Tumgik
#呂英菖
kachoushi · 2 months
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各地句会報
花鳥誌 令和6年8月号
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坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和6年5月2日 うづら三日の月句会 坊城俊樹選 特選句
ホロホロと鍬に砕ける春の土 喜代子 亡き猫の声かと覚む春の闇 同 四姉妹母に供へる柏餅 由季子 薫風にうだつの揚る港町 都 青嵐甍の波をひとつ飛び 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年5月4日 零の会 坊城俊樹選 特選句
誰待つや水子地蔵と風車 毬子 愛宕山水の匂ひのして立夏 光子 湧水の鯉は真珠になりたくて きみよ 虎ノ門ヒルズそれとも蜃楼 光子 そそくさと愛宕詣での蟻ひとつ 三郎 新しきビルの隙間にある新樹 久 常盤木の落葉は坂の底の底 小鳥 日傘手に男の上る女坂 昌文 虎ノ門ヒルズ這ひ来し蚯蚓かな 美紀
岡田順子選 特選句
新緑の堂宇律する木魚かな 毬子 猿寺のへその緒めきし花藻かな 小鳥 耳に髪かけたる指が蝶を呼ぶ 和子 生まれては緋目高といふ名を借りて 小鳥 風車回らぬほどの風を受く はるか そそくさと愛宕詣での蟻ひとつ 三郎 馬駆けし愛宕山とは蝶ひとつ 俊樹 緑蔭のどれも過去向く拡声器 きみよ
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年5月4日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
壱岐対馬越えて釜山へ卯波立つ たかし 人を待つ昂りに似て卯浪立つ 孝子 春愁はもつれたあやとりの紐 修二 さまざまの風に出合つて若葉かな 孝子 逃水を追ひいくばくの疲労感 修二 しやぼんだま戦火の子らに向けて吹く 朝子 雲雀の巣踏み潰し行く重戦車 たかし チューリップ手足ふつくり乳母車 成子 八方に餓鬼うづくまる黄砂かな 朝子 糸柳お岩は細き指を垂れ 修二 十字架を仰げば風の薫りけり 孝子 廃校の土俵に花の散りしきぬ 朝子 卯波立つ沖を眺めて昼の酒 かおり
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年5月6日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
柿若葉母の天麩羅語り種 和魚 ふくよかに葉音さらさら風五月 聰 山匂ひ水音響く五月かな 三無 沖へ帆の連なりわくや風五月 聰 パステルを選びて描く若葉山 ことこ 浅間への雑木若葉の葉音きき ます江 岩に波飛び散る光五月来ぬ 秋尚 日に濡るる若葉見上げつ峠越ゆ 三無 鯖街道歩きしところ穂高見ゆ ます江 甥つ子の声変はりして五月来ぬ 美貴 風五月江の電海へ大曲り 三無 思ひやる言葉を選び五月の夜 貴薫
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年5月6日 花鳥さざれ会 坊城俊樹選 特選句
蛇穴を出でて振り向く顔もたず 雪 聞きに来よてふは椿の落ちる音 同 女踏む如く男の踏む椿 同 藤房の先に見えざる風生まる かづを 葉桜の神社まはりを鎮めをり 匠 アイリスを活けてサツチモ聞く深夜 清女 朧夜や母に逢ふ夢覚めやすき 笑子 荷を解けば青き匂ひの莢豌豆 希子 葉桜や旧制校のありし跡 泰俊 万象の輝く五月来りけり 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年5月11日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
やはらかき音の騒めき若楓 秋尚 結び目に母の思ひの粽解く 百合子 リハビリを終へて正午や街薄暑 恭子 中子師を偲ぶ五月の句座なりし 亜栄子 樟若葉風に煌めく音静か 秋尚 海の風山の風吹く捩花 亜栄子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年5月12日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
何某の宿祢の杜やかかり藤 都 花祭瑞雲を呼ぶ釈迦の指 宇太郎 余花の雨幹の裂傷深くして 都 新緑にろ過され朝の息甘し 佐代子 手に湿り春椎茸の肉厚く 和子 葉桜の土手ゆく白き犬曳いて 悦子 老眼のルーペで愛でし花楓 宇太郎
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年5月13日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
後遺症無いとは云へず蝶の昼 清女 福助の貯金箱あり五月晴 ただし 手鏡の髪なで乍ら土用干し 世詩明 戻り来て剥がす日めくり四月馬鹿 ただし 花卯木友と語りし通学路 英美子 金色の囲む在所や麦の秋 みす枝 夏来るシャンパングラス走る泡 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年5月13日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
紙灯篭復興祈る輪島初夏 みえこ 初夏の列車に恐竜描かれし あけみ 花水木街路にいつか咲いてをり 令子 折紙の金環太き鯉幟 実加 祭町子等のよろこぶ菓子選び 令子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年5月14日 萩花鳥会
鴨ゆきて燕戻りて川住居 祐子 花の雨抜けて仮眠の深夜便 健雄 残されしボール一つに浅き夏 俊文 更衣する間も無くて半袖に ゆかり 水田の浅瀬泳ぐや鯉のぼり 明子 急階段挑みて天守若葉風 美恵子
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令和6年5月15日 福井花鳥会 坊城俊樹選 特選句
扁額の一字が読めず梅雨の宿 世詩明 若葉風わらべ地蔵をつつみゆく 笑子 お精舎の風鐸ゆらす梅雨晴間 同 路地裏をしよぼしよぼ歩く梅雨鴉 希子 獣めく匂も混じる草いきれ 泰俊 古りたりな三国祭の誘ひ文 雪 牡丹を切りて一日の贅とせん 同 牡丹に待てば現れさうな人 同 退屈を欠伸してゐる葱坊主 同 椿落つ終の一花と云ふ色に 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年5月17日 さきたま花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
葉桜や百葉箱はぽつねんと 月惑 黙祷の黙に扇子の音止まず 裕章 古民家も古木も包む若葉風 泉 せがまるる父の草笛音の出ず 康子 十薬の干されしままに家売られ 順子 蚕豆は反重力の世界とも 月惑 朝日受け夜来の雨に光る薔薇 彩香 道をしへ誘はれ来れば妓楼跡 裕章 薔薇一輪仏に供へ留守頼む 順子 祝酒ちよこに浮き立つ夏の月 同 結跏趺坐する禅堂に蚊は廻る 月惑 お互ひにためらひもなき更衣 八草 母の日や乳を持ちたる大銀杏 紀花 菖蒲田に挙るサーベルの直線 月惑 五月晴れ複々線の縄電車 良江 母の日の無口の兄の大あくび としゑ 掌に乗る子猫にも髭のあり みのり 夏館蒼穹の野へ開け放つ 裕章
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年5月19日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
万緑を深く映して奥の池 亜栄子 師の句碑に句友の墓碑に黒揚羽 三無 沙羅の花散りて積れる密寺かな 慶月 雨雲の近づく気配蝸牛 久 草むらに昼顔溺れさうに浮く 秋尚 十薬の花もかをりも無縁墓と 亜栄子 D51は永遠や夏野に据ゑられて 久子 新緑のメタセコイアは太古の香 久子 蛙田に昭和の声の残りたる 千種
栗林圭魚選 特選句
子等のこゑ池塘に生るる太藺かな 幸風 鮮やかな青翻へし瑠璃蜥蜴 久 一面の青草の丘登り急 軽象 師の句碑に句友の墓碑に黒揚羽 三無 沙羅の花散りて積れる密寺かな 慶月 暗闇坂薄暑の袖を捲りけり 斉 老鶯やメタセコイアの闇を抜け 亜栄子 新緑の森に山鳩奥の池 経彦 隠沼の静寂破りて蟇 芙佐子 新緑の木漏れ日揺るる年尾句碑 経彦 寺出でて定家かづらの香に触るる 秋尚 キャンパスに続く山道夏薊 久子 花卯木森の昏さに寄り添ひし 斉 草むらに昼顔溺れさうに浮く 秋尚 峠路に仰ぐ卯の花空重く 芙佐子 寄せ墓に甘茶の花の日和かな 亜栄子 ひと筋に姫沙羅の花すつと落つ 秋尚 隠沼にメタセコイアの新樹光 幸風 お絵描きの子らや泰山木の花 斉 野薊のぱつと明るき母の塔 文英 日ざしきて暗さ呼び込む新樹蔭 千種 石仏の眼にも優しきさつき雨 軽象 切株に園児忘れし夏帽子 経彦 菖蒲田の間に間に低き白菖蒲 久子 新緑のメタセコイアは太古の香 同 走り茶を呷り民話の始まれり 経彦 堂前に沙羅の花散る僧の留守 亜栄子 初夏の少し気怠き二人の歩 斉 庫裡裏に零れる実梅夥し 芙佐子 蜘蛛の囲の元禄仏の肩に揺る 慶月
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年5月22日 鯖江花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
覗くまじ編笠百合の笠の中 雪 伊勢神楽牡丹の庭に舞ひ納む 同 大蚯蚓這ひ出て暗き穴残る 同 花は葉に店に残りし桜餅 ただし 大杉も岩も当時の夏の庭 洋子 かづら橋渡りきりたる夏の声 紀代美 万緑に全身染まる露天風呂 みす枝 胸奥は語らぬことに草を引く 一涓 春炬燵触れたる足のなかりけり 世詩明
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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a-adachi · 2 years
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[Art Taichung] 透視藝術 展間0917 @l.c.m._gallery 今年台中藝博移至新場地~林酒店 對布展來說 無非又是新的挑戰 但再困難都圓滿完成了 歡迎各位蒞臨參觀 貴賓預展|2022 / 07 / 14(四)15:00 - 19:00 展覽日期|2022 / 07 / 15(五)- 17(日) 開放時間|12:00 - 19:00(7月17日至下午6點) 展覽地點|台中林酒店 (台中市西屯區朝富路99號) #中村彰良 #竹下真澄 #足立篤史 #坂本藍子 #呂英菖 #林煌彥 #金智姫 #蔡沛珊 #潘奕丞 #FankoFanko #JeffersonNG #ArtTaichung #台中藝術博覽會 #林酒店 (The Lin 台中林酒店) https://www.instagram.com/p/Cf-2kUbB9uo/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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unitednewsgroup · 4 years
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記者/賴耀霆/整理報導
        2020 ART FORMOSA 福爾摩沙國際藝術博覽會,四大亮點,席捲誠品行旅,陳曼青,看展宣傳單曲《說謊的人》:家人就好像藝術品一樣,有著不同的獨特魅力!陳曼青自曝:我爸很喜歡秀出他的肌肉,模仿雕塑家羅丹的作品《沉思者》
        歌手陳曼青,出席於台北松菸誠品行旅舉辦第六屆福爾摩沙國際藝術博覽會行前記者會,為公益團體「紅心字會」公益特展區站台,記者會上還秀出已故天王豬哥亮、金曲歌王林俊傑、金馬獎得主李行導演、港星錢小豪及韓國團體神話andy李先鎬等藝人珍貴手模;現場,陳曼青也親自示範手模製作過程,象徵守護弱勢兒童,呼籲民眾屆時能夠前來看展,除了能夠親眼見到上百位名人手模之外,還有機會愛心認購藝人手模,響應籌募弱勢兒童營養餐費,帶回獨一無二的藝人珍貴手模。
        陳曼青近來忙宣傳單曲《說謊的人》透過欣賞藝術博覽會,與國內藝術家進行交流,她說:自己平時就有看展覽的習慣,藉由看展可以找到更多靈感。從小會喜歡表演藝術,也是受到父親的影響,覺得家人就好像藝術品一樣,有著不同的獨特魅力;曼青也說,我爸很喜歡秀出他的肌肉,模仿雕塑家羅丹的作品《沉思者》。
        ART FORMOSA福爾摩沙國際藝術博覽會總監暨大苑藝術創辦人張學孔表示:展覽預計將吸引7000名以上的收藏家與藝術愛好者前往觀賞,也會持續推動台灣及亞洲藝術,串聯藏家、藝廊、藝術家,集結全球藝術界盟友,扎根本土,並建立國際平台,為世代的藝術發聲。
        第六屆福爾摩沙國際藝術博覽會,是國內最頂端的藝術博覽會,此次匯聚國內30家頂尖畫廊,國內外近四十位潮流藝術家,約六百件經篩選過的作品,並以4大專案為重要亮點。像是以「台灣潮」為主題,邀請24位台灣本地最具知名度的潮藝術家,八個才・大腸王・王建揚・江鳥・呂英菖・昆虫好朋友・林軒毅・降矢倫次・張騰遠・陳信宏・傅星翰・黃立志・黑雞先生・楊宗嘉・葉姿吟・龍阿水・謝承憶・Disk Graffiti・LALATOY・Marta Zawadzka・Philip Leehand・Song頌君・TT. M 龜獸人・Villain zone toys,網羅塗鴉、公仔、繪畫、雕塑等等形色萬千,絕對是年輕藏家最愛的時尚焦點。
        此外,也請到台南新藝獎八位得主作品,台南新藝獎近年來已與台北獎、高雄獎齊名,作品囊括錄像、裝置、繪畫、觀念等等,受到三月疫情關係,導致觀展人潮有限,因此執行委員會特邀得獎者展出,讓北台灣未能親饗的觀眾們,也能一窺究竟。本次藝術博覽會也結合社會公益與回饋社會,由紅心字會公益展特別展出百位名人手模,手模義賣全部所得捐為公益。而「潮藝術論壇」,為潮流藝術所設專案學術性講座,邀請專研塗鴉藝術起源與發展的李錦明教授、談科技發展與潮藝術未來結合之可能的劉維公教授,以及塗鴉藝術發展的著名記者高政全先生談本土的塗鴉藝術。
照片提供:  紅心字會
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2020 ART FORMOSA 福爾摩沙國際藝術博覽會 記者/賴耀霆/整理報導         2020 ART FORMOSA 福爾摩沙國際藝術博覽會,四大亮點,席捲誠品行旅,陳曼青,看展宣傳單曲《說謊的人》:家人就好像藝術品一樣,有著不同的獨特魅力!陳曼青自曝:我爸很喜歡秀出他的肌肉,模仿雕塑家羅丹的作品《沉思者》         歌手陳曼青,出席於台北松菸誠品行旅舉辦第六屆福爾摩沙國際藝術博覽會行前記者會,為公益團體「紅心字會」公益特展區站台,記者會上還秀出已故天王豬哥亮、金曲歌王林俊傑、金馬獎得主李行導演、港星錢小豪及韓國團體神話andy李先鎬等藝人珍貴手模;現場,陳曼青也親自示範手模製作過程,象徵守護弱勢兒童,呼籲民眾屆時能夠前來看展,除了能夠親眼見到上百位名人手模之外,還有機會愛心認購藝人手模,響應籌募弱勢兒童營養餐費,帶回獨一無二的藝人珍貴手模。         陳曼青近來忙宣傳單曲《說謊的人》透過欣賞藝術博覽會,與國內藝術家進行交流,她說:自己平時就有看展覽的習慣,藉由看展可以找到更多靈感。從小會喜歡表演藝術,也是受到父親的影響,覺得家人就好像藝術品一樣,有著不同��獨特魅力;曼青也說,我爸很喜歡秀出他的肌肉,模仿雕塑家羅丹的作品《沉思者》。         ART FORMOSA福爾摩沙國際藝術博覽會總監暨大苑藝術創辦人張學孔表示:展覽預計將吸引7000名以上的收藏家與藝術愛好者前往觀賞,也會持續推動台灣及亞洲藝術,串聯藏家、藝廊、藝術家,集結全球藝術界盟友,扎根本土,並建立國際平台,為世代的藝術發聲。         第六屆福爾摩沙國際藝術博覽會,是國內最頂端的藝術博覽會,此次匯聚國內30家頂尖畫廊,國內外近四十位潮流藝術家,約六百件經篩選過的作品,並以4大專案為重要亮點。像是以「台灣潮」為主題,邀請24位台灣本地最具知名度的潮藝術家,八個才・大腸王・王建揚・江鳥・呂英菖・昆虫好朋友・林軒毅・降矢倫次・張騰遠・陳信宏・傅星翰・黃立志・黑雞先生・楊宗嘉・葉姿吟・龍阿水・謝承憶・Disk Graffiti・LALATOY・Marta Zawadzka・Philip Leehand・Song頌君・TT. M 龜獸人・Villain zone toys,網羅塗鴉、公仔、繪畫、雕塑等等形色萬千,絕對是年輕藏家最愛的時尚焦點。
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shibaracu · 5 years
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●江戸のリサイクルと物売り
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●江戸のリサイクルと物売り 江戸は凄い時代である。 当時の世界ではナンバーワンと言われるリサイクルが発達していた。 桶や樽などの再生からカマドの灰まで買いに来ていた。 桶屋たるはそこいらに放ってあったものを拾っていった。 我が家はうどん屋をしていて建物の壁一面に薪を積んでいた。 其れを燃やすわけだから灰が出てくる。 幾つまでだったか覚えていないけれども結構遅くまで来ていた。 竈(かまど)の口は大きかったので中に首ツッコミ小さな帚(ほうき)で キレイに履いていったもの。 煙突の煤(すす)もキレイに掃除して買っていったもの。 他に使い道がどのくらいあるのかは判らないけれどススは硯(すずり)などに使った。 灰は染料の色止めや灰汁(あく)抜きとして使った。 食品に含まれる、渋み・苦み・不快な臭いなどの元となる、 食事には不要な成分の総称に成る。 詳しくはhttp://wkp.fresheye.com/wikipedia/灰汁 などを読んで下さい。   物売りも結構来ていた。 焼き芋屋やアイスキャンデーや金魚売り 物干しの竿だけなんかも有った。 売り手のかけ声が懐かしい。 バナナなんかはちゃんとした口上(こうじょう)が有ったようだけど 私は聞いた事がない。 下の動画いくつか集めておいたので再生して聞いて下さい。 いつの間にか録音したものを車で流しながら売り歩くようになった。 これでは効率は良いけれども経費が掛かるのと客とのコミニケーションは 取れないだろうね。 心のふれあいが無くなり商売するから変に歪んだ商取引になり 騙されたの騙したのなんてなるのでは。 昔は無かった売りっぱなしで責任取らない。 これも権利の先行になり 義務を放棄する事になっている。 今ではその辺歩いている子供に声かけたら大変な事になる。 下手すると誘拐犯にされてしまう。 クワバラ クワバラ 恐ろしい時代になった。 私の日記読んで居る人でも知らなくて道であって声かけたら其れこそどうなるか。 世の中進歩するのも良いことだけど こんな進歩はして欲しくないもの。 コミニケーションが途切れたら同じ空気吸っていても完全に切れてしまう。 道歩いているだけでも眼を付けた なんて言われイチャモンつけられそうだから人の顔は見ないようにしないと。 寂しい時代だね。   ●いちゃもん 言いがかり。難くせ。文句。 「 -をつける」   ●「クワバラ、クワバラ」の意味は 災難や禍事などが自分の身にふりかからないようにと唱える、まじないのこと。   ●めっ・ける [0]【目付▽ける】 ( 動カ下一 ) 〔「見付ける」の転〕 「見付ける」の俗な言い方。見いだす。 「花子さん-・けた」   ●ENEOS童話賞について:童話賞の3つの願い - JXTGグループ https://www.jxtg-group.co.jp/hanataba/awards/wish/ ENEOS童話賞は、「心のふれあい」をテーマに、毎年一般の方からオリジナルの創作童話を募集しております。その中から、厳正な審査の結果、受賞作品を表彰するとともに、一冊の童話集にまとめております。ENEOS童話賞には、私たちの「3つの願い」がこめられています。   ●第50回(2019年) JXTG童話賞 【一般の部 最優秀賞】 雨がすき作者:宮田一平 / 絵:かべやふよう  花が窓から外をながめていると、空から大粒の雨が落ちてきた。 「おかあさん、雨がふってきたよ。」 「あらっ、たいへん。花、駅までお父さんを迎えにいってくれないかな。お父さん、傘を持っていないと思うから。」 「お父さん、いつもの電車?」 「そう、6時半に着く電車。」 「わかった。」 時間になると、花は玄関で大好きなオレンジ色の長ぐつをはき、傘入れから花の赤い傘とお父さんの大きな黒い傘を引っぱり出して、駅へ向かって飛び出していった。 花が駅に着いて時計を見ると、電車が着くまでにまだ少し時間があった。駅の待合は、花と同じお迎えの人たちや雨宿りの人たちの話し声で、いつもより少しにぎやかだった。花が駅の売店の方に目をやると、一人の少年がぼんやりと外を見ながら立っていた。 「あっ、たっくんじゃない。」 花は思わず大きな声を出して、少年のところへ飛んでいった。 「おっ、花か。どうした。」 .....1/5   ●日本語の音長律(1) 百人一首朗詠 - 「かささぎの」2011/02/10 https://youtu.be/76hMbZ0EK1M https://youtu.be/76hMbZ0EK1M?list=PLZyjyoHSWs6P67GI2JU7Yf1ZiVsxxJqXf ●日本語の音長律(2) 売り声 - 石焼芋, さお竹 https://youtu.be/b9PLUCzD_hg ●宮田章司・坂野比呂志 飴売りの売り声の比較 https://youtu.be/pYHsRZRA1mA ●バナナの叩き売り!口上:ありがとう三太さん https://youtu.be/8hOEk8GIGoo ● 江戸は物売りの呼び声が… https://mainichi.jp/articles/20170811/ddm/001/070/197000c 毎日新聞 2017年8月11日 東京朝刊  江戸は物売りの呼び声がにぎやかだった。夏、「ひゃっこい、ひゃっこい」は冷や水売り、「たまや、たまや」と来るのはシャボン玉売りだが、川柳に「荷が呼んで歩く虫売り、定(じょう)斎(さい)売り」というのがある  ▲定斎屋は暑気あたりの薬屋で、薬箱の金具がカタカタ鳴るのが呼び声がわり、虫売りは松虫、鈴虫などの鳴き声で客が集まった。その虫売りというのがまるで役者のような粋(いき)な格好をしていたという  ▲市松模様の屋台ともどもだんだんと華美の度を増し、ついには天保の改革で禁止されるはめになった。鳴く虫やホタルを売ったこの虫売り、初夏からお盆までの商売で、江戸の人々はお盆になると供養のため買った虫を放ったそうだ  ▲虫売りといえば、クワガタやカブトムシが幅をきかせる現代である。だが近年は輸入された外国産の種が野外で見つかる例が相次いでいる。無責任な飼い主が放ったりするためで、日本の固有種との交雑種が生まれている恐れもある  ▲オオクワガタやヒラタクワガタは外来種と雑種を作るのが知られている。以前の小紙報道によると、関西ではあごの形などが国産種と違うオオクワガタなどが見つかっている。自然界で交雑を放置すれば、やがて固有種がいなくなる  ▲売買や飼育への規制導入も、すでに大量に飼育されている現状では難しそうだ。専門家は飼い主のモラルを高める教育や啓発、飼育に困った外来種を業者が引き取る仕組みを求めている。外来種を放ってはならない。たとえお盆であってもだ。
物売りの声 寺田寅彦 青空文庫 https://www.aozora.gr.jp/cards/000042/files/2514_9317.html  毎朝床の中でうとうとしながら聞く豆腐屋のラッパの音がこのごろ少し様子が変わったようである。もとは、「ポーピーポー」というふうに、中に一つ長三度くらい高い音をはさんで、それがどうかすると「起きろ、オーキーロー」と聞こえたものであるが、近ごろは単に「ププー、プープ」というふうに、ただひと色の音の系列になってしまった。豆腐屋が変わったのか笛が変わったのかどちらだかわからない。 ●物売りの口上 https://www.youtube.com/results?search_query=%E7%89%A9%E5%A3%B2%E3%82%8A%E3%81%AE%E5%8F%A3%E4%B8%8A ●陣内智則 物売り屋さん https://youtu.be/jxrMOQakvq8 ●下町の物売りの声を思い出してみませう  千代ばあちゃんの思い出袋 http://hachisu-net.com/chiyo/taishouki.html   ●物売り 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 「http://ja.wikipedia.org/wiki/物売り」より ■物売り(ものうり)とは路上で移動しながら、主に鳴り物や独特の売り声を発しながら呼び込みをして食事を提供したり、物品などを販売、修理や古物や廃品の買取や交換をする者。 「引き売り」・「引売り」ともいうが「物売りの声」・「引き売りの声」という言葉が一般的に馴染深い。屋台や行商や街商と重複する部分もあるが、行商は固定客に対しての訪問販売が主であり、街商は市や縁日で一所(ひとつところ)で留まって商売する事や物売りが必ずしも屋台ではなかった事から区別する事が出来る。 ■ 歴史 鈴木春信画:『水売り』水売りの少年が描かれている浮世絵江戸時代から盛んになり「棒手振」・「棒手売」(ぼてふり)と呼ばれていて日用品の食材から生活必需品まで衣食住に係わる全てのものが売られており幕府の許認可を受け鑑札を持った物だけが営業できた。 これに違反すれば厳しい処罰があったが、生活困窮者や弱者の就業を目的とした幕府の政策でもあった。 季節物の販売も多く、蓮の葉商いの傾向も強いが市や祭事の門前町などの街商は場所代や既得権が必要であったが、棒手振は歩き売りという形を取っていたのが街商などとの差異であり、また季節物ではない代表的なものとして、夜鳴き蕎麦屋や鮨屋などがあげられる。 当時は大八車(リヤカー)ではなく主に道具や商品や食材の入った箱や笊(ざる)、籠(かご)や桶(おけ)などを両天秤にして天秤棒を担いで売り歩いたので棒手振と呼ばれていたが、道具や品物の入った箱を片方の肩で担いで売り歩く者もいた。 江戸時代にはその場で調理する屋台だけでなく、調理済みの天麩羅(てんぷら)、鰻(うなぎ)の蒲焼などを木箱に入れ、物売りが売り歩いていた。 近年では自転車やリヤカーをもとに形だけではなく設備も充実させ、煮炊きが出来る(ただし江戸時代から屋台では煮炊きの設備を備えていた)物売りも増え、昭和初期から昭和40年代まで品を替え(鮨や蕎麦は廃れおでん売りや菓子パン売りなどが盛んになった)世間で一般的に見られたが、江戸時代から変わらず続いた豆腐売りや納豆売りや金魚売りなども含め、今ではほとんど見る事はなくなった。 しかし現在では自動車に設備を載せ決まった場所(就労者は多いが外食産業や商店の無い所など)で食事や弁当やパンなどを調理、販売をし��いるものも見られる。また高齢化社会に伴い利潤のみならず地域振興や福祉目的を持って幾つかの小さな企業が、物売りとして豆腐などの大豆食品を呼び込みのラッパを使うなど、昔ながらの形態で販売を始めている地域も存在する。   ■ 物売りの種類と売り声や鳴り物 ●食事 ・鮨屋(すしや)---江戸前寿司の始まりは、物売りや屋台であったので今でも名残として立ち食いの鮨屋も東京を中心にみられる。 ・夜鳴き蕎麦(そば)---呼子といわれる笛を吹いていた。宵に笛を吹きながら商売したので「夜鳴き蕎麦」とよばれた。日本蕎麦はなくなり中華蕎麦(ラーメン)になり、笛もチャルメラという物に変わった。 ・鰻(うなぎ)売り---江戸時代当初は生をその場で捌いて客に渡したが、その後蒲焼にした物を売ったり、その場で調理するものもあらわれた。割り箸は鰻屋の発案で引き割り箸といった。 ・賄い(まかない)屋---江戸は女性の比率が二割といわれ独身の男性が非常に多く、宮使いで制約の多かった下級武士の専門の弁当屋として成り立っていた。 ・おでん売り---昭和40年代まで日本各地にみられ、晩のおかずに主婦が鍋を持って買いに来たり、子どもがおやつとして買っていた。 ●菓子 ・飴(あめ)売り---多種多様な飴売りが存在し競争も激しかった為、今の出店や夜店の的屋の元になる、くじ形式や余興や口上などで趣向を凝らしていた。 ・鼈甲飴(べっこうあめ)---練る飴細工も有名だが、鼈甲飴も溶かした飴を型などに流し込み、様々な形を平面的に作り上げて、売っていた。 ・飴細工---鋏(はさみ)や指先を使い飴を練って三次元的な立体造形の飴を作って売っていた。詳しくは飴細工を参照の事。 ・揚げ団子売り---昭和初期ごろまで見られ、小麦粉を甘く味付けして中華菓子の様にその場で揚げて、主に子ども向けに売っていた。 ・焼芋屋---「やきいもーやきいもー栗よりうまい十三里ー」栗より美味い十三里と言う文言は「栗」を九里と「より」を四里とを足して焼き芋のことを十三里というなぞかけ言葉である。 ●食材 ・蜆浅蜊売り---「しじみーあさりー」この他にも蛤や赤貝なども専門で売られていた。 ・鰯売り---売り声「いわしこーいわしこー」「いわし」は真鰯で「しこ」はカタクチイワシのことで獲れたてを海浜近郊で売っていた。魚は他にも、鯨、初鰹、烏賊、白魚、秋刀魚、鯵など旬の物も売られていた。 ・納豆売り---売り声「なっとー、なっとなっとうー、なっと」江戸時代から続いていたが近年では主に自転車に品物を積み販売していた。江戸では上記の蜆浅蜊売りとともにポピュラーな存在で、「納豆と蜆に朝寝起こされる」などという川柳も残る。 ・豆腐売り---ラッパを使い「とーふー」と聞こえる様に吹いた。行商の色合いが強い地域もある。 ・青果など---蜜柑、西瓜や大根、蕪(かぶ)、自然薯(じねんじょ、山芋の)、生姜など野菜や果物を季節ごとに販売していた。 ●生活用品の修理、販売 ・定斎屋(じょうさいや)---昭和30年頃まで存在したといわれ、江戸時代の物売りそのままの装束で半纏(はんてん)を身にまとい、天秤棒で薬箱を両端に掛け担いで漢方薬を売っていた。また力強く一定の調子で歩いた為、薬箱と金具や天秤棒のぶつかり合う音が独特の音となり近隣に知らせた。 ・羅宇屋(らうや)---煙管の羅宇と呼ばれる部分のヤニとりや交換をしていた。小型のボイラーを積みその蒸気で掃除をし、また蒸気の出口に羅宇を被せ蒸気機関車の警笛の様に「ぴー」という音を出して知らせた。詳しくは煙管を参照のこと。 ・竿竹売り(さおたけうり)---売り声「さおやーさおだけー」本のタイトルにもなり注目を集めた。 ・鋳掛屋(いかけや)---金属製の鍋や釜の修理販売をしていた。詳しくは鋳掛屋を参照のこと。 ・金魚売り---売り声「きんぎょーえー、きんぎょー」金魚とともにガラスの金魚鉢も売っていた。ちなみに江戸時代の金魚鉢は吊り下げ式で軒下などに吊るして下から観賞していた。 ・風鈴売り---風鈴の音色が呼び込みになった。 ・買取---古紙、古着、金物、番傘、屎尿、樽、桶、糠など様々で、江戸時代は最近の研究では、全ての時代の世界の中でも高い水準でのリサイクル社会であったと考えられている。 落ち買い---「おちゃない おちゃない」という呼び込みの声で抜け落ちた髪の毛を買い取っていた。京都では女性の専業であり、髪文字屋(「かもじや」と読み、付け毛製作販売業)に買い取った髪の毛を卸していた。「落ちていないか」が「おちない」から「おちゃない」に変化したといわれる。   ■振売(棒手売から転送) 振売・振り売り・振売り(ふりうり) 商品を天秤棒に担いで売買すること。転じて、そのような商売をする商人を指す。 この様式の商売は、行商のうち比較的狭い範囲を巡回する形態に多く見られる業態である。天秤棒の両端には商品を入れた桶や箱などの容器をぶら下げる。 http://ja.wikipedia.org/wiki/振売   ●蓮の葉商い   http://ja.wikipedia.org/wiki/蓮の葉#蓮の葉商い 蓮の葉(はすのは)とは蓮という水生植物の水面に浮いている葉のことをさし漢方薬の伝来により荷葉(かよう)ともいう。また蓮根(れんこん)の葉としても馴染が深い。ヒンドゥー教、仏教、密教においては「蓮」そのものが特別な意味を持ち蓮の花、蓮の実と共に珍重される。蓮の葉はロータス効果という現象の説明において代表的なものでもある。 蓮の葉商い(蓮の葉商ひ、蓮葉商い)とは、古くから日本各地の朝市や縁日などで、その時々に自生する銀杏、アケビ、椎(しい)などの木の実や五節句、二十四節気の年中行事に必要な季節物をその期日の前に商いしていた者をさし、(近年、近代から八百屋や花屋や街商も季節物を売っていた)その中で盂蘭盆(うらぼん)に使う蓮の実や蓮の葉が特に珍重された事や、商品の多くを蓮の葉や蕗(ふき)の葉の皿の上に置いて売っていたという事などから、季節物を扱う商人を「蓮の葉商い」(はすのはあきない)と呼ぶようになった。しかし季節物という短期使用のいわゆる、消え物であることから多少品質が悪くとも問題にならない、しない物という捉えかたがされ、きわもの売りやまがい物を売る者という意味を持つようになり、蓮の葉の言葉の意味が際物(きわもの)やまがい物を指すようになった。 季節ごとの主な商品 ・1月 一月一日 - 七日の正月・人日の節句---橙(だいだい)、榊、松、竹 ・2月 二月三日の節分---鰯や柊、大豆「鬼が入らないための結界と追い出すための道具」 ・3月 三月三日の桃の節句---桃の花 ・4月 四月八日の灌仏会(釈迦の誕生日)---甘茶「紫陽花の近縁種の植物の葉」 ・5月 五月五日の端午の節句---柏の葉、菖蒲「柏餅、菖蒲湯」 ・7月 七月七日の七夕---笹や竹 ・8月 八月十三 - 十六日    盂蘭盆(仏教行事)---蓮の葉、蓮の実    お盆(日本古来の祖先崇拝の祭り)---鬼灯・酸漿(ほおずき)、真菰馬(まこもうま)、小豆、大角豆(ささげ)関東地方では豆がはぜるのが切腹と通じるのを嫌い小豆の代わりにこれで赤飯を作った。 ・9月 九月二十五日の月見---ススキ、枝豆、栗 ・0月 十月十九日・二十日の恵比寿講--- 大根、牛蒡(ごぼう)などの根菜や魚(恵比寿は日本では漁業の神でもある)「五穀豊穣と大漁祈願の祭事」 ・12月 十二月十三日のすす払い---鯨「すす払いの後、鯨汁を作って食べる習慣があるため」     十二月二十二日の冬至---柚、南瓜(かぼちゃ)「柚湯、南瓜粥で冬の英気を養った」   ●行商   https://ja.wikipedia.org/wiki/行商 行商(ぎょうしょう)は、(特定の店舗を持たず)商品を顧客がいるところへ運び販売をする小売業(サービス業)のこと。   ●屋台   https://ja.wikipedia.org/wiki/屋台 屋台(やたい)は、移動式の簡易店舗。簡単な飲食物や玩具などを売る。似た言葉として露店(ろてん)があるが、露店は移動式とは限らず、歩道上に物を並べて販売したり、���物の1階で物を売る店も含まれる。   ●商業   https://ja.wikipedia.org/wiki/商業 商業(しょうぎょう)とは、財やサービスなどの商品を所有している人やまたは存在している場所と、必要としている人または必要としている場所を結びつけることにより利益を得る職業または経済活動である。多くは貨幣の媒介を経て市場や個々の店舗において取引(商取引)という形式をとって行われる。ただし、貨幣や市場などを媒介しないケースを含める場合には「交換」と呼ぶこともある。また、「商業的」という場合、「営利を目的として」という意味になる(例:商業的生産)。   ●ろてん【露店】 道ばたに商品を並べて売る、屋台店(やたいみせ)。    「―商人」   ●ろてん【露店】  https://ja.wikipedia.org/wiki/露店   ●屋台       https://ja.wikipedia.org/wiki/屋台 屋台(やたい)とは、屋根が付いていて、移動可能で、飲食物や玩具などを売る店舗。 屋台の形態は国や地域によって様々なものがあるが、初期の形態としては、天秤棒で担いで売り歩いた形態があったが商品を多く運べないのが欠点。リヤカーのように可動式の店舗部分を人力、自転車、オートバイで牽引するものや、テントのように組み立て型の骨組みをもとに店舗を設置する場合もある。またトラックの荷台の部分を改造したものもある。似た言葉として露店(ろてん)があるが、露店は移動式とは限らず、歩道上に物を並べて販売したり、建物の1階の店先で物を売る店も含まれる。   ●蚤の市      https://ja.wikipedia.org/wiki/蚤の市 蚤の市(のみのいち、flea market、フリーマーケット)は、ヨーロッパの大都市の各地で春から夏にかけて、教会や市庁舎前の広場などで開かれる古物市。パリの蚤の市が有名。北米では大規模な倉庫や体育館など屋内で開催されるものもある。出店者は一般家庭や仲間で集まったグループから、古物商や雑貨商の様な事業者まで幅広い。   ●的屋     https://ja.wikipedia.org/wiki/的屋 的屋(てきや)は、縁日や盛り場などの人通りの多いところで露店や興行を営む業者のこと。祭りや市や縁日などが催される、境内・参道・門前町において屋台や露店で出店して食品や玩具などを売る小売商や、射幸心を伴う遊技として射的やくじ引などを提供する街商や、大道芸にて客寄せをし商品を売ったり、芸そのものを生業にする大道商人(だいどうしょうにん)などが含まれる。「当たれば儲かる」ことから的矢[1]に準えて言われるようになった言葉である。 的屋(まとや)、香具師(やし)、三寸(さんずん)とも呼ばれる。   ●露天商      https://ja.wikipedia.org/wiki/露天商 露天商(ろてんしょう)とは露天(屋外や青空の下)で店舗を持たず商売をする者。露店商とも表記し、街商(がいしょう)ともいう。 的屋(てきや)、香具師、三寸は辞書[2]では、同じ説明がなされている場合が多い。職業神として元々は中華文明圏より伝わり、神道の神となった「神農の神」「神農黄帝」を祀り、独特の隠語を用いる者が多いため、狭い世界では神農(しんのう)とも呼ばれる。 警察においては、的屋を暴力団の起源の一つと定義しており、戦後の混乱期に的屋は、博徒・愚連隊と同様に闇市を縄張として、覚せい剤の密売などの違法行為を行っていたと警察白書に記されている。平成以降の暴力団の定義でも「博徒、的屋等組織又は集団の威力を背景に、集団的に又は常習的に暴力的不法行為を行うおそれがある組織」としており的屋も暴力団の経済活動の一つとしている。   ●反社会的勢力 - Wikipedia  https://ja.wikipedia.org/wiki/反社会的勢力 反社会的勢力(はんしゃかいてきせいりょく、英語: Anti-Social Forces)とは、暴力や威力、または詐欺的手法を駆使した不当な要求行為により経済的利益を追求する集団又は個人の総称である。暴力団や半グレ集団などを広く呼び、反社(はんしゃ)と略される。   ●ヤクザ  https://ja.wikipedia.org/wiki/ヤクザ ヤクザとは、組織を形成して暴力を背景に職業として犯罪活動に従事し、収入を得ているものを言う。この偏倚(へんい)集団を特徴づける要因の一つに集団内部の「親分子分」の結合がある。また下っ端に該当する場合は「チンピラ」と称される。 大辞泉は「やくざ」について次の2通りの説明を示す[1]。    役に立たないこと。価値のないこと。また、そのものや、そのさま。「―に暮らす」「―な機械」「―仕事」    ばくち打ち・暴力団員など、正業(せいぎょう)[2]に就かず、法に背くなどして暮らす者の総称。「―渡世」 「やくざ」研究の古典的名著とされる岩井弘融の『病理集団の構造』の序説で「親分乾分(岩井は故意に、乾としている。読みは「こぶん」で同じ)」の関係は民俗学(柳田國男他)や社会学(川島武宜他)において説明されるところのオヤカタ・コカタの関係と共通の社会的基盤を持つと説明している。   ◆あんにゃとあねま - 縄文人の反乱 日本を大事に - Goo ブログ https://blog.goo.ne.jp/s6990714726/e/1448c6d0f0267f9daef8224a69cbd13e 2012/02/29 あんにゃとあねま あねまあんにゃ 棒八もん 形見位牌 証文をまく コレは映画に出てくる幾つかのコトバ。 忘八だけは引っかかるけど後のコトバは100見ても出てこない。 ヤフーでいつも検索すると一ページに100表示するように設定している。 始め方に新しいページが出てくる可能性がある。 生地はなるべく新しい方が良い。 中には古くても良いモノも有るけど。   ◆木颪の酉蔵 ~ 浜木綿子さんが演じた女親��【Respect】  2016/06/29 https://youtu.be/7vXf5Xrymnc 木颪の酉蔵:「子連れ狼」"あんにゃとあねま" に登場した房州の揚屋・女衒の元締め。 萬屋錦之介版の子連れ狼では浜木綿子さんが演じました。
拝一刀とのやり取りで見せた貫録と美しさはひときわでした。 私もそうですが、この役は浜木綿子さんでこそ演じきれたと思う方、たくさんいらっしゃるのではないでしょうか。 子連れ狼 第一部 (1973年4月 - 1973年9月) 日本テレビ放送網 製作:ユニオン映画、スタジオシップ 第三話 あんにゃとあねま 拝一刀 - 萬屋錦之介 大五郎 - 西川和孝 木颪の酉蔵 - 浜木綿子 お松 - 竹下景子
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茶經 版本二
陸羽《茶經》全文 陸羽(733-804年),字鴻漸,一名疾,字季疵,號竟陵子、桑苧翁、東 岡子,唐復州竟陵(今湖北天門)人,一生嗜茶,精於茶道,以著世界第一部 茶葉專著——《茶經》聞名於世,對中國茶業和世界茶業發展作出了卓越貢 獻,被譽為“茶仙”,尊為“茶聖”,祀為“茶神”。他也很善於寫詩,但其詩作 目前世上存留的並不多。他對茶葉有濃厚的興趣,長期實施調查研究,熟悉 茶樹栽培、育種和加工技術,並擅長品茗。唐.上元初年(公元760年), 陸羽隱居浙江湖州苕溪,著作《茶經》,成為世界上第一部茶葉專著. 茶經 唐·陸羽撰 一之源 茶者,南方之嘉木也。一尺、二尺乃至數十尺;其巴山峽川有兩人合抱者,伐而 掇之。其樹如瓜蘆,葉如梔子,花如白薔薇,實如[木並]櫚,蒂如丁香,根如胡桃。[原 註:瓜蘆木,出廣州,似茶,至苦澀。[木並]櫚,蒲葵之屬,其子似茶。胡桃與茶,根 皆下孕,兆至瓦礫,苗木上抽。] 其字,或從草,或從木,或草木並。[原註:從草,當作“茶”,其字出《開元文字音 義》。從木,當作“[木茶],其字出《本草》。草木並,作“荼”,其字出《爾雅》。]其名 ,一曰茶,二曰[木賈],三曰[上艹下設],四曰茗,五曰[下艹下舛]。[原註:周公雲:[木 賈],苦荼。”楊執戟雲:“蜀西南人謂荼曰[上艹下設]。郭弘農雲:“早取為荼,晚取為茗, 或曰[上艹下舛]耳。”] 其地,上者生爛石,中者生櫟壤[原註:櫟字當從石為礫],下者生黃土。凡藝而不實, 植而罕茂。法如種瓜,三歲可採。野者上,園者次。陽崖陰林,紫者上,綠者次;筍者上, 芽者次;葉卷上,葉舒次。陰山坡穀者,不款項堪採掇,性凝滯,結瘕疾。 茶之為用,味至寒,為飲最宜。精行儉德之人,若熱渴、凝悶、腦疼、目澀、四肢煩、 百節不舒,聊四五啜,與醍醐、甘露抗衡也。採不時,造不精,雜以卉莽,飲之成疾。茶 為累也,亦猶人參。上者生上黨,中者生百濟,新羅,下者生高麗。有生澤州、易州、幽 州、檀州者,為藥無效,況非此者!設服薺[上艹下尼]使六疾不[冫廖]。知人參為累,則茶 累盡矣。 二之具 [上竹下贏]:一曰籃,一曰籠,一曰[上竹下呂]。以竹織之,受五升,或一斗、二斗、三鬥者,茶人負以採茶也。[原註:[上竹下贏],音盈,《漢書》所謂“黃金滿[上竹下贏],不如一經。”顏師古云:“[上竹下贏],竹器也,容四升耳。”] 灶:無用突者。 釜:用唇口者。 甑:或木或瓦,匪腰而泥。籃以箅之,篾以系之。始其蒸也,入乎箅;既其熟也,出乎箅。釜涸,注於甑中,[原註:甑,不帶而泥之。又以彀木枝三亞者制之,[原註:亞字當作椏,木椏枝也。]散所蒸芽筍並葉,畏流其膏。 杵臼:一名碓,惟恆用者為佳。 規:一曰模,一曰[木卷]。以鐵製之,或圓、或方、或花。 承:一曰台,一曰砧。以石為之。不然,以槐、桑木半埋地中,遣無所搖動。 [衤詹]:一曰衣。以油絹或雨衫單服敗者為之。以[衤詹]置承上,又以規置[衤詹]上,以造茶也。茶成,舉而易之。 芘莉:一曰贏子,一曰[上艹下旁][上艹下良],以二小竹,長三尺,軀二尺五寸,柄五寸。以篾織方眼,如圃人籮,闊二尺,以列茶也。 [上啟攵下木]一曰錐刀。柄以堅木為之。用穿茶也。 撲:一曰鞭。以竹為之。穿茶以解茶也。 焙:鑿地深二尺,闊二尺五寸,長一丈。上作短牆,高二尺,泥之。 貫:削竹為之,長二尺五寸。以貫茶焙之。 棚:一曰棧。以木構於焙上,編木兩層,高一尺,以焙茶也。茶之半乾,升下棚;全乾,升上棚。穿:江東、淮南剖竹為之;巴川峽山,紉谷皮為之。江東以一斤為上穿,半斤為中穿,四、五兩為小穿。峽中以一百二十斤為上穿,八十斤為中穿,四五十斤為小穿。穿,舊作釵釧之“釧”字,或作貫“串”。今則不然,如“磨、扇、彈、鑽、縫”五字,文以平聲書之,義以去聲呼之,其字,以“穿”名之。 育:以木製之,以竹編之,以紙糊之。中有隔,上有覆,下有床,旁有門,掩一 扇。中置一器,貯糖煨火,令火[火日皿][火日皿]然。江南梅雨時,焚之以火。[原註:育者,以其藏養為名。] 三之造凡採茶,在二月,三月,四月之間。茶之筍者,竽爛石沃土,長四、五寸,若薇蕨始抽,凌露採焉。茶之芽者,發於叢薄之上,有三枝、四枝、五枝者,選其中枝穎拔者採焉。其日,有雨不採,晴有云不採;晴,采之、蒸之、搗之、焙之、穿之、封之、茶之幹矣。 茶有千萬狀,鹵莽而言,如胡人靴者,蹙縮然;[原註:京錐文也。][上封下牛]牛臆者, 廉[衤詹]然;[原註:[上封下牛],音朋,野牛也。]浮雲出山者,輪[囗禾]然;輕飆拂水 也。]又如新治地者,遇暴雨流潦之所經;此皆茶之精腴。有如竹籜者,枝幹堅實,艱 於蒸搗,故其形[上竹下麗][上竹下徙]然;有如霜荷者,莖葉凋沮,易其狀貌,故厥狀 委悴然;此皆茶之瘠老者也。 自採至於封,七經目。自胡靴至於霜荷,八等。或以光黑平正言佳者,斯鑑之下也。以 皺黃坳垤言佳者,鑑之次也。若皆言佳及皆言不佳者,鑑之上也。何者?出膏者光,含 膏者皺宿制者則黑,日成者則黃;蒸壓則平正,縱之則坳垤;此茶與草木葉一也。茶之 否臧,存於口決。 四之器 風爐(灰承)[上竹下呂]炭撾火[上竹下夾][钅复]交床夾紙囊碾拂末羅合則水方漉水囊瓢竹[上竹下夾]鹺簋揭碗熟盂畚札滌方滓方巾具列都籃 風爐[灰承] 風爐:以銅、鐵鑄之,如古鼎形。厚三分,緣闊九分,令六分虛中,致其污墁。凡三足,古文書二十一字:一足雲:“坎上巽下離於中”;一足雲:“體均五行去百疾”;一足雲:“聖唐滅胡明年鑄。”其三足之間,設三窗,底一窗以為通飆漏燼之所。上並古文書六字:一窗之上書“伊公”二字;一窗之上書“羹陸”二字;一窗之上書“氏茶”二字,所謂“伊公羹、陸氏茶”也。置滯(土旁)[土臬],於其內設三格:其一格有翟焉,翟者,火禽也,畫一卦曰離;其一格有彪焉,彪者,風獸也,畫一卦曰巽;其一格有魚焉,魚者,水蟲也,畫一卦曰坎。巽主風,離主火,坎主水,風能興火,火能熟水,故備其三卦焉。其飾,以連葩、垂蔓、曲水、方文之類。其爐,或鍛鐵為之,或運泥為之.其灰承,作三足鐵[木半]抬之。 [上竹下呂]:以竹織之,高一尺二寸,徑闊七寸。或用藤,作木楦如[上竹下呂]形織之。六出圓眼。其底蓋若莉篋口①,鑠之。炭撾:以鐵六棱制之。長一尺,銳上豐中。執細頭,系一小[钅展],以飾撾也。若今之河隴軍人木吾也。或作[木追],或作斧,隨其便也。 火[上竹下夾]:一名箸,若常用者,圓直一尺三寸。頂平截,無蔥薹句[钅巢]之屬。以鐵或熟銅製之。 [钅复](音輔,或作釜,或作[鬲甫]):以生鐵為之。今人有業冶者,所謂急鐵,其鐵以耕刀之趄煉而鑄之。內抹土而外抹沙。土滑於內,易其摩滌;沙澀於外,吸其炎焰。方其耳,以令正也。廣其緣,以務遠也。長其臍,以守中也。臍長,則沸中;沸中,末易揚,則其味淳也。洪州以瓷為之,萊州以石為之。瓷與石皆雅器也,性非堅實,難可持久。用銀為之,至潔,但涉於侈麗。稚則雅矣,潔亦潔矣,若用之恆,而卒歸於鐵也。 交床:以十字交之,剜中令虛,以支[钅复]也。 夾:以小青竹為之,長一尺二寸。令一寸有節,節以上剖之,以炙茶也。彼竹之筱,津潤於火,假其香潔以益茶味。恐非林谷間莫之致。或用精鐵、熟銅之類,取其久也。 紙囊:以剡藤紙白厚者夾縫之,以貯所炙茶,使不洩其香也。 碾:以桔木為之,次以梨, 桑、桐、柘為之。內圓而外方。內圓,備於運行也;外方,制其傾危也。內容墮而外無餘木。墮,形如車輪,不輻而軸焉。長九寸,闊一寸七分。墮徑三寸八分,中厚一寸,邊厚半寸。軸中方而執圓。其拂未,以鳥羽制之。 羅、合:羅末,以合貯之,以則置合中。用巨竹剖而屈之,以紗絹衣之。其合,以竹節為之,或屈杉以漆之。高三寸,蓋一寸,底二才,口徑四寸。 則:以海貝、蝸蛤之屬,或以銅、鐵,竹匕、策之類。則者,量也,準也,度也。凡煮水一升,用末方寸匕”,若好薄者減之,故云則也。水方:以稠(木旁)木(原註,音冑,木名也。〕槐、楸、梓等合之,其里井外縫漆之。受一斗。 漉水囊:若常用者。其格,以生銅鑄之,以備水濕無有苔穢、腥澀之意;以熟銅、苔穢;鐵,腥澀也。林棲谷隱者,或用之竹木。木與竹非持久涉遠之具,故用之生銅,其囊,織青竹以卷之,裁碧縑以縫之,細翠鈿以綴之,又作油綠囊以貯之。圓徑五寸,柄一寸五分。 瓢:一曰犧、杓,剖瓠為之,或刊木為之。晉舍人杜毓《舛(艹頭)賦》雲:“酌之以瓠”。 瓠,瓢也,口闊,胚薄,柄短。永嘉中,餘姚人虞洪入瀑布山採茗,遇一道士云:“吾, 丹丘子,祈子他日甌犧之餘,乞相遺也。”犧,木杓也。今常用以梨木為之。 竹[上竹下夾]:或以桃、柳、蒲葵木為之,或以柿心木為之。長一尺,銀裹兩頭。 鹺簋:以瓷為之,圓徑四寸,若合形。或瓶、或缶。貯鹽花也。其揭,竹製,長四寸一 分,闊九分。揭,策也。 熟盂:以貯熟水。或瓷、或砂。受二升。 碗:越州上,鼎州、婺州次;丘州上,壽州、洪州次。或者以邢州處越州上,殊為不然。若邢瓷類銀,越瓷類玉,邢不如越一也;若邢瓷類雪,則越瓷類冰,邢不如越二也;邢瓷白而茶色丹,越瓷青而茶色綠,邢不如越三也。晉杜琉《[艹舛]賦》所謂:“器擇陶揀,出自東甌”。甌,越州也,甌越上。口唇不捲,底捲而淺,受半升以下。越州瓷、丘瓷皆青,青則益茶,茶作紅白��色。邢州瓷白,茶色紅;壽州瓷黃,茶色紫;洪州瓷褐,茶色黑;悉不宜茶。 畚:以白蒲捲而編之,可貯碗十枚,或用[上竹下呂]。其紙[巾巴]以剡紙夾縫令方,亦十之也。 札:緝[木並]櫚皮,以茱萸莫木夾而縛之,或截竹束而管之,若巨筆形。 滌方:以貯洗滌之餘。水方,受八升。 滓方:以集諸滓,制如滌方,處五升。 巾:以拖(纟旁)佈為之。長二尺,作二枚,互用之,以潔諸器。 具列:或作床,或作架。或純木、純竹而製之;或木或竹……,黃黑可扃而漆者。長三尺,闊二尺,高六寸。具列者,悉斂諸器物,悉以陳列也。 都籃:以悉設諸器而名之,以竹蔑,內作三角方眼,外以雙蔑闊者經之,以單蔑纖者縛之,遞壓雙經,作方眼,使玲成。高一尺五寸,底闊一尺,高二寸,長二尺四寸,闊二尺。 五之煮   凡炙茶,慎勿於風燼間炙,[火票]焰如鑽,使涼炎不均。特以逼火,屢其翻正,候炮出培[土婁]狀蟆背,然後去火五寸。捲而舒,則本其始,又炙之。若火幹者,以氣熟止;日干者,以柔止。   其始,若茶之至嫩者,蒸罷熱搗,葉爛而芽筍存焉。假以力者,持千鈞杵亦不之爛,如漆科珠,壯士接之,不能駐其指。及就,則似無穰骨也。炙之,則其節若倪倪如嬰兒之臂耳。既而,承熱用紙囊貯之,精華之氣無所散越,候寒末之。[原註:末之上者,其屑如細米;末之下者,其屑如菱角。]   其火,用炭,次用勁薪。[原註:謂桑、槐、桐、櫪之類也。]其炭曾經燔炙為羶膩所及,及膏木、敗器,不用之。[原註:膏木,謂柏、松、檜也。敗器,謂朽廢器也。]古人有勞薪之味 ,信哉!   其水,用山水上,江水中,井水下。[原註:《[上艹下舛]賦》所謂“水則岷方之注,挹彼清流。”]其山水揀乳泉、石池漫流者上;其瀑湧湍漱,勿食之。久食,令人有頸疾。又水流於山穀者,澄浸不洩,自火天至霜郊以前,或潛龍蓄毒於其間,飲者可決之,以流其惡,使新泉涓涓然,酌之。其江水,取去人遠者。井,取汲多者。   其沸,如魚目,微有聲,為一沸;緣邊如湧泉連珠,為二沸;騰波鼓浪,為三沸,已上,水老,不可食也。初沸,則水合量,調之以鹽味,謂棄其啜餘,[原註:啜,嘗也,市稅反,又市悅反。]無乃[鹵舀][鹵監]而鍾其一味乎,[原註:[鹵舀],古暫反。[鹵監],吐濫反。無味也。]第二沸,出水一瓢,以竹環激湯心,則量末當中心而下。有頃,勢若奔濤濺沫,以所出水止之,而育其華也。 凡酌至諸碗,令沫餑均。[原註:字書並《本草》:“沫、餑,均茗沫也。”餑蒲笏反。]沫餑,湯之華也。華之薄者曰沫,厚者曰餑,輕細者曰花,花,如棗花漂漂然於環池之上;又如回潭曲渚青萍之始生;又如晴天爽朗,有浮雲鱗然。其沫者,若綠錢浮於水湄;又如菊英墮於樽俎之中。餑者,以滓煮之,及沸,則重華累沫,皤皤然若積雪耳。《[上艹下舛]賦》所謂“煥如積雪,燁若春[莆方攵]",有之。     第一煮沸水,棄其上有水膜如黑雲母,飲之則其味不正。其第一者為雋永, [原註:徐縣、全縣二反。至美者曰雋永。雋,味也。永,長也。史長曰雋永,《漢書》 蒯通著《雋永》二十篇也。]或留熟盂以貯之,以備育華救沸之用,諸第一與第二、第三 碗次之,第四、第五碗外,非渴甚莫之飲。凡煮水一升,酌分五碗,[原註:碗數少至三, 多至五;若人多至十,加兩爐。]乘熱連飲之。以重濁凝其下,精英浮其上。如冷,則精 英隨氣而竭,飲啜不消亦然矣。   茶性儉,不宜廣,廣則其味黯澹。且如一滿碗,啜半而味寡,況其廣乎!其色緗也, 其馨[上必下土右欠]也,[原註:香至美曰[上必下土右欠]。[上必下土右欠] ,音備。] 其味甘,[木賈]也;不甘而苦,[上艹下舛]也;啜苦咽甘,茶也。 六之飲   翼而飛,毛而走,[口去]而言,此三者俱生於天地間,飲啄以活,飲之時義遠矣哉!至若救渴,飲之以漿;蠲憂忿,飲之以酒;盪昏寐,飲之以茶。   茶之為飲,發乎神農氏,聞於魯周公,齊有晏嬰,漢有楊雄、司馬相如,吳有韋曜,晉有劉琨、張載、遠祖納、謝安、左思之徒,皆飲焉。滂時浸俗,盛於國朝,兩都並荊俞[原註:俞,當作渝。巴渝也]間,以為比屋之飲。   飲有粗茶、散茶、末茶、餅茶者。乃斫、乃熬、乃煬、乃舂,貯於瓶缶之中,以湯沃焉,謂之[病字頭下奄]茶。或用蔥、姜、棗、桔皮、茱萸、薄荷之等,煮之百沸,或揚令滑,或煮去沫,斯溝渠間棄水耳,而習俗不已。   於戲!天育有萬物,皆有至妙,人之所工,但獵淺易。所庇者屋,屋精極;所著者衣,衣精極;所飽者飲食,食與酒皆精極之;[譯者註:此處有脫文]茶有九難:一曰造,二曰別,三曰器,四曰火,五曰水,六曰炙,七曰末,八曰煮,九曰飲。陰採夜焙,非造也。嚼味嗅香,非別也。羶鼎腥甌,非器也。膏薪庖炭,非火也。飛湍壅潦,非水也。非炙也。碧粉縹塵,非末也。操艱攪遽,非煮也。夏興冬廢,非飲也。   夫珍鮮馥烈者,其碗數三;次之者,碗數五。若座客數至五,行三碗;至七,行五碗;若六人以下,不約碗數,但闕一人而已,其雋永補所闕人。 七之事   三皇:炎帝神農氏。   週:魯周公旦,齊相晏嬰。   漢:仙人丹丘之子,黃山君,司馬文園令相如,楊執戟雄。   吳:歸命侯,韋太傅弘嗣。   晉:惠帝,劉司空琨,琨兄子兗州刺史演,張黃門孟陽,傅司隸咸,江洗馬統,孫參軍楚,左記室太衝,陸吳興納,納兄子會稽內史[亻叔],謝冠軍安石,郭弘農璞,桓揚州溫,杜舍人毓,武康小山寺釋法瑤,沛國夏侯愷,餘姚虞洪,北地傅巽,丹陽弘君舉,樂安任育長,宣城秦精,敦煌單道開,剡縣陳務妻,廣陵老姥,河內山謙之。   後魏:琅邪王肅。   宋:宋安王子鸞,鸞弟豫章王子尚,鮑昭妹令暉,八公山沙門譚濟。   齊:世祖武帝。   梁:劉廷尉,陶先生弘景。   皇朝:徐英公[責力]。  《神農食經》:“荼茗久服,令人有力悅志”。   周公《爾雅》:“[木賈],苦荼”。   《廣雅》雲:“荊巴間采葉作餅,葉老者,餅成以米膏出之。欲煮茗飲,先炙令赤色,搗末,置瓷器中,以湯澆覆之,用蔥、姜、桔子[上艹下毛]之。其飲醒酒,令人不眠。” 《晏子春秋》:“嬰相齊景公時,食脫粟之飯,炙三戈、五卵茗菜而已。   司馬相如《凡將篇》:“鳥喙,桔梗,芫華,款冬,貝母,木蘗,蔞苓,X草,芍藥,X桂,漏蘆,蜚廉,萑菌,[上艹下舛]詫,白斂,白芷,菖蒲,芒消,莞椒,茱萸。”   《方言》:“蜀西南人謂荼曰[上艹下設]"。   《吳志.韋曜傳》:“孫皓每饗宴,坐席無不悉以七勝為限,雖不盡入口,皆澆灌取盡。曜飲酒不過二升,皓初禮異,密賜茶[上艹下舛]以代酒。” 《晉中興書》:陸納為吳興太守時,衛將軍謝安嘗欲詣納,[原註:《晉書》以納為吏部尚書。]納兄子[亻叔]怪納無所備,不敢問之,乃私蓄十數人饌。安既至,所設唯茶果而已。[亻叔]遂陳盛饌,珍羞必具。及安去,納杖[亻叔]四十,雲: '汝既不能光益叔,奈何穢吾素業?'” 《晉書》:“桓溫為揚州牧,性儉,每宴飲,唯下七奠[木半]茶果而已。” 《搜神記》:“夏侯愷因疾死,宗人字苟奴,察見鬼神,見愷來收馬,並病其妻。 著平上幘、單衣,入坐生時西壁大床,就人覓茶飲。” 劉琨“與兄子南兗州史演書”雲:“前得安州乾薑一斤,桂一斤,黃岑一斤,皆所須 也。吾體中潰[原註:潰,當作憒。]悶,常仰真茶,汝可致之。” 傅咸《司隸教》曰:“聞南方有蜀嫗作茶粥賣,為廉事打破其器具,後又賣餅於 市,而禁茶粥以因蜀嫗何哉?” 《神異記》:餘姚人虞洪,入山採茗,遇一道士,牽三青牛,引洪至瀑布山,曰: '予,丹丘子也。聞子善具飲,常思見惠。山中有大茗,可以相給,祈子他日有甌 犧之餘,乞相遺也'。因立奠祀。後常令家人入山,獲大茗焉”。 左思《嬌女詩》:“吾家有嬌女,皎皎頗白皙。小字為紈素,口齒自清歷。有姊字 蕙芳,眉目燦如畫。馳騖翔園林,果下皆生摘。貪華風雨中,倏忽數百適。心為 荼[上艹下舛]劇,吹噓對鼎[钅歷]。” 張孟陽《登成都樓詩》雲:“借問揚子舍,想見長卿廬。程卓累千金,驕侈擬五侯。門有連騎客,翠帶腰吳鉤。鼎食隨時進,百和妙且殊。披林采秋桔,臨江釣春魚。黑子過龍醢,吳饌逾蟹[蟲胥]。芳荼冠六清,溢味播九區。人生苟安樂,茲土聊可娛。”   傅巽《七誨》:“蒲桃、宛柰,齊柿、燕栗,恆陽黃梨,巫山朱桔,南中荼子,西極石蜜。”   弘君舉《食檄》:“寒溫既畢,應下霜華之茗。三爵而終,應下諸蔗、木瓜、元李、楊梅、五味、橄欖、懸鉤、葵羹各一杯。”   孫楚《歌》:“茱萸出芳樹顛,鯉魚出洛水泉。白鹽出河東,美豉出魯淵。薑桂茶[上艹下舛]出巴蜀,椒桔木蘭出高。蓼蘇出溝渠,精稗出中田。   華佗《食論》:“苦荼久食益意思。” 八之出   山南:以峽州上,[原註:峽州生遠安、宜都、夷陵三縣山谷。]襄州、荊州次,[原註:襄州生南漳縣山谷,荊州生江陵縣山谷。]衡州下,[原註:生衡山、茶陵二縣山谷。]金州、梁州又下[原註:金州生西城、安康二縣山谷。梁州生褒城、金牛二縣山谷。]   淮南:以光州上,[原註:生光山縣黃頭港者,與峽州同。]義陽郡、舒州次,[原註:生義陽縣鐘山者,與襄州同。舒州生太湖縣潛山者,與荊州同。]壽州下,[原註:生盛唐縣霍山者,與衡州同。]蘄州、黃州又下。[原註:蘄州生黃梅縣山谷,黃州生麻城縣山谷,並與金州、梁州同也。]   浙西:以湖州上,[原註:湖州生長城縣顧渚山谷,與峽州、光州同;若生山桑、儒師二寺、白茅山懸腳嶺,與襄州、荊州、義陽郡同;生鳳亭山伏翼閣、飛雲曲水二寺、啄木嶺,與壽州同。生安吉、武康二縣山谷,與金州、梁州同。]常州次,[原註:常州義興縣生君山懸腳嶺北峰下,與荊州、義陽君同;生圈嶺善權寺、石亭山,與舒州同。]宣州、杭州、睦州、歙州下,[原註:宣州生宣城縣雅山,與蘄州同;太平縣生上睦、臨睦,與黃州同;杭州臨安、於潛二縣生天目山,與舒州同。錢塘生天竺、靈隱二寺;睦州生桐廬縣山谷;歙州生婺源山谷;與衡州同。] 潤州、蘇州又下。[原註:潤州江寧縣生傲山,蘇州長洲生洞庭山,與金州、蘄州、梁州同。] 劍南:以彭州上,[原註:生九隴縣馬鞍山至德寺、堋口,與襄州同。]綿州、蜀州次,[原註:綿州龍安縣生松嶺關,與荊州同,其西昌、昌明、神泉縣西山者,並佳;有過松嶺者,不堪採。蜀州青城縣生八丈人山,與綿州同。青城縣有散茶、末茶。]邛州次,雅州、瀘州下,[原註:雅州百丈山、名山,瀘州瀘川者,與金州同也。]眉州、漢州又下。[原註:眉州丹棱縣生鐵山者,漢州綿竹縣生竹山者,與潤州同。]   浙東:以越州上,[原註:餘姚縣生瀑布泉嶺曰仙茗,大者殊異,小者與襄州同。]明州、婺州次,[原註:明州[貿阝]縣生榆莢村,婺州東陽縣東白山,與荊州同。]台州下,[原註:台州始豐縣生赤城者,與歙州同。]   黔中:生思州、播州、費州、夷州。   江西:生鄂州、袁州、吉州。   嶺南:生福州、建州、韶州、象州。[原註:福州生閩方山山陰。]   其思、播、費、夷、鄂、袁、吉、福、建、、韶、象十一州未詳,往往得之,其味極佳。 九之略   其造具,若方春禁火之時,於野寺山園叢手而掇,乃蒸、乃舂,乃復以火乾之,則[上啟夂下木]、撲、焙、貫、棚、穿、育等七事皆廢。   其煮器,若松間石上可坐,則具列廢。用槁薪、鼎[钅歷]之屬,則風爐、灰承、炭撾、火[上竹下夾]、交床等廢。若瞰泉臨澗,則水方、滌方、漉水囊廢。若五人以下,茶可末而精者,則羅廢。若援[上艹下三個田字]躋岩,引[纟亙]入洞,於山口灸而末之,或紙包、盒貯,則碾、拂末等廢。既瓢、碗、[上竹下夾] 、札、熟盂、鹺簋悉以一[上竹下呂]盛之,則都籃廢。但城邑之中,王公之門,二十四器闕一,則茶廢矣。 十之圖  以絹素或四幅、或六幅分佈寫之,陳諸座隅,則茶之源、之具、之造、之器、之煮、之飲、之事、之出、之略,目擊而存,於是《茶經》之始終備焉。 Cheap Offers: http://bit.ly/gadgets_cheap
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c3oyama · 4 years
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3/3 #雛祭り 誕生日/ #小松千春 #ジーコ #栗田貫一 #刀根麻理子 #竹中平蔵 #村山富市 #ケントデリカット #マッハ文朱 #ジャッキージョイナーカーシー 3月3日はひな祭りです。 ひな人形や桃の花を飾り、ちらし寿司や蛤のお吸い物を食べて、 お祝いをされるご家庭や、過去にお祝いをしていたなと思い出される方も いらっしゃるのではないでしょうか。 中でも菱餅は、ひな祭りを象徴する食べ物として知られています。 どうして菱型になったのか、諸説ありますが、中国から伝わったという考えがあるようです。 中国では古来より、3月に「上巳節」という季節の節目に菱の実の粉で作った餅に、 母子草を混ぜて食べる習慣がありました。 菱の実には「子孫繁栄」や「長寿」の力があるとされ、母子草には母と子が 健やかであるようにとの願いが込められています。 母子草は、春の七草のひとつ「御形」としても知られています。 また、3つの色にもそれぞれ意味があり、 桃色は「魔除け」、白色は「清浄」、緑色は「健康」を表すようです。 やはり、習わしにはそれぞれ意味があり、わが子を思う親の気持ちはいつの時代も同じですね。 誕生日 1288年 後伏見天皇(皇族 ) 1847年 グラハム・ベル(電話機発明) 1879年 正宗白鳥(作家) 1890年 坪田譲治(作家) 1894年 オパーリン(化学) 1911年 ジーン・ハーロウ(女優) 1920年 中田ラケット (漫才師(中田ダイマルラケット))[1997年2月5日歿] 1924年 いぬいとみこ(児童文学作家) 1924年 村山富市 (首相(81代),衆議院議員[元]) 1927年 茶川一郎(俳優) 1938年 米田哲也 (野球(投手))2000年野球殿堂/名球会会員 1947年 ��土三男(脚本・映画監督) 1947年 長谷川信彦(卓球) 1951年 竹中平蔵 (経済学者,参議院議員[元],総務相(6代),特命担当相(経済財政政策)[元],特命担当相(金融)[元]) 1952年 大森一樹(映画監督) 1953年 ジーコ(サッカー) 1955年 ケント・デリカット (カナダ:タレント)Kent Delicat 1958年 栗田貫一(タレント・声優) 1959年 マッハ文朱(タレント・元女子プロレス) 1959年 宮台真司(社会学) 1961年 上田現(ミュージシャン・作曲家) 1962年 ジャッキー・ジョイナー・カーシー(陸上) 1962年 刀根麻理子(歌手・女優) 1964年 ローラ・ハリング(女優) 1964年 米川英之(元C-C-B・ミュージシャン) 1965年 ストイコビッチ(サッカー) 1967年 木幡美子(アナウンサー) 1971年 小林聖太郎(映画監督) 1974年 小松千春(タレント) 1992年 西山優(ジャニーズJr.・タレント) 1994年 川島海荷(女優) 誕生花は 桃、花言葉は“恋のとりこ” 誕生石は アメシスト(amethyst)、宝石言葉は“心の平和” 雛祭り 女の子の健やかな成長を願う伝統行事。女の子のいる家庭では、雛人形を飾り、白酒・菱餅・あられ・桃の花等を供えて祀る。 上巳の日には、人形に穢れを移して川や海に流していたが、その人形が次第に精巧なものになって流さずに飾っておくようになり、雛祭りとして発展して行った。 雛祭りは始めは宮中や貴族の間で行われていたが、やがて武家社会でも行われるようになり、江戸時代には庶民の行事となった。 元々は、5月5日の端午の節句とともに男女の別なく行われていたが、江戸時代ごろから、豪華な雛人形は女の子に属するものとされ、端午の節句は菖蒲の節句とも言われることから、「尚武」にかけて男の子の節句とされるようになった。 上巳[じょうし]桃の節句 上巳の節句は五節句の一つで、元々は3月上旬の巳の日だったが、後に3月3日に行われるようになった。旧暦では3月3日は桃の花が咲く季節であることから「桃の節句」とも言われる。 古来中国では、上巳の日に川で身を清め不浄を祓う習慣があった。これが平安時代に日本に取り入れられた。後に、紙で小さな人の形(形代)を作ってそれにけがれを移し、川や海に流して不浄を祓うようになった。この風習は、現在でも「流し雛」として残っている。 耳の日 日本耳鼻咽喉科学会が1956(昭和31)年に制定。 「み(3)み(3)」の語呂合せ。また、三重苦のヘレン・ケラーにサリバン女史が指導を始めた日であり、電話の発明者グラハム・ベルの誕生日でもある。 耳かきの日 耳かき具メーカー・レーベン販売が制定。 「耳の日」であることから。 民放ラジオの日 日本民間放送連盟ラジオ委員会が2008(平成20)年に制定。 「耳の日」であることから。 平和の日 1984(昭和59)年の国際ペンクラブ東京大会で、日本ペンクラブの発案により制定され、翌1985(昭和60)年から世界中で実施された。 「女の子の健やかな成長を祝う雛祭りは平和の象徴である」との考えから。 女のゼネストの日 1997(平成9)年から全国各地の実行委員会が実施。 男女共同参画社会を目指し、「男女平等基本法」制定を求めて女性が立ち上がる日。この日が女の子の節句であることから (パーソナルカラー用品ドレープ、見本帳,PCCSのご用命はc3(シーキューブ)) https://www.instagram.com/p/CL7ui4xAv1C/?igshid=1sfnh3vekge8b
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c3oyama · 4 years
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5/5こどもの日 誕生日/Dr.コパ 工藤公康 山田太郎 馳浩 土方歳三 デーブスペクターDavid Spector中川翔子伊良部秀輝 鈴木彩子 松浦三佳 誕生日 1763年 小林一茶 (俳諧師『おらが春』)[1827年11月19日歿] 1804年 高野長英(蘭学者) 1813年 キルケゴール(哲学者) 1818年 カール・マルクス(資本主義論) 1835年 土方歳三 (剣客,新選組副長)[1869年5月11日歿] 1882年 金田一京助 (言語学者,歌人,金田一春彦の父)1954年文化勲章[1971年11月14日歿] 1942年 地井武男 (俳優)[2012年6月29日歿] 1947年 Dr.コパ(小林祥昇,小林萬祥) (風水師,三宅流神易宗家,建築家) 1951年 モト冬樹 (タレント,ミュージシャン(ビジーフォー/ギター)) 1954年 デーブ・スペクター (米:タレント,テレビプロデューサー(米ABC))David Spector 1961年 渋谷哲平(俳優) 1961年 馳浩(プロレス・政治家) 1963年 工藤公康 (野球(投手)福岡ダイエーホークス監督) 1968年 森川美穂(歌手) 1968年 渡部篤郎(俳優) 1969年 伊良部秀輝 (野球(投手))[2011年7月27日歿] 1970年 YOGGY(EASTEND・歌手) 1972年 大濱ルミ(女優) 1975年 井上麻美(タレント) 1976年 山田太郎 (漫画キャラ(『ドカベン』)) 1982年 鈴木彩子(女優・タレント) 1985年 中川翔子(女優) 1990年 松浦三佳(女優・タレント) 誕生花は あやめ、花言葉は“優雅な心情” 誕生石は マラカイト(malachite)、宝石言葉は“再会” こどもの日(Children's Day) こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する国民の祝日。 1948(昭和23)年7月公布・施行の祝日法によって制定された。 端午の節句,菖蒲の節句 邪気を払う為、菖蒲や蓬を軒に挿し、粽や柏餅を食べる。 「端」は物のはし、つまり「始り」という意味で、「午」は「五」に通じることから、元々「端午」は月の始めのの五の日のことだった。その中でも数字が重なる5月5日を「端午の節句」と呼ぶようになった。 日本ではこの日、男性は戸外に出払い、女性だけが家の中に閉じ蘢って田植えの前に身を清める神聖な儀式の日だった。 しかし、「菖蒲」が「尚武」と同じ読みであることから、鎌倉時代ごろから男の子の節句とされ、甲胄・武者人形等を飾り、庭前に鯉のぼりを立てて男の子の成長を祝うようになった。 おもちゃの日 日本玩具協会・東京玩具人形問屋協同組合が1949(昭和24)年に制定。 端午の節句に因み、おもちゃや人形のPRの為に設けられた。 わかめの日 日本わかめ協会が1983(昭和58)年に制定。 「こどもの日」に因み、子供の成長、発育に欠かせないミネラル、カルシウム等を含んだわかめをたくさん食べてもらおうと設けられた。また、この頃は新わかめの収穫時期でもある。 こどもに本を贈る日 書籍取次のトーハンが制定。全国の書店でキャンペーンが行われる。 国際助産師の日 1990年に日本で開催された国際助産師連盟の国際評議会で制定され、1992年から実施。 手話記念日 日本デフ協会が2003年3月20日に制定。 手話が左右の五本指を使うことから。 自転車の日 自転車月間推進協議会が1998(平成10)年に制定。 自転車月間の中の祝日を自転車の日とした。 薬の日 全国医薬品小売商業組合連合会が1987(昭和62)年に制定。 611(推古天皇19)年のこの日、推古天皇が大和の兎田野で薬草を採取する薬狩りを催し、これから毎年この日を「薬日」と定めたという故事に因む。 フットサルの日 フットサルに関する事業を行う株式会社エフネットスポーツが制定。 フットサルが5人対5人で行うスポーツであることから。 レゴの日 ブロック玩具「レゴ」を販売するレゴジャパン株式会社が制定。 「05」を「レゴ」と読む語呂合せと、「こどもの日」であることから。 ヨーロッパ・デー 欧州評議会が制定。 1949年のこの日、欧州評議会が設立された。 この日とは別に、5月9日が欧州連合が定めたヨーロッパデーとなっている。 歴史・出来事 1854年 ナイチンゲール、クリミアへ 1860年 咸臨丸がアメリカより浦賀に帰着 1928年 人見絹枝、400m世界新(59''00) 1931年 3輪自動車の本格的生産開始 1951年 児童憲章の宣言 1955年 第1回国際見本市開催 1970年 東京・代々木公園、開園 1989年 金星探査機マゼラン、シャトルより発射 #今日は何の日 #パーソナルカラー #カラードレープ #カラーパレット #色見本 #PCCS #ドレープ120色 #パーソナルカラー用品 #テストドレープ #金銀ドレープ #ケープ #カラーシート #カラーチップ #C³ #色のみかた #顔タイプ #顔タイプ診断 #パーソナルカラー診断 #シーキューブ #毎月 #16日 #色の日 #insta_higashinada #神戸市 #東灘区 (パーソナルカラー用品ドレープ、見本帳,PCCSのご用命はc3(シーキューブ)) https://www.instagram.com/p/B_yOjEogei-/?igshid=2mcz1tasa2v4
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c3oyama · 5 years
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3/3雛祭り 誕生日/小松千春 ジーコ 栗田貫一 刀根麻理子 竹中平蔵 村山富市 ケントデリカット マッハ文朱 ジャッキージョイナーカーシー 誕生日 1288年 後伏見天皇(皇族 ) 1847年 グラハム・ベル(電話機発明) 1879年 正宗白鳥(作家) 1890年 坪田譲治(作家) 1894年 オパーリン(化学) 1911年 ジーン・ハーロウ(女優) 1920年 中田ラケット (漫才師(中田ダイマルラケット))[1997年2月5日歿] 1924年 いぬいとみこ(児童文学作家) 1924年 村山富市 (首相(81代),衆議院議員[元]) 1927年 茶川一郎(俳優) 1938年 米田哲也 (野球(投手))2000年野球殿堂/名球会会員 1947年 黒土三男(脚本・映画監督) 1947年 長谷川信彦(卓球) 1951年 竹中平蔵 (経済学者,参議院議員[元],総務相(6代),特命担当相(経済財政政策)[元],特命担当相(金融)[元]) 1952年 大森一樹(映画監督) 1953年 ジーコ(サッカー) 1955年 ケント・デリカット (カナダ:タレント)Kent Delicat 1958年 栗田貫一(タレント・声優) 1959年 マッハ文朱(タレント・元女子プロレス) 1959年 宮台真司(社会学) 1961年 上田現(ミュージシャン・作曲家) 1962年 ジャッキー・ジョイナー・カーシー(陸上) 1962年 刀根麻理子(歌手・女優) 1964年 ローラ・ハリング(女優) 1964年 米川英之(元C-C-B・ミュージシャン) 1965年 ストイコビッチ(サッカー) 1967年 木幡美子(アナウンサー) 1971年 小林聖太郎(映画監督) 1974年 小松千春(タレント) 1992年 西山優(ジャニーズJr.・タレント) 1994年 川島海荷(女優) 誕生花は 桃、花言葉は“恋のとりこ” 誕生石は アメシスト(amethyst)、宝石言葉は“心の平和” 雛祭り 女の子の健やかな成長を願う伝統行事。女の子のいる家庭では、雛人形を飾り、白酒・菱餅・あられ・桃の花等を供えて祀る。 上巳の日には、人形に穢れを移して川や海に流していたが、その人形が次第に精巧なものになって流さずに飾っておくようになり、雛祭りとして発展して行った。 雛祭りは始めは宮中や貴族の間で行われていたが、やがて武家社会でも行われるようになり、江戸時代には庶民の行事となった。 元々は、5月5日の端午の節句とともに男女の別なく行われていたが、江戸時代ごろから、豪華な雛人形は女の子に属するものとされ、端午の節句は菖蒲の節句とも言われることから、「尚武」にかけて男の子の節句とされるようになった。 上巳[じょうし]桃の節句 上巳の節句は五節句の一つで、元々は3月上旬の巳の日だったが、後に3月3日に行われるようになった。旧暦では3月3日は桃の花が咲く季節であることから「桃の節句」とも言われる。 古来中国では、上巳の日に川で身を清め不浄を祓う習慣があった。これが平安時代に日本に取り入れられた。後に、紙で小さな人の形(形代)を作ってそれにけがれを移し、川や海に流して不浄を祓うようになった。この風習は、現在でも「流し雛」として残っている。 耳の日 日本耳鼻咽喉科学会が1956(昭和31)年に制定。 「み(3)み(3)」の語呂合せ。また、三重苦のヘレン・ケラーにサリバン女史が指導を始めた日であり、電話の���明者グラハム・ベルの誕生日でもある。 耳かきの日 耳かき具メーカー・レーベン販売が制定。 「耳の日」であることから。 民放ラジオの日 日本民間放送連盟ラジオ委員会が2008(平成20)年に制定。 「耳の日」であることから。 平和の日 1984(昭和59)年の国際ペンクラブ東京大会で、日本ペンクラブの発案により制定され、翌1985(昭和60)年から世界中で実施された。 「女の子の健やかな成長を祝う雛祭りは平和の象徴である」との考えから。 女のゼネストの日 1997(平成9)年から全国各地の実行委員会が実施。 男女共同参画社会を目指し、「男女平等基本法」制定を求めて女性が立ち上がる日。この日が女の子の節句であることから、この日に実施することになった。 1996(平成8)年に来日したアイスランドのフィンボガドチル大統領の演説がきっかけになり制定された。アイスランドでは1975(昭和50)年と1985(昭和60)年に「女のゼネスト」を行い、何万人もの女性が仕事を放棄して首都レイキャビクに終結し、これを契機に初の女性大統領が誕生した。 金魚の日 日本鑑賞魚振興会が制定。 江戸時代、雛祭りの時に金魚を一緒に飾ったことから。 結納の日 全国結納品組合連合会が制定。 結婚式の「三三九度」から。 サルサの日 ダンスの一つサルサに関する活動を行っている有限会社サルサホットラインジャパンが制定。 303→サンマルサン→サルサの語呂合せ。 ジグソーパズルの日 ジグソーパズルメーカー会が制定。 数字の3を組み合わせるとジグソーパズルのピースの形に見えることから。 三の日 日本三大協会が1993(平成5)年に制定。 日本三大協会は、「三種の神���」「日本三景」等、日本で古来より三つで括 (パーソナルカラー用品ドレープ、見本帳,PCCSのご用命はc3(シーキューブ)) https://www.instagram.com/p/B9P_1rKgR7V/?igshid=1gfu5f2txrqd
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c3oyama · 5 years
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3/3雛祭り 誕生日/小松千春 ジーコ 栗田貫一 刀根麻理子 竹中平蔵 村山富市 ケントデリカット マッハ文朱 ジャッキージョイナーカーシー 誕生日 1288年 後伏見天皇(皇族 ) 1847年 グラハム・ベル(電話機発明) 1879年 正宗白鳥(作家) 1890年 坪田譲治(作家) 1894年 オパーリン(化学) 1911年 ジーン・ハーロウ(女優) 1920年 中田ラケット (漫才師(中田ダイマルラケット))[1997年2月5日歿] 1924年 いぬいとみこ(児童文学作家) 1924年 村山富市 (首相(81代),衆議院議員[元]) 1927年 茶川一郎(俳優) 1938年 米田哲也 (野球(投手))2000年野球殿堂/名球会会員 1947年 黒土三男(脚本・映画監督) 1947年 長谷川信彦(卓球) 1951年 竹中平蔵 (経済学者,参議院議員[元],総務相(6代),特命担当相(経済財政政策)[元],特命担当相(金融)[元]) 1952年 大森一樹(映画監督) 1953年 ジーコ(サッカー) 1955年 ケント・デリカット (カナダ:タレント)Kent Delicat 1958年 栗田貫一(タレント・声優) 1959年 マッハ文朱(タレント・元女子プロレス) 1959年 宮台真司(社会学) 1961年 上田現(ミュージシャン・作曲家) 1962年 ジャッキー・ジョイナー・カーシー(陸上) 1962年 刀根麻理子(歌手・女優) 1964年 ローラ・ハリング(女優) 1964年 米川英之(元C-C-B・ミュージシャン) 1965年 ストイコビッチ(サッカー) 1967年 木幡美子(アナウンサー) 1971年 小林聖太郎(映画監督) 1974年 小松千春(タレント) 1992年 西山優(ジャニーズJr.・タレント) 1994年 川島海荷(女優) 誕生花は 桃、花言葉は“恋のとりこ” 誕生石は アメシスト(amethyst)、宝石言葉は“心の平和” 雛祭り 女の子の健やかな成長を願う伝統行事。女の子のいる家庭では、雛人形を飾り、白酒・菱餅・あられ・桃の花等を供えて祀る。 上巳の日には、人形に穢れを移して川や海に流していたが、その人形が次第に精巧なものになって流さずに飾っておくようになり、雛祭りとして発展して行った。 雛祭りは始めは宮中や貴族の間で行われていたが、やがて武家社会でも行われるようになり、江戸時代には庶民の行事となった。 元々は、5月5日の端午の節句とともに男女の別なく行われていたが、江戸時代ごろから、豪華な雛人形は女の子に属するものとされ、端午の節句は菖蒲の節句とも言われることから、「尚武」にかけて男の子の節句とされるようになった。 上巳[じょうし]桃の節句 上巳の節句は五節句の一つで、元々は3月上旬の巳の日だったが、後に3月3日に行われるようになった。旧暦では3月3日は桃の花が咲く季節であることから「桃の節句」とも言われる。 古来中国では、上巳の日に川で身を清め不浄を祓う習慣があった。これが平安時代に日本に取り入れられた。後に、紙で小さな人の形(形代)を作ってそれにけがれを移し、川や海に流して不浄を祓うようになった。この風習は、現在でも「流し雛」として残っている。 耳の日 日本耳鼻咽喉科学会が1956(昭和31)年に制定。 「み(3)み(3)」の語呂合せ。また、三重苦のヘレン・ケラーにサリバン女史が指導を始めた日であり、電話の発明者グラハム・ベルの誕生日でもある。 耳かきの日 耳かき具メーカー・レーベン販売が制定。 「耳の日」であることから。 民放ラジオの日 日本民間放送連盟ラジオ委員会が2008(平成20)年に制定。 「耳の日」であることから。 平和の日 1984(昭和59)年の国際ペンクラブ東京大会で、日本ペンクラブの発案により制定され、翌1985(昭和60)年から世界中で実施された。 「女の子の健やかな成長を祝う雛祭りは平和の象徴である」との考えから。 女のゼネストの日 1997(平成9)年から全国各地の実行委員会が実施。 男女共同参画社会を目指し、「男女平等基本法」制定を求めて女性が立ち上がる日。この日が女の子の節句であることから、この日に実施することになった。 1996(平成8)年に来日したアイスランドのフィンボガドチル大統領の演説がきっかけになり制定された。アイスランドでは1975(昭和50)年と1985(昭和60)年に「女のゼネスト」を行い、何万人もの女性が仕事を放棄して首都レイキャビクに終結し、これを契機に初の女性大統領が誕生した。 金魚の日 日本鑑賞魚振興会が制定。 江戸時代、雛祭りの時に金魚を一緒に飾ったことから。 結納の日 全国結納品組合連合会が制定。 結婚式の「三三九度」から。 サルサの日 ダンスの一つサルサに関する活動を行っている有限会社サルサホットラインジャパンが制定。 303→サンマルサン→サルサの語呂合せ。 ジグソーパズルの日 ジグソーパズルメーカー会が制定。 数字の3を組み合わせるとジグソーパズルのピースの形に見えることから。 三の日 日本三大協会が1993(平成5)年に制定。 日本三大協会は、「三種の神器」「日本三景」等、日本で古来より三つで括 (パーソナルカラー用品ドレープ、見本帳,PCCSのご用命はc3(シーキューブ)) https://www.instagram.com/p/B9P_vhuBc8R/?igshid=k5ixovjboyu1
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