る。え?!と、なってしまう。え?!ティカ・αと最果タヒが作品を作ってしまったのですか。嬉しさや楽しみな気持ちより���もうこれまでの空虚な気持ちに近い感覚。
ティカ・αエピソードのひとつ、“愛・テキサス”のMステ動画のコメント欄が意外と愛が溢れていて(山Pファンでない人達の山Pへの評価について)、なんかよかったことをたまに思い出します。
ポストに入らなかったレターパックライトを郵便窓口でプラスに変えてもらう。差額と手数料だけ払って、使用済みだけれどライトを返却して完了した!
有言ジーザスなので朝デスクについてから始業まで年賀状の宛名を書くようにしている。でも裏面のデザインが定まりきらずにいて今年は出すのがギリギリになってしまいそう。
昨日の日記にスーパーの品揃えについて書いた矢先、いつも買っていた商品がまた取り扱い終了となってしまった様子。これまでの取り扱い終了商品履歴。ナチュラル豆腐ビヨンド、揚げなすとトマトのフリーズドライスープ、豆のサラダ、雑穀のサラダ、殻が剥いてあるゆで卵、畑生まれのまろやかソイ、サラダ豆。これ以上私に食の不自由を与えないでください。
来週もどこかでお休みを取れないか探してしまう。
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tutai-k · 1 year
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休暇。
10月1日~長期休暇だという噂が職場に流れていた。長期の休みなら行きたい場所はたくさんあったが、噂が流れはじめたのは8月の末くらいで、そんな時期から用意しはじめたのでは何も間に合わない。釧路と舳倉島、どちらにするか悩んだが、どちらも現実的ではないのであきらめて、結局長期休暇は取らずに、四連休だけ取ってあとは出勤した。来年も同じ時期に長期休暇があるのなら、半年くらいまえには教えてもらいたいし(一年後の予定がすでに決まっているような生活をしている人間なので)それなら周到に旅に出られる。
とはいえ、せっかくの休暇なので何かしたいと思っていたら、東京のイゼルローンフォートレスでキルヒアイスのアフタヌーンティーへ行けることになった。
東京は文フリで年に多いと二回くらい行くのだが、単純に『遊びに行くだけ』というのは、何年ぶりか……。イベントまえのストレスや緊張、イベント後の疲れのない旅行というのは、もしかしなくても十年くらいは経験していないのでは? という…。
いつもは始発に乗るのをすこしゆっくりの電車に乗って名古屋駅へ。
平日の、しかも朝だからすんなり食べられるだろうと思っていた名古屋駅名物「ぴよりん」のモーニングは、びっくりするくらい人が並んでいた……。とりあえず名前だけ書いて、出かける直前にバタバタしてて買えなかったお土産を探しに行くも、あせってしまいぴよりんのバウムクーヘンを一個しか買えないまま、席へ通される。 そしてぴよりんモーニングを注文して食べる。 当たり前だがこの「カフェ・ジャンシアーヌ」は、ぴよりんを求めているひとがわざわざ並ぶお店なので、みんなぴよりんを食べる。いろんなひとが「ぴよりんモーニング」を注文するのを、「ああこの人たちはみんな、ぴよりんを楽しみにこのお店に朝早くにやってきたんだなあ」という幸せな気持ちで感じることができる。とてもいい旅立ちの朝だった。
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新幹線は少し遅れている便もあったようだったが、わたしが乗るのは大丈夫だった。予定通り東京駅へ着き、約束の駅へ。
休日はとても並ぶというラーメンのようななにかのお店へ連れて行ってもらう。透き通ったスープに、きしめんみたいな麺(麺は10種類くらいからえらべたが、初心者なので先達に従って頼んだらきしめんみたいなのだった)、たくさんのネギとパクチーが浮いている。パクチー大好きなので、追加すれば良かった。とにかくめちゃくちゃおいしくて、スープまで飲んだ。 到着したときにはお店は結構すいていたのに、すぐに満席になって、お店を出るころには人が並びはじめていた。
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皇居まで歩いて行ける距離だというので案内してもらう。 人生で実は皇居に行く(しかも結構奥の一般人が入れないようなところまで入れる)機会があったのだが、一度も行かなかったので、皇居は初体験だった。入り口は閉まっていて、見学はできなかったのだが、かつて皇居へ入る機会があったころからはずいぶん違う道と考え方をしているわたしには、そういうものなのだと思った。偶然だが。 皇居の周りは走っている人がたくさんいた。柳がたくさん生えていて、風が目に見えるので気持ちよかった。 「このお堀、冬は鳥がきそう」と言ったら、案内してくれた人が、「黒くて足がこんな鳥がくる」と指を三本立ててオオバンを表現したのが面白かった。たしかにオオバンは、カモとかと違って、指がわかれていて足がへら状になっていない(指がわかれていてそれぞれに水かきがついている)。
そのあとは、紅茶屋さんへ。いろいろ悩んだけど、暑かったのでレモンティーを頼む。たくさんおしゃべりして、二杯目も。ロイヤルミルクティーを飲む。どれもおいしかったし、カフェはとても居心地が良かった。 いつも東京で誰かに会うときは、イベントの後の打ち上げとかで、疲れとお酒でハイになってたり、時間も時間だから焦っていたりするけれど、ゆっくり時間を気にせずおしゃべりができたのがうれしかった。 だれかに会いに行く旅、というのを久しぶりにしたなあと思った。
その人とは別れて、イゼルローンフォートレスへ。十年来のフォロワーさんと会う。BL短歌の頃に出会っていて、タイムラインでは毎日のようにおしゃべりしているのに、会うのはこれが初めてなのが不思議。 イゼルローンフォートレスは「銀河英雄伝説」という小説のコンセプトカフェ(公式)で、物語の中の陣営で席がえらべたようで、イゼルローンを選んだよ、と言う話だったが、なにが違ったのかよくわからなかった。記念の銀貨・金貨をもらったり、コースターをもらったりした。ドリンクについてくるコースターにシェーンコップが含まれていたのを、ながれるように渡されたのがおもしろかった。 アフタヌーンティーのケーキにひとつめちゃくちゃ酸っぱいのがあって複雑な顔をしていたら「酸っぱいのきらいだもんね」と言われて、「やっぱりいつも一緒にいる人だ!」と思った。 ライチョウのぬいぐるみをもらう。夏羽と冬羽を選ばせてもらう。まだ夏羽のオスにしか出会っていないので、夏羽をもらった。 ひとしく一緒にわちゃわちゃしているフォロワーさんたちにお土産を買う。今日発送したが、よろこんでくれるとうれしいなと思う。 自分用には、箸を買った。迷ったけど、同盟の箸にした。 世界が平和でありますように、この小説の主人公の一人が語るような、健全な民主主義の世界にたどり着き、すこしでも長くそれがつづきますようにと祈る。
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翌日。 泊ったホテルの近くに野鳥のサンクチュアリのような場所があるようだったが、とにかく「緑色のインコ(ワカケホンセイインコ)」と「オナガ」が見たいと思っていたので、目撃情報があり、さらに良く発生するという井の頭公園へいく。何年かまえ、みんなでアヒルボートを漕いで楽しんだ井の頭公園だ。朝早く到着したからか、あの楽しかったアヒルボートを漕いでいる人は誰もいなかった。 カメラを持っている人が何人かいて、鳥への期待が高まる。 池にはカイツブリとカルガモが浮いていた。
一生懸命探すも、オナガの鳴声とシジュウカラの鳴声しか聞こえないので、公園の管理塔で「緑色のインコはどこにいますか?」と聞く。 「夕方に群で飛んでくるけど、昼間はあんまり見ないね」と言われる。好む木とかが分かればそこから探せるのに…と思ったが、そういうのもないらしい。とりあえず玉川上水を遡る。オナガの声がたくさん聞こえるけど、全然見つからない。 ブラインドがもうけられているところがあって、鳥写おじさんがたくさんいたので覗いてみる。池があって、ムラサキシキブが池の周りに生えていたので、鳥は来そう。だけど鳥があらわれなかったので情報収集。ちょっと離れたところにたくさんいる場所があるとわかったので移動。
関東の人はもしかしたら「なんでこいつ、こんなにオナガ(とワカケホンセイインコ)を見たいんだ?」と思うかもしれないが、オナガは関東にしか住んでいないので、三重では見られないのである。
どきどきしながら歩いて行くと、まず見つけたのはオナガ。 「オナガだ!!!!めっちゃいる!!!!!オナガ!!!」もう大興奮である。オナガはしきりに飛びまわり、すぐに木の中に隠れてしまうので、まだ葉っぱが繁っている今は見つけづらいし、写真を撮るのがむずかしい。でもときどき、開けたところへ出てくるのでそれを撮影していると、なんか変な影が……飛んでくる……。なんて言うんだろう、ロケットみたいな……。日本にいるタイプの鳥ではない、形状の……。 目の前にとまったのはワカケホンセイインコだった! 「わー��ーーーー!!!本物だ!!本物だ!!!!」 重いカメラとレンズを担いできたかいがあった……。このインコも木陰に隠れるし緑色なので、はっぱと紛れて見つけづらいし写真も撮りづらい……。 こんなトロピカルな鳥がなんでこんなところにいるかというと、外来種である。飼われていたのが逃げ出して野生化しているらしい。とても異様……。 寿命が30年くらいあるらしい。外来種についてはいろいろ思うことがあるし、その存在を全面的に肯定はしないが、かれらをここに持ちこんだのは我々人間なので、「彼ら」が悪だという立場にはわたしは立っていない。存在と言うよりは、「棲みつかせてしまった」構造や、行為を批判したいと思っている。 絶滅危惧種を「この目で見てことほぐ」必要があるとしたら(その行為の根底には人類の営為による贖罪と、その環境の改善への努力への約束が含まれると思う)、等しく外来生物も「この目で見る」必要があるとおもう。たしかに、都会の森の中に、この南国にいそうな姿は異様で、その「違和感」は、環境について考える動機になる。
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とにかくワカケホンセイインコとオナガを見つけて満足する。 どちらも動き回る鳥なので、追いかけて歩いていたら、ひらけた場所に鳥写おじさんがたくさん集まっていたので寄っていく。 エゾビタキとキビタキを撮影していた。 今年はエゾビタキに出会ってないし、なんだかんだキビタキにもほとんど出会えないので見られて良かった。
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名古屋駅でお土産にぴよりんを買いたかったので、はやめに東京を出ようと東京駅にもどる。 スマホリングが壊れてしまっているので、東京駅のちいかわちゃんのショップでちいかわちゃんのスマホリングを買おうと思っていたら、東京駅のちいかわちゃんショップは一時間待ちだった! あきらめて、東京駅にあるというクルミッコショップへ……人が全然いないなあと思っていたら、なんとクルミッコは売り切れ! そんなぁ~~と落胆しながらお土産を物色していたら、普通の総合お土産ショップみたいなところにクルミッコとサブレのセットが売っていた。 「これ、おふくもち(赤福によく似た伊勢のお土産)みたいな……なんかそういうクルミッコじゃないよな?」と不安に思いながらレジに持って行くと、ちゃんと紅谷の袋に入れてくれたので本物のクルミッコのようだった。 崎陽軒のシウマイもほしくて、真空パックじゃなくてチルドのやつを探し回るが見つけられなかったので真空パックのを買って、お弁当も買って電車に乗る。 じつは朝、ホテルのバイキングでしこたま食べてから何も食べていなかったが、腹が減っていなかったので、帰りの近鉄特急で弁当を食べようと思って、新幹線ではもうすぐ車内販売がなくなるというシンカンセンスゴイカタイアイスを食べる。次に新幹線に乗るのは文フリの時だから、もう食べられるのはこれが最後の機会だ。いつまで経ってもやわらかくならないのを待っていたら、いつの間にか静岡を通過していた。豊橋辺りでなんとか食べ終える。そうこうしているうちに、名古屋。
駅でぴよりんを買おうと思ったら、めちゃくちゃ並んでいた。とりあえず特急券を買ってからぴよりんの列に並ぼうと思っていたら、いろいろあって列にならばず、特急も乗らないことに。 ゆっくり急行と鈍行で三重まで帰る。
急行と鈍行のベンチシートではお弁当は食べられないので、家に帰ってきてからお弁当を食べた。おいしかった。
良い旅をした。 翌日(つまり今日)伊良子へタカの渡りを見に行こうと思っていたのに、雨が降っていた。 来週からはとても忙しいので、今年は、もうヒヨドリの渡りを見に行けないだろう。
11月の半ばくらいには忙しいのは落ち着くので、そしたら、いつものアフタヌーンティーの秋のコースを滑り込みで食べよう。そしたらすぐに、ハッピーホリデーアフタヌーンティーがきちゃう。
月末に、今度は九州へ行く用事がある。九州では、カササギを探したいと思う。
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kennak · 10 months
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9月21日午前6時に父が亡くなった。 老健からの退所が決まり、週末のみ自宅で過ごすことが決定してからの 我が家はまさに上を下への大騒ぎだった。 家の中までの導線を確保した上で車椅子が通るよう道を整備し、 父が使っていた寝室に入るサイズの介護ベッドを調達して 高齢の母の負担が極力減るようにヘルパーの力を頼りながらの受け入れ生活だったが あれほどの労力をかけて準備したにも関わらず、わずか2ヶ月ほどでピリオドを打った。 コロナ感染からの重症化で一時は命も危ぶまれた父は、奇跡的に回復するも 肺炎により嚥下機能が著しく低下していたため誤嚥性肺炎を繰り返しては再入院し、 「急変した際の延命治療はどうしますか」とその都度医師に聞かれた。 そして3度目の再発で入院し、同じように「どうしますか」と問われた時、 半ば慣れっこになっていた私たちは「回復の希望があるならできるだけのことはやってほしいが 機械の力を借りて心臓を動かすだけの措置なら不要」と回答した。 そしてその翌日、まるで私たちの会話を盗み聞きしていたかのように父は逝った。 今年もケムコ様より東京ゲームショウにお誘いいただいていたのだが 父の容体が安定していないことからギリギリまで返事を待っていただいていた。 (快く待ってくださったケムコ様には本当に感謝しかない。ありがとうございます。) 最初から断ることも考えたが、遠出すれば気分転換になるかもという現実逃避的な思考もあり 引き延ばすだけ引き延ばした挙句に父が選んだ旅立ちの日は9月21日、東京ゲームショウの開幕初日だった。 父についてのエピソードで一番古い記憶を辿ると、幼稚園のクリスマス会になるだろうか。 園児のところにサンタがやってきて菓子を配る恒例の会で私も楽しみにしていたのだが 当日やってきたのはサンタのコスプレをした父で、特に素性を隠すでもなく 大声で私の名前を呼びながら「おおしのびん、今年はワシがサンタじゃ」と菓子を手渡した。 私は幼稚園の年少組にして「サンタは親が演っている」ことを知ってしまったのである。 生粋の目立ちたがりで役職のつくポジションが大好きだった父を見て育ったせいか 私は人一倍自分を表に出すことを避けるようになり、今もこうしてハンドルネームでブログを書いている。 母から「お父さんのようになってはダメよ」と言われて育った私は、 言ってみれば父を反面教師にして出来上がった集合体のようなもので、何から何まで合わない。 合わないのに、成長するにつれて父に似た部分が体のあちこちに、思考の節々に現れては嫌悪した。 今にして思えば、父のようになりたくない、は、父のように何事にもオープンで大らかには生きられない 内向的な自分の劣等感が生んだ、羨望からくる逆恨みだったのかもしれない。 そのことを受け入れ、父の中に幾らかの可愛らしさを見出してからの親子関係は 世間で言うところの仲の良い親子には届いていなかったかもしれないが、そう悪くもなかったと思う。 3度目の入院の知らせは突然だった。 デイサービスから「微熱があり酸素量も少ないため念のため病院に連れていきます」と連絡があり またかと思いながら病院に駆けつけた。 前々回、前回と同じようにしばらく入院して、回復すればまた退院するのだろうとぼんやり考えていたので 入院手続きのために膨大な枚数の用紙に記入しなければならないことの方が気が重かった。 翌朝面会に行くと、父は痰を吸入してもらって楽になったのか静かに眠っていた。 夜中も1、2時間おきに吸入をしていたと聞き、頭の下がる思いがする。 とてもではないが、このケアを自宅ではできなかったろう。 父は私のことはわかっていたようで「会いにきたよ、わかる?」と聞けば小さく頷いていた。 「元気になって、また家に帰ろうな」と声をかけるとまた小さく頷いていて 「この様子なら大丈夫だろう」と少し安堵した。 しかし、翌朝の医師の説明では、心臓の機能が大分弱っているので 肺炎が治るよりも先に心臓が持たないかもしれないと告げられた。 そして、冒頭に書いたように「無理な延命治療は本人も辛かろうし不要。 楽になるための治療なら全力でお願いします」と回答して帰宅した。 その日の深夜、病院から容体がおかしいと電話があり、孫たちも連れて慌てて深夜の病院に 大勢で押しかけると、別室に移動した室内で父はスヤスヤと眠っていた。 「みなさんが到着される直前に急に安定し始めて」とナースは申し訳なさそうに笑ったが 「人騒がせなじいじだ」と悪態をつきながらも皆笑顔だった。 その翌日、またしても深夜に病院から電話があり、同じように大勢で深夜の病院に向かった。 酸素がなかなか上がってこないと昨夜より病室内の空気に緊張感があったが 当の本人は傍目には穏やかに眠っているように見えた。 「こんなことがこれから毎晩続くのかしら」と母が疲労困憊の様子で口にするのを聞きながら 昨日医師に「まぁ、こんな感じで心臓がゆっくり止まってしまうほうが本人は楽だと思いますよ。 本当に眠るように、何も苦しまずに済むので。」と言われたことを思い出していた。 ほどなくして心電図を表示している機械から危険を知らせるアラーム音が鳴り、慌ただしくナースが入ってきた。 「まだいったらだめだよ」「起きてじいじ」「起きないと怒るよ」と孫たちがそれぞれ父に声をかけ 「家に帰ろうよ」と姉が語りかけた後に、それまで黙って見守っていた母が父の手を取って話し始めた。 「じいじ、ねえじいじ、本当に好き放題に生きたわね。 突然商売をすると言い始めて、30年間も私にその店を手伝わせている間に 他所で女を作ったり、こっそり家のお金に手をつけたり。 その人を連れてゴルフに旅行にと遊びまわり、飲み歩いてね。 子育てなんて全部私に任せっきりで、ほとんどしなかったでしょ。 でもねじいじ、私はそれでも、あなたにまだ居て欲しい」 父の左手を両手で包み込み、まるで駄々っ子を宥めるように話しかける母の言葉を聞きながら 「おいおい、こんな男にだけはなるなと刷り込み続けて今更それはないだろう」と思ったりもしたが その言葉を聞いて、つくづく夫婦のことは夫婦にしかわからないのだと思い知らされた。 そして母が話し終えるのを待っていたかのように、9月21日午前6時に父の心臓は動きを止めた。 息を引き取る直前まで、話しかければ反応していたし、ゆっくりと腕を持ち上げたりピースサインも出せていて 「ぎゅっと握ってごらん」と言えば握り返していた父の時間は、本当に呆気なく止まったのだった。 けたたましい機械音さえなければ寝落ちを疑うほど穏やかな最期だった。 入退院を繰り返したとはいえ、何週間も昏睡状態が続いたわけでもなく、 在宅介護開始から2ヶ月、再入院から僅か2日で逝った父は ピンピンコロリとまではいかなくとも、ほどほどコロリぐらいの称号は与えても良い気がする。 面倒を見ていた親族の��も介護疲れに陥らせず 別れを惜しむ気持ちを十分に残した上で旅立ったことは、家庭を振り返らず仕事に恋に奔放に生きた父が 珍しく見せた父親らしい気遣いと言っていいかもしれない。 週末は自宅で皆に介護されながら、コロナ感染の入院直前に食べるはずだった念願の鰻もちゃんと食し 早朝にも関わらず親族8人が見守る中で逝けたのだから、幸せだったろう。 亡くなる前日の朝、家族がいる手前では気恥ずかしさが勝ってしまい、正直な気持ちを話せないと思った私は ひとりで病院に面会に行き、眠っている父に向かって幼い頃から反抗的な態度を取ってきたことを詫びた。 「できの悪い息子でごめんな」と耳元で話していると、父が一瞬、私の手を握り返してきた、気がした。 あの時間がなければ、私の後悔はもっとずっと大きかったと思う。 テレビで何度も見かけた「9月21日午前6時21分、お亡くなりになりました」という医師の言葉を聞き終えて外に出ると もう空は明るくなり始めており、電話1本で飛んできた葬儀屋と話をしているうちにすっかり陽は昇った。 秋晴れの爽やかな朝だった。 悲しみに浸る暇もなく、数々の段取りが始まった。 実を言うと、2年ぐらい前から「親が亡くなった時にするべきこと」という ハウツーのページをブックマークしていて、折に触れて読み返すのを癖づけていた。 10年以上前の別れでは狼狽してしまい、何もかも人任せにしてしまった反省から いざという時にあたふたせず、冷静に適切な行動とれるための予習をしていたのだ。 親族と親しい方々への連絡、役所への届け出、葬儀の手配など まるで流れ作業のように進んでいって、翌日には通夜、翌々日の葬儀がすんなり決まった。 通夜の翌日、親族の集まった部屋に入ると、皆が見守る中で父が風呂に入れられていた。 旅立ちの前に全身を綺麗にするオプションサービスで、母が頼んでいたらしい。 髪も丁寧に洗い、顔もパック&化粧までしてほとんど韓流スターのようなフルコース。 一部始終を近くで見ていた姉が「私がやって欲しいぐらいのサービスだったわ」と感心していた通り 仕上がった父はこざっぱりして生気を取り戻したように見えた。 昼時になり孫たちが腹が減ったと言うのでGoogleMapで調べてみると 田舎のため近くにはコンビニぐらいしか引き当たらない。 「仕方ないから適当におにぎりでも買ってこようか」と義兄は言ったのだが 騒がしく葬るのが我が家のスタイルだからと、私の提案でデリバリーを頼むことにした。 幸い、配達圏内にカレー屋とピザ屋が引き当たったため Uberと出前館に一軒ずつ注文を出し、数十分後には親族控室はカレーとピザの匂いで充満した。 父の想い出話を肴にワイワイと盛り上がり、「こんなに騒がしい親族の控室はないんじゃないか」と 誰かが口にするほど賑やかな昼食になった。 年を取ってもジャンクフードが大好きだった父は、すぐ横で羨ましく見ていたに違いない。 皆で盛り上がっているところに葬儀屋が入ってきて、一枚の紙を置いていった。 折り鶴の形をした形状記憶用紙で、皆で一言ずつ別れの言葉を書いてお棺に入れるのだという。 「お疲れ様でした」「あちらでは偉そうな振る舞いをしないように」(←私)など各自が書き込み、 最後に全員のメッセージを読んでいると、看護学生をしている姪が書いたと思しき一文が目に留まった。 「きちんと面倒をみてあげられなくてごめんなさい。立派な看護師になってみせます。」 淡々と皆の様子を俯瞰で眺めてきた私は、その一文を読んで初めて涙腺が緩んだ。 父親としては赤点だったが、祖父としては孫達に慕われる良きじいじだったのだ。 父の顔の広さもあって、葬儀場には置き場所に困るほどの花が届き、弔問客で溢れ返った。 コロナ禍ではとても実現できなかったであろうし、やはり父はツイている。 「いよいよお別れの時です。 生前お付き合いのあった方は、どうか前に出てきてお顔を見て差し上げてください。 仏様は亡くなっても私達に多くのことを教えてくださいます。 命の儚さ、尊さ、多くの教えを私達の心に遺して旅立たれるのです。」 お棺を閉じる前のお坊さんの言葉に誘われるように棺の前に立ち、眠っている父の顔を覗き込んでみた。 次々と収められる花に囲まれた父は、加工アプリで装飾し過ぎた写真のようなビジュアルで少しだけ滑稽だった。 そしてその姿を見てフフッと少し笑った後に、訳もわからず涙が流れた。 時間にしてほんの1分ぐらいだったと思うが、どこかの栓が抜けたようにドバドバと流れて自分でも驚いた。 「最後ぐらい泣いてくれ」と、父が私の涙腺(栓)を抜きにきたのかも知れない。 こんな機会でもなければ会うことの無かったであろう、数十年振りの知人や親戚と再会し 様々な思い出話をしていると、この時間も父の置き土産なのだと感じる。 簡略化の進む現代風の葬り方にも良い点はあるが、昔ながらの葬式も、その煩わしさも込みでなかなか良い。 親族用にチャーターした火葬場までの送迎バスに乗り込む際、 片手で骨壷を持ち、片手でスマホを持って自撮りをした。父とのツーショットである。 山の中腹にある火葬場は薄曇りで少し肌寒かったが、待ち時間中はやはり四方山話で盛り上がった。 火葬を終え、小さな骨壷に収まった父と帰宅してから 四十九日までの予定を親族で確認し、それぞれが日常に戻っていった。 数日して何気なくiPhoneの写真フォルダを見ていると、入院時に父と撮った写真が出てきた。 亡くなった9月21日は金曜日、その写真は2日前の19日だったので 写真の上にはまだ『水曜日』と表示されている。 iPhoneの写真は1週間以内なら曜日で表記され、1週間以上が経つと○月○日の表記に変わる。 水曜日という表示に、まだ数日前まで父はこの世にいたのだと気づかされた。 老健に長く入っていたし、それほど頻繁に会っていたわけでもないのに 「もういない」ことが日毎に実感となって、音もなく雪が降り積もるように静かに寂しさが募っていく。 あっという間に四十九日を迎え、近しい親族だけで法要を済ませた。 葬儀の時と同じお坊さんがやってきて、最後にまたひとつ話をしていった。 「四十九日が経ちましたね。 毎日元気にお過ごしでしょうか。 今日はひとつ、時間と命について皆さんに考えていただきたいと思います。 私たちは皆、等しく流れる時間の中で生きています。 亡くなった方の時間はそこで止まり、しかし私達の時間は動き続けます。 時間の止まった方との距離は日々遠くなり、日常で思い出す機会が減ってきたり 悲しみが薄れたりしますが、そんな時こそ、生きていることを自覚していただいたいのです。 今日この場で皆さんと過ごした時間が二度と戻らないのと同じように 時間は先にしか流れないと自覚しながら、1日1日を大切に過ごして下さい。」 私にとって父が良い父でなかったように、父にとって私も良い息子ではなかったろう。 生きているうちにもう少し何とか出来たかもと思わないでもないが、全ては後の祭り。 是枝裕和監督の映画「歩いても歩いても」に出てくる 『人生はいつも、ちょっとだけ間に合わない。』を、まんまと私も体験してしまった。 先人からの教訓を受け取っていたのに、実践を怠って同じ後悔をして その気持ちをこうして文章に残し、誰かが悔いを残さないようにと祈る。 そうやって、人は生きていくのだ。
四十九日 - 忍之閻魔帳
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ichinichi-okure · 1 year
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2023.10.5thu_kyoto
曇天。雨が降るかどうかをチェックしなくちゃと思い、7時に起床。今日は遠出なので、荷造りと身支度に1時間かかる。そこから美味しいお米と梅干しをいただく。今日も楽しむぞと気合いを入れながらも東京から来た現在居候中の牡蠣居酒屋経営のヨッシー(マルショウアリク:現在京都で出店���)が昨晩は帰ってこれなかったので、今日いつ帰宅するのかと気になっている。そうこうしているうちに出発時間。空を見つめながら雨が降りそうだと感じつつも、調べる時間を見失った。ヨッシーが帰ってきた。よかった。忘れ物チェックをしたようなしてないような気持ちで8時44分の電車に乗る。 天気予報は電車の中で調べることはできるが傘を持ってこなかったので、調べるのに心が手間取る。もし雨なら残念だし、雨だと思って傘を買っても降らなかったら意味ないし、どうかこのまま天気が守ってくれることを祈る。東福寺でJRへ乗り換え。京都駅に着いたなら新幹線だ。
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そんなこんなで、姫路へ。今日は初めて会う方々と作品撮影。どんな作品になるのかなとワクワクドキドキ。新幹線が直前で急停止ボタンのため運転再開に時間がかかったが、無事姫路駅到着。 今日お尋ねするスタジオに車でお迎えしてくれたカメラマンの奥様。なんとも素敵な雰囲気のお方。車に乗りながら雨が降る。あ、ギリギリ助かった。やっぱり今日は雨だったの…? そう思ったのも束の間、雨は止んだ。 いろいろお話ししながらスタジオに到着するとここは森???と思うような素敵な入口が迎えてくれた。
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とっても素敵なこの扉。家を作る、または住むならこんな扉がある家がいい。私の大好きな秘密の隠れ家への入り口みたい。
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中に入ると、とんでもなくセンス溢れる空間が存在してた。 和気藹々とした声が聞こえて、会ってみると皆様初めてとは思えないくらいアットホームな雰囲気。 もう1人被写体の方がおられたのだが、なんと東京の時に知り合った方で、それも驚き! その方の撮影は終わったとのことで、私の順番に。あれ、とてもいい日差しが入ってきた。白いリネンのカーテンの木漏れ日、玄関にある石たちの佇まい、椅子の影が美しい。
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3人の写真家が居たのでどのように作品を作って行くのかなと思いきや、本当に三者三様。仕上がりが楽しみ。見たこともないレンズで撮っている。
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写真から学ぶことが多いけど、自分と向き合うことを実感する。逃げたくなる側面もあるけど、撮られることで、表面ではなく内面と向き合わざるを得ない瞬間がある。いつも思うけど写真家の方達は光を操り、映し出すことがとてつもなく上手いし、世界を作る面白さが映画とはまた違っていて面白い。天気や空間、人と人とのセッションでもあるし、そこにある物全てを味方にして臨機応変に撮影していく。こんなふうに映画を撮ってみたいと思ってしまう。 ある写真家の方は動画も撮っていたのだけど、それはもう短編映画のよう。
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私の好きなデヴィッド・リンチ作品のイレイザーヘッドを思い出した。
私も趣味で人を撮ることはあるけど、人を撮るって思っているより奥深く、信頼関係があってこそのもの。それに撮影者によって演出も違えば撮り方も違い、私自身が私じゃ無くなる時があって、それは私の中に撮影者が乗り映るような感じでなんだかとっても面白かった。
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こうやって初めての人と作品を作り、演出を受ける立場になること、一緒に考えることはすごく刺激になる。今後も映画を切り取ったかのようなシーンを写真で作ってみたいし、まだ現実化していない執筆した短編映画の作品を写真でも表現してみたい。 撮影後みんなに劇場公開が控えている製作、監督作「ロマンチック金銭感覚」の宣伝をし、その場を後に。最高の時間を共有。
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撮影終了し、姫路駅まで送ってもらう。何度も手を振って、送ってくださったお二人を見届ける。 空を見るとすがすがしい空が私を見ていた。
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次はいつ姫路に来るだろうとぼんやり、駅に立ち尽くして今日の思い出に浸る。
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飲みたくなって三宮駅にて1人で飲みに。奇跡が起こる。 カウンターでごはんを食べていたら、隣のサラリーマン風の2人が話しかけてくれ、一杯ご馳走に。話の流れで映画の話をすると、観に行くよと。お金の本質や価値の話をしていたら、盛り上がる。お会計の時に払おうとしたら、なんとその方々が払ってくれるという。私は払うつもりだったんだけど、それも映画の投資だと。何かの形で返したい旨を伝えると、誰かに同じように優しくしてくれとのこと。まさにロマンチック!これも映画「ロマンチック金銭感覚」のテーマの一つじゃないか!ありがとうございます。勘を働かせてたまたま入ったお店、ありがとう。 その後、友人の紹介のお店で飲む。するとそこは昔から知っているかのような場所。みんな映画の話で盛り上がる。映画を作ってよかった。みんなに見てもらえる可能性があってよかった。このお店に行ってよかったと思えた。ありがとう。もう、すぐにでも会いに行きたい気分だ。帰宅するとヨッシーも含め、東京からの友人、りゅうじゅくんも来ていた。その日はみんなでお酒を飲みながらお金って何だろう?価値って何だろう?生きていくために必要な本質について眠くなるまで語り合った。その日は夢の中でもそんな話をしていたように思う。
ープロフィールー 緑茶麻悠 京都 俳優、画家、映画監督 Instagram/ https://www.instagram.com/ryokumayu/ X/ https://twitter.com/ryokumayu WEB/ https://www.steam-of-greentea.com/
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canty-essay · 8 months
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考えてみる、サバイバル
              
                                  
 今年は元日に突然携帯の地震を知らせるアラームが鳴り出し、ギョッとなった。まもなく、能登で大きな地震があったことを知った。本当にいつどこで地震に遭うのかわからない今日この頃だ。日頃の備えが大事というが、どんな備えをすればいいのだろうか。どうすれば、自分や家族や周りの人の命や財産を守れるのだろうか。
��「サバイバルファミリー」という映画を観た。どういう話かというと、主人公は東京のマンションに住む、中年の夫婦と高校生の息子と娘の一家。お父さんは平凡なサラリーマンで、会社から帰れば、晩酌しながらテレビをみている。息子と娘は親に関心がなく、勝手なものを食べている。お母さんはひとり台所で、実家の鹿児島から送られてきた大きな丸一匹の魚を捌こうと格闘しているけれど、誰も手伝わないし、食べたがらない。
 そんなある日朝、突然電気という電気がみな停まってしまう。電気ばかりでなく、乾電池や車のバッテリーも全く働らかなくなる。お父さんと子どもたちは、文句を言いながらとりあえず会社や学校に向かう。自分のマンションだけでなく、かなり広範囲に停電していることがわかってくる。スマホで検索しようと思っても、画面には何も映らない。お母さんがスーパーに行くと、みな買い出しに来ているが、レジが動かずそろばんで計算するので、長蛇の列となる。
 三日ぐらいは、ロウソクとカセットコンロとレトルト食品で凌いでいるが、水道からの水も出なくなり、会社や学校も休みとなり、多くの人がだんだんと東京脱出を始める。大勢の人が家族を伴って、ガラガラとスーツケースを引いていく。この一家はお父さんがうまく調達したおかげで、一人一台自転車がある。途中の商店では、ペットボトルの水が一本2500円の高値で売りに出されている。この家族も高値承知でありったけを買い占め、旅を始める。お母さんの実家の鹿児島を目指して。途中のお米屋さんでは、水や食べ物を持って行くと、お米一合と交換してくれる。そこにロレックスや高級車の鍵を持って交換に来る人物が現れるが、「そんなもの食えるかい! 」と突き返される。
 「大阪から先の関西では電気が来ているらしい」という噂が飛び交い、今や車の走らない東名高速道路を大勢の人が歩いたり、自転車だったり、中には荷車を引く人も、西に向かう。途中のサービスエリアで野宿。寒い季節ではないのが、まだよかった。寝ている間に、水を一本盗まれて、息子がすぐに追いかけるのだが、盗んだ家族には赤ちゃんがいて、取り返すのをやめる。
 脱出から16日目高速道路を降りて、川で洗濯をする。水が一見きれいだからと飲んだお父さんが下痢をする。強風に煽られて転倒し、自転車やお母さんのメガネが壊れる。次に通りかかったちょっと大きい街の無人のホームセンターを覗くと、食べ物はとうに無いが、キャットフード、精製水( コンタクトレンズに使うもの? )、自転車の修理材料などを手に入れる。火おこししようとしたもできないお父さんを横目で見つつ、おいしくないキャットフードを食べる。
 さらに高速道路を走り続ける。長いトンネルの入り口で報酬と引き換えに、トンネルの案内を買って出る盲目のお婆さんたち。無視してトンネルに入るも、真っ暗な中、停まっている車や障害物に阻まれて進めなくなり、盲目のお婆さんに手引きしてもらう。
 次はいやに元気な家族と遭遇する。彼らは日頃サイクリングしながらキャンプをしているらしく、装備も揃っていて、みなで楽しそうに食事をしている。「食料や水はどうしているんですか」と尋ねると、山の中の岩場の間から湧き出ている水は、周りに苔が生えていればそれは安全な証拠なのでそういう水を汲んだり、地面から直に生えているオオバコのような植物は食べられますよ、セミなどもおいしいですよ、と教えてくれる。
 43日目、やっと大阪に到着。電気は来ていない。通天閣のタワーの入り口には、たくさんのメモ紙が貼ってある。「岡山のおじさんのところに行く。◯◯」などの伝言が。娘がブチ切れて「もう嫌だ! お父さんが大阪に来ればなんとかなるって言ったよね?」「そんなこと俺いったか? 」「ほら、そうやってまたいつもの責任のがれ」「親に向かってなんだ、その口の聞き方は! 」すると息子が「親らしいことしてくれたことあったかよ! 」今度はお母さんが、「いい加減にして! そんなこととっくにわかっているじゃないの、お父さんがそういう人だってこと」ここでお父さんはがっくりとなってしゃがみ込んでしまう。水族館の前で、飼っている魚を調理した炊き出しの列に並ぶも、自分たちの前で終わってしまった。お父さんは調理していた人に、土下座をして「せめてこの子たちだけにでも何か食べ物を」と懇願するが、「無いものは無い」と断られる。
 67日目、食料も水も無くなり、岡山あたりの田舎道をとぼとぼ歩いている。と、一頭の豚が目の前を通り過ぎていく。えっ、となり夢中で追いかける。四人でやっと捕まえてみたものの、どうやってとどめを刺すのと手間取っているところ、後ろから「うちの豚に何をする! 」とお爺さんの怒鳴り声。お爺さんのうちの電気柵が働かなくなり、豚たちが逃げ出したのだった。お爺さんが、持っていたナイフで手早くとどめを刺し、豚を運ぶのを手伝い、そのお爺さんの家に。庭先の井戸水を汲ませてもらい、ごくごく飲む。久しぶりの白いご飯に、卵や野菜のおかずに豚肉の燻製。近所のお婆さんがキャベツや大根を届けてくれる。「あれまあ、お客さん? お孫さんたちが帰っているのかと思った」お爺さんの家族はアメリカにいて、連絡もつかないのだ。
 ご飯の後は、さっきの豚の解体を手伝う。バラバラにした肉に塩をすり込む。一週間ほど熟成させてから燻製にするのだそうだ。逃げた他の豚も、みんなで追いかけ回して捕まえる。井戸水をバケツで汲んでは、お風呂に運び薪でお風呂を沸かす。何十日ぶりのお風呂に入り、夜はお孫さんたちが着る予定だった新しい寝巻きを貸してもらい、これまた久しぶりの布団に横になる。
 毎日薪割りしたり、洗濯をしたり、お爺さんの手伝いをして過ごす。一週間後、豚肉を燻製にしながらお爺さんが語る。「お前さんたちさえよければ、ここにずーっと住んでもいいんじゃぞ。わしも年取って、一人で車も洗濯機も使えない生活では大変でなぁ・・」と誘われるが、この一家は鹿児島にいるお母さんの実家のお父さんの安否も気になっていて、結局お爺さんの申し出を断り、たくさんの食料をもらって、また自転車の旅を続ける。
 そのあともいろいろあって、命の危険にも晒されて、奇跡的に誰かが動かしてくれたSLに拾われて、ようやく108日目に鹿児島のお祖父ちゃんの家にたどり着く。お祖父ちゃんは元気だった! お祖父ちゃんは浜で魚釣りをしていた。それからは村人同士助け合って、魚を捕りに行ったり、畑をしたり、鶏の世話をしたり、お婆さんに機織りを教えてもらったりして、みんなで元気に楽しく一生懸命に暮らし始める。
 それから、2年と126日目の朝、突然村のスピーカーから埴生の宿のメロディーが流れてくる。みんなが驚いて家を出てみると、街灯が次々と点き始めた。すっかり忘れていた電気が戻ってきたのだ。そして場面は変わって、東京の一家のマンション。日常を取り戻し、以前の生活に戻る。テレビからは、「世界同時停電の原因は、太陽フレアか彗星の異常接近ではないかと、専門家からは語っている。サイバーテロの疑いはなくなったとのことです・・」停電前はそれぞれ勝手に心もばらばらに生きていた家族だったのが、思いやりのある温かい家族になっていた。
 とまあ、そういう話であったが、いろいろといいヒントがあった。非常時にはアナログが強いこと。キャンプ生活などに慣れておくこと。北杜市に住んでいて、地震などで自分の家が壊れていない限りは、ここにいた方が湧き水もそばにあるし、薪や焚き木を燃やして暖を取ったり煮炊きすることもできる。むしろここは、首都圏からの避難地域となるだろう。今できることといったら、いつでも人を迎えられるように、家の中を整えておくこと、食料や薪を備蓄しておくこと?
 もうひとつ気になるのが、「年長者としての知恵」のようなもの。年長者はパソコンやスマホに弱く、操作方法などは若者に訊かないとわからないことばかり。でももしパソコンやスマホが一切使えない世の中になった時に、どこまで年長者がサバイバルの知恵を出せるだろうか。本当に長く生きた分だけいい知恵があればいいけど。
 さっきの映画の話では、最初はばらばらだった家族の気持ちもだんだんとひとつになり、お互いにかけがいのない家族として心が結ばれる。停電が終わり東京に戻るのだけど、本当に戻る必要はあったのかなぁ。鹿児島にいた二年半は、みなで漁をしたり、畑をしたり、はた織りしたりして、お金も介在せずに生きていたわけだ。これからこの地震や災害の多い日本で生き抜くには、都会を出て地方でコミュニティを作って、いろんな年齢の人が、各々出せる力を合わせて生きていく以外の得策は無いのではないかしら。
 2024年1月
映画「サバイバルファミリー」は、2017年2月に公開された。監督 矢口史靖。
主演 小日向文世、深津絵里、泉澤祐希、葵わかな
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