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#特急はやとの風
salixmagick · 2 years
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#鉄道の日 #鉄道150周年 シリーズ第3弾
今回はJR九州の列車をまとめてみました。
撮影:2016年8月
J1 2ndステージ第10節 アビスパ福岡vsジュビロ磐田 の観戦に合わせ
https://www.jubilo-iwata.co.jp/live/2016/J20160824_2012120285
青春18きっぷと、「JR由布院・別府フリーきっぷ」、 更にはJR九州ネット予約の早得を使って九州北部を巡りました。 (乗車しなかった列車も撮影しています)
#JR九州 #青いソニック #ソニック #883系 #クモハ815形 #815系 #特急みどり #783系 #特急かもめ #白いかもめ #885系 #800系 #元気に!九州プロジェクト #キハ47 #特急はやとの風 #はやとの風 #キハ40系 #キハ147 #キハ125 #787系 #ゆふいんの森 #キハ72系 #キハ72 #由布院別府フリーきっぷ #フリーキップ #ラッピングトレイン #観光列車
https://www.instagram.com/p/CjxXDUEv46k/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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shunya-wisteria · 4 days
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夏旅2024 延長戦 - 中山道奈良井宿
最後の1回分の青春18きっぷを使い切るべく最後の夏旅へ。目的地は中山道の宿場町 奈良井宿。
標高900mの宿場町へ
都内から中央線でひたすら西へ。途中 高尾・甲府・塩尻での乗り換えを挟み奈良井へ。私と同じような18きっぱーの他、日帰り登山客も大勢いらっしゃり、朝の中央線は高尾から先 超満員。これは全くの想定外でして(考えが甘すぎた)。。。甲府までの2時間弱 立ちっぱなし。とはいえいつもなら特急でびゅんと通過してしまう中央線の沿線風景をのんびり楽しみながら移動できました(ちなみに塩尻から先、中央西線2両編成も激混みでした)。到着したのは奈良井宿の最寄り駅、標高900mの高地 奈良井。
重要伝統的建造物群保存地区 奈良井宿
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一帯は重要伝統的建造物群保存地区に指定され、古い街並みが1kmにもわたり続いているとか。
時期的に日差しの強さと観光客の多さが若干つらいものの、雰囲気の良い街並みにシャッターを重ねながらの散策みた。
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趣のある古い旅館が現在も営業。一度は泊まってみたいなと思うものの、一人旅には敷居が高い。。。
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歴史を感じさせる重厚感ある建造物と青い空、白い道。大変美しいのですが、明暗差ゆえに写真に収めるのが結構難しく、頑張って補正してみたが若干 不自然さが残る気がする。秋雨の早朝とかであればより雰囲気よく写せそう。
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奈良井川の清流にかかる橋。奈良井宿を紹介する記事ではよく見かける気がする。自動車で訪れる場合、こちら側がエントランスになるみたいですが、電車でやってきた私は最後にたどり着きました。最初にこれが見られるのかな?と思っていたのでなんだか変な感じ。
おまけ、Lunch Snap
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信州にきたらやっぱりお蕎麦だよね。ということで散策の道中 いくつか見かけた蕎麦屋のうちの街並みの端よりの1軒「宿場そば 山なか」さんにて冷たい山菜そばをいただきました。囲炉裏のカウンターもある素敵な雰囲気の店内と気さくな接客のおばちゃん、派手さはないがちゃんとおいしいお蕎麦。満足でした(はじめは空いていた店内もあとからあとからと来客がありあっという間に満席に)。
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wankohouse · 3 months
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栗浜陽三 (文・写真) 『九十九里浜』 より 雑誌MLMW (ムルム) No.5 (1978年5月号) 掲載記事
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栗浜陽三 九十九里浜(写真)
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栗浜陽三 九十九里浜(文・写真)
 
[上のページの画像から自動文字起こしをして、誤判読に気付いた所は修正したけど、誤判読が残っているかも知れない]
九十九里浜・しなやかな風景 写真と文 栗浜陽三 
九十九里浜が、何県にあるかを知らない人でも、その名の持つ雰囲気に、何か特別のイ メージをお持ちであろうと思う。太平洋に面した、その茫漠たる長い長い浜の風物は、浜というものが持つ様々の要素を凝縮させて、 我々の期待感や夢を満たしてくれるかのように思える。しかし残念ながら今では九十九里浜の魅力の殆どは、過去のものとなってしま った。一体、十数年前の、あの素朴で夢のよ うに美しかった九十九里浜は何処に行ってしまったのか。この僅か数年の間に、都会人の荒々しい神経で浜は汚され、美しい砂の起伏は姿を消し、近代化の手は浜に沿って長々とハイウエイを引いてしまった。九十九里浜にとって、全く無意味としか思えないこのハイウエイプランを耳にした時、私は自分の心の中の大切な部分を引きさかれる思いがしたが、土地の政治家というある人は、それは芸術的
↑栗浜陽三 九十九里浜(文)
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栗浜陽三 九十九里浜(写真)
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栗浜陽三 九十九里浜(写真)
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栗浜陽三 九十九里浜(写真)
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栗浜陽三 九十九里浜(写真)
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栗浜陽三 九十九里浜(文・写真)
 
[上のページの画像から自動文字起こしをして、誤判読に気付いた所は修正したけど、誤判読が残っているかも知れない]
しなやかな風景●九十九里浜
・・・は黒ダンの前袋の両脇から黒々と毛をかき出して男らしさを競ったといい、亦、漁から浜に帰って来る舟は、長い竿を舟の両側につき出して、その先に黒褌を結びつけ、尾長鶏の尾羽根のように海風になびかせてもどって来たと話してくれた。
私がせめて十数年早く九十九里を訪れていたら、目にしたであろうこれは誠に九十九里の匂いのする昔語りであった。 それでも私は消えてゆく残り火の色を見る ように、時折浜で数少ない漁師の浜仕事や、 女達のフラミンゴの踊るような鮮やかな作業っぷりを見る事が出来た。
度び重なる私の九十九里訪問につれて、私の仕事友達や学生達が浜を訪ねるようになり、若々しい彼等の裸身が浜をにぎわすようになった。彼等はアっと いう間に海風にやけ、町中まで褌姿でのし歩き地引網を楽しみ、九十九里独特の丸板の波乗りをし、別人のように生き返った。
私は丸裸で浜仕事をする漁師をたびたび目にしたが、 この風俗は戦後アメリカ人の手前禁じられてしまったその名残りであった。中年の漁師が性器の先をワラシベや布切れで結んで褌の代用としている様も、決して雑でも奇異なものでもなく、浜の風物の中ではごくノーマルに感じられた。これは海水に濡れたままの褌の不衛生さを彼等がきらったからだという。
浜の女達はよく働いた。小柄でたくましいマイヨールの彫刻のような彼女達は、舟を浜に 引き上げる時には男以上の働きを見せた。母 親の仕事を見ている少女の背中の、赤ン坊の顔には、一刷毛はいたようにウッスラと砂が乗っていた。
十年以上訪ね続けている私の目には、浜の舟の数が年々少くなって行くのがよく解った。最初一、二年の間、浜にそびえていた何艘かのK家の船もいつしか姿を消した。民宿が急激に増え、そしてドカンと音のするようにハイウエイが浜に沿って走り、浜と村を引きさいたのである。庭から海に裸で飛び出してゆけた私達もトンネルをぬけて海に出る為に廻り道をしなくてはならなくなった。浜は見る見る中にゴミが打ち上げられ、マイカーが波打ぎわを走りぬけ、ビーチパラソルが立ち、その下で一日中マージャンをするという馬鹿げた男達が東京からやって来た。日本人は本当のゼイタクの楽しさや味わい方を知らないし、知ろうともしない。なぜ九十九里に都会生活をそのままズルズルと引きづって来る必要があるのだろうか。彼等は潮騒をきく代りに、浜でトランジスタラジオをきこうとする訳なのである。民宿になった素朴な土地の家で、海の香りを味い、あるがままの九十九里の生活に思いきり身をまかしてこそ、本当のゼイタクの楽しさではないだろうか。ハイウエイは私如き人間の知らない理由で必要なのかも知れないが、その代り、日本一のあの美しい浜の風景は二度ともどってこないのである。
K家にはその頃四年程続けて、ある外国の大使館の青い目の客が来るようになった。映画スターのような見事な美女達であった。私の友人の若者達とこの美女達は、伸々打ちとけ合う機会がなかったのだが、ある日、彼女達がK家の前庭の椅子に腰をおろして読書を楽しんでいる最中に、この若者達が海からもどってきたのである。彼等はオイルで鋼のように輝く背中をみせてタオルやマットを干し始めた。その姿を一人のブロンド娘がしみじ ・・・
↑栗浜陽三 九十九里浜(文)
 
以上の写真と文は雑誌MLMW(ムルム) No.5 (1978年5月号) 掲載記事『九十九里浜』より
これらの文章を読むと、栗浜は性的にも、性的な物を離れても伝統を残したままの海やそこに暮らす漁師を愛していたことが判る様だ。また、他の記事を読むと祭りについても性的にも、性的な物を離れても愛していたことが判ると思うよ。
栗浜のオリジナルは持ってないからウェブから集めた画像だけど、九十九里浜は良い画像がなかったんだ
一応拡大して補正はしておいたけど画質はちょっと残念だね
世間一般では本名の藤井千秋でイラストレーターとして有名な人なんだよ~
藤井千秋は画像検索したらいっぱい出てくるよ
2つの名前の作風の違いに驚くよー!
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simamamoru · 2 months
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汚辱の日々  さぶ
  1.無残
 日夕点呼を告げるラッパが、夜のしじまを破って営庭に鳴り響いた。
「点呼! 点呼! 点呼!」
 週番下士官の張りのある声が静まりかえった廊下に流れると、各内務班から次々に点呼番号を称える力に満ちた男達の声が騒然と漠き起こった。
「敬礼ッ」
 私の内務班にも週番士官が週番下士官を従えて廻って来て、いつもの点呼が型通りに無事に終った。辻村班長は、これも毎夜の通り
「点呼終り。古兵以上解散。初年兵はそのまま、班付上等兵の教育をうけよ。」
 きまりきった台詞を、そそくさと言い棄てて、さっさ���出ていってしまった。
 班付上等兵の教育とは、言い換えれば「初年兵のビンタ教育」その日の初年兵の立居振舞いのすべてが先輩達によって棚卸しされ、採点・評価されて、その総決算がまとめて行われるのである。私的制裁をやると暴行罪が成立し、禁止はされていたものの、それはあくまで表面上でのこと、古兵達は全員残って、これから始まる凄惨で、滑稽で、見るも無残なショーの開幕を、今や遅しと待ち構えているのであった。
 初年兵にとつては、一日のうちで最も嫌な時間がこれから始まる。昼間の訓練・演習の方が、まだしもつかの間の息抜きが出来た。
 戦闘教練で散開し、隣の戦友ともかなりの距離をへだてて、叢に身を伏せた時、その草いきれは、かつて、学び舎の裏の林で、青春を謳歌して共に逍遙歌を歌い、或る時は「愛」について、或る時は「人生」について、共に語り共に論じあったあの友、この友の面影を一瞬想い出させたし、また、土の温もりは、これで母なる大地、戎衣を通じて肌身にほのぼのと人間的な情感をしみ渡らせるのであった。
 だが、夜の初年兵教育の場合は、寸刻の息を抜く間も許されなかった。皓々(こうこう)とした電灯の下、前後左右、何かに飢えた野獣の狂気を想わせる古兵達の鋭い視線が十重二十重にはりめぐらされている。それだけでも、恐怖と緊張感に身も心も硬直し、小刻みにぶるぶる震えがくるのだったが、やがて、裂帛(れっぱく)の気合
怒声、罵声がいり乱れるうちに、初年兵達は立ち竦み、動転し、真ッ赤に逆上し、正常な神経が次第々に侵され擦り切れていった。
 その過程を眺めている古兵達は誰しも、婆婆のどの映画館でも劇場でも観ることの出来ない、スリルとサスペンスに満ち溢れ、怪しい雰囲気につつまれた素晴しい幻想的なドラマでも見ているような錯覚に陥るのであった。幻想ではない。ここでは現実なのだ。現実に男達の熱気が火花となって飛び交い炸裂したのである。
 なんともやりきれなかった。でも耐え難い恥辱と死につながるかもしれない肉体的苦痛を覚悟しない限り抜け出せないのである。ここを、この軍隊と云う名の檻を。それがあの頃の心身共に育った若者達に課せられた共通の宿命であった。
 この日は軍人勅諭の奉唱から始まった。
「我ガ国ノ軍隊ハ代々天皇ノ統率シ賜ウトコロニゾアル……」
 私は勅諭の奉唱を仏教の読経、丁度そんなものだと思っていた。精神が忘れ去られ、形骸だけが空しく機械的に称えられている。又虐げられた人々の怨念がこもった暗く重く澱んだ呻き、それが地鳴りのように聞こえてくるそんな風にも感じていた。
 勅諭の奉唱が一区切りついたところで、一人の古兵が教育係の上等兵に何か耳うちした。頷いた上等兵は、
「岩崎、班長殿がお呼びだ。すぐ行けッ」
 全員の目が私に集中している。少くとも私は痛い程そう感じた。身上調査のあったあの日以来、私は度々辻村机長から呼び出しをうけた。あいつ、どうなってんだろ。あいつ班長殿にうまく、ゴマすってるんじゃないか。あいつ、俺達のことを、あることないこと、班長殿の気に入るように密告してるんじゃないか。同年兵も古兵達も、皆がそんな風に思っているに違いない。私は頑なにそう思い込んでいた。
 つらかった。肩身が狭かった。
 もともと私は、同年兵達とも古兵達とも、うまくいっていなかった。自分では余り意識しないのだが、私はいつも育ちや学歴を鼻にかけているように周囲から見られていたようである。運動神経が鈍く、腕力や持久力がからっきし駄目、することなすことがヘマばかり、ドジの連続の弱兵のくせに、その態度がデカく気障(きざ)っぽく嫌味で鼻持ちがならない。そう思われているようだった。
 夏目漱石の「坊ちゃん」は親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりしていたと云うが、私は生まれつき人みしりのする損なたちだった。何かの拍子にいったん好きになると、その人が善人であれ悪人であれ、とことん惚れ込んでしまうのに、イケ好かない奴と思うともう鼻も引つかけない。気軽に他人に話しかけることが出来ないし、話しかけられても、つい木で鼻をくくったような返事しかしない。こんなことではいけないと、いつも自分で自分を戒めているのだが、こうなってしまうのが常である。こんなことでは、同年兵にも古兵にも、白い眼で見られるのは至極当然内務班でも孤独の影がいつも私について廻っていた。
 あいつ、これから始まる雨霰(あめあられ)のビンタを、うまく免れよって――同年兵達は羨望のまなざしを、あいつ、班長室から戻って来たら、ただではおかないぞ、あの高慢ちきで可愛いげのないツラが変形するまで、徹底的にぶちのめしてやるから――古兵達は憎々しげなまなざしを、私の背に向って浴せかけているような気がして、私は逃げるようにその場を去り辻村班長の個室に急いだ。
 2.玩弄
 部屋の前で私は軽くノックした。普通なら「岩崎二等兵、入りますッ」と怒鳴らねばならないところだが、この前、呼び出しをうけた時に、特にノックでいいと辻村班長から申し渡されていたのである。
「おう、入れ」
 低いドスのきいた返事があった。
 扉を閉めると私はいったん直立不動の姿勢をとり、脊筋をぴんとのばしたまま、上体を前に傾け、しゃちこばった敬礼をした。
 辻村班長は寝台の上に、右手で頭を支えて寝そべりながら、じっと私を、上から下まで射すくめるように見据えていたが、立ち上がって、毛布の上に、どっかとあぐらをかき襦袢を脱ぎすてると、
「肩がこる、肩を揉め」
 傲然と私に命じた。
 私も寝台に上がり、班長の後に廻って慣れぬ手つきで揉み始めた。
 程よく日焼けして艶やかで力が漲っている肩や腕の筋肉、それに黒々とした腋の下の毛のあたりから、男の匂いがむっと噴き出てくるようだ。同じ男でありながら、私の身体では、これ程官能的で強烈な匂いは生まれてこないだろう。私のは、まだまだ乳臭く、淡く、弱く、男の匂いと云うには程遠いものであろう。肩や腕を、ぎこちない手つきで揉みながら、私はふっと鼻を彼の短い頭髪やうなじや腋に近づけ、深々とこの男の乾いた体臭を吸い込むのだった。
「おい、もう大分、慣れて来たか、軍隊に」
「……」
「つらいか?」
「いエ……はァ」
「どっちだ、言ってみろ」
「……」
「つらいと言え、つらいと。はっきり、男らしく。」
「……」
「貴様みたいな、娑婆で、ぬくぬくと育った女のくさったようなやつ、俺は徹底的に鍛えてやるからな……何だ、その手つき……もっと、力を入れて……マジメにやれ、マジメに……」
 辻村班長は、岩崎家のぼんぼんであり、最高学府を出た青白きインテリである私に、マッサージをやらせながら、ありったけの悪態雑言を浴びせることを心から楽しんでいる様子であった。
 ごろりと横になり、私に軍袴を脱がさせ、今度は毛深い足や太股を揉みほぐし、足の裏を指圧するように命じた。
 乱れた越中褌のはしから、密生した剛毛と徐々に充血し始めた雄々しい男の肉茎が覗き生臭い股間の匂いが、一段と激しく私の性感をゆさぶり高ぶらせるのであった。
 コツコツ、扉を叩く音がした。
「おお、入れ」
 私の時と同じように辻村班長は横柄に応えた。今時分、誰が。私は思わず揉む手を止めて、その方に目を向けた。
 入って来たのは――上等兵に姿かたちは変ってはいるが――あっ、辰ちゃんではないか。まぎれもなく、それは一丁目の自転車屋の辰ちゃんなのだ。
 私の家は榎町二丁目の豪邸。二丁目の南、一丁目の小さな水落自転車店、そこの息子の辰三は、私が小学校の頃、同じ学年、同じクラスだった。一丁目と二丁目の境、その四つ角に「つじむら」と云ううどん・そば・丼ぶり物の店があり、そこの息子が今の辻村班長なのである。
 私は大学に進学した関係で、徴兵検査は卒業まで猶予されたのであるが、彼―― 水落辰三は法律通り満二十才で徴兵検査をうけ、その年か翌年に入隊したのだろう。既に襟章の星の数は私より多く、軍隊の垢も、すっかり身についてしまっている様子である。
 辰ちゃんは幼い時から、私に言わせれば、のっぺりした顔だちで、私の好みではなかったが、人によっては或いは好男子と言う者もあるかもしれない。どちらかと言えば小柄で小太り、小学校の頃から既にませていて小賢しく、「小利口」と云う言葉が、そのままぴったりの感じであった。当時のガキ大将・辻村に巧みにとり入って、そのお気に入りとして幅をきかしていた。私が中学に入って、漢文で「巧言令色スクナシ仁」と云う言葉を教わった時に「最っ先に頭に想い浮かべたのはこの辰ちゃんのことだった。ずる賢い奴と云う辰ちゃんに対する最初の印象で、私は殆んどこの辰ちゃんと遊んだ記憶も、口をきいた記憶もなかったが、顔だけは、まだ頭の一隅に鮮明に残っていた。
 辻村班長は私の方に向って、顎をしゃくり上げ、辰ちゃん、いや、水落上等兵に、「誰か分かるか。」
 意味あり気に、にやっと笑いながら尋ねた
「うん」
 水落上等兵は卑しい笑みを歪めた口もとに浮かべて頷いた。
「岩崎、裸になれ。裸になって、貴様のチンポ、水落に見てもらえ。」
 頭に血が昇った。顔の赤らむのが自分でも分った。でも抵抗してみたところで、それが何になろう。それに恥ずかしさに対して私は入隊以来もうかなり不感症になっていた。部屋の片隅で、私は手早く身につけていた一切合切の衣類を脱いで、生まれたままの姿にかえった。
 他人の眼の前に裸身を晒す、そう思うだけで、私の意志に反して、私の陰茎はもう「休メ」の姿勢から「気ヲ付ケ」の姿勢に変り始めていた。
 今日は辻村班長の他に、もう一人水落上等兵が居る。最初から突っ張ったものを披露するのは、やはり如何にもきまりが悪かった。しかも水落上等兵は、私が小学校で級長をしていた時の同級生なのである。
 私の心の中の切なる願いも空しく、私のその部分は既に独白の行動を開始していた。私はどうしても私の言うことを聞かないヤンチャ坊主にほとほと手を焼いた。
 堅い木製の長椅子に、辻村班長は越中褌だけの姿で、水落上等兵は襦袢・軍袴の姿で、並んで腰をおろし、旨そうに煙草をくゆらしていた。班長の手招きで二人の前に行くまでは、私は両手で股間の突起を隠していたが、二人の真正面に立った時は、早速、隠し続ける訳にもいかず、両手を足の両側につけ、各個教練で教わった通りの直立不動の姿勢をとった。
「股を開け。両手を上げろ」
 命ぜられるままに、無様な格好にならざるを得なかった。二人の視線を避けて、私は天井の一角を空ろに眺めていたが、私の胸の中はすっかり上気して、不安と、それとは全く正反対の甘い期待とで渦巻いていた。
 二人は代る代る私の陰茎を手にとって、きつく握りしめたり、感じ易い部分を、ざらざらした掌で撫で廻したりしはじめた。
「痛ッ」
 思わず腰を後にひくと、
「動くな、じっとしとれ」
 低い威圧的な声が飛ぶ。私はその部分を前につき出し気味にして、二人の玩弄に任せると同時に、高まる快感に次第に酔いしれていった。
「廻れ右して、四つん這いになれ。ケツを高くするんだ。」
 私の双丘は水落上等兵の手で押し拡げられた。二人のぎらぎらした眼が、あの谷間に注がれていることだろう。板張りの床についた私の両手両足は、時々けいれんをおこしたように、ぴくッぴくッと引き吊った。
「顔に似合わず、案外、毛深いなアこいつ」
 水落上等兵の声だった。突然、睾丸と肛門の間や、肛門の周囲に鈍い熱気を感じた。と同時に、じりッじりッと毛が焼けて縮れるかすかな音が。そして毛の焦げる匂いが。二人は煙草の火で、私の菊花を覆っている黒い茂みを焼き払い出したに違いないのである。
「熱ッ!」
「動くな、動くとやけどするぞ」
 辻村班長の威嚇するような声であった。ああ、目に見えないあのところ、今、どうなってるんだろう。どうなってしまうのだろう。冷汗が、脂汗が、いっぱいだらだら――私の神経はくたくたになってしまった。
  3.烈情
「おい岩崎、今日はな、貴様にほんとの男ってものを見せてやっからな。よーく見とれ」
 四つん這いから起きあがった私に、辻村班長は、ぶっきらぼうにそう言った。辻村班長が水落上等兵に目くばせすると、以心伝心、水落上等兵はさっさと着ているものを脱ぎ棄てた。裸で寝台の上に横になった水落上等兵は、恥ずかしげもなく足を上げてから、腹の上にあぐらを組むように折り曲げ、辻村班長のものを受入れ易い体位になって、じっと眼を閉じた。
 彼白身のものは、指や口舌で何の刺戟も与えていないのに、既に驚くまでに凝固し若さと精力と漲る力をまぶしく輝かせていた。
「いくぞ」
 今は褌もはずし、男一匹、裸一貫となった辻村班長は、猛りに猛り、水落上等兵を押し分けていった。
「ううッ」
 顔をしかめ、引き吊らせて、水落上等兵は呻き、
「痛ッ……痛ッ……」と二言三言、小さな悲鳴をあげたが、大きく口をあけて息を吐き、全身の力を抜いた。彼の表情が平静になるのを待って、辻村班長はおもむろに動いた。大洋の巨大な波のうねりのように、大きく盛り上がっては沈み、沈んでは又大きく盛り上がる。永落上等兵の額には粒の汗が浮かんでいた。
 凄まじい光景であった。凝視する私の視線を避けるように、流石の永落上等兵も眼を閉じて、烈しい苦痛と屈辱感から逃れようとしていた。
「岩崎、ここへ来て、ここをよーく見ろ」
 言われるがままに、私はしゃがみこんで、局部に目を近づけた。
 一心同体の男達がかもし出す熱気と、激しい息づかいの迫力に圧倒されて、私はただ茫然と、その場に崩れるようにすわりこんでしまった。
 戦いは終った。戦いが烈しければ烈しい程それが終った後の空間と時間は、虚しく静かで空ろであった。
 三人の肉体も心も燃え尽き、今は荒涼として、生臭い空気だけが、生きとし生ける男達の存在を証明していた。
 男のいのちの噴火による恍惚感と、その陶酔から醒めると、私を除く二人は、急速にもとの辻村班長と水落上等兵に戻っていった。先程までのあの逞しい情欲と激動が、まるで嘘のようだった。汲(く)めども尽きぬ男のエネルギーの泉、そこでは早くも新しい精力が滾々(こんこん)と湧き出しているに達いなかった。
 「見たか、岩崎。貴様も出来るように鍛えてやる。寝台に寝ろ。」
 有無を言わせぬ強引さであった。
 あの身上調査のあった日以来、私はちょくちょく、今夜のように、辻村班長の呼び出しをうけていたが、その度に、今日、彼が水落上等兵に対して行ったような交合を私に迫ったのである。しかし、これだけは、私は何としても耐えきれなかった。頭脳に響く激痛もさることながら、襲いくる排便感に我慢出来ず私は場所柄も、初年兵と云う階級上の立場も忘れて、暴れ、喚き、絶叫してしまうので、辻村班長は、ついぞ目的を遂げ得ないままであった。
 その時のいまいましげな辻村班長の表情。何かのはずみでそれを想い出すと、それだけで、私は恐怖にわなないたのであるが、辻村班長は一向に諦めようとはせず、執念の劫火を燃やしては、その都度、無残な挫折を繰り返していたのである。
 その夜、水落上等兵の肛門を責める様を私に見せたのは、所詮、責められる者の一つの手本を私に示す為であったかもしれない。
「ぐずぐずするな。早くしろ、早く」
 ああ、今夜も。私は観念して寝台に上がり、あおむけに寝た。敷布や毛布には、先程のあの激突の余儘(よじん)が生温かく、水落上等兵の身体から滴り落ちた汗でじっとりと湿っていた。
 私の腰の下に、枕が差し込まれ、両足を高々とあげさせられた。
「水落。こいつが暴れんように、しっかり押さえつけろ。」
 合点と云わんばかりに、水落上等兵は私の顔の上に、肉づきのいい尻をおろし、足をV字形に私の胴体を挟むようにして伸ばした。股の割れ目は、まだ、水落上等兵の体内から分泌された粘液でぬめり、私の鼻の先や口許を、ねばつかせると同時に、異様に生臭い匂いが、強烈に私の嗅覚を刺戟した。
「むむッ」
 息苦しさに顔をそむけようとしたが、水落上等兵の体重で思うにまかせない。彼は更に私の両足首を手荒く掴んで、私の奥まった洞窟がはっきり姿を見せるよう、折り曲げ、組み合わせ、私の臍の上で堅く握りしめた。
 奥深く秘められている私の窪みが、突然、眩しい裸電球の下に露呈され、その差恥感と予期される虐待に対する恐怖感で、時々びくっびくっと、その部分だけが別の生き物であるかのように動いていた。
 堅い棒状の異物が、その部分に近づいた。
 思わず息をのんだ。
 徐々に、深く、そして静かに、漠然とした不安を感じさせながら、それは潜行してくる。ああッ〃‥ああッ〃‥‥痛みはなかった。次第に力が加えられた。どうしよう……痛いような、それかと云って痛くも何ともないような、排泄を促しているような、そうでもないような、不思議な感覚が、そのあたりにいっぱい。それが、私の性感を妖しくぐすぐり、燃えたたせ、私を夢幻の境地にさそうのであった。
 突然、激痛が火となって私の背筋を突っ走った。それは、ほんのちょっとした何かのはずみであった。
「ぎゃあッ!!」
 断末魔の叫びにも似た悲鳴も、水落、上等兵の尻に押さえつけられた口からでは、単なる呻きとしか聞きとれなかったかもしれない。
 心をとろけさせるような快感を与えていた、洞窟内の異物が、突如、憤怒の形相に変わり、強烈な排便感を伴って、私を苦しめ出したのである。
「お許し下さいッ――班長殿――お許しッ ――お許しッ――ハ、ハ、班長殿ッ」  言葉にはならなくても、私は喚き叫び続けた。必死に、満身の力を振り絞って。
「あッ、汚しますッ――止めて、止めて下さいッ――班長殿ッ――ああ――お願いッ――お許しッ――おおッ――おおッ―― 」
「何だ、これくらいで。それでも、貴様、男か。馬鹿野郎ッ」
「ああッ、……痛ッ……毛布……毛布……痛ッ――汚れ――汚れますッ――班長殿ッ」
 毛布を両手でしっかりと握りしめ、焼け爛れるような痛さと、排便感の猛威と、半狂乱の状態で戦う私をしげしげと眺めて、流石の辻村班長も、呆れ果てで諦めたのか、
「よしッ……大人しくしろ。いいか、動くなッ」
「うおおおー!!!」
 最後の一瞬が、とりわけ私の骨身に壊滅的な打撃を与えた。
「馬鹿野郎。ただで抜いてくれるなんて、甘い考えおこすな。糞ったれ」
 毒づく辻村班長の声が、どこか遠くでしているようだった。
 終った、と云う安堵感も手伝って、私は、へたへたとうつ伏せになり、股間の疼きの収まるのを待った。身体じゅうの関節はばらばら全身の力が抜けてしまったように、私はいつまでも、いつまでも、起き上がろうとはしなかった。 
 班長の最後の一撃で俺も漏らしてしまったのだ。腑抜けさながら。私はここまで堕ちに堕ちてしまったのである。  瞼から涙が溢れ、男のすえた体臭がこびりついた敷布を自分の汁と血で汚していた。
 どれだけの時間が、そこで停止していたことか。
 気怠(けだる)く重い身体を、もぞもぞ動かし始めた私。
 「なんだ、良かったんじゃねぇか、手間取らせやがって」
 おれの漏らした汁を舐めながら辻村班長が言った。
 そして汚れたモノを口に突っ込んできた。
 水落上等兵は、おいうちをかけるように、俺に覆い被さり、聞こえよがしに口ずさむのであった。
 新兵サンハ可哀ソウダネ――マタ寝テカクノカヨ――
        (了)
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sasasatumblogbackyard · 4 months
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撮影後記です。6月は牧草地の石勝線を往く特急おおぞらです。
帰省するたび北海道をあちこちを旅するのですが、実家が札幌の者としてはせっかく帰ってきたのだからと、富良野や道東などの有名な観光地に意識が向くことがどうしても多くなります。
でも長い間ふるさとをから離れた‘内地’で過ごしてくると、子供の頃慣れ親しんだ札幌に近いエリアでも、素晴らしい風景に気づく機会が増えてきました。 中でも千歳市東部から栗山町にかけての地域は、地形の表情が豊かな丘陵地帯でお気に入りのエリアです。
広大な土地の多くを近代的な線形で作られた北海道の鉄路は(この路線長に対して意外と鉄道の撮影地が少ないのかも?)と思っていました。 でも内地で生活する人間の目線だからこそ感じられる北海道らしい光景を、実家の近いエリアで探してみるのも帰省の一つの楽しみにしてみようかなとここ最近考えております。
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papatomom · 1 year
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20230618(日)
源氏物語ミュージアムで上映されていたアニメ映画「GENJI FANTASY ネコが光源氏に恋をした」の舞台にもなっていた「さわらびの道」を宇治川に向かって歩く。
世界文化遺産の「宇治上神社」、「神使のみかえり兎」で有名という「宇治神社」にお詣りしたあと、宇治川に架かる朝霧橋を渡って平等院表参道にある「六条庵」さんで茶そばランチの昼食。お蕎麦のつゆが濃い目でちょっと驚いた。(濃縮つゆを希釈してないのか、こういうもんなのか?)
食事の後は近くの「ますだ茶舗」さんで宇治抹茶ソフトクリームを買う。
「平等院」は人が多く並んでいたので今回はやめて、伊藤久右衛門 平等院店でお土産「宇治抹茶ガトーショコラ 宇治のこみち」を購入後、宇治田原町にある「正寿院(shoujuin)」へ。
到着したときは後30分位の参拝時間しかなく急いで見学。それでも同じような時間に来られる方もいて、特に則天の間にある猪目窓(猪目(いのめ)はハート型に似ている日本の伝統文様の一つとな)では、10組位の若いカップルが写真を撮る順番待ちをしていた。
今の時期は風鈴まつり(wind chime festival)も開催されていて、短い時間だったけれども、楽しむことができた。
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ryotarox · 7 months
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(倒産寸前だった京都の老舗和菓子店を救った「スライスようかん」:日経クロストレンドから)
倒産の危機にひんしていた老舗和菓子店を救ったのは、全く新しい食べ方を提案するようかんだった。1803年創業の亀屋良長(京都市)は、スライスチーズに着想を得た「スライスようかん」を開発。これが大ヒットし、起死回生を果たした。その開発秘話や、宣伝戦略の進化に迫った。
薄くスライスしたようかんにバター風味のようかんをのせ、けしの実を散らして1枚ずつフィルムで包んだ、京都の和菓子店・亀屋良長の「スライスようかん」。2018年9月の発売以来、累計販売数は約63万袋を記録した。  単身者も多い近年の生活スタイルにそぐわないサイズ感や、カットの手間が敬遠され、「年間50本程度しか売れていなかった」というようかんを、「朝食として食べられる和菓子」として、新たな切り口でリニューアル。和菓子に親しみがなかった層も取り込み、同店の看板商品に成長した。
スライスようかん開発のヒントは、猫の手も借りたい朝、2人の子供にあんこトーストとチーズトーストを別々にリクエストされたこと。「チーズトーストはスライスチーズのフィルムをはがし、パンに載せるだけだが、あんこは固く食パンに伸ばすのが面倒。あんこもシート状なら楽だと思い、ようかんをスライスする案が浮かんだ」(由依子氏)
ただせっかく新しい取り組みを行っても、「広め方が分からなかった」という。スライスようかんの発売時も、特別なPRは行わずじまい。 「当時はプレスリリースの存在すら知らなかった」(良和氏)  「課題は発信力。SNSを活用すべきだ」とコンサルタントに助言され、20年4月、良和氏、由依子氏、30代社員がそれぞれのアカウントでSNS投稿を開始。同年6月、渦巻き状の焼き型で寒天に波紋をつける製造動画を、良和さんがX(旧Twitter)に投稿すると、「波紋の形がミッキーマウスのよう」「焼き型が寒天に押し付けられたときに立てる音がかわいい」と拡散。フォロワーが1日で8000人増え、21万以上の「いいね」を獲得した。  この成功体験をもとに、「雪だるま形の干菓子など、見た目がかわいい定番商品をクリスマスなどの季節イベントに先駆けて投稿。それが若者の間で拡散され、ECサイトでの売り上げが急増、というサイクルを作れるようになってきた」(良和氏)。
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・他にスライス形状にすると良い製品は。 ・どう売るかも大事。ビジュアルが明快。
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ari0921 · 8 months
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 反スパイ法のない日本、外事警察の苦闘
            櫻井よしこ
わが国は、四桁に迫る数の自国民を北朝鮮という国家権力によって拉致されたまま、約半世紀、取り戻せないでいる。
13歳で拉致された横田めぐみさんは59歳になった。母上の早紀江さんは、日本はなぜ、国民を取り戻せないのかと問い続け、新しく拉致担当大臣が就任する度に「真剣に取り組んでほしい」と要望する。歴代内閣は拉致解決を政権の最優先課題と位置づけるが、吉報は未だ訪れない。
第二次安倍政権の7年8か月間、安倍晋三総理を支えて国家安全保障局長等を務めた北村滋氏は、近著『外事警察秘録』(文藝春秋)の冒頭で当時の拉致問題への取り組みを記した。めぐみさんのものとされる遺骨が螺鈿(らでん)装飾の漆器調の器におさめられて日本側に手渡された時、その遺骨は警視庁鑑識課で横田御夫妻に示された。目に涙を浮かべた父上の横田滋さんが無言で坐る傍ら、早紀江さんが沈黙を破った。
「めぐみは生きていますから。これは警察の方でしっかりと調べて下さい」
早紀江さんは毅然と言い、「遺骨」を証拠として鑑定処分に付することを承諾して下さった。「それは娘の生存に対する確固たる信念の発露」だったと、北村氏は書いた。
周知のように、遺骨はめぐみさんとは無関係だと判明し、日本国内の怒りは頂点に達した。だが、振りかえってみれば拉致は金正日総書記が2002年に認めるまで日本での関心事にならなかった。遡って1988年3月、梶山静六国家公安委員長及び警察庁の城内康光警備局長が、「一連のアベック失踪事件は北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚」と答弁した。
北村氏の指摘だ。
「拉致事件について国会で閣僚と警察の責任者が断言し、それと前後して日本人が拉致されたことを示す具体的な情報が複数取りざたされていたが、それでも捜査に追い風は吹かなかった。北朝鮮の国家犯罪の追及は当時、日本政界を支配していたムードに逆行するものだったのだろう」
事実、89年7月には土井たか子、菅直人の両衆院議員らが北朝鮮の工作員・辛光洙の釈放を求める要望書を韓国に送り、90年9月には自民、社民両党が「金丸訪朝団」を結成して訪朝した。当時は日朝友好親善の機運が高まっていたのだ。
世界一、与し易い国
警察が拉致を防げなかったこと、捜査が進捗しないことについての批判は依然として強い。北村氏は言い訳するつもりはないとしたうえで、日本国の体制に注視する必要性を指摘する。まず第一に、スパイをはじめわが国の国益を深刻に侵害する犯罪を直接、適切な量刑で処罰する法律がないことだ。米国では死刑、終身刑、数十年の懲役刑となるような犯罪が、わが国では北朝鮮のスパイ事件に見られるようにほぼ全員、軽微な刑罰にとどまると北村氏は指摘する。
警察庁が認定してきた1950年から81年までの北朝鮮スパイ事件42件に限れば適用された罪名は「出入国管理令違反」等の微罪にすぎず、執行猶予が付くケースが多いという。
第二次安倍政権が「特定秘密の保護に関する法律」(特定秘密保護法)を難産の上成立させたとはいえ、今もまだ拉致問題に典型的に見られる対日有害活動を直接処罰する法律は制定の動きすらない。安全保障に疎いわが国の、これが現実である。
『外事警察秘録』の頁をめくる度に、日本の安全保障体制が法的にも国民の意識という点においても如何に貧弱かを思い知らされる。北村氏が41年間のキャリアを振りかえって取り上げた事件は拉致問題、重信房子の日本赤軍、麻原彰晃のオウム真理教、暗躍する中国スパイなど、実に幅広い。一連の事例から浮かび上がるわが国の姿は、悪意を持った犯罪者にとって恐らく、世界一、与し易い国のそれではないだろうか。
日本と日本国民を守る手段(法整備)に事欠く中で、北村氏らは国内世論の無理解、日本政府内に蔓延する気概の喪失とも戦わなければならなかった。たとえばオウム真理教事件で、早急に打つべき手のひとつが麻原彰晃ら最高幹部の国外逃亡阻止だった。
彼らは当時頻繁にロシアに渡り、レーザー兵器、ウラン、軍事用ヘリコプター、毒ガス用の検知器、自動小銃などを入手した可能性があった。そこで北村氏ら外事警察は「旅券法に基づいて、麻原に旅券返納命令を出してほしい」と外務省に要請。95年3月30日、警察庁長官の国松孝次氏が狙撃された当日のことだ。外務省担当者はこう返答したという。
「返納命令を発出してもし報復テロの対象として我々が狙われたらどうなりますか。警察庁長官ですら銃撃から守れなかった日本警察に部外者の我々を守り切れるのですか」
テロリストの思う壺
最終的に旅券返納命令は発出されたが、恐怖心を煽って政治的目的を果たそうとするテロリストの思う壺にはまっている日本の姿がそこにあった。氏はまた警察庁外事情報部長だったとき、スパイ事件に関する日米の分析検討会議に出席した。日本の摘発事例を説明した際、米側の出席者がたまりかねた様子で尋ねた。
「日本警察が摘発した事件では、そもそも公訴の提起がなされなかったり、スパイ協力者に対する求刑が懲役一年から二年程度だったりすることが多い。判決では執行猶予が付され、釈放されるケースばかりだ。なぜなのか」
日米同盟という関係の中で、日本から情報が漏れれば米国も一蓮托生だ。米国側が懸念するのは十分に理由のあることなのだ。
北村氏は、日本の刑事法にはスパイ行為を直接罰する罪が存在しないこと、したがって捜査機関は、スパイがその情報を入手するためのプロセスを徹底的に精査し、あらゆる法令を駆使して罪に問える罰条を探し、スパイ協力者はその共犯として立件すると説明したが、到底、理解してもらえなかったという。
「米国では、情報を漏らした者はもとより、情報を探知し、盗み出した者を、より重罪とする。量刑は最高で死刑だ。(中略)終身刑や被告の寿命を遥かに上回る数十年の拘禁刑という事例も散見された」
北村氏はこう書いたが、これは中国、ロシアを含めておよそ世界の国々の常識であろう。
インテリジェンスの専門家が振りかえる安倍政権、7年8か月の軌跡は、案件のひとつひとつが生々しい記憶をよび起こす。独立国としての日本の再起に文字どおり命をかけた安倍晋三総理。第二次政権発足の翌日、内閣情報官としての第一回総理ブリーフィング(報告)を終えて退出する北村氏に安倍総理が声をかけた。
「これからも時々、報告に来てください」
週一回だった定例報告はそれ以来、週二回となった。安倍総理はインテリジェンス報告に多くの時間を割いた。情報こそが国の命運を決することを正しく理解していた宰相なき後、わが国の前途は多難である。
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cafelatte-night · 25 days
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ひとこと日記📓 2024.09
9.1-引越し。荷物でいっぱいになった車で元彼を駅で拾って新居へ。運び終わってから、お互いの気持ちの話をした。今日が最後、今日が最後を繰り返してまた一緒になりたい。
9.2- 1人で部屋の片付けをする。大方片付いたら、もう何ヶ月もここに住んでいるような感覚になった。いい仕事にすぐ就けそうにないので、またその場凌ぎで派遣を始めようか悩む。web面談をしたら、自分の顔があまりにも暗くて今日にも自殺しそうなやつに見えて悲しかった。
9.3- 何もしたくない。さみしい。
9.4- 「YOU 君がすべて」S3を観ている。ラブが抱える悩みが自分と被る。ジョーが元彼と少し似ているから余計に… / まだ部屋に冷蔵庫がない。冷蔵庫を持たない暮らしについて考えてみる。わたしはよく食材を腐らせて捨てていたから、ないほうがいいけど難しいね。
9.5- 事務の派遣が決まりそう。時給制だけど、貯金も少しできるくらいは稼げるから、1日でも早く働き始めたいけど… 本当は在宅でデザインの仕事がしたい。応募はしてるけど、すぐに決まるかわからないから、派遣の仕事を始めるべきか、でも長期雇用予定の求人だから中途半端に働き始めたら担当にも企業にも迷惑だよな/ 元彼からの質問に長文で答えたら既読無視されててつらいけど信じて待つ。→待てない。
9.6- やっと新居にwifiが通った。3時間かけての大掛かりな工事だった。みんなそれぞれ、自分にできる仕事をして世の中が回っている。
9.7- 23時過ぎ、元彼からメッセージ。今夜君の家に泊まっていいか?と。わたしのアパートの近くの駅でのんでたらしい。バーに合流して遅くまで彼の友人たち(外国人の旦那と日本人の妻2組)と過ごした。彼は酔っていたけど、わたしの魅力を友人たちに熱弁し始めたり激しめのスキンシップをとってきたり、やっぱりまだわたしのこと大好きなんだなってわかって安心した。
9.8- 午前3時に帰宅してシャワーでセックス。急遽、彼のバンドメンバーと一緒に川に行くことになった。
起床。まだ魔法は解けてなかった。けど、バンドメンバーのひとりがわたしと一緒に川に来るのはおかしいってメッセージで言い始めてからおかしくなった。人が変わったように、やっぱり一緒になるべきじゃないと言って川に行ってしまった。精神病かな? そのバンドメンバーまじで国に帰ってクレメンス
9.9- 電話したらもう会うべきじゃないって言われちゃった。じゃあなんで土曜日泊まりにきたのかな?しにた。でも戻ってきてくれるって信じてる。
9.10- 初回のカウンセリング。大事なことちゃんと伝えられたと思う。次回からは心理士を目指す大学院生が担当することになる。どんな先生が担当になるか少し緊張する。
9.11- ちょっと鬱目。いい感じのイタリア人とマッチするも多分詐欺垢っぽい。代わりなんていないのに何してるんだろう。
9.12- 昨日は9.11だったことに気づく。最近Deep stateに興味があり、陰謀論の動画を見たりしている。世の中は一部の人間に操られているのかな。もしそうであったとしても、わたしの人生に直接的には関係のないことだけど。
9.13- 出鱈目な生活を送っている。自己肯定感も上げればいいってものではなくて、変な上げ方をすると拗れる。
9.14-9.15 ここ数日、夢の感覚がリアル過ぎる。地面師を観ていたら、朝になっていた。そしてようやく眠って目が覚めたら夕方になっていた。元彼から、わたしが1番好きなポケモンをリモートで送ろうか?とメッセージが来たが、「会えないのなら今は要りません、ありがとう。」と答えた。どんなつもりでメッセージを送ってきてるんだろう。頭の中を解剖してやりたい。
9.16- ボーリング同好会の集まりに参加。今まで70前後だったのに、いろんなアドバイスのおかげで100超えた。久しぶりの達成感。グループチャットから個人でLINE追加してくる男たちがだるい。なんでわからないんだろう…?
9.17- 今日から新しい仕事が始まった。午後からずっと頭が痛い。逃げて逃げて逃げ続けてきたツケが回ってきたとつくづく思う。もう諦めて死んだほうが楽だと思う。思うだけ。/ 昨日、ペットの誕生日だったのにうっかり忘れていた。最低。わたしはつくづく冷たい人間だ。
9.18- 仕事2日目
9.19- 仕事終わりにアプリの人と会う。あんまり会いたくなかったけど、スタバを奢ってあげるし30分だけでもいいからお願いと言われて会った。結局3時間くらい一緒にいた。寝てない。
9.20- 金曜日。つかれた。しばらくメッセージしてる外国人と電話したけど、違った。
9.21- 夕方までだらだら過ごす。暗くなってからオーダーしたシャツを取りに行く。かわいい、わたしが着たら絶対にかわいいと思った。/「この世界で生きていくために、手を組みませんか」というプロポーズ
9.22-トークサバイバーを観る。笑うと楽しいね。今日何したか覚えてない。3連休じゃなかったら死んでた。/就寝前に元彼から電話。
9.23- am2 元彼の家に到着。引っ越してからさらに遠くなり1時間近くかかるようになってしまった。朝まで眠れず。2人の関係を成就させるために、わたしが変わる。/ ヘアカットに行く。私史上1番気持ちよいシャンプーだった。
9.24- 元彼から風邪をもらった。体がとてもだるいけど、この仕事は身体に負荷がかからないし、人と話すことも少ないからなんとかなる。次のデートはコスモス畑。わたしと彼が2年前の秋に初めてデートした場所。
9.25- 以前、大学附属の心理センターで初回のカウンセリングを受けたのだが、審議の結果、わたしの症例は当センターでは対応継続できないとのことだった。そんなことあるんだね、いっぱい自分のこと話したのに無駄になった。/ 仕事おわりにweb制作会社の面接へ。すぐに転職したいわけじゃないけど、選択肢をつくっておきたくて。今の仕事のお給料に特段不満はないけど、派遣から正社員になったらいくらもらえるのか早めに確認しなきゃな。
9.26- 手術なしで視力を回復できるオルソケラトロジーというものを知る。15万ほどするが、レーシックやICLに比べて低リスクで安いから、生活が安定したらやりたい。/仕事おわりに、からやまのテイクアウト。期間限定のマグロ天定食を注文。働いて好きなもの食べて好きなだけゆっくりお風呂に浸かって眠くなったら静かに寝る。ほどほどに自由。
9.27-
9.28-
9.29-
9.30-
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kaoriof · 1 month
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無題
平穏よりも胸のときめきをいちばんにしたら世界のぶあつい皮膚が一枚めくれたかのようになにもかもが歌い踊りかがやきはじめたのをいまでも覚えている。わたしは親が厳しくて外泊できないけれど、そのあいだに同級生の子たちはうつくしい島の海に反射する満月をみて、だれかと夜通しぴたりとからだをあわせて内緒話をするような、今にもぷつりと切れそうな糸のように細くて鋭い若さを世界の夢に浸らせている。感性を野放しにして、こどものころの感動をひとつずつ取り戻す時間がわたしにも必要だった。けれど思いどおりにいかないこともある、それも定めとおもって歯をぎゅっとくいしばる。わたしには必要だった。路上、白い廊下みたいに澄んだ朝霧をかんじる時間。薄いトップス。ズレた口紅。酔った勢いで入れ墨を彫ってしまう危うさ、煙ったクラブでなにもかんがえずに踊って、好きな男と寝て一限目をサボるとか、夜の街頭を走り抜け、くだらないことに時間とお金を費やすこと。「それだけじゃない、夜に遊ばなくても昼に釣りをしたりサッカーしたりそういう遊び方だってあるだろう。そっちのほうが幾分もまともだ」 おとうさんは夜遅くに帰ってきたわたしを叱りつけ、そう言った。わたしはけしてワルにあこがれているのではなくて、ただただ綺麗なものに飽きただけだった。わたしにとって祈りや信仰はさいしょから型があってそれに当て嵌めてハイ完成みたいなかわいいお菓子作りのようなものじゃなかった。自らを成り立たせるピースを集めた上でそれを食い尽くすくらいの覚悟や貪欲さがあなたにはある?わたしにはそれが足りなかった。昔も今も自分でうつくしい歌をつくれない。うつくしいものがたりをかけない。うつくしい絵を描けない。世の中にはフォロワーが万桁いる女子高生がいて、今、何千もの美術展が開催されていて、明日、いつかオリンピックに出るであろう少年がはじめてスケボーに乗るかもしれない。わたしには何もできないかもしれないけれど、彼らの生き様はわたしをわたしたらしめる微かなエッセンスとしてわたしに溶け込む。それを祈りという言葉で表象してはだめ?これからのことをかんがえると、ずっとどきどきする。目の前の光景が、訪れたことのない地の光が、風が、わたしを、わたしのからだを必要としてる気がする。世界中に張り巡らされた血管がわたしの心臓部にも繋がっているような心地。死ぬ5秒前ってどんな感覚なのかしらないけど、築き上げた塔が崩れてゆく感じなのかな、雪景色のような。
無題
朝起きたら腕に友達の噛み跡と身に覚えのない痣が3つくらいあった。耐え難い疲労がからだのあちこちにひっついて、入れ墨と化している。活字の海を、本をその背に背負えたらよかったのに、今のわたしを崖っぷちに引き止めているのはうつくしい言葉でもなくて、泥に塗れた重いカルマ。イヤホンの先から垂れ流れる音楽すらも風のように軽やかで自由なものではなくて、ねばねばした気持ちわるくてかなしいものに聴こえた。夏と、そのあつさと、その底知れぬ闇に街ゆくものすべてがこころのずっと奥の方で平伏している。昼過ぎにスクランブル交差点前の巨大スクリーンが薄青い空を泳いでいるようにみえたこと、街ゆく人の肌色が、シャボン玉のようにその熱を吸収して発光していたこと、ぜんぶなんか夢みたいにふわふわしているかんじがした。もうすぐでなつやすみなのに、大学入ってからそれまでもずーっと夏休みのような感じだったからあまりどきどきしない。みずみずしくずっと光っていたい。わたしもいつかデカい人間になりたい、いつかいつかいつかという文句ばかりが増えてゆくのを横目でみて、ぜんぶカサブタを剥がすように振り解いて拭ってくれる奇跡みたいな命、日々、音をどうしても期待してしまう。どうすればいいんだろーしにてーと思いながらまたあしたも友人と夜ご飯をたべにいく約束した。それでまた家に帰って、朝起きて虚無感に苛まされて、の繰り返しを大量の課題で中和する。薄暗い中でたべるごはんとか朝早起きして化粧をすることじゃない、今はなにもない海とか草原でなにも繕わずにその自然のデカさとか愛を仰向けになって享受するのがいちばんただしいきがする。たすけてと呼ぶには大袈裟すぎるし。わたしはわたしのことをぜったい見放さない、それだけで充分いっぱいすてきでしあわせで救いだということを今じゃなくてもいい何年もかけて真実にしていく、揺るがない愛に変えていきたい。
end
泣き出しそうに張り詰めた空気に鼻を啜る。世界の彩度が落ちて、ぶあつい服を着た街ゆく人たちが皆んなちっちゃな怪獣みたいにみえる。肌寒い。外はずっと灰色、モスグリーン、レモンみたいな匂い。大きな木が揺れて、木の葉の上に横たわっていた雨の滴が霧のように3秒間くらい降った。最近は毎日毎日やることが多くて、それをこなしているあいだに1日が終わる。3日連続で化粧を落とさずに寝てしまった。多くの人が電車にのっているときに外の景色に目をやらないのと同じ感覚で、わたしも生活の外側にひろがる微かな動きに鈍くなった。ずっと特別でありたかった、1番愛されたかった、そういった思春期的な熱望とどんどん疎遠になっていく自分に日々焦ったり安堵したりしている。だけど同時に、わたしの中をまだ生きている17歳のわたしがその面影をときどき覗かせる。期待させる。突拍子もなく走ったり、ゲラゲラ笑ったりする。些細なことで泣いたり、理不尽な世界に怒っている。良くも悪くも変わっていくのなら、これからの自分に期待をしたい。アルバイト先では後輩が6人くらいできて、みんなわたしよりも仕事ができる。わたしはもともと注意をされると衝動的に泣いてしまうところがあったし、シンプルに忘れっぽかった。あまりにも器用に仕事ができないので、ある日店長とそのことについて話し合ったら意識の問題と言われた。その1、人からのアドバイスに��っている自分を見出してはだめ。その2、素直に人からの意見を受けとる。その3、自分のためでなくだれかのために働く。この3つを約束した。夜の繁華街で50歳の男性に飲みにいきませんかと声をかけられたり、あした授業にどんな服でいくかを考えながら化粧品を見に薬局に寄り道したり、腕に点々とのこる虫刺され痕をみて、それを残した蚊のことを考える。あした、図書館で借りた本の返却期限。わたしもちっちゃな怪獣になって寒さをまるごと食べてしまいたい、寒い日の、霞んだ光やクリアな淋しさ、果実のようにぎゅうぎゅうに酸っぱい気持ちを。
slow burning
大学一年生というよりも、高校四年生というような振る舞いをしているなあ、と自分のことを客観視する。新宿の横断歩道橋から行き交う人々を眺める。つい最近まで、委員会の同期の仲の良さにムラができていて、グループとかカーストとかそういう言葉が浮上してきてしまうほど揉めそうになっていた。それでも、それぞれが居心地の良い場所にしようと歩み寄っている。こういう、諦めによる愛想ではなくて心からの気持ちに胸を打たれる。明大前の飲み屋で酔っ払って「俺みんなのこと愛してるよ」と照れ笑いする先輩に、わたしたちみんな、キモいねーなんて言って茶化した。そのあと夜の大学で騒いでいたら警備員に注意された。机の下に10円玉を落としたのを拾わないで帰る。いつまでも赦されていたい、わたし、山猫のような女の子でいたかった。すぐ隣、肌すれすれにだれかの温もりを感じて弱さを誤魔化すのではなくて弱さを共鳴しあっていたい。「東京の人は生き急いでいる」なんて言葉があるけれど、わたしは美しい光景がそこに広がっていれば必ず立ち止まる人でありたい。仕事に遅れそう、とか、終電が、とかじゃない、好きな人たちのためだけに忙しくありたい。恋人は待ち合わせをするとき、「どこでおちあう?」と聞くのだけど、高2の頃、初めて会う日、それを「(恋に)落ち合う」と勝手に解釈して死ぬほどどきどきしたのを思い出した。それからわたしも「どこで落ちあう?」と聞くようにしている。ドア窓の形に切り取られた青い影が電車のフロアに映って、がたんごとんという音に沿ってフィルム映画みたいに小刻みにうごいていた。池袋で新疆料理をたべて、お腹を下す。スペイン語の中間試験。木曜日、ほんとうは1限に英語の授業があったんだけど、財布を忘れたいせいで交通費が若干足りなくて新宿駅から乗り換え先の電車に乗れなかった。その旨をインスタのストーリーに載せたら、一度しか喋った事ない同じクラスの男の子から「抜け出していくわ、」とだけ連絡が来て、本当にきてくれた。クラスで唯一金髪で、派手で、いつも高そうな服を着ている。ピーナッツをぼりぼり食べながら、ダーツをする。わたしが2回勝って、可哀想だったからあとの1回は負けてあげた。それからは何も無かったかのように授業では一言も喋らない。お互い、目を合わせないふりをしているような、ふしぎな距離感を保つ。渋谷で5分1000円の手相占いをしたら、鎖みたいにいくつもの線が絡まっていますね、と言われた。意外と気にしいなんじゃないですか?「そうですね」と答える。駄菓子屋で1000円使い切ったほうが幸せになれそうだとおもった。電車の隣の線路にカラスが一羽いた。こんなに近くでみるのははじめてだ、と思って、じーっとみつめた。黒なのに黒じゃなくて、光を受けて渋いグリーンや紫っぽくみえる羽毛に目を見張る。なんか、空はどこまでも真っ青なのに光の細部だけ色があたたかい夕方前みたい。ふわっとなにかに気付いて、じーっとそれを見つめて、そこになにかが“視える”とぜんぶ途端にスローモーションになって、焦燥感や虚しさがたちあがってくる瞬間がある。からっぽなのにぎゅうぎゅうな感じ。AirPodsをケースにしまう音が体感的に5秒間くらい耳に残ったり、自分の息遣いにどきどきしたり、すれ違う男子高校生の会話声や、鳥が羽をはためかせる様子がクリアに輪郭が保ったまま空中を転がる。ガムを買って噛みながら、心のもやもやしたなにかを同時に小さく噛み砕いてゆく。光の洪水。家に帰ってパスタをたべたあと、お風呂で下の毛をつるつるにする。夕方終わりにお風呂に入るの、とても好きだなあと思う。コンタクトレンズを外さないまま、化粧も落とさずベッドへダイブする。瞼の裏に東京タワーの赤がたましいの塊みたいにまあるく光っている、はやく何もかも諦められる年齢になりたいと思う。
無題
なんかまじでわたしが疲弊していて悲観しているのか、世界が残酷なのかわからなくなってきた。脳科学の講義を受講したあと、テキトーに混雑した休日の街をあるいていたら皆んなの脳みそが透けて浮きでてきそうで気持ち悪くなった。地球4周分の神経線維。そう、どでかい爆弾が街ゆく人々の頭蓋骨に葬られている。ニューロンが軸索を介してつながってゆく、放出と受容を繰り返してみんな手を繋ぎあってゆく。セール中でバイトの雰囲気がぴりぴりしていて、みんな資本主義の豚みたいに働いていた。うつくしくないとおもったし、私も美しくなかった。結いた髪に、ぴたっとあげられた前髪。なにを思っているのかを書くのがずっと怖かった。もしかしたら私の感じているこの欲望はとても汚らわしいもので、それゆえにだれかを傷つけてしまうかもしれない。でも、言葉にしなければすぐにわすれてしまう感情に名前をあげなくなって、水をあげなくなって、そうしたら、じぶんの脳みその溝をうめていたみずみずしい苔までもがすっかり枯れきってしまって虚構を連ねるようになった。空洞に哀しみの音だけが響き渡る。友達はいるけど、私はその友達の1番になれない。恋人みたいな人はいるけど、私はその恋人の1番にはなれない。1番っていうのはほんとうの意味での1番、2番とか3番とかがいない1番。圧倒的な2人の世界の中でのフェアで高貴な1番。有名になりたかった。文章でも外見でも写真でもなんでもいい、だれにも敵わない羽根で世界を羽ばたいてみたかった。わたしを選ばないで、そこらへんのそれっぽくかわいい女の子を選ぶかっこいい男の子たちを信じられないでいる。外国に行ったらモテるよ^_^と投げかけられた言葉について何回も考えるけど、考えるたびにかなしくなる。でもね、神様はいるとおもうの。木漏れ日の首筋に、砂丘のしずけさに、広大な空の一枚下に、その温もりと永遠が芽吹いているのをしっている。そのたびに、わたしはこの世界に愛されていて、まだ19歳で、まだ何にでもなれて、そして世界を(気持ちがあふれてしまいそうなくらい)等身大で愛しているドラゴンみたいにかわいい女の子だとまじないを唱えるようにして心を強く保つ。アスファルトに散った桜が朽ちて、吐瀉物のようにグロテスクにぬるい光を浴びている。走り抜ける!だれかの憎悪の中に、疑念の中に、見下しの中に憧憬の眼差しを覚えながら。東京で灯される光の数だけ、アフリカの広原でつややかな花が咲けばいいのに。光の重さの分だけ、銃弾が軽くなればいいのに。帰り道、ひさしぶりにパンを買って帰った。
日記
弟がiPadのタッチペンを無くしたらしくて、それを聞いた母がすぐにAmazonで検索して新しいのを買った。こういうとき、ほんとうになんか小さなことだけれど、すごく心が愛にみちる。
大学の新校舎の建物のにおいが400人もの人が集まった大教室の縁をすべっていく。扉を開けた瞬間、目と目と目がわたしの顔を捉える。湿気漂うフロアにだれかがペンを落とす音、先生のマイクが吐息までもを拾って湿った熱を加速させる。「儚いって聞いて何を思い浮かべますか?蝶?蛍?蝉?トンボ?」 教授がそう聞くと、みんなのえらぶ選択肢がちょうど均等に分かれる。講義が終わるといつもすぐに帰るイケてる男の子が蛍を選んでいて、なおさらかっこよく見えた。わたし、インスタのフォロワーが490人いるんだけど、その人数って今見てるこの人たちよりももっともっと多いのかと思うとなんか心強いような息苦しいような、不思議な気持ちになるなーとぼんやり思った。君たちはぶっちゃけ勝ち組です、という先生がキモかった。海外の大学院に行きたい。わたしはもっともっと色々な人を知るべきだし、美しい景色にであうべきだし、貪欲に学ぶべきだとおもうから。聡明になって、お金を稼いで、将来だいすきなひとたちにたらふくご飯をたべさせてあげたい。お母さんとお父さんが育ててくれた、守ってくれたこの心の真ん中にそびえる愛情のかたまりを誰かに分け与えていきたい。でも、そうとも思うけど、逆にそれをこなごなにさせてくれる危険性や若さゆえの解放にも目が眩んでしまうの。「今しかできない」ってとてもずるい言葉だなあ。
19さい
19歳とかいちばん呪われていた1年だった。まだハタチじゃないけど、もうそうさせて、と思うくらいに、1年のあいだに10年分くらいの幸せと不幸せがぎゅうぎゅう詰めに、どっちがどっちかわからなくなるくらいに入り乱れててくるしくてさみしくて悲しかった。くるしかった。わたしと同じ純度で、等しく、あいしてほしい。あいされたい。
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shunya-wisteria · 10 months
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秋旅2023 横川~アプトの道へ
信越線 群馬側の終点 横川からアプトの道を散歩してみた。
関東近辺も紅葉が色づき始め、一度 行ってみたいなと思っていたアプトの道をこの度 散策。何気に群馬県に降り立つのは初めてかもしれない(いつも通過ばかりなので)。
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北陸新幹線(当時は長野新幹線)長野先行開業に合わせて、廃止となった旧信越本線 横川-軽井沢。その線路跡の一部を遊歩道として整備したのが、このアプトの道。 下り線の一部は今も碓氷峠鉄道文化むらの施設として、トロッコやかつての電気機関車が走る一方で、上り側は線路もはがされた歩行者専用。とはいえ錆びた信号機等、鉄道遺構も残っていることもあり、前面展望の列車に乗っている気分がしなくもない。かつて列車を苦しめた難所 碓氷峠の勾配を登っていきます、歩いて登る分にはダラダラ坂なのでそんなに苦ではないね(なお、下りは後述…)
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途中の温泉施設から先は、さらに古い信越線の旧線跡(長野新幹線開業までに使われていたのは新線)に道はつながります。レトロなトンネルを何個もくぐり、一度道をそれて碓井湖の眺望を楽しんだのち、さらに足を進め。。。
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歩き始めて2時間弱、目的地 めがね橋で知られる碓氷第三橋梁。レンガ積みの壮大な橋梁で、ここもかつては信越旧線が通っていたところ。なかなかの高さがあり、眼下に紅葉した山々のグラデーションを楽しめました。いやぁ、美しい!わき道から険しい階段を降り橋を見上げれば、某峠を攻める漫画をもとにしたゲームで見覚えのある光景に。聖地みたいなものなので、スポーツカーでお越しの方もちらほら。なるほど、車で来るのも楽しそうね。
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アプトの道はもう少し続きますが、足腰の疲れがいい感じ(嫌な感じ)にきはじめていたので、ここでUターンします。一転して今度は下り勾配。登るときは特に何も感じなかったダラダラ坂ですが、下ってみると結構 急に感じるものね。踏ん張りをきかせないといけない故に、足が辛い。。。というわけで中間地点くらいの温泉施設 峠の湯でお湯につかり小休止。冷たい峠風を浴びながらの露天風呂は最高でした(ちょっと湯温が低めでしたが、まあその分 長湯できるということでよしとしましょう)。
湯冷めしないよう速足で来た道を戻り横川駅へ。道中、くつろぐお猿さんも。
遅めのお昼に、おぎのやの峠の釜めしをいただいた後、電車に揺られ帰路へ。気持ちよく寝られました。
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soul-eater-novel · 3 months
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p204 ミルイヒが去ったことで、クナン地方からも二千の兵が集まった。 Having successfully driven off Milich, two thousand additional troops from the Kunan region also joined them.
先の戦いで失った兵も補充でき、解放軍の士気はいやが上にも高まった。 They were able to replace the soldiers they had lost in the previous battle, which boosted everyone’s morale considerably.
新しく加わった仲間や、城内を忙しく行き来する兵とすれ違うたびに、今時の勢いはこちらにあるとティルは思うのだった。 Whenever he met one of their new comrades busily coming and going inside the castle, Tir was always amazed at how much energy they had.
ーーー
ティルたちがゴウラン地方に向けて船を出した時、トラン湖には強風が吹き荒れていた。 Strong winds raged over Toran Lake when Tir and the others launched their boats bound for the Goran region.
北と南の湖水の温度差によって生まれる冬特有の季節風だと、タイ・ホーは説明した。 Tai Ho explained that this was typical of the winds in winter, born as the drastically different temperatures from the north and south met over the lake.
波は荒いが風は追い風て、解放軍を乗せた船はみるみるゴウラン地方の湖畔に進んていった。 The waves were rough, but the wind gave their ships a strong tailwind, and the Liberation Army approached the Goran region at a brisk pace.
舳先で風に吹かれながらティルはふと思う。そんなに、急がなくてもいいのにーー。 While the wind whipped around the bow of the boat, Tir suddenly had the thought—we don’t need to be in that much of a hurry…
とその時、ティルの右腕を激痛が襲った。 At that moment, a sharp pain shot through his right arm.
手の甲から肩にかけて感覚がなくなり、肩には腕がもがれるような痛みが走った。 He lost all feeling from the back of his hand up to his shoulder, then he felt a wrenching pain in his shoulder as if his arm had just been twisted.
「ぐっ……」ティルは肩を押さえ込み、船縁にうずくまった。 Tir grunted in pain and clapped his other hand to his shoulder, hunched doubled over down on the floor of the boat.
「ティル様!どうしました?」慌ててクレオが駆け寄った。 “Lord Tir!” cried Cleo and rushed to his side. “What’s wrong?”
ティルは呼吸を荒げて痛みと戦っていたが、しばらくすると痛みは消えた。 Tir’s breathing grew ragged as he fought the pain, but it gradually began to subside.
大きく息を吐いて立ち上がり、ティルが言う。 Taking a deep breath, he stood back up.
P205 「いや…、なんでもないよ。根の修行のしすぎじゃないかな…」 “It’s nothing,” he murmured. “Probably just overdid it a little with the training.”
しかしクレオは、心配そうな顔つきだった。 Worry still creased Cleo’s features.
「そうてすか……。大事なお身体ですから、あまり無理はなさらないように」 “Is that what it was? Don’t push yourself so hard you ruin your health, Lord Tir.”
「わかっている……」 “I know. Thank you, Cleo.”
ティルの胸には、得も言われぬ胸騒ぎが残っていた。 But a deep unease still rooted itself in his heart.
いつか感じた胸騒ぎ。カクの町で感じたのとそれは、まったく同じだった。 It was the same sense of dread and foreboding he had felt in Kaku.
しかし、前と違うことがひとつだけあった。 Only one element differed.
右手の甲に、未だに焼けるような痛みが残っていた。 The searing pain in his right hand still remained, as if his hand were aflame.
革手袋て隠してあるが、そこにはテッドから受け継いだ真の紋章、ソウルイーターがあった。 Though it was hidden by the glove he wore, that was the hand that bore the Soul Eater rune he had inherited from Ted.
「ティル様、着きましたぜ!!」船尾からあがったタイ・ホーの声にティルが顔を上げると、船は湖畔の砂浜に乗り上げようとしているところだった。 Tai Ho turned to Tir from the stern of the ship and shouted as the boat ran up against the sandy shore.
“Lord Tir, we’ve arrived!”
ティルは手の甲の痛みが気になったが、上陸の準備に取りかかっているうちに忘れてしまった。 The pain in the Tir’s hand still bothered him, but their preparations to disembark pushed it from his thoughts.
兵たちの乗った船が次々と砂浜に乗り上げる。 The boats carrying the soldiers arrived one by one.
ある者は馬を下ろし、ある者は火炎槍を運び出しはじめた。 Some unloaded the horses while others began offloading the fire spears.
砂浜と草原の間には森が茂っているのて、まだテオの軍の様子を見ることはできなかった。 The dense forest between the sandy shore and the fields blocked their view, so they couldn’t see what state Teo’s forces were in just yet.
しかしマッシュが出した偵察によれば、テオは草原の後方に軍を下げ、解放軍の上陸を待っているということだった。 However, according to the scouts Mathiu had sent ahead, Teo had deployed his men at the far end of the field, waiting for the Liberation Army to come ashore.
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koiai15 · 2 months
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何者かを忘れてしまわないように。
先日、舞台「千と千尋の神隠し」大千穐楽を終えました。思えば舞台に出演すると決まったとき、フォロワーのみんなから「おめでとう」という祝福の言葉をたくさん頂いたのを思い出して、そう考えるとあっという間だったなあ。中には僕の出演回をわざわざチケットを取って観に行ってくれた方もいてすごく嬉しかったです。そしてここからは僕が舞台を通して、改めて「千と千尋の神隠し」と言う作品に対して感じたことを綴ってみようと思います。
僕たちは生きていると、最初は情熱をもってはじめたことも、自分の中で正しいと思っていたことも他人との関わり合いの中で誰かの価値観に沿って生きてしまっていたり、新しい世界を見れば見るほど自分らしさをどこかで忘れてしまったり。あれ?僕が今までやってたことって間違ってたのかな?なんて、急に全てに自信がなくなって大切なことを見失いそうになる場面が多々ありますよね。何者かに、逸れたことを、あたかもこの世の正解かのように植え付けられてしまう。千尋が湯婆婆に「千」と名づけられ本当の名前を忘れそうになってしまうように。けれど、そんな世界の中でも何もわからないなりにも必死に生きて、もがいて、働いて、とにかく両親と元の世界に戻るために出来ることを頑張る。そんな千尋の前に本当の名前を思い出させてくれるハクが現れるんです。そんな存在って僕たちにとってもすごく大切な存在だなと。この世界に正解なんて本当はないんだけど、ただただ、純粋なこころで、自分が美しいと思うものや、好きだと思うこと、無垢な心で僕はこれが良いんだって思えるものを思い出させてくれる、そんな存在。自分たちがどこからきたのか再確認させてくれる存在っていうのは非常に希少で大切にすべきだと思うんです。そんな存在、みんなの周りにいますか?僕は、どうだろう。でも少なからず、利害関係や損得なしにそう感じられるものはなくさず持っておきたいとは思っています。無邪気なこころで、世界を見続けられるような一部を一緒に持ち続けられる誰か。何か。そんな存在が近くにいたら良いなと強く感じました。
それから千尋の話もしていいですか?しますね!!千尋の魅力って、ポンコツな人間でも誰かの力になれる不器用ながらも前に進む強さだと思っていて。初めは戸惑ってばかりだった千尋が助けてくれた人のために行動できるように変化していた部分に成長を感じました。”こわい“とあれほど言ってた千尋が、”お父さん、お母さん“と叫んでいた千尋が、行ってくる!と仲間とカオナシを連れて一度行けば帰ってこれるかどうかもわからない場所に自主的に行き、知恵のある人のところに行ってアドバイスをもらいにいく。戻ってきたころには挨拶もしっかり出来る千尋になっている。気づかないうちに僕たちは成長するのかもしれないと感じさせられました。きっとね、人ってなんでもやりながら成長していくものなんですよね。「よし、完璧だ」「これが整ったら始めよう」「いまならやれるかも」自分に許可を出してからなんて、いつまで経っても来ない。でも、僕もそういう人間だし、本当は全部整理しながら一個一個ちゃんとやりたい。でもきっとそんなのいつまで経っても来ないんですよね。だって始めてないから。まずは始めること。そしてやりながら整えていけばいい。僕は最近自分がすごく遠回りしているようななんだかもどかしい気持ちを感じてしまう瞬間が何度かありました。頭ではわかっていても、なぜかわからないけれど落ち込むみたいな日もあって。何をどうすれば、よくなるかもわからない。360度全方位、謎の分からない世界に放り込まれる千尋の気持ちが今の僕には、痛いほどわかる。そんな千尋が歯を食いしばってお風呂を掃除する姿。除け者扱いをされても、両親を連れて帰るために助けてくれたハクに生きてもらうために懸命に前を向いてがむしゃらに走る姿。泣きながらボロボロになっておにぎりを食べ、次の日には起きて日常を送る姿。その全部一個一個がむちゃくちゃに刺さりました。千尋がそういう姿だから、助ける人が出てくる。一緒に冒険したくなる。みんな千尋の虜になる。目指すべきところは分かった気がします。この間にも僕はきっと成長している。挑戦を続けていればきっとうまくできるようになる時が来る。気づいたときに出来るようになっているのだろう。そしてその過程をきっと見てくれてる人もいる、と千尋が改めてそれを教えてくれました。
全108公演、僕にとっての財産になったといっても過言ではないこの作品を通して出会えた共演者の皆さま、関係者の皆さま本当にありがとうございました。そしていつもどんなときでも力になってくれたお友だちや家族、じぇにみんの皆にも特大感謝を伝えたいです。
舞台は終わったけれど8月もイベントは盛りだくさんだし、9月からは秋ツアーが始まります!止まってられないねーーー!!皆にとっても僕にとっても最高の夏になりますように!
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kennak · 2 months
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今から数年前に1万円で家を売った。 5月のある朝、突然携帯電話が鳴り、誰かと思ったら母からだった。 今、A県(亡き父の実家のある県)の警察から電話があって、伯父(父の兄)が遺体で発見されたと連絡が来たとのこと。家の中を捜索していたら、母の名前と電話番号があり電話してきたと言われた。しかし、持病もあるので息子と話してみると伝えたと。 簡単に言えば、遺体の引き取りの件で連絡が来たということだ。 父は今から30年ほど前にすでに他界してる。そして父方の実家には父の兄である伯父が単身で住んでいた。年にして80歳ぐらいだっただろうか。 その連絡が来る、1~2週間前にふと気になり、母に父方の実家の名義は誰になっているか尋ねたところ、私だと言う。 祖父が昭和30年代に建てたらしいが、その祖父が亡くなり、祖母の名義になり伯父は独身で祖母と伯父の二人暮らしだった。そして祖母も亡くなり、伯父の名義になっているかと思っていたが、弟、次男である父の名義であると以前聞かされていた。 そして、父はがんで今の私の年齢のぐらいで30年ほど前に亡くなった。そこで長男である私が自動的に相続していたようだ。 その後、父方とは音信が途絶え、関わりもなくなり、まさかと思い尋ねたら私名義だったと言うことだ。 これはまずいと思い、ネットで調べてみたら名義変更の相談は最寄りの法務局でとあったので、法務局の連絡先などを調べていたところ、伯父が急死した。 警察に電話をしたところ、死後3日ほど経っているが、検死の結果、事件性もないと判断した。よって遺体の引き取りをお願いできるかと言うことだった。 ふと、考え込んでしまった。あの家の名義は私ではあるが、音信不通になっていた期間は数十年。なぜ私が?と。 そこで私が迎えに行かなかった場合どうなるのかと担当刑事に尋ねたら、無縁仏に入ることになりますと。ああ、菩提寺あったなと思い出した。しかもそこのお寺のご住職は同級生でよく遊んでいたと父からも聞いていた。 仕方ない。迎えに行きますと答えた。そこからとりあえずで準備して、そのまま新幹線に乗り、レンタカーを借り、夜中の10時過ぎに警察署についた。 当直の職員に名乗ると、ああ、とすでに理解しているようで担当の者を呼んできますといい、取調室のような、応接室へ通された。他の刑事さんがお茶を持ってきてくれた。遠いところお疲れ様でしたと言うような挨拶はしたと思う。 担当の刑事さんともう一人の刑事さんがやってきて名刺を渡され、状況の説明と見つかった所持品の説明を受けた。 庭で発見され、全く外傷はなく、さらに雨風もなかったので全く汚れなどもない状態で発見され、検死をお願いしている大学病院でも、CTなどを撮ったが内臓からの出血もなく、外傷もなく、事件性はかなり低く、さらに病気も見つからなかったと言う。よって自然死としか言いようがないとのことだった。いわゆるぽっくり逝ったようだ。庭で作業していて心臓が止まり、そのまま亡くなったらしい。 発見は新聞配達の方が新聞が溜まっているのを見て、地元の民生員さんに連絡してくれて、110番して、警察が発見したとのこと。ありがたい話だ。 そして遺体安置所へ案内され、遺体と対面した。冷凍で安置されていたためか少し霜柱が鼻などについていたが間違いなく伯父であった。 再度、応接室に戻り、今後どうされますかとのことだったのでできれば、明日には荼毘と納骨は済ませて帰るつもりだと伝えると、遺体を一晩預かってくれる葬儀屋を紹介してくれた。葬儀屋さんが来ると手際よく、ワゴン車に棺を乗せた。刑事さんたちにおせわになりましたと挨拶をし、葬儀屋さんへ向かった。 一晩預かってもらうことができ、明日に運良く火葬場で荼毘ができるとのことだった。明日の朝再びこの葬儀屋で待ち合わせとなった。 料金は一晩で25万円とのこと。後払いで結構ですのでと気を遣ってもらった(?)振り込み用紙を折りたたみ財布に入れた。 とりあえず遺体は置いておけるが問題は自分だ。0時も回って今から泊まれるところはありますかねと相談したところ、葬儀屋さんが探してくださり、駅前の東横インに泊まれると。そのままレンタカーのナビに目的地を入れて向かう。 ホテルにつき、カウンターで支払いをする。一晩朝食付きで1.2万円ほど。 部屋へ行き、スマホの充電を繋ぎ、シャワーだけ浴びて、そのままベッドへ。はー、来てよかったと思った。 朝、ホテルで朝食を食べ、再度葬儀屋へ。途中コンビニにより、ATMで3万ほど下ろした。 葬儀屋さんの案内で火葬場へ。そのまま荼毘へ。焼き上がるまでお茶を飲んで待つ。荼毘を待つのはいつ以来だ?母方の祖母か?あれ?どっちが先だったか? そして、骨を広い骨壷に収めてもらい。挨拶をして、骨壷を助手席に乗せて菩提寺へ向かった。着いてから気づいたのだが、事前に連絡できなかったなと。 しかし、ご住職に会うと、事情は知っておりますとのことで話は早かった。このまま納骨させてくださいと伝えるとわかりましたと。その場で埋葬許可証を渡し、父方のお墓まで行き、納骨を済ませたところで、大変少なくて失礼ですが、こちらをと先ほどのコンビニでおろした3万円を包んだ封筒を渡した。ご住職はいえいえと恐縮されていたが、こちらとしても始末をつけねばならない。 そして、帰り際にこちらから、これにてこちらの家系は終わり、最後の納骨になりましたので、ひいては年度末に墓じまいもお願いしたくと申し出た。 では、年度末ごろに改めてご連絡しますとのことになった。よろしくお願い致しますと挨拶をした。 そのあとは実家周辺のお宅全てにご挨拶に行った。私は〜家の親族のものです。この度は大変ご迷惑をおかけしましたと、決まり文句を続けた。 全ての方が、まさか私が来るとは思ってもみなかったようで、どちらにお住まいの方?と尋ねられ、伯父の弟の息子で、B県に住んでいる。警察から電話が来て昨日の夜ついて、無事納骨までできたとこれも決まり文句で話し続けた。 皆一様に驚いていたが無事解決してよかったと。 その日は陽が暮れる頃に帰途に着いた。 そして、帰宅してからは「家」をどうするかと言う点だけが気になった。 無人の家に放火、居座られる(これを一番不動産屋が心配していた)、災害による周辺宅への被害は過失になる可能性があるが火災保険には入っていない。 名義は私だが何にも関係はない。住むこともない。なぜ私の名義になったのかはわかる。そして次男である父に名義が行ったのも以前から聞いていた。事情があった。その事情で伯父は孤立無縁だった。ちなみにこの時は血縁関係者は一人も現れなかった。事情は知っているが来なかったと言うことだ。 早く私としても終わりにしたいので、このご時世だ。県名を入れて、不動産売買のサイトで5社ほどに買取の件で一斉送信した。 すると買取不可が3社。仲介販売が1社。建物をこちらで解体したら土地のみを引き取りたいと言う会社が1社返答があった。 ちなみに地域的には限界集落である。バスもない、駅もない。人気もない。 仲介販売は200万円で売りに出しましょうと言う非現実的な提案だったのでお断りした。 引き取りたいと言ってきた会社に連絡をしたところ、いつ現場でお会いできますかと言う話になり、7月ならと。電気もガスも電話も固定資産税なども事情により父、母が支払っていたので、物が腐っても解体するのならいいと思った。冷蔵庫のものは知らんと。 ガスと電話、そして新聞を止めた。特に新聞は支店にも電話して丁重に挨拶をした。支店では事情を皆が知っているようで電話口の女性も同情してくださった。電話も遠くの地だと知るとさらに同情してくれた。 7月。不動産会社の方と現地で待ち合わせした。スーツを着た男性で30代半ばぐらいの方だろうか。お話を聞くと、東京で大手不動産屋さんに勤めていて、出身のこちらに戻ってきて不動産屋を開店したばかりだと言うことだった。 早速、解体についてお話を家の前で立ち話でした。おおよそ200万ぐらいはかかると思うと。家の前の道が狭いのでダンプなどが入れないため、余計に費用がかかるはずとの説明だった。 さらにこちらに来る前に登記簿を取ったが、複雑な登記になっており、道から家の間にお隣の方の土地があると。 お隣の方も出てきていらして、そうそうと。登記の確認の書類を持っていた。ああ、あんた、ここの持ち主さんかい?と。わかる、わかるよと。こちらは幼い頃に遊んでもらったことぐらいしかわからないのだが。 確認書には平成一桁代、つまり父が亡くなり私が自動的に相続した時に、ついでだからどこからどこまでがどうなっているのか確認しようとなり、お隣さん主導で確認し、ビス?を地面に打ってもらったと。そして、その確認のサインがあると言う。 紙をピラっと出してきた。そこには紛れもなく、私の筆跡の名前があった。私はこんな重要な書類にサインしていたのかと。驚いた。全く記憶にない。 ではということで、解体したら引き取りということで良いですかと確認したところ、不動産屋さんが、額に手を置いてしばらく考え込んでいた。 何かと思っていたら、すみません、1万円で引き取らせてくださいと言う。 え?無料でもいいんですが?と返すも、いいえ、それが無料だと色々税金やら何やらと面倒なのでと言うことだった。 売買ではなく贈与ということになるのか?まぁともかく1万円だ。これでおさらばだ・・・と思ったが、200万円の赤字だ。プラス新幹線代、葬儀場代etc...プラス100万になりそう。 話がまとまったところで、後ほど郵送で書類などお送りしますと。そして室内に入ることにした。誰もない父の実家。懐かしい。夏休みにはこちらにきていたが、祖母と父は駅前にマンションを購入し、そこで二人暮らしをしていた。 父は私が小学5年生の時に単身赴任でこちらにきていたが、それから10何年経っても、戻ることなく癌で死んだ。のちに知ったが上司と喧嘩して左遷されたそうだ。 事情により、伯父と祖母と父の3人で住むことなく、父と祖母は家を出たようだ。それも当時は祖母の通院のためと聞かされていたが・・・。今回、死亡して色々わかった。伯父は一族から絶縁されていた。絶縁に法的根拠はないが、一切関わらないということだと思う。 ちなみに村八分は火事と葬儀は協力するが他の8割は協力しないということ。絶縁ももっとすごいと思った。 まさに独居老人だなと思っていたが、生活保護を受けて、元気に自転車を乗り回していたらしい。全くの無病で、慎ましやかに生活されていたと役所の担当ケースワーカーから聞いた。 ところで、25万と火葬費用がかかったので葬祭扶助くださいと申し出たのだが断られた。生活保護は死んだら支給停止なのでと。 は?おかしいでしょ?と言ってもダメだった。 こちらで再度調べたが、やっぱり支給されるようだが・・・。 無知なケースワーカーに当たるとめんどくさい。縁を早く切りたかったので再度役所に出向いたりするのも嫌なので、連絡を取るのはやめた。 室内は死んだ時の状態そのままかなと思えた。布団は万年床になっている感じ。 小さなブラウン管のテレビがあるところに布団が敷かれていた。 電話は薄緑色の回転式の電話。これ。 NTTに解約の電話をしたところ、最後のお支払いで「買取」をしてくれればそのまま捨てても良いとのことだった。数百円だったと思う。で、そのままにしておいた。 問題はこれから真夏の7月に電気を切るので、冷蔵庫の中身だった。 物は独居老人だったので少なかったが、腐り始めているのもあって面倒だったがコンビニで買ったゴミ袋に全て突っ込んで捨てた。 ちなみに靴は脱がなかった。足の怪我が怖かったし、もう思い入れもない。 以前からあった場所に仏壇があった。そこには父からの手紙もあった。どうやら色々と揉めていたらしい。90年代の手紙だった。~の親族には挨拶に行けなど指示的な内容が多かった。 差し出しの住所は父が癌で入院していた病院だった。そして、仏壇の引き出しからは、若い頃の祖母と父、伯父、見知らぬ女の子が写っている写真が出てきた。 その女性は戦前食糧難の時に青梅を食べて食中毒を起こして亡くなったらしいと聞いている。 伯父は��婚したものの、一人娘を交通事故で亡くしており、その後離婚。相手方を見た記憶は私にはない。 さらっと家の中を片付けて、このまま全て処分してくださいとお願いした。 あ、あとケースワーカーから聞いていた、保護費が振り込まれる口座のある銀行にお金が少しは入っているのでそれを葬儀代に当てて欲しいと言われていたので、印鑑と通帳を見つけた。すぐに見つけられるところにあるのは、男一人って感じ。 ではと解体をお願いし、その足で銀行へ行ったところ、受けてくださった行員さんは大変困惑し、私は一���何者なのかという点と、すでに死亡しているので相続の問題があるとのことだった。 何者かを証明するには戸籍謄本などが必要だが・・・と。しかも相続の対象になるかどうか、ここの口座から引き出すことも閉じることも、事実上不可能だと。 相続の対象者は過去に離婚した奥様、そのお子さんなど全てで、私が現金を手にするには、その全員から印鑑をもらわないととダメだという。すると不可能なことになる。これが億などの大金なら、弁護士や何やら雇って解決する方法もおすすめできるが、おそらくそんなに多くはないはずで、他の多くの方もそれで諦めてしまうことが多いと。そのお金はどこへ?と聞くと、不明金として一旦本社に行き・・・おそらく国庫かとという回答だった。 しかし、そこで行員さんが少々お待ち下さいと、上席の方に相談してくださり、支店長まで来てくださり、今回は支店長決済ということで、私の身分証明書、伯父の印鑑、通帳があれば、引き出しと解約をさせていただきますとのことだった。大変助かった。 引き出せた金額は一桁万円。しかも年金だった。保護費は残っていなかった。つまりこの金額だから、支店長決済で対応もらえたのだと思った。 年金が振り込まれているが・・・。これはどうすればいいのかと銀行の方に尋ねるも、これは年金事務所へ行っていただかないと分かりませんということだった。 車で数十分、最寄りの年金事務所へ行った。事情を話したところ、全くどうなるか、わからない、本体の年金機構に尋ねるので時間が欲しいと。どれぐらいかかりますか?と尋ねると。わからないという。 では、年金機構の対応部署を教えて欲しいと尋ねるも、わからないという。どうやって尋ねるのですか?と聞くと、わからないですという。じゃあ、とりあえずどこに尋ねるかわからないけれど、相談は受けるということか。 じゃあ連絡待ってますと伝え年金事務所を後にした。 その後、半年経っても何も連絡が来ないので、年金事務所に連絡したが、わからないという。年金機構のどこに連絡したのかと聞いてもわからないという。 もう流石に話にならないので年金機構の問い合わせに電話したところ、そのような事情はわからないと。担当部署が対応していると思うので年金事務所がそう言っているのなら、連絡を待って欲しいと。え、担当部署はどこですか?と尋ねると、年金機構でもわからないという。あの、仕事していますか? その後、今に至るまで連絡なし。私は葬儀代として考えている。これから返せと来ても一生かけて争ってやる。 さて、家のその後だが、7月に解体のお願いをして、8月に永田町の司法書士事務所にて1万円で売買した。その時に司法書士の立ち会いのもと行われましたという旨が書かれた書類をもらい、名義変更も終わった。これで何があっても私の責任は無くなった。 これで終わりだと思った。一応不動産屋からは解体が終わったらご連絡しますと言われていて、9月とか10月には来るのかなと思っていたら、次の年の2月に連絡が来て、メールには解体されて更地になった土地の写真が添付されていた。土には雪が積もっていた。 今、ストリートビューで見てみたが、まだ家が残ってる。とても嫌な気分だ。 追記、その年度末には一通の手紙が税務署から届いた。何か不動産の取引をしましたよね?納税はありませんか?と。ない、むしろマイナスであると書き込み返信した。すごいよ、税務署の仕事ぶりは。年金機構も見習って欲しい。
1万円で家を売った - カメラが欲しい、レンズが欲しい、あれもこれも欲しい
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kinemekoudon · 2 years
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【13話】 留置官に「ブチ殺すぞ」と言われたので弁護士にチクっておいたときのレポ 【大麻取り締まられレポ】
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――逮捕から6日目。いつものように、頼んでもいないのに朝食が出てくる。ベトナム人はいつものルーティーンのように、味噌風味のお湯が入った容器にソースと醤油を入れて啜っている。
僕は昨日、自弁のカツ丼を食べて舌が肥えてしまっていたので、味噌風味のお湯を啜る気にはならず、もはや視界に入っているのも煩わしく感じたため、味噌風味のお湯の入った容器をゴザの上から床の上に移動させて食事を続ける。
すると、ヤクザ風の留置官が「オイ5番! ゴザの上に置いて食えよ? こぼしたら床が汚れるだろォ?」などと恫喝めいた口調で僕を叱ってくる。僕は一瞬頭にきたが、(たしかにコイツの言い分は一理ある)と思い、素直に「はい」と答えて、その容器をゴザの上に戻した。
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朝食後、この日は留置場内にある風呂場に入れる日であったので、順番を待ち、留置官に自分の番号を呼ばれてから風呂場へ向かう。
風呂場の前に立っている留置官からリンスインシャンプーを借りると、その場で少し待つように指示される。留置官は風呂場に向かって「19番、あと3分~!」などと言って、早く風呂場から出るように催促している。
19番が出てくると、留置官から入場の許可がおりたので、脱衣所から風呂場に入ると、髪を洗っている男の背中に彫られた般若と目が合った。
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僕は和彫の刺青を生で見たのは初めてだったし、そもそも浴場で大きな刺青を見るのも初めてだったので、これにはなかなか面を食らった。和彫の男は隣の居室でよく騒いでいたギョロ目のじじいで、目が合うと、「おう5番!!」などと完全に音量を間違えている大きな声で挨拶をされた。
風呂場は6人分程の身体を洗うスペースと、3人程入れそうな大きさの浴槽があり、定員は3人に絞られていたので、割とゆとりのある空間だった。
僕は悪臭を放っていた頭皮と髪を洗い、石鹸を泡立てて手で体を洗ってから浴槽に入る。浴槽は垢が浮いていて気色悪さはあったが、そんなことはどうでもよくなる程、熱い湯に全身が浸かる気持ちよさに蕩けてしまう。
時間も忘れて蕩けていると、タイマーで入浴時間を計っていた留置官が「5番、あと3分!」などと急かしてきたので、しぶしぶ風呂場を後にする。
風呂場から出ると、留置官から綿棒を2本提供されたので、その場で耳掃除をし、耳糞のついた綿棒が多く捨てられているバケツに綿棒を捨てる。
入浴後、同じ居室のベトナム人と筋トレやヨガをして、漫画の続きを読み、昼食を終えてうたた寝をしていると、ヤクザ風の留置官とギョロ目のじじいによる、完全に音量を間違えている会話が聞こえてきて、目を覚ます。
「なあ6番、三浦春馬って知ってるか? 俳優の」「あ、よく知らねっすけど、知ってます」「あぁ…じゃあやっぱ有名なんだなあ」「おれはそういうの全然興味ねぇんですけど…それで、三浦春馬がどうしたんですか?」「自殺したんだって、首吊り」
寝ぼけ眼で寝転がっていた僕はそれを聞いて仰天し、膝立ちになり、ヤクザ留置官の方を見て「え!?」と声を発する。するとヤクザ留置官は「あ゛?」と何故か威嚇をしてきたので、僕は無視してまた寝転がった。
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それから仰向けの状態で漫画の続きを読んでいると、首が痛くなってきたので、長袖のスウェットを脱いで、それを枕にし、再び漫画を読んでいた。
すると、しばらくしてヤクザ留置官が「何やってんだこらァ!」と急に大声で怒鳴ってきた。僕は目を丸くしてヤクザ留置官の方を見ると、ヤクザ留置官は「てめぇ枕にしてんじゃねえぞ!」と怒鳴ってくる。
僕はムカついて反射的に舌打ちをし、「うっせーな…」と小声でぼやきながら、枕にしていたスウェットを手に取って着ようとすると、ヤクザ留置官は鬼のような剣幕で「てめぇ…! 次やったらブチ殺すぞッ!!」と場内に響き渡る大声で怒鳴ってきた。
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僕は大声で露骨な脅迫をされたことで、急激に心拍数が上がり、身がすくんだ。しかしこれは好機だと察知して、「…あ、今ブチ殺すぞって言いました?」などと震えた声で聞き直す。
すると、ヤクザは若干ひるんだ表情で、「……ブチこむって言ったんだよ!」などと言うので、僕が「ブチ殺すって言いましたよね?」と再度聞き直すと、ヤクザは「日本語分かんねえのかァ!? ブチこむって言ったんだよ…! 刑務所に…」などと咄嗟に出たらしい言い逃れをしてくる。
僕は負けじと「ブチこむでも脅迫ですよ? それにここにいる人たちは全員ブチ殺すぞって言ったのを聞いてると思うんで、言い訳しても無駄ですよ」などと平静を装って言い返す。
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すると、ヤクザ留置官は見事に何も言い返せなくなったようで、わなわなと顔を震わせて立ち尽くしていたので、僕は手元にあった便箋とペンを手にとり、「すみません、あなたのお名前を教えてもらえますか?」と尋ねる。
ヤクザ留置官は「…教えねーよ」と言うので、僕が「なんで教えられないんですか?」と尋ねると、「教えちゃいけない規則なんだよ」などと言い返してくるので、「その規則見せてくださいよ」と言うと、「見せちゃいけないことになってるんだよ」などと幼稚な返答をしてくる。
僕は埒があかないと思い、「ええと…16時25分。50代くらいの、暗いレンズのメガネをかけて、髪を七三分けにした男性警官に「ブチ殺すぞ」と大声で脅迫をされました…」などと、わざとらしく声に出しながら、声に出した内容を便箋に書く。
さらに補足として、ヤクザ留置官の特徴をメモに取り出すと、ヤクザ留置官はおもしろいくらいにシュンとして、事務机のある椅子に無言で座った。
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僕は既にヤクザ留置官の特徴を十分にメモしていたが、ヤクザ留置官を虐めるのが楽しくなっていたので、「ええと…肌はやや赤黒く、耳は若干潰れており、ええと…よく見えないな……あ、一重まぶたで…」などと言って、ヤクザ留置官の特徴を執拗に記録する。
ヤクザ留置官は、さすがに僕の挙動に不安になったのか、帽子を深く被ったり、マスクを鼻の付け根が隠れるほどに覆ったりし始めたので、僕は「私が男性警官の特徴をメモにとっていると、帽子を深く被ったり、マスクで顔を隠したりしていました」などと記録しながら実況をしてやる。
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すると、ヤクザ留置官は顔をうつ向かせて体を丸めだし、とうとう玉のようになってしまったので、「これだけ特徴書いておけば誰だか分かるか…よし!」などと台詞じみた独り言を言って、ようやくペンを置く。ふとベトナム人の方を見ると、ベトナム人は隅っこのほうで気まずそうな表情をしていた。
夕食後、弁護士がやってきたので、今日の一連の騒動を報告すると、弁護士は「それはいいネタを掴みましたね!」などといつになく興奮した様子で、「検察も人間ですから、勾留している被疑者が警察から脅迫されたとなれば、身内の弱みを握られているようなものなので、起訴に踏切りづらくなるものですよ」などと言う。
弁護士は続けて、「私からは担当の検察官宛に抗議書を送付しますが、これから警察や検察の取調べの際には、留置担当官から脅迫をされて、警察や検察を信用できなくなったので、取調べに協力はできませんと言って、黙秘と署名拒否をしてください」と僕にアドバイスをする。
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僕は普段の悪態が幸いして、思いがけない武器を手にしたことに胸が高鳴っていたが、弁護士は水を差すように、「ただ、次の検察の取調べは注意してください。そろそろ共謀で捕まっている友人や売人がなにか自白しているかもしれませんから、検察が知り得ない情報を語っていたら、忘れずに覚えておいてください」と忠告する。
弁護士が帰り、自分の居室に戻ると、しばらくしてヤクザでない留置官が「5番、明日地検入ったから」と伝えてきたので、少し不安になりそわそわしていたが、就寝前にデパスを飲んだら、そんなことは忘れてぐっすりと眠ることができた。
つづく
この物語はフィクションです。また、あらゆる薬物犯罪の防止・軽減を目的としています( ΦωΦ )
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harawata44 · 3 months
Text
“隠れ脱水”は爪で3秒セルフチェック 熱中症対策はシンプルに暑さを避け水分を摂ること - ライブドアニュース
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以下引用
暑くなってくると、注意が必要なのは熱中症。特に体が暑さに慣れていない梅雨明けは、注意が必要です。熱中症を防ぐために気を付けるべき対策をお伝えします。
喉の違和感は熱中症のサイン? 室内にいても注意が必要
総務省消防庁HPによると、全国の熱中症による救急搬送は2022年7月17日から23日までの1週間で4078人。2023年は9403人で、2.3倍に増えています。熱中症の発生場所は、家の中が42.4%、道路が17.2%となっています。 ひなた在宅クリニック山王の田代和馬院長によると、室内での熱中症の危険サインは ▼喉の違和感(ガラガラ) ▼汗をかかない ▼尿が出る分量が減る ▼爪が紫になる などです。 田代院長は「躊躇なく水分補給やエアコンの使用をしてほしい」としています。
エアコンの吹き出し口は「水平・上向き」が効率的
ダイキン工業によりますと、エアコンを使って効率的に室温を下げるためには、冷気が全体に循環するように吹き出し口についている羽(ルーバー)を「水平・上向き」にするのがベストだということです。 「下向き」にすると冷たい空気が下に溜まってしまいます。また、室内の気温を感知するエアコンの周辺が温かい状態になるので、エアコンが“暑い”と勘違いしてしまい、余分な電力を使ってしまう恐れがあります。 エアコンの向きは「水平・上向き」にして、扇風機があるとより循環させられると言われています。
熱中症対策はシンプルに暑さを避け、水分を摂ること
シンプルではありますが、熱中症にならないように、とにかく以下2つの予防・対策を心がけていただきたいと思います。 (厚労省HPより) (1)暑さを避ける 室内だと油断している方も多いかもしれませんが、扇風機やエアコンなどを使って室温を下げてください。 外出している時は▼日傘や帽子の着用、▼日陰などで休憩するなど、対策が必要になります。 (2)こまめに水分補給 喉の渇きを感じていなくても、水分・塩分などを定期的に補給することは大切です。
“隠れ脱水”は3秒でわかる 爪でセルフチェック
また、自身が“隠れ脱水症”になっているか否かを簡単にチェックできる目安があります。(厚労省HPより) まず、手の親指の爪を逆の指でつまみます。 つまんだ指を離した時、白かった爪の色がピンク色に戻るまでに3秒以上かかれば脱水症を起こしている可能性があります。 簡単にできるセルフチェックですので、1つの目安にしてください。 他にも、脱水症のサインがあります。 国際医療福祉大学の松本哲也主任教授によると、▼口の中の乾燥や、▼頭がクラクラすると、脱水症のサインということですので、こういったものを感じた場合、「すぐに水分補給して、改善しない場合は我慢せずに病院に行ってほしい」ということです。 特に高齢者の方は、熱中症や脱水症になっても気がつきにくいことがありますので、自分で時間や飲む量を決めて水分補給などをすることも大事かもしれません。
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