1012自分をはげます
制作活動に限らず、なにかを考えたり、じっと観察することをやりすぎて、それがクセになってしまうということは、「いじわるな人間になる」ということと非常によく似ていると思う。悪意をもって積極的に人を攻撃するような「いじわるな人間」とは違うにしても、常に一定の距離を保って、なにか対象について冷めた視線を自覚的に、意識的に持ち続けるよう自分を調教した人間が、しかも視座が多ければ多いほうがよかろうという批判精神を大切にしてさえいる。……このようにして、「いじわる」という言葉の響きの幼さ、素朴さにむしろ肯定的なにおいを嗅ぎつけたうえで、そのうえでいいますが、観察癖のある人間のいじわるさはすてきだし、いじわるな作品に出会うとうれしい。ソフィ・カルとかやばない?
(五年前に拾った手紙)
そうそう、ソフィ・カルに限らず、写真をつかったアート作品はなにかと、「絵画」とか「カメラ」の構造や制度について自己言及的・自己批判的・メタ的なふるまいをすることが多い。(ジェフ・ウォールかっこいい)メタ的な視点を持つこと(それをこうしてピックアップしちゃう注意力が身についていること)は、コーゾーシュギっちゅう時代の趨勢の残響のなかに生きているからこそかもしれんし、まあ平たくいってそういう視点にすぐ立てる身のこなしを得意とする人のこと「頭がいい」なんて表現したりするけど、ともかく、「メタ視点」への移動を可能にするのも「いじわるさ」な気がする。「ある種のいじわるさ」じゃなくて、むしろそれこそが「いじわるさ」のど真ん中な気がする。
「気がする」連呼しているのは「いじわるさ」への自信がないからで、それは裏を返せば、「いじわるになりたい」って考えているって話。いじわるになりたいし、いたずら、迷惑行為や犯罪行為、意味や主張のあることではなく、いたずら、がしたい。とは思うんだけど、「自分なりの条件にあてはまるいたずら行為をやりたい、というのがまず先にある」状態でなにをしても、それは「自分なりの条件」からはずれてしまう。いたずらができない。
蛭子能収さんが、単行本のタイトルを相談した編集者の提案「私はバカになりたい」を「まるでオイが天才みたいやからいいね」つっておおよろこびしたて話を思い出しましたけど、わたしはね、いじわるになりたいなあ、いじわるになりたい。意地が悪くなってみたいもんだよ。
わたしは嫌いなやつを自作の小説のなかに登場させ、そいつを殺したことがあるんですが、そういえば蛭子能収さんも、学歴の自慢をしてきた編集者を漫画に登場させて殺していた。これはこの記事を書いていて思い出したこと。蛭子さんと共通点が複数あること、あまりうれしくない。(漫画は好き)
さて前回の記事の最後に書いていた、友人と中華街を歩いた話から続けて日記を書きます。
彼は甥っ子がとにかく大好きで、仕事帰りにはいつも甥っ子の動画像をみたいのだけど、電車のなかでみてしまうとニコニコのニヤニヤになってしまうからそれが恥ずかしくて悩んでいる。ところがこの半年以上、甥っ子に会えていない。ということを、ほんとうにさみしそうにそう語る。「小さい子の半年は長いからね、もう忘れられてるかもね、誰にでもなつっこい時期や、誰にでも人見知りする時期が子供にはあるというし、いま会いに行っても相手してくれないかもね」追い打ちをかけておれは、ニコニコのニヤニヤでいじめます。数日後、連休を見つけた彼は突発的に帰省していました。「久々の甥っ子どうだった?忘れられてなかった?」と訊いたら、「そんなことはなかった!」とうれしそう。久しぶりのおじさんによろこんでくれた甥っ子に「絵本読んで!!!」とねだられて、いいよいいよって応えたら、甥っ子の持ってきたのはおもちゃのカタログだったそうです。トミカが欲しいらしい。それか仮面ライダーのなにか。このおじちゃんは甥っ子にはなんでも買ってしまう。甥っ子はそれをわかっている。話すテンポはゆっくりじゃないけど、「かわいい」という言葉だけすごくタメて言う(〇〇は〇〇ですよね、〇〇だったりして〇〇って〇〇じゃない? 〇〇みたい。ははっ、か~~~わ~~~い~~~い~~~~~)人だから、甥っ子の話のときは滞空時間が増える。
その友人、もちろん好きですけど、どこが好きかというと、きちんとしていなくても構わないっていう部分については徹底的にぼんやりしているところ。めちゃくちゃ隙がある。見た目はむしろちょっといかついくらいなはずなのだけど、ひとりで都心にでると四回に一回は必ず宗教勧誘を受ける。それでも善人なので、たとえばちょっと困ってそうな人がいると自分から声をかけて手助けすることもある。夏には、新宿で荷物を運んであげたおじいさんから日本酒が二瓶送られてきていた。けどそんな「いい話」はとても珍しく、たいていは何らかの勧誘につながっている。みなさん!都心で急に「このへんで、いいラーメン屋知りませんか?」と話しかけられたら要注意ですよ。
赤レンガ倉庫でビールをあけて、「このあいだ話」に興じます。彼の鼻の穴に血の乾いたあとがあるのを見つけました。今朝がた鼻血をだしたのかもしれない。
ワールドポーターズをぬけてコスモワールドの方向へ。固有名詞というか、ローカル名詞ばっかですみません、桜木町駅にむかって移動しているということです。ワールドポーターズっていうのはショッピングモールで、丸見えになるポイントがあるとは知らないんであろう場所でそこそこの年齢の男女が、エレベーターを待っているにしてはやりすぎなスキンシップをしているさまをふたり見下ろして、ちょっとひいたあと、露出狂というか、野外で性的な行為に及ぶ自分を人に見て欲しいというタイプの人がインターネット上にアップロードしていた、横浜の夜景をバックにはしたない姿になっている自分自身の写真がかなりきれいな写真で、画質もそうだが横浜の夜景がきれいで、あまりの美しさに笑ってしまった、みたいな話をしていました。ビールはあけたけどお互いひと缶ずつだけだし、とっても穏やかな調子で話しています。「おもしろ」になるかと思って書いているだけですが、この話の強烈さが印象つよくて、ほかの話題は思い出せないな。僕はそのとき、去年末にまた別の友人とワールドポーターズ通り抜けてたときのことを思い出したりしていた。そのときは、椎名林檎の文体はほかの人がつかうとクソ寒くなるよねって話をした。その話をしているとき、わたしは「無罪モラトリアム」のバンドスコアの質感を思い出していた。それから、カラオケで福山雅治をいれる人がきらい、みたいなことを(話し相手が)していた。大森靖子さんやパフュームやあいみょんの話がされていた気がします。これはなんの伏線でもない。
時空を戻す。甥っ子大好きぼんやり人間の彼と歩く横浜、桜木町駅の近く、「日本丸(日本丸メモリアルパーク)」のところでアイドルっぽい人らが握手会っぽいことをしていた。ファンっぽい人たちが群れてたので近寄ってみたけど、ポスターのひとつも掲示されていない。あとで「横浜 握手会」などでツイッターを検索したら、NON STYLEみたいな名前のアイドルさんらが握手会してたみたい。
それを見送って道を渡ると、ショッピングビルの中庭的広場で大道芸人が「最後の大技」をしていました。机や椅子を重ねた上に立ち、火を飲んだりしていました。
横浜美術館の外観(トリエンナーレ仕様になっている)すらみずにランドマークタワーのあたりのビルにはいる。ジェラート屋さんの列で子供が走りまわる。彼はハンディアイロンと一般的なアイロンと、両方持っているがあまり使わない。今日着ているディーゼルの上着にはアイロンをかけている。高かったから。彼は翌日の予定を面倒がる。忙しさの波が激しい職場で、かなりヒマなとき机に突っ伏して寝る先輩がいる。「海上散歩」を読み間違えて「陸上散歩一時間800円だって」と看板を音読する。桜木町駅前を、彼は写真に撮る。兄が「ゆず」のファンだから、ゆずの聖地に立ち寄ったという自慢をしたいらしい。けれど、駅を知っている人はわかると思うが桜木町駅前って別に写真に撮ってわかりやすいような感じじゃない。桜木町駅にきたことのない人が写真だけぱっとみて「あ!あそこね!」ってなるようなものじゃない。まあ、わたしの知ったことではない。
以上のように事細かに、「話題はなんであったか」「どのような言い間違いがあったか」「どのような仕草があったか」「そのとき、なにを思い出していたか」などを書き留めてしまうのは、自分がなんらかの時間を過ごしたという歯ごたえに「この人と一緒にどこどこにいきました」という情報だけでは不満足が残るからだ。はっきりくっきり、どうでもいい情報をこそ記しておかなければならない。という焦りを持っているためです。とはいえ、律儀に書き残すことを近年ほとんどしていないのだけど。相手のプロフィールなど、つまり出身地や家族構成、勉強していたことや部活について、あるいは恋愛歴や読書歴は、なるべくメモするようにしている。見返すこともないのだけど。
桜木町から乗る電車はそのまんま和光市までゆく、東横線と副都心線のつながったやつ。車内で彼は、甥っ子が遊園地の、パンダの乗り物に乗っている動画をみてニコニコしています。わたしは、NON STYLEが好きという彼のその振る舞いをみながら、姪っ子のことになると涙腺がもろくなりすぎてしまうオードリーの春日さんのことを連想していました。
わたしはいま、映像作品をふたつ作っています。そのうちのひとつは、さまざまな人へインタビュー取材をさせていただき、収集したものを編集する、というもの。この制作のためのインタビューを撮らせていただくため、中華街の翌日、出演者の人に会いに行きました。場所は自由が丘です。ロケ場所が自由が丘であるということがわかるショットが欲しかったのですが、駅前では謎のイベントをしており、この音がうるさい。だから駅前を撮影しても都合が悪い。八代亜紀さんの新曲が云々、という声が聞こえたので一瞬、「え!八代亜紀さんがきているの!??うそ??」と期待しましたが、うそでした。駅前で、電波にのせずにラジオをやっているような状態。大音量でただ曲を流す。曲と曲の間に司会者によるトークがはいる。「去年は誰々さんをスペシャルゲストとして呼ばせていただいておりました!しかし台風のために中止になりました。それで、フィナーレを迎えることができませんでした!それでは次の曲です!」つって阿部真央的な感じの曲が鳴り響いていました。
AマッソのTシャツを着た出演者からたっぷりインタビューを搾りだし、小雨から逃げつつオムライスを食べて夜に解散。どのようなことをして、どのような話を聞いたのか、これは作品に関わることですしあまり書きませんが、それはそうとこの「作品」をどうしたものか。発表のアテがないのでふわふわ、はらはら、しています。この映像はいったいなんなのか。
しかしこの週末の日曜日にも、やはり同じ作品のためのインタビュー撮影を行った。ZOOMを利用しての録画です。というか、出演者8名のなか、7名はZOOMでの録画であります。自由が丘までロケしにいったのはかなり特別なシーン。背景や、写っているひとの胴体が動く映像が欲しかったのです、ZOOM録画映像だけだと視覚的にあまりに単調なのでね。とはいえこの日曜の録画は特別であった。なぜならインタビュー出演者は映像制作に携わっている人だから知識がある、それ以上に、部屋に機材がある。ほんでもってバッキバキにキマった画面になるってえワケ。
発表のあてのない作品制作を重ね、僻みでしかない被害妄想を膨らませ、自分の制作活動を呪いつつ、まあどうせいつか死ぬからいっか、と自分に言い聞かせてすごしています。ほんとうは金沢21世紀美術館に展覧会をみにいった話まで書きたかったんだけど分量的にこれでおしまい。お元気で。
4 notes
·
View notes
仕事場で死にたかった・・
水道橋博士のメルマ旬報』過去の傑作選シリーズ~川野将一ラジオブロス 永六輔『六輔七転八倒九十分』~
芸人・水道橋博士が編集長を務める、たぶん日本最大のメールマガジン『水道橋博士のメルマ旬報』。
突然ですが、過去の傑作選企画として、今回は2016年7月10日配信『水道橋博士のメルマ旬報』Vol89 に掲載の川野将一さん ラジオブロス「Listen.64 永六輔『六輔七転八倒九十分』(TBSラジオ)」を無料公開させていただきます。
本原稿は、川野さんが永六輔氏の番組終了に伴って執筆し、死去の報道の前日に配信したものです。
是非、一人でも多くの人に読んでいただければと思っています。
(水道橋博士のメルマ旬報 編集/原カントくん)
以下、『水道橋博士のメルマ旬報』Vol89 (2016年7月10日発行)より一部抜粋〜
川野将一『ラジオブロス』
-----------------------------------------------------------◇
Listen.64 永六輔『六輔七転八倒九十分』(TBSラジオ)
( 2015年9月28日〜2016年6月27日 毎週月曜 18:00〜19:30 放送 )
【訃報】「永六輔、ラジオ生放送中に大往生」
昨日午後7時20分過ぎ、TBSラジオ『六輔七転八倒九十分』の生放送中に
パーソナリティの永六輔氏(本名・永孝雄)が東京都港区赤坂のTBSのスタジオで
亡くなった。先週までの1か月間は体調を崩し番組を休んでいたが、昨日は病院の
診察を受けてから娘の永麻理さんとともに参加した。しかし、番組後半のコーナー
「六輔交遊録 ご隠居長屋」で永氏の反応が全くないことに出演者のはぶ三太郎が気付き、
一同が呼びかけ救急医も駆け付けたがそのまま息を引き取った。永氏の最後の言葉は、
外山惠理アナウンサーに対して言い間違えた「長峰さん」だった。享年83。
本人が望んでいた最期とは、例えばこんな感じだったのだろうか。
1994年出版、200万部を売り上げたベストセラー『大往生』の最後に自分への弔辞を書き、
1969年放送の『パック・イン・ミュージック』(TBSラジオ)では旅先のニューギニアから
帰国できなくなったアクシデントを逆手に、"永六輔、ニューギニアで人喰い人種に喰われる!"
という番組を放送し、各メディアが巻き込まれた騒動の大きさから警察にも怒られた。
これまで度々、自らの「死」をネタにしてきた偉大なるラジオの巨人ではあるが、
冷静に考えれば生放送中に亡くなることは、机の下のキックやマイクで殴ることよりも悪質である。
しかし、冠番組を失った今、その有り難いいやがらせを受けるチャンスもなくなった。
1967年から2013年まで、平日の10分間、46年間続いた『永六輔の誰かとどこかで』。
1970年から1975年まで、毎週土曜日6時間半放送された『永六輔の土曜ワイドラジオTokyo』。
1991年から2015年まで、24年半続いた『土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界』。
さらに1969年から1971年の間の土曜深夜は『パック・イン・ミュージック』も担当し、
1964年から2008年放送の『全国こども電話相談室』では回答者としても活躍。
子供に向け、若者に向け、高齢者に向け、ある時期のTBSラジオとは「永六輔」のことだった。
重要なポイントは生放送の番組はすべて週末に固めていたことである。
「放送の仕事をするならスタジオでものを考えてはいけない。
電波の飛んでゆく先で話を聞いて、そこで考えてスタジオに戻ってくるべきだ」
ラジオパーソナリティの仕事を始めた時、恩師の民俗学者・宮本常一に言われたことをずっと守り、
平日は全国各地へ。1年のうち200日は旅の空。久しぶりに家に帰ると「いらっしゃいませ」と
迎えられるのが常だった。1970年から始まって今も続く、永とは公私ともに長い付き合いである
『話の特集』元編集長の矢崎泰久が初代プロデューサーを務め、自身がテーマソングを作詞した
紀行テレビ番組『遠くへ行きたい』(日本テレビ系)もそのスピリッツを受け継いだものだった。
いつも、自分で足を運び、自分の目で見て、自分の耳で聞いたことが、その口から伝えられてきた。
だからこそ、かつてのように自らの足で自由に出かけられなくなったとき、
自らの口からはっきりとした言葉で伝えられなくなったとき、激しく悔やんだ。
2010年、パーキンソン病が確認された永は「ラジオを辞める」ことを考えた。
だが、ラジオ界の盟友である小沢昭一に相談すると、激しく鼓舞された。
小沢「やめんな!絶対やめんな!しゃべらなくていい!ラジオのスタジオにいればいいんだ!」
病とともに生きる永が自分を奮い立たせる意味も込めて度々披露するエピソード。
改めて、放送とはその場の"空気"を伝えること=「ON AIR」であることを再確認した。
2015年9月26日、
永はリハビリと闘いながら、放送局は聴き取りにくいという一部リスナーの批判とも闘いながら
24年半続けてきた番組『土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界』が最終回を迎えた。
永の口から語られたのは、出かけた旅先と思い出と、出かけられなかった悔しさだった。
永「東北の地震で未だふるさとに帰れない人が多い。
デモには僕の仲間もいっぱい歩いてるんで気にはなっていた。
だけど、車椅子でああいうところに行くとものすごく迷惑になる。皆が気を使ってしまう」
1960年、日米安保条約に対して、永は大江健三郎や谷川俊太郎など、
同世代の作家や芸術家たちと「若い日本の会」を結成し反対運動をおこしていた。
当時、国会議事堂近くにアパートを借り部屋でテレビの台本を書いていた永は、
「部屋にこもって仕事をしている場合か」と国会前に駆け付け仲間達のデモに合流した。
台本がなかなか届かず待っていたテレビ局の担当者は、さては?と国会前に探しに来た。
見つかった永は「安保と番組、どっちが大事なんだ!」と問われ「安保です」と即答し、
構成を担当していた日本テレビの番組『光子の窓』(日テレ系)をクビになった。
2016年4月〜6月に放送された、黒柳徹子の自伝エッセーを原作としたNHK総合ドラマ
『トットてれび』。そのなかで角刈り姿の若き永六輔を演じたのが新井浩文だった。
1961年〜1966年に放送されたNHK初期のバラエティの代表作『夢であいましょう』を再現した
シーンにおいて、錦戸亮演じる坂本九が「上を向いて歩こう」を歌うや、永は怒号を飛ばした。
「なんだその歌い方は!ふざけてるのか君は!
♪フヘフォムウイテ アルコフホウ〜、そんな歌詞書いた覚えないよ!」
永六輔が作詞し、中村八大が作曲し、坂本九が歌う。
「六八九トリオ」によって誕生し、同番組では「SUKIYAKI」のタイトルで広まったとおり、
すき焼きを食べながら進行する特集も組まれた、世界的大ヒット曲「上を向いて歩こう」。
だが、そのロカビリー少年の歌い方は、千鳥風にいうと"クセがすごい"もので、
当時、作詞した永が頭に来ていたのも事実だった。
永「僕ね、自慢じゃないけど、テレビのレギュラーで番組が終了になるまで続いたのは、
『夢で逢いましょう』くらいなんです。それ以外はだいたいケンカして辞めている」
『創』2009年5月号の矢崎泰久との「ぢぢ放談」で披露された永の"自慢話"。
1956年、コント・シナリオの制作集団「冗談工房」の同じメンバーで、
2015年12月9日に亡くなるまで、永のラジオ番組に手紙を送り続けた野坂昭如。
パーティーでの大島渚との大立ち回り動画でもよく知られるそのケンカっぱやさは、
実は永六輔も持ち合わせ、2013年6月の『たかじんNOマネー』(テレビ大阪)での
水道橋博士にも受け継がれている、生放送での途中降板も常習となっていた。
1968年、木島則夫の後を引き継ぎ『モーニングショー』(テレ朝系)の司会に抜擢された
永は「僕は旅するのが好きだから」と急遽司会を断り全国を駆け巡るレポーターに変更。
番組第1回は北海道の中継先からオープニグの第一声を任されていたが、アクシデントで番組は
スタジオから開始。ずっと雪の中で待っていた永はそのままマイクを放り投げて帰ってしまった。
1994年放送の『こんにちは2時』(テレ朝系)。
自身の著書『大往生』の宣伝はしないと取り決め出演オファーを受けたものの、
当日の新聞番組欄には「永六輔・大往生、死に方教えます!」と載っていた。
文句を言ったところ、冒頭で新聞に掲載されていた内容と異なることを説明するとして
出演したが、結局断りがないまま進行し「皆さんでやってください」と退場した。
「今行けば自分が先頭に立てる」と思い夢を持って始めた開局当時からのテレビの仕事。
構成作家として台本を書き、出演者としてしゃべりまくり、小説家の"シバレン"こと
柴田錬三郎から「テレビの寄生虫」と呼ばれながらも「何が悪い」と続けていたが、
我がままに嫌われるような行為を連発し、自ら発展の基礎を作ったテレビ界を撤退した。
以降、たまに出る度「テレビに出られて良かったですね」と言われることをネタにしている。
度々本人の口から語られるテレビ界の問題として「関わる人が多すぎる」ことがある。
責任の所在がはっきりせず、企画の趣旨がねじまがり、連絡ミスなども誘発しやすい。
裏方と出役の両方を体験する永の意見は現在においても的確で、優れているとされる
人気番組は、内容はもちろんだが、その目に見えない部分の環境の良さを聞くことも多い。
パーキンソン病の先輩、マイケル・J・フォックスが主演する、
1989年公開映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2』。
そこで描かれた未来の舞台、2015年10月、
日本では永遠に続くと思われたラジオの未来が書き換えられた。
土曜日午前の4時間半の番組から、月曜日夕方1時間半の番組へ。
四半世紀続いた長寿番組の重荷を降ろし、2015年9月28日から新番組がスタートした。
47歳の永がタモリとともに『ばらえてぃ テレビファソラシド』(NHK総合)に出演していた頃、
1981年9月11日、東京・渋谷ジャンジャンで行われたときのイベント名は、
『六輔七転八倒九時間しゃべりっぱなし』だったが、ラジオ新番組のタイトルは
『六輔七転八倒九十分』。それでももちろん"しゃべりっぱなし"というわけにはいかない。
「パーキンソン病のキーパーソン」。
永は自身の病気の回復力について語る時、いつもそのように笑いを交えて伝えている。
それが議論の的になっているのは新番組が始まってからも変わらなかった。
『誰かとどこかで』で「七円の唄」というリスナー投稿コーナーが設けられていたように、
ハガキ1通7円の時代から始まった永六輔のラジオ番組の歴史。
今は52円となったハガキで、時にパーソナリティへの抗議が寄せられるのが切ない。
「病気の話を笑いながらしないで」「病気を楽しそうに話さないで下さい」...。
番組はいろんな病気を抱えている人が聴いている。だが、それを納得しながらも、
「楽しくしちゃったほうがいい、どうせ話をするなら」という姿勢を永は貫いている。
事実、永六輔には「すべらない"病気の"話」が多すぎる。その特選2話。
第1話「ジャカルタの留学生」。
リハビリの勉強のため日本に来ていたインドネシア・ジャカルタの留学生。
永の担当に付いた彼は「姿勢を良くして下を見ないで歩きましょう」と歩き方を指導し、
「日本にはいい歌があります。『上を向いて歩こう』って知っていますか?」と聞いた。
永が嘘をついて「知らない」と返すと、歌うジャカルタの留学生に付いて病院内を歩くことになり、
全ての医者や患者から注目を浴びることに。日本の先生に事態を説明すると、
「真面目に勉強をしに来ている若者に嘘を付かないでください」と注意され、
留学生に実は歌を知っていたことを打ち明け、「知っているのは僕は作ったからです」と言うと、
ジャカルタの留学生は、「あー、また嘘ついてる!」。
第2話「タクシーの事故」。
ある日、永が新宿からタクシーに乗ると別にタクシーに衝突される事故を起こす。
左肩打撲など全治三週間の大怪我を負いながらも、事故直後の警察からの質問に、
名前も住所もサラリと答える永六輔。救急車に乗っても救急隊員の真似をして「出発!」と言い、
慶応病院に受け入れを断られると、「こないだ、大学野球で早稲田が慶応に勝っちゃったから?」
とおどけまくる。そこで冷静になって気づいたのが、自分がパーキンソン病の患者であること。
それまでろれつが回らなくて困っていたのに、事故を受けてから流暢にしゃべっている自分。
そこから子供のころ、調子が悪いとき刺激を与え感度を良くしようとして、
それをひっぱたいていたことを思い出した。「俺はラジオかよ!」。
『六輔七転八倒九十分』になって放送時間は短くなったが
"放送時刻"が夕方になったことにより「声が出やすい」という吉を招いた。
だが、本人の"調子の良さ"と"呂律の良さ"が比例しないのがパーキンソン病の
やっかいなところで、本人がうまく話せていると思っていてもそうではない時がある。
永「僕は今、携帯を左手に持ちました」
「はい、今、下から上へ、フタを開けました。で?」
家族の安心、自身の安全のために無理矢理持たされた携帯電話。
2012年、『誰かとどこかで』で話題となった、遠藤泰子が特別講師を務めた、
79歳で挑戦する「世界一やさしい携帯電話の掛け方講座」シリーズ。
手紙を愛する永の文明・文化の進化に対する嫌悪はよく知られているが、
テクノロジーの発展のなかには、リスナーのために改善されたラジオの技術もある。
「永さん、声は技術でなんとかしますから大丈夫です」。
パーキンソン病を公表してからインタビューを受けた「東京人」2011年3月号で、
永六輔の「声」をオンエアしていくために検討されたスタッフとのやりとりを明かしている。
スタッフから知らされたその技術は、その場で発せられた声を5つに分割し、
その中で一番聴こえやすい音域だけを活かして、その他の聴こえづらい音域は消す。
アナログのレコードがデジタルのCDに変わるようなその提案を、永は丁重に断った。
永「その声は僕らしくない」
「だったら何言ってるかわかんなくていい」
何の言葉を言っているかではなく、その言葉をどのように伝えているのか。
ここに"活字"とは異なる、"音声"の「言葉」に対する永のこだわりがよくみえる。
それを象徴するような一曲がある。
「逢いたい」 作詞・永六輔、作曲・樋口雄右、編曲・久米由基
逢いたい 逢いたい 逢いたい 逢いたい
逢いたい 逢いたい 逢いたい 逢いたい
逢いたい 逢いたい 逢いたい
逢いたい 逢いたい
逢いたい 逢いたい 逢いたい
逢いたい 逢いたい
逢いたい 逢いたい 逢いたい
逢いたい 逢いたい
逢いたい
逢いたい 逢いたい 逢いたい 逢いたい
逢いたい 逢いたい 逢いたい 逢いたい
逢いたい 逢いたい 逢いたい
逢いたい 逢いたい
逢いたい 逢いたい 逢いたい
逢いたい 逢いたい ・・・
『土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界』で人気を博したコーナー
「あの人に逢いたい」で流されていた、ただ「逢いたい」という言葉が72回繰り返される曲。
同じ言葉がイントネーションによって変わり様々な物語を想像させるこの曲を、
言葉がひとつしか出てこないことを理由に、音楽著作権協会は「作詞」とは認めなかった。
2001年出版『永六輔の芸人と遊ぶ』のなかで永六輔は誓っている。
「話し言葉だから伝わるニュアンスが無視される危険性があります。
僕はそれを阻止するためにも、この『逢いたい』の著作権を認めさせてみようと思っています」。
永「ラジオは嘘を付けない」
永から直に聞いた、しゃべりで真実が見抜かれてしまうラジオの���さを
常に肝にめいじマイクに向かっている芸人に、カンニング竹山がいる。
鈴木おさむが構成&演出を務める竹山の定期単独ライブ『放送禁止』。
その2013年版は「お金とは?」をテーマに、1年間365日、毎日違う1人に
「あなたの幸せと思う事に使ってください」と1万円を渡し続ける記録の講演だった。
その中で「1万円渡す時に最も緊張した人」の第1位に挙げていたのが永六輔だった。
1万円を渡すチャンスは『土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界』。
竹山がゲスト出演した時のCMタイム中の2分間に限られていた。
外山惠理は竹山とは当時放送されていた『ニュース探究ラジオ DIG』で
コンビを組んでいるため、最悪フォローには回ってくれる。
だが、スタッフの懸念は、企画の趣旨を永が2分間で理解してくれるかにあった。
しかし、永六輔の反応はそこにいる全員の予想を裏切った。
永「あのねー、それ、おんなじこと、僕やってたよ。昭和30年代終わりか40年代かな。
1年お金配り続けたら面白いねーって言って、1000円配り続けた」
芸人の先輩として竹山の予想を出し抜き、
放送作家の先輩として鈴木おさむを陵駕する反応。
負けず嫌いなところを含めて、永六輔は現役感を剥きだしにして1万円を受け取った。
筆者が観覧した回、当の永六輔が東京・博品館劇場の観覧席にいた。
外山惠理の手を借りそろろそろりと退場していく様子を、観客一同が拝むように見送っていた。
2016年1月31日『ピーコ シャンソン&トーク 我が心の歌』
ゲスト:永六輔(体調がよろしければご出演)
2016年4月17日『松島トモ子コンサート』
ゲスト:永六輔(当日の体調が良ければ出演予定)
いつの頃からか、演芸ライブの会場には、
永六輔の断り書き付きのゲスト出演を知らせるポスターやチラシが目立つようになった。
残念ながらピーコのライブへの永の出演は叶わなかったが、ピーコ自身は、
『土曜ワイド』から引き続き『六輔七転八倒九十分』にもヘビーローテーションで出演。
昨今メディアでよく見る白髪の永によく似合う赤やピンクの服はピーコのチョイスである。
そんな身だしなみも含め、2001年に"妻の大往生"を迎えて以降、永は自分が現場に足を運んで
才能を見出してきた全ての人々から、大きな励ましと恩返しを受けている。
永「髙田(文夫)さんは出来ないの?」
2015年11月9日、松村邦洋がゲスト出演した回、
リスナーからのものまねのリクエストに矢継ぎ早に応えていくなか、
永が唯一自分からリクエストをしたのが、しゃべる放送作家の後輩「髙田文夫」だった。
1947年10月スタートの連合国軍占領下の番組、
音楽バラエティ『日曜娯楽版』(NHKラジオ)にコント台本を投稿した、
中学3年生の永は、高校生から構成作家として制作スタッフとなり、
早稲田大学の学生となってからその中心的メンバーに。三木鶏郎にスカウトされ、
「トリローグループ」の一員となり放送作家、司会者として活動を活発化させていった。
1969年から1971年、『パック・イン・ミュージック』の土曜日を担当し、
時に2時間半かけて憲法全文を朗読するなど"攻め"の放送を行っていた永のもとに、
ネタを送り続け採用を重ねていたのが、日本大学芸術学部で落研所属の髙田文夫だった。
ある時意を決し、長文の手紙に「弟子にしてください」と書いて、永に送った髙田。
永からの返事は「私は弟子無し師匠無しでここまで来ました。友達ならなりましょう」。
その20年後、『ビートたけしのオールナイトニッポン』の構成作家を経て、
『ラジオビバリー昼ズ』などで活躍をしている髙田に、永は再び手紙を送る。
「今からでも遅くはありません。弟子になってください」。
そんなパーキンソンの持病と心肺停止の過去を持つ、幻の師匠と弟子は、
2014年1月と9月に『永六輔、髙田文夫 幻の師弟ふたり会 横を向いて歩こう』を開催。
TBSラジオとニッポン放送、両局のリスナーが押し寄せた、
東京・北沢タウンホールの最前列で観たそのトークイベントが、
今のところ筆者が肉眼で観て聴いた、永六輔の最後の記憶である。
それ以前にステージで観たのは、2014年3月21日、東京・赤坂BLITZで開催された、
「我が青春のパック・イン・ミュージック」への特別出演だった。
「当時はまだ"深夜"に"放送"が無いのが当たり前だったから、
"深夜放送"という言葉も日本語として存在しなかった」という発言は、
車椅子に座って語られるからこその歴史の重さと有難みを感じた。
白髪と頭皮が目立つ観客席で40代の筆者が若造になる、
『パック・イン・ミュージック』の歴代パーソナリティが集う同窓会イベント。
晴れやかなステージを見上げながら、観客はそこには立てなかった、他界したDJの顔も
思い浮かべていただろう。野沢那智、河島英五、福田一郎、愛川欽也、そして林美雄...。
1970年〜1974年に放送された『林美雄のパック・イン・ミュージック』。
柳澤健の近著『1974年のサマークリスマス 林美雄とパックインミュージックの時代』にも
記されている通り、若者たちのカルチャー、アンダーグラウンド文化の担い手となった、
木曜日深夜3時からのその枠は、本���、同期入社のTBSアナウンサー・久米宏に任されていた。
だが、結核により久米は1か月で降板。病気を治して暇を持て余しているところを、
『永六輔の土曜ワイドラジオTokyo』のレポーターに抜擢され人気を獲得した。
"ゲラゲラポー"から"ケンポー"まで。
永の想いを受け継いだ「憲法ダンス」を考案したラッキィ池田の
『土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界』でのレポートの模範には、
マイクが集音する響きの良い革靴の音を研究し、ヌード撮影現場などの
過激な現場も土曜午後用の生の言葉で伝えてきた、久米宏の高い中継スキルがある。
以降、久米宏は、永が一線を画したテレビを主戦場にしたことが大変重要で、
2年半前、この連載の第1回で『久米宏 ラジオなんですけど』を取り上げたのは、
テレビから還った"ブーメラン・パーソナリティ"としてのラジオでの存在価値からだった。
『土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界』の直後に始まる番組として、
東日本大震災時、リスナー1人ずつとリレーしながら「見上げてごらん夜の星を」を歌うなど、
毎週リレートークを行う永を敬いながらも刺激を与えてきた。
『六輔七転八倒九十分』でも体調不良から休むことが多くなった永六輔。
たまにスタジオに来たときにサプライズ扱いされることは逆に心苦しかっただろう。
日頃は永が来ないことに不満なリスナーも、久々の精一杯の声を聴いたら聴いたで、
「本当に大丈夫なんですか?」「どうぞ家でゆっくり休んでいてください」と心配にまわる。
その日のニュースや天候よりも、永の体調を確認することが生放送の趣旨になってしまっていた。
永も番組でその名前を挙げたことのある、同じパーキンソン病のモハメド・アリ。
その訃報が伝えられた1週間後、番組のXデーも永の所属事務所からの手紙により伝えられた。
「永六輔は昨年の秋ごろから背中の痛みが強くなり、またその痛みは寝起きする時や
車椅子の乗り降りの際、つまり体を動かす時に特に強く現れていました。(中略)
永六輔本人はリスナーの皆様にまた声をお届けしたいと思っており、日々努力しておりますが、
パーキンソン病ということもあり、十分な体力回復にどのくらいかかるかはまだめどが
ついておりません。ここは一旦、自分の名前の付いた番組については締めくくらせて
いただいた上で、ぜひまたお耳にかかる機会を得たいと考えている次第です」
返事を書かないのに「お便り待っています」とお願いするのはありえないと、
番組にお便りをくれたリスナーの一人一人に返事を書いていた永六輔。
そんな真摯な気持ちを持つパーソナリティだけに、自分が不在の冠番組の存在は
体の痛みを超えるほど、どれだけ心を痛めるものであっただろうか。
2016年6月27日放送、最終回のスタジオにも永六輔の姿はなかった。
長峰由紀は永から「書けない漢字、読めない漢字を使うな」と叱咤された思い出を話し、
永とは長い付き合いの精神科医で元ザ・フォーク・クルセダーズのきたやまおさむは、
「くやしかったらもう一度出て来いよ!」と戦争を知らない世代の代表として激励した。
そして番組後半、最後の最後にテレビの収録を終えた黒柳徹子が駆け付けた。
2005年9月、『徹子の部屋』(テレ朝系)の収録にペ・ヨンジュンが来たとき、
ゲスト控え室の「ペ・ヨンジュン様 ○○個室」と書いてあるボードを見た徹子は、
「ここのスタジオにいることが分かったら大変!」と名前を「永六輔様」に書き換えた。
対して、永は『誰かとどこかで』の鉄板ネタとして黒柳のエピソードを持っている。
その昔、静岡に行った時、黒柳は駅から見えた綺麗な山を見て地元の人に
「ねえ、あの山、なんて言うんですの? ねえ!ねえ!」と聞いた。聞かれた女性は
本当に可哀想な人を見るような目付きでぼそっと答えたという。「・・・富士山です」。
通算40回。テレビを卒業した永も『徹子の部屋』だけは出続けている。
テレビ・ラジオの創世記から活躍する、そんな関係性の二人だからこそ、
ただ1人だけに向けられたエールを、リスナーも温かく見守ってくれる。
黒柳「永さーん、起きてるー! ラジオって言ったら、永さんしかいないのよー!!」
翌週、2016年7月4日から同枠で新番組が始まった。
『いち・にの三太郎〜赤坂月曜宵の口』。
メインパーソナリティは先週まで永のパートナーとしてしゃべっていた、
毒蝮三太夫の弟子である、株式会社まむしプロ社長の、はぶ三太郎。
その相手役を長峰由紀と外山惠理が交代で出演する、信頼の顔ぶれである。
テーマ曲には永が作詞した「いい湯だな」が使用され、
「六輔語録」というコーナーがTBSに残された永の様々な時代の音源を流す。
もちろん、これが引き継いだ番組としての正しい在り方なのだろう。
だが僕は、思い切って「永六輔」を一旦完全に失くすことも望んでいた。
それが、後ろ盾をなくした自分で切り開くしかない新パーソナリティへの励みにもなり、
自分の声も名前も失われたラジオの存在こそが、永六輔の新しい始まりに繋がるからだ。
かつて『全国こども電話相談室』で小学2年生の女の子に、
「天国に行ったらどうなるんですか?」と聞かれ、永は答えた。
「天国っていいとこらしいよ。だって、行った人が帰ってこないもの」。
確かに晩年までマイクの前に座っていたラジオ界の神様たち、
小沢昭一も、秋山ちえ子も、かわいそうなぞうも天国から帰ってくる気配は来ない。
だからこそ、大往生を遂げる前に、永六輔にはやるべきことがある。
物心がついた子供の頃からラジオで様々な演芸に触れ、
中学時代に投稿し、高校時代から70年間ラジオ制作に関わってきた人間は、
初めてラジオから離れた人生を過ごす今、何を想い、何を感じ、何を考えるのか。
もう一度スタジオに来て、ブースに入り、マイクの前に座り、
それをスピーカーの向こうの、リスナー1人1人に伝える必要がある。
それまでゆっくり待たせてもらおう。
ただ情けないことに、リスナーの僕たちは
それが叶っても叶わなくても、目からこぼれてしまうのだろう。
例え、上を向いて歩いても、きっと涙がこぼれてしまうのだろう。
『水道橋博士のメルマ旬報』
0 notes
【小説】白昼の処罰者 (上)
孤独で優しい魔法使い
Ⅲ.白昼の処罰者 (上)
チャイムが鳴るまで、授業時間に終わりが迫っていることに高梨は気付かなかった。
日頃、時間配分に気を配りつつ授業を進めている彼にしては、それは珍しいことであった。つい熱が入り、教科書に掲載されていない内容についてまで、詳しく言及しすぎたようだ。
話の内容は中途半端なところであったが、高梨は「続きは次回に」と前置きした上で、「今日はここまで」と切り上げる。「起立」と日直が声をかけ、生徒たちが一斉に立ち上がった。
「これで、四時間目の授業を終わりにします。礼」
かけ声に合わせて高梨も頭を下げる。頭を上げると、先程までは彼の声だけが淡々と響いていた室内が、まるで花でも咲いたようにわっと騒がしくなった。
授業を終えた生徒たちは、木製の椅子を黒い実験机の上に逆さにして乗せると、教科書やノートを腕に抱いて足早に理科室を出て行く。日直の男子生徒は上下黒板の文字を消すと、肩にチョークの粉が落ちているのも構わずに、慌ただしく出て行った。騒がしくなったと思ったら、喧騒はあっという間に過ぎ去って行く。
再び静寂を取り戻した理科室で、高梨は生徒が乱雑に消していった黒板をもう一度丹念に消しながら、授業内容について振り返る。資料集を活用して写真や図を見せながら説明する予定が、いつの間にか口頭で説明する量が多くなってしまった。生徒たちには、やや難解で退屈だったかもしれない。
ああでもない、こうでもないと思考しながら短くなったチョークを捨てて黒板の縁に新しいチョークを並べ、それから室内に目を向けて、ふと、生徒の席でひとつだけ、椅子が机の上に乗せられていない箇所があることに気付いた。
誰か��帰り際、椅子を上げるのを忘れたのか。今日はひとり、欠席の生徒がいた。安島という女子生徒だ。彼女の席だろうか。
高梨はそう思いかけ、それからすぐに、そうではないということを知る。その席には、男子生徒がひとり、まだ座ったままだったからだ。
その生徒は机の上に突っ伏すようにして席に着いていた。眠っているのだろうか。居眠りをしてしまい、授業が終わったことにも気付かずにそのまま眠り込んでしまっているようだ。後ろの方の席で、なおかつ、身体の大きな生徒がそのひとつ前の席に座っているため、授業中は居眠りしていることに気付かないでしまった。
眠り続けているその生徒に歩み寄る。枕代わりにされている両腕と、長い前髪で顔は見えないが、高梨は彼の名前を思い出すことができた。
墨木流流 (すみき ながる) 。
フルネームで覚えているのは、その名前が珍しかったからに他ならない。名前以外には特徴的なところはなく、ごく普通の平凡な生徒というのが、高梨の彼に対する印象であった。成績は可もなく不可もなく常に平均点を取り、ずば抜けて運動ができる訳でも、まったくできないという訳でもない。この中学では珍しく、どこの部活動にも所属せず帰宅部だが、だからといって素行の悪い行動も見られない。あえて挙げるとすれば、前髪が少しばかり伸びすぎているという点くらいだ。
優等生でなければ落ち零れでもなく、生真面目さもなければ不良でもなかった。後から考えれば、その生徒はあまりにも平凡すぎた。まるで自らを普通であると偽っているかのように。
「スミキくん、起きなさい」
高梨はそう声をかけたが、生徒は身動きひとつしない。ぐっすり寝入ってしまっているようだ。高梨は彼の肩に手を置き、左右に揺さぶった。
「スミキくん」
彼の頭がぐらりと揺れ、長い前髪の隙間から、ぱっちりと見開いた黒い瞳が高梨を見上げた。目が合う。
(しまった!)
その瞬間、高梨は生徒の肩から咄嗟に手を離した。触れてはいけないものに手を出してしまった、そう感じた。そして、その一瞬の後に、はっと我に返った。
(しまった? しまった、って、なんだ?)
高梨は生徒を起こそうとして、その肩に触れただけだ。悪戯をしようと企んだ訳でも、やましい気持ちがあった訳でもない。それがどうして、彼と目が合ったその瞬間、「しまった」という感情��なったのか。
何か意図があった訳ではない。それは無意識だった。無意識のうちに、高梨は恐れた。まるで、この生徒に目覚められては困るとでも言うかのように。授業が終わった理科室で眠り続けられた方が厄介だと言うのに、一体、どうしてそんな気持ちになったのだろう。
振り払うかのように手を引っ込めてしまった理由がわからないまま、困惑している高梨の前で、彼は重たそうに頭を持ち上げ、半身を起こした。
「先生、すみません、僕……」
そう言いながら、生徒の白い手が長い前髪をかき上げる。前髪の下に隠れていたその瞳が、まだ眠たそうに緩慢な瞬きを繰り返しているのが露わになった。
「眠ってしまっていたんですね……」
欠伸を噛み殺して、生徒の目尻にはうっすらと涙が溜まる。
「ええ、そうです。だいぶ眠り込んでいたようです」
高梨はそう答えてから、少しばかり落ち着きを取り戻した。高梨が急いで手を引っ込めたことを訝しむ様子も、気付いている様子もない。教師としての威厳を取り戻し、こう付け加えた。
「私の授業中にそんなにぐっすり眠ってしまうとは、嘆かわしいことです」
「すみません……。睡眠不足で…………」
そう言う生徒は、まだ完全に眠りから覚めた訳ではないのか、どこかぼんやりとした顔をしていた。授業が終わり、他の生徒たちが全員退席したのも気付かずに眠り続けていただけある。相当ぐっすり眠っていたに違いない。高梨は呆れて溜め息をついた。
しかし、これだけ熟睡していたこの生徒に今まで気が付かなかったのは、自分の落ち度だ。授業中、もっと早い段階で気付いて指導していれば、彼もここまで深い眠りに落ちることもなかっただろう。
どうして気付けなかったのだろう。いくら身体の大きい生徒が前の席に座っているからといって、見落とすものだろうか。教科書や資料にばかり目を向けるのではなく、なるべく教室全体を意識し、生徒たちの目を見て授業をすることを心がけているにも関わらず、机に突っ伏して居眠りしている生徒がいることにすら気付かないとは。
そういえば、と高梨は思い出す。ときどき、授業中に居眠りをする生徒はいるが、大抵の場合、周囲の生徒たちがそれに気付いてくすくすと笑い出すので、すぐにわかる。幸いなことにこの学校では、授業中に眠ってしまう生徒というのはごく少数だ。居眠りしているクラスメイトのことを馬鹿にするような風潮さえある。しかし、今日はどうだっただろう。この生徒が眠っていることを、誰か面白がって笑っていただろうか。
今日の生徒たちはあまりにも静かすぎやしなかったか。そもそもどうして、この生徒はここまで眠り続けてしまったのだろう。誰か起こしてやろうと思うクラスメイトはいなかったのだろうか。まるで、誰ひとりとして、彼が眠っていることに、気付いていなかったかのような……。
否、気付いていないはずがない。誰ひとりとして、この生徒が眠っていることに触れようとしなかった、ということではないのか。さっき彼の肩を揺すり起こした時に感じた、「しまった」というあの感情は、そこに起因しているのだろうか。しかし、この生徒を起こしてはいけない理由など、一体どこにあると言うのだろう。
しかし、そこで高梨は目撃する。その生徒が突っ伏して眠っていた実験机の上には一冊のノートが広げられており、そこには高梨が黒板に記していた板書が写されていた。途中で文字がミミズのようにのたうち回っている箇所もなく、最初から最後まで一文も抜けることなくすべてが写されている。その文字は、高梨の記憶が正しければ、この男子生徒の文字で間違いない。
(これだけ丹念にノートを板書していたと言うのか。居眠りをしながら? 信じられない)
この生徒は本当に、眠っていたのだろうか。眠っている振りをしていただけなのではないだろうか。しかし、一体なんのために?
高梨に疑念の目で見られていることに気付く様子もなく、生徒はノートを閉じて教科書の上に重ねる。そして、それは唐突だった。彼は高梨に向けてこう言った。
「先生は、人を殺したいと思ったことはありますか?」
そう言われた瞬間、高梨は確信した。あの時感じた「しまった」は、このことだったのだ。虫の報せというのは、こういうことを言うのだろうか。なんとなく、嫌な予感がしていたのだ。この生徒が目を覚ました、あの瞬間に。
「どうしたんですか、急に」
高梨はそう言って、柔和な笑みを取り繕った。
(まともに取り合ってはいけない。何か厄介なことになりそうだ)
それに対して尋ねた生徒は、未だ眠たそうな顔をしたまま、筆箱へ筆記用具を仕舞っている。
「特に意味はありません。ただの興味本位です」
「突然そんな質問をされたら驚きますよ。何事かと疑われます」
「人を殺したいと思うことがあるのだろうかと、疑問に思ったので」
「スミキくん、そんなことを考えていたから寝不足になった、と言うつもりではないでしょうね?」
「ええ、先生。実はそうなんです」
生徒の瞳が、高梨を見た。真っ黒な瞳。その双眸は、前髪の隙間から射抜くように高梨を見ている。生徒の口調は淡々としていた。その表情はけだるげではあるが、そこからはどんな感情も読み取れない。
「昨夜、目撃したんです。人が、殺されるところ」
高梨は、
「………………」
咄嗟に何も言えなかった。
(目撃した? 人が殺されるところを?)
「スミキくん、それは…………」
「それで、気になってしまって。誰かを殺したいと、人はどんな時に思うんだろうか、と」
馬鹿げている。まったくもって、馬鹿げている。
(人が殺されるところを見た?)
そんな訳がない。そんなことがあるはずがない。作り話に決まっている。
高梨はそう思った。
そう、思いたかった。
「スミキくん、君は何を見たと言うんです?」
「だから、人が殺されるところですよ、先生」
訊き返したところで、答える生徒の声音も、表情も、何ひとつ変化しなかった。そこには動揺も恐怖も現れてはいない。もっともらしく誇張された感情がそこにあれば、それが嘘だと見抜けたのだが、生徒は無表情のままだった。
しかし違和感はあった。たった十四歳の少年が人の死を語るにしては、それはあまりにも、ただ淡々としているような気がした。
「どこで、それを見たと言うのですか?」
「裏山です」
裏山というのは、この学校の北側にある、小さな山のことだ。生徒たちは皆、その山のことを裏山と呼んでいる。そこには何がある訳でもない、山と言っても、斜面に雑木林が広がっているだけだ。木が生い茂った丘と呼んだ方が正しいのかもしれない。
裏山では破れた成人雑誌の類や煙草の吸殻などが発見されるため、教師たちは目を光らせている。時折、近くにある公立高校の不良たちが集っているという噂もあり、トラブルを避けるため、生徒たちには裏山へは立ち入らないようにと指導している。
その裏山だと言うのか。すぐそこではないか。
「裏山へ、入ったのですか? 夜に、ひとりで?」
「正確には、僕ひとりではありません。オルトが一緒でした」
「オルト?」
「犬です。飼っている犬。散歩の途中だったんです」
「裏山が散歩コースなのですか?」
「いいえ。たまたま近くを通りかかった時、なんだか妙な音が聞こえて、それで裏山へ入りました」
「そこで見たと言うのですか? その…………人が殺されるところを」
生徒は黙って頷いた。高梨は小さく唸る。
先程までは作り話だと決め込んでいた生徒の話が、妙に真実味を帯びてきた。
木が生い茂っているため昼間でも薄暗く、足下が不安定な裏山に、足を踏み入れる周辺住民はいない。近くに民家はないので人の目も届かない。学校が終わり、生徒たちが下校してしまった夕暮れ時以降は、静かで物寂しい場所となる。夜ならば、なおさらだ。
そんな場所が、殺人現場に選ばれることはありえる。高梨はそう考えるようになっていた。
「一体、何を見たのですか」
「男の人が、安島の首を絞めているところです」
生徒があまりにも端的にそう言ったので、高梨は一瞬、何を言われたのかわからなかった。
「――なんですって?」
「安島です。安島十和子。殺されたのは、彼女なんです」
安島十和子。
その名前に、高梨は思わず後ろを見やる。そこには、安島の席があった。授業が終わった今は、もちろん誰も座ってはいない。授業中も、その席には誰もいなかった。その女子生徒は、今日は欠席扱いになっていたからだ。
欠席の理由を高梨は知らされていなかった。病欠か、何か家庭の事情だろうと思っていた。職員室に戻り、クラス担任である同僚に確認すれば、理由はすぐに明らかになるだろう。だが何も知らされていないということは、病欠である可能性が高い。もしも殺されたのであれば、授業どころではない、大事になっているはずだ。
どうして騒ぎになっていないのか。
この生徒の言っていることはやはり作り話で、安島は殺されてなどいない。今日は風邪を引いて欠席なのだ。明日になればいつものように校門をくぐって登校してくる。この男子生徒がそんな法螺話をしたなんてことは知らず、いつも通りにこの理科室に現れ、席に座る。高梨はその女子生徒の姿を見て驚くが、それを表情に出したりはしない。「ほら、やっぱりな」と内心は思いつつも、「あんな話、最初から信じていなかった」という顔で教壇に立つ。そうして授業が始まる。いつも通りの、日常。
恐らくは、そんなところだろう。
だが高梨は、もうひとつの可能性にも気付いている。どうして安島の不在が騒ぎになっていないのか。それは、彼女が殺されたことがまだ知られていないからではないか。
誰も知らないのだ。保護者も、学校も、警察も、誰ひとりとして、その死に気付いていない。夜の林の中、人知れず殺された少女。助けを求める声は誰にも届かない。
彼女が裏山に死体となって倒れているところを想像する。誰も気付いていないということは、死体はまだ、見つかっていない。まだどこかに死体はある。見つけてもらえる時が来るのを、待っている。暗い闇の中、ひとりで。
高梨は唾を飲み込んでから、口を開いた。
「……本当に、安島さんだったと言うのですか?」
「先生は、僕が同級生の顔と名前の認識が一致していないとお思いなのですか?」
「いいえ、そうではありません。ですが、本当に安島さんなのでしょうか? 顔をよく見たのですか? 裏山の中では、相当暗かったはずでは?」
「近くで見た訳ではありませんが、あれは安島十和子です」
生徒はそう言ってから一度口をつぐみ、顔色を窺うように高梨を見上げ、それから、
「先生は僕の話が信じられませんか?」
と、尋ねた。
高梨は小さく溜め息をつき、眼鏡の位置を直した。それから、答えた。
「私は生徒を信頼していない訳ではありません。もちろん君のこともです、スミキくん。ですが、信じがたいのです。安島さんが殺害されたなんて、それが事実だとしても、信じたくはない。私の言っていることが理解できますか?」
「ええ、先生」
生徒は素直に頷いた。高梨は彼のその様子を見て、安堵して頷き返した。
「それで…………それで、君はどうしたのですか、安島さんが首を絞められているところを目撃して……」
「僕はその場から立ち去りました。オルトは不満そうでしたが、散歩は早々に切り上げて家に帰りました」
「裏山で見たことを、誰かに話しましたか?」
「いいえ。話したのは、先���が初めてです」
「警察に通報しなかったのですか? もしくは、ご両親に相談するとか……」
「両親は今、海外出張で家にいません。警察には、誰か大人に相談してから連絡しようと思いました。また、悪戯だと思われるかもしれませんから」
そう言われて高梨は、本校の生徒が悪戯で警察に通報し、大騒ぎになった事件があったことを思い出した。それはつい先月のことだ。
放課後、校舎の中に不審人物がいるという通報を、生徒が大人たちに一切の相談も連絡もなく、独断でしてしまったのだ。警察が駆けつけたことで教職員たちはその事実を知り、しかしどこを捜索しても、不審人物は見つからなかった。通報をした生徒たち数名は、当初は「不審人物を確かに見た」と言い張っていたものの、徐々に自信を失ったように「見間違いだったかもしれない」等と言い出すようになり、彼らの悪戯だったという結論に至った。
その事件を踏まえ、今後は、生徒だけで警察に通報することは原則禁止、まずは教職員に異変を知らせるよう生徒たちには指導がなされ、全校集会でもそう告知された。この生徒は、その告知を真摯に受け止めているらしい。しかし、もし本当に安島が殺害された現場を目撃しているのであれば、即座に通報するべきなのではないだろうか。
「わかりました。では一度、スミキくんが目撃したのだという現場を確認しましょう。必要に応じては、私が警察に通報します。それで、いいですね?」
「はい」
「確認は先生たちで行います。君は、教室へ戻っていなさい」
「でも、僕がいなかったら、場所がわからないのではないですか?」
「殺人現場へ君を連れて行くことは危険です」
「裏山には道も標識もないんですよ。何も知らない先生たちで闇雲に歩き回っても、疲れるだけです」
「ですが…………連れて行くことはできません。まず、通常学校にいる時間帯に、学校行事でもないのに君を学外へ連れ出すには、外出許可証を発行してもらわねばなりません。それに、ご両親からの承諾も――」
「ならば、こっそり抜け出すしかないですね」
生徒の言葉に、高梨は思わず頭を抱えそうになった。
「スミキくん、それは…………」
「幸い、今は昼休みの時間です。生徒は散らばって昼食を摂っているから、僕がいなくても怪しまれません。清掃の時間に突入したとしても、きっとどこかでサボっているんだと思ってもらえるでしょう。ですから、五時間目が始まる前に戻って来ればいいのです」
「何も良くはありません。教室へ戻りなさい」
「先生、僕は疑っているんです」
少しだけ強い口調で、生徒は続けてこう言った。
「先生は、僕の話を信じていません。裏山へ確認に行くと言って僕を安心させようとしているけれど、実際は確認なんかしないのかもしれない。裏山へ行って、ただぼんやりと時間を潰し、帰って来て、殺人現場は見つからなかった、君が見たのは何かの見間違いじゃないのか、そう言うつもりなのかもしれない。先月の、通報事件の時と同じように」
生徒は高梨をまっすぐ見据えている。
「でも僕が見たのは本当です。僕が案内します。先生はそれを確認してくださればいい。悪戯だと思われるのは、癪に障るのです。だって――」
人が死んでいるのですから。
生徒はそう言って、じっと動かなくなった。高梨が答えるのを待っている。
高梨はすぐには返事をしなかった。長いこと考えていた。しかしそれは時間にしてみれば、ほんの数分のことだった。
「……わかりました」
苦虫を噛み潰したような、というのは、こういう状況のことを言うのだろうか。彼は渋々、頷いた。
「裏門から出ましょう。その方が気付かれませんから」
生徒の表情がぱっと明るくなった。高梨は着ていた白衣を脱ぐと、教卓の隅に置いてあった上着を手に取った。
白っぽく乾燥したアスファルトの上を、前を歩く影がゆらゆらと揺れている。
その影は、ふと止まったまま動かなくなった。
「先生? どうかしましたか?」
生徒は立ち止まり、高梨を振り返る。
「いえ……なんでもありません」
うっすらと笑みを形成してから、高梨はそう答える。生徒は不思議そうな顔をしていたが、前を向くと再び歩き出した。彼が背を向けたのを確認してから、高梨は気付かれないように小さな溜め息をつく。
(私は一体、何をしているのだろう)
理科室を出て、渡り廊下を横切り、校舎の裏へと出ると、裏門から学外へと足を踏み出した。幸いなことに、誰の姿も見かけなかった。
角を曲がり、道が林の陰に隠れた時、高梨は心底ほっとした。これで学校の敷地から、裏山へ向かうふたりの姿が見えることはない。生徒を無断で学外へ連れ出したことが明るみに出たら、高梨が処分を受けることは明白だ。減給では済まされないだろう。
そんな危険を冒してまで、生徒の話に付き合う価値はあるのだろうか。
やはり、生徒を説得して学校に留まらせるか、あるいは、誰か他の教員に応援を要請するべきだったか。生徒の話を真に受けて、自らの身を危険に晒す行為に及んでいる。学校側に恥をかかせたいという、性質の悪い悪戯かもしれない。先日の、警察への誤報事件と同じように。
高梨は何度か後ろを振り返った。また、木立の中へ目を光らせた。どこかに誰か潜んでいて、のこのこと裏山へ向かう自分のことを笑っているのではないか。そんな妄想が頭の片隅を過ぎる。これは罠なのかもしれない。この生徒に嵌められているのではないか。
――先生は僕の話が信じられませんか。
生徒の先程発した言葉が、頭の中でこだまする。
信じられるか否かで答えるのであれば、高梨はこの生徒の話――安島十和子が殺害される現場を目撃したという話――を、信じてはいなかった。そもそも、彼は生徒のことを信頼してなどいない。ただのひとりも。そして、たったの一度たりとも。
机の下で操作される携帯電話。巧妙に教室内で交わされる視線。いともたやすく行われるカンニング。事前に試験問題が流出していたとしか思えない試験結果。自然を装うように、不自然なほど適度なバランスで誤答が書き込まれた解答欄。
生徒たちは教師を出し抜く術を知っている。そんな彼らを信頼できるはずなどない。
――騙された振りをしてやればいいんだ。
赴任したばかりの頃、まだ若かった高梨に、本校に勤めて長い、初老の教師はそう言った。
――あいつらだって、「教師を上手く騙せたと思い込んでいる馬鹿な生徒の振り」をしているんだから。
ここには信頼関係などない。正直でいれば馬鹿を見るだけだ。現に、そうやって退職していった同僚たちを、高梨は覚えている。
(なのに、どうして)
こうして裏山へ向かってしまっているのだろう。
「オルト!」
生徒が突然そう叫んだ声で、高梨は我に返った。
裏山へ続く道の途中に、一匹の黒い獣が立っていた。
それは大型犬だった。光沢のある滑らかな毛皮。垂れた耳。面長の顔。くりっとした瞳は愛嬌があるが、同時に、賢そうな表情をしているようにも見える。
犬は生徒を見つめ、嬉しそうに尾を振っていた。生徒は駆け寄ってその頭を撫でている。
「それが君の飼い犬ですか」
「ええ、先生」
「なんていう犬種なのでしょうか。レトリバーですか?」
「はい。フラットコーテッドレトリバーと言います」
生徒は犬を撫でたまま、高梨を振り返りもしない。
「首輪をしていないようですね。放し飼いにしているのですか?」
「いいえ、普段はしています」
「なら、今日はどうしてこんなところに?」
生徒はきょとんとした顔をして高梨を見た。それから、うっすらと微笑んだ。
「僕たちのお供をしようと考えたんじゃないでしょうか」
高梨が驚いた顔をした。だが生徒は彼のことなどお構いなしに、犬の背を軽く叩いて、「さぁ行こう、オルト」と声をかけて歩き出す。犬は従うように彼の半歩後ろをついて行く。一体何を言っているのだろう、と思いながらも、高梨もそれに続いて歩く。
ふと、先を歩く犬が一度だけ振り返って高梨を見上げ、何も言わずに前へ向き直った。
「先生、こっちですよ」
アスファルトの道から脇に逸れ、木立の中へと足を踏み入れて行く。木陰に入った途端、皮膚にまとわりつく空気の温度が下がったのを感じた。
葉が揺れる音に思わず頭上を見やるが、案の定、そこにはなんの影もない。風が吹いた音だ。どこかでカラスがけたたましく鳴いている。
林の中に、草木が生い茂っていない道が一本だけ伸びている。その道を歩いた。だんだんと、獣道は緩やかな斜面へと変わっていく。
「夜に、こんな道を通ったのですか、スミキくんは」
「はい、そうです」
「妙な音が聞こえて、それで…………」
「そうです」
歩き始めて数分、斜面を登る足が、だんだんと重くなっていく。少なからず息も上がってくる。
獣道まで木の根が伸びていたり、大きな石が無造作に転がっていたりする。足元を見ないで進むことは危険だ。
夜に街灯もないこんな道を登って行くことは容易ではないはずだ。この生徒は本当に、この坂を登って行ったと言うのだろうか。
最初ははっきりと目に見える形であった獣道は、途中から徐々にその線がぼやけていき、草原の中へと消えてしまった。それでも、まだその道の続きを見出すことはできた。今度はまるで道しるべのように、煙草の吸殻やお菓子の袋が、ぽつりぽつりと落ちている。前を歩く生徒は、それを辿るように木立の先へと進んで行く。
高梨は、そこで後ろを振り返った。ここまでだいぶ、坂を登って来た。裏山へ足を踏み入れた時の道路は、もうすっかり見えなくなっている。
「本当に、スミキくんは音を聞いたのですか」
「ええ」
「それはどんな音だったのですか」
「どんな……と訊かれると、説明するのは難しいですね。がさがさと言うか、ごそごそと言うか」
あんなところまで音が届くのだろうか。大きな音でないと、坂のふもとの道で犬を散歩させていたのだと言う、この生徒の耳まで聞こえないのではないか。生徒は疑念を抱く高梨には目もくれず、さらに奥へと進んで行く。これよりもっと奥まった場所で人が殺されたのだとしたら、その音は余計に小さくなってしまうはずだ。
先を歩く黒い犬が、何を思ったのか足を止め、高梨を振り返って仰いだ。口から垂れている舌が、呼吸に合わせて小さく上下している。小さな牙が覗いていた。
高梨が犬の黒い瞳を見つめ返すと、犬は何事もなかったかのように、また前を向いて歩き始める。
「まだ、先なんですか」
「もう少しですよ、先生」
生徒は振り返りもしないでそう答えた。
いつの間にか、足下に落ちていたゴミたちもすっかり見えなくなっていた。道はない。
しかし、それでも道しるべがある。生えている草が押し潰されている箇所が奥へ奥へと続いており、それは人間の足跡であった。
足跡は複数あるようだが、成人のものと思われる大きさのものもある。安島十和子の首を絞めていたのは、「男の人」だったと、生徒は確か言っていた。高梨はその足跡に自らの足を重ねてみる。大きさは非常に近い。
登り坂は再び緩やかになった。呼吸も少し落ち着いてくる。高梨は額に浮かんだ汗を拭った。
前を行く生徒は一度も足を止めていない。ここに来ることに慣れているかのような足取りだ。昨日この場所に来たからといって、こんなに易々と再訪できるとは思えない。しかも、その一度目が夜だったのであれば、なおさ��だ。妙な音が聞こえたと言っていたが、この生徒は日常的に裏山へ足を運んでいるのではないだろうか。
(嘘をついているのだ)
裏山へ足を踏み入れることが禁止されているからか。それとも、何かを隠しているのではないか。高梨には知られたくない、知られては困る、何かを。
高梨は足を止めた。前を行く犬が、突然、歩行をやめてしまったからだ。犬は姿勢を低くすると、鼻を地面に付けている。においを嗅いでいるようだ。その後、犬は視線を木立の奥へと向けた。鳴きも吠えもしないが、木々の奥の薄暗闇の中を見つめ続けている。
一体、何を見ているのか。何か見つけたとでも言うのだろうか。レトリバーという犬種が元は猟犬であったことを、高梨は思い出す。
「先生、」
先を歩いていた生徒も足を止め、飼い犬の様子を見ていた。彼は犬が見つめる先を指差す。
「見えますか?」
そう言う生徒の顔は、無表情だった。
高梨は彼が指差す先、犬が視線を向ける先へと目を向けるが、そこには木々が生い茂るだけで、何も見つけることができない。
「もう少し、こちらへ」
犬の後ろを通り、生徒の側まで行って、再び目を凝らす、すると、
「あ…………」
草木の隙間から、一本の白い手が生えていた。まるで宙を掴むかのように伸びるその左手は、泥にまみれて汚れている。手の持ち主が誰なのか、生えている植物たちの中に埋もれていて、見えない。ここから見えるのは、肘から上の部分だけだ。
「ここです。彼女が殺されたのは」
近寄ろうと一歩を踏み出した高梨の腕を、生徒は掴んで引き留める。
「触らない方が、良いのではないですか」
「しかし……」
あれは、本当に安島十和子なのか。否、その前に、あれが本当に人間の左腕なのかさえ、ここからではよくわからない。血の気を失ったように白いその腕は、精巧なマネキンであったとしても、そうとは判別できなそうだ。
「通報する前に、確かめなくてはいけません。いや、その前に、学校に連絡を――」
「警察に通報するのですか」
高梨の言葉を遮るようにそう言った生徒の顔を、彼は驚きをもって見やった。生徒はやはり、無表情だった。恐れも動揺も、その顔からは見出すことができない。あまりにも落ち着き払っている。不自然だ。彼の様子は不自然だった。だが、この生徒は始めから不自然だったのだ。高梨がその肩を揺すって起こした、あの時から。
「警察に通報したら、困るのではないですか」
「困る……? 一体、何が困ると言うのです?」
前髪の隙間から覗く瞳に真っ黒な光を灯らせたまま、生徒はこう言った。
「だって安島を殺したのは、高梨先生、あなたじゃないですか」
(下)へ続く
0 notes