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#写真帖 1970
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Tatsuki Yoshihiro (立木 義浩) - Eves - Sankei Shinbun-sha - 1970
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foucault · 1 year
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今日は夕方から展示替えをしていました。明日から「からや窯・登川均の、やちむん」です。470点ほど届いています。退院されてそう時間も経っていないにも関わらず、しっかりとした数、充実した仕事ぶりです。お手に取ってご覧いただけるのが楽しみです。
なお、明日からの催事期間中は昨年同様、登川さんから今回届いた器を包んでいた沖縄の新聞紙を基本の包装紙といたします。なるべくピシッとして汚れがないものを使います(紙面もなるべくいい記事のものを選んでます)。もちろん、お気にされる方、また贈りものの方などへは別途新しい包装紙でお包みします。ご協力の程よろしくお願いいたします。
以下余談。
それにしても、新聞を読む人がどんどん減っている、なんて報道に接すると、いつまでこうやって焼きものや硝子を新聞紙で包むことが許されるのだろうかと思います。昔はね、段ボールや新聞で包んでいた時代があったんですよ、なんて話になりそう。そういえば、『民藝』2021年12月号「『民芸手帖』と白崎俊次」特集において、藁で焼きものを包む益子の写真が載っていますが、時代を見れば1970年代。別に新聞がない時代じゃないけれど、きっと新聞紙は別の用途に使っていたのでしょうか。今だと藁もなかなか手に入らないし、どうなりますか。
そういう自分自身も、かつて製紙会社で働いていた頃は、新聞用紙営業部からの斡旋があったりしたので(ちょっと安い)、新聞を二種類とったりしていたのですが、会社を辞めてからはずっととっていませんでした。ただ最近、また新聞取ろうかな、と思うことがあります。前述のように新聞紙が提供されなくなる事態を避けたい気持ちと、もうひとつはtwitterやfacebookなどのSNSが滅びの季節を迎えつつあり、またInstagramも「最新」に時系列の投稿を載せず、広告ばかり増やしているのに接すると、割とうんざりして、どうせ広告載ってるなら新聞でいいんじゃね、みたいな気持ちになるのです。ただ、新聞に載ってる広告って、自分の親ぐらいの世代が対象なので、健康食品的なものが多くて、これもどこかで耐えられなくなりそうな気がして、悩ましい。
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#写真展のDMを淡々とあげる 野水正朔「淡國写真帖」 2021.8.31-9.26 JCII PHOTO SALON *1950~1970年代の 淡路島を撮影したシリーズ。
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whitereport · 5 years
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『山沢栄子 私の現代(2019/11/12-2020/1/26 東京都写真美術館』(江間柚貴子)
山沢栄子と同じ戦前生まれの日本の写真家で有名どころと言えば、木村伊兵衛や植田正治、土門拳などが挙げれられる。 同世代の写真家が、作風を変えずにいわゆる写真的な作品を発表し続けたにもかかわらず、 山沢がなぜ1970〜80年代に発表した抽象表現のような作品を制作するに至ったのかが興味深い。 独特の奥行きがわからなくなるような空間構成された作品を見ているとカンディンスキーやリヒターの作品を彷彿とさせ、 その世代には珍しく若いうちにアメリカで写真教育を受けたせいなのか、同時代に生まれた写真家の作品と見比べると作風があまりにも違うので時代感が分からなくなってくる。 山沢がこのような作品を発表していた1970〜80年代の日本の美術界では、岡本太郎が大いに存在感を発揮していた時代ではあるが 岡本太郎とはまた全く別の新しい表現を生み出そうとしていたのが見て取れるだろう。 最近では、昨年末から今年にかけて国立国際美術館において開催された企画展「ニュー・ウェイブ 現代美術の80年代」や『美術手帖』2019年6月号特集「80年代★日本のアート」などで80年代を振り返る試みがいくつか成されてきたようだが、山沢の活動も写真史の分野だけに留まらず、日本の80年代の美術史というより大きな枠組みの中で再考する必要があるだろう。
プロフィール: 1990年生まれ 2015年 東京綜合写真専門学校 写真芸術第二学科 卒業 ・Exhibition 2016 金村修ワークショップ企画展「Drawing」at The White 2016 TOKYO FRONTLINE PHOTO AWARD NEW VISIONS #03 at G/P gallery Shinonome 2017「Delirium」at The River Coffee&Gallery 2018「Monumentum」at The River Coffee&Gallery 2019「Remix」at The White ・Prize 2016 TOKYO FRONTLINE PHOTO AWARD ホンマタカシ賞
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nitesha · 7 years
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▍NITESHA BGTP|BOOKSHELF SHOWCASE #3 Daido Moriyama
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BOOKSHELF SHOWCASE #2 Street
配合Each Modern亞紀畫廊開幕首展森山大道「RADIATION」,NITESHA BGTP於展期間舉辦森山大道攝影集書展。展出經典攝影集包括:《日本劇場寫真帖》(1968, 室町書房)、《攝影啊 再見》(1972, 写真評論社)、《狩人》(1972, 中央公論社)、《光與影》(1982, 冬樹社)、《通往仲治之旅》(1987, 蒼穹舎)、《MORIYAMADaido 1970-1979》(1989, 蒼穹舎)等, 及多本收錄早期作品的攝影雜誌《朝日相機》、《PROVOKE》等逾50本書目。 To accompany the inaugural exhibition DAIDO MORIYAMA “RADIATION” at Each Modern Gallery, NITESHA BGTP is pleased to present a comprehensive exhibition of Moriyama’s photobooks from rare vintage to lately published titles, including “Japan: A Photo Theater” (Muromachi Shobo, 1968), “Bye Bye Photography” (Shashin Hyoron-sha, 1972), “A Hunter” (Chuo-koron-sha, 1972), “Light & Shadow” (Toujusha, 1982), “Journey to Nakaji” (Sokyusha, 1987), “MORIYAMA Daido 1970-1979” (Sokyusha, 1989). In addition to photo books, photo magazines such as “Asahi Camera”, “PROVOKE” and “Camera Mainichi” that included Moriyama’s early works will be showcased meanwhile.
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keijukita2018 · 6 years
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戦略会議 #08 作家研究 トーマス・ルフ/ ヨーゼフ・ボイスに惹かれる必然。
卒論の研究でトーマス・ルフをスタートにコンテンポラリーの写真について考えるということを進めようと考えた。 大学院のゼミで教授、院生仲間とのディスカッションでその中をもんで、トーマス・ルフとその前後含めドイツ芸術の成り立ち、特にデュッセルドルフに始まる芸術に関してのところをスタートに書くことにした。 これは正しかったと考える。おそらく「写真」という範囲に限ってしまうと1970年〜の写真の芸術的解放以降のベッヒャースクールの栄光、タイポロジーという方法論という話だけになり、本質に触れることのない話になってしまう。 ドイツ芸術写真史は当然のこと、戦後ドイツの歴史(今回は中世から読んでいるが)、ドイツ近代哲学、ドイツ芸術史と多岐にわたってアンテナを張り、それぞれを検証し、結びつけながら20世紀の終わりから現代に至るまでのドイツ芸術写真で何が起きていたのか?それを僕らはこれからどう考えるべきなのか?ということを検証して行きたいと思っている。 その前段となる部分を先月末に途中経過として書いたこととなる。 参照: ・「戦略会議 #08 作家研究トーマス・ルフ/ 本論 ドイツの歴史的な背景とドイツ哲学についての第一章下書き」
・「戦略会議 #08 作家研究 トーマス・ルフ/ 第二章ドイツ芸術の歴史 下書き」 今回、本を読むまで知らないことだらけのドイツであった。 2015年3月に居ても立ってもいられなくなり、思い切ってデュッセルドルフへ向かった。 「トーマス・ルフ氏の作品が好き」ということは確かにスタートとしてあったのだろうが、縁もゆかりもなく、遠く何も知らないドイツライン川の街になぜかずっと心を囚われたままであった。 当時はきっと「行けば何か」をという思いであったのだと思うが、日本ではほとんど見たことのない「デュッセルドルフ10日間の旅」みたいなホテルと航空券のセットで現地は自由行動のツアーを探り当て、向かったのだった。 ある意味で何もない街デュッセルドルフは魅力的だったが、10日も必要な街ではなく、結果として隣国ベルギーやオランダへ美術館巡りする拠点として過ごす街だった。 スイス、バーゼルに多くの友人が出来た今でも、ヨーロッパに何かのことで引っ越すことがあるのなら出来ればデュッセルドルフが最優先で次はバーゼルかな?と答えると思う。 何が僕をそこまで惹きつけてきたのかはよくはわからない。 気晴らしに読んでいたはずのアーサー・C・ダントー『アートとは何か: 芸術の存在論と目的論』がだいぶ煮詰まって来たので、卒論の必要書籍に少し戻ることにした。 トーマス・ルフに至るまでに、デュッセルドルフ・アート・アカデミーについてを詰めていく必要がある。 そのためにはどうしても避けて通れないのがヨーゼフ・ボイスという芸術家の存在だ。 今までの資料内で、ベッヒャーへの影響、ベッヒャーの同時代でゲルハルト・リヒター、シグマー・ポルケ、アンゼルム・キーファーへの影響を及ぼしたことは知っている。 つまり、ボイス自身も含めて、デュッセルドルフが「デュッセルドルフ派」と呼ばれる戦前のロマン絵画の反映以降衰退していた芸術における地位をデュッセルドルフ・アート・アカデミーが中心となり「デュッセルドルフ・アート・ミラクル」として1950年代、60年代に回復することになった中心人物たちに影響をしたということになる。 ではヨーゼフ・ボイスとはどんな芸術家だったのか?と聞かれれば、恥ずかしながら、名前だけ知っている「社会彫刻」とドクメンタの樫の木プロジェクトくらいしか知らなかったというのが現実だ。
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なんにせよ避けては通れないと、あちこちからヨーゼフ・ボイスの本を買い漁った。 なかなか見つからず、定価の���の値段で買った希少な本もある。 1983年の美術手帖から読み始めたのだが、惹きつけられる。 いや、惹きつけられた人の文章に惹きつけられるという表現の方が正しいと思う。 実際に本人を目の前にしていたら、今ほどに冷静な言葉では綴れないのだろう。 少しづつヨーゼフ・ボイスを知るにつれ、必然的に惹きつけられていることがよくわかる。 東日本大震災ののち、甚大な被害を及ぼした地震と津波という自然災害のことだけではなく原子力発電所というエネルギーの問題が話題になった。 このふたつのことが日本ではごちゃごちゃに進んだためになんとなく曖昧な基準だけを作ってうやむやに原子力発電所その���のの存在に対しては決まらないままにここまで来てしまった。 当初は自然災害を置き去りに、ここぞとばかりな反対派の姿勢が目立ったため、僕自身は東大が秋入学になったら入学式を桜の中で迎えられなくて学生がかわいそうじゃないか?という意見に東大の先生がそれなら秋に桜を咲かせてみせますと答えてたしょうな「日本らしい解決」を望んだ。 原発そのものを水に浮かせますみたいな驚くべき発想で解決するのが日本人だと思っていたのに、結果は高い堤防を作りますだった。 そんなことを日本がしている間に、原発そのものをやめるとした国があった。 ドイツだ。 ドイツは2022年までにすべての原発を停止し、脱原発を実現するとあっという間に決定したのだった。 実際にはそれなりに多くの問題も、課題もあるのだろうがその潔さに「なぜこの決定を当事者である日本が先に出来なかったのか?」と自国の政治をやや恥、ドイツへの憧れを強くしたのだった。 この決定にはドイツの少数政党である「緑の党」というものが関わっている。 80年に脱原発を掲げて、結成された環境保護派の政党だ。 地方政党からはじまり、3年後には連邦議会入りし、98年には連立政権へ加わって脱原発を実現している。 ヨーゼフ・ボイスはこの「緑の党」の結成メンバーでもあるのだ。 僕が今までの人生で何度となく理由なく憧れを抱いたドイツという国…その度に登場するファクターの全てにヨーゼフ・ボイスはおそらく関わっているようにさえ思える。 ヨーゼフ・ボイスは芸術を手段として、政治を変えようとしたのだ。 文章にしてしまうと、大きなだけで中身がなさそうでもあるし、やたら軽いことのようにも思えるが、ドイツはバウハウスが「デザイン」という概念を作ったことで、労働者の環境を変えたように概念で世界を変える実績のある国なのだ。 「芸術」というものの力を僕自身が想像しうるよりもずっと大きな概念で捉え、実践をしている。そりゃ近くにいたのだ、当然ベッヒャーにも影響はあり、自分たちの作品づくりのコンテクストをボイスの影響と結びつけるだろうと思う。 さらに、ボイスは特殊な死生観、いや死を乗り越えた体験を軸に作品を創りだす。 長い間、ずっと自分の余命を知りたいと思っている僕にとってはすでに死んだ人生のオツリを天才として生きるボイスの考え方ははっきりと自分とは違うが刺激的な考え方なのだ。 貴重な本にペンでガンガン線を引きながら興奮して読んでいる。 とても35年も前の出来事とは思えない。
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peterchiublack · 7 years
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郭文贵事件述评
《中国战略分析》2017.10.31
本文由旅美著名维权律师滕彪撰写,是迄今为止,关于郭文贵“爆料”最严谨的分析。文章首发《中国战略分析》2017.11,此为删节版。 http://www.freefq.com/dig/rac/index_2.html     2017.10.25   (删节版将首发《中国战略分析》2017.11)
    【提要:郭文贵的敛财之路,是一条官商勾结之路。其爆料,真实成分十分有限,为吸引眼球,其言论极端、离奇、色情、肮脏,对质疑者百般羞辱诽谤。郭赢得数量众多的粉丝也反映了人们痛恨腐败、对政治黑幕的好奇、“廉价变革虚假希望”以及“强人崇拜”等心理。郭并不真正追随民主、法治,爆料虽有一定影响,但与中国体制变革无关。郭文贵事件反映出的政治伦理等问题值得人们去讨论和反思。】     滕彪,德性、政治与民主运动——郭文贵事件述评, 《中国战略分析》,2017.10.31 。         2017年中文网络最重大的事件,无疑应该是郭文贵事件。这位挑起反腐大旗的亿万富豪,口才极佳、阳光帅气、个性突出,赢得粉丝无数。曹长青称之为“中国人里极为罕见的英雄”,郭国汀说:“文贵不但是个天才,而且是终结中共暴政的天使。”有人称郭文贵“将彻底改变中国的历史,把14亿人拉入人类主流文明。”有人说郭一人爆料带来的震荡,超过了海外28年的总和;还有网友称“郭文贵已成为中国勇士的代名词”,应该得诺奖。一时间郭被奉为民族英雄、民运领袖;他的形象被安置到各种传奇英雄的海报上,俨然称神入圣。     郭式敛财        郭文贵说:“我赚钱是天才”,“没从国家拿一分钱”,“没有一分钱是犯法得来的,没有一分钱是不干净的。”        姓名:郭文贵,或郭浩云,或吴楠(国安代号),或Miles Kwok。出生地:山东聊城莘县。出生时间:1967年2月2日或1968年10月5日或1970年。     郭文贵声称自己曾因援助八九民运而被当局以煽动反革命罪羁押;但根据山东濮阳市人民法院1991年的一份刑事判决书,当年无业的郭文贵,答应帮他人购买100吨汽油,却以"濮阳市石化局"的名义与他人签署协议,三次骗得7150元人民币,后被控诈骗罪、阻碍执行公务罪。郭文贵因拒捕袭警,其唯一的弟弟郭文斌亦持刀伤警,遭击毙。     郭文贵的发家路线图已有很多分析报道:“郭文贵出身基层,学历低,靠三寸不烂之舌游走官商界”,靠着国安后台和政府背景,“横行中国呼风唤雨。”(香港壹周刊)但他的“第一桶金”似乎还是个谜,按照章立凡的分析,“他入狱前是小打小闹。出狱后成为香港‘零售女王’夏平的司机,很快成为裕达总经理(夏为董事长),随即夏退出,郭任董事长。谁会把这么大资产白送?只有一种可能——代持。联系其身份,郭代持的是特殊部门的党产。”之后,郭文贵利用其“特殊实力和狠辣风格”(《财新》),偷听偷录、色情陷阱、黑道流氓、行贿诈骗、伪造文书、操控司法,有国安高层的特殊手段和保护伞,其商业对手纷纷败阵,郭的发家史可谓惊心动魄。     根据多方报道,郭文贵1992年开发裕达国贸,欠下银行巨额贷款,很多至今还没还清。欺诈哄骗百姓,用黑恶势力逼迁,给村民带来巨大损失。兴建裕达国贸的6000万美元,竟是从台商林鸿道诈骗而来;陈志瑶和陈耀东两位台湾建筑界名人也遭郭文贵骗走1亿多新台币。陈志瑶任职于郭文贵公司期间,一度被郭插赃嫁祸、被控制人身自由,被用枪指吓、严刑拷打、差点被迫签下文件而入狱。(《新新闻》)陷入郭文贵色情圈套的河南省交通厅长石发亮被判无期徒刑;郭当时勾结的郑州市委书记王有杰,后来被判死缓,但郭“积极配合调查”,得以脱身。按照郭的合作伙伴曲龙的说法,郭文贵在裕达开发过程中结仇过多,可能是导致他三哥离奇地被人割喉的原因之一。    郭介入郑介甫和赵云安之间的天津华泰之争,谢建升、郑介甫逃亡,赵云安、李明炯入狱,郭与合伙人曲龙反目,通过国家安全部副部长马建、河北政法委书记张越让曲龙获刑15年。     郭文贵得到张越、马建的协助,偷拍了“刘志华香港嫖娼”录像,导致北京副市长刘志华落马。兴建“盘古大观”时,“被人周街追装修费”的郭文贵,竟制造假税务证明、假承包装修合同、假发票等,从北京农行弄出32亿元巨额贷款;这次骗贷得到了保监会主席项俊波的支持。(《壹周刊》、《财新》)    2008 年 5 月至 2015 年 7 月间,郭控制的“裕达系”还采用伪造虚假购销合同、签订虚假股东会决议、伪造虚假增值税发票复印件等方式,先后 44 次从原开封银行等4家银行骗取贷款 14.95 亿元。(《新京报》)     政泉控股与北大方正之战,双方相互爆料,郭文贵利用国安马建的关系在方正集团的会议室内装了窃听器,并对李友行踪进行全方位监控,最后郭文贵的昔日盟友李友败阵,获刑四年六个月。郭在电话里对李友尖笑:“友兄,我告诉你,这个世界亲爹为了利益都可以卖儿子,可以为了房子把老婆卖了,你太天真了,我他妈太爽了今天,我看到你这样!”令人后背发冷。          被郭文贵称为“没有贪污一分钱”、“绝对爱国善良”的马建,在狱中详述了从郭文贵那里受贿共6000多万元,然后利用手中特殊权力为郭文贵牟利。比如,郭文贵的公司于2008年因建筑违规,马建派人以国安部的名义给相关部门发函,为郭文贵挽回数亿元的损失。在民族证券收购过程中,马建以国家安全的名义多次发公函并派人协调,迫使首都机场、北京产权交易所等单位为郭文贵接手民族证券提供便利。    2013 年,郭文贵通过马建、英国前首相布莱尔,骗取个别阿布扎比高层的信任,进而以投资中国金融资产为饵,与阿布扎比王室成员成立阿中基金。据网络各方面的信息分析,该“阿中基金”很可能是由郭代持的国家安全部的小金库,但郭的投资失误,损失6亿美元,后来马建被抓,郭仓皇出逃,财产被冻结,无力还债;为躲避追杀,逃到美国。     郭文贵的敛财之路,是一条官商勾结、违法犯罪之路。有媒体总结,郭犯有行贿罪、诈骗罪、骗取贷款罪、职务侵占罪、骗购外汇罪、侵害公民个人信息罪、洗钱罪、故意销毁会计凭证罪、伪造文书罪、非法拘禁罪等。“他賺的每一分钱都滴着鲜血。”(温云超)这说的当然主要不是政治和商业对手的血,也主要不是其家人、员工、合作伙伴的血,而是普通民众的血。八弟三哥惨死,多名家人、企业高管、员工入狱、遭恐吓、受酷刑;企业资产被冻结;马建的马仔、国安部处长高辉不明不白死于狱中;但郭文贵的逼迁、骗贷、行贿、洗钱、从事特务活动,真正受害者是大量没有姓名的村民、股民等。郭经常提及杨改兰,俨然成了一切悲惨百姓的代言人,殊不知杨改兰们的悲剧,原因恰恰是郭文贵、老领导们的巧取豪夺,是郭文贵们卖力维护的强盗体制。     郭氏爆料         郭文贵说,“诚实是最大的武器”。他多次赌咒发誓:爆料有一条不实就认罚10万美刀,“如有不实就去剖腹自杀”,“我背后就是佛,所有我当面说得话和背后的话,若有半点不同,大家可以杀我。”人们以为,郭有在中共商圈摸爬滚打的经验、国安部的特务身份,一定掌握大量的高层腐败材料;“保命保钱报仇”也使他有破釜沉舟的动机;同时,雄厚的财力、出色的口才、对自媒体的运用,都会使他的爆料锦上添花。     但郭文贵迄今为止的各种“爆料”,真实成分十分有限,绝大多数无法证实或已被伪,成为笑料。《纽约时报》:“郭文贵的指控未经证实,他的一些说法甚至是荒诞的,很容易被揭穿。”《金融时报》:“郭文贵的一些声称前后矛盾或毫无证据,西方记者对此很失望,但狂热的郭粉不在乎。” 《华尔街日报》:“郭先生的很多指控很难独立证实。”        郭文贵所爆王岐山亲戚姚庆的照片,经章立凡考证,实为呼伦贝尔市政协副主席姚庆,两人毫无关系。郭当作“关键证据”展示的姚庆账户信息,把美元兑人民币以及兑港币的汇率算颠倒了,出现1人民币=6.83272美元的笑话。     网友发现,郭文贵放出的海航乘机信息中,一名叫刘欣的女士身份证号为“110105198006292956”,但根据中国身份证编号规则,第17位数字单数特指男性,双数才是女性。此外,郭公布的孟建柱女儿孟海晶的护照号码E20888361,其实是河北男子王某的护照号;孙立军的儿子孙尚华的护照号则属于吉林女子杨某;性别全搞错。    郭文贵拿出一些A4纸说是贯君和刘呈杰的DNA检测报告,称两人DNA的相似度只有2%到3%,但人与人之间99%的DNA序列完全相同的,这是基因学的常识。事实上DDC公司根本没有做过这个报告,造假团队下载拼接而已。    他展示一份《中共中央办公厅关于调整针对特大犯罪嫌疑人郭文贵宣传工作策略的批复》,该文件被指在行文格式、内容等设计上有诸多错误,显系伪造。     他多次移花接木,弄混了北京電視台主持人、生于1975年的王芳,和周小平夫人、生于1985年的歌手王芳。郭文贵声称的名为赵月琳的中共高官“情妇”的照片,其实是台湾知名的健身网红蔡昀洁。两名被指是政法委高官的“情妇”照片,则是在网上随意就能搜索到的减肥广告女模特儿及旗袍女模特儿。他列举的公安部内保局长孙力军在澳大利亚的房子,结果有两套属于音同字不同的另一个孙利军。    郭文贵所爆王岐山与当红明星范冰冰开房的“范冰冰裸露床照”,被“万能的推友”识破,其实是把电影《苹果》剧照截图调转了180度。    郭“913直播”称:姚依林在其妻子洪寿子葬礼上,与杭州女孩萱萱做爱被外孙女撞见。然而姚依林1994年就去世了,其妻洪寿子2001年仍能参加其子姚明伟的葬礼。章立凡揶揄道:死人姚依林如何在活人洪寿子的追悼会上淫乱?     郭在华盛顿的记者会上展示的“绝密文件”《国务院办公厅、中央国家安全委员会办公室关于2017年度秘密增派何建峰等27名国安部人民警察赴美执勤工作方案的批复》,文件编号不符、单位级别不符、与正式公文字体和落款、文件用词、盖章格式不符等,漏洞百出。网上可以查询到国办函〔2017〕80号和〔2017〕83号 ,时间都在8月,而这份国办函〔2017〕82号,日期却是4月21日;而且末尾一个是电子印章,一个更像是胡萝卜章。这种秘密特务工作竟然由国务院办公厅、中央国家安全委员会发“批复”,而且竟然有人偷出原件交给海外的郭文贵,实在说不通。     最大的笑料大概是,他声称烧掉了三份对“许多人的生命有着巨大的威胁”的“绝无仅有”的文件,原因竟然是哈德逊研究所取消了他的演讲。一个正在办政治避难、最需要真料的偷录狂,竟然赌气烧掉可以“保命”的绝密文件,这只有两种可能:要么是弥天大谎,要么是智商过低。         郭文贵说:“我没��任何犯罪记录”、“没有任何人起诉我”。但他早在1989年就入狱,美联社报道指,郭文贵在中国国内涉嫌包括绑架、诈骗和洗钱在内的19宗刑事案件,以及100多起民事案件。郭在海外还涉嫌监听记者、政要,跟踪和威胁民主人士和媒体人士,伪造文件等。潘石屹、胡舒立、范冰冰、黄艳、许晴、博讯等都对郭文贵提起了诉讼。郭文贵对员工马蕊实施多次强奸和非法拘禁,性质极其恶劣,有马蕊保留的物证(内衣、验孕结果及堕胎药等)、有助理王雁平和马蕊的录音、有美联社、路透社等大量主流媒体报道,郭竟能矢口否认。《新京报》等报道称,“盘古董办秘书丁某,2010年被郭文贵强奸。此后,每两周郭文贵都要与其发生性关系。据丁某称,郭文贵与多名盘古公司高管、秘书都长期保持性关系。2010年10月,郭文贵酒后在餐厅门口看到盘古餐饮部秘书陈某,指示两名保安将陈某带到酒店房间内,欲强行与其发生性关系。陈某激烈反抗,郭文贵未能得逞。”“郭文贵对强奸身边女员工并不感到羞耻,还多次向外人吹嘘他的强奸逻辑:‘只有霸占了女人的身体,才能霸占女人的心,才能放心把工作交给她。’”。           不必一一罗列,上面这些足以说明郭文贵撒谎成性。帮助他制造爆料视频的弗瑞德牧,也现身讲述了造假过程。郭文贵拿钱收买其他团队造假、收买某些媒体人、民运人士充当吹鼓手的,部分证据已经被公开。郭喜欢说,“就算我是杀人犯,也不影响我爆料啊!”听起来没错,但“撒谎”会影响。撒谎太多,失去公信力,爆料如何让人信服?不算中共五毛的话,质疑郭文贵的人全都支持郭文贵报真料,希望郭的爆料或线索能够冲击中共腐败体制,至少让中共丢丑。但大半年下来,真料极有限,笑话一箩筐,自摆乌龙,自丢其丑。     郭氏人格        表面上,郭文贵的语言滔滔不绝,有个性、有感染力、有冲击力,并且不乏深刻见解。不过冷静分析郭的话语举止,倒是有以下特点:    极端。郭称“我准备他们的料准备了28年”、推文“一个月阅读270亿”、“爆假料就当众剖腹自杀”、“核弹级爆料”、“爆料可引发上千万人上街,那就没有19大了”、“基辛格跟我太熟了,中国的事儿他都听我的”等,耸人听闻,夸张无度。     色情。他津津乐道于性爱细节,“怀孕小手”、“爆肛”、“肛裂”、“玩人家一家四代”、“带着月经带还要做爱”、“处女阴道里养红枣”等,同时伴随着猥琐表情,在直播时也无法控制,越说越亢奋,越说越露骨。他编造范冰冰、董卿、许晴、梅婷等明星的绯闻故事,明显属于恶意诽谤,目的就是靠下三路、黄段子、靠明星的知名度、靠网民的猎奇心理吸引注意力。    离奇。“马航370失踪之谜”、“雷洋之死”、“中美大战”、“绝密文件”、“三次立国家一等功”、“无人机暗杀”等等,他能在接受傅才德采访时突然接到“习办”电话,能“随时随地拿到中共的高级文件”。夸张、淫秽、离奇,都是郭氏吸睛大法。    撒谎。前一节已有论述。推友@pandaluvbamboo 眼中的郭文贵:“一张口就满嘴跑火车,两小时不打半个磕巴,三句话里能带四个谎,从中南海到曼哈顿,土共洋人通吃。”     谩骂。郭氏单口相声中杂夹着数不清的造谣、诽谤、谩骂和对女性的歧视、羞辱。(郭曾说“我最尊重的是女性”。)面对马蕊的强奸指控,他不但不思悔改,矢口否认,反而对受害者百般羞辱:“有人強姦豬,都不會強姦她去。就馬蕊那長相,她強姦豬,豬都得自殺。”人品之恶毒,可见一斑。    肮脏。郭文贵痛恨一切批评质疑他的人,睚眦必报;每次都用他给起的侮辱性外号来称呼:夏痔疮、章痔疮、癞蛤蟆李、乱伦彪、韦屎、屎诺等。不论是训斥员工,还是脱口秀,他在出口成“脏”方面似乎独具天赋。    自恋。喜欢炫富,炫耀自己和名人高官的交往,喜欢自拍、晒健身图片。这种自恋有时候达到狂妄和自我造神的程度,粉丝们把他捧成英雄、领袖、圣人,欣然接受。郭文贵哄骗马蕊时说的原话:“你应该把我当成神,知道了吗?否则就是灾难性的错误,我就是你的核心力量。”    轻诺寡信。郭爱打赌、爱许诺、爱发誓。他曾许诺的推特党旗设计费50万美元、5亿美元给以色列公司研发推墙软件、悬赏10万一条假料、斥巨资状告国际刑警组织、不少于200家全球知名媒体参与的新闻发布会、到美国国会作证······无一兑现。     煽情。他的语言具有很强的煽动性,简单、夸张、坚定、不容置疑、脸谱化、口号漂亮、情绪饱满、善于表演,利用一些人的猎奇心理、窥淫癖、强人崇拜心理,巧妙操控受众,吸引一批又一批的郭粉山呼万岁。他自称草根,消费杨改兰、泛亚、e租宝事件,装扮成一切穷苦人、受冤者的代言人。     专制。郭习惯了在家里、在公司当老大,对孩子、对员工、对生意伙伴往往飞扬跋扈;结交的都是权贵、富豪,对普通百姓极端蔑视。马建承认,曾动用国安关系为郭文贵大量删除网络负面报导。据《新京报》,2012年11月22日,得知原河南裕达公司员工黄峥在网上发帖令郭不满,郭文贵六哥郭文存将黄峥从广州骗至北京盘古酒店,赵广东等人对其实施人身搜查、殴打,造成黄峥多处淤青,逼迫黄峥删帖并写下悔过书。郭来到推特上也企图搞一言堂,怂恿和发动郭粉不择手段攻击对他质疑批评的人。        言行反应人格、心理,下面这些名词是从网上搜集整理的:     “谎言癖”是怪僻型人格障碍的一种特定类型。说谎成瘾,即使在不需要说谎的时候仍然会说谎,有意编造一些幻想性的故事、一段很神奇的经历来让对方相信,以欺骗行为来达到一种内心的满足。    “秽语症”,就是指通过语言性性活动而获得性满足的习惯和癖好,也叫猥亵语言症,一般为法律和习俗所限定不宜公开的与性有关的语言。    “专制人格”也叫威权人格:对弱者夸耀自己的力量,排斥、拒绝,而对权威者又卑躬屈膝,绝对服从;对上谄媚、柔弱,对下跋扈、残暴;外表强,内心弱;遇弱者要行使独裁,遇强者甘被奴役。     “自恋型人格障碍”表现为具有自我重要的夸大感、要求过分的赞扬、缺乏同感、不合理地要求他们顺从他的期望、在人际关系上为了达到自己的目的而占有他人的利益、举止傲慢等。     “表演型人格障碍”的表现有,常以自我表演、过分做作和夸张的行为引人注意,自我放任、不为他人考虑,情绪外露、表情丰富、娇柔做作、易发脾气,情绪多变、易极端、易激动,思维肤浅、不习惯于逻辑思维,言语举止和行为显得天真幼稚。     “边缘性人格障碍”的特征有“不稳定的人际关系、不稳定的情绪、不稳定的自我意象和明显的冲动性”,如冲动性的酗酒、挥霍或药物滥用,不合宜地爆发强烈的愤怒、或对愤怒难以控制,極端的思考模式(非黑即白、要么极好要么极坏),等等。(据@heheguoqiang(老斯基)曝光,郭文贵四年前因精神问题在香港跑马地的养和医院就医,被确诊为“边缘性人格障碍”。)    上面六个名词有点超出我的专业领域,不好置评。郭文贵的人格是否属于以上几种分类,或者程度之轻重,读者可自行分析判断。     郭氏粉丝        比郭文贵本人更有分析价值的,是郭粉现象。除了拿钱的民运小丑和水军以外,郭粉的人数的确不少。郭文贵爆料为何能吸引这么多支持者?     令狐补充认为,“为什么郭文贵在twitter上有如此多各色各样不管不顾一味死撑的脑残粉?直接真切的理由是’支国苦赵久矣’。”中共政权剥夺公民的选举权、言论自由、信仰自由,官商黑疯狂勾结,一切公权力腐败透顶,城管、警察滥用暴力,贫富悬殊,道德沦丧,生态环境被破坏,数十年野蛮专制,积累了太多的怨气乃至仇恨。突然间发现这样一个“战神”在挑战中共,在一厢情愿的心理投射之下,在人多势众的放大效应之下,成为郭粉,顺理成章。郭像是一个高明的催眠师,利用强烈的心理暗示,把观众们带入事先拟定好的剧本,故事越离奇、细节越夸张、情绪越亢奋、目标越宏大,越能达到煽动效果;质疑者被打成特务、人渣、“伪类”、“蓝金黄”,再找一些所谓民运、公知、媒体人之类的“托儿”跪舔吹捧、奋力配合,就迅速造成了郭网红万众追随的景象。很多不认同郭爆料的人不想趟浑水,更使郭粉的声势看起来远远大于公开质疑者。“广义人权民主活动人士和网络活跃人士很多对此保持沉默,可能是因为畏惧心理,害怕得罪那个惹不起的网红和为之站台江湖名人以及他们共同制造出的汹汹民意。”(沈良庆)         “无论官方说什么大家都不信。无论如何胡说八道,但反对官方的,大家都愿意相信。”(章立凡)原因当然是中共撒谎太多、作恶太多,尤其是腐败问题。我曾总结过“中共腐败定律”:1,官场逆淘汰,不腐败是例外。2,腐败的概率和数额,与官员实权大小基本成正比。3,腐败被惩处的概率和轻重,与官员或其靠山的实权基本成反比。4,腐败是全局性、制度性的;而反腐是权力斗争,是非制度性的。不妨再加一条:5,越高层的腐败,越难以找到证据,有的甚至不构成违法犯罪。比如家族垄断、亲友洗钱、法律或政策性的倾斜、职务范围内的内幕信息、以正常买卖和招投标为名、用司法判决作来掩盖,等等。有了这几条,要说王岐山、孟建柱不腐败,那是幼稚;要说习近平、马建、“老领导”不腐败,那同样可笑。任何人随便声称任何一个高层官员腐败,准错不了。但郭的特殊身份(国安、流亡富豪、网红),加上有鼻子有眼的细节,加上真真假假、偶有真料,愿意相信的当然少不了。宫廷政治、信息黑幕之下,人们对高层内幕、小道消息总是充满好奇心。     推友@WYW688(王铁人)说,‏挺郭除了满足对中共敢怒不敢言的心理、听官场名人下三路的猎奇泄愤心理,更契合了多数国人心中不必付出就可以让中共倒台的愿望,这一切就如同给有毒瘾的人抽鸦片。@xcityonfire(六四广场‏)则认为,挺郭者并非集中于社会底层,而是拥抱“廉价变革希望”的中层,体制内外“中产”群体。挺郭者中不乏教授、维权律师、作家、记者、白领等。鲍彤先生称“郭文贵就是我的老师,郭文貴打開了我的眼界”,让他认识到了中共的黑暗,这让人啼笑皆非。1949年入党、经文革冲击、做赵紫阳的政治秘书、亲眼看到六四屠杀、入狱七年,竟然不知道党是黑的?刘晓波死无葬身之地、法轮功、巴拿马文件、709律师、重庆唱红打黑、毒奶粉、聂树斌、李旺阳没有让他认识到党的邪恶,郭文贵这个“国安特工、铁杆专制拥护者、恶迹昭昭的诈骗犯、洗钱者和强奸犯”(刘水语)倒成了启蒙老师?     “廉价变革希望”的确占了当下中国潜意识市场上巨大的份额,涵盖了社会各界、体制内外、中产和底层,维权甚至“民运”人士。他们对专制体制有不同程度的痛恨,对政治愿景有不同的设想,对改变现状有不同程度的渴望,但他们都反对革命、主张改良,反对激进、主张渐进。三个代表、胡温新政、人权入宪、先法治后民主、党内民主、体制内健康力量、四中全会重提依法治国、中产阶级、公民社会发育、互联网、劳教被废、习近平是习仲勋儿子、老虎苍蝇一起打、王立军事件、周永康落马······这些都是他们贩卖过的“廉价变革虚假希望”——100次被抽脸,101次冒出来。顶郭是这种心态的一次集体发作而已。拥抱这种廉价幻想,往往伴随对真正反抗者价值的贬低,伴随着自己不付代价的搭便车心理,伴随着中国可以不经过抗争、不经过革命性动荡就能顺利和平转型的美梦。     这次网络义和团,也反映出群民的“强人崇拜综合症”。对领袖、超人、英雄、圣人的膜拜,超过了一定的度,就会成为专制的沃土。而且在一些人那里,“强人崇拜”往往不分善恶,希特勒、斯大林、本拉登、萨达姆、习近平,只要有权、有名、有钱到一定程度,都被当作 “成功者”、“伟人”甚至“神”去崇拜。对超级富豪网红郭文贵,郭粉不关心他财富积累过程的罪恶、不关心他的道德、人格、政治立场;崇拜本身是一种需要。“圣人崇拜、英雄崇拜之外,还有痞子崇拜。痞子崇拜还是愈演愈烈,毛太祖时达到高峰。对郭文贵的痞子崇拜,规模小得多,也会很快结束。”(宁文忠)@PhilGo2(曉非‏)说,“单说郭粉因虚假希望的投射而饥不择食,并不能完全解释这些煞有介事的顶郭言行以及对质疑者荒诞透顶的低级谩骂。长期浸淫于极权环境下,对丑恶的熟稔和对文明的无知塑造了这些人——憎恶显而易见的邪恶,却又轻易被另一种邪恶所吸引。尤其令人难以忍受的是,他们一拥而上时竟然毫不掩饰自己糟糕的审美。”     与腐败、荒淫、谎言、酒精、奢侈品、语言暴力形影不离的郭文贵,是中共党国体制所生产出来的恶之花。“一个撒谎成性的黨,近百年来就在人群中搜罗和培训’脸不变色心不跳’的稳定撒谎者,六亿人民时就聚集培训了成千上万这样的撒谎者,因此打败了另一个黨国。现在14亿人了,训练出郭、王这样的撒谎高手,本不是奇事儿。”(李伟东)推友@tongyimubiao(统一目标)说,郭文贵集中了国人之恶,“欺骗,残忍,势力投机,无知狂妄,贪婪小气,愚蠢狡猾,无法无天,傲慢骄横,暴躁易怒,嚣张跋扈,猥琐卑劣,下流无耻,两面三刀,睚眦必报,撒谎成性,反复无常,不择手段,花言巧语······郭粉在郭文贵身上不是找到了希望,而是找到了内心真正的自己,郭文贵说出了他们平时不敢说出的假话谎言,表达出他们不敢表达的厚黑观念。”作家茉莉提到,她认识的一个人心仪郭文贵,完全不在乎郭的恶劣人品,这个女人说:邪恶就是美。    ‏ “群众从未渴求过真理,他们对不合口味的证据视而不见。假如谬误对他们有诱惑力,他们更愿意崇拜谬误。谁向他们提供幻觉,谁就可以轻易地成为他们的主人;谁摧毁他们的幻觉,谁就会成为他们的牺牲品。”(勒庞)生活在极度奢华、也极度恐惧中的郭文贵,自然渴望得到认同和赞美,对一切批评质疑都无法容忍。吴仁华只是提出善意的建议、胡平只是轻微质疑,都遭郭文贵破口大骂。有什么样的偶像就有什么样的粉丝,郭卫兵们更加不堪;不但质疑者被谩骂、被抓���务,连挺郭不力的、甚至旁观不语的也未能幸免。官商勾结、谎话连篇、拥独裁者为圣人的国安特务倒成了民主领袖,成了判断别人是不是特务的标准;这种荒谬逻辑竟然还有大量郭粉不假思索地接受。反抗群氓和暴民,绝不比反抗暴政更容易。霍弗在《狂热信徒》中说过,“(狂热者)无法被说服,只能被煽动。对他而言,真正重要的不是他所依附的大业的本质,而是他渴望有所依附的情感需要。”“当我们在一个群众运动中丧失了自我独立性,我们就得到一种新自由——种无愧无疚地去恨、去恫吓、去撒谎、去凌虐、去背叛的自由。” 前不久被热议的禁书《巨婴国》,指多数中国成年人在心理上还是婴儿。这让我想到大前研一所描述的“低智商社会”,不读书或者只有幼稚书籍,对各种谣言缺乏起码的辨别力,容易受媒体操纵,人云亦云,得过且过,从不深入思考,沉湎于文化快餐、社交网络、电子游戏之中。粉丝也影响偶像,郭粉也在某种程度上强化了郭的偏执、跋扈和臆想。     郭氏“革命”        何清涟认为,“郭氏推特革命”,缘于追随者对发起者的有意误解,却“包含着未来中国革命的诸种隐喻”。郭的支持者说,我们不管郭文贵的历史、他的动机、他的人品,凡是反共的我们都应该支持,郭文贵反共,所以我们必须支持。         问题一:凡是反共的我们就都应该支持吗?敌人的敌人就一定是朋友?希特勒、ISIS也反共,我们要支持希特勒?伤害中共的就是我们的朋友?看历史的话,对中共伤害最大的当属毛泽东。有人根本不去理会村上春树的语境和本意,说什么鸡蛋与墙,要永远站在鸡蛋一边。这种非此即彼的选边站思维也相当低级。纳粹被灭前夕、本拉登被围剿时属于弱者,难道要站在他们一边?“反共不等于就站到了道德的至高地。我們反共是因为中共所为有悖公理正义,我們反对一切对自由和美好人性的威胁,反共并非终极目的——何況郭文贵并不反共。”(雪笠)我的朋友陈年老酒说得精彩,“敌人的敌人不一定是朋友,敌人的奴才一定不是朋友。”         问题二:郭文贵反共吗?不能否认,郭文贵有一些听了过瘾的反共言论,比如“这个体制是杀人的体制,是魔鬼的工具”,“不腐败就不能活的体制”,在华盛顿记者会上还说出“我要推翻这个政权”。但相反的话他说得更多:他赞习近平为“千年圣君”,强调“共产党员99%都是好人”,明确表示和民运切割,反复强调“不反政府”等等。高智晟律师评论说:“郭文贵满嘴胡诌说中国官员多数是好的,坏种只是极少数人,这是他不可饶恕的狡黠和不义的继续。”“郭七条”对中共体制的维护,远远大于伤害。他发明“盗国贼”一词,潜台词其实是:盗国贼是个别的,共产党是好的,干部的多数是好的,而且习近平是不知情的。事实当然是“以习主席为核心的党中央在以黑治国以警治国,习主席兼中共总书记在以贪反贪以黑反贪。”(何岸泉)郭故意掩盖问题的核心:腐败的是“盗国党”用暴力维持的专制体制。有人呼吁郭文贵参与民主运动、推翻一党专制,郭的回答是:“文贵无法苟同,更不可接受。中国虽然现在存有这样那样严重的问题,但绝大多数共产党人和中国人还是积极向上的,在过去几十年里,中国共产党、中国政府和中国人民共同在生产经济、社会发展、文化生活等方面创造了鲜有的奇迹,大家有目同睹······”         问题三:郭文贵希望中国成为法治国家吗?好像是。如果有法治,其家人员工受酷刑、财产无保障、生命受威胁的事情就可以避免。但假如有法治,他能勾结高官、骗贷骗迁、操控司法、大肆敛财吗?他的不义之财,不都是因为他在这种腐败体制下如鱼得水的本事吗?郭文贵从体制中攫取巨额利益、深度为国安工作,即使偶然成了政商恶斗的失败者,也没停止过与体制勾兑。或许根本就不存在什么郭氏“革命”,只有郭氏勾兑。他在自己公开的8月26日致中共最高层领导人的一封亲笔签名信中写道:“文贵谦卑而真诚的珍惜(孙力军)副部长、孟书记和各级领导给我的这个机会,我一定以身相报······为习主席奉献自己的一切!”“能否将文贵现在的影响力与资源尽快转化为报答于习主席中国梦!”“能否站在国家利益习主席国际大策略的基础上给文贵一个明确的目标任务,戴错立功,用结果表达拥习爱国呢!”特工,爆料,勾兑,舔习,推特党,政庇,“三姓家奴”嘴脸,跃然纸上。         有的支持者愿意退一步:不管他主观意愿,只要客观上起到了反共的效果,我们就应该支持。赖建平律师说:“郭文贵爆料凝聚起28年来一股空前的、人民集体抗争的共同意志。”也有人认为不过是一地鸡毛,如推友@jimwujq(弗里德里希)‏:“郭某人爆料,目的是私利,手段是厚黑,本质是权斗,过程是不义,结局是皆输,于中国大陆民众的法治自由民主诉求没有任何进步意义。”到底如何评估郭爆料的客观效果?     郭的爆料当然给中共造成一些麻烦或恐慌,让一些人更认清了中共的腐败和黑暗。这从当局的应对也可以看出来:通过国际刑警红色通报、派官员来谈话、释放曲龙、获取并发布郭文贵的大量私人谈话音频、组织针对郭文贵的诉讼和抗议、发动水军、黑客攻击、抓捕传播郭视频的网友等等。(The Diplomat评论说,“就算郭所声称的东西全是假的,中共也不愿意这些谣言流传。”)但郭集中火力猛攻的那些人——王岐山、孟建柱、傅振华、孙力军等等,几乎没有受到什么影响。对海航当然有影响,但海航被媒体爆料早在郭文贵之前,郭并没增加多少可证实的、有价值的东西;私生子云云,只是一说而已。就算王岐山、孟建柱等人被双规,又如何?(黑帮政治的黑幕操作之下,如何证明那是爆料的结果?)就算七常委全都抓了,又如何?常委换了一茬又一茬,专制依旧在、腐败更猖狂。郭希望的不过是换成他老领导这一派的人,然后继续腐败,继续选择性反腐。我们要改变的是腐败体制、一党专政,与高层换人游戏基本没关;饱虎走了,换成饿虎,甚至更坏。     郭说他的核弹级猛料爆出来,会有千万人上街,这是痴人说梦。不要说他根本没有猛料(或者赌气烧掉了),就算真有,能比天安门屠杀、法轮功、天津大爆炸、巴拿马文件、709、朝鲜核爆、雾霾、股灾更大?难道没有郭爆料,大家就不知道中共有多腐败?难道知道了中共腐败,就能上街?就算千万人想上街,又如何组织协调?“这种对胡言乱语的相信和起哄,对于打击中共没有任何作用,制造不了任何混乱和撕裂,反倒是郭卫兵来势汹汹地压制了真正有效和冷静的民主革命思维和策略。愚民从来抵御不了极权,甚至从来都是极权的帮凶。”(李伟东)        再退一步,有些郭粉说得比较直白:和中共斗,你们那些和平、理性、诚实、文明的手段永远没戏,28年来一事无成;中共是流氓政权,唯有比中共更流氓、更凶狠、更不择手段,才能打败中共。反郭的人犯有道德洁癖,道德制高点是有了,但在政治博弈上却是幼稚的。     在复杂的政治现实中,只重视道德当然太过迂腐,纠缠于运动领导者的私德也没有必要。但“道德洁癖”指的是道德上过分苛刻,而我们讨论的郭文贵和网络义和团却是公然的假恶丑。而且这里谈的不是私德,而是公德。涉及政治事务,公德当然要考量,何况犯下洗钱、强奸、绑架诸多罪行的前特工?何况是拥戴独裁的勾兑者?     目的正确,可以不择手段?一、谁来判断“目的”?依据什么判断?何况郭的目的其实不是大多数郭粉的目的;二、谁来判断“正确”,用什么程序、什么标准判断?反共就绝对正确吗?反共就等于民主?民主就正确?何况郭未必反共;三、目的正确可以不择手段,恰恰是与枪杆子里出政权、成者为王败者寇、毛氏中共哲学、极权主义原则相通的;四、不择手段是什么手段?造谣、暗杀、假钞、恐怖主义?这些方法有效?就算成功,如何保证建立的新制度不是更可怕的?“在一个专制社会,当理性、和平不能推动制度转变,人们本能地会相信流氓对抗强权的强大力量。但以流氓对抗流氓,其后果必然是走到民主转型反面——社会野蛮化和诞生新的独裁者。”(刘水)“郭文贵所用的手段与共产党如出一辙。······不道德的过程不可能得到道德的结果。”(王力雄)         民主力量靠什么挑战中共专制?若论资金、技术、组织性、人数,都不如中共的万分之一。但在道义力量、合法性、公信力方面,中共则是先天不足。当然仅靠道义是远远不够的,但是得道多助,物质实力可以积累,时间在我们这边。民间道义力量和公信力的积累,要靠行动与牺牲、靠勇气和人格的感召、靠冷静的理论探索与观念的传播、靠长期合作和民间组织建设、靠时间的积累。如果郭文贵这种撒谎成性、恶行累累的罪犯小丑都要支持,如果为了钱而给郭文贵这样的人站台并且吃相难看,如果违背基本的民主精神去配合“小独裁者”造神,如果一切流氓手段、邪恶方法都去采用,那么民间的道义力量和公信力将被迅速消耗,还剩下什么去战胜专制、建立民主?         又有人说,你也是从事民主人权工作的,这次为什么要违背民意?那我要问了:如何判断民意?支持郭文贵真的属于多数、反映民意吗?民意(多数)就一定正确吗?少数(或极少数)就一定错误吗?民意就一直不变吗?文革时公开反毛的有几个?多数就能剥夺、压制少数声音吗?从事民主人权工作为什么就必须“顺从”民意?事事顺从民意,还有什么独立思考的必要?        还有不少人说:就算不支持,大家看戏就好,何必站出来反对。我相信前面说了这么多,答案应该已经有了。    
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lolingning · 7 years
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NITESHA BGTP - Book Gallery Taipei 
10.10.2017 now Open > March 2018 Relocation!
日本古書店・二手舍(nitesha)成立至今, 以網路書店型態致力於推廣舊書、建立線上書籍資料庫。作為一間實驗空間, 二手舍於2017年10月在亦安畫廊台北空間內設置第一個實體據點-「書的藝廊 NITESHA BGTP - Book Gallery Taipei」,並與亦安畫廊台北聯合企劃「台- 攝 影 與 書」特展 。
2017年底,亦安畫廊台北結束營業,更名為Each Modern亞紀畫廊於2018年3月重新啟動。 NITESHA BGTP二手舍也隨之搬入新址。配合Each Modern亞紀畫廊開幕首展森山大道「RADIATION」,NITESHA BGTP於展期間舉辦森山大道攝影集書展。展出經典攝影集包括:《日本劇場寫真帖》(1968, 室町書房)、《攝影啊 再見》(1972, 写真評論社)、《狩人》(1972, 中央公論社)、《光與影》(1982, 冬樹社)、《通往仲治之旅》(1987, 蒼穹舎)、《MORIYAMADaido 1970-1979》(1989, 蒼穹舎)等, 及多本收錄早期作品的攝影雜誌《朝日相機》、《PROVOKE》等逾50本書目。 NITESHA BGTP 的經營概念是, 不論類別、古今東西, 精心嚴選具「啟發性」而有「存在感」的書籍。空間內並設有「BOOKSHELF SHOWCASE」和「一書一品 ONE BOOK - ONE WORK」區,其選書和展示將定期更換, 盼能帶給愛書人「僅此一家別無此書」, 值得流連忘返的書廊。 
In 2017, nitesha opened its first experimental space NITESHA BGTP – Book Gallery Taipei inside Aura Gallery Taipei and cooperated with Aura Gallery Taipei presenting “Taiwan – Photos and Photobooks” exhibition. 
At the end of 2017, Aura Gallery Taipei closed its space and changes its name to Each Modern Gallery. Accordingly, NITESHA BGTP - Book Gallery Taipei moves to the new location inside Each Modern Yaji Gallery from March 2018. To accompany the inaugural exhibition DAIDO MORIYAMA “RADIATION” at Each Modern Gallery, NITESHA BGTP is pleased to present a comprehensive exhibition of Moriyama’s photobooks from rare vintage to lately published titles, including “Japan: A Photo Theater” (Muromachi Shobo, 1968), “Bye Bye Photography” (Shashin Hyoron-sha, 1972), “A Hunter” (Chuo-koron-sha, 1972), “Light & Shadow” (Toujusha, 1982), “Journey to Nakaji” (Sokyusha, 1987), “MORIYAMA Daido 1970-1979” (Sokyusha, 1989). In addition to photobooks, photo magazines such as “Asahi Camera”, “PROVOKE” and “Camera Mainichi” that included Moriyama’s early works will be showcased meanwhile.
NITESHA BGTP’s concept is to introduce books that are inspiring and have a presence regardless of its genre, new or used. Inside NITESHA BGTP, there are “BOOKSHELF SHOWCASE” and “ONE BOOK - ONE WORK” corners, the display and selection change from time to time. We hope to present book lovers a place that worth visiting at all times.
2017年10月、二手舎は台湾・台北市に実験店「NITESHA BGTP」をオープンいたしました。他店にはない本、ユニークなアイデアが盛り込まれた仕掛けのある本、デザインや造本など視覚的に見て面白い本など書籍の魅力を備えた品揃えに加え、「BOOKSHELF SHOWCASE」や「ONE BOOK - ONE WORK」といった特集コーナーも設置し、定期的に展示や品揃えも入れ替えております。日々沢山のお客様にご来店頂いておりますが、これもひとえに普段からご利用頂いておりますお客様、ご支援して頂いておりますお客様に支えられて今がある、と実感しております。
さて、この度併設しておりましたAura Gallery Taipei(亦安畫廊台北)が新たに名称を「Each Modern 亞紀畫廊」と変更し、また心機一転新たな場所で再びオープンするため、「NITESHA BGTP」も合わせて移転することとなりました。
「Each Modern 亞紀畫廊」でのオープニングは日本の写真家・森山大道氏の写真展を開催いたします。そこで当店も同展示に合わせまして「森山大道写真集展」を企画いたしました。長いキャリアを持つ森山大道氏がこれまでに発表してきた写真集の軌跡を、実物をご覧頂きながらお楽しみ頂ける構成となっております。どうぞこの機会に是非足をお運び下さい。
Relocation!
NITESHA BGTP - Book Gallery Taipei
new location 台北市大安區信義路四段156 號 (Each Modern亞紀畫廊内) No.156, Sec. 4, Xinyi Rd., Da’an Dist., Taipei City 10681, Taiwan (Inside Each Modern Yaji Gallery)  google map
營業時間 OPEN HOURS 週二 - 週日 12p.m. - 7p.m. 例假日、佈展期間不對外開放  Tue. - Sun.  12p.m. - 7p.m. Closed on Mondays and National Holidays 
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keijukita2018 · 6 years
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戦略会議 #08 作家研究 トーマス・ルフ/ 研究経過報告書 序文
月末に提出起源を迎える大学院の研究経過報告書だが、資料を読み込めば読み込むほどに視点が拡張するのは良いのだが、それを収束させまとめるというタイミングをいつからやるのか?ということにやや手を焼いていた。 まだまだ、調べたい資料があるにはあるのだが、それは最終的な論文作成のタイミングまでに読むこととして、いったん収束させる方向へ向かうこととする。 ドイツ史、ドイツ哲学、ドイツ芸術、デュッセルドルフ・アート・アカデミー、新即物主義、ヨーゼフ・ボイス、ゲルハルト・リヒター…とかなり、とっちらかってしまっていた内容をどう組み立てるのか?その構想だけで昨日1日かかってしまった。 ここへきてようやくわかってきたが、論文とは突飛なことを主張するのではないようだ。当たり前を積み上げて、積み上げて新たな視点を作るのだと思う。 今日明日の残り2日!気合い入れて書こう。 以下研究経過報告論文の序文 「トーマス・ルフの作家研究を通して、コンテンポラリーアートとしての写真を考える。」ーデュッセルドルフが現代写真の作家を生み出してきたのはなぜか?ー <序文>
2018年現在、コンテンポラリーアート(現代美術)の世界において、写真というメディアの表現はかつて絵画や彫刻といった表現が中心であったこのコンテンポラリーアートの領域に確実に入り込み存在感を増している。美術館やアートフェアでも年々、写真というメディアそのものであったり写真を使っての表現といったものが多くとりあげられるようになってきている。 「コンテンポラリーアートとしての写真」という言葉を用いて、その写真制作の背後にある一連の動機や表現の広がりを著書『現代写真論』(2010)の中で捉えようとしたのはシャーロット・コットンであった。それは、238におよぶ作品を写真表現に常に付いて回るテーマや様式ではなく、8つ(のちに9つ)のカテゴリーを用いて分類した。テーマや様式で分類しないということは、何が写っているのか?というモダン写真のにおいて「写真というメディアの本性」とされてきた
「「決定的瞬間」「メディアの純粋性」「1枚の写真」、すなわち1瞬間、1ジャンル、1枚の写真。(中略)これ以上分割できない(indeividual)、ひとつの「リアル」の現前へと還元し、その自同性(1=1:それが純粋にそれ自体であること=アイデンティティー)を補足する写真なのである。」
清水穣 (2012).   デジタル写真、この未知の領域   『美術手帖』 2012.08 p.51  美術出版社
という考え方とはまったく違う視点をもって写真表現というものを捉えるといった試みであったと考えられる。そして、そこに紹介された作家と作品は概ね1970年以降のものであった。「コンテンポラリーアートの写真」とそうでない写真とを分けるものは何であるのかを「表現としての写真に持ち込まれた批評性である」と仮説を立て、論考していきたいと考える。
では、「コンテンポラリーアートとしての写真」とは何であろうか?
「コンテンポラリーアートとしての写真」というものを考えた時、それ牽引する大きな流れが3つあると考えられている。セルフポートレイトによる《アンタイトルズ・フィルム・スティール》というシリーズで知られるアメリカのシンディ・シャーマン。美術史をリファレンスし、アポロプリエーションによる写真作品で再提示するカナダ、バンクーバーのジェフ・ウォール。そして、給水塔などドイツ近代の産業遺産を撮影し、類型学に基づくタイポロジーという表現手法で作品を提示したベルントとヒラのベッヒャー夫妻とベルント・ベッヒャーが教鞭をとったデュッセルドルフ・アート・アカデミーでその教えを受けた卒業生たちである。本論文においては3つ目にあげた、ベッヒャー夫妻とデュッセルドルフ・アート・アカデミー、特にトーマス・ルフの作家研究を進めることで、「コンテンポラリーアートとしての写真」とは何であるのか?従来の写真表現とどこがちがい、何をもってその作品は「コンテンポラリーアートとしての写真」とされるのかといった点を、なぜデュッセルドルフだったのか?なぜドイツだったのか?といった点をひとつひとつ紐解きながら、ドイツの歴史、近代ドイツが抱えていた問題、ドイツ国民の集団的記憶などその背景を踏まえて検証し、その起源を探るとともに「コンテンポラリーアートとしての写真」の未来を考えるものとする。
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