Tumgik
#海水魚混泳
nyantria · 3 months
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「Can You Catch A Cold?」サンプル5
字幕大王2024.06.25
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水俣病の混乱
細菌論に夢中だったために伝染病と間違われた病気は栄養不足だけではない。1956年5月のこと、5歳の少女が日本の水俣市の病院に入院した。水俣は八代海に面した人口約5万人の小さな漁村だった。その少女は、けいれん、歩行困難、言語障害などの異常な神経症状を呈し、急速に体調を崩していた。数日後、彼女の妹と町内の他の3人もまったく同じ症状で病院を訪れた[45,46]。
その後、数週間から数ヶ月で、村の人々が病気になるケースが急増したが、罹患したのは村人だけではなかった。大量の魚が奇妙な泳ぎ方になり、やがて死んで陸に打ち上げられた。海鳥は飛べなくなり、異常な行動をとるようになった。これらの動物を捕食する猫も具合が悪くなり、口からよだれを垂らし、気が狂ったかのようにぐるぐる走り回った[47]。動物と人間の間で何らかの病原体が伝播したのだろうか。誰も確かなことはわからないが、この大流行は伝染病の特徴をすべて備えているように思われた。最初の患者が出た後、村に住む人々が次々と同じ症状で倒れ始めたのだ。そのため、ある種の「奇妙な伝染病」が発生したという噂が広まった[48]。やがて、この病気は伝染性髄膜炎であるという未確認の報道が出始め、地域社会は大きなパニックに陥ったのである[49]。
謎の病気への恐怖は極めて大きく、近隣の町の人々は水俣人を排斥し始め、長い間築かれてきた密接なコミュニティの絆は急速に失われていった[50]。伝染病まん延を抑えるため、家屋は消毒され、病人は隔離された[49]。この対策にもかかわらず、伝染病が地域住民を襲い続けた。初期の報道によれば、少なくとも55人が感染し、17人が死亡した[45]。
しかし、約3年後、研究グループはついに病気の原因が地元の肥料製造会社であると突き止めた。同社が、合成肥料製造の廃棄物であるメチル水銀27トンを水俣湾に投棄していたのだ[51]。この水銀が地元の水路を汚し、何百平方キロメートルもの海を汚染した。かつては美しく肥沃な自然の珊瑚礁であった水俣湾は、有毒な荒れ地となり、かつては豊かであったその恵みを不運にも口にした人間や動物を毒した。
1963年2月、水俣病の発生原因を調査していた研究グループから正式な発表があった。誰もが落胆したが、水俣病の原因は感染性微生物ではなく、メチル水銀に汚染された水俣湾の魚介類の摂取によるものだった[49]。長年にわたって、この環境破壊の犠牲者たちは、日常生活で出会う人々に伝染性ではないと安心させねばならなかった[52]。この災害によって900人以上が死亡し、200万人が慢性的な健康被害に苦しんだ[51]。
水銀中毒の混乱
水俣で起きた出来事にもかかわらず、医療関係者は今日に至るまで、水銀中毒を感染症として誤って診断している。2018年8月のこと、15歳女性、13歳女性、11歳男性の3人兄弟が救急外来を受診した。彼らには、発熱、筋肉痛、皮疹、倦怠感など、非特異的な症状が進行していた。検査は陰性の連続であり、その結果、「ウイルス性症候群」と診断された。子供たちは休ませるために家に帰らせられたが、その3日後、兄弟はさらに悪化した状態で救急部に戻ってきた。うち一人は神経障害を起こしていた。子供たちは溶連菌性咽頭炎(連鎖球菌性咽頭炎)と猩紅熱(しょうこうねつ)と診断された。彼らには抗生物質が投与されて退院した[53]。
その数日後、子供たちはセカンドオピニオンのために別の救急外来を受診した。この時までに、症状はかなり悪化しており、激しい頭痛、息切れ、手足のしびれ、全身の脱力感などが生じていた。結論に飛びついてウイルスやバクテリアのせいにするのではなく、救急医たちはさらに詳しく調べた。すると、子供たちが自宅で水銀の瓶で遊んでいて、それがカーペットにこぼれていたことがわかった。母親はこぼれた水銀を掃除しようとして掃除機を使った。母親はそうとは知らず、これが水銀を加熱・気化させて、子供たちはうっかり吸い込んでしまったのだ。不思議なことに、母親には何の症状も現れなかったので、この病気は小児感染症のように思われたのだ。
子供たちが水銀中毒であることを知った医師たちは、水銀除去のためにキレーション療法を開始した。二人の子供は完全に回復したが、1人は関節、背中、筋肉の痛みが続き、歩行器が必要になった。この出来事はケーススタディとして記録され、2020年2月の医学雑誌に掲載された。著者の結論としては、水銀中毒が感染症に似ている可能性があることだ[53]。子供たちは同じ家で暮らしており、似たような症状を呈していたため、最初の病院の医師は、小児期の伝染病が兄弟間で広がったに違いないと誤って考えたのだ。ここでもまた、一面的なレンズを通して世界を見ることが誤った思い込みを招き、正しい診断と治療を遅らせたのである。
なぜこれが重要なのか?
壊血病、ペラグラ、水銀中毒といった病気の原因を正しく特定することが重要だったことは明らかだ。しかし、いずれの場合も、細菌論というレンズが真実を邪魔し、調査者を無益な捜索に向かわせ、一般大衆を無用なパニックに陥れた。これらの事例だけを見ても、間違った説明モデルを適用したことによる影響を定量化するのは難しい。数え切れないほどの資源、時間、人命が、存在もしない敵と戦い、追いかけて失われたのだ。また、どれだけの人々が仲間はずれにされ、孤立し、非人道的な扱いを受け、タイムリーで効果的な医療を拒否されたかを考えると胸が痛む。それは伝染病だからではなく、伝染病であることを恐れたからである。このように、我々が世界を見るレンズは強力だ。良くも悪くも、レンズは我々のあらゆる知覚を彩り、我々の見方に一致する結果をもたらす。
もちろん、今では良くわかっており、これらの病気を伝染病と見なすことはない。壊血病、ペラグラ、水俣病のような病気を振り返り、その過ちに気づくのは簡単なことだ。現在の我々から見れば、人間がハンセン病患者のような烙印を押され、治療を拒否され、檻に入れられた動物のように閉じ込められていたのは野蛮なことのように思える。後知恵とはおかしなものだ。我々は今、すべての答えを持っていると思い込んでいる。しかし、我々がいまだに伝染病だと考えているが、そうでない病気が他にもあるとしたらどうだろう?ここまで来たと誇らしげに振り返っても、まだ同じ過ちを犯しているかもしれない。プライドと甘さに目がくらみ、過ちを犯し続けていることに気づかないまま、我々は突き進むのだ。
今にして思えば、過去の研究者の一部が傲慢でなく、型にはまっていなかったのは幸運だった。彼らは謙虚であり続け、心をオープンにし、勇気を持って行動した。もし彼らが、受け入れられているパラダイムに挑戦しようと思わなかったら、今日の世界はどうなっていただろう?我々はまだそれらの病気を伝染病とみなし、かつてと同じ非効率的で非人道的な治療法を続けていたかもしれない。単純な食生活改善の代わりに、重金属を注射し、ペラグラのために隔離されることを想像してみてほしい。壊血病や脚気、くる病に他人から感染することを恐れて暮らすことを想像してみてほしい。おそらく我々は、ワクチン接種、手洗い、社会的距離、抗生物質、抗ウイルス薬、マスク、ロックダウンといった現代的な方法で、これらの(存在しない)細菌から身を守ろうとするだろう。そのあいだ、人々はライフスタイルや環境によって不必要に死に続けるのだ。そういった想像は難しくはない。例えば風邪やインフルエンザなど、他多くの病気についても、今日の世界はこのような方法で対処しているからだ。ただひとつ違うのは、現代の研究者たちが、伝染病モデルによってこれらの病気を正確に説明できると信じてこんでいることだ。この信念は現在、集団心理に深く刻み込まれており、間違いの可能性を受け入れるのは難しい。文化もまた変化しており、受け入れられているパラダイムに異議を唱える者は、狂った陰謀論者のレッテルを貼られる。
我々はあまりに自身を確信しすぎてしまっている。しかし、本章で示すことは、結果を観察して原因を誤って帰することが、いかに物事を間違えやすいかである。また、結論を急ぐのではなく、厳密に管理された(controlled)科学実験によって因果関係を確認することがいかに重要であるかを強調している。我々は過去にも過ちを犯したし、因果関係を正しく理解しなければ、我々自身がどれほど進歩していると考えていようと、過ちを犯し続けるだろう。誤った例が強調しているように、病気を伝染病と誤って診断することは、あらゆる種類の悪影響をもたらす。病人にとっては、適切な診断や治療へのアクセスが遅れ、より深刻な機能障害や身体障害につながる可能性がある。総合的には、これは広範囲に及ぶ影響をもたらす。実際、病気の原因を伝染病と混同してしまえば、より恐れを抱く回避的な社会が培われ、資源の配分を誤り(研究助成金など)、誤った経済(医薬品など)を支え、組織(政府など)に権力を譲り渡し、誤った道を進む間に、より多くの人々が病気になり、命を落とすという機会損失を最終的には被ることになる。
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「Can You Catch A Cold?」サンプル5 | 字幕大王
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oka-akina · 1 year
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棕櫚の姫
 そのコンクリートの塀を城壁と呼んでいた。広い広い敷地を囲って、高さもあり、壁の上には有刺鉄線が張り巡らされいかめしい。書道教室の行き帰りにいつも通る道で、���壁の作る影は湿っていた。苔が生え、蟻や蜘蛛が這っていた。蟻を目で追い、歩いていると、足元がぼこんぼこん鳴った。壁とはちがう色のコンクリートで蓋がされており暗渠だった。かつて川だったところにかけられた蓋で、ところどころ揺れる。城壁だなんて巨大に感じていたのはわたしが小さかったためだろう。
 城壁の内側は二階建ての細長い建物で、庭が広いのでぽつんとして見える。クリーム色の壁がくすんでいた。そんなに豪華な建物ではないのでかえって城だった。余計な華美は避け、質素に屹立している。ほんとうの城はこうでなくっちゃと納得し、庭の芝生がかなり禿げていてそういう滅びの気配も城だと思った。どうやらどこか大学か会社の寮であるらしく、何々寮という文字が見えた。といっても、城門はめだたないつくりで奥まったところにありそっちへ行くのはこわかった。どんな寮だか、どんな人が住んでいるのか、ちゃんと見たことはなかった。
 わたしが見ていたのは壁と棕梠シュロだった。お城の庭には一本だけ、背の高い棕梠の木があった。灰色の壁の向こうですっくと伸びている。壁よりも建物よりも高く、ぼさぼさの幹が風にしなっている。棕梠という名を知ったのはもっとあとで、わたしはあれはヤシの木だと思っていた。あの揺れ方は南国だなあと、南国のことを知らないのに感心していた。雪の降りそうな寒い低い雲の日でも、冷たい風に手の甲が痒くても、壁の向こうのヤシの木だけ南の島で、お城の中だから当然だと思った。壁の外から見上げる葉はいつも影になり、動物の毛みたいにぎゅっと密集して見えた。
 この木の下にどんな人が住んでいるのだろう。なんとなく、人魚姫の姉たちを想像した。絵本の話、もっとわたしが小さかったころの話。母が、人魚姫の姉たちが泳ぎ回るページを開いて、「この中だったら誰が好き?」とわたしに選ばせた。深い意味はなかったと思うが——人魚の姉たちは色とりどりで、きっとわたしに色の名前を言わせたかった——、わたしは青い髪のお姉さんを指した。彼女の髪の毛はそんなに長くないがAラインにふわふわ広がっていて、ひたいに垂らしたアクセサリーが大人っぽく、いちばん素敵だと思った。そうして青い髪の人魚はその一ページだけの登場で、人魚姫に短刀を渡すシーンにはいなかった。それもよかった。きっと海の底で静かに悲しんだ。悲しみはするが彼女にはその後の人生があり、死なない。青い髪の姉についてわたしは幾度も想像した。棕梠のお城にいる誰かを想像すると、彼女になった。
 やがて暗渠の町からは引越して、わたしは川に挟まれた町に住むことになった。両親が離婚し、母と二人の家になり、近くに祖母と伯母が住んでいてちょくちょく行き来した。蓋のない、どころか、おおきなおおきな川で河川敷もだだっ広い。二つの川はカーブし、町はレモンの形をしている。アーケードの商店街があり暗渠の町よりだいぶ騒がしい町だったが、学校は小さかった。わたしの学年はそれまで三十九人で、わたしが引っ越してきたことにより四十人になり、あなたのおかげで一クラスだったのが二クラスになったのだと春休み明けの転校初日に先生に言われ、自分が福音なのか災厄なのかわからなかった。
 新学期早々ずっと休んでいる子がいて、盲腸で入院しているとのことだった。クラスみんなでお見舞いの手紙を書きましょうと先生が言った。色画用紙が配られ、一人一通、工夫してメッセージカードを作るよう言われ、まだ一度も会ったことがないのにわたしも書くんですかと先生に尋ねたら、「みんなクラスの仲間でしょう」とたしなめられた。でも知らないんだよな、となりのクラスの子たちは書かないのかな、わたしが来なければひとつのクラスだったのにな……と思った。
 どうせ知らない人に書くのなら棕梠のお城にいるはずの彼女、青い髪の人魚に宛てて書きたかった。棕梠のお城の人魚たちには足があり、城壁の外では完璧に人間のふりができる。王子に恋をせず生き続け、芝生の上を駆けたり寝そべったり、真夜中、お城の中でだけ人魚に戻る。庭に水をまいて海にするかもしれない。そうか、だから芝が禿げていた。棕梠の葉ずれの音を聞きながら足の使い方を練習し、人魚の下半身がいらなくなったらお城——寮から出て行く。でも彼女たちは人間のふりも人魚でいることも好きだから、のらりくらりお城に住みつづけ、出て行かない。棕梠はどんどん伸びてゆき、葉の重さで腰が曲がる。青い髪の彼女はぼさぼさの幹をやさしく撫でてくれる。それなら手紙を書けるのだ。書けるか? わたしはなにを書くだろう?
 たとえばいつも棕梠を見上げていたこと。黒い葉。風。書道教室は畳の部屋で薄暗かったこと。流しの水がいつも細く、冷たくて、お湯は出ず、わたしは手についた墨汁をきれいに落とせなかった。黒く染まった指先をきつく握って、すれちがう人たちから隠した。なぜ隠さなければと思ったのか、わたしがあらゆる視線をおそれていたためだが、そそりたつ棕梠にはぜんぶばれている気がした。人魚を見守る南の島の木は、わたしのことだって知っていたはずだ。墨汁はいつも風呂で落とした。浴槽で足を伸ばし、そのころにはもう一人で風呂に入るようになっていた。墨の溶けた湯だからほんとうは透明ではない、目に見えない黒色の混じった湯なのだと思った。そういうことを書く。書いた。学校から帰ってきて便箋につづり、糊をなめて封をした。でもこれでは、わたしが思っていることを書いただけで、受け取る相手、青い髪の彼女に向けてなにか発信しているわけではないなとも思った。
 盲腸のクラスメイトには、画用紙を切ったり貼ったりして「飛び出すカード」を作り、おだいじにとか当たり障りのないことを書いた。
 レモンの町では書道教室に通わなかった。伯母はフラダンス教室の先生をやっており、招かれたので何度か見学したが、自分にはできる気がしなかったので(踊るのは恥ずかしい)、見学しただけだった。伯母はフラをやるからこまかいウェーブの髪がすごく長くて、想像の人魚よりも長かった。教室はおばあさんが多く、ハイビスカスの造花がたくさん飾ってあり、でもヤシの木はなかった。
 盲腸のクラスメイトとは友だちになれた。退院してすぐ話しかけられ、飛び出すカードすごくかわいかった、どんな子が転校してきたのだろうと楽しみだったと言われ、わたしはちょっと申し訳なく思った。
 だからというわけではないがかなり仲良くなった。すみれちゃんという名前で、しばしば自分の名前をSMILEと書いた。たとえば授業中に回ってくる手紙、ノートの切れ端にぎっしり書かれたいろいろの最後にSMILEとあり、それは署名だけども、受け取ったわたしには「笑って!」というメッセージにも見え、わたしはすみれちゃんの手紙がけっこう好きだった。
 きのうみた夢とか、好きな音楽とか、誰々が雑誌のインタビューでこう言っていた、ラジオでこんな話をしていた、いますごく眠い、親とケンカしてすげえムカついてる、そういう日記みたいな手紙で、いや日記でもないようないろいろで、思っていることを書くだけでもちゃんと手紙になることを知った。わたしが手紙を読むときすみれちゃんはもう眠くないし、すげえムカついた気持ちもいくらかおさまっている。その時差こそが手紙の肝だと思った。
 手紙ではたまにシリアスな悩みも吐露され、そういうときはSMILEの下に「読んだら燃やして」と強い筆跡で書かれていた。わたしはすみれちゃんの手紙を一度も燃やしたことはなかった。うちにはマッチもライターもなく燃やし方がわからなかったためで、ガスコンロで火をつけるのもこわかった。父親がいたらライターがあったろうか。ないな。たばこは吸わなかった。うちに小さな火がないのは父とは関係ない。父にはときどき会った。父も暗渠の町から引っ越したので暗渠の町に行くことはなくなった。
 中学に入り、すみれちゃんの家が建て替えすることになった。古い家をぜんぶ取り壊すからラクガキしていいよということになり、友だち何人かで誘われた。すでに家具はぜんぶ運び出されからっぽになった家の壁や床だ。油性マジックとか書道の墨汁とかカラースプレーとか、みんなでいろいろ持ってきて、こんなことは初めてだったから最初わたしたちはおそるおそるペンを握ったが、だんだんマンガの絵を描いたり好きな歌詞を書いたり、家じゅう思い思いにラクガキした。腕をぜんぶ伸ばし、肩がもげるくらい大きなマルを描いてみた。マルの中に顔も描いた。すみれちゃんの妹が壁いっぱいの巨大な相合傘を描いた。片側に自分の名前、もう片側はいろんな人の名前で、芸能人もマンガのキャラクターもあったがやがて尽きたのか、後半は「優しい人」「うそをつかない人」「趣味が合う人」と理想を並べていた。すみれちゃんは最後、床に大きく「ありがとう」「SMILE」と書き、このラクガキは家への手紙だったのかと思った。
 あとになってGoogleマップで暗渠の町を見たら棕梠のお城はなくなっていた。見つけられなかっただけかもしれないが、区画整理にひっかかったのか、暗渠の道もないように見えた。お城を取り壊すさい誰か壁にラクガキしたろうか。しなかったろう。だからすみれちゃんの家はとても幸運だったろう。そうして道の形が変わっても、地面の下にかつて川だった跡は残っているとも思った。
 あのとき人魚に宛てて書いた手紙が、このあいだ本棚のすきまから出てきて、なにを書いたかだいたいおぼえていた。恥ずかしいなと思いつつ封を開けたら、しかし便箋は白紙だった。文字はどこかに消えてしまったのか、書いたというのはわたしの思い込みだったのか、ぜったい後者なんだけど、後者なんだけど……と思う。すみれちゃんはマスカラを塗るとき、ビューラーをライターの火であたためる。小さな火を持っている。
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ペーパーウェルというネットプリントの企画に参加します。
セブンイレブン【24438044】 10/8 23:59まで
ファミマ・ローソン【DA5W82BGB9】 10/9 16時ごろまで
これは4年くらい前に書いたやつ。読んだことある人もいるかもしれない(覚えていてくださる方がいたらうれしい)。
今回のペーパーウェルのテーマが「時間」だったので、時間のことを考えながら書いた小説にしました。いやどこらへんが?って感じなんだけど、自分の中では…。過去のことを語るときの距離感、時間の長さとか流れを探りたかったというか。
つい最近読んだ川上弘美のインタビュー記事ですが、「年をとって記憶がいっぱい自分の中に貯まっているせいか、ある時期から、一瞬にフォーカスして書くよりも時間の流れを書くことが多くなってきた」とあって、なるほどなあと思いました。そして「でもコロナのもとで生活しながら小説を書いていると、なぜだか自然に、今この瞬間にフォーカスした書き方に回帰していくことになりました」と続き、とても興味深かった。
『群像』のweb記事で、「物語るために遠ざかり、小説全体であらわしていく」という題の鴻巣友希子との対談です。
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keredomo · 1 year
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悪夢
 見知らぬ男が肩の半ばあたりですらりと軀をスライスされた。  ヒッ、と喉が痙攣し、息を飲み下せない。男はその身を切り落とされたまま、平然と私の前に立ちつくしている。本来ならば、身体組織が顕になり血がどうどうと溢れてやまないはずのその断面は、なぜか黒地に橙色のまだらが無数に滲む平坦な模様をなしており、橙色の楕円のすべては天体観測に見る恒星のようにぼんやりと発光していた。肩から上のない男は、口もないのに、どこからか発声して私に語りかける。「なんぴともすべて門をくぐる。椅子はみどりの黴に覆われて、蛸――」瞬間、巨大な蛸が私のからだに濡れたまま纏いつく。無数の鳥肌が立つ。蛸の帯びたぬとぬととぬめった海水が私の皮膚を舐め上げて、逃げ悶えながら這いつくばる身体の、骨という骨がごきごきと音を立てて外されてゆく、痛い、痛い、もういや、痛い、もうやめて!――
 はあっ、と息をあらげて目を覚ます。自室の白い天井が見える。大きな窓に掛けたカーテンを開け放していたせいで、部屋の奥に据えたベッドにまであかあかと届く光に瞼越しの眼球が晒されて痛い。私は昨晩眠りについたベッドにいつも通りに横たわっている。男はいない。蛸もいない。一応、手を確認する。折れていない。からだはこわばりきってぐったりと疲れている。汗がひど��。足の先まで湿っている。夢だった。あれは夢だった。
 休むために眠っているのに、どうしてこんな目に遭わなければならないのか。私はわたしの脳を恨む。東京から沖縄までラッコと共に泳いで渡る夢を見て、起きたらなぜだか肉体的にも疲れ果てていて、その日一日が使い物にならなかった日もあった。だれにも、私にも統御不可能な苦しい夢が日々を圧迫して、どうにもならないので仕方なく受け入れている。
 こんなにも毎晩、ひどい悪夢を見るようになったのはここ二、三年のことだった。それまでは美しい夢も見ていた。今も覚えている、数年前に見た、きらきらと光を湛えた金屏風の前に当時愛していた男が立って、こちらに手を差し伸べていた風景を。椿の花弁がおびただしく舞うなかで、とうに失ってしまった男が私に微笑みかけていた。そんな夢を見て、泣きながら目覚めた朝だってあったのだ。
 今はどうだ。眠るたびにグロテスクな夢を見る。神経を逆撫でする光景ばかりが私の認識(認識は夢でも現実でも同じだけ作用する)に襲いかかり、何時間にも及ぶ格闘ののち、疲れ果てて目を覚ます。魚屋に行った日には、イカとイワシが膣めがけて大挙して射精し、私の胎がふくれあがる。不安な仕事を抱えていれば、夢の中で大いに失敗する。仕事だけではない、私生活の延長にある最も忌避したい現実もまた、物語としてありありと立ち現れ、眠っている私の心を折ろうとする。
 明らかに精神を病んでいる。しかし、夢の持ち主であり作り手である私は、夢の光景に苛まれながらもその異常性を楽しんでいて、現実の苦しみ以上を夢の中で苦しむことに負のカタルシスを覚えていて、自罰のために悪夢の日々を手放そうとしない。  そんなお為ごかしに遵じていると、また悪夢をみる。乗るべき飛行機の便があと少しで離陸するというのに、走っても走っても前に進まない。風呂に浸かっているかと思えば尻には溺死体の女の隠毛が触っている。殺人者から逃れて、ペドロ・コスタの撮るような見知らぬ外国の貧困街を走り尽くす。苦しい。痛い。怖い。走っても走っても前に進まない。そうして殺される。殺されても生き返る。また酷いやりかたで殺される。心臓を抉られる。四肢をもがれる。頸に刃物を刺しとおされる。海に沈んで魚についばまれる。陵辱され、奇形を孕む。
 夢に現実世界の象徴化を見ることはスピリチュアリズムに淫するばかげた行為だとも思うが、そう理性的に事を収めるにはあまりにも異常な精度と頻度で悪夢を繰り返しすぎている。
 心当たりはある。日課のように悪夢を見るようになった頃、現実の私は、おのれの抱く「悪意」を封じることを倫理に強要されたのだった。
 褒められたことではないが、私には死を願っている対象が幾人かある。その願いを非倫理的なものとして押し潰し、しかし消し去ることはできず、心のなかに押し込んで飼い始めた。憎しみと怒りと苦しみと暴力性をぐちゃぐちゃに練り合わせた怪物は心の中で暴れ続けて、心臓を内側から喰いちぎろうとする。それと付き合ううち、段々と私の悪夢は激化した。初めは抽象的だったから、ただの悪夢として忘れることができた。夢は次第に具体化していった。その悪夢たちが現実を反映していることに気づいた時には、もう修復できないほどに心が喰い破られてしまっていた。
 こうして夢は、現実の強いる抑圧とはっきり結びついた。悪夢の悪性は私の心の醜さを反映している。そのことを認識できないほど、私の理性はなまくらではない。解釈可能な悪夢が日々わたしの心を蝕む。おのれの醜さに辟易する。自罰は次第に激化する。こうして魘されることでしか、醜い自分を罰することができない。
 ある夜、こんな夢を見た。  ペガサスの被り物をした女が、新宿駅東口の地下道へ降りる階段の踊り場に倒れ込み、今にも出産しようとしている。股からはおびただしく出血し、踊り場は血の海になっている。汚い地面に産み落とされようとする嬰児。ペガサスの女は、被り物をしているからその顔はわからないはずが、青ざめきって今にも死にそうになっているのがわかる。私は手を貸すこともできず、ただ立ち尽くしている。その光景はあまりにも惨たらしく、目が覚めてからもしばらく頭を抱えて魘された。  あの女はきっと、私だった。本当は、私がペガサスの被り物をして、汚い床にへばりついて、命と引き換えに何かを産もうとしていた。血みどろの光景。行き交う人間の靴の泥で汚れきって、不衛生な床。そこで何かを産もうとして絶叫しているのは私だった。誰の助けも得られぬまま、倒れ込んで血の海を広げ続けるのは私だった。
 あの時はわからなかった。しかし、こうして悪夢について改めて考えてみると、あれが自己イメージだったことは容易に理解される。夢は兆候を示さない。夢は象徴と意味を一対一に対応させ得ない。夢は抑圧されたイメージの屈折した表出でしかなく、他者には絶対に読み解けない、極めて自己閉鎖的なものだ。あの女が血の海で倒れていたことの意味は、私にしかわからない。どんなに親しい人間であっても、絶対にわからない。
 眠って、理性の制御のきかない混沌の中で夢を見るのが怖い。それは私を暴く。現実において理性的であろうと抑圧すればするほど、夢は残酷な様相を呈するようになる。とっくに理解している、この悪夢たちを退けようと思うのならば、現実をなんとかしなければならないのだと。現実のほうを、苦心なく生きていられるものに整えなおさねばならないのだと。
 わかっている。何を取り除けば悪夢から解放されるのか。何を手放せば楽になれるのか。わかっていて、迷っている。何を迷っているのかを考えている。
 いつか、それをついに捨てられる日が来るまで、夜がくれば私は諦めてまた眠る。眠って、悪夢に苛まれる。そうやって自分を罰する。考えて考えて考え抜いて、それでもどうしても手放せないというのなら、醜い怪物に喰われて、喰われ果てて、この心がいつか消尽するのを、果てしない絶望感に包まれて見守るだけだ。
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kachoushi · 2 months
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各地句会報
花鳥誌 令和6年8月号
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坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和6年5月2日 うづら三日の月句会 坊城俊樹選 特選句
ホロホロと鍬に砕ける春の土 喜代子 亡き猫の声かと覚む春の闇 同 四姉妹母に供へる柏餅 由季子 薫風にうだつの揚る港町 都 青嵐甍の波をひとつ飛び 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年5月4日 零の会 坊城俊樹選 特選句
誰待つや水子地蔵と風車 毬子 愛宕山水の匂ひのして立夏 光子 湧水の鯉は真珠になりたくて きみよ 虎ノ門ヒルズそれとも蜃楼 光子 そそくさと愛宕詣での蟻ひとつ 三郎 新しきビルの隙間にある新樹 久 常盤木の落葉は坂の底の底 小鳥 日傘手に男の上る女坂 昌文 虎ノ門ヒルズ這ひ来し蚯蚓かな 美紀
岡田順子選 特選句
新緑の堂宇律する木魚かな 毬子 猿寺のへその緒めきし花藻かな 小鳥 耳に髪かけたる指が蝶を呼ぶ 和子 生まれては緋目高といふ名を借りて 小鳥 風車回らぬほどの風を受く はるか そそくさと愛宕詣での蟻ひとつ 三郎 馬駆けし愛宕山とは蝶ひとつ 俊樹 緑蔭のどれも過去向く拡声器 きみよ
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年5月4日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
壱岐対馬越えて釜山へ卯波立つ たかし 人を待つ昂りに似て卯浪立つ 孝子 春愁はもつれたあやとりの紐 修二 さまざまの風に出合つて若葉かな 孝子 逃水を追ひいくばくの疲労感 修二 しやぼんだま戦火の子らに向けて吹く 朝子 雲雀の巣踏み潰し行く重戦車 たかし チューリップ手足ふつくり乳母車 成子 八方に餓鬼うづくまる黄砂かな 朝子 糸柳お岩は細き指を垂れ 修二 十字架を仰げば風の薫りけり 孝子 廃校の土俵に花の散りしきぬ 朝子 卯波立つ沖を眺めて昼の酒 かおり
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年5月6日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
柿若葉母の天麩羅語り種 和魚 ふくよかに葉音さらさら風五月 聰 山匂ひ水音響く五月かな 三無 沖へ帆の連なりわくや風五月 聰 パステルを選びて描く若葉山 ことこ 浅間への雑木若葉の葉音きき ます江 岩に波飛び散る光五月来ぬ 秋尚 日に濡るる若葉見上げつ峠越ゆ 三無 鯖街道歩きしところ穂高見ゆ ます江 甥つ子の声変はりして五月来ぬ 美貴 風五月江の電海へ大曲り 三無 思ひやる言葉を選び五月の夜 貴薫
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年5月6日 花鳥さざれ会 坊城俊樹選 特選句
蛇穴を出でて振り向く顔もたず 雪 聞きに来よてふは椿の落ちる音 同 女踏む如く男の踏む椿 同 藤房の先に見えざる風生まる かづを 葉桜の神社まはりを鎮めをり 匠 アイリスを活けてサツチモ聞く深夜 清女 朧夜や母に逢ふ夢覚めやすき 笑子 荷を解けば青き匂ひの莢豌豆 希子 葉桜や旧制校のありし跡 泰俊 万象の輝く五月来りけり 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年5月11日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
やはらかき音の騒めき若楓 秋尚 結び目に母の思ひの粽解く 百合子 リハビリを終へて正午や街薄暑 恭子 中子師を偲ぶ五月の句座なりし 亜栄子 樟若葉風に煌めく音静か 秋尚 海の風山の風吹く捩花 亜栄子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年5月12日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
何某の宿祢の杜やかかり藤 都 花祭瑞雲を呼ぶ釈迦の指 宇太郎 余花の雨幹の裂傷深くして 都 新緑にろ過され朝の息甘し 佐代子 手に湿り春椎茸の肉厚く 和子 葉桜の土手ゆく白き犬曳いて 悦子 老眼のルーペで愛でし花楓 宇太郎
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年5月13日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
後遺症無いとは云へず蝶の昼 清女 福助の貯金箱あり五月晴 ただし 手鏡の髪なで乍ら土用干し 世詩明 戻り来て剥がす日めくり四月馬鹿 ただし 花卯木友と語りし通学路 英美子 金色の囲む在所や麦の秋 みす枝 夏来るシャンパングラス走る泡 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年5月13日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
紙灯篭復興祈る輪島初夏 みえこ 初夏の列車に恐竜描かれし あけみ 花水木街路にいつか咲いてをり 令子 折紙の金環太き鯉幟 実加 祭町子等のよろこぶ菓子選び 令子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年5月14日 萩花鳥会
鴨ゆきて燕戻りて川住居 祐子 花の雨抜けて仮眠の深夜便 健雄 残されしボール一つに浅き夏 俊文 更衣する間も無くて半袖に ゆかり 水田の浅瀬泳ぐや鯉のぼり 明子 急階段挑みて天守若葉風 美恵子
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令和6年5月15日 福井花鳥会 坊城俊樹選 特選句
扁額の一字が読めず梅雨の宿 世詩明 若葉風わらべ地蔵をつつみゆく 笑子 お精舎の風鐸ゆらす梅雨晴間 同 路地裏をしよぼしよぼ歩く梅雨鴉 希子 獣めく匂も混じる草いきれ 泰俊 古りたりな三国祭の誘ひ文 雪 牡丹を切りて一日の贅とせん 同 牡丹に待てば現れさうな人 同 退屈を欠伸してゐる葱坊主 同 椿落つ終の一花と云ふ色に 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年5月17日 さきたま花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
葉桜や百葉箱はぽつねんと 月惑 黙祷の黙に扇子の音止まず 裕章 古民家も古木も包む若葉風 泉 せがまるる父の草笛音の出ず 康子 十薬の干されしままに家売られ 順子 蚕豆は反重力の世界とも 月惑 朝日受け夜来の雨に光る薔薇 彩香 道をしへ誘はれ来れば妓楼跡 裕章 薔薇一輪仏に供へ留守頼む 順子 祝酒ちよこに浮き立つ夏の月 同 結跏趺坐する禅堂に蚊は廻る 月惑 お互ひにためらひもなき更衣 八草 母の日や乳を持ちたる大銀杏 紀花 菖蒲田に挙るサーベルの直線 月惑 五月晴れ複々線の縄電車 良江 母の日の無口の兄の大あくび としゑ 掌に乗る子猫にも髭のあり みのり 夏館蒼穹の野へ開け放つ 裕章
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年5月19日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
万緑を深く映して奥の池 亜栄子 師の句碑に句友の墓碑に黒揚羽 三無 沙羅の花散りて積れる密寺かな 慶月 雨雲の近づく気配蝸牛 久 草むらに昼顔溺れさうに浮く 秋尚 十薬の花もかをりも無縁墓と 亜栄子 D51は永遠や夏野に据ゑられて 久子 新緑のメタセコイアは太古の香 久子 蛙田に昭和の声の残りたる 千種
栗林圭魚選 特選句
子等のこゑ池塘に生るる太藺かな 幸風 鮮やかな青翻へし瑠璃蜥蜴 久 一面の青草の丘登り急 軽象 師の句碑に句友の墓碑に黒揚羽 三無 沙羅の花散りて積れる密寺かな 慶月 暗闇坂薄暑の袖を捲りけり 斉 老鶯やメタセコイアの闇を抜け 亜栄子 新緑の森に山鳩奥の池 経彦 隠沼の静寂破りて蟇 芙佐子 新緑の木漏れ日揺るる年尾句碑 経彦 寺出でて定家かづらの香に触るる 秋尚 キャンパスに続く山道夏薊 久子 花卯木森の昏さに寄り添ひし 斉 草むらに昼顔溺れさうに浮く 秋尚 峠路に仰ぐ卯の花空重く 芙佐子 寄せ墓に甘茶の花の日和かな 亜栄子 ひと筋に姫沙羅の花すつと落つ 秋尚 隠沼にメタセコイアの新樹光 幸風 お絵描きの子らや泰山木の花 斉 野薊のぱつと明るき母の塔 文英 日ざしきて暗さ呼び込む新樹蔭 千種 石仏の眼にも優しきさつき雨 軽象 切株に園児忘れし夏帽子 経彦 菖蒲田の間に間に低き白菖蒲 久子 新緑のメタセコイアは太古の香 同 走り茶を呷り民話の始まれり 経彦 堂前に沙羅の花散る僧の留守 亜栄子 初夏の少し気怠き二人の歩 斉 庫裡裏に零れる実梅夥し 芙佐子 蜘蛛の囲の元禄仏の肩に揺る 慶月
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年5月22日 鯖江花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
覗くまじ編笠百合の笠の中 雪 伊勢神楽牡丹の庭に舞ひ納む 同 大蚯蚓這ひ出て暗き穴残る 同 花は葉に店に残りし桜餅 ただし 大杉も岩も当時の夏の庭 洋子 かづら橋渡りきりたる夏の声 紀代美 万緑に全身染まる露天風呂 みす枝 胸奥は語らぬことに草を引く 一涓 春炬燵触れたる足のなかりけり 世詩明
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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sekai999 · 2 months
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夢日記
2024/09/13 寝れないなと思いながらただだるい体を少しでも楽にするために良い体制を探していた。最終的に平たい長座布団の上に寝そべっていた僕の上半身前面がやけに涼しくて、少しヒリヒリするような脳の認識を感じて視線を下ろしたらむき出しの臓物とも取り難いそれ、が見えた。臓器に対する知識の上での解像度が低いから臓物もどきに変換されたのだろうなと思うのだけれども。 ただどうすることもできなくて、どうしてか動けなくて薄暗がりで鈍く輝く臓物もどきを眺めることしかできなかった。ずっと見ていたら不規則に動く心臓のようなものや腸がだんだん膨張していっているように見えてきて、飲まれてしまう、と思ったら目が覚めた。04:23だった。短い時間だったのに大変不思議な夢だった。 膿んだ傷口が風に当てられて痛む感覚の延長みたいなものをずっと感じていた。
2024/08/22 気がついたら僕は、知らない家庭の団らんというものに混ざっていて、見知った顔を持ったヒトと世界を旅していた。それらしい彼等の風貌をしていて内面は少し違っていて、戸惑いながらも地球にある国々を巡って、世界の様々な人に出会った。様々な文化に触れた。どうしてか各国が地続きの世界で、さいごに見たのはさっきまでともに旅をしていたヒトたちの笑顔と片手に握った金魚が泳ぐビニール袋だった。 この世界はずっとどこかずれていた。例えば、F国では銀色の箸を使って食事をしていたし、最期に行ったA国では、なぜか室内でJ国のお祭りを行っていた。屋台で出される食事はまるで配給や給食のような出し方だった。知っているようで異質なお祭りの空気をどこか遠くで眺めているような気持ちで屋台を見回ったりして、屋台のヒトと何気ない談笑を交わして。 それなりにお祭りを謳歌したあと、お祭りの熱を冷まそうと散歩をしていると眼の前に両手ではとても覆いきれないくらいに広い青が目の前に広がった。 溶けてしまいそうな曖昧な水平線に心を惹かれ半ば引きずられるように、操られるようにそちらへ歩いていく。急に視界の下の方にあったはずの地面を見失った。さっと緊張で滲む手汗を握り、足元を見ると崖だった。間一髪で落ちることなく地を踏みしめた私は眼の前に広がる初めて見る光景を見つめていた。自分の知っている海ではなく怖いくらいに鮮やかな海だった。 ずっと見ていたら呼ばれてしまうんじゃないかと思ってしまうくらいにそこの見えない海と、曖昧な空のどことなく低いのに確かに届かない雲の流れを目で追っていると、後ろから誰かの声が聞こえた。迫りくる明るい声がする方に目を向けると、旅をともにしていた人たちだった。 『良かったね、見つけられたね。』何かを祝福するふうにそう言いながら笑顔で近づいてくる。まるでこの旅の終着点にたどり着いた、みたいな終わりの空気を手のひらに感じながら戸惑っていると急に全身に空気を感じた。紐で縛られたりしていない金魚の入った袋の口が手から離れる。 最期に見たのは離れていく彼らの笑顔と、空を泳ぐ金魚と落ちてくる空だった。 普通に人生の終点だった。
2024/07/27 真昼。僕は確かにさっきまで友人とピクニックをしていたように思う。あちらの世界では遊歩道ではない場所がこちらの世界では何故か遊歩道になっており、そこになんの違和感も抱かなかったくらいには楽しいピクニックだったのだろう。そんな優雅なひとときなど一瞬だった。 「火災発生 火災発生 外出中の方は直ちにお近くの避難所へ___」 突然目も覚めるくらいけたたましいアラートとともに防災行政無線から“乾燥による火災の大量発生”を知らせる声が聞こえてきた。それを聞いても何故かのんきだった僕らはすぐには動かなかったのだが、ふと香ばしい香りが漂ってきた。そちらの方に目をやると一本の生まれたての煙柱が見えた。小規模の森と言いたくなるほど鬱蒼と生えた川岸の草が例によって火を起こしてしまったらしい。 真横で火災が起きている。 事態に気がついた僕達2人は鞄を抱えてあちらの世界には存在しないエメラルドグリーンと白の可愛らしい建築デザインの避難所へ駆け込んだ。何故か裏口から。 避難所の中は学校のように机が規則正しく並んでおり、床も机も一目でわかるくらいには木製だった。すぐに不安な気持ちでふと窓の外に目をやるとそこそこ離れた小学校の方から大きな煙がたっているのが見えた。そちらの方に住んでいる知人らに思いを馳せながら避難所の中を一周する。幼少の頃の日本国外にいるはずの友人や、既にもうこの世にいないはずの人が普通に生きて不安そうな表情を浮かべながら雑談をしている。そんな彼らに懐かしさを覚えて僕は思わず声をかけたが、一瞥すらくれなかった。僕が幻覚をみているのか、僕が幻覚なのか彼らに気がついてもらえることはなかった。 出かける際に持ってきたカバンのほか何も持っていなかった僕らはまだ火災の起きていない方に位置するスーパーに向かおうと避難所の外へ出た。 しっかりとした避難所の冷たい扉を開けいざ出発と思い左右に視線をやると、ちょっと先にある小学校の頃の同級生の家が燃えていた。緑色の芝生も雰囲気のある重い扉も面影がないくらい火の塊だった。 遊園地もブランコの周りに生えていた公園の木々も山も赤く染まっていた。 この世界の終わりを突きつけられた気持ちで即座に避難所へ引き返し、窓の外にまた目をやると避難所の真横の空き地が燃えていた。逃げ場などどこにもなかった。
2024/07/XX ⚠微グロ “目が覚めたら”真っ暗な世界にいた。真っ暗で周りには何も見えないのに自分の手足や足元は目視できた。 不思議に思いしばらくぼーっと周りを“眺めて”いたら極僅かな小さな小さな何かが這いずるような音がした。 音のした足元に目をやると白っぽいグレーっぽい、発光したような細長い何かが蠢いていた。(以下ミミズと称する) あまりのおぞましさに暫く嘔吐いていると足元にミミズが落ちてきた。動揺が引き金となって必死にせき止めていた何かが溢れ出すように吐いた、はずだった。でてきたのは想定とは異なる吐瀉物だった。胃液ですらない。ひたすらミミズが溢れてくる。自分でもわかるくらいに青ざめて真っ白になっていく床に膝をつく。潰れるミミズの体液は真っ青だった。この生物が何なのか自分から溢れてくるのは何故なのかぐるぐる考えながら、一度壊れた堤防からあふれるミミズをただひたすらに吐き続ける。長い時間休まることなく吐き出される苦しさに涙が浮かぶはずなのだが体内には彼らしか詰まっていないのかミミズしか流れてこなかった。自分の手足が次第に骨と皮になってもなお体からでてくるのはそれだけだった。 長く感じられた時間の末空っぽになった体は次第に真っ白な海に近づいていく。薄れる意識の中で最後に見たのは何だったのだろう、僕は目を覚ましてしまった。 とても冷たい世界だった。
僕はいつものように窓枠に座って時計アプリを起動させたスマホを見ていた。 ずっと前に開始させたストップウォッチの画面は止まることを知らずにずっと動き続けてくれるので安心するから。 どれくらいの時間が過ぎただろうか、突然固いはずのスマートフォンの画面がゆがむ。あまりの突然さと俊敏さに半ば寝たような脳みそを起こすまもなく液晶に飲まれる。体に纏わりつくスマートフォンの熱を感じながら意識を手放した。 意識を取り戻すと三人称視点になっていた。 僕の先程まで座っていた窓枠付近には持ち主を失ったスマートフォンが落ちていた。そのスマートフォンにおそらく僕らしき人がドロドロした液晶に飲まれていくその光景をどうすることもできずにただ見守っていた。見守ることしかできなかった。 無機質なはずの板が生命を帯びたかのように、確実に僕を飲み込もうとしている意思をもったかのようにさえ見える飲み込まれ方。 何故か無抵抗に飲まれていく僕の体。 黒っぽい液体にじわじわと飲まれ、見えなくなっていく体。 三人称視点にも関わらずリンクする“息苦しい”という感覚。 体に纏わりつくスマートフォンの熱。 普段のような苦しさはないが多少の焦りを感じた。そこにいる僕が飲み込まれきったらそこはどんな世界なのだろう、薄ぼんやりと眺めては三人称視点の僕もどうにか動こうと試してみるが壁になってしまったかの如くびくともしなかった。 暫くして髪の毛1本まで飲まれてしまった僕はその後何時間見つめてもでてくることはなかったし、三人称視点の僕もまた、どれだけ動こうとしても動けなかった。 ただどこまでも底へ引きずり込まれる感覚を最後に僕は目を覚ましてしまった。 先程まで生命を宿していた冷たいスマートフォンの時計は05:22。夢の中で最後に見た時刻だった。 今思えばもしかしたら三人称視点だと思っていた方の僕自身も飲み込まれている最中だったのではないか、などと思うが、一度中断してしまった世界である以上真相はスマートフォンの暗闇の中だった。そんな考察でもしながら僕はいつものように窓枠に座って時計アプリを起動させたスマホを見ていた。 ずっと前に開始させたストップウォッチの画面は止まることを知らずにずっと動き続けてくれるので安心するから。
へんな養護施設に化け物と天災が来て、必死に逃げるも、もう選択肢 はないと思い下水管から逃げ、へんな科学者みたいなおじさんに拾わ れる。電波関連の管理や下水の管理、変な生き物の研究をしているお じさんのもとで助手として生活していたがある日、お使いがてら養護 施設を見に行くことに。そこであった少年を抱えてまたもや起きた化 け物と天災から同じ方法で少年を逃がし、自分は飛行して逃げたが少 年がなかなか見つからない。下水管の入口のようなもの?を転々とし て脱出口を探す少年をやっと見つけ出し局所的な天災と化け物の出現 の原因解明をする話。
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mame-trpg · 5 months
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❖KP❖
いぬさん
◈PL/PC◈
HO1:うーたんさん/Ava
HO2:しおまめ/海花
HO3:Uさん/クィーラ
HO4:ヒヅキさん/ルピス
▷▷ 全生還
以降ネタバレ有り。
現在通過中、未通過の人は【さらに読む】を開かないでください。
※Xからきた場合は以下ネタバレなのでスクロール注意。
END:A-1全生還で終了しました。
通過中ずっとめしょめしょしてたし「HO2がなにしたってんだよ!!!」ってなってましたが、HO2は魂HOです。HO2で通れてよかったですありがとうございました。
個別中に何があったかとか↓
【個別導入時】
子守歌を歌ってくれる両親の夢を見てるよってスタートでした。
人魚と王子の子守歌を歌う優しい両親に囲まれて、優しく頭を撫でられる、そんな幸せな夢です。
幸せ…だったんだな……ってこの時点で既に泣きそうになってしまって…だから余計に、終盤のあの、薬品棚のあれ…絶対海花知ったら壊れてしまうって思って…。
両親がどういう人達なのかというのをこの時点でわかってて、ちゃんと「愛されていた」ということが、「幸せだった」ということが感じられて、そんな両親が肉片になって狭い瓶の中に閉じ込められているって知ったら、絶対闇落ち待ったなしなので…言わずにいてくれた自陣に感謝しかないです…。
起きてイメルちゃんに夢の話をしましたが、イメルちゃんにこのとき「一緒に居るわ」って約束してしまって…ふせったーにも書いたけど、ああ~~~約束してしまった…ってなってしまい…。
海花は「いつか外に行ってみたいけど、イメルが悲しんでしまうから誰にも秘密にしている子」だったので…「一緒に居る」も本心ですが、「外に行きたい」とも思っていたので、苦しかったですね。
結局最後の最後までイメルちゃんにも自陣にも「本当は外に行きたいって思ってたのよ」って吐露しなかったので、海花は多分ずっと誰にも言わないんでしょうね。CSに書いた「誰にも教えてあげないわ。これは秘密。秘密なの。」はここにかかってたんですが、これを最後の最後まで貫き通して終えるとは思ってませんでした。
【初日夜個別】
ここでは族長に髪を撫でられる夢を見たんですが、その夢の中で八尾比丘尼伝説の話をしました。
「伝説を信じて自分達のことを欲しがる人間がいまも存在している」的なことを族長が言ってまして、そのあとなんか鈍い音がして水が赤く染まっていって、見上げたらさっきまで話していた筈の族長が肉片になってるという夢で…。
夢…だった……ってほっとしたらなんか、頭を撫でられる感触があるし、一緒に寝てたイメルちゃんが青ざめて一点を見つめてまして……あの、本当にここ、こわかったです。
『見る』って決めるまでにこわくて少し時間もらってしまうくらいには海花もPLも怯えました。
まあ、見たら見たで、なんか見たことない人間の手が髪に絡まってたんですがね。ホラーでした。ホラーでしたね。
族長の手じゃなかったことには安心しましたが、こわかったです。
【2日目夜】
イメルちゃんと族長と食卓を囲んでるシーン。
本当の家族じゃなくても『本当の家族』と変わり映えのない、幸せな空間でした。
ここはふせったーにも書きましたが、PLは族長と会話して「ああ…消えちゃうのか…」って察してたんですが、海花は『察する』まではいかないけど、会話の流れで『何か不安を感じる』ことはあるかなとも思ったので「まだいなくなったりしないわよね…?」って聞きました。
何も答えなかった族長に、どれだけ海花のことを愛してくれているのか感じることができて、抱きついて甘えて、イメルちゃんも呼んで3人で抱きしめあって、「幸福だよ」って3人で伝えあって、私はこのシーンがとても好きです。
そうして眠りについて、夢を見ました。
子守歌の夢。けれど内容は違っていて、王子は別の女性を愛して、王子のために人魚は自らの身を投げだした、そんな悲しい夢。
そんな夢を見て、泣きながら起きて、朝食を食べにイメルちゃんと向かったら、いつも食事の用意をしてくれているはずの族長の姿がなくて…ぼろぼろ泣かないわけがなくて…。
めしょめしょしながらメインに戻ってめしょめしょしながら夜休憩に入りました。めしょめしょするしか選択肢がない。
卓後に族長は海花とイメルちゃんを守るために自分が犠牲になろうとしてたって聞いてまた泣きそうになったんですけど…族長……愛…愛です…。
【4日目夜】
族長のお部屋を泣きながら掃除するイメルちゃん…苦しい…ってなりました。
一緒に族長のお部屋片づけてたら、なんか…あの……族長の手記に、イメルちゃんのトラウマとか、人間に仲間が捕まってることとか、管理施設に仲間や、自分達の両親が居るかもしれないこととか書かれてて…頭一瞬真っ白になりました。
人間って愚か。愚かだ。本当に。
イメルちゃんと話しをしているとき「逃げよう」と言われて、海花は正直に言うと本当はすごく嬉しかったです。
「外は恐ろしい」と言っていたイメルちゃんが、自分と一緒に逃げることを望んでくれて、嬉しかったです。本当は嬉しくて、その言葉に頷いてしまいたかった。
でも、イメルちゃんのトラウマの話も聞いて、族長の手記や自陣や自分の仲間達のことを考えたら、頷くことはできなくて…。
何よりも、『人間をこのままにするのは嫌』でした。
海花は綺麗なものが好きだから、海や珊瑚、魚たち、仲間たちの笑顔、陸にある見たことのなかった花や木の実。そういった自分の大好きなきらきらした綺麗なものが、これ以上人間達に穢されるのは絶対に嫌で、何よりも、一番大切なイメルちゃんにトラウマを植え付けて、苦しませる人間が許せませんでした。
お話を終えて、部屋を後にしてから管理施設に向かう前に、イメルちゃんに「必ず帰るから待っていて」という旨を書いた手紙を残しました。
手紙にはその日の昼間、ボーゲンハイト族の区画で彼女のために持ち帰った赤い小さな木の実と、スノードロップ、自分のウロコを添えて。
【チェイス後NPCとのやり取り】
KPの機転で戦闘とチェイス後にそれぞれのNPCとゆっくり会話する時間を設けてもらえたので、いっぱいお話できて嬉しかったです。ありがとうKP。HAPPY。
最後の最後にイメルちゃんの鼻先にキスをしましたが、海花は「恋愛」というものを全然これっぽっちも理解してないので、無自覚です。
ただ、クィーラさんとギルバートさんが話してる間、イメルちゃんと抱きしめあってくるくるしたりしてる間に、「愛しい」「キスしたい」と海花が思ったので、鼻先にキスしました。
鼻先へのキスの意味は「愛おしい」「守りたい」「可愛がりたい」です。
イメルちゃんとお話してるとき「ずっと一緒よ」って言ったんですが、導入時の「一緒に居る」は罪悪感混じりのものだったのに対して、ここで言った「ずっと一緒よ」は何の混ざり気のないのものだったので、個人的に嬉しかったですね。ちゃんと、罪悪感を抱えずに、イメルちゃんと約束することができたので。
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【シナリオ後】
卓後にKPに聞いたら族長は族長に復帰しないと思うとのことだったので、イメルちゃんと2人で族長になります。
海花が『種族』よりも『個』の方を大切に思う子なので、『種族』の垣根を越えた催し物とか、交流とか、そういったものを強く望むと思うので、族長になったならなおさら他種族との垣根をなくしていく方に力を入れると思います。
もし仮に『種族』が減ってしまっても、『ひとりぼっち』にはならなくて済むように、『個』を大切にしていく、そんな族長になると思います。
「死んでも泡になって消えたりしない」ことがわかったいま、それをちゃんとフィリグのみんなには伝えるでしょうし、赤裸々に言うことはしないにしろ、人間がやっていたことを伝えることはすると思います。自分が感じたことや、自分がいま考えていることとか、想いとかそういったものも全部、しっかり伝えると思うので、まあ、海花なら多分大丈夫なんじゃないかなとは思います。
お墓というものがあることを知ったので、お墓を作りましょうってなる気はしますね。
あと多分石板は壊して大丈夫なら壊します。
二度と悪用され���いようにみんなに協力してもらって粉々にします。
アウブリック族の区画に居る飛べないアウブリック族のところにはちょいちょい顔出してる気がしますね。
彼等には彼等にしかできないことがきっとあると考えて、「ねえ、空が駄目なら水の中はどうかしら?」とか言ってフィリグで協力者募って泳ぎを教えたりしそう。実際ペンギンとか居るから泳ぎの方が全然得意なアウブリック族普通に居そう…。
「泳ぎが駄目なら歌は?」「踊りは?」「走るのは?」って彼等にとっての「自信」に繋がりそうなことがないかいっぱい考えそうですね。
ボーゲンハイト族の区画はまだまだ危険でしょうから、1人で近付くということはしないけど、ゆっくり少しずつでも他のボーゲンハイト族もまたみんなで過ごして、他種族とも交流できるようになっていったらいいなと思っているので、ルピスくんにお願いしてたまに連れて行ってもらったりはしてると思います。
管理施設にはAvaくんに会いにちょいちょい行ってるし遊びに行きましょうって言って外に引っ張り出したりしてると思います。もちろん他PCも巻き込みます。みんなで色んなものを見て笑って過ごしてほしいです。
あと終了後にも言いましたが、海花は両親や仲間の痕跡がないかと探し続けてると思うので、多分他PC達が見てられなくなるんじゃないかと…特に自陣で唯一行く末を知っているAvaくんが…。
教えるということはしないって言ってましたがPLもそれはあまりにも酷だからしなくていいと思ってるので、全然しなくて大丈夫ですが、いつかふわっとでいいので優しい嘘をついてあげてほしいです。Avaくんにまた嘘を吐かせてしまうことになるので申し訳ないんですが、それで海花は間違いなく救われるので。
瓶に入れられた肉片たちはそっと海に還すなり埋葬するなりしてもらえると嬉しいです。
形だけでもってお墓とか建てるのかな…海花は建てることを望みそうですね…建てるなら慰霊碑になるんでしょうね…。
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【自陣に対して】
HO1:Avaくん
「Avaは白色の宝石。しろをぎゅっととじこめたような…そう、あのときみつけた、スノードロップのような、小さいけれど、つよくさきほこる、そんな宝石なの。さみしいと泣いたあなたは、ちゃんと生きてるわ。あなたの居場所はちゃんとここにあるわ。大丈夫。さみしいときは歌いましょう。Avaの歌声は無垢できれいよ。私はいつでもあなたと歌うわ。一緒に色んなものを見て、色んなことを感じて、笑って、泣いて、生きていきましょう。そうすればきっと、あなたの白色は、もっともっときれいできらきらしたものになるわ。」
HO3:クィーラさん
「クィーラはブラウン色の宝石。傾けるとキッとするどく光るけれど、真ん中の方はやさしく柔らかにひかるのよ。そう、まるで木々の幹のような、つよさとやさしさをもった、そんな宝石なの。それから少し、パパみたいだなって思うわ。きっとあなたがやさしいからね。またあなたの背中に乗って、空を飛んでみたいわ。今度はイメルも一緒だと嬉しいのだけれど、だめかしら?自分の選んだ道で、大切な人をかなしませるかもしれないって悩んだあなたは、とてもきれいよ。それにね、ほら、大丈夫だったでしょう?だってあなたには、共に歩みたいと思わせるだけのつよさがあるもの。」
HO4:ルピスくん
「ルピスは紫色の宝石。真ん中にね、おほしさまのような光が入った宝石よ。そうね、夜と朝が混ざって、やわらかな紫色に染まることがあるでしょう?そんなやわらかでやさしい、けれどなかにつよさをぎゅっと詰め込んだようなそんな宝石なのよ。ルピスのふわふわしたしっぽも、ぷにぷにのにくきゅうも大好きよ。大切な人を守るために、誰かを守るために、戦えるあなたはかっこよくて、とてもきれいよ。そんなあなたならきっと、一族をまとめられるんじゃないかしら。だってあなたはそれだけの力を持っているもの。そんな未来を、私は見てみたいって、そう思うの。」
『海花』で行くことができて本当によかったです。
海花に優しくしてくれてありがとうございました。
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【ふせまとめ】
※随時更新※
ふせ①
ふせ②
ふせ③
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derspericher · 5 months
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Republic of Palau
初めて日本を出たのが小学4年生。母の意向で市の友好青年使節団の研修へ参加し、10代は日本と戦時中に関わりがあった幾つかの国々を研修で訪れた。
友好青年使節団の渡航準備は、まず半年をかけた研修から始まる。定期的にフォーラムに参加し、渡航先と日本がどのように関わり合っていたのか、彼らの文化はどのようなものなのか、戦時中何が起きたのか。事前に相手の国へ行く目的をはっきりさせてから行った。文化交流の一環として、相手の国民的な歌を覚えて合唱曲を互いに送り合ったり、時にはホームステイもした。言���の壁を越えていく適応力と、歴史的・文化的背景を知り、多角的な視点を持って相手に歩み寄ることをここで着実に学んだ。
使節団として私が渡航した最初の国が、パラオ共和国。私はパラオ無人島体験のプログラムに参加した。初海外で無人島島流し体験、私が何も考えてない子供でよかったね、と思う。
パラオは西太平洋に位置する、500以上の島が集まってできた共和国だ。日本とは歴史的な関わりが深い。第一次世界大戦後に日本の統治領土として一時的に統治されていたことが大きく影響している。パラオ語の中には日本語が混ざっていることで有名。
参加時はもちろん戦地学習としてぺリリュー島などの激戦地には行ったけど、無人島で過ごした時間が衝撃的すぎて全く覚えていない。大人より子供の多い無人島サバイバルツアーが組まれ、今となっては考えられないようなプログラムが組まれていた。子供達のメンバーはうろ覚えだけど、明るい子、教室の隅にいるような子、不登校の子、など、決して外交的な人間が揃えられたわけではなかった気がする。大人はマジシャン、理科講師、主催者、現地のツアーガイド数名だった。「理科」「エンタメ」「現地民」「計画者」、そしてさまざまな性格の子供たち。今思うとほぼ漂流教室。やばすぎる。
プログラムがスタートしてパラオのコロール市に数泊した後、いよいよ無人島へと皆でボートで向かった。日中、干潮の時間に水の中をじゃぶじゃぶと歩きながら島へ上陸したのを覚えている。海とその島以外、何もなかった。
白い砂浜を米粒ほどの小さなヤドカリがウヨウヨと歩いていた。島に入ってすぐ見えるヤシの木には、前年度のプログラム参加者が作ったお手製の木のブランコがかかっていた。
無人島生活は、まずシュノーケリングから始まった。小判鮫がウヨウヨいる海を泳いだ。エメラルドグリーンに包まれながらずっと向こう側まで澄み切っている海。海そのものの世界が、水族館くらい透き通って見える。私の横をスイスイと泳ぐ魚たち、とサメ。サメ、ほぼサメ。とはいえど、小判ザメだ。人間を襲いにくる様子もなく、ちいさな群れを成して悠然と泳いでいた。最初は怖くて仕方がなかったが、何もしてこないとわかると俄然楽しくなって、一緒に近くで泳いだのを覚えている。
午後はテグスと小さな針のみで魚釣り。釣った魚はその日の晩御飯になると聞き、みんな果敢に挑戦し、小判ザメを釣ったり、小さなミノカサゴを釣ったり。「食べなければ生き残れない」という無意識のもとで命を獲り、それを食べる。「人間という動物」らしい瞬間だ。海を生きるものと泳ぎ、その群像の一つを食べた。このサイクルを体感して、命がもっと不思議になった。
日が沈んだ頃、壁のない木の小屋に集まり、釣った獲物の鍋を突いた。マジシャンがマジックを披露していた最中、その向こう側からふらっと現れた巨大なヤシガニに一同騒然とした。ヤシガニはマジックのタネではなかった。ガイドが木の枝を使って捕まえて、理科講師が「ヤシガニのハサミは人の親指をパチンと切る」と言っていた。鍋で煮て食べた。捕食者でよかった。私の指は残った。ヤシガニのハサミは美味しかった。
ひとしきり食べ終わった後、みんなで浜辺で焚き火をした。ここで理科講師「おじい」が星の名前を教えてくれた。南十字星という、南の島でしか見れない星が稀にあることを覚えた。私たちは見ることができなかった。見れなくても美しかった。
焚き火を囲みながら、ずーっと将来の話をしていた。火を知ってから夜を知ったんだな、人類って。6年生の男の子��やたら悩んでいたような気がする。元気かなー。
そのあとは硬い木の床にみんなで雑魚寝した。肌が砂でざらつき、湿気でベタついていた。少しぬるい風を感じた。月が大きかった。『時間』という概念を忘れられた。何もかもが自然の流れと共にあった。
夜明け、薄明かりに照らされて起き上がり、理科講師おじいを起こした。一つだけ光る星に、「あれは何の星?」と聞いた。「あれは朝と夜の間にしか現れない金星という星だよ」と教えてもらった。朝日がすでに登ろうとしていたからなのか、眩しくて仕方がなかったのを覚えている。このパラオの旅で、もっとも忘れられない瞬間。
無人島から帰る時、「帰りたくない」と駄々をこねた。ガイドさんに「残るか?」と聞いてもらったのを覚えてる。泣く泣くホテルに帰り、夕方にレストランで、コウモリをそのまま煮たスープを食べた。コウモリはシャケの味がした。ホテルに帰ってベッドで寝ても、食事だけは相変わらずビーストモードだった。パラオでの無人島体験は、地球と邂逅した時間。
当時、日本の児童館でPCで毎日フラッシュ倉庫やYouTubeを漁っていたザ・インターネットキッズの私にとって、すでに情報の海はみじかなもの。タイピングも上手くなってきた頃、全ての電子機器を置いて無人島に行った。今もインターネットは好き。今はさまざまな情報をもっともっとインターネットで簡単に得られる時代。なんだって知ったような気になれる。サイテー。
でも、地球は大きく、広く、丸く、そして変化し続ける命。その未来には私たちと同様、死が待っている。四角いフレームや文字の羅列で切り取れるようなサイズの事柄は、最初から地球にはない。知り尽くせない文脈がある。本物を知りたければ、自身の身体を持って、本物に触れたらいい。そのアクションはとてもパワーがいる。エネルギーがいる。
旅好きな訳じゃない。どっちかというと、いつもは家にいるのが好きだし、観光目的で旅をしようとするとすぐ帰りたくなる。スタンプラリーが嫌い。単純に、私は知ることに興味がある。かつて起きたこと、起きていること、起きるであろうこと、地球にあることは知り尽くせない。遺跡、美術、絶景、人物、動物、エンターテイメント、文学、音楽、どれにしたって、「概要」を知っていても、本質に触れることとは知の獲得において、天と地ほどの差がある。本物に触れることで、真実そのものが伝わってくる。そして新しい感覚がこの体に生まれる。「そういうことだったのか」と、言葉にならない体験的な知の財産を得る。「知る喜び」こそ、私が旅に出る理由だし、私の人生の純粋な、何にもとらわれていない喜びなんだと思う。
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erairuka · 1 year
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2023.10.9
繰り返し重なる色んな色の影と泳いだ夜です
わたしは魚で、色々つついて泳いでまわるわけです
海の中を撮るために買ったカメラを水浸しにする覚悟ができて、というかその機会があったので水に入れた。
波に飲まれて右足が尾鰭になってしまった。
寒くなると、去年の鬱さがフラッシュバックします。
ちょうどダメになり始めたのがここらへん。
もう死んでしまおうと思って、家族に連絡して、社会人になって初めて帰省した日からはじまった。
「わたしはみんなに変わってほしくないと願うけど、そんなことは無理なので、つまりそういうことを考えるわたしはよくないのではないか」みたいな悩みを拗らせすぎたのだった。
帰省したらまず父母が変わっていた。
あれだけ喧嘩が絶えなかった両親はふたりで酒を交わすくらい仲が良くなっていた。
いいことなのに絶えられない。
父はソープランドの看板が大きくて面白いみたいなことを言っていて、母親がこんなんでごめんねと言って交通費をわたしの手の中に押し込めた。
祖父は杖をついて歩くようになり、もう遠くへはいけないと言いながら1時間半車を走らせていた。
そんな光景をみたら余計に落ち込んだ。
わたしは家族との関わりが苦手で、実家に連れて行く時は友達を連れて行くようにしていた。母は気を遣って父に会わせないようにしていたが、帰り際に父から お前、彼氏連れてきてるだろと言われてしまい 余計に家族関係を地獄にさせてしまった。
要はわたしに問題があるのだなと思った。
それから仕事が忙しくなり、激務で深夜まで残業して、寝るためだけに帰宅する生活をやっていたら動悸がひどくなっておかしくなって、冬になったらまたさらにダメになってしまったのだった。
お守りのように左の小指に切り傷を付けてから会社に行った。精神的におかしくなると痛覚は感じないとは嘘だと思ってたけどまあわかる気がした。
あれから家にいると自殺しかねないと思ったから無理矢理予定を作って家を出ていた。家にいるのが怖い。
家の目の前に大きな公園があるせいで、楽しそうにする家族の声と自殺しようかしないかで揺れる自分の精神状態が真逆すぎて頭が混乱する。
もう何も言わない方がいいのだと思う。
魚のように泳いでたいと思った。
仕事を辞めるために仕事を頑張るけど、辞めたらどうするのか分からなくて 頑張ることに意味を見いだせない。
風の冷たさは、生まれてから感じたことのなかった死への感情を呼び起こしてしまうので怖い。
また風の冷たい町に帰っていく。
誰かこの怖さから連れ去ってほしいと思う。
そのためなら連絡手段をぶっ壊されても、手足を縛られていてもまあいいなと思える。
多分まただめになる冬が来るのだと思う。
今年はどうしてしまおう 次また同じことがあったらちゃんと死にたくなるのかもしれない。
もう遠くへ泳ぐ気力などない
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oka-akina · 2 years
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新刊「イサド住み」 冒頭試し読み
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 おれは怖くてたまらない。おれにどうやら命みたいなものがあって生きているってこと、おれの体の隅から隅まで生き物で、心や記憶まであって、おれという生き物が死ぬまでずっと生きているってことが本当に怖いんだけどうまく言えない。怖い。べそべそ泣いている。おれの言いたいことわかるか。わかれよ。うまく言えなくてもわかってくれよ。あんたは怖くないのか。たまたますれちがった誰かの気まぐれな採点によりおれの発言の価値は決まってしまい、裁定はそうそう覆らない。おれは布団をかぶって絶望している。隠れている。おれの話は誰にも聞いてもらえない。  でも川と川が十字に交差しているところが好きだ。毎晩見に行く。十字の縦も横もとても静かで、川面に団地の明かりが揺れている。夜の運河は油膜を張っているみたいにとろりとして見える。流れているというよりあれはきっと震えている。実際、横軸の小名木川に流れはないようなものだ。隅田川と旧中川を結ぶ水路で、雨の後や風の強い日くらいしかはっきりした流れを見せないし、流れの向きもしばしば変わる。きっとここには始まりも終わりもない。  始まりも終わりもないけど階段がありエレベーターがある。扇橋閘門といって、二つの水門が並んでいる。閘門より東は海抜ゼロメートル地帯で、満潮時の海の高さよりも低い土地。川を遮断して水位を下げてあり、小名木川には段差がある。川底ではなく水面に作られた差。船が通るときは二つの水門の間に船を入れ、水位を上げ下げし、船は差を乗り越える。  夜の運河はにおいが濃い。潮のにおいとどぶのにおいが混ざって、三階のおれの部屋まで届く。水面にちらちら揺れる明かりは銀紙を丸めてまた広げたみたいな光で、夜の黒い水はそれらを飲み込もうとせず震えるだけ。水はとても静かだ。ねっとりと移動している。光もにおいも川の上にとどまっている。  さっき風呂から出たらスマホが震え、ムムくんからのLINEだった。昼間ムムくんからスタンプが飛んできたからおれもスタンプを投げ、スローペースの投げ合いが続いていた。おたがい焦らしあっていたというかはぐらかしあっていたというか、言いたいことはわかっていた。今日はムムくんが先に折れた。 「今くん明日ってひま?」  おれもそれを聞きたかった。ほっとした。続いて自撮りの写真も飛んできた。鏡に向かってスマホを向けていて、美容室の鏡だ。ムムくんのスマホケースはいつもステッカーとかチェキとか挟まっていて、折り畳んだ千円札も見えた。緊急用の金かな。靴の中に入れておくみたいな。ちょっと笑った。鏡の中の鏡には切ったばかりの後ろ頭も見えた。襟足とサイドがかなりさっぱりしていて、指でなぞったら気持ちよさそうだ。  自撮りのムムくんはマスクのゴムを一回くるりとねじっていた。きっともみあげにゴムがかからないようにそうしていて、おれも先月髪を切ったときそうやった。こうするといいですよと美容師さんが教えてくれた。コロナ禍に生まれた工夫、その共有。いつかぜんぶ収束したらこういうことは誰も思い出さないだろうか。  二〇二〇年が明けてすぐ、あれよあれよというまに世界中みんなが巻き込まれた感染症に関しておれから言えることはあんまりない。恐怖や混乱の波が寄せては返し、定まらない。ここ二、三か月かはなんとなく凪いだ感じになっている。か? わからない。なんとなくの雰囲気でそうだというだけ。慣れ。どうやら常識も見通しも変化し続けていた。おれは少し前の恐怖をほとんど思い出せない。おれは夥しい数の死者を忘れ、配られた十万円と二枚のマスクを忘れ、いまいま分かち合っているささやかな工夫を可愛がろうとしている。これもいずれぶっ壊れるとは知っている。死が数の話でもないのもわかっている。もしおれが、何か、たとえば呼吸器に疾患があったら、とてもこんな雰囲気任せではいられない。それじゃあおれには特権があるってことだ。  頭を拭きながら「髪切った?」と送った。明日がひまかどうかはすぐに返さず、といってもこれ以上拙い駆け引きや意地悪をしたいわけではなかった。なんとなく話の順序をいじくりたくなった。ムムくんとはアプリで知り合った。四つ歳下のゲイで、現状セフレの関係にある。そしてこれについては毎日、毎分検討しているけど、もう腹を括ろうと思う。おれはセフレのムムくんに恋をしている。そうしてムムくんには好きな人がいるからおれのこれは片思いだ。  聞け。おれの話を聞け。いや聞かなくてもいいか。どっちでもいいや。おれがここで話をしているってことだけ、おぼえていてくれたらいいや。べつにすごく話をしたいってわけでもないし、おれは話の糸口をつかみかねている。糸の端っこはここじゃない気がして手近なところをあれこれ手繰っている。とっ散らかっているし絡まっている。声の出し方だってうまくない。あーとかうーとか唸りながらともかくチューニングし続けていて、もうずっと、自分の出すべき声の高さを探っている。長いこと口ごもっている。でもこんなふうに音程にばかりこだわっているうちに歌い方を忘れてしまうんじゃないかってちょっと怖くなった。それでおれは手持ちのはさみで糸を切ってみた。とりあえず、ここから始めることにする。  ここはどこか? ここは運河沿いの歩道で、毎晩川面を見に行くのは犬の散歩のため。緑地公園を抜けて橋の下をくぐった。歩道の一部は艀になっていてこれも水位で高さが変わるが、おれと犬が歩くくらいではぜんぜん揺れない。 「台形、今日はたくさん歩いてるね」  おれは犬に話しかけた。小さい足を懸命に動かし、よちよち歩いている。ときどき立ち止まっておれを振り返り、そろそろ抱っこしてという顔だ。だめだよ台形、もうちょっとがんばろう。おれは話しかける。台形はふんふん鼻を鳴らしている。  台形というのは犬の名前で、白黒模様の狆。鼻ぺちゃ顔のか弱い犬だ。体の形が台形ですと誰かのブログに書かれていたのがなんだか気に入った。どうやって辿り着いたか思い出せない、知らない人の野良ブログで、たぶん「犬 飼い方」とか「狆 飼い方 コツ」みたいに検索していたらたまたま行き合った。  ほかのサイトや本では狆の体型はスクエア型とか四角とか書かれていて台形という語は見かけなかった。どこぞの誰かの語彙と気まぐれがおれの犬の名付けの根拠で、そういうめぐり合わせをなぜか素敵なもののように思った。おれはそういうものをとろうと思った。  そうして艀を歩いていたら、ぱしゃぱしゃぱしゃぱしゃ……と音がした。魚かなと思ったけどぱしゃぱしゃはけっこう長くて、まさか誰か溺れているのかと思ったが、川には何も見えなくてとても静かだった。念のため柵に上って辺りを見回した。水面に乱れたところはなくいつも通りに見えた。人影も水しぶきも見当たらなかった。いつのまにかぱしゃぱしゃの音も止んでいた。 「台形、どう思う?」このどう思うは水音のことでもあったしおれの恋愛の話でもあった。  ムムくんから「髪切った?」の返事はまだ来ていない。といってもまだ何十分も経っていない。でも明日ひまかどうかをスッと送らなかったことを早速後悔していた。ひまに決まってんだろ。台形が立ち止まったのでベンチに座った。おれのために立ち止まってくれた気もした。「明日は夕方からなら平気だよ」とLINEを送り、続けて「早いと寝てるかも。今日はこれから仕事で、今は犬の散歩してる」「明日の夜は仕事休み」と送った。しゅぽん、しゅぽん、しゅぽん。散歩中だから返信が遅いんだよとアピールしたつもり。会話はキャッチボールというよりジャグリングだろうか。空中のお手玉は二つ三つと増えていく。  すぐに既読がついた。「わーい」というスタンプが送られてきた。「前髪短すぎた気がしてきた……」「じゃあ十七時くらいに家行きたい!」しゅぽん、しゅぽん、しゅぽん。しゅぽんのタイミングが心臓の音と重なる気がした。だいぶ間の抜けた音だ。おれの恋はこういう音なのか。  お手玉だからべつに落っことしても気にならないのにちょっとのことで一喜一憂し、いったいおれはどうしちゃったんだろう。明日の夜が休みというのは前回会ったときに話してあった。夕方からならひまだよとすでに言ってあった。ムムくんはそれをちゃんと覚えていて、でもちょっと焦らして、連絡してくれた。そう思うとかなりうれしかった。  台形が歩き出した。チャッチャッチャッチャッと地面に爪がこすれる音が好きだ。小さい体の細い足。まあでもさっきの水音は溺れているような音ではなかったなと思い直す。切迫した気配はなく、プールでゆったりと泳ぐみたいな音だった。背泳ぎのキック、ストローク。誰とも競争していないときの静かなバタ足。ああそうか。おれはむしろ、誰か泳いでいるんじゃないかって期待していた。運河はいつも緑色に濁っていてかなり深い。とても泳げるような川ではないんだけど、一瞬可能性を夢見た。溺れていたら大変だなんてほんとは思っていなかった? 自分の心の中なのにおれは嘘をつきそうになっていた? 「まあ、嘘っていうのもちょっとちがうんだけどさ」  おれは台形に言う。べつに言わなくてもいいようなことだけど声に出して言う。台形はおれの足をすんすん嗅いでいて、体が動くと尻尾もふわふわ揺れる。白くて豊かな尻尾だから暗がりでもよく見えるが、夜の散歩には光るハーネスをつけておく。蓄光オレンジ。リードもLEDでぴかぴか光るからやけに賑やかだ。パレードとかお祭りとか、あるいはクラブ遊び? 台形自身はとてもおとなしくて内気な犬だ。いやおとなしくて内気なクラブ好きはおおぜいいるけど……。ああ。ほらね。おれの思考は訂正と注釈の繰り返しでとんちんかんな思いつきばかりしている。そうして、クラブってもうずいぶん行ってないなと思う。熱心に通っていたわけではぜんぜんなかったけど、人生のある時期になにがしか意味を持っていた場所が、今ではとても遠い。人生が思ったより長い。  さっき声の高さを探っていると言ったけどあれは比喩であって比喩ではなかった。ほんとにおれは声変わりのさなかにあった。ホルモン注射によって声が低くなり、ひげが生え、肌も硬くなった。生理はほぼほぼ止まった。そろそろ声は落ち着いてほしいけどどうも安定しない。  性別移行のいろいろ。この水面にも段差がある。三週間にいっぺん注射を打ちにいくが金がかかって仕方がない。でもおれはこれをやりたかった。高校生の頃からバイトばかりしてきた。いろいろの変化は二次性徴をやり直している感じだなあと思っている。それならばおれはいま思春期をやっているのかもしれない。もうすぐ三十だけど。  おれは何か? 元女子ですという名乗りは正確でない気がしているが、面倒なのでそれで済ませることはあった。女子だったことなんてあったっけ。でも、じゃあ、本来の姿、正しい状態に戻りたいんですという言い方も、それはそれでしっくりこなかった。他の人はどうか知らないけどおれの場合は。うまい言い方がわからない。  十字の縦軸、大横川を下っていくと仙台堀川とぶつかってまた十字に交わり、やがて大きくカーブ、またまた十字路。これを東京湾側に折れて平久川に入ると今度は五叉路になり、網目のように張り巡らされた水だ。大潮の晩、運河はぶよぶよ膨らんでゼリーみたいだ。  台形がにゅうっと体を伸ばしておれのひざにまとわりついた。なんの音かなんてわかんないよと言っている気がした。首の下の白い毛がオレンジの光に染まっている。扇橋水門の赤信号。夜は門が閉まってランプがついている。あれもコンクリートの柱を赤く染めていた。毛の黒いところはそうでもなかった。オレンジの光を黒が吸い込んだ。そうだよな、おれもわかんないよと顎をなでた。 「まあ魚か何かだろうね」  おれは台形に言った。「そうでなければ空耳だよ」とも。台形に話しかけているのか、台形のせりふもおれが一人でしゃべっているのか、自分でもよくわからない。  ああそうだ。おれはわかりやすい語り方をいつも探している。誰かの受け売りをがんばって身につけ、しゃべり、それがときどき屈辱的だ。おれがこのようにあるためにはわかりやすい物語とその語りが必須だなんて、なんだか馬鹿にされている。どうして男になりたいんですか? いつからそう思っていたんですか? やっぱりスカートは履かなかったんですか? ときどきおれはめんどくさくなって「死ぬほど悩んでるんです」とか「死にたいです」とか、可能な限り暗い声で言う。暗い顔もする。会話を遮断する。そうしてそれは、必ずしも嘘をついているってわけでもない。 「でも魚って夜でも起きてるのかな……」  とつぶやいてみたら、すかさず反論を述べるみたいにどこかでからすがぎゃあーっと叫んだ。台形はびくっと震えた。鳴き声は川沿いの倉庫の壁に跳ね返り、わあああんと響いた。両岸に建物が並んでいるからトンネルみたいになるのだろう。川の向こうで誰かがくしゃみしたのも聞こえるくらいで、天井はなくても反響する。あー。はいはい。そうだとも。寝ているやつらが突然目を覚ますことはある。あるいはたまたま夜ふかしの個体はいる。  おれもそういう個体だと言ってみようか。クリーニング工場で委託のドライバーをやっている。ちょっと前から始めた仕事。夜にコンビニやロッカーを回って集荷と配送を請け負い、ほとんど昼夜逆転みたいな生活になった。  ドライバーデビューはAmazonの軽貨物配送だった。これはおもに昼の仕事で、アプリでオファーを選んで好きな時間に好きな量だけ働き、というとなんだか聞こえはいいが、割り当てられた荷物を時間内に配り切るのはけっこう難しかった。小さい箱物ばかりで、物自体はそんなに重たくないが量が多く、積み込みがパズルみたいにややこしい。時間指定に慌てたり、マンションの宅配ボックスで誤配したり、知らない細い道を走るのも怖かった。でも一人でやれる仕事はいいなと思った。車の中は自分一人の空間で、自分の体の延長だ。  それで求人サイトを延々スクロールしていたら、今やっているクリーニング工場のドライバーを見つけた。業務委託。夜勤。けっこうレアな仕事だ。たまたま見つけたおれはラッキーなのだろう。まあ深夜労働の割には大した収入にならないし、がんばればAmazonの方が稼げるんだろうけど、ルートが決まっているので安心感があった。それもコンビニやマンションと工場の往復だから、わりあい運転しやすい道が多いのもよかった。荷物は服で、それなりに重い。ただ持ち方のコツを掴めば腰は傷めないと同業者のnoteやツイートを読んだ。腕の力だけで持ち上げようとしない。両肩と両足を荷物の正面に置く。筋トレと思えばなんとかなると知らない誰かが書いていて、これまた知らない誰かの知識や気まぐれにおれはかなり助けられている。そして深夜の配送はAmazon以上に個人プレーの仕事で、ほとんど人としゃべらずに済んだ。それが何より気に入った。  べつにそこまで人嫌いというわけではなかった。前に働いていた工場で、配置替えやら班分けやらの話の流れで自分はトランスであるとほぼほぼみんなにカミングアウトする羽目になり、なんかもう個人事業主になりてえな、なっちゃおうかなと思っただけ。  いやちょっとちがうか。ホルモン注射を始めたら見た目や声に変化があり、おれの場合はけっこうわかりやすい変化だった。カミングアウトするしない以前になんかもうばればれだよなと思った。ばれるという言い方もなあとは思うし、周囲の人にいちいち事情を知ってもらう必要はないんだけど、何かしら説明が必要なことはあった。それは何か書類の提出を求められるとかではなく、素朴な疑問や世間話に応じ、遠慮のない視線を浴びるという形でだ。マスクをしているからひげは見えない。じゃあ、コロナ禍じゃなかったらもっと目立ったのか。そして思い出したから言うけど、いつかちんこ生えてくるって思ってましたか? って質問はなんだったんだ。  悪い職場ではなかったしあからさまにひどい奴がいたわけでもなかった。なんていうか……、人と関わるとその手のコンフリクトが生じることはままあり、しょうがないよなという気持ちと、くそったれという気持ちは日毎、いや秒単位で入れ替わり、おれに中古の軽バンを買わせた。  一応言っておくけど、どうしておれがこうなのかって話はあんまりしない。たぶんあんたが一番聞きたいことだとは思うけど、きっとおれは話さない。べつに勿体ぶっているわけじゃない。なんていうのかな、いちいち説明しないほうがいいんじゃないかって気がしている。これについてはあとで言う。言いたいことだけ言うから、言ったことだけ聞いてほしい。言ってないことは聞こえてないはずだ。���こえたとしたら、それはあんたの想像だ。原則としてね。  今はクリーニング工場と、金がないときはAmazonもちょっとやっていて、ほんとにこれでいいんだかときどき不安にはなるが車を買っちゃったんだからやるっきゃない……のか? もうだめだやってらんないと思うたび居場所や人間関係を断ち切るみたいなことを繰り返してきた。おれはずっとこうなのか? 自問自答。決まった振り付けのダンスみたいにいつも同じことを考えている。  からすに驚いた台形はきゅうきゅう唸って伏せてしまった。ほんとに臆病で、前にドッグランに連れて行ったときも周りの犬にびびって縮こまっていた。おれはそういう台形が愛しくてたまらないし、内心ちょっとほっとする。おれも人目が怖いし、大勢の中で過ごすのは苦手だから。  びっくりしたよな、怖かったよなと台形のあたまをなでたらとうもろこしみたいなにおいがした。焼きたてのパンみたいなこともあるし、芝生みたいなこともある。においをかぐと落ち着く。おれも台形もおたがいにそうだ。マスクをちょっとずらして強く吸い込んだ。夜に散歩しているだけなんだからマスクなんてしなくてもいいのかもしれないが、顔を隠している方がリラックスできた。台形が臆病なのはおれの飼い方や生活リズムのせいかもしれないと思うことは思うが、べつに怖がりだっていいじゃんかとおれはおれに反論する。  台形をあやしながらムムくんに「前髪短いの似合うよ」と送った。もしかして明日おれと会うから髪を切りに行ってくれたのかな。さすがにうぬぼれかな。「そういう髪型好きだよ」とも送った。虫が鳴いている。りんりんりんりん、短い叫びを繰り返し、鈴の楽器を振っているみたいだ。  きみのことが好きですと言いたかった。言いたいのだと自覚したらへんにドキドキして、なんでも話してしまいたくなった。さっき川で何かぱしゃぱしゃ音がしたんだ。一瞬、誰か溺れているのかと思った。でもすごく静かなぱしゃぱしゃで、まるで誰か泳いでいるみたいな音だったんだ。せっせと文章を打ち込んでみたがしっくりこなかった。だって音の正体はわからない。それがどうしたって話にしかならない。送るかどうか迷って結局消した。代わりに「夜だけどからすがすごい鳴いてる」とますますどうでもいい話を送ってしまい、送った瞬間後悔した。どうでもいい話以上に、今からすはもう静かになっていて、辺りを騒がせているのは虫だから。べつにうそをついてしまったわけではないけど正確ではないことを言ってしまった。既読になったかどうか見たくもないがこういうときに限って秒だ。すぐにムムくんから「からすって夜も鳴く気がする……」と返ってきて、ほんとに恥ずかしくなった。  さるすべりの枝が街灯に照らされて、ピンクのフリルみたいな花びらが明かりに透けていた。濃いピンク。夏っぽいなと思ったけどもう九月だ。おれは花を見上げ、花を見上げるおれを台形が見上げていた。丸い目玉がつやつやしている。抱っこ用のバッグに入れてやるととすっかりすました顔だ。台形の体とおれの胸がぴったりくっついて、こいつのために今日もがんばろうと思う。やけに殊勝なことを考える。だからおれにとっては夜が朝だった。  やがてムムくんから「あっちがうかも、からすは明け方かも」とLINEが届き、「今度おれも台形の散歩行きたい!」「仕事がんばってね」と来たのでちょっとほっとした。台形の写真を送った。散歩中の写真。おととい撮った写真だから今日の台形ではない。でも今送ったら、今撮ったみたいに見えるのかな。何も言わなければわかんないのかな。  ムムくんからは「カワイイ」というスタンプが二つ飛んできた。きっと大事なことは二回言う。あるいは単に指先のしくじりでダブってしまった。おれにはそれがどっちなのか判別できない。想像することしかできない。じゃあ、言ったことだけ聞いてほしい、言ってないことは聞こえてないはずだというのは、けっこう難しいのかもしれない。やっぱりおれはとんちんかんだ。うまいことが言えない。でも言いたいことはある気がする。意見を述べたいというよりは、おれに声を出させてほしい。長い話をしてみたい。すごくしたいってほどではないけど、しゃべりたい。誰にも聞いてもらえないから勝手にしゃべる。吠える。おれは遠吠えをする。
「イサド住み」
価格・ページ数未定。2022年11月20日文学フリマ東京新刊予定。
文学フリマwebカタログ
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冒頭8000字くらいを載せてみました。だいたいこういう感じの語りで、トランス男性が主人公のボーイズラブです。軽貨物ドライバーをやっている主人公と、アプリで出会った年下の男の子・ムムくん。そしてムムくんがベタ惚れしている既婚男性・優人さん。三角関係のお話です。
イサドというのは宮沢賢治の「やまなし」に出��くる言葉で、「もうねろねろ。遅いぞ、あしたイサドへ連れて行かんぞ。」のイサドです。この蟹のお父さんの言うイサドが何なのか、読者のわたしたちにはわかんないですが、この蟹たちにはわかっている……というような話を書いているつもり。
そうなの、なんとまだ書いているんですが…というかごちゃごちゃいじっているのですが、精一杯やっておりますのでどうか見守っていてください〜。文フリ東京のあとは、BASEでの通販、渋谷○○書店での販売を予定しています。イベント参加は1月の文学フリマ京都、4月のJ.Gardenを予定しています。よろしくお願いします…!
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nui-and-me · 1 year
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230508 GW2023
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さっきスマホから「地震です」の爆音サイレンが鳴り、その後数秒間の揺れ。最近地震が多くて怖い。近々ものすごく大きなやつがきたりするのだろうか。
外を見たら朝焼けで赤い空が不気味だった。
で、そこから眠れなくなってしまったのでゴールデンウィークの記録を残そうかと思います。
GW2023
世間的にもほぼ完全にと言って良い程コロナ前の雰囲気を取り戻していた様子。
4.30
池袋サンシャイン水族館で今まで休止していたマンボウの展示が再開されたと聞き、行ってきた!
GWのサンシャイン、人混みやばかった。。。池袋(特に水族館)は、デートスポットのようで若いカップルがたくさんいた。なんか初々しい気持ちになる。笑
マンボウが大好きなつむぐは水槽の前で飽きずにかなり長い間見ていた。
前に八景島で見た時同様、マンボウの水槽はマンボウしかいない。岩とか水草みたいな装飾もない。何もないまっさらな水槽のなかで大きな魚が1匹だけゆっくり泳ぐ姿は神々しさを感じる。魅力的で不思議な魚だ、マンボウ。。。
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5.2
学童と保育園を14時半の早々お迎えで新潟へ。
なんだか4月気を張っていたのか疲れがあって、当初「今年のGWは何も予定入れなくていいかも」と、帰らない予定でいた。でもパパに「帰る?」と聞かれ、親にも「帰ってくる?」と聞かれ、うーん、やっぱり帰るか!と数日前に思い立った。
パパ仕事日につき、私と息子達だけで先に帰る。
一人で二人連れて帰るのは2回目?かな。
大変だけどもう全然無理な所業ではない。ぬいもつむぐも成長したなあ。
そして予想以上に新潟は寒い(まだストーブをつけるほど!)
5.3
特にこれという予定もなく大きめの公園でぼーっと過ごす。もはや息子達は二人で走り回っているので、母と二人芝生の上で何をするでもなく、大人はひなたぼっこしてるだけ。笑
天気が良くて気持ち良い。
あとは母の知り合いのお店に少しだけ行って、ご飯を食べて古着を買う。店内ガンガンにラテンがかかる不思議な店であった。
夕方パパ合流。
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5.4
朝から市内の博物館内にあるプラネタリウムに行き、お昼に家の近くにできたから食べてみたいとリクエストされたドミノピザを買って帰る。
まあ、おばあちゃんと母ふたりだったら、食べないわなドミノピザ。笑
夕方海まで夕日を観に行く。この日の日没はたしか18時36分。あいにく水平線間際に雲がかかっていて、綺麗なまんまる夕日は見れなかったけれど、それでもぼんやりと日が沈んでいくところは見えた。今日が終わっていくところは何回観てもロマンが��る。
昔よく夕日を観に連れて行ってもらったなと思い出し、親にしてもらったことを自然と子供にも体験させているんだなあと思うと沁みた。
ここでも何もしないで、ぼーっと夕日を眺める時間。
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5.5
最終日。
朝から同じく帰省中の仲良し親子と海に行く。もちろんまだ海水浴できるわけではないので、足だけつけて、きれいな石探し。ぬいがよくわからぬ石を袋いっぱい集めて「これ本当に東京に持って帰るの?」となったけれど、海辺の石はどれも波に揉まれて角がなく、丸々としていて宝石みたいだった。
この日もこの日で海辺でぼーっとしている。
ひなたぼっこしたり、夕日見たり、海辺で石探したり、絵に描いたようなデトックスタイム(笑)なんだけど、大人になるとこういう無心な時間を楽しめるようになるんだな。大人通り越して老人みたいだけどな!!!
夜には帰京。
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5.6
家の近くの公園で遊び、近くのスーパーで買い物。
あと昨日の石を洗ってケースに入れてみたり(左つむぐの石、キラキラ。右ぬいの石、ゴツゴツ。趣味が分かれるね。笑)
ワンオペ土曜で、もはやGWの様相はない
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5.7
最終日はザーザー雨。
どこかドライブがてら行こうかとなって、少し前にインスタの広告で見かけたPナソニックの子供向け?施設に行ってみる。
天気のせいなのかいつもこうなのかわかんないけれど、割とガラガラ。工作スペースが充実していて楽しそうだったし、心躍った。
パナ、昔がっつり一緒にお仕事させてもらっていたので、その頃一緒だった人達の顔が脳内にチラつく。皆さん企業戦士って感じだったなあ。お元気にされているだろうか。。。
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なんとなく今年のGWは予定を詰めすぎず、時間を持て余すこともなく、良いバランスだった気がする。
いよいよコロナ禍も終わりと言っていいのかな。マスクも任意になり外すシーンも増えてきた。今年の夏はきっともっと以前のそれになっていくんだろう。
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unikeni · 1 year
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Davao Triathlon 70.3 2023
ハーフアイアンマンレース@ダバオ フィリピン 2023/3/26
5回目のハーフアイアンディスタンスのトライアスロンレースで、6月のフルに向けて、すごく自信に繋がる良いレースになったと思う。フィリピンのダバオの街中がレース会場ということで,シンガポールからのアクセスはよかったんだけど、いろいろとハプニングが起こりすぎて、ネガティブな印象が結局ずっとぬぐえなかった。ポジティブに言えば、すごく頑張ってるし、スタッフとか沿道の声援にも人の温かみみたいなものが溢れてて、東南アジアのレースだったなー、っていう後味。でも、2回目は残念ながらないかな。
あとは、優勝したプロの選手もキャリアの中で最も暑いレースだった、と言うほど、気温・直射日光・体感温度のどれも過酷な環境で、トライアスロンのレースが世界中一様でないことを思い知る。
結果からいうと、スイムの記録が無効になっちゃって、2競技のみの結果しか公式にはなっていない。だけど参考までに載せておくと、5時間45分(スイム1.9km:: 42分,バイク90km:: 2h 52m ,ラン21km:: 2h1分)だった。これは昨年の (バイクのパンクがあった) デサルーよりも20分も早い記録で、もちろん自己ベストに相当する。わりと辛い環境の中で6時間を切れたことはすごく大きな意味があるし、やっぱりようやくバイクとランのタイムが連動して短くなってきたことの成果だと思う。でも、タイムはあくまでも結果であって、競技始めたころの初心通り、笑顔で完走できたことが何よりも大事なこと。
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スイム 1.9km (?)
今大会の鬼門はスイムだったよう。(僕はさほど体感したわけではなかったけど)実はとても海流が早くて、ブイが流されたり、亡くなった人も出てしまうほどだったみたい。周りに聞いても20分以上普段よりも遅かった、ということをよく耳にした。それほどタフだった、ということなのかな。前日朝のスイム練に参加して気づいたのは、砂浜ではなく,狭い桟橋を下ってスタートすること,それと透明度はまあまあ高くて魚や海底がけっこうよく見えた。コース自体はカクカクしていて、曲がる箇所が多いことと,スタートとフィニッシュが同じ狭い桟橋だったことで、どうやって選手同士がぶつからずにすれ違うんだろう、とロジについても若干疑問があった。
レース当日朝は5時にはトランジションエリアに着いて(シャトルバス降り場から約15分も荷物持ったまま歩かされた…)、そこから準備・トイレ・体操して、6時20分からのゾーン別スタートを待つ。一番早いゾーンにエントリーしてしまったこともあって(1.9kmが30分よりも早い人?)、何か余計にプレッシャーを感じてしまった。心理的にずっとうしろから追われてる感じで泳いでた。スイムでのミスは、ガーミンのスタートを押すのを忘れたこと、あとワセリンを塗らなかったこと。プーケットの時はウェアズレは大してしなかったから大丈夫だと思ってたんだけど、42分間という長い間泳いだことで、右首(僕は右でしか呼吸しない)と両脇下がやばいことになって、最後半のあたりでは燃えるような痛みになってた。反省。結局、なにはともあれ、スイム自体は大きな問題もなく、ドラフトしたりされたり、の状況でわりと楽しく泳いでた。コースから外れたからか分から���いけど、岸壁すれすれを泳いでいたり、なんかいつもより長いなー、と思ったり、そういうイレギュラーさはあった。友人たちの意見もあわせると、たぶん1.9kmよりは長く泳いでたはず。
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前日のバイクコース下見。レース当日は通行止め。
バイク 90km 
バイクへのトランジションはわりと長めにとって、初採用のアームカバーをつけたり、日焼け止めを塗ったり,五本指靴下・手袋もちゃんとはめてた。唯一ダメだったのは、腰に巻くジェル入れベルトがダボダボで固定できず、仕方なくトライバーに巻き付けることに。バイクスタートしてすぐに気づくのは道路のガタガタがひどいこと。特に町の中心部では酷くて、よりスムーズな舗装面を探しては車線変更をこまめにしてた。特にトライバイクの場合は振動が伝わりやすいみたい。でも道自体はほぼフラットで、沿道の声援がとにかくすごかった。町を抜けると、スムーズでまっすぐなアスファルト舗装になる。
今回の反省はバイクボトルを落としてしまったこと。ガタガタのコースだったこともあって、後ろに付属で付けたボトルケージだけでは不十分で、結局途中でドリンクを半分失うことに。落とした場合,マナー・ルール的には拾いに戻らなければならないようなんだけど、それを知らずに前進してしまったのは僕の過失になる。マーシャルが隅に押しやるのがちらっと見えたのが幸い。次回はマジックテープみたいなのでちゃんと固定しようと思う。 
それ以外は、特に何事もなくかなり快調だった。初の3時間切りはとにかくびっくりした。事前情報通り、行きが向かい風で時速きっちり30km平均で、帰りが追い風で時速33kmぐらいはすんなり出てた。足先で車輪を漕ぐのではなく,腸腰筋(?)を使って足全体で漕ぐことを強く意識してた。その甲斐あってか、最後まで疲労でやられることもなく終えることができた。一応,1-3月はバイクに乗る時間を徐々に増やしていたし、前々週の週末あたりからは100km近い長距離をちゃんとコンスタントに乗っていたことが幸いしたんだと思う。コーチには週に6時間のバイクを、というアドバイスをされてたな…
あと今回、かなり栄養補給(グルメ?)に気を使うつもりだったのに、意外と食べてない(食べることに億劫だった)ことに気づいた。いい感じにスピードが出てるときは特に面倒に思ったり、あるいは、お腹が痛くなるのが心配で食べなかったり,ということが起きてた。180kmのような長距離になる場合には、もっと食べることを意識した方がいい気がした。細かいことだけど、水を足とか体にかけるのはけっこう気持ちよくて何かの効果がありそう。
水分補給は5分おきに:ポカリ・ゲータレイド
ジェル類:マグオン X 2 (これ良い),塩ジェルX1,PUREX1,In ゼリーゴールドX1。
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栄養補給に持っていったもの。完全に多すぎた…
ラン 21km
炎天下のランが一番きついかな、と想像してたんだけど、そこまで崩れなかったのはこれからの自信につながる。長い距離を走ることに慣れておくことが結果的に良かったんだと思った。週に1回は20kmぐらいの長距離を走って、もう1回はメタスポーツのスピード練をしていたんだけど、そのコンビでよかったっぽい。
トランジションでは、今回初採用のカーフスリーブをつけて、さらに日焼け止めを上塗りした(アームカバーはつけっぱなし)。やっぱりランの最初は足が重くて、暑くて、スピード感覚が全く掴めず、とにかくすごい息が上がってた(心拍数200近かったみたい)。最初の数キロはすごく辛かったんだけど,とあるタイミングから急に楽になって、いつもの調子がでてきた。本当に不思議な感覚。それ以降はかなり順調にキロ5分半のスピードが出てたみたい。エイドステーションで毎回やや止まるのは仕方ないけど、今回はとにかく水・コーラ・氷の3点を目当てにゲットして、氷はずっと手でもって体を冷ますのに使ってた。フラットな道、5.5kmを単純2往復。メタスポの連中とすれ違うのは励みになる。16km地点までほとんどペースを崩すことなく、快調に走れてた。最後は微妙に足のつりそうな感覚が出てきて厄介に思えた。僕の好きな塩飴はけっこう舐めてたんだけど、それでもゴール手前はすごく危なかった。この感覚はフルまでにはなんとか克服してないとまずいなーと。足の疲労と、塩?の欠如が原因、というのが一応の結論。結局,ランの最中に食べたのは塩ジェル一つと塩飴X5だけかな。ゴールドはあけたけど、結局全然喉を通らなかった。2時間きれるかな、とも思ったけど、ぎり及ばず。道に〇〇kmという看板がない方が逆に気分的に良いかも、とふと思った。
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まとめ
今回はゴールでうるうるすることはなかったんだけど、朝,トランジションで準備しているときに(明るくなりかけ&のりのりの音楽がかかってる状況)、あっこの感覚好きかも,とじわりと感じるところがあった。ゴールして嬉しい、だけでなく、スタートラインにたててることに感謝できるようになった、という心の変化かもしれない。
レース終わったあとに関しては,特に何も思い出がなく、むしろ15分の休憩のあと、すぐに会場をあとにして、バイクを取りに行ったり、片づけを済ませて、すぐにホテルまで自転車で向かった(2kmぐらいの道のりかな)。ホテルの部屋に着いて1時間でシャワーを浴びて、荷造りして、そしてバイクケースにバイクをしまう、という全てを無心でやった(むしろやればできるんだ!と思った)。そこから車で空港に行って、チェックイン・搭乗という成り行き。飛行機の中で、あれ?今日1日まだ何も食べてない、ということに気づく。
その他,細かいことは;往復Scootだったけど、圧縮CO2ポンプは手荷物として持っていくように言われた。あと、日焼け対策はちゃんとしよう。汗と混じって目に染みる、のは論外だし、アームカバー下でも日焼けするみたいだから、その対策もしたほうがいい。カーフスリーブは再度使ってみよう。
次回はいよいよフルアイアンマンレースだから、今まで以上にトレーニングと下準備(ウェットスーツ練とか)がシビアになるんだなー。まあ、楽しく、を一番のモットーに気長にやっていくんだろうな。頑張りましょー。
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gallery-f · 2 years
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クレプスに内側から食われるアルテミア
Clepus reproduces by eating the body of dead Artemia. This is a comparison image of Artemia swimming and Artemia being eaten by Clepus.
アルテミアとは、いわゆるブラインシュリンプです。基本3パーセント濃度の海水で孵化させます。うちのブラインシュリンプエッグは古いので乾燥しすぎで硬く、3パーセントでは孵化率が悪いのでぼくは4.5パーセントで孵化させています。
さて、スカベンジャーのコレプスをディッシュに取り、餌となる有機物を与えると爆発的に増えるのですが、今回は餌にアルテミアを与えてみました。死体ではなく、生きたものを与えます。
コレプスは淡水のプランクトン。ぼくのアルテミアは4.5パーセントの海水で孵化したプランクトンです。魚に与える前には海水をRO水で洗い流しますが、それでも少しは残っています。その証拠に、ディッシュ内のコレプスにピンセットの先にちょこっと付けたアルテミアを流し入れただけで何パーセントかは塩分にやられて動かなくなります。アルテミアはご存知の通りぴこぴこ泳ぎまくるので、ディッシュ内の淡水に海水分がほどよく混ざり合い、そのうちコレプスもアルテミアも元気に活動する均衡が生じます。
さて、前置きが長くなりましたが、アルテミアに餌を与えず何日か放置すると体内の栄養を吸収し終わって動けなくなり、死んでしまいます。死んだアルテミアはコレプスの餌となります。どこから体内に侵入するか。口か、鰓か、僕の予想は排泄口からです。いわゆる、お尻の穴ですね。アルテミアのお尻の穴は結構大きくて、ぱっかーんと開いているように見えました。
面白いのは、肛門から侵入した小さなコレプスが腸管に溜まっていたアルテミアの排泄物を餌として吸収し、透明のコレプスがオレンジ色になってまるまると太っていくんです。そして、まるまると育ちすぎた結果、アルテミアのお尻の穴から外へ出られなくなるんですね。アルテミアの外骨格は透明ですから、中で右往左往しているコレプスが見えて非常に面白い。
こういうのを見るのがぼくは大好きなので、何分でも覗いていられるんですが、アルテミアを生かしていたオレンジ色の栄養物が、死んだ後にコレプスを生かす栄養となり、アルテミアの中はコレプスでいっぱいになるんです。時たま、アルテミアの腕というか鰭が動くんですが、それは中でコレプスが出口を求めて右往左往している動きがそうさせているだけで、アルテミアはすでに死んでいるわけですね。アルテミアからコレプスに命が移っている。なんてことを感じながら、目が痛くなるまで顕微鏡を覗いています。
卵から孵化した手のアルテミアはお尻に卵の殻をしばらく付けています。��そらく、卵の殻の中にある何らかの栄養物を肛門から吸収しているか、逆に卵の中にいた頃に出来た老廃物を出しているかだろうと思いますが、この時も肛門はぱっかーんと開いている。非常に無防備なんです。孵化したては遊泳能力もなく、お尻に卵の殻をつけたままぼーっとしています。さて、生きたものには基本手を出さないと思われるコレプスですが、孵化した直後のアルテミアはよほど美味しいのでしょう、卵の殻の破れたところから肛門に侵入し、肛門からアルテミアの幼生の体内に侵入して内部がオレンジ色のコレプスだらけになっているシーンを見ることができました。コレプスに味覚はないでしょうが、美味しかったんだろうなって思います。
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trio-the-border · 2 years
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ここは道の駅あつみ。
夕方に群馬を出発し、魚沼の食堂で肉を食らい、新潟をひたすら北上。朝起きたらそこは山形でした。道路は全く雪の心配は無かったけど、湯沢から長岡手前、村上の山の中には路肩にも田んぼにも雪がたっぷりあって、濃い霧がモッワ~と立ち込めており、なかなかスリリングな道中でした。
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旅の目的はここ、加茂水族館クラゲドリーム館
コロナ前に話題になった時、たまたま旅先からの帰り道に前を通りましたが、その時は水族館の周りをぐるりと入館待ちの行列が!
あれから数年が経ち、マスク解禁も発表され、ゴールデンウィーク辺りに向けて再び来訪者も増えると予測し、行くなら今!ということで出立。
予想的中ですいてた! 開館と同時に入り、水槽にへばりついてじーーーっくりクラゲを堪能してきました。
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先ずは海の魚達でウォーミングアップ。水族館何年振かな?フグ可愛い。
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イカベビー! ちっさい!超絶ちいさい!
ゴッツイ魚やミッチリ群れてる魚や、ウニョウニョしてるイソギンチャクやら、飛んでるみたいに泳ぐ亀やら、海洋ゴミの現実だとか、クラゲにたどり着くまでも盛りだくさん。
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クラゲの種類の多さに、ひたすらビックリ。でもってキレイ。
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確かユウレイクラゲだったと思います。
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フリフリの紺色がキレイ。
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ガレのランプのよう。
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数あるクラゲ展示のほんの一部です。光るのや産まれたてや、大きいのや小さいのやらを、水槽に張り付いて見学してまいりました。じっくり見れて本当に良かった。混雑してたら感動半減に違いない。
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アシカとアザラシもいて、こちらもプール前にしゃがみ込んで観察。ハイテンションでグルグル回ってる子と、ボヤ~ンと浮かんでる子と、どっちも可愛い。
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すいてたので、叔母とワタシは館内もう一周してクラゲを堪能。その間オトさんはイヌ達連れて海岸ブラブラ。キリちゃん海に足突っ込んだらしいです。バカじゃないのー!
道の駅あつみの食堂でステキな海鮮を、お腹いっぱい超リーズナブル価格で食べた後は、ビューンと長岡まで戻り花火館へ行き、ヘギそばを食べ、小千谷で車中泊。
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小千谷の錦鯉の里で色とりどりの高価な錦鯉を、飼うならあの模様がイイだの、自宅の庭園に泳がせたくなるよね~などと好き勝手に言いながら、鯉の餌で手玉に取る。これが思いの外楽しい♪
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湯沢の八海山みんなの食堂で八海定食を堪能。白米が美味い!試飲の日本酒も美味い! この日は気温も上がりポカポカ陽気でしたが、湯沢はご覧の通りの雪景色。さすが豪雪地域。
湯沢の駅ビルで爆弾おにぎり買って帰宅。きれいで美味しい旅でした。
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nccwa · 2 years
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旅遊/阿拉斯加零距離接觸冰河 超震撼
旅遊
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立青 2023-01-02 02:00
由底納利國家公園Denali出發,駛往阿拉斯加州最大城市安克拉治Anchorage的遊輪港口偉特爾Whittier,須搭乘駛向荒野Direct-to-Wilderness鐵路線,火車比較高也比較寬,車廂有黃藍色相間「阿拉斯加」的幾個大字,行駛在冰天雪地裡,很是拉風。乘坐起來還算舒適,車廂頂居然是透明的,對採光和視野大有幫助。
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一路行車還算平穩,只是比起高鐵差得太遠,時代進步我們也被寵壞了。這條濱海鐵路一邊靠山大多是松杉綠林,除了平行的公路外沒有明顯的城鎮,樹林裡鳥類不少,靠海抓魚比較方便,其中金鷹是美國國鳥,特大、特美麗、特神勇。另一邊靠水就是「庫克海灣 Cook Inlet」,水面寬廣但水質混濁,與山泉注入的清流呈現出涇渭分明。
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正奇怪若干小沙石灘上有不少衝浪少年流連,車上就有位女士大喊「高潮 High Tide」,原來她發現海灣口一道白練磅礴洶湧而至氣勢驚人,無奈車速略快,距離太遠無法仔細觀察,一算正好是陰曆八月十五中秋節月圓之時,杭州灣不也有「錢塘潮」嗎?北方的海水就是粗暴,據了解冬季大風暴的巨浪可達10呎,最高紀錄是40呎,難怪探險家庫克船長稱此地為「再回頭Turn Again Arm 」。
行車四小時的底站就在遊輪邊,甚是方便,大家魚貫上了船,找到房間安置後,就急往頂層自助餐廳,餵飽飢腸轆轆的五臟廟,船高17層,設定第9層樓是防疫區,五、六、七層中央是華麗的中堂大廳,頂層的陽台和游泳池都因天氣寒冷而無人問津,心想效法「鐵達尼號」電影船首熊抱張臂的情景,也因此無法達成。
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接著幾天都是在峽谷裡看冰川,「呼巴Hubbard」 冰川是道前菜,雪山不高,冰舌略短,融解較快,水面的浮冰特多,很是新奇。衣櫃大小的浮冰撞到船身,毫無動靜,可以推測要有大樓的規模,才能造成緊張。「冰川灣 Glacier Bay 」才是主菜,不由自主的爬上視野開闊主甲版的頂樓,只見「冰迷」們的長槍大砲加手機,「喀嚓」不停的攝取,貪婪的享受這大自然賞賜的美景,藍天白雲蒼蒼青山,皚皚白雪蒙蓋的山頭,延伸出的冰川如八爪章魚一般的流向山腳,堆積而成的冰川則呈淡藍色在水面形成斷崖,任由無情的海水侵蝕崩潰,化為浮冰流向大海。
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船長很貼心的將船盡量駛近冰河,並在峽灣底部停滯,然後呈180度的回轉再轉回,確保船舷兩邊的遊客都能一觀全貌,所以說天氣再冷也能躲在屋內看冰山;由於水面沒路標,我推測的路線是由Gloomy Knob經 Queen Inlet 到Lamplugh Glacier和John Hopkins Glacier最後到峽底Margerie Glacier停滯後調回頭。說實話,這種服務沒話說,有夠讚!
期間有趣的是見到一塊巨大的浮冰上,盤據著一隻特大海豹,正在享受海中捕獲的食物,一會兒在周邊游獵累了的小海豹依序的爬上浮冰,轉眼就增加到十五、六隻,擁擠在一起。旁邊也有其他的冰塊,卻無人問津,真是有趣。水面除了浮冰外,也漂著一些木塊和黑色物質,數量之多令人疑慮,遠在水源之始居然就已如此不堪,到了下游進入大海,豈不是更為汙染?
遊船也會在途中選定幾個港口停泊,讓遊客上岸觀光,Sitka真的很小,但有一所雅致的東正教堂,想必是當年俄國移民時代所建,也有若干「因紐特 Inupiaq」原住民的獨木舟和圖騰,其色彩和質樸,會讓人對其傳統文化驚艷。Ketchikan也是小城,四艘遊船的長度就是市區中心的全部,本地觀光的活動很多,出海觀鯨、水上飛機俯覽冰原等,步行距離可到的Creek Street是條文創區,有不少原住民的藝術作品,一條小溪貫穿其中,看見不少三文魚逆水回巢,體力不濟者,就會淪為伺機而動的海豹美食。
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「朱諾Juneau」是阿州的首府,城鎮規模較大,商業區也繁榮的多,碼頭邊有以該市命名的戰艦紀念碑,我們參加本地的景點遊,Mendenhall Gracier 是個不錯的選擇,來回車費加小費50元有找,車程約半小時,下車步行五分鐘即可到達觀景台,下有冰河的沖積砂洲。站在沙洲上遠眺冰河和一條白花花的冰河瀑布,匯合形成這條不算窄的小河。水面漂流許多浮冰,也許距離比較近,看起來每塊的個頭都還不小,地廣人稀風景絕佳,是個取景照相的好地方。身旁有幾個小朋友,撈起浮冰就往嘴裡放,急壞忙著拍照的家長。
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繼續向小路深處前行,約需半小時的腳程,就可聽到金塊瀑布Nugget Falls的水聲,高度達377呎,水量很大,水型也美,處在巨型冰河旁毫不遜色,搶了不少鏡頭。再走幾步就是冰河本尊,感覺上高度並無高出瀑布有多少,但是承接了1500平方英畝冰原的水量就相當偉大。
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全球暖化造成冰舌退縮約 250呎,可見我們站在的沙洲就是早年的冰河。上游是雪白色的,中游是淡藍色到了下游,就是藍色的冰河斷崖,一直發生因擠壓而碎裂的沉悶聲響,令人不安。
回程想到,一次偶然的機遇,讓我能與冰河零距離的接觸,內心的震撼很大,希望對大自然能做些什塺,下次再回來時,一切能更好。
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