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#年またぎ酒場放浪記
hirasen · 2 years
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#今回もやっぱり 、 #年またぎ酒場放浪記 (https://bs.tbs.co.jp/sakaba/)#鏡開き #まで見ちゃいました ! #あけましておめでとうございます !! #旧年中はお世話になりまして誠にありがとうございます ♪ #本年もヨロシクお願い申し上げます ♡ #吉田類の酒場放浪記 #酒場放浪記 #吉田類 https://www.instagram.com/p/Cm34uaivd3K/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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krkwngm · 9 months
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ファースト・カウ
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 映画初めに行ってきた。もし今年が丑年だったらお正月映画に位置付けた謎のPRがなされたのかなとぼんやり思った。それはそれで愉快な気もする。
 長編7作目にして日本初配給のケリー・ライカート作品、ということで気になってたけど実際沁みる映画だった。去年の最後が『PERFECT DAYS』だったので、光の美しい映画を年末年始に立て続けに観てしまった。こりゃいい年にならざるをえない。  以下良かったところのメモなのでネタバレがある。
 歩いてる足元を映すシーンが多かった気がする。劇中の音楽はきれいだったけど多用はされておらず、枯れ枝を踏みしめる足音やオールを漕ぐ水音、クッキーが菓子を焼いてるときの火の爆ぜる音なんかはほとんど飾られていなかったと思う。だからいっそう足元のカットが印象に残ったのもあるだろうけど、歩きかたってやっぱり感情出るよな(観てるこっちが読み取ってしまうだけかもしれないけど)と感じ入った。監督はそういう小さな変化を撮るのが好きなのかもしれない。農業をやりたかったキング・ルーと旅人のためのホテルかパン屋をやりたかったクッキーが少しずつ友情を深めていく、そのかすかな変化を大事に拾い上げていくような物語が、小さな音や光の移り変わりや自然の表情をこまやかにとらえる映像で作られているのは説得力があった。現代の川をずみゃーーー……と進んでくる長いタンカーの黒とオレンジの船体と当時の川をのんびり渡ってく小舟の対比がなんかよかった。  見ててくれって頼まれた赤子を置いていくのを躊躇ったり乳搾りのあいだ牛に話しかけたり、くつろいでくれと言われたのにルーの家の掃除始めたり枝を採ってきて飾ったりしちゃうクッキーが全体的にいいやつすぎて……ボストンのパン屋で働いてたことがあるって仲買商に打ち明けてたけどあれキング・ルーは知ってたんかな。頭打って体調悪いのに「baker(パン屋)とbeggar(物乞い)が似てるのはどちらもb-read(パン)が必要だから」てジョークかますところもよかった。父が死んで母が死んで家を出てあちこち彷徨ってきた経歴のわりに物の見方が荒んでないのは、両親の記憶とかパン屋の経験とか、放浪のなかにも良い出会いがあったからかもと想像した。  クッキーがそういう人間である一方で、「中国じゃ白人より嫌われる」北生まれのキング・ルーはたぶん自分の生まれた場所を思い返すと苦い記憶が入り混じるんだと思う。本当は農業をやりたかった、は自分の土地がほしかったって意味でもあるだろうから。「カードを一枚しか場に捨てない古いルールに則るペテン師ことジョン・ハート(ハートは心臓でなく牡鹿(dear)のほう)」の意味合いがうまく呑み込めずにいるんだけど、酒場でクッキーを見つけたときにカードをやってるテーブルじゃなく自分の家の卓で酒を飲まないかって誘ったあたり、ルーはクッキーに助けてもらったことが本当に嬉しかったんだろうな。自分を追ってたロシア人が戻ってきて家をめちゃめちゃに壊して去ったあとのルーが、残骸のなかからクッキーがお菓子作りに使ってた枝を拾い上げて石の上にそっと置き直したところに愛を感じた。  あと観に行ったフォロワーさんも言ってたけど、映画の冒頭で並んで横たわった状態で見つかる二人ぶんの骨がさあ……。ドーナツの列に割り込まれたり働けって怒られたりして結局買えてなかった男性が逃げる二人を尾行してたけど、最終的には彼がキング・ルーを撃ったんだろうか。というか観終わったあとにチラシを見たら牛を牽いてたのも同じ男性だったので(全然気付いてなかった)よくもおれの牛をってことだったのかもしれん(この人の牛ではない)。あと仲買商がすごい見覚えのある俳優さんでびっくりした。トビー・ジョーンズじゃん!  キング・ルー、ビーバーの脂は高く売れるとかサンフランシスコのホテルはどうとかクッキーの前でずっとぽつぽつ喋ってたけど、あれクッキーに聞かせるというより自分に言い聞かせてたんだと終盤で気付いた。頭を打ったクッキーがしんどそうに木の陰に横たわったとき「眠っていろ おれが見張ってる」て隣に座って膝抱えてたのに「すこし眠ろう」て隣に横たわって「おれがついてる」て目を閉じるじゃん。その言葉のとおりに最期までクッキーのそばについていたんだなと分かる冒頭の骨ですよ。ハートはペテン師でもキング・ルーは何も欺かなかった。ほんとに「鳥には巣、蜘蛛には網、人には友情」だったんだな……てしみじみしたし、このラストに至った二人の歩みに納得しかないくらい、最初から最後までささやかでも得がたい交友の重なりを見せられたところが良さだと思った。良い映画が観られてうれしい。今年もいい年にしよう。
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longgoodbye1992 · 2 years
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一人酒場放浪記 城下町
休みと遅番を利用して、一人山を降りて桜の名所で有名な城がある街へ。
繁華街に宿をとり飲み歩くことを決めていた。
あちこちと寄り道をしながら夕方に街へついた。
駐車場に車を置いて街を歩く。
一昔前の香りがする看板やピンク映画館があり、昭和情緒漂う趣のある所だと感じた。
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宿へ向かう。
今日の宿はスナックをリノベーションしたという変わったホテル。
スタッフがいないホテルということで、暗証番号を入れて入り口から入るとこのような景色が。
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部屋の名前は店の名前のままというのが面白い。
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これまた暗証番号を入れて、スナックの扉を開けるように中へ入る。
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中は驚く程普通のホテル。リノベーションしたばかりなので新しく綺麗だった。
スナックの跡だから防音もしっかりしているのだろう。
シャワーを浴びて再び街へ。
目指すは同僚から聞いた焼き鳥の名店へ。
軽い坂を上って数分で着いた。
外観を撮るのを失念してしまったが、年季は入っているが汚らしさがない、美味い店の見た目をしていた。
カウンターへ座り、あれこれと注文する。
生ビールがサッポロなのがいい。サッポロビールを使っている店はハズレがないと言っていいくらい、酒場を放浪しているとその銘柄に注視してしまう。
名物の煮込みとビール。
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ゴボウの味効いていて美味い。肉もホロホロで臭みが全く無く、いくらでも食べれてしまうくらい味に安定感がある。
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焼き鳥が出来上がったタイミングでこの県の銘酒である「田酒」を一合。
砂肝、カシラとつくねにねぎま。
どれも塩がしっかり味を引き立てて美味い。
これまた写真を失念したが、鴨やサガリなんてのもあり、こちらも美味だった。
特に鴨は程よい歯応えがあり、旨味が噛むごとに口の中に溢れる。
食べて飲んでで3000円とちょっと。
大満足だった。
二軒目は県民割のクーポンが使えるバーへ。
クラフトジンやジャパニーズウイスキーを飲みながら、バイトの大学生や隣の席に座った常連とあれこれ話した。
大学生の女の子は三年生の今でも人を好きになるという感覚がわからないらしい。ぜひTumblrで色んな人の苦悩や喜びを読んで欲しいなと思いながら、それなりに夜に遊んでいるということに、人を好きになるという感情を持たなくても、異性と床を共にする事は可能だよなと改めて思った。
常連とは男はつらいよの話や昭和歌謡の話で盛り上がる。これだけの情報だと嘸かし年配の方と話したのだろうと思われるだろうが、相手の年齢は二十三歳と若い男性だ。真面目そうな見た目とは裏腹にこれもまたよく遊んでいるらしく、そのギャップに少し驚かされた。
気がつくと六時間もその店もいてしまった。
スナックや他のバーにも行ってみようと思っていたが、あまりにも楽しすぎて長居してしまった。
マスターは短髪でお笑いのカミナリというコンビのまなぶくんに似ていて優しそうな方だった。
話すと中々自由人で面白い。やはり魅力的な人のところには魅力的な人が集るものだ。
それなりにお酒を飲んだのにも関わらず、チャージなどはかからずビックリするくらい安かった。
またこの街で飲むときには再訪しようと決めて店を出る。
美味い酒と面白い出会いで大満足の酒場放浪になった。
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yuurasu · 9 months
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みなさん新年明けましておめでとうございます🎍今年もよろしくお願いします。昨夜から「吉田類の年またぎ酒場放浪記」を見て年越しを楽しみました🍺#吉田類の年またぎ酒場放浪記 #吉田類さん #吉田類の酒場放浪記見ながら #吉田類の酒場放浪記ファンクラブ
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hiiragisan · 9 months
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2023年総括!!
 さぁ今年も総括しますよ! 何年経ってもダメダメすぎる毎年だよ本当に!!!  結論からいうと今年もいろいろ駄目駄目でした。頑張れない自分をマネジメントしてくれる人が必要だよ。。。優しいお姉さんに管理されて何も考えずに言われたことだけやっておきたい……  まぁしょうもないことを言ってても何も変わらないからとっとと総括しましょうねー。
1月  恐ろしいことに記憶がない。。。歳を経るごとに記憶する能力が落ちていってる。。。  とりあえず仕事上の試験があったので、それに向けて勉強&受験してました。まぁ結果は言わずもがな。残念!  あと月末にバイクを見に行ってました。茨城まで。水戸まで。CB400SBをな!そして即決。  結局バイクのカスタムは購入時のエンジンガード+ガラスコートのほかはスマホホルダー取り付けとそれに伴うUSB電源追加くらいしかしてない気がする。元々ETCついてるのではでかい!  ほかは特に何もなかったかな。
2月  1月に買ったバイクの書類関係のもろもろが終わったからあとは現物を受け取るだけ!ってところだったんですけど、受け取りにいくのは流石に無理だったので陸送で送ってもらって受け取ったような気がする。  あとはめっちゃ雪積もった。仙台って山間部以外はほとんど積もらないんだけど、平野部でもたしかめっちゃ積もった。20センチ以上積もったんじゃないかな。改めて当時の写真みると結構やべぇってなってる。まぁ青森はその比じゃないんだなぁって実感したけど。さすが雪国  あと連休つくって、仙台からわざわざ京都に帰省した。目的なんだっけ?思い出せないけど、行き帰りの移動含めて3日だったから、実質1日しかゆっくりしてないけど。親祖父母のこと考えると帰れる時に帰っとかないといけないよなぁって少し思いつつ。まぁ今年の年末年始は帰ってないんだけど。
3月  前の部署の後輩というか部下とツーリング行きました。何気にソロツーじゃないのって10年ぶりくらいじゃない? まだ亀岡いた時代にPCXで連れてってもらった時以来な気がする。。。  仙台に6年いて一回も行ってなかった定義山に行きました。寒かったけど楽しかったわ。あとは秋保で温泉浸かったり、おはぎの有名なスーパー行ったり、堪能しました。
4月  花見に行きました。白石城まで。そして立ちゴケ! くそが!!  千本桜も見に行きたかったけど心が折れたので帰りました。あとは何してたかなぁ。覚えてないや
5月  バイクで仙台から亀岡まで帰ったよ! 850キロくらい!めっちゃ疲れた! ほとんど、というか仙台で東北道に乗って、実家の最寄りのICで降りるまでずっと高速。オール高速。日本の高速網ってすげぇってなった。  ここでも途中でちょっとアクシデントあったけど、結果オーライだったのでヨシ!  帰りはフェリーにも乗りました。バイクで。久々のフェリーも楽しかったなー。アニメ見てほとんど外とか見てないけど。推しの子見始めたかな、確か。あとはバイクの乗り降りでこけないかビクビクしながら移動してたら他の人がこけてた。コワー
6月  このあたりから異動の話がいよいよ避けられないような感じになってきたので仙台離れる前にいろいろ行かないと!と思ってツーリング。  蔵王の御釜を見に行きました。前日までは晴れてたのに当日だけ雲がかかっててなにも見えない! というか寒すぎる! 標高なめてた! なんなら途中雪残ってたし! ブルブルしながら行って帰ってでした。  あとはよくわからんツーリングと連携してる神社にも行きました。ついでにいろいろ見ようと思って適当に言ったところでドローン飛ばして落っことしてお亡くなりになりました。南無  名古屋時代の同期が山形にいるので会いに行きました。青森行くのもあって、次いつ会えるか分からないしね。夕方前から酒飲んでめっちゃ楽しかった。やっぱ同期は最高なんや。。。
7月  登米の明治村みたいなところ行きました。いいよね大正浪漫・・・あ、明治か。  未練たらたらでドローン落としたところをついでに探しにいったら落としたところにそのままありました。川の中に。発見はできたけどさすがに数週間水の中だと復活はしません。完全お亡くなり。南無  あとは部署に対する定期の検査・試験みたいなのがあったから、総出を上げて全力で対応しました。ぶっちゃけ特になにもしてないけど頑張ったで賞もらいました。まぁ月末に出て行くからね……。  あとはマイナンバーカード作ったり、青森の部署に挨拶にいったり、そんな感じでグッバイ仙台!となりました。6年半も住んだ築50年超えのクソボロのお部屋もなんだかんだで愛着があったから出て行く時は寂しかったなぁ
8月 青森新生活!  部屋は前に比べるとめちゃくちゃ新しくなってリフォームして10年経つか経たないかのすごいいい感じだけど、如何せん街の経済規模が!  仙台はなんだかんだで東北一の都会だったんだなぁって改めて実感しました。青森はその何分の1だ・・・人口はとも���く、経済規模なんだよ問題は……  まぁねぶた行ったり、竜飛行ったり観光はしてます。
9月  鶴の舞橋っていうところにもいった。全然聞いたことないけど。。。ちなみに工事中だったので風情もくそもありません。  下北半島一周もしました。大間とかね。あと恐山はよかったね。行った方がいいなあれは・・・  尻屋崎は次回持ち越しだけど。あとはガメラレーダーを間近で初めて見た。デッカ!  あと渇水って映画を見ました。プライムビデオで。水道局関係はずんだもんの動画でお勉強してたので、予備知識ある状態で見たけど、まぁ人間ドラマに比重寄せた作品だね、って感想しか。。。  実際の水道局関係のお仕事の大変さもあるけど、より実際的な話だと多分ずんだもんシリーズの方がお勉強になった。こんな人本当にいるんだねぇ。。。。って。支払いはちゃんとしないといけませんね、って実感しました。あとジョンウィックも見ました。最新作の映画は見れませんでした。。。
10月  記憶がない。。。多分バイクも乗ってない。写真も記憶も日記もないからもはや何もしてないのでは?  あ、そういえばインフルっぽいののかかりつつ仕事してました。移さないように徹底的に感染防止しながら。役職的に替わりがいないからね。。。でも2〜3週間かけてだけどなんとか薬無しでなおしました。免疫の力すごい!  それと誕生月でカードのポイントが貯まるから、自分へのご褒美兼ねてamazonのセールと合わせていろいろ買いました。スマートホーム化作戦です。結果最高です。やっぱ売れる製品には理由があるんだなぁ。
11月  雪降る前になんとかもう一回ツーリング!と思ってツーリングしたけどやっぱ少し寒かったね。あと以外と酸ヶ湯ってすぐ行けるところにあるんだって驚いた。気づけば酸ヶ湯だったし普通に通過したし。   で、その翌週にバイク預けに行きました。初雪の日に。寒過ぎ。  あとは仕事で八戸行ったり。青森市に比べるとマシな気がする。  月末に自宅近辺も雪どかっと降ったのでビビりました。え、11月なのに?みたいな  グリッドマンユニバースがプライムビデオでやってたので見ました。これは最高のやつじゃん。。。アニメ版グリッドマンとダイナゼノン両方見た人が見たらもう最高のやつじゃん。。。映画版だからこそのやつです。これぞファンサービス、ファンディスクの極みですよ。。。。
12月  うちの職場以外も含めた我が社全体イベント的な感じでわちゃわちゃしてました。訳わかんねえって思いながらやってました。  雪も積もってやばぇ!って思いながら過ごしてました。年末年始の高温でいままさにかなり溶けてるおかげで助かってるけど。これ年明けにまた気温下がって雪積もったらえらいことになるんだよね。。。困る
 こんな感じでした。段々振り返りも雑になってきてる気がするな……といっても前の時のをほとんど覚えてないからもはやどうしようもないんだけど。  で、今年一年の目標でしたが、 「改善&成長」  改善はしたのか。。。?成長はしたのか。。。?  新しい職場、新しい役職でいろいろ経験はできたけど、成長はできたのか。。。。? いろいろ問題しかなかった気がする。。。  勉強の習慣化は無理でした。。。  改善は・・・仕事関係で改善しようと努力して結局失敗したくらいか。失敗というかデータが消えたというか。。。まぁ挑戦しただけヨシか?  あとはやろうと思ってずっと、具体的には5年以上放置してた種類の投資をようやく始めました。この5年があればもっと稼げてたはずなのに。。。と後悔しても遅いので、じゃあやるしかない! と重い腰をあげました  全般としては駄目駄目です! もっと頑張れ!
2023年「改善&成長」 2022年「名実ともに成長」 2021年「着実な前進」
2024年はどうしようか。まぁ仕事関係でいろいろと画策してることもあるし、これこそ本当にちゃんと努力しないと厳しいところもあるし。 「小さな努力の積み重ね」 で行こうかな。でかい結果残すためにも、とりあえず目の前のことやらないといけないのはわかりきってるけど、出来てないから! それをやる年にしろ! おれ!
というわけで今年もありがとうございました! また来年!!!!!
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yuupsychedelic · 2 years
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詩集『青春謳歌』
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詩集『青春謳歌』作品リスト
1.「桜前線は止まらない!」 2.「四つ葉のクローバー」 3.「Mr.アンダースロー」 4.「流星バックドラフト」 5.「青ざめたアインシュタイン」 6.「淋しくない失恋」 7.「亜空戦士ネオカンダム」 8.「木枯らしが吹く前に」 9.「私たちの恋愛記念日」 10.「ニューイヤー音頭」 11.「偏愛節」 12.「ブルー・エデュケーション・ラヴァーズ」
1.「桜前線は止まらない!」
桜が咲くSeasonに私は生まれた そして母親に桜と名付けられた 私の人生にReasonなんてないけど とにかく全力で生きていければいいさ
勇気がなくて何にも出来なかった ゴールまで一歩も走れなかった そんな自分には昨日でサヨナラ やりたいことに夢中でありたい
かわいくなりたいし かっこよくなりたい 私らしく生きていきたい 欲張りでも今ならIt's Alright OK!!
桜が咲くSeasonに私は生まれた 桜と共に毎年生まれ変わる できないLogicを考えるよりも やりたい衝動があれば何でもできるさ
ロングヘアーは誰にも譲らない 人生という名の舞台で愛を叫ぶ
あいつに嫌いと言われて泣いたり 陰口に怯えたりした夜もある そんな奴らには言わせておけばいいさ 私は私のやり方で跳ね返す
あれもしたいし これもやりたい 人生なんでもやってみたい 欲張りでも私ならIt's Alright OK!!
桜が咲くAvenueを私は愛して 桜と共に毎日生きてく さすらうDreamはまとめて 今からここで叶えれば空に舞い上がる
ロングヘアーは誰にも譲らない 人生という名の舞台で愛を叫ぶ 芝居は終わらない
桜が咲き晴れ渡り 赤く染まって散り行く 四季の輪廻は希望の鐘のよう 私は今年も生まれ変わる
恋もしたい 夢も叶えたい 私をあきらめない 最後の瞬間(とき)まで いつだってFly Away
桜が咲くSeasonに私は生まれた そして母親に桜と名付けられた さすらうDreamはまとめて 今からここで叶えれば空に舞い上がる
ロングヘアーは誰にも譲らない 人生という名の舞台で愛を叫ぶ 芝居は終わらない
私は私の生き方で やりたいことをやるのさ
2.「四つ葉のクローバー」
幸せになりたいと 思いはしないけど 友達や恋人には幸せに なってほしいから
私は私を往く 邪魔はさせない 悲しみ色の先にある 未来を見るため
手首の傷は 夢の痕跡 憎しみに耐えながら ここで生きている
傷つけたい人がいるなんて 誰にも言えないさ 殺したい人がいるなんて 信じたくはないさ
だから…… 四つ葉のクローバーに 明日はいい日になれと願う
いい人でありたいと 言い続けてきたけど 私は私を演じるのが 辛くなったんだよ
誰も傷つけぬためには 何も言わないことだけ そっとここを立ち去り 旅に出ればいい
制服の傷は 旅の痕跡 衝動に耐えながら 今日を生きている
愛したい人を突然 殺してしまいそうで その場から離れたなんて 一生言えないさ
好きになればなるほど私を きっと嫌いになるから その前に愛を手放せ 恋は宝石のまま
だから…… 四つ葉のクローバーに あなたの幸せを願う
蒼いスカーフの傷は 涙の痕跡 孤独に耐えながら 光を待っている
ナイフを突きつけられることに 私は慣れすぎて あなたの優しさを 最後まで信じられなかった
悲しみの雨をそのまま 身体で受け止めて 瑠璃色の明日へ 虹の向こうを求めた
でも本当は違うんだ 臆病すぎただけ
だから…… 四つ葉のク��ーバーに 明日はいい日になれと願う
3.「Mr.アンダースロー」
背番号16が振りかぶると 強者のバットが空を切る 元祖ミスター・パーフェクト お前がやらなきゃ誰がやる
武智に関根に沢藤に 嗚呼 黎明の近鉄パールス
背番号22が振りかぶると シュートにシンカー、スライダー 野村が巧みな リードで決める
皆川に杉浦にスタンカに 嗚呼 浪速の南海ホークス
背番号17が振りかぶると おっとびっくり豪速球 カミソリシュートは 彼から生まれた
秋山に鈴木に権藤に 嗚呼 魔術の大洋ホエールズ
背番号17が振りかぶると 打者は誰もが空振り三昧 決め手はシンカー ストレートは速い
山田に佐藤に山口に 嗚呼 栄光の阪急ブレーブス
さあ 咲き誇れ 百花繚乱 ミスター・アンダースロー
4.「流星バックドラフト」
織姫と彦星が身体を重ねる傍らで ひとりの少年が走る 流れ星をコンパスに愛が迸(ほとばし)り ユイのヴィーナスは涙を流した
招待状に男の名はない 母はあいつを忘れろという それでも捨てられず 最後の夢が駆け出す
マスカレードに王妃は来ない 抗えぬ宿命に立ち向かう女の歌 レジスタンスに少年の姿はなし 叶わぬ恋敵に立ち向かう男の歌
サヨナラを告げたのは ロイヤルに縛られたくはないから
宇宙戦艦が巨大怪獣と対峙する時 ある宇宙船が銀河を超えてゆく 追手を撒くのは私の仕事だからと スナイパー・ジュンがマグナムで蹴散らす
さあ再会だ 止まった時が動き出す
銀河卿による追討司令 男と女は再び引き裂かれた サヨナラは言わない また逢うための口づけ
僕の私の 夢よ愛のまま
あの日サヨナラを告げたのは 宿命にすべてを 捧げたくはないから
地球星で子どもが 七夕の歌を唄う ファンファーレは流星 夜空の約束
マスカレードに王妃は来ない 抗えぬ宿命に立ち向かう女の歌 レジスタンスに少年の姿はなし 叶わぬ恋敵に立ち向かう男の歌
サヨナラを告げたのは ロイヤルに縛られたくはないから
さよならジュピター 愛の星間戦争 血と汗の闘争の果て ふたりは結ばれる
あの日サヨナラを告げてから ずっとあなたの温もりを求めてた
5.「青ざめたアインシュタイン」
アロハシャツ 身に纏い 渚を駆け出す アインシュタインの舌は なぜか青ざめている
サーフ・ロックに 気を取られ 波に躓く アインシュタインの舌は なぜか青ざめている
ブルーハワイの風に乗り 君の心は夏模様 相対性理論は 理解できないけど
気の置けない奴らと 過ごす夏は最高さ こんな日はパーティーでもして 朝まで騒ごう
ドライマティーニ 酔い潰れ 机上で踊る アインシュタインの舌は なぜか青ざめている
デューンバギー 聞こえるのは カリフォルニアの海 アインシュタインの舌 なぜか青ざめている
時に酔い潰れた友達を 介抱する僕 お酒は飲めないが 無性に楽しくて
気の置けない奴らと 過ごす夏の物語 季節に不似合いな風が 心を溶かしてく
瞳の奥にある憂いに気付いて 人は気付かず仕舞いの想いに 気付けぬまま別れてしまうから
ブルーハワイの風に乗り 君の心は夏模様 相対性理論は 理解できないけど
気の置けない奴らと 過ごす夏は最高さ こんな日はパーティーでもして 朝まで騒ごう
気の置けない奴らと 過ごす夏の物語 季節に不似合いな風が 心を溶かしてく
アインシュタインの舌は なぜか青ざめている
6.「淋しくない失恋」
夏祭りも一緒に行ったのに 花火もふたりで見上げたのに 電話にはあの娘の笑顔 私はひとりになった
せめて最後は笑顔で別れようと 意地を張っていたのに 涙でぐしゃぐしゃの顔のまま 手を振るのがやっとだった
憎しみなんてないと口では言うのに ほんとは憎かったよ 私の親友を奪うため かませ犬にされたのだから
それでも 好きでいたかった あなたを信じたかった
ハグもキスも手を繋ぐことさえ 全部あなたが初めて 恋愛を信じなかった私を 初めて虜にした
責任取ってよ 好きにさせたなら 夜明けが来るまでは
目が泳いでるのが気になっても あえて見ないフリをした でもリップの痕が許せずに つい切り出してしまった
言わなければ幸せなのに 言い出したら止まらなくて 最後はアパートを追い出され 夜道をひとり帰った
あんなに悲しい帰り道は 今まで一度もなかったよ 大事な人に裏切られ 怖い思いもした
それでも 好きでいたかった あなたを信じたかった
旅も泊まりも同棲だって 全部あなたが初めて 恋愛を信じなかった私を 初めて虜にした
責任取ってよ 好きにさせたなら 夜明けが来るまでは 愛して
九月の風が切なく吹き 夏は静かに終わっていく 明日の朝がもうすぐ始まり 私の夜は忘れ去られていくだろう
それでも 好きでいたかった あなたを信じたかった
ハグもキスも手を繋ぐことさえ 全部あなたが初めて 恋愛を信じなかった私を 初めて虜にした
責任取ってよ 好きにさせたなら 夜明けが来るまでは
夜明けが来るまでは
7.「亜空戦士ネオカンダム」
宇宙の掟を汚す者 誇り高きストロム星人 次の獲物は地球星 無敵艦隊迫り来る
君よ今こそ(立ち上がれ) 君よ今こそ(その時だ) ベトナム拳法 銀河斬り 一撃必殺 蒼撃烈
運命さえも変えてみせる 亜空戦士ネオカンダム
子どもの夢を踏みにじる そんな奴らを許さない 奴らが何処へ行こうとも 正義の勇者(ゆうじゃ)が逃さない
君よ今こそ(すっくと立て) 君よ今こそ(勇敢に) テレポーテーション 時を翔び ストロム怪獣 真っ二つ
運命さえも変えてみせる 亜空戦士ネオカンダム
どんなに強い敵が来て 僕らの力が奪われど 困った時は回ればいい 必殺! 怪傑モンブラン戦法
君よ今こそ(愛のため) 君よ今こそ(明日のため)
ベトナム拳法 銀河斬り 一撃必殺 蒼撃烈 テレポーテーション 時を翔び ストロム怪獣 真っ二つ
運命さえも変えてみせる 亜空戦士ネオカンダム
8.「木枯らしが吹く前に」
ルミナリエの季節が ひと月後に迫る 僕は君を見つめたまま 眠りに着いた
きっかけは些細なこと なんでもない会話 君を安心させられたなら 未来は違っただろう
最後の夜はオリエンタル・ホテルで 目の前の海がせつないね
もう二度と嘘はつかない 君を不安にさせない こんなに愛してたのに なぜ伝わらないのか
木枯らしが吹く前に この恋が終わりそう
アズーリのテラスで 君と語らった ささやかな未来の姿は 今や叶わぬ夢
ずっと好きだった 誰よりも愛してた たしかな未来の地図 一瞬で見えない
最後の夜はルイ・ロデレールで でもなぜか酔えない
愛し合っていたはずなのに いつしか不安にさせていた この関係は夜の闇みたく 静かに溶けていった
木枯らしが吹く前に この恋が終わりそう
大切なものほど 言葉で伝えたい 築くのは一年 崩れるのは一瞬
目覚めると君は煙のよう さよならも言えぬまま別れた あんなに夜を重ねたのに ぬくもりが恋しくて
僕に何が足りなかったのか せめて一言言ってほしかった 今なら直せたかもしれない 君と僕の仲だろう
もう二度と嘘はつかない 君を不安にさせない こんなに愛してたのに なぜ伝わらないのか
木枯らしが吹く前に この恋が終わりそう
木枯らしが吹く前に この恋が終わりそう
名前のない離婚届が ペントハウスに送られた 君からの惜別として
9.「私たちの恋愛記念日(クリスマス・イブ)」
忘れられない失恋さえも あなたといるだけで忘れられそう 誰かの悪口も噂話も あなたといる時間は気にならない
こんなに気の合う人が世界にいたなんて 面倒くさい 気まぐれな私を 好きだと言ってくれた
クリスマス・イブから始まった恋を 365通りの思い出が彩る クリスマス・イブは二人で過ごして 次の一年の作戦会議をしよう
愛のその先にある暮らしを ふたりで描くひと時
かっこいいとか声がいいとか 恋ってそれじゃ語り尽くせない 静寂さえも愛おしい そんな関係を恋と信じてみたい
私を抱きしめてくれる人がいるなんて 何もできない 不器用な私を 全部抱きしめてくれた
クリスマス・イブから始まった恋には 365通りの愛しさが詰まってる クリスマス・イブには来年も二人で 次の一年の作戦会議をしよう
時が流れても消えない関係で ふたりでつくる人生
還れない青春の後悔よ 戻れない一瞬の気まぐれよ もし過去からやり直せたとしても 今ならその道は選ばないだろう
クリスマス・イブから始まった恋を 365通りの思い出が彩る クリスマス・イブから始まった恋には 365通りの愛しさが詰まってる
クリスマス・イブにはこの先も二人で 次の一年の作戦会議をしよう
10.「ニューイヤー音頭」
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ヤー ヤー スタコラサッサ ヤー ヤー スタコラサッサ 僕は日本東京育ち 嗚呼 ハッピー ニューイヤー音頭
チキンにケーキに大はしゃぎ 恋に青春に大はしゃぎ ホーリーナイトにゃ我を忘れて 北は札幌 南は那覇 日本全国お祭りだ
ヤー ヤー スタコラサッサ ヤー ヤー スタコラサッサ 昨日はキリスト 今日は仏陀 嗚呼 ハッピー ニューイヤー音頭
餅におせちに舌鼓 ついでにお年玉腹肥やし そして日本酒たらふく飲めば 父ちゃんも母ちゃんも恋人も 我が家全員酔っ払い
どんな神でも叶えりゃハッピー フォーチュン中田が通りゃんせ 三ヶ日には神社も騒ぐ 嗚呼 ハッピー ニューイヤー音頭
ヤー ヤー スタコラサッサ ヤー ヤー スタコラサッサ 来週の今頃ゃ父ちゃん背広着て 嗚呼 満員電車に揺られてる
ヤー ヤー スタコラサッサ ヤー ヤー スタコラサッサ 生まれは日本島国育ち 嗚呼 ハッピー ニューイヤー音頭
11.「偏愛節」
バーバーバー バレンタインに 恋の花が咲き乱れ バーバーバー バレンタインに あの子からチョコを バーバーバー バレンタインに 貰えると信じてた
でも僕には 他に好きな人がいるから も もし 貰えたって 断らなければいけない
こー断らねば 僕は浮気してること バレちゃうんだ
バーバーバー バレンタインが こんなに悲しい季節とは バーバーバー バレンタインが 思いもしなかった バーバーバー バレンタインが あの日までは
でーでーでもね 君のこと 思ってたより好きみたい なーなーなぜか わからない 無責任でも好きみたい
こんな日は無心で 髪でも切りに行こうか
バーバーバー バレンタインなど 無くなってしまえばいいのに バーバーバー バレンタインなど 無くなればすっきりするのに バーバーバー バレンタインなど 無くなれなんてウソなのに
なんだかぼんやりしてるのは 君のことがまだ好きだから まだまだ君が好きだから
バーバーバー バレンタインに 恋の花が咲き乱れ バーバーバー バレンタイン��� あの子からチョコを バーバーバー バレンタインに 貰えると信じてた
来年君にいなければ ボーイフレンドがいなければ 今度こそチョコを 貰えればいいのにな
できれば手作りの 美味しいチョコが食べたいのサ
こんな日は無心で 髪でも切りに行こうか
12.「ブルー・エデュケーション・ラヴァーズ」
ついに言えなかったよ あなたのことが好きだと もう良いんだ 僕も君が好きじゃない
負け惜しみのようだが 言い訳させてくれ アオハルの気まぐれという 風に吹かれていただけ
遥か夕陽が沈む春の日に ふたり電車に揺られて話した その言葉は今でも忘れられないけど 君のことは明日で忘れるよ
バレンタインも貰ったし 誕生日のお祝いもあった でも僕は鈍感で 何も言えなかったんだ
君は僕を好いていたはずなのに 何故だか素直になれない 五月の道に咲くジギタリスを見つめ 花言葉に想いを馳せる
遥か朝陽が昇る夏の日に ふたり朝まで語り明かした その言葉は今でも忘れられないけど 君のことは明日で忘れるよ
思い出を宝石に閉じ込められたら ずっと美しいままでいられたのに お互いを知りすぎてしまった関係は 秋の静けさに溶けていく
恋する気持ちは嘘じゃない でも僕の気持ちは嘘ばかり 遥か月が見えない冬の日に ひとり布団に包まり涙した
君ほど好きになれた人はいないのに 最後まで伝えられないまま 卒業式の朝は憂鬱で 打ち上げにも行かないと決めた
僕の心はまだコバルトブルー 桜は春を待っているというのに 君との日々はずっと忘れられないだろう でも君のことは今日で忘れるよ
作品集『青春謳歌』クレジット
Produced by Yuu Sakaoka / Shizo Chigusa
Written by Yuu Sakaoka Drafted by Yurine(No.1,6,8,9)・TORIMOMO(No.2,5)・Shizo Chigusa(No.3,7,10,11)・Dynamite Kid(No.4)・Sakura Ogawa(No.12)
Dedicated to Sakura Kawasaki From Nogizaka 46(No.1)・Garo(No.2)・Shunsuke Watanabe(No.3)・Message from Space(No.4)・Shotaro Ishinomori(No.7)・Eiichi Ohtaki(No.10,11,12)
Designed / Edited by Yuu Sakaoka
Written / Edited at Yuu Sakaoka Studio, Osaka GRANDSLUM, Kakogawa ARIO, Kakogawa TULLY’S COFFEE, Sakura Ogawa Studio
Respect to EIICHI OHTAKI, KAZUMI YASUI, TOSHIHIKO TAKAMIZAWA, GARO, SHOTARO ISHINOMORI
Very very very thanks to my friend, my family, and all my fan!!
2023.3.26 坂岡 優
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megalobox2news · 3 years
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Anime News Networkにスタッフインタビューが掲載!
北米最大規模のアニメ紹介サイトAnime News Networkにスタッフインタビューが掲載されました!
ぜひチェックしてみてください!
https://www.animenewsnetwork.com/feature/2021-06-04/discussing-the-socio-politics-of-megalobox-2-nomad-with-you-moriyama-katsuhiko-manabe-and-kensaku-kojima/.173444
記事の日本語訳はこちらです↓↓
『Nomadメガロボクス2』は、メガロボクスの物語を驚くべき新しい方向へと進めました。 ジョーと勇利の運命的な試合から数年後、ジョーは地下ボクシングの試合で戦う放浪者となりました。 ANNは、この予想外の続編がどのようにして生まれたのかについて、監督の森山洋氏、脚本家の真辺克彦氏、そして小嶋健作氏にお話を聞きました。 
 Nomadインタビュー:『Nomadメガロボクス2』ライター陣、及び監督 
                                                          『メガロボクス』の世界に戻ってきました。勝利以来、ジョーには多くの変化がありました。『あしたのジョー』では、ジョーの結末(最期)を曖昧に描いていましたが、『メガロボクス』のジョーは、死の可能性もありましたが切り抜けたようですね。それでも、苦労しています。ジョーの物語を新たな方向へ出発させることにした経緯についてお話しいただけますか? 
【森山】:『メガロボクス』終了後は次回作となる別の企画を考えていたのですがなかなか思うように進まず、同時にプロデューサーから『メガロボクス』の続編を考えてみてはどうかと打診を受けました。前作のラストで物語としては区切りをつけたものの彼らキャラクターの人生があそこで終わったわけではない、勇利に勝利しメガロボクスの頂点に立ったことがジョーの人生の最も輝かしい瞬間であるならその後はどうなるのか。前作では描かなかったものをテーマに据えるのであれば続編をやる意味があるだろうとストーリーを考え始めました。
【真辺】:脚本家チーム含め、監督、プロデューサー全員が続編をつくることは全く考えていませんでした。別のオリジナル企画を進めていたのですが、なかなかうまくいかず、そんな時にメガロボクスが海外で高い評価を受けていることから続編をやらないかという話があり、もう一度向き合うことになりました。 ただ、全てやり切ったという空っぽの状態からのスタートだったので、どういう物語にするか? 様々なアイデアが出ましたが、これだという確信を持つまでには至りませんでした。打ち合わせが終わるといつも居酒屋で飲みながら話すのですが、そんな中で“許されざる者”になったジョーというキーワードが出ました。監督の森山氏がそれを元に今回のNOMADOのベースになるプロットを用意し、そこから自らの過ちで故郷と家族を失ったジョーの再生を核に物語を構築していきました。メガロボクスの頂点へ駆け上った奇跡の三ヶ月は通過点に過ぎない、生きている限り人生は続くのだという普遍的なテーマは私たち作り手にもフィードバックし、直面している現実や社会から目を背けることなく描こう、という共通認識が私たちに生まれました。その困惑と思考がNOMADOという物語にリアリティと熱量を持たせたのだと思います。
【小嶋】:『あしたのジョー』の結末で、ジョーは真っ白な灰のように燃え尽きました。『メガロボクス』のジョーは、リングの上で死ぬことはありませんでしたが、勇利との戦いを終え、ある意味で燃え尽きてしまったのだと思います。そんなジョーがもしもう一度リングに上がるとしたら何のためか? 続編をつくるにあたって、監督、プロデューサー、脚本チームで話し合いを重ねました。その中で森山監督から提示されたのが、チーム番外地にとって太陽のような存在であった南部の死と、罪を背負って地下を放浪するジョーというアイデアでした。あの輝かしい勝利のあとで、ジョーの身に何かが起き、すべてを失ってしまった。そのアイデアに強く魅了された私たちは、どこへどう辿り着くのかわからないまま、とにかくその方向へと物語を出発させることにしたのです。
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本作品に登場する移民体験は、多くのファンの共感を呼んでいます。チーフと彼のコミュニティに関して言えば、本物らしく(リアリティをもって)見せるために、どのようにしましたか? 何か参照したものはありますか?
 【森山】:『メガロボクス』の近未来世界には様々な国籍のキャラクターが登場することもあり、舞台の裏側のこととはいえ人種問題や移民問題は常に自分の近くにありました。それもあって続編にはその要素を物語に絡められたらと考えました。自分は移民問題についてのエキスパートではありませんが、ニュースやドキュメンタリーなどこれまで見てきたものからヒントを得て物語の構築や絵作りを行いました。個人的には映画の影響が強く、例えばケン・ローチ監督作品やスパイク・リー監督の『Do the right thing』は制作中に観返したりもしました。同じ場所で生きる様々な人間たちの複雑な関係性、表裏のある言葉のやり取りなどはチーフと仲間たち、彼らを排斥しようとする者たちの考えや行動に影響を与えていると思います。
【真辺】:私の住んでいる街では多くの外国人が暮らし、母国を離れざるを得なかった難民の方もいます。恥ずかしい話ですが、彼らに偏見を持ち、差別的な言動をする人間も存在します。 歴史を遡ると、多くの日本人がアメリカだけでなく、中南���に移民として海を渡りました。今の日本には日系ブラジル人や日系ペルー人の方々が各地で暮らし、カーサのようなコミュニティがつくられています。いわれなき差別を受け、満足な公共サービスを受けられない人々に対し、私も含め多くの日本人は労働の担い手としか見ようとせず、無関心を貫いてきました。既に二十年以上、この国で共に生きているにも関わらず、です。無知が恐れを生む悪循環を止めることは困難ですが、わずかでも抗うためのクサビを打ちたい、そんな思いをこの物語に込めました。共感を呼んでいるのだとすれば、その祈りが届いているのだと思います。私は悲観主義者なのですが、掲げた理想を現実に引きずりおろす愚かな真似はしたくないのです。
【小嶋】:私が住んでいる埼玉県の蕨市という小さな町には、外国からの移住者が多く暮らしています。排外主義者のグループがヘイトスピーチをしに来たこともあります。特にクルド人住民の数は日本の中で一番多く、”ワラビスタン”とも呼ばれています。彼らは母国での迫害を逃れて日本にやって来た人たちとその家族ですが、政治的理由で難民申請を受理されないまま、人権を制限された状態で暮らしています。日常的に彼らの姿を目にしていることが、本作品での移民体験の描写に影響しているのかもしれません。 参照した作品を一つ挙げるとすれば、イギリス映画『THIS IS ENGLAND』です。ミオと地元の少年たちの関係を描く際に参照しました。
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勝利した後、ジョーは、ある層の人々からヒーローとして受け入れられるわけですが、『メガロボクス』のジョーに、どういう男性像を見出しますか?  また、ジョー(の生き様)が心に響くとすれば、どういうことを体現しているからだと思われますか?(ジョーという存在のどういうところが、心を打つのか…皆さんにとってどういう存在でしょうか)
  【森山】:人種も何も関係のないひとりの人間の個の獲得、その強さや輝きというものがジョーというキャラクターの魅力なんだと思います。だからこそ助け合え、共に生きていけるという希望の象徴です。そこを描くことが前作のテーマであり課題でした。ジョーは男性ですがそこに性差は関係なく『メガロボクス』のキャラクターにはそういう思いを込めました。
 【真辺】:『大きな力に対し、おもねるのではなく抗う』。名もなき存在であったジョーがメガロボクスの頂点に立ち、虐げられる立場の人々にとって希望の灯りとなった。チーフはまさにその象徴です。しかし、南部という父親を失ったジョーは、自らが父親の役目を果たそうとして家族であるサチオたちを傷つけてしまう。そのことは“男らしさ”という呪いの言葉に囚われた幼い自身の姿をさらけ出すことになりました。 家父長制とマチズモが賞賛される社会で生まれ育った人間にとって、この病を克服することは厄介です。かつてチーフもそうだったのかもしれません。ですが、チーフは家族を失いながらも成熟した“良き大人”の姿をこの物語の中で見せてくれました。ジョーもチーフのバトンを受け取ったことで、呪いから解放される姿を見せてくれるでしょう。 ジョーの魅力は、自分の弱さや不安を誰かを貶めることで解消しようとしない愚直な誠実さであり、優しさを失うことのない高潔さだと思います。そして冒頭に書いたように、権力や権威を嫌って、諦めずに抗い続ける強さ。私にとって彼は敬意を払うべき友人であり、「そんな風になりたい」と思う人間のロールモデルです。
【小嶋】:ジョーが体現しているものは“信じる力”だと思います。金でも、権力でも、神様でもなく、人を信じる力です。彼は“ギアレス”ジョーとしてチャンピオンになりましたが、心はずっと“ギアレス”のままです。相手に生身でぶつかっていくその無防備な誠実さと危うさが、見る人の心を打つのだと思います。
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アニメやスポーツにとって、『あしたのジョー』の遺産は、どういうものだと思われますか?
 【森山】:難しい質問でうまく答えられませんが……創作の場においては未だ影響の大きい作品で��。
【真辺】:スポーツの面では、日本でスーパースターになった辰吉丈一郎というプロボクサーがいます。WBCのバンタム級チャンピオンでした。彼の丈一郎という名前は、彼の父親が主人公の矢吹丈から取ったものです。私も大好きなボクサーでした。 アニメの面では、特に『あしたのジョー2』については影響を受けていない作り手はいないと思います。技術面だけでなく、伝説の漫画原作に負けまいとせめぎ合う高い志に感銘を受けました。簡単に消費されないエバーグリーンな名作であり、未だに心を震わされます。
【小嶋】:『あしたのジョー』は、強烈なロマン主義と情念のリアリズムを併せ持つ偉大な物語です。その精神性は、アニメやスポーツに限らず、日本の文化に大きな影響を与えていると思います。しかし一方で、男らしさや、死の危険を顧みず命がけで戦うことを良しとする、いわゆる「男の美学」については、現代の価値観では受け入れ難いものがあることも確かです。それをどう乗り越えていくかが、今のクリエイターたちに与えられた課題だと思います。
視覚的に、メガロボクスは複数の点で特徴的です。その「粒子の粗い」外観にした背景には、どういう狙いがありますか?
 【森山】:前作『メガロボクス』を制作中は原案である『あしたのジョー』とは距離を取りながら近づける、ということを意識していました。例えば、舞台だては大きく変えるが物語のテーマは引き継ぐというようなことです。「粒子の粗い外観」もその一つで、最新作を再放送のような画面で見るということがひとつ魅力になるんじゃないかと考えました。シンプルな構造の物語にはインパクトある画面が必要だったこともありますし、VHSのような劣化した画面が自分にとっては魅力的に映ることも大きいです。
森山監督は、コンセプトデザインの経験が豊富ですが、「ノマド」の世界を視覚化しようと思った出発点/インスピレーションは何でしたか? 監督ご自身が以前に関わった作品で得たスキルやアイデアで、メガロボクスの土台を築くのに役立ったものはありますか?
 【森山】:インスピレーションはほとんどの場合これまで観てきた作品が深く影響していて、映画や音楽から得たものが特に大きいです。『NOMAD』制作中は特にアメリカやスペインの西部劇を観返すことが多かったです。他にもカメラワークなど昔ながらの方法で撮影された映像の雰囲気を取り入れたかったので60~70年代のニューシネマも良く観返しました。自分は実写の映像からアイデアを得ることが多いです。コンセプトデザインに取り組む方法は作品によって異なりますが、『メガロボクス』の場合は脚本チームとのミーティングも自分にとっては特に重要な要素です。会話の内容にかかわらずコミュニケーションのすべてが作品に影響していると思います。
真辺さんと小嶋さんは以前、実写のNetflixシリーズ『深夜食堂』でも一緒にお仕事されていますね。一緒に仕事をするようになったのはいつからですか。お二人の仕事上の関係はどのようなもので、どのように一緒に作業されるのでしょうか?
 【真辺】:小嶋氏と共作するようになったのは、Netflixシリーズ『深夜食堂』からです。私が所属するシナリオ作家協会のシナリオ講座で講師をしていた時に、彼が講座生として来たのが出会いです。カリキュラムで2時間の映画脚本を書くのですが、彼は福島の原発事故をテーマにした話を書きたいと言ってきました。「センシティブな題材なので簡単じゃない」と私はアドバイスしましたが、「これを書かないと前に進めない」と彼は言い、取材をして書き上げました。そのことで「信頼できる書き手になるだろう」と思い、深夜食堂の監督である松岡氏に紹介しました。そして松岡氏の信頼も勝ち取り、脚本家チームに加わることになったのです。 出会いこそ講師と講座生ですが、シネフィルで映画の知識が豊富にある彼のアイデアは刺激があり、上下関係なく優秀な一人の脚本家として敬意を持って仕事をしています。 互いの家でアイデア二割、無駄話���割をしながらプロットを考え、脚本まで仕上げていくスタイルです。多少どちらかが先行するケースもありますが、プロットの段階で互いの意見を遠慮せずに言い合うことで、船を間違った方角に進ませる悲劇は起こりません。もちろん納得出来ないこともありますが、言葉を惜しまず耳を傾ければ、相手の意図が「この作品にとってプラスになるか、そうでないか」を判断出来ます。  脚本家にとって最も重要なことは、設計図であり楽譜でもある脚本をどれだけ強靭なものに仕立てられるかが作品作りのトップランナーとしての役目だと考えています。たまに私が先輩風を吹かすこともありますが、小嶋氏は寛容な心で受け入れてくれます。恐ろしくて本人には確かめられませんが。
【小嶋】:出会ったのは2012年です。真辺さんは私が通っていたシナリオ学校の講師でした。卒業後、真辺さんに誘われて、『深夜食堂』のプロジェクトに参加することになりました。以降、一緒に仕事をしています。 真辺さんとの作業はいつも、たくさん話しをすることから始まります。見た映画やドラマ、読んだ本、身の回りの出来事や世の中で起きているニュースなど、その時々の関心事についての会話の中から、アイデアが生まれ、少しずつ物語の形が見えてきます。仕事を忘れて、お喋りだけで一日が終わることも珍しくありません。そんな日は二人とも罪悪感に苛まれます。とにかく、そうやって書いたものを互いに読みあい、率直な意見を交わしながら、ブラッシュアップしていきます。  私は理屈っぽく観念的に考えてしまう癖があるので、真辺さんの直感的で具体的なアドバイスに、いつも助けられています。
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trinityt2j · 4 years
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ダ-ティ・松本 不健全マンガ家歴30年[-α]史 ●はじめに  この文章は同人誌「FUCK OFF!7」において書かれたものをベースにして逐次増補改定を加えていき、いずれ歴史の証言として、[というほど大袈裟なものでは無いが…]一冊の本にまとめたいという意図のもと、近年どんどん脳が劣化していくダ-松の覚え書きとしても使用の予定。事実関係は間違いに気付き次第 訂正。同人誌発表時のものも今回自粛配慮して、実名、エピソード等を削除した箇所有り。有り難い事に某出版社よりすでに出版打診があったがまだまだその時期ではない、マンガを描く事が苦痛になったら活字の方も気分転換にいいかも…。 /*マークは今後書き加える予定のメモと心得たし。 ●前史/修行時代・1970 さいとうプロの短くて濃い日々……  1968年に上京。数カ月後東京は戦場に。熱い季節の始まりだった。 2年後親元を飛び出し友人のアパートに転がり込む。場所は渋谷から井の頭線で駒場東大駅下車、徒歩5分。地図で見ると現在の駒場公園あたり。昼間でも裸電球を付けなければ真っ暗という馬小屋のような部屋。数メートル先には当時の建設大臣の豪邸が…。前を通りかかるだびに警備のおまわりがじろり。  いつまでも友人に迷惑もかけられないのでとりあえずアシスタントでも…と手元にあったマンガ誌をひっくり返し募集を探す。幸いさいとうプロと横山まさみち氏のところでアシ募集があり両方応募。どっちか一つ通れば…と思っていたら何と両方受かってしまい、双方に条件を聞く。当時高円寺 のアパート、風呂無し4畳半の部屋で相場12000円の時代。前者一ケ月の給料10000円、後者20000円との事。給料の方がボロアパートの家賃より安いとは…!どう考えても前者は食う方法がないと判断し、後者さいとうプロへ入社。  ここに居たのはたったの半年に過ぎないけれど今思えばこれだけで本が一冊描ける位の濃い半年だった。しかしこのあと2X年分も書かねばならないことを思えば今回はいくつかのエピソードを書くだけに留めよう。  ダー松が入った時は小池一夫氏[クビ?]、神田たけ志氏や神江里見氏、きしもとのり氏[現・松文館社長]等と入れ替わりの時で、きし氏の女遊びの凄さと神江氏の絵のうまさは伝説になっていた。現在「亀有」「ゴルゴ」が歴代単行本の巻数の多いベスト1、2位だが[ともに100巻を越えた]、3位は神江氏の「弐十手物語」[70巻以上]だという事は知ってる人は少ないだろう。  当時の制作部は、さいとうたかを[以下ゴリ]をトップに石川班[ゴルゴ13、影狩り]、甲良班[バロム1]、竹本班[シュガー、どぶ等]の3つに分かれ、それぞれのキャップにサブ・チーフが一人づついて、ヒラが2~6人いるというシステムで総16名。独立し現在も活躍中の叶精作、小山ゆう、やまさき拓味の3名がそれぞれの班のサブ・チーフ。ダー松は石川班で左右1メートル以内に叶氏とゴリにはさまれ、のんびり出来ない状態で、はなはだ窮屈。叶氏はほとんどマンガ家になりたいとも思った事のなかった人で、設計事務所みたいなところで図面を引いていた人がなぜマンガプロダクションに来たのか不思議だった。格別マンガ好きというわけでもなかったせいか現在まで全ての作品が原作もので、オリジナルは一本もないのはそのせい?祭りなどの人がうじゃうじゃ出てくる群集場面が得意。 やまさき氏は大の競馬好き、現在競馬マンガを多く描くのは当時からの趣味が生きたというべきか。もう一つの趣味である風俗についてはここでは書くのは差し控えよう。小山氏は後日ここの事務の女性と結婚するが、当時はつき合っているとは誰も知らず、スタッフの一人がやめる時その女性に交際を申し込んだら、茶店に呼び出されて小山氏からと凄まれたと聞いたが嘘か本当かは不明。  ここでの生活は新入り[ダー松を含めて3名]は朝の9時前に会社に行き、タイムカードを押し、前日のごみをひとまとめして外に出し、トイレ掃除をして、16人分のお茶を2Fで入れて制作部のある3Fへの狭い階段をふらふら昇り、机ごとに置いて歩き、終れば、一息ついて買っておいたパンと牛乳を3分で食べて、やっとそれから仕事。しかし新入りの3名の内1人折茂は常に遅刻なのでいつも佐藤と2人でやっていた。佐藤も遅れる時はダー松1人で。辞めてから10年位、16人分のお茶を持って階段をふらふら歩きお盆をひっくり返す夢をよく見たものだが、実際ひっくり返したのは折茂と佐藤の2人で、よく茶碗を割っていた。 たまには夕方6時には帰れるが、普通は夜10時までで、アパートに帰って銭湯に行けばもう明日にそなえて寝る時刻、このくり返しの日々。週1日は徹夜で明け方に帰り、その時は当日の昼12時出勤。休日は日曜日のみで忙しい時はそれも取り消し。つまり休みは月3日。[これで給料2万円!]そんな日々の繰り返し。  夕方までは皆和気あいあいと仕事していたが、ゴリが夕方6時頃に「おはようさん」と現れると、全員無駄口がたたけなくなり、仕事場はシーンと静まり返り、以下その日が終わるまでは疲れる時間がただひたすら流れるのみ。 当時石川班は「ゴルゴ13」と「影狩り」を描いていたがゴリは主人公の顔と擬音のみ。マジックで最後に入れる擬音はさすがに入れる位置がうまいと感心。ゴルゴの顔はアルバムに大小取り混ぜてコピーがとってあり、忙しい時は叶氏がピンセットで身体に合わせて「これが合うかな~」といった感じで貼り付けていた。  その頃すでに「ゴルゴ」は近々終わると噂されていたが、現在もまだ続いているとは感嘆ものだ。 ゴリと石川氏が「ゴルゴ」の最終回の終わり方を話しているのを聞いたら、何ともつまらない終わり方。しかしあれから20年以上も経つ事だし、きっともっといい終わり方を考えてあるだろうなと思っていたら、先日TVで本人が最初から考えてある終わり方だと言うのを聞き、がっくり。企業秘密だろうから書かないが、作品の最初の方に伏線が数度出ているのでわかる人にはすぐわかる筈。  辞めた小池一夫氏とさいとうプロに何があったかは知らないが、漏れ聞く話では結構もめ事があったみたいだ。 「子連れ狼」で「ゴルゴ13」と同じ設定の回があった時、「小池のガキャー訴えたるー!」とゴリが吠えていたものだが、結局たち消え。さいとうプロ作品で脚本を書いた本人が辞めた後、他の作品で同趣向の作品を書いても著作権は脚本を書いた原作者のものだと思うがどんなものだろう。その回のタイトルは忘れたが、ある場所に居合わせた人々が武器を持った集団の人質となり、その中に素人だと思われていた主人公、実は殺しのプロフェッショナルがいて、次々とその集団を殺していく、といったプロットで、ミッキー・スピレーンの短編に同じような作品があり、本当に訴えていたら恥をかいたと思うが・・・。  そういえば事務の方には山本又一郎という男がいたが、後年映画プロデューサーとして 「ベル薔薇」や「太陽を盗んだ男」等を創る事になるが、この野郎が生意気な男で当時皆に対して10歳は年上、といった感じの振る舞いだったが後日俺と一つしか年が離れてなかった事を知り、そんな若造だったとは、と皆怒ったものだ。以来奴の事を「マタさん」から「クソマタ」と呼ぶようになる。  さて半年後に先輩たちが積もり積もった不満を爆発させる反乱事件が勃発し、2年は居るつもりでいたここでの生活も、辞めるか残るかの選択を迫られる。残ればさいとうプロの現体制を認める事となるので、ダー松も退社。 しかし反乱グループとは別行動をとって一人だけの肉体労働のアルバイター生活へ突入。超ヘビーな労働の製氷工場、人使いの荒い印刷所、命綱もない高所の足場で働く建設現場等々。トラックの助手をしていた時は運ちゃんが「本宮ひろしって知ってるか?うちの息子の友達でさぁ、昔、おっちゃんメシ食わしてくれーなんて言ってきたもんだが、今は偉くなっちゃってさー、自分のビル建てたらしいよ。赤木圭一郎みたいにいい男なんだ。」とうれしそうに話してくれたが、運ちゃんには悪いがそいつは今も昔も一番嫌いなマンガ家なんだ。あの権力志向はどうにかならんか。天下を取る話ばかりだもんなぁ。  ところで後日、単行本の解説で高取英が「さいとうたかをのヤローぶっ殺してやる!」とダー松が言ったなどと書いているが、小生はそんな危ない事言った覚えはないのでここできっちり訂正しておきます。 「会社に火ィつけてやる!」位は言ったかも・・・[嘘] 。 悪口は言っても別に怨みなど無い。ところでアシスタントとしてのダー松は無遅刻、無欠勤以外は無能なアシだったと反省しきり。理想的なアシスタントとはどんなものか、それはまた別の機会に。 *入社試験はどんな事を? *さいとうプロには当時ほとんどろくな資料は無かった? *ハイジャックの回の飛行機内部の絵は、映画「大空港」を社内カメラマンが映画館で写してきたものをもとに描く。 *当時のトーンは印刷が裏面にしてあり上からカッターでけずったり出来ない。 *トーンの種類は網トーンが数種、それ以外はほんの3、4種類位しかなかった。 *仕事中のB.G.M.はアシの一人が加山雄三ばかりかけるので大ひんしゅく。好評だったのは広沢虎造��浪曲「次郎長三国志」、初代桂春団次の落語。眠気もふっとぶ位笑えた。 ダ-松が岡林信康の「見る前に跳べ」をかけてるとゴリは「何じゃー!この歌は!」と怒る。名曲「私たちの望むものは」はこの男には理解不能。 ●1 9 7 1 ~ 1 9 7 4  持 ち 込 み & 実 話 雑 誌 時 代    当時は青年劇画誌全盛時代で、もともと望月三起也氏や園田光慶氏のファンで活劇志向が強く、 主にアクションもののマンガを描いて持ち込みに行っていた。今のようにマンガ雑誌が溢れかえって、山のようにマンガ出版社がある時代ではなく、数社廻るともう行くところがない、という状態で大手では「ビッグコミック」があっただけで 「モーニング」も「スピリッツ」も「ヤン・ジャン」も当然まだない。テーマを盛り込んだ作品を持って行くと編集から「君ィ、うちは商売でやっているんだからねぇ」と言われ、アクションに徹した作品を持って行くと「君ぃ、ただおもしろいだけじゃあねぇ」と言われ 「おい、おっさん!どっちなんだ?」とむかつく事多し。この辺の事は山のように書く事があるが、有りすぎるのでパス。 *そのうち書く事にする。  ただ金属バットで頭をカチ割って脳みそをぶちまけてやりたいような奴が何人もいたのは事実。今年[’97]「モーニング」に持ち込みに行って、断られた奴が何万回もいやがらせの電話をかけて逮捕された事件があったが、そのうちトカレフを持って殴り込みに行く奴が出てくるとおもしろい。出版社も武装して大銃撃戦だぁ!などと馬鹿な事書いてどうする!とにかく持ち込みにはいい思い出が何もない。そんな中、数本だけ載った作品は渡哲也の映画「無頼」シリーズの人斬り五郎みたいな主人公がドスで斬り合う現代やくざもの[この頃の渡哲也は最高!]、ドン・シーゲルの「殺人者たち」みたいな二人組の殺し屋を主人公にした『汚れたジャングル』、陽水の「傘がない」が好きだという編集さんの出したテーマで車泥棒とブラックパンサーの闘士とのロード・ムービー風『グッバイ・ブラザー』、拳銃セールスマンを主人公にした『ザ・セールスマン』、等々10本ちょい位。  さてその頃並行してまだエロマンガ専門誌といえるようなものがなかったような時代で、実話雑誌という写真と記事ページからなる雑誌に4~10ページ位を雑誌の味付けとして描かせてもらう。当時、お手本になるようなエロマンガなど皆無で、エロ写真雑誌を古本屋で買ってきてからみのポーズを模写。マンガで裸を描く事はほとんど初めてで、これがなかなか難しいのだがエロシーンを描くのは結構楽しい。当時出版社に原稿持って行き帰りにグラフ誌をどっともらって帰るのが楽しみだった。SM雑誌の写真ページも参考になる。なお当時のペンネームは編集部が適当につけた池田達彦、上高地源太[この名前はいけてます。また使いたい]等。その数年後、逆にマンガが主で記事が味付けというエロマンガ誌が続々と創刊される。 *さいとうプロをやめたあと編集や知人に頼まれて数人のマンガ家の所へ手伝いに行く。秋田書店「漫画ホット」で『ジェノサイド』を連載中の峰岸とおる氏の所へ行き、仕事が終わったあとまだ売れてない頃の榊まさる氏も交え酒を飲む/川崎のぼる大先生のところへ数日だけ/3000円たこ部屋/小山ゆうオリオンププロ *当時のアルバイトは記憶によると時給150~200円位/大日本印刷市ヶ谷駐屯地/坂/ *一食100円/どんなに貧しい漫画家もみかん箱の上で書くやつはいない/TV萩原サムデイ *ろくでなし編集者 ●1 9 7 5 ~ エ ロ マ ン  ガ 誌 時 代 に 突 入   実話誌は意外とエロは抑え目で描くように口すっぱく言われていたのだが、以前活劇っぽい作品を描かせてもらってたが潰れてしまった出版社にいた児島さんが編集する「漫画ダイナマイト」で打合せも何にもなしに好きに描かせてもらい、ここでエロマンガ家としての才能[?]が開花する。描いてて実に楽しく眠る時間がもったいない位で、人に睡眠時間が必要な事を恨んだ程。出来る事なら一日中休まず描いていたい気分で完全にはまってしまう。  初の連載作品「屠殺人シリーズ」はこの頃から/『漫画ポポ』。中島史雄氏は大学時代にこの作品を見ていたとの事で、トレンチコートにドクター・ペッパー模様のサイレンサーつきマグナム銃で遊戯人・竜崎一也が犯しまくり殺しまくり、サディスト、マゾヒスト、殺人狂、まともな奴が一人も出てこない性と暴力の祭典。ちなみにタイトルページは描かないでいい、との事でどうするのかと思っていたら編集部が中のワンカットを拡大してタイトルページを創り、1ページぶんの原稿料をけちるというせこいやり方だった。けちるといえば、原稿の1/3にCMを入れる際、原稿料を1/3削った会社もあり。 ●1 9 7 6 ~   後に発禁仲間となる高取英と出逢い、『長編コミック劇場』で「ウルフガイ」みたいのをやろうと、怒りに震���ると黒豹に変身してしまう異常体質の主人公を設定し、獣姦のイメージで「性猟鬼」なるエロマンガをスタート!しかしその号で雑誌が潰れる。この路線は今でもいけそうな気がするがどんなものだろう。  この頃の珍品に「快楽痴態公園」がある。タイガースに11-0とワンサイドで打ちまくられ、怒ったジャイアンツファンのおっさんが公園でデート中の女をずこずこに犯りまくり、その間にジャイアンツは9回裏に12-11とゲームをひっくり返してしまうのである!その時のジャイアンツの監督はもちろんミスター長嶋、先発堀内、打者は柴田、土井、高田、王、張本等々がいる。タイガース監督は吉田、ピッチャー江本、キャッチャーフライを落球する田淵、そしてあの川藤もいる。解説は牧野…… ●1 9 7 7 ~   上記2作品を含む初の単行本「肉の奴隷人形」が久保書店より発行。後にリングスの会場で逢った佐竹雅昭氏はこの本が一番好きとの事だった。  「闇の淫虐師」もこの年スタート。一話完結でバレリーナ、バトンガール等々、毎回いろんな女たちをダッチワイフのごとくいたぶりまくるフェチマンガとして1979年まで続け、単行本は「堕天使女王」「裂かれた花嫁」「エロスの狂宴」「陶酔への誘い」「終りなき闇の宴」の全5巻。ちなみに今年「闇の淫虐師’97」を『コミック・ピクシィ』にて発表。いつか『闇の淫虐師・ベスト選集』でも出したいところ。 [’98に実現、’99には続刊が出る] ●1 9 7 8 ~   久保書店より第2弾の単行本「狂った微惑人形」。収録作品の「犯された白鳥」は持ち込み時代に描いた初のバレリーナもの。結構気に入っていた作品なのに、後年再録の際、印刷所の掃除のおばさんが捨ててしまい、この世にもはや存在しない不幸な子となる。[’99に宝島スピード・ブックに本より直接スキャンして収録]  エロ、グロ、ナンセンスの会心作「恍惚下着専科」を発表。サン出版より同名の単行本発行。また同出版より「コミック・ペット/堕天使画集」として今までの作品を続々単行本化。全10巻位。これは今でも古本屋で流通しているとの事で、まだまだ世間様のお役にたっているらしい。  この年、「堕天使たちの狂宴」を描いていた『漫画エロジェニカ』が発禁処分、来年でもう20年目となる事だし、当時の人たちと集まってその大放談を収録し「発禁20周年特集号」でも創ってみようかと計画中。さて当時の秘話としてもう時効だろうから書いてみるけど、前述の『堕天使画集』に「堕天使たちの狂宴」は収録される事となり、当然修正をガンガン入れて出版されるものと覚悟していたら、米国から帰国後出来上がった本を見ると発禁になった状態のまま再録されている!以下桜木編集長との会話 ダ/いや~、いい度胸してますね。 編/だって修正してあるじゃない。 ダ/その修正状態で発禁になったんですよ 編/・・・・・ ダ/・・・・ 以下どんな会話が続いたのか失念…… それにしてもサドの「悪徳の栄え」の翻訳本は発禁後20年以上して復刻されたけれど、「堕天使たちの狂宴」は半年もしない内に単行本になっていたとはエロ本業界とは何といいかげんな世界!しかし作品そのものは、今見るとリメイクする気にもならないどうという事もない可愛い作品で、結局あれもあの時代の姑息な政治のひとかけらに過ぎなかったのだろう。いい点があるとしたら一つだけ、それまでのエロマンガになかった瞳パッチリの少女マンガ的ヒロインを登場させた事位か。今の美少女エロマンガは本家の少女マンガもかくや!という位眼が大きいが当時としては画期的だったかも。 ●1 9 7 9 ~   この年の「淫花蝶の舞踏」は「堕天使たちの狂宴」よりずっといい/『漫画ソフト』。今年出た「別冊宝島/日本一のマンガを探せ!」でベスト2000のマンガがセレクトされているが、ダー松の作品の中ではこの作品が選ばれている。教師と生徒、二人の女たちが様々な男たちの手によってに次々ともてあそばれ、闇の世界を転々として再び巡り会う時、女たちは蝶と化し水平線の彼方に飛び去り、男たちは殺し合い血の海の中で屍と化す。ダー松作品にはこのように男根が女陰の海に飲み込まれてに負けるパターンが多い。[性狩人、遊戯の森の妖精、美少女たちの宴、人魚のたわむれ・・等々]  この年からスタートの「性狩人たち」シリーズ[劇画悦楽号]はバレエ、バイオレンス、SEXの三要素がうまくからみあい、それぞれが頂点まで達する幸福な神話的作品だ。ここから派生した路線も多く、美少年路線は’83の「聖少女黙示録」へ。身体障害者路線は’80の「遊戯の森の妖精」、’84からの「美姉妹肉煉獄」へと繋がる。’81の最終話「ハルマゲドンの戦い」ではせりふなしで24ページ全てが大殺戮シーンという回もあり、中でも一度やりたかった見開きで銃撃戦の擬音のみという事も実現。こんな事がエロマンガ誌で許される時代だった。ちなみにこの回は[OKコラルの決闘・100周年記念]だが、何の意味もない。単行本は最初サン出版より、その後久保書店より「白鳥の飛翔」「少女飼育篇」「ヘラクレスを撃て!」「眼球愛」「海の女神」の全5刊。現在入手出来るのは後の3刊のみ。[「海の女神」も最近在庫切れ]  この年出た「人魚のたわむれ」の表題作は性器に{たこ}を挿入するカットを見た編集長が「・・・[沈黙]・・・頭おかしいんじゃ・・ブツブツ・・気違い・・・ブツブツ・・・」と呆れてつぶやいていたのを記憶している。たこソーニューは今年出た「夜顔武闘伝」で久しぶりに再現。なおこの作品は’83にマンガと実写を噛み合せたビデオの珍品となる。水中スローモーションファックがなかなかよい。 ●1 9 8 0 ~   なぜか「JUNE」の増刊として作品集「美少女たちの宴」がサン出版より出版され、その短編集をもとに脚本化し日活で映画が創られる事となる。[「花の応援団」を当てたこの映画の企画者・成田氏は日活退社後「桜の園」等を創る。]その際、初めて映画撮影所を見学し、せこいセットがスクリーン上ではきちんとした絵になってるのを見て映画のマジックに感心。タイトルはなぜか「性狩人」で、’96にビデオ化された。監督・池田敏春のデビュー第2作となり現在までコンスタントに作品を発表しているが、出来のいい作品も多いのになぜか代表作がない。初期の「人魚伝説」が一番いいか。  この映画に合わせて「美少女たちの宴」を2~3回のつもりで「漫画ラブラブ」で描き出すがどんどん話がふくらみ、おまけに描いてる出版社が潰れたり、雑誌が潰れたりで雑誌を転々とし条例による警告の嵐がきた「漫画大飯店」を経て、「漫画ハンター」誌上で完結したのは’83になる。この作品でクリトリスを手術してペニスのように巨大化させるという人体改造ものを初めて描く。  この年の「遊戯の森の妖精」は身体障害者いじめ鬼畜路線の第2弾!森の中の別荘に乱入したろくでなしの二人組が精薄の少女の両親達を虐殺し、暴行の限りをつくすむちゃくちゃな作品で、雷鳴の中、少女の性器に男達のペニスが2本同時に挿入されるシーンは圧巻!しかしこのとんでもない男達も少女の性のエネルギーに飲み込まれ、朽ち果てていく・・・。 ●1 9 8 1 ~   美少女マンガ誌のはしり「レモン・ピープル」誌創刊。そこで描いたのが「白鳥の湖」。虚構の世界のヒロインを犯すというコンセプトは、アニメやゲームのヒロインをずこずこにするという今の同人誌のコンセプトと同じかも。バレエ「白鳥の湖」において悪魔に捕われたオデット姫が白鳥の姿に変えられる前に何にもされてない筈がないというモチーフにより生まれたこの作品は、悪魔に男根を植えつけられたヒロインが命じられるままに次々と妖精を犯して歩き悪魔の娘となるまでを描くが、あまり成功したとは言えない。ただ人形サイズの妖精をしゃぶりまくり淫核で犯すアイデアは他に「少女破壊幻想」で一回やっただけなのでそろそろもう一度やってみたいところ。「ダーティ松本の白雪姫」はその逆をいき、犯す方を小さくした作品で7人の小人が白雪姫の性器の中にはいり、しゃぶったり、処女膜を食べたり、と乱暴狼藉![ちなみに両者をでかくしたのが同人誌「FUCK YOU!3」の「ゴジラVSジュピター」]この童話シリーズは意外と好評で続いて「ダーティ松本の赤い靴」を上記の単行本に描き下ろして収録。童話は結構残酷なものが多く、この作品も切られた足だけが荒野を踊りながら去って行くラストは原作通り。 *近年童話ブームだがこの頃もっと描いておけば「こんなに危ない童話」として刊行出来たのにとくやまれる。 「2001年快楽の旅」もこの本に収録。快楽マシーンを逆にレイプしてしまう、珍しく映画「2001年宇宙の旅」風のSF作品。  掲載誌を決めずに出来る限り多くのマンガ誌で描こうというコンセプトで始めたのがこの年スタートした「怪人サドラン博士」シリーズ。「不死蝶」シリーズや「美少女たちの宴」シリーズの中にも乱入し、「漫画ハンター」最終号では地球をぶっ壊して[その際地球は絶頂の喘ぎ声をあげ昇天する!]他の惑星へ行ってしまう。今のところ10誌位に登場。いつかこのサドラン・シリーズだけ集めて単行本化したいところ。ちなみに「サド」と「乱歩」を足して「サドラン博士」と命名。作者の分身と言っていい。 [後年、「魔界の怪人」として全作品を収録して刊行、04年現在品切れ中]  この年描いて’82の単行本『妖精たちの宴』に収録の「とけていく・・」はレズの女たちが愛戯の果てに、肉体が溶けて一匹の軟体動物と化す、タイトルも内容も奇妙な作品。作者の頭もとけていた? ●1 9 8 2 ~ 1 9 8 3   ’83年に「美少女たちの宴」が完結。全てが無に帰すラストのページは真っ白のままで、このページの原稿料はいりません、と言ったにもかかわらず払ってくれた久保書店、偉い![明文社やCM頁の稿料を削った出版社=某少年画報社なら払わなかっただろうな……と思われる……]この作品以外は短編が多く、加速度をつけてのっていく描き方が得意のダー松としてはのりの悪い時期に突入。また10年近く走ってきてだれてきた頃でもあり第一次落ち込み期と言っていい。マンガがスタンプを押すように描けないものか、などとふとどきな考えまで湧いてくる。思えば一本の作品には、いったい何本の線を引いて出来上がっているものなのか。数えた馬鹿はいないだろうが数千本は引いている筈。一ヵ月に何万本とペンで線を引く日々・・うんざりする筈です。  この頃のめぼしい短編をいくつか書くと、少女マンガ家の家に税務調査にきた税務署員が過小申告をネタにねちねちいたぶるが、アシスタントに発見された署員は撲殺される。そして板橋税務署は焼き討ちにあう、といった作品「[タイトル失念]xx税務調査」。[後日読者よりこのタイトルを「色欲ダニ野郎」と教えていただく。ひどいタイトル *編集者のつけるタイトルはその人のセンスが実によくわかる。しかしサイテ-の題だなこりゃ…。 果てるまで「おまんこして!」と言わせながら処女をやりまくる「美処女/犯す!」はラスト、狂った少女が歩行者天国の通行人を撃ちまくり血の海にする。「嬲る!」はパンチドランカーとなった矢吹ジョーが白木葉子をサンドバッグに縛りつけ、殴って、殴って、殴りまくる。段平おっちゃんの最後のセリフ「・・ブスブスくすぶっちゃいるが・・・」「打てッ!打つんだ!ジョー!」「お前はまだ燃えつきちゃいねえ!」とはエロ・ドランカーの自分自身に向けて発した言葉だったのかも。トビー・フーパーばりの「淫魔のはらわた」は電気ドリルでアナルを広げてのファック!とどめにチェーンソーで尻を切断!いまだに単行本に収録出来ず。[’98の「絶頂伝説」にやっと収録]「からみあい」は夫の愛人の性器を噛みちぎる。「危険な関係」はアルコール浣腸をして火をつけ尻から火を吹かせる。この手は『FUCK YOU!2』の「セーラー・ハルマゲドン」で復元。そういえばこの作品の序章と終章だけ描いて、間の100章位をとばすやりかたはこの頃の「禁断の性獣」より。女性器にとりつき、男性器に変身するエイリアンの侵略により地球は女性器を失い滅亡する、といったストーリーで当時聞いた話では谷山浩子のD.J.でこの作品がリスナーの投書でとりあげられ、ダー松の名はダーティ・杉本と読まれたそうな。ヒロインの少女がひろ子という名前なのでこのハガキが選ばれたのかもしれないが、作者は薬師丸ひろ子からとったつもりだったのだが・・。[別にファンではない。] 「女教師狩り」は映画館で観客に犯される女教師とスクリーン上の同名のエロ映画の二本が同時進行し、一本で二本分楽しめるお得な作品。 ’83は’80に「漫画エロス」にて描いた「エロスの乱反射」の最終回の原稿が紛失したため単行本が出せないでいたのを、またまた「仏の久保さん」に頼んでラスト近くをふくらませて「漫画ハンター」に3回程描かせてもらい、やっと’85に出版。見られる事に快感を覚えるファッション・モデルが調教される内に、次第に露出狂となっていき、街中で突然裸になって交通事故を起こさせたり、最後はビルの屋上でストリップショー。そしてカメラのフラッシュの中に飛び降りていき、ラスト1ページはその性器のアップでエンド!  本格美少年・ゲイ・マンガ「聖少女黙示録」も’83。レズの姉たちの手によって女装に目覚めた少年がホモのダンサーたちに縛られなぶられ初のポコチンこすり合いの射精シーン。そして性転換して女となった主いるが、その中の’84の「白い肌の湖」はタイトルで解る通りのバレリーナものだがポコチンを焼かれた男が、一緒に暮ら人公が手術で男になった少女と暮らすハッピーエンド。この作品は単行本「美少女ハンター」に収録されてす二人の女と一人の男に復讐するエンディングがすごい!まず男の性器を切り取り、片方の女の性器にねじ込んだあと、その女の性器ごとえぐり取る。そしてその二つの性器をつかんだまま、もう一人の女の性器にフィストファック!のあげく、その二つの性器を入れたままの女性器をナイフでまた切って、ほとんどビックマック状態でまだヒクヒクうごめく血まみれの三つの性器を握りしめるとんでもない終り方!全くダー松はこんな事ばかりやっていたのかとあきれかえる。もう鬼畜としか言い様がない!しかし「ウィンナー」を二枚の「ハム」で包むなんて・・GOODなアイデアだ、又やってみよう。 ●1 9 8 4 ~   「漫画ハンター」で「闇の宴」前後篇を描き、後日これをビデオ化。雪に包まれた六本木のスタジオで痔に苦しみながらの撮影。特別出演として中島史雄氏が絶妙の指使い、東デの学生時代の萩原一至が二役、取材に来たJITAN氏もスタジオに入ってきた瞬間、即出演で生玉子1000個の海で大乱交。カメラマンが凝り性で照明が気に入るまでカメラを廻さず、たった二日の撮影はやりたい事の半分も出来ず。撮影が終ると痔はすぐに完治。どうもプレッシャーからくる神経性だったみたいでこれに懲りてビデオは一本のみ。 この年の「肉の漂流」は親子丼もので、近所の書店のオヤジからこの本はよく売れたと聞いたが、一時よく描いたこのパターンは最近では「FUCK YOU!3」の「母娘シャワー」のみ。熟女と少女の両方が描けるところが利点。「血の舞踏」は久しぶりの吸血鬼もの。股間を針で刺し、噛んで血を吸うシーン等々いい場面はあるが、うまくストーリーが転がらず3回で止める。短編「果てるまで・・」は核戦争後のシェルターの中で、父が娘とタイトル通り果てるまでやりまくる話。被爆していた父が死んだ後、娘はSEXの相手を捜して黒い雨の中をさまよう。  またリサ・ライオンの写真集を見て筋肉美に目覚め、マッチョ女ものをこの頃から描き出す。しかしなかなか筋肉をエロティックに描くのは難しい。 ●1 9 8 5 ~   くたびれ果ててすっかりダレてきたこの頃、8年間働いてくれたアシスタント女史に代わってパワーのかたまり萩原一至、鶴田洋久等が東京デザイナー学院卒業後加わってダーティ・マーケットも第2期に突入!新旧取り混ぜておもしろいマンガをいろいろ教えて貰って読みまくる。「バリバリ伝説」「ビーバップハイスクール」「ペリカンロード」「めぞん一刻」「わたしは真悟」「Be Free!」「緑山高校」「日出処の天子」「吉祥天女」「純情クレイジー・フルーツ」「アクター」「北斗の拳」「炎の転校生」「アイドルをさがせ」「綿の国星」「いつもポケットにショパン」「バツ&テリー」「六三四の剣」永井豪の絶頂期の作品「バイオレンス・ジャック」「凄之王」「デビルマン」等々100冊以上とても書ききれない位で、う~ん・・マンガってこんなにおもしろかったのか、と感動! そこで眠狂四郎を学園にほうり込んで、今まであまり描かなかった学園マンガをエロマンガに、というコンセプトで始めたのが「斬姦狂死郎」。「六三四の剣」ばりに単行本20巻を目指すものの、少年マンガのノリは今では当たり前だが、当時はまだエロマンガとして評価されず、ほんの少し時代が早すぎたかも。’86に中断、今年’97に「ホリディ・コミック」にて復活!果たしていつまで続けられるか? →後に「斬姦狂死郎・制服狩り」、「���姦狂死郎・美教師狩り」として刊行完結  前年末から始めた「美姉妹肉煉獄」は身障者いじめの鬼畜路線。盲目の姉とその妹を調教して性風俗店等で働かせ、娼婦に堕していく不健全・不道徳な作品で、肉の快楽にひたっていく盲目の姉に対し妹も「春琴抄」の如く己の眼を突き、自らも暗黒の快楽の世界にはいり、快楽の光に目覚めるラスト。 また、これからは女王様物だ!となぜか突然ひらめき「筋肉女」シリーズの延長としてフィットネス・スタジオを舞台に「メタル・クイーン」シリーズも開始。これは単行本2冊分描いたが、連載途中でヒロインの髪型を歌手ステファニーのヘア・スタイルにチェンジしたり、レオタードもたっぷり描けてわりと気に入っている。  10年近く描いた「美蝶」先生シリーズもこの年スタート!こうしてみるとマンガを描く喜びに満ちた大充実の年だったかも。 ●1 9 8 6 ~   この年は前年からの連載ものがほとんどだが、「エレクト・ボーイ」は空中でファックするシーンが描いてみたくて始めた初の超能力エロマンガ。コメディ的要素がうまくいかず2回で止める。この路線は翌年の「堕天使輪舞」で開花。  「夜の彷徨人」は自分の育てた新体操選手が怪我で選手生命を失ったため、その女を馬肉のごとく娼婦として夜の世界に売り渡した主人公という設定。しかし腕を折られ、女にも逆に捨てられ、そして事故によってその女を失ったあげく不能となってしまう。失った快楽を取り戻すため無くした片腕にバイブレーターを取りつけ、夜の街をさすらい次々と女たちをレイプしていくというストーリー。がっちり設定したキャラだったのにまったく話がはずまず、男のポコチンは勃起しないままに作品も不発のまま終る。  「斬姦狂死郎」が不本意のまま終わったため学園エロス・シリーズは「放課後の媚娼女」へと引き継がれる。当時見ていた南野陽子のTV「スケバン刑事・」とS・レオーネの「ウエスタン」風に料理。ラストの「男といっしょじゃ歩けないんだ」のセリフは一番好きな映画、鈴木清順の「東京流れ者」からのもじり。単行本は最初司書房から出て、数年後ミリオン出版から再販、そして’97久保書店より再々販ながら結構売れて今年また再版。この作品は親を助けてくれる有難い孝行息子といったところ。 ●1 9 8 7 ~   さいとうプロOBで那珂川尚という名のマンガ家だった友人の津田が「漫画ダイナマイト」の編集者になっていて、実に久しぶりに同誌で「堕天使輪舞」を描く。超能力エロマンガの第2弾。今回はエロと超能力合戦とがうまくミックスされ一応成功といっていい。この路線は「エレクト・ボーイ」とこの作品、そして’96の「夜顔武闘伝」も含めてもいいかも。一時、この手の作品は数多くあったが最近はめったに見かけない。しかし、まだまだこの路線には鉱脈が眠っているとにらんでいるがどんなものだろう。 ●1 9 8 8 ~   「放課後の媚娼女」に続いて抜かずの凶一無頼控え「放課後の熱い祭り」を2年がかりで描く。’89に完結し司書房より単行本化。そして今年’97に改定してめでたく完全版として復刊!この頃が一番劇画っぽい絵で、たった2~3人のスタッフでよくこれだけ描き込めたなと改めて感心!エロシーンがちょっと少なめながら中島史雄氏がダー松作品でこの作品が一番好き、とお褒めの言葉を頂戴する。  TVで三流アマゾネス映画を見ている内、むくむくとイメージがふくらみ、昔から描きたかった西部劇と時代劇がこれで描けると、この年スタートさせたのが「不死蝶伝説」なるアマゾネス路線。昔々青年誌の創世期にあのケン月影氏がマカロニ・ウエスタンを描いていたことを知る人は少ないだろう。俺もあの頃デビューしていたらウエスタンが描けたのに、と思う事もあったが、このシリーズでほんの少しだけその願望がかなう。  この頃、アシスタントやってくれてた格闘技マニアの鶴田洋久に誘われ、近所の空手道場通いの日々。若い頃修行のため新宿でやくざに喧嘩を売って歩いたという寺内師範は、もう鬼のような人で、行けば地獄が待っていると判っててなぜ行く?と不思議な位休まず通う。体育会系はマゾ��世界と知る。組手は寸止めではなく顔面以外は当てて可だったので身体中打撲のあざだらけ、ビデオで研究したという鶴田の体重をかけたムエタイ式の蹴りをくらい、右手が饅頭のように腫れ上がる。先輩たちの組手の試合も蹴りがもろにはいってあばら骨が折れたりで、なぜこんなヘビーな事をする?と思うが、闘う事によって身体の奥から何か沸き上がってくるものがある。スリランカの元コマンドと組手をやった時、格闘家の気持ちが少しだけ判るようになった。 ●1 9 8 9 ~   ’94まで続く「美蝶」シリーズでこの年は『ノスフェラトウ篇』を描き、シリーズ中これが一番のお気に入り。同人誌の「王夢」はこれが原点。  短編では「悪夢の中へ」はスプラッタ・エロマンガで久しぶりにチェーンソゥでお尻のぶった切り!はらわた引きずり出し、人肉食いちぎり!顔面叩き割り等々でラストに「ホラービデオの規制をするバカは俺が許さん!」などと書いているので、この年が宮崎事件の年か?世間は彼が日野日出志・作のホラービデオ「ギニーピッグ」を見てあの犯罪をおかした、としてさんざんホラービデオの規制をやっといて、結局見てもいなかったとわかったあとは誰一人日野日出志氏にもホラービデオさんにも謝らす゛知らんぷり。残ったのは規制だけで、馬鹿のやる事には全く困ったもんである。先日の「酒鬼薔薇・14才」の時も犯罪おたくの心理学者が、「これはマンガやビデオの影響です。」などと相も変わらずたわけた寝言をぬかしていたが、馬鹿はいつまでたっても馬鹿のまま。少しは進歩しろよ!お前だよ、お前!短絡的で幼稚な坊や、小田晋!よぅく首を洗っとけ!コラ!  「獣人たちの儀式」は退学者や少年院送りになつた生徒、暴走族、ヤクザ達が集まって酒盛りしながら女教師たちをずこずこにしてOB会をひらく不健全作品。編集長が「また危ない作品を・・・」とこぼしたものだが、岡野さん、田舎で元気にお過しでしょうか。この頃の「漫画エロス」には「ケンペーくん」だとか「アリスのお茶会」だとかおもしろい作品が載っていたものです。「爆走遊戯」は伝説のストーカー・ろくでなしマンガ家の早見純が一番好きな作品と言ってくれたが、なぜだかわからない。人の好みはいろいろです。以上3本は単行本「熱き唇の女神」に収録。 「ふしだらな女獣たち」はフェミニストの女二人が美少年をいじめる話。これは「氷の部屋の女」に収録。 ●1 9 9 0 ~   この年の「美蝶」シリーズは『ダンシング・クイーン篇』。マネキン工場跡でJ・ブラウンの「セックス・マシーン」にのせて5人プレイをするシーンや文化祭でのダンスシーン等々結構好きな場面多し。暗くて硬い作品が多いので、この「美蝶」シリーズは肩肘張らずに、かなり軽いノリでキャラクターの動きに任せて、ストーリーも、そして次のコマさえも先の事は何にも考えず、ほとんどアドリブで描いた時もある。  「不死蝶伝説」に続いてシリーズ第2弾「不死蝶」は2誌にまたがって2年位続ける。これも結構お気に入りの一遍。 ●1 9 9 1 ~ 1 9 9 3   「性狩人たち」の近未来版、といった感じの「夜戦士」は学園物が多くなったので、マグナム銃で脳天をぶっとばすようなものが又描きたくなって始めたミニシリーズ。全5話位。松文館より単行本「黒い夜と夢魔の闇」に収録。  この年から知り合いの編集者がレディス・コミックを始める人が多く、依頼されてどうしたものかと思ったが、エロなら何でもやってみよう精神と何か新しい世界が開けるかも、という事から’94位までやってみたものの結果的に不毛の時代に終わる。与えられた素材が体験告白物という事で、非現実的なものは描けないという事は得意技を封印して戦うようなもので苦戦を強いられ、これって内山亜紀氏がやまさき十三原作の人情話を描いたようなミス・マッチングで不発だったかな。今後、もしやることがあれば美少年SMのレディス・コミックのみ。そんな雑誌が出来れば、の話だが。  いくつかやったレディコミの編集の一人「アイリス」の鈴木さんは同じさいとうプロOBで、マンガ・アシスタント、マンガ家、マンガ誌の編集、そして今はマンガ学校の講師、とこれだけ多くのマンガに関わる仕事をしてきた人はあまりいないだろう。これでマンガ評論でもやれば全て制覇だが・・・。  この頃はいつもと同じ位の30~40本の作品を毎年描いていたが、レディコミは一本30~40枚とページが多く結構身体にガタがきた頃で、右手のひじが腱傷炎になり1年以上苦痛が続く。医者通いではさっぱり痛みがひかず、電気針で針灸治療を半年位続けてやっと完治。その後、住んでいたマンションの理事長を押しつけられ、マンション戦争の渦中に巻き込まれひどい目にあう。攻撃するのは楽だが、話をまとめるなどというのは社会生活不適格のダー松には大の苦手で「お前等!わがままばかり言うのはいいかげんにしろー!」と頭をカチ割りたくなるような事ばかりで、ひたすら我慢の日々で血圧がガンガン上がり、病院通いの日々。確実に寿命が5年は縮まる。あの時はマジで人に殺意を抱いたものだが、今でも金属バット持って押しかけて奴等の脳みそをクラッシュしたい気分になる時もある。いつかこの時の事をマンガにしようと思っていて、まだ誰も描いてない「マンション・マンガ」というジャンル、タイトルは「我が闘争」。え?誰も読みたくない?  この間に出た単行本は「血を吸う夜」、「赤い月の化身」「熱き唇の女神」[以上・久保書店] /「牝猫の花園」「真夜中の人魚たち」[以上久保書店]、「美蝶/放課後篇」「美蝶/ダンシング・クイーン篇」「不死蝶/鋼鉄の女王篇・上巻」[以上ミリオン出版]。 ●1 9 9 4 ~ 1 9 9 5   ろくでもない事が続くのは厄払いをしなかったせいか、このままここにいたら頭がおかしくなる、と15年以上いたマンションから引っ越し。板橋から巣鴨へ移動し気分一新!以前からうちもやりましょうよ、と言われていた同人誌創りをそのうち、そのうちと伸ばしてきたものの遂に申し込んでしまい、創らざるをえなくなる。しかもそれが引っ越しの時期と重なってしまい大いに後悔する。しかしいろんな人にお願いして何とか一冊でっちあげ、ムシ風呂のような夏コミに初参加。これが運命の分岐点。レディコミもこの年で切り上げ、以下同人街道をまっしぐら。現在まで「FUCK OFF!」が9まで、「FUCK YOU!」が4まで計10+&冊創る。  ’95からダーティ松本の名前にも飽きてきたしJr,Sam名でも描き始める。 レディコミ時代は松本美蝶。あと2つ位違うペンネームも考案中。  この間の単行本「氷の部屋の女」「双子座の戯れ」[久保書店]、「黒い夜と夢魔の闇」[松文館]、「危険な女教師/美蝶」[ミリオン] ●1 9 9 6 ~   美少女路線の絵柄もこの年の「夜顔武闘伝」あたりでほぼ完成、今後また少し変化させる予定。しかしこの作品は超能力、アマゾネス、忍法エロマンガとでも呼ぶべきか。「グラップラー刃牙」みたいに闘技場での勝ち抜き性武道合戦までいきたかったけれど、残念ながらたどり着けず。  「冬の堕天使」は久しぶりの吸血鬼もの。都営住宅で生活保護をうけている吸血鬼母子のイメージが浮かび、そこから漫画家協会・加藤芳郎を撃つ有害図書騒動のマンガへ。吸血鬼少年が光の世界との戦いに旅立つまでを描き、「闇に潜みし者」は時空を越えて近未来での戦い。その間を描く作品を今後創らなければ。  「FUCK CITY 2006」はクソ溜めと化した近未来のTOKYOを舞台に久しぶりにダーティ・バイオレンスが炸裂!ハード・エロ劇画と同人誌風・美少女路線の合体は果たしてうまくいったかどうか?30ページほど描き足して、’97、9月にフランス書院のコミック文庫にて発売。[「少女水中花」]  「放課後の媚娼女」と「人形愛」刊行。[いずれも久保書店刊]前者は以前、上下巻だったのを一冊にまとめて。後者は近作を集めた同人時代を経ての初単行本で、同人誌を知らなかった読者はショックを受ける。メタルフアンから以下のようなお手紙を受け取る。「これはジューダス・プリーストの『ターボ』だ。ラストの『眠れる森の少女』は『レックレス』にあたる。しかしジューダスもその後『ラム・イット・ダウン』や『ペイン・キラー』という傑作を世に出した事だし、今後を期待したい」という意のダー松のようなメタルファン以外は意味不明の激励をうける。 ●1 9 9 7   同人誌「エロス大百科シリーズ」スタート!いろんな項目別に年2刊づつ計100ページ位を別刊シリーズとして出し続ければ10年で1000ページになり、以前「谷岡ヤスジ1000ページ」という枕に最適の本があったが、これも一冊にまとめて枕にして寝れば、目覚める頃は3回夢精しているなんて事に・・・などとまだたった40ページの段階で言っても何の説得力もないか。飽きたら2~3号でSTOPするだろうし・・。[推測通り「毛剃り」「美少年SM」「女装」3号でストップ中]冬にはやおい系にも進出の予定。  今年出した単行本は厚くて濃いエロマンガを集めた久保書店MAXシリーズ第2弾!「放課後の熱い祭り/完全版」と「夜顔武闘伝」オークラ出版。ともに大幅描き足して25周年記念出版として刊行。ティーツー出版よりJr,Sam名で「昼下がりの少女」、9月にはフランス書院より「少女水中花」の文庫本が出る予定で現在、この同人誌と並行して描き足し中。「斬姦狂死郎」第2部も「ホリディ・COMIC」誌にて6月よりスタート!年内創刊予定の『腐肉クラブ』なる死体姦専門のマンガ誌にも執筆予定。  さてさて25年間、旅行の時を除いて、現在まで2日続けてマンガを描かなかった事はほとんどない。これはその昔、伊東元気氏というマンガ家とお会いしたとき「今月何ページ描いた?」との問いに、「今月仕事ないんでぜんぜん描いてません」と答えたら、「そんな事じゃ駄目だ。仕事があろうがなかろうが、毎月100頁は描かなきゃ。」と言われ、以後その教えを守り[描けるページ数は減ったが]、マンガは仕事ではなくなり、朝起きたら顔を洗うのと同じで生活そのものとなり現在に至る。  今は何でも描けそうなハイな状態で、以前はたまには外出しないと煮詰まってしまうので週いち位ガス抜きをしていたものだが、最近はせいぜい月いち休めば十分の「純エロマンガ体」。[純粋にエロマンガを描くためだけの肉体、の意。ダー松の造語]  こうしてふり返ると、この路線はまだえぐり足りない、これはあと数回描くべし、なぜこれを一度しか描かない!等々、残り時間にやるべき事、やりたい事の何と多い事! 爆裂昇天のその日まで・・・      燃 え よ ペ ン !  なお続きは 1997年後期 1998年 INDEX
http://www.rx.sakura.ne.jp/~dirty/gurafty.html
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「これというものをひとつ書けばいい」
 森敦は、その実人生の「物語」で知られた人である。作家を志して旧制一高を中退、菊池寛や横光利一の推挙で若くして文壇デビュー。太宰治をはじめ当時の花形作家とも交わり、22歳にして『東京日日新聞』『大阪毎日新聞』に連載を持った。ところが、その後小説の発表は途絶え、山形、新潟、三重と各地を放浪する生活が始まる。おもしろいことに、その後も作家の間には森信者が増え続け、小島信夫、後藤明生、三好徹、勝目梓といった人々がしがない印刷会社に勤める無名の森敦に助言を求め続けた。人呼んで「森敦詣で」。以前、この書評欄でもとりあげた勝目梓『小説家』では、森の独特な振る舞いが次のように描写されている。
あるとき、池袋の居酒屋の二階の座敷で開かれた『茫』の合評会に、主宰者の高田欣一が、見るからに曲者といった印象の眼光鋭い五〇年配の人物を連れてきた。そうして、その人物はどこか胡散臭い感じを漂わせながら、しかし自信に満ちた断定的な口調で、その号に掲載されている作品の批評をはじめた。曲者然とした胡散臭い印象とは裏腹に、その批評は犀利である上に、問題の捉え方にきわだった独創性をうかがわせるところがあった。つまりその人物は、『茫』に掲載されている作品それぞれをタネにして、自身のユニークな文学観を開陳しているのだった。そうしてその場はその人物の独り舞台のようになっていた。(362-63)
 とにかく座談の名手。電話魔。作品への感想を求める作家たちとひとりひとり順番に面会し、思わせぶりな語り口に昔話や文学論を織り交ぜながらも貴重なコメントをしてくれる。「深淵の帝王」などとも呼ばれた。その森が62歳にしてついに「月山」で芥川賞を受賞することになる。今も破られていない芥川賞の「最年長受賞記録」である。「とにかくひとつこれというものを書けばいいのだ」というのは森の持論でもあったが、ついにそれを果たしたことになる。
 『森敦との時間』はこうして遅いデビューを果たした森の姿を、養女としてその生活を支えた富子の立場から描いたもので、『森敦との対話』につづく評伝となる。森敦は芥川受賞後、その波乱に富んだ人生や独特の雰囲気が話題になり、原稿の注文だけでなく、テレビ、ラジオの出演依頼も殺到した。住んでいたおんぼろアパートには毎晩のように崇拝者や編集者たちが押し寄せ、狭い四畳半にぎゅうぎゅうになって森の話に耳を傾ける。会社から帰った富子は毎晩その接待に追われた。缶詰をあけた程度のつまみも、あっという間になくなる。疲れ果てて缶詰めをあける余裕もないときは、鮨を頼むのだが...。
届いた鮨桶を卓袱台の中央に置くと、いっせいに客の箸がのびてくる。二重に並んでいた客が、右半身の一重の列になって、のばした箸で鮨をつまむ。みな右利きだから右手をのばせばいい。もし左利きがいたらおかしなことになるだろう。チチまでも半身に構えているからおかしい。(6)
 富子自身も作家志望だった。養女になったのも、森敦と同人誌で一緒だった縁からである。しかし、今の引用箇所からもわかるように、本書には作家的な、文学的な文章を書こうとする暗い情念や執着からついに自由になったような身軽さがある。語る自分の言葉に拘泥することなく、急ぎ足で、さっぱりした気分で、「まったく何言ってんだか!」というような突き放した口調とともに、「チチ」である森敦をからかうように、文句を言いながらも、愛おしんで語るのである。途中、文の主語が森敦なのか森富子なのかわからなくなるところもあるのだが、森の最晩年を描いた最終部では、それがくるっと感動的な場面に転換する。
会議で帰宅の遅い日は、冷蔵庫から料理を詰めたお重を食べる習わしが続いていた。しかし、私の帰宅を待つようになった。食卓に腰掛けて待つ姿を見るのはつらい。(252)
 もちろん「会議で帰宅の遅い」のは、会社勤めの富子である。「冷蔵庫から料理を詰めたお重を食べる習わし」は、外食嫌いの森敦のこと。「食卓に腰掛けて待つ」のは森敦で、それを見て「つらい」のは富子。ところがこの場面は、こんなふうに続く。
......食卓に腰掛けて待つ姿を見るのはつらい。わざと大声で「ただいま!」と叫び、冷蔵庫からお重を出し、ビールで乾杯をする。
「これ、飲んでくれないか」
 湯飲み茶碗くらいの小さなコップに入ったビールだ。それが飲めない! どうしたのだろう。
「そう」
 明るい声で言いながらコップを受け取って、私は一気に飲む。
「美味しかったね」
 チチは、さも自分が飲んだかのように言った。(252)
 なるほど、こういうことだったのだ。富子の飲んだ一杯のビールを、さも自分が飲んだかのように「美味しかったね」と言うようになった最晩年の森敦。養女になって一五年、一度も言われたことのなかった「ありがとう」という言葉を頻繁に口にするようになったのもこの頃だ。「美味しかったね、ありがとう」などとも言った。
 主語がなくてこんがらかるのは、決して一心同体ということではない。名前が言えないのはどこか関係が不安定なのである。どこか照れくさい。だから「チチ」なんていう窮余の策で言及する。困った人だけど愛しい。富子にとって森敦は終始「まったくもお」的な存在であった。自宅で散髪してあげたら、前髪のことで「こんなに、短く切ってしまって!」と大騒ぎ(たしかに写真で見るとふだんの森敦は前髪が長い)。富子が引いた電話なのに「長い」「使うな」と文句を言うかと思うと、自分では残飯の処理ひとつできない。テレビに出れば、ズボンの裾から下着が見えている。
 しかし、こんなふうに「まったくもお」の地点に持ってくるまでには、富子だってきっとたいへんだったのだ。あまりにカリスマ的だった森敦という人の言葉を、やわらかくほぐしてみせたのは富子の手柄の一つである。たとえば「月山」の生原稿紛失事件がちょっとしたサスペンスまじりに語られる箇所があるが(どこぞの「見目麗しい女性」にでもあげたのではないかと富子は疑ったりする!)、これにからめての以下のような一節がある。
チチは、ノートに書いている。
〈「存在」を意識するとは、失われたものがよみがえる(原文は傍点。以下、太字については同)ということである。失われたものがよみがえる(同)という概念が如何に重大であるか、これを見ても分ると思う。われわれが「存在」を意識するとき「嘔吐」するとは〈或は「笑う」とか、「絶望」するとか)この失われ(同)、そしてよみがえったものに対して、「嘔吐」するということである。〉(「吹雪からのたより」)
 チチの言う「存在」を「生原稿」と置き換えてみる。生原稿という存在を意識すると、失われた生原稿がよみがえってくる。よみがえってくるたびに、絶望的な気分になるし、ときには笑いが止まらぬほど喜劇的な気分になる。つまり、失われた生原稿に対して、「嘔吐」するのだという。
 チチと話した後に、嘔吐することがある。それは胃腸が弱いために起こる生理的な現象だと思っていた。嘔吐するのは、失われた生原稿がよみがえるからだろうか。 (125)
 森敦の省察にちょっと横からちょっかいを出して、厳かな「神話」をひっくり返そうとしたとも読める部分だが、最後の下りは逆に意味深長である。何しろ失われた生原稿には、「女」がからんでいたかもしれないのである。「養女」富子はいろいろと苦しい思いをしていたのかもしれない。
 急ぎ足に淡々と語るかのような口調なのに、何度も繰り返し出てくる話題がある。会社からの帰宅時に富子は電車に乗っていられなくなって何度もトイレに駆け込んだ。何時間もかけて都心から布田まで帰ったこともある。「途中下車病」などと富子はひょうきんに言ってみせるが、今で言うパニック障害だろう。接待ストレスだけではない。その根本には、折に触れて森敦から「書いてない!」と言われた富子の心の緊張があるように思える。もちろん、それは富子だけの問題ではない。書けるか、書けないか、というぎりぎりの���地を生きながら懸命に放浪した森敦にとっても、文章で生きるというのは苦しい怖ろしいことだったのである。
 将来を期待されながら原稿が書けず、ついに作家デビューを果たす機会を失ってしまった若き日の森敦。そのことがあったから、芥川賞受賞後の殺人的なスケジュールを体調を崩しながらも懸命にこなした。一度注文を断ったら、もう来なくなるかも知れない...、そんな恐怖感があった。ついに入院。富子はどんどん仕事を断った。しかし、断ったのは主にテレビやラジオの仕事だった。「そうかあ。もう仕事がないのか」と森敦は寂しそうだったが、富子は「侘びしい境地になれば、小説が書けるかもしれない」と思ったのである(133)。
 下手に文学的になるまい、と覚悟を決めて書いたようにも見える著者の筆が、最後に少しだけ居住まいを正したようになる箇所がある。腹部大動脈瘤で急死した森敦に霊安室で付き添う富子は、泣き崩れたいのに一滴の涙も出ない。そのとき、隣の部屋から女性の泣き声が響いたのである。
韓国の男性が交通事故死したという。泣き声は途切れることがなく、高く低く響く。チチへの手向けの泣き声のように聞こえる。(262)
 天才とははた迷惑なものだとよく言う。傍らにいる人には、本人の分も含めて言いようのない「負担」がかかる。森敦が天才だったのかどうかは筆者にはわからないが、ともかく理解しがたい人を「天才」と呼んですませるのは安易なような気もする。書ける・書けないという地点に踏みとどまり、その苦難を味わいつづけたからこそ、彼は「書く人」に伝えるべき言葉を持ち得たのではないだろうか。
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ari0921 · 4 years
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和2年(2020)10月12日(月曜日)
 アルメニア vs アゼルバイジャン戦争
  彼らは何故、いつまで闘うのか? 現地の実情は?
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 アゼルバイジャンとアルメニアの戦争は、ロシアの仲介で10月9日からいったん休戦となった。しかしいつ再開するか分からない。両国はともに旧ソ連に属したが、冷戦終結以後は明確に対立関係が再燃し、アゼルバイジャンはトルコに傾斜。アルメニアは西側の介入を当てにしている。ロシアは両天秤である。
 この背景を理解する一助として、拙著『日本が全体主義に陥り日』(ビジネス社)から該当箇所のダイジェストを行う。
▼アルメニアは資源欠乏、経済迷走
 アルメニアは文化も宗教も古く、自尊心が高い。アルメニアの宗教はギリシア正教会系アルメニア正教だ。
 世界の流浪民族の「大手」は四つ。ユダヤ人は国を滅ぼされ、二千年間世界各地を放浪したあげくシオニズム運動がおきてイスラエルを建国した。クルド人はイラク、イラン、トルコなどに1500万人も分散しているが、まだ国家として認められない。ロマ(ジプシー)は世界各地の底辺で組織化されないで生きている。そしてアルメニア人は世界に散っておよそ一千万人が欧米、イランなどにコミュニティを形成している。もともとの古里=カフカスの南の山岳地帯には歴とした国家が存在している。
 アルメニアと言えば、コニャックの名産地である。
 世界で初めてキリスト教を国教とした国として知られる。文明はいたって古く紀元前数世紀に樹立された国家であり、伝統的な文化伝統と文字を持っている。39の文字はキリル文字の祖先ともいわれ、「文字公園」がある。キリル文字の原型のような大きな模型が公園の展示物、いがいに観光客が多い。
 アルメニアは地震国で海の出口がなく、世界的に有名なアララット山はいまトルコ領土に編入されている(露土密約による)。
 このアララット山の雪解け水を使うコニャックが世界的なベストセラー。だから紙幣のデザインはアララット山、アルメニア国民のこころの拠り所もアララット山。百年近くもトルコに領土を奪われていることになり、実際に飛び地=ナゴルノ・カラバフをめぐって戦争をしたアゼルバイジャンに対してより、トルコへの恨みのほうが深い。
 アルメニアはトルコが1915年の第一次世界大戦のどさくさに150万人を虐殺したとして国際世論に訴え、フランスやドイツでは「あの虐殺はなかった」という言動を吐くと罰金、収監されるほどの「犯罪」となる。
 トルコはアルメニアのいう虐殺を真っ向から否定しており、「事故扱い」である。
それはともかく山国ゆえに河川の水は綺麗で農業用水も張り巡らされている。琵琶湖の二倍もある淡水湖=セヴァン湖では湖水魚が多く取れる。しかし水力発電に限界があり、かといって地熱発電も施設が不十分、鳴り物入りの原発も建設が大幅に遅れている。電力不足は恒常的である。
 北東に位置する隣国=アゼルバイジャンは資源リッチゆえ、ガソリンは安い。このアゼルバイジャンからの石油パイプラインとロシアからのガスに依存するアルメニア、北の隣国=グルジア(ジョージア)と同様に電力とガソリンが高い。
 地政学的な脆弱性は宿命である。国土の13%が森林地帯だが、南と北に集中しており、その付近はダムも多い。
 牧畜を主体に、チーズ、乳製品の輸出、果物とくに葡萄などで外貨を稼いできた。だが、近代的工業化に出遅れ、若者は国を去って外国へ出稼ぎに行く。驚くべし300万人の国民が250万人に減った。理由は若者の出稼ぎである。
 出稼ぎの送金で経済が成り立つのはフィリピンに似ている。
 若者がロシア、イランにもイスラエルにも、そして欧州各国と米国にでてゆくため各国にアルメニア人のコミュニティがある。ギリシア危機に遭遇した時は出稼ぎからユーロの送金がこなくなって悲鳴を挙げた。武漢コロナ禍で、またも送金が途絶えている。
 アルメニア出身の有名人と言えばカラヤン、ミコヤン(元ソ連外相)、そしてハチャトリアン(名曲「剣の舞」の作曲家)、サローヤン(小説家)がいる。みな最後が「ン」という姓名はアルメニア特有である。
 さて筆者はアルメニアへはアゼルバイジャンからバスで入国した。国境でヴィザが発行される。乗用車、トラック、バスの長い列がある。新車も多いが乗用車はドイツより圧倒的に日本車である。
 首都のエレバンは紀元前から開けた。じつに美しい街でこじんまりとまとまり、中世を感じさせる。この街でみたいと思っていたのはアルメニア正教会の総本山だ。ローマより早く、この国でキリスト教が国教となったから伝統の時間的距離が長い。
 総本山の敷地は広く、広場は数万人が一同にあつまって祈祷できる。ここには世界中から観光客と信者が押し寄せる。例外的に中国人を殆ど見かけない。あの世界中に爆買いツアーにでかけた彼らがアルメニアで少ないのはヴィザを制限しているからだ。
 アルメニアは全土が山岳地帯だが、標高差が激しい。二千メートル近い高地に開けるセヴァン湖では水上スキー、遊覧船、海浜リゾート風のホテルがあるが、エレバンまで二時間かかるため庶民は市内にあるアクアセンター(プール主体の総合娯楽施設)で過ごす。入場料10ドル、飲み物食料持ち込み禁止だから家族で行くと100ドル近くとなる。ちなみにアルメニア国民の平均月給は僅か150ドルだからアクアセンターにしても、せいぜい年に一度しか行けない。
 エレバン市内は綺麗なバスも走り、街区は清潔でビルも建ち並ぶ近代都市に変貌している。これは外国で成功したアルメニア人実業家が寄付したものである。
 経済的にはまだうまく機能しないけれども、表現の自由、結社の自由は回復した。
 ▲アゼルバイジャンと拝火教
  国名のアゼルバイジャンというのは「火の国」の意味がある。つまり古代ゾロアスター教の巨大な影響力が秘められている。イランのヤスドにも火が燃え続ける拝火教寺院があるが、首都バクーにも古代からの拝火教寺院が残る。この地のイスラムはイラン同様に拝火教の強い伝統の上に乗っかっている。
 バクーの沖合には油井が林立する。カスピ海の海底油田で、飛行機から眺めると海面は採掘リグがびっしりと並んでいる。ただしカスピ海に面していても海の出口がないので大型タンカーの輸出は不可能。それでもパイプラインでグルジア経由トルコへのルートを活用した輸出は一日百万バーレルだ。したがって国民の生活は豊かになった。
 とくに原油相場が高騰した時代に急成長を遂げた。首都バクーは人口二百万人。摩天楼が林立し、大型シッピングセンターは雑踏のように賑わい、高級住宅地は公園を挟んで超高価マンションが軒を競う。周辺を行き交うのはベンツ,BMW、レクサスなどが多く、他方で道路を早朝から清掃しているのは外国人労働移民。大きな所得格差を見せつける。
 カスピ海は高台から一望できるのだが、バクーは一級のリゾート地という別の顔を見せる。豪華ホテルが多く、西側諸国からの観光客が夥しくなった。アゼルバイジャンは独特ともいえるイスラム世界的な独裁体制にあって、旧ソ連の書記だったアリエフの二代にわたる「王朝」が築かれている。
 アゼルバイジャンが「火の国」と言われる所以は、拝火教の伝統からきている。イスラム教シーア派だが、地付きの伝統として、いまも生きる拝火教のシンボルは戦没者を祀る高台に登ると永久の火が燃えていることに繋がっている。
 経済は活況を呈し、バクーの都市としての近代化は驚異的スピードで進捗した。「数年の間に、町の様相はまったく一変した。かつては小道が入り組んでいた中心地は、小規模な家屋、店舗と小道がまるごと撤去され、大きな建物ばかりが建ち並ぶ」(広瀬陽子『未承認国家』)。
 地下鉄あり、港湾は近代化され、ガラス張りの摩天楼が国会議事堂の周りにも三棟。こうした近代化のことはともかく、旧ソ連の構成国であったアゼルバイジャンはソ連崩壊後、いかようにして民族的自由、宗教、そしてナショナルアイデンティティを確立したのか。あるいは出来なかったのか。
 アゼルバイジャンの紀元前のご先祖はアルバニア人である。しかしその後、ペルシア、モンゴル、トルコ帝国が入り乱れ、近世の始まる頃にトルコ系(つまりモンゴル系遊牧民)が多数派となった。ゆえにアゼルバイジャンはトルコとの連帯が強い。面積は北海道よりちょっと大きいくらいで、人口は一千万人弱だから人口徴密である。
 「殉教者の小道」という慰霊公園は日本で言う靖国神社。旧ソ連末期の軍事衝突と対アルメニア戦争で犠牲となった人々をまつる拝火教寺院風の建物(「火焔タワー」という)ではいまも真っ赤な火が燃え続けている。
 国民の主体はトルコ系だが、宗教はたぶんに拝火教が土台となったイスラム教のシーア派である。だがイランのような厳格さはなく、世俗的でベールを被った女性は殆どいない。
アゼル人の国民性は徹底的に陽気である。ムスリムなのに酒を飲み、踊りと歌が大好き。イスラム世俗主義ゆえに宗教的戒律は緩く、バクー市内には朝まで営業しているバアが十数軒、寿司バアもある。入れ墨に怪しげな同性愛バアもあった。
 とくに新市街の「ニザミ通り」は「バクーの銀座」、ルイビュトン、グッチ、ディオール、シャネルと何でもござれで、その裏道が深夜営業のバア通りだった。近年は市内にトランプタワーも建設中と聞いた。
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ichinichi-okure · 4 years
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2020.10.8thu_kyoto
普段なら変わらず仕事の支度をしている平日の朝6時頃、息子の声に起こされる。 寝室の窓の方から雨音と息子の声。 「カタツムリだ。」
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10月に入り急に肌寒くなり、少しでも気を緩めると一気に体調を崩しかねない季節の変わり目。 ワタシは京都の西陣にある染工場、そこで染色職人としてかれこれ15年ほど勤めている。
本来なら平日の今日もそうだったが、所謂コロナの影響による休業の日となった。
少しゆとりが出来た朝の時間はやはり新鮮だ。 とは言え、ワタシが普段居ない時間の妻のやる事は変わらない。
少しでも分担を。
だが結局出発が何時になろうと朝の時間は忙しないものだ。 あっという間に幼稚園に送りに行く時間に。
息子の幼稚園は山の上にある幼稚園で、家から大人の足でも30分くらいは掛かる。雨の日は尚更大変だ。
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近くの公園まで送って、後は先生方にお任せする流れである。 コロナ禍に始まった幼稚園生活だった為、スタート自体が遅く6月からになり、新生活も慣れないまま夏休みになり、また幼稚園後期がスタートしたがやはりまだ慣れない。いつも泣いて暴れて連れて行かれていたと妻から聞いていたので、今日も泣きじゃくるんだろうなぁと思っていた。
しかし公園に入ると周りのお友達に話しかけたりこちらには笑顔を見せてくれたりと、少し余裕を感じさせてくれた。 彼なりの成長アピールもあったのかもしれない。
そんなこんなで無事朝の1番の仕事は終わり、ワタシはそのまま日々のやるべきリストの時間に。
普段の休日も朝7時過ぎから9時頃まではピアノなどを弾くようにしている。 もちろん夜も弾ける時は弾くのだが、休日の朝のこの時間の方が家族にとっても都合が良い。
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一通り作曲、バンドなどの練習も含め落ち着いたところで次は、近年組ませて頂いたバンド、折坂悠太(重奏)にてピアノを担当していて、その折坂くんが主題歌、劇伴を手掛けた映画の視聴タイムを妻とのお茶タイムにて。
有難い事に主題歌、劇伴共にピアノは全編担当させて頂きました。 しかしそんな事よりも折坂くんと映画監督さんのやり取りも間近で拝見していたので、ようやく完成した作品を拝見出来て、こちらもほっとしたところがありました。 2020.11.20公開らしいので是非(ちゃっかり)
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仕事中とは時間の感覚が違う平日の休日。
何度か味わったこの感覚。なんだろう、当然時間の事は考えるし、それよりも生活や社会についての考えが行き過ぎる。。
改めて思うこともあるが、それはまた別に。。
映画を観終わったらもうお昼近く。 また少しピアノを弾いた後、息子を幼稚園に迎えに行くついでに近所の天下一品本店に妻と。
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久しぶりに美味しかった。 このニラニンニクはお酒のアテに作ろうと。
いつも満席(ソーシャルD的なのは完備した上)の天一が雨のせいか今日は程よいお客さんだったので息子を迎えるのにちょうど良い時間になった。
幼稚園の山の階段から降りてくる息子はどんなか?と思っていたが、これまた慣れた様子でワタシが迎えに来ているのもある種当たり前のように手を繋いできた。
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約30分ほど息子の手を引いて歩くこの時間。 当たり前にもなるだろうが、かけがえがない。
世の中はコロナ禍ずっと前からも如何に人間同士が直接触れ合わずに楽しむ!というようなSNSバーチャル世界が当たり前だったようなので、改めて握手やハグなど所謂スキンシップがどれだけ尊いかと。 コロナ含めてもう戻れなさそうですが。。
ビックバンにより宇宙が膨張を続けて、星と星の感覚も広がり続けている事に関係してそうな気がする、人間同士の距離の広がり。
これもまた別に。。
そして無事帰宅。
ここでまた家族でお茶タイム。
4匹いる猫の1匹と一緒に10分ほど昼寝したり。
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約1時間くらいかかりながら息子をお風呂に入れ、夕方はここ最近ずっと通っている歯医者に。いつまでも歯医者は嫌である。大嫌いである。先生にムラがある。医者も人間だからそれは当たり前なんだけど、あまり好きになれない。 この歯医者が何せ仕事場の近所にあるものだから、さらに少し損した気分になりつつ。
歯医者から帰ると19:00頃。 息子はもうご飯も済ませ寝る間際に。 一緒に寝るフリをしてようやく就寝。
3歳が全力で走り抜けた12時間オーバーの一日、、 おつかれさん。 また明日も元気に起きよう。
ワタシはこれから晩酌タイム。 これまで20年ほとんどビールのみだったが、ここ最近日本酒が大好きでよく飲んでいる。
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その原因?お陰様?の一つが間違いなく吉田類さんだ。
吉田類さんの酒場放浪記を観た途端ファンになった。 最高すぎるこの人。この価値観。
ニワカファンに近いからあまり言うことはないが、この人の飲み方、店主との接し方、ユーモア、グッとくるものがあります。
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あー、と今22時、明日も早いので日記はこの辺でまた。
ワタシはもう少しフラフラと行ってみます。 ありがとうございました。
-プロフィール- yatchi 京都 鍵盤奏者、ムーズムズ、折坂悠太(重奏)、染色職人
@yatchipiano
youtu.be/DB13uUoGmKE
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pudknocker · 5 years
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気持ちの悪い話をしようと思う。 サンデル教授よろしく予防線を張ってしまったが、 興味のない人にとっては本当にどうでもいい話だと思う。 しかし、この感情はどこかで文章にしておきたいと思ったので、 こういう形ではあるが、ここに残しておくことにする。 そして、フィクションであるということにしておく。 4年くらい前になるだろうか。 当時、俺は艦隊これくしょんというゲームに熱中していた。 ゲームの内容をよく知らない人に適当に説明をすると、 プレイヤーは艦隊を率いる提督としての役割が与えられる。 提督は、近代に実在した軍艦たちを擬人化した艦娘と呼ばれる女の子たちを従え、 リソース配分を考えながら空母・戦艦・駆逐艦などの配置を考え、戦略を練り、 深海棲艦と呼ばれるエイリアンみたいなやつと戦う。そんなゲームだ。 当時のオタクはみんなやっていた。 ゲーム内容もさることながら、みんな各々好きなお気に入りの艦娘を一人は抱えていた。 誰もが「お前の好きな艦娘は?」と中学生みたいな会話をしていた。 「金剛」「長門」「赤城」など、王道を挙げる人間が数多くいる中、 30過ぎのおじさんから「初雪」という声が上がることもあった。  ※知らない人はぜひググってほしい。   そして、俺と同じ「マジかよ…」という気持ちになってほしい。 その中で、俺はひとしお伊168という潜水艦に心酔していた。 印象としては、可憐で儚げな子だと思った。 戦果を挙げると素直に喜び、しばらく放っておくと「ねえ、168のこと嫌いになった?」と聞いてくる。 わずかな資源でオリョール海に行き、けなげに資源を集めて帰ってくる。 そんな168を見ているうちに、図らずしも、恋に落ちてしまったのだ。 こう言うと心底気持ちが悪いと思われるだろうが、 当時、大学院生だった俺は本当に伊168のことを愛していた。 オタクであることを隠していたから、お首にも出さなかったが、 自宅に帰って艦これをするのが楽しみだった。 家に帰れば彼女が居る。こんなに幸福なことはないと当時思っていた。 俺がいない時には、退屈そうにスマホでもいじっているのだろうか。 それとも、いたずらに海に潜って、きれいなサンゴや魚たちと戯れたりしているのだろうか。 そんな想像を毎日しながら、俺は浮かれた日々を過ごしていた。 恋なのだとすると、完全に溺れきっていた。俺は潜水艦でも何でもないのに。 現実問題、俺が声を掛けたところで、何かを返してくれるわけではない。 アクションに応じてボイスを返すだけのインターフェイスにすぎないのは理屈では分かっている。 けれど、夜更かしをしている俺を心配してくれたり、 カレーを作ってくれる168に俺は紛れもなく恋をしていたのだ。 しかし、そんな一方通行の恋はあっけなく終わってしまった。 俺は、彼女を不注意で死なせてしまったのだ。 一瞬の出来事だったが、過去の記憶の中でも異常に鮮明に記憶に残っている。 野球部で初めてホームランを打ったときの記憶 中学受験に合格して母が涙していた記憶 片思いしていた女の子とLinkin Parkを見に行った記憶 大学受験に失敗、浪人して10円ハゲが出来るまで勉強して合格した記憶 成人して、両親と一緒に居酒屋でお酒を飲んだ記憶 その全てが塗り替えられるレベルで、 目の前で168が沈んでいった。「海の底は、もう飽きたよ…」 という声が響き、人魚姫のように泡になって消えた。 彼女が亡くなった直後も砲撃戦は続き、ズガーン、ドガーンなどという空しい音だけが頭に響いていた。 本当に悲しい時には涙は出ないのだとも思った。ノートPCを閉じてベッドに寝転がり、 なにもしたくない。という感情を抱えたまま、泥のように眠った。 それから、食事が三日ほど取れなかった。大学院も丸々一週間休んだ。 艦これの全てが受け付けなくなった。 情報が入るのが怖くなってtwitterや2ch、まとめサイトも見なくなった。 様子がおかしいと友達や教授に声を掛けられたりもしたが、 気が狂ったと思われるのが嫌で何も言えなかった。 やり場のない感情を抱えたまま、しばらくはゾンビのように研究に没頭した。 研究をしているときは、他のことをすべて忘れられた。1st Authが1本だけ書けた。 そうしているうちに、艦これのことも、168が亡くなった直後よりは受け止められるようになった。 ただ、どこか心は空しいままだった。 艦これを辞めてから、半年ほど経ったある日、 オタクの友達から久しぶりに艦これの話が出てきた。 "ケッコンカッコカリ"の実装の話だった。 なんのことはない、ソーシャルゲームによくあるレベルの上限開放だ。 上限に達した艦娘に指輪を渡すことで、レベルの上限開放が出来るという悪趣味な仕様だった。 もうゲームには飽きたんだよ。という顔をしながらその場は聞いていたが、 家に帰ってからというもの、悶々とした気持ちが俺の心の中で渦巻いていた。 「幸福な伊168の姿が見たい」「俺が幸福にできなかったあの子が、幸福でいる姿が」 自分の中の欲望と葛藤との戦いだった。 俺にそんな姿を見る資格があるのか。ということも考えた。 しばらく悩んだ挙句、俺は結局見ることに決めた。 「たかがゲームの話じゃないか。俺が見たいものを見て何が悪い」 そんな気持ちでゲームにログインして、ストックしていた伊168を旗艦に置く。 順調にレベルを上げ、任務をこなして指輪を手に入れた。 そして、実際にケッコンカッコカリのシーンを見た。 これは、「たかがゲームだ」と侮って軽視をした罰なのだと思った。 自分の思っていたよりもずっと幸福そうだった。 声を弾ませて潜水をしようと誘ってくる彼女。 とても嬉しそうで、とても幸福そうで、何よりも海が好きな彼女の言葉が、 「海の底は、もう飽きたよ…」と喋っていた、あの彼女の声と全く同じで、それが本当に辛かった。 それから、艦これにログインはしなくなった。 それから3年ほど経ち、俺はそこそこの企業の研究員として就職を果たしていた。 友人の紹介で知り合った女性と懇意になり、付き合い、プロポーズをすることにした。 婚約指輪のオーダーをして、自宅に帰ってきた俺は 気まぐれに、「そういえば、昔、伊168と結婚してたな」という事を思い出した。 プロポーズの前だし、挨拶くらいはしておくか。と元カノに久しぶりに会うかのような感覚でログインをする。 3年前と全く変わらない姿の伊168がそこにあった。 ホワイトデーのお返しに喜び、お茶を入れようとするボイスが追加されていた。 クリスマスに、バレンタインデー、誕生日に、 俺は彼女になにもしていない。俺が何もしていない間、ケッコンをした彼女は 何を思って時を過ごしていたのだろうか。 呆然としていると、「司令官…168のこと、嫌いになったの?」と、不安そうな声が聞こえてきた。 何年か前に、何度も何度も聞いた、不安そうで、儚げな声が耳に入ってきた。 なんだか、たまらなくなって涙が止まらなかった。 ただ、それだけの話。ただ、それだけの話でしかないんです。
確かに俺はあの頃 伊168に恋をしていたのだ
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geniusbeach · 5 years
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絶望のパレード
 魂がうわついている。まるで自分が自分でないみたいだ。ここしばらく意識は常に前方斜め下で、歩いているのは抜け殻か尻尾のようなものである。いつから、そしてなぜそのようになってしまったのだろうか。正月にかこつけて内省的になってみる。
 昨年の初めに私家版詩集を刊行した。それまでに書き溜めた僅かな詩編を、2人の詩人と編集者、美術家とともに共著の形でまとめた。処女詩集にして全集のようなおもむきがあるけれども、自分としてはそれでよい。稲垣足穂風に言うなら、以降に自分が書くものはその注釈かバリエーションに過ぎないということだ。共著者と編集者が営業に奔走してくれ、関西の大型書店のみならず、関東の書店にも置いてもらうことができた。ありがたいことに帯には人類学者の金子遊氏が一文を寄せてくださった。個人的には、自分の高校時代からの読書遍歴を決定づけた恵文社一乗寺店に置いてもらえたこと、そしてそこで一度品切れになったことが大変嬉しかった。これで一地方のマイナーポエットになることができたという感じがある。それ以上は望まないが、この営みは細々と続けていくつもりだ。
 詩集に関するあれこれが落ち着いてからは、英語の学習に明け暮れた。一昨年は仕事で繁忙を極めており、勉強どころか読書も満足にできなかったため、それを取り戻すように必死にやった。おかげで昨年度中の目標としていた点数を一発で大きく上回ることができ、すぐに違う���野へ手を出した。次はフランス語であった。気合を入れて5000円もする参考書を買い、基礎からやり直していった。ところがその参考書、誤植があまりにも多く、解説も��常に不親切で、ページをめくるのが億劫になり早々にやる気を失ってしまった。なんとも情けない話である。新しい参考書を買う気もなくなり、漢字の勉強へシフトしたところ、こちらはうまくいった。徐々に、平日はカフェで、週末は図書館で勉強するスタイルが出来上がっていった。その間も読書は続け、昨年で40~50冊程度は読むことができた。
 秋ごろには面白い出会いがあった。実存的な不安が高まったこともあり、有休を取って哲学の道を散歩していたところ、海外からの観光客に、掛かっている看板の意味を聞かれた。訛りのある英語だったため、フランス人ですか? と問うと、そうだとの答え。自分がわずかばかりフランス語が話せるとわかって意気投合し、3日間観光ガイドのようなことをした。彼の名はムッシュー・F、ひとりで日本にバカンスに来て、東京でラグビーの試合を見たりしたとのこと。七十を超える高齢だが、つい最近まで自分もラグビーをしていたと話すエネルギッシュな人物で、全く年齢を感じさせない。パリで会社を営んでいるそうで、これが私の家だと言って見せられたのは、湖畔に浮かぶ大邸宅の写真であった。週末には森を散歩したり、湖にモーターボートを浮かべたり、馬に乗ったりしているよと言う。もちろんそれらは全て私有(森や湖でさえ!)、モノホンの大金持ちである。京都では一緒にカフェに行ったり、大文字に登ったり、うどんをご馳走したり、孫用の柔道着を探したり、旅行の手配を手伝ったりした。是非フランスにおいでと言い残し、彼は去った。それから今でも連絡を取り合っている。実に50歳差の友人ができた。
 かつて自分は、日本で日々を平穏に過ごしながらたまに外国語を話す生活を望んでいたが、今になって少しばかり叶っていることに気が付いた。仕事ではしばしば英語を使う。ただ、本音を言えば、金子光晴のように海外を旅して回りたい。学生時代に思い描いていた生活はと言えば、高等遊民か世界放浪者であった。金子は詩の中で「僕は少年の頃/学校に反対だった。/僕は、いままた/働くことに反対だ。」と言った。人間は何からも自由なのである。自分も「成績」や「評価」、「管理」などには絶対に反対である。人に指示され、その目を気にして送る生活など耐えられない......。ところが、じっさいの自分には構造の外へ飛び出す勇気がない。そもそも自分は道の外から生のスタ-トを切ったのだ。そこから正道に戻るだけで精いっぱいだった。血の鉄鎖に引きずられながらもなんとか空転を繰り返した結果、保守的な思想が全身に染みついてしまった。今はなすすべもないまま泣く泣くレールの上を鈍行で走っている。窓からは、空中を並走するもうひとりの自分が見える。全てに背を向けて純粋な精神の飛翔を楽しむ自分の姿が。金子の詩友・吉田一穂は「遂にコスモポリタンとは、永生救はれざる追放者である」と言った。世界は狭量だ。自分にとっては、シュマン・ド・フィロゾフもアヴェニュ・デ・シャンゼリゼも等価である。どうにか国や所属を超越したいと強く思う。やはり勉強をし直さねばならない。
 自分の様子がおかしくなったのは10月頃からだ。一昨年度に忙殺されたせいで少なからず人間の心を失った自分は、仕事における虚脱感に苛まれていた。家における問題もあり、また昨年度新たに来た上司とは全くウマが合わず、フラストレーションも募っていた。そもそもが5年で5人も上司が変わるという異常な環境である。自分はよく耐えてきたと思う。働くことが馬鹿馬鹿しくなり、ぼーっとする時間が多くなる。そんな中、自分はある大きなミスをしでかしてしまった。それは実際大した問題ではない、誰にでも起こりうることだった。尻ぬぐいは上司とともに行うこととなった。しかし、そのミスのせいでかなり落ち込んでしまい、さらに事後対応や予防策の打ち出し方が虫唾が走るほど不快なものであったため、自分は深く考え込むこととなった。さらにそこで追い打ちのごとく転勤が告げられたため、自分はついに心身に不調をきたしてしまった。抑鬱、不眠、吐き気、緊張性頭痛、離人感、悲壮感、食欲不振……全ての事物から逃げ出したくなる衝動に眩暈がする。ある日職場で人と話している時に、どうにもうまく言葉が出てこなくなったため、何日か休む羽目になった。初めて心療内科を受診し薬をもらった。一日中涙が止まらなかった。その頃の記憶はあまりない。日々、ふわふわと悲しみのなかを漂っていたように思う。ただ、話を聞いてくれる周りの人々の存在はかなりありがたく、ひとりの人間の精神の危機を救おうとしてくれる数多の優しさに驚かされた。転勤の話は自分の現況を述べたところひとまず流れた。その際、上役が放った言葉が忘れられない。「私は今までどこに転勤しても良いという気持ちで仕事をしてきましたけどね」。他人の精神をいたずらに脅かすその無神経さに呆れて物が言えなかった。薬の服用を続け、1ヶ月半ほどかけて不調はゆるやかに回復したが、自分が何もできずに失った貴重な期間を返して欲しいと強く思う。仕事に対する考え方は世代間でもはや断絶していると言ってもよいだろう。
 労働を称揚する一部の風潮が嫌いだ。仕事をしている自分は情けない。それにしがみついてしか生きられないという点において。システムに進んで身を捧げる人間の思考は停止している。彼らは堂々と「世の中」を語り始め、他人にそれを強制する。奴隷であることの冷たい喜びに彼らの身体は貫かれている。何にも興味を持てなかった大多数の人間が、20代前半に忽然と現れる組織に誘拐され、奇妙にも組織の事業であるところの搾取に加担・協力までしてしまう。それは集団的なストックホルム症候群とでも言うべきではないか。社会全体へのカウンセリングが必要だ。尤も、使命感を持って仕事に臨む一部の奇特な人々のことは尊敬している。生きる目的と収入が合致しさえすれば、自分も進んでそうなろう。だが自分は、「社会とはそういうもの」だという諦念には心の底から反抗したい。組織とは心を持たない奇形の怪物だ。怪物は人間の心の欠陥から生まれる。ただ怪物のおかげで我々は生きられる。それをなだめすかしておまんまを頂戴しようという小汚い算段に、虚しさを深める日々。人間的であろうとする以上、この虚しさを忘れてはいけない。
 どうしようもない事実だが、労働によって人の心は荒む。労働は労働でしかない。肉体を動かすことによる健康維持という面を除けば、それ自体、自己にとっては無益なものだ。勤労意欲のない文学青年たちはいかなる生存戦略を以て生活に挑んでいるのか。彼らの洞窟を訪ねて回りたいと思う。現代には、彼らのように社会と内面世界を対立させたまま働き消耗する人々がいる。ある経営者がその現象を「ロキノン症候群」と呼んでいた。芸術に一度でもハマったことがあるような人々がそうなのだという。しかし彼らも納得はいかないながら、どこかで折り合いをつけて頑張っているはずだ。自分は彼らに一方的な連帯感を覚える。来る亡命に向けて、励まし合っているような気さえするのだ。世間様はきっと我々を馬鹿者だと罵るだろう。「なんとでもいはしておけ/なんとでもおもはしておけ」と、山村暮鳥の強い声が聞こえる。目に見えるものだけを信じるのもいいが、それを周りに強いてはならない。我々は今、ようやく開けてきた時代を生きている。だが認識は未だ模糊としている。完全な精神が保証される世界からすると、まだまだ古い時代なのだ。人間の姿を見失いがちな現代に対して言えるのはただ一つ、みんなで一緒に幸せになろう、ということだけだ。
 さて、年末に3日間の有休をぶち込んだので年末年始は12連休となった。天六で寿司を食べ、友人宅に入り浸ってジャークチキンをむさぼった。ポルトガル料理に舌鼓を打ち、サイゼリヤで豪遊した。特に予定を立てずに、ひたすら酒とコーヒーを鯨飲する毎日であった。心身の不調はマシになったものの、不運が続き、人と会わなければどん底に落ちると思った。それはまるで自分という神輿を中心にした絶望のパレードのようだった。
 休みの初日、ふと思い立ち、生き別れた父親の所在を探るべく、戸籍を請求してみた。私は父親の顔も名前も知らなかった。さほど興味がなかったというのもあるが、これまで家族に問うても曖昧な答えしか返ってこなかったのだ。働き出してからしばらくして、親戚から聞いたのは、父親は母親と同じく耳が聞こえなかったこと、暴力をふるう人間であったことの二つだけだ。養育費が払われることはなかったともどこかで聞いたような気もする。いずれにせよクズのような人間であったことは疑いようもない。生まれてから会った記憶もなく、不在が当たり前の環境で育ったため、会いたいと思ったことはほとんどない。ただ、自分の身体の半分が知らない人間の血によって構成されていることに何とも言えない気持ち悪さを覚えていた。というのも、顔は母親似だと言われるが、色覚異常の遺伝子は父親から受け継いだものであり、おかげで少年はある夢を断念せざるを得なくなったからだ。その「不可視の色」を意識するたび、自分の身の内には不在の存在がかえって色濃く反映された。違和感は自分が年を重ねるごとに増してゆくような気がした。そのため、せめて名前と消息だけでも知っておこうと思い、今回ようやく役所に出向いたのだ。職員に尋ねたところ丁寧に教えてもらえた。自分の戸籍から遡れば簡単に辿ることができる。しばらくして数枚の紙きれが手渡された。そこには聞きなれない苗字が書かれてあった。そして、案外近くにひとりで住んでいることがわかった。ふーん。何か虚しさを覚えた。自分は何がしたかったのか。カメラを持って突撃でもすれば面白いのかもしれない。ネットで調べてみると同じ名前の者が自己破産者リストに載っていた。そうかもしれないし、そうではないかもしれない。結局自分には関係のないことだ。じっさいこの文章を書いている今、父親の下の名前をまったく忘れてしまっている。思い出そうとしても思い出せないのだ。
 旅行前日の夜中に家の鍵をなくした。普段ほとんど物をなくさないのでかなり焦った。約4㎞の距離を3往復し、交番に駆け込むも見つからず。最後に寄ったコンビニの駐車場を這うように探し回ったところ、思いがけない場所で発見し安堵した。寒くて死ぬかと思った。自分は落とし物を探す能力には自信がある。物をなくさない、などと言いながらイヤホンのイヤーピースはこれまでに3度落としたことがある。しかし、その都度血眼になって道端から救出してきたのだ。今回見つからなかったら自分はどんなに落ち込んでいただろう。2時間も無駄にしてしまったが、とにかく良かった。もうお洒落を気取ったカラビナは使わない。
 中学時代の友人3名と有馬温泉に行った。ここ数年、年末の旅行は恒例行事となっている。とはいえこの4人で遊ぶために集まるのはおよそ10年ぶりだ。有馬は京都から車でおよそ1時間半。温泉街は観光客でごった返している。外国人も多い。昼飯にカレーを食べ、しばしぶらつく。細く入り組んだ坂道が続く。公園には赤く錆びついた蛇口があった。飲用可能な鉄泉だったが、衝撃的な味に顔がゆがむ。血だ。その後、目当ての温泉旅館に行くも臨時休業であった。どこの湯も混雑しており、20分待ちがザラだった。日帰り湯の看板が出ていないホテルにダメもとで聞いてみると、幸運にも入れるとの答え。客もほとんどおらず、金泉をこころゆくまで楽しめた。歩き途中、炭酸せんべいを土産に買う。特徴のない普通のせんべいだ。ここで一旦宿に戻って車を置き、再びタクシーで温泉街へ。鉄板焼き屋でお好み焼きを食べ、銀泉に入る。顔がツルツルになった。宿はそこからかなり離れた山裾にある合宿所のようなところだった。嫌がるタクシーに乗り込み、外灯のない急坂を登る。受付には緩い感じのおじさんがいて、懐かしさを覚える。鍵を受け取り、宿泊棟へ。一棟貸しなので騒ぎ放題だ。大量に仕入れた酒とつまみと思い出話で深夜までウノに耽った。翌朝気が付いたのは隣の棟の声が意外とよく聞こえるということだ。大声、というか爆音で昔の先生のモノマネやらツッコミやらを繰り返していた我々の醜態は筒抜けになっていたようだ。棟を出る時に同年代くらいの若者と鉢合わせてかなり気まずかった。ここにお詫び申し上げる。この日は朝から中華街へと移動し、料理を食らった。鰆の酒粕餡かけという聞きなれない一皿がめっぽう美味かった。バリスタのいるコーヒー屋でエスプレッソを飲み、だらだら歩いて旅行は終了。京都に着いてからなぜか3時間ほどドライブし、大盛の鴨南蛮そばを腹に入れてから解散となった。
 大晦日は友人宅で蕎麦をご馳走になってから鐘を撞きに行き、深夜まで運行している阪急で松尾大社へ。地元の兄ちゃんが多い印象。社殿がコンパクトにまとまっていて良かった。おみくじは末吉だった。年明け早々、以前付き合っていた人が���婚したことを人づてに聞く。めでたい気持ち半分、複雑な気持ち半分。元日は高校時代の友人3人と四条で酒を飲むだけに留まる。2日は友人らと蹴上の日向大神宮へ。「大」と名づくが割合小さい。社殿の奥には天の岩屋を模したと思しき巨大な岩をL字型にくりぬいた洞窟があり、潜り抜けることができる。いつ作られたものかは不明だそう。暗闇を抜けて日の光を再び浴びる時、不思議にもスッキリとした感覚になる。ここでもおみくじは小吉だった。その後は下鴨神社の露店を物色し、ケバブとヤンニョムチーズチキンなる悪魔のような食べ物に枡酒で乾杯。旧友と合流し、深夜まで酒を飲み、コーヒーで〆。怒涛のアルコール摂取はここで一旦落ち着いた。
 3日、昼に起きる。夕方ごろ喫茶店に行くもぼんやりして何もできず。3時間で本のページを3回めくったのみ。その帰りがけに初めて交通事故を起こした。自分は自転車に乗っていたが、考え事ごとをしていたかそれとも何も考えていなかったか、赤信号の灯る横断歩道の真ん中で車に真横からはねられて、初めて意識が戻った。即座に状況を理解し、平謝りする。非常に幸運なことに怪我も物損もなく、さらには運転手が気遣ってくれたおかげで大事には至らず、事故処理のみしてその場を後にした。自分はあまりにぼーっとしすぎていたのだ。赤信号はおろか、横断歩道があることさえも気づいていなかった。完全にこちらが悪い。ただ、こんなことを言ってはヒンシュクを買うだろうが、何か自分のせいではないような気もした。昔、轢かれたことのある友人が、「車は鉄の塊、人なんて無力」と言っていた。生と死は笑えるほどに近い。車の同乗者には、生きててよかったなぁ! と半ば怒った口調で言われた。果たしてそうなのか。苦しんで生きるか、知らぬ間に死ぬか、どちらが良いのか。よくわからない頭のまま先輩の家に遊びに行き、帰ってからおみくじを捨てた。馬鹿にもほどがある。
 “WWⅢ”がツイッターのトレンド入りした日に、リニューアルしたみなみ会館で映画「AKIRA」を見た。第三次世界大戦で荒廃・復興した2020年のネオ東京が舞台である。東京オリンピックの開催まで予言されていて瞠目する。作画の緻密さと色彩の美麗さ、展開のスピードが尋常ではなく、見るドラッグのようであった。見に来ていたのは意外にも20代の若者が多かった。なぜか終了30分前に入ってきた女性3人組もいた。目がぐるぐる回って、もう何が何か訳がわからなかった。溢れそうな鍋に蓋をしたところ、その蓋の上から具が降ってきた。そんな脳内で、世界の終わりというよりは、自分の終わりという感じだった。翌日から仕事だったが、変に興���して夜中まで寝付くことができなかった。
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yuurasu · 2 years
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月曜日はやっぱり「吉田類の酒場放浪記」ですね。一本目はなんとスーパーの中に酒場、二本目は豆腐屋の中に酒場でした。面白そうですね。今夜も吉田類さんに乾杯🍻#吉田類の年またぎ酒場放浪記 #吉田類の酒場放浪記見ながら #吉田類さん #吉田類
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2ttf · 12 years
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iseilio-blog · 5 years
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小さな喫茶店
https://www.youtube.com/watch?v=8mOu9kAgf0I
https://www.youtube.com/watch?v=has1KjbVeU0 “喫茶店”、KISATEN 一辭大約在五十多年前出現在台灣,發源地的
日本早於明治末期, 到了1920年代更成了一時風尚。為什麼稱做
“喫茶店”?在日本的抹茶風習裡面,往往使用了一個中國趙州禪師語錄
中的 “喫茶去”字句以表風雅;猜想就這麼來的。
這另有一個名詞就是 “純喫茶”;這幾個字首先進入耳際,是來自正值
青春年華的表姊。日治時代 coffee shop 的流風遺韻,似乎已經日有
更新,也同時傳入了台灣。在日本早年,不提供酒類,而只有 咖啡、
茶,和一般飲料,雖然沒有酒類,卻有女侍作陪;這當然是搜尋
結果。大約就是等同台灣早年相當風行,燈光黑暗,剛進入伸手
不見五指,有女服務生坐枱的咖啡廳:南國佳麗、北國妖姬 -這是
門口的招牌。
據個人在慘綠少年時代的 經驗 ,第一次進入 “純喫茶” 記得是在
中正路,現在的忠孝西路,上到所在的二樓,只見昏暗的燈光中,
一座座擺在茶几後面的雙人沙發,躺滿了對對交纏的海獅。記得
當時年紀小 https://www.youtube.com/watch?v=KZsLLOUglTo ,
未經世事,不明就裡,所以趕緊小跑步跑路下樓。現在想起來,這些
雌雄海獅們也都已經 80好幾了。
在 “純喫茶”、Kisaten,年輕男女交往、生意人談生意、黑道喬事 . . .;
早年有名稱取自法國作曲家 拉威爾 的名曲  BOLERO ,大稻埕
的 “波麗露”。提供當時不多的 hi-end 音響,讓客人聆賞古典音樂。
不過在日本這類付有餐點供應的稱做 Cafe。這裡也是當年我輩家長
介紹子女相親的重要地點。幾年前去過一次 波麗露。後代前來自我
介紹;老實說,整個店已經走樣,女二代目的談吐很不怎麼樣,甚至
顯得粗俗。一眼看去的顧客,看不到青春也聽不到文雅,更談不上
古典。
從第一代老闆所做整體的呈現來看,受過日本教育,台灣老輩仕紳
世代的教養、儀態,早已隨著時代洪流,一去不返,相當失望。  相同的樣態也發生在台中的 太陽堂。上成功嶺時所見的 太陽堂,
曾經是如此和風高檔,甚久之後的幾年前,在網路所見的報導,
已經是相當破敗。這和生意之如何無關,而是由 “整理、整頓”
而來的美好、浪漫已經失去;文化思維已經不同。
當兵剛退伍,同學在南京東路一段頭開了一家 “金咖啡”。應該是
第一家咖啡廳擺上 Grand Piano,有鋼琴演奏,風行一時。不久,
在對面又開了一家 “金琴”,這次的噱頭更不得了,整部鋼琴鍍金。
同學以 Benz 為座駕,有司機案內,真是志得意滿,意氣風發;
年紀大約也就二十三四。這位老兄為人四海,他的家是當時當紅的
電視影星聚居處。時而去湊熱鬧,有次碰到剛出道不久的 余天;
全身有毛,既不會毛茸茸,多如黑熊,也不會毛髮稀疏如同紅
毛猩猩,實在很帥。有次躺在小房間雙層床的上面,下看林松義與
剛出道的余天坐在下面聊天。林松義向余天說,不用急著出國 . . . .。
林松義當然是前輩,只是余天很帥前途不可限量,我想此兄搞不清楚
狀況,有點好笑。還有一次去他的金咖啡蹭流行,神采飛揚的同學
說,來,給你介紹我的女朋友:「 北一女畢業的」。真是癩蝦蟆
吃到天鵝肉,令人五味雜陳。
https://www.facebook.com/watch/?v=114370417213271
之後台灣的咖啡廳更有了現場表演,成了所謂的 “西餐廳”。與日本
之後發展出爵士、古典音樂、體育、歌聲  . . . . ,等等配合形形色色
嗜好、興趣不同顧客群,風格各異的 “喫茶店”。充滿著主人家個人
堅持的風情與情調氣氛的 KISATEN 所在多有,由文化底蘊所發展
出來的呈現,日本與台灣各自的走向全然不同。
明治維新 “文明開化” 之後的日本,進入 “喫茶店” have a cup of
coffee,喝杯咖啡還是一種時尚。摩登的感覺,聽下面這一首,曲風
充滿了過著喝咖啡文明生活的昭和時代的興奮與快樂: 一杯 の コーヒー から
作詞   藤浦洸 作曲  服部良一 昭和十四年 https://www.youtube.com/watch?v=nz-UNcT-W7E 
1. 一杯のコーヒーから 夢の花咲く こともある
街のテラスの 夕暮に
二人の胸の 灯火が チラリホラリと 点きました
• 就一杯咖啡 夢的花開了    黃昏街旁的雅座 俩人心中花開朵朵
 2. 一杯のコーヒーから モカの姫君 ジャバ娘
唄は南の セレナーデ
貴方と二人 朗らかに 肩を並べて 唄いましょ
• 就一杯咖啡 摩卡公主 多話女郎
歌曲是南方小夜曲  與妳兩人並肩爽朗歌唱
3. 一杯のコーヒーから 夢は仄かに 薫ります
赤い模様の  アラベスク
あそこの窓の カーテンが ゆらりゆらりと 揺れてます
•  就一杯咖啡 微微的夢香    那紅圖案裝飾的 窗簾輕輕搖動
4. 一杯のコーヒーから 小鳥囀ずる 春も来る
今宵二人の ほろ苦さ
角砂糖二つ 入れましょか 月の出ぬ間に 冷えぬ間に
•  就一杯咖啡 小鳥啾啾 春來到
今夜俩人的哀愁 放兩顆方糖吧    月出前 未冷間
“喫茶店” 其實也就是 Coffee Shop,有走法國風的就稱做 Café:
C'est Si Bon(It's so good) https://www.youtube.com/watch?v=7y9hIjH_7do
https://www.azlyrics.com/lyrics/deanmartin/cestsibon.html
在戰後的昭和時代,隨著經濟的成長,上 コーヒーショップ  成了
人們生活不可或缺的一環,同時也有了幾首以 “喫茶店” 為主題的歌曲
膾炙人口。這一首 “喫茶店の片隅で” 描寫了青年男女談戀愛的情狀。
曲調清純、端正如同論說文,比較像是文部省頒定曲。來自歌詞的
回憶,表現出浪漫的氛圍,也透露著與情人分手後淡淡的傷感,深為
人們喜歡,傳唱。 下面播出兩首以 “喫茶店” 為主題的歌曲,個人都非常喜歡: 喫茶店の片隅で https://www.youtube.com/watch?v=EUDNTd1wjRo&t=2s
作詞:矢野亮
作曲:中野忠晴
金合歡街樹的黃昏
喫茶店燈光昏暗
我倆經常相逢的日子
小小的紅色椅子兩張
摩卡香氣 漂溢
靜靜對坐的兩人
聆賞著蕭邦夜曲
流瀉的鋼琴音符
忽急忽徐
不知覺間 夢遠了
難忘昔日情誼
獨自來到 喫茶店
散落窗邊的 紅玫瑰
遙遠過去的懷念
心中深深感觸  呼喚今宵
“ 靜靜對坐”, 理論上氣氛營造的責任應該是在男生。無論是拙於
言辭,詞不達意,或者神遊十三天外,再怎麼說女生平時如何
聒噪,也有必需的淑靜要守,更何況如果是位初嘗年輕男女交往
滋味的黃花大閨女ㄦ,保持羞於啟齒,就是一種最佳的狀態與
表現。如果其實是老於江湖,往往就在這靜默的時分,端詳、
審視對坐這位稚嫩小男生,盤算著接下來要如何宰制、盤剝這頭
難以釋手的小羔羊。
依詞意來看,這位女生正典就是一朵閉月羞花,男生更是個蕭邦迷,
天生應是一對,可惜心中這一點無法言傳的甜蜜,就在一點絲微的
誤會,或者什麼陰錯陽差,終至分手收場。 
すき 喜歡 https://iseilio-blog.tumblr.com/post/716133306776911872
有好事之旁觀者,默默好奇,守著觀察,期盼或許男方忽而出現,
演出一場心有靈犀的巧遇,終至喜劇收場。真要這麼說來,這首
論說文式的浪漫歌曲將大形失色。就讓劇情維持無頭無尾,在
主人公默默的心中訴說之間,主客共享這份幽微的情誼與遺憾。
日文歌詞練習:
アカシア並木 (なみき) の 黄昏(たそがれ)は
淡い灯 (ひ) がつく 喫茶店
いつも貴方(あなた)と 逢 (あ)った日の
小さな赤い 椅子(いす)二つ
モカの香 (かお)りが にじんでた
ふたりだまって 向き合って
聞いたショパンの ノクターン
洩(も)れるピアノの 音(ね)につれて
つんではくずし またつんだ
夢はいずこに 消えたやら
遠いあの日が 忘られず
ひとり来てみた 喫茶店
散った窓べの 紅(べに)バラが
はるかに過ぎた 想(おも)い出を
胸にしみじみ 呼ぶ今宵 (こよい)
這一首曲風輕快,可惜影片過於久遠,影像模糊,鑑賞功力全憑
個人才華。
https://www.youtube.com/watch?v=lhFfVuHkqx8 小さな喫茶店
拘謹有禮而古板的日本人,有其浪漫與夢幻的一面。 https://www.youtube.com/watch?v=fhY0-r_2yvQ 日本有 繩文人和 彌生人兩種,以個人看法, 彌生人 的 面孔比較肉餅。這位仁兄人稱: ハムバ-グ 、 漢堡。
拘謹有禮而古板的日本人,有其浪漫與夢幻的一面。 https://www.youtube.com/watch?v=voN9-0oeUho 神情與年齡雖然無法對焦,還是可愛,還是唱得不錯、拍拍手。 •  可愛い!お一人ですか?嗚呼 --
作詞:E.Neubach
訳詞:瀬沼喜久雄 作曲:F.Raymond 已經是去年
星光綺麗的夜晚
想起我倆散步的小徑
懷念
過去浮上了心頭
走著走著
不覺煩惱了起來
那是初春的事
進入喫茶店內的我倆
面前擺著茶與蛋糕
一言不語
旁邊收音機甜美的歌聲
輕柔的唱著
就只靜默的我倆
相對而坐嗎
進入喫茶店內的我倆
面前擺著茶與蛋糕
一言不語
旁邊收音機甜美的歌聲
輕柔的唱著
就只靜默的我倆
相對而坐嗎
日文歌詞練習:
それは去年のことだった
星の綺麗な宵だった
二人で歩いた思い出の小径だよ
なつかしい
あの過ぎた日の事が浮かぶよ
此の路を歩くとき
何かしら悩ましくなる
春さきの宵だったが
小さな喫茶店にはいった時も二人は
お茶とお菓子を前にして
ひと言もしゃべらぬ
そばでラジオがあまい歌を
やさしくうたってたが
二人はただだまって
むきあっていたっけね
小さな喫茶店にはいった時も二人は
お茶とお菓子を前にして
ひと言もしゃべらぬ
そばでラジオがあまい歌を
やさしく歌ってたが
二人はただだまって
むきあっていたっけね
台灣人固然騷包,對 “喝咖啡” 這類成了次文化的風尚,情趣其實
不多,個人則還是比較喜歡牢騷滿腹,罵人不帶髒字的政治論說,
卻是往往一知半解,過於充斥還是不好。這日發現弄些歌曲、歌詞,
好好說他一番倒是一個方向;且擱下筆,稍後再敘。
BONUS 
二戰前世代的日本人其實比較嚮往浪漫的法國 https://www.youtube.com/watch?v=UR2Kj1omGAg
枯葉 岸洋子 https://www.youtube.com/watch?v=El6kzOS0TKg
すみれの花咲くころ https://www.youtube.com/watch?v=6VbSufpdUp8
專人桌烤"A5和牛八吃" & 鎮店30年"黃金羊肉爐" https://www.youtube.com/watch?v=w1S1llWbCgM
2018 舊文
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