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#生本まぐろ炊き餃子井上
harinezutaka · 1 year
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二年前日記39(2021年9/24〜9/30)
9月24日 朝、鍼に行く。気になる副反応も特にはなかったので、ワクチン接種のことは報告しなかった。やっぱりどこか不安なところはあるし、自分の選択が間違っていたらどうしようという気持ちもある。でも今できる一番良い選択だと思うので。腰のあたりにズーンと響くのをひとつうたれた。先生の鍼はほとんど響かないので、ときどきこういうのがあるとびっくりする。帰りに、雑貨屋さんに寄りいろいろかわいいものを見た。汁椀が壊れてしまい、夫が新しいものを見つけてくれたものの、今の食卓にはしっくりこないような気がして。でも木のお腕は、だいたいめいぼく椀しか置いてなくて、ここもそうだった。夕方ごろからなんか熱っぽくて腰が痛い。これがもしかしてら副反応ってやつか。ややや、しんどいかも。晩ご飯は焼きそば。念のためにもらっていた薬を一回分飲んで早めに寝た。
9月25日 起きたらスッキリして、どこも痛くない。どうやら副反応は終了したっぽい。赤ちゃんも元気に動いている。よかったよかった。昨日しんどかった分を少しずつ取り戻す。メルカリの出品をしたら、すぐに売れた。夕方、夫と食事へ行く。6月ごろに行った実家の近くのご飯屋さんへ。今は予約なしでも大丈夫とのことだったので。前菜盛り合わせ、とん平焼き、鯛のグリル、ボンゴレ、デザートはとうもろこしのブリュレとガトーショコラ。店主さんは黙々と作っていて、お客さんは私たちだけだったので少し緊張してしまい、こちらから話しかけてみたりした。少しお疲れに見えたし、こちらも疲れてしまった。前にも思ったが、とても手が込んでいて美味しいんだけど何となく心配になってしまう料理。常連さんっぽい人がテイクアウトを取りに来ていて、その人とは楽しそうに話していた。
9月26日 朝から掃除やら何やら。お昼前にNちゃんに電話するが、忙しそうでかけ直すとのこと。午後からは夫のワクチン接種の送迎をしたり、なんやかんやで一日が終わった。Nちゃんから折り返しの電話はなく、LINEがきていた。忙しかったみたい。妊娠の報告をするととても喜んでくれた。晩ご飯はあんかけうどん、さつま揚げと野菜の煮物。最近は週末に日の出と日の入りの時間を手帳に書いているのだけど、今週はどちらも5時51分で同じで、秋分ってそういうことなんだなと思った。
9月27日 昨日、夫がだまってたらちょっと誤解されちゃうような場面で何も言わなかったのが気になって、つい口を出してしまった。朝、『子どもがうまれても夫を憎まずにすむ方法』を読んでいて、男性の遺伝子は集団を守るために同性の怒りを敏感に察知するようにできていると書いてあり、むだに戦わないようにできているのかもしれないなと思い少し反省した。午前中は『ドライブ・マイ・カー』を見に行く。とてもとても良かった。長いので大丈夫かなと思ったけど、全然平気だった。お昼はムジカフェで。ここは天井が高くてとても気持ちいい。蓮根のハンバーグ、レバーと蒟蒻の辛子マヨ和え、柿とクリームチーズのサラダ。2時から版画教室へ。前回で本刷りまで終わって、新しいものを作るのは少し難しいかなと思ったので箱作りをすることにした。カードサイズの可愛い箱。上の方から元町方面へ移動。魚屋さんで鯛と鰯の天ぷらを、うおくに商店で梅干しとごまを買う。喉がかわいたので、タリーズで少しだけ休憩して、地元のスーパーで買い物をして帰宅。トコちゃんベルトをしているとわりと元気に動ける。晩ご飯は、天ぷら(鯛、鰯)、生麩、さしみ蒟蒻(ゆず味噌、わさび醤油)、コーンスープ。タルタルソースもたっぷり作って食べた。疲れていたのか卵を3個も割ってしまった。あーあ、だ。
9月28日 一日家にいて、昼寝も長めにした。ちょっと気持ち沈みがちだったので、夕方少し歩かないといけないと思い散歩へ。体は秋モードへ変わりつつある。陽気がだんだん減ってきて、落ち着いてきていで、少し寂しい感じもする。夫は義実家へ。お義父さんが肺炎で入院していたのだけど、今週中には退院できそうな感じでよかった。夫はお義母さんと2人でもゆっくりしてくるんだなぁ。本当に実家好きだなぁ。義理の妹からマタニティ服をたくさんもらった。晩ご飯は、お茶漬け、煮卵、茄子の浅漬け。
9月29日 朝、夫は整形外科へ。私は防虫シートの交換などをする。天気がよかったので、カーペットもはがしてベランダに1時間ほど干した。全然やってなかったので気持ちよかった。昼から神戸方面へ出かける。行きたかった喫茶店に行く。コロナになってからは初めてだったが、変わらずお元気でよかった。知人の家にも行き、帰りは和食のさとで家族会議。お金のことなんかをいろいろと話した。私は一人鍋、夫は雑炊。餃子も頼んだ。なんとなく街の雰囲気も明るく変わりつつある感じがした。
9月30日 後期になってよくお腹が張るようになってきて少し心配になる。痛い感じではないので問題ないのかなと思うけど、また病院で聞いてみよう。思ってたより動きづらくなってくるもんなんだな。規定通りの予定日6週前まで働くだなんて大変だな。みんなすごい。午前中にコープさんの注文をする。いっぱい商品がありすぎて面倒だな。あれもこれも欲しくなるし。自分なりのやり方を見つけないと。とりあえず今は練習と思って15個だけ頼むことにしている。足りないものは買いにいけばいいし。ご飯のあとでうとうとしていたらコープさんが来た。夕方散歩に行くと虹が出ていた。写真には撮らなかったけど、父からLINEが届いた。同じ頃に散歩してたんだな。最近、さっきのことも忘れてしまうとのことで、何を食べたか、薬を飲んだか、お通じなどのことが送られてくるLINEグループができた。共有しなくても1人ですればいいような気もするけど。まぁ、様子がわかっていいのかもしれないな。今晩の夫はいつもより元気そうだった。心が軽くなってる感じ。晩ご飯は、生姜焼き、ひじきとツナの煮物。NちゃんとLINE。子育ての先輩としていろいろアドバイスをしてくれる。こういうのを言ってもらって素直に受け取れる人と、そうでない人の差はなんなんだろうな。
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kimo1051 · 2 years
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井上のお昼ごはん¥2800円は海鮮どんぶりも炊き餃子も美味でした🥢 #井上 #お昼 #ごはん #お昼ごはん #海鮮 #どんぶり #海鮮丼 #炊き #餃子 #炊き餃子 #美味 #美味しい #季節 #前菜 #かま #煮付け #ネギ #まぐろ #トロ #炙り #タコ #いくら #ぶり #鯛 #たまご #アボカド #とろろ #海鮮どんぶり #生本まぐろ炊き餃子井上 #中津市 (井上) https://www.instagram.com/p/CoZnUmGpg8V/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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honyade · 5 years
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按田優子 × 玄秀盛「食べつなぐこと/生きつなぐこと」 『漬ける、干す、蒸すで上手に使いきる 食べつなぐレシピ』(家の光協会)刊行記念
6月に『按田餃子』店主、按田優子さんの新刊『食べつなぐレシピ』が発売されました。
同書は、大学卒業後からつい最近まで、実に20年弱、年収200万円で暮らしてきた按田さんの型破りだけど、無駄のない合理的な自炊の方法を紹介した一冊です。
同書の刊行を記念して、トークイベントを開催します。
出演は、著者の按田さんと、按田さんが食のエッセイを連載中の雑誌『月刊よろず』の発行元、「日本駆け込み寺」代表の玄秀盛さんをゲストにお迎えします。
シンプルに食べることと生きることを追求してきた按田さんと、これまでさまざまな経験を通じて「日本駆け込み寺」で数多くの悩みを聞き、いろんな人々の生きる手助けをしてきた玄さん。
今回のイベントでは、おふたりにとっての「食べること」と「生きること」の関係について、語り合っていただく予定です。
ちなみに、按田さんと玄さんは、奇しくも『按田餃子』『新宿駆け込み餃子』という「餃子」つながりの縁もあります。
おふたりのトークをお楽しみに!
【出演者プロフィール】 按田優子(あんだ・ゆうこ) 1976年生まれ、東京都出身。 飲食店の工房長、乾物料理店でのメニュー開発などを経て2011年にフリーの料理家として独立。 2012年、仲間と共同で東京・代々木上原にヘルシーな水餃子が看板メニューの『按田餃子』をオープンし、予約が取れない大人気店に(その後二子玉川に2号店をオープン)。 料理家としても活動し、雑誌などでレシピを提案。 2018年1月に『セブンルール』という番組に登場、そのユニークな生活スタイルも注目されている。 著書に『たすかる料理』(リトルモア)などがある。
玄秀盛(げん・ひでもり) 公益社団法人「日本駆け込み寺」代表。 一般社団法人「再チャレンジ支援機構」事務局長。 「よろず相談研究所」所長。 1956年、大阪市西成区で在日韓国人として生まれ、四人の父と四人の母のもとを転々として育つ。 建設業、不動産業、貸金業などを起業して金に執着して生きてきたが、1990年に天台宗の大阿闍梨酒井雄哉師と出会い得度。 2000年、白血病ウイルス保菌者と判明。 人生を180度転換し、世のため人のために生きることを決意。 2002年、「日本駆け込み寺」の前身であるNPO法人「日本ソーシャル・マイノリティ協会」を設立。 以来、数万人の人々の悩みの救済を行ってきた。
時間 _ 20:00~22:00 (19:30開場) 場所 _ 本屋B&B 東京都世田谷区北沢2-5-2 ビッグベンB1F ▼入場料 ■前売1,500yen + 1 drink ■当日店頭2,000yen + 1 drink
チケットのご予約はこちら
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イベント情報の詳細はこちら
from honyade.com https://ift.tt/2Z5al55
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nagatafolio · 5 years
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ほんわか癒し系のお酒大好き仲良しご夫婦! 今井義延さん・今井瑞枝さん
(焼酎居酒屋「今井やん」店主と奥様)
新長田駅から南へ徒歩10分、開業100年を超えた丸五市場の中に、ひっそりと隠れ家のように佇む焼酎居酒屋「今井やん」店主の今井義延さんと、奥様の今井瑞枝さんにお話を聞きました。(2019年3月31日にインタビュー)
今井やんの店内にて、今井さん自らがご用意されたお料理を食べながら、店内に所狭しと並ぶ焼酎を飲みながらのインタビューとなりました。七輪での鶏や豚などの炭火焼が激ウマでお酒が進んで進んで、ふと気付くと7時間に及ぶロングランインタビューとなりました。いつものように後半はただの飲み会でしたけど。
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ご出身はどちらですか。どのようなお子さんでしたか。
義延さん:子供の頃から今までこの辺りにずっと住んでます。アグロガーデンさん近くで、二葉小出身です。
瑞枝さん:鹿児島です。九州の人は殆どが東京とか関西に働きに行くので、姉も住んでいた関西に行くことを決めていました。高校を卒業してコープこうべに入って、今も勤めています。
義延さん:小学校の時は飯盒炊さんが好きやったんです。料理が好きというよりも、炊き上がった瞬間が好きで、お焦げがうまくできた時とかも好きでしたね。ホテイの焼き鳥の缶詰とか持って行って。テントを立てるのも好きやった。
お店を始められるまではどのような仕事をされていましたか。
義延さん:工業高校を卒業後、車のディーラーで整備士の仕事をしてました。9年勤めたけど休みが日曜から水曜に変わったのがきっかけで仕事を辞めてしもたんです。当時はオフロードバイクの草レースをしてたので、水曜の休みではそれに出られなくなったのが理由ですわ。 それから、求人広告で見つけた三ツ星ベルトの期間社員になったんです。給料が倍ほどになってびっくりしましたね。その後、1年で正社員になったけど、三ツ星ベルトは本当に待遇が良かった。阪神・淡路大震災後にリストラの動きが出てきて、能力給への切り替えとか減給とかあったんです。家を買ったり、子供ができたりした時期やって、何も考えんと12年間勤めた三ツ星ベルトを辞めてしまいました。
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お店を始められたきっかけは何ですか?
義延さん:退社後は失業保険をもらいながら職業訓練学校のDIYのコースに通って、それから三菱重工の下請けの電気関係の会社に入ったんです。でもそこは出張が多くて、休みが不規則でした。 ちょうどそのころ、鹿児島の義理の弟のところに旅行で遊びに行った時に飲んだ濱田酒造の焼酎が無茶苦茶美味くて。それから焼酎にはまったんやけど、それがちょうど焼酎ブームの時やったね。四畳半の狭い部屋に100本ぐらい焼酎の瓶を並べて、近所の人も呼んで一緒に飲んだり、同じ銘柄を3本買って、1本は飲んで、残り2本はコレクション用に置いたりしてた。 そんな時に丸五市場が出店を募集していて、もともと肌着屋さんやった今の店の半分ほどの広さで焼酎を飲んでもらえるお店を始めた。2008年の時からやね。生命保険を解約したお金を資金に始めました。
瑞枝さん:電気会社に勤めてた時は夜勤も多くて、それに疲れていたので店を開くことには賛成でした。私が育休明けで職場復帰してから出勤する時にも、保育所の送り迎えを手伝ってくれて助かりました。
お店の内装はDIYですね。
義延さん:最初はカウンターだけの、今のお店の半分くらいのスペースやったけど、7~8年前に隣のスペースも借りて拡張しました。基本的な所は大工さんに工事してもらったけど、できるところは職業訓練学校で習ったDIYの技術を活かして自分でやった。トイレはこだわったねー。飲み屋で男女共用のトイレが嫌やったんです。大家さんもDIYには理解があったのが良かった。
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お料理の修業はどこでされましたか。
義延さん:結婚した時は炊飯器の使い方も知らんかった。料理の修行は車のディーラーに勤めていた時のお客さんで、花隈でコクリコっていうヌードル屋を開いていた師匠の店に一週間だけ。ラーメン屋って言うたら怒られるからヌードル屋です。その師匠からは「ネギが切れたらええねん。」と言われた。店で出しているトマト鍋と餃子は師匠の味を引き継いでます。あと、おでんの作り方も教えてもらった。「おでんにしょう油は入れるな。」って言われて、今もそれを守ってる。 店を開くのに背中を押してくれた人が多かった。色んな人に手伝ってもらった。店を開けたのはそんな人たちのお陰です。
奥様との出会いや結婚のきっかけは。
義延さん:会社の寮で3年過ごした後、一人暮らしを10年続けてた時に震災が起きて、一人でいるのが怖くなって結婚した。いわゆる地震婚です。 出会ったのは、世話好きの知り合いのおばさんの紹介です。 第一印象から良かったですね。お酒が好き、ビールが好きなのが決め手やね。二人でがんがん、遠慮なく飲んで食べてた。最初は二人でキャンプにもよく行ったなー。スキー道具そろえてスキーに行ったり、スキー場の駐車場でおでんをしたりもした。おでんの具で何が好きか聞かれて、スジって答えたのに、聞き間違えてズリを持ってきたのはおもしろかった。
瑞枝さん:スジって今まであまり馴染みがなくって、スーパーに売ってなかったから、ズリの聞き間違えかと思ったんです(笑)
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今井やんをやっていてどうですか。
義延さん:お客さんが全く来ない時はやっぱりしんどいけど、丸五で店を開いて良かった。僕たちが開店した1年後にteteができて、2年後にめいりんができてって感じでお店も増えていってて、周りに助けてくれる人が多い。お店も多いし、すぐに食材を仕入れられるし。初心者でもお店ができるところです。
新長田のお気に入りの場所はどこですか。
義延さん:六間道商店街の呉服店「富士屋」の横の石畳の路地かな。 大正筋商店街の「千鶴屋」のコロッケは毎週日曜日に買いに行ってるんですよ。注文して、ケーズデンキ見に行って、戻ってくる頃にできてるっていう。幸せ感100%ですよ。もう今では注文する時に自分の名前を言わんでも大丈夫です。
瑞枝さん:アスタの再開発ビルの2階の通路です。いつも空いているし、新長田駅まで雲の上を歩いているみたいにすぐに行ける。
新長田の好きなところ、嫌いなところは。新長田のまちを色に例えると。
義延さん:全体的に好きやなー。きれいになり過ぎているところはあんまりやけど。 色は、ハッピーエンドの手前の手前の色。ええような悪いような色。オレンジとかかな。
瑞枝さん:自転車で色んな所に行けるのがGOOD!なところ。歩きタバコが多いのは嫌かな。
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新長田はどんなまちになってほしいですか。
義延さん:明石の駅前で色んな買い物ができるみたいに、もっと新長田駅と街が一体になればいいな。
瑞枝さん:緑がもっとほしい。貸し農園とかあればいいなぁ。
今井さんと会うためにはここへ
100種類の焼酎を楽しめる焼酎居酒屋 今井やん 神戸市長田区二葉町3-10-10 丸五市場内
http://bit.ly/2Woo8yd
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インタビュー会場も
予約をすれば七輪での炭火焼も楽しめる焼酎居酒屋 今井やん 神戸市長田区二葉町3-10-10 丸五市場内
http://bit.ly/2Woo8yd
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yamabiyori · 6 years
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4月29日なぐさんちの鶏飯 ・ 今夜は海の近くのなぐもさんちでご飯会。なぐさんには海沿いのパン屋さんでお会いしてお家にうかがうのは初めてなんだけど、ご飯会したいというぺぺの突然のメールに快く答えてくれたのです。今夜は奄美大島の郷土料理、鶏飯(けいはん)を用意してくれるというので、おかずを持ってこうと、ぺぺが朝からタケノコを掘りに、私は買出しに漁協へ。今日は豆アジにしたけど、あそこは魚もお野菜も豊富で買い物がとても楽しい。傷トマトが出ていたので、ついでにソース用に買っときます。豆アジの南蛮漬け、フキと大豆の白和え(フキも昨日採ってきました)、筍の梅煮、おやつの大学バナナとトマトのコンポート。大学バナナは餃子の李のメニューにあってついつい食べちゃう。 ・ なぐさんちは想像してた通り、古いお家の壁や天井、みんなで囲める大きなテーブル、お茶の入った瓶、ご飯の入った大きな土鍋、コップの乗った小さな敷物、目に入るものみんなが心地よさそうにしていました。奥さんのちあきさんが作る鶏飯はとても美味しくて何度もお代わりしたくなります。ちあきさんは奄美の出身。締めももう一、二回鶏飯。温かいご飯をどんぶりに盛って、その上に、かしわを裂いたもの、炊いた椎茸、錦糸卵に漬物(ほんとはパパイヤの漬物らしい)と刻み海苔をのせて、あたたかい鶏ガラの出汁をかけていただきます。お野菜と今日の鶏ガラは池松農園さんちのものらしい。じゅわっとうま味が詰まってます。ちあきさんは自然療法や玄米生活で実験したり、仕込みものをしたり、生きていくこと前向きで、肌がピカピカしてる。東城百合子さんの本や季節の仕込みものの本を見せてもらいました。わたしも最近若杉ばあちゃんの本を読んでたので、なんだか勇気付けてもらった。なぐさんちもタケノコ掘ったり魚釣ったり、食べてるものがおんなじだ。いいお姉ちゃんと兄貴ができたみたいでうれしくなりました。家も割と近くてうれしい。食後のお茶も音楽も会話もずっと続いていきそうな夜だった。子供たちは隣でぐっすり眠っていました。あったかくなっていろんな生き物が動き始めてるので、今度はお山のうちで月下虫音会とかしたい🐛 #山日和のくらし #鶏飯 (Itoshima-shi, Fukuoka, Japan)
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harinezutaka · 3 years
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一年前日記14(2020年4/1~4/7)
4月1日 蟹が送られてきたので、今晩は残ってるレタスとチャーハンにしてあんかけにしよう。スペアリブは明日に延期だと決めたところで目が覚めた。蟹は送られてきていない。レタスとスペアリブはある。もう、いろんなことが夢であって欲しいし嘘であって欲しい。自分の健康を維持することを第一に。あまり余計なことを考えないこと。情報を見過ぎないこと。朝は鍼に行く。時間を間違えていて30分ぐらい早く着いた。私の前にお客さんは2人。誰もコロナの話なんかしておらず、いつも通りでなんかほっとする。私の後は妊婦さんだった。声だけで姿は見ていないがなんだか尊くて少し涙が出てしまう。こんな時でもやっぱり羨ましく思える自分に少し驚いた。帰り、寄り道したい気持ちをぐっとおさえてまっすぐ家に帰る。隣町の図書館には寄った。中で本を読んでる人もいたが、ゆったり間隔を空けて座っていた。ネット句会のお誘いがあり、参加してみることに。早速投句する。西東三鬼忌でひとつは読んだ。俳句だと弱音がはけることも発見した。必要にせまられて、俳号のようなものも作る。恥ずかしいが、だんだんしっくりくるんだろうか。名前がもう一個あるっていいよね。借りてきた本を少し読む。精神科医の中井久夫先生の文章が今めちゃくちゃ染みる。感染症とも戦ってきた世代の人だからかな。どんどん読もう。夕方、母から電話があった。今日はMRIを撮ってもらったらしい。やっとコロナウイルスという名前を覚えた様子。夜はレタスのお粥と、スペアリブと大根の煮物。少しだらだらしてて寝るのが遅くなった。今日から気が向いたら増えた感染者数を記録することにする。今日は239人。累計2469人。
4月2日 掃除をしたり本を読んだりする日。スライトエッジという本を読んでいる。習慣は馬鹿にできない。複利で増えていくのだということが500ページぐらい延々と書いてある本。ウイルスも指数関数的に増えるのであれば、良い習慣をつけることでこちらは対抗したいものだなと思う。夕方に少し長めの散歩と買い物に行く。コンビニで新聞も買う。松本隆が出ているらしいので。夜ご飯、鯵の開き、大根おろし、ネギとパクチーのサラダ、おすまし。
4月3日 仕事に行って帰りに実家に寄る。舌平目を炊いたやつを持って帰れと3回言われて、この間カレイを食べたとこなのでいいと3回断った。実家についた時には知人と電話していて結構しっかりしてる感じだったんだけど。少しだけ味見させてもらうと美味しかった。やっぱり時期的にも落ち着かず、すぐ帰る。またいちごをお土産にくれる。何度目のいちごだろうか。晩ご飯、豚肉とアスパラのオイスターソース炒め、カリフラワーとうす揚げの煮物。夫がコンビニの焼き鳥を二本買って帰ってくる。温めて一緒に食べる。録画してたマツコ会議を見ながら。録画してまで見るほどでもないと思うけど、マツコかタモリじゃないとダメなときがあるので、そういう時のためにうちのテレビにはマツコとタモリがストックされている。
4月4日 土曜日。夫の機嫌があまりよくなくピリピリしている。仕事のことと言っているが、低気圧がだめなのもあるんじゃないかなと思っている。定期的にこんな感じ。私までビクッとしてしまう。巻き込まれている。歩いて桜でも見にいかないかと誘うが断られたのでひとりで歩きにいく。音だだ漏れのカラオケ喫茶から、「しあわせになろうよ〜」と歌が聞こえてくる。だったら家にいたほうがいいんじゃないのとついイラッと思うが、家族で楽しんでおられるのかもしれないな。八つ当たりは良くない。途中でスーパーに���る。晩ご飯はカツオのたたき、ジャガイモとふきのとうのガレット。志村どうぶつ園と太田和彦の番組を見ながら食べる。感染者数361人増、累計3489人。
4月5日 友達とランチ。一週間前は近くならいいかなという感じで約束したものの、雰囲気は変わっている。畑の見えるカフェはなかなか流行っていた。普通に営業されている感じ。普通でいることの難しさも感じるので、それはそれで素晴らしいと思う。ランチだけしてまたねと言って解散。またね、にも思いがこもってしまう。東京マッハをネットで聞きながら、がさごそ家のことをしていた。夫は少し復活していたので懲りずに散歩に誘ってみる。8000歩ぐらいの本格的な散歩。晩ご飯は用意していたが、どうしてもどこかに寄りたくなって、ちょっとだけ回転寿司に寄ってしまった。我慢は続かないし、無理やり楽しむのも疲れてしまう。普通に淡々と何もなかったように過ごそう。生きるために、耳も目も半分ぐらいでいい。周りの友人が大切なことは教えてくれるだろう。
4月6日 朝、昨日作ったいちごのパイの残りを食べる。パイといいながら薄力粉で作ってしまい、がっちりとしたタルトみたいになってしまったが、美味しかった。来年も作ろう。粉にバターをまぜるのが上手になっている気がする。もうすぐ、緊急事態宣言が出るとか。仕事はどうなるのかなと考えていると、少し不安になってきた。グラデーションのあった世の中が、だんだん同じ色になってきている感じ。でも先を歩いている人がすでに前を向いて歩き出しているのを目にすると勇気が出る。もうテレビは見ないでいいや。ラジオだけにしよう。頭はなるべく使わないように。体の声が聞こえるように。それにしても昔の感染症のほうがどう考えてもこわいのに、よく乗り越えてきたもんだなと思う。週に一度は心拍数があがるぐらいの運動をしようと思い、少し走ってみたが、ペースが早かったのもあるが、5分も走れずだった。走れるぐらいの体力がないと生き残れない気がするのでコツコツ頑張る。夜ご飯は、焼き餃子、ちくわとえのきのスープ、茎わかめ。餃子を食べて、「これ作ったん?」と夫が言う。これは好きなときの誉め言葉だ。累計感染者数は4103人、前日比248人増。
4月7日 仕事の日。事務所は時短で開けることになった。私はもともと超時短なのでまあ変わりない。来るのが嫌なら来ないのも推奨とも言われた。状況を見ながら考えようってもう考えるのが嫌なんだってば。社員の人も来なくてもいいが、その場合の収入の補償は今のところ考えてないとのこと。もちろん私も。そのときはそうなのかと受け流してしまった。帰りに立ち飲み屋さんのお惣菜を持ち帰りした。すじこんと、せりの白和え。日々の生活の中でと思うと微々たることしかできない。GOTOとかも、一ヶ月ぐらいすればお互い疲れてしまうのが目に見えているし、世の中の空気もそれさえ後ろめたくなってるんじゃないか。とりあえず自称でもいいから困ってる人にはすぐ現金給付して欲しい。特段困ってない人は少し我慢してもいい。それが普通に公平なんじゃないの。少々ずるい人がいてもいいと思う。どこのお店がというより、もっと大きなものが根こそぎ失われてしまいそうなのが悔しいのだ。今いろんなものがふるにいにかけられているのであれば、私はふるいからこぼれてしまう方の世界の人間だと思う。何が怖いかも大事なものの優先順位も人それぞれ違って、その違いを認め合うことができないことが、とても悲しいししんどい。何を言っても誰かを傷つけてしまっているような気がするし、やすやすと傷ついてしまう。今日はテレビを見過ぎたと思う。自分のモヤモヤから勝手に敵を作ってしまう。月がきれいらしいが見なかった。ささやかな抵抗なのかもしれない。
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