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#秩父札所二番
omoidetokiroku · 1 year
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20230401
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angelsmil18 · 3 years
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ドライブ2箇所目🚗 ³₃ #秩父ドライブ #秩父霊場 #二番札所 #真福寺 #納経は光明寺 https://www.instagram.com/p/CVfoyNPp6Md/?utm_medium=tumblr
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skf14 · 4 years
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11180143
愛読者が、死んだ。
いや、本当に死んだのかどうかは分からない。が、死んだ、と思うしか、ないのだろう。
そもそも私が小説で脚光を浴びたきっかけは、ある男のルポルタージュを書いたからだった。数多の取材を全て断っていた彼は、なぜか私にだけは心を開いて、全てを話してくれた。だからこそ書けた、そして注目された。
彼は、モラルの欠落した人間だった。善と悪を、その概念から全て捨て去ってしまっていた。人が良いと思うことも、不快に思うことも、彼は理解が出来ず、ただ彼の中のルールを元に生きている、パーソナリティ障害の一種だろうと私は初めて彼に会った時に直感した。
彼は、胸に大きな穴を抱えて、生きていた。無論、それは本当に穴が空いていたわけではないが、彼にとっては本当に穴が空いていて、穴の向こうから人が行き交う景色が見え、空虚、虚無を抱いて生きていた。不思議だ。幻覚、にしては突拍子が無さすぎる。幼い頃にスコンと空いたその穴は成長するごとに広がっていき、穴を埋める為、彼は試行し、画策した。
私が初めて彼に会ったのは、まだ裁判が始まる前のことだった。弁護士すらも遠ざけている、という彼に、私はただ、簡単な挨拶と自己紹介と、そして、「理解しない人間に理解させるため、言葉を紡ぎませんか。」と書き添えて、名刺と共に送付した。
その頃の私は書き殴った小説未満をコンテストに送り付けては、音沙汰のない携帯を握り締め、虚無感溢れる日々をなんとか食い繋いでいた。いわゆる底辺、だ。夢もなく、希望もなく、ただ、人並みの能がこれしかない、と、藁よりも脆い小説に、私は縋っていた。
そんな追い込まれた状況で手を伸ばした先が、極刑は免れないだろう男だったのは、今考えてもなぜなのか、よくわからない。ただ、他の囚人に興味があったわけでもなく、ルポルタージュが書きたかったわけでもなく、ただ、話したい。そう思った。
夏の暑い日のことだった。私の家に届いた茶封筒の中には白無地の紙が一枚入っており、筆圧の無い薄い鉛筆の字で「8月24日に、お待ちしています。」と、ただ一文だけが書き記されていた。
こちらから申し込むのに囚人側から日付を指定してくるなんて、風変わりな男だ。と、私は概要程度しか知らない彼の事件について、一通り知っておこうとパソコンを開いた。
『事件の被疑者、高山一途の家は貧しく、母親は風俗で日銭を稼ぎ、父親は勤めていた会社でトラブルを起こしクビになってからずっと、家で酒を飲んでは暴れる日々だった。怒鳴り声、金切声、過去に高山一家の近所に住んでいた住人は、幾度となく喧嘩の声を聞いていたという。高山は友人のない青春時代を送り、高校を卒業し就職した会社でも活躍することは出来ず、社会から孤立しその精神を捻じ曲げていった。高山は己の不出来を己以外の全てのせいだと責任転嫁し、世間を憎み、全てを恨み、そして凶行に至った。
被害者Aは20xx年8月24日午後11時過ぎ、高山の自宅において後頭部をバールで殴打され殺害。その後、高山により身体をバラバラに解体された後ミンチ状に叩き潰された。発見された段階では、人間だったものとは到底思えず修復不可能なほどだったという。
きっかけは近隣住民からの異臭がするという通報だった。高山は殺害から2週間後、Aさんだった腐肉と室内で戯れている所を発見、逮捕に至る。現場はひどい有り様で、近隣住民の中には体調を崩し救急搬送される者もいた。身体に、腐肉とそこから滲み出る汁を塗りたくっていた高山は抵抗することもなく素直に同行し、Aさん殺害及び死体損壊等の罪を認めた。初公判は※月※日予定。』
いくつも情報を拾っていく中で、私は唐突に、彼の名前の意味について気が付き、二の腕にぞわりと鳥肌が立った。
一途。イット。それ。
あぁ、彼は、ずっと忌み嫌われ、居場所もなくただ産み落とされたという理由で必死に生きてきたんだと、何も知らない私ですら胸が締め付けられる思いがした。私は頭に入れた情報から憶測を全て消し、残った彼の人生のカケラを持って、刑務所へと赴いた。
「こんにちは。」
「こんにちは。」
「失礼します。」
「どうぞ。」
手錠と腰縄を付けて出てきた青年は、私と大して歳の変わらない、人畜無害、悪く言えば何の印象にも残らない、黒髪と、黒曜石のような真っ黒な瞳の持ち主だった。奥深い、どこまでも底のない瞳をつい値踏みするように見てしまって、慌てて促されるままパイプ椅子へと腰掛けた。彼は開口一番、私の書いている小説のことを聞いた。
「何か一つ、話してくれませんか。」
「え、あ、はい、どんな話がお好きですか。」
「貴方が一番好きな話を。」
「分かりました。では、...世界から言葉が消えたなら。」
私の一番気に入っている話、それは、10万字話すと死んでしまう奇病にかかった、愛し合う二人の話。彼は朗読などしたこともない、世に出てすらいない私の拙い小説を、目を細めて静かに聞いていた。最後まで一度も口を挟むことなく聞いているから、読み上げる私も自然と力が入ってしまう。読み終え、余韻と共に顔を上げると、彼はほろほろ、と、目から雫を溢していた。人が泣く姿を、こんなにまじまじと見たのは初めてだった。
「だ、大丈夫ですか、」
「えぇ。ありがとうございます。」
「あの、すみません、どうして私と、会っていただけることになったんでしょうか。」
ふるふる、と犬のように首を振った彼はにこり、と機械的にはにかんで、机に手を置き私を見つめた。かしゃり、と決して軽くない鉄の音が、無機質な部屋に響く。
「僕に大してアクションを起こしてくる人達は皆、同情や好奇心、粗探しと金儲けの匂いがしました。送られてくる手紙は全て下手に出ているようで、僕を品定めするように舐め回してくる文章ばかり。」
「...それは、お察しします。」
「でも、貴方の手紙には、「理解しない人間に理解させるため、言葉を紡ぎませんか。」と書かれていた。面白いな、って思いませんか。」
「何故?」
「だって、貴方、「理解させる」って、僕と同じ目線に立って、物を言ってるでしょう。」
「.........意識、していませんでした。私はただ、憶測が嫌いで、貴方のことを理解したいと、そう思っただけです。」
「また、来てくれますか。」
「勿論。貴方のことを、少しずつでいいので、教えてくれますか。」
「一つ、条件があります。」
「何でしょう。」
「もし本にするなら、僕の言葉じゃなく、貴方の言葉で書いて欲しい。」
そして私は、彼の元へ通うことになった。話を聞けば聞くほど、彼の気持ちが痛いほど分かって、いや、分かっていたのかどうかは分からない。共鳴していただけかもしれない、同情心もあったかもしれない、でも私はただただあくる日も、そのあくる日も、私の言葉で彼を表し続けた。私の記した言葉を聞いて、楽しそうに微笑む彼は、私の言葉を最後まで一度も訂正しなかった。
「貴方はどう思う?僕の、したことについて。」
「...私なら、諦めてしまって、きっと得物を手に取って終わってしまうと思います。最後の最後まで、私が満たされることよりも、世間を気にしてしまう。不幸だと己を憐れんで、見えている答えからは目を背けて、後悔し続けて死ぬことは、きっと貴方の目から見れば不思議に映る、と思います。」
「理性的だけど、道徳的な答えではないね。普通はきっと、「己を満たす為に人を殺すのは躊躇う」って、そう答えるんじゃないかな。」
「でも、乾き続ける己のままで生きることは耐え難い苦痛だった時、己を満たす選択をしたことを、誰が責められるんでしょうか。」
「...貴方に、もう少し早く、出逢いたかった。」
ぽつり、零された言葉と、アクリル板越しに翳された掌。温度が重なることはない。触れ合って、痛みを分かち合うこともない。来園者の真似をする猿のように、彼の手に私の手を合わせて、ただ、じっとその目を見つめた。相変わらず何の感情もない目は、いつもより少しだけ暖かいような、そんな気がした。
彼も、私も、孤独だったのだと、その時初めて気が付いた。世間から隔離され、もしくは自ら距離を置き、人間が信じられず、理解不能な数億もの生き物に囲まれて秩序を保ちながら日々歩かされることに抗えず、翻弄され。きっと彼の胸に空いていた穴は、彼が被害者を殺害し、埋めようと必死に肉塊を塗りたくっていた穴は、彼以外の人間が、もしくは彼が、無意識のうちに彼から抉り取っていった、彼そのものだったのだろう。理解した瞬間止まらなくなった涙を、彼は拭えない。そうだった、最初に私の話で涙した彼の頬を撫でることだって、私には出来なかった。私と彼は、分かり合えたはずなのに、分かり合えない。私の言葉で作り上げた彼は、世間が言う狂人でも可哀想な子でもない、ただ一人の、人間だった。
その数日後、彼が獄中で首を吊ったという報道が流れた時、何となく、そうなるような気がしていて、それでも私は、彼が味わったような、胸に穴が開くような喪失感を抱いた。彼はただ、理解されたかっただけだ。理解のない人間の言葉が、行動が、彼の歩く道を少しずつ曲げていった。
私は書き溜めていた彼の全てを、一冊の本にした。本のタイトルは、「今日も、皮肉なほど空は青い。」。逮捕された彼が手錠をかけられた時、部屋のカーテンの隙間から空が見えた、と言っていた。ぴっちり閉じていたはずなのに、その時だけひらりと翻った暗赤色のカーテンの間から顔を覗かせた青は、目に刺さって痛いほど、青かった、と。
出版社は皆、猟奇的殺人犯のノンフィクションを出版したい、と食い付いた。帯に著名人の寒気がする言葉も書かれた。私の名前も大々的に張り出され、重版が決定し、至��所で賛否両論が巻き起こった。被害者の遺族は怒りを露わにし、会見で私と、彼に対しての呪詛をぶちまけた。
インタビュー、取材、関わってくる人間の全てを私は拒否して、来る日も来る日も、読者から届く手紙、メール、SNS上に散乱する、本の感想を読み漁り続けた。
そこに、私の望むものは何もなかった。
『あなたは犯罪者に対して同情を誘いたいんですか?』
私がいつ、どこに、彼を可哀想だと記したのだろう。
『犯罪者を擁護したいのですか?理解出来ません。彼は人を殺したんですよ。』
彼は許されるべきだとも、悪くない、とも私は書いていない。彼は素直に逮捕され、正式な処罰ではないが、命をもって罪へ対応した。これ以上、何をしろ、と言うのだろう。彼が跪き頭を地面に擦り付け、涙ながらに謝罪する所を見たかったのだろうか。
『とても面白かったです。狂人の世界が何となく理解出来ました。』
何をどう理解したら、この感想が浮かぶのだろう。そもそもこの人は、私の本を読んだのだろうか。
『作者はもしかしたら接していくうちに、高山を愛してしまったのではないか?贔屓目の文章は公平ではなく気持ちが悪い。』
『全てを人のせいにして自分が悪くないと喚く子供に殺された方が哀れでならない。』
『結局人殺しの自己正当化本。それに手を貸した筆者も同罪。裁かれろ。』
『ただただ不快。皆寂しかったり、一人になる瞬間はある。自分だけが苦しい、と言わんばかりの態度に腹が立つ。』
『いくら貰えるんだろうなぁ筆者。羨ましいぜ、人殺しのキチガイの本書いて金貰えるなんて。』
私は、とても愚かだったのだと気付かされた。
皆に理解させよう、などと宣って、彼を、私の言葉で形作ったこと。裏を返せば、その行為は、言葉を尽くせば理解される、と、人間に期待をしていたに他ならない。
私は、彼によって得たわずかな幸福よりも、その後に押し寄せてくる大きな悲しみ、不幸がどうしようもなく耐え難く、心底、己が哀れだった。
胸に穴が空いている、と言う幻覚を見続けた彼は、穴が塞がりそうになるたび、そしてまた無機質な空虚に戻るたび、こんな痛みを感じていたのだろうか。
私は毎日、感想を読み続けた。貰った手紙は、読んだものから燃やしていった。他者に理解される、ということが、どれほど難しいのかを、思い知った。言葉を紡ぐことが怖くなり、彼を理解した私ですら、疑わしく、かといって己と論争するほどの気力はなく、ただ、この世に私以外の、彼の理解者は現れず、唯一の彼の理解者はここにいても、もう彼の話に相槌を打つことは叶わず、陰鬱とする思考の暗闇の中を、堂々巡りしていた。
思考を持つ植物になりたい、と、ずっと思っていた。人間は考える葦である、という言葉が皮肉に聞こえるほど、私はただ、一人で、誰の脳にも引っ掛からず、狭間を生きていた。
孤独、などという言葉で表すのは烏滸がましいほど、私、彼が抱えるソレは哀しく、決して治らない不治の病のようなものだった。私は彼であり、彼は私だった。同じ境遇、というわけではない。赤の他人。彼には守るべき己の秩序があり、私にはそんな誇り高いものすらなく、能動的、怠惰に流されて生きていた。
彼は、目の前にいた人間の頭にバールを振り下ろす瞬間も、身体をミンチにする工程も、全て正気だった。ただ心の中に一つだけ、それをしなければ、生きているのが恐ろしい、今しなければずっと後悔し続ける、胸を掻きむしり大声を上げて暴れたくなるような焦燥感、漠然とした不安感、それらをごちゃ混ぜにした感情、抗えない欲求のようなものが湧き上がってきた、と話していた。上手��呼吸が出来なくなる感覚、と言われて、思わず己の胸を抑えた記憶が懐かしい。
出版から3ヶ月、私は感想を読むのをやめた。人間がもっと憎らしく、恐ろしく、嫌いになった。彼が褒めてくれた、利己的な幸せの話を追い求めよう。そう決めた。私の秩序は、小説を書き続けること。嗚呼と叫ぶ声を、流れた血を、光のない部屋を、全てを飲み込む黒を文字に乗せて、上手く呼吸すること。
出版社は、どこも私の名前を見た瞬間、原稿を送り返し、もしくは廃棄した。『君も人殺したんでしょ?なんだか噂で聞いたよ。』『よくうちで本出せると思ったね、君、自分がしたこと忘れたの?』『無理ですね。会社潰したくないので。』『女ならまだ赤裸々なセックスエッセイでも書かせてやれるけど、男じゃ使えないよ、いらない。』数多の断り文句は見事に各社で違うもので、私は感嘆すると共に、人間がまた嫌いになった。彼が乗せてくれたから、私の言葉が輝いていたのだと痛感した。きっとあの本は、ノンフィクション、ルポルタージュじゃなくても、きっと人の心に突き刺さったはずだと、そう思わずにはいられなかった。
以前に働いていた会社は、ルポの出版の直前に辞表を出した。私がいなくても、普段通り世界は回る。著者の実物を狂ったように探し回っていた人間も、見つからないと分かるや否や他の叩く対象を見つけ、そちらで楽しんでいるようだった。私の書いた彼の本は、悪趣味な三流ルポ、と呼ばれた。貯金は底を尽きた。手当たり次第応募して見つけた仕事で、小銭を稼いだ。家賃と、食事に使えばもう残りは硬貨しか残らない、そんな生活になった。元より、彼の本によって得た利益は、全て燃やしてしまっていた。それが、正しい末路だと思ったからだったが、何故と言われれば説明は出来ない。ただ燃えて、真っ赤になった札が灰白色に色褪せ、風に脆く崩れていく姿を見て、幸せそうだと、そう思った。
名前を伏せ、webサイトで小説を投稿し始めた。アクセス数も、いいね!も、どうでも良かった。私はただ秩序を保つために書き、顎を上げて、夜店の金魚のように、浅い水槽の中で居場所なく肩を縮めながら、ただ、遥か遠くにある空を眺めては、届くはずもない鰭を伸ばした。
ある日、web上のダイレクトメールに一件のメッセージが入った。非難か、批評か、スパムか。開いた画面には文字がつらつらと記されていた。
『貴方の本を、販売当時に読みました。明記はされていませんが、某殺人事件のルポを書かれていた方ですか?文体が、似ていたのでもし勘違いであれば、すみません。』
断言するように言い当てられたのは初めてだったが、画面をスクロールする指はもう今更震えない。
『最新作、読みました。とても...哀しい話でした。ゾンビ、なんてコミカルなテーマなのに、貴方はコメをトラにしてしまう才能があるんでしょうね。悲劇。ただ、二人が次の世界で、二人の望む幸せを得られることを祈りたくなる、そんな話でした。過去作も、全て読みました。目を覆いたくなるリアルな描写も、抽象的なのに五感のどこかに優しく触れるような比喩も、とても素敵です。これからも、書いてください。』
コメとトラ。私が太宰の「人間失格」を好きな事は当然知らないだろうに、不思議と親近感が湧いた。単純だ。と少し笑ってから、私はその奇特な人間に一言、返信した。
『私のルポルタージュを読んで、どう思われましたか。』
無名の人間、それも、ファンタジーやラブコメがランキング上位を占めるwebにおいて、埋もれに埋もれていた私を見つけた人。だからこそ聞きたかった。例えどんな答えが返ってきても構わなかった。もう、罵詈雑言には慣れていた。
数日後、通知音に誘われて開いたDMには、前回よりも短い感想が送られてきていた。
『人を殺めた事実を別にすれば、私は少しだけ、彼の気持ちを理解出来る気がしました。。彼の抱いていた底なしの虚無感が見せた胸の穴も、それを埋めようと無意識のうちに焦がれていたものがやっと現れた時の衝動。共感は微塵も出来ないが、全く理解が出来ない化け物でも狂人でもない、赤色を見て赤色だと思う一人の人間だと思いました。』
何度も読み返していると、もう1通、メッセージが来た。惜しみながらも画面をスクロールする。
『もう一度読み直して、感想を考えました。外野からどうこう言えるほど、彼を軽んじることが出来ませんでした。良い悪いは、彼の起こした行動に対してであれば悪で、それを彼は自死という形で償った。彼の思考について善悪を語れるのは、本人だけ。』
私は、画面の向こうに現れた人間に、頭を下げた。見えるはずもない。自己満足だ。そう知りながらも、下げずにはいられなかった。彼を、私を、理解してくれてありがとう。それが、私が愛読者と出会った瞬間だった。
愛読者は、どうやら私の作風をいたく気に入ったらしかった。あれやこれや、私の言葉で色んな世界を見てみたい、と強請った。その様子はどこか彼にも似ている気がして、私は愛読者の望むまま、数多の世界を創造した。いっそう創作は捗った。愛読者以外の人間は、ろくに寄り付かずたまに冷やかす輩が現れる程度で、私の言葉は、世間には刺さらない。
まるで神にでもなった気分だった。初めて小説を書いた時、私の指先一つで、人が自由に動き、話し、歩き、生きて、死ぬ。理想の愛を作り上げることも、到底現実世界では幸せになれない人を幸せにすることも、なんでも出来た。幸福のシロップが私の脳のタンパク質にじゅわじゅわと染みていって、甘ったるいスポンジになって、溢れ出すのは快楽物質。
そう、私は神になった。上から下界を見下ろし、手に持った無数の糸を引いて切って繋いでダンス。鼻歌まじりに踊るはワルツ。喜悲劇とも呼べるその一人芝居を、私はただ、演じた。
世の偉いベストセラー作家も、私の敬愛する文豪も、ポエムを垂れ流す病んだSNSの住人も、暗闇の中で自慰じみた創作をして死んでいく私も、きっと書く理由なんて、ただ楽しくて気持ちいいから。それに尽きるような気がする。
愛読者は私の思考をよく理解し、ただモラルのない行為にはノーを突きつけ、感想を欠かさずくれた。楽しかった。アクリルの向こうで私の話を聞いていた彼は、感想を口にすることはなかった。核心を突き、時に厳しい指摘をし、それでも全ての登場人物に対して寄り添い、「理解」してくれた。行動の理由を、言動の意味を、目線の行く先を、彼らの見る世界を。
一人で歩いていた暗い世界に、ぽつり、ぽつりと街灯が灯っていく、そんな感覚。じわりじわり暖かくなる肌触りのいい空気が私を包んで、私は初めて、人と共有することの幸せを味わった。不変を自分以外に見出し、脳内を共鳴させることの価値を知った。
幸せは麻薬だ、とかの人が説く。0の状態から1の幸せを得た人間は、気付いた頃にはその1を見失う。10の幸せがないと、幸せを感じなくなる。人間は1の幸せを持っていても、0の時よりも、不幸に感じる。幸福感という魔物に侵され支配されてしまった哀れな脳が見せる、もっと大きな、訪れるはずと信じて疑わない幻影の幸せ。
私はさしずめ、来るはずのプレゼントを玄関先でそわそわと待つ少女のように無垢で、そして、馬鹿だった。無知ゆえの、無垢の信頼ゆえの、馬鹿���救えない。
愛読者は姿を消した。ある日話を更新した私のDMは、いつまで経っても鳴らなかった。震える手で押した愛読者のアカウントは消えていた。私はその時初めて、愛読者の名前も顔も性別も、何もかもを知らないことに気が付いた。遅すぎた、否、知っていたところで何が出来たのだろう。私はただ、愛読者から感想という自己顕示欲を満たせる砂糖を注がれ続けて、その甘さに耽溺していた白痴の蟻だったのに。並ぶ言葉がざらざらと、砂時計の砂の如く崩れて床に散らばっていく幻覚が見えて、私は端末を放り投げ、野良猫を落ち着かせるように布団を被り、何がいけなかったのかをひとしきり考え、そして、やめた。
人間は、皆、勝手だ。何故か。皆、自分が大事だからだ。誰も守ってくれない己を守るため、生きるため、人は必死に崖を這い上がって、その途中で崖にしがみつく他者の手を足場にしていたとしても、気付く術はない。
愛読者は何も悪くない。これは、人間に期待し、信用という目に見えない清らかな物を崇拝し、焦がれ、浅はかにも己の手の中に得られると勘違いし小躍りした、道化師の喜劇だ。
愛読者は今日も、どこかで息をして、空を見上げているのだろうか。彼が亡くなった時と同じ感覚を抱いていた。彼が最後に見た澄んだ空。私が、諦観し絶望しながらも、明日も見るであろう狭い空。人生には不幸も幸せもなく、ただいっさいがすぎていく、そう言った27歳の太宰の言葉が、彼の年に近付いてからやっと分かるようになった。そう、人が生きる、ということに、最初から大して意味はない。今、人間がヒエラルキーの頂点に君臨し、80億弱もひしめき合って睨み合って生きていることにも、意味はない。ただ、そうあったから。
愛読者が消えた意味も、彼が自ら命を絶った理由も、考えるのをやめよう。と思った。呼吸代わりに、ある種の強迫観念に基づいて狂ったように綴っていた世界も、閉じたところで私は死なないし、私は死ぬ。最早私が今こうして生きているのも、植物状態で眠る私の見ている長い長い夢かもしれない。
私は思考を捨て、人でいることをやめた。
途端に、世界が輝きだした。全てが美しく見える。私が今ここにあることが、何よりも楽しく、笑いが止まらない。鉄線入りの窓ガラスが、かの大聖堂のステンドグラスよりも耽美に見える。
太宰先生、貴方はきっと思考を続けたから、あんな話を書いたのよ。私、今、そこかしこに檸檬を置いて回りたいほど愉快。
これがきっと、幸せ。って呼ぶのね。
愛読者は死んだ。もう戻らない。私の世界と共に死んだ、と思っていたが、元から生きても死んでもいなかった。否、生きていて、死んでいた。シュレディンガーの猫だ。
「嗚呼、私、やっぱり、
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gkeisuke · 6 years
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190304 山梨1日目
山梨に旅に来ている。タイトルに1日目とつけているが、1月の徳島も2日目の日記が途中のまま下書きに置かれているので、そういうこともあるかもしれない。
動機などについては、既に何度か書いている気がするが「1年くらい後に車を買いたいので、車種を絞るためにレンタカーを借りていろいろな車を運転したいこと」という動機に対して「ゆるキャン△の舞台を巡りたいこと」という理由が掛かったものである。
8時ごろ起床。正直、そんなにカッチリとは行程を決めていなかったのだけど、朝起きた時点で雨と寒さと寝不足から、全く布団から出たくなくなってしまい「あ、今日は温泉に浸かりまくろう……」と、舞台巡りはほどほどに湯治コースがほぼ確定した。
『ぱらのま』という好きな漫画があって、2巻で、ローカル路線を乗り継いで下部温泉と石和温泉に行く話があるのだけど、石和温泉は前日にフォロワーさんから「漫画に書いてあった通りだった」というニュアンスの情報を頂いたので、下部温泉の方に目標を定めた。
一発目から武蔵野線に乗り遅れ、結果的にいつも会社に行くのと同じ便になってしまう。ただ、雨の影響もあってか、中央線もほどほどに遅れており、立川で特急を待ちながら20分くらい時間を潰す。
今回の旅がいつもと違うのは、糖質を気にしなくてはならないことだ。これまで「旅の食事は(内臓に対して)無礼講」というスタンスを取ってきたが、徳島帰り翌週の健康診断で血糖に悪い数値が出た事実を重く受け止めて、今回は炭水化物と糖分を極力摂らないように立ち回らなくてはならない。
しかし、観光の目玉となるようなご当地料理は、どうしても炭水化物か甘味であることが多い。山梨は特に顕著であり『ほうとう』なんかは麺とかぼちゃのダブルパンチなので、この観点からは最もNGな料理となってしまう。ほうとうが好きなのに……。
ということで、立川では量り売りの海藻サラダと新玉ねぎサラダをそれぞれ100gずつ買い、飲み物は特茶とした。いつもなら、確実にコーヒーショップで、甘ぁいなんちゃらフラペチーノとか、なんとかマキアートを買って浮かれているタイミングである。テンション上がんねーな!おい!
せめてもの抵抗という意味も込めて、グリーン車で甲府まで行くことにした。特急料金よりもグリーン車料金の方が高いのを見て、ちょっと何やってんだという気持ちが無いでも無かった。
朝の中央線というのは、基本的には郊外から都心に向けて出社する上りの方が混むことになる。社会の流れと逆らって、ガラガラのグリーン車でゆうゆうと下っていくというのは、平日休みの特権という感じがして好きなのだ。性格が悪い。
中央線の終着駅として「大月」という土地を、よく文字情報では認識していたのだけど、この電車で高尾より先に行ったことは無かったように思う。高尾から先の車窓には、どんな風景が広がっているのだろうと思ったけど、山と鉄橋とコンクリートとトンネルが、かわりばんこにグルグルと巡ってくる感じだった。雨模様の空も相まって、全体的に灰色の風景が広がっており、なんとなく気が滅入ってきたので、相模湖駅を通過したあたりからは『ナナメの夕暮れ』の続きを読んでいた。
ちょうど若林さんが父との想い出を振り返りながら、キューバの街を歩く話を読んでいた時、車窓から高速道路が見えた。なんかこの景色、車の車内からは見たことがあるようにも思えた。そういえば山梨には小学校の頃、よく父に連れてこられていたのだ。
うちは父と母が離婚している。苗字は父方のままなのだけど。別に隠していた訳では無いのだが、学生時代にこれを言うと、とても気まずい空気が流れて面倒だったので、いつしか言わなくなっていた。父のエピソードがあまり出てこないのは、純粋にあまり会っていないからである。
1人だけフォロワーに初対面で言及されたことがあるので、何となく気付かれている可能性は高い。
ただ、今乗っている車を貰ったり、そもそも私は父の方についていこうとしたらやんわり断られたので、別に仲が悪いわけでは無い。大人になった今ならわかるが、父は割と私についてこられるのは面倒だったんだろうなという気がする。何故なら、私以上に父は「一人で楽しい人」だからだ。
ここで感傷に浸るなら、父に貰った車で思い出の山梨を巡り、なあ、お父ちゃん。俺、一人で山梨来れるくらい大人になったよ……となるのだけど、甲府に向かう道中で、そういえば連れていてもらってたな……とようやく思い出したし、軽自動車で高速に乗るのは恐いからやだ。そもそも旅の目的が変わってしまう。父生きてるし。
父のエピソードを話すとすれば、私が生まれる前、関東で名が知れている某暴走族グループの副総長だったという話があり、私はクソオタクなので、なんでこうなってしまったんだというコントラストでよく笑いを取っていた。車やバイクが好きであり、キャンプなどにもよく連れていってもらっていた。
山梨には、さくらんぼ狩りに来ていたのだったな。めちゃくちゃ山奥に、父の知り合いか何かのさくらんぼ農園があって、木からとって無限にさくらんぼを食べていた。私は車の中で、ドラクエモンスターズをしたり、道中のブックオフで買った漫画を読んだり、姉と遊んだりしていた。
国立・府中インターからほど近く行けたので、ほったらかし温泉を始め、いろいろ温泉にも連れていってもらった。キャンプに行ったりもしたな。
最近、父はすげー人だったんだなと改めて思う。色々な場所の色々な景色のことや、美味しいご飯のことを知っていて、アウトドアの知識もあり、キャンプにも連れていってもらった。これは今私がやろうとしていることや、やろうとしているけど出来ないことだと思う。
ちゃんと大学まで出させてくれた恩があるので、たまには親父殿ともご飯でも行こうと思いながら、甲府に到着した。
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今年は甲府開府500年のアニバーサリーイヤーらしい。改札を出た時に「こうふ開府500年 開幕から63日」と書かれた電光掲示板が真っ先に目に止まったが、今年が始まって何日が経過したかを大々的にカウントアップしてるだけではと思い、やや困惑した。
甲府の街は想像以上に「武田信玄公一本勝負」という印象を受けた。歴史を感じる落ち着いた通りに、風林火山、信玄の文字が散りばめられる。程よく都会で、程よく歴史を残しており、心地よい場所なのだけれど、深く掘り下げてもこれ以上の情報は出てこないかな……という印象も同時に覚えた。
いや、仕方ないのだ。そもそも東京と劇的に変わることはなく、多摩西部の出身なので、微妙に山梨寄りのスピリットが交ざっている。埼玉ほどではないけど、旅行という名目における、心理的なグラデーションはそんなにないし、そんな感じでひょいっと行ける小旅行というのも、名目としては大事なことだった。
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いちいちお土産が美味しそうなんだよな!(逆ギレ)
見ての通り、オール糖なので、一つも食べることが出来なかった……。涙を流しそうだった。信玄餅好きなんすよ……自分……。
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レンタカーはクラス別に貸し出される車種が分けられていて、指定が無ければ料金が安くなるシステムだった。
私がお願いしたクラスは、マツダのデミオか、日産のノートの2択だった。安いのもあるけど、色んな車種に乗ってみたいのでランダムでお願いしたのだけど、カタログなどをみて、現時点で一番気になっている車種がマツダのデミオだったので、心の中では「デミオこい……デミオこい……」と思っていた。
日産ノートでした……。ただ、色がめちゃくちゃかわいいし、私が緑大好き人間であることを察してくれた、レンタカー会社側の粋な計らいと受け止めた。
徳島のマーチに続き、2度目の日産車ということもあって、割と操縦性はスムーズに慣れることができた。
何より、マーチの時よりさらに設備が新しく、父からお下がりでもらって乗っている今のミラから数えると、型番に20年近い差がある。
バックミラーがカメラに映し出された映像になってる!駐車のアシスト機能がやべえ!エンジンキーないの!?アイドリングストップ!などなど、一つ一つの事象に感動があった。
あと、ミラだと「ヴォォォォォォォォン!!!!!」ってエンジン吹かすレベルでアクセル踏まないと加速しないのに対して、軽く踏んだだけで制限速度に到達するので、制限速度超過の注意を受けて減速するという事象が多発してしまった……。アクセルがめちゃくちゃ軽いおかげで、長距離を運転しても全然疲れなかった。
特に不満らしい不満が無いので、もうノートでいいんじゃないか……。という気持ちになってきたが、日産車の操作感に慣れ過ぎている感じもあり、比較になっていない感じがあるので、次回借りる時は最低でも別の会社の車を引けるように背ってしようと思います。
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糖を抜くために甲州牛のステーキ(白米抜き)で昼食を済ませると、下部温泉郷へ向かう。約40キロの道のりだったが、ほとんど信号で止まることもなく、下道で1時間くらいで到着した。
全く位置関係を把握していなかったのだけど、看板などを見てると「本栖湖」とか「身延」とか、奇しくもゆるキャン△に所縁がある地名が数多く見られた。この辺だったのか……。
この位置関係だったら、本栖湖の1000円札の富士山などを見て行きたかったのだけど、あいにく雨が止みそうにない。富士山のような山は間近に見えているが、上空は雲に包まれて下層部の山肌しか見えていない。ひとまず温泉に集中することにした。
平日で雨ということもあって、下部温泉郷にはホボ人がいなかった。温泉街としても近場に競合相手が多く、結構、アクセス的にも奥まった場所にあるので、まあ仕方が無いのかな……という感じはした。
温泉郷自体も非常にひっそりとしている感じで、一番車が止まっていたのは病院というのが、なんとなく物悲しかった。
温泉会館という場所に入ると、本当に地域の寄合所を兼ねたような施設で、ロビーではだるまストーブが炊かれていた。ロッカーの鍵をもらうと「車のキーでいいんですけど、何か代わりのものを預けて頂けますでしょうか?」と言われて車のキーを渡す。
入浴料金は500円、浴槽は1つだけという非常に武骨な経営だった。秩父とか高尾にある人為的に作られたテーマパークのような温泉施設に慣れてしまっていたが、確かに『下部温泉』という源泉から引っぱっているなら、むしろいくつも浴槽があるのはおかしくて、一本勝負でいいはずなのだ。ここは”ホンモノ”だと感じた。
しかし、私はまだまだ温泉音痴なので”温泉がとても気持ちいい”ということしか分からなかった……。ゆっくり長く浸かれるちょうどよい温度ということもあり、長距離運転の疲れがすっかり癒された。
なんとなく、RPGにおける”エルフの里”みたいだなと思った。さっきCMで見たのだけど、中央道のインターが下部温泉付近に開通するらしい。人里離れた場所にひっそりとある温泉郷というのは魅力的ではあるのだけど、心細いレベルで人がいなかったので、もう少し賑わっているとまた来る際にもうれしい。
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キレイな富士山はみれないけど、近くにあったので、犬山あおいさんのバイト先のモデルである、セルバ身延店に伺った。
本日3月4日は、各務原なでしこさんと、犬山あおいさんの誕生日。「これまで、プリントを回してもらった時だけしか話したことがないけど、声をかけられただけで好きになってしまい、犬山あおいさんの誕生日だと知ってバイト先にやってきてしまったモブクラスメイト」という設定で犬山あおいさんのバイト先に伺ったら、完全に変質者のメンタリティとなってしまった。
郊外の大型スーパーという風情に、分厚いゆるキャン△グッズコーナーが設けられている景色が面白い。売り場の端々にゆるキャン△のポップが上がっていたりもして、なおかつ、スーパーとして品揃えが豊富でお安い。非の打ち所がないお店だ……。と思いながら、普通に旅の買い出しをしてしまった。
犬山あおいさんのお誕生日と言うこともあり、ステッカーだけ買わせて頂いた。私は犬山あおいさんに思いを寄せるモブクラスメイトなので、お誕生日おめでとう……犬山さん……と思いながら、犬山あおいの名前が刻まれたレシートの裏に、犬山あおいさんのスタンプを押して、後生大事に持つという恐ろしいムーブで店を去ることになった。
身延町、特にセルバ近辺は、山と川に囲まれて、畑が広がり、車がないと移動が厳しい感じで、お買い物してる人たちも、一定量をまとめ買いして車で運んでたりした。そんな立地に徒歩で行けるところに犬山あおいさんが住んでいるのか……と想いを馳せ、もしかして犬山あおいさんは漠然とした閉塞感を感じているのではないかと勝手に考えて、ちょっと興奮していた。この男から逃げてくれ。犬山あおいさん。
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ホテルのチェックインには微妙に早く、どこか回るには絶妙に遅いという時間だったが、ギリギリ栄昇堂さんの営業時間に間に合いそうだったので、身延駅近辺に向かう。
栄昇堂さんは『ゆるキャン△』目当てで来た人に慣れているようで、私の滲み出るオタクオーラから、一発でゆるキャン△目的だと分かって頂き、手厚くもてなしてもらった。
振り返るが、この旅行における最大の障害となるのが『糖』だ。糖質制限のないチョコやあんこなんて、ここ2週間はホボ一切食べていない。でも、ここまで我慢したから、おまんじ��う一つくらいは食べてもいいじゃないですか……。あとで運動するから……。と思い一つだけ買おうとした。
だが、お店でとてもよくして頂いたので、1個だけでは示しがつかないという気持ちになり、5個購入してしまった。家族へのお土産にします……。
2週間ぶりのダイレクトな糖は、マジで涙が出そうなくらい美味しかった。ウッウッ甘いものを思いっきり食べたいよぉ……。
こうやって、たまに食べられるタイミングを大切にして、これからは一つ一つの糖に感動していきたい。ありがとうみのぶまんじゅう。
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また1時間ほどかけて甲府に戻る。夕飯は糖を封印するために鍋。山梨と言えば、名古屋名物の赤から鍋だ。もうすぐ3時なので何を言っているのか分からない。
旅先に行くと、その土地に根ざしたものを食べなくてはならない。という強迫観念に近い感情に囚われることがある。でも、例えば徳島にも餃子の王将はあるし、ココイチもあるのだ。別に名物を食べなくてはいけないなんて決まりはない。山梨は東京と地続きな場所にあるが故に、その束縛から解放されて、本当に食べたいものを無理なく選択できる気がする。
店に入ってから「※二人前より承ります」という罠に気付いた。客単価を考えれば当然だし、そもそも鍋の店に一人で来ているのは、お前だけだ……。
仕方がないので2人前を頂く。ここ2週は、お米を食べないと胃のキャパシティは空くのだなと実感しているけど、それでも流石にお腹はいっぱいになった。美味しかったです。
ホテルにチェックインする。疲れていたのか、1時間ほど眠ってしまい、そのままベッドでだらだらともう1時間過ごしてしまった。
23時ごろ、あと1時間で終わる大浴場に急いで向かう。今回は安くて楽天トラベルの評価が高いビジネスホテルにしたのだけど、大浴場が結構しっかりと温泉でテンションが上がった。奇しくも温泉ダブルヘッダーとなり、お湯に浸かりまくるという目標は果たされた。
冷凍室というのがあり、サウナ、冷凍室、熱い源泉をローテーションで回って、副交感神経を動かしてきた。水風呂が苦手なので、冷凍室というじわじわ冷やしてくれる場所があるのはありがたい。
日記を書き始めて、この時間になり、本日は終わり。
明日はとりあえずほったらかし温泉に行こうと思う。
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5484tabulae · 6 years
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散策研究会 Cadavre K 「徘徊する観察者 Vacant Lot」
散策研究会 Cadavre Kによる展覧会
「徘徊する観察者 Vacant Lot」
をTABULAEで開催いたします。
※散策研究会 Cadavre Kとは、2011年から開始された、美術家北川裕二によるプロジェクトの名称です
|会場|
TABULAE (墨田区向島 5-48-4)
|会期|
2018/11/24 (土) - 12/16 (日)の金土日
- 金 15:00 - 20:00
- 土、日 14:00 - 20:00
※曜日によって開場時間が異なりますのでご注意ください
オープニングレセプション
11/24(土)18:00 - 20:00
|イベント|
第5回 漂流教室 「まわり道してTABULAEに向かう」
12/8(土)14:00 - 17:00(終了時刻は前後する場合があります)
集合場所 東武スカイツリーライン/東武亀戸線 曳舟駅改札口付近
定員 5名
参加費 無料(要予約 参加申込み締切12月6日)
東武曳舟駅に集合し、3時間ほどかけて墨田区京島、向島エリアを散策しながらTABULAEに向かいます(台風・雷雨・地震・大雪など災害級の天候以外は、雨天でも決行します)。
>漂流教室について
※こちらのイベントは定員に達したためご予約の受付を終了いたしました
アーティストトーク
12/15(土)18:00 - 19:00
ゲスト 沢山遼(美術批評)
定員 15名
参加費 1000円(要予約 参加申込み締切12月14日)
美術批評家の沢山遼氏をゲストに迎え、アーティストトークを行います。ゴードン・マッタ=クラーク展図録に掲載された沢山氏の論考「都市の否定的なものたち ニューヨーク、東京、1972年」を参照しながら、都市、写真、散策と介入といったトピックについて議論します。
沢山遼 1982年生まれ。美術批評。武蔵野美術大学大学院造形研究科修士課程修了。2010年「レイバー・ワーク──カール・アンドレにおける制作の概念」で『美術手帖』第14回芸術評論募集、第一席。主な論文に「ニューマンのパラドクス」田中正之編『ニューヨーク 錯乱する都市の夢と現実(西洋近代の都市と芸術7)』竹林舎、2017年。「ウォーホルと時間」『NACT Review 国立新美術館研究紀要』第4号、2018年。「都市の否定的なものたち ニューヨーク、東京、1972年」『ゴードン・マッタ=クラーク展』(東京国立近代美術館、2018年)など。
※両イベントは予約制となっております。参加をご希望される方は、件名を「漂流教室予約」または「トーク予約」とし、①お名前②ご連絡先③希望日時④人数 をご記入の上、[email protected]までメールをお送りください。
『徘徊する観察者 Vacant Lot』開催にあたって|散策研究会 Cadavre K
散策研究会 Cadavre Kとは、2011年3月11日の東日本大震災に強烈な衝撃を受けたアーティスト北川裕二によって、同じ2011年から開始されたプロジェクトの名称です。今回のTABULAEでの新作展が、散策研究会 Cadavre Kとしては初の個展になります。あれから8年が経ったとはいえ、むろん福島第一原子力発電所は「収束」などまったくしておらず、同じように大地も揺れ続けています。したがって今回展示される作品は、そのどれもが3.11以後に制作されたものであるとしても、 むしろ“3.11下”のそれであるといってよいでしょう。
散策研究会 Cadavre Kは、以来、痙攣するこの世界を継続的に観察・記録しつづけてきました。しかし、その観察対象は福島県や岩手・宮城県などではなく、意外にもいま私たちが立っているこの場所でありました。観察対象への姿勢は当初、何よりもまず、直立二足歩行する私たちの、この足元の地面への関心から始ったのです。そのうえに築かれたあらゆるものは幻想なのではないか。であるとするならば、幻想はいかにして自然との関係を取り結んでいるのか。対立関係にあるものどもの、相反する構造(システム)と構造(システム)が、否が応でも接せざるをえない境界線、エッジが、あるいは「構造(システム)」の回収し得ない外部的なものが、観察対象として注目されました。
ほとんどの散策は、日中のほぼ一日をかけて台地や低地をひたすら歩いて横断していくというものでした。“下町”と呼ばれる沖積低地、“山の手”と呼ばれる洪積台地、あるいは武蔵野平野、奥多摩山間地など。地形学の地形区分に従っていえば、 多摩面(T面)、下末吉面(S面)、武蔵野面(M面)、立川面(Tc面)の特徴と、それらが接する際に発生する崖線等の境界線や河川についての知識が事前に取り入れられもしました。定点観測ならぬ、歩行による動線観察が何度もくりかえされ、各地域・エリアにそれぞれ漂う特有のアトモスフィア、ムードは、散策者の心理状態の変化に影響を及ぼすことが確認されました。そうして、しだいに「東京の自然史」(貝塚爽平)が把握されていったのです。散策研究会としての散策は、これまでに123回を数えます。
また、同時に、踏み固められた地面の上に存在するあらゆるもの、すなわち植生・気象・家屋との関連全般が観察対象となり、写真に記録されていきました。散策またその写真記録は、当初、アートとしてはまったく考えられてはいなかった。むしろ、3.11の衝撃は、自然災害においてのみならず、政治的・文化的にもアートの「創造」的な「表現」による「生産」を不可能にしたように思えたからです。したがって、今回の展示においても、それへの疑いが根底にはあることを記しておきます。
地形・植生・気象・家屋の全般を観察対象にするということは、いかなる些細な事象も見落とすことなく全体を知覚・認識するということ。世界のすべてを対象にするということです。生態学的に言えば、個体のみならず、個体群、群集といった階層を異にするもの全般を、そしてまた、位階秩序の異なるそれらの影響関係をも観察・記録対象にするということでもあります。身の回りの環境や社会、つまりは生活を成り立たせているアレコレは、そのようにアレやコレやソレとして一括りにされて、記憶・記録から排除されてもきました。散策研究会が関心をもったのは、まさにそのような無数のアレやコレでありました。衝撃とは、近代化の名の下に隠蔽・排除されたものどもが、「原発震災」(石橋克彦)によって再び私たちの世界に回帰してきた、そのことにあったというわけです。
写真というメディアは、このような研究にはうってつけの道具でした。なぜなら、カメラの眼は原理的にいって、ヒトの眼と違い、“すべてのものを等価なもの”として扱うことができたからです。眼で見ていたときには見えなかったものが写真には写りこんでいたというのは、カメラのこの等価性、すなわちあらゆるものを平等なものとして、なんでも選ばず記録してしまう、このアナーキーな機能によるところのものではないでしょうか。
本展は、こうしたカメラ・写真の可能性を再び抽出しようとする試みでもあります。そこには、“すべてのものが等価なもの”として記録されている。しかし、そうであるがゆえに、その可能性は、他方で、ブレもピンボケもなく構図もしっかり撮れているにもかかわらず、“誰が、いかなる目的をもって、誰のために撮影したのか、皆目見当のつかない、まったく不明なる写真”という、実に奇妙に倒錯した(不)可能性の窓をも同時に開いてしまうのではないでしょうか。この点に、写真の機能が孕む矛盾が見てとれます。そこに提示されているのは、いわば世界の「無名性」のことにほかなりません。実現しているかどうかはさておき、このような写真の(不)可能性を本展では模索しています。
セレクトされた写真と映像は、昨年から今年にかけて撮影されたものに限られています。撮影箇所は主に武蔵野面(M面)の東端であり、区としては、中野区にあたります。中野区の同じエリア、環境をくりかえし何度も徘徊する。そのようなことはこれまでに一度も試みたことがありませんでした。
そしてこのことは、先程「武蔵野面(M面)の東端」と書きましたが、本展においては、地形的特徴への関心が次第に後方へと退き(薄らいだわけではありません)、かわって植生(主にヒト)と家屋、そして何よりも気象への関心が全体に配されてくるものへと推移してきたことと関連しています。くりかえし同じエリアをおとずれる散策スタイルは、写真の機能をより自覚的に操作しようということに、何らかの影響を与えていると感じています。
本展のコアとなる作品群は四部構成となる予定です。 ①独立した1点ものの「写真作品」 数点 ②数点の写真が組み合わされた「写真作品」 数点 ③液晶ディスプレイもしくはプロジェクターで鑑賞する「スライド作品」 ④液晶ディスプレイもしくはプロジェクターで鑑賞する「映像作品」 ①~④の作品にはシリーズとしてのメインタイトルと、各作品としてのサブタイトルが付されています。各メインタイトルは、①Survey Point (測量点) ②Photogrammetry(写真測量法) ③Voronoi Diagram(ボロノイ図) ④Skid Movie(横滑りの映画)となっています。また、参考資料として、本展の作品に関係する散策ルートを図解したパネルも展示する予定です。
また、本展覧会としてのメインタイトルと���った“Vacant Lot”ですが、これは日本語では空閑地のことです。一時的に未使用になった空き地。英語名にしたのは、“Vacant Lot”という言葉に興味をもったからです。この“Lot”には、くじ、運、運命という意味があるようで、それが一時的に空き地となった区画を指す言葉にも使用されているというのがおもしろかった。“偶々割り当てられたもの”としての空閑地。文字通りに訳せば、“空っぽの運命”です。
これは、今年国立近代美術館で回顧展が開かれたゴードン・マッタ=クラークの仕事を想起させます。カタログに掲載された美術批評家沢山遼氏の論文にマッタ=クラークの発言が引用されていて、瞠目しました。以下、孫引きですが引用させていただきます。
「グリーン通り112番地でやったアナーキテクチャーの展覧会は[…中略…]なんらかの強い形式性によって固定されることのない、固定化した建築的ヴォキャブラリーの外部にあるものについてのものだった。[…中略…]ぼくたちが考えていたのは、隠喩的なヴォイド、空隙、残余的空間、未発展的な場についてだった。[…中略…]たとえばそれは、立ち止まって靴紐を結び直すような、日常的な動作がふと遮られるような場だ。そのような場は、知覚的な重要性を帯びていると思う。なぜならそこで人は動的な空間に触れているんだ。」 (「ゴードン・マッタ=クラーク展」カタログ p.265)
つまり、“Vacant Lot”とは、この解けた靴紐のことなのかもしれません。紐が解けて固定された意味が一時的に宙吊りとなる時。場所。その瞬間はおそらく、九鬼周造のいう偶然性のごとく「現実性へスルリと滑ってくる推移のスピード」を持っているに違いない。“無”が偶然性によってもたらされるということ。環境、生活、世界への認識を深め、未来を洞察するにも、このような人と自然の接するエッジに現象するささやかな出来事に対する認識をさらに深めていく必要がありそうです。今回の展覧会がそのような世界への見方、感じ方、考え方に寄与できれば幸いです。
最後に、Cadavre KのCadavreはフランス語で、日本語では死骸のことです。したがって、Cadavre Kは、死骸キとなります。“キ”とはキタガワの“キ”のことです。3.11以後のプロジェクトにそう名付けたのは、このプロジェクトがそれまでの作品とはまったく異なることもありましたが、同時に、3.11以後、偶々生き残った=生き延びているという感覚を今も持ち続けているからにほかなりません。それは、どこか幽霊的に仮構された作者名といえるでしょう。
散策研究会 Cadavre K
2011年から開始された、美術家北川裕二によるプロジェクト
漂流教室
第一回 霊岸島から埋立地へ (2015/milkyeast) http://ur2.link/N8ZH 第二回 河岸と下町低地(2015/milkyeast) http://urx.red/N901 第三回 山の手の<むらぎも>を巡る(2016/路地と人) https://rojitohito.exblog.jp/22767074/ 第四回 崖線上のカフカ──中野区を歩く(2017/路地と人) https://rojitohito.exblog.jp/23871177/
散策研究会 これまでの主な散策エリア
001 2011_06_11 新宿御苑 002 2011_06_18 等々力渓谷 003 2011_06_25 赤坂見附 004 2011_06_29 丸の内線・四ッ谷駅 005 2011_07_02 下末吉台 006 2011_07_06 迎賓館・明治公園 007 2011_07_09 市ヶ谷・飯田橋 008 2011_07_16 お茶の水・神田川・隅田川 009 2011_07_22 野川 010 2011_08_06 新木場 011 2011_08_11 高尾山 012 2011_08_20 隅田川・スカイツリー 013 2011_08_25 菊名・獅子ケ谷・下末吉台 014 2011_09_02 渋谷川 015 2011_09_08 皇居・日本青年館 016 2011_09_11 新宿・原発やめろデモ 017 2011_09_17 渋谷川・古川 018 2011_09_19 さようなら原発・渋谷川 019 2011_09_24 赤坂 020 2011_10_01 善福寺川 021 2011_10_07 港の見える丘公園 022 2011_10_13 山手 023 2011_10_22 宇田川跡 024 2011_11_03 御岳山・ロックガーデン 025 2011_11_09 巣鴨・田町・谷中 026 2011_11_12 神田川・小日向台 027 2011_11_17 都電荒川線・王子・荒川 028 2011_12_03 愛宕山 029 2011_12_14 上野・根津・谷中 030 2011_12_15 弘明寺 031 2011_12_21 荏原台 032 2011_12_30 立川段丘 033 2012_01_01 狭山丘陵 034 2012_01_05 三殿台遺跡 035 2012_01_12 目黒自然教育園 036 2012_01_19 明治神宮 037 2012_01_26 清瀬 038 2012_02_04 深大寺・府中 039 2012_02_08 江戸前島 040 2012_02_15 江戸前島 041 2012_02_24 浜離宮 042 2012_03_03 吉見百穴 043 2012_03_15 江東区・運河 044 2012_03_17 江東区・運河 045 2012_04_07 神楽坂 046 2012_04_14 渋谷川・明治神宮 047 2012_04_20 町田・自由民権資料館 048 2012_04_28 市ヶ谷・早稲田 049 2012_05_17 町田・自由民権資料館 050 2012_05_26 江東区・戦災センター 051 2012_06_07 全生園・滝山団地 052 2012_06_14 清瀬 053 2012_06_16 京島 054 2012_06_23 玉川上水・首相官邸前 055 2012_06_29 首相官邸前 056 2012_07_12 神田 057 2012_07_13 首相官邸前 058 2012_07_16 代々木・さよなら原発 059 2012_07_02 新富町 060 2012_08_08 六郷土手 061 2012_08_12 日野 062 2012_09_08 本郷台地 063 2012_09_15 東京湾・葛西臨海公園 064 2012_10_06 生田緑地 065 2012_11_10 青梅・横田基地 066 2012_12_01 大山 067 2013_01_12 渋谷・元麻布・六本木 068 2013_01_14 獅子ケ谷 069 2013_04_13 日本橋川 070 2013_04_27 小平・玉川上水 071 2013_05_25 赤坂・六本木 072 2013_06_06 代官山 073 2013_07_07 東京駅地下通路 074 2013_07_13 王子・吉原・スカイツリー 075 2013_07_27 多摩丘陵・百草団地他 076 2013_08_17 中央防波堤埋立地 077 2013_08_24 仙川 078 2013_08_26 谷中墓地 079 2013_10_26 渋谷・地下道 080 2013_11_09 京島 081 2013_12_28 山手 082 2014_04_24 池袋 083 2014_05_17 高田馬場・神田川・淀橋 084 2014_06_27 駒込・田端 085 2014_07_13 平林寺 086 2014_09_06 秩父 087 2015_05_16 湾岸埋立地 088 2015_07_20 白山 089 2015_11_22 深川 090 2015_12_11 武蔵五日市 091 2015_12_12 武蔵五日市・城山 092 2015_12_18 戸山公園 093 2015_12_26 板橋・赤塚 094 2016_01_06 深川・森下 095 2016_02_02 国分寺崖線 096 2016_02_26 立川段丘 097 2016_04_03 日立研究所 098 2016_05_31 水道橋・小石川・白山 099 2016_10_18 神楽坂・近美・湯島 100 2016_12_06 佐伯祐三・熊谷守一美術館 101 2016_12_13 南青山 102 2016_12_20 原宿・渋谷 103 2016_12_23 戸山公園 104 2017_04_04 野方 105 2017_04_07 江古田 106 2017_05_12 上高田 107 2017_06_09 上高田・野方 108 2017_08_15 池尻大橋 109 2017_08_17 池の上・高円寺 110 2017_08_29 桃園川 111 2017_09_15 中野区南台 112 2017_09_20 新宿住吉町 113 2017_09_22 所沢 114 2017_10_10 中野区中野台地 115 2017_10_20 野方 116 2017_10_27 新宿末吉町 117 2017_12_15 沼袋 118 2018_04_24 鷺宮 119 2018_05_29 中野区中心エリア 120 2018_06_12 野方・沼袋 121 2018_06_15 杉並・堀の内 122 2018_07_06 野方・中野区中心エリア 123 2018_09_11 野方
北川裕二
1963 東京に生まれる
主な個展
1990『形のローカリズム』 ギャラリー現(東京) 1991『A PALASITE/READY-MADE SUIT MIX』 ルナミ画廊(東京) 1992『短絡的接合体』 モリス・ギャラリー(東京) 1992『分裂機械としての身体』 ルナミ画廊(東京) 1992『暮らしの変換』 モリス・ギャラリー(東京) 1993『格子/闘争』 MARS GALLERY(東京) 1993『歴史改造パズル』 GALLERY・GEN(埼玉) 1996『What is a hole?/Make a revision of…』 SHIKI FUJIMORI GALLERY(東京) 2005『Random Open Textured』 MARU GALLERY(東京) 2006『Dust passes through the window』 GALLERY OBJECTIVE CORRELATIVE (東京)
主なグループ展
1990『Bゼミ展』 横浜市民ギャラリー(神奈川) 1992『Project for O.T』 ギャラリー・サージ(東京) 1993『In Between』 FLOATING GALLERY(東京) 1993『CONSTRUCTION IN PROCESS』 ARTIST'S MUSIUM(ウッジ、ポーランド) 1994『身体美術感』 ハラ・ミュージアム・アーク(群馬) 1995『The Age of Anxiety』 The Power Plant(トロント、カナダ) 1996『ATOPIC SITE(On Camp/Off Base)』 東京ビッグサイト(東京) 1996~98『Maniacs of Disappearance』 国立美術館(ブエノスアイレス、アルゼンチン)、Austrian Musium of Applied Arts (ウィーン、オーストリア)、その他オランダ、イタリアなど巡回 1999『第34回今日の作家展 APPROACHING REALITY』 横浜市民ギャラリー(神奈川) 2010『City Beats + Live explosions』 BankART1929(神奈川) 2015『無条件修復—UNCONDITIONAL RESTORATION』 milkyeast(東京)
散策研究会──地殻を近くで知覚する
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insaitama · 3 years
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The very picturesque Nosaka-ji Chichibu
NEW POST: I know its Christmas eve, but with New Year's on the way - a FAR bigger event in Japan than Christmas - my head is full of temples and shrines!! This is one of my favorites that I never got around to writing about in "real time"... #insaitama
Nosaka-ji (Nosaka Temple) the 12th stop on the Chichibu 34 temple pilgrimage, 秩父札所十二番 野坂寺. Nosaka-ji A few years ago while at Hitsujiyama Park for the moss phlox, my family and I went for a hike in the area. We found this stunning temple on our way. Furthermore, it had beautiful wisteria in bloom and my heart skipped a beat when a yellow train passed as I was taking a photo of it. At that time…
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20210524
雑記(茅ヶ岳登山・迷い犬)
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窓の向こうの山並みが五月の風を吸って鮮やかに膨らむ。
気がつけば春もいくらか過ぎていた。
年明けも早々から地元や南アルプス、秩父のお山を登ったり、決まった距離を毎日決めて歩いたり筋トレをしたり本を読むなどしておりました。
一年で一番いい季節だってのに月の前半は風邪を引き(このご時世に)、PCがお陀仏したため買い直し、色々落ち着いたとこで山歩きだと思いきや梅雨に突入するという始末であります。
つい先日茅ヶ岳に登った際も予報は雨。
茅ヶ岳を越えて金ヶ岳まで行く予定だったものの茅ヶ岳登頂後に雨がぱらつき始め、新しく試した山足袋が滑ることもあり切り上げて下る。
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丸五社の祭舞という地下足袋。見た目と履き心地はいいのだがぬかるみで滑る。いつもの地下足袋が一番か。
徐々に雨足が強まる中薄暗い森の一本道の向こうが明るく開ける。ようやく登山口まで戻って来たと安堵していると向こうで何か黒いものがすーっと動く。
犬だ。
中っくらいの野良犬。
一度止まりこちらの存在を確認すると、けたたましく吠えながら走ってくるではないか。
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この場所ではないが、こんな感じの道の向こうから犬が走ってくる。
その距離約50m。やばいかも。
境界を示さねばとこぶし大の石を大袈裟に二つ投げるも意に介さず、ぐんぐん距離を詰めてくる。
不思議なことに一瞬だけふっと意識が浮いて前方斜め上から自分を俯瞰で見下ろすような視点になる。ただこれは今になって生み出した記憶のような気もする。
30mぐらいまで来たところで咄嗟に両手を大きく広げて腹から馬鹿でかい声を出して威嚇した。それも自分ではないような声。何故かこうしたらいいという妙な確信と落ち着きがあった。犬が一瞬ひるんだ素振りを見せ足を止めたのを見逃さずまるで地獄の底から、といった声でもう一度叫び5mほどドスドスと前に走り距離を詰める。犬はくるっと反転してわんわんわんっと吠えながら去っていった。
ひょえー…とひとまず放心するも犬が去ってった先に駐車場があるのだ。それに少し距離がある。とりあえず深呼吸して道の脇に転がっていた古い角材を拾う。雨水を吸いずっしり重くなっている。んで左手にはでかい石。
襲ってきたら躊躇なく頭をかち割る覚悟を決める。そういや、狙われるもんより狙うもんのほうが強いんじゃと菅原文太も言っていた。YouTubeに「かわいい」などと題した犬動画の再生リストを作っていた私は今やどこへといった様相であります。
普段野良犬も滅多に見かけることはなくなったし、お犬様文化ですっかり忘れていたが、私の子供のころはまだ犬が人間や子供の敵になる場面が多々あったように思う。そういや電話連絡網が回って土佐犬が逃げ出したから家にいろとか、別学年の女の子が野良犬にけつを噛まれて重症を負って入院とかあった気がする。
そんなことを思い出しながら道の脇の森の中の待ち伏せを想定して気配を探り車まで200mほどの小道をじりじり進む。幸いにも犬の姿はなく急いで車に乗り込む。
着替えをして車のエンジンをかけると駐車場の入り口のところにさっきの犬がフラフラとやってきて佇んでいる。赤と黒のまだらの虎毛、甲斐犬か。首を長くしてしきりに車道の方を気にしている。車で近づき窓を少し開けて呼ぶと一定の距離を取り近づいてくる。どしたん?と話しかけると首を何度も傾げながら伏し目がちにこちらを見てくる。心細く不安そのものといった眼差しだ。首輪をしていたので付近にいくつかある家の犬がウロウロしてんのかなと思ったがどーみても置いてかれた感じの方が強い。
カバンの中に山で食べなかった焼きそばパンとシーチキンのおにぎりがあったのを思い出し、窓からそっと放るとすごい勢いで食べた。首輪に骨の形の名札がついていたので車を降りて確認しようかと思うものの、こちとら物心ついてからは犬を飼ったことがなく犬の感情が読めない。何年か前にも知り合いの家の庭の琉球犬の機嫌を損ね急に噛みつかれて指を軽く怪我したことがあった。なので断念する。
保健所はコロナ対応で大変だろうとか迷い犬をどうしていいかもわからず、犬は近所の犬だろうと強引に決めつけて帰路についた。
帰りの車中で、もしかして犬がこっちに向かってきたのは襲うためじゃなくて飼い主だと思って嬉しくて駆けてきたのかもしれないと考え出したら居た堪れない気持ちになってしまった。でも知らん犬怖い!
帰宅しせめてもの罪滅ぼしにと甲斐犬、韮崎、迷い犬等で検索すると保健所のサイトのPDFページにおそらく該当する犬の届けが出ていた。どうやら一週間ほど前に登山口近くのゴルフ場ではぐれたらしい。
管轄の保健所に連絡すると若い女性職員に心底かったるそうにご対応して頂いたがコロナでてんてこ舞いなのが容易に想像できるためこっちも恐縮してしまう。事情を説明すると夕方で動物担当がいないので明日連絡すると言われ電話を切った。
次の日保健所から連絡はなかったものの夜に再びサイトを覗くとPDFページが更新されており、該当犬の届けが取り下げられていた。もしかしたら昨日の段階で飼い主に連絡が行き保護されたのかもしれないがどうにも確認しようがない。
そんでさっきROM専の登山アプリを見てみたら、私が登った日の前日の誰かの茅ヶ岳の記録写真にあのワンコロがぽつねんと写り込んでいた。写真にはなんの説明もなかったがずっとあの辺をさまよってたのだろう。
久しぶりに何かに襲われるような恐怖体験をしたからかその日は奇妙な夢を見たのだった。
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hi-technique · 6 years
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THE 6TH, BOKUUNJI TEMPLE, THE CHICHIBU 34 KAN-NON PILGRIMAGE,FUDAUCHI,JAPANESE BUDDHISM, JAPANESE BUDDHIST ART and JAPANESE BUDDHIST TEMPLE ARCHITECTURE,CHICHIBU,SAITAMA,JAPAN / 第六番札所、向陽山、卜雲寺、ぼくうんじ、秩父34カ所、秩父札所三十四ヶ所観音霊場、日本百番観音、秩父巡礼、札所巡礼、同行二人、札打ち、札掛け、埼玉県 by 七福神 on Flickr
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tominohouzan · 5 years
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奥秩父主脈縦走記(2019.12.30~2020.01.05)
<初日> 雨。新宿発あずさ1号で韮崎駅に到着。バスは韮崎駅から瑞牆山荘まで直通で運行されていると思っていたのだが、冬季は増冨温泉から瑞牆山荘までの運行であった為、路線バスで韮崎駅から増冨温泉まで行き、そこから年末年始限定のバスに乗り継いて瑞牆山荘まで行く形になる。富士見台小屋は閉まっているが、水場・トイレは使用可。初日は朝日岳手前でビバークする予定であったが、行動開始が予定より30分程遅れたので、初日は大日小屋で野営した。19時でテント内+3.2度。拍子抜けするほど暖かい。明日は金峰山・朝日岳を超えて大弛小屋を目指す。
<2日目> 金峰山から大弛峠まで行動。特に金峰山から朝日岳は耐風姿勢を取るほどの強風と深い雪に苦戦。大弛小屋の水場は利用化で、駐車場のトイレも開放されている。なんと紙も用意されていた。トイレの入口扉の蝶番いが壊れていて開け閉めに難儀する。朝のテント内はマイナス8度
<3日目> 大弛峠から水師まで行動。予定していた甲武信小屋までは到達できない。大弛小屋の避難小屋に一人年輩の男性が泊まっていた。���武信岳から降りてきたとの事。また先行して二人組が甲武信方面に向かっているとの話を聞く。あとで気がついたが、元旦だったので新年の挨拶をするべきだった。 途中後ろから女性に追い抜かれる。私と同じ日程で雲取まで縦走するそうだ。私より遥かに足が早いのできっと成功するだろうと思った。女性は15時頃ビバークし、私は足が遅いので16時半まで行動し水仕でビバークした。 行動中はマイナス10℃。ダウンをきても汗を書かない。テント内マイナス6度
<4日目> 水師から古札山巻道分岐まで。笠取小屋までは全くたどりつけず。朝8時ぐらいに女性に追い抜かれるが、3時間ほど後に女性が降りてきた。体の痛みや地元まで車で帰ることを考えるてリタイアするとの事だった。トレースにアニマルトースが混ざり始める。明日の将監小屋到達は絶対。つけない場合は撤退も視野に考えること。初の雪で水作り。40分で1.5リッター程作る。テント内マイナス3度
<5日目> 古札山から将監小屋まで行動。ようやく計画通りの野営地にたどり着けた。笠取小屋で糖分たっぷりのジュースを買いたかったが、時間のロスになるため諦めた。笠取山以降は雪と岩のミックスだが、アイゼンは終日使用。巻道は崩落箇所も多い。先日までは何とか寝ることが出来ていたが、この日は寒くてほとんど眠れなかった。シュラフのロフトが落ちてシュラフ内の温度が低いのもあるが、一番の原因は地面と接している体の面に地面の冷気直接伝わり眠れないのだとわかった。体と地面が接する面積を小さくする為に横向きになるとわずかに寝やすくなる。明日はサーマレスト2枚折にして足はザックに突っ込んでみる。テント内マイナス3度。
<6日目> 将監小屋から旧奥多摩小屋まで行動。将監小屋出迎えたマジックアワーが美しかった。水も美味しく環境が素晴らしい。是非また来たいと思う。三条ダルミで、ビバークしようかと考えていたが、雲取山頂上まで1.5時間なので先に進む事にした。アイゼンはここで外し下山まで使用しなかった。念願のゴールである頂上に着くと、やはりガスっていた。私が登るとガスる。避難小屋にはひとり先客がいたようだ。最後の夜は(も)一人でゆっくりしたかったこともあり、旧奥多摩小屋まで足を延ばしビバークした。
<7日目> 旧奥多摩小屋から鳴沢へ下山。都心の夜景とマジックアワーの共演。もう降りるだけなので心も足取りも軽い。初めてコースタイム通り3時間で鴨沢へ下山しコーラで乾杯。
▼装備
・ザック重量:19.1Kg(食料3.0kg,カメラ一式0.7kg,水2リッター) ・食料:カップヌードルリフィル、シリアルバー、アルファ米、カレー(フリーズドライ) ・ガス:223g使用(朝夜500m湯沸かし、1.5リットル雪から水作り) ・モバイルバッテリー:合計26000mAh使用(常時オフライン、GPSログ周期:最低精度) ・アイゼン:縦走用8本爪 ※必要にして充分 ・グローブ:テムレス(インナー無し)※これだけでいい。メインで持っていったモンベルの防水透湿グローブは行動中は一度も使わなかった。インナーはテント内で使った。 ・靴:コパ無し3シーズン用 ★行動中は冷たさや寒さを感じることは殆ど無かったが、下山してから2週間以上足の裏に痛みがあるのでしもやけになった可能性がある。実際現地であった方は皆冬用だったので、もし次回2500m級の冬山に行くのであれば、冬用の登山靴を用意すべきだと思う。 ・シュラフ:スーパースパイラルダウンハガー#1 ・テント:エアライズ2
<不要だったもの>
 ・ガス缶(250g):予備は110g缶で良い。  ・山程のカルパス:100g程度で良い。  ・ペグ:心配なので毎回持っていくが、毎回使わない。
<欲しいと思ったもの>
 ・行動中に糖分を欲した。爽やかなパインアメがいいと思う。  ・雉撃ち計3回。ペーパーは無くなることはなかったが、もっとたくさんあると精神的に良い。
▼備忘録
・靴下は濡れても象足履いて一晩寝れば乾く。 ・気温が高いと靴はどうしても濡れる。朝起きるとガチガチに凍っているが、ストーブで軽く炙れば直ぐ履けるようにはなる。 ・シュラフカバーは持ってないので、足下はレインウエアに突っ込み、頭はテント内面に直接つかないようにビニール袋等で養生したが、5日目から明らかにロフトが無くなり、寒さで殆ど寝れなくなる。サーマレストの凹凹に溜まった結露水をシュラフが吸っているようであった。 ・起床→朝食→片付け→アイゼン装着→行動開始まで2.0hはかかる。1.5hでは無理なので連日4時半起きで6時半行動開始であった。また6時半頃はやや明るいがヘッデンは必要。 ・カメラは重く持っていこうか迷ったが、やはり持っていって良かった。 ・オールウェザーブランケットはテント内が明るくなるように銀面を上にして使っていたが、保温性を考えて銀面を下にし、保温面を上にすべきだった。 ・250mlの柔らかい携行用ボトルはとても使えた。−10℃ではハイドレーションの運用は無理。 ・コッヘルにポリ袋をかぶせて直接食品で汚れないようにするアイディアは我ながら冴えていた。普段の山行でも使っていきたい。
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musashinochichibu · 5 years
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宝登山~四万部寺 5月4日 その5
上長瀞の駅を過ぎて、金崎の交差点を左折。すぐ親鼻橋で、ここから見る秩父鉄道の橋は、レトロな赤色でなかなかきれいだ。SLを狙っている撮鉄が一人うろうろしていた。 三沢入口をガストの前で左折し、インターチェンジの方面へ。危うく高速道路の方に歩いて入ってしまいそうになるが、振り返ると大きな掲示板に一番札所の方角が案内されており、事なきを得た。 戦場(いくさばと読むのだろうか)や強石橋といった、いわれのありそうな場所を抜け、国道82号線をひたすら南下する。宝登山で調子に乗ったせいだろうか、足が重くなかなか前に進まない。一番の閉まる5時まで間に合うか、あせってくる。 三沢小学校までがなんとも長く感じられた。そこから二十三夜寺まではすぐ。ここは珍しく勢至菩薩様が本尊で、有り難くお参りさせていただいた。 
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二十三夜寺の急な坂を、再び国道82号線に戻る。高原牧場入口を経ると、なんと緩やかなのぼりがず~っと続いている。曽根坂峠だ。暑いせいか、なかなか進まない。しかし、早くしないと一番が閉まってしまう。 ところどころ、昔からの巡礼道を思わせる石仏や石碑が出てきた。 曽根坂峠を越えると秩父市。細い曲がりくねった道で、歩道などもちろんなく危ない。カーブの反射鏡で車が来るとわかると、大げさに手を降ったりして、こちらの存在を一瞬でも早くわからせないといけない。  そして5時少し前に四万部寺にやっとたどり着く。既にお堂の戸や香炉は閉められていたが、有り難くお参りさせてもらった。前回来た時のことを思い出す。時の経つのは早いものだ。あと何年、この肉体があるのかわからないが、馬鹿の一つ覚えのように歩きたいものだ。 栃谷から西武秩父駅行きのバスは5時10分。急いでバス停に急ぐ。間に合った。しかし一向にバスは来ない。バス会社に電話すると、例の羊山公園の芝桜で道路が渋滞しているとのこと。定峰で折り返してくるバスなのだが、まだ秩父方面からも来ていない。結局40分程度待っただろうか。しかしそんなに市内は渋滞しているのだろうか?西武観光のいうことなので今ひとつ信じられないのだが、どうしようもない。あきらめて、地図で一番近い秩父鉄道の大野原駅まで歩くことにする。
武甲山が近い。 
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大野原駅に出てみると、次の電車は18:45で30分近く待たねばならない。駅員にコンビにはないかと聞くと、今歩いてきた道のスーパーしかないというのであきらめる。トイレに行く。尿が血のように濃い。水分を採らねば。 御花畑駅へ戻り、西武電車への乗り換えまでに、蕎麦屋でおおざるを食らう。食べるではなく食らうである。暑さ対策をあまりしていなかったので塩分が不足していて、汁までストレートで平気で飲んでしまった。 帰りの電車も相変わらず混んでいた。いろいろの観光地を今回は廻ったが、もっとも巡礼らしかったのは最もつまならかった、かつ苦しかった国道82号線の何もないところをひたすら南下している時だったろう。 不思議なもので、やっている時はなんとあほらしいことをしているのだろうと思うのだが、帰ってくるとまた行きたくなる。 自然と二巡目の秩父に行くことになるのだろう。というよりこの肉体を最大限活用していただきに出かけることになるのだろう。
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TSUTAYA限定です。
4月30日に発売した「ライトニング6月号」ですが、TSUTAYAさんの限定特典にて、ウエアハウスのバンダナが付録しています。
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ライトニング別注パターンのバンダナ。カラーは「ブルーグレー」です。
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ご注意:TSUTAYAさんでも、付録が付かない店舗がございますので、こちらの取り��い店舗様一覧をご確認ください。
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在你骂程朱理学之前,请先理解它
作者:吴钩   2015-12-25
导读:还有人考证出“抹胸的产生与程朱理学的兴盛不无关系,理学是中国女性乳房发育不良的罪魁祸首”……
最近《芈月传》好像很火热,据看过这部戏的人说,演的虽然是战国的故事,不过男女主人公表达爱情跟现代人��样奔放,什么“月儿就是我的命”,特肉麻。有点穿越的感觉。
导演郑晓龙解释说:“那个时候还是战国时期,男女示爱的方式是比较直接的。开始变保守都是‘程朱理学’出来之后的事,男女间越来越授受不亲。”
用“程朱理学”来替历史剧的“穿越感”(穿帮感)做挡箭牌,确实是好主意。
因为自近代以来,程朱理学一直就是一个大箭垛。任谁,只要觉得不爽都可以往那里射一箭,真可谓众矢之的,千夫所指。
五四新文化运动的伟大旗手鲁迅先生,率先给程朱理学画了一个小丑的红鼻子:“由汉至唐也并没有鼓吹节烈,直到宋朝,那一班‘业儒’的才说出‘饿死事小失节事大’的话,看见历史上‘重适’两个字,便大惊小怪起来。”(这位抛弃发妻找小三的爷,快将自己装扮成“妇女之友”了)
与鲁老爷子齐名的胡适呢,尽管说过父亲给他“留下了一点程朱理学的遗风”,但他年轻时也向程朱理学开过炮:
“八百年来,一个理字遂渐渐成了父母压儿子、公婆压媳妇、男子压女子、君主压百姓的唯一武器;渐渐造成了一个不人道,不近人情,没有生气的中国。”
连自许服膺于儒门的“国学大师”南怀瑾先生也认为,五四旗手动手砸“孔家店”是必然的,
“因为这个店,本来是孔孟两个老板开的股份有限公司,下面还加上一些伙计曾子、子思、荀子等等,老板卖的东西货真价实。可是几千年来,被后人加了水卖,变质了。还有些是后人的解释错了,尤其是宋儒的理学家为然。”(大师的解说怎么这么粗俗?)
“文革”时,炮轰程朱理学的火力就更加猛烈了。
著名的笔杆子“梁效”发表雄文批判《水浒传》时,也不忘记先踩几脚程朱理学:
“农民起义的伟大斗争,沉重地打击了宋王朝的封建统治。面对这种局面,地主阶级在对农民起义进行武装镇压的同时,加紧了思想上的反革命进攻。反动思想家程颢、程颐和朱熹等人,适应这种需要,继承儒家的反动路线,对孔孟之道作了一番加工,建立起了程朱理学。它在反动统治者的支持下,广为流行,无孔不入。”—— 吓死宝宝了。
而对“文革”表示反感的自由主义代表人物王小波,在对待程朱理学的态度上,倒可以跟“梁效”产生共鸣。
他说,“从历史上我们知道,宋明理学是一种高调。理学越兴盛,人也越虚伪”;“理学盛行时,科学不研究、艺术不发展,一门心思都在端正男女关系上,肯定没什么好结果”。却不知在理学被打倒骂臭的十年“文革”中,是不是人就特别真诚,艺术特别发达。
今天你到互联网上随便一检索,更是立即便会发现,程朱理学已经成了中国社会的万恶之源:
有人控诉“程朱理学鼓吹缠足、戕害妇女”;
有人指出“程朱理学压抑了中国人的开拓精神和创新能力”;
有人痛骂“程朱理学彻底把中国人奴化,人成了逆来顺受的奴才”;
有人痛心疾首于“程朱理学阻碍了中国一千年的发展”;
还有人考证出“抹胸的产生与程朱理学的兴盛不无关系,理学是中国女性乳房发育不良的罪魁祸首”……
曾有网友戏谑地说,“早晚有一天,张宏良便秘也会说是美国的阴谋”。
著名的“反美斗士”张宏良先生会不会将便秘归咎于美国阴谋,真不好说,但我确知,一些谈中医养生的文章已经指出,中国人性生活不和谐应归咎于程朱理学:
“由于程朱理学的发展及影响,压抑、排斥性的看法日趋严重,谈房中术者不被采录,或视为禁书而遭封删。”(这位同志,你不知道在程朱理学被奉为正朔的明清时期,色情小说与春宫图非常流行么?)
更有意思的是,张宏良本人��是明确反程朱理学的。
他说:“东方文化在后来两千多年封建社会发展过程中,逐渐被腐朽落后的封建文化所侵蚀,特别是倡导‘存天理,灭人欲’的程朱理学,严重毒化了中华民族的性格和心灵。”
我觉得,如果张宏良可能将便秘归结为美国阴谋,那他也应该会将便秘怪罪于程朱理学。
显然,程朱理学被妖魔化太久,被误解太深了。
我愿意给诸位讲述四个小故事,用四个小故事为程朱理学正本清源。
程朱理学是旨在约束君权的政治哲学
我要讲的第一个和第二个故事关涉到程朱理学究竟是什么。
我们可以说程朱理学是一门系统化的哲学及信仰体系,后世学界将程朱理学说成“客观唯心主义”,将陆王心学说成“主观唯心主义”(不要问我什么意思,我也不懂),便是从哲学的角度解释理学。
不过,我们其实可以从更“薄”的层面去理解程朱理学,将程朱理学还原为一门政治哲学。理学虽然强调“内圣”,但“内圣”只是出发点,归宿还是“外王”,从“内圣”开出“外王”。
这应该是我们理解程朱理学的一个逻辑起点,从这个逻辑起点出发,我们对程朱理学中一些不近常理的说法才会豁然开朗。
程朱理学是一门政治哲学,换言之,这门学说其实是讲给君主、讲给治理国家的士大夫群体听的;宋代理学家特别讲求的“理”,也是用来约束君主与士大夫的。
程颐说“饿死事小,失节事大”也好,朱熹说“存天理,灭人欲”也好,都是针对君主与士大夫提出来的道德标准,他们是统治者,是社会精英,承受更为严格的道德约束也是应该的。
晚清的徐继畲就这么解释程颐为什么要提出“饿死事小,失节事大”:“宋承五季之后,世风靡靡,夫妇一伦轻亵已甚,故伊川(程颐)立此严峻之防,使士大夫有所矜式,非为愚夫愚妇言也。”
实际上,程颐还主张,大夫以上,至诸侯、天子,同样不应该再娶,“大夫以上无再娶礼。凡人为夫妇时,岂有一人先死,一人再娶,一人再嫁之约?只约终身夫妇也”。
这个高标准亦不适用于一般平民。
大夫以下的平民是可以“不得已再娶”的。
对于“愚夫愚妇”,儒家的主张向来是“体民之情,遂民之欲”;“礼不下庶人”,用不着那么讲究。
现在来说第一个故事。
北宋元祐元年(1086),程颐以布衣之身份,被朝廷召征为“崇政殿说书”,充任年幼的哲宗皇帝的经筵官。
这是一个极清贵的职位,不过程颐没有马上应承,而是上了三道札子,阐述他对经筵制度的看法,并提出一个条件:如果朝廷赞成他的意见,他便担任经筵官;如果不赞成,那“崇政殿说书”一职还是另请高明。
在第三道札子上,程颐说:
“臣窃以人主居崇高之位,持威福之柄,百官畏慑,莫敢仰视,万方承奉,所欲随得。苟非知道畏义,所养如此,其成德可知。中常之君,不无骄肆。英明之主,自然满假。此自古同患,治乱所系也。”
总而言之,如果君主不知道克制、敬畏,后果很严重。
怎么办?程颐提出了一个解决方案,其中包含两套制度:
一、君德成就责经筵;二、天下治乱系宰相。
什么意思呢?
首先是经筵制度,程颐认为,皇帝比任何人更加需要教化,因此,必须建立经筵制度,礼聘大儒讲课,让君主长期接受儒家理想的熏陶,潜移默化,养成克制的自觉与能力(君德)。这个过程,也叫做“格君心之非”,是理学的重要主张。
其次是宰相负责制,程颐认为,应当剥夺君主的执政权力。
君主地位尊贵,是最高的仲裁者,受众臣、万民景仰,但是,君主不应该具体执政,不必亲裁细务,执政的权力委托给宰相领导的政府,并由政府承担“天下治乱”的责任。这也是宋儒的共识。
从程颐后来还是欣然就任“崇政殿说书”来看,朝廷应该对他的意见没什么异议。
另一位大儒朱熹后半辈子都在强调“正心诚意”,这同样是对君主与士大夫的要求。
我来说第二个故事。
南宋淳熙十五年(1188),年近六十的朱熹应宋孝宗之召,赴杭州入对。启程之际,友人劝告他:皇上不喜欢“正心诚意”之论,您就别提这个话题了。
朱熹正色说:“吾平生所学,惟此四字,岂可隐默以欺吾君乎?”
待见到了宋孝宗,朱熹劈头就对皇帝一顿臭骂:
“陛下即位二十七年,因循荏苒,无尺寸之效可以仰酬圣志。”
为什么会这样,朱熹分析说,是因为陛下您“天理有所未纯,人欲有所未尽”。
最后朱熹建议皇上:“愿陛下自今以往,一念之顷必谨而察之:此为天理耶,人欲耶?果天理也,则敬以充之,而不使其少有壅阏;果人欲也,则敬以克之,而不使其少有凝滞。”
不管朱熹的这一套皇帝听不听从,但朱熹的本意确是要求君主与士大夫节制人欲、遵循天理,而不是要老百姓这样做。
学者陈来先生在岳麓书院的一次演讲中澄清过这个问题:“有人讲,宋儒讲‘格物致知’、‘正心诚意’,讲‘存天理、灭人欲’,是讲给老百姓听的,是用来控制老百姓的思想。这个不对。我们看朱熹的经历,他一开始就是讲给皇帝听的,是向承担各级职务的知识分子宣讲的。”
而且,朱熹对天理与人欲的区分,也不是今天许多人想象的那般极端、刻板。
朱熹自己解释说:“饮食,天理也;山珍海味,人欲也。夫妻,天理也;三妻四妾,人欲也。”
显然,朱熹并不反对正当的人性需求,而是反对没有节制的欲望。
从公共治理的角度来说,朱熹的主张也是有道理的。人有欲望,但人生活在相互的关系中,如果欲望不加节制,特别是统治者的欲望如不受限制,则必将对他人构成威胁或伤害。
所以人们在交往、结群的过程中,会形成道德、伦理、礼法。道德、伦理、礼法都是为了节制人性中过度的欲望,从而达成大众福利的最大化。优良的公共治理秩序,有赖于人们对道德、伦理、礼法的遵守;而一个各人听任于自己欲望的社会,也必然会变成丛林世界。
程朱理学在宋代的影响极有限
许多人言之凿凿地指出,由于受到程朱理学的束缚,中国从宋代开始走向内向、保守、停滞。甚至有研究服饰史的学者宣称,因为程朱理学的影响,宋代女性的着装趋于拘谨、呆板,包裹严实。
但实际上,如果你去看宋画中的宋朝女性,便会发现她们的着装性感得很,通常都是内衣外穿、酥胸微露。
宋代的思想流派也可谓百花齐放,理学不过是其中的一个学派而已,而且在相当长的时间内,朱熹的学说受到朝廷的排斥。
我再讲一个朱熹的故事,这故事可以说明朱熹在当时的影响力实在有限。
朱熹有位“一语定交”的好友郑自明(郑鉴),官至“著作佐郎”,娶了宰相陈俊卿之女、朱熹另一位朋友陈师中之妹陈氏为妻。
淳熙九年(1182),郑自明不幸英年早逝,一年后坊间传出陈氏意欲再嫁的消息,朱熹便给陈师中写了一封信:
“自明之亡,行且期矣,念之怛然,痛恨如新。……朋友传说令女弟甚贤,必能养老抚孤,以全柏舟之节。此事更在丞相、夫人奖劝扶植以成就之,使自明没为忠臣,而其室家生为节妇,斯亦人伦之美事。计老兄昆仲必不惮翼成之也。昔伊川先生尝论此事,以为饿死事小,失节事大,自世俗观之,诚为迂阔,然自知经识理之君子观之,当有以知其不可易也。况伏丞相一代元老,名教所宗,举错之间,不可不审。熹既辱知之厚,于义不可不言,不敢直前,愿因老兄而密白之,不自知其为僭率也。”
朱熹的意思是希望陈师中能够劝说令妹不要改嫁,留在郑家“养老抚孤”。这也是朱熹全部文章中唯一引述程颐“饿死事小,失节事大”的地方,朱老夫子承认“自世俗观之,诚为迂阔”。
可见当时社会并无女性不改嫁的一般观念。只不过陈家乃宰相之家,“名教所宗”,朱熹才“僭率”建议,但他实际的用心恐怕还是出于对亡友一家老幼未来生活的忧虑。
朱熹可能预感到这封信并不管用,又给陈师中的父亲陈俊卿写了一封信,意思还是恳请陈宰相劝说女儿不要改嫁,并解释他冒昧写这封信,乃是“正以人伦风教为重,而欲全之闺门耳。伏惟相公深留意也”。
尽管朱熹说得非常恳切,然并卵,陈氏还是改嫁了。
据朱熹本人所作《陈俊卿行状》,陈俊卿“次女适故著作佐郎郑鉴,再适太常少卿罗点”。
实际上,两宋时期,从士大夫家庭到百姓人家,妇女改嫁的事件俯拾皆是,王安石的儿媳宠氏、岳飞的前妻刘氏、陆游的前妻唐琬都改适他人。
宋史学者张邦炜先生曾利用南宋笔记小说《夷坚志》所记事例进行统计,结果发现:
“单单一部《夷坚志》中,所载宋代妇女改嫁的事竟达六十一例之多,其中再嫁者五十五人,三嫁者六人。这虽属管中窥豹,但由此亦可想见其时社会风尚之一斑。”
张邦炜先生得出结论:“宋代妇女再嫁者不是极少,而是极多”;“宋代对于妇女改嫁绝非愈禁愈严,相反倒是限制愈来愈小,越放越宽”。
鲁迅讽刺宋人“看见历史上‘重适’两个字,便大惊小怪起来”,是不折不扣的污蔑,如果不是无知的话。
宋代的社会风气也不以再嫁为耻,对再嫁妇女并无歧视之意,范仲淹给范氏宗族福利基金订立的《义庄规矩》规定:“嫁女支钱三十贯,再嫁二十贯;娶妇支钱二十贯,再娶不支。”对再嫁女子的资助优于男子再娶。
宋朝皇室也没有歧视有改嫁经历的女性,四川妇人刘娥,原本是银匠龚美之妻,“(龚)美携以入京,既而家贫,欲更嫁之”。
那刘娥改嫁给谁了?襄王���元侃。
后元侃当上皇帝,是为宋真宗,刘氏则册封为皇后。
宋仁宗皇后曹氏也是改嫁女,原嫁与李家,但新婚之夜丈夫逃婚,“曹氏复归,后曹氏选纳为后,慈圣光献是也”。
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(宋仁宗皇后曹氏)
宋朝的法律也没有任何压制女性改嫁权利的条文,只是禁止居丧改嫁、强迫改嫁、背夫改嫁 —— 这些行为在任何时代都是应该予以限制的。
南宋后期,有一个叫阿区的妇女,在丈夫李孝标去世后,先后改嫁李从龙、梁肃。李孝标之弟李孝德到官府控告嫂子“背兄”,审判这个案子的法官叫胡颖,是一位理学家,他虽认为阿区“以一妇人而三易其夫,失节固已甚矣”,但也承认“其夫既死之后,或嫁或不嫁,惟阿区之自择”,这是阿区的合法权利。
最后胡频维护了阿区改嫁的自由,并斥责诬告的李孝德:“小人不守本分,不务正业,专好论诉。”
即便是朱熹本人,也并不反对妇人改嫁。
他说过:“夫死而嫁,固为失节,然亦有不得已者,圣人不能禁也。”
朱熹曾跟朋友讨论一个案子:建阳县有一名妇女,由于夫家太贫穷而提出离婚,事情闹到衙门,县官判离。朱熹的朋友对这个判决很不以为然,说:“夫妇之义,岂可以贫而相弃?官司又岂可遂从其请?”
朱熹说:“这般事都就一边看不得。若是夫不才,不能育其妻,妻无以自给,又奈何?这似不可拘以大义。只怕妻之欲离其夫,别有曲折,不可不根究。”可见朱老夫子尽管性格有些严肃,但也不是不近人情。
理学在清代被帝王扭曲了
朱熹生前郁郁不得志,身后却极尽哀荣,元、明、清三朝都将他的学说尊为正统,于是程朱理学完成了从一门在野政治学说向国家意识形态转变的跳跃。明王朝更是将程朱理学列为科举考试的标准答案。
不过,明代的理学家仍能接续宋儒余绪,尝试以“理”抗衡皇权的“势”。
晚明理学家吕坤便宣告:“天地间惟理与势为最尊。虽然,理又尊之尊者也。庙堂之上言理,则天子不得以势相夺。即夺焉,而理则常伸于天下万世。故势者,帝王之权;理者,圣人之权也。帝王无圣人之理,则其权有时而屈。”
以“理”抗“势”是宋明理学作为一门政治哲学一以贯之的核心主张。
宋代理学家推演出一个“道理系统”,这个“道理系统”由周敦颐“倡其始”,程颢程颐“衍其流”,关西张载“翼其派”;又由朱熹“推广之”,张栻“讲明之”。
他们强调,“天下惟道理最大,故有以万乘之尊而屈于匹夫之一言”。道理高于皇权,哪怕是一介匹夫,只要道理在他一边,即便是“万乘之尊”(皇帝)也应当屈服之。
吕坤之论,与宋代的“道理最大”之说一脉相承,只是明朝时“势”与“理”的紧张关系已经显露出来。
入清之后,大清皇帝对程朱理学的尊崇到了无以复加的地步,士大夫不尊程朱之学,竟然会被处以“毁谤程朱”之罪。
我来讲完最后一个故事。
雍正年间,有个叫做谢济世的监察御史,因为弹劾皇帝的宠臣田文镜,被发往军前效力赎罪。
两年后,有人举报谢济世私注《大学》,毁谤程朱。雍正勃然大怒:“朕观谢济世所注之书,意不止毁谤程朱。乃用《大学》内见贤而不能举两节,言人君用人之道,借以抒写其怨望诽谤之私也。”谢济世因此差点被处死,已经被绑上刑场,临刑前,才得旨:“谢济世免死。”
后来乾隆继位,似乎是一个不怎么喜欢田文镜的帝王,谢济世觉得机会来了,将他的《大学注》(重新整理过了,删掉了被雍正指为“怨望诽谤”的句子)进呈给乾隆。谁知却给乾隆掷了出来。
此时乾隆杀心未起,谢济世总算得了善终,但他去世之后,朝廷从他儿子谢梦熊家中抄出他的一本遗著《梅庄杂著》,乾隆阅后,恨恨地说:“阅《杂著》所签各条,诚不免语含怨望。使其人尚在,自当明正其罪,以昭惩创。”
你看,大清对程朱理学是多么的尊崇,连一句对程朱表示异议的话也不可以说。
然而,非常讽刺,清初最有杰出的理学家吕留良(时人评价吕留良“守程朱之学之严,无若先生者”),却被清廷剖棺戮尸,子孙与门人或被戮尸,或被斩首,或流放为奴。为什么?
就因为吕留良的理学思想对皇权专制提出了挑战。
比如他说:“秦汉以后,许多制度,其本心却绝是一个自私自利,惟恐失却此家当。……此朱子谓‘自汉以来二千余年,二帝三皇之道未尝一日行于天下’者是也。后世儒者议礼,都只去迎合人主这一点心事。”
朱熹那句“二帝三皇之道未尝一日行于天下”的牢骚,要是在清朝说说,恐怕早已被砍了脑袋。
程颐要是生在大清盛世,也必为乾隆治罪,因为他说过:“天下重任,惟宰相与经筵。天下治乱系宰相,君德成就责经筵。”
这句话让乾隆感到特别不爽,专门写了一篇《御制书程颐论经筵札子后》来驳斥程夫子:“为宰相者,居然以天下之治乱为己任,而目无其君,此尤大不可也。”在乾隆看来,臣子若自命不凡,以“天下治乱系宰相”自许,将皇帝往哪里摆?眼内还有皇上吗?
高压之下,清代的所谓理学家已全无宋明士大夫的风骨,如清初的李光地曾大拍康熙的马屁:
“自朱子而来,至我皇上又五百岁,应王者之期,躬圣贤之学,天其殆将复启尧、舜之运,而道与治之统复合乎?伏惟皇上乘天之命,任斯道之统,以升于大猷。”将康熙皇帝捧为“道统”的接班人。
而在宋人构建的理学道统谱系中,从未将“三代”之后的君主列入其中,道统完全独立于皇权。
另一名理学家焦循则大骂吕坤之论:“此真邪说也。孔子自言事君尽理,未闻持理以要君者。吕氏此言,乱臣贼子之萌也。”
意在以“理”抗衡皇权之势、以“正心诚意”格君心之非的程朱理学本身,此时也被扭转方向,用于束缚民间社会与一般平民。
段塔丽教授曾经对《古今图书集成·闺媛典》记载的历代贞妇烈女进行了统计,结果发现:
隋唐时,朝廷褒奖的贞妇烈女有61名,两宋有274名,元代742名,明代有35829名,清初(前82年)有12323名。这个贞妇烈女数量的增幅,跟程朱理学获得官方尊崇的轨迹是同步的。
也就是说,当程朱理学从在野的政治学说蜕变成官方意识形态之后,它的约束对象就开始发生了错位。
但即便如此,程朱理学也没有五四公知与网络喷子控诉的那么“罪孽深重”,要为中国近百年(或五百年,或一千年)的落后负责云云。
恰恰相反,晚清时候,随着以曾国藩为代表的理学家崛起,士大夫政治意识得以觉醒,理学出现了一波回归,而这次“理学回归”的过程,基本上又跟“同治中兴”同步。
换言之,理学并没有造成清王朝的专制与衰败(而是清王朝的专制导致了理学的衰败),反而创造了晚清最后的辉煌。
(注:梁效是在文革批林批孔运动中,“北京大学、清华大学大批判组”的笔名。“梁效”即“两校”的谐音。时有“小报抄大报,大报抄梁效”的说法。)
(题图:南宋刘松年《茗园赌市图》中女子酥胸微露)
原文链接
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minmintokyo33 · 5 years
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9月6日 番外 花山院菩提寺 1/2
三田駅に着いて、ホームから改札への階段を上げっていると清水寺のバスで行きも帰りも一番後ろの長い席を私と一緒に占領していたおじさんに出会う。「一緒でしたね」とこちらから声をかけると、これから自分も花山院へ行く、ご一緒しましょうという。バスの時刻をバス停で確認し、バッテリーの切れた携帯を充電すべくAUショップに行くといって彼とはしばし別れる。12時45分のバスの時間までまだ40分ほどある。 数名にAUショップは近所にないかと聞いてみても誰も知らない。仕方ないのでSoft Bankのショップに尋ねてみたら、この辺りにはないという。仕方がないので写真は今日はあきらめた。 お昼を食べる暇もなくなってしまったので、バスの中で食べるつもりで、パン屋でパンを3個買う。バス停に戻るともうおじさんはそこにいる。聞けば数年前にリタイアし、息子が二人いるという。あともう少しで結願のようだ。自分では団体行動はだめだと言っていたが、その年代の人らしく、誰か相手がいた方が心地いいのだろう。私は秩父、坂東を通して誰かと行動を共にしたことはないし、正直苦痛に感じたが、これもなにかの縁、または修行と思うことにした。 相手がいると必然的に周囲への注意は低下する。バスからの風景はあまり覚えていない。
いきなり降りた花山院のバス停からはすぐに上り坂が始まっていた。ここもそれなりに急だとはいろいろな人のHPで読んでいたが、実際、行って見ると普通の山道である。しかも車がすれ違えるくらいに広い。しかし、観光バスは上げれないくらいの傾斜、道幅だろう。おじさんはシャツを脱ぎ、その年代らしく若い者には負けんぞ、というような風で張り切って上り始めた、私の2メートルくらい先を行っていたが、すぐに息が上がり大量の汗をかき始めた。途中、何丁という石の道標が立っており、それを励みに上がって行った。約1キロ、いい運動だ。 境内には左手から入るようになっている。しばらくベンチで息を整え、汗が引くのを待つ。おじさんは早くもお参りに行ってしまった。どうも景気良く鐘を何回も鳴らすのが彼の流儀のようだ。お経を上げるわけではないが、でもきちんと手をあわせていた。行ってみると、花山法皇殿は靴を脱いで中に入れるようになっている。ガラスで仕切られているが、正面に観音様、右手に花山法皇像、左手に弘法大師像がおはします。狭い空間で声が良く響くのでなかなか気持ちよかった。 その後、お薬師様におまいりし、境内左奥の納経所に行ってみると、おじさんは住職からなにやらいろいろ教わっていた。このおじさんもそれなりに勉強し、知っている程度のことであったろうが、そんなことを人に語らせて聞くのは、この年代の人らしいな、などと全然関係のないことを感じていた。「この人達、歩いて来たんだって」と住職が奥様に言っていたが、そんなに珍しいのだろうか?何でもない山道なのに。今からなら25分のバスに間に合いますよ、と奥様がいうので、暫し、たおやかな山並みと湖の絶景(これは本当に絶景であった。携帯カメラが使えないのが悔やまれたが、愛用のCoolpix P5100も持ってくれば良かった)を目に焼き付けた後、おじさんと一緒に下り始めた。
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区画サイズ、な・な・なんと100㎡以上!ゆったりサイトのキャンプ場10選
アイキャッチ画像出典:@nagatorocamp
大型テントでも区画サイトでキャンプができる!
ファミリーやグループなど大人数でのキャンプって楽しいですよね。でも大型テントやタープが設置できる区画サイトは意外と少なく、結局いつもフリーサイトのあるキャンプ場を選びがちではありませんか?大人数じゃなくてもたくさんギアを持ち込みたい人や、レイアウトにこだわりたい人も、フィールドは広いに越したことはありませんよね。 それにフリーサイトだと混雑時、入場できなかったり、逆に窮屈だったりと困ることもしばしば。フリーサイトの選択肢しか持っていないとゆったりキャンプを楽しめないこともあるんです。 そうなる前に、今回ご紹介する「1区画10×10m、つまり100㎡以上あるキャンプ場」を知っておいて損なし! それでは全国から10ヶ所一挙ご紹介します!
北海道のキャンプ場
さらべつカントリーパーク(北海道)
出典:なっぷ
北海道更別市にある「さらべつカントリーパーク」は、なんと札幌ドーム5.5個分という驚愕の広さ! 北欧風のセンターハウス(管理棟)やコテージが立ち並び、まるでヨーロッパのような雰囲気です。
出典:さらべつカントリーパーク
見渡す限り緑の芝生が広がる場内は、58の区画サイトのほか、予約なしでもOKのフリーサイトやキャンピングカー専用サイトが。 レンタル自転車やパークゴルフなどのレクリエーション設備も充実。幅広い年齢層に人気です。 住所:北海道河西郡更別村弘和541番地62 営業期間: オートサイト(個別テントサイト)、キャンピングカーサイト /シーズン営業(4月下旬~10月下旬まで) ※冬期間は閉鎖 コテージ、ミニコテージ、トレーラーハウス /通年営業 定休日:なし 詳細はこちら 予約・口コミはこちら
関東地方のキャンプ場
長瀞オートキャンプ場(埼玉)
周囲を豊かな山々に囲まれ、荒川に面した景観が自慢の長瀞オートキャンプ場。女子専用パウダールームにオムツ替え&授乳所、ドッグランが完備されるなど、高いホスピタリティが魅力です。 さまざまなロケーションの6種の区画サイトが。1番人気は荒川を見下ろせる「V-ビューサイト」。 中でも100〜150㎡のCタイプのサイトなら、絶景を眺めながら大型テントでゆったりと過ごせます。 住所:埼玉県秩父郡長瀞町井戸559-1 営業期間:シーズン営業 3月16日~12月中旬 定休日:火曜日・水曜日 ※GWや夏休み、連休前後は営業します 詳細はこちら 予約・口コミはこちら
上毛高原キャンプグランド(群馬)
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標高700mの斜面を利用した段々畑状のサイトは、四方の山々を見渡せて開放感いっぱい。オートサイトのほか、高地では珍しくペアサイトやRVサイトがあるので、グループやキャンピングカーでの利用も可能です。
出典:なっぷ
キャンプ場周辺は「光環境条例」により美しい星空を守る取り組みがされており、満点の美しい星空が自慢。 また、釣り堀やツリーハウスなどの施設も充実。ニジマスのつかみどりやピザ教室などイベントも充実しており、ファミリーで楽しめますよ。 住所:群馬県吾妻郡高山村中山6766-1 営業期間:シーズン営業 4月1日~11月末 定休日:なし 詳細はこちら 予約・口コミはこちら
Foresters Village Kobitto(山梨)
出典:Foresters Village Kobitto
南アルプスの麓にあって、清流石空川のせせらぎに癒やされる「Foresters Village Kobitto(フォレスターズビレッジコビット)」。こちらなんと、13,000坪の広大な敷地に1日わずか37組のみ利用可能という贅沢なサイト配置のキャンプ場なんです。 2018年にオープンしたばかりの120㎡の「テラスサイト」や100㎡メートルの「こびっとサイト」、150㎡の「リバーサイト」など軒並み100㎡超えのサイトが並び、のびのびと自由なレイアウトが楽しめます。 住所:山梨県北杜市武川町柳沢3802 営業期間:シーズン営業 2019年4月13日~2020年1月5日 (1月5日宿泊分まで可能) 定休日:レギュラーシーズン中の毎週水曜日(火曜日はアウトのみで宿泊は不可) 詳細はこちら 予約・口コミはこちら
中部地方のキャンプ場
白馬森のわさび農園オートキャンプ場(長野)
北アルプスを臨む絶景が魅力の白馬わさび農園オートキャンプ場。場内は、オートサイトやACサイトのほか、林間サイトやドッグランつきサイト、グランピングサイトがあり、いずれも120㎡以上のサイトばかり。
出典:白馬森のわさび農園
また、場内には北アルプスの雪解け水が湧き上がり、夏には蛍が舞い、珍しい「陸わさび」を育みます。美しい「水」と「空気」、「空」と「山」、そして「自然の恵み」を感じる贅沢な時間を過ごしに訪れてみませんか? 住所:長野県北安曇野郡白馬村神城19520-1 営業期間:シーズン営業 開園期間:3月下旬~11月下旬頃 冬季閉園:雪が積もる迄営業(例年11月下旬頃)、 春季開園:雪がとけた頃となります。(例年3月下旬頃) 積雪がある期間は、閉園となります。ご理解・ご協力お願いいたします。 定休日:なし 詳細はこちら 予約・口コミはこちら
塔の岩オートキャンプ場(岐阜)
出典:塔の岩オートキャンプ場
付知川沿いに細長く整備された「塔の岩オートキャンプ場」。場内は153区画ものオートサイトが整備されています。 上流部で深い淵のあるファミリーサイトと、下流部で浅瀬が多いレギュラーサイトとに分かれる設定。どのサイトもゆとりの100㎡だから驚きです。
出典:塔の岩オートキャンプ場
美しく澄んだ付知川にはサワガニや小魚がいて、川遊びや釣りを存分に楽しめます。 また、1km圏内にキャンパーにはうれしい温泉施設が! 日本三大名泉の下呂温泉へもほど近く、川遊びで冷えた体を温めるのに最適です。 住所:岐阜県中津川市付知町端小屋 営業期間:シーズン営業 4月下旬~10月末まで 定休日:なし 詳細はこちら 口コミはこちら
ロックフィールドいとしろ(岐阜)
名峰白山より流れ出る清流石徹白川沿いの緑豊かなキャンプ場「ロックフィールドいとしろ」。広大な敷地には全75サイトを備え、新緑や紅葉などの四季が美しい林間サイトは1区画100㎡以上と広く、隣を気にすることなくくつろげます。
出典:ロックフィールドいとしろ
清流での川遊びはもちろん、釣り堀や”つかみどり”も楽しめます。また、レンタル自転車が無料で利用できるので、広い場内をサイクリングして自然を満喫するのもオススメ! 住所:岐阜県郡上市白鳥町石徹白下折土80 営業期間:シーズン営業 4月28日~11月上旬まで 定休日:なし 詳細はこちら 口コミはこちら
関西地方のキャンプ場
スノーピーク箕面自然館・キャンプフィールド(大阪)
出典:スノーピーク箕面自然館
大阪中心部からわずか40分という場所にありながら、ダム湖の湖畔や棚田跡の地形を活かして豊かな自然を体感できるキャンプ場です。 全90サイトのうちオートキャンプサイトが70サイト、ACサイトが20サイトがあります。その全てが1区画140㎡という贅沢な場内レイアウト。
出典:なっぷ
もちろんスノーピーク運営のキャンプ場としてイベントやサポート体制も充実、大型のスノーピークショップも併設しています。 また「スノーピーク箕面自然館 本館」では、箕面市止々呂美地区の紹介や資料の展示、自然体験学習なども行われており、地域や自然への造詣を深められるスポットになっています。 住所:大阪府箕面市下止々呂美 営業期間:通年営業 定休日:なし 詳細はこちら 予約・口コミはこちら
野口オートキャンプ場(和歌山)
出典:なっぷ
キャンパーの聖地とも言われる、ふもとっぱらを想起させる広大な河川敷に緑の芝生が映える「野口オートキャンプ場」。20区画のオートサイトは、1区画150㎡とAC電源付きサイトでは西日本最大級。 2家族2区画で予約した家族が1区画に変更することが度々あるというエピソードにもうなずけます。
出典:野口オートキャンプ場
また、区画なしのオートフリーサイトは120×60mの広大さ。イベントなどでキャンピングカーが大集結することも。とにかくオープンなサイトで大人数で楽しみたい人におすすめのサイトです。 住所:和歌山県御坊市野口 日高川河川敷内 営業期間:通年営業 年末年始(12月27日~1月3日)は休業 定休日:なし 詳細はこちら 予約・口コミはこちら
毛原オートキャンプ場(和歌山)
出典:毛原オートキャンプ場
清流貴志川のほとりにあって初夏には蛍が舞う、清らかな自然が魅力の「毛原オートキャンプ場」。 全14区画のオートキャンプサイトは1区画100㎡で、各サイトに4坪の屋根付きのあづま屋を備えます。しかも、車2台テント2張りまでは1区画料金という、じつに良心的な価格設定。 また、キャンプ場近辺は星空スポットとしても有名で、夜には満点の星空が広がります。近くにある「みさと天文台」で本格的な星空観察もぜひ体験してみては。 住所:和歌山県海草郡紀美野町小西187 営業期間:通年営業 ■予約の無い日は施錠しています。 ■台風等荒天時、施設メンテナンス等、臨時休業有り。 定休日:なし 詳細はこちら 予約・口コミはこちら
広大なサイトに広がる可能性
100㎡以上の区画サイトがあるキャンプ場10選、いかがでしたか? サイトが広いと、便利なだけでなくレイアウトももっと自由に楽しめますよね。広々サイトでくつろぐもよし、ベストレイアウトにこだわるもよし、あなたらしい楽しみ方を見つけてみてくださいね!  
Wide space has unlimited potential! 
広大な空間に広がる無限の可能性!
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isicamama-blog · 7 years
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展示会のお知らせと。 ちょっと前の懐かしい写真とお話を。 《移住組》 私たち夫婦は、日本でも、結婚と同時に田舎へと移り住んだ移住組でした。 子育ては自然豊かな場所で。 そう、望み、叶った。 3人のこどもが生まれ、10年間、怒濤の子育ての日々を、川遊び、虫取り、花火、おまつり、キャンプ、畑仕事、綿の栽培、保存食作り、雪遊び、薪割り、等、四季折々、その土地の中で楽しめる事を中心に、 田舎暮しを満喫しました。 本当に楽しかった。 そして、次の移住先がバリ島です。 自分たちがどこで、 どんな環境で暮らしたいかが重要。 内なる声に従って 直感でここに決めました。 こちらでの暮らしも1年以上立ち、 楽しい日々が続いています。 ...二人目が生まれて半年くらい経った頃から、4年間くらい書いていたブログあったのですが、 タイトルが こどもと 一緒に ひろがる暮らし ものづくりと 暮らしをつくる 日々の日記 あの頃はいまよりももっと、朝も夜もない子育ての次期で、立ち止まった事、諦めた事もあったけれど、ひろがる未来への希望も込めてつけたタイトルだったのかな、と久しぶりに読み返して思いました。 懐かしい、築100年以上のお蚕農家での暮らし。場所は変わっても、いつも何かをつくりながら暮らしているのは変わらず。 . . . 随分古いブログですが、ホームページのisica-organicに以前の活動として、リンクを張ってあります。 良かったらご覧ください(^^) こちらからもどうぞ。 http://isicamama.jugem.jp/ . . . そして、来年2月2日3日の2日間、その元々暮らしていた場所の友人宅の古民家をお借りして、isica展示会&バリ島のたのしいもの展、をする事になりました。 バリ島に暮らしはじめてから初の展示会になります。 寒さが厳しい時期ですが、足を運んで頂けたらうれしいです。 日時 2018年2月2日(金)3日(土) 時間 10時30分〜18時頃まで 場所 埼玉県秩父郡小鹿野町 札所31番近く 齋藤家 最寄り駅 西武秩父駅 下車 車で約25分 詳細についてはまた何度かに分けてお知らせをさせて頂けたらと思います。 ◉(お車で来られる際は、凍結の為スタッドレスタイヤが必要です) ◉電車で来られる場合は西武秩父駅までお迎えに行きます。 ◉遠方から泊まりで来られる場合は、宿泊施設のご相談にものりますので、お気軽にDMよりご連絡下さい。 . . . . 来年、一時帰国中���2つの展示会をさせて頂くことになりました。 そちらの詳細も後ほど... →@isica_pasar もご覧下さい。 #isica #コットンの大人服 #天然素材服屋 #展示会のお知らせ #バリ島 #bali #田舎暮らし #ライフスタイル #移住#子育て 草木染め #ものづくり #ブログ
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