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#放射線状の雲
orion3sta · 2 years
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2022/11/14 早朝から筑波山上に、放射線状の雲が発生したと思ったら、三重県深海の地震から波及した大きな揺れにビックリ! おでんをつまみながら伊佐錦の芋焼酎で乾杯🥃 水戸納豆 藁苞水戸納豆 #水戸納豆 #iPhone日記 #筑波山 #放射線状の雲 #紅葉 #黄葉 #銀杏並木 #夕暮れ風景 #藁納豆 #伊佐錦 #おでん https://www.instagram.com/p/ClD9Z6jyE2z/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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kennak · 19 days
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「キノコ雲の子」と呼ばれた高校生がいた。  原爆のキノコ雲に誇りを持つべきでしょうか――。早稲田大4年の古賀野々華さん(23)は5年前、留学先の米ワシントン州リッチランドの高校で、そう疑問を投げかけた。核産業で発展した町での勇気ある行動は、広島市で6歳の時に被爆した後東利治さん(85)の背中を押した。思い出すだけでつらく、向き合うことを避けてきた記憶の扉を開け、体験を語ることを決意した。 ■キノコ雲の校章に疑問 リッチランド高校に留学中の古賀さん。校舎にはキノコ雲の校章が大きく掲げられている(古賀さん提供)  「キノコ雲の校章を誇りに思う」「こんなにユニークな校章は他にはない」  米リッチランド高校。2019年5月、校内向けに配信された3分40秒の動画番組「AtomicTV」で、米国人の生徒が原爆のキノコ雲をかたどった校章を口々に称賛する中、古賀さんが口を開いた。  「原爆で亡くなった人は、町で生活していた一般の人だった。多くの人を無差別に殺した原爆を、私は誇りに思うことはできません」  リッチランドは、核施設で働く労働者や家族のために建設された。第2次世界大戦中に原爆を開発した「マンハッタン計画」の拠点で、長崎に投下された原爆の原料プルトニウムを製造したその施設は、1987年まで操業していた。 ■核産業で栄えた誇り リッチランド高校の校章。原爆のキノコ雲をシンボルにしている(古賀さん提供)  古賀さんが福岡県大牟田市の私立高校から留学したのは2018年8月。最初はリッチランドがどういう場所か知らず、校章を気に留めることもなかった。  半年ほどが過ぎた頃、男性教諭から校章の由来を教えられ、涙があふれた。  「原爆投下で戦争が終わって今がある」。周りの生徒は核産業で発展した町の誇りを当たり前のように口にした。2019年6月の帰国を前に、動画への出演が決まり、校章をテーマに話すと決めた。誇りを否定するつもりはない。ただ、被爆地で起きたことを知ってほしかった。  <日本人留学生、リッチランド高校のキノコ雲ロゴについて語る>。出演後すぐにワシントン州の地元紙で紹介され、ニュースは日本でも報道された。 ■40年続いた悪夢 被爆体験を語る後東さん(左)。古賀さんもその様子を見守った(7月14日、広島市中区で)  被爆者の後東さんはニュースを知って衝撃を受けた。「米国のど真ん中で原爆を批判するこの子はすごく勇気がある。自分も何か話さんといけんのんじゃないか」  1945年8月6日、天満国民学校(現・広島市立天満小)の1年生だった後東さんは、登校して間もなく学校の廊下で被爆した。窓ガラスが黄色く光り、轟音と同時に木造2階建ての校舎の下敷きになった。  何とかはい出し、避難時に見た光景が忘れられない。  あおむけで川を流れる無数の遺体、「助けてください」という叫び声。そして、やけどで頭皮の右半分がずり落ちたまま歩いている人の姿――。自宅を目指したが、がれきの上をはだしで歩くので痛くて前に進まない。様子を見かねたある男性がおぶって神社まで避難してくれた。その夜は神社で一人過ごした。  それから毎夜、目をつむると脳裏に惨状が浮かぶ。46歳頃まで続いた。思い出すことも、体験を口にすることも嫌だった。 ■返事が来ない 後東さんと古賀さんが交わした手紙  古賀さんの勇気に心が動いた後東さんは2019年8月、古賀さんに手紙を出した。<その勇気に私も背中を押され、被爆証言を始めようと決意しました>  しかし、返事は、待てど暮らせど来なかった。「原爆にこれ以上深入りしたくはないんじゃろう」。大きく膨らんだはずの決意がしぼんでいった。  古賀さんには、後東さんのほかにも手紙やメッセージがいくつも届いていた。原爆に特別な関心があるわけではなかった。日本人として素朴な疑問を口にしただけだ。反響に戸惑い、手紙は返事を書かないまま自分の部屋にしまった。  以前から興味のあった福祉を学ぶため、2020年4月、早稲田大社会科学部に進んだ。上京時、後東さんからの手紙も持っていった。「いつか話を聞きたいという気持ちがあったのかな」  コロナ禍での大学生活。児童養護施設のボランティアに応募しても受け入れてもらえない。経験を積めず、人とも会えない。やる気がなくなっていった。  2022年2月、ロシアによるウクライナ侵略が起きた。テレビで流れる戦車や爆撃の映像に衝撃を受けた。ロシアのプーチン大統領は核兵器の使用をちらつかせている。「私にできることは何だろう」。後東さんの手紙を思い出した。 ■動き出した2人の時間 古賀さんが制作したドキュメンタリー「あのプラタナスの木のように」の一場面。左が後東さん  <戦争や核、平和について自分にできる事はないかと考える日々が続いておりました。被爆の話をお聞きする事が今の私にできる事だと思いました>。2022年5月、後東さんに返事が届いた。手紙を出してから3年がたっていた。  後東さんは驚きと同時にうれしさがこみ上げた。手紙の最後に書かれていた携帯番号にすぐに電話をかけた。「またまた勇気をもらいました」  翌6月、広島で初めて顔を合わせた。古賀さんの手にはハンディーカメラ。後東さんの初めての証言を記録し、ドキュメンタリーを制作したいと思った。  まず向かったのは、原爆ドームそばのお寺。被爆死した近所のお兄ちゃんの墓に手を合わせる姿を撮影した。被爆した小学校の校庭にはプラタナスの木がある。被爆で幹が空洞になりながらも緑の葉を生い茂らせる木の前で後東さんは語った。「人間もたくましく生きていかにゃあいけんなあ」  4日間密着した映像は、約15分間の作品にまとめた。タイトルは「あのプラタナスの木のように」。古賀さんには後東さんの姿がプラタナスと重なって見えた。 ■核兵器の町を再訪 核施設から放出された放射性降下物で被曝したと語るトム・ベイリーさん。約1年後に死去した(2022年12月、古賀さん撮影)  2022年10月、古賀さんは3年ぶりにリッチランドを訪れた。  後東さんの被爆証言を聞いて、「原爆投下は絶対悪だ」と強く思った。でも、世界を見渡すと多くの核兵器があるのはなぜなのか。答えを求め、大学を休学して海を渡った。  2か月かけて住民約20人に核兵器に対する考えを聞いた。肯定的な意見が相次ぐ中、一人だけ反対する人がいた。当時70歳代後半のトム・ベイリーさん。施設から放出された放射性降下物で被曝し、甲状腺がんを患っていると語った。  「私は最後のヒバクシャではない」。核開発が続く限り犠牲者が出るとの訴えが、重く響いた。ベイリーさんは今年1月に他界した。 ■人生初、英語の勉強に挑戦 田中さん(右から2人目)に通訳してもらい、留学生と交流する後東さん(中央)(広島市中区で)  後東さんも動き出した。町内会の慰霊祭や区民センターなど、機会を見つけては、どこへでも行って自らの被爆体験を語る。「今さら証言してどうなるという気持ちもなきにしもあらずだが、それを振り切ってやろうと思いよる」。昨秋には自身の証言活動に「ひろしま平和塾 きのこ雲」と名前を付けた。  昨冬に知り合った広島大4年の田中美月さん(22)に通訳を頼み、留学生に話をする機会も増えた。今年に入って毎週3時間、人生で初めての英語の勉強を始めた。 ■2年ぶりの再会 世代を超えて交流を深める後東さん(左)と古賀さん。それぞれの目線で原爆と向き合っている(7月14日、広島市中区で)=東直哉撮影  7月14日、古賀さんが後東さんの初証言を追ったドキュメンタリーの英訳付き版が完成したのに合わせた上映会で、2人は広島で2年ぶりに再会した。会わない間もLINEで近況を報告し合っていた。  「負けんように、証言しようと思っていた」。後東さんが古賀さんと出会ってからの心境を明かすと、古賀さんは「被爆証言が多くの国に伝わってほしい」。2人の思いは呼応し合う。  後東さんはさらに証言に力を入れ、古賀さんは大学卒業後に渡米し、米国での核被害の研究に挑戦したいと考えている。  核兵器が使われない未来へ。1本の動画をきっかけに生まれた世代を超えた交流は、その一歩だ。  ※この記事は読売新聞とYahoo!ニュースによる共同連携企画です。
「キノコ雲の子」、原爆投下の米国で疑問投げかけ 長年口閉ざす被爆者に勇気 #戦争の記憶(読売新聞オンライン) - Yahoo!ニュース
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oivgbqiqfz358 · 2 months
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--深海人形-- とても人(型)とは呼べない異形
※閲覧注意
※キャラ崩壊注意
※後半クロスオーバーネタ注意
※好きなモビルスーツ・アーマー
一位ガンタンク
二位ゲルズゲー、デストロイ
続きは↓
グレイズアイン
五位 試作三号機
他、バウンド ドック、風雲再起(馬が乗る方)、Ξ、ν、シャンブロ、バクゥ、ジェガン、ハシュマル、FA-ZZ、ガイア等。
戦車は大嫌いだけど、何故かガンタンク先輩の事は気に入って居ます(※あのいかにも玩具な感じが良い。癒し)。…で、ヒルドルブとか陸戦強襲型ガンタンク好きかって言うと……別に、…って感じ……(※彼奴等モロ戦車じゃん……)。
?「あれれ〜?この中に私の作った奴が無いぞ〜??(The Oが無い時点でアレだぞ〜〜??)。」
普通に無いよ⭐︎(※冷淡)。
…。
今、某国の観光客大勢が神使である奈良の鹿を揶揄ったり足蹴にしたり鹿が消化出来ない物食べさせたり虐めてるのが日本人の間で大きな問題になってるけど、ならば、逆に某国人(館主様とふーけつと後何か弓兵)を奈良の鹿にしようぜ(彼奴等が神使になるだけで神様と地元の方々に迷惑なので辞めてあげて下さい!!!!!!!!!!!)。
…でも、神様には本当に悪いですけど、彼奴等が奈良の鹿になってたら、月二のペースで奈良に通います(※約束)。
ttps://x.com/Hongnumongol99/status/1815192716462219297?utm_source=yjrealtime&utm_medium=search
ttps://x.com/keiseisuzuki/status/1815082685842571753?utm_source=yjrealtime&utm_medium=search
ttps://x.com/K_thinking08/status/1815271588025278689?utm_source=yjrealtime&utm_medium=search
ttps://x.com/ksygwsh103/status/1815243681215271144?utm_source=yjrealtime&utm_medium=search
…。
ワイの中ではシロッコ=ダバ、キャオ=ヤザン、アム=サラみたいな感じ(※ダバは彼奴と同一視みたいにされるの嫌だろうな……)。
エルガイムは良いアニメだよ(※あの儚さと素朴さと懐かしさと切なさが良い)。
…。
…『自分の好きな物を人に嫌いにさせる、忌むべき存在にさせる天才』とか言う厄介ガノタみたいな奴って居るよね?(※其う言うオタクが界隈を衰退させるんだよ……)。
…。
確かに、オリビーは正気に帰るか、死出に旅立つかで両者は解放されるだろうが、放射能汚染で原爆症になったキャオはいずれ早い内に死するだろうし、死ねば帰って来ない。改めて悲しい話だ。エルガイムは。
…。
本当は種ミリ知らなU.C専門勢の為にも『デザイナー ベイビー』と言うべきなんだけど、ついついワイは、『コーディネーター』と言ってしまう。
…。
U.Cで、C.Eみたいに、シロッコとかプルシリーズの所為でブルコス思想めいたのが蔓延したら面白いな(鬼畜)。
…。
ガトーは只管生きることよりも、戦いの中での玉砕を選んだ時点でメンタル弱い方だと思う。…ガトーとかデラフリ推し勢が確実に彼等より下の存在だと見下してるシロッコとかヤザンの方がメンタル強い(※確信)。
…。
ティターンズよりブルーコスモスの方が人気あるよな?如何して此処迄差が出るのだろう。思想似たりよったりの癖になww(※…確かに、真面目に、自分達の主張に忠実な分、ブルコスの方が優秀笑)。
…。
※不妊蚊で蚊撲滅キャンペーンのニュース見て思い付いた(※コーディ達を完全に害虫扱いして居るブルコスネタ)。
ブルコス上層部「コーディネーターは代を重ねる度に繁殖出来ず、其の数を減らして行くと言う。そんな中に不妊コーディーネーターをバラ撒いて置けば我々の勝ちなのでは?!?!!!(※勝ちを確信)。
盟主王「…名⭐︎案!(※其れだ!)」
Zaft「(※不妊コーディネーター弾く為に)婚姻統制するね……(※半ギレ)。」
議長(※婚姻統制の犠牲者)「全人類を幸せをする為にDP用意しました(※覚悟ガンギマリ)。」
※…尚、其の不妊コーディネーターは、廃棄処分決定の戦闘用コーディ他色々な所から様々なルートを駆け摺り回って集めて来たコーディを"再利用"し生体CPUを作る技術で拵える模様(※…先ず、遺伝子操作技術不要じゃないとな……)。
…。
※…以下、閲覧注意
おっちゃんタンク(おっちゃんの上半身をガンタンクはんみたいな下半身に換装)みたいになった陸戦用木星帰りとかアナベル君みたいなネタ考えてた(※木星帰り的には、タンクはんのキャタピラよりゲルズゲーみたいな多脚足の方が相性良いかもね)。
そして堂々とキャタピラとかの上に乗って来るヤザ氏(※何時の彼奴)。
「隙あらば俺を轢き潰そうとして来るのは辞めろ。」
「すまん、実に君(お前)は邪魔極まり無い物だからな(※…そして、先制交通ジオへ……)。」
…。
※Effigyネタ注意
※モブキャラ注意
※閲覧注意
※ショッキング展開あり
※R-15&セクハラ描写注意
※参照: 過去記事 --深海人形特別篇-- プロジェクト グランドフィナーレ 準備号 館主様と蒼傑達は噛ませ犬
----「パプテマス・シロッコ」はどんな男だったかね?
----……… 面白い奴でしたよ
----MSV-R ジョニー・ライデンの帰還
シロッコのティターンズへの謀反は、魔人(Effigy)達に拠り鎮圧されて、彼はジュピトリス共々拘束された。その後、ジュピトリスは木星公社の嘆願もあり、解放され、ティターンズと地球圏から逃げる様に木星へと出発して行った。…但し、かつて、其の輸送船の艦長であった存在だけを残して。
----今のシロッコ、…何だか人形みたいだな……。
シロッコがティターンズに拠って、準魔人(Semi-Effigy)よりもずっと強いRXQ-01,02,04の様な魔人(Effigy)に加工されて帰って来た時、ヤザンは大きな衝撃を受けた物だった。
噂では、自我と心を壊された、魔術と科学のハイブリッド的な強化人間?と彼は聞いては居たが……。
左目だけが金色の目、ティターンズらしい黒い服、無駄に美しく整った顔立ちと紫の長髪、虚ろな目線に表情……、見れば見る程、まるで、無理矢理、見た目麗しい人型に押し込めただけの異形としか言い様の無いいでたち。
其の時、シロッコが魔人に加工処理される迄、RXQ-03が欠番であった事をヤザンは思い知る。ティターンズは、ずっとシロッコの様なニュータイプが、自分達の懐に入って来て、彼奴を魔人に改造出来る機会が来るのを、ジッと気を長くして待って居たのか……と。
…、
「なぁ、何でだよ。シロッコ。俺の事をずっと関心持って見ててさ、ずっと莫迦にして来て、からかっててさ、いっつも『私でもよく分からない奴だから面白い』って俺の事面白がってたじゃねぇか。」
あれから、ヤザンは----シロッコの自我と心が悉く破壊されて居る事を噛み締めながら、----何とか----今現在スタンバイ状態に入って居る----シロッコに何らかの反応を……、
「…なぁ、シロッコ!!オレの事分かるか!?!??!?」
返事をさせようと頑張って居るのだが、其うやって必死にやって居る内に……、
「……なぁ!シロッコ!!!!!いい加減に返事をしろよ!!!!!��
其処で、以前から熱烈なシロッコヘイトのアンチだったティターンズ将兵二人がやって来て、如何にもワルな、嫌らしい感じで薄ら笑みを浮かべながら陰口を、此の時は、如何にも、子供っぽい、幼い見た目の生意気そうな態度の方が叩きはじめる。
「何してるんです?ヤザン大尉?又、何時もの性的嫌がらせですか?!??!」
「違う!変な風評被害流すな!!!!!」
其う答えるヤザンを後目に、偉そうな態度を取って居る方が、今度は、RXQ-03の陰口を言い出した。
「此れが昔、シロッコだった物か。何とも面白い物だな。全く良い気味だ。今の此れはティターンズを乗っ取ろうとした報いでしか無い!さぁて、此れからは、散々、生体作業機械やら生体ユニットやら生体兵器としてコキ使われるだろうな。まっ、同情する気も無いがね!」
「中佐!其んな事を言うのは!」
相手が上官の為、野獣と呼ばれる彼らしくも無く、優しめで柔らかめの言葉遣いで反論しようとするヤザンだが、もう一人の将兵----階級は中尉----も続く。
「大尉も懲りないですよね。シロッコ、シロッコと。既に、何処にもシロッコって人は、居ませんのに。」
その陰口に野獣らしくも無く、其の中尉に対して強く反論する。
「いや!此処に居るじゃねぇか!!!!!シロッコは!!!!!!巫山戯た事を言うんじゃねぇ!!!!!!!!!!」
だが、相手は非常に人として冷たかった。
「其れは元其うだった人ですよね?昔みたいに大層な事も偉そうな事も生意気も言わない、自主的に、自分の意思で、MSもMAも作らない、女が頂点の社会を作ると言う理想も掲げない……、最早、死んだも同然では無いですか?人間として。」
「…………。」
----違う!…其んな事は無い。其んな事は絶対無い……!!
一瞬、中尉に殴り掛かろうと思ったが、其の側に中佐が居る----此処で殴ったら絶対に面倒事になる----ので、其れを取り止め、只管我慢して、自分を押し潰し、必死に沈黙する。
其んな時、此の状況に飽き飽きして居たのか、中佐は、中尉に声を掛ける。
「中尉、時間だ。早く仕事に戻ろう。…其れから、別れの挨拶は、ちゃんと、礼儀正しくするんだぞ。」
「嗚呼、其うですね中佐。早く行かなくてはなりませんね。…其れから、最後に大尉。」
其の台詞の続きとして、中尉が最後に、此う親切心(?)で言って二名共々場を去る。
「其れ何度やっても時間と付き合いの無駄ですから、良い加減に諦めた方が良いですよ〜〜!!!」
「…煩ぇよ!余計な御世話だ!!!!!此の野郎!!!!!!!!!!!!」
此の如何しようも無い親切心(?)に対して、流石のヤザンも遥かな大声で中尉に怒る。
「あっははははははっ〜〜〜!!!!!!」
「…やれやれ……。」
如何やら中佐も…、此の中尉の子供っぽさには常日頃から頭を悩ませて居た様だ。
…、
「おーい、シロッコ、おーい!!」
何度も何度も、ヤザンは、あれから機会がある度に、声を掛けて返事をさせようとするが……。
「……。」
相変わらず、RXQ-03は、何も、返事をしない。
常に、機械的に、ただひたすら、上官(マスター)から与えられた作業と仕事と任務を熟して、其うで無い時は、スリープモードに入って居るか、スタンバイモード----他の将兵達の遊び相手か玩具にされて居るだけだ。…其んなある時、ヤザンはRXQ-03の股間を掴んで軽く握り潰すと言う"何時もの儀式"を決行した事があった。
「…お前、昔は、オレに一度も触らせなかったよな……。」
彼が其う言う通りに、昔、RXQ-03がRXQ-03として加工される前、或いは、シロッコがシロッコだった時、シロッコは心底此の『スキンシップ』を嫌がって居た所か、触りに近付くヤザンを事前に察知し、いざヤザンが来た時、先手必勝とばかりに馬かトナカイの様に蹴り飛ばして逃げて、遂ぞ一回も触らせ無かった。
だが、今のRXQ-03は嫌がりもしないし、触られる前にヤザンを蹴り飛ばしたりもしない。されるが儘。相手に玩具にされるが儘。少し恍惚の表情で受け入れるが儘。
「…畜生……!!シロッコを此んな風にしやがった奴等めが!!!!!!!!」
此処で、しっかりと、はっきり絶望した。
----此んなの、人間にして良い所業じゃねぇ……!!
そして、ヤザンはシロッコの頭をぐしゃぐしゃと撫で回して、目に涙を溜めながら言う。
「すっかり、つまんねぇ奴になっちまったな。シロッコ。」
…。
※クロスオーバー?注意
シロッコと交流を持つのがヤザンの代わりにガトーだったら(※ガトーがヤザンの代わりの理由:ガトーはヤザンよりもずっと良い見た目をして居るから。ジオン残党狩りの為に設立されたティターンズとか言う根深い要素無視)。
「君には私肝煎りの、此のMSをやろう。ハンブラビだ。」
「要らん。」
  終
制作・著作
━━━━━
 ⓃⒽⓀ
…。
アクシズかネオ・ジオンで若手かミネバ様の護衛を務めるガトー見たい(※完全に騎公士ですね!!!!!!!)。」
某エゥーゴのグラサン「おはロリ⚪︎ン(※明らかにガソダムさんのノリ)。」
…。
ガトー「此の私をロ………に目覚めさせたのはミネバ様だーーーー!!!(※最悪の決め台詞)。」
某赤い機体に角付けたがる人「良いぞ!もっと闇(※ロリ⚪︎ン道)に落ちろ!(※大歓喜)。」
…。
※クロスオーバー?・男リョナ注意
ヤザン、ジェリド他ティターンズに虐められて暴力振るわれる捕虜のガトーが見たい(※何時ものワイ)。
…で���ヤザンはストレス解消とか楽しみでガトーをサンドバッグにしてたけど、虐めて居る内に、段々と申し訳無くなって来てヤザ氏が虐めてた事を謝ってガトーと友達になったんだけど、其処で友達の居ないシロッコが何かめっちゃ羨ましそう目で其方の方を見てる(※如何言う関係性だよ?此奴等……)。
…。
※クロスオーバー注意
アナベル・ガトーとマイヨ・プラートは違う。R-9AとR-9Adelta位違う。FAZZとFA-ZZ位違う。然し、ブレア御嬢様は其の違いが分からず、同一人物だと思って居る様です。
ブレア御嬢様「…何故ですの?!全部同じじゃないの?!(驚愕)。」
ガトー「…もっと、よく見てみろ!これだから素人は(遠い目)!!」
…。
館主様を生体ユニットとして、直結した超性能汎用量産型機体みたいなの出したいよね(グレイズアインかよ)。にせウラキ=館主様の方がずっとマシ?其う……(※宗だけになww)。
…。
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takahashicleaning · 4 months
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TEDにて
アンジャリ・トゥリパーティー: いずれは地球も火星のようになるその理由
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
毎分、約180kgの水素と3kg近くのヘリウムが、地球の大気から宇宙空間へ散逸しています。
この大気散逸に関する研究をしている天文物理学者のアンジャリ・トゥリパーティーは、いつか(数十億年後に)この青い地球も大気散逸で火星のように赤くなると、興味をそそる分かり易いトークで説明します。
火星は、環境が厳しいため、映画のようなドーム状の建造物というよりも、洞窟に地下施設を構築する方が、地下資源も効率的に資材に加工できるので可能性が広がります。
夜空を見上げ星を見るとその数に驚かされます。美しいですね。しかし、そこには目には見えない星がもっとあるのです。なぜなら、ほとんどの恒星には、それぞれ、周回している惑星が、1つや2つはあると分かっているからです。
ですから、この写真には、今まで発見された系外惑星全ては写っていないのです。惑星というと私たちは遥か彼方にある地球とは全く異なる天体を想像しがちですが、私たちが暮らしている地球も惑星です。地球に関する多くの驚くべき現象があります。そのようなことを探し求め、幅広く宇宙を探索する中、驚くことが分かって来ています。
その中の地球に関するあることをお話ししたいと思います。それは、毎分、約180kgの水素と3kg近くのヘリウムが地球から宇宙空間へと散逸しており二度と戻って来るものではない、ということです。水素やヘリウムその他多くの気体で組成されている地球の大気は、宇宙飛行士が、ISSから撮ったこの写真に青い線となって写し出される様々な気体の集まりにすぎません。
しかし、私たちの惑星を包むこの薄い層のお陰で地球では生命が繁栄し、隕石その他多くの衝撃から地球が守られているというのは驚愕の現象です。それだからこそ、この構成部分が失われているということは、それ程でないにしても恐るべき話です。
私はこの現象を研究しています。これは「大気の散逸」と呼ばれ、地球に限って起きていることではなく、むしろ惑星である証拠だと言ってもいいでしょう。地球だけでなく、どの惑星にも起きている大気の散逸はその惑星自体を知る手がかりとなります。
太陽系というとこの絵を思い浮かべるでしょう。惑星が8個ありますが9個だと言う人もいるでしょうから、この絵に苛立つそんなあなたの為にもう1つ加えましょう。探査機「ニュー・ホライズン」の写真もあるので冥王星も並べましょう。
実は、ここでは大気散逸に関するこのトークの目的のため冥王星も他の見えない恒星を周回する惑星と同じように、私の中では惑星なのです。惑星の基本的な性質の定義に自己重力で1つに結合した天体というのが含まれています。つまり、色々なものが引力で引きつけられ結合しており、質量も重力も大きいので丸いのです。冥王星を含むこれら全ての惑星を見るとみんな丸いでしょう。
重力の働きが分かりますね。惑星のもう1つの基本的性質はこれでは見えない恒星である太陽との関係にあります。太陽系にある惑星は全て太陽を周回していますが、それが基本的に大気の散逸を引き起こしているのです。
恒星が惑星に大気散逸を起こさせている根本的な原因は、恒星から惑星に放射される粒子や光や熱が惑星の大気を流出させているからです。熱気球を考えても、また、この写真で見られるタイの「コムローイ祭り」の提灯を見ても熱風は気体を上昇させる力を生み出すのが分かります。
太陽が持つ十分なエネルギーと熱で重力に拘束されているだけの非常に軽い気体は、宇宙空間へと拡散しています。こうして地球や他の惑星の大気が恒星から熱を受け、自己重力に逆らいながらその双方の影響を受け大気散逸が起きています。
先程お話ししたように、その割合は毎分。水素が約180kg。ヘリウムが3kg近くです。では、その様子は?すでに1980年代に NASAの「ダイナミックエクスプローラー」探査衛星が地球の紫外線写真を撮っています。この地球の写真では、散逸している水素が赤く表示されています。
酸素や窒素の他の気体は、白くキラキラと極圏にオーロラの環になり、熱帯地方付近にも所々現れています。この写真が決定的に証明しているのは、地球の大気は地球上の私たちをしっかりと包んでいるだけでなく、宇宙の彼方まで流出しているということです。それも驚異的ペースで起きているのです。
しかし、地球だけが大気の散逸を起こしているのではありません。お隣の火星は、地球よりずっと小さいので大気を保持する重力は、遥かに小さく大気はあるのですが、地球とは比較にならない程希薄です。地表を見て下さい。大気が薄く天体衝突の衝撃を和らげられなかったことを示す。複数のクレーターが見えます。
また「赤い惑星」と呼ばれるように火星が赤くなったのには大気散逸が関わっているのです。火星は過去、水があり水に十分なエネルギーが加わり、水素と酸素に分解して軽い水素が宇宙空間に散逸し残る酸素が地表を酸化させ錆びつかせ、現在の錆色となったと思われています。
火星の写真を見て、多分、大気散逸が起こったのだろうと言うのは構わないのですが、NASAは火星の周回軌道に探査衛星「メイヴン」を送り火星の大気散逸を調べています。火星探査機メイヴンは、地球上の景色にとても似た映像を送って来ています。火星が大気を失いつつあるとは随分前から分かっていましたが、それを示す素晴らしい写真があります。
赤い円が見えますね。火星の輪郭です。青い色が火星から散逸している水素を示しています。火星のサイズの10倍以上。その範囲は広がっています。散逸した水素はもはや火星の大気圏にはなく宇宙空間にあります。このことによって水素が無くなったので火星が赤くなったという理論が裏付けられます。
火星が失っているのは水素だけではありません。地球の大気からヘリウムだけでなく酸素や窒素も散逸していますが、火星からも酸素が失われているのが、メイヴンからの記録で見て取れます。酸素は重いので水素程、遠くへは行きませんが、それでも火星から拡散しており、赤い枠内に閉じ込められているわけではないのが分かります。
大気の散逸は地球にだけ見られる現象ではなく、どの惑星でも起きており探査機を送り大気散逸を調べるとその惑星の歴史が分かり、また、惑星一般についても地球の未来についても知ることができます。それで、地球の未来を予測するには遠くの見えない惑星を知るというのが1つの方法です。
その前に一言。冥王星では、このような写真はお見せできません。がっかりでしょうが、その写真がまだないのです。探査機「ニュー・ホライズン」が、冥王星の大気散逸について調査中なので楽しみに。しばらくお待ち下さい。しかし、ここでお話したい惑星は「トランジット系外惑星」として知られている。太陽系外の恒星を周回する惑星です。
「系外惑星」または「太陽系外惑星」と呼ばれるトランジット系外惑星にはある特質があります。中央にある星をよく見ると瞬いているでしょう。その瞬きの理由は、常にその恒星を周回している複数の惑星があるからです。そして、それが特有な効果を生み出し、それらの惑星が恒星の光を遮るとき瞬いて見えるのです。
夜空の星の瞬きを調べて惑星を探し出すことが出来ます。この方法で5千個以上もの惑星が、天の川銀河内で発見されています。前にも言いましたがもっとあると思っています。私たちが見ている星の瞬きは惑星そのものからのものではなく、記録可能な恒星の周期的な輝度の変化です。
恒星を周回する惑星が、恒星からの光を遮り、それで私たちには瞬いているように見えるのです。これから惑星を発見できるだけでなく波長の異なる光をも検知できます。
地球や火星を紫外線で見ると言いましたが、ハッブル宇宙望遠鏡でトランジット系外惑星の紫外線観測をすると惑星が恒星の前を通るとき、紫外線はずっと弱くなり瞬きがずっと大きくみえます。
それは拡散した水素を含む大気が惑星を囲んでいるので、惑星は膨らんで見え、より多くの光が遮られることになるからだと考えています。
この手法を使い、大気散逸をしている数個のトランジット系外惑星を発見することが出来ました。私たちが発見した惑星の中の 幾つかは「ホット・ジュピター」とでも呼びたいものです。この名前の由来は、木星のように、主に気体でできた惑星だからです。
ホット・ジュピターは、恒星にとても近く、その距離は太陽と木星間の百分の1程しかありません。ホット・ジュピターには、たくさんの今にも散逸しそうな軽い気体と恒星から放射される強い熱があり、壊滅的ペースで大気散逸が起きています。毎分180kgの水素を失っている地球とは雲泥の差でホット・ジュピターは毎分約60万トンもの水素を失っているのです。
これでは、そんな惑星は無くなってしまうのではと誰もが私たちの太陽系を見て投げかけてきた疑問です。なぜなら、太陽に近い惑星は、岩石惑星で太陽から遠い惑星は、もっと大きく主に気体だからです。
最初は木星のような惑星だったのに太陽が近いのでガスが全部なくなったということがあり得るのでしょうか?惑星の始まりが、ホット・ジュピターみたいな状態だったら水星や地球のような惑星にはならないだろうと考えています。
しかし、小さい惑星で始まるなら大量の気体が放出され、それが大きく影響して最初の状態とは随分違う惑星になった可能性はあります。
これは、一般的なことのようで太陽系ではどうなのかとお考えのことかもしれません。これが地球の私たちとどんな関係があるのでしょう。遠い未来、太陽の光度が増し太陽から放射される熱が非常に強烈になるとしたなら、今、ホット・ジュピターから気体が流出しているように地球からも気体が急速に流出して行きます。
それで、私たちが予期するのは、少なくとも心の準備をしているのは遠い未来に地球は火星のようになると言う現実があるからなのです。地球の水から分離した水素は、宇宙空間により速く放出され乾燥した赤い惑星だけが残るでしょう。
でも、怖がらないで下さい。数十億年後の話ですから十分準備の時間はあります。
未来に何が起きるのか?というだけでなく、大気散逸がこうしている間も起きていることに気付いて欲しかったのです。宇宙で起きていることや遥か彼方の惑星について知らせてくれる多くの素晴らしい技術が今はあります。私たちは、そんな世界を知ろうとこれらの惑星を研究しています。
こうして火星やホット・ジュピターのような系外惑星を調べる過程で、大気散逸の様な現象を発見し、地球のことが、さらに解明されます。
次に、宇宙とはどこか遠いことのように感じられる時、この私の話を思い出して下さい。
注意してください!!これは、気候変動が原因ではありません。
注意してください!!これは、気候変動が原因ではありません。
注意してください!!これは、気候変動が原因ではありません。
SDGsや気候変動対策は、再生可能エネルギーのことではありません。パンデミック対策の一環です!それ以外の活動は派生物。権力濫用の口実に注意!
ありがとうございました。
(個人的なアイデア)
NASAの打ち上げた無人の火星探査機が、2021年に到達しました。
地表面を探査するための四輪駆動調査ロボットで、名前は火星探査機「Perseverance(パーサヴィアランス)」と呼ばれます。
前世代の「Curiosity(キュリオシティ)」よりもバージョンアップ。CPUも2011年から10年経ち最新を搭載しています。
さまざまなセンサー、Drone 「インジェニュイティ」や掘削ドリルも搭載しているため重量は重いが幅広いデータ収集ができます。
火星の地面に着���するため、ロケットエンジンで逆噴射したクワッドコプタータイプの接続機体から分離して、四輪駆動調査ロボットを到達させます。
約二年前の2021年に火星にパーサビアランスというローバーを送り込んで
670ソル(ソルは地球の一日に当たる)。つまり、約二年近く稼働しています。
2023年には817ソル(ソルは地球の一日に当たる)に到達してます。
到着したパーサヴィアランスナビカム360カメラからの映像。
キュリオシティは、当初達成目標だった90ソルを超えて5262ソル。約15年近く稼働した奇跡のローバー。
イーロンマスクやNASAがアルテミス計画の有人飛行で火星に到着し
送りこんだパーサビアランスに直接再会できるか?人の手でメンテナンスして改良再稼働できるか?
にも個人的に注目しています。
続いて、実際の撮影映像。
youtube
パーサヴィアランスを中継して映像を送信してる?
火星探査機「Perseverance(パーサヴィアランス)」に載せたDrone 「インジェニュイティ」が離陸成功!
その後、約二年が経ち五回の目標を超えて三十八回目のフライトを2023年1月に成功させています。
ソーラパネルでリチウムイオンへ充電一回の最大高度は12m、最大飛行距離は625mまで飛ばせます。
大気の成分や重力が地球と異なるため、プロペラの揚力がどのくらいの数値に落ち着くのかが長年の謎でしたが、幅広いデータ収集ができました。
プロペラの形状も今後の改善が必要。効率的に火星上の空気に適応された形が開発されるかもしれません。
続いて
電気を作る熱力学のサイクルで熱効率は、ほぼ50%、45%~50%の効率まで高めることは可能ですが・・・
高温の物体から熱を受け取り、電気という「使えるエネルギー」に変換できる機械を一般的に「熱エンジン」と呼んでいる。
高温の物体から受け取った熱エネルギーのうち、どれだけ活用できたかという比率を「効率」と物理学では定義している。
この効率は、原理的に超えられない「カルノー効率」という上限があることが知られている。
カルノー効率が達成されると、効率は上がるが、同時に仕事率がゼロになる現象。
つまり、熱エンジンの効率を最大限に上げると出力がほぼゼロになることを意味しています。そして、効率100%は物理的に不可能ということです。
中世で試行錯誤が行われたことに終止符が示され、機械での永久機関は作れないことが、この現象から理解できます。エネルギー保存の法則からも理解できます。
他には、燃料の持つエネルギーをどれだけ動力として取り出すことができるか?これをエンジンの熱効率と定義しています。
2020年の段階で、ガソリンエンジンの熱効率は最高で40%前後あり、10年くらい前までは30%程度。低燃費の技術競争もあるけどカルノー効率から限界も見え始めています。
だから、ガソリン自動車から電気自動車へ世界中の法人が開発を加速して切り替えている潮流があります。
2020年後半くらいから様々な占いで出てきてた時代の変わり目。
それが、西洋占星術で具体的に「風」の時代という形で出てきました。
私が、感じとってたインスピレーションは、たぶんこれかな?
兆しは、世界的な金融ビックバンの1970年代、IT革命のミレニアムの前から出ていたけど。
これは、これまでの約200年間。物質やリアリティの影響力優位「土」の属性の時代から、量子コンピューター、ビットやインターネットなどといった物質ではないものに影響力が増していく「風」の属性の時代に。
そして、本格的に軌道にのっていく属性は、今後200年程続くことになるのです(2020年12月22日から、2100年当たりをピークに少しずつ衰退していく2220年まで)
直前に!
Appleも何かを感じてたのか?Appleシリコン搭載Macの方は、「Mシリーズ」チップに移行してるし、符号してる。
Googleは、量子超越性を達成してきてるし、Facebookも脳波を読み取る機械の開発を発表してますし、符号してる。
イーロンマスクもブレイン・マシン・インターフェース(Brain-machine Interface : BMI)を具体的に発表。これも、符号してる。
ここから予想できることは、バリーシュワルツが言うように、労働の概念が変わり、地球に居ながら映画アバターのように!その惑星にある資源を使い。
月や火星、土星や衛星などに無人ロボット部品を送り、ゲームのように自宅にいながら共同作業しつつ仕事をすることで高額な賃金が手に入る可能性も高い。
火星や土星や衛星に関しては、有人宇宙船内を無重力工場にして惑星移動期間に3Dプリンター製造、組立を効率的に行うことが実現すれば良いが無人ならベスト。
光速で惑星間通信できるようになったとしても、火星や土星や衛星への通信は、地球からでもリアルタイムで遅延が起きるため、月面のみ、この可能性が開けます!
無重力でもあるため、洞窟に工場を建築して人間の暮らせる環境を作り出すこともできそうです。可能性は無限!この領域に限界はありません!国家や行政府の範囲外なので極端な自由もあります。命の保障はないけど!
このアイデアは、今後数十年、人間の限界を遥かに超える新産業なのでプラスサムになり、地球環境は汚染されず資源エネルギー問題も起こりません。
<おすすめサイト>
ロボットの宇宙空間での活用2019
グウィン・ショットウェル: 30分で地球を半周するSpaceXの旅行プラン
ルシアン・ウォーコウィッチ:火星は予備の地球ではない
スティーブン・ペトラネック:火星に移住する1000年後の子供達が生き抜く方法
ミホ・ジャンヴィエ: 太陽嵐(ソーラー・ストーム)チェイサーからのレッスン
<提供>
東京都北区神谷の高橋クリーニングプレゼント
独自サービス展開中!服の高橋クリーニング店は職人による手仕上げ。お手頃50ですよ。往復送料、曲Song購入可。詳細は、今すぐ電話。東京都内限定。北部、東部、渋谷区周囲。地元周辺区もOKです
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hokuto-yuasa-journal · 5 months
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20240502
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釣りを始めた。
正確には再開した。
子供の頃はバス釣りブーム世代で最後に釣りをしたのは多分大学生ぐらいだったと思う。もう二十年も前の話だ。
夏に帰省したはいいが暇過ぎて物置から道具を引っ張り出して夜中に釣りをした。湖面に反射する橋の街灯の明かりを狙うとブラックバスが釣れた(つか夜釣り禁止)。思えばインターネットの全面的な普及前夜、ましてiphoneもYouTubeもSNSもない世界。田舎の夜の闇には茫漠として底知れない暗さがあった。
その後実家の車に竿を入れておいたらお袋が窓に挟んでへし折り、いつしか釣りもやらなくなった。
東京時代は下宿のまん前に多摩川がありスモールマウスバスやサクラマスまで釣れるポイントだったという。ただ哀しい哉、我が身の振り方でそれどころではなかった。
その後帰郷してからこれまで10年以上、目の前に富士五湖があるにも関わらず釣りをしようという気は起こらなかったが、これはどっかで釣りをタブー視していたからだと思う。
私はギャンブルを覚えたらやばい自覚があり若い時分から一切手を出さなかった。(年末の宝く��以外。)
なんというか釣りも���れと同じ匂いがする。あとサッカー観るのもそう。
私にとっては(強調)釣りもサッカーも技術、釣法、戦術云々よりあくまで偶然や運、カイヨワの分類でいうアレア(サイコロ遊び)の領域や属性であって退屈と興奮のフォーミュラ、その妙が重要なのだ。
それが去年ぐらいからYouTube上にある山奥の源流部まで遡上して野営しながらテンカラやルアーで岩魚を釣る動画を見ていたらだんだんと釣りが気になり始めた。
つり人社のチャンネルの動画
☞ https://www.youtube.com/watch?v=Ctgz92afs_I&t=2358s
今年になり雪山登山を解禁した流れで釣りもやってみようと思った。
いざ何を釣るかとなると加齢に伴う趣向の変化もありバス釣りってのもしっくりこない気がする。もうちょっと燻製臭さというか少し枯れた感じが欲しい。渓流釣りが理想だが実釣するまでに踏む過程が多く敷居が高い。海釣りも然り。
試しに本栖湖に行ってみてこれだと思った。
スプーン(金属製の疑似餌)の鱒釣り。
その足で湖仙荘に行って遊漁券の年券を買った。
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水が栄養化した河口湖や他の湖と違って本栖湖は藻類が乾いた生臭さが一切ない。静けさの中青く透き通った水と富士山や周辺の山々を見ながら水面に糸を垂らしていると釣れなくてもそれはそれでいいという気になってくる。
聞けばデスレイク呼ばわりされるほど釣れないがそれでもハマって通う釣り人が多いのだという。
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少し飽きたらお湯を沸かしてコーヒーをたてて、鳥の声や水の音を聴きながら星野道夫のエッセイ集や最近買った西川美和の短編小説を読んだ。雪化粧した山並みをぼーっと眺めている時ふいに、田舎に帰っても何もないぞと嘲りを含んだ知人の言葉を思い出す。
確かに何もなかった。
だがこれ以上の何があるというのだろう。
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小学生以来に買った釣り竿とリール。
リールはバス用、竿は万が一の大物も対応できるネイティブトラウト用。共にシマノ製。下手の横好きは自認しているのでそれなりの道具で満足。いわゆるハイエンドの機種ではないが釣りに興味がない人からすれば安くもない。
兎にも角にもいっちょ前の太公望である。
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本栖湖はその透明度の高さから水が青く虹鱒の背が保護色で青くなるという。誰が呼んだかブルーバック・レインボー、幸せの青い鳥ならぬ青い鱒を追うのだ。
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休みの日の夕方か明け方に数時間、何日か通ってみるも噂通り、全然釣れない。何もかも手探り状態でこの釣りの最適解がわからない。
まじで釣れねえ。
釣れない釣りはどこか宗教的行為に近い。何かの到来を期して待つという部分では、リールのハンドルを回すのもチベット仏教の仏具、マニ車を回すのも特段の違いはない。
奇しくも釣れないことを俗に「ボウズ(坊主)」という。
連続ボウズ記録更新中の三月のある日の明け方、突き出た岬の中腹の辺り。日の出に合わせてティムコの赤金の10gのスプーンを投げる。ティムコってちんこみたいだなと思いながら表層を早巻きしているとゴツ…ゴツ…とアタリ。
目をこらすと黒い影がスプーンの周りをビュンビュン動いている。
ぐっと堪えて食った瞬間合わせた。
しかし久しぶりすぎて合わせが甘く何回か跳ねた後足元に手繰り寄せたとこでバラしてしまった。30cmぐらいの何らかの鱒。銀色の残像だけで噂の青い背中はわからなかった。
それから全く釣れなくなり、取り逃した魚の感触ばかりを思い返す日々。
Life is like fishing、初恋は祟る。
それからさらに経ち四月の上旬。
3時に起き毎度の国道139号線。
青木ヶ原樹海の脇を抜け明け方4時前にいつものポイントに着くと裏手の山の森でトラツグミが幽霊みたいに恨めしく鳴き、時折鹿が奇声をあげて合いの手を入れる。
空を見上げれば人工衛星かはたまたUFOか。謎の発光体が明滅もせず南東の方角へゆっくり移動していく。あれは一体何なのだろう。
遠くの浜の方から波の音が微かに聞こえてくる。
湖は風もないのに音を立てて荒れていた。
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ライトで照らすと黄泉の国の入り口が浮かび上がる。
まるでタルコフスキーのソラリス。水深120mという深さと日本屈指の透明度もあり波が立つと湖全体がうねり一つの生命体に見えてきてすごく不気味だ。
東の空が白み始めるのを待って釣行を開始。まだ一投目だというのに私は一体何をしているのだろうという気持ちがすでに頭をもたげている。
今日も釣れない気がする。
あまりに釣れないことが続くとその行為の目的を問う意識が海嘯の如く内面に向かい始める。
同年代の人々は疾うに人の親になったというのに、とか。どうやら私の両親は私の子供を抱くことはない、だとか。そんな世間から押し付けられたのか、はたまた自身の先への不安や負い目なのか最早わからなくなった色んなアレコレ。それをぶん投げてとりあえずしまっといた暗い部屋。その扉の隙間からドロドロの中身が泡を立てて上がってくる。
酷かった子供時代のこと。誰かを傷つけたこと。誰かを憎んでいること。これまで飲み込んだ人の悪意、ありとあらゆる負の記憶たち。それが湖の波の形になってグニャグニャと湖面を揺らしている。
何の本で読んだか、文化人類学者の中沢新一が原始的な仏教の形が色濃く残るバリ島で呪術師に悟りについて尋ねると毎晩夜釣りに連れて行かれたという。釣りそのものに意味があるのではなく、暗闇の中の気配に意識を集中することで心の深淵に下りていくのだと。
眼前に広がるのは湖へ投射され顕現した潜在意識だ。
ヘドロの塊のようでいてどこまでも透き通っている。
思えば昔からよく水辺に行って水を眺めてきた。
釣りをやめてからは眺めるだけ。村上春樹のいうところのデタッチメント。一定の距離を保つ。
子供時代に海に連れて行ってもらったことはない。
多摩川も川岸に座ってただ眺めるだけだった。川面は光を反射し時に透過させその内側の世界を私に見せる。
釣りはその細い糸一本を通して水の中の世界との交感を試みる行為である。
気づけば再び水との境界線を越えていた。
たかだかおっさんが趣味で釣りを始めただけのくだらない話だが私にとっては何か象徴的な儀式みたいに思えた。
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天子山地の向こうから山肌を舐めるようにドロドロと下りてきた雲が湖を渡り東側の富士の樹海上空にどんよりと溜まっていたが、その雲をかき分けて陽が昇り的礫と水面を照らす。
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水面は朝日を反射し偏頭痛かLSDの見せるサイケデリックなビジョンみたいに幾何学的に像を結び、解ける。つか酔いそう。黒曜石の破断面のようにも見える。
前に釣りかけた時のティムコのスプーンに執着していたがパターンを捨てた。
所詮過去だ。
過去の魚は釣れない。
当たり前だが。
アワビの貝殻のキラキラが貼ってある赤金の少し小さいスプーンを直感で選ぶ。予感…、シンクロニシティが起きる直前と同じ気配がする。
朝日が照り返す辺りへ向けて50m近く遠投する。重い金属製のスプーンの釣りは根掛かりこそ多いが、かっ飛ぶので爽快だ。
着水し巻き始めた直後にゴン!とアタリ。距離かナイロンラインの特性か少し伸びる感じ。今度は確実に合わせた。
魚は針を外そうと二度水面を飛び跳ねる。慌てて竿先を水中に入れた。鱒は口が弱いらしく合わせてから取り込むまでの距離が長くてヒヤヒヤした。
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手掴みで取り込む。
青い。
ランディングネットは一匹釣れるまではと用意していなかった。
弱らせないように針を外し写真を撮ってすぐ逃した。
そういえば大きさを計り忘れた。35cmぐらい。
ほんとに釣れた。
最初に釣った魚は逃がそうと何となく決めていた。
一瞬だけ交わりもう会うことはない。
私の釣ったあの鱒は今も深い湖のどこかを泳いでいる。
それを想像するとなんだか不思議な感じがする。
心の奥の森にいつしか魚のいなくなった湖がある。
そこに青い背をした魚を放した。
そんな感じ。
静かな気持ちだ。
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さて。
次は食う。
多分。
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ayukoitakura · 6 months
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私たちの水に何が起こっているのでしょうか?プラスチック製のティーバッグはお茶の中に数十億のマイクロ粒子とナノ粒子を放出します - 地球工学により、ポリマーマイクロプラスチックは水道水やボトル入りの水、そして雨の中にも存在します
アナ・マリア・ミハルセア医学博士
3月26日
プラスチック製のティーバッグは数十億のマイクロ粒子とナノ粒子をお茶の中に放出します
私は、老化と病気の加速につながる、人類の生きた血液汚染の一因として、食品や飲料を介したナノプラスチックやマイクロプラスチックによるナノ汚染の影響について議論してきました。
2019 年のこの研究論文では、お茶のナノ粒子汚染に対するプラスチック製ティーバッグの影響が調査されました。興味深いことに、発見されたナノ粒子の化学組成は、ポリアミドタンパク質であるナイロンとポリエチレンテレフタレートでした。これらは現在血液中に見られる化学物質と同じであり、Moderna C19 注射特許のステルス ナノ粒子で言及されています。
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私たちは、プラスチック製のティーバッグ 1 つを抽出温度 (95 °C) で浸すと、カップ 1 杯の飲料中に約 116 億個のマイクロプラスチックと 31 億個のナノプラスチックが放出されることを示しました。
ティーバッグの包装から放出されるナイロンおよびポリエチレンテレフタレート粒子のレベルは、これまでに他の食品で報告されているプラ​​スチック負荷よりも数桁高いです。環境および食物連鎖におけるマイクロおよびナノサイズのプラスチックの存在が増加していることへの懸念が高まっています。意識の高い消費者は使い捨てプラスチックの削減を推進していますが、一部のメーカーはプラスチック製ティーバッグなど、従来の紙の使用に代わる新しいプラスチック製パッケージを開発しています。この研究の目的は、一般的な浸漬プロセス中にプラスチック製のティーバッグからマイクロプラスチックやナノプラスチックが放出されるかどうかを判断することでした。私たちは、プラスチック製のティーバッグ 1 つを抽出温度 (95 °C) で浸すと、カップ 1 杯の飲料中に約 116 億個のマイクロプラスチックと 31 億個のナノプラスチックが放出されることを示しました。放出された粒子の組成は、フーリエ変換赤外分光法 (FTIR) と X 線光電子分光法 (XPS) を使用して、元のティーバッグ (ナイロンおよびポリエチレン テレフタレート) と一致します。ティーバッグの包装から放出されるナイロンおよびポリエチレンテレフタレート粒子のレベルは、これまでに他の食品で報告されているプラ​​スチック負荷よりも数桁高いです。最初の急性無脊椎動物毒性評価では、ティーバッグから放出された粒子のみへの曝露が用量依存的な行動および発達への影響を引き起こしたことが示されています。
最近、ナノおよびマイクロプラスチックが多くの消費者向け食品および飲料製品に使用されており、これらについてはここに書きました。
水筒には1リットルあたり25万個のナノ粒子ポリマーが研究で示されている - 新型コロナウイルス感染症の予防接種、モルゲロン線維、血液、ゴム状の凝固に対するモデルナの特許と同じポリマーが見つかった
マイクロプラスチックがどのようにして食物連鎖を容易に登っていくのかを研究が示す
マイクロプラスチック (別名ナノテクノロジー自己集合ポリマー) はどこにでも存在し、私たちの生物圏、食糧供給、人間を汚染しています。
最近の消費者報告書では、すべての食品カテゴリーに高濃度のプラスチックが含まれていることが明らかになりました - 地球工学による生物圏汚染が本当の原因なのでしょうか?
昨年私が有機肉と非有機肉の食肉供給が汚染されていることを示した場所を覚えているかもしれません。その後、多くの人がmRNAを含まない肉を主張し始めました。しかし、私が心配していたのはmRNAではなく、自己組織化ポリマープラスチックでした。
汚染された食品供給がワクチン接種を受けていない人の生血分析結果の一因となるか?食料品の肉製品の暗視野血液分析
そして、野生のリスの血液は人間の血液と同じように汚染されているように見えることを示したことを思い出してください。
すべての生命はナノテクノロジーと合成生物学に感染している - 野生リスの生き血画像
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この記事では、水道水とボトル入り飲料水の両方の飲料水を再度評価しました。
水道水とボトル入りの水におけるマイクロプラスチックの発生:現在の知識
飲料水中の MP の発生に関する現在の知識を説明するために、ナラティブレビューが実施されました。レビューされた研究 ( n = 21) では、水道水 (TW) およびボトル入り水 (BW) にマイクロプラスチック (MP) が存在することが示されており、そのポリマー組成物、添加剤、その他の化合物に関連する毒性の可能性により公衆衛生への懸念が高まっています。表面に微生物が吸着しています。
最も一般的に見られる MP は、ポリエチレン テレフタレート (PET)、ポリエチレン (PE) (低密度 PE、直鎖状低密度 PE、高密度 PE)、ポリプロピレン (PP)、ポリスチレン (PS)、ポリ塩化ビニル (PVC) でできています。 )、ポリ乳酸(PLA)、ポリアミド(PA)、ポリカーボネート(PC)、ポリウレタン(PU)、アクリロニトリル・ブタジエン・スチレン
これらは有害な影響です。
しかし、いくつかの研究では、培養中のヒト細胞における原始的な MP の影響を調べています [ 49 ]。これらの研究では、動物モデルと同様に、検出された主なエンドポイントは活性酸素種 (ROS) の生成を伴う酸化ストレスでした。他の毒性効果には、脂質代謝、微生物叢、神経毒性、炎症反応および免疫学的反応、細胞毒性効果、ミトコンドリア膜電位の破壊、細胞膜 ATP 結合カセット (ABC) トランスポーター活性の阻害が含まれます。
飲料水の汚染は世界中で発見されています。米国では、水道水とボトル入りの水の両方にナノプラスチックとマイクロプラスチックが含まれていることが示されています。
もちろん、科学者たちは雨水からも金属やフィラメントを発見しました。これらは地球工学活動によって散布されているためです。これらの結果はここで確認できます。
空気中の危険 - ルーマニアのゲアニナ・ハギマ博士による雨水分析研究では、磁性ナノ粒子とフィラメントが示されています。 Clifford Carnicom の雨水分析との比較
私たちは金属、酸化グラフェンを吹き付けられているということも知っています。
ナノ粒子汚染隠蔽 - デーン・ウィギントン氏への重要なインタビュー - 4,000万トンの金属ナノ粒子と酸化グラフェンが世界中に散布されている - 人間がそれを吸入している
マイクロプラスチックポリマーが飛散し、生物圏全体に汚染されています。
高高度の雲水中の浮遊親水性マイクロプラスチックと雲形成におけるそれらの役割
マイクロプラスチック汚染はほとんどの生態系で発生していますが、高高度の雲におけるマイクロプラスチックの存在や、雲の形成や気候変動への影響はほとんど知られていません。今回我々は、標高1300~3776メートルの日本の山々の頂上で採取した雲水中のマイクロプラスチックを、全反射減衰イメージングとマイクロフーリエ変換赤外分光法によって分析した。ポリエチレン、ポリプロピレン、ポリエチレンテレフタレート、ポリメタクリル酸メチル、ポリアミド 6、ポリカーボネート、エチレン-プロピレン共重合体またはポリエチレン-ポリプロピレンアロイ、ポリウレタン、エポキシ樹脂を含む9種類のマイクロプラスチックを観察しました。マイクロプラスチックは断片化されており、平均濃度は 1 リットルあたり 6.7 ~ 13.9 個の範囲であり、フェレット直径は 7.1 ~ 94.6 μm の範囲でした。カルボニル基や水酸基などの親水基を持つマイクロプラスチックが豊富に存在しており、それらが雲氷と水の凝縮核として作用した可能性があることが示唆された。全体として、私たちの発見は、高高度のマイクロプラスチック雲が雲の形成に影響を与え、ひいては気候を変える可能性があることを示唆しています。
ミズーリ州セントルイスで行われた2つの別々の調査で、研究者らは数十年にわたって人間の立ち入りを禁止されてきた洞窟の水と堆積物から大量のマイクロプラスチックを発見した。
ここに消費量の推定値がありますが、特に米国では水道水も汚染されていることがわかっているため、これらの数値はさらに高くなります。
人間によるマイクロプラスチックの消費
抽象的な
マイクロプラスチックは生態系全体に遍在していますが、人間への曝露リスクは未解決です。アメリカの食生活に焦点を当て、一般的に消費される食品に含まれるマイクロプラスチック粒子の数を、推奨される 1 日の摂取量と比較して評価しました。マイクロプラスチックを吸入する可能性と、飲料水源がマイクロプラスチックの消費にどのような影響を与えるかについても調査されました。私たちの分析では、26 件の研究からの 402 個のデータ ポイントが使用され、これは 3600 個を超える処理済みサンプルに相当します。アメリカ人のカロリー摂取量の約 15% を評価すると、マイクロプラスチックの年間消費量は年齢と性別に応じて 39,000 ~ 52,000 粒子の範囲であると推定されます。吸入を考慮すると、これらの推定値は 74000 と 121000 に増加します。さらに、ボトル入り飲料水のみで推奨水摂取量を満たしている人は、年間さらに 90,000 個のマイクロプラスチックを摂��している可能性があ��ますが、水道水のみを摂取している人の場合は 4,000 個のマイクロプラスチックです。これらの推定値は大幅に変動する可能性があります。ただし、方法論とデータの制限を考慮すると、これらの値は過小評価される可能性があります。
以下は、地球工学目的で私たちが吸入するポリマーについてデーン・ウィギントン氏が話しているものです。
まとめ:
マイクロプラスチックの摂取を制限するためにできることを行うことは、すべての人にとって考慮すべきことです。雨水に地球工学によるマイクロプラスチックが含まれている場合は、温室で食料を栽培し、可能な限り井戸水を使用することが重要です。プラスチック製のティーバッグやペットボトルなどのプラスチックの使用を制限します。米国の都市水道水にはマイクロプラスチックが含まれていることが判明しているので注意してください。水道水中のマイクロプラスチックを除去するための緩和戦略に関する最近の記事をご覧ください。
沸騰した水道水を飲むとナノプラスチックとマイクロプラスチックの摂取量が減る
アナ・マリア・ミハルセア医学博士
3月4日
さまざまな条件における付着物の形態と組成。 (a) 裸のポリスチレン (PS、1 μm、1 mg L–1) とさまざまな温度の水道水中で形成された付着物共沈殿物の走査型電子顕微鏡 (SEM) 画像 (180 mg L–1 の CaCO3、40 mL、25– 100℃); (b) さまざまな状態でのベア PS (1 μm、1 mg L–1) と付着物の共沈物の SEM 画像。
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highants · 10 months
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“A Miracle Will Occur” Is Not Sensible Climate Policy (mailchi.mp)
気候科学の章の結論部分の翻訳
要約すると、地球温暖化の加速は、古気候データによって証明された高い気候感度と、気候感度の高さとIMOの「実験」によって裏付けられた大きな(負の)エアロゾル強制力の結果です。地球のエネルギー不均衡の2倍化と吸収される太陽放射の異常の増加は、少なくとも10年間は地球温暖化の速度が加速し続けることを保証します。したがって、2°Cの地球温暖化の限界も突破されるでしょう。現在の非常に大きな惑星のエネルギー不均衡を減らすために意図的な行動をとらない限り。言い換えれば、過去1万年間存在してきた惑星と同等の惑星を若者たちに受け継がせたいのであれば、私たちの人為的な排出が引き起こした惑星の大規模な地球工学を減らす必要があるということです。
以下気候科学の章のコパイロットサマリー
気候変動の主な原因は人為的な温室効果ガスの増加であるということを、古気候のデータ、気候モデル、現代の観測から示しています。温室効果ガスの増加は地球の熱放射を減らし、地球のアルベド(反射率)を変化させます。これらの変化は地球のエネルギーバランスを崩し、気温の上昇を引き起こします。 気候感度はIPCCの推定よりも高く、2℃の温暖化は危険なレベルであるということを、最終氷期の気温と二酸化炭素濃度の関係から推定しています。気候感度とは、二酸化炭素濃度が二倍になったときの平衡状態の気温変化のことです。このページでは、気候感度は約4.8℃であるとしていますが、IPCCの最新の報告書では約3℃とされています。 エアロゾルの影響はIPCCの推定よりも大きく、エアロゾルの減少により温暖化が加速しているということを、国際海事機関の船舶燃料の硫黄規制による「実験」から示しています。エアロゾルは太陽光を反射し、雲の形成を促進することで、温室効果ガスの温暖化を一部相殺しています。しかし、エアロゾルの削減により、地球が吸収する太陽放射が増え、気温が上昇しました。
今年の夏の日差しを浴びながら、体感的に日射量そのものが強くなってないか?と推察していたけども、それを裏付けるかのように庭の資材を雨風から守るために覆っていたビニールが紫外線でボロボロになってしまった。この論文はその直感について科学的に解き明かす光を当ててくれているかもしれない。
排出規制によって温暖化が促進されてしまっているという、青ざめてしまうような皮肉めいた状況に至っては、否定論者たちに格好の餌を与えてしまい、政治的な舵取りも難しくなってしまうだろう。
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sayakalaine · 3 years
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orion3sta · 2 years
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2022/09/12 真紅の赤米(古代米)の穂が綺麗🌾 今年は、庭の曼珠沙華も例年より早く咲き始め‥‥‥ 屋敷の周囲の田んぼもあちこちで稲刈り 昼の一時頃に放射線状の雲 地震がちょっと心配(-ω-;) こたろうと遅めの散歩に出かけたら、空がピンク色 新盆参りのお返しのスーパードライとセコマで買った北海道の二世古の純米酒で晩酌 北海道の二世古純米酒は、フルーティーで口当たりがよくて美味しい🍶 #iPhone日記 #赤米(古代米) #筑波山 #足尾山 #曼珠沙華 #屋敷内の草花 #田んぼ #稲刈り #こたろう🐶❤︎ #放射線状の雲 #地震雲 #ニ世古純米酒 #スーパードライ https://www.instagram.com/p/CiZ6Y5FhuNj/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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ari0921 · 3 years
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日本人を思考停止に追い込んだ非核三原則、見直しが急務
織田 邦男
ロシアによるウクライナ侵略戦争の出口が見えない。
 この戦争で明確になったことは、国連の常任理事国が、核の脅しを背景に、力による現状変更、つまり侵略戦争を始めれば誰も止められないということだ。
国連は無力な醜態を晒し、米国は早々に武力不行使を宣言した。
 ウラジーミル・プーチン露大統領は2014年のクリミア併合を巡るインタビューで、「核兵器を使う用意があった」と述べた。
 ジョー・バイデン米大統領が早々に米軍は派遣しないと宣言したのも、この発言が多分に影響を及ぼしている。
 戦略家エドワード・ルトワックは「核兵器は使われない限り有効」と喝破した。核はなるほど使い難い兵器になった。広島、長崎以降、核は使用されていない。
 では核は無駄かというと残念ながら現実はそうなっていない。核による威嚇、恫喝が極めて有効であり、外交力、国防力を格段に向上させることをロシアは世界に証明してみせた。
 日本にとって、これは他人事ではない。
 我が国の隣には、もう一つの「力の信奉者」である常任理事国、中国がいる。中国は台湾併合を国家目標と掲げ、武力併合を否定していない。
 中国が台湾武力併合に動いた時、習近平国家主席が「米国が参戦すれば、核の使用も辞さない」と言えば米国はどう動くのだろう。
 台湾有事は日本有事である。核をちらつかされても日本は台湾への支援を実施するのか。
 核に対しては核である。核を通常兵器で抑止することはできない。
 日本への「核の傘」は果たして有効なのか。ウクライナ戦争の現実をみて、不安を覚える国民が増えたようだ。
 NATO(北大西洋条約機構)の「核共有」の話題が降って湧いた。
 世論調査では、核共有について賛成が約2割、核共有については反対だが、核の議論はすべきが約6割あった。国民の約8割が核について議論すべきと考えている。
先日、安倍晋三元総理が核の議論を提起した。これだけで有力メディアはヒステリー気味になり、バッシングが起こり、言論封殺の空気が蔓延した。
 メディアは国民の感覚と相当ずれている。
 安全保障政策は国民の自由闊達な議論の末に決定されなければならない。それは核抑止政策についても同じはずだ。
 日本はこれまで「核」と言った途端、思考停止してきた。非核三原則に「考えない」「議論しない」を加えた非核五原則だとも言われてきた。
 そのせいか、核に対する国民の知識レベルは驚くほど低い。
 こちらの方がよほど恐ろしい。正しい知識をもって、自由闊達な議論が行えるようにしなければ国を誤ることにもなりかねない。
「核共有」(Nuclear Sharing)についても、政治家、メディアの知識レベルは低い。
 冷戦時、NATOの最大の課題はソ連の機甲部隊を阻止することであった。
 ソ連機甲部隊がウクライナからポーランドを経て欧州に進撃するのに、これを邪魔する山はない。
 幅約300キロ以上にわたる前線に、何千という戦車が一斉に雲霞のごとく押し寄せることが想定された。
 これを阻止するには、とてもNATOの通常戦力では足りない。そこで米国は戦闘機に戦術核を搭載し、これを空から阻止する作戦を立てた。
 だが、米軍の戦闘機を総動員しても手が足りない。そこで米軍以外のNATOの空軍にも支援を求めたのが「核共有」である。
 現在、核共有しているのは、ドイツ、イタリア、オランダ、ベルギー、トルコの5カ国 、6カ所(イタリアが2カ所)であり、約150の核爆弾(B61)が保管されている。
冷戦の最盛期には最大約7000の戦術核がNATO加盟国に配備されていた。
 ソ連の防空網をかいくぐって戦術核を機甲部隊に落とすため、超低高度を高速で侵出し、目標手前で急激に引き起こし、上昇角度約45度で戦術核を切り離す。
 戦術核はそのまま上昇し放物線を描いて落下する。その間の時間を利用して爆発地点からできるだけ遠くに離脱し、核爆発で自機を損傷しないようにする。
 この爆撃方法を「トスボンビング」と呼んでいる。
 いわば敵と刺し違える危険な戦法なので、訓練でも事故が多発した。西ドイツはこのために超音速戦闘機「F104」を導入したが、事故の多さに「未亡人製造機」と揶揄された。
 冷戦終了後、ソ連が崩壊し、機甲部隊の大規模進撃想定も幻となった。核共有も役目を終え、約7000発の戦術核も徐々に削減されていった。
 だが2014年、ロシアによるクリミア半島併合が起きた。プーチン大統領の「核を使う用意」の発言があり、削減は凍結され、現在、5か国に約150発が残された。
 現在は機甲軍団の進撃阻止という戦術的目的ではなく、米国の「核の傘」の信頼性を向上させる、いわば「安心」の提供が目的となっている。
 核使用については、NATOが決心して米国と核共有国が実行する。その際、米国が拒否すれば核共有国も核使用はできない。
 逆に米国が同意しても、核共有国が拒否すれば共有した核は使用されない。
 だが、核共有国が拒否しても米国は単独で核使用ができるため、事実上、米国が決心すれば、核共有国も核使用は不可避となる。
 核共有は、いわば「レンタル予約」と表現した学者もいる。米国の核を予約しているだけで、米国がノーと言えば共有国が単独で使用することはできない。
核共有国のメリットは、核使用の協議や作戦計画策定に参画できることである。
 米国、英国、フランスという核保有国が勝手に核使用を決断するのではなく、非核国も核使用のプロセスに参画できるメリットは大きい。安心感が「共有」できる。
 日本で核を議論する場合、欧州の「核共有」は参考にならない。中国の戦車が雲霞のごとく海を渡って攻めてくるわけでない。船舶であれば核でなくても対処できる。
 結論から言うと、日本に今求められているのは、今後とも「非核三原則」を続けるか否かの議論である。
 中国は通常兵器のみならず、核兵器でも米国を凌駕しようとしている。
 ロイド・オースティン米国防長官は、中国は2030年までに核弾頭を約1000発に増勢し、核戦力の3本柱(地上配備、潜水艦発射、戦略爆撃機搭載)強化を目指していると述べた。
 戦略核も問題だが、日本にとっては、中距離核戦力が既に米中で著しく不均衡になっている問題が大きい。
 1970年代後半、ソ連は中距離核ミサイル(SS20)を配備した。核の不均衡が生じ、「核の傘」に疑念を抱いた欧州はSS20と同等の中距離核戦力(パーシング II、地上発射巡航ミサイル)の欧州配備を米国に迫った。
 核配備で均衡が実現するや、米ソ軍縮交渉が始まり、1987年、中距離核戦力は全廃された。
 軍拡によって軍縮を実現した成功例であるが、皮肉にもこの成功が米中の中距離核戦力の著しい不均衡を生んだ。
 条約の制約を受けない中国は、日本、グアムを射程に収める中距離ミサイルを着々と整備し、今や1250基が配備されている(米議会報告)。
 これに対して米国はゼロであり、著しい不均衡が生じた。憂慮したドナルド・トランプ政権はINF条約から離脱し、中距離核戦力を急ピッチで再構築中である。
「力の不均衡」はウクライナを見るまでもなく、戦争の可能性を高める。
「力の信奉者」である中国への抑止が崩れれば、東アジアの平和と安定は危うくなる。核による威嚇、恫喝を無効化し、日本に向けられた中距離核戦力をどう廃絶させるか。
 2021年3月、米インド太平洋軍司令官は議会に要望書を提出した。
 中国への抑止は崩れつつあり、完成した中距離ミサイルは第1列島線(九州から沖縄、台湾、フィリピン、南シナ海に至るライン)に配備すべしとの要望である。
 英国のマーガレット・サッチャー首相やドイツのヘルムート・シュミット首相(当時)が、反対世論を押し切って米国の中距離核戦力を持ち込み、均衡をとり戻して中距離核戦力を全廃したように、まずは「力の均衡」を取り戻し、米中の核軍縮交渉を開始させねばならない。
 日本は積極的に受け入れるべきである。
 中距離ミサイルは核弾頭も搭載可能である。米国は否定も肯定もしない(Neither confirm nor deny)戦略をとっている。
 日本に配備する場合、当然、非核三原則に抵触する。ことは日本および東アジアの安全保障である。そのために必要であれば、非核三原則も見直すべきだ。
 平和の確保が目的であり、非核三原則の継続自体が目的であってはならない。この議論が今求められている。
 自民党は3月16日の安全保障調査会で、「核共有」をはじめ核抑止に関して勉強会を開いた。
 だが「唯一の戦争被爆国として、世界平和に貢献する我が国の立場は絶対に崩すべきではない。『(非核三原則は)国是』とは大変適切な言葉だ」とさしたる議論もなく結論ありきで思考停止した。
この1回で検討は終了し、継続もしないという。まさに「アリバイ作り」で終わった。
「非核三原則」は我が国の安全のためになっているのかという国民の疑問に答えていない。もし「非核三原則」を続けることが日本の安全保障にマイナスであれば、見直すべきである。
 安全保障政策は感情に流されてはならない。日本の国民、領土領海を守るには、いかなる政策が必要なのか。政治家は現実を直視すべきである。
「あやまちを繰り返さないため」にも、「非核三原則」の継続が目的であってはならないし、金科玉条であってはならないのだ。
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pleiades23 · 3 years
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唐突に降り注いだ大量の雨粒。先程までこちらの暑さなど考えもしない程に照りつける陽射しに夏の訪れと梅雨の終わりを感じながら、帰路に着いていたというのに。頭上に浮かぶ薄鼠色の浮遊物もすっかり様変わりしたなとのんびり歩いている場合じゃなかった。
休みだからと普段よりその量を増した燻る煙に伴い、知らぬ間に切れてしまった手持ちを補うために近くのコンビニへと足を運んだのが十数分前。出掛けるついでにソファに寝転び寛いでいる彼に声を掛けた。「何かいるもんある?」『んー、アイス食べたい。バニラアイス。…あ、やっぱりあっさりしたやつがいい。』「おっけ。ちょっと出てくるわ。」キーケースと財布と携帯を手に取り外に出る。この暑さだと少しでも涼しさを求めて車に乗るのが当たり前。でも何故か、何となくそんな気分ではなくて。季節の移り変わりを肌で感じたかったのかもしれない。すぐそこだしいいか、と安易に歩を進めたのが間違いだった。数ヶ月前に比べると随分と強くなった陽射しに目を細め、辺りに響く蝉の鳴き声にさらに夏の訪れを感じた。数分もすれば辿り着いた目的地。入るや否や真っ先に彼の所望した物が陳列されている場所へ向かう。この間置いてあったのとはまた種類変わってんな。限定品や季節物で目まぐるしく入れ変わる商品を流し見しつつ、希望通り口当たりの爽やかな物を手に取りカゴに入れる。バニラアイスも買っとくか。置いてたら食べるだろうし。俺はチョコアイスにしよ。あとタピオカ。その他適当に食べ物もいくつか放り込んでレジに向かい、今ではすっかり呼び慣れた番号と、ちらりと視界に入った懐かしいもう一つのそれを店員に伝えて会計を済ませた。
店の外に出ると湿気を多く含んだ生温い空気が身体を包み込むと同時に、先程とは香りが微かに変わった風が妖しく肌を撫でた。勢いも強い。涼しい、けど。あー…もしかして。携帯の時計を見るとすっかり夕刻で。頭上に浮かぶ雲の流れも早くなっている。早く帰ろ、アイス溶けちゃうし。つーかアイス買うなら車で来りゃよかった。夏なん��これから嫌でも感じるだろ、と過去の自分に悪態をつきながら思考を奔らせていると、強い風と共にザワザワと何かが動く音がこちらに近付いてきた。…あ、間に合わねぇ。数秒後、アスファルトに勢いよく打ち付けられた雨粒がたちまち世界を白く染めていく。暑さに煽られて猛烈な勢いを帯びた重い雫はバタバタと、辺りは勿論俺の体にも降り注ぎ瞬く間に髪と服を濡らす。家までもう少しだが既に全身で浴びた状態になってしまった。タイミング合いすぎじゃね?心の中でボヤきつつ諦めて急ぐことなく歩を進める。周りの人々は足早に雨宿りできる場所を探したようで、気付けば歩道には誰一人いない。濡れたら嫌だもんな。俺も濡れるつもりはなかったんだけど。…まぁこれも夏の風物詩ってことで。熱を感じていた肌には冷たい雨粒が寧ろ気持ち良い。ここまで降られることも中々ないし。そう開き直りビニール袋片手に携帯だけ濡れないようにして、一瞬にして姿を変えた世界を清々しい気持ちで眺めながら帰り着けば、ガチャリとまだ止まない雨風を家の中に入れないよう扉を少しだけ強く閉める。んー、このまま上がったら床濡れるな。でもアイスが溶ける前に冷凍庫に入れたい。どっちみちタオル取りに行かねぇとだし。思った以上にずぶ濡れになった状況を整理しながら、持っていた袋を置いて己の髪を伝い流れる水滴をぶるぶると頭を振り払い落とす。ふと、ポタりと滴り落ちる音が耳を鳴らした。その音に吸い寄せられるように瞳を閉じて肌に張り付く服の密着感を感じていると、中々上がってこないことを不思議に思ったのかリビングで寛いでいたのであろう彼の足音が近付いてくる。此方が瞳を開いたのと彼が俺を見つけたのはほぼ同時だったらしく、彼が視界に現れれば『え、めっちゃ濡れてんじゃん。そんなに降ったの?』と驚きが投げ掛けられる。「歩いて行ったら降られた。」『え、車じゃなくて?』「何となく歩きたくなって。」『たまにそういうとこあるよなぁ。…じゃなくて、タオル!』ぱたぱたと脱衣所までタオルを取りに行ってくれた後ろ姿が消えたかと思えばすぐに戻ってきた。そんなに急がなくてもこんなんじゃ風邪なんて引かねぇのに。彼の様子に込み上げてきた愛しさに少しだけ口元を緩ませていると、ばさりと被せられた布に遮られる視界。…こういう所は荒いんだよな。そんなとこも可愛いけど。「ありがと。」言葉を渡しつつ視界はそのままに髪を拭き、ある程度水分を取り払ったところでタオルから彼の様子を覗き込むとじっとこちらを見つめている。「…ん?何?」『いや、濡れてんなぁって。』「ふは、なんだそれ。」『服張り付いてんのっていいよね。』「こっちは気持ち悪いんだけど。」『あ、脱がしてやろっか?』「いや自分で脱ぐ。」目の前で何やら楽しそうに笑う相手にタオルを押し付けて持たせればベタりと張り付く衣服を脱いで軽く振り払う。未だに感じる視線の先を再び見やると、視線の主は先程より距離を詰めて来た。「さっきから何?アイス溶けるんだけど。」『ん、買ってきてくれてありがと。』こちらの言葉を撫でるような返答が来たかと思えば、するりと伸びてくる腕。そして脇腹に触れる指先。ぴく、と反射的に眉根が寄ったのを彼は見逃さなかっただろう。そのまま己の体に浮かぶ線をなぞるように動き始めた指先を感じた俺は咄嗟に彼の手を掴みその動きを制した。「なあ、着替えるから。」『うは、残念。』再び楽しげに笑う相手に何が残念だよと今度は彼に悪態を飛ばしては「これ入れといて。」と置いていた袋を持たせる。『はーい、わかった。』何かに気を良くしたらしい彼はあっさりと部屋に戻っていった。それに続いて家に上がり真っ先に脱衣所に向かって濡れたものを全て脱ぎ捨てるも此処には着替えがない事に気付き、とりあえずタオルを腰に巻いて取りに行く。
雨に濡れたせいで身体に取り巻いていた暑さが取り除かれたものの、未だ芯に熱が残っているのか服を着る気になれない。部屋はエアコンが効いており、肌に残る水分が気化する熱に体温を攫われそうになった時に着ればいいかと取り敢えず下だけ着てTシャツ片手に部屋に戻ると、出かける前と同じようにソファに陣取る姿が視界に入った。と思えば、アイスを口に含んでいる。相変わらず自由なことだ。その隣に座るとテーブルの上に置かれた箱が二つ。と、ライターが一つ。「あ、やっぱそれ食べた?」『うん、流石ひかる。これと他のも俺の好きなやつだった。』「だろ?お前が好きなもんくらい分かる。」鮮やかな丸い氷塊を口に含みながら話す相手を横目に持っていた服を置く。そしてテーブルに腕を伸ばして白いパッケージの箱とライターを手に取ると、真新しいその封を切り1本取り出しては火をつけて一口、深く肺に入れ込んだ。あぁ、やっぱ美味いな。久々の味を暫し堪能して煙を吐き出す。窓の外を見ると先程までの雨はとうに止んでいた。…マジでタイミングだったじゃん。これから増えるんだろうな。などとぼんやり考えながら煙を燻らす。その様子を見ていたのか、『つーか、電子に変えたんじゃなかったっけ。』と横から零れる声。声の方向を一瞥すると、既に残りの氷塊に視線を戻している彼がおそらく最後の一粒を口に含んでいる。食うの早いな。まぁ小さいからすぐ食い終わるか。「たまに吸いたくなんだよ。」『んは、忘れられないってやつね。』「それはなんか違くね?」『まぁまぁ。ど?おいし?』そう投げ掛けられると同時に此方に伸びる指先。そのまま己の指からすり抜けた煙が彼の口に運ばれる。『ん、やっぱこれだわ。』何処か満足げに煙を吐きながら述べてもう一口深く吸ったかと思えば、ふうと勢いよく此方に振りかけられた紫煙。俺自身があまりされることのないその行為に思わず目を顰めると不意に肩を押して体重を掛けてきた。一息ついていた状況で気が抜けており制するのが間に合わず、天井と彼だけが映る視界へと一変する。「…は?」脈絡のない動作に思わず眉を顰めると目の前の相手は灰皿に煙草を置いて含み笑いをしながら此方を見つめる。『んー?さっきのひかる見たら、ねぇ。』「さっきの?何もねぇだろ。」『ふは、自覚ねーの?』此方の返答にニヤりと口角を上げたかと思えば脇腹に指先が触れた。そのまま滑らかに撫で上げる感覚に反射的に一瞬息を飲んでしまえば、それを待っていたとでも言うようにクスりと小さな息が降り掛かる。…ああ、これか。久々の感覚に漸く相手の意図を理解したものの、未だ身体を這うのみの指先に焦れったさを感じると共に、この先に起こる少し先の未来を徐々に思考が想起していく。それでもなお、此奴の腕を引いていつでも下にやれると意識の余裕を保つ己に無性に腹が立ってきた。特に此方側の時は余計なことを考えたくない。気付けば首元や耳に唇を寄せている相手の後頭部を少しだけ掴みぐい、と此方に向けさせれば噛み付くように口付ける。不意に重なった唇に彼が僅かに目を開いたのも束の間、乗ってきたのかと何処か嬉しそうに笑みを零すと柔らかな舌で唇を軽くノックしてきた。緩く弄ぶような相手を崩してやろうと躊躇うことなく口を開いて此方から伸ばそうとした時、それよりも早くに彼の舌が割り込んできた。そのまま絡めとるように深い口付けが始まれば、時折弾ける水音と微かな吐息が二人を包む。…あの時雨の中がどんな世界で、何を感じたのか話してやろうと思ったのに。もうそんなこと、どうでもいい。そう、こいつのせいで。…それよりも。するなら早くそれだけを考えたい。こういう時に限って、なんて嫌な予感がしなくもねぇけど。もうどうにでもなれ。最後に他人事のように浮かんだ思考を彼が捉えたのか、止まっていた指先が悪戯に動き始めた。それまで絡まっていた視線に少しだけ距離が空き、睫毛から覗いた瞳の奥に妖しく篭った熱から目を逸らす。全てはあの雨のせいにして。
窓の外では視界を遮る程の雫が再び激しく降り始め、開けた世界から二人を隠して静かに攫っていった。
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takahashicleaning · 1 year
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TEDにて
コルム・ケレハー:光は粒子なのか?それとも波なのか?
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
光は、粒子なのか?それとも波なのか?
はっきり、どちらと決めて説明できるものでしょうか?これらの性質は相容れないものなのでしょうか?
この光と色のシリーズの第三回目でコルム・ケレハーが、光の持つ波と粒子の二面性と光。そして、色を見る仕組みを説明します。
不確定性原理にも深く関わってきます。
さらに、量子力学より先に、場の量子論を源にした標準理論があります。
こちらは、物理学の真髄。場の量子論の近似として量子力学を導出できます。
現在、2020年時点で人類の自然理解に対して、データ観測や数学的裏付けのある叡智の最高到達点です。
学ぶことで、光の他にも「物質とは、粒子なのか?それとも波なのか?」が明確になり「定義」として概念を精密に計算して理解できるようになります。
講師: コルム・ケレハー、アニメーション:ネルソン・ディアス ※このビデオの教材がed.ted.comにあります: http://ed.ted.com/lessons/is-light-a-particle-or-a-wave-colm-kelleher
机の上の黄色い鉛筆を見ると眼から脳にいろいろな情報が集まります。
鉛筆の長さ、色や形、鉛筆までの距離な���の情報です。
この仕組みは、どうなっているのでしょう?
これを初めて科学的に考えたのが古代ギリシャ人です。光や視覚について科学的な理解を試みたのです。
プラトンやピタゴラス等のギリシャの哲学者は、光は眼から発せられ眼から出た小さなものが、遠くのものに届き情報を集めてくることによって、ものが見えると考えました。
その後、千年もしてからアラビアの科学者、アルハゼンが、古代のギリシャの論理は、理にかなわないと証明しました。
アルハゼンの説明では、眼は情報を集めるために何か、ものを発するのではなく単に届く光を集めているに過ぎないというのです。
アルハザンの説明では、ギリシャ人の上手く説明できなかった暗闇の説明がつくのです。実は、光を発する物体は、そうあるものではありません。
光を発するものは、限られていて、例えば、太陽とか電球とかが光源として知られています。
他の見えるものは殆ど、あの机の上の鉛筆のように光源からの光を反射しているだけで自ら光を放っているわけではありません。
鉛筆を見るとき、眼に入る光は、太陽から来たもので何百万キロも空っぽの宇宙を旅して鉛筆に反射され、見る人の眼に届くのです。想像しただけですごいですね。
ところで、太陽から出てくるのは、いったい何なのでしょう?
それがなぜ見えるのでしょう?
原子の様な粒子なのか?それとも、池の水面にできる小波のような波なのでしょうか?
近代の科学者は、この質問��答えを数百年に渡って探求してきました。
初期にはニュートンが、光はごく小さい原子の様な粒子からできていると信じ、これをcorpusclesと名づけました。
この考えをもとに光の持つ特性を説明しました。
例えば、屈折、空気から水に光が進むとき曲がって見えるあれです。しかし、天才でも時に間違えるのが科学というものです。
19世紀になり、ニュートンのずっと後になって科学者たちが、様々な実験を重ねた結果、光が原子の様な粒子であることは、不可能だと分かったのです。
まず、光が2方向から来て交わってもお互い何の作用もおこしません。もし、光が粒だとしたらA、という光線とB、という光線の粒の一部がぶつかり合いぶつかった粒子は、いろいろな方向に飛んでいくはずです。
でも、そうはなりません。光線はお互いの光線を素通りします。これはレーザポインターとチョークの粉で簡単に実験できます。
また、光の干渉縞も波である証拠です。干渉縞とは2つの波が一箇所にあるときに起こる特殊なパターンです。
2つの物体が、池に投げ込まれ静かな水面が乱れたときに見られます。これと同じ事が、近くにごく小さな2つの光源を置くことによって起こるのです。
干渉のパターンは波である証拠です。粒子では起こらないことです。おまけに、光が波のように振る舞う事から色の仕組みやなぜ鉛筆が黄色に見えるのかも説明できるようになりました。
では、光は波であると断言して良いかというとそう簡単なものではないのです。
20世紀になって、科学者は、さらに実験を重ね光が粒子のように振舞うということも分かったのです。
例えば、光を金属にあてると光のエネルギーが、金属の原子に渡されますが、量子と呼ばれるとびとびの値の塊で渡されます。
でも、干渉のような特性を無視するわけにはいきません。
ですから、この量子はニュートンの考えた小さな硬い丸い粒とは全く違うのです。光が粒子のようにも波のようにも振る舞うという特性から全く新しい物理学である量子力学が生まれました。
では、もう一度、考えて見ましょう。
「光って何でしょう?」
光とは、私たちの日常考える普通のものとは全く違うのです。時には粒子のように振る舞い、時には波のように振る舞うのですが、はっきりどちらとも言えない現象なのです。
不確定性原理にも深く関わってきます。
重要なのでもう一度。
さらに、量子力学より先に、場の量子論を源にした標準理論があります。
こちらは、物理学の真髄。場の量子論の近似として量子力学を導出できます。
現在、2020年時点で人類の自然理解に対して、データ観測や数学的裏付けのある叡智の最高到達点です。
学ぶことで、光の他にも「物質とは、粒子なのか?それとも波なのか?」が明確になり「定義」として概念を精密に計算して理解できるようになります。
真空中の電磁気のゆらぎによる波動などは、実在とは、とうてい思えません。18世紀の人々は、波には、波を伝える物質、エーテルが、必要だ!と考えていました。
さかのぼって、量子力学が産まれ始めたころ、絶対時空間であるエーテルという概念が根強くあり、これは、中世ヨーロッパから長く信じられてきた考え方で、信じていたかはわかりませんが、ニュートンやデカルトもひとまず取り入れていました。
それから1900年代に、アインシュタインの特殊相対性理論とマイケルソン=モーリー(Michelson=Morley)の実験から、検証されエーテルは完全否定されています。
光速度は、物理学の本質と深く関わる重要な普遍的基礎定数です。
光速度は、あまりに早いために、太古から無限大と考えられていました。近代になっても、例えば、ケプラーやデカルトですら、光速度は無限大と考えていました。
17世紀のガリレオガリレオも光速度は、有限と考え、しかも、これを実験と言う形で測定しようとした初めての人間です。
その後、レーマーとブラッドリーの天文学的方法によって、光速度の地上でのおおよその測定が可能となり、その後のフィゾーが、精密な測定に成功するまで光速度の具体的な測定が不可能でした。
違う側面からは、マクスウェルが電磁波の速度が、光速のと同じであると言う数学的な結論を出してからというもの、19世紀後半には、電気的方法で電磁波の速度を測定する実験が数多く行われました。
理論的には、マクスウェルが、電磁場の方程式を構築していましたが、現実的な実験段階になると混乱が生じています。
その後、テクノロジーの進展とともに測定方法も改善され、より安くより精密に光速度を測定できるようになります。
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umekiti1225 · 4 years
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広がりゆく希望... 潮溜まりに映る雲の影が放射線状に広がっていました。 まるで希望の広がりのように... 場所:石川県高松海岸 日時:7.Mar.2021 #金沢カメラ部 #金沢カメラ #北陸カメラ部 #キリトリセカイ #しんやとよーへい #石川県 #高松海岸 #写真好きな人と繋がりたい #写真撮ってる人と繋がりたい #canonphotography #photo_shorttrip #photo_travelers #photo_japan #tokyocameraclub https://www.instagram.com/p/CMR5mYlAI3P/?igshid=evvvb8kxzcxo
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kurihara-yumeko · 4 years
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【小説】氷解 -another- (上)
 誰かを傷つけた後は、自分も傷を負う。
 殴った後にその手が痛むように、それは代償として、必ず負うことになる。一方的に相手を痛めつけるなんて芸当はできない。そんな勝手は許されないのだ。傷つけた分は、傷つかなくてはいけない。たとえその痛みが、平等ではないにしても。
 傷つけるとわかっていて手を下した時は、なおさら性質の悪い傷が残る。その音が聞こえてきそうなほどに心が軋んだのを感じたり、予想通り、耐え切れなくなった涙が溢れ落ちていくのを見たりするのは、そんな風に誰かを傷つけるのは、堪える。
 いつだってそうだ。特に、怒りに任せて部下を怒鳴りつけてしまった後は。
「やっぱり、ここにいたのか」
 窓辺に腰かけ、眼下に広がる灰色の街を見下ろしていると、そんな声と共に、缶コーヒーが現れた。手に取ったそれは温かく、俺は咥えていた煙草を口元から離す。
「貝塚……」
 目線を上げて顔を見やると、その男は自分の煙草に火を点けるところだった。
「お疲れさん。さっきはすげぇカミナリ落としてたなぁ。聞こえてたぞ、こっちのブースにまで」
 貝塚はそう言って、わざとらしく笑って見せる。俺は思わず、大きな溜め息をついた。
「……一週間前に、会議の資料を作るように頼んだんだよ。今日の、重要な会議に使うやつを。それが昨日になっても出来上がってこなくて、ギリギリになってやっと持って来たと思ったら、印刷はめちゃくちゃで、おまけに、数字は一年前のデータだった」
「高倉さんかぁ。可愛いし愛想もいいんだけど、仕事がいまいちなんだよねぇ」
「資料を全部作り直すには時間がなかった。そのまま使うしかないと断念したが、数字が間違ってるんじゃ、先方だってこちらを信用できないだろう。だから耐え切れず、高倉を責めちまった。『重要な会議だって言ってあったのに、どうしてこ��な』ってな」
 重要な会議の資料なんて、部下に任せず自分ひとりで作成すればよかった。もっとこまめに資料作りの進捗を確認しておけばよかった。前日のうちに残業させてでも資料を完成させて、修正する時間を今日に残しておくべきだった。
 そんな後悔が、喫煙室に紫煙となって立ち込める。
「……そしたら、あいつ、なんて返事をしたと思う?」
 貝塚は煙草を咥えたままで返事をしなかった。俺は続けて言う。
「『だって、私にとっては重要なことじゃないですし』、だとよ」
「……それで、高倉さんのことを思いっきり怒鳴りつけちゃったってことか」
 そう言う貝塚の口元は笑っていたが、その目は少しも俺のことを馬鹿にしてなどいなかった。
「あんな怒鳴られたら、高倉さん、泣いちゃったんじゃない?」
「……泣いてたよ」
 俺は力なくそう答える。
 さっき見た光景が、まぶたの裏から焼き付いて離れない。高倉はまるで子供のように、大粒の涙を零して泣いていた。私は悪くない、とでも言うように、俺のことを睨んでいた。ぽろぽろ、ぽろぽろと泣きながら、本当は文句を言いたいのであろう唇から、絞り出すように「すみませんでした」とだけ言って、それでも眼光は鋭かった。俺を非難する目だった。
「可愛い女の子を泣かせちゃったら、そりゃあ、後味悪いよねぇ」
 貝塚の苦笑に、同情の色を感じ取る。
 所属する部署も役職も異なるが同い年の貝塚は、社内で気兼ねなく話せる同僚のひとりだ。ライターを貸してやったのがきっかけで、喫煙室で言葉を交わす仲になった。
「まぁ、そんなに落ち込まないで。縞本だけが悪い訳じゃないだろ」
「……そうだな」
 どうやら、俺を励ましに来たつもりらしい。それをありがたいと感じる反面、隣の部署のやつに気を遣わせるほど部下を怒鳴りつけるなんて、と、また後悔が生まれる。放って置くとどこまでも、俺の内側から後悔ばかりが滲み出てくるような気がする。
「高倉さんの方には、井荻さんが行ってくれたから、大丈夫だと思うよ」
 缶コーヒーのプルタブを開け、一口飲もうとしたところだった。俺は思わず、動きを止めていた。
「井荻が……?」
「ちょうど定時だったから。更衣室で高倉さんと一緒になるだろうと思って、残業しないでもう帰るように伝えたんだ。あのふたり、大学時代の先輩と後輩なんだろう?」
「ああ…………」
 井荻。
 井荻沙織。
 俺は、あの澄んだ瞳に見つめられると、なんて呼べばいいのかわからない、複雑な感情を抱かずにはいられない。
 だが貝塚からその話を聞いて、多少、安堵できた。あいつが高倉の面倒を見てくれるなら、安心だ。
「そういえば高倉さん、春までに辞めちゃうんだって?」
 コーヒーを飲んでひと息ついていると、貝塚が思い出したようにそう言った。
「そうらしい。俺も次長からそう聞いた」
「高倉さん、辞めるってことを直接次長に伝えたのか。直属の上司は縞本なのに、それを飛び越して」
「『もうあんな人の下で働きたくないです』だとさ」
「ははは、そりゃあ確かに、縞本に直接は言えないよなぁ」
 貝塚は煙を吐き出しながら、朗らかに笑った。それから妙に意地の悪い笑みを浮かべると、声を落としてささやくように言う。
「高倉さんが辞めるんだったら、うちの課の井荻さん、そっちに異動させちゃおうか?」
「余計なことしなくていいぞ」
 コーヒーをあおる。缶コーヒーは、飲めないほど不味くもなければ、また飲みたいと思わせるような美味さもない。
「ああ、そうか。縞本も、春で異動なんだっけ」
「九州にな」
「大出世じゃないか」
「正直、あまり嬉しくはないな」
「寂しくなるね」
「……そうだな」
 貝塚が灰皿に煙草をこすりつけ、口から最後の紫煙を吐いた。俺はすっかり短くなった煙草を灰皿の中へと落とす。
 吹きつける風に、ガラスが小さく揺れる音がした。窓の外は曇天で、今にも雪がちらつきそうな、重たい雲で埋め尽くされている。風が強いのだろう、雲の流れが速い。
 すっかり暗くなった街を行く人々は、皆黒っぽい装いに見えた。春の訪れなど、微塵も感じさせない景色。
 だが、春は必ずや���て来る。そしてその時、俺はもうここにはいない。
「コーヒー、ありがとな」
 礼を言うと、貝塚は目を伏せたまま片手を挙げて俺に応えた。もう一本吸ってから仕事に戻るつもりらしい、次の煙草を咥えていた。俺は喫煙室を出て、三階の営業部フロアに戻るため、階段に向かって歩き出す。
「――正直、もうあんな人の下で働くことに耐えられないっていうか」
 廊下を歩いていたら、そんな声が聞こえた。ちょうど、女子更衣室の前だった。
「縞本さんって、正直、人の心がわからないんだと思うんですよね。……あ、」
 更衣室の扉が開くと同時に、声の主は口をつぐむ。見れば、高倉志保だった。制服から着替え、今から帰社するところのようだ。まだ泣いていたのか、その目は赤く、潤んでいる。
 高倉は俺の顔を見て咄嗟に、もうひとりいた女子社員の後ろへと隠れた。そのもうひとりは、井荻沙織だった。
 ふたりは、今日俺が叱責したことについて、話をしていたのだろう。俺は思わず、足を止めていた。高倉は井荻の陰で動かないまま、こちらを見ようとしない。何か言葉を発しようともしない。
 俺は彼女にとって、顔も見たくない相手なのかもしれない。口にした言葉が俺を非難する内容であっても、それを即座に謝罪する気にもならないのかもしれない。上司の陰口を叩くのは良くないことかもしれないが、それは恐らく、高倉の本心であるに違いない。
 こんな人間の下で働きたくないと、そう言って泣く彼女を否定するのは、間違っている。退職を決め、次長にそう告げた彼女の感情は、本物だ。それをあれこれ言うのは間違いだ。少なくとも俺に、そんな権限はない。
 だがこの苛立ちは、どこへ向かわせればいいのだろうか。
 俺は小さく息を吸い、波立つ自分の感情を抑制する。
「井荻、」
「あ、はい」
 呼ばれた井荻は一瞬、きょとんとした表情をしたが、すぐに返事をした。
「今日、行くのか?」
「はい。行きます」
 どこに、と言わなくても、井荻はそう返事をした。ちゃんと通じたようだ。
「あっそ」
 高倉のいる前で、それ以上の長話をする気にはなれなかった。俺は再び歩き始める。階段を登り、定時を過ぎたがまだ半数近い社員が残っている営業部フロアへと足を踏み入れる。
 俺の机の上には、まだやらなければいけない仕事が積んであった。目の前の書類に集中しろ。自分にそう言い聞かせる。とりあえずは、今日の会議の大失態の後処理だ。どうやって先方の信頼を回復するか。まずは、それから考えよう。
「……人の心がわからない、か」
 仕事に取りかかろうと思っているにも関わらず、先程の高倉の言葉をつい反芻してしまう。誰かからそう言われたのは、これが初めてという訳ではなかった。思い出す。土下座して、額を畳にこすりつけて頭を下げていても、罵声を浴びせられ続けたあの日のこと。
 ――あなたは自分のことが、図々しいとは思わないんですか。私たちの心なんて、あなたにはわからないんでしょうね。
 そんな風に言ったあの人の言葉を、今でもときどき、夢に見る。その言葉は後悔となって、感情を掻き乱し、俺のことを痛めつける。
 俺は誰の心もわからない。わかりようがない。たとえばそれは、上司に叱責された部下の、責任を逃れたいという甘い言い訳であり、あるいは、息子の自殺を止めることができないでいた、ふがいない親である自分たちへの怒りであり、もしくは、素直に感情を口にすることができなかった、恋人に対しての猜疑心だ。
 俺はそういった誰かの感情を、わからないままでいる。わからないから他者を傷つけ、そうして、俺自身も傷を負ってきた。傷つけたのと同じ数だけ、痛みを感じた。
 そしてそんな俺の心も、誰にも理解などされない。
 だが、わかってなんてくれなくていい。共感も同情も、必要とは感じない。ありふれた安易な言葉で癒されたいと思うほど、俺はまだ堕ちてはいない。
「……わからなくって、結構だ」
 そう、独り言をつぶやいたら、やっと仕事に取りかかる気になった。
 今の俺にはすべきことがあり、それは誰かの傷を癒すことではない。
 たとえそれが、自分自身の傷なのだとしても。
    人間が自殺するきっかけなんて、ほんの些細なことにすぎないということを、俺は知っているはずだった。
 ある年の、気が滅入るような雨と湿度の高い日々が終わらないでいた七月の初め、前職の会社で働いていた俺は、この春に入社した新入社員のひとりが自殺をしたという報告を部長から受けた。自殺した井荻公介は、俺が初めて受け持った部下のひとりだった。
 その報告を受けた時、「一体、どうして」という疑問が湧き、そして同時に、その疑問を掻き消すかのように、「人が死ぬ理由は、大層なものとは限らないよな」と思う自分がいた。
 井荻公介が自殺した理由を、俺は知らなかった。だが、彼が時折、暗い顔をして机に座っているのを見たことはあった。かと言って、死を覚悟して思い詰めているという風にも見えなかった。俺と話をする時はいつだって朗らかであったし、冗談を言って周囲を笑わせることだってあった。時間の空いた時や飲み会の席では世間話をすることもあったが、プライベートなことを深く聞いたことはなく、たとえばまだ独身だった彼に恋人がいるのかとか、両親や家族と上手くやっているのか、そういったことは知らなかった。
 だから部長から、「縞本、最近、井荻くんに何か異変とかなかったか?」と尋ねられた時、正直に、「少し沈んだ様子の時もありましたが、深刻そうな様子ではありませんでした」と答えた。
 その時、部長が妙に神妙な顔つきになり、「そうか……」と、独り言のようにつぶやいて深く頷いていたことに、俺は違和感を覚えたが、部長の様子が何を危惧しているのかはわからなかった。後になってから思い返してみると、恐らく部長は、この時すでに、この先に起こり得るであろう未来を予想していたに違いなかった。
 井荻公介が自ら命を絶ったということはショックではあったが、それはどこか、俺の手が及ばない、遠くの出来事であるようにも感じられた。実際、その後の俺にできたことは、彼が受け持っていた仕事を整理し、他の部下たちに割り振ることだけだった。
 仕事を片付けているうちは、彼がすでにこの世にいないという事実は実感できなかった。それは葬儀に参列している時だけは別であったが、結局、社内の自分の机に座っている間は、井荻公介は病欠で長期休養しているのと変わらない気持ちでいた。彼が突然の不在となって混乱したのは最初の一週間程度で、それを過ぎてしまえばいつも通り、机に積まれていく書類を右から左へと処理していくだけだった。
 その状況が一変したのは、彼の両親が、彼の遺書を手に会社を訪ねて来た時で、そしてその時初めて、井荻公介が「上司からパワーハラスメントを受けていることが苦痛でたまらない」ということを理由に、自らの手で命を絶つと、そう書き残していたことを知った。
 俺を含め、井荻公介と同じ課に所属する社員たちは、常務と役員が待つ会議室にひとりずつ呼び出され、面談を受けた。二週間にも及んだ聞き取り調査の結果、井荻公介に嫌がらせをしていたのは課長であったということが判明し、これには多くの社員がそう証言したことによって、ほぼ確定だと判断された。
 確かに、入社直後から、課長と井荻公介は折り合いが悪かった。それは恐らく、ふたりの性格が真っ向から正反対であったということと、自身の学歴を鼻にかけている節があった課長より、さらに有名な大学を井荻公介が卒業していたということが、そもそもの原因であるように思われた。
 俺は何度か、課長が井荻公介を指導しているところに居合わせ、時に過剰なのではないかと思うほど叱責をされている時、間に入ってそれを止めたことがあった。仲裁に入ると、課長はそれ以上彼を叱ることはしなかったが、「そもそも、井荻がこんな体たらくなのは、直属の上司であるお前がしっかりしないからだ」と、怒りの矛先を俺へと向けた。
「井荻には、俺からよく言って聞かせますので」と頭を下げても、俺に対する課長の文句はすぐには止まなかった。十五分以上にわたる説教から解放され、自分の席へと戻った時、隣の席の井荻は少しほっとしたような顔をしていた。課長にはわからないように、声を出さないまま「ありがとうございます」と井荻の口元が動いた時、俺は小さく苦笑して、「別に、気にすんなよ」と声をかけたものだ。
 そうやって気にかけてはいたが、結局のところ、井荻公介は俺の目が届かないところで課長から嫌味を言われ、嫌がらせをされ、日々少しずつその心に傷を負っていっていたのだった。
 同じ課の社員たちは、自らの上司を糾弾することを恐れ、「これは同じ課の人から聞いた話なんですが……」などという前置きを挟み、あたかもそれが、直接自分が見たり聞いたりしたのではないとしながらも、課長がどんな回りくどい手を使って優秀な新入社員をいたぶっていたのかを話した。それは、まるでクラスの悪ガキが考えつきそうないかにも幼稚なものから、思わず耳を疑いたくなるようなものまであったが、結局のところ、課長からパワーハラスメントが行われていたことには違いないと、役員たちには判断された。
 そこで、ひとつの問題が持ち上がった。いけ好かないこの課長は、社長の遠い親戚筋に当たる人物だった。そういった後ろ盾があるにも関わらず、いつまでも課長のまま昇進しないのは、それだけこの課長が無能であるということの何よりの証明であったのだが、役員たちはこの課長を庇うことを決断したらしかった。課長が新入社員にパワーハラスメントをして自殺にまで追い込んだという事実は、会社の信頼の大きな損失に繋がり、ただでさえ低迷している直近の売上額がさらに低下するのは避けられない。そう考えた役員たちは、俺に貧乏くじを引かせた。
 井荻公介に対するパワーハラスメントは存在しなかった。だが、直属の上司である俺には、監督不行き届きなところがあった。
 結局、社内では「そういうこと」として処理がされた。
 俺はその責任を負い、退職勧告の処分を受けた。それはつまり、俺が井荻を死に追いやったのだと、そういう解釈になってもおかしくはない結果だった。
 その話を部長から告げられた時、いつも頼れる上司であったはずの部長が、なんとも悲痛な面持ちでうつむいていたことを、まるで昨日のことのように思い出せる。
「役員たちには抗議したんだが……。すまんな、縞本。俺の力不足だ」
「いえ……。井荻のことをもっとちゃんと見てやれなかった、俺にも責任がありますから……」
「すまんな……本当に、すまん」
「部長、もういいですよ」
「すまん…………」
 部長はこのことがよっぽど後ろめたかったのだろう、「知人に会社を経営している人がいて、その人にお前のことを雇ってもらえないか、なんとか頼み込んでやるから」と、次の就職口の世話までしてくれた。俺の処分も、懲戒解雇にならずに勧告で済んだのは、この人の尽力があったからだった。
 途端に、俺の両肩に、井荻公介の死は重くのしかかってきた。不思議な話だが、その重量を知って初めて俺は、井荻の死を実感として受け止めることができたのだった。つまりそれは、取り返しのつかない、拭い去ることのできない現実で、それは過去のものではなく、未来にまで影響を及ぼす絶対的な事実だった。
 井荻公介の両親のもとへ、謝罪のために訪ねた頃、長かった梅雨はようやく明け、代わりに俺は、容赦のない日射しに焼かれ続けていた。
 週末の昼下がりに訪れた井荻家は、外の熱気などまるで嘘のように、空気は重く凍てついていて、それは最愛の息子を突然失った両親の、怒りと悲しみが入り混じって吐き出される冷気だった。
 異様とも思えるほどの存在感を放つ真新しい仏壇が置かれた和室で、俺は井荻公介の遺影と並んで座ったその両親の前、自分が彼の直属の上司であることと、社内にパワーハラスメントの事実はなかったということを伝えた。
 その途端、ふたりは激昂し、俺のことを非難した。
「そんな言葉は嘘だ、公介は上司からのパワーハラスメントを苦に自殺したのだ」、と。
「公介は、私たちの最愛の息子は、あなたのせいで死んだのだ」、と。
「あなたが、殺したのだ」、と。
 そうだ。俺の言葉は、真っ赤な嘘だ。井荻公介を苦しめていたパワーハラスメントは実際にあった。だが苦しめていたのは俺じゃない。課長だ。俺は以前から、あの課長が気に食わなかった。俺だけじゃない。社内で課長を好いている人間なんて、恐らくいない。皆、表立って声や顔に出さないだけで、あの人のことを嫌っている。なのに、誰も口出しできなかった。だから井荻公介は死んだ。俺が、俺たちが殺したのも同然だ。見ていたのに。聞いていたのに。誰も止めなかった。誰も助けなかった。だから、井荻公介は。自らの手で、命を――。
「沙織、そこで何をしているの」
 井荻公介の母親がそう言った声で、俺は思わず、下げ続けていた頭を上げそうになった。目線だけ動かして仰ぎ見る。
 和室の入り口に、ひとりの少女が立っていた。黙ったまま、こちらをじっと見ている。高校の制服を着て、エナメルのスポーツバッグを肩から提げていた。日焼けした額に、汗で前髪が張り付いている。今日は土曜日だから、学校は休みなんじゃないのか。部活動の練習でもあって、その帰りなのだろうか。
「帰ってきたら、ただいまって言いなさいって、いつも言ってるでしょう」
 少女は俺と目が合っても、挨拶の言葉を発しないどころか、会釈のひとつもしなかった。ただ、何かを探ろうとしているような深い瞳で、俺のことを見つめていた。その仕草は、死んだ井荻公介に似ていた。それからやっと、井荻には妹がひとりいるらしいことを思い出し、この少女こそが、その妹なのだとわかった。
「もういい、二階へ行っていなさい」
 父親がそう言うと、少女は返事もしないまま、俺からふっと目線を逸らして、廊下の向こうへと歩いて行った。やがて、階段を登って行く音が聞こえてくる。
「……すみません。今のが、娘の沙織です」
 どこか落胆したような声音で、父親がそう言った。
「以前から、あまりおしゃべりな子ではなかったのですが、公介が亡くなってからは、口数がほとんど……」
 肩を落として言う父親の姿は憔悴しきっていた。ついさっき、「出て行ってくれ。もう二度と、この家の敷居を跨がないでくれ」と、菓子折りの箱を投げつけてきたのが嘘のようだ。
 だがそれは、そのひと時だけだった。父親はそう口にしたことで、息子が死んだのは、今目の前にいるこの男のせいだということを思い出したようだ。ぷつぷつと汗が噴き出していくかのように、俺への非難が始まっていく。
 俺はふたりの前で頭を下げ続けた。何を言われても、会社から言われた通りのことを、言われたように繰り返した。パワーハラスメントはありませんでした。そういった事実は確認できませんでした。
 井荻の両親はそれを否定し続けた。嘘つき、嘘つき。人殺し人殺し人殺し。息子を返して。私たちの息子を返して。
「あなたは自分のことが、図々しいとは思わないんですか。私たちの心なんて、あなたにはわからないんでしょうね」
 母親が吐き捨てるようにそう言って、それから、わっと泣き出した。今日何度目かになる嗚咽を漏らしながら、不明瞭な声で息子の名を呼ぶ。
 呼ばれた息子は遺影の中で、穏やかな笑みを浮かべている。その笑みは、もうこの先、絶えることがない。彼はずっと微笑んだままだ。実際の井荻公介は、もう二度と笑うことも、母親に返事をすることもできないのに。
「もう、お引き取りください」
 父親が、耐えかねたようにそう告げた。
「あなたが来ることは、公介の供養にはなりませんから。もう、結構です」
 窓の向こうから、蝉の鳴き声がする。母親はおいおいと泣き崩れている。俺が持参した菓子折りの箱が、ひしゃげて畳に落ちている。蛍光灯の点いていない、昼間でも薄暗い部屋で、仏壇の蝋燭の火がゆらゆらと揺れる。
 ああ。
 俺はこんな光景を、以前にも見たことがあった。
 真奈が死んだのも、こんな暑い日のことだったっけ。
 あんな風に遺影の中で、ただ静かに笑っていたっけか。
 ※『氷解 -another-』(下) (https://kurihara-yumeko.tumblr.com/post/634221127908098048/) へと続く
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hitodenashi · 4 years
Text
28/海に屍と濡羽菊
(SILENTにおける全てのネタバレが存在します)
(2021年7月某日の話)
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 きっとそれが黒い大輪の菊に見えたのは、炎天下で首裏が焼かれる感覚と、足首が波に冷やされる感覚が起こした倒錯のせいなのだ。
 波音にのって、生ぬるい潮風が鼻先を撫でる。七月の海辺、日差しは朝だというのに既に強い。これが浜辺いっぱいにうざったい椰子の群れでもずらりと並んでとかいるのであれば影ができて話が別なのだろうが、本土の海岸でそんな植生は見たことがない。精々がシュロ、或いはマングローブ。それがあるにしても亜熱帯の地域だけ。こんな東海の片田舎の海辺にそんな耐塩制植物の群れが生えているわけもなく、よって首筋は陽に晒された結果じわじわと焼かれている。  七月、朝の日差し。生えかけの入道雲が山並みに沿って起き上がっている。  フィールドワークは私の日課だ。本業と言ってもいい。海洋生物群の調査、兼磯釣り、兼浜辺散策。SILENTからの任務が特にない週、そのうちの数度はフィールドワークに出かける。部屋に閉じこもって研究するのも良い――特にクソみたいに暑い日は――が、自分の分野は実地でのデータを得ないとまずはじまらない。釣りや磯漁りは趣味のようなものだが、得られないものがないわけではない。魚はおいしい。自分で捌いて食べるものはもっと。  だからその日磯に向かったのは偶然であり、運命だった。竿先の糸をのんびり垂らしているのにも飽きて、ぶらぶらと向かった先の潮だまりはすでにぬるくなっていた。岩場いっぱいに磯の匂いがじらじらと立ち上り、鼻の奥に潮を塗り付けてくる。  岩礁を二、三歩海側に跳ねるように歩いたところで、波打ち際になにか黒いものが打ち上げられているのが見えた。大輪の花のような黒い何か。  それはちょうど岩礁に乗り上げたような格好で岩に引っかかっており、波が何度か柔らかくさらって行こうと泡を投げかけていたけれど、黒い大きな花弁はふわふわと濁った泡の網の間にゆれるばかりだった。  一抱えもあるそれをぱっと見て、私はそれを海中に落ちた菊のようだと思った。細長く薄い花弁は濃い青の上に艶をもって浮かんでおり、波に揺れてふわふわと佇んでいた。  岩のふちには近づきすぎず、タモ網を伸ばしてそのかたまりを慎重に掬いあげると、確かな肉の重さが手の平に伝わってきて目を見ひらいた。やがてそれが大輪の花などではないことに気が付いた。それは、大きなカラスの亡骸だった。 「……なんで、海なんかに」  水を含んだ体を網から外して、抱きあげた。その拍子に翼がだらりと垂れ下がり、屍はいやに大きく見えた。  死んでしばらく経っているのか、からだは硬直が解けて僅かに柔らかかった。炎天下の潮水に晒されていたせいか微かに肉が生ぬるい。羽は潮水にもまれたのか一部があちこち変な方向にねじれ、痛んでいた。  頭部の形はあまり見慣れないもので、くちばしの形はハシブトガラスやハシボソガラスにしては整っている。在来種でないことは一目で解った。喉の羽毛が逆巻いており、濡れたせいでいっそうオパールのような七色に艶めいていた。彼は、ワタリガラスだろうと思う。北国の鳥であることはたしかで、どうしてこんな真夏の、よりにもよって辺境の海辺なんかに。  私は思わず周辺を見渡した。カラスの群れはどこにもいない。ざあんと波が岩場にうちつける音ばかり轟いている。沖合からミャウミャウとウミネコの声がした。背後を仰げば遠くに鳶の影が見えた。黒い翼は、案の定どこにも飛んではいない。  羽織ったパーカーが濡れるのも構わず、私は反射的にその遺骸を抱いていた。胸元はすでに水を吸い、じっとりと布がよれている。濡れた肌に海風が吹き付けてようやく私は亡骸の冷たさを感じた。翼の形が崩れてしまわないよう、慎重に彼の翼を折りたたんで抱きなおした。  若い個体のようだった。堕ちてしまったにしては外傷はなく、きれいな体をしている。岩礁に打ち上げられたときに擦れてしまったのかくちばしの端だけが少し欠けていた。瞼はぴっちりと閉じられて開かない。潮だまりで水浴びをしようとして、波にさらわれてしまったのだろうか。こんなところで、一羽きり、誰もいないところで。  日はじりじりと首を焼いている。太陽は中天に近づくにつれいよいよ勢いを増していた。ワタリガラスからは、まだ死臭がしなかった。  私は汐で痛んだ体を抱きかかえて車に戻った。急いでトランクからクーラーボックスを取り出すと、黒い遺骸をタオルと防水シートでくるみ、氷の内側に埋めるようにしてから蓋をした。内径90センチのクーラーボックスは彼の尾羽を折らないぎりぎりの大きさだった。それから磯に戻って、バケツの中に入ったイサキ二匹をしぶしぶ海に放流した。銀のうろこがやがて海底に沈んで見えなくなったところで、車のエンジンを掛けに戻る。時刻は九時四十分を指していた。普段家に帰るにしては、あまりにも早すぎる時間だった。
 家に着いてまず行ったことは着替えることでもシャワーを浴びることでもなく、亡骸の洗浄だった。石鹸水を含ませたタオルで綺麗に全体をぬぐう。全身潮びたしなので、羽の隙間や翼の関節、足のつけねまで塩を取り除くように丹念に手入れした。  このとき微かに腐敗が始まったようで、肉の解けるにおいが作業場に籠り始めていた。過剰に冷やした暗室はばかみたいに涼しくて、私の乾いた足には砂がまだまとわりついたままだった。  翼を開いたり閉じたりしながら、写真を撮り、記録を付ける。体長79センチ、翼開長150センチ、オス、年齢不明だが二歳程度、くちばしに微細な欠け。  同定にさほど時間はかからなかった。確かに彼はワタリガラスだった。紙面にCorvus coraxと走り書いて、まじまじと閉じた瞳を覗き込んだ。東海の沿岸部にワタリガラスが飛来したことはもしかしたらどこかを探れば履歴が残っているのかもしれないけれど、私は一例だって知らない。不勉強を嘆くべきなのだろうか、それともこのようなイレギュラーに知識なしで遭遇したことを僥倖と思うべきなのだろうか。  慣れない夏の、冬のそれとはまったく様相の違うぎらつく太陽の下、ふらふらと一羽(ひとり)でこんなところまで翼をはためかせて飛んでいたのであろうことを思うと、私は自分の呼吸が浅くなるのを感じた。唐突に両の肺が痛んだ。  石膏粉をはたくと、まるで埃をかぶったように姿がみすぼらしくなる。水気をとってから一度粉を落とし、今度はまんべんなく駆虫粉をまぶす。潮ざらしになっているからそこまで虫はついていないと思うけれど、野生種はダニなどに食われやすいので丁寧に殺虫をする。毛の流れに逆らって粉をはたくと、時折やわらかな灰色の羽毛がふわりと抜けて私の鼻先をくすぐっていった。  粉をきれいに払ってから、体を台の上で仰向けにする。私はその広い胸にゆっくりとメスを埋めた。正中線に沿う腹と胸をつなぐ場所に羽毛の無い部分がある。肌は柔らかな灰青色をしており、つぷ、と刃先を飲み込んだ。  腹部を切り開いて、こんどは首と両肩に向かって皮を剥いでいく。腹膜と皮下脂肪の間の腱を切るようにしてメスを少しずつ滑らせていく。皮が剥がれた裏側にミョウバンを刷り込みながら、肉の塊と皮を丁寧に分離させる。  かるく私の身長ほどはある両翼は大きく、肩の骨もそれに見あって立派だった。骨を折らないように慎重な手つきで関節を根元から抜く。くちばしの真下まで慎重に切れ目を入れ、頸椎と食道を分離させる。思っている以上に綺麗に骨が抜けたので、骨格標本も作れるかもしれないとふと思い立った。喉の羽毛は切り開かれてもなお逆巻いて、玉虫色の渦のようにきらきらと光っている。ただ、きれいだった。  白い脂肪を掻き出しながら、ゆっくりと背側を剥いていく。首と胸を繋ぐ筋を切り落とし、服を脱がせるようにして皮を裏返した。私は彼を暴いている。  内側の肉たちは思っているより静かだった。腹膜の内側でころりところげるのに時折どきっとするけれど、それらは存外おとなしく、じっと皮が分離していくのを見つめていた。腐敗のせいで肉は少しだけ酸っぱいにおいがした。夏は足がはやい。もう少しはやく見つけてあげればよかった。それでも潮溜まりより、ずっと腹膜は冷たかった。  私は無言で皮を剥ぐ。やがて油脂腺の油でメスがどろどろになった。尾羽の付け根を切る。綺麗な濡羽色をしている。一つだったからだと内臓が分離していく。  弾力のある腹膜ごと内臓を左手でそっと支えると、指の腹が肉に埋もれて脂肪で濡れた。人の肉もこれくらい柔いのだろうか? 無心で皮を剥ぐ。やがて直腸を総排泄孔の手前で切断する。鉗子で先端を抑え、静かに抜け殻から肉を引き抜く。アルミトレイの上に乗せられた体内は、羊膜が破れていないままの胎児にも似ていた。腹膜を透かして素嚢が見えている。胸でようやく抱きかかえられるほどの大きさだから、人間の嬰児よりは少し大きかった。  まだ翼と脚と頭の肉が残っている。肩口から皮を裏返しながら肉を削ぎ、慎重に骨を抜いてはホウ酸の粉をはたく。代わりに針金の骨を入れて翼を固定する。  学術用の剥製にしたほうが楽なことは解っているが、立派な体なのだから本剥製にしたかった。腿の肉を掻き出して骨を抜く。上体に再度手をのばす。キジやサギにくらべ、首が短いカラスは頭骨を剥ぐのがやりやすい。首を裏返す。賢い頭蓋が剥き出しになり、隙間から脳が見えた。  眼窩にピンセットを差し込んで視神経ごとちいさな丸い眼球をずるりと抜き出す。黒曜石のような、小さくて綺麗な黒い色だった。あらかた顔まわりの筋肉を削ぎ終えたら、最後に脳を掻き出す。針に通した糸でまんべんなく、こそげとるようにさらう。  剥製を作るとき、頭骨だけは皮の内側に遺しておくことになる。余った肉を削いでいく。ミョウバンとホウ酸粉を丹念に塗りつけて、脂肪を慎重に削いで、最後に骨を拭って除肉は終わる。  抜いた骨たちは別のトレイに置き、皮を乾かしながら一度休憩をとった。午前中から作成を始めたのに、すでに日暮れに近い時間になっている。集中が切れたせいか唐突に異様なほど空腹を感じた。台所にいくと、妹が作りっぱなしのサンドイッチが冷蔵庫に放置されていたので勝手にいただく。クリームチーズが塗ったくられていることだけはとりあえずわかった。やはり不味い。おそらくあいつは料理の才能がないのだろうと結論をつけて、胃にパンを落とすことだけを考え、口元をぬぐった。皿を洗ってから作業部屋に戻る。  皮が変に縮まないうちに形を整えなければならなかった。翼などの一部を除いて内容物をあらいざらい引き抜かれたからだは二次元のように平らだ。骨の代わりに針金を、脂肪の代わりにわたを、臓器と筋肉の代わりに綿(めん)を入れ、生前の容貌を再現していく。そこに魂が宿らないことは知っていても、還ってこないことはわかっていても、可能な限り精巧なすがたを作り上げたかった。生きていたということを遺したかった。  そんなこと誰に頼まれたわけでもないのに。  そうやって作業に没頭し続けて数時間、すでにとっぷりと日が暮れ切った夜半にようやく剥製の全体が整った。切り開いた場所を簡単に縫合して、形が崩れないようにガラス棚の中へ保管しておく。  そこで初めて息をついて、ガラスの向こうに閉じ込められた濡羽色のきれいなからだを眺めた。死体とは思えないほど美しいそれは、しかしどうしたって死んでいた。からっぽのからだ。からっぽののうみそ。動かないつばさ。欠けたくちばし。  飛んでいるときの姿を知らない私にとって、その翼がどうやって風を切るのか、瞳はどう海を映したのか、止まり木をどうしならせるのか、梢と尾羽の擦れあう音がどんな高さなのか、それらのうち一つきりさえわかることはなかった。  私は彼を知らない。死体はもう鳴き声の一つも上げない。  恐る恐る手を伸ばして、くちばしの先から根元までをそっと撫でた。なめらかなくちばしは、しかし欠けた部分だけがざらついていた。あごの付け根を軽くさすって、そっと手を離した。ガラス戸を閉める静かな音が濃い潮の匂いに染まる部屋のなかに響いて消えた。私はアルミトレーの上に放り込まれた骨々を溶液に漬け込んで、部屋の電気を消す。
 彼の剥製を教授に譲ることにしたのは、研究室で暇を持てあましてパソコンを抱えながら遠心分離機とにらめっこしていたときに教授が構われたがりそうに話しかけてきたことが発端だった。会話の中で駿河湾の話になって、不意にこの間ワタリガラスが飛来していたことを思い出したのでそれをいうと、彼はひどく興味津々にその話題に首をつっこんできた。 「飛来、って言っても、拾ったのは死骸ですよ」 「どちらにしても珍しいことには変わりないよ。剥製にできるほど状態がよかったということでもあるし」 「トキやらなんやらだったら生息域のマーキングに使えますけど、ワタリガラスですよ。北海道にでも行けば冬場死ぬほどいる」 「はは、謙遜するなあ。そういう珍しいものを珍しいと理解して、適切に判断、処理できることを褒めているんだから、素直に受け取れば良いのに。とても珍しいことだよ、私も直に見たかった」  謙遜なんていわれても、私はみつけただけであってここまで飛んできたのは彼自身である。僅かな空しさを感じて私は返答に困り、「はあ」とだけ零してまた遠心分離機の液晶パネルを見た。残り時間はまだ二分もある。この後もう一回遠心分離をかけないといけない。パソコンの画面と液晶パネルを無産的に交互に見てから、ぼんやり口を開いた。 「差し上げましょうか、剥製。気になるのなら」 「え、良いのかい」 「別に……。それに作ったのはいいですけど、家にあったって、管理しきれないですし。本剥製に仕立てちゃいましたけどそれでいいのなら」  どうします。と聞くまでもなく、彼の返答は「勿論」だった。研究室に飾ってくれるのであれば、虫に食われることも、腐敗してカビだらけになることも懸念しなくていい。四角いガラスケースの中で、作り物の止まり木に掴まってはばたく直前の格好をしながら、朽ちるまで永遠の沈黙を貫いていることができる彼のことを想像すると、安堵の隙間にどこか血の匂いのする溜め息が滲んだ。  教授は別れ際に、私に向かってこう言った。「そもそも、君がしっかり作り上げる本剥製自体珍しいから、それがよほどきれいな個体だったのだろうなと気になったのは否定しないよ」と。
 その日家に帰ってから瞳に埋め込むための石を取り寄せることにした。実のところ、本剥製はまだ完成させていなかった。けれど他人に渡すのであれば面倒臭くとも仕上げをしなければならない。私は剥製職人ではないが時間をかければそれなりのものは作製できる。性格ゆえに、作りきる根気が滅多に出ないだけであって。  やることを整理する。まずパーツが届く間に、ポーズを整えて、縫合をしっかりして、毛並みをもう一度整えて。そうやって手を尽くして、ガラス越しに見る誰の目にも君が凜々しく見えるように。  だからこそ二も三もなく、彼の眼窩にぴったりな黒い瞳を探すつもりだったのだけれど、どうしてかふいに私の無意識が抵抗して、勝手に動作の主導権を握った。腕は勝手に、月色の丸い石のページを表示させていた。  数秒、その画面を見て固まる。まぶたの閉じないくぼみに嵌められた良く晴れた夜半の空のようなそれを脳裏で一瞬再生してしまい、引き攣るように笑って無理に頭を振った。濡羽に金の目。その文字列が、文字列以外のイメージに行きつかないよう強制的に思考の根をシャットアウトして、私はページを反射的に閉じる。その後は余計なことを何も考えず、黒曜石を選択してカートに入れるだけだった。だって、黒いワタリガラスに金色の目を持つ個体なんていない。 「きれいっつったって、そう見えてるのは多分、見てんのが自分だからですよ、教授」  誰に聞かせるわけでもない独白は部屋の中に溶かして、チェアをリクライニングぎりぎりまで傾ぐ。背もたれはギィ、と音をたてて軋む。LEDの柔らかな白色が、いたいくらいに眩しくて顔を覆った。エアコンの風が虫の声のように静かに空気をふるわせている。  夜の窓辺に、青白いシルエットのワタリガラスの骨格標本が静かに佇んでいる。肉と皮の一切を剥奪され、頭部さえもすっかり喪われたそれは、もはや私に何も語りかける言葉もなく、ただじっともう二度と手が届かない空を、ガラス窓越しに見上げるばかりだった。
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shunsukessk · 4 years
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あるいは永遠の未来都市(東雲キャナルコートCODAN生活記)
 都市について語るのは難しい。同様に、自宅や仕事場について語るのも難しい。それを語ることができるのは、おそらく、その中にいながら常にはじき出されている人間か、実際にそこから出てしまった人間だけだろう。わたしにはできるだろうか?  まず、自宅から徒歩三秒のアトリエに移動しよう。北側のカーテンを開けて、掃き出し窓と鉄格子の向こうに団地とタワーマンション、彼方の青空に聳える東京スカイツリーの姿を認める。次に東側の白い引き戸を一枚、二枚とスライドしていき、団地とタワーマンションの窓が反射した陽光がテラスとアトリエを優しく温めるのをじっくりと待つ。その間、テラスに置かれた黒竹がかすかに揺れているのを眺める。外から共用廊下に向かって、つまり左から右へさらさらと葉が靡く。一枚の枯れた葉が宙に舞う。お前、とわたしは念じる。お前、お隣さんには行くんじゃないぞ。このテラスは、腰よりも低いフェンスによってお隣さんのテラスと接しているのだ。それだけでなく、共用廊下とも接している。エレベーターへと急ぐ人の背中が見える。枯れ葉はテラスと共用廊下との境目に設置されたベンチの上に落ちた。わたしは今日の風の強さを知る。アトリエはまだ温まらない。  徒歩三秒の自宅に戻ろう。リビング・ダイニングのカーテンを開けると、北に向いた壁の一面に「田」の形をしたアルミ製のフレームが現れる。窓はわたしの背より高く、広げた両手より大きかった。真下にはウッドデッキを設えた人工地盤の中庭があって、それを取り囲むように高層の住棟が建ち並び、さらにその外周にタワーマンションが林立している。視界の半分は集合住宅で、残りの半分は青空だった。そのちょうど境目に、まるで空に落書きをしようとする鉛筆のように東京スカイツリーが伸びている。  ここから望む風景の中にわたしは何かしらを発見する。たとえば、斜め向かいの部屋の窓に無数の小さな写真が踊っている。その下の鉄格子つきのベランダに男が出てきて、パジャマ姿のままたばこを吸い始める。最上階の渡り廊下では若い男が三脚を据えて西側の風景を撮影している。今日は富士山とレインボーブリッジが綺麗に見えるに違いない。その二つ下の渡り廊下を右から左に、つまり一二号棟から一一号棟に向かって黒いコートの男が横切り、さらに一つ下の渡り廊下を、今度は左から右に向かって若い母親と黄色い帽子の息子が横切っていく。タワーマンションの間を抜けてきた陽光が数百の窓に当たって輝く。たばこを吸っていた男がいつの間にか部屋に戻ってワイシャツにネクタイ姿になっている。六階部分にある共用のテラスでは赤いダウンジャケットの男が外を眺めながら電話をかけている。地上ではフォーマルな洋服に身を包んだ人々が左から右に向かって流れていて、ウッドデッキの上では老婦が杖をついて……いくらでも観察と発見は可能だ。けれども、それを書き留めることはしない。ただ新しい出来事が無数に生成していることを確認するだけだ。世界は死んでいないし、今日の都市は昨日の都市とは異なる何ものかに変化しつつあると認識する。こうして仕事をする準備が整う。
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 東雲キャナルコートCODAN一一号棟に越してきたのは今から四年前だった。内陸部より体感温度が二度ほど低いな、というのが東雲に来て初めに思ったことだ。この土地は海と運河と高速道路に囲まれていて、物流倉庫とバスの車庫とオートバックスがひしめく都市のバックヤードだった。東雲キャナルコートと呼ばれるエリアはその名のとおり運河沿いにある。ただし、東雲運河に沿っているのではなく、辰巳運河に沿っているのだった。かつては三菱製鋼の工場だったと聞いたが、今ではその名残はない。東雲キャナルコートが擁するのは、三千戸の賃貸住宅と三千戸の分譲住宅、大型のイオン、児童・高齢者施設、警察庁などが入る合同庁舎、辰巳運河沿いの区立公園で、エリアの中央部分に都市基盤整備公団(現・都市再生機構/UR)が計画した高層板状の集合住宅群が並ぶ。中央部分は六街区に分けられ、それぞれ著名な建築家が設計者として割り当てられた。そのうち、もっとも南側に位置する一街区は山本理顕による設計で、L字型に連なる一一号棟と一二号棟が中庭を囲むようにして建ち、やや小ぶりの一三号棟が島のように浮かんでいる。この一街区は二〇〇三年七月に竣工した。それから一三年後の二〇一六年五月一四日、わたしと妻は二人で一一号棟の一三階に越してきた。四年の歳月が流れてその部屋を出ることになったとき、わたしはあの限りない循環について思い出していた。
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 アトリエに戻るとそこは既に温まっている。さあ、仕事を始めよう。ものを書くのがわたしの仕事だった。だからまずMacを立ち上げ、テキストエディタかワードを開く。さっきリビング・ダイニングで行った準備運動によって既に意識は覚醒している。ただし、その日の頭とからだのコンディションによってはすぐに書き始められないこともある。そういった場合はアトリエの東側に面したテラスに一時的に避難してもよい。  掃き出し窓を開けてサンダルを履く。黒竹の鉢に水を入れてやる。近くの部屋の原状回復工事に来たと思しき作業服姿の男がこんちは、と挨拶をしてくる。挨拶を返す。お隣さんのテラスにはベビーカーとキックボード、それに傘が四本置かれている。テラスに面した三枚の引き戸はぴったりと閉められている。緑色のボーダー柄があしらわれた、目隠しと防犯を兼ねた白い戸。この戸が開かれることはほとんどなかった。わたしのアトリエや共用廊下から部屋の中が丸見えになってしまうからだ。こちらも条件は同じだが、わたしはアトリエとして使っているので開けているわけだ。とはいえ、お隣さんが戸を開けたときにあまり中を見てしまうと気まずいので、二年前に豊洲のホームセンターで見つけた黒竹を置いた。共用廊下から外側に向かって風が吹いていて、葉が光を食らうように靡いている。この住棟にはところどころに大穴が空いているのでこういうことが起きる。つまり、風向きが反転するのだった。  通風と採光のために設けられた空洞、それがこのテラスだった。ここから東雲キャナルコートCODANのほぼ全体が見渡せる。だが、もう特に集中して観察したりしない。隈研吾が設計した三街区の住棟に陽光が当たっていて、ベランダで父子が日光浴をしていようが、島のような一三号棟の屋上に設置されたソーラーパネルが紺碧に輝いていて、その傍の芝生に二羽の鳩が舞い降りてこようが、伊東豊雄が設計した二街区の住棟で影がゆらめいて、テラスに出てきた老爺が異様にうまいフラフープを披露しようが、気に留めない。アトリエに戻ってどういうふうに書くか、それだけを考える。だから、目の前のすべてはバックグラウンド・スケープと化す。ただし、ここに広がるのは上質なそれだった。たとえば、ここにはさまざまな匂いが漂ってきた。雨が降った次の日には海の匂いがした。東京湾の匂いだが、それはいつも微妙に違っていた。同じ匂いはない。生成される現実に呼応して新しい文字の組み合わせが発生する。アトリエに戻ろう。
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 わたしはここで、広島の中心部に建つ巨大な公営住宅、横川という街に形成された魅力的な高架下商店街、シンガポールのベイサイドに屹立するリトル・タイランド、ソウルの中心部を一キロメートルにわたって貫く線状の建築物などについて書いてきた。既に世に出たものもあるし、今から出るものもあるし、たぶん永遠にMacの中に封じ込められると思われるものもある。いずれにせよ、考えてきたことのコアはひとつで、なぜ人は集まって生きるのか、ということだった。  人間の高密度な集合体、つまり都市は、なぜ人類にとって必要なのか?  そしてこの先、都市と人類はいかなる進化を遂げるのか?  あるいは都市は既に死んだ?  人類はかつて都市だった廃墟の上をさまよい続ける?  このアトリエはそういうことを考えるのに最適だった。この一街区そのものが新しい都市をつくるように設計されていたからだ。  実際、ここに来てから、思考のプロセスが根本的に変わった。ここに来るまでの朝の日課といえば、とにかく怒りの炎を燃やすことだった。閉じられた小さなワンルームの中で、自分が外側から遮断され、都市の中にいるにもかかわらず隔離状態にあることに怒り、その怒りを炎上させることで思考を開いた。穴蔵から出ようともがくように。息苦しくて、ひとりで部屋の中で暴れたし、壁や床に穴を開けようと試みることもあった。客観的に見るとかなりやばい奴だったに違いない。けれども、こうした循環は一生続くのだと、当時のわたしは信じて疑わなかった。都市はそもそも息苦しい場所なのだと、そう信じていたのだ。だが、ここに来てからは息苦しさを感じることはなくなった。怒りの炎を燃やす朝の日課は、カーテンを開け、その向こうを観察するあの循環へと置き換えられた。では、怒りは消滅したのか?
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 白く光沢のあるアトリエの床タイルに青空が輝いている。ここにはこの街の上半分がリアルタイムで描き出される。床の隅にはプロジェクトごとに振り分けられた資料の箱が積まれていて、剥き出しの灰色の柱に沿って山積みの本と額に入ったいくつかの写真や絵が並んでいる。デスクは東向きの掃き出し窓の傍に置かれていて、ここからテラスの半分と共用廊下、それに斜向かいの部屋の玄関が見える。このアトリエは空中につくられた庭と道に面しているのだった。斜向かいの玄関ドアには透明のガラスが使用されていて、中の様子が透けて見える。靴を履く住人の姿がガラス越しに浮かんでいる。視線をアトリエ内に戻そう。このアトリエは専用の玄関を有していた。玄関ドアは斜向かいの部屋のそれと異なり、全面が白く塗装された鉄扉だった。玄関の脇にある木製のドアを開けると、そこは既に徒歩三秒の自宅だ。まずキッチンがあって、奥にリビング・ダイニングがあり、その先に自宅用の玄関ドアがあった。だから、このアトリエは自宅と繋がってもいるが、独立してもいた。  午後になると仕事仲間や友人がこのアトリエを訪ねてくることがある。アトリエの玄関から入ってもらってもいいし、共用廊下からテラス経由でアトリエに招き入れてもよい。いずれにせよ、共用廊下からすぐに仕事場に入ることができるので効率的だ。打ち合わせをする場合にはテーブルと椅子をセッティングする。ここでの打ち合わせはいつも妙に捗った。自宅と都市の両方に隣接し、同時に独立してもいるこのアトリエの雰囲気は、最小のものと最大のものとを同時に掴み取るための刺激に満ちている。いくつかの重要なアイデアがここで産み落とされた。議論が白熱し、日が暮れると、徒歩三秒の自宅で妻が用意してくれた料理を囲んだり、東雲の鉄鋼団地に出かけて闇の中にぼうっと浮かぶ屋台で打ち上げを敢行したりした。  こうしてあの循環は完成したかに見えた。わたしはこうして都市への怒りを反転させ都市とともに歩み始めた、と結論づけられそうだった。お前はついに穴蔵から出たのだ、と。本当にそうだろうか?  都市の穴蔵とはそんなに浅いものだったのか?
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 いやぁ、  未来都市ですね、
 ある編集者がこのアトリエでそう言ったことを思い出す。それは決して消えない残響のようにアトリエの中にこだまする。ある濃密な打ち合わせが一段落したあと、おそらくはほとんど無意識に発された言葉だった。  未来都市?  だってこんなの、見たことないですよ。  ああ、そうかもね、とわたしが返して、その会話は流れた。だが、わたしはどこか引っかかっていた。若く鋭い編集者が発した言葉だったから、余計に。未来都市?  ここは現在なのに?  ちょうどそのころ、続けて示唆的な出来事があった。地上に降り、一三号棟の脇の通路を歩いていたときのことだ。団地内の案内図を兼ねたスツールの上に、ピーテル・ブリューゲルの画集が広げられていたのだった。なぜブリューゲルとわかったかといえば、開かれていたページが「バベルの塔」だったからだ。ウィーンの美術史美術館所蔵のものではなく、ロッテルダムのボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン美術館所蔵の作品で、天に昇る茶褐色の塔がアクリル製のスツールの上で異様なオーラを放っていた。その画集はしばらくそこにあって、ある日ふいになくなったかと思うと、数日後にまた同じように置かれていた。まるで「もっとよく見ろ」と言わんばかりに。
 おい、お前。このあいだは軽くスルーしただろう。もっとよく見ろ。
 わたしは近寄ってその絵を見た。新しい地面を積み重ねるようにして伸びていく塔。その上には無数の人々の蠢きがあった。塔の建設に従事する労働者たちだった。既に雲の高さに届いた塔はさらに先へと工事が進んでいて、先端部分は焼きたての新しい煉瓦で真っ赤に染まっている。未来都市だな、これは、と思う。それは天地が創造され、原初の人類が文明を築きつつある時代のことだった。その地では人々はひとつの民で、同じ言葉を話していた。だが、人々が天に届くほどの塔をつくろうとしていたそのとき、神は全地の言葉を乱し、人を全地に散らされたのだった。ただし、塔は破壊されたわけではなかった。少なくとも『創世記』にはそのような記述はない。だから、バベルの塔は今なお未来都市であり続けている。決して完成することがないから未来都市なのだ。世界は変わったが、バベルは永遠の未来都市として存在し続ける。
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 ようやく気づいたか。  ああ。  それで?  おれは永遠の未来都市をさまよう亡霊だと?  どうかな、  本当は都市なんか存在しないのか?  どうかな、  すべては幻想だった?  そうだな、  どっちなんだ。  まあ結論を急ぐなよ。  おれはさっさと結論を出して原稿を書かなきゃならないんだよ。  知ってる、だから急ぐなと言ったんだ。  あんたは誰なんだ���  まあ息抜きに歩いてこいよ。  息抜き?  いつもやっているだろう。あの循環だよ。  ああ、わかった……。いや、ちょっと待ってくれ。先に腹ごしらえだ。
 もう昼を過ぎて久しいんだな、と鉄格子越しの風景を一瞥して気づく。陽光は人工地盤上の芝生と一本木を通過して一三号棟の廊下を照らし始めていた。タワーマンションをかすめて赤色のヘリコプターが東へと飛んでいき、青空に白線を引きながら飛行機が西へと進む。もちろん、時間を忘れて書くのは悪いことではない。だが、無理をしすぎるとあとになって深刻な不調に見舞われることになる。だから徒歩三秒の自宅に移動しよう。  キッチンの明かりをつける。ここには陽光が入ってこない。窓側に風呂場とトイレがあるからだ。キッチンの背後に洗面所へと続くドアがある。それを開けると陽光が降り注ぐ。風呂場に入った光が透明なドアを通過して洗面所へと至るのだった。洗面台で手を洗い、鏡に目を向けると、風呂場と窓のサッシと鉄格子と団地とスカイツリーが万華鏡のように複雑な模様を見せる。手を拭いたら、キッチンに戻って冷蔵庫を開け、中を眺める。食材は豊富だった。そのうちの九五パーセントはここから徒歩五分のイオンで仕入れた。で、遅めの昼食はどうする?  豚バラとキャベツで回鍋肉にしてもいいが、飯を炊くのに時間がかかる。そうだな……、カルボナーラでいこう。鍋に湯を沸かして塩を入れ、パスタを茹でる。ベーコンと玉葱、にんにくを刻んでオリーブオイルで炒める。それをボウルに入れ、パルメザンチーズと生卵も加え、茹で上がったパスタを投入する。オリーブオイルとたっぷりの黒胡椒とともにすべてを混ぜ合わせれば、カルボナーラは完成する。もっとも手順の少ない料理のひとつだった。文字の世界に没頭しているときは簡単な料理のほうがいい。逆に、どうにも集中できない日は、複雑な料理に取り組んで思考回路を開くとよい。まあ、何をやっても駄目な日もあるのだが。  リビング・ダイニングの窓際に置かれたテーブルでカルボナーラを食べながら、散歩の計画を練る。籠もって原稿を書く日はできるだけ歩く時間を取るようにしていた。あまり動かないと頭も指先も鈍るからだ。走ってもいいのだが、そこそこ気合いを入れなければならないし、何よりも風景がよく見えない。だから、平均して一時間、長いときで二時間程度の散歩をするのが午後の日課になっていた。たとえば、辰巳運河沿いを南下しながら首都高の高架と森と物流倉庫群を眺めてもいいし、辰巳運河を越えて辰巳団地の中を通り、辰巳の森海浜公園まで行ってもよい。あるいは有明から東雲運河を越えて豊洲市場あたりに出てもいいし、そこからさらに晴海運河を越えて晴海第一公園まで足を伸ばし、日本住宅公団が手がけた最初の高層アパートの跡地に巡礼する手もある。だが、わたしにとってもっとも重要なのは、この東雲キャナルコートCODAN一街区をめぐるルートだった。つまり、空中に張りめぐらされた道を歩いて、東京湾岸のタブラ・ラサに立ち上がった新都市を内側から体感するのだ。  と、このように書くと、何か劇的な旅が想像されるかもしれない。アトリエや事務所、さらにはギャラリーのようなものが住棟内に点在していて、まさに都市を立体化したような人々の躍動が見られると思うかもしれない。生活と仕事が混在した活動が積み重なり、文化と言えるようなものすら発生しつつあるかもしれないと、期待を抱くかもしれない。少なくともわたしはそうだった。実際にここに来るまでは。さて、靴を履いてアトリエの玄関ドアを開けよう。
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 それは二つの世界をめぐる旅だ。一方にここに埋め込まれたはずの思想があり、他方には生成する現実があった。二つの世界は常に並行して存在する。だが、実際に見えているのは現実のほうだけだし、歴史は二つの世界の存在を許さない。とはいえ、わたしが最初に遭遇したのは見えない世界のほうだった。その世界では、実際に都市がひとつの建築として立ち上がっていた。ただ家が集積されただけでなく、その中に住みながら働いたり、ショールームやギャラリーを開設したりすることができて、さまざまな形で人と人とが接続されていた。全体の半数近くを占める透明な玄関ドアの向こうに談笑する人の姿が見え、共用廊下に向かって開かれたテラスで人々は語り合っていた。テラスに向かって設けられた大きな掃き出し窓には、子どもたちが遊ぶ姿や、趣味のコレクション、打ち合わせをする人と人、アトリエと作品群などが浮かんでいた。それはもはや集合住宅ではなかった。都市で発生する多様で複雑な活動をそのまま受け入れる文化保全地区だった。ゾーニングによって分断された都市の攪拌装置であり、過剰な接続の果てに衰退期を迎えた人類の新・進化論でもあった。  なあ、そうだろう?  応答はない。静かな空中の散歩道だけがある。わたしのアトリエに隣接するテラスとお隣さんのテラスを通り過ぎると、やや薄暗い内廊下のゾーンに入る。日が暮れるまでは照明が半分しか点灯しないので光がいくらか不足するのだった。透明な玄関ドアがあり、その傍の壁に廣村正彰によってデザインされたボーダー柄と部屋番号の表示がある。ボーダー柄は階ごとに色が異なっていて、この一三階は緑だった。少し歩くと右側にエレベーターホールが現れる。外との境界線上にはめ込まれたパンチングメタルから風が吹き込んできて、ぴゅうぴゅうと騒ぐ。普段はここでエレベーターに乗り込むのだが、今日は通り過ぎよう。廊下の両側に玄関と緑色のボーダー柄が点々と続いている。左右に四つの透明な玄関ドアが連なったあと、二つの白く塗装された鉄扉がある。透明な玄関ドアの向こうは見えない。カーテンやブラインドや黒いフィルムによって塞がれているからだ。でも陰鬱な気分になる必要はない。間もなく左右に光が満ちてくる。  コモンテラスと名づけられた空洞のひとつに出た。二階分の大穴が南側と北側に空いていて、共用廊下とテラスとを仕切るフェンスはなく、住民に開放されていた。コモンテラスは住棟内にいくつか存在するが、ここはその中でも最大だ。一四階の高さが通常の一・五倍ほどあるので、一三階と合わせて計二・五階分の空洞になっているのだ。それはさながら、天空の劇場だった。南側には巨大な長方形によって縁取られた東京湾の風景がある。左右と真ん中に計三棟のタワーマンションが陣取り、そのあいだで辰巳運河の水が東京湾に注ぎ、東京ゲートブリッジの橋脚と出会って、「海の森」と名づけられた人工島の縁でしぶきを上げる様が見える。天気のいい日には対岸に広がる千葉の工業地帯とその先の山々まで望むことができた。海から来た風がこのコモンテラスを通過し、東京の内側へと抜けていく。北側にその風景が広がる。視界の半分は集合住宅で、残りの半分は青空だった。タワーマンションの陰に隠れて東京スカイツリーは確認できないが、豊洲のビル群が団地の上から頭を覗かせている。眼下にはこの団地を南北に貫くS字アベニューが伸び、一街区と二街区の人工地盤を繋ぐブリッジが横切っていて、長谷川浩己率いるオンサイト計画設計事務所によるランドスケープ・デザインの骨格が見て取れる。  さあ、公演が始まる。コモンテラスの中心に灰色の巨大な柱が伸びている。一三階の共用廊下の上に一四階の共用廊下が浮かんでいる。ガラス製のパネルには「CODAN  Shinonome」の文字が刻まれている。この空間の両側に、六つの部屋が立体的に配置されている。半分は一三階に属し、残りの半分は一四階に属しているのだった。したがって、壁にあしらわれたボーダー柄は緑から青へと遷移する。その色は、掃き出し窓の向こうに設えられた目隠しと防犯を兼ねた引き戸にも連続している。そう、六つの部屋はこのコモンテラスに向かって大きく開くことができた。少なくとも設計上は。引き戸を全開にすれば、六つの部屋の中身がすべて露わになる。それらの部屋の住人たちは観客なのではない。この劇場で物語を紡ぎ出す主役たちなのだった。両サイドに見える美しい風景もここではただの背景にすぎない。近田玲子によって計画された照明がこの空間そのものを照らすように上向きに取り付けられている。ただし、今はまだ点灯していない。わたしはたったひとりで幕が上がるのを待っている。だが、動きはない。戸は厳重に閉じられるか、採光のために数センチだけ開いているかだ。ひとつだけ開かれている戸があるが、レースカーテンで視界が完全に遮られ、窓際にはいくつかの段ボールと紙袋が無造作に積まれていた。風がこのコモンテラスを素通りしていく。
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 ほら、  幕は上がらないだろう、  お前はわかっていたはずだ、ここでは人と出会うことがないと。横浜のことを思い出してみろ。お前はかつて横浜の湾岸に住んでいた。住宅と事務所と店舗が街の中に混在し、近所の雑居ビルやカフェスペースで毎日のように文化的なイベントが催さ���ていて、お前はよくそういうところにふらっと行っていた。で、いくつかの重要な出会いを経験した。つけ加えるなら、そのあたりは山本理顕設計工場の所在地でもあった。だから、東雲に移るとき、お前はそういうものが垂直に立ち上がる様を思い描いていただろう。だが、どうだ?  あのアトリエと自宅は東京の空中にぽつんと浮かんでいるのではないか?  それも悪くない、とお前は言うかもしれない。物書きには都市の孤独な拠点が必要だったのだ、と。多くの人に会って濃密な取材をこなしたあと、ふと自分自身に戻ることができるアトリエを欲していたのだ、と。所詮自分は穴蔵の住人だし、たまに訪ねてくる仕事仲間や友人もいなくはない、と。実際、お前はここではマイノリティだった。ここの住民の大半は幼い子どもを連れた核家族だったし、大人たちのほとんどはこの住棟の外に職場があった。もちろん、二階のウッドデッキ沿いを中心にいくつかの仕事場は存在した。不動産屋、建築家や写真家のアトリエ、ネットショップのオフィス、アメリカのコンサルティング会社の連絡事務所、いくつかの謎の会社、秘かに行われている英会話教室や料理教室、かつては違法民泊らしきものもあった。だが、それもかすかな蠢きにすぎなかった。ほとんどの住民の仕事はどこか別の場所で行われていて、この一街区には活動が積み重ねられず、したがって文化は育たなかったのだ。周囲の住人は頻繁に入れ替わって、コミュニケーションも生まれなかった。お前のアトリエと自宅のまわりにある五軒のうち四軒の住人が、この四年間で入れ替わったのだった。隣人が去ったことにしばらく気づかないことすらあった。何週間か経って新しい住人が入り、透明な玄関ドアが黒い布で塞がれ、テラスに向いた戸が閉じられていくのを、お前は満足して見ていたか?  胸を抉られるような気持ちだったはずだ。  そうした状況にもかかわらず、お前はこの一街区を愛した。家というものにこれほどの帰属意識を持ったことはこれまでになかったはずだ。遠くの街から戻り、暗闇に浮かぶ格子状の光を見たとき、心底ほっとしたし、帰ってきたんだな、と感じただろう。なぜお前はこの一街区を愛したのか?  もちろん、第一には妻との生活が充実したものだったことが挙げられる。そもそも、ここに住むことを提案したのは妻のほうだった。四年前の春だ。「家で仕事をするんだったらここがいいんじゃない?」とお前の妻はあの奇妙な間取りが載った図面を示した。だから、お前が恵まれた環境にいたことは指摘されなければならない。だが、第二に挙げるべきはお前の本性だ。つまり、お前は現実のみに生きているのではない。お前の頭の中には常に想像の世界がある。そのレイヤーを現実に重ねることでようやく生きている。だから、お前はあのアトリエから見える現実に落胆しながら、この都市のような構造体の可能性を想像し続けた。簡単に言えば、この一街区はお前の想像力を搔き立てたのだ。  では、お前は想像の世界に満足したか?  そうではなかった。想像すればするほどに現実との溝は大きく深くなっていった。しばらく想像の世界にいたお前は、どこまでが現実だったのか見失いつつあるだろう。それはとても危険なことだ。だから確認しよう。お前が住む東雲キャナルコートCODAN一街区には四二〇戸の住宅があるが、それはかつて日本住宅公団であり、住宅・都市整備公団であり、都市基盤整備公団であって、今の独立行政法人都市再生機構、つまりURが供給してきた一五〇万戸以上の住宅の中でも特異なものだった。お前が言うようにそれは都市を構築することが目指された。ところが、そこには公団の亡霊としか言い表しようのない矛盾が内包されていた。たとえば、当時の都市基盤整備公団は四二〇戸のうちの三七八戸を一般の住宅にしようとした。だが、設計者の山本理顕は表面上はそれに応じながら、実際には大半の住戸にアトリエや事務所やギャラリーを実装できる仕掛けを忍ばせたのだ。玄関や壁は透明で、仕事場にできる開放的なスペースが用意された。間取りはありとあらゆる活動を受け入れるべく多種多様で、メゾネットやアネックスつきの部屋も存在した。で、実際にそれは東雲の地に建った。それは現実のものとなったのだった。だが、実はここで世界が分岐した。公団およびのちのURは、例の三七八戸を結局、一般の住宅として貸し出した。したがって大半の住戸では、アトリエはまだしも、事務所やギャラリーは現実的に不可だった。ほかに「在宅ワーク型住宅」と呼ばれる部屋が三二戸あるが、不特定多数が出入りしたり、従業員を雇って行ったりする業務は不可とされたし、そもそも、家で仕事をしない人が普通に借りることもできた。残るは「SOHO住宅」だ。これは確かに事務所やギャラリーとして使うことができる部屋だが、ウッドデッキ沿いの一〇戸にすぎなかった。  結果、この一街区は集合住宅へと回帰した。これがお前の立っている現実だ。都市として運営されていないのだから、都市にならないのは当然の帰結だ。もちろん、ゲリラ的に別の使い方をすることは可能だろう。ここにはそういう人間たちも確かにいる。お前も含めて。だが、お前はもうすぐここから去るのだろう?  こうしてまたひとり、都市を望む者が消えていく。二つの世界はさらに乖離する。まあ、ここではよくあることだ。ブリューゲルの「バベルの塔」、あの絵の中にお前の姿を認めることはできなくなる。  とはいえ、心配は無用だ。誰もそのことに気づかないから。おれだけがそれを知っている。おれは別の場所からそれを見ている。ここでは、永遠の未来都市は循環を脱して都市へと移行した。いずれにせよ、お前が立つ現実とは別世界の話だがな。
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 実際、人には出会わなかった。一四階から二階へ、階段を使ってすべてのフロアを歩いたが、誰とも顔を合わせることはなかった。その間、ずっとあの声が頭の中に響いていた。うるさいな、せっかくひとりで静かに散歩しているのに、と文句を言おうかとも考えたが、やめた。あの声の正体はわからない。どのようにして聞こえているのかもはっきりしない。ただ、ふと何かを諦めようとしたとき、周波数が突然合うような感じで、周囲の雑音が消え、かわりにあの声が聞こえてくる。こちらが応答すれば会話ができるが、黙っていると勝手に喋って、勝手に切り上げてしまう。あまり考えたくなかったことを矢継ぎ早に投げかけてくるので、面倒なときもあるが、重要なヒントをくれもするのだ。  あの声が聞こえていることを除くと、いつもの散歩道だった。まず一三階のコモンテラスの脇にある階段で一四階に上り、一一号棟の共用廊下を東から西へ一直線に歩き、右折して一〇メートルほどの渡り廊下を辿り、一二号棟に到達する。南から北へ一二号棟を踏破すると、エレベーターホールの脇にある階段で一三階に下り、あらためて一三階の共用廊下を歩く。以下同様に、二階まで辿っていく。その間、各階の壁にあしらわれたボーダー柄は青、緑、黄緑、黄、橙、赤、紫、青、緑、黄緑、黄、橙、赤と遷移する。二階に到達したら、人工地盤上のウッドデッキをめぐりながら島のように浮かぶ一三号棟へと移動する。その際、人工地盤に空いた長方形の穴から、地上レベルの駐車場や学童クラブ、子ども写真館の様子が目に入る。一三号棟は一〇階建てで共用廊下も短いので踏破するのにそれほど時間はかからない。二階には集会所があり、住宅は三階から始まる。橙、黄、黄緑、緑、青、紫、赤、橙。  この旅では風景がさまざまに変化する。フロアごとにあしらわれた色については既に述べた。ほかにも、二〇〇もの透明な玄関ドアが住人の個性を露わにする。たとえば、入ってすぐのところに大きなテーブルが置かれた部屋。子どもがつくったと思しき切り絵と人気ユーチューバーのステッカーが浮かぶ部屋。玄関に置かれた飾り棚に仏像や陶器が並べられた部屋。家の一部が透けて見える。とはいえ、透明な玄関ドアの四割近くは完全に閉じられている。ただし、そのやり方にも個性は現れる。たとえば、白い紙で雑に塞がれた玄関ドア。一面が英字新聞で覆われた玄関ドア。鏡面シートが一分の隙もなく貼りつけられた玄関ドア。そうした玄関ドアが共用廊下の両側に現れては消えていく。ときどき、外に向かって開かれた空洞に出会う。この一街区には東西南北に合わせて三六の空洞がある。そのうち、隣接する住戸が占有する空洞はプライベートテラスと呼ばれる。わたしのアトリエに面したテラスがそれだ。部屋からテラスに向かって戸を開くことができるが、ほとんどの戸は閉じられたうえ、テラスは物置になっている。たとえば、山のような箱。不要になった椅子やテーブル。何かを覆う青いビニールシート。その先に広がるこの団地の風景はどこか殺伐としている。一方、共用廊下の両側に広がる空洞、つまりコモンテラスには物が置かれることはないが、テラスに面したほとんどの戸はやはり、閉じられている。ただし、閉じられたボーダー柄の戸とガラスとの間に、その部屋の個性を示すものが置かれることがある。たとえば、黄緑色のボーダー柄を背景としたいくつかの油絵。黄色のボーダー柄の海を漂う古代の船の模型。橙色のボーダー柄と調和する黄色いサーフボードと高波を警告する看板のレプリカ。何かが始まりそうな予感はある。今にも幕が上がりそうな。だが、コモンテラスはいつも無言だった。ある柱の側面にこう書かれている。「コモンテラスで騒ぐこと禁止」と。なるほど、無言でいなければならないわけか。都市として運営されていない、とあの声は言った。  長いあいだ、わたしはこの一街区をさまよっていた。街区の外には出なかった。そろそろアトリエに戻らないとな、と思いながら歩き続けた。その距離と時間は日課の域をとうに超えていて、あの循環を逸脱しつつあった。アトリエに戻ったら、わたしはこのことについて書くだろう。今や、すべての風景は書き留められる。見過ごされてきたものの言語化が行われる。そうしたものが、気の遠くなるほど長いあいだ、連綿と積み重ねられなければ、文化は発生しない。ほら、見えるだろう?  一一号棟と一二号棟とを繋ぐ渡り廊下の上から、東京都心の風景が確認できる。東雲運河の向こうに豊洲市場とレインボーブリッジがあり、遥か遠くに真っ赤に染まった富士山があって、そのあいだの土地に超高層ビルがびっしりと生えている。都市は、瀕死だった。炎は上がっていないが、息も絶え絶えだった。密集すればするほど人々は分断されるのだ。
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 まあいい。そろそろ帰ろう。陽光は地平線の彼方へと姿を消し、かわりに闇が、濃紺から黒へと変化を遂げながらこの街に降りた。もうじき妻が都心の職場から戻るだろう。今日は有楽町のもつ鍋屋で持ち帰りのセットを買ってきてくれるはずだ。有楽町線の有楽町駅から辰巳駅まで地下鉄で移動し、辰巳桜橋を渡ってここまでたどり着く。それまでに締めに投入する飯を炊いておきたい。  わたしは一二号棟一二階のコモンテラスにいる。ここから右斜め先に一一号棟の北側の面が見える。コンクリートで縁取られた四角形が規則正しく並び、ところどころに色とりどりの空洞が光を放っている。緑と青に光る空洞がわたしのアトリエの左隣にあり、黄と黄緑に光る空洞がわたしの自宅のリビング・ダイニングおよびベッドルームの真下にある。家々の窓がひとつ、ひとつと、琥珀色に輝き始めた。そのときだ。わたしのアトリエの明かりが点灯した。妻ではなかった。まだ妻が戻る時間ではないし、そもそも妻は自宅用の玄関ドアから戻る。闇の中に、机とそこに座る人の姿が浮かんでいる。鉄格子とガラス越しだからはっきりしないが、たぶん……男だ。男は机に向かって何かを書いているらしい。テラスから身を乗り出してそれを見る。それは、わたしだった。いつものアトリエで文章を書くわたしだ。だが、何かが違っている。男の手元にはMacがなかった。机の上にあるのは原稿用紙だった。男はそこに万年筆で文字を書き入れ、原稿の束が次々と積み上げられていく。それでわたしは悟った。
 あんたは、もうひとつの世界にいるんだな。  どうかな、  で、さまざまに見逃されてきたものを書き連ねてきたんだろう?  そうだな。
 もうひとりのわたしは立ち上がって、掃き出し窓の近くに寄り、コモンテラスの縁にいるこのわたしに向かって右手を振ってみせた。こっちへ来いよ、と言っているのか、もう行けよ、と言っているのか、どちらとも取れるような、妙に間の抜けた仕草で。
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