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#吉田茂は首相の器では無かった
ari0921 · 3 years
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宮崎正弘の国際情勢解題
【書評】
杉原誠四郎 vs 波多野澄雄『吉田茂という病』(自由社)
吉田茂は結局、首相の器ではなかったのだ
  占領終了直後、決断さえすれば憲法改正はできた
**************************
 吉田茂は、なぜか異様に高く評価されてきた。占領が解けて主権を回復したのに憲法改正をしなかった二流の政治家が。なぜ? 
 本書は正続二巻。副題が「日本が世界に帰ってくるか」となっている。
 吉田への高評価は第一に戦後の価値紊乱という背景があり、経済成長に政治家の評価の基軸が置き換わったからである。第二は敗戦利得者たちの尋常ならざる暗躍の結果である。
 戦後最大の政治家は岸信介だが、なぜ売国的外交を展開した「土建屋」の方に人気があるのか。それは日本人の精神が病んでいるからだろう。
 占領軍の負の遺産を、継承し、拡大して日本をおかしくしたのは、公職追放者が去った後、その地位に就いた21万人の敗戦利得者であり、まさに吉田茂が適切にGHQに対応する政治力があったら、日本は早くに正常に戻れた。正気凛とした日本が帰ってきていたはずである。
「敗戦利得者」の代表格は宮沢俊義、横田喜三郎らだが、ほかにもごろごろいるのでいちいち名前を挙げて論評すると数千パージが必要になる。
 なにしろ敗戦後、重要な人物は皆パージされるか、巣鴨に収監されていた。
 その場凌ぎができる口舌の徒、さしあたって米国と交渉の出来る能吏が必要で、外交官あがりの吉田はGHQのお眼鏡に適った。吉田は林房雄が主張した『大東亜戦争肯定論』のように長いスパンで歴史を見ていなかった。それがまず疑問である。単に昭和十年代に起きたことを「変調」と捉えていたようである。
 「このような浅い解釈が既に吉田が、占領期、占領直後の日本を率いる首相の資格を有していない」。多くの「負の遺産」を残したにもかかわらず、病気のような吉田評価が蔓延したと著者らは言う。そしてこう訴えるのである。
 「吉田の遺した負の遺産を克服し、負の遺産の結果『吉田茂という病』に陥ってしまっている日本を回生させることができるのではないか」。
 二人は大東亜戦争の総括も大義もしなかった吉田茂を次のように評する。
 波多野 「主権回復後、即ち独立後も、吉田首相のもと、自らの手によって大東亜戦争を検証するという気運は起こらず、首相としての吉田は全く無策でした」
 杉原 「こんなところに、吉田の宰相としての器のなさを感じる(中略)。他方で、外務省の戦争責任を隠して、けっきょく、かの戦争の大義を語るどころの話ではない状態をつくる」(351p)
 重ねて保守陣営の吉田茂評価さえ、いまもビョウキだと著者らが言う。
 高坂正堯、永井陽之助、半藤一利、堤堯、保阪正康、百田尚樹、楠綾子らを俎上に載せ論理的に批判する。
 「吉田ドクトリン」なる標語をつくったのはたぶん永井陽之助だった。評者(宮崎)は、永井が北海道から東工大教授として東京赴任になったとき(昭和42年だったか)に会いに行った。当時、かれの『平和の代償』はベストセラーだった。昭和四十年代初頭にやっとこさ、観念論的平和論ではなく、リアリストが出てきたと思った。翌々年には神谷不二が関西から慶応大学にきたので、またすぐに会いに行った。
 リアルポリティックスは確かに合理的なロジックだから、日本論壇で席巻しはじめ、入江通雅、桃井真、小谷豪治郎らがでてきた。
その前に高坂正堯が若くしてデビューしていて、何回か会ったし、京都の自宅にも伺ったことがあるうえ、ソウルのシンポジウムでは同席もした。しかし吉田茂評価でまったく評者とは意見が合わなかった。とはいえ高坂教授は学生の面倒見が良い人だった。
高坂のすこし後輩が矢野暢、教え子に中西輝政、島田洋一らがいる。
 本書に登場しないが、名著『さらば吉田茂』を書いた片岡鉄哉も論壇で存在感があった。片岡は自らをゴーリスト(ドゴールの自主独立、主権尊重路線)となのり、日本の核武装を唱えたが、米国のフーバー研究所で吉田茂を研究していた。米国生活を切り上げ帰国したが、不在が永すぎたのか、筑波大学教授を務めていたが、途中で日本に嫌気してフーバーへ戻った。
 日本の論壇では受け入れなかったのだろう。新宿でよく呑んだ。ワシントンでも片岡に会ったことを思い出した。皆、故人となった。
 さるにても吉田茂である。功罪相半ばではなく、むしろ多大な「負の政治」を遺した。
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toshihikokuroda · 2 years
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《その後、吉田氏はただ一人、米政府高官に囲まれながら、サンフランシスコ市内の米軍下士官クラブで安保条約に署名しました。他の日本側代表団は一切、条約の内容を知りませんでした。日本の占領を継続する安保条約が、闇の交渉で押し付けられたのです。》……😡😡😡😡😡😡 サンフランシスコ条約・日米安保条約発効70年
問われる主権と領土
2022年4月28日【3面】
 日本が形式的に主権を回復したサンフランシスコ平和条約と、日米安保条約の発効から28日で70年を迎えます。サンフランシスコ条約により、沖縄、奄美、小笠原が日本から切り離されて米軍の全面支配下に置かれ、千島列島を旧ソ連に奪われました。また、旧安保条約により、世界に例のない対米従属の道を歩むことになりました。日本の主権と領土があらためて問われています。(竹下岳)
闇の交渉で押しつけ
 1945年8月、日本は第2次世界大戦での無条件降伏を勧告した米・英・中・ソ連のポツダム宣言を受諾し、米軍を中心とした占領軍の支配下に置かれました。
 ポツダム宣言では、日本に「責任ある政府」が樹立されたら、占領軍は「直ちに撤退する」と明記されています。
 ところが47年3月、米政府がソ連封じ込め政策(トルーマン・ドクトリン)を採用したことで状況は一変します。ソ連の核実験(49年8月)、中国革命(同年10月)、朝鮮戦争(50年6月~)などが続き、「反共のとりで」としての日本の重要性が飛躍的に高まりました。
 最終的に、米政府は50年9月8日、対日平和条約と一体で、日本との2国間協定(安保条約)を結び、米軍を維持する方針を決定。ポツダム宣言を公��と踏みにじるものでした。
 しかも、安保条約は「必要な限り、(日本の)いかなる場所でも米軍を維持する」=いわゆる「全土基地方式」を採用。これが、日本が世界でも類を見ない「米軍基地国家」の元凶です。
 平和条約締結をめぐっては中ソを含む全連合国との「全面講和」か西側諸国のみとの「単独講和」かの論争がありましたが、当時の吉田茂首相は米国のダレス国務長官と密議を重ね、「単独講和」に踏み切り、日本は「西側」陣営に入りました。
 51年9月8日、48カ国の署名により平和条約が締結。その後、吉田氏はただ一人、米政府高官に囲まれながら、サンフランシスコ市内の米軍下士官クラブで安保条約に署名しました。他の日本側代表団は一切、条約の内容を知りませんでした。日本の占領を継続する安保条約が、闇の交渉で押し付けられたのです。
日本の防衛とは無縁
 安保条約の本質は、日本の主権回復後も基地を置き、部隊を駐留させ、地球上のどこでも自由に出撃する「権利」を米軍に保証することにあります。
 実際、条約の実質的内容は、第1条で「アメリカ合衆国の陸軍、空軍及び海軍を日本国内及びその附近に配備する権利を、日本国は、許与」すると明記しているだけで、米軍の駐留継続以外の内容は一切ありません。
 安保条約は60年1月に改定されましたが、「全土基地方式」はそのまま維持。さらに、(1)核持ち込み密約(2)朝鮮半島への自由出撃密約(3)基地の管理権密約―などが同時に交わされ、国民の目に見えない密約で、米軍の特権が維持されています。
 安保改定で新たに加わったのが第5条です。日本の施政下で日米いずれかに対する武力攻撃が発生した場合、「自国の憲法上の規定」に従い「共通の危険に対処するように行動する」というものです。外務省は「米国の対日防衛義務を定めたもの」だと説明しますが、米側は「われわれは地上にも空にも、日本の直接的な非核防衛に関する部隊は持っていない。それ(日本防衛)は、完全に日本の責任である」(70年1月26日、米上院外交委員会の秘密会、ジョンソン国務次官)との発言を繰り返しています。
 在日米軍の大半を占める海軍と海兵隊は1年の半分を海外遠征に、残る半年を、そのための訓練や休養、整備などに充てています。在日米軍は日本防衛とは無縁の海外派兵部隊なのです。
「植民地化するもの」
 「要するに、この協定は日本を植民地化するものですナ」。当時、若手代議士だった中曽根康弘氏(のちの首相)がもらしたのが、日米地位協定の源流である日米行政協定(安保条約と同日発効)です。
 同協定は米軍や軍属、その家族に、日本の国内法を上回る特権を与えていました。なかでも、刑事裁判権をめぐっては、「公務中」「公務外」にかかわらず、米側は米兵や軍属らの犯罪に対して、排他的な裁判権を有していました。さらに、米軍による基地の治外法権的な管理権や空域の使用、日本への自由な出入りなどの特権が明記され、これらは手つかずのまま、現行の地位協定に引き継がれています。
 刑事裁判権については、53年9月の行政協定改定で、「公務外」の犯罪は日本側が第1次裁判権を有するとされましたが、その際「裁判権放棄」の密約が交わされました。
 安保条約に対する「思考停止」から脱却し、あるべき安全保障の姿を模索する必要があります。
沖縄県民「屈辱の日」
 サンフランシスコ条約は第3条で、沖縄、奄美、小笠原諸島を、米国を「唯一の施政権者とする信託統治制度」の下におき、米国は「行政、立法及び司法上の権力の全部及び一部を行使する権利を有する」ことを定め、全能の支配者としての地位を得たのです。(その後、奄美は53年12月に返還、小笠原は68年6月に返還)
 日本が少なくとも形式上、「主権」を回復したのに、沖縄が日本から切り離された4月28日は、沖縄県民にとっての「屈辱の日」とされています。
 米軍は沖縄を本格的な軍事拠点とするため、53年以降、「銃剣とブルドーザー」による土地強奪を開始。さらに同年以降、核兵器の配備を開始し、ピーク時の67年には1300発が置かれ、県民は核と隣り合わせの生活を強いられました。
 増強された基地はベトナム侵略戦争への出撃拠点となり、激しい訓練による事件・事故も相次ぎました。
 また、米兵による殺人、交通事故、性的暴行といった凶悪犯罪を裁くこともできず、県民は無権利状態に置かれてきました。
 こうした状況を打破するため、県民は「祖国復帰」を掲げ、たたかってきました。68年には行政主席選などで本土復帰を掲げた勢力が圧勝し、日米両政府に、条約上不可能とされた「沖縄の施政権返還」を決断させます。
 72年5月15日、沖縄の本土復帰が実現しました。しかし、屋良朝苗(やら・ちょうびょう)主席が政府に提出した「建議書」に明記された「基地のない平和な島」の願いは実現されず、むしろ増強が続いています。地位協定さえ踏みにじる米軍の横暴な訓練も増えています。復帰50年の今年、県民の願いを実現する政治への転換が求められています。
道理ある領土交渉を
 サ条約はさらに、日露戦争でロシアから得た樺太の一部に加え、日本の領土である千島列島の放棄も定めました。(第2条)
 千島列島は、1875年の樺太千島交換条約で日本の領土として確定しました。ところが1945年8月、ソ連のスターリン政権が千島と北海道の一部である歯舞、色丹を軍事占領します。ソ連は、米英と結んだヤルタ協定(45年2月)で「千島引き渡し」が明記されていることを理由に領有を主張しました。しかし、この協定は秘密協定であり、当時、日本はその内容を知らされていませんでした。
 米・英・中国が発表した43年の「カイロ宣言」は戦後の領土不拡大を宣言し、ポツダム宣言もこうした立場を引き継いでいました。ソ連の行為はこうした原則に反しており、明白な国際法違反の侵略行為です。ところが日本政府は、ソ連との交渉で国際法に立脚した立場をとらず、「南千島(国後〈くなしり〉、択捉〈えとろふ〉)は千島にあらず」との立場をとります。これに歯舞・色丹を加えた「4島」を「北方領土」と呼んで返還を求めるというものです。
 しかし、こうした立場に道理はなく、やがて頓挫。そこで安倍晋三首相は「4島」から「2島返還」に後退させ、さらにプーチン大統領との「個人的な信頼関係」を構築するとの理由から、ロシアとの経済協力最優先、クリミア併合などロシアの覇権主義を一切不問にする屈従路線をとってきました。ロシアのウクライナ侵略により、そうした対ロ外交が大破綻に陥りました。今こそ、ロシアとの領土問題の原点に立ち返り、道理に立った交渉の立場に立つことが求められます。
(しんぶん赤旗)
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monqu1y · 3 years
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大戦がもたらしたもの  「大戦が 齎 ( もたら ) したもの」と題する講演を聞きに行った。  講演内容の要旨は、次のとおり。  1939年9月に始まったドイツとポーランドの戦争は、近隣諸国を巻き込んで規模を拡大していった。  イギリス・フランスがドイツに���戦布告する一方、ソ連軍は、火事場泥棒的に、東からポーランドに攻め込んだ。  翌年、ソ連は、フィンランドを攻撃して領土の一部を奪うとともに、バルト三国を併合した。  ドイツは、デンマーク、ノルウェー、ベネルクス三国、フランスなどを制圧した。ドイツは、イギリスを牽制するためイタリアと、ソ連を牽制するため日本と軍事同盟を結んだ。近衛内閣は、軍事同盟に応じ、且つ、翌年、日ソ中立条約を結んで南部仏印に軍を進めたが、これらはスターリン戦略[砕氷船テーゼ]に沿うものだった。
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 1941年6月、独ソ激突が始まった。  半年後、日本は、アジア植民地解放戦争を開始し、フランス領インドシナ、イギリス領ビルマ、オランダ領インドネシア、アメリカ領フィリピンを占領した。  それに触発された植民地独立宣言の動きは次の通り。
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 1942年2月、中国共産党の中央党学校開校式で、毛沢東が、学風(学習態度)・党風(党活動)・文風(文書類の表現)の三風を整頓し、党内の主観主義・セクト主義・空言主義を克服すべき旨、述べた。三風整頓運動が起こり、毛沢東 側近の張宗可(康生)は、関係者を拷問して自白を得たうえで、政敵を、スパイ,裏切り者,内通者等に仕立て上げた。拷問は本人だけでなく親族や縁戚にまで及び、拷問に耐えられず、身に覚えのない罪を自白する者も多かった。ソ連人脈の王明,博古,張聞天,王嘉翔,楊尚昆,陳昌浩,杜作祥,沈澤民,張秦秋,王宝礼,王盛荣,王運城,朱自舜,李元杰,汪盛荻,北海道特甫,殷剣,元嘉永,徐義新らは、失脚した。権威主義と官僚主義を率直に批判した王実味は、逮捕され処刑された。  1942年6月頃から、[砕氷船テーゼ]の予言通り、経済力と科学技術力を誇るアメリカを擁する連合国側が優勢に転じた。  1943年5月、ドイツと戦う連合国側に与する必要から、ソ連はコミンテルンを解散した。  1945年3月、日本軍がフランス軍を降してベトナムを独立させた。  1945年5月、イタリアが降伏し、ドイツも降伏した。8月には日本が降伏し、五千万(ソ連2060万,ドイツ950万,日本646万,ポーランド560万,中国318万,アメリカ113万,イギリス98万,フランス75万)人以上の犠牲者を出した第二次世界大戦は終了した。  しかし、「尊皇討奸」の志を受け継ぎ、資本家階級を倒して国家社会主義を目指す陸軍将校らは、敗戦受容れの詔を録音したレコード盤を血眼になって探し求めた。
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 彼らの狙いは、ソ連軍に依る日本民族解放を待つための時間稼ぎだった。  近衛文麿人脈が占める政権中枢から「ソ連仲介和平」という口実で情報を得ていたソ連軍は、日本降伏に先立って、軍を極東に集結させていた。  アメリカ軍に依る原爆投下を機に日本への攻撃を始めたソ連軍は、武器を持たない無抵抗の日本人を殺しながら、瞬く間に樺太や千島列島を占領した。
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  占守島 ( しゅむしゅとう ) で樋口中将が抗戦を命じなければ、北海道はソ連軍に 蹂躙 ( じゅうりん ) されていたのだ。
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 ソ連軍は、朝鮮半島���占領したが、アメリカ軍が上陸してくると、米ソ協定に従い38度線以北に退いた。  ソ連軍は、東ヨーロッパの占領地域でも、社会主義人民共和国政権樹立に力を注ぐようになった。  日本の敗戦でベトナムにはフランスの植民地支配者が戻ってきていたが、1945年9月に革命が起こり、ホー・チ・ミンがベトナム社会主義共和国の建国を宣言した。しかし、フランスは、それを認めなかった。  1945年10月、国際連合(本部:ニューヨーク)が発足した。  イギリスでは、大戦終了直前の選挙で勝った労働党政権が、「ゆりかごから墓場まで」の福祉充実策を実施し、銀行,石炭,通信,航空,電気,鉄道,ガス,鉄鋼などの重要産業を国有化していった。そのため、産業は競争力を失い、[イギリス病]とよばれるほど国力は衰退した。復活には、1980年代のサッチャー登場まで待たなければならなかった。
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 朝鮮半島では、信託統治(国際連合の信託を受けた国による統治)が検討されたが、まとまらず、アメリカとソ連による分割占領が行われた。  1945年10月10日、中華民国と中国共産党との間で、「内戦を避け、独立・自由・富強の新中国を建設」するための協議が行われたが、双方の思惑は、相手を潰す準備を整えるための時間稼ぎだった。  1946年6月、イタリアでは王制が廃止されて共和政となった。翌年2月にパリ講和条約を結んだイタリアは、エチオピア・アルバニア・リビア・ソマリランドなど総ての海外植民地を失った。  1946年6月、ベトナム南部で、フランス領コーチシナ共和国臨時政府の樹立が宣言された。  1946年7月、中華民国と中国共産党との間で、全面的な内戦が始まった。当初はアメリカの支援を受けた国民党軍が優勢なように見えたが、次第に、ソ連に降伏した関東軍の装備等( 就中 ( なかんずく ) 精鋭将兵の軍事指導)を利用できる中国共産党に形勢が傾いていった。  1946年12月、ベト��ム軍とフランス軍の戦争が始まった。フランス軍が優勢だったが、ベトナム社会主義共和国軍はゲリラ戦を展開して頑強に抵抗した。  1947年2月、建国を悲願とするユダヤ人とアラブ人の紛争が絶えなかったパレスチナを持て余したイギリスは、委任統治を放棄し、国連にゲタを預けた。11月、国連総会は、パレスチナの土地の6割弱をユダヤ国家に、4割強をアラブ国家に分割する案を、可決した。倍以上の人口を抱え、殆どの土地を所有するアラブ人側に過酷すぎる不自然な決定は、アメリカ大統領トルーマンのゴリ押しによるものと言われている。
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 そこから、中東戦争が始まり、長く続くこととなった。  朝鮮半島では、統一政府樹立のための総選挙がソ連の反対で実施できなかったので、1948年5月にアメリカの占領下にある南部だけで総選挙が行われ、李承晩が大統領に当選した。8月15日、大韓民国第一共和国の樹立が宣言され、アメリカ軍政が廃止された。  1948年9月9日、朝鮮半島北部を実効支配する勢力(満州派、甲山派、南労党派、中国共産党、延安派、ソ連派など)が、朝鮮民主主義人民共和国の建国を宣言した。  1949年1月、中共軍が国民党軍を敗退させて、北京に入城した。10月1日、毛沢東が北京市で中華人民共和国の建国を宣言した。10月25日、中共軍八個連隊は、対岸の 厦門 ( アモイ ) からの砲兵隊の援護を受け、200隻のジャンクで三方向から包囲するようにして金門島に迫った。これに対する国民党軍(三個師団と保衛一個連隊)は、旧日本陸軍中将 根本博氏の指揮を受け、一発も反撃せず、中共軍を上陸させて島内に誘い込んだ。日没後、国民党軍は、ジャンクに火を放って上陸軍への補給と退路を断ち、総反撃に出た。中共軍は、混乱し、包囲網の開いた一方向に雪崩を打つように殺到して海岸に向かったが、追いかける国民党軍と島陰で待機していた海軍の挟み撃ちに合って壊滅した。以後、中共軍は、対岸から砲撃するだけで、金門島に上陸しようとしなくなった。
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 1949年4月、北米と西欧の30箇国は、軍事同盟NATOを結んで共産圏の脅威に備えた。  1949年6月、ベトナム王国ができ、ベトナム帝国皇帝だったバオ・ダイが国王になった。  1949年12月、南京から逃れ出た蒋介石らは、台湾島の台北に中華民国政府を移転させた。  1950年1月、イギリス労働党政権が、中華人民共和国を承認した。  1950年2月、フランス、アメリカ、イギリスがベトナム王国を承認した。  1950年5月、韓国の総選挙で、李承晩政権に対する不信任の結果が示された。2年後任期満了時の再選を危ぶんだ李承晩は、人気挽回策として、対日戦意を煽り「対馬侵攻」を名目に精鋭軍を南下させ釜山に集結させた。手薄となった首都ソウルは、「国土完整」を唱える朝鮮民主主義人民共和国軍にとって、格好の餌食に見えた。  1950年6月25日早朝、北朝鮮軍による総攻撃が、青天の霹靂の如く、何の前触れも無く始まった。防衛ラインは次々と突破され、韓国軍はひたすら敗走を続けた。韓国政府は非常閣僚会議で、ソウルを捨てて南にある水原への遷都を決め、李承晩は更に南の大田に逃れた。ラジオは「国連軍が助けてくれるから安心しろ」と大統領の肉声を放送し続け、新聞は事実と異なる韓国軍の反攻を伝えていた。大統領が逃げ、国民を欺き続ける中で、北朝鮮の南進を少しでも遅らせる為、韓国軍はソウルを東西に流れる漢江の人道橋を、多数の避難民もろとも、爆破した。後に、橋爆破の現場責任者だったチェ・チャンシク大佐が責任を問われて処刑され、真相は闇に葬られた。  米軍機動部隊が大田に到着し防衛線を築いたが、北朝鮮軍は韓国軍を攻め、それを崩壊させて横にいる米軍を包囲した。韓国軍は大量の米軍装備を放棄して逃げ、それを北朝鮮軍が使い、米軍の装備で米軍兵が殺害される状況になった。  しかし、李承晩は、韓国軍が前線に立つことを主張し続け、状況は改善されなかった。  その結果、米軍主体の国連軍は敗北を重ね、8月末には、北朝鮮軍が釜山まで60キロメートル余の昌寧郡に迫った。  9月2日、マッカーサー元帥が国連安全保障理事会に「国連軍の活動に関する第3次報告書」を提出し、国連軍増強の必要を強調した。また「北朝鮮軍がカムフラージュの為に民家や民間輸送機関を利用しており、軍事目標を識別することは著しく困難である」旨説明し、民間人・施設に対する攻撃の正当性を説明した。民家人を装い、或は、民間人に紛れ込んで、民間人が攻撃しているように見せかけるのは、共産主義者の常套手段。民間人の犠牲を材料とするプロパンガは、彼らの強力な武器となる。9月15日、国連軍は、仁川上陸作戦を成功させ、ソウルを奪回した。
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 しかし、李承晩の主張に基づき韓国軍を前線に立たせた結果、米軍の装備で米軍兵が殺害される状況が再現され、翌年1月、中共軍にソウルを占領されてしまった。  その後、戦況は、一進一退を繰り返したが、国連は休戦への道筋を作り、両軍の捕虜送還協定が締結された。  6月18日、李承晩は、国連決議を無視し、アメリカに何の予告も無く、抑留中の朝鮮人民軍捕虜二万五千人を北へ送還せずに韓国内で釈放させ、国際世論の非難を浴びた。この釈放は、不法に抑留した日本人の返還と引き換えに、常習的犯罪者あるいは重大犯罪者として日本の刑務所で収監されている韓国人受刑者に対する放免・日本永住許可付与を要求した手口に相通ずる処がある。  1951年9月、サンフランシスコで吉田茂首相が講和条約に調印し、日本は主権を回復した。朝鮮・台湾・南樺太・千島は放棄し、沖縄と小笠原諸島はがアメリカの占領下に置かれることとなった。調印したのは48カ国だった。同日、日米安全保障条約が結ばれ、アメリカ反共陣営に日本が組み込まれた。  1952年1月、韓国は、 所謂 ( いわゆる ) 李承晩ラインを一方的に設定した。  1953年3月、ソ連の最高指導者スターリンが病死した。  1953年7月、朝鮮民主主義人民共和国と大韓民国が、軍事境界38度線を挟む休戦に同意した。軍事委員会委員長に就任した金日成は、朴憲永、金枓奉、崔昌益、許貞淑、金昌満、武亭、朴一禹、朴孝三、方虎山、尹公欽、徐輝、李相朝、金雄、鄭律成、金元鳳、許哥誼、朴昌玉、金烈、朴義琓、総政治局長、崔遠、金七星ら他派の政敵を次々に追い落とし粛正して、権力を強化しいった。  1953年12月、韓国は、日本海で漁船数百隻を拿捕し、乗組員数千人を抑留した。
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 そして、抑留者の返還と引き換えに 日本の刑務所 で常習的犯罪者あるいは重大犯罪者として 収監 されている韓国人 受刑者 の 釈放 を要求した。日本政府 はこれを飲み、在日韓国人犯罪者472人を放免し、日本での永住許可を与えた。  1954年2月、 嘗 ( かつ ) て中国西北部の陝西省で毛沢東らを迎え入れた高崗が「東北部を独立王国にしようとした」という濡れ衣を着せられて失脚し、半年後に毒殺された。  1954年、ベトナム国王バオ・ダイは、首相にゴ・ジン・ジェムを任命した。翌年、ゴ・ジン・ジェムが国民投票を実施し、ベトナムは共和国になった。ゴ・ジン・ジェムは大統領に就任し、アメリカの軍事援助を取り付けた。バオ・ダイはフランスに亡命した。  1955年、ソ連と東欧諸国は、NATOに対抗するため、軍事同盟WPOを結んだ。  1956年、ソ連での個人崇拝批判の影響受けて、北朝鮮でも金日成批判の動きが出てきたが、金日成は、甲山派と組んで政敵を除名し逮捕した。  1956年5月、毛沢東は、最高国務会議で「百花斉放 百家争鳴」を提唱し共産党への批判を歓迎した。翌年2月の最高国務会議でも中国共産党に対する批判を呼びかけるとともに、翌月6日から1週間かけて全国宣伝工作者会議でもさらに中国共産党に対する批判を呼びかけた。知識人の間で中国共産党に対する批判が徐々に出始めるようになり、共産党の中国支配に異を唱えたり毛沢東の指導力を批判する者も出てきた。5月、毛沢東は、新聞に対��て党の批判とあわせて「右派」に対する批判も行うよう命じたが、「右派らは有頂天になっている。まだ釣り上げてはならない」と述べた。6月、人民日報は「右派分子が社会主義を攻撃している」という毛沢東が執筆した社説を掲載した。10日後、人民日報は、毛沢東が 嘗 ( かつ ) て「百花斉放 百家争鳴」を呼びかけた演説内容を掲載したが、演説したという内容は、批判を制約するものだった。党を思い切って批判した知識人たちは社会主義政権破壊を画策した[右派]というレッテルを貼られ、知識人の粛清運動(反右派闘争)が始まった。以後、中国共産党批判は二度と行われなかった。
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2007/1/27                          再生核研究所 代表                            齋藤 尚徳
2007/1/27
                         再生核研究所 代表
                           齋藤 尚徳
                         
再生核研究所声明について:
  再生核研究所声明1: 良い社会を作るには
再生核研究所声明2: 中国古代の教育
再生核研究所声明3: 最低生活の保障を求める
再生核研究所声明4: 競争社会から個性を活かす社会に
再生核研究所声明5: 靖国神社問題に対する提案
再生核研究所声明6: 憲法問題に対する提案
再生核研究所声明7: 参議院選挙に当たって
再生核研究所声明8: 日本国の防衛の在り方について
再生核研究所声明9: 天才教育の必要性を訴える
再生核研究所声明10: 絶対的な世界の平和の為に
再生核研究所声明11: 国の構成について
再生核研究所声明12: 人生、世界の存在していることの意味について 
再生核研究所声明13: 第1原理 ― 最も大事なこと
再生核研究所声明14: 日本の政局についての提言
再生核研究所声明15: 空虚な日本の社会
再生核研究所声明16: 裁判員制度の修正を求める
再生核研究所声明17: 教育界の改革を求める
再生核研究所声明18: 拉致問題の解決に向けての提案
再生核研究所声明19: 超越への道、悟りへの道
再生核研究所声明20: 大学入試センター試験の見直しを提案する
再生核研究所声明21: 人口問題についての考察
再生核研究所声明22: 小沢氏の続投による政権交代を求める
再生核研究所声明23: 秘書の逮捕、起訴事件における検察庁の対応と公正の原則
再生核研究所声明24: 政権交代によって閉塞感を打破し、日本国を再生させよう
再生核研究所声明25: 日本の対米、対中国姿勢の在りようについて       
再生核研究所声明26: 衆議院の解散に当たって
再生核研究所声明27: 政権交代を祝す、配慮と期待
再生核研究所声明28: 鳩山首相と鳩山首相の実母に、情状酌量を求める
再生核研究所声明29: 普天間基地問題 ― いまだ 夜明け前
再生核研究所声明30: 検察庁の暴走と民主主義の危機 - 広い視点
再生核研究所声明31: 法の精神と - 罪と罰
再生核研究所声明32: 夜明け ― ノアの方舟
再生核研究所声明33: 民主主義と衆愚政治
再生核研究所声明34: 日本のビジネス―日本料理店の海外展開
再生核研究所声明35: 社会と個人の在りよう―細胞の役割
再生核研究所声明36: 恋の原理と心得 
再生核研究所声明37:金正日を世界史の英雄に朝鮮問題に関心を寄せる世界の人々に
再生核研究所声明38:ロッキード事件のもみ消しについて
再生核研究所声明39:普天間基地問題の総括 ― 戦略なき対応と文化力
再生核研究所声明40:政権交代とその後の政局
再生核研究所声明41:世界史、大義、評価、神、最後の審判
再生核研究所声明42:大失業時代
再生核研究所声明43:政権交代は半ば、完全なる交代を求める―中途半端は良くない
再生核研究所声明44:梅の木学問と檜学問-日本の研究者育成についての危惧
再生核研究所声明45:第2次世界大戦と第3次世界混乱
再生核研究所声明46:日本国の1つの国家像、あるべき姿について
再生核研究所声明47:肯定死
再生核研究所声明48:与謝野氏の大臣就任を是とし、高く評価する
再生核研究所声明49:アジアの愚か者、アジアの野蛮性
再生核研究所声明50:日本における 民主主義の脆さ、危うさ
再生核研究所声明51:ツイッターにおける 意義と心得
再生核研究所声明52:選挙における心得、留意事項
再生核研究所声明53:世界の軍隊を地球防衛軍に 
再生核研究所声明54:リビア軍事介入について 
再生核研究所声明55:皇族方の東京避難を求める
再生核研究所声明56:アースデイの理念
再生核研究所声明57:人生とは何か、人生如何に生きるべきか
再生核研究所声明58:日本の政局、民主党最後の決断、自民党の低落
再生核研究所声明59:鳩山政権の総括と反省
再生核研究所声明60:非凡な才能を持つ少年・少女育成研究会
再生核研究所声明61:ビンラディン氏殺害 
          ― アメリカの名誉と大義を傷つけたオバマ大統領
再生核研究所声明62:福島原子力発電所事故とその対応、対策、取り組みについて
再生核研究所声明63:解脱;神、自由、不死への道 - 安らかに終末を迎える心得
再生核研究所声明64:期待される日本軍の在り様 情報分析力の向上と災害救助の重視を
再生核研究所声明65:公務員の給与の段階的な引き下げと管理手当てなどの大幅引き下げを
再生核研究所声明66:言論の自由を篤く保障し、実りある議論のできる社会に
再生核研究所声明67:脱原発デモ ― 非現実的な貧しい二律背反の発想と飛躍した議論
再生核研究所声明68:生物の本質 ― 生きること、死ぬること
再生核研究所声明69: 単細胞人間 ― 単細胞的思考
再生核研究所声明70: 本末転倒、あべこべ ― 初心忘れるべからず
再生核研究所声明71: 菅 暗黒政権 を総括する
再生核研究所声明72:慣性の法則 ― 脈動、乱流は 人世、社会の普遍的な法則
再生核研究所声明73:日本国首相の役割
再生核研究所声明74:人生・生命の肯定について
再生核研究所声明75:政治・経済の在りようについて
再生核研究所声明76:教育における心得 ― 教育原理
再生核研究所声明77:人生における心得
再生核研究所声明78:無責任な 原発反対と増税反対 ― 実状が分からないで意見を表明していないか?
再生核研究所声明79:福島原発事故 とは 何か
再生核研究所声明80:挑戦とは何か
再生核研究所声明81:最高裁判所裁判官全員の罷免を提案する
再生核研究所声明82:皇室の在りようについての 一考察
再生核研究所声明83:再生核研究所声明とは 何か
再生核研究所声明84:国会審議における心得 - 討論、議論、批判における心得
再生核研究所声明85:食欲から人間を考える ― 飽きること
再生核研究所声明86:未だ おめでたい人類 - 先史時代
再生核研究所声明87:小沢氏の裁判問題 ― 司法界とマスコミ界に断罪を
再生核研究所声明88:大学教員の退職後の在り様についての一考察
再生核研究所声明89:失業問題の根本的な解決法と 心の豊かさを求める原理
再生核研究所声明90:日本の大学受験体制についての一考察
再生核研究所声明91:創造性についての一考察
再生核研究所声明92:日本の政局を憂える ― 国論の分裂を避けよ
再生核研究所声明93:国家とは何か,首相について -統治機構としての国家について
再生核研究所声明94:日本国よ こんなことで良いのか ― あまりにもおかしな 日本国 ― 中国に大義あり、日本国の侵略は歴然
再生核研究所声明95:究極離散化法 (ADMmath: Aveiro Discretization Method mathematics)について
再生核研究所声明96:小沢氏に期待する、日本の針路と戦略、行動
再生核研究所声明97:虚妄、空想、日中戦争の分析と顛末
再生核研究所声明98:矛盾、日中は戦争状態にある ― 
日本はそんことをしていて良いのか、 原因を取り除け
再生核研究所声明99:死の肯定、在りよう、儀式、将来への提案
再生核研究所声明100:2つの多変数複素解析学について
再生核研究所声明101:慰安婦問題 ― おかしな韓国の認識、日本の認識
再生核研究所声明102:成果主義の弊害について
再生核研究所声明103:日・中戦争の経過と状況の分析 ― 賢明な終戦と和平 
再生核研究所声明104:人事採用、昇任について
再生核研究所声明105:人間の愚かさ、弱点について
再生核研究所声明106:無限精度 解析センター の設立を求める
再生核研究所声明107:悲しい政権交代の挫折と まともな国家を目指して; 総選挙を控えて、政局を評価する。― 小沢氏の復権、偏狭的な愛国主義と軍国主義の処断、司法界の断罪、憲法の精神への回帰を
再生核研究所声明108:敗戦国日本よ、 情けないぞ ― 自主独立を求め、米・中との友好関係を 日本国憲法の精神で進めよ。 アメリカは、日本の自治を尊重して、政治介入を控えよ。
再生核研究所声明109:中国の出軍は、道理であり、日本の出軍は憲法違反である - 公正と法とは何か、おかしな日本のNHKと世相
再生核研究所声明110:東京オリンピック開催どころではない、日本の国情 ― 大震災、放射能、原発事故対策、生活・教育・研究基盤などの内実に力を注げ
再生核研究所声明111:日本国憲法によって、日本国および日本軍を守れ、― 世界に誇る 憲法の改悪を許すな
再生核研究所声明112:公理系からの脱却、論理的思考、逆思考によって、視野を高め、広めよ ― 平成暗黒時代を このまま終わらせて 良いものか
再生核研究所声明113:美しい人たちの活かされない努力、無駄な努力 
― ソーシャルメディア利用、デモ; 戦略が無ければ、夢中で訴えても 空しい努力に
再生核研究所声明114:ああ 人類最後のとき — 世界史を回想、評価する
再生核研究所声明115:枯れ木も山の賑わい ― 現状と存在に理由あり
再生核研究所声明116:宇宙空間、星間交流から人間を考える
再生核研究所声明117:時,状況が問題; タイミングの重要性 、死の問題、恋の問題
再生核研究所声明118: 馬鹿馬鹿しい人生、命失う者は 幸いである、 と言える面もある 
再生核研究所声明119: 冷酷な神々、自然  ―  見捨てられた 人類
再生核研究所声明120:終末の在りようについての 総合的な検討を、遅れている面での 文化を進めよう ― 個人の自由意志の尊重に基づく  肯定死の保証 と 方法の確立を
再生核研究所声明121:2013年、参議院選挙にあたって ― 闇に向う、日本の愚かさ、民主主義の挫折、衆愚への道、情けない日本国。
再生核研究所声明122:神の存在と究極の信仰 - 人間よ 想い煩うことはない。 神は存在して、一切の存在と非存在を しっかりと支えられておられる、 人は必要なときに必要なだけ、 念じるだけで良い。
再生核研究所声明123:日本国の自立を求めて ー なぜ自立を求めるか -それは、 日本の固有の美しい文化を維持、発展させるためである
再生核研究所声明124:恋の機微 - 恋の極意
再生核研究所声明125:お金の問題 ― 貨幣について ― 本質論
再生核研究所声明126:お金の問題 ― 貨幣について ― 如何に使うか、支出について
再生核研究所声明127:お金の問題 ―��貨幣について ― 収入について
再生核研究所声明128:数学の危機、 末期数学について
再生核研究所声明129:美しい社会はどうしたら出来るか ― 世の中なぜ上手く行かないか
再生核研究所声明130:復讐心も、競争心も、嫉妬心も空しい: 忠臣蔵の断罪を求める。― 世界中のテロリストをなだめる方法(宗教間と民族間)
再生核研究所声明131:シリア軍事介入についてー日本の対応姿勢
再生核研究所声明132:神を如何に感じるか - 神を如何に観るか 
再生核研究所声明133:2020年 東京オリンピックとパラリンピックの開催について - オリンピックを成功させ、平和憲法の精神の下で、日本は進化を
再生核研究所声明134:私の命よりも 大事な 私 ― 人間の崇高さ、素晴らしきかな 人間
再生核研究所声明135:線形作用素方程式における第一基本定理
再生核研究所声明136:線形作用素方程式における第二基本定理
再生核研究所声明137:世界の危機と 権力者の選出
再生核研究所声明138:大中国、中国の印象 ― 母なる大国、中国に
再生核研究所声明139:正義とは 戦争における; 短期的には 勝者が決めるが、世界史が評価の大勢を定める
再生核研究所声明140:数学の神秘性: 一考察 (誰かこの考察、議論を進めて欲しい。)
再生核研究所声明141:結局、人間とは、人生とは 何だろうか、どの様なものか
再生核研究所声明142:An Aveiro Dream in Mathematics
再生核研究所声明143:グローバリゼーションの危険性
再生核研究所声明144:人類滅亡の概念 - 進化とは 滅亡への過程である
再生核研究所声明145:生きること、人間として在ることの 究極の意義 についての考察
再生核研究所声明146:愛の本質、愛の原理 
再生核研究所声明147:創造性についての 第二考察
再生核研究所声明148:100/0=0, 0/0=0 - 割り算の考えを自然に拡張すると ― 神の意志
再生核研究所声明149:生きること、生命の本質、活動して止まないもの
再生核研究所声明150:大宇宙論、宇宙など小さい、小さい、the universe について
再生核研究所声明151:再生核研究所の志向と協力、参加へのお願い
再生核研究所声明152:研究活動に現れた注目すべき現象、研究の現場
再生核研究所声明153:日本国の危機 と 祖国救済の戦略
再生核研究所声明154:新しい世界、ゼロで割る、奇妙な世界、考え方
再生核研究所声明155:生きる意味は 文学者にも分からない??
再生核研究所声明156:尖閣諸島、簡単な算数と 愚かで卑劣な日本国
再生核研究所声明157:知りたい 神の意志、ゼロで割る、どうして 無限遠点と原点が一致しているのか?
再生核研究所声明158:生命と人生
再生核研究所声明159:恋する男女は強い - 何故か?―幸せの基礎
再生核研究所声明160:人生の晩年における楽しみ - 終末、もっと爽やかに考えたい
再生核研究所声明161:ゼロ除算から学ぶ、数学の精神 と 真理の追究
再生核研究所声明162:アヴェイロ ― エデンの花園
再生核研究所声明163:ゼロで割る(零除算)- 堪らなく楽しい数学、探そう零除算 ― 愛好サークルの提案
再生核研究所声明164:男と女の関係の捉え方 ― 新しい視点
再生核研究所声明165:世論について
再生核研究所声明166:ゼロで割る(ゼロ除算)から学ぶ 世界観
再生核研究所声明167:大学などで アカデミックなポストを得る心得
再生核研究所声明168:霧の中 ― 環境の中の人間、盲目、偏見
再生核研究所声明169:サッカー観戦の印象 と 日本チーム強化の戦略
再生核研究所声明170:NHK連続テレビ小説「花子とアン」― 蓮子様の気持ち
再生核研究所声明171:掛け算の意味と割り算の意味 ― ゼロ除算100/0=0は自明である?
再生核研究所声明172:人間の愚かさについて
再生核研究所声明173:愛が無ければ観えない
再生核研究所声明174:狼の輸入によって、生態系の維持を図れ
再生核研究所声明175:人間の擁く 大きな虚像
再生核研究所声明176:ゼロ除算について、数学教育の変更を提案する
再生核研究所声明177:国際紛争を少なくするための 単純明快な原則 を提案する
再生核研究所声明178:アラブとイスラエルの紛争、対立の終焉を願って
再生核研究所声明179: Division by zero is clear as z/0=0 and it is fundamental in mathematics
再生核研究所声明180:人類の愚かさ ― 7つの視点
再生核研究所声明181:人類の素晴らしさ ― 7つの視点
再生核研究所声明182:世界、縄張り、単細胞、宇宙
再生核研究所声明183:野生動物と人間
再生核研究所声明184:ライブということ
再生核研究所声明185:The importance of the division by zero z/0=0
再生核研究所声明186:ニュースの価値について
再生核研究所声明187:工科系における数学教育について
再生核研究所声明188:ゼロで割る(ゼロ除算)から観えてきた世界
再生核研究所声明189:ゼロ除算の研究の勧め
再生核研究所声明190:再生核研究所からの贈り物 ― ゼロ除算100/0=0, 0/0=0
再生核研究所声明191:公理系、基本と人間
再生核研究所声明192:無限遠点から観る、人生、世界
再生核研究所声明193:夜明け、新世界、再生核研究所 年頭声明
再生核研究所声明194:大きなイプシロン(無限小)、創造性の不思議
再生核研究所声明195:ゼロ除算に於ける高橋の一意性定理について
再生核研究所声明196:ゼロ除算に於ける山根の解釈100= 0x0について
再生核研究所声明197:真智への愛とは何か
再生核研究所声明198:計算機と人間の違い、そしてそれらの愚かさについて
再生核研究所声明199:世界の数学界のおかしな間違い、世界の初等教育から学術書まで間違っていると言える ― ゼロ除算100/0=0,0/0=0
再生核研究所声明200:ゼロ除算と複素解析の現状 ―佐藤超関数論との関係が鍵か?
再生核研究所声明201:ドラマ、言論、文芸、世相、関心を 近未来志向にしよう
再生核研究所声明202:ゼロ除算100/0=0,0/0=0誕生1周年記念声明 ― ゼロ除算の現状と期待
再生核研究所声明203:人間とは何か、人生とは何か
再生核研究所声明204:世界史を進化させる 世界に誇れる、平和憲法の擁護を 提案する
再生核研究所声明205:宿命論
再生核研究所声明206:女性の生態、主婦の生態
再生核研究所声明207:男性の生態、亭主の生態
再生核研究所声明208:NHK 朝ドラ マッサン ― 許されない約束違反、公共放送としての問題
再生核研究所声明209:政治的な配慮 ― 悪の素 ―社会の進歩とは
再生核研究所声明210:大学入試ミスにおける対応について
再生核研究所声明211:ドラマとは何か ― 人の心を弄ぶドラマ 
再生核研究所声明212:What are reproducing kernels?
再生核研究所声明213: An interpretation of the identity 0.999999...... =1
再生核研究所声明214: Surprising mathematical feelings of a 7 years old girl
再生核研究所声明215:ゼロ除算の教え
再生核研究所声明216:死について、死からの解放について
再生核研究所声明217:ご自愛を ― 健康第一
再生核研究所声明218:興味、関心、感動;人間とは
再生核研究所声明219:報道における理系関係の充実を
再生核研究所声明220:戦争に関する心理について
― 絶えず平和のための努力を
再生核研究所声明221:ある数学者の仏教解説
再生核研究所声明222:日本の代表的な数学として  ゼロ除算の研究の推進を求める
再生核研究所声明223:人生の目的は、自然を愛でて楽しみ、ともに喜び合うこと ― 二十一世紀の壮大なロマン
再生核研究所声明224:郵便ポストの適正配置を求める提案 ― ゴミの無責任な投棄を止めよう
再生核研究所声明225:偉大な数ゼロ ―ゼロの教え
再生核研究所声明226:真実のともし火を消してはならない ― 中丸薫著 を読んで
再生核研究所声明227:日本の仏教の在り様についての疑問、キリスト教との奇妙な違い
再生核研究所声明228:選挙制度の在り様についての具体的で簡単な提案 ― 選挙期間の延長を
再生核研究所声明229:吉田松陰から学ぶ ― 志の重要性と松陰の最期、モミの実の喩え
再生核研究所声明230:終戦70周年を迎えての反省
― 逆に戦勝国の責任も問う
再生核研究所声明231:本を書く人の気持ち、読む人の気持ち ― 本とは何か
再生核研究所声明232:無限大とは何か、無限遠点とは何か。― 驚嘆すべきゼロ除算の結果
再生核研究所声明233:西行花伝 ― 辻邦生、新潮社を読んで
再生核研究所声明234:西行花伝 ― 辻邦生、新潮社を読んで – 雅について
再生核研究所声明235:西行花伝 ― 辻邦生、新潮社を読んで – 出家について
再生核研究所声明236:ゼロ除算の自明さ、実現と無限遠点の空虚さ
再生核研究所声明237: A reality of the division by zero z/0=0 by geometrical optics
再生核研究所声明238:西行花伝 ― 辻邦生、新潮社を読んで – 西行の恋と愛
再生核研究所声明239:自由な立場の人の意見、発想の尊重を
再生核研究所声明240:燕の神秘性 ― 燕の巣立ちを祝して
再生核研究所声明241:不幸な日本の政治状況 ―文化力の弱体さを露呈
再生核研究所声明242:参議院の良識と自立性によって安保法案をほうむれ
再生核研究所声明243:日本国の在るべき姿について –現在の世相についての心情
再生核研究所声明244:不完全な人類、恥ずかしい世界史 ― 心得
再生核研究所声明245:天才動物から学ぶ ― 新しい政治体制、指導者たち
再生核研究所声明246:An interpretation of the division by zero 1/0=0 by the gradients of lines
再生核研究所声明247:The gradient of y-axis is zero and tan (pi/2) =0 by the division by zero 1/0=0
再生核研究所声明248:日本の政治状況を変革するための提案
再生核研究所声明249:数とは何か ― ゼロ除算z/0=0を含む
再生核研究所声明250:What are numbers? - the Yamada field containing the division by zero z/0=0
再生核研究所声明251: 円と曲率 ―ゼロ除算z/0=0から導かれる道脇裕氏の解釈
再生核研究所声明252:Circles and curvature - an interpretation by Mr. Hiroshi Michiwaki of the division by zero $r/0=0$
再生核研究所声明253:私も探そう ―ゼロ除算z/0=0 の現象
再生核研究所声明254:愛が無ければ観えない ― について、 更に
再生核研究所声明255:神は、平均値として関数値を認識する
再生核研究所声明256:武器を収め、環境の保全、民生の向上、文化の発展に力を注げ
再生核研究所声明257:無限大とは何か、 無限遠点とは何か ー 新しい視点
再生核研究所声明258:A new viewpoint of the division by zero z/0=0from area and the point at infinity
再生核研究所声明259:数学の生態、旬の数学 ―ゼロ除算の勧め
再生核研究所声明260:受験勉強、嫌な予感がした ― 受験勉強が過熱化した場合の弊害
再生核研究所声明261:全面的な批判は慎もう ー 批判は具体的に、建設的に
再生核研究所声明262:宇宙回帰説 ― ゼロ除算の拓いた世界観
再生核研究所声明263:テ���や武闘の終焉を願って
再生核研究所声明264:永遠とは何か ― 永遠から
再生核研究所声明265:全ての願いが叶えられたとき ー 自由な境地 ― その時人間は
再生核研究所声明266:地球上に繁茂する 愚かな人類
再生核研究所声明267:未知の世界に遭遇したとき、分からないとき ― そのときどうするか
再生核研究所声明268:新しい天気地図、行政地図の作成を提案する
再生核研究所声明269:テレビ、新聞の報道内容について
再生核研究所声明270:アジアの進化を願って
再生核研究所声明271:永遠は、無限は確かに見えるが、不思議な現象
再生核研究所声明272:ゼロ除算の研究の推進を
再生核研究所声明273:つくられた人間 ― 人間とは何だろうか; 人生とは何か
再生核研究所声明274:間をとることの重要性、余裕を持とう
再生核研究所声明275:The division by zero z/0=0 and special relative theory of Einstein
再生核研究所声明276:捏造、事実の歪曲の禁止、悪化する情報の是正を
再生核研究所声明277:アインシュタインの数学不信 ― 数学の欠陥
再生核研究所声明278:面白いゼロ除算の混乱と話題
再生核研究所声明279:ゼロ除算の意義
再生核研究所声明280:ゼロ除算の公認、認知を求める
再生核研究所声明281: The importance of the division by zero z/0=0
再生核研究所声明282:The Division by Zero z/0=0 on the Second Birthday
再生核研究所声明283:受験勉強が過熱化した場合の危惧について
再生核研究所声明284:世は矛盾の中に存在する、 混沌と言える
再生核研究所声明285: 数学者の性格、素性について
再生核研究所声明286:細分化、専門家、単細胞、孤立化から総合化、統一へ
再生核研究所声明287:神秘的なゼロ除算の歴史―数学界で見捨てられていたゼロ除算
再生核研究所声明288:戦友達 ― 共生、共感、共鳴
再生核研究所声明289:終末の心得
再生核研究所声明290:神の隠し事、神の意地悪、人類の知能の程
再生核研究所声明291:心の微妙さ
再生核研究所声明292:ユークリッド幾何学、非ユークリッド幾何学、平行線公理、そしてゼロ除算
再生核研究所声明293:Parallel lines on the Euclidean plane from the viewpoint of division by zero 1/0=0
再生核研究所声明294:素数分布についての前出裕亮君の予想について
再生核研究所声明295:無限の先にあるもの、永遠の先にあるもの ―盲点
再生核研究所声明296:ゼロ除算の混乱
再生核研究所声明297:豊かなゼロ、空の世界、隠れた未知の世界
再生核研究所声明298:根無し草
再生核研究所声明299:いろいろ ちぐはぐな社会
再生核研究所声明300:New challenges on the division by zero z/0
再生核研究所声明301:人間の愚かさ―人間の賢さ
再生核研究所声明302:燕の神秘性 ― 動植物の営みの神秘性
再生核研究所声明303:参議院選挙を控えての政治状況について
再生核研究所声明304:いじらしい人間
再生核研究所声明305:出産の報に接して
再生核研究所声明306:平行線公理、非ユークリッド幾何学、そしてゼロ除算
再生核研究所声明307:見かけ、表装と内実、実質
再生核研究所声明308:ゼロ除算とは何か、始めてのゼロ除算、ゼロで割ること
再生核研究所声明309:真無限と破壊 ― ゼロ除算
再生核研究所声明310:ゼロ除算の自明さについて
再生核研究所声明311:ゼロ0とは何だろうか
再生核研究所声明312:ゼロ除算による 平成の数学改革を提案する
再生核研究所声明313:  良い数学教育の推進を
再生核研究所声明314: 世界観を大きく変えた、ニュートンとダーウィンについて
再生核研究所声明315: 世界観を大きく変えた、ユークリッドと幾何学
再生核研究所声明316:ゼロ除算における誤解
再生核研究所声明317:尖閣、竹島、北朝鮮のロケット問題についての提言
再生核研究所声明318: 映像の危険性 ― テレビの弊害
再生核研究所声明319:NHK朝ドラ、小橋常子さん、花山伊佐次さんに続け
再生核研究所声明320:NHK朝ドラ とと姉ちゃん、赤羽根社長の筋違い対応
再生核研究所声明321: 北朝鮮問題への対応
再生核研究所声明322: 北朝鮮問題への対応 ― 追加
再生核研究所声明323: 蓮舫氏の国籍問題と政局、世相について
再生核研究所声明324: 日本国民の初歩的な誤解―真相を知らされていない
再生核研究所声明325: ゼロ除算の状況について ー 研究・教育活動への参加を求めて
再生核研究所声明326:The division by zero z/0=0 - its impact to human beings through education and research
再生核研究所声明327: 数学教育についての提案
再生核研究所声明328: NHK大河ドラマ、真田幸村の大阪城入場から考える人間 ― 自由について
再生核研究所声明329:大学入試の在り様について ― 現実と負担の視点から
再生核研究所声明330:原始人間から人間を考える
再生核研究所声明331:提案 ― ゼロ除算の研究は、学部卒論や修士論文の題材に適切
再生核研究所声明332:再生核の著書: Theory of Reproducing Kernels and Applications, Developments in Mathematics 44 © Springer 2016 について ー 内容
再生核研究所声明333:男と女の関係について
再生核研究所声明334:数理科学に興味を懷く方、発見に興味を持つ方 ― お願い
再生核研究所声明335: ゼロ除算における状況
再生核研究所声明336:オスプレイ事故についての反響について
再生核研究所声明337:人間、人生について
再生核研究所声明338:ロシアとの付き合いについて
再生核研究所声明339:インドの偉大な文化遺産、ゼロ及び算術の発見と仏教
再生核研究所声明340:絶対絶命、必死 ― 悟りへの道
再生核研究所声明341:日本史の誇り
再生核研究所声明342: 日本の外交についての考察
再生核研究所声明343: オイラーとアインシュタイン
再生核研究所声明344:理解できない韓国の慰安婦像建立の意思
再生核研究所声明345:弱い日本の国家戦略
再生核研究所声明346:愛について、愛の深まり 
再生核研究所声明347:真実を語って処刑された者
再生核研究所声明348:個々の人間を離れて ―広い視野で―トランプ政権の出現に際して
再生核研究所声明349:衰退する日本の大学 ― 国を憂えて
再生核研究所声明350:日本国の在りようについての考察 ― トランプ大統領就任の機会に
 再生核研究所声明351: トランプ壁についての提言 ― トランプ大統領の公約
再生核研究所声明352: On the third birthday of the division by zero z/0=0
再生核研究所声明353:  ゼロ除算 記念日
再生核研究所声明354:  What are $n = 2,1,0$ regular polygons inscribed in a disc? - relations of $0$ and $\infty$ \\
再生核研究所声明355:おかしな日本の外交戦略 ―賢明な外交戦略
再生核研究所声明356:アメリカの偉大さ ― トランプ大統領と司法
再生核研究所声明357:Brahmagupta の名誉回復と賞賛を求める。
再生核研究所声明358:政治の話しを、対話を勧める
再生核研究所声明359:ゼロ除算とは何か ― 本質、意義
再生核研究所声明360:NHK 大河ドラマと朝ドラの驚嘆
再生核研究所声明361:馬鹿は死ななきゃ治らない  ― 馬鹿の意味を考える
再生核研究所声明362:Discovery of the division by zero as
0/0=1/0=z/0=0
再生核研究所声明363: アジアの敗北と衰退 - 回避を
再生核研究所声明364: 憲法改正についての考察
再生核研究所声明365:目も眩むほど素晴らしい研究課題 ― ゼロ除算
再生核研究所声明366:微分方程式論の不備 ― 不完全性
再生核研究所声明367:数学の真実を求める方、数学の研究と教育に責任を感じる方へ
再生核研究所声明368:ゼロ除算の意義、本質
再生核研究所声明369:笑点 ― 素晴らしい落語 
再生核研究所声明370:細胞のような存在、個人 ― 生態系、環境
再生核研究所声明371:ゼロ除算の講演― 国際会議 
再生核研究所声明372:Facebook に現れた人間模様 再生核研究所声明373:高木貞治 「解析概論」の改変構想 
再生核研究所声明373:高木貞治 「解析概論」の改変構想 
再生核研究所声明374:微分方程式論における不完全性と問題
再生核研究所声明375:ブラックホール、ゼロ除算、宇宙論
再生核研究所声明376:現代初等数学における間違いと欠落 ― ゼロ除算の観点から
再生核研究所声明377:ゼロの意味について
再生核研究所声明378:マインドコントロール下にあるゼロ除算 ― 強い思い込み
再生核研究所声明379:北朝鮮問題、北朝鮮のロケット
再生核研究所声明380:What is the zero?
再生核研究所声明381:NHK大河ドラマ 政次の最後と大義、本懐
再生核研究所声明382: ニュートンを越える天才たちに-育成する立場の人に
再生核研究所声明383:人間の精神の高まりについての視点
再生核研究所声明384:2017年 総選挙について
再生核研究所声明385:地の果て、無限の彼方、平面の究極の果てを観るー 永遠とは何か、無限の先の不思議さ
再生核研究所声明386: ゼロ除算の反響と存念、想い出、物語
再生核研究所声明387:ゼロ除算についての全体的な印象
再生核研究所声明388:Information and ideas on zero and division by zero
再生核研究所声明389:2017年 総選挙後 - 小池氏、前原氏は間違いであるとは言えない。
再生核研究所声明390: 人間は 何をしているのだろう。
再生核研究所声明391:いろいろな数学者、数学者の心
再生核研究所声明392:数学者の世界外からみた数学  ― 数学界の在り様について
再生核研究所声明393: ゼロ除算の認知と真相の解明、究明を求める
再生核研究所声明394:ゼロで割れるか ― ゼロで割ったらユークリッド以来の新世界が現れた
再生核研究所声明395:ゼロ除算物語 - 記録、回想
再生核研究所声明396:人間の終末の心 - 人生も人間も大した存在ではない
再生核研究所声明397:未来に生きる - 生物の本能
再生核研究所声明398:数学の本質論と社会への影響の観点から - ゼロ除算算法の出現の視点から
再生核研究所声明399:数学芸術 分野の創造の提案 - 数学の社会性と楽しみの観点から
再生核研究所声明400:数学の研究における喜びと嫌な思い
再生核研究所声明401: 数学の全体、姿、生命力
再生核研究所声明402:研究進めるべきか否か - 数学の発展
再生核研究所声明403: 私より私らしい私の出現 - アンドロイド
再生核研究所声明404:ゼロ除算の現状 ― 総合的な印象
再生核研究所声明405: ゼロ除算が拓いた幾何学の現象 ― 堪らなく楽しい新奇な現象 - デカルトの円定理から
再生核研究所声明406: アジア不戦条約の提案を ― 批准を ― 丸丸お得な考え、方法
再生核研究所声明407: 大阪大学の入試ミス対応についての
一考察
再生核研究所声明408: 数学を越えて ― 価値あるものとは
Announcement 409: Various Publication Projects on the Division by Zer
Announcement410 : What is mathematics? -- beyond logic; for great challengers on the division by zero
再生核研究所声明 411:ゼロ除算発見4周年を迎えて
Announcement 412: The 4th birthday of the division by zero z/0=0
再生核研究所声明413: 考え方によっては、どちらでも有り得る
再生核研究所声明414: 第1回ゼロ除算研究集会基調講演要旨
再生核研究所声明415: 数学の進化は単調か、進化と衰退
再生核研究所声明416: ゼロ除算をやってどういう意味が有りますか。何か意味が有りますか。何になるのですか - 回答
再生核研究所声明417: ゼロ除算って何ですか - 中学生、高校生向き 回答
再生核研究所声明 418: 割り算とは何ですか? ゼロ除算って何ですか - 小学生、中学生向き 回答
再生核研究所声明 419:『天才を育てた女房~世界が認めた数学者と妻の愛~』 - 読売テレビ・日本テレビ系 読売テレビ開局60年記念ドラマ(2018年2月23日(金)) から
再生核研究所声明 420: ゼロ除算は正しいですか,合っていますか、信用できますか - 回答
再生核研究所声明 421: 東京大学の在りようについての危惧
再生核研究所声明 422: 数学界の歴史的な恥と恥の上塗り ー ゼロ除算の見落とし と 固定観念
再生核研究所声明 423: 余裕を持つことの重要性
再生核研究所声明 424: レオナルド・ダ・ヴィンチとゼロ除算
再生核研究所声明 425: 生命のリズム、生きること 
再生核研究所声明 426: 政治状況についての印象
再生核研究所声明 427: 神の数式、神の意志 そしてゼロ除算
再生核研究所声明 428: 心の存在するところ ― 人間とは何か?
再生核研究所声明 429: 日本のサッカー試合における鳥かご作戦について ― 西野監督の精神は 世に高く評価されるべきである。
再生核研究所声明 430: 古典的なリーマン球面に代わるHorn Torusの出現について
再生核研究所声明 431: y軸の勾配はゼロである - おかしな数学、おかしな数学界、おかしな雑誌界、おかしなマスコミ界? 
再生核研究所声明432:無限に広がった平面を捉える4つの考え方
Announcement 433:\\ Puha's Horn Torus Model for the Riemann Sphere From the Viewpoint of Division by Zero}
再生核研究所声明 434 : ゼロ除算の誤解と注意点
再生核研究所声明 435 : 国際スポーツ大会における問題点 - 国際化と文化、グローバリゼーションの問題
再生核研究所声明 436 : 数学教育の原理 ― 省察と改善
再生核研究所声明 437 : ゼロ除算とは何か - 全く新しい数学、新世界である
再生核研究所声明 438: ゼロ除算1/0=0/0=z/0=\tan(\pi/2)=0 の誤解について
再生核研究所声明 439: 人間として生きることとは - ある一面から
再生核研究所声明 440: 東京医大入試問題についての印象について
特に女性の扱いについて
再生核研究所声明 441: 小・中・高校の数学教育の視点からのゼロ除算について
再生核研究所声明 442: ゼロ除算研究の大義と研究協力への��願い
再生核研究所声明 443: アリストテレス以来、二千年を越える封印、タブーの解消 - ゼロ除算
再生核研究所声明 444: 小・中・高校生に影響を与える初歩数学の出現 - ゼロ除算
再生核研究所声明 445: 平和を希求して ― How to
再生核研究所声明 446: 生物・動物の本性についての考察 ― 食すること
再生核研究所声明 447: 人工知能の進化と人間について
Announcement  448:Division by Zero Funny History and New World
再生核研究所声明 449:この世とあの世 - 人工知能の進化によって
再生核研究所声明 450: 水前寺清子様に呼応して - 雄たけび
再生核研究所声明 451: みんなの数学、大衆の数学 ― 和算の風土を取り戻そう
再生核研究所声明 452: 世界を変えた書物展 - 上野の森美術館
再生核研究所声明 453: The International Conference on Applied Physics and Mathematics, Tokyo, Japan, October 22-23
Announcement 454: The International Conference on Applied Physics and Mathematics, Tokyo, Japan, October 22-23
再生核研究所声明 455:ゼロ除算は幾らの価値がありますか、人間をどう救うのですか 回答
再生核研究所声明 456:ゼロ除算算法発見の瞬間
再生核研究所声明 457: 人類は何をなせしか - 広い視点
再生核研究所声明 458: 神の存在と信仰- 悟りへの心得
再生核研究所声明 459: 数学者の反省、数学教育の反省
Announcement 460: Change the Poor Idea to the Definite Results For the Division by Zero -- For the Leading Mathematicians
Announcement 461: An essence of division by zero and a new axiom
再生核研究所声明 462:ゼロで割れるか、ゼロで割る 任意の解析関数や数は ゼロで割ることが できる。
再生核研究所声明 463: ゼロ除算を理解すると 世の中に対して どのようなメリットがあるでしょうか。 ― 回答
再生核研究所声明 464: 多数決で決定する、投票で決定する危うさ
再生核研究所声明 465: 年頭にあたって - 1年の計
再生核研究所声明 466: 不完全な 現代初等数学、数学の基礎
再生核研究所声明 467: 数学の素晴らしさ ー 数学は絶対的な世界である
再生核研究所声明 468:ゼロと無限の意味と関係
再生核研究所声明 469:なぜ二つの負数を掛け算すると正数になるのですか?(回答)
再生核研究所声明 470:ゼロ除算 1/0=0/0=z/0=\tan(\pi/2)=0 発見5周年を迎えて
Announcement 471: The 5th birthday of the division by zero z/0=0
再生核研究所声明 472:万物流転、世の無常、心
再生核研究所声明 473:峠、峠を越えて
再生核研究所声明 474:人類の進化
再生核研究所声明 475:数学を志した理由 - 関係問題を省察する
再生核研究所声明 476:能力が足りない、無いは欠点にあらず、性格、特徴で活かせる。もちろん、恥ではない。
再生核研究所声明 477:ケンブリッジ大学とミュンヘン工科大学のIsabelle 計算機システムはゼロ除算x/0=0 を導いた
Announcement 478: Who did derive first the division by zero 1/0 and the division by
zero calculus tan(pi/2)=0, log 0=0 as the outputs of a computer?
再生核研究所声明 479:遅れをとったゼロ除算 - 活かされない敗戦経験とイギリスの畏れるべき戦略
再生核研究所声明 480:日本の数学の後進性
再生核研究所声明481:改元に当たって、日本からの贈り物、ゼロ除算算法 ― 新数学
再生核研究所声明482:研究について ー 国を豊かにし、文化を高め、世界を拡大させるために
再生核研究所声明483:ゼロ除算を発見した精神から見えた不思議な世界
再生核研究所声明484:ゼロ除算を発見した精神から見えた不思議な世界 - ゼロ除算の教え
再生核研究所声明 485:算数、数学の教育は 大丈夫でしょうか
再生核研究所声明 486:学校の授業を受けながら,「数学なんて勉強して,いったい何の役に立つのだろう」と思った人もいるのではないでしょうか。
再生核研究所声明 487:キャパシティ、   容量、器、限界
再生核研究所声明 488:恋から学ぶ、人間、人生、世界
再生核研究所声明 489:勉強から、考える、そして心の教育に
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9月6日のツイート
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RT @kamikitafutago: 今日も1日おつかれさま❣️#デパプリ pic.twitter.com/A2c0Itwxkg
posted at 02:28:22
ゆかりんほー
posted at 02:27:10
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RT @syatekiya072: 「多様性」とか言いつつ自分の好きなモノは優遇して嫌いなモノは難癖つけて排除しようってのが多過ぎる
posted at 02:25:27
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RT @7Znv478Zu8TnSWj: 本当に戦争を止める為に立ち上がったのなら、日本のEEZに5発もミサイルを撃ち込んだ国、毎月のように日本海にミサイルを撃ち込む国に猛抗議するのが常識的な平和主義者でしょうね。 twitter.com/mneaiortioot/s…
posted at 02:25:24
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RT @jda1BekUDve1ccx: TBS報道特集の金平茂紀キャスターは安倍元首相が死ぬほど嫌いで、極端な反天皇主義者。報道記者というより極左テロ支援者と言った方がいい。三菱重工爆破事件などで多数を殺害した大道寺将司が獄中で死亡した際は死を悼むツィートをし、日本赤軍の重信房子が出所した際はわざわざ“歓迎”に現れた。
posted at 02:25:19
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RT @ByDfkzvWWYifrfL: 戦争が嫌いなはずなのに、戦うことは好きなんだ。誰かが武器を与えれば幟旗やプラカードはやめるだろうな。 twitter.com/nipponkairagi/…
posted at 02:25:05
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RT @tR569iAjDzS9CfT: @nipponkairagi 国葬儀反対デモに、田村、山添議員が参加してるが、この国葬儀反対デモを呼びかけてるのは高山俊吉、洞口朋子(中核派)野本三吉、関西生コン支部、動労等です! これだけでも共産党は過激な団体と密接に連携しながら行動してる証拠です。 pic.twitter.com/6DnGhDvYKE
posted at 02:24:31
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RT @nipponkairagi: 共産党と共闘している首都圏反原発連合が主導した反原発デモの写真を見ると、極左暴力団体の革マル派、全共闘、三里塚芝山連合空港反対同盟の旗が確認出来るんだよね。共産党関連組織の九条の会も参加している。統一教会への電報どころではない、共産党と過激派の濃厚な関係の証拠じゃないんかい。 pic.twitter.com/P8pywgnE3C
posted at 02:24:23
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RT @RunForTheR: 立憲民主党も共産党も自民党を追求する時の要求を自分達にも適用しろよ。どれだけ自民党がクソだろうがそれ以上に立憲民共産党が腐っているのだから自民党政権が続くのは当然なんだよなぁ
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RT @RunForTheR: 「沖縄の反基地活動と極左暴力集団とは無関係です」が通るのならば自民党と統一教会だって無関係だろ
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RT @RunForTheR: 山城博治の沖縄平和運動センターが行って来た犯罪的妨害活動を機関紙赤旗で擁護正当化するだけでなく共産党の議員も活動に参加していたじゃねぇか twitter.com/koike_akira/st…
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RT @nippon_ukuraina: テロリストで殺人者は英雄視され、テロで倒れた被害者は死後でも叩かれ侮辱される。被害者ではなく、テロリストを批判すると、レッテルを貼られ次の攻撃の対象となる。日本をこんな国にしようとする勢力は民主主義の敵であり、法治主義の敵である。選挙で勝たせたら恐怖政治を行うに違いない。
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2022/9/3 キハ281系北斗7号は長万部にてノースレインボーエクスプレスの臨時特急ニセコと行き違い。ホームではまんべくんがお出迎え、駅弁かにめしの予約販売も行われていた。事前に情報仕入れていなかったので驚いた。 pic.twitter.com/EWev4jbegV
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2022/9/3 北斗7号の車窓から。五稜郭ではキハ281の解体が始まっていた。 pic.twitter.com/dWnka0XxKO
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函館山展望台から見た函館の夜景。 #α6400 + SIGMA 16mm F1.4 DC DN #函館山 #夜景 pic.twitter.com/Se0X7vWZ8z
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keredomo · 4 years
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短歌がわからなくて泣いていた
短歌が流行っている。たぶん世間的に流行っている。世間とはわたしの周辺でしかないし、カクテルパーティー効果?か何かでもともと世にはびこっていた短歌なるものが急に目につきだしただけかもしれない。でも、それでもなんか、なんか絶対に流行っている。と思う。どうも短歌を目にする機会が加速度的に増えている。Twitterに流れてくる短歌に、かわいい挿絵や写真がついていたりする。それらに怒涛のfavがつく。まあわかる。短くておしゃれで平面表現と調和する素敵っぽいものは感性にダイレクトに響くから当然流行る。短くておしゃれで、一見するとわかりやすい。しかしわからない。わたしには短歌がわからない。わからないのだが、短歌に挿絵や写真がつくのが妙に気に入らない。気に入らないのがなぜなのかわからない。自分の感覚を擁護できないので悔しくて泣く。
というわけで現代短歌がわからなくて泣いていた。泣いていたらこんな本のことを思い出した。三上春海・鈴木ちはね『誰にもわからない短歌入門』(稀風社、2015年)。「誰にもわからないんだ……」と思いながら買って読みはじめた。正直、誰にもわからなくても自分にはきっとわかるぞと思いながら読んだ。ところが読んでみて、やはりわたしにも短歌がわからない。しかしわかったこともある。「短歌の何がわからなかったのか」である。ありがとうございます。
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短歌の巧拙がわからない
 丁寧に暮らしている中年の女をすごく好きになって背後から性器をねじこむ
 きれいな男を見かけてなぐりつけおしたおしおかし孕むまで見る
前者はフラワーしげる(*1)『ビットとデシベル』(書肆侃侃房、2015年)に掲載の短歌で、後者はわたしが今テキトーに作った。別にきれいな男を見かけて殴って押し倒して犯したりはしてはいない。断っておくがそういう欲望も特にない。
さて、短歌の巧拙がわからない。丁寧に暮らしている中年の女をすごく好きになって背後から性器をねじこむことと、きれいな男を見かけてなぐりつけおしたおしおかし孕むまで見ることの事象の違いはわかるが、だいたい31文字におさまったこの2つの文字列の評価が短歌の出来としてどう優劣の差がつくのかわからない。当然、プロのフラワーしげるが七転八倒しながら作ったものは素人ですらないわたしが今テキトーに誂えたものより100億倍良いんだけど、それがなぜだかわからない。
というわけで、『誰にもわからない短歌入門』を読み通してみると、この問題についていくつかヒントが見えてくる。まず技術の巧拙という点では、現代短歌においては「韻律」「文字表記」「音の置き方」「定型の遵守/逸脱」などの選択に命が懸っている。そこにさらに文学的価値として「視点の単層性/重層性」「時間」「テーマ」「文体」「メタ度(偶発性)」などの大きな穴が被さってくるのだから難しい。本書ではこのような多種多様の論題について、38(+2)首の短歌を例題として著者の三上さんと鈴木さんを往復して論じてゆく形式をとっている。その往復のなかで挙がってくる話題をすべて拾い上げると長くなりすぎるので(ぜひ読んでください)、自分の最初の問題意識に沿ういくつかの主題についてわからないなりに感じたことを述べてゆくつもりです。
短歌の主体がわからない
さて、先ほど、別にきれいな男を見かけて殴りつけ押し倒し犯し孕んだりはしていないわたしが「きれいな男を見かけてなぐりつけおしたおしおかし孕んでも見る」、あ、間違えた、「孕むまで見る」と詠んだわけだが(*2)、そもそもこの作者のわたしと作中主体の〈わたし〉について、読者はかなり注意していないかぎり混同しがちなのではないかと思う。というのも、小説などと違って主語がほとんど明示されないため。小説では固有名詞の固有な物語が編まれることによって作者の影は薄れる(からこそ逆説的に作家論などが跋扈したのだろう)が、短歌はどうもそこがぼやけてしまう。これについては鈴木さんが言及していた。
昨今の短歌では歌の中の主体である〈わたし〉というのは、必ずしも作者の人格と同一なものではない。かといって歌の作者と〈わたし〉が全くの無関係であるとも言えない。卑怯な言い方をすれば、それは作者個々人の考え方にもよるし、また一首一首ごとにさえ揺らぐような関係性なのだろう。だから僕たち読者には一首の中の〈わたし〉と作者の関係を知ることは難しく、その判断を保留にしたまま歌を読むための便利な道具が「作中主体」なのだ。(鈴木、p.22)
「作中主体」の存在を頭に置いて現代短歌を読むと、主体のあわいが揺れて、何か深いことがわかったような気になるのだが、だからってその読みがすべてだと思ってしまうと危うい。鈴木さんが指摘したようにそれが留保に過ぎないことを、案外忘れがちだと思う。
便利なものはどんどん使っていくべきなのかもしれないが、その効果はあくまで判断を保留するだけであり、また便利な道具を使うときに捨象されるものがあることを忘れてはいけない。(同)
たとえば与謝野晶子が「柔肌の」「その子二十」と詠んだものをわたしたちはどうしても与謝野晶子の生として読んでしまう。彼女の歌は彼女の生き様とあいまって感動を呼び起こす(少なくとも大正時代の彼女の歌の読まれ方はそのようだったのではないかと思う)わけで、そこに別の「作中主体」を置いてやると途端に冷める歌の熱というものは間違いなくある。読みに正解はないが、それが便利だからといって作中主体の常用を惰性でおこなうことばかりを批評正当的な読み方だと思ってしまうと、見落とすものが多すぎるだろう。
与謝野を例にとってしまったので話が混乱しているけど、現代短歌というのは作者性を透過する傾向にあるんじゃないかな。葛原妙子などを見るとそうでもない気がしてくるが、とはいえ個人差(作品差)があるといって片付けられない程度には、現代短歌の特性として作者性の透過が発生しているのではないか。かといって透明の作者への志向性を認めてしまうと、こんどは「作中主体の存在を意識しすぎないようにする」ことが難しくなってくる。とにかく、便利なツールには警戒するべきだ。利便性と距離を置くことでしか見えないものも多い。
ところが。この慎重であらんとする態度を嘲笑うかのように、そして作者性の透過傾向などあまりに的外れな感覚だと指をさして笑うように、短歌で日記をやるという試みがよく(伝統的に?)なされているそうだ。本書に取り上げられているのは、望月裕二郎『あそこ』(書肆侃侃房、2013年)から掲出の以下の歌。
 十月十八日  ペリー���園で昼食。海沿いで育っていたらどうだったかな。
この歌については、文体の乾き、私性の乾きということについて三上さんが述べていて、それを受けて鈴木さんの往信では〈わたし〉の問題に触れている。
近代短歌と日記の相性がなぜ良いのかというと、それはおそらくどちらも自己同一性を担保にしているからだと思う。(……)近代的個人にとって日記と言うのは、過去の時分と現在の自分の連続性、同一性を確認するための宿痾的作業であって、その記述は同一性に担保されつつも、それ自体が同一性証明になっているという相互依存の関係にあって、短歌における連作もまた同様に、それ自体が〈私〉の同一性を担保にしつつも、その同一性は結局連作という制度によって保証されたものであるという循環論法に陥る。(鈴木、pp.72-73)
先ほど与謝野を例示したが、もしかするとこの「自己同一性」というものについては、むしろ読み手の方に、揺るがされたくないという意識があるのではないかな。近代短歌の時代にはありそうだけれど、現代にもあるのかな。(*3)やはり、作者の存在というのは原理的には連作のタイトル程度のものにすぎないことを心にとめることは、短歌を読み解くのに重要な前提となってくるのではないか。
そういえば、日記について考えるときに思い出されるのは俵万智のサラダ記念日かもしれない。よく知られているとおり、褒められたのはサラダではなかったし、その日は七月六日でもなかったのだが、S音のために、そして印象の手垢をかんがみて恣意的な操作をおこなった結果として、完成したのがあの歌であった。サラダじゃないって知ったときは結構衝撃だった。俵リスペクトで七月六日にサラダ食べてたのに。
この歌に詠まれているのは現在の〈私〉とその同一線上の存在である過去の〈私〉ではなく、「海沿いで育っていたら」という可能世界上に存在する〈私’〉への憧憬だ。同じ日記体であっても、そこには近代短歌的な規範とは何か根本的に異なる地平に立った〈私〉の存在があるように思われる。(同)
わたしを〈わたし’〉にまで遠ざけて、短歌の主体が一体どこまで走っていけてしまうのか、少し不安になる。どこかでリアリティにしっぽを掴まれたままでなければ、そこに書かれたものを読める人などいなくなってしまう。作者の一般的な想像力に全ての読み手を振り払うほどの飛翔が遂げられるのかはさておき、そうなったときに、表現とは一体何なのかと、霧中にて途方に暮れることは幸いではあるまい。幸いだからいいということは何ひとつとしてないのですが。どこかへ進む希望を与えぬ闇は表現の在る姿としてあまり幸福でない。
短歌に絵をつけるのが気に食わない理由はわかった
主体について、〈わたし〉の先にさらなる〈わたし’〉が出現しうることが明らかになった。これをふまえて端的に述べると、短歌に絵をつけるのが気に食わないのは、短歌に詠まれた世界の多層性を台無しにしうる(あくまで「しうる」ではあるが)所業のように思えるからだ。
三上さんが「二重写し」という言葉で説明しているが、短歌に乗るイメージは一元的ではありえない。言語それ自体を志向するような詩形態を除く言語芸術の多くはたしかに未だ写実主義的であり、小説などはことさら、一文に一つの意味を乗せ(*4)、それを緻密に積み重ねていくことでイメージの多義性と時間性を獲得していくものだが、現代短歌はその方法を脱構築して多層的なイメージを31文字に取り込んでいる。
掛詞や暗喩は「二重写し」の技法であると前項で述べた。星野しずるに用いられている「二物衝撃」や、上の句と下の句の呼応から生じる「短歌的喩」(吉本隆明)など、短歌の喩の多くはこの「二重写し」の技法によって成り立っている。特に前衛短歌は暗喩を基調とし、世界と反世界の「二重写し」を志向していた。(三上、p.62)
技法として挙げられた掛詞についてはこのような例が出ている。
「落ちる」のなかには「散る」が含まれて、また「落ちる」の古語である「落つる」には同じ部分に「吊る」が見いだされる。樹をしならせて花が落ちることがたとえば首を吊ることを匂わせる。単なる駄洒落と掛詞はだから微妙に違う。駄洒落は意味と無意味の重ね合わせからなるが(……)、掛詞においては複数のイメージが意味をまとったまま共存する。(三上、pp.60-61)
ひとつの言葉に意味の複数性を込めたり、並べた複数の言葉が二色のセロハンが重なるようにしてひと所に多層のイメージをちらつかせたりする。言葉を厳密に精査し繊細に扱うことによってのみ可能になる複層性が、この文字数の制限された言語表現においてきらめくのだ。
散文ではフィクションであってもノンフィクションであっても、単線的な記述をミルクレープのように何層も何層も膨大に積み上げていくことで、総体としての複線性、複層性を取り戻すことが目指されるのだが、韻文では文字列、あるいは語りそれ自体が単線的でありながら、同時に複線的であることが目指される(三上さんが言うところの「二重写し」)。(鈴木、pp.64-65、下線は本文中の傍点)
多層性、複線性は、冒頭に述べた主体の問題だけが担うものではない。そこに置かれた言葉にどれだけ深く潜れるかを問われる言語芸術というものに対峙するとき、とくに制限された文字数のために一字の重みを増している分野においては、「桜」を桜色の桜花としてのみ扱って過ぎてしまえば底はあまりにも浅い。イメージングの多層性の凄味があるものに対して、絵や写真をつけて揺蕩うものを固定されるのがいやだ。そんなところで楽をしたくないし、読みを蹂躙されたくない。されたくなくない?(*5)
ところが、イラストレーション=図説の是非ということについて考えると、今度は短歌がおこなう「写生」の問題が持ち上がる。
三上さんは本書の(11)で、木下こう「首飾りはづしてのち」『体温と雨』(砂子屋書房、2014年)から以下の短歌を取り上げて写生について言及している。
 昏れやすきあなたの部屋の絵の中にすこ��下がると私が映る
この歌はすくなくとも「写生文らしく」はない。しかし私たちはこの歌に確かな手ざわりを覚える。「昏れやすき」「すこし下がると」は現実ではなく、このひとの〈現実感〉を忠実に描いている。そのようにして、「写生文らしく」ない歌にも宿るリアリティがある。茂吉的な意味での「写生」とはおそらくそれである。(三上、p.37)
「茂吉的な意味での『写生』」とあるので、茂吉の写生に徹したように見える歌を探して引いておくとこんなかんじ。料理歌集の『霜』(1941年)より
 かぎりなき稲は稔りていつしかも天(あめ)のうるほふ頃としなりぬ
広く輝き風に波立つ黄金の海が見えるようですね……ため息でちゃう……。しかし、茂吉にも料理歌集なんてあるんですね。かわいい。平凡社とかから出てそう、料理歌集。「クロワッサン焼いて待ってる 深夜2時・深夜3時・早朝4時」とかそういう。そういう料理の。はい。あ、出てない。出てませんか。そう。ですよね。はい。クロワッサン焼いて待ってるんで出してください。よろしくお願いします。
田山花袋らの自然主義文学が目指したのは「告白」によって人間の真実に迫ることであり、齋藤茂吉は生を写すものとしての「写生」と「万葉調」によって人間の「生命」に迫ろうとした。一方で戦後、塚本邦雄などの前衛歌人は、虚構の、句またがりと句割れを多用した非生命的な韻律の短歌を唱導した。だがそこにおいて志向されたものは「魂のレアリスム」(塚本邦雄『定形幻視論』一九七二)でもあった。(三上、p.70)
すなわち、ここで言われる「写生」は「写実」とは異なり、直接的な言及を避けながら感覚を包摂すること、そして時間の経過を包摂することが技巧としての写生であるということだろう。文字通り、ひろびろと豊かな「生」を写し、抱きこむこと、あるいは明け放つこと。「二重写し」によるイメージの空間的・時系的多層化に時間感覚の包摂を加えて、歌の世界観は主体を端緒に読者を巻き込み果てしない広がりを見せる。
作為への抵抗感
ところで、ここまでわたしは作者の作為と技巧に素直に感心し続けてきたわけだが、どうも作為は手放しに称揚していいものではないようだ。この本の第一章である(1)に鈴木さんが述べたところを読んでほしい。
これは多分に恣意的な読みであるけれども、同時にそうした読者の「恣意的な」読みへと誘導する、単なるレトリックではない呪詛のような深い作為がこの一首には強く潜んでいる。僕は正直に言ってあまり笹井の歌を好かないのだけれど、それはこの深いところに通底する作為への抵抗感なのだと思う。(鈴木、p.11)
これは笹井宏之「国境のどうぶつたち」『てんとろり』(書肆侃侃房、2011年)から
 どろみずの泥と水とを選りわけるすきま まばゆい いのち 治癒 ゆめ
という歌を引いて論じられたものの結語の部分なのだが、最初からびっくりしてしまった。作為への抵抗感。本書の中盤には、偶然短歌botや星野しずるの(半)自動生成短歌への言及があるのですが、作為というのは、「ことばによる表現から〈私〉の存在を消そうとする」(p.51)ことと対極に位置するのだろうか。
この返信として三上さんは以下のように述べている。
……命の実感は「まばゆい いのち 治癒 ゆめ」という高度なレトリックによって支えられている。鈴木さんはそれを『呪詛のような深い作為』と述べているけれど、これは笹井が病というその境遇において独自に編み出した方法であると同時に、現在というねじれた時空が彼の歌に要請したもの、であると思う。(三上、p.13)
主体の作為と主体である必然。表現をおこなう上で誰もが問い続けることになるこの操作と偶発のバランスがさまざまであるからこそ、すべての表現者が存在を許されるのかな、と少し感じ入るような、最適解を求める無謀さに背筋が凍るような、難しい話だなと思う。
ところで三上さんはこの返信の中で「『冥土』を挟むと『どろみず』に戻れてしまって、しりとりがいつまでも続くね」ということをおっしゃっていて、わたしはそれにも崩れ落ちました。まったく気づかなかった。わかることは読むうえでどれだけ言語感覚を鋭敏にできるかに懸かっているのだな。
ついでにほむほむの本も読んだ
まったく関係ないんですけど、短歌がわからない勢いに乗って穂村弘『ぼくの短歌ノート』(講談社、2015年)を読んだのでちょこっとだけ感想を書いておく。群像で連載されていたものをまとめた本であるらしい。この本も概説ではなく解題をおこなっているものであり、一章のなかに10ほどの短歌を並べておもしろがったり検証したりしてゆく。それにしても穂村はキュレーションと名付けがあまりにも巧い。いくつかの章についてはさすがの感性に舌を巻かざるをえなかった。女の短歌がお嫌いでない方は「花的身体感覚」の章だけでもお読みになるといいです。本章の解説文中の「そこに痛みがないからだ。」という一節は鮮やかだった。素敵な歌がたくさん紹介されていて楽しいので、気に入ったものをいくつか引いておく。
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 流れつつ藁も芥も永遠に向ふがごとく水の面にあり/宮柊二
 奔馬ひとつ冬のかすみの奥に消ゆ われのみが纍々と子をもてりけり/葛原妙子
 夜の新樹しろがねの日こゑうるみ貴様とさきにきさまが呼びき/塚本邦雄
 名を呼ばれしもののごとくにやはらかく朴の大樹も星も動きぬ/米川千嘉子
こうして並べてみると自分が好ましく思う短歌にはやはりイメージングの豊かさと色彩の移ろい、揺らぎがあるようです。そういう揺らぎを固定されることへの抵抗感に端を発したのがこの記事であるわけです。ここでの文脈に乗れば、時間感覚の重層性こそが短歌を短歌たらしめる条件だと言えなくもないけど、多分それは知の欺瞞。欺瞞ゆるすまじ。短歌を短歌たらしめる条件などはもはや雲散霧消し、条件の消滅した混沌の時代を迎えており、それゆえに現代短歌を読むことについてわかるよりも感じることを許す雰囲気が漂っているようにも思われる。感じることを許す雰囲気のなれの果てが挿絵。なんでやねんこのアホ!!!!いやポップカルチャー化して間口が広がることは文化として悪いことではない。悪いことではないが、間口が溶けて消え去ることには歯止めをかけたいじゃないか。短歌がわからない門外漢なりに。短歌がわからない門外漢だからこそ、門があってほしい、くぐることを許してほしいじゃないですか。
誰にも短歌がわからない
というわけで、やはり現代短歌がわからない。しかしわからなさがよくわかったのでよかった。わからないときに「何がわからないのか」を考えるための語彙が得られてほんとうによかった。もう泣かないと思う。怒ったり、苛立ったりはすると思う。でもそれはプラスにはたらくパワーになるからいい。
ついさっき、感じるばかりのアプローチを強く非難したが、わかるための、考えるためのきっかけは感じることだとは思う。現代短歌を見かけて「わからないけれど綺麗でいいね」「色っぽいね」「この感じ、あるね」と思っていい。それが美しく飾られた入口の役目となる。現代美術の前にぽかんと突っ立って「よくわからないけれどなんか好き」「大きい」「かわいい」「変」と思っていいのと同じです。ただ31文字にぶち込んだだけではないと意識していてほしい。ニューマンの赤が無意味に赤く塗ったわけではなく、クラインの青が適当に拾ってきた色ではなく、李禹煥の岩が博物学的な意味を主張しているわけではないと同じで、現代短歌の耳に心地よい言葉のむれに俊英で明敏な作為がはたらいていることに思いをはせてほしい。わからなさに対峙してほしい。3秒で読める31文字は、決して読み流されていいものではないのだから。
わからなさといえば、最初に誂えた2首の差についてちゃんと考えないことには示しがつかないので、がんばりましょう。
冒頭2首は巧拙においてどう違うのか
 丁寧に暮らしている中年の女をすごく好きになって背後から性器をねじこむ
 きれいな男を見かけてなぐりつけおしたおしおかし孕むまで見る
実は挿絵の不服について述べた際にとりあげた三上さんの「二重写し」のお話は、このフラワーしげるの「丁寧に…」の解説中にあるものだった。多くの短歌が複線性を志向し二重写しの技巧によって成り立っているのに対して、フラワーしげるの歌は一重写しを志向している。二重写しにおいて二層目に現れるはずの「怪異」を一重目として平然と出していることの異常性を三上さんは指摘していた。加えて、定型を逸脱しながら初句「丁寧に」と結句「性器をねじこむ」が定型に近い姿をとっているとおり、単純に定型を破壊するのではなく、定型に阿りながらも文体によって独創をおこなっていることについても言及している。(pp.62-63)
また、鈴木さんはこの作品の異様さについて、「着想の特異さや暴力性、大胆な破調になどにあるのではなく、彼の文体それ自体から来るもの」(p.65)と見ている。等速、単線的であるこの歌に、原思考への憧憬や身体への郷愁が存在しないことの不穏さが述べられている。
はーい、そこでわたしの「きれいな…」ですが、「丁寧に…」に文意の似たものを用意しようと思ってこしらえたので、とりあえず同じ視点を使って比べてみます。まず一重写しであることには相違ない。文体の等速もそれっぽい、が。ここで突如!文体というキーワードによって、わたしが常々感じてきた、いいかげんに作られた拙い短歌の気持ち悪さについてはっきりと明らかに!なった!なりました!おめでとう!はい。というのも、歌に詠みこむ怪異を一重写ししようとしながら怪異にあるべき矛盾を含まず、そのうえ文体すら獲得せずに、つまり状況説明するだけとなっている歌は、「で?」である。「だからなに?」である。それこそ作者というパーソナリティへの回帰を強制するようなナルシスティックなものに過ぎない。芸術性を帯びないナルシシズムに付き合わされるしんどさというのはやばい。暴力。つらい。悲しい。それは人間関係でしかありえない。表現は人間関係を担保におこなってはいけ��い。表現は人間関係から独立せねばならない。難しい。難しいがそれは表現者が乗り越えなければいけない困難である。表現者は彼自身がコンテンツになるべきではない(なってもいいけど)。
定型の遵守/逸脱という観点についても、全体が31文字前後になんとかおさまっているというだけで意味としてとれば 8・4・5・5・3・5・2 と、滅裂です……これはひどい……。「殴りつけ」以降はかろうじてリズムを尊重できていて良いですね。褒められて伸びるタイプなので良いところは褒めます。「きれいな男を見かけて」までが〈定型としての自己の生〉から逸脱した出来事であり、「なぐりつけおしたおしおかし孕むまで見る」行動に出る際には自己の生の定型を取り戻していると読むこともできます。
また、ついでに文字表現についても指摘してみます。平仮���が実にくどい。これはですね、「お」と「し」がたくさん出てきて可愛いから平仮名にしました。可愛いから以上の理由が述べられない表現選択はあまりよくないのかもしれません。「お」と「し」がたくさん出てきて口が気持ちいいことなんて読めばわかるので、文面にまで主張しなくていいのかもしれません。どうなんでしょう、見た目の良し悪し。自分ではよくわからないです。何事も悪口を言おうと思えばどうとでも言えるし褒めようと思えばどうとでも言えるから、妥当性の在り処がわからない。批評のための文化文脈がない。つまりこれがジャンルの文化文脈を持たない人間の限界です。門外漢というのはそういうことです。なので、ここでおしまいになります。お付き合いありがとうございました。なんでわたしは自分で作ったものを自分で評しているんだ。永久機関かよ。
おわりにおすすめ
というわけで、入門しただけで道を進んで行かないことには短歌についてなかなかどうして断定的なことが言えませんが、実践的な学びがおこなえる『誰にもわからない短歌入門』はおすすめです。幅広い種類の現代短歌を取り上げていて入門者にやさしく目新しく、解釈の参考書として実践的で、かつ読み物としての構成に優れているものでした。短歌と短歌をまたがって一つのテーマを論じているのはこの本の企画構成の成果で、企画自体が往復書簡のスタイルをとっているため、連綿と問題意識が接続していく。読み手としても問題意識をぶった切られることなく読めるのでとても快適です。また無為に冗長な解説を許さない枚数制限が論旨の一貫を確かなものに仕上げていて本当に読みやすい。短歌史・短歌批評史のような事柄には薄らとしか触れていないのですが、時々出現するそれらの重要性がはっきりとわかるし、好奇心をくすぐられる。とにかく良い本だったこと、面白かったこと、おすすめであることが伝わればわたしはうれしいです。以上、短歌がわからないわたしの読書感想文に長々とお付き合いありがとうございました。もしかすると、少しはわかるようになったのかもしれません。やったね!
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(*1) ところで今インターネットで検索してフラワーしげるの略歴を見たら「訳書にコッパード『郵便局と蛇』、……」とあり、フラワーしげるって西崎憲だったのかよ。びっくりした。わたしは2ちゃんねる世代なのでしげると言われて浮かぶイメージが松崎しげる一択で、フラワーしげる、という名前に印象されるイメージと言えばルドンのこの絵の顔部分に松崎しげるの真っ黒に日焼けした肌に白い歯の異様に浮かぶ良い笑顔が貼りついているものだったのですが、西崎憲だったのかよ。早く言ってよ。
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余談ですが学生時代に〈夏目漱石の作品とイメージ〉というテーマについて講義を受けていて、『夢十夜』第一夜にこのルドンの絵をあてた人間がいるとの噂を聞いてわたしは怒り狂い憤死した。死んだので大きな真珠貝の殻で地面を掘って埋めてもらった。それから天から降ってきた星の破片を墓標にしてもらった。今は生きてこれを書いている。百年はもう来ていたのだな。
(*2) 「孕むまで見る」と「孕んでも見る」とでは物語がまったく別の様相を帯びている。「孕むまで」の自己完結したまなざしと「孕んでも」の他者をまなざすことの不完全さみたいなもの、前者は狂気だし後者は切なさである。人生は他者を取り込みきれない切なさとわかりあえなかった挫折がつのるばかりであるから、いっそのこと狂気で自己完結できればいいのにね。人生はままならない。
(*3) 時間の変移のなかで自己同一性を確保することが近代的自我の発明の意義だったわけですが、ポストモダンにおいて自己の解体を推し進めがちな現在(もはやポストモダンなのか?)というのはいったいどこを目指しているのだろう。意識的・非意識的にかかわらず、自己解体の取り組みの発露として現代短歌というのは非常に、粗暴なまでに、あからさまに実現されている気がします。ちょっと怖い。
(*4) ただしコーマック・マッカーシー、ジョゼ・サラマーゴ、大江健三郎、金井美恵子などを除く(とはいえどんなに長い一文にだってやはり意味は一つしか込められていないのではないか?)(意味とは?)
(*5) 絵画は写実から逃れて久しいものの、ダイナミックな時間の変化やイメージの多層性を内包するには少なくともセザンヌ、できればキュビズムをへて抽象表現主義へ至る必要があるような気がする。どうかな。時間ということなら古典主義的な宗教画だって複数の時間性と複数の物語のディメンションを包含しているよな(ボスとか)。でもあれはタブローが甚大だからなー。壁じゃん壁。人間身体を凌駕する壁。短歌は壁じゃないじゃん。写真における意味の多層性についてはよく知らないのですが、しかしわたしは直感的には写真がついている短歌のほうがいやだ。絵がついている短歌よりもいやだ。猫の短歌に猫の写真がついて、「その猫」にイメージの自由が奪われるのがいやだ。本文中で桜について述べたとおり、写真が単語に挿絵するのが腹立たしい。
とはいえ、Twitterで流れてきた歌にきれいな写真や絵がついていたら、そりゃあ、抗いようなくfavつけちゃうけどさ!きれいだもん!綺麗なものには抗えない。むかつく。あのなあ、綺麗もカワイイもただの暴力だよ、あんなもんに騙されてはいけない。騙されて奪われてはいけないんだ。わたしたちは読みの自由を死守しなければ死んでしまう。絶対に暴力を許さないぞ!
( 2016/05/24 18:09)
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tsthxh · 4 years
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魔女の霊薬 種村季弘
十六世紀ドイツの画家ハンス・バルドゥングス・グリーンに、「魔女たち」と題して、数人の魔女が恍惚状態で飛翔したり、そのための準備をしているらしい場景を描いた一幅の銅板画がある。後方に水平に浮遊している老婆が片方の手に尖の二股状になった杖を持ち、もう一方の手で、なかば浮き上った若い娘の腰を抱えて何処(いずこ)かへ拉し去ろうとしている。前景右手には、片手にもうもうと煙を上げる魔香の器を掲げて今にも地を離れんばかりのエクスタシーに浸っている女がいる。
注目すべきはしかし、それよりさらに前景左手の女である。彼女は左の手に何やら呪文のようなものを記入した紙片を持ち、もう一方の手を股間に押入して(後方にぐつぐつ煮えている釜から取り出したものであろう)塗膏(ぬりあぶら)らしきものを陰部に塗布しているのである。呪文と見えたのは、あるいは塗膏の製法または用法を書きとめた処方箋でもあろうか。仔細に見ると、この銅版画は映画的な連続場面で構成されていて、最前景の塗膏を塗布している魔女が遠景に退くのにつれて、徐々にエクスタシーに陥りながら催眠状態で飛翔する(もしくは飛行感覚に襲われる)過程を刻明に記述していることがわかる。
バルドゥングス・グリーンばかりではない。ゴヤも(「サバトへの道」)、アントワーヌ・ヴィルツもレオノール・フィニーも、古来魔女を描いたほとんどの画家が、箒にまたがって空中を飛行する魔女を描いた。魔女は飛ぶのである。しかも股間にあやしげな塗膏をなすり込むことによって。これこそが悪名高い「魔女の塗膏」であった。
ところで、一体、魔女の塗膏の成分はどんなものだったのだろうか。血やグロテスクな小動物のような、さまざまの呪術的成分を混じてはいるけれども、主成分はおおむね幻覚剤的な薬用植物であったようだ。ゲッチンゲン大学の精神病理学学者H・ロイナー教授は魔女の塗膏の成分を分析して、混合されたアルカロイドの種類をおよそ五種に大別した。
一、      イヌホオズキ属のアトロパ・べラドンナから抽出されるアトロビン。
二、      ヒヨスから抽出したヒヨスキアミン。
三、      トリカブトのアコニチン。
四、      ダトゥラ・ストニモニウムから取ったスコポラミン。
五、      オランダぱせりからのアフォディシアクム。
これらの各成分から醸し出される効果はまず深い昏睡状態であり、ついで、しばしば性的に儀式化された夢幻的幻視、飛行体験などである。おそらく媚薬(アフロディシアクム)として常用されたオランダぱせりは性的狂宴効果を高めたであろう。魔女審問の記録(十六、七世紀)には、実際におこなわれたものか、それともたんなる幻覚であったの定めではないか、ソドミー、ぺデラスティー、近親相姦のような倒錯性愛の告白がいたるところに見られる。告白された淫行のなかには悪魔の肛門接吻(アナル・キス)のように入社儀式化されているものもあった。アコニチンによる動悸不全はおそらく飛翔からの失墜感覚を惹起した。またベラドンナによる幻覚は、はげしく舞踊と結びつくと運動性の不安――すなわち飛行感覚を喚起する。睡眠への堕落、性的興奮、飛行感覚は、こうして各成分の作用の時差によって交互に複雑に出没する消長を遂げるものにちがいない。
使用法は、右のアルカロイド抽出物の混合液を煮つめたものに、新生児の血や脂、煤などを加えて軟膏状にこしらえたものを、太腿の内側、肩の窪み、女陰のまわりなどにすり込むのである。さて、細工は流々、はたして所期の効果が得られるであろうか。
現代の学者で魔女の塗膏を実際に当時の処方通りに造って人体実験をしてみた人がいる。自然魔術と汎知論、あるいはパラケルスス研究やシュレジア地方の伝説採集の研究で高名な民俗学者ウィルー��ーリッヒ・ポイケルト教授である。一九六〇年、ポイケルトと知人のある法律家は、十七世紀の魔女の塗膏を処方通りに復元して、こころみに自分の額と肩の窪みにすり込んでみた。成分はベラドンナ、ヒヨス、朝鮮朝顔、その他の毒性植物を混合したものであった。まもなく二人はけだるい疲労に襲われ、ついで一種の陶酔状態で朦朧となり、それから深い昏睡状態に陥った。目がさめたのようやく二十四時間後で、かなりの頭痛を覚え、口腔からからに渇き切っていた。二人はそれから、時を移さずにぞれぞれ別個に「体験」を記述した。結果はほとんど口裏を合わせたように一致し、しかも、三百年前、異端審問官の拷問によって無理矢理吐き出させられた魔女たちの告白とおどろくべき一致を示したのである。
「私たちの長時間睡眠のなかで体験されたものは、無限の空間へのファンタスティックな飛翔、顔というよりはいやらしい醜面をぶら下げている、さまざまな生き物囲まれたグロテスクな祭り、原始的な地獄めぐり、深い失墜、悪魔の冒険などであった。」(ポイケルト『部屋のなかの悪魔の亡霊』)
してみると十六、七世紀の魔女たちの証言はかならずしも根も葉もない虚構ではなかったのである。一五二五年に『異端審問書』を書いたバルトロメウス・デ・スピナは、当時の有名な医者ぺルガモのアウグストゥス・デ・トゥレが、その家の女中が部屋のなかで素裸になり意識を失って死んだように床に倒れているのを発見した委細を記録している。翌朝、正気に戻ったところを尋ねてみると、彼女は「旅に出ていた」と答えたという。どうやら塗膏を使用したのである。ルネッサンス・イタリアの自然科学学者ヒエロニムス・カルダーヌス(カルダーノ)も旅の幻覚を伴う塗膏の話を書いている。
「それは、おどろくべき事物の数々を見させる効力と作用を有しているとされ……大部分は快楽の家、縁なす行楽地、素晴らしい大宴会、種々様々のきらびやかな衣装を着飾った美しい若者たち、王侯、貴顕の士、要するに人の心を呪縛し魅するありとあらゆるものを目に見させ、ために人びとはてっきりこれらの気晴らしや快楽を享楽し娯しんでいると錯覚さえする。彼らはしかし、一方では、悪魔、鳥、牢獄、荒野だの、絞首吏や拷問刑吏の醜怪な姿だの、とかをも眼にするのであって……そのため非常に遠い奇妙な国を旅行したような気がするほどである。」
おそらく現代の幻覚剤による「旅(トリップ)」と同じような、未知の空間への旅行が体験されたのであろう。ヒエロニムス・ボッシュの「千年王国」の天国と地獄を一またぎするような、至福と恐怖がこもごも登場するその旅の旅行の体験の内実は、「ビート族のベヨーテ生活」の至福共同体が「ある敷居を境に苦痛の闇へと転落し、そこからヒップスター生活が犯罪の世界へ繋っていく」(ワイリー・サイファー)ところまで、現代の幻覚剤体験そっくりだったようだ。
 幻覚剤文明が現代の特産物ではないように、魔女の塗膏もキリスト教的中世独特の薬物ではなかった。それは古代ローマにも、それ以前の蒼古たる地中海文明的なかにも、明らかに存在していた。ただ、またしてもその意味が違っていたのだ。キリスト教的中世の魔女の塗膏が忌むべき禁止の対象であったのにひきかえ、そこでは同じものが驚異の対象だったからである。
もっとも著名な例は、アプレイウスの『黄金の驢馬』の主人公ルキウスが魔女めいた小婢フォティスの導き屋根裏の小部屋の扉の隙間ごしに覗き見るパンフォレエの変身であろう。ミロオの妻パンフォレエは人眼に隠されて塗膏を身体中に塗り、鳥に変身して夜な夜な恋する男のもとへの飛んでゆく。
「見るとパンフォレエは最初にすっかり着ていた着物を脱いでしまうと、とある筐(はこ)を開いて中からいくつもの小箱を取り出し、その一つの蓋を取り去って、その中に入った塗膏をつまみ取ると、長いこと掌でこねつけておりましたが、そのうち爪先から頭髪のさままでからだじゅうにそれを塗りたくりました。そいでいろいろ何かこそこそ燭台に向ってつぶやいてから、手足を小刻みにぶるぶると震わせるのでした。すると、体のゆるやかに揺れうごくにつれて柔かい軟毛(にこげ)がだんだんと生え出し、しっかりした二つの翼までが延び出て、鼻は曲って硬くなり、爪はみな鉤状に変わって、パンフォレエは木菟(みみずく)になり変わったのです。
そうして低い啼き声を立てると、まず様子を吟味するように少しずつ地面から飛び上がるうち、次第に高く上がってゆくと見るまに、いっぱい羽根をひろげて、外へ飛んでってしまいました。」(呉茂一訳)
この場合にもパンフォレエの羽化登仙的な至福感は事の一面を物語っているにすぎない。同じ塗膏をフォティスから手に入れたルキウスは、同じようにそれを身体中に塗りたくりながら鳥とは似もつかぬ鈍重な驢馬に変身してしまう。それは天上的なものの失墜した果ての、道化た、暗い、醜悪な実相である。以後、彼はヒエロニムス・カルダーヌスのいわゆる「非常に遠い奇妙な国」の間をさまざまの魔物や物の怪に囲まれながらさまよいつづけなくてはならない。天上の飛翔は、一転、暗い冥府の旅に変るのである。
さて、このように両極的な作用を及ぼす『黄金の驢馬』の魔女の塗膏の成分は、一体どのようなものだったのであろうか。フォティスはこれらの驚異が「小さな、つまらない野草のおかげで」成就すると説明している。「茴香(ういきょう)をちょっぴり桂の葉をそえ、泉の水に浸したものを身に浴びるとか、飲むとかするだけ」でよく、また変身の解毒剤には「薔薇の花」を食べればよい。これ以上の説明がないので詳細は不明であるが、塗膏が茴香や桂の葉を含むいくつかの野草から合成されたことだけはたしかである。
ローマ文学史上、アプレイウス(一二三頃~一九〇年?)が登場するのは白銀時代も終焉してからのことであった。すでにこの頃、オリエントの異教はローマに流入して熱病のような猛威をふるっていた。しかし魔女の薬草はこれより早く、すでに黄金時代から重要な文学的トポスとしてしばしば詩文学の上に登場している。さいわい、ゲオルク・ルックという学者が黄金時代の四人の詩人に焦点をしぼって、『ローマ文学における魔女と魔法』について論じているので、これを参照しながらローマにおける魔女の塗膏の繁昌とその源泉をしばらく訪ねてみよう。
アプレイウスのパンフォレエが「恋いこがれた男」のもとに飛んでいくために鳥に変身したように、塗膏の効果の主たる目的の一つは明らかに愛の魔法であった。正確にはむしろ愛の錬金術というべきかもしれない。なぜから塗膏は、別れた男女をふたたび合一させたり、げんに夫婦である男女を分離させてその一方をよこしまにも他の男や女に結びつけようとする、分離と結合のための触媒の役を果たしたからだ。それゆえに塗膏の使い手反しばしばローマの悪場所である売淫の街区スブーラに巣食う百戦錬磨の取り持ち女たちであった。
盛期黄金時代の詩人ウェルギリウス(前七十~十九年)の『牧歌』第八に、ダフニスに恋をして捨てられた女が魔法で男を呼び返そうと逸話が見える。ふつうから職業的な魔女の家を訪うべきところであるが、この女(そもそも『牧歌』第八のこの箇所は、牧人ダモンとアルフェシボエウスが歌くらべをして、アルフェシボエウスが魔法を実演してみせるためにその女にじかになり変わり、彼女の声、言葉、状態を直接に演じているので、女は無名である)は女奴隷のアマリリスを助手に使い、かつて大妖術使いのモエリスから伝授された霊薬の製法を駆使して、みずから愛の魔法を演じてみせる。はじめに彼女はアマリリスを呼び寄せてつぎのように命じる。
「水を持ってきて、そこの祭壇をやわらかい紐でお結び。それから強い野草と匂いのきつい乳香を燃やすのだよ、そうすれば情夫(あのひと)の狂った気持を魔法の供物(くもつ)で惑わしてやれるのだから。足りたいのはあと魔法の呪文だけ。――街から家へ、私の呪文よ、ダフニスを連れ戻しておくれ。」
祭壇に結び紐、野草、呪文といった魔法が早くもあらわれている。「やわらかい紐」はおそらく羊毛の紐で、羊毛の紐には霊的呪縛力があると信じられていた。紐の結び方は、まず不実な相手の肖像画の首のすわりにそれぞれ三色(黒、白、赤)に彩った三本の紐をかけ、この画を祭壇のまわりに三度めぐらせる。「三つの異なる色を三つの結び目でひとつに結ぶかいい、アマリリス、結びつけさえすればいいのだよ、アマリリス、そしてお言い、〈私の愛の絆(きずな)を結ぶ〉と。」
三の数がしきりに重用されるのは、「神は奇数をおよろこびになる」からである。したがって「愛の絆」云々の畳句(ルフラン)も三x三の九回唱えられる。紐の三色のうち黒は冥府の色で、赤と白は悪を予防する保護色であり、黒を中心にしていわば施術者を庇護してくれる。こうして呪縛――結合(katadesis)が完了し、ダフニスは空間を立ち越えて施術者につながれてしまう。しかし魔法はこれで終わりではない。無気味な呪いの人形の焚刑がこれにつづく。
「粘土が火で固くなるように、蠟が同じ火にあった溶けるように、ダフニスは愛のために私のところにやってくる。供物の碾(ひ)き粉を徹き、もろい月桂樹を瀝青で燃やすがいい。悪いダフニスが私を燃やし、私はこの月桂樹の枝と私のダフニスを燃やす。」
呪いの人形はホスティウスの『諷刺詩篇』第一巻八「魔女とかかし」にも登場するが、ここでは魔女は「毛制と蠟制の二つの像をもっていた」(鈴木一郎訳)とあって、はっきり人体を模している。しかしウェルギリウスでは粘土や蠟をダフニスの姿に似せて捏ねておく必要はなかった。男の名前や不実を意味する符号が粘土や蠟に刻み込まれていたかもしれないが、顔形を模造するまでもなく、施術者の女がこれこれの呪物によってダフニスを意味し、それが相手だと考えればよかったのである。粘土は火のなかで固くなり、蠟は軟らかくなる。ゲオルク・ルックの注解によると、粘土は女の(相手にたいして硬化する)憎悪の固さをあらわし、蠟は彼女にたいしてふたたび軟化するであろう男の気持をあらわしている。異解では、粘土が固くなるのは、彼女から離れて他の情婦に移ったダフニスの気持を憎むべきコイ恋仇にたいして固くさせるの意である。同時に投げ込まれる月桂樹は願いの筋の吉凶を知らせてくれる。月桂樹がバチバチ爆(は)ぜて燃えれば願いはかない、燃えつきが悪ければさらに瀝青を注いで火を熾(おこ)らせるのである。
だが、つぎつぎにおこなわれる魔法にもかかわらず吉兆は一向にあらわれない。そこで女は、ダフニスが「担保」としてのこしていった衣服を閾(しきい)の下に埋めて地下の神々の裁きを乞う。「ダフニスは私にこの担保の借りがあるのだ」と。事態はこれでも好転しないので、女はアマリリスに先程燃えていた火の冷めた灰を河に持っていって投げ捨てるように命じる。その場合、灰を運んだらそれを「頭越しに」河に捨て、そちらの方を見ないで帰ってこなくてはならない。そうしないと悪霊がかえって施術者の側に憑(つ)いてしまうおそれがあるからである。かくて灰は流れに運ばれて「ダフニスを襲うであろう」。
この箇所では、女はダフニスへ呪縛をひとたび放棄して、呪いの灰で彼を襲うためにふたたび相手から分離している。「結合(カタデシス)の後にかりそめの「分離(アポリシス)」がつづくのである。この分離は恒久的なものではない。最後の結合手段として効果甚大な薬草(野草)が控えているのを女は知っている。しかしその力はあまりにも強大で、まかりまちがえば周囲に��命的な影響を及ぼす。そのために、一瞬、女は最後の切札を出すべきかどうかを逡巡する。するとこの瞬間、一度冷たくなった灰がふたたびめらめらと燃え上って祭壇を焦がしはじめる。
「これは吉兆だ!明らかにこれは何事かを意味している。――これを信じるべきなのか。それとも恋する女が魔法の夢にまどわされているのか。止まれ、わが呪文よ、止まれ。ダフニスはすでに都(みやこ)から帰りつつある。」
強烈な薬草を用いるまでもなく愛の魔法は成就する。しかし抜かずに終わった伝家の宝刀を彼女は依然として持ってはいるのである。それほどのようなものか。
「黒海沿岸で採集されたこの薬草と毒草は、モエリスがみずから私にくれたもので――それは黒海地方に多生している、しばしば私は、モエリスがこれを使って狼に変身して森のなかに姿を隠したり、深い墓穴から霊魂を喚び戻したり、穀物をよその土地に移したりするのを見た。」
薬草は単純な野草ではなく、特に「黒海地方に多生する」と明示されている。ホラティウスも初期の『エポーディ』のなかで、「毒薬の国イオルコスとヒべリアからきた毒薬」について語っている。ヒべリアは現代のグルジア共和国で、黒海地方に属する。黒海という地方は当然コルキス��まれの大魔女メデアを連想させるにちがいない。実際、詩人たちが邪悪な薬物の出所として念頭に浮かべているのはメデアその人なのである。メデアの壮大な魔法を活写した『転身物語』のオウィディウスはいうまでもなくティブルスも、「キルケ―か持ち、メデアが持っているあらゆる毒薬、デッサリアの地に生れたあらゆる薬草、欲情にたける雌馬の女陰からしたたる粘液」(『『哀歌』』と列挙する。オウィディウスのメデアは龍に打ちまたがってデッサリアに飛び、そこから薬草を採ってくる。すなわち薬草の特産地として、黒海沿岸とデッサリアといういずれ劣らぬ不気味な地方がいちじるしく強調されるのだが、これが何を意味するかについてはのちに述べたいと思う。
さて、ウェルギスウスの述べているモエリスの薬草の三つの応用例のうち、一は人狼変身、二は死者を喚起する降霊術(ネクロマンシ―)、三は穀物の生殖力の転移にそれぞれ関わる。人狼変身の話は後代(紀元一世紀)の『サテュリコン』の「トリマルキオーの饗宴」にも出てくるが、人狼信仰はおそらく神話時代に遡る起源を有している。ところがで、ロイナー教授は神話学者ランケ・グレイヴスらの説を援用して、オリュムボス神の飲食物たるアルブロジア(神々の食物)やネクタール(神々の美酒)が右のごとき幻覚性の薬物そのものではなかったとしても、そのエッセンス多量に混じていたにちがいないと推定する。ディオニュソス祭儀のメーナードたちの狂乱もこれと無関係ではない。
アルブロジアややネクタールを飲食する権限を独占している神々は、おそらく有史以前の聖なる王や女王たち(その前身はシャーマンであろう)であった。彼らの王朝が没落した後、それは、閉鎖的結社的なエレウシス密議やオルフェウス密議の秘密の要素となり、ディオニュソス祭儀とも結びついだ。密議の参加者たちは密議の席で共食した飲物や食物を絶対に口外してはならなかった。そうすることによって忘れ難い一連のヴィジョンが体験され、その類推的延長の上に超越的世界における不死と永生が約束されたからである。
ディオニュソス祭儀のメーナードたちの狂乱は、内的には飛翔感覚や性的興奮を伴い、外面的にはさながら狼のような凶暴を示したものにちがいない。彼女たちは髪をふり乱しながら国中を進行し、家畜や子供をずたずたに引き裂き、酒や薬物入りのピールに酔って「インドに旅行してきた」ことをひけらかした。してみると、見知らぬ士兵や妖術使いの人狼変身は、密議的な幻覚共同体が崩壊した後、秘密から疎外された個人や小集団が犯罪の形で表出せざるを得なかった聖なる薬物体験であったとおぼしいのである。
メーナードの末裔のように残酷な魔女たちは、先にふれたホラティウスの『エポーディ』にも登場してくる。数人の魔女が良家の子供を誘拐してきて、地面に首だけが出るように生き埋めにし、御馳走が山盛りの血を眼の前において(口元まで皿がきていても手が使えないので食べられないのだ)凄まじい飢えの修羅場をながながとたのしみ、はては生きたままの身体から骨髄と生き肝をちぎりとり、これを煮つめて媚薬をつくる。
「髪に、さてはまた蓬髪乱れる頭に、小さな蝮どもを絡ませながら、カニディアはコルキスの焔のなかにつぎのものを投ぜよと命じた。墓場から引き抜いてきた野生のいちじくの樹、死者の樹なる糸杉の木材、いやらしい蟇の血に塗られた卵、夜鳥ストリックスの羽根、毒草の国イオルコスとヒべリアからきた野草、飢えた牝犬の口からもぎとってきた骨を。」
これに子供の生き巻肝を加えれば魔女の霊薬は完成する。怖ろしい魔女カニディアのつくる媚薬は、ウェルギリウス作品の場合と同様、ある不実な男を呪縛するためである。しかし不思議なことに、カニディアの媚薬は予期したような効果を発揮しない。男の名はヴァールス、「老いぼれの漁色家」である。いましも彼は「私の手がこれ以上完璧には調和することのない塗膏(ポマード)を塗られ」て、魔窟スプーラの犬に吠えつかれ、人びとの物笑いの種になっているはずであるのに、これはどうしたことであろう。彼はこともなげに街をうろついて夜の冒険に出かけている。やがてカニディアは「(自分より)さらに秘密に通じた魔女」が彼の背後にいて、その呪文が自分の塗膏の効果を台なしにしていることをさとる。「もっと強力な薬を、そのもっと強力なやつをお前から取り上げてやる」。こうして毒物と解毒剤が互いにきそいながら老ヴァールスを板はさみにしてしまうわけた。
それはちょうど、十八世紀毒殺魔ド・ブランヴィリエ侯爵夫人が夫の侯爵を亡き者にしようと毒を盛ると、度重なる毒殺の発覚をおそれた相棒のサント・クロアが解毒剤をあたえ、毒と解毒のシーソーゲームのなかで中途半端な廃人となった侯爵が、宙ぶらりんな生かさず殺さずの、世にも恐ろしい余生を送ったのとそっくりであった。
ヴァールスというのが誰をモデルにした人物ではっきりしない。しかしホラティウスの知人であることはたしかで、詩人ははっきりとヴァールスの肩を持ち、かつカニディアを憎んでいる。一方カニディアは、詩人の庇護者マェーケーナスがローマの無縁墓地エスクィリーナエの丘を自分の庭園に造りなおした際、この旧墓地に出没した魔女である。ホラティウスは「汝、マドロスや旅商人どもにあまた愛された女」と侮蔑しているので、前身は港町の娼婦かいかがわしい取り持ち女の類であろう。一説には、本名をグラティディアと称してナポリで美顔用塗膏を商っていた実在の女であるともいう。
ホラティウスは何故かこの女を心底から憎悪していた。開明的なエピキュリアンであったホラティウスはむろん魔法を真に受けていたわけではないが、不倶戴天の敵カニティアの脅威は身をもって知っていたらしい。カニディアは詩人に執拗に呪いをかけた。『エポーディ』前半ではカニディアを揶揄していた詩人も、第十七歌あたりではさすかに音(ね)を上げて魔女に降参してしまう(「やめろ、やめてくれ!私は効き目のある術に降服する!」)カニディアとホラティウスの間には直接の色情的怨恨はないのに、何故こうも執拗に呪詛し憎悪し合うのであろう。目下の論題から離れるので無用の詮索ではあるが、講和主義として敗北してから「黄金の中庸」を看板に韜晦してきたホラティウスの、政敵にたいする潜在的な不安が魔女カニディアの姿に結実したのだとすれば含意は深長である。
ところで、先に私は、老ヴァールスがより秘密に通じた別の魔女から対抗秘薬を調達し、カニディアの塗膏から身を護った経緯を述べたが、正確にはこれは逆である。漁色家ヴァールスは老いかけた精力を挽回するために(別の)魔女に催淫剤を依頼し、そのお蔭で老齢にもかかわらず夜な夜なスプーラに出没することができたのであった。一方、カニディアの塗膏は通常の媚薬とに逆に、この好色な遊び人を性的不能に陥らせる麻痺的な減退剤であったにちがいない。なぜなら「老漁色家がスプーラに犬に吠えつかれ、人びとの物笑いの種になる」効果を狙った薬物は、相手を色街における無用の徒である不能者に仕立てるための、底意地の悪い精力減退の薬にほかならないだろうからである。この不能不毛化させる魔法は、ウェルギリウスのいう「第三の魔法」である穀物の生殖力の転移盗奪の法にも通じている。
ローマ最古の法文書である十二銅表律は、隣人の耕地の収穫物を荒廃させる災いの魔法を重罰をもって禁じている。罰は犯罪を前提としているので、すでに当時から他人の畑の生産力を涸渇させ、(あまつさえ)これを我田引水しておのが腹を肥やす魔法が実践されていたのであった。本来神と自然の摂理のみが按配すべき穀物の作不作が人為の魔法によって操作されるのなら、同じことは人間的自然である肉体の活力の、特に性的エネルギーの増減についても通用するはずである。
ホラティウスがカニディアに蒙ったの呪い魔法は、老ヴァールスのような精力衰弱のそれぞれではなかったが、肉体のすみやかな老化という脅威であった。彼の髪は急速に白くなり、仕事は日々困難になりまさり、一瞬として息を吐くひまもなくなるであろうというのが、カニディアの呪いに籠めた脅迫であった。事実、ホラティウスは年齢より早く白髪が目立ち始めていたが、それがカニディアの魔法のたまものという証拠はなく、むしろ詩人は生来の病身にもかかわらず健康を維持し、日々の仕事も快適に楽しんでいた。彼はカニディアの悪意を感得してはいたが、魔法そのものはそれほど本気で信じていたわけではなかった。
ウェルギリウスやホラティウスの同時代の詩人プロベルティウス(前四十八?~十九年)も魔女の呪いを蒙ったことがある。プロベルティウスの受けた呪いは、まさに彼の男性としての能力の荒廃の脅威であった。敵なる魔女はその名もアカンティスといい、魔法をあやつると同時にやはり男女の仲を斡旋する取り持ち女でもあった。そもそもおらゆる種類の自然と蔑視してその正常な運行を人為的に左右しようとするプロメテウス的瀆神行為である魔法を、とりわけ肉体のの領域において一手に引き受けていたのは、先にも述べたように、当時スブーラに巣食っていた卑賤な薬草売りの魔女やあやしげな取り持ち女だった。ホラティウスの『エポーディ』のいちじるしい影響下にある『哀歌』のなかで、プロペルティウスはほとんどホラティウスをそのまま踏襲しながら唱っている。
「彼女(アカンティス)はつれないヒッポリュトスをアプロディーテーにたいして和ませるすべをすら心得ているのだ、水入らずの愛の絆にたいする最悪の災いの鳥であるこの女性。彼女はベネローベをさえ、その夫の知らせなどおかまいなしに、淫蕩なアンティノースとめあわせることだろう。彼女がその気になれば、磁石はもはや鉄を牽引せず、鳥はその小鳥たちの巣のなかで継母(ままはは)となる。すなわち彼女がポルタ・コリナの野草を掘り出したならば、固く結ばれていたものはすべて流れる水に溶け去るのだ。彼女は大胆にも月に呪文をかけ、月をおのが掟に従わせ、夜な夜なその肉体を狼の姿に隠す。醒めている夫の眼を環形でくらませるために、彼女は処女の雌鳥どもの眼を爪でくり抜く。彼女は魔女たちと結託して私の男性の能力を去勢させようとし、私に害をあたえようものと子持ちの雌馬の欲情の愛液を集めた。」
アカンティスはエロチックな引力(共感)と斥力(反感)の結合(カタデシス)と分離(アポリシス)の両極原理を基盤とする錬金術的性愛術を自在に操るのである。思うがままに貞淑ペネローペを淫蕩なアンティノース靡かせ、冷たいヒッポリュトスにアプロディーテーにたいする熱烈な情欲をかきたてる。彼女は自然の法則を嘲笑し、リビトーの流れをあちらからこちらへと変えたり、涸らしたり、増量させたりすることさえできる。共夫の女をよこしまな道楽者に取り持つように頼まれれば、不運な男の眼を鳥の眼をくり抜くようにくらませ、あまつさえ他人の畑の作物を枯らすようにしてそのリビドーを荒廃させ、不能の夫から強壮薬で男性的魅力をいやが上に引き立たせられた道楽者の方へと女の浮いた心を誘導していく。共感の法則をたくみに使い分けて、愛し合う男女を別れさせたり、嫌われた相手を手元にたぐり寄せたりするのである。
もっとも、このときにこそ魔女アカンティスを憎々しげた呪詛しているプロベルティウスであるが、彼自身、若年の頃は靡かぬ片恋の人「キンティア情(なさけ)を買うために「キタイアの女の魔法の呪文によって星辰や河の軌道を転ずることができ」、「わが主なる女(ひと)の心を変えて、彼女の貌(かんばせ)を私のそれよりも蒼ざめさせる」魔女の性愛術に帰依したことがあったのである。
アカンティスの魔法の中心にあるのも「ボルタ・コリナの野草」である。黒海やコーカサス地方の野草ではなく、市郊外の入手しやすい野草に頼ったのは輸入品が高価だったからであろう。いずれにせよ、この野草を投ずることによって、星の運行、河川の流れ、男女の情愛、磁力や母子愛まで、自然の正常な摂理は突然ばらばらに分解し、崩壊した積木の神殿を魔女の家に組み立てなおすように、別種の構成原理の手に委ねられる。
端的にいえば、この瞬間に世界は昼の側から夜の側に逆転し、世界原理の主宰者が神と宗教から悪魔(もしくは魔霊(デーモン)と魔法に交替する。あるいは天地創造の原活力たる火が神の手からプロメテウスに簒奪される、といってもいい。このように、あらゆる魔法使いは自然の法則を嘲笑するプロメテウスにほかならないのである。
「宗教的人間の態度は、祈る人、懺悔する人の態度であり、魔法使いの態度は主人と支配者の態度である。信仰篤い人間は祈りのなかで彼の神々に自分の優位を感じさせ、呪文によって神々を屈服させる。ある意味で魔法使いは神々の上に立っている。なぜなら彼は、神々がそれに従わなければならないと呼びかけと誓言とを知っており、かつ服従させられた神々の怒りから身を護���予防策に精通しているからである。」(ゲオルタ・ルック)
ローマの詩人たちは宗教詩人というよりはむしろ世故に通じたエピキュリアンであった。彼らは神々の側に立って魔法使いや魔女をきびしく紏弾したわけではない。そうかといって、あまたの魔女の姿を描いたにもせよ、彼らは悪魔崇拝に首までどっぷりと浸って秘教的な暗黒詩を書いたのでもない。
詩人たちが魔法にたいしてあいまいな態度をとりつづけたのは、彼ら自身と魔法使いたちとの間に存在した隠微な抗争のためであった。彼らは宗教の側に立って魔法を攻撃することこそあえてしなかったが、彼らなりに魔法を嘲弄もしくは嫉妬していた。なぜなら魔法が万事を解決してしまえば、彼らの持駒である言葉の救済力という白い魔術の出番がなくなってしまうからである。「歌(カルメーン)の原義は「魔法の歌」、「魔術的呪文」であった。「詩作(ポイエーテス)」もまた言葉の自然状態の組み変えというプロメテウス的行為である。それゆえに詩人もまた「傲慢(ヒュブリス)」の罪によってみずからはコーカサスの山巓にさらされながら地上の人びとに慰藉を授ける。プロベルティウスの言葉の医術についての確信は反語的である。
 私は離ればなれにさせられた恋人たちをふたたび合一させることができ、
主(ぬし)なる女(ひと)の抗う扉を開くことができる。
私は他人(ひと)の生々しい悲哀を癒すことができるが、
私の言葉のなかにはいささかの薬剤もない。
 さてウェルギスウスのモエリスが演じた薬草による三つの魔法のうち、まだ死者降霊術のみが言及されていない。死者召喚の秘法に関しては、すでにホメーロスの『オヂュッセイア』第十一巻に「招魂」の章がある。そこでオヂュッセウスに地下に一キュービット四方の穴を掘り、乳、蜜、酒、水、大麦の粉などを播いてから黒い牧羊の喉を切ってその血を穴に注ぎ、死者たちの魂を喚び戻す。古代人にとって死者は存在から消滅するのではなく、冥府や月世界に移行するのであるから、冥府の主であるハーデスやペルセポネイアに祈願して時間を逆流させることができれば、死者は当然地下世界から地上に還帰するはずなのである。地下的なものの秘密の結実である薬草がこの喚び戻しに重要な役割を駆使するのである。オウィディウスはいう。「彼女は黴び朽ちた墓の底から汝の父祖や祖先を引き出し、大いなる祈りによって大地と岩石とを割る。」
死者召喚が発端と終末、死と生と逆転であるとすれば、死から生への大逆流の一環として若返りの魔法が考えられる。老年から幼年への(自然的に不可逆的な)若返りはいわば死者再臨の模型である。オウィディウスは『転身物語』のなかで大魔女メデアがアエソンに施したおどろくべき若返りの秘法を絢爛たる筆にのせて活写している。
しかもここでメデアの魔法の要となっているのも「魔法の霊薬」である。まずメデアは翼のある龍にの首に牽かれた車を呼び出し、これにのり込んでテッサリアの野に飛び、あまたの薬草を採集する。それから奇怪な薬の調合にかかる。
「かの女は、髪の毛をバックスの巫女のようにふりみだして、炎のもえている祭壇のまわりをぐるぐるまわり、こまかに割った炬火(たいまつ)を溝のなかの黒々として血にひたし、ふたつの祭壇の炎でその炬火に火をつけ、こうして火で三度、さらに硫黄で三度老人(アエソン)のからだを清めた。そのあいだに、火にかけた青��のなかでは、魔法の霊薬が煮��たぎり、白い泡をたててふきこぼれていた。かの女は、ハエモニア(テッサリアの古名)で刈りとってきた草の根や種子や花や激烈な草汁をそのなかに煮こみ、さらに、極東の国からとりよせた 取り寄せた小石や、オケアヌスの引潮に洗われた砂をまぜ、これに満月の夜にあつめた露、鷲木菟(わしみみずく)の肉といまわしいその翼、おのれを狼のすがたに変えることができるといわれる人狼の臓腑をくわえ、その上にキニュプスの流れに住む水蛇のうすい鱗皮と、九代を生きながらえた鴉の嘴と頭を入れてことをわすれなかった。」(田中秀夫・前田敬作訳)
前代の詩人たちの精読者であったオウィディウスは、ここにウェルギリウスやホラティウスやプロペルティウスの伝えた魔女の秘薬のあらゆる要素を投げ入れ、ほとんど完璧なごった煮を調製しているのである。さて、メデアの最後に橄欖樹の枯枝でこの液体をかきまわすと、老いた枯枝はみるみるうちに縁に返って豊かな薬をつけ、ふきこぼれた液がふれた地面はたちまち若やいだ春の地肌に変り、花が咲き、やわらかい草が萌え出た。メデアはすぐさま剣を抜いて老人の喉に孔をあける。流れる出る古い血の後に薬液を注ぎ込むと、瀕死のアエソンの白い鬚や髪はたちまち真黒になり、老醜の皺は消えて四十年前の姿になり変わった。
メデアが龍にのって薬草を探しにいくデッサリア地方は、都の郊外のように手近ではないが、さりとて彼女の故郷の黒海沿岸(コルキス)やコーカサスのような遠方でもない。しかしこころみに地図を広げてみると、エーゲ海から黒海に入るダーダネルス海峡を通じて、薬草の特産地たる黒海東端のコルキス、ヒべリア、コーカサスは水路から意外にも指呼の間にある。事実、アルタゴナウタエたちはテッサリアのパガサエの港からアルゴ号を仕立ててコルキスの金羊毛皮を探しに出立した。テッサリアと黒海沿岸地方に古くから深い関係が成立していたであろうことは、この一事からも容易推測される。ちなみにロイナー教授の野生幻覚剤分布表によると、魔女の塗膏の歴史的原生地は「中央ヨーロッパ全土」とされている。
おそらく中央ヨーロッパ奥地から地中海沿岸地帯にかけて、かつて強大な母神信仰が栄えていたのであった。この地下的(クトーニッシュ)母神崇拝の宗教はやがてアポロン的宗教に打倒され、輝かしいギリシア世界の表面からは駆逐された。とはいえ跡形もなく消滅したわけではなく、勝利を占めた若いアポロン信仰は古い地中海宗教の多くの要素を受け入れた。たとえばデルポイの神託を授けるアポロン神殿の巫女ピュッティアは、大地の裂け目の上にすわって地中からくる母の指示を受信する。ピュティアという名称そのものがすでに前ギリシア的宗教における地下的なものの化身たるピュトンの蛇との関連を暗示している。
若い宗教に征服された前代の宗教は、一転、魔法となるのがつねであった。のが常であった。同様に魔女たちは、かつてこの冥府的な大母神信仰の由緒正しい女司祭若巫女だったのであろう。しばしば魔女が引合いに出すテッサリアやコルキスのような土地は、メデアのような大女司祭が君臨していた聖地だったのであろう。したがってローマの詩人たちがその作品のなかに描いたアカンティスやカニディアのような魔女は、没落した大母神崇拝教団の巫女の、いまは往古の栄えある祭儀に参加するすべもなく孤立して巷をさまよい、賤業に口糊する、頽落したなれの果ての身にちがいない。彼女たちが時折り口にした霊薬の甘味は、プルーストにおけるマドレーヌの喚起的美味とひとしく、それが神餞として共食された往時の、栄光ある、だがいまは沈んで久しい世界の天上的な至福の思い出を、一瞬ざまざと想起させてくれたかもしれない。
魔女の塗膏や霊薬は、それ自体としても、むろん後の悪魔礼拝と切っても切れない密接なつながりがある。しかしそれよりも重要なのは、魔女を女司祭に戴いていた前ギリシア的地中海宗教が若い宗教に敗北したとき、そこにアポロン信仰が定位されたことである。いいかえれば、このとき以来、崇拝の対象は女性神(大母神)から男性神アポロンに変ったのだ。
アポロン的宗教の男性神崇拝は、当然のことながらキリストを受け入れる基礎を用意した。ここからキリストの倒錯像サタンの成立まではわずか一歩である。アポロンとキリストが男性でなかったならば、悪魔もまたついに男性ではなかったであろう。若い男性神に打倒された母神へのなつかしい郷愁は、アポロンやキリストへの憎悪の化身である第二の男性神を必然的に招来せしめた。この怨恨と憎悪に黒々と塗り込められた黒い男は、ときにはサタンとして、ときにはロマンティックな悪魔主義者として、ときには超人や天才として、時代とともに変転する自己表現をとげた。 いみじくも聖侯爵の「悪魔主義」について語りながら、「天才は母の国にではなく、魔女の国に棲む」と語ったのはG・R・ホッケである。私が右に述べてきたのもサタンの棲もう風土たる「魔女の国」のくさぐさの追憶であった。
出自《悪魔礼拝》
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cota-nust · 6 years
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●銀魂 ジャンプGIGA vol.3へ向けての記憶する記録
(2019.2.9 0:38)
 銀魂の感想は書くまいと思っていたけど、56巻の将軍暗殺篇の始まりを読んで考えが少し変わった。ジャンプGIGA3号目に向けて、今、いまこのタイミングに思うこと、そして初読に感じたことを書き残しておくべきなんじゃないかなあと。
 読み返すごとに思うところは様々に変わっていくけど、始めに読んだときに思ったことは決して無くならないし、それは何度再読したって変わらない。忘れずにそこに、自分の中にずっと残ってくれる。それこそ魂みたいに。そして再読するごとに変わる、その時々に感じることも、やっぱり同じ様に自分の中にずっと残ってくれるなら、ここに書き記してもそれは磨り減らないし、自分の中から無くならない。
 それなら、いま自分がどんな風に銀魂を好きなのか、それを少しだけ書き残しておきたい。全部じゃなくて良くて、残しておきたいところだけでいいから。
 もちろん「書かない」(書けない、かもね…こわいね)っていうことも一つの感想だと思うので、そこはそれということでひとつよろしく。  じゃ、行きますか!
◇56巻  ああ、終わりの始まりなんだなと、そう思った。  空知がこれまでの十年をフルに使う、本気のやつを描きに来たぞと。
 とは言え下ネタの勢いも激しく(カゲ汁)、ギャグ混じりで描いてはくれているのだけども。ふ○っしーそういえば丁度この頃だったね…(笑)ただ、ふっとばされた喜喜ががっつり怪我してる辺りからも、シリアス長編だぞ、分かってるな、ときつく伝わってくる。
 影武者の件に関しては、銀さん行かないでよ、万事屋の皆行かない…………訳……ないよね……と思いながら、うう……となった。だってあの三人がこの局面で手を貸さない訳が無いことを、私たちはもう知っている・・・・・・・のですよ。嫌になるほど知っているのですよ、ここまでの55巻を経た私たちは……。まして将軍はほんとのほんとに万事屋三人の命を救ってくれた過去があるからね。まあね、そうなんだよ、そうなんだけど。でも、やっぱり、と思いそうになるけど、なるんだけど!だとしても���れでも、いやこの三人は行くんだって思うんだよ。だってさ、だってそうじゃなきゃ万事屋じゃないんだ…!私たちの知ってる万事屋は、銀さんは、新八は、神楽は、やっぱりそうするんだよ。そうだって私たちは知ってしまっているんだよ。
 空知の本気も分かっていたつもりだったけど、こういうの描ける人で、今までいい塩梅にセーブしてくれてたのも分かってて、ここからリミッター外してくるのも分かってたけど、それでもやっぱり将軍の首が飛んだ1コマで、あ、本気だ、って改めて思った。こっちもスイッチを入れられた。本気で読まなきゃだめなやつだこれは、と。いや別にいつも本気で読んでるんですけどね。
 あとは全蔵の眼がなあ…。初めて描かれるのはまず間違いなくこういうガチの場面だろうとは思ってたけど、やっぱりくるものがありましたね。
 ちなみに守護霊の話の始めの「こんな化物が499話ずっと銀さんの側にいたの!?」のくだりに何となく覚えがあるような無いような…だったので、この辺までは本誌を読んでたのかもしれない。確かに大学卒業が2015年春なので、2014年の夏~秋口とかなら読んでる可能性あるんだよな。いやめっちゃギリギリのとこまで読んでたんじゃん!っていう。ジャンプが転がってたら銀魂の掲載順は必ず確認してたからなあ。
 他にも色々あるけど、とりあえずはそんな感じ。47巻読もう。ア゛ーーーーーこわいなーーーーー!
 ――ああ、終わりの始まりの、足音がする。
(2019.2.9 1:40)
◇57巻  いつもの将軍かよォォォ!!の引きからの続き。将軍ほんとに死んでるのか?と思いつつ、始めから将軍が偽者だったっていうのはさすがにこっちも騙されたわ…。でもじゃああれは一体誰だったのか?とも思ってたけどまさかこういうことだったとは。全蔵の回想シーンで思わず「う゛あ……」と声が出てしまった。人間・徳川茂茂の命を護ろうとした、という表現がまたぐっとくる。
 表紙の阿伏兎の表情も印象的。先の展開でこんな表情が似合うタイミングが来るのかな。どっちかというと銀さんにも似合いそうな表情に思えるけど…でも銀さんがこんな表情になってしまう様な場面、見たく……うーん、ないなあ、やっぱり…。…そんな風に笑わんでくれよ。
 あと、この真選組と万事屋の関係がやっぱ好きだ。気に食わないけどお互いを認めてる感じ。見ている方向はバラバラでも、帰るべき場所は同じだ、っていう銀さんの台詞がもうそっくりそのまま言い表してるよね。別の正義だけど敵同士じゃない。
 生きて帰るのが友達の務めだっていうのもね。これはずっと昔から銀魂の好きなところの一つ。生きて帰るのが友達の務めだ。務めだからね。
 個人的にはこの高杉たちとの再対が、紅桜篇の時と対になってるのかなと思った。新八が武市に(紅桜篇の時と違って)躊躇無く一刀入れてたのが印象的でした。万事屋全員が揺るがなく万事屋メンバーであることが万事屋が万事屋たる所以なところが、力強いし、心強いなと思う。(「万事屋全員~所以」なところが、の意。分かりにくいな)
 あとあと、将軍を連れて廊下から飛び降りるシーンの三人の一瞬の目配せと、そこからの銀さんが柱を掴んでぐるっと反転するところがめちゃくちゃ格好よかった…!戦闘シーンでも、銀さんに剣を渡すのはいつも新八なんだなあというのがやはり印象的。とっておきのがもう一本、なんだよな。
 五百五十五訓の1ページ目、銀さんは昔と変わらない表情で描かれているのが、狙ってやってるんだろうけど気が引き締まる様な感じ。ここで新八と神楽の名前を呼ぶのもすごい好きだ。
 それで、神楽の、この地球で生まれた神楽アル、って言い切る強さがまた…大好きなんだ…!負けんな!神威なんかに負けんなよ神楽!あんなクソ兄貴一発殴って怒ってやれ!!という気持ちのまま次巻へ。
 あと五百八訓も読んだ覚えがあったので全然余裕で突入したところまで読んでましたね。いや全然ギリギリどころじゃなかったね!普通に突入してたね!次の巻あたりまでがほんとに読んでる可能性があるラストのところなので、ちょっと気をつけつつ読もう。なんかもう一話くらい読んでそうだわ。
(2019.2.11 22:36)
◇58巻
 上手い言葉なんてない。それどころか上手くない言葉すら見つからない。1冊読み進めるのに3度は思わず本を閉じて息を吐いた。その時間が必要だった。
 十年……十年間これを、これ・・をずっとしまい続けて、よくまあ十年も……空知先生…………銀さん……。つい二巻前にも書いたけど、ここまでの巻の全てが伏線になって、はっきりと提示してくる。そこに描かれた坂田銀時という男の在り様が、私たちに、まざまざと、鮮明すぎるほどに、過去と現在の銀さんを提示してくる。
 ずっと間に合わなかったんだとばかり思ってた。あと一歩届かなかった、もっと自分達が強ければ、と、そういうことだったのかと。そういうことだったのかと思ってたんだよ。こんな……こんな、なんで、こんな。
 どうしようもなく、何もできることは無いんだなと思った。たぶん作中の誰にもできることは無くて、もちろん読者である私たちも同じ様に何もできなくて、ただもう……どうか、どうかと祈ることしかできないんだなと……。願わくば、これから銀さんを襲うであろう困難を、銀さんが乗り越えられますように。何一つ取り溢さず歩いて行けますように。銀さんの道行きが、笑顔に満ちたものでありますように。どうか、どうか、と。
 59巻も続けて読んだので、ちょっとそっちの内容も入るけど、銀さんがこの先、銀さんの思う答えを見つけることができて欲しいな、と思う。今の銀さんは万事屋の銀さんでもあるから、そこには新八と神楽がいるから、きっと見つかると思う。
 高杉と相対する時だけはきっとずっと松下村塾の、吉田松陽の弟子の坂田銀時だったんだな、と。銀さん…。
 あと、それでも、銀さんのために私は少しだけ腹を立てたい。松陽先生に。なんで斬らせたんだと。銀さんはやってくれるって、願いを汲んでくれるって分かっててやったでしょう、と。他に何か手は、無かったんだろうけど、でも、それでも、それでも…!銀さんは確かに強いけど、ああいう人だから応えてくれるしその力もあるけど、松陽先生も近藤さんも背負わせるばっかりで、いやそればかりじゃないんだろうけど、でもさ、じゃあ、じゃあ銀さんの荷物は誰が一緒に持ってくれるんだよ。皆いるのに、いないわけないのに、いらないわけないのに、持たせられない人だって分かってるのに…それでも、それしか手が無かったんだとしても、でも、やっぱりそれでもさ、と、どうしても思ってしまうのですよ。銀さんはやっぱり、最後の最後で松陽先生の方に少しだけ傾いてただろうから、余計に。でも、松陽先生も銀さんたちに、楽しくなくったって、それでも生きてて欲しいって思ってたのかなと思うと…何も言えない…言えないんだよ…。先生…。
 これを書くのにもう一時間半くらいかけている。最後にちょっと気になった点を一つ。
 松陽先生ってあの…もしかして夜兎だったりします?なんか回想シーンの怪力具合と言い、髪とか肌の色といい、そう思うとそれらしく見えてきてですね…。あのいまいちこっちの話を聞いてない感じとか、よくよく考えると神威とテンポ感が似てるよね。過去も何かありそうだし、うーん、まだやっぱり分からないところだらけだなあ。
 そんなこんなで、次巻へ。祈りつつ。
(2019.2.12 23:16)
 
◇59巻
 58巻を読んでそのまま寝るのはちょっと…しんどい…続き…となったのでそのまま読みました。真選組の話。
 真選組もやっぱり、警察じゃなくても、近藤さんがいて、土方さんがいて、沖田がいて、皆がいて、それならどこでだって真選組なんだなと、改めて。逆にそうじゃなきゃ真選組じゃない。江戸を離れ、いよいよ時代が動こうとしている様が見えてきた。それでも皆の笑顔があるなら、どこでだってそこがやっぱり皆の帰る場所なんだっていう、それも再確認できて良かった。将軍暗殺篇からこっち、空知先生自身が自分に言い聞かせてるのかってくらい(それもありそうだけど)、もうあの日には戻れないんだ、皆でバカやってたあの日には…って何度も繰り返し語られるので、これは嬉しかったな。そうだよね、どこでだって、いつだって、って思えて。
 前巻を踏まえての、銀さんの、まだどっちも護れるって言葉が響いた。夢に見てるってことも…。答えが見つかりますように、今度こそはどっちも護れますように、と、やっぱり祈る。
 中盤、身を隠した銀さんが着ていた着物はあれ辰五郎さんの着物だったのかな。お登勢さんと目を合わせるシーンがいい。
 ヅラが銀さんを指して、とっておきのを残してきた、って言うのがまたいいんだよな。そんで、銀さんのとっておきは新八と神楽なんだな。
 あと、小銭形さんの再登場が個人的に嬉しい!カミュのくだりがいっそ懐かしい…(笑)
 いよいよ新政権との対立が明確になってきて、見廻組というか佐々木の思惑も気になるところ。いざ次巻へ。
(2019.2.12 23:52)
◇60巻  表紙が知らない人だ!の60巻。ついに60巻の大台に。  ヅラの一つ結び好きなんだけど一瞬で終わった。お互いの敵を倒しあうこの戦闘シーンが格好いい!  八咫烏は不吉の象徴である、という知識を持っていたような気がしていたんだけど、調べてみたらそうでもなかった。烏が不吉とされていたこと、八咫というのは実際に八咫(咫は長さの単位)ある訳でなく巨大であるという意のこと、あたりからそう思ってただけだったのかな。  あと奈落も単に深い穴ってだけでなくて、舞台装置の意も含んでそう名付けたのかな(空知先生が)。舞台装置が動くときは決まって物語が転換する時だから。調べたら地獄とかどん底って意味も出てきて、そういえばそういう意味合いもあるよなと。  名付けについてはあと、さっき気づいたというか思い至ったけど、奈落は烏、夜兎は兎で、合わせて烏兎じゃん、と。これ確か熟語で意味があったはず…(前に調べたことがあった)と思って調べ直したら、太陽の中に烏、月の中に兎がいるっていう中国の故事から、太陽と月のことを指しているらしい。あと、そこから転じて年月のことも指すとのこと(前調べたのはこっちで、烏兎怱々=月日が経つのが早いさま、の方)。ちなみに烏が有ると書く烏有は、いずくんぞあらんやの意で何も無いことや架空のことを指すし、烏有に帰す、は全く何も無くなることを意味する熟語。ここまでくると蛇足だけど、太陽と月のモチーフは吉原篇でも出てきたし、わざと対になるように名付けたのかなと思ったり。ちょっとこじつけすぎかな?あんま関係ないかな。とりあえず思考を残しておくために一応書いておく。  もう一個、奈落は今のところ、朧、骸(信女)、虚、と出てきたけど、どんどん実態が無くなっていくほど強い順になっているのかな。朧は隠れているだけ、骸はそこに肉体はある、虚は何もない、ので。いや、朧さんすごい銀さんに状況とか教えてくれるな…?と思って。松陽先生とも交流があったみたいだし、過去に高杉の左眼を潰しつつだけど止めたのも朧だし。やっぱり他の奈落たちと少し違う感じ。その理由はまだ分からないけど、そのうちまた明かされるのかな…。  といった辺りで閑話休題。本編の話の方へ。  初めて副長と呼んだ沖田もまた、真選組になれたのか、いやもうずっと前から沖田は真選組だったのか。第47条がぐっと来る。いつかの銀さんは死ぬな、と言って、いま土方さんは生きろ、と言う。やっぱり二人は似てるんだなあと思うし、この言葉選びの違いが二人の正反対さも示しているのかなあとも思う。斬り拓くために駆け出す絵、そしてこの台詞。熱い!  佐々木は銀さんや真選組と敵対する存在なのか、それとも大きく見れば同じ側に立つ存在なのか、いまいち真意が読めないと思っていたけど、こういう過去があったとはなあ…。敏い人だった、敏いからこそそこに至り、いまも尚ここで自分自身と戦い続けているのか…そうか…。佐々木の眼に近藤さんはどんな風に映ったんだろうな。  佐々木と松平のとっつぁんの間にもちゃんと関係性があるのが嬉しい。たぶん、ある意味ではとっつぁんだけが佐々木の理解者だった。それと信女も。信女との関係もこういう風だとは思ってなかったな。みんな自分自身と戦っているんだ。  神楽は本当に……強くなったなあ。  そしてあらわれた虚。表紙の人だ!見た目も何もかも強そうだけど果たして…。元奈落で現天導衆か。刀身が黒いのは何か理由があるのかな?  ところで新八の木刀���て、もしかして一兄との一戦のとき銀さんから渡されたのそのまま使ってるのかな。何だか字が入ってるみたいに見えるんだけど…。そうだとしたらこれもまた熱いな。  そしてとにかく、腹を括った近藤さんの、俺と共に…の台詞が力強い!近藤さんはやっぱりこうでなくっちゃ。いつだってそこが真選組の場所なんだ!  次くらいで「さらば真選組篇」は最後になってしまうのかな。心して読む! (2019.2.13 23:11)
◇61巻  サブタイトルが「さらば真選組」。おまけに表紙が59巻と対になっているという粋な演出!色も緑系で揃えてあるのはきっとわざとなんだろうな。  土方さんはもうね、ずるいよね。鬼の副長にあんな顔されて言われたら無視できる訳ないじゃんね。それでいて自分はぎりぎりまで佐々木を待つんだからさ…。ずるいよなあ。  そして虚。いったいどういうことなの?誰なの?  いや正直なところを言うと、本屋で銀魂買うのに探してるときに、先の方の巻が平積みされてて表紙をちらっと見ちゃったんですよね。そしたら松陽先生っぽいけど明らかに悪い顔をしてる人がいたので、これは…?とはなってたし、虚が出てきた時も喋り方とか髪とかぽいなあとも思ってたんだけど、松陽先生のことをまるで別の人のことみたいに話すじゃないですか。別人格なの?これ誰?謎が残ったままひとまず退却になってしまったけど…一体どういうことなんだ…。  さすがに銀さんも固まったけど、そうなんだよ、今の銀さんは一人じゃないんだよ。銀さん一人の剣は届かなくても、というこの場面が過去と決定的に違うところを映し出していて熱い。今なら、今の銀さんなら届くんだ…!吉原篇とは逆に、神楽が銀さんを呼び戻してるところも良いよね。  近藤さんのシーンはさすがにヒュッと息を呑んだ。間に合わなかったのかと…真選組は近藤さんと共にあることが本当にまざまざと思い知らされた。近藤さんが居ない真選組は真選組であることがどうしたってできないというか…崩れたかと思った。けど、銀さんがつなげた。近藤さんの人選は正しかった。たぶん近藤さんの預かり知らないところで、銀さんにとってもそれはきっと意味のあることだった。  朧が背後の近藤さんにちゃんと反応して、鞘で防ごうとしてるのがすごいんだよな。これ近藤さんが朧を斬るつもりだったら、たぶん鞘で防がれてたってことだと思うんですよ。けど実際は鞘はノーダメージで左腕が落とされた。つまり、近藤さんは端から朧に致命傷を与えるつもりじゃなかったってことで。自分が決めるんじゃなくて、土方さんの斬撃を通すために動いて(土方さん利き腕やられてるし)、土方さんもたぶんそれをあの一瞬で汲み取ってるのかなと。それくらい何度も一緒に戦場を、死地をくぐり抜けてるんだよこの二人はさ…。  戦闘シーンは動きがだいぶ練られてるんだろうなと常々感じる。たぶん拾いきれてないところもある。個人的には銀さんも虚も柄で斬撃を受けるシーンがあるのが好き。松陽先生から盗んだ技の一つなのかな。  土方さんと銀さんは似てるけど、やっぱ土方さんの方が素直というか、銀さんの方がひねくれてるというか…とにかくまあ、やっぱり、似た者同士だよな。近藤さんありがとね。土方さんありがとね。銀さんと土方さんが、腹抱えて笑ってるの見れて嬉しかったよ。ありがとね。  お別れは必要ない、さらばだけど、さらばじゃない。――いってらっしゃい、真選組! (2019.2.14 23:41) ◇62巻  ちょっとだけ…と言いつつ、結局ほとんど61巻から続けて読んだ62巻。  虚、そういうことだったのか…というのが率直な感想。あ、アルタナ!…アルタナ…!?……アルタナ…?…あ、龍脈っていってたあれのことなのか…!みたいな感じでした。繋がってくるなあ…。虚もまた、自分で自分を終わらせられない、終わることの出来ない存在だったのか。松陽であった時、やっぱり自分を殺してくれる誰かを探しに、あるいは作ろうとしてたのかな…。  まあでも、色々納得した。そういうことだったのか。なるほどなあ…。  ところで、本当にぶち壊しなこと言うけど、虚はその…首…生えてきたんかな…?朧もなんか腕生えてるしな…。朧が血をもらったのは松陽先生だった頃の虚なのか、どうなのか。  あと虚が500年生き続けているとして、元はただの人だったってことなのだろうか。そうだとしたらあまりにも…。  そして高杉を救うために、かつての仲間たちが集結するこの展開…!銀魂初期の頃から、たぶん誰もが一度は夢想していた場面がついに…!しかし高杉と戦いに行く、じゃなくて高杉を救いに行く、になるとは思いもよらなかったなあ。高杉ヒロインポジションじゃん!と読んでる時にちょっと面白くなってしまった…(笑)  あと、三凶星、すごい物々しく出てきたけど正直次回1Pで倒されてそう…と思っている。将軍は本当に5Pで落ちたからな。あれより短そう。  ともあれ、それぞれがそれぞれの思惑を胸に動き出した。さてどうなるか…早く次巻が読みたい。 (2019.2.15 0:13)
◇63巻  表紙誰これの63巻。銀さんまんじゅう食べて太ったんか?  銀さんが攘夷戦争の時の仲間に慕われて、すごい!って言われてるところを見れて嬉しいしなぜか鼻が高い気分になった。そーだろうそーだろう!銀さんすごいんだぞ!強いんだぞ!どうだ俺たちの銀さんは!みたいな。高杉晋助に決まってんだろ!にも、いやいや銀さんに決まってんだろ、って心の中でね、言ってしまったよね。あと坂本のこういうとこ(桂浜の龍坂本辰馬で決まっ…)好きよ。一番色々見てるとこもね。  小さい銀さんがあ~やっぱり銀さんだな~って感じで嬉し笑い。ヅラに偶には俺とやってみるかって銀さんから声をかけるってことは、ヅラも当時から相当強かったんだろうな。  ヅラの本気のこういう戦闘シーンってほんとに初めてな気がするけど、やっぱ強いんだなあ。逃げの小太郎はともかく狂乱の貴公子はいまいちピンとくるようなこないような、って感じだったけど、今回のこれで合点がいった。今回ばかりはいつもと逆で、桂じゃない、なのがまたもう…!頭突きのシーン、いつかの銀さんと被って見えた。ヅラの影響だったのかな。  そして坂本のターン。簡単に死ねると思うな、が、すっと、曲がらず、けれど確かな質量を持って届く。喜喜にもそれは届いたんだろう。喜喜も、喜喜にそれを言った辰馬ですらも、やはり自分自身と戦っている。そして、それはこれからも続くんだ。坂本はどこまでも坂本らしいな。陸奥の曳き波って表現がしっくりくる。  銀さんの方は二人に続いてシリアスに戦闘シーン…と思いきや、思ったより序盤はギャグ強めの展開で一笑い。パクヤサ…(笑)三凶星を全員抑えて表紙を飾ってるのがまた笑いを誘うぜ。でも銀さん住所分かるくらいだから何気にまだ繋がりあるんだな、というのが垣間見えて笑みがこぼれた。  しりたきゃその目玉で…のコマでもそうだけど、銀さんのあの、わざと光が描かれない眼がいつもゾクゾクくる。銀さんはそうなんだよ、怖い人の一面も持ってるんだよ…。酷薄そうなあの眼に会う度にそれを思い出す。  あと、あの…569訓の扉絵の銀さんが…めちゃくちゃ格好良い…。背景が洛陽なのと雨の情景が相まってまたしっとりと渋くて良い。  まんじゅうと朝飯。明日の朝飯のために戦う、が、すっと心に入る。うん、…そうだな。銀さんらしい。  そしてなんだかんだでオッさんがめちゃくちゃ強い銀魂が好きです。次巻へ。  (2019.2.16 22:26)
◇64巻  またも表紙が知らない人だ?と思ったけど、じっくり見てあっこれ神楽のマミーか…!?となった。二年後篇の神楽に納得。  銀さんと高杉の戦闘シーンはいつも二人が対比されて描かれるのがすごく格好良いのだけど、今回はまたとびきりの…!相手の武器を使って相手の仲間を護り、相手の背後の敵を倒してそのまま自分の武器に持ち替えるというあの一連の流れが格好良すぎる!  そして四天王が集結…!私たち読者がかつて脳裏に浮かべたこの場面が本当に…!辰馬の言葉が本当にそう、そう思ってしまったよ。それでもやっぱり、胸を張って隣に立てる自分でいよう、そうでありたいと、それだけは譲れないことだね。四人の道はここでもう一度交わった。それぞれが今の友を連れて。なればこそ、旧き友のために、旧き友の今の友のために、彼らは剣を振るうんだ。  高杉が、三人が新八に銀さんを頼むって思いを託すのがいい。新八は、戦闘力こそ銀さん神楽に引けを取るかもしれないけど、誰かを連れて帰ることに関しては万事屋随一なんだから。絶対曲げないし折れないんだよ。  神楽は本当に強くなったね。今の自分を、地球で生まれたって言ってくれてありがとう。切り捨てるとか、諦めるとか、そういうことじゃなくて、繋ぎ留めるとか、護るとか、そういうものを強さって言ってくれてありがとう。どうか取り戻してほしい。  俺と死ね、とは…なんて口説き文句だろう。なんてものすごい…ものすごい口説き文句なんだろう…。私たちはどう生まれるかは決められないし、どう死ぬかも決められない。けど、どう生きるかは自分自身で決められるんだ、って、そう思ったりした。  神楽の強さはでも、母親譲りなのかもね。神威も強さを見つけられたらいいなと、今はそう思う。次巻へ。 (2019.2.16 23:16)
◇65巻  折り返しの空知先生の言葉がじんわりくるなあ。もうここしかないなと見えてくるものか…。  神威はもう止まれなくなってしまったんだな。それしか無いっていうのか。でもそうじゃないよなあ、そうじゃないよ。本当に戦うべきはきっとそこじゃなくて…。そしてこのやり方が銀さんらしい。不器用だけど、まるごと引き受けてしまう銀さんが、それでも、空っぽだと思っていた自分に意味をくれたのは新八と神楽だって言ってくれるのが誇らしい。それが銀さんの今の名前だ、って、それが全部伝えてくれる。  この局面で、お前も負けんな、って、そういう言葉が出てくるところがね、銀魂の好きなとこの一つだよ。たぶんきっと、ずっとそうだったし、もちろんこれからも。  笑って、怒って、泣いて、苦しんで、あがいて、一緒に強くなってきた万事屋だから、もう負けないんだ。  揺るがない強さを見せてもらった今巻。いざ次巻へ。  (2019.2.17 15:36)   ◇66巻  朧も松下村塾の、吉田松陽の弟子だった。松陽先生は自分の中の虚に負けてしまったかもしれないけど、抗った。その抗いが銀さんたち弟子を生んだんだ…。松陽先生の思いを銀さんがつないで、けどその銀さんに、松陽の弟子達に松陽の思いをつないだのはまぎれもなく朧だったんだ。だから、そうか、そういうことだったのか…。  朧は誰のためにも戦えなかったって言ったけれど、けどそれでも戦うことをやめなかったことが答えなんじゃないのかなと思う。抗うことを教えてくれたのはだって、紛れも無くあの時命を救ってくれた虚だし、松陽先生なんだから…。そして、朧が松陽先生に抗う術を教えたんだよ。死なせたくないって、人らしい感情を思い起こさせたんだよ。だからきっともう、なりたかったじゃなくて、なってるんじゃないかって、とっくになってたんじゃないかって、そう思う。そう思うよ。  最終章のはじまりに、1巻1話のはじまりのモノローグを入れてくるのはほんと奮い立たせられるような気持ちになる。銀ノ魂篇か…!  そう、喧嘩に勝つんじゃなくて止めるんだ。勝たなきゃならないのは喧嘩は喧嘩でも、と不敵に笑んでみせる銀さんを、万事屋を、かぶき町のみんなが、江戸のみんなが、そして私たち読者が、信じたんだ。その信じる思いもやっぱり揺るぎないなら、勝算が無くても負けない。負けない!  ところで、ここに来てふと思ったことを一つ。洛陽篇では神楽が、その前の話では銀さんがそれぞれ過去の自分に抗い戦ってきたけど、新八の話がまだされてないような気がするんですがそれは…?一兄の一件がその位置付けなのか、いやでも…もしかしてあえて最後に持ってきたんだとしたら、それは、もう本当に感嘆のため息しか出ないな。  負けない。希望を胸に、次巻へ!  (2019.2.17 16:17)
◇67巻  総力戦!一時身を潜めていた仲間達が次々と集結していく様に胸がすく思い。戦況は悪くなる一方で、今の銀さんの剣ですら虚に届かないのかと、銀さん本人も諦めかけてしまっていたその時に、いつかの言葉をそっくりそのまま返されるのが熱い…!どうか最後まで諦めないで、抗うことをやめないで、…負けないで、と、結局のところどうしたって祈ることしかできないけど、でも、それでも祈ることはできるんだ。きっと届くと信じることも。  喜喜の交渉のくだりは久々の感じでまた声を出して笑ってしまった。もう戻れなくとも、そこに笑顔があればいつだって!  実写化のくだりも入ってきて、ほんとにすごいところで実写映画入れてきたんだな!?って感じでした。地球滅亡しかかってるところだよ!  新八の剣を取る理由、そうだね、ほんとにそうだ。追いかけてた背中が今は隣にあるのなら、護りたいと思うなら、それは間違いでも許されないことでもないと、私もそう思いたい。これは新八の、きっと万事屋の誰よりも強いところなんだろう。  何だろう、怖いのにね。うまく言えないけど…今は��だ、続きが読みたい。早く、早く。それ��けが間違いなく言えるきっと唯一のこと。次巻へ。  (2019.2.17 18:24)
◇68巻  最終章に入ってからこっち、ずっとサブタイトルが昔の感じに戻ってて嬉しい。薄々思ってたけど、将軍暗殺篇から以降、今までのキャラクター全部出すようにしてるんだろうな。金さんまで出てくるとは思ってなかった!でもそりゃそうか、そうだよな。ちゃんと一人ひとりの過去や思いに決着をつけて、前に進ませてくれてるんだな、って伝わってきてちょっと目が潤む。空知先生にとったらみんなそうだよな、子供みたいなものだもんね…。  機械たちも自分の信じるものにかけて、その機能を停止させて。源外さんも自分の信じるもののために、それまでの自分をそこに置いて。どうしたってやっぱり、護り護られて生きているんだなあ、と。護るだけの人も護られるだけの人もいないことを、噛み締めるように心にしまった。  しかしハタ皇子がここでこう繋がってくるとは…!あとエリザベスは今度はいつのシフトの奴だったんだろう…(笑)坂本すらツッコミに回させるヅラのボケ力が本当にすごいな。  高杉と対峙した時に銀さん自身が言ってたけど、銀さんが切り捨てなかったものが、つながってきたものがこれなんだなあって、改めて。銀さんも万事屋も一人じゃないんだって、強く強く思う。  ああそうか、だから、ここまでの68巻が、それぞれの過去も現在もひっくるめてずっと地続きであるのなら、きっとここから先の未来もずっとずっと地続きに、それは続いていくんだな。どうしようもないくらいに、ずっと続いていくんだな。そうか、そうだね。そっか。…うん、そっか、そうなんだよ。  うん。次、読もう。次巻へ。 (2019.2.17 18:54)
◇69巻  はっこの618訓も読んだ覚えが…!ある…!2017年6号っていうとまだ大阪にいた頃のはず?たぶん2月ごろだよね、6号なら。どこで読んだんだ!?病院の待合とかか?全然記憶にないなあ…でもジャンプ見かけたらやっぱしつこく読んでたんだなあ。そんな過去の自分がちょっと嬉しい。  というか、これは69巻関係ないんだけど、これを書いてる今、久しぶりに、読むのが楽しみすぎてお腹の中がふわふわする感じがしてる。ねえ、続き楽しみだよ。楽しみだよ!読めるの嬉しいよ…!嬉しいんだよ…!…良かった、良かったよ…!声をあげて泣きたい様な気持ちがするくらい!ねえ、楽しみで、嬉しいんだよ、嬉しいんだよ…!  次郎長親分!平子!頼もしい仲間が帰ってきて、戦況もがらりと変わる勢い。今までの仲間達が集まって一緒に戦ってくれる、こんなに頼もしいことはないんだなあ。次郎長親分と銀さんの共闘は、前回もだけどとにかく格好良くて痺れる!二人揃った時のあの悪ガキな感じも、粋に決める感じも本当に格好良い!辰五郎さんの思いも一緒にここにずっとつながっているんだ、と、二人がつなげているんだ、とここでも思う。恐怖塗りたくってな、のくだりの銀さんが、そうだった、この人は攘夷戦争を戦い抜いてきたんだった…と思い出させるには十分な程に、戦慣れというか、戦をよくしってることをまざまざと見せ付けてくる。そうなんだよなあ、やっぱり当時から強かったんだよなあ…としみじみ思う。  ペドロのシーンは久々に慌てふためく銀さんが見れて楽しかった。ハーフになったけど今後大丈夫なのかな!?でもほんと、平和が一番だね。  そんなこんなで一時休息。読んでるこちらもちょっと一息つきつつ、次巻へ。なんかこの感想、ずっと書き終わりが来なきゃいいのにな、ってちょっと思ってしまったよ。 (2019.2.18 21:53)   ◇70巻  表紙、ぱっと見なんで銀さんシャツなの?と思ったんだけど、よく見たらそういうことか!だいぶふざけとるな…(笑)でも嫌いじゃない、そういうの。  銀さんのめったにきけない一言、そうだね、万事屋のみんなもまだまだってことでさ、だから、もう少しだけ。もう少しだけ、一緒に走ってくださいね、きっと。  しかしなんか、前々から思ってたんだけど、圓翔さんちょっと色々出張りすぎじゃないですかね!?なにが聖戦だよ!戦うしか残ってないのくだりはもう神威がなあ!いっぱい時間をかけてなあ!苦しんで、抗って、でも負けないで乗り越えてんだよちょっと前の巻で!同じことしようとしてんじゃねえぞ!…いまそんな 、そんなことしてる場合じゃないだろう!故郷を壊滅させられたその怒りは、悲しみは、苦しみは、他にぶつけるべき相手がいるんじゃないのか、いまやるべきは、これ以上同じ悲しみを生み出さないことなんじゃないのか…!…坂本の、そんなもんあろうがなかろうが、と静かに落とす言葉が、揺るぎなく響く。額に銃をあてるその姿が、まるで祈るような、願いをかけるような、と思うのはちょっとセンチメンタルすぎるかな。でも私も祈る。祈るよ。  高杉に、神威も合流して、いよいよもって集結しつつある…!エリーの顔、ドラゴニア顔になってるのすぐ忘れては思い出し、見る度吹き出してしまった。もう高杉も、神威も、きっと誰にも負けないんだ!  勢いこんだまま次巻へ。もう71巻か、長かったような、あっという間だったような…。…うん、読む! (2019.2.18 22:28)
◇71巻  鬼兵隊表紙に背表紙似蔵さん…!この展開になるとほんと似蔵はかませ犬だった感がどんどん強くなってしまうな…と思っていたのでちょっと感動。やっぱそうだよね、空知先生忘れてなかったよね…おお…。と思ってたら本編の方でも…!似蔵さん今思うとかませ犬感がすごいなと思ってしまってごめん。鬼兵隊は、そう、何も失くしちゃいなかったんだ。全員いる。そうだ、全員いる…!  武市が理屈を捨てるというのがぐっときた。そして、武市も万斉も、死ぬためになど戦わない。最後までただ友と生きるために戦うというのなら。それを見守ろう、もうきっとそこに祈りは必要ない。ただ生きるために戦い抜く、その姿は、泥臭かろうが、みっともなかろうが、眼が離せない、そういう強い光を放つばかりなんだろう。  今巻のサブタイトルは「おもしろきこともなき世を~」で紛れも無く高杉の巻であるけれど、「絶望よりも太い奴」も好きだ。言わずとも、それは、やっぱり鈍く確かに輝いているんだろう。次巻へ。 (2019.2.20 19:59)
◇72巻  圓翔…お前も逃げ続けてきたのか…。アルタナの暴走よりもはるか昔から…そうか…。高杉の、そここそが本当の戦場だろう、という言葉が重い。そうだ。死ぬ覚悟ではなく、生きる覚悟の方が、もっとずっと強くて、重い。だからこそ生き続けなければならない。抱えたまま、背負ったまま、不様でも、苦しくても、辛くても、もがき続けることだけが唯一の。  お前は二度まで、という坂本の叫びがこだまする様だ。喜喜がそこに、自らの意味を見出すと言うのなら、ただ共にあったことを喜ぼう。覚えている。この国の最後の将軍のことを。  地球に、いらっしゃい、はじめまして、そしておかえり。振り返る銀さんの表情が優しい。でも銀さんもいないとだめなんだからね、それを忘れないでいてね、と思う。二本差しで、が温かい。その言葉でまた強くなれるような、そんな気がする。  そしてハタ皇子、ここまで繋がってくるとは…!そしてこの状況、銀さんの過去の再映は銀さんにもう一度選択を迫るものかと思っていたけど、ここでこう来るとは。ハタ皇子も前に進むときが来たんだな…(殴り帰されたけど)。しかし、これ、ここにきて思ったのだけどもしかしてずっと逆順で…やってるのか…?ハタ皇子の前はアネモネだし、ハタ皇子の次は長谷川さんだし。やっぱり新八の話が最後に来るのだろうか。そうだとしたらもう本当に、空知先生…!  長谷川さん…!胸を熱くしながら次巻へ。 (2019.2.20 20:34)
◇73巻  こんな格好良い無職があるか…!長谷川さん…もうそれしか言えないよ…!  最後の希望なんかじゃなくて、ただの万事屋の犬として、救世主なんかじゃなくて、ただの万事屋として、銀さんも、新八も、神楽も、定春も、戦っている。だからこそ、と言う銀さんの言葉が万事屋の辿り着いた場所だということが、本当に、本当に、本当に、言葉にならないくらいに、好きだ。きっとこの感情を表すならば、好きだ、と、それが一番似合っている。そういう銀魂を愛している。好きだよ、好き、 大好きだよ。  そして新八の話…!銀ノ魂篇に入ったときも書いたけど、もう一度ここで1巻1話を持ってくるのが本当に胸をふるわせられる。そしてここまで、過去との決着だったり変わることだったりで皆がそれぞれに前へ進んでいく様をあんなにも鮮やかに描き出しておいて、その上で最後の最後、新八が、終わらないもののため、変わらないもののため、今を生きている、と剣を振るうこの圧倒的なまでの、物語の魂の強さ…!変わることも、変わらないことも、終わらないものも、変わらないものも、全てが強く、闇を跳ね返すようで、光を反射して、不恰好でも鈍く、輝くようで。眼を閉じない、は父上だけじゃなくて、いつか銀さんが言ったことの延長線でもあって欲しいな。  ただいまとおかえりを、もう一度言わせてくれよ。聞かせてよ。万事屋の三人が帰る場所はそこなんだよ。定春…!  皆の力を合わせて、ほんとにほんとの総力戦…!いよいよだ…!の次巻へ! (2019.2.20 21:19)
◇第七百二訓  ついに始まったアプリ配信。いつもの通知と同じで朝8時に配信開始かと思ってたらまさかの0時きっかりに開始…!あわあわしつつもそんなに長いこと動揺する間もなく、勢いで読みました。  一晩明けて一日反芻してからこれを書いているので、多少はまとまったようなまとまってないような…後からまた色々思うことが出てきそうだけど、ひとまずはいま思うことを書き留めておきます。  さらば真選組篇のときも、ハタ皇子のときも思ったし、ちょっと書いてはいたんだけど、ああ、ねえ、これは再映なんだね、銀さんの過去の……ねえ、やっと、銀さんが……銀さんがあのとき見つけられなかった答えを、見つけに行けるんだね……!  忘れたものを取り戻させてもらったって銀さんが言うなら。ハタ皇子に、長谷川さんが「どっちも間違いだ」って言ってくれるなら。一人の剣じゃ届かなくても、今の剣なら届くって、そう銀さんが、皆が見せてくれるなら。だから、銀さんの過去に対するそれは、一人じゃないって、「万事屋銀ちゃん」なんだって、それがきっと答えになったんだって、そう思ってたんだけど。  ねえ、銀さんが、銀さん自身が、それを見つけに行けるんだね。……ああ、良かった、良かったよ、嬉しいよ、ありがとう、ありがとう……ありがとう!今度こそ、今度こそって、でも、そう思いながら、それでも祈らずにはいられないような気持もあって。もうそこに祈りは必要ないかもしれないし、どちらでももう何の関係もないのかもしれないけど。それでも……それでもどうか、私は祈りたい、銀さんが答えを見つけられますように、笑ってくれますように、笑っていられますように、と。  松陽先生は、吉田松陽には「還れない」と言うけど、無と「帰る」だし「帰れる」唯一の場所、とも言っているんだよね。それなら松陽先生の過去は決して無ではないんだよ。無に「還る」じゃないんだから。でも「帰る」場所は他にもあるんじゃないかって思う。「帰」り方、他にもあるんじゃないかって思う。それに、どんなに苦しくても、這いつくばってでも生き続けることこそが、と言った高杉にとっての救いって、本当に高杉がいま思うそれでいいのか?それを言わせた空知先生が、死ぬことを「救い」とするとはどうしても思えない。それは高杉に対してとかじゃなくて、もっと大きな、銀魂という物語で提示される「救い」の話として。GIGA3号を読んだ時は、始めは、虚はそうか、終われることが、人として死ねることが彼の救いなのか、って思ったんだけど、読み返してるうちに、そうだろうか?って思いだした。死ぬことが本当に虚にとっての、ひいては銀魂で描き出される「救い」なのか?やっぱりどうしても、そうだとは思えないんだよ。空知先生はどんな形でどんな答えを出すんだろう…もうほんと予想は全くつかないけど、それが少し怖くもあるし、楽しみでもある。でもきっと、本当はちっとも怖くないんだよ。そうでしょ?だって……。  そして松陽先生は誰も救えなかったって思ってたという事実がね……最初読んだときはちょっと腹が立つまであったけど、でもそうか、松陽先生は虚の中からずっと見てたんだもんな……。……どれほど辛かったろうか……。銀さんもどっちも護ろうとしてどっちも護れなかった、って思ってて、銀さんばかりがそうだと思ってたけど、やっぱりこれも、逆もそうなんだよな。松陽先生も、銀さんも高杉たちもどっちも救えなかったって思ってて、たぶん高杉も、先生も銀さんも救えなかったって思ってる。  そうか、今気づいたけどこの人たち誰も謝れなかったんだな…ほんとはごめんって、ごめんなさいって言ってしまいたかっただろうに、でもそれを言うことは他の二人の思いを踏みにじることになるから言えなかったんだ…。松陽先生も、ほんとは後悔なんかしてないって言わなきゃって思ってたのかもしれないけど、でも「すまない」って言えるのは、弱い自分をさらけ出��のは、それは紛れも無く強さだから、やっぱりそれを言えたのは松陽先生が強いからだと思うんだよ。それが強さだって、そうであって欲しいと思うよ。  そして今回高杉が松陽先生を斬った(とあえて書こう)ことによって、いよいよもって銀さんと高杉は"同じ"になってしまったんだよな。そして虚と高杉という、銀さんの宿命(つまり逆から見ればお互いもお互いの宿命ともとれる訳だけど)も一つに重なってしまったので、この構図がどう影響してくるのか気になるところ。予想したってしょうがないところでもあるな~って感じではあるけどね、空知先生は毎回必ず予想の斜め上を行くからね…ほんとすごいよ空知先生…。  うん、しかし書きすぎでは?長いな。  もうちょい思うところある気はするけど、とりあえずこのへんで。また追加あれば書きます。 (2019.5.13 23:28)
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naoya66 · 6 years
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1979年、米国FBIは貧しいアーカンソー州南西部の片田舎にある小さな空港から、全米に麻薬が空輸されている事を突き止めた。
内偵を始めたFBIは、片田舎の小さな空港に毎日大量の小荷物が中南米コロンビアから届き、それが全米各地・ヨーロッパ・イスラエルに転送されている事を突き止める。
イスラエルでの
「小荷物」
の受取人は国際的な麻薬密輸業者マーク・リッチ。イスラエルの軍事産業・核兵器業者アイゼンベルグ社の系列企業であった。
小荷物の中南米からの受取人、アーカンソーからの転送人は当時アーカンソー州の知事であったビル・クリントンの夫人、ローズ法律事務所の経営者である弁護士ヒラリー・クリントンであった。
FBIはこのアーカンソー州のメナ空港、メナ空港からイスラエルに向けて米国次期大統領候補ヒラリー・クリントンが送り出していた中南米産の純度の高いコカインの輸送ルートを調査する内に、もう一つ奇妙な事に気付いた。決して商業が盛んではないこの地域から中国に向けての直行便が、この小さな空港を起点として定期的に出ていたのだ。
その直行便をヒラリーは頻繁に小荷物の
「輸送」
に使用していた。
時としてヒラリーの経営する��ーカンソー州のローズ法律事務所の共同経営者であった弁護士ヴィンセント・フォスターjr.も荷物の送り主となっていた。
フォスターはヒラリーの愛人であり、後にビル・クリントンが大統領になると大統領法律顧問に就任する。
さらに奇妙な事は、このローズ法律事務所の住所を使い、もう一人別の人間が中国に向け巨大な大きさの荷物を送り出していた。その荷物の送り主は米国陸軍の最高の地位にある陸軍提督エルゲンだった。陸軍の最高の地位にあるエルゲンが軍事施設の皆無であるアーカンソー州のこの地域までわざわざやって来て、中国に向け、しかもマイナーで小さな空港を利用して一体何を輸送していたのか?
ヒラリーとエルゲンがこの小さな空港から輸出していたのはコカインと全世界の軍事施設で使用されるプロミスと呼ばれる軍事用のソフトウェアであり、米国の軍事機密であるソフトウェアが共産主義中国を始めとした世界中の軍部に密輸され、ヒラリーと後に大統領になるビル・クリントンの活動資金になっていた。この軍事機密の密輸はヒラリーのボスであるイスラエルのアイゼンベルグ社の指示によるものであった。
プロミスには各国軍部の機密情報を密かにイスラエルに自動転送するバックドアが組み込まれていた。それはイスラエルが世界各国の軍部の機密情報を奪取し、世界帝国の軍事指導者となるための布石であった。ヒラリーは当時米国の敵国であったソ連=ロシアの石油を密かに黒海の港から密輸していたタンカー会社ラファルジュの顧問弁護士でもあった。そのラファルジュの親会社がドレフュス社であり、このドレフュス社が現在、日本に対してコメの輸入自由化を強硬に要求し、日本の食糧自給破壊の先兵となっている。世界で始めてマシンガンを開発し、マシンガンによる大量殺戮と戦争による死傷者の増大を生み出した兵器密輸商人、ベージル・ザハロフの創立したドレフュス社の親会社がイスラエルの金融企業イーグルスター社であり、イーグルスターの軍事部門がアイゼンベルグであった。
2008年現在、北朝鮮の核兵器開発を担当するこのアイゼンベルグ社は、核兵器製造の専門企業であり、また第二次世界大戦中から中国でのアヘン売買を支配してきたサスーン財閥の後継者であり、母国は中国であった。アイゼンベルグ社の中国における麻薬販売のパートナーが、吉田茂元首相と岸信介元首相であった。アイゼンベルグの資金提供により吉田も岸も日本の首相になった。吉田の孫が現在、次期首相候補の一人とされる麻生太郎、岸の孫が前首相安倍晋三である。ここに現在の日本の首相(候補者)の資金源が見える。
そして日本を第二次世界大戦に引きづり込んだ東条英機首相の政治活動資金もアイゼンベルグから出されていた。現在、イスラエルの兵器生産を独占するアイゼンベルグ社の輸出の75%は中国向けであり、中国、北朝鮮の軍事的脅威がどのようにして作り出されているかが、ここに見える。
このアイゼンベルグ社の使用人でしかない次期大統領候補ヒラリー・クリントンが中国に向け密輸していたのは、中国が核武装するための核兵器部品であった。そして中国を経由して、現在問題となっている北朝鮮・寧辺の核兵器開発施設へと、アーカンソーからの核兵器部品は供給される事になる。陸軍提督アドミラル・エルゲンが密輸に関与していた理由はこれであった。中国への直行便のあるアーカンソー州の目立たない小さな空港は核兵器部品密輸には最も適切であった。核兵器部品の密輸であれば陸軍の最高責任者エルゲン提督がわざわざ荷物の輸送のためにアーカンソー州の田舎まで来訪しても何等異常ではない。元々、産業の少ないアーカンソー州の片田舎の小さな空港に、なぜ中国への直行便があるのか、それ自体が不可解である。ヒラリーがソ連石油を密輸していた当時の石油の生産を行っていたのが、後に夫クリントンの副大統領になるアルバート・ゴアjr.の経営するオクシデンタル石油であった。ゴアは後に、環境問題でノーベル賞を受賞する。
ゴアjr.の父アル・ゴアは、1940年代後半、朝鮮戦争の最中において、米国上院・下院議会の合同原子力委員会の中心メンバーであり、米国の核兵器政策の中心を占める人物であった。この米国政府の中核に居た「核兵器・族議員」達は一つの極秘計画を進めていた。父アル・ゴアと原子力委員会AECのメンバー
ザルマン・シャピロ博士
フレデリック・フォーシャー博士
レナド・ペプコーウィッツ博士
達は建国間もないイスラエルを核武装させる計画を推進していた。当時、建国間もないイスラエルは、アラブ諸国全体を敵として第一次中東戦争を戦っていた。そのイスラエルの武器生産の中心にあるアイゼンベルグ社に、核兵器製造を行わせる事が目的で、1948年、AECは合衆国保健研究所NIH、空軍、海軍関係者と共に、レーガンの国務長官として後に第一次イラク戦争(1991年)を推進するジョージ・シュルツが取締役であるカイザーエンジニアリング社を創立し、アイゼンベルグの核開発研究所であるイスラエルのワイツマン研究所に、核技術と資金を提供していた。シュルツは若き日に、日本の広島・長崎に投下された原爆を製造したローレンス・リバモア研究所で、日本に投下する原爆開発委員会の主要メンバーであった。シュルツは、後にブッシュ大統領一族の建設企業で、サウジアラビアの石油開発を独占するベクテルの重役となる。なお、ベクテルの子会社がビン・ラディン社であり、その経営一族の一人が「テロリスト」ウサマ・ビン・ラディンである。
上記の計画に基づき1957年には、AECとアイゼンベルグ社の共同で、ペンシルヴァニア州アポロに核燃料製造工場NUMECが建設され、イスラエルに核兵器原料が提供され始めていた。輸出の75%が中国向けであるアイゼンベルグ社、建国間もなくで資金繰りに困窮しているイスラエル、第一次中東戦争を勝ち抜くために武器購入資金を渇望しているイスラエル=アイゼンベルグ社に核兵器技術を与えれば、それが中国に対し売却され流れてゆく事は必然であり、イスラエルに核兵器技術を提供すれば、中国の核武装を推進する事を意味した。
こうして形成された米国政府中枢と米国核兵器産業、イスラエル核兵器産業の連携は、その核兵器の売却先に中国と、中国の軍事同盟国である北朝鮮を持っていた。
「北朝鮮が軍事的危機に陥った場合には、どのような場合でも全面的に支援し、北朝鮮のために戦争に参加する」という内容の軍事同盟を結んでいる中国が、ノーベル平和賞受賞者ゴアの核兵器販売の最大顧客であった。
ヒラリーとエルゲン提督はこのアイゼンベルク社の輸出窓口として、目立たないアーカンソー州の空港から、中国・北朝鮮の核施設に核兵器の部品を密輸していた。
79年、FBIの捜査はFBI長官エドガー・フーヴァーの「命令」により突如、中止となる。終生FBI長官として、米国国内の全警察組織の独裁者として君臨し続けたフーヴァーの権力の源泉は、あらゆる政治家・政府要人のセックス・スキャンダル、マネー・スキャンダル情報をフーヴァーが収集し、それを材料に、政治家・財界人を「脅迫」する事によって生み出されていた。このスキャンダル情報の収集を担当したのが、全米の地下組織、地下情報を支配するマフィア=「殺人株式会社」であった。殺人株式会社がイスラエルに創立した企業がアイゼンベルグ社であった。しかもフーヴァー長官はホモセクシュアルであり、男性との性交現場の写真を殺人株式会社に撮影され、「全米の警察の独裁者」フーヴァーはアイゼンベルグに脅迫されていた。アイゼンベルグに逆らえば、フーヴァーが男性と性交している写真がマスコミに出る。FBI長官フーヴァーは、アイゼンベルグの「部下」=米国次期大統領候補ヒラリー・クリン��ンの麻薬密輸・核兵器密輸を「揉み消す」しか無かった。
99年、米国陸軍の最高責任者であったエルゲン提督は、核兵器部品密輸の利益の分配を巡りアイゼンベルグ社と対立、シカゴの軍施設の中で何者かによって殺害され、死体となって発見されている。米軍の最高指導者など、アイゼンベルグにとって「虫けら」であり、簡単に始末できる存在に過ぎない。この殺人事件の捜査は行われず、事件は迷宮入りしている。
また、ヒラリーと共にアーカンソー州で麻薬と核兵器部品密輸の送り主になっていたヒラリーの愛人ヴィンセント・フォスターjr.は夫ビル・クリントンが大統領になると大統領の法律顧問となっていたが、クリントン大統領が研修生とのセックス・スキャンダルでマスコミのターゲットにされ、アーカンソー州知事時代のスキャンダルをマスコミが調査し始めると、フォスターは不安にかられ、情緒不安定で精神科の医師にかかり、軽率な発言を繰り返し始める。フォスターは、ホワイトハウスの中でヒラリーの目の前で、アイゼンベルグによって口封じのため、絞殺されている。  ホワイトハウスには軍事衛星を使いホワイトハウスを24時間監視し、警護する監視システム、NROナショナル・リコネッサンス・オフィス=国家探偵局が存在する。絞殺されたフォスターの死体が、ホワイトハウスから運び出されるのを目撃したNROの監視員ダニエル・ポッターは、絞殺当日、目撃直後、NROのオフィスから外に出ることなく、オフィス内で何者かに絞殺されている。翌日、ヒラリーの愛人ヴィンセント・フォスターjr.の死体は、ヴァージニア州のフォートマーシー公園に、無造作に投げ捨てられ
ているのが発見された。大統領の法律顧問の絞殺というスキャンダルを、なぜかマスコミは一切報道せず、警察の捜査も現在に至るまで行われていない。
仮に今回、ヒラリーが次期大統領に当選したとしても、大統領の「ボス」が誰であるか、ボスに逆らえばどのような結果になるかを、ヒラリーは十分に「学習」したはずである。(2008年02月06日)
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296 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/01/25(日) 21:36:31.99 ID:XU2EuA7A0 そして麻生と同じくらい叩かれてた安倍晋三とは
たった就任3ヶ月で、教育改革と防衛省昇格を成し遂げ、 就任早々から各国との外交を精力的にこなし、 経団連の圧力に負けずにWCエグゼンプションの対象者を 目標だった年収1000万円以上の近くで踏みとどめ、 それでいて企業側に非正社員の社会保険と厚生年金の適用を 認めさせ、 児童福祉と子育て手当てとフリーター自立支援を 予算に設けつつ、国債を減らして財源建て直しをスピードアップ、 北朝鮮制裁をガンガン強化して朝鮮総連をガサ入れ、 パチンコ屋を税務調査の波状攻撃で締め上げて総連を逆ギレさせ、 貸金規正法を改正してグレーゾーン完全廃止で悪徳サラ金業者を締め、 「負けたら即引退スペシャル」の重圧下でも重要な選挙に連勝し、 「女系天皇容認」を白紙に戻し、「日本海」を「平和の海」 に改名しようと提案した盧武鉉大統領のアホな要求を見事に拒否し、 人権擁護法案を凍結し日本国民の言論と表現の自由を守って、 国民の大多数が疑問に感じていた「ゆとり教育」の見直しを明記し、 中国への武器輸出禁止解除反対をEUに働きかけて、 在日や凶悪犯罪を取り締まる共謀罪成立に全力をあげた 超有能かつ、日本国と真の平和の為に今もなお、孤独に闘い続けている政治家。 中国をスルーして民主主義大国のインドと親交を深めようとした折に 特別アジア大好きマスコミと将軍様援助経営者やサヨク人権団体に 今までの業績をすべて秘匿され、まるで何もしてないかのように 報道され、叩かれ続け、脇を固めていた筈の政治家の無関係なスキャンダルで、 特ア工作員のマスゴミ連中の悪意と虚偽に満ちた卑劣なやり口で 引きずり落とされ潰され、暗殺の警戒ゆえに自ら幕を引かねばならなかった、 悲劇の武士(もののふ)にして、真の憂国の烈士。
510 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/01/26(月) 01:30:55.22 ID:FTMB+bR/0 »294 »296 すげぇな・・・ どっかに、コピペしてみたいなぁ・・・ この時代から、マスコミは買収されちゃったのね
443 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/01/25(日) 23:13:09.18 ID:IgZA7Uix0 「ボンボン」との世評と違う麻生の素顔 ttp://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20081105-02-1201.html
吉田茂元首相の孫で、麻生財閥の御曹司であることは知られている。 しかしそれに「学習院卒のお坊ちゃまでありながら、銀座で不良をやっていた。 あのベランメェ調は、当時の名残り」という風評がついて回っている。 これには学業成績が悪かったというニュアンスを含む。
 これに対して同窓生の一人は「とんでもない」と反論する。 「高校生の時は学年全体で上から十一位、楽々東大に進学できる成績だった。 学習院は成績が公表されるので誰でも知っていた」  これに関する『秘話』を側近の一人が語る。 「実は麻生さんは東大進学を決意して猛勉強していた。 ところが、父親(太賀吉元衆院議員・麻生炭鉱のオーナー)から、 『東大は官僚を育成するための大学だ。だから税金で賄われている。 お前は税金で勉強するな!』と猛反対された。それで経営者の道を選んだ」  麻生家の躾は、外からはうかがい知れないほど厳しかったともいう。 家での食事は玄米か麦飯が常で、学生時代の麻生さんは 「家では銀シャリ(白米)を食ったことがない」とこぼし、友人宅での食事を喜んでいたという。
たぶん幼少からの厳しいバイリンガル教育の弊害だと思うんだけど 麻生が漢字読めないってだけで大喜びしてる猿どもがいくら麻生批判したり マスゴミに踊らされてても 俺は不快感以外何も感じないし麻生支持するよ(キリッ
” - ささやかな楽しみ:麻生総理はフルボッコ、小泉元総理は叩かれなかった - livedoor Blog(ブログ) (via toyolina) (via konishiroku) (via petapeta) (via yaruo) (via mitaimon)
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声明リスト1から492
声明リスト1から492
2007/1/27
再生核研究所 代表
齋藤 尚徳
再生核研究所声明について:
再生核研究所声明1: 良い社会を作るには
再生核研究所声明2: 中国古代の教育
再生核研究所声明3: 最低生活の保障を求める
再生核研究所声明4: 競争社会から個性を活かす社会に
再生核研究所声明5: 靖国神社問題に対する提案
再生核研究所声明6: 憲法問題に対する提案
再生核研究所声明7: 参議院選挙に当たって
再生核研究所声明8: 日本国の防衛の在り方について
再生核研究所声明9: 天才教育の必要性を訴える
再生核研究所声明10: 絶対的な世界の平和の為に
再生核研究所声明11: 国の構成について
再生核研究所声明12: 人生、世界の存在していることの意味について
再生核研究所声明13: 第1原理 ― 最も大事なこと
再生核研究所声明14: 日本の政局についての提言
再生核研究所声明15: 空虚な日本の社会
再生核研究所声明16: 裁判員制度の修正を求める
再生核研究所声明17: 教育界の改革を求める
再生核研究所声明18: 拉致問題の解決に向けての提案
再生核研究所声明19: 超越への道、悟りへの道
再生核研究所声明20: 大学入試センター試験の見直しを提案する
再生核研究所声明21: 人口問題についての考察
再生核研究所声明22: 小沢氏の続投による政権交代を求める
再生核研究所声明23: 秘書の逮捕、起訴事件における検察庁の対応と公正の原則
再生核研究所声明24: 政権交代によって閉塞感を打破し、日本国を再生させよう
再生核研究所声明25: 日本の対米、対中国姿勢の在りようについて
再生核研究所声明26: 衆議院の解散に当たって
再生核研究所声明27: 政権交代を祝す、配慮と期待
再生核研究所声明28: 鳩山首相と鳩山首相の実母に、情状酌量を求める
再生核研究所声明29: 普天間基地問題 ― いまだ 夜明け前
再生核研究所声明30: 検察庁の暴走と民主主義の危機 - 広い視点
再生核研究所声明31: 法の精神と - 罪と罰
再生核研究所声明32: 夜明け ― ノアの方舟
再生核研究所声明33: 民主主義と衆愚政治
再生核研究所声明34: 日本のビジネス―日本料理店の海外展開
再生核研究所声明35: 社会と個人の在りよう―細胞の役割
再生核研究所声明36: 恋の原理と心得
再生核研究所声明37:金正日を世界史の英雄に朝鮮問題に関心を寄せる世界の人々に
再生核研究所声明38:ロッキード事件のもみ消しについて
再生核研究所声明39:普天間基地問題の総括 ― 戦略なき対応と文化力
再生核研究所声明40:政権交代とその後の政局
再生核研究所声明41:世界史、大義、評価、神、最後の審判
再生核研究所声明42:大失業時代
再生核研究所声明43:政権交代は半ば、完全なる交代を求める―中途半端は良くない
再生核研究所声明44:梅の木学問と檜学問-日本の研究者育成についての危惧
再生核研究所声明45:第2次世界大戦と第3次世界混乱
再生核研究所声明46:日本国の1つの国家像、あるべき姿について
再生核研究所声明47:肯定死
再生核研究所声明48:与謝野氏の大臣就任を是とし、高く評価する
再生核研究所声明49:アジアの愚か者、アジアの野蛮性
再生核研究所声明50:日本における 民主主義の脆さ、危うさ
再生核研究所声明51:ツイッターにおける 意義と心得
再生核研究所声明52:選挙における心得、留意事項
再生核研究所声明53:世界の軍隊を地球防衛軍に
再生核研究所声明54:リビア軍事介入について
再生核研究所声明55:皇族方の東京避難を求める
再生核研究所声明56:アースデイの理念
再生核研究所声明57:人生とは何か、人生如何に生きるべきか
再生核研究所声明58:日本の政局、民主党最後の決断、自民党の低落
再生核研究所声明59:鳩山政権の総括と反省
再生核研究所声明60:非凡な才能を持つ少年・少女育成研究会
再生核研究所声明61:ビンラディン氏殺害
― アメリカの名誉と大義を傷つけたオバマ大統領
再生核研究所声明62:福島原子力発電所事故とその対応、対策、取り組みについて
再生核研究所声明63:解脱;神、自由、不死への道 - 安らかに終末を迎える心得
再生核研究所声明64:期待される日本軍の在り様 情報分析力の向上と災害救助の重視を
再生核研究所声明65:公務員の給与の段階的な引き下げと管理手当てなどの大幅引き下げを
再生核研究所声明66:言論の自由を篤く保障し、実りある議論のできる社会に
再生核研究所声明67:脱原発デモ ― 非現実的な貧しい二律背反の発想と飛躍した議論
再生核研究所声明68:生物の本質 ― 生きること、死ぬること
再生核研究所声明69: 単細胞人間 ― 単細胞的思考
再生核研究所声明70: 本末転倒、あべこべ ― 初心忘れるべからず
再生核研究所声明71: 菅 暗黒政権 を総括する
再生核研究所声明72:慣性の法則 ― 脈動、乱流は 人世、社会の普遍的な法則
再生核研究所声明73:日本国首相の役割
再生核研究所声明74:人生・生命の肯定について
再生核研究所声明75:政治・経済の在りようについて
再生核研究所声明76:教育における心得 ― 教育原理
再生核研究所声明77:人生における心得
再生核研究所声明78:無責任な 原発反対と増税反対 ― 実状が分からないで意見を表明していないか?
再生核研究所声明79:福島原発事故 とは 何か
再生核研究所声明80:挑戦とは何か
再生核研究所声明81:最高裁判所裁判官全員の罷免を提案する
再生核研究所声明82:皇室の在りようについての 一考察
再生核研究所声明83:再生核研究所声明とは 何か
再生核研究所声明84:国会審議における心得 - 討論、議論、批判における心得
再生核研究所声明85:食欲から人間を考える ― 飽きること
再生核研究所声明86:未だ おめでたい人類 - 先史時代
再生核研究所声明87:小沢氏の裁判問題 ― 司法界とマスコミ界に断罪を
再生核研究所声明88:大学教員の退職後の在り様についての一考察
再生核研究所声明89:失業問題の根本的な解決法と 心の豊かさを求める原理
再生核研究所声明90:日本の大学受験体制についての一考察
再生核研究所声明91:創造性についての一考察
再生核研究所声明92:日本の政局を憂える ― 国論の分裂を避けよ
再生核研究所声明93:国家とは何か,首相について -統治機構としての国家について
再生核研究所声明94:日本国よ こんなことで良いのか ― あまりにもおかしな 日本国 ― 中国に大義あり、日本国の侵略は歴然
再生核研究所声明95:究極離散化法 (ADMmath: Aveiro Discretization Method mathematics)について
再生核研究所声明96:小沢氏に期待する、日本の針路と戦略、行動
再生核研究所声明97:虚妄、空想、日中戦争の分析と顛末
再生核研究所声明98:矛盾、日中は戦争状態にある ―
日本はそんことをしていて良いのか、 原因を取り除け
再生核研究所声明99:死の肯定、在りよう、儀式、将来への提案
再生核研究所声明100:2つの多変数複素解析学について
再生核研究所声明101:慰安婦問題 ― おかしな韓国の認識、日本の認識
再生核研究所声明102:成果主義の弊害について
再生核研究所声明103:日・中戦争の経過と状況の分析 ― 賢明な終戦と和平
再生核研究所声明104:人事採用、昇任について
再生核研究所声明105:人間の愚かさ、弱点について
再生核研究所声明106:無限精度 解析センター の設立を求める
再生核研究所声明107:悲しい政権交代の挫折と まともな国家を目指して; 総選挙を控えて、政局を評価する。― 小沢氏の復権、偏狭的な愛国主義と軍国主義の処断、司法界の断罪、憲法の精神への回帰を
再生核研究所声明108:敗戦国日本よ、 情けないぞ ― 自主独立を求め、米・中との友好関係を 日本国憲法の精神で進めよ。 アメリカは、日本の自治を尊重して、政治介入を控えよ。
再生核研究所声明109:中国の出軍は、道理であり、日本の出軍は憲法違反である - 公正と法とは何か、おかしな日本のNHKと世相
再生核研究所声明110:東京オリンピック開催どころではない、日本の国情 ― 大震災、放射能、原発事故対策、生活・教育・研究基盤などの内実に力を注げ
再生核研究所声明111:日本国憲法によって、日本国および日本軍を守れ、― 世界に誇る 憲法の改悪を許すな
再生核研究所声明112:公理系からの脱却、論理的思考、逆思考によって、視野を高め、広めよ ― 平成暗黒時代を このまま終わらせて 良いものか
再生核研究所声明113:美しい人たちの活かされない努力、無駄な努力
― ソーシャルメディア利用、デモ; 戦略が無ければ、夢中で訴えても 空しい努力に
再生核研究所声明114:ああ 人類最後のとき — 世界史を回想、評価する
再生核研究所声明115:枯れ木も山の賑わい ― 現状と存在に理由あり
再生核研究所声明116:宇宙空間、星間交流から人間を考える
再生核研究所声明117:時,状況が問題; タイミングの重要性 、死の問題、恋の問題
再生核研究所声明118: 馬鹿馬鹿しい人生、命失う者は 幸いである、 と言える面もある
再生核研究所声明119: 冷酷な神々、自然  ―  見捨てられた 人類
再生核研究所声明120:終末の在りようについての 総合的な検討を、遅れている面での 文化を進めよう ― 個人の自由意志の尊重に基づく  肯定死の保証 と 方法の確立を
再生核研究所声明121:2013年、参議院選挙にあたって ― 闇に向う、日本の愚かさ、民主主義の挫折、衆愚への道、情けない日本国。
再生核研究所声明122:神の存在と究極の信仰 - 人間よ 想い煩うことはない。 神は存在して、一切の存在と非存在を しっかりと支えられておられる、 人は必要なときに必要なだけ、 念じるだけで良い。
再生核研究所声明123:日本国の自立を求めて ー なぜ自立を求めるか -それは、 日本の固有の美しい文化を維持、発展させるためである
再生核研究所声明124:恋の機微 - 恋の極意
再生核研究所声明125:お金の問題 ― 貨幣について ― 本質論
再生核研究所声明126:お金の問題 ― 貨幣について ― 如何に使うか、支出について
再生核研究所声明127:お金の問題 ― 貨幣について ― 収入について
再生核研究所声明128:数学の危機、 末期数学について
再生核研究所声明129:美しい社会はどうしたら出来るか ― 世の中なぜ上手く行かないか
再生核研究所声明130:復讐心も、競争心も、嫉妬心も空しい: 忠臣蔵の断罪を求める。― 世界中のテロリストをなだめる方法(宗教間と民族間)
再生核研究所声明131:シリア軍事介入についてー日本の対応姿勢
再生核研究所声明132:神を如何に感じるか - 神を如何に観るか
再生核研究所声明133:2020年 東京オリンピックとパラリンピックの開催について - オリンピックを成功させ、平和憲法の精神の下で、日本は進化を
再生核研究所声明134:私の命よりも 大事な 私 ― 人間の崇高さ、素晴らしきかな 人間
再生核研究所声明135:線形作用素方程式における第一基本定理
再生核研究所声明136:線形作用素方程式における第二基本定理
再生核研究所声明137:世界の危機と 権力者の選出
再生核研究所声明138:大中国、中国の印象 ― 母なる大国、中国に
再生核研究所声明139:正義とは 戦争における; 短期的には 勝者が決めるが、世界史が評価の大勢を定める
再生核研究所声明140:数学の神秘性: 一考察 (誰かこの考察、議論を進めて欲しい。)
再生核研究所声明141:結局、人間とは、人生とは 何だろうか、どの様なものか
再生核研究所声明142:An Aveiro Dream in Mathematics
再生核研究所声明143:グローバリゼーションの危険性
再生核研究所声明144:人類滅亡の概念 - 進化とは 滅亡への過程である
再生核研究所声明145:生きること、人間として在ることの 究極の意義 についての考察
再生核研究所声明146:愛の本質、愛の原理
再生核研究所声明147:創造性についての 第二考察
再生核研究所声明148:100/0=0, 0/0=0 - 割り算の考えを自然に拡張すると ― 神の意志
再生核研究所声明149:生きること、生命の本質、活動して止まないもの
再生核研究所声明150:大宇宙論、宇宙など小さい、小さい、the universe について
再生核研究所声明151:再生核研究所の志向と協力、参加へのお願い
再生核研究所声明152:研究活動に現れた注目すべき現象、研究の現場
再生核研究所声明153:日本国の危機 と 祖国救済の戦略
再生核研究所声明154:新しい世界、ゼロで割る、奇妙な世界、考え方
再生核研究所声明155:生きる意味は 文学者にも分からない??
再生核研究所声明156:尖閣諸島、簡単な算数と 愚かで卑劣な日本国
再生核研究所声明157:知りたい 神の意志、ゼロで割る、どうして 無限遠点と原点が一致しているのか?
再生核研究所声明158:生命と人生
再生核研究所声明159:恋する男女は強い - 何故か?―幸せの基礎
再生核研究所声明160:人生の晩年における楽しみ - 終末、もっと爽やかに考えたい
再生核研究所声明161:ゼロ除算から学ぶ、数学の精神 と 真理の追究
再生核研究所声明162:アヴェイロ ― エデンの花園
再生核研究所声明163:ゼロで割る(零除算)- 堪らなく楽しい数学、探そう零除算 ― 愛好サークルの提案
再生核研究所声明164:男と女の関係の捉え方 ― 新しい視点
再生核研究所声明165:世論について
再生核研究所声明166:ゼロで割る(ゼロ除算)から学ぶ 世界観
再生核研究所声明167:大学などで アカデミックなポストを得る心得
再生核研究所声明168:霧の中 ― 環境の中の人間、盲目、偏見
再生核研究所声明169:サッカー観戦の印象 と 日本チーム強化の戦略
再生核研究所声明170:NHK連続テレビ小説「花子とアン」― 蓮子様の気持ち
再生核研究所声明171:掛け算の意味と割り算の意味 ― ゼロ除算100/0=0は自明である?
再生核研究所声明172:人間の愚かさについて
再生核研究所声明173:愛が無ければ観えない
再生核研究所声明174:狼の輸入によって、生態系の維持を図れ
再生核研究所声明175:人間の擁く 大きな虚像
再生核研究所声明176:ゼロ除算について、数学教育の変更を提案する
再生核研究所声明177:国際紛争を少なくするための 単純明快な原則 を提案する
再生核研究所声明178:アラブとイスラエルの紛争、対立の終焉を願って
再生核研究所声明179: Division by zero is clear as z/0=0 and it is fundamental in mathematics
再生核研究所声明180:人類の愚かさ ― 7つの視点
再生核研究所声明181:人類の素晴らしさ ― 7つの視点
再生核研究所声明182:世界、縄張り、単細胞、宇宙
再生核研究所声明183:野生動物と人間
再生核研究所声明184:ライブということ
再生核研究所声明185:The importance of the division by zero z/0=0
再生核研究所声明186:ニュースの価値について
再生核研究所声明187:工科系における数学教育について
再生核研究所声明188:ゼロで割る(ゼロ除算)から観えてきた世界
再生核研究所声明189:ゼロ除算の研究の勧め
再生核研究所声明190:再生核研究所からの贈り物 ― ゼロ除算100/0=0, 0/0=0
再生核研究所声明191:公理系、基本と人間
再生核研究所声明192:無限遠点から観る、人生、世界
再生核研究所声明193:夜明け、新世界、再生核研究所 年頭声明
再生核研究所声明194:大きなイプシロン(無限小)、創造性の不思議
再生核研究所声明195:ゼロ除算に於ける高橋の一意性定理について
再生核研究所声明196:ゼロ除算に於ける山根の解釈100= 0x0について
再生核研究所声明197:真智への愛とは何か
再生核研究所声明198:計算機と人間の違い、そしてそれらの愚かさについて
再生核研究所声明199:世界の数学界のおかしな間違い、世界の初等教育から学術書まで間違っていると言える ― ゼロ除算100/0=0,0/0=0
再生核研究所声明200:ゼロ除算と複素解析の現状 ―佐藤超関数論との関係が鍵か?
再生核研究所声明201:ドラマ、言論、文芸、世相、関心を 近未来志向にしよう
再生核研究所声明202:ゼロ除算100/0=0,0/0=0誕生1周年記念声明 ― ゼロ除算の現状と期待
再生核研究所声明203:人間とは何か、人生とは何か
再生核研究所声明204:世界史を進化させる 世界に誇れる、平和憲法の擁護を 提案する
再生核研究所声明205:宿命論
再生核研究所声明206:女性の生態、主婦の生態
再生核研究所声明207:男性の生態、亭主の生態
再生核研究所声明208:NHK 朝ドラ マッサン ― 許されない約束違反、公共放送としての問題
再生核研究所声明209:政治的な配慮 ― 悪の素 ―社会の進歩とは
再生核研究所声明210:大学入試ミスにおける対応について
再生核研究所声明211:ドラマとは何か ― 人の心を弄ぶドラマ
再生核研究所声明212:What are reproducing kernels?
再生核研究所声明213: An interpretation of the identity 0.999999…… =1
再生核研究所声明214: Surprising mathematical feelings of a 7 years old girl
再生核研究所声明215:ゼロ除算の教え
再生核研究所声明216:死について、死からの解放について
再生核研究所声明217:ご自愛を ― 健康第一
再生核研究所声明218:興味、関心、感動;人間とは
再生核研究所声明219:報道における理系関係の充実を
再生核研究所声明220:戦争に関する心理について
― 絶えず平和のための努力を
再生核研究所声明221:ある数学者の仏教解説
再生核研究所声明222:日本の代表的な数学として  ゼロ除算の研究の推進を求める
再生核研究所声明223:人生の目的は、自然を愛でて楽しみ、ともに喜び合うこと ― 二十一世紀の壮大なロマン
再生核研究所声明224:郵便ポストの適正配置を求める提案 ― ゴミの無責任な投棄を止めよう
再生核研究所声明225:偉大な数ゼロ ―ゼロの教え
再生核研究所声明226:真実のともし火を消してはならない ― 中丸薫著 を読んで
再生核研究所声明227:日本の仏教の在り様についての疑問、キリスト教との奇妙な違い
再生核研究所声明228:選挙制度の在り様についての具体的で簡単な提案 ― 選挙期間の延長を
再生核研究所声明229:吉田松陰から学ぶ ― 志の重要性と松陰の最期、モミの実の喩え
再生核研究所声明230:終戦70周年を迎えての反省
― 逆に戦勝国の責任も問う
再生核研究所声明231:本を書く人の気持ち、読む人の気持ち ― 本とは何か
再生核研究所声明232:無限大とは何か、無限遠点とは何か。― 驚嘆すべきゼロ除算の結果
再生核研究所声明233:西行花伝 ― 辻邦生、新潮社を読んで
再生核研究所声明234:西行花伝 ― 辻邦生、新潮社を読んで – 雅について
再生核研究所声明235:西行花伝 ― 辻邦生、新潮社を読んで – 出家について
再生核研究所声明236:ゼロ除算の自明さ、実現と無限遠点の空虚さ
再生核研究所声明237: A reality of the division by zero z/0=0 by geometrical optics
再生核研究所声明238:西行花伝 ― 辻邦生、新潮社を読んで – 西行の恋と愛
再生核研究所声明239:自由な立場の人の意見、発想の尊重を
再生核研究所声明240:燕の神秘性 ― 燕の巣立ちを祝して
再生核研究所声明241:不幸な日本の政治状況 ―文化力の弱体さを露呈
再生核研究所声明242:参議院の良識と自立性によって安保法案をほうむれ
再生核研究所声明243:日本国の在るべき姿について –現在の世相についての心情
再生核研究所声明244:不完全な人類、恥ずかしい世界史 ― 心得
再生核研究所声明245:天才動物から学ぶ ― 新しい政治体制、指導者たち
再生核研究所声明246:An interpretation of the division by zero 1/0=0 by the gradients of lines
再生核研究所声明247:The gradient of y-axis is zero and tan (pi/2) =0 by the division by zero 1/0=0
再生核研究所声明248:日本の政治状況を変革するための提案
再生核研究所声明249:数とは何か ― ゼロ除算z/0=0を含む
再生核研究所声明250:What are numbers? – the Yamada field containing the division by zero z/0=0
再生核研究所声明251: 円と曲率 ―ゼロ除算z/0=0から導かれる道脇裕氏の解釈
再生核研究所声明252:Circles and curvature – an interpretation by Mr. Hiroshi Michiwaki of the division by zero $r/0=0$
再生核研究所声明253:私も探そう ―ゼロ除算z/0=0 の現象
再生核研究所声明254:愛が無ければ観えない ― について、 更に
再生核研究所声明255:神は、平均値として関数値を認識する
再生核研究所声明256:武器を収め、環境の保全、民生の向上、文化の発展に力を注げ
再生核研究所声明257:無限大とは何か、 無限遠点とは何か ー 新しい視点
再生核研究所声明258:A new viewpoint of the division by zero z/0=0from area and the point at infinity
再生核研究所声明259:数学の生態、旬の数学 ―ゼロ除算の勧め
再生核研究所声明260:受験勉強、嫌な予感がした ― 受験勉強が過熱化した場合の弊害
再生核研究所声明261:全面的な批判は慎もう ー 批判は具体的に、建設的に
再生核研究所声明262:宇宙回帰説 ― ゼロ除算の拓いた世界観
再生核研究所声明263:テロや武闘の終焉を願って
再生核研究所声明264:永遠とは何か ― 永遠から
再生核研究所声明265:全ての願いが叶えられたとき ー 自由な境地 ― その時人間は
再生核研究所声明266:地球上に繁茂する 愚かな人類
再生核研究所声明267:未知の世界に遭遇したとき、分からないとき ― そのときどうするか
再生核研究所声明268:新しい天気地図、行政地図の作成を提案する
再生核研究所声明269:テレビ、新聞の報道内容について
再生核研究所声明270:アジアの進化を願って
再生核研究所声明271:永遠は、無限は確かに見えるが、不思議な現象
再生核研究所声明272:ゼロ除算の研究の推進を
再生核研究所声明273:つくられた人間 ― 人間とは何だろうか; 人生とは何か
再生核研究所声明274:間をとることの重要性、余裕を持とう
再生核研究所声明275:The division by zero z/0=0 and special relative theory of Einstein
再生核研究所声明276:捏造、事実の歪曲の禁止、悪化する情報の是正を
再生核研究所声明277:アインシュタインの数学不信 ― 数学の欠陥
再生核研究所声明278:面白いゼロ除算の混乱と話題
再生核研究所声明279:ゼロ除算の意義
再生核研究所声明280:ゼロ除算の公認、認知を求める
再生核研究所声明281: The importance of the division by zero z/0=0
再生核研究所声明282:The Division by Zero z/0=0 on the Second Birthday
再生核研究所声明283:受験勉強が過熱化した場合の危惧について
再生核研究所声明284:世は矛盾の中に存在する、 混沌と言える
再生核研究所声明285: 数学者の性格、素性について
再生核研究所声明286:細分化、専門家、単細胞、孤立化から総合化、統一へ
再生核研究所声明287:神秘的なゼロ除算の歴史―数学界で見捨てられていたゼロ除算
再生核研究所声明288:戦友達 ― 共生、共感、共鳴
再生核研究所声明289:終末の心得
再生核研究所声明290:神の隠し事、神の意地悪、人類の知能の程
再生核研究所声明291:心の微妙さ
再生核研究所声明292:ユークリッド幾何学、非ユークリッド幾何学、平行線公理、そしてゼロ除算
再生核研究所声明293:Parallel lines on the Euclidean plane from the viewpoint of division by zero 1/0=0
再生核研究所声明294:素数分布についての前出裕亮君の予想について
再生核研究所声明295:無限の先にあるもの、永遠の先にあるもの ―盲点
再生核研究所声明296:ゼロ除算の混乱
再生核研究所声明297:豊かなゼロ、空の世界、隠れた未知の世界
再生核研究所声明298:根無し草
再生核研究所声明299:いろいろ ちぐはぐな社会
再生核研究所声明300:New challenges on the division by zero z/0
再生核研究所声明301:人間の愚かさ―人間の賢さ
再生核研究所声明302:燕の神秘性 ― 動植物の営みの神秘性
再生核研究所声明303:参議院選挙を控えての政治状況について
再生核研究所声明304:いじらしい人間
再生核研究所声明305:出産の報に接して
再生核研究所声明306:平行線公理、非ユークリッド幾何学、そしてゼロ除算
再生核研究所声明307:見かけ、表装と内実、実質
再生核研究所声明308:ゼロ除算とは何か、始めてのゼロ除算、ゼロで割ること
再生核研究所声明309:真無限と破壊 ― ゼロ除算
再生核研究所声明310:ゼロ除算の自明さについて
再生核研究所声明311:ゼロ0とは何だろうか
再生核研究所声明312:ゼロ除算による 平成の数学改革を提案する
再生核研究所声明313:  良い数学教育の推進を
再生核研究所声明314: 世界観を大きく変えた、ニュートンとダーウィンについて
再生核研究所声明315: 世界観を大きく変えた、ユークリッドと幾何学
再生核研究所声明316:ゼロ除算における誤解
再生核研究所声明317:尖閣、竹島、北朝鮮のロケット問題についての提言
再生核研究所声明318: 映像の危険性 ― テレビの弊害
再生核研究所声明319:NHK朝ドラ、小橋常子さん、花山伊佐次さんに続け
再生核研究所声明320:NHK朝ドラ とと姉ちゃん、赤羽根社長の筋違い対応
再生核研究所声明321: 北朝鮮問題への対応
再生核研究所声明322: 北朝鮮問題への対応 ― 追加
再生核研究所声明323: 蓮舫氏の国籍問題と政局、世相について
再生核研究所声明324: 日本国民の初歩的な誤解―真相を知らされていない
再生核研究所声明325: ゼロ除算の状況について ー 研究・教育活動への参加を求めて
再生核研究所声明326:The division by zero z/0=0 – its impact to human beings through education and research
再生核研究所声明327: 数学教育についての提案
再生核研究所声明328: NHK大河ドラマ、真田幸村の大阪城入場から考える人間 ― 自由について
再生核研究所声明329:大学入試の在り様について ― 現実と負担の視点から
再生核研究所声明330:原始人間から人間を考える
再生核研究所声明331:提案 ― ゼロ除算の研究は、学部卒論や修士論文の題材に適切
再生核研究所声明332:再生核の著書: Theory of Reproducing Kernels and Applications, Developments in Mathematics 44 © Springer 2016 について ー 内容
再生核研究所声明333:男と女の関係について
再生核研究所声明334:数理科学に興味を懷く方、発見に興味を持つ方 ― お願い
再生核研究所声明335: ゼロ除算における状況
再生核研究所声明336:オスプレイ事故についての反響について
再生核研究所声明337:人間、人生について
再生核研究所声明338:ロシアとの付き合いについて
再生核研究所声明339:インドの偉大な文化遺産、ゼロ及び算術の発見と仏教
再生核研究所声明340:絶対絶命、必死 ― 悟りへの道
再生核研究所声明341:日本史の誇り
再生核研究所声明342: 日本の外交についての考察
再生核研究所声明343: オイラーとアインシュタイン
再生核研究所声明344:理解できない韓国の慰安婦像建立の意思
再生核研究所声明345:弱い日本の国家戦略
再生核研究所声明346:愛について、愛の深まり
再生核研究所声明347:真実を語って処刑された者
再生核研究所声明348:個々の人間を離れて ―広い視野で―トランプ政権の出現に際して
再生核研究所声明349:衰退する日本の大学 ― 国を憂えて
再生核研究所声明350:日本国の在りようについての考察 ― トランプ大統領就任の機会に
再生核研究所声明351: トランプ壁についての提言 ― トランプ大統領の公約
再生核研究所声明352: On the third birthday of the division by zero z/0=0
再生核研究所声明353:  ゼロ除算 記念日
再生核研究所声明354:  What are $n = 2,1,0$ regular polygons inscribed in a disc? – relations of $0$ and $\infty$ \\
再生核研究所声明355:おかしな日本の外交戦略 ―賢明な外交戦略
再生核研究所声明356:アメリカの偉大さ ― トランプ大統領と司法
再生核研究所声明357:Brahmagupta の名誉回復と賞賛を求める。
再生核研究所声明358:政治の話しを、対話を勧める
再生核研究所声明359:ゼロ除算とは何か ― 本質、意義
再生核研究所声明360:NHK 大河ドラマと朝ドラの驚嘆
再生核研究所声明361:馬鹿は死ななきゃ治らない  ― 馬鹿の意味を考える
再生核研究所声明362:Discovery of the division by zero as
0/0=1/0=z/0=0
再生核研究所声明363: アジアの敗北と衰退 - 回避を
再生核研究所声明364: 憲法改正についての考察
再生核研究所声明365:目も眩むほど素晴らしい研究課題 ― ゼロ除算
再生核研究所声明366:微分方程式論の不備 ― 不完全性
再生核研究所声明367:数学の真実を求める方、数学の研究と教育に責任を感じる方へ
再生核研究所声明368:ゼロ除算の意義、本質
再生核研究所声明369:笑点 ― 素晴らしい落語
再生核研究所声明370:細胞のような存在、個人 ― 生態系、環境
再生核研究所声明371:ゼロ除算の講演― 国際会議
再生核研究所声明372:Facebook に現れた人間模様 再生核研究所声明373:高木貞治 「解析概論」の改変構想
再生核研究所声明373:高木貞治 「解析概論」の改変構想
再生核研究所声明374:微分方程式論における不完全性と問題
再生核研究所声明375:ブラックホール、ゼロ除算、宇宙論
再生核研究所声明376:現代初等数学における間違いと欠落 ― ゼロ除算の観点から
再生核研究所声明377:ゼロの意味について
再生核研究所声明378:マインドコントロール下にあるゼロ除算 ― 強い思い込み
再生核研究所声明379:北朝鮮問題、北朝鮮のロケット
再生核研究所声明380:What is the zero?
再生核研究所声明381:NHK大河ドラマ 政次の最後と大義、本懐
再生核研究所声明382: ニュートンを越える天才たちに-育成する立場の人に
再生核研究所声明383:人間の精神の高まりについての視点
再生核研究所声明384:2017年 総選挙について
再生核研究所声明385:地の果て、無限の彼方、平面の究極の果てを観るー 永遠とは何か、無限の先の不思議さ
再生核研究所声明386: ゼロ除算の反響と存念、想い出、物語
再生核研究所声明387:ゼロ除算についての全体的な印象
再生核研究所声明388:Information and ideas on zero and division by zero
再生核研究所声明389:2017年 総選挙後 - 小池氏、前原氏は間違いであるとは言えない。
再生核研究所声明390: 人間は 何をしているのだろう。
再生核研究所声明391:いろいろな数学者、数学者の心
再生核研究所声明392:数学者の世界外からみた数学  ― 数学界の在り様について
再生核研究所声明393: ゼロ除算の認知と真相の解明、究明を求める
再生核研究所声明394:ゼロで割れるか ― ゼロで割ったらユークリッド以来の新世界が現れた
再生核研究所声明395:ゼロ除算物語 - 記録、回想
再生核研究所声明396:人間の終末の心 - 人生も人間も大した存在ではない
再生核研究所声明397:未来に生きる - 生物の本能
再生核研究所声明398:数学の本質論と社会への影響の観点から - ゼロ除算算法の出現の視点から
再生核研究所声明399:数学芸術 分野の創造の提案 - 数学の社会性と楽しみの観点から
再生核研究所声明400:数学の研究における喜びと嫌な思い
再生核研究所声明401: 数学の全体、姿、生命力
再生核研究所声明402:研究進めるべきか否か - 数学の発展
再生核研究所声明403: 私より私らしい私の出現 - アンドロイド
再生核研究所声明404:ゼロ除算の現状 ― 総合的な印象
再生核研究所声明405: ゼロ除算が拓いた幾何学の現象 ― 堪らなく楽しい新奇な現象 - デカルトの円定理から
再生核研究所声明406: アジア不戦条約の提案を ― 批准を ― 丸丸お得な考え、方法
再生核研究所声明407: 大阪大学の入試ミス対応についての
一考察
再生核研究所声明408: 数学を越えて ― 価値あるものとは
Announcement 409: Various Publication Projects on the Division by Zer
Announcement410 : What is mathematics? — beyond logic; for great challengers on the division by zero
再生核研究所声明 411:ゼロ除算発見4周年を迎えて
Announcement 412: The 4th birthday of the division by zero z/0=0
再生核研究所声明413: 考え方によっては、どちらでも有り得る
再生核研究所声明414: 第1回ゼロ除算研究集会基調講演要旨
再生核研究所声明415: 数学の進化は単調か、進化と衰退
再生核研究所声明416: ゼロ除算をやってどういう意味が有りますか。何か意味が有りますか。何になるのですか - 回答
再生核研究所声明417: ゼロ除算って何ですか - 中学生、高校生向き 回答
再生核研究所声明 418: 割り算とは何ですか? ゼロ除算って何ですか - 小学生、中学生向き 回答
再生核研究所声明 419:『天才を育てた女房~世界が認めた数学者と妻の愛~』 – 読売テレビ・日本テレビ系 読売テレビ開局60年記念ドラマ(2018年2月23日(金)) から
再生核研究所声明 420: ゼロ除算は正しいですか,合っていますか、信用できますか - 回答
再生核研究所声明 421: 東京大学の在りようについての危惧
再生核研究所声明 422: 数学界の歴史的な恥と恥の上塗り ー ゼロ除算の見落とし と 固定観念
再生核研究所声明 423: 余裕を持つことの重要性
再生核研究所声明 424: レオナルド・ダ・ヴィンチとゼロ除算
再生核研究所声明 425: 生命のリズム、生きること
再生核研究所声明 426: 政治状況についての印象
再生核研究所声明 427: 神の数式、神の意志 そしてゼロ除算
再生核研究所声明 428: 心の存在するところ ― 人間とは何か?
再生核研究所声明 429: 日本のサッカー試合における鳥かご作戦について ― 西野監督の精神は 世に高く評価されるべきである。
再生核研究所声明 430: 古典的なリーマン球面に代わるHorn Torusの出現について
再生核研究所声明 431: y軸の勾配はゼロである - おかしな数学、おかしな数学界、おかしな雑誌界、おかしなマスコミ界?
再生核研究所声明432:無限に広がった平面を捉える4つの考え方
Announcement 433:\\ Puha’s Horn Torus Model for the Riemann Sphere From the Viewpoint of Division by Zero}
再生核研究所声明 434 : ゼロ除算の誤解と注意点
再生核研究所声明 435 : 国際スポーツ大会における問題点 - 国際化と文化、グローバリゼーションの問題
再生核研究所声明 436 : 数学教育の原理 ― 省察と改善
再生核研究所声明 437 : ゼロ除算とは何か - 全く新しい数学、新世界である
再生核研究所声明 438: ゼロ除算1/0=0/0=z/0=\tan(\pi/2)=0 の誤解について
再生核研究所声明 439: 人間として生きることとは - ある一面から
再生核研究所声明 440: 東京医大入試問題についての印象について
特に女性の扱いについて
再生核研究所声明 441: 小・中・高校の数学教育の視点からのゼロ除算について
再生核研究所声明 442: ゼロ除算研究の大義と研究協力へのお願い
再生核研究所声明 443: アリストテレス以来、二千年を越える封印、タブーの解消 - ゼロ除算
再生核研究所声明 444: 小・中・高校生に影響を与える初歩数学の出現 - ゼロ除算
再生核研究所声明 445: 平和を希求して ― How to
再生核研究所声明 446: 生物・動物の本性についての考察 ― 食すること
再生核研究所声明 447: 人工知能の進化と人間について
Announcement  448:Division by Zero Funny History and New World
再生核研究所声明 449:この世とあの世 - 人工知能の進化によって
再生核研究所声明 450: 水前寺清子様に呼応して - 雄たけび
再生核研究所声明 451: みんなの数学、大衆の数学 ― 和算の風土を取り戻そう
再生核研究所声明 452: 世界を変えた書物展 - 上野の森美術館
再生核研究所声明 453: The International Conference on Applied Physics and Mathematics, Tokyo, Japan, October 22-23
Announcement 454: The International Conference on Applied Physics and Mathematics, Tokyo, Japan, October 22-23
再生核研究所声明 455:ゼロ除算は幾らの価値がありますか、人間をどう救うのですか 回答
再生核研究所声明 456:ゼロ除算算法発見の瞬間
再生核研究所声明 457: 人類は何をなせしか - 広い視点
再生核研究所声明 458: 神の存在と信仰- 悟りへの心得
再生核研究所声明 459: 数学者の反省、数学教育の反省
Announcement 460: Change the Poor Idea to the Definite Results For the Division by Zero — For the Leading Mathematicians
Announcement 461: An essence of division by zero and a new axiom
再生核研究所声明 462:ゼロで割れるか、ゼロで割る 任意の解析関数や数は ゼロで割ることが できる。
再生核研究所声明 463: ゼロ除算を理解すると 世の中に対して どのようなメリットがあるでしょうか。 ― 回答
再生核研究所声明 464: 多数決で決定する、投票で決定する危うさ
再生核研究所声明 465: 年頭にあたって - 1年の計
再生核研究所声明 466: 不完全な 現代初等数学、数学の基礎
再生核研究所声明 467: 数学の素晴らしさ ー 数学は絶対的な世界である
再生核研究所声明 468:ゼロと無限の意味と関係
再生核研究所声明 469:なぜ二つの負数を掛け算すると正数になるのですか?(回答)
再生核研究所声明 470:ゼロ除算 1/0=0/0=z/0=\tan(\pi/2)=0 発見5周年を迎えて
Announcement 471: The 5th birthday of the division by zero z/0=0
再生核研究所声明 472:万物流転、世の無常、心
再生核研究所声明 473:峠、峠を越えて
再生核研究所声明 474:人類の進化
再生核研究所声明 475:数学を志した理由 - 関係問題を省察する
再生核研究所声明 476:能力が足りない、無いは欠点にあらず、性格、特徴で活かせる。もちろん、恥ではない。
再生核研究所声明 477:ケンブリッジ大学とミュンヘン工科大学のIsabelle 計算機システムはゼロ除算x/0=0 を導いた
Announcement 478: Who did derive first the division by zero 1/0 and the division by
zero calculus tan(pi/2)=0, log 0=0 as the outputs of a computer?
再生核研究所声明 479:遅れをとったゼロ除算 - 活かされない敗戦経験とイギリスの畏れるべき戦略
再生核研究所声明 480:日本の数学の後進性
再生核研究所声明481:改元に当たって、日本からの贈り物、ゼロ除算算法 ― 新数学
再生核研究所声明482:研究について ー 国を豊かにし、文化を高め、世界を拡大させるために
再生核研究所声明483:ゼロ除算を発見した精神から見えた不思議な世界
再生核研究所声明484:ゼロ除算を発見した精神から見えた不思議な世界 – ゼロ除算の教え
再生核研究所声明 485:算数、数学の教育は 大丈夫でしょうか
再生核研究所声明 486:学校の授業を受けながら,「数学なんて勉強して,いったい何の役に立つのだろう」と思った人もいるのではないでしょうか。
再生核研究所声明 487:キャパシティ、   容量、器、限界
再生核研究所声明 488:恋から学ぶ、人間、人生、世界
再生核研究所声明 489:勉強から、考える、そして心の教育に
再生核研究所声明490:令和革新の大義、 趣旨 ー 初等数学
再生核研究所声明491:素晴しい和算の文化と文化の継承、発展
再生核研究所声明492:  生と死
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carguytimes · 7 years
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自動車業界トップが集まる新年会に潜入して気付いた、もうひとつの「いつかはクラウン」
今年も1月5日、自動車業界は日本自動車工業会、日本自動車部品工業会、日本自動車車体工業会、日本自動車機械器具工業会の自動車工業4団体による「自動車工業団体新春賀詞交歓会」でスタート。 以前はホテル オークラで開催されていましたが、数年前からはオークラの改築工事に伴って場所をグランドプリンスホテル新高輪に移して開催されています。 ホテル開催で嬉しいのは駐車場。自動車関係の賀詞交歓会のため、おそらくほかの業種の催しに比べクルマでの来場者の数が圧倒的に多いと思われますが、グランドプリンスホテル新高輪は会場の地下にはたっぷり1000台もが止められる大駐車場が完備され、しかもこの時間はゲートをフリーオープンにしています。確かにこの時間、この駐車場に止めるのは関係者だと思われますし、さらに入庫&出庫時の事前精算機前やゲートには長蛇の列が予想されるため、懸命の判断だと思います。駐車場にはすんなり入れるし、駐車場がいっぱいで止められないということも無いのでとても助かります。 私は開場の15分ぐらい前に会場に到着しましたが、エレベーター前にはすでに黒山の人だかり。ほとんどの方がダークスーツで来ているので、まさに「黒山」です。 開場すると入り口を入ってすぐの場所に金屏風があり、そこに自動車工業会会長をはじめ、国産自動車メーカー各社トップの方々が並んでお出迎え。 会は、日本自動車工業会の西川廣人氏のご挨拶。まずは昨年、日産自動車で起きた完成検査問題の謝罪。先進技術で世界をリードするために各社における技術開発競争をしながらインフラやシステム整備では協調することがさらに重要とスピーチ。 来賓のご挨拶は世耕弘成経済産業大臣と石井啓一国土交通大臣。中でも石井大臣は、「100年に一度の自動車分野の大改革の年。自動運転技術の進化とクルマの電動化において自動車業界と一体となって世界を先導したい」とのこと。 ほかにも多数の国会議員の方が会場を訪れていました。今回は来ていませんでしたが、数年前には安倍首相がいらしたことも。   会場では、いろいろな方にご挨拶。最近、新車発表会などにもあまり登場しなくなったスズキの鈴木修会長や、去年の日本カー・オブ・ザ・イヤーでイヤーカーを受賞したボルボ・カー・ジャパンの木村隆之社長はご自身の名刺に「日本カー・オブ・ザ・イヤー受賞」というシールを貼っていました。トヨタは豊田章男社長はモリゾウステッカーを配っていたとか。私はトヨタの寺師茂樹副社長からご自身の似顔絵ハンコを捺印した名刺をいただきました。すると、寺師副社長は2008年発売13代目クラウンの主査で、その時の「クラウンのすべて」(三栄書房)の使い勝手ページは私が担当していたようです。そんなことを覚えていてくださっていて感謝です。 というわけで自宅へ戻り、去年発売された「歴代クラウンのすべて」を引っ張り出してみてみると、歴代の主査の方が掲載されていて、13代目主査の寺師さんのお姿も。 それにしても10年後にはトヨタの副社長なんて、と思ったら、歴代のクラウン主査の方々は皆さんトヨタの役員になられるなど、今のトヨタを支える偉い方ばかり。クラウンの主査は出世コースのようです。確かにこれは、トヨタ社員の方にとっては「いつかはクラウン」ですよね…。 (吉田 由美) あわせて読みたい * 2017年、私を一番悩ませた「日本カー・オブ・ザ・イヤー」 * 1泊3日弾丸台湾ツアーはLCCがお得か? パックツアーがお得か? * スズキの新型『スペーシア/スペーシア カスタム』が『スズキ(鈴木)100%���と言えるワケは? * レクサスのフラッグシップモデル新型LSに試乗! 自慢の先進安全装備の課題は私…!? * これぞ「21世紀のスーパーマン(スーパーバン)」世界のハイエース。 http://dlvr.it/Q9B5vv
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shibaracu · 5 years
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◆蝗害 (こうがい)バッタ類の大量発生による災害
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◆蝗害 - Wikipedia     https://ja.wikipedia.org/wiki/蝗害 蝗害(こうがい、英: Locust plague) トノサマバッタなど相変異を起こす一部のバッタ類の大量発生による災害のこと。   ◆新型肺炎で泣き面の中国を今度はバッタが襲う | 楊海英 | コラム ... https://www.newsweekjapan.jp/youkaiei/2020/03/post-53.php 2020年03月24日 <新型コロナウイルス制圧を宣言した中国だが、間もなく到来するバッタの大群「蝗害(こうがい)」への備えはあるのか> 武漢発の新型肺炎を基本的に制圧した、と宣言した中国に新しい脅威が襲い掛かろうとしている。 バッタの襲来だ。 中国の古い文献では「蝗害(こうがい)」と呼び、「黄害」すなわち黄河の氾濫による被害と同じくらいの脅威だ、と歴史的に認識されてきた。 黄河の氾濫は歴代王朝の交代を促したから、蝗害も無視できない。 中国は今やまさに「泣き面にバッタ」という局面に立たされている。 今回大量発生したサバクトビバッタはコロナウイルスとほぼ同時に増え始め、 最初はアフリカ東部のケニアやエチオピアとその周辺で群れを成した。 その総数は3600億~4000億匹と推算されているが、 人間の知力で数えること自体が不可能に近い。   ◆10万羽アヒル軍でバッタ退治 中国発ニュースはデマなのか | 非常中国 https://mainichi.jp/premier/politics/articles/20200312/pol/00m/010/020000c 2020/03/14 2月20日、ケニア・キトゥイの農場で撮影されたサバクトビバッタ。アフリカの複数の国ではここ数カ月、サバクトビバッタの大量発生による「蝗害(こうがい)」に見舞われている。エチオピアとジブチ、ソマリアは過去25年、ケニアは過去70年で最も深刻な被害となった。 バッタは現在は新たな群れが発生し、更に被害が拡大する恐れがある。 そんな中て゜「10万羽のアヒル軍がバッタを退治するために中国からパキスタンに派遣される」という中国発ニュースが2月下旬から世界を圧巻している。   ◆農作物を食べ尽くすバッタの被害は、温暖化で今後ますます加速する https://wired.jp/2020/03/08/the-terrifying-science-behind-the-locust-plagues-of-africa/ 2020/03/08 いまアフリカ東部では、おびただしい数のバッタの大群が農地の作物を食い尽くし、ここ数十年で最悪の被害が広がっている。なぜここまでバッタが大量発生し、そして人間の食糧を食い尽くしているのか。そのメカニズムを説き明かすと、さらなる地球温暖化によって被害が加速度的に広がる未来が見えてくる。   ◆コロナに続くもう一つの危機 アフリカからのバッタ巨大群襲来 | 六辻彰二 https://www.newsweekjapan.jp/mutsuji/2020/03/post-87.php 2020/03/09 ・東アフリカで大発生したバッタの大群が、海を越えて中東、さらに中国やインドに迫っている ・国連の食糧農業機関はその大発生の規模を「70年に一度」のものとも表現している ・これによって懸念される食糧不足は人道危機であるばかりか、新型コロナの影響を受ける日本のサプライチェーンをさらに揺さぶりかねない 新型コロナに揺れるアジア諸国にもう一つの危機が迫っている。アフリカから飛来し、各地で農産物を食い荒らしてきたバッタの大群が、中国西部にまで接近しているのだ。 コロナ蔓延に続くバッタ来襲   ◆パキスタンでバッタ大量発生 過去30年で最悪の作物被害 写真12 ... https://www.afpbb.com/articles/-/3271602 2020/03/08 【3月8日 AFP】パキスタンでバッタが大量発生し、国内の農業地帯では過去30年間近くで最悪の被害が出ている。 国連(UN)は、アラビア半島(Arabian Peninsula)を昨年襲った豪雨とサイクロンが「前例のない」バッタの繁殖を促したと指摘している。このバッタの大群は、東アフリカからインドにかけて広がり農地に大きな被害をもたらした後、イランを通ってパキスタン南西部の砂漠地帯から同国へ侵入。パキスタン政府は深刻な被害を受けて全土に緊急事態を宣言し、国際社会に緊急援助を要請した。   ◆東京新聞:<国際編>バッタの大群 アフリカを襲う :親子で学ぶ https://www.tokyo-np.co.jp/article/education/manabuu/CK2020031702000141.html 2020/03/17 アフリカ東部をバッタの大群が襲っています。 気候変動による大雨で草が茂り、繁殖したことなどが原因とみられ、 ケニアでは過去70年で最悪の規模になりました。 となりのソマリアでは政府が非常事態を宣言しました。 バッタは畑の作物を食い荒らし、 一帯が深刻な食糧危機になる恐れが高まっています。 ケニアのテレビ局が報じた村では、視界をさえぎるほど のバッタの群れが押し寄せ、住民たちが立ち尽くしていました。 国連食糧農業機関(FAO)によると、1平方キロ内のバッタの群れは 4000万匹おり、1日で3万5000人分の作物を食べ尽くします。 ケニアでは2400平方キロにおよぶ大群もいたといいます。 アフリカ東部では近年、干ばつにも見舞われ、作物が十分に育っていません。 バッタの大発生前から1900万人が食糧不足に直面しており、 今後が心配されています。   ◆なぜ?アフリカのバッタ大量発生に中国のネットユーザーが強い危機感 http://topics.smt.docomo.ne.jp/article/recordchina/world/recordchina-RC_782020 レコードチャイナ2020年02月17日21時10分 今年に入り、アフリカ東部の国々でサバクトビバッタが過去最大級の規模で発生し、作物を食い荒らすことによる深刻な食糧不足が懸念されている。 国連食糧農業機関(FAO)が予測した今後の被害状況を16日に中国メディア・界面新聞が伝えると、中国のネットユーザーからは中国への影響を危惧する声が数多く上がった。 界面新聞は中国版ツイッター・微博(ウェイボー)上で、FAOの発表を基に「蝗害(こうがい、バッタ類の大量発生による災害)はアフリカ東部で拡大し続けている。 バッタは紅海を超えてイランやパキスタン、インドといった南西アジアの国々にも移動しているほか、現時点においてケニア、エチオピア、ソマリアでは、総数が3600億匹に達している。 このまま放置すれば、その数は6月までにさらに500倍になる可能性がある」と伝えた。   ◆パキスタンでバッタ大量発生 過去30年で最悪の作物被害 - 時事通信 https://www.jiji.com/jc/article?k=20200309039803a&g=afp 2020/03/09 【ピプリパハールAFP=時事】パキスタンでバッタが大量発生し、国内の農業地帯では過去30年間近くで最悪の被害が出ている。特に農業の中心地で作物が壊滅的な打撃を受け、食料価格の急騰を招いている。 国連(UN)は、アラビア半島を昨年襲った豪雨とサイクロンが「前例のない」バッタの繁殖を促したと指摘している。このバッタの大群は、東アフリカからインドにかけて広がり農地に大きな被害をもたらした後、イランを通ってパキスタン南西部の砂漠地帯から同国へ侵入。パキスタン政府は深刻な被害を受けて全土に緊急事態を宣言し、国際社会に緊急援助を要請した。 パキスタン南部シンド州では、換金作物である綿の壊滅的被害が懸念されている。州都カラチ付近では全体の半分の作物が被害を受けている。 また北東部パンジャブ州の当局は、被害を受けた地区に殺虫剤を散布するなど「駆除対策を開始」したと明らかにした。有害な煙霧が広がる中、毎日村人らは1キロ当たり20パキスタン・ルピー(約13円)の報奨金のために農地でバッタの死骸を集めている。しかしこの作業は時間がかかる上、1か所の農地でバッタを駆除している間に、別の農地の作物が壊滅していることも多い。 当局が使用する殺虫剤は食べる上で危険なため、バッタを駆除しても残った農作物も廃棄しなければならない。殺虫剤の散布の順を待つ間、苦肉の策として鍋をたたいて叫びながらバッタを追い出そうとする農家もある。 ムハンマド・ハシム・ポパルザイ食料安全保障・研究相は、中国の専門家らによるチームが今回の危機を調査するためにパキスタンに到着したとAFPに明らかにした。中国はより迅速で効果的な害虫駆除方法として、殺虫剤の空中散布を申し出る可能性もあり、またパキスタンが中国から殺虫剤を輸入する可能性もある。 パキスタンの農業は長い間干ばつや水源の縮小に直面してきた。経済は12年連続で高インフレ率にあえいでおり、過去1年間では砂糖の値段が2倍近く、小麦粉の値段は15%上昇した。 パンジャブ州ピプリパハール村の農業従事者らの多くは、バッタの駆除対策を講じるには遅すぎると感じている。ラフィヤ・ビビさんは牛と一緒に小麦畑の隅に座り、周囲に殺虫剤がまかれるのを眺めていた。 ビビさんは政府から4万5000パキスタン・ルピー(約3万円)を借り入れ、菜種、ヒマワリ、トウガラシ、タバコなどを購入したが、バッタの大群はすでにこれらの作物を台無しにしてしまった。収穫できなければ借金を返す方法はないという。【翻訳編集AFPBBNews】〔AFP=時事〕   ◆「植物工場」関連を狙え!中国発の食糧懸念で浮上する有望株群<株探トップ特集> https://kabutan.jp/news/marketnews/?b=n202003070120 2020/03/07 ―日本の食卓を脅かす新型コロナとバッタ襲来、自給率向上にスマート農業活用― 新型コロナウイルスの感染拡大は、車や電子機器などの工業製品に限らず、玉ねぎなど中国を主産地とする一部農作物にも影響を及ぼし始めている。 中国現地では人の移動が制限されていることで、農産物の生産に影響が出ているようだ。更に、南アジアで農作物に甚大な被害をもたらした大量のサバクトビバッタが、中国に進入するリスクも高まってきた。 新型コロナウイルスとバッタ被害で、世界的な食糧需給に混乱が生じることもあり得る状況だ。 こうしたなか、株式市場では植物工場関連銘柄への関心が高まりつつある。   ◆新型コロナに加えてバッタも・・・短期的な反発に今すべきことは? https://media.rakuten-sec.net/articles/-/26139 2020/3/23  吉田 哲 ●新型コロナウイルス速報、中国と欧米の感染状況で明暗くっきり ●3月第3週目、反発銘柄の共通点は“中国”と“穀物” ●“サバクトビバッタ”襲来で食糧危機? ●短期的な売買が可能な穀物関連銘柄   ◆『蝗害』と日本について質問です。 『蝗害(こうがい)』とは、トノサマバッタなど相変異を起こす一部のバッタ類の大量発生による災害のことである。 https://realestate.yahoo.co.jp/knowledge/chiebukuro/detail/12212797582/ ベストアンサーに選ばれた回答 ・A.回答日時:2019/8/29 22:44:12 中国と日本、なぜ同じ東アジア諸国なのに、 これ程までに発生率と被害が違うのでしょ うか? 【日本には砂地の様な背の高い草が少ない貧弱な土壌が少ないからです】 * バッタ科の雌は、産卵管を使って土や砂地の地下数センチメートルに産卵します。背の高い草が密集している場所ではあまり産卵をしません。 その為、大量に産卵が行われるには砂地が必要です。 中国は万里の長城の外側は乾燥地帯です。 その為、中国やアフリカなど乾燥地帯が多い場所では蝗害が頻繁に起こります。 反対にヨーロッパや日本では蝗害はあまり起こりません。 特にアフリカでは現在も蝗害に苦しんでいます。   ・A.回答日時:2019/8/29 21:25:47 バッタ、というよりはイナゴのことですよね。 やっぱり気候風土の差でしょう。日本は島国だから生物も小ぶりなものが多い。 でも大陸は広いからそこにすむ生物も大型化する。 大型化すれば食う量も増えるし、子孫も増える。 それで大陸性気候というのはやたら暑くなったり寒くなったりと極端な地が多い。 そういうところで生活している生物はタフになってちょっとやそっとじゃへこたれないと思う。 とにかく大陸は島国から見ると格段のスケールの差という事ですね。   ◆中国、蝗害に見舞われたパキスタンを緊急支援へ https://www.afpbb.com/articles/-/3271746 2020年3月6日 4:37 発信地:中国 [ 中国 中国・台湾 ] 【3月6日 Xinhua News】中国のバッタ防止・制御の専門家チームがこのほど、パキスタン・カラチでの記者会見で、中国はこのたび、サバクトビバッタの大量発生(蝗害)に見舞われているパキスタンに対し、包括的な緊急支援を実施したことを発表した。 バッタの大群は、これまでに農地数百万エーカーに被害をもたらし、パキスタンの食料安全保障に対する深刻な脅威となっている。 この状況に対し、同チームの首席専門家の王鳳楽(Wang Fengle)氏は、中国政府は非常に重視し、状況分析と対応策を講じたうえ、緊急支援を行ったと述べた。 王鳳楽氏は、中国のバッタ防止・制御の専門家チームの任務は三つあると説明した。一つ目は、現地調査を実施し、パキスタンのバッタ対策を支援。二つ目は、蝗害予防・抑制を目的とした持続可能なシステム・メカニズムの構築。三つ目は、バッタ予防・抑制に関するパキスタンとの長期的な協力関係の構築。 国連食糧農業機関(FAO)でパキスタンにおけるバッタ対策を担当するムバラク・アフマド氏は、新華社のインタビューを受け、次のように語った。パキスタンでバッタの大群が、最初に南部シンド州、特に同州のタルパカール砂漠を中心にしたところで目撃された。その後別の地域に移動し、作物を食い荒らした。 アフマド氏はまた、「昨年10月末から11月にかけて、バッタの大群がタルパカール砂漠に舞い戻り、卵を産んだ。卵は今後数か月のうちに大きな脅威となる恐れがある。なぜなら、卵がふ化すれば、バッタの数は数十倍以上に膨れ上がるからだ。そうしたら、パキスタンは大きな課題に直面することになる」と警鐘を鳴らすように述べた。 パキスタンの公式統計によると、この9か月の間に、3000万エーカーの土地が蝗害に見舞われたが、殺虫剤が散布できたのはその100分の1しかなかった。 東部パンジャブ州と南西部バルチスタン州、北西部カイバル・パクトゥンクワ州も蝗害の影響を受け、パキスタンのイムラン・カーン首相は今月、国家非常事態を宣言した。中国に支援を求めるよう食料安全保障研究省に命じた。 中国農業農村部国際協力局の徐玉波(Xu Yubo)氏は記者会見で、中国のバッタ防止・制御に関する技術と経験は、パキスタンのニーズに十分に応えると語った。さらに中国には、最先端の予防・制御技術や器具、人員のトレーニング、早期警戒プラットフォームなどの分野で協力する用意があると説明した。 (c)Xinhua News/AFPBB News
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jazieta-blog · 6 years
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安倍の虚言は今年もアクセル全開! 2018年、安倍首相がついた真っ赤な嘘とインチキを総まくり
litera (前編) https://lite-ra.com/2018/12/post-4455.html litera (後編) https://lite-ra.com/2018/12/post-4456.html 今年も、リテラ年末恒例・安倍首相による「大嘘」振り返り企画をお届けする季節がやってきた。毎年毎年カウントしきれないほどの嘘をつきつづける総理だが、2018年も虚言のアクセルは全開。今年も数々の疑惑をめぐる嘘はもちろん、あらゆる失政や失態について、あったことをなかったことに、なかったことをあったことに。誰の目にも明らかな嘘を平然と、まさに息をするように嘘をつきまくった安倍首相。  そのため、今年は昨年よりも5本多い、よりぬきの15の嘘を振り返りたい。胃もたれ必至の嘘つき発言、まずは前編の8本をお届けしよう! ◎大嘘その1 「決して日本が蚊帳の外に置かれていることはありません」 4月29日付、産経新聞独占インタビュー  北朝鮮の脅威を「国難」と呼び、Jアラートを鳴らしまくって国民に恐怖を植え付け、文在寅大統領と金正恩委員長の南北首脳会談実現が決定しても「圧力を最大限に高める」と吠えつづけた安倍首相。だが、「最大限の圧力」を国会で叫んだ数日後には“親愛なる”トランプ大統領も金委員長と首脳会談を開く意向を表明、平和的解決への流れが決定的に。つまり、日本だけがこの動きを知らず圧力をがなり立てていたという「蚊帳の外」だったことが判明して飛んだ赤っ恥をかいたのだが、安倍首相は御用メディアの産経で「蚊帳の外じゃない!」「日本が国際社会をリードしてきた成果」と主張。しかし、この「蚊帳の外」状態は、いまだに日朝首脳会談の道筋さえつけられていないことからもあきらか。にもかかわらず、ついには次のようなことまで言い出したのだ。 ◎大嘘その2 「あの、拉致問題を解決できるのは安倍政権だけだと私が言ったことは、ございません」 9月14日、日本記者クラブでの総裁選討論会  思わず耳を疑った。総裁選討論会で御用メディアである読売新聞の橋本五郎特別編集委員に「安倍晋三政権は一貫して拉致問題を解決できるのは安倍政権だけだと言われていた」「現状はどうなっているのか、見通しはあるのか」と問われた際の、安倍首相の返答だ。  安倍首相といえば、これまで一時帰国した拉致被害者5人を“帰さなかったのは自分だ”という嘘を筆頭に、対拉致問題で数々のニセの武勇伝や逸話をでっち上げ、「拉致被害者を取り戻せるのは、これまで北朝鮮と渡り合ってきた安倍首相しかいない!」という空気をつくり出してきた張本人。今年4月に出席した「政府に今年中の全被害者救出を再度求める 国民大集会」でも、「すべての拉致被害者の即時帰国」について「安倍内閣においてこの問題を解決するという強い決意を持って、臨んでまいりたい」と高らかに宣言していた。  ところがどっこい、拉致問題に進展が見られないことを突っ込まれると、「拉致問題を解決できるのは安倍政権だけだと私が言ったことはない」と言い出し、その上、「ご家族のみなさんがですね、そういう発言をされた方がおられることは承知をしておりますが」などと責任を逃れしたのである。  さんざん拉致問題を政治利用した挙げ句、都合が悪くなると「自分は言ってないもん」。これで信用しろというほうがどうかしているだろう。 ◎大嘘その3 「私は、明治時代に逆戻りしようと言ったことはまったくない」 1月29日、衆院予算委員会  え? 今年の年頭所感で初っ端から〈本年は、明治維新から150年の節目の年です〉と“明治150年推し”を全開させ、明治時代の日本を手放しで称賛して明治の精神をこれからのモデルにしようと国民に提示したのは、誰でしたっけ? しかも、安倍首相は自民党総裁選への出馬を表明した際も、わざわざ鹿児島県で表明をおこない、その背景には鹿児島を象徴する桜島がドーン。この表明の直前には、会合で「ちょうど今晩のNHK大河ドラマ『西郷どん』(のテーマ)は『薩長同盟』だ。しっかり薩長で力を合わせ、新たな時代を切り開いていきたい」(産経ニュースより)と講演していたほどだ。 『西郷どん』人気に便乗し、「明治=大日本帝国を取り戻す」という戦前回帰志向を“改革に邁進するリーダー”に置き換えて���象づけたい──。この姑息な目論見には反吐が出るが、しかも安倍首相は「逆戻りしようと言ったことはない」と抗弁した際には、「いまのスタンダードで150年前のことを『上から目線で』で断罪することもいかがなものか」と発言。「歴史から反省を学ぶ」ことを放棄した人物を総理に据えているとは、恐怖以外の何ものでもない。 ◎大嘘その4 「こういう(圧力の)話はよくある」→「(圧力は)いや、ほとんどないんです(笑)」 9月17日、『報道ステーション』出演時  自民党総裁選では、対抗馬の石破茂氏が掲げた「正直、公正」というキャッチフレーズにさえ「安倍首相への個人攻撃だ」と噛み付くという狂犬ぶりを見せた安倍陣営。なかでも象徴的だったのは、現役閣僚だった石破派の斎藤健農水相(当時)が安倍首相を支持する国会議員から恫喝されたと暴露した一件だ。  そして、各局の報道番組を石破氏とそろってハシゴして出演した際も圧力・恫喝問題についての質問がいくつか飛んだのだが、安倍首相はこの話題になると終始、落ち着かない様子で目をキョロキョロと泳がせた上、なんと圧力を正当化。橋本龍太郎と小泉純一郎が争った1995年総裁選のエピソードをもち出し、「私も小泉応援団だったんですが、そんときわれわれもですね、一度、けっこう圧力をかけられてねってことを結構、みんな言ったんですが」として「こういう(圧力の)話はよくある」と正当化したのだ。  ところが、MCの富川悠太キャスターから「実際にそのときは(圧力が)あったんですね?」と訊かれると、安倍首相は「いや、ほとんどないんです(笑)。ないけど、我々もそう言ったほうが、いわば陣営かわいそうだなっていうことにもなりますし。ただ、実際にあったかもしれませんし、私にはまったくなかったな」などと発言。自分には圧力がなかったにもかかわらず「圧力を受けた」とウソを言いふらしていたと自ら暴露したのである。  この宰相が“類い稀な嘘つき”であることは公然の事実だが、ひどいのは“自分たちも圧力をかけられたとウソをついて同情を誘ったことがある。だから斎藤もウソをついてるんじゃないか”と誘導していること。いやはや、まことに大した人間性である。 ◎大嘘その5 「今後、ICANの事務局���からあらためて面会要請があった場合には、そのときの日程などを踏まえて検討したい」 1月30日、衆院予算委員会  今年1月、ノーベル平和賞を受賞した国際NGO・核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)のベアトリス・フィン事務局長が来日した際、「日程の都合上できない」と面会を拒否した安倍首相。この対応にはネット上で「芸能人とは会食する時間はあるくせに」と批判が起こり、フィン事務局長の会見では「失望」という言葉も出た。  だが、安倍首相の「今度は検討する」というのがその場しのぎの嘘であることは明白。実際、ICANのノーベル平和賞受賞が発表された後も、サーロー節子さんが被爆者としてはじめて授賞式でスピーチをおこなった後も、安倍首相は公式に祝福コメントを一切発しないまま。さらに、今年11月に来日したサーロー節子さんが面会を求めたにもかかわらず、安倍首相はまたも「日程の都合」(菅義偉官房長官の弁)で面会を拒否したのである。  サーローさんは会見で「推測だがよほど忙しいか、意図的に私を避けたいかだ。違った意見を持った人にも会って語り続けるのが本当のリーダーシップではないか」と批判したが、まさにそのとおり。「唯一の戦争被爆国として核兵器のない世界の実現に向けて努力を重ねていく」と言いながら、核兵器禁止条約の批准を求める国連総会決議案に反対するという安倍首相の異常さ、二枚舌に、国民はもっと怒るべきだろう。 ◎大嘘その6 「『非正規』という言葉を、この国から一掃してまいります」 1月22日、施政方針演説  この言葉、じつは安倍首相は2016年6月の記者会見をはじめ、事ある毎に述べてきたが、一見すると格差是正に向けた大胆な改革というようにも映る。しかし、騙されてはいけないのは、安倍首相はけっして「非正規雇用をなくす」あるいは「正規と非正規の格差をなくす」と言っているわけではない、ということ。たんに「非正規」という言葉を使わない、というだけの話なのである。  実際、安倍首相が今年の通常国会で成立させた「働き方改革関連法案」の「同一労働同一賃金の導入」では、正社員と非正規のあいだに不合理な待遇差を設けることを違法としているが、ガイドラインでは正社員と非正規の基本給などついて「実態に違いがなければ同一の、違いがあれば違いに応じた支給を求める」とするなど、正社員と非正規の賃金格差を容認するものとなっている。  だいたい、「非正規という言葉をこの国から一掃する」という掛け声とは裏腹に、第二次安倍政権がはじまった2012年から16年までの4年間で非正規雇用者は207万人も増加。一方、この間の正規雇用者は22万人増加でしかなく、雇用者数の9割が非正規というのが実態だ。  低賃金の非正規を増やしつづける一方、低所得者に打撃を与える消費税増税を決めた安倍首相。このままではさらに貧困は広がっていくだろう。 ◎大嘘その7 「裁量労働制で働く方の労働時間の長さは、平均的な方で比べればですね、一般労働者よりも短いというデータもある」 1月29日、衆院予算委員会 「働き方改革関連法案」の目玉のひとつだった「裁量労働制の対象拡大」をめぐって、自信満々に言い放ったこの答弁。しかし、答弁から間もなくこのデータが恣意的に捏造されたものだったことが判明。それでも安倍首相は「(答弁前にデータが)正しいかどうか確認しろなんてことは、あり得ないんですよ」などと開き直るという醜態を晒したが、その後は加藤勝信厚労相が「なくなった」と説明していたデータの基となった調査票が厚労省本庁舎の地下倉庫から発見されるわ、さらにデータを精査すると異常な数値が相次いで見つかるわ、問題が雪だるま状態に。結局、法案から「裁量労働制の対象拡大」は削除される結果となった。  だが、安倍首相は「裁量労働制の対象拡大」を諦めたわけではない。すでに厚労省の有識者会議が新たな調査票をまとめたが、これがまたも実態を把握できない設計になっているとして修正を求める声があがっている。問題を起こしても忖度をやめない姿勢には反吐が出るが、ともかくいまは安倍首相の嘘を未然の防ぐための監視が必要であることは間違いない。 ◎大嘘その8 「明日の時代を切り拓くための全員野球内閣だ」 10月2日、内閣改造後の記者会見で  失笑必至のネーミングもさることながら、発足1カ月も経たないうちにその実態が「(ほぼ)全員“不適格”内閣」であることが判明した第4次安倍改造内閣。なかでも、国税への100万円口利き疑惑のほか疑惑が湧き水のように吹き出した片山さつき地方創生担当相や、「質問通告なかった」「PC打たない」発言で一躍“無能大臣”として名を馳せた桜田義孝五輪・サイバーセキュリティー担当相に注目が集まったが、このほかにも閣僚の問題が続出。  入閣後すぐに「教育勅語は普遍性をもっている部分がある」という発言が問題となった柴山昌彦文科相にもち上がったバスツアー利益供与・公選法違反疑惑に、茂木敏充経済再生相の日本リラクゼーション業協会との癒着疑惑、吉川貴盛農水相の太陽光発電所の新設をめぐる口利き疑惑、渡辺博道復興相の補助金受給企業からの寄付問題、平井卓也IT担当相の談合企業からの献金問題と、宮腰光寛沖縄北方担当相にいたっては談合企業からの献金問題にくわえ、酒に酔って議員宿舎内のほかの議員の部屋を“全裸でピンポンダッシュ”したという過去の醜態まであきらかになった。  しかも、この内閣、差別主義者と歴史修正主義者だらけの「(ほぼ)全員ネトウヨ内閣」でもある(詳しくは過去記事参照→https://lite-ra.com/2018/10/post-4291.html)。稲田朋美元防衛相や杉田水脈議員のようなトンデモ極右・差別発言がいつ飛び出してもおかしくはなく、来年も先が思いやられるのである。 リテラ年末恒例・安倍首相による「大嘘」振り返り企画。前編ではまず8つの嘘をお届けしたが、後編ではさらなる嘘・インチキを紹介したい。昨年の森友・加計問題に続き、今年もすごかったのが疑惑に関する嘘。公文書改ざんに「首相案件」問題、無能外交、そして「ケチって火炎瓶」など問題や疑惑が噴出し、そのたびにデタラメやインチキを重ね、嘘八百を並べ立てた。嘘に嘘を重ねる“嘘のミルフィーユ”状態の安倍首相の大嘘2018後編7本をご一読あれ! ◎大嘘その9 「国有地の払い下げか認可について、私や私の妻や事務所が関われば、責任をとると言うことを申し上げたわけでございます」 2月26日、衆院予算委員会  昨年、安倍首相が国会で宣言した「私や妻が関係していたということになれば、私は総理大臣首相も国会議員も辞めるということは、はっきりと申し上げておきたい」という発言を忘れた人はいないだろう。ご存じの通り、昭恵氏付きの秘書だった谷査恵子氏は財務省に“口利きFAX”を送信、その後これらはすべて叶えられるという満額回答を引き出していた。つまり昭恵氏は「関係していた」のは明々白々で、さっさと総理も国会議員も辞めていただかなくてはならないのだが、それを安倍首相は「国有地の払い下げか認可に関わっていたらの話」だと主張しはじめたのである。  しかも、だ。5月28日の参院予算委員会ではさらにこう答弁した。 「贈収賄ではまったくないってことは申し上げておきたい。そしてそういう、私は文脈のなかにおいて(自分や妻が)一切関わってないということを申し上げているわけでございます」 「関係していたら辞める」と言っていたのが、いつのまにか「金品の授受という意味で関わっていない」と後出しジャンケンで発言を修正してくるとは……。だが、この苦し紛れの姑息な答弁修正は、昭恵夫人のかかわりを安倍首相が認めていることの何よりの証明だろう。 ◎大嘘その10 「(改ざん前文書が存在することは)11日に報告を受けた」 3月14日、参院予算委員会  森友の決裁文書が改ざんされていた──今年3月2日に朝日新聞のスクープによって発覚した公文書改ざん問題。これは間違いなく戦後日本の歴史のなかでも類を見ない深刻かつ重大な国家犯罪であり、民主主義の根幹を揺るがす大問題だが、当初、安倍首相は「捜査に影響する」などと言い逃れ、麻生太郎財務相も「6日に調査結果を出す」と言いながら直前になって「捜査が終わらないと個別な調査がなかなかしにくい」と文書の開示を拒否する予防線を張る動きを見せていた。しかし、週末金曜日の9日になって近畿財務局で直接改ざんを命じられた職員の自殺が伝えられると、財務省は「書き換え」を認める方針を打ち出し、週明け月曜の12日に改ざん前文書の公表へといたった。  そんななか、安倍首相は改ざん前文書が存在することを公表の前日である「11日に報告を受けた」と答弁したのだが、これが大嘘であることがすぐさまバレた。菅義偉官房長官が6日には安倍首相も「承知」していたと認めたのだ。  そもそも、改ざんの事実を安倍首相が今年3月6日に知ったなどということもあり得ず、むしろ安倍官邸が改ざんを主導したとしか考えられないのだが、この「11日に知った」という答弁が嘘だと判明してからも、安倍首相は開き直って「事実関係を確認できるのは財務省だけ」「私たちがそれを乗り越えて確認できない」と強調したのである。  普段は「強いリーダーシップを発揮する。これがトップである私の責任だ」などと言うくせに、不都合な問題では「事実の確認」さえできない。それが安倍総理の実態なのだ。   ◎大嘘その11 「前川前次官ですらですね、京産大はすでに出していたんですが、そのことはまだ準備がまだ十分じゃないという認識の上に、熟度は十分ではないという認識の上に、加計学園しかなかったとおっしゃっていたわけであります」 5月14日、衆院予算委員会  平気で嘘をつくだけではなく、自分が貶めてきた相手を都合よくもち出して正当化の材料に使うとは……。もちろん、前川喜平・元文科事務次官が京都産業大学よりも加計学園のほうが獣医学部新設計画の熟度が上だったと認めたことなど一度もなく、安倍首相のこの答弁のあとに前川氏が発表したコメントでも〈2016年10月17日の京産大の提案内容を知らされていない私が、加計学園の提案と京産大の提案とを比較考量することは不可能〉と反論。同時に、安倍首相が「前川前次官も含め、誰一人として私から国家戦略特区における獣医学部新設について何らの指示も受けていないことがすでに明らかになっている」と強弁しつづけていることに対しても〈私は加計学園の獣医学部の平成30年度新設が安倍首相自身の強い意向だという認識を持っていました〉とし、〈安倍首相が加計学園の獣医学部新設に自分が関与していないと主張するための材料として、私の名前に言及することは極めて心外であり、私の名前をこのように使わないでいただきたいと思います〉と釘を刺したのだった。  だが、こうした反論を受けていながら、その後も安倍首相は何食わぬ顔で前川氏の名前を出して「私から指示を受けたり依頼を受けた人は一人もいない」と言いつづけている。ゲッベルスが言ったとされる、「たとえ嘘であっても100回聴かされれば真実と思い込むようになる」という言葉を地でゆく首相……恐ろしさしかない。 ◎大嘘その12 「かつてですね、私がNHKに圧力をかけたという、まったくこれは捏造の報道をされたことがあります。そして朝日新聞は検証したんですが、私が圧力をかけたという事実を掴めることができなかったという検証だった。でも、彼らが間違ったとは一度も書かない。で、私に一度も謝らない」 2月13日、衆院予算委員会  総理大臣がメディアを名指しして猛批判を繰り広げる下劣さに慣らされつつあるが、今年も安倍首相は国会で朝日新聞バッシングを展開。とくに聞き捨てならなかったのは、この発言だ。  安倍首相がここでもち出したのは、いまから13年前の2005年に朝日が報じたNHK番組改変問題のこと。日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷を取り上げたETV特集『問われる戦時性暴力』の放送直前に内閣官房副長官だった安倍氏らが放送直前に政治的な圧力をかけ、その結果、番組が改変されたと2005年1月に朝日が報じた問題だ。当時、安倍氏は各局の番組に出演しては圧力をかけたという事実の否定と朝日批判を繰り返し、自民党は朝日への選挙広告の出稿もストップ。当初は強気な姿勢だった朝日も、同年9月に取材が不十分だったとする記者会見を開くにいたった。  しかし、朝日が弱腰になっただけで、安倍氏が番組に圧力をかけたことは事実だ。現に、同番組の取材を受けた市民団体が NHKを訴えた裁判の控訴審判決では、裁判長が「制作に携わる者の方針を離れて、国会議員などの発言を必要以上に重く受け止め、その意図を忖度し、当たり障りのないよう番組を改変した」と指摘。さらに判決理由の要旨では「安倍氏は、いわゆる従軍慰安婦問題について持論を展開した後、NHKが求められている公正中立の立場で報道すべきではないかと指摘した」とされている。  しかも、朝日は安倍氏らが圧力をかけたことを裏付ける証言を番組放送時のNHK放送総局長から得ていた。その中身を公表したジャーナリストの魚住昭氏のレポートによれば、放送総局長は安倍氏らとの面談について「脅しとは思った」「圧力とは感じる」と述べた上、安倍氏との面会時の様子を、こう証言している。 「先生はなかなか頭がいい。抽象的な言い方で人を攻めてきて、いやな奴だなあと思った要素があった。ストレートに言わない要素が一方��あった。「勘ぐれ、お前」みたいな言い方をした部分もある」 「勘ぐれ」──。安倍首相が恫喝のために吐いたこの一言は、いわば「忖度しろ」と言っているのと同じだ。加計学園問題における「総理のご意向」という言葉が思い返されるようだが、安倍首相はこうやって昔から、直接的な指示ではなく「勘ぐれ」というような直接的ではない脅し文句によって、圧力をかけたり忖度を引き出してきたのではないのか。  NHK番組改変問題は安倍首相が言うような「捏造の報道」などではけっしてなく、安倍首相が番組に介入し圧力をかけたことは紛れもない事実だ。「私に一度も謝らない」と言う前に、自分がついた数々の嘘について、まずは国民に謝るべきだろう。 ◎大嘘その13 「これはむしろ私が関わりがあるということではまったくなくてですね、私は一切の関わりを断ってきたなかにおいて発生した事件であるわけであります」 7月17日、参院内閣委員会  今年、ネット上で大きな話題となった“安倍ネタ”といえば、やはり「#ケチって火炎瓶」問題を忘れるわけにはいかない。  ごく簡単に説明すると、1999年におこなわれた下関市長選をめぐり、安倍事務所が暴力団とも関係が深い前科8犯のブローカー・小山佐市氏に選挙妨害を依頼。その後、安倍事務所は男と交わした“見返り”の約束を破ったため、翌2000年に男は暴力団員を使って安倍邸を放火。その後、2003年に小山氏が逮捕された。  それが今年、ジャーナリスト・山岡俊介氏が2月に出所したばかりの小山氏との接触に成功。安倍首相が選挙妨害に関与していた“決定的物証”を手に入れたため、ネット上では大きな話題となったのだ(詳しくは過去記事を参照→https://lite-ra.com/2018/07/post-4108.html、https://lite-ra.com/2018/07/post-4111.html)。  そして、この問題を、“みなさまの鉄砲玉”こと山本太郎議員が国会で安倍首相に追及。すると、安倍首相は“恐喝されても屈しなかったから火炎瓶襲撃の被害に遭った。むしろ自分は被害者だ”と主張したのである。  言い訳が「自分は被害者だ」とは、まるで森友問題で籠池泰典氏に対してとった態度を彷彿とさせるが、その主張の嘘まやかしもまったく同じだ。そもそも、小山氏は安倍事務所への恐喝については起訴猶予で釈放されている。また、仮にそれが恐喝まがいの要求だったとしても、問題なのはそれ自体ではなく、小山氏にそういう要求をさせた原因ではないか。小山氏が放火未遂に及んだのは、安倍事務所から依頼された選挙妨害を実行したのに、見返りの約束が果たされなかったからなのである。  実際、これは裁判でも認められている“事実”だ。2007年に出た判決公判で福岡地裁小倉支部の野島秀夫裁判長(当時)は、「(小山被告は)事件の1年前に行われた下関市長選挙に関して安倍総理大臣側に協力したのに金銭の要求を拒絶された。この恨みを晴らすとともに、暴力に訴えて多額の金銭を得ようとつきあいがあった組長に犯行を依頼した」と述べているのだ。  しかも、山岡氏の取材に応じた小山氏は、選挙妨害の詳細から見返りの約束の内容まで事細かに証言。見返りが実行されないことに業を煮やした小山氏サイドと安倍本人が直接面会して“秘密会談”をおこなったこと、さらには交渉内容を確認して署名捺印した記録文書を提示。そこには〈安倍晋三 秘書 竹田力〉というサインと捺印が入っている。──つまり、安倍事務所が依頼した違法な選挙妨害を口封じするために、安倍首相自身が小山の突きつけた要求に応じる約束をおこなっていたのだ。 「ケチって火炎瓶」とは言い得て妙だが、それにしても、反社会的勢力に通じた人間に選挙妨害を依頼する、そのダーティさにぞっとせずにはいられない。 ◎大嘘その14 「今後とも県民のみなさまの気持ちに寄り添う」 10月12日、玉城デニー沖縄県知事との会談で  こう言ってから、わずか約2カ月後の12月14日、政府は辺野古の海に土砂を投入した。対話を拒否しまくった翁長雄志・前知事時代とは違い、安倍首相は表向き「対話路線」を強調したものの、たんに「対話には応じた」という既成事実をつくっただけ。県知事選で「辺野古新基地建設反対」を掲げて与党推薦候補に約8万票もの差をつけて玉城氏が圧勝した選挙結果を一顧だにせず、「気持ちに寄り添う」どころか気持ちを踏みにじり、牙を剥いてみせたのだ。  そもそも、安倍首相に「気持ちに寄り添う」つもりなどさらさらなかった。現に、今年1月5日に出演した櫻井よしこ率いるネトウヨ番組『櫻LIVE 新春スペシャル「安倍首相に華やかさくら組が迫る!」』出演時には、「(在沖米軍の)訓練はときとして迷惑になることもありますが、それを受け入れてくれる人がいて初めて、いざというときに対応できる」と発言。米軍の訓練が住民の生活に支障を与えているだけでなく命の危険さえ生じさせている事実が歴然と沖縄にはあるというのに、“いざというときのために我慢して受け入れろ”と安倍首相は投げつけているのだ。これは、本土決戦の時間稼ぎのために沖縄を捨て石にした、戦時中の発想そのものではないか。  安倍首相はミエミエの嘘をつかず、はっきり国会でも「沖縄は我慢しろ」と言えばいい。そうすれば、いかに安倍首相が国民の命を軽視しているか、その正体が多くの人に伝わるだろう。 ◎大嘘その15 「(森友と加計問題については昨年の総選挙で)国民のみなさまの審判を仰いだところ」 9月14日、日本記者クラブでの総裁選討論会で  今年も山のように嘘を吐きつづけた安倍首相だが、もっとも仰け反ったのはコレだろう。昨年の解散発表時、安倍首相は森友・加計問題について「国民のみなさまに対してご説明もしながら選挙をおこなう」と明言したが、蓋を開けてみれば、選挙中は「街頭演説で説明するより国会で説明したい」と言い出し、選挙後は「国会において丁寧な説明を積み重ねて参りました」と開き直った。国民の審判など、ただの一度も仰いでないのだ。  だいたい、森友学園の公文書改ざんが発覚したのも、加計学園問題で愛媛県から「首相案件」と記した文書が見つかったのも、今年に入ってからの話。なのに、全部ひっくるめて「昨年の総選挙で国民の審判を仰いで圧勝しましたけど何か?」と言わんばかりにふんぞり返ったのである。  いま、永田町では、安倍首相が来年、衆参同時選挙に打って出るのではないかという噂が流れている。選挙で改憲のカの字も出さなくても、この男は「国民の負託に応える」などと言って一気に改憲へと突き進むだろう。選挙で止めなくては、嘘とデタラメでどこまでも暴走する。そのことをけっして忘れてはいけないだろう。 ----------------------------------------------------------------  今年、安倍首相がついた嘘はこれだけにかぎらないのだが、いかがだったろうか。  だが、安倍首相は「稀代の嘘つき」であるだけでなく「知性や品性のなさ」、はっきり言うとバカ丸出しかつ人間性を疑わざるを得ない無神経さという問題がある。そして、今年もそうした発言が大量にあった。次の記事では、そうした「バカ丸出し&人格破綻」発言集をお送りしたいと思うので、ご期待いただきたい。 litera (前編) https://lite-ra.com/2018/12/post-4455.html litera (後編) https://lite-ra.com/2018/12/post-4456.html
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atsushi-life-like · 7 years
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【旅の記:福島ツアーで水戸①常磐神社】
2017年12月福島県相馬にあります報徳庵へのツアーで、途中下車的に水戸に立ち寄り巡ってまいりました。
まずは常磐神社。明治初年、水戸2代目藩主水戸光圀と9代目藩主斉昭らの徳を慕う水戸藩士が偕楽園内に祠堂を建てた。明治6年、明治天皇より常磐神社の社号を賜り、明治7年(1874年)現在の地に社殿を造営する。昭和20年戦災により社殿のほとんどを失うが、昭和33年全国の崇敬者からの浄財によって現在の社殿が完成する。
水戸光圀こうとは、そう、水戸黄門様です。初代水戸藩主徳川頼房の三男、家康の孫にあたります。父の頼房もなかなかなやんちゃさんだったみたいですが、光圀も若いころは吉原通い、そして辻斬りをするほどに不良だったそうです。18歳のころ司馬遷の『史記』伯夷伝を読んで感銘を受けて改心したという。さらに1657年歴史書「大日本史」の編纂に着手する。1661年父・頼房の死で水戸藩2代目藩主となり領内の治水事業や寺社改革を行う。当寺はいんちき坊主がやっている寺も多かったようで藩内の半分近い寺を破却・移転し、また神仏分離を徹底させた。隠居後は領内の古墳の調査や楠木正成が字はした場所とされる場所に墓を建造している。1696年、寺社改革を断行した光圀だが仏門に入り、年を重ねて仏教に心をよせていたことがうかがえる。1701年食道がんのために73歳で亡くなる。 ドラマでは全国行脚をしていますが、実際は関東を出たことはないようで遠くても日光、鎌倉あたりまでだったようです。ちなみに代々水戸藩主は参勤交代を行わず江戸に定府していて、常に将軍の傍にいるから「副将軍」というように呼ばれるようになっただけで、そのような役職はないそうです。日本で初めて餃子・チーズ・黒豆納豆などを初めて食べた(ラーメンというのも有名だけど、光圀が食した200年前にはラーメン的なものをある僧が食べたという話が残っているそうです)とか、5代将軍吉綱の生類憐みの令を無視して、牛肉・豚肉・羊肉を食べていたって。
光圀が始めた「大日本史」の編纂は明治まで250年続き、幕末には後に水戸学と呼ばれる尊王思想を育み、徳川御三家ながら幕府の意向に反し尊王攘夷の先駆けを担うことになる。しかし、この費用のため藩財政は常に厳しく、尊皇派と幕府を重視する保守派の対立も続くことになる。。 その幕末に藩政を担っていたのが第9代藩主斉昭です。1829年藩主となった斉昭は藩校・弘道館を設立、身分を問わず藩士を用い、天保の改革にも影響を与えたという藩政改革を行う。幕府には兵器の西洋近代化、蝦夷開拓や大船建造解禁なども提言しています。また家老たちと中・下級藩士たちの派閥抗争があるなか、神仏分離・廃仏毀釈の政策をとり、藩を一つにまとめようとした。しかし仏教への弾圧や幕府の許しなく軍事訓練を行ったりして1884年強制隠居と謹慎蟄居を命じられてしまう。しかし斉昭らを支持する下士層の復権運動もあり1849年に藩政関与が許される。
1853年ペリーの浦賀来航の際に老中・阿部正弘から要請され幕政に関与、強硬な攘夷論を主張、1857年堀田正睦が老中首座となると開国論に激しく反対、井伊直弼と対立する。第13代将軍家定の将軍継嗣問題では息子である一橋慶喜を擁して一橋派を形成、徳川慶福(家茂)を推す井伊直弼の南紀派と争うが、安政五年(1858年)直弼が大老となり独断で日米修好通商条約に調印、第14代将軍を家茂としていまう。これを松平春嶽・一橋慶喜らと無断登城の上詰問したため、逆に無断登場の咎で水戸屋敷での謹慎を命じられ幕政関与ができなくなる。1859年には密勅(戊午の密勅)が幕府を無視して水戸藩に降下したことに幕府は怒り、これは孝明天皇の意志ではなく水戸藩の陰謀として、これに関与したとされる藩士の切腹・斬首などの処分に合わせ斉昭は水戸で永蟄居となる。このことが安政の大獄の引き金になったともされる。 1860年、8月に61歳で死去。水戸藩士が起こした桜田門外の変から間もない頃だったので、彦根藩士による暗殺もうわさされたそうです。。烈公と呼ばれて、その激しい性格から江戸城大奥の女性たちからは嫌われていたようです。セクハラ発言ばんばんしていたとか。息子の寝相が悪いといって枕の両脇に剃刀立てて寝かせたとか。。慶喜の性格形成にかなりの影響があったのでは(苦笑) さて、2018年度大河ではどのように描かれますか。。
駐車場より
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境内へ
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幕末水戸学の学者で斉昭の絶大なる信頼を得ていた藤田東湖を祀る。
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拝殿。
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ご本殿。
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光圀公育ての親、水戸藩家老三木之次夫妻を祀る。
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常盤稲荷神社。
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こちらが表参道。
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